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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

文字を語る 白鶴コレクションにみる漢字造形の変遷

東灘アートマンスの始まっている最中、白鶴美術館へ登った。
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古代の文物に刻まれた文字から、日本の中世までに描かれた仏画や絵巻の文字をピックアップした展覧会だった。

青銅器に刻まれた文字をみる。
とはいえこちらはその古代の亀甲文字も中国語も読めないので、研究・解読された言葉を見るばかりだ。
今回は殷のは一つだけであとは西周のばかり。奉納ものが多く、そうした需要での制作ということを知る。
他にもこれを所蔵する理由と言うのも知る。

象文卣(ぞうもんゆう)案外ゾウさんがどこにいるかかわかりにくくもある。
この当時既にゾウさんは中国大陸にも来ていたようで、出光美術館の青銅器にもゾウさんがのしのし。
ゾウ使いも一緒というのがある。

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賢愚経甲巻 本当なのかと思うほどに白く綺麗な紙にいい字が載る。これはマユミの和紙。
和紙はやはりつよい。保たせ方にもよるだろうが、今の紙ではこんなに長くは保たないそうだ。

わたしの大好きな白石蓮台も出ていた。以前のツイートから。

ところでこの白石蓮台、ここにも文字があり、呂景により「国の繁栄と儲宮(皇太子)の幸を祈る」という意味のことが書かれているのだった。
セルロイドのフィギュアぽいのが可愛いが、これもまたこうした意図を込めて作られたものだった。

高野大師行状記 四巻分が出ていた。全面ではないが、なかなか見れないので嬉しい。
巻数ごとに執筆陣が違うことが記されている。仁和寺関連の人々。絵は金岡有康。
・波間に龍が出現 ・恵果和尚 ・虚空に文字を書く大師 ・川越しに書いた字が寺の扁額になる

敦煌の莫高窟から出たものがあった。
映画「敦煌」で莫高窟の仏画を描き続ける柄本明の演技が怖すぎて、いまだに莫高窟の仏画を見ると「こわ…」となる。
薬師如来画像 929  昔は本当に痛切にすがっていたから信仰が広かったと思う。  
千手千眼観音菩薩図  やたらカラフルだが、やはり怖いのだった。

文殊菩薩図 伝・珍海 鎌倉時代  これは文殊少年で五髷。髪をかなり引っ張っているのがよくわかる図。

お経色々。
・法華経 巻第八(色紙経) 平安時代 金峯山伝来  明治に流出だろうな。色々と素晴らしいお経で、やはり平安時代のは派手で華やか。
・中尊寺経 平安時代 中尊寺伝来  銀文字。とても綺麗。
・二月堂焼経 奈良時代 東大寺伝来  入法界本である。善財童子の旅。銀文字の美。焼けたことで色が留められた。
素晴らしい美。
「法身遊行 十方見諸 如来菩薩」という文言が目に残る。

青磁日月花生 元から明代  さすが濃い色。胴に八卦が。中国のこの時代の青磁の濃さ、好きだ。

三彩詩文枕 金代  これも以前から何度も見ていて詩文を写していたと思ったが、見当たらなかった。
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月明
池四面垂楊柳涙
濕衣襟離情感𦾔人
人記得同携手口
従来早是不廊溜悶
酒児渲得人来痩睡
裏相逢連忙先走只
和夢裏厮馳逗

常記共伊初相見対
枕前説了深又願到得
而今煩悩無限情人
観着如天遠■
好事間祖離愁怨似
梢得一口珠珎米飯嚼
却交別人嚥

中呂宮 七娘子


文字入りのやきものは他にも。
文字天目茶碗 南宋  「福寿」などと字が入る。

文字への深い執着があった。

続いて新館の絨毯。
こちらはイスラーム世界のものを主に集めていた。
様々な意味などがあるのだろうがやはりよくわからない。

チューリップだけでなく他の花も文様化されている。
わたしの好きな故事を描いた絨毯も出ていた。
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下から上へ物語は推移する。

12/8まで。
絵などは展示替えがある。
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「西洋近代美術に見る神話の世界」をみる その2

続き。

マックス・クリンガー 『オヴィディウスの「変身譚」の犠牲者の 救済』 1879年 高知県立美術館 エッチング、アクアチント
シリアスな絵柄で壮大なパロディ。ギャグになってしまったのがこちら。
・ピュラモスとティスベ  起承転結になっているのかいないのか、アララな展開に。
鼠柄の柱、リュカオンの来訪、けがで寝込んだり…なんやかんやとシリアスな絵で「犠牲者の救済」を謳いながらも全然そうなってないところがミソ。
・アポロンとダフネ  こちらもそう。出会いの後、逃げて月桂樹になるはずの女が、案外乗り気になったところへ牛登場。そのままアポロンは牛に連れていかれてしまう。
まあいろいろあるわね。

フランツ・フォン・シュトゥック 《ミュンヘン造形美術家協会(分離派) 国際美術展》 1898-1900年頃 リトグラフ・紙 77.7 × 37.3 cm サントリーポスターコレクション (大阪中之島美術館寄託)
ミュンヘンのゼセッシォン。宛名の横顔を描く。シュトゥックは妖艶なサロメも描いているが、これはシンプルな横顔。
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サントリーポスターコレクションといえば1990年にグランヴィレ・コレクションを入手したサントリーが当時存在していた大阪府立文化情報センターで展覧会をしたのが最初だった。
その後に天保山のサントリーミュージアムで所蔵保管していたが、閉館後は大阪府が寄託されていた。


第Ⅱ章 伝統から幻想へ

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 《ユピテルとテティス》 1807-25年頃 油彩・カンヴァス 82.0 × 65.0 cm 東京富士美術館
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色のはっきりくっきりした作品。巨大なユピテルと細いテティス。ほぼ同じような構図の作品がモローにもあるが、あちらは「ユピテルとセメレー」。
ただしこのテティスはユピテルに誘惑されたのではなく、逆に自分の息子アキレウスの為にユピテルを懐柔しようとする様子。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 《愛の秘密》 1855-56年 油彩・カンヴァス 33.0 × 61.0 cm ユニマットグループ
寝そべる裸婦の傍らのキューピッドが何かをささやく。女の手は川に少しばかり浸かっている。
コローの数年前「美人画」ばかり集めた展覧会が西洋美術館と神戸市博物館で開催され、多くのお客さんを集めたが、わたしもコローは森林の風景描写より美人画の方が好きだ。
風景画をメインにした人の人物画というのはとても魅力的なことが多い。コローの美人画も英国のターナーの春画もよかったことを忘れない。

ナルシス=ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ 《クピドから矢をとりあげるヴィーナス》1855年 油彩・カンヴァス 67.5 × 39.0 cm ユニマットグループ
この人の絵にも会えるのは嬉しい。アルマ・タデマ同様、いつかまとめてじっくりと見たい画家のひとり。
ちびこから「こらっ」。でもすぐに元の木阿弥。

オノレ・ドーミエ 『古代史』 1841-43年 リトグラフ・紙 伊丹市立美術館
例によっていかにもな展開の絵。
・アリアドネの糸  その糸を巻いてゆく男
・美しきナルシス  どう見てもおっさん。
・ピュグマリオン  「割れ鍋に綴じ蓋」というのが西洋にもあると思う。

ジャン=フランソワ・ミレー《眠れるニンフとサテュロス》1846-47年 油彩・カンヴァス 38.1 × 30.3 cm ユニマットグループ
背を向けて眠る女。闇に紛れて入り込もうとするサテュロス。
ユニマット美術館があった頃にもっと見に行けばよかったなあ。

テオドール・シャセリオー 《アポロンとダフネ(『アルティスト』誌より)》 1844年 リトグラフ・紙 22.7 × 15.9 cm 町田市立国際版画美術館
男の目がじっ とみてくる。

アレクサンドル・カバネル 《狩の女神ディアナ》 1882年 油彩・カンヴァス 106.5 × 75.5 cm 栃木県立美術館
今回のチラシ。頭上に下弦の月の飾りをつける。(黒目に「上弦」とか「下弦」とか入るわけではない)
手に弓矢を持ちつつ休息中の様子。何か物思いにふけっているらしい。
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ジャン=ジャック・エンネル 《横たわる裸婦》 1861年 油彩・カンヴァス 69.5 × 93.5 cm ユニマットグループ
こちらを見ている。青い布が少しばかり身を隠す。池のほとりでこんな女がいるだけでも古代的なのかもしれない。

ジャン=ジャック・エンネル 《アンドロメダ》 1880年頃 油彩・カンヴァス 182.0 × 108.0 cm 株式会社フジ・メディア・ホールディングス
ほぼ実物大椎図のアンドロメダ。縛られた両の手首には血がにじむ。白い肌に美しい髪。

エマニュエル・ベンネル 《森の中の裸婦》 1880年 油彩・カンヴァス 182.0 × 91.0 cm ユニマットグループ
二人の少女。立つ少女は髪をまとめようとし、座る少女はその腿をみる。
つくづくユニマットのコレクションはロマンティックなものが多くて素敵だ。

アンリ・ファンタン=ラトゥール 《オンディーヌ》 1880年頃 油彩・カンヴァス 37.0 × 45.0 cm ユニマットグループ
岩の上でちょっとばかり艶めかしい姿態を見せる水の精。顔まではわからない。

オディロン・ルドン 《アポロンの二輪馬車》1907年 油彩・カンヴァス 65.3 × 81.1 cm ポーラ美術館
ロングで捉える。ひっくり返りそうな勢いで駆ける馬車、これを見るとそりゃプロでもこれだから素人の息子が御せるはずもなく、パエトーンは死ぬわなと納得。
ルドンのフルカラーは好きだ。黒のルドンより。

オディロン・ルドン 《ペガサスにのるミューズ》 1907-10年 油彩・カンヴァス 73.5 × 54.4 cm 群馬県立近代美術館
こちらは一人乗り。決して困らない速度。

ラファエル・コラン 《田園恋愛詩》 1910年頃 油彩・カンヴァス 65.3 × 46.3 cm 府中市美術館
ダフニスとクロエの純朴さ。 ほのぼのとした幸せ、牧歌的な喜び。
わたしには全く無縁なものだけに何も思わずただただ楽しむ。

エミール=アントワーヌ・ブールデル 《横たわるセレーネ》 1917年 ブロンズ 84.0 × 74.2 × 26.4 cm 姫路市立美術館
腕の線がとても綺麗。ブールデルはいつも腕の構造の良さを感じる。
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第Ⅲ章 楽園の記憶

ピエール=オーギュスト・ルノワール 《泉(横たわる裸婦)》1905年 油彩・カンヴァス 50.2 × 117.6 cm ユニマットグループ
ふっくらゆったり。もう晩年の作とはいえ、この優しさがいい。

こちらはバリバリ描いていた頃
《水のなかの裸婦》 1888年 油彩・カンヴァス 81.3 × 65.4 cm ポーラ美術館
肌が真珠母貝のようなきらめきを見せる。水面の青のグラデーションに暖色がまじることで水の奥行きがみえてくる。
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コンスタンティン・ブランクーシ 《ミューズ》 1917年 ブロンズ 43.5 × 24.0 × 20.0 cm 姫路市立美術館
かっこいいなあ。姫路で見たときより、こうしたコンセプトの展示で見る方が興味を惹かれる。

ラウル・デュフィ  アポリネール『動物詩集あるいは オルフェウスのお供たち』 Guillaume Apollinaire, Bestiary or the Parade of Orpheus 1911年刊行 木版・紙 群馬県立館林美術館
ひれは五年ぶりの再会。「デュフィ展をみる」のブログで感想を挙げている
・オルフェウス・亀・アイビス
三点出ていたが、これは楽しくて好きだ。線が多く、可愛くはないのだが、楽しい。
そういえば今汐留でデュフィ展が開催していたが、これも出ているかな。

ラウル・デュフィ 《アンフィトリテ(海の女神)》1936年 油彩・カンヴァス 188.0 × 160.0 cm 伊丹市立美術館
手に貝を持つ。1936年当時の最新のかっこよさ、そんなのを感じる。

ラウル・デュフィ  《ヴィーナスの誕生》 1937年 油彩・板 16.0 × 41.0 cm 宇都宮美術館
こちらもそう。その時代の最先端なヴィーナス。別にモードがそうだというのではないが、 なにかカッコいいのだよな。

ラウル・デュフィ 《オルフェウスの行進》 1939年 油彩・カンヴァス 61.0 × 176.0 cm 宇都宮美術館
こちらは28年後。ゾウも虎も飛ぶトラ猫も…

ラウル・デュフィ 《アンピトリテ》 1945年 油彩・板 16.8 × 50.3 cm 宇都宮美術館  先のと同じAmphitriteなのにこちらはピ表記。
嵐の中の美誕。そしてやはり1945年風なムードがある。海岸がそうなのか、なんなのか。いつもその時代の最先端にいる。そしていつも古びない。

マリー・ローランサン 《三美神》 1921年 油彩・カンヴァス 81.0 × 65.0 cm マリー・ローランサン美術館
トリコロール美人。青・白・ピンク。 仲が悪いわけでも張り合ってるわけでもなさそうなところがローランサン。

マリー・ローランサン 《レダと白鳥(Ⅰ)》 1925年頃 油彩・カンヴァス 54.0 × 44.0 cm マリー・ローランサン美術館
白鳥の下心がな…

マリー・ローランサン 『サッフォー詩集』 1950年刊行 エッチング・紙 21.5 × 13.5 cm マリー・ローランサン美術館
作品から三点さし絵がでている。
ギターを持つ女、スワンと。妖女。いずれも深いところまではわからぬながらも惹かれる。

第Ⅳ章 象徴と精神世界

パブロ・ピカソ  『ヴォラールのための連作集』 1930-37年(1950年刊行) エッチング・紙 北九州市立美術館
このミノタウロスのシリーズは好きだ。
・剣でさされたミノタウロス  相手はなかなかの美男。
・カーテンの後ろのミノタウロスと女  こちらの女も綺麗で肉感的。
とはいうものの、醜いはずのミノタウロスだが、わたしはどうしてか彼を焼いて食ってしまいたくなる。

ポール・デルヴォー 《水のニンフ(セイレン)》 1937年 油彩・カンヴァス 103.0 × 120.0 cm 姫路市立美術館
夜、神殿のようなどこかのステーションの中のような、プールのようなところで女達。
いつも、不思議。

ほかにも神話的な風貌を見せる作品、わたしでは理解できない作品がある。
とても面白い内容だった。
11/17まで。

「西洋近代美術に見る神話の世界」をみる その1

美術館「えき」で「西洋近代美術にみる 神話の世界」展が開催中。
こうしたコンセプトの展覧会は大好きで、これまでにもいくつか見ている。
今回の展示もとても良かった。
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序章
古 いにしえ なるものへの憧れ Longing for Ancient Times
いい英訳だな…

ジョヴァンニ=バッティスタ・ピラネージ 『ローマの古代遺跡』1756年刊行 エッチング・紙 町田市立国際版画美術館
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・アントニヌス記念柱 ・アントニヌス神殿の遺構 ・パンテオンの入り口の景観・パンテオン内部の景観・大きな大理石棺  
いずれもピラネージの妄想炸裂でとても魅力的。建築物の確かさはさすがだし、そこに生きた人を配置してもどこかうそ寒く、廃墟感があり、不思議な空虚さが満ちている。
大きな大理石棺 これはローマの夫婦のためのらしく、蓋の上に生前の夫婦の像があり、棺の彫刻も手が込んでいる。蓋には狩猟文の連続、本体にはローマ神話の英雄や神々が刻まれている。
 
『古代の壺、燭台、石碑、石棺、三脚台、 ランプそして古代の装飾』1778年刊行 エッチング・紙 町田市立国際版画美術館
・古代の骨壺・古代の大理石骨壺  きわめて抑制的に描かれているが、それがまたこちらを煽る煽る。
スフィンクスの像がついているのにときめくわけですよ。

さてこちらは本物の古代の遺物。
《赤絵手人物文ピュクシス》 前5-前4世紀(ギリシャ、アッティカ地方) 陶器 高さ14.5 × 胴径31.5 cm 東京富士美術館
舞楽の胡蝶そっくりな羽の生えた人がいるが、胸のふくらみはあっても下半身には別な性が生きている。両性具有の美。

《奉納物を持つ女性像》前20-20年頃(ポンペイ) フレスコ、テンペラ 26.2 × 65.8 cm 岡崎市美術博物館
Woman with an Offering と訳すのか。こうして一つ覚える。
左側に女性が立っていて、手に角盆を持つ。その上には果物らしきものがある。右側へ進もうとしているよう。しかしその右は今のところ虚無で、端にだけ白でレースを思わせるような文様が描かれている。

リュシッポスの作品による 《ヘラクレス・エピトラペジオス(卓上の ヘラクレス)》 1-2世紀(ローマ時代) 大理石 53.0 × 21.3 × 26.8 cm 東京富士美術館
後世の模造品。既にこの時代にこうした模造品が作られ、人気があったのだ。力強い造形。膝のところでパーツが分かれている。


第Ⅰ章 甘美なる夢の古代
ここでも近世の作品が現れる。

ジョン・フラクスマンの端正な線描による版画。
全てローマ神話の図像学に基づくと思われる。

『ホメロスの「イリアス」』1793年(1795年刊行) ラインエングレーヴィング・紙 郡山市立美術館
・パリスをたしなめるヘクトル  末弟が災いの女を連れてきたことについて長子は色々というが、女の色香に溺れるパリスは聞こうとさえしない。その傍らの災いをもたらす女は手にあの林檎をもって素知らぬ顔で座るだけ。
・不和の飛来  「不和」という概念も擬人化される。この場合は神格化されるというべきか。数多くのガレー船がゆく海上のその中空に、松明を手にした「不和」の女神が飛んで来る。

『ホメロスの「オデュッセイア」』 1793年(1805年刊行) ラインエングレーヴィング・紙 郡山市立美術館
・オデュッセウスを救うレウコテア  へたってる彼を救うのは大抵女なので、ここでも船乗りを海難事故から救う救い手としてのレウコテアが来た。
・弓矢を放つアポロンとアルテミス  中空からきょうだい並んでシャッと勢いよく射る。

『神統紀、仕事と日々とヘシオドスの 生きた時代』 1817年刊行 スティップル・ラインエングレーヴィング・紙 郡山市立美術館
・服を着せられるパンドラ  足元にあるのは既に開かれてしまった箱。そこにはネックレスがある。何人もの手で検分されるように衣服を。
・ヘシオドスとムーサたち  和やかな雰囲気。月桂樹の枝を渡される。

フラクスマンは18世紀末に活躍したが、この線描は色彩を載せると1920年代の作品にも見える。
そんなシャープな良さがあった。

フレデリック・レイトン 《月桂冠を編む》1872年 油彩・カンヴァス リヴァプール国立美術館 ウォーカー・アート・ ギャラリー
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正面顔の綺麗な女。レイトンは1989年の「ヴィクトリア朝の絵画」展で知ったが、あの時もこの端正で美麗な絵に強く惹かれた。
かれはラファエル前派とは違いアカデミックの長なのだが、神話をモチーフにする辺りは彼らと近いように思われる。
英国絵画の最も耀いていた時代の画家。

エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ  『フラワー・ブック』 1882-98年(1905年刊行) リトグラフ(一部手彩色)群馬県立館林美術館/郡山市立美術館
丸い画面に描かれた連作もの。タッシェンから美本も出ている。
・ヴィーナスの鏡
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月がヴィーナスの鏡。とても綺麗。足元の鳥達はヴィーナスだから鳩。鳩の群れが水にすれすれのところで飛ぶ。
・天国の薔薇 こちらのヴィーナスは中空の道を鳩の群れと共に行く。
・ヘレンの涙 炎上する城外、トロイのヘレネーなのだ。何を泣くことがあるのだ、彼女が。
どうしても山岸凉子「黒のヘレネー」のイメージが常にあるのでわたしも彼女にあたりが強い。
そしてこのヘレネーの衣裳は裾が青く光るけれど、全体が黒なのだ。

ローレンス・アルマ=タデマ   《お気に入りの詩人》 1888年 油彩・パネル 38.6 × 51.5 cm リヴァプール国立美術館 レディ・リーヴァー・アート・ ギャラリー
この人の絵を見ると嬉しくなる。いつか展覧会があればと常々思っている。
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大理石の床のリアルな触感が絵から浮かぶ。絹の柔らかさもまた。
詩人の言葉をよむ。とても長い長い巻物。甘美なる無為を味わう背後の女と壁画とがまたとてもいい。

エドワード・ジョン・ポインター 《世界の若かりし頃》 1891年 油彩・カンヴァス 76.2 × 120.6 cm 愛知県美術館
額縁もとてもいい。イオニア柱がついたもので、その中の絵はまるで宮殿の奥の様子に見える。
花の彫刻をまといつかせた柱。タイルも素敵。プールには花弁が散る。蛇の噴水から水が。
窓の向こうには夕暮れつつある山が見える。窓にもたれて眠る女。
その手前では二人の女が動物の骨を使ったサイコロ占いをしている。一人がサイコロを持ち、一人が何か笑いながら指差す。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 《フローラ》 1914年頃 油彩・カンヴァス 102.5 × 69.4 cm 郡山市立美術館
久しぶりの再会。花を摘む美しい女。その首筋がとてもいい。

チャールズ・リケッツ   オスカー・ワイルド『スフィンクス』 1894年刊行 木口木版・紙(本)町田市立国際版画美術館
セピア色の装幀。惹かれる。


続く。

コートールド美術館展をみた その2

続き。

セザンヌは同一モチーフで何点か別バージョンを描いた。
カード遊びをする人々 1892-96  メトロポリタン、オルセー、個人蔵のは1x1、バーンズは3人と見る2人などと少しずつ違っている。ところでこれはどっちが勝ってるのかな。
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モディリアーニ 裸婦 1916  胸も腿もいい感じだな。目を閉じてるのでどんな眼なのかがわからない。黒塗りなのか黒めありなのか。

ロートレック ジャヌ・アヴリル、ムーランルージュの入り口にて 1892  えらく老けて見えるが実はまだまだ若い頃らしい。
人気の人なのにこういう顔つきで描かれると本人としてはどうだったのだろう。

シスレー セーヌ川の船 1877  ポンポン船、洗濯船、昔からこれがフランスのわからんところなのだよ。「洗濯船」ね。
パリの日常を支える情景。わたしはこの絵を見ると1934年のジャン・ヴィゴ「アタラント号」を思い出すのですよ。
あれは艀だったけれどね。


船と言えばモネは「アトリエ舟」とやらに乗りこんでこの絵を描いたそうだ。
秋の効果、アルジャントゥイユ 1873  見事なさかしまでもある。こうして見るとフランスの秋の美しさと言うものが伝わってくる。
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6:2:2の分割か。視覚効果、いいなあ。

この展覧会ではコートールド美術館の展示の様子などがパネル展示されている。そして壁面の再現などもある。
それをみると、セザンヌのパイプを咥えた男の絵の横になぞの中国人旦那一行の革製椅子があったりする。
暖炉を中心に絵を飾ったり、いいインテリアの配置もあって、とても素敵だ。

ルノワール 春、シャトゥー 1873  緑の中、向こうに誰かがいる。とても幻想的な様子。

ルノワールの彫刻もある。
洗濯する女 1916  ブロンズなのだがなかなか力強そう。

ドガ 踊り始めようとする踊り子 1885-90 ブロンズ鋳造は1923以前  こちらのは赤楽みたいな色合い。きりっとしたポーズ。

マネ 草上の朝食 1863  例のオルセーのあれの練習その1.

マネ フォリー=ベルジェールのバー 1892 この絵を最初に見たのは高島屋での展示で1998年なのだが、その展覧会の時にこの絵の不思議さについて色々とレクチャーを受けた。腕の長さについてとか鏡面にうつる男や左端の足とか色々。
そして今度の神戸市立博物館のチラシでもそのあたりを指摘している。
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1872-75、ここは「娯楽の殿堂」として人気が高く、2フランで入れたそうだ。
カンガルーのボクシングや、出し物なのか『パガニーニの亡霊』というのもあったようだ。

ところでここに描かれている果物はどう見てもみかん、それも温州ミカンにしか見えない。
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それで思い出すのがトリュフォーの「二十歳の恋」アントワーヌ・ドワネルのシリーズ第二作である。
好きになったコレットにフラレたアントワーヌをそうと知らず彼女の両親が家に連れてゆき、「みかんを食べなさい」とすすめる。
みかんを食べるアントワーヌだが…
そう、みかんでしたね。この絵のと同じ。ニュージーランドに温州ミカンがあるのは知ってたが、フランスにもあるとは知らなかったので、とても印象に残っている。後に調べたらオレンジではなくやっぱりみかんなのだった。

みかんはみかんでもこちらは未完。
オノレ・ドーミエ ドン・キホーテとサンチョ・パンサ 1870  未完でも迫力がある二人。

ドガの二枚の女性の絵の違いが面白い。
窓辺の女 1871-72  精油で溶いた絵具で描いたのでソフトでマットな仕上がりになっている。
傘をさす女性 1870-72  やや猫背の女が大きい傘をさす。どうも日本画に見える描き方なのだ。
ほぼ同時期に描いていてもこんなに違うのが面白い。
谷崎潤一郎「お艶殺し」「金色の死」とが同年の作で、全く肌合いが違うのとよく似ているように思う。

ボナール 室内の若い女 1906  丸顔のマルト。椅子に座っている。青黒い服を着て手に葡萄らしきものを持つ。
くつろいでいる。日常の様子。

ロダン ニジンスキー 1912 ブロンズ鋳造1958  「牧神の午後」直後に制作したらしい。
あのセンセーショナルな<事件>の最初にニジンスキーを擁護どころか大絶賛したのはロダンだった。
凄い太腿なのはリアル。片足立ちし右足甲を左手で持つ。

作品だけでなく資料も色々あってそれもなかなか興味深い。

20年ぶりにいい再会になってよかった。
都美は12/15まで。神戸は来春から。

コートールド美術館展をみた その1

コート―ルド美術館展を見てきた。
東京都美術館で12/1まで開催し、その後は巡回する。関西にも来る。
チラシはやはりマネのこの絵である。
フォリー=ベルジェールのバー
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前回のコート―ルド美術館展の時も同じだった。
あの時は難波の高島屋で見た。
当時の高島屋も大丸も海外の美術館博物館の名品を展示できる力があった。
わたしなどはデパートの展覧会で学んだことがとても多い。

コート―ルド美術館はロンドンにある。
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ロンドンは親しいように思っていたが、それは知識だけのことで、わたしは未踏だ。
ヒースロー空港の内部しか知らないので無縁だと言っていい。
しかしこうしてコート―ルド美術館のことを知り、所蔵品を知り、楽しむことが出来る。
まことにありがたい。
前回、なかなかいい図録が作られた。論文もいい。
わたしは今も大事に持っている。

3つほど章立てされているが、あまりそのことを考えずに見て回った。
その意味ではキュレーターの方々には申し訳ない。
恣意的な愉しみ方しか出来ないのでこんなことをしてしまう。

ホイッスラー 少女と桜 1867-72  薄物というより羅と呼びたいような衣をまとった若い女。赤味がかったオレンジ色のかぶりものが印象的。
しゃがんだ彼女は桜を生けようとする。足元には幾枚もの衣が。花びらの美しいある日。

この展覧会では全作品をツイートで紹介してくれている。びっくりした。

このように。
いつまでこのアカウントがあるのかは知らないが、ありがたいことではある。

ゴッホ 花咲く桃の木々 1889  柵の内側に桃の木が並ぶ。これを見ると府中から小金井街道を通って武蔵小金井に向かう道の途中の風景を思い出す。
桃ではないのだが。この絵の桃は食べるための桃の木なのか花のための木か。
ゴッホのアルル時代の桃。

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ドガ 舞台上の二人の踊り子 1874  演技中なので背景は書割だが、その背景画が存外よい。赤、ピンクの花冠の踊り子と緑の冠の踊り子とが語らうようなポーズをとっている。
わたしはバレエに詳しくないのでわからないのだが、これは何の演目なのだろうか。

書割と言えばこの絵は歌舞伎の書割のように見える。
モネ アンティーブ 1888  遠近感の問題なのだろうが。そしてわたしはこの風景から真山青果「荒川の佐吉」の大詰めの旅立ちの様子を思い出すのだった。

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さらにはこれはその芝居を観る観客のご婦人かと。←なんでやねん
ルノワール 桟敷席 1874  縦縞のドレスが印象深い。傍らの男は美人を物色中。

セザンヌ アヌシー湖 1896  左手に幹があり、湖面には形を変えて反映する城や木々。
こちらは新劇の書割のようだ。
断っておくが、わたしは芝居が好きなので「書割のようだ」というのは決してわるくいう言葉ではないぞ。

モネ 花瓶 1881着手  つまり40年後に加筆したのだ。白にピンク交じりの何かの花。大量に活けられた花。
画家が何十年も手元に置いて加筆し続ける、変えてゆく、というのは凄いことだが、素早く描く絵もとてもいいと思う。
日本でも石本正は何十年後にも加筆する人なので完成年は不明と言うものが少なくない。

セザンヌ レ・スール湖、オスニー 1875  ペインティングナイフによる制作。森の中の湖。風や匂いも感じる。まちまちの色がこの世界を構築する。計算され尽くした色彩なのだが、そうであってもこうして情の世界で感銘を受ける。

セザンヌ 大きな松のあるサント=ヴィクワール山 1887  よーく見ると右の奥に鉄道用の橋がある。この山の前を通っているのか貫通しているのかは知らない。解説に「普遍的な山の存在」とあるが、セザンヌのサント=ヴィクワール山は日本人の富士山と同じ立ち位置にあるのかもしれない。だがそうなると「普遍的」ではないか。いや、どうなのだろう。

イメージ (2324)

ゴーガン テ・レリオア 1897  タヒチ美人のいる室内には意味深な壁画が施されている。幼女、床には猫。こちらを向くタヒチ美人は女優の小雪に似ている。そして外の景色なのか幻なのか、山やヤシの木が見えもする。
タヒチの絵はどれもみな複雑な構造を持っている。

長くなるので続く。


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