美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

2017.6 終了した展覧会のまとめ その2

まあ諸事情により書くに書けなかったということもあるわけですよ…
その一方で「八犬伝・弓張月」みたいに二日続けの感想挙げるのもある。
コンスタントに行けるわけではないわたしのアタマ。

・日本 家の列島 @汐留ミュージアム
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正直な話、わたしにはわからなかった。
だが、建築に携わる実務者、研究者、学生はこの展覧会を見た方がいい、と思った。
わたしはやはり近代どまりでいいよ。

・カッサンドル ポスター展 グラフィズムの革命 @埼玉近美、八王子夢
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巡回展。カッサンドルが主に才能を発揮した1920年代のポスターの素晴らしさに改めて目を瞠る。
この「ノルマンディー」は客船のメニュー表紙絵になり、「ノール・エクスプレス」は時刻表の表紙絵になった。
そして線路の奥に☆がピカッの「エトワール・デュ・ノール」もまた時刻表表紙に。
それらは杉浦非水が欧州で手に入れ、大事にファイルしていた。
シャープすぎるというか物凄くかっこいいポスターの数々にときめいた。

一方1930年代の「デュポネ」シリーズのユーモラスさも楽しくておしゃれでいい。
ただ、どんどん鮮烈さが失われてゆくのを感じたのはさみしかった。

66年の「井戸に落ちた星占い師」はハヤカワのSF本の表紙絵のようでかっこよかった。

それにしても松本瑠樹コレクションはやっぱりスゴイわ。




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「馬琴と国芳・国貞 八犬伝と弓張月」展の感想の続き・主に「弓張月」

弓張月についても少々。
これは実はいまだに未読なのだが、芝居は二度ばかり見ている。
三島由紀夫版ので、最初は幸四郎の為朝、次は三世猿之助の為朝を見ているが、染五郎のは見ていない。
ビックリしたのは幸四郎のは87年、これはTVで見た。もうあれから30年経っていたのか。それに驚いた。
2002年の猿之助のは豪勢な配役で、ラストの希望に満ちた猿之助の顔や声は今もわたしの中に活きている。

弓張月はむしろ国芳の錦絵からこれを知り、次に8世三津五郎の著作から色々学んだ。
白縫姫の美しき残酷さ。これなどはまさしく三島的な歓びだった。
敵には冷酷な白縫姫(玉三郎)が夫・為朝の仇敵をゆっくりと処刑するシーンは前時代的なときめきがあった。
玉さまは三島演出の初演でこのお役に大抜擢され、それ以後道が開いたのだ。

ところで何故か「あれ、これ知ってる」逸話が多いのにあるとき気づいた。
錦絵からの知識ではない。
つまり、「新八犬伝」で信乃が琉球に流されての話がここから採られているから、わたしも知っていたのだ。
批判もあったろうが、「新八犬伝」の面白さは「なんでもあり」だし、同じ馬琴だしで、わたしは擁護する。

勝川春亭 為朝石山の奥の浴場で奮戦 入浴中に敵襲を受けて逆襲。捕り手の一人、為朝にヤラレて両目が飛び出していた。
石山の温泉宿は今では数軒あるが、昭和半ばのもの。平安時代は石山寺に紫式部がいたけれど、ここで温泉というのは為朝一人かもしれない。
ところで入浴中の襲撃と言えば、幡随院長兵衛が旗本水野の屋敷に招かれ、暗殺されることをわかりつつ入浴するシーンが、やっぱり思い浮かぶ。こんなので助かるのは少ない。

本がずらずら。北斎の挿絵。鬼たちとの力比べ(なにしろ為朝は2M超えの長身大力の剛の者)、温泉で捕り手と戦う、敵の船を遠くから射て転覆させる…
と、為朝の豪勇ぶりを示すシーンが出ていた。

馬琴の小説には中国文学の素養があるからそれをこっちに置き換えたりもしている。
そういえば八犬伝は犬の話(当たり前だ)だが、ここでも犬はいい役である。

山犬の子・山雄が、為朝が林の中で蟒蛇に狙われているのを気づかずにいるので唸り続け、誤解した為朝に首を落とされるや、生首が飛んで蟒蛇を食い殺すという話がある。
これは生首が飛ばねば出来ぬことなので、この忠犬は可哀想だがやっぱり死ぬしかない。
とはいえ迂闊な為朝は反省し、悼む。
迫力のあるいい絵。

画題の共通するものをいくつかみる。
前述の岸から海を渡る敵の軍船を射る為朝の姿がけっこう人気の画題だったか、船側からの視点やロングでの情景とか色々あるのが面白い。
これは色んな絵師が手掛けているが、やっぱり絵面そのものが面白いものな。

国芳の為朝色々
家来の一人・鬼夜叉は野人なんだが、国芳は時にはなかなかの美丈夫に描いてもいる。
遠い島の話だから何が起こっても・どんな人がいても不思議ではない、というのかファンタジー要素が結構多い。

例の讃岐院眷属をして為朝をすくふ図、これは1851年の傑作だが、それより20年近い前の天保年間に同じシーンを描いた絵が出ていた。
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肥後国水俣の海上にて為朝難風に遇ふ  けっこう情報が多い、描き込みの多い絵。
白縫姫が海に飛び込む、ワニザメのようやくの到着、烏天狗らの急行 と同じ要素なのだが、やはり1851年の作の方がかっこいい。

国貞も凄いのが出て来る。
豊国揮毫奇術競 蒙雲国師
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でたーーっ!
国貞も時々こんな絵を描く。

この蒙雲国師が悪の元凶なんだが、鷲に乗ってるところを為朝に射落とされる絵もある。
歌川国福という絵師が描いている。

そしてさすが芝居絵の大家だけにだんまりを描いた絵もある。
思えば「だんまり」などは江戸時代の芝居でないと生まれないよなあ。

芳艶も参戦する。
為朝誉十傑 鎮西八郎 四頭九郎  なんかスゴイ話やな。家来の九郎に調べさせたら、九郎落雷で真っ黒焦げ。
傍らには雷獣もいる。うう、この為朝親分、忠犬も愛妻も家来もみんな不幸な死に方してるぞ。

為朝誉十傑 白縫姫 崇徳院 煙モウモウ。崇徳院と白縫姫の対面、院は姫がとめるのも聞かずに去る。
いよいよ恐ろしい存在になるのだ。

このタイトルは国芳も使っている。
為朝誉十傑 2 後に忠実な愛犬となる山犬?狼の山雄と野風兄弟が喧嘩するのを15歳の少年為朝が仲裁する。
犬のケンカに人が入るのです。

女護島にて歓待を受ける為朝  まあ立派な大茄子の生える樹。女たちはアワビも採ってくる。
(春本ではないよなぁ、まだこれくらいは)
モテモテ為朝。
女護島といえば「俊寛」の芝居の外題にもあるが、ここはまぁ女だけの島、の方。
平賀源内「風流志道軒伝」では女たちに「男郎屋」に放り込まれ、志道軒らは精根尽き果ててくたばりかけていたな。
西鶴の世之介は60歳を一期にして仲間たちと共に好色丸に乗り込んで女護島目指して船出する。
このことを松田修は一種の補陀落渡海のように見なしていた。
さて為朝は干乾びもせず、行方不明にもならず、帰還する。

上方の北英は為朝と琉球の嚀王女の出会いを描く。
嵐璃寛と岩井紫若。「おお」「あら」な二人。
この様子を見ると2002年の歌舞伎座の「弓張月」の芝居が蘇る。
琉球での為朝(三世猿之助)、悪人の巫女・阿公(=くまぎみ、五世勘三郎)、嚀王女(二世市川春猿)の思惑のぶつかり合い。

明治16年、芳年が挿絵を描いたのが刊行される。
翌年には清親も為朝を描く。
幕末の馬琴人気を批判していた風も少し治まったか、こうしてまた良い風が吹いたのはよかった。
周延も崇徳院が魔道に向かうのを止めえない白縫姫を描く。

最後は明治の八犬伝絵も出た。
国周の役者の見立て絵もあり、周延の馬琴著作双六もある。
美少年録や金瓶梅も仲間入り、神童と出会う伏姫のコマもある。上がりは八犬士の妻となる里見家の姫たちが待つコマ。

暁斎の七福神が八犬伝を演ずる戯画も楽しい。
大黒が信乃、恵比寿が現八の芳流閣ならぬ福寿閣。寿老人が弁天の肩を抱き寄せたりいろいろ。

最後まで大いに楽しめた。
さすが太田記念美術館。
毎月いいものを見せてくれてありがとう。

「馬琴と国芳・国貞 八犬伝と弓張月」展はやっぱり面白かった。

うっかりしていたが、太田記念美術館「馬琴と国芳・国貞 八犬伝と弓張月」展が終わってしまったよ。
観て喜んでたのに、なんということでしょう。何の感想も挙げてない(こともないが)。
しつこく書いてるが、人生の最初に「新八犬伝」に出会えたことは本当に生涯の喜びで、ここを起点に色んなものが好きになって行き、調べものをしたり色々動くようになったのよ。
その「新八犬伝」は馬琴の「八犬伝」をベースに「弓張月」のエピソードや敵役を織り交ぜていて、それで冒険が膨らんだのだ。

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八犬伝の展覧会はブログを始めてから2つばかり見ている。
・「八犬伝で発見」@文京ふるさと歴史館 感想はこちら
・「八犬伝の世界」@千葉市美術館 感想はこちら
どちらもいい展覧会だった。
他にもちょこちょこと。

馬琴の八犬伝はもう本当に長くて、途中で失明したうえ、清書してくれてた息子が病死して、文盲の息子の嫁お路を鍛え上げて口述筆記を続けた馬琴。
馬琴も凄いしお路も偉い。
この様子を若き清方が描いているが鬼気迫る図でしたな。
そしてこの家の状況を一ノ関圭も作品化している。

「八犬伝」の本連載は北斎の女婿・柳川重信の挿絵。これがまた非常によく出来ていて、馬琴も作中で称えている。
「作者云・・・この巻の出像(さしゑ)の中、金碗大輔孝徳が、川を渉す図のごときは、文外の画、画中の文なり。」
馬琴の他の作品は北斎の挿絵が多かったが、一説によるとどちらの稿料も高くなったので版元が違う絵師を支度したそうだ。
ヒトの好き嫌いが激しい馬琴も北斎の絵は日記でしばしば絶賛している。

それにしても凄い時代だ。
馬琴、北斎、大南北が同時代人なのだから。(年で言えば南北、北斎、馬琴の順)
この辺りを山田風太郎「八犬伝」が虚虚実実入れ混じった物語で描いている。
これがまた実に面白い。

そして「八犬伝」人気が固まったところへ、あの非常に難解な文字並び表現をたやすくわかりやすくしたのが「犬の草紙」などの抄録もの。
これが出たのは本当に良かった。みんなが読める。
そして武者絵の国芳が・芝居絵の国貞が八犬伝人気をいよいよ熱くする。

国貞は師匠豊国同様お客本位・国芳は北斎同様絵師本位なので自ずと立ち位置が違う。
国芳は武者絵のシリーズ「本朝水滸伝」のメンバーに八犬士を加え、雄姿をこれでもかと描く。
国芳の兄弟子・国貞は武者絵より優美な方向を向いているが、芝居絵・役者絵の第一人者、八犬伝が舞台にかかれば、たちまちそれを絵にする。
相反する二人の絵師が同時代にいて、本当に良かった。
ファンの楽しみは弥増すばかり。
後世の者もこうして楽しく展示を見る。

畳の間には普段は肉筆画だが、今回は「芳流閣」の間になっていた。
八犬伝にはたくさんの山場があるが、八犬士の最初の山場はこの芳流閣の戦い。
「孝」の玉持つ犬塚信乃が名刀村雨丸を献じて武士に取り立ててもらうつもりが、なんと差し出した刀はとんだ赤イワシ、「錆びたナイフ」もビックリのナマクラ刀。
これはさもしい浪人・網干左母二郎の仕業。
信乃も慌てて逃げ出して芳流閣の屋根の上。捕り手わらわら押し寄せる中に、「信」の玉持つ犬飼現八が十手握って現れる。
実は現八、殿様の勘気を蒙って処刑待ちの身の上、それが信乃を捕まえろと命が下って久しぶりに牢から出されたところ。

国芳、国貞、柳斎重春、芳年それぞれの対決+モブシーンが並ぶ。
国芳と芳年のこの絵の比較はよくあるが、今回は国貞のも見れてよかった。
縦2枚で捕り手が四天なのもいかにも芝居絵でいい、現八は坂東しうか、信乃は関三十郎。
しうかは女形だが威勢もよく、この配役もわるくはないが、わたしのイメージではお役はこの二人逆の方がよくないかな。

どの絵を見ても面白い。この場は本当に人気が高く、舞台に掛けられるのも多かったそうだ。
だからどの絵師も絵に力が入る入る。
ここだけでなく後にも芳流閣の場を描いた絵は出てくる。
国貞だと屋根の鯱ならぬ白虎と青竜の向きが逆バージョンというのもあったり。

八犬伝の本がある。重信らの挿絵入り。
・現八と道節(物語の終盤かな)
・対牛楼で「鏖」の一文を記す犬阪毛野
・芳流閣で四天がポンポン飛んでゆくところから、二人が川へ落ちて流されることを予測させて救い手(掬い手)の犬田文吾兵衛の立姿が別コマ。

まず国芳の武者絵がずらり。
本朝水滸伝シリーズから
・犬山道節 どこか異国風な風貌で妙な官能性が高くて素敵。左母二郎から取り上げた「抜けば玉散る氷の刃」たる村雨丸に見入る姿
・犬江親兵衛 幼児の姿で伏姫に抱っこされている。彼は一度物語の舞台から姿を消してこの世の外で養われるのだ。そばには雷獣もいる。
別シリーズ「本朝剣道略伝」では成人した姿を見せている。可愛い犬張子柄の裃を付けている。
・犬阪毛野 わんこ柄の着物が可愛い。そばには激烈な復讐の一文が。
「為父兄鏖讐為舊主云々・・・文明十一年・・・犬阪毛野胤智十五歳書」

曲亭翁精著八犬士随一シリーズ
・犬川荘介(額蔵)vs道節 玉がピカーッ
・犬村大角(角太郎) この人は化け猫の被害者で、とどめを刺すところ。これが一番多い。
他には維摩行の松葉咥えの絵が思い浮かぶ。
ジユサブロー師の人形ではなかなかのハンサムだったが、とてもおとなしい人。
「礼」の玉を持つからだろうか。

義勇八犬伝シリーズ
・親兵衛 すっきりした青年姿で裃は犬張子柄。
・毛野 坂東しうか。さぁ今から敵の連中をやっちまおうか、というツラツキがいい。
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・犬田小文吾 前掲文吾兵衛の倅で相撲の名手。このヒトは町人髷。8世團十郎なのでいい男に描かれている。

この小文吾と毛野の二人の絵もある。
毛野は女田楽・旦開野(あさけの)に扮して敵方に入り込みその技芸を見せていた時、小文吾にアプローチをし、小文吾も承諾したのだが、その後に同性だと知る。
二人は協力し合って脱出を試みるが、小舟の舵を取る毛野と敵と斬り合う小文吾が運命のいたずらから離れ離れになる。
小文吾はその後、長く毛野の行方を追うことになる。

国貞の役者絵・芝居絵をみる。
現八、信乃、浜路の三人を当初は海老蔵、菊五郎、羽左衛門で描いたが、役者が替わると顔部分だけ差し替え。九蔵、海老蔵、半四郎バージョンも並ぶ。
他にも信乃、現八を海老蔵、九蔵バージョン、訥升、羽左衛門バージョンと二種。
彼の八犬士はあくまでも役者の扮装なので、その様子がいかに映えるかに力を注ぐ。
なのでタイトルにも「俳優水滸伝豪傑一百八人之一個 信乃ニ扮スル図」などと役名と役者名を記す。

原作より舞台が、という客も多い。むしろ舞台を見てから本を読んだ人も少なくなかろう。
これは現在でもあんまりかわらないと思う。
かつて角川映画のキャッチコピーにこんなのがあった。
「見てから読むか、読んでから見るか」
角川文庫の映画化の本質を衝いた名コピーだと思う。
現代もマンガが原作の「逃げ恥」「あなそれ」のドラマの大ヒットはめでたいが、原作を読んでる人がそのドラマファンにどれほどいるか。
逆に原作ファンであるがゆえに見ない人もいる。

八犬伝はとにかく山場の多い物語で、一人一人にドラマがあるからそれを絵にするのもやりがいがあったろう。
何しろこの8人は最初は誰も自分が何者であるかを知らず、相手が何者かも知らず、知るまでにかなりの時間がかかるのだ。
そして知ってからも仲間探しにたいそう時間がかかる。
伏姫ゆかりの八犬士と言いながら、その証拠は仁義礼智忠信孝悌いずれかの文字が浮き出る玉と牡丹の形の痣なのだが、それらは時期が来るまで隠されていたりする。
誰かの犠牲により現れたり、お祝いの席で捌いた鯉から飛び出て来たり色々。

八犬伝は幕末でもよく売れた。
菊川英山や英泉えがく美人画では八犬伝の本が小道具になっていたりもする。
上方でも八犬伝は人気が高い。
北英は富山の場を描く。これは天保7年の上方の舞台からか。
玉梓はけいせい姿(既に亡者である)、鉄砲を構える金鞠大輔(嵐璃寛)、伏姫(中村富十郎)、弓を持つ杉倉木曾之介(関三十郎)。

国芳で面白い絵があった。
毛野、道節、親兵衛らの他に狸の化身の尼・妙椿とその眷属の狸らがいるが、狸一派が飛んで逃げる。
八犬伝は犬が優位に立つが、他に化け猫、狸、それから猪まで出てくる。

妖怪絵の木曾街道六十九次シリーズもある。
蕨 道節 彼は「寂寞道人肩柳」と名乗る修験者でもあり、火遁の業を身に着けている。それでちょっとおカネを要することになり、諸人に替り罪穢れを負うて火定するという。
火定(かじょう)=仏道修行者が、火中に身を投じて死ぬこと。
絵は口に何かの布を噛み、指は印を結ぶ。
原文「唫踊(きんじゅ)すること三遍(みたび)して、煽々(せんせん)たる猛火(めうくわ)の中(うち)へ、身を跳(おど)らせて投(とび)入るれば、火焔(くわゑん)発(はつ)と立冲(たちのぼ)り、膏(あぶら)沸き、宍(しゝむら)焦(こが)れ、」
まぁ無論これはサギというかあれなので、道節は数時間後に現れる。

絵柄として人気が高いのは芳流閣がいちばんだが、他にも毛野の対牛楼、それから化け猫退治が特に人気がある。

国貞 対牛楼 三枚続き。群像シーン。毛野は二刀流で戦う。外に小文吾もみえる。

国周 毛野 刀を振り上げる。鎖帷子がのぞく。三世田之助がにんまり。国周は国貞の弟子で大首絵を得意とした「最後の浮世絵師」の一人。

国貞、芳虎の化け猫退治図も迫力がある。

二代国貞 八犬伝犬の草紙のうち尼妙椿 これは数ある八犬伝絵のうちでも特に凄いものの一つだと思う。
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おもちゃも少なくない。
芳虎 八犬伝かるた 「ろうにん あぼしさもじらう」「でかした やつふさ」…
「北斗の拳」かるたをちょっと挙げる。「あたたたた 北斗神拳 秘孔突く」

二代国貞 八犬伝双六 上の方には芳流閣。山賊酒顛次がシブイな。
この二代国貞は八犬士たちより脇キャラの絵がみんないい。

最後に犬の草紙、仮名読八犬伝が出ていた。読みやすい普及版。
それぞれ芳流閣、対牛楼の絵が出ている。

八犬伝はここまで。
弓張月はまた別項で。

2017.6 終了した展覧会のまとめ その1

ふと気づけば終了日が来た展覧会がいくたりか。
まとめて小さい感想を挙げてゆく。

・「夢二ロマン 神戸憧憬と欧米への旅」@神戸ファッション美術館 
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夢二の作品はたいへんな数がある。
版画作品、商業作品が多いからこそ、所蔵家も少なくない。
肉筆画も多い。
しかし、まさかこんなにも大量の滞欧米のスケッチを見ることがあるとは思いもしなかった。

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夢二の海外進出は決して成功とはいえず、明らかに思わしくないものでしかなかった。
失敗とは言いたくないが、彼が海外に出た間に時代が変わり、もはや「夢二式美人」に熱狂する人もそうはいなくなっていた。
そして夢二式美人を体現したモデルのお葉もいなくなり、行く先々で一瞬の片思いだけが続く。
 
今回の展覧会の絵を見ていて、そんなことばかりがアタマに浮かんでくる。
最晩年、50歳にもならずに夢二はなくなるが、その少し前に二十歳の娘と一瞬知り合い、勝手に結婚を思っている。
向こうは夢二を相手にもしていないのに。
そのことが悲しい。

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湖畔の舞妓 髪飾りと着物があじさい。可愛らしい。

この頃は夢二は良い仕事をしていた。

・夢二が描く大正ファッション゛弥生美術館
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夢二は縞柄が好きだということを今回の展示で初めて認識した。
そしてその縞も縦じまのみならず江戸以来の様々なパターンがあり、それを取り入れていたことをしった。

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久しぶりの回顧展。改めてセツのその美意識の鋭さ・厳しさに息をのみ、やっぱり近づいてはいけない人だと改めて思った。

樋口一葉兎と錦絵 周延が描いた「別れ霜の挿絵」@一葉記念館
新聞連載していた「別れ霜」その新聞が出てきたそうで、今回の展示へ。
物語はこちら
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絵と共に物語を読む。

一方、周延の明治の浮世絵を展示も。
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色々思うところも多いのに挙げ損ねたのが苦しい・・・

ムットーニ・パラダイスに溺れて

世田谷文学館のリオープン記念展は「ムットーニ・パラダイス」である。
元々ここには「山月記」「猫町」「月世界旅行」の三点が収蔵され、毎日決まった時刻にショーをみせてくれていた。
その後作品数も増え、また2007年2月には「ムットーニのからくり書物」展も開催されている。当時の感想はこちら
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先ほど「ショー」と書いたが、実際それは「ショー」と呼ぶべき「見世物」なのだ。
時間が来れば箱が開き、眠っていた人形や装置たちが歌いだし演奏し、ゆるく踊る。
ジャズや時にはカンタータもある。歌声は別な歌い手によるものだが、演奏はムットーニによるものも少なくない。
わたしは入館前に並び、早い時間からの観客になる。
受付からタイムテーブルが書かれた表をもらう。60分の間にいくつものエリアに分かれた先でショーが行われ、同時刻のものは一つを選ぶしかなくなり、見れなかったものは次に見る算段をしなくてはならない。
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エントランスには世田谷文学館の顔とも言える「山月記」「猫町」「月世界旅行」の三点が並ぶ。大体5分前後の作品で、続けさまに開始される。しかし彼らは1時間に2度の上演となり、あわせて15分上演後は15分休み、また15分上演しては15分休む、という律儀なリズムを繰り返している。
必ずどの時間でもどこかでショーが上演されている。
ただ、土日のある時間帯は休止し、彼らのメーカーであるムットーニが来場し、口上を聴かせながら自らの手で装置を動かすそうだ。
その時だけショーは恣意的な運びを見せる。
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不思議なことに自動タイマーで動き出すときの方が、彼らが人形であることを忘れることが多い。

エリア1
「漂流者」「摩天楼」「眠り」といったなじみの作品がある。
中でも「摩天楼」はベンチに座る二人のほのぼのとした様子がよく、特に事件も起こらないものの、ゆっくりと動くその情景に和む。
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「漂流者」は漱石「夢十夜」の第七夜。ゆっくりと海へ落ちてゆこうとする男の悔恨とどうしようもないあがきと絶望感と。
「眠り」は確か村上春樹の小説からだった。
ムットーニの低く魅力的な声が語るこの物語には、薄闇の恐怖が広がっている。

今回、「アトラスの回想」という二年前の作品を初めて見た。地球を背負わされるアトラスと地球と、そして現れる女と。
これは中也の「地極の天使」をモチーフにしたものらしい。
詩を読んだ今となっては少し不思議な感じがある。
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エリア2からは荘厳な音楽の後に賑やかなジャズが聴こえてくる。
「グロリア マリアが来たりて」の後に「ジャングル・パラダイス」が始まったのだ。
明るく元気よく、何かを振り捨てるかのように力強い歌声と演奏。
禁酒法時代、地下に展開するジャズクラブ、ジャングルを移住し、動物を人に扮装させて演奏しているのでは? 
そんな妄想が湧いてくる。

「サテライト・キャバレー」は「ジャングル・パラダイス」からハシゴした先にあるホール。
さっきとは趣は違うけれど、ここも違法の、そして享楽を味わえる場所…

疲れた体を鞭打つように次へ向かう。
「ヘル・パラダイス」…蝙蝠のシルエットが突端に見える。そして開かれたボックスからは棺が…
釈迦やキリストの復活とは違う、夜の魔物の眼ざめの時間、髑髏が元気よくジャズを演奏する。
クラブかと思ったらそうではなくて、そのまま地獄なのだった。
あまりに楽しくて威勢が良くて、そのまま地獄へ一直線。

ふと気づけばとっくに地獄の底にいた。
「蜘蛛の糸」 縦長の空間にお釈迦様の手のシルエットが浮かび、そこから蜘蛛の糸が…
カンダタ、よく見ればメガネにタイなしスーツ姿ではないか。いつの時代に地獄へ落ちたのだろう…

妖しいカンタータに始まり地獄でしめる。
エリア2は何度も何度もぐるぐる回ってしまう空間だった。
出口を見つけるのに苦労し、やっと他のエリアに行ってもまた戻る…


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エリア3
「ワルツ」「マイ・メランコリー・ベイビー/ユー・ドント・ノー・ワット・ラブ・イズ」「インターメッツオ」
いちばん観念的な作品が集まっているのかもしれない。
そしてムットーニの言葉が蘇る。
「見る人の数だけ物語がある」
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疲れたときにはここで休み、静かに作品を見る。

エリア4は面白い構造だった。
一つの舞台に幾台もがずらりと並び、時間が来れば早速歌いだし、パフォーマンスを見せる。
カエルも骸骨もいれば、セクシーな女もいて、そしてだみ声が素敵な黒人歌手もいる。
こういう並びもいいな。

エリア5ではメイカーであるムットーニのショーが開かれるのだろうか。
メイカーとは神なのだ。神の舞台を不在の間にのぞきこむ。
三本の作品の合計時間が5分30秒というのが短いようで長い。

エリア6
ここで世田谷文学館のレギュラーが再び姿を見せる。
「カンターテ・ドミノ」はメイカー・ムットーニの手元にあるが「スピリット・オブ・ソング」と「アローン・ランデブー」はここの所蔵・
荘厳な音楽を奏でるのは楽器ではなく天使の羽音かもしれない。
そして宮沢和史の音楽と共に動く人形をみる。
最後はアストロノーツ。

とても快い空間だった。
空間とはパラダイス。
パラダイスの語源はペルシャ語の「閉じられた庭園」
ここを出てしまえば当分は味わえなくなる歓び。

ときめきを心に残し、この世界を閉じよう。

6/25まで。
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