FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

少しも退屈と云うことを知らず ―鷗外、小倉に暮らす

森鷗外記念館はコレクション展も充実している。
今回は鷗外の小倉時代にスポットを当てている。
十年以前にわたしは小倉で鷗外の住んでいたところを見に行った。
もう随分前の話で当時はネットとも無縁だったのでこのブログにもその足跡を残してはいないと思う。

松本清張が直木賞を得たのは『或る『小倉日記』伝』だった。
『昭和史発掘』を世に贈るような作家だけに、綿密というより緻密な作業を経ての作品である。
その鷗外の『小倉日記』だけでなく手紙などの資料を集めて、鷗外が小倉でどのような思いを懐いて暮らしたかを見ることになった。
イメージ (1733)

サイトから引用する。
「東京で近衛師団軍医部長を務めていた森鴎外は、明治32(1899)年6月、小倉(現・福岡県北九州市)の第十二師団軍医部長として赴任を命ぜられます。
東京での鴎外は家族とともに暮らし、職務や文業に専念してきましたが、小倉では自ら家政をとる新たな生活が始まります。東京を離れて小倉にあることによって、軍医部等の動静や文学界を、距離を置いて眺めます。そのことが、自分と他者との関係を考える機会となりました。」


左遷と言っていいのかもしれないが、どちらにしろ鷗外は東京の近衛師団から小倉の第十二師団軍医部長になることについて衝撃を受けている。
しかしながらこの経験は決してかれの生涯の汚点にも負の要素にもならなかった。

「一方、鴎外は土地の人々と交流し、勉強会を行い、外国語の学習をはじめ、史跡を巡るなど、新たな学びの機会を得ました。明治33(1900)年12月、親友・賀古鶴所に宛てた手紙には「公私種々ノ事業ノ為メニ(中略)少シモ退屈ト云コトヲ知ラズ」と記されており、小倉での充実した日々がうかがえます。鴎外は、明治35(1902)年3月までの2年10ヶ月を小倉に暮らしました。」


この小倉時代についに大作「即興詩人」の翻訳が完成する。
そのことを決して忘れてはいけない。
以前このブログで鴎外翻訳の「即興詩人」について記したことがある。
当時の感想はこちら
文して恋しく懐かしき君に ―鴎外、『即興詩人』の10年―

安野光雅 アンデルセンと旅して

鷗外の雅な文語体による翻訳が明治の人を感動せしめ、21世紀の今も愛される作品となる力となったのだ。


話を戻し、小倉赴任前後の鷗外の写真資料などを見る。
明治32年は1899年つまり今から120年前の同じ干支周りである。
その年の6月、鷗外は小倉へ向かう。その前日の写真があった。
場所は自邸・観潮楼の茶室前。
…こういうのをみると大宰府に左遷される道すがら京阪のあちこちを拝みにゆく菅公を思い起こさせますな。

しかし行ってみるとそれはそれで存外鷗外にとってよい日々が始まる。
だからこそ「少しも退屈と云うことを知らず」と「秘密のない」親友・賀古さんに書き送れるのだ。

着いた当初はそれこそ手持ち無沙汰な心持というか試行錯誤なところもあったろうから、それで難解なサンスクリット語の勉強も始めていたようだ。(しかしその言語は身に着いたのだろうか…)
段々と日を追うにつれて文学者としての仕事もはかどるようになっていったようだ。

自分のオジの話になるが、まだ戒厳令下の頃の韓国に技術提携の為に都合6年ばかり単身赴任したオジは、向こうで韓国語のみならずフランス語とバイオリンとを学んだ。
しかし向こうで人間関係が円滑になるとそちらにも忙しくなり、たいへん充実した気持ちの良い日々を過ごしたそうだ。
比較しても仕方ないが、鷗外の小倉時代の心持の変化というものを少しばかり理解できるような気がしている。

鷗外は小倉でも少しばかり転居したようで、鍛治町、京町の旧居写真が出ていた。
後者は1952年の撮影で煉瓦塀の感じがよい。

家族思いの鷗外は長男・於莵の手記の添削をしたり、妹喜美子に手紙を送ったりしたが、それらが展示されていた。
こまめなヒトだといつも思う。

イメージ (1734)


20世紀になった。
1901年2月発行の「めさまし草」についに「即興詩人」最終話「流離」が掲載された。
長くかかった仕事だった。終了したのは同年1月15日。
アンデルセンの小説を翻訳した、というだけでなく、雅な文語体で再構築したことが素晴らしい。
百年後の今もあの古雅玲瓏たる文章が人を魅了する。

陸軍軍医たる森林太郎の職務の紹介もある。
第十二師団司令部の写真がある。現在は正門跡のみがあるそうだが、いい建物だった。
ああ、日露戦争にも行ったのだなあ…
そう、鷗外も日露戦争に従軍している。
帰国したのは1907年45歳の時だそう。
その頃はもう小倉から離れているが。

今、「ゴールデンカムイ」に夢中なわたしはあの作品から日露戦争に意識が向くようになった。
作中では主に第七師団の戦闘の様子が追想されている。それから第一師団が。
戦争に心を囚われ続けている人々が多く描かれていて、それを思うとつらいものがある。
「坂の上の雲」とはまた違うナマナマしい描写はマンガだからこその表現だ。
あの戦場の様子が今のわたしの中には入っている。
そこに鷗外もいたことを改めて思う。

後に陸軍軍医総監になるだけに鷗外も衛生問題にはよく目を向けている。
「公衆医事」という雑誌に当時の衛戍病院の様子についてかなりはっきりと記している。
1899.7 第十二師団巡検記事。
窓が一つしかないのはよくない。重症者の部屋と癲狂室を相対するのもいかがなものかと。
ということを記している。
とても真っ当なことを記している。つまりそれだけここの衛戍病院の質が低いわけだ。
いやそもそも衛戍病院で良質なところはあったのだろうか。
クリミア戦争のときのナイチンゲールの仕事のことを思い出す…
軍はやはりあかん…

この「公衆医事」にはまた興味深い記事も挙げている。
マドリードの公娼制度についての意見で、娼婦の病気の検査の際に遣り手がいろいろ悪辣な騙しをしようとすることなどが記されている。そして公娼になった女の生涯についても気の毒に思っているようだ。
人権への配慮というものがはしばしに生きている。

興味深いことが紹介されていた。
それは九州のしょうゆやみその甘さが鷗外の口に合わないことである。
かれは津和野の出で、東京で就職した。海外留学もした。
美味しいものについては手紙などにも記しているが、ニガテなものについても書いていた。
確かに九州のしょうゆやみそは甘い。
わたしなども九州のみそは甘すぎて無理だ。関西の白みそもニガテだが。
食生活はその土地の味に慣れる以外いい具合にはならないのだ。

こちらは八幡製鉄所図。官営の製鉄所である。
まさに「鉄は国家になり」の時代の製鉄所。
イメージ (1735)

やがて鷗外は小倉から東京へ戻った。
小倉で知り合った二人の友について紹介がある。
そのうちの一人は後に一高でドイツ語を教え、芥川や菊池寛らがその教え子だったそう。

最後に松本清張が鷗外「小倉日記」から小説を書いたことから、そのあたりの資料が展示されていた。
思えばこの人も太宰治、中島敦ともども今年生誕110年になるのだなあ…

文学館の良いところは資料や写真を展示し、自分で歩いてそれら資料をみることで立体的な視点が生まれることだ。
とても楽しい。

3/31まで。




スポンサーサイト

「物語とうたにあそぶ」展を追想する。

既に終了したが中之島香雪美術館のコレクション展5「物語とうたにあそぶ」も面白い内容だった。
早くに見に行き早くに感想を挙げるべきだったが、最近の自分の環境ではなかなか難しく、今回もこうして終了してからの感想を挙げることになった。
外から見れば何もしないよりはましという程度のものだが、自分の記憶と記録のためのものなので、好き勝手にする。
イメージ (1727)

イメージ (1729)

源氏物語絵が集まる。
若紫、紅葉賀などの人気のシーンが描かれた掛け軸もいい。季節の対になっているのでこの取り合わせが好きだ。

守住貫魚 花の宴  これなども通りすがりの出会いの面白さがあった。

他の美人も多い。
原在中 小督図  内外で協奏する。こうしたところが素敵だ。
鳥文斎栄之 夏姿美人図  さわやかな美しさがある。

やがて香雪美術館ほまれの岩佐又兵衛「堀江物語」が現れる。
随分前に大半を見たのが夢のようだ。
昨年は何とか生き延びた乳母が太郎と共に途方に暮れて泣きぬれているところを救われるシーンからだった。
今回の展示は戦の勝者・太郎の前に諸悪の根源たる原左衛門が引き出され、その罪を問われるところ。祖父なので処刑を減じるが、剃髪という侮辱刑を科し、郎党共々嗤うというシーン。恩には恩を仇には仇をきっちり返す又兵衛。
細部まで絢爛豪華な作画。
イメージ (1720)

びっくりするような絵巻が現れた。
これについてわたしは見てすぐにこうつぶやいている。
「まさかの既婚者太郎。妻が夢見悪いから漁に行くなを振り切って亀に遭遇、龍宮で乙姫と不倫の日々。 まじでびっくりした。」
そう、まさかの既婚者。今の今まで独身の浦島太郎しか見たことないわ。
しかも妻は夢でこうなることをある程度予見し、太郎の外出を止めようとしているのだ。
この太郎も説経節の小栗判官と同じで妻の夢見の悪さを問題にせず出かけてしまう。
去っていった夫を見て泣く妻。これが今生の別れとなる。
女の見る夢を徒や疎かにしてはならんである。
その結果として小栗は死に、太郎は享楽の日々を手に入れるのだが。

太郎は王様ガウンみたいなのを着て楽しく暮らす。乙姫は太郎を引き留めるためにありとあらゆる楽しみを覚えさせる。しかし太郎に郷愁の念が生まれる。ついに地上へ帰ることになる太郎。腰蓑つきの漁師スタイルで竜宮城を後にする。手はもちろん玉手箱。

玉手箱を警戒するというのも他に見たことがないが、その太郎もついには箱を開けて煙に巻かれることになる。
そしてここでは「寝覚ノ床」伝説と同じで、亀の姿の姫と鶴になった太郎との再会でめでたしめでたしとなるのだ。
妻はとっくに失意のうちに死んでいるのだが。

妻と姫とを行き来する男も昔話にはいる。
諏訪湖の御神渡りの伝承の主の甲賀三郎諏方だ。
死んだ妻が迎えてくれる浅茅が宿の話もある。
どちらにしても男が許される話なので、やっぱりここは「吉備津の釜占い」でゆこう。
イメージ (1726)

イメージ (1730)

色紙の良いのも並び、書もさることながらその書の載る紙自体が綺麗だと思った。

最後に伊勢物語絵を少々。
けっこう表情がわかってくるね。
わたしは「昔男」くんを「マメ男」と読んでますが、本当にこまめでないと女にはモテんわな。
イメージ (1722)

イメージ (1721)


2019.2月の東京ハイカイ録 その1

三連休の中二日で都内へ。
天気予報は大雪とか言うていたが、そんなに雪に苦しむこともない天気だった。
流通センターでのイベントに行ったあと定宿へ荷物を置いて、まずはたばこと塩の博物館。
…なのだがどこどう道を間違えたか紅葉橋に来てしまった。
ああー、ここへ来ると道を間違えた実感が湧くわー
それで妙見さんまで来た時点で行くのをやめる気になった。
ここは能勢の妙見さんなんだよなあ。


が、ここを通ったら霊験あらたかかして、ようようたどりつけた。

「江戸の園芸熱」をみる。
あれだ、平成の園芸熱に浮かれる人も多いのを実感したぞ。
いい絵がこれでもかと集められていたが、本当に江戸の人々は園芸好きだわ。
それが平成末期の人々にも受け継がれている。

上野へ。
最近は地下鉄なら9出口を使うのが合理的だなと。エスカレーターとパンダ橋な。
これの方があっちからの道より気楽。

顔真卿のあまりの人気に引いたよ。どうするねん。
アウト。
それで常設を楽しみましたわ。
これがえらくあれだ。


めでたいのう。

池袋で晩ご飯を食べ、宿で「オクニョ」見てからこの日は割と早めに就寝。
なんでもスマホの万歩計によると26001歩歩いたらしい。ご苦労様なわたし。

もう最終日。
早めに出たいがうまくは行かない。
予定通りなのでまあまあ。
いつものロッカーに荷物を放り込んで出歩くのだが、既にこの時点で肩がヤバイ。
大手町まで歩くのも手間がかかるよな。

千駄木。団子坂を上がり、森鴎外記念館。
小倉時代ばかり集めた展示。
ここで「即興詩人」翻訳が成し遂げられたのだそう。
安野さんの絵本を先月買えたので、それを読みながら鷗外を想うのも悪くない。

千駄木駅前の人気のうどん屋に入る。時間が早いからか空いてた。
茄子と豚のつけめんうどん。おいしかったが讃岐系らしくコシがありすぎた。

次は弥生美術館。
バロン吉元さんの画業60年記念展。
バチバチ撮影しまくり♪

今回は三階の華宵の美少年たちもパチパチ可能でした。
ありがとう。

それでバロン吉元展オリジナルのこれをいただこうと港やにいきまして。


これでくつろいでいるときにお知らせが入りまして、急遽予定変更して湯島の近現代建築資料館へ。
…近いので駅経由やなしに歩いて行ったが、祭日なので岩崎からしか入れないのを知らずぐーるぐる。

明治の学校建築の良いものを図版や模型などで大いに楽しみ、更に資料集までいただけましたがな。
ありがとうございます。

近所のドン・レミーでお菓子をいくつか買って新幹線へ。
ぐったりしてるのもいいが、下車後がえらいことに。
荷物が重すぎて肩がイカレましたがな。
あああ…
再来週の日帰りが怖いわ…

酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり その2

今回は全巻展示の住吉弘尚「酒呑童子絵巻」について。
イメージ (1723)

前日譚から物語が始まる。
住吉派らしい繊細な大和絵である。
なおパネル展示で各巻の冒頭の紹介がある。
数字は場面の番号。ないのは展示紹介されていない分。
またはわたしの写し損じ。

八岐大蛇の生贄となる奇稲田姫を救い、大蛇を退治する素戔嗚尊。
迫力ある絵が展開する。
記紀では大蛇の後始末は描かれていないが、ここでは八岐大蛇は伊吹明神になったとされる。
悪であるものを退治したのち、祟り封じ・鎮魂に祀るということはよくある。
伊吹山の天候の変化の激しさなどを考えてそうした出自を当てたのか。

伊吹山の描写。秋の景色。
この山は一晩でギネスに載るほどの積雪量を記録したり日本武尊を傷めつけもしたが、一方で大変に自然の美しい山として現代でも愛されている。

近江の郡司が40歳にして娘を授かり溺愛して育てる。
いつかは都の身分の高いところへと望みをかけている。
ここの家にはキジネコがいて女房にじゃれ付く様子が描かれている。可愛い。

娘の玉姫のもとへ通う男があるのを母親が気づく。
姫は大変な美人である。いい調度品が揃えられている。
春の琵琶湖の様子もいい。
通い婚が通例であったため、気づかぬ間に…ということも少なくなかったろう。

.通う男の後をつけさせるが、その男にあっけなく蹴落とされる武士たち。

2-1 姫は母親に身重になったことを話す。憤る郡司
2-2 父はいきなり瀕死状態となる。これは伊吹明神の祟りだと知れる。
2-3 子を産んだ姫はその子を実家に置いて一人喜々として伊吹山へ向かう。供揃えも大層。

ここからは絵。

4. 春の山。嫁入り行列が進む。
5. 子どものみ祖父母である郡司のもとへ。ところがこの子供は父の伊吹明神の前身が八岐大蛇であるせいでか、深酒する癖があり、更には大酒乱でもあった。暴れまくり使用人ちらにも怪我をさせる。
祖父の郡司はこの子供を最澄のおられる比叡山へ預けに行く。
柳が青々としている。
6. 最澄は対面した子どもの正体・将来に不安を感じる。「魔境に落ちる相」だと看破する。大師の目に狂いはない。
秋、少年はお山入。郡司は下山する。

3巻
1. 比叡山にすっかり慣れた童子はある日都での鬼踊りの為にと自分一人で三千個もの鬼面を制作することを請け負う。
しかも七日で拵えるという。

この辺りについて考えれば、童子には自信があったからの発言だとしても、通常ではありえない事業であることを彼はどこまで理解していたのだろう。これを成し遂げる自信があるのは即ち自分の身内にある「異形者の力」を気づかぬうちに恃んでいたのではなかろうか。

2.七日で成し遂げる童子。部屋中に新しい木屑が散らばり、そして様々な彩色を施された鬼面がずらーっ。
赤・青・緑の恐ろしげな面を見て、稚児仲間の一人が強く慄く。見に来た全員が驚き、感心する。

3.都での鬼踊りの様子を長く描く。
都の人々の見物する様子、お寺の大衆(だいしゅ)による鬼踊りは大変な評判である。
イメージ (1725)

イメージ (1703)

御幣や笹を持ち、放下もし、ササラも鳴らし、花笠を持つものもいる。童子は松柄の扇を持って舞っている。緋袴がそれである。
「蓬莱の鬼たちが帝に宝物をささげる」と言う主題の鬼踊りを貴顕の人々が楽しむ。
あまりの上出来の首尾に帝より酒がふるまわれる。
禁酒を誓っていた童子だが、浮かれ気分のままに誓いを破りぐびりぐびり…
あまりの大酒のみの様子に周囲は驚く。太鼓型の酒樽2つが彼一人で飲み干される。

詞書から「夜叉羅刹」「大師」「郡司」「魔縁」「悪魔」の文字が見出される。
そう、童子は大酒したことで本性が現れてしまうのだ。

4.大酒による狂気が蘇り、枝を持って暴れまわる童子。頬を赤く染め眉を吊り上げ、楽しげに人々を害する。
稚児を殴りつけ、僧を追いかける。皆が飛んで逃げる。
比叡山三千の大衆(だいしゅ)が伝教大師最澄に訴える。傍らに三人の稚児がいる。

4巻
1. 遂に放逐される。大師、大衆らから罵られ、悄然と坂本へ下りる。

しかしながらこの判断は正しかったのだろうか。
「魔境に落ちる相を持つ」と看破した大師ともあろうものがそんな魔物を野に放って良いのか。
世に災いを送ることになるのをどう考えたのか。
お山大事というだけでの判断なのか、皆に押されてどうにもならなかったのか。
そのあたりのことが気になる。

2. 実家へ。郡司にこれまでのことを悄然と話す童子。今は酒も抜けてまともである。
郡司はついに彼の実父のことを話し、伊吹明神のもとへ向かうことを勧める。

3. 社殿で夢に伊吹明神を見る。眠る童子を見守る狛犬と獅子。静かに白い頬をした童子。明神は雲に乗る。
だが、山中での暮らしに慣れるうちにとうとう童子は自ら魔境に入る。父のもとを離れ、北西の岩屋に住んで悪さを始める。

4. 鬼へと至る行為が続く。人食い、肉食。都にもその悪評は流れ、大師は比叡山の面目を懸けて七日間の調伏を行う。
詞書で「酒呑童子」が「酒顛童子」となる。

5. 満願の日、大宮権現が稚児に乗り移る。酒顛童子はあちこちほ追われてゆく。
紅梅が咲く情景の中での放浪。

6. ようやく身を落ち着ける場所を見出す。都近くの千丈ヶ嶽である。そして百年がたち、伝教・弘法両大師の死後、遂に世に戻り暴れ始める童子。都の貴女たちを攫う。
もう大童の姿である。邸には大勢の美女たちが。泣く女たち。
御簾の向こうにいる姿がよく表現されている。

5巻
今の世には大師の力はないので武士の力で侍の力で鬼退治をと晴明の占いが出る。

頼光、保昌、四天王が熊野・住吉・八幡を詣でる。それぞれの社の特徴がよく出ている。
瀧・太鼓橋・山の中。熊野では女舞も奉納。

4. 八幡での霊夢により山伏の姿で少数精鋭で行けと託宣を受ける。
それであの六人で戦支度をする。座敷での用意。庭には桔梗と紅葉。

5.三神の化身から酒と兜を賜る。神変鬼毒酒と星兜である。
行者・老人・少年の姿を取る三神だが、誰が誰なのかはわからない。

6 山へ向かう一行。神の加護があり、山中の苦労もしのげる。

6巻
2. 川で血の付いた衣を泣き泣き洗濯する姫に遭遇する一行。いよいよ近いことを悟る。

3.鬼に会う。門前で止める鬼もいればご注進に走る鬼もいる。

4. 清潔な部屋へご案内。「どうぞ」と案内される。

5. 大きな童子がなかなかの美少年二人を左右に侍らせながら立ち現れる。
「40歳くらい」という設定である。一同は「羽黒山伏」だと名乗る。

山伏は近畿の山伏、羽黒山伏、九州の山伏が特に有名。
一行は正体を隠すためにあえて遠い羽黒山伏を名乗ったようだ。
羽黒山伏といえば本木洋子「蘇乱鬼と12の戦士」という児童文学がある。

6. 人肉料理を供する。これはイヤガラセ+見極めなのだが、山伏一行は平気で飲み食いする。
シラケる童子。傍らの凛々しい美少年二人もやや怖いめの表情をしている。
イメージ (1709)
清浄を意味するはずの餅もここに供せられている。


7巻
宴会。手下の鬼たちの鬼踊り。鬼たちからは梨、柿、栗、枇杷などが出される。おいしそう。
山伏ダンス。衣裳がとても細かく描写される。
イメージ (1710)

鬼たちへ例の神変鬼毒酒を飲ませる。喜んでがぶ飲みしては吐いたりぐったりしたり酔いつぶれたりする。
鬼たちは一度疑うのをやめると素直になるようで、この連中の悪略には一向に気付かない。

5. 山伏らのお相手にと残された二人の姫に正体を明かし、協力を求める一行。

6.戦支度。座敷に面した中庭には棕櫚の木がある。
姫たちは「こちらこちら」と案内する。
しかしその岩屋の鉄扉は開かない。そこへ再び出現する三神。門を開く。

神様だけでやっちまえば?と思いもするが、ヒトの力で為さねばならぬらしい。

遂に鬼退治。星兜のおかげで頼光も助かる。
他の鬼たちを殺戮虐殺し、首をもっこに乗せて都へ帰る一同。
姫たちも足が痛いと言わず山を下りてゆく。

鬼の通力による人工庭園の消失。鬼たちも逃げ延びたものはいるだろうが、もう表に出てはこれまい。
この首たちはどこへ遣られたろうか。

素晴らしく丁寧な描写の絵巻物でとてもよかった。


百椿図が展示されていたが、中に林羅山の漢詩がついた椿図があった。
八千歳際幾東風
誰使南華奪化工
春木花辺蝶為鬼
夢中酔■酒顛童

この■の字が「然」に見えるのだが、解説文では「殺」にあたるようなので、少し考えている。
もしかするとこれは「殺」の異字体かと今になって気づいた。
そして調べるとこういうのがあった
どうもそんな気がしてきている。
この字は水滸伝関連に使われていたように思うが、今ちょっと調べにくい。
もしかすると武者絵の中に使われていたのかも。

イメージ (1718)

イメージ (1689)

いい展覧会を見れてよかった。
2/17まで。





酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり その1

根津美術館所有の三種の「酒呑童子絵巻」を見に行った。
副題は「鬼退治のものがたり」である。
いずれも伊吹山系の酒呑童子の物語。

イメージ (1701)

以前に逸翁美術館では大江山系の酒呑童子絵巻の展覧会があった。
「絵巻 大江山酒呑童子・芦引絵の世界」
当時の感想はこちら

なおこの展覧会ではサントリー美術館所蔵の伊吹山系の酒呑童子絵巻もあり、そちらは後に「お伽草子 この国は物語にあふれている」展でも再会できた。
当時の感想はこちら


酒呑童子の物語は非常に人気が高く、現代でも数々のマンガにもなっている。
永井豪「手天童子」は「酒呑童子」を基にした伝奇SFであり、村野守美「酒呑童子」は庶民の中から現れて権力と対抗して山に潜む男の物語であり、木原敏江「大江山花伝」は哀しい伝奇ものだった。
特に永井豪、木原敏江の場合「鬼の物語」を連綿と続ける中で、これらの作品はたいへん重要な存在になっている。
木原敏江「夢の碑」シリーズはこの先行作「大江山花伝」があればこそ生み出されたのだし、永井豪の描く鬼の物語の集大成はこの「手天童子」だと言っていい。
現代の人々を引き寄せる力が「酒呑童子」の物語にはある。

根津美術館の酒呑童子のうち住吉派の絵巻を以前に見ている。
2015年の「絵の音を聴く 雨と風、鳥のさえずり、人の声」展である。
当時の感想はこちら
ここでもわりに詳しく酒呑童子絵巻について記している。


さて今回その「酒呑童子」絵巻は三種出ていた。
それらについて延々と記したいと思う。
イメージ (1702)

酒呑童子絵巻 1巻 室町時代  
中巻。見た目はもう奈良絵本風なもので、素朴な良さがある。稚拙さが愛らしい。
宴席から始まる。まな板には手足が載る。血の酒。
二人の姫をその場に残して童子は退出。これは酒呑童子の気遣いで、まだ宴を楽しめるようにと二人の女をその場に残したのだ。
とはいえ四天王らは早速戦支度。酒呑童子の寝屋である岩屋へ向かう。他の鬼たちには毒酒を飲ませている。邪魔は入らないが、鉄の扉があかない。そこへ住吉・熊野・八幡の三神の力が加わり、扉は開く。
気持ちよく酔っぱらって正体を見せて眠る酒呑童子。
イメージ (1715)

この鬼の姿でグーグー寝る酒呑童子の顔が可愛い。
これはもう「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな鬼である。枕元に武器を置いているが、使われることはない。
この鬼の寝顔では頼光と四天王たちの方が悪人面をしている。

これとは無縁だが、先般細見美術館で見た春画の中に、女体化した酒呑童子を頼光らが取り囲んで不埒を働こうとする絵を見たが、あれはいかんなあ。


酒呑童子絵巻 伝・狩野山楽 3巻 江戸時代17世紀 
上巻: 山へ向かう
中巻: 四季の庭の表現が素晴らしい。これは狩野派の様式美そのもの。
下巻: 首を取る。真上に跳ね上がる鬼の首。
考察すると、真上に跳ね上がるということは切り方は水平切りだったのか。
余程の剛力でないとなかなか首を水平切りにするのは難しいと思うが…

今回先に住吉派の描写を見たので、大和絵と狩野派の違いというものをはっきりと目の当たりにでき、そのことを知ることになってよかった。

庭園の様子を拡大してみた。
右側から始める。
イメージ (1705)
室内には琵琶などが置かれている。
ここには椿が咲いている。


イメージ (1706)
嘆く姫君たち。先ほどの琵琶も彼女らの心を慰めるためのものではないのだ。


イメージ (1707)
藤と萩が同時に咲く。季節が狂っているというより同時に存在する。これは鬼の通力によるものなのだ。


イメージ (1708)
秋の丘。鹿たちが戯れる。


イメージ (1704)
屋根には雪と紅葉した葉が見える。


イメージ (1716)
冬の景である。鴛鴦など冬の鳥が池で遊ぶ。


イメージ (1717)
その四季の庭の美しさに感嘆し、堪能する山伏姿の頼光一行。


長くなりすぎるので、住吉弘尚の絵巻は別記事で挙げる。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア