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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「昭和メイクの移ろい」@クラブコスメチックス文化資料室

毎年四月五月は阿波座にあるクラブコスメチックス文化資料室で特別展がある。
毎年必ず楽しみに観ている。
花見と同じで、絶対に見に行かずにはいられず、行くたびに楽しい思いをする。
今年は「昭和メイクの移ろい」展。




メイクは時代により本当に変わる。
流行と言うものは服と化粧に現れる。実にはっきりと。
そして「昭和」60余年の間、多くの流行があった。流行り廃りのその流れの速さ。
水は滞るとダメになる。だから永遠に変移し続ける。
その変移を追う展示をみた。

少し話がそれるが、差異について。
日本の場合、関東と関西において化粧の好みが分かれることはそれこそ江戸幕府が開かれた時からの話で、現代もある程度その名残が活きている。
関西はとにかく美白が第一なのだ。
極端な話、以前女子高生辺りに流行ったガングロメイクは関西には絶無だった。

石ノ森章太郎「八百八町表裏 化粧師」は式亭三馬の息子・小三馬が「化粧師」けわいし として江戸の女性たちを、時には江戸の街をも美しく装わせる話だった。
その中でも江戸の薄化粧と上方の人形のような化粧の対比の話があった。

この辺りのことを思うのも楽しい。


さて展示室へ。
許可を得て撮影しています。

展示風景
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ここで70年代初頭のメイクアップ一式を何気なく見てびっくりした。


なつかしすぎるぞ。

今は「クラブコスメチックス」、かつては中山太陽堂、クラブ化粧品の昔、洋風の化粧方法を一般の人々に広めようと丁寧な仕事をしていた。

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昭和初期のメイクいろいろ。

それにしても昔の美人、素敵だなあ。
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自作化粧品まで…
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わからないでもない。


クラブ化粧品ではTPOだけでなくその時何を着ているかによってファンデーを変えることを推奨し、それぞれのタイミングに合わせたものも拵えた。
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細かい内訳は現地で詳しく。


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雑誌広告も並ぶ。
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この画家の仕事は日本遊船歴史博物館にもある。
モダンだなあ。


パッケージデザインも時代につれ変化してゆく。
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やがてマリークヮントと提携する。
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1977年。
レイヤ姫…??


70年代メイクとファッションの明るい華やかさも今となっては不思議な楽しさがある。
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5/31まで。
今期もとても楽しかった。
詳しくはこちら
4月27日(土)、5月11日(土)、17日(金)、25日(土)にはギャラリートークも開催。
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四月の東京ハイカイ録

大阪から静嘉堂に行こうという場合、新幹線で品川で下車、大井町なり五反田なりに出て東急大井町線に乗るのがいい。
大井町だと直行、五反田だと間に地下鉄を挟むが、とりあえずそれで二子玉川へ。
普通車だと途中旗の台辺りで急行に乗り換えも出来る。
そこからバスを待ち31系統の成育センター行きに乗る。
わたしはこれで9:26品川着で10:30静嘉堂入りが出来た。
開館と同時はさすがにしんどい。

備前の日本刀をメインにした展示で、初日から多くのお客さんが来ていた。
「刀剣乱舞」を知らないわたしには「刀は刀」なのだが、熱心にみつめる女性客の視線と姿勢にはこちらも熱くなった。
いい時代だ、その意味では。自分の好きなものを好きだと公に出来るのだ。
多くの女性客のときめきを想像して、刀コーナーを見て回った。

自然光の入る場所で曜変天目が鎮座ましましていた。
ただ、朝の明るすぎる時間帯が災いしたか、青みの美しさが堪能できなかった。
これは少しばかり残念。
曜変天目、三館同時開催を記念したクリアファイル購入。
いいものを出したなあ。こうして並べると、全く違う個性を持つのがよくわかる。

なお展覧会の個々の詳しい感想はおそらく後日に挙げます。
最近はわたしも大いに劣化して書けないことが多いので「一切の希望を捨てよ」じゃないけど、期待なんかしないでください。←誰もしてまへんがな。

花がまだまだ綺麗なので嬉しい。
花については後でまた集めよう。

さてわたしは二子玉川駅に戻り、エキナカのしぶそばで姫甘皮筍と菜の花天うどんを食べましたらやね、その姫甘皮筍がたいへん美味しかったのよ。これはええのう。
ああ、錦水亭は行ったから、今度は筍亭に行きたいよ…

松濤美術館で「女おんなオンナ」展を見た。
以前に猫、犬、とかな・漢字・カナの展覧会がここであったから、いずれは男おとこオトコ展もあるだろう。
浮世絵の展示。アルコーブが春画コーナーになっててよかった。
まあまあ面白いものを見たので満足。

そのまま半蔵門へ。
国立劇場の情報館で幕末の名優の浮世絵をみる。
三世豊国のいいのがたくさん出ていて楽しい。
天保から慶応まで。
こうして見るとそのもう一世代前の化政期はやっぱり凄いな…
いや、こちらもよいけど、なんせ向こうには五世幸四郎、三世菊五郎、五世半四郎らがいるからのう。
こちらは八世団十郎、四世小団次、三世田之助、五世菊五郎、後の九代目團十郎もいるが。

久しぶりに半蔵門ミュージアム。開館一周年らしい。早いなあ。
シアターで大日如来についての番組を見るが、その前に中村晋也の順陀像の映像などを見る。かなり画質がいい。
いよいよ展示。
「涅槃図」をみる。江戸時代中期のもの。ジャコウネコらしきのがいた。
ガンダーラ仏のよいのも見たし、機嫌よくそのまま麹町駅へ。
あっ「泉屋」の本店だ。忘れてた、ここにあったのだ。

東池袋に行き、少々買い物を済ませてから、洋菓子のタカセへ。
もうサバランはなかったが、他のケーキは少々。
三階に行きオムライスを頼んだついでにイチゴショートをたのむ。
もう六時過ぎなのでカフェインは困るのよ。
どちらも美味しくいただけました。よかった、これはいいな。

JRで上野に出て、ここで科学博物館のチケット忘れに気づく。しもた、来月に延期だ。
東博へ。
東寺の仏像大集合。仏像曼陀羅。
帝釈天は男前、ゾウは可愛い。

しかしながら常々思うことだが、こうした展示は本来あるはずの仏像への畏敬の念を失わせるものだなあ…
「美術品」との遭遇による感動はあるのだが。
そう、仏像と言う美術品。

初日ここまで。


二日目。
朝のうちに隅田川沿いを散歩。ソメイヨシノはほぼ散ったが、関山、普賢象などは盛り。

混みそうなのでまずは汐留のモロー展。
とてもよかった。パリのモロー美術館からこんなにも来てくれてうれしい。
そしてモローとルオーの師弟の心のつながりにも感動。

山種美術館では「花flower華」展、花を堪能。
そこから徒歩で國學院へ出て軍記物の比較を面白くみる。
山種に戻りカフェでおいしい和菓子をいただく。

出光美術館では「六古窯」展を見たが、先に山種で花の絵を見ていて本当に良かった。
心に残る花々が、出光の古くて大きなやきものに活けられるのを想像して、とても楽しい。




こういうコラボ、楽しい。

LIXILギャラリーで「吉田謙吉12坪の家」を面白くみる。
人間、いくらでも工夫が出来るものだ…

最後は高島屋に新しく出来た高島屋史料館東京で村野藤吾の高島屋増築の苦心をみる。
これもまた工夫と苦闘の話で、資料を見て胸が熱くなった。

日本橋さくら通りを通って少し残る桜をみる。
東京でも花見が出来て楽しい。

また来月までさらば。

「明恵の夢と高山寺」展 前期に行く

中之島香雪美術館で「明恵の夢と高山寺」展が開催されている。
数年前に京博「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展が開催され、記録的な大ヒット・大行列でえらい目に遭ったが、おかげさまで今回はそこまで混まずに楽しく拝見しましたわ。
当時の感想はこちら

それにしても高層ビルの中で国宝や重文の展示が出来るというのは、サントリーとハルカスとここか。大事に守られますように。

展示そのものは前掲のそれとあまり変わりはない。
ただ、今回は「夢記」を多く取り上げている。
いっそもっと出してくれてもいいと思うくらい。解説もよかった。
そして展示の構成とタイトルのつけ方がまたなかなか素敵なのだった。

・ 夢をみる 明恵という人
幼少期に母を亡くした坊やは仏眼仏母図を母上に見立て、更に見た夢こそ仏からのメッセージと受け取り、それを書き記すことに力を注いだ。

見た夢を記す、と言うのは明恵のほかにもした人は少なくない。
実はわたしも一時やってみたことがある。
ただ、明恵と違い、わたしも他の人もどうも書き記すうちに悪夢を見るように仕組まれているらしい。
それに負けてしまい、書かなくなる人もいる。
誰がそんなことを仕組むのかは知らないが、夢日記を書いた人に聞いたり読んだりするうちに、その推理が正しいように思えて仕方なくなる。
とはいえ明恵はそうではないらしく、ありがたくありがたく日記を記し続けた。
何十年もの間、倦むことなく。
信仰心とは強いものだ―――
資料を眺めながらそんなことを考えた。

釈迦阿難像  釈迦の傍らに美しい顔立ちの阿難がいる。控えるのではなく、寄り添う。
この絵を見た明恵は自分を阿難に置き換えたかもしれない。

わんこ、鹿などの彫像も来ていた。これは嬉しい。
可愛いなあ。間近から眺めてやはりわんこの可愛さにきゅんとなった。
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可愛い喃…

鹿の像だけでなく、今度は村山コレクションから春日社寺曼荼羅、春日鹿曼荼羅なども並ぶ。
鹿は神仏と関わりが深いが、春日の鹿は元々は鹿島から来たことを改めて思う。


・夢のあとさき 明恵示寂
この章では鳥獣戯画と将軍塚絵巻が出ている。
前期は甲乙本。見慣れたウサギvsカエル、烏帽子猫などがいる。
瑞獣たちのデモンストレーションもある。
わりとゆっくりじっくりと楽しめた。

伝・探幽 戯画図巻  これが面白かった。いろんな人を時代性関係なしに一堂に集めて歌舞音曲で遊ばせるのだ。
明恵も中にいるのがいい。


明恵と言う一人の人が何を考え、信仰し、どう生きたか。
そのことをこの展覧会は見せようとしたように思う。
むろんすべてを把握しているわけではない。
だが、それでも丁寧に資料を集め、濃やかな解説をあげている。
つまり、明恵という人に近づこうということなのだ。
耳を切った肖像画、見た夢の記述、居た寺に集まったさまざまなものたち。
それらを通して明恵という一人の人に近づく。

後期には明恵にとって重要な意味を持つ仏画もでる。
そちらも行こうと思う。

「へそまがり日本美術」前期をみる その3

ようよう続きが書けそうです。

呉春 人物図 福島美術館   状況がよくわからんのだが、烏帽子を前にして「うーん」と困り顔のオジサンがいる。
呉春は大好きですわ。
師匠の蕪村、弟子で異母邸の景文、みんな好き。四条派いいなあ。呉春は後に応挙の弟子になるが、そのあたりの人間関係も感じよいのですよ。

与謝蕪村 白箸翁図 逸翁美術館   シワシワのジイサン二人がいる。そのうちの一人がタイトルの人。いつも70歳と自称。
死後、別な場所でまたまた70歳の白箸翁が目撃される。
一種の仙人だったのかもしれないが、なんとなく「果心居士の幻術」を思い出した。あとは「飛び加藤」など。

岡田米山人と応挙、それぞれの「寿老人図」
なんというか、個性で押し通すのと、お客さんが安心して買えるのと、そういう違いかな。

山水図も比較対象的に並ぶ。
しかしこちらはまだそんなけったいなこともないわけです。
やっぱり人物画に変なのが多い。

近代日本画家の作品も出てきた。
冨田渓仙 沈竈・容膝 福岡県立美術館  どちらも中国の故事にまつわる画題なのだが、 先の言葉は水攻めの意味らしいが妙にのんびりしている。
容膝は桐の葉に覆われたような家の中で機織りしている妻と、外でなにやらする夫の姿。
この絵は以前に
「横山大観展 良き師、良き友」展で見た。
当時の感想はこちら
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-3028.html

小川芋銭 〈河童百図〉幻 茨城県近代美術館  河童やカワウソが大好きな芋銭が描くのはおばけの河童。墨絵で桜の花びらが舞う中、おばけな河童が葉に乗り浮いている。
お彼岸の後なんだがなあ。いや、河童は極楽とは無縁か。「かっぱ天国」があるから。

夏目漱石 柳下騎驢図  中国の蘇州辺りにありそうな太鼓型の石橋をロバに乗って渡る。
ほのぼのしている。
しかしあれだ、漱石は他人さんの絵について色々口やかましく批判と言うより非難するが、自分の絵については誰彼に言われることは想定外なのかな。

伊藤若冲 伏見人形図  でました、ずらーーーーっと並ぶ布袋さん。やっぱり妙だな。

忍頂寺静村 坂田金時図  これぞまさしく「おう、お久しぶり」という絵。
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わたしが見るのも久しぶりだけど、描かれた山の動物たちも昔の金太郎と違う金時さまに「へへーっ」ですがな。
立場が変わると自ずから関係性も変容するよ。
立場が上の人がいくら親しみを見せても、かつての楽しい関係は復活しない。
金太郎自身実のところ人より鬼の世界に近い所にいた。
しかし頼光に連れられて人の世に出たことで、異界とは縁が切れた。
ただ、名残があるからこそ、鬼退治にもゆけたわけだものな。
この先また山に顔見せに来るなら、この山は禁猟地にしてもらう方がいいよ。

さてこの展覧会の「へそまがり」は実はチョイスそのものだと思う。

アンリ・ルソー フリュマンス・ビッシュの肖像 世田谷美術館  まさかの登場。絵自体はいかにもアンリ・ルソーなのだが、何故??という疑問符と共に納得も行く。
「へそまがり」なのはこちらからの見方、なんだよなあ。
描いた本人たちは意識してそうする人と、自分ではこれぞ真っ当な絵画と思って描くけど、痛いと言うか違うだろぉというか、…な二手に分かれるわけだ。
そこがルソーの絵をここに持ってきた意味なんだろうなあ。
三岸好太郎 友人ノ肖像 北海道立三岸好太郎美術館  子供みたいに見える男性。これは意図的にそう描いているのか、モデルがそうなのか判断がつかない。


今回の展示でいちばんヒーーーッになったのがこれら。
糸井重里原作・湯村輝彦画 『情熱のペンギンごはん』
蛭子能収 「骨正月」(『なんとなくピンピン』青林堂 所収)

なんかすごいもん見たな…

さて将軍様の可愛いのが三つ。
徳川家光 ね。
木兎図 養源寺(東京都文京区)
兎図
鳳凰図 德川記念財団
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去年このチラシ貰った時、びっくりしたねえ。
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みんな妙に可愛いんだよなあ。

岸礼 百福図 敦賀市立博物館  すごーくたくさんのおたふくさん。ブランコ乗ったり色々楽しんでいる。

どう見てもスナフキン。
村山槐多 スキと人 府中市美術館
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個人的にめちゃくちゃ好きなのがこの二人。
児島善三郎 松  明るい色彩、最高。透明感はないけど明るさが何層にもあるのがいい。
小出楢重 めでたき風景 大阪中之島美術館  この屏風はなんというか「NIPPON!」てな感じで面白いよ。

児島は前にここで回顧展があった時、本当に嬉しかったなあ。たぶん、この人の色彩感覚はすべての画家の中で一番わたしの感性に合うのだよ。

小出は子どもの頃は本当にニガテだったが、肖像画ばかりの展示をブリヂストンで見て、芦屋、京近美でいい回顧展を見て、随筆読んで、気づけばこれまた大好きな画家&エッセイストになったなあ。

岸駒 寒山拾得図 敦賀市立博物館
どう見てもおばさん二人。ネックレスもってサンダル履いたのと可愛い靴のと。
いやー、ほんまにいてはるよ、こんなひとら。

わからんのがこれ。
与謝蕪村 寿老人図   なんで片方の胸をはだけるかなあ。誰得なんだ。

祇園井特 美人図  でたーっUPで顔が大きいというより、大顔なんだろうなあ。

祇園井特 墓場の幽霊図 福岡市博物館  おお、久しぶり。これは数年前のおばけの絵の展覧会で見た。
元々は吉川観方コレクションのあれでしょう。

祇園井特 達磨図 奈良県立美術館  むーっとしてるのは別にいいんだけど、歯の出る口は不動じゃないか。ちょっと因業そうにもみえる。

長沢蘆雪 老子図 敦賀市立博物館  しょぼんとしてる。そんな落胆したまま牛に乗って去っていくのか…

明誉古磵 七福神図 奈良県立美術館  先年、大和文華館でこの人の大回顧展があって、それで知ったが、とても面白い絵をかく画僧。
没後三百年 画僧古磵  当時の感想はこちら

最後の最後にマンテツきたね。よろづ・てつごろう。
萬鉄五郎 仁丹とガス灯 岩手県立美術館  「仁丹」がなんかもうエグイな。  
萬鉄五郎 日の出 萬鉄五郎記念美術館  南画風なのはいいが、なんだ、これは。虎のパンツ??
萬鉄五郎 軽業師 萬鉄五郎記念美術館  足技を見せる。盥に乗ってぐるぐる…これあれだ、「ゴールデンカムイ」16巻のヤマダ曲馬団でも出てた芸だわ。

ああ、なんかもう…
後期が楽しみだけど、本も三刷目というめでたさ。
負けないように頑張って見に行きます。
前期は4/14まで。

「モダン都市大阪の記憶」を楽しむ その2

続き
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明治24年1月、難波新地の阪堺鉄道停車場前にパノラマ館開館。
中では「セダンの戦い」という外国の戦闘シーンが360度パノラマ展開されたものがみれるようになっていたそう。
これについてはこちらに年譜や資料がある。

27年には今の日本橋辺りの有宝池眺望閣(通称ミナミの5階)が完成。これは浅草の十二階より早い。
そしてキタの9階こと凌雲閣も今の茶屋町辺りにあったそう。
昔は高いものがなかったのでそれこそ「見晴るかす」のもエエ建物でした楼。←ろう。
画像や詳しいことはこちらのサイトに。

こうした古写真はデジタルアーカイヴにもあるので助かる。
そしてその眺望閣から見える周辺を描いた絵図がある。桜で囲んだぁる。
高津、真田山、一心寺が下に、左には住吉っさん、海。右に中之島、前に天保山、遠くに六甲。

これで思い出すのが小出楢重の随筆で、ここではキタの9階、ミナミの5階の紹介があった。

「私の子供の時分には、大阪に二つの高塔があった、これは天王寺五重の塔とは違って、当時のハイカラな洋風の塔であった、一方は難波なんばにあって五階であり、一方は北の梅田辺あたりと記憶するが九階のものだった。九階は白き木造で聳そびえ五階は八角柱であり、白と黒とのだんだん染めであったと思う。私は二つとも昇のぼって見た事を夢の如く思い起す事が出来る。」

小出は案外遠見するのが好きらしい。
こんなのもある。

「私は子供の如く、百貨店の屋上からの展望を好む。例えば大丸の屋上からの眺めは、あまりいいものではないが、さて大阪は驚くべく黒く低い屋根の海である。その最も近代らしい顔つきは漸く北と西とにそれらしい一群が聳えている、特に西方の煙突と煙だけは素晴らしさを持っている。しかし、東南を望めば、天王寺、茶臼山、高津宮、下寺町の寺々に至るまで、坦々たる徳川時代の家並である。あの黒い小さな屋根の下で愛して頂戴ねと女給たちが歌っているのかと思うと不思議なくらいの名所図会的情景である。ただ遠い森の中にJOBKの鉄柱が漸く近代を示す燈台であるかの如く聳えている。
 大阪の近代的な都市風景としては、私は大正橋や野田附近の工場地帯も面白く思うが、中央電信局中之島公園一帯は先ず優秀だといっていい。なおこれからも、大建築が増加すればするだけその都会としての構成的にして近代的な美しさは増加することと思う。ただあの辺あたりの風景にして気にかかる構成上の欠点は、図書館の近くにある豊国神社の屋根と鳥居である。あれは、誰れかが置き忘れて行った風呂敷包みであるかも知れないという感じである。」


この塔も今から思えばそない高いわけでもないが、上った人らはそれこそ「わぁい」だったでしょうなあ。
そうそう、こんな戯れ唄も大阪には昔からありました。

「お母ちゃん、ダイヤモンド買うてんか」「ダイヤモンドは高い」「高いは通天閣」「通天閣はこわい」「怖いは幽霊」「幽霊は消える」「消えるは煙」……

まあ地域により歌い手により歌詞も変わるが、大体は「ダイヤモンドは高い」から始まるもんです。そして「通天閣は高い」が入る。
つまりそれだけ人々の意識に通天閣の高さと言うのが浸透していたわけですな。
その通天閣の話はまた後ほど。

ところで大阪には大昔も大昔、物凄く高いものがあった。
それは何かというと、古事記に出てくる後に「枯野」と呼ばれることになるもの。
仁徳天皇の御代にあった巨木の話。

「この御世に、冤寸河の西に一つの高樹ありき。その樹の影、且日に當たれば、淡道島に逮び、夕日に當たれぱ、高安山を越えき。故、この樹を切りて船を作りしに、甚捷く行く船なりき。時にその船を號けて枯野と謂ひき。故、この船をもち旦夕淡道島の寒泉を酌みて、大御水献りき。
この船、破れ壊れて塩を焼き、その焼け遺りし木を取りて琴に作りしに、
その音七里に響みき。ここに歌ひけらく、
枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り かき弾くや 由良の門の
門中の海石に 觸れ立つ 浸漬の木の さやさや
とうたひき。こは志都歌の歌返しなり。」

武田祐吉訳のを挙げる。

「枯野からのという船  ――琴の歌。――
 この御世にウキ河の西の方に高い樹がありました。その樹の影は、朝日に當れば淡路島に到り、夕日に當れば河内の高安山を越えました。そこでこの樹を切つて船に作りましたところ、非常に早く行く船でした。その船の名はカラノといいました。それでこの船で、朝夕に淡路島の清水を汲んで御料の水と致しました。この船が壞れましてから、鹽を燒き、その燒け殘つた木を取つて琴に作りましたところ、その音が七郷に聞えました。それで歌に、

船のカラノで鹽を燒いて、
その餘りを琴に作つて、
彈きなせば、鳴るユラの海峽の
海中の岩に觸れて立つている
海の木のようにさやさやと鳴響く。
と歌いました。これは靜歌(しずうた)の歌い返しです。


枯野も朽ち、キタの9階、ミナミの5階も今は遠い夢のような話だが、大阪にはあべのハルカスという日本一高いビルがあるのだった。


第五回内国勧業博覧会は大阪が舞台で、天王寺公園で開催。
それでエッフェル塔+凱旋門のイメージで作られたのが通天閣。
けっこうなことです。
この時と聖徳太子1300年遠忌で四天王寺が新しい鐘を鋳造したそうな。
当時の博覧会のガイドマップには「九龍噴水」と四天王寺の鐘とが描かれている。
なんやかんや言うても大阪の人間はまだまだ根には信仰心があったので、寄付もようけ出したようです。
その当時「世界一大きい」鐘やと認定されたらしい。
二丈六尺・厚み二尺二寸・周囲五丈四尺・4200t。
なんちゅう大きさでしたろう。そしてこの鐘は昭和になってから戦争の為に供出されて溶かされて帰ってこないのです。

またまた脱線するけど横溝正史「獄門島」は島の寺の鐘を供出したのが返ってくることで条件がそろい、恐ろしい計画が発動してしまうのでした。

博覧会の紹介で面白いのがあった。
どうぶつ園と動物館の違い。前者は今の天王寺動物園でつまりZOO。
後者は家畜品評会などを催す場所。納得はしたが、実際のところ見たこともないので「そうなのか」くらいしか思わないが、この博覧会はそもそも「内国勧業」だから、遊ぶのと経済の発展と二つの方向があるのだ。

動物園の案内図がある。結構シリアス系の絵で鰐・トラ・ゾウ・蛇・亀・リス・ヤマネコ・ジャワ蜥蜴などが描かれ、しかも難しい漢字を当てていたりする。
枠外にはそれぞれのどうぶつの説明が記されているので、博物誌風な感じに仕上がっているのもいい。
江戸時代の大阪には「知の巨人」と讃えられる木村蒹葭堂もいたが、かれの時代にもしこの博覧会が開催されたなら、総合プロデューサーとして活躍したかもしれない。

木村蒹葭堂の昔からこの地にはとんでもなく優秀な頭脳の人間が生まれることが多い。
小松左京、手塚治虫、司馬遼太郎、開高健……
現代は――… 

戯画や風刺画の集まった「大阪パック」の展示もある。
「東京パック」と仲間の本。これが戯画な表紙絵が楽しい。
花の雨に泣く大佛、人絹vs天絹を擬人化した二人お絹の争いなどなど。

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大大阪時代はやはり何というても御堂筋の開通。
地下鉄もモダン都市の象徴。
そして心斎橋大丸は紛れもなくモダンだった。
だから大丸をモチーフにした数々のものが作られた。

大丸を中心としたメリーゴーラウンド、大丸遊覧双六、梅田から心斎橋大丸までの立版古
大丸のパンフも素敵だ。

ところで三越のパンフなのだが、この下の画像は以前に手に入れたもので、非水の絵だとあるが、前掲のチラシは霜鳥になっている。でもこれは非水の絵のはず。
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神戸や大阪で活躍した田村孝之介も雑誌表紙に素敵な女性像を描いた。
わたしは田村の挿絵も好きだ。

それで驚いたのが1936年、大阪で刊行された雑誌「粋」の編集長は女性だった。
今の時代ならともかくあの時代になあ…びっくりした。
そのまま平和が続いていたらよかったのに。

大阪は「そこまでするのか」な看板がミナミを中心にたくさんあるが、昔も実は目立つ看板が少なくなかった。
現存するのかどうか知らんが、小出楢重の実家の薬舗の看板は亀で、火事が迫ってきたとき水を吐いて店を守ったという伝説もあった。
あの看板は小出の本によると市立博物館に寄贈したらしいが、昔々わたしが尋ねたところ「いやーわからんわー」とのことだった。
なんしかあまりに歳月がたち過ぎているしなあ。

菅楯彦 天狗の履物屋  この看板を描いたのがまた面白い。面白いから菅も描いたのだろが。
後年、鍋井克之もそれについて書いている。

をぐら屋ビルディング ここは当時とてもおしゃれな場所だった。
ここについては美留町まことさんの「ぶらり近代建築」が詳しい。
こちら

丹平ハウスの紹介も少しばかり。ソーダファウンテンが素敵だ。

映画のポスターもある。
新世界松竹座ポスター
マダムサタン」1931 いかにも1920―30年代のレトロモダンなカッコ良さがある。
監督はセシル・B・デミル。戦後には「サムソンとデリラ」がある。

フーマンチュー博士の秘密」 凄いな、忘れてた。謎の中国人。

千日前楽天地ポスター
「乃木大将」と「高橋お伝」の二本立て!これはなにかあれかな、ブラックジョークか?

さて昔は大阪の芸妓さんたちはそれぞれ踊りを披露していた。
南地の芦辺踊、新町の浪花踊、堀江の木の花踊などなど。
その写真がなかなか素敵。
手彩色なのかコダックぽいような色にも見える写真がグラビアに載っている。
中でもすごいのが、孔雀のコスプレをした舞妓。
緑の孔雀の衣裳が素晴らしい。


版画が並ぶ。
川瀬巴水、徳力富吉郎、神原浩…それぞれの個性がよく出た素敵な大阪をモチーフにした風景版画。
こういうのを見るとますます近代版画の良さに惹きこまれる。

ところで大阪人は芸術活動は仕事の片手間にするヒトが少なくなかった。
玄人はだし、というところでとどめて、プロにはならず、あくまでも素人だという節度の見せ方をした。
本業の傍らにこんな楽しい活動してます、というのがそれ。

「宝船」をテーマにしたすりものなどを見ると、当時の大阪の趣味人たちの楽しみ方がよくわかる。
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澪標に難波橋のライオンさんがいる宝船の図。

他にも桃太郎の船、エジプト壁画の船、ガレー船などなどがあった。
これをみんなで頒布したり交換したりして楽しんだのだ。

遊び心は無限。
しかしあくまでも「遊び」の範疇にとどめてしまう。

世界にたった6台しかなかったカール・ツァイスのプラネタリウム。
これが四ツ橋にあった大阪電気科学館に設置され、多くの人を楽しませてくれた。
わたしも廃館になるまで何度か見た。
泣ける…
このプラネタリウムについて今江祥智が「ぼんぼん」か「兄貴」に書いている。
戦時中に兄弟がここで今後の相談をするのだ…

色んな紹介がある。
美津濃が出してたベースボールニュース、新大阪ホテルの豪奢な宣伝などなど。
コメディマンガ「滑稽マンガ 大阪見物」千葉かずのぶ これも好きだ。とても楽しい。

ああ、面白いものをたくさん見た。
橋爪先生の個人コレクションの膨大さに感嘆するばかりだ。
大阪よ、もう一度モダン都市であったころを思い出せ、知れ、実行せよ。
4/7まで。

最後に北野恒富の美人画を
イメージ (1866)
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