美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

大理石とステンドグラスの邸宅 その3 

見学は出来なかったが、矢橋邸・和館の外観を眺めた。

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林の奥に
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見学したその日の庭には白梅が咲いていた。
その前にアカンサスを刻んだ柱飾りのようなものがオブジェのようにそっと置かれていた。
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作業場も見学させていただいた。
素晴らしい大理石の数々を拝見する。
世界各国の大理石。これが実に素晴らしい。
本当にいいものを色々みせてもらった。
ありがとうございます。
実際、この矢橋大理石の見学以降、わたしとその仲間たちは訪問する先々に大理石があれば必ず「矢橋さんの仕事」と思うようになっている。
見学は凄い経験と記憶になった。

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長い塀の続く道をゆく。

お邸を出て駅に向かうと、ピーーーーと鋭い笛の音がする。
貨物車だった。運んでいるのは矢橋の石灰だった。
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いついつまでもご繁栄を祈っております。
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大理石とステンドグラスの邸宅 その2

大理石とステンドグラスがふんだんに使われた素敵なおうち。
まだまだ続く。

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ミミズク、そして百合。これは以前に挙げていた分
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大理石の豊かさ。
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照明
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続く。

大理石とステンドグラスの邸宅 その1

2006年に岐阜赤坂の矢橋大理石へ見学に行った。
ここは日本を代表する大理石メーカーであり、輸入元である。
そのあたりのことについては2006年のこの記事に挙げている。
当時、わたしはフィルムのカメラで撮影していたが、とうとう近辺に現像するところが無くなり、デジカメに移行したが、このフィルムは長く現像できないまま置いていた。
ただ、出かけた記録として内容を記したのだが、なかなか画像を挙げることが出来ないままになり、二点ばかりしか紹介できなかった。こちら。

今回、褪色を懸念してここに挙げる。
ただし11年以前の見学と撮影なのでどこがどうなのか正直思い出せない。
それで以前のをここに一部引用する。そこから大体想像することになる。

「辰野の弟子岡村徳一郎が設計した二つの洋館と間につなぐ和館と。
南陽館と呼ばれた邸はユーゲントシュティール様式の屋根を持ち、実に美しい勾配と窓を見せてくれる。
中に入るやたちまちきれいなステンドグラスか出迎えてくれるが、オウム柄なのでつい〈お竹さん〉と言…いません。
階段の手摺は特に何か彫刻もなくごくシンプルな作りだ。

しかし上ると極めて精巧なアールを描く窓があり、クレーを思わせる柄のステンドグラスが縁取りされている。これは浴場窓と呼ばれるものだ。
こうしたガラスだけではなく各室に大理石が填め込まれているが、全て違う色の大理石なのだ。
オニキスに目を惹かれたと思うや、赤や翡翠がある。それらは壁の下部に貼られているが、中に据えられた家具もまた大理石なのだ。これらは国産大理石だと教えられる。
玉のように磨きぬかれた美しい大理石たち・・・溜め息がもれた。
また、ドアにもステンドグラスがありふくろうが二羽きょとんとこちらを見ている。別室では鹿が飛びもする。ははは、楽しいぞ。
石とガラスの館は磨きぬかれている。
和館は見せてもらえなかったが、廊下の曲がり角の細工がいいので他の造作も想像がつく。すてきな和の空間だ。
建物を出ると、外壁にまっすぐ大理石が貼らているのを見た。うん、と何故かうなってしまった。」


以下、外観から。
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大理石の床。
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サンルーム
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階段の様子
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ステンドグラスの嵌る室内。
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モザイクタイルも可愛らしい。
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続く。

浪花の彩 花ひらく近代絵画と四天王寺

既に数か月前に終了した展覧会の感想を挙げる。
わたしの記憶と楽しみのための感想である。

四天王寺宝物館「浪花の彩 花ひらく近代絵画と四天王寺」展。
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四天王寺の近代日本画といえばまず第一に菅楯彦。そして弟子の生田花朝女、それから金堂壁画を担当した中村岳陵。
だが、それだけではない。
今日では既に知られなくなった画家の仕事もここには多く残されている。
春の名宝展ではそれらが多く出ていた。

日鑑 吉田源應 1906-1907  日記である。「森下仁丹のおかげで天井画が作れたこと」を書いている。
その大鐘楼の天井画の落款印もあるが、めちゃくちゃ大きかった。

湯川松堂という絵師の作品が随分と並んでいた。
明治から戦後まで活躍していたようだ。鈴木松年に師事した絵師で小松宮にも気にいられていたそう。
今回は主に戦後の作品をみる。

雲竜猛虎図 1955  横広がりの猛虎の顔だが、その目が青い枇杷の実のようなところが可愛い。

松鶴図屏風   たいへん力強い。墨絵の松とカラフルな鶴の対比もいい。

菊慈童図  とても温和な美少年である。謡曲が聴こえてきそうな風情がある。
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他に出山釈迦、寒山拾得、福禄寿などがあった。

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菅楯彦をみる。
菅は四天王寺と非常に関係が深い。それについてはここにも紹介がある。

天人奏笙 1937  宙に浮かびながら笙を吹く天人。そよぐ衣の美しさ。

聖霊会舞楽(降鈴) 1927  背後に五重塔がみえる。そして舞台では今しも舞楽「降鈴」が演じられている。赤と緑、左右それぞれの方が舞う。

鳥向楽 1923  こちら雅楽「鳥向楽」を演奏する右方の人々を描いている。
赤の衣の右方。

四天王寺亀の池図  ここで不意に現実に戻されるように亀の池が現れる。この絵は近年見つかったものだそうだ。さらりと綺麗な春色に彩られた亀の池とその周辺。

聖霊会舞楽胡蝶図  舞楽「胡蝶」は大傘を差し、その下で舞うものだそう。
古代から中世において「傘をさす」とはどのような意義を持っていたのだろう。
そのことを考える。説経節も傘を開いてその下で語られる。
古代の貴人への日よけもまた。
「傘」とはなんなのだろうか…

舞楽陪臚  篝火の中で演じる「陪臚」。一発変換出来たが、そもそも「陪臚」とはどういう意味なのかをわたしは知らない。知りたいが、ちょっとばかり難しい。
赤い衣に身を包んだ舞手が何人も刀をあげて声を挙げていた。

抜頭廻鼓図 1956  巨大な太鼓を運んでいくところ。時代背景は江戸の頃らしい。奉仕者は古代以来の様相だが、ちょんまげに裃、そして袴をたくしあげて歩く人々もいた。
こうした人々を描くのが本当に菅楯彦はうまい。

抜頭鼉太鼓を廻る 1957  満開の桜の下で行われる右方舞。篝火は金色で描かれる。そしてその桜と篝火と人々の背後には巨大な太鼓と満月。

散華図 1959  二種あった。飛天と幡を掲げるみづらの少年と。
いいなあ、こんな散華。

浪速御民と名乗りを上げた菅楯彦は、情緒のある浪花の風俗画を多く描いた。
そこには優しく温かなまなざしがあり、観る者に小さな安寧を与えてくれるのだった。

小川翠村 群遊 1931  胡粉で藤を盛り上げて描いている。その下には白鳥、鯉、虫などさまざま。白昼夢のような美しさがある一景である。

次は生田花朝。女性の画家で菅楯彦同様四天王寺との縁は深い。
極楽門の春 1965  彩色鮮やかに四天王寺の西大門(極楽門)の下で楽しそうに遊ぶ子供らを描いている。
まだ舞楽の装いをした子供らも多く、早く遊びたそう。

ここにはないが、高津神社か生玉さんかの境内で機嫌よく遊ぶ子らの絵もとても好きだ。
彼女もまた師匠の菅楯彦と同じく浪花の人々・風物を多く愛したのだ。

四天王寺聖霊会行道図  チラシ表。 とても華やかな様相を上品に描く。足元の色とりどりの葉っぱのようなものは散華だろうか。扮装した人々、獅子、菩薩面をかぶったもの、そして傘、僧侶らも続く。

団扇絵もとても愛らしい。

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最後に青木大乗の波濤図屏風。たいへん力強い波の寄せる様、こちらも泡立つようだった。

いい図録もいただいたし、とてもありがたかった。

常設の特集展示では後醍醐天皇の大きな両手の朱印つき御宸翰もある。
これをみると今昔物語かなんだったか、泥棒を捕まえるのに自ら船の櫂を軽く打ち振りながら指揮をした、という逸話を思い出す。
その後醍醐天皇の様子を見て、泥棒は投降したのだった。

ほかには切り絵作家の宮田雅之の作品もある。

埋もれたままの感想にしなくてよかった。
日の目を当てたことでまた思い出せるだろう…

京の至宝 黒田辰秋

美術館「えき」KYOTOというのが正式な名称で、今年はもう20周年を迎えるらしい。
その記念展が「京の至宝 黒田辰秋」展。
実際、黒田の作品は没後何十年経っても使われ続け・愛され続け・シンボルであり続けている。
進々堂本店の巨大な長卓、鍵善良房の飾り棚、河井寛次郎記念館の看板、状差し、装飾品などなど…
今では豊田市美術館に所蔵されている黒沢明の別荘の椅子もまた。

今回の展示はその黒田が世に贈りだした名品を集めている。
わたしが行った日は木曜の夜間でヒトも少なく、作品と向き合うのにとてもよかった。

最初に現れたのはチラシにも選ばれているこの「金鎌倉四稜捻茶器」1965-70 北村美術館所蔵だという。
北村美術館は茶道具を見せる美術館だが、こうして古美術だけでなく新しいものも茶器とするのだった。

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1.河井寛次郎との出会い
河井寛次郎記念館では多くの「民藝」の品々をみた。
その中でも木工品のいいのを多く見たが、その大半が黒田の作品だった。
まだ若かった黒田は楠部弥弌と仲良くなりその紹介で河井に出会った。
その河井に励まされ、黒田は良い作品を生み出そうと闘い始めた。

その河井寛次郎記念館の様子
その1 

その2


河井記念館、日本民藝館などの所有の品々をみる。
卍文状差し 1927-29  ああ、見覚えがある。四段の縦の状差しで表にそれぞれ卍文が入ったもの。これいいなあ。

拭漆欅真鍮金具三段棚 1927  使い込んだいい色めになっている。90年の歳月がこの棚をこうしたのか。大事に使い、丁寧に拭く。
この形はそもそも朝鮮の民具から発想を得たそうだ。だから三段の上下に優美な透かし棚がある。
なお翌年製作の二段棚にはその透かしはない。
実際、高麗美術館で展示されている李朝の棚などを見ると、その木工芸の確かな美しさに心が躍る。
それを採り入れた黒田の気持ちも伝わってくるようだ。

黒田はその頃2年ばかり「上加茂民藝協團」に所属し、仲間と熱心に新作を造り続けた。
この団体が二年で終わったのは残念だが、これはこれで意義のあるものだった。
そしてその当時そこで拵えた作品の図面が、今回出ている。
・・・いい図面やなあ。

朱漆透彫文円卓 1930  丸く大きな卓、1M近くある。脚部分に透かしが入るのも朝鮮風。

朱漆三面鏡 1931  これまたとても綺麗な三面鏡。形自体はシンプルなもので装飾が施されているわけでもないが、とても綺麗な朱漆塗で、それだけでも素晴らしい。

根来鉄金具手箱 1930  蓋に卍文があり、鍵は昔の日本風の鍵。根来なので朱の前面からところどころ黒が滲む。黒を覆い隠す朱、そこからのぞく黒。
不思議な味わいがある。

組み立て式弁当箱 1935  これはいいものだが、前にもどこかで見ている。いつからの考えなのかというと多分江戸時代にはあったろう。いい知恵が伝わっていてそれをこのようなよりよくし、実際に使っている。合理的なものに美が具わる。いいなあ。

白タモ葡萄杢インク壺 1935  これは志賀直哉の旧蔵品。奈良にいた頃に得たのだろうか。こうしたコミュニケーションを想うのは楽しい。

拭漆欅真鍮金具印箪笥 1937  この拭漆というやり方は黒田が開発したもの。もう少し後の章に多く出てくる。
箪笥もとてもいいものだ。
戦前の木工の仕事はとてもいいものがある。

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2.黒田辰秋と京都の注文主
主に鍵善良房の所蔵する黒田の拵えた小間物が集まっている。
今でも人気だが、鍵善良房はずっと愛され続けている。ここを舞台にした映画もあるくらいだ。
そしてそこにはわたしのオバもその一家の一人の役を得て出演している。

螺鈿唐花文座卓 1926  これは別な個人蔵。縁周りに綺麗な花を上向け・下向けに配置してずらりと並べる。花は全部で56か。こうしたパターンは正倉院の宝物以来だと思う。可愛いなあ。

さて鍵善のために拵えたくずきりを入れる器やお菓子用の重箱などが集まる。
螺鈿葛きり用器、螺鈿卍文蓋物、螺鈿卍文茶筒、螺鈿八角菓子重箱、螺鈿「亥」字香合、螺鈿菓子重箱…
みんなとても綺麗な螺鈿で装わされている。みんなそれぞれ様相は違っているが、縦に螺鈿が貼られているのはシャープで素敵だ。可愛いなあ。これは今では使われていないものだが、本当に素敵だ。

他に濱田庄司、河井、黒田らの寄せ書きもある。
そしてまた一つ素晴らしいものがあった。
赤漆宝結文飾り板 1930-35  あのとても綺麗な赤色の飾り板。
モダンな赤色の塗に独自の「宝結び文」が中央に透かし彫りされている。
魅力的な飾り板。とてもとても素敵。

沃地色漆紋尽くし手筥 1948  いじいろ。カラフルな様子。いろんな紋の形。
そしてその設計図などもある。

彩漆群蝶手筐 1948  肌色の地に様々なリアルな表現の蝶々が舞い飛ぶ。

4. 人間国宝への歩み
飾りなしのシックな拭漆欅。それで作られた様々な器がある。

溜漆蔦金輪寺茶器 1960-65  拭漆とはまた違うがシックでいいものだった。
これも北村美術館か。いいものが多いのはわかっていたが、素晴らしい。

拭漆松衝立 1934 鍵善の飾り板と同じ宝文がある。
この文様は黒沢明の別荘や宮殿内に収められたドア飾りにも見られる。

黒沢明のために拵えた巨大な椅子があった。花文の入ったとても大きな椅子。これをみてわたしは朝倉彫塑館にある双葉山の椅子を思い出した。あんなサイズ。そこに座るのを喜んだ黒沢。

朱溜栗小椅子 1968  可愛いなあ。色もとてもいい。

赤漆捻紋蓋物 1949  可愛いなあ。いいなあ、とても。

流稜文飾手筐 関連スケッチ  エッシャーみたいな感じがある。

この辺りでは捻りの造形の良さが目につく作品が多い。
そして多くの作品はいずれも時代を越えている。

最後に螺鈿作品がたくさん並んでいた。
縞柄の螺鈿の容器の美しさ。これは本当に魅力的だ。
何度も見て回りながらキラキラを享受した。

また、「燿貝」と名付けられた螺鈿作品もある。この名付け親はやはり民藝と関係の深い棟方志功だそうだ。
本当にすべてがキラキラと耀いている。

最後の最後までいいものを見続けた。
黒田辰秋の作品は生き続ける。
嬉しい限りだ。

10/9まで。
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