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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

2022年、清方の生誕日に。

今年は清方の展覧会の大きいのが開催された。
特に清方展が京都で大々的に開かれるのは45年ぶりらしい。
キャッチコピーにそう書いてある。
90年代は百貨店のミュージアムもよい展覧会が多く、特に大丸や高島屋は近代日本画の良い展覧会を多く開いてくれた。
わたしが最初に見た清方展も百貨店系のものだ。



とにかく好きな作品を少しばかり集めた。

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「刺青の女」 どうにも魅了されてしまう。

今回の展覧会で左右共に並んだのがこちら。
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「ためさるる日」

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艶めかしい…

こちらもまた艶めかしい。
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「襟おしろい」 奥さんのふとしたポーズを見て描いた作品だという。
指輪がいい味を出している。

少し離れて可愛いのがある。
「築地川」での幼い自分の姿である。
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可愛いなあ。


こちらは鏡花の怪異譚「註文帳」を絵で表した作品群の一。
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逃れられぬ破滅を描いた作品だが、まがまがしさはそこまで強くない。
だが、女の強い意志が(憑りつかれたのではあるが)先へ進もうとしているのは感じる。


戦後も絵物語のよいのを制作した。
これは谷崎潤一郎「少年」より。
ふたりの少年にいじめられた少女によるサディスティックな仕返しがこの後にある。
和装少女は縛られているが、洋装となるや不思議な強さを見せる。
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こちらは芝居絵
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そして近年わたしの心を捉えたのはこの「日高川」下絵。
記念美術館さんがツイッターで挙げで下さっているのでご紹介する。



他にも好きなものがまだまだ溢れている。

以下、6月に挙げようとしていたときに書いていたものをこちらへ。
蛇足なので興味のない方はスルーして下さい。

今回の展覧会の花は「築地明石町」である。
それを中心に三部作が同時に展示される。
近年になりやっと所在が明らかになり、嬉しくも東京国立近代美術館の所蔵となった。
その時の記念展示にはいそいそとでかけている。
この絵は清方の紹介には絶対に出る絵なので、やはり代表作なのだが、わたしはそこまでこの絵に思い入れはない。
ただ、随分昔からこの絵は途轍もなく立派な美人画の代表だという認識はあった。
ところがその現物を見る機会がなかった。
画集には必ず出ているというのに。
何故か。消息不明になっていたからだ。
それに再び世に戻ったのは2019年、その時東近美で大きく紹介されていた。
むろん見に行った。
そしてやっぱり上品でいい絵だと思ったが、本当の自分の嗜好とはちょっとズレがあるなとも思ったが、これはあくまでもわたし個人の考えなので、別に世間とは関係がない。

シュールなギャグが飛び交う杉浦茂の晩年の作には唐突にアメコミの切り抜きや洋画のワンシーン、そして名画が脈絡もなく登場した。それが特に理由もなく現れるので、却って印象深くなる。
その中に「築地明石町」も出ていた。
それを見て明治末期生まれで太平洋洋画研究所で学んだ人だけあるなあと妙な感心をした。


首都圏にいると清方の絵は遠いものではなくなる。
20年ほど前に鎌倉の邸宅跡が清方記念美術館になって、四季折々の花に飾られた愛らしい空間となった。
なかなか鎌倉には行けないが、行くたびによいものを見て満足している。
また信州の水野美術館や北野美術館のチラシを見ると清方のいい作品が出ていることが多く、それを集めるのも楽しい。
もう美術館としての機能は失われてしまったが目黒雅叙園にも清方の名画がたんとあった。
それらは石見美術館に入ったものもあるが、全部かどうか。
ただ、建物空間として雅叙園は清方の間を持つくらいに清方の絵を保存活用している。
そういういみでやはり令和となった今も清方の絵は決して遠いものではないのだ。
とはいえ「明治は遠くなりにけり」どころの騒ぎではなく「昭和は遠くなりにけり」、あるいは20世紀末までの平成も遠いものになってしまったが。

ノスタルジックなことばかり書くのも、要は清方藝術といふものは戦後以降は明らかに明治回帰しているからで、リアルな昭和も働き盛りだった大正もほっといて、絵描きになる以前に暮らしていた明治の世相を形にすることを楽しんでいたことに由来する。
挿絵画家として出発した清方は名を成した後は元に帰るように卓上藝術を標榜し、手で開いて楽しむ作品を拵えるのに力を注いだ。
わたしなどはそうしたところに非常に惹かれるので、やっぱり日本画家では清方がいちばん好きだと思うのだ。

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清方描く「雨月物語」より「蛇性の婬」

清方描く「雨月物語」より「蛇性の婬」を2007年と2017年のアートコレクションで見た。
記録と記憶のために挙げる。
文はすべて2007年のこの記事から。
今回はいくつかの絵を差し替える。

清方の雨月物語。これは『蛇性の婬』を描いている。
雨月物語の中でもこの物語は特別好きな一本で、わたしも思い入れは深い。8シーンが出ているが元は絵巻なのを額装にしている。
1.雨宿り
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網元の末子・豊雄が雨宿りする軒に、少女を連れた佳人が来る。向こうに小舟があり、鵜が二羽ばかりいる。
美人画家というだけでなく、清方は優れた挿絵画家であったので、こうした物語絵には深い情趣が活きている。

2.まろや そのタイトルは化生の少女の名から。浅葱の着物を着たまろやが豊雄を迎えに来る図。
女の家を探して歩く豊雄の前にまろやが現れ彼を導くのだが、ぼろが出ないようにしている。
よくよくみればまろやの両目はおかしい。焦点があっていないのである。
豊雄はぼんやりした男なので、これ幸いとついてゆくばかり。キキョウが静かに咲いている。

3.ちぎりmir219-2.jpg

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いよいよ豊雄はこの家の女主人・真女児と結婚の約束をする。
嬉しい祝い事の場で、女は多少乱れを見せていて、それが艶かしく美しい。
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画面には紅葉があかあかと燃え繁り青い葉と見事なコントラストを見せている。庭には他に菊や萩も咲き乱れているが、床の間の太刀に意識を向けねばならない。この見事な太刀は亡夫の佩刀だと女は言い、それを豊雄に佩かせるのだが、これが後日の禍となる。

4.黄金の太刀
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石川淳の『新釈雨月物語』から抜き出すと、「金銀をちりばめた太刀の、あやしきまでに鍛えた古代のもの」が末弟の枕元にあるのを、長兄がいぶかしむ。
ここは異時同時図で、まず家内争議となる。網元としては由緒もあるが武家ではないので、この太刀が及ぼす禍を恐れているのだ。

5.もののけmir219-3.jpg

例の太刀は熊野権現から盗まれ、詮議中の物件だった。豊雄は事の次第を語るが、そんな女はいないと言われる。
皆で押し寄せると、あばら家の中に女が座している。絵はその情景である。
<モノ凄き>と言うべき情景。
女のじろりとする横目といい、口元といい、全く動じていない。
さすがはもののけである。

6.泊瀬 
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大和の泊瀬は長谷観音の門前である。平安以降賑わいでいる地に住む姉を頼った豊雄は、二月のある日その賑やかな雑踏で真女児とまろやに再会する。女たちの後には馬も通り、昼日中の明るい景色の中、男だけが青褪めている。遠くに長谷寺の長い長い回廊が見える。(この長谷寺は牡丹寺としてもたいへん有名で、今も多くの観光客・参詣人が来る)清方は一度だけ奈良に来ているが、こちらにまで足を伸ばしてはいない。

7.吉野 
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男は巧く丸め込まれ夫婦気取りである。そんなある日、一家揃って吉野に花見に出かけた。吉野行きを渋っていた真女児とまろやだが、仕方ない。
座る女たちの前に現れる老人を清方は描く。老人は二人の正体を喝破する。

8.蛇身
色の映りの違うものが二点あるのでどちらも挙げる。
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老人に「邪神」と見抜かれ、慌てて二人は激流に飛び込む。その荒々しい姿を清方は捉える。
女たちの着物が蛇、鱗、水流を暗示させる。恐ろしい形相をして、女たちは逃げてゆく。清方の中でも珍しい表情である。

・・・物語はこれ以後も続くのだが、絵はここで終わっている。
清方は随筆の中で、岩佐又兵衛の『浄瑠璃姫』『山中常磐』などを念頭に置きながら、その怪異味を出そうとしたことを記している。
幸いなことに随分前に手に入れていた集英社の画集の中に、数枚が掲載されていた。
とても嬉しい。

熱帯への旅 極彩色の楽園を求めて

松伯美術館で久しぶりに松篁さんの熱国系作品の展覧会が開催されている。
四季折々の花鳥画を描く松篁さんだが、特に夏と言うより熱国の花鳥画が素晴らしい。
ご本人の好む題材だからというのもあるだろう。
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松篁さんは17歳の時、石崎光瑤の「燦雨」「熱国妍春」を見て大いに惹かれ、憧れ、自分も描きたいと切望した。
印度印度とつぶやく息子を見てお母さんの松園さんが「そない行きたいのなら、石崎さんが今度印度へ行かれる時に一緒に連れて行ってもらえるように頼んだげるぇ」と言うてくれたそうだが、まだ17歳の信太郎少年は、長期間学校休むのもどうかと思い、石崎に迷惑かけるかもと思って悩むうちに機会を失った。
その「燦雨」は1919年、大正8年の製作で、時代的に日本人はまだインドに行けたが、当のインドはその年の三月に悪名高いローラット法が施行されてしまい、民衆に大いに抗議の声が上がり、帰国したガンジーが指導者としてその英国に対し声をあげ、四月には、第1次非暴力・不服従運動が開始された。
やっぱり行くのは無理だったのである。

時代は流れて戦後になり、熱国への憧れは活きたまま松篁さんは57歳になっていた。
その年に学校の同僚の仏教美術史研究の佐和隆研教授がインドへ行くというのをじかに聞いて「僕も連れて行って」と言った。
話は進んで、カメラマンの三木淳氏と三人のインドツアーが1959年12月から翌年3月まで続いた。

よかったなあ、と思った。
人間やはり望み・願い続けると歳月はかかるが大体は叶うように出来ている。
松篁さんは40年願って、ついに夢がかなったのである。
わたしもごく最近、43年目にして謎が解けたことがあり、とても嬉しかった。

さてそのツアーはインドだけではない。
香港、タイ、カンボジア、インドネシア、シンガポール、インド。
ああ、まるで高丘親王のようだ。

ところでわたしは松篁さんがインドへ行くきっかけを作った佐和と言う人を知らぬので、今回真面目に調べた。
すると著作の一つにこんなものがあった。
・インドの美術 社会思想社〈現代教養文庫〉1963
・仏像の流伝 インド・東南アジア編 法藏館 1971
・インドネシアの遺蹟と美術 日本放送出版協会 1973
なるほどなあ。

前書きが長いのは常なのであれですが、前回の熱国展覧会は2007年でしたわ。
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熱帯花鳥への憧れ
というわけでいよいよ絵を見ます。

樹蔭 1948 官展から去り、創造美術を立ち上げたときの第一回目の作品。
この時代の日本画は滅亡論は出るわ、なんだかんだと新しいものを目指さねばならなくなっていた。
とはいえ今の眼で見れば、この絵は少し後の松篁さんの世界観が既に生きている。
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蓮 1952 これも緑がいい。大きい蓮がさいているが、その茎がみずみずしい。
こういうのを見ると、万博公園で蓮の茎にお酒を通す「象鼻杯」に使えるなと思いもする。

水辺 1954 紫の睡蓮に使われた胡粉がきらきら。
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この絵ではないが、同じ水続きの「睡蓮」衆議院蔵を見るといつも湖水のラーンスロットを思い出すのだった。

㵎 1953 ああ、いかにもな時代感覚。グレーの大きな岩がカクカクしているのもその時代の表現だと思う。
加山又造さんもシャープを通り越して鋭角なものを描いていたが、やがて変わっていった。
松篁さんもやがて変わる。その直前。
岩と小鳥のいる空間。

水辺 1954 紫の睡蓮が咲いている。胡粉がキラキラして綺麗。

草原八月 1956 これは特に好きな作品の一つ。シダが豊かに茂り、地には白い可愛い花がちらばり、上にその様子をのぞくオニユリがある。なごやかなよい世界。
松篁さんによると、熊の湯付近の草原で見た景色らしい。シダの一群。そしてギボシの次に咲いたのがこの白いウメバチソウ。なるほど梅鉢だなあ。実はこの絵、意外な位に大きい。
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これが梅鉢イメージ (3441)


熱帯花鳥 1963 トーチジンジャーの赤い花と極楽鳥と。ハワイに実地調査・現物スケッチ出来たからこその作品群。極楽鳥もぐるりと半円回って蜜を吸っているのか。
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今回松篁さんの言葉がいくもつ紹介されていて、それで新たな知見を得たり、感銘を受けたりした。

ハイビスカスとカーディナル 1964 ピンクの花が一羽の小鳥に一斉に顔を向けている。
何かしら意思の疎通が花鳥間にあるのかもしれない。
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松篁さんと熱帯については前述のように石崎の絵に憧れて、インドインドインド…と熱に浮かれていたのだが、夢が果たせたのは40年後だった。脂の乗った時期に、絵を描く時間も、経済も安定しているときのこのツアーは良かったと思う。
大量に描いた素描を見ていて、間違いないと思った。

鳥 1966  どう見てもキジなのだが、「シマハッカン」という鳥で、これまた今回初めて知ったエピソードがある。
前回の図録にはない話。
ポーズはアタマを地につけ、後方を上げている。よくある鳥のポーズなんだが、それを松篁さんはトキメキの描写でキメる。
この鳥はタイで見たそうでええなあええなあと思いながら帰宅してしばらくすると、平城の唳禽荘に住まう息子の淳之さんから電話があり、業者が間違えて頼んでたのと違うシマハッカンが来たが、買うとこか、あんた好きそうな鳥ですよ、とのこと。大喜びで会いに行ったらあのシマハッカンがおったのですね。その動きをフラメンコに喩え、わくわくしてはる松篁さんがほんまにええ感じです。

松篁さんは明治生まれの京都人だが、やっぱり関西人だけあって、他地域の人に比べて明らかにオノマトペが多い。
「ガーっと描いて、カッと」などという表現が出てくる。よぉわかるわ。←関西人の特性。

オリーブ インコがちんまりとくつろぐ絵。ごく普通のインコ。しかしインコと言うものも熱帯の町中で羽ばたいているのだ。
このインコ、昔の海部首相と頭の形が似ている。かれがインコに似ているのか。

松篁さんによると、デリーでインコ大集合をみたそうだ。
夕方になると集まるインコたちにその尻尾を突いたりしていたずらするカラスと言うのもいて、鳥好きの松篁さんは楽しんでいる。
ジャイプールではインドクジャクが遊ぶ様を観察している。
わたしはシンガポールのマーライオンの大きいのがいる島のバス停でインドクジャクが「グギャア」と鳴きながらトットットッとバス停の屋根を歩くのを見たことがある。
野良のインドクジャク。
60年前だともっとたくさん見たのでしょうなあ。

ところで文鳥についても松篁さんが面白いことを書いている。
わたしはてっきり漱石のイメージがあるからか、文鳥は東アジアの小鳥かと思っていたがそうでもないらしい。
ジャワ雀と言うそうな。原産地はインドネシア。ジャワ原産の小鳥。
雀だからやっぱり朝になると大集合して人になれて、雀風に暮らしている文鳥。

燦雨 1972  これぞ少年の頃の憧れが結集し、形になったもの。リスペクトからのカバーというだけでなく、換骨奪胎し、本当に自分の血肉でもって描いている。
わたしもこの絵は本当に好き。

孔雀たちの素描がとにかくすごい。一枚の紙にずらずらと孔雀の表情や羽模様などを細かく描き分けている。
それは他の小鳥たちを描いたものもそうで、等間隔に小鳥たちが描きこまれた画帳をみていると、むしろこの素描をエコバッグにしてほしいと思うほどだった。

鳳凰木 1973  ハワイへ行った成果がここにある。
この絵とその制作の為のエピソードを読んでて、初めてわたしもハワイに行きたいと思った。
リゾートに関心がなくても熱帯植物が好きならハワイに行っても楽しめそう。

ハワイで描こうとしたものが描けなかった松篁さんは一旦三脚やなんだかんだと制作道具をホテルに預け「来年又来るわ」と帰国したが、翌年は行けず、その翌年も行けず、やっと再訪したら9年経っていて、ホテルはジャングルの中に埋没していたそうだ。
ああ、ただ毀れるとか閉店とか廃墟と言うのでなくに、ジャングルに埋もれるというのが凄い。
もしかするとハワイの植物や鳥たちのうちいくばくかは、形にならなかった松篁さんの紙の上から出てきたものも含まれているのかもしれない。


今回の松園さんの作品は主に唐美人、楚蓮香の絵が多かった。ほかに和の美では蛍を見る美人や、宮川長春の浮世絵から学んだ柳の下の床几に座り涼む江戸時代の美人などなど。
そして縮図帳にはその当時のリアルな中国女性の絵があった。
ズボンにシャツの女。ちょっとばかり山岸凉子の描く女に似ている。
他に梅化粧の始まりとか唐輪髷などなど。

淳之さんは霰天神山の綴織の原画。ぐるぐるの鳥が面白い。

8/28まで。

いいものをたくさん見たなあ。

2022.7月の東京ハイカイ録

久しぶりに東京へ出向いた。
本来の目的はイベントでビッグサイト、その後にゆりかもめで汐留美術館、更に恵比寿のギャラリーに行った後、ホテルで着替えて、ちょっと小綺麗なカッコをして歌舞伎座のよいお席でクシャナ殿下を見る、これだったのよね。
そして翌朝には小栗判官をみて、その後に弥生美術館で村上もとか展、大満足の末に大阪へ帰る。

ところがこれがコケた。むろんコロナのせいで。
歌舞伎座が全面的に休演になってもた。
ガーーーーーーーーーン…その前日にな。
しかし東京へ行くのは確定しているので変えることはない。
隣家の叔母に猫のご飯を頼んで六時に出発。
東京駅に着いたのが九時少しだがバスに乗り損ねたようで、次発は十時・
十時まで待てるかそんなもん。
もしかすると土曜のイベントだからバスも少ないのかもしれない。

新橋まで出てゆりかもめでビッグサイトへ。すると乗った車両が何故か空いていて座れた。
「ああ、皆さんもっと早く出ているのね」
そう思ったが、実はそうではなく、どんどん混んできたので座れたのは偶然のラッキーだったのだ。
待機列のことを考え暑さ対策をしてきたが、そこまで気を遣うことはなかった。
東5へ早々と誘導されたではないか。
尤もわたしの目的場所は東2なので横断してそちらへ向かう。

まあお仲間との楽しい交流がございまして、お財布は軽く荷物は重くで昼頃に撤退。
疲れてたので場内の「源ちゃん」で食べたが、ここのはやはりだめだな。
新橋店で食べたらよかった。同じメニューの筈だけど、落差が激しい。

さてゆりかもめに乗りましたが、ここでわたしはミスった。
新橋まで出たらよかったのよ。そっちの方が道に自信あるのに汐留で下車してしまい、小一時間うろうろ。
しかも同じ場所をうろうろ。リングワンダリング。
これはいかんとあえて道を大胆に踏み外すと、たちまちはっきりと目的地への道が開いた。

予約していた14時の部でキース・ヴァン・ドンゲン展を見る。
これが実によかった。
「いつか開催してほしいな」と思っていた展覧会だが、非常に良かった。
44年ぶりの開催らしいが、前回は当然知らない。ただ、天牛書店でその図録だけは購入していた。
でもやっぱり満足はしない[出来ない」のよねえ。
だから今回の展示の良さと図録の良さには本当に喜んだ。
くわしくはまたいずれ。←書けよな。

そこから恵比寿に出てギャラリーを目指すものの恵比寿駅の構造を理解していなかったが為に、大変な流浪・徘徊の悲運を負う。…まあなんとかなりましたが、ほんまにこれは時間と体力を削ってしまった。
なんしか今のわたしは左腰と首の関節がダメダメで足を引きずって歩いているのだ。
それでもやっとついたが、そんなんだからだめだめで、何も話も出来なかった。
中井英夫、建石修志、村上芳正…
好きなのは心の中で叫ぼう。

それから東京駅に戻りいつものロッカーから荷物を取りだし、メトロリンクに乗ってホテルへ向かった。
以前と違い送迎バスが送りバスになったので、自力で宿に行かねばならない。
ところでこの日は土用の丑、つまりうなぎの受難日であり、絶滅危惧種への申し訳なさはあるものの、東京駅で駅弁屋さんを見たら、丁度二切だけウナギののってるのがあり、それを購入。
やっぱり土用の丑の日にはついつい…

メトロリンクで宿に向かい、シャワーしてようやっとちょっとマシになってから駅弁をばよばれましたわ。
それからいつもの時間ではありえない早い時間からベッドに転がって、読書にいそしむ。
あとは寝落ちと目覚めと、足をはじめあちこちの痛みに衝かれながら時間が流れていきました。
初日はここまで。

朝、コロナ世になって以来ホテルの朝食が妙なお弁当になってたのが、一転元のバイキングに。
ただしここで食べるか部屋に持ち込むかは選択制に。
誰もいないのでここで食べた。
朝は東京駅へのバスが出るのでそれに乗ることに。

ホテル周辺もちょっと来なかったら随分変わってしまっていた。
色々と残念なこともあれば、良かったと思うこともある。
もっとじっくり街歩きをしたいが、今のわたしの足と眼では無理。
なんとかリハビリの効果が出てほしいものです。

とりあえず北浦和に出た。
美青年の絵を見て以来の埼玉。
今回は田中保展。この人の展覧会をこれまで二度ばかり行き損ねているので、これも待ち望んでいたのよ。ありがたや。
しかも一部除いて撮影可能。これまたありがたいことです。
シアトルからパリへ出た田中保。思想・哲学の同志たる美術評論家の女性と結婚し、そちらは幸せだったろうけど、どこでも疎外感がある。
薔薇色の裸婦たちの美。1924年の豊饒。宮家買い上げの栄誉。しかし画家仲間たちからは完全に阻害されている。
これは本人にも問題もあるだろうけど、その在外日本人画家の人々にも問題があるのではないか。
とはいえ忘れられた画家としてまた少しずつ研究が始まったばかりなので、何とも言えない。
ただ、裸婦とネコはとてもよかった。

駅前のブーランジェリーの二階がレストランなので行ってみたらパンの食べ放題とは知らなかった。
とはいえちょっとどうなのかなという客種で、コロナのことをこの人々は何とも思っていないのだろうかとか、色々考えた。
パンはわるくないのだけど、あまりに騒々し過ぎて疲れてしまった。

王子から東大前へ。
弥生美術館では村上もとか原画展。
子どもの頃に「赤いペガサス」と出会って以来のファンです。
ドラマ化されて大ヒットした「仁」も、アニメ化されて大人気の「六三四の剣」もよろしいですが、やはりわたしは「龍 RON」が最愛。こちらも撮影可能なのだが、田中で撮りすぎてちょっと電池がヤバイでござる。
近年のマンガ原画展は撮影可能なのが多くて、それはそれでとても幸せな気分になる。
今回の展示には作者の解説があり、「赤いペガサス」ラストで気になっていたことが実に43年目にして回答を得て、長年の謎が昇華された。とても嬉しい。
この展覧会は前後期でカラー原画が入れ替えなので、後期も行く。
弥生美術館で同じ展示の前後期に通うのは、山岸凉子展以来。

さてこの後本当はもう一つ別な展覧会に行きたかったが、とりあえず歌舞伎座にチケット払い戻しにと出向いたが、23,24日分は28日以降だと言われて、これはもう封書でやり取りするしかなくなってしまった。
電車賃も切手代もかかるわけですよ。
コロナめ…

おかしのまちおかでモルカーのお菓子をみつけた。よかった。
モルカー、もっともっと一般化してほしいな。

新幹線、ぎゅうづめ。その前に昼のパンでおなかも減ってないので助六だけ買う。
隣席二人が高校生クイズに出たぽいな。
疲れてたのと混み過ぎてるので起きてるのはやめた方がいいと思い、ハンカチで半分顔を覆いながら寝る。

またいつ東京へ行けるかよくわからんが、それでも行きたいところは無限にある。
前のようにむちゃくちゃな歩き方はもう無理だが、それでも行ける限りは行く。
コロナが早く終息してほしいが、もしかすると2020年代はそれに覆われるかもしれない…
そうはなりませんように。

サロン!雅と俗-京の大家と知られざる大坂画壇  その3

以前に比べて本当に更新の頻度が遅い。
ブログは好きなんだが、何故か書けない。
それでとっくに終わってしまった展覧会の感想を、それも三分割にした最後の章をようよう書いているのだ。
だが、時間の流れがあまりに早いということは、「かつてあったもの」を思い出すことが出来なくさせる力を持っているので、わたしの書いたようなものですら、記録としてある程度の需要が出ているのだ。
なんという世界になったのだろうか。

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3.町人たちのアートワールド 大坂画壇の可能性
関大図書館(関大LIBとわたしは表記)、大阪歴博、大英博物館と個人コレクション作品が主体だったところへ今度は大商大博物館からも作品が来た。
ここの学芸員になられた明尾さんは大商大でいつも素敵な展覧会を企画されている。
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大岡春卜と吉村周山 龍虎図屏風 いやどう見ても虎猫ですがな。「かいらしわあ」と声が出たわ。

耳鳥斎の作品がいくつも並ぶのはいいね。
関羽、忠臣蔵の天河屋義平、仁王などなど。みんな可愛い。
大英博物館に入ってる忠臣蔵図巻からは道行の花嫁とか八段目など。
あと例の「別世界巻」は鬼と亡者の地獄シリーズだけど、歌舞伎役者が大根喰わされてたり。
あと初見で、染付のお皿の絵付けもあった。飲中八仙図八角皿。やはり戯画が楽しい。
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墨江武禅 明州図 大阪歴博 これは所蔵品展でも見てないので初見なんだが、なんというか、不気味な街なんよね。この街が不気味なのか描いたのが武禅だからなのか。
そやそや、この人を知ったのは2015年の「唐画もん 武禅に閬苑、若冲も 」展からだな。
当時の感想はこちら

福原五岳 酔李白図 関大LIB 酔っぱらいの詩人に笑う美人。
わたしは飲まない人なのであまり考えたこともなかったが、この頃の中国の酒とはどんなんなんですかね。
西域からは葡萄酒も来てたしね。例の「葡萄美酒夜光盃…」からわかるように。

鼎春嶽 漁楽画帖(江湖臥遊) 関大LIB 働く坊やたちのシーンを見た。

林閬苑 金谷園図  濃いなあ。当たり前か。「唐絵師」を名乗り濃い絵を描いてた人だものなあ。

森蘭斎 西王母図 関大東西学研究所  こういう組織もあるのね。ちょっと疲れているように見える西王母。もしかすると、弼馬温から斉天大聖になったあの野郎が桃を食べつくした後の様子かもしれない。

忍頂寺静村 児童玩具図 関大LIB  金時になってから山に錦を飾ってクマや猿やウサギにドヤ顔見せてた絵を描いた人です。玩具図は可愛いし川崎巨泉のそれとはまたちょっと違うが、やはりよいなあと。
ところでこのペンネーム、わたしはてっきり茨木市の忍頂寺出身なんかと思っていたが、さにあらず淡路島らしい。
それについては国文学研究資料館のサイトで、「忍頂寺文庫」「小野文庫」の方々が淡路島に調査に訪れた報告書があり、pdfで挙げられているので、ご参考まで。

猿が出てきたと思ったら、森派の登場。箕面も最近行ってないので猿の動向は知らん。
猿の祖先ならぬ狙仙の「雨中桜五匹猿図」が、兵庫県美所蔵の頴川コレクションということになっているのを見て、改めてもうあま甲東園の小さな美術館はないんだなあと淋しくなった。
あの小さい美術館で色んな作品を見たものなあ。
この絵は切手にもなってなかったかな。可愛いよね。

さて同じ森派でもこちらは「儲かる一方」の森一鳳。
赤鬼青鬼図 関大LIB おやおや坊主頭の鬼どもかい。ちょっとばかり武井武雄の作品を思い出したわ。
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なんとなくロックな感じもあるね。

雨中藻刈舟之図 大阪歴博 これぞ「藻を刈る一鳳」=もおかるいっぽう。
吉兆画になりました。

森二鳳 稲荷狐図 関大LIB ずらーっと赤衣の狐たち。伏見稲荷のお狐さんかな。

長山孔寅・賛:篠崎小竹 麻姑図 中国の仙女ですね。その美人さんと鹿がいる。

鎌田巌松 三疋子犬図 関大LIB わんこども可愛い。

上田公長 奥の細道図襖 1848 関大LIB これは字面も蕪村風なので写したのかな。
そういえば五作目の蕪村の奥の細道が認定されて、京博で展示だな。

西山芳園 四季耕田稼穡図 1839 頴川コレクション  これも美術館の時には見てない気がする。わんこだっこの坊やがいる。
穡の字は「穫り入れる」の意味だそう。今漢字辞典で調べた。
禾へんに吝嗇の嗇の字だけに、この字にもケチの意味が含まれているようだな。
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7/2の夕刊にあったので採りいれた。

西山芳園 虫行列之図 大英博物館  こういう絵を集めているところが大英博物館で素晴らしいなあと思うのですよ。

西山完瑛 浪華風俗絵巻 大英博物館  ほのぼのする。やっぱり都市の楽しみとかそんなのが好きだわ。
浪華名所画帖 泉屋博古館 こちらは見てるかなあ?まあやっぱり昔の浪花の風情はいいものですよ。

佐藤魚大 閻魔王之図 …ちょっと目つきやらしいな。

佐藤保大 浪華下村店繁盛之図 これは江戸時代の大丸だ。大丸は1726年から心斎橋で商売してる。

佐藤魚大 大坂風俗画集 魚屋さんとかタコが目立ったりとか。

上田耕沖 箕面山真景図 逸翁美術館  あーこれは秋の綺麗な時期の箕面。真っ赤。紅葉ええなあ。

須磨対水 菖蒲図屏風 関大LIB この須磨対水などは絵描きとしての腕がええのに、中央画壇に向かうことなく、地元で機嫌よう暮らしながら、たのまれたのを描くというスタイルで通した。そしてそれで食っていけたのだ。
池田市立歴史民俗資料館で91年に回顧展があって本が出ているが、大阪ではこういう系統の人が案外多かった。
結果としてそれが世に問うほどの「大坂画壇」なるものを構成しないことになったわけですがな。
かれは呉春が池田にいてたから、と言う理由で池田に住まった。そして料亭「吉兆」の名付け親でもある。

庭山耕園 猟犬図 1929 賢そうな犬。かっこいいわ。

庭山耕園らの競作による淀川両岸帖 1940 この年の日本は本当に軍部暴走で庶民も浮かれてしまって、案外楽しい気分になってたらしいが、カラ元気と言うかなんというか、奇妙な楽しさまで実は流れてたのが、やっぱり今から思えば寒いよなあ。
この頃の淀川はなかなかきれいだったそうで、渡しも色々あった。
絵を見ながら物思いにふける。

最後に近代日本画、近代日本洋画のいいのが集まっていた。

菅楯彦 高津宮 1930 絵馬堂の下に集う人々。楽しそうな雰囲気がとてもいい。
高津宮は今もお祭りを工夫して集客もよいそうだけど、コロナ終結の頃にはわたしも行きたいと思う。

生田花朝 四天王寺精霊会図 1927 大阪城天守閣  円の中に綺麗に装った精霊会の人々が詰め込まれている。この絵も好きな絵で、師匠の菅楯彦のもあるがどちらも好き。
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島成園 人形遣い 1917 一人遣いのもの。
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北野恒富 鷺娘が二点あった。福富コレクションのと所蔵名ナシのと。
恒富は鷺娘が好きだったようで他にも見ているが、やはりよいな。
白い情炎とでもいうか、抑制が効いているが、やはり鷺娘らしい静かな地獄がある。

北野恒富 日照雨 1911 一つの傘に二人の女。綺麗だな。
ところでATOKしばいたろかな、この字はな「そばえ」と読むねん、それくらい一発で出ろ。

北野恒富 蓮池(朝) 1927 耕三寺博物館  嬉しいなー。この絵が来てた。しかも予定では後期には出ない筈が出てくれてた。いやいや、ありがたや。
やはり蓮池に蓮舟の女二人と言うのはよろしいものです。 
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上島鳳山 西施図 明治から大正  さすがに美人。柳に川に背景もよい。
泉屋博古館が鳳山のよいのをたくさん持っているが、これはまた別物。やはり唐美人よいな。
(くどいようだけど、時代は唐ではないけど、中国の美人は大体唐美人という代表的な言い方で通してます)

中村貞以 朝 1932 京都近美  朝顔がいっぱい咲いている。髪を上げたりと涼やかな風情がある。

小出楢重 Nara wo Sanpo Suru Seiyojin 1919 百年前の奈良を観光する西洋人。
小出楢重は若い頃に奈良の木辻遊郭の近くに下宿していたことがある。その時のキョーフ体験を読んだことがあるが、爆笑してしまった。
彼にとって奈良とは青春の地でもあり、ひぇぇぇぇな場所であり、そしてなんとなくやっぱり好きな土地なんだと思う。
小出もわざわざパリへ絵画修行に出て行ったのだが、本人は早よ日本へ帰りたいという気持ちが強かったようで、別に影響なんか受けてない、みたいなことを言うていたが、絵がよくなったのはやっぱり帰国後なので、本人は認めたくなくてもいいものを内に育てたと思う。
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三期に展示替えのあった展覧会に閉幕寸前に行ってるわけだから、見損ねたものもとても多いが、かなり興味深い内容の展示で、本当に面白かった。
図録は凶器かと思う厚さで、今回はちょっとパスしたが、いい内容だった。
これまで本当にごく一部でしか大阪の絵を紹介する展覧会はなかったが、これが嚆矢となって研究も進み、どんどん展覧会があればと思う。

随分書き上げるのに手間がかかったが、この展覧会の感想もここまで。
読まれた方、お疲れさまでした。
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