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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

神宮徴古館・神宮農業館へ

お伊勢さんへ向かった。
タイトル通り神宮徴古館、神宮農業館へ向かうのが主目的である。
そして宇治山田駅の見学もまた。

普通大阪から宇治山田へ向かうには近鉄特急の素敵なのに乗ってゆくべきなのだが、予約がとりにくいと聞いた。
折角特急を予約したとしても万一乗り損ねたら取り返しがつかない。
それに平日の朝ラッシュに慣れていないし、出かける当日がゴミの出す日でもあったので、急行で行くことにした。
今回の電車の乗り方については仲間内のN女が様々なルートを調べてくれて、それにわたしものっかった。
たくさん挙げてくれたうちのどれを選択するかはわたしに委ねられている。
鶴橋から乗り換えなしを選んだのは楽そうだと思ったからだが、それも時間帯によることを後から思い知らされた。

ところで最近行き慣れたところ以外はコースを考えたり最短ルートを選んだりすることが出来なくなっている。
わたしの脳の衰退もあるし、多忙と疲労がものを考えることをやめさせるようだった。

金曜のラッシュタイムに阪急からJR環状線に乗り換えようという無謀なことを選択したのは、そういうわけなのだ。
まぁもう一つ言うと、わたしの通学・通勤はこれまで電車では阪急沿線のみであとはバスか自転車、これだけだった。
阪急から別な乗り物に乗り換えるということをしたことが一度もなかったのだ。

まあなんというか、結果として「こんなに人がいたのか―」ということだ。
そして例によって例の如くJRは沿線の何処かの駅で事故がおこって数分の遅刻、足きり、などなどで乗るべき電車は並んでる間に行ってしまい、本当にぎりぎりにしかつけなくなってしまった。

乗った電車ではなぜか座れたのだが、これで鶴橋に着くのはいつやねんと調べたら、本当にぎりぎりではないか。
目の前が暗くなった来た。
しかしJRもがんばる。鶴橋に着いたのは予定より少しばかり早かった。
これは助かった。
乗り合わせたO女と共に伊勢へ迎えることになった。

ところでお気づきの方もあろうが、わたしはとにかく「山間部にポツンポツン集落」というのに恐怖に近い感情を懐いているくらい、田舎というものがニガテだ。
「八つ墓村」を思い出すのもあるかもしれないが、とにかくニガテ。なので一人でそういうところを行くのはほぼ不可能。
同行のO女は旦那の実家がこの沿線のさる高名な寺の近くで数年間そこに暮らしていたので、この辺りについてはたいへん詳しい。
互いに喋り捲りあいながらの乗車なので、なんとかわたしの神経も保ったのだ。
そうでなければ到底たどり着けそうになかった。

榊原温泉辺りだったか、巨大な仏像とかニケ像が見えてきた。ああ、まだあるのだなあ。
随分前の話だが、美杉の魚九とかいうところに友人と泊まりに行ったが、あまりに何もなさ過ぎてよく朝一番に帰阪してしまった。難波に着いたとき、心の底からほっとした。そして開店直後のカラオケに飛び込み、結局長時間にわたって歌ったということがある。もう本当にビルの立ち並ぶところへ戻ってきたときほど安堵したことはない。
ああ、苦しかった。

ようよう宇治山田に着いたのは10時53分。集合時間は11時なので丁度の時間。
そしてついて知ったことだが、肝心の宇治山田駅はまさかの工事中。

高崎市役所を見学に行った時以来のがちょーーーーんですがな。

ひゃー。それでネットで調べた限りなーーーんにも出てこなかった宇治山田駅だが、駅構内に食べ物屋もあるしすぐ近くにコンビニもあるではないか。ああもう、ひどいなあ。

それで雨も降ってるのであまりあちこち回る気力も失くしてしまった。
ふと窓を見ると…

工事中だからこその景色だな。


因みに中はこんな感じ。


惜しいよなあ。


それで27分のバスがあるということで外へ出たらすぐ近くの町家がなかなか面白い。

真珠の会社らしい。

あとこんな石碑も見た。

まあなあ。
東大阪もかつては布施が県だったそうだし。

ところで27分にバス停に戻ると誰もいてない。
ポケモンバスが来たのでとりあえず乗る。

メールをすると三人から連絡が来た。
24分に徴古館前に着く巡回バスに乗ったらしい。
こらーわたしを置き去りにすんなよー

わたしの乗ったバスは内宮へ向かうもので徴古館前下車したが、そこに倭姫社が。
少しばかり拝む。

皆さんと合流。
イメージ (2251)
外観のみ撮影可能。
内部はダメ。
外観の細かい撮影と中の展示については別項。

萩も咲きだしていたがミンミンゼミも盛大に鳴く日。
お隣の農業館へも。ここも面白かった。

本当は更に美術館へ行きたかったが諦めてバスに乗って駅へ戻る。
なにしろお昼御飯がまだなのだ。
駅ナカの海老専門店へ入る。

おいしかったわ。久しぶりに巨大エビフライの良さを堪能したよ。

後はお土産を買い、もう主婦は帰る時間だということで京都へ帰る人とは別にわれわれは急行で一路大阪へ戻る。
車内でおねんねしたりしゃべったりしつつ、桜井まで来たとき、心底ほっとした。やっぱりビルはいいなあ。
結局帰宅したのは19時前。遠いわ…

かなり疲れてしまった…
やはりお伊勢さんにはせめて一泊で行きたいな。
またいずれ。

地図
イメージ (2254)

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高畑勲展に行って その1

高畑勲展を見に行ったのは夜間開館日。
そうでないと絶対時間切れになる。
この判断は正しかった。
十分長居出来た、たくさん見た。だがそれでも時間が足りないくらいだった。

はじめに竹林の中に佇むような感覚を味わわせてくれる演出があった。
竹林と言えば最後の監督作品「かぐや姫の物語」である。
全ては竹林から始まったのだ。
そして少しばかり「かぐや姫の物語」の映像がある。

進むと、資料の森になっていた。迷路というか腐海というか、高畑さんのニューロンの一端を見てしまうような情景が広がっている。
もっとはっきりいうと、ヒトの脳髄の切れ端を形象化した展示だと言っていい。
凄まじい資料の大海が広がっているのだ。
複製品ではあるが、なんという凄まじさか。

中でわたしの興味を引いたのがユーリ・ノルシュテインから来たハリネズミのイラスト入りのもの、ナウシカについてのなにか、そしてドラえもんの企画書である。
このドラえもんの企画書は自身の仕事のためのものではなく、同業者からの依頼で、藤子不二雄にドラえもんの再度のアニメ化を許可してもらうための企画書だった。
今のように国民的作品になる以前のドラえもんのアニメをわたしは歌だけ一部覚えている。しかし作品自体は思い出せない。
だがその後のドラえもんは知らぬものとてない作品となった。
少しばかり中身を見たが、それはドラえもんという作品そのものへの深いオマージュであり、その作品の本質を衝いた優れた論文でもあった。
これをおくられた藤子不二雄は感銘を受けたのではなかろうか。
そんな風に思う。
変なたとえかもしれないが、「出師の表」を少しばかり思い出した。

初期の仕事の紹介コーナーへ。
文字資料だけでなく画像などもある。
・1stルパン三世の23話絵コンテ

・高畑さんの道を決めたと言われる「やぶにらみの暴君」の凄い映像  巨大な階段を飛ぶように逃げてゆく若い恋人たち、その階段を物凄い角度で描く。膝が砕けそうな階段。
・やぶにらみの暴君 ポスター

・王と鳥 ラストシーンのスチール 作品の概要などが記されている。「未来少年コナン」を少しばかり想起させる人間関係がある。

・安寿と厨子王 弟厨子王を逃がした後の安寿の入水シーンが幻想的な表現で描かれる。
美しく哀しい情景。水に沈む安寿の後に白鳥が飛び立つ。
白鳥は別にスワンである必要性はなく、鸛でも鶴でもよく、「大きな白い鳥」であることのみが注目される。
ヤマトタケルの昔から死んだ人間の魂が白い鳥となって飛び立つ、という幻影を日本人は見ている。

・ミニこけし イヌ、クマなどのフィギュアでもある。

・かぐや姫の企画ノート 「思考のプロセス」と題された、途轍もなく優秀な知能の人が記したノートである。
ここでは「かぐや姫の不在」も可能だとある。「拒絶と美しさ」という言葉が記されている。
わたしはこの「かぐや姫の不在」を日本古来の「留守文様」と捉えたが、高畑さんの真意までは到底掴めそうにない。

少し戻り年譜やスナップショットなどを改めて眺める。モノクロの写真と作品ポスターなどもある。
優秀かつ狂的な情熱・執意を懐く人間がいかにして作品を生み出してゆくか、その一端を見る。
全容を見ることは許されそうにない。

・わんぱく王子の大蛇退治 埴輪の馬か可愛い。

・狼少年ケン  モノクロ映像が流れる。街頭TVをみるゴリラたち。彼らはどうやら主人公ケンの敵勢らしい。
スラップスティック的な流れ。

そしていよいよ。
太陽の王子ホルスの大冒険
スタッフとの共闘の様子がリアルに感じられる。凄く濃密。
テンションチャート表とかいいな。こんなグラフ拵えてたのだなあ。
物語というものは基本「起承転結」か「序破急」で構成を考えるものだけど、何分目でこの盛り上がりとか静かな状況とか細かく設定する緻密さがいい。
ホルスの声優陣は俳優座の人々の出演が主か。あっ若き津坂匡章の名もある。
わたしの大好きな俳優さん、今の秋野太作。
他にも三島雅夫もいる。これまたアクの強い。
そして悪魔の役は平幹二朗。舞台役者として最高だと今も思う。
ヒルダは市原悦子。まさにこの人こそ千の声を持つ人。
他にも声優として親しみのある堀絢子、小原乃梨子といった人々が出演。
素晴らしいラインナップ。
スタッフも無論一流の面々。大塚さん、宮崎駿といった名を見るだけで胸が高鳴る。
本当に凄い作品だったのだなあ。

絵コンテの素晴らしさ、イメージボードの魅力、そして実際の映像。
ホルスはなかなか武闘派なのだね。斧の使い方が怖い。
「収穫の唄」のシーン、川の恵みに喜ぶ村人の様子とその混声合唱が非常に魅力的。
実にいい合唱。村人のハレの様子を掴んでいる。
スコアもすごいな。
「収穫の唄」の歌詞が少しばかり出ていた。
のぼれのぼれヤーヤーヤー
いそげいそげラーラーラー
当時はもう「歌声喫茶」の終焉期だが、丁度田舎から東京大学へ進学した高畑さんはその始まりの時代にいたわけだし、音楽に一家言持つような人でもあるし、更に労働運動とも密接なかかわりがあることを考えると、やはりこの混声合唱はこの作品に必須だったと思う。
更にこの作品への批判の一つにコミュニズムの影響が強すぎるというものを随分前に読んだことがある。
出典を出せないのは申し訳ないが、80年代にそうした記事を読んだということは、アニメ雑誌か映画雑誌かのどちらかの評論だと思う。
他に「婚礼の唄」もいい。

ヒルダのデザインの変遷、アニメーターたちの様々なヒルダがある。
奥山、小田部、森といった方々のヒルダ。
このあたりは丁度放送中の「なつぞら」にもこれをモチーフにした話があったようだ。
わたしは本当にホルスの大冒険を見ておらず、知ったのは和田慎二のマンガエッセイからだから、わたしの中でヒルダは和田さんの絵で再現されてしまう。

「ヒルダにホルスを溺れさせる」という表記がある。
ヒルダは15歳、ホルスは14歳というキャラ設定を改めて思い出す。
その心象風景、迷いの森の背景は東山魁夷の北欧の絵をモチーフにしたそうだ。納得である。
だが二人は生まれの違う双子のようでもある。

実はこのあたりの資料を見ていて思い出したのは、同じ東映動画で後年制作されたSFアニメ「惑星ロボ ダンガードA」でのあるエピソードである。
もうその頃には高畑さんらは東映動画を去っていたし、「ダンガードA」は芹川有吾と荒木伸吾と姫野美智の仕事だが、「異星人ノエルの微笑み」の話がこのあたりの影響をうけているようにもおもわれる。

善の心で子供を助けるヒルダに襲い掛かる冬の狼たち…
このシーンを和田さんのマンガで見ている。
とても正確な作画だということを知る。

太陽の剣を持ったホルスの凶悪なまでの強い顔がいい。
ここまでの力の発現を見せてくれるのか。
なるほど素晴らしい作品なのを深く納得する。

ああ、森康二さんの描いたヒルダの横顔の絵がとても素敵だ。

ところでこちらはもう終了したが、先日京都で上映されたチラシ。
イメージ (2134)
行きたかったが、無理だった。残念。


続く。

展覧会の感想を書く前にとりあえずまとめておこう

多くの人が心の中に大好きなアニメ作品を持っていると思う。
別にヲタでなくともマニアでなくとも、好きなアニメ作品に寄せる想いは変わらない。

高畑勲の回顧展が東京国立近代美術館で開催されている。
展覧会にいってみて、自分の幼少期にみた「名作アニメ」の殆どに高畑さんが関わっていることを改めて知った。

近年再びTVアニメを見るようになった。
しかしそれはオリジナル作品でなくマンガを原作にした作品だった。
長くアニメを観なくなった。
理由は色々あるが、大きな理由の一つに「少年少女が主人公の恋愛もの」に全く関心がない、ということがある。
年が離れすぎて学校物に関心を持てなくなったというのもある。
元々学校物はスポーツもの以外きらい、恋愛も…そう、BLは好きだが、少年と少女のラブコメが嫌で仕方ない。
今現在でいうと、マンガでも学校物は「バトルスタディーズ」「少女ファイト」以外読まない。
どちらも青年誌での連載。
特殊な性質なのかもしれないが、小さい頃からそうなので、これはもう矯正しようがない。する気もない。

だが、一方で子供の頃に見たアニメの再放送を喜んで見ている。
サンテレビ、京都テレビなどで放送する昭和のアニメを令和の大人になったわたしが見て、やはりいいなあと思う。
たとえば今は「フランダースの犬」の再放送があり、名作だと思いつつ、70年代に子供であることは名作アニメをよい時間帯に享受できたのだ、と気づく。
そしてそれらの作品群のうち高畑さんの演出した作品がかなりあることに気付く。
他方、高畑さんの劇場用作品は「じゃりン子チエ」を見たのが最初だ。
「太陽の王子ホルスの大冒険」は実はいまだに見たことがない。
残念な話である。それは何故かと言うと -----

…どうも基本的に好きなマンガやアニメの展覧会になると、結局「自分の趣味語り」になるので、話が逸れに逸れる。
なので今回は先にここでうだうだと書いておこうと思う。

高畑さんの作品の一覧はwikiから引用する。
東映動画時代の演出助手作品から挙げてゆく。

1961 安寿と厨子王丸 演出助手  この作品、実はいまだに見ていない。あるのは知っていたが、わたしが子供の頃は何故かTV放映されなかったように思う。
大阪での話。佐久間良子が安寿の扮装をしているのをみた。一旦実際の人間にそのポーズを取らせてからの作画だったのか。
 
1963 わんぱく王子の大蛇退治 演出助手  この作品は実は一度見たくらい。随分前の川崎市民ミュージアムで見た限りかと思う。
馬が埴輪なのが可愛い。その時の図録の表紙になっていたと思う。

1968 太陽の王子 ホルスの大冒険 演出  歴史的には知っているが、実はいまだに見たことがないのだ。
これについては理由も色々あるが、リアルタイムの頃は知らないというのもあるし、春休み・夏休みなどで繰り返されたTV放映でもこの作品は出なかったのだ。
理由は知らない。
わたしがこのホルスを知ったのは和田慎二の作品やエッセイから。
それで他の展覧会でヒルダの唄を聴いたりしたくらいである。市原悦子の巧さはこんな昔から変わらない。
あのヒルダが善の心で子供を救う名シーンも和田さんの描いたものでしか知らなかった。
和田さんは高畑さん・宮崎さんの作品世界の大ファンなのだ。
後年、和田さんは宮崎さんのホームズの犬の工場の食中毒シーンを再現されていて、それにもウケたなあ。

この時代の東映動画の長編ものでおそらく大阪でTV放映されたのは「白蛇伝」「わんわん忠臣蔵」「どうぶつ宝島」「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」「西遊記」「アンデルセン物語」「サイボーグ009」「長靴を履いた猫」「少年猿飛佐助」「ちびっ子レミと名犬カピ」だと思う。少なくとも1970年代末まではそうだった。
毎日放送か朝日放送でのことだ。

「パンダコパンダ」を見たのは1982年頃かと思う。
ただ高校の友人が知っていたので、そこから知ってしばらくしてTVでみた。
パンダが終園(演)後、コートと帽子を身に着けて通勤電車に乗ってミミコちゃんの家に「ただいま」と帰るのにはびっくりしたし、とても嬉しかった。こういうラストは本当に嬉しい。
「こうだったらなあ」という思いを具現化してくれたからだ。

TV作品では「もーれつア太郎」「アパッチ野球軍」「ひみつのアッコちゃん」などに参加されたそうだ。
あまり覚えていないとはいえ、三本とも見ている。
中でも赤塚不二夫の「ア太郎」と「アッコちゃん」はやはり好きだったし、今でもキャラ達のイメージが鮮烈だ。
当時はどちらも原作を読んでいない。いや、いまだにどちらも未読か。
ただ、当時の女児としてわたしはアッコちゃんの魔法の鏡を持っていた。
例の「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、〇〇になーれ」「ラミパスラミパス、ルルルルルー」である。
小さかったわたしはこのミラーと仮面ライダーの変身ベルトとリカちゃん人形のシリーズがお宝だった。

「ア太郎」に出てきた「ココロの親分」「デコッ八」などが懐かしい。
実は従妹の一人がたいへんなおでこさんで、今もよく「デコッ八」呼ばわりをしている。
「アパッチ」はなんとなくOPだけ覚えているが、さすがに全容は思い出せない。

ところでわたしはルパン三世は1stルパンを圧倒的に愛している。
大隅監督、途中からの高畑・宮崎作品、どちらも好きだが、あえて言えば実は前半のルパンの冷徹さに惹かれている。
フランスのフィルム・ノワールのような雰囲気が好きだからだ。
とはいえ後半のイタリア喜劇風なのも好きで、どちらも併せてやはり1stルパンが最高だと思っている。

いよいよカルピス名作劇場へ。
「アルプスの少女ハイジ」 これはもう全話全てが好きで、リアルタイムに見ていた時から今に至るまでよくマネをするくらいだ。
つまり小学校で食パンに四角いチーズが出ると「わぁおじいさん、チーズだわ」、牛乳を飲んで一言「山羊のお乳ね!」
更に今もついついやってしまうのは、ベッドのシーツを交換する時、ちょっとだけとんでみて、ハイジの気分を味わっているのだった。
子どもの頃はただただハイジが好きでロッテンマイヤーさんを憎く思っていたが、大人になるにつれ考えが変わってきた。
デーテのやり方は今も許せんが、ロッテンマイヤー女史の教育はいかにもその当時のドイツ的な厳格さがあるが、底意地の悪さはないし、教育を受けないままでいればハイジはもしかすると後に酷い目に遭う可能性もあったと思えた。
つまり無知からの苦境を少なくともハイジは味わわずに済んだのである。
人間やはり『正しい教育」が何より大事だ。無知はいかん。

「母を訪ねて三千里」 これは今もカラオケでOPを歌うと、出てくる映像を見て涙ぐんでしまい、声が出なくなる。
それでこれは@roger_demarcoロヂャーさんと仰る方の挙げたツイートだが、ここで紹介させていただく。

この方は他にも興味深いツイートが多いです。

「赤毛のアン」 素晴らしいOPとEDが今も常に脳内再生され続けている。岸田衿子の作詞に三善晃の荘厳なまでの豪奢なピアノ曲。いつ聴いても深く震える。
山田栄子さんの声が正直ものすごくニガテで、いつもイライラするのだが、このアンの声は最初のイライラから、後の「大人になったアン」の変化の中で効果的に変化し、それがとても素晴らしいと思う。
このアンがあまりに素晴らしすぎて、原作よりもずっと好きになってしまった。

わたしは基本、原作至上主義なのだが、いくつかの映像作品では原作より好きだというものがある。
この「赤毛のアン」、出崎統監督「宝島」、実写では内田吐夢「飢餓海峡」、成瀬巳喜男「浮雲」である。
評価はこの先も変わらないと思う。

「じゃりン子チエ」 よくぞこの作品を作ってくださった。
わたしはTVシリーズをリアルタイムに見始め、あまりに面白いので放送が終わってから原作を買い始め、全巻そろえていった。
今も大体週1,2回はどこかの巻を任意に読んでいる。
原作もアニメも大好きな作品。そして原作を読むときは必ずTVアニメのキャラの声優さんたちの声が脳内に流れる。
同じ大阪府民とはいえ、チエちゃんらのいる辺りはわたしには少し遠い。
だからよけいチエちゃんに惹かれるのだと思う。

「火垂るの墓」 つらすぎて何も言えない。

「となりの山田君」 あれをよくアニメ化しようと思ったな、それもあの表現で、といつも驚くやらなんというか…
もともと大学の頃からいしいひさいちマンガは大好きだが、それがこの実験的な映像美の作品になるとはいまだに「なんでやねん」と思うのだ。

「かぐや姫の物語」 映画を見て、これはわたしのことか、と思った女性はおそらく無限にいる。何故こんなにもナマナマしくリアルにわたしたちの心がわかるのか。
隠したい何かを、知らしめたい何かを、高畑さんは露わにし世におくり出してしまった。
この感情についてはここだけでなく、やはり展覧会の感想本編に記したいと思う。
これはやはり展覧会の感想に描くべきことだと思う。


長々と記したが、そういうキモチですなあ。


山口蓬春展をみる

難波の高島屋に山口蓬春展の巡回展がきた。
待っていたので嬉しい。
イメージ (2227)

彼の絵は今だと葉山の神奈川近美の向かいの山のところに記念館があるので、そこへ行けば何らかの作品に出会えるようになったが、わたしが最初に蓬春の絵を見始めた頃はあまり機会がなかった。
かれの回顧展を最初に見たのは1992年の大丸心斎橋店での生誕百年記念展だったか。
それ以前には大きな展覧会は見ていない。
かれも参加した金鈴社の回顧展や歌舞伎座、山種美術館などでは見ているが、やはりこれだけのまとまった作品群と一度に会えるのはなかなかないので、嬉しい。

蓬春は小樽生まれで、今の東京藝大に入り、当初は洋画家を目指した。
洋画は新しいものだという意識が強い時代である。
それは北海道という新しい地に育った性質からだと本人は言ったが、その絵の本質を見定めた教授により日本画への転向を勧められた。

数点の洋画作品があるが、白馬会のわりに「小径」以外はなんというか関西の洋画に近い雰囲気があった。
1914年「路面電車」は小出楢重の本町を描いたのにも似ているし、1916年の「ニコライ堂」はシャイム・スーティンぽくもあった。
そのままでいれば後年のモダニスト蓬春は誕生しなかったろう。
わたしは今回の展示で初めてかれの油絵を見て、こんなことを思った。

イメージ (2228)

早い時期の日本画を見る。
虹 1919-20  縦長の絵で上部に虹がかかる。その真下の橋に二人の白川女がいる。頭上に花を集めた籠を載せ、紺色の着物なので白川女だろう。
彼女らの頭上の虹は向かって右側の寺の本堂と塔の辺りから始まっている。
この寺は山を背景にしている。何寺だろうか。この橋は賀茂大橋かとも思ったが、自信はない。

伊都久嶋 1923-24  厳島神社の回廊を背景に一頭の鹿がいるやまと絵である。回廊には釣り灯篭が並ぶ。
この頃は新興大和絵の松岡映丘に師事していたので優美なやまと絵を描いている。
1930年に新興大和絵から離れるまではその枠から離れることはなかった。

初夏の頃(佐保村の夏) 1924  温室のある庭を逍遥する幼い少女の蕩けそうな眼差しが印象的。
白い温室のそばにはねむの木が豊かに花を咲かせている。
そして鳥かごが吊り下げられ、少女はその籠の小鳥に目を向けているのがわかる。
白い衣服のおかっぱ少女。ちょっと生意気に綺麗なネックレスをつけているが、石が服に引っ掛かっている。
小鳥を見て蕩けそうな眼をしていると思ったが、もしかするとねむの木の甘くてよい匂いに惹かれてるのかもしれない。
イメージ (2220)
ところで今調べたら「佐保村」はこの描かれた前年に奈良市に入り、村としては廃止されたそうだ。
この年は他に「秋二題」を帝展に出している。そちらは薬師寺周辺の農家の風景である。

新興大和絵会のお題で描いたものもある。
「東都近郊十二景」のうち「木場」を描いている。
木材を保管する町の様子は江戸時代のそれとあまり変わりがない。
その町の一隅で吠える黒犬を描く。
関東大震災の後の絵なので、意図としては在りし日をしのんだか、復興を示したかのどちらかかもしれない。
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武陵桃源 1927  桃は満開ではない。風が吹いているのを感じる。大和絵だが、どこか南画風な味わいもある。

緑庭 1927  大きい絵で、奥の緑の表現が素晴らしい。緑と括ったが、様々な<みどり>で構成されている。
そして手前の御所車。静かな鳥の群れ。
新興大和絵の美。
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那智の滝 1929  荘厳な瀧。上から下への流れに沿って四季が描かれる。異時同時でもある。
この絵は大倉男爵主催の羅馬日本画展に出品されたそうだ。

春秋遊宴 1929  平安貴族の遊びを描く。春は龍頭鷁首、二隻がずれて浮かぶ池の様子を描く。秋は紅葉の賀で舞楽。

扇面流し 1930  奔流を背景に物語絵と植物絵の扇面が流れる。力強さを感じる。
「新興大和絵」の破格の絵だとも思う。

ふと思ったのだが、新興大和絵は結局は平安貴族の優美さをその当時の現代に蘇らせるような画題が主で、表現のみならずそういった形式・構成に蓬春はもともと無縁でもあるだけでなく、無関心だったのではなかろうか。
それでとうとう1930年に耐え切れなくなってやめたのではないのか。
…などと勝手なことを想う。

新しい団体に参加して、異なる表現で描く。
二曲一双の「夏雨秋晴」1935 は右の夏が墨絵で左の秋が着色だが、その墨絵が実によかった。湿気を感じた。

梅を描いた「如月」1937と「夜梅」1938はそれぞれ梅のある空間を描いている。梅の花をメインにしたのではなく、梅のある空間そのものを絵にする。前者は薄闇の中の白梅、後者は黒い梅に金の月、枝は付け立てで表現。

泰山木 1939  縦長の画面に満開の白い大きな花花。戦後の新しい表現を模索していた頃の作品にも通じるような感覚がある。

錦秋 1944  紅葉とセキレイのいる空間。この「間」の絶妙さ。

蓬春は戦時中南方へ行った。伊東深水はシンガポールなどにいったが、かれは台南に行って風俗・風景を描いた。
南嶋薄暮 1940  コブウシと煉瓦を土台にした白壁の民家とその中で編み物をする漢民族のチャイナドレスの若い女と、道を行くパイワン族の若い娘二人。
細部がいい。
イメージ (2221)
煉瓦を白く塗った壁面、窓の装飾、頭上の壺や瓜を入れた籠、家の庇に唐辛子を入れた皿。
この絵のモデルになった家やパイワン族の娘たちやコブウシのモノクロ写真がある。
貴重な記録写真でもある。

戦後になり、日本画不要論などという廃仏毀釈みたいなのが世に出て、多くの日本画家がその問題に直面した。
自分のスタイルを守る清方もいたが、「新しい日本画」を模索する画家たちも多くいた。
蓬春は新しいスタイル・表現を模索した。

緑陰 1950  歌舞伎座に掛かる名画の一つ。下方に花菖蒲、ノムラモミジ、青楓の空間をすっと飛ぶ青い鳥。
描かれたものたちは戦前の日本画の題材と変わらないが、やはり新しさを感じる表現。
これは松篁さんもそうで、以前からの素材を新しい時代に活かした。

夏の印象 1950  モダンムーブメントの旗手、と言ってもいい。
イメージ (2222)
朝顔の葉っぱの外線をペン画のように描くのはフランスの絵を参照にしたというが、とても鮮烈だ。
中でも中央の帽子。この構成がとても印象的。
好きな作品の一つ。

1953年にそれまで誰も見たこともない日本画を蓬春は発表する。
望郷
イメージ (2223)
ホッキョクグマと南極のペンギンの競演。ここにパンダがいればヒガアロハ「シロクマ・カフェ」になるか。
誰もこんな絵をみたこともない。

ところで今回ここに小下絵が二点ある。
イメージ (2218)
こちらは東山魁夷の旧所蔵品。チラシの絵である。
ペンギン三匹。

そして1955年にまたこの小下絵が描かれる。そちらは熊好きの六世中村歌右衛門に贈られた。
こちらの望郷にはペンギンは不在。

リアリズムを求める蓬春
まり藻と花 1955  ガラスカップの中のまりもが水と光の加減で実際より大きく見える様子を描く。
陰の部分も含めいかにもその時代性を感じさせる。

蓬春は花や植物を素敵なやきものとあわせた静物画も多く描いた。
小倉遊亀もそうだが、かれらの描く器がまたとても見事なのだ。

九谷焼に乗せた「枇杷」1956 この器はあの広田不孤斎からの借り物だという。
遼三彩鉢と果物 1956  これもいい鉢で白に緑に黄土色の遼三彩のよいところへ巨峰がのり、外に洋ナシがころん。
他にも素晴らしい器と果実・植物の取り合わせ絵が並ぶ。
染付、赤絵の描写の魅力。

ばら 1962  青花尊式瓶に白・ピンク・赤の三本をいけるのだが、どこかケルベロスのような…色自体は不透明な釉薬のようでそこが面白い。なにも「透明感」ばかりがよいわけではない。これはいえばバタークリームのようなものだ。
イメージ (2224)

瓶花 1961 白椿ばかりを集めているが中央の花の左側の花が薄くピンクをみせていて、その右隣の椿はピンクをは白で隠したような花。とてもいい。抑制が効いている。

「瓶花」というタイトルの絵は色々あり、ここに出ていないものだけでも、他にポピーに白の黒搔落、花菖蒲もそう、五色椿に青緑の瓶、桔梗と青花尊式瓶というのがある。探せばもっとあると思う。

陽に展く 1968  ひまわり、ひまわり、ひまわり。
こうした対象物が満員御礼のような絵もいい。

今回完全に初見でいちばん惹かれたのがこの絵。
夏影 1963
イメージ (2226)
蓬春の紫陽花も花菖蒲もよく見ているのだが、両者がこのように遭遇するのは初めて見た。匍匐前進してきたのがバッタリ遭遇といでもいうような状況で、とてもいい。

蓬春は1960年代以降は花鳥風月を描くようになった。色彩や構図が素晴らしくよく、見ていて飽きない。
やがて1970年には皇居の杉戸のために「楓」を描いた。
無論本ものは皇居に入っているのでここにあるのは下図。
そして同じ絵を記録の為にか記念の為にか残している。
これは以前にも山種美術館でみているが、やはり見事だった。

最後の作品「桃」1971 背景は彩色されているのに皿とその中の桃はそのまま。金泥の背景はグラデーションが素晴らしい。

蓬春へのオマージュとして魁夷と片岡球子の絵も出ていた。二人の蓬春へのリスペクトを記した文と共に。

こちらは画室の再現


最後に高島屋の所蔵する蓬春作品が紹介されていた。
高島屋史料館で見たことのある作品たちである。扇面、うちわの原画など。
いずれも明るい感覚の作品たち。

久しぶりに魅力的な日本画展をみれてよかった。
9/9まで。

神戸の暮らしをデザインする 小磯良平とグラフィックアート

小磯記念美術館で9/1まで小磯良平とグラフィックアートの展覧会が開催されている。
イメージ (2208)

小磯良平は生涯神戸っ子であることを自認し、神戸と阪神間とを愛した。
かれはモダンな神戸に育ち、神戸の魅力を発信する仕事にも参加した。

東京藝術大学に学び、後に長年教授として若い人たちを導いたが、小磯良平を東京人だと思う人は少ないと思う。
かれはあくまでも神戸のヒトであり、魂をそこにおいて生涯を過ごした。
そして1988年に甲南病院において天寿を全うした。

神戸という町のブランドイメージは「おしゃれ」であり「モダン」であることは、1920年代当時既に定まっていた。
開港された150年以前は平安末期に清盛が福原に都を置いたりしたものの、ほぼ何もない寒村でしかなかった。
それが鎖国していた幕府が開港を求められて大阪の川口を開いたら思いがけず浅すぎ、それで神戸港が開かれることになった。川口が居留地として生きたのは短い期間であったが、今も続く川口基督教会にその名残がある。
以前に教会を訪ねたときの様子はこちら

神戸はその時からオシャレでモダンな街になるべくしてなったのだ。
そしてそこに住まう者たちはそうあろうとし、努力を重ねた。

ところで京阪神と一口に言っても、それぞれ三都の性質は全く似通わない。
更に細分化されると三都どころか京都で洛中洛外丹後山城などに分かれ、大阪も摂河泉と言い条その内実は阪急王国の北摂、水の都と謳われた浪花の大阪市内、河内、泉州と異なる。
そして神戸を前面にした兵庫県はいわゆるヒョーゴスラヴィアとして五国に分かれている。
更に細かく言えば神戸と阪神間とはまた性格が異なるのだ。
これはその地に住まうものにしかわからない感覚なので、ここでは説明しない。
一つ言えることは、互いに深い断絶があり、それは郷土愛に基づくものなので、決して融和しない感情なのだ。

京阪神それぞれ大きな祭がある。
時代順にいうと9世紀からの祇園祭、10世紀からの天神祭、20世紀からの神戸まつりである。
街の歴史の浅い神戸は後発だけにやはりモダンで華やかなフェスティバルを目指した。
元々は1933年の第一回「みなとの祭」から始まっている。
この辺りの経緯についてはこのサイトによい説明があるので一部引用する。
「昭和8年(1933年)に第1回が開催された「みなとの祭」と、昭和42年(1967年)に神戸開港100年祭の一環として開催された「神戸カーニバル」のふたつのルーツを持つ。
ふたつの祭が発展する形で昭和46年(1971年)に市民参加型のまつりとしてスタートした。」

その第一回「みなとの祭り」のポスターを小磯良平が担当したのである。
小磯良平30歳の仕事である。
イメージ (2210)

祭で女王の役を与えられた女性の傍らに佇むシルクハットの男性、これは詩人・竹中郁だそうだ。
この絵は何度も見ていたが、竹中郁だとは今回まで知らなかった。
かれは小磯の「休息」でもモデルになったが、この時は高価なシルクハットをレンタルしていたので汚さないかとヒヤヒヤしていたそうだ。
イメージ (2200)
小磯良平は神戸二中で生涯の親友・モダニスト詩人・竹中郁と出会った。
この展覧会では小磯と竹中二人の折々の思い出語りがプレートで紹介されている。
当時の時代の空気がそこに漂い、モダンな時代を生きた若い芸術家たちの横顔がのぞく。

この時代の多くの画家は百貨店の販促ポスターや雑誌の表紙絵などにも麗筆をふるった。
別に本画だけが立派な芸術というのではない。
挿絵や童画の魅力が芸術に興味のない人の胸に長く生き続けることも多い。
今も人気の竹久夢二などはその代表格でもある。
一世風靡した彼の画風を慕う人も多くいた。
イメージ (2207)
一見したところ夢二の絵のようだが、今竹七郎の仕事である。

商業芸術の魅力というものを軽視してはならない。
商業芸術の使命とは何か。
一言でいえば「一目で心を掴む」ということだ。
多くの人がその絵を見てときめき、ある種の欲望を覚えさせる存在。
その感情を発露させる装置でもある商業芸術。
ポスターも挿絵も表紙絵も一目で心を掴まねばならない。
小磯良平はそうした商業芸術にも積極的に良い仕事を残していった。

こうした人々の興味を引くポスターには様々な情報が盛り込まれている。
第一回めのポスターには花火と港らしく船のシルエットもみえる。
以後のポスターも同じく華やかで、見る人の祭りへの期待を高める効果を含んだ作品だった。
花で飾られた乗り物も実際に祭に登場していたし、祭りの女王も美しい。

こちらは第二回のポスター。祭を楽しむ二人のモダンな女性を描く。
イメージ (2201)
ポスターと原画とその案とを見比べることも出来る。

1930年代のぎりぎり戦争の影響が出ない時代の娯楽、それは後の時代と完全な断絶を見せる。
「この時まで」は確かに魅力あるじだいだったのが、気づけば失われている。
恐ろしい時代なのだ。
(そして21世紀も20年経とうという今、この時代にとても似てきたという事実がある)

展示にはほかに同時代の神戸の風景写真がたくさん出ていた。
手塚治虫「アドルフに告ぐ」でも背景画の参考に使われた風景でもある。
イメージ (2216)
阪神大震災の為に随分多くの近代建築が失われたが、この1930年代の建物はどれもこれも魅力が深い。
現在も生き延びた建物を少しばかり紹介する。
神港ビルヂング
またこちらは神戸の古写真を集めたサイトである。
神戸の今と昔「Old KOBE Love」

展示では同時代のポスターや神戸のガイドブックなども紹介されている。
ガイドブックは写真と絵とを併せた楽しいもので、眺めるだけでも出かけたくなる。
そう、今の神戸ではなくこの当時の神戸へと。

イメージ (2206)
楠公像と博覧会の建物。
たまたまこの年が600年祭の年と言うこともあったが、「時代」の空気がここにある。
段々とのっぴきならない状態へ向かっているのだ。

やがて1940年代に入る。
日本郵船の優美な客船三隻を「三姉妹」として擬人化し、それを小磯は絵画化した。
イメージ (2205)
新田丸、八幡丸、春日丸である。
華やかな三美人のうち左端の「長女」新田丸の着物は高島屋百選会に千總が出した「流線美式天象」。
小磯はこの着物を当時存在した長堀の高島屋で購入している。

イメージ (2211)

背景もいい。
イメージ (2198)
ただ、悲しすぎることにこの船たちは戦争に駆り出され、名も勇ましいものに変えられ、やがて撃沈されてしまうのだ…
船たちの墓碑銘は横浜の日本郵船歴史博物館にその沈没場所の地図と共に示されている。


ようやく戦争が終わり、戦後の混乱期も過ぎた。

1950年代のポスター
イメージ (2202)
戦前とは異なるモダンムーブメントの、絵。

そしてまた神戸の祭が始まる。
イメージ (2212)


イメージ (2203)
この原画は1987年の梅田近代美術館か1990年の神戸市立博物館かで見ているが、前者は記憶のみ・後者の図録は知人が持って行ってそれっきりなので確認できない。


小磯は1950年代の新しい表現の追求時期をのぞいて、総じて温和で優雅な人物表現を得意とした。
特定個人を描くことにも群像を描くことにもたけていて、静物画も過激な表現のない、多くの人が安らげる絵を描いた。
劇場の為の緞帳原画やホテルの為の装飾絵画も担当している。

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公共性の高い場所で今も見ることが叶うのも嬉しい。
そして迎賓館にも小磯の作品が展示されている。

一方、関西学院グリークラブのためにも絵を提供している。
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群像表現の得意な小磯だが、こうした表現もある。
そしてそれが小粋だった。

クリスチャンの小磯のステンドグラスの原画
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原画も写真で見るステンドグラスの様子も素敵だった。


他の画家の作品も展示されている。
田村孝之介のポスターもある。
イメージ (2209)
田村の本画もいいが、わたしはこの人の挿絵が特に好きだ。

こちらは版画家・川西英によるミス神戸の発表シーン
イメージ (2217)
皆の表情が…

他にも多くの絵画やみなとの祭1933年のニュース映像などがあり、とても楽しめる。
こんな最後の日にしかまとめられなかったが、ぜひに行ける人は見に行ってほしい。

イメージ (2199)








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