美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

描かれた茶の湯

茶道資料館で「描かれた茶の湯」展の前期に行った。
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2015年の6月ごろの「錦絵に見る茶の湯」展の親戚筋のような立ち位置か。
当時の感想はこちら。
前期
後期

安達吟行 女礼式之図 1887 六人の女たちの茶会。旧幕までは茶の湯は男のたしなみであり、女でそれをすると言えば位の高い花魁か城勤めの者くらいだった。しかし明治になり、女にも道が開かれると、たちまちのうちに「茶道は女のたしなみ」に変わってしまった。
髪飾りに薔薇を付けてくる少女もいて、みんな晴れ着である。
そう、女ばかりの社交場となったのだ。

三代目歌川国貞 女礼式茶之湯ノ図 1889  夜の茶会。ザクロの実がなる時期。こんばんは、とやってくる。
実際のところ、夜にこうした会は開けられたのだろうか。

橘尚利 茶の湯絵巻 江戸後期  濃茶から拝見の場まで。
壁には椿の入る竹の花器。客は武家の三人というが、一人は医者のようでもある。
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それぞれがお道具を拝見する様子もいい。
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こういう絵は茶の湯の手順を教えてくれるものでもある。
茶の湯が中高年男性の楽しみだったことがわかる。

春秋遊楽図屏風 江戸後期  黒塗りの大船が来る。船には遊人ばかりが乗る。男しかいない船で男だけの遊楽がそこから始まっている。アブナイ連中。立派なお屋敷とその庭でも男たちは享楽に勤しむだけ。揚弓で競ったり相撲をしたり、室内では腕相撲に囲碁に双六などなど。またゲームから怒って喧嘩をしたり、いちゃついたり。
三味線を弾くのを聴いたり聴かなんだり。座頭を招いて琵琶を演奏させたり盲相撲をさせたり。そのくせ誰も熱中していない。
生簀から魚を選んで調理にかかるものもいる。全てが男。
中には布袋のようなのが美少年にしなだれかかったり。
そして探しきれなかったが、茶の湯でも遊んでいるのだろう。

四条河原遊楽図巻 享保頃だろうか、祇園へ向かう人々がいる。物売りも大変多い。
美少年が茶を売る。他に何を売っているか知れたものではない。
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浮田一蕙  北野大茶湯図 江戸後期 太閤さんの北野の大茶会の様子を描く。京の町衆に参加を呼び掛けた大茶会。
木々があちらこちらに生え、人々が思い思いの場所でそれぞれの規模で茶の湯を楽しむ。
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わたしなどはただ単に楽しそうでいいなくらいしか思わないが、京雀たちはこの会合を苦々しく見ていた向きもあるのかもしれない。

榊原文翠 北野献茶祭図巻 1887 大茶会から300年期の茶会の様子。

賀茂競馬図巻 江戸初-中期 表具も馬の絵というのがいい。右方は黒、左方は赤の衣を身に着ける。
レース前の状況。今から向かう所を描いたのをみる。こうしたシーンは普段あんまり見ないので新鮮な感じ。
一休みする人々も多い。
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よく働く中間。ほかに木に登る子供らもいる。

製茶図屏風  江戸中期-後期  結構大変な様子を淡々と描く。

海北友泉 宇治茶摘図巻 江戸中期  お茶の上林の旗を持つ男の後に、大勢の女たちか赤い手ぬぐいを頭にかけて集合する。
これは実は上林茶園を見学&茶摘み体験一日ツアーの人々なのだった。
大麦の頃、大勢の参加者がワイワイと楽しげに茶摘み・茶もみなどをし、合間には弁当を食べる。
今とほとんど変わらないツアーの様子を見せていた。

他に聖徳太子絵伝の元服の様子が出ていたが、平安の風俗で描かれている。

川端龍子 12か月花鳥図 1月は鶴の横顔。

江戸中期の12か月風俗図巻 1月は正月、二月は初午。

ぶりぶりの香合、交趾の鴨香合、ミミズク香合、インコ香合などが出ていた。

可愛くて楽しいものが多く、正月らしい明るく楽しい気持ちがあふれていた。
多少の替えもある。
3/29まで。


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「台北国立故宮博物院北宋汝窯青磁水仙盆」を観る

まずこのチラシから。
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「人類史上最高のやきもの」
そういう言葉がある。
わたしなどは「えっそんな強引な」と思うのだが、それはやはりわたしが高麗青磁を偏愛しているからだという理由がある。
ほぼ同時代の朝鮮の高麗青磁を措いて、北宋の汝窯の青磁の水仙盆を「人類史上最高」と認めるにはいささか抵抗をしたい。
それがわたしの高麗青磁への愛の証になると思った。

展示室は階段を上がった右手のあの部屋である。
そこへ入る前にもう一度チラシを見ると、下に小さく書いてある一文に気付く。
「もう二度と出会えないかもしれないたった6点、世紀の展覧会」
…大上段+脅し文句で攻めてきている。

今回の展示は北宋汝窯の水仙盆が6点。それが主役である。
世界に数点しかないそうだが、そのうちの5点と乾隆帝がオマージュとして世に出した水仙盆とが一堂に会している。
それだけでも凄い。それは確かだ。

ラインナップを挙げる。
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安宅コレクションの一点がある。
覆輪をつけたもの。
「伝世 汝窯青磁の日本代表」
…そうか、そうだわな。日本にこの1点があるからこそ台北の故宮博物院だって海を渡らせたのだよな。
世界にたった数点、そのうちの1点が安宅英一の所蔵だったのだ。
物凄い眼。そのことに改めて打たれる。
鉄斑が1つ覆輪の下にある。「てへっ」な愛嬌もんだと思う。
愛い奴よの、という感じ。

次に現れたのは「天青色の極み」である。こちらも覆輪をしている。
なるほど色の綺麗さというものが途轍もない。
釉溜りのところなど見惚れるほどだ。
本当に凄い色が出ている。

「最大サイズの水仙盆」 ああ、数ミリ・数センチ分大きい。覆輪がないだけでなく、こちらは足が埋もれている。
足がないように見える。(あとで解説を読むと削ったらしい)
ゆったりと大きな器。

そして「人類史上最高のやきもの」が現れた。青磁無紋水仙盆。
なんと貫入がない。
見出せないレベルである。凄いな。
これを「人類史上最高のやきもの」ではない、ということはやはり出来そうにない。
滑らかなその肌に何ら瑕もないというのは凄い…

「無銘の帝王」もいる。これは唯一乾隆帝による詩が刻まれていないからだ。
乾隆帝は数百年前のこれら美貌の器たちの底面裏に詩を刻んでいる。
そんなことが出来るのは皇帝ただ一人だけであり、それも乾隆帝くらいでないとやれないことなのだ。

付属品もある。紫檀に細工した非常に丁寧な作りの台座である。
その台座には抽斗があり、中からどう見ても位牌に見えるものが出て来たり、王羲之の書の模写の模写をした乾隆帝の書もある。
絵もある。
本当に大事にされて世に伝えられたことがよくわかる。

最後に乾隆帝の時代に作り出された水仙盆が出てきた。
「汝窯青磁水仙盆へのオマージュ」とある。
人類至上最高のやきものを手本にしたのか、よく似ている。
清朝は倣古ブームがあり、殷周の青銅器をモチーフにしたものも拵えている。
技術力が高い時代なので、失われた技術も再現出来たのか。

・・・高麗青磁の「翡色」を愛するわたしもこの展示に「そんな大げさな」とは言えなくなってきた。
これはこれでなるほど「人類史上最高」なのは間違いない。
ううむううむ、綺麗は綺麗なのだ、嘘はつきたくない。
ただ、あれもいいがこれもいい、とは言いたい。

チラシも各品の色の違いをよく出していると思う。
なにしろ六田知弘さんだ。
しかし実物を見てほしい。
実物よりチラシがいい時は、そのカメラマンの眼と技能の高さにこちらが負けたということになる。
今回はチラシもとてもいいが、実物は更にいいのだ。
カメラマンの目より、観客の目より、実物がはるかに気高いのだ。
それをぜひとも東洋陶磁美術館で確認してほしい。

常設展にゆくと真っ先に愛する高麗青磁が待ってくれている。
なんだかもうぐだぐだな気持ちで「ごめんよーごめんよー」と思いながら対する。
ああ、やっぱり綺麗なあ。

しかしこの気持ちは実は粉青沙器で一旦閉じるのだ。
時代が変わり、わたしの愛するやきものが失われたのだ。
未練が強く、どうしてもこの粉青たちを可愛がられない。
独立していれば愛せるのに。
そう、むしろここで宋磁の美を味わいたい。
そんなわがままなことを思う。

今回、所蔵の「宋磁の美」という企画展もある。
南宋を代表する油滴天目を眺め、それから青磁を愛でる。
可愛らしいやきものをみて和む。

李さんのコレクションをみる。
名前が難しくてきちんと変換されそうにないので李さんコレクションと書いておく。
可愛い高麗青磁を楽しむ。

それから安宅コレクションの法花や唐美人の俑などを眺める。
いついかなるときもいいものはいい。

ああ、いいものをみた、いや、見てしまった。

最後に一つ思ったことがある。
アオリ文句、あれを見て司馬さんの「韃靼疾風録」の女真族の習いを思い出した。
人への呼びかけ、それがとてもいい言葉・褒め言葉だという決まりがあるそうだ。
ここにある北宋汝窯青磁水仙盆、各品への褒め言葉は全く嘘がないと思う。
大げさではなかった。
これが展示を見終えたわたしの正直なキモチなのは確かだ。言い切ろう。

3/26まで。
こんな機会、もう他にないと思っている。

万葉に詠う ―「額田女王」挿絵原画を中心に―

松伯美術館で久しぶりに松篁さんの万葉の世界に触れた。
万葉に詠う ―「額田女王」挿絵原画を中心に―
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松篁さんの「額田女王」の挿絵を中心にした展覧会は2010年以来。
「万葉に遊ぶ―上村松篁の描いた万葉世界を中心に―」展
当時の感想はこちら

その時にコンパクトな図録も購入して鍾愛しているが、それでも原画を見る悦びは捨てがたい。
いそいそと雨の中、出向いた。

井上靖の小説「額田女王」は昭和43-44年にサンデー毎日で連載された。
松篁さんは京都の自宅で毎日忙しくも楽しい日々を送ったそうだ。
前回の展示でもそうだが、今回も松篁さんの描く古代世界の美と儚さにのめりこんでしまった。

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前回までは描かれた情景に夢中だったが、今回は少し細かいところに目を向けた。
松篁さんの本領たる花鳥画を挿絵で楽しむ、ということをしたのだ。
現代と違い万葉の時代は鳥も植物もすぐ近くにいた。
だから人物の背後に飛び立つ鳥や揺らぐ植物があっても、背景処理または演出効果というよりも、「ああ、きっとこんなだったろうな」という納得が活きるのだった。

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・一人立つ額田女王の背後に飛ぶ鳥たち。彼らの動きが彼女の心の動きを示す。
・神の声を聴く力を持つだけに、時には一人星の下に座ることもある。星の煌めきが彼女に何かを伝える。
・雪の中、鷹がキジを襲う。水墨画などで時に見かける画題だが、物語の挿絵にこの情景が加わることで、話の展開に不穏さを感じる。
・盂蘭盆会、蓮取り舟に乗る女たち。唐とほぼ同じことをしている。労働であり、また優美さを見せる情景となる。
・桔梗の頃、大海人皇子から中大兄皇子が自分を欲しがっていることを聞かされる額田女王。
・大海人から中大兄のもとへ。
・大友皇子と話す額田女王、その向こうでは楽しそうに娘の十市が高市皇子と遊んでいる。
・観月の宴、華やかな女たちの輪から離れて一人座す額田女王。
・十市を勧められるままに大友皇子に嫁させる。散歩する額田女王に向けて怨みの小石を投げつける高市皇子。
・木蓮の下、輿から現れる額田女王、そこへ寄り来る大海人皇子。
・戯れ歌が戯れにならぬことに気づき、一人不安を抱える額田女王。
・法隆寺全焼
・空を行く天智天皇、嘆く女たち、一人俯く額田女王。
・・・

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様々なシーンが美しい一コマとなって表現されている。
物語絵としても美人画としても花鳥画としても楽しめる挿絵だった。
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「美人画はお家芸か、かくし芸か」と称えられた松篁さん。
母上とはまた異なる美人たちは万葉の時代にそぐう明るい表情を見せたものが多い。
壁画「万葉の春」のための下絵や写生をじっくりとみる。
実物大サイズの美しい顔はやはり桃の花びらのような美しさを見せていた。
近代的な顔立ちではあるが、それでいていにしえびとであることをも感じさせる。
そして壁画「万葉の春」がここにある。
素晴らしい絵だといつもいつもときめき、この時代に憧れる。
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松篁さんの思い出話が楽しい。
挿絵の中で、女のもとへ向かおうとする天智天皇がもののけに脅かされるシーンがあるが、さてその時の衣服がわからない。
上衣はともかく下は何を履いているか。
考えた末に松篁さんは所蔵する中国の春画の画集を開くが、明確な答えはない。
結局柱に隠れる天智天皇を描いたわけだが、描いてから下袴のありようを専門家から教わったそうだ。
風俗考証にも丁寧に当ったのだが、話が話だけに面白い。

74年頃に文芸春秋の表紙絵も担当していたそうだが、そこにも万葉人が描かれている。
清楚でいて馥郁たる美がある。

松篁さんの一枚絵をみる。
春 萌黄色を背景に顔を上げるキジがいる。アザミかなにかをじっと見る。
キジは何かを考えているような顔つきでその草花を見ているが、松篁さんの鳥や小動物たちは皆なにかしら物思いにふけっているようなところがある。
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下照る道 緋桃の下に美しく清楚に微笑む。

松篁さんはお年を召してから銀潜紙を愛用されるようになったとか。
小品によってはそれが銀潜紙なのかそうでないのかわたしにはわかりかねる作品もある。
だが何であれ松篁さんの絵は素晴らしい。

丹頂 対の作品でそれぞれに鶴がいるが、胡粉でキラキラしい。芦が巨大なシルエットを見せ、全体的にグレーのトーンに一点の赤が眼に残る。

春輝 特に好きな作品。薄紅桃に山娘というヤマドリが楽しそうにいる風景。

松園さんの唐美人もいろいろ。
楊貴妃、楚蓮香を見比べると、楊貴妃のふくよかさは松園さん本来の絵ではないことに改めて気づく。
たくさんの下絵、写生などを見ても松園さんは圧倒的にほっそりした女性を描いている。
楊貴妃はふくよかで、玄宗皇帝からも「お前が踊ると床が抜ける」というようなジョークをいわれ、観ててごらんなさい、とふくよかさをより際立たせるような踊りを見せたこともあるという。
彼女の登場以来唐美人の条件が変わった、というのも凄い話だ。

スケッチや模写の中に後漢の班婕妤(倢伃)もいるし、誰かをモデルにしたほっそり楊貴妃もいる。
しかし何よりも驚いたのはその当時の現代美人の絵だった。
シャツにズボンの短い髪の若い女がいた。顎に手をやりキツイ眼で何かを見ている。
模写なのかモデルなのかなんなのか。
とてもかっこよかった。

松園さんは菱田春草を尊敬していた。
彼に頼んで描いてもらった「霊昭女」の絵がある。
丸顔の清楚な娘。明治の末の丸顔、大正の丸顔ブームの走りかもしれない。

最後に淳之さん。
大極殿の壁画の試作の四神図があった。
百虎は可愛いが、玄武はなかなかコワい。そして青竜は青銅の竜でもあり、ワイバーンでもあるようだった。
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心地よい展覧会だった。1/29まで。

ガレとドーム展 美しい至高のガラスたち

京都高島屋で1/16までガレとドーム展が開催中である。
ガレとドームの展覧会は数多い。
今回も「親しい作品たちと再会する」つもりで出向いた。
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珍しいことに作品リストを渡された。
5章にわたっての展示に作品名・製作年・技法と材質・サイズが記されている。
作品名については、ガレもドームも実際的な命名が多く、凝りに凝ったようなわざとらしい名はついてはいない。
たとえば「ヒトヨダケランプ」「オダマキ文花器」などだと、その名の通り植物をモチーフにしており、あとは技法がどうかということで、その意味では画像を付けないと文字面だけではどれがどれか混乱を招くこともある。
わたしのように全体ではなく個別の感想をつらつら挙げてゆく者の場合、そこが少しばかり難儀だともいえた。

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第一章 初期―伝統主義と折衷主義エクレクティズムの時代―
ガレの作品が16点並ぶ。

試みに一つリストを記したままを写す。
ドラジュワール 1880 型吹き、アプリカシオン、グラビュール(カット)、エナメル彩、金彩 12.2x8.2x16.8
ドラジュワールとはお菓子入れのことだそうだ。
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文様はジャポニスムではないが、どこか東洋風な更紗の文様を思わせもする。
いや、西洋の影響を受けた東洋の文様を採用した、ような感じもある。
実際に使ったかどうかは知らないが、このガラスの器に金平糖などが収められているとすれば、とても綺麗なのは確かだ。

ところで技法も全て書いてみたが、わたしなどはわかっていないものばかりなので、いちいち調べなくてはならない。
そこでこちらのHPに詳しい説明があるのでそれを参照していただこうと思う。

獅子に百合紋章文ピッチャー 1884 宙吹き、サリシュール、アプリカシオン、グラヴュール、エナメル彩、金彩 14.3x9.0x19.8
琥珀色のガラスにフランスの百合の紋章がいくつも貼りついている。獅子はイングランドのイメージが強い。フランスでの獅子とはどのような存在だろう…そんなことを思うのも楽しい。

貝と海藻文花器 1890-92 型吹き、異色溶かし込み、ビュラージュ、エナメル彩、グリザイユ、金彩 5.8x20.3
筒形でロココ形式と説明があるが、この細巻貝をみて金子國義の絵を思い出した。オシャレな絵だったなあ。
この花器と本当の貝を並べて飾り棚にしまいたい…

唐草文カップ&ソーサー 1870年代 型吹き、アプリカシオン、エナメル彩、金彩 カップ10.2x8.0ソーサー12.6x1.6
とても綺麗。本当に綺麗で綺麗で。

蜻蛉文香水瓶 1900年頃 被せガラス、型吹き、アプリカシオン、グラヴュール 6.5x9.0
周囲にビー玉の半円を嵌め込んでいるかのように見えた。
それはトンボの目玉ではない。とても綺麗な色の反射がある。

他にロレーヌ公夫妻の肖像、「いにしえの貴婦人たちのバラード」と名付けられた古風床しいガラス花器があるのだが、どうも見知らぬものがとても多いことにやっと気づいた。

そしてここで偶然知人に会い、そのことを少し話したところ、大半が一個人の所蔵品で初公開のものも多く含まれていることを教わった。

第二章 ジャポニスムーガラス越しの日本ー
ここでもまた初見の作品が現れる。

飛蝗文双耳花器 1870-80 型吹き、アプリカシオン、グラヴュール、エナメル彩、金彩 13.0x11.2x24.0
アンフォラ型の花器でバッタがバッタバッタと貼り付いておる。

ジャポニスム文花器 1880年代 型吹き、グラヴュール、エナメル彩、金彩 8.0x24.2
月琴と三味線が一丁ずつある。それぞれ秋草らしきものの絵が描かれてもいる。
月琴は1877年頃から日清戦争前までたいへん流行した。
だからこの製作時期はリアルタイムなのかもしれない。

矢車菊文花器 1879 型モール吹き、アンクリュジオン(封入)、エナメル彩、金彩 13.6x20.6
エナメルだと思うがたいへん清々しい空色が飛ぶ。全面ではないのに空に矢車菊が映える。

雪中雀文花器 1890-1900 被せガラス、型吹き、エッチング、エナメル彩、金彩 17.3x34.5
可愛い雀たちがいるがそのくちばしの鋭さは日本の絵師ではなかなかこうは描かないと思うほど。そして雀等がいるのは樅の林の中で、そこが雪にまみれているのだ。

ファイアンス(軟質陶器)作品がずらりと現れた。形も自在に造形できるやきもの。
唐子やトンボ、蛙などが生き生きと形作られている。
同時代の横浜の真葛焼を思い出すが、あのようなリアルさはない。

団扇を三点向かい合わせた形の花器があるが、これなどはもう使うということは最初から考えてなさそうである。
京都の蚕ノ社にある三柱鳥居を思い出す。

このあたりは本当に知らない作品ばかりだった。
本当にガレは奥が深い。

第三章 ガラスを芸術へ
植物モチーフの花器が並ぶ。
ここで初めて「再会」した心持ちになる。

蘭、オダマキ、カクタス、リンドウ、マグノリア、スミレ、クロッカス、プリムラ・・・
被せガラスで表現された、懐かしく慕わしい花々。その植物のまといつく花器。
いずれも見知らぬものではない。

第四章 ドーム兄弟
七宝焼でいえば、ガレを並河靖之、ドーム兄弟を濤川惣助に準えることが出来ると思っている。
たとえ技法は全く違っても。

型吹き、アプリカシオンにエッチング、エナメル彩、金彩で作られたコウノトリ文三手花器がガレの初期作品に似ていると思った。

ドーム兄弟(らしさを感じる)ものは風景画だと思っている。
エッチングで表現された花器を見るとああドーム兄弟だと思うのである。
風雨樹林文、オランダ雪景色、冬木立…

風景文小花器とピッチャーのセットがある。花器がみんな日本の桶にそっくりなのが面白い。
花と風景とがエッチングで刻まれているのもいい。

葡萄とカタツムリという取り合わせの花器がいくつかある。
カタツムリはいずれも立体で表現されている。むにむにした生物がまといついている。
不意に取り外して一つにまとめたくなった。

それにしてもドーム兄弟の描く風景はどうしてあんなにも遠い地にしか見えないのだろう。

第五章 ガレ没後の残照 ―ランプの煌めき―
ここにあるものはすべて被せガラス、型吹きのもので、エッチングもあればグラヴュールもある。
どちらも採用してるものもある。

チベットチルー文花器 1920年代 ハイジの言う「大ツノの旦那」とでもいうべき鹿の仲間のような動物が三匹ばかりいる。
これも見たこともない。

夾竹桃文ランプ、魚文ランプ、石楠花文スフレランプ。
ただただ愛でるばかりになった。

100点を越えるガレとドームの美しい作品をみて、ただただ心地いい。
なおエントランスではガレの小花文花器が撮影可能。



心地よい時間をありがとう。

「観光乙訓事始」と向日市文化資料館

向日市文化資料館に初めて出向いた。
そもそも向日市に関心を持たずに来た。
古い土地だということは知っていても、何があるのかすら知らないのだ。
だが、難読地名の物集女(もずめ)あり、近くの長岡京市には都もあったし、天神社もあり、春には筍が出るのだ。
この地域は「乙訓郡」オトクニ・グン と呼ばれ本当に旧い。
大山崎、長岡京、向日市とそれから。
その乙訓郡を中心にした「観光」の資料が集められていた。
名付けて「観光乙訓事始」、しかもpart2だとある。
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現代でも花の寺として有名な寺社がこの地域にいくつもあるのだが、明治32年つまり19世紀終盤にもそこを紹介するパンフなどがあった。
桜の名所案内と社寺参観券などがついている。
このシステムは江戸時代位に確立されていて、現代まで案外変わっていない。

乙訓名所図会というパノラマ地図もある。比叡山から神戸まで一望。

名勝写真の中には大原野神社、大山崎あたりを写したものもある。
思えば現代ではこうした名所へ出かけた人が自分から進んでネットにその地の写真を挙げたり、名物の紹介をしているのだ。誰に頼まれたわけでもないのに。
そしてそれらは思った以上に活用されもする。

鉄道競争双六 1925 大毎号と書かれた気球に乗った子供らが日本を見下ろしている。日本全土を使った双六。

かつて新京阪電車という会社があった。沿線を見ると今の阪急京都線などである。とはいえこれは阪急の自社設営線ではない。
それでもこの時代にほぼ現在と同じ駅名と路線を持つようになっている。

1930年に乙訓郡の尚武会(軍後援組織)と町村会の代表の人々が朝鮮満州に向かって出立した。乙訓出身者の慰安の為らしい。
そこで集めた観光資料がここにある。
朝鮮の金剛山の鳥瞰図は吉田初三郎のもの。これは以前にも見ている。
峻厳な山中にところどころ休憩所などがあるようだ。

大阪商船の出した航路案内リーフレットは見返し図もなかなか可愛い。
「冬の船旅」には春駒を「台湾航路案内」にはヤシの葉を「大連航路案内」には何故か象の絵が描かれている。

昭和三年には御大礼があり、それに因んだ絵はがきやパンフがある。
大礼記念絵はがき、写真はがきなどを見ると絵のものはカラフル、写真はモノクロ、それぞれ魅力的。

大正から昭和初期の名所案内絵はがきもいい。
楊谷観音、山崎聖天、桜井駅の別れ、水無瀬宮、善峰寺などなど。
たった20年ばかりの愛宕山鉄道というのもあり、その沿線案内図もある。
淀の競馬は今もあるが長岡も競馬をしていたのか。これも短い年数。
向日市には競輪場が存続している。

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かなり楽しめた。
1/15まで。

常設展を見る。
長岡京の時代の食事情とマジナイ関連が面白かった。
マジナイ(呪いと書いてマジナイなのだ)は木のヒトガタやミニチュアなど。
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食事は再現され、更にカロリーまで示されていた。
庶民:つけもの、青菜の汁、塩、玄米。
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役人:茄子の漬物、ワカメのすまし汁、なめる味噌、なます、イワシの炊いたん、栗に枝豆など。
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貴族:タイの塩焼き、白米、アワビのウニ合え、サトイモ、茗荷・人参・麥縄、醤(ひしお)、酢、清酒。
二の膳もあり、蘇(チーズ)、ところてん、鴨のなます、塩、柿やクリなど。
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なんだかもうたいへんおいしそうだった。

地方の歴史資料をみるのはやはりとても面白い。
また来よう。




確かこの地の阪急そばが美味しいと「酒場ミモザ」にあったので出向いた。
かつおだしの濃いおうどんをいただいた。
あったかくなったところで、阪急からJRへ向かって歩いて行った。

雪の降る中、向日市文化資料館―龍谷ミュージアム―茶道資料館―高島屋、そんなルートで遊んだのだった。
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