美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「川端龍子 超ド級の日本画」展 前期の感想

今日は「川端龍子 超ド級の日本画」展、昨日までの前期の感想。
西馬込の龍子記念館ではなく山種美術館での展覧会。
なので恵比寿へ暑い最中にてくてく・・・

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チラシ表がまずスゴい。
上に「草の実」中に「RYUSHI」下に「金閣炎上」。
山下裕二さんのアオリがある。
「龍子は、常に日本画の"常識"を突破しようとしていた。そして、超ド級の"会場芸術"を次々と産み出していった。
そんな龍子の存在を今こそ問い直すべきだと思う。」

そう、龍子は会場芸術を標榜し、本当に大きい絵を描いた。
記念館はその大きな作品をのびのびと展示させるために龍子自らが設計したもの。
屏風絵などは視線は←この方向へ移動するが、龍子の絵も同じ方式を採る。
だから巨大な絵も←に見てゆくが、龍子のそれはあまりに大きくて6つくらいみて、ハッとなったら一回りしていた、ということが多い。
なのであの地下に龍子の絵を・・・と余計な心配をした。
地下鉄にどうやって車両を入れるねんという懐かしい漫才を思い出したり。

というわけで階段を降りていったのです。
龍子の若い頃からの作品が集まっているのもいい感じ。

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1.龍子誕生ー洋画、挿絵、そして日本画

狗子 円山派風なわんこ。三匹いて構図も円山派風。首の後ろが富士山みたいな柄のわんこ、白、斑の三匹で、目が小さいのも可愛い。まだ修行中だからこれは粉本を?

風景(平等院) 1911 嵐かな、屋根の辺りに木々がばっさばっさ。
こういうところに迫力をちらりと感じる。

女神 油彩 珍しく油彩でどうやらトヨタマヒメを描いているらしい。青木繁の描いた「わだつみのいろこのみや」のトヨタマヒメ。
壷を掲げる女、ピンクと緑の衣装、お魚が背後に泳ぐ・・・
小杉放庵も描いていたが、この時代の神話への懐古は魅力的な作品を多く生みだしてもいる。

慈悲光礼賛(朝・夕) 1918 朝も夕もどちらも力強い。特に夕の牛の良さ。真っ向からの牛。

花と鉋屑 1920 蓮が咲く地に鉋屑。何か宗教的な想いが込められているのだろうか。
いや、大正期独特の意識の流れの中での作品なのか。

火生 1921 ああ、これ来たか!一見したところ不動に思える、全裸の男性が林の中で座る図。
草花が彼にまといつく。赤い肌の力強さ。首に白玉、片手に剣。
しかしこれはヤマトタケルだという。そうか、するとあの剣は倶利伽羅ではなく草薙剣だったのか。
とはいえ、ダブルイメージがあるのかもしれない。
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角突之図(越後二十村行事) 1922 絵巻風に続く越後の闘牛。強そうな牛がのっしのっしと茅葺きの小屋から出てくる。
これを見ると「新八犬伝」の小文吾が関わったエピソードを思い出す。
この行事は江戸時代既に有名だったことがわかる。

龍子は挿絵やルポの仕事もしたので、その辺りの良い作品も紹介されている。 
国民新聞では相撲の取り組みを描いている。
当時は写真を掲載するよりうまい絵師に取り組みの絵を描かせる方がよかった。
なので国民新聞では龍子の相撲絵があったが、別な新聞社では挿絵の大家・鰭崎英朋が担当し、たいへんな人気を誇った。
ちょっと思い出したが、弥生美術館で随分前に「みんなのアイドルおすもうさん」展があったが、もしかするとその時龍子の絵も出ていたかもしれない。わたしは英朋の絵ばかり覚えているのだが。

漫画東京日記 1911 戯画風に東京の人々の様子が捉えられている。ビールがはやるようになって、ビア樽が自転車で走ってたり。

大和めぐり 1915 鹿の絵あれこれ

日本少年 1915.14号 表紙絵 雪玉を拵える少年を描く。
随分前に切手にもなったと思うが、この「日本少年」で龍子が描いた口絵は素晴らしく、他にも有本芳水の詩の挿絵も良かったことを思い出す。

第一日 1916 左に満月、松の影、小さな家の勝手口には白犬。
ノスタルジックな良さがいい。

奈良にて 1915 鹿せんべをやる人と取り巻く鹿たち。今も昔も変わらない光景。

花鳥双六(「少女の友」付録) 1917 これは可愛い。前も龍子の「ともこの冒険」双六をここで紹介したが、これもとても愛らしい。
バラのアーチが振り出しで、楕円型のコマには様々な花と鳥が描かれる。可愛いなあ。
少女たちは大事にしていたに違いなく、だからこうして百年後の今も残された。

龍子のこうした仕事を山種美術館は評価し、ジャーナリスティックさが身に付いたとして後の作品にも活かされたとする。
挿絵ファン、大衆芸術ファンとして、わたしはそのことを嬉しく思った。

2.青龍社とともに ―「会場芸術」と大衆―
いよいよ龍子の「会場芸術」が始まる。
この言葉も「印象派」と同じで言うた側にはイケズな気持ちがあったが、言われた側はヨシ、それを旗印にしよやないか、という強い気概を持つことになった。

1920年の集合写真を見る。16人で旅行をしている。
大智勝観、大観、宗匠風な平櫛田中、山村耕花、荒木寛方、北野恒富、小杉放菴、長野草風、前田青邨らがいる。
三人のみ洋装であとは和装。龍子は洋装。

鳴門 1929 なんと3.6kgもの群青を支度して臨んだ作品らしい。
「鳴門」といえばここには土牛の名画があるが、あれは緑茶色、こちらは波濤を描いて群青。群青中毒と言えばここには御舟の絵があるが、大作を一つ描く為のこの量。
びっくりするなあ・・・

請雨曼陀羅 1929 これを最初にみたときびっくりした。干からびた上に立つサギのくちばしには小魚、それが太陽に向かう。サギの顔は怖く、干からびた地といい、呪詛かと思ったほどだ。

真珠 1931 これは撮影可能な作品だった。
真珠採りの海女らしき女たちが豊かな肢体をのびやかにさらす。



草の実 1931  チラシの上のあれね。紺紙一切経の見返しからの発想らしいが、なるほどなと。
龍子には深いところで神仏への崇拝の念がある。
チラシは左部分だが、右もまたいい。
これは通期展示なので明日からの後期展示を見る人はじっくりと眺めるがよいよ。

黒潮 1932  出た、トビウオ!波間から飛び出し飛ぶ飛ぶトビウオ!七匹のトビウオがとても元気。
わたしはこれを見ると「お造りで食べたことあるが美味しかったな」という感想が浮かぶのだが、鱗と言い羽と言いピカピカ。ええのう。
いぬいとみこ「とびうおのぼうやはびょうきです」と違い、ここの海は清浄なのだ。

龍巻 1933  縦長の画面いっぱいに、まるで海遊館の筒型の海のように、様々な魚類が。
サメ、エイ、イカ、クラゲ、タチウオ・・・みんなもう本当にイキイキ。
竜巻に巻き込まれてたいへんなんやけど、生命力あふれてるから、そんなじゃ死なない。力強いよなあ。
どういうわけかこの絵を見るといつも上野リチが都ホテルだったか、あそこに当てた壁紙、あれにこの絵も使えるような気がしてならないのだった。
つまり、タブローとしてだけでなく、工業用デザインにもなるような気が。
それも一般的な所じゃ無論ダメね。やっぱり大ホテルで。

羽衣 1935  ミクロネシアのヤップ島の現地の若い娘さんを描いた作品。
腰蓑1つで豊かな胸も露わに元気よく踊る。美人で勢いがあっていい。
そして「羽衣」と名付けた龍子がいい。

今回は見受けられないが、記念館では作品ごとに龍子本人の自作解説やコラムなどがあり、それがけっこう面白い。
それにしても絵描きに文才のある人が多いのは何故だろう。
洋画日本画とわず。

鶴鼎図 1935  三羽の鶴を鼎と表現するのはいいな。首が灰色の丹頂鶴。

花の袖 1936  白い花菖蒲集合!これは七宝焼にしたくなるような作品。
工芸的な美を感じた。

香炉峰 1939  タイトルだけ見ればそれこそ清少納言が御簾を持ち上げてというようなのを想像するが、さにあらず。
その地を飛ぶ戦闘機を半ばスケルトンで描く。スゴイ発想やなあ。
こういうところが龍子の魅力というかなんというか。面白味というのがいいか。

爆弾散華 1945  空襲でもろに爆撃を受けて野菜ふっ飛ぶの図。
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最初にこの絵を見たのは記念館で先にアトリエ拝見し、そこにある池の説明を受けた後。
アトリエ写真はこちら

終戦二日前に爆撃され、大きな穴が開き、水がたまって池になった。
酔狂なのかやけくそなのか龍子先生「爆弾散華の池」と命名す。
野菜が宙に舞う景色というのはなんだかたまらんぜ。

百子図 1949  これは童画ではないのだが、童画や抒情画を描いていたからこその名画だと言える。
子供らの幸せさが全体にあふれる。インド象インディラちゃんが来てくれて大喜びの子どもたち。ゾウさんはみんなの人気者。
わたしもゾウさん大好き。
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花下独酌 1960  河童である。アテもちゃんとある。龍子は河童も大好きで、記念館では河童絵だけの展覧会も行えたほどだ。
河童が好きなヒトは少なくない。小川芋銭ゆずりの河童。

夢 1951  最初にこの絵を見たときの衝撃はあまりに大きかった。
棺から奥州藤原家のミイラが顔を見せる。そこから無数の蝶や蛾が飛びだす。
わたしにとって、全ての近代日本画のベスト10の上位に入る一作。
今回数年ぶりに相対出来たのはまことに喜ばしいことだった。
わたしはこの絵をみて、それから奥州平泉へ行き、金色堂へ向かったのだ。
宝物館で秀衡公の枕の沈み具合を見たとき、この絵が思い浮かんだ。
750年余の眠りを支えた枕なのだ。
絵には枕はないが、見えない中に枕があり、金箔で覆われた棺の内部は歳月を止め、蓋を開かれたことで750年余の夢と共に、蝶が一斉に羽化したのだ。
龍子は当時のニュースに触れ、インスピレーションがわき、それを絵にした。
それから更に数十年後、わたしはこの絵に打たれ、今もときめき続けている。
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白堊と群青 1962  ブッダガヤ近くの邸宅。そこに孔雀が止まっている。野良孔雀はシンガポールでも見たが、やっぱりインドにもいたか。二羽の雄と一羽の雌と。
トルコブルーの空。白い建物。窓枠だけが赤い。色彩がとても鮮烈。

さて龍子の親しみやすさを知ろう。
3.龍子の素顔 ―もう一つの本質―
身近な者へのやさしさ。
孫のためにおじいちゃん龍子は絵を描く。それが孫への愛情なのだ。

短冊に俳句を綴る。
「ホトトギス」の同人でもあり、雑誌表紙絵も長く続けた。
一句のみ写す。
面映ゆく 恩賜の蘭花 胸に佩び
叙勲の日の喜びを表現した句。素直な心が出ていていいなあ。

長らく色々あって縁遠くなっていた大観と再び縁がつながる。
松竹梅を大観・玉堂・龍子の三人で描き分ける連作シリーズ。
写真もある。龍子やっぱり洋装である。後の二人は和服でみんなニコニコ。

最後に龍子の描く十一面観音像が現れた。
かれはアトリエに持仏堂も拵えていて、それを絵にしている。実際の仏像は現在東博に寄託中だそうだ。
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この画像は6/11までの龍子記念館「仏と画業」展チラシから。
表には可愛らしいセイタカ・コンガラと不動の親方がいる図だった。

明日25日からは後期展示。
「金閣炎上」が現れる。
その迫力をぜひとも味わってほしい。
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日中のかけはし 愛新覚羅溥傑家の軌跡

既に終了したが、関学博物館で愛新覚羅家の展覧会が開催されていた。
前回の展示もよかったが、今回はさらに資料がいい。
前回の感想はこちら
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初めに1935年に愛新覚羅溥儀が満州国皇帝として来日する映像が流れる。キネマニュースの製作である。
4/2.新京を発つ。巨大な建物を背景に列車で途中までゆく。
お召艦「比叡」に乗船。「八重の潮路はるかに」4/6横浜入港。
(ここで「八重の潮路」という古語が使われることにも注意を向ける。)
東京駅まで昭和天皇が出迎える。
「康徳帝」というのが満州国皇帝溥儀の名称である。
馬車で赤坂離宮、そして代々木の練兵場へ。
馬車では天皇と皇帝とが並んでいた。

色々と興味深い映像だった。

さて前回の展覧会でも書いたが、政略結婚ではあったが、皇弟・溥傑氏と嵯峨浩さんとはたいへん仲良しのご夫婦だった。
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稲毛での新婚生活のスナップ。
幸せそうなお二人である。

生まれた子供さんらにもたいへん優しいパパだというのが資料からもうかがえる。
だが平穏な生活は望めない。

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今回の写真資料ではいくつか綺麗なものがあった。
チラシの軍人会館での集合写真は華族らしくおすべらかしだが満州族らしい両把頭にチャイナドレスの浩さんの写真があった。
とても綺麗だった。
もともと美人の方だが一層華やかでよかった。

それから浩さんの弟の結婚式に出席する慧生・嫮生姉妹のドレス姿もいい。
姉は清朝に代々伝わるルビーの指輪を・妹は祖父より賜った真珠の首飾りを付けている。

激動の半生を送ることを余儀なくされたご一家の、ほんのわずかな華麗で優雅なひと時の写真である。

「流転の王妃」として非常な困難の中、ようやく日本へ落ちのびた浩さんは実家の支援で娘たちとの生活を始めるが、夫の消息は依然不明のままだった。
やがて溥傑さんが中国の戦犯管理所にいることがわかり、周恩来にむけて秘かに慧生さんが父との文通を許されるように訴えかける。

今回の展示ではご一家の書簡がかなりたくさん出ていた。
離れ離れの頃、北京に夫婦が住まい、娘が兵庫県に日本人として住まうようになった頃のものなどなど…
能書家の溥傑氏の書は飾り物としても大事にされている。
その中で1961年に浩さんから溥傑氏へ送った便箋が目を惹いた。
京都のさくら井屋のもので後姿の舞妓の絵が描かれたものである。その帯には幾枚もの歌舞伎役者の押し隈が描かれている。
手の込んだ可愛い便箋だった。

晩年の穏やかなくらしのスナップ写真もたくさんあった。
浩さんは相変わらず美人だが、溥傑氏を残して亡くなる。
一人になった溥傑氏は大きな茶色い猫を抱っこしていた。
猫は溥傑氏の淋しさをなぐさめてくれたろう…

外的資料として「満州ツーリズム」に関するものがいくつもあった。
これは別に愛新覚羅家から寄贈されたものではないのかもしれないが、貴重な資料なのに変わりはない。
1934年に講談社から刊行の「温泉・海水・登山・名所 全国旅行案内地図 附・満州国」この地図はかなり細かなものだった。
畿内から台湾、朝鮮、満州までが出ている。

吉田初三郎の鳥瞰図もある。大連の星が浦。例によって遠方には遥かな地が描かれている。
樺太が右にある。門司から大連港、海水浴場、ヤマトホテル、旅順、対岸には哈爾濱、モスコォ、ベルリン、ロンドン。
駅周辺は東京の田園調布のような放射線状を見せた区割りである。

千山の鳥瞰図もある。
山中に点在する寺院がいい。おお、無量観もある。
「狼の星座」「龍 RON」を思い出す。
温泉も大きい。

絵はがきもある。展示は数点だが映像では全32シーンが見れた。
満州国首都 大新京32景(高級原色版)である。
電話局がいかにもその時代の電話局なのがわたしには面白い。

観光バス、満州の土産物案内、時刻表…
時刻表には特急あじあ号のほか、急行のぞみ、ひかり(朝鮮)、ひかり、はと(満鉄)なども記されていた。

旅行スタンプもたくさんある。
そう、満州へは行きやすかったのだ。
1円は今の2000円ほど。
それから考えてもべらぼうなこともない。

今回はこうした資料も見れてとても興味深い内容だった。

図録を購入したところ、嫮生さんのご厚意により、愛新覚羅家で栽培されていた朝顔の種や絵はがきセットをいただいた。
ありがとうございました。

またいつかこのシリーズが続くことを期待している。

細川護立と近代の画家たちー横山大観から梅原龍三郎まで  前期

昨日は野間、今日は細川。
永青文庫へ近代日本画を見に行きましたよ。

前後期に分けて総入れ替えというスペシャルな展覧会。
それが出来るほどの近代日本画コレクションがあるのです、細川さんには。

「細川護立と近代の画家たちー横山大観から梅原龍三郎まで」
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☆日本近代美術を支えたコレクター・細川護立
時は明治後期、学習院の仲良したちが寄って同人誌を拵えたのが何もかもの始まり。
華族、士族のぼんぼんたちが西洋美術を紹介する「白樺」を発行したのは、本当に快挙だった。
その辺りの詳しい話は里見弴が熱心に記している。

さてその著書にもしばしば登場するのが同じ学習院仲間で大パトロン・細川護立さんだった。
細川さんは自分では絵を描いたり小説を書いたりはしないが、鷹揚な殿様気質でみんなのためにおカネを使った。
中世の欧州の貴族と同じく、芸術家を庇護するのは貴族のつとめという意識が活きた人で、学生時分から晩年に至るまで、芸術家の生活が成り立つように心を配り、おカネを使った。立派な方である。
そうした関係から多くの絵が集まった。

平福百穂 豫譲 6曲1双 大正 6年(1917) この屏風から始まる。
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1997年2月末、今は亡き奈良そごう美術館で平幅百穂展があり、その時のチラシがやはりこれ。
よじょう。落語にもなってるから知ってる人もいてるだろう。
旧主の仇を討とうとして果たせず、ついに豫譲は敵の衣を刺すというあれ。
絵は将に敵の前に飛び出す豫譲。馬車が凄い勢いでそれに対応する。
迫力のある絵。それを黄色い背景一本で収めて、人物の様子・心情を際立たせる。

菱田春草 平重盛 1幅 明治27年(1894)頃  昔から日本では清盛は大悪人、息子・重盛は篤実な善人と相場が決まっている。
「日本一の大天狗」(そう罵ったのは頼朝だが)こと後白河法皇を幽閉した父をいさめに駆けつける重盛の牛車。絵巻風な描き方なのがまた好ましい。

木村武山 祗王祗女 1幅 明治41年(1908)  その清盛に寵愛されながらも捨てられた祇王が妹・祇女や母と共に草庵を結ぶ。わびしい秋の野にしょんぼりと立つ尼の像。

今村紫紅 三蔵・悟空・八戒 1幅 大正2年(1913) 右から悟空が筋斗雲に乗って左へ飛んでゆく。中央、三蔵法師と白馬などがどこか頼りなげに佇む。
左はどこかの岩に座り込む豚と言うよりぺろんとした猪顔の八戒が座る。
飛ぶ・立つ・座るの三者の位置が右から左へ向かって下がってゆくのも面白い。

細川さんは別邸も画家たちに飾ってもらおうとする。
赤倉温泉に別邸があり、そこの板戸に絵を描いてもらうことを思いついた細川さんは、競作を頼んだ。今回四面のうち二面が来ていたが、それは「鳥づくし」の板戸。
右下から左上へぐるりと、大智勝観、横山大観、田中青坪、荒井寛方、堅山南風。
サギ、ミミズク、スズメなどなど。

今も続く「歌会始」に関わる作品もここにあった。
その年の勅題を絵画化した連作物。いずれも大観の手による。
贈られて細川さんは喜んだ。そしてその年届かないと「あれは?」と尋ね、大観先生「あ、忘れてた。お持ちしますね」という風に必ず届いたそうな。

旭光照波 1幅 大正11年(1922)  一面の青空に金の光が差し込みリズミカルな文様を拵えている。
山色新 1幅 昭和3年(1928)  白い富士山と手前の黒い松林の対比がいい。
田家雪 1幅 昭和12年(1937)  山並みの連なるその下に民家が。
神苑朝 1幅 昭和13年(1938)  お伊勢さんを描く。鳥居と白砂青松。

大観は大仰な作品より、抒情性あふれる小品が素晴らしく、細川さんだけでなく、大倉男爵のところにある松シリーズの小品がこれまた優しく素晴らしいのであった。
むしろ現在、大観をちょっと侮る人はこれらの小品の良さを知るべきかもしれない。

ところでこれらの絵はガラスに畳の展示ケースに飾られているのだが、その下には細川家が代々使ってきた大きな長持ちが全部で11あった。数え方を知らないので数だけ挙げる。棹でいいのだろうか。


☆細川護立と画家たちの物語
多くの画家たちとの交流がある。

前掲の赤倉温泉別邸の来訪者芳名帳がある。 9冊のうち3冊 大正~昭和期
サインだけでなく絵描きは絵を残す。大智は桔梗を描き、青坪は田舎風景、南風は栗。
また細川さんは軽井沢にも別邸を持ち、そちらのノートは「孤雲帖」と称した。
跡部白鳥も筆跡を残している。

中村岳陵の作品も集まっている。
山つくし川つくし 1巻 昭和2年(1927) 巻替え  山へ柴刈りに行った・泳ぐ河童などなど。岳陵で「泳ぐ」と言えば静岡県美の「婉膩水韻」を思い出す。

1960年、岳陵は四天王寺の金堂壁画を制作したが、その際に細川さんが特に気に入った絵の顔部分のみ拡大して再度制作する、ということをした。
初転法輪之世尊 1面 昭和35年(1960)  ブッダになって最初の時。優しいお顔。
摩耶夫人 1面 昭和35年(1960)  顔と脇を挙げた夫人。とても美人。
後期には「魔女」も現れる。
わたしが四天王寺金堂壁画の現物を見たのは2003年だった。
あのとき釈尊一代記の綺麗な絵に随分ときめき、やがて朝日新聞社刊の岳陵画集を手に入れたときは嬉しかった。
岳陵の展覧会自体は大丸心斎橋で見ていたが、その時にはこれらは出なかったのだ。

そして岳陵から細川さんあての手紙が紹介されていた。
昭和35年(1960)8月13日 文の隙間に四天王寺の塔の絵が描いてあるのがいい。

鏑木清方 抱一上人 3面 明治42年(1909)  まだまだ古風な様子がある。左右に美人をはべらす抱一上人。三味線を弾いているが、女たちは筆の用意をしたりと甲斐甲斐しい。

この絵の額装についての手紙があった。
鏑木清方 新美辰馬宛書簡 1通 (年不明)9月2日  当時は高貴な方へ直接どうのこうのと話を持っていくことはなく、家宰に連絡をするのが常だった。
清方は非常に細かな指示を記している。

こちらは家宰あてではなく、調べものの手紙。
平福百穂 小場恒吉宛書簡 1通 大正6年(1917)8月20日  冒頭の「豫譲」の絵についての話である。
豫譲のかぶる帽子は「一対帽」というものだそうで、それについての細かい問い合わせである。
横山光輝の「殷周伝説」「項羽と劉邦」などにもこの帽子の官吏たちが現れる。
大概宦官がかぶってたように思う。ちょっと調べることはわたしには出来ない。
平福程の人が専門家に問い合わせているのだものなあ。

安井曾太郎 連雲の町 1面 昭和19年(1944)  イタリア風だなと思ったらやっぱり解説にもイタリア風なとある。江蘇省にあるそうな。安井が描く大陸の風景はとても好ましい。今回は出ないようだが、承徳ラマ廟も素晴らしい絵だった。
同時期のものか安井からの手紙もあった。
昭和19年(1944)11月30日

梅原龍三郎 唐美人図 1面 昭和25年(1950)  これは絵のモデルになった像も展示されている。
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加彩舞伎俑 1躯 中国・唐時代(8世紀)
梅原らしい色彩の奔流がとても豊か。人形の形からゆくと、楊貴妃登場以前のものかと思う。
彼女が現れてから美人の基準が変わったのだ。
そして梅原が細川さんへこの像をお借りしたい旨を記した手紙もある。 昭和24年(1949)9月21日
その中に「武者や古径君に会いました」と言うのもあって、何となく嬉しい。

細川さんは大観より15歳下で青年の頃は大観に可愛がられるという感じだったそうだ。
爵位を得てからは関係が変わりはしたものの、大観は相変わらず細川さんと仲良しだったというのもいい。
ただしこちらも貴人に直接手紙を送りつけるのを良しとしないので、側近に手紙を出している。

その大観を描くというイベントが児島喜久雄によってプロデュースされた。
☆大観を写す-横山大観写生の会-
前期には1942年度の児島、梅原の絵が出ている。
この会は割と開催され、わたしも以前から他の人の絵も見ているが、確かに大観の風貌は魅力的で(男振りがいいというより、やっぱり風貌全体がいいのだ)面白い。

平和な頃にはこんなこともしている。
☆赤倉温泉での物語-手拭のデザインに挑む-
大観、百穂、梅原、大智らのデザインが面白い。

そして最後のコーナー。
☆画家から護立へ-扇コレクションを中心に-
前期10本ほどが出ているが、みんないい仕事をしている。
後期には清方の幽霊図もあるので楽しみ。

細川護立というヒトと画家たちの温かな交流が快い展覧会だった。
後期もとても楽しみ。

竹内栖鳳と京都画壇展 @野間記念館

永青文庫と野間記念館とが近代日本画の展覧会を同時期に開催。
野間の方は17日に終了、9/9まで夏休み。
永青文庫は7/30まで前期、8/1から後期。
わたしのいちばん好きなあたりの展示がこうして開催されるのはたいへんありがたい。
坂を上がりさえすれば、あとはほんの数分という野間と永青の近さなのだ。
泉屋分館と大倉集古館より近い位なのかな。

さて野間では京都画壇の特集があり、永青では主に東京画壇の作品が中心となっての展示だった。
わたしはびーぐるバスで坂を上がり、まず野間を見たので、そこから始めたい。
なお野間の展示は終了。
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竹内栖鳳と京都画壇展
暑い時はさわやかな近代日本画がいい。
清涼さを届けようとする想いが絵に浮かぶ。
京都は特に暑いので(じりじりした暑さを隠して)涼しそうな様子を描くのが巧い。
その絵に惹かれて、暑いけど気持ちよさそうとみんな錯覚し、ついついうっかり真夏の京都へ来て暑さにやられるのだが。

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松園さんから始まる。
惜春之図 1933  王朝美人が横目で散る花をみる。桜は鎖国し国風文化が拡がった頃から愛されるようになった。
爛漫たる開花もよいが、散る花を愛でることも桜ならでは。
散りゆく花を見てこの王朝美人も物思いにふける。

塩汲ノ図 1923  松園さんはこれをテーマにした絵を数点描いている。
野間コレクションのこの絵はお人形のようで、顔を挙げて虚空を見る。
わたしがこの世に「野間コレクション」なるものがあることを知ったのは、実にこの絵からだった。
1990年代初頭、「幻の野間コレクション」展が天満橋の松坂屋で開催され、栞だけ手に入れたが、ついに行けなかったのだ。
その栞がこの絵だった。
だからわたしにとって野間コレクション=松園さんの塩汲ノ図でもある。
野間記念館が2000年に開館するまで二度ばかり展覧会があり、99年春のなんば高島屋「近代日本美術の名品・野間コレクション」展でカタキは討てたが、いまだにあの時の無念さがこの絵を見ると蘇る。

野間記念館、この先も長く存続してください。

次は講談社の雑誌の口絵原画。
初音 1925  白梅の細い幹に手を添える伏せ目がちの娘。上品な灰紫の着物に鶸萌黄色の帯。静かに鶯の声を聴く。

加賀之千代女 1929  「朝顔に鶴瓶とられてもらい水」の句を描いているが、青い朝顔の繁殖率の高さ、すごいな。来たところで絵は終わるが、これ動画なら、千代女のこめかみに汗がにじみ、そのまま後ずさる状況だんな。

静御前之図 1929  初見。右向き。足元に花が散る。吉野の静。鼓の糸を確かめようとするところ。芝居の静御前を絵にした感じ。

竹内栖鳳登場。
古城枩翠 1926  あれよ、藻刈ですわ。江戸城の。この様子は他にも描いている。
藻刈舟は風情ある良い絵だが、大坂ではかつて森一鳳えがく藻刈舟の絵が大人気だった。
「藻を刈る一鳳」=もぉかるいっぽう=儲かる一方・・・縁起物ですな。
こちらはそうした機知はなく、風情を前面に出した絵。

鮮魚 1933  笹の上にグジ。グジとはアマダイの事。京都人はとにかくこのグジをよく食べてはる。
自分は立派な絵描きになったが、実家は著名な料理屋さんでほんまなら跡継ぎだった栖鳳。
絵描きの道に進ませてくれたのはお姉さん。
お姉さんの徳を生涯たいせつに思った栖鳳、この話はいつも栖鳳描く鮮魚や野菜を見ると思い出す。
そして跡は継がなかったが、仕事の側で絵を描いてただけに、野菜でも魚類でもなんでも美味しそうに描くところがとても好きだ。
ええ素材がないと困るからなあ。

猛虎 昭和初期  応挙先生以来、虎の絵は特に関西では可愛いのが多いが、さすがに栖鳳は近所の京都市動物園に学生や弟子を連れて行ってみんなで写生したり、実際に渡欧してライオンや虎のいる動物園を見たりハーゲンベック・サーカスを見に行ったりしてるだけに、リアルさがある。
あるというても「猛虎」とは言えないほど温和な虎。のんびりと身を横たえ、くつろぎ中。手をぺろ。可愛いなあ。
・・・まだ大阪タイガースは成立してない頃かな。(1935「大阪タイガース」発足)

勢幾禮以(せきれい) 1929  60年後の「世露死苦」とはニュアンスは違うものの、大正末期から昭和初期の主に女学生の間では「小夜奈良」などと当て字が流行った。 
さくらがりにしても様々な文字をあてていた。
鶺鴒が一羽汀にいるところ。

舞燕 1934  ハッッという感じの燕が左側にいる。身を翻して岩から飛んでる。勢いが感じられる動き。
うむ、こういうのをパサッとするのが厳流の燕返しかも。

徳岡神泉 鶉図 1935  木賊のところに見返り鶉。絵はまだ後年の深遠さを獲得していない。

野間コレクション誉れの「十二ヶ月色紙」が今回もずらり。その年の月ごとに描かれたかどうかまでは知らないが、揃いのものは全て同年に制作されている。
松園さん1927、神泉1934、榊原紫峰1930、堂本印象1927、福田平八郎1927、中村大三郎1928、宇田荻邨1928、山口華楊1930、松篁さん1931、まつ本一洋1928、1933、山元春挙1933、小村大雲1928、川村曼舟1928、勝田哲1931、木島桜谷1928、1933。
204点の月次絵。
それぞれの個性がよく出ていてとても楽しめる。
自分のメモには一点ずつ感想をあげているがさすがにここには再現できない。
好きな絵が多くで本当に愉しめた。

小野竹喬 藻刈舟 昭和初期  さらりとロングで捉える。文人画風だなと思ったら、やはりその時期それに凝っていたのだ。
後年の作風とは全く違うが、こうした過程があったからこそ、後の個性が確立されるのだ。

龍峡帰舟 1933  こちらも同時期のもの。天竜川の様子を描いている。
龍峡で天竜川だと認識されてるのか。まあわたしらも「嵐峡」で嵐山かとなるものな。
ところで市丸姐さんの歌った「天竜下れば」は1933年のヒット曲。

案外そんなところにもこの絵の気分があるのかも。

土田麦僊 春 1920  四面対の絵。母子をとりまく春。白い花が幻想的に描かれている。椿、梨、タンポポなど。赤い花が含まれているが白が圧倒する。
雀が飛び交う様子も愛らしい。

大原女、都をどりの宵 といった京の風俗を描いた絵も出ていた。

わたしは麦僊に対してある種の感じ悪さを抱いていて、いい絵を見てもなんとなく憎らしさが先に立つ。
やはり「きたない絵」事件が今でも尾を引いているのだった。

菊池契月 寒牡丹 1925  妙に白い顔の耳隠しの女がこちらを見ている。
羽織は梅を線描で表現し、小さな曲線をつけているところがどこかアールヌーヴォー調で、綺麗だった。

荻邨 淀の水車 1928  出ました、荻邨といえばこれ。この絵はわりとラフな感じがする。
よく働く水車の周りにクイナ、サギらがいる。水車からアルカリイオンが出てるのではなく、小魚が巻き込まれて飛び出すのを待ってるのかな。

春挙の山岳絵も数点。
白樺ノ林 大正期  巨峰のずっと下に人馬が見え、絵の手前に白樺林が拡がる。
日本と言うよりアルプスのようで、ハイジがどこかにいるような気になる。
春挙は登山愛好家で絵も雄大な山岳を描いたものが多い。

琵琶湖春色図 1926  膳所に暮らした春挙にとって琵琶湖は常に活きるもの。手前に小さく花々や木々が描かれているが、ただ、わたしは琵琶湖に詳しくないので、これがどこからの長めなのかはっきりと言えない。

霧嶋嶽図 1833  山の上に日が当たり、光の諧調が見られる。人馬がゆく。岩にはところどころ赤い花がまといつくように咲く。

雲雀山之図 1933  王朝風俗の姫が山中にいる。そう、中将姫です。継母に雲雀山に捨てられたところ。
春、雲雀飛び交う山の中。
イメージ (655)

勝田哲 春風 昭和初期  大柳が風で揺らぐその下、髪を布でまとめた室町時代風の女が立つ。
勝田は美人画の大家となるが、戦前は様々な時代の女を描いていたのか。
戦後のは舞妓や芸妓が多かったように思う。

とても楽しく眺めた。色紙についてはいつか記せたら記したいと思っている。



2017.7月の東京ハイカイ録

暑いのも度を越えてるこの近年。
夏がだんだん憎まれてゆくね。

ということでこの暑いさなかに東京へ出向きましたがな。
朝の6時に家を出たけどもう暑いのなんの。
あかんやろ、これ。

9時半に東京へ着き、いつもはロッカーなんだが、今日は知ったばかりのメトロリンクeで動くことにしたのだが、これがそもそも失敗。
土曜は10時からだから待たなあかんのさ。
あーづーい゛ー
鉄鋼ビルは涼やか。


外から見た限りだが、いい感じですな。

ようやくバスに乗る。
目的地の近くまで行くので助かるわ。

さてわたくしはまず両国へ。
この日からJRの使われてないホームで餃子とビールやってるそうで、ヨダレ湧いてきたよ。
えらく大行列らしいが。

大河ドラマに合わせた特別展。大阪にも来るけどまあ先に見とこう。
・・・井伊家か。考えたら徳川の譜代やん。
彦根のひこにゃんは好きだし井伊直弼もけっこういいが、ご先祖には関心なかったやん、わたし。
赤備えか。真っ赤っ赤ですな。それに金で井桁。
もぉよろしい。くそー

とりあえず冷たい麺が食べたくて時間は早いが、江戸博1階の茶ら良で冷たいうどん。
なかなか美味しいし量が案外多い。
これ食べてから元気出して外へ・・・

大江戸線一本で六本木、サントリー美術館に到着。
「神の玉手箱」も終盤。面白い展覧会だったけど、来るのが遅くて申し訳ない。
外国の万博に出して、帰り際に船が座礁して沈没した小鳥と木花の箱の再現が素晴らしく良かった。
奈良の北村昭斎さんと明治にも再現した人がいて、どちらも凄く良かった。
絵柄自体、前田青邨が描きそうな感じがして、意外なくらい近代的。
もったいないなあ…
でも再現がこんなけ良いということは、原物もよいだろうし、これはもしかすると竜宮にあるのかもしれないな。

恵比寿。恵比寿からは歩きましたよ、わたし。
それも途中地面から離れた陸橋まで上りましたよ、らせん階段でぐーるぐる。
いやもぉこの暑い時に駅から遠いところは厳しいよ。パスに乗る算段つけたらよかった。

山種では川端龍子展。いい絵がたくさん来てた。
わたしの中で「ベスト・オブ・日本画100選」に選んでいる「夢」も来ていた。
ときめいたなあ。
龍子の童画や抒情画もあり、いいラインナップ。
西馬込の記念館にもよく行くけど、やっぱりいいなあ。

モスで一休みしてから上野へ。
まずは西洋美のアルチンボルド展。
これがわたしには非常にニガテでナマナマしさがダメでした。
写実はニガテなの。
とはいえ、日本の祭りで良く見る「つくりもの」だと思えばいいのかもしれない。

常設ではル・コルビュジエの妄想というか現実から乖離した計画の足跡をみる。
面白いが、これはどうなんだろう・・・
建築家に往々にみられる傾向とでもいうか・・・

常設ではこれが良かった。


わたしは都市風景は好き。

やっぱりと言うか当然と言うか時間がかかりすぎて、なんぼ本日21時迄開館ですの東博さんであっても、わたしの見る時間は足りません。
タイ展は来月。なんか淋しそうなタイ展・・・ごめんね。

今回は「びょうぶとあそぶ」に長居してしまった。
インスタレーションと見るべきなのかな、古美術の。
たいへんよくて、数年前の「京都」展での竜安寺の庭の1年を追いかけた4Kカメラの映像を思い出したわ。

常設だけでも時間が不足した。
来月はタイ展を楽しみます。

初日ここまで。

2日目は出遅れた。
曙橋へ出ると、以前と違い新宿歴博への道順がわかりやすく表示されてるので助かる。
ぷらぷら歩くと不思議な地形を見たりするので、これがあれかな、タモリの言うナントカいう地形かなと勝手に思ったり。
「れきはく どうぶつえん」入ります。
新宿歴博所蔵の色んなどうぶつを集めて分類した展示、動物園でしたわ。
たのしいよ。
わたしも大いに楽しみました。

それでリスのソフビ、名前がわからないとあったので、これは昔のアニメ「リスのバナー」のGFだと思い出してお伝えする。
あとソフビで「犬」表示のもの、「フランダースの犬」のパトラッシュやん。ちょっと泣く。

紀伊国屋に行き、水山でうどんを食べる。チェーン店だけどここの店舗がいちばん好き。
おいしかったわ。
西新宿まで乗り、損保・・・美術館へ。
吉田博展は千葉市美でものすごーーーく堪能したが、新宿でも見ようと来たら、なんか物凄く混んでる。
やめた。来月に行こう。
それでそのまま千葉市へ向かう。

今日は道を覚えるために都営新宿線で本八幡まで出て、そこから京成線に。
JRに乗るとエキナカでパンを食べるけど、今日はいらない。
京成線の千葉中央まで出てきぼーる通りを行く。
10分ほどで千葉市美についた。ああ暑かった。

暑い中で椿貞雄の暑苦しい写実絵を見ていよいよ暑くなる。
その反動でか文人画が非常に良い。
幼女、少女らがやたらとスイカを食べている。
写実画は冬瓜と南瓜。
文人画は西瓜。
わたしはスイカが食べたくて苦しくなった。
描かれた少女たちばかりにスイカを食わせてなるものか。

というわけで帰途に小一時間かかるのに、きぼーる通りでスイカやなんだかんだ買ってしまい、そのままホテルへ。
膝の上のスイカやその他のものが冷たさをなくしてゆくのを感じながらやがて定宿に帰り、しばらく冷蔵庫に入れて支度色々し、それから買ってきたものを食べる。
スイカも1/3ほど食べる。甘さは足りないが、やっぱりスイカはおいしい、買ってよかった。

一休みしてから銭湯行きの支度をし、先にもう一つの目的地に向かうが、自分の思っていた状況ではなく、なんとなくがっかりする。
それからは銭湯へまっすぐ。

本所の黄金湯。先客の奥さんと挨拶し、中へ入ると一人だけ。満喫しましたわ。
生レモン湯とかね。
上がると今度は三々五々お客さんが来たのでタイミング良かったみたい。

押上駅経由で帰ろうかと思ったけど、錦糸町についたら渋谷行きのがすぐに来たのでそっちに乗る。
乗り換えて地上にでたら風が気持ちよかった。

二日目ここまで。

さて海の日。送迎バスで東京駅についていつものロッカーにキャリーを放り込んでから動く。後楽園に着いたら目の前をびーぐるバスが行き過ぎてしまった。
地下二階で文京の町の写真を見る。
自由応募か。



時間が来たので今度はきちんとびーぐるバスに乗り、まずは野間記念館へ。
京都画壇の日本画を堪能する。
やっぱりええのう。

続いて永青文庫ではここの所蔵する近代日本画。
二本続けて同じような展覧会を見るわけだが、こちらは東京画壇がメイン。なので全然違うわけです。
そしてこちらも存分に楽しむ。



椿山荘の横を降りていくが余りに暑くて目がくらんできた。
ようやく江戸川橋駅についてからさてランチをどうしようと思ったら、なにか名古屋系のグリルがある。
スペシャルを頼んだら、焼き肉をフライにしたものが出てきたので、これは初めて見るものでしたな。

その後は弥生美術館。
ここはねーどう急いでも二時間はぜっったいに必要なので、二時に入ったら四時かなくらいでいても、実は気づいたら五時前なんよね。
というわけで大正時代のラブ・アフェアあれこれを学んだのでした。
マツオヒロミさんのイラストがそそるそそる。
いちばんときめいたのは「椿の間」。
椿の絵の壁面を背景に、軍帽・アイパッチ・振袖・ピンヒールの令嬢が、周囲に揃いの黒の中国服にサングラスの屈強そうな男らを従え(一人だけやや細身の美男そうなのも)、手には鞭、足元に猛虎という好い絵でした。

華宵の水辺の美少年・美女、夢二の美人の三分類なども面白かった。



五時前に出たからもう三菱も損保もむりで、いっそ地下鉄のジャンプ・スタンプラリーしようと乗り換えあちこち。
けっこう集まってきた。残りは来月。

結局いつものように日本橋から東京まで歩く。
おみやげやお弁当など購入して疲れきって新幹線。
今回はポイントがたまってたのでグリーン車。空いててよかった。
車内では例のあれを購入。



タクシーで帰宅すると猫どもだーーーーれも出迎えなし。暑いから外にいるようで、わたしが帰宅したことどころか、不在も知らなかったかも。
猫めらーーーっ

とりあえず今月はここまで。


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