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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

御挨拶 

二年ほど前から家庭の事情と個人の事情で以前のようにみっしりと展覧会の感想を挙げたり、見に行った建物の写真を挙げたりが殆どできなくなった。

更に間もなくウィンドウズ10にパソを入れ替えねばならぬのに、非常にまずいことにこのブログのパスワードを完全に忘れてしまっているのである。
更に更に間の悪いことにブログの連絡用メールがこれまたほぼ死に体で使い物にならない。
昨日辺りから復旧作業をしているが、わたし個人の本人確認が出来ない、との返事でこれはもう完全にあてにならない。
つまりこのブログを更新できない可能性が高く、そうなるとgooの方が本体になる可能性が強い。
愛着はあるが、パスワードがわからん、メールがダメとなるともうどうにもしようがない。
本当にとんでもないことだ。

パスワードがわからなくなった理由は色々あるのだが、追い付けなくなったというのがいちばん近いと思う。
そう、変更の速度に。二ケ月ずつ変更するのに疲れたのだ。
わたしの場合、ある一定のルールに沿った命名法を使用しているが、それがどれに当たるのかがわからなくなったというのがいちばん正しい。いろいろ確かめたいが、それをするとその時点でこれがもう使用不能になる。誠に無念だが、もうどうにもならない。
いつかこのブログを再開させたいと思うが、いつのことになるかわからない。
当分はこちらの遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う
をメインにする。
いつかまたこちらでお会いしましょう。
なにしろ愛着と資料がてんこ盛りなのだ。

とりあえずそういうわけでスリープする。



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「ルノワールとパリに恋した12人の画家」展は楽しい

横浜美術館で開催中の「ルノワールとパリに恋した12人の画家」展に行った。
オランジュリー美術館のコレクション展である。21年ぶりの来日だというが、その21年前の展覧会は京都で見た。
京都国立近代美術館。そして同日向かいの京都市美術館ではスイスのプチ・パレ美術館展が開催されていた。
二つの洋画展を見て満足して帰ったと当時の日記に記している。

今回あまり情報を入れずに行ったので、ついてから初めてオランジュリー美術館展であり、ポール・ギョームの目を通したコレクション展だと知った。

オランジュリー美術館には随分前に行った。パリではルーブル、オルセーなどの大きいところへも行ったが、好ましく思ったのはこのオランジュリー美術館とモロー美術館で、特にオランジュリー美術館には滞在中に二度も行った。
なので再会する絵がいくつもあり、それがとても嬉しい。

近年洋画を見る重さに負けてきたのだが、やはり印象派から1950年代くらいまでの絵を見るのは楽しい。
気分が明るくなるといってもいい。
なにも無理して絵から人生の暗部についてとか考えたり見出したりしたくない。
以前からその考えがあるが、近年特にその傾向が強い。
自分の<現実>がしんどいからだと思う。
そんなときにこうしたなじみのあるモダンな絵を見ると気分が明るくなる。

ルノワール、モネ、セザンヌ、シスレー、ルソー、マティス、ピカソ、モティ゛リアーニ、ドンゲン、ドラン、ローランサン、ユトリロ、スーティン。

中でもマティスの作品はすべてがよかった。
7点は1915-1925頃までの作品で、いずれも非常に豊饒だった。
三姉妹
若い娘と花瓶(別名:バラ色の裸婦)
ブドワール(女性の私室)
ソファーの女たち(別名:長椅子)
青いオダリスク(別名:白い女奴隷)
ヴァイオリンを持つ女
赤いキュロットのオダリスク
こういう好きなものばかり集めてくれたのは本当に嬉しい。

ドラン アルルカンとピエロ  これはあれだ「水曜どうでしょう」ですな。

スーティンもこんなにたくさん見たのは三越での展覧会以来か。
スーティンとキスリングは三越のおかげでよい作品を知ったのだ。
90年代の懐かしい話。もうこんなに遠くへ来てしまったのか。

実はローランサンとユトリロの作品の感想を書くのは難しすぎてしたくないのだ。
「いいなー」これで終わる。それ以外にもあるのだが、言語化しにくいのだ。
たとえばユトリロの場合、まず「せつない」という感情が先に立ってしまう。
彼の伝記を措いても描かれたパリの街角にはどこかせつなさがある。
そしてローランサンの娘たちは抑制のきいたグレー、ピンク、時にブルーをまといながら黙って微笑む。
音楽性を伴う静謐さ、という多少矛盾した何かを感じて、表現する言葉を失くすのだ。

ドラン、モディリアーニ、ドンゲンのポール・ギョームの肖像。これはパリでも見た。
ドランのギョーム夫人の絵ハガキも手元にある。

ルソーの絵は本人がマジメに描けば描くほどなにかから遠のいてゆく。
ジャングルの絵以外は自分が実際に見た情景からの製作だろうが、それでも何故これなのか、と常に思う。
もし万一本人がそこにいたなら、そして感想を求められたらどうしよう。
よくそんなことを思う。

新古典主義時代のピカソの絵がいろいろある。
この時代のピカソの絵は好きだ。
楽しく眺める。

やっぱり1920年代は素晴らしい。

そしてその前代のルノワール。
ルノワールの色彩を見るだけでも心地いい。

ポール・ギョームと言う若い画商がどれだけすぐれた眼を持っていたかがよくわかる。
彼の部屋の写真と再現マケットがあった。そこだけ撮影可能。

とても楽しい展覧会だった。
1/13までなので、行ける人は行って心地よさを楽しみましょう。

夢二 長崎十二景

おとどし久しぶりに長崎に遊んだが、なかなか写真をまとめられない。
そんな自分をせかせるためにも夢二「長崎十二景」を挙げる。
画像はすべて嵯峨嵐山文華館所蔵。

青い酒
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サボテンの花
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ネクタイ
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十字架
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燈籠流し
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化粧台
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出島
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浦上天主堂
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凧揚げ
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眼鏡橋
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阿片窟
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丘の家
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夢二は長崎に遊ぶ前から彼の地に対し憧れを懐いており、よい作品を拵えている。
「異国情趣あふれる」という言葉は、現代より夢二のいた百年前の方がずっと実感があったことだろう。
夢二は大正7年に長崎に行き、大正9年にこの連作を完成した。
その際この作品を当地でお世話をしてくれた方に進呈したという。
当時の長崎には数多くの文人が訪れた。
芥川、谷崎、茂吉、菊池寛らもその方のお世話を受けたという。

ところでこのメンバーは上村一夫「菊坂ホテル」で秋の日に谷中墓地で宴会をしている。
彼岸花咲き乱れる中に自殺少女を発見する一同。
最初に見たのは精神科医でもある斎藤茂吉だが、その時は医師としてでなく歌人の眼で少女を見ており、みんなに知らせるが、このメンバーが口々に好き勝手なことを言う。
少女は夢二のデザインした便箋に遺書をしたためており、夢二はそれを喜び、その夢二に菊池が「よかったよかった」といい、更には芥川も夢二のデザインを誉める。
挙句遺書の文がまずいと谷崎が言うので書き直そうと言い出したところで、我慢ならず少女が跳ね起きて一同を叱りつける。

実際にはこんな状況はなかったろうが、とても面白く読んだ。
特に少女を前に救護もせず、それぞれ好き勝手なことを言い合うのが、これまた各人の個性を表しており、読みながらついつい笑ってしまう。

話を戻し、連作「長崎十二景」はどの絵もみなエキゾチックな美しさがある。
らんたんの下で洋酒を嗜む女の着物は蒲公英柄で髪型も凝っている。
三味線を弾く女の後ろにはサボテン。ここで月琴なら明治となるが、大正なので三味線。
ソファに座る遊女の傍らには青銅の基督像。
緋縮緬の長襦袢の下にはシュミーズ、その立姿を眺める外国の海軍士官。
出島の前をゆく伴天連たち。
髪を白布で隠す女と天主堂へ向かう人の群れ。
凧揚げを見る芸者をみつめる滞留外国人。ところで長崎ではこれは「ハタあげ」という競技ではなかったかな。
石で出来た眼鏡橋。
「長春楼」という名の魔窟とChinaの妖しい女達。

夢二の憧れが結晶化した名作。

国宝彦根屏風と国宝松浦屏風 遊宴と雅会の美

昨年末に終了した展覧会だが、そのままスルーするには惜しいので少しばかり挙げたい。
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イブに出かけるとかなりの人出があった。講演会の日や土曜の解説の時間帯くらいのヒトデ☆である。
それでも別に困ることなく展示を見る。

北野社頭遊楽図屏風 狩野孝信 桃山-江戸前期  濃厚な人々。ふっくらめで遠近の違いはあれど、よく描きこまれている。
大体の年数もわかっているらしい。1607-1618ころ。ははあ、なるほど。
多くの人が結構距離感を縮めて仲良くしている。行動を見るのも楽しい。
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邸内遊楽図屏風 江戸前期 奈良県美  こちらもまた個性的な人々が多い。寝そべる女に食い散らかされたごちそう。
尺八を吹く男を中心に庭で群舞が続いている。門外では若い衆二人がなにやら…
寛永年間頃だという。

大和文華館誉れの阿国歌舞伎草紙、輪舞図屏風なども出て、華やか華やか。

遊楽図屏風 江戸前期 浄信寺  将棋盤を真ん中に男二人が喧嘩中。止めに入る老人もいるが、そばにいる女二人は知らん顔。MOAに似た図柄の作品がある。このお寺は木之本にあるそうで、お庭がよいそうな。そこにこうした絵が伝わるのだ。

彦根屏風  やはりいいなあ。昔彦根城に行った時、撮影どうぞと言う気軽さで、井伊家のお宝をぱちぱち撮らせてもらったなあ。なんとなく楽しい。この「なんとなく楽しい」という気分こそが風俗図の遊楽図の本質だと思っている。

松浦屏風は第一室と第二室の同じ配置に展示されていた。大きいから分けたのだ。
やっぱりエエやないですか。

カルタ美人図 江戸前期  松浦屏風の中でサシでカルタをする女たちがいるが、その二人をこちらに転用したような絵。
サシで「天正カルタ」をする二人。

美人曳犬図 住吉広定 江戸後期  彦根屏風のお姉さんを参照したらしい。
懐古。清朝がやきもので古代青銅器を再現したのを思い出す。
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かわいいねえ。


絵ばかりではなく工芸品も。
宴の器として重宝された蒔絵椿紫陽花文提重の底以外の全面が見えるように展示されていた。
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これほんと、好き。
椿も紫陽花も大好きな花なので、最初の持ち主さんとは話が合いそう。

青木木米の煎茶用の盃もある。可愛い。

応挙の一門や交流した人々が寄り集まって楽しく過ごした証拠がこの世に残る。
東山第一楼でみんなわいわいと書いたものがある。1799年。
今回は世継寂窓という人の揮毫図が出ていた。この絵師は知らないのだが、京の人だそう。

なんだかんだと楽しい様子が集まっていて、こちらも楽しくなった。
わたしはやはり遊楽図から浮世絵へと至る道が好きだ。
展示は終わったが、挙げれてよかった。

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双六あつめ

かつて正月と言えば双六で遊んだものだ。
昭和まではそうだった。
中世までのとは違う、ちょっとばかり個性的な絵双六を集めた。

江戸時代の双六
都名所絵方角かんがゑ
ぐるぐる回る双六でしかも判じ絵
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幕末から明治の頃の東海道五十三次双六
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明治の西南戦争を描いた双六
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明治の東京鉄道双六
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こちらは明治半ばの東京名所双六
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憲法発布祭典双六 1889 三代目国貞
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少年少女向けの雑誌ふろくの双六を少しばかり。

夢二 大正の「家族双六」少女の日常を描く
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夢二の双六はいいものが多い。

夢二 パラダイス双六
わたしの住みたいところ。img610.jpg


川端龍子 友子の空想飛行双六 可愛い。
イメージ (877)


少年飛行双六 巌谷小波・案 岡野栄画
少年の夢は空を行く
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清方の双六も。様々な物語の美人集め
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他にもこのブログでは双六を色々集めているので、調べたい方はぜひ。
(それもまた双六のようなものだね)
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