美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

初夏の白鶴美術館

白鶴美術館は春秋それぞれ3か月間展覧会を開催する。
春季展は間もなく終了する。
昨年12月には、白鶴美術館を撮影させていただいたのをこのブログ上で挙げている。
白鶴美術館の建物
その1
その2
その3

今回は初夏の白鶴美術館の外観や庭園を紹介したい。
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青天の白鶴美術館。

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ここへ来るまでの道のりがしんどいのだが、たどりついて風に吹かれた時の心地よさ、ちょっと言葉に出来ない。
日本一居心地の良い美術館ではないかと思う。

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一階外部部分の金具だが、タコに見えるのもご愛嬌。

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サツキがまだ愛らしさを見せる。

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鯉が波を揺らす。

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カラーが咲いている。青紅葉が水面に映える。

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ああ、きもちいい…

茶室へ。
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シダが可愛い。
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変わった様子を見せるのも愛しい。

展覧会の感想も近々。
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祈りとかたち 知られざる建築儀式の世界

いつも行くのが遅くなって会期末になってしまい、まことに申し訳ない。
竹中大工道具館。
「祈りとかたち 知られざる建築儀式の世界」展
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チラシのこのお道具は実際に使うものではなく、上棟式の儀式用具だそうだ。
なるほど蒔絵を施した美麗な様相を見せていた。

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上棟式、棟上げ式。
今も見かけることが少なくない。
個人的な話を一つする。
今の家はわたしが高校に入ってすぐの頃に完成した。
母が建てた家。
当然ながら上棟式を行っている。同じ敷地内にオジも家を建てたので共同の上棟式。平日の昼。
母がどちらの家の施主として臨み、棟梁と職人の皆さんも古式ないでたちで粛々と執り行ったそうだ。
その後は直会もした。
この話は今さっき確認したところ。

その上棟式、竹中工務店は初代が大隅流と言う祭式を創始したそうで、その紹介がなされていた。
チラシ上部の大隅流祭式の上棟式祭壇の説明をよむ。
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祭壇背後の浅黄幕、四神旗(五色旗)、三つの幣串(扇車)、緑の神籬、五幣と三幣、鯛や餅や果物、野菜、塩、お菓子や清酒などの神饌。
向かって左には儀式用の槌と当板、右には蒔絵で装飾された儀式用の大工道具。

そして写真はないが、巨大なカブラ矢とカブト矢とがあった。どちらも魔を祓うものである。
前者は鬼門に向けて矢を、後者は病門に向って矢を、それぞれ三度ずつ引く。
カブラ矢は蟇目矢(ひきめや)、カブト矢は雁又矢。
矢の震えは聖なるものなのだということを改めて想う。

竹中工務店の大隅流は手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)、天津国常立尊(あまつくにのとこたちのみこと)を三祭神として奉る。
上棟式で着用する直垂が展示されているが、これも立派なものだった。
その様子が映像で流れるのを見た。

今回は上棟式の祭壇を展示していたが、地鎮祭の時もやはり丁寧な儀式を行うのだろう。
いつかその様子も見てみたいと思う。

コーナーは違うが、地鎮祭の盛砂も展示されている。円錐形の砂が盛られ、その前にドーナツ状の盛砂がある。
その穴の部分にしずめものを埋めるそうだ。

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番匠の始祖として聖徳太子の像がある。
成人後の太子の立ち姿図で、その前の卓上に大工道具がある。

建築祖神像も興味深い図像を示していた。
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最上部の恐ろしげな様子の人は神武天皇、中段には手置帆負命、彦狭知命それぞれの孫たち、そして最下段には聖徳太子。

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資料もこのように残っている。

くだけたところでは、幕末から明治の大工仕事の様子を鯔背に描いた錦絵も数点。国貞、国周などがかっこいい大工たちを描いている。

他に伊勢神宮内宮の模型があり、先年の式年遷宮の手順が紹介されていた。
神様は数十年ごとに移られねばならないのだ。
常設展示の西岡常一棟梁の紹介コーナーではこの企画展に合わせての展示があった。
神仏への尊崇の念が活きているのを感じる言葉が出ていた。

5/28まで。

「茶の湯」展にゆく

東博で開催中の「茶の湯」展の感想を挙げたい。
「茶の湯」と究極の言葉を使ったタイトルの展覧会である。
これに対抗できるタイトルはもう「茶道」しかない。
知ったことだが、1980年に「茶の美術」展が東博で開催されて以来37年ぶりの特別展だという。

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サイトに展覧会の狙いが記されている。
「禅宗寺院や武家など日本の高貴な人々の間で浸透していきました。彼らは中国の美術品である「唐物」を用いて茶を喫すること、また室内を飾ることでステイタスを示します。その後、16世紀(安土桃山時代)になると、唐物に加えて、日常に使われているもののなかから自分の好みに合った道具をとりあわせる「侘茶」が千利休により大成されて、茶の湯は天下人から大名、町衆へより広く普及していきました。このように、日本において茶を喫するという行為は長い年月をかけて発展し、固有の文化にまで高められてきたのです。
本展覧会は、おもに室町時代から近代まで、「茶の湯」の美術の変遷を大規模に展観するものです。「茶の湯」をテーマにこれほどの名品が一堂に会する展覧会は、昭和55年(1980)に東京国立博物館で開催された「茶の美術」展以来、実に37年ぶりとなります。
各時代を象徴する名品を通じて、それらに寄り添った人々の心の軌跡、そして次代に伝えるべき日本の美の粋をご覧ください。」

わたしはこの展覧会に二度で向いた。最初は内覧会である。
内覧会は興奮するもので、わたしなども血が沸き立つのを感じながら会場へ入っていった。
心を鎮めるための茶の湯ではなく、心が勇躍する茶の湯展だった。
二度目に行ったのは夜間開館の夜だったが、こちらも熱気が凄かった。
感想は期間が入り混じり、既に展示終了したものもある。

第1章 足利将軍家の茶湯─唐物荘厳と唐物数寄
第2章 侘茶の誕生─心にかなうもの
第3章 侘茶の大成―千利休とその時代
第4章 古典復興―小堀遠州と松平不昧の茶
第5章 新たな創造―近代数寄者の眼
この章立てを見ただけでも気合が満ちてくる。
茶の湯で心を鎮めるのは、わたしにはムリそうですな。

第1章 足利将軍家の茶湯─唐物荘厳と唐物数寄
静嘉堂の曜変天目と東洋陶磁の油滴天目が同座している。
これだけでもなんかもう凄いなと。
わたしは地元っこひいきで油滴さんが好きだが、比べることの無意味さを改めて知りましたね。
違う宇宙、別々の銀河がそこにある。
しかも360度近くを観まわすことが出来て、本当に嬉しい。
これはさすが東博という見せ方。
阿修羅の展覧会以来、多方面から見せてもらえるようになり、それが今や定着している。ありがたいことだ。

会期を変えて牧谿の絵が続く。
室町時代、最も牧谿が尊ばれたことを想う。
三幅対の観音猿鶴図がある。大徳寺からきた。
丸顔の猿たちが可愛らしい。

展示期間が違うので一堂に会するということはないが、伝・牧谿の名画が何点もラインナップされている。
そしてそれらを収めた図録がいい。
布袋、叭叭鳥、竹雀、みんなスヤスヤ眠る様子を描いていて、その図版が名がよく並ぶのもいい感じ。

禅宗の六祖図、寒山拾得図もここに集まる。
描き様も様々でそこがまた面白い。

東アジアは花や虫を愛してきた。「死を思え」ではなく、精一杯生きるはかない命を愛した。
彼らを描いた絵は悉く優しい。
南宋時代のいい絵が配置よく並ぶ。

丸顔でない、ニホンザルのような猿もいる。
伝・毛松の猿は物思いにふけっているような顔つきをしている。

作品とその所蔵先を見るのも楽しい。
そこから「以前にあの展覧会でも見たな」と思い出すことになる。
更に私設美術館、個人コレクションで名を明かしているものだと、その人がどのような経緯で名品を得たのか、どのような逸話があったのか、そのことを思い起こしたり、想像するだけでも楽しい時間が過ぎる。
そして自分はそれらと最初に向き合った時、どのように感じたのか。

こうした記憶が次々と湧いて出るのも「茶の湯」に関する展覧会ならではかもしれない。
茶の湯では連想、追想を大切にし、そこからお道具の銘をつけることが多い。
そうして考えると、やはり茶の湯というものは人間の精神の在り方と非常に深くかかわっていることを、改めて思い知らされる。

南宋から元のよいやきものが現れる。
一点だけよりも、いくつも並んでいる壮観さに惹かれる。
中でもやや釉薬の厚めにかかった元代のやきものなどは特にいい。

やがて趣向を凝らした、あるいは意図せぬ様相をみせるやきもの群が現れた。
天目茶碗たちである。
かれらに再会できる喜びは深い。
東博、三井、東洋陶磁、京都の龍光院…
わたしは龍光院の油滴天目とは初対面かもしれないが、そのつつましい愛らしさに微笑んだ。

手の込んだ木彫の天目台、漆を重ね重ね彫り込んで作られた堆朱、堆黒。
南宋時代に生まれたのに、時折ウィリアム・モリスの商会から現れたようなものや、アールデコの作品としてパリで愛されたように見えるものがある。
不思議な一致だとおもい、それが楽しい。

慕帰絵 巻五、不動利益縁起、祭礼草紙などの絵巻の一部も出ていた。酒食と喫茶とが描かれている。

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第2章 侘茶の誕生─心にかなうもの
古人の心のありようをおもう。
彼らの愛した茶器、掛物などを見ることで追体験したいと願う。

…のだが、実際のところ、わたしは侘び寂びがわからない。
ある種の抑圧を感じて苦しくなる。
たぶんその抑圧こそが心の平安を齎す何かなのだろうが。

シックな、という表現をしていいのかどうか、地味な味わいの唐物が続く。
そして禅僧の書。

大井戸茶碗 銘・喜左衛門  これを見ると必ず思い出すのが溝口健二のエピソード。
映画「西鶴一代女」制作の最中、プロデューサー児井英生が孤篷庵と縁があることを知り、茶碗に触らせてほしいと希う。
児井が席を設けると、さすがの溝健も緊張し、非常な感激をあらわにしたそうだ。
近年の根津美術館の井戸茶碗展の時にもそのことを思い出していた。

さてその中でわたしの「心にかなうもの」がみつかった。
飛ぶ烏を表面にうかべた釜。形も真形。しかも大好きな尾垂ちゃん。
ういやつよのう。
芦屋の真形釜で尾垂、というのはもう本当に可愛くてならない。
ほかにもいくつかあって、とても嬉しくなった。

そう、自分の心にかなうものが必ずどこかにある。

第3章 侘茶の大成―千利休とその時代
正木美術館から利休像が来ていた。
正木美術館に所蔵されている絵画のうち、肖像画がとても面白い。
非常に価値があるというか珍しいというか他にないものがここにはある。
存命中の利休、一休禅師と森女、なかなかかっこいい六祖慧能。
この三点が一緒に出た展覧会は未見だが、その機会があればと思う。
そして今回生前の利休と六祖慧能とが東博に来ているのだった。

利休の拵えた竹一重切花入を見ることが出来たのもよかった。
かれの愛した長次郎の茶碗も有名なものが集まっていた。
東近美に出ていないのはなんでだろうと思っていたら、こちらに出ていたのだ。
東京に長次郎の名品が集まっているのだ。

安土桃山の美意識はわたしには少し肌が合わないのでさらさらと見て歩いたが、ふとその先に古めかしいガラスケースが見えた。
東博所蔵の展示ケースのうち、特に古いものである。
わたしはこのガラスケースがとても好きなので嬉しくなって寄って行った。
可愛らしい香合がちんまりと並んでいた。
黄瀬戸根太香合、志野重餅香合 どちらも三井でみては「可愛いなあ、美味しそうやなあ(後者ね)」と愛でているものたち。
織部さげ髪香合 ポニーテールですがな、かわいいな。
そしてリストにはないが、急遽展示されたミミズク香合。織部木菟香合。
毛並みが可愛く描かれていて、あまりにかいらしくて、撫でたくなった。
これは有楽斎から予楽院に伝来したものだそう。

ああ、可愛いものが好きだ。
ワビサビから離れてほっとしたわたしに更にプレゼントがあった。

田中丸コレクションの名品・絵唐津菖蒲文茶碗と目が合ったのだ。
可愛く咲く菖蒲。いいなあ。

光悦の赤樂・毘沙門堂と黒樂・時雨、そしてかれと深いかかわりを持った道入の黒樂・残雪がある。
とても嬉しかった。

第4章 古典復興―小堀遠州と松平不昧の茶
好きなものがたくさん出ていたので再会の喜びがある。

ここでも香合の可愛いのを特に愛でた。
古染付辻堂香合、祥瑞蜜柑香合、交趾台牛香合、白呉州台牛香合
みんな可愛らしい。
仁清の色絵鶴香合、色絵玄猪香合、乾山の銹絵染付鎗梅文香合
作家性が強いものも等しく愛らしい。

つつくづく思ったことがある。
平和な時代の茶の湯は、茶人たちがそのことにのめり込む、つまり「茶の湯狂い」をしており、一方戦国の世では茶の湯は生き死にの境涯にある地点で楽しむものとなっている。
どちらがいいとかよくないということではなく、時代の違いをつよく感じたのだ。


第5章 新たな創造─近代数寄者の眼
近代の名高い数寄者が愛した茶道具が会期ごとに現れる。
この趣向はすばらしいと思った。

藤田香雪の愛した茶碗、彼が死の床でも望み続けた大亀香合、そして美少年の牛飼いを見守る黒牛の「駿牛図」。

五髻文殊像の少年像の可愛さにも惹かれた。右手に剣、左手に花を持つ美少年が吠える獅子に乗る。

益田鈍翁の愛した蓮華残片(東大寺三月堂不空羂索観音持物)は菓子皿に使われていたそう。

黒樂・鈍太郎は太郎庵の披きに使われたとか。
ここで思い出すのが鈍翁の長男が「益田太郎冠者」と名のっていたこと。
彼は実業家であったが、帝劇の役員となって「コロッケの唄」を拵えている。

茶の湯の深みに落ちることはないのだが、深い満足感と、不思議な焦燥感とがある。
茶道具を見るのが好きなくせにきちんと習っていない、そのことを悔やむ気持ちが生まれている。
それはやはりこの「茶の湯」展で素晴らしい名品に囲まれたからだと思う。

もうこの規模の茶の湯の展覧会はあと数十年はないと思う。
行ける機会のある方はぜひ。そうでないともったいない。
6/4まで。



「茶の湯のうつわ」 ―好きなものに会おう―

出光美術館、東博、東近美が茶の湯の特別展を開催している。
東近美は「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」として樂家代々の名碗を並べ、特に三代道入ノンコウの茶碗の中の宇宙にクラクラさせられた。感想はこちら
そして東博は「茶の湯」と大きくシンプルなタイトルでの展覧会で、既に二度ばかり見たが、それでもまだ全容が明らかでない規模となっている。

出光美術館では館蔵の茶碗を中心とした展示を行っている。
好きな人が好きなものを愛でる歓びを味わえるような、そんな展示となっている。

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副題が「和漢の世界」とあるだけに唐物・和物とりどりの良いうつわが集まっていて、一つ一つを見る愉しみだけでなく、全体を楽しむことも出来る内容となっている。
こうした展覧会は理屈抜きで本当にいい。
そしてそこに良い解説があることで、見る側に指標を与えてくれる。
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第一章 一萩 二樂 三唐津
いい茶碗が集まっているから、優劣などの話は最初からない。
これはもう完全に自分の嗜好にマッチするかどうかくらいしか言葉に出来ない。
ただただ気持ちよく見ているだけ。
見ながら妄想するばかり。
・・・にんまりと笑いながら。

例えばこんな感じである。
・山道風な口縁の樂茶碗を見たときなどに、自分の上唇と下唇をかすかに動かしてみると、その口縁の様子が実感として伝わってくる。
・わたしはノンコウが好きで好きでどうにもならないが、ガラス越しに眺めながらそんな妄想に耽っているといよいよ楽しくてならない。口縁は彼の指が微妙な調整をしたのだ。
何世紀かの隔たり・ガラス越し、といった障害を超えて妄想は自由だ。
・わたしは目と唇と指とで、実際に触れることのない茶碗を味わうのだった。

なんともいえず官能的な存在ではないか、うつわというものは。

樂を楽しんでから萩をみる。
萩は使い込むと色が変化すると聞いている。
自分の色にゆっくりと変わってゆく萩焼の茶碗を観るのはさぞ楽しいことだろう。

面白いものをみた。
萩割俵形十字文鉢 厚みのあるやきもので、まずそれに驚いた。「十」を白でゾウガンしているのだがえらく厚みがある。断面を見ても1cmはあるぞ。なんだかすごいな。

これの親戚みたいなのもある。
筆洗水指 むしろ近代的な風がある。中はシマシマでどうも湯たんぽの断面にも見える。
金継ぎもはっきり。

桃山時代のやきものは実はあんまり好みではない。
これは個人の嗜好の話だから、作品の善し悪しではない。ええものであっても単に好みではない、と言うだけの話。
とはいえ、多くの人が素晴らしいというものをそうとは思わない、と言うのも実はどんなものだろう。
その時代そのものを否定するわけではないのだが。

奥高麗茶碗が二つばかり。
無銘の方は円満な様相を見せるが、もう一ひねり欲しい。

斑唐津茶碗 銘・山雀 寂蓮法師の歌から銘をとったそうだが、山雀の様子と茶碗の景色が響きあうような気もする。

ほかに九州の上野焼の茶碗、高取焼の茶入や水指のいいのがあった。
そして高取焼の砧形花生の後ろにセンガイの可愛い利休の絵が飾られていた。
△の帽子をかぶり、にこにこ。

特集展示:雲州蔵帳とその美
松平不昧公の茶道具ノート。
茶道具を特に多く集める畠山記念館だったか、逸翁美術館か、要するに大正から昭和の大茶人の所蔵品を見せる美術館で、以前やはり雲州蔵帳に掲載されていた茶道具を集めた展覧会をみた。
茶の湯に無縁なわたしでさえときめくのだから、この中に書かれたものを集め得た人はどんなにか嬉しかったろう。

その雲州蔵帳が数冊並んでいた。現存茶道具目録、とある。

堆朱四睡文香合 出た、虎。
赤樂兎文香合 光悦 こっちも出た、兎。
どちらも可愛い。

遠州茶箱 銘・桜 祥瑞の可愛いのなどがセットにされていた。
茶箱の構成は本当にその人の趣味がでる。

第二章 京焼ー古典へのまなざし、そして前衛的うつわへ
仁清、乾山のよいのがずらり。
耽溺するばかり。
仁清は色絵の華やかなのもいいが、白釉や色数の少ないものはモダンで、どちらもとても魅力的。
どちらかと言えば小品の方が好きだが、今回はそのわたしの好みにぴったり合うものばかり。

乾山で黒樂があった。ノンコウを思わせるような口縁の薄さとか。
銹絵絵替扇面形皿 五客分みんな違う植物絵があるから、何にあたるか楽しめる。

仁清より乾山が好きだが、やっぱりそれはただの嗜好。
眺めながら楽しい妄想にふけるばかり。
そして言うわけだ。
「やっぱり乾山はええ喃」
殆どよだれをたらさんばかりにして。

第三章 愛でられる漢のうつわ ―唐物・高麗・安南
これがまたよろしい。

唐物茶壺 銘・羽衣 広東系 景色がね、山脈の上にいっぱい星がひろがっているように見えるのですよ。
天女が上ってゆくのは真昼だと思っていたけど、夜に天に帰る天女がいてもおかしくはないかもしれない。

絵高麗梅鉢文茶碗 磁州窯系 外に梅が。見込みもいい感じだし、梅色に見えるのも可愛らしい。
こういうのが手元にあると嬉しい。

餌袋茶碗 朝鮮王朝時代 八幡名物 なかなかええ色ですなあ。松花堂、さすが。
吹墨茶碗 銘・鉢子成 朝鮮王朝時代 なんとなくういろうを思い出した。それも抹茶味の。ぬめーとしたところがかな。

わたしは手触りのがさがさしたのはニガテで、つるつるがいいので、イラホもイガもあんまり関心がない。
それだから陶器より磁器が好きなんだが、その中でもたまにしっとりしているとしか思えないものがあり、そういうのに会うと嬉しくなる。

同じ形の水指が二つ。輪花形盒
五彩と青花と。どちらもいい感じで、しかもこうして並ぶのが楽しい。
ちょっと何かの練り物のようにも見えて美味しそう。

古染付手付香合 銘・隅田川 柳があるよ…木母寺の梅若の塚のイメージかな。実際には碁を打つ二人と少年が立つもので隅田川と名付けるところが和の意識ね。

古染付横唄香合 横唄という形のもの。妙に可愛い。オカリナの小さいものにも似ている。

第四章 懐石、宴のうつわ
古染付御所車文六角手付鉢 こういうのもいいなあ。明に御所車の形とかちゃんと伝わってたかどうかは別として。

古染付詩文手鉢 科挙合格の少年が馬に乗る。玉の鞭か。詩文に「姮娥愛少年」の一文がある。

五彩柘榴文角皿 景徳鎮窯 ざくろはめでたい。

そして凄いのを見た。
織部亀甲文向付 ウルトラアイをつけてるようにしか見えん。しかしウルトラセブンやなしに、怪人・怪獣がウルトラアイを勝手に付けてる、そして悪の限り暴れる。それやわーーーーー!すごいーーー
・・・こうして妄想はとめどなく広まるのであった。

高取焼や上野焼の割山椒形向付がある。可愛いな。

乾山 染付白彩流文鉢 これまたいいなあ。クリーム色と青で構成されてるが、形が可愛い。で、わたしが簡単にメモを取ると、どうも変な泡泡オバケみたいになるんよね。

木米、頴川らの鉢もある。東京で彼らの作品をみるのはやっぱり出光さんでかな。
嬉しくなる。

さて青木木米と言えば煎茶。
ということで煎茶の世界。

第五章 煎茶の世界

白泥蟹形涼炉・焼締湯鑵 上田秋成  上田秋成は色々ペンネームを持っていたが、カニを意味する「無腸」というのもあった。
これが蟹形なのもそこからか。
秋成の展覧会を思い出す。
当時わたしはブログにこんなことを書いた。
「秋成のお墓の台座は若冲ゆかりの石峰寺から持ってきたもので、どうやら若冲が彫ったものらしい。カタチはカニ形。
「無腸」さんらしくお墓もカニのカタチだったのだ。」


白泥煙霞幽賞涼炉・炉座 木米  以前から好きな一点。何度か見ているが、いつも不思議な感じがする。

急須やヤカンの愛らしいのが続く。
こういうのを見ると以前ここで開催された山田常山の展覧会を思い出す。
当時の感想はこちら
あの展覧会、本当に良かったなあ。

五彩十二ヵ月花卉文杯 十二客 景徳鎮官窯  これはまた小さくて愛らしい上に…本当、可愛いなあ。月ごとの植物。
小さなうつわの中に四季がある。

文具もあり、煎茶文化が文人好みだということを改めて知らされる。

とても楽しめる展覧会だった。
好きなものを好きなように見て、好きなことを想う。
こういうのがやっぱり幸せやね。
6/4まで。

ウォルター・クレイン展で見たコールデコット、グリーナウェイの絵本と挿絵本

千葉市美術館のウォルター・クレイン展で途中の第二章に
・カラー絵本の仕掛け人エヴァンズとコールデコット、グリーナウェイの絵本と挿絵本
という章立てがある。
ここではクレイン以外にエドマンド・エヴァンズの木口木版多色刷の仕事をした画家たちの紹介があった。
とにかくエヴァンズの技能の高さがなければ、ここまで素晴らしい本は世に出なかったのだ。

『ありふれた路傍の花』 挿絵:マイルズ・バーケット・フォスター トーマス・ミラー 1860年  蝶々と花が。綺麗な絵。

『英国年代記』挿絵 :ジェームズ・E・ドイル ジェームズ・E・ドイル 1864年  古代からリチャード三世までの1500年間を記す。
ブリテンのアーサー王もあるのかな?
リチャード三世と言えば今連載中の菅野文さんの「薔薇王の葬列」が素晴らしい。ずっとドキドキしている。

『妖精の国で』 挿絵:リチャード・ドイル ウィリアム・アリンガム 1870年   蝶々たちが引く葉っぱ車に乗る妖精。
この絵はとても好き。蝶たちの繊細な表現と色彩が魅力的。

・ランドルフ・コールデコットの全トイ・ブック 
名前を知らない画家だが、絵を見て「あー!」な人だった。
『ヘイ・ディドル・ディドル/ベイビー・バンティング』 1882年
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猫が機嫌よくバイオリンを弾き、みんなにこにこ踊りだす。

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お皿とスプーンも。
このお皿を見て「あーっ」となったのですよ、わたくし。
1991年の「子どもの本の黄金時代 1920年代」展。これで見たのだ。
絵はがきは当時購入したもの。

『かえるくん 恋をさがしに』 1883年  猫が出るらしいがここではいない。

『6ペンスの唄をうたおう』 1880年  明るくていいタイトルが多いね。

しかし、けっして明るく楽しいばかりではない。ゴーリー「不幸な子ども」同様、救いのない話があった。

『森の中の子どもたち』 1879年  ストーリーなどについてはこちらのサイトに詳しい。
16世紀には既に成立していたバラードだそうだ。
良心を無くした幼い兄妹が財産目当ての叔父により森の中で殺されかける。
以来を受けたならず者たちのうち一人が子供らを助けようとする。
食べ物を町に取りに行くから待っていろと言われても子供らは動かずにはいられない。
そして男が森へ戻った頃、子供らは迷い込んだ森の奥で餓死する…

滋賀では3点の絵が出ていたが千葉では一点のみだった。

・ケイト・グリーナウェイの創作絵本と挿絵本
彼女の展覧会を見たのは93年の大丸が最初だった。とても可愛らしい絵で、当時も大ヒットし、子どものファッションに大いに影響を与えたということだった。ヴィクトリア朝時代でありながら、そのひとつ前の時代の衣裳をつけた子供らを描く。それが優美だということで、とても好まれたそう。

彼女は絵だけでなく詩も書いた。
なので当時の展覧会のタイトルも「絵本の詩人ケイト・グリーナウェイ」だった。

『窓の下で』 詩:ケイト・グリーナウェイ 1879年  この詩と絵の本が大ヒットした。当時としては爆発的な売れ方をし、10万部出たそうだ。

マザーグースでも巧い絵を付けている。綴り方読本もいい。

『ウィギンズおばさんと七匹のすてきな猫』 編集・詩:ジョン・ラスキン 1885年  コミカルでリズムがいい。モノクロ。

『マリーゴールド・ガーデン』 詩:ケイト・グリーナウェイ 1885年
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小さな絵がとても愛らしい。

『ハメルンの笛吹き』 ロバート・ブラウニング 1888年 男の笛の音に魅せられて子供らがずらずらとついてゆく。
普通はここか、この後の残されたハメルンの住人たちの嘆きで終わるところだが、彼女は違う。
どこかの草原、大きな木があり、そこで大勢の子供らが楽しそうに遊んでいる。笛吹き男も機嫌よく笛を吹く。
グリーナウェイは子供らが幸せの国に行った、と仮定してその絵を描いたのだ。
この絵本は彼女が尊敬するラスキンに捧げられ、彼から絶賛された。

彼女のバースデイブック、絵暦であるアルマナックはいずれもミニサイズで買い求めやすく、その可愛さ・手軽さがとても好まれた。
わたしもほしいわ。
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しかし彼女は水彩画家として認められたがり、1890年に絵本作家であることをやめてしまう。
水彩画が二点ばかりここにあるが、やはり絵本をやめたのは勿体ない…
彼女はラスキンの死の痛手から立ち直れず、55歳で亡くなるのだった。

クレイン展の一隅だが、これもまた素晴らしい展示だった。
5/28まで。
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