美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

色彩の画家 オットー・ネーベル展をみる

知らない画家の展覧会を見る場合、チラシはとても重要になる。
スイスで長く活躍したオットー・ネーベル展のチラシは、とてもわたしの好きな色で構成されていた。

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これは「ナポリ」と題された作品の一部。
ナポリというとあの「ナポリを見て死ね」のあのナポリか、とわたしは自分が行った時の様子を脳内再生させもする。
ベスビオ火山、暑かったこと、ガイドさんが激しく日本語上手だったこと、ポンペイ遺跡の轍、ナポリの街の洗濯物干し事情などなど。
しかしこれはあくまでもわたしの見たナポリでありネーベルの記憶と記録とは違う。
この作品は「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」の一つだそうで、イタリアへ来てネーベルの芸術がもう一歩進化したことの証拠のようなものだった。

ネーベルは1892年にベルリンに生まれ1933年にベルンに移住し、1973年に亡くなった。
日本でいえば白樺派の連中や折口信夫らと同世代である。
同じドイツ人と言えばケストナーが1899年生まれか。
この世代のドイツ人はナチスを「望み」「迎合」するか、「反発」するかという選択を迫られた。
ケストナーはナチスを批判しつつドイツ国内にとどまったが、バウハウスの関係者をはじめとした芸術家はスイスに避難することでナチスから逃れた。

ナチスの台頭する直前のドイツ経済は第一次大戦での敗戦の痛手が長く尾を引き、どうしようもない状況にあった。
バウハウスのヘルベルト・バイヤーがデザインしたマルク札の見本がある。
デザイン自体はいい。☆もついていてシンプルでカッコいいが、まず紙質が悪く、偽札も作れやすそうである。
そして何より物凄いインフレである。
1923年当時、200万マルク、1億マルクといった札が流通していたのだ。
なるほど、これはもうだめだ…
とはいえ、芸術活動に関しては、1920年代のドイツは目覚ましかった。

バウハウスの仕事が紹介されている。
家具類、実験住宅の紹介などなど、シンプルで装飾を排除し、1920年代のモダンさを体現したものばかりだった。

ネーベルはバウハウスには属さなかったが、バウハウスの人々との交流はあったそうだ。
特にバウル・クレーのことはしばしば日記に記されている。
クレーはヒトを誉めない人だが、そのクレーにほめられたことを持って回った表現で記してもいる。

初期の絵画作品はシャガールの影響を受けたものが多い。
ここにシャガールの作品が並んでいるので比較してみるとよくわかる。
あら、木に逆さ磔になってる男がいる絵とかあるやん…びっくりした。

やがて1933年が来る。




そしてパウル・クレーもドイツを脱出する。
その年には「恥辱」という作品が生まれる。
ネーベルの「避難民」同様ここにも矢印が描かれる。
矢印は権力の比喩なのか、彼らを導くのではなく追い立てたり、攻撃的でありさえする。謎の丸顔の登場である。
「サラバ」のあの顔でもある。

抽象表現で出現する「建築的景観」が並ぶ。
常にカラフルな作品を生み出すネーベル。
色彩が形を構成する。
それらの作品を見るうちに、自分の内側へ向かい始めているのを感じた。
自問しても答えはない。
だが、ネーベルの描く建物や風景ーあくまでも抽象的なのだがーを見ればみるほど、どんどん深く自分の奥へ入り込んでいくのは確かだった。
その理由はわからないままに、このことは忘れないでいようと思った。

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色彩表現にネーベルは工夫を凝らした。
支持体に樹脂絵の具、白亜地、キャンバスという組み合わせのものは、まるで日本画の胡粉や雲母を使ったような質感を見せた。

大聖堂とカテドラル
ネーベルは教会を描いたが、ほかの画家のように外観を描こうとせず、対象はいつでもその内側にあった。
ゴシック様式の教会内部は高く高く天へ向かうように伸びる。
その内部の柱列とステンドグラス、袖廊への道なのか、様々な空間を描いた。
いずれもはきはきした彩色である。

この作品群がいちばん好ましかった。

イタリアへ行ったネーベルは決定的な色彩の豊かさを手に入れる。そしてそれを分析し研究した。
それがカラーアトラス(色彩地図帳)。
色彩を集合させて都市や風景を構築する。




ネーベルは架空の町も構築する。
千の眺めの町ムサルターヤ
連作のいくつかがここにある。
点描で構成された風景もあれば、ある法則によって構築された景観もある。
建築にも深い関心を持つネーベルだけに、彼の描く都市風景は興味深い趣を見せていた。
わたしはかれのこの傾向を好ましいと思った。




撮影可能な作品が現れた。
抽象的な作品群であるが、「音楽的」な作品はわたしにその素養がないために、面白くはあるが理解に届かなかった。
むしろ聴覚を視覚に置き換えたときの様子だと思ってしまった。それが正しいか否かは分からないが。
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カンディンスキーの作品が現れる。
比較することで少しはわたしにも前掲の作品群が理解できるように気がしてきた。
抽象表現を確実に理解できる脳ではないので、距離が生まれるのは仕方ないことだが、少しでも近づきたいとは思っている。
とはいえ…


要するにこうした感想しか挙げられないのだ。

この後も何故かルーン文字が現れる。しかしこれがケルトのルーン文字かどうかわたしには判別できない。
ただそれらは戦後に生まれた作品だということにわたしの関心は向いている。

最後はリノカットの可愛らしい作品がいろいろ現れた。
やっぱり色彩感覚が優れているので、まず可愛い・綺麗という視覚的な楽しみがある。

ところでネーベルは俳優としても働いた。
若いうちかと思ったらそうではなく案外年を取ってからいい味を出す役者として人気があったそうだ。
なので今もご年輩には記憶が残っているという。

この展覧会はBunkamuraで始まり京都文化博物館へ来た。
スイスのベルンには彼の財団があり、世界中にネーベルの作品を知ってもらおうと活動している。
Bunkamuraでこの展覧会が始まったことは本当にスゴい。
日本では知られていない画家をこうして紹介してくれたことに感謝するばかりだ。
さすがだと改めて思う。


一方、京都文化博物館でもこの展覧会に力を入れている。
現在開催中の展覧会は以下の三展。
・抽象画のオットー・ネーベル展
・石元泰博の撮影した「桂離宮」
・祇園祭の蟷螂山

色彩豊かなネーベルを見てからモノクロの桂離宮を見ると、違和感があるかと思いきや、逆に親和力を感じた。
それは石元が桂離宮をバウハウス流のモダニズムの視点で捉えたからだった。
こうした並びは、とても有意義だと思う。
これらの展覧会が時間と空間を共有できるとは素晴らしいことだ。
京都文化博物館に感謝したい。

オットー・ネーベル展は6/24まで。
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長谷川利行 七色の東京

府中市美術館の長谷川利行展に行った。
副題は「七色の東京」である。
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彼の作品は例えば東近美にある「岸田國士像」、鉄道博物館の「汽罐車庫」、それからいくつもの裸婦像、どこかの町の風景などがすぐに思い浮かぶ。
今わたしは「どこかの町」と書いたが、それらはみんな東京のどこかの町であり、繁華街もあれば寂しい場所もある。
外観だけでなくどこかのカフェの中でもある。
長谷川は行く先々を描いた。見えたものを描いた。

「七色の」とタイトルは言う。
七色とはイメージとしての多彩さを表す。
とはいえ虹も肉眼で見えるのはその半分程度だし、七味も味が被るものもあるし、キューティーハニーの変身も七つのうちよく変わるのはその半分もない。遊行七恵だって七つも恵まれてるわけでもないし、七重にとぐろをまくわけでもない。

話を元に戻す。
長谷川作品を子細に見てゆけば白の使われ方の良さに気づく。
白を主体とした七色なのかもしれなかった。
そしてその白は何に基づくものなのかを考えたが、わからなかった。

長谷川は随分若い頃には「みずゑ」水彩画と短歌に夢中だったという。
その話を聞き、明治の美術と文芸を愛する青年像の一つがそこにあると思い、みずみずしさを感じた。
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田端変電所 1923  外観。柵が印象的。これはそうした形だから印象深いのではなく、その描きように惹かれたと思う。

酒売場  1927  浅草の神谷バーである。かれはここで電気ブランをよく飲んでいたそうだ。窓が開いている。にぎやかな店内。
わたしは何年前までか、しぱしぱ神谷バーへ行き、蜂ワインを飲みながら誰か知らない人と同席し、好きなものを食べながら喧騒の中にいることを楽しんでいた。
その頃のわたしと数十年前の長谷川利行とでは食べるものも飲むものも違ったろうが、楽しみ方は似ていたのではないかと思っている。

浅草停車場 1928  シャンデリアがぶら下がっている。あの駅のいいところを色々思い出しながらこの絵を見る。
 
夏の遊園地 1928  どこかと言えば「あらかわ遊園」だという。絵の中に今とは表記の違う文字の並びがある。当時はラジウム温泉もあったそうだ。そこに小さい洋館があった。受付の建物だろうか。赤い屋根に下見板張りの可愛い建物。
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汽罐車庫 1928  赤い煉瓦がとても大きな存在感を見せる。黒い汽車がいっぱい。迫力がある。

賑やかな場所が描かれる。
カフェ・パウリスタ 1928  開店前の無人の様子。
そしてもう一枚。こちらは女給さんが集まっている。
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銀座のパウリスタはわたしが初めて入った喫茶店だった。
本当は隣のルノワールに行くつもりがドアを間違えてパウリスタに入った。
パインケーキも頼んで美味しくコーヒーを飲んで一息ついたときに、同行の友人から間違いを指摘された。
びっくりしたが、それからの何年かずっとパウリスタに通うようになった。
パインケーキもマールブランシュのパイナップルプレゼントを食べておいしかったので、味の再現を求めての注文だった。
今、この絵を見ながら20年ぶりにパウリスタへ行きたいと思った。

靉光像 1928  髭を小さく伸ばす靉光。照れたような表情。16歳の年の差があるが、仲良しだったそうだ。
全然関係ないが…
靉光 と変換してくれるかなと
あいみつ と打ったら、
相みつ と出た。
間違えたって いいじゃないか 機械だもの
……まあな。

針金の上の少女 1928  横たわりにこにこしながら手を上向ける少女。彼女は芸人で、針金の上でこうして芸を見せていたそうな。

カフェの入口 1930  ああ、この雰囲気にも惹かれるな。いい建物…

岸田国士像 1930  東近美にあり、時折見かけるが、二人の娘に本当によく似ている。衿子、今日子…
この絵は名作だが、これで毎日長谷川から無心される岸田は閉口していたそうだ。そりゃそうだわ…

長谷川は東京のにぎやかなところへふらりふらりと現れては描いていく。
この1930年までの作品の内好きなものだけを挙げたが、長谷川がいいのはもっと数年たってからだ。
1936―37年の頃の作品の良さ。
かれはもうそのころには病に浸食されていた、時代もどんどん良くない方向へ向かっている。
だが、その頃に絶頂期が来た。

「そのとき」よりもう少し前の作品を見よう。
日暮里駅付近 1931  いくつかの家の屋根が並ぶのを見る。木柱が連なる。ただそれだけなのに、なぜかせつない。
長谷川は別に抒情性をそこに押し込めてはいないはずなのに、何故かせつなくなる。
これは長谷川の描いた絵にわたし(たち)が勝手に反応しているからだとおもう。
そしてそうした反応を引き出させる力が長谷川の絵にはある。

鉄工場の裏 1931  白い。道も建物も白い。虚しくはないが、白い。壁面の白さはしかし綺麗なものではない。
なにやかやと色が走る。走る色と背後の白とが意識に残る。

街並風景(彩美堂)  谷中の坂道の一隅にある。今もそのままかどうかは知らない。谷中、日暮里界隈は戦争の被害も多少はましで、戦前の建物が今も多く残る。
だからか、妙なせつなさをこの絵から感じるのかもしれない。

雷門風景  内側から見た風景。木村荘八や川瀬巴水は提灯の外側からを描いている。内側から外へ。にぎやかな時間帯。

府美術館  昔の東京府美術館。写真では見ていても案外絵では見ていない。道からのアプローチ、道が開き、木々が開き、赤煉瓦の堂々たる美術館が姿を見せる。

地下鉄ストアー 1932  壁面には時計がある。チェーン店だったそうで広小路のも須田町のも同じく巨大な時計が張り付いている。
この地下鉄ストアーに関してはこちらの記事が詳しい。  

ところでこの時代の芸能関係は芝居や活弁だけでなく寄席もとても人気だった。
安来節が流行ったそうだが、これを女がやるのがよかったらしい。
これだけでも昭和初期のエロの状況がわかる。
明治の学生が女義太夫にのめりこんで「どうするどうする」と騒いでたのと同じようなものだ。
その安来節の人気者・大和家かほると安来節の絵が何点かある。
これを見て泉鏡花の「光籃」を少し思い出した。

裸婦たちをみる。
のびのびした姿態、にんまりした口元。ありえないような色彩で表現される彼女たち。
同時代のドイツの画家たちの絵を思い出す。
都市もまた視点をどこに定めているのか、見ないような街の様子を切り取る。

三河島風景  面白いことに中央左上の窓の形が俳優のクラウス・キンスキーに似ていた。
須田町風景  白い建物のそばにはクラシックカー。当時は最新鋭の車。
どちらも「古い景色」ではなく、「どこかにあった景色」なのだった。

1937年、珍しく旅行したらしい。
伊豆大島、大島の海、女の顔(大島アンコ) その地で見た風物を描いている。

1936、1937年とは豊饒な年だった。
どの作品も皆たいへん印象深い。
しかしこの年頃は226事件があったり色々と世相も景気も良くない頃で、確実に暗い未来を予想させる時代でもあった。
本人も後にわかる胃がんの様子を見せ始めているし、生活は困窮しているし、と時代に合わせて本人の生活もどん詰まりに近づきつつあった。
しかしながらこの時代の長谷川の作品の素晴らしさはどうしたことか。
風景も女も何もかもが心に染みる。
本人の生活も時代もどん詰まりに来たときに画業の頂点が来たようだ。
つまり環境が悪化しようとも、長谷川の仕事は冴え渡り、輝きをいやましていたのだ。
こんなことがあるのだなあ。
長生きしない人間にだけ訪れる特権なのか。
ならばその死を可哀想に思うより、残念だと思う。
後世の人間として、無念にも思う。

カフェの女たちを描いた作品がいい。
モナミの少女、ノアノアの少女。少しずつ表情が違う。
少し鬱屈をみせるモナミの少女、にこにこしたノアノアの少女。
どこのだれか知らない婦人像もいい。
とてもきれいな女の絵もある。どこか上品な女。
赤レンガ色の裸婦もいて、彼女の鋭い眼差しとその気合とがかっこいい。

ガラス絵もいい。先般ここで開催されたガラス絵展でも長谷川の良さを再認識したが、今また数ある作品を目の当たりにして、好意しか抱けない。
特に女を描くのがいい。そしてここでも白が活きる。乳白色の白が。

ねこ ガラス絵の猫。鳥か何かを噛んでるようだが、その様子は怪獣のようでもある。

相撲絵もいい。双葉山土俵入り、力強く「日ノ下開山」の威厳がある。名寄岩の赤い体も目に残る。

隅田川風景  水彩だが、この暗さはスゴイ。川と倉の並びを描いているのだが、横溝正史の世界のようだった。
死体が勝手に寄ってきそうな川である。

白い背景の人物 1937  白い中に五人ばかりの人物がいる。わかるのは顔のみ。向かって右端の顔だけははっきりしている。綺麗な顔だと思う。何故か菩薩の集まりにもみえた。
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最後までいい絵ばかりだった。それだけに放浪者・長谷川利行の最期が悲しい。
彼は家を持たず、山頭火のように行乞もせず、行倒れ、行路病者として扱われ、規則によって残された作品すべてが灰燼に帰した。
王羲之の作品がこの世から全て皇帝の陵墓に収められたのも無念だが、長谷川の最後の作品がそんなことから失われたのは誠に無残だった。

死後70余年、こうして生きている長谷川利行の絵と対面出来て本当に良かった。
7/8まで。

「奈良絵本・絵巻」展をみる

奈良絵本の展覧会があるというので松戸の聖徳大学まで出向いた。
これまで天理、慶應、龍谷、國學院、青山短大の各大学が所蔵する奈良絵本を見てきたが、今回はこちら。
他にも九大、駒澤、佛教大が名品を所蔵するそうだが生憎そちらとはいまだに無縁だ。
いつか展覧会でもあれば見てみたいものだと思っている。

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チラシは「竹取物語」。帝から遣わされた衛士たちは皆眠りこけている。
高畑勲さんの「かぐや姫の物語」のラストの無常な美しさが蘇る。

こちらは室内の様子。
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手慣れた作画で綺麗な作品である。


「敦盛絵巻」
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平家の御座船へ戻ろうとする敦盛を呼び止めて戦う熊谷。
小5の時このあたりの書き下し文を授業で学び、それでいっぺんに「平家物語」が好きになった。
「助け参らせんとは存じ候へども味方の軍勢雲霞の如く候 よも逃れさせ給わじ」そう呼びかけ、覚悟を求める熊谷。
覚悟した敦盛の言葉に涙する。
「泣く泣く首をぞかいてんげる」
そしてその後に巨大な無常感が熊谷を包む。

絵本ではこの後に書状をさして敦盛の亡骸(むろん首から下のみ)を平家の人々のもとへ送り届ける。
嘆く人々。
この描写があったことに驚いた。
やがて戦後、領地争いの敗訴もあり、熊谷は中世らしいけじめをつける。

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即ち出家剃髪である。法然上人の弟子となり蓮生坊となる。
こちらも手慣れた作画。


「浦島太郎絵巻」
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室町あたりの模本らしい。素朴な絵柄。
太郎が乙姫と散策する龍宮の森などが描かれてもいた。
やがて地上へ戻った太郎は七百年の歳月を知る。
玉手箱を開けたのちに鶴に化身し、亀として現れた乙姫と再会し、末永く暮らしたまでを描く。
ここまで話が続けば、玉手箱を姫が渡した気持ちもわかるのである。


「鶴の草紙絵巻」
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こちらは亀でなく鶴女房である。美貌の鶴の化身の女房をもらった男に降りかかる災難、そそれらをクリアーした後、今度は逆襲の一手である。鎖を付けられているのは「ワザワイ」なる怪獣である。これを連れて行くことで降りかかる災難が終わる。
これで思い出したが馬琴の小説にも出てきてたな。琉球辺りで登場するのだったかな…そうそう、悪者の曚雲禅師が使い魔にしてた。


「酒呑童子絵巻」
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伊吹山系の酒呑童子である。都の嘆く人々の様子、頼光一行が酒呑童子と手下の鬼たちと宴会する、眠って正体が露わになる酒呑童子の身体に絡みつく鎖、それを仕掛けた姫たち、解放される姫たち。
これらのシーンが出ていた。

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酒呑童子の山城の建物や調度品もなかなか手の込んだ描写だった。


「不老不死絵巻」
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劉安の昇天に伴う鳥や犬たち。中国が舞台だと思うが、元の話を知らない。


「長恨歌絵巻」
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ええ気分でいちゃついて、更には安禄山の赤ちゃんプレー(たらいで行水)のシーン、まずいことになって逃亡するがとうとう馬嵬で兵たちの憤りが爆発、楊貴妃は泣く泣く処刑される。
驚いたのはこの絵。彼女の死骸が描かれている。玄宗皇帝は泣くだけ。
天界に転生した彼女のもとへ来る道士の様子もある。


「七夕絵巻」
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ようよう天界へ訪ねてきた姫。
しかし姫の聴き損じが元で一年に一度の逢瀬となる。
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サントリー美術館所蔵のものとほぼ同じ展開だと思う。蟻の働きもある。鬼の父の難題も大蛇の登場もある。


「つれづれ草」
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徒然草の挿絵つき読み物である。絵は久米の仙人の失敗か。


「大和物語」
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様々な和歌を集めたオムニバス式の物語らしい。
ただ、わたしはこれをきちんと知らないのでこの絵がどのシーンかはわからない。


最後は「伊勢物語」
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伊勢も源氏も常に描かれ続けている。

大事にされてきたからこそ後世に伝わった。
今後も未来に伝えたい。
よい展示を見せて貰えてよかった。

2018.6月の東京ハイカイ録

六月の東京ハイカイ録
梅雨なんだが金・土とうまいこといき、日曜もあまり歩かずに済むコースを選んだので、そない困ることもありませなんだ。

九時半に東京につき、いつものロッカーに荷物を放り込んでから丸の内線・都営新宿線と乗り継いで府中へ。
今回は長谷川利行の展覧会。
ここはいつも江戸祭が楽しいが、日本の洋画家の回顧展も大抵いい。随分昔だが児島善三郎展なんか最高に良かった。
田園の輝き 児島善三郎展 当時の感想はこちら

今回の長谷川利行展も本当によくぞ開催してくれた。
感謝しかない。尊い。
細かい感想はまた例によって別項。
こないだのガラス絵展でも長谷川のを見たが、あれもよかったなあ。

それから分倍河原から登戸、そして町田へ向かった。
府中から町田が案外行きやすいことを初めて知ったよ。
こういう発想はなかったからなあ。
だが、この組み合わせをしないと後後困るので決めたら、意外と「ええやん」になったのだ。

芹が谷公園からが勝負の町田市国際版画美術館。
以前にツイッターで「この道がマシ」というのを教わったのを思い出しながらその道を行く。
確かにマシ。マシだが近くはないのが町田市国際版画美術館。
とはいえ行くと確実にいい展覧会なのも泣ける。
公立でいえば、ここと板橋区立美と世田谷美術館とは、行くの面倒だけど行くと確実にいい展覧会があるのだよなあ。
「浮世絵モダーン」。
その前週は「大正モダン昭和レトロ」。
あとあれだ、日比谷では「大正モダーンズ」だ。
時代は確実に動く。←特に意味はない。

さて町田は神奈川という言葉もあるけど、実際そのまま横浜へ向かう。菊名で乗り換えてみなとみらい。
今日は横浜美術館夜間開館日。ヌード展。
充実してたけど、結局のところわたしは自分勝手な見方しか出来ない。
それで書くけれど、好みとそうでないのとに分かれすぎた。
ただ正直に書くと、ホックニーの連作は会えて非常に嬉しかった。
ただしその絵を見ながらわたしは自分の推しカプの姿態を想っていたのだけど。
フジョシというものはどんなときにも妄想が前面に出る…

都内に出て定宿の送迎バスに乗り、部屋に入ったのが22時。意識が飛んで、次に目覚めたら日付変わって3時前。
オイオイ待て待て。わたし、アウトやん。歯磨きもメイク落としもお風呂も何もしてない。
慌ててシャワーしながら全部こなすが、これだけの寝落ちは滅多にない。まずいのう…
初日ここまで。

二日目は土曜日。
8時過ぎに出て松戸へ。乗り継ぎはうまくいったが、それでも9時についた。案外遠いんだな。
松戸に来るのは久しぶり。以前ガンダムカフェがあった時以来か。えーと2004年頃か。…うわ。
それでよくわからない道順で聖徳大学に向かうが、開店前の商業施設のエスカレーターて使えるのか、と謎に思い横の階段を使ったら結構しんどい。
アジサイが綺麗なのだけが救い。

大学は幼稚園も併設してるのでけっこうセキュリティがしっかりしている。
わたしのような野放図なのにはちょっとあれだけど、まあなんとかがんばって博物館へ。
奈良絵本の展示を見る。なかなか綺麗なものが並ぶ。酒呑童子は伊吹山系。
これまで天理、慶應、龍谷、國學院などの奈良絵本を見てきたけれど、ここのも綺麗でした。

乗り継いで押上。たばこと塩の博物館へ。
「モガ・モボの見た東京」 これまた面白い展覧会で、たいへん好み。
大正モダンいいよねえ。資料で見た花王の資料が面白すぎる。いつか記念館に行こう。

そして本所吾妻橋から一旦定宿に戻り支度し直してから再びおでかけ。
今度は東洋文庫。
「悪」展の一つ。面白かったな。パチパチ撮りましたわ。

駒込の方が千石より近いんちゃうかな、ここ。

太田浮世絵美術館。こちらは「江戸の悪」展。
おもしろかったね、こういう展示は大好き。
「たばこと塩」にも「江戸と悪」の本が売り出されていた。

渋谷から國學院まで歩くようやくわかったわ。ほっとした。
國學院では山本東次郎所蔵の面を見てから「悪 まろわぬ者たち」をみる。
するとさっきみた「武悪」、かれもまた「まつろわぬ者たち」の一人のように思えた。

ブンカムラで「くまのバディントン」をみる。初めて知ったことだが、たくさんの画家がくまを描いてたのだなあ。
わたしは最初のペギーのがやはり一番残っている。

二日目終わり。

最終日。
送迎バスで東京へ。例によっていつものロッカーに荷物を置いてさてそこから。

霞が関から日比谷公園へ。
図書文化館で「大正モダーンズ」を見る。
これはもう自分の好きなものだけで構成されてて、震え上がったね。
大好き。

次は出光美術館「宋磁」の最終日をじっくりと…
いいなあ、の一言しか出ないわ。

銀座一丁目のスパンアートギャラリーで諸星大二郎原画展を見る。
色々と想うことの多い展覧会だったよ。
猫いいよね、猫。

四丁目まで出てそこから汐留ミュージアムへ。
と今書いてて、ここから宝町でるのとどっちが早かったか考えたわ。

ジョルジュ・ブラックのジュエリーがとてもよかった。これは素敵だわ。
いやまじで欲しいわ。特にブローチが綺麗だったなー。

それから三井で不昧公のゆかりの茶道具を拝見。
脳内で勝手に不昧公と対話を楽しみながら茶道具を眺める楽しさ。
これはなかなかくるね。

おっ久しぶりに一村雨さんに遭遇。お忙しい中、またこうして展覧会めぐりを再開されてなにより。
希望の持てるお話を聞いて、いい気分だ。

最後に東京ステーションギャラリーで「夢二繚乱」。岩田準一の所蔵品も含まれてて見ごたえがあった。
「出帆」全話挿絵が出ていて、これは貴重だった。

タイムアウト。少し買いものしてから新幹線にのる。
東京はやっぱり二泊三日くらいじゃまだまだ足りないな。
また来月までサラバ。

「荘厳 香 華 燈」@白鶴美術館

白鶴美術館の2018年春季展は「荘厳 香 華 燈」として仏具を中心とした展覧会である。
毎年3月から6月10日前後までの春季展の後はお休みになり、次は9月から開かれる。
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暑い日に出かけた。御影から延々と上らなくてはならないので根性がいる。
その根性が足りなくて先週はあきらめた。しかしこの展覧会は6/10までなので、どうしてもこの日に行かないとならない。
つつしみうやまうてきがんたてまつる… などとつぶやきながらようようついた。

中は大変涼しく風通しが良く、とても心地よい。それでいつも長居する。
ここに来るまでが灼熱地獄だと思うからよけいありがたくなる。

白石蓮台 中国 北斉時代・武平元(570)年 高さ25.3㎝  今回初めてチラシに出てきた。
そして資料もサイトに上がっている。助かるなあ。
以下、引用。
乳白色の白大理石による蓮華の台座。仏像の足元に置かれた台座は、香炉、蓮華や宝石、輝く光の要素、そして神獣を散りばめ、仏を飾る荘厳具を代表する作品の一つである。
本作も当初は、上面中央部に大きく空けられている枘穴に仏像を挿して用いられた。その枘穴内には朱字の銘文が書かれる。ここから、本作が北斉時代・武平元(570)年に呂氏により、国の繁栄と儲宮(皇太子か)の幸福を願って発注・制作された観音像の台座であったことが分かる。八方五段の蓮弁によって構成される本作には、蓮を支える獅子や畏獣、博山炉などを配し、それぞれに緑青、群青、朱で彩色し、墨で面貌が描かれる。仏像にたむける香を入れる博山炉が当初は正面にきていたはずで、博山炉及びそれに近い獅子や畏獣には、貼金がふんだんに施されていた。それに対して、博山炉とは逆の背面にある像には貼金がされず、また人面や猿面の畏獣や蓮華化生、連珠内の獣面など新たな要素が加わっている。
蓮弁をはじめとして各モティーフはいずれもぷっくりと肉付きよく、柔らかみがあり、白大理石という素材や彩色方法と共に、6世紀後半・北斉時代の中心地であった現・河北省辺りの作品の特徴をよく備えている。しかし、本作ほどに立体感のある蓮弁、保存良く残る彩色を備える作品は他に例がない。





見るのはこれで3回目。可愛いなあ。
獅子も仏も謎のヒトもみんないい。描かれた連中も可愛い。
これだけで「北斉の遺物全般」に愛を感じるくらいだ。
正座をしていたり胡坐だったり中にはヤンキー座りもいる。いい拵え。
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青銅鍍金透彫豆形香炉 中国・戦国時代  マメ形ではなくトウ形という。透かしは二頭の龍。薫炉。

後漢の博山炉も青銅のものと緑釉とがある。レリーフが多く頂点に孔雀がいるのが前者、身づくろいをする鳥がいるのが後者で、やきものだけに土中に埋もれたことで化学変化を起こし、白っぽく滑らかに光るラスター状になっている。

龍泉窯の砧の袴腰香炉、筒形香炉などは日本の茶人の美意識を刺激したことで、誕生した時よりずっと価値が高くなった。

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華やかな唐代に作られた仏具は華麗なものが多い。豪奢で見栄えがいい。
青銅鵲尾形柄香炉、青銅鍍金獅子鎮柄香炉…
サイズの違う似たものがある。
青銅鍍金透彫獣脚香炉 中小なので大もありそう。
小の方は獅子五頭、なんと肉球もあるそうな。
さすが「その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術」著者・山中さんのいてはるところだけある。

中尊寺伝来、法隆寺伝来のいにしえの美を楽しむ。
金銅垂飾や幡を眺めると、薄く刻まれた天人たちと目が合うこともある。
唐の鍍金五尊板仏たちはみんな薄目なので視線も合わない。

法華寺伝来 青銅浮牡丹文花生 鎌倉時代  一対とも富士山型の足つきで、足は木。

白掻落花文水注 北宋  可愛いなぁ、みっしり花で埋まるボディ。こういうのを見ると色白の女の人が秘かに刺青をしているように見える。

源氏物語画帖 胡蝶 伝・住吉如慶  紫の上と秋好中宮の雅な競い合い。墨絵に近い淡彩もので、六人の少年による胡蝶や迦陵頻伽。きらきらしい。

室町の謡本数冊。紺地に金線。「杜若」「芭蕉」「老松」。江戸の光悦とはまた違う良さがある。

螺鈿蓮華文経箱 鎌倉時代  綺麗わ。半パルメットの文様。法輪状の金具。

仏画を見る。
敦煌・莫高窟からの絵が二点。いずれも五代時代
莫高窟の仏画はシステマティックに製造。上部に仏画、下段に願文など。
薬師如来画像  虚空蔵菩薩などが脇侍。左から右への願文。父の冥福と母の幸福を祈願。
千手観音菩薩  実に明るい彩色の派手な仏画。しかし下段枠内の文は近代のもの。
西暦851年にこの絵は窟内に隠され、1900年4月に発掘された。そのことが綴られている。

わたしが莫高窟の仏画のことを知ったのは映画「敦煌」からで、その時廃人になった柄本明が死んだ者のような目で暗い窟屋の中でひたすら仏画を描いていた。いくら佐藤浩市が呼び掛けても反応もしない。そんな彼のことをそこの高官である田村高広が、彼はもう絵を描く以外には生きる価値はないのだという意味のことを言う。
怖かったなあ…

文殊菩薩像  鎌倉時代  少年文殊。五髷で可愛い。朱唇で胡坐を組む膝もいい。
騎獅文殊菩薩像 南北朝時代  こちらは大人。獅子がブサカワ。

几帳飾りの赤い糸が鮮やかなのと、涙柄の鈴が金属なのとそうでないのとがあるのが印象的。木の鈴みたいだったが、あれは後補かな。

鍍金四天王彫珠子箱 鎌倉時代  蓋には多宝塔で、周囲に四天王。箱の中はカラ。釈迦の不在ということでつまり舎利箱だったそう。なるほどうまいなあと思った。

阿弥陀三尊画像 高麗仏画  先年、泉屋博古館と根津美術館とで高麗仏画のいいのをたんまり堪能したが、この作品もその仲間。裏彩色もしてたいへん丁寧。ヴェールの白が綺麗し、釈迦の赤地に金色の水玉柄もいい。それが皺によって玉がみんな野球のボールに見えるのも面白い。

高麗仏画-香りたつ装飾美 当時の感想はこちら
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お水取りの練行衆のごはんのお盆もあった。永仁の頃の物。

西周時代の青銅器についている怪獣がグズラぽいのが可愛い。水木サンのキャラにも似ている。


次に新館で見た絨毯。
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このミフラーブというものに改めて関心が生まれたよ。

ランプの下に咲きこぼれる花と言う構図が素敵なのが多かった。
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いろいろいいものを見て満足。次は秋。
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