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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

中原淳一の少女雑誌「ひまわり」展

弥生美術館では中原淳一の「ひまわり」を中心にした展覧会が開かれている。
「ひまわり」は淳一の戦後の仕事である。
敗戦でなんにもなくなった地に立ったところから、新しい時代が始まった。
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同時代のカストリ雑誌がいくつか並ぶ。カストリ誌は飛ぶように売れたが粗製乱造なので、今こうして保存されているのを見ると、よく残ったものだと感心する。
「艶麗」というカストリ誌は刺青特集で、表紙絵にはパーマネント(!)の女が自分の腕に絡むろくろ首の刺青を見せるという図だった。
これはこれでそそられるから、当時の人々が喜んだのもよくわかる。
「ロマンス」誌はちょっとした展覧会ではよく見かけるが、今から思えば案外な人が執筆してたり、中には妙に面白いものも多かったりする。

戦前からの雑誌「令女界」「主婦之友」などもそこに並んでいる。
淳一は戦前の「令女界」に執筆していたが、わたしはその頃の淳一作品がマイ・ベストなのだった。

さてわれらが清く正しい「ひまわり」誌は昭和22年の早春号が展示されていた。
ページが開かれているが、淳一描く少女の図版の右ページはモノクロだがダ・ヴィンチの「巌窟の聖母」の図版が掲載されていた。
ほかにも蕗谷虹児「天使」や松野一夫のペン画による絵物語オルコット「四姉妹」などが見受けられた。

「ひまわり」誌は叙情画家たちの新作と共に泰西名画の図版を掲載したり、少女向けに世界の名作文学を絵物語や抄録にしていた。
そして文芸だけでなく、日常をいかに「美しく暮らす」かを提案していた。

口絵や一枚絵を見る。
田代光「高原にて」の座す少女や、長沢節のかっこいい少女の絵もある。
淳一の描く少女の顔がどんどん浅丘ルリ子になってくるのがわかる。
そう、浅丘ルリ子は「淳一の絵の少女に似た」子を探すオーディションで世に出たのだ。

淳一は様々な提言をあげる。
『身だしなみを整えましょう』
昭和22年で早々ともんぺ姿を拒絶し忘却せよと、諭すのだった。とても偉い。
そして実際には実現不能だが、可愛らしいワンピースを着る少女の絵を掲載する。

『美しく暮らしましょう』
そのノウハウを挙げる淳一。
誌面には世界の名作の絵物語が出ている。シルエットもの。椿姫、人魚姫、タンホイザー・・・
素敵なペン画では「絵のない絵本」がある。女が湿地帯でランプを手にしている図。
松本かつぢの「アラジンと魔法のランプ」は切り絵風な作りで、中国人のアラジン。

かつぢと西条八十の「あの夢この夢」はロマンティックだった。青い上衣の少女は歌い、赤い少女はマッチ売りだった。
淳一と川端康成のコンビは戦前だと「乙女の港」があるが、戦後も仲良くつきあっていたそうだ。吉屋信子の少女小説も多い。
川端は淳一の「ひまわり」社のために少女小説をその後も書いている。
「万葉少女」は挿絵は玉井徳太郎だったが、これも綺麗だった。特に姉娘が綺麗。
「花と小鈴」の玉井の絵もいい。玉井の描く少女はみんな瞼が薄く青く、ノーブルで、しかも清艶さがある。

杉浦幸雄の少女ものを見たのは初めてだった。
彼も淳一とのつきあいから「ひまわり」に絵を寄せるようになった。
決して叙情画でないが、コミカルでおしゃれな良さがある。

「ひまわり」ブランドは凄い力だった。
昔の少女たちの持っていたグッズなどを見て感心するばかり。
ひまわり手帖、バースデーブック、豆本風なのもある。
嗜好は違うが、この良さは認めなければならない。
淳一の力は大きい。
しかしワークホリックの淳一に、営業部が非難の声をあげた。それを知ってショックを受けた淳一はパリへ外遊に出て、その地から絵や通信を送るようになるが、「雑誌は営業の力で売れる」というわけにもいかない現実が待っていた。
やっぱり中原淳一あっての「ひまわり」だけに、いかに営業サイドががんばっても、盛り返せなかったそうだ。
淳一復帰。途端に雑誌がまたよく売れるようになる・・・

『和の情緒を忘れずに』
少女たちを教育し、啓蒙する雑誌。
「お遍路さんの哀しみ」を描いた絵がいい。

投稿者たちの力も大きい。
「銭形平次」の野村胡堂の夭折した娘の書いた遺稿は村岡花子に託され、花子はそれを「ひまわり」に投稿した。
女優中村メイ子は本名のままで色んな投稿をし、ついに人気少女女優だと知れてからは、「読者代表」として大活躍したそうだ。誌上レポーターとして、漫画家上田トシ子とも組んでいる。

わたしは中原淳一の世界は戦前の「令女界」時代がベストなのだが、それでもこうして「ひまわり」を目の当たりにしていると、そこにある淳一の思想が、自分の身に染みてくるのを感じる。
彼は熱心に少女たち・若い女たちに「自己の美の発揮」を説き、外見だけでなく心の美しさ・正しさを保つことを奨励し、啓蒙し続けたのだ。
なんだか自分も応援されている気になってきた。
ありがとう、中原淳一。

併設の高畠華宵室では、挿絵特集があった。
口絵・挿絵の美麗にして妖艶な世界が広がっている。

大正15年「少女の國」誌の「焔」では、振袖少女を背負って屋根に駆け上る美少年の姿がある。少年の雪白の膚には桜の刺青が舞っている。
同年の「少女画報」誌には青山櫻州「炎の渦巻き」の挿絵がある。どれもこれもゾクゾクさせてくれる。
泳ぐ少年の首に矢が刺さり血がしぶいている!嵐の中、帆柱に括り付けられた少年!浜に立つ半裸の少年!胸に手を当て片方の手を伸ばす姿!枕に肘をつきつつ、顔を覆う少年!
なまめかしーーーーーーーっっっ!!
うなじも腮も何もかも・・・!!!   
ああ、苦しい・・・・・・・

久しぶりに「ナイル薔薇曲」の全編が出ていた。物語の概要も添えられているから、絵と共に楽しめる。どれを観ても艶かしい。視ているだけで息が上がってくる。
この絵も’89年頃に「新発見の挿絵」として世に出たのだった。
わたしはそれを見たさに池袋の三越まで出かけたのだ・・・

「戦国姫百合草紙」「馬賊の歌」「藝南幽鬼洞」「南蛮小僧」・・・!!何もかもが好きだ。
こうして文字面を眺めるだけで動悸がしてくる。
特に「南蛮小僧」はもぉもぉ・・・ここに書けないくらいの悦びがある。

夢二に回る。
絵手紙とメッセージ展。
袖萩祭文らしき絵があるが、これを見るといつもわたしは花村えい子を思うのだった。
夢二の描く絵のうちで、女優の毬谷友子に似た顔もあれば、花村えい子の絵に似た顔もある。

夢二の詩「謎」にこんな節がある。
恋に破れた女は昔から トラピストへあがるか ラテン区へ落ちていつたものだ
・・・その「ラテン区」がわからないのだが、わかるような気もする。

ああ、この詩もあった。
「ああ 早く昔になれば好い」
わたしはこの言葉を見ると久世光彦を思い、久世光彦が死んでしまったことを思い、胸がくるしくなるのだった。

展覧会は12/25まで。
今年もありがとう、弥生美術館。もう来年の友の会にも入りました。
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コメント
No title
広尾に中原淳一グッズのお店があるのご存じ?
ご希望とあればまたご案内いたしますわ(笑)

2011/11/24(木) 21:07 | URL | noel #-[ 編集]
☆noelさん こんばんは
おお、そのお店ね、前にニュースで見たのよ。
今度またつれてって。
淳一見てたら手芸って楽しそうやな~と思ったりしたわ~♪
2011/11/24(木) 23:03 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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