美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

柳原良平さんの誕生日と命日に・・・

今日は柳原良平さんの誕生日だそう。
1931年8月17日 にうまれ、 2015年8月17日になくなった。
丁度一回り。小津安二郎もそうだった。
5月から7月に尼崎で回顧展があり、とても楽しませてもらったのに、感想を挙げられなかった。
今日、遅ればせながらお誕生日おめでとうと三回忌への気持ちをこめて、小さな感想を挙げたい。




行くと、子供の頃からの作品が現れた。



ツイッターで挙げたとおり、子供の頃の手書き同人誌にびっくりした。
物凄く細密で丁寧で考証もしっかりしているのだ。
当時の自宅を発行所にしているのも可愛い。

こんな小さいうちから、と思う一方で、やっぱりこんな小さいうちからでないと、とも思う。すばらしきマニアックな世界。
柳原良平さんは船を愛したが、原コレクションの原さんは鉄道を愛した。
この二人に共通することは幼児期から生涯その愛が変わらなかったこと。これだ。
「成長しない」ではなく、最初に見出した愛を生涯かけて大きく育んだ、と言うべきなのだ。

絵は最初から本当に巧い。
これは実際自分の子供の頃からのことを思い出すと、クラスに必ずやたらと絵の巧いこと言うのはいて、かれらの才能には誰も太刀打ちできなかった。
だからやはり巧い子は巧いのだ。
「嵐」の大野智くんも絵がうまく、子供の頃からの絵を何かで見たが、やはり相当うまかった。きちんと習ったのではない、自分が描きたいと思ったものを描く力がこうした子供たちには具わっていて、それを伸ばせるかどうかはその子の環境によると思う。
柳原良平さんはその才能を伸ばした。




寿屋、今のサントリー。「トリスを飲んでハワイへ行こう」などの名コピーの時代はあいにく知らず、歴史として見聞きした。
なので「ルパン三世」第一作目に「ルパンを逮捕してヨーロッパへ行こう」がこのパロディだと知るのも後年の事だった。1stルパンも再放送で見たクチなのだ。
わたしが開高らを知ったのは小説家としてだったし、アンクルトリスもリバイバルコマーシャルで見たのが最初のように思う。
だが、古臭さはまるで感じなかった。昭和のまんなかというのは感じるが、古さよりも違う世界のキャラという風に受け止めていたと思う。

今ちょっとググッたら、わかりやすいサイトがあったのでご紹介する。こちら

絵本もちょっとばかり挙げる。
17081701.jpg

柳原良平さんは数多くの船の模型も所蔵していた。
今はなき、なにわの海の時空館には柳原良平さんのギャラリーもあった。
SH3B14310001.jpg

お祖父さんが築港を開いた一人だという。
生まれる前から海と関わる方だったのだ。
当時の感想はこちら


会場では柳原良平さんの装幀の仕事なども紹介があった。
絵本も少なくない。シンプルでわかりやすく、そして力強い作風がいい。

わたしは図録を購入した。脂が乗った頃の作品は画集で見ることが叶うが、子供の頃の絵はこれ以外ではなかなか・・・

またどこか、柳原良平さんの愛した横浜にでも記念館があればと思う。
亡くなったのは二年前だが、まだまだ遠くなった感じはしない。作品は活き続けている。

良い作品を世に贈ってくれてありがとうございました。
スポンサーサイト

芳年 妖怪百物語 その2/ 丹波コレクションの世界Ⅱ 歴史×妖×芳年

昨日の続き。

金太郎捕鯉魚 御届明治18年(1885)7月 大判竪2枚続 個人蔵  金ちゃん頑張る。その様子を上の岩から眺める美人母。その背には柴とユリが見える。

奥州安達がはらひとつ家の図 御届明治18年(1885)9月 大判竪2枚続 個人蔵  鬼婆が故主の唖の姫様のため胎児の肝を取ろうとし、妊婦を逆さ吊り。実はこの妊婦こそ奥州に行った母を探しに来た婆の娘・恋衣だったのだ。そうと知らず婆は臨月の娘を殺し初孫の肝を奪う。
縦二枚の凄い構図。妊婦は腰巻一枚にされて逆さ吊り。
この絵に撃たれた責め絵で有名な伊藤晴雨、何人目かの嫁さんが臨月の時に実地体験をしようと医師の立会いの下で実行。
その写真を見たが、びっくりしたなあ。

袴垂保輔鬼童丸術競図 御届明治20年(1887)9月1日 大判竪2枚続 太田記念美術館蔵  伝説の盗賊vs術者の戦い。上段には大蛇の上に立ち、直垂に刀を手挟んだ袴垂。下段には目を閉じ印を結び、維摩行する鬼童丸、その表情がまたいいのですよ。鬼童丸からは雀が猛禽になったような鳥たちが蛇に向かってゆく。
ここでも芳年得意のビラビラな線が着物に使われる。

平維茂戸隠山鬼女退治之図 御届明治20年(1887)11月1日 大判竪2枚続 太田記念美術館蔵  これが集大成かな。美人とその水鏡に映る顔は鬼。水色と赤色の鮮やかさはさすが明治。

羅城門渡辺綱鬼腕斬之図 御届明治21年(1888)12月20日 大判竪2枚続 太田記念美術館蔵  これも凄い迫力。激しい風雨と、上にいる鬼と下の綱とのにらみ合い。朱の柱の鮮やかさ。

さていよいよ「新形三十六怪撰」シリーズが現れる。
昨日の和漢百物語にしろ月百姿にしても、連作物は楽しいてならない。
明治22年(1889)から明治25年(1892)まで続いた傑作。
こちらの画像も国立国会図書館デジタルコレクションにもあるし、昨日紹介した「妖怪うぃき的妖怪図鑑」さんのところにもある。

貞信公夜宮中に怪を懼しむの図  昨日も挙げた鬼が刀を取ろうとしてアリャ―なことになる様子。鬼よりこの人の方がずっと豪胆。

さぎむすめ  芳年の作画中、特に綺麗な絵の一つ。白無垢に黒帯・黒傘、すりよる鷺たち、そしてタイトル欄の薄紅色。

武田勝千代月夜に老狸を撃の図   斬られる木馬が妙に可愛い。

大森彦七道に怪異に逢ふ図  こちらは太平記の人だが、シチュエーションは美女に化けた鬼との遭遇というもの。おんぶする彦七だが、ふと足元の水面を見れば背負う美女の影に鬼の角・・・!これも歌舞伎舞踊になり、たまに出てくる。

清玄の霊桜姫を慕ふ乃図  元祖・大ストーカー。桜姫故に地位も名誉も何もかも失くし、その上に当の桜姫からも嫌がられ、病に伏しつつも桜姫への妄執は尽きず。死んでからも亡者としてつきまとう。
芳年は連作「雪月花」で百日鬘の清玄が桜姫を想う図を描いてもいる。
この絵はぼーっと出てきた清玄の霊を嫌がる(全く怖がることもない)桜姫。
古狂言もあるが、南北の「桜姫東文章」がやはりいちばん面白い。

鬼若丸池中に鯉魚を窺ふ図  叡山にいた頃の少年時代の弁慶。袴姿で岩から怪魚を窺う。このポーズがね、そのまま少年マンガの先達だと思えるのね。

老婆鬼腕を持去る図  空を駆けゆく老婆の高笑いが聴こえてきそうな図。

小町桜の精  「関の扉」が元ネタ。花魁姿の小町桜の精。背景のグラデーションがまたとても綺麗。雪のように花びらが舞う。

為朝の武威痘鬼神を退く図  日本一の強弓を背たろうた為朝の前から、ブサイクな病神の連中が飛んで逃げていった。

清姫日高川に蛇体と成る図  「百物語」とポーズも構図もほぼ同じだか、こちらの方がやはり情念の高ぶりを感じる。
もう安珍の絶対的な最期はこの時点で決まった。
鱗柄の着物、蛇腹を思わせるような帯、噛みしめた唇と小さな強そうな歯。
92年の大丸「芳年展」で受けた衝撃は大きかった。
あのときの図録はあいにく半分が白黒だったが、それでもこの絵のために買った。

内裏に猪早太鵺を刺図  煙の中でとどめを刺す。

鍾馗夢中捉鬼之図  表情がそれぞれいい。鍾馗にしても怯える鬼にしても。そしてチリリリリと縮れる鍾馗の衣の線。
 
蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒図  キッチュな色遣いで見物する阿弥陀もヘンなら投げ飛ばされる仁王らしき魔王?もヘン。周囲にはモンシロチョウが群生。

藤原実方の執心雀となる図  菜の花と雀たちがあふれる。都へ帰りたいと願う実方のココロモチ、それを載せて飛んでゆく雀たち。
こういうのを見ると立原正秋「冬の旅」のラストシーン、中上健次「奇蹟」のクライマックスシーンを思い出す。
前者はかもめ後者は小禽だが、群成す鳥たちが主人公の死を示す。
「鳥は死、魚は生」このことがどこかに流れているのかもしれない。

バージョン違いのものが並ぶ。
地獄太夫悟道の図  一は端坐する地獄太夫のみ。一は髑髏たちのシルエットが映るもの。
地獄太夫は暁斎が多く描いたが、芳年もこのように描いている。風俗は吉原の太夫風のもの。

平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図  鬼女は髷を結い、大盃に鬼が映る。

藤原秀郷龍宮城蜈蚣を射るの図  ここでは宮殿の楼閣の一隅から蜈蚣を狙うように見える。俵の藤太はややおじいさん風。龍女は「百物語」とは違い、腹に一物という感じもない。

皿やしきお菊の霊  筒型の井戸の側に侍女姿のお菊さんがうすぼんやりと佇む。合わせた袖口からは緋縮緬がのぞくが、それが陰火にも見える。
シクシクと泣くお菊さん。

葛の葉きつね童子にわかるるの図  障子の影はもう狐。憐れな話。

布引滝悪源太義平霊討難波次郎  「今から叩っ殺してやる!」という気概にあふれた怨霊。
横浜歴博のチラシ表を飾る。
イメージ (74)

仁田忠常洞中に奇異を見る図  富士の人穴を探検すると白い蝙蝠たちが・・・

清盛福原に数百の人頭を見る図  「百物語」では雪の庭の怪異だったが、こちらは襖にドクロが浮かぶ。秋草に満月の襖絵で引手が髑髏の眼に化る。
剛毅な清盛はそんなもの恐れもしないが、こんなものが現れ出すあたり、やはり運勢が蝕まれてゆく徴でもある。
襖絵にもののけが大きく浮かぶ、それを最初に見たのは美内すずえ「黒百合の系図」クライマックスシーン。怨霊・鬼姫のクッと嗤う顔の恐ろしさ・・・!いまだにトラウマ。

秋風のふくにつけてもあなめあなめをのとはいはしすすき生けり 業平  罪によりザンギリ。一人でしょぼんの業平のもとへ声が。小町の頭蓋骨がススキに眼窩を貫かれているのを発見。
日本霊異記だったか今昔だったか忘れたが、旅人がやっぱりそんな髑髏を見つけて供養したらお礼を言われた、という話がありましたな。

奈須野原殺生石之図  玉藻の前が石に背中を持たせかけながら雁行をみる。忽ちぐにゃぁと落ちかかる。毒があるからねえ。

蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図  例の妙国寺の泣き蘇鉄。「百物語」と違いこちらは蘭丸一人。

三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図  折角王子が生まれるように祈祷して成功したのに、叡山への「忖度」のために願いが叶わず、激怒して憤懣のなか、憤死する。死んだ途端にネズミになって叡山の大切な巻物を齧り倒す。
この話を最初に知ったのはもしかすると谷川健一「魔の系譜」だったかもしれない。

ほたむとうろう  牡丹燈籠ですわ。ここの女中は既にモノノケなツラツキ。お露さんは何故か遊女風。圓朝の落語を聞いて打たれたのだろうなあ。
わたしはこの元ネタの瞿佑の話から入り、大人になってからこちらの方を知った。
怖いのは元ネタの方な。こちらは人の心のあさましさがこわい。

大物之浦ニ霊平知盛海上ニ出現之図  知盛のこのカッコよさはいいなあ。わたしは「子午線の祀り」、司馬サンの「義経」以来、新中納言知盛が大好き。芝居でも渡海屋銀平実ハ平知盛の姿がカッコ良かったなあ。
波の上に立ち、シャープな横顔を見せて本当にカッコイイ。
これに対峙するのが「月百姿」の静謐にして力強い武蔵坊弁慶。

小早川隆景彦山ノ天狗問答之図  木を切らざるを得ない小早川とそれを推しとどめようとする天狗。しかし日本人的事情を正論として押す小早川の論理により、天狗は負ける。
身もふたもない説明やな。

やとるへき水も氷にとぢられて今宵の月は空にこそあり 宗祇  出ると噂のところに泊まったら案の定出てきた薄い影のヒトたち・・・宗祇も歌を返すことで仲間入り、いえ、勝ちました。

二十四孝狐火之図  赤姫である八重垣姫が赤地に菊柄の綺麗な着物で諏訪法性の兜を持って飛ぶ。周りには姫を盛り立てる狐火たち。「翼が欲しい、羽が欲しい」と泣いた姫もこの力で勝頼のもとへ。

源頼光土蜘蛛ヲ切ル図  今回のチラシ。この絵を見て「オカンにいつまで寝てんねん、起きやと起こされる息子の図」という評があったなあwうまいわ。
イメージ (76)

節婦の霊滝に掛る図  例の「箱根霊験躄仇討」の初花が殺された後も滝に打たれて祈る図。しゃがんでるところが明治の幽霊。「牡丹燈籠」以来、日本の幽霊にも足が出来た。

茂林寺の文福茶釜  荒れた寺の一室で狸の和尚さんスタイルで机に凭れる。これでは茶釜じゃないですよ。白蔵主のナカーマの、建長寺の狸和尚の方が近い。
ただ、目つきが狸でも猫でも時折こんな目をするので、やはり物思いにふけっていると思う。

四ツ谷怪談  まだ綺麗だった頃のお岩さんが赤子に添い寝。衝立から降りる紐が蛇のよう。怪異はお岩さんの死後からだが、既に不吉な予兆が現れている。

おもゐつつら  これで終わり。婆さんの驚き方は「百物語」の方が凄いが、これはこれでいい。オバケたちも婆さんの反応を楽しんでいる。

面白い展覧会でしたわ。8/27まで。
そして9月からは「月百姿」が登場。

続いて横浜市歴博へ。
「最後の浮世絵師が描いた江戸文化」という副題がある。
作品は全て丹波コレクション、神奈川県立歴史博物館に収蔵されている。

1.芳年とその作品
芳年漫画 舎那王鞍馬山学武術之図 1888  大天狗に武術を学ぶ稚児輪の舎那王。ちょっとほっぺたもぷっくりしている。

鉢の木、曽我五郎を描いた絵がある。
鉢の木は丁度佐野が大切な盆栽を叩き壊そうとしているところ。
五郎は必死のパッチで馬に乗り駆ける姿。
この絵の構図は菊池容斎「前賢故実」の五郎時致から、ということでその絵も出ている。

報知新聞の絵もある。生け花の(切り花)梅から花が咲いたとか。

東名所墨田川梅若之故事 この絵はもうあぶな絵の1シーンと言ってもいいような色気があふれている。
だまされて京都からこんな東国までつれてこられた美少年・梅若丸が、とうとう命を落とすところ。人買い・信夫の惣太の前で崩れ落ちるのだが、本当にこれはもう男を誘っているとしか。

ほかにも有名どころの絵が並ぶ。
新撰東錦絵お富与三郎話  お富さんの家をそうと知らずにゆすりに行こうとする直前の与三郎と、そのゆすりの指南役・蝙蝠安。
道には犬も寝るし、流しの新内語りもいる。
幕末の退廃的な魅力が明治にも活きている。
この芝居は現在もよくかかる。

芳年は芝居絵も描く。
五世菊五郎が一つ家の老婆を演じる図もある。バックにはへちまがなっている。1890年のこの作では鬼婆の肌がビロビロだが、そんなに猟奇的なものではない。やはり前述のあれは凄い。あっちはこの五年前。

遊郭の様子を描いたものもある。それからシリーズ風俗三十二相から「めがさめさう」と「むまさう」。
この辺りは純然たる美人画。

イメージ (75)

2.歴史を描く
・過去を描く
大日本史略図会から「崇徳天皇」「高倉天皇」が出ている。
崇徳院は讃岐に流されてからの姿で、荒れた庵室でぼさぼさの髪に、もうそろそろ叫びだしそうな様子。
高倉天皇と言いながら、これは重盛諫言図。

・金太郎 師弟の競演 
国芳、芳年それぞれの金太郎が集まる。金太郎は歌麿のも大好き。いいなあ。

・同時代を描く
激動の時代でしたなあ。

信州小田井城合戦之図  生首コロコロ。 師匠の所にちょっとだけ来ていた幼い暁斎は同時代に生首コロコロなのを拾って平気で写生したが、芳年はそれはなかったんだなあ…

東台 山王山戦争之図  明治も7年になるとかつてのことを描いていいようになったのだね。
血まみれの彰義隊が可哀想…

そして明治10年になると西南戦争の図がいくつも。
女たちが長刀をふるう図、桐野利秋と野津少将の一騎打ち、小舟の上で切腹する西郷などなど…

最後は「新形三十六怪撰」シリーズがずらり。
ここのもいい摺。

どちらも楽しく見て回った。やはり芳年はいい。

今年の4月には美術館「えき」でもわたしは芳年展を見たが、感想を挙げられなかったので、今回こうして挙げれてよかった。
イメージ (80)
今年は三つの芳年展を見たことになるが、いずれもとてもよかった。
京都の方は総花的な内容で、兄弟弟子の芳幾との競合作品「英名二十八衆句」シリーズなどもあった。
あちらもとてもよかった。
イメージ (81)

来月の「月百姿」も楽しみ。何度見てもいいものはいい。

芳年 妖怪百物語 その1

浮世絵太田記念美術館では「芳年 妖怪百物語」、そして横浜市歴史博物館では「丹波コレクションの世界Ⅱ 歴史×妖×芳年」と、芳年の展覧会が二つ開かれている。
芳年の展覧会といえば92年8月に「月岡芳年」展を大丸梅田で、9月に「國芳と芳年」展をDO!FAMILY美術館、と続けて見たのが最初。
どちらも今は活動停止。

芳年は国芳の弟子の中でも特に目を惹く活動を残した。
瓦解前は師匠譲りの絵を描いていたが、明治になり、神経を病んでから圧倒的に個性を前面に出すようになったように思う。
公的な意識においての巨大な価値観の変換と、実生活のそれまでの地続き感。
そこらでうまく調整が取れなかった人は少なくない。

また、芳年の没後に顕彰碑を建てた弟子や知己たちのこと、それを記した孫弟子にあたる清方の言葉などをよく思い起こす。
現代にまでその系統をつないだということを想う。

「芳年 妖怪百物語」から。

師匠の国芳えがくオバケは言えば明るいオバケが多かった。
「オバケは明るく幽霊は陰気に」という言葉もあるが、国芳の幽霊は半分は陰気どころか妙に元気だった。
そう、国芳のオバケも幽霊も妙に朗らかでにくめないのが多かった。
しかしそれは江戸末期だから出来たことかもしれない。
芳年は本当の「幕末」にいた。
なので状況も違うし、性格も異なる。
芳年えがくオバケたちが陰惨さを見せるのは内戦状態を目の当たりにしたこともあると思う。

桃太郎豆蒔之図 安政6年(1859)9月改印 大判3枚続 個人蔵  闇へ消えてゆくシルエットの鬼魅たち。一つだけ赤く見える。そして豆まきを見ながら酒を飲む戎と大黒。21歳の作。

楠多門丸古狸退治之図 万延元年(1860)6月改印 大判3枚続 個人蔵  こちらもシルエットで鬼魅を表現。多門丸と側仕えの竹童丸の勇ましさ。
小楠公には人助け・バケモノ退治エピソードが多い。

和漢獣物大合戦之図 万延元年(1860)10月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  ヒョウ、トラ、ゾウ、シロクマら外国勢(!)vsウマ、イヌ、ネズミらの戦い。これはやはり時勢を描いてるのだろうなあ。

通俗西遊記 金角大王 孫悟空 元治2年(1865)2月改印 大判 太田記念美術館蔵  焔風にやられる悟空。
通俗西遊記 混世魔王 孫悟空 元治元年(1864)10月改印 大判 個人蔵  シルエットの悟空の分身たちが働き、魔王は黒焦げ。

岩見重太郎兼亮 怪を窺ふ図 慶応元年(1865)6月改印 大判3枚続 個人蔵  黒狒々たちが生贄の美女を前ににまにま。それを伺う岩見重太郎。
信州信濃の光前寺の早太郎同様、狒々退治で美女を救うのだ。

近世俠義伝 生首六蔵 慶応元年(1865)2月改印  大判 太田記念美術館蔵  釣りに行くといつも生首と遭遇する男。・・・なんじゃそれは。
要するに「もう釣り=殺生をやめろ」という話なのだが、何がそれを見せるのかはわからない。
浮かぶ生首を見上げる六蔵、褞袍か掻巻かをかぶりながら煙草を吸う。
諸星大二郎「栞と紙魚子の生首事件」を思い出したよ、わたしは。

正清朝臣焼山越ニ而志村政蔵山姥生捕図 慶応元年(1865)10月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  青緑の山姥がぎえーーーっ洞内に蝙蝠飛びまくる。
この蝙蝠見てたらやっぱり吉祥文様<ドラキュラの手下=魔物 なイメージが強いわね。

於吹島之館直之古狸退治図 慶応2年(1866)10月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  稗史の塙団右衛門の話。ぷーとふくれつつ、退治。茶を持ってくる妖怪もいる。

美青年・美少年もいる。
美勇水滸伝 大蛇丸 高木午之助 慶応2年(1866)10月改印 大判(中判2丁掛) 個人蔵  オトコマエの大蛇丸が気になる女をさらおうと思い、とりあえず修業中。

美勇水滸伝 高木虎之助忠勝 六木杉之助則房 慶応3年(1867)4月改印 大判(中判2丁掛) 個人蔵  若い方はなかなかの美少年。

美談武者八景 戸隠の晴嵐 慶応4年(1868)1月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  雅楽の火炎太鼓のところから妖風が。紅葉も散り飛ぶ。
そう、「紅葉狩」「戸隠の鬼女」ね・・・

和漢豪気揃 金太郎 慶応4年(1868)4月改印 中判 個人蔵  元気ものの金ちゃん、雷をぽかぽかぽかーっ

一魁随筆 朝比奈三郎義秀 明治5~6年(1872~73) 大判 大屋書房蔵  例の「朝比奈」が地獄へ行ったが、閻魔を叩きのめすと、獄卒の鬼たちもひえーっと逃げ出す。

一魁随筆 托塔天王晁葢 明治5年(1872)11月改印 大判 大屋書房蔵  梁山泊の最初の棟梁。よいしょっと宝塔を持ち上げて移動中。
この頃も水滸伝の人気は続いていた。

いよいよ連作・和漢百物語が登場。元治2年(1865)2月から慶応元年(1865)9月改印までの大判で全てここの所蔵品。
なお、「妖怪うぃき的妖怪図鑑」というサイトに全編画像と解説があるのを発見。
とてもありがたい。
これまでもあちこちで見てきたが、いい状態のものなので、よかった。

左馬之助光年  釣りの帰りに闇の中、遠くの狐火をにらむ。
貞信公  どこ向いてるのな丸い目玉の鬼がそっと公の刀に触るが・・・
小田春永  龕灯に浮かび上がる妙国寺の泣く蘇鉄。蘭丸と一緒。
楠多門丸正行  侍女に化けた狸をキッとにらむ。
清姫  桜が散る中、足元には寄せ返す小波が。足元を濡らす女の情念が深い。
渡辺源治綱  凄い風が。鬼の登場にふさわしい。そして馬はカメラ目線。
田原藤太秀郷  蜈蚣の精は顔が横広。竜宮の竜女の妖しい表情。蟒蛇来た。
鷺池平九郎  正行の臣。紫陽花を見る夜釣りの帰り。水面には大蛇の影が。
不破伴作  傘に張り付く黒い妖物。
大宅太郎光圀  骸骨が闘うのをみる。師匠は巨大骸骨を描いたがこっちは群。
伊賀局  「月百姿」にも出るが、けっこう芳年はこの婦女が好きなのかも。
白藤源太  河童の相撲を見る。浴衣にも何やら男伊達の顔。
小野川喜三郎  立派な関取、大入道に煙草の煙を吹きかける。
登喜大四郎  仁王と相撲。阿弥陀が行司?髑髏たち笑う。
源頼光朝臣  寝込んでたら小さな蜘蛛が来てそれを見る。普通の蜘蛛やん。
華陽夫人  出ました、無惨な喜び。生首もって微笑む美女。
雷震  太公望が差し向けたやたらと強い男。「殷周伝説」にも出てたかな。
入雲龍公孫勝  師匠のより動きがある。龍も自ら水から来たー
頓欲ノ婆々  重い葛籠をもろてきたら、中からバケモノどーん!のけぞる婆。
将武  唐の人。猩々に紹介された黒象の頼みを聞いて蟒蛇を討つ。
仁木弾正直則  足元に大鼠が巻物を咥えて佇む。仁木は印を結ぶ。
主馬介卜部季武 ウブメが泣くのに行き当たるところ。
宮本無三四  天狗の羽を斬り落とす、その刀の軌跡がかっこいい。
下部筆助 「箱根霊験躄仇討」の忠実な家来。殺された初花の霊の前に控える。
酒呑童子  女たちと宴会の最中。胸出し女と鬼の腕引きを眺める。
真柴大領久吉公  高野山で祟られ、赤い稲妻に刺されそう。

一行ずつ書いたが、いずれも工夫の凝らされた絵で、細かいところも面白い。
そしてこの連作があればこそ、20数年後の「新形」シリーズも生まれたのだ。

兄弟弟子の芳幾同様芳年も新聞の三面記事を描いた。
郵便報知新聞 第六百六十三号 明治8年(1875)8月改印 大判 太田記念美術館蔵  寝る女房に不埒なふるまいをする黒い影。これを見ると水木しげる「東西奇っ怪紳士録」の精霊に妻を奪われた男の話を思い出す。

明治も十年代になると改印から御届になるのか。 
絵に独特の襞や線が現れ出す。
そして役者の誰にも似せない絵になる。

大日本名将鑑 平惟茂 御届明治12年(1879) 大判 太田記念美術館蔵  前掲の「戸隠の鬼女」。この20年後、日本最古の映画が撮られる。歌舞伎舞踊「紅葉狩」である。平惟茂が五代目菊五郎、鬼女を九代目團十郎、惟茂に危急を知らせる山神をまだ少年の丑之助(後の六代目菊五郎)。
好かれた作品だと言うべきなのか。

イメージ (77)

皇国二十四功 田宮坊太郎宗親 御届明治14年(1881)5月30日 大判 個人蔵  鉢巻をした少年坊太郎が刀を手に、天狗の指南を受ける。

皇国二十四功 信濃国の孝子善之烝 御届明治20年(1887)9月 大判 個人蔵  先般挙げた「地獄絵ワンダーランド」でも紹介した善之丞の話。閻魔や鬼たちが鏡を見せながらみんなで少年を諭すところ。

新容六怪撰 平清盛 明治15年(1882)5月 大判3枚続 個人蔵  雪が大髑髏になったのをにらむ清盛。そばの女官の着物の空摺が素晴らしい。それぞれ違う文様になっているのだ。

不知藪八幡之実怪 御届明治14年(1881)10月 大判3枚続 太田記念美術館蔵  水戸黄門の光圀が出向くと、そこは骸骨だらけの洞があり、老翁と美女たちが静かに端座していた。面白い顔の天狗や侍女もいるが、老翁も美女も威厳がある。光圀は片膝をついていた。

偐紫田舎源氏 御届明治16年(1883)5月21日 大判3枚続 個人蔵  荒れ寺に女といるところへ、鬼面をかぶった女が現れ、二人を脅かす。
色彩が鮮やかでいい。線も近代的。

平清盛炎焼病之図 御届明治16(1883)年8月 大判3枚続 太田記念美術館蔵  清盛の断末魔が聴こえてきそうな絵。こういうのを見ると現代のマンガと直結してるように思えるのだ。

芳年武者无類 相模守北條高時 御届明治16年(1883)12月7日 大判 個人蔵  「天王寺のや妖霊星を見ばや」で烏天狗が化身した田楽法師らと一緒に舞うアホな高時。困ったヒトやで。

日蓮上人石和河にて鵜飼の迷魂を済度したまふ図 明治18年(1885) 大判3枚続 大屋書房蔵  夜、6羽の鵜が鵜飼の亡霊の周囲に心配そうに集まる。
「鵜は鵜飼の弟だ」という言葉を思い出す。
上人と弟子とが済度しようとするところ。

祐天不動の長剣を吞む図 御届明治18年(1885)5月 大判3枚続 太田記念美術館蔵  ぼくアホですな少年に知恵を授けるために長剣を飲ませる。別にこれは奇術ではない。不動の剣。セイタカ・コンガラの二人組が見守る。

芳年漫画 渡辺綱と茨木童子 御届明治18年(1885)12月17日 大判2枚続 太田記念美術館蔵  御幣を下げた中のその箱をのぞき込む老女と綱と。
明治になり大正、昭和になってもこの「茨木」は人気がある。
六世梅幸は「茨木」を得意とした役者だが、あるときごひいきに招かれたが、趣向が「茨木」で、それらしく振舞う。
やがて箱に収められた巨大な木の腕を持って去ろうとしたが、重くて苦しむ。それでも行こうとすると、旦那衆が慌てて止める。
その木の腕はなんと国宝のさる仁王像の腕を旦那衆がムリをして借り出してきたそうだ。
梅幸はそのときの振舞の良さが評判になり、彼ら全員が大旦那になって、ずっと彼を支援したそうな。
実際に鬼の腕はやっぱりそれくらいの重さがありそうで、箱をのぞく老女に油断したのは、老女がこんな重いものをという気もあったろう。

とりあえずここまで。続きは明日。

秘蔵のアートコレクション展「佳人礼讃 うるわしの姿を描く」

八月の東京の楽しみはホテルオークラ恒例チャリティイベント・秘蔵のアートコレクション展。まずこれですなあ。
第23回、23年も続いているよい展覧会。
わたしは二回欠席したが、あとは毎年出向いている。ここで知って後年よそで見かけ、ようやくの再会だと喜んだ作品も数多い。
今年は「佳人礼讃 うるわしの姿を描く」展。美人画から近世風俗画までが出ていた。
時間の都合によるのか、わたしがほぼ独占してしまい、それでいよいよ好きな作品に張り付くことになった。

イメージ (56)
チラシは上が松園さん、下が清方。
ご近所だが滅多にそのコレクションを目の当たりにすることが出来ない霊友会の所蔵する松園さんの「うつろふ春」と只今絶賛改装中の大倉集古館所蔵の清方「七夕」の左隻。

毎回必ずコンパクトな図録を買う。
それから中へ入る。

・肖像画のまなざし
まずは洋画から。

イメージ (57)

ギョーム・セニャック ミューズ  これはご近所の泉屋分館から。住友家を彩る絵の一つだったことを思いながら白衣に月桂冠のミューズと対峙する。

ジョージ・チャールズ・エイド ジャパニーズ・プリント 北野美術館  浮世絵を見るドレスの婦人。まだジャポニスムが席巻していた頃なのか。

モディリアーニ、キスリングの近代美人が現れる。モディリアーニの黒いアーモンドのような目、キスリングの黒髪の女の印象的な目。二人の間に10年近い歳月があるが、そんなに遠い感じはしない。
それから更に後の世代の娘が出てくるが、その20年を生きた三人の女は今も色あせない魅力を見せる。

東博からも明治の美人画がきている。
原撫松のモンタギュ夫人、黒田清輝の美人散歩、岡田三郎助の傾く日影。
時折平成館への途中にある近代絵画室でみかける美人たち。

三郎助の数ある美人画の中でも名高い支那絹の前がある。今休館中の高島屋史料館の名品の一つ。
この展覧会でも表紙を務めている。当時の感想はこちら

矢崎千代二 教鵡 東京芸大  1900年の婦人と鸚鵡。明治のこうした風俗を描く作品をもっと見たいと思う。

中澤弘光、有島生馬、金山平三の婦人たち、それぞれの個性を見せている。
金山の絵は兵庫県美術館に記念室があるが、東京で見るとまた違う感じがする。

小倉遊亀 若いひと 1962 挑戦的な目をこちらに向ける若い女。手には最近は余り見かけないが、昭和の末頃にはまだ見かけたアジア風の団扇がある。
時代を感じる。団扇ではなく、この若い女の目に。

東郷青児の二枚の絵が並ぶ。半世紀の歳月が二枚の間に横たわる。全く違う女性像。その歩みを想う。

イメージ (58)イメージ (59)

第二章 美人画にみるうるわしき佇まい
ここでは日本を代表する美人画の大家の絵を堪能する。

松園さんの美人画が五点。
春の日の下を日傘を差している三人の女たち、帯の緩いのをそのままに褄を持つ女、円窓に映る梅の影を見入る女、脇息に肘を立て頬に軽く着物越しに手を添える女、花びらがゆっくりと彼女らの周囲に舞う。

紅葉狩の美人は古川美術館から。あの美術館の為三郎記念館の居心地の良さが思い出される。すばらしい庭園が広がり、そこにこの美人が佇むことを想う。
その彼女が名古屋からホテルオークラに来ているのだ。

伊藤小坡 「醍醐の花」と「紅葉狩り」とが並ぶ。その配置がいい。花も紅葉も描かれた美人たちの目には見えるのだが、わたしたちはそれを見る美人たちを見ている。

清方登場。
七夕 やはりこの屏風絵はすばらしい。一目見ただけでその魅力に囚われるが、細かく見てゆくと次々と発見があり、それもまた楽しい。しかし気を許すと、右端の髪すき美人の妖艶さに当てられて背筋が寒くなるのだった。

狐狗狸 これを見るのは久しぶり。三人の女が盥をひっくり返して案外熱心にやっているところ。
絵の左端に清方による「うらうちだけねがう」という指示書きがみえる。
コックリさんは描かれた昭和初期頃にも流行っていたが、今はまだするひとがあるのだろうか。

さじき 歌舞伎座にかかる名品。外に出たのは山種美術館での展示くらいではないかな。
前述の松園さんの円窓美人と共にお出まし。
上品な母娘が熱心に舞台を見る様子。背後にさくらんぼなどの水菓子もある。1945年に描かれたということにも驚く。その頃の清方は疎開中だったと思う。
清方自身幼い時分から芝居好きで、いくつか芝居絵も残している。

三木翠山 鏡 贅沢な着物を着た若い娘が足を投げ出して笑いながら手鏡を見ている。
近年になり翠山の絵がだんだんと表に出てくるようになり、とても嬉しい。

深水は三点あり、若い頃の艶めかしい絵と大家となってからの隙間のない絵とがあった。
わたしは若い頃のちょっと隙のある絵の方が好きだ。
戦後の堂々たる絵は完璧すぎてたまにニガテだと思う。

広田多津 春装 パーマの髪が肩に掛かる。藤柄の上品な着物の令嬢。
こうした佇まいの令嬢をみると、横溝正史の描く作品に現れる、敗戦後すぐの頃の令嬢とはこうした風情を持つ人ではないか、と思うのだった。

第三章 人物画の魅力に出会う

ジョン・エヴァレット・ミレイ 聖テレジアの少女時代  思えばこの絵こそが最初に見たミレイの現物だったのだ。
愛らしい少女は純真な信仰心から次々と、とんでもないことをしでかす。絵の中では弟の手を引っ張りながら歩く姿をみせる。

シャガールの幸せそうな花嫁・花婿、ローランサンの優しい色遣いの少女たち。
色彩の面白さを堪能。

しかしよくここまで多くの佳人を一堂に集めたものだと感心する。ただただ感嘆するばかり。

寛永年間の洛中洛外図屏風をみる。
鞍馬から始まり、北野天満宮、二条城・・・東寺、淀川まで。相撲をする人もいればいちゃくのもいて、働く牛も少なくない。
洛中洛外図は細かに見てゆくといろんな発見があり、とても楽しい。同じ屏風であっても日をおいて見ればまた新しい発見や気づきもある。

桜下二美人に曳かれる布袋 肉筆画 布袋さんがニマニマ。「せーの」でひっくり返したれや、と思うわたし・・・

そしていよいよ清方えがく卓上芸術「雨月物語」より「蛇性の婬」の連作が現れる。
すべて霊友会所蔵。
2007年のアートコレクション以来の再会。
当時の感想はこちら
前回に感想は書き尽くしている感があるが、本当にこの連作はコワクテキで上品な表現でありながらも端々に危うさがのぞき、そこにぞわぞわする。

何度も何度もこの連作を行きつ戻りつ眺めた。
大正中期から戦前の清方の絵には時に淫蕩な魅力を見せる女たちが現れる。
清新な佳人もいいが、こうしたあぶない魔性の女に強く惹かれる・・・

山下新太郎 姉妹 バラの植え込みを背景に和装の少女二人。山下の娘二人。かれは美人の奥さんをはじめ家族を、自邸の庭園に咲くものを多く描いた。
明るく和やかな暖色系の彩色。姉妹の着物も山下が選んだと解説にあるが、どちらの着物も可愛らしく、特に向かって右の娘の段替のものは以前似たのを佐倉の歴博か旧鐘紡コレクションのどちらかで見た記憶がある。

島成園 お客様 高島屋史料館に住まう小さい姉妹。向かって左の妹は稚児輪に笹色の着物で手にした扇を開く。
姉は薄黄色の着物に帯も大きく締め扇を閉じてややうつむき加減。どちらも筥迫がのぞく。姉妹二人の前にはお茶とお菓子が。
持って帰るのもいいがそれよりもその場で食べてくれる方が嬉しいのが大阪。
この絵は近年になり展示されるようになったが、こうして東京へも出て行くのはよいことだ。

藤田の少女が二枚。1918年のまだあの「グラン・ブラン」以前の貧相な少女と、レオナルドになってからに描かれたろうと思われる、口をつぐむ少女と。
半世紀の歳月。藤田の想いを想像する。
しかしわたしとしては藤田のいちばん華やかだった時代の「裸婦」に惹かれるのだが。

小磯良平 踊り子二人 チュチュ好きな小磯。神戸の記念館にもバレリーナの絵は少なくない。背後に楽器があるのも60年代の小磯らしくていい。

人形 六体の西洋人形がこちら向きにずらり。小磯は人形を描くことも多いが、これだけずらりと並ぶのを見るのは初めて。
怖い感じはない。

看板・ポスター原画をたのしむ。
清方の「金色夜叉」が来ている。清方は若い頃かなりたくさんの芝居絵看板を描いている。鳥居派の昔から客の心を掴む絵看板の魅力、それを清方も心得ている。

多田北烏のキリンビールポスターが並ぶ。
これは嬉しい。
1925年から1938年までの数点はいずれも美人とキリンビールのある風景。
キリンから借りだしてきたようだが、キリンビールの工場見学に行ったとき、これらの複製の絵はがきを購入できて嬉しかった。

今年も本当に満足した。
「佳人礼讃 うるわしの姿を描く」とはよいタイトルだ。
見終えて思い出す今も心地よいばかり。
こうした展示が本当に好きだ。
多くの人もそうだといいのだが。

8/24まで。
来年もとても楽しみ。
いつもありがとうございます。
イメージ (60)

仏教入門 祈りのかたち

出光美術館では「仏教入門 祈りのかたち」展が開催中。
今夏わたしは奈良博「源信 地獄・極楽への扉」、三井「地獄絵ワンダーランド」、東博「タイ」展と続けさまに地獄と極楽とを眺めた。
この「仏教入門 祈りのかたち」展は全て出光美術館の所蔵品。
こんなにも多くの仏教美術の名品があったのか・・・
イメージ (53)

第1章 仏像・経典・仏具 ―かたちと技法

絵因果経 奈良時代  おお、ブッダに迫る魔族。矢もダメ、ハニートラップも効かない。天女に化身して出向いた三美女、あっという間に婆さんにされちまったよ。
魔王が眷属を送り込んでもブッダに無視され、何をしても払われるのみ。
水桶いっぱい円状につけたのを持った魔族もいるが、けっこう熱心に働いている。
この絵の可愛さが結局「奈良絵」のルーツに見なされるわけなのだね。
イメージ (55)

供養礼拝者像 石造 ガンダーラ 2-3世紀  半円形の段状にずらりと並ぶ。ちょっと「歩かないでください」のエスカレーターに立つ人々にも見える。

青磁神亭壺 青磁 西晋時代  今までも見て来ているが、改めてこの壺、すごい動物ぎっしりですな。サル、イノシシ、ヒツジ、カニ、カメ、ヤモリ、ブタ、玄武らしきのもいる。それと神様。あれだ、「幽霊城のドボチョン一家」的な何かかもしれない。
みんな仲良く住まうのか、それとも神様の食糧なのか・・・。

北魏から唐くらいの金銅仏がずらり。
これを見たとき、傍らのカップルの彼氏の方が「やっぱり北魏の仏像っていいなー」とうっとりするのに遭遇。

青銅観音菩薩立像 明代  長衣に身を包み、ちょっと見返る像。こういうポーズもいい。

金銅聖観音菩薩立像 白鳳時代  冠が山形というかパイプオルガンの中央に管の長いのを集めたような形のをかぶっている。それでわたしも白鳳仏だなと認識する。
去年東博でみた「ほほえみの御仏 二つの半跏思惟像」の良いのを思い出す。
当時の感想はこちら

釈迦三尊十六羅漢図 仙厓  え?この様式的な仏画を描いたのですか。なにやら意外な感じもするが、新鮮味がある。

不動明王画賛 仙厓  眼が上下それぞれ向く不動なのだが、その目のすぐそばの焔がまるでイルカのようで、そのイルカが片目とだけ会話している。キュッキュッうむうむ そんな感じ。

十六羅漢図 伝・土佐光信  8幅並ぶがこうしてみると羅漢それぞれに日常があるわけですね。猿が桃を渡そうとするのもあり、思えば涅槃図でも猿は花を一輪持ってきていた。
手が利くのと猿知恵とで仏に何かをあげようと思うのだね。
箕面の猿などは百円を拾うと自販機でジュース買うものなあ。
他にカメをお土産にしたもの、煙つき龍の登場図もある。

聖徳太子勝鬘経講讃図 鎌倉時代  きりっとした太子。そばにいる人々は黙ってじっと聴いているのだ。花弁が舞い終わった後の様子。

百万塔と陀羅尼経 神護景雲2年(768)  一斉に作られたものの一つ。子供の頃、陀羅尼という言葉の意味が全く分からず(今もわかっていないが)陀羅尼経と陀羅尼助丸があることを不思議に思った。

扇面法華経冊子断簡 平安時代  女と少年が水際で楽しそう。こういう時ついつい「お経がちょっとよけてくれたらなあ」などと思うのである。

蝶文蒔絵経箱 南北朝時代  たくさんの蝶に飾られた経箱。

朱漆鎗金火焔宝珠文経帙板 木造鎗金 明・永樂年間  チベット文字も併記。読めない国の文字があると、それだけでときめく。
2008年に京博で「シルクロード文字を辿って ロシア探検隊収集の文物」展を見たが、その時もドキドキがあふれだしてしまった。
当時の感想はこちら

好きなものが二つ並んでいる。
青銅銀象嵌蒲柳水禽文浄瓶
青磁象嵌蒲柳水禽唐子文浄瓶
いいなあ。やはり高麗のものは魅力的。

第2章 神秘なる修法の世界 ―密教の美術

不動明王二童子図 平安末期から鎌倉初期  親方は天然パーマではなく半円形に頭を固めて、左側に偏って三つ編み。子方は二人とも色黒。珍しい位よく焼けてる。

愛染明王図 鎌倉時代  線のはっきりした立派な仏画。
上等の壺の上に水晶体があり、中にフィギュアのように収められた愛染明王。その周囲にはレモンの輪切りのような法輪や貝殻、チェリータルト風なものがころころ。

五髻文殊菩薩図 伝 藤原信実 平安末期から鎌倉初期  なかなかの美少年。今回知ったのは、この髻の数により修法の種類が異なるということ。5つのまげだと息災祈願。
文殊美少年は剣と花を手にする。

一字金輪曼荼羅図 江戸時代  これは綺麗な。

真言八祖行状図 八幅 平安・保延2年(1136)  空海、龍猛、龍智らのエピソードが描かれる。出奔して唐へ行ったり・・・
禅宗も真言宗も祖師は逸話の多い人が多い。

第3章 多様なる祈り―弥勒・普賢信仰の美術

青銅陽鋳弥勒菩薩図経筒 平安・久安3年(1147)銘  絵自体はよくわからないが、なんとなく仏の線は見える気がする。
千年経つ前に世に出ている。効力はどうなんだろう・・・

解説を写す。
「仏教が基本的には女性の往生を説いていない中で、縁なき女性信者をも護り導く普賢菩薩に対する信仰が広まり、貴族女性の間で多くの普賢図が制作されました」
地獄でもわざわざ女性の人権無視なのがあったなあ。
みんな救わないとあかんでしょうに。

その普賢菩薩騎象図が二点ある。どちらも鎌倉時代。せつない願いが寄せられたのだろうか。

青銅桔梗唐草文透彫釣燈籠 慶長18年(1613)銘  ☆型の透かしが可愛い。

イメージ (54)

第4章 極楽往生の希求 ―浄土教の美術
ここでの展示は意欲的な試みがなされていた。
なお、今回は「十王地獄図」に当館蔵の地蔵菩薩󠄀像を組み合わせ、本作礼拝時のあり方の一例を復元し、新たな画像解釈を試みます。
どういうことだろうと思いつつその場に立つと、なんとなく納得した。
場所は当然のことながら東京・丸の内の出光ビル9階の出光美術館なのだが、寺の中で地獄図を見ているような心持になった。
…こういうことを言うのかもしれない。
わたしではきちんと言語化出来ないが、十王と地蔵が共にいるのを見ると、たとえ逃げられなくてもなんとかなる、という希望が湧いてくるのは確かだった。

十王地獄図 鎌倉末期から南北朝  被虐と嗜虐の鬩ぎ合いにみえる。

地蔵菩薩立像 鎌倉時代  すがる。すがろう。

六道・十王図 室町時代  補佐官たちがほぼ全員色白で可愛い。こっち向きの青年もいる。
一方で、現世の哀しさが沁みる。地獄に来ても生前(過去)はいつまでも貼りついてくる。

阿弥陀来迎図 鎌倉時代  オーケストラつきのお迎えもあれは、やさしい花のプレゼントもある。

當麻曼荼羅図 鎌倉末期から南北朝  極楽アイランドである。そしてその周囲のコマもはっきりと描かれている。
左は下から上へ向かって王舎城の悲劇が描かれる。
右上1は日想観、そこから右の縦は極楽との対峙が続く。
ふと思ったが、今昔物語の「阿弥陀仏よや、おいおい」を仏画に組み込めば、それはそれでいい絵が出来るように思えた。

第5章 峻厳なる悟りへの道 ―禅宗の美術
以前にも展示のあった一休ゆかりの床菜菴コレクションと白隠、仙厓の絵がずらりと並ぶ。
一行書、禅師の描かれた頂相図、仙厓の〇△□、斬猫、だるまなどなど。

やっぱり悟らなくていいや…
そんな風に思いつつ、民衆に分かりやすいようにと可愛い絵柄を続けた仙厓は偉いなと改めて思う。

極楽の仏ばかりでなく地獄を思わせる展示品が多く、ここもまた「地獄・極楽への扉」が開いていることを知った。

9/3まで。


最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア