美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。

奈良国立博物館「珠玉の仏教美術」5/15~6/17

奈良国立博物館の名品展「珠玉の仏教美術」5/15~6/17の展示品が、たいへん面白かった。
特別展「解脱上人 貞慶」の流れで見た企画展なのだが、これはこれだけでも自立する、いい内容だった。
さすがに奈良国立博物館の所蔵品は素晴らしい、と改めて感心した。
絵画を中心に感想を挙げる。
なお、所蔵先もまた記す。

聖徳太子絵伝 橘寺 室町時代の作。やや人物や事象はわかりにくいが、それでも太子の葬送、磯城の陵に白い鳥がとまる様子、そして後年の上宮一族が塔に追い込まれて散華する場ははっきりとわかる。死を中心にしたシーンだけはっきりと見えてしまう理由はわからないが、それらを見ているとドビュッシーの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が頭の中に流れてゆくのを感じていた。
音楽は太子の葬送から始まり、最後の音は一族散華の場にくる。恣意的な選曲かもしれないが、それが脳裏に流れてきたのは確かだった。そしてその選曲は決して間違いではない。

聖徳太子絵伝 奈良博 三幅。ただしこちらは太子の死まで。剥落が激しい。 

矢田地蔵縁起 金剛山寺 地獄の炎が激しい。その中を地蔵がゆく。いや、そうではなく地蔵が出現して、その地獄に苦しむ罪人たちを一時的にでも癒す。
白い地蔵の顔が優しい。

矢田地蔵縁起 奈良博 室町時代。六道での救済。奈良絵本風な絵だった。
わたしはお地蔵さんとお稲荷さんとえべっさんは信じている・・・

聖武天皇鏡御影 東大寺 室町時代。やさしそうなお顔。

東大寺大仏縁起・上巻 東大寺 きれいな絵巻だった。行基菩薩がいる。

執金剛神絵巻 東大寺 良弁僧正の話が描かれていた。
上・金色の鷲にさらわれる赤子。鷲は思慮深い目をし、鋭い爪ながらも優しく赤子を掴んでいる。田畑を走り、その鷲と赤子を追う人々の悲嘆。
中・法華堂において。
下・執金剛神のもとどりがほどけて蜂に化し、平将門を刺しにゆく。
なかなか面白そうな展開だった。

菅公像 長谷寺 室内で端座する。立派な様子。

長谷寺縁起 長谷寺 菅公の夢に蔵王権現が現れる。ゆっくりと目を覚ます菅公。
その間の話が面白い。
上・橋上の蔵王たちの行進。赤・青・緑の顔。若い蔵王はニコニコしている。目覚めた菅公は縁起文を奏上する。紅梅が咲いている。
中・地蔵ら神仏による仏像制作。地蔵まで腕が増加している。よく働く神仏。
下・童子の案内で行基が巡礼する。

日張山縁起 青蓮寺 1681年の作。この山は中将姫が捨てられた山らしい。中将姫の伝承では継子虐めがある。尼僧姿の姫が人々と蓮糸で曼陀羅を織る様子。そして祈る姿がある。

薬師寺縁起 薬師寺 享保五年。絵が可愛い。ほのぼの系。4シーンが見える。
1・仏像作りにいそしむ人々。働くおじさんたちが可愛い。仏像は青銅色で足場の中にいる。
2・百済から大船がくる。乗り組む人はみんなツバ広の帽子をかぶっている。薬師寺の仏像のためにプレゼントを持ってきてくれたのだ。
3・万燈会もあり、楽しそうなムード。
4・にぎわうお寺。花会式。綺麗な造花が並んでいる。今なら吉岡幸雄さんの拵えた花々が飾られている。四月の喜びが蘇る。

書では、特に面白かったのが「悉曇蔵」。梵字の字母が書き連ねられている。インドの音声に関する学問らしい。よくわからないのだが、なんだかかっこいい。
ほかにアジャセ王経(五月一日経)、仏母孔雀明王経(中尊寺経)、空海の書もあった。

工芸品など
埴輪犬 可愛い。zen458.jpg
画像では左向きだが、わたしは右向きから見た方が可愛いと思った。なかなか足の長い大型犬だった。

青磁牡丹唐草文深鉢 正暦寺 南宋~元。蓋が非常に綺麗だった。エナメル化した蓋。これが全てを覆っていたらどんなに・・・

牛皮華鬘(知号) 東寺伝来品。色もよく残っていて、二人の天人が可愛い。ふっくらした面に楽しい笑顔。

刺繍種子阿弥陀三尊像 綺麗な刺繍だった。中将姫信仰から刺繍による尊像制作がブームになったのかもしれない、と同時代の他作品の解説にあったが、なるほどと納得もゆく。それに刺繍という手仕事は難しいが楽しくもある。その行為を続けることに喜びがある。
捧げられたのは信仰心と歓喜の念だったろう。

非常に見応えのある展示だった。
次の6/19~7/16の展示もよさそうである。そちらも見にゆこうかと考えている。

金沢八景いま昔

「金沢文庫」という名称を知ったのは、鏑木清方の随筆からだった。
彼の別荘が金沢文庫にあり、夏の金沢文庫暮らしの楽しさをその文から味わった。
読んだ当時、まだ学生のわたしは金沢文庫が神奈川県とは知らず、石川県の金沢かと思い込んでいた。
ただ、清方は乗り物恐怖症なのにどうやって石川県くんだりまで出かけたのだろう、とずっと思っていた。
同じようなカンチガイは他にもある。

小学生の頃、石森章太郎(当時)の「さんだらぼっち」をリアルタイムに読んでいたが、そこで「大山詣で」が描かれていた。
大山がオオヤマとは知らず、わたしは伯耆大山(ホウキ・ダイセン)だとばかり思い込んでいて、江戸の人はよく歩くと言うが新幹線もなしによく鳥取まで(以下略)。

お江戸の人の大山がこれまたやっぱり神奈川県にあることを知ったのは、金沢文庫より更に遅く、東京ハイカイするようになってからだった。
友人が伊勢原に住まうようになり、訪ねたときに初めて「オオヤマ」を知ったのだ。
なにしろ伯耆大山は志賀直哉「暗夜行路」のラストシーンの場であり、大阪北摂の小学生の林間学校の人気スポットでもあり、そちらはよく知っていたが、オオヤマは関東の人気スポットなので、無縁なのは仕方ないと言うことにしてほしい。
おまけに「さんだらぼっち」の中で「大山土産」としてキャラ蕗を炊いたものが出てくるので、いよいよこれは伯耆大山だと思い込んだのも当然だった。

さて話を戻し、元の金沢文庫。
鎌倉時代の歴史をきちんと学んでいれば「ああ」と来たろうが、なんとなく平家滅亡のウラミがまだ続いていたわたしは、軽くスルーしてしまったのだった。

その地の今昔の姿を追った展覧会が、当の金沢文庫で開催されている。
「特別展 金澤八景いま昔 -初公開 楠山永雄コレクション- 
金沢八景に関する資料の収集家として有名な楠山永雄氏のコレクションを一挙に公開する初めての展覧会。千点を超える楠山コレクションの中から、金沢八景を題材とした刷り物、浮世絵、古写真、絵葉書、パンフレットなどを展示します。]
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またこういうものが本当に好きで仕方ないので、急遽予定を変更して金沢文庫へ出向いた。

吉田初三郎の鳥瞰図などもあり、それがまた面白い。
さすがは吉田で、遠く日本ラインなども描きこまれている。
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金沢八景の細かい名称も知らないので、今回ここで知ることが出来、嬉しい。
本家の中国と、近江八景しか知らないのだ。
旅行パンフ、ガイドなどの類も楽しくて好きだ。また昔のそれは今のと違う魅力がある。
今は全国津々浦々(この言葉も古い)、居ながらにしてどこでも見ることが出来るが、往時は隣のクニのこともわからないほうが多かったのだ。
だから昔の日活映画のドル箱「ギターを持った渡り鳥」シリーズはロケ地を変えて続けていったのだ。
作品に、全国のちょっとした風俗や踊りを取り入れ、他国の面白さをもアピールし、映画をより面白く拵えたのだった。
そのあたりのことは映画プロデューサー児井英生の自伝に詳しい。

広重や北斎の風景画がある。
いずれも刷物。なるほど金沢八景である。
しかしここに出ていた北斎の刷物がひとつ非常に興味深いツクリを見せていた。
牛島憲之のシュールな風景画に似ているように思う。
北斎の風景でこんな形容のものは見たことがない。
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浮世絵などだと画家の個性を除いても、リアリティをどこかしら感じもするのに、この絵ばかりは現実を離れ、時代を飛び越え、温度を失っている。
妙に心に残る絵。

わたしが惹かれたのは小栗判官と照手姫の物語を描いた浮世絵とビラなど。
こちらの小栗の話は説経節のそれとは違い、地に伝承されている小栗満重の子・助重の話。
(梅原毅の戯曲、近藤ようこのコミックは説経節をベースにしたもの)
ここにある絵は「小栗実記」に典拠している。
物語の概要はこちらのサイトが面白く読める。
絵の構成も非常に面白く、1シーン1シーンの連続性にもときめいて、これを見れただけでも良かったとおもった。
相模の国の横山とは知っていたが、この展覧会に出てくるとは予想していなかったのだ。
芳幾の浮世絵。
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ビラは右から左へ見る構成で、丁寧に一こま一こま描かれている。なんと言うても面白いのは上野が原に捨てられている小栗と十勇士たち。蘇生した小栗を見出す遊行寺の上人がいい。秋の野っ原に打ち捨てられている状況を見るだけでもゾワゾワした。
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他に国周の一枚絵で照手姫の松燻しの場などもある。
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清方の金沢文庫の別業(別荘)で描かれた軸も出ていた。

手彩色の古写真がまた面白い。金沢八景だけでなく江ノ島・鎌倉も仲間に入る。
先にここで展覧会のあった鎌倉の古地図も同じものが出ていた。
やっぱりコレクターはいいものをきちんと集めている。

大正時代に復刻された広重の金沢八勝図のうち、「内川暮雪」が特によかった。
雪の夜の静けさが伝わってくる。

それにしても昭和初期からの短い時間の中に生まれた行楽案内パンフの出来のよさは、本当に見事だ。
ずっと持っていた気持ちもよくわかるし、それを後世の人が集めたのもよくわかる。
このレトロ感が今になると却って愛らしくて仕方ない。

コレクター楠山さんは丁寧に集められたのだと知る。
楽しい展覧会だった。

金沢文庫から新逗子に出た。新逗子からJR逗子まではそんなに遠くない。歩くのが楽しかった。金沢八景を歩いて尋ねるのはムリでも、こうしてその地を踏みしめることで、実感がわく。
こういう展覧会を見た後に、実地を歩くのは、本当に楽しいのだった。6/3まで。

「石元泰博 桂離宮 1953、1954」を視る

神奈川県立近代美術館の鎌倉館に出かけた。
石元泰博が1953、1954年に撮った桂離宮の写真を見に行ったのだ。
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桂離宮は許可なくしては足を踏み入れることはならない。わたしは一度だけ見に行った。
係の方のご案内を受けて、2001年の暮れに見学させてもらったのだ。
「ここがタウトが絶賛した桂離宮か」「月を楽しむための離宮か」という思いがわき、楽しく眺めた。

「タウトは装飾華美をきらったのでこの桂離宮を愛したのだ」という認識が、わたしにはある。
そして写真家・石元もニューバウハウス出身だと言うことを思うと、やはり桂離宮はモダニズムのアイドルなのだという意識が強くなる。
正直なところ、タウトも石元もその理念には感嘆するが、わたしは非装飾性の建造物を楽しめない性質なのだ。
だから実際に自分で桂離宮に行ったとき、小さな装飾を見出しては、<秘密の喜び>に近いものを感じていた。

石元の美意識と対峙する。
写真展を見る、と言うことは写真家の美意識と向き合うことだと思っている。
その意識の方向性がどちら向きなのかは措くにしても、カメラマンの眼を通した風景・事象を捉えたものを提示する以上、見る側も自分の記憶と認識とを呼び戻してそれに対してしまう。そのときに自分の記憶のそれよりも写真の方が美しく思えたなら、それはカメラマンの眼と美意識にこちらが負けた、ということになる。
「負けた」と書いたが、そこに生まれる敗北感には苦さよりむしろ甘さが強く活きているのは確かだ。
わたしは写真展に行く都度、そうした意識で作品に対することにしている。

結論を言うと、石元泰博の桂離宮は、わたしには息苦しいものだった。
まったく隙間がない。
それは石元の美意識が見る者の意思を拒絶した、と言うほうが近いようにも思われる。
妄想の余地がない。
石元の捉えた桂離宮はモダニズムの、無駄な空間を許さぬような強さ、それが行き渡っている。
それを石元の桂離宮に感じる。
そしてモノクロの画像からは理路整然としたものが届く。
しかしそれ自体は拒絶されている、といった感じはしない。
なにかしら迫ってくるものがある。温度は高くはないのだが。
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先にわたしは「手を入れる隙間がない」と書いたが、実際この「石元の桂離宮」には雑草が生えることも許されはしない。また全く音のない世界だとも思う。
きちんと計画的に植えられた植物も、春になればざわめくことがある。青々と生えるときには土を破る音がする。
しかし、この写真の中ではそれは決して許されることではない。沈黙。それがすべてをしめる。

どの時期を撮ったものなのかがわからない写真がある。
しかしどの写真も冬のように見える。
モノクロだからというわけではなく、意識がそちらに向いているような気がする。
冬を「生物的な死の時期」と看做すならば。

モダニズムには叙情性はない。この作品群もどこかしらルポルタージュ的な面白味がある。

楽器の間の写真を見る。
松葉型の引き手は可愛らしかったが、「可愛い」という言葉ほどこの空間から遠いものはない。
ここでは松韻を聴いていたのだろうか。
しかしそのようなことを考える隙間すら、許されはしないのだが。

わたしは引き手が好きだ。
桂離宮にはほかにも魅力的な引き手があったはずだと思い出す。
月形のそれが現れた。ここは月を楽しむ離宮だったと改めて思いだす。
しかし月を楽しもうにも、宴は禁止されているような気もする。

笑意軒の櫂型引き手があった。左右対称な配置は当然なのだが、ゆるいおかしさがある。
とはいえそれで気が緩む・和むということはない。
この茶室は「笑意」という名を与えられている。
しかしここでの「笑い」はあくまでも観念的な「笑い」にすぎない。
そのことを改めて思い知らされる。
いや、そもそも「笑」とは何か。その本質とは一体何なのか。
この建物もまた、大正の末から作られた深川の「二笑亭」の「笑」と同じ岸に立つのか・・・
考え始めると終わりが見えなくなってくる・・・

わたしとしては珍しいほど思索にふけりながら歩く展覧会となった。
6/10まで。

野遊の茶

河原町今出川のバス停から少し歩くと、出町ふたばの大行列があり、逆方向へ向かって曲がったりすると、不意に閑静な環境に身を置くことになる。
同志社の女子寮があるが、そこも静かである。
そしてその隣に北村美術館がある。

階段を上がり、室内へ入ると、中庭にある「四君子苑」が見えるが、ブルーシートがかぶさっている。尋ねると、春季公開後の今、改修工事に入っているそうだ。
こうした保全がなされるから、建物は無事に生きて行くことになる。

今期は「野遊の茶」である。併設として「魯山人の美」もある。
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<寄付待合> 
抱一 葵祭競馬図 丁度この時期にふさわしい絵。「祭見や桟敷をおもひかけあふい」そういえば抱一は葵祭を見たことがあるのだろうか。
あれは公家のお祭だということを、近年になって京都文化博物館の展覧会で教わった。

雪佳 版画帖 「百世草」からいくつか。白鷺と蛇籠など。いつ見ても愛らしくほのぼのする。

(敷物)チベット産絞毛氈 これはヤクの毛なのだろうか。そんなことを思うのも楽しい。

<薄茶席>
宗達下絵光悦書断簡庸軒箱 綺麗な拵え。武智鉄二と八世三津五郎の対談でこの「宗達下絵&光悦書」はブランド物の商品だということを読んでから、ちょっとばかり有り難味が薄れているのだが、やっぱり綺麗なものは綺麗でいい。
ありがたく思うのではなく「綺麗~」でそれでおわりでもいいのだ。

(花入)唐物色絵四神籠 白虎が正面に向いていた。妙に可愛い。わたしが虎党だからいうのではないが。

大名物・古雲鶴疋田筒 大文字屋宗観所持 チラシに映る茶碗。その逸話がいい。
永禄13年の信長による名物狩りの際に、疋田家は古今を通じて茶入の第一と言われた大名物「初花肩衝」を差し出して、これを隠しぬいたそうな。
この逸話を知ってから眺めると、また趣が深くなる。
高麗の青磁象嵌の美に絡め取られた人々を想う。

<野点席>
遊楽舞踊図 チラシ。たいへん楽しそうに舞い舞いする人々。踊る楽しみを持つ人々が多かった時代。そう大きくはない屏風だが、ヒトビトの様子がはっきり描かれている。
左隻には明から渡って来た風俗を取り入れた中華風な縁台もある。
こういうものを見るのが本当に楽しいし、これを野点に使うと言うのも素敵なセンスだ。
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内鍍金時代大薬罐 無適斎箱書 野外だからか、焜炉ではなく木をぶっちがえにして囲炉裏風に吊るして火を当てていた・・・という設定がされている。ヤカンの口に金がチラチラ見える。

(建水)浄益・南繚唐草文 綺麗だった。煌く銀。そこにうっすらと唐草。
ほしくなる一品。

茶籠のセットもあった。一つ一つ楽しめるのがいい。茶籠は自分の嗜好が出せるものだと思う。しかも野点だから、ちょっと気軽にとか思いがけない合わせ方、というのもアリなところがいい。

<魯山人の美>
九谷写あやめ文平向付 綺麗で可愛い。わたしはやっぱり綺麗なものが好きだ。

唐津割山椒向付 この形のものを見ると、載せるお料理を想い、それだけでいいやきものに見えてくる。小さくイクラが載っていたり、ワラビがそっと姿を見せたり。
色んな妄想があふれて嬉しくなる。


茶道具を見ていると、様々な楽しい妄想が湧き出してくるので、そのこと自体がとても楽しい。
6/10まで。次は秋の開館。そのころには四君子苑にも一度歩を進めたい。

中山太陽堂の大正時代

毎年春秋に大阪阿波座のクラブコスメチックスの文化資料室で、素敵な展覧会が開かれている。
今春は「中山太陽堂の大正時代」として、その頃の商品や資料が展示されている。
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サイトを見る。
第8回企画展のテーマは「中山太陽堂の大正時代」。
大正100年にちなみ、大正モダニズムの世界を化粧品・文具・雑誌などでご紹介します。
主な展示史料:大正期の中山太陽堂製品・プラトン文具(インキ・万年筆、シャープペンシル等)・雑誌(プラトン社発行「女性」「苦楽」等)

今回もまた大いに興味を惹かれた。
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中国大陸に日本が進出していた時代である。
中国でも中山太陽堂の化粧品を広めようと、宣伝活動がされた。
そのポスターが二枚ある。
アーモンド形の目をした、チャイナ服の似合う姑娘が微笑む図柄。
これらを見ていると、2004年の「チャイナ・ドリーム展」を思い出す。

中山太陽堂から出た出版社プラトン社の仕事は「苦楽」「女性」「演劇・映画」誌などである。
関東大震災で関西に逃げてきた現役バリバリの文士たちがこぞってプラトン社で仕事を残している。
里見弴「四葉のクローバー」の装丁は山名文夫だった。この本は大正12年の年末に出ている。「多情仏心」の少し前の本で、東京ではまだ出版事情が悪かった頃。
優美な装丁である。

雑誌「女性」誌は主に山名文夫・山 六郎の二人が表紙を担当したが、これらはフランスのファッション誌からの転用(あるいは引用)だった。大正~戦前はそうしたことがまだ許されていたので、誰も何も言わない。
夢二の「婦人グラフ」表紙絵もそうだったが、こちらもそう。
文化的成熟度の低かった当時の婦人たちにこうした刺激を与える役目を担っていた、そう考えれると一概にこの問題をわるいことだとは、言えない状況にあったのだ。
表紙を見ていくと、岡田三郎助の絵もあり、それはオリジナル作品だったろう。
着物に毛皮の婦人を描いている。

山名と山の二人はプラトン社が解散したあと、山名は資生堂で大活躍し、山は「婦人公論」表紙や編集で名を挙げた。
プラトン社が存続していれば、二人の仕事はまた違った形になっていたろう。
二人は共著「女性のカット」を昭和三年に刊行している。

その場に閲覧用の「女性」が一冊あった。宇野浩二の小説が載っている。読んでみる・・・
どうしようもない男とどうにもならない女の話だった。
他にルポで、中央公会堂を寄贈して完成直前に自殺した「今太閤」岩井栄之助の遺族を訪ねるものがあった。
端々に見受けられるカットはいいのだが、読むものにイライラしたのは、時代の違いのせいか、わたしがそういう話がニガテだからなのか、自分でもわからない。

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壁面には都新聞などに連載されていた「いそっぷクラブ」が拡大再現されていた。
寓話に教訓と宣伝を織り交ぜたもので、なかなか面白いコントもある。
わたしが気に入ったのは黒猫の話。
自分の黒さがいやな黒猫はせめて斑か三毛になりたいと思い、お嬢さんの化粧台に乗り、クラブ化粧品をじーっと見る。
お嬢さんは黒猫がせめてお化粧をして白く見せたいと思う心を察知する。
ケナゲな黒猫にお嬢さんはその黒さの美をほめ、心根をいつくしむ。
個人的なことを言えば、わたしは白猫より黒猫の方が好ましい。気が合うのも黒猫の方が多い・・・・・。

プラトン社の文具を見る。シャーペンもある。早川電気(シャープ)が出してから何年後のことだったろう。万年筆もある。
これらは全く知らなかった。

知らなかった、と書いたがこの後この感想を書くに当たって調べたところ、わたしは十年前にこの「プラトン文具」を見ていた。
芦屋市立美術博物館「モダニズムを生きる女性」展で見ていた。反省。

毎回楽しい展示を企画してくれて、本当に嬉しい。
今期も興味深く見て回った。5/31まで平日のみ。
次の秋の企画はなんだろう、と今からとても楽しみである。
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