美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

陶板で見るシカゴ美術館所蔵名品 

大阪市の地下街には様々な面白い場所がある。
2004年、大阪市と姉妹都市のシカゴにある「シカゴ美術館」の所蔵する名品数十点を陶板にして、大阪市の四つ橋線・なんば駅近くにシカゴギャラリーなるものをこしらえ、道行く人々に楽しんでもらおうとした。
この場所は昔でいう国鉄の湊町とも近く、こうして地下が出来て綺麗になった。

陶板は素晴らしい出来で、日本の技能はまさに賞賛に値する。
陶板と言えば大塚国際美術館、陶板名画の庭が有名だが、大阪では無料でこちらのシカゴギャラリーと、クリスタ長堀の東方面で浪花百景が楽しめるようになっている。

とりあえず写真撮影したので、ちょっとばかり楽しんでください。
なおタイトルと作者名はあえて書かないままにしている。

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日本人好みの選択だと思う。

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中にはこのように三連展示も。
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再び三連。

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撮影もまずいなりにきちんと画像が捉えられたのはよかった。
歩きながらあちこちの柱や壁面を撮るのも楽しかった。
よければシカゴギャラリーに実際に出向いてみてください。
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佐竹本三十六歌仙絵をあつめる

三が日の企画第三弾。

佐竹本三十六歌仙の絵を集めてみました。
ただし本物はあえてさけて、大正時代の写本。
わたしもこれまでかなり見てきた方だけど、コンプリートは出来るかどうかわからない。
全容を見てないので、こういう資料が手に入ったのを幸いに挙げることにする。

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何とか一枚でも多くの歌仙に出会えますように・・・

七福神あつめ

一月二日。
三が日はなるべくめでたいものを、ということで、七福神を集めてみました。

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むかし、目黒雅叙園美術館があったころに毎月かな、おしらせがあり、その冊子の表紙。
おタイさんを釣るえべっさんとみんな。


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福禄寿と鹿。ぐーぐーぐー
源琦。この絵は豊中市蔵で、表に出たことないのではないかな。


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高知県の土佐山内家宝物資料館チラシの一部。
福禄寿によるアルコールハラスメントの現場絵。
一足先にツイッターで挙げたところ、思いがけず多くの皆さんにウケたのでした。

猫のような亀のお菓子入れ。しかもお菓子は宝珠饅頭。鶴の徳利。


こちらは去年熱田神宮で見た七福神たち。
かなり過激。
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強盗団を退治する七福神。激闘ですなあw


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こちらはめでたくてみんなが楽しそうな様子。

ちょっと変わったのを探してみました。

6月に行きたかったのに行けなかった展覧会

6月中に行きたかったけど行き損ねてしまった展覧会も数多い。
そこで反省の意味も込めて、行きたかったのに行けなかった展覧会のチラシを集めてみた。


イメージ (16) せっかく京博で関心がわいたのに。

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葉山に行くのには気合がいるのよ・・・

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好きなだけに残念。このキッチュさが楽しい。

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新宿紀伊国屋での角川文庫表紙絵展でもらったチラシ。山梨の根津記念館にはいつか行きたい。
そこでこんなの見てたら…ほんと、ドキドキしたろうなあ。

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廣業は好きなのに、まとまった展覧会には無縁なまま。
惜しいことをした。

イメージ (27) 近い割に行き損ねることが少なくない。

イメージ (30) 行けなくてもチラシを入手できて嬉しい。

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逸翁、池田文庫とみて、真夏には兵庫県美でみるからまぁあきらめました…
色合い、たいへん好みのチラシ。

イメージ (33) 池波も本当に好きなので自分の持ってるのを見る。

イメージ (34) ここにもいつか行きたい。

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ここへもいつか行きたい。やっぱりオバケが一番!!

イメージ (42)評判を聞くと反省しきり・・・

イメージ (43) やはりちょっと怖かった。

ご覧になった方のうち、同意される方も少なくはないはず・・・

竹内栖鳳を追いかけて

明日二十日は、首都圏の皆さんの多くが山種美術館に集まる予定である。
「没後70年 竹内栖鳳 京都画壇の画家たち」のブロガー鑑賞会に参加されるのである。
皆さんは山崎妙子館長の丁寧な説明を聞かれたり、世話役のTakさんyukiさんのさりげない心遣いを受けたり、ブロガー仲間の方々と楽しまれるのだ。
いいなあ、本当にうらやましい。
その日のわたしは京都ハイカイする予定なので参加できない。全く残念な話だが、既に山種美術館の展覧会を拝見し、また少し遡った日に奈良の松伯美術館でも栖鳳展を楽しんだので、良しとしよう。

そこでさびしんぼうのわたしは、とりあえず自分が読んだり見たり聞いたりした竹内栖鳳の逸話などを集めてみようと思う。
わたしの勝手な解釈が入ったりするので、専門の方から見れば「おいおい」なこともあろうが、小さな栖鳳ファンのタワゴトということで許してほしい。
なお出典のわかるものは書いたが、わからないものや思い出せないは書いていない。
どなたか教えてくださる方があれば、ゼヒよろしくお願いします。

25歳の栖鳳は高島屋意匠部に勤務している。これは京都の日本画家の暮らしぶりだけでなく、その頃の京都画壇のありようを示してもいる。
呉服がまだ日常のものだった時代、京都の画家たちは高島屋や千總などのためにデザインを考えていた。後にはタイアップして売り出すこともあった。
たとえば、「絵になる最初」の絣は栖鳳オリジナルで、それを再現した絣は高島屋から販売されたが、たいへんよく売れたそうだ。
なお栖鳳が高島屋に勤務したのは結婚の翌年。友禅の下絵を担当している。

明治26年、この頃東京の岡倉天心は京都の栖鳳をヘッドハンティングしようとして失敗している。そのときのことを書いたものを読むと、なかなか面白い。
「さぁさぁ今から一緒に(汽車に)乗って行こう」と勧める天心に対し、「社会的名声のためにも、暮らしのためにも(行きたい)」と思いつつ、断る。

栖鳳は明治33年8月に欧州遊学している。各地の動物園を回り、後にそれを画業に大いに生かしてもいる。
(獅子図などが特に顕著)

明治34年2月、帰国した栖鳳は「棲鳳」から「栖鳳」になる。
欧州在住時に栖鳳の集めた絵葉書やポスターを見たが、アールヌーヴォーやゼセッション、またエスプリの聞いた戯画などがある。
これらは「海の見える杜美術館」の「栖鳳とその門下生たち」図録に掲載されている。

栖鳳と言う人は革新的な考えを持っており、それを自らの画業に反映させるだけでなく、弟子たちにも新しい道を進むことを推している。
たとえばそれは若いものたちで構成された国画会の創立に際し、顧問を引き受け、彼らの背を押している。
そうした新しいものを取り入れ、進めようという気概があるヒトなのである。
それは既に明治末の雑誌の聞き書きからも伺える。
そこではこんな言葉を残している。
「新しく生まれるものには活気はある。ずっと古いところへ復ってみても、今人の試みるところには、どこか新しみは自らある」

昭和四年、高台寺南道に引越しする。ここは現在フレンチレストランになっているそうだ。
栖鳳はよく知られているように料亭の息子だったが、子どもの頃から絵が好きで家業を継ぐ気がなく、結局お姉さんが後を継いで弟に好きな画業をさせた。
それを栖鳳は生涯恩に思っており、後には自分の墓をお姉さんの隣に建てるよう遺言する。
栖鳳の実家は御池通油小路西入ル「川魚料理・亀政」だった。

栖鳳は画塾「竹杖会」を主催していたが、京都画壇というところは美学校と画塾との関係が非常に親密で、行ったり来たりということが普通だったそうだ。
これは現在開催中の京都市美術館の「京の画塾細見」でのギャラリートークで伺った。

数多い弟子の中でも特に高名なのは上村松園さんだが、松園さんもこの三人目の師匠にはたいへんな敬意と感謝の念とを懐いているようで、いくつもの資料を読むと、松園さんが男性の塾生らと共にスケッチツアーに出られたのも、やはり栖鳳が師匠の塾にいたからこそだと思う。

他に弟子の中ではこれまた多くの優れた弟子を育成した西山翆嶂の、師匠への傾倒振りがほほえましい。かれは松園さんから「栖鳳先生かと思うほど、足音や、煙草の吸い方にそっくりなところがあった」といわれている。
(「文化勲章の10人 京都日本画の粋」より)

ところで栖鳳の傑作「班猫」は沼津でみつけた白にキジの大猫を貰い受けて描いたものだが、その写真が現在山種美術館でも展示されているのはたいへん嬉しい。
その所蔵は海の見える杜美術館だが、ここでは他にも初期の頃の猫の絵の写真(実物はどうなったのだろう)とその絵のモデルになったらしき猫の家族の写真がある。
こうした資料が残るのは嬉しい。

次からは松伯美術館での先の展覧会でみた資料などから。

昭和五年の御池の画室・耕漁荘での栖鳳の写真がある。66歳。縁側の柱にもたれている。
その柱は「椽」テン・タルキ、と説明にある。栖鳳は画帖開いてぼんやりしたような風情。
これは黒川翠山の撮影。翠山の写真は’98年の東京都写真美術館「仮想庭園」にも出ている。

栖鳳の言葉がいくつもパネル展示されている。
それを少しばかり抜書きする。
「画家は形と言うものをしっかり掴んでいれさえすれば、芸術としての見事な輪郭は自然に具わるものであろう」昭和11年『輪郭について』

栖鳳は随筆の雑誌連載を抱えていた。
「大毎美術」~『耕漁荘夜話』。
・大正14年11月 帝展政策を終えて、伊豆の千人湯に入った話。
「色白の女の湯浸かりを見ると、洋画より浮世絵風だ。女が立ち上がった刹那、その身体の色がさながら今海の底から採り上げた珊瑚とでもいいたいような、ほんのりとした薄赤みをもって麗しく輝くのです。
私は恍惚として身を凝視している。そしてふと首から上以上を見ると、白粉が白く塗られていて、どうやらこれは只者ではないと知ると、全く幻滅を感ずるようなときさえありました」 
・昭和3年 御所のための主基地方屏風についての話。
「今尾景年翁が豊楽殿の千歳の松を、野口小蘋が悠基地方を描いた」

先の色紙でもそうだが、栖鳳の小品は多くのヒトに愛されたが、特に雀の絵の人気ぶりは大きかったそうだ。

栖鳳は昭和17年に亡くなっている。8/23の死で8/27の葬儀。
その死についての記事などが展示されていて、ガラス越しながらも読めたので、写す。
・栖鳳の死で帝室技芸員の席が空いたが、人格もいいヒトになると、なかなか・・・
・黒谷さん(金戒光明寺)で葬儀が行われ、川合玉堂が弔辞をささげた。その締めくくりは和歌であった。「嗚呼ついに永久の別れの湯河原の山河くまなく月てる今宵」
・お墓はその黒谷さん。かねてより遺言どおり姉・琴女さんのそばに埋葬された。
・高台寺の南門前から霊柩車が出る。雨の日のことで参列者は傘をさしもする。レトロな霊柩車の写真がある。
・八坂の塔の近くに大豪邸を建てていた。庭に石仏が飾っていたり、洋館があったり。そこに画室もある。その邸宅について、金島桂華がコメントを残している。
「広すぎるが、やはりあれくらいのヒトになると必要」
(帝展松田改組の際に)電話が2回線が役立ち、ヒトも収容できた。
・村松梢風の「葬送の記」より。
「時々雨が降り、晴れ間あり。猛暑の日。琴さんは弟のため独身で店を経営した。かねがね姉の隣に埋めてくれと言っていた」

「美術殿」昭和15年10月号に、日本画壇の人々が総出演して撮られた映画のことが書かれている。角田喜久雄の「風雲将棋谷」である。上野、京都、大阪の美術館で上映されたそうだ。キャスティングを写す。
流れ星雨太郎:西山翆嶂、鳥居甲斐守:小林古径、蝎道人:川端龍子、楽々亭迷山:鏑木清方、龍王太郎:澤宏靭、役人:川村曼舟、お絹:木谷千種、朱実:秋野不矩、お加代:小倉遊亀、仏の仁吉:菊池契月、久太:板倉星光、愚昧和尚:竹内栖鳳・・・
しかしこれ、本当かなぁ?
うそであっても楽しい。

かつて栖鳳の旧居を記念館としていた美術館があったが、残念ながら今はない。
しかし関東では野間、山種、東近美くらいでしか栖鳳を眺める機会はないが、関西ではしばしばその機会に恵まれている。

なおこの20年ばかりの間に開催された栖鳳の絵が多く出ている展覧会で、自分の見たものをあげてゆく。
19900210 竹内栖鳳 京都高島屋
19900929 近代日本画の誕生と歩み 大丸心斎橋
19910217 近代日本画の十人 大丸心斎橋
19910731 山種美術館展 京都市美術館
19921107 日本画近代化の旗手たち ナンバ高島屋
19930522 栖鳳と松園の周辺1 山種美術館
19930626 栖鳳と松園の周辺2 山種美術館
19941103 栖鳳・松園-本画と下絵 京都市美術館
19960608 日本画・明治から大正1 山種美術館
19990410 近代日本美術の名品・野間コレクション ナンバ高島屋
20010912 文化勲章を受けた京の画家10人 京都高島屋
20030426 うるわしの京都いとしの美術館 京都市美術館
20060423 大観・玉堂・栖鳳 近代日本画の三巨匠 野間記念館
20061015 竹内栖鳳と弟子たち 山種美術館
20071103 京都と近代日本画 文展・帝展百年の流れの中で 京都市美術館
20090214 画室の栖鳳 京都市美術館
20090307 文化勲章受章者の作品 高島屋史料館
20100219 大観と栖鳳―東西の日本画― 山種美術館
20120408 竹内栖鳳と京都画壇 野間記念館
20120901 竹内栖鳳 松伯美術館
20120922 京都画塾細見 京都市美術館
20121007 竹内栖鳳と京都画壇 山種美術館


明日はわたしも皆さんと同じように栖鳳展の感想を挙げたいと思っている。
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