美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

「しらぬい譚」を見た (完全版)

国立劇場で「しらぬい譚」を見た。
菊五郎の一座での芝居である。
長らくこの芝居を見たいものだと思っていたので、楽しみに待っていた。
その観劇の感想を挙げる。

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「しらぬい譚」、譚はモノガタリと読む。
元々は幕末に柳下亭種員から始まって、明治の世まで2世柳亭種彦、柳水亭種清が書き継いだ伝奇小説である。
「白縫譚」というのが出版されたときのタイトルで、平成の芝居ではこうなった。
国貞の美麗にして妖艶な絵がつく。

わたしが最初に「白縫譚」を知ったのは国貞描くところの大友若菜姫と鳥山秋作が対峙する錦絵を見たからだった。
そこから色々調べると、これが途轍もなくわたし好みの話だとわかった。
なにしろお姫様が妖術使いで復讐を仕掛け、男装してお大尽になり吉原で豪遊するとか、敵方の勇猛な美青年が姫を倒すために女装してどうのこうの…というのをだけでもドキドキした。
お姫様は悪の魅力にあふれている。敵の美青年は主家を守るために献身してぼろぼろになる。それだけでも楽しいではないか。

とはいえ、話は長すぎて削らねばならぬエピソードも多く、筋もややこしく、統合されるしかなく、これは完全に平成の新作歌舞伎となった。
そのことは既に情報として入っていたので、わたしも「新作を見る」くらいの気持ちで見に行った。

発 端  若 菜 姫 術 譲 り の 場
海底である。黒衣(くろご)たちが金銀に色分けされた吹き流しのようなものをもって舞台を駆け抜けると、金銀の残像が煌めいて、泳ぐ魚群に見えた。
よく考えてある。とてもいい動きだ。
その魚群の通る道には巨大な釣鐘が落ちている。
古来よりどうしてか釣鐘は水中に沈むようになっている。
三井寺の鐘は弁慶に琵琶湖へ蹴落とされ、ハウプトマンの「沈鐘」は湖水で音色を響かせる。「妖怪人間ベム」にもそんな話があるし、戦国時代の哀しい伝説にも姉の鐘と妹の鐘の話がある。洋の東西を問わず鐘は水底にある。

その釣鐘を引き上げるために海女が来る。海女というても袖の長いものを着た娘である。なかなか釣鐘に紐を通せないと思ううちに、あっという間にどこやらの山中にいた。
背景には巨大なクモの巣が張り巡らされていて、怪しい老人が座している。
海女のすずしろ、と名乗る娘はその「土蜘蛛の精」から己の出自を聴かされる。
彼女の本名は大友若菜姫、大友宗麟の遺児だという。
菊池家に滅ぼされた大伴家唯一の生き残りであり、彼女は何も知らされぬまま賎女としてその日その日を送っているのだ。
鐘の引き上げは菊池家が望み、貧しい娘は褒美目当てに海底に来たのだ。
だがそこで己の本当の正体を知り、更に土蜘蛛の精から妖術を授けられたことで、ふつふつと菊池家への憤り、復讐心が湧き出してゆく。
土蜘蛛の精は命を落とし、すずしろは若菜姫となる。

菊之助演じるすずしろ後の若菜姫は出自を知った時からの心替りのよさがよかった。
姫だと自覚し、自認することで人間が変わったのだ。

序 幕 (筑前) 博 多 柳 町 独 鈷 屋 の 場
華やかな妓楼である。踊りを見、ご機嫌な客は菊池貞行。菊池家の主人である。
傍らには大友家の出でありながら兄を裏切り菊池について、今では家老として権勢をふるい、栄耀をきわめる大友刑部がいる。

亀三郎と亀蔵のコンビが遊蕩に耽る主従を機嫌良さそうに演じている。
博多での遊興はさぞ芸達者も多かろうと思わせるような、よい場となっている。

遊蕩の太守は花魁の綾篠に通い詰めている。
身請けすればよろしかろうと勧める刑部につられるように、亭主にその身請け代を尋ねる。
三千両という高額なのに金銭感覚が狂っているのか貨幣価値を知らぬのか、殿様は機嫌よく笑うばかりである。しかし鷹揚な笑いではなく、遊蕩に焼けた者の笑い声である。
そこへ立兵庫の綾篠がくる。
長唄の歌詞もいい。
「歩く姿は柳の」と歌われるだけに尾上右近のしなやかな姿がみえる。

カネは使いだすととめどなく使いだすもので、このままだと菊池家は財政破綻も遠くはなさそうである。
そこへ忠義一途の鳥山秋作が現れる。堅い彼は遊蕩にふける殿をいさめるが当然煙たがられる。
面白くない空気の中、浪人とはいえ見るも麗しい七草四郎なる美貌の若衆が、亭主の紹介で座敷に現れる。
剣術修業中の、と紹介されるが四郎のその才よりなにより、菊池貞行はその美貌に打たれる。
寵愛する綾篠ですら忘れてしまうほどである。
美しいものが好きな殿様は女色だけで留まらぬようなところをちらりとみせた。
「離れがたく」などと言う。初対面の美少年に対しての執心がある。
四郎もまた「英君にお仕えしたい」旨を伝える。
だがさすがにまだ理性は残っているようで、簡単に人を雇えぬことを殿である菊池貞行は口にする。
そこで思いついたのが秋作の腕である。
秋作は七草四郎と勝負を命ぜられる。

秋作の打ちこみの激しさに後れを取る四郎はふっと印を結び術を掛けそうになり、はっとして我から竹刀を取り落とし、潔く負けを認める。
「うい奴よのぉ」と蕩けそうな声で菊池貞行が鶴の一声で、四郎の召し抱えが決まり、不興を買った秋作は蟄居を申し付けられる。
主従の固めの杯を交わすところで幕。

菊之助の四郎は甘い声と凛とした風情を見せて美しい。
秋作は松緑。動きもきびきびしていい。無駄がなかったが、狭苦しいものではない。

二幕目 第一場 (筑前) 博 多 菊 地 館 の 場
もうすっかり七草四郎は菊池貞行の寵臣として菊池家に深く入り込んでいる。
先の綾篠太夫がどうなったかはわからぬが、四郎はこのように殿の側にあり、そのことを重役たちが噂する。重役たちの髷の先は天を向いている。

さてその菊池家では足利将軍家よりお家重代の宝・花形の鏡により、狛姫にとりつく化け猫を退治せよとの命が下されている。花型の鏡は破魔鏡であり、鳥山家が預かっている。
後継ぎの秋作は蟄居の身であり、鏡を持ってその父・鳥山豊後之助が登場する。

菊五郎の立派な武士姿に老いは全く感じられない。93年の「お艶殺し」での旗本の頃と変わらない、すっきりした良さがある。

苦々しい思いで四郎をみる豊後之助に殿は「四郎は余の分身なるぞ」と仰せである。
一応は殿に従うものの、その鏡の由来も知らぬものに預けるわけにはゆかぬと拒む。
四郎は玲瓏たる声で鏡の由来について語る。
神代の昔、此花咲耶媛が富士に行かれたときのこと、花形であるのは形を桜に象ったこと、神と崇める言われは南朝を開かれた折に山中の魑魅魍魎が畏れたことなどなど…
「当家は南朝の臣菊池武光」の子孫であり、先祖が勲功により鏡を賜ったことを四郎は語る。(実際に菊池武光は南朝の忠臣である)

四郎の装いが美しい。
浅黄色の綺麗な着物に元結も同色である。色若衆のような匂い立つ美しさがある。

鏡を預かることになった四郎だが、その鏡を確認することはしない。
破魔鏡である花形の鏡は四郎実は若菜姫の妖術を打ち破る力を持つがため、四郎はそれを見ようともしないのだ。
四郎はしかし一人で鏡を持って行こうとはしない。刑部を正使として都へ向かうことを口にする。
菊池貞行はその態度を褒める。
二人は退出する。

彼らを見送ってから豊後之助がいよいよ諫言を殿に伝える。
その豊後之助を捕えようと組みついた二人の重臣を払いのけ、豊後之助が呼ばわると、これまた美しい若衆姿の鳥山家の家臣・龍川小文治が兜を持って現れる。
その兜を見て菊池貞行が一気に改心する。父の遺品であり、その兜を持っての諫言は聞かねばならない。
豊後之助は刑部、四郎共々の追放を口にし、目が覚めた貞行も同意する。
そして重臣二人は「切腹切腹」と責め立てられ、飛んで逃げる。
君臣相和する。秋作の蟄居も解かれた。

黒田騒動の栗山大膳がモデルの豊後之助というのは美味しい役だなあ。

第二場 同   奥 庭 の 場
菊が咲く時期で池も優雅である。その池には石橋もかかる。
二人の会話から先君は病死したことが知れる。
そこへ先ほど切腹を申し付けられた重臣二人が飛んできて、身に迫る危機を告げる。
出奔しようとする二人。
しゃっしゃっとその二人を斬り殺す。

切腹厭さに出奔しようとする二人の姿を見ると、「ナニワ金融道」で詰め腹を切らされることになり、ヤケクソに遊興する信金幹部の二人組を思い出した。
従容と詰め腹を受け入れることを拒否し、あくまでも生き延びようとする姿もまた真実。
滅私奉公にはない面白味がある。

さて状況がまずいところに来てはいるものの刑部は動じず、己の野望を口にする。
お家乗っ取りである。家重代のお宝の鏡も手に入れたしで、菊池家を滅ぼそうというわけだが、そのときの刑部の四郎の口説きがいい。
「面白おかしく二人で暮らそうではないか」
刑部もまた四郎の匂い立つ若衆ぶりにときめいていたのだ。
しかしその楽しい夢は破れる。
いきなり切りかかる四郎。若菜姫であることを名乗り、父の恨みだけでなく、菊池家への裏切り、そのあさましい心根を罵り責め立てる。
「成敗せん」となり、橋の上での立ち回りが。

四郎が正体を現したとき、赤姫の片袖を見せるが、声は依然として若衆のままというのも心地よかった。

花形の鏡を壊す。これでもう業は破れまいと笑うところへ秋作が小文治と共に走りくる。
正体を隠すことなく不敵に笑う若菜姫に、その鏡は偽物だと静かに告げる秋作。
若菜姫は激怒しついに授けられた妖術を使う。土蜘蛛の精から授けられたのは蜘蛛の糸を使う妖術。
照明が華やかに妖しく糸と姫とを照らす。白糸から赤糸へ、赤糸から白糸へ。

その糸から逃れつつ姫に肉薄せんとするも果たせぬうち、小文治をかばって秋作に糸が激しく絡みつく。
姫はそれに満足し、一旦ここで退却。
残された秋作の全身にからみつく蜘蛛の糸はじわじわと彼の五体を襲ってゆく。
「若旦那」と小文治がすがりつく中、「恐ろしき執念じゃなあ」と改めて口にする。
姫は心地よさげに空へ去ってゆく。

宙乗りする菊之助の綺麗な姿を見上げていると、客席を斜めにゆくものなので、それに驚いた。
筋交いというものだという。なるほど、確かに。しかしこんな宙乗りは初めて見た。
面白いものだ。
また片袖は赤姫でも素網がのぞき四天風に見える着こなしもいい。アンバランスの美。
むしろ倒錯の美と言うべきか。

尺八の演奏にも非常に感銘を受けた。
まだ若い尺八演奏者が花道で勇壮に奏で続ける。力強い節回しがたいへんよかった。
宙乗りする際のBGMに尺八。非日常的な場として強い印象が残った。
それも現代音楽的なメロディラインで、それがまたいい。
宙乗りしつつ姫が「うららかな眺めじゃなあ」というのも楽しい。

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ここで昼休みとなり、わたしの感想も一旦終わり、続く。



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自分の中での蜷川・追悼、そして『元禄港歌』の感想

先月、蜷川幸雄が亡くなった。
わたしは彼の演出した舞台に熱狂した数年間を持っている。
特に「王女メディア」と秋元松代の戯曲を演出した作品には激しくのめりこみ、芝居を見てからその戯曲を読み耽った。
高橋睦郎が修辞を担当した「王女メディア」、秋元松代の「元禄港歌」「常陸坊海尊」を手に入れてからは今日に至るまでしばしば再読し、文を追いながらも脳裏には舞台の様子が浮かぶと言う状況が続いている。
その他に三島由紀夫「近代能楽集」も蜷川の舞台を見たからこそ読んだ。
シェイクスピアはその範には入らないが。

最初に蜷川の演出作品を見たのは1986年の「オイディプス王」だった。
築地本願寺での上演である。
これについては現地で見たわけではなくTV放映で見た。
当時わたしはまだ学生で、大阪から東京へ行くのは不可能だったのだ。
現在も録画を残しているので細かいことも言えるが、後年の演出を変えたものとは違い、この分は伊東忠太の建物の魔力にも大いに惹き込まれた。

蜷川に興味を懐いたのはこの放送の以前の事で、同年の春になんば高島屋で辻村ジュサブロー(現・寿三郎)展が開催されたときのことだ。
「新八犬伝」に胸を焦がして育ったわたしは十年以上たったその日、初めてジュサブローの展覧会に行き、三時間余り会場で溺れ続けたが、その時に初めて蜷川の芝居を知ったのだ。
それはジュサブローの仕事を集めた映像ソフトが流れていたのと、芝居のために拵えた衣裳が飾られていたからだった。
つまりわたしはジュサブローを通じて蜷川幸雄の芝居を知り、その作品を<観た>のだった。

当時既に「世界のニナガワ」と呼ばれていた巨匠だが、大阪の古い人は「あのど下手のあいつが何が演出や」と冷たい目を向けていた。
しかしわたしたちはそんな昔のことは知らず、ジュサブローの衣裳を使い、縦横無尽に舞台を駆け巡る役者たちにときめいた。
前年、「NINAGAWAマクベス」の海外公演が大歓迎され、それが日本でもニュースになっていた。

1986年という年は演劇界では変革の年だったと今にして思う。
三代目市川猿之助が「ヤマトタケル」を演じ、スーパー歌舞伎を世に送り出し、衝撃を与えた。
蜷川の芝居も猿之助の芝居もどちらも非常に新しく、そしてカッコよかった。
わたしはまだ学生で見に行くことが出来なかったが、一部主要スタッフが重複していることを知り、それだけでもときめいた。

ところでわたしが見た映像ソフトには蜷川の演出した以下の芝居が少しずつ出ていた。
「近松心中物語」「元禄港歌」「恐怖時代」「NINAGAWAマクベス」「王女メディア」「にごりえ」など。
その少しずつの映像がどれほど観た者を惹きつけるか。

蜷川演劇の最初にして最大のスターたる平幹二郎の朗々たる声。
「よいか、可愛いお前」と夫人を抱きながら共に悪事を企むマクベス。
「お前は遊女やあらへん、わしの にょうぼぉやぁぁ」と謳う忠兵衛。
「嘆くことはなんにもない・・・とわの彼方へ・・・わしにはおまえがよぉぉ見えて来たよ」と歓喜に震える「元禄港歌」の信助。
「なんと白々しいことを!極悪人中の極悪人!人非人中の人非人!」と夫を糾弾する王女メディア。

「恐怖時代」 お家転覆を狙うお部屋さまの浅丘ルリ子の悪女の笑み、そのお部屋さまと秘かに通じる美青年・伊織之介の三田村邦彦。ばたばたと人が無残な死を遂げてゆくその場・・・

「恐怖時代」が谷崎の戯曲だと知るより以前、中学生のわたしは横溝正史の「蔵の中」でその存在を知っていたが、それが一瞬とはいえこうして映像として現れ、わたしの魂を摑まえたのだった。

近年になり歌舞伎でも中村屋兄弟が「恐怖時代」を演じたが、蜷川の演出で見たかったわたしは見に行かなかった。
惜しいことをしたかもしれないが、それはそれでいい。
観なかったからこそ、今なおわたしの中に蜷川の演出した「恐怖時代」の破片が活きているのだ。

観たくて死にそうな気持になり、一種の熱病にかかったようだったあの頃。
わたしは代替行為として(いよいよ熱狂をあおる役目を果たしてくれるのだ)、資料を探しだし、読み耽った。

「恐怖時代」が谷崎の戯曲だと知ったのは偶然からだった。
全集の中にしかない。そこでわたしは文を写した。むろん外に出すことはなく、完全に自分のための行為である。
和綴じにしてしつこく読み返し続ける。一部しか見れなかったその芝居がどんどん大きく膨らんでゆく。
原文を読んだことで、一部だけ観た映像が全体を覆っていった。

やがて遠くないところに天牛書店が移転してきた。
わたしは通い詰める。そこで信じられないような幸運に次々と会い、本を手に入れる。
その中でついにわたしは一冊の戯曲をみつけだす。
「元禄港歌」「近松心中物語」の単行本である。
今日に至るまで最も好きな戯曲家・秋元松代の本を読んだ最初だった。

蜷川の話に戻る。
泉鏡花「貧民倶楽部」と「黒百合」を合わせた「貧民倶楽部」の上演があった。
わたしはやはり放送でしか見ていない。
主演は浅丘ルリ子と沢田研二である。キャスティングもわるくないし話の流れも巧いと思った。
これは蜷川に影響を受ける以前から鏡花宗の門徒であるわたしにとっては「わるくない」芝居であった。
戯曲以外は原作至上主義であり、それを曲げないわたしにとっては、これもいいと思ったのだ。

1990年、秋元の「かさぶた式部考」を映画化した「式部物語」が上映された。
監督は熊井啓である。
戯曲を映像化するとこうなるのか、と興味深く見た。蜷川のような派手さはないが、物語の本質を衝いた、いい映画だと思った。
圧倒的にいいのは母役の香川京子。
せつなく、哀れであり、どこにも救いはない。だが、それでも生きてゆくしかない、それを淡々と演じている。
蜷川だとこれは全く違う芝居になるだろうし、それはむしろ見たくないと思った。
この作品は熊井啓の演出でいい。

1990年代、わたしは展覧会に行く傍ら、毎月何かしら舞台を愉しんだ。
歌舞伎、文楽、新劇、この三種を専ら楽しんだ。
現在と違い、当時のわたしは観劇できる体質だったのだ。

蜷川の「王女メディア」がこの時代よく掛かったのには本当に心の底から歓喜した。
当時、平幹二郎は療養中で嵐徳三郎が主演していた。
様々な劇場でこの芝居を享楽し続けた。
役者が違うので演出も多少変わっていたようで、前掲の台詞「なんと白々しいことを」も平幹二郎は声を張って叫んでいたが、嵐徳三郎はねっとりと口にした。

素顔が完全に見えなくなるほどの化粧をしていても、やはり体質の違いからの差異が現れて、そこが面白く思えた。
数年後、今度は嵐徳三郎が体調を崩し、再び平幹二郎が演じたのを見たが、何度見てもやはりわたしは熱狂し、愉悦の底に沈んで、現実の世へと浮かび上がるのを拒絶した。

いつだったか、「近代能楽集」の上演テープが図書館にあることを知った。新潮社から出たテープだった。(1991年販売)
借りて聞いてみる。1976年の「弱法師」と「卒塔婆小町」が収録されていた。
前者には岸田今日子と嵯峨美智子が出ている。後者は平幹二郎。
言葉のやり取りだけで舞台の様子が浮かんできた。
岸田今日子、平幹二郎という稀代の役者たちの力量がそれを可能にしたのだが、そこに蜷川幸雄という演出家がいなくてはそれは成立しなかったことを想う。

この少し前にわたしは神戸で「邯鄲」と「卒塔婆小町」を見ている。
「邯鄲」は村井秀安の演出、「卒塔婆小町」は蜷川である。
「邯鄲」の主演は松田洋治だった。
わたしはかれの出演した「ドグラマグラ」が異常に好きで、こちらも偏愛し続けている。
その「ドグラマグラ」が上映された時、蜷川は新聞に映画評を挙げていて、今もわたしはそれをファイルして手元に残している。

蜷川は時に胸を衝く意見を挙げる。
何の雑誌でか「コインロッカー・ベイビーズ」を舞台化あるいは映像化するのなら、という話について書いていた。
そこで蜷川は主人公の二人、キクとハシのうち歌手になるハシを忌野清志郎で、と書いていた。
既にその当時、ラジオドラマでハシを沢田研二が演じているのをわたしは聴いていた。
1981年の放送で、当時わたしは少しだけ聴いており、録音テープを手に入れたのは1985年だったと思う。
清志郎は1980年代半ばまでわたしのイコンだった。
それだけにその蜷川の書いたものを読んで、思いが沸騰した。
「コインロッカー・ベイビーズ」は1985年のわたしの偏愛の書だったからだ。
「汚濁、汚辱の中で輝く」と蜷川は書いていたように思う。
あの、読んでいると全身が汚れてゆくような気持ちの悪い、しかし神経や細胞が読み耽ることを強く希う、小説…
わたしの中ではそのイメージはないので、いまだにその配役を考えると出口のない迷路に入り込んだ心持になる。

展覧会と違い、観劇と映画鑑賞はデータベースを一度壊してしまってから、再構築する意欲を失っているので、いつ・どこでその芝居を見たのかわからなくなっているものが多い。
だからここでもしばしば年代は錯綜する。

いつかわからないが、「テンペスト」を見に行った。前設定がたしか佐渡島の地元の人々による能の興行か何かで、それを演ずるという芝居だった。だから役者は時折客席に手を振ったりする。
ところがわたしはこうした演出がたいへん嫌いで、この芝居をみて蜷川も終わりか、と生意気なことを思った。

その少し前にピーター・グリーナウェイが映像化しているのを見たのも影響していたのかもしれないし、そもそもシェイクスピアにほぼ関心がないわたしはこの一本でかなり気持ちが離れてしまった。

話は前後する。
秋元松代の「常陸坊海尊」の芝居を見に行った。
松田洋治、寺島しのぶ、そして白石加代子、麿赤児らが出ていた芝居である。
このときの白石加代子の芸の巧さに絶句した。
一瞬にして老婆から18歳の娘に変わったのだ。この一瞬の変化、それを目の当たりに出来た歓び。
奇跡のように巧い女優だと思った。
そしてその彼女の演技力を・魅力を知る蜷川がこの一連の動きを演出していることにときめいた。

作中で「虎御前・化粧坂の少将」と名乗る娼婦の姉妹が疎開児童の引率をしてきた教師を招く。
そこで蜷川は春画のパネルを舞台におろす。春画、というより「わ印」と書く方がぴったりくる絵。
これは巧い演出だと思った。
そもそもこの女二人は自らを現代人(第二次大戦中の大日本帝国の東北の片隅に住まう)だとは思わずに、十郎・五郎兄弟を愛した女二人だと名乗りを上げているのだ。
だからこそナマナマしくもシラジラしい情景を見せるよりは、国貞あたりの描いた春画の一部分を出す方が、より女たちの時代との解離性を際立たせ、彼らのおかれた状況の異様さをまざまざと見せる。

惜しいことに寺島しのぶがまだこの頃はちょっとうわっすべりなところがあり、笑い声がよくなかった。
ただし怒っているところはいい。
今の彼女でその役を見てみたいと思うこともある。

そういえば1988年の映画「敦煌」で台詞はないが蜷川が映画に出ていた。中国のか西夏のか役人役でそこにいた。
演技者としての蜷川は下手だという話は当時すでに聞いていたので、映画を見ながら「なぜわざわざ」とも思ったが、この時だったか違ったか、岸田今日子か太地喜和子か、役者をやめてよかったねえとしみじみと言うたという話を何かで読んだように思う。

「近松心中物語」を坂東八十助(当時)と樋口加奈子で上演するのを見た。
平幹二郎と太地喜和子のを映像で見ているが、どんな風な梅川忠兵衛になるのだろうとドキドキした。
当時すでに歌舞伎をほぼ毎月見に行っていたので八十助の巧さはわかっていた。

わたしの一番好きなシーンが出た。
陶酔しつつ「お前は遊女やあらへん わしの女房や」と謳うように言った平幹二郎とは違い、八十助はさらりと、しかし力強く普通の口調でそのセリフを言った。
ここでわたしは平幹二郎は恋する二人の苦しみをギリシャ悲劇の域にまで高めたが、八十助はその苦しみを「若者の悲劇」として表現した、と思った。
どちらがいいとか巧いという話ではなく、全く違う話に変えたのだ。
これは役者の体質からのものなのか、蜷川の演出の変更によるものかはしらない。恐らく双方だろう。

1998年、「元禄港歌」が再演された。
わたしが焦がれた芝居がついに再演されたのである。
既に太地喜和子は世を去っていた。
彼女の役を富司純子が演じたが、突然客席から出現するという蜷川の演出プランがここでわたしの真横で活きた。
不意に現れた彼女にわたしはギョッとした。あまりに綺麗で可愛らしかったからである。
これ以降、わたしは彼女を見る度にあのときの美しさが脳裏に蘇ってくるのを感じる。
そして藤間紫の糸栄の三味線のよさも忘れられない。

初演と全く様相を変えた「オイディプス王」が野村萬斎と麻実れい主演でというので見に行った。
昔わたしが見たのは室町時代の庶民のような人々が出ていたが、こちらはやはりギリシャのどこかという装束を身に着けていた。

全てを知ったオイディプスが自らの手で両目をつぶす。
その恐ろしい状態で姿を現した時の表現、それが非常によかった。
スローモーションで、人々は恐怖におののき、その惨事から逃れようとのけぞる。
この一連の描写がとてもよかった。
このシーンだけ何度でも見てみたいと思った。

他にもまだまだ見ている。様々な記憶の欠片が蘇り、モザイク状に浮かび上がってくる。
真田広之のハムレットは舞台の最初にメイクをするところを見せ、市村正親のリチャード三世のにやりと笑う顔、「忠臣蔵」での批判をうけたこと、いくつものギリシャ悲劇、就中「グリークス」の平幹二郎、尾上菊之助、田辺誠一のポスターの魅力・・・

熱狂と興奮の1990年代が過ぎ、わたしは映画も芝居も見続ける自信を無くしていた。
長時間座って他者の動きを見ることが出来なくなったのだ。そう、映画も演劇も「他者」となってしまったのだ・・・
わたしは長らく舞台から離れて生きていた。
ある日、「元禄港歌」が上演されることを知った。2015年のある日、ネットでそのことを知った。

見に行こうと思ったが、2016年の2月、わたしは行く日を失っていた。
あきらめているうちに5月、蜷川の訃報を聞いた。

映画は何度もみれるが芝居は一度きりだ。
人生も一度きりだ。
わたしは非常に残念なことをしたのだった。

そして六月、ついに蜷川の「元禄港歌」が放映されることになった。
わたしは東京のホテルで映像が始まるのを待った。

以下はリアルタイムでのつぶやきである。
・今から「元禄港歌」みる。わたしが前にみたのは98年の平幹二郎と富司純子のだった。
・やはり寿三郎の人形はいい。
・人はどうしようもない哀しみを抱えて生きていかなあかんもんや、というのを感じさせられる。
・ごぜ歌の葛の葉姫、せつない。
・猿之助の糸栄、予想以上によい。この人は若い頃から中年女がたいへんよいと思っていたが、この糸栄などもまだ水気もある一方で疲れた感じがよく出ていて、非常によい。
・猿弥ちゃん、金田龍之介を彷彿とさせてくれるなあ。
・きつねは来つ寝、やからなあ。そやから時期が来たら去ななあかんのや。
・宮沢りえもちょっとした仕種がいい。全体やなく、ちょっとずつちょっとずつの良さが目だち、それがやがて全体に行き渡る。
・段田さんは声に感情が入りすぎてるな。
・アホな遊び人の弟の高橋一生がこれまたよいな。こんな男はどつき倒したいけど、そう思わせてくれるほどうまいな。
・新橋さんはさすがの貫禄。
・身分制の厳しい時代の、厳しい町の、哀しい話。
・悲田院法師たちの阿弥陀堂での唱名。波音と重なりあう。特殊な哀しみではなくなる。
・段田さんの声を聞いてるとヒラミキをどうも思い出してしまうな。似てないのに。わたしの耳に残りすぎてるのかな。
・猿之助さん、自分から糸栄をしぃたいと言うたそうなが、確かに藤間紫もいない今、糸栄はこの人しかおらんな。なんとも言えん情がある。
・再びぽたりぽたりと椿が落ち始める。悲劇へ向かう時間の中、椿が落ちる。
・猿弥ちゃん、若い役より歳いきの方がやはりええな。あと悪人もいいな。金田龍之介や中村梅之助同様に愛嬌もありの大きな役者になってゆくようやなあ。
・そして「百萬」。町の人々が楽しみに見ている。
・惨劇。
・鈴木杏の歌春、いまわのきわ、明るいオチャメさんだけにその悲劇が際立つ。
・糸栄にしろ初音にしろ目が見えぬからこその動きのよさ。
・「嘆くことはなんもあらへん」を普通に言うたな。この辺りを普通に言うのもええもんやな。段田さん、ここに向かうための流れか。
・猿之助の嘆き、新橋さんの震える背中、二人の「母」の哀しみが胸に来る。
・厳しい身分制の非情さ。そこへ現れる社会の外に弾き出された悲田院法師たち。
・手を繋ぎながら社会の外へ向かう男とその母と妻と。暗闇の中を生きてゆくしかない。歌声だけをたよりに。
見送る人々はただ立ち尽くす。
・元禄港歌、良かった。せつなさが胸に広がる。

後は細部に拘ったことしか書けない。それに時間が経ったことで色々と入れごとをする可能性がある。
そうするとこの時の純粋性が無くなる。

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一か月近く経って自分勝手なことを書いている。
蜷川の芝居をみたいと切望しながら。

もうこれ以上にわたしをときめかせる演出家はいないのかもしれない。
ありがとう、蜷川幸雄。
あなたが魅せてくれたものをわたしは決して忘れない。

映画「夕日と拳銃」をみる

子供の頃、横山光輝「狼の星座」で馬族を知り、伊達順之助を知った。
よく読めばそこに「夕日と拳銃のモデル」とあるのがわかるが、まだ幼かったわたしはそこまで覚えられなかった。

檀一雄の「夕日と拳銃」を読んだのは82年頃かと思う。
わたしは「LaLa 」で森川久美「南京路に花吹雪」に出逢い、1920~1940年代の上海にのめりこんだのだ。
そしてそこからあの懐かしい「狼の星座」を思い出し、さらに生島治郎「夢なきものの掟」を知り、次いで「夕日と拳銃」を手に入れたのだった。
この三つの作品は今も手元にある。

当時のわたしは檀一雄は「火宅の人」「リツ子」ものの人だと思っていたが、「夕日と拳銃」を知ってからは読める限りの本を手に入れていった。
「燃える砂」「長恨歌」「青春放浪」などの大陸ものがやはり好きで仕方ない。
近年になり「ペンギン記」をやっと読むことが出来た。
これは立原あゆみの作中にも引用されていて、いよいよ檀一雄の「カッコよさ」にシビレることになった。

その「夕日と拳銃」。
11年前にフィルムセンターが日本映画界の物故者追悼上映会で「夕日と拳銃」を上映することを知り、わたしは万難を排して出かけた。
檀一雄のファンだというだけでなく、主演の東千代之助にその数年前からときめきがあり、どうしても見たかったのだ。
東千代之助になぜ急に熱中したのかも自分ではわからない。
だいたいわたしは時代の流行とは離れたところに生きているので、いきなり何がどうなるのかわからないのだ。
その日は昼間に東千代之助の出演した「笛吹童子」全作をみて、夜から「夕日と拳銃」を見たのだった。

今回は3時からの上映である。126分の作品は「日本篇」「大陸篇」と分かれた構成である。インターミッションなしの作品で、弛みもなく、ドキドキしながら見た。

映画は東映のイーストマン東映カラーで、今日のカラー作品とは全く違う色彩感覚で構築されている。
なおスタッフ・キャスティングについてはこちらに詳しい。

日本篇、大正六年から物語は始まる。
華族会館で今しも華燭の典が執り行われている。
そこへ突然放浪の旅に出ていた新婦の弟が乗り込んでくる。
彼はまだ二十歳の伊達麟之助である。
彼は満州を流浪していたところ当局に捕まり、「伊達家の御曹司」ということで<穏便に>強制送還されたのだ。
自邸に戻ると植木職人の松源と娘のお千代から姉の結婚を聴き、満州浪人の姿のまま、騎馬で出向いたのである。
いきなりの登場で「放蕩息子の帰還」とはいかず、祖父母から叱咤される。
だが両家と縁の深い、今回も仲人をする山岡厳山とその娘・綾子からは温かく迎えられる。
美しい綾子は三歳下の麟之助を「坊や」と呼び、豪胆な厳山は笑い飛ばすが、丸く収まるはずもない。

伊達家の両親は既にないらしいことが次のシーンでわかる。
醍醐家との式が台無しになったと嘆く姉、体面重視の祖父母が、麟之助の養育係である鹿児島男児の逸見を呼びつけて叱り続けている。
祖父母は加藤嘉と村瀬幸子である。祖父は激昂しているが、祖母はひんやりと憤っている。
ここの老夫婦は圧倒的に妻の方が厳しいようである。
家風に合わない嫁を実家に追い返したが、さすがに幼児が憐れまれると夫が麟之助を母のもとに遣ったのがそもそもの間違いだと今さらながらに妻は言うのである。
細かいことに気を遣わぬ田舎者への怒りが今またフツフツと沸き立ったか、とうとう逸見も出入り禁止と相成る。

加藤嘉はエキセントリックな老人役が巧いと思う。「神々の深い欲望」でも妾がその兄と秘かに会うたことに嫉妬して折檻するところや、晩年のTVドラマ「家政婦は見た」でもそうだった。万葉学者で認知症の老人役で出て、なにやらとんでもないことをやらかしたり。

華族の邸宅の素晴らしさにも感心する。セットではなくロケもあるようで、今はもう失われた近代建築の名品が作中にしばしば現れるのが、見ていてもせつなく、また興味深い。

逸見は山岡家に挨拶に向かうが、麟之助の満州の雄大さを聴くにつれ自分もまたかの地へ向かうことを思う。
麟之助のそんなところを面白がる厳山。演ずる小澤栄(まだこの時は栄太郎ではなかった)がカカカカカカと笑う。
わたしはこの人の華族の役と言えば「悪魔が来たりて笛を吹く」の玉蟲男爵を思い出すのだが、あのときもこんな風に笑っていた。

一方、綾子はヨーロッパ帰りの才女で、満州にはあまり関心はない。
麟之助に「おば様」「坊や」と呼び合うことを禁じあい、「おあねさん」「麟之助」と呼び合うことを決める。
彼女は新婚旅行に出た先のポーランドでベージュ色のルバシカを夫のために買うが、パリで離婚していた。一度も袖を通されなかったルバシカを麟之助に着せ掛ける。
麟之助はルバシカよりむしろパリで綾子が購入した拳銃に関心がゆく。
彼は満州放浪の時に既に拳銃の魅力に憑りつかれていたのだ。
伊達家の庭で松源父娘の前で腕前を示した時には、銃口の煙をフィーと口笛のように吹くことをして見せてもいる。

綾子にねだられ、隅田川に遊びに行く二人。
麟之助は激情に駆られ、綾子に「結婚してください」と強く言い募る。
が、事態は急変する。
隅田川へは綾子の弟で麟之助の学習院時代の友人・慎太郎らのボート部の様子を見に行ったのだが、その慎太郎らが地回りに絡まれて逃げ出すのに遭遇する。
麟之助は慎太郎ら坊ちゃん連中を逃がす。

この色白のおとなしそうな青年を演じているのが、実は高倉健(新人)なのだった。
健さんも新人の頃は色白のお坊ちゃま君を演じていたのだ。
話は飛ぶが、高倉健は檀一雄の大ファンで、嵐山光三郎「口笛の歌が聴こえる」によると、平凡社の「太陽」誌上で対談が組まれようとして、健さんは大乗り気だったが、檀に逃げられてしまう。
後年、健さんは檀の娘・ふみと対談する中、延々と檀一雄への憧れを口にしていたという。
檀ふみのエッセイの中でその模様が明るく描かれている。
健さんは檀ふみをもてなそうと、一時間になんと6杯も自慢のコーヒーをたてたそうだ。
檀ふみもその好意に応えようとがんばって6杯飲んだそうだ。
わたしなら、二杯目に行く前にもう目が回っている。

さて地回りの日傘の団蔵ともめるうち、麟之助は団蔵を拳銃で撃つ。極めて冷静な目をして、何の昂揚もないまま彼はヒトを射殺する。
団蔵は花沢徳衛である。若い頃から晩年まで一貫して下町の兄哥、親父を演じてきている。
わたしなんぞは今でも東京の下町をふらふら歩くとき、「こういうところに花沢徳衛とかおりそうやなあ」と思うのである。

射殺した罪から逃れる気のない麟之助は警察に行く前にライスカレーを食べたいと綾子にねだる。二人はどこかのホテルのレストランに入り、カレーを食べる。さすがに綾子は食欲がないが、麟之助はお代わりを注文する。
なお、ある時代までは「カレーライス」ではなく「ライスカレー」が主流だったことを、この場面から思いだした。
麟之助は悠々とライスカレーを食うが、彼はもう死刑をも覚悟していた。さらに殺した相手に遺族がいればその者に殺されるがいいとも言う。
結婚どころの話ではなくなる。それが却って綾子の執着を生むが、麟之助は警察への電話を頼む。

結局地回り団蔵の殺され損になる。
少々自暴自棄になっていた麟之助は差し入れのルバシカを着ることも拒んでいたが、逸見の諭しを聞き入れ、防寒具としてルバシカを着る。
釈放されたその日、山岡家ではパーティの準備がなされている。
父の厳山は綾子に麟之助を連れて、やかましい国外を出て、外国で結婚しろと笑って勧める。綾子もその気になり、弟も喜んでいるが、肝心の主役が来ない。
結局パーティはお流れになり、逸見と綾子だけが麟之助を待ち続ける。

その頃の麟之助は殺した団蔵の家に行き、妹のおこうに自分を殺してくれと迫るが、そうはいかず、結局おこうの誘惑に負ける。

翌朝おこうはニコニコしているが、麟之助は後悔とどうしていいかわからない状況でぐすぐすしている。そこへ逸見を伴った綾子が現れる。
おこうは知らないと押し切るが、その手にあるルバシカを見てすべてを悟る綾子。

彼女はショックと腹立ちから麟之助の満州行きの見送りに出ず、ピアノを弾き続ける。
事情を知らない慎太郎は姉の気まぐれに呆れながら横浜港へ向かう。
帰宅した慎太郎は門前でうろつくおこうに「何の用?」と訊くが彼女と麟之助の関係に気付くことはないままである。
そしておこうは麟之助の満州行きを知りこちらも頭に血が上る。

伊達麟之助、女難の人だというところで「日本篇」は終わる。

大陸篇。張作霖と戦う馬賊の一群の中に麟之助がいる。
騎乗での射撃の腕も高い。
横山「狼の星座」によると馬賊の射撃法は独特の様式があるそうだが、ここではそうは描かない。
しかし麟之助の弾丸は張の頭をかすめ、張は撤退する。

政治的状況の推移は画面での説明による。
大陸浪人から馬賊になった麟之助の姿があるのもその説明による。
彼は義侠心から弱い立場の側に立ち、戦い続ける。
盟友の遺児チチクを逸見に預け、また遠い大地を駈け巡る。
やっと会いに来た綾子とも新しい関係を築くが、彼は女の元にとどまることはできない。
綾子手製の黒いルバシカを大事にする麟之助。

一方逸見は満州まで麟之助を追ってきて、今や雇われ女将として立ち働くおこうと再会し、チチクを養女として同棲する。
逸見は逸見で「王道楽土」建設を本気で夢見ているのだ。

王道楽土という言葉を当時どれほどの日本人が信じていたのだろうか。
そのことを考える。
わたしが最初に「王道楽土」「満州」という単語を知ったのは、TVドラマ「赤い運命」からだったと思う。
満蒙開拓団に参加し、命辛々日本に逃げ帰ったことを恨み続ける男(三國連太郎)の台詞からだったはずだ。
後年、安彦良和「虹色のトロッキー」が建国大学を描いたことで「王道楽土」を信じた側とそうでない側との温度差を見せてもらったように思う。
結果として、この世に「王道楽土」などは存在しないことは歴史が示してしまった。

馬賊としても高名になった麟之助だが、今度は綾子への愛を隠せなくなる。
綾子が奉天に来たことを知り会いに行こうとするが、馬賊の九蓮山に止められ、ここへ連れてきてあげると言われる。
その言葉を信じ、綾子が来るのを待つことになる麟之助。

九蓮山を演じる南原伸二(後に南原宏治)の独特の魅力にときめく。
わたしは前々から南原の特異な風貌と声にシビレているので、わくわくした。
その彼があの九蓮山なのである。
原作を読めば読むほど九蓮山のねじれ・よじれた愛情にときめく。
九蓮山の妹アロンにそのことを言わせている。
「兄さんは好きになった人を敵視して倒そうと熱中する。でも倒した後に激しく落ち込む」
傾いた愛情にゾクゾクする。
その九蓮山を南原が演じるのだ。
ときめきの度合いが高まるのも当然ではないか。

気の毒な兄妹は麟之助に深い恋情を抱くが、どちらも彼の心を捉えることはできない。
アロンは当初小汚いかっこで現れたが、麟之助に愛されたくて綺麗にやつしてその前にでる。
しかし麟之助はアロンの気持ちを読みとることはない。

やがてもつれた愛情は頂点に達する。
麟之助は彼らを置いてとうとう綾子に会いに出ようとする。そのとき綾子からの手紙を忘れた麟之助は取りに戻るが、小屋は炎上している。それでもなお火の中に飛び込もうとする麟之助に向けて、アロンの嫉妬の拳銃が火を噴く。

女難の相はとうとう暴力まで伴うようになったのだ。
結局それで綾子とも再会することになるのだが、彼はいよいよ旅立たずにいられなくなる。

一方「桃源郷」としての王道楽土を経営する逸見の家庭ではおこうがみごもり、逸見を有頂天にさせる。チチクも今や可愛らしい少女に育っている。
しかし麟之助の噂を聞いて、おこうは今更の手遅れ感を抱くのも事実だった。

満州から離れてヨーロッパに行きましょうと誘う綾子を振りきり、麟之助はさらに抜き差しならぬ状況に踏み込んで行く。

馬賊の王とその妻子が関東軍により処刑される。
王を演じるのは千田是也だった。
東映の映画にも出ていたのか。
そしてその件で関東軍ともめた麟之助は山東省へトバされることになる。
さらに桃源郷が襲撃され、チチクを守るためにおこうは敵前で自殺し、逸見の王道楽土は崩壊する。
だが、逸見の活動はスパイによって金日成にも伝わっており、けがをした逸見を助けてくれる。そして好意を持って対される。
ところで軍の司令部はどうも山下啓次郎の設計した刑務所の門前によく似ているように思う。

昭和九年。
生き残った人々の暮らす村では今しも宴会中であり、チチクが歌を歌っている。大喝采の後に「馬賊の唄」の合唱がある。
松源の娘お千代も満州にやってきていた。彼女は麟之助の身の回りの世話をしたい、おそばにいたいと切望するが、それは決して叶えられない。
逸見からもお千代と婚姻することを勧められたがきっぱりと断る麟之助。

ふとお千代は子供の頃によくしたことをしようと麟之助に言う。
まだ少年だった麟之助の拳銃の稽古に、頭上にリンゴを置いて狙わせるあの行為である。
ただしあの頃は言えば「エア」銃撃だったが、今回は本当の銃撃をしろとお千代は言う。
度胸を決めてお千代のリンゴを狙う麟之助。
見事にリンゴに命中する。
お千代はこれで心の痛手を振り切れたのだろうか。

そこへ真打ち登場である。
綾子が弟らと共に現れた。山東省へ行くのを止めさせるためにである。
しかし聞くはずもない。
どうにもならないので結局は途中まで見送ることになる。
その見送りに金日成ら朝鮮独立に燃える一団も立ち並ぶ。
そのことを告げにきたのは今や金日成の手元で戦うアロンだった。

綾子と並んで馬を進める麟之助。彼は時間を尋ねる。
綾子は言う。「あなたが時間を聞くといつもお別れね」
道は続くが、もう共に進むことはないのである。

映画はここで終わる。
原作では麟之助の死、綾子の再婚、生き延びた九蓮山の麟之助への追慕の台詞、逸見が今も大地と共存し続けていることの報告、そこまでが描かれる。

大正六年から昭和九年までの麟之助の生涯に絞ったのはよかったと思う。彼の死を見たくはないからだ。
東千代之助の端麗な美貌は時代劇の方が映えるが、この「現代劇」も本当によかった。
わたしは二度もこの映画を見ることができて嬉しかった。

深い感銘を胸に刻みながらフィルムセンターを出た。
11年前、ここで見た後聞こえてきたおじいさんの会話が耳に蘇る。
「前に見たときより面白かったなあ」
わたしも言おう。
「前に見たときよりずっとずっと面白かったなあ」

この後いつか見ることがあればまたここへ見に行きたいと思っている。

「菅原伝授手習鑑」を観る

国立文楽劇場開場30周年記念、さらには竹本住大夫引退興行というのが、今月の文楽公演の冠である。
通し狂言「菅原伝授手習鑑」。
わたしは夜の部を拝見した。

「菅原伝授手習鑑」は三大狂言の一つで、1746年に初演されている。
明治から今に至るまでミドリでは「寺子屋」「車引」(「車曳」)が人気で、文楽でも歌舞伎でもこの二つがよく上演される。
「せまじきものは宮仕え」という言葉が今でも人口に膾炙されているが、それは「寺子屋」のセリフである。
300年近い昔の芝居でも、その時々のリアルな時代に「ああ、わかるなあ」という感覚があったろう。
この言葉が排除されたのは昭和の戦時中くらいで、現代にも通じる感性がこの芝居にはある。

しばしば時代物の芝居の外題に特定個人の名前が出る。
この菅原はむろん菅原道真公であり、「義経千本桜」は源義経である。
その菅原道真公なり九郎判官なりがタイトルロールであっても、実際に活躍するのは彼らよりも周辺の人々である。
わたしは高校の頃に郡司正勝あたりが執筆した芝居の脚本とシノプシスをまとめた本を手に入れ、今に至るまで時折読んでいるが、この芝居では菅公がどう活躍するのかよくわからなかった。「道明寺」あたりを見ると「ああ、そうなのだ」と思うものの、こうなると象徴的な存在になり、後はもう関係ないのだなとずっと思っていた。
が、それはわたしの思い違いというものだった。

今回通し狂言としての「菅原伝授手習鑑」を見たことで、御霊信仰、天神信仰といったことどもがすっきりと胸に収まった。
菅公がヒトから神への領域に移って行ったのは「道明寺」の段からだが、今回の通し公演で「天拝山」の段が加わったことで、本当の意味で菅公が神になったことを強く思い知らされた。
わたしは菅公が訪れた由来を持つ、さる天神の氏子である。
藤原魚名を祀った社へ、九州に出立前の菅公が拝みに来たという神社である。
古来から「足の神様」として高名な天神さん。
それだけにある種の親しみが菅公にはあるのだが、いよいよ芝居を見てその念が強まった。
無自覚なファンから意識的なファンになったというべきか。
それは今月の文楽公演の素晴らしさが原因だった。

芝居の中で「筆法伝授」の段がある。
ヒトの業とも思えぬ能書。菅公はそれを武部源蔵に伝授させた。
心技体がまさに合致したからこそ可能だった伝授である。
素晴らしい技芸はヒトの領域を超える。
ヒトはそこにこそ感銘を受けるのだ。
今公演にも同様のことが言えるのではないだろうか。
浄瑠璃も三味線も人形も、皆あまりにも素晴らしい。
観客はこの通し狂言によって、深い感動を受けた。
特上の技芸がストレートに心に入る。その効果が観客に生きている。


長々と前置きを書いてしまった。
以下、見たことへの感想を、例によって完全に自分勝手に書いてゆく。

三段目 車曳の段
茶筅酒の段
喧嘩の段
訴訟の段
桜丸切腹の段(竹本住大夫引退狂言) 
四段目 天拝山の段
寺入りの段
寺子屋の段

まずは「車曳の段」から。
当たり前のことだが、まず太棹がビエンビエンと鳴り響くことで、心が芝居の中に入り始める。この始まりはやはりこのような擬音でなくてはならない。軽やかにビェンビェンであってはいかんのだ。
鶴澤清治のビエンビエンと響く音色にわたしは薄く目を閉じる。
複数の太夫がおられる。それからしても華やかさがある。

ここの三つ子は二卵性ならぬ三卵生で、誰も似ていない。
兄弟は順に梅王丸・松王丸・桜丸である。
元気に梅王と桜丸が現れる。兄弟は無人であるのを確かめてから編笠を外すが、少しの時間差がある。梅王のぱっ とした元気さ、桜丸の優美さが特にここではっきりする。
三つ子とはいえ厳然と長男次男三男の隔てがある。
四郎九郎(後に白太夫)の子として生まれた彼らの内、長男の梅王丸は親の後をついで、特に尊敬される菅公の舎人となっていたが、この前の状況で斎世親王の舎人たる桜丸ともども今や素浪人になってしまっている。
菅公も親王も藤原時平のために流謫されてしまい、単純な兄弟は憤っている。
稚気あふれる憤りは無邪気さがなくてはならない。
兄弟の人形は溌剌として、その素朴さをあらわにしている。

吉田神社は節分の追儺の行事で高名な神社でもある。その時期も過ぎ、梅がよく咲いている。紅梅白梅が交互に咲いて、華やかな景色を見せる。
派手な装いの兄弟は今風に言えば時平に対し「激おこプンプン丸」なので、いっちょ「イテモタレ」ということになる。
この辺りの兄弟の行動は、歌舞伎だと見事な隈取を入れるのも納得、という心根である。
尻からげした兄弟は、横綱のまわしのような、房つきの金モールも入ってそうなのを見せる。派手でいいなあ。
梅王の方が桜丸より一回りばかり大柄である。

アリャコリャともめてるところへ松王丸が現れる。現れたとき、ハッとなった。ここにいる誰よりも大きい、と思ったのだ。存在感がある。桐竹勘十郎である。
彼は次男であるが為に親の仕事を継げずに、ほかに就職先を求め、たまたま敵になる相手のところに雇われるのだ。
彼の責任ではないが、彼はそのことを言葉にしない。
時平の出現。青塗などせずとも悪人であることがわかるのは、その態度である。
いかにも憎々しい。憎々しいのは豊竹松香大夫がいいからなのだが、本当にニクソイ。
そしてここではっきりと悟らされることがある。
所詮はこの三つ子は時平からすればただの「下人」にすぎないのである。
それはナマナマシイ古い上方の言葉からも知れる。
罵り一つにも実感がある。これはやはり江戸の役者からは味わえない・感じ取れない感覚だと思う。
身分差別が当然の時代であるので、そこらはスルーすべきで、むしろ「浪人」だという言葉の方に梅王・桜丸が激昂したことを知らなくてはならない。
歌舞伎での人間離れした時平と違い、むしろ人間らしさを感じさせる時平の人形だった。

茶筅酒の段
場面変わってのどかな佐田村の景色である。
鶯笛が聴こえる。
四郎九郎爺さんは古稀になり、三つ子もおるというのでアラ珍しやで「白太夫」という名をこの度ちょうだいした。それで今が誕生日だと喜んでいる。
わたしは「手習鑑」の通しを見るのは初めてなのでこの段を知らない。だからここで「誕生日」という言葉が出てきてちょっとばかり感心した。
家の庭には子供らの名のもとになった梅・松・桜が咲いている。同じ大きさの木である。
爺さんは近所の心やすい人となんだかんだと喋っているが、実はこの会話は全て安気なように見えて、のちのちに「…ああ」と思うところがあるのだ。

やがて舅の祝いにと一番に桜丸の嫁の八重がくる。八重は春らしい黄緑色の着物にオレンジの帯を締め、頭も可愛くしている。水色の日傘も差している。
前々から思っていたが、三つ子の年はいくつなのか。
子供が七つということから考えても三十前後なのか、もっと若いのか。なにしろ父親が七十である。
古希というても現代の古希ではなく、これは本来の意味での「古希」古来マレなり、なのである。
じいさんはもしかすると何度か結婚をしているのかもしれない。・・・などと想像するのも楽しい。

三人いる嫁のうち、じいさんはどうもこの八重がお気に入りなのか、他愛のない話をして打ち笑っている。
(後の展開を思えばこの笑いが実は悲痛なものになるのだが、物語の時間に添う分では我々もハハハと明るく笑えるのだ)
やがて松王女房千代と梅王女房お春とが連れだってやってくる。みんな黄緑色の着物である。
三人の嫁たちは存外仲もよさげで、三人がそれぞれ合理的に仕事を割り振って祝いの膳をこしらえにかかる。
じいさんの白太夫は機嫌よくお宝の根来碗、折敷を出す。
ああ、実感としてわかるなあ。
とはいえ、わたしは根来塗といえば仏事しか思い出さない。持ってて嬉しいのは春慶塗やなあ。

女たちはそれぞれ味噌擦ったり大根切ったり米炊いたりと甲斐甲斐しいが、その役割分担するのは長男の嫁のお春である。
ところで細かいことをいうが、「おひたし」ではないのか、大坂では。「シタシ」になるのは東ではないのか。それともただの聴き間違いか昔は「シタシ」というていたのか。そんなことが気にかかる。

古い大阪弁が白太夫の口からあふれてくる。
三つ子が似ていないことについての台詞が面白い。
「生ぬるこい桜丸が顔つき、理屈めいた梅王が人相、みるからどうやら根性の悪そうな松王が面構え」
生ぬるこい=なまぬるいの意味であるが、土着の言葉である。北河内の人らしい言葉だと感じる。
そして今はもう殆ど使われていないのかもしれないが。

三人の嫁たちは不在の夫をそれぞれの木に見立て、木にお膳を持ってゆき、自分らの亭主の自慢を木にかけて口にする。
そのときの三人の嫁たちの誇らしい声がいい。

三人の嫁たちはそれぞれが持ち込んだ祝いの品を出すが、三方土器、三本の扇、頭巾である。
わたしはピンとこなかったが、この取り合わせにはきちんと意味があるのだった。

やがて近所の氏神さんにお参りにゆこうと、それまで行ったことのない八重をつれてじいさんは出てゆく。
わたしは単純に「じいさん、やっぱり八重がお気に入りなのか」と思ったのだが、これにもちゃんと意味があった。
わかるのはもっと後のことである。

喧嘩の段
やっと現れた松王は渋い着物である。いろいろといらんことを言うているところに梅王もきて、とうとう喧嘩になる。
ここでまたも面白く思ったのは「ゲイゲイと虫酸が出る」という表現である。今でも吐くときの擬音はゲェゲェであるから、この時代すでにその言葉は生きていたことを知る。

人形の動きもののしりあいも面白く見た。
しかしここで桜が折れてしまう。
はっとなる人々の緊迫感が伝わってくる。

訴訟の段
気の毒なのは嫁たち。そんな様子が見て取れる。
しかし松王の今日の遠因は就職難だということを、この父も兄弟も忘れているのではなかろうか。

桜丸切腹の段
住大夫さんと錦糸さんが現れた。
人形もここでの八重は文雀さん、桜丸を簑助さんが操る。

沈痛な声で語る住大夫。ここの話はすべて沈痛なものだが、場面に合う重い声を聴くと、人々の悲しみがまっすぐに伝わってくる。
声の遠近法とでもいうものを感じる。
白太夫、八重、桜丸それぞれの立ち位置が実感できる。

住大夫の独特の声がもう聴けなくなるのか。
あらためて惜しいという気持ちが沸き起こる。
何とか止めたいと思う。
が、それは叶わない。
そしてそれは桜丸が切腹してしまうのを止めたく思う白太夫の心情と合致する。

桜丸はもう心を決めていて、静かな心境にいるのだ。
生き延びたいとは彼は思わないのだ。
引き留める術を誰も持たない。

住大夫の引退ということを改めて考える。
何とも言えん「情の深さ」を感じる芸。それがもう失われるのだ。
無念である。
が、それは詮方ないことなのである。
しかし残されるものには未練がある。この未練は消えない。

桜丸は住大夫であり、われわれ観客は白太夫であり、八重である。
そのことを知る段となった。

白太夫の訛る「ナマイダ」が二度目となるとき白装束になる桜丸。
梅王夫婦がその場に現れるが、やはり彼らも何にもできない。
外でただ彼の成仏を祈るばかりなのだ。
そして嘆きはいよいよ深まる。

ふと、白太夫の悲痛と合邦の悲痛とはどちらが、ということを考えた。
比べることなどは無駄に過ぎない。どちらも子をなくすという巨大な痛手がある以上、どちらがどうということはないのだ。

それにしても、と改めて思うことがある。
後のことだが梅王は妻お春を、松王は一子を、桜丸は自身を失うのだ。
三つ子はいずれも大きな犠牲を払っている。

いい語りを聞かせてもらい、ほんとうにありがたかった。
住大夫さん、ほんまにほんまにありがとうございました。


なお、簑助さんの八重はやはり可愛らしいと思った。
そして白太夫の家の垣根はここでは「枳殻の垣根」、茶筅酒の段では「枸杞の垣根」という表現になっているが、前者はその前に「蒲公英嫁菜」というのが先につくから、あまり関係ないのだろうか。
改めてそんなことを考える。

天拝山の段

豊竹英大夫と鶴澤清友である。出だしに軽やかな三味線の音色がある。
ジャンジャンというような軽快なリズムを刻む。
一年後のある春の日、筑紫での菅公と白太夫のお散歩がある。
いい黒牛に乗り、他愛ないおしゃべりをして心を慰められる菅公。
牛の良さを示す言葉と菅公の勘違いとが面白い。これは言葉遊びである。
大坂の古い言葉の面白さがよく出ている。それがまたリアルに伝わる。

飛び梅の知らせが来る。びっくりの人々。お寺に行く。あららほんまに白梅があります。
やがて誰ぞと切り結ぶ梅王丸が現れる。
この梅王の力強さにわくわくする。

やがて暗殺者の口から時平の大野望を聞かされた菅公は、憤激のあまりに人間であることをやめてしまう。その憤りの激しさには梅王もたじたじとなる。
かれは「車曳」での時平、そしてこの菅公の威に押され何もできなくなるのだ。

わたしはようやくここでこの狂言のタイトルに菅公の名がついている理由を見たような気がした。
荒れ狂う雷鳴のなか、電流炎まで吐き出し、人から神へ移行した菅公。
恐怖であり、奇跡の目撃者たちは何もできずにうずくまるばかりなのだ。

その変容のありさまを目の当たりに挿せてくれるこの段は、わたしには非常に興味深く面白いものだった。


寺入りの段

明るい元気さがある。歌舞伎の入れごともないので案外短く感じた。

寺子屋の段

ああ、申し訳ないことを最初に記すと、わたしは昔からどうしても嶋大夫さんがニガテなのである。
声質が体調に合わないというか、ニガテな声なのである。
今は亡き伊達大夫さんのファンであるわたし。ああいう独特の声は好きなのに嶋大夫さんの声は体質に合わない。

しかし、好悪を超えて芸の素晴らしさというものはある。
特に松王が現れてからの良さは胸に来る。
勘十郎の松王の良さがさらに拍車をかける。
わたしは何度も見ているこの愁嘆場でやはり涙ぐんでしまった。

松王が病を言い立てて現れるシーン。たいへんにいい。
何故そんな派手な格好でくるねんと改めてツッコミを入れたくなるが、それは通し狂言だからこその意識だということも初めて気づいた。

そういえば今回遠しだからこそ気づいたのは、小太郎がいい子柄だという件である。百姓の孫で舎人の子なのに都育ちだからか品の良いええ氏の子に思われるのはどういうことか。
それも通しを見たことで気づいたことだった。

やがてとうとう奥で小さい子供の首を討つ情景になる。
「ばったり」のなんという大きな響きだろう。源蔵の寺子屋にいる人々も観客もみんなびっくりした。

そして最後の時が来る。
松王丸は「松のつれなかるらん」でくやしさに首を震わせている。
ここで初めて彼は己の心情を打ち明ける。
身内には言えない心情を、「敵方け」だが、ある意味ただ一人だけ理解してくれる源蔵に。
そこにこそ実は松王の悲痛さ無念さがあるのだと初めてそんなことを思った。

夫婦は白無垢になる。まるで婚礼のようであるが、これは今より息子の菩提を弔うための装束なのである。
そしてその足遣いのよさにも打たれた。

ああ、本当によい芝居を観た。
通し狂言の本気の良さを堪能した。
住大夫さんの引退興行というだけでなく、やはりこれは名品だと思った。
忘れられない芝居になった。ありがとうございます。
4/27まで。

「くもとちゅうりっぷ」「くじら」「幽霊船」 デジタル再現されたフィルムたち

フィルムセンターで特別上映の「くもとちゅうりっぷ」「くじら」「幽霊船」をみた。
2/8午後12時の回である。上映時間は全て合わせても一時間に満たない。上映に先だって、今回のフィルムの再現についての技術的なお話があった。
というのは、この上映会は「政岡憲三・大藤信郎アニメーション作品デジタル復元版特別上映会」なのである。
いかにしてこれら60年以上前のアニメーションがデジタル復元されたか、そのワークフローを書いたものももらった。

今回のトークは大藤の「くじら」「幽霊船」についてであった。
フロー図をみて大体は把握できたが、やはりトークは重要ではある。理解が一段と進むのだが、申し訳ないがその内容を要約しきれないのでここには挙げない。

まず政岡の「くもとちゅうりっぷ」から始まる。1943年の作品である。モノクロで一部に実写を取り込んだようにも思えるが、そのあたりのことはわたしにはわからない。
音楽を先に録音後、作画をあわせるプレスコ方式を採る。
和製ミュージカルというべき作品で、音楽は弘田龍太郎。

どこかの林の中、花たちが時に風に揺れる。
テントウムシの幼女がテントウムシとお日様は仲良しといった歌を歌っている。一方、黒い顔をした蜘蛛は自分の張る網に誰かがかからないかと期待しながら歌を歌う。
帽子を気にする蜘蛛である。
テントウムシの幼女がよたよた歩くのを見かけた蜘蛛は銀色に輝くハンモックに乗らないかと誘う。
幼女はあまりにあどけなく危ない。ふっくらした頬には常にほほえみが浮かんでいる。
そんな表情をこんな男に見せてはいけない。

やがて幼女は危険に気づき、のたのたと逃げようとする。
迫り来る魔手。その様子を見ていた花が蜘蛛に体当たりして幼女を逃がす。蜘蛛は腹を立ててその花を蜘蛛の糸でぐるぐるに緊縛する。
テントウムシの幼女はあわてて逃げるが、先にいたちゅうりっぷにかくまわれる。
蜘蛛は怒ってちゅうりっぷをぐるぐるに緊縛し「もう咲けないよ」といやな言葉をささやく。

非常に危うい感覚がある。蜘蛛にもテントウムシにも。端々にひやひやするものを感じつつ見ている。

やがて予期せぬ嵐が来て、蜘蛛はとうとう滅びてしまう。
しかし、とわたしはついこんなことを思う。
蜘蛛は食虫で生きているし、人間にとっての害虫も退治してくれるのだ。

テントウムシは閉ざされた内側から出てくる。蜘蛛の糸も破られる。先に閉ざされた花も開き、ここで初めて誰かのために役立つ。
そして再びほほえんで、歌いながらあちらこちらをゆく。

蜘蛛を悪者にするのは仕方ないが、どうみてもあやうい話だった。
蜘蛛もこんな林にいなければ街のいい遊び人に数えられたかもしれないのに。
幼女への欲望のありかを見せられたような気もするが、面白い映画だった。

次は大藤の「くじら」である。
カラーセロファンを使用しての映像製作とは想像もつかなかった。
1953年のカラー作品だが元は1920年代のモノクロ作品からという。
人物たちに明確な個性は与えられず黒いシルエットだけで表現される。
音声はデジタル修正されなかったのか、その当時らしい古い発声法である。
完全に大人向けの作品だった。

江戸時代か、ある船が海を行く。遊女たちも乗せて音曲も軽やかに進むのだが沈没する。
生き残りは男三人。そして掬い上げられる女。
波の表現などが素晴らしい。これは同時代のフランスのコクトーが製作した「美女と野獣」のオープニングなどに見られる「手工芸の粋」を思わせる。
シルエットで表現される女の腿。生きていた女への欲望が激しく燃えて、男たちは互いに争いあう。その殺し合いの最中、女は「あ~~れ~~」しか言わない。
個性を持たさないことで表現される、人間の普遍的な浅ましさ。
女もどうにもならない。わたしはこの辺りを見ていて「アナタハン島」の綺譚を思い出した。まったくあれを思い出させてくれる。
それから浅ましい連中は一挙に鯨に飲まれる。鯨は「白鯨」ではないが、絶対的超越者とでもいった趣がある。
いったん飲み込まれた後、ようよう潮に吹かれて外へ出られるが、そうなるとまた浅ましいことが繰り返され、とうとう鯨も呆れ果てたか、全員が海へ投げ出される。
そして静かな海を悠々と行く鯨が描かれ、そこに唐突なナレーションが入る。
女は人魚になって鯨のひれ辺りにいるらしい。
物語の展開としてはちょっと面白みに欠けるが、映像のよさに感心した。これをデジタル処理して往時の美しさを再現させたのは素晴らしいと思った。


最後は「幽霊船」である。1956年。ここでも大藤は素晴らしいカラーセロファンの展開を見せる。人間はあくまでも黒い影―シルエットでしか表現されない。

海に浮かぶ一艘の大船。よくよくみればあちらこちらに死骸がひっかかっている。
そこから物語は始まる。
ある貴族の船が楽しそうに外洋を行く。音楽も奏でられ、お酒もおいしく、会話も楽しい旅である。そこへ突然現れる海賊船。イメージ的にはカリブのでもソマリアのでもなく、「南無八幡大菩薩」な倭寇風な海賊である。
貴族対海賊の決死の戦い。その間、背景にはセロファンによる切り絵が延々と現れては次のものに移り変わる。とても綺麗である。たいていは笑う仏像などである。
現代のゲームなどで、背景に無関係な、しかし異様に美麗な映像が挿入されては消えてゆく情景、あれによく似ている。
こんな60年以上昔から、その感性は伝えられ続けてきたとしか思えない。

やがて海賊たちの勝利が決定的なものになり、貴族の男たちは殺され、女たちは卑しい海賊たちに汚されるよりはと海に身を投げ出してゆき、立派な船もとうとう沈没する。
しかしそれからしばらくすると、今度は海賊船を襲う船がある。あの貴族たちの乗っていた船が幽霊船となり、幻惑しては仲間討ちをさせる。次々と海賊たちは互いを殺しあう。
貴族たちは生きていた頃は黒い影で表現されていたが、死後は白い影で表現される。
彼らは敵の目を晦まし、次々と復讐を果たし、やがて高笑いしながら消えてゆく。
後に残された海賊船は死体の山となり、もう誰も操縦もできず、永遠にさまよい続ける。

たいへん映像的に綺麗な作品だった。芸術的な作品は優れた感性と忍耐力を持つ職人の力と技術によって完成するのだ。
方法は異なるものの、ロシアのユーリ・ノルシュテインの作品とも共通するのはそこだと思う。
見ることができて、本当によかった。
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