文楽『国言詢音頭』を楽しむ
文楽公演『国言詢音頭』に行った。
サマーレイトショーとして六時半から(金曜は七時)開演。だいたいサマーレイトショーは惨劇や怪談話が多いので、芝居でのそれらが好きなわたしは喜んで出かけた。
三業のうち昔は人形が好きだったが、近年は義太夫と三味線が好きで仕方ないので、席も床のすぐそば。語りに熱が入ると飛沫が飛んでくるのが見えるような位置。
つまり三味線のすぐ下辺りを指定した。
「見る」より「聞く」に重点を置いているので、その席でよいのだが、幸いわたしの視界は広いので左目は舞台の全てを見渡せた。
物語を簡単に記す。
新地の遊女・菊野に入れあげ、藩の公金に手をつけた薩摩藩士・初右衛門だが、その菊野が実は自分を毛嫌いしていて、間夫・仁三郎にあてた手紙の中で悪口雑言の限りを尽くしているのを知る。
更に自分のいるのを知らぬ菊野ら一行を乗せた舟が、自分を罵倒しながら笑いさざめき行過ぎるのに出遭う。(大川の段)
家来からも女を忘れて国許へ帰るよう懇願されていた初右衛門は、帰国前に世話になった店の皆にプレゼントを持ってくる。上物の反物などで皆は喜ぶが、菊野と仁三郎には文箱が手渡される。中にはあの手紙が入っていた。
謝る二人に豪快に笑いかける初右衛門。そのまま店を去る。
残された男女はグジグジしているが、そこへ仁三郎の許婚者が来たことで、菊野はライバルにその座を譲り、自分は独り寝に入る。
夜半、帰国の途についたはずの初右衛門が忍び込んでくる。玄関前で朱塗りの鞘を捨て、抜き身を提げたまま入り込む。
凄惨な五人斬りの後、初右衛門は雨の中を悠々と去って行く。(五人伐の段)
実話のドラマ化ということで、確かによくある話だけに、背中が寒いようなところがある。
大川の段は竹本津駒大夫・鶴澤寛治。
悪口を読み上げるところがかなりよかった。
「阿呆ぢゃ、今に腹切るか、首切られるかぢゃ」
手紙も舟も変わらず悪口雑言で、よくまぁそんなに書けたものよ、と変な感心がわいた。
何しろ通し狂言ではないので、前後の状況が多少わからないところがあるが、この田舎侍はそんなに女に嫌われるような男なのか。
遊女の菊野の他に仲居も加わり、皆で悪口の言い合いをしているのを聞くと、なんとなく納得もする。初右衛門はイケてないのだ。洗練されていない、それ自体が罪なのだ。
そんなのに限ってしつこい、という特性がまたまた女たちに嫌われる。
遊山舟の行過ぎる間、じっと耐えに耐える大きな男の身体が小刻みに震えているのが、よくわかった。
五人伐りの段。(中)竹本文字久大夫・鶴澤清友。
√蛍火に焦がれて身を焦がす・・・ 文字久大夫の綺麗な歌声から始まる。
三味線、ちょっときつくないですか。
文箱の中に何があるかも知らぬ男女はうじゃじゃけている。
「玉手箱なら一緒に老いましょう」などと他愛のない痴話を繰り返す。
それで中身にギョッとして、ヤバイぞということになってから、女の胆が強い。
あの初右衛門に切られてもいいようなことをいう。
(三味線、ちょっと気合入りすぎて元気良すぎることないですか。うんうんっと声が上がりすぎている・・・)
ここで心中の相談と言うのがよくわからない昔の人の考えなのだが、そこに女の弟が来て取りやめになり、更に男から無視されている許婚者の娘が来たりする。
通し狂言ではないので、この辺りの事情がよくわからないが、まぁ大体は想像できる。
「ととさんの手前、盃ごとさえしたら、一生尼でいる気」
そんな風に言われて哀れさが湧き、男の待つ二階にライバルを送り出す菊野。
着物を取り替え、暗くしているから自分と間違えて彼はあなたを・・・ということである。
そうして独り寝のところへ復讐鬼に化した初右衛門が来るのだ。
(切)竹本住大夫・野澤錦糸。胡弓・豊澤龍爾。
捕まえた女に怨みつらみを語る男。胡弓の哀切な音色が響く。
女を切り刻み、責め苛む男。住大夫が女の苦痛の声をリアルに語っていた。
「うう・・・ううっ・・・ううう・・・う・・・」
責め苛む間も胡弓の音色が流れている。
・・・血に染む丹花の唇をねぶり廻して念落とし・・・
凄いこと言うてるな。
そうか、カネばっかり使うて、ほかは・・・・・・・・・・。
女の首を切り落とした後、唾棄する。
これを見て・聞いたとき、武智鐵二と八世坂東三津五郎の対談集『芸十夜』での一節を思い出した。
『鰻谷』で名人栄三の操る八郎兵衛の人形が唾棄したとき、顔色が変わって見えた、と言う話。
凄い技能があったのだなぁ・・・
その後の初右衛門は他の女の胴を二つ切りにしたり、悪者の男を殺したりなんだかんだで五人斬り殺してから、悠々と出てゆく。
住大夫の語りは最後までよかった。錦糸の三味線も耳から心に残っている。
門の外に出ると、本水を使っての雨が降り出す。天水桶で血を落としてから、傘差して去る。人形の背中には孤独さもヤケクソさもなく、満足感が漂っていた。
√山寺の春の夕暮れきてみれば 寒山寺 諸行無常 南無阿弥陀仏・・・
笑い続ける声が長らく耳に残り続けた。
久しぶりに文楽を楽しめてよかった。わたしは現実の殺伐とした話は嫌いだが、歌舞伎や文楽ではこうした『残酷の美』に強く惹かれるのだった。
毎回、桐竹勘十郎の原画による芝居のハンコが置かれている。
いつも楽しみに押している。
- [2008/08/06 23:14]
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ルノワール+ルノワール (ジャンの映画)

わたしが最初に映画監督ジャン・ルノワールを知ったのは、小学生の頃『大いなる幻影』をNHKあたりで見たからだと思う。
ルノワールの息子さんかぁ、という意識で映画をみたが、フォン・シュトロハイムの魁偉なイメージばかりが意識に残った。
ここで話が少し脇にそれる。
中学生のころに戸板康二『ちょっといい話』にハマり、不意に世界が広がった。
歌舞伎役者の屋号や血筋に詳しくなれたのも、昔の芸談を読むのが大好きになったのも、全て戸板康二のおかげなのだった。
さて、その本の中にこんなのがあった。ほんの小話。
ジャン・ルノワールの表記が誤ってジャンル・ノワール(暗黒もの)になっていた、というもの。
昔、アラン・ドロンとジャン・ギャバンのコンビでそうしたフィルム・ノワールものが多く作られ、たいへん人気だったが、カントクも自分の名前が暗黒ものにされるとは思わなかったろう。
そのジャンの映画作品が少しずつyoutubeにあり、わたしは嬉しがってここに貼り付ける。
一応、展覧会に出ていたものに限った。
『ピクニック』
この映画は『ぶらんこ』との関連があるが、間に60年の歳月がある。
若い女の心の流れが映像の中から届く。ボートを漕ぐシーンにも父の絵画からの影響、というか父の絵画への懐かしみ・親しみが伺えるのだった。
『河』
インドを舞台にした若い人たちの心のふれあいと言うか、色んなアフェアがある。
『バナナ畑』の巨大なバナナの葉っぱがこの映画にもあるが、オリエンタルなエキゾティックさに、父も息子も少しだけときめいていたのだな、と思った。
『ゲームの規則』
狩猟シーンが続く。ジャン15歳の肖像画。そして父が描き損ねた地での撮影。こんなに父親思いの息子と言うのは、偉いものだと思う。歳が離れていたこともその要因なのだろうか。
『トニ』
イタリアのネオレアリスモの先駆的作品。確かにそんな感じがする。海に身投げした女房を引き上げる男。なんとなくロッセリーニの『マン島』だったか、そんな映画を思い出した。
『フレンチカンカン』
ハデハデで楽しかった。実は小学生の頃、この映画をTVで見た翌日、クラスでマネをしてみんなで踊ったことがある。スカートを何枚も履くだけでなく、シーツかカーテンか何かも使い、それで大変叱られたのだった。
ジャンが現役の映画監督だった頃は、無声映画とトーキーとの境目から、更にはモノクロから総天然色へ移行する、二つの大きな流れがあった。
これは技術的なことだが、それだけでなく内容的にも大きな変化があった。
古典的作品のよき時代が終焉を遂げ、新しい波が押し寄せてきたのである。
そのヌーヴェルバーグの旗手たち・・・トリュフォー、ゴダールら。
ジャンはヌーヴェルバーグの監督たちのいわば親父さん的存在として、眺められていた。
アメリカに移住してからの心の支えはそのことだったそうだ。
必ずしもジャンの映画は商業的には成功していないようだ。
当時の資料を見ると、作品的にはよくても・・・というのがよくわかる。
せつないなぁ、わたしはカネにならない作品が好きなので、せつなくなる。
『黄金の馬車』 これは映像はないが、’91年頃に初公開があり、そのときのチラシが手元にあるはずが、今回どうしてもみつけられなかった。消えたチラシはどこにあるのだろう・・・
雰囲気的にフランス映画と言うよりイタリア映画的なのは、なにもアンナ・マニャーニが主演だからと言うだけではなさそうだった。映画の中で、マニャーニが自分の綺麗なネックレスを闘牛士に投げ与えると、闘牛士がそれを額にかざす。闘牛士だからこそ似合う情景。
『恋多き女』 先ごろ亡くなったばかりのメル・ファーラーとバーグマンのダンスがなかなか素敵だった。
色彩設計はどうなっているのかよくわからないが、総天然色という感じの映像。色調よりも人物配置などが父親の絵と近いのを感じる。1901年の独立記念日のお祝いに浮かれる人々。楽隊の一人に帽子を投げると、それをかぶって演奏するシーンなどが、なかなか素敵だった。背景は書割で、それがまたどことなくいい感じ。
わたしはバーグマンで一番好きなのはアナトール・リトヴァク『追想』なのだ。『ガス燈』『カサブランカ』ではなくに。そして演技派女優としての彼女のベストはベルイマン『秋のソナタ』のピアニストだと思う。
『草の上の昼食』 タイトルはお父さんのお友達のヒトの作品から採ったが、裸婦や自然のあり方はお父さんの絵ですね。50年前の福々しく瑞々しい若い女。行き逢ってしまい、ちょっと紳士的に身を避けるけれど・・・の教授がいい。
『女優ナナ』 ナナの動きを見ていると、ドイツ表現主義的なものを思い出す。ヴァンパイアのように貪欲なナナの目がギラギラする・・・思えばゾラの『ルーゴン=マッカール叢書』のうち『ナナ』と『獣人』をジャンは映画化しているのだった。
『小間使いの日記』 タイトルだけならてっきりスペインのブニュエルのそれかと思った。あちらはジャンヌ・モローが小間使いで、例によってなかなかCible immoraleな感じ。こちらは純愛ぽい。小間使いもポーレット・ゴダードなのだった。
書くうちに映画が見たくなってきた。わたしは古いヨーロッパ映画が大好きなのだ・・・
この展覧会は見どころの多い展覧会だった。反目ではなく互いへの愛情あふれる作品を生みだした父と息子との、和やかな展覧会だった。
ますますわたしはルノワールが好きになった。誰がなんと言おうと、やっぱりルノワールはいい。
オーギュストも、ジャンもすばらしかった。
- [2008/06/16 22:42]
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トルコ舞踊団を楽しむ
大阪のグランキューブで公演があった。なかなか激しい踊りだった。
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むかし、トルコの船が沈没したのを串本の人々が救助してから、日本とトルコが仲良しさんになったそうで、今回トルコの大統領がお参りに来られるのにあわせて、舞踊団の公演が開催されたのだった。
東京では既に6/4盛況のうちに終わり、大阪では6/7グランキューブで開催された。
「写真はノーフラッシュで」という放送が入ったのには、びっくりした。
え゛っ撮ってもOKなの?
既に東京でご覧になった方々のブログを読んで、半信半疑だったが、こうして案内放送が入るとますますびっくりした。
写真はわたしの手によるものではなく、隣席の部長の撮ったもの。
わたしは会社関係の席にいた。右隣には友人。
友人は、トルコ人と結婚している高橋由佳里さんというマンガ家のファンで、公演に誘うと喜んでくれたので、わたしも嬉しい。
実のところ、わたしはあまり踊りを見ない。群舞は好きだが演目によるので、あまり見に行かない。
’92年末にジョルジュ=ドンが亡くなって以来、本当に殆ど見なくなった。
お水取りにまつわる群舞『達陀』くらいしか近年は見ていない。
そんな私でも随分楽しめた。
民族舞踊と創作舞踊との境目もはっきりとはわからなかったが、力強い踊りが続き、見応えがあった。何しろ大人数なのでそれだけでも迫力がある。
男女混ざり合い、背の高さで1、2、1、2、と並びながら手をつないで踊る姿は、まるで瓔珞文つなぎのように見えた。それがひどく美しい。
散らばり・つながり、つながり・散らばる・・・そしてまたつながったかと思うと、それが楕円の動きを見せながら拡がってゆく。
照明の力が、虚と実との邂逅を生み出すのも目の当たりにした。
カーテンの向うで繰り広げられるマイムは、ペトルーシュカの動きのようでもあり、しかしそれは紛れもなくアラブの舞いなのである。
愛し合う動きも虚と実の競演であり、やがてはかなく霧散する。
その後には激しい鼓動に満ちた群が押し寄せる。
繰り返される円舞と離散と集合と。
照明の残影が流線型の糸を引く。幾筋もの糸に絡め捕られてゆくのは観客だった。
拍手する暇も与えぬほど、次々と舞が変わり、舞の上に舞が重なり合うように見えた。
斜めの連続跳躍は昆劇を思わせた。
その跳躍がまるで結界のように、中の人々を呪縛し、そこから向うへはみ出すことが出来なくなる。
抑制されたままその中で感情が高ぶってくる。やがて爆発。
枷の外れた人々の爆発的な踊り。
ボレロのような唐突にして圧倒的な終焉ではなく、しかし予定調和を目指しているわけでもない。
カタストロフィーのなさに、少しだけ苛立ちが生まれた。
だが、それは瑕ではなかった。それもまた一つの途なのだと知らされる。
“IT’s Me”
いくつかのヤマの後に、この言葉を使った踊りが始まった。
不思議に耳に入り込まない英語。会話ではなく、単語の羅列のような英語の音のつながりが会場に広がる。
踊りと音楽とは同じ力を持つものなのだ、と言う思想がこちらにも伝わってくる。
思えば冒頭からしばしば打楽器が活き続けていた。
打楽器の音と踊りとの融合を見るうちに、ついに私が見ることの叶わなかった「サムルノリ」を想起させられた。
第二部が終り、アンコールも果てたと言うのに、まだまだ期待してしまう力が舞台上にはあった。
熱気がまだ残っている。
しかしそれを冷やすこともないまま、公演は終わった。
いい気分のまま家路へ向かったが、帰宅した途端、起きていられなくなっていた。
見るのに意外なほどエネルギーを使っていたのだ。
しかしながら、今度また見る機会があれば、また行きたいと思う。
舞踊団はシャーマン・グループ。サイトはこちら。
突然音楽が流れるのでご注意を。
- [2008/06/09 23:05]
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『霧の中のハリネズミ』を見る。
今日は別記事を予定していたが、fc2ブログの調子が悪いそうで、復旧が今になったようだ。
たいへんでしょうが、これからもがんばってください。
それでyoutubeで遊んでいたら、嬉しいことにユーリ・ノルシュテインの『霧の中のハリネズミ』の映像があった。
これは明日挙げる記事とも少しリンクしあうし、わたし自身がまず何よりも嬉しいので、ここにあげる。
- [2008/05/17 23:38]
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映画『スウィニー・トッド』を見る
池田にある映画館『池田中央』まで『スウィニー・トッド』を見に行った。
大阪府知事選挙に投票してからでかけましたよ。←オトナノギム。
元々有名なミュージカルが原作だと言うだけに、わたしもなんとなくタイトルを知っていた。
『悪魔の理髪師』・・・納得。日本でも上演されている。
以下、ネタバレ大有りです。
- [2008/01/28 00:09]
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