美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「折口信夫と『死者の書』」展と近藤ようこ『死者の書』下巻感想など

國學院大學の博物館で「折口信夫と『死者の書』」展が開催されている。
チラシには近藤ようこさんの『死者の書』ヒロインの藤原南家の郎女がいる。
この小説を小説以外にかたちにしたものは川本喜八郎の人形劇映画と近藤さんのマンガ、この二作がある。
(冒頭の滋賀津彦の目覚めのみ、演劇のシーンとして松浦だるまさんが『累 かさね』で描いている)
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わたしは久しぶりに映画『死者の書』を観ようと思い、申し込んだ。2時からなので先に博物館に行く。
そこでは近藤さんの原画の展示もあるのだ。
すると館内では『死者の書』についての講演会が開催されていて、大勢の聴衆が詰めかけていた。
映画の事ばかり考えていて、その前の時間にここで講演会があることを調べていなかった。
お邪魔にならない場所でそっと聞いたが、作中の表現から色彩などに活きる官能性についての指摘もあり、興味深い内容だった。

折口の自装本をみる。可愛いものが少なくない。
わたしの持つ『死者の書』は『山越の阿弥陀像の画因』が共に収められているもので、後に『口ぶえ』または『身毒丸』が収められた文庫が刊行されたときは、それをにくんだ。
だが、『死者の書』をさらに深く理解するためには先の取り合わせが良かったとも言える。
にくんだのは、わたしが少年愛に惹かれているから、というだけの話。

ところで数年前、『初稿・死者の書』という本が出た。
その書評を今も持っているので挙げる。拡大できます。
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近藤さんの原画を見る。黒が活きて、物語の闇と呼応している。
それを見ながら『死者の書』下巻の感想を挙げていないことを思い出す。
上巻は挙げていたのにどうしてか下巻を挙げていないのだ。
上巻の感想はこちら

近藤さんの描いた『死者の書』の下巻の感想についても書きたいと思う。
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上巻の最後で貴い身分の姫が自らの進退について
「姫の咎は、姫が贖う。此寺、此二上山の下に居て、身の償い、心の償いした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。」
と言い切った後からの物語である。

近藤さんの描く婦人はものを考える人である。
程度の高い低いはあっても、物事を考えることをやめない。
何を考えているのかは問題ではない。
そのことからだけでも、『死者の書』はやはり近藤さんが描くべき作品だと言える。

折口の『死者の書』は<智慧>についても考えねばならない作品である。
貴人である藤原南家郎女が自らの智慧で言葉を発し、行動を起こす、そのことの意味の大きさをよくよく考えながら読む。
高貴の婦人が智慧を持たないことが当然だった時代の話なのである。

作中、滋賀津彦の骨身の訪問を受けた後の郎女の夢の情景がいい。
「珠玉」の言葉を連ねて描かれた幻想である。
それを近藤さんは自身の感性で絵に成された。
文字を完全に再現したのではない、深く読み取って絵に成されたのである。
この数ページの表現に会うには実際に<見る>以外に方法はない。
本を開くなり電子版で見るなりしなくてはならない。

マンガの面白いところはマンガだけでしか出来ない表現があることだと思う。
ただしそれは映画は映画の、演劇は演劇の、アニメはアニメの、小説は小説の、と言葉を置き換えてもいい。
そのことを想いながら作品にあたる。

描き込むことのない、必要な線以外を排除した絵。
近藤さんの作品世界がこの『死者の書』を構築し、原作にないシーンを自然な形で加える。
それは即ち後年の家持の姿である。
この家持があることで、作品が近藤さんの言う「鑑賞の手引き」となっているように思う。
読者は家持の言動から様々なことを読み取り、それでいくつか不明な点への理解が進む。

マンガは全ての「原文」を完全に再現するわけではない。
たとえば藤原仲麻呂恵美押勝と家持との対話、あれも本当はもっと長く、恵美押勝に滲むある種の屈託をも描いてはいるが、近藤さんはその文章を2人の表情で読み取らせるように描く。
原作の恵美押勝の
「 早く、躑躅の照る時分になってくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどおしいぞ。
 大師藤原恵美押勝朝臣の声は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじえて居なかった。 」

このシーンでは躑躅の群れの絵が2人の対話の最後にきて、体言止めとでもいうような形を見せる。
更にいえばこのコマでの躑躅の背景は闇である。
二人の小宴がこの時間まで続いていたことを感じさせる一方で、そこにいまだ咲く時期でない躑躅の外線が描かれていることに目を瞠らされる。
このコマで躑躅への渇望が読者にも沁みてくる。
マンガによる表現の豊かさがここにある。

やがて二人の対話から歳月がたち、ページも残り少しになったときに「その後の家持」が登場する。
ここで恵美押勝の乱が終わり、南家の郎女の消息がその後も知れずにいることをも読者は知らされる。

次のページで原作のラストシーンが現れ、感嘆し絵に魂を奪われる人々と、彼女らを残してそっと立ち去る姫の姿がある。
「姫はどうなったのだろう」と思うヒトのために先の挿話が有益になり、物語の終わり・余韻を味わうヒトのためにこの順が活きる。
こうしたところに読者への親切心があり、構成力の高さを感じる。

説明的ではなく、物語の流れを読み取れるように作られたマンガ。
この作品が近藤さんの手によって生まれたことは本当に良かった。

わたしは最初に原作の(現行の)『死者の書』を読み、それから映画を観、そしてこのマンガを読んだ。
今から『死者の書』を知ろうとする人にわたしはまず近藤さんのマンガを勧めたい。
上下巻を深く味わってから、小説を読み、そして次に映画を観てもらいたいと思う。
川本喜八郎の映像作品の素晴らしさを更に堪能するためにも原作を知っていてもらいたいし、読みにくいと思われる原作を味わうためにも、近藤さんの作品で物語を理解することが必要だと思う。
とはいえ、映像もマンガも小説もそれぞれ独立して味わえれば、それはそれで素晴らしいと思う。
『死者の書』ファンとしてわたしはこの三つの作品を深く愛している。
一人でも多くの人がこの素晴らしい作品に惹かれれば、折口ファンとして・川本ファンとして・近藤ファンとして、とても嬉しい。

なお映画『死者の書』については十年前に挙げた感想がある。
こちら
この感想を今も公式サイトが紹介してくださっているのは本当にありがたいことだ。
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展覧会は10/10まで。




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ご存知なら教えてください。「西鶴と近松の比較」について

昨日挙げた「ビアズリーと日本」展の中で山六郎の作品が色々あるうち、「妖姫タマル」という蠱惑的な絵があったが、それはプラトン社の雑誌掲載の絵だった。
(1922年「女性」第2巻第6号)

見開きの左ページに絵がある。
そしてわたしが気になったのは右ページの近松と西鶴の比較論。
これがかなり面白かったのだが、誰が書いたものかがわたしにはわからない。
ここにわたしが写したものを挙げるので、もしご存知の方があればぜひ教えていただけたらと思う。
なおご返答はツイッターの方へお願いします。

また写したわたし自身の判読不能文字があり、それらは< >で空欄とした。
旧仮名遣いは現代のものに改めている。

・西鶴の描いた女性
西鶴の骨の髄まで巣食うものはリアリズムであり、近松の毛細血管の末まで流れるものはアイディアリズムである。両者の目に映ったものは同一の事象であったとしても、その事実を受け入れる心持の上には両者の態度を正反対の方向に引きずってゆく相違があった。
従って男女間の情事を写しても西鶴の女性は肉の奴隷として現れるのに対し、近松の女性は精神の君主として現れる。
一代女や五人女の中に出てくる女性と近松の世話物の中に出てくる女性とを比較する。
到底すべて同じに語ることは出来ない。
「森の門松」のお菊や「心中天網島」のおさんのような女はかつて一度も西鶴の頭脳に描きだされたことはないであろう。
西鶴は肉の上に一つのエリシアムを築き上げた作家である。彼の思想の中には根底にある信仰も< >あるわけではないが、幾分伝統的シナの神仙思想が< >していたらしい。
努力よりも無為を、未来よりも現世を重んずる態度は彼の作品の随所において散見するところである。
あの一代男の主人公がその最後において未知の無何有郷に向かって出発したということは、自ずから彼の思想が暴露したものであると思う。

学芸員さんに「妖姫タマル」の前ページの一文について問いかけたらよいようなものだが、なかなか出来ない。

中で例として挙げられている以下の芝居はわたしでは調べきれなかった。
・「森の門松」のお菊

わたしは近松研究者ではないのでますますわからない。
「森の石松」は幕末だし近松は元禄だし、と色々とかんがえこんでいる。

どうかご存知の方があれば教えてください。

追記:大正解の巻

わたしが東京ハイカイ中にツイッターで色々教えてくださった方々がありました。
まず
この文の筆者について
・日本図書センター刊「女性」復刻版第4巻によると、表題は「西鶴の描いた女性」、著者は「赤木桁平」、とあります(p.92ー104.)
さらに
・国会図書館で検索したら、池崎忠孝著『亡友芥川竜之介への告別』の書誌に「井原西鶴の描いた女性」あり。

自分でも調べたところ、
赤木桁平=池崎忠孝
ということでした。
なるほどなあ。

また最後に
・「森の門松」のお菊 とは、「寿の門松」(山崎与次兵衛寿の門松)のお菊(与次兵衛の妻)のことでは無いでしょうか
そうでしょうなあ。
これは雑誌自体の誤字。
納得です。

皆さん、ありがとうございました。

「おにたのぼうし」で思うこと

毎年節分になると必ず「おにたのぼうし」をよむ。
絵本だから「みる」でもいい。
あまんきみこ&いわさきちひろの名作。
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幼稚園の時に読んで感動し、いまも大事にしている絵本。
本を手に入れたのは実は社会人一年生の時だったが。

ひとりぼっちのこどもおにのおにたは、なかなか気がよくて、間借りしている家の人が雨に気付かない時は、そぉっと洗濯物を取り込んだりしている。
でもだれもおにたのことに気付かない。

おにたは小さい角を隠すために麦藁帽子をかぶる。
節分の夜、おにたは麦藁帽子をかぶって、豆もまかずイワシをヒイラギに挿さない家を探して、そぉっと忍び込む。
だが、その家ではおかあさんが寝込んでいて、小さい女の子が何も食べずに看病していた。
一瞬意識の戻ったお母さんが女の子にご飯を食べたか訊くと、おんなのこは「赤飯とウグイス豆の煮豆」をもらったことを言う。
実際にはコメも何もないし、くれる人もいない。

おにたはちゃんと服を着て長靴を履いて、角隠しの麦藁帽子をかぶって、女の子のもとへ「赤飯とウグイスの煮豆」をもってゆく。
喜ぶ女の子だが、その子は豆まきがしたいと口にする。
おにたは「鬼だっていろいろあるのに」と身震いしたかと思うと、不意に姿を消す。
あとには麦藁帽子と豆まきの豆がある。
おんなのこはそっと豆まきをする。

これまでただただおにたが可哀想だと思うばかりだったが、今日ふと思ったことがある。
豆に追われるおにたなのに、赤飯や煮豆は大丈夫なのか。
おにたが姿を消し後に麦藁帽子の中に豆が入っていたが、わたしはあれを「豆がニガテな鬼族が豆を出したらその鬼は消滅」のようなルールがあるとずっと思い込んでいた。

わたしが「あれれ?」と思ったのはそのことではない。
おにたは豆まきをいやがるのに、赤飯の小豆やウグイス豆の煮豆は平気なのか。
読み始めてから数十年後の今、改めてそのことを思った。

おにた、また会いたい。

近藤ようこ「死者の書」をよむ。

少し前の話になる。
近藤ようこさんと上野のカフェで話をした。
まだその頃は「死者の書」に着手される前だった。
ファンであるが故にむちゃな夢を求めるわたしは、近藤さんに「死者の書はあなた以外描けないでしょうし、描いたのが見たい」と言う意味のことを言った。
もう描くプランがその頃立ってたのかどうかは知らない。
表面上は静かな面持ちの近藤さんがにやりとされているのを見た気がする。

それからまた少し時間が経ち、やはり上野で今度はご自分から「死者の書」を連載するという話をされた。
その時、わたしの脳裏には南家の郎女の口から「あなたふと なも あみだほとけ」と洩れる様子が将に近藤ようこの絵で浮かんだ。
更に最後の郎女の涙も浮かんできた。
しかし、どうしても冒頭の様子が浮かんでこない。
わたしはそのことを言った。
これは半分は素直な気持ちを口にし、あとの半分はどのような冒頭にされるのか、という期待にせっつかれての言葉だった。
近藤さんはますます静かに笑われる。
非常に不敵な笑顔である。
もし、耳男に殺されないまま夜長姫が長生きしていたら、こんな笑顔を浮かべていたのではないか、と思われるような笑いだった。

やがて連載が始まり、わたしはウェブ上で第一話をみた。
あ、と思った。
そしてすぐに納得した。
なるほど、こう来たか。
死者の眼ざめを予感させながらも、活きる郎女の姿が描かれていた。
館の奥深くに封ぜられていた姫が自らの足で歩いている。そのことだけでも実は恐ろしいことなのである。
第一話の始まり、物語の冒頭をこのような形にすることで、「死者の書」は多くの人に伝わる物語になった、と思った。

小説の始まり、第一章はまるごと死者のもの思いで終始している。
小説としては非常に面白いが、マンガとして表現するにはどうだろうと思っていた。
先に視覚化したのは川本喜八郎だった。
映像化されたその作品は素晴らしく、本文を語る岸田今日子の魅力もあって、非常に深い作品となっている。
わたしはあの映画を見て深い感動を覚え、そのことを文章にしてこのブログにあげている。
それは川本喜八郎のスタッフの目に留まり、映画の公式サイトに、わたしのブログが今も紹介されている。

小説と映画とマンガとでは表現方法が異なる。
今こうして近藤ようこの描く「死者の書」が世に出たことで「死者の書」の新たな表現方法が生まれたと思う。

近藤ようこ「死者の書」に戻る。
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墓所で滋賀津彦が蘇ったとはいえ、彼の肉は既に朽ちている。白い骨ばかりで構成された彼の躰。それすらもつながりはよくない。
骨がカラカラと鳴くこともない。
しかし、死者の眼ざめから先、風貌が徐々に整いだす。
意識が戻ることで記憶が呼び戻され、彼の叫びが墓所に響き、その声を姫の魂呼ばいにきた白衣の人々が耳にして、恐れおののき、四方へ逃げ散る。

死んだ者が蘇る。新たな心持を持つことはなく、生前最後の執心が心の全てを覆う。
「耳面刀自」への執心だけで活きる死者。
「した した した 」
岩から垂れる水の音が死者の眼ざめを促したのか。
しかしその音が静かに響くとき、同時に履もなく歩む南家の郎女の白い足がのぞく。
ここでこの物語が生者である南家の郎女のものとなる。

姫は藤原南家の長女である。
父は横佩の大臣と呼ばれる南家の長男・豊成だが、政争に敗れ、筑紫にゆかねばならぬことになったのを拒んで、難波でもってその執務についていた。
今の世では南家の次男・仲麻呂が羽ばたいていたが、そのような政治的背景をこの郎女は一切聞かされていない。
(後にわかることだが、彼女自身は一切の政治的状況から、終始無縁のままになる)
彼女の大叔母に当たる皇后・安宿媛のように生きることは彼女の道にはなかった。
いずれは神の嫁にという腹積もりが周囲にあり、この南家の郎女は旧い物語を乳母たちから聞くことだけが日課であり、「才」=智慧を得ることはそこからは出来なかった。

ここで近藤ようこの旧作を思う。

初期の短編に「夢見童子」があり、それは折口の「死者の書」とほぼ同時代の設定だと思う。ここでも高貴な姫は館の一隅に押し込められ、智慧づくことを周囲に恐れられた。
この姫はそんな状況を厭い、自らの足で外に出て、夢見童子との出会いで初めて智慧を得るが、同時に心を閉ざしてしまう。
また、「水鏡綺譚」での鏡子は元は鏡を抱いて生まれてきた、並びなき智慧の娘として世にあったが、その鏡を失くし、何もわからぬまま智慧の光を喪って放浪する。
修行者たるワタル少年との旅の間にも彼女は智慧を取り戻すことは出来ず、別れて元の地位に戻ると共に智慧そのものを取り戻す。
こうした先行作品を思えば、やはり藤原南家の郎女を描くのは近藤ようこその人を措いて他にないと言える。

知識と智慧とは違う。
近藤ようこの作品世界に入り込んでいると、智慧の大事さ・尊さを想うことがしばしばある。それが今回の「死者の書」では今後どのように展開してゆくかも楽しみの一つとなっている。

称讃浄土教を写経する南家の郎女。季節の移ろいにも気を留めず懸命に続けるうちに、春の彼岸となった。
そのときに彼女は二上山を眺め、そこに尊き幻を視るのである。
二上山の沈む夕日の先に見た俤は円満具足な美しいひとだった。
実に優しく美しい相好をみせている。それを眺める姫の頬は紅潮する。
春の彼岸の中日。
日想観をこらす人々は平安時代の文献にその姿がみえるが、この天平時代にはまだ行事とはなっていなかったはずだ。
しかし原初的な心持からその日を尊ぶこともあったろう。

作中恐ろしいシーンがある。
死者たる滋賀津彦の蠢き、叫び、憤り、その描写である。
黒いコマの中に輪郭線のない白い顔が浮かび上がり、「このおれは誰なのだ」と声を挙げる、その一連の情景の恐ろしさは深い。

「おれは活きた」
原作でも印象的な台詞だが、ここで死者の両眼が見開かれてその言葉が吐かれると、やはり恐怖そのものになる。

また高貴な姫君であろうと寺の結界を犯した罪を購わねばならない、そのために送り込まれた北の庵には、孔雀明王像がある。古く朽ちた庵には手入れの行き届かぬ古い仏像があるものだ。それにさしかかる影は闇と同化している。

これらの情景はやはりひどく印象的なものだった。

一方で、明るい情景もある。
心に鬱屈を抱えていようとも、大伴家持が現れると画面は白が増え、どこか華やかで軽やかな心持ちになる。
特に家持の中で唐の長安の大道に立ち止まり、春風に吹かれる己の姿を妄想するシーンはいい。
ここで彼は歌人らしく「少年行」を想うているのだ。

「死者の書」上巻の後書きで、近藤さんは自作を「死者の書・鑑賞の手引き」であると書いている。
折口の初心者たちへ贈るための本であり、そこから原作を読んで、自分に対し「解釈が間違っている」というような指摘を受けることこそが本望だと書いている。
何十度となく読み返していても本当のところを理解していないわたしなども、映画と今回のマンガで本当に「死者の書」の解読ができるような気がしている。
そして今は下巻を楽しみに待っている。

近藤ようこ「死者の書」をよむ。――そのためのわたしの前書き

近藤ようこ「死者の書」をよむ。

いつものようにわたしの長い前書きから始めようと思った。
しかし思うこと・想うところが次から次に湧き出でてくるので、本文に容易にたどり着けそうにないことに気づいた。
これでは近藤ようこの「死者の書」を読む、ということにならぬではないか。
そこで別項として挙げることにした。
これならば迷惑にもならぬと思う。

折口信夫の「死者の書」は大学一年の折に初めて読んだ。
難解というより晦渋な文章にやられはしたが、所々の言葉に深く惹かれた。

冒頭の一文。
「彼の人の眠りは徐かに覚めていつた」
言葉に出して読む。
カノヒトノネムリハ、シズカニサメテイッタ。

このような書き出しで始まる小説にわたしは深く囚われた。
元々わたしの場合、折口の世界に触れた始まりは、歌人・釈迢空の詠う
「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり」
この短歌からだった。
といっても、彼の短歌また文学面に心の全てを向けるほどではなかった。

折口をどの程度知っていたかというと、民俗学の創始者の一人だという認識は早くからあった。
わたしの生まれ・住まう大阪からはまことに偉大な知の巨人が数多く現れている。
分野はそれぞれ異なり、後には大阪から去る者も多いが、木村蒹葭堂の昔から司馬遼太郎、小松左京に至るまで知の巨人は数多くいて、その道の中に折口信夫の姿があった。
だから決して知らないままここまで来たわけでもなかった。

一方、民俗学の父・柳田、また民俗学の母ともいうべき折口からではなく、わたしは松谷みよこの語る日本の昔話、そして諸星大二郎の諸作、やがて谷川健一の論文で民俗学に目を開かれていた。
とはいえ民俗学を志しながら国文学の方へ進んでいたわたしはそこでも折口の影響を強く受けた先人たちから学んでいたものの、結局学校の教育からはなんら進む道を見いだせなかった。

「死者の書」を読んだのはそんな大学一年のときだった。
当時「古代幻想ロマンシリーズ」を手がけていた長岡良子の一作に、ある高貴の女人がつらい心を抱えて家を出た折、山の向こうに阿弥陀を想い、「あなたふと なも あみだほとけ」と手を合わせ、心の鎮めを覚えて家へ戻るという話があった。 
長岡良子はその後書きに折口の「死者の書」を紹介し、堀辰雄の言葉を引用もしていた。
わたしはそれに惹かれて、初めて折口の本を手にしたのだ。
だから長岡良子のこのシリーズがなくば、わたしは折口を敬遠したままだったかもしれない。
それが吉書となり(古い大阪弁の言い回しだ)、折口の全集を読みふけり始めた。
もともと彼の弟子の戸板康二、池田弥三郎の本は中学の頃から好きだったので、一旦惹かれると熱狂する癖があるわたしは、延々と読みふけるうちにようやくあの晦渋な言い回し、外来語を仮名書きする癖などにも慣れてきた。

そうして「死者の書」を再読・再々読する最中に、偶然にもラジオで「死者の書」の朗読を聞いた。
聞くことで、この小説の文体が、どの人称かといったことまでも気にならなくなり、とても読みやすくなってきた。
よくよく思えば大阪弁では案外人称が曖昧なのである。
これは船場の御寮人たる谷崎松子夫人なども語られているように、話す間に理解してるやろ、という相手に自ずから悟れという意識があるからだと思う。

そこで死者の書を自分でも朗読すると、非常に心地よくなった。
だから読むときは音読する心持ちでこの小説に向かった。

ところでこの小説は最初に死の眠りから覚めた「彼の人」たる滋賀津彦の不自由な復活を語り、半ばで肉を失い骨だけ残した姿で、耳面刀自(またはその血を引く女たる郎女)を捜し当てて、その近くまで寄って行く様子を描いている。
映画ではそのとき帳を掴む指は白骨で表現されていた。
姫はそれに恐怖しながらも「あなたふと あみだほとけ なも あみだほとけ」とつぶやくことで恐怖から逃れ得、更にそこで死者は消失する。
以後、滋賀津彦の完全な復活はない。

わたしは小説を読んでいてもこのあたりのことをなかなか理解できなかった。
だが、映画になったことで物語の時間の推移を理解できた。

他の人の感想を聞いたことがないので、小説の展開での疑問については川本の解釈でようよう納得できたのである。
ありがたい話だ。

近藤ようこは「死者の書」上巻の後書きで自作を「死者の書・鑑賞の手引き」であると書いている。
折口の初心者たちへ贈るための本であり、そこから原作を読んで、自分に対し「解釈が間違っている」というような指摘を受けることこそが本望だと書いている。

何十度となく読み返していてもよく理解していないわたしなども、映画と今回のマンガで本当に「死者の書」の解読ができるような気がしている。
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