美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

比叡山ツアー

年はかなり離れているが気の合う友達がいる。
彼女に誘われた比叡山ツアーが本日の話。
出町柳から叡山電車に乗り換えるが、いつも百万遍に行ったり河原町に出たりあるいは今出川通りを西へ西へ行くことしかしないので、こちらにくるのはひさしぶり。
3線あり、鞍馬行きにも魅力を感じるが今日は比叡山。パノラマカーというのもいいものだ。元田中、茶山と過ぎるが元田中といえば谷崎の『鍵』に出てくるし、茶山といえば東の瓜生山にある造形芸術大学を思い出す。一乗寺か。武蔵vs吉岡一門。実は私の『武蔵』はバガボンドではなく、吉川英治でもなく、川崎のぼるだったりする。それと小山勝清『それからの武蔵』。

宝ヶ池を越え三宅八幡を越え八瀬に到着。川がきれい。鴨が番で泳いでいる。白い躑躅が咲いている。赤とは混ざらない。
ここから比叡山ケーブルに乗るのだ。
シャガが咲いている。私は木の花と山野草が好きなのだ。
紫の小花が可愛いなあ。名前も知らない小さな花たち。
ケーブルカーに乗るのは生駒ケーブル以来。少しコワいのよ。
中間点で行き違う。可愛いなあ。山々の新緑。ところどころに白い木々が見える。なにかわからなかったが、後に山桜だと知る。
ロ?プウェイの駅に着くと、シャクナゲと日本タンポポがお出迎えしてくれた。可愛いし、嬉しい。青森県の形のロープウェイです。乗ると揺らぐ。能勢にもある。別府の辺にも。そちらは映画『復讐するは我にあり』のラストシーン。・・・コワかったが、『顔』にも出てきたので最近は妙な妄想にも駆られなくなった。
 ロープウェイの担当のオジさんが、今年の正月山頂は70cmも積雪があり、自分の足で頂上まで登ったと話していた。たまらん話だなあ。白い木々が山桜だと知り、これにも感動した。
まだ桜に会えるとは! 

目の前にあるガーデンミュージアムはラストに回し、バス停まで歩く。石楠花がきれいのなんのって! こんなに大きくなるのかと感心しきり。石楠花といえば室生寺が有名だが、それ以来の群生に出会ったのだ。
 バスに乗ると琵琶湖がよく見えた。少し靄っているのではっきりとは見えない。
 東塔につく。おお、荘厳な鐘の響き。ゴ???ン・・・いいなあ。
根本中堂は後回しにして坂本からのケーブル延暦寺駅へ向かう。
道すがら落石注意の看板があるが、その危ない岩肌には可愛い山躑躅の木がある。足元には蕨のような羊歯が。巻き巻きっとして円を描いて伸びている。可愛いなあ。私は羊歯が大好きだ。蕨も大好き。家の庭には何種類か羊歯を植えていて、それぞれシダオやシダキチ、シダヨと名づけている。
 後でわかったことだが、この羊歯は草蘇鉄と言い、先端の蕨部分はおいしいコゴミだったのだ。おおおおおっという感じ。

 やがて坂本駅に着いた。登録文化財に指定されているよい建物だが、黄色く塗りすぎている気がするな。三条にある武田五一の建てた元の毎日新聞社を思い出す。しかしなんと言う可愛らしさか。すぐ前の八重桜が満開で、濃いピンクと黄色とのコントラストが嬉しくなる。ここは今が春の盛りなのだ。
駅内のタイル、陶器製の数珠をモチーフにした飾り、階段の上り具合、グリッド窓、何もかもが可愛らしく、居心地がよい。二階からの見晴らしもよい。琵琶湖が広がっている。
下に下りるとケーブルが丁度上がりつつある。今度はここから坂本に降りてみたいな。
実は坂本といえば今東光『春泥尼抄』を思い出す。尼僧学林から遠足で比叡山に行くシーンで坂本のばあさんのエピソードがあった。何十年も前の作品だが、私はしつこく再読している。
 駅の前に狛犬がいた。なんと石造りなのに歯が金歯なのだ!
これまで色んな狛犬を見てきたが、金歯の狛犬は初めて見た。また、ヒカガミに毛が巻いているのはよく見るが、こやつらは前の肘下部分に巻き毛がある。台座には蛇様。玉を挟んで一対の可愛らしいみい様。
再び東塔バス停に戻る。朽ちかけた小屋の前に白地に背中を薄茶色にしたわんこが寝ていたが、どういうわけか我々の前に立ち、道案内のように歩き出す。もしやこいつは案内犬か!
笠置山には『笠やん』と呼ばれる案内猫がいる。今は二代目の、チョコレート色の猫。犬や猫でもこういう組合があるのかもしれない。犬は我々を導いてから駐車場をうろついていた。
再び根本中堂の鐘がゴ???ンと鳴るのを快く聞きながら、なんと我々はそちらへ行かずにバスでロテル・ド・比叡へ向かったのだ。
バスから琵琶湖の形が分かる。琵琶湖大橋も見えるし、琵琶のくびれ部分もよくわかった。しかしこんな山頂から昔の僧兵が強訴に来る力強さにつくづく呆れる。後白河法皇もそりゃ苦い顔しますわな。

 ロテルド比叡につく。入り口までのアプローチには、桜が並んでいる。綺麗だなあ。桜花爛漫。
今日のランチは予約している。お客さんも多い。フレンチ。
・・・・・・まあ、山の中ですし、都心のホテルではないし、・・・・・・
期待のしすぎはよくない。それに私たちは10%オフになったのだしね。

 次に横川へ向かう。あれです。義経千本桜に出てくる横川の覚範、彼はここの僧兵と言う設定のキャラです。横川中堂の舞台も立派。舞台といえば清水が有名だが、実は私はまだ行っていないのだ。なんと言うことでしょう。ここではなく生駒の聖天さんの舞台には猫が寝ていたことを思い出す。

 西塔へ。にない堂と呼ばれる建物がいい感じ。荷を担う、のにない堂。こういう左右の建物をつなぐ空中廊下は好き。東北のどこかの旅館や四天王寺本坊楽園の中にもある。そこから聖徳太子ゆかりの椿堂へ。おお、さすがに椿が咲いている。可愛い。椿大好き。今年はつくづく花に恵まれた。更に花は続く。バス停には比叡山花祭りと銘打っただけに桜があふれている。 
 八重桜や黄桜や白桜、桜は関山だ。造幣局の通り抜けでよく見られる八重桜。本当に嬉しくなる。山吹もあるが珍しいことに八重ではなく一重の花が多い。

 ガーデンミュージアムへ。
 春の庭と言うものは本当によいものだ。
 チューリップ、勿忘草、ラベンダー、ハーブガーデン、そして印象派絵画の陶板名画を飾る。モネのジヴェルニーの庭の再現。大塚国際美術館でもみたが季節柄、ハスや睡蓮がないのが惜しい。絵がそのまま風景になる。
 水仙のいい匂い。

 機嫌よくロープウェイとケーブルと叡電を乗り継ぎ、京阪に乗る。淀屋橋の改札を出て、何気なく一日カードの裏を見ると、淀屋橋17:53完了と印字されていた。
こうしてツアーは終わった。
スポンサーサイト

車内吊りに始まり・・・

御堂筋線ではさらに電車男コミックとPLUTOがある。
これらは阪急と谷町線には無かったものだ。

今日は比叡山ツアーを挙行。
京阪でもらったリーフレットのモデルケースに沿って行動開始。
2000円の比叡山一日チケット。これ一枚で淀屋橋ー出町柳往復と叡山電車・八瀬ケーブル・比叡山ロープウェイ・比叡山シャトルバスの乗り降りが自由になるのだ。
モデルケース通り午前九時より出発。
以下別項。


吉田初三郎と近世風俗屏風

堺市立博物館に出た。
この大仙公園には奈良橿原・今井町から茶室が移転されている。

吉田初三郎は大正の広重とも呼ばれた商業画家で、鳥瞰図の地図を描き続けた。外国からもバーズアイやはり鳥瞰図の絵師として知られているが、この人の作品はとても楽しい。
昭和八年の十和田湖図には、例によってずーっと向こうに東京を飛び越え大阪を越え下関、そして釜山の文字まで書かれている。北には樺太が。肝心の十和田湖周辺図は子ノ口やなんやかやと観光地がわかりやすく描かれていて、観るだけで楽しくなる。全く珍しいことに南朝の長慶天皇の碑があったことまで描かれていたりする。八甲田山には雪中行軍遭難碑が。
他にも湯田中・渋・上林温泉郷と熊の湯や浅間山まで描いたパノラマ図、白浜、韓国岳まで載る別府温泉図、木暮旅館を中心にした伊香保温泉。しみじみと手にとって眺めていたいものばかりだ。
 
 春の屏風。住吉派の源氏物語、遊楽図などが眼を惹く。地元である住吉屏風も悪くない。京の都を見た人々による『堺』の町づくり。この気概は納屋衆を始めとするあきんどたちの力によるものか。京都の洛中洛外図には二十四孝の筍取りの山鉾が大きく描かれていた。

仁徳天皇陵はじめさまざまな陵墓を航空写真で捉えたパネルがあるが、前方後円墳と言う定義が昔からなぞで仕方が無い。どう見てもあれは鍵穴なのだ。


『大唐女性の美』その他を観る。

 天王寺で大唐長安の女性風俗を見るわけだが、中国および国内の立派なコレクションから出展をしていて、かなり見応えがあった。この手の展覧会は姫路で’96.5に大唐長安の女性たち展を見て以来なのだ。
 三彩俑が多い。加彩と灰陶と。考えればこれらは皆、どなたかのお墓から発掘されたものばかりなのだった。
 諸星大二郎『西遊妖猿伝』のおかげで隋から唐へ移り行く時代の流れと政治的背景は飲み込めている。
 以下は展覧会の素直な感想。

 拓本がある。墓の中の壁画。説明文には一種のファッションショーのようだと書かれているが、まさにその通り。蓮茎もつ女の顔にはちょっとおすまししたものがある。線刻。二枚ばかり石を剥がしてこちらへ展示しているのを見ると、やはり中国の拓本技能はすばらしい。こんな摩滅したものをあんなにも鮮やかにするとは。谷崎の『瘋癲老人日記』に中国の拓本技能を褒める件があったが、実感としてよくわかる。服も顔もポーズも違う女人たち。しかし二枚ばかりそっくりなのが並んでいた。
 俑の女人たち。指をばーんとピストルの形にした女や、三彩の座女。そのスカートは細かい花柄がびっしり。可愛いなあ。
 一口に俑と言っても顔つきや髪型や体型も全く違う。胸を大胆にカットした服を着る女もいれば、ヒレと帯をだらりと垂らして腹を見せる女もいる。
小さい加彩で美麗な女がいた。諸星の話を思い出した。諸怪志異に収められた話。
――仙人になろうとして神々の争い現場に立ち会わされた男が一つの人形に鉄石の心を動かされて破滅してしまう。その女の俑は未来に生まれる女で、神に命を奪われた男は別の俑にその命を封じ込められる。後にこの世に現れるときは唐の玄宗皇帝と楊貴妃として愉しみを極めるだろう。女の生死の裁定を神々はその男に委ねたのだった。
 楽器ひく女達。宮廷の楽団かもしれない。ゆとりが生まれると文化は花開く。三彩。男装の女が馬に乗り、演奏しようとしている。馬はアラブか。交易は以前からある。漢の武帝も汗血馬を導入しようとしていた。拝跪する、身体をくねらす、色んなポーズがある。侏儒、雑技、台所で働く女達。鴨器持つ三彩の女。
 次の間は正直、コワかった。墓内部の再現。エジプトの墓の再現に入ったことはあるが、中国のはない。しかもこの空間は意図して出来たものではないはずなのに。
鮮卑族の夫婦の壁画がある。水木しげるの人物のような微笑み方をしている。全ては墓から剥ぎ取られたのだ。
 また、今回のチラシにもなった仕女図がある。子供が足元でまとわりついている。大阪市立美術館蔵の龕が何点かあった。そこにおかれていたものは、菩薩が交脚するのをまんなかに、左右対称に狛犬だか唐獅子だかがいる。懐いている様子。後ろには、菩提樹らしき木を挟んでやはり対称に半跏思惟の菩薩がいる。まるで岸田劉生の絵のように見える。四面の龕もあるが、一つの面がまるで幕をリボンで飾ったような、昔の人形劇の舞台上のような、千日前の国際劇場のような・・・リボンの騎士のエンディングのような。
 金属工芸や玉工芸の逸品も多く出ていた。金製の水禽金具は現代では却って再現不可能なほどの細工だと思う。ある奥方の使っていた犬のついた蓋。玉製の紅容れにはなんと薄く紅が残っていた。豊頬にその紅をぼかしていたのだろうか。
 長安の女性はおしゃれを愉しんだという。あの独特の髪型もカツラだという。玉の簪頭、これが綺麗な花柄。小さく可愛い花柄と、牡丹に羽根の意匠もある。ほしいなあ。してもおかしくない感じ。辟邪という魔よけの動物像もあるが、なかなか怖い顔をしている。
 白鶴美術館所蔵の鏡やMIHOからのものもある。無論ここの美術館からも田万コレクションを数多く出品していた。
常設展も中華関係。仏具の細かさもよいが今回は観て回らず。
中国・朝鮮半島・日本の仏画。十八羅漢図の面白さはグロテスクと言うか誇張と言うか、そうしたところにもあるだろう。そうでなければばっちいおっちゃんたちの絵がこんな風に展覧されるはずも無い。釈迦涅槃変相図は元時代のだが、これがまあ、なんと言うか正直な感想を言うと、お釈迦様の遺体もどきの衛生博覧会とそのお客用に屋台を出している風景図、に見えて仕方ないのだ。クシナガラの林らしきものに横寝のお釈迦様と仏弟子たちがいるのだが、どうも誰も嘆き悲しむ様子も無いし、動物たちもいない。失礼な感想かもしれないが本当にそんな感じ。
維摩居士図も元時代のだが、シリーズものになっていて、こちらは読みやすい漢字が羅列されている。なかなか面白いことが書かれているが書き写しは出来なかった。水月観音像は高麗のものだが、明治初年の狩野芳崖の悲母観音を想起させる。たまらないのが李朝の地蔵菩薩本願経変相図。どーんと巨大な地蔵菩薩像の下に地獄が広がっているが、どうもよくわからない。これでは極卒に苛められる罪人もお地蔵様に慈悲を求めにくいのではないか。なんだかお地蔵様がぱおーとか吠えていそうだ。
 そして四天王寺所蔵の釈迦八大菩薩像。絹本着色図だが、これは絵解きにも使えそうな大きさで、へんに褪色しているのが奇妙な感心をさせる。日本と朝鮮の美意識の違いだろうか。
 次いで近世絵画―描かれた中国女性―
光琳の絵が何点か出ているがこれらは彼の実家関係の資料からか。日本人の描く唐美人はまだ手を差し伸べやすい。狩野派の群仙図は、めちゃめちゃ楽しそう。鉄拐は蝦蟇をおんぶしているし、息で吐いた先には自分のミニミニが飛んでいる仙人もいたり
女を口説いていそうな仙人もいる。
郭子儀図は子沢山な絵だが、揃いも揃って子供らは面白い顔をしている。唐子頭はともかくとしても、浮世を存分に愉しむ風情に満ちている。
 一方、版画のように見えるのが心越禅師絵巻。心越禅師というのが誰かは今も知らぬが、描かれているのは善財童子の遍歴なのである。ということは善財の後身の姿なのか。『善財は知恵を求めて文殊に会った。』と書いたのは石川淳だった。実際善財童子はこの絵巻でも次から次に色々なところへ現れては修行・遍歴を繰り返している。修行・遍歴と書けばゲーテの『ウィルヘルム・マイステル』シリーズを思い起こしもするが、善財童子の修行・遍歴といえば私は実は三十年ほど前の高橋睦郎の怪作『善の遍歴』を思い出してしまうのだ。
これはモノ凄い小説だった。幻惑されるというか、なんというか。これについては別項に書くつもり。
 小袖屏風虫干図がきれい。私は誰が袖屏風が好きなのだ。ここの屏風は南蛮図である。桃山頃の風俗を描いたようである。
探幽の縮図、つまり今のデッサン帳も出ていた。等伯の陶淵明愛菊図は画面構成が巧かった。他に目に付いたのは虎渓三笑図。先日見た蕭白のそれとは又異なる温厚な作品だった。
それから清の洋画が出ていた。チャイナ服の女達。洋犬がいる。石造りの塔や堅固な西洋風の建物。庭には大蘇鉄。広州辺りだろうか。
あと漢代の陶器が沢山出ていたが、後漢の副葬品に竈があるが、これがじつに可愛いのだ。へっついさんというよりも、ママレンジに近い。魚二匹とすっぽんと、ままごとのようで可愛くて仕方ない。他に高麗青磁の鷺を描いた水差しがさすがにすばらしい。十二世紀頃の高麗青磁の優品は、世界一ではなかろうか。
 北魏のほっそりスタイルは奇妙な微笑をたたえている。私はそれがあまり好きではない。一方、その時代以降の文字が私には好ましい。
 墓誌の拓本もある。夫人方の。謚。この字のアナグラムは公益ではないか。なんとなく納得。
 二時間もいただけにかなり沢山観て回ったような気がする。

天王寺から堺へ

 阪急と谷町線の吊広告比較。新潮と文春、バンチのバイオレンスジャックは一緒、違うのはガンダム。阪急には少年エドワウと童女セイラ。谷町線にはシャアがいる。天王寺に谷町線で来るのは珍しい。
 ツツジに新緑が眼に優しい。ポピーが可愛い。オレンジ色のポピーは野生。一日ものらしい。
 百舌鳥へ出る。堺マラソンしている。大仙公園のもず野と言うレストランで名物あなごかきあげうどん定食食べるがなかなかおいしかった。セリの小鉢おいしいしごはんのうえのちりめん山椒が嬉しい。これで750円です。去年は花ショウブを観に白鷺に行ってその後ここでゴマうどん食べたがおいしかった。
 公園では家族連れがバーベキューしてる。皆さんが走る。それをうどん食べながらみている。ぬいぐるみかぶって走る人が何人かいたが、身体によくないぞ。
つつじが可愛い。本当に可愛い。
バスに乗り安井町で下車しそこからまっすぐ歩いて宿院へ。宿院頓宮は7月末の堺の夜市・魚の市のある場所で、何故かここに兎のモニュメントが沢山いるというかある。廃ビルの窓から花が外壁いっぱいに伝い這う。何か無残な明るさがある。商店街入り口には堺の灯台が貼り付けられている。
 氷のかん袋を食べる。堺に来たら必ずかん袋にゆく。暑いなあ
 本屋で前々から欲しかった本を見つける。「パイドパイパー」これについてはいずれまた。
 寺地町の電停で阪堺電器軌道が来るのを待つ。阪堺軌道廃止は困る。こんなによい電車なのに。不安だ。えびすまでのが来た。
  大小路のレトロビルを撮影したい。花田口の緑滴る公園。青木松風庵のイチゴどら焼きとイチゴ羽二重大好きだ。
休日だからか車少ないね。のんびりゆこう。
 大和川から淀川へ帰る私。夕日と風が気持ちいい。軌道の電停回りにはつつじとパンジーが。東京の都電荒川線には桜とタンポポが印象深い。
 カーブが見えた。綾の町。両脇に迫る家波と濃い草陰、山吹。神社の次は川だ。夕日と風と古い倉庫に輝く大和川。
 あびこ道で乗換え。南霞下車もありだと思うがもう遅い。飛田すぎる道も面白いのに。 住吉。屏風をみたな。灯台と新緑とつつじ 神の木は丘の上だんだんあがり、地上へ緩やかに下る。
 帝塚山3丁目前に廃屋の洋風長屋がある。昭和初期かな。こういうのを車窓からみる愉しみがここにはある。桐の花だ。阿倍野も近い。晴明公民館。そうです。安倍晴明ですね。
 スパニッシュ瓦を使った小さいビルが見えた。さりげなくていいよね。熊野街道の碑もある。住吉街道、熊野街道、それぞれに物語と伝承がある。
天下茶屋に入り始める。昭和で止まる町並み。窓枠が湾曲した町屋がある。これも昭和初期。やがてあべの。そして天王寺。
 帰りは御堂筋線を使う。眼下にホームが広がる。淀屋橋と天王寺の地下鉄の駅ホームのすばらしさは、観るものでないとわからないのではないか。三越の紙袋を持つ人が多い。そう、もうすぐ閉店だから。JRはあんな大惨事を起こしながら大阪駅を作り変えるプロジェクトには、カネを注ぎ込むつもりなのだろう。
 帰宅したがやはり寺地町からは一時間半かかる。遠かった。しかし阪堺電気軌道には又乗りたいのだが。

読むだけ読んでの感想

タイムパラドックスマンガAMAKUSA1637も佳境に入ってきた。キリシタンの前で《奇跡》を見せなくてはならない。来月どう処理するのかいやでも期待が膨らむ。
天竺夜話もついに終わったが、カシュウの旅はまだまだ続く。神坂智子はインドやアラブや辺境を描くのが昔からうまいと思う。
ミナミの帝王萬田銀次郎の青春彷徨もまだまだ続く。しかしバイオレンスジャックがまた開始されるとは。碇を担いで現れたジャックが子供たちと優しく会話するのを見て、なにかジャックが老成したようにも思えたが、今後が楽しみだ。

好きになりすぎてつらい

偏愛傾向の強い私は、本を買う基準として『再読可能』か否かということをかなり重視している。ところがその一方で、好きになりすぎて再読不可能に陥る作品もある。それらは何年・何十年経とうとも私の中で決して輝きを失うことがない。
三原順『はみだしっ子』と木葉功一『キリコ』。
これらは私の本棚の中でも特別大事にされているが再読する勇気を持てないでいる。読めなくてもいいと思いすらしている。
そのくせタイトルやシーンやせりふなどが私の心の底にたゆたい続けている。
サイト巡りをしていてそれらをふと見かけると、それだけで胸が沈んでくる。
これは本の話だが、私の人生観の何かを示しているのかもしれない。

『かんかん橋を渡って』を読む

連載開始当初は、新時代嫁姑バトルというコピーだったが、今では様相が変わって話がどんどん大きくなってきた。大変楽しみな展開を予想させてくれる。『ごくせん』といい『離婚記念日』といい、楽しみな作品が多いので『YOU』は読み応えがある。『BE LOVE』と並んで毎号楽しみな雑誌だ。職場で皆愉しんでいる。

『女優』その他を読む

マンサンでは『女優』『静かなるドン』『湯けむりスナイパー』が、SJでは『リンかけ2』『バンパイヤ』が楽しみだ。
倉科遼は今では日本随一のマンガ原作者ではなかろうか。この人の作品には暴力だけでなく、愛と信頼と何よりも夢が描かれているといつも思う。まだ司敬として自ら作画されていた頃からファンだが、『女帝』『順子』『女優』とがんばる女を主役にしてからかつてのような破天荒さは影を潜めたが、その分だけ女性ファンもひそかに増やしているのではないか。将来は押しも押されもせぬ大女優になる、と予め示されているので、現在の苦境もゆとりを持って眺められる。次号が楽しみだ。
『リンかけ2』には久しぶりにバロア家の三銃士が登場した。私は男装の少女オリビエのファンだが、女性アレルギーの伊織が前回のような倒れ方をしないままオリビエと並んで試合を観戦するのが、なんとなく微笑ましい。男装の美少女でオリビエといえば『七つの黄金境』を必ず思い出すが、あの続編をぜひ完成して欲しいと切に思う。思ったとおり一組三人のうち必ず誰か一人は倒されてしまう。ドイツはヒムラーが敗れていた。
『バンパイヤ』徳弘正也はいつのまにか思想家の面影さえ見せるようになっているのではないか。マリアと昇平の関係は恋人同士・仲間というよりむしろ、母子神の変容である姉弟神のように見える。昇平の図書館通いはかつて図書館好きだった私にも嬉しい設定だ。千住の区民センター内に併設された図書館というのも状況として楽しい。徳弘マンガの小さな楽しみとはこうしたさりげないリアリズムではなかろうか。読む本や歩く場所や感情の漣などが作品を豊かにする…

四月はいつも黄金の満月に出会う。朧月夜というのはこれなのか、いや、なんだろうか。巨大な月は黄金に輝き、どこまでも追うて来る。折口信夫の小説に現れる月はこのように巨大ではなかったか。 黄金の月を見る度、私はそこに囚われてしまう。

寺舘・森園版『孤島の鬼』を読む

乱歩の傑作『孤島の鬼』、寺舘和子の脚色と森園みるくの作画で、見事に換骨奪胎されて世に出たことを読んだ者として喜びたい。
巧いと思う。私は原作至上主義者だが、これはこれとして一種のパロディとして興味深く読んだ。こう言う換骨奪胎は見事だと思った。
哀しいゲイの諸戸を出さずに原作では早々に殺される初代を悪魔の執念を持つ女に仕立て上げたのは本当に巧いと思う。しかもラストのひねりの寒さときたら、本当によくあるパターンとは言え、巧かった。
以前から寺舘が乱歩作品を見事に描き換えているのを愉しんできたが、今回も堪能した。ボーイズラブ系雑誌なら諸戸と箕浦の関係を深く描き込めたろうが、これはこれでよかった。
昔、高階良子が『ドクターGの島』としてやはり見事に描いていたが、そのとき箕浦を少女にしたため諸戸の絶望的な愛が切々と感じられたことを思い出す。原作の魅力が錚々たる漫画家たちにこの作品を選ばせるのだろう。

れんげの花畑

 れんげが満開になっている。小さい子どもがその中に入って花を摘んでいる。
子供の頃、シロツメクサの花輪を作ったが、れんげでは作っていない。 大分昔、自分たちのシマとは違う少し離れた場所でれんげ畑があり、知らない中学生のお兄ちゃんに私や近所の子どもらは案内されて半日楽しく遊んだ。私たちは夕方になると帰ろうとしたが、一緒に遊んでいた知らない兄妹の二人はその中学生と意気投合して、今日は家に帰らないと言ったので、バイバイと機嫌良く別れて帰った。
翌日は日曜で、新聞に子どもたちが行方不明と出ているのを父が読み上げた。『あっその子ら知ってる!』無邪気な私たちは新聞に知ってる子らが載ったことが嬉しくてたまらない。しかし大人にしてみればとんでもない話だったろう。
―――結局その子らは機嫌良く遊びすぎてれんげ畑の中で寝入ってしまっていたらしい。新聞が配達された少し後には警察に保護されていたようだった。面白い子どもたちだった。もうあのれんげ畑も民家が立ち並んでいて、どこだったか思い出せなくなった。
行方不明になった女の子は小学校の廊下でよく見かけたが、互いに何も口をきいたことがなく、それっきり知らない。

イェローテイル・ワインをもらう

先日ディアモールでオーストラリアワイン『イェローテール』をもらう。紙バッグが私の大好きな黄色だったので欲しかったのだ。
飲んでいないから味はわからないが、扱っているお店の名前が書かれたチラシが入っていたので、また食べに行きそこで飲んでみようと思う。
中にはカンガルーのキーホルダーが入っていた。可愛い…

デスノート他の感想。

デスノート読む。メロとニアの確執。二番手は二番手なりの道を見つければ良いが、そうはいかない。しかし凄い目。飛び出てましたな。犯罪組織に入り込むのも結局は手段の一つに過ぎない。マキャベリストと言うよりも…まだゲームは始まったばかりだが、なんとなく疲労を感じる私。イギリスか。ありえそうな感じ。
ギャンブルレーサーが変に面白い。金梨アワレなり?関パパが出ないのでちょっと残念。
ゴルゴ13、久しぶりに出生ネタが出ました。以前はソ連系の話もありましたが、やはり今回もソ連がらみ。やっぱり冷戦というキーワードは大きかった。寸鉄の術と言うのがあるのか。格言で『寸鉄、人を刺す』というのがあるが、古武術の一つとして出てきたよ。古武術と言えば私はすぐに陸奥圓明流を思い出すけど。
ガンダムオリジン。エドワウの暗い思惟。猫のルシファまで死んじゃった。フランス風の名前だと改めて気づく。エドワード。王や王子の名前。英仏の関係は良くなかったから、かつてのフランスにエドワウの名をつけた少年はいたのだろうか。脳天気なシャア・アズナブル少年はエドワウに取って代わられるのではないか…

日曜美術館

今朝の『日曜美術館』で紹介された展覧会は全て行く予定のものばかり。三岸節子、大唐、蕭白、モロー、耳長斎など。これは嬉しいな。五月末までにあとはベルリン、ドレスデン、華岳、浮世絵いくつか。愉しみだー。
大山崎山荘と蘭の関係の番組も見た。何度訪ねてもすばらしい山荘。蘭花譜もすばらしかった。上空から見る山荘には新鮮な興趣が湧いた。いつも中に入り込んでの見学なのでこんな屋根の勾配だったかと改めて感心した。

「私が選んだちひろ展」にて

続いてちひろ展へ。アクティ大丸では開館以来いわさきちひろの展覧会を開催し続けている。その度に新しくファンになる人々がいたり、改めて懐かしむ人々がいる。
ちひろの絵には心を浄化する力があると信じている。どの絵にも全てちひろのこころが込められている。
ちひろ一人の絵に押し付けてはならないが、心の荒んでいる少年たちにぜひ見てもらいたい。そして何かを感じて欲しい。
ちひろや小泉八雲に触れると私はいつも心が浄くなるのを感じる。
今回の展覧会は、ファンアンケートから人気の高い作品を集めたものらしい。一枚一枚にいろんな人の思いがこめられているし、色んな思い出がある。ちひろの絵の場合、『これが最愛』と言うほかにもこの絵もよい、この絵にも思い出が、という人々が多いはずだ。
私は幼児期に「おはなし大好き」という本を買ってもらい、今でも大事にしている。その挿絵は北田卓史やちひろなど錚々たるメンバーで占められていて、大人になった今でも違う目で眺めたり昔の目で読んだりしている。
幼稚園では『おにたのぼうし』に出会い、これは大人になってから手に入れた。節分が来るたびにこの話を知らない人に私は語り、絵のすばらしさを瞼に浮かばせる。幼稚園のとき好きだった絵本は今、私の手元に来てくれている。おにたのぼうし、片足だちょうのエルフ。物語では点子ちゃんとアントン、つる姫など。手元に無いのはちびくろサンボといやいやえんとももいろのきりん。
ちひろの麦藁帽子の少女は実の私の従妹にそっくりだ。何年か前に彼女に複製画をプレゼントしたが、驚くほどよく似ている。
ちひろの絵にアンケートを寄せた人々の中でも、他の絵で私の知り合いに似ているという作品が沢山あった。みんなそうなのだ。
だれかが、ちひろの絵に似ている。これはうれしいことだと思う。三十三間堂の千余体の仏像には必ず自分に似た顔があるというが、私はちひろの絵の中の誰かに似てみたいと思った。

岡倉天心と日本美術院展

丁度佐々木正子先生のギャラリートーク開始に遭い、ついて回る。私は近代日本画が最愛だから今日はまじめに聞く。フェノロサが狩野派を理解せず、結局はコレクターの域を出なかったという話はなかなか示唆的だった。更に技法の話も分かりやすく大勢のお客も喜んでいた。遠近法にも色々あるなと関心が深まる。大観の朧な月はすばらしくよい。富士が好きなのはわかるが夜の絵の良さは格別だ。
荒井寛方の天地和平は中国の女神か、髪に小さな筍櫛を三つ挿している。荒井はインドを舞台にした美人画を以前にも見ている。
安田の羅浮仙女は枝垂梅の中にたたずみ笑っている。皆、彼女を描きたがる。
青邨の群青色の鯉の群れから現代への架け橋を感じる。観山の不動は金色の描線に色彩が封じ込められている。平山の天心と画家たちの群像は、後の世は私たちが守りますというイメージがある―つまり、正しい道筋が平山郁夫によって伝えられているのを感じられるのだ。
渓仙の風神・雷神図は割とよく見た。嵯峨野にある竹内栖鳳記念館にも収蔵されているはず。この人の風神も雷神も可愛いのなんのって。大きなギョロメに虎皮のふんどしも可愛い。不細工な可愛さがある。宗達に始まる風神雷神図の末裔にしては『愛い奴』だ。興福寺や東大寺の踏みちゃこにされている働き者の邪鬼または役の行者に従う前鬼・後鬼のように可愛いコンビだ。
国華に載った文章や天心の論文も面白い。以前名古屋ボストン美術館で大々的に岡倉天心と院の展覧会を見たが、天心の写真がなんだか沢田研二みたいだったことを思い出す。今のジュリーなら天心役がよく似合うだろう。
平山のペルセポリス炎上を見ていて、あれ?と思ったことがある。壁画がアッシリア風なのだ。ペルセポリスはアッシリア文化になるのか・・・ギルガメッシュの親戚と言うか、『王家の紋章』のアラゴン王のお城風と言うか・・・調べないと私もわからない。
日本画の変容についても色々と面白い話を聞けて楽しかった。岩絵の具は本来高級なのだが、科学が進み安価になり他の色も量も沢山使えるようになったことと、軸装から額装に移ったことで絵もまた変容していったというのは、改めて聞くとやはり納得できるし惜しいとも思う。輝石というか貴石を砕いて大切に大切に使われてきた岩絵の具の変容は、まるでセイタカアワダチソウから黄八丈を染め出した主婦の話を思い起こさせるからだ。
〆は片岡球子。私はこの人は面構えシリーズが苦手で、天衣無縫に描かれた風景と言うか、大自然のほうに興趣を覚える。
いい展覧会だった。

衝撃・ケーキ

自転車で10分のケーキ屋でモンブランと小判型のチーズケーキ二個を買い、そろそろ運転で帰宅したら、チーズケーキは微動だにせずモンブランだけが見事なほど完璧に逆とんぼりに!普通は斜めになったり傾く程度でしょう。箱も高さがないのに。ウルトラEくらいの難度がある技でした。はっ!もしや店の人天地逆包み技をかけたのか?地軸もねじれつつあることだし…なんか当分トラウマ或いはネタになりそうです。

サツキとツツジ

花日記の様相を呈してきた。段々と咲く花の種類が代わってきている。まだまだ満開ではないがサツキとツツジが目につく処に開いてる。赤白ピンク、単色も可愛いが私は混ざりあい斑になったような花びらが大好きだ。椿やツツジにはそんな不思議な遺伝子があるなあ。サツキにはあまりないような気がする。山吹も濃く咲いて、花菖蒲も開いて…ああ初夏かなあ
紫式部、漢字で書くと花のイメージが変わる、あの紫の愛らしさ、花韮は紫も白も愛い奴だ。
昔こんな歌があったはずだ。♪六月は一斉に花開く♪日本の近畿は熱いから違います♪と続けたいところ。きれいな季節にきた実感。

スズランが咲いた

庭のスズランが咲き始めていた。去年はダメで雌花は全滅かなと心配していたのだが、今年は可愛い小さな花が早くも咲き始めている。嬉しい。割りと今年は花に恵まれていると思う。

キーチ その他

キーチ!その他を読む。『誰も知らない』の柳楽優弥くんを最初に見たとき、キーチが実体として現れたと思ったもんです。毎回どきどきしながら読むけれど、果てのない息苦しさはここにはない。でも『あずみ』には閉塞感がつきまとい、それがつらくなる。『愛がゆく』の頃からそうだった。ところどころにギャグも入るしあずみも明るい娘と言う面があるのに、作品全体の重さに苦しくなる。それから味いちもんめ、京都編。伊橋のまじめさを関西流の柔らかい遊び心でという内容だったが、出てきた若いが生臭系の坊さんのあいなめの話や櫻のはなしは、私も同じように思うので、ここの板さんらから見たらけったいな感性の者に見なされるのかしら、とちょっと思った。

りんごの花

会社の裏庭にあるりんごの木に花が咲いた。
ピンク色ですごく可愛い。丁度今朝ニュースでりんごの花をみたところ。長野や青森でもない大阪でりんごの花が咲くとは。二階の窓からのぞくりんごの花に挨拶すると、揺らいだような気がする。

『ザ・ウォッチャー』のウォッチャー

キアヌ・リーブスの連続殺人鬼映画を見る。2001年2月に映画館で見た。四年ぶりに見た感想が、実はあまり変わっていない。
潜在性ホモのストーカーとでも言うのかキアヌの執着心がなかなかよいのだが、そこらの心理をもっと描けばよいのに映画はそうしない。だからラストが甘い。それで思い出した。
途中までは結構楽しめたのにラストの欲求不満で私はこの後ジャン・レノの『クリムゾン・リバー』を見に行ったのだ。マチュー・カソヴィッツ監督の第一作目の方。これもラスト5分前まではゾクゾクするほど面白かったのにハイハイなラストだった。しかしこの映画で一番怖かったのはあのドミニク・サンダが不気味なというか気の毒なシスターに扮する姿だったのだ。
この年は1月2月3月4月とこんな映画を見ていた。
La Vita E Bella つまりライフ・イズ・ビューティフル
BROTHER寺島進が可愛かった・・・
伝説の舞姫・崔承姫金梅子さんの執念に脱帽
ザ・ウオッチャー
クリムゾン・リバー
アンブレイカブルシックスセンスにはひっかかったがね。
楽園を下さいあらこの人が出演、という感じ。
溺れる魚窪塚の女装をみただけ。
ロザンナのために爆笑した。いまだに真似をしてしまう。
キンスキーわが最愛の敵ヘルツォークとキンスキーの酷愛の軌跡だった。思い出すと今でもときめく。
新・仁義なき戦い数度目の鑑賞。布袋x豊悦にときめいていた。
アギーレ神の怒りヘルツォーク特集。ゾクゾクしたしこれらヘルツォークとキンスキーに関してはいずれ別項で詳細を。
キンスキーわが最愛の敵又見に行った。飽きるまで見ないと気がすまない。
LAコンフィデンシャル映画館で3回、TVで数回。
フィツカラルド同じくキンスキー。今でも『オペラハウス!』と叫んでしまうときがある。
ハンニバルめちゃめちゃときめいた。博士万歳!フィレンツェにまたまた行きたくなった。
わるいやつら片岡孝夫のではなく豊悦のTV。
ハンニバル実はこのあとにもまだ行っている・・・
コブラ・ヴェルデ三宮から京都ドイツセンターまで飛んでいって鑑賞。今も胸が痛くなるような、個人的に愛する作品。
猫町・月世界旅行・山月記これは実は映画ではなく、世田谷文学館にあるムットーニのからくりBOX作品。すばらしかったので私の映画ノートに載せていたのだ。
スターリングラードジュード・ロウがかっこよかったしエド・ハリスが巧い。現在ナチスの将校演じれるのはこの人くらいではないか。
それにしてももう四年も経っていたとは!!

ハナミズキ

ソメイヨシノのあとには大好きな八重桜とハナミズキが満開になる。
嬉しいなあ。こういうのが春の歓びですね。ハナミズキは白もピンクも好き。街路樹にハナミズキが並ぶのを見ると自然と胸が明るくなる。
八重桜は種類にもよるがなんだか桜餅が枝から下がっているみたい。おいしそう?こういうのがたくさんあると嬉しい。小さな幸せの積み重ねが日々を明るくしてくれる。

丹羽文雄の死

丹羽文雄が亡くなった。百歳。満にしろ数えにしろこの年まで生きた作家は他に野上弥生子と小島政二郎だけではないか。芹沢光治郎もそうかな。
丹羽文雄は二十年前から書けなくなったそうだが、十年前頃、私はよく丹羽文雄を読んだ時期があった。小説より文壇の話・随筆・ゴルフの話などが面白かった。タイトルのつけ方も巧いとよく思った。『飢える魂』や『厭がらせの年輪』などだけでなく、『鎮花祭』はヒロインの状況とマッチしていて絶句したことがある。
数年前ドキュメントを見たときにはかなりの衝撃を受けた。丸谷才一のエッセーの中で、マダム小説のモデルか何かを質問する丸谷に『8000枚も書いた人間に聞かないでくれ』と応える丹羽文雄に私はウケたが、今から思えばそれさえもなんとなく悲しい。ご冥福を祈ります。

アーモンドの木

2年前神戸の東洋ナッツにアーモンドの花見に出たけたが、そのときアーモンドの種をもらった。私も連れもダメにしたが、ガーデニング好きなオバにあげたら、今年随分大きな幹になっていた。花はまだ咲いてない。来年かな、咲いたら嬉しいな。
だめにするのもいれば、ちゃんと枝葉を茂らせる人もいる。よかった。

カラスの家・撤去

11時に関電のクレーン車が来た。カラスの家強制撤去。さよなら…どうしていいかもわからないし、わかるはずもない。

花粉症の映画

花粉症を扱った映画を見たことがある。
ただしそれがメインではなく、主役が花粉症だと言う設定の。
アメリカ映画で『整形美女の復讐』テレビで3.4回は見ている。ヒロインは大学で仲間外れにされている娘で、ジョークを飛ばしても誰も笑ってくれない。私はこの映画でアメリカの大学授業はアウトドアででもやることをしった。彼氏のいない娘はルームメートが彼氏を引っ張り込むと雨の中へ放り出される。顔見知りの中年刑事が気の毒に思うが娘は平気を装う。
そのうち悪だくみとも知れずにステージ上でスポットライトを浴びる。『キャリー』もそうだったが、ここでは娘は大きな花束を??アレルギーの塊を渡され大くしゃみをして苦しむわ、爆笑されるわで散々な目に遭わされる。悔しさのため車をメチャメチャに運転した果てに、娘は事故を起こし、それで顔を整形せざるをえなくなる。
美女になった彼女は自分をバカにした連中をその豊かな才知で次々に殺害してゆくが、その方法がなかなか面白くもあった。だが、唯一彼女に同情的だったくたびれた中年刑事が彼女の花粉症に注目するようになる。そしてついに正体がばれるが、ラストシーンでは彼女と刑事が獄中で結婚式を執行している。教誨師が二人にくちづけを、と言った途端、花束の花粉で彼女は……!
子ども心にも面白いラストだった。今だと『お約束』なのだろうが、こう言う正統なギャグは好きだ。刑務所で彼女のモノローグが続くのが、巧いとも思った。
杉や檜ではないが花粉アレルギーの人を見るたび、この映画を思い出す。

カラスの家4/20

今朝は雨で電柱のカラスの家も濡れている。屋根がないのにどうしてかああいうところに住む。習性なのか妥協なのか。道路にハンガーが落ちている。危ないなあ。からすよ、言うてはなんだが、どんくさいぞ。
そんなことしては『危険だ』と排除されるぞ、巣作りするなら堅固に作れ、細心に生きろ。


最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア