美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

うおぉっ

優勝や!優勝や!優勝や!

阪神タイガース優勝や!!!
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修学旅行の思いで…印象が強すぎて。

中学の修学旅行は6月に信越一周でした。
ところが前日にクラスのケンゴくんが急性盲腸になったそうで、急遽かれは来れなくなり、みんな残念に思いました。うちのクラスはみんなわりと仲良しだったのです。
あちこち見て回り、楽しいなあとか言いながら、ホテルにつくと、なななんとそこにお父さんと並んでケンゴがいたのです。
盲腸は医者の誤診、ただの食べ過ぎ。それがわかったのが午後三時。ホテルについたのが午後六時過ぎ。大阪から信州まで三時間で走ったお父さん。
クリーニング店を経営されているので、バンが停まっていまして、そのバンに再び乗り込み、お父さんは帰って行かれました。

ケンゴが来て、みんな嬉しかったけれど、その時の印象が大きすぎて、うちのクラスは全員が、あんまり修学旅行のことを覚えていないのです。
なんせ、帰ってから学年全員が修学旅行絵巻とやらを作成したのですが、うちのクラスは全員が「ホテルに着いたらケンゴがいた」そればかりを書いていて、くろよんダムとかわさび園とか、善光寺とか、他にも色々よいのを見ているのに、覚えているのに、全員が『ケンゴがいた』これです。

あれから二十年が過ぎまして、ケンゴはお父さんの後を継いでクリーニング店を経営し、わたしらクラス会の世話役をこなし、飲み会の幹事もしてくれてますが、必ず、その話が出てしまいます。
先先週も飲み会をしましたが、わたしは欠席したけれど、多分みんなまた「あのとき、ケンゴのお父さんえらいなあ」とか「よう来れたなあ」とか言っているような気がします。

デ・キリコ展を見る

平日の夕方、お客は多い。晩年の作品を中心にした展覧会だが、なぜキリコにこんなに人気があるのか考えてみた。
みたが、わかるわけがなかった。

私は観念としての形而上は好きだが、形として提示されると、正直途方に暮れた。思えばシュールリアリズムも概念は好きだが、形としては(つまり絵画や彫刻など)あまり関心が持てない。私のアタマはこれらを好むようには出来ていないらしい。つまり思想や観念を見るより、純粋芸術が好きなのだ。哲学より文芸に見るロマンなどに、より関心が深い。だから展覧会でも、顔のない作品より、〈友の旅立ち〉などに目がゆく。

学生のような女の子二人組が作品の解説というか感想を話し合うのを聞いて、私は感心した。
好きな人にはたまらなく良いのだろうなあ・・・・・・

ボローニャ絵本展

'91以来地震の年以外毎年ボローニャ絵本展に行く。

特に目玉と言うのはどれだかよくわからないが、どれもこれもとても、すてきだ。これはほんとう。
今年の傾向としては、既存の物語を再話すると言うのが、少なかったと思う。それから今回の受賞作にCGが減っていたと思う。
わたしはイラストやマンガにCGを使うのはいいことだと思うが、絵本は出来るだけアナログの技法で作成されれば、と願う方だ。
だから久しぶりにCGの少ない原画展になんだか嬉しさを覚えている。
しかしその一方で、絵の描き方そのものが古臭いのは、好きではない。
ある作家の方で、'70年代初頭の劇画のような絵を描かれた人がいて、それはちょっと恥ずかしささえ覚えてしまった。いまどきこういう絵をまだ描かれる方がいるんだ、というか、またこういう絵がでてくるわけなの、というか。若い作家さんだから、それが却って面白く思うのかもしれないな、と思いつつ、なるべく早くその場を去りたいと思った。
ウルトラリアリズムの画家の方は、何故生物の描写に勤しむのだろう。
これがいつも不思議だ。
しかしこうした絵を見て、子供たちが少しでも生命とか地球とか、そうしたものに興味を持ってくれたら、と思ったりする。
私には子供はいないが、この絵本展に来ている間は、世界中の子供たちが皆まともな人間に育ち、絵本をみて心をきれいにしてくれたらなあ、と本気で考えたりするのだ。
もしかすると、それが童画の力なのかもしれない。

今回も大盛況だった。そして西宮大谷記念美術館は、この展覧会を始めてから丸二十五年と言うことで、ポスター展示と年譜を作成されておられたが、あれれと思ったことが一つある。
日本人の受賞が'79からとなっていたが、'76、'77と二年連続で米倉斉加年氏がグラフィック大賞を受賞しているはずだ。
学芸員の方に言おうと思ったが、入場者の方々が多いときに煩わせてはいけないと思い、やめてしまった。
しかしわたしはその大賞作『多毛留』が好きなので、ちょっと悔しい。

ジャン・コクトー展

大丸元町店でコクトー展を見る。丁度彼の生誕百年記念に学校で上映会があり、それ以来ファンだ。三越劇場にもよく足を運んだが、展覧会は'89年の大丸梅田店が最初に見たものだった。既にラヴェルやストラビンスキーはかなり好きだったが、そこでサティの曲だけの生演奏会があり、螺旋状に舞い上がるような音楽に衝撃を受け、それをBGMにコクトーを見て歩いたことは決して忘れない。

初見がかなり出ていた反面、有名なものがなかったりというところに、今回の魅力があるように思う。鳥刺しジャンの奇跡がかなりたくさん出ていたし占星術師も初見があった。嬉しい限りだ。'36に来日した際の通訳・堀口大学との友愛が如実に見て取れたのが、自著にコラボでイラストや文字を書いた一連の作品群だ。
<わたしの耳は貝の殼 海の響きを懐かしむ>
このように翻訳した詩人に対する作者の嬉しい気持がよくわかる。

肖像画が多い。中にマン・レイが撮影したコクトーの横顔は大変面白いと言うか、興味深いものだった。自意識の高い彼以上に、マン・レイのカメラの眼が打ち勝っていた。カメラマンによるボートレートにしか見えないからだ。あとは皆、コクトーの影を写しているというのに。

'89、'92、'93、'95、'01とコクトーの展覧会を見てきたが、いつも何かしら新しい発見がある。
'89は映画監督としてだけでなく、総合芸術家としてのコクトーを知り、'92は陶芸家としてのコクトーを、'93は宝飾デザインにも手を染めた彼を、'95は船上でチャップリンと機嫌よくパントマイムで『対話』する彼の新聞記事を(尤もわたしは同ページ下欄の『阿部定逮捕』ニュースにどきっとしていたのだが)、'01はコクトーの愛した美しい男たちの寝姿を、愛し方を『見せて』もらった。
いずれもとてもよかった。

タピストリーの一角獣にもときめいたが、今回、コクトーの系譜にとうとう彼の付き合っていた女性が堕胎して『息子』を殺された、とコクトーが生涯腹を立てていた、と言う記述が入ったことにもちょっと打たれた。いかにも男の好きな男の思うことだなあ、としみじみ感心したのだ。なんにせよ、良い展覧会であった。
ベラールの絵も出ていたし・・・

本も買えてよかった。

クールベ

京都でクールベ展を見る。二年半ぶりの、まとまった展覧会である。
シヨン城が来ていた。傷ついた男のドローイングも。風景画がメイン。
水源の絵に妙に惹かれた。こうしたところに実はクールベの本質があるのかもしれない。
今回は裸婦はなし。私はクールベの裸婦が好きなのだが、あれらは殆どが意地悪さの光る絵なので、こうしたデパート系の展覧会ではちょっと問題があるのかもしれない。

ナルシス・ド・ラ・ペーニャやクールベ周辺の画家の絵も多い。アトリエ・クールベのシステムがよくわかる。それから、オノレ・ドーミエ同様の風刺画があるが、パリ・コミューンの空気がこちらに伝わるようだ。
あーあ、やっちゃいましたねーと言う感じ。
それにしても、年譜を見ていると、小僧っ子の頃はともかく、一本立ちして以来死ぬまでなんやかんやと問題の多い人だなあ、と思った。
芸術と政治の分離がなかったのかなあ。よくわからない。

日本三景展

松島、天橋立、厳島。
この三ヶ所が日本三景だと私はすぐに忘れる。狩野辺りから現代までの絵画がメイン。貝原益軒が日本三景と言い出したようだが、どちらにしろ私は名所図が好きなのだ。 大和絵から文人画、浮世絵、様々な形に変わるこの名所は今なお観光客を呼べる名所だ。
私は厳島以外は遊んだが、例の台風被害支援の特別展で厳島の寺宝をかなりたくさん見てはいる。今回も平家納経が一巻出ていた。
名所図絵の性質のほかにも真景図というのもこれらの名所には無論あり、働く人々の姿や、社寺境内図としての側面も見せてくれる。

麻田鷹司の三景図も、川端龍子の天橋立図、東山魁夷の松島も、現代の人々の視線で描かれた三景図のよさを感じさせてくれた。
遊行上人の姿のない行状記も風景図として楽しい。
祇園祭の山鉾の掛け物にもこうした絵がある。

明治になり、堅苦しいことを言い出す以前は、日本人は遊楽の徒だったのだ。

宮津と大江山を舞台にした『京の絵本』原画も展示されている。
山椒大夫と酒天童子だ。どちらも何度か見ているが、改めて眺めると大変に質の高いものだとつくづく思った。

安寿と厨子王、はその原典が説経節『さんせう太夫』なので、いずれは神になるための顛末を、無惨極まりない人生の連続として描いている。
子供向けには書けないような事件が次々と起こる。
不条理で非道な物語だ。悪人への刑罰も相応の無惨さに彩られている。
この『京の絵本』は全くの子供向け、と言うものではなく、かなり原典に近い再話である。絵は京都在住の日本画家が、文はそれと知られた作家が担当している。
改めて山椒大夫を眺めると、本当に無惨なのである。安寿の悲惨な死に方は目を覆うばかりだ。悲惨に扱われれば扱われるほど、死後は神になるという決まりがあるにせよ、なんとも陰惨極まりない。
私は学生時代から説経節が好きで、論文も書いたりしたが、こうして眺めれば、厨子王の母と姉の無惨さは言葉に出来ないほどである。
筑紫に流された父もついでに死ねばまだ却って母と姉は救われたのではなかろうか、とすら思うほどだ。

この原画展を見ていてそんなことを考えた。

瓦町から四ツ橋、堀江へ

大丸を出てから、本町方面へ向かう。こちらも人間でごった返しだ。
買い物客の皆さん、もっと買え買え。そんな気分になる。

瓦町に出る。三件ばかり近代建築があるので、それを外側だけだが見学する。つくづく良いものがこうして残されていることに感謝する。

その一方で、四ツ橋のINAXそばのスパニッシュな建物が影も形もなくなっていた。あああ。立売堀ビルはおしゃれに活用されているのに。

INAXでは泥小屋の写真展があった。奈良・山の辺の道に点在する、泥で捏ねた壁の小屋だ。詩情豊かな日本の光景だった。

更に南下する。
立花通りがみえた。モダニズムのビルがちょこっとある。
その河のほとり。おお、モダニズム。船の形に見立てた喫茶店があるが、あいにく閉店していた。そこからはもう、旧湊町なので、道頓堀を徘徊する。こちらもえらいこと、人波だ。
アジア的な喧騒。

ミナミよ、がんばれ。

パリ・モダン

続いて大丸に行く。

ヴォーリズの傑作。私は常々、大阪の三大建築は、北から中之島の中央公会堂、備後町の綿業会館、心斎橋の大丸だと公言している。

大丸でパリ市立近代美術館所蔵の作品を見るのは、久しぶりだと思う。
もしかすると’91以来かもしれない。
絵画では、これはもう私はキース・ヴァン・ドンゲンに尽きた。
デュフィの生々流転の如き『電気の精』もよいし、ヴラマンク、ユトリロ、ローランサン、他素敵な絵が多かったが、やっぱり私はドンゲンだ。
すてきすてきすてき。

アールデコのファンな私は、工芸品にもときめいた。
展示方法がこれまた、とても素敵だ。絨毯を半分立たせた為に、大丸のイメージである『孔雀』のようにみえるではないか。
おお、すばらしい。
屏風がある。白熊だ。かわいい。漆塗りなのか。ジャポネからの技法か。うれしいなあ。
見ごたえがある。家具も可愛いし、欲しくなるじゃないか。

アールデコの時代。
壁画でスポーツをする人々の作品を見たとき、旧朝香宮邸を少し思い出した。私は高校生の頃はアールヌーボーのファンだったが、大人になるにつれ、アールデコとモダニズムが好きになっていった。
だから、見るもの全て楽しくて仕方ない。
虎と豹の、いやパンサーか。ははは。西村五雲みたい。

今回は大丸百貨店そのものも見学することにして、改めて眺めて回る。
いつ見ても、何度見ても感嘆する、すばらしい建物だ。
そしてこの建物をこんなに大事にしてくれる大丸と言う組織そのものへの深いリスペクトが湧き出てくる。
阪急と大違いだ。伊東忠太をよくも・・・
文化の成熟度の違いなのかと、今回しみじみ思った。

ありがとう、大丸。

この数時間後、私たちは再び大丸に戻り、サロン・ド・テ・ヴォーリズでお茶をしたが、マンゴージュースのおいしさにくらくらした。

ラ・エトワール

学生時分から通うフレンチレストランがある。
長堀通りに面したビルの4階にある『ラ・エトワール』だ。

全く飽きない。
ここのりんごバターは絶品だといつも思う。
お料理も雰囲気も客あしらいもとても感じがよくて、昔から好きで仕方ない。

いろんな人を連れてきたが、誰も悪くは思わない。大阪人だから、その点、嘘はないだろう。他の地域のお客さんも皆、喜んでくれる。

前回、ディナータイムのとき、かえるを食べた。おいしかった。
今日はランチで私はラムを、ツレは鴨を食べたが、二人ともご機嫌さんになり、ケーキも少しずつ交換し合って楽しくお店を出た。

また来ます。ああ、おいしかった。

心斎橋物語

オープンしたそごうのギャラリーへ向かう。
14階直通エレベーターですぐについたが、なるほどすごく沢山のお客さんが来ている。

復元模型の心斎橋があり、上方浮世絵と立版古がある。以前にINAXで見たのと同じもので、今回は芦屋市立美術館からの出品だ。
幕末から明治、そして『大大阪』の時代へ。私はこういうコンセプトが大好きなのだ。
引き札や名所案内本などなど、見ていて楽しいばかりで、先ほどの立版古を拡大コピーしてダンボールに貼り付けたものがあり、妙なリアリティが醸し出されていた。楽しい。とても楽しい。
ドイツ式のトラスが見事だ。

一方、かつて心斎橋界隈に商売をしていたお店のロゴと創業年と現在の店名などが書かれたものもあり、とても興味深かった。
幻燈もある。なんでもあるなあ。
11時からレトロな蓄音機によるコンサートがある、と教わりそちらへゆくと、恐らくそれらレトロなレコードのコレクターの方が、蓄音機で一枚一枚丁寧に曲をかけてくれ、解説をしていたが、二村定一の歌がやたらと多く、ご本人もよく似てらしたから、多分熱心なファンなのだろう。私は久世光彦のマイラストソングの愛読者で、しかも我が家はどういうわけかこの手の大昔の歌がよーく流れた家なので、何故かこのトシでこうした歌を口ずさめるのだ。君恋しとか浪花小唄とか色々・・・
よっぽどアラビアの唄はありますか、と訊こうとしたがやめた。

大丸が出していた双六がこれまた楽しかった。おやおや心斎橋の欄干まで展示されている。この楽しさ。失礼ながら歴史博物館より面白いぞ。
柳屋の販売物などは、三月のモダニズム心斎橋展で見ているので、記憶に新しい。また夢二の作品などは私は弥生美術館などでもおなじみだ。
初代中村鴈治郎の生人形が出ている。なんだか嬉しい。私はこういうこしらえもの系が好きなのだ。

高島屋のポスターも出ていた。北野恒富の美人画は『浪花の悪魔派』と謳われたらしいが、この官能性が私などには、たまらなくよいのだ。
中村貞以の髪洗う美人もよかった。やはり美人画があること自体が楽しい。当時の画家や文学者たちがデザインした着物なども写真に残り、それぞれの個性が出ているのも面白い。

地下鉄開通記念の紙製メリーゴーランドが楽しい。もう、ホントに楽しい。こういうのが好きで好きで仕方ない。
最後に螺鈿のエレベーター扉があって、とても嬉しかった。
新生そごうにふさわしい楽しい展覧会であった。
五月にさよならした三越の展覧会と似て異なるのは、『さあ今からどんどんお楽しみください』という匂いが強いところなのかもしれない。

村野藤吾の設計したモダニズムの傑作はこうして消滅してしまったが、ところどころに別な形で残されているのが嬉しい。
ロイヤルサロンにモザイクが残り、螺鈿もはめ込まれている。
それを売り物にすれば、また新しい商売にもなると思うが、その発想は無いらしい。

以前と違い、今度のそごうは客あしらいも丁寧そうなので、これからも期待している。大丸と共に、心斎橋をいよいよ活性化して欲しい、と強く思った。

ほんわか、ちくちく

心ほんわか、な出来事ですね。
もう時効なので告白します。

『タイタニック』上映の待ち合わせの場所には風が吹き込んでいました。
サングラスを外した途端、ねじが飛びました。店に行けばサービスで直してもらえますが、やはりねじを捜しておこうとしましたら、何やらおにーちゃんが地面に這うようにしています。そして私にニコッと笑って、
『コンタクトでしょ、落としたの』
捜してくれていたのです。ねじだと言えず、詰まった私の目にまた別な人影が。高校生くらいの女の子三人がやっぱり這ってくれていました。
『おねーさん、映画見るのに気の毒』と言って。
そこへサラリーマンのオジさん、主婦のひとたちも加わって…
更に最初のおにーちゃんのカノジョが到着した途端、
『何してんの』『この人のコンタクト捜してるんやっ』
カノジョのひとが急に周囲に向かって、
『すみませーん、こっち来ないでくださーい、コンタクト捜してますから』
仕切り始めたではないですか。

結局十数人の人が探してくれているのです…
私は言えない状況にありましたが、罪悪感と、それからわけのわからない幸福感に近いものを感じました。

上映時間が近づいてきましたので、私のほうから『もう皆さん、よろしいですから…本当にありがとうございました』お詫びして回りました。
皆さん、残念そうな感じで、慰めてくれました。
でも、本当は…
そこへ友人到着。『えーっ大変』私がコンタクトなしなのを忘れている。

捜してくださった方々と共にエレベーターで劇場へ入ったときも、まだ座席指定のないころでしたが、とても親切にされました。

『タイタニック』の内容よりも、このときの親切が今も胸に残っています。
心はほんわかほんわかしましたが、ちくちく痛むのも確かでした。

あのときの皆さん、本当にありがとうございます。そして、ごめんなさい。
告白しないでおこうと思っていましたが、告白致します。

豊橋から桑名までの道のり

豊橋美術館で司コレクションを見る。京焼である。永楽和全、保全がメイン。梅花染付で台に鴬がつくのが可愛い。蟹つきの葦絵もいい。杯が多いから集めるのも楽しかったろう。
続いて豊橋公会堂とハリストス教会を見るが、鷲がすてきだ。鷲は新興のもので、大正の息吹を感じた。教会はやはりロシア渡りだと納得の作りだ。京都、函館を思い出す。

市電に乗り豊橋につき、そこから豊川稲荷に向かい詣でた後、おいなりさんと田楽を食べてから岡崎へ。
お城を見てから信用金庫資料館へゆく。岸和田のに似てる。つまり辰野風だ。中では貨幣などが展示されている。更に行く。

桑名だ。コンドルの建てた六華園・諸戸邸。塔屋が可愛い。少し移情閣を思う。洋館と和館のつなぎがよい。庭園眺めよし、なんぞ足らぬものなし、な感じ。
出てから七里の渡しや歌行灯モデルの店を見て柿安にゆき蛤ラーメンを食べ、青銅鳥居、石取会館、博物館を回る。山車を見、昔の観光ポスター等見る。
てくてく桑名へ向かい、難波まで乗り継ぎを繰り返す。近鉄名鉄フリー切符はよく働いてくれました…ああしんどい…

続・名古屋の味

今日は朝から名古屋駅サンロードのカフェでパンのバイキングに行き、いろんな種類を食べた。しかし小倉トーストはなかった。私は期待したのだがなあ。元々あんバタパンが好きだ。〈刑務所の中〉を読んで以来。

昼は明治村の食堂で水菜レーメンを食べたが、これが意外なくらいおいしかった。いいなあ。初め大井で牛鍋を食べたいと思っていたが、二人連れでは量が多いからやめたのだ。仕方ない。

かき氷も食べたが抹茶ミルクはおいしいが、舌が麻痺してきた。

というわけで夜はシンプルにきしめんだ。以前も思ったが、なごやのてんぷらはカリッとあがっていておいしい店が多いな。
かきあげおろしを頼む。かぼちゃ、かきあげ、青シソ、茄子がつき、かぼちゃとかきあげだけ先にカリカリッと食べる。おいしいわ。茄子はわざとぶっかけのツユにつけこむ。いいなあ。しかし肝心のきしめんが、なんということでしょう、噛みきることができないのです。増殖して、苦しかった…

明治村

意外ね、と言われた。私は明治村に行くのはコレが初めてなのだ。小学生の団体と同乗してバスに揺られ、10時少し前についた。乗り物フリーつき入場料2200円は高くないと感じたのは、閉園10分前に出たときだった。
凄く広い敷地内に明治時代の商家から役所、学校までのあらゆるタイプの建物が揃っている。
いちいち何がどうと言うことが無駄なほど、それぞれの良さがある。
柏のはっぱの中にはおもちがある?と思わせるような飾りが可愛かった擬洋風、ベランダコロニアム、京都人と江戸ッ子の違い、本場に負けない天主堂、葦簾張りのトラス、ギス監…枚挙に暇がない。
特に良かったのは東松家だ。豪商の家は繊細な趣味に満ちていて、住みたいと思わせてくれた。帝国ホテルでお茶をしたが何やら懐かしく感じた。理由は一つ、いかにもライトだからだ。既に山邑邸、弟子の建てた旧甲子園ホテルを知り、そこでくつろいでいるから、旧知の気分でいられるのだ。
乗り物はボンネットバス、市電、SL、乗り倒したなあ。みんな特徴がありそれぞれ楽しい。イイ感じ。小泉八雲が逗留した焼津の家はファンの私には嬉しく、呉服座は我が地元からの供出なので曽祖母を想った。毎回通ってたそうだ。

それぞれの建物には記憶と歴史がある。
この広大な敷地によくぞ残してくれたと感謝するばかりだ。

名古屋の近代建築

白壁地区一帯によい建物が点在する。
まず名古屋陶磁器会館にゆく。素晴らしい外観だ。窓の位置のアンバランスさがいい。私はシンメトリーをなすのよりややバロックが好きだ。陶磁器会館だけに飾られ方も見事だが特に玄関ポーチと階段がいい。

次にニ葉御殿へ行く。外観はドイツ風の勾配のやねで、中のステンドグラスがすばらしい。福沢桃介は電力関係者だから絵柄も黒部を思わせる。音羽御殿、横浜開港資料館かな、のステンドグラスがすばらしいがここのも劣らない。少し天理教の二代目さんの若江岩田の家を思い出す。

そこから歩き豊田佐吉邸に行くが、外観は根岸の中村不折邸(書道記念館)に似ている。裏庭の向こうのアパートにトマソン発見! ここは村山邸にも似ているが鶴マークが可愛い。白鶴美術館といい勝負が出来る。

金城学院のスパニッシュもみたが、回廊と階段の色ガラスが印象的だ。戻り春田邸に行くがこちらはお店になっている。主税町教会は可愛い。日本風だと思う。
市政資料館に行くと、これはまあ嬉しい建物だった。京都の旧府庁、神戸の旧県庁、これらと同じ匂いのするよき建物で、中は国会議事堂に似た豪華さに満ちている。アカンサスその他の飾りとか。

最後に市役所と県庁へ行く。
帝冠様式なのか、これは。鴟尾なのか鯱なのかわからないが、なにかが上にいますね。望遠でのぞくと一応形はわかったが、やっぱり名古屋の人は好きなんだなあと、ほほえましい気持ちになる。
陶磁器の産出地だけに、みごとなものを見せてもらった。
ありがとう、名古屋。

名古屋の旅・味

愛・地球博には行かず名古屋に向かうのは、わたしたちくらいかもしれない。
そう思うほど名古屋駅にはそのお客さんが溢れかえっていた。活気があるのはよいことだが、ロッカーが全くない。手荷物預かり所もないと言われた。ここで臨時の預かり所を開けば、さぞや儲かるだろうに。商売ッ気がないのか気が利かぬのかは、知らない。荷物を持ったまま高岳に向かう。

味噌煮込みうどんの店を行く。細うどんで味噌もあっさり。うどんは芯があるなと感じた。ゆがきが足りないと関西人の私は思う。しかしツレたちはコシがあるというから、認識の違いかも知れない。前回某総本家で食べたのは太うちで、これは噛みきると小麦粉が見えたりしたから悪いイメージがあるが、ここは細いだけマシかも。夜は松坂屋に出店したあつたほうらい軒に行く。五時についたからすいていた。ついにひつまぶしを食べる。おいしい!鰻の皮がパリッとして凄くいい。ぱくぱくぱく。ダシをかけるとあっさり。幸せ!しかしごはんを残してしまい、オバさま方に叱られた。

今日は近鉄名鉄フリー切符で四時間近くかけて来ただけに、嬉しい。宿は豊明の方だが大浴場もありよかった。明日は明治村に行く。

私の愛するスイーツ(偏愛)

わたしもTBテーマにのります。
とはいえ、私は偏食の人なので▲▲が好きとか○○が好きと言う風には言えません。
特定のお店の特定のメニューに激しい偏愛を注いでしまうのです。
(名前は伏せます。地名だけ)

神楽坂の抹茶ババロア。これを最初に食べてからその後丸一年、和洋共々まったくスイーツが食べられなくなった。何を食べても味気ない、と思うほど、強烈においしかったのです。七年経った今でも、東京に行くと必ず食べに行きます。

東大阪のケーキ。この店のケーキはどれでも何でもおいしすぎる。そして値段がとてもリーズナブル。高くておいしいのは当然だが、北摂、阪神、神戸はこの店を見習ってほしい。

神戸元町のチーズケーキ。レンジでチン!で出されるマドレーヌの上にとろけるチーズ、と言うのはこの店オリジナルだと思うが、本当においしい。チーズケーキへの認識が完全に変わった逸品です。

高麗橋のアイス最中。ゆず餡を忍ばせたアイス最中は絶妙です。三番街の方が入りやすい感じかも・・・

鎌倉のハトサブレ、舟和の芋ようかん、六花亭のマルセイバタサンド、仙台の萩の月、このあたりは実名を挙げても差し障りはないと思います。幸せやなあって感じです。

他は常に果物ばかり食べてます。ああ、幸せやなあ。




修羅の刻が好きだ

先月号では、現れた陸奥の名前が明かされていなかった。
雷電とでなく、師匠の谷風と組んだときに名前を名乗った。
陸奥左近。
しかし四十六歳の陸奥は雷電と本気で戦う機会に恵まれない。

十年間、雷電は谷風の遺言を守りぬく。
そしてついに立つ。
ここで我々ファンは『ア…』と喜ばされてしまうのだ。
陸奥の本拠地がなんとなく、予測されるからである。
わたしなど、早速地図で捜したくらいだ。
(関西人なので陸奥や奥羽に不案内なのだ)
おおおっ霊山なんですね、役の行者創建とか、坂上田村麿ゆかりとか、戊辰戦争とか…
なんだかすてき。

しかし雷電の前に現れたのは、娘だった。葉月。腰に陸奥の刀を一振り帯びているところをみると、彼女が『陸奥』になったらしい。
なんだかそれだけで、嬉しい。
早くも来月が楽しみで仕方がない……!

黒田重太郎

滋賀まで黒田重太郎展を見に行く。大阪駅からJRとバスを乗り継ぎ2300円の往復。その足代に見合う内容が、この美術館にはある。
小出や鍋井らと信濃橋洋画研究所を開催し、大学でも学生に教授した画家。なんとなく断片的に知るだけで、深く対したのは、今回が初めて。澤部清五郎の義弟、鹿子木孟郎の弟子と言うだけでも期待が高まる。
二度の渡欧が立体キュビズムを身に付けさせたそうで、裸婦の肩や胸や腕にそれが現れている。群裸婦が特にいい。タピストリーを前にした裸婦たちがいい。健全でも退廃でもない女たち。空間の取り方がやはり技巧的ではっとなる。私は技巧に技巧を重ねた手が好きだ。個人蔵で家族の肖像を描いたものがあるが、その左右に対のような絵が並び、まるで三幅対だ。鷺が花菖蒲の群生の中に立つ絵と雉が首をかしげる絵と。たぶん、所有者の壁にはいつもそう並んでいるのだろう。花が見事に咲き誇る。特に菊がいい。小花菊の群生、鏡容池の蓮、花のないサツキ。庭園や公園のふとした翳り、濃い緑。キュビズムから離れやや土俗性を帯る変容の過程がなにか自然な成り行きだと思えた。山家春信、うまい題だ。山鳥、木花、山からのいえづとが春のたよりだ。

朝からスイカアイス

部長が朝から出ていくので、車で駅まで送りに出た同僚がお土産にスイカアイスを買うてきてくれた。
スイカの種はチョコを絡めた、お茶漬け用のあられだと思う。

暑かったから、嬉しいわ。

昨日の夜は大阪本町の珍三カルビで焼肉をぱぁっくぱくっ食べて体温上昇してたから、すごくきもちいい。

店の名前はカルビでも、バラが最高でした。
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