美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

上方和事の源流を求めて

続いて池田文庫へ行く。
中村鴈治郎が今度坂田藤十郎になるので、その前祝のような形での展覧会だが、池田文庫はチラシやチケットなどが変わっていた。
上方役者絵。
期せずして連日近代の大茶人のコレクション展と上方歌舞伎展を見続けることになったのだが、実は今日の池田行きは殆ど突発的だったのだ。
近所だからこその可能な話。
鈍翁、耳庵ときたら逸翁が懐かしくなるのは当然だったのだ。
池田に行く以上は二つながら回らねば気がすまないし。
しかも池田もまたちょっと来ぬ間に変容があり、シャッター商店街に成り果てているではないか。
映画館は改装中なので安心しているが。

江戸時代、ええ役者は上方にも沢山いてはりました。
明治の頃もたんといてはりましたし、昭和も戦後すぐまでは隆盛やったようです。

わたしは池田文庫のおかげで上記のような事情と言うか、事実などを知ることが出来た。また、そこから派生して武智鐡二や八世坂東三津五郎らが若手役者を鍛え上げた武智歌舞伎や戦中の断弦会などのことも知った。ありがたい。まことにありがたいと思う。
池田文庫のコレクションがなければ私はきっと、これらのことに暗かったに違いないのだ。
だから今日も機嫌よく見て回った。

昨日の歴博でも言及したが、子のよさが目に付いた。なんともいえずおっとりした良い感じの顔だ。それから中村南枝の表情にも注目した。
広貞、貞信と違う絵師の手による錦絵のどちらにも、南枝のよさが感じられるのだ。ちょっとときめく。
『乳貰い』については二世延若の話を武智と三津五郎の対談などで知っているので、妙に受けた。
こういうどろくさいハナシはやはり上方でないと上演できないだろう。
近松などは洗練されているし、考えればあれはその当時でもオリジナル脚本なのだ。皆どの芝居も必ず『世界』に沿うようなハナシを書いていたのに、近松の『世界』は近松オリジナルなのだ。
私が一番好きな大南北なども『世界』で話を作るが、そこから逸脱して(確信犯的に)ハチャメチャなハナシを作る。
しかしやはり『世界』は使われている。
なぜ近松がオリジナル脚本を書いたのかは、知らない。
人形浄瑠璃用の脚本だったからだろうか。それだけが理由とは思えない。『世界』は制約でもあるが、土台でもあるので、使い勝手は極めて良いはずだ。しかし近松はそうせず、新聞のゴシップを使うように、身近な事件などをネタに、『世界』を固定せずに書き続けた。

が、わたしは実は近松ばかり上演されるので『へんねし』をおこして、全然違う作者の芝居が見たいと思うのだ。
『乳貰い』もそうだし、お妻八郎兵衛、河内十人切りとか。
マイナーな芝居を蔵出しして欲しい、とこうした錦絵を見るとつくづく思うのだ。そういえば、久しぶりに合羽摺りを見た。
やはりこの池田文庫で見て以来。

ここで良い芝居絵などを見るにつけ、本がほしくなるがなかなかうまくはいかない。
池田文庫、これからも楽しませてください。ありがとう。
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雅美と超俗

逸翁美術館で琳派と文人画の展覧会を見る。
基本的に私は琳派が好きで文人画や南画は好まないが、コンセプトを変えるとこんなに面白いのかと感心した。
宗達・光悦ら始祖から光琳、乾山、抱一辺りまでの逸品が揃っていたが、蕪村、玉堂らの渋い絵にも感心した。彼等が書くのは中国の高士らとその人々が憧れる田園漁村の働く人間である。田舎きらいの私は、だからこれらの文人画に関心が持てず、浮世絵や風俗画にときめくのだ。とはいえ今回巧い取り合わせのため、感じよく見ることが出来た。
それにしても高士は何故酔っぱらいばかりなのだろうか。下戸では高士になれぬのか。
蕪村の『奥の細道』絵巻を四期に亙って順々に展示している。今日は南部から酒田までなのだろうか。飄逸な絵と比較的わかりやすそうな文字。
終いが女二人いて、一人は袂を目に押し当て、もう一人は何やら文を手渡そうとしている。相手は芭蕉だろうか。
『一ツ家に 遊女も寝たり 萩と月』
曽良これをかきとめ侍る、で後期前半分を〆ている。
わたしはこの句は知っている。『獄門島』の殺しに使われて、覚えたのだ。だから小学生のときから知っていたが、この句がここで読まれているということのほうを初めて知ったのだ。ははははは。

逸翁美術館は元々小林一三の別荘・雅俗山荘なので、建物を有益に使っている。入ってすぐ脇の小部屋に琳派を飾り、奥に進んだ広間に文人画を、そして階段を上がった小部屋に茶室の再現と、琳派を並ばせる。
巧いと思う。
二階の琳派に話を進める。

光琳と乾山が目を引く。
以前から度々あらわれていた竜田川文向付が流水のように並ぶ。その隣にはそれらの春バージョンのような、牡丹文向付が。こちらは初見だが、とても可愛い。いつも思う。乾山写しの器を常遣いにしてみたいと。扇子で菊柄があり、胡粉で盛り上げている。リアルで可愛い。
光琳の白楽『大堰川』のエピソードが面白い。鼻につくようでつかないのは、キンキラリンな人だからだろう。
わたしは光琳より弟乾山のファンだが、乾山の白梅図がこれまたいい。
皇州逸民とサインしている。江戸に在っても京都人だぞという気概が見える。尤も、ショーバイ人だからよけいそんなサインをしたのかもしれない。京都ブランドの価値は、この時代にも高かったはずだ。
そういえば菅楯彦は浪速御民と書いていたような気がするが・・・

見るべきものは数多い。乾山の弟子が書いた春秋花卉図の藤と山吹がたまらなくいい。茶室のしつらいも素敵だ。
イギリス製の水差しがきれいにきらめいている。逸翁は洋物も巧く取り入れる人だったので、こうしたときにそのセンスが光るのだ。
だからか、宝塚歌劇は洋物も王朝物もアジアや現代物も見事に演じられるのかもしれない。すてきだなあ。
・・・すてきでないのは、阪急梅田の改悪くらいか(現行)。

雁金屋兄弟の従弟で楽家に養子に入った宗入の黒楽『養老』がいい。
滝が落ちている感じに見える。
わたしはノンコウのファンだが、たまにはこういうのにも心が惹かれるものだ。
さて、階下の奥へ進み、サンルーム前の部屋に行くと、ここでは文人画が並ぶ。浦上玉堂、青木木米、田能村竹田、谷文晁・・・
どれがどうというのでなく、のんびりいい気持ち。

神官へ向かうと、抱一の水仙図屏風が広がっていた。銀地に白水仙が咲き乱れている。並び方は根津にある光琳の八つ橋図屏風とちょっと似ているが、抱一は彼の精神的子孫を任じているからパクリなどではない。
何より、この屏風は可愛らしい。
抱一はその芸術自体が素敵なのは当然ながら、先人光琳へのオマージュにあふれたファンなのが、まず楽しい。
だから抱一のどの作品も、みんななんだか愛しく思う。
其一は抱一の弟子であり、家来でもあるが、なんだか殿さまの弟君に振り回され、困りながらも機嫌よく一緒に絵を描いていたイメージがある。無論、わたしの妄想だが。

ああ、良い展覧会だった。
昨日湯木で鈍翁と耳庵を見たので、逸翁にも行きたくなったのだ。
近所にこうした古美術のすばらしい美術館があるのは、本当に幸せだと思う。

湯木へ行く

谷四から北浜が乗り換え簡易なのでそうした。大坂城の展覧会は諦め、近代美にも行かず湯木を目指すが、ちょっと来ぬ間になんという街の面変わりか。びっくりした。近代建築よ、なんとか生き延びてくれ。

湯木では鈍翁と耳庵展をしている。近代の大茶人。企業人としても大成した人々だけにその交流記を見るだけでも楽しい。
耳庵が箱書きした柿の蔕・銘【茨木】は私の生まれ年だ。長生きされたのだなあ。その少し前に書かれた書も勢いよく、まさに壮者をしのぐ。長らく(加保護)たる御田笠香合もよかった。

わたしは以前から鈍翁と耳庵、箒庵らからその後の逸翁、即翁らのファンなので、こうした展が嬉しくてならない。個人的好みから言うと耳庵の方がより好きだ。
仕覆もいいのが多い。太子間道の赤がきれいだし緞子もいい。楽しい展覧会だ。
三つの青井戸茶碗を並べて解説でその意図を知る。湯木の学芸員さんのセンスが素敵だ。
黄瀬戸福字鉢が可愛い。そう、今回からチケットに採用されたものだ。嬉しい感じ。前期後期と分かれているので、また来ようと思った。

大坂歌舞伎

雨の中、谷4の歴博に行く。(略しすぎか)
寛政から化政期までくらいの大坂歌舞伎だ。実はかなり前から三世歌右衛門のファンだ。だから今回も楽しみに来たが、なかなか。
璃寛も沢山あるし、見所満載。しかし今回叶みんし子が可愛いと言うか、静かないい感じだと初めて気付いた。
璃寛の死絵で面白いのを見た。あの世に乗り込む璃寛に亡者らが『こっちで璃寛が見れる』と大喜びなのだ。いいなあ、江戸時代の遊び心。それは現代にも通じるのだろうか。春画があった。男女だが実は役者絵だから、言えば二次創作でキャラの女体化だ。これが妙に楽しい。感覚は今のヲタなのだ。
けいせい稚児ケ淵の捨若丸がニ枚あり、明智の遺児が活躍するという、いかにもその時代の芝居らしい絵があり私は気に入った。いいなあ。
早大と池田文庫からの出品も多いが欧米のコレクションが多数をしめるようだ。以前池田でヒソルフコレクションを見たが、安価で流出したことを思うと…。そうそう、江戸に三度も下った三世歌右衛門の帰りを待ち詫びるファンが歌の字型の国の地図を作り、地名にハヤク、カエレ、マチワビル等とつけているのが愛しい。耳長斎の戯画もあり、よい展だが葉書が高かった…

黄金の二科展

時間のない時に限ってこんな素敵な展覧会に当たる。
有島生馬の一本角の成人鬼は妙だ。なんだかいいカラダだなあ。安井の裸婦が肉付きもたっぷりないい感じで、前々から思っていたがセザンヌ風人物よりずっと好きだ。小出の六月の風景はホテルオークラのアートコレクション第一回目で見た時の衝撃を忘れない。現在のタブローにはそんな力あるのか。
戦前までの洋画の見事さには驚くばかりだ。先日滋賀で見た黒田のいいのもあり、里見のまだ師匠から抜け出ない風景も見たり、めったに見ない清水の作品もあったり。林武もいいなあ。
いくらでもすばらしいのがある。本を買う。価値あるカタログだ。

プレゼントで困る・らされる

今回のタイトルを見て、いまだに心の謎になっていることを書きます。

大学時代の仲良しの先輩がいきなり結婚することを宣言したので、なにを贈ればよいかわからない23歳のときでした。
「廊下にかける鏡がほしい」
そう言われたので私はインテリアを見に行き、丁度良さそうな40x160くらいの鏡を『お祝い用に』と店員に頼んで贈ることにしました。
数日後、「届いたよ」と電話があり、嬉しそうな感じでした。
やがて三ヶ月後、結婚式にも招かれ、現金のお祝いも差し上げ、皆さんにもお祝いを述べました。
それからしばらくして、新居がきれいになったので遊びに来てと誘いがあり、他に二人と一緒に行く事にしまして、連絡をしました。
三人で行くのを彼女も喜んでくれたので、何の気なしに訊きました。
「あの鏡どうだった?」
一瞬、深い深い沈黙がありました。
私は不審に思い、どうしたのと言葉を重ねました。すると、
「…あんたなぁ」
それっきり言葉が途絶え、そこへ旦那さんが帰ってきた様子なので、
「またね、楽しみにしてるわ」
と切られました。

どういうことでしょうか。万一、鏡が輸送中に割れていたとしてもその場合は店に連絡すれば交換してもらえるのです。
また、全身が映るような鏡がほしいと言うたのは彼女なのです。
なのに何故『あんたなぁ』なのでしょうか。
そしてあの沈黙は…。
約束の日、私たちは彼女の家に行きました。ごちそうになり、楽しく時間を過ごしました。
わたしはプレゼントした鏡を探しました。
当選した、嬉しいと騒いでいた公団住宅のどこにも、わたしの贈った鏡は掛けられていませんでした。

以来十年、わたしはそのことを彼女に聞かず、彼女も一切触れません。
他の友人にもそのことを話せたのはつい数年前です。
その友人にもその件は謎でした。彼女は鍋がほしいといわれて鍋を贈り、それは使われていたそうです。
私は彼女と違い仕事を持っているので段々疎遠になり、やがて今年の正月にちょっとひどい裏切られ方をされて、わたしのほうからも彼女と離れました。

しかし、いったいあの鏡はどこへ行ったのでしょう。そして言われた通りのサイズの鏡なのに、何故『あんたなぁ』なのでしょうか。
なんだかそれ以来、他人に何かを求められても、応えるのがいやになっています。こちらからのプレゼントは全て食べ物にしますし、相手からのもそうしてくれと親しい人には理解してもらっています。

今でもずっと謎です。



近代美術館

やっとたどり着いたのは6時過ぎだ。金曜夜間開館は8時まで。
大観・生々流転の前半部分公開。改めて眺める。
川の中ほどに猿がいる。サギもいる。小さな発見が楽しい。
この作品と向かい合う人は、それぞれの抱えるものと向かい合うことにもなるのだろうか。
清方の随筆『続・こしかたの記』に関東大震災の当日、院展にこの作品が出てそれを弟子たちや同じ画家の人々と見ている最中に罹災したと言う記述がある。なるほど、生々流転そのものかもしれない。
また、俳優でエッセーが楽しい殿山泰司も、戦時下いつ招集令状を受けるかわからない時期にこの絵巻を見て、物思いに耽っていたようだ。

わたしはまだそこまで人生を生きていない。


川崎小虎はいつもほんわかムードのきれいな絵を描いているのだとばかり思っていたが、びっくりするような絵を見た。
シナの子。胡弓を横に立てた、栄養のよくない少女が行き止まりの場所に佇む。それを見た途端、久世光彦のエッセーを思い出した。
謎の歌。♪シナの町のシナの子 売られて泣いてます 
そんな感じの歌。
なんだか小虎が描いているのがすごいような気がする。

他にも色々。

洛中洛外図と京焼

出光の金曜夜間開館は確にすてきだ。皇居や車の波の光や法務省のドイツ風建物が一望できる。
陶片室が開いているので喜んで入り、染付青磁の煌めきにときめく。さていよいよ洛中図だが、伏見まであるのは珍しい。衣服の意匠がシンプルなのは人物自体が小さいからだ。祇園祭礼図はやや大きいから細かな意匠が使用されている。光琳のコーナーなどという風に分けて、見やすい工夫もあり、イイ感じだ。京焼も乾山、仁清らを分け、楽焼とも離した。わたしはノンコウが好きだ。あの薄さに魅力を感じる。此花と銘打たれた器は光の加減か、中が微かに耀変したように見え、ますますわたし好みだ。長次郎や一入らには申し訳ないが、あまり関心が向かない。乾山の器はとてもイマ風なのもあり、洋食器としても使いたくなる。きれいなだけでなく実用性があると思う。一方、典型的な清水があり、透かしで菊を表現したものにも心惹かれた。仙崕のキモ可愛いとしか言いようのない蛙など、常設も大いに楽しめた。やはり出光はどの展覧会でも決して退屈はしない。それだけに大阪の閉館はいまだに痛い。ああ…。

三井文庫から記念館へ

新井薬師にあったときもよく通ったが、三越の隣に移ったことでより便利になった。オープン記念だけに物凄い人波だ。しかしこの規模の大きさを考え、展示品の質を思えば、千円の入場料は順当だ。 三井家が代々集めてきた優品逸品が目白押しだが、玳ひ天目がすてきだ。陶磁器は茶道具だけでなく日常やハレの場を彩る。漆工、蒔絵、かつての日本の美意識が凝縮されている。ミニチュア印籠があり、礫斎が関わったようでファンの私は嬉しい。
いくらでも見るものがある。絵画は応挙の国宝の他にもよい絵を残している。パトロン自体に芸術を理解し愛する能力がないとこうはいかない。時代は下がり、高陽氏が収集した切手もまた美意識と使命感と遊び心の融合した成果だと思う。ニーベルンゲンの指輪を題材にしたシリーズには息を飲んだ。ブリュンヒルドとクリームヒルドの争いなどが細密画として現れているし、ハーゲンまである。びっくりだ。
能面の豊かさにも歴史の裏付けを感じる。孫次郎の美しさにときめいた。小面や増女にない何かがあり、それに惹きつけられた。静謐さとそれから…。
建物も三井本館の重厚な豪華さを味わわせてくれ、それだけでも価値がある。よかった。

日本のアールヌーボー

山種から歩いて工芸館に行く。建物に合わせたすてきな展覧会だ。清方の妖魚がある。大好きな絵だ。当時批判ばかりだったらしいが、この妖艶さがたまらない。デコはシャープだがヌーボーはねっとりだ。
浅井忠も図案が多い人だ。いい感じ。工芸品の方が自在に見える。武田五一もインテリアにはこの様式を採用するだけに、残した資料は見ごたえがある。松本邸の写真パネル展示が懐かしい。このアールヌーボーの邸宅には一度撮影に行ったことがあるのだ。嬉しい。
雪佳の作品も沢山あり見るからに可愛らしい。私は高校の頃にミュシャにハマりかなり長い間アールヌーボーファンだったが、最近はデコばかりだ。しかしここではそのよさを再認識させてくれた。
ビアズリーのサロメもあり、武二の絵葉書や波山の磁器も並ぶ。ステンドグラスもいい。リーチの陶板・生命の木と虎よ虎よもある。大好きだ。これは本当にいい展覧会だ。本も1400円という安価!しかも本館で大観の大作・生々流転を公開してるから、と前後期のチケットをプレゼントされたのだ。嬉しいなあ。夜間開館日だから夜に行こう。
出たら秋の虫がりんりん鳴いていた。

永青文庫

細川護立氏の人柄、パトロン性、そしてなにより審美眼がこのすばらしいコレクションを生んだのだ。
日本画のよさを十二分に味わえた展覧会だった。一点ずつ検証しても仕方ない。大観、観山、栖鳳三人のコラボレート(合作でなく三幅対)観音猿鶴、誰が何を描いたかは見てほしい。観音はインド美人で薄布の向こうに透ける丸い胸は、彫刻のそれを思わせる。
勅題画は天皇のお歌に因んだ絵で、作品は素晴らしいが、それを作る大観とたのむ細川氏がなんだか微笑ましい。素敵な作品が並ぶが中でも旭光照波はモダンだ。コンテンポラリーのように見える。
春草の猫は後期。栖鳳の墨絵・水村雨後図購入の由来を記した書きものがある。観山の勧めで買うてんまつがこの人々の和を思わせる。
紫紅の西遊記が楽しい。特に八戒が可愛い。豚より猪に等しい。岳陵もいいのが多い。四天王寺壁画のためのエスキスのような作品があり、清楚な摩耶夫人が実は色っぽく、アダな魔女が実は可愛い。輪廻物語絵巻も全編見たいし山つくし川つくしも。両国花火とカッパの川流れが楽しい。明治期の清方の娘絵は松園にも似たふくよかさがある。やはり大正以降がいい。幽霊の女がしりあがり寿みたいだ。

美人画

山種で松園と他の作家の美人画を見る。相変わらず人気だが、最近わたしは軸装より色紙などのいわゆる卓上芸術に多く惹かれるようになった。とはいえ現今のは別として、龍子の良さはまた格別だ。今回なら〈真珠〉これがすばらしい。三人の裸女がいる。右二人、左に一人。海士なのかと思ったがまたなにか違うようだ。もっと不可思議な存在らしい。龍子はそうした女人がまた実に巧い。寝そべる女、ワカメの上に座し膝に置いた掌に一粒の真珠を持つ。その顔はこちらを見ているが、果たして現実の眼差しなのか。またその真珠を眺める女もいて、こちらは気だるい。三人の色香に負けてしまいそうだ。
松園の小品が愛しい。最近は世評の高い大作より小さな絵に惹かれる。ささっと描かれたような、しかも味のある美人が心に残る。今日は野間記念館と永青文庫でもすてきな日本画、美人画をみたが、私は美人画が最愛だから幸せだ。野間では12ヶ月色紙シリーズを見たが、今回は実に18作家の佳品を味わった。清方、松園、深水は美人画を他は花鳥を楽しませてくれた。富士のシリーズもいい。揺るぎないのや大小や…ああいいものをたくさんみたなあ!

やなぎみわ 

少女は残酷だ。長く細い未成熟な手足をまるでクモのように操って、遊戯をする(ようにみせかける)。
あたしの足も手もこんな風にいくらでも開くのよ、あなたはどう?
そんなからかいを平気で大人に向けて笑いながら無邪気に言う。
いつかお前も皮膚がこわばりたるみ、他人にどう話せば受け入れてもらえるか考えなくてはならぬようになるよ。老女になる前の女が心の中で負けおしみを言う。

そんな感想を抱いた展覧会だった。
無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語という副題をもつこの展覧会に母娘で来れる人は凄いと思う。
やなぎみわさんはわたしとほぼ同世代つまり老女の娘であり、少女の母の年なのだ。だからこの視線が可能なのか。

エレンディラがベッドに横たわるその隣にいまや遣手婆になった祖母が足を組んでいる。それはまるでバラバラにされた少女の手足に見えた。赤ずきんがおばあさんといる。狼はもしかすると誘惑者かも。だからその口車に乗って…。

残酷さが薄布一枚かぶせられた向こうに覗いている。 こわい写真だ。
カール・ラガーフェルトが昔話や童話を自分の眼差しで再構築した作品と比較してみたくなった。

ふと品川駅前に広がる開東閣をみあげた。
森のようである。夕暮れの中、少女の髪や細い足がのぞいた気がした。

亀岡・楽々荘

上本町から大阪駅に出て亀岡へ向かう。
お仲間と一緒なので、窓の外の風景一つでも話題になり、興味の対象になる。

知らない電車に乗ると、風景が新しい。

12時に亀岡につき、てくてくと楽々荘へ。
保津川観光ホテル。建物の見学だけでなく、薬膳料理をいただくために来たのだ。イタリアンレストランも併設されているが、我々は薬膳なので、お座敷へ案内されたが、葦だかなんだかの欄間がきれいだし、床の間の掛け軸は山口素絢だ。他にも芳仲や在中がさりげなく飾られているし、洋間には呉春だ。
洋間も和室もすばらしい。ドアの飾りが可愛いし、トッテは銀色の細工物。
かわいいなあ。

お料理も満足だ。小鉢に少しずつ色々なおかずがあり、それら全てが健康によいものらしい。わたしはあまりそうしたことに関心がないのだが、みんなは大喜びである。味がよかったらわたしはそれで幸せだ。

そのあとに保津川下りを楽しんだ。

保津川下り

保津川下りをするのは初めてだ。楽々荘の後に向かう。七人グループだが分かれて行ったから、危うく分乗だが幸い同じ船になる。分かれてたら山椒太夫だ。
セキレイを見た。背黒と黄色と。青鷺、川鵜、カワカラス、カイツブリ、鴨、トンビ、これだけ鳥を見た。ヌートリアまでいた。鹿もいたらしいが声しか聞けなかった。ケーンと響くイイ感じ。
おじさんが楽しいハナシを無表情でペラペラ。楽しいわ。川下りの楽しさを満喫だ。
野菊、クルミ、マタタビ、ヤマイモ、知ってるところで北山杉、桜。川の眺めがすてき。二時間の旅だった。

近鉄レトロ

平日だけの開室なので今朝一番に上本町の近鉄資料室に行った。
昭和初期頃までの駅舎や変電所の写真がたくさんあった。橋脚や他見所の多い資料展だ。
大軌というのや吉野鉄道、奈良電車というのが合併または発展して今日の近鉄線になったようだ。こうした写真はなかなか見れないから嬉しい。他にも橿原や吉野、玉手山遊園などの絵葉書もあり、興味が尽きない。
阪急には池田文庫があるが近鉄にもこうしたすてきな資料室がある。もっと宣伝してもよいと思う。奥ゆかしいなあ。
朝一番の楽しい展覧会だった。

大阪市立美術館の常設

ミラノ展を出てから、常設展に入る。

すばらしい作品を沢山持っているが、全容がわからないのが、ここと京都市立美術館だ。いや、まだ京都の方が展示方法を見直して、面白い光の当て方をしたり、リーフレットだけでも出すだけえらい。
良いのを持っていても『近世花鳥画』とか『日本の陶磁器』とかそういうくくり方だけではダメだと思うのだ。
どんな作品があるのか、わからないし、そそられない。
そそらねばならぬのではないのか、美術館。

大阪市が不要なものに湯水の如くにお金を使うのは平気でも、文化事業にはカネを出さない性質なのは、知っている。
青銅器で動物の形の小物ばかりを並べてあり、それがとても可愛いので、レプリカを海洋堂あたりで作らせて販売すると売れると思うが、それすら決してしないのだろう。
また、絵葉書にもデータベースにも入っていないすばらしい作品が多いので、いっそ一点50円位で撮影許可を出せば、これも儲かると思うのだが、保存の観点以前の問題で、拒絶するだろう。
なんとかしてあげたいが、どうにもならん『大阪市』と言うのが、そうしたところによく現れていると思う。

特に好ましかったものをあげる。

『藤袴図』は対青軒と言う光琳工房の関係者らしいが、そんな人の手によるだけに金地に青の繊細な美に満ちている。私はこう言う屏風が好きだ。
『蓮図』は芳仲のよいのがあるが、あとは狩野派の屏風が多く、『四季花鳥図』の椿に特に惹かれた。
続いて仏画では、『尊星王』干支のヤツラが星に乗る。寅などは星を齧っているではないか。近代になるまで日本での星の描かれ方は○である。陰陽師の五線星型は特殊なもので、あれが普遍化するのは、戦後である。戦前は陸軍の紋に採用されるまで冬眠状態だった。
不動尊のせいたか・こんがらの二人の童子が可愛らしい。密教か。
曼荼羅がなかなかすばらしい。平野の全興寺の掛け軸もある。

近代日本画へ。
『洞窟の頼朝』だ。これは軸装バージョン。大倉のとは異なるが、前田青邨の名画だと思う。契月の義家は珍しい角度で描かれている。
こういう構図もありか、と言う感じで目が開かれた。
菅楯彦。千槍図。この三つが昔の武将たちの絵で、あとは島成園のねっとりした女たちだ。色紙が出ている。島成園、回顧展をしてほしい。北野恒富や木谷千種もあったのだし。
イヤリングにトランプ櫛、いいなあ。
恒富の『宵宮の雨』は辛うじてリーフレットに出ているし、はがきもある。しかし成園のこれら作品群は、今しか見れず、次の展覧は期待できないのだ。
『唐犬』『柳』ここらははがきになっている。竹喬や龍子らもある。

先ほど少し書いたように、青銅器に今回は可愛いのを見た。山口コレクション58点の全貌を、などとチラシにはあるが、わんこや虎やけったいな羽人とか、小さくて可愛いグッズ系のが多いのを紹介すれば良いのに。
銅鼓も出ていた。諸星大二郎『孔子暗黒伝』の世界だ・・・

あとは、高麗青磁のすばらしい水差しなどをみたが、これもチラシではわからない。惜しい。まことに惜しい。
・・・あっ、もしかして大阪市はこんな名品を紹介するのが実は厭なのか。
なんと奥ゆかしいのだろう。
・・・そんなアホな。しかし、そう思うくらい、すばらしいコレクションを有しているのに、いや蔵しているのに、と言うべきか。
色鍋島の良いのも三つばかりあった。

次はファーブル美術館展のときに展示換えだが、もっと常設をアピールすれば良いのに・・・なんだかつらい。
そうだ、ファーブルの宣伝をしておこう。
七月に東京で見たが、実によかった。もう一度見ても良いと思うくらいのよさがあった。お客さん、大勢来ればいいのになあ。
自分の書いた関連もうつしておこう。

http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-164.html

ミラノ展

天王寺にミラノ展を見に行く。

割と早く着いたのに、会場はもう満員だ。
何年前か私もミラノに行き、ドゥオーモの壮大さ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りの煌びやかさなどが、まだ記憶の宮殿として脳裏に生きている。

ルキノ・ヴィスコンティが子供の頃から好きだった。彼の映像作品だけでなく、風貌や人生などが。彼がイタリア有数の大貴族の家柄出身だと言うことは、知っていた。伝記や研究本などでおなじみである。
その、ご先祖の残したものがここにはあった。
大貴族が芸術家を庇護して、作品を生み出させる。作品は確かにその作家の、あるいは職人の手から生み出されるが、それはパトロンの存在がなければ成し遂げられないものでもある。

13世紀のミラノはヴィスコンティ家が、14世紀のフィレンツェはメディチ家が、15世紀のローマはボルジア家が、それぞれ文化を花開かせたのだ。

出品作品のどれこれがよい、というよりも全体として面白い環境だと見て回った。
三月に京都でフィレンツェ展を見たが、それと同様心地よいものを感じた。彫刻と絵画と。
おやおやと思ったのが15世紀の版画バッカスの戯画だが、美少年を腰に降ろして抱いているのがあった。こういうのもなかなか楽しい。
肖像画も見るべきものがあるし、『奇想画』(カプリチョとかいうらしい)もいくつか出ている。例の果物ばかりで人の姿を構成した絵もある。作者の名前より、『こういう絵だ』と説明したほうが皆、よくわかるのが、面白いところだ。廃景とでもいうのか、遺跡と現代とを描くのもそれらしいが、動きのない異時同時図なので、一見したところはそれが『奇想画』かどうかは、わからない。

時代が下がると、セガンティーニが現れる。
その友人で気の毒な画家の絵もよかったが、確かに画商がそれにセガンティーニのサインを入れてしまう気持ちがわかる感じもある。(これだけは見ないとわからない)
当のセガンティーニは『ギャロップする馬』の絵を描いているが、疾駆する馬の上半身に勢いがあり、かっこいい。

道後温泉から耕三寺へ

社内旅行で道後温泉に行った。
何年か前に近代建築を見て回る最中にここへ来て以来で、工事も済んだのか、相変わらずいい感じの建物だ。
後輩は『千と千尋の神隠し』だと喜んでいる。

その真裏のホテル。
翌日には坊ちゃん列車に乗った。機関車の方です。市電としてもいいなあと思う。これで広島をのぞいて市電は大体乗っているなあ。ふふふふふ。やりました。
県庁はやはり素敵だ。聖徳記念館を思い出す。

西日光と呼ばれる耕三寺に行く。
個人の思い入れが破天荒な世界を生み出す。その実感があった。
始めると、止まらなくなったのだろうなあ。
しかし、それはそれでえらいと思う。趣味の問題は別な問題だ。
えらい。
このことは間違いないと思う。

地獄巡りは熱海梅園を思い、鍾乳洞のようでもあると思った。
出てから皆はガイドさんの導きで、未来心の丘に行かれたが私は美術館に向かった。

まず日本画だ。
橋本関雪の近代中国美人。くつろぐ箭髪の少女がかわいい。上村松園は白拍子だが、これもふっくらと品がよい。中村大三郎の『初夏』いかにも、な女のアップだが、星野画廊にも似たのを見かけた気がする。
清方の蛍狩りの女は団扇を歯で軽く銜えていて、その風情のよさときたら…
他にも福田恵一 の実朝が何かを見上げる姿には、悲愁が漂い、とてもよかった。

次に茶道具を見て回る。というより、器ですね。明時代が多い。
龍泉窯の青磁徳利がきれいで、大きさもよくて、わたしも欲しくなる一品だった。また、染付け徳利も、鶯の鳴くのが可愛くて…
他にも織部の小鉢セットとか色々あり、楽しく眺めることが出来た。

そして別館の仏教美術へ見学に出たが、こちらは仏像より、二階の洛中洛外図と住吉派の源氏物語屏風がすばらしい。
洛中図はやや人物が丸顔で目は黒めぱっちりの可愛い感じに描かれているが、不思議なことに当然、手は違うと言うのに、平家物語合戦図もまた、黒目勝ちの可愛らしい人物造形なのだ。
コレクターご自身のシュミなのだろうが、可愛くてよい感じ。
らくだの唐三彩もあったな。

さて再び戻り、昭和二年にお母様のために建てられたすばらしいお屋敷を見学する。ドイツ風の屋根だが、中はステンドグラスが多用されていて、見応えのある建物だった。和館も洋館もすばらしいし、自然なつながれ方なので、違和感はまるでない。浴室も素敵だし、欄間も素敵。
床の間は屋久杉の天井、掛物は佐竹本三十六歌仙の紀貫之。
すばらしい。

わたしがこの耕三寺でときめいたのは、美術品と洋館と、欄干にわんわんわんわん居る(まるで蘇州のような眺めの)狛犬さんたちだ。

楽しかった…ありがとう。
洋館 獅子
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