美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

旅するエキゾチシズム

心斎橋に出て表題の展覧会を見る。日本画、版画、洋画と参考写真などが〈旅〉を味わわせてくれる。
後期に来たから半分しか見れないのが無念だと思うほど、よい展覧会だ。芳文や芳崖、栖鳳がいいのは当然ながら、御船綱手という初めて知る画家がなかなかよいのだ。特にナイアガラが素敵だが、自庭に植物園を造営したというだけにうるさいくらいの秋林を描いている。

完全に好みなのは岡田雪窓の湯治場だ。四棟の湯小屋、竹樋。こんなポスターを見た気がする。大正の旅だなあ。
光瑤はどの絵も皆、絢爛たる輝きに満ちている。松篁が手本にした孔雀の絵を知る人も多いだろう。光瑤は孔雀が余程よいのか、華麗を体現するのは孔雀だと断言するのか、見事な孔雀を世に残してくれた。白孔雀が森の中にいる。青いアヤメのような花々の森に輝く白い羽根。煌めきにときめく。これがエキゾチシズムなのだ。

1922年国画会メンバーが欧州に出かけた。
そのときの紀行文とスケッチが今回出ている。『欧州芸術巡礼紀行』本が出ていて黒田重太郎のアラブ男の物売りの絵がある。シブイ。
土田、小野、黒田、野長瀬らの旅。
とんだ紀行というか奇行もあり、なかなか文も面白く、スケッチもそれぞれの個性が出ているのが興味深い。
昔のことだから当然船旅で、それも上海ーインド経由の欧州路だ。
マラッカの赤い屋根、白い壁、赤い橋。ルノワールを訪ねる話が面白い。ジャンが一同を案内してくれる。彼らはまだまだヒヨコなのかもしれず、偉大なるルノワールの家の庭を見るだけで興奮している。
ピサの説明が凄い。
『・・・死人の都の名にふさわしい白々した姿で立っていた(斜塔)』
死都はブリューゲルだけではないのだった。
そのくせ街角には電線もあり、行く人もリアルなのだ。
街角にはその土地の生きた匂いがある。ローマの街角を行く母子、広場の木陰で眠る男、婆さんが歩いていたり。
ポンペイ壁画の模写はちょっと面白かった。ベスビオ火山への感銘が絵に表れているし。
パドヴァ、スフォルツァ・・・イタリアの古都。全てルネサンスの頃に力を持っていた国。スペイン・トレドの少女も愛らしい。

彼らと違いインドで開催された日本画展のために出かけた樋口富麻呂は、インドを沢山描いている。
甲答他これでカルカッタなのだ、の博物館での模写。彫刻や壁画の模写。踊り・歌うことも神への供物である古代インド。摩耶夫人が脇を高くあげているのは、仏陀生誕のためだろうが、なんとも艶かしい方なのだ。彼は沢山写真も残している。
インドの美女たちに囲まれていたり、スナップを撮ったり色々。
イギリス風の建物もある。

波光の絵には好き嫌いが分かれる。しかし総じて淡い色彩の作品には心が惹かれる。ミントグリーンの柔らかな鳥と池。いい感じ。
鷺と鴨で画面を分割する紫峰。彼の花鳥はとても賢そうだ。

版画もすばらしいのが出ている。
織田一磨は以前から大好きで、この大阪風景シリーズはいつみても素敵だ。前期では池田遥邨の大阪風景が出ていたようだ。見たかった。
明治中期の林基春の木版画による名所図会が良い。わたしは名所図会が大好きだ。江戸時代初期までの近世風俗画の『洛中洛外図』などに始まり、浮世絵の『東海道』『木曾街道』『浪速百景』などを愛している。
その流れにこの作品はある。
住吉大社の前を汽車が行くのが、明治の風景なのである。
『浪花鑑』で団七九郎兵衛はここで釈放されていたが、いずれにせよ住吉大社は浪花の景勝地なのである。
それと比肩するのが高津神社。仁徳天皇の由縁の地。
古い浪花人の話によると、この高津神社界隈に住まうのが、浪花人でもいちばんの『エエ氏』らしい。

明治初頭の教科書の版画がこれまた凄かった。これは一口では説明できない。また『世界旅行萬国名所図会』がものすごい。ロゴからして凄い。わんだー!と言う感じだ。
土俗、トナカイ、SF、スフィンクス、水晶宮。こんな単語だけでは何がなにやらわからぬだろうが、説明するより観てほしいと思う。
うーん、なんでこんな凄いコレクションを本にしてくれないのか。
また森琴石の銅版による名所図会もよかった。有馬の炭酸は歴史もふるいと言うのがよくわかる。
石田有年の京都名所もよかった。双六のように洛中の名所がコマ絵として一枚に納められている。芝居のチラシのようで楽しい。
それにしても六角堂は、屋根の集合体でとても可愛いが、何故か合邦辻の閻魔堂を私は思い出してしまった。

洋画もよかったが、版画と日本画のほうに眼を惹かれてしまった。
いちいちどうこう言うこともないのだ。
小出、鍋井、須田、浅井、佐伯、そして武二。よくないわけがないのだ。

こんなにも良い展覧会なのに、もう会期が迫っているとは。
ああ、実に面白い展覧会であった。本さえあればもう完璧なのに。
本当に面白かった。池田遥邨を見損ねたのが痛手ではあるが・・・・・・

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ベオグラード国立美術館展

京都駅に出ると、紅葉狩りのお客さんでごった返しになっていた。
観光案内所には『本日の宿泊全室満員』と出ている。たいへんだ。

ベオグラードは旧ユーゴスラビアの首都だったか。ユーゴと言うとすぐに思い出すのは、エミール・クリストリッツァの『アンダーグラウンド』と坂口尚の『石の花』だ。
二つとも第二次大戦下のユーゴとその前後の状況などを描いている。
ホーチミンにしろチトーにしろ混乱期の国を立て直そうとしたのは文句なく偉いが、その後の歩みは所詮外国人の我々には細かくはわからない。

印象派からフォーヴ、象徴派、エコール・ド・パリなどへ至る道。
特にルノワールの作品が今回沢山出ている。これは日本人がルノワールファンだから気を利かせて持ってきたというのではなく、ベオグラードの人々がルノワールを愛している証拠でもあると思う。
現に、今回の目玉でもありポスターやチケットにも使われている『水浴する女性』これは一度盗難されたのを四日後に取り戻したという謂れのある作品で、『ベオグラードのモナリザの帰還』と言われたそうだ。
痛めつけられた作品の修復過程をも展示しているが、戻ってきて本当によかったと思う。

以前から思っていたが、バルビゾン派のコローは人物画の方が良いものを残しているのではないか。
『小さな猟人』の少年たち、『ユーディット』、森の中にいる女たち。
今回森の中の人物遠景なので顔立ちはわからぬものの、なんとなく惹かれるのである。一度彼の人物を視点にした展覧会があれば面白いと思う。
モネのルーアンの大聖堂は柔らかなピンク色で描かれていて、セーターにしたら人気が出るだろうと思われた。現に本日のツレはそれが似合いそうなのである。
ルノワールの最初の裸婦が出ている。後年の赤くて健康的な身体ではなく、青白い肉体。何かしら悲劇的な要素さえ感じるほどだが、これはこれで心惹かれる。しかし大家になってからのルノワールの人物画はどれもこれも『ルノワール』で、絶対的な安心感がある。
息子のジャンや末っ子ココの肖像画もある。わたしはジャン・ルノワール監督作品が好きだ。『大いなる幻影』『マッチ売りの少女』・・・
ジャンの写真を見たとき、お父さんのオーギュストは『個性』で絵を描いていたのではなく、実はリアリズム作家だったのか、と思うほどジャンの顔も雰囲気も『ルノワール』絵画だったのには、びっくりした。
わはははは。
ガブリエルの肖像が多いが、黒髪に赤い服の彼女はとても魅力的だ。
コケティッシュなのではなく、なんだか親しみ安いお姉さん、そんな感じ。スケッチもあり、女たちの集まったそれは、もう少し後に展示されているピカソの女たちのスケッチとも共通する軽い明るさがあった。

ドガも多い。エジプトの踊り子はなかなか面白いデッサンだった。当然いつものバレエダンサーたちの絵もある。髪を洗う女もいる。
ふと、フィラデルフィアにある『室内』が見たいと思った。
次にロートレック。彼の二十歳頃の女性像はなかなかきれいだった。
ツレはその絵を見て面白いことを言った。
知人のロシアのクォーターの女の人に似ている。なるほど、そんな頬だろう。

シスレーやピサロに移る。
田舎道の絵の横にテアトル・フランセ広場が並べられている。
私は田園風景に関心がないので、都市風景にばかり眼を向けた。なんとなく、楽しい。
ゴーギャンのタヒチの女たち。版画家山本容子女史の世界のような作品があった。この犬はきっと「ルーカス・クラナッハ」くんのご先祖だろう。山本さんに似ているゴーギャン、と言う逆転現象がある。
ピサロはゴーギャンの肖像画も描いている。・・・・・・気の毒なのはゴッホだな。片想いは実らぬどころか、耳を切ってしまっている。小指ならどうだったろう。

私の愛するキース・ヴァン・ドンゲン。彼の金髪おかっぱ女性。ミントグリーン地を背景に、黒い下着の紐がだらしなく垂れているうなじの細い女。都市の片隅にいる女。いいなあ。たまらなく好きだ。
その横にはキスリングの美人画があるが、半裸の横向き女性が今日のツレとよく似ているのには笑った。あんな胸の形だったっけ?秘かな愉しみ。
ヴァラドンの、身支度をしてもらう女はなにやら彼女ご自身のようで興味深かった。倅の街の片隅の絵が物寂しいのとは裏腹に、彼女は元気だ。ユトリロのアルコール中毒の療養所の絵は、何故か女ばかりがいて、レンガ造りの建物や木々が、妙に気にかかる。八月に森美術館で見たフィリップスコレクションでのゴッホの療養所ともどこか共通している。
ローランサンの白すぎる身体、シャガールの牛、ルドンの描線だけの女の顔、珍しく風景画を描いたパスキン。
それにしても、ボナールに色々と感じるところがあった。マティスの製作過程にも思いを馳せる。モローもある。
ルドンの卵に目鼻のついた不気味な絵は、ハンプティ・ダンプティのようでもあるが、諸星大二郎のようでもある。
ロートのキュビズムな女の顔。ちょっと黒田重太郎を思い出した。

グッズもなかなか知恵を絞っているが、ルノワールのコップの絵はとても可愛くて、グッズでも人気のようだった。雨の中、傘を差して歩く二人の女もグッズになっている。しかし南洋の森の中にいる女たちの絵は絵葉書にもならず、ちょっと淋しかった。

マカオ2

11/22のマカオ。

今日は一日完全フリーなので、わたし達は自分のアタマと足で動かねばならない。
ホテルで買ったケーキやフルーツなどで軽く朝食を採ったあと、タクシーでまずは孫文記念館へ向かう。
連れはさすが海外旅行が多いおば様だけに、なかなか賢い手を使う。
メモに『國父記念館』と書く。スン・ウェンの発音はわたしたちでは巧く使えないからだ。
孫文記念館は、石造りのすばらしい建物だった。
渡辺節と伊東忠太がコラボレートしたような感じ。つまり、完全にわたしの好みなのだ。
ところが、そういうのに限り工事中で中に入れない。残念無念というより他はない。く・や・し・いーーーっ

すぐそこの公園は『ああ、これが』というだけの市民公園なのだが、ちゃんと名前もついている。マカオは公園が充実しているのだ。
そこではなく、我々は中華風公園へゆく。この発音は大変ナンギだ。
ロウイリムイオック公園。漢字を書いても難しいが発音はもっと難しい。昨日のカモンエス公園には目白を入れた鳥籠が沢山つられ、菩提樹が紐をたらしていたが、ここは完全に中華庭園だ。
わたしは上海の豫園や蘇州の庭園が大好きだ。
つまり明朝の贅を凝らした庭園に大変惹かれるのだ。
気分は紅楼夢だ。
とにかく明朝は文化の頂点を極めた後、退廃し、とうとう清朝に乗っ取られる。
わたしは文明文化の頂点が好きで、明日になれば滅びてゆくような時代が殊の外、好ましい。絶頂と滅亡。それを目の当たりにしたい。
だから中国の王朝では唐と明が好きだ。
三国志も項羽と劉邦も大好きだが、『時代・文明・文化』と言う点では唐と明に尽きる。
舗地。瓦。奇岩。中国の庭園の必需。亭がまたとても素敵だ。鳥の声がする。病は恐ろしいが、観念的には鳥がいなくてはならないのだ。
庭園の隣にはベランダコロニアルがある。
現在、茶道資料館になっている。
当然入館する。

わたしは茶菓子にキライなものがでたらどうしよう、とそんな理由から茶道を習いにいかない人間なのだが、茶道具が大変好きだ。
だからこそせっせっと湯木、逸翁、茶道、藤田などへ通うのだ。
歴代の茶道具。
南宋青磁は日本では砧青磁と呼ばれて特に茶道では珍重されているが、わたしはあまり好まない。
しかし南宋で曜変転目などが生まれているのだ。
最愛は曜変転目と油滴天目だ。他には11世紀末の高麗青磁と18世紀の色鍋島。これらでわたしは生きている。
ふと、塚本快示の青白磁を思わせる美しい器をみかけた。貫入が見事に入っている。息を呑むほど美しい。
そばに立つフィリピン系らしき警備員の青年がわたしを見守るのに気づく。わたしはいつも手にしている手帳に書き込み、彼に見せる。
『風華絶代』
あいにく彼にはわたしの意図は通らなかったようだ。
しかしわたしがこの器にときめいたことだけはわかるようで、厳しい眼から優しい眼に変えて、わたしに笑いかけてくる。

すばらしい器を見た後、てくてく歩いて松山と呼ばれる丘へ向かう。
ギア要塞。しかし工事中なので中には入れないことをわたしはネットの情報で知っていた。
その山上へ上るケーブルに乗る。一人23円位の値段。結構怖いケーブルだが、眼下に広がるフローラ庭園などを楽しめる。
モンパルナスの丘へ向かう公園が南方化するとこんな感じだ。
到着後、幼稚園の遠足と遭遇。
可愛いリュックサックだ。キティちゃんが一番人気、ついでスヌーピーとディズニーキャラ、なんとハガレンまであった。びっくりしたわ。
防空壕をゆく。壁には戦時下のマカオの写真が貼られ、なにやら説明が広東語で書かれているが当然読めない。
ちびちゃんらと一緒だから耐えれた行軍かもしれない。
出ると、工事中の建物があり、可愛いと思った。
この山自体は、池田の五月山のようだ。

公園を降りてからタクシーでヴァスコ・ダ・ガマ・ガーデンを通りミリタリー倶楽部などへ向かう。そのそばにはきれいな女子中学。階段の感じが素敵だ。八角亭もある。

再びホテルへ戻り、ブランチ代わりにお粥を食べに行く。
あわびと鳥とをたのみ、餃子と春巻きもたのむ。かなりおいしい。
途中で交換して鳥のお粥を食べるが、味はこちらの方がいい。
そのまま部屋へ戻り、また休憩する。

昼過ぎからまたセナド広場へ行き、牛乳プリンを食べてから散策再開。
歩いて聖ポールへでて、マカオ博物館へ入る。ここはさすがに入場料を取るが、それにしても安い。
博物館は言って見れば歴史博物館で、入場すぐの右手に中国の歴史、左手に西洋の歴史がそれぞれ陳列されている。
兵馬俑とローマの戦士像。文化、通貨、信仰、技術、思想・・・。
中には東印度会社を始めとする貿易会社の船の積荷の内容などが再現され、中国人の町の様子もジオラマなどで展開されている。
マカオは中国と西洋の二つの文化が融合して成長した国なのだとわかる。その両親から生まれても、マカオはマカオとして、どちらとも異なる独自の道を生きている。
警備員は我々が日本人なのが珍しかったようだ。総じてどの人も親切である。とても楽しい。

タクシーでペンニャ教会へ行く。
歴史や文化や建造物、美術を愉しむためには知識が必要だ。
わたしはキリスト教の図像学と源氏物語とギリシャ神話だけは最低限頭に叩き込むべきだと思っている。
マカオには道教とカソリックが活きているため、それらの知識がより一層探索を意義深いものにしてくれる。
この界隈は高級住宅地らしい。わたしたちはテクテク歩いて降りる。
デイゴやハイビスカスが咲いている。
ナポリを思い出すが、住宅街を行くうち横浜の石川町へ至る道並みのようだと感じた。
ポルトガル領事館は工事中だった。そこからタワーが見える。街中を行くと、元は裁判所だった立派なギリシャ・ローマ様式の建物に出会う。
こういうことがあるから街歩きはやめられない。
そこからドン・ペドロ劇場を通過してホテルへ戻るが、もう夕方だった。

ニューヤオハンへ買い物に行く。
外観はイトーヨーカドーのようだ。何故か6階にスーパーがある。
日本からの輸入物が大半を占めていて、電化製品から日常雑貨までみんな日本で見かけるものばかりだ。価格も安い。
フードコーナーへ行く。
色々なものがあるが、おば様のご託宣により、屋台のワンタンメンと汁ビーフンを買うが、大きいはさみで青梗菜をばっさばっさ切るのにはびっくりした。しかもこんな安い値段なのに具沢山だ。
わたしは何を頼もうとか考えていたのだが、ご託宣には逆らえず、ビーフンを食べていた。しかし自分が選んだわけではないのだが、これは大変おいしく、中に入っていたレバーまでがプルプルなのにはびっくりした。自分では選ばないメニューだが、これは食べれて幸運だ。
食べ盛りのおば様はわたしのトッピングを食べるが、生憎わたしはワンタンをもらえず少し淋しくなったが、ビーフンがおいしいので何も言わない。今回は途中で交換しようと言われることはなかったのだ。
第一明日のランチは香港でワンタンメンなのだ。それを食べれば済むことである。

再びホテルでケーキやゼリーを買う。それらと部屋にセットされているウェルカムフルーツが明日の朝食となるだろう。
早寝早起きの生活だが、当然わたしは眠れない。
fax用紙に延々と小説を書き綴っている。旅行記は真昼に、小説は夜中に書くものだ。はかどる。とうとう書き上げてしまった。
タイトルは『鳥籠姫』だ。発表は自分のwebサイトでしよう。


とうとう楽しいツアーも最終日だ。リンダが迎えに来てくれ、フェリーに乗るまでついてくれた。ありがとうリンダ。
これからはマカオにも我々のようなお客が増えるだろうから、リンダのガイドのやり方はウケルと思うよ。
高速艇が走るシナ海はまるで沙漠のような色合いだった。

香港に着く。
今度のガイドは黄さんだ。ロイドめがねをかけている。
DFへ連れられて行く。同行はおじさんばかりの団体さんだ。
ペニンシュラホテルの前を行く。すばらしい。憧れのペニンシュラホテルのチョコレート。
店内はなかなか盛況だが、買いたいものがないので大変困る。
ブランド物は新作はともかく、定番物はマカオが随分安いのだ。
母親への土産にランコムのマスカラを買う。それだけ。
かばんや服に関してはわたしは買うときは徹底的に意見を通し、決して妥協しないので、店員のほうから逃げてゆく。
店を出てからセンタービルというか、ファッションモールにつれられてゆき、そこでワンタンメンと青梗菜とアイスミルクティーをもらうが、麺がわたしの好みに程遠く、昨日のビーフンが懐かしくて残念だった。
青梗菜が大変においしい。しかし昨日までのマカオの方がわたしには合う。ミルクティの底になにやら入っている。タピオカかと思えばなんと小豆ではないか。びっくりした。

空港へ。私たちは座席がばらばらになった。
しかしわたしの隣の二人組みは同世代の女の人らで、ベタベタで楽しいおねえさんたちだった。三人で大いに盛り上がり、関空につくまでの三時間を喋りっぱなし・笑いっぱなしで過ごした。
やっぱりわたしはこのツアーの間、少し背伸びしていたのかもしれない。
わたしのジョークに笑ってくれる同世代のお姉さんたちに最後に合うことで、なんだかほっとしたのだ。
阪神の話やあほらしい話などをして、焼肉丼の機内食もおいしく食べて、マカオをお二人に散々宣伝し、香港の話を聞いて、あっという間に関空についた。

ああ・・・明日は会社なのだった。良い旅を終えてわたしは帰還した。



マカオ

11/20-11/23の四日間マカオにいました。

マカオグランプリ最終日に到着すると、公道を使ってレースが行われるので、司令塔というのか、それが道路の上に突き出している。
その真正面のホテル・マンダリンオリエンタルに宿泊。
今回はフリーに近いツアーで、最終日のみ香港へ行くことになっている。
朝に出ても手続きなどでホテルに入ったのは遅い。
尤もこの日、ガイドのリンダが我々を拾いに着てくれたのは夕方五時の約束なので、それは仕方ない。
中華系とはいえ、マカオは大陸の中国人とは全く違う。台湾でもそうだが、鎖国せず異文化の只中で暮らすことで洗練されるのだろう。
要するに、上海で感じた『気分の悪さ』はここにはないのだ。
わたしは何事も都会的な人間関係が好きだ。

リンダは優秀なガイドだと思う。
わたしも長身だが彼女も長身で、表情が豊かだ。
以前からわたしは国外ツアーの場合、男より女のほうがガイドとしては優秀だといい続けているが、彼女もその期待を裏切ることはない。
この日、本来なら夕食はフリーだった。翌日はマカオ食べ歩きプランで、日本人の胃では夕食をおいしく食べれないよ、と彼女が言うのでこの日に急遽振り換えられた。
当然その方が我々には嬉しい。

タイパ島のマカオ料理レストラン『ダンボ』につれられて行く。
人気の店で、お味もよい。特にイワシの塩焼きが絶品だった。
こんなおいしいイワシの塩焼きは、日本でもなかなか食べられない。
それからコロッケ、つぐみの丸焼き。日本人の口に合う。
しかし仔牛のソテーはソースが合わず食べ残す。
ケチャップライス、サラダ、おいしいが極度に量が多いので我々は食べきれない。
デザートに焼きたてのエッグタルトが出たが、これがまたすばらしくおいしい。イワシとタルトにクラクラした。幸せだ…

ホテルはマンダリンホテルなのでなるほど、東方文華だ。
今回のツアーはマカオの近代建築を見るという目的なので、わたしと同行の人は実は二十歳ばかり年上の元気なおば様だ。
母娘に間違われたので『彼女は朋友だ』と説明すると、珍しがられた。
たぶん、わたしもそう思う。

翌日はウェルカムフルーツのりんごとバナナとオレンジと持ち込みのパンで朝食を済ましたが、これらフルーツのおいしさにも目をむいた。
わたしたちはリンダが来るとそのまま観光に出かけた。
彼女は約束より10分早く現れるので、それだけでも中華系とは思えないほどだ。現代では大陸でもそうなのだろうか…

一番有名な聖ポール寺院跡に行く。
張りぼて状かと思った我々の浅はかさを笑われても仕方がない。
実にすばらしい装飾なのである。
偶然だろうが聖母像の足元にポピーらしき花が咲いているのまで、快く感じる。細部をじっくり鑑賞する。
渡辺節のダイビルの柱はこの造形の子孫かもしれない。
裏側から見始めたのがよかったようだ。

すぐ隣にナーチャ廟がある。ナタだ。漢字変換はしないでおくが、封神演義にも出てくるナタ太子だ。わたしは安倍能氏の翻訳本のファンだし中国アニメ『ナタちゃん海を騒がす』も大好きなのでひそかに喜ぶ。
この周辺の中国系の民家のガラスはいずれもきれいな柄が入っている。

セナド広場へ行く。なるほど、ポルトガルだ。
舗地、中国のペーブメントではなく、あくまでもこれはラテンの広場なのである。義順という牛乳プリンの有名店に行くが、これが絶品。
わたしは少し怖かったのでホットを頼み、連れはアイスにしたがアイスのほうがおいしい。翌日また来るぐらいだから、我々はこのプリンの大ファンになったということだ。
仁慈堂の白さがきれいだし、郵便局、市役所がそれぞれ異なる様式なので見ていても楽しい。郵便局だけ見たら、これは日本にもありそうだが他は完全にベランダコロニアルだ。
そこからゆるく坂を下る。マカオダウンタウン。中国人の神様。日々の信仰。それらはどの国どの地に行こうとも、根源は中国人だという証なのだろう。
現にこの後わたしたちは媽祖閣に向かったが、その信仰心の篤さに感心したのである。
その前に、天主教。

ポルトガル人はカソリックである。そのため教会関係の装飾はデコラティブである。学校を併設しているのも特徴なのだろうか。
日本においても本格的なミッションスクールは皆、カソリックだ。
この日は月曜日なので観光客は少ない。
更に日本人でこうしたところへ来る人も少ないそうだ。
この教会にはフランシスコ・ザビエルの骨が納められている。
腕の骨。仏教などでは舎利として仏陀の骨を納めることもあるが、キリスト教でもこうしたことがあるとは。
イタリアの埋葬方式の一つ、カタコンベなどはもろに納骨堂だが、あれとこれとは事情が違う。
ザビエルは日本に鉄砲を伝来してくれたが、政治が変わってマカオに追われた。ここら辺の年代などはわたしは忘れている。
アッシジの聖フランチェスコ教会は聖人の上に教会が建設されている。あの場に立ったときの畏怖心は、ここでは感じられない。

このままマカオタワーに行く。
白虎がいるらしいが、生憎わたしは北摂人、つまり今は無き宝塚ファミリーランドで白虎一家にはなじみが深いのだ。
虎は寝ていた。アルビノは貴種なのだ。しかし、首を撫でてやりたいほど可愛かった。
タワーは60階建てで、展望回転レストランでランチだが、さすがマカオ!と思ったのがデザートのおいしさ。魚がフルーツがデザートが、実においしいのだ。スイカとメロンはシンガポール辺りからの輸入らしいが、わたしは肉はウサギとラム以外は殆ど食べず、延々とデザートとフルーツを食べ続けた。
このタワーは303mあるそうだが、展望台のところで床が傾斜しているのでくらくらした。
本当ならここで空中ウォークを、と思っていたが完全にわたしでは不可能だった。写真が飾られている中にはヒロシもいたが、わたしは彼をちょっと尊敬した。
気分は『未来少年コナン』でインダストリアの太陽塔の上部から出てきた足場に立たされて気絶するラナと同じだ。
しかしわたしには助けてくれる少年はいないので、自分の意思で空中ウォークを取りやめにした。

足場といえば、さすが中華系だけにビルの建築足場をどんな高層であろうと竹で仕立てているのには、正直さむかった。
こわいこわい。

食後すぐそばの媽祖閣に行く。福建省の人間ならみんな必ず信仰する人気者の神様。航海と商売の無事と繁栄を祈ろう。線香もくもく。
リンダは言う。中国人は迷信深いからやたらめったら線香上げてのどが痛くなるよ。
「日本でも常に線香もくもくのお寺があるよ」
「えっどこ、それ」
地名を言うても始まらぬので、赤穂浪士の故事から語らねばならなくなった。

こんなに満腹なのにタンパ島のエッグタルト発祥の店へ行かねばならない。私は半分以上残した。無念。
コロアン島のザビエル教会まで走る。
うわっと言うくらいクリスマスモードになっている。
島はリゾート客がいなければ、さびれたのどかな場所だった。八百屋では日本製のえのきが売られている。十二支の石像が並ぶロード。
島と半島は橋でつながっている。聞けば渋谷区ほどの大きさらしいが実感は掴めない。
半島へ帰り、サンズカジノへ行く。夜に行くと思っていたのでスーツも支度していたが真昼なのだ。理由は一つ、わたしたちはカジノを楽しめない体質なのだ。

立派なカジノは色々なことを教えてくれた。金を賭けない人間にはここは退屈な場所でもあるが、マンウォッチャーにもなれる。
リンダはわたしたちが飲む打つ買うから離れた体質だと気づくや、そうでないガイドをしてくれるので、大変助かる。
出てからミルクティーをもらい、そのままサンズの隣のホテルへ。

ホテルに帰ってからわたしたちは一休みする。わたしは一旦外出すれば夜まで戻らぬ体質なのだが、ここは年長者の意見を尊重する。
ぐったりするのもよいことだ。なぜなら復活の道筋が見えてくる。

夕方からタクシーでセナド広場へ行く。
タクシーは実に安い。朝と違い、凄い人ごみにやられたのか、咽喉が痛い。広場にある薬局で赤いタイガーバームを買う。これも安い。塗りたくる。
郵便局で記念切手を買う。マカオの郵便事情は大変良いそうだ。
聖ポールに再び行き、色々見て回る。楽しい。
地下の絵画や銀製品を見て回る。模造品とはいえ、場所にふさわしいから品がある。そこから聖アントニオなど、とにかく周辺の教会を全て見て回ろうとした。

濃いピンク、黄色、水色、グリーン。
ベランダコロニアル様式の建物がそれらの色でそこにある。
マカオだけの風景。すごい。
消防博物館へ。これがまた素敵な建物だが、中身は四谷にある消防博物館とよく似ている。こちらにはヘリがないだけ。
鏡湖病院少し先からタクシーでホテルへ。大方一方通行なので不思議な感覚だ。

ホテルでケーキやカットフルーツを沢山買うがこれまた安い。
またおいしい。幸せ・・・
とりあえず、二日目が終わる。

町屋とモダニズム住宅

京都新聞社の近所にある町屋を見物に行く。
文化財登録されたおうち。
ご当主は書家できれいな仮名文字の詩歌の写しなどが並べられている。
ご先祖もキレイな書画を残されている。
化政期あたりの頃に手習いなどで集められた写本も楽しい。
千字文、詩経、易経、論語。明治になると下田歌子、柳原愛子、税所敦子らの歌がきれいな仮名で散らされている。
町屋を見に来たはずが、仮名や周延、年方の絵を見ている。
台所などもなかなか面白い。大阪とはまた違うのだが、多少似たところもある。火伏せの愛宕山のお札がある。清荒神さんのお札もある。
布袋さんが並んでいるのがご愛嬌だ。
少将井の地名通りに少将井がある。

ご近所にはこれまで気づかなかった洋館が所々建てられていて、やはり歩いてなんぼだなーと実感する。
烏丸から堀川までの中京区を踏破しなくてはならない。

お昼は大しておいしくないパスタを食べ、それから山科のほうへ出る。
モダニズムの鶴巻邸の見学のためだ。
芦屋美術博物館で以前、関西モダニズム20選という展覧会にも紹介され、藤森先生の講演会にも現れた邸宅である。
外見よりも内部がとてもよかった。つまり、居住空間としての心地よさがある。ロウケツ染の専門家が施主だけに、襖絵などは可愛い絵柄のロウケツ染だ。家具も本野が設計している。コンクリートは中村鎮式のL型。二階の半円部分はコンクリートなし。
講演会も興味深く、質問にも工芸繊維大の先生方は丁寧に答えてくださり、とても楽しかった。現在は萬年社の社主のご子息がご当主だが、中京区のあの本社屋は可愛くてよかったのに、残念だ。
電話のための電池の液体を入れる瓶の話が面白かった。
『逓信省の時分ですね』
『あなたの年頃でよく知っている!』
そう、わたしは電話の歴史に詳しい人なので、トシに関わらずそうしたことには詳しいぞー。
鎮式のコンクリは煙突によくその形を見せている。
とてもよくわかる。

面白い見学会だった。
河原町に戻り、初めて『六曜社コーヒー』にゆくが、地下のお店で手洗いが階段上がる上にあるので、店内はVの字型なのか。すげー。
ホットリンゴジュースなるものを飲む。めちゃくちゃおいしいです。
ドーナツもほわっとおいしい。いいなー。
夕方なのでわたしはコーヒーを飲まなかったが、今度は飲んでみたい。
しかし京都に来るとイノダかマエダばかりなので、ちょっとそちらに対し、申し訳ないような気もする・・・

古書店でMOA美術館の本が大量に出ていたので、色々吟味して、総合本を買う。『和風モダン』本も見つけたので、これもと言うわけにはいかないからだ。

ああ、充実した。

伊丹と西宮

昔、豊中、吹田の一部、池田、箕面、川西、伊丹の一部を『北摂』と呼び、尼崎、伊丹の半分、有馬辺りまでを『南摂』と呼んだそうだ。
それは例えば1917年発行の『阪神間名勝図絵』などにも出ている。
戦前の地元民には懐かしい地名が今回の『伊丹モダニズム再発見』展で見ることが出来る。

13年29年47年と大正初期から戦後すぐまでの三期の地図が出ているが、主に阪急・宝塚線と神戸線の一部が載せられていて、わたしのような地元民には親しみと共に発見のあるものだった。
母の実家は北摂でも古い家筋で、地名の呼び方も大変古いものが多く、わたしなどには混乱する呼び方も多い。
親戚のいた場所が『岡山』というので、てっきり桃太郎の岡山かと思えば、現在の曽根東町辺りだと言う。おいおい、と言う感じがする。
これらの地図にはそうした古い古い、今では殆どの人が知らぬような地名などが出ていて、興味深かった。

伊丹は元々行基上人が開いたという伝承もある古い土地で、酒蔵もある。今では白雪さんがレストランも開き、資料館も残してくれているので、興味のある方はぜひ行かれるがよいと思う。

そんな地のモダニズムを、この展覧会では詳細な資料を基にして展開している。とても楽しい展覧会だった。
細かいことは言う必要がないが、近代建築や考現学が好きでなくとも、『なんとなく楽しい』のが好きな方なら、この展覧会はとても良いと思う。惜しいことにカタログがなかった。
時々この美術館ではそうした残念な状況に当たる。

地元の方々で賑わう、気軽な『伊丹シティホテル』でアフタヌーンティを愉しむ。スコーンがぬくぬくでおいしいし、他のお菓子もおいしい。
このホテルは明るく良い感じがした。次も来たいと思うような感じである。

そこから西宮大谷美術館へ向かう。夙川オアシスロードは桜が紅葉し、とても柔らかな色彩に変わりつつある。
光と影の加減かまだらに染まった葉っぱが楽しい。

今竹七郎。
メンソレータムや白鶴のマークをこしらえた人。
こうした商業デザイナーの作品はね展覧会などで一同に会されて、初めて『えええっこれ、この人が作ったの!!!』と言うことが多い。
アメリカのレーモンド・ローウィもそうだ。タバコのピース、不二家のLooKチョコ、ナビスコ・・・皆が知る商業デザイン・マークを作り上げた人々。
今竹七郎は長生きされた方で、とても一言で言えないようなデザインの仕事を数多く残されている。
ローウィと今竹に共通することは、シンプルさである。
一目でわかるシンプルさ。
どうしても書き込みすぎてしまうのを抑える力。
しかし、今竹のパッケージデザインとポスターは饒舌だ。
これは関西人であることから出ているのだろうか。

時代とマッチしたデザイン、時代を超越するデザイン・・・二つの道を今竹七郎は残している。


面白い展覧会だった。

彦根

実に23年振りに彦根に行く。町作りに熱心な方々の努力でかおかげ横町みたいになっている。その中のあゆ雑炊の店に行き、食べる。おいしい。鮎を焼いたものを雑炊にいれただけなのだが、ダシがいいからとてもおいしい。出てから散策するが、今出来でない昔の町屋が残っていて、なかなか面白い。医院だった建物も発見し、銀行だった建物にも入る。彦根と言えば、井伊家だ。同行の方々は私より20年長の方ばかりだから〈花の生涯〉松緑よかったわね、とおっしゃるが私は生まれていない。そのくせ〈侍ニッポン〉を歌うのは私だ。
博物館に行く。企画展・彦根の人は何を食べたか。私は大阪人らしく(イヤシ)だ。凄く興味を持って眺めて回った。醒ヶ井餅というデザートまでついてるし、なかなかおいしそうなのだ。具合いの悪い人には牛肉を食べさせたらしい。ちょっと面白い。
能を愛好しただけに井伊家には能面や能衣装が数多く残されている。
能面は生々しいばかりに、鑿の刻み痕などがみえる。茶道具も悪くはない。再現された邸も見れるが、全体的に展示の様式が地味なので、惜しい感じがした。ガイドペーパーなど充実しているのに。

今回は滋賀大学の講堂と同窓生会館の陵水会館を見学に来たのだ。
大学の講堂に入ると、教会のようだと感じた。それも擬洋風の。階段の螺旋の巻き方がいい。外側はアメリカの好きな色合いだ。紅葉したプラタナスや楓の林の中に佇む姿は、とても優美だ。
少し松本の旧制高校時代の建物を思い出した。

一方、陵水会館はヴォーリズが作ったもので、スパニッシュだ。ちゃんと水吐き獅子もついている。
ぱっと見は乾邸にも似ていて、やはりスパニッシュはいいものだと思う。タイルの張り方がまた、可愛い。

お城には行かなかった。
以前来たとき、出口を間違えて裏に出ると、菜の花畑があり、そこで虚無僧が尺八を吹いていたのを、今も覚えている。
・・・だから、行かない。記憶を壊したくはないから。

淀川邸と樟徳館

近代和風建築を見に出かけた。太閣園にある淀川邸は、大阪の人間には親しみが深い。結婚式、法事、何かの集いでわたしなども寄せてもらっている。
しかしその道の先生に解説を受けながら見て回ると、またいつもと違う表情が見えてくる。庭園に点在する燈篭、安政4年に出来た道しるべには指差す手がはりついている。
大広間・羽衣の間にてお昼をいただく。お弁当にてんぷらやデザートがついていて、たいへんおいしい。元々おいしいのは知っていたが、今日もご機嫌さんに食べる。
隣の公園はもう紅葉していた。市長公館は戦後のものだがモダニズムでありながら細部が可愛く作られている。向かいにはスパニッシュ民家があるが、近所の桜宮教職員会館は元は貴志康一と関係のある屋敷跡地に建っているから、やはりこの界隈はそういう地域なのだ。

長瀬に出る。
樟徳館に行く。
近代和風建築の傑作。すばらしい大邸宅。
和洋折衷が巧みに邸宅に存在し、すばらしい空間だと思った。
ステンドグラスでなく、レリーフガラスがとてもきれいだ。欄間や床柱、天井のすばらしさ。他にも見所はとても多い。
家具もすばらしいし、暖炉はなんと焼き物ではないか。すてきだなあ。
なにもかもがすてきだ。

洋館は小さくても可愛いが、近代和風建築は威風堂々たる姿でないと、なんだか寂しくなる。だから今日はとても満足だ。
今後は、こうした近代和風建築にも目を向けてゆきたい・

クローデル

昔、澁澤クローデル賞の由来を仏文学者・澁澤龍彦と彫刻家カミーユ・クローデルに見ていた。実はそうではないのを知ったのは十年くらい前だった。ただ二人に全く無関係なわけではなく、親戚がその該当者なのだった。
日本大使で親日家のポール・クローデルは日本画家らと交流を持ち彼等に献辞をささげた。その愛した絵が展示され、会場内ではクローデルの人となりや家族や旅での映像が流されている。時には中国、船上での光景、肖像画…ヘッドフォンからは音楽とフランス語がこぼれる。時折り聞き取れる単語がある。人名や固有名詞。つながらない語りを聞く愉楽…なにかとても贅沢な時間だった。

京まんだら

数えて三回目になる東松照明の京まんだら。見れば見るほどこわい写真だ。私は以前から京都人は不死ではないかと密かに信じているが、これら京都人の写された表情を見ると、あながち私だけの妄想ではないのではないかと思うのだ。さまざまな祭りの一コマや寺での風景、何気無い情景…それらは皆、静かな恐怖を視る者に与える。東松の意図を越えた作品のような気がしてならない。沖縄を撮影した作品には本土にはない異形の神々が現れているが、それらに畏怖はしないが可愛らしいと感じる。が、この京都の人間たちはなんなんだ。人の間か。こわい。微笑みがこわい。凄まじい。そうとしか言いようがない。 隣のこわい人間…

須田国太郎

京都展の次は東京に巡回するようだ。

かなり以前、日本洋画壇の三巨匠という展覧会を大丸京都店で見た。
梅原、安井、須田の三人である。当時既に梅原が好きだった上、安井の回顧展を大丸心斎橋でも見ていたので、二人の絵には関心がもてたが、須田には感心しなかった。難解で暗い絵だと言うのが当時の印象である。十一年前のことだ。
しかしながら、ここ数年かつてキモチ悪く思っていた絵に目が開かれ始め、須田の回顧展が開かれることを心待ちにするように変わっていた。
子供の頃と違い、現在は『大好き』なのは、小出楢重に始まり、岸田劉生、ルネサンス以前の絵画、イコン、須田国太郎。
重厚な絵に惹かれるようになっていた。

須田がたまらなくいいなと思ったのは、『鵜』である。
これを最初に見たのは前述した展覧会である。だが、『鵜』のよさは胸に刻みつけられていた。他はいやでも『鵜』は大好きと言う感じ。
今回カタログには出品項目から洩れていたが間違いない。

校倉甲乙もじっ・・・とした佇まいがたまらなくよいと思ったが、何かしら胃にこたえる重さがあり、苦しい感じがした。
が、これも今のわたしの目には「すごいなあ」になるのだから、やはり須田のような絵は、見る側にも一定以上の何かを要求しているのだろう。

『隼』が可愛くて仕方ない。二年前に京都市立美術館で見たが、余りに可愛くて背中を撫でてやりたいくらいだった。『村』もやはり市立美術館のコレクション展で見ている。つまり2003年には完全にファンになっていたのである。『海亀』には「ガメラやー♪」と喜び、去年の夏には『夏の夕』にもときめきを覚えていたのだ。

そして何よりも能狂言のデッサン展を2002年に見たときから、文献上でも須田のことを調べ始めていた。
幸いと言うか、わたしは武智鐵二と八世三津五郎の対談集『芸十夜』を以前から所有している。そこに二人の見た須田の姿があった。
それだけで嬉しかった。
あのデッサン展には本当にときめいた。近代の大名人たちの動きが見える気がした。手の返し、足の運び、肩のうねり。
今回それらが一部ではあるが、展示されカタログにも掲載されているのが嬉しくて仕方ない。

しかし会場でわくわくしながら展示を見るうち、本を買うのをやめようかと言う気になっていた。30年代の絵に関心がもてなかったからだ。
が、40年代以降になると、どれもこれもすばらしくなる。
そう考えると、わたしの目が一方的に悪いわけではないのかもしれない。
とにかく鳥が可愛い。猛禽類がたまらなく可愛い。
発表当時悪評を受けたと言う『歩む鷲』などどうにもならないくらい可愛くて、そしてとても良い絵だと思う。図版では暗くなりすぎて目つきなどが見づらいが、それでもとても好きだ。小品の猛禽類のよさにはうなるばかりだ。地に立ち、見上げる鷲のにやっとした顔。かっこいいなあ。わくわくする。

絵葉書は新規には作らず既存のものを販売していた。
わたしは当然の如く、本を購入した。
かなり満足だ。そしてこのブログを機嫌よく書いていたのだった。

写生の時間

京都市立美術館は『関西文化の日』に協賛して、所蔵品展覧会・写生の時間を今日明日の二日間無料公開している。

特別展の『修羅と菩薩のあいだで』はまたいずれ・・・
入江波光の『彼岸』は魂が震えるような名画だが、誰にも知られぬときにひっそりと見ていたいので、ちょっとつらい。

『写生の時間』はかなり面白かった。
栖鳳の写生帳がここに保存されていることは、とても心強い。
本絵もよいが、エスキースがなんとも面白いのだ。フクロウや猫やわんこが可愛いのなんの・・・スイカがまたおいしそうで・・・。
契月のイタリア絵画の模写に味わいがあった。マリアと王の横顔を描く。二人の胸元には都市が並ぶ。原画は知らぬが、既に契月の味がある。
玉章の芭蕉にわんころは応挙を彷彿とさせた。わんこが可愛くて仕方ない。またこういうのに限ってえはがきがないのだから・・・。

最近あちこちで伊藤快彦の絵を見かけるようになった。
新収蔵されたから出す、と言うことはどなたかコレクターの方が手放されたか、価値が今になって出てきたかのどちらかなのだろうか。
尼崎で春に色々見て以来やたら見かける。これも一種のデロリ系なのだろうか。鹿子木を久しぶりにじっくり見る。十年以前、回顧展で見て以来の凝視だ。一時本を売ろうかと思ったがやめて手元に残しておいて、本当によかったと思うほどの良い絵だった。

一つ感心したことがある。展示ケースが、どうやら大変レトロなものらしい。安堂寺町の佐藤金庫製造所美術棚部謹製だとシールが張られているが、実に素敵だ。
なんとも奥ゆかしい。

総じて、『見ることが出来て』よかったと思う絵が多い。
コンセプトを変えた展覧会の力と言うものを感じる。
これからもこうした展覧会は続くようで、それがとても愉しみだ。
難を言えば一つ、絵葉書を増やすか簡易図録を作るかしてほしい・・・

晴天秋日の京都

これだけ空が高く、雲ひとつない秋空は胸がすくようだ。

鹿ケ谷から岡崎へ出たわたしは、機嫌よくカフェオーレとサンドイッチを買うて市立美術館の前庭でランチをした。

おとついの奈良もそうだったが、京都も徐々に紅葉が始まっている。
東山区には植治こと七世小川治兵衛の作庭した庭が、それこそ数え切れぬほどある。皆さんそこへ行かれたようだ。
わたしも決して嫌いではないし、長く離れていると懐かしく思ったり、下手な庭を見ると『植治が見たいなー』と口にしてしまうほどだが、目の前にあると行かない。
夢窓国師の作庭した等持院の寂れた庭が好きだ。枯山水というより、手入れが悪いのかなんなのか、荒廃しつつあるような頽廃がたまらなくいい。

京都はまことに見るべき・味わうべき風物が多い。

物語を描く

日本には豊かな文化があった。伝説や物語を、飾る絵画形式にするだけでなく、身近な小物に例えば扇子や屏風などすぐ目につくものにも、それらを描いた。そしてそれら物語はたいへん普遍的な存在で、日本人の知の共有財産でもあった。
今現在、古美術以外に何かそうしたものはあるのか。

分館で貰ったチラシで機嫌よく晴天秋日を鹿ケ谷に遊んだわけだが、泉屋博古館の中庭からの借景は優美であった。

物語といえばまず浮かぶのは、竹取物語と源氏物語である。前者は作者未詳だが、明らかに人の手により作られた物語であり、後者はわが国が誇る文学作品である。
今日に至るまで本歌取りした工芸品や二次創作やマンガやアニメにまでなる人気作品が、江戸時代にも捨て置かれるはずもなく、様々な手で視覚化されてきた。

展示されている源氏物語図屏風は説明によると、岩佐派の手によるものらしい。表情に確かにそんな匂いがある。
個人的嗜好はともかくとして、源氏物語と伊勢物語は古美術を愛好する以上、必ずアタマに存在させていないとならぬ作品である。
巻の何巻のどのシーンが描かれているかと言うことは、一目で見分けねばならぬし、どの状況でかと言うことも押さえておかねばならぬ。
そうせずとも楽しめるかもしれないが、物語を読了・理解しないと、こうした二次創作の味わいは、通り一遍のものでしかなくなる。
味わうにはやはり貪婪なまでに深く深くそこへ入り込みたいと思う。

伊勢物語図屏風は宗達作と言う伝がある。
河内の女がごはんよそうのを見て厭になったり、捨て置いた女が諦めて他の男を迎えようとしたときに現れ、事情を知って消えていったため、女が血文字で岩に歌を残して絶命したり、などたまらないシーンが描かれている。武蔵野らしきのや八つ橋も、なんとなく背景はきれいでも人物が阿呆に見えて仕方ない。
大原御幸もあるが、これも前提としての話を押さえていないと、なんのこっちゃになるのだろう。
数年前、歌右衛門が建礼門院、法皇を島田正吾で見たとき、静かな感動を覚えたものだ。
憎しみからの解放、和解・・・それがこの大原御幸のテーマでもある。
この屏風自体は桃山時代のものだが、描かれ方がわかりやすく、近代日本画のようにもみえた。

わたしは今回、是害房絵巻が楽しみで来たのだ。
南北朝時代の作ながら、多少わかるような文字もあり、何より表情がイキイキしているのでとても面白い。
曼殊院のも見たが、両方とも烏天狗の描き様がとても面白いし、風呂場の感じがよくわかる。鳥獣戯画や長谷雄草紙でもそうだが、割と笑えるものが多いのだ。

佐竹本の源信明が出ている。今年は北村でも三十六歌仙が出ている。
わたしは絵葉書コレクターなので色々買い集めているが、この佐竹本三十六歌仙は、まだ三分の一しか手に入れていない。十年ほど前の東博・やまと絵の展覧会で、斎宮女御を見たが、あれは一体どこへ蔵われているのだろうか・・・

竹取物語だが、先々週まんが日本昔ばなしが再放映され始め、かぐや姫が出たのを見たところなので、ついつい比較してしまった。ははは。
それや復刻された講談社の絵本が意識にこびりついているので、どうもまぜこぜになっている。

狩野派の海士図が縦長な感じでこちらに迫ってくる。
この内容は国芳の浮世絵で何種か見ているが、あちらは三枚続きなどの横長なので、軸装のつまり縦長画面の絵がとても新鮮に思えた。

二十四孝ね・・・老老介護とかそういうのをチラリと思い出した。七十翁の親と言うことは九十翁媼だし、七十息子にしても既に人の親であり祖父でもあるはずだ・・・中国は奥が深いなあ・・・

機嫌よく出たが、この建物の可愛いところは入り口の扉の押し手である。ちゃんと青銅器風になっている・・・・・・。

泉屋博古館

久しぶりに鹿ケ谷の本館に来た。最近は六本木の分館ばかりだ。
日本の物語絵を見る前に常設の青銅器と銅鏡を見て回る。

私は殷周の文化が好きで青銅器がたまらなく好きだ。おとつい行った奈良国立博物館には坂本コレクションというすばらしい青銅器所蔵品があるが正倉院展の最中で混んでたのでこちらを楽しみに来た。関西には他に白鶴美術館にやはりすばらしい所蔵がある。

私が入ると外人客に学芸員さんが丁寧な説明をしていた。他に一人。これは好きな向きにはたまらなくいいが、無関心な人には苦痛な美術品らしい。
私は饕餮トウテツ文が好きだ。黄帝が倒したシユウが化した怪獣で、意味は〈終りなき貪欲〉。ギロリとした両目が無機質に見開き、歯を見せるような表情に見える。また犠牲の牛の首やめでたいセミも紋様になったり飾りになったり、青銅器は見飽きることがない。
またここの鏡がいい。それも時代が古いほど味がある。盛唐になり絵画的な柄を見せると案外退屈だ。今回鏡の絵柄を写したのを出してくれているが実に楽しい。428番は変なオジさんのオンパレードだ。童画家瀬川康男のキャラを彷彿させる。楽しいなあ。四神の他に拳竜氏を描いた鏡もあった。高麗製もある。繊細で、いかにも高麗製だという匂いのするきれいな造形だった。

アールデコ

最近アールデコ展が多いので嬉しい。九月に大丸心斎橋でパリモダンと店そのもののすてきな展覧会があり、喜んだところだ。今回は各国の元からの文化や美意識がどのようにアールデコ化し、融合したかをみる機会でもあった。
知られているように1925年のパリからアールデコは始まり、当時パリにいた朝香宮夫妻はそれを自邸として再現し、ヴォーリズは大丸の建築様式をそれに決定した。東西に二つのすばらしいアールデコが現存することは誇りに他ならない。
各国特有の文化と融合と言ったが、例えばアフリカや南米ユカタン半島やアボリジニなどのプリミティブな、と形容されるセンスがデコと調和する状況を指している。
それらを見ていると、実にアールデコ的なデコラティブだと感じるのだ。装飾様式か。しかしそれはライフスタイルまでも変化させる力を持っていた。
またカーター博士によるツタンカーメン発掘のあおりを受けてやたらエジプトブームが起こったと言うのも、面白い。
1925。そういえば、このミュージアムそばに同時代に作られたと思しきビルを二つ発見した。商船三井築港ビルと天満屋ビルだ。
スクラッチタイルとモダニズムと。

・・・感想文のはずが評論になったので、ここでリタイアしよう。
とにかく見る機会のある人は、皆さん見てほしいし、楽しめると思う。
随分見所のある面白い展覧会だった。

また文化の日の本日、サントリーミュージアムは開館11周年記念で全館無料だったので、沢山のお客さんが来ていた。
大勢のお客さんを混乱させることなく会場へ案内する係員さんたちも、忙しくて疲れているだろうにニコニコしてとても感じよく、また会場内でガムを噛むと言う違反者の人にはハッキリとそれをやめるよう告げているのが、とても感じよく思えた。親切と、毅然とした態度と。
一方わたしも親切を受けた。ロッカーに入れ損ねた荷物をどうしようと思ったとき、入り口の係員さんがわざわざ五階でそれを預かり、四階出口にまで持って降ろしてくださったのだ。
ありがとう。

人間、こういうことに心が動かされるものだ。ささいなことだがわたしは当分サントリーの商品を愛用することに決めた。わたしなりのお礼。

為恭

大和文華館で幕末の絵師冷泉、岡田為恭展を見た。以前から関心を寄せていたが、こうした展がなかったのでたいへん嬉しい。幕末にこうした復古大和絵が咲き開いたことは、時代背景を考えると意味が深いと思う。確か気の毒に巻き添えを食って暗殺されたはずだ。
専門家らしき人が為恭の絵は画素数が多いと言うのが聞こえたが、現代はそうした観点からも絵を見るのか。群青色が濃く、鮮やかなフルカラーの色彩も言われたら、デジタル処理のようだ。なんだか残念。
何がイイかにがイイと言うことに意義が見い出せない為恭の絵はさすが貴族らしく、年中行事図に見るべきものがあり、それに付随して模写の巧さが光る。いくらでも誉めるのはあるが、子供の描き方がいい感じだ。後の雪佳を思い起こさせる可愛らしい連中。本当に見るべきものが多い。よい展覧会だった。

杉本健吉

奈良県立美術館で杉本の奈良大和路を描いたものを見る。これが実にイイ。東大寺の観音院をアトリエに活動しただけにそこからの絵が素晴らしい。室内や静物の簡素な筆致は一見「自分も描ける」感じさえする。眺める間にその味わいがじわじわ来る。いいなあ。
特に気に入ったのは骨皮帖だ。暗い時代に必死の決意で画家たることを貫こうとした態度には感動した。 その中にある博物館内写生図に惹かれた。摩耶夫人の袖から釈迦誕生の、小さな群像だ。それを眺めたり写生する群衆。ガラスの反射がまるで釈迦誕生を寿ぐ天上の光に見え、人間であるはずの群が佛だちに見えるのだ。何か静かな感動があった。
他にも四天王寺の太子一代記の下絵などがよかった。背景の木々などがきれいでよかった。私は山岸涼子の名作〈日出処の天子〉が意識に深く存在するので、太子絵伝にはちょっと複雑な観があるが、素直によい絵だと思った。

正倉院展

また今年も秋の一大イベントの時期だ。この十年必ず通い、馴染みになった御物もあれば初公開もある。久しぶりに見たかったのは平らでん背八角鏡。これは今から二十年前に初めて見て、たいへん感銘を受け、執着した御物だ。すばらしい。やはり何度見てもすばらしい。この豪奢な華麗さ。ときめきが止まらない。ああ…それから碁石。細かい細工を施された赤と黒の碁石には何度目の再会だろうか。可愛い小鳥。きらめく碁石もある。そして碁盤も。更にそれらを納める箱や容器にも彩り鮮やかな細工を。
瑠璃ガラスがある。唾壺ははは。そんなものにまで美は存在する。フェルトカーペットも出ていた。わりと好き。しかし初公開を見ると、これまで出なかった理由がよく分かる。
これまでの葉書や本が格安販売されている。喜んで色々買う。かぶるのもあるが、その時の空気が伝わるので、いい感じだ。
春はお水取り、秋は正倉院展。これらはいつまでも守り抜かねばならない日本の年中行事だ。
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