美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

年末にぜいたくしてもぉた

四人連れで浜坂までカニバスツアー決行。
世間様では、大掃除やコミケや自己反省などに余念のない方々がおいでの一方、こうしたカニバスツアーも大人気だ。

大阪人によくぞ生まれたり。
蟹や河豚などを食べると必ずこの実感がわく。
浜坂漁港までの道のり四時間を、わたしはしゃべり倒した。そう、わたしはその気になれば二十四時間耐久シャベリレースに出場出来る気がする。(あるんか、そんなもん!)
山田風太郎記念館と言う看板を見かけるが、物凄いモコモコ雪に阻まれて、所在地がわからなかった。残念。
隣のツレは忍法ものが好きで、わたしは綺譚が好きだ。

浜坂の水産会社でかにフルコースをいただく。
団体客向けとはいえ、大変な人気だ。
おいしい。おいしい。おい・・・言葉が途絶える。
あああ、かには冬の王だ!
(エルリングでもル・グィンでもないぞ!)
甘エビもおいしい???
セコガニの卵の味噌汁・・・ヒィッ!
ゆでカニは持ち帰ることにした。焼きがにも雑炊もおいしいなあ。
なんでこんなにも幸せなのか・・・

下の海産物市場で、わたしはカレイの一夜干しを買ったが、他のツレはそれぞれ好きなものを買っていた。
このツアーにはお土産がついていて、荒巻鮭、甘エビ500gなどを帰りしなにもらえるらしい。ほくほく。

浜坂から湯村温泉へ行く。
実はここへ来るのは新入社員のとき以来だ。会社の慰安旅行。
それ以来だから、なんと久しぶりなことか。
そこで温泉卵を作るのだが、荒湯につけて、時間を待つ間に私たちは足湯に浸かった。あ゛ー気持ちいい。
岸田川には鴨の一群が泳いでいる。
その川に防波堤のように作られた足湯。気持ちよかった。
みんなで足跡の比較をする。ドラえもんのような奴もいて、笑いあう。

ここは慈覚大師が開いたそうだ。
恐山を開いた高僧。行基、弘法、慈覚、みんな流浪の中で後世に残る仕事をしている。

卵はお土産にして、バス内では帰りの夕食として、カニ弁当が配られた。お昼のお店の特製。これがまたおいしいのなんの。
ぱくぱく食べちゃった。

途中事故渋滞もあり、迂回などしてちょっと遅れた八時前に梅田に帰還した。
貰ったお土産の荒巻鮭と甘えびはとても立派だ。
更に持ち帰りのゆでがにと買うたカレイとで大変な重荷になっていた。
しまった。
袋を持ってくるべきだった。


帰宅後家人に土産を見せびらかす。
こんな良いツアーで8000円弱なのだ。
凄く幸せ。ありがとう、中央交通よ。


ああ、おいしかった。



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クリスマスも終わり年末へ向けて

ちょっとテンプレートも変えて、クリスマスから脱却です。
未就学児の頃、近所の教会に『日曜学校』に行ってまして、クリスマスにキリスト生誕のお芝居をするのです。そのあとケーキとカルピスを貰う。わたしはそのケーキのことは詳しく覚えていますが、芝居を覚えていない。
母は言う。
「あんたの役はマリアとヨゼフの宿泊を断る宿屋の主人やったよ」
「えっ、どんなんや」
「こない言うねん『お泊めすることは出来ません』て」
・・・まあ、子供のお芝居だし。

わたしはなんとなく東方の三博士が好きなのだ。
関根正二の絵にそんな絵がある。三人の少年が並ぶ絵『三星』これをみると、『クラバート』の漂泊流浪の少年らが東方の三博士に扮して物乞いをする情景と重なるのだ。

明日からはいよいよ年末の追い込みだ。
何故かうちの会社は十二月決算なので、毎年泣きを見ているが、まあなんとかあと三日間をやりすごそう。
今日は具合が悪く何もせずだらけていたが、明日はとりあえず働こう。
明後日には高校ラグビーも開幕だ!

物語絵と縁起絵

大和文華館に行く。
日本には古来より美しく、またせつない物語が多く存在する。それらを絵巻或いは屏風、扇面などに好ましい情景を選び、写す。
既にそれだけでロマンチックな作業だが、さらに現代人たるわたしたちはそこから当時の人々の嗜好をもさぐる。

古美術を愛する以上は源氏、伊勢、能の物語は弁えねばならない。
また、歌仙、高僧、軍記も押さえるべきだ。そこまでしないと現代では、いきなり作品を見てもただ、ああ綺麗だなあで済んでしまうのだ。そんなもったいないことはない。
知るからこその愉楽を放棄するのは、わたしにとっては罪悪だ。
しかし物語を知る人が減った以上は、学芸員さんの語りを聞けなくば、ついに物語を知らずに終わる人もいる。

丁度ついた時、解説が始まっていた。
途中から入ることにしてわたしはわたしの見学を始める。
まずは白描の浮舟だ。匂宮と宇治川に行き、薫君のことに悩む姿だが、髪と体の線が一体化しており、モダンな柄のように見える。白描にはそうした作が多い。
次に国宝〈寝覚物語〉、小説としての概要が失われて久しい絵巻。金銀砂子が蒔かれ、千年の歳月を越えてなお華麗だ。
なぜ残ることが出来たか、単に保存法の問題だけではない。心を打つ内容とこの美しい絵が惜しまれ、大事にされたのだ。
子供らのふくよかな頬、寝覚の君の嘆き、尼になってもなお…。
大仰な描写はないのにこれら3シーンでなにかが伝わる。

平治物語断簡、数人の敗残武者が行く。先頭が頼朝、一人振り向く髪があらわなのは金王丸、というらしい。源平は好きだが、彼を知らなかった。つまりここからわたしは新しい発見の旅に出れる。
絵は菅楯彦を思わせる。菅が描く武者達に。

遊行上人縁起がある。これは国宝で馴染み深い一遍聖絵とはまた別な系統だ。長野県佐久での躍り(踊りと書くべきだろうが、湧躍するその群れにはこちらの字を当てたい)やはり色黒に描かれている。死後すぐの一遍聖絵は描いた人が身近な人だけに、絵にリアルな方向性を持たした。だから遊行上人は色黒なのだ。

法然上人絵伝、慕帰絵が有名だが、これはそれとは異なる。洋の東西を問わず聖人画は人気が高いものだ。
おお、善財童子絵巻の第五十二、弥勒菩薩に教えを乞う図だ。
善財の旅は五十三の善智識に逢うことで終わりを告げる。
善財は道を求めて文殊に会った。
これだ。わたしは善財と言えばすぐに高橋睦郎の『善の遍歴』を思い出してしまうのだが・・・
しかし五十三と言う数字が気にかかる。
東海道も五十三次だ。双六をすると五十三の宿場を過ぎねば京(ゴール)には辿りつけない。
5と3では足してもカブにはならぬが、聖なる数字なのだろうか。

禅機図経箱がある。箱に描かれているのは『南泉斬猫』だ。この物語は知っているぞ。『ファンシィダンス』にあったからだ。そうしたことからも知識が広がりを見せてゆくのだ。
道成寺縁起絵巻がある。これは江戸後期の、庶民向けのもので、絵も単純だが、なかなか面白い。学芸員さんに訊ねる。
「この頃は既に清姫は『娘』と書かれていますか」
「ええ、そうですね」
「初期の頃は女偏に取の字で『娵』つまり後家さんと記されてましたがあれはいつから変化したのでしょうね」
御伽草子の頃くらいからだと言う。彼女は続けた。
「やはり娘、の方が人気があるのでしょう」
二人で黙って笑いあった。

回廊を回り、源氏物語の屏風などを見る。
土佐派はかなり好きなので、嬉しい。その一方で岩佐派も好きなのだ。
伝岩佐又兵衛の屏風の人物の目つきが面白い。リアルなのだ。眼差し一つで考えていることが伝わるような絵なのだ。
好き好き好き。アニメーションになった『山中常盤』が見たかったなあ。
伊勢物語も沢山出ているが、布引の滝を見る兄弟がいい。
伊勢物語はある種の名所紀行の側面も持つと思う。八つ橋、武蔵野、芥川・・・源氏は流されても明石までだ。

曾我物語の富士のお狩場が出ている。
目玉の丸いキャラと切れ長キャラと。十郎、落馬してるし。
熊や猪や鹿や猿がかわいそう。
丸目玉キャラは鳥居派の絵看板を思い出した。小姓なのか、美少年たちもいる。日本人は仇討ちが好きだ。

奈良絵本のような絵柄の忠信次信物語絵巻がある。
わたしは奈良絵本も好きだ。
佐藤兄弟は兄次信(継信という表記が多い)弟忠信が揃って主の義経の身代わりとして死ぬ。
兄は屋島で、弟は吉野で。
『修羅の刻』義経篇での佐藤兄弟が大好きだ。あの作品では、徹底して義経の『弱さ』が描かれ、せつないほどだった。皆が義経を好きで、義経を生かすために誰もが命を捨てる。わたしはこの作品から川原正敏狂いになってしまったのだ。

阿国歌舞伎草紙が出ている。
十年来、こうした近世風俗画にのめりこんでいるが、この絵は特に好きだ。大和文華館所蔵の『美人』は松浦屏風(今現在、九州国立博物館に出張中)とこの阿国歌舞伎の女たちだ。
顔立ちが可愛らしい。

波兎の盆が出ている。謡曲『竹生島』の一節からのご登場。日本人の趣味にストライクらしく、実に色々な形態・場所で見かける。
しかし、さっき骨を見たところなので、この耳長さんについ、言ってしまう。
「・・・その耳、骨もないのによぉ立ちますなぁ」
なんとなく、兎が冷や汗をかいたようだった。

探幽の縮図を見る。本絵も良いがこうした縮図は見ていて興趣が尽きない。本絵には描かれた分までの妄想を持つが、縮図には枠を超える妄想を抱けるのだ。筆さばき一つにしても。
その探幽の弟安信が描いた中国の仙人たち。蝦蟇を肩車するのは鉄拐か。表情が面白い。

竹田と乾山はチラッと見ただけでも『おお、竹田だ。おお、乾山だ』と嬉しい気分が湧く。向うはこちらを知らぬだろうが、こちらは知己の気分なのである。だから、いつ見ても悪くない。

参考出陳として『明妃出塞図巻』があった。王昭君の悲話だ。
誰もが皆、可哀想な話だと言う。
一人だけ、陳舜臣『小説十八史略』では、窮屈な宮廷暮らしより大事にされる匈奴の暮らしがよかった、というのを読んだ。なんとなく、私もこの説を採りたい。好きだなあ。陳舜臣の『・・・実は』ラストにどんでん返し、という小説がとても好きだった。


機嫌よく見て回り、改めて建物を眺める。
吉田五十八の名作。ロの字の中に竹を植えてある。回の字と言うべきか。庭園は冬枯れで少し淋しいが、また春には華やぐだろう。
ああ、よかった。



美しの骨

今年最後の展覧会巡りに、まずはINAXへ向かう。
〈小さな骨の動物園〉として様々な生物の骨格標本が並んでいる。
誤解されたくはないが私は骨やミイラが大好きだ。何がどうと言うのは難しい。実物より観念としてのそれらのファンなのだ。これは多分幼時に見たアメコミの影響だろう。

さて骨。魚の骨は見慣れている、と思いきや、この展示で新発見が続出だ。うわ?という感じ、知らなかったことだらけ。感心する。
また並べ方がイイ。オオミズナギドリを先頭にアホウドリまで羽根を開きつつある姿で編隊を組むが、しんがりの鳥は骨翼を収めるのだ。
飛行とその終焉、そんなかたち。
また驚くことに中の数羽がこちらを(見て)いる。立つ場を変えれば視線から逃れられるようだが。
肉のついた(わたし)を見る骨の鳥たち。

骨の鳥といえば、諸星大二郎の世界だ。孔子暗黒伝のあの幻のシーンはいつ見ても心臓を掴まれてしまう。鳥の骨の手で。

白骨の作り方がパネルにある。
小動物と大型動物の差異はあれど、肉を切り取る作業から始まるのは同じだ。
小動物の場合、入れ歯用洗浄剤などでこびりつく肉を解かして剥がすらしい。え゛っっっと言う感じ。
そして大型動物は野ざらしにして1?2年寝かせると、きれいな白骨になるそうだ。昆虫による白骨化。
それを見たとき、久生十蘭と横溝正史の小説を思い出した。
ボーン・チャイナと骨格標本の話。

大型の骨格標本は長居にある大阪自然史博物館からの貸し出しだが、個人コレクターの方の魚の骨格標本がこれまた面白い。
ウニまである。きれいなものだ。タイのタイ。
ああ、骨の魚が泳ぐ。そんな展示の仕方。まてよ、包丁人味平でもあったなあ。
軟骨の多いイルカや海亀は予めレントゲンを取るらしい。その海亀の骨格標本を見る。
丸い。甲羅も頭骨も丸い。眼窩も丸い。なんだか悲しい。

牙つきの虎の頭骨、キリンの頚骨、豚の足首、鹿の角つき頭骨。
肉もないのに、妙にナマナマしい。
以前宮古島でサンゴの死骸を沢山見た。ああ、あれと似ているのか。
カルシウムの塊。
サルの頭骨は、ヤッターマンか何かの乗り物のようだ。確かドクロベエとかいうのもいたなあ。
フィギュアのようなタマリン。ミミズクの全身像は生前と全く違うし、リスも胡桃を持たされなければ、わからない。
いや、一番わからないのはウサギだった。
耳がないのでなんだか別な生物(死物?)だ。
イカも干乾びればスルメになるしな。(どんな喩えだ!)

エッセイストの人が面白いことを書いていた。
『骨には二つのシがある。暮らシと歴シだ』というようなことを。
なるほどその通りだ。骨を形成するのは暮らしと歴史だ。
そして死体を暴かれ骨を曝される。

ペンギンの剥製と骨格標本が並んでいた。
剥製といえば科学博物館の展示は、一人で見て回るには大概根性がいると思う。じゃりン子チエのアントニオの剥製は、お好み焼き屋の油で汚れているだろう。

アミメニシキヘビの標本は面白かった。くねくねしているが、これぞ本当の蛇行だった。トンネルのようだ。

他にも色々と『えっそーなの!』ということがあるので、ぜひこの展覧会を見に来られれば、と思う。大阪は2/17まで、名古屋は3/3?5/19まで、東京は6/1?8/19まで。

かなり、面白かった。



冬至

冬至らしく、ナンキンを炊いたのを食べた。そう、かぼちゃのことです。ゆず湯にも入り、いい気持ち。

雪は昼からの日差しで解けて、なんとか帰宅も出来た。
でも、寒風に負けてコンビニで中華まんを買うてほっぺたに押し当てながらチャリンコで帰ったのです。
今日は昼が短く夜が長いのか。
とりあえず、もうおやすみ・・・

雪を見て思うことなど

大阪に雪が降ると、たちまち何もかもがストップしてしまう。
基本的に亜熱帯に近い地なので、雪が降ることを想定していないのだ。

雪を見ると二つの物語が頭に浮かぶ。
それは『雪の女王』でも『雪国』でもなく、『クラバート』と『庵室』だ。

『クラバート』はオトフリート・プロイスラーの名作で、ボヘミア地方に残る伝説を元に書かれた物語である。流浪の少年クラバートがそうと知らずに魔法使いの弟子になり、過酷な状況の中、死と隣り合わせの修行を続ける。粉引き職人としての修行と魔法使いの修行を続ける弟子たちは必ず十二人で、大晦日の日に一人が親方の『代わりに』命を落とす。誰がその犠牲になるかはわからない。
そしてイースターの日に新しい弟子が水車小屋に来る。
その輪の中から逃げることは出来ない。
雪はこの物語に重要なイメージを与える。
白い雪、黒い夜。

今年話題になったドレスデン美術館展の所蔵品の方向を決めたアウグスト二世がこの物語にも現れる。親方は身をやつしてその王宮に現れ、スェーデンとの戦争を続けることをアウグスト侯に強く勧める。
クラバートも士官候補生のような身なりになって、親方の力を目の当たりにする。
権力すらも動かせる力。
しかしクラバートはそこから抜け出すことを求める。自由を手に入れようとあがく。クラバートをそうさせたのは、一人の少女の存在だったが。
親方との闘いの中、力を奪われ悪夢にうなされるクラバート。
雪はいよいよ降り積もる。これまでに死んでいった弟子たちの墓も雪に埋もれて、場所もわからない。
緊迫する日々。やがて。

クラバートがようやく自由になった大晦日の夜も、雪は降り続いていた。親方は新年を迎えることはないだろう、と文章は短い。
そして雪は降り続くのだ。

チェコスロバキアのアニメーションで『クラバート』を見た。
そこでも雪は降り続く。ただただ雪が降り続く。


『庵室』は菅専助が書いた『攝州合邦辻』の一幕である。
玉手御前が父・合邦の庵室へ走りこむ。その浄瑠璃が
√しんしんたる夜の道・・・
なのである。このときの玉手御前は演者にもよるが、片袖または頭巾をかぶって現れる。
このシーンで『しんしんたる夜の雪』を感じさせてくれなければ、台無しになる。
わたしは写真でしか観ていないが、三世梅玉の玉手はまるで水底の女のように見えた。ぞくぞくするような妖艶さを感じ、目がくらんだ。
また先年なくなった梅幸の玉手を見たのは僥倖だった。
それが最後の舞台だったということを思わずとも、あの玉手は切なく美しい。歌右衛門の玉手はひとり咲き、梅幸の玉手は椿が雪の上に散ったような風情があった。

雪を見て、ただただそのような感慨を持ってしまうのだ。

終い弘法

毎年ニュースで東寺の『終い弘法』の様子を見る。
12月21日、お大師さんの縁日。
いっぺんくらい行ってみたいが、何故か仕事をしている。土日だと違う場所に行っている。

数年前、四天王寺のお大師さんと太子さまの縁日に行った。
これもなかなか楽しかったが、そこから東寺へ回ることは出来なかった。
21日は大師、22日は太子、24日はイブ、25日は天神さん、その後に荒神さん。オバアチャン子にとってここいら辺の行事の記憶は薄れるものではないのだった。

年が明ければすぐにえべっさんだ。
わが地元には菅公と藤原魚名ゆかりの天神さんがある。
その天神さんには夷講もあり、近在の人々が多く集まる。
タレントや有名人の餅巻きもある。まてよ、節分だったっけ。

終い弘法にはあと二十年位したら行ってみよう。
それまでは天神さんと清荒神さんが私を待っている(筈だ)。
とりあえず、大晦日と新年を越してからだ・・・

個人的追想・・・になるのか。

わたしにとってのE.M.フォースターは『インドへの道』『モーリス』『眺めのいい部屋』なのだ。
『ハワーズ・エンド』もあったか。
みんな映画化されている。そんなところからしか、読んでいないのだ。

実は小学生のころ、意味も分かっていたのかいないのか、『アンナ・カレーニナ』が大好きだった。家には父親の集めた時代物と歴史物しかなく、母の本は徒歩五分の祖母の家にあるが、そこより近い隣家に世界文学全集があり、毎日読みに出かけた。
隣のおばちゃんはカナちゃん・ミナちゃん姉妹の母で、私からはカナちゃんのおばちゃん・妹からはミナチャンのおばちゃんと呼ばれる陽気な人で、いつも昼メロを見ていた。わたしが行くと昼メロの粗筋を教えてくれ、見れる日は一緒に見ていた。小学生低学年だったが、記憶は今も残っている。
さて、そこで本を読む。
『ガザに盲いて』『ナナ』『闇の奥』『テス』『カラマーゾフの兄弟』
『嵐ヶ丘』『月と6ペンス』『南回帰線』『セクサス』『キリマンジャロの雪』などなど・・・
どこの出版社か今となってはわからない。(引っ越されたからだ)
よくも読んだものだ。
子供の本が一つもない。
今再読しろと言われたら『ちょっと多忙で』とか逃げてしまいそうだ。

『宝島』はアニメの再放映でハマり、そこから読んだのでもう高校生だったし、『赤毛のアン』も『ハイジ』も出会うのが遅かった。
偕成社の少年少女世界文学全集や平凡社のそれらはいまだに好きだが、わたしの翻訳文学との関わりは凡そこんなところなのである。
しかも小学五年生のときに司馬遼太郎に出会い、猛烈に時代小説・歴史小説に溺れたので、実に長ーーーい間、翻訳物とは縁が切れていた。
それに我が家では『絵本』は伝説・民話・アンデルセンばかりで占められ、創作絵本とは無縁だったのが、大学出た途端に、ハマりにハマり、やたらめったら集め倒した。

順序が逆なのだ。
子供のころに大人の本を読み、大人になってから子供の本を読んでいる。
高校生のころは映画を見ては原作を読み耽ったが、翻訳小説の文体はわたしにつかなかった。文章から映像が浮かんだり、視覚的に読んでいたせいだろう。

今はそんなこともないが、私が一番強烈に感染したのは、実は石川淳の文章である。
わたしのような生粋の大阪人(古い攝津弁系だが)にとっては、石川の文章は全く別世界の言葉だったのである。
石川本人の強烈な個性だけでなく、彼の素地すなわち浅草出身で儒学者の孫ということを考えれば、あの言語世界は理解も納得も出来るのだが、当時はただただ驚嘆し、感染力の強さに葛藤した。

やっと抜けてからこうしてブログを綴っているが、まともな文章も書けず、何が言いたいのかもわからず、思い立ったら構成も何もかも無視してただただ書きなぐっている。

文学と言語と感性と、それらについていつかじっくりと思索に耽ってみたい。今は只、書きなぐるばかりで、結末もなく、終わる。

わたしの本棚・1 文庫本

昨日から大掃除を始めている関係で、改めて自分の本棚を眺める。
我が家を建ててくれた棟梁は本来は純和風の大工さんなので、収納がたいへん少ない。ところがわたしは棚が大好き、母は箪笥が大好きなので、えらいことになってしまっている。
・・・「あんまり置きなさるなや」と微笑んで言われたが、うちに来られる度「あーあ、もぉぉ」と嘆いておられるような気がして、申し訳ない気がする。

さて本棚。
わたしは整理整頓能力が欠けているが、本の並べ方にだけは情熱を燃やしている。
自室のメイン本棚のとある段が、文庫本の聖域とでも言うべき段で、本の並び方を眺めるだけでときめいてしまう。
このブログは横書きなので、そのラインナップをあげても、わたしのときめきは再現されないだろう。
しかし、横書き・同一書体で記してみて、それでもときめくかどうかを実験してみたいと思う。(左から右への順で記す)


朱き机によりて 里見
日本橋檜物町  小村雪岱
明治の東京   鏑木清方
清方随筆集   鏑木清方
こしかたの記  鏑木清方
崑崙遊撃隊   山田正紀
李歐      高村薫
闇の左手    アーシュラ・ル・グィン
黄土の奔流   生島治郎
夢なきものの掟 生島治郎
犬神博士    夢野久作
豹の眼     高垣眸
夕日と拳銃   檀一雄
狂風記     石川淳
至福千年    石川淳
鷹       石川淳
紫苑物語    石川淳
高丘親王航海記 澁澤龍彦
玩物草紙    澁澤龍彦
お艶殺し・金色の死 谷崎潤一郎
人魚の嘆き・魔術師 谷崎潤一郎
春琴抄     谷崎潤一郎
薮原検校    井上ひさし
孤島の鬼    江戸川乱歩 
白髪鬼     江戸川乱歩
話の話     ユーリ・ノルシュテイン
十一世団十郎  利根川裕
松緑芸話    尾上松緑
役者の青春   中村勘九郎
恐るべき子供たち ジャン・コクトー
玉三郎写真集  篠山紀信 

・・・うーん、書いてるときはやはりときめいたが、眺めるとそうではないな。ただしどういう傾向かはわかる気がする。
この段はもう差し替えはないだろう。


いきなり北と南

大阪人のわたしが『北と南』などと書くと『梅田=キタ』『難波=ミナミ』の比較論になるようだが、そうではない。
無論他国のことでもありません。

わたしの見た・読んだ沖縄と北海道の映画や小説について書き起こそうと思う。実際に行った先での体験談ではなくに。


沖縄に最初に出会ったのは、実は映画と小説だったりする。
『神々の深き欲望』もう、めちゃめちゃ好き。高校生の頃やたら映画を(それも新作ではなく旧作の二本立てなど)を見て回り、上映会にもやたら通った。その中で今村昌平のこの作品に出会ったのは、全く僥倖だと思う。
そもそも三國連太郎が子供の頃から大好きなのだ。
いけない子供だなあ。
その彼の主演作を見ずにいられるはずもなく、延々とみつめつづけた。
それでいっぺんに沖縄にハマったのだから、ええ加減なものだ。
また、小さい頃から昔話や伝承文学に深い関心があり、松谷みよこの『日本むかし話』などを繰り返し読み耽っていたので、下地は出来ていたのだろう。
アンジ・ニチェー、大村御殿、金の瓜、ウンタマギルー・・・

次に見た映画は『ウンタマギルー』である。ハマりすぎて幻聴がするほどだった。しかも『ウンタマギルー』を見ると『神々の・・・』が見たくなり、『神々の・・・』を見ては『ウンタマギルー』が見たくなる。
延々と溺れていた。

星野之宣『ヤマタイカ』とそのプレ作品『ヤマトの火』にも相当ハマった。中に出てくる地名相似については以前から個人的に関心を抱いていたので、嬉しく思いもした。
比較神話学の見地からもこの作品には今も熱い思い入れがある。

やがてザ・ブームの『島唄』だ。
あのころCDをエンドレスに聞きづけていた。
音楽的には『ウンタマギルー』から沖縄音楽にはまり始めていた。
(映画音楽はゲルニカの上野耕路だったが)
当然のようにりんけんバンド、ネーネーズに溺れた。

しかしこうして見ると、外側の人間が描いた沖縄が実に多いことに気づいた。しかしそのことについて論ずる気はない。


そして北海道。
こちらはまた個人的体験としては「おいしいー!」から始まる話になるので、今回はパス。

実は最初に北海道を『認識』したのは手塚治虫の『シュマリ』である。
リアルタイム時に読んでいたのだ。
それから武田泰淳『森と湖の祭り』。何故か初版が家にある。
この二作に小学生のときに出会えたのも『僥倖』だろう。
丁度泰淳が亡くなった頃で、わざわざ図書館で『ひかりごけ』を借りた記憶もある。本当に泰淳世界にのめりこむようになったのはもっと後年だが。

やがて映画『飢餓海峡』だ。
これも愛する三國連太郎主演の内田吐夢監督作品。あんまりよすぎて原作よりいいと思うほどだ。
それから三浦綾子『果て遠き丘』をなぜか雑誌で読んでいた。
無論例によって例の如く昔話や伝説はきっちり読んでいる。

一つ探している物語がある。
中学のとき学校図書館で読んだアイヌの民話で、かなり面白かったのだがそれがどの民話集を探してもみつけだせなくなっている。
しかし。
ここでその内容を語ることはしない。見つけられないこと自体がなんとなく、貴重な気がするのだ。
見つけ出せない物語はもう一つある。トーマス・マン『選ばれたる人』の元ネタ伝説である。見つからないこと自体が楽しいのは、何が原因なのだろうか・・・

それから中学のとき二時間ドラマで片岡孝夫主演の『鉄鎖殺人事件』を見て、昭和七年当時の小樽、と言うものにめちゃくちゃハマった。
このドラマで小樽にハマったのだ。小樽の町並み、小樽の状況に。
そして片岡孝夫に。
(わたしは変な条件で発動する体質なのだ)

伊藤整、小林多喜二、下母澤寛。
特に下母澤寛は家に揃っていたので、やはり小学生の頃から読んでいた。本当に楽しめるようになったのは、やはり大人になってからだが。

まだある。(まだある、と続けたら「かまぼこ小屋」の安達元右衛門だな)
栗塚旭主演の『燃えよ剣』を親が酷愛していて、再放送のたびに必ずわたしも見ていたのだが、覚えているのは最終回手前の、五稜郭で土方がみんなの出てくる夢を見て、目覚めて車座になった座布団に触れ、「まだ暖かい」と言うシーンだ。


・・・とりとめのない随想になってしまった。
振り返ればいくつもいくつもすばらしい作品が思い出されてくる。
自分の体験した北海道と沖縄はまたいずれ書こう。
記憶の垂れ流しになったところで、終わる。

ゲド戦記

ゲド戦記をジブリが映画化すると、今知った。
正直、ショックだ。

『影との戦い』『こわれた腕環』『さいはての島へ』『帰還』『アースシーの風』他に外伝、とゲド戦記は四十年ほどの歳月の間に紡ぎ出された、最上の物語だ。

ジブリの実力はよく知っているし、なにより原作者のアーシュラ・ル・グィンが『ジブリならOK』と言った以上はもう何を言うことも空しい。

しかし宮崎監督の演出ではなくご子息のデビュー作品ということに心が引っかかるのだ。
あの名作をデビューに選ぶ見識は確かだと思いたい反面、とても…こわい。壊さないようにしてほしい、とただただこれを望むばかりだ。
しかしどこまでを映画化するのだろうか。
ポスターのイメージからゆくとはてみ丸の姿らしきものが見えるのでやはり『影との戦い』までだろう。
シリーズ化する、とは思えないし、なにより少年から青年へ、青年から老年へと至る物語なのだ。しかもその間にジェンダー問題やフェミニズム問題も入るし…ル・グィンの思想の変容が(進化というべきか)行間から読み取れるようなこの一大傑作が、どのような形で表されるのか。
不安ばかりが先に立つ。

世界中で人気の高いこの作品を選んだ以上は絶対に中途半端なことはされたくない。しかしグッズなどの販売もされるだろうし…あああ。
しかしそもそもキャラ設計からどうするのだろうか。
ゲドは白人ではないのである。
挿絵を元ねたにすることもない以上、ハウルのようにオリジナル絵になるだろうが…

生は死の中にある。死もまた生の中にある。
そのような哲学的命題を含む物語をどう作成するのか…

…ロード・オブ・ザ・リングが大当たりし(すばらしい映画だった)、ディズニーもナルニア物語をする…から、と言ってまさかゲドを選んだというのでないことを、ただ祈るばかりである。

これからの一、二年をこうしてわたしは不安と期待に駆られながら過すのだろうか……

討ち入り

忠臣蔵の日だ。

子供の頃から忠臣蔵が大好きだ。
映画も歌舞伎も何でも見る。
論考も読む。

祇園に原了郭という七味屋さんがある。義士原惣右衛門の子孫のお店。
ここの黒七味が大好きだ。あんまりおいしすぎて、とうとうポトフにまで使ってしまった。旭ポン酢と黒七味がわたしの必須品だ。

話を戻す。
吉良のお殿様はお気の毒だが、やっぱり憎たらしくなくてはいけない。
『フナじゃフナじゃ』『鮒侍とはあまりな雑言』で浅野くんはキレなければ話にならない。
私が見た吉良で一番憎たらしかったのは小沢栄太郎の吉良だった。
よかったなあ、あの憎々しさとおちゃめさ。
彼はむしろ『吉良』と言うより『高師直』の方が似合ったろうが。
芦田伸介の吉良殿はまことにお気の毒、と言う感じがした。
正しいことを言ったのに理不尽だと言うのがよく出ていた。
近年では石坂浩二の吉良がよかった。

不忠臣蔵も好きである。
鶴屋南北の芝居。世界を忠臣蔵に借りて四谷怪談、盟三五大切などを書き上げた。子供の頃から四谷怪談が好きと言うか怖くてたまらないのに見ずにいられないというか。
以前、中座で勘九郎(当時)のお岩さんを見た。うまい、とうなったのが毒を飲んだ後の手の痺れ。胸を衝かれた。
しかもおばけになってからのお岩さんが客席に現れたので、きゃーとか言いながらわたしは勘九郎を触っていた。ばか。ホンマにばか。

赤穂に行こうと思いながらも全然行っていない。
そのくせ泉岳寺も萱野三平の家にも行っている。浅野侯切腹の跡地にも行った。そこから愛宕山へ出て『寛政の三馬術』を思ったり。

最近一番ウケたのはしりあがり寿の忠臣蔵マンガ。
山鹿流陣太鼓を大石が打つのを羨ましがる義士たちが、打たせてくれと詰め寄る。困る大石のそばで笛を吹くものが現れる。
結局義士たちは太鼓や笛の伴奏で『年末恒例の』第九を歌いながら行進する。こういうの、大好き。

チケットが取れなかったり忙しいことから、最近歌舞伎に行けない。
文楽も見ていない。昔の名人の録音を聞くばかりである。
そういえば数年前、懐メロ番組を付き合いで見ていたら、三波春夫の『俵星玄番』が出た。聞いてびっくりした。
凄い。凄いとしか言いようがない。
特に√サクサクサクサク・・・のところは聞いていて本当に雪が見えた。
こんな経験はめったにない。
感動したが、既に三波春夫はあの世の人だった。ファンレターも出せない。
小学生の頃は何かといえば『お客様は神様です』とか言っては笑っていた。(他には『記憶にございません』と『たたりじゃー!』である。年代がバレるなあ・・・)

大石のことも書こう。
わたしにとって今の中村吉右衛門が一番由良之助役者だ。
見たいのは七段目だ。それから元禄忠臣蔵もよいだろうなあ。
真山青果の台詞回しが大好きだ。

まとまりもないし、とりとめもない。
しかしもう終わろう。果て途がなくなる。

最後にどんどん節をここに。


駕籠で行くのはお軽じゃないか
わたしゃ売られてゆくわいな 
ととさんご無事で またかかさんも
共に達者で折々は便り来たり聞かされたり
どんどん・・・



12月12日の故事

どういうわけか、子供の頃おばあちゃんの家も我が家も(徒歩五分の近さ)毎年12月12日になると小さい紙あるいは短冊に『十二月十二日』と漢字で書いてそれに糊をつけて、玄関や窓などに張って回った。
うちは北摂の古い土着民なので、そんな風習が残っていたのだ。
子供のわたしが作り、張って回るのだがいい加減しんどかったので、ある年を境にやめてしまった。

そもそもその由来を知らなかった。

母や祖母の話によると、この日は大盗・石川五右衛門が捕まった日だか釜茹でにされた日だからしい。だからこれは盗人封じの行事だったのだ。
今で言えばセコムしてますか、のようなものらしい。

しかし実行者であるわたしがやめたので以後は誰もしなくなった。
やめたが忘れることはない。
毎年この日が来ると色々と思うのだ。

因みにわたしにとって石川五右衛門とは、(十三代目ならルパン一家だが)人形劇・真田十勇士に現れたひと、もしくは映画『忍びの者』での市川雷蔵なのであった。

数年前、奈良の老舗旅館『菊水』に行った。
近代和風建築の粋を見るためである。
そのとき、窓枠に『十二月十二日』の紙が張られているのに出会った。
ご主人に伺うとやはり泥棒よけのおまじないだと言われる。
うーん、生きてたのだなあ、この風習。
ご主人もわたしがそのことを知ることに驚かれたようである。
土着民でおばあちゃん子だからこそ、ですよ…
とは言わなかったが、なんとなくうれしく思った。

しかし現代のサッシには最早そのおまじないセキュリティは効きそうにないので、再開は我が家では断念した。

まだこの風習は京都辺りでは残っているのだろうか……

無鄰菴から水路閣へ

初冬でありながら晩秋の気配も濃く残る無鄰菴へ向かった。
子供の頃からこの界隈にはよく来ていたのに、何故かこれまで入らずにいた場所である。
祇園さんからてくてくと歩き、入る。
お茶もいただけるが、ニガテなお菓子が出た場合を考えて避けることにした。ツレは作法がわからないというが、素人は『ありがとう、いただきます』という気持ちで丁寧にあたれば、それで良いと思う。
そして知りたければ教えてもらえばそれで良いのだ。

植治の庭。
東山は植治の領域である。
時々『・・・またか』と感じることもあるが、いざその庭を眼前にするとやはり『気持ちいい』と思うのである。
これは歌舞伎と同じかもしれない。
安宅関ならぬ『またかの関』とも揶揄られる『勧進帳』だが、いざ見ると必ず感銘を受けるのだ。せりふや動きもわかっているのにどきどきする。そして見終われば『ああ、よかった』と心の底から思うのだ。
それと似ている。

私もツレも木々の名前に疎い。
声に出す形容も『きれいー、可愛いー』しかない。
小さな滝の前に枝のつるっとした木があり、その葉が黄色く水に落ちている。日本の古代から続く色彩がそこにある。
小さな楓も愛らしい。
苔の上に静かに寝ている。
羊歯は少なかった。

和館ではお抹茶をいただくお客さんが並んでいる。
外人のお客さんがその情景を撮影した。
気持ちはよくわかる。とても美しい情景なのだから。

洋館はこれは蔵座敷の洋館化とでもいうのだろうか。
フラッシュがダメなので撮影しないが、階段の手すりや床面モザイクがわたしの好みだ。
会談をした部屋は家具も当時のままらしいが、壁画というかなんというか、美しい大和絵がひろがっている。狩野派かなと思ったらやはりそうだった。どこから持ってきたのだろうか。その方にも関心がゆく。
格天井も豪華で、カーテン掛けは衣文掛けの転用だろうか。
こうした細かいところにばかり眼と意識が向かうため、全般の印象が薄れてしまうことが度々ある。

そこから南禅寺へ向かう。
動物園を指差しながら『この景色よう覚えといてや』とツレに言う。
『なんでやの』
『まあまあ、あとであとで』
動物園と我々を隔てる川には五位鷺や鴨、鴈などがいる。
伊丹の昆陽池にも行かねばならない。

小さな観覧車から遠ざかり、南禅寺の境内に入ると観光バスが何台も停まっている。山門には登らない。絶景かな、とは言えないだろうなあ。
水路閣に着く。
小学生の頃から大好きな場所だ。
わたしは田邊博士のファンなのだが、彼が長命だったとは実は近年になってから知ったのだった。
何故そんな思い込みをしたのかと言えば、これはやはり若くして近代史に輝く業績を残したからだと思う。粗忽なわたし。

色々な角度からこの水路閣は楽しめる。
上る。階段を上る人はあっても、ここから疏水を行く人は案外少ない。
水が流れている。ツレにそれを見せてあげたい。
わたしたちは延々と歩く。
行き交う人も少ない。
なんとなく、楽しい。
公園に着いた。お花見のとき、実はわたしはここでお弁当を広げることにしている。博士の像は若い頃の小磯良平にちょっと似ているといつも思う。
インクライン。
先人の努力。

真っ赤に紅葉している楓があった。
見上げると、枝まで赤く見えた。すごい。
しかしカメラでのぞくと、赤は赤だが枝まで赤く見えると言うことはない。目(意識かもしれない)の錯覚とカメラの無情と。
そこから下り始める。
二本の線路。隣同士の鉄路を行く。
一筋を歩くにはわたしのバランス感覚は悪い。
隣り合わせの二本を同時に行くと、ペンギンみたいだ。ははは。

都ホテルや浄水場が見えたが、悲しい工事中の景色も見える。
目を右に向ければ、これまた悲しい庭園が見える。
ナゾの建物があるが、飾りに変な顔がデコレイトされているのでちょっとパスしよう。
歩く。どんぐりや小さな木の実を拾う。
やがて終点。
『あっここに戻ってきたのか』
そうですよ。
ちょっと楽しい。

疏水記念館にも寄り、少し勉強もして、三条へ向かって歩き出す。
川沿いを行き、東山三条に出て醸造酢や木地師の説明をしつつ商店街へ入る。
アートコンプレックス1928。
元・毎日新聞社屋。武田五一の建物。
色塗りされた当時はクラクラしたが、慣れとは恐ろしいもので悪く感じなくなっていた。
六時からの谷山浩子コンサートを待つために、わたしたちはイノダヘ向かうのだった。

いもぼうとイノダときた村

実に何年振りか、祇園さん抜けた円山公園のいもぼう平野屋に来た。案外値上がりもしてない。案内された部屋の天井がなかなか素敵な舟形風。網代もある。
いもぼう御膳を頼む。海老芋と棒ダラを延々と炊いたもので、私はコレが食べたかったのだが、本当に長い間遠回りしてきたと思う。
面取りされた海老芋は形崩れせず、そのくせ箸で割るとほろほろと溶けるようだ。おいしい。甘すぎず、おいしい。
祇園豆腐はあんかけにとき辛子が浮かんでいるが、あんかけといえば生姜、が好きな私には新鮮だった。
おいしかった。

出てから無鄰菴、水路閣と巡り三条に出てからイノダ本店へ行く。
一人なら三条店が好きなのだがツレがあれば必ず本店へ行く。
二人とも喫煙しないので旧館の席を待つ。
かなり待ったが、今日は谷山浩子のコンサート待ちなので焦らない。
ガーデンではクリスマスイルミネーションが煌いている。
暖かい旧館でおいしいコーヒーとケーキをいただきながら外を眺めることの贅沢さ。
この気持ちのよさはイノダのこの空間にいなくては味わえない。
言葉や絵では伝えられない愉楽がそこにある。

谷山浩子コンサートで気持ちよくなった心のまま、木屋町の餅料理きた村へ行く。
京都文化博物館に出店されていた頃は足繁く通い、うちの母などはここの白味噌雑煮を『絶品』だと言う。
わたしは生憎その母の子でありながら白味噌よりすましが好きなので、二色餅の雑煮を頼む。古代米の餅と白餅。おいしいわあ。
ツレは磯辺焼きを食べたが、うにの塩辛か何かを薄く忍ばせてあるようで、飲めないわたしたちはその酒精分だけでぽっと赤くなる。
桜海老のてんぷらには餅生麩のような物も共に揚げられていて、とてもおいしい。突き出しもとても細やかに作られていた。
地鶏のたたきもおいしく、わたしたちは機嫌よくお店を出た。
お姉さんが送ってくれはるのへ、
「また寄させてもらいます」
そう応えて私たちは大阪へ帰った。

北摂のわたしよりツレは更に小一時間遠いが、気持ちよく帰ったろう。

ぶらぶら歩く

堀川蛸薬師でバスを降り油少路にきかかると、ややモダニズムの香りが残る建物を見た。地名板は仁丹だ。空也町とある。更に行くと呉服屋を中華屋にしたぜぜかんがあり、越えて烏丸に来たらマエダがありキャラメルティが私を誘うが今日はイノダもマエダも捨てて六曜社に行く。
カリヨンが鳴る。大丸かな、諸人こぞりてだ。錦市場はよう混んでる 。錦湯にも入りたいが風邪をひくな、今からでは。
餅カフェにもそそられながら振り切り歩くと、ミスドがなくなってた。これで中京区からミスドは消えたようだ。寂しいな。あるかもしれないが知らない。その角を入ると謎の映画館がある。いい建物だが成人向けなので入れない。トシなら十分成人だが。冗談はさて置き、そのそばの東宝では前に〈レッドドラゴン〉を見た。わざわざここで見たのが我ながら(やっぱりわからぬ奴)だった。

たどり着いた店はホット林檎ジュースとドーナツがおいしいが、いかにも京都の学生向けらしく客あしらいはプロではない感じだ。しかし若い学生客が皆静かなのには驚く。なぜ沈黙を保つのか。不思議で仕方ない。まさか常連以外は口を聞いてはいけないのだろうか…そんなあほな。謎は謎のまま帰るのだ。

旧西陣電話局

久しぶりに来たら中は改装され民間会社も住んでいた。三階から外を眺めると大文字がはっきり見えた。うっすら雪が見える。焼き菓子の上にパウダースノーがかかったようだ。
外観はモダンである。裸婦のレリーフとトルソが躍ったままはりつき、鶴巻邸のような出窓がその裸婦の上に現れている。分離派の岩元禄が設計したすばらしい電話局だ。
京都は帝が京都に出ていったので地盤沈下を起こし、これではあかん、と一念発起し新し物を色々導入していった。だから電話局もすてきな建物が多いのだ。
案内してくださったNTT関係の方が親切で嬉しい。市民文化局発行の歴史遺産本を見せて貰い、ときめいた。こうした本が欲しいのだ。早速調べよう。
上から見たら煉瓦倉庫があったので表に向かうとなんだかレトロなアパートになっていた。同潤会のイトコみたいな感じだ。
とにかく京都は見たと思っていても必ず新発見がある。その発掘作業に従事しなくてはならない。こぼたれ更地になり、マンションが建つ前に。

熱狂体質

子供の頃から熱狂体質だ。
今もそれは変わらない。

要はハマると他のものが何も見えなくなり、それ以外の何事にも関心が湧かなくなるのだ。
最初の熱狂は『新八犬伝』と辻村ジュサブロー(現・寿三郎)。
幼児の頃に夢中になったものが、十年後に展覧会などで再会でき、集められるだけのものを集め続けた。今も愛している。
次の熱狂は『リングにかけろ』だ。
ごく幼年の頃から末の叔父にジャンプを読まされてきたので、絵本と同じくらいの頃からの読者だ。だから車田御大の『スケ番あらし』もリアルタイムに眺めていた。
今日はそのリンかけについてわたしの個人的感慨を書きたい。

『リングにかけろ』
文字通りせりふを覚えこむほどその世界に没頭した。
いやそれどころかいまだにキャラの表情や動きがすぐに思い浮かぶほどだ。
あほなことを言うと、総帥が竜児に自分と剣崎との関わりを手紙に書いて送ってくるエピソードがあるが、そこでその文章が手紙三枚分らしいので、一行に何文字書いてあるか実証検分までしていたのだ。
それから英訳・ドイツ語訳までした。
他にもよくぞそんなあほな、と言われるようなことを『真剣に』していた。一つのマンガでこんなにも影響を受けたのは、実は後にも先にもこのリンかけしかないのだ。
作家性としては諸星大二郎が至高なのだが、このリンかけへの熱愛とリスペクトは全く別格のものだ。

阪神大震災の後、片付けの手伝いに来てくれた友人があるものをみつけた。
「なあ・・・これ、すごいな」
「あっそれ・・・うん」
「・・・これてホンマにお宝やんなあ」
「うん」
「残さなアカンで、絶対」
それは、ギリシャ十二神戦直前から最終話までのリンかけの切り抜きと抜き取りだった。
あの当時のジャンプは接着剤でなく巨大ホッチキスで製本されていたから剥がすのに大変な労力がいった。
わたしはそれをブック状にして、保管しているのだ。
フルカラーのきれいさは二十余年を経ても失われていない。

本来、このブログは昨日12/6にあげるべきだったのだ。
車田御大と香取石松の誕生日へのお祝いとして。

少し遅れてしまったし、中途半端なことしか書けていないが、胸がいっぱいになってきた。
わたしは聖闘士星矢にも再燃中だが、リンかけのことを思うと涙ぐみそうになる。

もう書くのはやめよう。中途半端はいやだ。
ただ、想い続けていることを自分の中で確認すれば良いだけなのだから。

今月に入ってから

12/1?12/6まで。

天牌?ウィード?女帝?ミナミの帝王?ジパング?龍?三丁目の夕日?黒沢?浮浪雲?デスノート?オメガトライブ?新・幸せの時間?カリスマ?鎌倉ものがたり?クレヨンしんちゃん?海皇紀?カペタ?遮那王?なんと孫六?艶恋師?静かなるドン?湯けむりスナイパー?牙忍?鼻紙 …オヤジだなあ、あたし。

大体何を読んでいるかよくわかる。これにあとリンかけ2、ヴァンパイヤ、キーチ、あずみ、医龍、太陽の黙示録、天上の弦、黄金のラフ、などが加わるわけか。テレプシコーラ、グリムかもしれない・・・・・・

プリンセスの他YOUもBELOVEも読んでるけど、こちらはまあ女の人ならよく読みますわね。は・は・は・・・

伊万里と京焼

昨日の午前の話。

北斎展・常設・企画などを見てから表慶館の『伊万里と京焼』を見に行く。
基本的に私は磁器が好きだと以前から度々この場において書き倒しているだけに、今回の展覧会は軽い気持ちであたることになった。
また場所が大好きな表慶館なのでそちらにも注意を払わねばならない。

わたしは十二世紀の高麗青磁と南宋の曜変天目を除けば、十七世紀の色鍋島と乾山が最愛である。伊万里は母が好きで、家の食器は大体が古久谷と伊万里、有田で占められている。

今は無いが、信濃橋そばの陶器神社の夏祭りでは『大阪名物・夏の風物詩・せともの市』を開催していたのである。そこに来る業者が伊万里・有田がメインで、祖父母の代から夏になると夜に出かけて縄でくくった伊万里や有田を買うて帰ったそうな。
京都五条の陶器市も悪くないが、同じものでも少し高値だと言うのは子供心にも面白かった。勿体無いことにこの楽しい行事は数年前になくなってしまった。形を変えて存続したとか言うが、あてにならないところがさすがだ。

偶然かどうか、都内で磁器専門美術館の戸栗では伊万里展をし、総合的な松岡でも伊万里をメインに出しているようだ。
二つの美術館に今回は行かず、表慶館のそれを楽しんだ。

今回、京焼のほうに見るべきものが多かった。
仁阿弥道八。良いものが沢山出ている。
京都の陶工では仁清、乾山、道八が殊の外このましい。磁器ではないがノンコウも別格としてわたしの中の雛壇に飾られている。
しかしさすがにわたしは関西人。知る作品がとても多かった。
これらが東京で展示されるのはよいことだと思う。
『見られ疲れ』ということもあろうが、美しいものとして生まれてきた以上は見られることでいよいよその美を堅固にしなければならない。
そうでなければ、実用でもないものが何のために生まれてきたのかわからなくなる。(当初実用だったとしてもそこから解放されれば全く別な存在になる)
百年以上の生命を保ちながらも、じつは一瞬にして破壊され、再現が不可能でもあるという存在。それが磁器の『いのち』だ。
壊れないものでは魅力はないだろう。
壊れるからこそ、大事に扱われますます美しくなるのだ。

道八の猫が可愛い。銀が酸化して黒になり、銀猫が黒猫になっている。
幕末の作品は穎川にしろ木米にしろとても可愛い。

おやおや金沢にある『雉』が来ている。片つがい。ハガキの鴛鴦も。
古清水の食籠風なのがきれいだ。
乾山と光琳のコラボもある。紅葉皿も今の時期にふさわしい。

ああ、なかなか楽しい展覧会だった。建物もあちこちじろじろしたし。
床のモザイクが可愛いなあ。

撮影会を開催することはないのかなあ・・・・・・

北斎展

明日でしまいの北斎展に行ったのは、実は国立博物館パスポートの期限が二ヶ月を残してるのにまだ二回空きがあったからだ。焼き物にだけ行くつもりが、軽いキモチで調べたら物凄い人出ではないか。伊丹7:20出発で平成館前についたのが9:26だ。家を出てからだと3時間丁度。私は基本的に行列はしないが、開場待ちということなら並ぶが、しかし凄かったなあ。改めて北斎人気を知る。
大津や大丸や小布施で観て以来の大展覧会。500点近いのを何期かに分けての展示らしいが凄すぎる。

私は一応展示は全て見たが、特に好きなもの以外はさらっと流した。でないと無理な状態なのだ。若い頃の絵には関心がなく、やはり中年からがすばらしい。それでも絵尽新板などには奇想も見られ、なかなか楽しめた。忠臣蔵、名所、雀やカラス、戯画などが私は好きだが、それらも沢山出ていたのが嬉しい。また年代毎に分けたあるから北斎の進化を目の当たりに出来る。しかし世界中からよくまあこれだけ集めたと感心する。偉い!
技量だけでなく技法や主題も変化して行くのは、北斎の場合変名によるものなのだろうか。彼に比肩するのはピカソだけだろう。膨大な名を持つピカソもまた… 大展覧会だった。

化け物屋敷絵は、明治に入ってからも度々見受けられるが、北斎のを見ると大体そのパターンが分かる。私には楽しい絵だ。銅版画風タッチの風景も多く、騙されることもある。ダマシは絵師や戯作者、役者のいのちかもしれない。観客は素直に騙されるべきだ。見立てと真景の対比は見立ての方に面白味があるものだ。たとえば伊達与作と関の小万がなんで並んで『…』な顔でいるのだ。しかし設定を知らずともこれが道行というだけでなんとなく観客は楽しめる。

北斎の人物は意外なくらい静かで温厚だ。特定の個人でなく名も無き市井の人々は笑いはしても、阿呆なことはしないしすっとんきょうなこともしない。戯画は別にしても、総じて人物はおとなしい。これが國芳や広重になると、バカバカしく楽しくなるのだが。
読み本挿絵がすばらしい。わたしは挿絵に対し特別思い入れがあるからよりそう思うのかも知れないが、本という形態で現れる北斎の絵はとてもすてきだ。絵手本である(北斎漫画)や写真画譜はみんな今の時代にも納得がゆくものばかりだ。官女や公家をリアルに描いてからそれをさらっと描いたのを載せる。実に分かりやすい。なんとなくマチスのプロセスを思い出す。

私は北斎の鳥が好きだ。花博記念に花鳥画浮世絵に絞った展覧会があり、それ以来のファンなのだ。目つきが可愛い。ふくよかでくりっとして。夢二の小鳥は目が小さいが北斎のは丸い目をしている。本邦初公開の仔カラスの群れの可愛さ!いいなあ。花もきれいだ。なんとなくこれでステンドグラスでも作りたいような感じがする。

弓張月の挿絵がいい。八丁畷の紀平治がいい。弓張月と言えば國芳の錦絵(崇徳帝、眷属をして為朝を救う)を思い浮かべるが、これは違うシーンなのだ。興味がとても湧いてくる。
数年前猿之助、玉三郎、勘九郎で三島の脚本を元にした弓張月を見たが、あの時なにか静かな感動があったことを思い出した。
夜鷹にしろ馬子にしろみんな静かでそして品があるように思う。

物語絵について。九尾の狐の斑足太子の段は芝居絵のようで私は好きだ。これは細工見世物のビラにも共通する楽しさだ。
化政期は上方下がりの細工見世物が浅草奥山で大当たりを取る時代だった。生まれていたら私も見に行く。干支の動物らを巧く配置している。
それにしても富嶽百景は人気だ。一瞬私はドラマの『富嶽百景殺し旅』を思い出した。小沢栄太郎が北斎を演じ偽名がア北斎だったのだ。

琉球八景も想像からの風景だが悪くない。為朝がいそうだ。この風景の中で、彼が見える気がする。芭蕉園がかわいい。

しかし武者絵はよくない。國芳の二番煎じにしかみえない。静けさが邪魔をして。ふと松田修の『刺青・性・死』を思い出す。水滸伝は人気者の北斎が挿絵を描いたように、この時代に爆発的ブームになった。しかしながら、一枚絵として、その時に世間が求めたのは北斎ではなく國芳だった。豊國門下で兄弟子國貞に大きく水を開けられていた國芳はその勇壮な武者絵で一気にのし上がった。火消し、鳶、任侠者はこぞって体に國芳が錦絵にしたと同じような彫り物を入れた。その豪華絢爛さはいかばかりだったか。
北斎はそれをどうみていたろうか。彼の先妻が残した長女は門弟重信に嫁したが離縁し、ただ一人の孫はグレてガエンになったと言う。松田は言う。ガエンになった孫の背を彩る刺青が己の絵でなく國芳のものならその苦さは更に倍するだろう、と。それかあらぬか北斎の武者には何かが欠けている。
しかし武者絵がよくなくても北斎には様々な分野がある。それが今日に至るまでこうして何万人もの観客を呼び寄せる力でもある。

わたしは北斎と言うと、さきほどの小沢栄太郎を思い出してしまうのだが、杉浦日向子『百日紅』上村一夫『狂人関係』にも強い思い入れがある。石森章太郎の北斎もよかったが、あれではお栄さんが気の毒でいやだ。

葛飾北斎の魅力は、今後も長く世界の人々に及び続けると思う。


最後に一つ。カタログの三千円は理解しますがハガキが150円はいただけませんなあ。いや、この高値もまた北斎の力なのだろう・・・か。

紀の善

今日は寒いから珍しく汁粉にした。『ぜんざいは汁粉よりずーと濃い餡です』と可愛い文があるのでそれにした。やはりおいしいなあ。私はこの店が和風スィーツ日本一だと思う。アンをそれこそ餅につけてこそげるように食べる。ああおいしいなあ。今度は栗アンの汁粉を食べよう

野間記念館

錦秋と言う言葉を実感として感じる野間では小鳥が鳴いている。
講談社の絵本。以前から大好きだがこうした展覧会は嬉しい限りだ。かつてはこうした作品が世にあったのだ。私はこの世代ではないが親の方針で昔話や童話の絵本だけを与えられ、創作ものに出会ったのは幼稚園からである。そのためか今も私が好きなものは日本画に民俗学なのだ。

展示は昔馴染みのそうした物語の絵本である。すばらしい絵画世界。私はとても楽しい。かちかち山は狸が人と対しているときの方が不気味な感じがする。騙される側に回ると、途端にお人好しに見える。兎は後に展示された、オオナムチに蒲の穂綿にくるまれと教わる奴とは種類が違うような奴だ。同時に絵師国観は建国を描く。国粋者だから嬉しかったのではないか。岩戸開きは観る私まで待ち望むような絵だ。太陽の復活。スサノオ、神武とヤタガラス。物語の骨子を悟る素晴らしい絵画、そしてそこからの二次創作さえ浮かぶような絵画でもある。

義経は人気者だったからこのシリーズで三回絵本になっている。弁慶、牛若丸、静。彼から判官贔屓という言葉が生まれたくらいだし。
宮尾しげるの猿飛佐助は没企画になったそうだが原画は面白い。

一方昭和三十年の高畠華宵の洋物絵本がある。
かつての煌びやかに妖しい絵を知る者にすれば、無惨さを感じるほどの衰退振りだが、これはこれで一作品としてみればなかなかよく出来ていると思う。そう言うしかないなあ・・・尤もヘンゼルとグレーテルにはかなり色々考えさせられたが・・・

モダンキッズライフ

弥生美術館で久しぶりに童画展があり楽しくすごした。私は武井武雄や初山滋、岡本帰一、本田庄太郎らが大好きで、これまで展覧会がある度、喜んできた。今回、すばらしい!の一言を捧げたい。本もよくできている。最愛のパラダイス双六が掲載されてるしカラー版も多い。それにこぐまさんのソフトまで!これも十余年来の…(感涙)わたしはここで念願の作品を三つも見、手にいれたことになる。南蛮小僧、パラダイス双六、三匹のこぐまさん。嬉しくて仕方ない。残るは(いばら姫あるいはねむり姫)映像ソフトと(話の話)(霧の中のハリネズミ)ソフトなどだ。ああこの展覧会に来た人、今から来る人、みんな幸せな気分になりますように!外の銀杏や蔦がきれいな錦を飾ることまでが、私を祝福してくれてるような感じだ。
今から野間記念館に行く。講談社の絵本だ。そちらもすばらしいだろうなあ…

再会の名画

北斎展に行き常設室で久しぶりに見たい絵と再会した。

〈精華〉吉田博の明治の洋画。どこかの岩屋の内に全裸の美少女が岩に座っている。左手に百合を持ち右手をまっすぐに伸ばす。その先には三頭の獅子がいて真ん中の雄獅子は少女をまっすぐみつめる。叡知ある獅子の目。また雌獅子はその傍らで安らかに眠る。
私はこの絵を何年前に見たのだろうか。当時は吉田博を知らなかった。ただ心に残る絵だと今に至るまで忘れなかった。他にも橋口五葉が何点も並び、美人画好きな私は嬉しかった。歌麿の青樓十二時もあり、一緒に朝寝しようする二人の若い女が色っぽい。青邨のキリシタンと仏教徒がいい。私は彼のファンだからあるだけで嬉しい。江戸末期の絵師が描いた西王母の目がまた艶やかだ。
北斎、伊万里と京焼の他にこんなよいのを見てから出ようとしたら、北斎入場待ち90分だった。大阪から朝一に来て九時半入場出来た私はとりあえずラッキーだった。

公園は一面紅葉して、とてもきれいだ。小さい楓が重なりあい大きな美を産み出す。私はその真下を行き冬枯れの池を越える。木々はきれいだ。冬鳥がグワグワ鳴く。もうすぐ弥生美術館につく。

コスモス

会社の近所に緑化指定地があり、そこは春はれんげが、秋はコスモスがマナコいっぱいに広がるほど咲き乱れている。

今は丁度コスモスが満開で、冬の風に揺れている。
風は冷たいし曇天だが、木々の紅葉やコスモスを見ると秋の喜びを感じる。

でも、週末にはクリスマスツリーを飾ろうと思っている。

秋と冬の混在

秋と冬が同居している。
外は寒い風が吹き始めているが、紅葉は最盛期を迎えている。
京都へ行かずとも、身近な並木や公園でも秋は惜しみなく美を曝してくれる。

桜、楓、銀杏…名を知らずとも楽しませてくれる木々。
今年は久しぶりに美しい『秋』を楽しんでいる。
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