美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

柳宗悦と民芸

最終日近くに京都文化博物館に民芸展を見に行った。
かなり以前に倉敷で棟方志功を知り、それに衝撃を受けて以来民芸に関心がある。
ただし現在の私は技巧に技巧を重ねた作品が好きなので、今回わくわく感は持たずに来ている。しかし多忙を縫ってやって来る以上は、期待するものもあり、やはり楽しみがあるわけだ。

並ぶ作品一つ一つを『何がイイかにがイイ』と言うことに意義がないのは、これが〈民芸〉だからかもしれない。無名の職人、無名の工房から産まれた民具の数々には《用の美》が具わり、それを総じて『民芸っていいな』と感じるなら、そこにはやはり『感動』の感想がある。
私は先ほど棟方板画のことを書いたが、柳本人への興味が湧いたのは別なきっかけからである。

子供の頃から何故か泉鏡花のファンである。これは祖父旧蔵の『琵琶傳』の装丁の華麗さが意識に残るからだろう。また小学二年生の誕生日に鏡花研究者として著名な村松定孝の本を貰い、そこで『白鷺』を知ったから、考えれば随分古いハナシだ。
とはいえ、本当に読み出したのはそこから更に十年近い後のことだ。

高校生くらいから鏡花宗の信者になり、大学くらいから本を集めだした。同時に周辺に目が行き始め、画家では清方、雪岱、三郎助、五葉、作家では里見、水上滝太郎、久保田万太郎らに関心が高まる。
中でも里見にハマり、彼の足跡を追うて鎌倉に行き、買えるだけの小説と随筆を買った。結局それだ。
白樺派の繋がりから柳にも意識が向いたのだ。


柳の理想は駒場の日本民藝館に結実した。
しかし当初それに賛同した作家たちは、独自の作家性を打ち立てるようになった。それを柳は晩年、職人と作家との違いとして言葉に残しているが、何が何でも無名性の優位を言われると、わたしのような一般のファンもやはり困るところだ。
その意味でわたしなどは民藝そのものから少し距離をおきたいのだ。

しかし、良いものはどんなものであっても良い。ダメはダメだ。
ところがダメなものでも『下手もの』となると、これが価値を上げるところが面白い。
ゲテモノという言葉は大正頃に流行ったのだろうか。
しばしば引用するが、八世三津五郎と武智の対談の中で、面白い一節があった。
奈良にさる能楽師がいた。
踊りの神様と謳われた七世三津五郎は倅の目を信じない。
「そんなのゲテモノだよ」
しかし連れられて見に行き、『うわーーーっ』となる。
どんな芸なのかわたしにはわからないが、凄い話だと思うのだ。

民藝に戻る。
わたしは骨董品を見るのは好きだが、到底買う気にはなれない。
買うのは今出来の大量生産品だ。
什器にしろ着物にしろ文具にしろ、古寂びたものにはそれこそ「ツクモ神」がついていそうで、恐ろしい。
更には元の持ち主の執意がついていそうだ。
だからこのように展覧されているのを眺めるだけで満足する。

色々なモノが会場に並ぶ。
わたしは高麗青磁が好きだ。ドラマの韓流には無関心だが、骨董品のそれは朝鮮モノに多く愛を抱く。
民画の虎の可愛らしさ、小鳥やうさぎ、それから螺鈿。箪笥も可愛い。
刺繍の見事さ。実にすばらしい。

京都には高麗美術館というすばらしい美術館がある。
そこにはこれらの見事な作品が展示されている。
この展覧会でそれらに関心を持った方はそちらに行かれることをお勧めする。

色々と豊かな気持ちになった展覧会だった。


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清水卯一の器

数年前大丸で清水卯一展を見た。もこもこした上塗り釉薬が田舎まんじゅうのように割れ響き、趣味ではないが好ましく思った。
清水は二年前故人になったが、作品は今後も生きるだろう。私は磁器が好きで技巧に技巧を重ねた作品に惹かれる。シャープなものが好きなため清水作品でも昭和五十年代にこそ関心が行く。
碗に広がる貫入を見る。薔薇の深奥のようだ。そこに無限の宇宙がある。この観念は他の作にも通じ、壺でも貫入が全身に広がるものを見ると、静かな粟立ちを覚える。それは清水だけでなく、やはり物故者塚本快示にも抱く私の歓びだ。

しかし平成に入ってからの作にはそれはなくなり、もこもこおいしそうな蓬莱掛に成る。そう、成ったのだ。
清水はもこもこの間に文字を書く。花、風、雪、月、柳、四季を空気を字で表し、もこもこの中心に置く。なんとも言えず豊かな世界だ。個人的好みを越えた微笑が浮かぶ。
暖かな気持が広がったまま、私は会場を後にした。

主に映画音楽など

まだCDのない頃にわたしはしばしばテープで好きな音楽ばかりの個人的アンソロジーをよく作っていた。
その中でも好き過ぎて、もう聞くことの出来ないテープがある。
これをなんとかもう一度聞きたい。ダビングで作成しているから、時間をかければマスターテープから呼び出すことも出来るが、それをなんとかCDに落としたい。テープをCDに転送したいのだ。デジタル化することが保存になることを信じて。

曲目を並べる。書くだけでもときめく。

島の女  イルカに乗った少年
大砂塵   ジャニーギター
禁じられた恋の島
柔らかい肌
さらば愛しき女よ
渦潮
フォローミー
アデルの恋の物語
嵐ケ丘
風の谷のナウシカ
ベニスの旅
愛の嵐   もしも望むが叶うなら
我が心のジェニファー
Je’Taime
ヘアー   アクエリアス
JESUSCRIST SUPERSTAR  彼らの心は天国に
             私はイエスがわからない
TOMMY  トミー聞こえるかい
        I’m Free
死刑台のエレベーター   勝利への讃歌
MASH   もしもあの世へ行けたなら
追想   アナスタシア
いそしぎ
バラの刺青
アラビアのロレンス


作品そのものよりこれらの曲の方が好きだというものも多い。

AMAKUSA1637が終わった

AMAKUSA1637が最終回を迎えた。
わたしにとって雑誌FROWERSは、この作品を読むのがメインだったのだ。
ある程度予想は出来ていたラストとはいえ、胸に迫るものがある。
赤石先生お疲れ様でした、と言いたい。
上質なコミックだった。
タイムスリップ物の中でも、わたしにとってはベスト作品だった。
キャラが皆、立っていた。それだけでも面白い。
この作品に出会ったことから、赤石先生の他作品に眼を向け、随分楽しませてもらうようになった。本当に面白かった。
絵の可愛らしさに意識が行くところだが、作品の中身の面白さは、絵を上回っている。これは川原正敏と共通する点だ。
川原正敏も絵のシンプルな良さにだまされるが、内容の重厚さ・面白さは他に比較を持たないほどだ。

本当に面白かった。
コミックスが春に出るのが待ち遠しい。

フィルムセンターで

久しぶりにフィルムセンターに行った。
つくとドイツ映画の上映日で、この日は何の映画だったのか、皆さん行列中。時間の都合でわたしは見れないから、スルーすることに。←少し悔しい。
戦前のドイツ映画が好きだ。
『カリガリ博士』『ノスフェラトゥ』『ゴーレム』などの怪奇映画。
特にカリガリ博士はめちゃくちゃ好き。
表現主義の傑作とよく言い表されるが、ストーリーから美術からカメラワークから、何から何まで完全にわたしの好みである。
他にここまでわたしのシュミと合致する作品といえば、松本俊夫の『ドグラマグラ』だけかもしれない。
ああ、もう一本あった。完全には見ることが出来ないが、『狂つた一頁』だ。三本とも舞台は共通している。

その『狂つた一頁』の前半部分が数分間ここで見ることが出来るのは、嬉しい。後半部分は京都文化博物館で見ることが出来る。
出来る、と書いたがつまりは、完全な形としては残されていないようなのだ。仕方がないと思う。フィルムは自然発火して焼失することが多かったのだ。その意味では現在のデジタル化はすばらしいと思う。
penkou師のお嘆きも理解しつつ、わたしの愛する古写真を想いつつも、一刻も早く残されている全てのデータをデジタル化して欲しいと思う。

『狂つた一頁』を見る。
その中に舞踏狂の少女が現れる。彼女はイサドラ・ダンカンなのかもしれない。『ドグラマグラ』にはアンナ・パヴロワと呼ばれる少女が踊り続けていた。何かときめくものがある。

今回、松竹映画の資料展示が行なわれている。
♪水の都 キネマの天地 の蒲田撮影所の模型があった。
いい感じ。映画ではなく、活動だったのだ、と感じる。
それから大船撮影所。
昔の映画ポスターが好きだ。もう亡くなられたがみそのさんという方のすばらしいコレクションがあった。

『真珠夫人』
先年ドラマで人気になった作品だ。原作発表当時も人気だったようで栗島すみ子主演で上映されている。
そのポスターを見て『え゛っっっ』と声を上げた。
共演者の中に佐々木清野という名前があった。
わたしの祖母の結婚前の名前と同姓同名だ。
ほほーーー。
感心したわたしは母にメールを送る。
すると、母は聞いたことがあると言う。
おばあちゃんは「わて、女優みたいやろ」と言っていたようだ。
名前がか顔がかは、最早永久にわからない。

栗島すみ子で思い出すことなど。
無論わたしは作品ですら見ていないが、スチールなどで色々眺めている。昔の女優さんは本当に綺麗な方が多い。
個人的には伏見直江のファンだ。
さて、わたしが面白く思った話です。

山本夏彦と久世光彦の共著の中で、少年山本夏彦の近所に栗島すみ子が越してきて、ある日お風呂を貸すことになる。
栗島さんのために山本一家は総出でもてなそうとする。そして少年は直立不動で、日本少年らしい歌を歌う。いい話だなあ。
ある日、小豆の配給がある。栗島さんが分ける係りになったが大丈夫だろうか、と皆は心配する。
見に行くと、栗島さんはグラム分けを知らず丁寧に一粒一粒分けていた。・・・実にいいハナシだ。

それからもうひとつ。
美術コレクターの福富太郎が書いていた話。
絵師伊藤晴雨の作品が色々持ち込まれてきた頃、ある青年から祖父の残したものを引き取ってもらえないかと連絡が来る。
祖父が死んで長持ちを開けると、中からいっぱいの責め絵が出てきた。伊藤晴雨のファンだったのを遺族は初めて知ったのだが、その絵の顔は全て、栗島すみ子の写真を貼り付けたものだったのだ。
福富太郎はそれを受け取るが、老人の執意に恐れをなし、やがて処分してしまう。
どのように処分したのか、わたしはそれを知りたいと思った。



様々な思いに揺られながら、会場をふらふらと歩いた。

ブリヂストン美術館と言う場の中で。

昔、と言っても十五年ほど前のことだが初めて単独で東京に来て、当時茅場町にあった山種美術館と、このブリヂストン美術館にはお世話になった。
日本画と洋画と。
それらの『良いもの』がこの二つにあった。

東京へ出るたびこの二つの美術館は必ず行くようにしよう、と心に決めた。実際、そうしていた。山種が移転するまでは。

ブリヂストンは本当にすばらしい収蔵品を抱えている。それらを適度な距離で私たちの前に晒してくれる。
こんなうれしいことはない。
企業の死蔵によって日の目を見ることのなくなったものたちは、命をどこで絶たれたかわからなくなる。
やつれるかもしれないが、ここで我々の眼を喜ばせてくれることで、絵自体の命が延びることを祈る。


ブリヂストンから様々な恩恵を受けた。
それまで嫌いだった小出楢重に関心が湧き、目が開いたのもここで彼の『肖像画展』を見たからだ。
元から好きな藤島武二の図録を買い、そこで御影の乾邸に武二が描いた絵が飾られていたことを知った。(所在不明だが)
山下新太郎の人となりや家族との暖かな関係が芸術を大成させたこと、総体的にニガテだった安井にも薔薇の花など、わたしを喜ばせる作品があることなど、ブリヂストンに来なければわからなかったことばかりだ。
ありがとう、といいたい。

わたしは青木繁が好きなのだが、彼の作品は石橋美術館に多く収められている
青木の友人たちが石橋正二郎氏に頼らねば、全ては闇の彼方だったかも知れぬのだ。

日本洋画だけではない。
わたしはここに来るまでモネの睡蓮を『見て』いなかった。
第一室に入って何の気なしに壁を見たとき、わたしは池の中の島に立つ気がした。
バルビゾン派、印象派が現れるまで、芸術と文学とは密接な関係を保っていた。文学や神話の頚木から逃れて、純粋に『芸術』として立ったのはそれからだと思うが、わたしはここでモネの睡蓮と対峙しなければ、そのことを知らなかったのだ。
絵画が絵画としてだけの価値を持つ。その始まり。

日本に大原美術館とブリヂストン美術館がなければ、一体どうなっていただろうか。
改めてそのことを考える。

絵葉書やグッズの充実ぶりにも嬉しいものがある。
見るだけでも楽しい。デートでここへ来る人たちが多いのもわかる。
静かに愉しもう。それから素敵なプレゼントを買おう。

しかし惜しいことに岡田三郎助の『臥裸婦』がなかった。
それだけ、残念。

雪の上野・誉れのハイカイ

タイトルは歌舞伎「花上野誉碑」のパロディですが、1/21ホンマに大雪の中を這いずり回っておりました。

科学博物館を出た後、東博へ向かった。
わたしは国立博物館友の会に入会しているが、今日がその期限切れなのだ。入らずにいられるはずもない。

入ってびっくりしたのは、ベンチも噴水もないことである。
いや、あった。
ありはしたが、雪に埋もれて形が変わっていた。
ボテロの彫刻みたいだ、どう見ても。

東洋館へ行くのは諦めて、本館に入った。
12月にも書いたが、吉田博の『精華』が見たかったのだ。
・・・あった、相変わらずとても可愛い。

明治初期の裸婦はとても愛らしくて綺麗だ。
大正に入るとナマナマしくなる。それも悪くはないが、この吉田博の少女や黒田清輝の裸婦のよさはちょっと他にはない。




国宝室で長谷川等伯の松林図を見る。
以前見たときは寂れた気分になり、あまり良いとは感じなかったが、今日は何やら心に響くものがある。
いくら国宝とはいえ、見る側にそれを受け入れる気持ちがなければ美は輝きを失うものかもしれない。相対的な美と絶対的な美と。
今日は大雪で、本当に何も見えない。
この絵はそんな雪の中に立つ松なのだ。
『わたし』が風景のひとつになる。
松林をみる『わたし』ではなく、『松林』を前に佇むわたし。
わたしは初めてこの絵に惹かれた。

大窓からテラス越しに池を眺め、その向こうの転合庵を見る。
これもまた一枚の絵のようだ。
風景の中にわたしもいる。

今年は戌年ということで、犬の特集が組まれている。
その部屋はわんわんパラダイスだった。
子供の頃、応挙といえば幽霊画の大家だった。
大きくなるにつれ、わんこの神サマみたいな気分で眺めるようになった。家では猫を飼い(國芳みたいだな)絵では隣家のわんころを描く。
弟子も倅もうち揃ってわんこわんこ。これがまたたまらなく可愛い。

わたしは自分の絵葉書ファイルでわんこonlyを作成しているが、それには応挙とその一門・・・芦雪など、それから若冲、仙和尚らのわんこを飼うている。
子供の友だちはわんこ、お姉ちゃんの友だちはにゃんこと相場が決まっている日本画。

わんこの陶器がある。闘犬ならぬ陶犬。前漢時代のわんこ。こいつの兄弟は萬野美術館にいたが、今では相国寺に主換えしている。
餌はなくてもいいようだが、死蔵よりは外に出たほうがいいかもしれない。ただしくたびれるかも知れないな。

他にも帯がある。凄い縫い取りのある帯。そこにわんころが機嫌よく遊び戯れている。以前から便利堂で絵葉書化されているが、全容を見るのは初めてだ。可愛いなあ。

わんこは子供と妊婦さんの味方だから、色々身近な工芸品にも姿を変える。マリー・アントワッネトの宝石箱かボン・ボニエールかにも蒔絵のわんこがいた。

なんともいえず可愛い。

外に出ると、吹雪いていた。
これが和傘に長羽織に島田なら深水ゑがく美人画になるところだが、生憎なことに雪構え準備万端では絵にならない。

東京での雪は五年前のことを思い出させる。
わたしがついたのを最後に羽田が封鎖された。
その雪の中を例によって彷徨し、翌日やんだとはいえ足元の悪い中、銀座に出た。
築地の本願寺に向けてそこから手を合わせた。
その日、沢村宗十郎の葬儀が行なわれていたのだった。

ケイリンマンガ

競輪を描いた二大マンガが偶然にも1/23に同時に終了した。
共に長期連載マンガだった。
くさか里樹の『ケイリン野郎』と田中誠の『ギャンブルレーサー』である。

わたしはこの十年どちらも愛読してきた。
とにかく出てくる人間がどちらの作品も非常に濃かった。
物語の構成も巧みで、本当に面白かった。
夫婦愛が根幹の『ケイリン野郎』と人間喜劇の『ギャンブルレーサー』とでは視線は違うものの、どちらもケイリンに対する深い思いがあって、出てくるキャラたちは決してその世界から足を洗えそうにない。

最終回とはいえ、どちらもまだまだ明日がある、と思わせるラストだった。希望があるのか、アテがないのか、それはわからない。
しかし本当に面白い作品だった。
ジャンル分けするならラブコメとギャグなのだが、深い考察に満ちていて、思わず色々と考えさせられたりもした。

たとえば『ケイリン野郎』では、なぜこの女はこんなに男を愛しているのか、何故あんなに殴られたり料理をめちゃめちゃにされたりしても、男を受け入れるのか、男もなぜまともな対応が出来ないのか。
常に読み手のわたしは悩まされてきた。
しかしその疑問も蹴散らされるほど強い夫婦愛がそこにあり、アホかと思いながらも、熱心に読み続けてしまうのだ。
理屈を超えて感動しながら。

また『ギャンブルレーサー』では国家への痛烈な批判が繰り返されているが、それでも観衆はみんな何故か競輪場へ行き、罵声を上げたりたまには感動したりして、カネを使っている。
なんとなくそのこと自体に不思議な関心をわたしは持った。
キャラで言えば、主人公・関優勝のあくなきカネへの欲望がたまらなくいい。こんなショーバイに見切りをつけて代議士になる、と言うのが面白い反面、やっぱりあのトシでもレースに根性を入れてしまう所に、やっぱり『ついうっかり』応援してしまうのだ。
売 二 ウリ坊が可愛い。ピキ・・・しか言えないウリ君いいですね。
みんな、明日はどうなっているのだろう。

レーサーである以上、肉体の限界が必ず来る。その引退の日以後も彼らは生きてゆく。
どう生きてゆくのか。・・・それを想像する楽しみが、ファンには残されている。
ありがとう、ケイリン野郎。ありがとう、ギャンブルレーサー。

なにわ学

INAXで肥田せんせのなにわ学展を見た。
古今の文学から芸能に至るまで、あらゆるNaniwologyを網羅されている。本棚が再現されているが、中に私も愛する芸十夜や魁玉夜話、六代目(藝)、鳶魚、蒹葭堂、田村の(無線通信)、八大山人、十三世仁左エ門の芸談などが並んでいるのを見て嬉しくて仕方なくなった。
おもちゃ絵も多い。双六やカルタ等だ。こういうのが楽しくてせんせいも収集が止まらないのではないか。
OSK春のおどりのチラシ。いいなあ。私の叔母も昔所属していたがダンスがまずくて、おどりは新人の頃にしか出なかったらしい。しかし高島屋のポスターにモデルとして写っているのを私も見ている。今はOSKも本拠地をなくして苦しい時期だが、がんばって続けてほしい。
本来大阪INAXギャラリーで見るべきが下手を打ち東京で見た。四つ橋の仇を京橋で討ったのだった。

犬の剥製

科学博物館の常設展示で、忠犬ハチ公の剥製を見た。南極置き去りで生き残りのジロの剥製も見た。
無残なものだと思った。

ジロの話はほかの死んだ犬を思わせて胸が痛くなる。
犬はまじめだから可哀想で仕方ない。
だから、犬とは付き合わない。

ジロを見て思い出したが、今週の「三丁目の夕日」ではタロとジロが三丁目でご飯食べてたな。昔松本零士のマンガでタロとジロ以外の犬のマンガを読んだが、つらかった。

やっぱり犬は可哀想にしか思えない。
猫も哀れだが、ねこはねこでフテブテしく生きるのを目の当たりにしているからまだ救いがあるなあ。


剥製はむごい、骨のほうがましだ。
INAXで骨の動物園を見て以来、骨のファンだ。
昔はミイラのファンだったが、今は骨のほうがかわいい。
なんのこっちゃ。

パール展で

今回大雪だったので、本来行く予定の佐倉の歴博もうらわ美術館もあきらめてしまった。
深川江戸資料館?三井記念館?科学博物館?東京国立博物館、と電車の道筋も正しく、駅からも近い場所ばかりを選んだ。

その科学博物館でのパール展が今回の目的の一つで、1/22までだから最終日に近い。
皆さん、パール好きだなあ。
わたしはアンティークが好きなのでそれを見る気で来たのだが、何しに来たのかわからなくなった。
いやとにかくもう、すごい人波だ。
ここ数年庭園美術館、表慶館などでアンティークジュエリーを見てきたが、参ったなあ。どこでも凄い人気だが、パールも人気が高い。
面白いのは、普段展覧会では年齢に関わりなくご婦人方が多いのだが、こと宝石類は男性客も劣らず多い。感心する。
わたしはダメだなあ。

あんまりどころか全く装飾品を飾らない。
昔はイヤリングが好きだったが金属アレルギーを起こしてから一切身につけなくなった。指輪は重く、ネックレスは肩がこるし・・・なさけない。
時計でさえケータイを持つようになったから、という大義を(自分に向けて)立てて、しなくなった。
化粧は(やや)濃いのにねえ。
そのくせ観念的にはジャラジャラ系が好きなのだ。
だからこうして展覧会に来ている。
出た、観念的には。
私の特徴。
観念的に好きなものほど、現実には好まない。



ジュエリーとしてのパールだけでなく、生物としてのパールを見せるのがさすが科学博物館だ。
実に色んな種類があるなあとこれまた感心したし、お客の皆さんの詳しいこと!大概わたしはなんでもよく知ってるなあと自讃し、人にも褒められてエエ気になっているが、ここでは全くの無知だ。
真珠とりといえば「真珠取りのタンゴ」が耳に蘇る。
大好きだ。
この歌はジョニー・デップとジョン・タトゥーロの出た「耳に残るは君の歌声」でタトゥーロが歌っていたっけ。

当然それ用の服や機材も展示されている。
その真珠取りの潜水服をみて、「あっレティシアだ」と思った。
古い映画だが、アラン・ドロンとリノ・バンチュラと女は誰だっけ、とにかく三人の「冒険者たち」の映画が思い出された。
女が死に、残された男二人が女を水葬する。そのときこの機材を身につけさせていたような気がする。

私は昔から純白なパールより、黒やピンクの色の入ったものが好きだ。
御木本真珠島に行ったときも黒真珠を買ってもらった。
バロックも大好き。
しかもそれを加工したものがもっと好きだ。
だからこそ、アンティークがよいのだ。

御木本幸吉翁の話は戸板康二の「ぜいたく列伝」で楽しく読んでいる。
家具まですべて丸い角にしたというのが凄い。
なかなかそこまではゆかない。

神戸には真珠会館といういい建物があるが、生憎まだナマでは見ていない。これこそ見に行くべきなのだが。

真珠は昔から健康法や薬品としても使われたということを私も知っている。クレオパトラは酢に溶かして(溶けないでしょう)飲んだというし、漢方にもなっているし。
あと日本では大村藩のご典医だった長与なんとかがそれを使ったと、今回の展示で知った。長与専斎の親戚筋かな、白樺派の長与・・・度忘れしたな。青銅の基督、項羽と劉邦、えーと。

しかし真珠といえば実は私にとっては澁澤龍彦なのである。
彼の遺作「高丘親王航海記」だ。
この作中で高丘親王は大きな真珠を飲み込む。結果、喉が腫れる。現実の澁澤も喉を悪くしている。
パタリヤ・パタタ姫は言う。
美しいものを得るなら対価を払わねばならないと。
いのちがけ。
高丘親王は美しいもの=真珠を吐き出さず、命を縮める。
そして天竺手前でダメだとわかるや、名案を思いつく。
生肉しか食べない虎をタクシー代わりに使おう。
それで高丘親王は一日に千里を駆ける虎のおなかに収まって、めでたく(?)天竺へ向かう。
眩暈のする話だった。幻惑されてしまったなあ。

これまた観念か。
しかしその観念こそ、真珠の輝きを有しているのだった。



芝川照吉というパトロンと芸術家

大正頃までは、日本にも芸術家の庇護者がいた。その一人が芝川だ。彼は羅紗王と呼ばれたそうだ。実父は五世竹本弥大夫、弟は木谷蓬吟、義妹は画家の千種だ。数年前、千種の回顧展をみたが、大阪らしい、ちょっとあぶない画風に私は惹かれた。

さて芝川は青木繁を支援したようで、現在大原や近美にある享楽と輪廻が出ていた。他に光明皇后があり、孔雀らしき影に今回初めて気付いた。私は学生時代から青木が好きで、後にラファエル前派が好きになったのは青木から来ていると思う。

青木と違い常識的な坂本に、光の素描とでも言いたい作品があり、それが出ていた。きれいな光の線がいっぱいの、幸せな気分の絵だ。
芝川はまた劉生をも愛する。麗子やアクの強い童女たちが並ぶ中、芝川像がある。中高な顔だ。その他に石井兄弟とも縁が深く、木彫のお人形さんにもなっている。河野通勢、木村莊八たち。

工芸家藤井達吉を私は知らなかった。どれを見てもいいのだ、これが。ランプ、屏風、壁掛けなんでもござれで、しかもハイレベルなのだ。
本を買うたのも彼の作品がほしかったからだ。暮らしに則したか否かは別にして、これらがあれば嬉しいだろうなと思えたのだ。
工芸作品は残念ながら三次元的世界のものが多いため、図録になるとたちまち色褪せる。それでもわたしは本が欲しかった。藤井達吉のために。

芝川の邸宅や社屋写真を見る。レンガ造りのものは既に失われているが、その跡地にやはり今となっては『近代建築』の芝川ビルがある。
こちらもとても素敵だ。

ところで芝川の実父は文楽座の大夫で、五世竹本弥大夫だということだが、表記では『大夫』が『太夫』つまりチョボになっていた。
これでは文楽ではなく、歌舞伎の方の義太夫語りのチョボの方のかただということになる。

指摘してもうるさがられるだけだろう。芝居好きな一部の大阪人にしかわからないことなのだから。

それにしても劉生の静物は色合いがとてもよかった。
繻子の布の色がたまらなくいい。これは眼にも記憶にも刻まれる色だ。
青。
素晴らしい青。

他にこの展覧会で印象的な青色は、石井柏亭のハガキの『浅草の観音』だ。背景が蒼く、仏像は黒い。なにかしら、アジャンターの岩窟寺院のようにもみえる。

こうした視点からの展覧会と言うのも、面白いものだ。
閉館直前に出ると、青黒いような空が狭く、そこにあった。

日本橋絵巻

三井記念館で、ベルリン東洋美術館から借り出してきた「熙代勝覧」などを中心にした「日本橋」を描いた展覧会が始まっている。
わたしは風俗画が好きなので、こういうものを外せるわけもなく、雪の中出向いた。

「熙代勝覧」は先年江戸東京博物館で「大江戸八百八町」展で見て以来だ。まあ、いろんな人々がいるいるいる。
虚無僧は二人組、お遍路も二人組、座頭も二人組。花売りの兄さんは男前らしいが私にはわからない。
男も女も老人も若いのも子供もみーんないるいる。
遊んでたり働いてたり。
魚屋さんが多い。そうだわな、当然です。
それから駿河町、三井だわ、三井。なーるほど。
面白いです。

出光からも江戸名所図会を借り出してきているが、右隻には芳町もあり、美少年が二人ばかりいた。そう、坊さんを膝枕させている。
左隻の湯女ばかり気にしていたが、こちらにも楽しいものがありましたか。この絵のキャラは顔立ちも可愛らしくて、私は大好きだ。
楽しいなあ。

浮世絵もたくさん揃っている。
まず誰もが知る広重の東海道五十三次の「日本橋」だ。
私などは子供の頃、海苔の「山本山」で見覚えたものだ。
家には広重の図版もあった。
画集五十三次とお茶漬けの永谷園でもらったミニミニ図版だ。
どうも父が好きだったらしい。
私に福田清人の書き起こしの東海道中膝栗毛を与えるほどだったから。
・・・その点、私はたぶん父に遺伝され、洗脳されている。
父と母の趣味はまったく共通しなかったそうだ。
で、娘の私は両方の趣味を共存させている。
めでたいなあ。

さて浮世絵。
広重のだけでなく、北斎の富嶽百景もある。三井が見え、凧揚げが見える。今回この図版がやたら目に付く。
正月だからだろうが、ここと深川とそれからチラシでだが江戸博と、東博とで。今では凧どころか羽子板もなんにも見ない。

駿河町の三井の有様は実に壮観だ。
ずらーーーーーっと三の字を囲む井の字。これが延々と続く。
呉服と両替と。
幕末から明治維新の頃三井は貴族的になりすぎてダメ系になりかかっていたと聞く。しかしえらいもので、立派な番頭が出て立て直し、銀行も作り商船も起こしたと聞く。後に銀行は渋沢栄一らに国有化され、船も三菱と戦い続けて疲弊していたみたいだが、えらいものだ。
だからこんな立派な三井本館が残り、今では見事な美術品を見せてくれるのだ。
大阪人の私は住友を偉いと思うが、それもやはり文化的な面でしか評価していない。三井でも三菱でも住友でも、美術品を見せてくれるだけで「偉い」のだ、私にとっては。

少し話はずれるが、こうした文化的側面がなければダメだと言い切る私は、昨今の新聞紙上を賑わせている連中が大嫌いだ。
余計な口出し手出しを大事な時期にするから、わが最愛の猛虎はコテンパンにやられたのだ、ガッデム!
だからか、連中の本拠地の建物までなんだかにくらしく思えて仕方がない。昔、松本零士のアニメで見たようなあれだ。
必ず自分の位置関係が掴めなくなり、案内人に訊くあの場所。
(己の方向音痴を棚上げしつつ)

話を戻す。
日本橋の賑わいを見ると、井上ひさしの「薮原検校」のあるシーンを思い出す。がやがやわやわやざわざわだあだあ、と人々が行過ぎるシーンだ。だから賑わう絵を見ると、その物音がなんとなく耳に現れる。
そういえば日本橋の移転がどーのとかシンタローが言うてたような・・・
違ったかな。


楽しい展覧会だった。
こうした展覧会を開館記念の次に行うところがいいと思う。
日本橋で生きるのだという美術館の意思表明のようで。


最後になったが、日本橋絵巻だけでなく、よい器もたくさん出ていた。
こうした二本立てがうれしいのだ。
つぎはお雛様か。
こんなお大家さまのようなものではないが、節分が過ぎたら私は私のために作られたお雛様を一年ぶりに出そう。
それがなんとなく、楽しい。

歌仙の饗宴

出光美術館で佐竹本三十六歌仙図をかなりたくさん集めての展覧会が行われている。私もご多分に漏れず佐竹本には執着が深い。
関西に住むということは、日本の国宝や重文・重美に数多く出会えると言うことでもある。今回集められた他にも佐竹本のは、だから見ていることになる。

斎宮女御は1/31からだと言うのが、残念だ。
11年ぶりに表に出ると言う。その11年前に私は東京国立博物館で見ているから、今度はまあ他のを眺めよう。
壬生忠見は初見だ。すてき。藤原與風…しまった、出先なので字がわからない、名前が思い出せない、間違いの可能性大だ。…まあとりあえずおじさんが向こう向いているのも初見。思い出した興風だ。

無論佐竹本だけが全てではない。
岩佐又兵衛や土佐もある。
又兵衛のは先年千葉で見た。これまたアクの強い人だから個性的なのを描いているが、うおっなのは、三十六人をいっぺんに並べている作品だった。御簾の下にだだだだだだーと並んでいるよ。
引きこもりがいる。違う、あれは斎宮女御です。
パターンが決まっているのだ。

今回の展覧会では、学芸員さんが面白い面からの展示もされていた。
柿本人麻呂のポーズだ。
そのワンパターンさこそが、「彼」である証明。
これは他の絵でもそうなのだ。
つまり本人が出ずとも、鹿と杖があれば寿老人、武蔵野に薄なら伊勢物語、猫を引く美人は女三の宮、梅があれば天神様。
これだ、これ。

わたしはこういう面から眺めるのも大好きなので、とても楽しかった。

又、他にも小杉放菴による六歌仙などがあり、どう見ても元阪神タイガースだった広沢そっくりの顔があり、面白かった。(しかも業平だ!)
また、光琳の画稿を基にして描き上げたような絵もあるが、戯画風で楽しい。田中抱二。知らないけどね。
昔の日本人は本当にこうしたことが好きだったのだなあ。

時代が合わなくとも人気のある歌人同士をカプリングさせた白描があり、これがまたなんとも言えず色っぽい。楽しいなあ。
また扇面図屏風があり、歌人を類推するのも楽しい。

本歌取りとは今で言う二次創作だ。
それが流行ると言うことは、何かに萌えたわけで、その循環だ。
うーん、好きだなあ。

六歌仙のうち、小町と業平はそれぞれ逸話も多く、画題にもなりやすい。今回、草紙洗いが出ていた。
業平は例によって例のごとく「伊勢物語」だからいろいろ枚挙に暇がないし。

六歌仙、という言葉で思い出した。
先ほどの二次創作ではないがタイトルにそうしたものを使うのが日本の場合、実に多いと思う。古典から近代に至るまで。
思いつくままにあげてみる。

天保六歌仙、本朝水滸伝、田舎源氏、南国太平記、元禄太平記、etc

楽しい展覧会だった。

深川

夜の深川についた。安政より前の、化政期かもしれない、ある夜。 つまり私は深川江戸資料館にいる。一日をライトで始めライトで終える町。今、朝になった。なんというかお客は私以外は皆さん白人だ。背が高い私はそうそうひけを取らない。しかし私もまた異邦人である。現代人であり大阪人。
最初にここへ来たのは新聞小説に現れたからだ。元々川向こうには憧れがあるから、すぐ飛んできて、満足した。以来しばしば来ているが最近はちょっと足を向けなかった。
岡本文弥、辻村ジュサブロー展なども見たなあ。今回は半纏らしい。今私は清元のお師匠さんちの縁側にいるが。久松るす、ほうそう避けなどのお守りがある。屋根には猫がいて私がチチチ…と呼ぶと、ニャアと鳴いた。すごいタイミングだ。 てんぷらや稲荷寿司がおいしそうだ。VTRでは木場の力持ちが流れている。初午の地口あんどんもある。深川にはお稲荷さんが多い。
さて半纏。昭和初期からの。福助や豊田、セメント、OFと染め抜かれたものもある。色んなんがあるなあ。藍染めばかりで刺子はない。意匠も様々で実にイキだ。見舞いや葬式にも着たのも納得だ。実に面白い。今日から始まった展だ。賑わうように。

能walking

去年から始まった泉屋分館と大倉集古館のコラボ展・能walkingを楽しむ。元々必ず両方を回るようにしてるので気楽に向かう。
私は演能に縁はないが面や衣装、謡曲は好きだ。茶道同様味わうより物思いに耽りながら逍遥する、それが私なりの愛し方だ。
道成寺から始まる。江戸期の孫次郎がある。最愛の面だが、やや離れる。前ジテの小面と萬媚が並ぶ。1世紀違いで大和と出目だから違う筈だのに、何か二つは双子のようだ。萬媚にやや笑みが深く眉が太いと言う違いがあるが、私のような素人には双美人に見える。なんとも魅惑的だ。ふと岡本綺堂の小説に現れる〈梅殿・桜殿〉を思う。そうした匂いがする。
狂言装束では可愛い鳥柄が多く、古人の感性に微笑む。大黒と夷面が並ぶがリアルな造形だ。そして白蔵主と狐が古式ゆかしく古怪さも漂い、私は久しぶりに壬生狂言の面々に会いたくなった。
大正の月岡耕漁が描く狂言五十番・能楽百番に心惹かれた。これも卓上芸術だ。すばらしい。私は須田国太郎の能狂言デッサンに夢中だが、来年はできたらそれを見せてくれたらと願う(阪大蔵だからどうかなあ)。
鉄輪の泥眼が大竹しのぶに似ていた。橋姫に至る女に。

大倉では下着類が展示されていた。長袴もある。
それを見て思い出した。
以前にも出したが、武智vs八世三津五郎の「芸十夜」から。
お稽古をしていた武智が普通の足袋を履いていると師匠に「狂言用の足袋にするように」と言われる。
「舞台上でどのようなことが起こるかしれませんからね」
その話を聞き三津五郎が半畳を入れる。
「出したじゃない、大きな足を、武智財閥を破産させたじゃない(笑)」
「いやあれは旧札と新札の入れ替えに親父が失敗して・・・」
何が好きと言うてもこぉいう話が一番好きだ。

まだあるまだある、とくれば安達元右衛門だな。


玉堂の絵が飾られていた。
なんだかアルプスのようだ。雄大な気分になる。
(まさか翌日22日に東京がアルプスになるとは…)

来年以降もこのような楽しいコラボレート展覧会を望む。

粟ぜんざい

例によって神楽坂の紀の善に行く。今日は寒いから、と初めて粟ぜんざいを頼むが、これが絶品。
蒸した粟にこしあんがかかるが、粟の蒸し方が最高で、食べ出した途端『次も食べたい!』と思うほどだった。完食もしてないのに。あんまりおいしくて店員さんに言うと、聞いていた新客さんも粟ぜんざいを頼みだした。うーん、ホントにおいしいからなあ。このお店にハズレはない!
粟はイメージ的にどうかなあと思っていたがここで食べる分にはただただ美味なるもの、そんな感じがする。女将さんに礼を述べると最敬礼されたが、実際こんなおいしいものを食べさせてくれたので嬉しいのは私の方だ。また、決して傲らない謙虚さがこちらにも伝わるから、ますます好ましい。
この後虎ノ門のさる老舗コーヒー店でダメダメなものに当たるから、数時間後の今、より強く紀の善の良さが思われるのだった。老舗カフェはあれでは先が思い遣られるし、色々間違いもあるので連絡するが、訂正出来ぬならもう行かない。
しかし紀の善の粟ぜんざい。メマイがするほどおいしかった…


実はこれは1/20の午後の話だが、1/21の夕方に私は再び紀の善に行き、偶然にも同じ席で、またまた粟ぜんざいを食べたのだ…執着が深いので、一度味わうと飽和状態になるまで味わわねば気が済まぬのだ。

ああ、おいしかった。

印刷の歴史

凸版印刷が開いている印刷記念館に行く。今回うらわ美術館にも行くが、その前哨戦かもしれない。
久しぶりに来たが、会社博物館とはいえ立派なものだ。がんばって存続してほしい。今回は民間信仰の絵と広告がメインだ。 幕末頃までやたらめったら出た鯰絵、ほうそう絵、ハシカ絵。浮世絵師のセンスと民間の需めがこんな面白い絵を産み出したのだ。とは言え書く方も買う方も案外本気なのだ。現代とは違い、予防も忌避も一層難しいものだったのだから。
ポスターはサヴィニャックやシェレなどがあり楽しいが、日本は観光案内図など、言えば卓上のものによい作品が多かった。吉田初三郎のかどうかはわからないが、きれいだ。
引き札、昔の広告チラシ。画面操作でジブンオリジナルを作り出せる。伊勢の二見が浦に兎のレガッタ、ぼたん美人の組み合わせを作る。なんとなく楽しい。時間によっては活版体験も出来るそうだ。私は機会がないが一度くらいやりたいと思う。

野間の美人画

野間記念館には膨大な日本画コレクションがあり、中でも色紙や口絵、表紙絵原画にすばらしいものがある。講談社という特性による見事なまでの名品群だ。

美人画が好きな私には楽しい展だった。清方とその弟子たち、恒富とその弟子たち、という分類が可能だと思う。
江戸情緒纏綿たる静かな清方、圧倒的な深水、師に背かぬ弟子たち、見ていて全く飽きない。
清方の少し崩れた線や色塗りにときめくのは、そこにこちらの妄想が入り込む余地があるからだと思う。
一方深水にはそれがない。彼の作品にはそうした隙間はない。
私はその点、師の方が好きだ。

雑誌のための作品で面白いことに気付いた。婦人倶楽部は当然婦人向けだが、浅草や銀座や東京駅前〈ドームが見える〉、デパートの前などいかにも楽し気な、遊びに行きませう、な情景を描いているのだ。私などは素直にそそられる。代わって講談倶楽部の深水はバストアップ。つまり男性向けなのだ、彼の美人達は!それで私には手が出ないのね。わかっただけでも面白い。

一方大阪の恒富、成園、千種はねっとりした官能を露にしている。特に成園は細い目にこちらがたじろぐ程の凄艶が満ちている。しかもあの口許の微笑は!

最近大阪画壇にも目が向けられるようになり、うれしい限りだ。
とはいえ、恒富などは東京ステーションギャラリーでの展覧会で、地元には来ず、滋賀でしか展覧されなかったのではないか。
また千種は池田で回顧展が開かれたが、それまで完全に忘れられていたようにも思う。
私も名のみしか知らなかった画家だったが、池田で見て以来随分気にしている。そしてやっと来月なんばの高島屋で島成園の回顧展が開かれるそうだ。これはまことにうれしい。
やっぱり私などは大正から昭和初期の艶やかな美人画ファンだから、こうしたことは喜ばしく思う。

野間記念館にこうしたコレクションがなければずっと待ち続けたままだったろう。
私は野間記念館が生まれたとき、本当にうれしかった。
目黒雅叙園美術館が終わり、山種美術館が縮小したため、日本画、特に美人画を見る機会が少なくなったことを大変残念に思っていたからだ。
ありがとうと言いたい。
もし友の会を発足するなら、ぜひとも入会したいと思う。


「日本の歌」を童画および叙情画にした展覧会も併展されていた。
前回は講談社の絵本展だったが、あれはすばらしくよかった。
今回は広い年代の人が親子やカップルで楽しめると思う。
次回は大観と玉堂か。
時間を繰ってまた来よう。ああ、楽しかった。

明日から東京です

1/20―22まで東京と近郊をうろつきます。
佐倉から浦和まで。

行く先々の内容は千字ずつここにあがり、後日書き直しになると思います。天気が良くないけれど、とりあえずあちこちウロウロ。

考えるべきこと

今日は実は阪神大震災の日なのですね。
早くも11年。
当日わたしは本とカセットで埋まってました。
一瞬どうでもよくなったとき、『あっ今週まだスラムダンク読んでへんやん!』それに気づいて慌てて、脱出しました。
家の外に出たら、お向かいのお宅の塀が崩れて、一人暮らしの奥さんがやっぱり埋まってたので、ご近所の皆さんが助けだしてました。
道路にひび割れが入ってる。そんな中を親戚と友人の安否求めてチャリンコで走り回りました。
大阪府下で一番兵庫県と近い市に住んでいますので、ナマナマしい状況にありました。

他府県から通勤している人が、わたしが会社に出てこないのをサボりだとイヤミを言っていたと聞かされたとき、所詮当事者でない限りはなんにも感じないものかと知りました。

公共工事関係の仕事をしているので、やっぱりライフラインの重要性と言うものを強く考えます。
電気、ガス、水道、電話。どれが欠けてもダメです。

国が当てにならないのは、雪で困ってる地方の方々を助けられないことでも明白だなと思う半面、個人レベルではこれまた何にも出来ないと無力感を覚えたりします。

今日はそういうことを考えるべき日なのだと思いました。

かん袋

今回、とにかくおいしいものを食べようと出かけている。

づぼらやを出たらちょっと激しい雨だった。
阪堺電気軌道の南霞町へ出る。
大阪に唯一残る路面電車。堺浜寺までの可愛くて、地元の人のための、いい乗り物だ。

わたしは北摂の土着民なので、ニューカマーのフェイクなシャープさは持ち合わせていない。
昔ながらのこうした庶民のための何かがとても好きだ。
わたしとツレは路面電車に乗り、堺へ向かった。乗るだけでも楽しくて仕方ない。

『もの皆堺に始まる』と言う言葉がある。
なるほど、てっぽう(さっき食べた→ふぐのこと)そう、本当の鉄砲や茶道や色々と。
堺の町衆は納屋四郎五郎らを始めとして、秀吉に対抗する気概があった。その頃はまさに『黄金の日々』だったろう。
武野紹鴎、千利休。茶道の大成。

急につまらないことを思い出した。
下の叔父は市役所にいるが、『都市のあるべき姿』か何かのフォーラムに参加した。
そのときのハナシ。

出席者はどこから来たかを(何市で、何がある、というような発言を求められている)順番ごとに話すことになったそうだ。
一番最初が偶然堺の職員さんで、
「もの皆堺に始まる、の堺から来ました」
そう発言された。次に立たれたのが京都の職員さんで、
「日本最初の市の京都から来ました」
・・・イケズやなぁ。シーンとなったところで叔父の番。
「何にもない▲▲市から来ました」
爆笑になったそうだ。
みんな、イケズやなあ。


さて、かん袋。
これは堺名物のくるみ餅のお店の名前。
くるみ餅と言っても木の実の胡桃ではなく、餅を緑の餡でくるむ・餅。
ここは出店もなく、堺の本店に行くかネットを頼るかしか手に入らない。
とにかくめちゃくちゃおいしい。
いつも大行列だが、さすがに雨のおかげで、三時なのに空いている。
ラッキー。
わたしたちは坪庭の鯉の池が見える席に座り、ここでしか食べられない氷かん袋を注文し、土産に四人前分を頼んだ。
来るまで待たねばならない。しかし今日は人が少ないので早い。

氷のかん袋は本当においしい。寒かろうが暑かろうが、氷で食べるのが一番おいしい。
赤福餅を本店で食べるときも、氷赤福が一番おいしいのだから、やはりこういうのが正しいのだろう。
ダブルを頼むくせがついている。
シングルなら、おいしすぎてペロッと食べた後追加したいと思っても、いつもなら大行列なので諦めねばならぬので、こんなくせがついている。
ああ、本当においしい。

このお店は六百年前から続いている。
そして店名の由来は、大阪城築城の際、瓦を屋根にイチイチあげていられない、とこの店の主人がホイホイとばかりに地面から大屋根へ向かって投げ続けたそうだ。
なんと言う大力の人だろうか。
見た聞いた秀吉が驚き、瓦が空を飛ぶ姿が『紙袋=かんぶくろ』のようだと言って、以後屋号を『かん袋』にするよう命じたそうだ。


とにかくツレも満足してくれ、遠い地まで誘った甲斐もあった。
雨が止んでいれば住吉大社へ寄ろうと思っていたが、ちょっと足元が怖いのであきらめた。
再び阪堺電気軌道。
住吉で分岐して、恵美須町または天王寺へ向かう。Y字型路線。
わたしたちは恵美須町の手前・南霞町で下車し、新今宮から大阪駅へ戻った。

そこでツレと別れる。
多分もう、しばらくは会えない。
今月末にはシンガポールだ。
日本へ帰ってきたときには会えるだろうが。
向うでは身体に十分気をつけてほしい。
何かに中毒したりしないように。(マーライオン現象お断り)

てっちり

かにフグを 食べてなんぼの 大阪人

字余りの下手な句をひねりたいほど、冬にはおいしいものが多い。
今日は新世界に行こうとしている。ツレが旦那さんの赴任についてシンガポールに行き、少なくとも五、六年は帰国しないから、年末の蟹に続く第二弾だ。

私たちは大阪駅から新今宮に向かったが、しゃべりすぎて電車をうまく乗りこなせず、環状線と言う割りにはループせぬ、折り返し運転の車内で手前まで戻ったりした。しかし無駄な時間ではない。しゃべることが我々の楽しみの一つであるのだから。

今日は新世界のづぼらやに行った。
本店のほうである。向かいにふぐの形に似た新館が建てられ、こ綺麗だが、大昔からの本店へ入る。

実は何十年ぶりか、の来店である。
わたしの父はいわゆる庶民派グルメで、立派な料亭やホテルでおいしいものを食べるということをせず、庶民的な店でアホらしいハナシをわいわいしながら機嫌よく大人数で食べるのが好きな人だった。
冬になるとやたらめったらこの『づぼらや』に来ていた。
父は姑や義弟らもひきつれて出かけるのを常にし、三日に一度は北摂からこの新世界へ繰り出していたのだ。
また、わたしは祖母の初孫で皆に可愛がられ甘やかされていたので、店の隣にあったおもちゃ屋では必ず何かしらおもちゃを買ってもらっていた。づぼらや―おもちゃ屋―駐車場の並びだったか。

あるとき、わたしは二つのオモチャがほしくなった。祖母も、まだ若かった叔父も、父も、『よしよし』とばかりに買おうとする。母だけは苦いものを感じていたようだ。
その様子を見ていたおもちゃ屋のおばあさんがいきなり幼児だったわたしを叱り付けた。(無論、わたしにその記憶はない)
「いっつも買うてもろてるやろ、一つにしなはれ!」
・・・・・・母はいまだにそのことをわたしに言い続けるのだ。
エエ気味だと思っているのだろう。おもろかったなーと言うのだもの。

まあ、とにかく父が死んでからはづぼらや他とも縁が切れた。
母は家でご飯を作るのが好きな人で、今もわたしが外食を誘うといやな顔をするのだ。
「カニと焼肉だけは別やけど」
それが母のポリシー?らしい。


話を戻す。
店に入ると、空いていた。
二階のお座敷は夜かららしい。昔、座敷にいるのに飽きて廊下で遊んでいると、仲居さんにヨーヨーを貰ったことを覚えている。
わたしたちは天然とらふぐのコースを頼んだ。
お昼からぜいたくだが、まあ『サヨナラニッポン』だし。
前菜3種。白子をどうにかしたものなどがあり、おいしかった。
出た出た、てっさ。これですがな。
わたしは子供の頃、てっさと雑炊しか食べなかったのだ。
映画にすぐ影響される祖母の『怪談』で、ふぐを食べたら死ぬと脅かされていたことが懐かしい。
しかし考えたら、てっちりを食べずとも、てっさを食べているのだから、同じなのだ。祖母はどこかトボケた人だったので、どこまで本気だったのだろう。

一方ツレもづぼらやは久しぶりだと言っていた。
彼女の姉上とも仲良しさんだが、確か以前に『ポン酢嫌い』と聞いていた事を思い出した。
「ソレてなんでやったの」
「ウチとこもお父さんが、冬になったら三日と開けずてっちりてっちりの人やってん。ほんでその店のポン酢がイヤやってん」
・・・ちょっと前の大阪のお父さんは、みんなてっちりに根性入れてはったんか。

てっさもいいが、わたしは皮の湯引きが大好きである。
それから唐揚げも。
うーん、おいしいわ。

いよいよてっちり。
わたしもツレも野菜はクタクタに炊くのが好きで、ハクサイはシャッキリしていると腹が立つくらいだ。アラから炊き、トウフやきれいな身を食べる。
あああ、お・い・し・い???
白子。ううううう。

雑炊もおいしくいただき、最後にはメロンも出た。
ヤー、幸せやわ。

わたしたちは機嫌よく、店を出た。
ああ、ほんまに幸せ。

ツレは地元に名代の牡蠣料理店があり、それも食べてるから冬の美味は制覇してしまったのだ。あああ・・・かき金(涙)
口惜しいことにわたしは、牡蠣アレルギーがまだ治っていないのだ。
くそ?
その分、蟹を食べるけどな。


八宝麺

10日に出たばかりの阪急電鉄情報宣伝紙TOKKの裏表紙に、三番街の麺類バトル写真が掲載されていた。
一目見たわたしは、御鷹茶屋の八宝麺に惹かれた。

おいしそうなのだ。
これはソバの上に八宝菜のあんかけがかかっている。生姜を利かせた、とある。食べたくて仕方ない。

芝居がハネたのは8時過ぎだ。
わたしは遅くとも8時半までしか普段はものを食べない人なのだが、九時前にこの店に入り、写真を示して『これください』と頼んでいた。
うどんかソバかと訊かれたのも嬉しく、うどんを頼む。

来ましたがな。
ただでさえあんかけが好きなわたしの前にとろーんと。
イヤーおいしい。
海老を始め、八宝菜がドドーンと乗っかっている。
ゴマ油も味を引き締め、生姜がこれまたおいしいのだ。
はぐはぐ食べました。汁もとろりんりんなのを掬うて掬うて。
あああ、おいしい。

時間がやたら長く感じた。
これはおいしいものを食べているときに、しばしば起こる錯覚なのだ。
(わたしの場合)
食べながら、『ああ、食べたい』と思うような人間なので、その時間を大事に思うあまり、こうした現象が起こる。
ケータイの時間の流れが止まっているような気がして、ずっとみつめながら食べ続けた。

機嫌よく店を出た。
また来よう。ああ、掲載されていて、よかった。

道行恋苧環から御殿まで

続いて道行恋苧環を見る。
舞台にはまだ幕が下がり、盆前に六人の大夫と五人の三味線が並ぶ。
歌舞伎でも道行は華やかで賑やかな幕開けなのだ。

装置がなかなかすてきだ。
まっすぐ向こうに三輪山。そして大鳥居。そこへ至る道。道の両脇には鬱蒼たる木立。参道には常夜灯もついている。
手前二本だけ本当に輝いているが、後は書割。しかし、仄かな明るさをぼんやり感じさせられる。

橘姫の執着はもしかするとお三輪より深いのではないか。
そう感じさせられた。
前項でも引用した武智と三津五郎の対談集『芸十夜』にはこんな件がある。
求馬の役を山城少掾が『御笑い種に』演じたが、三人の掛け合いで√互いに見渡す の次の√顔と顔 で『かーお』と山城少掾が一声上げた途端、全てが吹っ飛んでしまったそうだ。
芸というのはつくづく怖いものだと、読んでいて思ったが、見る側にも見る力がなければこうはならないのかもしれない。

求馬には大願成就の為なら女を利用して死なせることも平気なのが、既にこの道行で仄見えている。
彼は常に冷静だ。
人形の端正な顔に、すでにその冷淡さが表れている。
橘姫の深い欲望も、お三輪の憤りも彼は利用する。

√杜若は女房よ 色は似たりや菖蒲は妾
 牡丹は奥方よ 桐は御守殿
 姫百合は娘盛りと撫子の・・・

二人の娘を歌う歌。そしてまだ続く。
√男郎花 と。いやな花、いやな男。 

一見、三角関係の男女がうじゃじゃけているように見えて、深く鋭いものをこの場で見させられたように思う。


鱶七の段になると、わたしの大好きな伊達大夫が語る。(奥)
少しやせはったみたい。
伊達大夫の声質はしゃがれて悪声だが、たまらない魅力がある。
わたしはこの人の義平次が一番好きだ。
正体を隠す多田蔵人とその幼い娘の芝居も忘れがたい。
あの声で健気な幼女を演じるのか、と思っていたが、語りが深まるほどにこの声だからこその魅力に溺れ、切なく、胸がいっぱいになってしまった。どちらかといえば品の良くないキャラに力を発する大夫だなと思っていただけに、一層深い感動を覚えたのだろう。
伊達大夫が現れると、どうしてもわたしは人形を『見る』より語りを『聴く』方に力が入る。

入鹿の御殿は阿房宮に喩えられ、おばしままで伽羅作りだと言うせりふもある。猿沢池は井戸も同然か。すごいな。

その入鹿はこれまた天をも恐れぬ不届き者というのがよーくわかる。
手元に猩々のかわいい人形を置いて、エエ気なものだ。
鱶七が豪快に現れる。
人形も立派だ。
それが伊達大夫の語りでますますイキイキ溌剌と動いている。

語りが深まる。
伊達大夫の見台は朱塗りである。
それと伊達大夫の顔色が同じに見えてくる。
聞いてるわたしは
「あーエェなー、あーエェなー」
こればかり。
なんと言ってもあのオヤジ度が高いところに魅力があるのだ。
お若い頃どんな方だったのかは知らないが、あのオヤジさにシビレるので、考えたら『品の良くないオヤジなところが好きです!』なんて言うと失礼に当たるだろうか。
しかしこんな大夫は他にはいないし、歌舞伎役者でもこの人のような魅力をみせてくれる人はいない。

鱶七と官女らの掛け合いがこれまたいい。
そういえば、冒頭ではお庭仕えの者たちが地口の掛け合いをしていたが、今ではもう誰も笑わなくなったし、多分意味が通じたとしても、さむいおやじギャグだと言われるのがオチなのだろうな・・・
官女たちのちょっとえっちくさい言葉が続く。しかしやらしさはない。
『月に叢雲 障りが出来て』
しかもそれを言うのは紅葉の局もみのつぼね、だ。
こういうところにもワクワクするようなものが伊達大夫にはある。
チャリや大仰なバカ話もこの人の語りだと、わたしまでついつい相槌を打ちたくなるのだ。それでいつも伊達大夫の語りにあわせて首を振る。


それにしても伊達大夫がいい。あの間、あの笑い声。地の底から響くようだ。聞いていて、こっちにも気合が入る。
こういう役はそれこそニンが合うのか、ご本人のセキ・タンを払う音ですら語りの障りにならず、却って興が湧くくらいだ。

ああ、面白かった。
伊達大夫、また聞きたいです。ありがとう。

間に餅撒きがあったが、当たらず、残念。


姫戻りの段。

橘姫といい、二十四孝の八重垣姫といい、深窓の姫君であるほどその欲望は深くなり、忠がない分、恋に一途になれる。
孝も振り捨てて、恋に走る、コアな姫たち。

自分の身分が高い分、それが余りに当然過ぎて身分差と言うものを考えられなくなっている。
そこがやはり同じく求馬を追うていても、お三輪とは違う。
姫はまたもや不実な男の言葉に踊らされている。
女の自己愛と男の思惑と。
姫と言うものは自分から滅ぶ道を選んでしまうものなのか。

金殿の段。
咲大夫である。声がかかった。
私も伊達大夫のときに『ダテタユー!!!』と心の中で声をかけていた。

お三輪が来た。
以前見たとき、苧環の糸が切れたことを罵る台詞に客は笑っていたが、今回はそんなこともない。お三輪の必死さ懸命さが伝わるからか。

姫と求馬の婚礼に半狂乱になったお三輪の前に下駄の音もにぎやかにおはしたが現れる。そう、豆腐買い。
豆腐買いが少しばかり緊張をほぐしてくれる。
咲大夫はサラリと豆腐買いのシャベリを進める。
人形の身体の開き具合を見て、不意に『オグリ』での金田龍之介を思い出した。それも女郎屋のオヤジ役の仕方話での演技を。
そういえば、昔『豆腐会』という集まりがあったそうだ。
ここから名をとったそうだが、昔はどんな芝居でも人口に膾炙していたのだ。

燕二郎の太棹を聞くだけで心に何かが流れる。
心に刻まれる無数の擦過傷。その一筋一筋に彼の色が流れてゆく。今日が録画の日でなければナマナマしい歓びに満たされていたろう。ちょっと悔しくはある。

お三輪は苛められ、挙句鱶七に斬られて後に『北の方』だと詭弁を使われ、『賤しい女』でありながらも、と法悦の中で死んでゆく。
いややなあ。
(しかしそうでなければ芝居にならないか)

しかし大義名分と詭弁に満ちた物語だなあ。
腹が立つくらいだ。
ムカムカぷんぷん。
お三輪も苛められてシクシク泣かずに、泣き叫ぶか泣き喚いてやればよかったのだ。
(それでは芝居にならないか)
簑助のお三輪は表情の変化を遠目にもみせてくれる。
わたしはお三輪があまり好きではないのだが、簑助の力でお三輪が哀れにもなり、腹を立てたりもするのだ。

何べん見ても面白いが、やっぱり入れ込みすぎて腹が立つのであった。
そして、ああまた見に来ようと呟いた。

文楽を見る

実に何年ぶりだろうか、文楽を見に行った。

阿波座にいたので千日前線で一本七分でつくが、難波で途中下車して箱寿司などを買うてから向かった。
今日は地下鉄フリーパスを使っているので、心置きなく乗り倒している。
日本橋の国立文楽劇場。
少し遅れてしまい、残念だ。
今日はカメラがはいっているそうだ。記録上映だな。

桜鍔恨鮫鞘、通称〈鰻谷〉の場を見る。お妻八郎兵衛だ。
かなり昔から見たかった芝居だが、見終えて『みんな阿呆ぢゃ』と思ったのが正直な感想だ。それは何も三業の方々をいうのでなく、芝居のキャラたちへの感想なのだ。
何故もっと早よ言わへんの、何故そんな覚悟なんかすんの、何故もっとよぉ考えへんの。

つまり芝居にのめりこみ、ヤキモキ苛々し、最後はアーア・・・と嘆息するのである。これが実のところ、いつでもそうなのだ。
谷崎の言う『痴呆の芸術』。納得だ。
まず誰より何より、わたし自身が阿呆なのだ。
踊らされている。
踊らされたくて、見に来ている。ホンマの阿呆である。
それで帰るときもいつも思うことは同じ。
『あー面白かった。また見に来よ』
本気で言うているのだ。

・・・お妻八郎兵衛は、池田文庫の錦絵で何種か見ている。
女房の嘘の愛想尽かしを真に受けた男が、子まで生した女をザクザクに斬り殺す。元はといえば男がアカンからこうなるのだが、女も予め殺される覚悟でいるわけである。
文盲なので、幼い娘に口伝えで自分の遺言を残す。
男は取り返しのつかない状況に落ちてから、全てを知る。
お主の為と思ってきたことも水の泡のところへこの始末。
自殺なんかさせてたまるか。
男は永遠に女房のことで後悔すれば良いのだ。

武智鐡二と八世坂東三津五郎の対談集『芸十夜』によると、昔の名人栄三の遣う人形の顔色が変わるのが見えた、とある。
凄いな、と思った。今はどうか。
それから大隈大夫が残したレコードがこれまた凄いらしい。
『古今に八郎兵衛の気持ちがわかる大夫はわししかおらん』実際に奥さんが不倫したようで、それをまた自慢なさるのだ。
『それで、これはわしの十八番や』
いいなあ。こういうハナシが一番好きなのだ。

話を元に戻す。
しばらく来ぬ間に何やら改装されて、盆にマイクが備え付けられているではないか。なんでやねん、と言う感じである。
マイク使わないと、声が届かないのか。うそでしょう。
しかしいいことが一つあった。
舞台の上に、翻訳劇などでおなじみの字幕スーパーが浮かんでいる。
これはいいことだと思う。筋書きを読み耽る人も多いので、こうすればちょっとは手助けになると思う。
(箱根駅伝をTVで見ながら、道路地図を見るのとよく似ているな)

わたしは最近では上演機会のないようなお蔵入りの芝居こそ、見てみたいのだ。とんとんの三吉とか乳貰いとか長町裏とか崇禅寺馬場とか。
近松も良いが、こうした芝居をまず、見せてほしい。
しかし客の入りは望めないだろうが。

この芝居も前近代の薄闇と土俗的なものが漂っている。
きわどい展開や台詞も多い。
しかしながら、どういうわけか、大夫が故意にそうしたのか、それともマイクのせいか、えっちくささがないのだ。
甘くないケーキを食べている感じだ。
以前、住大夫で『夏祭』の内本町の場を聞いたが、そのとき団七九郎兵衛という男が女房のお梶とどういう出会い方をしたのか、眼に見えたようだった。古い古い大阪弁で言うどれあいとでもいうものを感じたのだ。が、ここにはそれはない。

せつない芝居を見た。
キャラたちにしっかりせんかい、とどやしつけたくなるほど、入り込んでしまった。やはり芸と言うものはこわいものだなあ・・・

続いて『妹背山』だが、それは後日に続く。

築港から旧居留地へ

地下鉄大阪港駅を降り、築港へ向かう。
天保山は大阪一の最低山だが、楽しいスポットである。
しかし今日は海遊館も大観覧車も休みだ。

私は築港にある商船三井ビルとその隣の天満屋ビルを見に来たのだ。
神戸の海岸通りにある商船三井ビルは豪奢だが、こちらは違い、可愛くこぢんまりと建っている。親しみやすい建物には、カフェやオフィスが入っている。隣もそうだ。そしてどちらにもスクラッチタイルが貼られている。可愛くて私好みだ。

そこから阿波座に出た。今日会社を昼から休んだのは川口教会に行くためだった。
明治初頭に開かれた居留地。今ではそれを偲ばせるものといえば川口居留地の碑と教会と、その向かいに建つ旧川口アパートだけだ。
木津川を渡らねば川口へはつけない。
西郵便局の隣にこれまた崩壊寸前のモダニズムな建物が置き去りにされている。形だけで言えば、NTT池田みたいな感じ。

橋上から教会を眺める。
川は静かに流れている。

川口アパートは、以前訪ねた折、昭和二十年からオフィスになっている、とそこの方から教えられた。今では更に英会話教室も入っている。
メダイヨンがきれいだ。縦長楕円形。整然とそれが連続する。

向かいの川口教会は煉瓦積みである。

阪神大震災で崩落して、ヴォーリズ社が修復したそうだ。
聖公会なので、中には煌びやかなものはない。
天井はヴォールトではなく、シザートラス。
東京の求道会館にも似ている。
わたしはこういうトラスも好きだ。
本来ロマネスクやゴシックが大好きだが、質実な赤煉瓦の中にいるのも心地よい。
教会にはそうした力が漂っている。

京都の平安女学園は聖公会の聖アグネス教会に付属して建てられた学校で、そちらを見学した際も静かな気持ちになれた。
と、言いつつも・・・やっぱり華やかなものが何かほしい。
ありました。
震災からの復興を記念して、聖書に現れる植物を描いたステンドグラスが大きく花開いていた。
今出来であっても、ここが信仰の家である以上、こうしたものがあると嬉しく思うし、信者さんらの心の拠り所なのだなあと感心する。

居留地。
清方の名画『築地明石町』も実は居留地なのである。
今はそんなことを知る人といえば、歴史ファンか清方ファンくらいではないか。
神戸や横浜はそれでショーバイ出来るが、築地にしろ川口にしろ新潟にしろ、もう今では忘れ去られた話なのだろう。
そうしたものを掘り返すことが、楽しくて仕方ない。

日本洋画の展開

平野町の至峰堂から誘いの葉書が来ていた。丁度、川口教会に撮影に行くので、足を向けた。以前この画廊で須田剋太の小品〈滝〉を見て、そのセルリアンブルーにときめいたが、以来きれいなはがきが私を誘うようになった。
今日は洋画家の珍品という。葉書には長谷川4兄弟の次男燐二郎の黄色な背景に白い瓶に差された枝が選ばれていた。中に入ると珍品かどうか、その画家らしい作品が多く、親しみやすく眺めた。
林重義は舞妓を、鹿子木は林を、林倭衛は椿を描いている。なんとなく安心だ。古賀春江の林が気に入った。珍品というかはわからぬが、静かな絵である。病院か学校の裏のような。国枝金三は海の岩を、宮本三郎は美誕らしき裸婦を。
私はこれら静かな絵を見て回ることで、ここが御堂筋に面した場であることを忘れてしまう。嬉しい静謐。しかしながら私は雑踏もまた愛している。一足踏み出せば、都会の中。これほど快い空間はない。幸せな気持で私は画廊を出た。

鏡開き

今日は鏡開きの日だ。
お正月の鏡餅を開き、ぜんざいなどでいただく。

鏡開きと聞けば思い出すことは二つ三つあるが、まず歌舞伎の舞踊『鏡獅子』だ。
これは江戸城の鏡開きの日に、腰元弥生が大広間に連れられて踊るうちに神かがりして、獅子の精をその身に宿らせて、豪奢にして勇壮な舞を舞う。
六代目菊五郎がこれを得意としたそうで、写真などをわたしも色々と見ている。その芸談によると、丁度来日したドイツの曲馬団リューゲンベックのライオンなどのショーを見て、参考にしたそうだ。
その菊五郎の舞踊を見て、来日していたジャン・コクトーが映画『美女と野獣』を製作したというのも、名高い話である。

話を戻して、鏡開き。
浮世絵師・月岡芳年にも同題の絵がある。(字は当て字だが)
明治に入ってからの作だが、江戸時代からの風習は廃れずに続いていたのが、わかる。

天理教などでは、大きな鏡餅を大学の柔道部の学生らが割ってゆき、大鍋のぜんざいを信者さんらでいただくと聞く。
うちの会社もそこまで壮大なことは出来ないが、それなりのぜんざいを作っている。
以前はわたしが小豆を水で一晩寝かせてから作っていたのだが、今ではそんな悠長なことは許されない。
それで総務部の後輩が小豆缶をいくつも買ってきて、それを水溶きしてぜんざいにする。
これもなかなかおいしい。

最近はお餅も和菓子も人気薄だと言われるが、それでもまだこうした風習が残っているし、好きな人は好きだろう。
わたしは子供の頃あんこがニガテだったが、今ではなかなか好きになった。
素敵な和の風習も廃れずに次代へ続いてゆけばな、と思っている。

とりあえず鏡開きの次は、節分だ。そのときは厄除けまんじゅうをいただこう。(我孫子の厄除けまんじゅうを必ずプレゼントしてくださるメーカーさんがあるのだ。ありがたいなあ)

えべっさん

関西では9.10.11の三日間にえべっさんをお祭りする。
全国的に知られているところでは、宝恵駕(ほえかご)今宮戎、福男を激走で決める西宮戎であろうか。
神社にえびす講があれば、地元の楽しみと繁盛祈願とで行われるところも多い。

わたしの地元には北摂随一のえべっさんがある。よく賑わっている。
歌の決まり文句はこうだ。
『商売繁盛で笹持って来い』
なぜ笹なのか。酒(ささ)が転じたという説もあり、興味は尽きない。
サラエ、熊手、笹などにえべっさん・その親の大黒さん・おかめなどの顔が俵や鈴や鯛などと共につけられている。

佐倉の国立歴史民俗博物館では、関西のえべっさんと浅草などの酉の市の比較が出来、なかなか面白い。

えべっさんには福飴が必須だ。
紅白のおかめの金太郎飴、紅白のねじり棒飴などがセットになったものと、おかめの金太郎飴を切りそろえた物などが売られていて、わたしはそれらを毎年欠かさず購入する。
会社の連中や友人らに配るためである。
つまり、個人レベルの福娘として、わたしは皆に飴を(福を)配る。

まだ十七、八の頃に福娘の推薦が来たが、寒さに弱いわたしはおことわりした。自薦・他薦のなかなか激しい競争の福娘選びに、特別推薦されたのは大宮司のご親切だったと思うが、申し訳ない。わたしが寒さに強くなったのは、それから更に十年近い後のことなのだった。

だからという訳でもないが、わたしはちょっと申し訳なさを感じて、それで周囲に福を配るのだ。
今では大福娘というやつだ。ダイフク・ムスメではない。オオフクムスメと呼んでいただきたい。えへん。
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