美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

パリを愛した画家たち を味わう

パリを愛した画家たち展を見に行く。既に東京で開催された洋画展だが、大分県の病院所蔵だと聞いている。
四人連れで来たが、皆マチマチな意見や見方を言うのでそれが面白い。

ルイ・ヴァルタの座る裸婦がまず目についた。横向きの女の肌は青白く、細い面は笑っているように見える。彼の母子像は赤いドレスを着て元気そうだ。更紗風の布が見える。
ボナールはやはり都会的な女がいい。白いコルサージュの女。透けて見える赤いなにか。微笑む女。シチュエーションはこれで決まったな。

ラウル・デュフィが二枚あるが、来週からこの心斎橋でデュフィ展がある。わたしは彼にあまり関心はないが、それでも素敵な作品に出会うと、それだけで嬉しい。
『シャンデリアのあるアトリエ』
ヌードモデルなのか、ただそこに裸婦がいるのか。明るい画面を見ると楽しくなる。
『モーツァルト』
その楽譜がある。ピンク色。なんの曲かわからない。しかしそれを見たときに、このコレクションが病院のものだということを改めて思い起こさせられた。
モーツァルトは世界中で愛されているが、癒しの音楽という認識が今では一般的だ。デュフィの明るい絵に描かれているモーツァルト。
患者さんのためにはとてもよいのではなかろうか。
デュフィはオーケストラの絵などもよく描いているが(鎌倉の大谷美術館などにある黄色い絵)モーツァルトとはっきり題された絵がここに選ばれたのはやはりそうした理由からではなかろうか。―――などとわたしは想像するのである。

ドランの『黒い犬を連れたディアーヌ』は黒髪の裸婦の立像だが、くりくりしたアタマの上に小さな月がついていなければわからない、可愛いようなヒトだ。この彼女には水浴をのぞいてしまったアクタイオンを鹿に変えて猟犬に齧らせる残酷性は、見えない。

ヴラマンク『雪景色』
暗い空の下の雪道は汚れていた。杉並木。なにか恐るべき予感が・・・いつもそんな気持ちになる。

マルケが二枚ある。叔父がマルケファンなのだが、わたしはそうでもない。しかしここにある港や船の絵は悪くない。
『マルセイユ港の冬景色』
グレーのトーンが優しい。たくさんの船が帆を降ろして停泊している。
寒いが寂しくはない。乗組員は多分、酒場や宿屋や店にいるのだろう。
『ポルクロールの小船』
青い海に浮かぶ小さな船。港も山も見える。本当のじょうけいがそこにある。マチスは彼を『フランスの北斎』と評したと解説にあるが、納得できる。

ピエール・ラプラード『アルルカンとパオン』
なにか劇場の緞帳のような感じがする。真ん中に孔雀がいて、左の木の陰に赤い服のアルルカンがたたずむ。右の華やかな花々をいけた鉢は大きく、寓意画と言われればそうかもしれないが、やはり横長と言うだけでなく、緞帳のように思える。うかつなことにパオンが孔雀だと初めて気づいた。髪の染め粉の名前は孔雀だったのだ。

大好きなドンゲンが二枚あるが、『白い衣装の女』はなにやらえぐそうだ。社交界で人気者になった頃の作品なので、これにはモデルもいてるのだろう。しかしながらどうもえぐい。
一方『競馬場』は時計回りの走り方で、ターフは青々と緑も濃く、赤馬たちが疾走している。なんだか楽しそうだ。

アンリ・マンギャンの裸婦は、小出風の室内に静かな身体を晒している。卓上にはフルーツや白い陶器のカップなどがある。女の胸の形がきれいだと思った。仄朱いぐみの実がかわいい。

エコール・ド・パリの作品が多い。
キスリングのミモザは病院によく合うと思った。ぷつぷつと盛り上がるミモザの花。いいなあ。いろんな種類のミモザを見たが、これはいいような感じがする。
ローランサンの娘たちもいい。というよりも、ローランサンもルノワールも幸せを一番に感じる。好悪を越えて。
キスリングの婦人像は色彩がいかにもキスリングらしく、かっきりしていた。あいまいさのない分割。
それと違うのがパスキンだ。もやもやしている。『カシスのナナ』彼女はナナという名なのだろうが、一瞬エミール・ゾラのナナを思い出した。スカートをはいて気だるく座っている。
スーチン。奈良そごうで回顧展を見て以来スーチンのファンだ。赤い女の肖像。寝入ってます。
これは後で出てくる梅原の女の顔と対比すると、面白かった。あとは中川一政も対比できるかもしれない。

シャガールの『母と子』を見ていて面白いことがあった。友人たちの反応と言うか感想というか。家々の立ち並ぶ中に母子がいるが、その家々が『男の子の顔みたいやわー』なのである。
なるほどーと言う感じ。これは田辺三重松の『霞沢岳と梓川』でも同じで、モアイが寝てる、と言う。モアイというよりムンクの叫び山もあるよ。えっどれどれ、あっホンマ。
モアイには見えないが、ハニワ顔の山にみえる。面白かった。

ユトリロの『オルジャン通り』は坂道で、冬枯れの景色だった。彼の絵は仲間を持たない絵だと思う。

フジタの裸婦をみると、筋肉を感じてしまう。いつもそうだ。腹筋が割れている。強そうだなぁ。
『犬』
屏風絵の墨絵の犬たち。動きは『争闘』の猫たちと同じ。野良犬に見えるが、なんだか楽しそうだ。わんわん物語。

ピカソ『アンチープの風景』
これを見たとき、病院の待合室にどーんと飾られているのを想像した。太い線で色んな緑をどどーんと。・・・なんだかいいなあ。

コンスタンティン・テレスコヴィッヒ
ロシア出身で舞台装置や衣装も担当したと言うのが、よくわかるような感じがする。
黄色地に花を生けた静物画。花の壷には人物がいる。そして並びには青い壷がある。これは中国のものかもしれない。
『人形と少女たち――マントンにて』
海の見えるテラスにいる無表情な少女たちと、その間にいるにっこりした人形。時に人形の方が豊かな表情を見せてくれることがある。

現存の画家たちの絵も多い。
カシニョール『ニコル』帽子をかぶったん女の横顔はきれいだと思うし、フェーエルの『風景』も緑の中に置き去りにされたようでぽつんと佇む影もまた緑に染まるのが好ましい。
ポール・ギアマン『サーカス』赤い絵だ。これは照明が赤なのかもしれない。馬の背に立ち、輪くぐりをしようとする。いけるか、いけるか。
アイズビリ『ベニス』青く晴れた空。ライトブルーの空。わたしが行った時もこんな空色だった。
ルシェールの静物画は全面オレンジ色で、これはアイスの乗っかったパフェと三宝柑だと意見がまとまった。いや実においしそうに見える。作者の意図を離れて、アジアの片隅・・・大阪の真ん中で四人の女が『おいしそー!!!』と叫んだのだ。えらい。それだけでもえらい。

日本人の画家へ視線を移す。
アメリカの画家と言うイメージの強い国吉康雄の『二つの洋梨』変な変換で『二つのような死』と出た。なんとなく、遠くはない変換のように思う。国吉の憂愁とよく言われるが、このなにがなしの物哀しさがそういうことなのだと感じる。
前田寛治『海の見える風景』遠くに青い海が見える。本当に青い。みかんの木々がある。
山口薫『サントロッペ風景』瀬戸内海のようだ。山の藍色が目にしみる。小さい山なのに。
里見勝蔵『高原』ヴラマンクの弟子だと実感する絵だと思う。人物画より風景の方がよいように思う。
三岸節子の魚の静物画をみて、またまた・・・
「鯛焼きに見える」「えー、アジの開きやでー」「化石ちゃうん」「えーこれ魚なんかー」四人とも、健全やなあ。
浅井閑右衛門はこれまで京都市立美術館で赤ん坊の立った姿しか見たことがなく、近年まで存命していたと言うのも、初めて知った画家だ。これがすこぶる評判がいい。ピンクのきれいな薔薇がマヨルカ壷に活けられている。みんな言うこと一緒。「きれーきれーきれー」欲しいのよ、こんな薔薇が。児島の鋭い百合やミモザより、中川の濃い薔薇より、林武の薔薇よりも。
しかしわたしは個人で気には、林の群青色の鋭い線を見せる背景と、黄色と赤の骨太そうな薔薇も好きなのだ。
牛島の『晴日』橋の影がのびていて、釣りをする人もいる。ぼんやり・のんびりしている。ここではないどこかの風景。
宮本三郎の舞妓はかんざしを直している。この構図は小磯良平にもある。

よい展覧会だった。
たまにはこんな愉しみ方をしてもいい。


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寿ぎの美 新春・雛・端午など

細見美術館で寿ものを集めた展覧会が開催されている。
日本には古来から現在まで続くめでたい風習・慣例などが多い。
これは農耕民族だからこそではなかろうか。
本来の意味は失われようと、めでたさと楽しさが合致し、今に残る風俗となったのだ。

若冲の描くわんこは箒で払われ、オヨヨな顔をしている。
ヘッドロックをかけるわんこたちもいる。
明治生まれの毛植えのわんこたちはぽよんとそこにいる。
今年は戌年だからあちこちでわんこを見たが、やっぱり可愛いなあ。

為恭の年中行事絵巻があり、二月から四月までの情景が開かれていた。二月は宮中へ参内し、列見する。三月は曲水の宴。四月は花見ではなく潅仏会。そう、お釈迦様の花祭り。

鈴木其一の月次花鳥画帖がなんともわかりやすい絵だと思った。
最近わたしは抱一と彼との師弟がどんな暮らしぶりをしていたのか想像することが楽しくて仕方ない。

茶の室礼がある。
水差しは七宝でとてもきれいだ。軸は抱一の立雛に犬筥。その犬が妙に雅な美しい面差しをしていて目を引かれる。
一種のスフィンクスのように見えるのだ。
棗なのか、黒田辰秋の美しい細工の容器がある。
茶人はこのように古今の美しいものをとりどりに合わせるのだ。

以前さるところでパーレビ元・国王ゆかりの銀器を使った茶席に巡り合うたことがある。本来とは異なる使われようをしているがそれがとてもその場に合っていた。わたしは茶道の外側にいるが、こうした意識を養いたいと思っている。

ところどころに林駒夫の人形や小物がある。
娘さんの林三千子のあさり貝を使った貝合わせにはびっくりした。
愛らしいことこの上ない。
蜆でも見たことがあるが、わたしはこの大きさのものかなら欲しいと思う。

中村芳中の白梅にかもめ。以前から好きな絵。
北野社頭図屏風は人物の顔もはっきりしていて、楽しそう。花楽の図。やっぱりこうした遊楽図がすきなのだ。
絵でもう一つ。
忘れている手法がある。軸絵というのだっけ、名前を忘れた。
絵本体は軸に飾られるが、だまし絵のように軸そのものにも絵が続いている。いや、連続性はないが関連性がある絵。
こうした手法の名を忘れたのだ。

ひな祭りだけでなく、皐月の室礼に目を引かれた。
現在五月人形と言えば若武者か金太郎である。
しかし明治三十年代には、そう丁度百年ほど前には、神功皇后と武内宿禰と赤ん坊の応神天皇のセットがブームだったようだ。
実際その頻度はわたしにはわからないし、いつからこうなったのかもしらない。江戸時代の皐月人形はどうだったのか。
明治三十年代の日本の状況がこうした三韓征伐の物語を欲したのか。日清日露戦争という時代の流れの中での人形セットなのか。
しかし、彼らは既に幕末の浮世絵にもよく現れている。
それは上方下りの細工見世物のチラシとしてだが。
それで思い出した。
作家里見は子供の頃ある呪文を教わったそうだ。
それはお手洗いを我慢する為の呪文で、『神功皇后 三韓征伐』これをお手洗いにたどり着くまで唱え続けるそうだ。
神功皇后の故事を知るヒトにはわかるだろうが、なんだか出来そうな感じだ。うーむ。

薬玉がある。これに菖蒲をかけるそうだ。そしてそれは端午の節句から重陽まで続き、ぐみ袋と交代するらしい。

まだまだわたしの知らぬことが多いと思った。
一つのことでも色々な不思議がある。
楽しい気分とナゾとが胸に残るまま、この場を去ることにした。



エルンスト・バルラハ展にて

エルンスト・バルラハの彫刻と素描を見に行く。
京都に始まり次は東京芸大に巡回する。

映画はドイツ表現主義が好きだが、芸術全般としてはどうか。
バルラハの経歴や思想などはこちらに詳しい。
http://www.momak.go.jp/0602-Elnston_j.html
わたしは彼を知らないので語ることはできない。
作品と対峙して何かを受け取ることはできるかもしれないが。

当初バルラハはユーゲントシュティール風の作品を生み出していた。
時代の流れはバルラハの作風に影響を与える。
彼はやがて表現主義に到り、そこで完成されて作品を次々に生み出すのだが、台頭して来たナチスにより頽廃芸術とされてしまった。
ナチスの言う頽廃芸術の規定について言及することは避ける。
しかし皮肉なことにそれらの理解者がナチスの高官にいるということは忘れてはならない。

バルラハ展の会場には様々な客層が見出せた。
木彫と素描とを彼らは熱心に眺めている。
彫刻は多面からの視線に晒される。彼らの目は360度を越えた視線を対象物に寄せる。
わたしはどうか。
わたしは・・・・・・

わたしは観客にはなれなかった。
バルラハの芸術が、その芸術性が理解できなかった。
理解せずとも惹かれるものがあれば、と思ったがそれすらなかった。
観客は熱心にバルラハの作品を眺めている。
彼の作品は日本初公開なのだ。
何故そんなにも熱心に眺めることができるのか。
わたしは誰かに訊きたかった。
しかしわたしは誰にも訊かずに終わった。語る人もいなかった。

ただ、素描や挿絵には多少心を惹かれたものがある。
『若きファウヌス』
これは少年の姿をとったファウンだ。森に住む牧羊神、その眷属かもしれない。
ユーゲントシュティールの領域に属する素描や版画にはハインリヒ・フォーゲラーのお仲間のような風情を見せる作品も多い。
『魔法の森』
これなどはそうだ。薄暗いメルフェンがある。ドイツの黒い森、グリム兄弟が採集する物語。残酷さと猟奇性が潜む伝説は黒い土の中に埋められてゆく・・・・・・
『怪談』
カエルがたくさんいる。このカエルたちはガレのカエルのような趣がある。アンデルセンの『沼の王』はカエルだった。欧州からロシアにかけて残る「魔法に掛けられて変化を遂げた姿はカエル」だというのが、この『怪談』にも仄見える。
『森の風神』
オジサンが風を開く。風神と言えばすぐに琳派を思い出すがここでの風神はただのオジサンなのである。明治初期の日本人の洋画家も同じような絵を残している。
『春風の女』
ペン画のタッチが世紀末だということを感じさせてくれる。
1897-1905。
20世紀に入ったとはいえ、まだ芸術は時代の変化を感じてはいない。

やがてバルラハは1906年にロシアツアーに出る。
その前年は血の日曜日などがおこった第一次ロシア革命の年で、多くの革命家がシベリア送りになった年ではないか。しかも日露戦争の後なのである。
当時のロシアと言えば、皇后はドイツから嫁いできたが一向にロシアになじまず、上流階級の言語フランス語さえも話さず、怪僧ラスプーチンを信奉し始めている頃だった。

バルラハはそんなロシアで何を見たのか。

彼の作品に『農奴』『物乞い』『占星術師』が頻出するようになったのは、このロシアツアー以後なのである。
占星術師と言えばコクトーのそれを思い出すが、コクトーの見たロシアはバレエ・リュッスなのである。
バルラハは何を見たのだろうか。

バルラハの占星術師たちは東方の三博士の後裔もしくは転身のように見える。彼らはイエスの生誕を祝いはるばる訪れたが、この占星術師たちは星からどんなメッセージを受けたのだろう。

木彫はこれ以後完成されてゆく。
平櫛田中を思いおこさせる人物像もあるが、総じて思惟にふける全体像として、そこにいる。
吹く風の強さを感じさせる彫刻がいくつかある。
姿態が行動だけでなく、取り巻く状況を想像させるような作品である。顔つきは正直、美しくはない。
苦行者のようなこともないが、鬱屈を秘めた顔つきである。

山上たつひこの『光る風』というポリティカルサスペンス作品がある。
’70年代初頭の暗い世相が描かせた凄まじい作品である。
わたしはそれを思い出した。
未来も希望もない、ただ生存しているだけの群衆。
バルラハの彫刻群は『光る風』の群集に似ている。

『光る風』は軍国主義に向かう日本の狂気の姿を描いていたが、現実に軍国主義に走ったナチズムの狂気は、バルラハの作品を破壊し始める。

ある教会にバルラハはまるで日本の寺の木魚のような人物像を作っている。宙に吊られるこの彫刻は滅ぼされることなく、隠しぬかれた。
しかもそれを指示したのはナチスの分団長なのである。

最後に、ドイツの中のドイツというべきゲーテの『ファウスト』、そのワルプルギスの夜を描いた版画シリーズがある。
表現主義と魔女たちの乱痴気騒ぎが合致している。
わたしはこの作品だけは何度も眺めた。

雛人形とからくり人形

『京の雛めぐり』というチラシがある。
京都国立博物館・宝鏡寺・京都文化博物館・さがの人形の家の四箇所がお雛様を公開している。
わたしは二箇所巡ったが、あとはやめた。東京では松岡美術館などでお雛様を眺めている。
今日は文化博物館のお雛様を見に来た。
おとどし凄まじいものをここでみた。立ち雛を寝かせた展示である。
何度かこのブログ上でもそのことを書いたが、あの凄まじさは生涯忘れられないだろう。

立ち雛を 寝かせてほどく 髪のたぼ 情死の姿 ありあり浮かぶ

しかしながら今回そのようなことはなく、ありきたりの展示になっていた。
わたしのような耽美頽廃の嗜好がある者ならともかく、そうでない方にはただただ惨たらしいような気持ち悪さを感じられたのかもしれない。
あの展示は一体どのような意図があってのことだったのか。
それを見たい・再度味わいたいと思いながら訪れた私は拒絶されてしまった。
やはり雛には少女の健全な成長を願う思いが込められているからだろうか。

当初人形の髪は描かれているだけで、植え込みが始まったのは享保頃からのようだ。
元禄に比べて人形も大きくなり始め、有職雛へ至る道が見え始めてきた。
やがて近代に入ると名人・大木平蔵が現れ、うつくしい人形たちを依頼主の令嬢たちのために生み出していった。
寄贈された方々の名を見ると、納得するような贅を凝らしたものばかりである。
上方では台所道具というかお人形のミニキッチンがつきものである。
今回眺めると、布袋さんや荒神さんが祭られている。そう、台所には荒神さんが鎮座ましましているものだ。
これらは京都の所蔵なので『おくどさん』と表記されているが、大坂では『へっついさん』である。
井原西鶴の『一代男』などにもその表記がある。

賀茂人形・嵯峨人形などがある。芥子人形も並ぶ。小さくて可愛い。
この中で『一文雛』と呼ばれるものがあった。粗末な『御殿』というより村の鎮守の神様を祭るような社の中に小さな人形たちがいる。
貧しい人々のための豆雛。しかしそこには愛情がある。
朽ちた屋根であろうと、崩れた着物であろうと、そこには慈しみがある。

御所人形が出ている。わたしはこの小さい丸々肥えた白肉さんたちが大好きである。衣装人形もきれいだし後のリカちゃん人形のご先祖様だと思うこともあるが、御所人形たちの後裔はどこにいるのだろうか。

今回、何よりも心惹かれたのは晴れ着の展示である。
わたしは寛文小袖などが好きだが、現実に欲しいのは友禅である。母は江戸小紋などの渋いのを若い頃から好きだというが、わたしはぬめぬめするような着物が好きだ。
だから銘仙にも関心がない。色は派手なものが好きだ。
しかし、今回の展示でときめいたのは鼠羽二重や鼠平絹地なのである。鼠志野のような地に裾が煌びやかな晴れ着にときめいた。似合う・似合わない無関係に欲しくて仕方なくなった。
この心境の変化は言葉にすることは難しい。あとは縹とお納戸色にときめいた。

色々と良いものを見た後は寺町経由で岡崎へ出たのだが、そのことは別項に記す。
細見美術館でも節会の展覧を見たのだが、この日は高島屋でからくり師の玉屋庄兵衛で〆た。

実はこの展覧会は昨年九月に名古屋で見た。
しかし寄ってみたのはからくりが見たいからだったのだが、かなり残念なことにVTR上映のみでからくりは一切なかった。ただ、並んでいるのを見るだけだ、漫然と。
それで疲れてしまい、博物館に寄らずに大阪へまっすぐ帰ってしまった。残念だと思うが仕方ないのだろうか。
とりあえずVTRの中身を思い出すしかないようだった。

京の食文化

朝から京都文化博物館で京の食文化展を楽しんだ。
最初は城陽市寺田の水度ミト神社の秋祭りにこしらえられる【栗榧神饌】から始まる。神饌、つまり神への捧物は、割り竹の先にそれぞれ栗を榧の実を刺していて、柿や蜜柑も裾にある。栗はともかく榧の実は見たことがなく、かつての農村には榧がよくあったことがわかる。
寺田には石棺も出土しており、古い地だけにこのような民俗もあったのだが戦前に絶えたようで、資料として復元したらしい。これらは頭屋のもとに一定期間飾られた後、御旅所に奉納される。
祭りは農村と都市部に時期と意味を違えて行われる。豊穣を祝う秋祭りと疫病払いの夏祭り。
学生らしき人がいて、何かを訊かれたのでいい気になって勝手な解釈をベンべンと喋る。民俗学の徒の端くれだし、まあ堪忍してもらおう。

字の解釈・講義をする間に自分でも色々と納得がゆくのが面白い。
若狭が何故ミケツの国か、若狭と出雲の関係は神様系だが、後にお水取りお水送りで仏教と深くなるが、これはやはり元々は神様の地を行くからだなとか考えたりした。思考が広がるのが感じられて楽しい。真面目に聞いてくれる人がいるからこその楽しみだ。

京都go!

3/12の鉄腕DASHで見た立ち飲みコーヒーびーんず亭に来た。錦通り高倉下がるにある。今まで知らなかった。私はこの道をすぐに上がるからだ。イノダばかりなので他を見なかったこともある。その場で豆からひく。私はカフェオレを頼んだ、クッキーつき。
おいしい!クッキーもオレも。さすが京都はあなどれない。

今から京都を遊ぶのに丁度イイ感じだ。DAIMARUで筍弁当も買うたし!さーて行くゾ!

山本昇雲の風俗画

山本昇雲という絵師がいた。
明治から昭和まで活躍した風俗絵師というか、風俗記録画家と言うか、浮世絵の匂いの残るなんとなく楽しい絵を描き続けた。
太田記念浮世絵美術館で4月26日まで開催中。
高知県立美術館からの出張展である。

わたしが最初に山本昇雲を知ったのは、今はなきDO!FAMILY美術館で貰った絵葉書からだ。
『今すがた おどろき』
令嬢が大きなクワガタムシを見て「あら??」と手を広げている絵。
これから始まる。
丁度十年ほど前の話だ。
ああ、太田の近所にある素晴らしいコレクションだったのに・・・

山本は東陽堂という出版社に勤めて、シリーズ物を沢山手がけた。
『今すがた』は明治三十年代の少女から婦人までの様々な風俗、『子供あそび』は母娘バージョンなら行楽図を、男児バージョンは次々と腕白する姿をイキイキと描いている。
これらは彼の勤めた出版社から出ていた風俗画報という雑誌に連載され、毎月紙面を彩っていたのだ。
百年前の人間の楽しそうな姿。見るだけでこちらも嬉しくなる。

また、風景画も良くしていた。大正の木版画時代にも乗り、良い作品を数多く作った。山本の風景画は風俗画に比べて色は少なく、やや地味だがなんともいえぬ情緒がある。わたしは決して嫌いではない。

他方、肉筆美人画にも良いものがある。
『享保の頃』 お雛様の添え人形をかごで運ぶ男衆を追いかける女児や窓からのぞく娘たち。彼女らのナリはその『享保の頃』なのである。
髪型も独特、帯も細めの享保時代。見るからに浮き立つような絵である。



山本昇雲は随分長生きされて、四十年前に百歳近くで亡くなったそうだ。
そして昭和三十年代には、挿絵画家の先駆者として当時活躍中の岩田専太郎たちから表彰を受けている。
めでたいことである。

写真技術がそんなに発達していなかった頃、風俗絵師たちは大活躍したが、昇雲の風俗画は可愛らしいものが多いと思う。
少なくともこの高知県立美術館所蔵の作品は、ほほえましさに満ちている。
子供の遊び、娘さんたちの楽しそうな姿。
イキイキと愛らしい子供たち。いたずらしたり転んだり。
応挙の狗犬図をみて『可愛い』と思われる方ならば、この感覚が伝わると思う。
柿のヘタみたいな髪型の子供たち。
「これこれ、あきませんよ」
そう声を掛けてみたくなるようなわんぱくぶり。
今の世には絶滅した愛らしくもいたずらな子供たち。

江戸時代の明るい楽しさが、ご維新後のどうも堅苦しい世相に押されたようにも見えたが、こうした風俗を見ると、気分も明るくなる。

春らしい華やかで楽しい展覧会だった。

當世流小栗判官をみる

国立劇場で歌舞伎を見るのは、実に久しぶりだ。
花形つまり若手ばかりの芝居で今回は上置きなし。一部二部と分けての上演だが、なかなか客の入りもよい。私は不意に来たから一部しか見ないが通しで見る方も多いだろう。
『當世流小栗判官』
説経節から始まるだけにいかに近松らが手を加えようと古怪な風が残る芝居。
口上により人物関係と状況などが観客に提示される。
横山家の段から浪七住家の段までが一部。
二部は青墓の長者の屋敷での祟りから土車での道行を越えて、大団円まで。
今回二部制にして全編上演するのは、国立劇場だからこその快挙だと思う。

二種の小栗が猿之助の一座にはある。
この小栗とスーパー歌舞伎『オグリ』である。
『オグリ』はより原典の説経に近く、事件と時間の推移は全て説経節に沿うて動く。ただ、主人公・小栗の行動の原点・思想を『ロマンの病』と定義したところがさすがに梅原猛と猿之助だと感じていた。
私は初演・再演併せて何度見たことだろう。
何度でも見たい芝居なのである。
しかしその『オグリ』に到るまでの道のりにこの『當世流小栗判官』がある。

小栗と馬の家の計画。
これは折口信夫の論文だが、現れる怪馬・鬼鹿毛と小栗との関係は実に興味深い。
馬というイキモノの存在の意義について語ることは今回措くが、スサノオの犯した禁忌の中にも馬が現れているように、馬と(ヒトでありカミである存在)との関係は深いものだ。
芝居の中でも小栗と馬とのスペクタクルな見せ場が多い。

琵琶湖周辺の地名を散りばめた、チャリ場でもある浪七住家の場。近江八景はここでは雅さをなくし、ばっちぃ小悪党たちの名となる。関西アクセントの巧みさがこの場の笑いを盛り上げる。
再々演でもあり巧いのは当然なのだが、右近が演ずる矢橋の橋蔵を見るうち、亡くなった宗十郎を思い出してしまった。
・・・よかったなあ、宗十郎。
右近は花道で♪ウコンの力 と歌っていた。

ヨッシッシ、ヨッシッシ と舟をこぐ腕も強く胴八がゆく。それを追う浪七は元の身分=武士の姿に立ち返っているが、追手のために既に髪はざんばらである。
船は行く。浪七の必死の叫び。海神に己が臓物を捧げる。
これは先月パークコレクションで見た『武文』と同種なのである。女は身そのものを海神に捧げ、男は切腹し臓物を捧げる。

面白かった。
なにがどうということより、全体としてチームワークがよく、テンポもよく、ツボも心得ていて、若手だけの公演とも思えぬようなよさがあった。
第二部を見に行けないわたしだが、この第一部の勢いと力がそのまま第二部にも向かっていることを信じている。

初演'83年当時わたしはまだ子供で、青墓の場を大晦日の日にNHKで見たことを思い出す。その数年後大学で小栗の比較論文を書いたが、その原点にはこの芝居があったのだ。
久しぶりに私は愛する小栗判官の世界に触れることができて、ただただ嬉しかった。

東京で食べた主なもの

・神谷バーのフキノトウのてんぷら
・神保町・柏水堂のタルトケーキ
・目黒・粥餐庁の中華粥
・万世のカツサンド
・神楽坂・紀の善の抹茶ババロア
あと有楽町のガード前の居酒屋さんのりんごジュースがよかった。

基本的に偏っているので、同じものを延々と食べたりすることが多い。

しかし飯田屋のどぜうは、今度是非いただきたいと思っています。

世界一・日本のプロ野球

キューバに勝った瞬間、うおおおおおおっと叫んでしまった。

午後のいっとき、日本中が歓喜したはずだ。
おめでとうJAPAN!
やっぱり野球ファンでいる幸せをかみしめた。

ありがとう!
色んなことがあったけど、本当に嬉しい。
初代王者・ニッポン。

記録だけではなく、記憶にも長らく残るだろう、すばらしきJAPAN
ただただときめいた・・・・・・

万世橋遺構見学

万世橋遺構見学に来たが先に短編フィルムを見てせつなくなった。駅舎は辰野だったそうだ。映画を見てノスタルジィにかられる。

それから撮影会。私は以前東大阪の孔舎衙駅跡に入ったことがあるが、あのトンネル内部とよく似ている。湿っているからか。それともなにか別な?
階段には光る成分が混ぜられている。暗くなることを予期したのではない偶然の性質。しかしそれはキラキラ煌めき、私はダイヤの地に立つ、または夜空の上にいるキモチになる。すごいなあ。
金属供出した名残がある。滑り止めがないのだ。時代を感じた。

ちょっと早いがランチに、万世の万カツサンドにした。まだぬくい。おいしいし、楽しい気分が湧く。

それから再びくるくるしたが、楽しすぎて予定が狂った。遠出できなくなった。思い立って国立劇場に電話し空席を聞く。行くゾ。

その前に神田をうろつき竹むらでおしるこを食べた。いい身分やなあ。…揚げまんじゅうにすべきだったな。

神田は古き良き時代の匂いが残る町だ。じっくり味わいたいと思う。私は神田の素人だから、これからいくらでも楽しめそうだ。

交通博物館

もう閉館と聞きあわてて予定変更で神田に来た。記念切符を貰い、万世橋の遺構を見る予約もいけた。格納庫のような内部に、複葉機のセピア色なミイラが飛んでいた。かっこいい、すごく。今朝丁度TVでも見たばかりの修学旅行列車なかよしがある。可愛いな。皆さんカメラぱちぱちだ。わたしはリアルタイル実況しよう。タイムラグは堪忍してね。
車両にあるクモハとかハネの意味を初めて知る。設備の略語なんだ。階段の手摺、なんかこれは滑り台禁止のためかな。今から屋上に。別にどうもないか、でも空が青い。キモチイイ。
錦帯橋の模型やカゴ、れん台、人力車、わっ飛行機。無事に飛んでや…従姉妹にキャビンアテンダントがいるが、勇気があるなあといちも思う。
あっさっきの複葉機の羽根下に来ました。アンリ・ファルマン機や。すごくかっこいい。
私は空港のある北摂住まいだから飛行機は見慣れている筈だが新鮮な気分。‘80年の初夢が実は複葉機に乗る夢だった。あの爽快感は今も忘れない。四半世紀前のちびの思い出だ。ニ階に来たら船だ。模型みて金比羅さんや水木しげるを思い出す。舳の女神もある。すごく楽しい。あらクラシックカーも。
そろそろ集合時間。行くか

花より工芸 ―近代工芸の美―

北の丸公園では、梅や椿、白木蓮、桜のような花が見えた。
わたしは花の名前とその実物が合致しないので、詳しくは知らないがなかなか見応えがある景色の中に、自分がいることを実感している。

一方「花より工芸」展を見に行く。
チラシには吉田良の少女人形「すぐり」が出ていた。
それだけでも私の心を引く。

私の最愛の人形師は辻村寿三郎で、そこからホリヒロシ、川本喜八郎、吉田良、四谷シモン…と世界が広がってゆく。
ただ、昔の作家ではたとえばこの展にもある平田郷陽や鹿児島寿蔵らが好きである。
先日あらためて眺めた奥田小由女もまた、これからは気をつけていなくてはならない。

「すぐり」は赤い襦袢のような、「着物」とは言いがたいような下着のようなものを身に着けている。しどけない少女。
足を少し開いている。目には義眼が嵌めこまれているが、見えていないはずの目がこちらを凝視している。知らない顔をしながらこちらを観察している。それも、見る側の心理の襞を知り尽くしながら。
いやな少女。――壊してやろうか。
そんな欲望に苛まれるような、そんな魅力がある。
これは多分、やなぎみわの撮影し続ける少女と同じ匂いを私が感じ取っているからかもしれない。
私もかつてはこの少女「たち」の一人だったのだからこその、ゆるい憎悪が……ある。

ベルメールの人形の写真を見ると、いつも痛ましさにヒリヒリする。
彼の奥さんの写真を見たことがある。彼の作る人形と同じような。
肉に走るのはワイヤーにも見えたが、実際はどうだったのだろうか。
なにか切なくなるベルメールの写真。
私は彼のファンなのかどうかさえ、わからないのだ。



今回は新収蔵品の展示である。
昔の名工の作も今回ここに収められているが、その経緯はどうだったのだろう。先月東京美術倶楽部での展覧会で、そのような考えが私の中に生まれるようになっていた。

荒川豊蔵の志野茶碗がよかった。
青灰にこれは梅だろうか、きれいだと思った。

本間蕣華の蒔絵「浄飾筥」
蓮をうつした美しい蒔絵。梨地を一部にだけ出すことで、蓮の花の清浄さを表現している。見事な作だと思う。

松井康成の練上はわたしはニガテだ。ざらつき感がどうもニガテなのだ。しかしそれがいのちなのだ。色彩には惹かれるが。
レイモン・サヴィニャックのポスターも何点か出ていた。
好きだなあ、とても楽しい。私は彼のファンなのだ。
サントリーミュージアムで回顧展を見て以来のファンですが。

お店などでよく見かけるしょうゆいれ。
あれは工業デザインとしては秀逸とか優秀とか、そんな言葉では縛れないほど、凄いと思う。
何が凄いといっても、「空気」みたいに存在し、普遍化しているからだ。これが一番凄いと思う。
森正洋。森さんを知らなくても、このカタチ知らないヒトはいないのだから。
お茶碗も25種出ていた。ただし私がほしいのは2つだけだった。

工芸館は、ときどきこういう「こわい」ものを出してくれる。


今からわたしは近代美術館へ向かうのだ。ああ、春だなあ。

科学技術館で遊ぼう

工芸館に行く前に科学技術館で「遊んだ」。
わたしはあんまり科学的ではないので敬遠していたのだが、折角パスもあるねやし、とテクテク向かった。何しろ昨日は上野公園、今日は北の丸公園を遊ばねばならぬのだから、忙しい。

行くと、エエ大人で一人で来るような女はいなくて、皆さんお子様連れですよ。うーん、さっさと見て回ろう。
…と思ったのが、五階での感想でした。
正直言うと、五階では「これ、何がしたいの?」という感じだったのよ。理解できないことには関心がわかない性質なので、悪いが五階は早々にリタイヤ。
ところが、四階では状況にわかに好転。
つまり、私の好みの遊び方が出来ましたのよ。
イチイチ何がどうとは書きませんが、面白かったなぁ!!!
よく考えたら、大阪には昔々、四ツ橋に電気科学館があり、それが移転して以後はいってなかったのだ。
靭公園の科学技術館には行っていたが。

昔懐かしいような売店があり、楽しかった。
いや、とにかく遊びましたね、ホンマに。
なんだか自転車をこぐのがあったけど、あれに気合が入ったわ。
そう、わたしはチャリダーなのよ。
筋金入りだぜ。←えらそぉ。
ここぎにこぐと、それまで歩き疲れていた筋肉がビジビシと気合注入されてきましたがな。ギアアップ!おおおおお。
……もしかして、元気なんか。

えーと、残念なのはぱらぱらマンガ作れるはずが、どうしてか機械がお金をはじいてしまい、拒否されたことかな。
そういうときに限って、わたくしの美貌の写真が撮れてんのよ。
普段仏頂面なのがにんまり笑っているという、珍しい写真でしたのに、残念。←機械が拒否したのは故障じゃなくて、もしかしたら……

なかなか夢中になって遊べる場所でした。
考えたら科学博物館でも恐竜や大蛇のホネをみて喜んでたもんな。

しかしこういうところで遊ぶには、子供またはカレシがいる方が楽しそうだなとちょいと思いましたね。
あー、でも面白かったです。

出光の風俗画

わたしは近世風俗画が大好きだ。
とにかく遊楽図が大好きで、美人画が大好きで、奇想の画家が大好きで、にぎやかなのが大好きだ。

出光につくとちょうど学芸員さんの解説が始まっていた。
これが面白いのでついて回る。しかしわたしはすぐについたりはぐれたりするので、その面白さはちょっとお伝えできない。

扇面法華経冊子断簡がある。
四天王寺にもあるが、言うたらその親戚。水遊びの童子と女房。無論上だか下だかに法華経がある。で、拡大写真があるのでそれを読むと、「大法螺」こんな字が見えた。…おいおい。
うちは法華宗なので、今度拝みに来はったら耳澄ましたろ。

橘直幹申文絵巻。
これは元ネタが面白い。人事異動か何かで橘サンは村上天皇に「それってちょっと」と書き送る。天皇、面白くない。でも字はきれいので中身はともかく大事においておく、という代物なのだ。
その橘さんが綴ってるとき、お屋敷の近辺では皆さんなにをしていたか。そぉいう絵です。わんこもわんわんおるし、みんな色々。いいですねえ、皆さんなんとなく元気。誰がなにをしようと関係ないところがいいのだ。
庶民の顔つきは、清方の「朝夕安居」に至るまで変わらないものだとつくづく思った。

福富草紙。
じいさん、酒焼けでか鼻が赤いですよ。
餅つきの黒い着物の女がきれいだとか、そんな細部を楽しんでしまう。

小柴垣草紙絵巻。
十訓抄にある物語か。懐かしい。学生の頃を思い出す。
私は古今物語や宇治拾遺物語が好きなのですよ。
にんまりした斎宮の顔が良い。実は知人がよくこういう顔をするのだ。
ふふふふふ。

又兵衛の職人尽絵巻は、珍しく淡彩で(いや珍しくはないか)あごもそんなに長くない。美青年風のが雅に魚を売るのが面白い。あれは魚を売ってるんかなぁぁぁ。

狩野派と土佐派の違いなどの説明を楽しく聞く。

珍しく病や老いや死の絵も飾られているが、わたしは諦念とも達観とも無縁なので、避けてしまった。

やっぱり享楽だ。それでいい。
邸内遊楽図や遊女歌舞伎図が楽しい。
いちいちどうのとは言えないが、こういうのが好きなのよ。
生きてる間は遊楽行楽道楽しないといけません。

柿右衛門の座す女像があるが、朝に見た松岡と違い、こっちは砕けていてにんまりしているのがいい。
都の春の花盛り、花盛り・・・

ちょうど東京は春が始まっていて、梅や大島桜や桃に連翹に白木蓮に椿が咲いていて、嬉しくて仕方ない。
こんな時期だからこそ、こうした遊楽図が一層たのしいのだ。
チラシにもなった女のけだるさが退廃とまではいかぬが、こうした匂いがなにに基づくかは、考えないでいたいものだ。


こんな中にいると、今日はどこでなにして遊ぼうか、と思うのだ。
先日ユトリロを見てパリにいる気分になったのと同じで。

南蛮人交易図屏風。
南蛮人の買い物。店主嬉しそうだが、彼なかなかハンサムですがな。
でも南蛮人ご一行様をのぞいてる母子、目が離れているがなかなか美人なのでした。

会場には例によって陶器が飾られている。
桃山時代の備前手付鉢がいい。普段備前焼には関心がわかないが、これはいい。ぱっと見たら形や色がまるでメスの孔雀のように見えた。
それから古伊万里の猪口が、どう見てもデミタスカップ、それ以上に小さいミルクピッチャーにしか見えない。うーん、可愛い。

次は開館40周年記念展か。
楽しみにしています。ああ、面白かった。

日本のマジック・サーカス展

チラシをもらったのは松岡で。市ケ谷駅前の山脇ギャラリーで幕末から現代までの日本のマジック・サーカス展があるそうな。

私はこういう展覧会が大好きなのである。
今外に居るのでDBが見れないが、INAXで見た上方くだりの細工見世物に始まり、京都造形大の見世物小屋の展覧会、兵庫県立近代美での「サーカスがやってきた」、国立演芸場の幾多の展覧会。
それらを機会がある限り見続けてきたのだ。
だから、やったーーーと言うカンジだ。

これは本当に面白かった。
河合勝さんというコレクターの方が集められた細工見世物や手妻のビラや浮世絵、明治以降のチャリネ、曲馬団、力技などなど。
おきらいな方もおられようが、私などはこんな展覧会大好きだ。

ぜひぜひおススメしたい。楽しくて仕方なかった。

うさんくささがなによりいいのだ。それにしてもエエごシュミやなあ。
嬉しくて仕方ない。

日程などは下記に。

http://homepage3.nifty.com/kawai-magic/sakusaku/3_1.htm

偶然といえば偶然

偶然朝のTVに藤村志保を見た。
江戸操り人形と共演する芝居だった。見に行きたいと思うような芝居だ。切なさが画面越しにも感じられる。
最近は新作映画もあるなと思ってたら、ちびさんらに絵本の読み聞かせもされているようで、こちらもよかった。
私も引き込まれてしまい、出発が遅れた。
しかしあの芝居は見たいと思う。そんな気分だ。

今から白金台の自然教育園に行く。
前から行きたかったのだが、機会が
なかった。満員電車の中で私は悠長なことを考えている。


これが実は午前九時過ぎの状況だった。
松岡に先に行き自然教育園に行き、そこから風がごうこう吹いてきたのだ。まるで「注文の多い料理店」みたい。
わたしは危うく山猫に齧られるところだったのかもしれない。

現在午後10時半。
明日も予定が少し狂った。交通博物館が閉館するそうなので、明日行く気になったのだ。
例によって例によって…もぉええねん、とばかりに私は予定表の組み換えを始めた。

ではまた。

死者の書ふたたび

死者の書再訪。
前回と違い余裕ができたか私は映像の細部をこだわり楽しむことが出来た。

大津皇子が姫を訪うたのはただ一度であり、彼は以後現れぬ。
しかし姫は待っている。面影人が再び訪うことを。
来た時は恐怖に身を固くして貴い佛の御名を唱えてしまったが、拒絶したわけではない。
腕で身を守るようにして、せつなく顔をそらしながら遠去かりゆく貴人への思いは、いよよ募るばかりなのだ。
これは互いにその相手に幻=面影人を求めての〈乞い〉なのである。

大津皇子。
俺の子を生んでくれ、耳面の血筋の姫よ、と死者は彼女が己の直接の『おもうている』女ではないと自覚しているだけにかえって執心は深い。現実の肉は朽ち果てていようとも。
いや、だからこその執心か。今では骨ばかり白く地中に沈んでいる。髪も色を失い、彼岸の夕日のように金に輝くばかりなのだ。夕日は儚い。黄金色とは言え不滅のものではないからだ。
姫を訪のうた時の指は白骨だったではないか。
あの青い光は美しい演出だった。

姫が発願を立てたのは、原始的宗教感覚と姫自身に生まれた執心の成就からなのである。それが純粋であるだけに、一心に蓮糸を織る彼女が愛しくなる。人形の顔に熱心さ・一途さを見出す。
わたしは姫を励ましたくなる。


以前は感情のおもむくままに書いたが、今日は多少のゆとりが私には、ある。
声を当てられた方々のその声を思い出し、反芻し、味わう。
観世銕之丞の声の深さ。地の底からの声。古典芸能、特に能狂言の家の出だからこその、声。誰も蘇る魂の声など出せはしないのだ。
それを演じることが出来るのは、やはり能役者ならではこそだ。
能を思う。
能は死者と生者の交感の演劇なのである。

一方、江守徹と榎木孝明の対話の味わいは、耳に快い。ささ、まずは一献。そんな感じ。他の場でも聞いてみたくなる対話。
つまりこの二人だけは(現実)にのみ生きるキャラクターなのである。
だから、別な場所での仲麻呂と家持の対話として聞いてみたいと思うのだ。

語るべきことはまだまだ多いが、今はここでおく。

以前に書いたものは映画の公式サイトのコメント集の中に掲載されている。嬉しく、ありがたいことだ。
しかしそれとは関わりなく、私は再びこうしてこの記事をあげた。
それはやはり、映画「死者の書」の魅力が大きいからなのだ。

すばらしい作品をありがとう。

松岡美術館にて

白金台に移転後の松岡は常設が増えた。
詰め込まれていたミイラや神仏像。ニ階から収納されている棚を見下ろしては、中に何があるか想像するのも楽しかったが。

いつからかミイラより骨格標本が好きになったからパスしたが、ねこは別。ねこミイラ可愛い。だから彫刻ねこの給仕も好き。彼、やっと絵葉書になり、連れ帰る。

ガンダーラ佛に死者の書の大津皇子を思った。
いや彼ではなく姫が幻視した佛。
しかし姫はその面影を写したとは言え、和の御影だったが。

ここではラスターが楽しめる。中国の磁器では万暦の名品が並び、入り口のガラスにその絵柄が刻まれている。明代は文化の果てを感じるので好ましい。清になると私は興味が薄れる。

京風雛飾りを見る。松岡氏が娘さんに買うたもの。
さて日本画。応挙の唐美人や北馬の三都美人に始まる。三幅対の真ん中、清水の舞台からカラ傘さして満開の桜めがけて飛ぶ女がなんだか楽しい。
床の間に色絵のご守殿がある。いい感じだ。
さてここから近代日本画だ。深水、松園らおなじみの美人が春宵の彩りに微笑む。輝方が好きだ。蕉園とのコラボ作がとてもいい。うっとりする感じだが、こればかりは言葉で説明するのは味気ない。
見て楽しんでほしい。
濱田台児の「九曲」はチャイナドレスの大姐が二人いるが貫禄だなあ、近寄れないゾ。橋が色々折れ曲がっているからそれでタイトルか。
20年前に堀川公子「古経を拝す」松室加世子「燭光」が世に出たが、それらが仲良く並んでいる。一方は仏教もう一方は耶蘇教。
前田青邨に一枚でそんな絵があった。東博に。

来て楽しいと思うことが一番大事なのだ。
松岡美術館はそういうところなのである。

武蔵野のおもかげ

教育園の林の中にいる。風が強いのでゴウゴウ音がする。林の変化を遷移と言い、安定すると極相林と言うそうだ。晴れたから良かったが、まだ冬枯れの様相なのだ。鳥の声ばかり、まさに早春譜の世界。いきなり枝が折れた。風のせい。ユキワリイチゲの紫白い花を見ている時に。あぶらちゃん、へんな名前の木や、名と実物が一致しないものをみつけたり。
さざ波がきれいだ。しかし風は怖いくらいだし、烏もこわい。丸くて不透明な実をみつけたが何の木の子供かわからない。森林浴も終り。おひるごはんを食べに行こう。
実はこれむくろじらしい。

なんとなく楽しかった。

上野公園ぐるぐる

ロダンとカリエールを見てから、常設展を後回しにしてわたしはまず動物園に向かった。

何年ぶりかなあ。
もしかするとロダン展以来かも…
実はカンカンランランが来日した直後に見に来ている。私の周囲の大人は皆甘かったのだ。母を除いて。
だから久しぶりに見たパンダはリンリンという知らないパンダだった。
その前にレッサーパンダがいた。愛らしいのよ、これが。
確か「あらいぐまラスカル」の放送中動物園ではぬいぐるみが爆発的に売れたそうだが、それはあらいぐまではなく、この「レッサーパンダ」だったそうだ。
理由は、アライグマの色が地味でこちらは派手だからということらしい。TVでも確かにラスカルはオレンジ色だった。
当時そんなニュースを見て、わたしは爆笑した記憶がある。
ちびの頃も今も変なニュースに喜ぶのは変わらない。

動物園については色々と意見があるが、ここでは語らない。
しかし子供の情操教育のためにはやはり必要だと思う。
また、密猟されたり絶滅することを思えば、仕方ないと思う。
が、狭い檻の中でフラッシュに照らされるのはやはり胸が痛い。
それでも私たちは来なければならないのだ。
お金を使うことで何かを助けなければならない。国立だろうと私立だろうと市立だろうと、行かなければつぶれるのだ。


パンダの次はトラを見た。スマトラトラ。
アムールトラについては以前記事を書いたが、本当はベンガルトラやこのスマトラトラにも書きたいところだ。またいずれ。

中村屋直営のレストランでラーメンを食べると、パンダかまぼこが入っていて、塗り絵シートがついていたので持ち帰る。


半分の島でリタイヤ。
出てから都美を眺める。動物園の旧正門を見つめ、奏楽堂へ。

建物が見たくて来たのだが、二時からコンサートがあるらしく練習中だった。ホールで聞く。
わたしはコンサートそのものより、こうした練習時間に音を聞くのがすきなのだ。
フルートやオーボエを聞いて気持ちよくなってから、そっと出て行く。

滝廉太郎の銅像がある。
この人が実は文楽の先代綱大夫のいとこさんだと知ってびっくりしたが、筑紫哲也さんとも親戚と聞いてますますびっくりした。
明治が一度に近づいた気分なのだ。


ここから黒田記念館へ行く前に、芸大の建物を見学。
試験中なので美術館はお休み。
さて1時になり黒田開館。岡田信一郎のすばらしい建物。
スクラッチタイルを貼り付け、更にイオニア柱。
係りの方に建物だけならカメラOKと聞き、大いに喜んだ。
絵については別項に記します。




動物園から奏楽堂

ロダンとカリエール

予告にも出した通りのコースを行くが、江戸博を明日に回す。神谷バーに行きたいからだ。

九時半開館直後に入りはしたが既に先客がいるロダンとカリエール展。私は約二十年前に大原でカリエールを見て妙に心に残る画家だと感じながらも、縁なく今日まで来た。またロダンは‘89年にここで特別展を見て以来大がかりなものとは無縁だった。

ロダンについて私には大変古い記憶がある。大学生だった叔父は私を溺愛し連れ回した。幼児を連れてどこにでも出かけていたのだ。
ある時、京都市役所に行った。そこでお昼を食べたが私はロダンの彫刻を見た記憶があるのだ。
何を見たか。これは「ロダンといえば考える人」という観念がしみついているばかりに、長らくそれだと思い込んでいたのだが、実は違い「アダム」だったのだ。京都市美術館にアダムが展示されていてその来歴を読んではじめて知ったのだ。しかもそれはごくわずかの期間で…
わたしは当時三歳で、昼にカレーを食べたことや絵本カエルとお姫様を電車に置き忘れたことを、延々としつこく覚えていたのだ!
あ゛ーーこわーーー


さて、会場はまずカリエールから始まる。
正確に言えば前庭部分に地獄の門やカレーの市民があるのだからロダンから始まるのだが…
カリエールはロダンの肖像画を3点作っている。
油彩はエスキースに見え、リトグラフはその下絵を使用しているのか、反転してしまい、鼻の形が逆になってたりで、面白い。
一方ロダンはカリエールのデスマスクを作成している。へんなことを言うようだが監督しただけとはいえ、さすがに巧い。
組んだ両手のデスマスクはそのまま(取る)から当然しわや細胞も写してしまうが、時間の流れのせいか、カビが生えているのがどうもシミにみえて異様にリアルな手になっている。

カリエールの人物は表情、というより感情を顕にしない。
しかし小さな娘の肖像画はニッと笑ってこちらを見ている。あの子はきっと甘いものが好きなのではないかとか、そんなことを考える。

色彩は殆どが沈んだセピアのために、ゼラチンシルバーポイントの古い写真のように見えカリエールの絵。
裸婦がいる。ちょっと五姓田義松を思い出した。

ロダンの造形のリアルさを見ると、いつも感心するというより何か別な好奇心がもたげてくる。こういうポーズをさせたのかとか、そんなことするから去り行く愛になるのだとか、そういう類。
しかし目というより意識に残像が刻まれるので、かぼちゃの切り口を見ても「・・・ロダン先生に・・・?」などと考えてしまいそうである。

「罪」
これはしっぽなのか。ちょっとインドのナントカいうのを思い出したりする。そう、自在歓喜天とか。ロダンのこういうのは360度から見たいものです。

「鋳造家」
カリエールはこれ、ロダンの仕事から思いついたのだろうか。
なんだか私の目には、中世の伝説などにある地獄に勤めて業火を燃やし続ける釜焚きさんに見えるのだが。

ロダンの「目覚め」
えーと、♪ミッヘル ミッヘル ウント アウフ スイスーー♪などと歌いたくなります。

カリエールは母と娘の愛情を描き続けたけれど、どうも息子への愛は?とふと思ったりしたが、単に描きたいから描いているだけなのかもしれない。
むつかしいことはわからない。

まだまだ書くべきことはあるが、ここで一旦ロダンとカリエールから離れる。
良かったことは間違いない。
何もかも書く必要は無い、という気持ちがこの展覧会を見たあと湧いて来ている。
心の中だけに収めて熟成させ、そしていつかそれが滲み出すようになることを、なんとなく楽しみにしたいのだ。

予定

3/16.
ロダンとカリエール→ZOO→黒田記念館→奏楽堂→朝倉彫塑館→相撲博物館→江戸博→死者の書

3/17.
自然教育園→松岡美術館→庭園→太田浮世絵→工芸→近美→出光

3/18.
たてもの園→府中美→八王子→吉祥寺ZOO

3/19.
帰宅前に伊丹市立美術館→加山又造

3/20.
会社でぐったり←もぉあきまへん。

どこまで可能かは、体力と気力と執着力によります。←ばかばかばか

世紀末・耽美・退廃へのアプローチ

千露さんの起こされた世紀末同盟に参加したのだから、自分にとっての世紀末・耽美・退廃についての何かを記したいと思う。

子供の頃からある意味、その傾向が強かった。
今はなき雑誌『ALLAN』というのが、「少女の為の耽美派マガジン」と銘打って様々な絵画や小説や映画などを紹介してくれた。
読んでいたのが中学生頃で、廃刊まで買い続けた。
中身は段々と変容していったが、古書店で集めたバックナンバーなどをひもとくと、創刊当初は試行錯誤しながらも、それでも古今東西あらゆる耽美的なものを集め続けていたようだった。
わたしは'80年代に少女だったことを幸いに思っている。
今思い起こしても'80年代は面白い時代だったからだ。
その頃の少年ジャンプ、LaLa、ALLANをわたしは長らく買い続けていた。

ユトリロのパリの中で

土曜の夕方だからか難波高島屋は大混雑で、店員が看板に混雑申し訳ございません、と立てていた。デパート全部がこの状態。

ミュージアムもかわることはない。
ユトリロが人気なのはわかったことだが、それにしても人人人。両手上げたら火火火か。

厚塗りの時代つまり治療として初めて絵筆を握った頃の絵は、その通り厚塗りで色も多い。いい絵が並んでいると思った。技術無関係の素直な感じ。一枚ポーラ所蔵品だ。病院から見える風景。後の絵葉書をモデルにしたものとは違うだろうが、こうした出発は他にいないのではないか。

それから白の時代にゆくのだが、解説板がなかなか興味深い書き方をしている。母シュザンヌ・ヴァラドンとユトリロの関係などである。
わかっていることだが、彼は生涯母の存在に心を囚われ続けた。母は奔放な人で無神論者で元気な女だった。
この母の子にしては息子は随分沈欝だ。しかしよくまあ後年結婚したものだと思う。女への嫌悪感は長らくつきまとっていたのだから。
それにしてもヴァラドンはなんとなくかっこいい。フランス女だなあと憧れるばかりだ。

ユトリロの作品一つ一つがどうの、というのは今回の展覧会の場合そぐわない気がする。
会場の構成と、観客の態度がそれを阻んだというべきか。

面白い現象が起こっていた。
大勢の観客はユトリロの描いたパリの街を往来する人々となり、絵は全て自分たちを取り巻く風景に変換したのである。
こんな環境になることはめったにない。
たとえば以前から提唱・切望しているように、モネの睡蓮を一箇所に集めその円周の中心に立つ。そうすればその『場』は蓮池の中ノ島あるいは、ボートの上になる。
その、パリ版。

無論このパリはユトリロのパリである。
他の誰かが拵えたパリではなく、ユトリロのパリ。
描かれた建造物がゴシックであれ、ロマネスクであれ、20世紀初頭のものであれ、すべてはユトリロの眼と筆を通したパリの再現なのである。
しかしそこに佇み・歩く我々は、彼のパリを行き交う無数の人々の一人となるのだ。

こうした経験はめったにないだけにわたしはそれを愉しんだ。


しかし一点だけでも、ひどく心に残る作品を上げておくべきか。
クレミューの僧院。
これはしかし、絵画として心を惹かれたわけではなく、建造物そのものへの関心にわたしが揺さぶられたというべきか。
屋根と屋根が重なり、更に回廊が奥暗く通っている。庭は緑にあふれている。
この場へ行きたいと思うような作品なのだ。

やはり、ユトリロはいい。

前田藤四郎展

大阪市立近代美術館(仮)で前田藤四郎を見る。
版画家。
わたしは彼の作を伊丹市立美術館で見たが、そのとき初めて
『いいな・・・』
そう思ったのだ。それ以前は正直、好まなかった。
'91に今は無くなったナビオ美術館で、前田の回顧展を見たが、抽象美術・シュールリアリズムに無関心な頃なので、全く好まなかった。ただ一枚だけ、琉球婦人の全身像の版画だけはよかったが、他はすべて関心が持てなかった。
しかし今回ほぼ十五年ぶりに前田の版画を見に行く気になったのは、伊丹で見た『帽子屋の店先』がよかったのと、ポスターの曲馬団のお姐さんたちの姿に惹かれたからだ。
キャッチコピーはこうある。
『わたしだけの呼び方”三文版画”あるいは”昭和エピナール”』
三文何とかというのを聞くとわたしはすぐに二つの『三文』を思い出す。
三文オペラと三文役者・殿山泰司である。

三文オペラはクルト・ワイズの傑作でアメリカのスタンダードナンバーにもなった『マック・ザ・ナイフ』の原曲を含むシバイである。
ミュージカルでもストレートプレイでもなんでも演出でき、今も人気が高い。
社会不安・不況を風刺した毒のあるシバイなので、いつの時代でも人気があるのだろう。

三文役者は殿山泰司が自称した。
彼は'89に世を去ったが、出演作が無限ではないかというほど、実に多くの映画・TVに出ていた。
わたしは彼のファンだ。小さい頃から古い映画を見る分にはTVを見るのも苦にならなかったので、色々なものをみた。
画面の端にハレメのへんなオジサンがいる。こっちにもあっちにも。
そして彼のエッセー。メチャクチャ面白いのだ。わたしは集めれるだけ集めた。
その彼は自分を三文役者と自称した。晩年には『老残役太郎』とも称した。今でもファンだ。いつまでも。

三文というのは江戸時代からの続きではなく、'20年代のブームだったのかもしれない。

前田の初期の作品は、現在のわたしの嗜好に合う。
前述の帽子屋のほかにもデパートや、屋上で遊ぶ人々。これはギリシャ風にも見え、レイトン風にも見える。
場所は今も残る船場ビルディング。屋上からはドーム屋根の第十五銀行がみえる、と解説にあるがもう一軒、綿業会館が見える。かつての『大大阪の時代』の名残。

平野町3丁目で喫茶『エピナール』を開業していたらしいが、とてもかっこいい。店は奥さんがママさんだったようだ。
前田は塩野義製薬の宣伝広告を作ったり、長崎堂のカステラのパッケージデザインや、お弁当の水了軒の包み紙をデザインした。

リノカット版画による作品の中には、コラージュを使う技法も見られる。これが妙なリアリティを生み出して、なかなか面白い。モダニズムと言うものを感じるのはこうした作品だ。
他にもまだある。
蝶が飛ぶ作品が割りに多い。わたしはそういうものが好きなので(御舟の『炎舞』に始まり三岸のシュール絵画など)単純に喜んでいる。ああ、放蝶館にゆきたい。行ってアタマにオオゴマダラが止まってほしい。
『地震』
これをみたとき、ドイツの絵本を思い出した。火遊びで自分が焼け焦げる女の子。止めたのに聞いてもらえず、それを目の当たりにした二匹の猫が滝涙を流す絵だ。
これは色鮮やかで、それまでのややパステルカラーを駆使したものとは違い、原色を効果的に使っていた。
その傾向は雑誌表紙絵にも続いてゆく。
『大阪人』『サンデー毎日』『文楽』番付などなど。

前田は芸術上の転換を目指して沖縄へ出かけた。現在の沖縄ではなく、琉球の匂いが強く残る頃の、沖縄。

『紅型』と言う作品がある。これが前田の出世作。前回私が見た展覧会でも、これだけはよかったと当時の私は書いている。会場には前田の蒐集した紅型の風呂敷などが展示されている。
戦前戦中、民俗学の目は沖縄に向いていた。日本の原型がそこに見出せたからかもしれない。
十数年前『ウンタマギルー』という映画があった。全編琉球語で日本語の字幕スーパーがつく。わたしはハマッてしまい、十回以上見に出かけた。これを見ると今村昌平の『神々の深き欲望』が見たくなり、『神々の』を見ると『ウンタマギルー』が見たくなると言う無限の巡廻が起こり、中毒してしまった。
その映画の中で「食べる」と言う言葉が「かめる」=噛める、という発音だったことに衝撃を受けた。
なんと動詞が行動そのものであることよ、と驚き感動した。無垢な感動が生まれたのである。
恐らくそれは当時の学者や芸術家たちがかの地で受けたと同じ種類のものだっただろう。

『首里展望』
この作品を見たとき、わたしにとって永遠の一枚・梅原の『霧島(栄の尾)』を想った。息が苦しくなるような緑と空と丘と。言えば、わたしはこの風景の中に佇んでいたいと思ったのだ。

やがて戦争。前田は満州にゆき、白系ロシア人の肖像や中国人を刻んでいる。自刻自摺が流行しだしたのは大正期からだが、前田はなかなか器用な人だったらしい。細かいところにまで神経が行き渡っているのがうかがえる。

抽象版画はわたしにはわからない。

やがてある随筆家の挿絵をはじめる。
わたしは挿絵が大好きだ。けっして添え物とは思わない。現にここに展示されたものはすばらしいのだ。
尤も、それはお菓子だからかもしれない。
前田は多くのお菓子の版画を拵えた。モノトーン版画。実においしそう。
そばぼうろ、はったい粉、ドーナツ、丁稚羊羹、あんみつ、吹き寄せ、水無月、カステラ、豆板、赤福、田舎饅頭、はくせん粉で出来た蝶や花のお菓子、あみだ池大黒の粟おこし、プリン・・・・・・・・・
お・い・し・そ・う?????
ヨダレが湧いてしまった。

このおいしそうな仕事が長らく続く間に前田は大阪駅の四季モニュメンタルを制作している。JR大阪駅の中央口には今もそれは掲げられ、古来からの大阪の行楽などを教えてくれる。
そして前田は’90年に亡くなり翌年回顧展が開かれ、それから十五年後に再び展覧会が開かれたのだった。

狛犬百面相

東洋陶磁美術館へ行く。
3/11のコースはこうだ。

パウル・クレー(梅田大丸)→狛犬(東洋陶磁)→天徳の和菓子(本町)→前田藤四郎(大阪近美)→ユトリロ(なんば高島屋)
天気がいい土曜日なのでダラダラ歩こう。

愛知県陶器資料館から43点もの狛犬さんが大挙して押し寄せてきた。
対で来るのもいれば、ピンで来てるのもいる。何匹何頭おるのか。
図録のタイトルは『狛犬百面相』うん、納得。
わんこと狛犬は違う。
神社などの守りにおるのを獅子も狛犬もひっくるめて『狛犬』と呼ぶ。
ギリシャ辺りから遠祖が流れて来たようだが、日本で馴染んでいる。
大抵は石造りだが、さすがは陶器の国だけに愛知県が所蔵するものは陶器なのである。
しかも奉納がブームだったらしく、背中やどてっぱらに何年何の歳何月誰某奉納などと書かれた奴らがいる。
たとえば高田神社奉納とあるが、これは多治見の高田神社なのだ。
高田についてはHIPPEさんが地図を作っているのでそちらを参照してください。http://harmonia-mundi.chu.jp/


まず室町時代と江戸時代に分類されている。
釉薬の違いや、政治の違いのせいなのかは知らない。
最初に出たのはなかなか精悍なツラつきの狛犬で、これは番犬にもなりそうだ。耳がピンとしている。
ちょっと寄り目なのは眉が迫っているからかもしれない。
しかし吠えるにしてもわんっ とか バウッ という感じでなく、何故かニャーとかシャーとか言いそうだ。

阿吽の対。陶工の手の動きが見えるような気がする。ピンだけ残った奴らはなんとなく淋しそうだ。
それにしても笑える顔の奴らも多い。これは陶工の技能云々より、施主願主のシュミの問題かもしれない。
不平不満があるけどじーっと口を折る奴とか、にゃはっ とか笑ってそうな奴とか、銭形平次の万七親分みたいな立場におるような奴とか。
実に色々。そうだ、御深井。この字を見るとわたしはすぐに池波正太郎の『さむらい劇場』を思い出す。
名古屋城内・御深井に囚われて脱出するシークエンス。

どうみても狐もいた。まあ、豊川稲荷は中部地方のお稲荷さんのご本山やしね。
お稲荷さんと田楽食べたけど、おいしかったなあ。

フツーの犬もいた。手がリアル。そうかと思えばインカ文明に現れそうな奴とか、シーサーな奴とかもいる。
大概不細工な可愛らしさがある。
しかし釉薬が垂れたために、ヨダレをたらし続けているように見えるのもいて、それは狂犬病だから気をつけようみたいな気がした。

あーかわいかった。そうだ、思い出した。
知る人ぞ知る『二笑亭』にはかつて互いに頸を曲げて向き合う吽吽どうしの狛犬がいたそうだ。写真で見たことがあるのを思い出した。


常設展を見る。
葦芦水禽陶板 いろすいきんとうばん。
アメリカに長らく出向してたのがご帰還してくれたが、久しぶりに改めて対面した。
わたしにとって最愛の一品。
普通優れた芸術を見ると、わたしの頭の中には勝手に音楽か流れてくるが、これだけは別だ。
シンとしている。静寂に満ちた、しかし楽しい世界なのだ。
自己完結しているとしか、言いようがない。ここにしか世界はなく、広がることもない。
鷺たちは楽し気にここで生きる。他に場所を求めず。
あまりに完全な世界。

中国青磁にはあまり関心が向かない。
しかし一つ面白いものにきづいた。以前から見ているはずなのに、今日改めて、知ったような作品。
貫入が大きく四角く、アールデコに見えたのだ。途端に、この瓶がモダンに見えてくる。
面白い作用だと思う。

李さんという方が寄贈された鉢がある。
青く、水の底のように静まりかえる沈んだ鉢。何度見ても深い美を感じる。
これは精神の美だと常々思っている。

東京美術倶楽部での大いなる遺産 美の伝統 からご帰還の童子ふたり。http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-386.html


油滴天目もある。中国の陶磁器では油滴と曜変と祥瑞だ。

機嫌よく見て回り、外へ出ると新しい地下鉄の工事があった。
それを見ながら本町へ向かって歩き出す。
はなさんのブログでみた天徳の和菓子を買いにゆくのだ。
http://app.blog.livedoor.jp/h_box3150/tb.cgi/50368537


買ってから大丸の屋上イングリッシュガーデンでおやつにした。
花が少しずつ咲き始めている植木鉢。

デパートの上でもすなる 花見かな
天徳の団子をツレに空の下
四時になりDAIMARUの鐘鳴りにけり

パウル・クレー 展

パウル・クレー展に行く。
大丸梅田店へ巡回したのだが、既に東京で開催されていたので、感想をさまざまなところで味あわせてもらっている。
しかしわたし自身、クレーに向き合う自信がない。

子供の頃から具象絵画ばかり見てきたり、古美術ばかりを眺めると、抽象画への<理解>が遠のくような気がする。いやそもそも<理解>と言うこと自体が既にダメなのだ。
感覚で見ろ。

・ ・・・・・・・・・・・・・クレー、カンディンスキー、ミロ。
何故わたしはかれらを楽しむことが出来ないのだろう。

作品ではなく、別な側面に関心が向いてしまった。
パウル・クレー・センター。この建物に。
ベルンの夫妻の墓所に程近い丘に建つ美術館を設計したのは、レンツォ・ピアーノだ。
関空やポンピドーセンターの人なのである。
そう思えばこの建築スタイルにも納得がゆく。波打つフォルム。
建築は抽象的であってはならない。

クレーがバウハウスで教鞭を取っていたということの意味を考えた。
バウハウスの意義は大きい。
今日日本でバウハウスの影響下にあるモダニズム建築を思い起こすなら、たとえば大阪市立工芸高校の校舎が浮かぶ。
クレーは学生たちにどのような授業を与えたのだろうか。
彼の残した文章や手紙などが想像を膨らませる。


結局わたしは多くの人が楽しむのとは違って、孤独な気持ちで会場を出た。
星を見て喜ぶ人々と、赤ん坊の肖像の絵葉書を二枚だけ手に入れて。

しかし、なんとなく星の欠片がポケットにある気がした。

世紀末同盟に参加表明

朝から例によってハイカイしておりますと、lapisさんのところで素敵な同盟に参加されたという記事をみかけ、早速わたしもそちらへ参加を申し込んできました。

以前から憧れていた千露さんが起こされた世紀末同盟です。
世紀末同盟

凄く素敵です。
http://rosaaltaji.hp.infoseek.co.jp/siecle_union.html

なんだか朝からわくわくしています。

『死者の書』のこと

先日、わたしが以前に書いた映画『死者の書』のブログがスタッフの方の目にとまったようで、映画の公式サイトのコメント集に掲載された。
はぅあっ という感じです。
映画の公式サイトはこちら→http://www.kihachiro.com/index2.htm

好きで見に行って、好きで書いたことだから、素直に嬉しいです。
わたしの文はこれです。http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-379.html

わたしは16日から19日まで東京にいるので、再び見に行く予定がある。

映画を見てから久しぶりに小説を読み返したり、買った人形の絵葉書を眺めたりしていたが、しみじみと心に広がるものを今更ながらに感じている。

四月まで上映があるが、映画を見てから、自分を取り巻く『春』を実感するのもいいと思う。この映画の底に流れる思想の一つ『日想観』はお彼岸の間に太陽を見てこらすものだったのだ。

わたしは久しぶりに四天王寺へ行きたいとも思う。
そこが古来より続く『日想観』の本地なのである。
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