美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

兵庫県立美術館のコレクションの中から

兵庫県立美術館のコレクション展をみる。
まず日本画。
5/9から展示入れ替えだが、なるほど時期に合わせての展示替えなのだとわかる。
菊池容斎・芳文、寛畝、玉章、栖鳳らの桜が咲いている。
栖鳳の『花乃滝』 滝に花弁が舞い舞いしている。こうした情景は今では絵でしか見れないのかもしれない。
尾竹竹坡『春日和』 珍しいこういう絵も描くのか。

芋銭の『深山春色』『春光悠々』 共に春風駘蕩とでも言うべき空気を感じる作品で、しみじみ良いものだと思う。
十年以前、名古屋まで芋銭の回顧展を見に行ったことが思い出される。
放庵『花咲爺』 団扇絵のような形で、爺さんが灰をまいている。
楯彦『藤棚』 料理屋の藤棚なのだろうか。この人は普茶料理のお店のために楽しい絵も描いていて、わたしのような遊楽好きな者にはうれしい限りだ。
芋銭、放庵、楯彦に共通するとぼけた妙味、それがとても楽しい。

美人画が三枚ある。
松園の『桜狩図』 母娘だろうか、娘の振袖の色のぼかし具合がとても綺麗だ。
蕉園『ささやき』 これは遊女屋なのか、それとももう少し前の女歌舞伎の舞台袖なのか、愛らしくぽってりした女二人がなにか楽しげに囁きあっている。思えばわたしが蕉園の作品の実物を見たのは、この美術館の前身の兵庫県立近代美術館での『近代日本画の秀作』展なのだった。あれからもう16年経っている。熊谷風に言うなら「十六年は夢じゃ、夢じゃ」・・・これだ。
上嶋鳳山『享和美人図』 風俗を享和の頃に求めているのは、髪型にも見て取れる。なんというのか、後がぐぃんと延びて突っ張っている形。こうした美人画をどんどん見たいのだ。わたしは。

小磯良平と金山平三の記念室がある。
今日は金山のことで少し書きたいと思う。
金山平三の作品で本当に好きなのは、舞台絵である。生憎今回はでていない。あればかりの展覧会が見たいと思っている。
ここの美術館では無理かもしれない。
『きがえ』 裸婦とまではいかぬが、着替える身体が綺麗だと思う。梨の花の絵が多くあるが、実はそれらより金山の婦人画はきれいだと思うのだ。
小磯のような上品さのある婦人たちでなくとも、金山の婦人像には心惹かれる何かがある。

芦屋市立美術博物館がその収蔵に気合を入れている中山岩太の写真が出ていた。
わたしは都市風景の写真作品が好きで、コンポジションには殆ど関心が湧かない。
松涛美術館で見た『写真芸術の時代?大正期の都市散策者たち』『安井伸治』などで大正から昭和初期の作品に大いに感銘を受けている。
だから昨日も大阪城まで古写真の展覧会を見に行ったのだ。
岩太の『神戸風景』シリーズを見る。
ゼラチン・シルバープリントの独特の風合い。周囲に何もなく、その対象物しか写ることのなかった時代。
『湊川神社』『六甲山ゴルフ場』『布引の滝』『三宮』それから花隈にある異国寺と呼ばれる本願寺別院のビルマ風の建物。
ときめくなあ。すばらしい。
今もあるのかどうか知らない『オリバー・エバンズ商会』は同じ時代に洋画家の小松益喜も描いている。二本の煙突が素敵な建物だ。

続いて版画家・川西英の『神戸十二ヶ月』シリーズも出ている。
これよこれ。こういう都市風景画が一番好きなのだ。
昭和初期の神戸風景。福原、須磨、大倉山、湊川、諏訪山・・・楽しみは尽きないなあ。

こうした都市風景画展を開催してくれるところはないだろうか。
明るい気分のまま、巨大な箱から出て行った。







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美術の伝播 頴川美術館の美

4/30
頴川美術館に行く。
『美術の伝播』後期。

阿弥陀曼荼羅図がある。八百年前とは思えぬ鮮やかな色彩。
光の円に囲まれた仏たち。発光するかのように見える。
山王霊験記は夢に貴人を見る情景だが、顔は青雲に隠されている。
先導の童子や鬼人は顔が露にされているが。
また寛文美人図がある。以前から好きなお姉さん。手に花を持ちにっ と笑うのはボッチチェリの友のよう。働くねえさんもいる。大原女だ。一蝶が描いている。私は初見。
光琳の東下り図はニ幅で、業平は何の目的で向こうへ行くのかナゾになった。
詞書きには尤もらしいことが書かれているが、もしかして単なる遊楽ツアーではないのか。
そんなことを感じるのはこの絵のきれいさに感じ入ったからかもしれない。

それから芦雪の月夜山水図。これは満月に透き通るような月の描写がいい。一度世に現れ始めると、名品は次々と姿を見せるようだ。img017.jpg


土佐の花鳥図は白(胡粉)に臙脂を混ぜてそれで桜を描く。ほんのり赤い艶のある桜。
繊細な柳、その葉をつつくつばめ。可愛いなあ。鮮らかな美。わたしはやはりこうした華麗なのが好きだな。
光悦の色紙も多い。そういえば光悦と宮本武蔵の対話をこないだ『バガボンド』で読んだところだ。
その武蔵が熊本で書いた達磨図。
減筆法という描き方。立派な絵なのだろうが、なんとなく女の人を拒絶した求道者と言うのがよくわかるような気がする。
わたしは遊楽気分がないとダメだ。

釜がある。
芦屋松林図釜。てっきり業平ゆかりの芦屋かと思えばさにあらず、九州らしい。
釜の胴に松林がレリーフされている。
お茶はしないが、茶道具を見るのが大好きだ。長次郎の赤楽や黒織部がある。ああ、仕覆も良いのがある。緞子、モール、それから。

七日までの展覧会だが、後期に来てよかった。前期はちょっと私の好みから外れるのだ。
牧谿、雪舟らの名品にちょっと背を向けている。

この美術館では展示物の保護のためにそれぞれ照明の度合いを変えている。
こうしたことが美術品を守るのだと思う。

ケーキを食べて大阪城へ行こう

友人と待ち合わせたのが近鉄京阪奈線・吉田駅なのは、以前から度々ここで紹介しているケーキ店レジェール・ソルティに行くためなのだが、私はトラブッて20分遅れでついた。
今日はショートケーキの種類がいつもより少ない気がするが、アップルパイ、チョコケーキ、イチゴパフェ、メロンパフェの4種類を購入。
そこから道沿いに一つ手前の荒本駅まで延々と歩くが、喋り出したら止まらないので、そうそう遠くは感じない。
実は今日、荒本にあるケーキ屋さんにも行く気なのだ。

荒本駅には東大阪市役所や大阪府立中央図書館やカルフールがあるが、場所をエエ加減にしか調べていなかったばかりに私たちは一時間もぐるぐると歩き続けた。
とうとう図書館に入りネット使用を申し込もうとしたが、ふと司書さんに訊ねると答が返ってきた。え゛え゛え゛???行過ぎてたあの店が、ですかぁぁぁ。
看板もなくテントにも字はなく、ガラスのドアに目立たぬように店名が書かれている、店が。
ここでティラミス、メレンゲを固めたもの、キャラメルソースのもの、イチヂクタルトの4種類を購入し、大阪城へ向かった。

大阪城公園では八重桜が満開で、第二の花見が開かれている。
わたしたちはお弁当ではなくケーキを食べた。
・・・・・・・・・
それぞれの特徴があるが、わたしはやはりソルティに軍配を上げたい。この丁寧な作り、繊細な味、良心的な値段、後を曳かれるものがある。次も来ようと思うのだから。

大阪城の公園内をきしゃぽっぽが走っている。45人乗り。いいですねえ。
シャガの花、躑躅、サツキ、タンポポ。
ははは。
実にいつ以来かわからぬくらい久しぶりに天守閣に登る。
もしかすると初めてかもしれない。そのそばの元の大阪市立博物館は大好きでよく来ていたが、大阪城には関心がなかったのだ。観光客の人々が行かれる場所、その程度の認識しかなく、内部が全て博物館だとは思わなかった。

坂東三津五郎が稀代の城好きで、日本国中のお城を見て回ったそうだが、大阪城についてどう思っているか書いているのを失念している。
このお城は昭和六年に大林組が建てたものだ。四百年前のものではない。堺のかん袋のご先祖が瓦をかん袋のようにひらりひらりと舞わせたあの城ではないのだ。

8階の展望台から周囲を見渡す。
砲兵工廠が見えた。ああ、素敵な建物。しかしこれがアパッチ族の・・・そう、小松左京の書いたアパッチです。大阪はつくづくおもろい場所やわなぁ。
金のしゃちほこが見えた。猫の缶のCMで鯱齧ってるツワモノ猫がいたなぁ。

太閤記のジオラマはすっとばして、大阪冬の陣・夏の陣の資料などを見る。
わたしは子供のころ人形劇『真田十勇士』のファンで、色々と真田幸村の関係資料や小説を読んで来ているので、やっぱり可哀想で仕方なくなってくる。

異形の冑コレクション展を見たが、いつもそうなのか、GWだからか、お客がとても多い。
今回のわたしの目的は『おおさか水辺の風景』写真展である。
明治初めから戦前までの古き良き大大阪時代の写真。
これが実に見応えがあり、面白かった。地名や現在の場所を良く知る<場所>が数十年前にはこんな景色・風景を保っていたとは。
とっくの昔に消え果たと思っていた風景・知らぬ風景が、現れる。
この写真展の本の他にも『古写真 なにわの風景』を買う。一冊五百円の安さ。

堪能した後、気づけば夕方なのでもう解散することにして、わたしたちは一時間ばかり石段に座っておしゃべりをし、それでわかれた。
帰宅して二冊の本を母に見せると―――生まれる前の景色なのに懐かしがる。ああ、やっぱり古い記憶と言うものは実物を見ずとも話を聞くだけでも意識に残り、それを勝手に再構築する性質を持っているのだ。
なんだか面白い一日だった。

播磨ゆかりの江戸絵画

大倉集古館のこの数年間の充実振りには眼を瞠るものがある。
わたしが大倉に来始めたのは丁度十年前で、その頃は鬱陶しいような美術館だった。
ところが今世紀に入ってから気分も変わったのか、どの展覧会も大変面白いものばかりになった。
だから今では東京に来る理由の中に『大倉集古館』の座が随分上位をしめるようになった。

『播磨ゆかりの江戸絵画』
副題が『応挙・芦雪・若冲を中心として』というが、今年に入ってからこうした18世紀京都画壇の名品を眼にする機会が実に多くなったと思う。

チラシになったのは芦雪の『方広寺大仏殿炎上』である。
正直、このチラシにそそられた。そして回遊する先々で絶賛するのを見て、目の前に炎が立った。
ああ、呼ばれている。
そんな焦燥感に駆られてやってきたのだが、この展覧会はわたしを満足させてくれるものだった。

わたしは生粋の大阪人なので感覚として家康が嫌いである。
方広寺には例の『国家安康 君臣豊楽』の銘の鐘がある。つまり、家康が豊臣家を滅ぼすためにイチャモンをつけた文章。
それを持つ寺。挙句の果て、寛政十年に大仏もろとも大仏殿焼失。
寺の近所には今現在『大絵巻展』開催中の京都国立博物館がある。
なんとなくわたしには含むところがあるのだ。
作品そのものは、正直驚くものだった。
墨は薄墨と朱墨を水を多く含ませながら描いたようである。どんな鮮やかな色彩より、どんなあざとい形容より、どんなあくどい構図より、なお印象の強い作品だと思った。
救われない業火。それを静かにみつめる眼。
こんな凄い絵は他にないのではないか。
一瞬わたしは自分が中にいるような妄想さえ抱いた。
熱さよりも、苦しさよりも、何か言いようのない感覚を覚えながら。

矯激と言おうか狂激と言うか、蕭白の絵には不穏な空気が漂うものが多い。しかしここに展示されている『百合図』は怪しさのない花として描かれているように思う。ただしこれは指で描いたものらしい。サインがそれを示している。

森徹山『雨中狸図』 あんまり可愛くて抱きしめたくなった。きょとんとした狸がなんとなくこっちにいる。これこれ風邪引くよ。そう言ってあげたい。

猿の祖先ならぬ狙仙のえてこたち。おとどしは申年だったからか、あちこちで狙仙の猿を沢山見た。こんなところにもいたのか、と言うような。

可愛い続きでもうひとつ。芦雪の虎は丸く座っている。頭をなでてやりたい。噛んだらあかんよ、そう声をかけながらなでよう。
同じ芦雪の『千羽鶴図』はなんだか五百羅漢のような並び方をしている。

直入の万里の長城図巻はなかなか面白い造形だと思う。建物の形がおやおやという感じで。
しかしそれは失敗ではなく、微笑ましくさえ思える。

そういえば中国伝来の『八種画譜』で面白い文を見た。読みこなせない字は措くとして、それをここに記してみる。

古今画譜
情痴惹■病愈休終日昏■懶■楼一■梧桐皆落尽痴児猶■■知秋■叔介
・・・・・・なんとなく伝わるようだ。


ダラダラ書くのは得意だが、ここで停止しよう。
来た甲斐のある展覧会だと思った。

雪舟からポロックまで

急遽東京行きを決めたのは、ブリヂストンと大倉の展覧会がすばらしすぎる、という評をあちこちで見たからだ。
おカネはないし時間もないが、行くと決めた以上は・・・といつものパターンで出向いた。

ブリヂストンは『雪舟からポロックまで』と題して石橋美術館の名品と新収蔵品とをここで展示してくれていた。

わたしは'89にブリヂストンに初めて来て以来わりと足繁く通っていると思うが、その理由として青木繁とモローを見ることが出来る、ということを挙げている。
青木繁の『天平時代』や『享楽』はわたしにとってただただときめく夢のような存在で、高校生か中学生の頃に知って以来、愛し続けている。
モローもほぼ同時期に知り、愛してしまった。
高校生の頃は画集を買うしかなく、アサヒグラフの別冊や集英社あたりの画集を古書店で捜し歩いたりしたが、その中で心を摑まれたのは、『わだつみのいろこのみや』と『大穴牟遅命』である。
前者は、漫画家・山岸涼子が自作マンガにその模写を使っていたので以前から知っていたが、写真版とはいえ『本物』を見たときの衝撃は大きかった。
『大穴牟遅命』は民俗学者・谷川健一の『魔の系譜』でその評論を読んで以来憧れていたのだが、久留米は遠く、石橋美術館はわたしにとって幻の美術館に等しかった。
実際『大穴牟遅命』の実物を見たのは、三年前の東京近代美術館での『青木繁と近代ロマンティシズム』展でのことで、実に永い間わたしは待っていたのだった。
無論それだけでなく『わだつみのいろこのみや』もなかなか実物に会えなかったのだが、こちらは『大穴牟遅命』以前に実物に会えていたのでそんなに苦しくはなかった。
わたしは青木繁の作品に苦しい恋をしていたのだった。
彼の作品は古代を描くもの、特に神話の時代から天平時代までの作品にわたしは深い思い入れがある。実際『海の幸』以外の名作は全てそうした浪漫を描いたものなのだ。

わたしは平安時代より奈良朝を愛している。最近でこそ『陰陽師』などから平安朝にも意識が向いているが、やはり奈良朝の方が好ましい。
(源氏物語絵巻や刀剣等は別としても)
十年前、ブリヂストンでは藤島武二展を開催し、わたしはそこで初めて武二の『天平の面影』の女人を見た。
この作品への愛もまた深くなってしまった。

今回、『わだつみのいろこのみや』と『天平の面影』が通路を挟んで並んでいた。そして古代竪琴を持った女人の視線の先には青木繁の『天平時代』の女人群像がある。
水遊びをする女たち。わたしは彼女らの視線の交わる地点に立ち、古代の女人のような笑みを浮かべていた。
この位置に立てる事が出来ただけでも来た甲斐があったと思った。

しかしこの展覧会はそんなささやかな喜びだけで済むものではなかった。

池田 孤邨『青楓紅楓図』 
この青楓の良さは言葉にしにくい。明るい気持ちになる、としか言いようがないのだ。そしてそれはこの一枚に留まらない。
松の絵がある。金地に松の木がどーんとある。見事な松の枝ぶり。緑の枝。胸がすくようだ。狩野派の松。この前で仕舞いを見せたくなる。
そんな気分になる。
あんまり良くて何度もここへ立ち戻り、警備員さんに不審がられたほどだ。

器も良いものが並んでいた。
可愛い花々の意匠。白磁の上に咲き乱れ、枯れることがない。
飛青磁がある。これは東洋陶磁美術館にもある分の親戚だが、なかなかよい。ああ、石橋美術館はやはり九州だけによい器を多く持つ。

それから雪舟。
わたしはあまり四季山水図などに関心がない。禅機図も好まない。文人画も南画もニガテだ。
高い精神性と言われても見る側のわたしにそれがないのだから理解も出来ぬのだ。
しかし、とわたしは考え直した。
わたしはいつもその絵の中にいる自分・その絵を飾る場所にいる自分、という風に彼我の関係を求めすぎているのではないか。
純然たる興味を持って眺めてみよう。
・・・・・・なにやら水木しげるの世界に入り込んだような気がしてきた。
蓬莱山逍遥。そんな気分で。
面白い。これはこれでまた。

近代日本画はないものの、二月に見た大いなる遺産 美の伝統を髣髴とさせてくれる展覧会だと思った。
そう、実際絵巻もよいのがある


絵巻の1シーン1シーンがイキイキしている。
牛飼いの青年、オトコマエやん♪・・・などと喜ぶ。
わたし一人がそう思っているだけではないらしく、これはハガキとして販売もされていた。
なんとなく嬉しい。

黒田清輝や小磯良平の女たち。久留米から来たというが、元からここにいるような顔をしている。
元からここにいるのは武二の『黒扇』のひとでした。わたしも彼女にニッと笑いかける。武二の女はみんなとても好きなのだ。

戦前の小磯の勤労少女たちは重苦しい色をまといながらも、限りなく清楚だ。改めてそう感じた。

いつもの見慣れた絵画や彫刻にもわたしは挨拶して廻る。
エジプトの猫。ギリシャの壷。

小出楢重の自画像。この絵を見てから小出のファンになったのだ。
ブリヂストンで私は多くの喜びを得ている。

ああ、長谷川利行の『動物園風景』
何故わたしはこの画家の回顧展に行かなかったのだろうか。

他にも古賀春江や佐伯をみてうれしい気分になった。

やはり無理をしてでも来てよかったと思う。その価値は、あった。




野間記念館での二つの喜び

野間記念館はいつ来ても嬉しいところだ。
わたしはここが友の会を発足すれば入会したいと思っている。

大観・玉堂・栖鳳。近代日本画の三巨匠。
本当にその通りだ。彼らの名画がこの場所で味わえるのは幸せだ。
何がどうということはない。
私はしばしばこういう言葉を使うか、または偏執的なまでに詳述するかのどちらかに偏る。

全体の調和を考える。
名画はその存在だけで完結するのではなく、周囲との調和を生み出す力がある。ただしそこにはその絵に魅せられた人々の手が必要なのだが。
名画には『飾られ方』をこちらに考えさせる作用がある。
その絵にふさわしい環境を整える必要を『こちら』に思い起こさせる。
その意味でこれら三巨匠の絵は人間の佇まいを考えさせる力を持つものだと言える。

静かな気分が広まる。
わたしは年中よく言えばアグレッシブでワクワクドキドキ系、悪く言えば(というより実際は)情緒不安定な性質なので、静かとか和やかとか穏やかという気分がめったにない。
静謐な気分になることを恐れているのかもしれない。
しかしさすがにこの三巨匠の絵の前ではその深さに苛立つこともない。
元から大観や栖鳳は好きだが(おそらく美人画やロマンチックな面において)最近は玉堂の良さも感じるようになって来た。
母は実家に玉堂の軸があるはずだと言うが、わたしは見た記憶がない。おばあちゃんちにあるのはくらーい龍の軸だったような。へんな襖絵もあったな。
子供の好む絵ではない。
・・・・・・私は常に沸立っていたいのかもしれない。

わたしが沸立つのは、美人画やロマンチックな主題の作品が多い。妄想の余地のある作品。それを愛している。
野間記念館は講談社の社主のコレクションで成立するだけに、自社出版物の表紙絵の原画なども大量に保存している。
今回はそれらの原画展も併せて行なわれているが、ここでわたしはわくわくするのだった。

風景画の大家・東山魁夷の描く日本各地の風景。画家の言葉も同時に記され、純粋に楽しめる。
「あっ知ってるよここ」「おお、行った行った」「なつかしー」「うわ、描くとこうなるんやわ」
・・・原色のような色使いで描き出される日本のどこか。
青色を主体にした幻想的な絵画ではなく、ほのぼのした作品。昔の東山新吉が子供の為に描いた童画を髣髴とさせる。
本人も楽しんで描いたのではないか。
これは安井曽太郎が『文藝春秋』の表紙絵を描いたのと同じような良さがある。

『富士』の表紙は山川秀峰が描いた。
富士山を背景に阿国歌舞伎に現れるようなキャラたちの一枚姿絵。
阿国、名古屋山三郎、かむろの少女、踊り子たち。
わたしは秀峰のこうした口絵や挿絵のような作品も大好きなのだ。
以前予定していなかったのに急遽東京へ来たことがあるが、それは秀峰の女の横顔に誘われたためだった。
蠱惑的な女の横顔、それに引寄せられるわたし。

『講談倶楽部』の表紙は深水だった。
これがすばらしくいい女揃いで、目黒へ見に行く呼び水になるか、と思ったのだが、あんまり良すぎて目黒へ行けなくなったのだ。
十二ヶ月の女たち。
原画だけでなく、それらの雑誌も展示されている。
安吾や周五郎のタイトルが見える。今東光の『こつまなんきん』もある。時代を感じるなぁ。

婦人向け雑誌の表紙は印象だった。
しかもミニアチュールのような描き方である。印象の手法の一つだろう。堂本印象ほど様々な手法を展開した創作家はいない。
蝶が花の周囲を巡る絵は、永田萌の作品を思わせた。
春の女神はポンペイの壁画のような色合いで、秋の女神はインドミニアチュールのようだった。

わたしは二種類の満足を得て、野間を後にした。
ここに来て失望することはこれまで一度たりともないのだった。

芸大コレクション 大正・昭和初期の美術

芸大美術館に行く気はなかった。
コレクション展に魅力があっても、どうもここの係員らがニガテで行きたくない場所のひとつなのだ。
それでも行ってしまったのは、高山辰雄の『砂丘』に座る女学生に惹かれて、どうにもならなくなったからだ。

もこもこした愛すべき八重桜、つつましいスミレや明るいタンポポに導かれるように、芸大に入り、ぐるっとパスを提示する。
京都で見たエルンスト・バルラハがここに巡回している。わたしはそれでなくコレクションが見たいのだ。

地下の展示場にはなかなか多くのお客さんが来られていた。
大正・昭和初期の洋画・日本が・版画・工芸作品。

明治末の『玉乗り』 曲馬団の女がタイツ姿でポーズを取る絵。
わたしは日本人の描くサーカス・曲馬団・見世物の作品が大好きだ。ピカソやルオーのそれでなく。

観山の『天心先生』草稿図があるが、これは有名な絵だから知る人は皆知るところだろう。わたしは岡倉天心が沢田研二によく似ていると思う。目とか。
そしてこの絵を見てなんとなくホッとするのは、ムカシの中国の文人スタイルでありながらタバコを吸う所だと思うのだ。
へんなことを言うが、わたしは時代劇の中でいきなり『確信犯的な』オーパーツを見たりすると、嬉しくなるタイプだ。
無知から来るのはキライだが、確信犯的な、これが大事なのだ。

さて『砂丘』
私は砂丘と縁がない。遊びに行った鳥取砂丘は雨後でどろんちょ、御宿は遠すぎる。ただし観念は別だ。
アンデルセンの『砂丘の物語』は『沼の王の娘』と並んで最愛だし、Fハーバート『DUNE』シリーズはスペースオペラの傑作だと思う。
七十年前の作品。七十年前の女学生。七十年前の高山辰雄の絵。高山の絵を最初に見たのはもう二十年近い前、まだ山種が茅場町にあった頃に、初めて行ったその日だった。
『座す人』 これだ。その絵の衝撃は大きく、今でも脳裏に生きている。その後、麹町の小川美術館で『聖家族』や大丸で『日月星辰』などを見て行くうちに、その静謐な世界に惹かれるようになったのだ。だからそのイメージから考えると、この『砂丘』は違和感があるのだが、by高山辰雄 ということを思わずに眺めると、やはり素直に「・・・いい感じ」と思うのだ。

戦後すぐの深水『銀河祭り』 これは七夕の絵である。
女の着物の色がいかにも夏向きで好ましい。
考えれば深水は没後も長く人気があるなあ。

工芸品が並んでいる。
鴨政雄の花瓶は'30らしい作品だと思った。モダニズムとアールデコと。シャープでセンスがいい。使いづらいかもしれないが、観賞用としてはとても素敵だ。
津田信夫『北辺夜猫子』 夜猫つまりフクロウなのだ。可愛いなあ。わたしはフクロウ大好き。フクロウと猫は友達のような気がする。
富本憲吉の飾筥は実物の横にその図案を描いたものがある。
作家の秘密の一端がのぞいた気がして、なかなか興味深い。

洋画へ目を移す。
梶原貫五をわたしは知らない。この人の『窓際』 九十年前の、モダンな生活が描かれている。その窓はなかなか味のある形で、ガラス自体、現在ではもう作られない厚めのものだ。
光の注ぐサンルームでモボらしき人が手紙を眺める。
この窓と光に惹かれた。
これと和田英作と満谷と版画に惹かれて、嬉しい千円の画集を買ったのだ。

その和田『野遊び』
これは以前チラシで見ていたが、ここの収蔵品とは知らなかった。
天平時代くらいの風俗の娘たち三人の姿。かざしに奈良らしく馬酔木の花や躑躅の花をつけている。
わたしは平安や浮世絵風俗より白鳳から天平文化の風俗が好きだ。コスプレするならわたしは天平がいい。
多分、似合う。

満谷国四郎の裸婦が好きだ。
黄色い肌の女たち。白い肌ではなく、黄土色のような肌。
色の置き方がヴェルベットのような感触がある。
フジタや加山又造の白い裸婦ではなく、黄色く、やや脂のにじむ身体。触ると掌に汗を感じるかもしれない。
開いてみたくなる、黄色い身体。
一方林武の裸婦もいい。わたしは独立展が好きで、その回顧展などを楽しんだ。

吉田博。この人の油彩や版画には本当に惹かれる。ここにあるのは『溶鉱炉』なのだが、わたしはてっきり大仏作りの現場かと思った。大仏というより不動かもしれない。その足の部分に見えたのが溶鉱炉なのだ。鉄の明かりがはっきりと見えた。

版画の美を思う。
わたしは浮世絵も創作版画も好きだ。だから千葉市立美術館が取り組んでいる『日本の版画』シリーズが楽しみで仕方ない。十年ほど前、今はなきDO!FAMILY美術館で谷中安規や大正の創作版画を知り、それから色々と見て廻った。それまでは棟方志功しか知らなかった。彼を含め見る機会があれば熱心に見て廻った。見るほどにますます好きになる。

恩地幸四郎の裸婦は白い膚だが、以前から深く愛している。ショートカットのモダンな女。
川西英の黄色。彼の原色の良さは言葉では伝わらない。
永瀬義郎の『馬来美人』 この作品もまた、私に本を買わせる要因となった。戦前の南方への憧れはいずれ書き起こしたいが、深いものだ。
それから女の憂いがちな横顔の美。これにも深く心を動かされた。
ところでわたしは農村風景の絵はニガテだが、都市の一隅を描く作品は大好きだ。それも京都は日本画、大阪は油彩、東京は版画で。
『いうらくちょう』が有楽町の表示だとは知らなかった。しかも戦前だから逆からの『うよちくらうい』なのだ。いいなー。
谷中が出ているし、長谷川潔もある。
本当に見応えがあるのに、これで300円で、本は千円なのだ。嬉しかった。ぐるっとパスだから余計嬉しい。

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近代陶磁器に見る東と西

近代陶磁器に見る東と西

泉屋分館で開催されている陶磁器展。

泉屋博古館・分館に収蔵されている陶磁器は、やはり京都のものが多い。
住友家が京都・大阪に本拠を置いていたから当然のことだろう。

清水六兵衛、永楽、宮川ら京都の陶工。
私は関西人なので他の地区の人よりも彼らの作品に少しは親しんでいるかもしれない。
どうも関西は絵画や彫刻より、陶磁器に親しみを持っているように思う。
長らく続いていた大阪の夏の風物詩『せともの市』の影響もあったろう。陶磁器は鑑賞するだけでなく、実用でもあるから、そこが好まれる要素の一つかもしれない。

<近代の茶道具><近代陶磁器の名品><中国美術の学習><西洋の影響>などという風に分類されて展示されている。
こうした分け方で眺めると、それぞれ趣があり、違う地平が見えてきて、なかなか面白い。

例えば大正の十四代永楽善五郎と昭和の十五代善五郎の作が面白い。
十四代は粉青沙器つまり三島の特性を生かして俵模様の茶碗を作り、十五代は仁青写しの春駒模様の茶碗を作っている。
こうした比較は意味もないことなのだが、その時代に何が流行っていたのかを勝手に想像する余地が生まれてくる。
無論学術的にはその時代時代の要請や流行が何かを検証もしてくれているが、そこまで勉強せずとも気ままに観客は楽しめるのだ。
春駒の目が可愛いとか、三島は好きくないけど俵に見立てるのは巧いなぁとか。

明治になり万国博覧会に出品したりするようになってから、磁器の柄が凄まじく変化した。
宮川香山の作品などは明治でないと生まれぬような絵柄と色彩に満ちている。
四代道八のフルカラーな釣香炉がその最たるものだ。
わたしはむしろその意味では江戸趣味が濃いので、あまり好まない。
だから今回の展示で気に入ったのも犬張子香合なのである。
それから乾山写しの百合形向付がほしい。
五代六兵衛の鴛鴦置物もよい。
もし私が明治期にいたら、海老茶袴に大きなリボンをつけて自転車をシャカリキにこぎながらも、きっと旧幕時代の什器を使っているだろう、頑なに。

清風与平という陶工は知らない。
しかし染付饕餮紋壷の魅力にわたしは囚われた。
元々青銅器の饕餮文がめちゃくちゃ好きである。今では商と表示する殷代の饕餮文などをとても愛している。
それが染付として、鮮やかなブルーカラーで壷に映っている。またこの饕餮は目が可愛い。
わたしが饕餮を知ったのは諸星大二郎の『孔子暗黒伝』からだから随分になる。その後美術館・博物館通いを始めてから実物に出会い、ますます好きになった。
いいなあ、饕餮。
青銅器は関西に多くの愛好者がいたらしく、この泉屋、白鶴、奈良の坂本コレクションなどが有名である。
この壷の来歴は知らないが、もしかすると住友さんはやっぱり饕餮ファンだからそこからこの壷を・・・。ふふふ。

前述の宮川香山の作品が明治でないと云々と言った理由は釉薬の色に拠る。
暁雲釉などがそうだ。その名の通り暁の色だ。
紅海鼠釉はちょっとグロテスクで、80年以前の作とは思えない。どうみてもILMあたりが作り出すクリーチャーなのだ。もしくは円谷プロの怪獣。

丁度百年前の日露戦争が最近話題になっている。
そのリアルタイム時に作られた『戦捷記念博覧会』に出された露翠瓷觚式花瓶。難しい字ばかりだ。これ、抹茶色ですがな。
露は露翠という色とかいうより露西亜の露のような気がするな。こういう色の名前があるのかどうかは知らない。

<波山とその周辺>
近代陶工の中で最高峰と言われるのは板谷波山だが、わたしは彼もよいけれど楠部禰弌がとても好きだ。
波山の名品は出光に多く収蔵されている。『HAZAN』という映画もあった。
大昔の修身の教科書には『名工・波山』というのが掲載されていたと言うし、わたしもその伝記や周囲の人々との関わりを資料などで読んで感動したりした。
その波山の奥さんが作った山葡萄に小鳥の花瓶は可愛くて、手元に置きたいような感じがした。
また今のところ唯一この世に残されているらしい、波山の息子さんの作も出ていた。これも小鳥模様。なんというか、大正というか、アールデコの時代を感じた。

この展覧会は見応えがあった。まだあと一ヶ月ある。ここと大倉とをセットにして見て回るのが、いつものわたしの決まりなのだった

成分解析

千露さんのブログに遊びに行きましたら、成分解析をされていました。元はこちらです。http://seibun.nosv.org/
やってみました。

遊行七恵の84%は努力で出来ています
遊行七恵の6%はマイナスイオンで出来ています
遊行七恵の4%は言葉で出来ています
遊行七恵の4%は成功の鍵で出来ています
遊行七恵の2%は理論で出来ています

ほーそーなんだ、と言う感じです。
次に実名で解析しました。

★★★★の57%は夢で出来ています
☆☆☆☆の38%は回路で出来ています
♪♪♪♪の4%は気の迷いで出来ています
¶¶¶¶の1%は濃硫酸で出来ています

・・・こわいですね、当たっています。
更に別名の方でもしてみました。

****の68%は蛇の抜け殻で出来ています
****の23%は魂の炎で出来ています
****の7%は気の迷いで出来ています
****の2%は成功の鍵で出来ています

なんとなく笑えます。

まつもとかつぢの可愛い絵

芸大を出て上野桜木町に来るとなつかしの酒屋さんがあった。下町資料館の実物展示だ。何年ぶりかに見たなあ。
言問通りを行く。てくてくてくてく。弥生美術館についた。
今回は松本かつぢだ。健全な少女たちと可愛いくるみちゃんと愛らしい天使が活躍するベビーグッズと。その展覧会。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/


初期の叙情画は中原淳一のライバルだと言われるだけあって、センスが良くて明るい。ファンも二分されたらしい。わたしはどっちかな、りぼんvsなかよし みたいな感じなら、どっちも好きだわ。

アンデルセンの絵画化が多い。
絵のない絵本を作品にしたものはとても綺麗で、かつぢも生涯手放さなかったそうだ。インドの娘が流灯する絵に特に魅せられた。大観も描いた風俗。この風俗は東南アジアから南アジアに広がるのか、(メナンの祈り)にもある。

かつぢは子沢山で子供好きで物惜しみのない人だったそうで面白い逸話も多くある。
だから晩年も元気な人気者だったのか。昭和初期のかつぢまんがはなかなか動きも早い。私は好きだな。

会場にはかつて少年少女だった人たちが大勢来ていた。


最近、弥生美術館は展覧会の主要な展示作品を編集した本を河出から出版するようになっている。
カタログ本をこのような形で出版するのは、良いことだとも思う。

松本かつぢのギャラリーはこちらです。
http://katsuji.cot.jp/

今度はこちらへも行きたいと思った。

ヘルマン・ヘッセ展

ドイツへの偏愛がある。
しかも現実のドイツではなく観念上のドイツに。
子供の頃からドイツ文学に親しんできた。
理由は一つ、母が祖父の思い出としてドイツ生まれのものたちを愛し、それをことごとに口にしてきたからだ。

祖父が舶来品愛好者で剃刀はゾーリンゲン、薬はバイエル、整髪料も何もかもドイツ。
その長女の母はリルケやハイネを愛し、子供の頃のかかりつけの医者はドイツ帰り、病院兼自宅はドイツから大工を呼んで建てたもの。
そこに入り浸る子供だった母。
母はアメリカの影響を受けて育っているくせに、道具や文学はドイツに重きを置いていた。
西部劇とプレスリーを愛しているくせに、(第二次大戦の映画で連合軍がドイツをけちょんけちょんにするのが好きなくせに)
機具も器具も道具や薬は全て最上のものはドイツ製品だと信念を持っている。
そしてわたし。
耳に残ったのはドイツの良さ。それに尽きた。

幼稚園の時、大好きだった物語の一つに(点子ちゃんとアントン)がある。ケストナーのすばらしい物語。翻訳は高橋健二。
そこから始まる高橋訳文への親しみ。
高橋健二の文章が
ヘッセには(車輪の下)から入り、(知と愛)(デミアン)(シッダルタ)へと向かったが、私は先の三作を少年愛小説として愛していた。
BL系好きな人にはわかってもらえるだろう。ずっと昔に竹宮恵子が二人の情景を描いているのを見たのが、読む動機となったのだ。
だから今もそのことへの緩い幸せがある。

世田谷文学館でヘッセの展覧会が開催されている。
この展覧会はヘッセの文芸に焦点を当てたものではなく、彼の楽しんだ水彩画と老境に入り土と親しむ〈自遊人〉としての面を取り上げたものである。特に後者はこの場所にふさわしいのかもしれない。芦花が愛した地なのだから。

水彩画は至って素朴で楽しさに満ちた作品が多く、技能云々より気持ちよさを感じる嬉しいものだった。
描かれているのは、風景である。なんとなく西脇順三郎を思い出した。西脇の絵もよかった。

中に一枚、木々が虎杖を煮たものに見える作品があった。ヘンに心に残っている。どれもこれも私でも描けそうでいて、描けそうにない絵。
塗り残しもあるが、それは瑕ではない。
詩人の描く水彩画。
心が豊かになるのを感じる。

ヘッセがスイスで住んだ家の写真がある。
バロック風の建物で、どきどきするような素敵な家だ。
しかし彼はそこに長く住まず、違う家へ移った。
その家のままなら絵は変わっていたかもしれない。

会場には日本のファンから贈られたらしい花札などがある。
ヘッセのいとこは日本とも縁の深い人だった。
手紙魔のヘッセは二万通も残しているそうだ。
なんとなく志賀直哉を思い出す。
志賀もヘッセも晩年、精神を深く穏やかに保てた人たちだ。

猫を可愛がるヘッセの写真を見てから会場を出た。
展覧会をバックアップしたユーハイムのお菓子が販売されている。
テーゲベックもバウムクーヘンも大好きだ。

そして今日、会社に行くとおやつをもらった。
バウムクーヘンだった。ユーハイムの。
ヘッセが送ってくれたのかもしれない。そんな気がする。

武満徹 展

武満徹。彼の死後十年を経過したことが、この展覧会を起こさせたらしい。

わたしは武満徹の評価が世界的に定まった後にしか、彼の音楽に対することが出来なかった世代である。
’80年代後半に武満徹の『音楽』だと認識して聴いたのは、評価の高い『ノヴェンバー・ステップス』だった。
ところが個人的理由からわたしはその音曲を拒絶してしまった。
間が悪いと言うしかない状況で聴いてしまったのだ。
全く武満に申し訳ない。

しかし私はその以前に意識せぬまま武満音楽に多く触れていた。
それはこの展覧会でも回廊を利用した展示をされている『映画音楽』である。
たとえば『切腹』。
フランスで上映されたとき、観客の大勢が倒れたそうだが、うちの両親はデートで見ていたそうだ。時代劇好きな父に付き合って見た母はいまだに「えらいもん見せられたわ」と言うのだが、その父の子の私は、三國連太郎が素敵、とか何とか言いながらソフトを見ている。
映画会社の身内ウケのキャッチコピーが面白い。
『刀も竹光 音楽も武満』
いいなあ。タケミツで切腹する苦痛が消えてしまった。
しかし音楽そのものはやはり重厚な内容にふさわしいものだった。
また、『怪談』。
これは不安感が募ってくる曲想が映像と合致して、恐怖感が湧いて来るので、やはり印象深い。
『利休』。
'60年代花形の人々が打ち上げた大花火と言う印象がある。全てが完璧で、欠ける処のない作品だった。
つまり、映像も脚本も音楽も役者も衣装も、何もかもが極限的だったのだ。

他にも篠田正浩作品の音楽が多い。
『はなれ瞽女おりん』『桜の森の満開の下』『心中天網島』『鑓の権三』などなど。
これらの映画は上映会などで見ているので、やはり私は『遅れてきた』者なのだ。

武満徹のリアルタイム。
それを考えてみると、エッセイがあった。
『時間の園丁』
これは購読誌で連載していたので、幸いにも読み続けることが出来たのだ。
『夢の引用』
映画評論集だが、発刊直後に読むことが出来、ここから色々な映画を見たりもした。
そしてその武満の文章のファンになったことから、彼の『ゲキバ音楽』以外のオリジナル音楽を聴こうとしたのである。

ところが前述の『ノヴェンバー・ステップス』でこけてしまった。
次に『閉じた眼』を聴いたが、不安感が募るばかりで、情緒不安定なわたしにはあまりよくない感じがした。

基本的に私は近代フランス音楽が好きなので、ますます傾向から遠く離れているようだった。
(日本の現代音楽では伊福部昭や池辺晋一郎は好きだが)
武満は前述のゲキバ音楽の方を評価していた。

そして今回、彼の音楽に改めて対したが、やはり違和感は拭えず不安になるばかりだ。
しかしその一方で私はムショウに怪談が見たくなる。
それは何も前述の『怪談』ではなく、歌舞伎でも映画でも朗読でも何でもよいから怪談を味わいたい、と切望しているのだ。
わたしは怪談が大好きなのだ。夏になればいても立ってもいられなくなるほどに。

こうしてわたしは音楽家武満徹には余り関心がないまま、エッセイスト武満徹を愛するようになった。
新聞などに彼のインタビューがあれば切り抜いたりしていたが、そこから色々面白いものを見出すようになった。
たとえば、坂本龍一が学生時代『武満を排除せよー』などとアジった後で武満の前に顔を出しているという話や、世田谷文学館のインタビューで若い頃に滝口修造から『養子にならないか』と誘われた話など、とても興味深く感じられた。
滝口修造とホアン・ミロのコラボレート作品の展示もあった。
これは去年の二月に世田谷美術館で見ていた。
『滝口修造 夢の漂流物』展で。
あのとき武満のピアノ曲が流れていたが、それは何と言う曲なのか私は知らない。
もしかすると『目を閉じて』なのかもしれない。そのときは良い曲だ・ふさわしい曲だと思って聴き流していたが、だとしたら、私はやはり間の悪い聴き手でしかないのかもしれない。

デヴィッド・シルビアンからのオマージュがあった。
わたしは’80年代の彼のファンだった。その頃の私はイギリスの音楽以外聴かなかった。
デヴィッド・ボウイとデヴィッド・シルビアンがわたしの周囲には流れ続けていた。
今でも彼の当時の歌を聴くと、『いいなあ』と思う。

会場には武満の周辺を彩った人々の芸術作品も多く飾られていた。
ジャスパー・ジョーンズ、中西夏之、ホアン・ミロ・・・・・・
同時代人ばかりでなく、先達たるパウル・クレーやオディロン・ルドンらの絵画がある。
私は現代芸術にはあまり関心が湧かないが、滝口展のときと同じく、『当人の追体験』という観点でそれらと対すると、これまで見えなかったものが見えた気もするのだ。


展覧会には武満の楽譜も展示されている。彼の作成したオブジェや、絵画も。
それから記念コンサートも開催されるらしい。
なんとなくわたしには武満徹と安藤忠雄が魂の兄弟に思えもする。私の勝手な思い込みだが。
来てよかったと思う展覧会だった。

アリダ・ヴァリ追悼

今朝の新聞にアリダ・ヴァリの死亡記事があった。
不思議ではない年頃。
しかしわたしの頭の中のアリダ・ヴァリは若く美しいので、死のイメージが湧いてこない。
とはいえ、彼女の出た映画には死の匂いが濃い作品が多かったような気がする。

母がアリダ・ヴァリのファンなので、映画を見る前から彼女の話をよく聞いていた。女優たちが機嫌よく笑っていても一人だけ編み物をして、『わたしはおしゃべりが嫌いです』と言ってのけたとか、そんな話。

中学の頃TVで『夏の嵐』を見ている。
その時わたしはアリダ・ヴァリの美しさもさることながら、ヴィスコンティの演出に酔わされた。
女の気持ちに共感できたからかもしれない。

『第三の男』のラストシーンの素晴らしさはやはり映画史上に燦然と輝くものだが、『かくも長き不在』のラストもまたよかった。
アリダ・ヴァリの独白で終わる絶望的なラストシーン。
わたしは『第三の男』のラストシーンよりこちらの方がすきなのだ。
それは多分、フランス映画だからかもしれない。

手元にあるヴィスコンティ映画の資料集を眺める。
『夏の嵐』は'54の作品なのか。その次のページにはマリア・シェルとマストロヤンニの『白夜』がある。
確か去年わたしはマリア・シェル追悼をしていた。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-56.html
五十年前最前線にいた俳優たちがどんどん故人になってゆく。

『パラダイン夫人の恋』『暗殺のオペラ』『ルナ』
改めて考えれば凄い女優だったのだ。
こうした深い演技力のある役者はもう過去のものなのかもしれない。

東博で見たもの

飛行機の都合で予定の順序を変更して、まっすぐ上野に出た。
行くまでにモノレールの窓から富士山が見えたり、大好きな八重桜が満開だったりで、気分がだいぶ明るくなった。
東京へは飛行機で往来するのだが、ナーバスなので大きなストレスがあるのだ。
新幹線は新幹線で乗車時間に耐え切れない。

上野公園は八重桜やタンポポやスミレ、一重の山吹が咲いている。
わたしは今回東博の建物探検ツアーに参加するつもりだった。そのためにデジカメ購入を考えていたのだが、色々あって今回はパスした。
だから自分で勝手に建物を見て回ることにし、そのために時間も自分の手に戻ってきた。
新年度のぐるっとパスを会社の福祉共済のおかげで多少安く手に入れたのでニコニコだ。
しかしカリエール・リターンもせず、ナスカよこんにちはもせず、とにかく東博へ。

わたしは近代建築にしか興味が向かない。現代建築にはあまり関心がなく、戦前までがわたしの愛するところだ。古代建築は尊敬の念を持ちながらも、どうも敬して後ずさる・・・←どんなんや。
東博の細かな装飾を見て回る。大体装飾が大好きなのだ。アラベスクを見せる金型、モザイクタイル、大理石、柱頭の装飾などなど、そうしたものを興味深く眺める。
だから私の撮影はいきおい細部にこだわり、時として全体の撮影を忘れることもある。
カメラ・テクなどないし、記録として留めて置きたいので、そのためにもデジカメが必要なのだが、今回は見送るしかなかったのだ。

茶室の見える休憩場所。ここは特に大好きだ。一月に来たのは大雪の日で、茶室も何もかもがいちめん白く埋まり、なんとも美しい情景に出会えた。
今は春の姿である。
平成館とのつなぎ目の休憩場所からの建物の眺めも好ましいが、ここから裏庭の八重桜がよく見えて、嬉しくなる。わたしは八重桜が好きなのだ。

平成館では鬼瓦の展示や図面などがあった。
コンペの図面がたいへん興味深く、これだけ熱心に見たのは中央公会堂のそれ以来だった。
渡辺仁の仕事は面白い。
当時、帝冠様式をとらないとならなかった世相というのは嫌なものだが、ここや京都市美術館、名古屋市庁舎などはわたし的には好きなのである。
ところが帝冠様式の最たる九段会館については、今はだいぶなんともなくなったが、最初に見たときの異様な感覚は、忘れられないものだ。
偉容ではなく異様。怖かった。ナマナマしい実感として怖かった。
しかし私は宿泊した。そのときの怪異現象についてはここでは語らない。
たぶん私は拒絶されたのだ。そうとしか思えない。

話は戻り、鳥の鬼瓦がある。これは入口正面のものだろう。触る。ああ、焼き物。
なんだか愛しい。それから鬼の顔の鬼瓦や部分部分の瓦を見て回る。
こうした試みはこれからももっと続けてほしいと思う。
(問い合わせると、また行いますとのことで、ちょっと嬉しくなった)


今回わたしは「今日の東博」の展示物の一覧表を手にしている。いつも漫然と見て回っているのだが、今回は見るべきもののみ見て回ろうと、プリントアウトしたのだ。
だから回り方も順序良くということはしない。
そうすれば必ずわたしは思っても見なかったものに囚われてしまうので、今日は出口から入っていったのだ。

浮世絵。
春信の見立て絵が好きで色々見てきたが、業平の見立て絵は、遊女がかむろ二人をつれてどこぞへ出ようとしている。一人が達磨さんを持っているのでなにやら願掛けらしい。
山吹の里は、縄のれんから出てきた女が手に山吹を持っているが、着物がカキツバタ柄で、山吹よりもその方に季節を感じた。
湖龍斎の馬子はまだ若い衆で、これがなかなか男前なのである。短なキセルを手にしながら馬の口を引いているが、客の女も彼をじぃっとみつめている。
歌麿の、これは見立てではない玄宗皇帝と楊貴妃が仲良く笛を吹く図がある。初見。
北斎の「勝景雪月花」は三都の桜の風景が出ていたが、弟子の北馬のそれを松岡で見ている。http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-411.html
英泉の対になった絵があるが、これは軸も凝っていて、下は桜の森のようである。
洲崎の芸妓と、船着場の、これはあれかな女中かおかみか、そんな絵があるが、間に一枚ありそうな気配である。物語を想像させるような作品だ。チョーンときねの音が聞こえてきそうな感じ。
広重の「諸国名所百景」は上方の風景が展示されていた。大谷本廟の眼鏡橋、東福寺、吉野、長谷寺の長い回廊までが桜の絵で、堺の松、天神祭の船渡御、天保山、布引の滝、それから少し離れて伊賀、二見ケ浦、名古屋の鯱の金ぴか、駿河の富士山。楽しいなあ。
窪俊満のポタニカルアート。群蝶画譜や花々の絵。これらはとてもきれいだった。
花鳥画も多くあるが、以前ロックフェラーコレクションで大量に見たことを思い出した。

布細工やかんざし類が並んでいる。
押絵細工小物は可愛くて、これはもしかすると京都で今も販売されているような感じのものが並んでいた。和雑貨。鼈甲の櫛・笄・簪の細工の細かさ。昔の職人の技能はすごい。

磁器へ移る。
わたしは色鍋島と高麗青磁が最愛である。曜変・油滴天目、それから乾山、道八。近代では彌弌。
陶器では鼠志野、黄瀬戸、ノンコウ。
面白いものを見た。
色絵龍文陶板つまりタイルだが、西本願寺の蔵に使われているものの兄弟らしいのだ。
わたしは伊東忠太のファンで、大谷探検隊のファンで、要するに大谷光瑞に関心があるため、宗派も違うが西本願寺にはしばしば通っていて、飛雲閣も拝見させてもらっているが、こんな素敵なタイルが張ってあるとは勿論知らなかった。なんだか嬉しいゾ。
見せてもらえるとは思えぬが、わくわくした。
おお、鍋島のタンポポ。同じく青海波に黒鶺鴒二羽。これは’98.三月に日本橋の三越で見た分だ。あの展覧会のよさは何年たっても忘れることはないと思う。
そのとき他にも新宿三越で宇野千代展を、深川で岡本文弥展を見ていたのだ。
なつかしい。懐かしくて思い出すと泣けてきそうだ。
そのときから色鍋島に本格的にハマッたのだ。
桜樹図があるが、これがまたすばらしい花盛りで、嬉しくなるくらいだ。
やっぱり学芸員さんはえらい。
ちゃんと季節を見計らってくれている。
道八のおたふくの香合があるが、これは以前クレマンソー・コレクションで見たのと同種だと思う。
京焼のいいのも出ているが、去年の暮れにここで開催された展覧会は本当によいものだった。青と緑で花を表現するのだから、考えればすごいことだ。
最後にひとつ。
東洋館で見たのだが、万暦で可愛い壷を見た。
五彩百鹿文だ。これはとてもかわいらしい。趣味の問題かもしれないが、楽しくなる図柄の壷だった。

他にも岩佐又兵衛や応挙をみたが、またいずれ。
二時間ばかりの楽しい東博逍遥だった。

予定は未定

明日・明後日の予定です。

目黒区美術館(伊東深水)―東博(建築見学+常設色々)―弥生美術館(松本かつぢ)―紀の善でお茶―野間記念館(大観らと口絵原画)―ブリヂストン(雪舟から…)

世田谷文学館(ヘッセ)―東京オペラシティ(武満徹)―泉屋分館(近代陶磁器)―大倉集古館(若冲)

例によって例のごとくめちゃくちゃです。
デジカメ買いに出たのですが、一旦保留です。
優柔不断な上、判断力・決断力が欠如しているのがバレバレですね。

以前は秒単位で行動を決めていましたが、さすがに最近はやめました。腕時計を外してからは気楽なものです。
野間が流動的です。22か23か。

イマイチ京王新線がよくわからないので初台に下車できるかどうか。
それが問題です。
しかし、張さんが新庄のことをどう言うのか聞きたいので、朝出遅れる可能性も大です。

千露さんのおうちから

anniversary.jpg


My Sweet Rosehttp://www.geocities.jp/rosa_altaji/index.html の千露さんが一周年記念にこの素敵な絵を配布されたので、お持ち帰りさせてもらいました。

丁度わたしも一周年ですが、千露さんのように大勢の人に何かを差し上げるということが出来ず、逆に温かなお言葉をいただいてばかりでした。ちょっと反省。


なんとなく幸せな遊行でした。

ディック・ブルーナ展 うさこorミッフィー

ディック・ブルーナの名を知らずとも、うさこちゃん又はミッフィーを知らぬ人はないはずだ。
白いウサギの女の子。ごくシンプルな顔立ち、シンプルな線、シンプルな原色。
せりふのない絵本を知る人も多いだろう。文と絵は見事に分離されている。

赤ちゃんから大人まで、みんな友だちになれるはずだ。
そんな絵を描く人は、いわさきちひろかディック・ブルーナしかいない。

ブルーナはオランダの絵本作家でデザイナーでもある。
赤、青、黄、緑、黒、白、茶色。
考えればわずかな数の色彩だが、それらを巧みに組み合わせて、豊かな世界を生み出す。

切手の絵柄を多くデザインしていた。郵政省はえらい。
ブルーナの切手の手紙をもらうと嬉しくなる。
仕事の封書であっても、楽しくなる。

今ではミッフィーという名で知られているが、わたしが小さかった頃はうさこちゃんだった。
だから母はいまだにミッフィーをうさこちゃんと呼ぶ。

色々なグッズがある。
これらを見ると、ほしくなる。
日本のOLは世界で唯一キャラクターグッズにハマる人種だという定義がある。
わたしもご多分に漏れずキャラクター好きである。会社の机を見回しても、すぐに10種類のキャラグッズが見える。
当然ながらブルーナの切手も見えている。(見えるようにしているのだ)

大丸梅田店でディック・ブルーナ展が開催されている。
私は機嫌よく向かった。
会場には会社帰りのオジサンたちが多かった。家族連れでなく、友人と一緒でもないオジサンたちが、それぞれ距離を保ちながら熱心にうさこちゃんを見ている。
少し不思議な感じがしたが、例えば彼等の子供さんが小さかった時一緒にうさこの絵本を楽しんだのを思い出したとか、たまたまチケットを持っていたとか・・・そんなことを考えた。
いや、そうではなくに、もしかしたら単純にファンなのかもしれない、とか。

ブルーナの製作方法が再現されていたが、驚いた。
トレシングペーパーに下絵を描いた後、紙に清書するのは想像がついていたが、色彩、そうあの6色の定められたブルーナカラーが切り紙されて貼りつけられて、色彩が確定するのだった。
正直知らなかった。想像もしなかった。そして、感動した。そんな手法とは。
折り紙をチョキチョキしたのがあの無限に豊かな色の命なのだ。それを何種か作り、最終決定ヘ向かう。
うわっ きせかえなのでしたか。それならうさこちゃんのぬけがらで遊べるぞ。

今回たまらなく可愛い!と思ったのは、うさこちゃんの後姿だった。
壁一面に色々な色でうさこちゃんの影(または輪郭線と言うべきか)が描かれているが、それをうさこちゃんはじっと見ているのだ。可愛くて仕方なくなった。

グッズ売り場で絵ハガキやシールブックなどを買って、嬉しくなった。
野菜が可愛い。『ねぎ』なんともいいなあ。緑と白。

うさこちゃんの変容の歴史。
わたしは’70年代に幼児期を過ごしたから’63年からのうさこちゃんになじみが深い。モデルチェンジ前のうさこちゃんが大好きだ。
だから顔が変化したミッフィーには関心がなくなっていた。
しかし現今のうさこちゃんはわたしが小さかったときのうさこちゃんに似ているので、嬉しい。

ちいさい子供さんには、うさこちゃんと、せなけいこの絵本と、いわさきちひろの絵本と、アンパンマンとを友達にしてほしいと思う。

会場を出るとJR大阪駅構内に近い。そこにはブルーナのデザインした働くキャラクターのポスターが貼られていた。がんばろう、わたしたち。そんな気分が湧いてきた。

春の名残の

今日は大風で、とうとうソメイヨシノが消える日が来てしまったようだ。
関西は春寒の日々が続いたので、梅も桜も遅くて長引いていた。
八重桜が咲き乱れている。
わたしは八重桜が大好きだ。特に関山という種類の八重桜がいい。遠目には桜餅が枝に揺れているように見える種類も好き。
家から会社まで5km自転車で走るが、桜や桃や椿が綺麗に咲いている。目を地面に向ければ、菜の花畑やタチツボスミレやタンポポが開いている。
いいなあ。

草花のことはあまり知らない。
学ぼうともしない。

ひとさまのサイトを巡り、感心するばかりだ。でもそれでいいと思う。
自分にないものをそうして見せてもらえるのだ。嬉しいことだ。


家に帰ると、スズランが咲いていた。早いなあ。こんなものか。
それから地植えしたもののショボクレてたシダがわんわん広がっている。うれしい。わたしのシダオくん。
鉢植えのシダキチはコケからあふれそうだが、ちょっと弱そうに見える。
種類の違うシダ。
友だちでサボテンとか肉厚系の多肉植物を集める人がいる。
わりと多い。
でもわたしはシダだ。
シダ シダ シダ 。

ウッドワンのCMを見て「こんな奥庭がほしいー」と叫ぶ度に母に嫌がられるが、お風呂周りがあれなら楽しいだろうなといつも思う。

今度はシダノシンとかシダゾウとか集めてやろう・・・

小野竹喬展を楽しむ

阪急御影の香雪美術館で小野竹喬展を見る。

福田平八郎、徳岡神泉と並んで、大人になってから愛するようになった画家である。

会場は二階建てで、一階には常設の仏像と共に、竹喬が愛し、その芸術の完成にも関わった魂の師匠・池大雅の作品が並んでいる。
先日京都で見た渓仙『蘭亭流觴』
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-446.html
これと同じ題材の絵が横長に描かれている。
南画・文人画には中国の教養が必要だが、怠惰な私は不勉強で、まだまだ至らない。酔っ払いはきらいなので飛ばし読みしたのが、こんなところでたたりよる。
絵を見ていて私は今村紫紅をなんとなく思い出している。
『試錘図』 これは中国の文人たちの人となりを文で書き、絵でその佇まいを描いている。
木村蒹葭堂旧蔵。

さて二階には竹喬の作品22枚が並んでいる。
笠岡市立竹喬美術館・京都市美術館と高島屋史料館からのものが多いが、中に一枚、華鴒美術館(はなとり)からの『残雪』と言う作品が面白かった。
山なみに白い雪が残っているのだが、それがどう見てもポケモンのピカチュウなのである。本当にそっくり。スキャンしてここに載せたいが私のレタッチ技術が悪いのでダメだ。
しかし本当によく似ている。思わずこの絵はだまし絵で、他にもポケモンが隠れているのではないかと思ったくらいだ。

若い頃の竹喬の絵を見ると、なるほど国画会の会員だったなと感じるところがある。そしてジョットのブルー。
竹喬からはフランスではなくイタリアの匂いがするのだ。
フレスコ画のような。

カラリストの竹喬が最晩年になると、水墨画の魅力を度々口にするようになったようだが、竹喬の薄墨は、和やかで静かだと思う。
しかしそれは晩年だからと言うことではなく、随分若い頃から竹喬の絵には逸るところがなく、いつでも温和なのだと感じる。

『春耕』 春の一日、野良で働く人々と牛。この絵は素朴派の範疇に入ると思う。解説文ではアンリ・ルソーがどうの、とあったがむしろ、グランマ・モーゼスの世界に近いと思う。

『夕雲』 京都市美術館にあるこの絵は東山のイチョウ通りを描いたと言うが、日仏会館の南辺りらしい。ちょっと覚えがないなあ。

ニ月に東京美術倶楽部ですばらしい『牡丹雪』を見て以来、竹喬に心が惹かれるばかりだ。

素晴らしい作品が丁度良い数で治まっていた。

庭に出ると、枝垂れ桃が咲き乱れていた。白桃かと想えば所々に桃色がある。紅白の桃。だからか、『源平』という名らしい。
今年の関西は寒い日が続いたのでソメイヨシノも長持ちしていた。
ここへ来るまでの阪急神戸線の線路脇には延々と桜が植えられていたが、六甲の山の上では、靄のように淡いピンクが所々に見えていた。
竹喬の絵を見るにふさわしい日だと思った。

プロ野球

昨日の新庄の宣言は爆弾ですが、私は反対しません。開幕したとこやのにと言う意見もあるが、彼は体を張って観客呼び込もうとしてるんやなと思いました。『見に来て!』と言う宣伝を彼ほど真摯にしたプロ野球人は他にいません。
新庄はえらい。
私は改めて新庄ファンになりました。この先もペナントレースは続く。みんな見れる限りは新庄を見に行こう!

村上ファンドのいらんことしぃのおかげでハラハラな阪神の株を阪急が取得する方向ですが阪神タイガースのままでいてほしいですし、百貨店も阪神は阪神のままでいてほしいです。建物の件で私は個人的に阪急不買運動中です(怒)

新庄、今夜も本塁打か。すごいなあ?
がんばれ新庄!

ぱおーぱおーぱおー

昨日、ふと思いついたので周囲に話したヨタです。


「和歌山弁でランボルギーニと言うとダンボルギーニになるよな。
象車。両ドアが上へ上がって開くのはいかにもダンボっぱいよね。
ぱおーという咆哮を上げながら走る車。
でもそれが中途半端なメタリックゴールドならダンボではなく、ダンボールカーに成り果てるなぁ。
うーん、車は難しい。」

周囲からは横山ホットブラザースのようなお答えが来ました。

「おーまえはーあーほーかー」



高島屋史料館の薔薇園

高島屋と言えば♪薔薇のマークの・・・ だが、それは戦後に入ってからのことらしい。
当時の社長が薔薇をマークにしようと提唱し、そこから薔薇のマークの高島屋になったのだ。

その薔薇の絵の展覧会が高島屋史料館で開催されている。
しかしそこへつくまでに、ちょっと寄り道をするのだ。

昔は電気街だったのがヲタウン化するのは秋葉だけではなく、難波の隣の日本橋もそのお仲間入りして久しい。
堺筋の両脇に電気屋とヲタshopとその他の店がわいわい並んでいるが、一番入り口のところに高島屋別館がある。

まだ御堂筋が完成する前、つまり七十年以前はこの堺筋が大阪のメインロードで、こちらには今でも銀行などのすばらしい近代建築がところどころ見受けられる。
江戸時代に遡ると、堺筋は砂糖問屋が軒を並べていたらしい。
明治初頭から昭和初期以前には、天水香という一子相伝の秘薬を商う店もあり、そこの倅が小出楢重なのだった。

元は別な百貨店だったが、繁栄が堺筋から御堂筋へ移ってからこの建物も高島屋に持ち主を変え、それからまた一時どうなるかと心配したが、高島屋はこのアールデコのすばらしい建物を見捨てることなく、今では一階と最上階をブライダル会社に貸し出している。
(レトロなムードのある素敵な会場としてなかなか人気なようだ)

そのレトロモダンな建物の三階に高島屋史料館がある。
高島屋は今でも皇室アルバムと言う長寿番組を提供しているが、文化的にも大丸と並んで立派な企業なのだ。
高島屋は昭和三十五年に、国宝・玉虫厨子のレプリカを製作し、それをこの史料館に展示している。

ライトが当たると本当にビカッ と光るのだ、玉虫の翅が。
実は最初にここへ来たとき、閉館時間直後に来たので電気を落とされていて、我々の乗るエレベーターの薄暗いライトが玉虫厨子へ延び、真っ暗な中にぼうっと玉虫厨子が浮かび上がって見えたのだ。
そこへ懐中電灯で「どなたですか」とオジサンが現れたので、
「ぎゃぁぁっ」・・・・・・・・・・
いややなぁ。

で、今回はオジサンが私たちのためにわざわざライトアップしてくれたので、玉虫の翅の光の美しさに素直に感心できた。
―――しかし捨身飼虎図や天人たちの姿もありありと浮かんでいるので、それがこわいのよ、私には。


さて薔薇の絵。
長かったなぁ、この道のり。

高島屋は多くの洋画家・日本画家・工芸家に様々な作品を生み出させている。
それは多岐に亙り、「これはここにあったのか・・・」と言う作品も少なくはない。
例えば竹内栖鳳『アレ夕立に』はこの史料館蔵である。
この作品と並んで有名な『絵になる最初』が京都市美術館にあることを思えば、史料館のレベルの高さがわかっていただけると思う。

薔薇の絵を画題に選ぶ画家は多い。
別に高島屋の仕事で描こうとしたわけでなくても。
描きたくなる題材としての薔薇。
その薔薇の絵を一堂に集めているので、この史料館は室内の薔薇園という見立てになっていた。

梅原、中川、林武、薔薇を多く描いてきた洋画家たちの薔薇は貫禄たっぷりに咲き誇り、宮本三郎、伊藤清永の薔薇はモアモアと揺らいでいる。高野三三男の薔薇もある。私はこの人の泰山木に惹かれている。
絹谷幸二のバラを活けた花瓶には嬉しそうな顔がある。
小磯の薔薇は、武田薬草園で見た学術用の写生のそれを思い出させてくれた。中沢弘光、有島生馬、鍋井克之、みんな薔薇を描いている。

日本画家も薔薇を咲かせる。
愛する遥邨の薔薇、明治の輪郭線がここでもくっきりする薔薇は、ステンドグラスにしてみたいと思った。龍子や遊亀の薔薇。
みんなみんな個性が違うから種類も違って見えて、本当に百薔薇繚乱だ。むせ返るような香がする。

団扇絵、扇子絵、カレンダー原画、それから着物。
薔薇はなんにでも化ける。
すごいすごい。

ああ、堪能した。

外へ出ると雨が降っていた。
実感が湧いてこないが、濡れたので多分こちらの方が現実なのだろう。

薔薇園から遠く離れて。

ラウル・デュフィのデザイン

ラウル・デュフィ
彼の名を聞けば思い浮かぶのは、青い空・青い海・線描の人々、または素敵なインテリアに囲まれた室内・線描の裸婦・明るい陽光、それから黄色い画面・バイオリン・譜面・オーケストラ。
正直そんな風にしかイメージがなく、軽く明るい気持ちしか湧かない。
軽いというのを悪く思う向きもあろうが、前置詞として『ア』をつけるとこれは、ア・カルイになり、それだけで楽しくなる。生きている限りはなんにせよ楽しまねばならない。それでいいのだ。

なんば高島屋から心斎橋まで人混みの中を友人と延々としゃべりながら歩く。
途中、南翔饅頭店でおいしく小龍包をいただき、機嫌よく大丸でデュフィを楽しむ。
機嫌の良いときに機嫌の良いデュフィを楽しめて、とても嬉しくなった。

前述のようにデュフィの三大イメージの作品が並んでいた。
水彩画の、こだわりのないように見える筆の動きを追っては、勝手な意見を言い合う。
どうも洋画を見るとき、友人と一緒だとろくなことを言わない傾向がある。
馬の絵があった。大方の馬はパカパカと並んで美々しく装わされているのに、一頭だけ裸馬がいてなんとなくしょげている。それを見て私たちはあるマンガのキャラの名をその馬につけた。
とても『らしい』ので笑ってしまった。いかんなぁ、ははははははは。ごめんね、アイオリア。

風景画は港町が多く、それが明るさを一層感じさせる要因らしい。

しかし進むにつれてわたしのデュフィのイメージが変化するものが現れた。
テキスタイルデザインである。
デュフィのア・カルく可愛いデザインを使った布地がたくさんたくさん並んでいた。
ビアンシニ=フェリエ社とのコラボレートによる作品である。
‘12-’28までデュフィはドレス生地やインテリア・ファブリックのデザインをたくさん作り上げた。
先ほどの神坂雪佳同様、ここでのデュフィは工芸家としての面でも魅せてくれたのである。

特に気に入ったのは象さんや肥えた馬やナゾな虎のいるジャングルなデザインである。
馬は海にもいてホタテ貝と並んでもいる。(ギリシャ神話との関連。波は馬なのである。エクウス)
象さんがかわいい。小象もいる。ダンボな奴。
シルクと言ってもプリント地ではなく、絹織物なのである。帯にしたいようなものもあった。金糸銀糸混じりのもので、象さんがたくさんいる。楽しくていい。
象さんにはファンが多い。わたしも好きだ。かわいいなあ。

アールデコの範疇に入るデザインもあった。多くは花柄である。こういうのもその時代の気分が感じられて、いいなと思う。
そしてこの展覧会はデパートだからこその良さがあると思った。
デュフィのデザインした何かを買って帰ろうという気にさせてくれるのだ。無論美術館でもそうした販売は収益を上げているだろうが、会場の後半にテキスタイルデザインを置くことで、意識がそちらへ向く。
オシャレやわ、なんか欲しいわ。―――その気分が生まれてきて、購買意欲がそそられるのではないか。
ここになければちょっと他も見ようか。

そういう気分。

神坂雪佳展

三年前京都国立近代美術館で大規模な回顧展が開かれるまで神坂雪佳の名は一部の好事家にしか知られていなかったと思う。
私が最初に見た雪佳作品は貝合わせのお重で、雅なものだと感心したが、近代の作家とは長く知らなかった。
次いで名古屋陶磁器会館が出した図案集か何かを見て、蝶が綺麗だったので忘れられなくなった。だから当初から工芸家だと認識していたので、絵を見て「絵描きなんだ」と知ったりした。

前回展覧会は京都に始まり佐倉に行き、そこから海を渡った。
こうした作家は没後は本国より欧米に人気が出たりする。雪佳もその例に漏れない。
日本では細見美術館が熱心に収集してくれたおかげで我々は多少まとまった作品に会えもする。
芸艸堂(うんそうどう)という本屋が雪佳の百々世草という画帳を出版してくれなければ、いつまでも忘れられたままだったのだ。

難波の高島屋。
前回と今回はコンセプトを多少異にするか、工芸品より軸装が多かった。それから彼が愛した琳派の先達の作品が並んでいる。
遠目にもわかる光琳の燕子花図、抱一の扇面散らし屏風、雪佳が手元に長く置いて愛した、初公開の芳中の枕屏風など。

会場構成の都合で始めの方に琳派の作品が並ぶが、その中で乾山の対幅『夕顔』『楓図』の楓図に随分惹かれた。楓の葉の美。赤と夕日色とを一枚の葉の上においている。形の可愛らしさもさることながら、その色彩のよさにどきどきした。
わたしは実は光琳より乾山の方が万事好ましいが、この楓図でますます好意度がupした。
いいなぁ、可愛くて仕方ない。

光琳と乾山の兄弟コラボ作がある。寒山拾得の角皿である。尾形兄弟の合作はいずれも見事だ。
そしてそれは時空間を隔てて同じ琳派の命脈の中に蘇る。
雪佳と漆芸家の弟祐吉。兄が図案をし弟が工芸化する。なんとも気持ちの良いものだ。

蒔絵の美しさを堪能させてくれたのは、秋の野に鹿がいる小卓である。秋草は金、鹿が螺鈿で拵えられているが、鹿の背中の霜は透かしで表現されている。
実に巧いと思った。この絵を描いたのは雪佳、それを工芸品として蒔絵螺鈿にしたのは祐吉。
本当に素晴らしい。

無論雪佳は他の作家ともコラボレートする。
中でも陶芸家・河村蜻山との焼き物作品は前回以来気にかかっていた。
菊花透かし彫り鉢。菊の花弁の透かし彫り。前回、その透かした菊の花影を見たのだが、今回はわからなかった。残念。
また、五代目清水六兵衛とのコラボ作品・赤楽香合はまるで大理石のように輝いて見えた。ところが表面にはわかりにくいような鹿のレリーフがあり、石のように見える香合の中を開けば、金箔に紅葉が散ると言う趣向なのである。まったく憎いような・・・
演出として、これは先ほどの鹿の小卓に置かれていた。巧いと思う。こういうところに工夫があるのが嬉しいのだ。

雪佳の蝶への偏愛は画帳に綴られるほどに多い。
今回展示はなかったが、青い蝶の群れがゆく意匠の皿には随分ときめいていた。
わたしは関西の女なので祖母から伝わる女紋を持っているが、それは揚羽蝶なのである。だからかもしれないが、蝶が大好きである。現実の蝶も大好きで、放蝶館に通いもした。
そのためかわたしの目は、蝶をあしらうものには甘くなる。
テーブルクロスの下絵があるが、楕円で紫陽花の花群れを作り、その中に蝶の一群がある。
こうした作品は作品の質を超えて、好悪に分かれるだけなのかもしれない。

雪佳の青についても少し書きたい。
トルコブルーをうまく使っていると思う。特に紫陽花に。七宝焼きの不透明な釉薬のような色合いのトルコブルーは悪目立ちせず、画を華麗に盛り立ててくれる。
こうした色の使い方に雪佳の色彩センスのよさを感じるのだ。

わんこの話で最後にする。
雪佳のわんこや子供や杣人はみんな愛らしい。雪佳は琳派の継承者と見做されているが、わんこの可愛さは画風や流派を超えて、応挙のわんころたちと共に遊ばせてやりたくなるような気分にさせてくれる。
先日来18世紀の京都画壇の作を沢山見てきたから思うのかもしれないが、江戸ではわんこの可愛さを描かなかったのだろうか。どうも思い出せない。
にゃんこは国芳や広重が描いてくれていたが、わんこというよりのら犬の絵の方が多いように思う。

良い展覧会だった。
大阪を皮切りに東京日本橋へ行き京都へ帰還するそうだ。
http://mbs.jp/event/200603sekka/

開始一年記念

20060414203538.jpg


去年の秋に行ったマカオの聖ポール寺院跡 を少し斜めから見ました。
懐かしの写真を出してきました。

眼差しはどこへ向かうか

京都文化博物館で絵画展が行なわれている。
『日本へのまなざし・世界へのまなざし』である。
京都府所蔵の珍品を出すと言うが、確かに珍しい作品を見た。

鹿子木孟郎の日本画で戯画。対の絵。『鬼に金棒』と『大学生』 二者とも同じようなポーズをしていた。学生はバットを持って鬼は金棒を持ってニタッと笑っている。
浅井忠も洋画より日本画の方が洒脱で好ましい。『天狗と鳥刺し』 墨のかすれがなんとも味わいがある。樹上で腕枕する天狗と樹下に鳥刺しが・・・取るのかい?
若い頃の栖鳳の『紫宸殿聖賢之障子縮写』 絵巻に32人が描かれているがこれは班固、虞世南、李勣、諸葛亮、魏徴、仲山甫、菅仲、蕭何、太公望らが描かれている。
烏好きの暁斎の『寒鴉白鷺図』は絹地に白鷺を描き、軸の上下にはカラスを描いている。勢いがあって楽しい。
富田渓仙『宇治茶摘』 洒脱な線で茶摘のオバサンらをイキイキ描いている。これなら本当に♪夏も近づく八十八夜トントン・・・という感じだ。
同じく『蘭亭流觴』 中国の曲水宴だ。觴は杯の意。酔っ払いのおっちゃんたちが楽しそうである。画題ではいいものだが、現実の酔っ払いは困りものである。

展覧会の前にお昼を戴いた邸宅の旧主・今尾景年の作品もある。桃の樹が並び牛が働くのんびりした『江邨春色図』などが出ていた。明治末の作品だが、文人画のような趣がある。
面白かったのは岡村宇太郎だ。昭和9年の『白鷺』とその36年後の『赤松並木』。先の方が新しい絵に見える。保存状態などではなく。死の前年の絵からは明治の時代の匂いがした。
わたしが本格的に日本画の展覧会にゆくようになったのは、池田遥邨の回顧展からである。
遥邨の良いのが二枚ある。『堤』と『山の灯』。
遥邨は歳降れば降るほど良い作品を生み出していった。亡くなった時は『急逝』で、作品は爆発的によかったのに。枯れるどころか円熟で、そのカラフルさが楽しくて仕方なかったのに。
『堤』のよさに嬉しくなる。もぁーと緑が広がっていて、点々と赤いものが見えるのは椿だろうか。黒い紗のようなトンボが飛んでいる。考えれば抽象的な作品かもしれない。
『山の灯』 巨大な青い満月の下で山の裾に広がる住宅街の灯りたち。一つ一つの灯りの下に一つ一つの違う人生がある。青い月はそれを見守っている。・・・いいなあ。

他にも色々よい作品が並んでいた。今回は私が特に気に入った作品しか上げなかったが、たとえば向井潤吉のかやぶき民家の絵が延々と並んでいるので、ファンの方には嬉しいだろう。
来月末までの展覧会。

『笛吹童子』を見る

京都文化博物館では木曜と土曜に各二回ずつ昔の日本映画の上映会がある。
以前会員だった頃はペーパーをちゃんとチェックして色々な映画を見てきたが、最近は出たとこ任せのエエ加減な状況に入っている。
ところがこういうときにも見捨てられないというか、ラッキーと言うか、嬉しいことに『笛吹童子』が5時からあるやないですか。

実は私はこの映画を見るのは四回目だと思う。
私の叔父や叔母はリアルタイムに熱狂していた世代なので、私は子供の頃からよーーーく話を聞かされていた。
それでわたしはNHKの人形劇を子供の頃に見たが、それ以前から♪ヒャラーリヒャラリコ・・・と歌えたのだ。
それでいて、'80夏にTVで放映されたのを見たのが最初なのだ。
当時わたしはマンガの感想とか本の感想とか映画の感想を書くために日記を書き始めていた。我ながらカンシンな子供だ。(ホンマかいな)他の事と関連して、このことをよく覚えている。
→延々と書き綴るのは当時からの習性で、修正も効かず終生このままだろう。

近年ではフィルムセンターで('03.4.15)前年度物故者追悼映画大会に、東千代之介見たさに自分のポリシーを破って(同月内に二度も東京へ!)見に行っている。
昼に『笛吹童子』三部作と夜に『夕日と拳銃』二部作を見て、その間に松涛美術館で『武者絵』をみて、夜行日帰りしたのだ。バスでは不眠なのでハイなまま会社へ行ったが、めちゃくちゃだ。

今日はまあご近所さんの文化博物館なので(4/13の話である)気分もそうは焦らない。

モノクロで音声もよくないが霧がかかったようなその画面は美しく楽しく、今から思えば「おいおい・・・」な展開やせりふが多いが、とにかく楽しめた。理屈などどうでもいいのだ。
勧善懲悪、正義は必ず勝つのだ。新諸国物語、すてきだなあ。
わたしは子供の頃から上記のような理由で親しんできたので、本も色々持っているゾ。『白鳥の騎士』『オテナの塔』『七つの誓い』『紅孔雀』など。
東映お子様時代劇も機会があるたびよく見てきた。高校生の頃から上映会にもよく通った。
で、『笛吹童子』。前回と全く同じシーンでやっぱり爆笑してしまった。
大江山の霧の小次郎(大友柳太郎)が斑鳩隼人と桔梗を救って物凄い笑い声を上げているのにも「おおおっ」となったが、問題はその後である。目覚めた桔梗が小次郎に隼人の安否を訊くと、あっさり「捨てた」おいーーーーーーーっメチャクチャでんがな。
しかもそれだけではない。
カッとなって前後の考えもなく妹・胡蝶尼が走るつり橋を切ってしまい、直後に「バカバカバカ、小次郎のバカバカ」とやりだすのだ。おまけにこれには対があり、されこうべの面をかぶらされた丹羽の萩丸をお主とは気づかず「妖怪メ!」と崖下へ落とした家老の右門が、その後むすめ桔梗や斑鳩隼人からそうと聞かされ、「えええっバカバカバカ右門のバカ」とやりだすのだ。笑いすぎて苦しいよ。

しかし五十年前の映画に現在の何かを言うても仕方がない。楽しめばよいのだ、楽しめば。
ああ、面白かった。これでいいのだ。

京都の三条通

新町六角通りに日本画家の今尾景年旧邸があり、今では瓢亭の流れを組む瓢樹という料亭として在り、おいしいお料理を出すと聞いた。
私は普段烏丸から東に入る方ばかりを行くのでここを知らなかった。
待ち合わせてる間、前の逓信病院の桜が風に乗って私の足元に落ちる。
麻の暖簾をくぐり下足番のおじいさん、迎えに出た女の人(仲居でも女中でもないが着物を来た従業員の人をなんと呼ぶのだろう、今は?)予約なしで来たが奥座敷にあげられた。
その間は奥庭に面していて雪見障子のガラスも昔のものか、柔らかい歪みを見せていた。二つ黒塗りテーブルがあるが、ちゃんと畳にカーペットが敷かれ、足の跡がつかぬようにされていた。少し高みのある座椅子も置かれているので楽だが、ちょっと文楽の大夫を思い出した。やっぱり座敷にはこういう風がいい。
ほんま言うたらそのまま正座せなあかんのだが、今は正座=ストレスなのかもしれない。しかし折角エエお座敷に来てるのだからやはりこれくらいがよいのだ。
さる中華料理店は町家に土足のまま上がらせるので、いくらカーペットを敷いていてもそのことに罪悪感を感じるのだ。

桟の細さに感心する。先日幸田文の桟のハタキ掛の話を聞いたばかりなので自然と目がゆくのだ。雪見障子もよく見たらガラスを隠せるようになっていた。大仰な贅沢さより、こういう細かいことに本当の贅を凝らしたなあとますます感心する。調度品は友禅の屏風がある。ご子孫の方の経営やないので日本画はないみたい。

お料理は彩りも鮮やかというよりきれいなこしらえで、豆ごはんが瓢箪の形なのはここの出自を思わせる。だからこそゆかりの煮抜きがあるのだ。誉れのゆで卵。きれいしふしぎな柔らかさだ。海老のてんぷらの衣には味の異なる仕掛けがあり、楽しめる。
吸い物は若竹。どれもこれも丁寧に作られていて、京都らしいことこの上ない。

機嫌よく出てからは六角通りを東へ。
わたしが勝手に『オニビル』と名づけているビルの前を過ぎたら、烏丸に出る。
今日は三条通の近代建築を見て回るのだ。

武田五一は東京の親分・辰野金吾に嫌われて京都に仕事の場を移した。
だから市役所、東本願寺内侍所、関電ビル、毎日新聞社、寺町商店街の街路灯(スズラン灯と呼ばれるあれです)などなどをこしらえた。
三条通はいまやオシャレな町並みだが、わたしは学生時分から「なんでこんなに道幅狭いねん」と思っていた。今も同じ。
しかし理由を聞いて、すごく納得した。
つまり一番最初に開いた場所だからなのだ。

これはどんな土地・どんな国でもあまり変わらない事情があると思うが、最初に開かれたと言うことはそこへ人が押し寄せてくる。東西南北どこからでもやってくる。江戸時代、首都が江戸に移ったあとの五十三次の「上がり」は三条大橋だった。
だから色々詰め込まれ、建物が並び込み、人が雪崩込んできて、ニッチもサッチモ行かないまま道路拡張も出来なくなったのだ。
都市計画もこうなると不可能に近くなったのではないか。
しかしそれでもまだ三条はましだと私などは思う。わたしの住まう場所は室町の終わり頃から開き始めたので古い血の人は由来を知ってくれているが、新開の整備された地に住まうニューカマーにすれば無秩序な場所なのである。
これは人間と都市との関わりの問題だが、あえてここでは語らない。
さて三条には前述のように『最初に』開いた土地と言うだけに日銀、郵便本局、新聞社などが軒を連ね、今もそれらの近代建築は他の場所に較べ多く残っている。
あるものはそのままで、大半は外観を使いながらも内部を多少変更しながら、しかし大切に使ってくれている。
しかし三条通は国鉄が開通した折、一旦だめになってしまった。
これが復活し、現在の活気を得たのはこの十年未満ではなかろうか。

最近はレトロな着物が流行しているので、そこから派生したのか着物をリユースした服や小物がよく見受けられる。三条にはそうしたショップが多い。新しい京都風、それを発信なする場所としての三条通。
いっそ車道を失くせばもっとよいのではないだろうか。
よく大阪の路中マナーの悪さを言うが、京都の狭い道へ飛び込んでくるような車や、クラクションも鳴らさない東京の運転手も皆お仲間だ。みんな歩いて遊ぼう、都市の中では。

前月美濃赤坂まで大理石の見学に出たが、http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-398.html
旧日銀京都支店・現京都文化博物館の大理石を眺める。綺麗なマーブル模様が入っている。これも矢橋さんの大理石なのだ。内部の柱はアーカンサスの飾り。
わたしはこの文化博物館が大好きなのだが、改めて見学すると色々細かなことがわかって大変面白い。
ここだけでなく、大阪の堺筋倶楽部も元は銀行の転用、七条のパスタ屋もそうだが、みんな金庫を巧く使用している。温度が一定だからなのだろうか。

解散後イノダでティータイムしていたが、京都高野の地のご夫婦と京都人論・大阪人論などで大いに盛り上がった。
これから皆さん色々お好きな場所へ行かれるのだが、私はとりあえず五時からの文化博物館の映画を見に行きます。



クラブコスメチックスの宣伝史

中山太陽堂、今はクラブコスメチックス化粧品の宣伝資料を見に行く。
双美人、と言えばすぐに「ああ、あの」とうなずかれるだろう。今月からその資料室が開室するので、平日を休んで私はやって来た。
クラブ白粉の各時代のパッケージが並ぶ。
発足当時の中山太陽堂は宣伝に力を入れ、文化事業に多大な足跡を残した。今回は第一回目の展覧会なので明治期の写真やカラフルなパッケージの白粉実物が並ぶ。
中でも当時の美人群像写真と北野恒富のポスターは優美でみごたえがある。宣伝がいかに大事かを創業者は骨身に染みて熟知していたようで、それが数十年後の今日、こうした展覧会になり我々を楽しませてくれるのだ。
芦屋美術博物館が以前に『モダニズムを生きる女性』展を開催した。
その時にもこの双美人は活躍した。
見るうちに、実に色々な分野に広がっているなとただただ感心するばかりだった。
例えば関東大震災後に東京の作家たちが関西に移住して来たが、その折彼等を受け入れ作品発表の場を与えたのはプラトン社の雑誌〈苦楽〉だった。つまり中山太陽堂の文化事業部なのだ。
今回の展示にはその辺りはなかったが今後は展示される日も来るだろうから、とても楽しみだ。日本の文芸史に大きな足跡を残した<苦楽>それを忘れることはない。

話は戻り、クラブ白粉や歯磨きは宣伝効果もあり、よく売れたようでここに来る前に母に訊くと、母の母も祖母も使っていたようだ。
クラブコスメチック。
そういわれると祖母の鏡台には可愛い形の瓶がいっぱい並んでいたが、横文字の外国製の他に日本語の瓶や香合のような形のものがあり、その上に双美人の笑顔があったように思う。暮らしの中に入り込んでいた彼女たちを愛さずにはいられない。この先も資料展示は続くらしい。出来るだけがんばってもらいたい。
案内状が来るようだから、私も来れる限り来たい。

楽しい展覧会だった。

http://www.clubcosmetics.co.jp/event/index.html

四月後半の予定

いきなり色々予定変更が出てきました。

4/13.クラブコスメチック(中山太陽堂)の広告資料展―京都三条の旧今尾景年邸―旧毎日新聞社屋見学

4/15.神坂雪佳展―南翔饅頭店―ラウル・デュフィ展

4/16.白鶴美術館―香雪美術館―穎川美術館

4/22.目黒区美術館―東博―ブリヂストン

4/23.世田谷文学館―野間記念館―泉屋分館―大倉集古館

GWはなるべく遠出せず、関西のみに・・・あくまで予定。
わりと静かな明け暮れに・・・(なるはずがない)

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