飛行機の都合で予定の順序を変更して、まっすぐ上野に出た。
行くまでにモノレールの窓から富士山が見えたり、大好きな八重桜が満開だったりで、気分がだいぶ明るくなった。
東京へは飛行機で往来するのだが、ナーバスなので大きなストレスがあるのだ。
新幹線は新幹線で乗車時間に耐え切れない。
上野公園は八重桜やタンポポやスミレ、一重の山吹が咲いている。
わたしは今回東博の建物探検ツアーに参加するつもりだった。そのためにデジカメ購入を考えていたのだが、色々あって今回はパスした。
だから自分で勝手に建物を見て回ることにし、そのために時間も自分の手に戻ってきた。
新年度のぐるっとパスを会社の福祉共済のおかげで多少安く手に入れたのでニコニコだ。
しかしカリエール・リターンもせず、ナスカよこんにちはもせず、とにかく東博へ。
わたしは近代建築にしか興味が向かない。現代建築にはあまり関心がなく、戦前までがわたしの愛するところだ。古代建築は尊敬の念を持ちながらも、どうも敬して後ずさる・・・←どんなんや。
東博の細かな装飾を見て回る。大体装飾が大好きなのだ。アラベスクを見せる金型、モザイクタイル、大理石、柱頭の装飾などなど、そうしたものを興味深く眺める。
だから私の撮影はいきおい細部にこだわり、時として全体の撮影を忘れることもある。
カメラ・テクなどないし、記録として留めて置きたいので、そのためにもデジカメが必要なのだが、今回は見送るしかなかったのだ。
茶室の見える休憩場所。ここは特に大好きだ。一月に来たのは大雪の日で、茶室も何もかもがいちめん白く埋まり、なんとも美しい情景に出会えた。
今は春の姿である。
平成館とのつなぎ目の休憩場所からの建物の眺めも好ましいが、ここから裏庭の八重桜がよく見えて、嬉しくなる。わたしは八重桜が好きなのだ。
平成館では鬼瓦の展示や図面などがあった。
コンペの図面がたいへん興味深く、これだけ熱心に見たのは中央公会堂のそれ以来だった。
渡辺仁の仕事は面白い。
当時、帝冠様式をとらないとならなかった世相というのは嫌なものだが、ここや京都市美術館、名古屋市庁舎などはわたし的には好きなのである。
ところが帝冠様式の最たる九段会館については、今はだいぶなんともなくなったが、最初に見たときの異様な感覚は、忘れられないものだ。
偉容ではなく異様。怖かった。ナマナマしい実感として怖かった。
しかし私は宿泊した。そのときの怪異現象についてはここでは語らない。
たぶん私は拒絶されたのだ。そうとしか思えない。
話は戻り、鳥の鬼瓦がある。これは入口正面のものだろう。触る。ああ、焼き物。
なんだか愛しい。それから鬼の顔の鬼瓦や部分部分の瓦を見て回る。
こうした試みはこれからももっと続けてほしいと思う。
(問い合わせると、また行いますとのことで、ちょっと嬉しくなった)
今回わたしは「今日の東博」の展示物の一覧表を手にしている。いつも漫然と見て回っているのだが、今回は見るべきもののみ見て回ろうと、プリントアウトしたのだ。
だから回り方も順序良くということはしない。
そうすれば必ずわたしは思っても見なかったものに囚われてしまうので、今日は出口から入っていったのだ。
浮世絵。
春信の見立て絵が好きで色々見てきたが、業平の見立て絵は、遊女がかむろ二人をつれてどこぞへ出ようとしている。一人が達磨さんを持っているのでなにやら願掛けらしい。
山吹の里は、縄のれんから出てきた女が手に山吹を持っているが、着物がカキツバタ柄で、山吹よりもその方に季節を感じた。
湖龍斎の馬子はまだ若い衆で、これがなかなか男前なのである。短なキセルを手にしながら馬の口を引いているが、客の女も彼をじぃっとみつめている。
歌麿の、これは見立てではない玄宗皇帝と楊貴妃が仲良く笛を吹く図がある。初見。
北斎の「勝景雪月花」は三都の桜の風景が出ていたが、弟子の北馬のそれを松岡で見ている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-411.html英泉の対になった絵があるが、これは軸も凝っていて、下は桜の森のようである。
洲崎の芸妓と、船着場の、これはあれかな女中かおかみか、そんな絵があるが、間に一枚ありそうな気配である。物語を想像させるような作品だ。チョーンときねの音が聞こえてきそうな感じ。
広重の「諸国名所百景」は上方の風景が展示されていた。大谷本廟の眼鏡橋、東福寺、吉野、長谷寺の長い回廊までが桜の絵で、堺の松、天神祭の船渡御、天保山、布引の滝、それから少し離れて伊賀、二見ケ浦、名古屋の鯱の金ぴか、駿河の富士山。楽しいなあ。
窪俊満のポタニカルアート。群蝶画譜や花々の絵。これらはとてもきれいだった。
花鳥画も多くあるが、以前ロックフェラーコレクションで大量に見たことを思い出した。
布細工やかんざし類が並んでいる。
押絵細工小物は可愛くて、これはもしかすると京都で今も販売されているような感じのものが並んでいた。和雑貨。鼈甲の櫛・笄・簪の細工の細かさ。昔の職人の技能はすごい。
磁器へ移る。
わたしは色鍋島と高麗青磁が最愛である。曜変・油滴天目、それから乾山、道八。近代では彌弌。
陶器では鼠志野、黄瀬戸、ノンコウ。
面白いものを見た。
色絵龍文陶板つまりタイルだが、西本願寺の蔵に使われているものの兄弟らしいのだ。
わたしは伊東忠太のファンで、大谷探検隊のファンで、要するに大谷光瑞に関心があるため、宗派も違うが西本願寺にはしばしば通っていて、飛雲閣も拝見させてもらっているが、こんな素敵なタイルが張ってあるとは勿論知らなかった。なんだか嬉しいゾ。
見せてもらえるとは思えぬが、わくわくした。
おお、鍋島のタンポポ。同じく青海波に黒鶺鴒二羽。これは’98.三月に日本橋の三越で見た分だ。あの展覧会のよさは何年たっても忘れることはないと思う。
そのとき他にも新宿三越で宇野千代展を、深川で岡本文弥展を見ていたのだ。
なつかしい。懐かしくて思い出すと泣けてきそうだ。
そのときから色鍋島に本格的にハマッたのだ。
桜樹図があるが、これがまたすばらしい花盛りで、嬉しくなるくらいだ。
やっぱり学芸員さんはえらい。
ちゃんと季節を見計らってくれている。
道八のおたふくの香合があるが、これは以前クレマンソー・コレクションで見たのと同種だと思う。
京焼のいいのも出ているが、去年の暮れにここで開催された展覧会は本当によいものだった。青と緑で花を表現するのだから、考えればすごいことだ。
最後にひとつ。
東洋館で見たのだが、万暦で可愛い壷を見た。
五彩百鹿文だ。これはとてもかわいらしい。趣味の問題かもしれないが、楽しくなる図柄の壷だった。
他にも岩佐又兵衛や応挙をみたが、またいずれ。
二時間ばかりの楽しい東博逍遥だった。