美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

七月の予定

わたしも予定表を定期的に出すことにしました。
七月の予定。

*与謝野晶子文芸館 アルフォンス・ミュシャ館
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-537.html
*堺市博物館 『堺の町探訪 寺町の文化財』
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-538.html
*大阪府弥生文化館 『古代人の絵画』(同上)
*大阪ガスビル探訪
*INAXギャラリー 『レプリカ 真似るは学ぶ』
*上方浮世絵美術館
*ていぱーく 『切手・葉書原画でたどる日本美術』
*大倉集古館 『国宝『随身庭騎絵巻』と好漢の美術』
*三鷹市民ギャラリー 『高島野十郎』
*歌舞伎座観劇 前売り取れなかったので幕見になるが、無理かも・・・
*弥生美術館 竹久夢二美術館 『伊藤彦造』
*永青文庫 『小さい生きもの、身近な生きもの』
*東大阪市民美術ギャラリー 『貿易扇』
*大和文華館 『中国陶磁の名品』
*松伯美術館 『名都美術館名品』
*思文閣 『赤毛のアン』
*大阪市美術館 『プラド美術館展』
*京都工芸繊維大 『日本のポスター展』
*祇園祭
*天神祭
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映画・デスノート 感想

映画『デスノート』を見た

以下、ネタバレ注意。
(しかも原作を知る人にしかわからないような不親切さで申し訳ない)

わたしは基本的に原作至上主義である。
だからマンガを原作にしたドラマもアニメもまず見ない。
しかし『デスノート』はポスターやスチールを見た限りでは、「・・・よさそう」と感じたので、行くことにした。
役者のキャスティングもそう悪くはないように見えた。
なにしろ、美青年・夜神 月(やがみ・ライト)と可愛いLの頭脳対決もさることながら、やっぱり見栄えは大切だ。

ここでわたしはLを「可愛い」と表記したが、わたしも一緒に見に行った友人も、月よりもLの方のファンなのだ。
原作でのベストショットはLがおはぎを包み紙ごと食べて、んべっ とベロから吐き出す顔なのだ。可愛くて仕方ない。
だから藤原竜也の月はまあ順当にしても、Lが可愛くなくては話にならないのだ、わたしたちには。
この辺りは映像を見る限り妥協出来るラインだった。
Lの代理人ワタリの藤村俊二にしても、FBIのレイの細川茂樹にしても、原作と合致すると思う。

原作にないオリジナルキャラ詩織をどう扱うのかと不安だったが、バスジャック事件や、レイのフィアンセ・ナオミの動きが大きく変わるのに関る、という事前情報が入っていたので、興味深く眺めた。

以下、ネタバレ注意。

レイが月に振り回され地下鉄を回遊し続け、トランシーバーで会話するのは、マンガでならともかく映像になると、それがリアルな分、妙におかしかったが仕方ない。
ホームに下りたレイの死がやはり哀れだ。
ナオミが駆け寄る。結婚式の教会の資料がその場に落ちる。
月は地下鉄の中からその情景をみつめる。

ナオミは一人で捜査を続け、ついに月がキラだと確信するに到る。
映画を見ていてここで一瞬ひっくり返りそうになった。
「えっ ナオミ殺しに手間取る(本名を知ろうとして知りえず焦る)月ではないの?」
原作ではこの辺りヒヤヒヤしていたのでここでは違うのが残念だったが、映像ではまだるっこしいのかも、と納得したが、大学のキャンパスでナオミが現れて月に直接「あなたがキラでしょう!」と詰め寄るのには、「おいおい・・・」と思った。
しかしこれもまた映画の伏線だったのだ。

その前にLやリュークの話がしたい。
死神のリュークはCGキャラだが、よく出来ているし、なにより中村獅童の声がピッタリだ。(友人はガブを思い出したそうだが、わたしは歌舞伎での彼の院本物の演技を思い出している)
うーん、巧い。笑い声がちょっといやですが。

原作Lのファンとしては細かく書きたいところだが、この『デスノート・前編』はあくまでも月の動きがメインなので、Lの活躍はあまり見れない。スウィーツ好きのL、マンガではおいしそうで可愛かったが、生身の役者が延々とスウィーツを食べているのは、やはり不気味だ。
その意味では、夜神総一郎たち警察庁の面々の、Lへの不信感などが原作よりリアルに感じられる。
それでも電話の仕方・スプーンの持ち方・体勢・歩き方、などよくLの特徴を捉えていると思う。

Lの指示により月の家に監視カメラがつけられ24時間x7日の監視が始まる。無論夜神総一郎は腹立たしいが、鹿賀丈史の暑苦しさが脂じみた苛立ちを見せて、丁度良かった。
その一方で居眠るLに毛布をかけてあげる濃やかさもよかった。

原作どおり月は家の中で自分だけが食べるポテトチップスコンソメ味の袋の中にミニTVを設置し、そこでデスノートの切り端を入れて、監視カメラの死角をついて、堂々と凶悪犯を殺害する。

そのことで監視が解かれる。
解かれたとき、事件が起こる。
この辺りの流れは映像の特性が良く出ていた。

ナオミは過激な行動に出る。
美術館で詩織に銃を突きつけながら、月を呼び出させる。
この美術館にも地下鉄にもわたしは見覚えがなかったのだが、地下鉄は福岡の、美術館は栃木のだと後に知り、個人的に栃木美術館に行きたくなった。

月は駆けつける。
この一連の動きは監視カメラで追われている。
当然美術館内の監視カメラにも三人の姿は映っている。
しかしLは決定的な瞬間を見守ろうとして、総一郎たちの出動を控えさせる。
詩織に銃を突きつけながらナオミは月にキラだと告白させようとする。
しかし月はキラではないと言い続ける。
詩織の必死の表情。

やがて警察の進入が始まったとき、詩織は隙をついてナオミの手を離れ月に駆け寄るが、月を守ろうと身を晒したとき、威嚇射撃の銃弾を身に受ける。
斃れる詩織。
殺すつもりなど毛頭なかったナオミはショックの為か、その銃をこめかみに当てる。
二人の女の死。

悲劇的な情景の中、月がどう動くのかハラハラしていたので、純愛の悲劇になったのか・・・と思ったら、とんでもないどんでん返しがあった。

うずくまる月とリュークの会話。
ナオミの計画と一連の動きは全て、月がデスノートに書いたとおりの行動に過ぎず、月の予定に入っていたこと。
詩織の死もまた月がデスノートの別ページにその状況を書いていて、予測されていたこと。
絶句し、「おまえの方が死神だな」と月に答える死神リューク。

これらのことは、捜査本部に入るための月の計画だったという設定にひっくり返りそうになった。
いや、正直わたしのアタマが足らんせいか、考えていなかったのだ。
悪い奴だなー、月。
目的の為には手段を選ばない。
うーん、面白かった。

そしてラストシーン、この場に現れ月の捜査本部参入を「歓迎」するL。
手には月しか食べないコンソメ味のポテトチップスがある。
対峙する二人。


ああ、面白かった。
中だるみもなく、巧いまとめ方と自然な映像の流れと。
音楽も良かった。
後編は11月に始まるというが、どこまでを映画化するのだろう。Lの死までか。
月の絶頂までか。

高田の出てくる辺りの話、大好きだがそこまでを2時間半ではまとめきれないだろうから、やっぱりLの死までかな。
後編にはミサミサの乱入もあるだろうし。
どちらにしろ、月とLの対決が楽しみで仕方がない。

わたしはこの映画は推します。
スタッフもキャスティングも良かったし、原作の良さに寄りかからなかっただけでもえらい。
某ファンタジー小説の映画化にもこれくらいの気概があればよいのだが。
ところで、わたしもポテトチップスはコンソメ味しか食べません。どうでもいいけれど。

祈りの名画 香雪美術館所蔵

御影には優れた美術館がいくつかある。
そのうちの一つ、香雪美術館では7/17まで『祈りの名画』展を開催している。
重文を中心に、と言うことなのだが、そのラインナップがすばらしい。
今それを挙げようとして、その前にサイトを開くといきなりグリーンスリーブスが流れ出したのには、ちょっと驚いた。古美術がメイン(しかも東洋の)の美術館のサイトに面白い合わせ方だと思う。

主な出品
仏画
毘沙門天像 (重文)
稚児大師像 (重文)
二河白道図 (重文)
帰来迎図
春日鹿曼荼羅

絵巻
法華経絵巻 (重文) 巻き替えあり
稚児観音絵巻 (重文) 巻き替えあり

絵画
梁楷筆 踊布袋図 (重文)
因陀羅筆 維摩居士図


主なところでこれだから、後は推して知るべしという感じ。
で、実際に行くとこれがすごかった。

この美術館で大変に人気のあるのが『稚児大師像』だが、久しぶりに目の当たりにするとやはりとても愛らしい。オレンジに花柄の着物、パツンパツンのオカッパに涼やかな眼差し、ふっくら唇。真魚ちゃ??ん♪ と呼びかけたいくらい可愛いのだ。
ごらんくだされ、こんな感じです。
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今回展示換えの都合で、私が来たときには仕舞われていた聖徳太子十六才像は以前から見知っていたので、まあ惜しいわネくらいの気持ちだが、なんだか今日は美少年に縁のある日みたい。

『稚児観音縁起絵巻』 蜂須賀家旧蔵。これは以前から物語の概要は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。松田修の『華文字の死想』から初めて知ったと思う。
要は長谷寺近辺の老僧が、世話する稚児に巡り合えますようにと願をかけ、満願の日に笛を吹く稚児を見出し、これを連れ帰り明け暮れ楽しく暮らすのだが、たった三年後に稚児は病死する。遺言どおり五七日目(三十五日目)に棺を開けると、そこには十一面観音がおわした。
僧に七年後に迎えに行くと仏は約束されて天へ上ってゆく。
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稚児物語のパターンをちゃんと踏んでいる。美少年の命ははかなく消え果てるのだ。

詞書を書き写す。
『・・・十三、四許なる少人の、月のかんばせ花の粧、まことにいつくしく、紫の小袖に白練貫を折り重ねて、朽葉染めの袴の優なるに、漢竹の横笛心凄く吹き鳴らし、丈なる簪、元結押し滑らかして、頃は八月十八日の曙方に、露にしほたれたる気色に見えて、春の柳の風に乱れたるよりも猶たをやかに見給へり。』

なるほどなかなか綺麗です。稚児は必ず笛を吹く。
僧も稚児も名はわからないが、稚児は自分は東大寺にいたが厭になって出てきたからあなたのところへ行くという。エエンカイナ、イージーヤナァ。
老僧はどこから呼んだかまた別な稚児にも楽器弾かせ、そのセッションを楽しんだりしている。
やがて三年後の春の暮れ、少年はいよいよ・・・。

『上人の膝を枕にし、手に手を取り組み顔に顔を合わせて、互いに別れを惜しみ給いけるに遺言、・・・ 実に哀れに覚え。』

中世の稚児の物語、わたしはとても好きです。
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『二河白道図』 四天王寺に庭園がある。その庭園は二河白道を模している。極楽に至る道はあくまでも細い。私は何も考えずズカズカと歩いてしまった。
さて、この絵は火と水とを描いているが、どちらも実はラッキーではないのだ。
絵はだいぶ汚れて、と言うか褪色してしまい、わかりにくくなっている。
それで各シーンを拡大&解説したものが壁にパネル展示されている。
おお、九相詩絵もびっくりの様相がそこにある。
江戸時代の地獄とはまた異なる、中世の地獄。重いのは中世。
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同じ室町時代の『阿弥陀来迎図』と『帰来迎図』がある。
お迎えに来て・連れて行く。
シャンカシャンカ楽団つきのご登場に、帰りは赤鬼・青鬼のお見送りつき。
来迎図は左から右へ来る。剣の護法童子と同じ方向。
しかし帰来迎図は当然逆。振り向きもせずに極楽一直線。仏たちの後姿なんて、初めて見たわ。

弁天と15童子の絵がある。こないだ京博で竹生島弁天図を見たが、これは地域は特定されていない。しかし少年たちを引き連れている。少年たちの名前が面白い。
いや、要するに弁天さんは現世ご利益の神仏なので、少年たちもそれらしい名前なのよ。
・印鑰・官帯・筆硯・金財・稲籾・斗舛・飯櫃・衣裳・蚕養・酒泉・愛敬・生命・従者・牛馬・船車・・・往生要集かぁ・・・

日本では弁天さんの信仰が華やかになった半面、気の毒に吉祥天は忘れられてしまった。
奈良時代までが吉祥天信仰のピークだったらしい。
中世以降は流行らなかったそうな。だからか、唐美人のような装いの絵をよく見る。

『春日鹿曼荼羅』 こんな鹿、初めて見た。
垂迹と神仏習合による春日の信仰。しかしこの鹿はなんだろう。アーモンド形の目をしている。
びっくりした。

鎌倉時代の『絵因果経』があった。
奈良のは古・絵因果経、こちらは新・絵因果経と言うそうだ。
刀も奈良は古刀、鎌倉のを新刀と分けていたな。江戸のは新新刀。
絵因果経、バークコレクションでも見たなぁ。
絵因果経はジャータカ譚です。だから奇蹟がいっぱい。
小鳥に囲まれている釈迦の前世のいつかの姿。五百青雀と書いてある。
アッシジの聖フランチェスコも鳥に囲まれていた。
偉大な宗教者は言葉の通じぬ鳥にも信頼され敬愛されるそうな。

大体が室町時代の作品がメインを占めていた。面白い展覧会だった。
美少年図もいっぱい見れたので、ニコニコでした。

兵庫県美の常設を見る

中山岩太の作品を最初に見たのは'90だから随分前になる。
『上海から来た女』
丁度戦前から戦中の上海に熱中していた頃なので、その写真にどうしようもなく惹かれた。
基本的にわたしは『近代』が好きだ。
少し昔の何かにひどく憧れる。
だから、写真の話で言えば関西では中山、関東では福原・太田黒らの写真芸術の時代に焦がれるのだ。

兵庫県立美術館には中山の作品がたくさん残されている。
芦屋美術博物館にも多く残る。
中山は大丸でスタジオも開いていたので、大大阪の時代を、モダンムーブメントの中を生きていたのだ。

面白い作品がある。
『福助足袋』 誰もが知るあの福助がちいちゃく写っている。白い背景の中に。
なんだろう、と離れればなにかの輪郭線が見える。そう、足袋の中に福助がちいちゃく座っている。
コンポジションより、こうした作品にエスプリやセンスを感じる。

'34頃の神戸風景を集めたシリーズがある。
神戸は'45の大空襲と'95の阪神大震災で相当な痛手を蒙り、二度の壊滅状態から復興している。
これはその以前の、モダンな神戸風景。

海岸通には商船三井ビルディングが建ち、三宮のビルには『祝 漢口陥落』の垂れ幕が下がり、六甲ゴルフ場では機嫌のよい姿が見える。
須磨の・・・これはどこかのホテルか別荘か、島田の令嬢が海を眺めている。海には帆を立てた船が多く見える。

須磨の別荘と言えばわたしはすぐに横溝正史の『悪魔が来たりて笛を吹く』を思い出す。
華族の別荘が須磨にあり、日々園遊会を行い、笑いさざめく姿を。そんな時代の一つの風景。

異国寺と呼ばれる本願寺別院が見える。タイやビルマ辺りの建築に似た寺。伊東忠太ではないのだが、彼が建てていてもおかしくない形。
今もこの建物は花隈にある。花隈の村上華岳の生家の跡も今では見えない。

居留地、オリバー・エバンズ商会、大丸前の夜景、活動写真館の並ぶ新開地、おしゃれなトアロード、そして船は行く。

わたしも少し酔ったような心持ちになる。

***

川西英のカラフルな木版画も併設されていた。
こちらは'31の神戸風景。十二ヶ月の移ろい。

三月『福原春宵』 春を娯しむというわけか、嫖客と女たちの交わす囁きまでこちらに伝わるようだ。
一人の女がこちらを見ている。わたしと目が合ったような気がする。

四月『須磨桜花』 ボートもあり提灯も出て花見の賑わいがにじむ。これは翌月の『大倉山新緑』でもそうで、犬もワンワン楽しそうだ。
やはり遊楽を描くものが好きだ。

六月『波止場初夏』には水夫、ターバンを巻いたインド人、人力車に乗る女たち、様々な人種が湧いている。

七月『湊川公園薫風』 大楠公を祀る湊川神社の前の公園ではお昼間だが花火がどーんどーんと打ち上げられている。
思えばこの年はリットン調査団が来たのだった。大阪の綿業会館に逗留して・・・
ややこしい時代に入りつつも、それでもこうして人々は何かしら愉しんでいる。

八月『天神浜海水浴』 神戸の海水浴と言えば須磨海岸しか知らない。ここはどこなのか。

九月『諏訪山満月』 本当にぽっかり満月が浮かんでいる。たくさんの人々が見ている。
この月を見ると小学校唱歌を思い出す。
♪空も港も夜はふけて いつか数増す船の影 ・・・・・・

十月『布引紅葉』 滝とモミジのコラボレーションは一体いつからだろう。古画を見ても近世画を見ても浮世絵を見ても・・・いつもこのつながりがある。
見に来ているのは水兵さんたちや、行楽客、色々。

川西英の木版画は線描の美というものではなく、その色彩が命だと思う。
大正以降の自刻自摺の版画運動の中で、棟方志功と同様に、川西英も日本の版画の伝統の枠から抜け出したのがよくわかる。
わたしはそれら全ての「後の時代」に生きているので、繊細巧緻極める彫りも・作り手の個性が露わな彫りも、どちらも愛している。


***

日本画に面白いものと、なるほどなものとを見た。
まずはなるほど納得のほうから。

橋本関雪の『峡江の六月』 中国に親しい関雪らしい、大きな作品。川を行くのはジャンク船。水の流れは滔々と。
こういう絵を見ると、「漂泊の思いやまず」になってくる。

そして「え゛っ・・・」なのが尾竹竹坡の『南島風物』 こんなに牧歌的な線を・色を、この画家が選ぶとは思わなかった。
南の島だからか?桃林を背にした人、二頭の馬が仲良しさんしている。きょとんと可愛い。
レゴで作れそうな絵だった。尾竹兄弟と言えば歴史に材をとる物語的な絵を思い出すので、意外も意外な・・・
でも、とても可愛かった。

樫野南陽 『てらし』 タイトルの意味がわからない。女郎屋の店先か、格子の向うの女たち。みんなお茶をひいているのか。
お客はまだか。冷やかしも来ないのか。・・・


兵庫県立美術館はたどり着くのに気合が必要なので、来た限りはとことんまで楽しみたいと思っている。
他にも小磯良平と金山平三の常設室があり、それから伊藤ハムから寄贈されたすばらしい洋画コレクションもある。
元からの所蔵品とどれがそれか忘れるほど、なじんでいる。

林武の日焼けしている裸婦や、岡田三郎助の『萩』、和田三造の壁画原画は印度の泉、小出楢重のパジャマの女など。

当分は予定がないので残念なような・ホッとするような気分で巨大な建物を出た。
海側から山側へ向かってわたしは歩かねばならない。
とりあえず。

陳進と同時代の美人画

陳進は清方門なので同門だけでなく、同時代の美人画の展示もある。
以前から知る絵が割りと多く出ている。

澤宏靭 『牟始風呂』 大海人皇子(後の天武天皇)が壬申の乱で傷んだ身体を八瀬の釜風呂で治した故事がある。矢背から八瀬へというわけだ。そしてこれは湯風呂ではなく蒸し風呂。サウナの本場・北欧でもそうだが、古代は何故か蒸し風呂が主流だったようだ。
ただし、温泉は別。天武天皇の兄・天智天皇が有馬皇子に死を賜ったが、皇子は白浜に保養に行ったりしている。戦国時代から江戸初期も蒸し風呂がメイン。湯女の絵を見ると納得する。
ここでは母と子が蒸し風呂に入っている。ただし昭和初期の日本の状況。

菊池隆志 『室内』 菊池契月の息子、つまり『少女』を妻にした画家の絵なのだ。モダンガールの暮らし。レコードは何の音楽だろうか。それより、もしかしてこの女性、父上の描かれた『少女』なのではないかしら・・・?

森守明 『搗麦』 この画家は知らない。京都市美術館蔵だというが、まだ見てへんよ。朝鮮風俗の女の人たちが麦を杵でつく。土田麦僊が朝鮮美人を描いていたことを思い出す。なにかしらブームがあるのかもしれない。

磯田又一郎 『夏座敷』 瓢柄の襖は、夏向けに張り替えたのやと思う。そこへ今しも、青と白の大縞柄のべべ着た少女がガラス鉢に葡萄盛ったのを運んできた。この家の娘と言うより、働く子なのかもしれない。

北沢映月 『祇園会』 ああ、祇園祭やわーという感慨が起こる作品だ。女の子が山鉾の(今で言うたら)フィギュアで遊んでいる。なんでしょうね、なんか知らんけど、わくわくしますねん。―――そんな感じ。

北野恒富 『いとさんこいさん』 大阪の旧家では姉がいとさん・妹がこいさん、お嬢さんを総じてとうさん、と呼んだ。船場だけの言葉ではない。
今ではもう使われないが、歌謡曲にも使われてるので知る人も多かろう。ここの姉妹はなにが嬉しいんか、にやーと笑っている。天神祭が近いのか、それとも好いたらしい人のこと話しているのか。

寺島紫明 『九月』 芸者さんでも海水浴に行くよ。でもなんぼ白塗りや言うてもこんなけ焼けてたら・・・白く塗れますか。
わたしはこの絵を見る度に上村一夫の名作『凍鶴』を思い出す。赤坂の名妓つるが海水浴に行く話を。
見ていたご年配のお客さんが話し合っていた。
「イヤー懐かしい下着やわー」「やーホンマや、芸者やのーてもこんなんやったわねー」

橋本明治 『蓮を聴く』 蓮は咲くときポンッと音を立てるそうだが、未だに聞いたことがない。早朝観蓮会に出かけてもこれだ。二人の女がそれぞれいすに凭れたりのびたりして、寛ぎながら音を聞いている。
まだ明治らしい線の太さは出ていない頃の作品。

伊藤小坡 『母と子(十三詣の装ひ)』 嵐山の寺に女の子は十三詣りをする風習がある。この絵のように綺麗な晴れ着を着て。そして橋を渡る。そのとき決して振り向いてはならぬそうだ。
ところが何の弾みかうちの母は振り向いてしまった。
女の子の最初のイニシエーション。重要な儀式。晴れ着も着たのに。
「それで不幸やねん」目を見開いて、声を潜めて囁く母が、いまだに怖い。
わたしは自分も振り向くのではないかと思うと怖くて、とうとう十三詣りも十九の厄落としもなんにもしなかった。

中村大三郎 『読書』 賢そうな顔で本を読んでいる。人は読書のとき、賢そうな顔に見えるものだと思う。

鏑木清方 『明鏡』 初見。綺麗な娘が嬉しそうに楽しそうにお化粧している。デートに行くのかもしれない。
あんまり固いことは言わない。行ってらっしゃい、お早うお帰り。

鏑木清方 『慶喜恭順』 清方は美人画の大家ではあるが、肖像画にも名品を残している。有名なのは三遊亭円朝と、この最後の将軍・徳川慶喜の肖像だ。
静かな人ではあるが、江戸っ子の心がそれを描かせたような気がしてならない。

松林桂月 『愛吾廬図』 古の中国の文人かと思うが、勉強不足でこの話の元ネタを知らない。しかしこの松林が陳進に日本画家への道を最初に開いた人なのだ。作品よりそのことのほうに関心がゆく。

山川秀峰 『序の舞』 序の舞といえばすぐに松園のそれを思い出すが、わたしはこの秀峰の若い少年めいた舞もたいへん好きだ。長らくこの舞い手を少年だと信じていた。今も少女なのか少年なのかわからない。
きれいだ。純然たる美人画を描く、と言う点では深水や紫明より、秀峰の方が師匠に親いのかもしれない。

結城素明 『炭窯』 働く姿。素明は清方とは金鈴社という結社を作る僚友だった。彼もまた陳進の道を開いた人だった。
上村松園 『晩秋』 戦時中、美人画を描くことが許されなかった頃、松園は母の日常の姿を絵にしたそうだ。
例えばこれは、破れた障子に花形に切った紙を張って補修する姿だ。
静かで、いつ見てもいい作品だと思う。

柿内青葉 『十六の春』 清方の女弟子で、内弟子だったそうだ。桃の木をバックにして立つ振袖姿は、記念撮影のようで綺麗だと思った。

柿内青葉 『月見草咲く庭』 月見草といえばすぐに太宰を思い出す。宵待草は夢二。
日本の花は慎ましく、美しい。

柿内青葉 『嫁ぐ人』 洋髪に和服の女が鏡台前に座る女の髪を梳いている。島田なのか。彼女が嫁ぐ人なのだろう。鏡台には姉様人形が置かれている。姉妹、かもしれない。

梶原緋佐子 『唄へる女』『矢場』 緋佐子は若い頃はこうした底辺のリアリズムを描くことを好んだ。こうした傾向は関西に多いように思われる。リアリズムがときにエグみを出しすぎて、批判を買う。・・・わたしもやはり、もう少し小奇麗な女が見ていたい。

木谷千種 『浄瑠璃船』 最近この絵がわりとよく展示されるようになった。遊楽のネタはなんぼでもある、という関西の風土がよく表れている。船で語るのは「梅川忠兵衛」だ。積んである本は他に政岡だった。別な船が来る。マクワ瓜が積んである。おいしそうやわ。

島成園 『祭のよそおい』 三つの身分。エエ氏、普通の子、貧しい子。大阪には夏祭りが多い。もうすぐ本当に大阪の夏祭りが始まる。楽しい祭りも着物ひとつでこんな惨めな気持ちになってしまう。せつないなあ。

三谷十糸子 『朝』 茣蓙を広げたところにうさぎのファミリーがいる。女の子が飼い主なのか。うさぎ、たくさんいてる。
昭和初期頃のうさぎは、平成の現在同様ペットだったのだろうか、それとも・・・・・・

野田九浦 『朝鮮風俗』 さきほどの『搗麦』同様、昭和初期には朝鮮風俗がブームだったのだ。政治的・歴史的な背景についてはここでは語らない。

野田九浦 『台北の美姐』 女優のような感じ。モダニズムの美人。履いているサンダルがまた綺麗。そういえば、台北の歴史博物館で、靴の展覧会も見たな、わたし。

広島晃甫 『青衣の女』 チャイナドレスに手にざくろ。多分この時代のイケてるおねえさん。しかしタイトルだけ見れば東大寺のお水取りの『青衣の女人』を思い出すのでした。

不二木阿古 『夏の日』 初見。これも京都市美術館蔵。いったいどれほどの作品をあそこはまだ隠しているのだろう。これは人力車に乗り込む二人のチャイナドレスのおねえさんたちだ。北京か上海か台北かはわからない。

三宅凰白 『花旦』 真っ白な衣裳に身を包んだ京劇の役者。背景も夢幻的な白い輝きに満ちている。初見。またも京都市美術館蔵。タイトルは京劇の役職名なのだが、英訳にguise of younglady とあるのが巧い。
そう、女形だから、この英訳にピッタリなのだ。梅蘭芳が来日した頃だろうか。

三宅凰白 『暮笛』 ロバに乗り笛を吹くチャイナドレスの女の人。ロバに乗り笛を吹くのは、老子の昔からのお約束らしい。

山口蓬春 『南嶋薄暮』 これはジャワ?蘭印?そんな感じ。南方へ日本の視線が走っていた頃か。

北野恒富 『宝恵籠』 ホエカゴという。大阪の夏祭りの巻頭・愛染さんのお祭りに籠が出る。それに乗るのは南地の芸者さんだ。何年か前、卓球の愛ちゃんが浴衣を着て乗っていた。威勢よく宝恵籠が掛け声と共にゆく。
東京ステーションギャラリーなどでの回顧展では、この作品がチラシだった。

中村大三郎 『女人像』 何を言うか、と言われるだろうが、この女の人に深い親しみを懐いている。彼女は一重瞼だがこれが二重ならますます・・・・・・・・・

中村貞以 『芸能譜』 舞姿を見るのは楽しみからか、お浚いなのか。舞う少女も、その師匠らしい女の人も真剣な眼差しだ。わたしには出来そうにない。

中村貞以 『夏趣二題』 二曲一隻で、右は三味線を引く女。左はその前で曲も聞かんとシネマ雑誌かなにかを熱心に読む女。皆、それぞれ楽しみましょう。

中村貞以 『歌かるた』 銘仙らしいのを着た少女がいる。前髪はパツンパツン。でもおかっぱさん。可愛い。誰とカルタしてるのだろう。ちょっと叙情画のようにも見える。


陳進の展覧会だけでも十分満足したところへ、このすごい内容はご褒美なのだろうか。めっちゃ嬉しい展覧会だった。

陳進 台湾の日本画家

既に松涛美術館で開催されていた台湾の日本画家・陳進の展覧会へ行く。
清方門の一員と言うからには、当然ながら美人画を主に描く人だと言うことで、随分ワクワクしながら待っていた。
松涛で見てもよかったのだが、地元に来るのを待つのもいいものだ。
待った甲斐があった。
松涛の展覧会を見た人が、うちにある『菊花図』は陳進のものだと名乗り出てこられ、それがこの兵庫県立美術館に来たのだ。(ラッキー♪)
その絵はいかにも日本らしい菊の群れで、杉の板戸に欲しいような作品だった。
制作年はいつかはわからぬが、この作品一つを以ってしても、陳進がいかに深く日本画の技能を身につけていたかがうかがえるようだった。

2001年7月、わたしは社内旅行で台湾に行き、自由行動の間に国立歴史博物館に行った。丁度『メソポタミア文明展』が日本から台湾へ巡回したところで、多くの人が特別展に行列しているのを横目に、常設展示室に入っていった。
そのとき、台湾出身で目黒に在住していた何 徳来という洋画家の回顧展も見た。
昔の台湾と日本との関係の深さを思わせるな、と機嫌よく見て回っていたが、今回の陳進の回顧展で、彼だけでなくこうした日本画家もいたことを知った。詳しく調べれば他にも大勢いるだろう。

清方には大勢のお弟子さんがいた。
直弟子でなくとも十二分にそのエッセンスは受けている。
今回チラシになった『合奏』は笛と月琴の奏楽だが、チャイナドレスを着たモダンな少姐たちで、螺鈿のベンチに座っている。螺鈿の描写も細かく、夜光貝が輝く様まで見て取れる。

巧いと思ったのは、『爆音』である。
二人の女と少女とが一斉に左上をみつめる。ただそれだけ。
多分、飛行機を見ているのだろう。絵に無駄な説明は何もない。しかし彼女たちの見る視線の先を、わたしたちも見てしまう。するとそこに『爆音』轟かせる何かがあるのだ。

前田青邨に『観画』という作品がある。
彼にしては珍しく、チャイナドレスのご婦人方の群像図である。これは満州の貴婦人方なのであるが、その前哨戦のような作品が陳進にある。
『婦女図』 チャイナドレスのご婦人方が歩く。
歩いた先には何かの展覧会があるのかも知れず、そこでは青邨ゑがくになるのかもしれない。

台湾は日本より温度・湿度の高い地である。
植物相も無論、異なる。
陳進が好んだからか、それとも手元にすぐに現れるからか、蘭の絵が随分多い。
白蘭、胡蝶蘭、カトレア、春蘭などなど。英語の表記では全て”Orchid”なので特徴がないのだが、陳進はどの花もそれぞれの特性を絵に顕している。
蘭だけではない。睡蓮、サボテン、珍しくも生姜の花も描いている。
紫の睡蓮の咲く池には小さな赤い金魚も泳いでいた。夏らしい、気持ちの良い絵。
サボテンは丁度花盛りらしく、鋭い花弁を四方に投げ出している。
そして白い生姜の花。実物を知らぬのでなんとも言えぬが、この生姜の花は白くて綺麗だった。
生姜の花など考えたこともなかった。

花だけではなく、葡萄が二枚出ていた。
どちらも南画風の描き様である。墨のかすれた部分が葡萄の葉なのか。闊達ささえ感じた。
しかし総じて上品な美人画が多いように思う。

風景画も多いか。
『仙公廟』 中国系の神様をお祀りする寺だと言うが、公園に見える。それも横浜の港の見える丘公園。
頂上へ行く為の階段。上がる女たちの白いパラソル。ああ、なんだかいい気持ち。遊びに行きたい。

『富士山・芦ノ湖・箱根』と『阿里山』 日本と台湾、それぞれの心の山。
『ルイジアナ風景』『ニューオーリンズ』『シアトル』 
シアトルは霞むような山が湾の向こうに見えた。

展示で一つ面白いものがあった。
『華厳の滝』と『神域』とを独立した一つのガラスケースに並べていたのだ。
意図的な作業だろう。こちらの『神域』は中華系の神様かと思うがよくわからない。

一枚だけ筆遣いの異なる作品があった。
『赤ちゃん』 (とはいえ幼児くらいに成長している)和室なのか、襖は扇面柄(ナゼかyokogawa electricと書かれている)だが、散らばる絵本は中国語のようだった。人形やオモチャで遊ぶ幼な子はまるでちひろの描く幼女のように見えた。丁度その年、陳進は初めての子どもを生んでいる。
お母さんのあたたかさは世界共通なのだった。

『夜富士』は面白い作品だった。
富士を正面に据え、その裾野に市街地が広がりネオンサインが輝いている。林 武と池田遙邨の中間のような、風景。


晩年まで旺盛な活動を続けられたようで、特に’90年代の女性たちは豊かに美しいと思った。
厭な処のちっともない作品展を見れて大変に嬉しい。

陳進と関わりの深い日本画家の作品も他に展示されているので、こちらはまた後日挙げたいと思う。

『大大阪の時代』を見る

大正から昭和初期まで大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれ、『大大阪』と称されていた。
世界一の御堂筋も開通し、商工業は天井知らずの好景気、関東大震災の余波で大阪に文士や画家も逃げてきていたので凄い活気だったようだ。
(今現在どうにもならないのがうそのようだ)
その頃の古写真のパネル展示をO-CATまで見に行く。
第三セクターのことについては今更何を言うことも出来ない。
繁栄がないからこそ栄光の時代を懐かしむのかもしれない。
わたしがそこへ向かうのは三度目だ。三年ぶりくらい。友人らと歩いていると、(大阪は地下が大変発達している)なんばウォークのその界隈に陶板製の名画の複製が飾られている。
シカゴ美術館の印象派を中心にした複製絵画は、二年前から展示されていたようだ。

知らなかった。
こちらは御堂筋の西側なので、あまり縁がないのだ。そういえば心斎橋の方のクリスタ長堀(こちらも第三セクターである)の東側には浪花百景の陶板複製がずらーーーっと並んでいたな。
徳島の大塚国際美術館や京都府立植物園の陶板名画の庭に行かれた方ならどういう状況か想像がつくと思う。

さてそこを行過ぎて、O-CATへつくと、大大阪の時代を・その繁栄を写した古写真がたくさんパネル展示されていた。
三人連れのわたしたちは近代建築探訪から仲良くなっただけに、こういうものを見るのが好きだ。
今ではカタカナでヘリテージングと称される『文化遺産の観光』それが以前からのシュミでもあるが、近代建築遺産の保護運動にも多少関わってきたので、こうしたことが啓蒙活動となり、近代建築の保護になれば良いと切実に願ったりしている。

展示されていたのは、わたしの持つ絵葉書類の元ネタなどが多かった。ちょっと喜ぶ。
その一部をここに公開する。

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うーん、賑やか。これは今も昔も変わらないのかもしれない。形が変わろうと服装が変化しようと。

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これは橋桁の形がきれいだ。今はもう名残もないが。

やはりこういうものを見るのが好きだと思う。
次もしてくれたらまたここへ来るよ、O-CAT。

線を探して

京都市立美術館は以前、常設展示の出来ない状況だった。
それがいつからかコンセプトをたてて、死蔵していた、それこそ誰も知らないような作品を並べてくれるようになった。
全くありがたい。
『線を探しに』
このタイトルで・このコンセプトで所蔵品がピックアップされ、会場に並んでいる。

わたしは基本的に近代が好きだ。
戦前までの作品に好きなものが多い。
戦後も思想の転換期を迎える以前までの日本画・洋画・版画・工芸・建築などを好んでいる。

『線を探して』
近代から現代までのアートの中で。

西村翠嶂の優雅な女たち。この絵を見るのは二度目だが、今度一度こうしたコンセプトでの展覧会を開催してほしい。
仙女・羅浮仙から官女まで
こんな感じ。
手に手に篳篥や鉦や笙などを持ち演奏しながら歩む女たち。彼女らを待つ女もいる。『広寒宮』
明治の日本画。

『呉服漢織之図』 これは池田の呉服(ゴフクではなくクレハ)という地に住まう機織姉妹の物語絵だが、上古の姉妹は美しく微笑みながら働いている。幸野楳嶺、やはり明治らしい明治の日本画。

『観画』 タイトルだけなら前田青邨のチャイナ服のご婦人方の一群を思い出すが、これは中世の貴人の少年たちを描いている。
公卿か武家かはわからないし、兄弟なのか友人なのかもわからない。二人が見入っているのは合戦絵巻だ。
端正な少年たち。
わたしは彼らを勝手に安王・春王と呼ぶことにした。
「結城の合戦」で命を落とした二人の少年。
わたしの心の中にイメージが広がる・・・
菊池契月は臈たけた婦人やさわやかな少女もよいけれど、こうした美少年は他の追随を許さない。
『敦盛』に並ぶ美少年の『観画』
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中国文学や故事に詳しい橋本関雪が描く『長恨歌』
5シーンからなる物語。
華清池に始まり皇帝が偲ぶ情景まで。
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数年前、国立劇場で大仏次郎原作の『楊貴妃』を観劇した。
福助が楊貴妃、現・三津五郎が高力士、九世三津五郎が玄宗皇帝というキャスティングだった。
わたしは三津五郎と福助のカプリングが好きだ。
『お艶殺し』『狐狸狐狸話』そしてこの『楊貴妃』全て新作だが、この二人の演ずる”どうにもならない”関係が好きで仕方ないのだ。
時々思うことがある。
わたしの偏愛する映画『浮雲』を舞台化するなら、三津五郎と福助で見てみたいと。森雅之と高峰秀子とはまた一味違う、しかしながらやはり、どうにもならない二人になるだろう。
話がずれた。

梥本一洋マツモトイチヨウの『鵺』 三人の上臈が小舟に乗る。
これは黒田清輝の『智・感・情』同様、観念を女性のカタチで表したものだ。
女たちは打ち伏せている。理由はわからない。謡曲から取材したものだが、何を意味するのか。
鵺は虎と猿と蛇のキメラである。メタファなのか、それとも・・・・・・・・・

伊藤快彦『大奥女中』 これは初見なのだが、見たことがあるように思った。ああわかった。二月の『美の遺産』でみた武二の大奥の女に似ていたのだ。おすべらかしの官女。洋画家と言うより油絵師の絵と言う方が合う。

千種掃雲『蓮池』 以前から好きな作品。これは働く母と幼児の絵だが、この蓮池を見るとチェン・カイコーの『花の影 風月』を思い出す。クリストファー・ドイルの独特の美意識に支えられた映像。蓮池を行く舟。
アジサイと蓮と羊歯があれば、わたしはその庭に暮らすよ、椿の時期まで。

他にもいい絵が沢山あったが、書ききると、本が欲しいなーと思うのでやめにする。
またそういうのに限って本に掲載されていないのだ。ザンネン。
いい物を沢山見たので機嫌よく美術館を後にした。

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初夏の日本画

京都国立近代美術館の日本画。

ラインナップを見る。知らぬ絵の方が多いかもしれない。

猪原 大華 水
猪原 大華 鯉
猪原 大華 池と材木
金田 和郎 水蜜桃
金田 和郎 葡萄図
川端 龍子 佳人好在
林 司馬 猫
林 司馬 七夕
宇田 荻邨 夕涼
宇田 荻邨 水神貴船奥宮
梶原 緋佐子 「残波岬」下図
梶原 緋佐子 残波岬
三谷 十糸子 鱒
三谷 十糸子 蓮

初夏を彩る日本画。別にそんなタイトルはついていないが、わたしが勝手につけた。

龍子の『佳人好在』 以前からとても好きな作品だ。
わたしは近代洋風建築が好きなのだが、豊かな日本家屋にも愛がある。
すばらしい座敷、庭、お料理。ときめくなあ。
こういう贅沢が本当の贅沢なのだ。
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金田和郎という画家は知らない。
『水蜜桃』1918 第1回国画創作協会展に出たとある。桃はまだ硬い。まだ青いのだ。
しかし『葡萄図』の葡萄はたわわに実っている。群青色の皮の色。大きな粒。とてもおいしそうだ。
そしてこの葡萄は殆ど地に着かんばかりに零れ実っている。
地を見る。地と同化するように一匹の狐が寝そべっている。気持ちよさそうに。
この狐はイソップ寓話に出演しなかったのだろう。
「あの葡萄は酸っぱかったんだ」
そんな負け惜しみを言わずに済んだらしい。

司馬の『七夕』は二人の舞妓が笹に短冊をつけている。
わたしは今も毎年七夕を飾っている。ただしこのように短冊を沢山つけると言うのではなく、折り紙をチョキチョキして燈篭や投網やワッカやスイカ・きゅうり・ナスなどを拵える。
面倒なのだが、毎年続けていることをやめることの方が厭だ。
短冊には願い事を書くのだが、案外書くことがない。だからよけいに細工物を飾るのだと思う。

緋佐子の残波岬は、琉球美人の図である。下絵も並んでいる。変容は少ない。
物思う美人。このひとは「安里屋ユンタ」を歌うかもしれない。そんなイメージがある。

荻邨の『水神貴船奥宮』 荻邨は洛中より洛外を好んだようなきがしてならない。
淀の水車や貴船の絵が多いからかもしれない。
貴船は静かな地だが、まもなく賑やかになる。「川床」が始まるからだ。
わたしは普段『和風』から離れて生きているが、こうしたことに限っては、和風を大事にし、愛している。
床でゴハン食べたり、歌舞伎見に行ったり、相撲を楽しんだり。
気分で楽しむことが、好きなのだった。

三谷は鱒より蓮の方が好ましく思えた。
わたしは蓮が好きだ。
万博公園には大きな蓮池がある。早朝観蓮会がこの時期、土日に開催されている。
行くのに二つの電車を乗り継がねばならない。
象鼻杯。
蓮の茎からお酒をいただく。なんだかとても楽しい。
しかしいつも茨木からの人々に負けてしまう。
始発に乗っても先着二百名にはなかなか入れない。
蓮はとても綺麗だが、くやしいのでここ数年は別な蓮池まで走る。
大きな緑地公園の中、蓮を見てからなんとなく滑り台を滑ったりブランコをしたりする。
早朝の太極拳やラジオ体操するオジサン・オバサンから
「楽しそうやね」
と半分からかわれながらも、わたしはなんとなく機嫌よく遊具で遊んでいる。


日本画のほか、洋画で気に入っているものを紹介する。

オディロン・ルドン 若き日の仏陀
オディロン・ルドン イエスとサマリアの女
エドガー・ドガ 髪を梳く婦人

この三枚だ。ルドンは神仏の現れる絵に清々しさを感じて、とても惹かれる。
またドガの女にも惹かれる。入浴中か後かというだけの差かもしれない、一連のシリーズ。
一度ドガのそうした女ばかり集めた展覧会を見て見たい。

見たのは17日だが書いているのは夏至の21日だ。
もうすぐ本格的に夏が―――来る。

パリの空気 展

藤田展に併せて常設で『パリの空気』という展覧会が開催されている。パリに留学した日本人画家たちと、パリを写したカメラマン、長谷川潔の版画などで構成されている。

数年前、『パリの百年』という展覧会がこの近代美術館の向かいの京都市美術館で開催された。
丁度パリから帰ったばかりで、ナマナマしい感想があった。
それこそ『パリの空気』が残っていたのだろう。

京セラから寄贈された写真の数々。
アジェの作品はゼラチン・プリントだが、その少し前のベル・エポックの時代の作品はアルブミン・プリントだった。
どちらもとても美しい。

その中で、セシル・ビートンがコクトーの肖像を撮っているが、それはコクトー本人を撮るというのではなく、風景の中に紛れ込むコクトーの影を捉える、とでも言うような作品だった。
パリ=コクトーだった時代。
コクトーの影がパリの中にある。
これが『パリの空気』そのものかもしれない。

パリ、と言われてその人のアタマに浮かぶものは何か。
人によってはエッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館といった建物かもしれず、また絵画や彫刻が浮かぶかもしれない。
ユトリロの街角、世紀末のミュシャの描いたミューズたち、ロダンやマイヨール。
映画でパリを知った人も多いはずだ。
「地下鉄のザジ」「大人はわかってくれない」「パリは燃えているか」

わたしが最初に『パリ』を『見た』のは、子供向けの「ああ無情」の挿絵、つまり地下道だったりする。パリの地下道の発達に感心した記憶がある。(パリ・コミューンなどのことを知ったのはもう少し後年で大仏次郎の著作辺りからか)
へんなことを言うようだが、今現在公共工事関連の仕事についていて、マンホールとも浅からぬ縁があることを思えば、それはこんなところから始まっているのかもしれない。
今もパリのマンホール(地下への入り口)にはめちゃくちゃ憧れているのだから。
レジスタンスは皆、マンホールから顔を出して辺りに敵がいないかを確認する。かっこよかったなー。←大体どんな映画を見ていたかわかるひとにはわかるな。

さて地上へ戻ろう。
地上というより天上の話か。
藤田もパリで没したが、長谷川潔もパリで亡くなった。
ただし二人とも『客死』とは言わない。フランス人になったからだ。
藤田は「すばらしい乳白色」を生み出し、長谷川はマニエール・ノワールを再現し、彼だけの技能にまで高めた。
パリで喝采を受けた長谷川が日本で知られるようになったのは、その死の直後だったらしい。
この京都国立近代美術館の大回顧展。
わたしはそれ以降の世代なので、既に長谷川は大家だった。
個人的には、マニエール・ノワール以前の技法での作品に好きなものが多い。
精神性としての東洋を体現しつつ、長谷川はパリで作品を生み出しパリで没した。
パリの空気は展示された作品の間をひんやりと、流れている。

20世紀初頭のパリと言えばアールヌーヴォーの名残が色濃く残っていた。
浅井忠の油絵は日本回帰を果たしたようだが、工芸品の意匠はアールヌーヴォーの匂いを活かしている。
わたしは浅井の油絵にある種の息苦しさを感じるのだが、水彩画、日本画、工芸品の図案などには洒脱さを感じ、好ましく思う。
昨秋、北の丸公園の工芸館で『日本のアールヌーヴォー展』が開催されたときに並んだ作品が多い。
百年前のパリの空気。

日本の洋画。
岡鹿之助の静謐な作品はパリも日本も飛び越えていると思う。
可愛いとしか言いようのない点描。
日本的なものを描いていても、日本ではない。バタ臭いというわけでもない。岡鹿之助、としか言いようがない。
パンジーと変電所。
ここにあるのは要塞かなにかの裾に広がる街。雪の積もった静かな街。
岡鹿之助の父上・岡鬼太郎の劇評が好きだ。大正から昭和初期のナマナマシイ劇評。歌舞伎を冷徹に見据えながらその世界に生きた人の息子が洋画家だということが、なんだか面白かった頃。

武二の『臥婦』 クッションにもたれる女。パリの女なのか。

時々思うことがある。
パリで日本人のモデルをした女で、画家を追って日本に来た女はいるのだろうかと。
ドイツから医学生R.Mを追った女はいる。
女は諦めてドイツへ帰る。医学と文学の二束のわらじを履いた男は女との顛末を『文学的に』書き上げる。

再び写真に戻る。
'89のシュトゥルートの『ルーブル美術館』館内の写真。古典作品を眺める現代の人々の姿。
二重の視線。そしてそれを視るわたしたち。三重の視線。
ここに並ぶのはドラクロワの『メデュース号の筏』だった。

作者不詳の古写真がある。
パリの怪獣chimereと言えば、大聖堂の屋上に棲むゴシックの彫像だが、子供の頃から大好きだった。
パリの地下道と怪獣彫刻。
大きな声で言えないが、パリで一番好きなのはこれらかもしれないのだ。
で、その写真を見てギョギョもギョギョ。
・・・胸あるやんか。フィメールなのかぁぁぁ?びっくりした。

ほかにもう一枚。
20世紀初頭のコーバンの『ロダン』 肖像というより、人間ロダンという存在を写した作品。ガム・プリントのためか、過ぎた時間の為か、セピア色の作品として、ここにある。
そしてこの作品はカリエールが描いたロダンに酷似している。
この頃のロダンはこんな風にしか、自分の姿を(影を)写させなかったのだろうか。それとも画家の目にもカメラマンの目にもこのようにしか映らなかったのか。
ガーゼと暖めたミルクのような・・・
『ロダンとカリエール』についてはこちらに感想などを書いている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-408.html


冒頭にコクトー、ここでロダンを書いたが、ほかにピカソ、シャガール、ブラッサイ、マルソーらの肖像写真もある。
惹かれたのは、パブロ・カザルスだった。
これはユセフ・カァーシュの'54の作品で、この人はパブロ・ピカソの写真も撮っている。その同じ家での撮影。
カザルスは背を向けて演奏している。小さい窓が上の方に一つだけある室内。
カザルスの音までこの写真に封じられている気がした。
そしてこの後約二十年生きて、'73パブロたちは死ぬ。
五木寛之の『戒厳令の夜』の冒頭のように。

ブレッソンによる無名の人々の生きるパリの風景、アジェによる記録にも記憶にも残るパリの風景。
写真はそのときの空気を封じ込める。

ポスターもそうだ。
カッサンドルのポスターが出ている。
モダニズム。モダンムーブメントの潮流。スピード感のある構成。
サヴィニャックとはまた異なるシャープなスタイル。
去年サントリーミュージアムで見ていたが、こうしたコンセプトで視ると、新しい発見もあり、なかなか楽しい。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-157.html


最後にわたしの偏愛するもう一つの『パリ』をあげる。
(地下道と怪獣だけではないゾ)
レオン・バクストの水彩画がある。
バレエ・リュッスのための衣装デザイン。
'09頃といえばもうニジンスキーが活躍している頃だ。
この衣装は『クレオパトラ』バッカナーレのためのものだ。
薄い紗を巻きつけた薄いグリーンの衣装。胸が透けている。
とてもきれいな衣装、きれいなスケッチ。

わたしはこの時代のパリに行ってみたいのだった。

藤井永観文庫の優品展。

細見美術館のチラシを見た途端、「絶対に行くのだ」という声がした。
誰の声なのか。強い意志に満ちた声。
しかしそれに逆らう力はない。
こんなチラシを見たのでは。
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藤井永観氏という人は知らないが、立命館と関係のある人だとはわかった。
その人が一代で集めた古美術の優品が展示されるのだ。
わくわくしながら細見美術館へ向かった。

藤井氏についてはこちらに詳しい。
http://www.emuseum.or.jp/Pages/eikan/event_fujii.htm
普通の生活を送る中で蒐集された古美術品はなにもかも、すばらしい。審美眼というものを考える。藤井氏の審美眼の高さが、今日こうして美の遺産として、わたしたちの前に現れてくれたのだ。

ご宸翰、古筆、古写経、絵画、典籍、染織などが主な蒐集品で、今回すばらしい優品が並んでいる。

特にわたしが惹かれたのは近世風俗画である。

モノクロ版だが先のカルタ遊びの図版をあげる。
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何が好きというても、こうした遊楽図が一番好きだ。他にも加賀屏風と呼ばれる遊楽図がある。前田侯のご正室と侍女たちの図だが、雰囲気は明らかに遊楽図である。かけられた衣装も美しい。

そして遊里が苦界になる前の「公界」だった頃の遊楽図がある。隆慶一郎や近藤ようこが描く世界。

また『羽根突き図』があるが、これは懐月堂安度の様式に則った美人だが、なんだか迫力がある。女だからテニプリではなく、スマッシュ!メグとかエースをねらえ!とかそんな感じ。

あと遊楽ではない風俗図として『石曳き図』がある。ピラミッドでも石舞台でも大阪城でも、とにかく巨石とか巨大日干し煉瓦とかあの手のものはクレーンのなかった時代、人力で曳くしかなかった。下に木製の「修羅」をひいてそれを利用しながら曳いてゆく。ただ曳くだけではダメで、必ずその石の上に音頭取りが立つ。掛け声をかけるなり歌うなりして、人夫を励まし、動かせる。それ自体が考えれば不思議な存在だ。石から下りればただの人になるのだが、石の上に立つ間は存在価値が異なるのだ。

藤井氏は蒐集した名品にすばらしい表装を施しもする。古裂の使い方が見事というか、ここにも氏の審美眼が活きていることがよくわかる。展覧会の図録では洋画も日本画も絵本体ばかり収録し、額縁や表具類を収めない。以前ラファエル前派展ですばらしい額縁を見た。作品世界に合う見事な工芸品。それが収録されなかった口惜しさはいまだに忘れられない。

また西宮大谷美術館は面白い視点からの展覧会も開催することが多く、作品と額縁を楽しんでほしいという展覧会をかつて開催したことがある。絵をいかに飾るか。

たいへん面白かった。これは額縁だけでなく、表具も同じだと思う。
いやそれどころか、柄の入る壁紙に飾られる額縁より、無地の床の間に飾られる分だけ、掛け軸の表装は凝ったものになる。更紗、染物、刺繍、技法も色々・柄もいろいろ。描き表装というものもあるくらいだ。藤井氏はみごとな古裂を以って名品を飾る。

表装の元になる古裂のコレクションもまた、すばらしい。

わたしは小袖が好きだ。それも江戸初期の寛文小袖までを特に偏愛している。辻が花、慶長小袖などなど。

歴博の小袖コレクション、カネボウのコレクション、良いものをたくさん見てきた。今回、その一部ずつを目にしている。裂(きれ)の美を堪能できた。今ではこれらの技法の復活は難しいそうだ。

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桐紋散枝垂桜文様裂。可愛くて仕方ない。
こうした可愛くてきれいな古裂がいくつも並んでいる。


書についてぐすぐず書くことは出来ない。わたしは天平時代の書体が一番好きなのだ。般若心経があった。見事な筆跡だと思う。一方、平安時代の華厳経があり、これが「泉福寺焼経」と呼ばれるもので、なるほど焦げ跡がついている。ところがそれが文様のようになり、なにやら雅さに花を添えているのだ。

不思議な美が時々古美術には生まれる。

中国絵画もまたここに展示されている。
西太后の描いた『牡丹図』 清朝らしい、繊細で薄い色の絵。この絵からは彼女の強大な権力や恐ろしい性質などは、わたしには見えてこない。ただ優雅で綺麗な絵だと思うばかりだ。

『羅浮図』 微かな白梅。太い枝に寄りかかる仙女。静で綺麗な絵の表装には、蝶の柄が選ばれている。

藤井氏一代 の一大コレクションは今後、立命館大学の至宝になるだろう。なんとか常設を願いたい。この京都の地で。

京都の中世と近代

京都文化博物館は、中京区三条高倉にある。

洛中の地名は昔からこう歌われている。

丸 竹 夷 二 押 御池 姉 三 六角 蛸 錦 四 綾 佛 高 松 万 五条・・・

これは北から南へ下がる通りの歌だ。

当然ながら西から東への歌もあるが、それはここでは割愛。

歌の中にある三というのが三条だ。

碁盤の目に区切られているので、ちょっと地名を知る人なら、この辺りはまあ大丈夫だと思う。

大阪では南北が通り・東西が筋なのに対し、こちらは南北も東西も通りである。



その三条高倉。

明治に辰野金吾の設計によって日銀が建てられた。

この三条通は家康が東海道五十三次を制定した頃から活きた街である。

帝が『東京都』へ――当時ヒガシキョウトてどこですネンと言うた人もいたが――京からサヨナラされたあと、京都全体が沈み、国鉄が七条に出来たこともあって、三条界隈が廃れた。

これではダメだと三条通に逓信、郵便、銀行、生命保険会社などが並んだのだった。

今現在の三条通はそれらの洋風建築を活かした街づくりに成功して、なかなか繁盛している。

このことについては過日も書いている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-444.html


日銀百年。つまり今文化博物館になった建物は百歳なのである。それを祝うためのイベントや展覧会がここで開催されている。
『近代建築写真展』と『祇園祭懸装品』こちらは展覧会、イベントとして祇園囃子の実演会がある。



元々祇園祭は疫神送りから始まり、途中で『神事コレナクトモ山鉾渡ラセタク候』ということで町衆はがんばって続けてこられた。

わたしは山鉾巡行より、宵山、宵々山などの夜が好きだ。

民家が自慢の家宝などを玄関先に飾ったりするから、それを見て回りお話を聞いたり、各町内の山鉾を眺めたりして、楽しんでいる。

あいにく今年はその頃東京へ行くので、その楽しみが来年に持ち越されてしまうのだが。


文化博物館は新館では『西洋絵画』展を開催しているが、日銀の建物(旧館)では一階で祇園囃子の実演を、二階で関西の近代建築写真の展示が行なわれている。

既に通りを歩く耳には祇園囃子が聞こえている。わたしがついたときには南観音山の人々の実演の最中だった。
ここは優秀なホールとしても以前から知られている。銀行建築を転用したホールは大抵なかなか音響の良いところになる。
皆さん揃いの浴衣で笛や鉦や太鼓のセッションを続けている。
夏らしい音色だと思う。わくわくする。
隣の府民でさえそう思うのだから、当の人々にはいかほどだろう。
とはいえ、ちびっこには「うるさい」だけらしく、耳を塞ぐ子らがいた。しかし母親が真面目に聞いているので逃げることも出来ず、とうとう泣き出した。
可哀想だと思う反面、もしかするとこれは母親が聞いていたいからここにいさせる、というのでなく、いつの日にかこの囃子のメンバーにわが子を送り込むために今から鍛錬させているのかも、・・・と思ったりした。
その辺はよくわからない。

音を背景にしながら二階へ上がる。
階段の手すりなどにも意匠が施されている。天井もきれいな木の貼り方をしている。
建築写真は、京都建築士会からの提供品だが、さすがに見事な写真だった。
奈良ホテルに始まり龍谷大学、伝道院、博物館などなど。大方は見学しているもので、初見はなかった。
わたしもナントカ腕を上げてもう少しまともな建築写真が取れるようにならねば・・・と思った。
ついつい細部の意匠などにこだわりすぎて、全体の写真を撮り忘れることもあるので、意識の改革から始めなければならないのだが。
わたしは昭和戦前までの建物が好きなのだ。
一つでも多くの近代建築の保存が叶えれば、と願っている。

新館に戻り、常設スペースで特集陳列されている『祇園祭懸装品』を見て廻る。
以前四条烏丸のさくら銀行が祇園祭の展示室を開いていたが今はなくなっている。
だからこうした機会はとても大切だ。

山鉾に懸けられているものはベルギーのタピストリーなどもあるが、なにせ年代が経っているので色々と新装などしている。
必ずしも古いものにこだわるのではなく、新しいもの好きな京都人らしく、今活躍中の日本画家に原画を頼んだりしている。
ここには原画はないが、原画のよさを最大限に生かす技術が見える。
西陣の技術は決して古くはならない。


古くて新しい京都を楽しんで、文化博物館を出た。
いつものようにイノダでコーヒーを飲んでから、大阪へ帰った。

印象派と西洋絵画の巨匠たち展

京都文化博物館で東京富士美術館所蔵の『印象派と西洋絵画の巨匠たち』展が開催されている。
‘99奈良そごうのあと'02、'03と関西では大丸心斎橋で開催されていた。タイトルは『バルビゾン派から印象派』や『西洋名画への招待』どちらにしろ見応えのある洋画展だった。
この美術館へ行くことはまずないので、こうして出張してくれると大変嬉しいし助かる。
江戸時代、善光寺の秘仏が浅草に来て『出開帳』したとか、奈良の仏が『出開帳』したのを記念して、浅草奥山で活人形の細工見世物が並んだとか、そういう楽しい話をよく聞く。
これも考えれば『出開帳』なのだ。
ありがとうございます。

主な展示品。
ターナー「嵐の近づく海景」
ドラクロワ「手綱を持つチェルケス人」
ブーグロー「漁師の娘」
ミレー「鵞鳥番の少女」
クールベ「水平線上のスコール」
セザンヌ「オーヴェールの曲がり道」
モネ「海辺の船」
ルノワール「赤い服の女」
ユトリロ「モンマルトル、ノルヴァン通り」
ローランサン「二人の女」
タマヨ「西瓜」(リトグラフ)
シャガール「曲馬」
ピカソ「鳩」(リトグラフ)
キリコ「ヘクトルとアンドロマケ」
ウォーホル「キャンベル・スープ缶」  など。

チラシを見たりタイトルを見る限り、以前眺めた作品が多い。

今回のチラシはルノワールの「赤い服の女」である。
ちょっと寄り目だな。服も帽子のリボンも頬も口紅も同じ色。
腕のある画家だからおかしくはないのだが、これを素人がするととんでもないことになる。
→実感。
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ドラクロワのオリエントな作品はかなり好きである。それこそ怒涛のロマンを感じるくらいだ。
今を去ること何年前か、東京に『民衆を導く自由の女神像』一枚がきた。
既にその前年パリで見ていたが、わざわざそれを見に行ったことがある。
考えればメチャクチャなわたし。

嬉しいのは、コローの『ユディット』が来ていることだ。
わたしはこの作品が大好きなのだ。(しかし絵葉書にはならないなぁ)
再会できて嬉しい。
コローはこうした婦人像の方がずっと好きだ。
『サロメ』に比べ『ユディット』には官能性が欠けるきらいがある。しかしカラバッジョの昔からユディットは描かれ続けている。クリムトも描いた。
男の生首を持つ女。
コローのユディットはナマナマしくはない。横向きに立っている。血腥いこともない。しかし。

ああ、わたしはお前に会えて嬉しい。


ピカソの『鳩』 の白さが綺麗だと思った。そういえば彼の娘にパロマ(鳩)というデザイナーがいる。
しかしこの鳩は、マチスのアトリエにいた鳥とよく似ている。そこから飛んできたのかもしれない。

シダネルの作品があった。
わたしが最初にシダネルの作品を見たのは大原美術館でだ。’87か’88の頃。
この作品。
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次いで今年になってからポーラ美術館の所蔵品をみた。
わたしの知る三枚の作品には、人のいた形跡はあっても、影も残っていない。

ピクニック。みんなはどこへ?声も聞こえてこない。
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そしてそのシダネルの不在については、てつさんのこのエッセイで、心に深く落ち着いた。http://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/295632cc81765eb9ff67c3835d4b0be8


ブーグローの『漁師の娘』も好ましい。
普段ブーグローのこの世に生きていないような女たちに惑わされているのだが、こんな娘も悪くはない。

マグリットの『観念』 顔部分に林檎が浮かんでいる。そしてその下にはスーツがある。
マグリンゴ会のための作品のようだ。
アンパンマンはお腹の空いた人のためにほっぺたをあげる。
林檎を齧ると歯から血が出ませんか、はCMコピーだった。
この林檎は齧ると歯が折れるだろう。

小説『ハンニバル』の中に世界中のフェルメールの作品を全て見ようとするキャラがいる。
ところがある一枚だけ、さる理由から諦めなくてはならなくなる。
そこまでの執着はないにしろ、わたしにも願うことがある。わりにこの願いは満たされてきている。
それは・・・モネの睡蓮の全作品に囲まれてみたいのだ。
これは例えば、大山崎山荘でそれに近い体験も味わえているし、大塚国際美術館でのタイル展示でも嬉しいような状況に入れる。いつかきっと。
しかしながら、ここにある睡蓮はちょっとおとなしいので、その望みが叶えられたとき、この作品だけ忘れてしまうかもしれない。


17日、わたしは朝から藤田を見て間に日本画と古美術と近代建築を見て、最後にこの展覧会に来た。
間の話はまたいずれ書こうと思う。

藤田嗣治展

いよいよ藤田嗣治展を見に行く。
東京での評判の高さ・NHKでの宣伝などで、アウトラインは掴めているとはいえ、実感していないのだからなんとも言えない。

自分がこれまで見てきた藤田についてを多少綴ろう。

*つい最近、横浜で吉屋信子の展覧会の中、宇野千代と北原武夫の結婚式の仲人を、藤田が吉屋と二人で勤めた写真を見たばかりだ。オカッパ仲間。なんとなく可愛い。

*それから他に、村上もとかのコミック『メロドラマ』に現れる藤田が忘れられない。
これは、一次大戦後のパリの喧騒を背景にした日本人武官とパリの娘の恋物語だが、彼を秘かに愛する青年画家がいた。青年は藤田のように成功したいと願っているが、あるとき藤田の乱痴気パーティに加わる。
そこでの藤田の描写が凄かった。藤田の腹の強さ。
パリで成功するにはここまで覚悟しなければならない、というリアリティがあった。
村上もとかの創作なのかゴシップなのかは、知らない。

*どこで見たか『ぬけられます』のシリーズ、玉の井の女郎たちの姿態。滝田ゆうか永井荷風の世界。
気だるい女たちの眼差しが忘れられない。

*今はなきDO!FAMILY美術館では藤田の子供と猫ばかりの版画展を見てもいる。
国芳か藤田かボナールか、というほどにゃんこが意味もなくいたりするところが好きだ。

こうして並べると、自分がどういう視線で藤田を見ているかがわかるようだ。(そうなのか?)

とにかく見所については東京展を見られた方々のブログを参考にして
アレ!アレ!アレ!
行け!行け!行け!

***
京都国立近代美術館へは四条河原町からバスが普通だが、メチャクチャ混んでるので、諦めて歩いた。
この混雑が行く先を予想させるようで、憂鬱になったが仕方ない。
とはいえ、まだ早い時間なのでぎゅう詰めということにはならなかった。

エコール・ド・パリの時代、乳白色の時代の藤田がやはり好きだ。

『展覧会を見る四人の娘』 これを見てオヨヨと思った。壁にかかった絵に見覚えがある。姉妹の絵。斉藤真一のごぜさんみたいな少女の顔。ヴュイヤールみたいに絵の中に絵を描くのは割りと好きだ。
モディリアーニと仲良しさんだからか、彼の親戚みたいな作品もある。まだまだ個性が確立していない時期の作品。

『人形を持つ子供たち』 ・・・少女娼婦かと思ってしまった。わたしの気の回しすぎなのか。手元に置くのに少しためらいを抱いてしまう。この絵に描かれた子どもたちも、わたしがいやだと思う。

『横たわる裸婦』 すごい白。一点のぞいて何もかもが乳白色。

'23の『タピスリーの裸婦』と『座る女性と猫』 これは同一モデルの裸婦と着衣姿で、猫だけ同じポーズでいる。
マハも驚くかもしれない。
このキジ柄のブラックタイガー猫は大体が丈夫で、可愛くて賢い。こやつは『五人の裸婦』にも出演している。
尻尾の太いのが可愛くて仕方ない。のどかに肥え太ってカワイイ♪
こやつとはまた別なサバ猫は、藤田の自画像に出演する。
画家の肩や腕に纏いついて、にゃあとした顔をさらしている。何を仕出かすかわからない顔つきの、やっぱり可愛い奴。叱り付けてもあまり気にしない性質の猫。
裸婦の世界、と銘打たれて展示されている絵を眺めているはずが、猫のハナシに終始してしまいそうだ。

立つ『裸婦』の背景、カーテンか壁紙かわからないが、濃い目のサーモンピンクにアネモネか何かの花柄があふれている。女の手に摑まれた白い布も花柄。女は霞むように立っている。白い膚は白い闇に溶け込むかもしれない。

『エレーヌ・フランクの肖像』 壁にかかった絵はヴェルサイユの風景か。彼女の座るベッドのカバーが素敵だ。
・・・どうもさっきから猫かテキスタイルのことしか言ってない気がする。

『アンナ・ド・ノアイユの肖像』 本当に80年前の女なのだろうか。真っ白な中に立つ女。今もどこかに生きているような女。―――コクトーが「墓をも凌駕する友情」を感じた女。

『ライオンのいる構図』 やったらめったら人がいるしライオンがいるし、変なところに猫もいる。藤田にはその傾向はなかったはずだが、なんとなく(   )を感じる。パリだから誰もなにも思わない。

『砂の上で』 貝殻はムール貝の殻みたいに見えた。そうかもしれない。なぜここに赤ん坊がいるのだろうか。
そのことがわかるようでわからない。

『二人の友達』 クールベやロートレックの描くような『二人』の『友達』なのかもしれない。バルビュスの『地獄』の二人かもしれない。


日本回帰と言うつながりの前に、映像コーナーがあった。
‘37の記録映画で藤田が監督したものらしい。トーキーだが音声も映像もクリアーなのはフィルムセンターのおかげなのかな。
『風俗日本 子ども篇』 姉と弟。日出る国の子どもたち。ちゃんばらしている。気分はバンツマなのかアラカンなのかは知らない。紙芝居を見たり、獅子舞を見たり、飛んだり跳ねたり走ったり。
名取洋之助を少し思い出した。
ノスタルジイ。
当時賛否両論に分かれたのもわかる。藤田の眼はノスタルジイと共に白人の視線とに彩られていたのかもしれない。

『北京の力士』 なんだか水滸伝みたい。ナマナマシイ。手を洗いたくなる空間。

日本に帰り、ブームになった壁画制作をする。
コロンバンのための壁画は今では迎賓館の所蔵か。見たような気がするが、迎賓館では建物本体にばかり意識がいっていたので、思い出せない。
しかし縦じまの服がコロンバンのパッケージをなんとなく思わせる。そういえば昨日、クッキーもらったなぁ。

白髪まじりのオカッパさんが着物着て懐に猫入れて(国芳かっ)なんだか乱雑にニホンしている自画像がある。
枝豆、干物、煮っ転がし。オッチャン、ゴハン食ベテハッテンネ、と話しかけたくなった。
ここにかかっていた暖簾か何かわからない藍染は、『画室』にも飾られている。
囲炉裏のある画室からは、庭が見える。

‘30年代、沖縄のブームがあった。
折口信夫も前田藤四郎も藤田もハマッたらしい。
お乳飲ませるお母さん、今風のおねえさんみたい。きれいだ。
オバァと孫たちの絵もある。
なぜか頭の中で『大村御殿んふむらーうどぅん』と『唐船ドーイ』がまざっている。

ああ、戦争画だ。
思想上の問題とか歴史的問題とか一切抜きにした、単純な感想を書く。
『アッツ島玉砕』 なんとなく『メデュース号の筏』を思い出した。
『神兵の救出到る』 きれいな屏風がある。オールドパーというのかな、なんか酒もある。猫はテーブルの下に隠れてるし。縛られてる黒人の女の人、難儀でした。

しかしこのことが藤田をフジタにしてしまった。

写真があった。さよならニッポン。藤田の前髪、はねてるよ。
ここでわき道にそれる。
藤田がレオナール・フジタになるキッカケの発言を・行動をしてしまった画家の回顧展を、以前神戸で見ている。
そのときスティーブン・キングの名作『ロングウォーク』を思い出していた。読まれた方にもわたしが何を見てそう言うかはわからないかもしれない。
マクヴリーズ。彼が藤田、藤田を遂った人々が、ロングウォークの仲間たち。
・・・どうしても、そう思えてしまう。
没後五十年のその画家は今では忘れ去られている。
つらいなあ。
それに反して藤田はこのように大人気だ。

パリに戻ってからの藤田の作品を眺める。
『優美神』 フルカラー。どこにも輝く乳白色がない。ポピーや百合や蝶が飛び交う野に立つ三人の美神。
彼女たちは『肌色』の膚なのだ。・・・・・・・・。

『わたしの夢』 裸婦の周囲をぐる---と服を着た動物たちが取り巻いている。この絵は二月に『大いなる遺産・美の伝統展』で見ている。そのときは感じなかったが、今はなにやら危ないものを感じてしまう・・・・・・。

『夢』 これも眠る女のそばにタヌキ?猫?鳩などがいるが、まだそんなに恐怖も官能性も感じない。
ベッドの天蓋の柄が物語になっているようだ。気球が落ち、降りてきた男と出会った女の、恋物語。

『ラ・フォンテーヌ頌』『動物宴』 個人蔵ということだが同じ方の所蔵だと思う。額縁が手作り風でとても可愛い。
かさ、靴、ベルト、フォーク、などなど。しかし元ネタが元ネタだから可愛いハナシではない。

チラシになった『カフェにて』と別バージョンの『カフェにて』が並んでいた。
どういうわけかわたしは別バージョンの方が好みだと思った。多分色遣いからだろう。

『すぐ戻ります(蚤の市)』 どこまでが背景・どこからが売り物か、わからない。だから、蚤の市なのかもしれない。
フライパン、ドールハウス、古びた肖像画・・・
ミッシェル・トゥルニエの文を思い出す。完全ではないがその大意を。
「・・・屋根裏には過去の遺物がしまわれている。乳母車、おもちゃなどが。・・・地下室には生がある。芽の出たジャガイモ・・・」


いよいよ子供らが現れる。
・・・・・見て回るうちに気づいたことがある。
フジタの子どもらは殆ど口を強く鎖している。開けている子どもを捜すことが難しいくらいだ。
開けているのは「べえ--」してるか泣いているかくらいではないか。
口を噤む子どもたち。
こんな怖いことは他にはないのではないか。
さらされた下半身を見るとこちらもつぐんでいる。そうでないと困るのだが。
しかしなぜ子どもらはおしゃべりをしないのか。
48の仕事、48の寓意。
子どもらは童画家・武井武雄の描くオバケのようだ。
この子どもたちは永遠に子どもでい続ける気がする。

一つ面白いことに気がついた。
子どもらの職業のうち、モナリザの監視人がいるが、そのモナリザ、とても魅力的なのだ。色んな画家が二次創作したのを見てきたが、フジタのモナリザが一番魅力的だと思った。


信仰。
フジタ自身が修道士として礼拝する絵もある。
黙示録のシリーズを見ると、Wブレイクもびっくりだ。Blakeもbreakするかもしれない。
骸骨は『死の舞踏』かメキシコの骸骨ケーキのようだと思った。
しかし黒いマドンナ。彼女はまるで'70年代劇画のヒロインのように綺麗だと思う。

彼の手作りの工芸品。身の回りのものたち。
猫の花瓶はやはり童画のようで可愛い。

最後に、わたしの一番好きな絵をあげる。
思想も芸術的価値も理屈も何にも関係なしに、やっぱり猫だ。

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Y氏のコレクション・洋画

先日目黒区美術館で『Y氏コレクション』による伊東深水の素描を見たが、その折、主に洋画コレクションも併設されていて、随分楽しんだ。

天袋か地袋か、松園の元禄踊りがあった。
松園はタブローではその時代を描かぬようだが、こうした装飾品や色紙には、元禄頃の風俗をよく描いている。享楽的で、浮世を実感する時代。わたしは好きだが、松園のパブリックイメージを考えると、どうだろうか。注文主もそのことを知るからあえて享楽性の高い時代を発注したのかもしれない。

蓬春『春の歌』 女の子二人がぺたんと座り小鳥を聞く。洋装の子らである。今はもうこうしたことは廃れたろうが、小鳥の籠を持って鳴き声を較べたりする楽しみがあったのだ。籠に縦の長さがないから雲雀ではないだろう。
もしかするとカナリアなのかもしれない。八十の詩『歌を忘れたカナリアは』が人口に膾炙して、この裕福そうな少女たちもカナリアを飼ってとねだったのかもしれない。鶯だとその母親が美容品に使うことを考えているだろう。
『春琴抄』のラストシーン、既に二人共に盲目の世界に遊ぶ春琴と佐助とが雲雀の鳴き声を楽しむ。雲雀はぐんぐん上昇する。アウフ・アウフ・アウフ ―――そして消えた。
色々な想念が浮かぶのも、この絵の力かもしれない。

郷倉千靭 『白い犬』 コロコロして可愛い仔犬が転んでいる。
犬マンガの第一人者・高橋よしひろの描くウィードみたいに見える。
ウィードは熊犬で白くはないけれど。

放庵のくすんだ色合いの『秋晴遊禽図』 鳥が飛び秋の葉の感触が伝わる。セピア色は使われていないのに、そんなイメージがある。

高山辰雄『上弦』 銀の空、森、川、月。
この人は日月星辰という個展を開いていたが、夜の天空を描くのが巧いと思う。そもそも名前に既に『辰』がついている。
龍という意味だけでなく、『辰』には星の意味がある。
夜空の絵はご自身の肖像なのかもしれない。

池田遙邨『村道』 日本画家として『美の旅人』と呼ばれた遙邨は若い頃洋画を描いていた。その当時は邨ではなく村を名乗り、日本画家として立ってから邨を使い出したらしい。
わたしは田舎の絵を描く人の中では遙邨が一番好きだ。

小磯『飛行機』 小磯もまた藤田や宮本三郎らと共に戦場の絵を描いていた。この『飛行機』はそうしたものなのだろうが、何故かわたしの目にはおもちゃの飛行機に見えた。空の色が明るすぎるからだろうか。
飛行機が高く飛んで丸いトンボみたいに見えるからだろうか。
ボローニャ・グラフィックに出ていても不思議ではないような・・・
そんな感想を持つことがいいのか悪いのかはわからない。

岡田三郎助『大石田町』 山形県大石田町。
わたしはこの町を描くのは金山平三だけだと信じ込んでいた。
また三郎助が風景を描くとは思ってもいなかった。思い込みとはこわいものだ。この目で見ているのに、何故か印象はやはり金山の大石田町なのだった。

鳥海青児『メキシコの民家』 メキシコの、民家の、むれ。ちょっと夢野久作の真似をしてみた。(いなか、の、じけん) 
そんな感じの作品。

梅原のセーヌやカンヌは派手な明るい色彩で、どういう目でその風景を『観て』いたか伝わるようだった。

林武『静物 イワシと瓶詰め』 瓶中にはオリーブか何かが入っている。イワシ、オイルサーディンだろうか。
なんだかヘンに食べたくなってきた。

三岸節子の個性がそのまま溢れたような濃い花の絵と洋ナシの黄色い果物の絵とがある。
節子の絵は同性から見れば励まされている気がする作品だと思う。
街を描いていても・静物を描いていても・花を描いていても。

香月泰男の『梔子』 白背景に白の四枚花弁の梔子が開いている。
この人、こんな絵も描くのか。
以前西宮の頴川美術館で高野三三男の『泰山木』を見てどきっ としたことがある。あの時と同じ気持ちが湧いている。
こういう作品に出会うと、困ってしまう。多分、わたしにとってこの作者のベストになり、ベストというより随一になり、他の作品を拒絶してしまうのだ。そのくせ絵に再会することはできず、一期一会としてしかわたしとは対せないのだ。

熊谷の『裸婦』 おもろいかおやなーと言うと失礼かもしれないが、アッシリアかヒッタイトから出土する土人形のような顔立ちだと思った。なんとなくアタマに♪がついてくる。

フジタの描く動物たちの『円舞』。カット集みたいに思えた。
他に猫抱く女の絵もあるが、印象はこちらの方が強い。デパートの包装紙を思い出した。なぜかはわからない。しかしそんな気分。
藤田の『わたしの夢』という絵を以前に見ている。周囲を動物たちに囲まれた悪夢のような絵。そいつらはもしやここから出張したのかもしれない。

武二『葡萄』 この絵を見ると、武二が明治の浪漫を生きた人だということを、改めて感じる。大正九年の作。
幼い男児が日焼けした膚をさらしている。そのはだかのまま、頭に葡萄を担ぐ。かわいいだけでなく、詩歌が浮かんでくるような作品だった。

最後にこれは志功が三枚並んでいた。立つ仏がきれいに微笑むのに対し、変な顔の仏がいる。眼がロンパリならぬ北極南極している。
でもほとけ。


本が売切れていたのがつくづく惜しい。
次に会うことが出来るかどうかもわからぬのだから。
またどこかで見せてほしい・・・・・・!


奈良県美術館の浮世絵

奈良県立美術館は夏になると、館蔵名品展を開催する。
モダニズムの建物は客側から言えば、使いにくい構造となっている。
出口と入り口が遠く離れていて、入り口に戻るには外に出るか・階段を使って全く同じように戻るか、どちらかしかない。
『奈良県立美術館は建物の構造上、常設展示が出来ません』とお断りの一礼が入っている。
何故使う側の都合を考えない設計なのかは、知らない。
日本の社会構造のある一面を窺わせる状況だと思う。

さて、今回館蔵の浮世絵名品展が開催されている。
ここへ来る数時間前、わたしは東大阪で四大浮世絵師展を見ていたが、こちらの展示は幅を広げている。
ただし幕末は国貞までとなっている。

勝川派、鳥居などもあり、当然北斎もある。
肉筆ではなく版画なので、同じ時の摺りもある。
先ほど見かけたものもあれば、久しぶりに見る作品もあるし、初見もある。
夕方に来たからか客もまばらで、ゆっくりと楽しめた。

いくつかのコンセプトがあるのでそれを記す。

・肉筆画 ・相撲
・版画・版本  ・ 武者
・吉祥・信仰 ・ 名所・風景
・妖怪 ・ 見立絵
・季節の遊び・ 寄せ絵
・商品宣伝  ・影絵
・女性 ・切り組燈篭絵
・子ども ・ 絵手本
・遊里 ・ 狂歌との関わり
・歌舞伎 ・画稿・版下

それぞれの代表作へのわたしなりの感想を書いてみようと思う。

浮世絵の中身と江戸時代の暮らしぶりとはイコールではないにしろ、大変密接している。
しかも出来上がった作品より、版下以前の下絵に異様なナマナマしさがある。
それを目にする機会はたいへん少ない。

今回国貞の下絵が展示されていた。

以前、たばこと塩の博物館で国貞の下絵を見たことがある。
吉原の裏とでも言うのか、かなり凄いものを見た。
ちょっとまともに書けない。
言えば、石森章太郎の『さんだらぼっち』は吉原の始末屋稼業を描いた名品だが、そこに描かれているエピソードの中でも暗い情景が、そこに現れたような気がした。
・・・これが一番近いかもしれない。

今回のは料理屋の二階座敷で遊ぶ女たちの下絵や、糸を弾く女たちなので、そうそう惨いこともない。
しかしその筆遣いを見たとき、意識の裏側からあの絵が這い出てきた。たぶん、これからも浮世絵の下絵を見る度必ず蘇るのだろう。

柱絵が多く出ていた。
これこそ『建物の構造上』生まれた形態での作品である。
縦長の画面には、その制約から来る約束事もあるが、決して不自由ではない。
むしろ枠の外の世界を創造させる楽しい作品もある。
無論この枠だからこその作品もある。

幕末から大正まで生きた橋本周延の肉筆画がある。
左団次の仁木弾正である。
昔の劇評などを読むと、この初代 左団次の芸風などがわかる。見たことのない役者であっても、そうした劇評やブロマイドなどから推し量ることが出来、なにやらときめいたりする。
丁度花道でドロドロ??と巻物を咥えながら消えるシーンである。
なんだかカッコイイ。

摺りの技術の粋を集めたコーナーの中に春信の「輿入れ」がある。道中する人々。昔の輿入れの一風俗。
これは錦絵だが、紅摺絵や紅嫌い、漆絵などもある。藍絵などは染付けを思い出す。

江戸時代、初夢を見るために宝船の絵を庶民は購入した。
湖龍斎の七福神はちょっとコワモテで、枕の下に敷くとうなされそうだ。なんとなく諸星大二郎の『六福神』を思い出した。

広重の名所江戸百景が沢山出ていた。
これらは東大阪でも見ているが、広重の名所絵はベストセラーであり、ロングセラーでもあったということがわかる。
池波正太郎の『江戸切絵図』を見ながら現代の跡地を歩くことが好きだ。
東海道を歩く人もいれば、江戸や浪花の昔と今を探す人もいる。
「目黒太鼓橋夕日の丘」は雪に埋もれている。橋を行く人も雪にまみれている。しかし雪は静かなのだ。
ただ、白い。白い。

弐代目広重も雪を描いた。錦帯橋にさらさらと雪が降る。今戸の真乳山にも雪が降り、川に浮かぶ舟も白くなっている。

今日はなんだか『広重の雪』がわたしについて廻る。

同じ広重が文久二年に「御茶ノ水」を描いている。橋が見える。聖橋か?鞘橋のような形をしている。


国貞の菅公は天に訴状を捧げる姿だが、髪もおどろで、なるほど御霊信仰の人だと思えた。
ただし芝居ではおどろおどろな姿はなく、運命を見据えながら静かに覚悟する様相を見せている。
(むしろ時平の方がおどろだ)


歌麿の青楼ものがある。
十返舎一九の作による「青楼絵抄 年中行事」の本。玉菊燈篭や壁画の絵がある。玉菊燈篭については『半七捕物帖』などに詳しい。

面白いのは春信の「案内」である。
妓楼に上がった男と案内の女の他に、二人には見えない(らしい)小さい女、たぶん和風の妖精がいる。
そのセリフが面白かった。
「ゑいざめ(酔い覚め)でノド渇くぞ」と言う男をササこちらに、と案内する女。実はそのまま男を案内するのだが、それを見ていた妖精が「その色事をチト見ませう」・・・のぞきなや。


役者絵はさすがに国貞が多い。死に絵も並ぶ一方で、楽屋を描いたものも何種かある。
わたしはこういうざわめきを感じるような作品が好きだ。
それから現在の『俳優祭』のような、役者による模擬店と芸者たちがそれを購う情景。
楽しくていいなあ。芝居町のコヤ前の様子もある。鳥居の絵看板に、芝居茶屋では今で言えばフィギュアみたいなものも飾り付けていて、わくわくさせられる。
ああ、楽しい。

上方の絵師の役者絵もある。これらは池田文庫や上方浮世絵美術館などでも見かけたものがある。
「人形や幸右衛門」がある。
かれは芝居なら「天下茶屋」の助太刀役、史実なら大阪方に身を投じた鵤幸右衛門である。
この作品では木彫りの牛の人形を持っているが、確か伏見人形をよく作っていたと聞く。

ところで寄せ絵とは何か、と言うとアルチンボルドだったっけ、果物や野菜で顔になるあれ、その本朝もの。
人集まって顔になる、というあれです。これは国芳や弟子たち。
ここにはないが、有名なところでは『見かけはコワイがほんとはいい人だ』とかあれです。

切組というのは立版古などと同様に描かれた絵を切り取って土台に貼り付けるジオラマ風のもので、それをからくり仕立てにして楽しむようだった。

かなり楽しめた展覧会だが、じっくり見ていたので閉館時間になっていた。
係員さんが迎えに来てくれた。(冒頭にあるように構造上、ここは入り口と出口が乖離しすぎている)
普段なら入らせてもらえないような秘密の?通路を通らせてもらうと、ニンジャな気分になった。
なんだか嬉しいゾ。
しかし足元をよく見ない性質なので、変なところで六方を踏んでしまった。
まあいいか、浮世絵を見たオマケに自演の六方を踏んでも・・・・・・

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姫路美術館の日本画

姫路市立美術館にはデルヴォーの他に日本画の名品コレクションがある。
今回それを楽しみに出た。
ほぼ十年ぶりの姫路市美術館。

とにかく大阪人のわたしにとって姫路は遠いのだ。
神戸より向うは本当に遠い。

姫路城の裾に美術館はある。元は帝国陸軍ゆかりの赤煉瓦の建物。白鷺城を背にしたL字型の建物は見栄えも良く、撮影にも写生にも人を惹きつける。
買ったばかりのデジカメで撮影したが、雲の流れまで眼に見えたのが嬉しい。

池田遙邨が二枚あった。
わたしの偏愛する画家。
晩年に精力的に当たった、山頭火の俳句を絵にしたシリーズの一枚。
青くて綺麗な宿場町の夜。

もう一枚青い絵がある。月を枯れ木が隠すような。

橋本関雪の『南国』は新収蔵品らしい。
上海ツアーで関雪が見た風景。揚子江下流のジャンク船が行き交う風景。働く苦力たち。低い船の腹には客の顔も見える。
女も働き、力を込めて船を漕ぐ。

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中国文化・風俗に造詣の深い関雪だからこその作品かもしれない。
もう一枚仙女の絵がある。
羅浮仙でもそうだが、わりと中国の仙女の絵を多く見ていると思う。
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姫路の近所に福崎という地がある。
そこは松岡五兄弟の生誕地であり、柳田國男、松岡映丘は郷土の誉れと今も顕彰されている。
その映丘の作品が一枚。
『志賀の浦』 裏を彷徨うというより、やっとそこにたどりついたらしき貴人は、平家の落人だろうか。
映丘の気品ある絵画には深い文芸性がある。

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このチラシの左下。

他にも華岳の仏画があり、白い仏の立姿は、柔らかに円い胸をあらわにした女人観世音であった。
松園もあり、中央に知られてなくとも知る人ぞ知る画家の素敵な作品もたくさん並ぶほか、スケッチも面白かった。
姫路美術館は良い展覧会もするが、所蔵品のレベルも高い、立派な美術館だと思う。
まだ時間があるので、山陽方面へ行かれるなら、立ち寄られることをお勧めする。
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松谷みよ子の世界

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これらの写真をクリックすると、懐かしいモモちゃんとプーとアカネちゃんが現れる。
先日まで姫路文学館で開催されていた松谷みよ子の展覧会で、わたしは久しぶりにモモちゃんやプーに会えた。

わたしが最初に松谷みよ子の作品に触れたのは、随分小さい頃と言うより、乳幼児の頃らしい。
『いないいないばあ』『いいおかお』など、幼児のための物語を書く人として、松谷みよ子を知ったのだ。
ここ数年読んでいないが、『おはなし だいすき』と言う童心社のやや大きな本がある。6歳までの読み物・読んでもらう本。
執筆陣は豪華である。松谷みよ子、村山寿子、与田準一、他に外国の物語がとても沢山入っている。
挿絵陣もたいへん豪華で、いわさきちひろ、北田卓史、安 泰らである。
今読んでも大変面白い話がたくさんある。

そしてこのモモちゃんシリーズ。
モモちゃんと妹のアカネちゃんと黒猫のプー。
楽しいだけでなく、色々と深い事情の潜む『物語』だった。
パパとママは互いに嫌いではないのに、思想上の差異から離婚する。
離婚して後もパパからの愛情はモモちゃんやアカネちゃんに届く。
しかしパパは道半ばにして死んでしまう。

松谷みよ子の作品にはしばしば『死』が描かれる。
『死の国からのバトン』『まちんと』などである。
松谷みよ子もいわさきちひろと同じく、子供の未来のために平和を求めるお母さんなのである。
このことはやや大きくなってから、わたしにもわかった。

一方、松谷みよ子は日本各地の伝説や民話を採集する人でもあり、それらを自分の言葉で再構築する作家でもある。
わたしは松谷みよ子の『日本の昔ばなし』『日本の伝説』などと共にTVの『まんが日本昔ばなし』を見て育ったことを、とても嬉しく思う。

高校生の頃から民俗学に惹かれたのは間違いなく、根にこれらがあるからなのだ。
わたしの民俗学は父を谷川健一と折口信夫に、母を松谷みよ子に始まっている。


松谷みよ子の家庭事情とモモちゃんの物語はリンクしあうところが多い。モデルはそれぞれお嬢さんたちなのだ。
プーはもういないが、今では別な黒ネコさんがいる。
その写真がせつない。
黒猫ちゃんは家猫なので座敷で遊んでもらっている。
外猫でごはんをもらっている白猫、ブチら三匹は雪見障子の向うでその様子を、実にうらやましげに眺めている。
・・・つらいなあ。
すべての猫が幸せになりますように。


展覧会にはたくさんの絵本が並び、母子が大勢来ていて、皆楽しそうだった。現役の子供も子供を引退したママも、みんな松谷みよ子の作品に触れて育っているのだ。

わたしは忙しい隙間を縫ってここへ来たことを喜んだ。
一人ぼっちで見に来たけれど、松谷みよ子の世界はそんなわたしにも扉を開いてくれる。
来れてよかった、本当に。

やまとの匠 

私鉄王国と呼ばれるだけあって、関西では私鉄とバスなどが『スルっと関西』というコラボ体を運営している。
関東でもそれが普通になってきたようで、東京に遊びに行くと、地下鉄と私鉄が一枚で過せるので、楽で結構だ。
とにかく鉄道の使命として、大勢のお客さんを移動させること、という条項がある以上、A電からB電経由でC電にもつなぎEへ到着させることに意義がある。
そこでわたしは過日、奈良&大和路フリー切符で市営地下鉄と近鉄を楽しく遊んだ。

別項で東大阪での四大浮世絵師展の記事を上げたが、そこから電車に乗り継いで奈良に出た。
バスで国立博物館に行くが、このバスもチケットに含まれるので何度でも乗れる。
博物館のバス停は『氷室神社』である。
春に来たときは、それはもう見事な紅枝垂桜が咲き誇っていた。
菩提樹の樹紐のように桜が流れているのだ。
すごかったなあ。
今は初夏だから、その桜は綺麗な緑色に染まっている。

道路を渡る前に振り向けば池がある。
池には睡蓮が咲いていた。ハスではなく睡蓮。
可愛いなぁ、と見ていたら池の中ほどの小さな山に五位鷺らしき奴がいた。弓のように立っていた。

6/10から始まる『やまとの匠 近代から現代へ』という工芸展の初日に来たのだ。
奈良は明治維新の際、廃仏毀釈の嵐に遭い、大変不遇な時期を過した。興福寺の塔まで売りに出ようかとか、そんなとんでもない話が平気で出ていたのだ。
地所もだいぶ売り払った。その辺の話は考えると腹が立つのでやめておく。
さて、奈良は八世紀までは都であったが、以後ずーーっと『古都』であった。歴史上目立つこともあんまりなかった。
天誅組の十津川は奈良県であっても、都としての『奈良・圏』とは少し違う。

目立たない県になり、色々な苦難もあった。
しかし工芸職人の腕は死んではいない。
奈良の一刀彫や赤膚焼の職人の残した工芸品が一堂に会している。木彫彩色の、見事な人形たち。
これらは仏像修復の技能を持つ地にあるからこその誕生だと思う。

奈良だけに鹿が多い。
屏風があった。百鹿図。鳥居派と逆に、下から上へではなくピラミッド型。鹿は上にゆくほど小さく、数も少なくなっている。
以前、龍谷大学で染付の壷で百鹿図を見た。ケルトの文様でも見た。
世界各国、鹿が好きなのだと思ったなあ。
ここにはないが、奈良に長く住んだ志賀直哉の編集した『座右寶』の中にも鹿の壷があった。ロクでなしなシカの表情が忘れられない。

木彫りのシカはリアルにも、裏から見ても『シカ』だった。
つまり座った足の曲げ方。
四角いちゃぶ台みたいな感じ。笑えるなぁ。
香合もある。木のは匂いが変わりそうだから、これは形のみで実際には未使用ではないか。
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能は奈良に始まった。
それだけに能を題材にした人形も多い。
戦前の名人・桜間金太郎をモデルにした翁像がある。
例によって『芸十夜』をひもとき、そこから桜間金太郎の写真を見たり、須田国太郎のスケッチなどを眺めようと考える。
昔の名人の姿を写した木彫の口許は、なんとなく笑って見えた。

しかし『後高砂』をわたしは知らない。
怖い面をつけている。仕種も大きい。後ジテか。
学ぶことは無限にある。

『おたふく』はめでたいらしいが、どうも怖い。古様になればなるほど怖い。明治の工芸であってもおたふくには前近代の闇を感じるのだ。足首の辺りでセパレートになり、そこに置かれた爪先を見ると、やっぱりこわいな。

華麗な彩色を施された『砧』を見て、絵画の三次元化を思った。
絵画と彫刻とは芸術という括りの中では仲間だが、本質的には全く異なると思う。三次元のものをある側面のみ写す事は絵画には出来ても、多面を同時に写すとどうしても違うものになってしまう。
ピカソの作品は絵画の可能性を開いてくれたが、視覚での理解度は万人に共通するとは言えない。
まだ絵画の立体化の方が可能かと思うこともあるが、それも完全ではない。

しかし、この『砧』は美しい。職人の手の精妙さに感嘆する。
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また『春日瑠璃燈篭写』の青いビーズの美しさにはため息が出る。
正倉院の模造品製作に携わる職人たちがいたからこそ、こんなにもきれいな作品に会えたのだ。

これらはみな、こちらに画像があるので、それを見た方がいい。
奈良博、消さないでね。
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2006toku/takumi/takumi-1.htm

他にも福良雀、富士山などがあり、見ていて飽きない。

木彫工芸だけではなく、赤膚焼も並ぶ。
素朴で可愛い絵付け。

いま始まったばかりだ。
一ヶ月ばかりの展覧会だが、奈良に行ける人にはぜひぜひお勧めしたいと思う。綺麗で楽しい展覧会だった。

四大浮世絵師展

アジサいとバラが可愛く咲く花園ラグビー場にきた。
一つの大きな公園にラグビー場三つと美術館があり、今日は浮世絵を見に来たのだ。
写楽、北斎、歌麿、広重の四人の絵師の名作70点を見せてくれるのは中右瑛さんだ。
この人のコレクションだと聞くだけで、行く気になった。

以前からここに来る度楽しい気持になるが、今日もそうだ。
寄席の木戸口みたいなしつらいがあり、それだけで楽しい。

写楽の大首絵と全身像の有名どころが並んでいる。彼が誰なのかは知らないし知ることはない。
ただ作品だけは世界に長く残るのだ。それ以上なにが必要なのだろう。
まるで彼に追随したような絵師たちの作も並ぶ。無価値か?いやそうではない。当時の匂いが伝わるだけでも貴重なのだ。買った客も悪くは思わなかったはずだ。浮世絵の価値は一様ではない。

中右さんは『写楽は十八歳だった』という著書を出されている。フランキー堺も写楽の正体についての考察の著作を遺している。これからも多分、新説は色々現れてゆく。
邪馬台国と同様、写楽の正体も決して解けることはない。

広重の雪、木曽の山川を描いた作は安政4年、死の前年だ。
雪に埋まる山、鼠色の空、縹色の川。3色だけなのだが無限に広がるように見えた。
鼠、白、縹、この色彩と大胆な線と繊細な彫りが世界を拡大する。
黙って対峙するというのでなく、天からこの風景をみつめる、そんな気分だ。
普段洋画の風景画に関心のないわたしだが、版画の風景にはなぜか深く心惹かれる。

彼の風景画には馴染みが深い。東海道五十三次。
これにつきる。
永谷園のお茶漬けに入っていたカードを集めた人は多いだろう。私が物心ついた頃、既に家にはそのセットがあり、更に画集もあったのだ。これらは父による。母には浮世絵や時代劇や歌舞伎の趣味はない。
だからか、私は子供の頃広重の風景画が一番だと頑に信じていた。
芸術に一番も二番もないことがわからなかったのだ。絶対の観念しかなかったのだ。(相対の観念が身につくのは実に遅く、多分十代に入ってからだ)

他の風景画に関心が行かなかったからか、北斎の富嶽三十六景を知ったのも時代劇からだ。
小沢栄太郎が葛飾ア北斎とか名乗りながらコロシの依頼を受けてその絵を描く。後に来た連中がそれを見て実行する。だから風景画の中に判じ物が潜むのだ。
北斎を知ったのがこんな形からなのは少ないだろう。

北斎漫画が何編か出ていた。
これは大ベストセラーで全部刊行したのが明治十五年だと言うからおそろしい。私はさる旧家で明治末の版を手に取り眺めたことがある。面白かった。単純に楽しんだ。
江戸時代はやはり浮世なのだわ。そんな実感。
半年前東博で北斎展があり凄い人気だったが、あんまりにも混んでたからか感銘もせず、モッタイナイことをしたが、今日は随分楽しめた。
お客さんも多い。みんな芸術鑑賞と言うより、楽しみにきたのだ。
わいわい感想を口にしている。正直うるさいと思うのだが、芯から楽しそうなので、違う気持ちでわたしも作品に対する。
こういう楽しみ方が出来るのは河内と言う場所柄だけでなく、中身が浮世絵だからだと思う。
みんなの知ってる浮世絵。多分、来た人はみんな、機嫌よく帰ってゆくだろう。
歌麿の女たちの良さがやっと近年わかってきた。
以前はどの女にも個性を感じなかったのだ。しかし最近は目つきや口元の微妙な笑いなどが目に残り、ほつれ毛などに強烈なエロティシズムを感じるようになった。
元々江戸文学が嫌いではなかったところへ、歌舞伎への耽溺の時期も超えて、やっと落ち着いたのだろう。歌麿の良さにときめくようになった。

そういえば、広重の珍しい作品も見た。
曾我物語の五郎と小林の図や、雪の日に庭に髑髏の怪異を見る清盛の図などである。
どちらも国芳が好んで描く画題だが、広重もこうした作品を版元に頼まれたのか。
役者絵まである。団十郎と菊之丞の浦里時次郎の道行き。この団十郎はきれいな顔だから八世だろうか。
八景図の見立て絵もある。美人とコマ絵と。矢橋帰帆図を、女の立ち姿にして『妓はん』地口というやつだ。
今ならただの寒いオヤジギャグに分類されるが、地口はなかなか奥深く面白い。

わたしは北斎のオバケの絵が大好きだ。
百物語の五種が来ていた。提灯にお岩さんのあんぐり開いた口に恨めしい眼、これなど好きだ。
笑い般若と皿屋敷はちょっと気持ち悪い(つまり怖い)。
ももんがのパロディももんじいの位牌はブラックユーモアだが、こはだ小平二は意味が違う。
蚊帳の上から覗き込む半分溶ろけた髑髏。
女房と間男とを呪う亡霊。
中川信夫の『生きてゐる小平次』はわたしの日本映画ベスト5の上位に必ず入る作品だ。
元々怪談が大好きなのだが、この作品は怪談ではなく怪異談なのである。
原作の鈴木泉三郎の脚本も読んだが、本当にそこには荒涼たる風だけが吹いていた。
映画も恐ろしかった。たった三人だけの登場人物。彼らの執意。
わたしは北斎のこの絵を見る度、芝居ではなく映画の『生きてゐる小平次』を思い出すのだ。

しかし北斎の奇想はこうしたオバケ絵だけではない。
世に赤富士と呼ばれる名画があるが、その色違いバージョン『青富士』がここにあった。
シャープな美しさ。ドキッ とした。
きれいだった。わたしはこの方が好ましい。

見立て絵。物語絵。
『詩歌写真鏡』というシリーズがある。
漢詩などからインスパイアされた、というよりその詩を絵画化したもの。
『少年行』『木賊刈』など。
狂歌師たちの摺り物(非売品のもので配り物ということが多い)で北斎は歌麿らとコラボレートしている。
歌麿の絵は能の石橋の装いをした人物像だ。
絵師の個性の違いが面白い。


実はこの日の予定は東大阪で四大浮世絵師展を見た後、奈良でこれまた浮世絵を見ると言うものなのだった。我ながらメチャクチャだが、こうして機嫌よく楽しめて、よかったと思う。
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野間の近代洋画

野間記念館の近代日本洋画を見にゆく。
わたしはこの野間記念館が大好きだ。友の会が発足すれば即入会したいと思っている。

中沢弘光が三枚出ている。
『浴室』『いのり』『裸婦』
大正九年前後の作。
皆、裸婦だが趣が違う。
『浴室』 はごく普通にお風呂に入っている女。足を湯船の外に出してくつろいでいる。
もしかするとハナウタくらい歌うかもしれない。
『裸婦』 渓流を背にバストアップの女。胸がとてもきれいだ。昔のなごやかな、裸婦。
そして『いのり』 これは天平かそれ以前の白鳳頃くらいの二人の女の祈りの姿。
二人は日に向かって祈りを捧げている。半裸の女と薄物を身につけた女と。
黄光が二人を包んでいる。敬虔な、というよりも無垢な心からの信心。
こうした作品にときめくわたし。

小寺健吉『水辺裸婦』 森の中で膝を組む裸婦の顔はルバスクの描く女と似て、おっとりしている。おっとりした女を最近は本当に見なくなった。

武二の『水浴』 背を向け湖に立つ女は、全景のなかでは樹のようにすら見える。小船と女と。

わたしは武二だけでなく三郎助の女が好きなのだが、今日見たのは『舞妓』と『くもり』だった。以前から見ている絵だが、今日は『くもり』を見ていて、モネの描く草原を散歩する日傘の婦人と、同じ地続きにこの女はいるのではないか、と思った。
洋装のパラソルの女と和装の女と。
日傘の女はそぞろ歩き、着物の女はしゃがんで物思いにふける。

寺内萬治郎の女はなぜかいつも同じ女に見える。
黒いコートを着て本を手にした女がこちらを見ているが、私はあなたの素肌を知っている、と囁きそうになる。うらわであなたの膚を見ています・・・服の上からでもわかります・・・と。

風景画に移る。

石井柏亭『風景』 どこかの山裾に姉妹のような洋装の女たちが並んで写生をしている。
山を描いているのだろうか。遠目ではわからない。
そしてその二人を、画家は描くのだ。

中沢の『越後湯沢の雪』をみて、雪がピンクに染まっていることに目を惹かれた。
中沢の色がそこにある。 
温泉宿も民家も何もかもが雪に鎖されてその重みを受けている。ふと気づけば、小さな人影がある。一人で雪かきをしている。・・・・・・たぶん、むり。

林武『海』 ゴテッ 藍色の海。泳ぐには重過ぎる。でも、見ていたい風景だ。

わたしは三宅克己を知らない。
ヴェネツィア、アムステルダムを描いた水彩画が並んでいるが、版画のように見えた。
大正九年の欧州スケッチ。水彩の色がきれいだ。
解説プレートに面白いことが書いていた。
三宅は風景は描くものだと言う意識からカメラを持参せず、その場に立ったとき、臍をかんだそうだ。
うーん、他山の石としよう。わたしも折角デジカメ買うたんだし・・・(ハナシがズレた)

山本森之助も知らないし、『奈良』も初見だ。
これは多分、猿沢の池から見た興福寺なのか。かなり昔の風景だと思う。今はこうは見えない。

静物画。
欧州の静物画は民族性の違いからか、やたらとうさぎや野鳥の死骸をテーブルに置くのを描くなあ、というのが子供の頃の認識だった。
その意識が底にあるのであまり静物画を好まない。
しかし花瓶に挿された花などは別である。(尤もわざと枯れた花を描くのもあるが、それは嫌いである)

またもやられた、林武。『長寿花』 カッ という赤。考えれば林武の大活躍していた時代はニホンもがんばってた時代なのだな??。生まれてないから知らんけど。

躑躅が二枚ある。
高橋惟一と黒田と。
高橋のはへにょんとしているので、もう終わりの頃かもしれない。
黒田の躑躅は元気よく咲いているので、いかにも初夏でいい感じだ。

山下新太郎は数年前ブリヂストンで回顧展を見たが、それ以来なかなか好きになっている。
『薔薇』 水盤に活けられたバラ。その水盤は染付青磁だと思う。欲しいような水盤。
そして綺麗なバラ。心の静まるような絵だ。

今やはり薔薇の時期だからか、あちらこちらで絵や写真の薔薇を見るし、外に出れば薔薇が咲いているのに会う。薔薇は画題にもとても合う。好きな人が多いのもよくわかる。
しかしわたしは時期に関わりなく椿が好きなので、武者小路の『紅椿』を見てニコニコした。
なんとも言えず可愛い花だから。


講談社は色々な雑誌を出しているが、その中でも戦前戦後の読み物系の雑誌にはすばらしい口絵をつけていた。
表紙一つにも大変凝っている。その原画と、印刷されたときのものとが共に飾られている。

大正末から昭和初期のモダンな時代、『キング』の口絵には、物語性の強いものが飾られていた。
実際その号にその口絵に相応する読み物があったかどうかは、知らない。

三郎助『羽衣』 あどけないような顔をして肩脱ぎの天女がいる。ずっと遠くではフジの山が噴煙を吐いている。古来、フジ山は火を噴く山であった。
奈良時代に成立した(と言われる)竹取物語は最後、不老不死の薬を富士の火口に投げ捨てるのだ。(Lord of the Ringを捨てる葛藤が、帝にはなかったらしい)
富士山は天女の困惑もなにも知らぬようにそこに聳え立っている。

中村不折は中国の故事などから画題を得ることが多く、書家としてより書道研究家としてより、その方に私は魅力を感じる。
ただし、画題はそこから取材しても、どの情景を描いているかは推測するしかない。
『漢の高祖』 劉邦が易者らしき白髯の老人から何かをじっと聞いている。まだ田舎にいる頃、つまり小さい役職をもらいながらも地回りに近い暮らしをしていた時代らしい。
木の影で幼子を抱き、その姉らしき子を連れて立つのは、妻の呂雉のちの呂后だろう。
まだ何も動いていない時期の、ある日の情景。

鹿子木孟郎がワシントンの桜の木の逸話を描いていた。
綺麗な春の庭、切られた桜の枝、斧、父と息子。タイトルは『正直』。
わたしがこの話を知ったのは小学生のときだ。
わたしが読んだ話では、成人したワシントンが回想としてその話をしてから友人を連れて帰省し、母に出迎えられる。
母は葡萄酒とパンを支度していた・・・ というものだった。
当時葡萄酒とワインが同じものとは知らずドキドキしていた。

武二の『ワシントン』は海上の小船にぎゅうづめに乗っていてアメリカの旗を掲げているものだった。描かれたのは鹿子木の五年後だから、ワシントンも成長したのだろう。
他にも南薫造らのエリザベス女王やミルトン、ウェリントンら歴史上の人物の1シーンを描いた作品があった。

表紙絵では和田英作の古代を舞台にした作品がある。
華籠に桜をいっぱい摘んだ佐保媛、睡蓮を頭に飾す太古の女、そして昇る朝日を背に笑う女。
私は洋画でこのように古代を描く作品を見るのが好きだ。

三郎助といえば美人画を描く、というイメージがあるが、びっくりしたのが祖母と孫、祖父と孫の絵だ。リアルな皺のご老体と幼な子と。・・・描くのだなぁ、こういうのも。
これらの号は何を特集したり掲載したりしたのだろうか。

武二はざくろや百合や牡丹にアゲハチョウが飛び交う表紙絵を描いている。これらを見ると、武二が世紀末芸術の範疇にいた人だと感じる。

宮本三郎の洋装の女は『婦人倶楽部』の’37夏の表紙絵だった。
まだ女もこうした楽しいナリが出来ていた時代。
しかし表情を見て私は『カルメン故郷へ帰る』をなんとなく思い出していた。

戦後の『少女倶楽部』の表紙を小磯良平が描いている。
幼女のアップ。皆とても可愛い。もののない時代にも、こうした絵が心の支えになり、がんばろうと思う人が多かったに違いない。

いつもながら、野間記念館は不足なく楽しませてくれるところだ。
本当によかった。

ある植治のお庭

京都の東山界隈を中心に、これでもかとばかりに、植治こと小川治兵衛の作庭が活きている。
と言うより、この界隈では植治以外のお庭を探す方が困難なのではないか。
わたしは時々飽和してしまう。しかしながら違う手の庭を見ると、違和感を感じる体質なので、これはやはり植治を随一と見做しているのだろう。
とはいえわたしが一番好きな庭は夢窓国師の作庭した等持院の、やや荒れ果てた感のある庭なのだが。

それはさておき、この写真の庭園は一般公開されていない植治作庭のものだ。数年前のスナップ写真だが、ここに上げることにします。

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あるお庭の中にある和風の建物。

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そのお座敷床の間。

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お庭の小さな流れ。


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その流れにかかる橋。これは純然たる銅製。
そう、この庭園にはあちこち銅が使用されている。
銅にゆかりの深いS家の庭園だからだ。

最近は公開することもあるようで、案内状が来ていた。
美術館の展覧会案内と共に。
銅つながりでか、青銅器の素敵なコレクションもあることだし♪

また、いずれここに立とうと思う。

國富コレクション 近代洋画

姫路美術館で國富コレクションを見る。
以前、東大阪に巡回展があり、そのときに知った洋画コレクションだ。

コローの『湖』を見る。
静かな漣。しかしながらわたしはこうした風景にあまり心を打たれない。
コローは婦人像の方が好ましい。

クールベ 『波』
昨今クールベ展が多いので、『波』を色々見る機会に恵まれている。
その中でもこの『波』は大きさも丁度良く、家に飾りたくなる作品だった。
名画でも飾りたいもの・見ていたいだけのものと分かれるが、これは飾りたい絵だ。

ルバスクの裸婦などがある。
表情の柔らかな女。この画家の作品は他に風船売りくらいしか見ていないが、おっとりしていて好ましく感じる。

ドンゲンが好きだ。
彼の描く女たちにときめく。
しかしここにある平べったいご婦人はちょっとコワいようである。解説プレートに少し忸怩たる思いが湧くが、そうした認識もまた仕方ないのかもしれない。

ユトリロの街角を見るとそこにいる気分がする。しかし彼もまた多作のために気の毒なところがある。

普段ルドンにはあまり関心を持たない。
しかしこの『花を飾る少女』には目を留めた。この少女はクレオールだろうか。にこやかな表情。
少女の頭には綺麗な花が。わたしはルドンの幻想的な作品より、こうした傾向のものに惹かれる。

デュフィが何点かあるが、色の区別のはっきりした作品に少年の肖像画がある。デュフィを見るといつも、現代への架け橋だという感じがする。

絵画だけではなく彫刻もあった。
ロダンの『わたしは美しい』・・・タイトルだけなら某化粧品会社のキャッチコピーだ。
立つ男が持ち上げる身体。ところがそれが女だという確証をわたしは得られない。それにこんな力技、大変だとか、違うことに感心したり疑問を持ったり。不思議な体勢とまでは言わないが、なんだろうか。


残念なことにチラシもハガキもない。見るだけ。
美術館側と寄贈者との間に何かしらトラブルがあったようでもある。
しかし、遠い姫路にまで来た甲斐のあるコレクションだった。

培広庵コレクション

うらわ美術館で培広庵コレクションとして美人画展が開催されていた。
わたしはそれが見たくて、横浜から目黒経由で浦和という展覧会ツアーを組んだのだ。
この培広庵さんのコレクションに逢うのは、実は二度目である。
五年前の七月、京都の池坊の美術館で最初に触れたのだ。
そのときも大変感銘を受けた。
当時とお名前が微妙に異なるが、同じ方だと何故か確信していた。美術館のサイトにはわたしの知らぬ絵が掲載されていたが、間違いなかった。

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会場に来てからやっとチラシも手に入れたが、そこにある山川秀峰の『阿倍野』にドキッとした。というのは、数時間前目黒で見た『素顔の伊東深水展』で写真版を見ていたからなのだ。
偶然と言えば偶然だが、こんな嬉しいことはない。
その実物。
大変大きな作品で、葛の葉が二匹の白狐に守られるように歩いている。
「恋しくば たずね来てみよ 和泉なる信太の森の うらみ葛の葉」
歌舞伎にも伝説にも説経節にも名高い『葛の葉』の話がここに活きている。
なにも本当の狐でなくともよいのだ。来つ寝であるのだから。
哀しい、わびしい、そして美しい日本の昔のものがたり。
しかしながらこの作品を見てわたしが思ったのは、秋元松代の戯曲『元禄港歌』に現れる瞽女の一団が語るところの『葛の葉』なのである。
千年の森から現れ、ひと時だけを愛する男のもとに身を寄せ、やがて去って行く哀れな「来つ寝」たち。作品に物語性を強く求めるのが大阪人の特性だとこの展覧会の解説に書かれていたが、確かにそのとおりだ。わたしはこの絵に現れる物語に惹かれているのだ。
東京画壇の秀峰はしかし、師匠清方譲りの文芸への嗜好を、こうしたときににじませるのかもしれない。

渡辺省亭の顔世御前が二枚出ている。本題は『塩谷判官の妻』である。これは別バージョンも見ているから人気だったのだろう。太平記から取材した話だが、原典はともかく、芝居では彼女の名は「顔世御前」と決められている。
旧約聖書のエピソード『スザンヌの浴姿』と同じような話である。人妻に横恋慕した権力爺さんが覗き、ますます女への執着が湧くと言う厭な話。
女の白い足が立て膝をしているが、思わずこちらものぞきこみたくなった。

『後の月』
この絵を見て、鏡花の『風流蝶花形』をすぐに思い出した。
二人の遊女が仲良くしているからと言うだけではない。なんとも言葉に出来ないエロティシズムが漂っている。
ねえさん、ああ、ねえさんてば、ああなんだな、ねえさんねえさん、あいよ、ねえさん・・・・・

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山村耕花の『四季美人図』は野間にも同名の作品があるうえ、描き方もあんまり変わりがないように思う。ここには虹をみる人がいる。

契月のこの着物のグラデーションの美しさにはため息が出た。
ほのぼのと日が昇るように美しい。
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華岳の舞妓が一枚出ていた。
わたしは彼が隠棲する前の耽美的で享楽性の濃い作品が好きだ。
これもその分類に入る。さらさらと描いていても心の流れまで掴めるような作品である。

小西長弘のこの作品は祇園の巽橋である。こちらは右隻だが、うらわ美術館のビルの一階に複製が飾られていた。とても素敵だった。この絵をチラシに使い、複製を作って入り口に飾る辺り、わたしのような趣味の者には嬉しくて仕方なくなるし、そそられもする。
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京都でしかお目にかかれない画家たちの作品がかなり多い。
一洋、凰白、日沙春、神草たち。皆が舞妓や妓を描いている。
そして甲斐荘楠音。
大楠公の末裔は、画家としては庄を名乗っていた。

彼の回顧展は京都近代美術館で十年前に開催されていた。
その以前から市立美術館や近辺の画廊で甲斐庄の絵に触れることは多かった。
栗田勇の著作に『女人讃歌 甲斐庄楠音の生涯』という労作がある。
わたしがこの本に出会ったのは、’92正月の奈良そごうでの榊原紫峰回顧展の物品販売場だった。
榊原とは同じ国画会に属していた縁からか、この本が並んでいたのだが、本の帯にぎょっとした。
「穢い絵でいかんのか」
土田麦僊との確執から画壇を離れ、映画界へ飛び込んで、という話は以前から知っていたが、この労作はその辺りを丁寧に描き出していた。
わたしは溝口健二の作品を愛している。小津安次郎よりも成瀬巳喜男、溝ケンに心が惹かれる。
そこから甲斐庄を知ったのだ。
彼のファンは多い。しかしそのことを公にする人は少ないのではないか。
わたしは国立近代美術館で彼の回顧展が開催されたとき、正直、ショックだった。
それは隠していたいものを曝け出されるような、あの感覚が湧いていたからなのだ。
国が彼を認めたのか、と忸怩たる気持ちで展覧会場へ出かけた。
彼の作品はひっそりと観ていたい。そんな人が多いだろうと思いながら。
今回三枚の絵が出ていた。
晩年の絵と(多分)若い頃の絵と(多分)晩年の絵と。

甲斐庄は映画の世界では風俗考証や衣裳などを担当していた。
『旗本退屈男』のハデハデ華美華美な衣裳、あれも彼の発案だったそうだ。
溝口起死回生の大傑作『西鶴一代女』、あの映像を見ていると、随所に甲斐庄の描く女の姿が浮かび上がってくる。島原の太夫、惣嫁、最後の化け猫女郎に至るまで・・・彼の描いてきた女たちが動く肉を持ってスクリーンに現れたように思えた。
今回ここにある三枚の絵にもそうした幻想が見えたように思う。
ナマナマしい女たち。
痩せていようが肥えていようが、肉と皮膚とにおいまでナマナマしくそこにあるのだ。
如何ともし難い世界だと思う。
久世光彦は『怖い絵』の中で甲斐庄の絵に死姦の匂いを嗅ぎ取っていた。
彼の作品を好む人は多くとも、そのことを隠すのは多分・・・・・・・・・

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大阪の画壇に移る。
先日この場でも大阪の画壇の特異性について少しだけ書いている。
大阪では女流画家は臆することなく機嫌よく絵を描いていた。
また大阪は付加価値を求める体質があり、ただの絵ではいけない。つまり物語性・文芸性をタブローに求めた。
今現在の大阪から文化が欠如しているのとは反対に江戸時代から『大大阪の時代』までは、大阪は文化を溺愛して来た。温気に満ちた生温い体質が機嫌よい人間を生み出し、許しやすい体質を育んだのだ。(それでナァナァになり、コンジョなしになったのかもしれない)
だから大阪には島成園や木谷千種らが生まれたのだ。エエヤンエエヤンという感じで。
彼女たちの師匠北野恒富は元は他郷の出だったが浪花の温気にすっかり毒されてしまった。
『願いの糸』
これは七夕さんの行事で、元は御所から出た慣例の一つだったらしい。
これとはまた別なバージョンも残している。
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中村貞以 単衣の人 イメージ (34)

ところでこのコレクションには珍しいことに金沢の美人画家の作品もあった。
その理由は培広庵さんがそちらの方だからだろう。
綺麗な女たち。彼女の着物は加賀友禅なのだ。
私はそんなことを考えて一人で感心してしまった。

良い展覧会だった。
大阪から来た甲斐のある展覧会だった。
わたしは本を買い、ハガキを数枚買った。培広庵さんが五年前の培友さんと同じ方だと信じこみながら、機嫌よく会場を後にしたのだった。

出ると四方田草炎の竹だけしか描いていない下絵展があった。
中に入ると、細長い画面が全部で11ほど間隔を置いて並んでいる。
竹林の中にいる気持ち。
さっきまでの華やぎは消えて、しーんとした竹林にひとり、佇む。
化野念仏寺の石仏を眺めていたときと同じような気分。

風に吹かれたようだった。


五島美術館の近代日本画

五島美術館の近代日本画を見に行く。
チラシにもネットにも画家や作品名のラインナップが出ているだけで、画像はない。しかしこの名前を見るだけで十分期待は高まる。
横浜から自由が丘で乗り換えて上野毛へ出た。

茄子、雀、牡丹、梅、モミジ、お馬の親子。

一言で言えばこれらが今回の見所かもしれない。

茄子は三人の画家が描いていた。
大観の茄子は、墨の濃淡だけで枝と実とを見事に映し出されている。おいしそうな茄子。ぽってり垂れ下がっている。
シギ焼きにして味噌ダレつけて食べたいわ。

跡見学園の創始者・跡見花蹊の茄子には可愛い雀がいる。
薄墨で影のような描写だが、雀は活きている。

古径の茄子には薄い紫の花と黄色い花芯があるが、それらはあくまでも慎ましい。抑制が効いている。

雀はさりげなくどこかにいる。
しかし栖鳳の雀は堂々と色紙の中にいた。
『喜雀』 欣喜雀躍という言葉もあるが、ここにいる雀は二羽、らぶらぶな感じで歩いている。多分、デート中。
以前宮崎県の民家園に行ったとき、いきなりカシワが現れた。
なんだか高砂の翁と媼みたいな感じ。私はニガテなのであわてて後輩と同期の間に隠れた。ニガテなので見たくないのだが、なんだか心温まるような幸せそうな奴らだったな。
それと一緒。なんか幸せそう。

『新竹』 西山翠嶂は若竹に留まる二羽の雀たち、生意気なくらいピーチクパーチク囀っている。捕まえて伏見の寝ざめ屋に売るゾ。
(伏見の寝ざめ屋は有名な雀の焼き鳥屋。稲荷社のそばには大体そうした老舗がある)

牡丹へ移る。
省亭の牡丹には雀がいる。
雪囲いの薄紅牡丹の根元にいる。雪を避けているというより、『幸福の王子』の物語のようだ。牡丹が王子の彫刻、雀は南へ行けない。

大きな絵を描く龍子は『富貴盤』にビラビラした牡丹を寝かせている。牡丹には芍薬のような芳香はないはずだが、よい匂いがこちらにまで漂いそうな絵だ。

華岳の牡丹と言えば、彼が隠棲してからの作だという意識がある。
国画会にいた頃は牡丹も六甲山も描かなかった。
いつも血の様な牡丹だと思ったが、ここに咲いていたのは薄い紅を花の縁に滲ませた「きれい」な花だった。

日本画の画題において梅の位置はたいへん高い。
白梅、紅梅、蝋梅、枝振りのよさも加味されて、たいへん愛されている。「馥郁」と言えば梅の香。そのイメージが強い。

百穂の『梅に小鳥』、『坩梅』『紅梅』『曙梅』 安田靫彦、いずれもその馥郁たるものを感じた。

紅梅を描いたのは蓬春と金島桂華だが、前者は様式的、後者は民話的な作品だった。
桂華の作品は枯れ木のような灰色の枝のその先に、パァッッと赤い梅が咲いている。
「枯れ木に花を咲かせましょう」
桜の替わりに梅が咲いたのかもしれない。

松篁『芳梅』 芥子色の地に白梅がそっと咲いている。
花は慎ましいが匂いは爛熟のときを迎えている。その花へ飛び降りたい小鳥。静かな官能性が潜むようだった。

青邨のモミジは本題『紅葉』だがむしろ『黄葉』と言う方が正しい。
金色のモミジ。葉の裏や影はオレンジ色で、そこに隠れるように小鳥が並んでいる。黄色い楓。愛らしい。
嬉しくなるような作品だ。

関雪の『藤に馬』
関雪の馬と言えば『意馬心猿』をすぐに思い出す。
水滸伝を読むまでその意味を知らなかった。
さてこの作品は広々と大きい屏風だが、藤の下にカツギ柄の馬がぬーと立っていて、その背に白馬が甘えるように首をもたせ掛けている。そして左隻には白い仔馬がそちらを見ている。不機嫌そうに。
猫の柄の遺伝は70%が父性から来るらしいが、馬の遺伝子は知らない。ここの親子関係もよくわからない。
しかしチビの仔馬が不機嫌そうなのは、わかる。
面白い。

他に記憶に残ったのは土牛の『木鼡』つまりリスである。
ざくろとリス。尻尾が丸々していると人気者のリス、尻尾が細いと嫌われ者のネズミ。ちょっと面白い。


日本画の他にも宇野雪村コレクションとして、中国の硯や水滴などが出ていた。これについても細かく書きたいが、また別項で書き起こしたいと思う。

静かな気持ちになれる展覧会だった。

ケーケン値

http://keiken.uub.jp/km.cgi?MAP=44443330044344044404434434544344434244033444444&NAM=遊行七恵&CAT=生涯経県値

のっけからあれです、生涯経県値とやらを調べてみました。
自分でも感心しております。
でも、行ってない所に対して、ちょっと申し訳ないです。
新潟には行く予定あります。数年後か?
茨城には従妹がいるのでそのうちいずれ。
栃木には日光金谷ホテルもあるし・・・
高知には絵金見に行きたいし・・・桂浜だって行きたいし。
山梨・・・エート・・・

とりあえず、五島とうらわと野間の感想文を早く書こうと思います。

今日のおやつ

閑話休題。

6/6、会社でおやつもらいました。
めっちゃおいしい♪
ふわっとしたスポンジの中に大納言が。
それがしっとりあっさり・・・おいしいのよ、なんだか。
わたしはこういう柔らかなスポンジ系の焼き菓子が大好きなのです。
名前は『くらだし』
kuradasi.jpg



早速調べました。
http://www.hon-matsubaya.co.jp/index.html

夕陽丘の方にあるみたいです。
おいしかった。この界隈は歴史的に色々見所のある地域なので、ぶらぶらするのが楽しいです。
今度アルキついでに買いに行こう♪

素顔の伊東深水展

伊東深水のデッサンをやっと見に行く。
カタログ完売らしい。おおーという感じがした。
都内にギャラリーを持つY氏のコレクション。

日本画は下絵を大事にする。
下絵から大下絵、そして本画へ。
この手順を大事にしていたから、下絵を見ることにも深い意義と趣がある。
たとえば上村松園の下絵などをみると、その意図するところが見えたり、意識の変遷なども伺えたりするので、なんとも興味深く、味わい豊かなものを感じる。
しかしながら今回の展は下絵でなく、デッサンを集めた展である。

深水がデッサン好きというか、どこででもスケッチする画家だというのは有名だったようだ。解説プレートにもそのことが証言のように書かれている。
わたしがそのことを知ったのは、深水の師匠・清方の随筆『続こしかたの記』などに書かれているのを読んだからだった。
その情景には胸を打たれた。
引用は諦めて大意をここに記す。

戦火を逃れて疎開中の清方は、毎朝農家まで牛乳を分けてもらいに行く。牛の飼い主のオヤジさんは清方を知らず、だだのじいさんだと思っている。
ある日、深水が会いに来る。師弟、互いの無事を喜ぶ。
そうするうちに牛乳をもらいに行く時間になったので清方は深水と共に農家へ向かうが、オヤジさんは相変わらず清方に「じいさん、おはよう」と対する。清方は自然とそれを受けている。
しかしそれを見ていた深水は絶句して、涙をにじませる。
清方は優しく弟子に微笑む。
この先に眺めの良い場所がある、と弟子を誘う。
ふと清方が気づくと、深水は一心不乱にスケッチをしている。
その背後に立ちながら清方は胸がいっぱいになる。
・・・・・・・・・

読んでいて私も胸がいっぱいになった。

さて、会場内を見て廻ろう。

深水のデッサンはリアリズムに近いと思う。
しかしそこから本画へ行くかと言えば、そうとも言えない様に思う。
深水の『美人画』は圧倒的に深水の個性で貫かれている。
デッサンと本画の比較を眺めると、なかなか興味深いものがある。
リアルデッサンを基にしているのはその体勢や構成の大まかなラインだけで、顔立ちは完全に深水美人なのである。
とはいえ、勅使河原霞女史や吾妻徳穂像などは、『肖像画』としてそこに在る。
虚実のあわいが大変面白い。

一方、深水と言えば傘を斜めに差す美人、というくらいそのパターンが多い。パネル展示などをみていても、色違いの別バージョン、季節違いのものなどなど・・・そしてそのデッサンを見て、感心するのである。うーん、それがああなるのね、という感じで。

他にもインドネシア旅行記があり、素朴な人々への好意に溢れたスケッチとエッセイになっている。
今現在のジャワ島大地震を思えば、早くこのスケッチのような姿に戻ってほしいと願った。

デッサンにはライブ感がある。
肉の軋みがあり、ポーズの陰影がある。
しかしながらこれは実を写す影ではない。
深水の望んだとおりの影がその肉体に施される。
どんな人をモデルにしても本画になれば『深水美人』になることを思えば、それは納得できる。

そういえばわたしの手元には名古屋の名都美術館のチラシがある。
これはY氏コレクションではなく、名都のコレクションによる、深水のスケッチとデッサン展のチラシだ。去年の愛・地球博にあわせた展覧会。愛知県が気合を入れた博覧会にあわせて、各美術館も良い展覧会を開催していた。
そのときに美人画コレクションをメインにしている名都美術館が深水のこうした展覧会を企画したのだ。
すごいことだと思う。今更ながら。

面白い展覧会だった。

地図の旅 東日本の旅

横浜まで京急に乗るので、何の気なしにPR誌『なぎさ』をもらうと、いきなり最愛の辻村寿三郎師の記事があり、ついで京急沿線各地の催しに二つの記事をみつけた。
一つは三渓園での下村観山展(これは時間的にも無理だ)もう一つは横浜都市発展記念館での『昭和の地図の旅』展開催のお知らせだった。
わたしは遊楽・行楽を殊の外好む。現実でも観念でも。
行きますがな、行かなどうするんです。

吉屋信子の展覧会の後、港の見える丘公園から『あかい靴』バスに乗り(観光ポイントを通る可愛いバス。100円です)大桟橋で下りた。なんかお祭りしてますね。
それを横目にみなとみらい線と直結した建物の4階にある記念館へGO!
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/

前期後期に分かれていて、まず東日本の旅。
きっぷを渡された。これを提示すると西日本の旅、ご招待。
いいですねえ。

思ったとおり、吉田初三郎だ。
絶対吉田の地図があるだろうと踏んでやってきたので、すごく嬉しい。お客はオジサンばかり。てっちゃんもけんちゃんも大方はオジサンだ。でも女にもてっちゃん・けんちゃんいるのよ。(例えばここに)

地図の原画も出ていた。
これもいいけれど、吉田は商業イラストを知り尽くしていて、自分の作品が印刷されたときの効果を考えていた人なので、ナマナマしい作り方ではない。
早速横浜というか神奈川全域の地図を楽しむ。

おお、ホテルニューグランドや県庁がある。
今回パスした三渓園の塔も見える。
東横線の電車が走るのを追うと、わたしの大好きな建物・大倉精神文化研究所や日吉の慶応を越えて、ずうっと先まで続いている。
京急は横須賀へ続いていて、逸見や按針塚や戦艦三笠があるよ。三崎港もある。ああ、じっくり廻りたいわ。
さっきまで乗ってたJALの機内誌で横須賀海軍カレーも出ていたが、それを思い出した。追憶と連想が次から次へとつながる。
佐藤さとる『わんぱく天国』は丁度この地図の描かれた頃だったはずだ。あの愛すべき子供らが走り回るのが見えるような気がする。

・・・・・・どきどきした。

他の地図を見る。
横浜の全市図。こういうのは今では個人情報保護とか色々言われるのかなあ。懐かしい地図のマーク。大概忘れてるが、へんなのに限り覚えていたりする。
中世の社寺境内図でもそうだが、地図というのは見るだけで様々な妄想が広がると思う。

以前会社がもう少しのんびりしていた頃、わたしは暇があれば京都と東京の地図を眺めていた。道路地図。それから地下鉄路線図。
腕時計をはめていた頃は、秒単位で動いていたのだ。
何秒でどこまで歩くとか、何両目に乗れば乗り換えがスムーズかとか(これは今も続行中)そういうことをアタマの中でシュミレーションし続けていたのだ。
(大阪は地元の為、却ってイージーで、地図もその都度見るかあるいは適当なのだった)
そのときの楽しい気持ちが湧いてくる。

東北の旅へ。
盛岡の地図も吉田の手によるので、温泉地も賑やかに見える。
昭和初期、暗い世相を作り出した軍部や政府は、国民に楽しいツアー参加を促していたらしい。わかるようでわからない論理。
盛岡はなかなか好きな地だ。
小岩井農場、繋温泉、平泉への道。

鏡花の『高野聖』冒頭に
「参謀本部編纂(へんさん)の地図をまた繰開(くりひら)いて見るでもなかろう、と思ったけれども・・・(中略)・・・表紙を附(つ)けた折本になってるのを引張(ひっぱ)り出した。」
とあるが、その参謀本部編纂の地図というのをわたしは見たことがない。ここにもなかった。ちょっと残念な気もする。

来月には後期の西日本の旅も始まるから、そのときには横浜に泊まり丸一日ぶらつくのも楽しい気がする。
五年前、丸二日間かけて横浜中の洋館の調査をしたことがある。
そのときニューグランドに泊まったが、一行の中で一番ミソッカスだったのでシャワーだけの部屋に入った。
今度は少し贅沢をしよう。堪能できなかった朝食も今度こそ、楽しみたい。

来月、横浜へのツアー決定。

八犬伝で発見

八犬伝と言えばわたしには『新八犬伝』だ。
♪仁義礼智忠信孝悌 いざとなったら珠を出せ 力の溢れる武士になる珠を…
これですがな。
幸せなことにNHKの小説本は以前から所有しているし、去年ついにDVDも買えたし。
また偶然と言うより『お導き』のように、いつもはもらわない京急の宣伝紙『なぎさ』をわざわざもらったら、寿三郎師のアトリエ写真が---♪
こういう展開ですもの、やっぱり縁がありますのさ。

とはいえ、文京ふるさと歴史館での『八犬伝で発見』はNHKのそれの展覧会ではない(残念)。
文京区とその周辺での馬琴と八犬伝のシーンなどを集めたものなのだった。

高田衛氏の『八犬伝の世界』完本が出ていたとは知らなかった。ちくま文庫。私はその前身たる岩波版しか持っていない。
今回の展覧会は図録がないので、どういうコンセプトなのかどういう企画の流れだったのかもわからない憾みがあるものの、解説プレートを読むと、多くを高田氏の研究成果などから示唆を得たようである。

地図がある。現代の大まかな地図。馬琴の暮した足跡と、八犬士の彷徨の名残。
例えば不忍池。本の挿絵にはこう書かれている。
「不忍池の畔に孝嗣(信乃)、親兵衛と闘う」 (カッコ内あたしの注)
不忍池の蓮の葉が見えるが、そこで二人が闘っているのだ。
フィクションであってもそう読むと、「ほう、ここで」と親しみが湧いてくる。
戯作者馬琴の面目躍如たるのが猫股橋。
ここで信乃の飼い犬与四郎が憎たらしい伯母亀笹の飼い猫を追っかけたためにこの地名がついたと、戯言を本当らしく書き込んでいる。
うまいよなあ。

なにしろ大人気・大長編小説だからたいへん。
版元も替わって連載・刊行を続けたから本の表紙も色々。
それがまた可愛いのだ。
わんこわんこしている。
目次ページの周囲には(バイヤステープ場所)わんこの行進がある。
まるでアニメのハイジEDの山羊たちののんびり行進のようだ。かと思えば狗張子の行列もある。
犬の掌、肉球も・・・か・わ・い・いーーーっ 絶叫しそうだ。
以前にも天理大学図書館で、八犬伝資料を見ているが、本当に可愛い。
例えばここに上げている絵(拡大化します)は「犬のお伊勢参り」図なのである。
あれです、笠には「同行八人」。八犬士だからなあ。
実際、犬がお伊勢参りすることもあったようだ。理由はともかく、人の手で支度をされて。
h18_0429chirashi.jpg


こちらは国貞ゑがく(by鏡花)ところの伏姫。
h18_0429fusehime.jpg

展示されている本の挿絵の中では、すべての発端たる玉梓の処刑シーンがある。なんとも艶かしい女である。
(わたしなどはすぐに「我こそはー玉梓が怨霊ーーー」という声が耳に蘇るが)
他にもここに出ることはないが、尼妙椿の絵も国貞は描いている。

馬琴のこの大長編小説には『名前』が深い意味を持つのは、夙に知られているが、改めてここでもそのことが示されている。
八犬士は元より、ほぼ全てのキャラにそれは行き渡っている。
悪い奴はとことん悪い名前である。
いきなり思い出したが、鰐崎悪四郎猛虎というのもいた。
「猛虎」といえば阪神タイガースであるが、江戸時代すでにこういう言葉があったんやなーと感心している。

面白いのは、植木のことだ。特に江戸の市井の人々は植木を愛した。
明治初期にも万年青が爆発的にブームになったが、江戸時代にも万年青は人気だったようだ。
馬琴本人も植木を愛していたが、それが作品にも投影されている。
信乃と現八をかくまうのは道節の恋人・重戸(オモト)で温室?に二人を隠すエピソードもある。
名前と植物と。
知れば知るほど楽しめる。

挿絵は北斎の娘婿・柳川重信が多くを描いている。
首打ち落としたり、スプラッタしまくり。
対牛楼の毛野の暴れ方は激しく、一階二階と異時同時に暴れてますわ。血、しぶいてます。
勧善懲悪にはスプラッタは必需品なのだった。
第一篇というのか、とにかく最初の巻で、ヽ大法師が子とろ遊びをする絵がある。子等は八犬士の幼な姿。
女装で育てられた信乃と毛野は当然女の子スタイル、道節は振袖の坊ちゃん、小文吾は町人の子スタイルなどなど・・・
魂の父たるヽ大法師。

遅ればせながらここにコンセプトタイトルを挙げる。

1八犬伝と文京
江戸を描く
2ベストセラー八犬伝
見返しと目録
3八犬伝で発見
江戸名所図会に見る犬
4八犬伝その後

しかし解説の中で絵に表れるわんこのことを狆と犬と分けて色々書いていたが、(当時狆と犬とは別生物だという認識があったのだが)狆は高級愛玩動物で、野良はありえないはずだ。
これはどう考えるべきなのだろうか。
野良もいたのだろうか。応挙の絵にも良くあるブチ柄のわんこだと思っていたのだが。

展覧会はもう終わってしまったが、本当に楽しかった。来た甲斐のある展覧会だった。
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