美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

美のかけはし 名品が語る京博の歴史

今を去ること二十年前、'86の秋に京都国立博物館で、昭和天皇の『在位60年記念』を祝った展覧会が開催された。
当時学校に行っていたわたしは友達と展覧会に出かけた。
洋画の展覧会は何度か見ていたが、こうした大和絵や工芸品の名品を見るのは、初めてだった。
(この直前に見た正倉院展はその意味では、日本製品でない名品を集めているのだ)

今も覚えているのは『伝・源頼朝像』 あの似絵。
既に画集や教科書などではなじんでいたのだが、実物を見て驚いた。随分大きかったのである。
「えっ キャビネ版からA4サイズかと思ってたのに」
友人も似たりよったりだった。
大体思い込みと現実の落差が大きい。錯誤しやすい体質なのだ。
そういえば正倉院の外観が公開されていたのを見て、「わっ大きい」と驚いている。
(それどころか百葉箱を想像していたのだ。貧困な発想だなー)
ありえない話ではなかった。

さて、なぜこんなことをマクラにしたかというと、二十年目の今、京博は開館百十周年記念と銘打って『美のかけはし』展を開催しているのだ。
そのラインナップは大方が見ているものなのたが、改めて一堂に会するのは滅多にないことなので、機嫌よく出てきたのだった。

なにしろ副題が『名品が語る京博の歴史』である。
普段特別陳列されたりするものが並んでいる。お蔵入りして長いものもある。作品同士「久しぶりやね」くらいそっと語り合ってるかもしれない。

第一章 諸行無常 東山の光と影
第二章 大仏出現 秀吉の夢の跡
第三章 京博誕生 文化財保護の原点
第四章 魅せる 名品との出会い
第五章 蒐める 収蔵品の成り立ち
第六章 護る みやこの宝蔵
第七章 甦る 文化財の総合病院
第八章 究める 見いだす喜び

(国宝・重文・重美多数)
こうしたコンセプトで博物館所蔵・寄託の名品が並んでいる。
前期・後期多少の入れ替えや、巻き替えがあるが、総じて『大絵巻展』のような「いつ行こう?」と悩むことはない。
あ、しかし絵因果経とあの頼朝に会えぬのが残念だ。

ところで京博のある辺り、江戸時代はどうなっていたのだろう。
平安時代には法住殿、近辺には方広寺、三十三間堂、智積院などがある。少し北には清水がある。
清水は平安の昔から人気の信仰地だ。
明治初頭の廃仏毀釈でこの界隈、一旦はえらいことになったのだろうと思う。
それが博物館をこの地に作り、名品流出を食い止めよう、と言うことになったのだった。先人は偉い。
ところで『西鶴一代女』という映画がある。
溝口健二監督・田中絹代主演の名作である。
その映画の冒頭、田中演ずる落魄したお春が三十三間堂の仏たちを見てかつて関った男たちを思い出す。
彼女は惣嫁(夜鷹)で家はない。この寺の近辺で開いている。
・・・なぜかそんなことを思い出した。
で、江戸時代のこの地については『仙洞旧院博物館地実測図 旧院御所並博物館建築図のうち』をみればなんとなく想像がつくのだった。

例によって焦点もあいまいでダラダラ長々書き綴ることになります。
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赤毛のアンの世界

叡電一乗寺の駅は小さくて可愛い。無人で、木のベンチには少しのお客さんがいる。
線路の枕木が古い色になっている。
ここから出町柳経由で七条へ行くのだが、その前に百万遍の思文閣美術館へ向かう。
以前ここには九条さんというご年配の素敵な女性がいた。
九条さんに会いたくて訪れた展覧会も何度かある。今は違う方が受付にいた。やはりご年配の感じの良い方だ。ここや東京の庭園美術館では上品で落ち着いたご年配の方々が勤めておられる。

『赤毛のアンの世界』 
L..M.モンゴメリーと村岡花子の幸福なコラボレーション。
私が勝手に付けた副題だが、はずれてはいないと思う。
http://www.shibunkaku.co.jp/artm/anne/
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私が小さかった頃、世界名作アニメシリーズがあった。
ハイジ、ラスカル、マルコ、ロッキーチャック、そしてアンなどが一年ずつ放映されていた。
面白かった。
わたしはハイジからアンまでは熱心に見ていた。
アンのedは今も名曲だと思う。
岸田衿子の詞にピアニスト三善晃が曲をつけているが、間奏曲の展開のすばらしさが今も忘れられない。
アニメのアンについて語ることはいくらでもある。
またいつか。

赤毛のアン。
むかし、殆どの少女が読んだことのある小説。
女優の檀ふみがアンのことを「腹心の友よ」とアンがダイアナに言ったように呼びかけていた。
村岡花子の翻訳が今も素敵だ。
出版から五十年が過ぎていた。
しかし古くない言葉はいつでも読める。

ところで最近わたしは'56の岩波版漱石全集小型本を読んでいる。
その注釈が面白くて仕方ない。ナンナンダ、コレハな注釈。
ほぼ同時期の翻訳と注釈と。
村岡花子の翻訳は今も尚わかりやすく、楽しい。

中学になった頃、隣の学区の友達に誘われて可愛らしい喫茶店に行った。
グリンゲイブルス。アンの住まいの名前と同じ店名。
そこでクレープやフラワーティなどを愉しんだ少女の頃。
店は私が高校の頃には終わってしまった。

8年前カナダに出かけた。
アンのプリンスエドワード島に行きたかったが、バンフとナイアガラがメインになった。
いろんな人の話を聞いたり読んだりすると、そこを訪れるのは、アンのように三つ編みをして帽子をかぶった日本人女性がヤタラメッタラ多いそうな。
うん、わかるゾ。多分わたしもそうするだろう。

展覧会を楽しんでいるのは年配のご婦人方ばかりだった。
一番若いのが私だから、少女はいない。
しかしガラスケースの向こうには、いま少女である人々のための新しい本が並んでいた。
アンの魅力は周囲の人物たちの魅力を知ることでもある。
マリラ、マシュウ、ダイアナ、ギルバート。
メインキャラの名を上げただけでもどきどきしてくる。
アンの起こす様々な騒動。
村岡花子の読みやすい文。
声に出すとますます親しみやすい。

作者のモンゴメリの少女時代と密接な関わりのあるアンの物語。
訳者の村岡花子はカナダ系の東洋英和女子で学んでいた。
戦時中敵性語になった英語を使える花子は苦労していた、と資料は語る。
学校に勤務していたカナダ人の教師から花子は”Anne Of GreenGables”を託され、この翻訳に熱中する。
それが『赤毛のアン』として世に出たのは1952年だった。
出版社の社長から「『赤毛のアンってタイトルどうです」「エーいやです、絶対!」ぷんぷん。
それを娘さんに話した途端、「あー、それそれすてき」
あやうく『夢見る少女』か『窓による少女』になるところだったアンも、娘さんのおかげで世の少女たちに受け入れられたのだ。
しかしアンも少女から女性になり、家庭の人になり、周辺の人になっていったが、もし花子のつけたタイトルのままなら・・・ううーむ??
夢見る・・・ううううう。わたしもいずれ「おタンビばーさん」なんて呼ばれる日が来るのだろーな。

モンゴメリはアンによる世界的大成功を必ずしも喜んでいたばかりではないようである。
一つの物語・一つの文体に縛られていることに深い苛立ちと焦燥感とがあった。
しかしそれでもモンゴメリは世の人々の需めに応じてアンの娘リラまで8作を世に出したのだ。
えらい、それだけでもえらいと思う。
わたしはシリーズが長引き、違うキャラがメインになるとつらくなるのだが、書く側も読む側も本当にえらいと思う。
Fハーバート『デューン』もポールが沙漠に消え去るまでが好きだった。
佐藤さとるのコロボックルシリーズはどれもこれも愛しているが。
アンも実はギルバートとの往復書簡で一度リタイアしたのだ。わたしは書簡態・日記体の小説はあまり好まないのだ。
谷崎の『鍵』『瘋癲老人日記』横溝正史の『車井戸はなぜ軋む』は別としても。
夢野久作はあれはなんだろう、告白体とでも言うのだろうか・・・・・・。

村岡花子は自宅をオープンハウスにしている。事前連絡が必要だが、えらいものだ。
http://club.pep.ne.jp/~r.miki/index_j.htm

大森にあるようだ。

キルティングの実物、プリンスエドワード島の風景、アヴォンリーの景色写真、アンの物語から起こした銅版画。
モンゴメリの他の著作、村岡花子の他の翻訳。ヘレン・ケラー女史の通訳を務めた写真もある。
200点近い資料を飽きずに眺める。


会場にはグリーンゲイブルスのドールハウスがあった。
可愛く出来ている。私はドールハウス大好きだ。会社の後輩が作るのをみるのも好きだが、わたしは小さいものを集めること自体が好きなのだ。グリコのオマケに始まって。

最後にわたしの持つアンに関連したグッズ。
飛び出す絵本ならぬ開くと家になる絵本だ。
ちゃんとアン、マリラ、マシュウの寝室や食堂や納戸がある。嬉しいわ。
写真は取れているがなぜかPCにつながらない。例によってなにか欠けているのだろう。
あきらめよう。
そういえばサムネイル画像ってダブルクイックすると好きなサイズに巨大化できるようだった。

会期はまだ10日ある。楽しい気持ちになれる展覧会だった。
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日本のポスターと工芸繊維大の名品

京都の松ヶ崎と言えば、三面大黒天が有名だが、そこへは行かず、京都工芸繊維大学へ向かった。
日本のポスター展が開催中である。
阪急の烏丸から地下鉄に乗り換えて松ヶ崎へ。
随分遠い地へ来てしまった。
洛中洛外ということばがあるが、ここは明らかに洛外だ。
いや、それどころか地下鉄の出口を地上に出た途端、田園風景と山とが目に入り、一瞬硬直した。
あっそうか、来月の五山の送り火の『妙法』の山ですわ。これこれこんな感じ。



ところでここの三面大黒をモデルに使ったコミックがあった。
バロン吉元のバタ臭い絵とミスマッチなハイセンスギャグだった。おもしろかった。
残念ながら単行本化されていない。再出発前のアクションで連載されていた。
そんなことを思いながらフラフラッと大学の構内に入る・・・入り、たい。
どこが入り口かわからない。
夏休みなのでヒトケもない。
空を見上げると真青な空間に二筋のまっすぐな白線が走っていた。
飛行機、この上を飛ぶのか。

やっと中に入ると夏草がいっぱい生えていた。中にミントもあり、こすってみる。いい匂いがした。
さて、やっとたどりついた。
『日本のポスター1900-1945』展。
広いホールの中にジュール・シェレのポスターが何枚もかかっている。これらは常設のもの。
壁にしつこいくらい「撮影禁止・監視モニターで見ています」と張り紙がある。くどいぜ。

先に常設を見る。
浅井忠と鹿子木孟郎の油絵が何枚もある。浅井はここの先生だった。
鹿子木は白いブラウスの婦人像を二枚。浅井の猪図や下絵などがある。ヨットが波間に浮かぶ作品は、やはりアールヌーヴォーの影響が強い。
正岡子規の病床図の写生があり、『病床六尺』の世界そのままだ。籐製の鳥籠、南方の笹、半身を起こす子規。写生だが、描き表装のような趣すらある。
動物カット集が楽しい。
ガレが喜びそうなカエルだと思ったら豹だったり、小首かしげたキリンやパオ?なゾウさん、鹿やムースがいて、こいつらは京都市動物園の出身かなと思った。
川端弥之助の『帽子をかぶる女』 黒いワンピースに襟だけ白い。たまにこういうのも着たくなる。帽子の女といえばすぐに前田寛治を思い出すが、ちょっと似ていたりする。腕時計がポイントになっている。
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浅井の『武士山狩之図』下絵。東宮御所の綴織のためのもの。

この大学にはなぜか近代建築の有名どころの設計図などが多く所蔵されているらしい。
村野藤吾オフィスの製図台があった。
元々常設のポスターがたった一人の観客を見下ろしている。
そのポスターで面白いものが色々あった。

『フォアグラ』 金満家そうなオジサンがご満悦でテーブルに向いている。両耳にはフォアグラの元(鵞鳥)が張り付いている。 『ポルト・デ・リラ』というルネ・クレールの映画とも関連のある話らしいが、元ネタを知らない。てんやわんやの物語のようだ。ルネ・クレールもジュリアン・デュヴィヴィエも上映会で見ているが、全てを把握しているわけではない。

ジュスマールの’24『レスリー』 レスリー・チャンか宝塚の男役のような横顔にフレンチカンカンを合わせた構図。作者は28で死んでいる。
『1901年ブリュッセル博 17世紀芸術大回顧展』 うむむ、なんかすごいな。王と妃の行進。
ドンゲンの社交界風景のポスターもある。チャリティ舞踏会のお誘いらしい。ショートカットの女たち。こうした慈善会で当時大人気のドンゲンと藤田は席画会を行い、揮毫したものは40万フランで販売されたようだ。

映画ポスターで目を引いたのは、ジョン・フォードの『静かなる男』だ。
私はこの映画を見ていないが、以前うちの親から話を聞いてアレレと思った。
水野英子の『赤毛のスカーレット』というコミックと同じ内容だった。子供のころおじにもらったマンガ。
そうか、あれだ。 だからかこのポスターを見るとなんだか親しみが湧いてくるのだった。

『昼顔』 当時ドヌーブは23才だったのだ。男たちがずらっと並んで彼女を見ている。彼女だけは振り向いてこちらをみている。わたしが子どもの頃、なぜかTVのロードショーでよく放映された。その度に消された映画。
大学の頃上映会で見て納得した。私が親ならやっぱり子どもに見せたくは、ない。
しかしとても惹かれる話だ。

隣にベルトリッチの『PARTNER』 文字の目立つ作品、ここにもPクレマンティが出ている。
しかし文字ばかりのポスターでぎょっとなったのは、『SENSO』 ヴィスコンティの『夏の嵐』'54の再映で’68の分。
黒地にゴシック体でSENSOとあり、蛍光ペンのような色彩で文字が彩られている。
私はこの映画も大好きだ。

さていよいよ『日本のポスター』である。
京都書院から出ていた同題の本(展覧会とは親戚だが無縁である)に掲載されているポスターが多い。
ポスターだけでなくマッチラベルなども沢山展示されている。
ポスターはシェレやミュシャやロートレックの時代からその重要さは夙に知られている。
日本では初代団十郎の頃、鳥井派が台頭してきて、歌舞伎絵看板で観客の心を惹いた。
文字より絵画の方が瞬間的に心を掴むものだ。
文字は読まねばならない。絵は見るだけで何かを伝えることが出来る。
このチラシを見ただけで行く気になったものなぁ。
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ビール、ツアー、海水浴、デパート、映画、それから軍事関係。
これらが大半を占めている。北野恒富、岡田三郎助、橋口五葉、多田北烏らの美人画、杉浦非水、山名文夫、里見宗次らのモダンなセンス。素敵なポスターがいっぱい並んでいる。
ちょっとそれらを並べてみよう。サムネイルとそのままと無秩序です。

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これらはたまたまわたしのコレクションから。
こちらはわたしの所蔵の本から。
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いいですねえ。神谷バーではこの蜂ワインを頼みますよ、わたし。
春ならフキノトウのてんぷらね。

これらがずらーーーっ と並んでいるのだ。壮観。
どれがいいとかこれがいいとか言うのは無意味だが、それにしても素敵だ。
そうだ、「すてき」と思わせることが出来れば、そのポスターはイケてるのだ。
それから最後に今ではブリヂストン美術館所蔵の作品を出す。
これが今回のチラシで反転されていた元ネタ。
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・・・やっぱり三郎助は良いですなぁ。というか、わたし、美人画ばかり出したが、他にも良い作品がいっぱいあるのだ。無料なので是非この夏に見に行ってほしい。ちょっと遠いけれど。

ポスター展を出て工芸の常設を眺める。おお、ここの初代学長さんのコレクションが並んでいる。
根付と印籠。根付は1916.2.5購入、印籠は1914.4.7購入と書かれている。たくさんある。
根付はわんこ、風神、ユリネ、干魚、枇杷の実、小鳥、印籠は魚介類の絵柄ぞろい。
それからラリックのガラス(メタリックな色合いのもの)、ハンガリーのジョルナイ工房の逸品たち、染付け、
他に香道具。源氏香。考えればこのlllllマークを知ったのは、清方全集の装丁からだった。
JALかトヨタかと思うような鶴マークの提重など。
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ああ、たいへんたくさんみたなあ。
大学を出てから高野川に沿って歩く。松ヶ崎駅ではなく一乗寺を目指したのだ。
ムサシと吉岡一門が闘った一乗寺下がり松も近いが、そちらには行かず、可愛い商店街を抜ける。
ギャラリーと本屋さんとカフェを併設している素敵なお店も横目に見て、叡電に乗ろう。
次は百万遍へ行くのだった。

予定と記録

えーと、明日出かけるのは京都です。

松ヶ崎の京都工芸繊維大学 日本のポスター
百万遍の思文閣 赤毛のアン
七条 京博 美のかけはし
京都駅 Wモリス

ただしこのモリスは昨秋汐留で見たものと同じ気がする。群馬県美のとは違うくて、NAISの巡回のような。

さて8月の予定。
大阪市立美術館 プラド美術館
映画 パイレーツ・オブ・カリビアン2
尼崎美術センター 上野彦馬写真賞と幕末・明治の写真
大林組資料館
上方浮世絵記念館
梅田大丸 星野道夫の世界
大丸心斎橋 高砂淳二
そごう大阪 世界遺産の危機
京都文化博物館 マリア・テレジアとシェーンブルン宮殿
上映会 白蛇伝
映画 死者の書
阪神 鉄道模型
横浜都市発展 地図の旅・西日本篇
神奈川県博 日本のビール
世田谷文学館 ウルトラマン
村内美術館
八王子夢美術館 安彦良和原画
MOT ディズニー
書道記念館 漱石と不折
全生庵 
弥生美術館 伊藤彦造
永青文庫 小さいもの
ニューオータニ 川瀬巴水
ホテルオークラ アートチャリティ
大倉集古館 GOLD
泉屋分館 日本洋画壇
庭園美術館
目黒区美術館 熊田と山名
阪神 中右コレクション・夢二
西宮大谷美術館 ボローニャ絵本
花火とお祭り・地蔵盆は言わずもがな。

とりあえずこんなところですが、どれくらい挫折したり成功するかはわからない。
それで今日現在の7月の記録。

20060701 ミュシャ しなやかな曲線・美しい色彩 堺市立文化館
20060701 与謝野晶子の文芸 堺市立文化館
20060701 堺の町探訪 寺町の文化財 堺市立博物館
20060701 弥生画帖 弥生人が描いた世界 大阪府立弥生文化博物館
20060713 真似るは学ぶ  INAX大阪
20060713 大阪ガスビル 建築探訪
20060715 プライスコレクション 若冲と江戸絵画 東京国立博物館
20060715 博物館の動物園 東京国立博物館
20060715 日本画 夢殿・熱国之図(朝) 東京国立博物館
20060715 山本有三の郊外生活・山本有三邸 建築探訪
20060715 高島野十郎 三鷹市民ギャラリー
20060716 NIPPONの美 切手・葉書原画で辿る日本美術 ていぱーく
20060716 電信・電話・郵便の歴史と未来 ていぱーく
20060716 幕末の歌川派浮世絵・三谷家コレクション 四番町歴民資料館
20060716 幕末から昭和戦前の江戸東京 四番町歴民資料館
20060716 旅と画家 広重から現代日本画家まで 山種美術館
20060716 文芸評論家・奥野健男の仕事 渋谷区郷土博物・文学館
20060716 古代から現代までの渋谷の遺跡と生活 渋谷区郷土博物・文学館
20060716 『随身庭騎絵巻』と男の美術 大倉集古館
20060722 ドイツ・フランスの初期絵葉書 ワークルーム
20060722 貿易扇 欧羅巴がもとめた日本美の世界 東大阪市民美術センター
20060722 華麗なる日本画の美 名都美術館名品展 松伯美術館

・・・相変わらずわけがわからない。

旅と画家

山種で『旅と画家』展を見ていた。
四番町の浮世絵と渋谷の奥野健男の間に。

時代で言えば広重からつい十年前までの作品が並んでいる。
国の内外の風景を描いた作品が多く、情景は少ない。
情景。
意外なことにこの展覧会に現れた情景画は、広重の東海道五十三次だけではないか。
いや、速水御舟の昭和五年のイタリアスケッチも『情景』を描いている。
昭和五年に何があったか。
大倉喜八郎が主催して私費を投じ、ローマでの日本美術展を開催した年である。
このとき大観を団長にして画家たちはローマにこぞって出かけた。
御舟もローマ日本美術展覧会美術使節として渡欧。
その中でのスケッチだ。
御舟の絵を見るといつも、なにか美の極限と言うものを感じる。それどころか時折「あ、死ぬな」と感じるような作品もある。
しかしこれら一連のイタリアスケッチはなんとなくほのぼの・ノンビリムードがあるように思う。
海水浴や塔屋のある情景。御舟はどんな心持でいたのだろう。
しかし世相は段々悪くなっていたりする。
(その翌年には満州のことでリットン調査団が来日して、綿業会館に滞在していた)

西郷孤月という画家をわたしは知らない。
1912年に亡くなっている。その年、『台湾風景』を描いている。
わたしはこの作品が気に入った。
なんだか楽しい気分になる。
台湾、イル・フォルモッサ。美しき島。
この絵の台湾に遊びに行きたい。
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旅を言葉で綴ったのは芭蕉をはじめ大勢いる。
旅と言う言葉を最初に使ったのは誰だろう。
有馬皇子の歌にこうある。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
それから数十年後には大伴旅人(名前に既に旅の字が入っている)の存在がある。
言葉と絵画と。
イメージが喚起されるのは圧倒的に絵画だ。
しかし言葉には想像を生み出す余地がある。
この展覧会に池田遙邨の作品がないのが、残念だった。
遙邨は言葉と眼前の風景とを合致させて絵画化する稀有な画家だったから。

稗田一穂の熊野シリーズが一枚あった。
『濤声熊野灘』
わたしはこの人のこのシリーズを見ると、普陀落渡海と中上健次が思い浮かぶ。純粋絵画として眺めようにも、色々な妄想が湧き出してくる。
これは同じ山種に所蔵されている高山辰雄の『座す人』と対峙したときわたしに起こる現象と等しい。
わたしは沈黙して作品の前に佇むしかない。

竹内栖鳳も旅を多くした画家だと思う。
『城外風景』 これは蘇州の風景だろうか。向うに見える塔は虎丘の塔か。ロンドンでも中国でも漁村でも、栖鳳は自分の見たものを思うままに描く。
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見回ったときは何も思わなかったが、大阪に帰りこの記事を書く間に思い浮かぶ言葉があった。開高健の言葉である。
「旅は成就した 円は閉じた」

わたしの旅もまた、終わったのだった。



三鷹・山本有三邸




これは先日訪れた三鷹の山本有三邸。
高島野十郎展を見る前に訪問したら、いっぱいの子供さんが建物前の公園で遊んでいた。
聞けば、群馬からジブリに来たところでバスが落雷でダメになったので、代替バス待ちだと言う。
ちびさんたち、ジブリも良いが、路傍の石のことも知ろうぜ。

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横に回った。なるほど、と言う感じ。この建物が無料開放という所に山本有三のモラルの高さとか、文化的成熟度とか、ありがとうござるというキモチその他が湧いてくるのだな。

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裏から眺めた。素敵ですよ。建売だと言うが、センスがいい。
気に入ったのは、裏のアプローチ。

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甲子園にある新田邸を少し思い出した。

東京の郷土資料

郷土資料館・歴史博物館というのは、考古品とその地の時代時代の資料などを展示する場である。
日本の歴史の中で、庶民が生活環境を大きく変えたのは、近代に入ってからだと思う。
明治、大正、そして戦後。
それ以前の近世は生活レベルにおいて、中世と大差はないらしい。

今月、都内で偶然三つのそうした資料館を回った。
ていぱーく、四番町歴史資料館、渋谷郷土博物館である。
その以前には、江戸東博、深川江戸資料館、新宿歴博などに足を運んでいる。

江戸開府前は豊島氏が居住したり、大田道灌が江戸城を築いたりとかいう話くらいしか、聞いていない。
せいぜい八犬伝の話に現れる結城の合戦などが記憶に残るくらいだ。(土地勘がないので錯誤もあるだろう)

だからと言うわけでもなかろうが、これらの館に所蔵されているのは考古資料と、一足飛びに江戸時代の遺物と近代資料ばかりになる。
今回は三つの館蔵資料からの話。

四番町は麹町である。
麹町と言えば武家屋敷。
番町皿屋敷の舞台、明治には有島邸があり、その向かいに鏡花が住む。
ここの資料館には江戸城の写真などがたくさん収蔵されている。
千代田区だから当然かも知れない。
そしてこれらは民間からこちらへ寄贈されたりしているのだ。

私がここで見たものは、旧幕時代の記念撮影と、戦時下の生活物品などである。江戸城のあちこちが写っていて、現在の皇居とは違うような感じがある。
上野彦馬といった有名人の手によるものかどうかは知らない。
しかしこの時代、撮影そのものがたいへん珍しいのだから、調べれば何かがわかるだろう。(なにしろ二時間くらいかかったそうだ)
そういえば、「竜馬暗殺」で皆で記念撮影するシーンがあった。
でも撮影失敗、写真は残らなかったという字幕が入る。

渋谷の博物館は國學院大學のすぐ近所である。
さすがに渋谷なのでハチ公と東急とが資料としてあがっている。
それと同潤会とが。
面白かったのはジオラマ。
照明の加減で朝から夜中、一日を演出する。
舞台は渋谷駅前。ちゃんと東急ストアがあり、電車がビルの中をゴトンゴトン走る。市電もある。駅前には果物屋さんやカフェもある。
かわいくて、うれしい。健全さが活きていた時代なのか。

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写真はハチ公像の除幕式の模様。
考えればハチ公には色んなパロディがある。谷岡ヤスジにはド忠犬ハジ公、さだやす圭だと狂犬ハチ公(と呼ばれるキャラ)いっときFAXがきちんと行くか心配で見守る人のことを忠犬FAXとも呼んだようですが。
上村一夫の「凍鶴」で、仕込みっ子つるが毎日わんこの歩くのに並ぶ。それがハチ公だったと言う話があった。せつない物語だった。

都市生活の一室を再現しているコーナーがあった。
木の冷蔵庫がある台所、ミシン、ちゃぶ台、アイロン、映画雑誌。
小ぢんまりした暮らしの匂い。
以前新宿歴博に再現された家には、ラジオがあった。
広沢虎造の次郎長が流れていた。
昭和初期、虎造の人気は絶頂だったろう。
明大ラグビー部の名監督・故・北島忠治の回顧録の中で、試合に勝ったご褒美に、独演会を虎造にたのみ、大学の寮かなにかに呼んだところ、近所中の人々が押しかけてきて、てんやわんやになったと言う話がある。人気のほどが知れるなあ。
実はわたしも、新宿で聞いた直後に図書館で虎造を借りた。
そして今ではCDを持っていたりする。

やっぱり暮らしの不便さと言うのは困る。
ライフラインは発達してゆかねば困る。
その歴史と未来とがていぱーくで展示されている。
これらは東京の、と言うより近代日本の遺物なのだが。

ていぱーくのていは逓信のていだろう。
郵政も電信電話もみんな発足当時は逓信省の管轄だったのだ。
東京の京橋に電信電話発足の地碑がある。
以前は10/22が電電記念日だった。今は特にどうと言うこともない。

郵便の歴史は飛脚便に始まるのかどうか。
とにかく飛脚のハコとか色々並び、明治政府以後の郵便の共通スタイルなどが展示される。
中でも面白いのは、ポストの変遷だ。
赤い丸ポストはレトロ趣味の最たるものの一つだが、活きているポストもある。観光地などで活躍するポスト。

それから電線。とうどう内で使用されるケーブルの実物展示。
FRP、ECO、色々。
これらの技術の進歩が現在の活況につながるのだ。

放送文化の展示もあるが、これらは愛宕山のNHK博物館や渋谷のNHKパークなどでもっと詳しく見ることが出来るだろう。
わたしが通りかかったとき、大画面で宝塚の舞台中継が映し出されていた。

過去から未来へ移行するモノたちを集めた資料。
夏休みの自由課題に選びたくなるような場所でわたしは遊んでいたのだった。

名都美術館名品展

北浜―花園―学園前のツアーである。
松伯美術館に向かう。都合で今回、大和文華館には行かない。
二つの美術館は提携しあっていて、どちらかの半券が相手の入館料を半額にする。
理想的なのは、先に大和へ行き、それから松伯だ。
バスは奈良バスなので、スルッと関西圏外でCICA(シカ、ですわ)カードシステム。
上村松園・松篁・淳之 三代の画業がここで見れる。
今回は名古屋の名都美術館と名品の交換展覧会。
長久手に行かずしてその所蔵品に会えるのだ。嬉しいことです。
'97年に滋賀県立近代美術館に来ている。そのときのチラシは清方だった。
今回は松園と、みみずくを描いた大観。
名都には行っている。わたしが行ったのは’95。
だから三回目のデート(の、ようなもの)
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http://www.kintetsu.jp/shohaku/exhibition/2006_06tokubetsu/2006_06tokubetsu.html

横山大観 「海暾」 昭和27年
   「夜」 昭和30?33年
「風蕭蕭兮易水寒」昭和30年
鏑木清方 「雪」 年代不詳
           「春の淡雪」  昭和13年頃
           「蛍」      昭和15年 
小林古径 「初冬」 昭和10年頃
前田青邨 「紅白梅」 昭和47年頃
           「蔓梅擬」   昭和48年頃
村上華岳 「観音立像図」 昭和3年頃
東山魁夷 「ハルダンゲル高原」 昭和38年
小倉遊亀 「初夏の花」 昭和37年
上村松園 「わか葉」 昭和15年
           「紅葉可里図」 大正3年 
橋本関雪 「玄猿図」 昭和15年
安田靫彦 「紅梅」 昭和23年
           「わびすけ」  昭和16年頃 
榊原紫峰 「雪中椿」 年代不詳
小野竹喬 「早春」 年代不詳
山口華楊 「原生」 昭和56年
           「制空」    昭和19年
           「叢原」    昭和46年 
加山又造 「牡丹」 昭和54年
奥村土牛       「仔犬」    昭和40年
福田平八郎      「インコ」   昭和39年
徳岡神泉       「鯉」     年代不詳


主なラインアップはこんなところだ。

みみずくの「夜」は可愛い。お仲間はフクロウ類のほかには猫と泥棒くらいだ、と子供の頃はそう思っていた。今は違うだろう。
「風蕭蕭兮易水寒」昭和30年
大観は明治の書生っぽさが生涯抜けなかった、と戸板康二はその評伝「ぜいたく列伝」に書いているが、そうでなければこれや汨羅に沈む屈原などの作品は生まれないだろう。
この詩は始皇帝を暗殺することを請けた荊軻の姿を詠んだものだが、彼が詠んだのか彼に全てを託した燕の太子・丹が詠んだのか、いまだに私にははっきりしないのだ。
ナゼこんな混乱があるかと言えば、池上遼一の「男組」のラストで流 全次郎が去るその背にこの詩がかかっていたことと関係している。また、陳 舜臣の「小説 十八史略」のシーンとがごちゃ混ぜになっているからだ。しかし正す必要性は感じない。
イメージはわたしの心のうちにあるものだからだ。
学校では易水送別の二次創作歌を学んだ。冷泉さんだったか。
この詩を書き下し文にする。
風 蕭蕭として 易水寒し , 壯士 一たび去って 復た還らず
絵は確かにそのイメージを表していた。

清方の「春の淡雪」の妖艶さにはゾクゾクした。少しばかり開いた口の内にのぞく鉄漿。
その眼差し。掌で解ける淡雪も、この女の色香には迷うだろう。
なんていい女だろう。
ときどき清方にはこんな妖艶な女が潜んでいる。
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その一方で、清艶な女もいる。
蛍をそっと袂の内に籠める。ホタルブクロにもなる袂。
連れて帰る気はないけれど・・・。
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松園の「紅葉可里図」 この娘はもしかすると深雪かもしれない。
機嫌よく紅葉狩りをして楽しんでいたのは秋、その翌年の夏には川遊びの中、阿曽次郎と出会い、家を出奔して朝顔と名乗る盲目の芸人になるのかもしれない。

紫峰の「雪中椿」 ‘92の正月に回顧展を見ている。
紫峰と坂本繁二郎とがイメージとして重なることが多い。
二人とも謙虚な人柄で、作品も慎ましく、そして静謐だからだろう。
この作品も雪に埋もれる椿の美しさに目がゆくが、画家は椿を主題にしながらも、左の端に小さな生き物を隠している。雀。雀持ち椿も一緒に雪に埋もれている。
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華楊の「制空」 鷲が大きな翼を広げながら飛んでいる。ただしカメラ目線。
これは昭和19年の作。昭和19年、日本は何をしてたか。戦争。
だからこうした作品なのかもしれない。
「叢原」が狐、「原生」が猿なのもそうしたところから来ているのか。
動物好きな華楊は、しかし時局にあわせたとは言え、鷲にも愛情を注いでいる。

「牡丹」はいかにも又造さんらしい作品だと思う。
金箔、巨大な花、白と黒。
字面を眺めるだけで作品が目に浮かぶようだ。

土牛の「仔犬」 可愛い。ちょっと三角な顎のわんこ。眉が寄っている。耳も三角に垂れている。
今年は戌年だからか、犬の絵にたくさん当たる。

平八郎のよさがわかるようになったのは、やっぱり’92からだ。
それまではどれを見てもわからない・理解できない・なんなんだ? の画家だった。
その年の秋、回顧展を見て初めて、よさに気づいた。
このインコはカレンダーで実物大のを持っている。
わたしは鳥はニガテだが、観念的には好きなのかもしれない。
そういえば、平八郎のお墓は谷崎と向かい合わせだった。
どちらのお墓にも個性がよく出ていた。

神泉はわたしには間の悪い相手だった。
抽象画のように見えて、それだけで忌避したのがまずかった。
こちらから歩み寄ったときには、回顧展は終了し、所蔵美術館は次々と仕舞い込み、とうとう十年以上の空白が出来た。
人生は短し芸術は長しというが、こういうのはなんというのだろう。
しかしこの松伯で回顧展が秋にあるので、今度こそは。
とりあえずその前哨戦として、「鯉」はよかった。この美術館の中庭の池に放ってやろう。
神泉の鯉は深淵に潜む鯉だが、なに、この酸欠寸前の池でだって泳げるさ。
・・・期待しよう。

華岳の観音とチラシの隣の柿が、会場でも同じ位置で並んでいた。
観音の円い胸。隣の丸い柿。
ピンク色の観音の肌、柿のつややかさ。
わたしはどちらにくちをつけたいのか。
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とりあえず、見たい人は見に行こう。

貿易扇 欧羅巴がもとめた日本美の世界

花園ラグビー場のある公園内に、東大阪市民美術センターがある。
過去何度かここで素敵な展覧会に出会えている。
今日は貿易扇というものを見に来た。

嵯峨美大(嵯峨芸術大)の所蔵品で、学外の展覧は初めてらしい。
『貿易扇 欧羅巴がもとめた日本美の世界』
元々は、今も現役の扇の上絵師さんが引越しの際に出てきた千数百点を寄贈されたところからのコレクションだという。
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扇は日本固有のもので、中国経由で欧羅巴に広まったそうだ。
日本の扇の歴史については、こちらがわかりやすい。
http://maisendo.co.jp/histry/index.html
9世紀に成立し、それが海外に伝播して行く経緯、それ自体もたいへん興味深いものだ。
(扇だけでなく例えば三猿や人力車、それらが海外に根付いている)

明治になり、海外諸国と肩を並べようとした日本は、1878年のパリ万博に気合を入れた。
出品された中に扇があり、それが海外バイヤーの目を惹き、心を奪った。
元々16?17世紀はオリエンタル、17?18世紀はシノワズリー、その後はジャポニズムが流行していたのだ。

日本人の描く日本の美と言うより、外国人の目に映るNIPPONの美を需めた。
扇の上絵師たちもそれを拒まない。


展示されているものは、一見したところロココ調の絵画のようである。
微妙な官能性と優雅さとがある。
ヴァトー、ブーシェ、フラゴナールの作品を思い出せば、イメージが湧くと思う。
ああいう感じ。
歓談・内緒話・休息・音楽・散歩。
言葉を集めるだけで、秘めやかな語らいの声が聞こえてくるようだ。

明治から大正のこうした工芸の手は世界第一だと言っていい。
泉鏡花の作品で海外に輸出するハンカチの刺繍にまつわる話があった。
詳細は省くが、これが元で一人の女が死のうとする。技能があまりに高く、そのためにトラブルに巻き込まれる。しかもその刺繍の図案は・・・。
なんとなく、この話を思い出した。

原画の中に、『白い花の群れ』と言う作品がある。
赤と言うより臙脂の葉に白薔薇が咲き零れている。地は褪色したのか元からなのか、ややベージュがかっている。薔薇が好きな人には、ときめくような原画だった。

いたずらな猫のいる風景もある。
源氏物語の昔から、猫は思いがけない恋を運んでくる。
ヨーロッパでもそれは変わりないだろう。
扇から流れるような紐をフリンジと言い、そこにそっと香水瓶を忍ばせたものや、扇の閉じる端に小さな鏡を填め込んだものもある。
社交場での夜毎のざわめき・言葉の応酬・視線の絡み・キモチの駆け引きなどが直に伝わるようだ。

スパンコールを貼り付けたもの・コニャックの宣伝のものや、モダニズム風のものもある。
日本で言えば山名文夫風の女の眉と睫毛が文字になっているのだ。
それから1898年のカレンダー扇。羽は12枚あるわけだ。

一方、日本の扇も並んでいる。
カワホリ(蝙蝠)扇が今では主流だと言うことで、平安時代すでに檜扇は冬向け・カワホリ扇は夏向け、と分けて使われていたそうだ。
そしてここに三種の扇がある。
鎮折 まっすぐに閉じられている。今日のわたしのバッグに入っているのもそれだろう。
雪洞 なるほど少し開いてY字型。だからぼんぼりなのだ。
中啓 かなり開いている。儀式用の扇。
ふと思ったが、扇といえば清盛の日招き・日返しの伝説と、那須与一の弓の話だ。
どちらも檜扇のようなイメージがあるな。

さて日露戦争以後の受注と出荷状況。
イタリア・フランス・イギリス・アメリカは日本の人物画・山水画・花鳥画をもとめ、スペインだけは違った趣味を押した。
実物を見ると、なるほど他と違い、色々やかましい注文が入っていたようだ。
複雑で、重厚で、プラド美術館を持つ国だけある、と勝手に感心した。
花の輪というより、花のアーチが何重にも開いたような作品もある。和の文様で言う熨斗が何本も伸びている、あれの親戚。
スペインで扇を持つ女といえばすぐにカルメンの盛装を思い出す。
黒いレースのドレスに身を包み、ドン・ホセに刺されながらも、立とうとする女。

ところで一つ面白いものが。
上部には桜が並ぶが、一枚ごとにお寺とアメリカの国会議事堂とを交互に描いたものがあった。
開き方により、アメリカだったりニホンだったりするのだ。
某首相が喜びそうな感じ。

ねこの扇があった。こちらの猫は日本の猫で、表にも裏にもにゃあっとした姿を見せている。
透かしがあるのが楽しい。
トム・ソーヤーみたいな小僧共の姿もあった。表でも裏でもいたずらばっかりしている。

さすがに時代を感じるものがあった。
国旗の形の扇である。四角く出来て、骨も異なる配列である。
満州の国旗があった。これまでマンガなどでは見ていたが、色のついたものは初めて見た。
実は今日、漱石の『満韓ところどころ』を読みながら来たのだった。

子供向けなのか風刺画なのか、動物の出演している扇がある。
議会風景は風刺だろうが、猫と犬の合奏会はどうかな、わたしはちょっと欲しくなったゾ。
セスナ機で三日月に近づき、酒を飲ませる悪童たちもいた。

他に目立つところでは、世紀末絵画風の作品が意外と多かった。
アールヌーボー風なのや、ステンドグラスを模したものもある。
コマ絵がいくつもついていて、それらがロシア構成主義風なのも面白かった。
背景がWモリス風の青い森で、鳥に囲まれる女や、クリムト的色彩の扇もある。
バルビエやイリーブと言ったイラストレーターの仕事もある。
アラビアの踊り、ギリシャの人々(どう見てもエジプトだ)、スペインの中庭のある邸宅、夜のキリスト、シノワズリーな少女、『アジアの嵐』に現れそうな謎の中国人、京劇『玉麒麟』(この字を見ると水滸伝を思い出すが、それなのかどうなのか、調べるのは又今度にする)

ロシア・アニメやイラストのようなきれいな色彩の扇に惹かれた。
ビリービン風ではないが、ロシアの世紀末のような、と言えばなんとなく伝わるかなぁ。
天蓋ベッドの中でロシア風の被り物をつけた女と孔雀がいる。
わたしはこういう作品を偏愛するのだ。

日本風景・情景を描いた扇もある。
たとえば祇園祭・都踊りなどであるが、どれもこれも妙に違うところがある。
描いたのは日本人であっても、望んだのが外国人であるため、わざと彼らに合わせたようである。ははぁ、なるほど、と言う感じ。
嵐山、厳島、両国の花火、潮干狩り、地元の目ではなく、観光客の目に映る景色。
しかしその一方で、江戸懐古趣味に基づく作品もある。
新年の挨拶、花見、正月風景、初夏、川遊び、舟遊び、川床などなど。
扇の形そのものを使った太鼓橋の風景は巧いと思った。

キッチュな引き札風のもの、北斎や豊国のカバーもの(?)、大和絵風のもの。
透かしは広東のスワトーレースを挟み込んでいるそうだ。
先月のJAL機内誌でスワトーレースの特集があったのを思い出した。
家にもスワトーレースのハンカチなどがあるので、帰ってから広げてみよう。

アルプス、夜の灯台、赤頭巾ちゃん、人気子役のシャーリー・テンプルなどなど。
梅に金閣、抱一風の花の透かしにスワトーレース。
能扇もあった。
すごいなあ、ほんとうに。

しかし、世界恐慌の辺りからすっかりダメになってしまった。
最後のコーナーには国内の子供向けのものがガラスの中にざらっ とあった。
お相撲さん、舞妓さん、バンビ、桃太郎、金太郎、雀のお宿、パンダもいれば、サリーちゃんとカブもいるし、パンダや、内藤ルネ・高橋真琴の作品もあった。多分、付録だったのだと思う。

扇に煽られて、機嫌よく会場を出た。
暑い中、ここまで来た甲斐のある面白い展覧会だった。
暑いから、日傘と扇が必需品なのでした。

ドイツ・フランスの初期絵はがき展

土曜日なので例によってどこかへ出かける。
今回は東大阪―奈良ツアー。
その前の晩、新聞に古絵葉書の展示があると載っている。
大阪北浜のワークルーム。
http://workroom.co.jp/workroom/schedule/ehagaki0607.html
四年前にもここで古絵葉書コレクションを見ている。

梅田から淀屋橋に出てテクテクと北浜に。
この界隈は土日、静かでのんびりしていて、楽しい。
淀屋橋・北浜から本町は大阪随一のビジネス街で何十万人もの人が働いているのだが、休日はその何万分の一も人間がいない。
巨大なビル群とレトロな近代建築と、中之島の風とがキモチを明るくしてくれる。

ビルの6Fにあるギャラリーでそれは行われていた。
スイスの山なみが長々連なるのが見えた。
山なみの絵葉書を恣意に繋いだもので、アーチストの藤本由紀夫氏の手によるものらしい。
こういうのが楽しいのだ。

新聞にある『子持ち絵葉書』を見る。
これは郵便配達人(シュヴァルという石集めの人もいたなぁ)のかばんが立体化で、中から小さい写真の綴りがずらーーーっと。
飛び出す絵本ならぬ折り畳む写真でした。
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それでドイツの保養地バーデンバーデンの風光明媚な情景や、ベルリンの華やかさ(ベルリン大交響楽、エーミールと探偵たち!)
色んな写真が並んでいた。
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ドイツだけではない。
ロンドンでは1901年頃ピンポンが大ブームで、それへの風刺葉書もあった。
おたふくかぜ用の包帯みたいなのを巻いたにゃんこがピンポンの被害者だーと言うのである。
なんだか笑えるなあ。

こっちは後からライトアップすると昼から夜になる絵葉書。
こういう仕掛けが一番好きだ。お月様が出ている。(君の口に似ている、と続くと清志郎の歌になるな)
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それは日本製にもある。
清盛が雪の庭で怪異を見る図である。ほら、雪がシャレコウベの塊に。
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一方、普通の観光地写真絵葉書もある。メイド・イン・ジャパン。
神戸の摩耶山ケーブルへの階段を登る人々、新開地、それから地下鉄御堂筋の構内写真、このギャラリーの向かいにある中之島の様子。
岩本栄之助が大金を寄付してくれたおかげで生まれた中之島公会堂の姿が。
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名所図会というのは旅心を誘うだけでなく、それが葉書になることで自分がその中に入り込む力を持っていることに気づく。
先だって、ていぱーくで葉書や切手の美に打たれたばかりである。
今日はこんなにも楽しい絵葉書をいっぱい見ている。
誰かに葉書を送ろう。
暑いですね、毎日どうしてますか。それだけでもいいから、書いてみよう。
そんな気分になる、展覧会だった。

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随身庭騎絵巻と・・・

大倉集古館では「随身庭騎絵巻」と男の美術という展覧会を開催している。
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/otoko.html

案内文にはこうある。
“随身(ずいじん)”とは、貴族が外出する際に警護にあたった近衛府の官人を指します。それには高い教養と優雅な美貌が求められたと云います
なるほど、平安から鎌倉あたりのオトコマエの集合だ。
以前全巻を見ているから、今回部分展示のおにいさんたちにコンニチハだ。

五味文彦の『院政期社会の研究』に面白いことが書かれていた。
似せ絵で最も有名な源頼朝図などのことである。後白河法皇とのセクシュアルな関係について論じている。
ここら辺りのハナシは大好きなのだが、詳細は省く。
要するに随身はそんなに身分も高くないがオトコマエであることが大事で、彼らはデモーニッシュな主人との間にアブナい関係を結んでいたりするのだ。
保元の乱を起こした藤原頼長に到ってはそのことを含め殺人教唆したハナシなどを延々と赤裸々に日記に書き綴っているようだ。
わたしはこの本を読んで以来、五味文彦ファンになりましたねー。
それを踏まえてこの絵巻を見ると・・・・・・

とりあえず主な展示品のラインアップ。

「随身庭騎絵巻」  鎌倉時代
「空也上人絵伝」 室町時代
「融通念仏縁起絵巻」 室町時代
「聖徳太子勝鬘経講讃図」 鎌倉時代
「蜆子和尚・竜虎図」曾我二直庵筆 桃山時代
「平家物語絵扇面散らし」 桃山時代
「名将肖像図帖」 江戸時代
「虫太平記絵巻」 江戸時代
「洞窟の頼朝」前田青邨筆 昭和4年
「維摩黙然」下村観山筆 大正13年
「五節句図」酒井抱一筆 江戸・文政10年
「六歌仙図」小川破笠筆 江戸時代
「藤原敏行加茂歌意・紀貫之逢坂山歌意図」冷泉為恭筆 江戸時代
「梅花の詩」西郷南洲筆 明治時代
能面 中将 江戸時代
能装束 花色地破れ檜垣に笹龍胆模様狩衣 江戸時代

このうち青邨の頼朝は展示されていなくて残念でした。
面白かったのは「虫太平記絵巻」 武士たちの頭に虫がついている。(顔が虫でなくてよかった)
言えば髷の代わりに虫なのよ。
江戸時代の絵巻だが、この頃はナメクジも蛇もカエルも虫の仲間に看做されていたのか、単にビジュアル的に面白いからか、仲間入りしていた。
太平記だから楠正成がいる。彼のヅラならぬマゲはカマキリである。おお、よく働く。
わたしは平家物語ばかり偏愛しているが、太平記もまた名文あり、心揺さぶられる情景もあり、の大作なのである。
太平記もちゃんと勉強しないといけない。ところどころしか覚えていないようでは、このパロディは楽しめないゾ。
で、ちゃんと原点に沿うた展開が続いている。戦場で死ぬキャラは死ぬけれど、その途端アタマから虫が逃げてゆく。寄生してたのか。モノノアハレがそこはかとなく・・・。

抱一の「五節句図」 これは別バージョンを京都で何度か見ている。
わたしも大概節句の催しを守る方だが、平安時代の公卿たちは大変だったろう。ああ・・・雅とはしんどい、とルビを振ることもあるのだわ。

「維摩黙然」 何度目かの再会。維摩黙然、というのには意味がある。
維摩は修行者であった。維摩経の主人公維摩詰。(唐の詩人王維は彼のファンでその名を名乗ってたな)
細かい話はこちらに詳しい。
http://www.daihorin-kaku.com/buddhism/howa/howa-D1-2004.htm
物語として読むと、大変面白いのです。
で、この話を踏まえて絵を眺めると、色々納得がゆく。
周りにいて維摩を世話するのは天女かなとか病人なのね、とか。
我が愛する『八犬伝』で、犬村大角は維摩の行に入って口に松葉を咥えているシーンからご登場なのだ。
許婚者雛衣から泣き口説かれても沈黙の行を続ける。犬飼現八が登場して初めて口を聞く。
すーぐ、このエピソードを思い出すなぁ。

「一の谷合戦絵巻」 鹿も四足、馬も四足のシーンがある。馬、丸く目を見開いている。
大学の頃平家物語を熱心に研究して(なにしろ主要舞台は喜界が島・厳島・壇ノ浦などを除いて地元である)検証して歩いたのでした。
兵庫県の谷も歩いた。仲間に鵯越の住人がいたので微妙な土地勘があったっけ。
須磨寺にはこの情景のジオラマがある。石で作ったお人形などで構成されていて、見ているとなんとなく物寂しい。

能面で「中将」が二枚出ていた。わたしはこの面を見ると黒川能を思い出す。
近年、よい能面を見る機会に恵まれている。
厳島の童子、住友の萬媚など。

英一蝶の雑画帳で狂言があった。多分、『花子』だと思う。
他にも若冲の淀川クルージング『乗輿舟』 これはモノクロの拓版画。淀川は江戸における隅田川、パリのセーヌ川、ロンドンのテームズ川のようなものなのだ。

書がいくつかある。そのうちの一枚、勝海舟の書に目を留めた。
これは赤坂に移ってからの書だ。爵位を受けてからの。
実は私は勝海舟を五歳くらいの頃から知っていた。理由→父が海舟のファンだから。
なにしろ『世界偉人伝』の類の本で最初に与えられたのが勝海舟だったのだ。
父は下母澤寛のファンで、ぞろっと揃えていた。
わたしは幼年童話や世界の昔話を母方から読み聞かされ・絵本を与えられ、父からは幕末の漢の話を伝えられたのだった。
それだからわたしの最初のNHK大河ドラマの記憶は『勝海舟』なのである。それも渡哲也から松方弘樹に代わった瞬間をよく覚えている。
母と叔父は新撰組、父は海舟ひいきなのだ。メチャクチャ。
だから幕末は幼稚園前から親しい時代のような気がする。
その海舟の書はなかなかよかった。
わたしは実のところ海舟よりオヤジの小吉の方がずぅっと好きだ。
『父子鷹』『おとこ鷹』だろうなぁ。
わたしは竜馬も新撰組も海舟父子も好きなのよ。

この展覧会で7月の東京ツアーも終わるのだった。

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NIPPONの美 切手に見る日本美術

ていぱーくは時々面白い企画展をする。
わたしはこれまで何を見てきたか。
'96に明治の浮世絵を見たり、'03に正チャンの冒険を見たりしている。
ここは郵便・電信電話・放送の総合博物館であり、逓信から『ていぱーく』の名をつけたと思うが、その常設の方は眺めるだけにとどめた。
興味がないのではなく、それらを見ると別な意識が起こるからだ。

さて今回は『NIPPONの美 切手に見る日本美術』である。
日本の歴史に沿うて切手とその原画が集められている。
ところで今回、当たり前のことに改めて気づいて「おお?」となった。
何がかと言えば、切手原画の構成には、実物を使うのではなく、模写などを起こして使うということだ。
オリジナルを撮影してそれをそのまま使用するのでなく、構成作家の手が入る。
切手はとても繊細なのだった。

今切手は実に色々な種類が発売されている。
先に述べた正チャンのシリーズ、ディック・ブルーナのシリーズ、アニメシリーズも多い。(シャアやカミーユをもらったとき、嬉しかった)

今回の展覧会は16日の朝一番に行った。
毎日先着百名に、発売中止になったエハガキ2枚プレゼントというので飛んできたのだ。
もらいましたよ、嬉しかったなあ。img139.jpg


会場、なぜかお客は全員女だった。
デパートの展覧会などではしばしばこういうこともあるが、切手の展覧会で、しかもていぱーくで、というのにちょっとビックリだ。

とりあえず中身の話。

*太古―上古*飛鳥―白鳳―天平*平安―鎌倉*室町―桃山―江戸、という時代の流れと、近代日本画家・洋画家の作品に分かれている。
縄文土器、壁画、仏像(神像)、風俗画などなど・・・

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法隆寺の壁画の切手には異様な美を感じる。
この数センチの枠の中に飛鳥時代の美と文化とが集約されている。
無論他の切手にもその時代その時代の文化と美とか結集されているのだが、この切手の美しさは只事ではないと思うのだ。
なにがそう思わせるのか。
仏の容貌の美しさか、エキゾチシズムからか、それとも失われたものへの執着と哀惜の念からか。
この原画は焼失した法隆寺金堂の第6壁の観音菩薩である。
敦煌の壁画との相似性は早くから指摘されているが、今改めてこの切手を眺めると、理屈も論理も何もかもどうでもよくなり、ただその美に打たれるばかりである。
それだけに、焼失した壁画の現状写真に私は身を反らしたくなるほどの恐怖を感じるのだが。

今度は仏像である。
不動明王の侍童・矜羯羅童子である。
高野山に住まうのをモデルとしてデビュー。
ふっくらして可愛い。お仲間は既に'70年代に国宝シリーズで切手化されている。バッハのお仲間のようなくるくるヘアが可愛い。
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大和絵の美、見返り美人の美、日本美術が小さな枠の中に結晶体として活きている。
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いよいよ近代画家による切手やハガキの為のオリジナルなどが現れるが、その前に名画を切手にしたものの紹介がある。
たとえば速水御舟の『炎舞』、青木繁の『わだつみのいろこのみや』
この二枚が並んで展示されていたのが嬉しくて仕方ない。
私はこの二作を偏愛しているのだ。
『炎舞』については小さな試論(私論)も書いている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-357.html

当代一流の画家たちが記念ごとに、切手やエハガキ原画のために麗筆を振るう。いいなー素敵だ。
そう言えば'04に山種で『切手になった日本画』展を見たが、なかなか楽しかったな。
あちらは主に『日本昔ばなし』だったが。

清方の『少年少女と鳩』の原画から版を起こし、多くの工程を経て完成するまでの展示もある。
これは面白かった。

ご大典記念のための節会風景も描かれている。
結城素明の女官たちが綺麗だ。
ご大典と聞けばすぐに提灯行列を思い出す。
私の祖母は昭和のご大典で提灯行列の先頭だったとジマンしていた。孫の私はその意味をわかっていない。すまぬでござるよ。
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一方折角原画をもらったのに商品化できなかった作品がある。
それがこの松園の『融』と宮本三郎の『編み物』。
『融』はお能で、これは女の人なので『仕舞』ということになる。
格調の高い女人である。
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ここは郵政省の博物館なので販売した・未販売の切手を集めているが、個人コレクターの切手コレクションもこれまで色々見てきた。
たとえば三井記念美術館には世界各国の切手がある。何代か前のご当主のコレクション。
西本願寺の法主の主に信仰系の切手コレクションは龍谷大学に寄贈されている。

小さな切手だからこその宇宙がここにある。その中に踏み込んで、わたしたちは楽しむばかりだ

奥野健男の仕事

東京へ行く直前に新聞で『奥野健男展』開催の記事を読んだ。
文芸評論家・奥野健男がいなくなって、もう十年近くが過ぎていた。
わたしは彼の熱心なファンとは言えないが、彼の『仕事』はたいへん好きだった。

私が見た記事は以下の通りである。


展覧会:「文芸評論家 奥野健男の仕事」展??東京・渋谷区文学館
 ◇「太宰治論」掲載誌 未発表小説原稿も

 「文芸評論家 奥野健男の仕事」展が東京都渋谷区東4の区郷土博物館・文学館で開かれている。文芸評論家をテーマとした展覧会は異例。生原稿など資料約120点で戦後屈指の批評家の軌跡をたどる。30日まで。

 故・奥野健男氏(1926?97)は渋谷区生まれ。伊藤整らの影響を受け、56年に「太宰治論」でデビュー。元理科系研究者らしい明快で論理的な筆で坂口安吾、三島由紀夫、島尾敏雄らを論じ、多摩美大の教壇にも立った。代表作「太宰治論」は太宰研究の古典として読み継がれている。郷土渋谷をテーマにした随筆も多い。

 今回の展示品は、05年に遺族から区に寄贈された資料を中心に、東京工大専門学校時代の授業ノート、詩を発表した雑誌「斜面」、「太宰治論」を最初に発表した東工大文芸部の雑誌「大岡山文学」、幼少期から晩年までの肖像写真など。

 とりわけ興味深いのは原稿用紙52枚の未発表小説「魂の喪失」。太宰の死の5カ月後に19日間で書いた。<私は突然歩いてゐる自分を意識した>。社会になじめない若者のかっとうを当時22歳の作者が「私」の独白スタイルで描く。太宰に心酔していた奥野氏だが、文体には太宰の影響は感じられない。以後奥野氏は小説を封印し、批評一筋に歩む。

 夫人の奥野道子さんは「分かりやすい文章が持ち味だったと思う。設計図のような図面を作って執筆していました。枠組みをつくって理論を整理してから、ノートにびっしり書いていた」と話す。

 文芸評論家の秋山駿さんは先輩の奥野氏について次のような文章を寄せている。「いちばん学んだのは、(中略)奥野さんにおける、いわば生のスタイル、というものであった。眼前の文学状況の問題点を鋭く摘出して月旦(げったん)したり、こんなに語ってよいものかと案ずるほどに自分の仕事の手の内を明かしたりするのだが、そこにいかなる厭味(いやみ)もなく、また自己顕示もなかった。ただ晴朗であった」


この記事の通りだと思う。

わたしはそんなスタイルに惹かれて彼の評論を読み、そこからこれまで読もうとしなかった作家にも意識を向けたりした。
戦後文学を主に論ずる奥野の著作は、難解な言い回しも晦渋な迷路もなかった。
読みやすく、「面白い」評論だった。

会場は全く未知の場所である。國學院大學のそばだと言うが自信がないので区のバス『ハチ公バス』に乗る。可愛いバスだった。これで100円。それだけでも気分が良くなる。
國學院の本当にお寺挟んだお隣に渋谷郷土博物・文学館があった。
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kyodo/index.html

展覧会場では少年の頃から晩年に到るまでの資料などが展示されている。
旅行や遠足先で集めたスタンプ(16.4.25の日付入りや、範頼、などの印)なども楽しい。
また、同級生たちとの(すごいメンバーである)交友や、会社人・技術者としての側面などを興味深く眺めた。特に東芝勤務中に手がけた(銅被覆積層板の製造法)が賞をもらっていて、その実物が面白い。わたしは技術者ではないが、勤務先の関係でこうした物品に親しんでいるのでなんとなく嬉しい。

青年座との関係、集合写真の中には見たことのある役者の顔もいくつかあった。

個人的に面白かったことがある。奥野とずっと同級だった宮脇俊三が、これまた上の学校で同級だった北杜夫の隣人だったことを思い出し、むかしの『渋谷のジモティ』だな、と一人で楽しくなった。愛すべきマブゼの国民たち。



奥野健男の評論で一番好きなのは『ねえやが消えて』である。
小悪魔のような姉やがかつては中流家庭に偏在した。
彼女たちは家の坊ちゃんたちに「あーんなことや、こーんなこと」の手ほどきをしたり、旦那さんとちょっとややこしくなったりしてから、知らん顔してどこかへお嫁に行ってしまう。
里見の『極楽とんぼ』などに現れるねえやたちの描写を奥野は挙げて、そのことを書く。
なんとも面白い視点からの評論だった。

『原風景』という言葉が奥野の造語だと、この展覧会で初めて知った。
'72の『文学における原風景』から生まれたようだ。わたしが文芸評論を読む頃には既にこの言葉は活きていた。
ふと気づいたが、これは『すばる』で連載されていたのだが、その同時期に『すばる』では石川淳が『狂風記』を書き続けていたのだった。

それにしても奥野のタイトルのつけ方は素敵だ。
わたしなどはタイトルに惹かれて本を手にとることが多いので、最初に読んだ評論もそうしたところから来ていると思う。

しかしタイトルで一番ドーンッ とくるのは、なんと言っても『三島由紀夫伝説』だ。
これは帯とか装丁とかそんなこと無視してもズドーンッと来る。
出た当時、「うわーっ奥野健男、大上段から脳天唐竹割りだーっ」と思ったことを今も覚えている。

階下に奥野の書斎が再現されていた。私は作家の書斎を眺めるのが好きである。
澁澤龍彦、司馬遼太郎、池波正太郎・・・そして奥野健男の書斎を『視た』。
世界各地のおみやげ物などが楽しい。所蔵本のタイトルを目で追う。残念ながらわたしの持つ本は見当たらなかった。三島由紀夫から贈られたランプなど。

そういえば私は奥野展に行く前日、三鷹を歩いていた。太宰とゆかりの深い三鷹を。

ところでこれは本に収録されたかどうかわからぬのだが、十年以前、坂口安吾がナゼか再燃ブームした。奥野健男は当初それを喜んでいたようだが、やがて厳しい意見を新聞に載せた。
それは、安吾忌に寺へ行くと、三千代未亡人や石川淳未亡人らしかおらず、安吾アンゴと騒いでブームを囃し立てていた連中がいなかったことへの、怒りの意見だった。
読んだとき、「奥野健男は真っ当な人だ・・・」と感銘を受けた。
モラルも義理も何も消えた現在からすれば「古い」かもしれないが、しかしそれを読んだとき奥野にますます好意を抱いたのはたしかだった。
そしてそのキモチは今も変わらない。


この記事を書くに当たって、資料を出そうとしたら、奥野健男のお嬢さんがサイトを開いておられるのをみつけた。嬉しかった。早速そちらを眺めた。

http://home.e08.itscom.net/okuno/

とても充実したサイトである。

行った甲斐のある展覧会だった。冬には折口信夫展も開催されるという。またハチ公バスでここへ来よう。

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なお追記として、銀座展の案内をサイトから引用する。

幕末の歌川派浮世絵

色々予定を変えざるを得なくなっていた。
弥生美術館と永青文庫は来月回し、早大の今村昌平追悼は涙を飲んでサヨウナラ。
それで7/16はていぱーく→山種→渋谷文学館→写真美→目黒区美→大倉
と考えていたが、これも早くも変更を余儀なくされた。
ていぱーくで四番町歴民資料館の浮世絵展ポスターを見たからだ。
しかも私の最愛の幕末歌川派。
行かざぁしょーがあるめぇ。

というわけで半蔵門に降り立ったが、急だったので方向感覚がないわたしは早速道を間違える。
たどり着くまでに公園の中を抜けて、ブランコこいだり滑り台滑ったり、ファイトーいっぱーつ、なことをしたのは内密である。

図書館と郷土資料館の合体した公共施設。
元々この界隈は江戸時代から開けていた土地なので、遺物も色々多い。
番町皿屋敷もこの辺と言うことだし。有島兄弟や鏡花も住んでいたし。

三谷家という旧家が所持していた幕末の歌川派の浮世絵や本が色々展示されている。
図版もたくさん掲載されたパンフレットももらえた。うれしいなぁ。無料の展示なのに。
今月末までなので、行ける方にはおススメです。
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主に国貞と国芳と弟子たち、広重など。
役者絵と物語絵と名所絵。
わたしは大体武者絵や物語絵などが好きなのだ。
ここにあるのは国芳の芳流閣の場だ。
国芳はこのシーンを何種も描いている。
弟子の芳年も描いている。
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江戸の人々は馬琴の八犬伝と派手な武者絵を好んだのだ。
わたしも子供の頃から八犬伝が大好きで、先月には文京ふるさと歴史館の『八犬伝で発見』が見たいばかりに予定外のツアーを組んだりした。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-505.html

さて他に「おおっ」なのが芳員の『相馬の内裏』だ。
ガマの仙術を使う大宅太郎が将門の遺児・滝夜叉姫に業を見せる。ガマが寄り集まって巨大なガマになり、口から煙ならぬ蜃気楼を吐く。蜃気楼というより蛙気楼と言うべきか。
うーん、わたしはこういう作品大好きなのだよ。
ここにはないが、清盛が雪の庭を見ると髑髏が集まって怪異を見せるという作品がある。
好きなのはこんなのが多い。

他にも役者絵が色々あるが、幕府の禁令をかいくぐり、見立て絵にして役者絵を描くのが嬉しい。
幕末の人気者と言えば、八世団十郎だ。
今回聞いたことのない芝居の絵があった。
『源氏模様娘雛形』 内容も何もわからない。不動の羂索で命拾いする徳兵衛、と書いてある。なにか不動のご利益譚らしい。不動を演ずるのは当然成田屋である。この年五月に団十郎は倒れ、全快記念の芝居だったのか。
・・・杉本苑子の『傾く滝』が読みたくなってきた。
他に児雷也もあった。きれいな青年だとつくづく思う。

それから三世田之助。
彼らを主題にした小説は随分多い。
それぞれ悲劇的な最期を遂げているからか。中でも田之助の話は多い。
ちょっと思い出すだけでも舟橋聖一、杉本苑子、南篠範夫、皆川博子・・・
ここにある浮世絵を見ると、独特な妖艶さと嗜虐的な美とがにじんでいた。
明治の頃から既に彼の伝説は生まれていたのだ。

粂三郎と四世歌右衛門の牛若丸と熊坂がある。
身軽さが身上の牛若丸、それが巧い構図で描かれていた。
四世歌右衛門の豪快な熊坂もいい。場所は青墓だったはずだ。

その歌右衛門は養嗣子の五世歌右衛門の回顧によると、色々逸話の多い人だったようだ。
鷹揚さがにじむ話が残るためか、豪胆な役柄にニンが合うようだった。

『碇知盛』 渡海屋銀平から元の新中納言知盛に戻り、既に大碇を担いでいる。
顔色あくまで青褪め、血がにじんでいる。きりりと引き結んだ唇・・・!
こういう役者絵に会うと、ゾクゾクするのだ。

国芳がいくつかある。
『毛谷村の六助』 河童にまといつかれて千切っては投げ・・・とまでは行かぬが、気概にあふれた姿である。
怪童丸が蹴合わせを行司するのもある。孫悟空vs八戒とか。
子どものころわたしは国芳より国貞が好きだったが、今では国芳の方がかなり好きだ。
しかし芝居絵・役者絵はやはり国貞がよいと思う。

その国貞が色々あった。
三人吉三の和尚とお嬢の二枚ものがあり、そこに句がついていた。
「結んだら 弟になるか 梅柳」
粂三郎と小団次の二人である。節分の夜に出会った三人の吉三。
和尚を一の兄分に、お坊、お嬢が義兄弟のえにしを結ぶ。
幕末らしい頽廃と倒錯に満ちた面白いお芝居である。
ところでこの句、これは深読みと言うか裏読みすれば、なかなか色っぽい句なのである。
芭蕉の句にもある。「梅柳 さぞ若衆かな 女かな」
好きだなあ、わたしも。
本当を言えば(芝居の筋からゆけば)和尚xお嬢ではなく、お坊xお嬢なのだが。

意外なところで広重の『忠孝仇討図会』。
柳亭種員の本からの合邦ケ辻のの仇討ち。
修行者合邦と早枝(左枝)大学之助の闘い。合邦は閻魔像に足をかけて敵を迎撃している。
閻魔像は石造りでギロリと目を見開いている。
合邦の着物には南無阿弥陀佛の六文字が模様として書かれている。
中世では天王寺の合邦ケ辻と美濃の青墓とが重要な土地として現れることが多い。
この合邦は弱法師系のそれではなく、南北の『絵本合邦衢』の方である。
何年か前、国立劇場で片岡孝夫(当時)が立場の太平次を演じたのだが、見損ねたことがいまだに口惜しい。

ああ、それにしても見応えのあるものばかりだ。
六大浮世絵師も良いのだが、実のところ私は、幕末の歌川派が一番好きなのだ。
歌舞伎と草双紙趣味と浮世絵とがアラベスクをなしている、と実感する。
今度また機会があれば、こうした展覧会を見たいと思った。

http://rekimin.city.chiyoda.tokyo.jp/news_folder/Ukiyoeten

プライス・コレクション

京都に来るのが待ちきれず、東京に来ました。
プライス・コレクション。
7/15。開館少し過ぎについたが、イイ感じの混み具合でした。

とにかく既に行かれた方々からの情報で、すごい仕掛けが最後にあるから気をつけてねということなので、今回珍しく予習してからここへ来た。
そう、オフィシャル・ブログを浚ってから来ましたがな。

五章に分かれている。
正統派・京の画家・エキセントリック・江戸の画家・江戸琳派。
それで最後に派を越えて名品が集められた『何か』があるそうだ。

とりあえずかなり長々と書くので、一度に書けるかどうか。
(石川淳信者なので、「ペンと共に考える」を標榜してたりする←アタマのデキがちゃいますよ、遊行さん)

画像は全てサムネイルです。

高島野十郎展

ブライス・コレクションに予定以上の時間がかかったところへ、東博を出たとたん大雨である。右へ行けば徒歩で弥生美術館コース、左へ行けば弥生・永青・早大をすっ飛ばして三鷹へ行くコースである。
雨が激しいのと深い疲労があるので左へ、つまり上野駅へ向かった。
ガチガチに予定を組むので変更するのに、頭の整理時間がかかる。
まっすぐ三鷹へ行こう、山本有三邸を見てから高島野十郎だ。
そう決めて駅の構内に入ったら、電車も動き出したとか言う。なに、落雷? …怖いな。
一時間かけて三鷹に向かうが、久しぶりに寝てしまった。
これが良かったらしい。
意識が切り替わった。
晴れてきたしね。
山本有三邸はまた後日撮影したものをupしましょう。

というわけで、高島野十郎。
私が最初に彼を知ったのは、先ごろ亡くなった久世光彦の著書「怖い絵」からだった。
久世の著作は初版で揃えていた頃だから、何年前だろうか。
久世は高島の蝋燭の絵を「怖い絵」としてあげていた。
その絵と木々高太郎の小説とを絡めた随筆に私も溺れ、わたしにも高島の蝋燭の絵は「怖い絵」になった。

展覧会は初期の肖像画から始まる。
正直言うと、気持ちの良くない肖像画ばかりだが、これは仕方のないことかもしれない。
デューラー風というより、岸田劉生風の肖像画で、暁闇の中に人物が浮かび上がるというより、そこにただ佇んでいる、という気配がある。
河野通勢にも似ている。

ゴッホにも魅せられたと言うが、りんごなどはやはり北方ルネサンス風に見える。
しかし一枚ねじれたような花の絵があり、それはシャイム・スーチンを思わせた。
まだこの頃は、彼も独自の境地にたどり着けていなかったのだ。

木々の枝振りにはセガンティーニを思わせるものもある。悪しき母達を吊るす枝がそこにある。

目黒区美術館に所蔵されている牡丹の絵に惹かれた。
花びらの痙攣するような縮れと、広がり。
綺麗、という言葉では括れない作品。

彼の人となりについては知らない。
資料がそこにあり、仏教に関心を懐いていたことはなんとなく、わかる。
大正から昭和初期の人々には仏教への新しい視線があったようだ。
宮沢賢治にしてもそうだった。
しかしわたしは、しらない。

「寧楽の春」 五重塔を描いている。その足元には躑躅が咲く。奈良には躑躅が良く似合う。
折口信夫の「死者の書」の中にも、藤原仲麻呂が、ああ と声を上げる。躑躅が早く咲いてほしい、と。

「筑後川遠望」 手前に桜なのかアーモンドなのかわからないピンクの木花が咲いている。
これを見てゴッホの作品を思い出した。
そうか、と思った。インスパイアされたのではなく、自然な生まれの絵。

「菊の花」 紫釉の花瓶にいっぱい活けられた白や赤や黄色やピンクの小さなクリサンテーム。赤地に白っぽい糸の染織のクロスの上にある。そしてなぜか、その花瓶の前に一粒の真珠がある。何の意図なのだろうか。
ただ置きたかったのかもしれず、それとも深い意図があったのかもしれない。

その隣にも牡丹があった。こちらも今の菊も共通して「静謐」である。
今の画家なら森本草介の作品にそんな「静謐さ」がある。

一方、果実の絵が多い。静物画というのは死んだようで好きではなく、あまり惹かれない。
しかしながら、滴る果実を思わせるものは別だ。
欲望を抱かせてくれるような静物画なら厭わない。
死よりも生を私は望む。――たとえ背後に闇がしのんでいようとも。

桃、かぶりつきたくなった。そのまま。あごにも果汁を伝わせたい、そんな欲望がわく。
葡萄、粒を一つ一つ口の中に入れ、薄い皮を後から吐いてみたい。
烏瓜、食べれなくてもいい、かわいい。きっと、干乾びてもこの植物は可愛いだろう。
不意に吊るされた鳥の絵を見る。ああ、つぐみだろうか。くびれて死んだか。

太陽と月。
彼のカテゴリーの中でも大事な何か。
太陽はしかし真昼のものではなく、多くは沈むような時間帯のものである。
黄色い光があたりに満ち満ちるような、そんな。
林の中に広がる光、丘の向こうの光、川辺の先の光。
それらを見るうちに思い出した作品がある。
六田登の「ICHIGO 二都物語」という戦後の大阪を背景にした父と子の相克を描き、一人の人間の生から死までを丹念に綴った傑作である。
昭和の説経節のような作品だった。

高島は闇が描きたかったという。
彼の言う闇とは何なのか。

闇の中に浮かぶもの、月。
月を描いた名品といえば坂本繁二郎のそれや高山辰雄の作品を思い出す。
しかし高島の月は世界に遍く月ではない。
ぼんやりした光を一定量だけ放つ月なのである。
それらが何枚も並ぶ。
ユーモアのかけらもない月。満月だけでなく三日月もある。
月明星稀、ということでもない。
自分だけの月。

そしてついにわたし"たち”は蝋燭の間にたどりつく。
狭い一室に蝋燭が並ぶ。炎が揺らぐことはなく、何かを燃やす力もない。
しかし蝋燭の光は見るものの意識に静かに入り込む。侵された意識。
照明が蝋燭の絵、一枚一枚に当てられている。
変わることのない一定の照度。
それが蝋燭を浮かび上がらせている。

私が本を手に入れるのを断念したのは、この照明のためだった。
本ではこの異様な衝撃を味わうことが出来ぬのだ。
確かに久世光彦は正しかった。
この絵は「怖い絵」だ。
死人の脂から作ったものでなくとも、ごく普通の亀山の蝋燭であろうとも、この蝋燭は怖い。
「赤い蝋燭と人魚」のように、人魚の悲しい呪詛がかけられているわけでもないのに。

やがて最後の作品がある。
睡蓮である。
モネの睡蓮が形をくっきりさせたようにも見える。
極楽へ行くことを希う心の表れからの作品なのか、単に描きたかったから描いていたのが絶筆になったのかは、知らない。
知らないことだらけだ。作品を見ていても、高島の心の流れはわたしにはわからない。

まだ元気だった頃の睡蓮の絵がある。それを思う。
新宿御苑が好きだったのか、よくそこの絵を描いていた。
くつろぐ人々もいる。遠くに聖徳記念館の頭も見える。
そんな御苑の池の睡蓮。
黄昏時の睡蓮は、まだ開いている。
白い睡蓮たち。蓮ではなく睡蓮が集まっている。
この世の景色なのか。――どうかわからない。
しかし彼岸というわけでもなさそうだ。

高島野十郎はどこへ往ったのだろうか。

真似るは学ぶ 模造品

大阪のINAXギャラリーが四ツ橋から本町に移転して以来、足が遠のいていた。
大阪ガスビルを撮影する前に、伊藤忠ビルに向かう。
このビル一階フロアにINAXは移転している。
以前の四ツ橋のビルが懐かしいが、こちらはこちらで明るく綺麗だった。

見に来たのは水回りではない。
ギャラリーの展覧会『真似るは学ぶ』である。
http://www.inax.co.jp/Culture/2006g/03replica.html
入るといきなり『太子孝養像』があった。これは聖徳太子16歳の像なのだが、みづらに結うた髪も優しい、美少年像である。
安城市の所蔵だが、本物ではなかった。木彫彩色の像、剥落した彩色の美しさ、それらが全てレプリカとは。
しかも何で出来ているか。「樹脂」え・・・?マ・ジ?
ぐるっと廻ってみた。うーん、どう見ても本物の木彫。
すごい技術。

これだけではない。アッシリアの出土品や正倉院のガラス碗もあるが、それらも全てレプリカで、しかも樹脂製なのだ。
無論工芸品だけではない。
二次元のレプリカもある。
便利堂。主な美術館・博物館にエハガキや屏風などを納入している、あのすばらしい仕事をする会社の『芸術品』があった。
『鳥獣戯画』と『源氏物語絵巻』のレプリカがある。
多分私などは、本物と模造品の差異がわからないと思う。
便利堂の仕事はそれほどまでにすばらしい。
コロタイプ印刷の過程を見て、ため息をついた。つい先日便利堂さんでその実演が行なわれていたらしい。
ああ、すてき。
わたしは便利堂ギャラリーや海洋堂ギャラリーがだいすきだっ
日本のこの技術は本当にすばらしい。

堪能した。よく見せてくれた。

場所は移転してもINAXの良さは全く変わらないのだった。
既に東京展は終わっているらしい。今は『小さな骨の動物園』だと聞いた。
あれは本当に良かった。今ではミイラより骨格標本が大好きになった。
ありがとう、INAX。
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もうすぐ行くぞ!ブライス・コレクション♪

もうすぐ行くぞ、ブライス・コレクション!

ということでオフィシャル・ブログを訪問しました。
このなかに「おっ」というのと「あっ」というのを発見。

『飴売り』 これ、唐人飴ですね。
やっとその風俗がアタマの中に入った。
岡本綺堂の『半七捕物帳』の中に書いてあったのだ。
大変嬉しいです。わたしは半七捕物帳の大ファンなのだよ。
(明治の世になり、幕末頃の岡っ引き時代を半七老人が語る捕物帳)
以下『唐人飴』より抜粋。

「・・・前略・・・ひと口に飴屋と云っても、むかしはいろいろの飴屋がありました。そのなかで変っているのは唐人飴で、唐人のような風俗をして売りに来るんです。これは飴細工をするのでなく、ぶつ切りの飴ん棒を一本二本ずつ売るんです」
「じゃあ、和国橋の髪結い藤次の芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう」
「そうです、そうです。更紗でこしらえた唐人服を着て、鳥毛の付いた唐人笠をかぶって、沓をはいて、鉦をたたいて来るのもある、チャルメラを吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌って、カンカンノウといったような節廻しで、変な手付きで踊って見せる。まったく子供だましに相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊りを見せるのとで、子供たちのあいだには人気がありました。いや、その唐人飴のなかにもいろいろの奴がありまして……」

これです。嬉しいわ。なるほど納得な感じ。実物に向き合う前の喜びでした。


さてその次。
『松に鶴図』 森徹山の絶筆。わたしの持つ『古美術』'75『森派特集』に掲載されてましたね。当時は『千羽鶴』というタイトルでしたか。
ここには大倉で見た『雨中の狸』も掲載されていて、嬉しい本なのだ。
この絵を見ると、甲斐庄楠音の絶筆『畜生塚』を思い出した。あれも群れの絵だった。女たちの群れ。これは鶴の群れ。群れなすものたちが絶筆だというのは、どういう心持なのだろうか。状況は異なるにしても、少し考えさせられる。



今回『若冲』のために丸々1コーナーあるそうだが、わたしが子供の頃は、若冲=トリ=若冲という認識があった。
関西に住むからかも知れない。近所に若冲の襖絵の寺もあり、持つ旧家も多かった。模写も多かったと思う。
トリだけでない若冲の魅力が知られるようになったのは、本当にこの数年だと思う。
・・・・・・とりあえず、気合が入るぞ?!

天平の面影

日本の歴史の中でも、白鳳から天平、安土桃山から江戸開府、維新前後を殊の外、愛している。
これらは政権交代の激動の時代だった。
乱ヲ好ム
こうしたキモチが割りに長く活きている。
とはいえ、他の時代への文化を知るにつれ年々歳々、そちらへの関心も高まっている。
たとえば江戸時代。政権安定の時代の町人文化、それへの親しみ。
平安時代。貴族社会の日々の営み、それへの視線。
室町時代の文藝にも溺れてゆくわたし。
近代は、歴史としてよりその事業などに目が向く。

今回は上古より天平頃までを描いた作品を、この場に集めてみる。
近代日本画と近代洋画と。
現在活躍中の方の作品は措く。
掲示するのは全てわたしの持つ絵葉書などからである。
そのファイルの名は『古代感愛集』 折口信夫の歌集から。
折口の古代への視線に幻惑され続けて二十年経った。
この先も変わることはあるまい。
映画になった『死者の書』も来月には大阪に来る。
その関連記事はこちら

HPでわたしのブログ紹介していただいた。
その内容はこちら


奈良に万葉文化館という施設がある。
こちらには現在活躍中の日本画家の作品が揃っている。
飛鳥の地にはこうした文化事業が展開されている。

文化庁は古墳壁画にカビを生やしたが、これ以上の被害はなんとか抑えてほしい。その思いも込めての記事である。

*2016.9.7
手直しをして絵を大きくしたが、ところどころサムネイルのままのものもある。
また多少修正を施しもしている。

こちらはクリックすると全景が出ます。


堂本印象『コノハナサクヤヒメ』 印象の作品の中でも特に好きだ。

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青木繁 『オオナムチ』 最初に知ったのは谷川健一の『魔の系譜』から。
絵より先に評論を読み、それでどうしよくもなく焦がれたのだ。
画集は色々購入していたが、実物に出会うまで、なんと二十年が過ぎていた。わたしの執意も相当深いものだ。

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梶田半古の『アメノウズメ』と小杉放庵の『ヤマサチヒコ』が龍宮についたときの情景。前田青邨のにするか、迷った。

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ヤマトタケルのご登場である。青邨と古径の若い頃の作品。どちらがどちらのか当ててください。
わたしは棟方志功の『大和し美し』のヤマトタケルを愛しているが、今回は日本画でまとめることにした。
三年前、明治神宮宝物館でヤマトタケルを描いた展覧会を喜んたことを思い出した。

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こちらは伊藤彦造のヤマトタケル。弥生美術館で展覧会も始まったことだし、わくわくしている。

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珍しいところで伊東深水の『オトタチバナヒメ』 深水にもこうした作品があるのに驚いた。江戸以降の女ばかりだと思っていたからだ。

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青邨『貴人』 漢字表記に移る。この作品と川端龍子の『夢』をいかに深く愛しているか、その表現をわたしは持たない。

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武二と青木。この並べ方はわたしの絵葉書ファイルと同じであり、更には先日のブリヂストンでの並び方と同じなのだった。この二枚の間にアーチ型の通路があった。嬉しくて仕方がなかった。


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靭彦の『夢殿』 いよいよ聖徳太子のおでましである。
わたしは山岸凉子の傑作『日出処の天子』の愛読者であり、聖徳太子というよりイメージとして厩戸王子なのである。

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その厩戸王子のイメージに近い守屋多々志の作品。
(守屋、が厩戸を描くというのが個人的に面白い。物部守屋は蘇我氏と厩戸王子らに破れたのである)

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上村松篁の挿絵『額田女王』である。
母上とはまた異なる美人を創造している。
わたしが額田女王を知ったのは大和和紀の『天の果て 地の限り』だった。上質のコミックを読めて幸せな世代だと思う。

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時代が下がり菊池契月『光明皇后』である。
契月も意外に天平美人をよく描いている。

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天平時代、野遊びをする少女たち。『春日野』 
ときどき春日大社辺りにいると、神寂た心持ちになることがある。

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和田英作の『野遊び』 先の少女たちが少し大人びたのかもしれない。

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再び青木『享楽』 奈良時代のこうした歓びがわたしにも伝わる。
わたしは時々、この絵の中に入り込みたくなるのだった。

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最後に二つ、物語から。
山本芳翠の『浦島』 これは'90頃に太田記念美術館でポスターを見て衝撃を受けた作品で、'93に兵庫でやっと実物に出会えたのだった。
芳翠、鹿子木孟郎、吉田博らの不可思議な油絵をいつか論考したいと思っている。

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満谷国四郎『竹取』 かぐや姫といえばイメージ的に平安朝の衣裳を思い出されるかも知れぬが、物語の成立は七世紀後半頃らしいのである。
歌舞伎座にもこれに似た作品があるが、ちょっと今取り出せない。


色々集めたが、取捨選択が難しい。天地開闢図を捨ててよいのかとか、などなど。しかし自分が楽しければそれでいいか、と言うわけでこんな感じ。
先日デジカメをpcに繋いだのでレタッチの仕様が変更されて使い勝手がよくわからない。

先日の世紀末の余波に続く第二弾だったか。
次は猫かわんこの特集を組みたいような気がする。

神戸税関

わたしは近代建築探訪を愛している。
先月デジカメを購入し、それで撮影した分を、やっと今になって公開する事になった。
これまでは全てフィルム撮影のを出していたのだが、デジカメになって楽になるかどうかは全くわからない。
なにしろヒトサマよりのろいので、何をしているかよくわからないのだ。
とりあえず、これは先月見学してきた神戸税関の写真。

P0007-01.jpg

正面図。神戸は山と海とに囲まれているので、山側・海側と言う表現で方角を規定する。
言えばこれは山側から海側の税関を見る位置からの撮影。
以後全てクリックして拡大化してください。
P0032-1.jpg

その裏から。

海側から山側への視線。全体図。
P0040-1.jpg


なかなか趣のある外観。
続いて内部を少しだけ。
P0026-1.jpg

入るとこんな感じ。拡大するとわたしの視線がよくわかる。

P0024-1.jpg

これは天井の一部。楕円形がきれい。
基本的に楕円形のカタチはモダニズムの建物に多いような気がする。

P0012-1.jpg

床模様がきれい。雷紋がある。

P0017-1.jpg

中庭から塔を眺める。

このあと屋上にも出て、周囲の様子を眺めた。
神戸の海岸通一帯には、このような近代建築が沢山残っている。
商船三井、海岸ビルなどなど。

とりあえず、デジカメ第一弾目。

七夕




先日、何かのフルーツを貰ったときこのネットがついていた。
きれいな網目。手作業では無理な網目。
途端、発想が湧いた。
これを七夕に使おう。
網目の上にチラシの野菜写真を切ったものを貼り付けてみよう!
きっと楽しいはずだ。

・・・・・・こういうわけで、今年のわたしの七夕飾りには、この網が野菜写真などと共に釣られているのでした。

世紀末芸術の余波

先日来、世紀末絵画に多く触れている。
世紀末同盟に身を置く者として、当然ながら喜びは大きい。
今回は趣を変えて、近代日本画と近代日本洋画などの作品のうちから、世紀末絵画に触発されたらしき作品をピックアップしてゆきたいと思う。全てわたしの絵葉書その他のコレクションからである。
なお、そのままの大きさの画像もあるがサムネイル画像も多いので、クリックしてください。

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これは谷崎潤一郎の『人魚の嘆き』の表紙絵である。
中公文庫ではこちらと『魔術師』とかカプリングされている。
水島爾保布。すばらしい挿絵にはためいきばかりだ。

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こちらは倉敷美術館にある『サロメ』である。
世紀末絵画に描かれる美女として、わたしはサロメとシャロットの女を偏愛している。

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橋口五葉。漱石『我輩は猫である』鏡花『乗合船』などの装丁を手がけている。この人の作品はみな、たおやかだ。

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鏡花の名が出たところで、岡田三郎助の『草迷宮』。
鏡花の挿絵や装丁は清方や雪岱をすぐに思い起こすが、他の画家の秀作も多い。三郎助らしい愛らしい少女。

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清方の描く「お宮」の水死。オフィーリアからの着想らしい。

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こちらは川崎小虎のオフィーリアである。横長の大きな作品は他にもあるが、いずれも夢幻的で、そしてはかなげな美に満ちている。

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水つながりで中村岳陵の『水神図』 明らかにウォーターハウスの『嫉妬に燃えるキルケー』に触発された作品だが、悪くは思わない。これか荒木寛方のスフィンクスのような『海神図』を選ぶか少し迷った。

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青木繁から明治浪漫主義が始まった、と言われる。
わたしは青木の作品を偏愛している。ただしそれは物語性豊かな作品に限られてしまうのだが―――

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藤島武二の女たちを眺める歓びは深い。
支那服の女たちの横顔を描いた作品はルネサンス絵画に触発されたものらしいが、こちらの世紀末的美人画にはため息をつくのみだ。

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中村不折の孔雀。重厚な油絵の画家とは違う面が見えたようだ。
明治の頃、絵葉書が大流行し、それで作ったようだ。昔のコトバは、今となっては美しい絵柄の一つにしか、見えない。

泉州彷徨から大阪へ

この日の予定は字にすれば理に適うし、順路も間違いはないのだが、正直めちゃくちゃなのだ。
JR天王寺-堺市駅(ミュシャと与謝野晶子)-百舌鳥(堺市博物館)-信太山(大阪府立弥生文化博物館)・・・南海・松ノ浜-浜寺・阪堺電気軌道浜寺公園-寺地町(かん袋)-南霞町(スパワールド)
大阪が小さいとはいえ、このコースを発表したとき親から「・・・ちょっと友達の体力も考えなさいよ」と言われた。
それほど、無茶なコースなのだが、例によって遂行してしまった。

ミュシャを見てから百舌鳥の大仙公園にゆく。ここは仁徳天皇陵の前方後円墳の「前方」のすぐそばにあたる。鍵穴にしか見えない古墳のカタチだが、実は前方後円墳という字でゆくと、逆鍵穴が正確なのだった。理由は知らない。
二年前、三国ヶ丘駅から百舌鳥まで歩いた。花菖蒲の頃。
紫陽花がところどころ咲き誇る周辺の向こうに広がる、緑の深い森。
私の母は若い頃続けさまにこの古墳の中に入る夢を見続けていたらしい。
大仙公園は博物館、日本庭園、林などを有している。
もず野というレストランがあり、ここの夏季限定のゴマだれ冷やしうどんが好きだ。
ゴハンも粒が立っていて小鉢もおいしい。
機嫌よく出てから、博物館に入る。
特別展『堺の町探訪 寺町の文化財』

堺は「もの皆堺に始まる」と謳われている通り、中世たいそう繁盛した。
利休も納屋四郎五郎もみんな堺の人だ。
古代は古墳、中世は商売と文化。けっこうなことである。
その後の近世には寺が沢山作られた。整備された町、それが堺である。

寺町と言えば、大阪では谷町筋の界隈、京都では上京区やその名も寺町通り、東京では谷中などが有名だと思う。
しかし古くから歴史の続く町には、このような大掛かりでなくとも、必ず寺の集まる地域があるものだ。
堺の寺町は二次大戦の空襲で多くを失くしたが、それでもかなりの数が残っている。
この展覧会では、寺町の現在の様子の写真パネルと寺宝とを展示している。
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堺は秀吉の時代から既に家康と密約が出来ていて、その庇護を受けた。血盟判もあったとか、まことしやかな噂もある。本当かどうかは知らない。しかし連判状ぐらいはあったろう。
作家の隆慶一郎あたりが書いていたネタかもしれない。
鎖国するまでは堺も随分盛んだったろうな、と思う。


法華、真宗、浄土、真言、禅宗などの寺が立ち並んでいて、写真を見る限りどの寺も活き続けている。檀家さんもいるし、町内の行事にも参加されているようだ。
そんな佇まいに見える。

寺宝を見る。
沢庵和尚の手紙などがある。どうも鎌倉から江戸時代の手蹟を見るのは好きではない。
絵画は法華経宝塔曼荼羅図と、親鸞聖人絵伝が出ていた。
前者は背骨のように見える絵だった。宝塔が背骨とすれば、仏の肉は眼に見えぬまま、そこに広がっているのかもしれない。
後者は本願寺でも見た別バージョンである。絵解きに使われた可能性もあるように思う。
絵解き。
わたしは以前、かるかや道心の絵解きを信濃で見た。善光寺の手前のお寺。
説経節が好きで説話が好きで、というわたしはこれらの物語を飽きるほど聞いたり読んだりしてきたが、お寺のだいこくさん(奥さん)の絵解きを聞いたとき、思わず涙ぐんでしまった。
やはり巧い人の絵解きはすごかった。
この親鸞聖人の物語も絵解きされたのなら、わたしは涙ぐんでいる可能性が高い。

寺町以前の話に移る。
この博物館には明治の頃発掘された仁徳天皇陵の石棺の模型や図面がある。
その石棺には丸い出窓のような突起物がいくつもあり、朱が残っている。
正直、こわい。
(メチャクチャ怖い)
わたしは以前は古墳時代の発掘作業などに従事したいと思ったが、今では絶対に無理だと思う。
それだからか、逆にフラチなことを色々口走ってしまう。
どう見ても巨大な鍵穴とか、ここになんかの鍵を差し込んだら、中からずぅぅぅ・・・ん--- と巨大な影が立ち上がる、 とか色々・・・妄想を友人と共に造り始める。
う・わ・あ---img097.jpg



まあ、色々と。

***
百舌鳥から信太山へ向かう。
信太山には、説経節の『信太妻』つまり葛の葉の物語がある。
安倍保名は政敵のせいで阿倍野に追いやられ物狂いとなる。(日本舞踊・保名)
そこへ許婚の葛の葉が来て、仲良く暮らすうちに子どもにも恵まれるが、彼女は実は以前助けた白狐だった。本物の葛の葉が来たことで彼女は障子に歌を残す。(芦屋道満大内鑑)
恋しくば たずね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
異類婚。狐は「来つ寝」なのである。悲しい物語。
その子の童子丸は長じて後、安倍晴明になったという伝承もある。
晴明の異能への恐れや嫉妬などからこうした話が世に広がったのかもしれない。

さて、ここから池上曽根遺跡そばの府立弥生文化博物館へ向かう。
なんしか遠い。地図だけで見たら一直線だが、府道36号線というのがウソのように思える。
わたしは田舎がニガテだ。一人で歩けない。
しかしやっとついた。
エエ建物である。

弥生文化と縄文文化との鬩ぎ合いについては、いつか書き起こしたいと思う。

中に入ると、貫頭衣が何枚か釣ってあり、ご自由にと言う。
着ましたがな。
麻布で胸はV字型に刳り抜かれ、渦巻きと鹿らしき模様などが入ったちょっと可愛い上着になりました。サッシュベルトは縄です。
はっはっはっ。
わたしは時代コスプレするなら、白鳳から天平時代がいい。舞妓さんにも清少納言にも別になりたくないのよ、ほほほほほ。

えーと、今日見に来たのは特別展『弥生画帖 弥生人が描いた世界』と常設展。
大体小学生くらいの頃から、字はなくとも絵で何かを古代人も表現すると言うことを、知るのではないか。
国宝の銅鐸の人物像や狩りの様子など。
弥生時代と一口で言うても存外長いもので、その間に進化もあったし、思想の変化もあった。
戦争もあった。
ムラの概念、稲作、鉄と石の道具。
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弥生人のモデルルームもある。わんこもおる。ねこはまだ大陸の向こう。
ちょっとここに書けないようなものもあったりで、なかなか面白かった。

さてその絵。
圧倒的に鹿が多い。鹿に矢が射掛けられている絵もある。
高倉式倉庫もある。文身(イレズミ)人物もいる。『魏志倭人伝』にあるような状況。
サメも描いている。サメはよくわかるが、鹿や人物はわかりにくい。
サメといえば、古代ではワニ=サメだったそうだ。
つまり因幡の白兎はワニの背中を走ったのやのーて、サメを並べたわけですな。
わたしはずーっとワニだと信じて、腕立て伏せしてるような奴らがずらっ と並んでいる上を走るうさぎを想像していたのです。なにしろワニは太古、大阪にいたのです。
マチカネワニ。ちょっとショックでした。

なぜか羊もいる。
羊はいつから日本にいるのか。
星野之宣『宗像教授伝奇考』に羊の骨の話があった。
羊太夫は八世紀の関東の人物だが、この羊の絵は鳥取県から出土している。
弥生時代中葉から後期までの絵。
日本書紀には百済から羊をもらったと記載があるが、599年ということはちょっとビミョーにずれないか。
不思議やなぁ。

文身黥面のヒトは職業からそのような装いを施されたのではないか。タタラ踏んだり・海に潜ったりなどなど、より自然の力を感じる職業につくことでの魔除けと加護と。
ここに描かれた人物画には「うわー」なのが多い。
とりあえず安彦良和の『ナムジ』や『蚤の王』も弥生時代なのだと実感する。

そういえば、諸星大二郎の『暗黒神話』の中で縄文時代の古代絵文字を解読するシーンがあった。思い出すのは古代に材を取ったマンガばかりだ。
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展示室に古代の井戸の模型があった。所々穴が開いて中をのぞけるようになっている。
阪神タイガースの帽子をかぶった小学生兄弟がいて、わたしと友人はちょっと相手をして遊んだ。なんとなく楽しい。

なかなか面白い気分で博物館を出た。
ここからまた細い府道を延々と歩くのだ、今度は南海電車の松ノ浜に向かって。
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堺のミュシャ

ミュシャを見にゆくのは、何度目だろうか。
アルフォンス・ミュシャは今日の日本において最も人気のある画家の一人だ。
極言すればアールヌーヴォー=ミュシャ、という認識があると思う。

最初に行ったミュシャの展覧会は'90の高島屋で、実はこの日、大相撲の升席にいた。
春の大阪場所。難波の高島屋でミュシャにうっとりしてから、難波のちょっと裏の大阪体育館で大相撲を升席で見ている。
大体わたしはメチャクチャな取り合わせをしてしまうのだった。
次の展覧会は翌年の秋、天満の松坂屋でニナ・リッチ展と共に見ている。そのときにクリスチャン・ベラールなども知ったので、こちらはまあ、ちぐはぐなこともない。
それからは何かと見ている。

最初に見たミュシャは高1の学期末試験が終わり、打ち上げに集まった友人の家でだった。
この家は昭和初期の建築コンペで大林組が作ったスパニッシュタイプの和洋折衷の家で、建築史においては、なかなか重要な意味を持つ建物だった。
建築史に興味のある人なら心当たりがあるだろう。
そこで、ミュシャを見た。
正確にはミュシャの画集を見たのだ。
フランスの画集だったと思う。今となっては思い出せないが、日本語ではなかったのだ。

綺麗だった。
衝撃を受けたと言ってもいい。
「明るい」アールヌーヴォーを見たのはこれが最初だった。
それ以前からビアズリーを知っていたので、世紀末もアールヌーヴォーも「暗い」イメージしかなかったのだ。(ビアズリーはごく子供の頃、手塚治虫の『MW』で見知ったのだ)
その直後、十歳ほど上の知人から年賀葉書が届くようになったが、それはミュシャの作品にインスパイアされたものだった。

ミュシャへの恋が始まる。
なんにでもわたしは熱狂せずにはいられない。
そのことばかりに集中し、熱狂しなくては、わたしの中で落ち着いてくれない。
やがて落ち着けば、それはわたしの愛するカテゴリーの一つになるのだった。


長々と前書きをあげた。
わたしが行ったのはJR堺市駅前の市立文化館だった。
ここには与謝野晶子とミュシャの常設があり、今回は特別展だったのだ。
元はミュシャの子息イージィ氏と土居君雄氏と言うコレクターとのコラボからコレクションの中核が生まれ、堺出身の与謝野晶子との関わりからもここに開設したそうだ。
それらはドイ・コレクションと呼ばれ'89にはチェコ文化交流最高勲章が授与されたそうな。
今回はなんでも堺市の政令指定都市移行と日経新聞の堺支局開設記念の展覧会らしい。

ミュシャがパリで寵児になったのはポスターからだった。
ジュール・シェレの後に現れた彗星は、一夜にしてパリを牛耳ったのだ。
シェレは'91に見ているがアールヌーヴォーではなく、その時代に、より相応しかったのはやはりミュシャだと思えた。
すばらしい作品が数多く並んでいる。
ポスター、即ち商業芸術の魅力は既にロートレック以降、パリに浸透している。
リトグラフと言う技法が生まれていたおかげで、今日でもこうしてミュシャの作品を美しく見ることが出来るのだった。

どれが好きかと言われれば困るのが、ミュシャの作品だと思う。
ルノワールと同じく「あれも好きこれも好き」になる。

例えば今回のチラシになった『黄道十二宮』
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この作品などは女の顔もさることながら、ビザンティン風の王冠型髪飾りにも目がゆき、クラクラしてしまう。またその周囲の十二宮は金牛宮から磨羯宮までしかはっきり見えないが、その細密描写には、目を凝らしてしまう。(巨蟹宮がなんでエビまたはザリガニなのかは不明)
装飾的な花々もウィリアム・モリスかミュシャか、と妍を競えるだろう。

その彫刻化のような『ラ・ナチュール』像。
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この像からまた様々な妄想が生まれだしてゆく。

また、多くのマンガ家がミュシャにインスパイアされて沢山の作品を残している。
たとえば山岸涼子の優雅な女性たちは、ミュシャの描く衣裳に似たものを身につけている。
宮脇明子の扉絵は多くをミュシャとクリムトの構図から得ている。
彼女たちは巧みなストーリーテラーだが、同時にすばらしい絵柄の主である。
あの高レベルだからこそ、堂々と引用できるのだと思う。

展示作品に戻る。
今の時期にふさわしい作品を二枚。
百合とアイリス。
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様式的な花の美しさにときめくばかりだ。
アイリスの女は花を見ている。しかし百合の女の視線はどこに向けられているのだろうか。
百合に囲まれ、百合を身につけ、百合の中に立つこの女は、自身を百合に同化させていて、摘みに来る人を待っているのかもしれない。

連作『月と星』は茶色がベースとなっている。珍しいと思う。ミュシャの夜は茶色なのかもしれない。茶色い夜。ショコラの夜。

サラ・ベルナールとのコラボレーション。
サラはミュシャの絵でミューズになった。
今日、サラの演じた芝居を見ることは不可能だが、サラを描いたポスターから、当時のサラ崇拝と熱狂が伝わる。
ミュシャ以前からサラは大女優だったが、ミュシャのポスターが百年以後までのときめきを用意した。

『椿姫』キラキラ星を背景に立つポスター。
このポスターだけでチケットを取る気がする。
『サマリアの女』 女の光背にSARAH-BERNHARDTと☆と煉瓦状の組み合わせが素敵だ。
ちょっとマンホールのようだが。

やがて人気絶頂の最中、ミュシャは故国チェコスロバキアに帰還し、「ムハ」として活躍を始める。彼の油彩の大作。
『スラブ叙事詩』その写真パネルが来ている。
スラブ民族の歴史には詳しくないが、その複雑さは理解している。
人気を捨ててまで祖国へ帰る。建国の歴史画大作。
絵がどうのとか技法がとかよりも、その熱情と思想にうたれるばかりだった。

いい展覧会だった。


***
この美術館には与謝野晶子の資料も併設されているのだが、そこには『明星』が展示されている。
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藤島武二らによる表紙絵は、明らかにミュシャにインスパイアされている。
1901年の『みだれ髪』。パリのミュシャの作品と同時代の画家の手。
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晶子はミュシャのいなくなったパリに滞在する。
1912年。パリは既にアールデコとモダニズムの時代に突入していた。
鉄幹の芸術的閉塞感を打開するための渡航。
晩年の夫婦の写真を見る。そっくりな男と女。
今日では晶子の才ばかりが目に付くが、歌人として詩人として明治浪漫主義の畑を耕したのだ。
展示されている資料を見ながら、『明星』の表紙にこうしたアールデコばりの作品を推したのが晶子ではなく鉄幹だと気づく。

ミュシャと晶子と。堺市立文化館はすばらしい所蔵品を持っている。
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