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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

パイレーツ・オブ・カリビアン2見ました

パイレーツ・オブ・カリビアン2 見ました♪

とにかく可愛いジャック・スパロウに会いたくてノコノコ出かけました。
シリーズ物は話の展開もさることながら、キャラの魅力に引寄せられてしまう。
可愛いジャック・スパロウと書いたけれど、ジョニー・デップの演技の巧さがそれを支えているのだから、そのことは常に覚えていなければならない。
しかしそれを忘れるくらい、とにかくジャック・スパロウが可愛い。

話は1の続きなのだけれどその1を忘れている。SWも指輪もきっちり覚えているのに、海賊はこれか。
しかしそれは別に仕方ないことだ。

可愛いスパロウ船長が水葬の棺からバキッと現れる。
それからしても可愛いしかっこいい。
これなら例えば普陀落渡海の船でも南海浄土に行かず、那智に戻ってきそうだ。

少し前に見たショコラシェのウォンカ氏は白塗りのおかっぱさん、今日のジャック・スパロウは小汚い、触ると手に泥とかつきそうな。
でもどちらも可愛くて仕方ない。

ああ、ラム酒。すてき。飲まないけれど、ラム酒をたくさん使ったお菓子大好き。

笑いすぎて苦しいシーンが多かった。
なんていうのか、焼き豚とでも言うのか、おい??おい??なシーン。こういうギャグ大好きだ。
フルーツの串刺し。

ネタバレになるので話を追うことはやめるけれど、ハムスターもびっくりなシーンとか、やっぱり女は強いぜ、なこととか色々。懐かしの『タイタニック』のローズと同レベルの力強さでしたねえ??

ところでクラーケン。蛸の吸盤ですか・・・
実は私、クラーケンと聞けば『聖闘士星矢』の海闘士・クラーケンのアイザックを思い出すのですよ。
車田御大の原作ではなんだかエイのような絵柄でしたが・・・ここでは転宅留守いやテンタクルスなんですね。
それで逃げようがない以上可愛いジャック・スパロウは・・・。

しかしそれにしても先が気になる話だわ??
ジャック・スパロウどうなるのか。次回を待て。
これですね。

ところで前々から疑問。
何で船乗り(海賊も商船も他の船乗りも含む)はオウムを飼うのかな。
ラム酒を飲むのはなんとなくわかるけれど。

・・・物語の筋や構成や設定は忘れても、ジャック・スパロウというキャラの魅力は決して忘れることがないだろうなあ。

プラド美術館展

会社を夏休みして天王寺へ出かける。
その予定、相変わらずメチャクチャ。
プラド美術館展―中華料理・龍圃―カラオケ1時間―パイレーツ・オブ・カリビアン2
どこかに共通点があるなら知りたいくらい支離滅裂だ。

友人と待ち合わせて大阪駅前第2ビルを徘徊し、プラドも海賊もチケットを安く入手する。
機嫌よく大阪市立美術館へ向かうが、気の毒に展覧会スタッフはこの炎天下でタチンボしている。
スペイン暑いからなー、とわけのわからん感想を持ちながら会場へ。

マコトに残念ながら大阪には来ずスペインに帰省した作品が割りと多かったりする。
東京でがんばったあと、お疲れーとばかりにサヨナラしたようだ。
マハとかボッシュの悦楽の園とか。おいおい挨拶なしかね。
しかしそれでも他の名品がまだまだある。
一点ずつ書くのはやめて、今回自分の興味を引いたものだけ書くことにした。

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ムリーリョ 『貝殻の子供たち』 大阪ではこれがチラシのメインである。可愛い。
賢そうな目つきで、貝殻の水をあげる方が幼児イエス・飲ませてもらう方が幼児ヨハネ。
ネットやチラシやポスターで何度も見てきたのだが、実物に向かった途端、言葉が浮かんだ。
「お前は首をうたれ、わたしは磔刑にかかる」
チラシなどの二次生産物からは聞こえなかった言葉。
結局、こうした言葉が(幻聴であったとしても)聞きたくて美術館に来るのかもしれない。

そのヨハネと縁のある『サロメ』もいた。
ティツィアーノのサロメは薄物ではなく、重厚なドレスを身にまとっている。
振り向くうなじがきれいだと思った。
そして盤上の首は、ただただ黒い。

バッサーノの『ノアの箱舟に乗り込む動物たち』 ・・・この主題の作品はこれまで何枚も見ているのだが、今回それまでにない感慨と言うか疑念と言うか、うう-むな感想が湧いた。
「・・・もしかして種の保存やなくて、ノア一家の食料品?」
猫も象も食べるのはちょっとしんどいけどね?

例によってろくでもない感想を抱いたのは、カルドゥーチョの『ヨアキムとアンナのいる聖家族』 聖母子とその祖父母が嬉しそうにしている。そして右端の暗い陰にムエンな<父>がいる。
こういう構図を見るたび、武田泰淳の『わが子キリスト』を思い出すのだよな。

ムリーリョ『聖パウロの改宗』 ちゃんと隅っこにパウロのマークというか、寿老人の鹿と同じに、鷲がいます。
十二使徒の出自と後身がイマイチ把握出来ていないので、もっと勉強しなくては。
それにしても画面は暗い。重厚さがこの暗い画面でないと成り立たたぬと言うのなら、わたしはニガテだな。
鷲のマークの大正胃腸薬、鷲のマークの第三帝国、鷲のマークの聖パウロ。・・・塩の柱になるかも、わたし。

そして別な使徒がご登場。
ストメル『聖トマスの懐疑』 えーと・・・すごいね、イヤなんというか。つまり復活したキリストの脇腹の刺し傷に指突っ込んでるの。それにはキリストもびっくりで、「ウッソー」なポーズをしている。周囲に老人二人がいるのに、止めんかいな。
関係ないが京都の聖トマス学院はとても素敵な建物だ。
聖トマス、ある意味ユダよりすごくないですか。

ルーベンス『ヒッポダメイアの略奪』 めちゃくちゃです。こんな横暴が許されてよいはずがない。
それでみんな怒り狂って取り戻そうとする。
その躍動感、ナマナマしい表情、喧騒。
ルーベンス(とその工房)は劇的な情景を描くのが本当にいい。花婿らしき青年や父兄たちの憤りと興奮とがよく伝わる。
『フランダースの犬』でネロ少年は教会のルーベンスの名画を見て歓喜に包まれながら餓死する。
ネロは一体どんな絵を見たのだろうか。
少なくともこうした神話系ではないと思う。

リベーラ『アッシジの聖フランチェスコの幻視』 聖フランチェスコは第二のキリストだけに聖痕示現がある。
考えればジョットのそればかり思い浮かぶが、当然ながら他の画家も聖フランチェスコを描いているのだ。

エル・グレコ『寓話』 ベルギーのJアンソールを思い出した。
わたしはあまりこうした作品を好まない。
しかし東洋の絵画ではサルに対して悪意がないのに、なぜ西洋の絵ではサルは悪意に満ちているのだろう。

ベラスケスの王女マルガリータが大きくなったのか、マルティネスのマルガリータは同じ顔をしている。
画家の趣味ではなく、彼女の個性だったのか。なんとなく顔とかは似ていないが、『麗子』のことを思い出した。

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ゴヤの『トビアスと天使ラファエル』 トビアスはちゃんとサカナを手にしている。旅立ちですね。可愛い少年と綺麗なお兄さんとの♪
イケナイおじさんやアブナイおねいさんの喜ぶ画題だなぁ。

ティツィアーノ『くつろぐヴィーナス』 これは東京でのチラシ。
オルガン奏者の視線は膝頭にいっている。なぜだ。ずぃっとみおろしてきて、ここまで来たのか、それとも膝フェチなのか。
窓の向うには孔雀や鹿がいる。こうした庭園に憧れる。スパニッシュな建物を関西人はたいへん好んでいる。だから関西にはスパニッシュの建物が多い。

ジョルダーノ『サムソンとライオン』 子供の頃TVでセシル・B・デミルの『サムソンとデリラ』を見た。かなり好きな作品。
レンブラントのサムソンも見た。このジョルダーノのサムソンはまだまだ元気なサムソンだった。

レーニの『クレオパトラ』はもう緑色になっている。
ルーブルで2Mくらいのキリストの遺骸の絵を見たとき、全身緑色なので怖かったことを思い出した。
大和絵では死体は土色、こちらでは緑色なのだった。

スペインの静物画はボデゴンというそうだが、ここにひとつ面白いものがあった。
スイカである。メレンデスの描いたスイカ。
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まるでスイカ割で叩き割ったような。タネ、大きめ。
それで実はこのスイカ、エハガキになっているが、何か張り紙がしてある。
「暑中見舞いにどーぞ!!」
・・・大阪もスペインも暑いのよ・・・

機嫌よく見て廻り、大阪に来なかった分の絵葉書を買うて、会場を後にした。
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ウィリアム・モリス 壁紙とステンドグラス

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美のかけはしを見た後フラフラしながら京都駅へ向かう。
秋なら歩く距離だが夏はなまじ好きなので、自覚しない内にバッタリ倒れる可能性がある。
丁度バスが来たのでそれに乗って駅ビルの伊勢丹へ。
えき美術館です。ウィリアム・モリス展。
・・・
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去年の秋、汐留ミュージアムで見たのと同じでした。
群馬県美のかなと思ったけど、こっち系でしたか。
昨秋、東北の友人と待ち合わせて眺めたモリス。

そのときのことを思い出しながら今回も展示を眺めた。
モリスはなかなか人気なので、わたしもこれまで結構展覧会に来ている。
最初にその作品を「ウィリアム・モリス」のものだと認識して眺めたのは、'93のジョン・ラスキン展の中に出ていた壁紙からだ。
それ以前から見知ってはいたが、きっちりrecognizeしたのはこのときから。p11.jpg


ついで'97の京都での大回顧展、それから印象深いのは'04の大丸での展覧会。ここでモリスのデザインした月長石に一撃を受けた。
今も思い出すと欲しくて仕方なくなる。
宝石に詳しい人の話によると、この石は宝石ではなく貴石らしい。
その辺のことはよくわからないが、本当にきれいだと思った。
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今回の展示は主に壁紙とステンドグラス。
ステンドグラスは持って来れないので、再現して裏からライトを当てる。
これがよいのですよ。
秋に見たときも「ええなーええなー」「いいべーいいべー」の連弾台詞だったが、本当に綺麗だ。
原画自体はバーン・ジョーンズらである。

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壁紙はかなり昔から見知っているものが多く、どれがどうと言うことは無駄かもしれない。
よく腕のあるマンガ家がミュシャやクリムトにインスパイアされたイラストを描くが、モリスもまた背景などによく使われる。
特に心に残るのは、ヴィクトリア朝のロンドン社交界を舞台にした坂田靖子の『バジル氏の優雅な生活』である。
坂田靖子はこの時代の大英帝国を舞台にした名品を多く描いている。わたしは多分、彼女の作品からモリスの壁紙やガレのガラスやセガンティーニの絵を知ったのだ。
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それから今はなくなってしまったが、高島屋の堺筋店にモリス商会の家具のショールームがあり、それをよく眺めていた。
今もモリス商会が存続しているのかどうかは知らない。
日本の古美術のように乾山写し・仁清写しの類でのモリス写しなのかもしれない。
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さて展覧会場。
アーツ&クラフト運動をしていただけにモリスは職人魂と芸術家の心とが同居したよい商品をたくさん生み出している。
個人的にはこれらを自室に使うことは出来ないが、眺める分には楽しい。
小鳥が森の中にいたり、アーカンサスが広がっていたり、深い海のような色や、天に続く空の色が素敵だ。
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ステンドグラスは原典の物語を知らずとも楽しめる。
本当にきれいな作品。元々きれいな絵がきれいな工芸品になり、きれいなライトを当てられて、ますますきれいになっている。
楽しんで見続けた。
きれいなものを見て、少し元気が出てきた遊行でした。
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追悼・吉村昭

吉村昭の訃報を目にした。
わたしはこの作家の作品と言えば『長英逃亡』と『大黒屋光太夫』を新聞連載で読み続け、エッセーやコラムを雑誌で読んでいた。
単行本を真面目に読んだことのない不埒な読者だった。『戦艦武蔵』あたりは全く読んでいない。
しかし毎日毎日(連載先も毎日新聞だった)随分楽しませてもらった。

『長英逃亡』は子供の頃だったので高野長英と俳優の高橋長英とがごちゃ混ぜになっていた。
数年前四国に近代建築探訪に出かけたが、そのとき長英が長らく潜伏というか、匿われていた場所にも足を向けた。(大洲)
顔まで火で焼いて人相をごまかし、全く気の毒だと思ったが、それはそのときの感想で、それまで長英と言えば怖いというかなんというか。
その原因は吉村昭の作品の緊迫感に拠った。
とにかく息が詰まるような展開だった。
資料を積み重ね、切迫した展開をリアリズムの文章で構成する。
こわかった。どきどきした。
しかも感傷を排除している文体なので、作者その人への恐怖まで感じたくらいだった。

それが薄れたと言うか、消えたのが吉村のエッセーを読んだからだった。タイトルは忘れたが、内容はこうである。
「卯年の男の悲哀」
卯年の吉村は奥さんの津村節子や彼女のお友だちにもフェミニストとして接しても、
「吉村さんて何年?干支はなに?」訊かれてニコニコと「卯年です」答えた途端、冷たい言葉が奥さんや友人たちから飛んでくる。
「なーんだ、卯年か、だからそんな心にもないことを言う男なのね」
それで吉村は「ちがうんだー」と魂の叫びを心の中に隠して泣いている、そうだ。
卯年の男がギャクタイされる理由は知らないが、読んでいて大変面白かった。わはは、な感じ。

長英にも恐怖を感じなくなったのは、みなもと太郎の労作『風雲児たち』を読んだからだった。その作には大黒屋光太夫も現れる。
つまりわたしは井上靖の『おろしゃ国酔夢譚』より先にみなもと太郎の光太夫の苦難を知ったわけだ。
それに感動した後、新聞連載が始まった。
村上豊の挿絵も魅力的な吉村昭『大黒屋光太夫』である。

この光太夫は日本に帰国後、従来の説と違う展開を見せた。
それは新たに発見された資料を吉村が採ったからだ。
それなりの、幸せ。
それが光太夫たちに訪れた。
読者として光太夫に肩入れしていたわたしとしては、とてもほっとする後半生だった。
幽閉されたりするより、気の強い女房にヒシガレて無口になる方がずっといい。

そしてそれを読んだとき、『逃げる人』を描く吉村昭も旅を終えたのだな、と感じた。
あとは少しのんびりした話なども書いてくれたらな、と思った。
しかしそれは最早望めなくなった。

吉村昭の冥福を祈りたい。
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