美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

小堀鞆音と近代日本画の系譜

明治神宮に行くのは二度目。ヤマトタケルを描いた作品展以来。
あの時は大変よかったけれど、「どうぞ」と渡された宝物殿のチケットに眼が眩んでエライ目に遭ったことがソクソクと思い出される。
今回は行かない。行ってまた一人で、何十何百人もの天皇・皇后の肖像画と対峙する勇気が湧いてこない。
忙しいのだ。
それをニシキの御旗にしよう。(え?)

小堀鞆音は歴史画の大家で、弟子にも優秀な画家が生まれている。
今回は歴史画を多く見た。

入り口そばに前田青邨の獅子がある。青とオレンジの対。青邨は唐獅子を多く残した。
どいつもこいつも丸い目をした元気そうな獅子。
考えれば唐獅子は幻獣なのだ。フツーのナマライオンより人気者だ。

平家物語・太平記などに素を求めた作品が多い。
ところがこれらの作品が生まれた明治の頃にはどんなエピソードも「ああハイハイ」と通じたろうが、今は解説がないとだめだろうし、そのことの意味そのものが伝わるかどうか。
鳥が飛ぶのを見て埋伏の敵を感知したとか、先陣争いとか、桜の木に「がんばってください」な文章書くとか・・・

昔、奈良にそごうがあった頃(奈良に都があった頃よりだいぶ後年の話)そこのミュージアムでは、梶田半古や平福百穂などなかなか回顧展のない画家の展覧会がよく開催されていた。
嬉しかったなー。そのときの気分が蘇ってくるような内容だった。

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折口信夫の世界展

折口信夫の著書を本当に読み始めたのは、大学に入ってからだった。
折口の弟子筋の教授が何人かいて、皆たいへん気難しかった。
教授のテキストが小栗判官だったことと、たまたま私は子供の頃から小栗判官の物語が好きで、猿之助演ずる小栗に熱狂していたので、ほかの学生よりは折口学に入りやすかったという事情がある。
さらに歌人・釈迢空の短歌は秋艸道人会津八一と並んでわたしの愛唱するところだった。

今回、國學院大學の後援で渋谷郷土資料館で『折口信夫の世界』展が開催された。
数ヶ月前、同じ場で文芸評論家・奥野健男展が開催され、そのときに知ったのだ。
ハチ公バスで資料館に行き、わたしは折口の豊かな世界に触れることが出来た。
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kyodo/20061017_origuti.html
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折口信夫の生涯や人となりは、さまざまな著作で世に知られている。
ここにある資料も、たとえば写真などは新潮社の文学アルバムなどで見たものが多い。
(翌日軽井沢で堀辰雄記念館に行き、そこでも同じものを見た)
しかし自分の目で眺めると、やはり深い感慨がある。
折口の姿を視たもので面白かったのは、やはり身近な弟子たちの著書である。
私の手元には彼らの記した本が幾冊かある。

折口は短歌結社とりふね社を主宰していた。
その看板がある。鳥舩、と書かれている。船ではなく舩。
天の鳥舩である。

眼を移すと、歌集が並んでいた。原稿もある。
葛の花 踏みしだかれて 色新し。この山道を 行きし人あり。
                    (海やまのあひだ より)
六年ほど前、京都造形大学で穂積生萩さんから寄贈された釈迢空の短冊を色々眺めたことがある。
折口は口述筆記を常としていたので、後年の論文などの直筆はあまり見たことがなかった。
今回の展示には、短歌だけでなく直筆論文も多く出品されている。

信州ツアー4 松本少しだけ

さて松本市内を少しだけ撮影して歩く。でも飛行機の時間があるので30分限定。
文化財登録の煉瓦の家。なにやら水出し口に・・・熊?
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他にもお風呂屋さん。四年前から入りたいと思いつつ縁がない。
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酒屋さんや肉屋さんや色々。
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少し手が入っているが三軒続き。
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銀行も空き店舗になっている。どうなるのかなぁ。
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こっちはNTT。P0962.jpg

また来るけどいつになるかは不明。
市内から松本空港まで大渋滞でエライ目に遭うた。ギリギリチェックイン。
プロペラ機か。
大阪に着くと大雨でした。いつものようにタクシーに乗ったけど、甲斐のあるタクシー乗車です。
こうしてツアーは終わったが、例によって残務処理に手間取る日々が予測され、なんとなく気分が暗くなってくるのでした・・・

信州ツアー1
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-675.html
信州ツアー2
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-676.html
信州ツアー3
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-677.html

信州ツアー3 松本 主に<鯛萬>

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(鯛萬前景)

さて上田から松本へ向かった。
数年前長野から湯田中-渋温泉-上林温泉と遊び、帰りに松本へ出たことがある。
中学の信越一周修学旅行から始めて三度目の松本訪問。

最初に松本深志高校。素敵なんてもんではないくらい、素敵。
ドキドキした。
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丁度今松本市博物館ではこの松本深志高校による素敵な展覧会が開催中。もう一つの洋画だったっけ。
ジーっと眺めていると猫が寄ってきた。
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そこから開智学校へ。あら、宣教師館工事中か。
擬洋風のキッチュで可愛い建物に、妹えらく笑いよる。
擬洋風の説明をする。
「だからさー、ホンマのロックなんかないけどロックシンガー星の数って歌もあるやん。あれよあれ」
「擬ロック」
「そうそう」
・・・わかることが大事なんだ・・・←嘘をつけ。

信州ツアー2 上田めぐり

上田には昔、随分憧れた。
理由は色々あったが、今は忘れてしまった。オーストラリアに憧れたのと同じ気持ち。
妹の車で夕方の上田をめぐった。
蚕の関係の建物を見る。P0866.jpg

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上田市常田町界隈。
蚕関係はここら辺に集中しているのか。
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今では信州大学の建物になっているものもいくつか。
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見学していると、45年前にここを卒業されたという三人組のオジサマ方が色々教えてくれた。
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こういうお話が貴重なのだ。P0879.jpg

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信州ツアー1 軽井沢から追分

東京から軽井沢に出た。
駅舎記念館。P0816.jpg

昔、『軽井沢シンドローム』というコミックにハマッていた。小諸から軽井沢あたりを舞台にした色々とややこしい連中の物語。
いつか行きたいと思いつつ縁がなかったのは、わたしもややこしい感情があったためかもしれない。
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近代建築を愛している以上はやはり、軽井沢の別荘やホテルの歴史にも触れなくてはならぬのだが、それはわたしの脳内ノートに置くことにして、とりあえず写真です。
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音楽家の山本直純のおじいさんが拵えた三笠ホテル。
今は記念館として開館している。
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博物館の馬と猫その他(多?)

博物館の馬と猫その他(多?)
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横浜の根岸に『馬の博物館』がある。
行ったことがないどころか初めて知る場所である。
蒲田で用事があったのでそこから横浜へ向かった。
ところでちょうどその時蒲田の神明大神宮という神社の大パレードが行われていて、京急からJRまでの道を、わたしは拵え物の山車など見ながら歩いたのだった。天岩戸、ヤマタノオロチ、天孫降臨…日本神話には絵になるエピソードが多い。

横浜からでも桜木町からでもバスは行く。
バスは頻発している。どちらにしろ<滝之上>で下車すれば目の前にある。
ちょっと素敵やないですか。P0749.jpg


馬の銅像がある。
<神賛>シンザンなのか。P0750.jpg

裏へ回ると来歴があり、やっぱりあのシンザンだった。十年ほど前にあの世へ駆けていったシンザンだ。
36歳の馬。前にTVで調教師や厩務員の人々と一緒にコタツに入っているのを見た気がする。

それからほかにも<幻の馬>像がある。
トキノミノル。大映の永田社長が馬主だったらしい。
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周辺は根岸森林公園らしく、紅葉した葉がひんやりした空気の中で静かに揺れている。

戸栗美術館の動物たち

23.24と都内にいたが、順は追わず話を展開する。

ハチ公バスで渋谷郷土文学館に行った後、戸栗に行くのに悩んだ。
渋谷へ戻るバス停が見当たらないからだ。
ケータイのGPSで自分の位置を探ろうかと思ったがとうとう諦めて、TAXIの運転手さんと目が合ったので、乗り込んだ。
松涛の戸栗に着いたら1060円だった。

果たしてそんな交通費をかけてまでここへくる価値はあるのか。
迷妄と暴走に彩られた私の前に、伊万里・有田・鍋島の名品が現れる。
今回、所蔵品の中から動物の絵柄の作品などが展示されている。

わたしは陶器より圧倒的に磁器が好きだ。
それも伊万里・有田より鍋島が好きだ。特に色鍋島。
今回もその名品を楽しんだが、コンセプトが動物なので、なかなか面白い作品を見た。
絵付け師がどういう意図でそれを選んだかは知らないが、大体絵柄になる動物たちは大抵面白い顔というか、ちょっとずれてて可愛いものだ。
竜もアタマに♪つけてそうな奴らが多いし、トラはぬいぐるみっぽいし、ウサギは妙なのが多いし。

今回も十二分にへんな奴らとご対面だ。
大体陶磁器を見る空間というのは、シンと静まり返っているのが多いと思う。たぶん絵を見るよりずっとその静寂は深いと思う。
今回も、磁器と対峙する人々はまるで氷壁のようだった。
えらいものだ。

わたしは独り言が多い上、すぐにフラチな笑いを見つけ出すヤカラなので、こうした空間にいてもついつい機嫌よくなって笑ってしまうことが多い。

ウサギの目つきが面白い皿がある。ええんかいな、こいつら。
そんな心配をしてしまうほど可愛くないところが、かえって楽しい。
それについつい喜んでしまう。
私こそ、アタマの上に♪がくっついている。

すばらしい皿があった。
白磁に陰刻された牡丹と、縁は染付・そこに菊を散らしている。
こういうのがほしいのよねー。
ほかにも蝶形の小皿五客分。みんな微妙に色が違う。
洗うのに手間取るだろうが、使ってみたくなる。可愛いなー。

…というように良い作品も色々見ていたのだが、「うぉっ」と言うか「ぎょっ」としたのがある。
魚の形をした大皿だ。
目の部分がぼこっと出ている。裏から親指で押し出したらしい。
笑ったなー。
こうした作品もまじめに見る人はシーンと見てはるわけです。
私だけです、笑ったのは。反省ちょっとだけ。

茶色い皿がある。白鷺が二羽いる。ちょっと昔のロシアアニメ風。
こういうのがまた可愛いのよ。

いちいち書けなくなってきた。
なんせ100点越えてますわ。
画像もナシなので、わたしのエエ加減な感想がますます悪目立ちする。

とにかく、行けてよかったうれしいわ、と言う楽しい展覧会だったのだ。磁器が好きな人にはお勧めです。

しかし明るい気分が落ち込むのも早い。
渋谷のミュージアムマップがあった。
モデルコースとして、郷土文学館からこの戸栗へのバスの乗り方がある。ううううう、ハチ公バスの乗り継ぎで行けたのかっ
わたし、その十倍の……

楽しみの後にはカナシミが湧いてきたのでした。

浅井忠と関西美術院

既に府中美術館で開催された『浅井忠と関西美術院』展が本家本元の京都市美術館で開催されている。
当初<洋画>と呼ばれず<油絵>と呼ばれていた洋画群。
内容も日本画で描かれていた内容を置き換えたものも多かった。
ところがよく考えると(手法はまったく違うのだが)物語性を重視した点はラファエル前派と共通してもいる。
明治初頭の、黎明期にあった油絵師たちは日本や中国の故事来歴・伝説を絵画化した。
それらはたとえば伊藤快彦や都鳥英喜や寺松国太郎らの作品に表れている。
ところが留学から帰った浅井忠が学んできたものはそれらとは異なり、日本的主題の作品を描いてもやはりそれは<洋画>に見える。
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洋画の学校としての関西美術院についてはこちらに詳しい。
http://www.geocities.jp/kanbi_1906/index.html
ちょうど百年の歴史。

展覧会に展示されている作品はなかなか魅力的なものだった。
というより、今日的な展覧会に現れない作品群だということが、新鮮なのかもしれない。

私が入ったとき、展示解説が始まっていた。
櫻井忠剛の説明をしている。
この画家はかつての尼崎の領主の家の出で、本人は画家であり初代尼崎市長なのである。勝海舟とも姻戚関係にあった。
回顧展は去年尼崎で開催されている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-105.html
ここに展示されていたのは横長の板に能面と謡本と小道具が置かれた風景である。
当時の住宅事情と装飾の関係からの解説が行われている。
二枚はそれぞれ『安宅』と『道明寺』である。
二作ともよく知られた作品である。
実は今でも尼崎の旧家には櫻井の作品が残るところが多い。

櫻井の盟友伊藤の作品も並び、それから鹿子木孟郎の作品も並んでいる。
鹿子木は’91.3月に京都近代美術館で大規模な回顧展が開催された。
わたしはそれを見ているが、そのときに出た作品が今回も現れた。
『新夫人』『画家の妻』などである。

その回顧展では『インスピレーション』という不思議に霊妙な作品もあった。
霜鳥之彦や都鳥など、京都でしか(それもこの界隈のみ)見ることのできない画家の作品がたくさん並んでいる。
そのこと自体に意義があると思う。

山内愚僊『金屏』 文字通り金屏風の前に青い着物の娘がいて、短冊になにやら書き連ねようとしている。
その金屏風には応挙風のころころわんころがいる。可愛い。愚僊写と屏風に入れている。なんだかとても楽しい。
わんころが描きたかったのかもしれない、と思うほどだ。

向かいの近代美術館では同時代の日本画家・都路華香とその周辺の展覧会が開催中なので、私の意識はしばしば行きつ戻りつを繰り返している。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-669.html
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クリックしてください

病院鳥瞰図を描いた田村宗立の『官女弾琴図』がある。
あちらは建築の図面のようだったが、こちらは油絵の女人像である。
日本画ではあまり官女を描かなかったが、油絵では武二のも見ている。

寺松国太郎『乙女散華の図』 天女が散華している。花を散らす乙女のその胸の美しさ。
ちょっと感動してじっ と眺めた。きれいな胸。こんなきれいな胸を見るのは久しぶりだ。
あんまりきれいなので晒すのが惜しいくらい。
なんてきれいな胸なのか。
わたしは裸婦の中でも満谷国四郎の裸婦が好きなのだが、あちらは日本人の黄色味がかった肌色の質感をうまく捉えている。この天女の胸はやや青白い。しかしどちらもとても惹かれる。
いいものを見てしまった…

同じく『サロメ』 倉敷市美術館で見たとき、サロメ熱が高い時期だったから、うれしくて仕方なかった。
再会でき喜んだ。ナマナマしい肉感のサロメ。汗や脂や質感まで感じられそうだ。
こんなナマナマしい肉体の娘が生首の男をくどき、くちづけるのを見れば、ヘロデ王でなくとも言ってしまうだろう。
「あの女を殺せ」と。

澤部清五郎の『梳る』女はなんとなく怖い。長い髪が丈なしてうねるようだ。
澤部は15年位前京都で回顧展があったのに行き損ねた。私好みの美人画があったのに。
川島織物との関連も含む展覧会だったからか、美人画以外の作品は織物の下絵かなと思うことがある。
『紅葉狩り』などがそのイメージの典型である。
平安貴族の遊びが描かれている。竜頭船を浮かべ、蹴鞠に興じる。モミジは様式的な描かれ方で、人物たちもみんなしもぶくれ。雅な風情である。

浅井忠に移る。
グレー村の風景画などもよいのだが、本当を言うと浅井忠の良さは工芸品のデザインや日本画の戯画などに見えると思う。去年だったか、『日本のアールヌーボー』展でも浅井のデザインが多く出品されていた。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-250.html
しかし目の前にあるのは不気味な蝦蟇仙人図である。
蝦蟇仙人ということは鉄拐仙人だろうか、それとも仙素道人だろうか。…単に不気味な蝦蟇オヤジなのか。
巨大蝦蟇をアタマに乗っけるだけでなく、掌や膝に小さい蝦蟇をちょこんと乗っけてなにやら話しかけている。
山中でこんなのに出会ったら災難だ。避けるに限る。

宮中に納入するための『武士の山狩図』が工芸繊維大から来ていた。
これは夏に見たばかりだ。鹿子木の作品もそうだが、この大学の資料館はよい美術品を所蔵している。
(行くのは遠いが)

象に乗るオジさんの絵がある。なんかカカオ豆とかコーヒーのポスターみたいで、妙に惹かれる。
芸術がどーのとか感動とかそういうことではなく、こういう絵が楽しくて仕方ないのだ。
考えれば象がいるからカカオは無関係なのだが、缶コーヒー飲みたい気がしてきた。

梅原の白椿がきれいだった。花瓶は人の横顔をかいたもので、色柄で見ればマヨルカ風。
この作品は後年のものだろうが、『三十三間堂』はそれこそ留学前の若い頃の作だ。
ちょうど新井の同題の作品を見たばかりで、比べれば違いはわかるがなんとなくごっちゃになってしまった。

安井『孟宗藪』 日当たりのよい竹藪と言うのはちょっと不思議だ。生い茂っていないのか。
まだセザニズムに傾倒していない頃の作品だろうか。

榊原一廣『カーニュ』 この画家は二年前に伊丹で回顧展を見たが、たいへん良い画家だと思った。
素敵な作品が多く、特にデッサンがすばらしいと思ったのだ。
このカーニュの風景もよかった。確か以前、イタリアの洗濯女がいいなーと思った記憶がある。
船や陽光がキャンバスに乗っけられて、きらきらしていた。

津田青楓『御茶ノ水風景』 柴舟が行く。ニコライ堂が右上に見える。こんな時代があったのだ。
わたしも御茶ノ水付近が大好きでふらふら出歩くことが多い。ガンガン寺と呼ばれたその鐘の音を聞くためだけにここへ来ることもある。聖橋が大好きだ。

千種掃雲『蓮』 以前からしばしば見かける作品だが、これも多分関西住まいの恩恵だろう。なんとも言えずよい作品だと思う。夏の早朝、蓮池に小舟を出す母子。ポンッという蓮の音を聞きながら働いているのかもしれない。暑くなる一日。しかし早朝だからまだその暑熱も心地よい。ああ、今日も一日…

同じく蓮池を描いたのが十亀廣太郎だ。こちらの蓮池はぼんやりとピンクがかっている。しかし’23にしてはやや古いような感覚である。もう二十年前の作品のような感じがある。

須田國太郎がたくさんある。うれしい。ちょうど去年から須田の回顧展が開催されたので、須田の作品も多く顕れるようになったらしい。

その一方、わたしを責めるものがある。
川端彌之助である。
数ヶ月前東大阪で回顧展があったのに、行けなかった。
今目の前に『京都駅』がある。たくさんの列車が入っている七条ステンショの姿。
なぜ見に行かなかったのか、と責められている。鬱屈がそこにある。
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クリックしてください

水清公子『のうぜんかずら』 この人もこの作品も知らない。知らぬが知る気がする。
ああそうか、ルバスクやオットマンの描く女と似ているのだ。
ちょっとぼてっとした唇、夢見がちなまなざし…かわいい女。
それが二人いる。
二人の可愛い裸婦はくつろいでいる。そばに黒犬がいて、二人を守るかのように見える。
のうぜんかずらに手を伸ばす女のポーズはゴーギャンを思わせた。
ただそのゴーギャンの絵を見たわたしは「バスケットでシュートしてるみたい」と思ったのだが。

松村綾子『夏庭』くつろぐ女たち。手前側に座る少女のきつい顔立ちがきれいだと思った。
三岸節子の二十歳の自画像のような、しっかりした美少女だった。

去年の九月に黒田重太郎の回顧展が滋賀で開催された。
やはり回顧展が開かれると、眠っていた作品も世に出るようになる。
『閑庭惜春』 家族の肖像でもあるこの作品には心惹かれる。色彩が呼ぶのか。
黒田はキュビズムに傾倒したので、『渚に座せる女』の肉体構成もキュビズムで表現されている。

京都の一番古い洋画の味わいを楽しめた、面白い展覧会だった。
しかし、この展覧会が京都だけでなく府中市でも開催されたというのが、実は一番すごいことなのかもしれない。

エジプト発掘40年

吉村作治教授といえばエジプトロジーの大家なのだが、気さくに笑う姿をTVで見るせいか、そんなにも大発見をされた方だとは思わなかった。
今回、早稲田大学が’05正月に発掘された未盗掘の青いミイラを中心にした展示が京都で開催されている。
このニュースは去年正月最初の大きなめでたいニュースだったが、それがここに運ばれているのを不思議な気持ちで受け止めている。

度々繰り返すが、かつてわたしはミイラが大好きな少女だった。
しかし最近は専ら骨格標本が好ましくなっている。
それでもわくわくしながらここへ来たのだった。

カノポス容器や獅子女神像もよいが、なんといってもウジャトが好きだ。目である。ホルスの目。
これが好きだ。
ウジャトが好きな人は多いらしく、難波にはさる目医者さんがウジャトをお店?のイメージに使っている。だから高島屋から地下鉄へ向かうとき、ウジャトとコンニチハになる。
ここにあるウジャトはやや小さいものが多く、蜆くらいな大きさだった。
まぁ、目も色々大きさがあるし。

吉村教授は子供の頃カーター博士の『ツタンカーメンの秘密』を読んでエジプトへの夢を育んだそうだが、そうしたところは日本のシュリーマンと呼べる方だと思う。
わたしも『ツタンカーメンの秘密』にドキドキしていた。カーター博士を描いた山岸涼子のコミック『ツタンカーメン』を読んでは「名作だなー」と思ったりする。

さてツタンカーメンは黄金のマスクだが、吉村教授が発掘されたのは青いミイラである。
ミイラマスクが青く塗られている。ラピスラズリなのだろうか。
博士たちがミイラを発掘し、仮面をそっ と取るところまでの映像があった。
歓喜するスタッフたち。見る私たちもうれしくなる。

そのミイラの木棺とミイラマスクがある。
木棺にはウジャトが描かれている。ウジャトというより雰囲気的に… 正直な感想を言おう。
ラマ教の<目>と博多ニワカの<目>の間に位置するような気がした。
ところでミイラは上下を逆に埋葬されていたそうで、ウジャトの目の位置に足があったそうだ。
理由はよくわからない。
木棺は朽ちもせずよく残っていたものだと思う。

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しかし個人的な感想をいえば、何千年前とは言え死者の姿をあらわにするのはやっぱり気持ち悪い。最近なんとなくそんな気になって、それでミイラが苦手になったのかもしれない。

残念だったのは猫像がなかったことだ。
聖なる猫はこのミイラと無縁だったのか。

ミイラの生前の複顔があった。うーむ、『王家の紋章』というより『ファラオの墓』、いや『ナイルの鷹』それよりいっそ『陰陽師』のラスト近くに現れる大神官のようにも見えるな。
(マンガバトンを引きずっているのか、いろんな作品がアタマを横切る)

場内は大繁盛だった。グッズ売り場も大盛況。関西はこの京都えき美術館で26日までだが、そのあと巡回するのかどうか。巡回するなら、ご覧になることをお勧めしたいと思う。
ミイラもいいが、吉村教授がやっぱりいいなと思う展覧会だった。

道修町の神農さんのお祭

11/22.23は大阪の道修町どしょうまち、と読む の祭だ。
道修町には江戸時代から薬種業が集まっている。
現在も製薬会社の大方はこの道修町界隈にある。
工場や研究所は別な場所に持ち、オフィスはここである。
この道修町には薬の神様の神農しんのう様が祀られている。

道修町の神農さんと親しまれている神様はえべっさんの笹同様、拵え物を笹につけている。それは張子の虎である。
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張子の虎は笹につくだけでなく、道修町の入り口というか、御堂筋に面した場所にぶら下がっている。

そして各製薬会社は自分ところの薬の空箱を笹につけて飾っている。
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エエ眺めである。004.jpg

わたしのかかりつけのお医者さんも張子の虎の笹を飾っていたが、他の地ではこんなお祭があるのだろうか。

神農さんは混雑するのでわたしは並ばない。
大昔の盟神探湯クガタチの神事もあるが、それは昼間のことだ。
熱いお湯にあたるのは困る。
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くすり資料館前のトラ。甲子園以外にもトラのいる関西♪
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お祭には屋台がつき物だが、この辺に出るのは私の近辺のそれとは多少様相が異なる。違うルートのテキヤさんなんだろう。
なにせカルメラとかチヂミとか伊賀の固焼きがある。
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北摂では見ないものばかりだ。
それが目的なのか・張子の虎や薬の空き箱の笹が目的なのかは置いとくとして、なんだか楽しい。
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ところでテキヤに漢字を当てると<神農>なのだった。
偶然なのかどうなのかは知らない。

それから道修町といえば谷崎の『春琴抄』の舞台のひとつでもある。
今はその記念碑もある。

しかしこの祭を迎えると、ああ秋も終わりなのだという気がしてくる。
御堂筋のイチョウも完全に黄金色である。
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お祭の詳しいことはこちら。動画もあるのでちょっと重いかも…

http://www.kusuri-doshomachi.gr.jp/index1.html

都路華香の描いたもの

さる11/18.19は関西文化の日と称して、いろんな美術館が無料でお客さんを受け入れた。
基本的に常設に限るだろうと思い込んで、とりあえず『浅井忠と関西美術院』を見るために満員バスに乗っていたが、降車すると近代美術館前なのである。
都路華香つじかこうの回顧展である。
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2006/350.html
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これまで京都市美術館、近代美術館で時々作品を見かけていたし、名前の煌びやかさを覚えていたので、いずれ見なくてはと思っていた。しかし今日は予定していなかった。していないが諸々の事情により入ることにした。
入った途端、シアワセが待っていた。関西文化の日にこの特別展も加わっていたのだ。ラッキー♪

都路は竹内栖鳳らと同世代で幸野楳嶺門下の四天王と呼ばれていた。
以下、美術館の解説。
京都市内に生まれた都路華香(明治3年?昭和6年)は、明治13年幸野楳嶺に師事します。近世から近代へと時代が移り変わっていく当時、京都でも東京と同様、新時代に即応した絵画の創造を求めて若手画家が意欲的な作品を発表していました。中でも楳嶺門下生の活躍は目覚ましく、華香も竹内栖鳳らと共に同門下の四天王と呼ばれ、内国勧業博覧会、絵画共進会や明治40年に開設された文展など全国的な展覧会で受賞を重ね、近代京都画壇の隆盛を支えます。一方で、自身の画塾での指導だけでなく、京都市立絵画専門学校、京都市美術工芸学校で教鞭をとり、次代を担う、有力な若手を多く育てました。
その華香の初期から最晩年までの作品約80点を展示する本展は、遺作展以来の回顧展であり、現代の我々の眼から見てもなお新鮮な華香芸術を世に紹介し、近代京都画壇への理解を深めていただこうとするものです。

なんとなくすごく納得。
いくら作品を残していても忘れられれば永い間埋もれてしまうのだ。誰かに発掘されない限りは。
京都ではたとえば星野画廊の星野さんのような慧眼の士がおられるので、蘇りもする。
ただその後恒常的な人気を保つかそうでないかはわからぬところだが。
ミイラと同じ状況かと言えばそうだとも言えぬのだが。

名前の煌びやかさに比して案外仏画や哲学的な作品が目に付く。
十牛図を好んだのか、色々なヴァリエーションの作品が生まれている。
十牛図とは迷い牛を探しに出かけ、みつけてそれをなだめ、連れ戻すまでの姿である。
これは人間の精神の成長とかそういったものの比喩なのだ。
私の高校のときの先生が、年賀状に十牛図を描いては送ってくれていた。
既に1シリーズ終えているが、それでも私は迷ったままだし、牛を宥めることも出来ずにいる。
一緒に連れ帰って牛の背で笛を吹いたり、なんて境地とは遥かに離れている気がする。
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華香はそのシリーズを幾種か描いているが、円内にその図を描いたものに惹かれた。
牛の背で童子が笛を吹くという画題は好まれたと見え、古来からこの図は多く見受けられるが、それが十牛図の一枚(しかも精神の完成の境地に近い情景)だと思うと、趣も変わってくる。
中国で牛の背に乗り笛を吹くのは仙道修行する童子と相場が決まっている。ほかに牛と縁が深いのは老子だ。
中国小説に縁の深い馬琴も『八犬伝』で伏姫にお告げを与えるのはそんな童子である。

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こちらはわたしが以前から手元においている宴の図だが、緑の芝と衣の赤がきれいだが、何の絵か・作者が誰かもずっと判らぬままでいた。それが華香の十牛図のシリーズの一枚として並んでいた。
なんだかとてもうれしい。
そして今この絵の裏を見ると他にも華香の絵がいくつか見え隠れする。
・・・一体何のチラシだったか、今となってはわからない。


他にも山中花吹雪、版画風のもあり、没骨法もあり、サーモンピンクの地にキナリの線で林を描いてもいる。
水色の夜、牛を連れ帰る。連れ帰ってから牛に鋤をつけて、共に働く。またあるときは四阿で牛と和んでいる。周囲には蓮が咲いている。

埴輪の絵がある。正確には埴輪工房の人々。
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埴輪が作られるようになったのは『日本書紀』に垂仁天皇のとき野見宿禰が今までの殉死にかえて、というのが起源だと書かれている。
実際のところは知らない。
とりあえず古墳文化の時代である。そんな埴輪工房の絵がある。
おじいさんが出来上がった埴輪の真ん中にいてニコニコしている。弟子の少年が働いている。
大下絵もあるが、別稿もあった。少年の代わりに女が立ち働くものだった。
ちょっとこちらも見てみたい気がする。

朝鮮に出かけていろんな作品を残している。
『萬年台の夕』 戦前の朝鮮らしく白い衣装の人がくつろいでいる。
草原には牛がもぐもぐ食んでいる。img531.jpg


わたしはこの対の朝の絵も見たように思うが、ここにはなかった。
勘違いでないならば。

六歌仙がいた。背を向けた狩衣姿の男を中心に、みんな頭だけしか見えないままより集まっている。
どう見ても密談の最中。談合か、謀略か。

頭の丸く短い寿仙図がある。可愛い。そばにいる鹿も愛らしい。バンビだ。鹿の子がかわいい。鹿の目も丸い。
他にも鹿の群れの絵があり、鼻も目も丸くて可愛い。だが。
ディズニーの『バンビ』のイメージがあるから鹿の目も丸くて可愛いような錯覚があるが、実際のところ鹿の奴らは羊蹄目だから瞳は縦長である。
何年か前、奈良でうっかり「あーっ鹿の目って縦長やー」と<発見>したばかりに鹿の群れがずんずんと私を追い詰めたことがある。シカトしてくれればいいのに… ああ、怖かった。

美人画があった。『松風図』 松風と村雨の姉妹が左側をみつめる。二人とも少しにやにやしている。左の幅はないけれど、イメージはある。そこに業平がいる。
二人でいる図はほかにもある。やや可愛らしさのある寒山拾得。猫背の寒山とややあごを上げている拾得を見て、『デスノート』のLと月とを思った。
この絵や『臨在一喝』 横顔で「渇!」と声を上げている虎のような顔の坊さん これらは霊洞院所蔵。建仁寺に参禅しただけにこうした作品も多い。

若い頃の作品に『大塔宮』が岩屋のなかにいる図がある。多分、暗殺される直前。なかなか大きな絵。
その隣にかけられたのは桃下の椅子に座る『李太白』。二枚はなんとなく会話しているような感じだ。
若い頃は歴史上の人物を描くことも多かったようで、『豊公娶婦図』というのもあった。多分木下の頃。前田さんが仲人だか立会人だかになっている様子に見えた。

『水底遊魚』 鯛とか鯉とか鮒とか…触りたくなるようなうろこの煌き。墨絵に近いのになにかピチピチ感がある。
鱗はきっと竜宮城への入場切符だ。

『菊之水』猩々の絵である。髪も衣も真っ赤な猩々がいる。着物は赤地に赤い菊。大きな酒壷には白菊が生けられている。わたしは謡曲は好きなので、猩々とも(勝手に)仲良しだ。

『高士逍遥図』 山の影が見える。かすかに鳥の群れも見える。そして目の前に中国風の白い門がある。
なんだか中に入れば異界へ連れて行かれるような気がする…

それにしても華香はスケッチの巧みな人で膨大な作品が残されている。
中でも猫がいい。
民家の屋根で眠る猫、転がる奴、なめる奴とか。可愛くて仕方がない。
スケッチの集大成とも言うべき作品が『松の月』だと思う。
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華香のスケッチを見た眼でこの作品を見ると、とても納得が行く。

萌黄色の漣を描いた『緑波』がきれいだった。
これはアメリカから里帰り。img529.jpg

'02横浜そごうでのグリフィス・コレクション展で見たからそれ以来。
この人の作品はアメリカ人に多く愛されているそうだ。

現にこの『閑庭春興図』はシアトルにある。ほのぼのと静かでいい。
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『良夜』 チラシにもなった作品。
ところでこれと同題で、この絵の続きまたは前哨戦のような作品がある。
そこでは役人のような装いの二人が馬を走らせているのだった。
ところが私はその絵を見て南條範夫の『燈台鬼』を思い出して寒気がした。
幼児の頃その話を聞かされて以来、中学になるまで南條の本を手に取ることが怖くて仕方なかった。
今でも原作を読むことはおろか舞台にあがっているのを見ることも怖くてできない。
南條の他の作品はとても好きなのだが、

『浜千鳥』もまた、波の描き方に目を惹かれる。
これらはみなあの膨大なスケッチが基礎にあるから生まれでた作品だと思う。
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クリックしてください
『榛名幽境図』 森閑とした山中の寺社。参拝した人が降りてくる。守る人がいる。山をか人をか。
原典になる話は知らないから勝手なことは言えぬが、物語性のある作品だった。

『田植図』の色彩にハッ となった。
早乙女たちは揃いの菅笠をかぶり、紺の着物を着ている。田んぼの隣りの青々した草叢には白鷺がいる。
紺、緑、白。まるで京焼のようだ。

いい作品をたくさん見れて(しかも関西文化の日の恩恵に与り)うれしいなあ。
京都のあとは来春東京にも巡回するそうだ。ああ、よかった。

大山崎山荘での『三國荘と民藝』

大山崎山荘美術館は今年で開館10周年を迎えるそうだ。
その記念展としての『三國荘と民藝』という展覧会があり、出かけた。
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昔、加賀正太郎氏という蘭栽培の巧みな企業家がいて、蘭の生育に一番適した地にハーフティンバー+αの素敵な山荘を建てたが、それから幾星霜を重ね今ではアサヒビール所有の楽しい美術館に変わった。
洋館のあちこちに蘭が飾られているのも加賀氏の仕事を偲んだのかもしれない。
本当に素敵な洋館だ。

建物が素敵なだけでなく、そこへたどり着くまでのアプローチがまた見事なのである。
小さな砂利が敷き詰められている。
よく見ればそこに小粒のどんぐりがたくさん混じっている。
秋のいのち。そんなことを考えながら歩くと、空気の冷たさが頬や肺に心地よいのだ。
鳥のさえずりもその心地よさを高めてくれる。紅葉には少し間がある。

さて今回のタイトルになった三國荘というのは豊中の三國にあったからその名をつけたのだが、経緯についてはこちらに詳しい。
民藝との関わりが深い三國荘。その在りし日の写真が出ているだけでなく、そのとき飾られた・使われた民藝作品の数々を展示している。
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民藝といえば柳宗悦だが、その柳も当初は作家性を認めなかったが、晩年には作家性と職人との差異を認めるようになったそうで、そこら辺りの事情を思いながら見て回った。
高麗青磁が好きだ。李朝白磁も好きだ。
その一方でリーチや河井の個性の強い器もみつめる。
柳の意識の変容はそのままここに現れているのかもしれない。
民芸品は一点もので見るより、こうして蒐集され並べられた状態で観る方が良いと思う。
対峙する、というのではなくその空間に身を置くことで心地よさを感じるのではないか。
漫然と眺めることも許される大らかさがある。
それが民藝のよさではないだろうか。
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個々の作品について云々しないのは、こういう意識がわたしにあるからだが、展示物でいくつか目を引いたものがあるのでそれについて書く。
大津絵屏風『男伊達五人』 これは白浪五人男ではなく、雁金文七らの方の五人男である。元禄の頃に大坂で暴れて処刑された連中。元禄だから風俗も派手で、なかなか面白い。彼らについては松田修の著作に詳しいが、かつては『名月五人男』の外題で黙阿弥が拵えてもいたらしい。浮世絵も残っている。

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南蛮船の絵がある。稚拙な線ながらも楽しい作品である。わたしはこういうのにときめくのよ。
色々この手の作品は見ているが、一番好きなのは、たばこと塩の博物館所有の船の絵。これもいい感じだ。

富士参詣図。左端に富士山を描き裾野を右に描く。富士山は古来から信仰の場として敬われてきた。
それを絵画化というより図像化した作品である。
参詣図そのものが大好きなので、見ていて飽きなかった。
多分、双六のようなキモチで眺めているように思う。

黒田辰秋の『色』字の螺鈿筐がある。民芸調のテーブルに置かれている。
かつての三國荘の応接間を再現するコーナーがある。そこに並べられているものたちの調和。
愉快な気持ちが湧いてくる。img523.jpg



いいものを色々見たが、新館にも行こう。新館は安藤忠雄の設計で半地下の丸い場である。
壁にはモネの睡蓮が並んでいる。やや大振りな睡蓮の花たち。
湾曲した地から壁を眺めると、たちまちそこは池の中の島になる。180度の視野に睡蓮が開いている。
わたしは気持ちよくなる。
だからここが好きだ。

帰り道、大好きな羊歯を眺めた。いろんな種類の羊歯がある。少し立っているのが草ソテツ。子供の頃はコゴミちゃん。
てんぷらにするとおいしい山菜なのだった。

大阪大学総合学術博物館に行く

大阪大学総合学術博物館がオープンして、第一回特別展『みる科学』の歴史 懐徳堂・中井履軒から超高圧電子顕微鏡まで を見に行った。
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箕面からの帰りに石橋で下車して阪大坂下からテクテク行くと、日曜夕方の雨にも関わらず門が開いている。11/24までの展覧会は土日祝も休みなしらしい。
門内に入った途端、<MOU→>の看板がある。Museum of Osaka University の頭文字なので、その→を信じたら、ずぇんずぇん違う建物に向かってしまった。
つまり、イ号館で開催されているというのを把握していなくて、→を信じたばかりに、里山彷徨する羽目になったのだ。
建物はなにやら怪しげで、そちらの裏を回ると、数年前の映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』か『ヴィレッジ』の森を思わせるような状況である。さっきまで整備された箕面の滝道を歩いていたわたしたちはここではヘロヘロになってしまった。
どんぐりもころころ落ちている。やや大きめのどんぐり。
それでなんとか、たどり着いたらいつも雨 ながらも博物館に着いた。
着いた途端、感心した。
つまり、この建物は大変私の好みなのである。
見れば文化財登録されていた。
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オジと義弟がここの出である。しかも二人とも理系。この豊中キャンパスにいたくせに、二人ともこの建物のことを報告しなかったな。プンプンプン。

入り口のステンドグラス、壁の装飾、階段の透かし、タイル。みんなどれもこれも素敵。
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箕面で紅葉狩りとか

雨の中久しぶりに箕面に紅葉狩りに出かけましたが、まぁ4割かな。
でも友達としゃべりながら「あっキレイ」とか言うのが楽しいので、完全な紅葉でなくてもよいのでした。
モミジのてんぷら食べながら歩くのです。
オカズやのーて、オヤツです。

大正の頃からある橋本屋
昔からよい感じ。箕面は色んな会社や団体の保養所がある。それらが存続しているのもあれば、料理屋に代わったのもある。
なんにせよ、壊されるよりずっといいと思う。

そんな頃の民家の手すり。クリックしたら<これぞ箕面>が見えます。
手すりと言うのをやめておばしま、と言うべきかしら。

道路にもいろいろ。

続きます。

なにわ四条派の系譜

芦屋市立美術博物館で『なにわ四条派』展を見た。
チラシがあまりに可愛いのでそそられたのだ。
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まるで御所人形のような牛若丸と弁慶だ。
それとこの頭の丸くひしゃげたふくろうと。
天気が悪くても、やっぱり見に行こう。

というわけで、11/11(シャケの日らしい)に芦屋に出かけた。
最近は18世紀の京都画壇にスポットが当たっているが、それより後年のなにわの四条派を楽しんだ。
芦屋は大阪船場の旦那衆が、街中住まいをやめて郊外に移ろうというので拵えられた住宅地である。
最初期に住んだのは画家の小出楢重だった。
彼はもともと島之内のさる薬種屋のせがれだったから、先の法則に則っているとも言える。
だから彼の作品もこの展覧会に並べられていた。

先走ったので元に戻す。
四条派と言うことは写生を大事にする。
大坂の人間は昔も今も写実が好きだ。
だからと丸々言うわけではないが、評判記や名所図会もリアルなのだ。
無論今現在の大坂風景とは違う。
しかし目の当たりにすると「あっ知ってる」な場所が多いように思う。
多分、DNAに刻まれているか何かなのだろう。
それが記憶の伝達なのかそうでないのかまでは知らない。

小出の挿絵があった。洋画ではなく墨絵。
彼は随筆と座談の名手だったそうだ。随筆は確かに面白い。
大体洋画家の随筆は面白いものだが、更に大阪人として生まれたことがサービス精神を拡大化するので、小出の随筆はどれを読んでも笑ってしまう。
こちらの画像は素描裸婦。ラフらふ。
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ええ感じの名所図会。大体わたしは都市風景が好きだ。物見遊山してなんぼだと思っている。
それで遊楽図も好きなのだろうが、こちらにあるのは淡彩の名所図で、幕末頃からの景色。
堂島の米相場、住吉大社の太鼓橋、蛸の松、閻魔堂、料亭、船乗り場、雑魚場、天神橋、天満橋、淀屋橋。

美人画もある。
大坂新町か南地の芸妓はんらしききれいなお姉さんが立つ。
こういう美人画は見ていて楽しい。
桃色の頬の彼女は何を見ているのだろう。クリックしてください。
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立版古があった。心斎橋風景。
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組み立て絵である。これは随分以前にここで見たことがある。’98に立版古の展覧会があったのだ。その前に’93にINAXギャラリーで、最近では去年の心斎橋そごうが復活した記念の展覧会でこの立版古をほぼ実物大で立てているのを見た。
ダンボールで拵えていたが、ダンボールは何でも出来るなぁと感心した記憶がある。考えればTVチャンピオンでダンボール王選手権というのも見たな。
こういうのが可愛い。
わたしはペーパークラフトの完成品は好きだが、作るのは苦手だ。
展覧会のとき船の立版古を購入したが、13年たった今も船は建造されていない。オルセーでモネの庭の立版古をみつけたが、これもそのままだ…


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着物の下絵もあった。織部のような幾何学模様の間にバラを集めている。
着物はなかなかしゃれていた。色もいい感じ。さすがモダニズムの時代だ。

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蝦蟇も立派だ。若冲の蝦蟇と対抗できそうなのがいる。
上記のチラシに隠れている。

そして小出のめでたい屏風があった。
めでたいもの尽くしで勢いよく描いているのだが、めでたいというよりハジケているように思えた。うん、なんかPOPで楽しい。
わけわかんねーという感じなのだ。
(ここで「なのだ」と書くと、まるで天才バカボンのパパなのだ)
とりあえずヘンに元気になるのでヨシなのだろう。

あんまりすごいので拡大して見てもらいたい。クリックしてください。img518-1.jpg

実はこの日本当は西宮大谷美術館まで風景画も見に行くつもりだったが、朝から舞子界隈を彷徨したり、ここへ来たりでタイムアップした。
12/3までの大谷には多分、行けないだろう。
だからここでかつての大阪を楽しもう。
展覧会は19日まで。

マンガ喫茶バトン2号店

lapisさんが『マンガ喫茶カイエ』裏バージョンを開かれたので、わたしも前回鬱屈があった分をマニアック支店として開店することにした。
前回は男女作家別に棚を分けたが、今回は分けずにいる。
コンセプトは、あまり知られていない名作または不遇な名品と言うことで決めた。(一応)
前回のラインナップとは作品が重ならないようにすることだけ心がけ、1号店と作者が重なっても妥協することにした。
かなりゆるい規制だが、悩んで苦しむよりしたいことをしようと、自分に甘い遊行七恵であった。

舞子彷徨からどこへ向かったか。

須磨明石舞子、と聞けば古典が好きな人は源氏物語や伊勢物語を思い出すだろうし、釣りが好きな人には鯛が蛸が、ということになる。
大阪や京都辺りの人なら「ああ海が見えてすごく素敵なスポット」と言うだろう。

その舞子に出かけた。孫文ゆかりの移情閣で遊んだが、この日はカメラの電池を忘れた。
しかし今回は建築探訪が目的ではなく、生誕百四十年の孫文と南方熊楠の交友などの展示が見たくて来たから、そう落胆もない。

そもそもこの移情閣は呉錦堂さんという華僑の人が建てた八角形の建物で、中には金唐紙が張り巡らされ、天井には豪華な中華風木彫が施されている。
内部撮影は禁止されているので、資料を出すことにする。
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クリックしてください。
熊楠と孫文はロンドンで出会い交友があったようで、手紙のやり取りが残っている。
学者と思想家と道が異なったので、なかなかあわなくなったが、孫文が日本に来たとき田辺の熊楠邸を訪れている。

孫文の業績などの紹介VTRが流れているが、中国語なのでパスした。
出てからわたしは山陽電車の舞子公園駅から隣に当たる霞ヶ丘まで歩いた。
ここに絵葉書ミュージアムというギャラリーがあり、明治大正昭和初期の日本や外国の絵葉書が展示されているそうだ。
そこを訪れるためにわたしは飛んだ彷徨を余儀なくされた。

地図にない状況が眼前に広がる。
いつの間にやら袋小路に入り込んでいる。
マンション建築中のため通行禁止になっている。
…結局ここから舞子まで往復することになったのだが、人にもまったく行き逢わず、わたしは遭難したのか・妙な時空間ポケットに入り込んだのか、と疑うことになった。

住宅街の中のギャラリー。img512-2.jpg

先客がいて、ディープな話を店主とされている。
見て回ると、滑稽新聞や日本画家・洋画からの作品から叙情画家、海外の美人写真まで色々展示されている。無論都市風景も多い。
モノクロに手彩色したものは案外好きなのだが、わたしが所蔵するものも多かったので見るだけにした。
ヒトサマの彩色したものは好きだが、わたしは自分が彩色するのはきらいだ。

謎の画家小林かいちのシリーズもあり、加藤まさをもあった。
これが一番いいと思うものがあり、あとでファイルを見たら販売されているので購入を決めた。こういうのが一番うれしい。
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中沢弘光も人魚などを描いている。
大体明治ごろから絵葉書が一大流行したのだ。
明治の流行りものといえば、ウサギ・万年青・絵葉書なのだ。
先の二つは大佛次郎の小説にも書かれている。

色々物色したが、結局一番好ましいものだけ買って、ここを後にした。
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後にして小雨の中、舞子の住宅街と邸宅跡地の公園を彷徨することになったのだ。
二時過ぎ。わたしはTio舞子というショッピングセンターでパンを食べたが、以前はここのアンドーナツがおいしかったけれど、今日はサツマイモをちりばめたフランスパンがおいしく思えた。

そこから芦屋に向かった。
芦屋の美術博物館に行くのだ。
実は先週行き損ねている。それに向かったのだ。

芝川ビル

久しぶりに芝川ビルに見学に行く。
何年ぶりかな。
『大阪人』10月号に大阪歴博の酒井さんが写真とレポをよせておられた。考えれば以前酒井さんの引率でこの界隈を建築探偵したこともあったっけ。
芝川ビルは建築士会のイベントで見学した。
今回は別な方から。

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入り口正面から。
うーん、素敵。サイドも見てみよう。060.jpg

美と趣 ―懐石の器

湯木美術館は吉兆のご主人だった湯木貞一さんが作られた美術館である。
詳しくはそちらのサイトを。
http://www.yuki-museum.or.jp/
今は12/10まで秋季展が開催されている。
美と趣 ―懐石の器
このタイトルで所蔵の乾山・仁清・宗哲・保全・道八らの作った器を展示し、さらにかつてご自分が拵えたお料理を盛り付けたものを撮影したパネルも併せて展示されている。

そもそも懐石の器とは何か。
お料理をそこに載せてお客様にお出しする目的の存在である。
無論作られた当初はその目的がなくとも、茶人の目すなわち美意識に適い、茶道具あるいは懐石の器に変わったものもある。
つまり漫然とその美を愛でるだけでなく、本来の目的そのものを今回は味わわせてもらえるという趣向である。

古楽の美を味わう

古典芸能の<資料>に触れる機会が、この十日ほどの間に二度あった。
雅楽と能楽。
雅楽は思文閣美術館で、能楽は藤田美術館で触れた。

先月末、伊勢内宮で舞楽を見た。
納曽利という演目を見て、それがよくわからないでいるところへTakさんから色々ご教示を得た。
更にTakさんはご自分のブログで奈良のおん祭の記事を挙げられて、おかげでわたしの理解は多少進んだようである。
http://bluediary2.jugem.jp/?day=20061101
Takさん、ありがとうございます。

映画・デスノート後編 感想

映画・デスノート後編を見に行った。
煽られたとおり、予測不能のラストだった。
正直言うとその結末は、原作より好みだった。あくまでもわたしには、だが。
以下、ネタばれ寸前での感想を始める。
前編の感想はこちら。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-535.html

東灘アートマンス・豊雲と白鶴

毎年11月に東灘アートマンスという催しが開かれている。
詳しくはこちら。http://www.hn-artmonth.jp/
参加者は入手したチラシを見せることで割引入館でき、スタンプを揃えればご褒美もある。
この日わたしは小原流の豊雲記念館と白鶴美術館と香雪美術館とを回った。

香雪美術館は茶道具の展覧会だったが、他の二つは、かつての文明の輝かしい遺物 そんなものをみせてくれた。

*中空構造の織物・アステカ・アンデス・ミクロネシアの民俗
*中国青銅器3000年の時を超えて

とりあえず御影の小原流から歩き始めねばならない。
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この建物は清家清によるもので、石垣が目に付くと思う。内部にも石がそのまま見えている。
装飾のためではなく、実用の石である。しかも産地はこの場、つまりこの建物の地中深くから召喚された存在なのである。
石は捨てず、使うところに清家清の真骨頂がある。
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SFバトン・日本篇

先日の外国篇に続く日本篇である。
外国篇はこちらhttp://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-651.html


?初SFはいつ?なんでしたか?
小松左京『穴』 
叔母が左京ファンで短編集を沢山そろえていた。わたしはそれまで新田次郎の『八甲田山死の彷徨』が一番怖かったのだが、この『穴』を読んでから怖いものが増えてたいへん困った。SFというよりホラーなのかもしれないが、11歳の少女の意識に強く刻み込まれてしまった。

?ベスト・オブ・SF5(映画を含む)
荒巻義雄『大いなる正午』 
いまだにこの作品を読むと、しばらくは通常空間に意識が戻らないのである。
なんというか、眼に見えない空間の中に立ち続けている気がする。

映画『復活の日』
たいへん感動した。ジャニス・イアンの歌声が今も耳に残る。
原作より映画の方が面白いと思う。草刈正雄の美貌、南極、
"It’s too late”という悲痛な声。すぐに思い出せる。

橋本治『暗野 ブラックフィールド』 
大学の友人に勧められてかなりハマった。
わたしはお礼に村上龍『コインロッカーベイビーズ』を勧めた。
何故あの頃あんなにも破壊願望があったのだろうか。

豊田有恒『神々の黄昏』 
出版された当時かなり話題になったと思う。日本神話とギリシャ神話の比較神話学も楽しめた。他にヤマトタケルのシリーズもかなり面白かった。

平井和正『死霊狩り』 
平井和正は幻魔大戦かウルフガイを選ぶべきかもしれないが、このゾンビハンターのラストには、中学生だったわたしはびっくりしてしまったのだ。
長編もいいが、平井和正は実は短編にせつない名作が多い。
『レオノーラ』『サイボーグ・ブルース』など。

?ベスト・オブ・SF作家三人
星 新一 大方の人が中学に上がるとすぐに<必ず>読む作家ではないだろうか。
小松左京 海野十三のあと左京さんが世に出るまで日本のSFは氷河期だったのだ。
眉村 卓 ジュブナイルの魅力をこの人から教わった。駄作はないと思う。

?今おススメのSFは?
佐藤さとる『赤んぼ大将』シリーズ 
元々大ファンなのだが、先日改めて読み返していたとき、この作品が実はSFとしてたいへんレベルの高い作品ではないか、と思った。
モモンガ服を着ることで赤ん坊タッチュンが大活躍でき、時間を司る時計組合の依頼で過去に向かったり色々働いている。
25年目に続編(完結篇)が出たとき、その巧さに舌を巻いてしまったものだ。

?バトン転送は
・・・亜空間にバトンを転がしておこう。

こうして考えると、どうも子供の頃から私は純文学とSFとの差異を感じていなかったように思う。南米文学の特徴のひとつでもあるマジカルリアリズムもSFだと感じるし、最愛の石川淳『狂風記』、三島由紀夫『豊饒の海』シリーズもSFとして読んでいた。
というよりも、すぐれた文学ほどその要素が強いのだと今も思う。
何故そう感じるのかは、とりあえずナゾということにしておこう。

応挙と芦雪 (前期)

正倉院展でヒトアタリし、フラフラしながら県立美術館に向かった。
ほかの時間帯なら多かったろうが、夜間開館9時までの金曜日、そうはお客さんもいなかった。

応挙と芦雪。
前期と後期の完全入れ替え制(映画館か)。
とりあえず今日は前期である。
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この数年若冲を始め18世紀江戸絵画の人気がとみに高い。
応挙の大展覧会は天王寺で開催されたが、そのときもすごい人気だった。
見た人の反応の声「あー知ってるー」「見た見た、覚えてるー」「カワイイー」
…わたしも多分、どれか・または全部に当てはまる。
つまりブームになる以前から恒常的に応挙の絵は普段絵を見ない人の意識にも入り込んでいるわけだ。

応挙の絵との最初の出会いは幽霊だという人が多いはずだ。
わたしはてっきりお化け専門の絵師だと思い込んでいて、四条円山派の祖だと知ったときには「う-む---」だったのだ。
子供にとっては水木しげるも応挙も一緒だったのだろう。

師弟の展覧会。
破天荒な弟子とまじめな師匠。これが逆なら弟子は大成しないものだ。
何が目当てというのでなく、全部が目当てでやってきただけに、たいへん楽しめた。
展示換えリストを見るとOが応挙、Rが芦雪で番号が打ってある。
つまりO-157とかR-25なのだな。
気に入った作品だけ任意に書く。
一応展覧会では人物・花鳥・山水と分かれてはいる。

チラシ裏。クリックしてください。
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正倉院展#58

毎年、ほぼ毎年正倉院展を楽しみにしている。
最初に見たのはきっちり20年前の#38回目だった。
まだ学校に行っていたから700円だった気がする。
今わたしは国立博物館友の会会員なのだから・・・
こんなことを考えるのも、こんなにも行列が長いからだった。

えー、大体わたしは初日の朝一番に向かうことにしている。それが無理なときは金曜の夜。
これまで20年のうち、こんなに行列したのは三、四回だから確率も悪くないのかもしれない。
去年もこの日に来ている。
一番に見て県立美術館―大和文華館―サントリーミュージアムと言うめちゃくちゃなツアーだった。
いつもメチャクチャだからやっぱりメチャクチャ。

とにかく正倉院展。なんでも今年は聖武天皇崩御から節目の1250年に当たる年らしい。
それで『国家珍宝帳』が出ていた。
それは正倉院の宝物の目録なので、随分長い。
長いだけではない。異様にキレイなのだ。レプリカかと思うほど紙もキレイしハンコも朱い。
しかしこのハンコには見覚えがある。
祖父は裁判官だった。なくなった年、陛下から勲章や賞状をお受けしていたが、その賞状に押されたハンコとなんとなく似ているように、不肖の孫は思うのだった。

今回の目玉がどれなのか、正直わからない。
チラシはこちら。img498.jpg

孔雀ですね。孔雀文刺繍幡というのがその呼び名らしい。
ところで読売新聞が今回バックについているから新聞特別編集版もある。
それをもらったが、やっぱり孔雀なので、多分今回はこの孔雀が主役かな。

紅牙撥鏤尺こうげばちるのしゃく は複製品も作られていて、これは天理あたりでその展覧会や講演会が開催されている。
しかしあまりに今回人人人なのでお手上げ状態。→火火火だわ。

今回はなにやら馬具が多い。解説を読むと、「ほほー」な歴史的事実が浮かび上がってきた。
それは奈良博からの丸写し。

ところで、正倉院宝物は奈良時代から平安時代初期にかけしばしば出庫と入庫がありましたが、中でも天平宝字八年(764)に勃発した恵美押勝(えみのおしかつ)[藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)]の乱に際し、武器武具が大量に用いられたことがもっとも大きな出庫であったと考えられます。
今回は馬具や武器が8件展示されますが、そのうち漆葛胡禄(うるしかずらのころく)は押勝の乱のため一旦出庫され、失われることなく再入庫された品と考えられています。
今回の正倉院展は正倉院宝物の成立と宝物のたどった歴史を観覧することができる構成となっています。


大方は恵美押勝の乱の時に出庫してそれきりらしい。
だからここにあるのはたいへん貴重なものだというが、そう聞くとなにやらナマナマしさが…

私が今回大変に気に入ったのは大理石の戌・亥のレリーフ。
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こういうのを見ると騎馬民族との遠い遠いつながりというか、シルクロードの終点がこの奈良だということを感じさせられるのだ。
丑寅・辰巳・未申・戌亥は方角の名前にもなっているけれど、スキタイあたりの動物闘争文だとすれば、この干支の並びにも相克があるのかもしれない。

ほかに緑のガラス器、これはエクレアのような形をしている割に、コップだというからびっくりした。
ところがこの翌日わたしは御影の白鶴でまったく同じ形の青銅器を見るのだから、古代はこんなエクレア型の器で酒を飲んでいたようだ。

しかしあまりに大混雑だ。
去年は見て楽しむ、ということができたのに今年は「早く出たい」コラコラ。
そんな気分になっている。
細かくはこちらにも画像をあげましょう。クリックして巨大化へ。
img499.jpg


考えたら、あっちこっちに読売の『古代の美のテーマパークかもしれない』なんていうコピーつきのポスターが貼ってあるし、車内釣り広告でもイチイチ写真と説明つけてるんだから、お客さんどんどこどんどこなのも納得なのですなぁ。

来年もこれじゃあちょっと考え込んでしまうけれど、やっぱり会場にいるような気がする遊行七恵でした。

11/3奈良ツアー

京都から奈良へ行くには本来、三つのルートがある。
JR京都から奈良。ただし京都駅までの手段が必要である。
京都市営地下鉄と近鉄の乗り継ぎ。烏丸四条から近鉄奈良駅まで1時間630円くらい。
京阪と近鉄の乗り継ぎ。
わたしは第四の選択をした。してしまった。
わたしのチケットは阪急全線・大阪市営地下鉄全線・近鉄指定区間乗り放題パスである。
恐怖の二等辺三角形を走ることになった。
朝九時に出発し四時間京都にいて三時前から奈良へ向かった。
阪急で居眠り、近鉄ではさきほど大阪本町で購入した本を読んでいた。
奈良に着いたのは四時だが、正倉院の混雑状況は既に前日HPで見ていたので、夜からにしようと決めていた。(11/3の話である)
それなら興福寺へまっすぐ行くべきだったが、元々仏像がニガテなくせにどうして行く気になったのだ、と自問自答してしまった。(こんな状況下で)
結論。行けたら行こう・ダメでも後悔しない。
1300円なのだが、わたしはASA友の会で半額になる。
バスも乗用車も鈴なりなので歩くことにした。
今日、かばんが重い。実は思文閣で入札目録の立派な本をもらい、更に古書を何冊も買ってしまったのだ。さっきも本町でわざわざ下車して本を買ってもいる。
わたしはシェルパでも富士山の強力さんでもないのに、なんでこんな重い荷物を背負って歩かねばならぬのか。
(西脇順三郎の詩にも似たような一文があったな)
とりあえず興福寺へ向かう。
何年ぶりに来たのかちょっとわからないくらい久しぶり。
凄い夕日。撮影。001.jpg

思文閣大文化祭

文化の日は体力の日だった。

本当の予定は奈良で興福寺・正倉院展・応挙と芦雪・まちかど正倉院 これらを見て回るだけだったのだが、その前日いきなり新聞の一面広告が。
img496.jpg


端っこが切れてるのは、特典を貰ったから♪
色々検討した結果、朝に思文閣巡りをしてから奈良に出ることにした。
京都で思文閣―大阪経由の奈良行き。
京都―奈良も行けるのだが、わたしはスルッと関西システムの『奈良&斑鳩1dayチケット』阪急拡大版2000円を購入したのだ。
だからこのルートを使わなくてはならない。

(鼎さんのご指摘どおり、何か禁断症状でもあるのかもしれない、このハイカイぶりである)

10時には祇園の古美術商の多く並ぶ一隅にいた。
思文閣本社前には社員さんらがいる。
わたし、二番目のお客さん。
中に入ると近世から近代絵画の逸品300点、と謳われただけに掛け軸がずらーーーーっ と並んでいる。壮観な眺めだ。
先々月、花外楼のお宝拝見のときもこんな感じだったっけ。
イヤモォ実にすばらしい。
値段が書かれているので「ああ、画廊だものな」と感じるのだが、本当に凄い絵ばかりが並んでいた。
最初に並ぶのは近頃とみに人気の18世紀京都画壇の面々の作品である。

SFバトン

lapisさんのところでSFバトンを見た。
例によって拾ってみる。lapisさんが海外限定で答えられていたので、わたしも倣う。

?初SFはいつ?なんでしたか?

映画『アルジャーノンに花束を』
これは邦題が『まごころを君に』だったから長い間タイトルと実物とが一致していなかった。
年齢が一桁の頃に出会った。その後高校生になるまで再会しなかったが、我ながら感心するほど細部をよく記憶していた。
わたしは特撮に熱中した幼児だが、妹は違い、そのためこの作品を妹はSFだと認識していなかったことが最近になり判明し、そのこと自体に驚いた。
ところでほぼ同時期に『猿の惑星』を見ており、いまだに自由の女神像を見ると胸元まで砂で埋まってる、と言いそうになる。

?ベスト・オブ・SF5(映画を含む)

『闇の左手』アーシュラ・ル・グィン
これは全てのSF作品の中でわたしのベスト・オブ・ベストである。
好きすぎてつらいくらいだ。せつない物語。冬の逃亡者、愛のかたち、権謀術数・・・物語に散りばめられた要素はいずれもわたしの心を捉えるものばかりだった。

『STAR WARS』ジョージ・ルーカス
映画としての・SFとしての価値・世評などはどうでもいい。わたしはSWヲタとして、決してこの作品を外すことはしない。

『砂の惑星』Fハーバート
わたしが最初に読んだハヤカワ文庫の挿絵は石森章太郎だった。やはり面白かったのはポールが砂漠に彷徨い出るまでだったように思う。その姿はギリシャ悲劇のオイディプスのように見えた。

『ソングマスター』オーソン・スコット・カード
作者の音楽に対する考え方に興味が湧いた。音楽と美少年はカード作品には不可欠な要素なのかもしれない。
作中の学院に、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』のハシが入ればどうなるか、などと妄想に耽ったことがある。

『華氏451』レイ・ブラッドベリ
原作より先にトリュフォーの映画を知った。一冊の本の記憶がまるごとその人間を構築する。今なら「出来そう」と思う要素が色々あるが、この作品が世に出た時代を考えると、すごいと思う。
ときどきわたしもその森の中にいたくなるときが、ある。

?ベスト・オブ・SF作家三人

アーシュラ・ル・グィン
レイ・ブラッドベリ
オーソン・スコット・カード

SF好きな友人と意見が分かれるのはここである。
友人はアジモフ、アーサーCクラーク、ハインラインがベストなのだ。

?今おススメのSFは?

『無伴奏ソナタ』オーソン・スコット・カード
単に好きだから、ではまずいかもしれないが。
せつなすぎて読むと胸が痛くなる。管理社会とはなんなのだろうか。

?バトン転送は

・・・亜空間にバトンを転がしておこう。




御影公会堂

実は10/12の撮影だから3週間前なのですが。
御影の公会堂に行き撮影をしてきました。
ちょっと普段上がらせてもらえない屋上にも上がらせてもらったり、講堂の舞台に登ったり、楽屋に入ったり色々。
とりあえず以下、私の撮影した御影公会堂です。
公会堂遠景図。085.jpg
木が邪魔だが、しかしそれだから木を切るわけにはいかない。木があるからセミも来てくれるのだ。木陰もあるのだ。ありがとう、木。

078.jpg

横から見たらこんな感じ。
逆側から見ると075.jpg
懐かしき木柱が使われている!
見るのメッチャ久しぶりです。これは関電用なのではないかと思う。

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