
今回東京と鎌倉とで二つの清方の展覧会を見た。
一つは野間記念館での『金鈴社』回顧展と、もう一つは清方記念館での『明治大正の清方の挿絵』展である。
金鈴社は清方の自伝やその他の資料から大正五年発足したことが知られている。
野間のサイトから。
大正5年(1916)の新緑の季節、雑誌『中央美術』の田口掬汀の呼びかけで五人の日本画家が集い、翌年2月新しい美術団体、金鈴社の展覧会が開催されました。浮世絵派から系譜をひく美人画家である鏑木清方のほか、古画の研究と模写を基礎とする吉川霊華。絵画の伝統を強く意識し、自然の「写生」を追求した平福百穂。伝統主義を重んじながら技術的には西洋画法の摂取につとめた結城素明。古土佐派の研究を通してやがて大和絵復興の立場を鮮明にしていく松岡映丘。共通するものは、伝統的な絵画に学びつつ、独自の視点で日本画の近代化を目指すという作画姿勢でした。情実や流派のしがらみなどにとらわれない自由な作品を送り出した五人の画家の交流の痕跡と彩管の冴えをご覧ください。わたしは大正から戦後しばらくの清方ゑがく女がとても好ましいので、嬉しくて仕方ない。
鎌倉の方は主に雑誌の口絵と挿絵、そしてスケッチなどで構成されている。清方の出発は父親の主催する新聞社に挿絵を描くことだった。
わたしは清方の魅力がタブローだけのものだとは、決して考えていない。
見た順から話を始める。
金鈴社は上記の解説文にもあるとおり、五人の同志で始められ、やがて時期を迎えて終わった。
この結社の回顧展は’95の秋に練馬区美術館で開催されたが、以後あまり見ていない。
五人のうち比較的すぐに見れるのは清方と映丘、次いで百穂、しかし霊華と素明とは機会がないとなかなか見ることが出来ない。
金鈴社の五人は解散後も機嫌よく付き合っていたようだが、長命の清方を除いて意外に早く亡くなっている。
清方の『続・こしかたの記』でその間のことが書かれていて、読むとせつない。
野間では既にお馴染みの『五月雨』と『夏の旅』が出ている。
大正期の清方の充実はすばらしい。どの作品にも全てときめきがある。それがおもてに表れるか沈潜するかのどちらかで、何もかもがすばらしい。
この『五月雨』

女の素足がとても綺麗だ。この足は谷崎潤一郎の母の足のように、美しい。
笹ユリが咲いている。
風景画に清方の意識が向いていた頃に生まれている。
漫然と眺めるのも・濃密に凝視するのも、どちらも許されるような、見事な作品。
吉川霊華『箜篌』 くご、と読む楽器。古代のハープ。これは現代には伝わらなかったが、絵画の中では近代までこうして描かれている。たとえば藤島武二『天平の面影』、青木繁の『享楽』。
そこでもこの楽器は天平美人の手になじんでいる。
しかしこの絵は珍しく<カラフル>である。

少し前わたしは『梅の佳人』を集めたが、実はそこに霊華の羅浮仙も登場してもらおうとした。しかし白地に灰色に近い線描で描かれた儚い仙女は電波を嫌った。
彼女の美は知る者だけが知るものらしい。
結城素明『伊勢物語』 伊勢は源氏と並んで絵画や工芸作品に多く現れる。名を秘された「昔男」は女を背負って秋野を逃げるが、やがて女を取り返される。光君より彼の方がアウトドアな恋が多いような気もする。

この絵は伝統的な手法で描かれているが、素明の作品は厚塗りのものが多い。
画像がなくて残念だが、『ネコ』などはそうだ。とても今風な作品に見える。
このにゃあとしたネコは厚塗りだから毛のモコモコさが伝わる。
平福百穂『駿馬』 百穂の回顧展を’97奈良そごうで見た。そのとき中国の歴史に基づいた作品が眼を惹いた。無論中国だけではないのだが。
動きのある絵、歴史的事件の一こまを描いていた。動きのある作品。
情景がそこに活きていた。
この『駿馬』には動きはない。馬を御す老翁が佇む。しかし活きていないわけではない。静止していることが、即ち<活きて>いる。
朱の衣と白馬の対比が印象に残る。

美人は描かない人だが、力強い絵を多く残した。
朱交じりの松の幹など、すばらしい作品も見ている。(奈良で見た『老松』)
ここにも老松がある。気合が入る松が。
松岡映丘『池田の宿』 太平記から。二年前の五月にもここに出ていた。
わたしは平家物語のファンだが、太平記にも心を動かされる。
太平記には名文が多い。
「落花ノ雪ニ踏ミ迷フ交野ノ春ノ桜狩 紅葉ノ錦着テ帰ル嵐ノ山ノ秋ノ暮レ・・・・・・池田ノ宿ニ着キ給フ」
その池田の宿の情景。

今回、初めてこの家の釘隠しに気がついた。釘隠しは六芒星にも楓にも見える形をしていた。庭には柘榴の実が見える。
映丘の描く人物は皆、なぜか諦念を抱えている。男も女も。そしてそれは運命に対する諦めなのだった。
吉川霊華『孔雀秋草』 この作品に胸を衝かれた。霊華はあまりフルカラーな作品を描かない。白地に灰色の線描や、平家納経を髣髴とさせる紺地に金など、多色を使わない画家だと思う。
そしてこの作品はまさに霊華らしい(というより)霊華以外描けないような作品だった。
古画の探究に勤しんだ精華がここにある。
正倉院やそれ以前の法隆寺に伝わる文様に『花樹対鹿文』がある。一本の木を巡って左右に鹿がいる絵柄。
そして中国からの文様の輸入により、日本にいない獅子や孔雀が多く描かれたのも、その時代だった。
それを霊華は自家薬籠中のものにした。
桐の木の左右に孔雀がいる。孔雀も桐の幹も、多くの花も、みな薄い金色のやや太線で描かれている。その一方、桔梗が紺色で描かれている。金色の羊歯、女郎花、百合・・・
秋草、とタイトルはついているが左隻はどうも百花繚乱の様相を呈している。金色の線描の花、それらの間に紺彩の花が咲く。孔雀は優雅に佇んでいる。
これまで様々な孔雀絵を見てきたが、こんな豪華な孔雀は滅多に観ない。
すばらしい孔雀だった。
野間コレクションの大きな柱の一つに色紙がある。六千枚以上の日本画色紙がここにはある。実にすばらしい。
散逸することなくここにあるのが嬉しくて仕方ない。
五人の十二ヶ月色紙が並んでいる。十二ヶ月それぞれの行事を描くにしても、各自の個性が際立っていて、色紙と言う表現の場だからこその実験などもあり、見ていて飽きることはない。
その中でも映丘の『二月・紅梅』は桃山美人と紅梅の艶やかさが目に付いた。それと『四月・新樹』の市女笠の女が素足に草履をひっかけて歩く姿に惹かれた。
清方の十二ヶ月もすばらしい。『一月・飾り餅』 実は雪ウサギなのだ。雪を固めて笹と南天の実でウサギを作る少女。叙情的で愛らしい・・・『五月・軒菖蒲』 男児同士の菖蒲の葉で闘うのが可愛い。目に刺さぬようにネ。『七月・朝露』 朝露を硯に受けている。ゆずり葉だったか、その露の墨で七夕の短冊を書くのがよかったはずだ。昔の人は雅だ・・・

素明『三月・金盞花』 黄色い花だ。よくは知らないが、この花はちぎると苦いような匂いがするらしい。
素明はこのシリーズを全て植物で表した。素直な気持ちで絵の前に立っていると、ついついその花々を手折りたくなってきた・・・
『十月・王瓜』 赤い瓜。赤いのは烏瓜だけかと思っていたよ。可愛い瓜だった。
色紙ではないが映丘『雨』 これがよかった。
平安風俗の女が廊下ににじり出ている。雨が降り続くのを恨めしげに見ている。恋人が来ないのを雨のせいにするのだろうか・・・
清方の『少女倶楽部』表紙絵原画も並んでいた。大正13年の雑誌は清方の少女たちで飾られていたのだ。関東大震災の翌年だから、この頃丁度二人のお嬢さん方は、絵の少女らと同世代ではないか。
またこの年は講談社にとって大変な年だった。大人気の高畠華宵が講談社との契約を破棄したため、雑誌が苦境に陥った年でもある。
あ、そうか、だから清方のような大物を呼んだのかもしれない。それに穿った見方をすれば、華宵が去った原因が深水にあるという事情から、深水の師匠がこうして・・・?
どうでもいいことだ、大正13年は清方が少女たちのために心を砕いて麗筆を振るった。それでいーのだ。
描かれた少女たちは皆、静かに微笑みながら花を抱いていたり、手紙を読んだりしている。
同時開催の加藤まさをと須藤重の抒情画については、また別稿に起こすが、昔の少女たちは皆、花や手紙が好きだったのだとしみじみ思った。
野間での清方と、そして金鈴社の五人の展覧会は3/11まで。
ところで、野間記念館に来る前に文京ふるさと歴史館で、失われた文京の近代建築をみていた。そのとき旧三井邸だった講談社第一別館が昨夏解体されたのを見て、講談社に対して含むところが出来たが、こんなすばらしい展覧会を見せられては、文句も言いにくくなる。
それほど今回の展覧会はすばらしいのだ。
金鈴社も、叙情画も。
行けるものなら再び行きたいが、もう予定が立たない。
こうして野間での清方を、終わる。鎌倉の清方は近日予定中。