美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

幻想小説アンソロジーを編む(日本篇)

先日lapisさんの素敵なコラージュを見て、
「その作品を装丁にした幻想小説が読みたい」
とコメントを入れたところ、わたしの選んだ幻想小説のアンソロジーを、というリクエストをいただきました。
そこで日本篇・海外篇に分けて二冊のアンソロジーを編むことにしました。
とりあえず日本篇を挙げます。
長編をどうするのか悩みましたが、連作という形での長編の中から選ぶことにしました。
(頁は四次元に続くと言うことで、区別なく選びたいところですが)
一作家一作品という約束だけのアンソロジーです。

一応青空文庫へのリンクある分は貼ってみました。
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丸紅コレクション

丸紅コレクションが久しぶりに展覧されていた。
2000年に難波の高島屋で眺めた。
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あの時、ボッティチェリの『美しきシモネッタ』より、淀殿の内掛けが復元されたことの方が、話題になっていた。
当時のチラシを探したがみつからない。切れ端しかない。なさけない。
しかし、復元の経緯についてもなかなか興味深いものがあった。
今回その映像もある。

丸紅は繊維関係だけでなく、洋画も日本画も工芸品も何もかもを持っている。

まず目を惹かれたのは昭和初期の日本画家らによる着物の下絵。これが実にいいものだった。
北野恒富「夜の雪」 黒地に裾模様の雪積もる景色。玄人筋の喜びそうな柄で、しかもいかにも北野が作りそうな柄だった。
菊池契月「菊」 本当にこういう意匠に画家の志向や嗜好がのぞくのだと思う。清楚で上品な菊。
関西の画家を総動員したような趣がある。
これは先年、この京都文化博物館で開催された「千総の着物」のコレクションと匹敵するすばらしさだった。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-142.html
絵師も上等な絹布を前に、心を込めて楽しんで着物の意匠を創造したことだろう。
本職ではなく、余技と言うところに描き手・作り手・発注者・買い手の楽しみがある。

さて内掛けや小袖を眺める。こちらの丸紅サイトに画像があるから、そちらへどうぞ。
http://www.marubeni.co.jp/gallery/kimono/index.html
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「島取に柳樹文様辻が花小袖裂(伝・淀君所用)」及び「淀君の辻が花小袖復元」
これはよく再現したものだと感心している。そうしたことをするところに丸紅の文化事業への意識の高さを感じた。左右の肩身変わりが時代性を感じさせる。
わたしは寛文小袖までがいちばん好きなのだ。

「籬に花丸様小袖」 花が可愛い。その文様の描かれ方は歌舞伎の襖を思いだす。
だいぶ変則性がなくなってきてるな、と思ったら貞享年間の作らしい。

「源氏絵に海辺文様小袖」 裾一体は海辺つまり浦島太郎がいたような景色になっている。肩の辺りに源氏物語の巻を示す文字が縫い取られている。末、蝉、賀、夕など。
この着物は江戸中期のものだという話だが、この頃くらいから上下の柄の違いを楽しむようになってくる。左右の肩身違いからは既に百年以上の時間が・・・

「曳舟文様小袖(勝川春章下絵)」 色調がいい。いかにも浮世絵師が下絵を描いた粋さがある。しかしその一方で、深い藍色といい、裾模様といい、品のある仕上がりだと思う。

「兎宝曳き文様産着」 可愛い。とにかく可愛い。着物を着た兎さんたちが働いている。明治の作らしいが、古式に則りちゃんと「エイサラエイ」と引いている。

「花車文様打掛」 実はわたしのお宮参りの産着がこういう花車文様だったのだ。

能衣装も多く出ていた。
「段替観世水に散扇文縫箔」 派手で面白い柄だと思う。どんな演目のときに?これだと小面が似合いそうだと思う。いやいっそ猩々にも似合いそうだ。そんなことを考える楽しみがある。

「藤籠に胡蝶文長絹」 この同種のものはよく見かける。裾に胡蝶が舞うのが楽しい。蝶の縫い取りが欲しいような気がする。

洋画へ移る。

サンドロ・ボッティチェリ「美しきシモネッタ」 実は先日からずっと思っていることがある。来日中の受胎告知のマリアさんもこのシモネッタさんも、500年後の今、日本の女が自分らと似たような上衣を着ているのをどう見ているだろう。わたしは似合いそうにないので着ていないが。
秘かにそんなことを考えて楽しんでいる。

ジャン=バティスト=カミーユ・コロー「ヴィル・ダブレーのあずまや」 洋画の中で一番気に入ったのはこの作品。アーチ窓のような形のキャンバスに、青い空と雲と森の中の小さな建物、そして人々がぽつんぽつんと立っている。和やかで気持ちの良い絵。
ヴィル・ダブレーと言えばわたしはすぐに映画『シベールの日曜日』を思い出す。
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オディロン・ルドン「青い花瓶のキンセンカ」 金盞花は手でちぎると青臭いような苦いような匂いがするそうだ。この花瓶に活けられた金盞花は真ん中に似たような色の薔薇を置いたことで静かな調和を見せている。花瓶の青は群青色で、その影も花と同じ色なのが絵を優しいものにしていると思う。

ピエール=オーギュスト・ルノワール「エスタックのオリーブ畑」 何も考えずに眺めた瞬間、「ルノワールの人物が風景に変身しているな」と思った。青色が意識に残る。ルノワールは意外なほど青色を印象的に使っている。この絵の額もよかった。

モーリス・ド・ヴラマンク「冬の村道」 激しいな、といつも思う。この人に「アカデミック!」と叱咤されたことで佐伯祐三の芸術は開花したのだろうが、近代の人でないとこうした作品は生まれ得なかったろうと改めて思う。

キスリング「ミモザの花」 これはよく貸し出されるのでお馴染み。ミモザのぷつぷつが盛り上がっている。キスリングの花の絵は、実際に見ないとわからない工夫が、あちこちに仕掛けられている。

トーマス・ゲインズバラ「田園の求愛」 ほのぼのしていていいなぁ。乳搾りの女と農夫。一緒になって一緒に仲良く働こう。
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宮廷絵画の恋愛遊戯模様はないが、その分しみじみしたものがある。

ジェイムズ・ウェッブ「ハイデルベルク」 昔のハイデルベルクはこんな感じだったのか。せつない青春を描いた『アルト・ハイデルベルク』の時代はこんな風景だったのかもしれない。
この絵を見て木原敏江の『いとし君へのセレナーデ』を思い出して、わたしはノスタルジィに溺れている。

藤島武二「浜辺」 海の色がクレパスの塗り重ねのように見えた。

和田英作「彦根内湖」 空と遠い山とのグラデーションのような色彩に惹かれた。手前の湿地帯の青々した草もいいが、なにより遠くの空がいい。

熊谷守一「熱海」 林武のその方が好きだが、これもさすがに面白い。何と言うのか、「これが熱海なんか?」と聞きたくなるところがいい。

金山平三「渓流(奥入瀬)」 兵庫県立美術館でしばしば同じモチーフの作品を見ているので、一瞬アタマの中が混乱した。金山は人物画や舞台をモチーフにした作品の方がいいと思う。

梅原龍三郎「桜島」 青い桜島。
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梅原の桜島や霧島の絵はどれを見てもすばらしい。飽きることがない。北斎の富士同様、梅原の桜島はいつでも・どれであろうとも、「いいものはいい」のだ。
色のにじみ(ぼかしではないと思う)、形の崩れ(筆勢の強さと言うべきか)、何もかもがいい。梅原の山の絵は気合が入ってくる。気が大きくなって、ちょっと躁状態になりそう。

岡鹿之助「積雪」 この点描がいい。高校生くらいの子が「うわっ不思議」と言った。うん、不思議な絵かもしれない。しかし温和な静謐さを感じる。

児島虎次郎「フランスの森」 実は山下新太郎の風景と時々混ざってしまう。申し訳ない。並べて見たら違うのだが。色調の明るさが好きだ。冬のセーターにこんなのが欲しいと思う。
優しい暖かさがあるからだ。

小磯良平「横向裸婦」 この絵は’91の小磯良平回顧展でチラシになっている。
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腿のリアルさ、肌のやさしさ、髪の豊かさ・・・
数年前、建築士志望の大学生と歩いていたとき、小磯の話になった。
「清楚で上品で好きよ、わたし」
彼は言った。
「小磯の女の唇って官能的ですよ」
えっ と思った。そんなこと考えたことも・感じたこともない。
「・・・そうなん?」
「うん。・・・ちょっと似てる」
―――それにどう答えたか思い出せない。

展覧会は大盛況のうちに5/27、終わった。

福田平八郎展

福田平八郎の回顧展が久しぶりに行われている。
‘92の秋に奈良そごうで回顧展があり、その後’98に難波の高島屋、それ以来の大きな展覧会だと思う。
当時そごうの友の会会員だったので、すききらいに関わらず出かけるようにしていた。
北摂から奈良は遠い。しかもあまり好まない福田平八郎。
だが、会場で福田の作品に触れて、意識が一変した。
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観念的な美に初めて目が開いたのだと思う。
一緒に行った友人は最後まで気鬱そうに見ていたが、わたしは明るい気持ちになっていた。
福田平八郎っていいなー。
見終えてから何度も言うので、友人はいやな顔をしたが、わたしはそれからこれまでの間、福田平八郎がいいいいいい、と思う。
丁度その前年、枕もとの壁掛けカレンダーに福田平八郎を選んだのも、契機になっていたのかもしれない。
私は早速法然院の平八郎夫妻のお墓に詣でた。
墓石には平八郎の自筆らしき手で「福田平八郎」の名が刻まれている。生前からのものか、それとも彼のサインをここに用いたのかは知らない。
しかし平八という左右対称の良い文字が上の田と共に真ん中にあり、上下を〆る福と郎がこれもいい感じに配置されている。
いい墓碑だ、と思った。
お墓は谷崎潤一郎のそれと向かい合わせに立っている。こちらもいい。
当時既に『瘋癲老人日記』の愛読者だったので、作中の老人の墓選びのエピソードが頭をよぎる。
まだ二十代の私はあの老人のような贅沢は出来ず、いづうの鯖寿司を横目に見ながら帰宅した。

京都や東京の近代美術館やデパートの展覧会がわたしの日本画修行の場所だったが、近代日本画の名品などという展覧会に行くと、必ず平八郎の作品に会えた。大抵が木々に止まる小鳥で、『雨』や桜の花びらで埋まる流れなどはなかったが、良いものを見せてもらっていた。
特にすばらしいと思ったのは、’99横浜そごうで見た『ロシアからの里帰り・幻の首藤コレクション』での三幅対。
あの小禽と枝の美しさは、他のどの作品よりも優れているように思う。

それから翌年野間記念館が開館した。既に野間コレクションはある程度知られていたが、その色紙コレクションに感銘を受けた。
ここにも平八郎の見事な作品があった。丸い頬の可愛い小鳥たちがピーチピーチと鳴いている。秋にも春にも夏にも冬にも。
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‘92での回顧展では下絵が多く出ていた。そのときに見たものがここにもある。
たとえば『水』『花の習作』の下絵。絵のそばには平八郎の言葉が添えられている。
他にスケッチブックが開かれていた。
ウサギの団体がいる。ご飯を食べたり、寝てたり、懐きあったりしている多くのウサギたち。
これらのウサギの集合を見ると、後年の鮎の集まりや竹林などが髣髴となる。
しかしその前に『池辺の家鴨』に結集したらしい。
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この絵を見ると、東洋にしか生まれ得ない作品、と言う感覚が強く起こる。輪郭線などはアールヌーヴォー風でもあるが、家鴨たちの表情、そんなものを西洋では描かない。

しかし一図珍しいものがあった。
眠る女の姿。昼寝なのか、やや口を開けた女。髪は丸髷か崩れた二百三高地もどきか。
平八郎で人物画を見たのはこれくらいしかない。
そう思った途端、振り向けば愛らしい娘がいた。こちらをみつめる優しく白い顔。
『春の風』なるほど、それに相応しい娘。
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手足の先が赤らんでいるのを見て、隣にいた高齢の女性客が言う。
「手ェも足も赤うして、ぬくめや、かわいそうに」
娘は大原の里へ帰って、手足を擦っているだろう、きっと。

若かった平八郎の絵もこの展覧会には多く出ている。
例えば『牡丹』mir035-1.jpg

この絵は赤とピンクと濃い色の花を描いているが、そのピンクの牡丹に注目した。
解説にあるとおり「宋元風院体花鳥画」に影響を受けたからなのか、この花花は薄い薄い紗を何枚も重ねたように見える。透明度の高い塗り方のため、そんな風に見えるのだ。
実際、もしこの花が目の前にあればそっと指でその花びらの薄さを確かめてみたくなるだろう。
薄い花びらに爪を立て、そこに傷を残し、最後にくちづける。
そんな欲望に駆られる牡丹がここにはある。

画風の変遷の激しい画家だということは、それだけ<自分>を求めたことの証明にもなる。
良い板前になるために店を移って修行を続ける調理人のようなものだ。
<完成された>平八郎は選び抜かれた線しか用いず、そのための色しか選ばなかった。
タイプは全く違うが、マティスと共通する変遷のプロセスを感じもする。

明快にして完璧な作品に至るまでには、やはり修行と思索の時間が必要なのだった。
『安石榴』 柘榴と被ぎ柄の猫などを描いている。
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大正半ばという時代性もあってか、その時分の京都らしい多少のエグみがあるが、そのエグみに惹かれてしまう作品でもある。
また、この絵と同年、堂本印象が同じく『柘榴』を描いている。そちらは猫ではなくリスを登場させているが、これら二枚の絵はまるで対のように見える。猫のいる木の向こうにリスがいるのでは、と思うような。これらの絵の成立時の状況は知らないが、なんとなく絵にも友人がいるような気がして、わたしは共に愛している。

いよいよ『漣』の生まれる前に来た。
『菊』 秋になると各地で菊の品評会がある。
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黄、白、赤の菊の並ぶ様子。舞い散る葉っぱは多少黄葉し始めている。同じ京都の林司馬のようなおとなしい画面。
この絵の十年前と十年後の違いは激しい。
共通点を探すのが難しいくらいだ。

『漣』  
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最初にこの絵を見たのはいつだったか。どこで見たかも思い出せない。今ではあの(永遠に未構築の)大阪近代美術館(仮)所有になっているが、そのもっと前に見たのは確かだ。
今、まっすぐに絵を見る。下絵とプリントされたものと。
モノスゴイと思う。モダンデザインだ。水の流れを実感として、感じた。

平八郎の単純化された装飾性の、と解説には必ず書かれている内容に異論はないが、むしろ<単純化>ではなく、<純化>と見るべきではないだろうか。純化された絵画が『漣』であり『雨』であり『水』の流れだと私は看做している。
そしてこれらの作品を見ていると、オーケストラではなく、たとえばピアノだけの演奏が行われている、そんなイメージがわく。
特にラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』が耳奥に流れ出し、そのメロディラインを追うと、画面の向うにも続く『漣』に乗ってゆくような気持ちになる。
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前述した首藤コレクション展(’96)において平八郎の三幅対に魅せられた私だが、その首藤氏は平八郎の作品を多く集めたコレクターだった。
氏は敗戦後、引揚げの人々を救うために大切なコレクションを手放したと言う。コレクションの多くはロシアにとどまったままだが、比較的早く帰国した作品もある。
『花菖蒲』 この心が晴れるような絵は当時のソ連からの寄贈と言う形で、30年ほど前に帰国している。
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やがて戦後、平八郎、と記す書名の字体が変化する。それまで繊細だった文字がふくよかになり、絵もまた自在の境地へと到達する。

小禽類と季節の木花とを配した構図が多く見られるが、そのどれもが親しみやすい明快な線と色彩で構成されている。
金時ニンジンを型抜きで梅型に刳り貫いたような紅梅と、小鳥。

どの鳥たちも林の中を自由に飛び交い、機嫌の良い声で鳥の歌を歌うように見える。
また、川に目を移すとそこには清涼な流れがあり、しなやかな鮎たちが集まっている。
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釣り人・福田平八郎の<まなざし>が鮎を絵画作品に仕立て上げる。
岩陰に集まる鮎たち。これを平八郎はもう少し別な意図をもって描きたいとも書いている。しかしここにいる鮎たちへのいとしさは、見た者の胸に溢れ返っている。
わたしが特に気に入ったのは版画で拵えたような黒い鮎たちだった。
水の影に揺らめいてそんな色になったのか、と鮎たちに話しかけてみたくなる作品。
飄逸な風がそこに吹いている。
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そしてここで後戻りして、若い頃の『草河豚と鰈』を見よう。
構図、絶妙。鰈のべたッとした薄いふくらみと、食べるところのないような草河豚。噛んだら毒が口の端から溢れそうだ。

色彩の激しいインコ。mir036.jpg

つい先日奈良で熱帯花鳥を見たところなので、本当はそちらへ招待したいような絵。
わたしはこのインコの濃い色彩が大変かわいいと思う。日本画と言うより洋画、むしろ童画として大勢の子供たちに見せてあげたい。
インコのシリーズは他にも続き、縦長の作品でのインコがまたなかなかよかった。

平八郎の作品の良いところは、見る者に強い緊張感を強いるところがないことだと思う。
とは言え見ていて「癒される」わけでもないのだが。
たとえば『竹』mir039.jpg
 
竹の一部分だけが延々と続く構図。それを見たとき不思議にリズミカルな気持ちになってくる。それはよいことだ。
しかし明るい楽しさと言うのとはまた違うと思う。
同時代の徳岡神泉の作品に<静謐さ>や<神韻縹渺>を感じたとしても、平八郎にはそれはないだろう。
豊かな孤独さ。
わたしはそんな風に思う。

濃い色で良いと思う作品をもう少し挙げてみる。
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この作品などは特によいものだと思う。濃い緑色と白色とが仲良く並んでいる。これが例えば大正から昭和初期の風呂敷だとしたら、なんてレトロモダンでハイカラなセンス、と喜んでしまう。実際そうした布地として欲しくなるような色調と構図なのだ。

ところで面白い作品をいくつか見た。
鼓の胴に花菖蒲を生けたもの、大きなすり鉢にハマグリを入れたもの、籠に朝顔を詰めたもの。
そしてつい先日畠山で見た乾山のタチアオイによく似たタチアオイの絵。
それら一つ一つに平八郎の自注がついていた。
文と共に絵を味わえば、一層の楽しみが生まれる。


展覧会が開催されているのは京都国立近代美術館。
この地には琵琶湖疏水の流れがある。
そして桜の時期、美術館の横顔を映す水面が桜色一色になる。
「平八郎の絵みたい・・・」
いつもその眺めを前にして、わたしは呟いている。
これからも、ずっとずっと―――。
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藤原道長 千年前の夢

藤原道長と言えば「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌が思い浮かぶか、宇治の平等院を思うかのどちらかだろう。(拵えたのは息子だが、この父あっての子である)
私が子供の頃、新聞小説で永井路子が道長の生涯を追った作品『この世をば』を連載していた。
その後再読していないが、ところどころ文章が思い出されたり、エピソードが蘇りもする。
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金峯山にその道長の埋めたお経があり、丁度千年経ったらしい。
タイムカプセルも数十年後には開かれるのだから、この催しもよい時期を迎えたのかもしれない。

とにかく末法思想がブームだった。
釈迦入滅後のいくつもの<時代>を経た後に来る終末幻想。
しかしどうも、それにあたふた怯えながらも、寺社詣でを楽しんでいたフシが見える。
女流文学も花開いたし、政治的にも道筋確定だし、色々な区切りの時代でもあったらしい。
そこのところを見てみたいと思った。
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最終日前日の朝早くなのにもう満員御礼。
善男善女なのか古美術好きなのか、やたらとお客さんが多い。
実は仏像がニガテなわたしだが、がんばって見て回った。

ニガテなのは仏像だけでなく、お経も書簡もニガテだった・・・
栄花物語、御堂関白記、金剛般若波羅蜜経・・・
虫食いもなにやら尊く見える。

文殊菩薩騎獅像と普賢菩薩騎象像の軸が並ぶ。どちらも北宋時代ので京都・清凉寺蔵。高校生くらいの子らが「なんで乗ってる動物違うんかなぁ」と言うのを聞いた。するときちんと横から説明する人がいる。関西の人間はコミュニケートが好きだ。
昔、文殊と普賢と薬師でモッくん・フッくん・ヤッくんの『シブ▲隊』と言うのを聞いて爆笑したことがある。フラチなわたしは絵の前でそんなことしか考えていない。

孔雀明王像があった。当然こちらは孔雀に乗る。仏画の孔雀は近代日本画のそれと違い、なかなか怖い目つきをしている。友人の家のお札が孔雀明王なのを思い出した。
蛇の天敵たる孔雀。馬琴の『美少年録』の挿絵に、孔雀と蛇たちが空中で縺れ合うように戦う情景があった。確か國貞だったと思う。
この孔雀も佛敵を蹴散らすだろう。

二枚ほど涅槃図が出ていたが、二世紀の時間差から、全く異なる作品に見えた。剥落が激しいからというだけではなくに。

とにかくあまりに展示品が多いのと、わたしの理解力が低いせいもあり、特別気になった作品のみ挙げてゆく。

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チラシ右下の『子嶋曼荼羅』の金剛界を見た。
わりと曼荼羅図は好きなので熱心に見たが、真ん中の図におや、と思った。仮に左上から横並びに123、456、789と数を打ったその5の端っこの図像処理が素敵だ。
曼荼羅だから製作の決まりはきちんとあるだろうが、それを措いても5は綺麗だ。
46789は花柄、12は輪の中の佛、3は小さな連円だが、5の端は四方それぞれに佛の肩から上が描かれている。まるでレースのような繊細さで。
なんとなく嬉しかった。
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先にあげたチラシの不動明王、あの実物に驚いた。
大変な大きさなのだ。チラシだけでは1mくらいかと思っていたがなんのなんの、大変大きい。博物館の中の大きい展示物を展示する室に鎮座ましましている。そして薄暗いスポットライトのせいで、影が白い壁に浮かび上がり・・・・・!剣も紐も失われていたが、大変にコワい系だった。

そしてその像の向かいに道長が埋めた経筒が。緑青を吹いているが下の文字は読める。元禄年間に土中から出されたようだ。その文字を写した拓本もある。
弥勒の世まで埋めていたかったろうが、七百年ほどで早くも開示されたお経のタイムカプセル。

その経筒は千年前に道長本人が金峯山に埋めに行ったそうだが、江戸時代の大峯山全図があった。これがなかなか面白い。大体が社寺境内図などはどれを見ても興味の惹かれるものばかりなのだ。これもそう。頭を上げ下げして、道を目で追った。
大峯々中秘密絵というのが山中の櫻本坊に伝わっている。
ところで道長ご一行様のツアーは「祇園」という宿舎に泊まったそうだ。大峰山は確か女人禁制なのでこの地図を見て勝手に想像するだけだが、見るからに大変そうな山だった。
知人の修験者さんは大峰山の山開きには、先祖代々立ち会うているそうで、そのときには手前まで女も登っていいとか聞いた。
誘われたが、根性ナシなので丁重にお断りした。

知恩院から『法然上人絵伝』が来ていた。
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この後アタマが多分、法然上人だろう。鏡花の作品にも「・・・法然アタマの」と言う形容詞がついたキャラたちがあちこち現れる。
頭頂が扁平。他にはそんな人のいない絵。
一遍は色黒、日蓮は立派な眉毛、と言うようにキャラ設定があるのだった。

それにしても集められた展示品の多くは地元関西に所蔵されているものが圧倒的に多い。当然のことではあるが、そのことを思うと、やはりこちらの社寺は今も活きているのだと実感する。

大楠公ゆかりの笠置を描いた『笠置曼荼羅図』
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山中にはもう実物はないが、摩崖佛の名残がある。小学校の林間学校以来、何度も行くハイキングの名所。案内猫の笠やんもいる。
この絵には猫はいない。

軒丸瓦・軒平瓦・鬼瓦もたくさん集まっていた。京都の和菓子屋さんではハクセンコウや焼き菓子に軒丸瓦を刻んだり象ったものがある。

『不動明王図像』鎌倉時代・醍醐寺 肉筆画というか、スケッチと言うか。線の動きに感心した。絵葉書にはこの首しかないが、全体もよく出来ていた。見るからに巧かった。
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平等院の雲中供養菩薩像も来ている。
平安時代最盛期を網羅しているのをはっきりと感じる。
大きな展覧会だと思った。

最後に『獅子吼菩薩』を挙げる。mir033.jpg

こちらは先のチラシ真ん中の観音のお仲間である。
獅子吼菩薩とは「獅子が吼えるように悟りについて説法する菩薩」とこの仏像の所蔵先・即成院では説明している。
このお寺ではお練もしているらしい。しかしそれは措くとして、このお顔はいい感じだ。
全体の作りもいい。手のきれいさにも感心した。
このお寺は泉涌寺山内にある。

今更だが、この展覧会の副題が「極めた栄華・願った浄土」だと言うのを<実感する>内容だったと思う。
弥勒の世、五十六億七千万年後まであの経筒は残るかもしれない。

白川義員『世界百名瀑』展

少し前に白川義員『世界百名瀑』写真展を見に行った。
白川氏の写真展を見るのは初めてだが、雑誌などではよく見ている。
だいぶ以前、『銀座百店』で氏の『神々の頂』という山岳写真を見たが、そのときも深い感銘を受けた。
今回は滝の写真である。百名瀑の選定は氏を始めとしたプロジェクトチームで行われたようだ。
わたしのように自然遺産に詳しくない者にとっては、こうした機会が良い学びの場となる。
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滝と言えばどれを思い出すか。
箕面の滝、那智滝、華厳の滝、銀河・流星の滝、オシン・コシンの滝、ナイアガラ、ビクトリア、イグアス、滝の白糸、滝廉太郎・・・最後の二つは冗談にしても、わたしはあんまり滝を知らない。名を挙げたうち実際に見たのも箕面、銀河、オシン、ナイアガラくらいだ。
マイナスイオンを浴びたいと思いつつ、自然から遠く離れて生きている。

写真は大まかな地域ごとに分かれている。アフリカ・南米・北米・欧州・オセアニア・アジアそして日本。
作品ごとに撮影時の苦労話や地球環境への言葉、考えさせられるコラムなどが併せて掲示されている。それを読むのも面白かった。
例えば言葉について。滝の名前は現地名を使用しているが、それ一つにしても行き届いた神経を感じる。三者確認。アクセントの問題。わたしたちがいい加減にしている問題を白川氏はきちんと正す。その態度が立派だと思う。

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イグアスの滝と言えば思い出すのは映画『ミッション』と『ブエノスアイレス』だ。南米の宣教師が十字架にくくりつけられてイグアスの滝に投じられるショッキングな映像は、四半世紀経った今でも鮮明に記憶に残っている。しかも記憶回路の面白さに、私の脳裏では何故かその映像に第九がBGMとしてガンガン流れ出るのだった。
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怖い滝のイメージが覆ったのは『ブエノスアイレス』から。
今は亡きレスリー・チャンとトニー・レオンがイグアスの滝を見ようと香港を出たのに、二人はたどり着けない。
もつれた経緯の果て、とうとう一人でトニーは滝に行く。
スクリーンから滝の飛沫がこちらに来るようだった。
あのせつなさが白川氏の写真を見たときに蘇ってくる・・・
悪魔の喉笛。横溝正史の好みそうな字面だが、実際凄い景色だと思う。
光が反射して虹がいくつもいくつも掛かる。
滝が物凄いからこれらの虹が全てチビッ子に見える。
チビッ子虹が懸命に掛かっている・・・・・なんとなく健気に見える。
そして物凄い景色。イグアスにかかる満月の虹。
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この世の景色だと言うことが信じられない。

ナイアガラで思い出した。
ナイアガラと言えば花火の技、ナイアガラ・トライアングル、ナイアガラからキス・・・
最後のはマリリン・モンローの映画『ナイアガラ』から『キス』という歌なのだが、「ナイアガラからキス」と聞くことが多いので、そんなタイトルだと長らく思っていた。
十年ほど前カナダ側から滝を見学した。船にも乗った。
ホテルが滝のそばなのでついた日の夜、のこのこ見にゆくと、満艦飾のカクテル光線が滝を照らし出していた。
なにやら滝とは思えぬ光景だった。
そして翌日、朝から見にゆくと、アラブ人のファミリーがいた。
女の人は全員が黒いチャドルで全身を包んでいる。誰が誰かは全くわからない。しかし、家族には彼女たちの区別がつくのか、みんな機嫌よく写真を撮りあいっこしていた。
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人類の起源はアフリカにあると言う。
原人や猿人のことを思うと、脳髄が痺れて来るようだ。
アフリカの自然は今、どうなっているのだろう。
内戦によって人民が多く犠牲になった後には何が残ったのだろう。
しかしこの滝は全ての存在を呑み込むように落ち続ける。
ヴィクトリア滝。その日の出。
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そしてこれもまた奇蹟のような満月の虹。
こちらの写真に付けられた言葉を挙げる。
「月光の虹に映えるヴィクトリア滝をジンバブエ側で撮ったのは恐らく世界初。異次元の風景である。」
いく重ねの虹がかかっているのだろう・・・・・
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那智の滝はそれ自体がご神体である。
三輪山と同じく、自然そのものを神聖視する。
西国三十三ヶ所の一番・青岸渡寺、三熊野詣、そして。
滝は真冬には凍りつく。月光に照らし出された凍れる滝の美は恐ろしいほどだった。
この写真の滝は、まだあおあおした緑を従えた時期のもの。
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山形県の梅花皮カイラギの滝。秋の豊饒な色彩の中にどうどうと音のするような滝がある。すばらしかった。日本の地名には雅なものがまだ残っている。
秋という季節の美は日本でないと本当には味わえないように思う。
『羽衣の滝』 ヘリコプターからの撮影。すばらしい色彩・・・
それを縫う白い勢い。
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白川氏はいつでもネクタイ姿だが、こんな秘境の地にもそれで行かれたのかと思うと感慨深いものがある。以前読んだところでは、ラフなかっこで撮影に行きトラブルに見舞われたそうで、それ以来スーツ姿だそうだ。
毅然とした態度も、外装が整っていることで一層の力を発揮するのだろう。
近影を見たが、とても古希の人には見えない。スーツ姿だからと言うだけでなく、現役第一線の働きマンという感じがある。
これからもすばらしい自然写真を見せてもらいたいと思った。

逸翁が愛した名碗たち

最近、<名茶碗>を観る機会が多い。湯木、藤田、香雪、そして逸翁。
逸翁は近いので、いつも気軽に出かけるのだが、この日はやたら学生が多いのに驚いた。
みんな熱心に見たりメモを取ったりしているが、「楽しむ」ことはしていない。
学ぶのも大事だけど、器を眺め、再現された茶席を目で味わうのも大切なことですよ。
わたしは学生と少し距離を置いて眺めて歩いた。

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昭和の大茶人・小林逸翁は自分の美の感性を大事にして、茶席の取り合わせにも独特の趣味を発揮した。
今回昭和30年6月7日の茶席を再現しているが、その二畳ばかりの空間に対峙して、あっ となった。
すごく、いい。
こんないいのは初めて。高校生の頃からここに通っているが、この再現された室礼でここまで「いい」と思ったのは初めて。
何がいいか。
まず軸がいい。竹林図だが、これが大きな軸で床の間からはみ出ているような広がりを見せている。
破格の美と言うのか、床の間が窓になり、そこから裏山の景色が見えるような構成になっている。
風、吹き渡る。
そんな快さがこの茶室にはある。
畳の高さまで膝を曲げ、自分がこの茶室にいる気持ちになってみると、意識がいよいよ冴え冴えと澄む。
狭い空間から広々とした空間が見える、それが心を涼しくする。
茶の湯のすばらしさがこの軸一本に集約されているような気がした。
描いたのは蕪村。

逸翁は自由な発想の人だから、菓子入れ等にも海外製の陶磁器やガラスを当てる。
それが初夏には目にも気持ちにも涼しく感じられる。
今回は可愛い鉢を見た。
小指の指紋のある部分の大きさのキャラたちをいっぱい貼り付けた器。天使たちの行進が周囲を巻いている。ケンカするのもいればそれを叱るのもいる。
地は薄いグリーンで、そこに不透明な白の貼り付け。葡萄もりんごもある。山羊もいる。可愛くて可愛くて。
ウェッジウッド。イギリスではこの鉢はどのように使われていたのだろう。茶器として使われていたのをこうした見たことで、それが最良に思える。
ぐるぐる見て回ろう。

茶器の種類にこだわらず、好きなものだけを見た。

やっぱりノンコウ、わたしの好きなのは。ノンコウの口べりは3mmだったが、長次郎のは6mmある。持ち重りして手首が裏返る危険があるわたし。

牡丹の花を見込みに描いた茶碗。花びらの感触が蘇るような。
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逸翁は宝塚歌劇を創設して「清く正しく美しく」を標榜し、スミレの花を歌劇団の花にした。スミレの浮かぶ茶碗。これは防空壕にも入れられた。逸翁の愛情が器を歌劇団を守る。
出光では菖蒲の浮かぶ唐津を見ている。

逸翁の洒脱さ・粋(すい)さは命名にも発揮される。
『家光』という茶碗がある。mir027-2.jpg

見たところ金で綺麗な継が入っている赤絵である。
なにがどう『家光』なのかと思ったが、由来を読んで納得した。
「よく継ぐ」=徳川三代目をよく継いで磐石の世にした家光と、別々な破片を見事に継いだのとを掛けているのだ。なるほど。

銘と後世に付けられた歌とが素敵なのもある。
「足音も志野田の森に月さえ頭巾目深に白蔵主ゆく」狐の化けた白蔵主の後姿が見えるようだ。銘は『霜柱』。筒茶碗。

茶碗にわざと金を継ぐのはともかく、継がないと割れたままというのもある。
志野茶碗で随分継いだのがあるなぁと思ったら、逸翁が巧い銘をつけていた。『与三郎』 歌舞伎のお富さんの情人の切られ与三郎。
逸翁の狂歌もついている。
「源氏店 その白壁に戯れ書きの 浮名を誰に つげの横櫛」
うまいなぁ、こういうセンスが好きだ。

白釉鉄絵花文茶碗 可愛い花びら。
散ってゆくのかもしれないし、下向きに咲いているのかもしれない。
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可愛い花柄の茶碗もある。祥瑞白花文青磁沓茶碗 下半分の祥瑞(染付)が可愛い。見込みは綺麗な青磁。

他にも乾山や木米、道八、保全ら作家のものや、斗々屋、伊羅保、三島などがあった。手触りのザリザリ感がニガテなのでこの辺りはあまり見なかった。

熱帯花鳥への憧れ

初夏を感じる。
関西は特に早く暑くなるような気がする。
風は気持ちいい。緑陰のその只中に入り込むと、ひんやりした秘かな闇をみつけもする。
熱帯を思う。春や秋ではなく、冬でもなく、夏。
ジリジリ暑い夏。
しかしそこでの豊かな植物たちと鳥たちとの楽園を想う。
自分の意識の外にある熱帯。
その美を・愉楽を、味わいたい。

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石崎光瑤という日本画家がいた。富山から現れ、絢爛なとしか表現できない絵画を残した。彼は熱帯を再現するために淑やかな絹の布地に絵筆を振るい、目の眩むような世界を構築した。
描かれたものは熱帯の植物と鳥たち。そして空気。
その絵を味わうのは両目だけではない。絵の前に佇むと、自分がこの熱帯林の中にいるような錯覚に陥る。
肺にまで緑が入り込むような世界。温気を多く含んだ空気は澱むこともなくそこにあり、身体にまといつくのは鬱陶しい湿気ではなく、心地よい潤い。

羊歯、蘇鉄、草蘇鉄、芭蕉。緑の葉。
鳳凰樹、蘭、ブーゲンビリア、ハイビスカス。炎のような赤い花。
熱国特有の濃密な闇はここにはない。黄緑色の地が広がっている。

白色に何を感じるか。
静謐、荒涼、清潔、それから?
この白を見ればまったく違う言葉が浮かぶだろう。
不思議な白色。柔らかな羽毛のような。
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孔雀に狂う人がいる。
天竺のはなしではなく、日本での話。
エキゾチシズムを体現する鳥。
四条河原に見世物小屋が多く建ち並んでいた頃、孔雀の見世物があった。
それから時代が流れて、大正の少女たちは自分の着物にその柄を求めた。
また江戸時代、孔雀茶屋と呼ばれた店があり、昭和初期の八王子には孔雀を飼う遊郭があった。
三島由紀夫の『孔雀』は恐ろしい小説だった。
あのラストシーンを物語の終焉と看做してよいのかどうか。

この絵を見た少年は、夢想の中で自分がこの絵を<描く>ことを体験する。
オマージュと憧れと。mir020-1-1.jpg

ときめきは消えることなく少年の胸を焦がす。
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やがて少年は五十年後に夢を果たす換骨奪胎でも模倣でもなく、純真な愛情と憧れがこの作品に溢れている。少年は上村松篁という名を得て、自在の境地に遊んだ。
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布哇と印度。どちらにもたどり着き、心ゆくまで熱帯を味わう。
熱国にしかいない鮮やかな鳥たち。
蜜を吸う嘴の長さ。花の触感がそこにある。
喉奥に熱風が入り込まぬように気をつけて。

白孔雀の羽根が開く。
その場にいれば息を飲むしかない美しさ。
深く息を吸えば熱性痙攣を起こすかもしれない。そっと、そっと――。
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深い緑のなか、杜若のような花が縺れるように咲き乱れる。
この花は毒ではないのか。
毒なら毒でもいい。そっと触れてみたい。
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孔雀が飛ぶことを忘れてはいけない。
枝に止まる鳥たちはどのように飛んだのか。
赤茶色い羽根も孔雀には生えていて、それはまるで錆びたチェーンのようだった。

谷山浩子は歌う。
鳥には鳥の名前がある 鳥は知らない わたしの名前
この鳥たちには生まれた国の言葉で呼ばれる名がある。
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昭和の始め頃(天正遣欧少年使節から数えて340年後)、輝くような日本画が羅馬に派遣されることになった。
そのうちの一枚に選ばれた誉れの絵。
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藤を愛でるかのような孔雀がいる。
彼の地には、葡萄のおかげで狼から身を守ることの出来たのを忘れて、その実を喰らう鹿の罪深い物語があった。
孔雀はこの藤の花を食べるだろうか。

藤の季節が終わると蓮や睡蓮が咲く。
聖なる花は泥の池に咲く。
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しかしこの泥の向うには清浄な世界が広がっている。
蓮が咲いている。
ここには湖水のランスロットに剣を差し出す手はないのだろうか。
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熱国であろうとも、静寂な空間がある。
まだ青みの残る桃が丸く転がる地に、赤い頬をした雉が佇む。
めでたき桃もまだ日を待たねばならない。
雉は静かにそこに佇んでいる。
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Quwwww 何かの鳥の鳴き声。静寂の中に鳥の声がする。
花の蜜がここにあることを仲間に知らせる。
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飛び交う鳥たちは花の蜜を吸う。受粉の代参と、生命の維持と。
そんなことを考えずとも、花の蜜を吸うのは嬉しい。
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熱帯花鳥への憧れを描いた作品を集めたのは松伯美術館。
館内の壁に咲き乱れていた植物たちも、その中を闊歩し、あるいは佇み・あるいは飛び交っていた鳥たちも、もう今はいない。
つい先日、元の地に戻ってしまった。

またいつか会える日はあるのだろうか・・・。

江戸時代・上方絵画の底ぢから

江戸時代の上方画壇の人気が最近上がっている。
それだからか、奈良県立美術館が近辺の美術館の所蔵品からピックアップして、『江戸時代・上方絵画の底ぢから』という展覧会を開催している。
何が出るかはわからないが、とりあえず出かけた。
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流派ごとに分かれて展示されているので、流れは掴みやすい。
鶴沢派、四条派、円山派、森派などと言う風に。
京都府立総合資料館(管理先は京都文化博物館)、敦賀市立博物館、大和文華館、奈良県立美術館のコラボレーション。

『虫選図』土佐元章 虫合わせの虫の入った籠を手にした公達が夜の庭に佇む。和やかで優しい絵。公達は黄緑の袍にピンクの袴だった。

『五節句図』鶴澤探山 享保の頃の五節句。父子で酒を飲む、蹴鞠、印地撃ち、蹴合わせ、萬歳。さらっとした絵で各節句の状況を描いている。
江戸ではなく京の町中での風景。

『楠木正成像』狩野永納 岩に立ち、両手を腰に当てている。この絵は水戸光圀公にあらせられるぞ・・・ではなくて、その光圀公に贈られた絵。

『人物図巻』古礀明誉 俳画風の絵巻で、医者と患者たちや、服屋・桶作りの職人・茶の湯。・梓弓の巫女などが洒脱に描かれている。絵師の見た人々の姿と言う感じ。

『関羽図』曽我蕭白 ずんっと立っている。これは蕭白によくあるタイプの不気味系ではない、武将らしい武将図だった。

『美人図』曽我蕭白 最初に見たのはもう20年以上前だと思う。当時のタイトルは『狂女図』だったが、いつの間にかこのタイトルに変わった。この絵の女を見て舞踏家・大野一雄が『枯れた狂気を舞う』を思いついたのは有名な話だ。女の視線の狂い方といい、素足の爪の泥といい・・・どこへ行くのか・どこへも行けぬのか。見る度に、岸辺の枯れ草の中を歩くような湿った何かと、枯れた感触とを味わっている。
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『子母龍図』中村竹洞 母子の龍の絵だが、これは父・竹洞が17歳の息子・竹渓に贈った絵だというので、ある種の感慨が湧く。

『箕面滝図』円山応震 箕面の滝は古くから有名な滝で、役行者も来たし近代には野口英世も来た。
北摂の住民の憩いの場だが、なんということか、最近この滝をポンプで汲み上げ出したと言う。その原因は何か。まだオープンしていない新道路のせいだという。住民には一切の説明もない。
絵では滝が轟々とマイナスイオンを放っているが、現実にはこれは最早過去に過ぎない。
その辺をどう考えているのだ。釈明できるのか、本当の滝を返せ!
(大阪府が年間三千万支払うそうだが、エエ加減にしろ!)
ああ・・・芸術から離れた話になったなぁ。

『幽魂の図』長沢芦雪 師匠の美人の幽霊と違いこちらは怖い。賛がある。「幽魂何処恐 停立将黄昏 試問冥途睚眥無片言」幽霊は黄昏の中に佇み、冥途のことをたずねてみても、黙ってまなじりきつくにらむだけ・・・

『十二ヶ月花鳥図屏風』吉村孝敬 丘に登りつつあるキジ。向うには鵜飼も見える。杜若も咲いて、のびのびしたいい気持ち。定家の和歌に沿って描かれた景色。キジがなんとなくいいツラツキ。しかし吉村と言えばどうしてもプライスコレクションの唐獅子ファミリー図が思い出されるのだった。
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『四季花鳥図扇面帖』山口素絢 3面が出ていた。葦に翡翠、早蕨に鶯、花木に燕。どれもみな、愛らしい小禽。
なんというか、素絢の絵は自宅の座敷に掛けてみたい気がする。

『女官図』山口素絢 さすがに美人を描くのが巧い。欄干に身をもたせかけて乗り出した先には、綺麗に咲いた杜若がある。女官の口元に笑みがこぼれるのも道理で、わたしもここにいれば一緒に笑うだろう。

『妓婦図』山口素絢 こちらは薄紫の着物の芸者。簪を直す女が静かにこちらを向く。着物の向うの身体がわかるような女だが、品はいい。

『風雪三顧図』呉春 チラシの絵。こないだ白鶴で見たのは不在の図だったが、「今日はいてます」
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『須磨の浦図』呉春 小さな苫屋がある。簾がかかり海辺の家だと実感する。上田秋成の賛がある。「須磨の浦 浪ここもとに家ゐして よるさへあまの袖はぬれけり」呉春と秋成とは仲良しだったらしい。

『大江山鬼退治図屏風』横山清暉 京博に同題の呉春の絵がある。これはその絵に倣ったものだと署名がある。淡彩でおとなしげな作品。
山伏に身をやつした一行が、住吉の神の化身した老人に連れられ山を行く。谷を越え、やっと館に着く。出迎えの鬼たちはひ弱そうでヒトのよさそうな顔をしている。宴のときも酒天童子はそんなに怖い顔もしていない。料理の鬼たちもまじめに働く。台所はなかなか風流で、鬼たちはみんな中肉中背。そしていよいよ正体を現す一行。とんとんとん、とノックするので出ようとする鬼。殺戮シーンはなし。首を運ぶ一行のほうがなんだか怖いわい。桶の首は瞑目している。敗者ハ語ラズ。

『蜂猿図』森狙仙 めでたい暗喩の込められた絵。五匹のサルがくつろいでいる。さすがに猿の狙仙だけにリアルな毛並み。

『藤下遊猿図』森狙仙 綺麗な藤の蔓に親子の猿。とにかくこんなにサルの好きな人はほかにはいない。猫の国芳、猿の狙仙。どちらも本人が楽しくて・嬉しくて、喜んで描いたのだろうと思う。

『吉野画像』森徹山 この吉野は吉野太夫の吉野。初代か二代目かはわからない。優しい微笑の女。奈良県立美術館の二大<美女>の一人。
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もう一人は水色の着物に、ちょっと目つきも行動も怪しいけれど。

『社殿・競馬図』森一鳳 藻を刈る絵の多い一鳳。儲かる一方、と喜ばれた。大坂の商家にはかなり多く残っていた。歴史に名高い花外楼にもあった。

『二見浦富士図』原在中 ずーっと遠くに朝日が上る。まっすぐに日が差してくる。赤い一筋の光。これを見て『伊勢音頭』の芝居を思い出した。先代仁左衛門の貢が、巻物をやっとの思いで取り戻し、それを朝日の光で確かめて叫ぶ。「アア、ヤレ嬉しや!」そんな朝日だった。つまり、書割のようにも見える絵なのだった。

『足柄山図』岡田為恭 これは太平記の新羅三郎義光が豊原時秋に笙を伝授する情景。平家にしろ太平記にしろ、雅を身につけたもののふが歌曲の伝授をする情景は哀れにして、優美でもある。

『枝桜図角盆』岡田為恭 この桜になにやら親しみがある。つまり少女マンガの背景に現れる花、そんな描きようだと思ったのだ。最近は花を背負って現れるマンガも減ったが、この桜はそんな桜だった。

『女和歌三神図』田中訥言 小町、紫式部、衣通姫の三人を描いている。
衣通姫そとおりひめ だけ太古の人。
わがせこが 来べき宵なり ささがにの 蜘蛛の行ひ かねて著しも
この歌を詠んだといわれるが、これは源氏物語の紅葉賀にも使われていて、江戸時代には人口に膾炙していた。
これは彼氏が来るのよ、に始まる和歌。夜の蜘蛛は験が悪いと言うけれどそれがまたあれで。
歌舞伎の舞踊劇『土蜘』にもそれを踏まえたものがある。
全然関係ないが、わたしは夜に蜘蛛を見たらこう呼びかける。
「コレ陣十郎、出るのはわたしのおらぬ時にせよ。昼間は害虫をよく倒すのだぞ」
大概蜘蛛はすみませんとばかりに消えて行く・・・。

『衣通姫』西川祐信 久しぶりに見る絵。祐信らしいふっくらした姫。平安風俗。廊下の角の軒で蜘蛛を見かけて立ち止まる姫を描いている。
この絵は’93『京の美人画』京都文化博物館で見た。

『衣通姫』月岡雪鼎 こちらも平安風俗。江戸時代は何故か有職故実が平安どまりになっている。奈良朝以前の風俗は何故描かれなかったのだろう。

『美人図』祇園井特 ぎをん・せいとく、と読む。前述の『京の美人画』で大量に見たが、滅多に表に出てこない。アクが強すぎるからかもしれない。せいとく、と書いた字を見ただけでなんとなく嬉しいのだが。
笹紅色のルージュの女。タイトルは美人だが、その当時の美人の基準からもずれている。しかし堂々たる態度がいい。ずんっと存在感がある。

『手あぶり美人図』祇園井特 これもまた同種の、笹紅ルージュの態度も顔も大きい女が手あぶりに身をもたせてこちらを見ている。着物の繊維がどんなものかこちらに伝わるような。

『観桜美人図』三畠上龍 こちらも笹紅ルージュ。歌麿の時代に流行した黄緑の口紅。何が流行るかわからんのは、江戸時代も平成も同じです。

『少女遊戯図』吉原真龍 この少女まで笹紅ルージュ。てんまりついて遊んでいるくせにナマイキな。お母さんが塗ったのかもしれないな・・・

図録は外だけフルカラーで、中は論文とモノクロ図版。
展覧会はかなり面白いが、ここの美術館の建物はいつも構造的に疲れるので、そこの工夫も欲しかった。

墨の彩り 水墨画と書蹟の名品

大和文華館では墨の彩り展を開催している。
水墨画と書蹟の名品を集めたもの。
どちらも実はニガテなのだが、この直前に<完全なる絢爛>とも言うべき展覧会を楽しんだので、意識のバランスをとるためにも、といそいそと出かけた。本当は四時入館締め切りだが、電話でお願いして少し遅れて入館する。

灰陶加彩雲気文鍾 前漢らしい、壷だった。これは茶色が濃いのだが、出光にある前漢のそれと似たタイプのもの。

灰陶加彩魚文盤 四匹の魚が見込みに並んでいる。上から三匹は左向き、一番下だけ右向き。これはまるであれだ、だまし絵のようだ。皿の上にお魚乗せましたよ、みたいな。

白地黒花鯰文枕 鯰です。鯰と言えば小学館のビッグコミックがそれをマークにしていたが、この鯰はもう少し細い。ひょうきんな顔で可愛い。
しかしこれ枕なのです。鯰はたしか地震封じですな。・・・なにを封じるんだろう。

伊勢集断簡 石山切 ああ、この継紙の綺麗さが好きだ。以前から見る度に「きれい」と思う作品。しかし文も書も見ていないのだ。

源氏物語浮舟帖 白描で、匂宮が歌を詠むそばに浮舟がいる。思えばこの物語もいい気なものだが、しかしわたしは案外浮舟が好きだったりする。
構図や線などを見ていると、日本のコミックの道筋が見えてくるような気がする。

善教房絵詞模本 岡田為恭 原本はサントリー美術館にある。これは天保年間に模写したもの。さすがに巧い。長火鉢のようなのに寄りかかり、頬杖しながら灰をいらう女。同じ室内には老婆もいる。廊下を挟んだ隣には台所があり、酒を飲む女もいる。くつろぎではなく仕事の最中。キッチンドリンカーにはならないようなツラツキだ。

書状や宸翰は日付の特定が出来る。
つまりこの日時にその人が確実にこの世にいたということを、感じられるのだ。
源義経、猪隈大納言、西園寺実兼、光厳上皇、花園天皇、足利尊氏…
月日のある書簡。

建武三年の足利尊氏自筆御神号「八幡大菩薩」 下にちゃんとサインもある。大きい字なのだが、すこしカクカクしている。筆勢は強くない。

細川幽斎添削菊亭晴季詠草 慶長六年 出ました菊亭晴季。実際には何をした人なのか・どんな立場の人かは不勉強なのでよく知らないが、大抵昔の戦国時代の伝奇作品に現れる人。菊亭大納言晴季だったかな。
誰それ実ハ菊亭大納言晴季の娘、というのが多い。
『紅孔雀』の浮寝丸と久美とか、『神州天馬侠』の咲耶子とか。
その意味で同じような人と言えば青砥藤綱かな。鎌倉武士の誉れ。謡曲『鉢の木』も『摂州合邦辻』の合邦も彼の子だった。

弘法大師像 釈教三十六歌仙絵断簡 木の洞にいて結跏趺坐する大師。

竹雀図 可翁という絵師を知らないが、この絵は知っている。
愛らしい雀が上を向いている。
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山水図屏風 伝・周文筆  誰かを訪ねる高士がいる。舟で来た。ちょっと山の中腹にいる。・・・そんな事情がよくわかる。連れの童子はなかなか可愛い。

松雪山房図 華嶽建冑賛 これは以前にも見ている。つまりこの賛がよかったのだ。「雪と松、それぞれ天と地にあって・・・」たまにこうした文を見ると引き締まる気持ちがする。

孔子観欹器図 雪村周継筆 この画題は後世の中村不折も描いていた。論語に見える話。賢政の世にあるのを測るのが、この欹器という器なのだった。水の多い少ないで状況が変わる。それが即ち世の眺めでもある。一番よいのは器に八分目の水。

花鳥図屏風 雪村周継筆 鷺に牡丹に白椿。飛燕の鋭さ。構図がよかった。

呂洞賓図 雪村周継筆 
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これは実に面白い図。仙人の呂洞賓が竜に乗って中空に浮かんでいる。なにやら吠えているようで、相手は右上にいる竜。
頭上の争いを我関せずな竜の目線は、こちらを向いたカメラ目線。
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奔湍図 伝・狩野元信筆  ほんたん・ず。凄い流れという意味なのだが、この描きようはなにやらおいしそうなのだ。そうめんの奔流。ダシが間に合わない多さだった。

瀑布図 伝・狩野元信筆 こちらは滝だが、先の絵の続きかもしれないと思わせるほどの、激しさ。しかしこの滝の水しぶきはオドロ系なのだった。

叭々鳥図 伝・狩野源七郎筆 3羽いるがどいつもこいつも目つきが鋭い。それがまた妙に可愛い。この鳥の正体は何なのか。知らないまま絵の中の鳥を見ている。

維摩居士像 狩野山雪筆 払子を持って立っている、珍しい図。大抵長椅子に寝そべって美人をはべらせている。これなら松葉を口に咥える修行も出来そうだった。

寒山図 俵屋宗達筆 拾得はいない。一人だが笑っているから、対幅があったのかもしれない。もしくは描かなかった事で、拾得をその場に見出すわけだろうか。墨のやや薄い、肥痩のある線でさっと描かれたような感じ。

葡萄図 李継筆 朝鮮 これぞ墨絵の力。墨の濃淡で葡萄の実りがありありと示されている。熟した葡萄、まだ青い葡萄。それらを感じさせるのが墨の濃淡なのだ。朝鮮絵画の葡萄は特においしそうに見える。

布袋図 韓時覚筆 この布袋は珍しく痩せている。そして困ったような顔をしている。珍しい。布袋でいる必要性のない布袋。布袋となる以前の布袋かもしれない。

山水図 程邃筆 順治14年(1657) 歩く。延々と歩く。歩いても歩いてもたどり着くことのない道を、歩く。そんな絵。漢人から満人に政権が代わって50年ほど後の年。なにかそうした意識はこの絵になかったか。

陸瀛贈硯銘・尺牘巻 金農筆 尺牘8通 乾隆10年(1754)に書かれたもの。りくえい・ぞう・けん(すずり)めい・せきとくかん、と読む。太い字で、昔の『暮らしの手帳』や芹沢介の染色のような字体。乾隆帝の頃どんな字体が流行っていたかは知らない。個性なのかブームなのかわからないのが惜しい。

墨菜図 栖巌鳳臣賛 ハクサイが植わっている。引き抜くと大きく豊かなハクサイが現れるだろう。葉っぱのきれいなハクサイ。
 
七老戯楽図 池大雅筆  これは彩色も淡いが綺麗に施されていた。7人の小人ならぬ7人の老人が、鼓を打ったり笛を吹いたり。森の木陰でどんじゃらほい、な楽しそうな絵。

東山三絶図 円山応挙筆 天明6年の宴席から。これも以前に見ている。料亭で三人遊んだときの。いつ見たか調べると、

さいごに2枚の作品があった。
イギリスの銅版画と、それを手本にした墨絵と。
少女が猫を頬の辺りで抱っこしている図。猫の表情が愛らしい。
少女は少し年のわからないタイプだった。

ミス・トリンマー像 C.リード画 J.ワトソン版刻 イギリス・18世紀 紙本銅版 35.9×25.5 と少女愛猫図 石川孟高筆 日本・江戸後期 絹本墨画 114.8×50.0。大きさも違う。どういう経路でこの絵が来たかは知らないが、絵師はマジメに写していた。猫の目の大きさが微妙に違うが、可愛い作品だった。

松雪と東山についてはこちらにも書いています。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-478.html

神仏習合

奈良国立博物館で『神仏習合』を見た。5/19は唐招提寺の団扇撒きの行事もあるのでそちらへも行きたいと思いつつ、時間配分がいきなり崩れた。
つまり、それほど神仏習合展が面白かったということだ。

神仏習合。土着の自然崇拝から生まれた神々と、外来の仏たちとの融合による<信仰>。
学校で本地垂迹説などと習っても、実感などあるはずがなく、こうした展覧会で「なるほどこれか」と思う。それを楽しんだ。

200点を超える展示品。展示換えもあるが、それにしても大変多い。
<かみとほとけが織り成す信仰と美>それを顕すために10のコンセプトがある。
神と仏の出会い
神像の出現
山神への祈り
御霊信仰と神前読経
社に参る僧侶たち
本地垂迹――顕現する神と仏――
宮曼荼羅の世界
中世神道――伊勢をめぐる神仏習合――
仏舎利を護持する神々
神仏に捧げる芸能
・・・これらを見て回る。

最初に現れたのは福岡の沖ノ島(海の正倉院)と呼ばれる宗像大社の祭祀遺跡出土品。
馬具、勾玉、鏡など。
馬具は透かし細工のもので、なにやら横顔めいたものが見える。これは以前スキタイの馬具でも見たので、東西の交流を感じる。
鏡では『魚文帯神獣鏡』がよかった。細長い魚と亀らしきものがそこに浮かび上がっている。これは陸中にはない性質だと思う。
この辺りの展示物を見ていると、安彦良和『ナムジ』か星野之宣『宗像教授伝奇考』が胸の内に蘇ってくる。

三輪山祭祀遺跡出土品。
写真パネルには、夕日の残照を浴びる三輪山と、鳥居の黒い影が映し出されていた。
三輪山の神は蛇体で女のもとに通ったとか、酒を造るのに昼間はヒトが・夜にはカミがコメを噛んだと言う言い伝えもある。
自然そのものが神聖視されるのは、この三輪山と那智の滝がまず代表だろう。
三輪山の麓では素麺作りが盛んである。わたしは三輪素麺が一番好きだ。あの細さが好ましい。素麺を食べるとき、時々三輪山の神のことを考える。女によって糸を縫い付けられ、その正体を暴かれた神のことを考える。考えながら、ただただ食べる。

大きな展示物が二つ。
明日香村から出土して今では東博にある『須弥山石』と福井県・劔神社の『梵鐘』。
360度をぐるぐる廻って眺める。須弥山を取り巻く海の波のように。
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そして梵鐘が国宝だと言うことはわかっているのに、打ちたくて仕方なくなってきた。

危険なので離れたところ、『日本霊異記』があった。天竺の国王が仏道を邪魔したために猿となり、野洲の多賀大神になったと言う話。
・・・多賀大社はイザナギ・イザナミを祭っているのではないのか、滋賀にはやはり猿の王様・猿の神様の山王が・・・とぐるぐる廻る。時々混乱する。

『宇佐八幡の御託宣集』があった。放生会の由来についての文が面白い。
聖武天皇神亀元年の託宣。隼人らを多く<殺却>する報いに年二度の放生会をする、という意味のことが書かれている。
そして天平十年頃製作の鬼瓦の半壊もある。
『八幡縁起絵巻』もある。これは室町時代の作で彩色も綺麗に残っている。
和気清麻呂が両足を切られて海に流される。舟には一応屋形もついている。それが漂着するとどこからか大きな猪が現れ、和気清麻呂を背に乗せる。この猪の目が優しい。
社殿へ運ぶと、白蛇が迎えに出て、両足も戻る。

こんな文章もみつけた。
「・・・藤原魚名等以為迎神使・・・聖武太皇、孝謙天皇、光明皇后・・・大佛殿・・・」
これは手向山八幡宮へ勧請するときの状況。絵も綺麗だった。
転害門から鳳のついた輿が東大寺へ入る。日の丸を描いた扇子を開いて出迎える僧兵たちと、雅楽を催す楽人たち。そして次の情景では3対の狛犬が見える。

お水取りのときに展示される『二月堂本尊光背』がある。殆ど欠落しているが、かなり大きい。今年のお水取りは遠くからしか見れなかった。
来年は何とか間際で見なくては。
そのお水取りの『二月堂縁起』があった。黒白の鷺が井の中から飛び出すシーン。
この由来も面白い。悔過(けか)に遅刻の遠敷明神が詫びのためにお水送りをするのだが、そもそも悔過そのものが「ごめんね」の行事なのに二重に「ごめんね」になったのだ。
神仏習合の儀礼としての悔過の性質がここによく出ている、と解説にあるが納得した。

しかし今思ったのだが、そうした儀礼そのものが実は日本人の宗教観の本質ではなかろうか。宗教観というよりもっと身近な感覚・・・
このお水取り、御霊信仰の天神祭、神田祭、近くは鎮魂のためのルミナリエでさえもまた。

広島・御調八幡宮に伝わる『女神坐像』。どちらも9世紀に生まれたが、向かって右の女神の剥落は激しく、左の女神の彩色はかなり残っている。作り手の手も違うから全く別な存在になる。
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立膝で座す姿は古様だと思う。日本では時間が経るにつれ、この座り方を「行儀が悪い」と言うようになったが、朝鮮半島では長らく続いていた。衣服のあり方が異なるから一方は廃れ一方は続いたのだろうか。

薬師寺の国宝『八幡三神坐像』は以前からしばしば見ている。
仲津姫、僧形の八幡神、神宮皇后の組み合わせ。綺麗な色が残っている。

ところで人のことはあまり言えないが、『行教律師坐像』を見て「・・・変わった顔だな」と思ったのはわたしだけではないはずだ。そしてどこかで見た記憶がある。
そう、『風の谷のナウシカ』に現れる大僧正にそっくりなのだった。
目の離れ具合といい・・・

宇治の許波多神社に伝わる『男女神坐像』の男神は馬頭を冠に付け、目を見開いている。ちょっと漫才師が大げさな表情をしているのに似ているがそうではなく、これは憤怒の表情らしい。暴悪大笑面なのか・・・。

那智の青岸渡寺からの出土品が、金剛界の曼荼羅そのままに配置展示されている。
これらのうち半数は東博に収蔵されていると言うから、廃仏毀釈の傷痕を考えもする。

おお、蔵王権現。数年前天王寺で巨大な蔵王権現像を見たが、これはそんなに巨大ではなく、足も上げてはいるがまっすぐな上げ方だった。まっすぐなのは古様らしい。
鳥取の投入堂からのもの。あの建物に一度近づいて(出来たら中に入りたいが)・・・少し前山伏さんに同道して、建築史家の藤森教授が中に入っているのを見た。
知人の山伏さんに尋ねると、まず無理ですとのことなので、藤森教授はやっぱりすごいなーと感心した。こわいですよ、あの建物は。
役行者が投入れたという伝承があるのも納得なのだった。

牛頭馬頭と言えば地獄の獄卒というイメージが最初に湧くが、それは仏教の地獄の図像に他ならない。
祇園祭の祭神は牛頭天王なのだ。厄神。そして彼はスサノオとも同一視されている。
「七歳にしてその丈七尺五寸、頭に三尺の牛頭、三尺の赤き角」と『祇園牛頭天王縁起』という本に書かれていた。
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こちらは実はその厄神たちをバリバリ食べる天刑星なのだが、厄神を食べることで(退治する)同一視されるようになる。敵の力を呑み込む、と言うことでもあるのだろう。
屠ることが自分の力の源にもなる。「あんたの方が怖いわ」な図にもなる。

『束帯天神像』 大変大きな肖像画。怒った顔で立ち尽くしている。菅原道真に始まり、祟徳上皇でトドメをさす御霊信仰。その後も色々現れるが、怨霊のスーパースターはこのお二方に尽きる。
わたしは魚名公所縁の天神社の氏子だから、天神様はそれでもまだ怖くはないが、祟徳院は怖い。祇園の墓所や今出川の神社など忌避して遠ざかる。今回その肖像画が展示換えでなかったのでホッとしたくらいだ。

『大般若経厨子』 なによりまず見事な造形だと思った。空いた上部はどうするのかは知らない。内部の絵も彩色が鮮やかに残っている。
これを見たとき、からくり仕立てのオルゴールを思い出した。これは二枚扉の観音開きだが、六枚扉のそれはゼンマイの動きで一枚ずつ扉が開き、中から小鳥が現れて綺麗な声で歌う。歌い終わると厨子の中に戻る。扉はゆっくりと閉まってゆく。そして静寂が戻る。
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『三宝絵・下巻』にこんなことが書かれている。「神の心喜ばしめ、寺を守らしめむ」
ヒトがカミを喜ばせて、ホトケの警護に当たらせる道筋。

明恵上人と春日との関わりが展示されている。
木造の鹿が一対。雄の角は失われている。オレンジ色のボディにガラスの目玉。
可愛い。雄は賢そうな目をこちらにむけ、雌はなにやらケーンケーンと鳴いている。
この『神鹿像』は高山寺で木製の馬と共にあると言う。

『一遍聖絵』のうち、第三巻が出ていた。数年前京都と奈良との共同企画で一遍聖絵を沢山眺めたことがある。この絵での人物たちはみんな小さい。熊野を行く一行などが描かれている。この上人にリスペクトをこめて、わたしはこんな名を名乗っている。

『多武峯縁起 下之二』 これは鎌足公が本地で維摩居士が垂迹と言う設定で、公が祀られて以降の話。そう、『御破裂』。’05新春にこの奈良博で開催された『多武峰と談山神社展』で初めて知りあの時はつい爆笑してしまったが、これは実は大変な吉凶占いなのである。
何しろその平癒祈願に勅使が下向するくらいなのだから。
(関係ないが勅旨下向の春弥生と来れば、松の廊下だ)

懸佛が随分多く展示されていた。これもよく考えればモノスゴイと思う。
一つ一つ見たが、目が眩んで来た。遠く離れて薄目で眺めよう。

細見美術館の国宝『春日神鹿御正体』が来ていた。よく見かける鹿なのでついつい愛想よく向き合うが、これもえらいものなのだ。
今回こうしてチケットにもなっている。
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ところで家の近所に春日大社のお旅所というか下がり藤を紋所にする、さる旧家がある。
春日社領の目代で、年に一度一般公開されるので見に行くと、この辺りが春日大社のために農業をしていたのがわかる。
話はそれるが、ここからまた1kmほど行くと若冲寺があるし、魚名公ゆかりの天神社もある。しかしあまりに古くから開いたので、却って見所がない町でもある。

『熊野本迹曼荼羅』 五所王子、熊野三社が人態を取って描かれている。踊る蔵王権現もいる。これは神仏習合と言うより神仏<集合>の図。

仁和寺の『僧形八幡影向図』は初見だが、いいものだった。
純粋に絵画的に面白い。拝殿の中、僧が行くのを扉を挟んだ廊下側で、公達が見守っているのだが、白い壁に神の影が浮かんでいるのだ。金色の神の影。完全なる様相を見せるのではなく、ぼうっと浮かんでいる。
あからさまなものより、こうした形は曖昧でも色に尊さの表れるような描き方がいい。

リストを見て惜しくも『熊野権現影向図』『山越阿弥陀図』『清滝権現像』『吉野曼荼羅』が展示換えされたことを知る。残念なり・・・特に清滝権現には再会したかった。

『白山三社権現像』 白山は姫神である。白山信仰と言えばすぐに鏡花の『山海評判記』を思い出す。前に狛犬がいるが可愛い。特に阿吽の阿が可愛い。

『十二神将像 寅』を見る。前期では未だったそうだ。小さく寅がついているのが可愛い。
大体この十二神将シリーズはどの分でも好きだ。

『三十番神像』 一日一善ならぬ一日一神。カレンダーのようだ。
いや実際カレンダー。なんだか妙に面白い。
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厳島神社から平家納経が来ている。前述の『多武峰と談山神社展』と同時開催された『厳島神社展』で多く見た。確か全巻見た人は何か特典をもらえたはずだ。
今回わたしが見たのは『観普賢経』 これは十羅刹女のうち「黒歯」。
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しもぶくれで可愛いが実はなかなかこわいのだな。

『太郎天及二童子像』 3躯 木造彩色 平安時代、と解説がある。みづらの太郎天と左右にいる童子たち。向かって左はおとなしめのみづらの脇侍、右はオールバックのいたずら小僧風。こちらは鬼形らしいが、いかにも元気でくりくりしている。

『春日宮曼荼羅』 寺社でも美術館でも個人でもない、自治会の所蔵品に面白いのがある。
この絵は下部に鹿がぴょんぴょん跳ねているのが可愛い。春日宮だからどの曼荼羅にも鹿がいる。鹿は博物館の外にたむろする。

同じ『春日宮曼荼羅』でも全く違うのがある。ここには月と星が描かれている。月は三日月、星は○または゜で記されている。☆は描かれはしない。
この絵の裏面にはナゼだか『佛涅槃図』が描かれている。

『三輪山絵図』 カラフルな林が描かれている。つまり緑が濃い。16世紀の絵なのだが、パノラマ風だった。

『神道灌頂本尊図(麗気本尊)』 仁和寺蔵のこの絵は大変「へんな絵」だった。蛇がぐに??と伸びてまといついている。ちょっとよくわからない。わからないがこの絵を壁に掛けてその前に座ると、もしかすると信徒になるかもしれなかった。
展示ケースに寝かせていたのは正解かもしれない。

『雨宝童子』 童子と言うより童女のような髪型で、頭に石塔を戴いている。由来は知らない。知らないがなにやら可愛らしい。

『大神宮御正体厨子』 西大寺蔵。のぞきからくりBOXのような。のぞくと何が見えるか。
そんな興味が湧いてくる。

『弁才天十五童子像』 弁天さんは女神様だからか少年たちを侍らすのがお好きなのかもしれない。しかしこれは竹生島だと思うが、人口密度(神様密度)の高いところだ。
ところでこれは琵琶湖にある島なのだが、実際あの島には住民がいるそうだ。
わたしは今日まで知らなかった。

『荼枳尼天曼荼羅』お稲荷さん。白狐に乗って左右に飛び交う。わたしはお稲荷さんは好きだ。

『天河弁才天曼荼羅』 着物を着た白蛇さんとか、男女一体神とか(どう見てもいちゃついてるだけ)しっぽつきの女神・・・白狐や童子がやたらと多い。豊饒・福徳の意らしい。

『龍神像』木造彩色 平安?鎌倉時代(12世紀) 奈良・薬師寺 解説をそのまま写したが、実はこれを見たとき、正直に言うと「海洋堂のフィギュアか」と思った。
岩に巻きつく龍神。岩は白色で龍は東洋のそれと言うより、西洋のドラゴンのようだ。そんな造形。どういうわけかそうとしか見えない。

『春日龍珠箱』 内箱と外箱が出ている。内箱の四方に綺麗な絵がある。14世紀のものだとは思えぬほど濃く彩色が残る。
ここは神仏<集合>だった。ハンサムや美人の多い絵。八大龍王はそれぞれ肩や頭に龍を乗っけている。束帯姿で龍を乗っけているのもいいものだ。外箱は波濤模様。
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最後に能面が多く並んでいた。珍しくマダラ神のそれもある。小面は「天下一若狭」の署名がある。これらも厳島と談山神社からの借り出し。

相当な数の展示物だが、飽きることのない面白さがあった。
二時間ばかりかかったが、納得のゆく展覧会。来週27日まで。

西のみやこ 東のみやこ

都の西北は早稲田、東の地平・西の永遠は『11人いる!』。
佐倉の国立歴史民俗博物館、通称歴博で『西のみやこ 東のみやこ』を楽しんできた。5/4の話。
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都と言うと京の場合は洛中洛外図。江戸なら江戸名所図会。
しかしなにも都はそれだけではない。
それぞれの都の殷賑たる様子を描いた作品が残っている。
それを集めた展覧会だった。

大体いつ頃から洛中洛外図のような町の賑わいを描いたものが生まれたのか。
'94の平安遷都1200年記念展『都の形象』において、狩野博幸氏が一文を書かれているので、それをたよると、こうある。
「・・・今わたしたちが『洛中洛外図』と呼ぶ屏風絵に関すると思われる初出の文献は『実隆公記』永正3年(1506)12/22の記事である」としてその一文が抜書きされている。
ここから林屋辰三郎氏や辻惟雄氏の意見などが書かれていて、読んだ当時たいへん興味深く思えた。

しかしそれは専門家の分野にあたるので、ただの道楽者はそれらを踏まえつつも、描かれた都で遊べばよかった。

プロローグ 京図・所領図・名所図
第一部 洛中洛外図屏風とその周辺
第二部 大江戸名所案内
第三部 三つの港町─長崎・堺・横浜
第四部 描かれたみやこで遊ぼう
五つに分かれたコンセプトを楽しんだ。

まず、京の都。

歴博乙本が出ていた。いつも複製なのが実物の展示である。
じーっと眺める。何しろ前出の展覧会以来の再会。
私が最初に実物のこうした屏風を見たのは、’91に今はなき萬野美術館で萬野本と呼ばれるそれが最初。それ以前は資料でしか見ていない。
丁度その翌年くらいから近世風俗画の名品を見る機会にも恵まれたので、嬉しかった。
やっぱり平安遷都1200年が効いたかして、名古屋でも独自の展覧会があり、それもよかった。
そんなことを思いながら歴博の名品を楽しむ。

ところで上杉本の詳細な本が手元にある。林屋監修による本で、眺めれば眺めるほど面白い本。
それや京都の古地図や今の地図を頭に入れて屏風に対峙する。
土地勘があるだけに「・・・え」とか「うんうん」とか「まぁ、ねぇ」「そうなん」などとついつい呟いてしまう。

見ていて楽しい名所図と言うのは、自分もこの空間に紛れ込んでいる気持ちがあるということだ。
千人以上の人間の様子が描かれた洛中洛外図に一人くらい<わたし>が紛れ込んでもわかるまい。
上から見下ろしたり、外から見るばかりでなく、この中にいる、と仮想して絵を眺めれば、更に楽しみが増してゆく。

以前勅使河原宏監督で『豪姫』という作品があった。
あの映像にはこれら洛中洛外図が使われた。
まさに<使われた>のだ。絵画の中に役者が入り込んでいた。
それをわたしは思い出している。

今でも(いつでも)京都は魅力的だ。
遊楽に事欠かない。現在の状況では発展は望めないかもしれないが、過去の遺産を巧みに蘇らせ、維持し、新しいポイントにする。
そのことを思いながら洛中洛外図の世界を遊行する。

雲の形で作品の新旧が判別できるようだが、画面上のこの金雲は無論、観念的なものである。
正確な距離感を描くのが目的ではないこれらの図は、ところどころに地理上の破綻を見せもするが、それを金の雲はカバーする。
私も金の雲に紛れて移動しよう。

複製品の屏風が向かい合わせに置かれている。つまりこれで洛中洛外図の右隻と左隻との辻褄が合うのだ。
両方を行ったり来たり。楽しいなぁ。私の立つ位置はたちまちにして洛中に変わるのだ。
他のお客さんもいちいち確認している。

機嫌よく遊んだ後は江戸に行く。
錦絵、泥絵などが展示されている。錦絵はともかく泥絵を見るのは久しぶりだ。
泥絵には素朴でそのくせ多少の気持ち悪さがまざっていて、楽しい。
京都は大唐長安をモデルにして東西南北をきちんと区切って作られた都市だが、江戸はどうか。太田道灌の江戸城からこちら、都市計画はどうなっていたのか。それを私は知らない。知らないし、ここでもわからない。
が、ここでも楽しく見て回る。

わたしはこれまで東京都をどれほど徘徊したかわからない。データを見ればわかることだが、それは自分の現実に他ならず、小説や古地図での彷徨は数に入れていない。それらを入れればどうなるのかわからない。
少し前に『私の地図で旅をする』という記事を挙げたが、そこにも書いたとおり方向音痴の私は自分で作成した地図を頼りに生きている。
その地図は立体化することもあれば平面のままのものもあるし、形はなくともまといつくものもある。
江戸の風景には親しみがある分、そうした曖昧さと確実さとがある。

八戸藩士遠山家という江戸時代の武家の生活をモデルにした展示がなかなか興味深い。
遠山氏の江戸滞在中の買い物リスト、一日の予定表などが事細かにそこにある。
以前、『元禄御畳奉行の日誌』というのを読んだが、それを髣髴とさせてくれる。
池波正太郎、下母澤寛、岡本綺堂、平岩弓枝の描く江戸ともまた少し違う面白さ。ノンフィクションゆえの鬱陶しさもあり、興味深い。

広重の有名料亭の図会などを見ると、行きたくて仕方なくなったりする。
元々歌舞伎を見ていても、たとえば大南北の芝居などでは店や製品の宣伝も兼ねた台詞やクスグリがあるのを楽しむ方だから、こういうのが嫌いなはずもない。ああ、いいですねぇ。

そして場所を変える。
長崎、堺、横浜。長崎の諏訪神社のお祭、おくんちの様子が見える。
そのお祭には行ったことがないが、こんな屏風を見ると行きたくて仕方なくなる。
‘94年に行ってからもうだいぶ時間も経った。
九州に行きたい。長崎、福岡と回りたい。三年前熊本で遊んだのは楽しかった。
今年はなんとか石橋美術館と九州国立博物館に行きたい。
そして近代建築にも会いたい。

堺の地図が出ていた。
堺は北摂民のわたしには遠いのだが、阪堺電気軌道と言う愛らしい路面電車に乗って、昔の時間が残る町へ出かけるのが好きだ。
太閤さん命名の和菓子<かん袋>に行くのも楽しみだし。
元禄の地図だから、調べればかん袋は掲載されているだろう。
なにしろ400年以上続くお店なのだ。

横浜は幕末から新しい時代に開けた町だから、状況は全く異なる。
この時代の横浜と言えば、石川淳『至福千年』の松師松太夫一派の横浜での商売、川島雄三監督の『幕末太陽伝』での商館焼き討ち、そして明治に入ってからは大和和紀『ヨコハマ物語』、それらが思い浮かぶ。


最後のコーナーに行くと、屏風の実物大複製品のパズルがあった。
右隻は既にヒトサマがされていたので、わたしは手付かずの左隻のパズルを始めた。
時間を計ろう。
なんだか楽しい。係の人々がにこやかに見守ってくれている。熱心だなーと感心しているのかもしれない。
完成しました。IMGP1724.jpg

パズルのピースも可愛い。IMGP1725.jpg



機嫌よく江戸時代から平成へ戻って行くことに、した。

光琳・応挙、仁清・乾山など江戸の名作

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白鶴美術館と同じ御影に、朝日新聞創設者・村山龍平の集めた美術品を見せる香雪美術館がある。
先日ここで杉本健吉の『新平家物語』挿絵を見たところだが、今回は18世紀を中心とした絵画と陶磁器を見た。
光琳、応挙、仁清、乾山らをメインとした展覧会で、これがすばらしい内容だった。

一階に入るとすぐに乾山の素敵な器が見えた。
わたしはそこへ寄って行く。

尾形乾山 立葵透鉢 またも透鉢に会えて嬉しい。先日畠山では藤や菊を見たが、ここには立葵が咲いている。
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可愛くて可愛くて仕方ない。どうして乾山の器はこんなにも可愛いのだろう。透かしの部分に指を差し込みたい・・・

野々村仁清 金襴手四方水指 探幽が下絵を書いたそうだ。蓋は赤地に金の七宝つなぎと言ういかにもなパターンで、絵柄は中国の人々。布袋と唐子、李白、陶淵明、蘇東坡ら。

尾形光琳 四季草花図 屏風 六曲一双 見事な!百花繚乱とはこれを言うのだ。金屏風。しかしこの金はMOAの紅白梅と同じく多分金箔ではないのだ。藍色の川が流れ周囲に花が咲く。
花の名前を羅列しても仕方ないのだが、羅列したくなる。見た限りの、知る花の名をすべてここに記したい。言葉で花が咲くような気がする。
白百合、蓮華、朝顔、菖蒲、藤、菊、桔梗、水仙、牡丹・・・・・・・・
しかしそれでも光琳のこの絵には敵わないのだ。

二階へ上がる。

俵屋宗達 烏図  可愛い、変に可愛い。カラスも今より昔のほうがまだ暮らしやすかったろう。

尾形光琳 団扇貼交風炉先屏風 白梅と水、石に桔梗、滝に蔦、紅白の菊。こんな愛らしい屏風があれば嬉しい・・・。

酒井抱一 瓜虫図 自賛がある。「守る人に 枕かそふる 瓜はたけ」瓜盗人から瓜を守る人も居眠るが、その枕に瓜を、というほどの意味。殿様の弟はなかなか下情にも通じている。

酒井抱一 十二ヶ月図短冊帖 リンク先に画像がある。http://www.h3.dion.ne.jp/~kousetu/薄いけれど、こんな感じ。とにかくこのとのさまの弟君はやたらと十二ヶ月シリーズを作った。これは短冊で、ちょっと長くなるが1月から12月までの内容をここに記す。
・二見が浦・初午・枝垂桜。卯の花・楠球・藁人形(茅の輪くぐりなど六月は厄除けに藁が色んな形で用いられる)・七夕・月に芒・白菊・木に赤い紅葉・柳にとまる鷺・水仙・・・

円山応挙 龍・滝・虎図 三幅対 虎がいい。この虎は先月府中で見た芦雪の虎の親戚筋にあたると思う。丸顔に小さな△耳に鮮やかな縞柄。太い腕に愛らしい尻尾の先。虎って本当に可愛い。かっこいいと言えない所に味わいがある。

円山応挙 棕櫚図 墨絵でまっすぐに棕櫚が立つ。棕櫚や芭蕉も応挙の後は、田中一村まで誰も描かなかったのではないか。
(チラシ)

円山応挙 幽霊図 これが美人の幽霊で、口元の微笑がいい。懐手の女。
描き表装で、幽霊の腰から下がぼやけているのと表装のあいまいさが更にいい。
反魂香の故事を踏まえているのでこんなに美人なのだ。
子供の頃、応挙と言えば幽霊だった。昔は怖かったが、今はこうした幽霊図を見ると懐かしくさえ思われる

呉春 岳陽楼図 この楼は有名な楼で、それだけに絵画化されることも多い。南画風。

呉春 雪松図 幹は胴だと思った。チャイナドレスのような雪。

松村景文 箭竹図 きれいな竹だった。ほっそりしなやか。さやさやと風に音色が流れるような。
小林古径が描きそうな竹。

長沢芦雪 山家寒月図  満月からの光が一筋、民家に降り注いでいる。これは頴川美術館にもある作品と同じ月なのだ。あちらは谷や木々に光をそそぎ、こちらは家に差している。

長沢芦雪 花鳥図  やたら鳥のとまる木蓮だった。紫の花は未だ咲こうとしない。雀、鶸、みんなあちこち。蝶も飛んでいる。

喜多川歌麿 月見 母と娘 先日『お母さんといっしょ』という浮世絵展を見たが、これもそう。竹を切った花入れにススキなどを活けてお月見をする。画像はリンク先に。。http://www.h3.dion.ne.jp/~kousetu/

葛飾北斎 肉筆画帖 鮎が泳ぐ・シャケ・クワに蛇の巻きつく・スイカ・雀にハサミ(舌切りですな)・虹にツバメなど・・・
小布施にもあるシリーズ。

鳥文斎栄之 美人夏姿図 (重美) 二人の美人がいる。机に寄りかかる女は胸がのぞいている。
机には朝顔が活けられている。大きな本がある。傍らの少女は頭に歌舞伎の赤姫のような吹輪を付けている。蝶の戯れ、玄宗皇帝の故事。
ふと、鏡花の『風流蝶花形』を思い出した。
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狩野探幽 雨山水・雪山水図 二幅対 墨絵に合う画題で、静かな心持ちになれる。
雁金屋兄弟の派手な作品の後に見ると、イレコミすぎた気持ちも治まる。

土佐光起 須磨・明石図 二幅対 やはり源氏絵は土佐が好きだ。

(伝)岩佐又兵衛 堀江物語絵巻 三巻 最初にこの絵巻を見たのはやはりこちらだった。今回はわりと冒頭の話。赤子を抱いて逃げる女と、それをみつけて取り巻く武者の一団。更にかれらと女は西方に向かって拝んでいる。後に復讐を果たす月若の物語。これは謡曲『藤坪』が原典だと聞かされたが、その『藤坪』をいまだに探しきれていない。
ドラマチックな構成、色彩、表情。百家を描いた襖といい、美女の内掛けといい、どこをみても細部まで煌びやかだった。

与謝蕪村 寒林富士図  灰色の空、白い山、黒い林。一言で言えばこれらの言葉しか浮かばない。そしてそれが無限の力を持っている。

曾我蕭白 鷹図 フルカラーの絵。鷹は鋭い顔を見せている。花が 咲き誇り、木の下には鶉もいる。
署名がいい。「明太祖皇帝十四世玄孫蛇足軒曽我左近次郎暉雄入道蕭白画」。

司馬江漢 青鷺遠村図 これも府中で見た鷺の親戚筋にあたるはず。劇画調の鷺。賢そうに見える。

野々村仁清 諌古鳥 香炉  諌言する為用の太鼓の上にトリがいる、つまり平和にして賢政の時代である、と言う意味。そんな香炉なのだが、鳥はきょとんとしていた。

野々村仁清 鱗 香合 本当に三角形。七宝焼きの釉薬名で言えば「竹青」の色。エナメルのような焼成。きれいだった。そしてそこに萌黄と金彩で唐草文様を慎ましく描いている。

野々村仁清 吉野山図色紙皿  金の桜がきれいだった。黄桜ではないが、黄金に光っている。

野々村仁清 鴨 香炉 ウルトラリアリズム・カモ。呉須と鉄とで焼かれた鴨は水鳥だというのを感じる。羽がいい。
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野々村仁清 桜花透鉢 きれいな透かし。桜の形で透かしが続く。
可愛い、とても可愛い。やや桜色の地色。

尾形乾山 椿文向付 緑地に白椿が大きくふんわり咲いている。可愛い向付。嬉しいような造形。欲しいなあ。

尾形乾山作 ・光琳画 小禽図額皿 兄弟によるコラボレーション。この千鳥(?)は嬉しそうな目をしている。他のシリーズの小鳥も可愛い。
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尾形乾山 椿文向付 緑地に白椿が大きくふんわり咲いている。可愛い向付。嬉しいような造形。欲しいなあ。

本阿弥空中 桐紋 香合 金物だと思う。なんとなく重そうな。

本阿弥道八 雲錦絵 四方鉢 道八の雲錦はきれいだと思う。彼が憧れた乾山よりも彼のほうがこの手はいい。大きい鉢だった。

青木木米 唐子遊図 食籠 二種の絵がある。百唐子。象さんと一緒。わらわらと遊ぶ子どもら。黄色と赤とがいい。

青木木米 百仙図四方鉢 これはそのバージョン。細かい絵だが鉄拐もいる。(口から変な煙を吐く)色々思い当たる仙人たちがいて、機嫌よさそうな状況だった。

楽しく古美術を眺めた。やはりわたしは古美術が好きだと実感した。ああ、よかったなぁ。

白鶴美術館春季展'07

御影の白鶴美術館は春秋各3ヶ月ずつしか開館しない。
山の中腹にあり、人いきれも蒸し暑さも、山の涼気が通るこの空間には風となって消えてゆく。
大正時代の見事な洋館・旧乾邸を通り過ぎるとすぐそこに、堂々たる近代和風建築が建つ。
白鶴酒造の当主が拵えてくれた私立美術館。すばらしい空間。

最近学芸員の方が変わったのか、展示の解説が違っている。
撮影も禁止になった。少し惜しい。
『古美術鑑賞入門 2 日本・中国美術の「わざ」と「こころ」』
去年の春季展に続く第二弾。
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まずチラシからして以前と変わった。
明の『五彩魚藻文壷』 この壷に書かれた鯉は何匹? クイズなのだ。
ナゼそんなと言うと、こんな理由がある。
後白河天皇(1127-1192年)撰になる、当時の流行歌・今様(いまよう)を集成した『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』に次の歌が伝えられています。「遊びをせんとや生(う)まれけん、戯(たわぶ)れせんとや生(む)まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」無心に遊ぶ子供の歓声を耳にした時、己(おのれ)の魂が打ち震えるような感動を覚えたことはありませんか。この子供たちに是非とも伝えたい、そして受け継いで行って貰いたいと切に願うものを私たちは持っているでしょうか。この春、日本・中国の古美術品の中に、それを探ろうと思います。
 ところで、「悉有仏性(しつゆうぶっしょう)」という言葉があります。あらゆる生きとし生けるものに仏となるべき性質が備わっているとする教えです。これは仏教の言葉ですが、それを敷衍(ふえん)して、ものみなにこころが宿っている、更に踏み込んで、藝術作品にはそれを生み出した作家の、もっと広く言えばその時代を生きた人々のこころが封じ込められていると考えてみてはどうでしょうか。
 では、そのこころを何によって推し量ればよいのでしょうか。それを如実に物語ってくれる重要な手懸かりが「わざ」であると考えてみてはどうでしょう。「わざ」は単なる技巧に納まるものではありません。
 昨年の春季展「古美術鑑賞入門」では、皆様が一つ一つの作品に親しみを感じて下さいますことを願い、古美術作品鑑賞の基本となります一般的約束事をお伝えし、また、見所をご紹介致しました。?ではこころを自在に表現するには、作家の咀嚼力(そしゃくりょく)、構想力、造形力、描写力等が必要であり、それらが渾然一体(こんぜんいったい)となったものこそ真の「わざ」ではないかとの考えから、「わざ」と「こころ」というテーマで展覧会を構成致しました。

ということがパネルにもHPにも書いてある。

この壷は一階に展示されていた。360度見渡せるから鯉を数える。
8匹おるな。しかし雌雄の区別はつかない。
ここには明代の五彩で他にも面白い壷があるが、今回はこちらのみ。

チラシ裏面。
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中ほどの絵は応挙の襖絵で、三国志に取材したもの。
三顧の礼の情景。古来からこのエピソードは好まれていて、多くの絵師が描いている。
襖の取っ手は白鶴らしく、双鶴だった。

その絵の隣の赤い紐状のものは『几帳飾り』 法隆寺伝来品で、推古女皇か間人皇后ゆかりのものだと言う。鈴の形がなずなのようで愛らしい。

『白掻落花文水注』と『黒掻花文水注』があった。
どちらも掻き落しという技法で作られたものだが、黒の方はギリシャの壷のように見えた。
これらは中国のものだが、あの黒さがそんな風に見えたのは、今回が初めてだった。

『唐三彩鳳首瓶』 派手な飾りが全て別に仕立てられて貼り付けられたものとは、今回の解説で初めて知った。よく貼り付いたままでいる、と違う感心をした。

絵巻が出ていた。
『高野大師行状図』 嵯峨帝のおん前に、帰国して密教を広めようとする空海がいる。
かれをやり込めようとするのは天台宗、南都六宗の高僧たち。
ところが空海はその場で大日如来に化する。それを目の当たりにし、畏み、瞬時に平伏する帝と、感激のあまり泣き出す雑色たち。高僧たちもわっとなる。
しらけているのは三人の太政官。こういう細かい描写が面白かった。
彩色も鮮やかに残っている。帝のそばの襖は墨絵で馬の絵が描かれている。

こちらは奈良絵本。曽我兄弟の物語、3冊出ていた。
それぞれ時間の推移のわかる3つの情景。

(兄弟の母・満寿は曽我氏に再嫁して、次男の五郎を仏門に入れようとしたのに次男は寺に入らず兄十郎と共に仇討ちすると言う。母は怒って勘当する)
・兄の画策で五郎の勘当も解け、二人は別れの宴を催す。十郎が笛を吹き、五郎が舞うのを見守る母。
(狩の後、兄弟は工藤祐経の寝所に忍び込み敵を討つ。兄はその場で落命し、弟は後日処刑される)
・工藤の寝所にはややこしいことに、護衛なのか隣の布団(掛け布団ではなく衾)に男がおり、足元には側仕えらしき女二人が眠る。みんな寝巻きを着ていないのは古様。刺されて跳ね起きる工藤。血しぶきがある。
(兄弟には弟がいるがこれは出家して伊東禅師と呼ばれる。兄二人の快挙を聞き出遅れを羞じて切腹するが止められる)
・戸板に乗せられ頼朝の前に引き出される禅師。共に討ち入りたかった、と言う。

奈良絵本らしく色刷りも煌びやかで、惹かれる作りだった。京都書院が奈良絵本の優品を書籍化していたが、そこにはなかったと思う。
室町頃から成立し始めた奈良絵本は大事にされて今も伝わっているが、手にとって読む、と言うわけにはいかない。少しのシーンでも見れて嬉しい。

『賢愚経』が出ていた。以前聖武天皇直筆の賢愚経を見ている。これはそうではない。この料紙は灰色で当初骨を交ぜた荼毘紙と見られていたが、今ではマユミ紙だと判明している。字はわかりやすかった。

天目茶碗もあった。やはり可愛い。ここには多くの天目茶碗が所蔵されている。そういえば道後温泉の二階の休憩場所へ上がると、坊ちゃん団子と共に天目茶碗でお茶をいただける。
二度ばかり行ったが、のんびりした気持ちになれた。

美術館の庭を眺めると、池にスパティフィラムかカラーらしき白い花が咲いていた。わたしはあの水芭蕉の親戚のような花が好きだ。
モダンでシンプルで。
それを眺めてから機嫌よく別館へ向かった。

別館は20mほど先にある、金属とコンクリートで作られた、オリエント絨毯専門の美術館。渡されているチケットを見せて、見学する。
今期はトルコ絨毯をメインにした展示。
私の一番好きな絨毯はなかったが、なかなか見ごたえがある。

コーカサスの絨毯で赤地に馬が飛ぶのが眼を惹いた。コーカサスと言えばすぐに旧ソ連の映画監督パラジャーノフの『コーカサスの虜』を思い出す。

生命の木の信仰は世界に遍く広がっている。稗田礼二郎の探究にもあるとおり、神話の時代から昔話に至るまで、それは根を張っている。
一本の木を真ん中に置き、対照として小鳥、花、ライオンがいる図像。織り方の技能から来る対称面としての生成だけでない、何かがある。

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シンメトリーは美しい。ペルシャ絨毯には特にそれが顕著だ。ライオン、孔雀、猿、馬、兎、犬に追われる鹿、小鳥。
イスラームの楽園思想。パラダイスの語源はペルシャ語の「閉じられた庭園」から来ていることを、改めて思う。

唐草文様で空間を埋める。ペーズリーもある。モスリムは平和なときにはこんな美しい造形を生み出していたのだ。
チューリップの原産地はトルコだったはずだ。
チューリップとカーネーションの図像もある。ただし原チューリップなので頭に浮かぶイメージとはやや異なる。

花瓶つなぎは中国から入ったらしい。とても可愛い。
巨大な薔薇を綴ったものもある。
基本的に赤地が多いが、一枚だけ藍色をメインにしたものを見た。珍しいと思う。

ところでトルコ絨毯。
コンヤを産地とした絨毯で眼を惹くものがあった。
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昔のインベーダーゲームを思い起こさせる図像。そして幾何学文様の中に<王>や<圭>などにも読めるような文様が入っている。
面白かった。
コンヤと言えば神秘主義の旋回群舞がある。少し前、青池保子の人気コミック『エロイカより愛をこめて』の中でコンヤのそれとトルコ絨毯などが扱われていた。取材をよくする作者だからトルコ絨毯とビザンチンとペルシャ絨毯の違いまでさりげなく絵の中に取り込んでいる。展覧会を見てから改めてコミックを読むと「わー」となる。
確認できたことが嬉しかった。

面白い展覧会も来月初めまで。

北京故宮博物院展

難波の高島屋で、北京の故宮博物院の文物が来ている。
清朝末期の宮廷芸術と文化と銘打って、西太后から清朝最後の皇帝・溥儀の愛用品などが展示されている。
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西太后が政(まつりごと)を行った「垂簾聴政(すいれんちょうせい)の間」を復元するほか、きらびやかな衣装や宝飾品から溥儀の自転車や眼鏡などもご覧いただけます。清朝末期の宮廷芸術と文化に触れるだけでなく、中国の近代史にも親しむことのできる絶好の機会に、ぜひご来場ください。

とのことだ。
この展覧会は去年の同時期に京都・えき美術館で開催されていたものの巡回展だが、この先どこへ行くのか・終わりなのかは、知らない。
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わたしは平日の夕方に出かけたが、意外なくらい男性客が多かった。
普通デパートでの展覧会は圧倒的に女性が多いのだが、ここでは半々くらい。資料は読み応えのあるもので、やや専門的な内容だった。
それがまた大変に面白い。
これは多分図録からの再録をパネル展示したと思われる。

明から清へ移行した時代と言えば司馬遼太郎の最後の小説『韃靼疾風録』を思い出す。そして清朝末期の宮廷と言えば映画『西太后』や『ラストエンペラー』が脳裏にありありと浮かぶ。
歴代皇帝の肖像画が並ぶ。朝服を着た正面向きの肖像画。これは最近見た映画『ハンニバル・ライジング』でパリに住むニホンジンの叔母レディ・ムラサキの屋敷に飾られていたのと同種のものである。
ただしこちらは肉筆画、あちらは知らない。
皇帝たちは高貴な色・黄色の朝服をまとっている。皇帝の印たる龍を刺繍したものを。

清朝中期の華やかな時代の皇帝・乾隆帝の愛したヨーロッパの文物を見たことがある。からくり時計など。そのとき琺瑯製の美しい鉢や小物を見たが、ここにもそれらが並んでいた。いずれも蝶が花に群がる図像。
エナメルの綺麗な文物はレトロモダンな味わいがある。

チラシにある『洋瓷桃式九子十成盒』 大きな桃の蓋の中に大小合わせて九つの桃の入れ物がある。可愛い。中にピーチタルトがあれば、無限の思想になる・・・
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国庫を傾けてまで奢侈を極めた西太后遺愛の化粧品や見事な衣裳などを見る。西太后は化粧は自分を喜ばせるもの・健康は自分のためのもの、という強い意識を持っていたので、自ずから発想が他の女たちとは違う。
異性を喜ばせるための化粧ではない、と言うのがすばらしい。
自分が嬉しいから化粧をするのだ。
西太后はその信念で以って恐ろしいような化粧を続けた。
その資料を読む。真珠を砕いた粉や栄養クリームなどを塗り重ねて、晩年まで肌は柔らかいままだったという。
すばらしい。
やはり基礎化粧はしっかりと丹念になされねばならない。
生きれば生きるほど、それは必要なのだ。
そして外国から購入した化粧品や香水の瓶もそこにあった。

両巴頭リャンパトウという髪型の満州人の貴婦人たちは、髪飾りにも独自の美意識を見出している。
チラシにある『銀鍍金嵌珠五鳳鈿子』 トルコ石や玉などが、満艦飾に綺羅に、さざめいている。
他に可愛いものも見た。玉兎のついた簪。玉兎は月の女神・嫦娥に仕えているので、これは縁起物なのだった。

見事な刺繍で彩られた靴もあった。纏足されているので靴は小さいが、台がついている。これでヨチヨチ歩いたのか、輿で動いたのか。

こちらは西太后がお気に入りだった衣服。
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不思議な薄紫色で蝶の刺繍が綺麗だ。こういうのを蝶衣というのかと思った。この色は『雪青色』と言うそうだ。

完全再現された垂簾聴政の間を見る。
こちらは京都展でのチラシ。これがその空間。
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映画と同じだと思った。わたしは上海には行ったが北京は知らない。
映像の中でしか皇帝の生活を知らない。
椅子は目白の永青文庫にも同種のものがある。
あの椅子の来歴は知らない。
豪奢な、ただただ豪奢な空間。


中国の不可思議な伝統について色々と考える。
纏足、宦官、満漢全席、面子、阿片・・・
宦官についての資料なども比較的詳しくあり、この展覧会はなかなか興味深い作りをされている。

最後の皇帝・溥儀の遺愛の品々の展示に移る。
映画『ラストエンペラー』で見た数々のエピソードの実物が、そこにあった。
英国人教師レジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥールが素敵だった・・・)の教育を受ける溥儀。
眼鏡、自転車、おもちゃ、数々の遺品たち。
自転車はなんでも紫禁城の至る所に置かれ、行く先々で乗り回していたそうだ。映画の中で、溥儀は嬉しそうに自転車に乗っていたが、その後「ここから出たい」と叫んで屋根の上にあがる。永遠に続くかのような紫禁城の瓦。
そして少年溥儀が「あれ?」と目をこすり、初めて近視だとわかるシーン・・・。
満州語の読み書きより英語の方が上手に操れたというエピソードも納得できるものだった。
ここには溥儀の書いたノートが展示されていた。

そういえば今年の始め、大倉集古館で溥儀の描いた花鳥画を見ている。
漢字も絵も綺麗だと思った。

激動の時代を生きた文物たち。
たいへん面白い展覧会だった。大阪では明日まで。
その後は北京に帰るのだろうか。



名碗と水墨画



大阪の藤田美術館で『名碗と水墨画』展が6/3まで開催されている。
藤田男爵が父子二代に亙って蒐集した名品ばかりである。
この世に三つしかない曜変天目茶碗の一つを所有しているので著名な美術館。

基本的に古美術が好きなので、機嫌よく出かけた。
今回、ガラスケースの壁に水墨画が掛けられ、その下に茶碗と、その天目台などが置かれている。

鼈甲手天目茶碗 南宋 鼈甲手というだけに飴色の釉薬が黒地と縞になっている。これはぬめるような光り方を見せていた。
天目台は堆黒でクルクルの文。以前はこのくり型が古臭く思えたが、今は大胆な柄だと意識が変わっている。

李白観瀑図 馬遠 南宋 酒飲みの詩人は風流好みで、滝を見に出かける。それを後世の絵師たちは好んで画題にする。
団扇型の空間にコンパクトに収まった、なかなかいい絵だった。

兎毫盞天目茶碗 南宋 兎の毛みたいな細い線の入った茶碗。禾目。褐色の細い線がすばらしい。しかしこうして眺めると、銀色に光っている。不思議な眼の錯覚がある。

江岸閑鴎図 祥啓 室町 岸に松が生えている。鳥が眠っているらしい。しかしどこにいるのか、ついにみつけられなかった。

玳玻盞天目茶碗 南宋 見込みに鳥と梅花が印じられているが、その形がはっきりしているかと言えばそうではない。見る眼によっては違うものにも見える。

珠光青磁茶碗・銘 青簾 南宋img998-1.jpg

「夏に涼しからむ」と名づく、と九条尚実がつけた銘・アオスダレ。なるほどその風情がある。夏に懸命に働く青簾も時期を越し秋になれば、ややみすぼらしくもなるが、盛夏のときは青く清々しい。

寒山拾得図 伝・梁楷 南宋 持ち物がないのでどちらがどちらかはわからないが、一人がもう一人の肩に手を掛け、どこかを指し示している。その先に何があるのか・何を意図するかもわからないが、この二人がニコイチなのがよくわかる。実際には後にどちらかが先に命を落とすのだが、描かれた二人はいつも一緒だ。

砧青磁茶碗・銘 満月 南宋img998-2.jpg

あまり砧青磁は好きではないのだが、これは可愛い茶碗だった。口べりに金覆輪を回しているのがいいアクセントになっている。上から見ればこの金の輪が満月の輪郭となり、見込みが月の地になる。しゃれた銘だと思う。

山水図 伝・蛇足 室町 蛇足の血脈を継いだ、と宣言する蕭白の作品は数々見てきたが、その蛇足の作品を見る機会が少ない。なるほどこれか、と思いながら見る。作品より表装に関心が湧いた。上下が葡萄柄だった。武家系から来たのか、藤田男爵がそれを求めたのか・・・。

祥瑞沓形茶碗 明 口べりの内側に瓔珞文様がある。瓔珞文様も描き方によってはアールヌーヴォーにも見える。わたしは文化の爛熟期が好きなので、この茶碗の形になんとなくそれを見たような気がした。

油滴小天目茶碗 金img998.jpg

これは掌に納まるような可愛い茶碗で、口は反っている。メタリックシルバーのようで渋く煌く。天目台は青貝の細工がされているが、とても愛らしい。賞玩するのに一番良いサイズだ。

高麗青磁茶碗 高麗 翡色の青磁。わたしが一番好きなのは高麗青磁なのだ。

本手御所丸茶碗・銘 藤田 李朝 御所丸茶碗と言うのは結局、日本から発注して海の向うで作られた製品なのだ。

朱買臣 伝・蛇足 室町 薪売りから太守に出世した説話の人。

柿蔕茶碗・銘 大津 李朝 確かに柿の蔕のような感がある。大津で手に入れたからその名がついたそうだが・・・

桃樹下魚籃観音図 伝・小栗宗湛 室町
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とにかく観音と言うのは多くの場合女人像で描かれるものだが、この観音は女とも男ともつかぬ不思議な描かれ方をしている。
お茶の水博士のような不思議なヘアスタイルに、にんまり微笑。

刷毛目茶碗 李朝 箱書きは遠州。

青井戸茶碗・銘 蝉丸 李朝 こちらは見込みに刷毛目がないので、それで蝉丸の銘がある。

曜変天目茶碗 南宋 以前は懐中電灯が置かれていた。今回はない。
平日の朝だからか、わたし一人しかいない空間に、薄暗くライトアップされた茶碗が光る。
凄まじい煌き。四方から眺めて回る。この世にただ三つだけの寶。
そのうちの一つと対峙する。たった一人で。
背筋が寒くなるような煌きがある。
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御所丸黒刷毛茶碗・銘 夕陽 李朝 これも朝鮮に発注して取り寄せた分。

是閑唐津茶碗・銘 秋月 江戸 箱書きに不昧公が書いている。「心あれば今夜は海士の焚く火もたゆむらん 秋の月は見るべき」 風流だ・・・しかし秋の月の美は古来から知られているが、春の月と言うのも、物凄いような魅力がある。特に彼岸過ぎから四月の桜の頃の満月など、黄金色に輝き、月に照らされるだけで粟立つような喜びがある。 
秋の月には静かな喜びがあるが、春の月のような狂気は、ない。

斑唐津沓形茶碗 江戸 見込みに海鼠釉の発色がある。それで斑。唐津焼にはこんな魅力がある。

渡宋天神図 江戸 普通は渡唐天神と称される図像。菅公が梅を持って中華風な装い(とまでは言わぬが)で立つ姿を言う。一夜のうちに中国に渡ったという伝説がある。この図像は正面顔と決まっているが、きょとんとした目をしているのが妙に可愛い。
菅公は平安中期の人なので、中国では丁度唐代の終末頃生きたことになる。
何故タイトルが宋なのかがちょっとわからない。この絵が成立した時代は江戸時代だから、明から清にかかるのだ・・・こだわることもないか。

古萩筆洗茶碗 江戸 古萩というのは、開窯間もない頃の萩焼なのでそう呼ばれる。筆洗に似た形の茶碗。萩焼は使い込めば込むほどいい味わいの色合いに変わるというが、これがそうかは知らない。

御室透茶碗 本阿弥光甫 江戸 透かしは高台にある。どうやって作ったのだろう。

山水図屏風 伝・蛇足 宮か寺のような建物がある。道観ではないと思う。どうやら人気スポットらしく、茶店もあり、観光客もいる。山水図でもこうした人々のいる絵が好きなのだ、わたしは。

画帳仕立ての作品がある。いずれも室町時代の絵師の山水画。
それらを金粉の散った帳に丁寧に貼り付けている。

山水図 相阿弥 室町 川を行く牛の背に乗る。橋と鳥と行く舟が小さい。雨後の景色。
山水図 雪村 室町 月下に牛を引く人がいる。静寂な画面。
山水鳥獣図 玉楽 室町 松に雀、中国の丸顔の猿、岩にとまる鳥、滝には人。

いずれもいい作品。

白天目茶碗 室町 この世に四つしかないと言う。珍しい白の発色。貫入がなんとも言えず綺麗。肌に無数の罅が入ることの美を強く感じる。

赤楽茶碗・銘 小町 ノンコウ 江戸 大好きなノンコウ。
筒型で可愛い。

黒楽茶碗・銘 まこも 長次郎 江戸 厚手のいかにも長次郎、な作。わたしの手首では持ち続けるのがつらい。

菊花天目茶碗 室町 遠州蔵帳にも記載されていた逸品。
天目台も菊花らしき彫り。

ほぼ一人でこれらを存分に楽しめた。
古美術と対峙するには、丁度そんな空間がよいのだろう、きっと。

どこかで何かを楽しんでいる

どこかで何かを楽しんでいる。
特別展の開催されているミュージアムに行き、それを楽しんでからは必ず常設室に足を向ける。
時々、目玉の展覧会より常設のほうにピカッと輝くものがあったりするので、訪問をやめることは出来ない。
高を括ると必ず報復があるものだ。

挙げるのは、京都文化博物館、大阪市立美術館、府中美術館、埼玉近代美術館、夢二美術館の常設(企画)展である。
そして三月に心斎橋で見た足立美術館展が神戸に巡回し、それを再訪して、新たに感じたことも併せて書く。

お母さんといっしょ 浮世絵に見る母と子の情景

お母さんといっしょ。
母の日にピッタリのタイトルだが、これは母と子のいる情景を描いた浮世絵展のタイトルなのだった。
千葉の鳥居清長展を諦めた私は、ららぽーと豊洲にあるUKIYOE―TOKYOに出かけた。
ここのことはいづつやさんに教わったのだ。
チラシがあるので100円引き。所蔵先は平木浮世絵財団。
ああ、という感じ。平木は大昔、銀座でリッカー美術館という浮世絵専門美術館を開いていたが、その後横浜そごうに移り、そして今はここに来たのか。
もう流転は終わってほしいと思った。
(しかしここは公文のミュージアムらしい)
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チラシを見ると、歌麿の母子像が二枚出ている。
歌麿は母子像を多く描いた。それには色々な理由もあるが、しかし手遊びではない。

チラシ右上の母子は『さわき好』 幼いおてんば娘がお母さんの耳元でペコンッペコンッとボッペン(ビイドロ)を吹き鳴らす。
わかるなぁ。わたしも長崎に修学旅行に行ったとき購入して、母親の耳元でペコンッペコンッとやったもんなぁ。(グーでアタマをぐりぐりされたが)

左下の子供のまといつき方も可愛いものだ。しかしハサミが落ちているままなので、気をつけなくてはいけない。

『三番叟』 江戸の人間はとにかく三番叟が好きだったらしい。今でも新開場などや杮落としには三番叟が出る。(出なくてはならない)
弟にそのかっこをさせ、手足を動かす兄と、三味線を弾く母。江戸時代は明治と違い、家内で遊芸ごとを楽しむ風があった。それにしてもこの母親は随分美人だ。

『夏の宵』 母の支度したらしい回り灯籠を子供が楽しんでいる。回り灯籠の絵は鳥居と狐ニ匹。母親とその妹らしき若い女と、赤ん坊。
盆の頃、昔は回り灯籠を楽しんだが、今は面倒なので出しもしなくなった。

『夢に魘される子供と母』 オバケの夢を見ている子供の表情がリアルだ。
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これを見て思い出した。私の甥はせなけいこの『おばけ』絵本を読み聞かせられて、時計が怖くなったそうだ。時計が九時を廻っても起きている子供はオバケの国に連れられて行く話。私には大好きな絵本だが、幼児には恐怖なのだろう、時計を見ると震えている。
「時計」と言う言葉そのものにぎゃっとなる。
何故かわたしは『大きなのっぽの古時計』が歌いたくて仕方なくなってきた。
♪大きなのっぽの古 そこで「時計」と続けずに放送禁止用語を隠すときの擬音<ピーッ!>を入れた。だからこんな歌になる。
♪大きなのっぽの古ピーッ!おじいさんのピーッ!おじいさんの生まれた朝に買ってきたピーッ!さ 今はもう動かないそのピーッ!・・・
チビに随分うけた。
口もまともに廻らないくせにナマイキに自分もピーッ!を連発する。
帰宅した後も興奮してピーッピーッ!を連発するので、父親が不審に思ったそうだ。
・・・しかし数年後、意味のわかった甥はくら?いキモチになるかもしれない。ははは。

春信『布袋』 布袋が唐子と遊ぶ図は浮世絵以外にも多く見てきたが、ここの布袋はこれまた面白い。寝転んだまま布袋は赤ん坊をタカイタカーイする。
そのそばで笑う母親。
思えば布袋は変なおじさんで、巨大な袋を担いでハイカイしていたのだ。
子供は変な人を面白がる傾向がある。
その袋に子供を詰め込まれては困るが、異形者は子供にとって近しい存在なのかもしれない。(また思い出した。友人の甥っ子は布袋像を怖がっていたのに周囲は逆に好きだと勘違いして、その子の前にいつも布袋像を据えていたそうだ)

市井の母と子だけではなく、物語の母子の絵も並ぶ。
広重、芳艶、周延と個性も時代も異なる絵師たちによる競演が見られた。
常盤御前の放浪である。
広重のそれは『義経一代図会』の発端。
常盤御前が三人の幼子を抱いて山中を放浪する憐れな情景。これは御伽草子にもなり、奈良絵本にも見受けられる。
わたしの持つ絵本『牛若丸』冒頭にもそのシーンがある。
雪にまみれた道を美しい上臈が必死で幼子らを連れて彷徨う・・・
憐れな情景。

国芳は『賢勇婦女鏡』に常盤を描いている。楕円型の囲みに常盤御前の肖像を描き、その周囲を椿を取り囲む。
江戸庶民はみんな義経が好きだったのだ。

『源氏雲浮世画合・早蕨』 今度は政岡と千松を描いている。これも憐れな話で、子役が「腹は減ってもひもじうない」と声を張り上げるのを聞くだけで、胸が詰まる芝居だ。
主君に代わって刺し殺されるわが子を前に、政岡は涙一つ浮かべてはならない。
そして一人きりになってから「よう死んでくれた」と嘆くのだ。
これや『寺子屋』で、やはり身代わりに首落とされる子供を思うと、何度見ても可哀想で胸が苦しくなる。わかっているのに何度でも見に行きたくなる。

同じく『柏木』 これも芝居の情景。人形浄瑠璃の方が頻度が高いと思う。巡礼お鶴と母お弓の話。母を捜すお鶴にそうと名乗れぬ母お弓。
しかしこの絵で一番目が行くのは、実は人間たちより、彼らに関係なくゴハンを食べる猫なのだった。

『帚木』 書いてあることがいい。「千本の忠信は男狐をよく遣ひ、信太杜の葛の葉は女狐を主とせしなり」寝る子の枕屏風の向こうに立つ母の影は、障子に映ると狐となる。
憐れにも床しい物語だった。

しかしシリーズが変わり『准源氏教訓図会』になると『空蝉』はこうなる。蝉取りの子と母。
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画中のタイトル文字の横に源氏香の空蝉の印が書かれていて、なかなか手が込んでいる。戯作者・柳下亭種員の賛が入る。『偽紫田舎源氏』の柳亭種彦の一つ下の人らしいが、実は作品を私は知らない。しかし国芳と組んで色々な作品を残しているのは確かだった。児雷也あたりを書いているかもしれない。

國貞『初めて髪を結うてもらう』 娘の髪を結い上げようとする母。なかなか大変そう。娘だってたいへんなのだ。いててててとも言えない。

明治21年の芳年の母子絵がこわい。これは何とはなしに漱石の『夢十夜』のエピソードを思い出す。にんまりした母の腕の中の赤ん坊。睫毛が長い。しかしこの子供は青坊主。
芳年が「大蘇」を名乗ってからの作品だと思う。

石川淳『至福千年』の中でこんな台詞がある。「おいおい、子供に英泉ゑがくの草紙なんぞ毒だぞ」その英泉ゑがく『草紙を見る母と子』がある。
母が子に読み聞かせするような、草紙だった。
亀の帯に屏風はガメラ風。
一方で、『とみが関の富士』 ちょっとあれな本を開きつつある母親のそばで、子供が金魚鉢をひっくり返している。不機嫌そうな金魚たちの顔つきが面白い。

国芳『見立て忠臣蔵 九段目』 芝居の番付を見るのに熱心な母は、立版古を切り抜きかけたまま忘れている。これこれあんた、な図。

『当盛娘かた気』 お姉ちゃんが障子張るのにバァッな子供。手首の括れが可愛い。
大阪弁で言う「じゃましんしやる」のが愛らしい。
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去年太田記念で山本昇雲の展覧会があり、そこで多くの子供遊び図を見たが、一枚出ていた。お雛様の時期。子供が狐面を付けて手を狐手に曲げている。母親は「おお、コワ」と威かされて見せる。

なかなか面白い展覧会だった。
イキイキした子供らの姿が楽しい。

ところで母の日なので、わたしは今日母親を連れて焼肉に行きます。
ではまた。

ブルーノ・タウト展

ブルーノ・タウトと聞けば大抵の人は言う。
「桂離宮をほめた人でしょう」
少し詳しい人ならこうも言う。
「バウハウスの人で、熱海の日向邸が最近一般公開されましたね」
そしてもっと詳しい人はこう言うだろう。
「宇宙建築師、アルプス建築家です」
ブルーノ・タウトは建築家として、様々な側面を見せてくれたのだった。

月末まで外苑前のワタリウム美術館で展覧会が行われているが、それ以前は’94に京都国立近代美術館で『宇宙建築家ブルーノ・タウト』展が開催されたことくらいしか思い出せない。
当時既に多少の知識はあったので、機嫌よくタウトの展覧会に向かった。
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('94のチラシ)

それから暦も一回り以上動き、今またこうしてタウトの思想や残した仕事に再会している。
タウトが桂離宮を絶賛した言葉を抜粋しようかと思ったが、やめた。
しかし数年前自分が実際桂離宮の庭園に立ったとき、その文章が頭の中に流れ出していて、深い納得があった。
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バロックもゴシックもマニエリスムも好まなかったからこそ、タウトはこの桂離宮を絶賛し、陽明門をけなしたのだ。
わたしはブルーノ・タウトという一個の人間には関心も好意もあるが、その仕事には少しの距離を置いている。
彼は多分、伊東忠太も渡邊節も認めなかっただろうと思う。
わたしは、装飾過多の建造物に、深い愛着がある。

会場の中に色ガラスで構成されたグラスハウスの模型があった。
久しぶりに見る。
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これは頭頂が尖っているが、大阪南港にある『なにわの海の時空館』を思わせるものだ。
そして模型のそばに置かれたフルカラーの四角いアクリルガラスたちをみて、わたしは明るく笑ってしまった。
‘94の京都での展覧会では併設のカフェで、このガラスをイメージしたデザートが展覧会期限定で売り出されていたのだ。綺麗なガラスはゼリーに化り、水中を思わせるようなブルーソーダの中に沈んでいた。そのことを思い出して、私は嬉しくなったのだ。

ワタリウムではタウトの膨大な書簡や書いたものをまるで寺院の幡のようなものに延々と転写して、それをいくつも吊るしている。ただの装飾ではなく、読むべき資料なのである。
読む。
その行為が途中でいやになるほど、濃密で率直なタウトの言葉。
タウトはキッチュと言う言葉を<いかもの>と置き換える。自分が見てキッチュ・俗悪だと見做したものはすべて<イカモノ>である。
洋画家・和田三造の美意識を疑って、彼までもイカモノ扱いにするのは、面白いを通り越してしまうが。

タウトが日本滞在中に計画した仕事を見る。
その中に一つ、個人的に笑い出したくなったものがある。
生駒山の都市計画。
これはと関東の方にはわからないことなので簡単に記すが、今現在、生駒山はたいへんな問題で揺れている。土地ころがしで、議長が逮捕されたり業者が逮捕されたり、市が家宅捜索されたりしているのだ。それを知る関西人のわたしは、おかしくて仕方ないのだった。

一方アルプス建築。
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これは架空建築の画集である。幻想都市計画と言うべきか。
アルプス建築・星の系。1919年にタウトはこんな綺麗な図を描いていたのだ。
そして翌年にはこんな絵を。なるほど表現主義だ。

タウトは色彩とシンプルな形に拘ったが、装飾性を排除・・・とまでは言わないが、装飾に冷たい目を向けていたように思われる。
彼の作った集合住宅写真を見て、資料も何も考えずにいても、そう思う。
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ところでわたしが見た’94年の展覧会だが、それは平安遷都1200年記念展の一つで、同日わたしは都市計画の先輩に当たる『大唐長安展』、『蘇る平安京』そして『日本洋画壇三大巨匠』を見ていた。
今になって思えば、タウトの都市計画より、大唐長安や平安京の都市計画の方が私の好みに合うのだった。
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タウトの建てた集合建築。

石川淳の初期の小説『白描』にタウトをモデルとしたクラウス博士という故郷喪失者が現れる。
石川淳の精神の運動による視線だけでなく、戦前知識人の<ブルーノ・タウト>への視線が、そこで多少とも伝わってくるような描き方をされている。
長らく読んでいないが、久しぶりに読みたくなって来た。
それにしても、先日見たばかりの『ハンニバル・ライジング』のハンニバル少年の父・レクター氏と彼はよく似ている。

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日向邸。同じ熱海でもわたしは派手な起雲閣しか行っていない。

ワタリウムでの展覧会は、彼の書き残したもの・資料を多く見ることが出来て、たいへん有意義だった。

茶道具と付属品

茶道具が好きだ。
しかし実際の茶会には出ない。
手順を間違えないかとか嫌いなお菓子が出たら困るとか、そんな理由ともいえない理由で。

茶道具を眺めることが好きだということは、観念的な茶会にしか出席できないことになる。
現実に茶碗を触ったり、茶杓の竹の感触を指が知ることもない。
大西清右衛門の釜がとか芦屋がとか、眼で見る喜びしかない。

泉屋分館で茶道具の展覧会が開催されている。
これは十五世住友春翠の愛した茶道具などを集めたものだ。
春翠は西園寺家から養子に来た人で、近代の住友家を大きくした人だ。
企業メセナの先駆けとして、中之島に大阪府立図書館を建物から何から寄贈してくれた。
大阪の地で住友は生まれ育ったからか、それから数十年後には安宅コレクションを一括購入して、大阪市に寄贈してくれた。東洋陶磁美術館の根幹を成す名品は、そうした経緯で成り立っている。(美術館には現在、他に李コレクションというすばらしい寄贈品もある)

その始まりを作った十五代目住友吉左衛門(春翠)の茶道具を眺める。
茶碗とそのお仕覆、そして箱だけでなく全体の外箱まで展示されている。
これはなかなか珍しい展示だと思う。
わたしは何が好きと言うても、茶碗だけでなくそれを包むお仕覆が好きで好きで仕方ない。
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小井戸茶碗・銘 六地蔵 小堀遠州が宇治の六地蔵で手に入れた茶碗、と言うのが名の由来らしい。見込みに□や台形のほころびが見え、それがなかなか可愛い。
お仕覆は東インド会社のVOCマークが入っている。縹色の地に金色、素敵な色合いだ。
(チラシの上と下)

伯庵茶碗・銘 宗節 外側の釉薬の流れ方が、まるでローマの水道橋のように見えた。
お仕覆は白地紅地卍繋地釘抜文片身替。
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宗長 黒漆塗中棗 紹鴎間道のお仕覆は実にしぶい。細い縞。こういうのがまたいい。
一閑張棗のお仕覆は吉野間道。アンデスの染織を思い出す。

わたしは着物は友禅など派手なものが好きだが、お仕覆はシブいものが好きなのだ。

可愛いものを見た。
青磁桔梗香合 上から見るとちゃんと五つのツノがある。☆の花。この形に合わせたお仕覆もいい感じだ。外箱は鼈甲仕立て。贅沢な造り。

染付張甲牛香合 交趾香合などでは牛が蓋に寝ているのをよく見るが、染付の牛も可愛い。
このお仕覆は縹地七宝文緞子。小さくて可愛い。
時々自分でもお仕覆を作りたいと思うが、思うだけで終わっている。布の選び方一つにしてもなかなか難しい状況にあることを感じる。

唐物黒漆塗青貝芦葉達磨香合 蓋に芦葉に乗る達磨がある。
チラシになった分。青貝が薄く光る。
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なにか書いている。『一箇 身是何者』なかなか深い言葉だ。
解説によると、足利義政が相阿弥に下絵を描かせたと伝えられる。
現に箱にこんなことが書かれている。
「南都漆工令造云々・・・」南都は奈良。
奈良の漆工芸は古代から続いている。
少し前に『美の壷』でもそんな特集があったのを思い出す。
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これはいちご錦というが、それがよくわからない・・・

大津手茶入・銘 打出 打出と聞けば一寸法師ゆかりの打ち出の小槌を思い出したり、芦屋の打出を思ったりする。この仕覆は住吉緞子、つまり△△△の連なりで鱗文なのだ。そして挽屋の袋はなめし皮。なんとなく面白い取り合わせだと思う。
付属品は当初からのものもあれば、後から後から追加されるものもある。
それぞれその当時の所有者の趣向や嗜好にあわせたものである。
それを踏まえて、改めて向き合うと、新しい楽しみも生まれてくるのだった。


ところでここで一つ怖いことがあった。
別にホラーでも言いがかりでもなんでもないが、怖いものを見たのだ。
丹波茶入・銘 山桜 これを見ていた。何がどう『山桜』なのかといえばその箱のぐるりに蒔絵で山桜が散っているのだが、これを見ているときに怖いものが来た。
母と小学生くらいの息子。走りながら母が息子に解説をする。息子はそれを反芻し、納得する。
する、だけ。何も見ていないと思う。目に入れてるだけ。
5秒もいない。
・・・・・・人の事情だから何にも言わないけど、ええのか、それで。
息子もナゼその言葉を反芻するだけで、ものも見ないで行過ぎるのか。
なんだかたいへん怖かった。

毒気を抜かれてから(?)再び眺める。
嬉しいことに名物裂鑑があった。布を貼り付けてあるノートと思ってほしい。わざわざ丸や三日月形に切ったのもある。こんな手本を見るのは大好きだ。更紗もある、清水裂もある、時代富田もある・・・

仁清の唐物写19種茶入 これがカワイイの何の・・・!無論付属品たちも可愛い。それぞれお仕覆も異なる。中にはヴィトンのようなものや、梅花の柄がみえる。
全員集合しました、と言う感じ。


染付荘子香合 字面だけで「これか」とピンと来られたら、嬉しい。そうです、荘子だから胡蝶の夢。
四角い小さい香合で、蓋にそっと蝶がとまっている。描いたのではなく盛り上がりが見えるから、成形から蝶なのだ。色は呉須に近いほどの薄さ。好きなタイプだ。

高橋箒庵の茶杓がある。銘は東山。鈍翁、耳庵らと同じ世代の実業家茶人。
「拙作茶匙陶庵公 銘曰 東山 野竹生光乃有馬贈住友春翠男々請 笑受之 大正乙丑初冬」
綺麗に二色に分かれた茶杓だった。

いいものを見て気分がいい。
この後わたしは大阪に帰り、藤田美術館と逸翁美術館とで、名茶碗を眺める予定がある。
ただただ嬉しい気持ちで、泉屋分館を後にした。

狩野派誕生

大倉集古館で栃木の狩野派と言う展覧会が開催されている。
数年前には館蔵の狩野派展もあった。
そう言えば板橋では『これが板橋の狩野派だっ!』展があったそうだが、そちらには行けなかった。
狩野派も京都に残ったままの狩野派と江戸の狩野派と分かれているから、それぞれ違う方向に進んだ。
(たとえ粉本の模写が約束であっても)
秋には京博で狩野永徳展が開催される。
狩野派の最後といえば『悲母観音』の狩野芳崖くらいしか思い出せない。
狩野派の血脈はどうなったのだろうか。

末裔のことはともかく、始祖は栃木つまり下野の国から出てきたそうで、初期狩野派の作品が栃木県立博物館にコレクションされていて、それが大倉で公開されているのだ。

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チラシは花鳥図屏風で、絵師の名前は伝わらない。
日本の景色なのかどうかもちょっと微妙に疑いたくなる。オリジナルの絵なのか、手本から描き起したのかも知らないが、この絵はなんとなく観念的な情景だと感じた。
現実にないからそう思ったわけではなく。

観客はなかなか多い。皆さんマジメに見ている。わたしもマジメに見ているのだが、なんとなく重苦しく感じる。
絵師もマジメに描いていたのだろうが、逸脱を許されないというのも、つらいものだと思った。

狩野秀頼『布袋図』 布袋というのは奇妙な存在だと改めて感じる。普段はタダの腹を突き出したにやにや笑いの変なおじさんというだけなのが、ここにある作品を見ると、布袋とはインドや中国でないと生まれ得ない存在だと実感する。間違ってもキリスト教圏には生まれることのない存在。
奇人・変人も度を越すと聖者になるのだ。この思想はひどくアジア的・仏教的だと思う。

布袋にも寒山にも負けない変な聖者がまたもや現れた。
可卜『懶瓉和尚図』 これも変な和尚の逸話で、それを扇面に描いている。

正信『観瀑図』 まっすぐに落下する滝は墜落地点で濛々と湧き出でる。それを眺める高士。
大抵この場合は李白と相場が決まっているのだが、ここにいる彼がそうかどうかは知らない。
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神農や渡唐天神など見慣れた作品の他に、伝・雅楽之助で『廿四考図屏風』があった。
六曲ニ隻の屏風に一扉につき二枚の図が貼られている。
畝に現れる象、冬の筍、老親の前で子供の格好をする(これも老いた)息子、酒を体にまぶして蚊を集める男、姑に乳をやる嫁、鹿の皮をかぶる男・・・
さすがに『本朝廿不孝図』は見たことがない。

興以『月下猿猴図』 中国の丸顔の猿。手を伸ばして月を取ろうとする。可愛い。手のまっすぐさがいい。これは日舞的な手の伸ばし方ではなく、ダルクローズだと思う。
中学生の頃、習字を習っていたが、やめる直前に書いたのは『猿猴月取』だった。
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どうも華やぎが足りないから、わたしのような遊楽図好きな者には息苦しいのだろうか。

久隅の娘・清原雪信『玉津島』 さすがにこれはきれいだった。
十二単の女神像。

面白いのは山楽『野馬図屏風』 野生の馬がわらわら集まっている。
正面向きもいて、なにかおかしい。皆元気のいいオスばかり。
くつろいだり、立ち話しているようなのもいる。

森東敬『寒山拾得』 にっこりする寒山にちょっとびっくりした。
こういうのもいい。いつもいつもにんまりとかにや??なのも飽きた。

探幽の縮図帳も出ていた。こういうのに本当の価値があるように思う。
それから意信『日光名所図巻』は楽しい。
ガイドブックにはならないが、行く前にこんなのがあるのか、と期待感が膨らんでくるような作品。

重信『梟に烏』 フクロウvsカラスの図が楽しい。
一羽のフクロウに対する二羽のカラス。目つきが三角になっている。

金ぴかの竜虎図もある。こちらは意信、尚信の虎はのんびりした顔。
他に奈良絵本の俵藤太のムカデ退治の絵本があった。

メインは何かと問われれば困るところだが、落ち着いた気持ちになるにはいい展覧会だと思う。


澁澤龍彦 幻想美術館を彷徨って

澁澤龍彦の幻想美術館、その企画が埼玉近代美術館に立ったのを知ったとき、ただただ嬉しかった。
’87.8.5.
澁澤龍彦の死んだ日、それから間もなく20年が経とうとしている。

この年は<文学者受難の年>だと中村真一郎が書いていた。実感がある。
その前年から続いて島尾敏夫、円地文子、磯田光一、澁澤、深沢七郎、そして年末の石川淳まで、錚々たる人々が、居を世の外に移した。
時間が経つと忘れられてしまう人も多い中、澁澤龍彦の人気はいよいよ高くなった気がする。
だからこそ、この展覧会も生まれたのだろう。

展覧会は美術館で開催されるだけに、文学とは切り離された内容である。
澁澤龍彦の愛した美術品で構成されている。
つまり、観客はこの展覧会で澁澤の<喜び>を感じ取り、澁澤がそこから得た<インスピレーション>の一端を目の当たりにし、澁澤の思想や嗜好の道をたどることで、<澁澤龍彦>を追体験する、という構造になっている。
無論それを意識的に行う観客とそうでない観客もいる。
彼らは対立はしない。
展示された膨大な数の美術品を<芸術そのまま>として眺めるか、それを澁澤龍彦の細胞質の一つとしてみつめるかは、観客それぞれに委ねられる。

わたしは展覧会場にある間は前者として行動し、こうしてそれを追想する今は後者として存在する。

数年前、美術評論家として著名な洲之内徹の愛し、論じた美術品ばかりを集めた展覧会『気まぐれ展覧会』が開催された。
それと構造が似ていることに気づく。
ただそこでは案内者として洲之内徹の存在を感じ、彼に案内されて作品を眺めている心持になった。
ここでは澁澤を追う。その違いがある。

会場に入るとすぐに細江英公の澁澤のポートレートがある。
グラスをかけていない素顔、そしてそのしなやかな身体にはガウディのサグラダ・ファミリアの影が印刻されている。
今年初めと、6年前の同時期に細江英公の回顧展が開催されたが、そこにはこの写真はなかった。
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‘60年代の澁澤の華麗なる交友。
写真や同時代の芸術家たちの作品から、そのことを改めて知る。
土方巽と大野一雄の薔薇色ダンスのいくつかの情景。白い衣裳の二人の踊手の指先・足の伸び。甘やかな匂いがそこに立つ。
『澁澤さんの家の方へ』その副題がある舞踏。
ポスターは何度見ても楽しい。
澁澤のくつろぐ(本人曰くあぶな絵風の)姿。そして横尾忠則の特異な色調とで構成されている。

ヨーロッパ旅行。
送りに来た人々の中に楯の会の制服に身を包んだ三島由紀夫がいる。
帰ったときには三島の割腹がある。
‘59同様この年も澁澤にとっての<記憶されるべき年>だったのだ。

ヨーロッパで澁澤のみつめた作品と対峙する。
展示された作品は全て澁澤の愛し・論じた芸術であるために、ある種の偏向が見られる。
そのことを楽しく思う。
自分の好む作品群でなくとも、澁澤の愛した作品だということで、わたしはそれらと相対するのだ。
しかし、中には本当に見たかった作品・見て嬉しい作品もある。

モローのエッチングがある。
「えっ」と思わず小さな声を上げてしまった。
『出現』 サロメの前に中空高く出現するヨカナーンの首。いくつものヴァージョンを見てきたが、この技法での作品は初めて見た。
衣裳の繊細にして巧緻な描写、サロメに浮かぶ表情、周囲の人間たち、調度品・・・それらが全てあからさまになって目の前にある。
この絵はこんな絵だったのか、と言う新鮮な発見があった。
『ユピテルとセメレー』もそうだった。巨大な神が細部まで明らかにされる。周囲に集う者たちの表情も顕わになる。その細密描写に驚かされる・・・全く知らない画家の絵のようだった。
作品は今世紀初頭、他者の手で刻されている。

ピラネージの『ゴシック式アーチ』 不意にこの絵のどこかに澁澤がいるような気がした。
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マックス・クリンガーの作品を知ったのは澁澤の著書からなのか、展覧会からなのか、判然としない。
大体こうした作品は知らぬ間に知っていたりするものだ。
クリンガーの強迫観念に満ちた連作が、壁に並んでいる。
手袋を拾ったことから始まる不安、眠りにつく間にも不安は増殖し続ける。澁澤はこのシリーズに何を見出していたのか。
『玩物草紙』の中に旅先で一人でTVを見ようとして付け方がわからず、メイドを呼ぶ話がある。そこから澁澤の想念は広がり、ドノン『明日なき恋』という小説を想起しているのだが、わたしは今、どういうわけか自分がバルビュスの『地獄』の語り手になった気がして仕方がない。
少しだけ、後ろへ下がった。

展覧会を見ている間は定められた順序に沿って歩いているのだが、こうして書き綴るとわたしの意識はその枠を守れなくなっている。

ハンス・ベルメールの挿絵を見た。『ソドム120日』。多くの人はこの絵の前をさり気なく(あるいは当然のように)素通りしようとする。
このエッチングは下半身より、目元を隠す女の手の方に、はるかに魅力がある。不思議なくらい大きな手の女。目元を隠すくせに足を開いている。足を開くから目を閉ざすのか。顕わにするものより隠すものの方に、より深い官能性がある。
なんとなく宇野亜喜良の作品を思い出した。

その宇野の作品を眺める。わたしは自分の持つ宇野の作品を思う。映画のドローイング、創作童話絵本、演劇のチラシ・・・Lady.Oを描いたチラシとそれは姉妹なのかもしれない。

ベルメールの球体人形については、それこそ澁澤の著書から教わった。
何度か展覧会で見ているが、それよりも奥さんのでくでくな肉体を固く緊縛した写真にせつなさを感じた。
実物を見るより先に、澁澤の言葉に支配されている。だから作品を見ても『この奥さんは自殺してしまうのだ』ということを思ってしまう。

伊藤晴雨が二点ばかり出ていた。
展示されているのはそんなに酷い絵ではない。このページをめくるとそこに晴雨本来の無残絵の世界が開いているのかもしれない。
晴雨は澁澤よりも、福富太郎のエピソードを思い出させてくれる。

澁澤が亡くなった後、中村真一郎が新聞に寄せた文章を思い出す。
海岸を中村と高橋睦郎が散歩する。
高橋睦郎が呟く。
「・・・ここに(わたしと中村さんとの間に)本当なら澁澤さんがいるはずなのですが」
わたしはそれを深く心にとどめた。
そして高橋睦郎と中村真一郎の著作を求めた。
既に中村は『夏』などを読んでいた。老年期に入り、女性ではなく少年の美に惹かれる心の揺らぎなどを描いた作品に、多く惹かれた。
『ヴェニスに死す』のアッシェンバッハ、中村真一郎、ピエール・クロソウスキー・・・その系譜。
また高橋睦郎は詩人としてだけでなくエッセイスト・銀座百点の句の選者として著名だった。わたしはそうではなく、その以前の(澁澤のいた頃の)作品を探した。
『ミノ、あたしの雄牛』『善の遍歴』・・・よくみつけることができたものだ。
高橋睦郎の修辞『王女メディア』は、日本の古語に置き換えられた言葉の美の極限を味わえる作品だった。

その高橋睦郎を間にして澁澤は四谷シモン、金子國義を知ってゆく。
本や映像などで幾度も眺めた、澁澤龍彦の家を壁を飾る作品たち。
初期の金子の『花咲ける乙女たち』、真正面を見る不思議な魅力に満ちた女たち。
わたしは金子の『青年の時代』以降の作品にとめどなく惹かれている。
今、澁澤が存命なら金子の至った境地をどのように楽しむだろう。
そのことを想うと、きらきら煌くような世界に自分がいることを感じる。

キリンプラザで『EROS90楽園へ 金子國義回顧展』を見たときの衝撃は、今も脳や細胞質に残っている。
世界が変わってしまった。
ドビュッシー、ジョルジュ・ドン、折口信夫、ジャン・コクトー、石川淳、わたしの世界を変えた人たちの系譜に彼が加わった。
そしてそれは澁澤の著書からの導きだった。

会場にはコクトーの肖像写真があった。きれいな顔、その頬に手を当てるコクトー。
コクトーの『大股びらき』を翻訳する澁澤。その頃の写真、そして世間がイメージするシブサワの顔を持った写真。
今思い出したが、ユリイカが追悼号を出したとき、表紙絵は宇野亜喜良による目を鎖した澁澤だった。
「澁澤龍彦はこんな表情で逝ったのか」
その絵を見たときそんなことをぼんやりと考えた。

日本では浮世絵が盛んな時代に、「死に絵」というものが流行った。多くは人気役者のそれである。
彼らが演じた役柄のままで口上を述べていたりする。
この絵もそうなのかもしれなかった。

パルミジャニーノ『キリストの埋葬』が展示されていた。一般にキリストは長髪で真ん中わけの髪形で描かれるものだが、この16世紀始めのエッチングは、ショートカットの美青年に見えた。
このキリストも美貌だが、澁澤も綺麗な顔をしている、といつも思う。

澁澤の短い晩年に『狐のだんぶくろ』という子供時代を描いたエッセーがある。
昭和初期の東京の家庭の姿が、子供の遊ぶ姿が、そこに活写されている。
澁澤の死からしばらくして、昭和が終わった頃に久世光彦が、今終わったばかりの<昭和>をエッセーや小説の形で描き始めた。
二人は七歳違いだが、久世には兄や姉がいて、彼らは澁澤と同世代の子供たちだった。
『狐のだんぶくろ』以前の『玩物草紙』などに見え始めてきた<昭和初期>への郷愁が、久世光彦の手で描き出されるのを、わたしは愛した。

澁澤の子供時代には講談社などがたいへん質の高い雑誌を送り出していた。
また、大正時代に起こった童話・童画運動が隆盛を極めていて、その中心にいた武井武雄を、シブサハタツオくんは深く愛したそうだ。
他にも初山滋、マンガののらくろ、タンクタンクローをタツオ坊やは偏愛し、そのことを澁澤龍彦は後年、楽しそうに文章に残した。

そうした作品は今なら弥生美術館、野間記念館などで原画や雑誌を見ることが出来る(その企画に当たる時期ならば)のだが、わたしはその二つの美術館に入るたび、彼ら<昭和の子供>を想わずにはいられない。

ネオテニー説を愛した澁澤は、自身もまたそうだったと見做されている。
少年がそのまま晩年に突入した。
とても可愛い、とそのことを想う。
澁澤は映画『ブリキの太鼓』を見て泣いたらしい。
証言がある。「『ブリキの太鼓』に我が身を重ねて見たのだろう」と。
三歳の誕生日にブリキの太鼓をもらったオスカルは、決してこの先1ミリたりとも成長しないぞ、と強く誓ってその通り生きる。彼が再び成長を開始するのは、父の埋葬時だった。ナチスドイツが敗れ、ダンツィヒがグダニスクになる寸前、オスカルはパリへと旅立ってゆく・・・。
モーリス・ジャールの軽快にしてせつないメロディ「カシュバイの野」が頭の中を通り過ぎていった。
わたしのある地平でいちばん好きな映画。
それに澁澤が心を寄せていたことを知って、今、とても嬉しい。

何かの雑誌でインタビューに答えて、澁澤は好きな監督や役者の名を挙げている。
監督が面白い。あまりに予想通りで。
コクトー、ブニュエル、ヒチコック、フェリーニ、ヴィスコンティ。
女優はドヌーヴ(多くの男性は皆、彼女の名を挙げる)始めきれいな人を選んでいる。
そして彼はマレーネ・ディートリッヒの来日公演に行っている。
この公演については、映画プロデューサー児井英生の追想に、たいへん興味深い話として書かれている。
マレーネが『嘆きの天使』を歌い終わった瞬間、最前列の紳士十人が一斉に立ち上がり、一人一輪ずつの薔薇を彼女に颯爽と差し出したのだという。
澁澤はその光景を見ただろうか・・・


(この絵は会場にはないが、澁澤の目に入ったことは間違いない)

加山又造の裸婦があった。これは’85の作だから『玩物草紙』挿絵の後の作品になる。あの作品の挿絵は加山又造のほかではいけないと思う。読み返すたびにそう思う。

会場には若冲の『付喪神図』がある。抱一もある。『フローラ逍遥』の表紙を飾った花の絵もあれば、『高丘親王航海記』の『シナ図説』もある。
川田喜久治のおぞましいほど美しい写真もある。何もかも皆、澁澤が愛したものたち。

澁澤を愛した人々からの作品はせつない。
中西夏之のコンパクト・オブジェ、野中ユリのリトグラフ、四谷シモンの天使像・・・
会場の終わりに自分がたどり着いていたことに気づかされる。
ポスターが目に入る。
ギャラリーTOMでの澁澤に関する展覧会、鎌倉文学館での展覧会・・・

そこに行けば、澁澤の影を掴むことが出来るだろうか。

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出光の肉筆浮世絵・前期

出光美術館の肉筆浮世絵を見るのは久しぶりなので、嬉しい。
大阪に出光があった頃、もらったチラシと同じ構成のそれを見て、ちょっとした感慨にふける。

前後期に分かれた展覧会のうち、前期はぐるパスで見て、後期は割引券で行くことにした。
コンセプトがいくつかに分かれている。
そして肉筆浮世絵ばかりでなく、そこかしこにそれらと同時代に生まれた工芸品(陶磁器や蒔絵ものなど)も展示されていて、気持ちを豊かにしてくれる。
見た限りのものを書くので、だいぶ長くなります。

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琳派 四季のきょうえん

琳派 四季のきょうえん。
きょうえんは饗宴かもしれず競演あるいは嬌艶かもしれない。
畠山記念館にそれほどまで琳派の作品があるとは思わなかった。
はろるどさんに教わって、久しぶりに出向いた。

館内には香が薫じられている。
茶道具の名品を所蔵する美術館だけに、そのゆかしさがしのばれる。
畠山即翁は阪急の小林逸翁と茶友で、逸翁美術館には即翁による扁額のかかる茶室もある。
それでなんとなく親しみを感じていたのだが、なかなかここへは来れなかった。
何期かに分けての展示で、一覧表を見ると「惜しい」と思ったり「良かった」と思うものが半々なので、これはこれでいいと思う。

階段を上がるとすぐに、ガラスケースに収められた『色絵藤透鉢』がある。
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これは乾山の透鉢シリーズの一作で、初めて来たときに絵葉書だけは手に入れていたものだった。
そのときから「・・・きれいだな」と思っていたので、実物がここにあることを喜んだ。
丁度今は藤が盛んだから、季節柄もいい。
紫の花、白い花、透かしの花びら・・・。絵柄だけでなく、陶工乾山の粋(すい)に触れたように思う。

続いて『色絵福寿文手鉢』 福と寿の字が○つなぎされている外側と、見込みには緑地に大きな白い花がぼてっといくつも咲いている。蕊も可愛い。

『色絵菊透鉢』 これも以前絵葉書で知った。
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花びらを一つ一つ描くのではなく、丸い菊をもこもこと描いている。紫の滲む白菊と、黄菊。
この菊の集まりの向こうから、菊慈童が顔をのぞかせるような気がした。

わたしは乾山が最愛なので、乾山ばかりを愛でてしまう。

『銹絵松図茶器』 白く角い胴に蓋はキャラメル色という、見事な造形。
『銹絵染付火入・銘 赫赫』 兄とのコラボ作品。六角形に白梅。蕊は青色。火入れだからこの銘はとてもストレートでいい。蕊が青か黄色かにより、花の印象も大きく異なるのを感じる。

『結鉾香合』 これも以前から絵葉書で知っていたから、目の当たりに出来て嬉しい。
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いかにも乾山の作ってくれそうな絵柄と造形。結鉾の由来を調べたが、少しわからない。祇園の山鉾と関係するものかと思うが、ちゃんとしたことは言えない。勉強不足だと実感する。
枝振りの良い白梅。蕊が黄色く、地の色から浮きもせず、離れもせずにいるのが、いい。
掌に載せて愛玩したくなる。

乾山にはそうした愛玩したくなる作品が多い。
『銹絵草花文汁次』と『『銹絵染付薄文汁次』 
なんと愛らしいことか。
袖から手首を隠したまま、指を使って小さな汁次を持ち上げてみる、手の甲と手首の角度でそっと小皿に・小鉢に汁をつぐ・・・
そんな情景を想ってみるだけで楽しくなる、ふた品。
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『色絵牡丹文四方皿』 III III III柄が続く外側。見込みに大きな赤い牡丹が描かれているが、その縁取りは金色。アールヌーヴォーというよりユーゲントシュティールに、こんな作品があった。
底の裏には乾山の名が大きく書かれているが、乾の日がとても大きくて、張り切っている。
使う当ては無論ないが、手元に欲しくなるような四方皿だと思う。

『色絵絵替土器皿』 これらも以前に絵葉書で・・・とここまで書いて自分のうかつさを実感する。
畠山さんの焼き物絵葉書は、最初に来たときに、ある限りの種類を購入していたのだ。
そして楽なら楽、琳派なら琳派、中国なら中国と分類しているのだから、自分のファイルを見れば一目瞭然なのだ。
しかし実際に見るのと印刷物とは違う。印刷物はカメラマンと言う他者の目を通じての姿に過ぎず、実際に見るのは自分の目または美意識なのである。
カメラの方がいい、とまれに思う作品は、多くの場合、実物の力が劣っているのではなく、自分の美意識がカメラマンの目または技能に<負けた>のである。
そんなことを思いながら、改めて作品に対峙する。
ただただ愛しかった。

『共筒茶杓・銘 寿』 以前は茶杓に無関心だったが、最近は茶杓にも随分興味が湧いている。湯木美術館で茶杓を多く眺めたので、目が開いたのかもしれない。
共筒に寿の字の他に小さな朝顔が描かれている。それが随分気に入った。

『黒楽茶碗・銘 武蔵野』 箱書きは家原自仙。茶窓話に逸話を残す茶人で、享保の頃の人。
薄のそよぐ図柄。(だから武蔵野)露栄え 乾山・・・・
箱書きにはこうある。「光悦好 乾山造」二つの時代を眺めた気がした。

『紅葵花蒔絵硯箱』 銀が酸化したらしく黒くなっているが、それが汚く見えず<静か>に見えるのが、和の美意識だと思う。
この箱書きは乾山の自筆によるもので、多少読めぬ字があるがこんなことが書かれている。
「家兄 法橋光琳製作 △疑論者△」

ここで光悦の『赤楽茶碗・銘 雪峰』について少しだけ。
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金継ぎが溶岩に見える雪の峰、と書けば下手な川柳になるのだが、どうしてもそう見えて仕方ない。そして金継ぎがここにあるのが、この茶碗が生まれてくる前からの約束のようにも思われる。それほどに、自然な美がそこにあった。この金継ぎがある事で、雪峰の美が完全になったのではないか。そんな気がしてならない。

作者のわからない見事な茶碗があった。
『銀襴手唐草文汲出茶碗』 一目見て「アールヌーヴォーだ」と思った。銀襴手、その繊細さと唐草文のモダンさがそう思わせたらしい。見込みに繊細な文様が続いている。こんなときめく唐草文に会えたのは初めてだった。線描の美に魅せられてしまった。

絵に移る。

抱一の『富士見業平図屏風』は、ぽよんとした業平が、これまたぽよんとした馬に乗っている。侍童がついているが、富士はそこに描かれていないようにも思える。留守絵と言うのだろうか。
武田泰淳風に書けば「富士はそこにはなかった」のか。
そしてこの二人を見ていて、なんとなく「抱一と弟子の其一を見立てているのでは?」と思った。

其一『曲水宴図』 平安の優美な遊びを描いている。竜頭船から下船して、歌を詠んでいる人々。琳派と言うより、やや南画風な感じがあるようにも思う。

宗達『蓮池水禽図』 墨絵のかすれ具合がなんとも味わい深い作品だった。水禽が一羽、泳ぐ。蓮の葉といい、玉のような水といい、なんとも言えずよかった。

光琳『躑躅図』 これも好きな絵だが、九州黒田家から團家にゆき、そしてここへ来たそうだ。岩躑躅というのか、向こうに赤い躑躅が咲き、手前に白躑躅が咲く。川の流れが見える。せせらぎが聞こえるような、躑躅の甘い味が舌の上に蘇るような。

『布袋図』 御影の香雪美術館にも光琳の布袋図があるが、これとは逆向きの布袋である。もしかするとほぼ同時期の作品かもしれない。

乾山『立葵図』 白と赤のきれいな花だった。軸の表装もよかった。絵のすぐ上下の細い部分を「一風」というが、それが紺地に小花の唐草文、それら周囲の布地は「中回」というが、白茶地に鳳凰唐草文の縫い取り、そして「上下」はきれいな浅葱地に牡丹唐草文緞子。
自賛がなかなか面白い。読み下し文で書く。(かな)
「恐らくは是れ牡丹、重ねて紫に換わる。また疑うらくは芍薬、再び紅を翻す」
更に署名がいい。
「平安城逸人 七十九翁紫翠深省書写画倶一筆」

同年に『紫陽花百合図』もあり、七十九翁紫翠深省画と署名している。
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この白い紫陽花は薄い青が忍び込んでいる。そのことが一層その白さを美しく見せているように思う。
百合も紫陽花も気温の暑さ・湿気を知らん顔して咲く、美しい花だった。

抱一『十二ヶ月花鳥図』 この殿様の弟はどれほどの数、同じ画題のシリーズを製作したのだろうか。
「酒井殿、そこもとの弟御の絵を所望す」
・・・なんて殿様は言われ続けたのかもしれない。
気に入ったのは雀に百合や葵のものだが、他に五月の『菖蒲に鷭』が良い。
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丈高い菖蒲と、小さな黄色い花と、歩く鷭と。
鏡花に『鷭狩り』という怖いような小説がある。全集の同じ巻には『みさごの鮨』というせつない物語もあるので、ときどきこれらの生きものがごっちゃになってしまう。
そんなことを思いながら眺めている。

『賤が屋の夕顔図』 いぶせき軒には白き夕顔が咲く。屋根の上の猫は何を見ているのか。煙が立っているのは蚊遣り。そのままの句が書かれている。
「賤が屋の夕顔白き蚊遣りかな」
情景そのままの句は何派だったか。一風は唐草で、上下はシンプルな白茶魚子だった。
こうした画には、そんな表装が似合うと思った。
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畳の間に上がってこの絵を見た後、茶室作りになった続きへ入る。なんとなく落ち着く空間で一休みした後、もう一回りしてから去ることにした。
わたしの古美術修行の地は、逸翁、大和文華館、静嘉堂、五島だけでなく、この畠山もそうだったのを思い出しながら館内を出た。

展覧会は6/10まで。またいくつか展示換えがあるので新たな楽しみも見つかるように思う。


主に都営線漂流

例によって東京漂流しました。さすがに連休の合間なのでフライトも5/3は遅いのしか取れず、結局予定を一つキャンセルしました。
なんか都営線がワンコイン・ワンデーパスという企画を立てていて、500円で都営線を一日フリーに乗れるというので、泉岳寺でそれを買うたら、品川からの料金50円払うことにもなりました。

とにかく高輪台の畠山記念館へ向かう。
住宅街の中なのでてくてく般若苑をめざして歩いたら・・・あ・ら・へ・ん・がな??!
びっくりしたけどなんかあったような気がするので不問にして、’99年以来の畠山に入る。
ここでわたくしは貴婦人(本当の字はやや異なる)したのですが、いかんせん靴下が正体をバラスと言うハプニングにも遭い(しかも気づいたのはホテルについてから)まぁ色々と。
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畠山のお庭にクロアゲハが!きれい・・・蝶だいすき・・・。
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そしてその下には猫が寝てたけど、大きい猫でカメラからはみでてしまった。
これは畠山の門。透かしが竹になっているのもいい感じ。
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ところで庭師のおじさんと見知らぬ二人の奥様方についていって、夏草生い茂る跡地へ。(クリックしてください)

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ああ・・・何もない。礎石がごろごろ。そして白い花の群生。野いちごがある。奥さんが摘んでくれて、わたしも食べた。ツブツブだ。
山椒とか色々。結局ここの居心地がよくて長居したので、板橋は無理になった。
次に日比谷の出光へ。
「浮世絵も素晴らしいけど、ムンクの三枚の裸婦がこれまたすばらしいなぁ」
と一人ごちながら窓外を見て、ぎょっ。凄い大渋滞。車って動かないまま、ああして数珠繋ぎに並んでるのを上から見たら、まるきりオモチャですな。

あくる4日は朝から森下へ。今日も都営のチケット。
森下には元祖カレーパン屋さんカトレアがあるけど、改装中でお休み、残念。そこから森下文化センター目指してヲヲヲ?・・・なんだかやたらのらくろがいる。
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のらくろーど。なんか所縁らしいね。レールだけでなくシャッターにものらくろだけど、中にはこんなのも。
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ピカソですな、これでエステや美容院ならちょっと悩むけど、雑貨屋さんでした。

森下文化センターには伊東深水と関根正二の資料があるので、それを見にきたのだけど、のらくろコーナーにけっこう時間を費やした。
楽しいわ。IMGP1712.jpg

原画が並ぶ中、手塚治虫が描いたのらくろもあり、皮肉な話で面白かった。
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わたしはのらくろはあまり好まないけど、昭和初期の子供たちの心には深く残っているのを知っている。特に天涯孤独ののらくろがそれをかこつと、ファンから「今度の休みにうちへおいでよ。かあさんもいいって言ったよ」という手紙が届いた、というエピソードは何度聞いても胸が温かくなる。
わたしも自分の好きなキャラがせつない状況にあるのを見ると、応援したくなる。
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アトリエ再現。IMGP1718.jpg


森下から東大島へ。
わんさか公園の向こうにある中川船番所資料館。
何故か来たよ。ここもぐるパスだけど、美術ブロガーさんでここへ来るのは他にいてはるかなぁ?
酔狂かもしれないけど、ここもけっこう楽しめた。
なんか和竿の勉強しましたわ。鮎・山女・イシダイの竿の違いとか・・・竹も色々あるし。
ジオラマも楽しい。
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昔の水運の資料が見たかったのだ。けっこうよかったけど、ここの建築そのものもよかったです。
階段。設計者の氏名はわからないけど、そちらも資料をみせてもらった。ありがとうございます。

ここを流れるのはなんて川だったか・・・
とりあえず次は本八幡。そこから京成に乗り換えて佐倉へ。

いやもぅとにかく佐倉の歴博は遠い。
いつ来ても遠いです。駅から延々と歩くうち、眩暈がする。日傘は黒布なので、それ越しに見た外界はまるで黒いエッチング作品。

・・・展覧会を見た後は、まあとりあえず来た道を帰りました。
それでもうギブアップしそうになって、千葉を諦めましたよ。千葉の清長をあきらめて、豊洲の『母と子の浮世絵』を見に向かう。
豊洲駅構内の出口案内、間違えてる?これはミスだと思うわ。
内容は他の展覧会同様、また別な日に。
機嫌よく外へ出ると、こんなすてきな空と海・・・
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さてこどもの日。
okiさんにいただいたチケットで澁澤龍彦の幻想美術館を見に北浦和まで。
公園は緑に溢れている。展覧会案内の看板にはこの花の絵が使われている。公園に合うね。
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開館前に到着したから、噴水のショーを少し楽しめた。

先行して出かけられたとらさんやokiさんの忠告を守り、時間配分に気を遣ったけれど、やはり2時間はかかります。
そうそう、コインロッカーにはこんなものが・・・!オブジェです。


(村上龍なら別なものでしたな)

王子から南北線に乗り換え、六本木一丁目で泉屋分館と大倉集古館の展覧会を楽しみ、緑の道を溜池山王まで歩いて、外苑前に出る。
ワタリウム美術館では5/27までブルーノ・タウト展。

ここが思案の分かれ道。
実はフライトの予定から、5時すぎに渋谷を出て品川へと考えていたけど、すこし時間を稼いだので鼎さんから教わったギャラリーTOMへ向かった。
しかしいつもなら道に迷う戸栗にまっすぐたどりついたけれど、TOMには行けなかった。残念・・・!
ハイカイそのものにも意義があるさと言いながら渋谷から品川に出て、ヒコーキに乗って帰りました。
こうして五月の旅は終わったのでした。

ああ・・・ダイジェストでありながらやたらめったら長いなぁ・・・

おまけ。
こどもの日なので柏餅の支度がありました。
わたしのお土産の芋羊羹とあんこ玉。
それからいただきもののサクランボ。なんか自宅の庭の自生らしい。
あと、友人から届いたばかりの可愛い温泉玉子キャラ。
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うれしいGWでした。(明日はぐったりだ!)

わたしの地図で旅をする

地図を見るのが好きだ。
それも大人になってから、好きになった。
子供の頃はそうではなかった。

塗り絵が今も嫌いである。
幼時はどうしてもセルフコントロールに欠けるから、定められた線を越えて彩色してしまう。
塗ったという自己満足より、出来ない、と言う悲しみに彩られていた。
小学生のとき校舎屋上から風景を写生する授業があった。
近くに大きな公園があり、それを描いた。鉛筆描きの時点では自分も満足していたが、色を塗りだした途端、教師に言われた。
「センス悪いね」 それっきり色を塗るのが嫌いになった。ついでに教師も嫌いになった。
次に中学に上がり、最初に地理を学んだとき白地図に色塗りをする、その作業でつまずいた。
ピンクで塗る場所を赤で塗り、上から白で抑えたのを咎められた。
間違えて補修したのだが、教師にそれを執拗に責められ、とうとう泣き出した。
そうした経緯があるから、美術の彩色と地理とが嫌いだった。

なさけないほど、方向音痴である。
わたしのケータイは自分の居場所を教えてくれるので助かるが、ケータイが普及する以前は本当に困った。
地図を手放せなくなったのは、東京放浪を始めてからだ。
ぴあの遊びMAPがわたしの最初の『地図』だった。
‘89からあちこち出歩くようになり、それでA4より少し大きい本を買って色々線を入れたり書き加えたりした。
今もその本を置いている。もうぼろぼろだし、大きく変わった場所もあるが手放せないし、手放す必要性もない。
「地図は活きている」 就職したとき、そう教わった。なるほどその通りである。

道路地図を眺めて、覚え始めたのはその頃だった。
とは言えわたしは車の免許を持たない。私鉄が発達する関西に住み、遠いならタクシーという考えがある。
またそれ以上に歩いたり、自転車に乗ることが多い。
そうなると自分で地図を見なくてはならなくなる。
学生の頃は本屋と図書館と映画館にしか行かなかったのが、社会に出た途端うろうろうろうろ出歩くようになったことが大きい。
引き篭もりではないが、箱入りどころか瓶詰め少女だったのだ。
だから学生の頃のわたしの地図は本当に小さいものだったろう。

不思議なことに幼児のころ、放浪癖があったらしい。見知らぬインド婦人に手を引かれ帰宅したこともあったそうだ。
小学二年生のとき、隣駅まで出て(そこは大きな商業地なのだ)帰りの電車賃が少し不足して歩いて帰ったことがある。
高速への入り口もあるので、線路沿いに歩くことは不可能で、国道沿いに歩くことは考え付かなかった。
3時間くらいかかって帰ったが、今そのルートは脳裏に再現できる。
そのとき地図の必要性を痛感すればよかったのだが、金の使い方と<不足したときの恐怖>を骨身に刻まれた。

今は忙しいのだが、数年前までは比較的ひまな勤務状況だった。
その頃延々と地図を見続けていた。地図と地下鉄路線図。頭の中で何度でもシュミレーションする。
何号目の車両からなら出口は何番かとか、乗り換えにはこっちとか、そんなことを延々と考え続ける。
当時デジタル時計をしていたので、秒単位で動いていた。
乗るまでに何秒でとか何分で移動するとか、タイムテーブルを完璧に作り上げるのが好きだった。
だから同行する人にもそれを強いた。全く気の毒である。
速力と靴との関係を計算したり、人混みと偶然性なども含んでの(かなりエエ加減だが)時間配分だが、めちゃくちゃな話だった。
会社の同僚や後輩からは、いまだにそのことを恨まれたり恐れられたりしている。
なにしろ社内旅行の台北でもそれを実行したのだ。
早朝散歩と称して、一行を市内あちこち連れまわした。台北市内の近代建築を撮影したいために皆を連れ出したのだ。
退職された前の社長などは、いまだに会うたびに「えらい目に遭うたよ」といわれる。
「うん、えらい目に遭わせてん」とはさすがに言えない。

あるとき洛中、もっと限定して言うと東は烏丸通、西は河原町通り、北は御池から南は四条通までの範囲を隈なく歩こうと思いついた。
冬の寒い日で、道路地図をコピーして予め蛍光ペンでチェックをした。
本屋とカフェの分布図を自分なりに作ろうと思ったのだ。
なかなか楽しい試みだったが、さすがに疲れた。しかしそのときの経験がわたしの地図好きをいよいよ高めてくれたのは間違いない。

近代建築の撮影を本格的に始めたのは’98からだった。
ある日、淀屋橋から本町の徹底調査をした。たいへん楽しかったが、一日では終わらず、時間がかかった。建築関係の出版社からそうした近代建築MAP本も出たので、自分の地図と照らし合わせて再度検証に出かけたりした。
一応大阪市内のいくつかの区は踏破したので、道路地図に自分の調査結果を書き加えたコピーを仲間に渡して、あちこちをハイカイした。
歩くことで地図の空白が埋まってゆく。それがかなり面白かった。
水先案内人として、間違った地図を出すわけにはいかないし、迷子になるのも困るので、GPSにも活躍してもらいながら、歩く。

しかし時折わざと地図で記した道順を捨てて違う道を歩くこともある。そうすると思いがけぬものに出会ったりもする。そのことが楽しい半面、後悔もする。
どういうわけか新宿や渋谷のような人で溢れかえった街の中で、いきなり誰もいない空間に入り込むことがある。大抵5分くらいでそこから抜け出せるが、不思議で仕方がない。

色々な地図を楽しむうちに、素敵なものに出会った。
大正の広重とも呼ばれた鳥瞰絵師・吉田初三郎のパノラマ地図である。
大正半ばから、都市生活者の間に趣味の生活を楽しもうという気持ちが湧きだしてきて、観光ブームが起こった。自治体も観光事業を奨励し、国鉄も盛んにポスターやチラシを作って旅行に出ることを勧めた。
その頃、吉田は楽しく見やすいパノラマ地図を作っていた。例えば近鉄の沿線地図に、伊勢や鳥羽の町並みを描く。京都なら京都の寺社や山を描きこむ。
それだけではない。名古屋の地図に、遠くサハリン・樺太が地名だけとは言いながらも書き込まれ、目を移すとそこには台湾の地名も見える。
凄い地図だった。

まだ学生だった昭和天皇もこの吉田の地図がお好きで、褒められたそうだ。
わたしも見れば見るほど好きで仕方なくなる。
元々浮かれ心が湧き立つ方なので、観光案内MAPを見るだけで出かけたくなってくる。
これまで吉田の作品が並ぶ展覧会には何度か行った。
近いところでは昨夏の横浜。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-506.html
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-580.html
それから堺市博物館の常設と、花園大学での展覧会。
5/7まで堺で吉田だけでなく、パリやローマの古地図の展覧会がある。
それを見てきたが、とても楽しかった。

吉田だけでなく、西洋の古地図と言うのは見ていてとても楽しい。
本物であっても、空想の地図に見えてしまう。

空想の地図といえば、何よりも宝のありかを示す地図がベストだろう。
『宝島』の地図には不思議な呪文が書かれている。
スティーブンスンのそれだけでなく、ポー『黄金虫』、乱歩『孤島の鬼』、横溝『八つ墓村』などなど地図には深い魅力がある。宝物を見つけ出すのが目的であっても、その地図を眺めることがまたひどく興味深いことなのだ。

そうした解読が必要な地図とは違い、江戸切り絵図はとてもシンプルだ。
池波正太郎に、その地図を基にして実地調査する顛末の本がある。
江戸を歩く。その楽しみ。
地下鉄飯田橋駅構内の壁に、かつての武家屋敷などが描かれた地図がある。それを見るのも大変面白い。今昔を楽しむ。それが嬉しいのだ。

また近世風俗画の中の、名所図。洛中洛外図も地図として眺めれば、また別な興趣が生まれる。
丁度今、佐倉の歴博でその展覧会が開催されているので、見るのが楽しみだ。
また社寺境内図も地獄図もパノラマ地図として眺めれば、これまた楽しいものだった。
商店街などの案内MAPも面白い。

大人になった今、この楽しみは尽きることは、ないらしい。

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商業芸術として描かれた美人

洋画の美人も好きだが、明治大正以降の日本の商業芸術系美人画を集めてみた。
ポスターと挿絵や口絵などからである。

呉服屋から百貨店に成長する、というのが老舗デパートの出自だった。
高島屋、大丸、三越などである。
それらは江戸時代から、女が喜ぶものを集め続けてきた。
そして近代になり、百貨を扱うことで一層の飛躍があり、<消費者>を集めるための努力をみせた。

三越は最初にポスターデザインの公募をした。
これらは歴史にも刻まれたポスターたち。杉浦非水、橋口五葉それぞれのアールヌーヴォー風味のきいたデザイン。
高島屋はやはり大阪の北野恒富をメインにした。
恒富の美人画は<浪花の悪魔派>と謳われ、大正から昭和初期に随分人気があった。
同じ上方でも京と違い、大阪は子女が絵を習うのに良い環境にあった。だから女の画塾も大いに流行ったようである。
その「なんでも習たらエエ、なんでもしたらエエ」という感覚が生きていたから、機嫌よく作品が生まれた。


クリックしてください。

昭和初期は不景気でありながらも、大正から続いて文化の花開いた時代でもあるので、大いに雑誌も生まれた。
蕗谷虹児の挿絵もその時代の少女たちを熱狂させた。

彼はその後パリに渡った。人気絶頂の挿絵画家がタブロー画家として修行するためにパリに出て、エコール・ド・パリの一員になった。
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しかし藤田と違い、彼は家の都合で呼び戻され、二度とパリに帰る日を持たなかった。
自己の作品の中でのみ、パリは生きていた。


日本ではアールヌーヴォー、アールデコどちらも同時に受け入れられている。
ポスターにもそれが見える。
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商業デザインは自社製品の宣伝を主たる目的としているため、人目を惹かねばならない。
やはりそうなると、美人を求める。

しかし時代が下がるにつれ、公募デザインの様相も変化する。
今はなきカルピスのポスター、あれはすてきなセンスだった。
シャープでモダンなものがメインになると、和装美人が少なくなる。

シャープでモダンで知的な女を、虹児も多く描いた。
『令女界』という雑誌にはそうした都会的でモダンな美人たちが大勢描かれた。
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しかしそれだけではなく、虹児は可愛い少女も描く。
虹児の描く夏の少女の中でも最愛なのがこの蓮池に佇む少女。



しかし美人も時代によって変わってくる。
主に時代小説挿絵に健筆をふるう村上豊の女。
彼の描く女は<をんな>と表記したくなる。
艶かしい女たち。仏の姿をとってもそれは変わらない。
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闇の中に浮かび上がる白い顔、白い胸、白い腕・・・仄朱い唇や指先、身体の先端には薄紅が散っている。
その身体のあちこちに取り付く小鬼たち。なんと矮小にして愛らしい鬼たちであることか。
女たちは素知らぬ顔でいながら、子鬼たちの好きにさせている。何か悪戯をしてもその白い手で払えばいいから。
赤い指先で摘んで持ち上げて、ふっと息を吹きかければ、どこへでも飛んで行くだろう。
でもそれでもすぐ後から後から湧いてくる・・・・・

時には森の中の木にもなる女の身体。
しかしこうした観念的な女ばかりではなく、現実を活きる姿もある。
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なんとなく楽しいような姿だった。

これらの作品の原画または印刷物をじかにご覧になりたい方は、こちらへ向かわれたい。
『美人の作り方』 印刷博物館(?6/3)江戸川橋または飯田橋。
『村上豊』 野間記念館(5/27)江戸川橋。
『蕗谷虹児』 弥生美術館(7/1)東大前または根津。
わたしは4/21に弥生から野間へ向かい、野間から印刷へ歩いた。
間に飯田橋にある紀の善で抹茶ババロアなどをいただくと、一層幸せになれる。
その日わたしは東京カテドラルの前のセキグチパンで一休みしたのだった。
参考:http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-558.html

5月の予定と記録

五月ですね、五月。
行きたい所は相変わらず増殖し続けていますし、それをクリアしているかどうかは別問題としても、なんとなく出かけてます。
出かけるのはいいけど、それを書き留めておけるかどうか。脳の海馬にせっせっとゴハンあげることにします。
予定と記録ですが、予定のほうのタイトルが多少自信ないですね。

琳派のきょうえん 畠山記念館
肉筆浮世絵・1 出光美術館
池袋モンパルナス 板橋美術館
望河憧憬?近世近代移行期の関東河岸 中川船番所資料館
みやこの西と東 歴博
澁澤龍彦の幻想美術館 埼玉近代美術館
茶道具 泉屋分館
栃木の狩野派 大倉集古館
ブルーノ・タウト ワタリウム
ベルギー国立美術館展 国際美術館
北京の故宮文物 難波高島屋
大阪府庁建築探訪
大阪パノラマツアー 住まいのミュージアム
白川義員 阪神
中国の古美術 白鶴美術館
日本近代洋画への道 小磯記念館
近代美人画 西宮大谷美術館
茶碗 逸翁が愛した名品 逸翁美術館
曾我廼家五郎の喜劇 池田文庫
光琳・応挙、仁清・乾山など 江戸の名作 香雪美術館
神仏習合 奈良国立博物館
江戸時代 上方絵画の底ぢから 奈良県立美術館
墨の彩り−水墨画と書蹟の名品− 大和文華館
熱帯花鳥へのあこがれ 〜石崎光瑤の作品と出会って〜 松伯美術館
藤原道長 京都国立博物館
丸紅コレクション 京都文化博物館
福田平八郎 京都近代美術館

藝大もオペラシティもダーガーも庭園もオールドノリタケも6月の予定です。

ギメの浮世絵名品展

今年の初め、原宿の太田記念浮世絵美術館で開催されていた『ギメ東洋美術館所蔵・浮世絵名品展』が天王寺の大阪市立美術館に来ている。
太田では会場の都合から四期に亙っての展覧会になったそうだが、ここでは一度で190点の展示となっている。1200円だが、前売りと団体は千円。
GW二日目に出かけた。『ハンニバルライジング』を見てからだから、昼過ぎの話。

かなり混んでいるが、係員が拡声器で「空いた所からご自由にご覧ください?」と叫ぶので、好きに見て回った。並んで順次見て回るのもいいが、そうなると待つ間にオバサン方はよく喋るようになるので、やかましくなる。しかし必ずそれを叱る声が上がるので、比較的気楽に臨んでいる。

ところで係りに聞くと出品一覧表がないそうな。太田がどうだったかは、今ちょっと思い出せない。
仕方ないから自分でタイトルを書くが、適当なので多少間違いもあると思う。
本は買わなかった。わたしは幕末の絵師が好みなのだ。

大阪のチラシおもて。img983.jpg

東京はこちら。img982.jpg


コンセプトがまるで違うから、別な展覧会に見える。

<初期の浮世絵>
杉村治兵衛を見るのは久しぶり。彼の絵はこの一昔前の風俗画に近いムードがあるので、そこがなかなか好きだ。ただし版画の色彩は稚拙と言うか、まだまだ足りてはいない。

『和田酒盛』 これは和田義盛の酒盛りなのか。宴会に人々が集まっていて、見るのが楽しい作品に仕上がっている。五郎十郎に朝比奈か。古様なのでなんとなくのんびりしている。
『静御前』 白拍子のスタイルなので鎌倉で舞うところか。手の感じが他の治兵衛作品と同じ形になっている。つまりダルクローズな動きを予測させる。

南原幹雄の『修羅の絵師』という小説では、鳥居流百年の計を目指す初代の苦難に満ちた生涯が描かれていたが、鳥居流は実際平成の今も、芝居絵看板を作っている。
そして芝居にも密接な関わりのある物語絵もこうして多く残る。
鳥居清倍『渡辺綱 羅生門』 平安時代に起こり、後世に伝わった有名な事件を考える。
絵に出来る事件は、平安末期の源平合戦か、または源頼光と四天王による大江山の鬼退治の一連の物語ではないか。
綱も金時も保昌もそれぞれエピソードを持っている。綱と茨木童子との物語は、大正になっても人気が高かった。
絵は丸くむいたギョロメに瓢箪足という特徴が出ていた。
『宇治川の先陣争い』と『熊谷』がある。どちらも源平譚の挿絵として眺めたいような作品。

二世清倍『外郎売り』 鳥居家は市川家と関係が深かった。だから当然の作品。
少し前、当代・団十郎が回復して『外郎売』を演じたのを見たが、滑舌の難しい長台詞なので、いつもはらはらしている。このときは回復が嬉しくて、涙がはらはらしそうになった。 

石川豊信『子供萬歳』 やはり江戸時代の正月には萬歳は欠かせない。才蔵の子供も可愛らしい。
石川重信『女のうしろ姿』 ちょっとびっくりした。完全なる後姿で、見返ることもない。顔立ちはわからない。なにやら周囲に色々かかれているが読めなかった。ビラみたいにも見える。

世間ではよく『六大浮世絵師』というが、この展覧会では五大浮世絵師のコーナーを作っていた。

<鈴木春信>
やつし・見立て絵に目がいった。
『やつし・許由』 中国の伝説のパロディ。滝で耳を洗う女。伸ばした手といい、その滝水の描写といい、なんだかとても可愛い。春信の女を見ると、掌で撫でてみたくなる。

『朝妻船』 白拍子がいる。これは明治の油絵にもなった画題だが、女の視線の先に何があるのか追いたくなる作品だった。
『汐汲み』 松風村雨姉妹の絵だが、墨でなく露草の汁で描いたと言うから、殆ど褪色している。なんだか焙ると絵が浮いて出るのではないか、といらぬ想像にふけった。

磯田湖龍斎で関羽の見立絵があった。関羽は三国志のキャラで、美髯公として知られているが、ここにいる女は長い髪のきれいな女だった。ところがタイトルをきちんと書かなかったので今では思い出せなくなっている。

<浮絵>
豊春『駿河町呉服屋図』 越後屋でしょうな、三越。これは前々から見ているが、この摺りはなかなかはっきりしているなと思った。

絵は覚えているが絵師を忘れたのが『厳島』 真正面から鳥居を描き、そこへ船が集結しつつある。こういう構図はちょっと珍しい気がする。

北尾重政『大曲馬』 チャリネではないが、日本にもちゃんとこうした曲馬の術があるのだ。わたしは見世物系が好きなので、ちょっと嬉しい。多分作品としての価値は高くないのだろうが、こうした作品が明るくていい。
『野葡萄を食べるウサギ』 かわいい??!白兎だけパクパク。周りにいる茶色いウサギ二羽はそれを見守っているらしい。あごを上げた奴、すりよる奴。なんとなくウサギの三角関係と言うか、白兎に惚れてる二羽と、それを知り尽くしていて自分だけ葡萄を食べ散らかす白兎。
ちょっと萌えてしまった・・・!
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<役者似顔絵>
豊春『和藤内』 近松の『国姓爺合戦』から。和藤内は虎に乗って姉の錦祥女のいる城へ向かっている。どうも虎を見ると色を後から足したように思える。日本人の女を乗せた駕籠も見える。関係ないが、お座敷遊びで和藤内というのがあるのを思い出した。

豊國『大和屋』 頭から黒い布をかけて佇む女、といえば玉手御前しか思い出せない。今なら大和屋といえば玉三郎だが、彼の玉手御前は見たことがない。見てみたい気もするが・・・・・
しんしんたる夜の道??合邦だろうかどうなのか・・・

勝川春章『半七と三勝』 今頃は半七さん、どこでとうして はお園のクドキ。ここにいるのはエエ気な二人。しかし子をなしてもいるし・・・(歌麿コーナーでもこのカップルは描かれている)『酒屋』の芝居は義太夫のよさをつくづく感じるものだ。
『衣裳部屋の初代松助と菊丸』ともう一人いるのだが、それが一人だけカメラ目線なのが面白かった。
どちらも音羽屋の弟子筋。

一筆斎文調『二世市川八百蔵の奴軍助』 夜なのか、背景は黒。これは南北の『桜姫東文章』の正義の奴。奴でも彼は正義の人なので凛々しい。
『二世市川雷蔵の松若丸』 こちらも桜姫の弟なのだが、松若には松若伝説と言う別な筋があるから、これはこちらの芝居ではないだろう。

<写楽>
出品されている作品はどこかで必ず見ているものなので、今回は摺りや色を見て楽しんだ。
毛彫りの凄まじい繊細さと、銀色つぶしなどを見ると、外国人がびっくりしたのがわかるような気がする。すごくきれいなコレクションだと思った。
しかしゴッホも写楽もいなくなってから大人気になる・・・というのは、なんだかせつない。

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<歌麿>
『青楼にわか鹿嶋踊り』 吉原ではなんだかんだとイベントをして客寄せをする。にわかは俄でもいいし仁輪加でもいい。要するにちょっと楽し目の寸劇。今でも九州の博多にわかは健在だし、大阪の松竹新喜劇もにわかの系統なのである。
ここでは鹿嶋踊りを遊女が演じるのだが、なかなかきれいな女。

『浄瑠璃十二段草紙』 これは女の目つきがよかった。

『北国五色墨 川岸』 出た。この絵は河内長野にある『つまようじ資料室』にも「これです!」とばかりに飾られている。
♪房楊枝でハミガキハミガキ♪客はゆんべのうちに帰ったか、明ける前に帰ったか、シャコシャコ、ハミガキその後は、ティースピック(爪楊枝)で仕上げだよっ♪
・・・と、勝手に歌を作った。
不貞腐れてるのではなく、この時代既に歯磨きの習慣は広まっていた。杉浦日向子の『百日紅』にも歯磨き粉売りが登場するし、池波正太郎の『仕掛人梅安』の相棒・彦次郎は房楊枝作りの職人としても一流だった。
しかしこの女の目つきはあぶない。眠いからそうなのか・普段からこんな目つきなのか・・・。

『物干し台』 八人の女たちと子供が一人、猫までいる。ふと解説を読むとナゼかこんなことが書かれている。「・・・実際にはありえない光景」・・・なにがですか?江戸の物干し台は八人も乗れない、と言う意味なのか、それとも八人も女が一緒に物干しにいることを言うのか、それとも向こうに富士山があることなのか。

『三勝・半七』 先にも少しかいたが、これは縦長の二枚続きで、二人の間の子供も一緒。歌麿は子供の絵がうまい。特に幼児がいい。可愛らしい。

『絵兄弟』シリーズが楽しい。チラシにもなったのは女三ノ宮の見立て。橘柄の打掛にしても屏風にしても品がある。そしてシャレもあった。屏風の左下に楕円囲みにサインがある。(わか井をやぢ)若いオヤジってなんやねん?なんとなく笑える。

清長もあった。
『武蔵坊弁慶vs土佐坊』 ・・・また土佐坊か。渋谷金王丸展以来、やたらと目につくなぁ。
『若侍を連れた武家息女の一行』 これはなかなかよかった。清長らしい長身のプロポーションで、皆が行く。左端の息女は振り向いて若侍をみつめている。侍だけは素足で、足の指がきれいだと思った。
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<北斎>
いよいよ例の百年ぶりの再会の竜虎か。
それはコーナーのいちばん向こうにある。

『諸国滝巡り 下野』 この滝の流れ方がいい。色合いといい水流といい。なんだかいちばん見に行きたい滝だった。

『お岩さん』 何回見ても飽きないなぁ。これと小平次はわたしの中の北斎ベストなんだけど、賛同する人は少ないかもしれない。『笑い般若』はきらい。元々子供の頃から四谷怪談が大好きで、今もかかる度に見に行くようにしている。映画では天地茂の伊右衛門が最高でした。

『朝顔にカエル』 ・・・とうとうカエルがどこにいるのかわからなかった。そばにいた人々と一緒に探したけど、わたしたちみんな情けないな。遠くから見たら見えたりするかも、と言ってみると皆さんが一斉に後ずさったのは、なんとなく面白かった。

『百合』など花の絵はおとどしの北斎展でも見たが、この描線がなんとも言えずいいと思う。昔大阪で『花博』が開催されたとき、それを記念してロックフェラーコレクションの浮世絵が来てくれた。
花鳥風月を楽しんだなぁ。花びらのチリリ・・・となった線など最高だと思う。これはそれこそ小平次の頭蓋骨の描線と同じ種類なのだ。本当にいい。

竜虎ご対面?。表装まで同一。そうですわね、対ですね。虎の縞柄がなにやらぬめり気を帯びている。
視線は絡み合っていないような気もするが・・・竜はなかなか立派だった。
こうしてご対面が叶い、展覧会も開催されてなによりもめでたい。

<相撲絵>
何年前か、京都で相撲絵ばかりの展覧会に出かけたことがある。友人のお父さんがさる部屋のタニマチで、パーティに私も連れて行ってもらった。その頃に見た展覧会だが、普段見ようとすれば両国の相撲博物館に行くしかなさそうだ。

『雷電と滝の音』 史上最強の力士か。今や雷電といえば川原正敏『修羅の刻』を思い出してしまう。あれを読んで雷電の相撲歴などを知ったのだ。

相撲は今ではどうも色々言われているが、昔は日本人の大好きな勝負事だったのだ。こうして浮世絵に描かれるだけでなく、明治大正昭和初期になって写真印刷が進化しても、鰭崎英朋の相撲絵が人気だったのがその証拠なのだ。ここにあるのは力士たちの2ショットものばかりで取り組みはなく、それが少し残念だった。

<洋風風景画>

昇亭北寿『日本橋』 凄い構図。ちょっと不思議なくらい。日本橋といえばすぐに広重のそれを思い出すのだが、全く違う。橋が異界とつながっている、と言う原則を思い起こさせてくれる作品だった。

柳々居辰斎『真崎』 これは稲荷のあるところだな。池波ワールドならここには秋山大治郎が住んでいる。左の家の窓が剥き出した歯並びのように見えて仕方ない。

<摺物>
狂歌師たちの歌などを載せて絵師が絵を付けたもの。これは伊丹の俳句博物館である柿衛文庫にも多く収蔵されている。贅沢な造り・凝った造りになっているのが多い。

岳亭五岳『梅に蟹』 これは可愛い。われ泣きぬれて蟹と戯る(啄木)でも、神これを創り給いて蟹歩む(誓子)でもなく、猿かに合戦以前の平和な暮らしをしていた蟹のある日の姿、のように見えた。
『三味線に女と猫』 ・・・これはあれか、落語の『猫の忠信』のパロディなのか、それとも単なる情景なのか。女は多分玄人筋だろうし、猫を可愛がってもいるのだろうが、何かそんなことを考えてしまう。
『天保山』 ああ・・・昨日遠望したところ。日本最低山。わたしはここの登山証明書を持っているゾ。

ここからコンセプトタイトルがなく、押し迫って展示されている。

鳥文斎栄之『見立て雁金五人女』 雁金五人男のパロディだから、みんな尺八を手にしている。女伊達。こういう絵を見れるのが嬉しい。
鳥文斎栄里『山東京伝肖像』 黒地にキセルを持つ肖像画。江戸時代の浮世絵によるリアリズム。心に残る作品だった。
國貞『虎』 ちょっと弱い。國貞はやはり芝居絵か女の絵の方がいい。
国芳や英泉の風景画が出ていたが、ちょっと淋しいような気持ちになる。わたしはやはり彼らで好きなのは違う分野の作品だからだ。その意味では幕末辺りのあくどいような絵が好ましい。
しかし決して悪くはない。
英泉『鯉』 二点ばかりあるが、今にも跳躍しそうな鯉である。なにやら凄い。こんな構図を描いたがすごい。また別な鯉は探索中、とでも言うような顔つきでそれが面白く思えた。
国芳『十一段目 討ち入り』 やっぱり忠臣蔵はいいなー。忠臣蔵関係の絵を見るだけで嬉しくなる。
英山も二点ばかりあった。

<広重>
子供の頃から『東海道五十三次』が大好きで、家にある画集をよく眺めた。また永谷園のお茶漬けのおまけのカードも揃ったのがあった。父は広重がいちばん好きだったようで、わたしが最初に見た浮世絵は広重の作品で、子供向けとは言え、江戸を意識しながら読んだ本は一九の膝栗毛だった。

広重の白鷺は色々な種類を見ている。そのどれもがまるで刺繍されたような美しさに満ちている。
無線摺りに空摺りという技法で鷺を表現する絵師は、他に暁斎がいた。とてもいい感じだ。
花鳥風月を共にしたのだ、と感じる作品が多い。

『月に雁』 チケットにも切手にもなった作品。藍色がきれいだ。こんな発色が残っているのが嬉しくて仕方ない。これもロックフェラーコレクションで見たが、発色はこちらの方がきれいな気がする。 

『雪中椿に雀』 これもロックフェラーで見たのだが、今その本を開いてアッとなった。2パターンの背景がある。ギメのはどちらだったろう・・・・・・・・どちらにせよこちらを向く雀は可愛い。

最後の最後に暁斎『釈迦』 明治九年の作品が出た。変なリアリズムのある絵に仕上がっている。
キッチュなくらいだった。そばにあれば魘されそうな気がする。

ああ、いちどに190点はさすがに疲れた。
だが今の東京では、太田でヴィクトリア&アルバートからの浮世絵、ニューオータニは広重、千葉では清長の展覧会と言う浮世絵シリーズが始まっている。
それらを全部見るのはちょっとしんどいので、とりあえず清長だけ見に行くことにしている。

大阪市立美術館では5/27まで。わたしが常設展示を見終えて階下を眺めると、綱で道が作られていた。外にまでずーーーっと延びていた。マシな時間に来てよかったのかもしれない。

ありがとう、ギメ美術館。img984.jpg

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