美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

藤島武二の美人画

小磯良平の師匠は藤島武二だった。
武二は晩年朝日を描くことに熱心だったが、なんとも麗しい美人を多く描いている。
アールヌーヴォーとルネサンス絵画の影響を受けた武二の美人たちは、永遠に美しく生きている。

神戸の小磯記念館で始まった『藤島武二と小磯良平展』に出かけた。副題は『洋画アカデミズムを担った師弟』なるほど、確かにそのとおり。
しかし二人それぞれの名品をイメージすれば、どちらも真っ先に美人たちが思い浮かぶ。
弟子の小磯の描く婦人たちは、洋の東西を問わず・年代を問わず、「清澄」で上品(’50年代の労働者のおかみさんたちを描いていても変わりはない)、それに対し師匠の武二の描く婦人たちは、もう少し脂濃いように出来ている。

‘02にブリヂストン美術館で武二の回顧展があった。名品から知られざる小品まで揃い、素晴らしい展覧会だった。
こちらでは二人展という性質上、数はやや少ない。
しかし良い作品を並べていた。中身はブリヂストンに現れたものと重複もする。
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ただしこの『官女と宝船』はブリヂストンには出ていない。この作品は昨冬の東京美術倶楽部での『大いなる遺産 美の伝統』に現れたのが吉祥となったようである。
一年半前と全く同じ感想をわたしは懐く。
「私の好きな口紅と同じ色の人」
なんとも言えず、いい。

今回裸婦が数枚出ていたが、このうち初期の『桃花裸婦』は肌の色が黄ばみかかった馴染みある身体の裸婦で、いいものだと思った。
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この作品や泉屋分館所蔵の『幸ある朝』などは、いかにも明治初期の洋画家の描く作品と言う趣がある。油絵師とはまた違う味わいなのだ。
明治の浪漫主義が横溢して、この時期にはときめくような作品が多い。

『婦人と朝顔』この作品は『蝶』と同年のものらしい。
とても納得できる。mir321-3.jpg

武二は花と蝶が好きだったそうだ。それは作品を見て回るとよく伝わってくる。
蝶はここには出ないが共に並べると、深い魅力に惹かれるだろう。

少し遡り19世紀末の作品。『桜狩』お女中の結髪などを見ると、なまなましいリアルさを感じる。
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ここには『黒扇』はいないが、彼の描いた西洋婦人の中では、最も美しいひとだろう。
パリ・ローマを旅した武二は、朝鮮や台湾にも渡る。
『花籠』を頭上に載せる美しい朝鮮婦人。しかしこの左頬の赤みは一体なんなのだろう。
いつもとても気にかかる。mir321-2.jpg


『天平の面影』は世にある作品のうちでも特に好きな作品である。彼女はここには来ず、いにしえの美人は江戸時代までとなった。
しかしルネサンスの面影を宿す婦人たちがいる。
『剪眉』中国人形に惹かれ、それをイタリア・ルネサンス風に横顔で描いた。
『芳恵』『東洋振り』もまた彼女の仲間なのだった。
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『台湾女性』は青いターバンを巻いている。フェルメールの少女のように。
その同じ青色で強い印象を残すのが『聖女』だった。
細く小さな作品。イタリアに留学したことで生まれたように思う。
彼女がどんな苦難を受けて『聖女』になったのかはわからないが。
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昭和に入り、武二の裸婦が変わる。モダンな佇まいの女たちになる。
髪型だけではなく、姿態がモダンさを帯び、武二の筆はそれを捉える。


武二の美人画ばかりに主眼点をおいた。
個人的な喜びがここにある。

展覧会では小磯の名品と共に、武二の朝日や海や山の絵も楽しめる。11/18まで。
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絵本の国からコンニチハ

今年もまたボローニャ国際絵本原画展を見に行った。正倉院展とこのボローニャ絵本展とは学生の頃から欠かさず通っている。
毎年通うと馴染みの画家も生まれるし、展覧会全体の傾向も見えてくる。近年どうもちょっと好みから離れていたが、今年は久しぶりに本を買うくらい、たいへん充実していた・・・つまりわたしの好みに直球が来たのだ。
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チラシはピノキオ。工房で忙しく働くオジさんを人形たちみんなが見守っている。
フランスのAルブッフ。
わたしは絵本原画に限っては、暗い夜の情景、薄暗い工房・寝室・森の奥深く・・・という作品が好きである。前回本を買ったのは’91、それ以来のときめきがあった。

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チラシの裏に広がる作品のうち、左真ん中の黒マントの怪人物。手に細い糸をつけてその先に三日月をつれている。どきどきする作品だった。メキシコGパチェコ。

現代絵本原画を見ると、イタリア、フランス、ドイツ、チェコ、イランに特に素晴らしい作品を生み出す人が多いように思う。
そして面白いことに画家の個性だけでなく、その国民性が作品に現れる。
例えばドイツの『大きなお鍋』Cカールス 物語はドイツの民話から採られたので粉引き小屋が現れるのに不思議はないが、ハンバーグが出る。めちゃくちゃおいしそうなハンバーグ。ご当地料理だから当然なのだが、あまりにおいしそうでクラクラした。

今回一番惹かれたのはサンマリノ共和国のNチェッコリ『様々な少女たち』図録には五枚組の作品のうち二枚しか掲載されず、他に絵葉書に一枚あったが、わたしが特に気に入った鳥籠少女とねこの少女がないのが残念だった。
こちらはチョウチョの少女。mir315-1.jpg

他にクモのような少女と人魚たちがいるが、鳥籠少女はスカートが鳥籠で、そこに小鳥たちが飛んでいた。ねこの少女はねこ耳でワンピースを着ていて、両手に何本もの糸を握っている。糸の先にはネズミたちがずらずらっ。少女はネズミたちの女王のようにそこにいる。幼くとも不可思議な官能性を滲ませた少女たち。
こちらは三年前の作品で、やはり不可思議な官能性が静かな空間に佇んでいる。
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ニコラ・チェッコリのサイトはこちら。
http://www.nicolettaceccoli.com/index.html

基本的にこのボローニャ絵本原画展は若手絵本作家の登竜門という位置づけにある。
五枚一組で、ノンフィクション・創作・民話の閾を超え、技法も自由で応募するシステムである。だからチェコのBIBブラティスラバ国際絵本原画展の方が本当を言えば格式は上なのだが、日本ではボローニャグラフィックの方が知られている。
安定した大家の作品も素敵だが、若手作家の新鮮さが楽しみだと言うこともある。

『クリスマスのテディ・ベア』フランスIシャテラール。テディ・ベアを作るねずみたち。働くネズミたちを笑うのは何者なのか。

『オムライス男爵』神野沙織 オムライスの中に住む気難しそうな男爵。アクリルとグァッシュで描かれている。太い線に濃い色調が楽しい。

数年前CGが主流になり、大変面白くない時期が続いたが、今はそこにも工夫が見られるようになった。やはりそうしたものだけに頼るのは楽しくない。

イタリア人と日本人のコラボ作品が楽しい。これはCG作品『浦島太郎』。日本の伝説も違う国の人が描けばこうなるのか、という面白い見本を見せてくれた。

イタリアSモッリ『赤ずきん』 春に赤ずきんばかり集めた展覧会に行き、大変興味深く思ったが、このモッリの作品を見て暗いときめきを覚えた。原作の赤ずきんは二種あり、共に女の子への危険の呼びかけという教条的側面もあったが、ここでの狼はむしろハンバート・ハンバートであり、赤ずきんは彼を振り回すロリータそのものなのである。特に狼がベッドにいるおばあさんの前に姿を見せる辺りは、ロリータの母親がハンバートを待っていた情景に似ている。しかもこの絵本は赤ずきんによる追想と言う体を取っている。
「十八歳で私は年老いた」とデュラスは言ったが、この赤ずきんは一体何歳でその台詞を口にするのだろうか。
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健全にして凶悪な楽しい絵本を紹介する。『ガブリ』長野博 ヘビがビルをガブリ、ワニが大木をガブリ、ゾウが飛行機をガブリ。
・・・こういうの、子供の頃に見たかったなー。
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『聖書』を現代風に描いた作品がある。イタリアFロッシン。アクリルと大変細かいペン画による、やや’60年代的世界観の『聖書』。丸いアタマの骸骨がコートを着て夜の裏町を行く。水浸しで、ビルの窓から水が溢れ、車も立ち往生、ストリートガールは怒鳴っている。

長野順子『行間幻想記』にときめいた。エッチングと手彩色による繊細な作品。
少年、洋風建築、地下室、階段、羊歯、ガラスボトル、本・・・
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何もかも私の愛するものたち。
見ていて苦しくなるくらい、ときめいた。この世界に入り込めば現実への帰還が出来なくなるかもしれない。それがわかっているので、そっと離れた。

もうひとつ、ひどく心に残る作品がある。園田恵里『なにもきかないで』
英語の言葉の下に日本語が綴られる。短い会話。鉛筆画によるせつない世界。
夜中、バスはもうない。乗せてください、と手看板をあげるワニ。オートバイうさぎが止まってくれる。「噛んじゃいやだぜ」噛まない約束をして後部座席に乗せてもらうワニ。
かすかな彩色がパステルで行われる。それが微妙な光になる。
展示は五枚一組だが、絵本として刊行されているものもある。見にゆくと、刊行はされていないが美術館によるオリジナル絵本としてそこにあった。
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急いで続きを見る。
飛行機に乗る。夜間飛行。(五時間遅れたあと真夜中にミラノへ飛んだときのことを思い出した)夜行列車に乗るワニ。お客が少ないから二席分に伸びる。前の席には眠る白熊。
そしてバクかアリクイらしき生きものがバス停にいる。
そこへもオートバイうさぎが通りかかる。彼はまたしても親切に声をかける。しかしアリクイ?は友達を待っていることを告げ、ありがとうと断る。
ワニがその前に立つ。ワニの旅は終わったらしい。
『なにもきかないで』Don’t Ask Why 静かにせつない物語の果てに、作者の直筆文字がある。「ありがとうございました」
ただただせつなかった。

他にもすばらしい作品が多かった。今年の絵本原画展は本当に見応えがあった。
今年は韓国にも巡回するらしい。

記憶の中の洋館

わたしは明治から昭和戦前までの近代建築を偏愛しているが、その遠因を考えると、いくつか思い当たることなどがある。

・祖父は大阪控訴院の裁判官で、中之島からあの重厚な建物がなくなるとき、母が赤ん坊のわたしをつれて見せに行き、「もったいない」を連発した。以後、かなり長い間中之島に行くたびに「残念だ」と聞かされたので、わたしのアタマに近代建築の消失=残念無念という公式が作り上げられたようだ。
控訴院の建物絵葉書。
http://www.mtm.or.jp/museumreport/ehagaki/page15.html

・子供の頃、横溝正史シリーズに熱狂していた。
わたしが見始めたのはパート2からで、エンディングの茶木みやこの歌声と映像にシビレてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=AukGxbutR54

いまでも再放送のたびに熱心に見ている。
しかしこの建物がどこなのか判別できない。
教会とそれから?・・・
全く無念であるし、これでも近代建築を見て回っているのか、と反省しきりである。

・近所に洋館がいくつかあり(今は全てマンションになったが)放置された通称ねこ屋敷と言う恐怖の館に入り込もうとしたことで経験した恐怖、それが逆に洋館への憧れを生み出したらしい。

・阪急百貨店の(今はなき)伊東忠太のゴシック天井とモザイク壁画、大丸心斎橋(ヴォーリズ設計)それらへの多大な憧れ。

大体こんなところだと思う。
ところで近々、須磨のさる建物の盛衰をこの場で展開する予定である。
廃邸から華麗なる転身。
あまりに膨大な記憶と記録なので、まとめるのに今、時間がかかっている。今日はとりあえずyoutubeでこの画像を見つけれたことが、嬉しい。

ロートレック展を見る

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サントリーミュージアムで『ロートレック』展が開催されている。大阪の次は名古屋それから東京へ巡回する。
サントリーミュージアムにしては珍しく、今回展示目録を作っていないという。
そうか、それなら仕方ない。
記憶と謎なメモ書きによって、この感想文は綴られている。
入り口すぐ横の一室で15分ほどのスライド上映と説明とで予習が行われる。
これはなかなか面白いのだが、終わると同時に見学が混むのがこわいので去った。

ロートレックが様々な分野で多くの傑作を残したこの時期に焦点を絞り、日本初出品となるオルセー美術館秘蔵のロートレック・コレクションをはじめ、各国から集められた油彩画の名品の数々、さらに版画とポスターの代表作を網羅し、挿絵や素描、関連資料などもまじえて、ロートレック芸術の本質に迫ろうとするものです。彼が大きな影響を受けた浮世絵版画との関係も検証します
美術館はそんな狙いで開催している。

近年ロートレック展を見た記憶をたどる。福島の郡山美術館でのそれが今も印象深い。
そこでは主に油彩と素描が出ていた。内容は娼館での日常の情景だった。
クールベとロートレックの描いた千鳥たち…女同士の愉しみがそこにあった。
今回はそうした作品は現れず、ただシリーズ『彼女たち』Elleがある。
この作品はレベルは高かったが反応が悪いという不運な作品だったらしい。
彼女と彼女たち…Elle et eux

オルセー、サンパウロ、鹿島茂コレクションなどからその時期の作品が現れる。
全てロートレックで埋めるのではなく、例えばジュール・シェレやテオドール・スタンランのポスターも並ぶ。
世紀末のパリが再現されているのを感じる。
シェレの娘たち、スタンランのえらそぉな黒猫、そしてロートレックの芸人たち。
同時代にはミュシャもいたが、ミュシャが実際より美しく、そしてアールヌーヴォー様式に則って作品を展開させたのとは対照的に、ロートレックに描かれた人々は戯画的な動きを見せる。美人もオトコマエもいないが、魅力的なアクの強さがそこにある。
アリスティド・ブリュアン。彼を描いたポスターが何点か並ぶが、いつ観ても(今見ても)作品として、いい。
対象をあえて美しく描かず、その個性を拡大化させて描く、と言う手法は日本でなら写楽がそれをした。
浮世絵がフランスの芸術家に及ぼした衝撃と影響は今更ここに書く必要もないが、それがいかに大きかったかは、ここに並ぶ浮世絵を見てもわかる。

ロートレックは身体に不幸を抱えていたが、闊達な性質で、そして娼婦たち芸人たちに愛される画家だったという。彼の手で描かれた人々はナマナマしい姿を捉えられている。
しかしそれは世の片隅に生きるものを侮蔑的に捉えたものではなく、言ってみれば身内の日常の姿を淡々と捉えたものなのである。

数年前、芸術新潮で鹿島茂が没後百年記念展に寄せて一文を認めている。(その展覧会もこの天保山サントリーミュージアムだった)
その雑誌を引っ張りだしてみていると、ロートレックの機嫌のよい写真などもあり、アルコールとノーバイとで早世したとはいえ、本人は極めて楽しく生きたのだと感じた。
実際この展覧会に並ぶ作品を見ても、不幸を感じないのである。
放蕩息子の挫折はなく、心の入れ替えもなく、描きたいものを描いて死んでいったのだと思う。
なんとなく「あっぱれ」な生き方のようにも感じるが、まねをするのはお断りだ。

会場にはその当時の芸人たちの映像などもあり、見所の多い展覧会となっている。
一つ一つの細かい感想より、総じて「よかった」と書くことがこの場合一番正しい気がする。

大阪では11/4まで開催されている。



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名画の理由・前期

大阪市立近代美術館(仮)で『名画の理由』展の前期が開催されている。
ここは元・出光美術館だった場で、心斎橋にあるからとても行きやすい。
ハコを中之島に作るんだ、という夢は立派だがここで賃貸料払う方が合理的だ。
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赤字タイトルは以下のURLに画像がある。

赤松麟作 孔雀 1894年  この孔雀を見ると、応挙の孔雀が岩絵の具をはがされて油の衣をまとった、そんな感がある。19世紀末の日本洋画はまだまだ試行錯誤の時代だったと実感する。この作品は座敷に飾れるように屏風仕立てなので、例えばそんな状況にあったとしたらこんな会話が成り立つだろう。
「ほぉ孔雀でっか、変わってますな、油絵?」「そうですねン、ちょとおもろい味がありますやろ」「南蛮漬けみたいなもんですな、わるぅはない…」

池田遙邨 雪の大阪 1928年 この作品は以前目黒雅叙園に収蔵されていたと思う。美術館が解散し、あの麗しい作品群がどこへ四散したのかと思うと、今も胸が痛くなる。
さて『雪の大阪』に描かれているのは昭和3年の中之島にかかる難波橋から大阪城方面を望む風景である。難波橋にはライオン像が袂にあるが、ここは橋の真ん中。そこからの景色。
こちらは描かれた建物の説明図。
クリックしてください。mir311.jpg

80年も経つと今や殆どの建物が失われ、形を変えている。府庁と大林組の外観はまだ今もそのままなのがうれしいが、正教会はどこへ消えたのだろう…当時の建物の写真を見たいと思った。わたしは田園・森林風景にあまり関心がないが、都市風景には深い関心がある。
だからこの作品も日本画の作品として眺めるのでなく、近代都市風景として対してしまう。

石崎光瑤 白孔雀 1922年 去年のここでの展覧会からこの作品が世に現れた。
その後回顧展も開催され、多くの人がこの艶麗優美な作品に魅せられた。熱帯の森の中、白孔雀が優雅に佇む。華麗なる白。グラン・ブラン。視界いっぱいに美が広がる…

岸田劉生 静物(湯呑と茶碗と林檎三つ) 1917年 麗子だけでなくこうした静物画を見ると、劉生の巧さと言うものに胸を衝かれる。北方ルネサンス絵画が日本の土着性と融合したような、到底現代では描けない作品だと思うのだ。この質感がたまらない。

北野恒富 涼み 1926年 浪花の悪魔派と謳われただけに独自の微妙な官能性がある。近年回顧展も開催されたが、こうした本絵もよいけれど、ポスター原画などの魅力を知るだけに、ここにもそうした作品を集めてもらえたら、と思った。

小出楢重 菊花 1926年 この菊花は不気味さグロテスクさを見せている。というより、咲く菊花には清純さを感じるが、切花になると途端に不思議な妖しさが漂うものだと実感する。活けられた菊花はもう明日には萎れるだろう。テーブルに落ちる花びらはその死を予感させる。菊慈童は菊の露で千年の長生を得たが、切られた菊は棺に収まる遺骸に寄り添うものなのだ。
小出は随筆・座談の名手だったと言うが、その随筆に時々ひやりとする恐怖が潜んでいる。彼はそれをざらりと曝け出す。そして冷徹な眼でそれを眺める。
この絵にもそんな感性が見出せる。

白瀧幾之助 復習(さらひ) 1903年 民家の二階でお針ごとをの手を止めて姉が妹に三味線の手を教える。「ほらそこや、こぉや、チントンシャンやのぉてチ…ントンシャンや」
そんな声が聞こえてきそうな情景だった。この頃まだ家庭には和の風景が生きていた。
そんな情景を油絵で描きとめる苦労と言うものを、やはり考えた。

福田平八郎 漣 1932年 先般回顧展が開催され、深い感銘を受けたが、この作品は釣り好きな福田が珍しくボウズだったときに水面を見て、着想を得たそうだ。
観念的な作風がニガテだったが、今では福田はわたしにとって好きな画家の上位に名を連ねている。この絵には無限の広がりを感じる。

藤島武二 カンピドリオのあたり 1919年 武二が巴里でなくイタリーに眼を向けたのは、日本近代洋画界にとって大変な幸福だったと思う。
町中の一隅。温度まで伝わる作品だった。

村上華岳 雲上散華之図 1938年 ほとけは天に舞う。散華するのは花なのか。働くほとけ。

満谷国四郎 杏花 1920年 満谷の色彩感覚が好きだ。艶消しというか煌くものは感じないが、柔らかな質感がそこにある。それがまったりと意識に収まる。
杏の花よりその枝振りが眼に残る。いい作品だった。

関根正二 天平美人 1917年 関根のイメージというと、重く厚い色調 それが脳裏に浮かび上がる。しかしここにいる天平美人はとてもあっさりしている。油彩とは思えない。
白い画面に月琴を弾く天平美人とタンポポ・アザミ、そして白孔雀、チューリップ連続パターン。与謝野晶子の和歌がそこに書かれてもいる。青木や武二の天平時代とは異なる描き方だが、天平時代のおおらかな豊かさがこちらにも伝わってくるようだった。

竹内栖鳳 惜春 1933年 薪を積み重ね集めた上に鶯がいる。桜の花びらが辺りに舞い散り時期の移行を感じさせる。桜は花の王と言う。(春はまだ続くというのに)王の死で春が逝くのを感じる繊細さ…この感性はいつまでもDNAに残しておきたいものだ。

土田麦僊 散華 1914年 今回チラシにこの作品が使われていた。丸顔の菩薩たち。チラシには出ないが左右それぞれに二人ずつ僧侶がいる。内側は若く、外側は老人である。
彼らは東大寺倶舎曼荼羅に描かれた僧侶をモデルにされている。その一方、舞い舞いする菩薩たちは浄土教の変相図から採られている。遠目には菩薩の舞が愉悦を思わせもするが、表情に陶酔はない。散華と言う言葉の本質がそこにあるのかもしれない。

これらの作品は以下のサイトで画像が見れる。
http://www.city.osaka.jp/yutoritomidori/culture/museum/shuzo/index02.html

菊池契月 婦女 1930年 この作品は北野の隣に並んでいた。どちらも白い絵だと思う。余白の美を味わわせる絵。色彩がなくとも線描の美に酔う体質が我々には受け継がれている。

木谷(吉岡)千種 浄瑠璃船 1926年 mir310-1.jpg

吉岡は旧姓、近松研究家・木谷蓬吟と結婚してこの姓になった。舟遊びに出た人々の前に、流しの浄瑠璃語りが舟で来る。語るのは梅川忠兵衛、他に政岡忠義談の本も見える。こちらの舟には瓜も摘んでいる。夏の楽しみはこんなところにもあったのだ。木谷千種は北摂に画塾を開き、大勢のお弟子さんをもった。
大阪は京都と違い、女が絵を描くことに反対などしなかった。以前浪花の女絵師たちといった趣の展覧会を見たが、この先も彼女らの遺作がここに集まり、日の目を見れば、と思っている。

小磯良平 コスチューム 1939年 日本の洋画家でバレリーナを描いて全く違和感のないのは、小磯と鬼頭鍋三郎だけではないか。背筋の美しさに惹かれた。小磯はいつ見てもいい。

小出楢重 裸女の3 1929年 寝転がる女。片方の胸だけ何故かピンク色。ワカメちゃんカットのような髪型。日本の女の身体もわるくない、と示したのは小出と満谷だと思う。

スイカのある静物 1928年 困るくらい、おいしそうなスイカ。夏が終わったのに、この絵を見た途端スイカが食べたくなってきた。とてもおいしそうなスイカだった。
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里見勝蔵 雪景 1924-25年頃 ヴラマンクの影響が濃い。ここでいつも思うのは里見が佐伯を連れて行って「アカデミズム!」事件がおこったわけだが、ヴラマンク先生は自分の亜流のような里見の絵については何も言わなかったのだろうか。時々そのことを考える。

山口華楊 角とぐ鹿 1918年 岸派の流れを汲むだけに動物画がすばらしい。このときはまだ若描きで、色調も後年の軽快さがない。鹿が木の根元でツノをといでいる。がしっがしっがしっ。そんな音が聞こえてきそうだ。

山内愚僊 朝妻舟 1897年 白拍子のなりをした女が小舟に乗る。この美術館(仮)が生まれてから、京都でもよそでも山内の作品が表に出るようになった。
この白拍子姿の女は、江戸時代なら舟饅頭、戦後なら『泥の河』の女と同じ職業なのだった。

10/8までこのラインナップ、13日から11/25まで’30?’50年代のモダニズム作品に替わる。

月によせて

仲秋の名月である。
名月と言えば『名月八幡祭』という芝居を思い出す。
日本は古来より月を愛でてきた。
また月下に美人の立つ絵を江戸の庶民も喜んだ。
抒情画にも月は多く描かれる。
日本で生まれた月の絵を集めた。

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広重 近江八景 石山の秋月
石山寺といえば紫式部が源氏物語を執筆した場所である。
開け放った窓から紫式部も月を眺めたろう。
平安の月・幕末の月・平成の月。
千年はほんの一瞬なのかもしれない。


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秋草が咲き乱れる中に立つ美人が月光に照らして文を読む。
恋文だろうが、嬉しい内容だろうか。


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植物の名の中に月がある。その月に坐す女神。


同時代に描かれた少女の物思う姿。
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皓々たる満月の光を浴びて、彼女はなにを思うのだろう。
加藤まさを 『月の沙漠』の画家は物思いにふける少女を多く描いた。


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須藤重の月の女神は光を砕いて地に放つ。


星を見ることは殆どなかった中世、月に思いを向ける。
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観月の楽しみは豊かな記憶となる。八十年前の少女たちはこの絵に心をふるわせていた。


月で働く同胞を見上げて笑う地上の兎たち。
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呼ばれれば越後から杵つき、この言葉も忘れられてしまった。


最後に『猿猴月を取る』図を一枚。
水に浮かぶ月は取れない。それでも猿は吸い寄せられてゆく。
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月百姿のほかにも、月はこうして愛されている

「モディリアーニと妻ジャンヌの物語」を見る

既に東京で多くの感銘を与えた『モディリアーニと妻ジャンヌの物語』展が大阪でも開催された。8/29?9/24。わたしは日を置いて二度通った。二度ゆくことで意識が変わるかと思ったが、その都度新しい何かをそこに見出し、深い思いに沈んだ。

かつてモディリアーニを描いた映画があった。フランス随一のジェラール・フィリップ主演による『モンパルナスの灯』である。ジャンヌを演じたのは『男と女』のアヌーク・エーメ。50年前の映画を20年ほど前にみている。
モディリアーニの絵のイメージはいくつでも浮かぶのだが、この悲劇の男女のイメージはジャック・ベッケル監督描く映画の二人なのである。
大丸梅田での展覧会は混雑している。ご年配の方々はやはりあの映画のイメージが強いらしく、実際のジャンヌの写真などを見て声を挙げている。
モディリアーニは実物も俳優もハンサムなので、イメージのズレが少ないのかもしれない。

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ジャンヌ・三様

今回の展覧会でわたしはこれまで抱いていた<モディリアーニ>のイメージを修整することになった。
何がかと言うとモディリアーニは今の今まで「自分の個性だけで描いている」と思っていたのだが、ここに展示されている素描などを眺めるうちに「モディリアーニは巧いのだな」と実感した。
へんなことを言うようだが、これまでモディリアーニに巧さは感じなかった。
印象派が世に出て以来、自分の個性を生み出し、確立するのに心血を注ぐ画家が大勢を占めているため、この極めて個性的な画家に技術的な巧みさと言うものを、感じなかったのだ。しかしここに並ぶ素描はわたしの固定観念を打破した。
モディリアーニは巧いのだ。そのことを知っただけでも新しい気分になった。

ジャンヌの作品はこれまで一度も見ていない。本人の顔写真もはっきり見ていない。
髪型や顔立ちのせいか、フランス人と言うよりラファエル前派の画家が描くようなタイプに見えた。パネルの解説文ではビザンチン風の鼻梁が、とあるが幾枚かの写真を見ると九州美人のようである。
そのジャンヌがモディリアーニに出会う以前に描いた作品を見る。
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色彩が重く感じられる。重厚なのではなく、色調に明るさがない。何故この取り合わせなのだろう、と思いながら見て回った。
しかし’15ネール・ドフの自伝的小説『飢餓と悲嘆の日々』に打ち込んで、その挿絵を33枚描いたのを見て、その線描に感心した。ヴァラットンのような感じがあるが、この挿絵はジャンヌによる『飢餓と悲嘆の日々』の二次創作だと思って、改めて眺めた。

モディリアーニ『珊瑚の首飾りの女性』この絵に惹かれた。
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青灰色の背景、青い服、水色の瞳、小さくつぐんだ唇。
この絵とチラシにもなったジャンヌとが、今回いちばん「きれい」だと思った。
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モデルになった女がそこにいるというだけでなく、キャンバスの中から女がこちらをみつめる。そんな作品だと思った。ただし彼女たちは観客を見ず画家をみつめているのだが。

ジャンヌがモディリアーニの影響を受けだした頃の作品群を眺める。
鉛筆描きに良いものを多く見たように思う。
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それでか、初期のもっちゃり感がなくなり、モダンになっている。
ジャンヌ自身も髪をアップにしたらしい。二人の作品からそんなことを想像する。

モディリアーニは背景を描かなかったが、ジャンヌは風景画も描いた。静物画も多い。
むしろその方に才能があるように思った。
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二人の住まいから見た風景。どことなく閉塞感がある。空がないからか、視線が下を向いているからか。

愛が深いからジャンヌはモディリアーニの後を追った、そう思っていたが作品を見るうちに違う考えが浮かんできた。
何度も死の観念に囚われてきた、と解説文にもあるが展示品にもその兆候を感じもする。
モディリアーニが彼女の死を呼んだのではなく、彼が彼女の死への傾斜を止める防御盤だったのではないか、ということだ。
ハンサムなモディリアーニの寝顔。mir304-3.jpg

彼女は延々とそれを描く。
しかし最早そこに生命力はない。

母とモディリアーニと三人のニース滞在。そんなある日の情景。
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黒いネクタイ、黒いナイフ、黒い柄の猫。それらに不吉さを見出す向きもあろうが、それよりもこの絵に使われた赤色の方が不気味である。
ワインとスカート。まるで毒の入ったような赤ワインが死んでゆく男と女の前にある。死なない母のそばに瓶はあるが、それは母に帰属しない。そしてジャンヌのスカート。
古い細胞が肉体から剥ぎ落ちたときの血の色と同じような色をしている。

モディリアーニよりジャンヌに深く心を寄せる展覧会だった。
この後どこへ行くかは、わからなかった。

安宅コレクションを観る

安宅英一の眼 安宅コレクション・美の求道者 そう題された展覧会を東洋陶磁美術館で見た。
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わたしがまだ少女の頃に、世界的に有名な安宅コレクションの東洋陶磁を一括購入した住友グループの寄贈でこの美術館が建ち、それから四半世紀が過ぎた。
この美術館に通い始めてからは安易に安宅コレクション、と口に出してはいるものの、その安宅コレクションの出自を私は知らなかった。
チラシを見るだけでなく、親に聞く。安宅産業の終焉は当時、たいへんな大事件だったという。日本十大商社の一つが崩壊し、伊藤忠商事に吸収されたのは確かに大事件だったろう。ナマナマしいことに「放出されたクーラーが一万円で販売された」と聞かされた。
今日ではなく、三十年前の話である。それだけでも驚いた。
絵画のうち速水御舟の作品は山種美術館に入り、今日では山種コレクションの名品中の名品として、世に知られている。
今回も『炎舞』と黒猫が苔の上にいる二枚のレプリカが飾られていた。

そして陶磁器である。その行く先は国会でも審議されたそうだが、住友グループにより大阪市に寄贈され、縁故の深い中之島に美術館が建てられた。
それらの事情は館内のプレートにも刻まれているが、今回の展覧会ではコレクター安宅英一の、各品の購入に至るまでのエピソードが添えられての展示である。
美術館館長の伊藤氏は往時、安宅英一の手足となり、安宅英一の眼に捕らわれた名品を、世界各地からその手元に収める働きをされた。
伊藤氏によるエピソードからは、ひとりの稀代のコレクターの恐るべき眼力と、美への執着心が伺えて、たいへんに興味深いものがあった。
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朝鮮陶磁の美品を眺める。
これらは安宅コレクションの中核をなし、常設展として常に我々の眼を心を楽しませてくれる名品たちである。 
しかし伊藤氏による詞書が添えられたことで、作品を<ただ、作品として見る>だけでなく、その背後の安宅英一の美意識を思いながら対峙することになった。

わたしにとって最愛の(もしくは偏愛の)陶板。
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数年間この作品がアメリカに渡っていた時期がある。安宅コレクションの巡回は世界に及ぶのだが、その間たいへんに淋しく思った。あの静謐な美の世界に遊べぬことがこんなにつらいとは思わず、帰還するまでの二年ばかり、殆どこの美術館に足を向けずにいた。
この白い水鳥は鶴たちだと言う。
顧歩・唳天・啄苔・疎翎・舞風・警露という6つの動きを見せているという。
優美にして静謐な世界。安宅英一もその静けさに惹かれたのだろうか。

恐ろしくも面白いエピソードがあった。
安宅コレクションの充実にあたっては無論、古美術商との対話または闘いがある。
多くの場合アルファベットなどで記された店名や某氏と記される元の持ち主のなか、フルネームで書かれた美術商が二人ばかりいる。
中でも廣田氏と言う美術商との鬩ぎあいが凄まじい。
「一旦見せたが最後」と思い詰めた名品を封印までしていた廣田氏が、どうにも安宅英一の押しに敵わず、それを見せてしまう。無論「最後」である。
激しい攻撃がある。廣田氏は巻紙で断り文をしたためる。
しばらくして安宅邸に呼ばれた廣田氏は、長くその間に置かれ、所在無く掛け軸を見て絶句する。自分の断り状が表装され、そこに掛けられているのだ。そしてすーっと襖が開きそこに安宅英一がいる。
執意の深さにおののくようなエピソードだった。

その素晴らしい名品を眺める。これまでは「ああ発色もきれいでヨゴレもないな」と見ていたのが、それだけでは済まされなくなってしまった。
だから古美術の世界は恐ろしく、そして深い愉悦に満ちている。

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面白いことがあった。
この油滴天目茶碗、多くの人から愛されている。無論私も深く愛している。
わたしは背が高いので見込みをのぞくことが出来る。内側の油滴が楕円から徐々に丸い点になる様をはっきりと見て取れる。しかし隣に立つ見知らぬ奥さんにはそれが出来ない。
わたしは奥さんに問われるまま解説する。「内側は青紫色にも見えますね」
ついで外側にも眼を移し、「斜めの位置から見てください、楕円が今度は長く延びて銀の光線に変わります」などと言う。
ふと気づけは人だかりがして、全員が私と奥さんと同じように身体を斜めにして、その銀色の光を眺めようとしていた。
わたしは香具師になれるかもしれない。

梅瓶と鶴首と、どちらも好きである。これらは安宅コレクションで名品を多く見たことから生まれた嗜好である。わたしも安宅英一の眼により鍛えられていたのだ。
鶴首の、その細い首に走る貫入に、背筋が粟立つ。
貫入は大きければアールデコ美術にも見え、小さければ小さいほど、宇宙の欠片のようにも見える。貫入はひびに過ぎない、とは言えない。そのひびが花びらを思わせもし、深い官能を見出させもする。
釉薬が重なり合う場の貫入には、言葉で示したくない深い愉楽がある。
そして鶴首の細い首の貫入には、人を溺れさせる力があった。

その鶴首について立原正秋の随筆が引用されて、パネルに飾られていた。
読んでいてはっとなった。
わたしは子供の頃、立原の『冬の旅』『恋人たち』『はましぎ』などに惹かれていた。それらは最初ドラマで見て夢中になり、原作を図書館で借りて読み耽り、そこから立原正秋に惹かれていった。立原の小説にも随筆にも、朝鮮陶磁器の美について深い愛着が流れていた。わたしは実物の陶磁器を見るより先に、観念の上でそれらに憧れを懐いていた。
偶然ながら立原の死後すぐに私の叔父が韓国へ赴任し、帰国の都度すばらしい青磁を土産に持ち帰るようになった。わたしは立原をしのぶ気持ちでその青磁を眺めていたが、いつの間にか立原を忘れて青磁に向き合うようになっていた。
それが今、高麗青磁を偏愛する自分の原点が何かを、ハッキリと思い出させられたのだ。

立原正秋は安宅コレクションを深く愛する人だった。
わたしは彼の文章からまだ見ぬ高麗青磁に憧れ、実物に触れたことからますます愛情を覚え、そして安宅コレクションと言う名品を目の当たりにして、とうとう溺れてしまったのだ。
安宅英一の眼力から、こうして信徒が生まれてゆくのだった。

画像はないのだが、衝撃的なことを知った。
今回この展覧会で初めて、デジカメのノーフラッシュ撮影の許可が下りていた。
撮影可能な美術館は東博と民博位だと思っていたので、カメラは用意していない。
金の三彩に一つだけ素晴らしい名品があり、それは初見だっただけに、このことを知っていればデジカメを持ってきたのに、と残念に思った。
白椿または白木蓮を刻花している。黄色と緑が優しい色調で縞模様を作っている。
この作品は初期の頃に買い求めた唯一の中国陶磁器だったそうだ。
とても可愛らしかった。

他にいつも楽しい法花壷の側面を見て、惜しいことをしたとまた思った。
黄色い蝶の飛ぶ情景もあったのだ。これまで気づかなかった。
来春大阪に帰還し、また撮影が可能なら試みてみようと思う。

そして青磁象嵌辰砂彩は、今改めて対峙すると先日なくなった高山辰雄の絵画のようだと思えた。どちらも深く静謐な世界を有している。

古美術賞玩だけでなく安宅英一の仕事は他にもあった。
若い音楽家の後援である。名前を見て深く感心する。辻久子・五十嵐喜芳・中村紘子・・・錚々たる人々の名がそこにある。(わたしの学校ではすぐれた音楽家のライブに触れる機会を多く作り、これらの方々の演奏会がしばしば開催されていた)
嬉しい気分が湧き出した。

本当にすばらしい内容だった。200点の名品を深く味わえ、幸せだった。
この展覧会は今月末まで続き、それから東京・金沢などに巡回する。その間、東洋陶磁美術館は休館して工事をするそうだから、来春にはまたこれら名品に会えるのだった。
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東京のチラシもいい感じだと思う。

追悼・高山辰雄

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高山辰雄・追悼
先週、高山辰雄が他界した。丁度都内にいてそのことを知った。
わたしが日本画に溺れ始めたのは’89からで、手当たり次第に展覧会に出かけ、日本画の画集を延々と眺め続けた。
当初、高山辰雄の作品は敬遠していた。「深い精神性が内在した」ことなど読み取れるはずもなく、寄り目と不可思議な微笑をたたえた口許から離れようとしていた。
しかしそれが180度変化したのは、’93のことである。
以下、ごく私的な遍歴の記憶と、高山辰雄への追想に終始する。
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まだ茅場町に山種美術館のある頃で、当時はネットも普及せず、どんな展覧会が開催されているかは新聞・雑誌あるいは電話確認に拠るしかなかった。
当時既に近代美人画を頂点に、近代日本画を愛するようになっていた私は、現代日本画に殆ど関心を寄せなかった。もともと古美術と’20年代を愛していたので、わざわざ好みでない現代画に関心を寄せる必要がなかったのだ。
だから山種に入った瞬間「しまった」と思ったのも事実だ。その'93.3.6は『戦後日本画の展開』を開催中だったのだ。
その頃<修行中>のわたしは都内に出るとブリヂストン・山種・西洋美術館・東博・今は無き目黒雅叙園に出向くことを義務としていた。
山種の企画展は好き嫌いを超えて必ず見る。それが日本画を見る目を養うことだと信じていた。好きではない戦後日本画であろうと文句を言うわけにはいかない。
しかし私はその日その場で巨大な衝撃を受けた。
一つは川端龍子『夢』、もう一つは高山辰雄『坐す人』である。
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他にも多くの作品があったが、この二枚の絵だけを延々と眺め続けた。
この『坐す人』が何者かはわからない。何故ここにいるのかもわからない。身なりや顔つきからすれば間違いなく修行者である。しかし彼が(恐らくは)アジア人だとはわかるが、何の修行者なのかはわからない。黄色い衣から推せば仏教系なのだろうが、彼がただの修行者なのか・それともシッダルタなのかも定かではない。
しかしこの坐す人はそこにいる。固有名詞からこぼれて地の文に入り込み、なおそこに坐す。異常な衝撃を受けた。そのためにその企画展の図録を購入した。『坐す人』がそこにいたから。そしてそのとき初めて高山辰雄に興味が湧きだした。

三ヵ月後、小川美術館で高山辰雄『聖家族』展が開催されると新聞でみつけた。小川美術館は現在の山種美術館の近所にあるプライベートな美術館である。
わたしは高山辰雄と『聖家族』という言葉そのものに反応していた。
幼子イエスと聖母マリアらの聖家族、というイメージより堀辰雄の小説が心の中に流れていた。「死があたかも一つの季節を開いたようであった」小説の冒頭の文がぐるぐる回り続けている。わたしはイメージを払うこともないまま、美術館に入り込んだ。
無料だと言うことと無人だと言うことが合致しない展覧会だった。
私は最初から最後まで一人で、高山辰雄の『聖家族』を味わった。
ここに書かれているのはマリアでもイエスでもマリアの母アンナでもなく、無論ヨハネでもない。女、母、幼子である。日本のどこかに・世界のどこかに生きる家族の風景がそこにあった。
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不可思議な微笑をたたえた口許が嫌いだったはずが、いつの間にかその口許に魅せられていた。言葉のない世界、静謐な空間。和やかな場。
ここには『坐す人』はいないが、幸せな日常を送る女たちの姿があった。
わたしは穏やかな空気を身に纏いつかせて、小川美術館を出た。
そして少し後に、『食べる』幼子を描いた連作があることを知った。
高山辰雄の世界に自分がひどく惹かれていることを自覚した。
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高山辰雄の作品で花を描いたものに惹かれはじめたのは、花と小鳥を描いたものを見たときからか。
花は椿といわれれば椿に見えるし、牡丹といわれればそうかとも思い、薔薇だと言われれば薔薇かと呟く。
鳥もインコなのか鳩なのか区別がつかない。
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しかしこの和やかな静けさは何物にも代えがたい魅力に満ちていた。
偶然見かけたこの絵などはへたな撮影で手元に残っているが、それでも高山辰雄の魅力は損なわれはしない。
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21世紀になった秋のある日、大丸心斎橋店で院展と高山辰雄の個展が開催された。
大丸心斎橋は大阪において、わたしの美術修行の一番の場所である。ここから様々な楽しみを教わった、とても大事な場所である。
前述の花と鳥の絵も'96に大丸で開催された高山辰雄展で知ったのである。
さてその個展は『日月星辰』と題されていた。にちげつせいしん。太陽と月と星と。
辰雄の辰は辰年の辰と言うだけではなく、星と言う意味の辰でもあった。
『勧進帳』にも『日月星辰』という言葉が使われている。うかつといえばうかつだが、そのことに気づいて私は大いに喜んだ。
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少女とコリー犬が銀の月をみつめている。どのような状況でのことかはわからぬが、少女も犬も静かな幸せに満ちている。
その後、藝大に収蔵されているごく初期の作品も見たが、それもまたよいものだった。

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わたしの中で高山辰雄は滅びることのない画家になった。
新作は最早のぞめぬにしても、美は決して滅びず、静謐さを保ったまま永遠の存在になった。
わたしは高山辰雄の描く女たちのような静けさは持たず、あの不可思議な微笑も浮かべることは出来ないが、いつでも彼女たちを思い出すことが出来るのだった。
画伯の静かな眠りをお祈りする。

『旅』三井記念館の「旅」

前回行きそこねた三井記念館に向かう。
『旅』 日本人ほど古来から旅好きな民族はいないのではないか。

江戸から昭和初期の印籠や一閑張などをみる。
印籠には日本地図や吉野山などが刻まれ描かれ、遠足に使う提重などには雅な文様がある。根付にキャラメル色のうさぎもいた。
遊びに行くのにも楽しい支度があるのだ。
例によって長々と<旅>をする。

彼岸の入りから思うこと

彼岸の入りとは言え、暑いままだと思った。
「暑さ寒さも彼岸まで、とは言いますが今週いっぱいは暑いです」と天気予報も言っている。
亜熱帯大阪を満喫しながら生きている。
今日は業界関連のイベントが開催されているので、大阪某所にでかけたが、駅から遠いので延々と歩く。私の日傘は黒いのでいよいよ暑い。
本町通を歩くうちにどんどん具合が悪くなってきた。
新暦だから彼岸の入りもあるものか、と思いながら歩く。
帰りにゼー六という、大阪名物のアイス最中屋さんでそれを買う。100円。あっさりアイスは殆どジェラートなので、濃厚なアイスがニガテな私には丁度いい。根津の芋甚のアイス最中もいいが、あちらの方がやや濃い。
それ食べてちょっとクールダウン。

会社でコマゴマ仕事して、今日は真っ直ぐ帰ろうとすると、巨大な夕日が目に入った。
巨大な夕日。これは九月特有の巨大さではないか。ガラスのようなきらめき。
やはり彼岸は彼岸なのか。
暑いとかどうとか言うのはともかく、やはり夕日は彼岸の夕日なのだ。
四天王寺でなくとも、その場で日想観はできるものだ。
そして彼岸といえば『死者の書』と『弱法師』と小出楢重などを思い起こす。
藤原南家の郎女は巨大な幻を視て蓮糸をたぐり、希望を見出すためか・今更ながらに絶望するためにか俊徳丸は四天王寺に立つ。他方、大阪堺筋で育った小出楢重は彼岸に「たこめがね」を楽しみにしていたことを随筆に残す。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000259/files/3553_8140.html
『めでたき風景』所収より。ただしここでは春の彼岸とタイトルについているが。
こちらはその挿絵。mir294.jpg


他に今や大人気の昆布屋・神宗のチラシにも使われる菅楯彦の絵(こちらは数めがねと呼んでいる)、
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他に四天王寺所蔵の生田花朝女の絵もある。
このたこめがねは昭和37年頃にも一度復活したそうだが、無論私は見ていない。
見世物小屋・絵解き・のぞきからくりは見たが、この蛸眼鏡だけ無縁なのがなんとも残念だ。

最後に彼岸というタイトルで最も感動的な作品を挙げる。
寺嶋紫明『彼岸』 mir293-1.jpg

最初に見たときの静かな感動は、今もどこかに残っている。
週末、墓参りに行くか、骨佛の一心寺にゆくか、どちらかを選ぶべきだと、思っている。

アド・ミュージアムを楽しむ

アド・ミュージアムに行く。
松屋銀座でムットーニ・シアターを楽しんでから中央通を延々と歩くと、何のストレスもなしに新橋に着き、ちょっと驚いた。工事現場がなくなっていた。そこからカレッタ汐留に入った。
『昭和の広告展1』 わたしが外してはいけない展覧会である。
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しかしその前に常設展から。
いきなり舟木本の洛中洛外図の一部がパネル化されてそこにある。岩佐派のオジサンたち。これをみただけで期待が高まるね。
おお、江戸時代の宣伝たち。即ち浮世絵。
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國貞のこれは『仙女香』と言うタイトルで、女がつけているのがそれ。そして上部の絵は忠臣蔵六段目、つまり勘平が女房お軽が売られてゆくのを、悲痛な思いで聞くところ。
(因みにこの勘平は現行で言うなら上方式の装いである。江戸式なら勘平は着替える)
双六がいくつか。クリックしてください。mir289.jpg

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こちらは上は幕末頃の流行ものを集めた双六、下は明治の村井商会の双六。村井商会はたばこの会社で、京都には今も所縁の建物が沢山残っている。明治のタバコ王である。

三越と星製薬のポスターが目を引く。やはりどちらも杉浦非水。
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星製薬ポスターには黄道十二宮のアーチの中に翼のついた女がいる。アールヌーヴォーのポスター。因みに星製薬とはSF作家・星新一の父上の起こした会社であった。
ここにもクラブコスメポスターが並ぶ。
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なにもポスターばかりが宣伝ではない。マッチはこのデザインがある。
以前から度々『たばこと塩の博物館』でも開催されているが、たばこ関係のデザインセンスにはときめくものが多い。このモダンなマッチ箱だけでなく、公社が作ったたばこカードなどは一個の芸術品である。
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また海外に輸出したマッチ箱のデザインセンスは<不可思議なアジア>としか言いようのない、一度見たら二度と忘れられないものだった。
こちらはわたしのコレクションから。
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ポスターは何も絵を見せることだけが目的ではなく、伝えたいものがあるからこそ、目立たせているのだが、いささか私などは本末転倒というか逸脱しているというか。
しかし『ジョゼフィン・ベーカー来日公演』ポスターの持つ<意味>はわたしにもはっきりと伝わる。
‘53来日ポスターはモダニズムなものだった。黒人ダンサー・レビューの女王の公演コピーは以下である。
「歌と踊りの琥珀の女王が巴里から飛んで来た!」
主催:エリザベス・サンダース・ホーム。混血児救済基金募集。
子供の頃、澤田美喜さんとエリザベス・サンダース・ホームの物語をマンガで読んで忘れずにいたのだ。(この公演については帰宅してから、当時子供だった母に聞いた)

意味のわかる宣伝は文字よりも絵だ。
幕末から明治に活躍した豊原国周のビラが楽しい。
四段目・城引渡しの図である。国周だから九代目団十郎の大石である。九代目は目玉の大きな役者だった。だから宣伝も目薬などがある。
引き幕には九代目さんの目玉と共に活眼水という目薬の名が書かれていた。

引き札はめでたいものが多い。印刷博物館と長浜とコープ神戸には一大コレクションがある。それらを見て回ったが、どれもこれも楽しくてナマナマしくて、笑える。

初めて来たがこのアド・ミュージアムは半日くらい楽しめる。映像装置も色々あり懐かしいTVCMも見れる。また機会をみつけて遊びに来ようと決めた。

大正ロマン 田中翼コレクション

大正ロマンに憧れている。深い憧れがあるからこそ、意識がそちらへ向く。
弥生美術館から17日まで池袋三越で開催の『大正ロマン 田中翼コレクション』チケットが届いたとき、不意に出かけることを決めた。ムットーニー展のチケットもあるし、ゆくしかないと思った。
それで15日、半日かけて5つの展覧会を見た。
一番先に向かった『大正ロマン展』と最後のアド・ミュージアムの内容に重複するところが多いので、意識が鮮明になりつつ、記憶が混濁している。
大正シックと言う素敵な展覧会が開催され、多くのお客さんがそのモダンさにときめいたことは記憶に新しい。あちらはホノルル美術館の所蔵品だったが、池袋のは田中さんと言う個人コレクターの美品だった。

『白木蓮』橘小夢。mir287.jpg

ずっと以前弥生で回顧展があったとき、魔性を秘めたような絵を描くと思っていたが、ここにある絵には、そんな翳りはない。パーマネントの髪をふっさりと肩に掛けた着物の女性。眼差しも穏やかである。唇のめくれ方に少し秘められた何かがあるにしても、彼女は穏やかに微笑んでいる。

大正から昭和初期の魅力は深い。
アールヌーヴォーもアールデコもどちらも呑み込み、それを珠を吐くように見事にならべてみせる。
『足利銘仙』山川秀峰。mir286.jpg

当時一流の画家たちによる宣伝ポスターは、それだけでも価値がある。
わたしは銘仙より友禅や絖(ぬめ・・・絹より光り滑るもの)などに惹かれるのだが、この時代の少女たちから婦人層には幅広く人気があった。

大正時代の着物の図案には驚くべきものも多い。
薔薇と欧羅巴の居城の組み合わせ。mir286-1.jpg

まことに不可思議なのだが、こちらはまだ序の口だった。
現在ではレトロ着物と呼ばれる着物たちが、トルソーのようなマネキンに着せ掛けられて、並んでいる。
エジプト壁画をモチーフにしたローマの人々を描いた帯、孔雀、豹などの着物・・・
不可思議なセンスに戸惑いながら、泳ぐようにそこを抜けると、ビーズバッグが長く掛けられていた。椿をモチーフにしたバッグがほしいと思った。

クラブコスメの双美人が微笑んでいる。四月と十月には本社で展覧会が開催されるが、この中山太陽堂の功績は大きい。
そして当時の化粧品たち。mir286-2.jpg

こちらはレート化粧品のポーチ。紙箱にはきれいな蝶たちの乱舞が描かれていた。
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昔の化生瓶たちは形だけでなく、ラベルのロゴまでが綺麗だった。

明治になり不思議なブームがあった。
万年青とうさぎと絵葉書である。万年青ブームのことは大佛次郎の小説にも詳しいが、植物と生物は生命の範囲が短いから、今には残らない。絵葉書だけは無機物だけに、当時のものが今も世にある。そしてそれは大正にも引き継がれた。
橋本邦助や小林かいちの絵葉書など、ここにもアールヌーヴォーとアールデコの影響を受けた作品が並ぶ。

大正時代には<市民生活>が誕生している。市民は明治時代の締め付けから放され、江戸時代ほどではないが生活を楽しむゆとりを持ち始めた。
それは殊に少女たちから婦人層に顕著だった。
『少女倶楽部』『少女の友』『婦人倶楽部』などの雑誌が現れ、付録が大人気となった。
華宵のしおりと、資生堂デザイナーとして著名な山名文夫のうちわ。
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華宵についてはしばしば記事を挙げているので、何も書かない。
山名のモダンさはいつか記事に挙げたいが、以前目黒で展覧会もあった。図録のないのが残念だったが。

モダンさは無論工芸品にも現れる。
色合いの見事なカップ&ソーサ。mir286-3.jpg

見込みの絵柄がやや気に入らぬが、モダンである。そして巨大な鯛の皿。こうしたガラス工芸品も楽しい。

三越について。
大阪人にとって三越とは正直どうでもいい百貨店であった。数年後梅田に展開されるらしいが、これまでは北浜にあった三越しかしらず、そこは外商は良くとも実際には使いにくいというイメージしかなかった。
しかし近代史を学び・楽しむためには、三越の歴史を知ることは重要だ。
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橋口五葉のデビューは三越ポスターからだった。杉浦非水のモダニズムも三越から始まった。こちらのポスターはややそれらよりも以前のものだが、その時代性を良く示している。
パンフレットなどにも力が入っているのがよくわかる。
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なお北浜三越の終焉については、こちらに書いている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-58.html

図録のないのが誠に残念な展覧会だった。
大正時代の応接間も再現されていて、多くのご年配のお客さんが喜んでいる。
もっと見ていたい展覧会だった。

川瀬巴水展を見る

二つの巴水展を見た。
過日、京阪守口と礫川美術館とで。
守口のは昨夏の巡回かと気軽く出かけたが、なんとなく違う。出る前に図録を見てきたが、本にない作品がいくつかある。
その中で特に眼を惹いたのは広島の鯉幟を描いた作品だった。
板塀と板塀に囲まれた狭い路地を切るように緋鯉が空を泳ぐ。
その緋色にひどく惹かれた。鯉は決して大きいものではなく金魚のようなものだが、それがこの作品を強く引き締めていた。
広重えがく鯉幟とは発想が違った。
巴水には独特の言わば巴水ブルーがあり、多くの作品にはその色が使われ、見る側もその色をみつけて巴水だと満足する。
しかしここではそのブルーは緋鯉の背後に薄く小さく伸びるだけだった。
主役はあくまでも小さな鯉の緋色なのだ。
心にいつまでも残る佳品だった。

しかし無論巴水ブルーは多出する。私はこの青色はフェルメール、ジョットに並ぶ個性的な色だと思う。
この展覧会はチラシも目録もなく本もあの図録しかなく、東日本での巡回時の内容です、と断りがある。店員に聞いても答えはなかろうから聞かなかったが、もしかするとどこかで取捨選択があったのかもしれない。京阪守口は時々不意に素敵な展覧会をひっそり行う。

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他方、土井コレクションを見に行く。
自分の愛した作家の作品を展覧会に出せるのは、本当にすばらしい。

東京十二景シリーズがいい。巴水ブルーの氾濫がある。みずみずしさがガラスケースを越えてこちらにまで来るようだ。

青のそばに黒がくれば夜になり、白を配せば朝になる。無論そんな簡単なものではないが。
巴水は夜の雪、朝の雪を描き分けていた。白一つにも様々な色合いがあるのを知る。
展示数は少ないが堪能する。

また版画作品だけでなく巴水特集の図録や資料なども展示されている。
こうしたところにコレクターの濃やかな愛情と言うものを感じる。
それでついでと言ってはなんだが『宗右衛門町』の宗の字が宋になっていたので、大阪人として見過ごすのも良くないし、巴水を愛するものとしてもちょっとお手伝い?したくなってそのことだけ告げて帰った。
前回の感想はこちら。一年経ったのだ、と改めて感じた。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-588.html
近年、清方の弟子たちが世に再評価され、愛され始めていることを想うと、それだけで嬉しくなるのだった。

楽園の美術 夢の小宇宙

大和文華館で『楽園の美術―夢の小宇宙』と言う展覧会が開催されている。
そもそも楽園とは何か。
イスラーム世界においては「閉じられた庭園」がそれに他ならず、外部の激しく厳しい環境から隔絶された、ゆとりのある美しい空間 それが楽園だと言える。

夢の小宇宙という言葉にもそれは深く響いている。宇宙を一つの卵と看做した古から連綿とそこへの憧れは続き、自然環境も温暖なアジアでも楽園思想は浸透していった。
この展覧会は、古代から現代へ至る楽園思想の、その宇宙を構築するかけらで成り立っている。
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四つのテーマによって文物が展示されている。

ベル・エポックの輝き 魅惑の宝飾からガラス工芸まで

日本でアールデコの建物を満喫できるのは二ヶ所だけだ。
朝香宮夫妻の建てた自邸、今日では東京都庭園美術館と呼ばれる宮様の館。
そして米来留と名乗り、日本に溶け込み、社会事業に熱心だったヴォーリズの建てた大丸心斎橋店。
どちらも共に80年の歳月を見事に活きている。

大丸心斎橋で開かれている宝飾とガラス工芸の展覧会は、この後神戸元町にも続く。

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今にも飛び立とうとするばかりの翼に見える。



花を鉱物化するとこうなるのかもしれない。bell__300.jpg

種は存続しないだろうが。


13粒の黒ダイア。イエスと12使徒のように。bell_epoque_380.jpg



繊細さと華麗さとが同居する。mir280.jpg

それがティアラなのかもしれない。


蝶はどこにいるか。mir280-1.jpg

みつけたときにはすでに飛び去っている。


枝垂れモティーフは日本の感性から生まれたという。
枝垂桜に集うインコたち。mir280-2.jpg



不思議なことに「ネオ」となづけなくとも、この飾りからはフィレンツェの匂いがする。
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薔薇を描いたのか、それとも薔薇をこの瓶に封じたのか。
わらなければそれはわからない。mir280-4.jpg



誰がつけたにしろ、この飾りだけはすました人には似合わないだろう。
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時々考える。レダは白鳥とどのように愛し合ったのだろう。
ゼウスと共に白鳥に化し、卵を産んだというけれど。
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「わたしにしか似合わない」そう思っていなければ、この輝きに敗れるだろう。「わたしがお前の主人だ」そう言い聞かさねば、このストマッカーは「わたし」を裏切り、どこかへ流転してしまうかもしれない。
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目にも心にも煌くものが刻まれてしまった。
大阪では17日まで。神戸の次は東上するのだった。

美麗 院政期の絵画 2

昨日の続きです。これまた長いです。

第3章絵巻物の世界と第4章白描の絵画などから
こちらは去年の京博『大絵巻展』とダブるような内容でもある。
だからなんとなく懐かしく慕わしい気持ちがある。

美麗 院政期の絵画 1

奈良国立博物館で『美麗 院政期の絵画』展が今、開催されている。
丁度一日から末日まで、四百年の絵画と工芸品が展示されている。
『美麗』というタイトルに惹かれ、それだけで出かけた。
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基本的に仏画はニガテである。特にこの時期の仏像はさけている。
しかし今回初めて 感動した と言ってもいい。今まで全く感じなかった美を、初めて感じたのだ。
来月は狩野永徳展が開催されるので、そちらに照準を置かれている方も多かろうが、余裕のある方は九月に奈良へ出るべきだと思う。
●は国宝、◎は重文・重美である。番号は目録番号。
第一章 美麗のほとけたち および 第二章 説話絵と装飾経 までの感想を挙げる。続きは後日。なにしろわたしは長々しい。
会場の順路。クリックしてください。mir273.jpg

ロシア皇帝の至宝展

国立国際美術館で『ロシア皇帝の至宝 世界遺産クレムリンの奇跡』展を見た。
これは東京で既に開催されていたが、大阪で待っていた。国立国際美術館は肥後橋のこちら側に移転してから、随分集客が増した。いいことだ。
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さて、わたしは実は日本史、中国史の次にロシア史が好きだ。
ドイツ、フランス、イタリア、イギリスよりもロシア史の方が好きだと言う理由は一つ、少女時代に池田理代子のマンガに夢中だったからだ。
『オルフェウスの窓』でロシア革命にハマリ、『女帝エカテリーナ』でいよいよ高まり、小説や資料を読み耽ったことで、すっかり好きになった。
映画でも『ドクトル・ジバゴ』『REDS』『追想』に夢中になったが、本当に今でも好きで仕方ない。
私にとって最初のロシアとは何か。
30代以上の関西人なら誰もが知っているあのパルナス(今は廃業)の歌。
http://www.youtube.com/watch?v=tFlqIstTEi8

それから『石の花』などの煌くような映像。
さすがにロシア民謡華やかなりし頃(歌声喫茶の時代)は親の世代なので知らないが、ソ連とロシアは違うのだ、とはごく幼児の頃から知っていた。

ボリシェビキが権力を握るまでは宝石が随分幅を利かせていた。ロシア正教会も活きていたが「宗教は麻薬だ」の台詞で抑圧されてしまった。
ロシア革命自体は立派なのだが、反動はいつの世でもムチャクチャだ。
政治が変わると色々なトラブルが起こる、と言うのをここからも学んだように思う。

さてこの展覧会。行く前に近所のリーガロイヤルホテルに寄ったら、ウスペンスキー大聖堂の砂糖菓子が展示されていた。入り口のイコンまで再現されている。ス・ゴ・イ。
しかも展示場ではクレムリン・エッグも再現しているそうな。これは早く行かなくては。

7章に分けられた構成だが、6章までは歴史区分で、最後だけ絵画と版画でクレムリンを描いたものが集められている。
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1.12世紀半ばから16世紀初頭
この少し前のケルジェネッツの戦いのことなど思う。『話の話』『霧の中のハリネズミ』などで知られるユーリ・ノルシュタインの初期作品でそのことを学んだが、あれはイコンを動かしていた。
なにもかも見事な装飾。ヨーロッパではないことを思う。ウラジーミル公国以前の大昔のこの地のことを思う。黄金装飾の遺宝を多く残した南ロシアの騎馬民族などを。

2.14.15世紀大公国のモスクワ
イコンがいくつかある。以前はイコンがニガテだったが、今はなにか懐かしくさえ感じる。15世紀の吊り下げ香炉に関心がゆく。明代の遺品にもこんなのがあった。袖用の香炉だったが、これはやや大きい。
オクラド、とある。飾りのこと・カバーのこと。
これだ。mir272.jpg

イコンを飾る金ぴかに宝石ザクザクのカバーのこと。絵にあわせて形が刳られている。
イコンは失われたが、オクラドだけ遺されたものもある。
瑪瑙、電気石、紫水晶、真珠など・・・宝石と貴石が張り付いている。見ているだけで眩暈がする。幻惑される。わたしはトルマリンに惹かれてしまった。
「ダッタンの頸木」の時代にもパネルの説明は触れている。出た、アレクサンドル・ネフスキー。ネフスキー大通りという地名がペテルブルグにある。メインストリート。ネフスキーとは即ちネヴァ川のことだ。

3.16世紀の首都モスクワ
オクラドつきの遺宝が凄まじく並んでいる。見る側も大変だ。
みんな口開けて眺めている。私もそう。イコンに見蕩れているのではなく、オクラドに、その金と宝石とに。エルサレム入城のイコンが二枚ある。どちらも丁寧な作画で、メインの絵の周囲四方にコマ絵が続いているが、ちょっと曼荼羅絵を思い出す。
一つ一つにも深い意味があるのでそれを見るのも面白いが、オクラドに眼を奪われてしまった。
イワン雷帝の説明もある。読みながらアンリ・トロワイヤの小説を思う。エイゼンシュテインの映画のいくつかのシーンが脳裏に浮かぶ。歌舞伎から発想を得た構図も多い。

4.17世紀ボリス・ゴドゥノフからピョートル大帝の時代まで
また面白い時代になった。とにかく偽物が多く現れ、僭称するのがロシア史の面白いところで、日本ではせいぜい天一坊事件くらいしか思い当たらない。
ピョートル大帝はわたしにとってポチョムキン公と同じくらい魅力的な男性だ。ときめいてくるしくなる。
この時代はまたすばらしい遺宝が多い。どうもナゾなひしゃくとかカービン銃、長杖などがある一方、メロンを模したフルーツ皿のタワー?もある。
いやもう実に見応えがある。よくもこれだけ作ったものだ。

5.18世紀の古都モスクワ
ピョートル大帝は自分の守護聖人ぺテルの都と言うので、新しく人工的に作り上げた都市にその名をつけた。当時はロシア語そのままの地名ではなく、ドイツ語の地名をつけることが慣例だったので、その都はザンクト・ペテルブルグと名づけられた。
このコーナーではピョートル大帝の肖像画などがあり、嬉しくなった。
なにしろ2mを超えた大男だから銅像も大きいのを写真で見ている。
女帝エカテリーナ、この人のおかげでエルミタージュ美術館が後に生まれたのだ。漂流した大黒屋光太夫も女帝に同情されて、ロシアでは良い暮らしが出来たそうだ。
展示されている一点一点が、そんなわけで親しく思えて仕方ない。


6.19世紀における国民的伝統の復活
感心したのはクレムリンのスパスキー門の鍵。大きい鍵で銀色がひかる。鍵一つにしても故意に大きいものにするところがいい。なんとなく西本願寺の飛雲閣への鍵を思い出した。
近代になるほど派手さは潜めてゆく。
このときに例のクレムリン・エッグが作られたのだ。全く感心する・・・
会場を出たらshopではリーガロイヤルホテルのパティシェによるチョコレート細工があったが、実物とあまり変わりがないのが、凄かった。

最後の皇帝ニコライ二世とその家族の肖像などがある。この人は皇太子時代に日本へ来て『大津事件』の被害者になり、家族仲は円満ではあったが、ドイツ語しか解さない皇后の不人気さもあり(当時のロシアの上流階級では、フランス語が使われていた)、日露戦争にバルチック艦隊はまさかの負けを喫するわ、1905年に『血の日曜日』はあるわ、皇太子は血友病で、いかがわしい怪僧ラスプーチンにすがるわで、惨憺たる有様になってしまった。
生まれてきてはいかん時代に生まれてくる人間、と言うのは確実にあるなと思う。
しかもどういうわけか必ず王族に生まれてくる。王族に生まれるから、そんな運命を担わされるのかもしれない・・・。
ラスプーチン暗殺ドキュメントは池田理代子の『オルフェウスの窓』でどきどきしながら見た。今でも台詞を思い出すくらいだ。実行者ユスーポフ公がラスプーチンにナイフを振りかざしながら独白する。
「祖国ロシアのため、皇帝陛下とロマノフ王朝の御為、天に代わってそなたを討つ」
・・・しかし手遅れで、最初はメンシェビキが次にボリシェビキが実権を握って、とうとうロマノフ王朝は倒れてしまった。
だから展覧会の展示物は1917年までのものに限られている。

個人的に気合の入る展覧会だった。いい物をいっぱい見せてもらった。
遺宝はモスコーのクレムリンからの貸し出しだが、わたしの憧れはピョートルの都ペテルブルグである。
今、私の脳裏には唐十郎の一文が浮かんでいる。
「浦塩に行ってみたいと僕は思う。それも夢野久作の書いた浦塩の町である。」
沿海州や極東にも憧れつつ、わたしも唐風に書くのなら
「聖彼得堡に行ってみたいと私は思う。それも池田理代子の描いたかの地へ」
莫斯科にはまだまだ行けそうに、なかった。

ディズニー・アート展ふたたび

昨夏MOTで『ディズニー・アート』を楽しんだが、今夏大阪のサントリーミュージアムにも来たので、夏休み最後の日曜日に出かけた。もう2週間前の話だが。
去年の感想はこちら。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-586.html
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ミュージアムのそばには海遊館があり、そちらも大行列だったが、こちらも多かった。
ただし去年の東京ほどではない。見たいものは見れたし、買いたいものは買えた。
その意味では良かった。
展覧会の後世は去年と同じだから細かいことは書かないが、間近で見れて嬉しくて仕方ない。お客さんも様々な年齢層の人がいる。決してお孫さんを喜ばせるためだけでない、ご年配のお客さんも多かった。関西人は一般に、知らない人に自分から話しかけることが多いので、あちこちで「これはあれや」と言った説明がされていた。
聞かされた人も喜んでいる。mir265.jpg

「あー」と言う声も多い。
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私と友人は「元祖パラパラマンガ」をめくって遊んだりしたが、後でそれを見る人が「イやー」と喜ぶので、スピードを変化させたりしてサービスした。

原画はさすがに素晴らしいものが多いが、それを見るうちにますますオールド・ディズニー(クラシック・ディズニーと言うべきか)への愛着が増してゆく一方、今の作品には関心が湧かないのを実感する。
背景の美にも惹かれる。『眠れる森』などモネを髣髴させる池もあり、『バンビ』ではバルビゾン派の画家が描いたのでは、と思うような森が広がっている。
アメリカは歴史が浅いから芸術でも後進国だったが、進化のスピードは速く、たちまちにしてこんな素晴らしい作品を生み出したのだ。
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バンビとお母さん。なんと言う見事な森だろうか。
そういえばバンビとバンビのGFの会話が楽しい。そのシーンの下絵が展示されていて、英語と対訳が並んでいるが、そこからちょっとしたニュアンスを読み取らねばならない。
可愛い会話、キュートな幼いカップル。
カップルといえば、今回『わんわん物語』の絵葉書二枚が入ったクッキーを購入した。友人は『ダンボ』を買った。葉書は1枚150円だが、このクッキーは700円なので、とてもお得な気分がある。
このシーンはパスタとは言いたくない、スパゲティ、あくまでもこれだ。
ほのほの幸せな気分。mir269-1.jpg

クッキーの外箱はそのまま額縁になる。
替えの葉書はこちら。mir269.jpg

去年ショップのレジが1時間以上待ちで諦めたが、ここはそうではない。混んではいるが手早い。ふと見れば二千円以上買い上げならオリジナルバッヂプレゼントだというので、私と友人は一緒に会計し、後で仲良く分け合った。
絵柄はチラシと同じオーロラ姫。

中身については去年詳しく書いたので今回は詳述しないが、楽しい気分は持続する。
購入は痛手なので見合わせたが、宣伝チラシを貰ったので、それで代用する。クリックしてください。
mir267.jpgなかなかすばらしい。mir268.jpg


私は今回この『ダンボ』が可愛くて仕方なかった。
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それで思い出した。久世光彦のエッセーで大学時代の友人の話の中に、大江健三郎のエピソードがあった。大江は子供好きで、映画館で泣いてぐずる見知らぬ子供に自分の耳を引っ張って「ダンボ??」と喜ばせたそうだ。
なんだかいい話だ。

最後に、今回印象に残ったのは、ディズニーランドの設計図だった。
これが本当の宝島の地図なのかもしれない、と思ったのだ。
展覧会は既に先週終わったが、こうして楽しむことが出来、本当に良かった。

『名所江戸百景』と『旅』のない旅

いつのまにやら重陽の節句を迎えている。わたしはまだ八月の東京ツアーの記事を書き連ねている。日も良いのでこれで〆にしよう。
今回、惜しくも三井記念館の『旅』展を見損ねた。それを以って8月のツアーを終いにしたかったが、行き損ねた。
本来はブリヂストン―フィルムセンター―三井記念館と無料バスで廻り、新日本橋から両国に出て江戸東博の列車の旅の展覧会で円満が、八重洲の二つで終わってしまった。
『旅』をテーマにした展覧会二つを捨ててしまったのだ。
だから「旅のない旅」というタイトルになった。

広重の『名所江戸百景』は随分以前から好きなシリーズで、しかし欠落していた。
今回藝大美術館で展覧会があり、おかげで大方見れたし、楽しめた。
金比羅さんの展覧会と併催なのだが、日本人は基本的に広重の抒情を愛しているので、こちらも随分人気だった。どれを見ても楽しめる作品たち。
丁度百五十年ほど前の江戸のあちこち。
現在の場所と頭の中で比較しながら見て歩いた。

本もあるが画像は全て私の持つ絵葉書などから。
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こちらは比較的よく知られている作品ばかり。深川十万坪、亀戸の梅、四谷、王子の狐火。
最初に見たとき、十万坪を眼下におさめる猛禽の姿にドキッとしたものだ。
また梅ノ木の遠近などにも。

こちらは実は、さる団子屋さんがお菓子の箱に入れていた栞なのだ。
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四季により絵柄を換えて箱に詰めていた。どれもこれもいいが、私は特に夏の七夕がいい。絵がいいと言うよりその構図の興趣に惹かれるのだ。

桜もいいし、今戸焼の煙もいい。mir263.jpg

橋場に真崎と言えばついつい『秋山大二郎が住まう処』と思ってしまう。
つまり私にとって『名所江戸百景』とは馴染みの時代劇・時代小説・歌舞伎の舞台に他ならないのだった。

家に五十三次の画集があったのと、『東海道中膝栗毛』などを読み耽っていたためか、すんなりこの世界に入り込めた。
そして子供のくせに江戸には詳しかった。
母は洋物がメインで、父が和物だったためか、私はどちらも好きだが、江戸には本当に親しんで育ったと思う。
近代建築史の研究をしつつ、東京に行く都度、江戸の名残を探して歩いた。江戸切絵図なども好きで、比較しながら歩くのが、本当に楽しかった。
今でも暇な時間は都内の路線図を眺めるのが好きで、各地には何があるかと言うことを思うのが楽しい。
半七ごっこ・鬼平ごっこと称して、作中に現れる場所を訪ね歩くことも繰り返した。
その度に広重のこのシリーズなどと比較したりもする。
楽しくて仕方がない。

一枚一枚じーーーっと眺めているだけで妄想や追想が湧き出して、それだけで幸福になる。
花見も京や奈良との兼ね合いをみながら、隅田川・上野・飛鳥山を楽しむ。隅田川に行けば必ず白鬚あたりまで伸す。(そしてユリカモメをモチーフにしたお団子をいただくのだ)

今ではこのようなこいのぼりは見れまいが、五月といえば端午の節句で柏餅が楽しみだ。
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両国の花火も素晴らしい。
そういえば昭和初期を舞台にした横溝正史『夜光虫』の冒頭はその両国の花火から始まるのだった。歌舞伎では大抵この花火の混雑から、かどわかし・カンチガイの恋が始まったりする。

最後にきれいな月を。
なんだか嬉しい気分が持続したまま、この『旅のない旅』は終わる。

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佐藤さとる コロボックル物語展

コロボックルの友達になりたい、本気でそう思っている。
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佐藤さとるの生み出した物語「コロボックル・シリーズ」に魅せられて随分長く経つ。
今、神奈川近代文学館で『佐藤さとる コロボックル物語展 だれも知らない小さな国』が開催されているので、逸る胸を抑えて出かけていった。
港の見える丘公園の一隅にある文学館、入る前に船の汽笛がボォーーーッ と鳴った。
コロボックル・シリーズは枝葉もあるが、幹として以下の五作がある。
『だれも知らない小さな国』『豆つぶほどの小さな犬』『星からおちた小さな人』『ふしぎな目をした男の子』『小さな国のつづきの話』である。
主に講談社からこのシリーズは出版されている。
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『だれも知らない小さな国』の冒頭を挙げる。
「二十年近い前のことだから、もうむかしと言ってもいいかもしれない。ぼくはまだ小学校の三年生だった。」
追想から、この壮大にして<小さな>物語は始まる。
語り手せいたかさんは佐藤さとると同い年の<お友達>で、だからこの追想の時点では昭和は真ん中頃だった。
わたしが初めてこの作品を知ったのは、小学五年生の教科書からだった。
この冒頭から一章分が掲載されていて、その続きが読みたくて文庫本で購入したのが最初だった。せいたかさんの追想からほぼ二十年後のことだ。
既に文庫は四作目まで出ていた。小学校を卒業するまでに当時出版されていた文庫本は全て購入したが、更に図書館で「佐藤さとる全集」を借りて大判本も楽しんだ。というのは、文庫ではモノクロの挿絵だけだが、大判の本には村上勉のカラー口絵などが掲載されていたから、それを見ていたくて借りたのだった。
こちらは大人になってから古書店で見つけた版。
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佐藤さとると村上勉の黄金コンビに魅了されたことが、いよいよわたしのときめきをふくらませていった。
この展覧会では、コロボックル・シリーズと『おばあさんのひこうき』がメインだが、わたしは他にも『赤んぼ大将』『ジュンとひみつのともだち』を熱愛している。
タイトルを挙げた作品はいずれも日常の隙間に活きるファンタジーだ。
わたしはハイ・ファンタジーはニガテだ。剣と魔法のファンタジーにはそれほど惹かれない。ただし『指輪物語』の原作と映画、『ゲド戦記』の原作だけは別格なのだが。

さてそのコロボックル・シリーズ。
語り手せいたかさんは子供時代に、自分だけの小山を見つける。その小山を愛したせいたかさんはだれにも内緒で小山に遊ぶ。そんなある日、小さな女の子がそこに侵入しているのに出くわすが、同時に<小さな人>を目撃する・・・
二度と目撃できぬまませいたかさんは引越し、やがて戦争になり、そして平和が戻ったある日、青年になりかかったせいたかさんは、かつての小山を渇望する。
小山は全く変わることなくそこにあり、せいたかさんは歓喜し、小山を所有しようと考える。小山の持ち主はせいたかさんに理解を示すが、小山には悪い噂があると言う。
そしてせいたかさんはその悪い噂たる<小さな人>に「再会」する。
彼らとの交流が始まり、せいたかさんは彼らの種族を「コロボックル」と呼ぶ。
また、小山に侵入した若い女性と、仕事先で再会する。
彼女も「何か」気づいているらしいことを、コロボックルの仲間に知らされる。
初めて小さい人を目撃した日、そばにいた女の子こそ、彼女だったのだ。
やがて彼女もまたコロボックルの仲間に迎えられ、その尽力もあってついに小山を手に入れる。せいたかさんはコロボックルとの共生を、歓喜を以って示す。
・・・今こうして『だれも知らない小さな国』の概要を書いたが、書くだけで嬉しさがこみ上げてくる。そして自分の理解度を改めて確認する。
物語は紆余曲折もあり、コロボックルたちそれぞれの個性の面白さもあり、尽きることない魅力に満ちている。
第二作以降はコロボックルが主役となり、その活躍が「佐藤さとる」によって綴られる。
わたしは『豆つぶほどの小さな犬』を子供時代、特に愛した。今でも特にどの巻が好きかと訊かれたらこの作品を挙げるだろうが、どういうわけか大人になってからは『だれも知らない小さな国』を、繰り返し読み続けている。思い立てばすぐ本を手に取る。
せいたかさんはコロボックルを守ろうとして、小山の番人になる。二作目以降せいたかさんが結婚して、おちゃめさんという女児の父になり、段々と社会人としても忙しい人になるのを、わたしたちは知らされる。
『豆つぶほどの小さな犬』ではコロボックルの猟犬であり飼い犬だったマメイヌの再発見が語られ、同時にコロボックル新聞社の創立の経緯をわたしたちはみつめる。
物語の主役はコロボックルに移り、その活躍をどきどきはらはらしながら、見守る・応援する・心配する・安堵するのだ。
その喜び!こればかりは実際に触れてみないと絶対にわからないだろう。
第三作『星からおちた小さな人』で、コロボックルの一人が人間の少年の手に落ち、救出と和解との顛末までが語られる。
この少年は長じて後にコロボックルの友達すなわち庇護者となり、やがて第五作『小さな国の続きの話』でその次のコロボックルの友達となる女性と結婚する。彼女はおちゃめさんの友人であり、佐藤さとる著『コロボックル・シリーズ』の大の愛読者なのだ!!!
挿絵。クリックしてください。mir260.jpg


この第五作にはビックリ仰天した。
それには理由がある。
個人的理由からゆくと、四作目までは既に刊行されていて、わたしはその時点での愛読者なので、「うまく作ってるなぁ」という感心を、物語へのドキドキと同時に抱いていたわけだが、新刊の第五作には、その感心を蹴り飛ばされたのだ。
劇中劇とは言わぬが、物語の構造が第五作では大きく揺らいだのだ。
取り込まれた、と言うべきか、その構造の中へ。

作り物だと思っていたものが、実は現実なのかもしれない・・・という疑問を私は持たされた。
これは常識がどうのということではない、信じない人間には真実も事実も見えはしないのではないか、という疑念まで持たされたのだ。

私はその新刊が出たときから、実在について深く考えることをやめた。佐藤さとるの作劇術の巧みさと言うことを考えるのも、やめた。
コロボックルは、いる。
いるが私の近辺にはいない。多分横須賀の山の方にいるに違いなく、会うことは多分無理だろう。
そんな風に私は信じるようになっていた。反論する必要性もなかった。

ここで話を変えて佐藤さとるの文藝そのものについて思ったことを書く。
強い構造、耐震強度の強い、構造。
佐藤さとるの世界にはしっかりした枠がある。世界を支える背骨は工業なのだろう。
しっかりした構造があるからこそ、空想は深く高く広まる。
細部のリアリズム、それがいよいよその世界を深める。
適当と言うものは存在せず、ものさしはキッチリ活きている。
理屈に合わない設定は存在しない。
それが快く、そしてわたしにはとても納得できるのだった。

そのリアリズムが土台にあるからこそ、空想はイキイキと活きる。
ファンタジーではない作品がある。
『わんぱく天国』 これは子供の頃あまり好まなかったのだが、年齢を重ねるほどに好きな作品となっていった。
戦前のわんぱくな子供たちの日々が描かれている。この時代の心の豊饒さに胸が躍る。
わたしが昭和初期までをメインにした挿絵専門の弥生美術館を長らく愛しているのは、この作品などで、近代日本の黄金時代を見たからか、と思うときがある。
この時代の子供たちが愛した少年小説などを思うだけで、わたしもときめいて苦しくなる。
藤子不二雄『少年時代』は疎開先での物語だが、そこから『豹の眼』などを知り、晩年の澁澤龍彦の追想禄から武井武雄などを知ったのだ。
そういえば佐藤さとると澁澤龍彦は同い年なのだった。
昭和三年生まれは、戦前の黄金期に子供時代を生きたのだ。
そのことを思うだけで、嬉しくなる。

一方、わたしたちにコロボックルのビジュアルを、イメージを送り込んでくれたのは村上勉だった。
小学生のときにコロボックル・シリーズを知ったおかげで、わたしにはもう一つ喜びが生まれていた。村上勉の挿絵が、音楽の教科書に掲載されていた。
そのことに気づいた私は懸命に絵を探した。
そして何十年経った今でも、音楽の教科書を保存している。
更に嬉しいことがあった。今、この記事を書くために音楽の教科書を開くと、他に安野光雅、北田卓志らの絵もみつけたのだ。それも自分の好きな曲にはこの人が、こちらはあの人が、と言う風に。二人は幼稚園で貰う月刊絵本の作者たちで、村上勉より先に知った画家たちだった。
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村上勉の絵は何度か転換期を迎えて、随分変わっていった。
わたしは『ジュンと秘密のともだち』頃の絵が一番好きだ。しかしどの時代のどの作品にも共通して、ある種の優しさ・暖かさ・ユーモアが活きている。
絵本画家としてデビューした初期の作品・マロー『家なき子』のなか、悲惨な状況のシーンでも、何かしら温かみがある。
カラーの色調だけではなく、ペン画についてもそうだ。
近年、佐藤さとるの傑作『おばあさんのひこうき』を完全に絵本にした作品があり、その原画が展示されていた。
編み物名人のおばあさんの日々、おばあさんは編み物で生計を立てているが、独居老人の居間の様子、毎日のオヤツなどが描き込まれている。
それを見るだけでワクワクする。今日はヨーカン、明日は安倍川餅、それから・・・と言うように。
これらを眺めるだけで本当に嬉しくなる。

いくらかいても書き足りない。いくらでも書けるし、しかし満足できるような出来ではない。ファンのくせに力が足りない。
ただただこれからも佐藤さとる・村上勉のコンビで作品を見続けたいと願うばかりだ。
この展覧会を楽しみに横浜まで出かけた甲斐があった。
見終わって、私はやっぱり心の中で願った。
コロボックルの友達になりたい、と。

九月の予定と記録

いつまでも暑い毎日ですね。大阪は熱帯です。

RCサクセションに ♪九月になったのに・・・
暑くてやりきれないという内容の歌がありました。
実感やなーと思います。

九月に行きたい展覧会など。
モディリアーニと妻ジャンヌの物語 大丸梅田
ベル・エポックの輝き ジュエリー 大丸心斎橋
久保惣記念文化財団の日本・中国・西洋の美術 和泉市久保惣美術館
開館50周年 特別記念展(前期) 逸翁美術館
舟小屋 —風土とかたち— INAX大阪
名画の理由—コレクションによる日本近代絵画の世界(前期)大阪近代美(仮)
美の求道者 安宅英一の眼 東洋陶磁
ロシア皇帝の至宝展〜世界遺産クレムリンの奇跡〜 国立国際美術館
ロートレック パリ、美しき時代を生きて サントリーミュージアム
東洋の美に出逢う 藤田美術館
藤島武二と小磯良平展—洋画アカデミズムを担った師弟— 小磯記念館
イタリア・ボローニャ 国際絵本原画展 西宮大谷記念美術館
中国の金工 —その超絶技巧 —/ペルシャ絨毯 —技と美の楽園— 白鶴美術館
巨匠と出会う名画・川村美術館展(入替) 兵庫県立美術館
山本丘人展 松伯美術館
大正・昭和前期の洋画 /併催 近代の日本画 中野美術館
美麗 院政期の絵画 奈良博
楽園の美術−夢の小宇宙− 大和文華館
旧西尾邸(現・神戸迎賓館須磨離宮) 建築探訪
映画は行けたらヱヴァに行きます。

青木繁と『海の幸』

青木繁の『海の幸』他5点の作品がブリヂストンで9/30まで展覧されている。
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ブリヂストンは常設を大事にする美術館だから、「あれが見たい、これが見たい」という気持ちをほぼ満足させてくれるが、それでも出し入れがある。
絵は時々保養させないと干乾びる。膚と同じ細心さが必要だ。
今回は姉妹館の石橋美術館などから出張願った青木の作品が集まっていた。その中でも特に好きな作品だけを挙げる。

丁度百年前の『わだつみのいろこの宮』に再会する。
何度見ても飽きず、新発見をする名画。mir255-2.jpg

今回も対峙して改めて気づいたことなどがある。
瓶に勾玉、水玉プカプカ、豊玉媛の頭に蛇の飾りなどなど…わたしがうかつだったと言うのではなく、この絵は見るたびに新しい感動を呼び覚ましてくれるのだ。手元に絵葉書だけでなくポスターもあるが、やはり実物には及ばない。青木の作品の中でも特に好きな名画である。
英語タイトルがよかった。Paradise under the Sea 海の下にも都ぞありける…

『海の幸』今ではこの図は青木の目が見たものではなく、友人坂本から聞いた話で青木が作り上げた作品だと知られている。
そのことが却って青木の才能の豊かさの一端を感じさせる。青木は現実に見ていない作品の方にこそ、名作が多い。うらぶれてからの肖像画や風景画は、どこか寂れ、廃れている。写生が青木と合致していたとは、到底思えないのだ。想像での作画が出来なくなった時点で、青木は終わってしまったのだ。
天平時代や内外の神話を描いた作品群の、奔放にして豊饒な美しさを想えば、このことは断言できるだろう。
この『海の幸』を見ると「ひらけゆく明るさ」というものを感じる。漁師たちは海の幸を担いで歩いている。行く先は当然ながら港、乃至は作業場ではあるが、そんな現実の場所ではなく、光の道へ向かっているのではないか、と思う。
恋人・福田たねのこちらを見た顔に目を惹かれつつ、全体として無何有の地へ向かっている…そんなことをこの絵は感じさせてくれる。塗り残しの多い作品だが、それは瑕にすらならない。光が照らしたのでそこは白いのだ。そんな理解が唐突に、しかしはっきりと腑に落ちてくる。
そして今回、この額縁にも注目した。木彫の額縁は手彫り風な味わいがある。四隅に対の魚が刻まれ、エイのようなものが連続パターンとして続いている。
四方を魚に囲まれた作品なのだった。

『輪転』 mir255-1.jpg

以前から不思議な作品だと思っていたが、やはり不思議な作品だ。作画期は解説によると『黄泉比良坂』と同時期だと言うから、色調の青さは共通すると思う。日輪のようなものと車輪との関係はわからぬが、これが日本画なら<留守文>ということで、太陽はアポロン、車輪は彼の乗車する炎の馬を示すが、そうなるとこの女たちは暁の女たちとなる。もしくは踏み込んで考えて、その炎の馬を御そうとしてアポロンの息子パェトーンが焼け死ぬエピソードがギリシャ神話にあるが、彼女らはそれを見守っているのかもしれない。…あくまでもわたしの予測に過ぎぬのだが。

山下新太郎『供物』 美しい女のその手には、柘榴がある。柘榴を供物と言うのは訶梨帝母すなわち鬼子母神ではないか。かつては他人の子を貪り喰らう鬼も前非を悔いてからは、母子安産の守り神となった。円満具足な相好の女神には柘榴が供物として捧げられるようになったが、この美しい女は何を思うて手の中の柘榴を眺めていることだろう。
この絵を見るわたしは安寧な心持でいるのだが。

安井曽太郎は人物画より静物画や風景画のほうが好きだ。
ここにある『安部能成君』の肖像より『薔薇』に私はときめく。
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黒地を背景にした薔薇と花瓶のバランス、色調といい構図といい、世界の数ある薔薇の絵の中でも、突出した良さを感じる。
雄弁なる沈黙とでも言うか、この薔薇からは言葉以上の何かが心に直に語りかけてくる。それを翻訳してここに書き出すことは出来ないのだが。

『ペルシャの壷』 安井が文芸春秋の表紙絵を担当していたことは、知っている。以前ここで小企画展があったのだ。その原画などを見て、明るい気持ちになったことを覚えている。小品のよさ、それがここにある。
マティスではないが安井の壁紙もとても素敵だ。室内には椅子に座る小さい女の子がいる。いい感じだ。

梅原『ノートルダム』 青と金箔と金泥・銀泥が飛び込んでくる。羊皮紙に描いたからか、まるで秘密の宝の地図のようだ。絵に妙な湿り気さえ感じる。

マティス『縞ジャケット』 このモデルはマティスの娘さんなのだが、実は私の知人にもそっくりだ。この顔で眼鏡をかけたら彼女の肖像画になる。だからブリヂストンに来ると「コンニチハKさん」とそっと呼びかける。

モネ『アルジャントゥイユの洪水』 …引いた後。ちょっと液状化現象というか何と言うか。面白いとも言えないし…でも画家が描きたい気持ちもわかるような気がする。

『黄昏、ヴェネツィア』 改めて眺めると、虹がそこにあるような色調だと思った。実際に自分が行ったとき、ヴェネツィアはこうは見えなかったので、わたしにとってモネのヴェネツィアは、遠い夢の国なのだ。

コロー『ヴィル・ダブレー』 道に白い線が一筋入っている。これはあれか、牛道なのだろうか。牛の道。けものみちよりは広い。モーモーロード。

わたしの洋画修行はここと西洋美術館と大原美術館だったので、来るたび「こんにちは、ありがとう」という嬉しい気持ちになる。



『ガラスの仮面』展を見る

「やりたい!お芝居をやりたい」――マヤ
「実力の世界はいいわ・・・!本当の自分が認められるから!」――亜弓
ガラスの仮面の展覧会が世田谷文学館で開催されていた。
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わたしが最初にガラスの仮面を見たのは、’76辺りのように思う。それまで『別マ』を読んでいたが、そこに連載していた美内すずえ、和田慎二、河あきら、柴田昌弘らがいなくなり、淋しくなっていた。ところが本屋で三原順『はみだしっ子』に出会い、掲載誌を買ったらそこに美内すずえも和田慎二もいた。
「あたしは美登利さんになれない」
マヤちゃんが泣いているのを見たのがガラスの仮面の最初だった。これは間違いがない。
30年前の記憶だが、子供の頃に驚いたことだけに、はっきりしている。既に美内すずえの恐怖マンガには慣れ親しんでいるから、「えっ日本が舞台で、しかも演劇の話?!」とびっくりしたのだ。(はるかなる風と光、みどりの炎、魔女メディア、燃える虹、ひばり鳴く朝などは遠い国が舞台だったのだ)
それから『はみだしっ子』が終了するまで『花とゆめ』を買い続けた。(それ以降はLALAを買った)だからリアルタイムに読み続けたのはかなり長かった。
マヤちゃんが謀略に巻き込まれ芸能界追放の憂き目に遭ったりした頃、こちらも読んでいてつらかった。
紫のバラの人が速水真澄だと、いつマヤちゃんにわかるかと、ドキドキし続けた。
リアルタイムに連載作品を読んでいた頃は、マヤちゃんが心配で友達気分で応援していたのだ。
しかしやや大きくなり、まとめて読んだりすると「一個のキャラを応援する」という地点から「物語全般を愛する」という意識に変わっていった。
マヤちゃんにしろ亜弓さんにしろ速水真澄にしろ、皆懸命に生きている。一つの目的に向かって走り続けている。
そのことに気づくと、新たな感動が生まれていた。
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展覧会はマヤ・亜弓・速水真澄らの時間の流れをそれぞれ表にしたり、各自の心の流れなども示す構成になっている。
みんな熱心に眺めている。年齢層も各自違うが『ガラスの仮面』が好きだ、という気持ちに変わりはない。

ところで本編で演じられたお芝居のうち、原作があるのは『たけくらべ』『若草物語』『嵐が丘』『真夏の夜の夢』『奇跡の人』『狼少女』などだと思う。(亜弓さんはジュリエットや『王子と乞食』も演じていたが)
他は美内すずえオリジナルだと思うのだが、中でも『二人の王女』は劇中劇とは言え、大変に面白い。これと『紅天女』は一篇の物語として独立して読みたい、と思う。
こうした物語を読むと、やはり別マ時代、和田慎二と並んでストーリーテラーとして輝いていた作家なのだとつくづく実感する。

原作のある芝居をマヤちゃんが演じるとき、わたしはそれぞれの原作を読むように努めていた。だからいまだに『たけくらべ』といえば清方の名画と共にマヤちゃんの泣き顔を思い出すのだ。『奇跡の人』も姫川歌子との格闘がすぐに蘇る。

マヤちゃんが芝居に入り込む前に行う訓練や練習などで特に面白かったのは『石の微笑』『奇跡の人』だった。

会場では原画だけでなくその舞台装置の再現もされていて、「ああそうなのか」と今更ながらに感心することもあった。独り舞台のヴェネツィア風景などである。
会場のあちこちで楽しみが待っている。

新作能『紅天女』の衣裳などもある。月影先生が能面をかぶって演じたことを思うと、やはり能仕立てというのは、とてもよいようだ。

ところで世田谷文学館では再現コーナーがあり、昨夏にはウルトラセブンのメトロン星人の四畳半がそこにあったが、今回は・・・ふふふ、床に転がる台本たち、昭和の匂いが濃い。
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壁にはこのポスターIMGP2336.jpg

そういえば作中マヤちゃんが麗のバイト先に行きカフェオーレを大飲みするエピソードがあったが、私はそれまでカフェオーレを知らなかった。
『ガラスの仮面』からは色んなことを教わり、色んな楽しみを齎してもらえた。

見応えのある展覧会だった。美麗な原画も見れ、嬉しい限りだ。
物語がどのような展開を繰り広げるにしろ、この先も待ち続けたいと思っている。

文学館のガラス戸にはこのポスターが!素敵だった・・・
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『舞台芸術の世界展』をみる

舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン展に行く。
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東京のチラシと京都のチラシ。mir240.jpg


ニジンスキーとバレエ・リュッスを最初に知ったのは、多分’81年頃だった。
当時『少女のための耽美派マガジン』と銘打たれた雑誌の講読を始めていただけでなく、『バレエ・マガジン』を発行する新書館の雑誌をも併読していたので、そこから知ったのだと思う。とは言えその以前からニジンスキーの名だけは知っていた。
恐らくそれは少女マンガからの知識だったろう。
その雑誌表紙(一部)mir248.jpg

そして’82年、クロード・ルルーシュ監督の『愛と哀しみのボレロ』でボレロを踊るジョルジュ・ドンの背後からの撮影シーンを見て、強い衝撃を受けた。
世界が変わってしまった。
クラシックバレエへの憧れが瞬時に消失し、モダンバレエへの深い関心が湧きだしてきた。
時折、世界が変わるほどの衝撃を受けることがある。今はもう殆どないが、たとえば最初にジャン・コクトーの作品に触れたとき・サティの音楽を聴いたときなど、それまでのわたしのいた世界が壊れて新しいものに変化するのを、膚に触れる実感として、感じていた。
ジョルジュ・ドンからニジンスキーに意識が向かったのも、そんな中だった。
ヴァスラフ・ニジンスキー。彼の生涯を追い始めていた。
色々な資料に溺れた結果、山岸涼子『牧神の午後』において彼の生涯を追うことが一番良いのではないか、と思う。そして有吉京子『ニジンスキー寓話』からエッセンスを読み取ることも必要だと思う。無論資料としては他にも良いものが多いが、とくにこの二作を推す。映画ではハーバート・ロス『ニジンスキー』がよく、舞台ではジョルジュ・ドンとバルバラ共演による『ニジンスキー、神の道化』が印象に残るが、近年では市村正親のニジンスキー・岡田真澄のディアギレフが最高だと思う。
(現在に至るまで、ニジンスキーとアラビアのロレンスは、わたしにとって深い興味の対象なのである)
'98にセゾン美術館が最後の展覧会として『ディアギレフとバレエ・リュス展』を開催した。
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そのときにセルゲイ・ディアギレフという表記からセルジュ・ディアギレフというフランス表記に変わった。バレエ・リュッスもリュスとなった。ロシア語の完全な日本語表記は容易ではない。無論他言語を自国語表記にすること自体が実のところ問題があるのだが。
当時の芸術新潮でフランス文学者・鹿島茂がディアギレフ論を挙げていて、それが十年後の今も意識の底に刻まれている。
実際わたしの愛するものたちは、多かれ少なかれバレエ・リュッスと関わりがある。それを思うと今この時期にこの展覧会に会えたのは、僥倖なのだろう。
京都国立近代美術館と東京都庭園美術館と北海道・青森で開催のこの展覧会を、わたしはアールデコの館で味わった。

mir239.jpgどちらもクリックしてください。mir241.jpg

展覧会は5章に分かれている。

1.ディアギレフのバレエ・リュス
レオン・バクストのデザインした舞台衣装と衣裳デザインが広がっている。
先にあげたチラシのデザインはニジンスキーのものだが、アンナ・パブロワやタマラ・カルサヴィナのためにデザインした衣裳やデッサンが並んでいる。
mir246.jpgどちらもバクストmir247.jpg

実際の衣裳そのものよりデザイン画のほうにより惹きつけられるのは何故だろう。
そしてジョルジュ・バルビエの版画集に深く惹かれた。
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彼らをモデルにした陶器の人形もある。mir245.jpg

シェエラザード、薔薇の精、火の鳥、牧神など・・・

今日『牧神の午後』と言えば舞台上の<ハプニング>ではなくこの絵を思い浮かべる向きが多いように思う。
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こちらは展覧会にはなかったが、わたしのコレクションから。
クリックしてください。
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ニジンスキーの奴隷の歓喜がまざまざと伝わってくる。

2.ロシアの民族性を求めて
ここではむしろバレエ・リュスの、というよりタイトルどおりロシア民族の伝統表現を描いたものが展示されている。
1917年のロシア革命・ソヴェート連邦の成立後しばらくして、絵本の世界ではその『ロシア様式』は全て否定されることになったが、舞台芸術の中では生きていられた。
イワン・ビリービン。彼の流麗な作品は今もファンが多い。
『イーゴリ公』のためのデザイン画などがある。
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ロシア史の魅力は大きいが、ここではふれない。このボロディンのオペラは中でも『韃靼人の踊り』という名曲があり、それは編曲されて『ストレンジャー・イン・パラダイス』というスタンダードナンバーにもなった。
また、ビリービンのほかの作品にも深い愛着があるが、彼の作品はこちらで見ることが出来る。
http://sol.oops.jp/illustration/bilibin.shtml
話はそれるが、先日かつてのロシアの遺宝を眺めたばかりなので、これらのデザインなどがたいへん納得がゆくのだった。
アレクサンドル・ゴロヴィン『火の鳥』の頭飾り。
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3.コメディア・デラルテ、カーニバル、キャバレー
即興喜劇と言うべきコメディア・デラルテに関する資料などが展示されている。
グロテスクなまでの誇張表現がそこにある。わたしは江戸の戯画・狂画は好きだが、他国のそれにはあまり関心が湧かない。

4.伝統と実験
19世紀風デザインから未来派、ロシア・アヴァンギャルド風な作品まで並んでいる。
セルゲイ・チェホーニンのこのデザイン画は’28だが、確かにその時代を感じさせるモダンさに満ちている。
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エリザヴェータ・ヤクーニナのデザインした衣裳『薔薇の騎士』のゾフィーの青い衣裳は、現実に着ることは不可能なのだが、ときめくような魅力がある。
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5.舞台を彩った人々
様々な形での肖像があった。
『瀕死の白鳥』として日本でも名高いアンナ・パヴロワ、オペラ歌手フョードル・シャリアピン(私は彼の名をステーキの調理法から知ったのだ)、タマラ・カルサヴィナ、そしてニジンスキーの舞台写真など。
薔薇の精mir244-1.jpg
タマラと。mir249.jpg


この展覧会はバレエ・リュスをメインにしたものではなく、そこから<始まった>ロシアの舞台芸術をひらくものだった。
‘98『ディアギレフのバレエ・リュス展』ではなく、同年の『美術と演劇ロシアアバンギャルドと舞台芸術1900-1930展』、’04『幻のロシア絵本 1920-1930年代展』’05『ロシア児童文学の世界昔話から現在の作品まで』の方が近いように思う。
個々のダンサーについても演目についても、書かなかった理由はそこにある。

ただ最後に、バレエ・リュス初演の作品を再現した演目のVTR上映会があり、そこで久しぶりに『ペトルーシュカ』を見た。以前から『薔薇の精』『牧神の午後』などを見ているが、その都度どうしても「実際のニジンスキーが見たい・・・!」と強く思うのだ。
わたしが1910-’30年代に惹かれるのは、そこにも要因があるのだった。

音楽について、あえて何も書かなかったのには理由がある。
わたしはストラヴィンスキーを偏愛しているが、ただ「聴くだけ」なのでなにか書くことなど到底出来そうになかった。
音楽についてはテツさんの随想があるので、そちらを参照すると、深い理解が得られるように思う。
http://blog.goo.ne.jp/tetsu-t0821/e/76a8370a7f3db170b744312a3729abb4

子供のいる情景

夏休みと言えば、それだけで<子供の時間>というイメージがある。
だから美術館・博物館も子供をテーマにした展覧会がしばしば開催される。今年は9/2まで夏休みと言う子供が多いだろう。
山種美術館で『子供のいる情景』を見た。
チラシがまずナイスだ。
芦雪のちびこたち。これを見ただけで「行こう」と思った。
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ところでここでわたしも久しぶりに子供のようなことをした。
ニューオータニ美術館の次に太田記念に行く予定が、間に山種を入れることにしたので、時間が足りない。
永田町から半蔵門、そして明治神宮。電車のつなぎはいいが、山種は駅から10分ほどで、私はすぐに迷う。
お堀へ向かって走れ。これをアタマに走りましたがな。走りながらなんとなく楽しくなって、スキップまでした。
それでへろへろになるのが子供ではないところで、ぐったりモードで美術館に入った。

山種は近代日本画メインとは言え、以前から浮世絵のよいのも見せてくれていた。
春信『梅の枝折』『柿の実とり』左右、対のような作品。
制作年も同じなので春信もしくは版元が気に入った構図なのだろう。
梅と柿、春と秋。女二人が肩車して梅または柿を取ろうとする。
春信特有の女のくねったしなやかな肢体が眼に残るが、『子供のいる情景』なので彼女らはまだ少女の範疇にあるのかもしれない。

清長 『大名の若殿、乳母、侍女二人』 天明期の作品なので清長も人気絶頂の頃か。清長は割りとこういう構図の作品が多い。
タイトルどおり『子供のいる情景』だが、絵師は無論、女たちを描くのが主目的だ。
天明とその後の化政期の違いについては、八世三津五郎と武智の対談集などに詳しいが、ファッションも人心も何もかもコロッと変わったようだ。
天明は飢饉もあったが都市部ではのんびりムードで、その後はやや退廃的になるのでした。

チラシになったのは伝・芦雪『唐子遊び図』 カワイイ。いたずらしたりまじめに書を書いたり、ほたえたり。(ほたえる=暴れたり騒いだりする)
描きながら「ほたえさしなや」と自分でツッコミを入れてたかもしれないな。これが本人のかそうでないのかはもうあまり関係がない。
かわいいのだ、子供らが。それが大切なのだった。

是真『金太郎』 金太郎がしゃがんで地面を見ている。何を見ているかと言えば、食べ物を運ぶアリの行列を見ているのだった。
是真はけっこう子供の絵にいいものが多い。

洋画もある。
黒田清輝『湘南の海水浴』 20世紀に入ってから海水浴もかなり一般化してきて、みんな機嫌よく泳ぐようになった。なんか一列に並ぶ人たち。
下帯を締めている後姿は日焼けして逞しい。唱歌の「我は海の子」が頭の中に流れてくるようだ。

和田英作『黄衣の少女』 mir234-1.jpg

わたしは以前から武二、三郎助、英作、新太郎の描く女たちは、少女からある程度の婦人に至るまで、みんなとても綺麗だと思っていた。この椅子に凭れる少女も綺麗なのだ。ずっと見ていたい美少女。

小出楢重『子供立像』 とにかく小出は大人になってから好きになった画家で、今ではかつての嫌悪が思い出せないほどだ。丁度子供の頃はセロリや牡蠣が嫌いだったのに、大人になり大好きになるのと同じようなものかもしれない。(くせがあるので番人の好むものとはいえないが)
小出は家族や友人を大事にしただけに、わが子の像にも愛情が深い。

林武『少女』 mir234.jpg

赤い服・赤い帽子のしっかりした少女。色黒なのか林の好きな色なのかはわからないが、健康そうだ。

さて日本画へ。
玉堂『魚釣り』 先般回顧展を見て「玉堂って釣り好きなんだ」と認識したばかりだが、それだけに嬉しそうないい絵だった。同じ釣り好きでも福田は鮎そのものを描こうとするが、玉堂は釣りをする人々のいる自然風景そのものを描く。どちらもとてもいい、と今では思う。

松園『折鶴』 実はいまだに折鶴が出来ない。覚えられないのだ。だからこの母子らしき二人が幸せそうに折鶴を手に図には憧れる。

小坡『虫売り』 mir237.jpg
この絵は回顧展で初めて見たが、昔は風流だったと思う。制作は昭和初期だが、その頃まだ虫売りはあったのだろうか。
名古屋の名都美術館と古川美術館に伊藤小坡の作品が多い。

清方『佳日』 秋のある日(多分天長節か何か)母と息子が出かけている。天候も良くいい心持の作品。

古径『闘草』 mir235.jpg
若い頃の作品だけに、「いかにも明治時代」な絵だといつも思う。草の引き合いゲーム。室町頃までの男の子と女の子。この二人にも『筒井筒』なことがあるのかもしれない。
四天王寺に扇面法華経という素敵な国宝がある。法華経の下にはカラフルな絵があるが、その中にもこのゲームが出ていた。

小虎『ふるさとの夢』 越後獅子に売られた子供が野辺に故郷の夢を見る。かつての日本のどこかにあった光景なのだろう。今はそんなこともなくなったが、子供の受難は形を変えて巨大化している。この越後獅子の坊やはまだ故郷を夢に見ることも出来、将来にはなんとなく展望もあるのかもしれない。現在はつらくとも過去はやさしく未来は広い。
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青樹『愛児坐像』 ざんぎりおかっぱの幼児。若い父の喜び。画家であることをこんなにも嬉しく思ったときはないかもしれない。画家は家族の肖像を自分の腕で描けるのだから。うちの母はこの後の世代だが、赤ん坊の頃の写真を見たら、似た様なざんぎりだった。わかめちゃん。昔の子供はみんなそうなのか。’31の作だが、子供のためのおもちゃを入れた籠にはクマのプーさんのようなものや獅子頭、狗張子などが見えた。

御舟『ギリシャ少女像(写生)』 大倉喜七郎の発案で日本画をイタリーで展覧会と言うのが’30にあった。大観始め何人もの画家が海を渡ったが、御舟はそのまま写生旅行に出た。これはギリシャ彫刻と言うよりヒッタイトかアッシリアのそれのような感じがする。

合作の絵巻があった。’28。岳陵、荻生天泉、忠夫、映丘、小虎の五人で『伊勢物語』を描き、詞書は尾上柴舟。優美な絵巻だった。四段と二十三段のシーンが多い。先のは月を見て来ない男を想い、その想いを歌に詠む女。後のは筒井筒。
この当時こうしたコラボが流行したか、漱石の『草枕』も似たようなメンバーで作られた。(’25・映丘門下による。現在は奈良国立博物館に所蔵)

近年でも物語を描く伝統の絵もある。
多々志『初陣』 丸顔の少年が父らしき武者と並んでいる。この画家は歴史画の伝統を継いでくれたのだが、どの作品を見ても「この物語を深く知りたい」と思わせる力が潜んでいる。絵そのものの魅力が物語への求めを生む。

曠平『雷電』 これは菅原道真の伝説に取材した作品。『北野天神縁起絵巻』にもあるエピソード。菅公の化身した子供が憤りを露わにして、噛んだザクロを吐き出すと、それが炎になった。
森田曠平は物語絵に巧みで、死の直前まで大江山伝説を背景にした小説の挿絵を描いていた。病床についてからは弟子が変わったが。
このザクロで炎の絵も、憤りを深くしつつ、ただ怖いのではなく流麗な味わいがあり、見事な作品だった。

林功『放心』 薄緑色の大きな絵。画面の中ほどから下に小さな男の子がいる。死んだ鳩を前にして呆然としている。画家の息子さんがペットの屍骸を前にして『放心』している。死んだ鳥も哀れだが、その死をみつめる子供もまた哀れだった。それを薄い緑色で描くことに静かな尊さがある。

他にも作品があったが、特に心を惹かれたものを挙げた。
わたしには子供はいないがちびこの甥がいる。
甥に似た小さい子供がこの展覧会の絵にはいなかったのが、ちょっと残念な気もした。
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