美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

貴婦人が愛した化粧品

先日来、資生堂、ポーラと化粧品会社の所蔵品などを楽しませてもらってきたが、今回はクラブコスメ。商業・文化に力を入れる在阪メーカー。
大正期には『苦楽』を発行するプラトン社を起こし、’20?’30年代の文芸や商業芸術をリードした。
昨春から春秋二期に展覧会を開催している。四月と十月。
土日は休みなので平日の七時までに行く。
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東京博覧会案内図とクラブ館

今回は『貴婦人が愛した中山太陽堂』
中山太陽堂とは即ち現在のクラブコスメ。
中山太陽堂は明治36年創業。
自社製造第1号商品「クラブ洗粉」から始まる創業当初の歴史や広告宣伝の様子、さらには本格的近代工場といわれた旧工場内の設備や生産の風景などがご高覧いただけます。
主な展示資料:献上用化粧品セット・記録写真・旧商品・ポスター・ちらしなど

創立者の中山太一はメディアをいかに使うか考えた人で、宣伝に力を入れたのが資料からわかる。
クリックしてください。mir396.jpg mir397.jpg

フォードがある。レトロな車。クラシックカー。素敵だなぁ…
そして六甲辺りにあった素敵な洋館…こういうものが見たくて来たので、嬉しくて仕方ない。
中山太一と著名人たちとの記念写真がいくつか並ぶ。
新渡戸稲造、ダルマのような高橋是清、大谷光瑞、そしてインドの詩人タゴール。…タゴールを見たとき思わず♪インドの山奥で修行をして…と歌ってしまいそうになった。
綺羅星のごとき人々のいた時代。

外での活動だけでなく、従業員への福利厚生もよかったようだ。
工場の写真を見ると、お弁当を温める抽斗もあった。そして洗面所には自社製品の洗粉などが並ぶ。なんとなくそれが楽しい。

天王寺にあったレンガ造りの倉庫などは、本当に素敵だった。
今あればおしゃれだと思う。残念だ。
さてタイトルのことだが、素敵な絵柄のついた容器があるのを見て納得がいった。
ご成婚前の良子様つまり香淳皇后が愛されたのがここの製品だったようだ。
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他に西本願寺御用達とあるから、門主・大谷光瑞の妹・九条武子(大正期きっての美人と評判だった)も使用されたようだ。
イメージ的に「あんな綺麗で高貴な方が」使われるなら、と購買意欲も増してくる。

貴婦人ではないが美貌で有名な芸妓・萬龍をイメージキャラに使ったのも効果を挙げている。
昨日菅楯彦の記事を挙げたが、そこには富田屋八千代がいたが、萬龍は赤坂の芸妓で三越のキャラにもなったようだ。
当時の芸妓はアイドルでもあり、多くのメディアに登場している。
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楽しい展覧会も次は来春四月まで待たねばならない。

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なにわ風俗を描く菅 楯彦の世界

芦屋市美術博物館で菅 楯彦の回顧展が開催されている。
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浪速御民と名乗るほどに浪速の地で天皇を敬い、天神信仰も篤い日本画家だった。
大阪名誉市民第一号。
四十年以前に八十余歳を以って天寿を全うしている。
しかし。
しかしそんな人を大阪は顕彰もせず、作品も集めず(寄贈も断り)、回顧展もしないでいる。
今の大阪に文化なんかあるのか。
わたしは常々そのことを思っているが、今回久しぶりに沸沸と腹立ちが湧いてきた。

芦屋市は小出楢重あたりが住まうまでは漁村で、船員の家族が住んだ地だった。
「てて噛むイワシいらんかえー」
と物売りの声もあったようだ。
山手に巨大な邸宅が生まれるのはもっと後の話である。
つまり船場辺りで商売の成功した人々が大阪から脱出して芦屋に一家を構えたのが始まりらしい。
それだけに芦屋市には大阪画壇の作品が多く収蔵されている。
そしてそのことを大阪市はありがたく思わなくてはならない。

菅 楯彦の作品は軽妙洒脱で粋(すい)で、と表現されることが多い。
実際絵の前に立つと、その言葉に実感が伴う。
わたしが最初に菅の作品を見たのはもう随分昔のことで、ちょっと思い出せない。
つまり知らん間に見ていた絵の作者なのである。
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菅楯彦と言えば、四天王寺舞楽・富田屋八千代・白雲庵・神宗・龍村平蔵・うちの天神さん・谷崎の挿絵 などなどが思い浮かぶ。
関西大学所蔵名品展を見たときも北野恒富と菅の絵が記憶に残っている。
二人ともそれぞれ金沢・倉吉で生まれ、大阪で育ち大阪で死んだ。
しかし二人の作品展は大阪では開催されない。所蔵名品展などのときに現れるくらいだ。

菅のロマンスと言えば南地の富田屋八千代のほかにはない。
昔の芸妓はブロマイドにもなり、兵隊さんの慰問袋にもたくさん納められた。
名妓・八千代さんのブロマイドを見ると、殆どコスプレに近い。
着物しか着ない芸妓さんの洋装姿と言うのは人気を呼ぶのか、たくさんの種類を見た。
ブロマイド撮影は光村利藻によるようで、綺麗な映りだった。
彼の愛妾はその八千代の妹分・豆千代。十六歳で引き、ずっと手元に置いた。
戸板康二『ぜいたく列伝』の光村のエピソードに興味深い話がある。
(古人から様々なエピソードを聞く楽しみがここにはある)

さてその八千代は絵の先生たる菅に焦がれて焦がれて、とうとう菅の友人・龍村に骨折りを頼み、菅家の人となったそうだ。
美人の押しに負けた菅だが、それこそ「琴瑟相和して」仲良く暮らし、一緒に絵を描いたりしていたようだが、お気の毒なことに美記子夫人(八千代の本名)は数年後に病没し、愛妻を亡くした菅は長らく打ち沈んでいたそうだ。
そしてその後の生涯は独り身を守り、折々に追想の書画を残している。

一方、初代龍村平蔵との友情が蝕まれる話を以前、龍村平蔵回顧展で知った。
龍村の綴れ織の新作などに図案を提供していた菅だが、宮家に納入するタピストリーの件で龍村と不仲になり、龍村はそれやこれやで心身ともにたいへんな苦悩をうけたそうだ。
(しかも七年もの歳月をかけて全身全霊を投じて作った作品も、菅の原画共々戦災で灰塵に帰してしまう)
今、大阪の綿業会館に掛かるタペストリーは菅の図案のものだと思う。

その龍村の作品集を紐解くと、菅の原画を基にした作品が多く現れる。
龍村は周知のように古代裂再現の人である。
そして菅は有職故実の研究家であり、何事もゆるがせにせず、些細なことをもないがしろにしなかった。
その二人のコラボレートによって生み出された作品の数々を思うと、菅の画風が「軽妙洒脱で粋(すい)」とばかり言えないことを知る。
芦屋の展覧会ではそちらの面での作品は出品されていなかったが、わたしは幸いなことに龍村の作品集でそれを確認できる。
…しかしわたし一人が楽しんでもいけない。
もっと菅楯彦の作品を世に出さねばならない。
大阪市は計画性のない第三セクターを作る前に文化事業に熱意を注ぐべきだったのだ。

大阪市立美術館にある『千槍将発』などは作画期が昭和19年と言うことを背景にしても、見事な戦国時代の将兵の一群描写である。

他にも菅は有職故実の知識を駆使して宮様のご婚礼の御帯の下絵を描いている。
それらはまことに優美である。無論織ったのは龍村の仕事である。
五十年以前には菅楯彦、龍村平蔵のような凄い人々が大阪にはいたのだと思うと、泣けてしまう。

さてその菅の描いた大阪…と言っても旧幕時代の浪速風俗をじっくりと眺める。
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黄檗宗・普茶料理のお店のためにもムードある絵を描いている。
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上は白雲庵所蔵、下は四天王寺所蔵・舞楽の様子。

これらの大半は関西大学と倉吉博物館と中之島図書館と四天王寺と大阪の博物館や美術館などが所蔵している。個人蔵のうちいくつかはうどんすきの美々卯や料亭・花外楼などだと思う。
去年九月には花外楼で菅の絵をいくつも見ている。
それで思い出した。
今橋の大阪美術倶楽部で、十年ほど前わたしは菅の面白い作品を見ていた。
大漁の鯛図二枚。赤い鯛と黒い鯛の対のような作品。めでたくていい感じだった。
あれらはどこへ売られたのだろう…

色々なことを考えさせられる一方で、菅の作品を眺めるとそんな難しいこと・憂いも腹立ちも消えて、明るくめでたいよい気分になるのだった。
失われた浪速風俗を描いた菅 楯彦・・・もっと多くの作品を気軽に見られるようでいてほしい、と強く願った。

谷崎潤一郎『月と狂言師』表紙絵。
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宗旦三百五十回忌記念展

利休の孫に当たる元伯宗旦が今年350回忌を迎えるそうで、裏千家の茶道資料館・表千家の北山会館でそれぞれ展覧会が行われている。

表千家の方の案内。
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このたび3代家元、元伯宗旦350年遠忌を記念して、元伯宗旦(げんぱくそうたん)の手紙を中心とした特別展を開催いたします。
利休居士が生涯をかけて追い求めたわびの茶は、孫の元伯宗旦において、その極致を得たということが出来ます。
その81年の生涯の間にあっては、3人の子息をそれぞれ大名へ出仕させ、千家流の茶をもって家がたちゆくよう心をくだいたのでした。
元伯宗旦の子息、江岑宗左(こうしんそうさ)に宛てた手紙が約240通、家元に残されています。その内より約40通を厳選し、読み下しと解説を付して、宗旦の茶風、子息への思い、交友関係など宗旦の人となりを充分に感じていただける展観を企画いたしました。皆様のご来館をお待ちいたしております。


裏千家の方の案内。
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本年は元伯宗旦居士の三百五十年忌にあたり、茶道資料館では秋季特別展「千 宗旦」を開催いたします。
 千利休居士の孫として生まれた宗旦居士は、少年時代を大徳寺の春屋宗園師の下、禅僧として修行に励んでいました。
 利休居士自刃の後、断絶していた千家が秀吉の許しによって再興されるに伴って還俗、その後の生涯を極わびの茶に徹しました。
 この度の展観では、江戸初期の大名茶横溢の時代に千家茶道の復興に尽くした宗旦居士の足跡を辿り、わび茶の魅力を紹介いたします。
 また、宗旦の四人の息子たちや後に四天王と称される 、藤村庸軒らの掛物や茶道具を通して、宗旦の遺芳を偲びます。




どちらも12月過ぎまで開催している。
わたしは誰の弟子でもないのでどちらに行くのも自由だから、行きなれた裏千家の方へ出かけた。
二つとも廻れば宗旦居士へのいい供養になろうが、片手落ちで許してもらおう。

二つの横書きの書がある。
「懈怠比丘不期明日」清巌筆 「邂逅比丘不期明日」宗旦筆
約束していて出かけたら、不在。そこで懈怠ケタイの比丘云々と書いて残す。帰宅した方はそれを見て邂逅カイコウの比丘云々と返す。
似た字を使っての返信はウィットが効いていておしゃれでさえある。
『鸚鵡小町』は返歌を拵えるのがしんどくて、テニヲハの一つを変えたのを返歌にした話だったか。
テニヲハの一つでも意味が深く変わり、歌そのものが変わるというのは石川淳『紫苑物語』にもあった。
そんなことを思いながら書を眺めるのも楽しい。

宗旦は書のほかにも竹を切って花入れにしたものや茶杓、絵なども残している。
茶道のいいところはその銘の由来などが今日まで伝わっている辺りかもしれない。
こうしたエピソードは好きな人には楽しくて仕方ない。
竹一重切花入 銘面影 竹釣舟花入 銘横雲
これらの名とその形を見て納得のゆくものと、「?」から「!」になるものもある。
大変面白い。

赤樂茶碗 銘太郎坊 長次郎 これよりわたしはノンコウの薄い茶碗が好きだ。
長次郎のこれが何故<太郎坊>なのかはここには書かれていない。
太郎坊とは三好達治の「太郎を眠らせ太郎の屋根に雪降り積む」のように固有名詞ではない名なのかもしれない。
そんなことを思って眺めるのも楽しい。たとえ間違っていても一人で機嫌よく眺める。

消息があった。割と読みやすい文字なので、読めるところだけ読んでいると、茶会が果てた団体さんが読んでくれと言うので読んだが、果たしてどうか。
これで全部きっちり読めたらエエのだが、向うも期待していないのだろう、「がんばってね」と言われた。
…もしかして研究者か学生に間違われたのか?時々わたしは絵解きを習おうかと思うこともある…

二階には又隠写しの茶室がある。悪いTVの見すぎか、狭い茶室でお茶をいただくと「うぐぐ、謀ったな」と言いたくなる。
宗旦も怒るだろう、きっと。
どうしてか茶道具を見たり由来を聞いたりするのは好きなのに、実際の習得にどうしても関心が湧かない。
多分お能の面や衣装を見たり、謡曲の詞書を見るのは好きだが、演能に行かないのと同じ理由だと思う。
山桜さん、一村雨さんは茶道を習うことで身を正されている。
えらいものだ。わたしは道の外にいる。



一階では呈茶がある。立礼式なので気軽にいただく。
見るとわたしの好きな和菓子屋さんからの『大栗』である。
行ったその日は定休日で、買うことが出来ないのが残念だと思い、
「今日はお店お休みでしたね」
「いえ、ちゃんと本日入れていただきました」
賞味期限の改竄で世間が揺れているからなぁ…
「いえ、そやのぉてね、買うて帰られへんのが残念で」
言葉は難しいものです。

これです。おいしいのよ。IMGP2490.jpg

お抹茶と器の彩の妙にときめく。
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北山のほうのチラシや資料を見るうちにそちらにも行きたくなってきた。
植物園へ紅葉狩りの折に行くか、ちょっと悩みたいと思う。

黒川古文化研究所へ行く

黒川古文化研究所、と言っても知る方のほうが少ないかもしれない。
年のうち春秋二期、あわせて二ヶ月くらいしか開館せず、場所も「西宮市苦楽園3番町」とあるが、山の上なのである。
柏堂と書いてカヤンドと読むバス停から更に登り、苦楽園中学と西宮北高校の上に聳える建物がそれである。
バス停から徒歩で向かうも、眩暈と気合が不可欠な場所だと言っていい。
美術品を見るために登山するのは避けたいので、芦屋のお友達のご好意で最初から車で向かった。
ご夫妻はわたしより二十歳ほど年長だが、少年サッカー指導者のご主人の運転は断崖絶壁のような坂道を走り続けて、奥様とわたし、ふたりの道楽ものを山上に上げてくださった。

黒川古文化研究所は、大阪の黒川証券オーナーの黒川家が戦後すぐに、歴代に渡って蒐集した文化財を公開・研究するために開かれた財団法人である。
詳細はこちらのサイトへ。
http://www.kurokawa-institute.or.jp/
摂河泉一望の地、というだけに本当に凄い眺めだったがそれはさておき、展覧会を見たい。
ここの建物は’74年からのものだが、入り口の押し手・階段飾り・天井などが全て殷周時代の青銅器に見る文様を模している。それだけでも楽しい。
'00年に大阪市立美術館で『黒川古文化研究所名品展』が開催され、その折に国宝・重文・重美あわせて六十点ほどを含む四百件の文物を見た。
これはそのときのチラシ。mir390.jpg

名のみ知っていたが、実物に触れてたいへん感銘を受けたが、場所の地図を見て「・・・ムリ」諦めていたのだ。だから嬉しく、ありがたい。
今回は11/11まで開催中の『文人の書画と文房具』を見に訪れた。
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中国では、三千年以上も前から漢字が使用され、文化の発展も漢字とともにありました。特に10世紀後半の宋代以降は、科挙(高等文官試験)に合格したエリート知識人たちが、政治や社会の中枢を占めるようになっていきしました。文人とは、このような文字や文学に関する能力を高度に身につけた知識人たちの総称で、政治に参与する一方で中国文化の主たる担い手としても活躍しました。
 彼らは、儒教をはじめとする古典に精通し、日頃から文を作り詩を吟じ、教養としては書、画を愛好して自らも筆をとりました。そのため、彼らの生活の必需品である文房具が尊ばれるようになっていきました。質のよさを求めて端渓の硯、徽州の墨というように名産地が生まれ、工芸的にも洗練された品々が数多く作られました。日本でも、中世には禅を通じて文人文化が流入し、江戸時代になってからは為政者としての武士に大きな影響を与えました。特に儒教への理解が深まった江戸中期以降には、文人の精神に敬意を抱いた人々により、その蒐集や制作が盛んに行われるようになりました。
 本展観では、そうした文房具類の中から硯、墨、筆、紙のいわゆる文房四宝や、筆筒、筆架、水滴、印材などの諸器具の優品を、文人たちの揮毫した書画とともに陳列します。中国歴代の、そして我々の祖先もあこがれた文人たちの文化。身の回りの小さな品々にまで注ぎ込まれた、彼らの高雅な精神に触れていただければ幸いです。

遠路はるばる来た甲斐はある。素晴らしいコレクションだった。
最初に現れたのは『集王聖教序』mir389.jpg

北宋時代に唐代の碑を拓本にしたものだった。
価値があるのはわかるがあいにくこの辺りの教養が不足している。
しかし技術の高さは感じ取ることができる。
例によって横道にそれるが谷崎『瘋癲老人日記』巻末の方で、老人が中国人の拓本技術の高さを思う描写がある。それを思いながら拓本を眺める。

王義之の真筆はこの世にはない。
皇帝がすべて自分の墓所に持ち去ってしまった。
後世の人間は王義之の模写本を更に写すしか出来ない。
清中期の成親王による模写を見る。やはり中国は漢字の国であることを実感する。

汪士『行書扇面』 チラシ右上。墨の濃淡が個性なのかどうかは知らぬが、文字の並びが美しく感じた。

しかし凄まじいものを見た。殿試答案である。つまり科挙の答案とレプリカ。
三百年の時間が二枚の間にあるが、これを回答として出題を出す方も出す方だが、受ける方の苦しみは、これは想像を絶してしまう。落とすために出題するのか、パラノイア的な慎重さを必要とするためにここまでするのか、わたしなどには決してたどりつけない受験システムを見た。一文字たりとも間違うことができない。この膨大な文字を・・・
まさしく文字禍そのものではないか。
文章の中に「西夏」「郭去病」などの文字を見つけたが、ロマンも何も飛ぶような、凄まじい文字の羅列だった。

アヘン戦争で知られる林則徐の『尺牘詩稿帖』もあった。どういうコンセプトで蒐集されたかはわからぬが、史料としても大切なものだと思う。

文人画に移る。
伝・董源『寒林重汀図』mir389-2.jpg

これは天王寺でも見た。汀に生える薄い草たちに目を惹かれる。
画の上部には董元とあるが、同一と考えてよいのだろう。

先に王義之の模写のことを書いたが、あれは書であるが、画では「古人に倣う」という断りを入れて描かれた作品が多い。日本だと狩野派の粉本主義と言うことになるか、しかしここではソックリに描くと言うわけではないそうだ。
それで「倣う」という言葉そのものに研究者は悩まされているそうだ。
そんなことが解説プレートにあり、興味深く読んだ。

蒋藹『倣董源山水図』 しかし董源の絵の特徴を知らぬので「倣う」たのかどうか。

陳選『花卉図冊』 白いモコモコの猫?がいる。多分、猫。どことなく見たような気がする。わたしは中国文人画にはなじみがないのだが、どこでだろう?
ちょっと仙ガイの猫に似ているのかもしれない。

湯貽汾『坐石聴松図巻』 時間の流れは右から左へ向かう。この絵巻は極シンプルな線と色で構成されている。赤い欄干の小橋を童子が渡る。振分と呼ばれる人が石に坐している。
童子は湯を沸かし茶を点てようとする。その背後には童子と同じようなちびっこの鶴がいる。向こうに赤い欄干は続いている・・・
なんとも言えず良い絵だった。清後期と言うが1834年だからアヘン戦争前夜の時代である。

硯と筆など文房具の良いものが現れていた。
端渓の硯がいくつもある。子供の頃お習字をしていたことを思い出す。わたしは那智の硯を使っていた。
面白いのはベトナムの硯で、それはキリシタン仕様だった。
墨や硯の画像をモノクロだが、載せる。
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筆の立派さにも驚いた。日本でなら奈良の墨が良品である。
明・清の文具ばかりが集められているが、驚くほど細く小さい文字が綴られた筆もあった。
他に紙に驚いた。
チラシの背景を今一度良く見てもらいたい。右はピンク地・左はクリーム地に花と連続紋の構成。その紋は「氷裂文」というらしい。その上に梅が飛ぶ。
どちらも清朝後期だが、モダンで可愛くて仕方ない。今でも使えるし、使いたくなるような感じ。

同じくチラシ左側の上は乾隆年間の象牙彩漆『郭子儀図筆筒』である。子福者の一族の姿。地を黒にしたのがいい。

下は印章。寿山石(白芙蓉)とあるが納得のゆくまろやかな白さである。獅子親子が愛らしい。ママ獅子になつき甘える子獅子。

チラシ右隣は渡辺崋山の『乳狗図』 やせ犬のお母さんからおっぱいを飲む白い大きな仔犬。肉球が妙に可愛い。

他に気に入ったのは螺鈿細工の『月下双兎図盒』 螺鈿は赤みの強い紫が多く使用され、華やか。金木犀の大木の下に寄り添う二羽のウサギ。可愛くて仕方ない
ぐるりには蝶が刻み付けられている。

大阪市美術館でのチラシの下部にある万暦の頃の『五彩龍文筆盒』は先日の逸翁美術館でも同類のものを見たし、故宮でも見ている。万暦の頃のこうした作品はとても日本人に愛されている。逸翁はそれを香合に見立てていた。

『青磁蔦葉形筆覘』 これがとても気に入った。貫入の入り具合がまるで葉脈のようで、とてもいい感じである。鍾愛したいような逸品だった。

他にも払子や如意などがあり、貫名海屋、浦上春琴らの絵画もあり、とても見応えのあるコレクションだった。
わたしはここで『日本の絵画』冊子を買った。四条円山派の名画が色々収められているので、とても嬉しい。

展覧会を見た後、わたしたちは下界へ降りていった。

逸翁美術館50周年特別展・前期

逸翁美術館が開館五十年を迎えた。
池田建石町にある逸翁小林一三の別荘・雅俗山荘を美術館として、半世紀の間人々の心を潤わしてくれたのだった。
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今年は阪急も創立百年の節目を迎えていたので、池田文庫でも阪急百年と言う展覧会を開催している。
その詳細はまた後日になるが、まず先に逸翁に行く。
名品展として前後期に分かれての展覧会で、前期の最終日に出かけた。
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門構えの立派な、いつ見ても嬉しくなるような建物だが…中に入った途端、ぎょっ。
その理由は最後に挙げる。

この建物はハーフティンバーで、とても素敵な洋館である。
いつ見てもうっとりする。
玄関入ってすぐに石山切などがある。mir384-2.jpg

こうした色紙類は優美で墨も綺麗だが、わたしはどうもあまり関心が湧かない。
それはわたしが楷書好きで、行書にあまり関心がないからなのだ。
しかし継紙は綺麗だった。それはいつもいつも思う。

ホールに入ると、吹き抜けのシャンデリアがとても素敵だ。
その下で永徳の息子・光信の描いた秀吉画像がある。
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この前日にも同題の作を見たところだが、光信のこの絵が基本になって太閤像が確定したらしい。
その同じガラスケースの中に
芒蒔絵棚 と 花鳥蒔絵螺鈿洋櫃   秋草蒔絵螺鈿聖餅箱 が並ぶ。
螺鈿で煌びやかに彩られた洋櫃つまりキャビネットはいかにもなカマボコ型で、なんとなく蓋を開ければお宝ザクザクなイメージがある。
しかしこのキャビネット自体が立派なお宝なのだった。
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聖餅箱とはキリスト教の大事な御物で、それをこうしたきらめきの箱にしつらえたのは、やはり信者の想いが深い証のように思う。

三十三間堂通矢図屏風 とにかく長い。三十三間堂は今永徳展を開催している京博のお向かいにある。通し矢の行事で有名だが、ここでもそれが描かれている。やはり風俗図は楽しい。
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秋夜擣衣図 呉春  これは砧を打つ女の絵である。秋はただでさえ物寂しいのに、こんな山家で女が一人トントンと砧を打てば、いよいよ淋しくなる。別に美人に描いたわけではなく普通の奥さんの姿だが、だからこそのわびしさと風情がある。

秋景孤鹿図 呉春  秋のもの侘しさは砧と鹿の声と定まっている。声聞くときぞ秋は、と歌われる。去年だったか、奈良ではなく保津川で鹿の声を聞いた。保津川下りの最中に鹿の声を聞き、何とも言えぬ風情を感じたのだった。

松林帰樵図 与謝蕪村  仲良く帰る杣人ふたり。猿も人も雉も梢も枯葉も、なにもかも共に生きているのだ。蕪村の柔らかな筆致にそのことを思う。

蓮根図 わたしはレンコンが好きなのだが、このレンコンは食べるためのレンコンではなく、やはり芸術のレンコンなのだった。牧ケイの絵だと伝わるが本当のところは知らない。墨の濃淡がいい。

青磁算木花入  基本的に青磁が好きだが、この算木の形をした花入れはなんとなくビルのように見えて面白い。これをみているとロイド・ライトの装飾を思い出す。

降雪狗児図 長沢芦雪img559.jpg

好きな絵、本当に好きな絵。白犬黒犬のわんころべえたち。花のような雪が降る。わんころたちは天から降るものを不思議に思いつつ、寒さよりも楽しさを感じているのかもしれない。

飛鴨図 俵屋宗達  これも秋を感じさせる。とは言え実際に鴨も雁も飛ぶ姿などわたしは見たこともないのだが。

秋草図巻 伝松村景文 銀の月が半分欠けた姿を天に浮かべて野を見下ろす。 とてもいい作品だった。『黒塚』の老女は満月の下で喜んで踊るが、この月であってもおかしくないかもしれない。
愛でたい月。愛しい月。なんともいえず良い月である。

五彩蓮華文呼継茶碗 逸翁銘「家光」 この銘のココロは「よく継いだ」である。五彩蓮華文自体はどことなく敦煌壁画を思わせもするが、継ぎに太目の金が入ることで、妄想に枷が入る。

青磁トキヤロ香合  小舟と小さい人が可愛い。掌に乗る小舟。浮かぶことはないだろうが、なんとなく川の流れに乗って常世に行ってしまうような風情がある。

黄交趾鴨香合・緑交趾鴨香合  掌に乗る愛らしい鴨香合たち。なんだかハクセンコウのお菓子のようにも見える。

法花蓮華文水指 昔はこのクドさが苦手だったのが、今は可愛くて仕方ない。法花という種類はなんだか明るい気持ちになる。

奥の細道画巻 上巻 与謝蕪村  丁度わたしが見たとき、巻物はこのシーンが出ていた。いい感じ。
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佐藤兄弟。以前福島県でお墓を見ている。

白梅図屏風 呉春 高校の頃、最初に来たときに見たのがこの屏風だった。夜の梅(羊羹ではない)とは思わなかった。
意識の錯誤だろう。しかしこの絵のよさには心深まるばかりだ…魅力的な構図、独特の色調…なにもかもがいい。クリックしてください。
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他にこれまでの節目の展覧会ポスターが飾られていた。
こうした歴史を見るのが好きなので、とても楽しい。
後期は10/27から12/9まで。

ところで冒頭から続く「ぎょっ」のこと。
…来春早々の新春展のあと、ここから移転して新しい建物に新しく逸翁美術館はオープンするらしい。
正直、大ショックだ。この建物が好きなので本当にがーんがーんがーんだ。
…それで今朝10/26の新聞に以下の記事がある。クリックしてください。
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…なんとかこの雅俗山荘の一般公開を願いたいと思う。

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こんな素敵な門もあるのだから。
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木々が伸びすぎて素敵な建物はその向こうに隠れている。
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花ひらくアールヌーヴォー ガラス工芸と女性の装い

銀座1丁目のポーラミュージアムアネックスで『花ひらくアールヌーヴォー ガラス工芸と女性の装い』展を見に行った。
ポーラは箱根に立派な美術館があり、去年辺りその所蔵品を巡回して展覧してくれた。
基本的に世紀末から二次大戦前夜までの文化がとても好きである。
その数十年のうち、最初の頃にフランスでアールヌーヴォーが花ひらいた。
そのアールヌーヴォーの絵画にはミュシャがいたが、工藝にはガレとドーム兄弟がいた。
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そのガレとドーム兄弟のガラス工芸。
美を作り出す化粧品会社がそれら美しいものを集めるのは至極真っ当な意識の現われだと思う。
機嫌よく出かけると、ありがたいことに無料である。
ガレやドームのガラス工芸品はいつの時代もひとを魅了する。
アールヌーヴォーが時代遅れになり、アールデコの時代に変わり、更に嗜好が移り変わる。
しかしそれでもこれら工芸品の美は一向に衰えない。
不思議なことだと思いもする。絵画より工芸品の方が生命が長いのだろうか。
「美しいものをみつめ続けると麻痺してしまう。だから眼を閉じる。そして不意に眼を開けるとそこに・・・」
わたしの好きな言葉だった。
確かにそのとおりなのだろう。眼と意識を一瞬クローズし、そして不意に見開くと、そこにこの上ない美がある。
ときめきはいよいよ大きくなる。
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沢山の櫛が並んでいた。
アールヌーヴォーデザインの優雅な差し櫛たち。
わたしもつけてみたい。
そして日本にもアールヌーヴォーデザインが渡ってきたことで、こうした櫛たちが生まれる。
素材も様々である。それまでの象牙や鼈甲ではなく、セルロイドやガラスまで使われている。
新しい時代の新しい装いがそこから生まれ始める・・・
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百年前の上流階級の婦人の化粧部屋の写真もある。彼女たちの使った小道具たちも並ぶ。
現在では使わなくなった道具もある。見るだけでも面白い。
その部屋の写真を見て懐かしさを感じた。リカちゃんハウスのようだと思ったのだ。
いつの世でも憧れはこんな形で不意に姿を現す。
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銀座に行かれる方は一丁目のポーラへ出向かれることをお勧めする。
資生堂、ポーラ、そして大阪のクラブコスメ。
化粧品会社が芸術と文化の担い手であることを嬉しく思っている。


画狂人 葛飾北斎

京都の高島屋に、津和野の北斎美術館から浮世絵がやってきた。
個人コレクターの熱意で生まれたコレクションだけに、珍しい作品も多い。
北斎は人気があるので高島屋グランドホールは満員御礼だった。
(同じフロアで北海道物産フェアが開催中なので、いよいよ熱気が高まる)
富嶽三十六景や百物語など人気シリーズは当然のことながら、若い頃の線の細い作品も多く出ていた。
名が変わるのと画風が変わるのが同時期で、なるほど芸術家魂ではピカソの先輩だというのも納得だ。変遷と発展を繰り返している。見事な脱皮。しかもその空蝉もまた見事な作品だというのが、すばらしい。
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肉筆画を見る。北斎得意の鍾馗像があり、横顔を向ける女もある。額から鼻のラインがなだらかに流れている。それが北斎の特徴だと思う。
また文福茶釜があった。これは顔は狸で袈裟衣姿で、『白蔵主』のそれを思わせる。
二股大根を担いだ大黒もいる。(チラシの下方)
もこもこの虎。mir378-2.jpg

先般、百年ぶりの竜虎再会という感動的な展覧会もあったが、どれを見ても北斎の虎はもこもこしている。
これでは月に吠えるというのでなく、「・・・うまそうだな」とウサギを見ているように思える。

個人コレクションで面白いのは、やはり珍品を見ることだ。
版画であっても販売が目的ではない種類の作品がある。
例えばそれは摺物だ。
それは俳諧仲間や狂歌師たちの内輪の楽しみにごく少量摺られたもので、それだけに技術的に凝った趣向のものが多い。
北斎は様々な作品を残した。
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同時代のライバル歌川豊国に比べ、北斎は圧倒的に作家性が強い。
よく「好きなものしか作らないのがアマチュア、嫌いなものでも作るのがプロ」と言うが、北斎は依頼も無論多く受けたが、買い手に迎合することなく、自己の作家性を全面的に押し出している。
浮世絵で描かれる主な分野は、まず役者絵、芝居絵、戯作からの二次創作としての絵、風景画、美人画、春画などである。
北斎は勝川時代の修行時代はともかく、役者絵も芝居絵も多くない。
その春朗時代の作に一枚可愛いのがあった。
マサカリ担いだ金太郎が瀧をバックに、仲良しのクマの子と手をつないで歩いている。
クマの子はチャンチャンコを着ている。
なんだか大変に愛らしくて、そしてちょっと羨ましいような絵だった。
クマと友達になることは予定にないが、一度くらいこうして仲良くしてみたいものだ。

初公開として出ているのが以下の二点。
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『俳諧秀逸つきの友』(上)とこの難しい字はサザエ堂と読む。(下)
上は春朗時代のもので清長の影響を受けている、と解説にある。確かに座る女にそんなところがある。下のさざえ堂はかつて本所のどこかにあったようだ。
サザエ堂は建物の内部が二重構造になっていて、上がり階段・下り階段で人が会わないように出来ている。大抵が仏教系のお堂で、有名なのは会津若松にあるサザエ堂だった。
あれは本当に素晴らしい建築だった。

驚いたのは北斎もおもちゃ絵を作っていたこと。
立版古(組み立て絵)で石橋山の合戦を拵えている。とても楽しく思えた。

‘05年末、東博で北斎の大回顧展が開催され、実に多くの作品が現れたが、それでもまだこうして初見がある。
わたしの気に入ったのは、楼のてんやわんやな様子を活写した十枚続きの作品。(長い!)
『吉原遊郭の景』
置屋も遊女屋も帳場には必ず神棚があるが、この向かい合う狛犬たちが可愛くて仕方ない。
なんとなく映画『幕末太陽傳』を思い出すような猥雑さがいい。

『諸国瀧巡り』『富嶽』辺りになると色調もがらりと派手になるが、紅嫌いもいくつか見受けられた。
相変わらず雀たちが丸々と可愛らしい。
おっとこんなのもあった。mir379.jpg

個人的嗜好だが、風景画は北斎より広重が好きだ。
広重にはケレン味は薄いが、戯作的な明るさ即ち滑稽味がある。
北斎の風景にはそれは薄いように思う。
広重は人の歩く道を描き、北斎は自然の中の人を描く。
視線の違いは構図の違いになり、北斎の目は鷹になったり、天上の龍になりもする。
なんとも味わいのある構成をそこに見る。

しかし北斎の武者絵には感心しない。やはり武者絵は国芳がいい。
それで思い出した。松田修『刺青・性・死』の中で書かれた考察である。
北斎の孫がグレて家を飛び出しぐわゑん(火消し)仲間に入る。この時代その職業に入る男は100%刺青を負う。炎の中で己が背を見せびらかし、勇を鼓して火に立ち向かうのだ。
孫は間違いなく肌に墨を入れたろう。多くの若者が自分の描いた絵に憧れ墨を入れたことを流しつつ、北斎は苦く思う。しかもその孫の選んだデザインが国芳のものなら北斎の苦渋は倍増しているだろう・・・

北斎漫画がある。mir378.jpg

これはいつ見ても楽しい。
当時も人気だったようで、個人の家に伝わるものもみている。

展覧会は京都高島屋で29日まで開催しているから、永徳の後に行かれるのもよいかもしれない。
夕方六時からは半額。巡回は、来年早々難波の高島屋に来るが、その後は津和野に帰る。

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明治の京都、その名残

安土桃山の豪華絢爛な障壁画を見た後、今度は近代国家黎明期の遺物などを見に出た。
丸太町通りを少し上がった寺町通り、要するに御所を眼前にした地に京都歴史資料館と同志社創立者の新島襄旧宅が並んでいる。さらに少し上がると鴨沂高校がある。
全て明治と縁がある。

鴨沂高校はもとは女紅場から府立一高女、そして共学高校となったが建物も立派に旧く、文物もすばらしいものを所蔵している。
歴史資料館は創立は昭和だが、収蔵資料がすごい。前回わたしが見学したのは『八瀬童子展』だったが、今回は『明治の京都』である。
平安奠都から東京奠都までの千百年、帝の在わした都も京都に帝を奪われていよいよ衰退の極みに陥るかと思ったとき、近代化の道を自ら切り開くことになった。
田邊朔郎博士による琵琶湖疏水、初めての市電、第四回内国勧業博覧会…
その辺りの資料が今回出ている。
画像は全てクリックしてください。

丁度昨日22日は時代祭が催行されたが、平安奠都千百年記念祭のための行列から、それが始まったそうだ。
百年以前からコスプレが横行していた、というわけではない。
この内国勧業博覧会の地図が素敵だ。IMGP2566.jpg

こうした鳥瞰図はいつもとても魅力的なのだ。
また『平安通志』を著した湯本文彦の資料も多く出ている。
今回の展覧会ではこちらのサイトが参考資料として役に立つと思う。
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi30.html

その明治の時代にアメリカ帰りの新島襄が今出川に同志社を作った。
そして寺町御門のそばにこの旧宅がある。IMGP2565.jpg IMGP2564.jpg

鴨川の東は京大、西は同志社のシマだとつくづく感じる。
新島邸はベランダコロニアル様式の外観で、これなら暑い京都の夏をしのげるだろう、と感じた。
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一階は主に洋間で占められ、オルガンやテーブルセットがある。
エレクトーンは弾けるがオルガンは演奏方法を知らない。
ちょっとにがいことを思い出した。IMGP2553.jpg IMGP2546.jpg IMGP2545.jpg 


二階は和室も多く、しかし色んな工夫がされていて感心した。
キッチンがこれまたいい。IMGP2561.jpg

井戸なのは時代だが、このキッチンはさすがアメリカ帰りの男と会津の女傑の住んだ家だと思った。
家具を置けばまた感じも変わろうが、これはしのぎエエ家だった。
玄関そばのベル。なんか和風。IMGP2543.jpg


そこから下がると下御霊神社と革堂があるが、どちらにも寄らず向かいの進々堂でお茶をして、四条へ戻った。
高島屋で見た北斎展のことはまた後日に。

狩野永徳展を観る 名所と遊楽図

永徳展でのわたしの目当ては、上杉本『洛中洛外図』と新発見の名所遊楽図である。
模本や資料などで馴染んでいる上杉本を目の当たりに出来るというのが、嬉しくて仕方ない。
去年思文閣で手に入れた林屋辰三郎『洛中洛外図を読む』ヴィジュアル本で予習してきた甲斐があることを祈ろう。
梅田で入手したアド・カード。
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時代の息づかい―風俗画―

48  ●  洛中洛外図屏風 狩野永徳筆  6曲1双  永禄八年(1565)  米沢市上杉博物館
これを観るのにたいへん苦労をした。部分部分は前述の本に掲載されている。クリックしてください。
左隻mir376.jpg 右隻 mir375.jpg

しかし実物前に立つと、そんな細かい様相など見ることは不可能だと悟らされる。
ついこないだフェルメールの『ミルク・メイド』を見たが、あれは厳重な警護の中で遠望するシステムだった。こちらはそこまで厳しくはないものの、やはり間近で見るのは無理である。
わたしはグラスを持っていったが、それでやっと手持ちの本くらいのサイズに見えた。
そうなると、あの本に掲載されているようなシーンなどはものすごい接写だったのだろうか。
わたしは特に猿曳きと犬のいるシーンが気に入っている。 
雪の金閣がはっきり見えた。
こうした名所図には四季が全て描かれているので、いつでもその地の<ベスト>を見ているような気になる。
桜は疏水に円山公園、というのは明治以降の名所なのだが、ここではどこだろうと捜す楽しみもある。その桜は千本ゑんま堂の境内に植わっていた。ゑんま堂では狂言が行われている。
実に多彩な人々と風俗が見える。身分制度の完全な確立前の時代だが、異装をして歩く人々もいる。

洛中洛外図屏風のおかげで、名所図会の楽しみを人々は知ったのだろうと思う。
明治になり京都博覧会なども開催されたが、その会場図もどことなく洛中洛外図を思わせた。
鳥瞰絵師・吉田初三郎が現れるまで、この様式は活きていたようにも思う。
(なお永徳展開催期間中、丸太町の京都市歴史資料館では『明治の京都』展が開催されており、わたしは永徳を見たその足で向かったが、そこには金雲ではなく霞で仕切られた名所図があった)
それにしてもこれまで随分多くの洛中洛外図をみてきたものだ。
この上杉本を見たことでピークが来たような気がしないでもない。
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ところでここに一つ疑問がある。
あの林屋氏の本が上梓されたのは'85年で、その頃この屏風はまだ国宝ではなかったのである。重文から国宝へ格上げされたのは一体いつだったのだろうか。
そしてその本の中で林屋氏は必ずしもこの作品が永徳とは考えていない、と書かれている。
ただ、今回次に挙げる『洛外名所遊楽図屏風』を発見された狩野博幸氏は’91上梓の『近世風俗画』第五巻『名どころ』において興味深い論考をあげられている。
わたしはこの屏風絵の作者が永徳であろうとなかろうと、どちらでもよいように思っている。
『狩野永徳展』でありながらよくも、と思いつつそんなことを考えている。
心ときめく名品を楽しむ、それがわたしの目的だから、それでいいのだった。

   
49    洛外名所遊楽図屏風 狩野永徳筆  4曲1双 
こちらが新発見の屏風である。色はやや薄いように思う。クリックしてください。
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左隻には宇治の平等院と宇治橋が描かれている。あまり大きくはないので、三室戸寺も万福寺も描かれてはいない。ほんと、宇治のみ。通園も見当たらなかった。
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右隻には嵯峨や嵐山、天竜寺に渡月橋が描かれている。今の世に現れたことは奇跡かもしれない。 
     
50  ◎  近江名所図屏風 狩野派  6曲1双    滋賀県立近代美術館 
これは以前から見知っていたが、改めてじっくり眺めると又新しい発見があった。
雪をいただく比良の山。白と緑がきれいだ。杜若が咲き乱れる岸辺、湖の中に立つ鳥居(白鬚神社)、小舟で行き交う人々。比良八荒が吹くまで関西には春は来ない。
浮身堂もある。堅田には天然図画亭と呼ばれる旧家があり、江戸時代の佇まいの残るすばらしい建物だが、もしかするとその家は金雲に隠されているかもしれない。
馬を運ぶ舟もある。JRAは栗東から専用車で運ぶが、この時代は舟が運搬手段だった。
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左隻には坂本が描かれているが、サルのいるところは日吉神社だろう。小屋の後は柿のなる木で、他の木々は紅葉らしい。松に登るエテもいる。柿の実はあるが、蟹はここまで来ないらしい。
山桜も沢山咲いている。
   
51    釈迦堂春景図屏風 狩野松栄筆  2曲1隻    京都国立博物館 
場所を限定し、季節も限定している名所を見るのは、この展覧会では初めてかもしれない。
青緑の太線の屋根がそこここにある。鋤かれる田もある。幔幕せぬまま花見をする人々もいる。
屋根の描写が面白かった。太線で囲んだ内側は白っぽい。板葺きではない。
         
53    吉野山風俗図屏風 伝狩野元信筆  6曲1隻 
吉野だけあって参詣人が多い。山水の描き方は後年の文人画風にさえみえるほど。

桃山の華―金碧障屏画―

63    玄宗並笛図屏風 狩野派  6曲1隻    文化庁   
同題で伝・永徳の作品が静岡県内の個人蔵だと聞いたが、これはそれとは別物なのだろうか。
・・・仲良く岩に座り笛を吹く二人。白楽天の長恨歌を読みたくなってきた。
楊貴妃の艶かしい眼差しがいい。雲鬢花顔という言葉がそのまま活きている。
そばに控える侍女たちの髪飾りが楽しい。白鳥をつけたものがいる。ちょっとキグナスの聖衣を思い出したヲタなわたし・・・

64    羯鼓催花・御溝紅葉図屏風 狩野派  6曲1双 
中国のさる屋敷の遊楽を描いているのだろうか。女たちのきれいなこと、うれしくなる。
建物の中に敷かれたタイルがいい。浅葱色と藍色に金地模様の二種タイルがチェックに敷かれている。そして黄土色地に華を描いたタイルをはめ込む・・・こうしたものをチェックするのも楽しい。

       
65    源氏物語図屏風 伝狩野永徳筆  6曲1双  天正十八年(1590)  宮内庁三の丸尚蔵館   
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常夏、蜻蛉、若紫などが描かれている。公達たちがヨカラヌ談義をしているシーンで、二つの茶壷らしきものがあるが、これが梨地に表現されている。細かいところにも神経が行き渡っていて、とてもすばらしい。女たちの目に表情がある。一人一人に個性があるのを感じる。
若紫で、雀が飛んで行くのを見上げる女たちは、どことなく開放感がある。のぞかれているとも知らず、「ああ雀が飛んで行く」とみとれる風情がある。
こうした作品を見ていると、狩野派の始祖が扇屋だったというのが納得できたりする。
 
66    源氏物語図屏風 狩野派  6曲1隻 
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型押しの金雲、繊細にして華麗な作品。野分、末摘花、松風。紅葉が赤くなっている。綺麗な細い線描で女たちが描かれている。この女たちの小ささはなんというか、標準がリカちゃん人形とすれば、それより一回り小さい、そんな感じである。

ああ、かなり楽しんだ。いい展覧会だったと思う。 
これまで永徳を意識して眺めたことはなかったが、やはりフツーではない。凄い、の一言がもれるばかりだ。
こんな大きい展覧会をたった一ヶ月というのも凄い。
やっぱり無理をしても見たほうがいいと思う。好悪を超えてすばらしい。

・・・しかし凄いのは永徳だけではなかった。
台頭してきたライバル長谷川等伯を払い落とした永徳だったが、その等伯の展覧会を三年後に開催する、という京博がいちばん凄いのかもしれなかった・・・。

狩野永徳展を観る  障壁画など

狩野永徳展に行った。
長い感想となるので二回に分けて記事を挙げることにする。
最初に、これから永徳展に行かれる方へのお節介を書く。
美術館は朝9:30開館だが、土曜の朝は既に長蛇の列だった。わたしは九時少し過ぎに着き結局40分並んだ。何度かに切り分けての入場制限をしている。
しかし二時間後出てくるや、待ち時間0分になっていた。
その後は知らないが、10/20の状況はこうだった。
そして日当たりはよいが、急に冷え込みが始まりだしたので、服装には気をつけてください。
他に、毎日先着500名まで永徳バッヂのプレゼントがあり、嬉しくもわたしは手に入れた。

今回、71点を展示するが、うち5点ばかり前後期に分かれての展示である。
わたしは前期5日目に見に来たので、26.30.32.52.58は見れないが、それはそれで仕方ない。
70点とは言え、全て永徳の作品ではなく、祖父元信や工房作品、更には下関に生きた狩野派の絵師の作品もある。その狩野派の末裔は、明治半ば近くまで生き、本人も名画を残し、そして流派の栄誉を担った永徳の縮図を更に模写して、ここに残している。
狩野芳崖は最後の狩野派の一人だったのだ。

展覧会は以下の章に分かれている。
・ 墨を極める・永徳と扇面画・為政者たちのはざまで・時代の息づかい―風俗画―・桃山の華―金碧障屏画―・壮大なる金碧大画
● =国宝 ◎=重文 ○=重美 番号は図録のそれである。
このうちの名所図以外の作品について先にあげる。
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衣笠会館を見る

以前に北野白梅町辺りをハイカイした記事を挙げているが、その中で衣笠会館の遠望図をあげていた。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-761.html
それから半年ほど経ち、その建物の中に入った。文化財登録の建物。
写真は全てクリックしてください。
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門柱の表札。IMGP2527.jpg



煉瓦をそのままハッつけたままだが、愛らしさに満ちた二階建ての研究所である。
煉瓦をはっけた内外の様子。
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今では松崎の京都繊維工芸大の研究所になっている。
昔の写真。IMGP2496.jpg


行ったその日は、冬虫夏草と蚕の研究をされている方がおられて、細かい説明を受けたが、正直言うと生きている蚕を見たのもアルコール漬けの冬虫夏草を見たのも初めてなので、どうも気持ちのよくない感じがした。

田中恭吉の版画集で『冬虫夏草』というものがあるが、宿り木同様こうした種類のものは基本的に苦手である。

琥珀も葉っぱならともかく生物の痕跡があるものは避けている。

それでもその冬虫夏草の顆粒をもらったので、どうしようか悩んでいる。


さてその建物。外観は赤レンガ貼り付けのまま、中は漆喰で細工のされた天井もあり、和室の佇まいはこんなかんじ。
可愛いわんこの掛け軸もあった。IMGP2495.jpg IMGP2507.jpg


幾つも部屋があるうち、このガラスは建築当初のままで、多分イギリス製品。
モリス商会好みのようなデザインである。IMGP2509.jpg



各部屋の暖炉も可愛い。IMGP2499.jpg IMGP2503.jpg IMGP2519.jpg


庭園もいい。IMGP2502.jpg



行った日が木曜だったので、粟餅屋も豆腐屋も好きな和菓子屋もみんなお休みだった。近所で評判のケーキ屋さんに行ったが、特記することもないので書かない。

近くの北野天満宮にお参りして、中京へ戻った。

京都の近代建築の大きいものは大体見てきたようにも思うが、今後は中堅クラスからささやかに愛らしいものもあげてゆきたいと思う。

村松定孝氏への個人的追悼

先日、村松定孝氏がなくなった。
泉鏡花研究の第一人者で、『あじさゐ供養頌』などの著作がある。
これは村松氏への極私的な個人的追悼である。


わたしが泉鏡花を知ったのは、村松氏の著作からだった。
小学二年の誕生日、叔母から『わたしはゆうれいを見た』という本をもらったのだ。著書は村松氏で、子供向けの講談社のシリーズの一冊だった。
その前年、小学一年の時には北川幸比古氏の『おばけをたんけんする』をもらい、共に今もわたしの手元にあり愛読しているから、おばけ・ゆうれいがほんの子供の頃から好きなのがよくわかる。

さてその村松氏の著書では村松氏の体験談や聞いた話などが、丁寧な文章で綴られていた。
その中で鏡花の『白鷺』に言及したエピソードがあり、それでわたしはその名を覚えたのだ。またその名には見覚えがあった。
祖父の本棚にあった。
わたしは早速祖母の家に行き、二階の本棚を見ると、初版か二版くらいの『琵琶傳』を収めた本があった。さすがに読むことは出来ないので、字面だけ覚えていたが、意識には深く残った。
それで村松氏がゆうれいのオーソリティではなく泉鏡花の研究者で、泉鏡花はオバケ好きだということを知ったのだ。
あとがきを読めば上智大学の先生だとある。
当時上智大学と言えばアグネス・チャンが通った大学だというイメージがあった。(アンコール・ワット修復のことを知ったのは、ごく近年のことだった)

村松氏のほかの著書も読みたくなったわたしは図書館の子供室から飛び出して一般室へ向かった。わたしは読みたい本があるとすぐそちらへ出かけるので、司書の方々にはよく知られていた。
そのとき何を読んだのか、記憶の長持を探っても出てこない。
だから思い出すのはやめた。
しかしその後『きみはゆうれいをみたか』という続編が出ているのを読んだから、子供向けにも色んな作品を出しているのは確かだった。(この続編はあまり記憶にない)

前述の『おばけをたんけんする』は民俗学的なルポであり、こちらの『わたしはゆうれいをみた』は文芸的な読み物だった。
幼いうちにこうした二つの視点からの読み物を愛したことは、今に至るまでの幸せだと思う。


『わたしはゆうれいをみた』の話にゆく。
村松氏はいずれもせつないエピソードを集めていた。
純粋に怖いものは一本だけ、ハートウォーミングなエピソードもあり、人の世に生きるせつなさが大半を占めていた。
それらを踏まえて改めて氏の鏡花偏愛・鏡花信仰を思うと、深い理解が進むように思う。
いかにも鏡花を愛した人だけにありうるエピソードだと思うのだ。
その感性、その姿勢、その視線が。

たとえばこんな話がある。
大学の教員になる以前、女学校の教師をしていた村松氏に、お年始参りを約束する女生徒がいた。
当日母とねえやとがご馳走を支度して待っていたがなかなか来ない。
病中のことだから遅れるのだろうと思っていたところへ、桜の柄も綺麗な振袖姿の生徒が現れる。
応接に案内し、ご馳走を運びに行ったわずかな隙に姿が見えなくなっている。探してもいない。
村松氏の母上が胸を衝かれたように、息子をその生徒の家へ急がせる。
…急死した女生徒の枕元には村松氏らの見た振袖が掛けられている。
『菊花の契り』と『白鷺』を氏は想起しつつ、女生徒の憐れさを悼む。
こちらは生霊の話だった。

他に亡くなったばかりの人の話があり、そこでは福田清人氏や山田美妙の子息が関係する。
わたしはそのエピソードから福田清人や山田美妙を知ったのだ。


ここでまた話を縺れさせるが、福田清人氏を知ったのはこの本からだが、その翌年わたしは父に一九の膝栗毛の抄訳本をもらった。筆者は福田清人氏で、子供向けにこの滑稽本の楽しさを伝える文章を綴られていた。
膝栗毛は鏡花にとっては「いろ扱い」の愛読書で、枕元には必ず数冊置いていたそうだ。
鏡花の作中に現れる気さくで人柄のいいおやじさんたちには、どことなく膝栗毛のキャラのにおいがある。


淋しい気持ちがある一方、氏が天寿を全うされたことに安堵する気持ちもある。
追想はとめどなくあふれるが、ここで筆をおき、村松定孝氏のご冥福を祈る。

福原信三と美術と資生堂

福原信三と美術と資生堂…このタイトルを見ただけで行く気になった世田谷美術館。
多分、多くの美術ブロガーの方はあんまりこの展覧会に注目されていないと思う。
しかしこの展覧会は、大正から昭和初期の近代美術史をみつめる内容なのだ。
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福原信三は資生堂の二代目として父の代からの薬局を化粧品会社に転換させ、企業メセナの一環として資生堂ギャラリーで展覧会を行った。
また銀座の資生堂パーラーでソーダ、アイスクリーム、洋食などを提供した。
都市文化の担い手の一人だったのだ。
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‘98年末に松涛美術館で「写真芸術の時代-大正期の都市散策者たち」と題した写真展が開催された。
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同時期に東京都写真美術館では「仮想庭園」と言うほぼ同時代の作品を集めた展覧会を開催し、どちらも眺めたわたしは、すっかりゼラチン・シルバープリントに魅せられた。
その大正の都市散策者つまり『寫眞藝術』を主催したのが資生堂の福原信三らなのである。
それを知るおかげで、わたしはこの展覧会を楽しみに待ち、出向くや大いに愉しんだ。

当時、みたものたち。
版画・たばこのある風景 たばこと塩の博物館
山名文夫 目黒美術館
着物の美 目黒雅叙園
写真芸術の時代-大正期の都市散策者たち 松濤美術館
色絵の伊万里 戸栗美術館
イメージという魔術 東京都写真美術館
仮想庭園 東京都写真美術館
影?写像としての世界 東京都写真美術館
ラブズボディ-ヌード写真の近代化 東京都写真美術館
河野通勢-大正リアリズム 東京STギャラリー

それは’98.12.19と12.20のツアーだったが、当日わたしは風邪で体調が悪く、朦朧としたアタマと霞んだ目でいくつかの展覧会を見て回った。渋谷から目黒で一日目が終わったのに、ふたたび渋谷へ行き、そして恵比寿へ、というルートはどう考えても合理的ではない。
そうさせられたのは、今はなき雅叙園でそのチラシを見たからだった。
行かずにいられなかった。

チラシを手にしたわたしは熱さましのために雅叙園を望む橋の向こうにいた。
曇天の夕方、靄に包まれた時間、霞んだ目で見た目黒川と橋の美は、それこそゼラチン・シルバープリントの写真のようで、十年経った今ではいよいよ記憶の中で完全なる美として構築されている。
わたしは初めて松涛へ向かったのだ。
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福原信三、弟の路草、大田黒元雄らの作品を愉しんでから十年後の今、再びそれらを目の当たりにする。
『巴里とセイヌ』・『西湖風景』・『松江風景』『布哇風景』・『光と其諧調』他に編著『武蔵野風物写真集』に掲載分がそこにある。
タイトルを視るだけでときめきが高まる。イメージは拡大化し、期待は増幅し、視界は銀灰色の世界に絞られる。
カラー写真には存在しない何か。
存分にときめき、深くため息をついた。

資生堂には様々なクリエイターが集った。
小村雪岱も資生堂に在籍したが、やはりなんと言っても山名文夫である。
山名の回顧展は目黒区美術館で開催されたが、(前出のそれである)当時図録がなく残念だった。
山名のモダンなセンスが資生堂のイメージを、より華やかにしたのは間違いないだろう。
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これもチラシに呼ばれたのだ。mir361.jpg

今回は存分に山名の作品を楽しめた。無論資生堂の作品に限ってだが。

明治の昔、三越が橋口五葉や杉浦非水らのポスターで商業藝術の道を開いたと同じに、昭和のそれは資生堂の力が大きかったろう。
無論資生堂だけでなく、大阪の中山太陽堂(クラブコスメ)の芸術活動も決して忘れることは出来ない。
それについては後日別項をあげるが、昨春以来半期に一度ずつクラブコスメがその華やかな遺産を展覧してくれることは、本当に嬉しい。

福原信三の友人で洋画家の川島理一郎の作品とまともに向き合ったのは、今回が初めてだった。
栃木県立美術館に彼のコレクションがある。
http://www.art.pref.tochigi.jp/jp/exhibition/backnumber/020113-j.html
タブローの色彩感覚と画面構成に胸を衝かれる一方、絵日記の奇妙な味わいに意識が集中した。
エジプト壁画、アッシリアの文物、ナゾな道、温泉の吹き出そうな岩、食べたくなる果実たち…
クリックしてください。IMGP2539.jpg IMGP2540.jpg

絵と文とがまるで蛇行する道を追いかけっこするように綴られていて、とても魅力的だった。
わたしの近代日本洋画家・偏愛篇に川島を加えることにした。

他にも野島康三や梅原の作品がある。特に梅原の描いた『熱海 野島別荘』はとても好きな作品なので、嬉しかった。
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また、初めて知ったのは安孫子真人という画家だった。ソフトなパステルカラーの色調で裸婦を描く。裸婦の背景の室内などは重厚な色遣いをする。裸婦のいる風景でありながら、どこかシュールなものを感じさせる。
これらの作品が’40年だと言うことが、なんとなく怖い。
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絵画だけでなく陶芸では富本憲吉の作品があった。
赤地に銀の線が入った壷がとても綺麗だった。
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またここにも愛らしい小品がある。
去年富本憲吉展で見た可愛らしいブローチたち。それに似たものがここにもある。
それらは資生堂のノベルティか何かになったらしい。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-595.html
資生堂ギャラリーの功績の大きさは、ここで個展を開いた作家たちの名を挙げるだけでも、想像がつく。
須田国太郎の第一回個展は資生堂ギャラリーだった。そこへ川口軌外と里見勝蔵が訪れたことから、須田が独立美術協会に入ることになったのだ。また、バレエ・リュスのために製作したゴンチャローヴァの作品もここで紹介されたが、それは日本に初めてロシア風のデザインを世に送り出す仕事でもあった。他にも山本丘人、岡鹿之助、牛島憲之、近年の人では舟越桂、蔡國強らもいた。蔡の爆発してる?作品が飾られていたが、妙なことを考えた。展示の壁を曲がるとすぐそこには化粧品が並んでいる。・・・Destruction and restoration work・・・?

こちらは二年前の出雲での資生堂の展覧会チラシ。
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とても素敵だと思う。行けなかったのが残念だった。

資生堂パーラーの開店当時のステンドグラスや食器などを見る。
レトロモダンな楽しさに溢れた、とても素敵な世界。近代工藝に関心のある方なら、こうした食器を見るのも楽しいだろう。
他に資生堂の得意客のためのノベルティなども見る。
花椿の意匠が可愛い。

展覧会は戦後の資生堂の仕事をも展示する。
先日なくなった世界的モデル山口小夜子のポスターを見た。その時代を射抜くキャッチコピーとモデルとのコラボレートで出来上がったポスターの中、ただ左目だけを映し出した鮮烈なポスター。妖艶な左目。30年前の作品と知っても、既に<時間>そのものが意味を持たなくなるほどの、凄まじい美。
このポスターの中に永遠に山口小夜子が生きている。
クリックすると囚われてしまう。IMGP2541.jpg

会場には他に資生堂がこれまで送り出してきた化粧瓶なども展示している。そのどれもがとても素敵だ。一つ一つがそれぞれの時代の証人でもある。

この展覧会は11/4まで。近ければもう一度通いたい展覧会だった。

ミネアポリスの浮世絵を見る

松涛美術館にミネアポリス美術館から浮世絵が届いている。
二期に亙って展覧会を繰り広げるが、その前期に出かけた。
この美術館はありがたくも安価なので、巡回先に奈良県美があるが、とにかく出かける。
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二階から見て回れと指示を受けたが、目録は地下にしかないのが残念。
二階には初期浮世絵などが並んでいる。

清倍 神力定家東遊 色合いがいかにも初期のものらしくて、やや風俗画風でもある。
馬上の定家とくつわを取るのはこれは綺麗な女形らしい。(鳥居帽子をつけている)名前は乃里竹とあるからノリタケとでも読むのだろう。もう一人奴のような共侍がいる。

二世清倍 七小町 六 あふむ小町 小町七変化とでも言うか、鸚鵡小町を描いている。
上部に陽成院と小町の歌が書かれ、山家の様子が見える。頃は秋か、老いさらばえた小町が杖に頼って木にもたれ、若い貴族が短冊を手にしている。

同じあふむ小町でも、政信になると若き美女・小町になる。こちらの小町は着物に「花の色は・・・」の文字が見える。
このもともとの筋やそこからの展開については、折口信夫のこの論考が面白い。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46312_25548.html

政信 閨の雛形 男を挟んで二人の女がいる。仲良くしている。隣室の屏風の横の空間に「仁王様 あうんの・・・」と川柳が入る。そうか、巧い見立てだ。
手前から水色の着物の女、黄八丈の男、赤っぽい着物の女。色合いもいい。

重長 やろう風 これは鳥居帽子をつけた若衆で、振袖である。女形であろうと思うが、英語のタイトルは<Playboy Tipe>なので、ちょっと違うように思う。
(わたしは図録を買わず、ミネアポリス美のサイトを見ている)これは三幅対の右の絵で、真ん中と左がどんなだったか、とても気になる。

豊信 大坂 これも三幅対の一つ・左。京・大坂・江戸の三都を美人で描くのだろう。
遊女とかむろ。かむろは正面向き。着物の柄が丸いチョウチョ。
絵と言うより人形にしたいような。

チラシ裏。クリックしてください。mir358.jpg

いよいよ春信である。
見立て 玄宗皇帝と楊貴妃 一つの岩に二人が仲良く座って笛を吹いている。そのポーズだけで玄宗と楊貴妃と言う決まりがあるので、故事来歴なども知っておくと、こんなとき楽しい。

見立て 小野道風 も同じ。カエルが柳に飛びつこうとするのを見る。それでOKだ。
このカエルがなんとなく可愛い。みなよろし、と書きそうだ。

見立て 高砂 着物に漢数字が書き込まれている柄なのが面白い。小さい文字なのが、いかにも春信の絵らしくて、いい感じだ。

これは後期なので実物を見ていないが、見立て 佐野の渡り を見て胸を衝かれた。
「昭和の春信」と謳われた小村雪岱の『お傳地獄』を思い出したのだ。
この絵は歌麿も北斎も国芳も描けないだろう。

水売り その色鮮やかさに驚いた。別な展覧会で見たものと比較すると、大変綺麗な発色だった。
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座敷八景 塗桶の暮雪 エンボス加工で雪が表現されているので、これは実物を見ないとよさが伝わらない。浮世絵がどんどん工夫されてゆくのがよくわかる。

座敷八景 台子の夜雨 丸坊主のかむろが姐さんの元結をくくっている。かむろの着物が可愛い。正面向きのうさぎ。その背後に立つ女の着物は鶴丸。昔のJALのようだ。
こうしたところにも目が惹かれる。
傍らには茶釜と棗や杓があるが、杓の櫂(サジ部分)がえらく曲がっているのでスプーンのようだ。

薫衣香 黄八丈の着物に香を焚き染めようとしている。黄八丈は白木屋お熊以来、ブームになったとか。医者か若い娘でないと着れない着物。今しも香炉をセットしようとする娘は、正面向きの千鳥柄の着物を着ている。江戸時代の文様では正面向きはやはりウサギがいいと思う。

春章 二代山下金作の浅香の局 雨の激しく降る中を、筵を巻いて歩く女。浅香の局が何の芝居に出てくるかはわからない。浅香姫なら俊徳丸だが・・・書き換えだろうか。
しかし「深深たる夜の雪」の中、歩いてくるのは玉手御前なのである。
雨の表現がペン画のような細密さで、それがよかった。

春英 二代中村野塩の戸無瀬 のしお=のしほ=もしほ?調べるのがちょっと今、面倒だ。
この戸無瀬は『道行旅路の花嫁』のシーンかと思う。眉と眼までの距離が長い。

清長 六郷の渡し 五人の女客と若い侍と坊やの乗る船。向こうに富士山が見える。
清長らしい背の高さで、男も女もなくスタイルがいい。
腕まくりした男の白い二の腕に惹かれた。

三囲神社の夕立 突然の夕立で女たちは慌てている。それを戯作者か遊び人風の雷神?たちが眺め下ろしている。こんな奴らの気随で濡れてなるものかよ。

歌麿登場。
難波屋おきた これは発色が大変よいので、まるで初めて見たような気分で向かい合った。シブイ色調だがハッとなるものがある。

青楼仁輪嘉女芸者の部 浅妻船・扇売り・歌枕 この三人のうち、「歌」の字を書いた扇子を持つ芸妓(左端)が可愛い。同じような顔立ちとは言え、微妙に違う。頭をまいたような彼女が気に入った。

指差し 歌麿得意の母子絵ではあるが、これはあれか。・・・位置的にはビミョーだな。

台所 台所仕事をする四人の女。竈の煙で顔をしかめるのもいる。色は少なくとも、繊細な構成だと思う。

写楽も発色のよいのを持っている。どんな保存をしているのだろう・・・
珍しいのは歌舞伎堂艶鏡の作品。この絵師の作品はこれまで太田記念でしか見たことがない。豊國の役者絵もある。

国芳 義勇八犬伝 犬坂毛野mir354.jpg

おお、わたしは元々この作品が好きなので嬉しい。
幼児の頃、新八犬伝には気合が入っていたので、今でも八犬伝関係の錦絵などを見るのが好きだ。

北斎が実に多い。
壬生狂言を描いたものを見たのは初めてだ。そういえば、17日から29日まで京都高島屋で北斎展が開催される。津和野の北斎美術館からの貸し出し展らしい。永徳の後に見に行くつもりである。この時期に永徳展に行かれるなら、ツアーに組むのも楽しいかもしれない。

富嶽三十六景、諸国瀧巡り・名橋奇覧 など風景画が多いが、どれもこれも発色が見事で驚いた。天保年間の作品ばかりだからか。一体いつからこの美術館にこれらコレクションが入ったかはわからぬが、明治初としたら30?40年前に発行されたものとなる。
それをそのまま保存していたのだろうか・・・・・・。

百物語 小はた小平次mir355.jpg

大好きな作品がこんなにハッキリした色調で現れると、嬉しい。それが骸骨で怨霊であろうと、可愛くて仕方ない。

百人一首うばがゑとき おばあさんによる絵解き。こういうのも当時の人は「ああハイハイ」とわかる教養があったのだ。今の日本は・・・
花鳥図はロックフェラー・コレクションで名品を見たが、あちらもいい発色だった。

広重も実に多い。入れ替えがあるとは言え本当に多数出てくる。
東海道、木曾街道、浪花名所、江戸百・・・数々のシリーズのうちよいものを展示してくれている。

可愛いのは戯画・ほふづき尽くしの童遊びだ。ホウズキダンスもあり、楽しい。

これらの画像は以下のサイトで見れる。
http://www.artsmia.org/art-of-asia/explore/explore-collection-ukiyo-e.cfm
いい展覧会をみて、とても機嫌よくなった。

子供の情景 音楽ではなく

子供の情景
シューマンの連作を心の中に流しながらいくつかの展覧会を眺める。

・絵で読む宮沢賢治展—賢治と絵本原画の世界  (平塚市美術館)
・怪獣と美術 成田亨の造形芸術とその後の怪獣美術  (三鷹市美術ギャラリー)
・『少年倶楽部』から『りぼん』まで ふろくのミリョク☆
・華宵の『秋の調べ』
・夢二クラシック 〜古き良き日本への憧憬〜 (以上、弥生美術館)
・キンダーブック 表紙絵 (印刷博物館)
・茂田井茂の絵本  (日本橋図書館)

こうした展覧会はどうして、何もかもが輝いているのだろうか。

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鹿踊りのはじまり おぼまこと・絵
宮沢賢治の文章はそれだけで煌いている。ほんとうの鉱石や植物や星の欠片や生きものたちが、賢治のペンから生まれ出て、悲しんだり・笑ったり・泣いたり・怒ったり・ずるいことをしたり・いいことをしたり・苦しんだり・喜んだりしている。
それらを画家は絵にする。
数え切れない競作。賢治の作品と向き合って、そこから現れた絵本たち。

「よだかは、実にみにくい鳥です。 顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。 足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。」 よだかの星・冒頭、そしてラストシーン。
「そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。」
そのよだかの最後はこのようにも描かれる。
画家たちは自分の眼で見た賢治の世界を描く。
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工藤甲人・絵

これらが何の物語かは、クリックしてみてください。mir346.jpg


平塚で賢治の絵本を見たことで『ゴーシュ』を描いた茂田井武の特集号を手に入れれた。Webでもその新聞の中身は読める。
http://ebook.webcatalog.jp/engine/php/mail/Default/jaMailOpenEBook.html?bc=10625&co=kanagawanp#
日本橋・人形町の図書館に茂田井武の小さな展覧会があると知り、出かけた。
貴重本として大事にされているようなのが、嬉しい。
ちひろ美術館で茂田井武の展覧会を二度ばかり見たが、どうしても『クマの子』が欲しいと希っている。
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ウルトラマンとリカちゃん。彼らの共通点は何か。ほぼ同じ年に誕生したそうだ。
わたしはウルトラマンA、タロウから本放送を見出したが、一番好きなのはウルトラセブンである。ウルトラマンはわたしの会社の先輩の憧れ、わたしはウルトラセブンが好きだ。
このことについてはこれまでのウルトラマン展覧会で度々述べている。
そのウルトラマンに現れる個性溢れる怪獣たちをデザインした成田亨らの原画などを見に行く。
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シュールな発想の中にすばらしい魔法の種が埋め込まれていた。
大好きな怪獣たちが、どういったプロセスを経て生まれたかを知る。
リサイクルから生まれたものもいるとは。
わたしの誕生日に活躍した怪獣もいる。嬉しくて仕方ない。
どきどきする。三鷹ではこれまでハズレがないな、とひとりごちながら何周も見て回る。
エレキング、ダダ、ウー、ジャミラ、カネゴン・・・
ペン画を見るうちに彼らのエピソードがアタマの中を行過ぎてゆく。
チラシに載る怪獣たちは何を思うだろう。
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末吉暁子に『かいじゅうになった女の子』という作品があるが、もしかするとこのときの私のことかもしれない・・・


わたしは昭和50年代に子供時代をすごしたので、『りぼん』のふろくを懐かしむ世代である。ただ、わたしは52年には『花とゆめ』を購読し始めたので、同学年の少女らに比べ、付録と縁が薄かった。わたしはものは捨てない主義なので、今も付録の着せ替えやノートなどを持っているが、これらは『小学3年生』誌あたりの付録である。
その意味でりぼんの付録は、イラストの作者に親しみはあっても、付録そのものとは無縁に近い。その反動か、30年後の今になって付録への愛情がフツフツと湧き出している。
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過去に二度ばかり弥生美術館では付録の展覧会を開催しているが、そこでわたしは祖父母の時代の『少年倶楽部』『少女倶楽部』、叔父の世代の『少年探偵手帳』などに出会い、随分ときめいた。休館中の野間記念館が自社の宝物である『少年倶楽部』の付録展を開催したときも喜んで出かけていたが、付録についての細かい歴史などはここでは書かない。
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こうした組み立て付録がジオラマで遊園地を作っていた。

夢二はやるせない女の絵を多く書いたが、童画も多かった。
わたしにとって最愛の作『パラダイス双六』img610.jpg

わたしはこの絵を見る度、ここに住みたいと強く願うのだった。

華宵の便箋などが欲しくて、という話をよく聞く。華宵の付録作品は一個の芸術である。
弥生美術館の会員になって16年、一期たりとも欠かすことなくこの美術館を訪ねているが、それでも完璧と言うことはなく、必ず新しい発見がある。
それが幸せなのだった。

当時『りぼん』でときめいた陸奥A子、田渕由美子が今も『YOU』で素敵な作品を描き続けてくれていることを、とても嬉しく思っている。

わたしは物持ちが良いので幼稚園で貰った絵本は今も手元にあり、何年かに一度くらいの割合で再読する。子供の目と大人の目の違いを楽しむためもある。
キンダーブック表紙絵。クリックしてください。mir347.jpg

『キンダー・ブック』とは無縁だが、その執筆陣を見ては、この展覧会をスルー出来るはずもない。武井武雄、林義雄らの作品があると聞いただけで、胸が苦しくなった。
子供を取り巻く環境は大きく変わったけれど、この膨大なキンダーブックを前にすると、やはり「まっとうな生き方」を子供やその親御さんに勧めたくなる。まず絵本を一緒に読んで、そこから生きていってほしい。きれいな心持ちになることがきっと出来るから。


上記に挙げた展覧会、なにもかもがとても楽しく、もしかすると今回のツアーはこれらのためか、感じたりもする。
幸せな気分が持続するのは短いけれど、それでもこれらの展覧会で少なくともわたしは自分の感じた幸福感を知っている。

追悼と追想の近・現代建築

黒川紀章氏がなくなった。
正直びっくりした。昨日建築史仲間と彼の話題で盛り上がったばかりなのに。
先週、国立新美術館に行ったところだ。また近々万博内の国立民族学博物館にも久しぶりに行く予定がある。どちらも黒川氏の設計した建物で、新国立の方はともかく、民博はすばらしい空間だと感じている。
あんなに心が豊に明るくなり、視野が広がるのを実感できる空間はそう多くはない。
建築家としては特にファンと言うこともないが、民博の素晴らしさはどんな人にも知ってもらいたいと思う。
http://www.kisho.co.jp/page.php/100
一方、大阪のソニータワーはとうとうなくなってしまった。
(あそこは使いにくかった・・・)
最近では都知事選とか参院選だったか、立候補してファンキーなオジさんぶりを発揮していた。鉢巻にも驚いたし、奥さんの若尾文子までノリノリだった。「いったいここの夫婦どーなったんだ」と思いつつ、面白く思っていた。いつの間にか「きしょーくん」と勝手に友人らと呼び合っていた。
アイドルなオジさんになっていたのに。
お気の毒である。本当にご冥福をお祈りする。

先日鎌倉の神奈川近代美術館にアントニン・レーモンドと妻のノエミの作品展に出かけた。
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レーモンドは日本に多くの作品を残した。
二人は二度に亙る日本での長期生活で数々の傑作を生み出している。
帝国ホテルを建てるライトの助手として来日したレーモンドは師匠と別れてから、彼独自の創作への道を歩みだした。
彼の作品からはライトの味わいは感じ取れない。それだけでも師の言葉に納得し、弟子が歩いた道が見えてくるようだ。
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これはかつてイタリア大使館の別荘だった建物。わたしの所蔵本より。
クリックしてください。IMGP2532.jpg

竹の使い方がいい。
都内では星薬科大学本館、東京女子大講堂などがある。
写真で見る限りステンドグラスがきれいだ。
星薬科大学は星製薬創立者・星一(ほし・はじめ)によって設立されたが、こちらに建物写真などがある。
http://www.hoshi.ac.jp/home/gaiyou/shisetsu.html
修復され、今でも愛される建物。それがとても嬉しい。
しかし女子大講堂の方は危機に瀕していると言う噂だった。

霊南坂自邸の写真を見る。ここの家具やインテリアが素敵だ。それらはノエミの仕事らしい。ノエミの製作したテキスタイルなども展示されているが、とてもモダンである。
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机が展示されているがとても機能的だと思った。引き出しの構造がすばらしい。

個人邸宅もいい感じが多い。浜尾子爵夫人別邸(浜尾四郎の夫人かと思われる)、川崎守之助邸もすばらしい。モダニズムの旗手であると同時に、長い日本暮らしがその作品に静かな情趣を添えるようになったと思う。
軽井沢の夏の別荘は見るからに過ごしやすそうな良い建物で、現在ではペイネ美術館になったそうだ。
http://www.karuizawataliesin.com/
行ってみたいと思わせる建物だ。

近年かれの下で修行を積んだ前川國男・吉村順三らの回顧展が開催されているので、いい時期の回顧展だと思う。10/21まで。
一方、渋谷の國學院大學の隣にある渋谷郷土博物館・文学館では『住まいから見た近・現代の渋谷』展が開催されている。こちらはクリスマスまで。
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渋谷区は広いので様々な面を見せる。
あめりか屋や同潤会関係の住宅だけでなく、邸宅も多い。
わたしは近代建築にばかり意識が向くので、そこだけを見てしまう。
現在もその地に建つ建物と言うものは、ここには殆どない。今の撮影写真がある、と思えばそれは横浜や沼田に移築されていたりする。
古い写真しか残らぬものは況や・・・(涙)。。。
一軒一軒丁寧に見て回るが、せつなさが押し寄せてくる。
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この文学館は余り大きなスペースを持たぬので、展示品を見るだけでなく図録でコンプリートという感じがする。だから詳しくは書かない。
展示室に入るとすぐに同潤会アパートの再現があった。
ドアノブや蛇口などの金物にも心惹かれるものがある。
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もう二度と戻らないものを眺めて、わたしはただただ憧れるばかりなのだった。

他にも江戸東博で夏目漱石展と並行して、東北大学百年展が開催されているが、中身はここでは挙げないが、さすがに第二番目の帝國大學だけに、入り口の壁いちめんにかつての素晴らしい建物の写真が多数飾られていた。
これらを撮影したいと思いながらも諦めて、チラシだけいただいた。
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まとまりのない記事になったが、黒川紀章氏のご冥福を祈る意味で、自分の心には丁度良いように思われた。

夏目漱石展をみる

夏目漱石の展覧会が江戸東博で開催されている。
これまで漱石の展覧会は文学館などが多かったので、こうした複合的性格を有した施設での展覧会は初めてらしい。
かなり大掛かりな展覧会だった。
来場者を見ると、文学好きそうな人・団体観光・子供に教養を与えたくて、という人、色んなタイプがいる。
夏目漱石だけは「聞いたことない」とは言えない作家だと思う。
きっちり内容を知らずともタイトルだけでも「ハイハイ」と挙げれる作家なのだ。
一体いつからそんなことになったのか。
その辺りを調べると面白いだろうが、パスする。
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チラシは明治大帝の大葬の際、喪章をつけた肖像写真。そこに『猫』がまといついている。

近代人の苦悩を描いた、というコピーがしばしば漱石にはつく。
しかし近年、どうもわたしは漱石の随筆・旅行記などに関心が深まっている。
近代小説家・漱石より、江戸っ子の戯作者としての面に惹かれているのだ。
チラシ裏面・クリックしてください。mir336.jpg

弟子や友人たちとの書簡が展示されている。
特別面白かったのが小宮豊隆への巻き手紙。
小宮豊隆は漱石の弟子の中でも、なかなかユニークな人物だと思う。
(私はすぐに『中村吉右衛門論』の冒頭文を思い出す・・・)
渋谷文学館にある写真パネルが展示されている。文学者の宴席の記念撮影で、小宮豊隆はちょっと楽しいポーズをとっている。
彼は師匠に「お父さんになって」という懇願をしている。それへの返事が面白かったのだ。
「…僕はこれでも青年だぜ…なかなか若いんだからさ…僕はオヤヂで散々手古摺った…旧幕以前なら火あぶりにでもなる倅だね…」
巧い、と思いつつ「おもろいなー」が先に湧く。
ニガイ思いもこうした洒脱な文章が、その胆汁を忘れさせる。
また他にも面白い手紙があった。相手はやはり小宮豊隆。
これは『猫』の成功の後、滑稽新聞が戯画を載せているのをわざわざ漱石本人が模写している。
漱石の顔をした猫の図。新聞のそれは写真などで我々がイメージする漱石ご本人の顔なのだが、漱石自身の模写になると、やたらハンサムになっている。そしてそこに
「できることならば、あんなばかげたことを生涯書いていたい」
・・・いい、すごくいい。
ここで思い出したが、久世光彦は向田邦子との思い出話に必ずこのエピソードを入れていた。漱石の作品で最初に『猫』を読むか『坊ちゃん』を読むかで、その人の漱石観が変わる、と。二人は猫派なので作中のあほらしいくだりを延々と口述しあう。
わたしは『坊ちゃん』派だが、段々と宗旨替えしそうな気配がある。
江戸の戯作の伝統が、漱石の身内に蓄積されている・・・それが面白い。

この展覧会では漱石の英文ノートが多く展示されている。
たいへん几帳面な文字である。成績表も見る。理系に強いのにはびっくりするくらいだ。

それにしても弟子もえらい。
なき師匠の大切な蔵書を疎開させた…しかも一冊二冊ではない、三千冊余を疎開させて守り抜いたのだ。
そのことを思うだけでも感心する。
現在、東北大学所蔵のそれらを眺めると、戦前の師弟のあり方に胸が温かくなる。

わたしは漱石自身の書いた書物は読むが、研究書・評論は読まない。
他の作家が対象の文芸評論や研究書は好きなのだが、漱石論は読む気になれないのだ。
だから自分で見た漱石の文章しか知らない。

『草枕』などでオフィーリアを想起させるエピソードや、『薤露行』『幻影の盾』など、英国世紀末浪漫嗜好に基づいた作品などを読めば、漱石が深くラファエル前派ファンだということが見える。
『夢十夜』の第一夜でも白百合が輝いている。このイメージもまたたいへんなロマンティシズムがあふれている。
そして美禰子や藤尾などはファム・ファタールそのものではないか。
実際、漱石はヴィクトリア朝絵画のファンで、画集も所持していた。
漱石の蔵書より。
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オフィーリアの死、シャロットの女、神託…

この展覧会には漱石の描いたミレイの模写などがある。彩色は漱石オリジナル・カラー。文人画もいいが、模写もよく、前述の戯画もいい。
そしてそうした美術への歓びを持つだけに、漱石は自著の装丁の見事な美麗さにも喜んでいたろう。
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橋口五葉によるアールヌーヴォー調の装丁、『猫』の表紙絵も素敵だ。猫の戯画は浅井忠。(浅井忠はけっこう楽しい戯画が多い)
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津田青楓の木版画も綺麗だ。
そして漱石自身がチョキチョキ切り抜いたイラストなどを眺めると、本当に好きなのだとわかる。
楽しそうな漱石が見えるようだ。
(尤も漱石の随筆を読むと、いろいろとフクザツなものが見えてくるが)
…神経衰弱や病気でしんどかったろう、と思いつつも漱石の中の<楽しい部分>に、わたしは最近随分惹かれている。

漱石がガウン代わりに着ていた女物の長襦袢が展示されていた。・・・アールヌーヴォーな柄である。長襦袢と聞けばすぐに丹下左膳や念仏の鉄(・・・)を思うが、漱石は上の二人のような色っぽさとは違う意図で着ていたろう。色合いも柄も綺麗だから、それが何より気に入っていたのだろう。

初めて見たものがある。臨終直前の写真。苦しそうだ。迷信でこういう状況になるとは、漱石も不本意だったのではないか。
その後のデスマスクは静謐な安らぎを浮かべているが、やはり臨終の写真は可哀想だ。
生まれてすぐに迷信と縁ができ、死ぬときも迷信と縁ができた。
展覧会の始まりの場所に、漱石の実物大1/1フィギュアが展示されていて、作られた声がする。
実際にこんな声なのか・話し方なのかは知らない。
しかしなんとなく出口でそれを思い出した。

出口にはグッズショップが広がっていた。
『猫』デザイングッズが多い。欲しくてクラクラしたが、なんとなく業腹なのでやめた。
図録は朝日新聞社から発行されている。
特別摺りの中から。クリックしてください。mir338.jpg

'95と’98に京都・思文閣美術館で漱石の展覧会があった。
そのとき駒場にあった日本近代文学館の刊行した『漱石・芥川・川端』という本を手に入れたが、そこには中村真一郎の評論があり、巻末には当時副館長・中村稔氏の文学館の危機についての随想があった。
江戸東博ニュースには、閉館した東京都近代文学博物館に勤務されていた行吉氏の『猫との再会に想う』と題されたエッセーがある。
どちらもせつない内容である。
この特別展で<文学>そのものに眼が開かれる人々が生まれることを祈りたい気持ちである。
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フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展

行くべきか行かざるべきか迷ったが、とらさんに推され、Takさんの「単眼鏡かオペラグラスを」の注意に頷いて、夜間開館に出向いた。
二回目の夜間開館日だからか、そんなに混雑もしていない。
わたしは中世西洋風俗画が苦手である。
なにがニガテかを最初に書く。
うがい・手洗いしたくなる空間、それを目の当たりにするのがニガテなのだ。
それだけの理由。
しかしそれで全てを括ってはいけない。
今回そのことを痛感した。

目的はミルクメイドを見ることだが、もう一つ自分なりの目標を立てた。
ねこと犬のチェック。描かれた犬猫を探すことにした。

メツー『ねこの朝食』
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全体図でなく一部だけを挙げる。女の膝には魚の載った皿、片手にはパンが持たれ、膝にすがるねこに手で食べ物をあげる。このねこはアメショーみたいだが、この時期既にその種がいたかどうかは知らない。げじ柄ねこはなかなか甘えで、膝に取りすがりニャアと鳴いている。
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暗い画面に襟と花の白さが目立っている。
メーツは他に『鰊売りの女』『食事する男女』などを描いている。なんとなくどれもこれも魚がおいしそうだ。水との縁が深いオランダならではなのかもしれない。

ネッチェル『子供の髪を梳く母のいる室内』 この暖かそうな家族の間にもねこがいる。
猫のいる日々はとうとい。幸せがそこにある。茶地に黒の斑猫が両手で玉遊びをする。

マース(派)『野菜市』 ビーグル犬らしきものがいる。オランダ絵画の犬はみんなビーグルなのだろうか、ステーン『二種類の遊び』ではビーグルが毛づくろいをしていた。

同じくステーン『酔っ払った男と女』では白地にキジの猫が見上げている。これが浮世絵ならちょっとしたあぶな絵だが、ここまでなにだと「ねこも心配してます」になる。
どうも掃除がニガテのわたしでも、この室内は掃除したくなる。

こっちの『オウムに餌をやる女、バックギャモンをする二人の男と、その他の人々』のうち「その他の人々」に目を向ける。男の子が膝に乗せた猫にごはんをあげようとしている。
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ステーンと言う画家はねこもわんこも好きだったのか、それとも当時のオランダでは猫も犬も飼うことが多かったのか・・・もしそれなら、オランダとはいい国だなーと思う。

さてフェルメール『牛乳を注ぐ女』を見に行く。
ダ・ヴィンチ『受胎告知』の見学を思い出すが、時間帯のおかげか、そんなむごさはない。
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裸眼で見た後、少し離れてオペラグラスを出す。グラス越しでも光がそこにあった。
光が、そこにあった。
窓からの光が室内に差し込んでいる。その光が部屋を照らし、光と影とを生み出している。
わかっていたはずのことが、こんなにも新鮮だったとは。
女の被り物の質感、黄色い服の下の胸のふくらみ、腰に巻いた青い布の感触・・・
油絵の具のヒビまでが煌いて見え、まるで貫入のようだった。
五種類の布それぞれの素材が違うことを改めて感じる。
赤楽のようなミルク壷と瑠璃釉をかけたようなデルフト窯、壁の下部のタイル。
17世紀オランダの民家にとって、ありふれた陶器たちにすぎないだろうが、それまでが愛しく思える。
またパンを入れた籠と壁にかけられた籠とは編み方も違うことを知り、そんなことが嬉しくなる。光の入り具合で金っけの色合いも変わる。
細々した<発見>が大きな喜びになる。
「世評が高いから名画なのは当然だ」ということでなく、素直な気持ちで「すばらしい作品を見た」と思う。見に来てよかった、本当に。

同時代の工芸品や楽器を見る。その時代の一部が再現されている。奥にはメイドのいないあの一隅が見える。古楽器は上野学園提供だという。この時代よりもう百年前の流行歌を私は知っているが、それを頭の中で流しながらその場を離れた。

18世紀以降の作品に目を向ける。
ラキー『台所にて』 椅子に座る女の子はこれはポメ犬?といる。奥さんが美人だ。女中も人柄の悪くなさそうな女。

ラウウェルス『井戸から水を汲む女』 高さのない流れの屋根の上にはねこが丸くなっている。井戸の傍らには息子らしき男の子がわんこをダッコしている。なんとなくこの家を見て『チャーリーとチョコレート工場』のチャーリーのあばら家を思い出した。

ホーレマンス二世『陽気な仲間たち』 これは娼家らしい。作者名もぴったりだ。(ベタ過ぎるゾ)二組だけでなく一人あぶれそうだがまさか・・・いや、きっと他にいるのだろう。

ヘンドリクス『室内で縫い物をする女』 目元かくれる白犬だが、これはあれか背中半分先は剃られているのか?こういう手の掛かることをするようなゆとりがあるわけか。
風俗画である以上、そこのところを読み取る必要もある。

19世紀後半になると、国の違いはあっても、わたしにはなんとなく安堵できる空間となる。
コルフ『ぼろ布の籠』 ピンクのシャツを着た女がなかなか綺麗だった。

ビスホップ『日の当る一隅』mir333.jpg

綺麗な女。少しラファエル前派風だと思う。年代もほぼ同じ。カーテンやテーブルクロスにそのことを感じる。顔立ちもややレイトンのそれのようだ。ここには最初から光は<存在するもの>として描かれている。
ミルクメイドのように光が注ぐことを実感できない。それでも女は窓辺により、縫い物をする。18世紀末、かつての栄光は最早訪れない・・・

マリス『台所』 二十歳でこんな作品を描けるのは、本当に素敵だ。背中を向けてしゃがむ女。ここにも光が窓から入り込んでいる。光は最早普遍的なものに変わった。
そんなことを感じる。

ヴァーイ『アムステルダムの孤児院の少女』 この服はお仕着せなのだろう。
少女は窓からの光で本を読む。百年前、文字は孤児院の少女にも読めるものになった。
窓の薄いカーテンがきれいだと思う。
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オランダ映画で忘れられない作品が二本ある。
『さまよえる人々』と『キャラクター/孤独な肖像』である。
後者は20世紀初頭の父・母・息子それぞれの心の葛藤を描いた名作で、人間の孤独と言うものを深く考えさせられた。
そして『さまよえる人々』は説明の出来ない作品なのである。深く心に刻まれつつもひとに説明できない・したくない名品なのである。
これらの作品を見ていると、レンブラント、フェルメール、ブリューゲルらの絵画の伝統は、映画に引き継がれているように思われる。
フェルメールとの新鮮な出会いは、わたしと泰西名画との距離感を、少しばかり縮めてくれたようである。展覧会は12/17まで。行って本当によかった・・・

東京ハイカイ神無月の巻

10/5から10/7まで首都圏ハイカイに出た。
いつも7:15出発のフライトだが、そのために五時半には起きなくてはならない。これがつらくて仕方ない。今回特に痛感する。しかしこのフライトタイムだからこそ、あちこち回れるのだ。だからフラフラしつつ出かける。
機内ではイージーリスニングかクラシックを聴くが、今日は映画音楽なのでアシュケナージよサラバ。久しぶりに『ラストタンゴ・イン・パリ』を聴く。朝から名曲だが朝から内容を思い出して妄想に耽る。Mブランド死んだなぁ、相手の女優は誰だっけ・・・
以下、ナガナガと続きます。

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旧西尾邸再訪

今春から須磨離宮公園のそばで神戸迎賓館・須磨離宮として、結婚式場とレストランとを経営するようになった旧西尾邸に出かけた。
ここは阪神大震災で被害を受けた後、しばらく冬眠状態にあったが、ご当主らの努力の結果、前述のように再出発することになった。
以前の廃屋の頃を見学したのは’99だったか、それから十年近く経って再訪すると、こうした見事な邸宅レストランに転身している。
日夏耿之介に倣い『転身の頌』をここに繰り広げたいと思う。
いずれもクリックして拡大してください。

邸宅遠望。IMGP2383.jpg IMGP2384.jpg

庭園からアプローチへ。IMGP2385.jpg IMGP2386.jpg IMGP2387.jpg

玄関周り。IMGP2388.jpg IMGP2391.jpg IMGP2392.jpg IMGP2390.jpg


ステンドグラス。IMGP2394.jpg IMGP2398.jpg IMGP2400.jpg 
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階段周り。細工も綺麗。かつての写真にもその繊細な細工が見える。IMGP2395.jpg


レストラン部分。IMGP2396.jpg IMGP2431.jpg


天井など。IMGP2402.jpg IMGP2406.jpg IMGP2409.jpg 
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和の空間。IMGP2420.jpg IMGP2421.jpg


外壁など。IMGP2441.jpg IMGP2442.jpg IMGP2443.jpg


こちらは廃屋だった頃の写真。mir331.jpg

('99.5.12)

ご当主・西尾さんのお話をうかがうことも出来、いろいろ思うところがあった。
周辺の邸宅が破壊されたこともあり、無常感を懐かれたところから、このレストラン構想が立ったそうだ。
ちょうどすぐ目の前の須磨浦で、熊谷直実が敦盛を討ったことで無常感を覚え出家した故事があるにしても、やはり一度壊したものは二度は戻らぬということを、我々も思い知らねばならない。
西尾さんはえらい方だ。
元々須磨あたりは明治から貴顕の別荘などが建ち並ぶよい場所だった。
横溝正史の名作『悪魔が来たりて笛を吹く』でも須磨寺の隣駅・月見山に玉虫家の別荘があるという設定だった。
いまだにわたしなどは、須磨と言えばフルートの音色が頭の中に流れてくるほどだ。(須磨浦水族園には幼稚園頃以来ご無沙汰だ)

こちらは須磨寺。IMGP2375.jpg IMGP2356.jpg


九月に訪れたのだが、まだ睡蓮が咲いていた。IMGP2355.jpg


小石を使ったジオラマもある。IMGP2365.jpg


熊谷と敦盛。IMGP2357.jpg


平日だったので須磨全体にひとけがなかった。
なんとなく淋しいような静かなような気持ちになった。

今回はレストラン定休日にうかがったので、次回はお食事を楽しみたいと思っている。
神戸迎賓館・須磨離宮のサイトはこちら。
http://www.vizcaya.jp/

ロココファッションを見る

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神戸の六甲アイランドに神戸ファッション美術館がある。
以前一度、大成建設主催・増田彰久の近代建築写真展を見に来た事があるが、それ以外は無縁だった。
今回同じ六甲アイランド内にある小磯記念館に行くこともあり、六甲ライナーの一日券が550円と言うことで、ついでに足を伸ばした。
マリー・アントワネット生誕250年記念・18世紀 麗しのロココ衣装展が開催されている。今年は本当を言えば252年目なのだが。
その当時の貴婦人・貴公子たちのファッションがマネキンによって展示されるのだが、マネキン化粧などの第一人者・吉田和則氏による造形が、一層の華やかさを演出している。美術館は以下のような狙いを持っている。
18世紀後半、フランスを中心に王族や貴族たちの間で大ブームとなったロココ・スタイルの衣服は、華麗かつ軽妙であり、レースなどの高い装飾性が特徴で、史上最も豪華な服飾と賞賛されますが、後には滑稽な程にスカートは広がり、髪と被りものも巨大化し、グロテスクな一面さえ見せていきます。
本展では、衣装に合わせ、リアルなマネキンと巨大なカツラを作成し、個々に特別なメイクを施しました。また、貴族の邸宅、盛装舞踏会、パリ郊外への散歩、という3場面を設定し、あわせて、当時の扇、靴、コルセット、レースなどを展示することで、『ベルサイユのばら』などでもお馴染みのフランス革命前の華やかな宮廷生活を垣間見ていただく試みです。


宝塚歌劇の舞台に迷い込んだ錯覚を起こすような展覧会だった。
絵で見る分にはよいのだが、現実にその空間に入ると息苦しくなった。ないはずなのにきつい香水のにおいを感じたり、たばこの煙を感じたりする。
そんな幻覚が生まれるような空間だった。
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思えばわたしはロココのような過剰装飾がニガテなのだった。<苦手>ではなく当て字するなら<逃手>というところだ。
(ただし建造物はそうではないところが、ニンゲンの面白さだ)
絵画に見るファッションというような展覧会でも、20世紀に入ってからのそれが好きで、コルセットと巨大なドレスと言うものがなんとなくこわい。
いつからそうなったのかはわからない。昔は「お姫様」が好きな子供だったのに。
これは多分実際にコスプレしたせいかもしれない。
大学時代、友人の拵えたドレスを着た。気分は楽しいが、身体は苦しかった。その実感があるからかもしれない。
だからそれだけでも森村泰昌氏は尊敬に値する。それと中山忠彦氏のモデルも偉い。みんな苦しいドレスから逃げない。
異空間をさまよう面白さはあったが、総じてわたしには苦しい展覧会だった。

マネキンのメーキャップを担当した吉田和則氏の小さなコーナーがあった。
ミニチュア楽器製作と、仮面たち。フィギュアと言うよりドールハウスに近いかもしれない。
とても可愛い。そして仮面のメーキャップに感心した。市川猿之助の『ヤマトタケル』などがある。

…さきほどロココファッションに関心がないと言いながら、実は私は舞台衣装としての過剰装飾は大好きだったりする。
毛利臣男の『ヤマトタケル』『オグリ』、辻村ジュサブローの『王女メディア』、甲斐庄楠音の『旗本退屈男』…
和を土台にした派手な衣裳などには、わたしも深い憧れがあるらしい。

常設のほうを見る。
こちらは世界の民族衣装を並べてあり、復元した衣服なども展示され、一部は手袋越しに触れるようにもなっている。
麻の触感・綿の手触り…それで思い出した。
映画『ベニスに死す』でビョルン・アンドレセンの母役シルヴァーナ・マンガーノの優雅な衣裳にはアイロンが掛けられていなかった。
20世紀初頭にアイロンが普及していなかったから、というのがその理由だったはずで、さすがに巨匠ヴィスコンティの眼は恐ろしいものだと思ったことがある。
前に女優で服飾研究家の市田ひろみさんのコレクションを見たが、それぞれの風土と国民性とがそこから伺えて、大変興味深かった。
以下はこの美術館のコレクションである。クリックしてください。
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ここにはまた西洋の扇も多くコレクションされているが、昨夏に嵯峨美大の扇コレクション展を東大阪で見たので、懐かしく思えた。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-552.html
他にファッションプレートも多く飾られていたが、共立女子大でも丁度その展覧会があるようなので、そちらをのぞくのもよさそうだ。
この展覧会は10/9まで。

六甲を離れて神戸元町へ向かったわたしは大丸で開催中の『ベル・エポックの輝き 魅惑の宝飾からガラス工芸まで』に再訪した。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-925.html
こちらで既に感想をあげているが、巡回して神戸に来ている。
建物は心斎橋に軍配を上げるが、こちらも悪くない大丸である。
そして展覧会の構成も少し変わっていて、ランプなどには灯がともされている。
それがいっそうの美を引き立てている。嬉しいことだ。
もうすぐ庭園美術館ではティファニー展も始まるが、その展示方法も楽しみである。
やはりその本来の美を引き出すような展示の仕方が一番嬉しいのだから。

わたしは神戸でアールヌーヴォーデザインの青い花のリングを買った。
なんとなくそれが楽しくて、そのまま指に嵌めて帰宅した。

10月の予定と記録

基本的に『芸術の秋』と言う以上、各地で本当に多くの展覧会が繰り広げられる。全部行けるかどうかわからないが、以下、予定です。(欲望とも言う)

狩野永徳 京博
京のかたち?−明治時代の京都 京都市歴史資料館
トプカプ宮殿の至宝展 京都文化博物館
元伯宗旦居士350年記念 「千 宗旦展」 茶道資料館
今森光彦写真展『里山』 大丸京都
琳派展X神坂雪佳 細見美術館
石清水八幡宮展 〜時空をこえる秘宝〜 松花堂美術館
開館50周年 特別記念展(前期) 逸翁美術館
舟小屋 —風土とかたち—  INAX
キリンプラザ大阪の20年展 キリンプラザ
オセアニア大航海展:ヴァカ モアナ、海の人類大移動 民博
阪急100周年記念展  池田文庫
東洋の美に出逢う 藤田美術館
開館20周年記念名品展—風流と美— 湯木美術館
浪華風俗を描く−菅楯彦の世界− 芦屋市美術館
中国の金工 —その超絶技巧 —/ペルシャ絨毯 —技と美の楽園— 白鶴
茶入と棗(仮) 香雪美術館
文人の書画と文房具 黒川古文化研究所
天体と宇宙の美学 滋賀近代美術館
大倉集古館所蔵 江戸の狩野派 −武家の典雅− 大和文華館
フロク・オマケ 弥生美術館
キンダーブック 印刷博物館
文豪・夏目漱石 —そのこころとまなざし— 江戸東博
フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展 新国立
春信、歌麿、北斎、広重 ミネアポリス美術館秘蔵コレクション 松涛美術館
福原信三と美術と資生堂 世田谷美術館
昭和30年代東京物語 〜街角のたばこ屋さんを探して〜 たばこと塩
花ひらくアール・ヌーヴォー ガラス工芸と女性のよそおい ポーラ
バーナード・リーチ —生活をつくる眼と手— 汐留
怪獣と美術展 —成田亨の造形芸術とその後の怪獣美術— 三鷹ギャラリー
馬と近代美術 目黒美術館
世界を魅了したティファニー 1837—2007 庭園美術館
細川護煕と永青文庫 高島屋


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