美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

12月の予定と記録

早くも年の暮れですね。
ちょっとも実感がないんですが。
とりあえず以下の予定があります。


国立ロシア美術館展 ロシア絵画の神髄 サントリーミュージアム
BIOMBO/屏風 日本の美 大阪市立美術館
石はきれい、石は不思議 —津軽・石の旅— INAXギャラリー大阪
朝鮮王朝の青花白磁 高麗美術館
KYOTOきぬがさ絵描き村−印象・平八郎・神泉・竹喬・華楊− 堂本印象美術館
おん祭と春日信仰の美術 奈良国立博物館
入江泰吉と奈良を愛した文士たち 奈良市写真美術館
日本の仏教美術−祈りの形象− 大和文華館
聖母女学院
あと今回は紅葉狩りにお寺を廻るつもりです。
岩倉実相院
仁和寺
等持院

春日大社のおん祭に行く気合が足りないので、展示品を見るだけです。
奈良の祭で気合入れて観るのは3月のお水取りだけかもしれません・・・
今月は忘年会や送別会などが多いので、皆さんもお体お気をつけてください?




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ブログ成分分析をしてみた

例によってlapisさんのところで面白いのをみつけました。
ちょっとやってみましょう。




 
楽しい思い出 39ポイント
将来の不安 34ポイント
長老の知恵 23ポイント
どこ吹く風 18ポイント
セレブへの羨望 17ポイント  
燃える心 14ポイント 
少年の瞳 11ポイント
その他 10ポイント
 
ほほーまぁ納得行くところもありますね。
なんしかこのブログって基本的に「『遊びに行った日を記す』場所です。」なんて書いてるくらいですから、過去の楽しい思い出を連ねておるのですもの。

将来の不安か。現在も不安だ。果たしてわたしは『天牌』『アカギ』『天』さらには『ガンダムORIGIN』も揃えられるのか?!
(揃える方がもっと不安か?)
・・・これじゃ『燃える心』じゃなくて『萌えるココロ』ですな。

しかし『乙女心』がない代わりに『少年の瞳』があるのですか。
・・・それでかなぁ、実はここへ来られる方の多くが、わたしのことを女の振りをした人だと思われているようです。

うーむ、まあ乙女心より少年の瞳のほうにトキメくから、それでいいや。
 
 

電鉄時代の幕開けと阪急百年

阪急百年、と一口には言えない。北摂の電鉄の歴史その他の展覧会がそこにある。

池田文庫で阪急百週年記念展が開催されている。
小林一三が百年前の1907年に箕面有馬電気軌道を開設したことから、阪急の歩みが始まる。
その箕面有馬電気軌道には唱歌がある。作詞は小林一三本人。
歌詞とメロディは以下のサイトで。ただし音が流れるので音量に気をつけてください。
http://moemoe.moe.hm/~gfaz/hk_syouka.htm
東風(こち)ふく春に魁(さきが)けて 開く梅田の東口 行きかう汽車を下に見て 北野に渡る跨線橋
・・・つまり今のJRを下にして上を走っているゾという誇りと気概とが込められている。
関西圏以外の方にはわかりにくい話だろうが、関西の公共交通機関は私鉄がメインである。
私鉄王国関西の沿線路線図を見れば、大方の地域がJRなしでもなんとかなるのである。
小林一三は国鉄が大嫌いだった。だからゲージも同一のものにはしなかった。
国鉄と同じゲージにした鉄道会社は全て国に召し上げられたのである。
広軌か狭軌か忘れたが、関西の目端の利いた連中は召し上げられないための努力を惜しまなかった。
それは百年の間少しも変わることなく、スルット関西システムを作り上げたことでいよいよ強まったようにも思う。
スルット関西システムのカードは近畿ではJR以外のほぼ全ての交通機関に使用できるのだ。
わたしは子供の頃から私鉄ばかりに乗っていたので、新幹線に乗るとき何故チケットが複数枚になるのか理解できなかった。いまだになんとなくJRに乗るのは億劫である。
箕面有馬電気軌道のポスターがある。北野恒富による美人。右上に箕面のシンボル・瀧の絵があり、彼女の帯には停車駅がまるで北斗七星のように描かれている。
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また、池田文庫は阪急関係の資料を一手に収めている。図書館であり資料庫であり、研究所である。今回の阪急百年では電鉄事業のみならず宝塚歌劇関連も展示されているが、東宝関係はなかった。(阪急百年、というタイトルから東の宝塚たる東宝は入らないようだ)
鉄男もテツ子も来て、なかなかにぎやかな展覧会になっている。
箕面有馬電気軌道に始まり、宝塚をにぎやかにするために沿線開発を行い、ローン住宅を建て続け、大正期のサラリーマン層に持ち家を与えた。
元々この北摂の地は能勢街道・妙見街道が走り、西国三十三箇所の寺院もあり、菅公立ち寄りの天神社、麻田藩の原田城もあるという古い土地柄なので、それを貫いて走る電車は確かに新しい人口を増やした。
その頃の双六がある。これがとても楽しい。
画像がないのでここにあげられないし、宝塚線全てのコマの状況を書き上げることもちょっと出来ない。(暇人のわたしは全部書き写してしまったが)
今も残る名所・名物もあれば「えーそんなんあったんー」も多い。
開園後しばらくで廃止された箕面動物園のパンフレットや写真が楽しい。
基本的にテーマパークより遊園地が好きなわたしには、こういう方がずっと面白い。
象、らくだ、水禽、遊具などなど。
これまでこれら資料はガラスケース越しに見るしかなかったのだが、今回嬉しいことがあった。
この池田文庫から20分ばかり五月山の中腹を横断したところにある池田市歴史民俗資料館でやはり電鉄関係の展覧会があり、池田文庫とリンクしている。
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だからその資料集の中に少しばかり箕面動物園の資料などがあるのだ。
嬉しいことだった。
天理参考館でも少し前に色んな電鉄の切符を集めた展覧会があり、そのコレクションを見れなかったのが残念だと思っていたが、今回ここに出ていた。
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嬉しいことだ。
またこの前日には宇治市歴史資料館のチラシも入手していたが、それも電鉄関係の展覧会で、吉田初三郎の作品が挙げられている。そもそもその展覧会に気づかなかったのだが、こうしたチラシを手に入れただけでもラッキーだ。
大正期から昭和の遊山には吉田の描いた地図―鳥瞰絵図がたいへん愛好されたのだ。
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しかし世の中には実にテッちゃんが多い。
わたしはそこまでゆかない。わたしは建築ヲタのケンちゃんだ。
妹は数年前、テツ子の部屋とか言う名前でそんな鉄道関係のサイトを持っていたが、その子供はまだ3歳のくせにナマイキにテツだ。
上田にいるから当然阪急電鉄とは無縁なのだが、孫への土産に阪急電車の動く奴を持っていくと、えらくコーフンしたそうな。
好きな人は好きなものだ。
こちらは夏に開催された阪急・阪神の鉄道模型の展覧会チラシ。
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なかなかこれは楽しかったが、会場はごった返しで呼吸困難になるところだった。
みんな電車・鉄道がすきなのだなぁ。

わたしは乗り物は目的地への手段と看做しているからそんなにも気合が入らないのだが、展覧会を見るのは楽しい。その鉄道の通る道に阪急なら宝塚歌劇と言う楽しみがあり、デパートで買い物などの喜びもある。それらを見るのがとても楽しい。
池田文庫ではVTR上映もある。池田歴史民俗資料館ともども12/9頃まで開催されている。併せて見に行かれるのもいいと思う。
実際そんな人々が多かった。
天理・宇治・阪神の展覧会は既に終わっている。
また来年こんな催しもあるだろう。
最後に一枚。これは阪神で購入した絵葉書。
かなり気に入っている構図。mir427.jpg

三井寺の駅名があるから、京津線だと思う。いまは京都市営地下鉄が乗り入れ、ちょっと面白味にかける。

逸翁美術館50周年特別展・後期

逸翁美術館の後期展示に出かけた。
近いからついつい出遅れる。前期感想はこちら。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-958.html
賢愚経断簡(大聖武) 荼毘紙を料紙にして大きなしっかりした字で書かれた経文。字の如くボーンペーパー。いい字だ。正倉院展でも見かけたように思うが、聖武天皇の字はなかなかステキだ。

地蔵十王図 伝・土佐経隆 上部に地蔵菩薩と下部に左右に分かれて十王たちが並ぶ。皆なかなか個性的な顔つきである。

焔摩天図 伝・宅間澄賀 これは以前から綺麗だ綺麗だと思っている仏画。何しろ閻魔のイメージから離れて、白く綺麗な女のように見えるのだ。珍しいような気がする。

大方廣佛華厳経(二月堂焼経切) その名の通り火に遭うた経文だが、焼け焦げがまるで影絵のアンコール・ワットのようにみえる。二重に楽しんでしまった。

第二室は吹き抜けの空間でステキな部屋だが、永徳の子・光信ゑがく秀吉図が出ていた。
これが後世の基本になるのだが、あまり面白くはない。

黒楽菱文 ノンコウ わたしの愛するノンコウ。薄さがいい。
黒楽朱釉「夕紅葉」 一入 ノンコウの息子。父親の斬新さ奔放さから離れて初代へ帰ろうとしたそうだが、この黒赤い器のよさは何を求めて生み出したのだろう。
薄暗い照明の中、眼を凝らせば凝らすほど色の本質がわからなくなる・・・そのこと自体にときめいた。

銹絵染付柳 詩賛 乾山 枯れたわけではなく、やはり華やかさがある。白い釉薬は重くならず、描かれた柳は融通無碍な感がある。

茶碗 武蔵野図 道八 黒地に草花を描いたもので、以前から好ましく思っている。
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華やかな黒。そこにざわざわと草花が咲き乱れている。

階上の三室には茶室の再現がある。
ここは以前から逸翁茶会の再現がされている。
軸は呉春の横向き寿老人。それと向かい合うように光琳の寿老人が壁側に展示されている。
どちらも伸びた頭が可愛い。

81歳になった乾山の白梅図もある。江戸に住まいながらも、京都人だぞというサインをわざわざ入れているのがいい。
京都ブランドの価値は高い。

茶室再現に戻ると、眼を引いたのが永楽保全の菓子器。コウチ写しの大亀。背中の亀甲文の色分けがきれい。透明の釉薬を使うからエナメル質に化り、きらめきが内側に封じ込められている。

その前のガラスケースにはいつも箱や筒が展示されていて、それを見るのも楽しい。
特に箱書きの文字などを見ると、不昧公がカワイイと思ったりするのだ。

展示に移る。
仁清 柚子香合 白い柚子。かわいいとしか言いようがない。
こうした小品の愛らしさは小さければ小さいほど心に深く残る。

佐竹本から藤原高光 久しぶりの再会。多分一年ぶりくらい。
昨春出光で歌仙絵を集めた展覧会にも彼は出れなかった。常に欠席の人。絵は痩せないが、淋しいだろう。

階下に下りる。
高野大師行状絵巻 室戸岬で修行中の少年・真魚の時代。みずらに結った髪の可愛い少年。
悪龍だけでなく鬼の眷属めいたものも波間に立つ。ドラマティックな情景。

大江山絵詞 酒呑童子が神酒に酔わされ眠る姿と、首を掻っ切られるシーンとが出ていた。
色んな大江山を見ているが、ここのは淡彩で描かれ、下っ端の鬼たちが憐れな感じもない。

芦引絵 ずっと以前ここで初めて見た後、東博「やまと絵」展で長いのを見た。室町時代の流行だった稚児の恋物語。わたしの持つ資料とは違うシーンが出ているが、生憎あの稚児は出ていない。なんだかたいへん口惜しい。

露殿物語 これも以前に見たが今回はこのシーンか。芦引絵も露殿も見たいシーンが出なくてまことに残念だ。これらは孤本のはずだ。

茶杓もいくつかあるが、どれもこれも竹が飴色になり、櫂の具合もよく、見るからによい感じがする。

白天目宝珠 この貫入の入り方といい白い釉薬といい、まるでメロンパンのように見えた。もしかすると今後はメロンパンを見ると、この茶入れを思い出すかもしれない。

新館には前期呉春の白梅図があったが、今期は応挙の雪中松図屏風。これは三井記念館にあるものと同じ構図の作品。こちらの方がやや若い頃の作らしい。

久しぶりに庭園に出た。羊歯はあおあお・紅葉は赤く黄色く。石を踏み踏み茶室に出たり。
機嫌よく見物したが、この建物も来春まで。その後は記念館になるらしい。
新美術館は池田文庫の隣に建つそうだ。

ハマるとどうにもならない。

今現在、苦しいくらいハマッているものがある。
マンガの話。そこから習得すべきことへのナヤミの話。
ヒトサマから見ればバカバカしい状況。

旧乾邸から相楽園へ

白鶴美術館の近くには旧乾邸がある。
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今日は何かの会合があるのか、門が開いていたのでお邪魔する。
裏庭に廻ると、雑草が伸びていてうら淋しさが湧いてきた。
何度も撮影しているが、またも飽きずに撮る。
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玄関へのアプローチ、そこに飾られたイスラーム細密画をモティーフにしたタイル画。
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そして庭には小さな水の噴出口がある。羊か山羊かよくわからないが、かつてはここからも水が迸っていたのだろう
山から下りて三宮へ向かう。
中山手通りの竹中大工道具館とそのそばの相楽園が次の目的地。
わたしはあまり神戸の地理に自信がないので歩きすぎた。花隈まで出たから完全に歩きすぎ。中山手通りに行かねばならぬのに。仕方がない。先に相楽園に入る。
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門構えは純和風で、これを見るといつも『耳なし芳一』の「開門!」のシーンを思い出す。
11/23まで菊花展。丁度よく最終日。ああ、綺麗な菊の集まり。親戚のおじさんで菊作りの巧い人がいたが、四君子というのはどれもこれも栽培の難しいものばかりだと思う。中でも菊は「菊作り」その人に既に物語がある。
相楽園には蘇鉄がつきもので、やっぱりみごと。
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秋の庭を楽しむ。P2858.jpg


元の所有者小寺謙吉氏の厩舎。P2860.jpg

中には資料が展示されている。屋根のトラスが素敵。
隣には異人館のハッサム邸。P2867.jpg

池のほうへ行くと船屋形がある。姫路藩主由来の豪華なもの。建造されたのは1682?1704年だから、抱一の生まれるだいぶ前。
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無論今は動かない。P2872.jpg


のんびりしたいい気分になったところで、東へ歩き、やっと竹中大工道具館に来た。
しかし閉館直前。何とかお情けで入れてもらえた。
『錺 建築装飾に見る金工技法』 レプリカが多いが、その複製品を作れるほどの技能者がまだ日本にいるわけだ。
名古屋城の引き手などがとても多い。そうだ思い出した。朝一番に見た頴川美術館で、屏風の金具が16菊だった。
またさるメーカーさんの蒐集品もあり、それがたいへん見所があった。少しだけここに挙げる。
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満足した。ありがとうございます。その後は大丸によってから北摂へ帰ったが、電車のつなぎがよかったので随分早い帰宅になった。

東灘アートマンス+甲東園

東灘アートマンスというイベントがある。今年で5回目、これもわたしの年中行事の一つ。
その前に甲東園の頴川美術館に向かった。
近世・近代絵画を集めた所蔵品展『投影された美意識』の後期展。目録を見て「シマッタ」と呟く。数点のぞいて総入れ替え。うっかりしていた。
この美術館は小規模だがいいものが多い。出品の絵師の名を記してゆく。
橋本雅邦、岸竹堂、光琳、直入、土佐光起、谷文晁、応挙、山本梅逸、今尾景年、御舟、古径、栖鳳、玉堂、陶磁器は魯山人、北出塔次郎、河井寛次郎など。
その中でも特に心ひかれたものを少しあげる。

直入『足柄吹笙図』 これは後三年の役に出向く新羅三郎義光が、追ってきた豊原時秋に、かつて自分が時秋の父より伝授された秘曲を時秋に伝えるというエピソードである。薄い月の光、静かな桜下で笙の音色が響く。新羅三郎は赤い直垂で、時秋は紺色、これらが大変カラフルで、珍しいような趣がある。詞書もよかった。
梅逸『松竹梅図』 うち梅と竹の絵にたいへん惹かれた。
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松は松籟さえ感じないが、この梅と竹には風の音が聞こえるようだ。
水を含ませた筆でささっと竹を描き、そのにじみが竹の風雅をふくらませる。そして梅がいい。白梅が竹林の中にくるみ込まれながらも、咲き乱れている。いい絵を見た。そんな気分がある。

応挙『瀑布図』 三色で構成されている。岩肌の黒、水飛沫の白、淡緑色の流れ。…たいへんおいしそう。つまり、餡・白玉・抹茶のセットのようなのだ。これには心惹かれ、ヨダレも瀧のようになった。

御舟『小春日図』 白地にキジ柄の入った猫がぺろぺろ身づくろいをする。以前から好きな絵だが、改めて対峙すると、光の加減か塗り具合か、猫の舐めたところがよくわかるように見えた。ところで小春日和というのは確か秋の日の天候ではないのか。猫の頭上にはひまわりと朝顔が咲いていた。ちょっとわからなくなった。

他にも好い作品が多いのをじっくり見て回る。数は少ないがゆとりのある気持ちで眺めると、ささやかな幸せがある。
前後期ほぼ総入れ替えなのを忘れていたので、ちょっと惜しいことをした。
出るとこんな所に聞か猿がいた。IMGP2845.jpg

甲東園から西宮北口に戻り、今度は御影である。
アートマンスの対象となる美術館が、御影だけで4館ある。
そのうち小原流の豊雲記念館はもう開館の時期が終了している。香雪美術館へ向かう。
『茶入れ・棗の名品』
60点ほどの小さな名品たちがガラスケースの向こうにある。
これがまた素晴らしくいいものばかりで、なるほど『名品』とはこういうものを言うのか、と勉強になる。自分の趣味・嗜好だけでモノ選びするのでなく、他者の目に磨きぬかれた名品を見ることで、自分の目も鍛えられるのだ。
これは古美術の工芸品の場合、特に必要なことだと思う。
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チラシ最下檀左の黒地に菊の棗は原羊遊斎の手によるもの、不昧好というのも尤もな、名品。派手だが品格も高い。本当に素敵だ。
仁清『色絵菊紋茶器』もいい。掌で囲むとすっぽり埋もれるほど小さく、愛らしい名品。

茶道具は由来にも心惹かれる。そしてここにたどり着くまでの伝来もまた。
尾張名古屋の成瀬隼人正所持の『堅田肩衝』を見たとたん、『柳生兵庫助』を思い出した。そしてこれは小堀遠州と江月宗玩合筆歌詩があり、その表装がまたよいのだ。祇園守と裏梅が段毎に並ぶ。それは中村歌右衛門の紋所なのだ。一体どういう洒落心・数奇心からの選択なのだろう。想像することが楽しくて仕方ない。

幸阿弥 『女郎花蒔絵・棗』 これはすっきりと女郎花が一本咲いている。その箱書きがいい。
「なびくなよ 尾花が野辺の女郎花 浮世の嵯峨にしげりあふとも」

他にも名品が並んでいるが、実は今回仕覆に眼を奪われていた。元々仕
覆が好きなので嬉しくてたまらない。
名物裂鑑、名物端裂帖などが長く長く拡げられているので、じっくり眺めた。金襴、緞子、間道、錦、モール、風通…
それらが三日月形やリンゴ型、型抜き、L字型などに切り取られて、色紙に貼り付けられている。
ときめくような眺めだった。

その後は山を登るようにして、白鶴美術館へ向かう。
ああ秋だなぁ。IMGP2847.jpg

『中国の金工 その超絶技巧』
白鶴美術館の青銅器コレクションを見る。関西には優れた青銅器コレクションがいくつもある。たとえば泉屋博古館、奈良博の坂本コレクションなどは常設されている。正倉院展をご覧になった後、本館で常設を巡られたなら、それらに出会うことが出来る。
可愛い饕餮が待ってくれている。
白鶴のそれは常設ではないので、企画されたときしか見れない。数年前から学芸員さんが変わったのか、作品のキャプションがかなり変化し、チラシも本当に違ってしまった。お客さんも増えたが、その分撮影禁止になったりして、ちょっと淋しくもある。
殷周時代の饕餮文のまといついた青銅器を偏愛しているから、今回も備品の電灯を借りて、じっくり細部まで眺めた。
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犠首がまた可愛いのが多い。ちょっとアールデコ風な雷文の連なりもある。どれもこれも可愛くて楽しくて仕方ない。
ところで、キャプションの中で何度か繰り返されている問いかけに、わたしはちょっと考えてしまった。
饕餮は魑魅魍魎を寄せぬようにするための存在、というのはわかるが、守るためのよき存在と言うのとは、少しニュアンスが異なるのではなかろうか。つまり最初からそのような存在ではないと思うのである。
饕餮の出自は黄帝に敗れたシユウの変じたもので、言ってみればメデューサの生首を盾につけるのと同じ扱いでのことから始まったのではないか…
話を変える。
唐代の細工の煌びやかさを十二分に味わった。本当にチカチカ綺麗である。確かに超絶技巧という言葉が相応しい。
凄いものを見た、という気分がある。やはり文化の極みを尽くした時代の文物はすばらしい。
わたしは唐代の技巧に深く引き寄せられている。
機嫌よく見て回り、眼を外へ移す。庭園は見事な秋に装いを変えていた。春秋二期のみの訪問の中で、こうして秋を味わえて嬉しかった。
新館のペルシャ絨毯は近代のものばかりだった。今回はわたしの好きなものが出ていないが、更紗などもあり、本館展示との落差の大きさが楽しくもある。
とりあえず東灘アートマンズはここで打ち切って、次は建築探訪に切り替わるのだった。

モーリス・ベジャール追悼

昨日、モーリス・ベジャールが亡くなった。
ローザンヌの病院で亡くなったそうだ。そんなにもよくなかったとは思わなかった。しかし愕然となるわけでなく、静かな脱力感がくるのを感じただけだ。
多分、どこかで彼の死を受け入れてしまっているからだろう。
最初にベジャールを知ったのは、クロード・ルルーシュ『愛と哀しみのボレロ』でジョルジュ・ドンがボレロを踊るのを見たからだ・・・と言うところなのだが、実はその少し前にある雑誌でベジャールのことを書いた記事を読んで、名前だけは知っていた。
少し前にディアギレフとバレエ・リュスの記事を挙げたが、そのときと同じ雑誌だったように思う。
名前を何故覚えていたかと言うと、バレエの振付師ということだけでなく、わたしの大好きな映画音楽の大家モーリス・ジャールと名前が似ていたから覚えやすかったのだ。(モーリス・ジャールは『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』『インドへの道』などの作曲家)
しかしながら、モーリス・ベジャールの圧倒的な力を思い知らされたのは、やはり前述の『愛と哀しみのボレロ』でのジョルジュ・ドンの『ボレロ』を見たからだった。あの衝撃は脳髄だけでなく魂にまで刻印を打たれたように思う。
四半世紀経った今でも、ラヴェルのあの曲が掛かるとそれだけで、ボレロの振り付けが脳内のみならず、目の前で再生される。
惜しいことにわたしはジョルジュ・ドンのボレロは映像でしか知らず、専ら東京バレエ団の高岸直樹のそれを目の前で見ただけなのだが。またジョルジュ・ドンは『ニジンスキー、神の道化』で本人を見たものの、それっきり彼の死まで(’92)見る機会を得なかった。映画『そしてわたしはベニスに生まれた』の他にもドキュメントをかなり多く見ていると思う。
東京バレエ団のために『仮名手本忠臣蔵』を振付けたときのドキュメント、日本に来たときの玉三郎とのハグ、『中国の不思議な役人』の完成までの流れ・・・それらの映像をわたしは見ている。
彼の振り付け全てが好きだ、と言うわけにはいかなかった。たとえば『春の祭典』は好きだが、『火の鳥』は嫌いだった。
どちらもイゴール・ストラヴィンスキーの名作だが、『火の鳥』のプロパガンダがいやだったのだ。
『M』もニガテだったが、同時期の『中国の不思議な役人』はよい・・・と言う風に、完璧な信者ではなかった。
有吉京子『ニジンスキー寓話』という名作がある。
連作でつながった見事な作品。そこには一人のダンサーと一人の振付師がいる。
有吉京子の流麗かつ強靭な絵によって、モーリス・ベジャールの振付が再現されていた。
読者であるわたしはダンサーと振付師が誰であるかを想う。その考えは正しい。しかし作品の中での二人の運命までは、現実と混同してはいけないことも、知っていた。
この作品を知ったことで、いよいよモーリス・ベジャールへの信奉は高まり、ジョルジュ・ドンへの偏愛は強まったのだった。
しかし'92のジョルジュ・ドンの死以前、二人がそれぞれの道を歩んだことで、わたしはベジャールバレエから少し遠のいてしまった。実際に見ることをせず、映像で満足してしまったのだ。
そうこうするうちわたしはモダンバレエから歌舞伎、文楽に奔ってしまい、暗黒舞踏にも関心が深まってしまった。
今は劇場に行くこと自体を停止しているが、のめりこむ体質のわたしは特に歌舞伎に深まってしまった。
それでもモーリス・ベジャールの新作をなんとなく待ってもいた。
見に行かずとも、彼が新作を発表するのを楽しみにしていたのだ。
なんとなく遠い目で彼の活躍を眺める・・・それがわたしのスタイルになっていた。
しかしもう、その楽しみは失われてしまった。
モーリス・ベジャールは地球からどこかの星へ去り、そこで新たな振付を始めているのだった。

色々楽しいことがありました。

先日滋賀近代美術館に出かけたが、そのとき楽しいワークショップがあったので参加した。
ベースの絵を選び、その上に好きな絵を重ね貼りする。コラージュとまでは言えないが楽しくてかなり気合が入った。
恥ずかしながらわたしの作ったのはこちら。
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ベースは光琳の白梅図屏風。他にゴッホの星月夜、ブリューゲルのバビロンなどなど・・・
ああ面白かった。出来上がりはラミネート加工される。

この美術館には滋賀県ゆかりの芸術家の作品が多く収蔵されているが、中でも小倉遊亀は特設室があり、本絵のほかに挿絵作品もあった。
『細雪』『少将滋幹の母』どちらも谷崎の作品。
河出書房から出版された分の『細雪』挿絵。雪子や、綴り方をする悦子、ソファにもたれる妙子らの姿がある。
『少将滋幹の母』は時平らの滅亡。敦忠が濡縁から梅を見上げる姿は優しい。
他に小松均の牛がもーもー湧き出したような作品が楽しく、いい感じのものが多い。

ここを出てから京都駅に出て友人と合流し、去年の夏東京で見た『安彦良和原画展』に入った。
詳述はしない。前回で書き尽くした感がある。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-583.html
場所柄観客も多いが、その中でもやはりファンの人が多いので、その分ドキドキするのが伝わってくる。
わたしも友人と台詞のいい愛っこ(ステキな変換だなー)をしてしまった。←ヲタ。
早くガンダムORIGINを揃えるべきなのだが、なかなかしんどい。
大人買いと言うことが出来ない体質なのだ。
生活に劇的変化がないから大人になれないのか?
…ちょっとコワイようなオチがついたところで京都篇は終わり。
次は今夜の大阪。

伊勢物語 雅と恋のかたちを楽しむ

伊勢物語絵。
源氏物語と並んで伊勢物語は、古美術の中でたいへん重要な地位をしめ、かつ愛されている。
泉州の久保惣記念美術館にはすばらしいコレクションがあるというだけでなく、今回全国の美術館・個人コレクションから優品を募って、素晴らしい展覧会を開いている。
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わたしが行った日は関西文化の日で、無料公開の恩恵を受けた。
とにかく行くのが遠い。北摂の人間には2時間仕事なのだが、それでも行く価値は大きい。
和泉中央からバスに揺られてたどりつくまでに長い長い塀が見える。
寺かと思ったら、それが久保惣の敷地を示す塀だったのだ。

そして門前には巨大な駐車場があり、そこも満杯。これは無料公開だけではないなと思ったら、丁度コンサートが始まる時間だった。
美術館でのコンサートと言えば大抵は西洋音楽系なのだが、いきなり邦楽なのにはびっくりした。
ちゃんと鼓も笛も太鼓も謡もいる。金屏風の前に。(金屏風はこういうときに使うものだ)
なかなかいい感じ。
新館でコンサートをしていたのでそちらから廻りだしたが、本館へ廻ることを勧められた。
本館へ行くのにこれが何分かかったか。
とにかく広大な敷地なので、大きな庭園を眺めながら向かうから、時間が意外なくらいかかるかかる。
間にホールまである。
ようやく本館にたどり着いたが、こちらがまたなかなか広い。
狭い大阪とは言え、泉州は大きいのだ。

何から書けばいいのかわからないくらい、多くの『伊勢物語絵』があった。
伊勢物語は「むかしおとこありけり」で始まるエピソードの連作物で、在原業平の遍歴を綴っている。無論それだけではなく、和歌の生まれゆく過程もそこにはあり、平安の人々の優雅な世界が垣間見えるような構成となっている。
これはやはり藤原定家がその編纂を行ったからだろう。
源氏物語はモデルと虚構を絡めているが、伊勢は実在人物が多く現れる、そこが関心の湧くところでもある。
しかしそれにしても改めて作品を眺めると、呆れるほど多くの遍歴がある。
その都度本気だったり機嫌の良いアフェアだったりするのだろうが、マメオくんなのには感心する。
しかしそのマメオ君もたまにポカをする。ポカやイヤミもあり、それがまた物語になる。

鎌倉時代の絵画の多くはここの所蔵品だが、江戸時代の工芸品にも見応えがある。
大和文華館、宮内庁三の丸尚蔵館、出光美術館、サントリー美術館などから名品がこれほど集まると、ただただ壮観。
目録を数えると、40近い団体からの出品である。個人はどれだけかわからないが。

俵屋宗達の伊勢物語色紙シリーズがある。『芥川』で女をおんぶする図は大和文華館の自慢の名品だが、それ以外の作品を見ていなかったので嬉しい。
主に個人蔵なので表装にもそれぞれこだわりがある。それを見るのも楽しい。
メモをつけていると知らない奥さんから質問が来たので、わかる範囲のことは話す。どういうわけかよく人に色んなことを訊かれる。
まごつかずに話すから、他の人も訊いて来る。それはそれで楽しくもある。

伊勢物語と言えば『筒井筒』『河内越え』『八つ橋』『武蔵野』『布引の滝』などがすぐに思い浮かぶが、『恋せじの禊』を見たのは初めてだった。
禊なので水べりに座して、白い御幣のようなものをひらひらさせている。ちゃんと拝んでも理性より欲望が強い。
結局破滅している。(しかし一旦都落ちすれば、復帰できるシステムが幕末まで続いていた。貴人だけでなく博徒に至るまで)

『蔦の細道』をモティーフにした工芸品などが眼を惹いた。硯道具、提重、目抜きなど。
モティーフは伊勢物語、技法は様々。それが楽しい。
江戸時代の写本に芥川があった。
女をおんぶして野っ原のあばら家に逃れるが、女は鬼にバリバリ喰われてしまう。
実のところこの事件は男の負け惜しみで、女はその兄に連れ戻されたのだった。
西洋には男が女を負う図はないように思う。
日本の男は女を負わねばならない。時には女の正体が鬼のこともあるが。

岩佐又兵衛の業平がいくつか。これは数年前の回顧展でも見ていた。
別れた女を久しぶりに訪ねると、女はその日別な男と結婚しようとしている。
男は去るが、女は彼を追ってとうとう血の涙を流して死んでゆく。
酷い話だ。

ここには出ていないが、著名な佐竹本三十六歌仙図の(在五の中将)在原朝臣業平の肖像は、湯木美術館にある。

惹かれた作品は多いが、中でもサントリー所蔵の貼り交ぜ屏風がたいへん良かった。
元の屏風は朝顔図で、その上に色紙をぺたぺた。こういうのも楽しいものだ。
今回は特別展なので各地からのコレクションをお借りしての展覧会だが、12月からは所蔵の源氏絵の展示が始まる。
源氏物語はフランスのサロン小説と共通する部分が多いので、こちらは向うの国でも読まれるだろうが、伊勢物語はどうだろう。
同じか…どちらも上流階級のラブアフェアを描いている。

行くのに苦労したが帰りはもっと苦労した。
バスの時間にはくれぐれも注意しなくてはならない。
駅前の天牛書店の古書コーナーにはミッシェル・トゥルニエ『魔王』があったが、惜しくも先客のものになった。くやしい…

大阪市内に戻ったのは既に四時前。ここから大和文華館に向かうことはちょっとやめて、大丸で遅めのティータイムを楽しんだ。
北摂の北端から泉州までは、やはり物理的な時間に多くを割かれてしまうのだった。
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塩川文麟とその周辺

今月初めの予定に「スルット関西3daysチケット」をフル活用するぞと宣言していた。
既に11/3、11/10と来てラストは11/18.
この日のコンセプトは「北摂の北端から泉州の南端」物理的距離を埋めながら、幾つの楽しみが生まれるか。
確定的な目的地は二つ。
能勢電鉄・一の鳥居にある大阪青山歴史文学博物館と和泉中央から南海バスで行く久保惣記念美術館。
どちらもこの日は関西文化の日の催しで展覧会は入場無料である。
(行かずにおれるか)
と言うわけで、最初に大阪青山歴史文学博物館へ出向いた。

川西能勢口駅からそのまま能勢電に乗り換え。改札がなくなったのをすっかり忘れていた。
北摂の人々の遠足・栗拾い・バーベキューなどの目的地としても愛されている能勢。
今では家が多く建て込んでいるが、一の鳥居はまだまだのどか。
いきなりお城。IMGP2841.jpg

これが実は青短の歴博なんですよ。
石垣にもなにやら刻まれているし、中腹にはこんな銅像まであるし。
…信長と蘭丸と光秀なのかぁ?
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因みに天守閣からは能勢一望。遠く大阪は…見えない。
寒い、大変寒い。(木枯らし1号発生)
天守閣とその下の階では桃山時代の天守の様子を再現していて、狩野派な絵が大々的に。
天井も折上格天井で、花の絵が格子ごとに。
それと高松宮ご下賜の棚など。
特別展としては「塩川文麟とその周辺 四条派の絵画」
幕末から明治を代表する画家の一人に、塩川文麟(1808?1877)がいます。池田に関わりの深い呉春から始まる四条派の後継者として、京都御所の障壁画を描くなど主に京都で活躍しますが、川西にもゆかりがあり、当館では多くの作品を所蔵しています。
 この展覧会では、個人所蔵の作品も含め、文麟を中心に、師の岡本豊彦、さらには弟子の幸野楳嶺、竹内栖鳳など、当時の四条派の画家達の作品を展示します。近代日本画の幕開けを感じていただければ幸いです。

阪急電車で言うと、池田の次が川西で、真っ直ぐ行けば宝塚だが、途中で能勢電鉄に乗り換えたら多田満仲ゆかりの多田や妙見信仰の妙見山へ向かうことになる。
塩川文麟は温和な画風の人で、いかにも座敷にふさわしいよい絵が多い。
日本画は言えば3つの潮流があると思う。
座敷にかけるもの・手にとって楽しむもの・会場芸術用。
わたしは前者二つが好きだ。
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秋の展覧会なので秋の絵が多い。
金屏風の『猩々図』 わたしが見たのは右隻。赤毛の猩々たちが瓶の周りで機嫌よく酒を飲んでいる。謡曲そのままの図。だから着物も錦秋を縫い取ったような柄物である。
「薬の名をも菊の水。盃も浮かみ出でて友に逢うぞ嬉しきこの友に逢うぞ嬉しき御酒と聞く」

『清水寺・宇治平等院図』 一つの軸に異なる空間と時間を描いている。上に清水の桜、下に雪の平等院。清水の桜は芝居の外題にもなり、観光案内にも上位で登場するが、雪の平等院の魅力は知らない。
静かな絵で、喧騒はどこにもない。

『高雄紅葉図』 三尾は素晴らしいそうだが、実は行ったことがない。手抜かりと言うかなんというか。それで描かれた情景ばかり見ているから、現実に行くのがますます遅れるのだ。


『猛虎図(扇面)』 金地にウォーなトラ。ちょっとカッコイイ。表装は竹。やっぱり猫の親分はカッコイイ。

モノスゴイ図があった。『四時菜魚群集図』 タイがぐねっている。その周囲にヒラメ、柿、栗、大根、椎茸、なんか他に色々魚…これはすごい構図。どう凄いかと言うとタイのポーズが「おおっ」。文麟はなかなかグルメだったそうな。
描かれた野菜や魚介には産地偽装の疑いもなく、ストレートにいいものはいい。

面白いのは『夢意白狐曳車図』 ねじり鉢巻にはっぴ姿の狐が懸命に大八車を引いている。その車には大きな白い袋が積まれているが、その袋には大小さまざまな「文麟」の印章がベタベタッと押されている。これは戯画ではあるが、いい気分な絵。


幸野楳嶺『鹿図』 賢そうな白鹿。立派な角を持っているがまだまだ若い感じ。輪郭がステキな顔立ち。美少年な鹿。凛々しい♪それがこちらを見ているから、ちょっとどきどきする。

竹内栖鳳『海老図』 軸の表装がこれまた海老に合わせた色で、隣の『竹図』が緑色の表装なのと好対照。こういうセンスが好きだ。この海老はさすが料理屋の息子だけある、と言う活海老。ちょっと遠目には某かっぱえびせん風だが、すごくいい感じ。

松村景文『草花冷虫之図』 青いキキョウ、青い女郎花、青い露草。あおあおとした草花に、小さなシジミチョウと鈴虫がいる。
それだけでしみじみとした味わいがある。

柴田是真『画帖』 いかにも是真らしい絵を集めたものだと思った。浴衣を干す竿に雀、籠入れの紫陽花に慈姑、蓮根・蛤・蝸牛この取り合わせ、シャープな線で描かれていた。

今回の展覧会はしが近代美術館の学芸員さんの協力があってのことらしいが、この展覧会を見た前日には、その滋賀で『天体と宇宙の美学』を見て、常設展にも入っている。
そこにも少しばかり文麟があったようだが、それよりも山元春挙のさわやかな山の絵に惹かれている。気分はハイジだったのだ。


かなり楽しんでから能勢電―阪急―地下鉄―南海(泉北高速鉄道と乗り入れ)―南海バスを乗り継いで、泉州の久保惣に向かった。
これは言えば、三鷹住まいの人が八王子に行き、そこから葛飾区に行くくらいの感覚なのだった。

トプカプ宮殿の至宝

既に東京で好評のうちに展覧の終わったトプカプ宮殿の宝物が京都に来ている。
こちらも連日大好評で、皆さん機嫌よく出向かれている。
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数年前からオスマントルコ帝国の文物が日本によく来る。
そのたびに出かけては「きれいやわー」と感嘆の声をあげ、行きたい気持ちがつのる。
今回もその例に漏れない。

イスラーム圏だからコーランのための装飾品がある一方で、偶像崇拝禁止の観点から、チェスも人物像ではない。
ターバンを抑える宝飾も見事で、これが今回関西のあちこちにアド・カードとして配布されていた。驚くほど巨大なカラットのエメラルド…そしてその周辺のダイヤとルビーと…実物大のエメラルドの写真がすごい。

トルコ政府からのご好意で、王子のゆりかごも展示されていたが、これがまた素晴らしいものだった。会場内で貰った新聞の号外記事にその写真が大きく掲載されているが、写真だけ見たときはいくら大きくてもおもちゃのようにも思えたが、実物を見てギョッ。…立派やわ??
びっくりいたしました。

イスラーム文化のみならず、東西文明の十字路ということから、輝くばかりの美意識の顕現を目の当たりにする。
モザイクがその象徴かもしれない。

また中国陶器の名品を加工して、金細工をつけてポットなどにしているのにも感心した。
金接ぎとはまた異なる発想で、文化の違いを大きく感じる一方、とても興味深かった。

ハーレムの文化も見過ごせない。
底の高いサンダルを見て、近年のブームを思う一方で、江戸の花魁・ローマのコルティジャーナ・オネスタの履物を思った。


水晶に金と石とを飾りつけた薔薇水入れも見事だ。香水文化の結実。
ところでここの出品リストは二種類あり、薔薇の香つきと無香料のものとがあった。
更に展示室の奥の方には薔薇のフレグランスが漂い続ける一角があった。
薔薇の香水はブルガリアだけのものではないのだ。
しかしどういうわけか、不意に薔薇アレルギーの女の映画を思い出す。(整形美女の復讐)
夢も希望もなくなるな。
イスラームの閉ざされた庭園(=パラダイス)ではどのように優美な時間が流れていたのだろう。

細密画の美女も優美に微笑んでいる。
平和なイスラーム文化の中では、時間は意味を持たなくなり、優雅で温厚な幸せが続くような気がする。

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展覧会は12/2まで。その後は名古屋へ行く。

民博一周世界旅行

民博一周世界旅行
’80.11.7、わたしが初めて民博を楽しんだ日。
‘77に開設された国立民族学博物館(通称・民博)が開館30周年を迎えた。
大阪万博の跡地に作られた博物館は文化人類学の宝庫なのである。
わたしは万博を知らない世代なので、この地に来ても特にどうと言う感慨もないのだが、それでもこの大きさを思うと当時の人々の期待と熱気などを感じたりするのだ。
しかしこの万博公園の構造は実はまずいと思う。たいへん歩きにくいというか、合理的ではないと言うか、どうも色々含むところが生じる。
それでもこの民博にくると、それまでの腹立ちとか不条理感が消えるから、本当に凄いところだ。
先日亡くなった黒川紀章氏の名作。
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この建物の構造は、博物館に収蔵されている宝物たちにとって、最大に居心地の良い場所だと、わたしは確信している。
以降、全て画像はクリックしてください。
正面階段からの中庭風景。IMGP2825.jpg

中庭はパティオであり公開場所でもある。
なんとなくこの情景はイスラームの『閉じられた庭園』=パラダイス、インド細密画の楽しそうな庭園、そんなものを思わせる。静謐で和やかな情景。古楽器の静かな音色が明るく静かに響いてくるようだ。

そこから階段を上りきると、ビデオコーナーがある。この映像コーナーは今も進化を遂げ続けているが、20年以前は本当に最先端技術を体感している、と言う想いが強かった。今はビデオテークを見ることはどこであろうと避けているが、ここのボックスは見るだけで嬉しくなる。
常設展の最初に現れるのはオセアニアの舟と精霊小屋である。
わたしはここでオセアニア文化に衝撃を受けた。
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そして同時期に諸星大二郎『マッドメン』を知ったことでいよいよオセアニアに深い関心が湧き立った。数々の仮面を見るといよいよ動悸も高まる、独り言も多くなる。
「あああ、オンゴロの仮面だ?コドワだ?」
刺青文化にも憧れがあるので、苦しいくらいだ。
今回、特別展が『オセアニア大航海展:ヴァカ モアナ、海の人類大移動』といってこちらとリンクしているから、一層深く楽しめた。特別展には小さなアストロドームが設けられ、それがプラネタリウムとして南洋の星々を映し出していた。
そこでは機械彫りの刺青の実況映像も流されていたが、この刺青文化と言うものも調べれば調べるほど、奥が深いのだった。
日本のそれは、松田修『日本刺青史』または『刺青・性・死』に詳しい。
どちらもどうにもならないほどわたしの偏愛の書である。
いつまでもこのオセアニアの地域に埋没していたいのだが、そうもいかない。次に廻るように道は作られている。
オセアニアへの憧れは、灰谷健次郎『我利馬の船出』でいよいよ強固になったが、実際のわたしはニュージーランドに行ったくらいなのだ。
いつかミクロネシア、ポリネシアの島々を訪れてみたいが、多分わたしはそこへは行くこともなく、この空間だけで憧れを拡大させるに留まるだろう…

南米の文明と文化にもときめいた。
今丁度神戸ではマヤ・インカ・アステカ文明展が開催されているが、しばらくはそちらへの関心が薄れているのを感じる。その一方で、この場に立つとトキメキが深くなる。
高階良子の描いた南米を舞台にした作品群…
そしてヘルツォーク『アギーレ神の怒り』『フィッツカラルド』の映像…

やがてアフリカへつく。
アフリカの不可思議さを考えれば迷路にはまり込むようだ。
謎としか言いようがない。ここに並ぶ展示物を見ていても、やはり不思議で仕方がなく、なにがどう不思議に思うのかも、実のところ説明できないのだった。
やはりヘルツォーク『コブラ・ヴェルデ』(ブルース・チャトウィン原作・『ウィダの提督』)そしてカメラマン・アーヴィング=ペンの『ダオメー』の映像が強烈に思い浮かび、それらが一層この不可思議さを構築するのだった。

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吉田拓郎はアジアの片隅・日本で生きることを情念をこめて歌ったが、ここへ来るとアジアの広大さに、新鮮な発見を見出す。
東アジア、南アジア、東南アジア、中央アジア…全て異なる文化が生きている。
巨大な葬送山車、ポップでキッチュなリキシャ、中華思想、両班の生活様式、文明の十字路。
北方民族の狩猟具を見る。ここにはその働く民具しか展示されていない。彼らの歌も娯楽も見えない。それが残念だ。伊福部昭は北方民族に伝わる伝統音楽をモチーフにした組曲を発表しているが、それらはどの国の音楽とも離れた、そのくせとても優しく柔らかな音曲だった。

音楽と言葉もまた、独自の発展を遂げているため、展示も独立している。
ここには百万陀羅尼、ロゼッタ・ストーン、キープ文字などのレプリカがある。
そして楽器も多く展示され、近づくとそれらの音色が流れる
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日本の民俗展示も多い。これらが拡大したのが佐倉の国立歴史民俗博物館か、という理解を以前は持っていた。わたしはあの歴博もとても好きだが、行くのに気合が必要なのだった。
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やがて世界一周ツアーも終わる。つい先日、30周年記念のイベントがあったようだが、わたしの行った日はカウントダウンの最中だった。
近い割には遠い場所。また楽しみたいと思っている。
わたしの原点の場所なのだから。

天体と宇宙の美学

天体と宇宙の美学 と聞いたとき、わたしの脳裏にはある作家のイメージが浮かんだ。
一人は<宇宙建築師ブルーノ・タウト>、もう一人は鉛筆の画家・建石修志。
そして言葉が浮かぶ。
「このからだ そらのみぢんにちらばれ」
宮沢賢治『春と修羅』の50節目。
わたしにとって『天体と宇宙の美学』とは彼ら三人の作品なのだった。

滋賀近代美術館では明日までその名の展覧会が開催されている。
瀬田からバスに乗るので家からは2時間かかる。それでも出かけた。
チラシにはわたしの挙げた人々の名はないが、それでも惹かれるものがそこにある。
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最初にデューラーの木版画がある。
『ヨハネ黙示録』より『太陽の女と七つの頭を持つ龍』
これば第12章「一人の女が太陽を纏い、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠を戴く・・・」それを描いたもの。煌く星々を頭上に戴いた女を見ていると、五百年の時間よりもっと遠い時間を感じ始める。七つ頭の悪龍毒蛇よりもこの女の方が静かに怖い。
デューラーかブレイクでないとこのイメージは描ききれないような気がした。

ギュスターヴ・ドレ『ダンテ 地獄篇』より三つの情景が描かれている。
ウェルギリウスとダンテ(日暮れ) もう日暮れではなく夜の情景に変わっている。三日月と星が出ている。その下に二人がいる。
地獄から現れた詩人たち 崖上に立ち、星を指し示す詩人たちがいる。『神曲』を読んだのは中学生のころなので、理解度が低かったが、今もう一度読みたくなった。
煉獄と言う言葉を知ったのもダンテからだった。

バーン=ジョーンズ『フラワーブック』より
『黄金の門』 光を放つ球体を持つ天使たち。バーン=ジョーンズの天使たちは皆大人の姿をしている。わたしはこのシリーズをまとめたタッシェンの画集を所持している。リトグラフとは言え実際に見ることが出来て嬉しい。
『ヴィーナスの手鏡』 満月を向こうに見る露わな背を見せる女神。爪先は湖に浸っているが、宙に坐している。白い鳩達が彼女を取り巻く。月を手鏡に見立てるのは美神だけに許された特権かもしれない。

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高島野十郎『林辺太陽』 昨年だったか、三鷹での回顧展で多くの観客の心に不可思議な印象を刻んだ高島野十郎の作品が二枚出ていた。どちらも東大医科学研究所の所蔵で、どちらもやはり不可思議な作品に見える。東大医科学研究所と言う機関がなにをどう研究するのかは知らないが、その機関にこれらの作品が収められていること自体に、わたしはなんとなく高島の静謐な不気味さを感じ取ってしまう。終末、と言う言葉を思い起こすような太陽の色が、林の中にあった。

山口薫『金環蝕の若駒』『若い月の踊り』 これらは共に'68年の作品で、対のような味わいがある。
緑色の金環触の下に数頭の赤い馬が佇む。蝕まれた月の死と再生の後、馬たちは喜んで生の踊りを披露するようだった。

柄澤斎『日蝕の予兆 或は月と太陽の婚姻』 井戸組のような方位計の上に天使が向かい合って立つ。それぞれが差し出すのは月と太陽。天体の媾いが日蝕と言う現象なのを、面白く思った。

『死と変容』 流星群の中、大きな羽を抱え(或は包み込まれ)、幼子は目を閉ざしたままどこへ向かおうとするのか。天使だったならば、それは捥がれた羽なのか。
この作品がギャルリー宮脇所蔵だと言うことに、ときめいている。

コーネルの宇宙はやはり箱の中にある。箱の外には何も存在しない、無の空間が広がる。たぶん、永遠に。

谷中安規の版画がいくつか。彼の月は満月ばかりだった。奇妙な町、奇妙な空間、奇妙な人々。
しかし月は円く全てを照らし出している。

数年前、伊丹市美術館で深沢幸雄の回顧展を見た。
私にしては珍しく現代の人の作品を観た。
メタリックゴールドと渋い色調との調和に惹かれた。
メゾチントとアクアチントで作られた作品。『月光劇場』というタイトルそのものが愛しい。

駒井哲郎『月の兎』 わたしはこの作品を「ほー顔のウサギ」と人に説明する。ウサギが感心して「ほー」と感嘆の声をあげる顔。それがこの作品だとわたしは思っている。

田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎。『月映』を本来のわたしなら一番に挙げるべきなのだが、今日は静かに眺めるのみだった。

彼らと同じ時代に長谷川潔は、日夏耿之介のためにときめくようなエッチング作品を生み出している。
女の横顔、その頭上の周囲をめぐるゾディアック。カプリコーンとピスケスが見える。
ふと思い出したが、シュールなギャグマンガを多く描いた杉浦茂は、不意に脈絡もなく宇宙や天体を描き、そこにキャラクターたちと共に自分の好きな女優の肖像をコラージュしていた。
彼の作品もまた、この展覧会の範疇に入るように思う。


クレー『ベヨッテの街を照らす満月』 白線で描かれた街は背景に呑み込まれはしないが、浸食されている。骨だけが残ったようにも見える。街はそれでも生きているが、生命は最初からなかったようだ。

現代芸術に関心が向かないくせに、こうしたコンセプトでなら、何故わたしは熱心にみつめてしまうのだろう。今、柄澤斎の作品をもっと知りたいと思っている。

奈良絵本の美

過日、素晴らしいコレクションを秘かに見る機会に恵まれた。
奈良絵本と絵巻などである。
お誘いをいただいたので、友人と二人でお邪魔した。
漫画家の近藤ようこ氏や花輪和一氏の作品世界を知る方なら、どういったものか想像がつくと思う。

手袋を嵌めた手で金銀の鏤められた美しい頁を手繰る。
撮影も許されたので撮影したが、どうもわたしの技術では追いつくことが出来ない。
スライドショーの機能はfc2ではちょっとタグを組み込むのにわたしでは難しい。
とにかくこの素晴らしい世界を少しでも伝えたいと思う。
奈良絵本の内容は基本的に御伽草子や今昔物語、伊勢・源氏の抜書きなどである。
室町時代から江戸初期頃まで、武家や公家、商人のうちでも裕福な人々が大切にしてきた絵本である。
絢爛な挿絵と仮名の多い読み文とで構成されている。
代表的な作品や時代背景・状況などについてはこちらが詳しい。
http://dbs.humi.keio.ac.jp/naraehon/about/index.html

名画の理由・後期

大阪の出光ビルの13階に大阪市立近代美術館(仮)がある。
元の出光美術館の跡地に間借りしているが、はっきり言うとここで永住してくれるほうがいい。
『名画の理由・後期』を見に行く。
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前期はこちら
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-936.html
後期は前田藤四郎の版画、吉原治良の洋画などである。
わたしはどうも抽象的概念を具象化したものが苦手で、理解から遠い地にいる。
それでもやっぱり見ておこうと思った。
前田の版画は以前に回顧展で感銘を受けている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-403.html
『標本採集』 蝶の標本(腸の標本と変換されたが、それでは高橋葉介だ)がある。
巨大な手が空を覆いながら虫を箱に刺し貫く。構図の奇抜さと手の不気味さにハッとなる。

『屋上運動』 これも以前に見ている。バレーか何かで楽しむ人々。船場ビルディングの屋上。ここは今では英国式庭園になっている。

吉原『犬と花』 白犬が可愛い。わたしは吉原のこうした作品は好きなのだが、円を描いたものなどは全く関心がない。
だから随分以前だが、芦屋市美術博物館で吉原の描いた子供のための作品群や、ロシア絵本に影響を受けて吉原が作った絵本『水族館』などには愛着がわく。
これは別に子供のために描かれたものではないのだろうが、犬と背景の事物との位置関係がいい感じだ。
吉原治良の前衛性についての研究や展覧会は多かったろうが、一度こちら方面の作品を味わうのも大切だと思う。
吉原の思想は後期の前衛作品に向いていたろうが、彼の描いた童画は多くの子供たちを喜ばせ、今の我々が見ても幸せな気分を感じるのだ。
一度くらいそんな展覧会があっても良いだろう。

靉光『アネモネ』 青い葉と薄汚れたような背景と。戦時中の暗い世相の中で描かれている。わたしは靉光も苦手なので他の作品と言えば藝大の自画像くらいしか見ていないが、やっぱり苦手は苦手なままである。アネモネの花を描きながら、本当は彼は何を描こうとしていたのだろうか。
アネモネの名を見ると村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』を思い出す。あの小説はわたしにとって’80年代初期最大の衝撃作の一つだった。

『鳥』 これまたどうにもならないほど暗い作品である。悪いがサヨナラと言う気持ちで通り過ぎたいが、そうもいかない。
鳥に仮託した心情や思想を読み取らねばならないのだから、正直厄介だ。そうか、わたしが抽象とか前衛作品が苦手なのは、書き手の感情を忖度するのが煩わしいからか。読み取っても、あらわにされた感情を押し寄せられては、わたしにはどうしようもない。

河原温『肉屋の女房』 これは太い線にギザギザの棘が走り続けていて、それで構成されている。線にそんな有刺鉄線を選ぶくらいだから、描く内容も普通のものではない。肉屋の女房が作業所に突っ立っている。顔半分とエプロンに血がついている。床や棚には生首や腕など、人体のパーツがコロコロ。
はっはっはっ、笑うのは憚られるが笑いたくなる。それは多分、この屠殺人も生首たちも、みんなマネキンのように描かれているからだろう。
これに感情が混じれば、絵金や芳年になるが、ここにはそんなものはない。
情念のなさ、それがとてもモダンでもある。
そして作者はこの絵を’52年、19歳で描いている。

やはりわたしとしては前期が楽しめる内容だった。


『吹田を知る』関大博物館

本日、急遽関西大学博物館へ走った。文字通り「走った」・・・自転車で。
10時から夕方4時までなので、ランチ時間に行くしかない。
OLは忙しい。
『吹田を知る』言えば六つの共同展示。17日まで。
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関大前まではしばしば走っていたが、昼間に行くのは久しぶりなので気合が入り、自転車も肺も両足もたいへん酷使した。おかげで早く構内に着いたが、肝心の博物館の場所がわからない。
簡文館と言うその建物は今年登録文化財になったが、それを見るのも目的の一つだ。
ビラ配りの三人組に尋ねると、三人のうち二人は「知らないです」一人だけ「もしかして・・・真っ直ぐ行って右のかな」・・・ありがとう、キミタチ。
真っ直ぐ行って右に確かにありました。
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入り口の上P2831.jpg

村野藤吾の名作。タイルが素敵だ。
中もいい感じ。
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室ごとに飾りが違う。
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可愛いので嬉しい。P2837.jpg

階段もいいし、天井もいい。右の螺旋は綿業会館のそれを髣髴と。
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村野の合理性と装飾性がとてもいい具合。常設室には古代からの遺物が展示されている。
きぬがさ型埴輪もある。ハンドアックス、石器など。ここら辺は関大も阪大も京大も東大も変わりがない。出土地が違うくらいだ。
そう言えば玄関入ってすぐには藤ノ木古墳から出土した赤塗りの石棺の復元品があった。
わたしはここ十年くらい石棺が怖くて仕方ない。
さて目的の展覧会は2階で開催中、こちらは学生も一般人も多くいて、皆さん楽しんだり学んだりしている。先にあげたチラシのそれぞれの内容について軽く書いてゆく。

<吹田建築博覧会-街角がパビリオン->
去年元庄屋の邸にお邪魔して、素晴らしい建物を堪能した。(しかしカンチガイしているガイドの話を聞くのが耐え切れず、二度と行く気はないが)ここにもその写真や家具が展示されていた。
それからハリストス教会のイコンの写真と模型、ここは再建した建物だが、そのイコンは百年の命を保っている。他にメイシアター、図書館、民博、この関大などの設計図その他が展示されている。
中西家と言う文政年間に建てられたお屋敷も素敵だ。これはもうすぐ一般公開されるそうなので、行こうと思う。

<千里山大正ロマン>
郊外に自宅を構えるサラリーマン層が誕生したような時代を研究しているので、とにかく嬉しいのがこの展示だった。
元々関大のある千里山の地には『千里山遊園』があり、菊人形などが開催されていた。
これは昔、会社の当時の部長から聞いた話で、枚方の菊人形と並んで有名だったそうだ。そして竹やぶが多かったので大いにタケノコを食べた話など。うちの母に聞くとやはり同じようなことを言った。
今ではもう知られていない話になった。
この関大のある線は阪急千里線と大阪市営地下鉄動物前線が乗り入れしているので、当時北浜にあった三越にお買い物に出かける人々が多かったようだ。
昭和初期の話だから堺筋はとても繁華だったのだ。
そうした写真資料を見ると、本当に大大阪の時代が髣髴とされる。

<吹田の学校-こどもたちの現在・むかし->
昔の教科書などが並んでいる。京都学校歴史博物館などで見るのとほぼ同じような感じ。
今の学校のことは聞くだけで寒気がするので、何も聞かずにいる。

<吹田の祭り-甦るドンジ->
これは民俗学的にはたいへん興味深い内容の祭りで、秋の祭りだから農村部でのマツリごとである。豊作を祈りつつ、しかし夜中に棺のような長持にお供えを入れて行き、お餅も七両二分の形に拵えているのが、なんとも言えず意味深である。かつては人身御供とも恐れられた様子があるそうだが、これらは検証することは不可能だろう。豊作を祈願するのにもさまざまな手法があるものだ。

<吹田ゆかりの美術-文化人たちの交流->
先の庄屋屋敷で使われた襖絵などは狩野山雪、上田耕冲らが描いたようだ。大坂の知の巨人・木村蒹葭堂とも交流のあった絵師らの作品があった。これらは大坂四条派に分類される。
また近代では牧野富太郎との交流から、それらの作品もある。
実際去年訪ねた際、牧野博士の使ったプール跡を見ている。

<マロニー吹田展>
中村玉緒さんが♪マロニーちゃん と明るく歌うCMがある。溶けない春雨。それがマロニーだ。
吹田市には意外なほど企業が多い。このマロニーのほかにも、千日の厚焼き、ラッパのマークの正露丸(大幸薬品)、エビヲスのアサヒビールなどなど・・・
わたしはクズキリの方が好きなのだが、マロニーは手軽で、アウトドアで鍋にするときには、とても重宝している。

『吹田を知る』 ほんと、知った気分だ。意外なほど楽しく、そしてかなり掘り下げての展示だった。
たった数日間の展覧会だが、ランチ時間に走り抜いた甲斐のある展覧会だった。






椿の本陣 見学

大阪の茨木市には西国街道が通っているから、当然ながら本陣がある。
高槻の芥川、茨木の郡山、箕面の瀬川、伊丹の昆陽が本陣のある宿場で、大名行列はそのどこかに宿泊した。
茨木の郡山の本陣には見事な椿があるので、通称椿の本陣。
今、秋の一般公開をしているので出かけた。

出かけるにしても場所をよく把握していないので阪急バスの路線図を見ると、石橋から茨木がつながっていて、バスも頻発している。
そういえば学生の頃、茨木方面の生徒はみんなバスで来ていたな。
バスが走る。母校の前には▲▲全国制覇V●達成と横断幕があるが、えらいものだ。OGとしては寄付くらいせんならんが、していない。

宿川原というバス停で下車してとことこと住宅街に入り込むと、ありました。すばらしいです。以下全てクリックしてください。
左へIMGP2723.jpg 右へIMGP2725.jpg

視線を変えて眺めると、それぞれ楽しみが見つかる。
こちらは由来。お読みください。IMGP2726.jpg

・・・というわけで、(なにがや?!)たいへん由緒正しいのです。

素敵な門。IMGP2727.jpg

因みに紋所は九曜紋。細川家と一緒だな。

大石内蔵助も泊まっている。彼の書いた俳句もある。
こえととも つるはかすみに 入りにけり
仮名手本忠臣蔵の勘平のモデル・萱野三平の屋敷はこのバス路線上にある。
高校生の頃見学に入った。

大名たちの関札と火縄銃。IMGP2744.jpg

関札はまだまだたくさんある。
勘亭流ではないが、昔の文字は見るだけで楽しい。

入ってすぐに。IMGP2729.jpg

こちらは大名たちの休憩のお部屋で、上段の間。IMGP2732.jpg

ここには大名時計もあった。谷中にその博物館があるが、全く同じもの。
そのそばの欄間は波打ちの様子。IMGP2733.jpg


本当に大変だ。資料を見て説明を聞くと、大名家の用人の苦労もよくわかる。今と違いネット予約のお宿というわけにはいかんのだ。
時にはお断りもあり、それを無礼と怒ることもできない。
A藩が先に予約してたらB藩はごり押しできない。
武士は相身互いだから。

本陣全体の模型もある。IMGP2751.jpg

ところで本陣と聞くだけで横溝正史の『本陣殺人事件』を思い起こしてしまうのだが、こちらもあの作品同様、とても由緒正しい家系なのだった。今の御当主も気さくに説明をされていた。

お庭も素敵だが、秋なので椿はない。

たまにはこうした歴史街道を行く、みたいなツアーも楽しいものです。
再びバスに乗り、JR茨木まで出て今度は近鉄バスに乗り換えて、万博に向かった。民博に行くのだが日本庭園前から入るのは初めて。
こちらは紅葉がだいぶ進んでいた。
ふと見ると・・・あれあれ?IMGP2754.jpg

お分かりですか、皆さん。そうです、大体イベント時期になると突如現れるのです。タローちゃん。
本物の背中はこちら。IMGP2756.jpg


それを観ながら民博に出かけたけれど、詳細は後日又。
出かけた日は母の誕生日だったので、この後かに食べに行きました。

江戸の狩野派展

大和文華館で『大倉集古館所蔵 江戸の狩野派?武家の典雅?』展が開催されていた。今現在大和文華館の所蔵品が各地に出かけている最中なのだが、こういう催しはとてもよいことだと思う。
数年前、本家本元の大倉で江戸の狩野派展を見ているが、奈良の地で再会するのも楽しいことだ。
京都では初期狩野派の雄・永徳の大々的な回顧展が開催されているから、タイミングもよかっただろう。(ただしこちらは探幽が多い)
後期展を見た。
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芦鷺図屏風 六曲一隻 たくさんの鷺がいて、それぞれが思い思いの場所にいて好きなことをしている。乱雑さはなく、静かな情景なのは鷺だからかもしれない。こちらへ向かって飛んでくる鷺もいる。抱一も描いていたが、この角度・構図は日本画では表現しにくいように思う。

酒飯論絵巻断簡 対幅  これは以前から好きな内容で、酒飲みvsスゥィーツ好きがそれぞれの長所を語る。(優劣を競うほどではないが)
それがなかなか面白いのだ。
しかしこの絵を見るといつも思い出すのが、山口瞳『酒飲みの自己弁護』というエッセーなのだった。

鵜飼図屏風 六曲一双 狩野探幽  これがなんだか楽しい絵なのだ。「おもしろうて やがてかなしき うかいかな」この俳句を忘れるようなにぎやかさで、鵜の方も「働くぞ?」な気合に満ちている。鵜匠もゆとりがある。以前インタビューで「鵜は鵜匠の弟だ」と語る人があったが、そんな感じがする。水に潜む鵜は水色で薄く描かれ、舟の上の鵜は黒く描かれる。
川合玉堂も鵜飼図を多く描いたが、そこにも人と動物との協働が描かれていた。

瀟湘八景図 一幅 狩野探幽  近江八景といえばすぐに浮かぶのはわたしが関西人だから、と言うだけではないだろう。日本は古来から外からの貰い物を上手に自分たちの嗜好に合わせる。
こちらは元ネタつまり本歌のほうだが、一図に全てが描き込まれていた。
意識に残るのは、月のぼんやりした明るさである。洞庭秋月、それが目の前にある。

文殊雲竜竹虎図 三幅対 狩野探幽  中・右・左の順のタイトルで、稚児文殊は優美な少年として描かれている。手に折り帖の般若経を持っている。虎は竹に身をこすり付けている。なんとなくみんな可愛い。

松鶴柳猿図屏風 六曲一双 狩野探幽  まん丸顔の中国の猿。これはこれで可愛い。

松琴紅葉琵琶横笛図 対幅 狩野常信  これは留守絵のようにも見えるもので、無人で、そのくせ人の姿を思わせる配置の作品である。松下に琴、紅葉の下に琵琶と横笛。この寄せを見ると芝居の「源平布引滝」を思い出す。音羽山の段・松波琵琶の段・紅葉山の段・・・今丁度国立文楽劇場で上演中。わたしは以前竹本伊達大夫で聞いたが、なんとも言えず良かったことを今でもすぐに思い出す。

源氏物語図屏風 六曲一双 狩野(神山)養竹 色んなシーンを屏風の上に展開させているので、楽しみも広い。ちょっとオヨヨなのが女三ノ宮のシーン。猫が勝手に外へ出るから、女三宮の姿が柏木の目と意識に入り込むのだが、ここでは猫が別な猫に誘われて外へ出る情景になっていた。
男と女が出逢う最初の場に、猫の恋まで描かれている。ちょっと楽しかった。

伊勢物語蔦之細道隅田川図 対幅 狩野洞春  秋らしく蔦の紅葉が綺麗だと思う。隅田川もいい。自分の知る場所の絵を見ると、行ってみたくなるものだ。

通円茶摘茶選図 三幅対 狩野伊川院 三幅対で、左右はおなごらが茶を摘んだり揉んだりしていて、真ん中の通園は狂言の主らしく妙に踊っている。

山水図屏風 六曲一隻 橋本雅邦  狩野派の末裔の一人だと言うことを改めて思い起こしながら眺めると、「教育」の大事さをしみじみ実感する。奔放で個性豊かな絵を描く前には、忠実な訓練が必要なのだった。

探幽の縮図帖も色々と出ていた。中でも和漢人物図巻には人麻呂と韃靼人の狩猟などがあり、それがイキイキしていた。

いい展覧会で、お客さんも楽しんでいた。今、大倉集古館ではこの大和文華館所蔵の富岡鐡斎の展覧会が開催されている。東京の方々がそちらを楽しまれることを期待している。

東洋の美に出逢う

藤田美術館の秋季展覧会に行く。もう120回ということだ。
『東洋の美に出逢う』
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紀元前から明治時代のものまでジャンルにとらわれず、国宝2点を含む約40点の東洋美術を紹介します。 近年、国際的に東洋の歴史、文化に対する関心が高まり、国内においても注目されています。
この「東洋の美に出会う」を通して、わが国の文化にも大きな影響を与えてきた東洋美術を身近に感じていただければ幸いです。

そのススメに従いたい。

聖徳太子勝鬘経講讃図 以前も書いたがわたしは『日出処の天子』のリアルタイムからのファンなので、厩戸王子の半生には関心があるが、聖徳太子になってからの状況にはあまり興味がない。だからこの「勝鬘経講讃」が太子の一大事業とは知らなかった。またいにしえから伝わる絵も像もまだ美少年の(要するに厩戸王子の時代)頃のエピソードをモチーフにした作品が多いので、仕方がない。
太子を上座に、傍らに童子姿の山背王子、そこから僧、蘇我馬子、小野妹子らが一堂に会する構図なのだが、どことなくこの後世の藤原鎌足と子息らの画像と構成が似ているように思うのだ。もしかすると、そうした決まりごとを作った図なのかもしれないとも思う。
段下には蓮の花びらが散っている。
実はこの展覧会の後、御堂筋を歩いていると北御堂の宣伝ポスターに、これとは違う手の同じく講讃図が使われていた。なんとなく仏縁かも、とチラッと思った。

春日明神影向図 高階隆兼 これは藤原北家の流れを汲む鷹司冬平の夢に現れた神の姿である。牛車に乗って庭にまします。しかし牛も消え、さらには神の顔は御簾で見えないままである。神や貴種は顔を描かれないことが多いのだが、なんとなく寒気のするような絵である。そして絵の由来がそこに書かれている。
「先年余夢中奉拝祖神春日大明神俗躰着・・・」藤原家の祖神は鹿嶋から来ている。それが春日大明神になった。平安貴族の見る夢にはどことなく恐ろしさがある。

大伴家持・上畳本三十六歌仙絵 これは佐竹本とは又異なるシリーズなのだが、こちらも断簡なのである。京都の泉屋博古館にあるのはどの分だったか・・・ちょっと失念した。
画像最上段真ん中の絵。

玄奘三蔵絵 上記のうち真ん中右の絵。ただしこちらは前期に出て後期に来たわたしは三蔵法師が持ち帰ったお経がサンスクリット語から漢訳され、その神々しい光が四方に広がる図を見ている。こちらはその前段。

駿牛図断簡 下段真ん中の絵。美童の牛飼。ちょっと俯いている。牛はなかなか賢そうな眼をしている。なんとなく東洋絵画の牛は『十牛図』もあるからか、賢そうな感じがする。ドナドナではないからか。

その隣のライオンは竹内栖鳳の作品で、これは本当に一目で「栖鳳’s獅子」だとわかる。
二階正奥のひときわ立派なガラスの床の間に飾られていた。大きな獅子の絵で、この三畳ほどの間がまるで彼の住処であるようにも思えた。

中蓮華左右藤花楓葉図 本阿弥光甫 これはタイトルに句読がないのでエーとと思うが、三幅対で、それぞれ楓・蓮・藤を描いている。抱一上人も模写していて、そちらの方がもしかすると有名かもしれない。

上段右端はいかにも野々村仁清な宝船である。帆と船と鷁首が陶器、帆柱は紫檀、その先端には水晶がついている。前田家伝来らしいが、すると石川県立美術館の至宝・雉のつがいの親戚筋にあたるのかもしれない。

黒楽茶碗 銘・千鳥 ノンコウ  わたしは楽家歴代の中でも特別ノンコウが好きだ。とにかくノンコウ。あの薄い口縁がよく、図柄がよく、かたちも色も何もかもがよく見える。
黄抜けを千鳥に見立てた銘だが、金色に煌いて見える。本当に、素敵。

萩流水図屏風 二曲屏風で金地に白萩と紫の萩とが咲き乱れている。流水は紺色、足元のキキョウが可憐。しみじみと眺めていたい屏風だか、ちょっと展示の配置がよくないのが惜しい。

今回またもや素敵な仕覆たちが多く展示されていた。本圀寺金襴、興福寺銀欄、宮内間道、藤種緞子・・・しみじみと眺めていたい見事な仕覆たち。

下段左の陶器たちのうち、黄瀬戸がたいへんよかった。実は先にあげたが湯木美術館の前にこちらに来ており、そこでこの黄瀬戸を楽しんだ。あちらは見込みに福の字、こちらは見込みに花が描かれている。

上段左から二つ目の太陽マークのような石器は4世紀のもので南河内から出土した。歯車型と言うことだが、なにか見覚えがある。・・・スーパー・イズミヤのマークにそっくりだった。とたん、頭の中に店のテーマ曲が流れ出した。

さて最後に挙げるのは上段左端の可愛い可愛い青銅器である。全身饕餮文を背負った可愛い奴。饕餮禽獣文兕觥とうてつ・きんじゅうもん・じこう と読む。ジコウの字はもしかすると画面によっては文字化けする可能性がある。ジは凹に足がつき、コウは角偏に光。
大きな丸い目でこちらを見ている。オバQのような大きな口が開いてギザギザな歯が見える。背中にもへんな動物を乗っけているが、本当に可愛くて仕方ない。
これはきっとあれだ、子供の頃に愛したウルトラマンの怪獣や仮面ライダーの改造人間たちへの愛着から来ているのかもしれない。解説文によると、アメリカのフーリア美術館に類似品があるそうで、そいつはもしかすると生き別れの兄弟かもしれない。

フリア美術館からその画像を探そうとしたがあまりに膨大で不可能だった。
それにしても面白いサイトなので、今度ゆっくり眺めてみたい。

正倉院展#59

秋の恒例行事・正倉院展に出かける。以前は必ず初日または二日目に出かけたが、近年はそうでもない。今年は59回目。わたしは38回目からだが、毎年何かしら初公開があり、再会もあったりで、楽しみは尽きない。少しマンネリ化した年には第一回目の再現もあった。
人気なのはけっこうだが、独立行政法人になって以来、大集客に歯止めが利かなくなっている状況なので、考える時期にさしかかっていると思う。
並び始めは8:20だから早かったが、その価値はあった。見る見るうちに増加する人波、並ぶだけでもたいへんだ。九時前に開館し、制限しながらの入場となった。毎年恒例とは言え、えらいなわたし。
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今回NTTが期間限定サイトでいくつかの宝物の360度ビューや拡大を繰り広げているが、やはり実物をガラス越しとは言え直に見ると嬉しいし、ときめく。映像は他者の眼で得た情報だからだ。
http://www.ntt-west.co.jp/shosoin/
しかしこのサイトはすばらしい。

今回何年ぶりか『羊木臈纈屏風』の羊が出た。木には猿が、下方には山羊の姿もある。44回のチケットにも使われている。かわいい。
大好きな羊歯がいっぱい生えているが、これはスタンプで押したものらしい。
その同工異曲というかシリーズが『熊鷹臈纈屏風』トボケた顔のクマタカといい、麒麟と猪と言い、大陸を感じさせる。これらの残欠も今回展示されている。クリックしてください。
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フェルトのカーペットたる『花氈』が出ていたが、わたしの持つ絵葉書と虫食いが違うなと思ったら、31枚のうちの別な一枚だから、当然なのだった。このカーペットの柄は今でも十分に使えるように思う。

『犀角坏』 漢方薬にも使われる犀のツノで作った坏だが、変に赤みを帯びた色がイヤだなと思った。血が混じったようだ、と観客の誰かが呟くのが耳に残った。

『新羅琴』 いわゆる伽耶琴。琴も和琴と朝鮮、中国とそれぞれ異なるのだった。

『竿』サオではなくウ。笙の大きい版のような。この細竹を集めた土台には迦陵頻伽が刻まれている。とても綺麗だった。

『青斑石硯』 先般中国の文人たちの愛した見事な文房具を見たところだが、この硯は実用と言うより飾りのように見えるほど、手が細かい。台のモザイクはシンプルな連続文で、みていてとてもかわいい。
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『墨絵弾弓』 放下師、楽隊、力持ちの芸人・・・などなどが墨絵でしっかりと描きこまれている。楽しい絵柄である。

『紫檀木画箱』 モザイクの綺麗な綺麗な箱である。側面のモザイクの綺麗さには感動する。小鳥、花などの小さな小さなモザイクたち。本当に愛らしい。

『刻彫梧桐金銀絵花形合子』 蓋のみのこるというが、その蓋はリアルな花に見える。木彫の巧みさが、とても楽しい。

油を使って見込みに色んな絵を刻んだ『密陀絵盆』が三枚ばかり出ていた。そのうち花喰鳥の図像がはっきりと残っている。

『紫檀金鈿柄香炉』 今回この獅子と屏風の羊とがアイドルなのは間違いない。
僧侶の焼香用のの香炉だと言うことで、少し煤がついているが全く瑕にもならない。
全体の繊細で豪華な装いに目を瞠らされる。
見返りの獅子。わたしはその方向からのぞく。獅子と目が合う。それだけで楽しい。
香炉の杓の部分には綺麗な石がいくつも嵌め込まれている。
それは花を象っていて、そばには小さな蝶たちがいる。そして柄の部分にも花柄が刻まれていて、その先端には金輪をくわえた獅子がいた。

今回は租庸調の関係品が多く出ていて、お仕着せの作業着や調布などが出ていた。
東京の調布と国分寺と言う地名を改めて考える。奈良時代にはもうその地が生きていたことを示す地名。

光明皇后御願経の『四分律』は実に読みやすい文字で、私好みの硬質な字体だった。いくつか文字を拾い読みして感心したりする。こういうことがまた楽しいのだ。

二周目はほぼ無理な状況だったが、時間が早かったおかげでか、随分間近でじっくりと眺めることが出来た。
会期末も間近だが、これからの方はがんばって見に行ってください。

風流と美 湯木美術館開館20周年記念

茶道具を見るのが好きだ。
お茶をいただくのも好きだ。
茶道に関する伝承やちょっとした挿話が好きだ。
しかし習わず・出かけず・集めず、で暮らしている。
型の美を身につける作業が出来ないことが原因なので、それはそれで仕方ない。
だから見ることが一番たのしい。
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湯木美術館で開館20周年記念・風流と美 展の後期に出かけた。
湯木貞一さんが集めた茶道具や懐石の器などを集めた、とても親密な空間。ここに来るといつも柔らかくいい気持ちになる。

小堀遠州『紅葉鹿図』 これは「さほ鹿の 声なかりせば 山里に…」の歌を踏まえて描かれた絵で、雌鹿の後を雄鹿が追って山裾を走っている。可愛く楽しげな作品。

乾山『銹絵染付』短冊皿と絵替筒向付 それぞれ10客セットだが、とても素敵だ。皿には和歌が書かれ、向付には梅や蕨が描かれている。
同じ絵で揃わせるのではなく、手は同じでも異なるものを描く。
それがまた楽しい。どれにあたるのだろう、と思う楽しみもある。

祥瑞本捻鉢 これはたいへん親しみのある鉢で、いつ見ても嬉しくなる。
絵柄の綺麗さ・色の濃さもさることながら、家にもあるなという気持ちが湧いてきて、それがこの作品への愛情を増すのだ。

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今現在のチケットに使われている。見込みに福の字が刻まれていて、なるほどめでたい。

道八『色絵桜透かし鉢』 仁清や乾山を慕った道八は先人に倣ったと言いながら実はオリジナルな器を多く作っている。ニュアンスはたしかに先人のそれに習っているのだが、味わいはやっぱり道八は道八なのだ。
わたしは仁清より幕末の道八の作品のほうを愛している。

片桐石州『茶杓 銘・宗仙の面影』 この茶杓は櫂の匙が大きい。指で確かめたくなるほどの匙の具合。

山本春正『住吉蒔絵平棗』 住吉文だから当然ながら太鼓橋と松と流水がある。文様は棗全体に及び、立体化された空間として、住吉そのものがここに封じ込められている。

禾目天目茶碗 これがまた手にしっくりきそうな茶碗で、そして禾目の繊細さにはときめくばかりだ。他の煌く器同様、この建盞にも小さな愛情が湧いてくる。

ここではお仕覆も大事に展示され、名も教えてくれる。
相良間道、紫地花兎金襴、荒磯緞子、木下裂…何もかもが愛しい。
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茶道具のうち、懐石の器とお仕覆と茶杓がわたしの三大フェイバリットだ。

近代ヨーロッパにシノワズリー趣味が流行ったのも理解できるが、日本でも無論、中国趣味は大きな人気を得ている。

佐野長寛『絵萬歴食籠』 漆に描かれた文様は明らかに明代のそれの写しで、ご丁寧に嘉成年間とある。エキゾチックな美。日本の中国趣味と言うより、やはりこれはヨーロッパのシノワズリーに近いような気がする。

最後に『石山切』 をみた。これは鈍翁旧蔵品で、表裏がそれぞれ趣の深い作品なので丸めぬ軸にした。箱は殆ど呉服のそれのようで、色紙も手も美しいが、箱そのものにもときめいてしまう。

これら重文ものは入れ替えも続けていて、佐竹本の業平は九月の展示だった。
展覧会は12/9まで。

大阪なんば高島屋

大阪なんば高島屋と言う名乗りは、東京銀座資生堂と言う名乗り同様とてもカッコいい。
昭和五年難波に開いた高島屋の建物を改めて見学した。
御堂筋から見た外観IMGP2619.jpg


窓の並びIMGP2620.jpg


入り口の飾り、IMGP2621.jpg

アーカンサスを飾るコリント柱の上には壺もある。
各部の飾り。クリックしてください。
IMGP2624.jpg IMGP2625.jpg IMGP2626.jpg IMGP2627.jpg


また屋上にある塔屋を真そばに見る。IMGP2628.jpg

お稲荷さんもあるのでおさいせん。

そこから見る御堂筋 IMGP2630.jpg

今では本町までしか見えない。
新歌舞伎座や精華小学校が見える。
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御堂筋の始点は阪急梅田から終点は難波高島屋。素敵だ。
設計は久野節、駅建築の巧者、なっとく。つくづくいい建物だと思う。
今度こちらが増床されるらしい。IMGP2622.jpg


阪急の外壁は失われたが、なんば高島屋よ、素敵なままでいてください。

美術で奏でるシンフォニー

尼崎総合文化センターで『美術で奏でるシンフォニー?シャガール、マティス、カンディンスキー・・・?』展が開催されている。
初日に行ったが、なかなか素敵な内容だった。
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古来から音楽は、美術の中にさまざまな形で取り入れられてきました。
 楽器の造形的な美しさはもとより、音楽の持つリズムやメロディーからイメージした感覚を色や形で表現した作品、原曲のテーマに即して複数のシリーズで構成された作品、楽器のように実際に音を奏でる作品など、その表現方法や形態は実にバラエティ豊かで、音楽と美術がいかに深く関わりあっているかをうかがい知ることができます。
 本展は、当センターが運営する音楽ホール「アルカイックホール」の開館25周年を記念して、マティスの『ジャズ』、シャガールの『ダフニスとクロエ』、カンディンスキーの『響き』など著名な版画シリーズのほか、小磯良平の油彩画、野村仁の写真など国内外の作家のさまざまな作品に加え、サントリー楽器コレクションの中から作品に関連する楽器を併せた約110点を展観し、音楽と関わりの深い美術作品や楽器が持つ美的な魅力を紹介します。

と言うことだが、観覧後とらさんのブログを見て改めて<そのこと>に気づかされた。
とらさんはインド細密画を見た感想の中でこう書かれていた。
「…絵と音楽が一体化したアートは西洋では20世紀になって初めて現れたのに、東洋では300年前に存在していた」
微妙なニュアンスの違いはあるものの、なるほどと今のわたしは思うのである。

さてその美術で奏でるシンフォニーのラインナップを眺める。
シャガール『ダフニスとクロエ』 以前サントリーでシャガール展を見たときと同じ高知県立美術館からの貸し出し。幼い恋物語が愛の暮らしへ移行する姿を見るのは、楽しい。
日本でこうした恋を貫いたのは、『源氏物語』の夕霧と雲居の雁か。
ダフニスとクロエを描く画家は多かったが、全編を作品化したのはシャガールだけかもしれない。
わたしは物語絵が好きなので、嬉しくてならない。
シャガールが描くだけに画面には彼の好む情景や生物が加わっていて、これが挿絵ではなく物語から触発された二次創作だと悟る。
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幸せな気分になる。
見る間、スピーカーからラヴェルのその組曲が流れていた。
(しかし生憎、他の階が工事中で、無粋な音がメロディを消していったが)

マティスの切絵『ジャズ』 これも年に一度は必ずどこかで見ている。版画は数が多いから買い手も多いのだろう。
色彩感覚の明るさにこちらもスゥィングしそうだ。しかし作成年から考えて、マティスの思うジャズは’20年代のものだろうか。

カンディンスキーの作品も多く並ぶ。彼の作品が今回の展示の中で一番最古で、1911年。
確かに20世紀に入っている。

オーケストラを描くデュフィ。今回のコンサートには演奏者も聴客もいた。

日本人の洋画家で一番音楽のある情景を描いたのは小磯良平だと思う。
ちょっとした仲間の集まる親密な空間。そこには何故か西洋古楽器がある。
アトリエの風景・静物画。リュートのある空間。

伊藤慶之助『ピアノを弾く娘』 マティスの影響下にある色彩感覚だが、それがかつての日本の中流から上流家庭の室内に化っている。
銘仙を着る娘さん。先日の中村大三郎の『ピアノ』から12年後の作品。着物で洋楽器を演奏するのは、珍しいことではなかった時代。

他にも良い作品が色々あったが、その後に楽器の現物が並んでいた。
見ると、ストラディバリの拵えた小さなバイオリンがあった。
「これがか」
初めて間近で見た。
そのとき楽器製作者の陳昌鉉氏の半生を描いたコミックを思い出した。
山本おさむ著『天上の弦』。名シーンが幾つも浮かび、静かに感慨にふけった。

展覧会は11/25まで。

永青文庫特別展・大観勅題画を中心に

文化の日は各地で色々と文化的な催しがある。
京都の画廊・思文閣は本社ギャラリーでは石山寺所蔵の源氏絵を、百万遍の美術館では永青文庫所蔵の日本画を展覧している。
去年は『思文閣文化祭』と銘打って素敵な催しをしていたが、今年もこの日は無料公開してお客さんを喜ばせてくれている。
その永青文庫所蔵展について書く。
「細川護貞公を偲ぶ 大観・勅題画を中心に」
このタイトルが示す通り、横山大観によるその年の勅題を絵画化したもので、抽象的観念の年以外はほぼ全て描かれ続けている。
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護貞公は今の細川護煕氏の父上で、17世。その父上で16世の護立公は大観の庇護者の一人であり、大観に自分の欲しい作品を依頼していたそうだ。
学習院仲間で作られた白樺派、護立公は自身で創造はしなかったが、殿様として世の芸術家たちを庇護している。
その辺りの資料を読むのが、わたしはとても好きなのだ。だから白樺派関係の人々にはなんとなく親しみを感じている。
また護貞公は三回忌を迎えられたので、丁度良い折となったようだ。

ガラスの向うの作品を眺める。クリックしてください。mir403.jpg

チラシに選ばれた富士は大観の好む画題ではあるが、勅題からのイメージ絵画でもあり、その意味で二重に楽しめる。
軸装されたそれらを見て回ると、細川公の楽しそうな様子が想像できる。
大観が描かないときは催促もしたそうだ。
わたしが特に気に入ったのは右上のの作品。しかしこの画像では実物の色調の美を伝えきれない。やはり絵と言うものは実際に観てみないとわからないものだ。

以前永青文庫でみた扇面図も並んでいる。下村観山の金地に花の絵のそれと、清方の幽霊の絵がいい。

他に『大観先生を描く会』の作品が幾つも出ていた。
これは細川公が日本画・洋画家を集めて大観をモデルにして描かせた会で、これまで何枚も見ているが、裏話が楽しい。
いやがる大観に「好きなだけ飲ませるから」と押して押して、その場に座らせたそうだ。
大観の画境は確かに日本随一の境地に至っていたろうが、生涯明治の書生っぽさの抜けない人だったそうで、顔つきを見ていてもどことなく可愛げがある。
偉くなっても「好きなだけ飲ませるから」でモデルになるところが、とても可愛い。
水戸の書生っぽがそのままトシだけ取ったようにも見え、その風貌はとても味わいがある。

画家たちはそれぞれの大観を描く。
自分らの個性が強く現れて、(同じ一人のモデルだというのに)全く別人を描いているような様相も見える。
こういうところがまた楽しく、興味深い。
このときの会ではないようだが、やはりモデルとしての大観には魅力があるらしく、他にも多くの肖像画を見ている。
特に堅山南風のそれが一番かっこよかったのは確かだ。
また大観は長命だったが、ついに老眼にならなかったそうだ。写真を見てもその双眸は黒々している。
絵の中の大観も皆、眸が黒々と大きい。
ありきたりのモデルではないことが、画家たちの作品を更に味わい深いものにしたと思った。

会場には他に護貞公の拵えた焼き物などがある。巧いわけではないが、楽しげな様子が眼に浮かぶような可愛い作品たちである。
先月、難波高島屋で細川護煕氏の焼き物や書の展覧会を見たが、キャプションの自釈文を読んで多少反感を覚えている。
護貞公は自作にどのような言葉をつけたかは知らない。
言葉のないことが、一層これら小品の愛らしさを引き立てているのかもしれなかった。

思文閣の展覧会は12/16まで。
良い展覧会だった。



京都と近代日本画

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京都市美術館で所蔵品を中心に集めた『京都と近代日本画 ――文展・帝展・新文展百年の流れの中で――』という展覧会が開催されている。
約百点の展示のうち、前期分の初見はなかった。それは地元の利ということもあるからだが、やはり二十年近く日本画を愛してきたからだと思う。
六章に分かれている中から少しずつ感想を挙げる。

1.博覧会と京都画壇
栖鳳『池塘浪静』 タイトルどおりかといえばそうでもない。魚が静かに跳ねている。水音もしないような跳ね方。再び水に沈めば無限に波紋が広がるような。まだ二十代ごろの作品だが、汀に生う草の匂いまで感じるような作品だった。

原在泉『足柄山新羅三郎吹笙図』 これは京都博覧会に出された、と言う伝承のある作品だが、明治30年頃の時代性がなんとなくわかるようでもある。
先日『明治の京都』展で原の作品(鯉が跳ねている図)を見たが、その絵師が描く絵だと実感する。題材は太平記から。

都路華香『良夜』 先年の展覧会で世に知られた名作。明治45年と言うことは夏までに描かれているのだ。波の動きと橋と月明かりがなんとも言えずよい。しかしこれは決して日本の光景ではないといつも思う。

2.文部省美術展と京都画壇
西山翠嶂『広寒宮』大勢の楽女たちが林の中に来る。何度見てもいい。薄い薄い彩色で、描かれているのを見ると、いよいよ彼女たちから現実感が剥ぎ取られてゆく。
誰もが夢みるようなうっとりした表情なのである。

木島桜谷『寒月』 雪の里山を一匹の狐が歩いている。はっとなる緊張感がある。今回わたしは狐の足跡を辿ることに専心した。狐はどこから来てどこへ行くのだろう。
誰もそのことを知りはしないのだ。他ならぬ画家でさえもそうかもしれない。

栖鳳『絵になる最初』 本絵と大下絵が並ぶ。わたしが最初に見た栖鳳作品。これでてっきり美人画家だと思ったのだ。松園さんの師匠筋だし。次に見たのが『アレ夕立に』で、次が山種の猫だった。この着物の柄は栖鳳オリジナルで、高島屋が売り出したところたいへんな人気が出たそうだ。しかし今思ってもこのタイトルはいい。

3.帝国美術院と京都画壇
伊藤小坡『夏』 以前からこの女の着る薄い衣が何なのかわからずにいる。アッパッパ(関西特有の夏着)にしては袖があるし。ガーゼ地にも見える。今回もわからないままだった。

甲斐庄楠音『青衣の女』 タイトルだけ見れば東大寺お水取りの『青衣の女人』かとカンチガイするが、これはその当時の市井の女である。栗田勇『女人讃歌』によれば彼は安価なモデルを雇っていたそうである。薄い着物の向こうに崩れた線の身体が見える。
なまぐさいほどリアルな肉がそこにある。
『穢い絵』と決めつけた画家は清純そうな舞妓やおとなしそうな妓生を描いている。
わたしは甲斐庄の絵の方がずっと好きだ。

中村大三郎『ピアノ』 今回のチラシ。これを最初に知ったのは大学の頃で、新聞に名画紹介があったが、何故か北摂版は白黒だった。大阪市内の友人に話すと、カラー版だと言う。貰ったカラー版はとても綺麗だった。令嬢の優雅な着物と帯とが素敵だった。
この絵を見ると必ずそのことを思い出す。

池田遙邨『南禅寺』 御舟、松園、清方と本で知って愛した日本画家のあと、実物を見て初めて愛したのがこの池田遙邨だった。ほぼ二十年前に急逝し、回顧展で受けた衝撃は大きかった。どの作品が、と言うことではなく全体としてあまりに美しかったのだ。
この南禅寺は一見したところ、中世以前の社寺境内図そのままである。よく見ると小さな人々の営みや小動物なども見える。
遙邨はこうした系統の作品にも傑作が多い。『雪の大阪』『雨の大阪』(後者は今回ここにある)などもそこに含めていいと思う。

森守明『雨後』 水牛と子供がいる水辺。こうした画題は晩年の秋野不矩や杉山寧に見ることがあるが、ここの水牛は異国の牛ではなく、滋賀あたりにいそうな感じがする。
わたしの語彙にはないが<まったり>している、というのが一番ふさわしい。

菊池契月『南波照間』 この世にある楽園、現実の向こうの国、琉球の人々の理想の国。
そこではのんびりした時間が流れ、人々はそれなりに働いている。
ニライカナイと同義だと見做していいのだろうか。
なぜこんなにも大正末期から昭和初期には名品が多いのだろう。

橋本関雪『長恨歌』 これは五点組みの殆ど色彩を感じさせない作品である。タイトル通り、玄宗と楊貴妃の物語を描いている。この作品は近年よく展覧会に現れる。
とても好きなだけに、嬉しい。

三宅鳳白『花旦』 中国の京劇のヒロインは幾種か役が分かれている。この花旦は若くて機嫌のよい役柄だと言える。’30年の作だから無論男性である。梅蘭芳を描いたものではないだろうか。彼はその年来日公演を行い、多くの観客や芸術家を魅了している。
清方にも梅蘭芳を描いた作品がある。
この絵の背景はまるで曜変天目茶碗のようである。その中に花旦が立っている。
わたしは梅蘭芳は子供の頃から資料で見ていたが、京劇を見たのは映画『さらば、わが愛 覇王別姫』が初めてだった。

4.大礼記念京都美術館美術展覧会と市展
中村大三郎『女人』 おこがましいが、なんだか親しみを感じている。とても好きな作品である。

林司馬『舞妓』 ぼんじゃりした風情がいい。床机に座り可愛く草花を見ている。
昔、この画家を昔の中国人かと思っていた時期がある。絵ではなく名前を見て。
近年まで達者だったことにもちょっと驚いていた。京都には時々そんな人がいる。

5.改組帝展/昭和11年文展と京都画壇
前田青邨『観画』 満州族の貴婦人たちが絵を見る姿を描いている。絵そのものは描かず、それを見る群像図。どちらかと言えば男性像の多い青邨なので、彼の描く女性たちと言えば、すぐにこの作品が思い浮かぶ。

北野恒富『いとさん こいさん』 姉妹である。エエ氏の娘さんであっても妹はちょっとおてんば風である。親戚の三姉妹の真ん中さんは<中いとさん>と呼ばれてはったそうな。
これは船場言葉で、大阪市内の話。ついでに言うと大阪全般ではお嬢さんをとうさんと言うたが、アクセントはうの字にある。

寺島紫明『九月』 清方の弟子の中でも彼は師匠一家に随分信頼され、愛されていたそうだ。日焼けした膚を隠す芸妓二人。泳いだのだなー、真っ黒である。
これを見ると上村一夫『凍鶴』で立派な芸妓になった鶴の海でのエピソードを思う。

梥本一洋『鵺』 三人の女人が夜、小舟に乗り何かを嘆くようにしている。鵺の擬人化であり、謡曲を愛した梥本一洋ならではの作品。最初に見たのは彼の回顧展であった。

6.新文展/戦時文展と京都画壇
奥田元宋『盲女と花』 後年「元宋の赤」のイメージが強い画家の、人物画。人物画と言うよりむしろ、物語の女に見える。『春琴抄』のように。

不二木阿古『夏の日』 これは去年だったか、台湾の女流画家で日本で修行した陳進の回顧展で知った作品。同時代の美人画を集めていた素敵な展覧会だった。
人力車に乗るチャイナ服の美人二人。四馬路か虹口あたりの光景かもしれない。

樋口富麻呂『往く船』 琉球か奄美か、南島の女人たちが船を見つめている。眼差しはいずれも真剣である。二度と帰らぬ男を見送るのか、それとも出かける男の無事を祈って見送るのか。眉の濃い女たちの双眸はただただまっすぐである。
樋口は灘の酒蔵にいくつも美人画を残している。

三木翠山『維新の花』 芸妓・幾松が情人・桂小五郎のためにおにぎりを橋下にそっと落とす図。南篠範夫の小説に幾松のその後を描いた作品がある。その中で彼女は昔を懐かしんでいた。それこそこの時代を、この情景を。

今回本を買わなかった。あげた作品の大方は絵葉書などを持っているのが嬉しい。
観光シーズンの最中の展覧会、職員の対応のレクチャーが必要だと思う。内容が素晴らしいだけに、少し残念だった。

神坂雪佳 京琳派ルネサンス

細見美術館では神坂雪佳展が開催されている。
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外国以外で最初に雪佳を評価したのはこの美術館だと思う。
来年この細見美術館は開館10年を迎えるが、それ以前は雪佳の作品を見る機会といえば、京都国立近代美術館に少しくらいある、そんな程度だったと思う。
‘03年に京都国立近代美術館で回顧展があり、それで大々的に人気が湧き、去年には高島屋でまたもや多くのお客さんの賛同を得た。
それで高島屋はお歳暮商戦に去年、今年と雪佳の作品をイメージとして使っている。
去年は七福神、今年は軒端の白梅図。
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高島屋史料館にもいくつか作品があるから、縁も深いのだろう。
チラシのチョウチョは雪佳のモチーフの一つで、わたしはもともと蝶が好きだから、作品を見るとほしくなる。ここではなく名古屋の陶器研究所に所蔵されている西洋皿も、蝶の連続パターンだった。
近代の琳派の人だけに、工芸と絵画が融合している。
いくら見ても見飽きない四季草花図、菊花透かし彫り鉢。
紫陽花の群青色と濃い水色との合わせ方がたまらなく素敵だ。
その色の濃さが全く邪魔にもならず、心に残る床しさになっている。
十二ヶ月草花図のうち、四月の藤と五月の白牡丹がわたしの好みだが、丁度今にふさわしい紅葉した蔦と嫁菜の図を挙げる。
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そういえば忘れてはならぬのが金魚玉。マジメな顔だがやっぱり面白い。描き表装が葭簀ばりなのも楽しい。これは夏のための作品。
雪佳の作品は四季が判然としている。

秋は菊、紅葉、砧。それらを雪佳は丁寧に描き、絵画にも工芸の図案にもする。
それらの図案は百々世草を紐解くと、次々に現れる。
芸艸堂さんありがとう、そんな気持ちになる。

色んな作家とのコラボレートの中でも弟で漆芸家の祐吉との作品に風雅なものが多い。
まるで雁金屋兄弟のようだ。
それから五世清水六兵衛とのコラボもいい。
特に楓鹿図赤楽香合はすばらしい。この作品は秋の野蒔絵螺鈿卓の上に置かれている状態で、過去に見ている。今回は別々の展示なのでちょっと寂しいくらい。

前回の高島屋での展覧会で思っていることは書き尽くした感がある。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-448.html
よいものはいつ見てもよく、今後その命が長く続くことを願っている。
ところでこれはわたしが最初に見た雪佳の作品。
ホカイ型ですね。mir400-2.jpg

これらから名前だけ覚えていたのだ。

展覧会は12/16まで。
永徳展からバスでまっすぐ東山二条か、京都会館美術館前かで下車すると近い。

3daysチケット 京都市内から尼崎へ

文化の日と言うことで出かけましたよ。(そうでなくても土曜は出かける)
今回秋のスルット関西3daysチケット5000円也を購入して、今日・11/10・11/18の三日間、私鉄王国関西を楽しもうと計画。(さすがにジャックするとか牛耳るとかは言えない)
一日あたり1700円以上使えば使いごたえもあるというもので、しかし合理精神の発達した大阪人である以上、時間の無駄や不合理な乗り方はやめて、「最も適した乗り方」でチケットを使うことにする。
予定より30分遅れで阪急・四条烏丸につき、地下鉄に乗り換え今出川へ。
御所の一般公開に出かけたのだ。
あんまりにも久しぶりすぎて、以前いつ来たか思い出せない。
なんせ近代建築一辺倒だったので、純然たる伝統建築への眼差しが疎かになっている。
九時開館だけどもう大勢お客さんがいる。
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諸大夫の間とか車寄せとか。当然ながら菊のご紋。
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ここの襖絵は一番格の高いのが虎の間で岸岱。クリックしてください。
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可愛くて仕方ない虎ちゃんたち。
虎蔵なら菊畑、虎造なら√旅行けば--、虎三なら蜷川さん。
月華門を越えるが、永徳展の人気者・洛中洛外図ではこの門が明けられていて、街中からも人々が舞楽見物に入るのが見える。
承明門がちょっとかっこいい。紫宸殿遠望。
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さていよいよ日華門から入る前に建春門と春興殿に惹かれる。
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絵の中では舞楽が演じられていたが、なにかコンサートでもあるらしい支度は見えるが、どうなのか。
襖絵のよいのを沢山見たが遠目なのでちょっとわかりにくいなと思っていたら、売店で絵葉書化されていた。

小御所の池が素敵。
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そこの人形たち。IMGP2596.jpg

ここらでフランス人の観光客らしき人々が歓声を上げていた。その先の御常御殿は日常の住まいとして使われていたそうだ。
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色んな杉戸の絵の中でも一番お気に入りはこの牛たち。クリックしてください。牛といい虎といい、何でこんなに可愛いのか。
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ちょっと思い出したが、子供の頃初めて御所に来たときいわゆる「お城」ではないことにアレレと思ったものだ。今では城郭の発生がいつからとかそうしたことは理解しているが、とにかくアレレだったのだ。

追記:この記事で障壁画の展覧会のことを書いてましたわ。http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-725.html

機嫌よく見て回り、その後休憩所できつねうどんを食べた。
本当はイノダでモーニングするはずが時間が遅れてどうにもならなかったのだ。
昨夜寝るのが遅いのに早起きしたから、ヨーグルトくらいしか食べる気がなかったのよ。
御所のそばの近代建築いくつか。クリックしてください。
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その後烏丸今出川から河原町今出川までバスに乗り、出町ふたばに行く。相変わらず行列している。ちょっと謙譲の美徳・・・じゃないか、親切したり礼を言われたりで、機嫌よく並ぶ。
名代の豆餅も買うたが他も色々。IMGP2613.jpg

わたしは実は串のお団子の方が好みなのです。

そこから道路を渡った斜交いに茶道具メインの北村美術館へ行く。チケットのおかげで100円引き。
ここには佐竹本もあるが、今回『暦年の茶』として元伯宗旦や永楽保全などが並んでいた。
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さすがに350回忌だけに宗旦ゆかりの品々があちこちで出てくる。
わたしは保全の日の出鶴丸茶碗に会いたくてやってきたのだ。
今日で四回目か五回目になるが、いつ見てもいい感じ。
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チラシの花入れは宗旦作・瓢 銘「達磨」箱書きを見ると<達广>となっていた。
ひょうたんの 達磨に成るハ たふりなり 芦の葉にのる 軽身なれは  宗旦 
楽しい歌だ。たふり=道理だろう。
それで例の「懈怠比丘不期明日」清巌筆 「邂逅比丘不期明日」宗旦筆の掛け合い相手・清巌がまたもや書いている。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-960.html
九年面壁一瓢花  清巌

初めて来たが平瀬家・益田家・鴻池家・三井家伝来の名品が多かった。
大名物・古雲鶴疋田筒や光悦の黒楽 銘 東 などがたいへん良かった。銀河のような煌きのある薄手の茶碗、そんなのが好きだ。
小さいながらもたいへん見所の多い展覧会だった。

再びバスに乗り百万遍に出たら、間の悪い?ことに百万遍知恩寺で恒例の古本祭してますがな。
見ずにはいられない。IMGP2611.jpg

結局40分ほどおったけど、なんと嬉しいことに小林かいちの画集などをゲットした。
来年早々の弥生美術館での回顧展前にめでたいことだ。
思文閣美術館を見た後、東山二条に出て細見美術館・京都市美術館に行き、知恩院の手前でバスを降りて思文閣ギャラリーにも寄ってから、京阪三条から特急で淀屋橋に出る。
これらの内容はそれぞれ後日に詳細を書くのさ。
地下鉄と阪神電車を乗り継いで尼崎に出て、洋画展を見てから再び梅田に戻り、そこから帰途につく。

京都市内のバス代は220円だが一日券を買ったとしても500円。
色々計算すると一日分は完全にクリアーしていた。
鉄砲玉娘としては、これでヨシというところでしょう。フッフッフッ。

11月の予定と記録

しかし一年は早い。一ヶ月も早い。一週間も早い。長いのは会社にいる時間か。

芸術の秋本番と言うことで、関西から動けません。
東京は年内無理そうです。なんしか紅葉狩りも顔見世もあるし。
というわけで例によって例の如くめちゃな予定です。

350年遠忌記念 元伯宗旦展 表千家北山会館
暦年の茶 北村美術館
京都と近代日本画 京都市美術館
トプカプ宮殿の至宝 京都文化博物館
KYOTOきぬがさ絵描き村?印象・平八郎・神泉・竹喬・華楊? 印象美術館
細川護貞公を偲ぶ 永青文庫特別展 思文閣美術館
源氏物語絵 思文閣ギャラリー
懐石のうつわ 野村美術館
安彦良和原画展 ?すべてはガンダムから? えき美術館
神坂雪佳―京琳派ルネサンス―  細見美術館
京都御所
石清水八幡宮展 ?時空をこえる秘宝? 松花堂美術館
元伯宗旦と樂茶碗 樂美術館
伊勢物語?雅と恋のかたち? 和泉市久保惣記念美術館
開館50周年 特別記念展・後期 逸翁美術館
阪急の百年 後期 池田文庫
電鉄時代の幕開け 池田歴史資料館
舟小屋 ―風土とかたち― INAXギャラリー
名画の理由―コレクションによる日本近代絵画の世界・後期 大阪近代美術館(仮)
BIOMBO/屏風 日本の美 大阪市立美術館
倉敷民藝館名品展 大阪民藝館
オセアニア大航海展:ヴァカ モアナ、海の人類大移動  民博
東洋の美に出逢う 藤田美術館
開館20周年記念名品展―風流と美― 湯木美術館
高島屋
美術で奏でるシンフォニー?シャガール、マティス、カンディンスキー
尼崎総合芸術センター
茶入・棗の名品
錺(かざり)?建築装飾にみる金工技法? 竹中大工道具館
中国の金工 ―その超絶技巧 ― 白鶴美術館
天体と宇宙の美学  滋賀近代美術館
第59回 正倉院展  奈良国立博物館
大倉集古館所蔵 江戸の狩野派 ?武家の典雅?  大和文華館
生駒の聖天さん
塩川文鱗 大阪青山短大博物館

行く予定にしっかり組み込まれているものと流動的なものがある。
関西美術の日で11/17と18は無料開館のところがいくつもあるのだ。
それに東灘アートマンスにも参加するだろうから・・・メチャクチャです。
大阪市が主催する市内の公共建築物のラリーには不参加。
最近、そうした団体がニガテになってきた。
見たいなら個人的に色々手を廻すほうが好きになっている。
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