美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

さよなら雅俗山荘

三月の初め、ついに逸翁美術館(雅俗山荘)が閉館してしまった。
五十年の歳月、このうるわしい別荘美術館で数多の名品が展示されていたのだが、来年以降はここではなく、新しく造成される建物に移るのだった。


池田文庫の隣と言うから、その点では気楽なのだが、美術館の建物そのものが美の対象でもあったため、ひどく淋しい。
今後は小林一三記念館になるそうな。
最後の展覧会は『蕪村と呉春』前期は1/27に見学し、後期は閉館直前に出かけた。
以下、ノスタルジィにまみれた感想文が続く。
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既に前期の感想は書いている。

入ってすぐに師弟二人の義経と弁慶の絵があり、それを眺める。
これらは今回の通期展示なのだが、それでもみつめる。

呉春 陶淵明画賛 蕪村句貼紙  蕪村の死後、弟子たる呉春が蕪村の短冊を見つけ、それを台紙に貼り、自分が陶淵明の肖像を添えた。これらは蕪村の娘の嫁入り資金になったので、「嫁入手」と言うそうだ。この画の陶淵明の鼻に覚えがあるなと思ったら『天牌』の元帝王のそれとそっくりなのだった。

蕪村 闇夜漁舟図  この絵は以前にも見ているが、光と闇の効果が巧い作品で、とても和やかでよい感じの絵なのだった。
働く父子と、彼らを待つ母親のいる家からは灯りが。

蕪村 帰去来辞図  縦長の画面右上半分にこの名詩が連ねられている。
この詩の全容についてはこちらに掲載されている。
わたしは高校生の頃、授業でこの詩を知り、感銘を受けた。今では到底そのときの感情を再現することも追想することも出来ないが、当時確かに感動したのだ。
これが元で漢詩にのめりこんだのだから、ちょっとした感傷がある。

蕪村 晩秋遊鹿図屏風  右隻の鹿はつがいなのか仲良くしている。前足をがぶっと噛む牡鹿に、クールな雌鹿。そんな彼らを羨ましそうに眺める若い鹿・・・
どことなくとぼけた味わいのある絵だった。

軽く見てからお庭に出た。
ああ、裏から眺める建物の美しさよ。
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この手水は、わたしがいちばん最初に来たとき、メジロか何か小禽が水浴びをしていた場所。
そのとき11月で、雨の日だった。しかしほぼ20秒間、小禽はそこで水浴びをした。
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お庭の燈篭でお気に入りの、月下に杜鵑(と思う)のもの。IMGP3347.jpg


いくつかある茶室の一つ人我亭。IMGP3346.jpg


こういう空間構成が好きなのですよ。
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こちらは逸翁美術館の旗。神戸市在住の画家・戸田勝久氏のデザイン。
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古美術にこの素敵な色調の旗はとても合う。

「財団法人 雅俗山荘 逸翁美術館」というのが正式名称らしいが、来秋にはどんな名乗りを挙げるのか・・・。
門からこの表札も外されるのだ。IMGP3336.jpg


ともあれ、長らくありがとう逸翁美術館、雅俗山荘・・・

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乾山の芸術と光琳

京都文化博物館で『乾山の芸術と光琳』を見た。
既に出光美術館で好評を博した展覧会の巡回。
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丁度去年の今の時期、「近世都の工芸」展があり、そこでも雁金屋兄弟の諸作を楽しんだ。
今回は兄弟と親戚筋の楽家のそれも含めての展覧会。
いちいち細かいことを考えるのはやめ、系統だって眺めるのもやめて、好きなものだけ見て回ることにした。

遊楽図屏風  見たことがあるはずで、昨夏たばこと塩の『風俗画と肉筆浮世絵展』で見たもの。そうそう、これは小西家文書にも下絵が残されていたのだ。

黒茶麻地菊棕櫚模様帷子  これは京博自慢の帷子で、しばしば年間予定チラシを飾ったり、貸し出されたりしている逸品。わたしも好き。
こういう柄の着物が楽しくて仕方ない。思えば小紋とは対局にあるような派手華美さだ。

小西家文書も色々展示されているが、勘当喰らった長男にもちゃんと父親は遺産を残してやり、次男光琳、三男乾山には仲良く分けることを期待しての分配をしている。
合理的で納得のゆく考え。やはり商売人はきっちりそうしたことを身につけねばならない。
(しかし光琳はすぐに使い果たしている・・・)

光悦 赤樂兎文香合  この兎は可愛い。出光所蔵だが、絵はがきに記憶がない。しかし草っ原の兎がちょんと前足を揃えているのは、それだけで可愛いものだ。

宗入 三彩鉄線文皿  乾山より一歳下の従弟。緑地の薄い・濃いがあり景色となっている。

仁清 色絵金銀菱重碗  鈍翁旧蔵品、MOA所蔵。正直こういう柄の構成は好みではないので(少しウンスンカルタを思い出す)、名品だと言われてもやはりあんまり欲しくはない。
しかし自分の古美術を観る眼を養うためには、嗜好と志向は別物なのを理解し、よくよく眺めなければならない。
その一方で、成形品または中途品の割れ物が大量出土していて、それら欠片にこそ美を感じもする。欠け物にこそ、仁清の本当のよさが隠されているような気もする。

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これは以前から京博で見ている。好きな皿。カラフルな配色で楽しい。実際に使うのはムツカシイが、明るい気分になる。
しかしこれはまだよいが、細見の
銹絵牡丹唐草文角向付  こちらはやや柄がうるさく思える。

乾山 色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿  これが多くのシリーズが出ていて、それぞれ味わいがあり、面白く眺めた。縁の図柄は花火に藤つなぎ、またはカッティングつなぎなどで、それも可愛い。
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乾山 色絵能絵皿  前田家所蔵→安田靭彦→出光。八つ橋柄のものに惹かれた。

乾山 色絵卯花杜鵑文香合 十二ヶ月四月  初夏から夏の景色。なんとなくときめくものを感じる。

乾山 色絵源氏物語文香合  チラシの作品。変形とは言えそんなに大きなものではないのに、こんなにたくさんの絵を載せている。巧いものだと思う。源氏物語を愛したお大家の誰かが大事に守ってきたのだ。そのことにも感銘がある。

乾山 色絵紅葉文香合mir606.jpg

MOAの名品選図録で見たものの本物。やはり本物のよさは深い。

嵯峨本 光悦謡本  三冊ほど展示されているが、表紙の装幀の繊細な美に目が開かれる。
薄青色に蝶や梅などが・・・『景清』だけはわかったが、後の二冊は何かはわからない。

だらだら書いても仕方ない。しかし初見は案外少ない。再会が多い。嬉しいことだ。
これは関西の一得かもしれない。たとえ所蔵先が出光やMOAであろうと、関西ではしばしば独自企画として、乾山の展覧会が開かれるのだ。
美術館以外にもデパート展覧会で。

MIHOさんの百合形向付、牡丹文なども再会組、逢えるだけで嬉しい。
MOAと逸翁の持つ竜田川文の変形皿も大好きだ。
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どうもこう書いてくると、つくづく乾山ファンだと実感がある。
光琳はどうした、と言えば
秋好中宮図  これくらいしか意識に残っていないのだ。それも人物より屏風に眼がいった。
群青地に緑の・・・

しかし兄弟合作は好きなものが多い。
兄の絵付けに弟の焼成。いいなぁ、それ。柄が好みくなくとも、楽しいものだ。
しかも兄は自分を寒山に見立て、弟を拾得に見立てているらしい。

最後のゴーナーには透彫反鉢が並んでいた。
ああ、もぉ、こういうのが見たくてここへ来ているのだ、わたし。
好きなものばかりがある。
出光誉れの紅葉文壷、あいおい損保所蔵の椿たち。
椿にいたっては、いつも見るのはこの向付なのだが、角皿に近い兄弟分があるのは知らなかった。
可愛いなぁ、本当に。mir605.jpg

ところでこちらはそれを手本にしたと思しき12代 樂弘入 赤樂椿文向付。
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これは八幡松花堂庭園・美術館で4/11から開催の『名工の竹と椿の意匠展』に展示される。

最後にふと気づいたのだが、逸翁美術館、湯木美術館、畠山記念館らの乾山の名品が出ていなかった。
ちょっと残念な気がした。
それにしてもいいものに囲まれて、楽しい展覧会だった。
ところで来月か、藤山直美と中村梅雀とで光琳夫婦を演じるそうだ。
ちょっとびっくりしたが、二人とも芸達者なのと、こういうニーズもあるんだな、ということで芝居も繁盛すればいい、と思った。

(今更ながらの)V&Aの浮世絵

2/7だから随分前の話だが、神戸市立博物館でヴィクトリア&アルバート美術館所蔵の浮世絵展に出かけた。東京では太田記念浮世絵美術館で四期に亙って展示換えがあった、展覧会。この感想文をどうしてかこれまで書き損ねてきた。理由はわからない。
今日はそのことを少しだけ書くことにする。

展覧会は四つのテーマに分けられていて、それぞれ名品が出ていた。お客さんも大勢来ていて、めでたいことだったか、近年の海外からの里帰り浮世絵展の盛況にはただただ恐れ入るばかりだ。いつの間に現代人はこんなに浮世絵が好きになったのだ。
ちょっと聞いてみたい気がする。
そういえば名古屋のボストン美術館では4/6までやはり浮世絵版画名品展をしているし、奈良も来月から巡回のミネアポリス美術館の浮世絵を展示する。

喜多川歌麿 青楼遊君合鏡 玉屋内 春日野 歌浜
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二人の綺麗な太夫。微妙な違いが目鼻にある。しかしこうして並べばわかる違いも、単身ごとに見ればわからないかもしれない。
眼の位置の微妙な差が二人の容貌に違いを生んでいる。
この二人はライバルなのかそうでないのかわからぬが、立兵庫の春日野と手前の歌濱とは、見ていると鏡花の小説『風流蝶花形』とを思い出させるのだった。
作中の二人はそんなに位の高い遊女でもないのだが、この絵の二人は作中同様、距離感のなさを感じるのだった。

魚屋北溪 鬼若丸鯉退治
この画題は多くの絵師がよいのを残している。国芳にも力強いのがある。
北渓にしては珍しいような選択だと思った。

鳥居清峰 遊君六歌撰 深川裏櫓 鶴屋内 大淀
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この絵師は知らないが、名前を見ると納得するような絵でもある。
鼈甲の斑の目立つ櫛笄が面白い。見立絵の本歌の歌人もなんとなく面白い。

歌川広重浅草奥山 貝細工 仙人・鷲
歌川広重浅草奥山 貝細工 鶴・兎
歌川広重浅草奥山 貝細工 猿
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幕末に「上方細工くだり」として浅草奥山に、ツクリモノの言えば展覧会があり、爆発的に繁盛したそうだ。そのビラは15年くらい前から見ているが、とにかく当時の名だたる江戸の浮世絵師らはどんどん描いていった。
わたしもツクリモノ・細工見世物が大好きだ。国立演芸場の資料としてもそれらは多く蔵されている。これは貝で出来たツクリモノだが、今なら菊人形と陶器人形と野菜でこしらえたものくらいしか目にすることはない。幕末の楽しさは実はこんな所にある、とわたしは信じている。

酒井抱一 蚊 
団扇絵に蚊か。金鳥の夏 日本の夏 このキャッチコピーを抱一上人が知っていたとは思えぬが、諧謔もここに来たか、という感じで面白かった。

喜多川歌麿 肩に乗る子供 mir599-3.jpg

楽しい家族写真の趣がある。パパはけっこうイケメンで、ママも(その当時の)イケテルひと。坊やは坊やでコスプレしている。

河鍋曉斎 薄幸物語
新薄雪物語は芝居としては名作で、悲劇の物語だが、薄いという字を嫌って、あんまり上演されることはない。数年前国立あたりで上演したはずだが、見た記憶がない。

河鍋曉斎 写生する美人
口に筆を咥える美人。描いた絵はシルエットでしかわからない。ああ、もうすぐ暁斎展が始まる・・・

歌川貞秀新板早替両面化物 源九郎
こういうのは理屈抜きに面白いし、楽しい。「面白い」に理由を聞くヒトにはこういう感覚、わからないのだろうな・・・

歌川国芳通俗水滸伝豪傑百八人之内 雲裡金剛宋万
国芳も武者絵で大爆発しただけに、水滸伝の好漢を描いた作品はどれを見てもカッコイイ。
わたしが水滸伝を読むようになったのも、このシリーズからの教示だった。
最初は村上知行の訳本(井上洋介の挿絵)、次が平凡社刊の駒田信二の訳本120回本。
期待・・・栄光・・・斜陽、没落。

勝川春亭 深川新地之図
ちょっと変わった色調だと思う。赤に黄色を添わせている。船も家も川中の木々も。
なんとなくシルクスクリーンを思い出した。英語で言うとカッコイイが、型抜きのところへ色を塗るあれ、というのが一番近いかもしれない・・・
今日まで書かなかった理由はわからないものの、改めて思い起こすと楽しい展覧会だった。
うーんやっぱりボストン美術館展に行くのか・・・。

英国ドールハウス展

大丸心斎橋で開催中の英国ドールハウス展にでかけた。
ドールハウス好きな後輩Rと一緒。
入るとすぐに広がる夢の国。
たどり着く前、二人でこんな話をした。
「入り口にはお客さんがあふれてるのに、出口には誰もいてはらへんねん」
「それはどこかに消える…?てことですか」
「さっきまで無人やったハウスの中に新しいお人形が配置されてるねん」
「えっじゃわたしたちがお人形に」
「それでしばらくしたら、17世紀から19世紀末くらいのコスプレしはったような外人の人らが出てきはるねん」
「わ?それって入れ替わり・・・」
「会場の中ではぐれたら、Rちゃん人形になったと思うことにするわ」
・・・ファンタジーを装ったホラーである。
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メイプルストリートというお店の持つ17世紀からのコレクションが並ぶ。
実在の建物を再現したもの・その当時の風俗を忠実に再現したものなどがある。
チューダースタイル、ジョージアンスタイル、ヴィクトリアンスタイル、エドワーディアンスタイル・・・

劇場がある。筒型の劇場。裏から表へ回ると、内部が公開されている。
ドームには素晴らしい絵が描かれ、座席には赤いベルベットが張られている。
巨大シャンデリア!
文字だけでは追いつけない現実の楽しさがある。
ああ、本当にすばらしい・・・。

ハーフティンバーの邸宅がある。全ての部屋に繊細でリアルなしつらえが施されている。
素敵だ、本当に素敵。
わたしは階段が特に好きなので、嬉しい。塔屋にいたる螺旋階段。
ベッドも女部屋と客室とではインテリアが変わる。壁紙もそれぞれ違う。飾られた絵も素敵。地下室には糸巻き機がある。このツムで指を刺せば、百年の眠りが待っているだろう。

裏庭が素晴らしい邸宅にも向かう。私塾を開くか、少女たちが一室でアルファベットの綴りを学ぶ。猫とネズミの対峙。凝った暖炉、マーブル柄に塗られた柱は大理石を模している。天井の飾り。
わたしは日本の近代建築が好きで、これまで百を超える見学を続けているが、天井と暖炉とで、その洋館の価値判断が出来ることを学んでいる。
(わたしがそれらを好きになったのは、小さい頃愛したドールハウスの絵本や、リカちゃん人形のハウスから来ているに違いない。)
この建物は本当に素晴らしいものだった。

いちばん物凄いのは、再現されたある建物。
解説によると、
幅5.1m、高さ1.8mの“Wimpole Hall/ウィンポール・ホール”の大きな作品(1643年に最初に建てられ、何人かの貴族の手に渡り、最後の所有者からナショナルトラストが遺贈され保存している。)
ラドヤード・キプリング(ジャングル・ブックの作者)の娘さんから寄贈されたもの。
いくつか開かずの間があるのは、調査中(わぁ!)のためとか。
窓からのぞくと、ダンスホールがとても素敵で、見ていてため息ばかり。
こんな巨大なドールハウス、初めて見た。

それから各時代の台所などの再現がとても楽しい。これは見学に適していると言うか、保管にいいと言うか、巨大ブラウン管だと思えばいい。
大きな四角い箱の表面にガラスがはめ込まれ、その縁取りは素敵な額縁。窓からイギリスの建物が見える。煉瓦を貼り付けた建物もあれば、お菓子屋さんもある。
さすがイギリスと言うべきは、パイ屋さんの台所の血・・・。
『スゥイニー・トッド』『フロム・ヘル』の世界・・・世紀末ロンドンの猟奇的状況・・・。
どちらもジョニー・デップの映画で、陰惨な美をそこに再現していた。

明るく楽しげなパブもあった。パブにはお客の他に犬もいれば猫もいて、片隅にはねずみまでいた。

場内では休むことなく音楽が流れ続けている。
わたしの好きな音楽ばかり。
シシリエンヌ、亡き王女のためのパヴァーヌ、精霊の踊り、ロミオとジュリエット、沈める寺、新世界・・・・・・

テーマごとの部屋が続く。
音楽のある風景、原始人の居場所、教会。
『薔薇の名前』の舞台を思い出したり、ゴシック・ホラーを思ったり。
この辺りは正直あまり楽しくは感じなかった。ドールハウスと言うよりジオラマの世界。
しかしいちばん凄いのは、アメリカの死刑室の再現。ガス室。無人のその<ジオラマ>に掃除婦がいるのも怖い、怖すぎる。ところがコレクターの意図はわたしたちのその逆に「無人だからこそ、この人形を置くことで少しでもユーモアを」とのことだった。
文化の違いが激しい対立を生み出すことをちょっと実感もした。

小物一つ一つにも神経が行き届いている。イギリスではハウス・大道具・小道具・人形、と作り手は分別されていて、決して領土侵犯はしないそうだ。総合ではなく分業だということかもしれない。
気に入ったのは小道具の一つ、南宋の青磁壷。すばらしい陽刻の砧青磁には驚いた。
これまで実物の名品を色々見てきたが、もしかするとそれらと同レベルかも・・・

最後のコーナーは今回の監修もされたドールハウス作家・磯貝吉紀氏の作品が並ぶ。
これらは洋風の内装なのだが、そこはかとなく和の匂いも感じ取れ、和やかな気持ちになった。台所と寝間とが一続きというのは、現実にはつらいものを感じもするが、こうして眺めると面白い。何がつらいかといえば、実は修験道の某山の即身成仏を安置する場が、丁度こんな感じなので、それを思い出すのだ。
マッキントッシュの関わった図書館も再現されていたが、それも素敵だった。
巨大な図書室もある。
わたしは時々巨大な図書室の中に住みたいと思うことがある。
その部屋に自分の好きな本とコレクションとパソコンとを置いていれば、ヒキコモリになる可能性がある・・・
「そりゃやっぱりマズイですよ」Rは心配してくれ、こう言った。
「片付けられない女なんですから、そんなところにいれば次々本が増殖して、足の踏み場もなくなりますよ、今も机の上めちゃくちゃなんですから」
ほっといてくれ。

・・・とりあえず冒頭に書いたような事態にも遭わず、無事にヒトのまま会場を出ると、そこはグッズ販売コーナー。Rは自分で作るし、わたしはオマケやフィギュアを転用するヒトだから買わずに眺めるばかりだが、本当に楽しい。
ふと見ると「かに道楽」の店舗が売られていた。
ご年配の母娘が「かわいい?」と喜んでいるところへ声をかけた。
「惜しむらくはあれですね、看板の蟹が動いたら完璧でしたね?」
みんなで「ホンマやわーっ」と機嫌よく笑った。
本当に素敵な世界だった。
大丸心斎橋で4/6まで。
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春の庭 大和文華館

春の庭には花が咲きこぼれだす。まだ盛春ではないが、楽しむべき景色がそこにある。
大和文華館の広い庭には時期に応じた花がそこやかしこに咲いている。
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奈良の春。

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冬菖蒲  梅  椿  白椿

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地に落ちて るいるいたるや 薮椿

名も雅なものが選ばれているが、私はあまり覚えられない。
庭園の外には四季の花を喜ぶ鳥がいた。
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辰野金吾が建てた和風の建物に使われている、ステンドグラス。


今日のデザートは二種類のケーキをいただいた。
美しいお菓子は食物の<花>でもある。

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微妙な時間の推移がわかる状況でもある。

楽しい一日だった。

春の意匠 大和文華館の春

大和文華館に出かけた。
ぽかぽか陽気の日で、花も色々咲いているだろうと予測しながら歩く。
展覧会のタイトルも『花の意匠』春はやっぱりよいですね。
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椿・梅・桃・桜・蘭 それらの意匠が描かれた絵画と工芸品が並んでいる。
だいたい春のつく言葉や歌は気持ちの良いものが多い。
ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ 紀友則
春の海 ひねもすのたりのたりかな 与謝蕪村
浅野匠頭や西行の翳りも好ましいが、今日はこの気分。

椿 
『蒔絵椿紫陽花文提重』img903-1.jpg

いつ見ても好きな提重。可愛くて仕方ない。
丁度一年ぶりか、再会は。

『仕女図巻 伝仇英筆 文徴明詞書』
大和文華館の至宝の一つ。夏の蓮池もよしブランコもよし、春もまた楽し。奇岩が配された庭園でくつろぎ、おしゃべりを楽しむ女たち。ああ、気持ちいい・・・

『竹製蒔絵椿柳文茶入 酒井抱一図案・原羊遊斎作』
img902.jpg 黒い椿が二輪、竹に埋め込まれている。
実物はあまり大きくないが、隅々まで愛らしい筒型茶入れ。胴と蓋と。そして花の置かれ方は綺麗に逆方向なのだった。


『四君子図 山本梅逸筆』 
梅逸の絵をここで見ると、甲東園の頴川美術館に早く行かねば、と焦る。そのチラシには梅の木が描かれていた。ここには四君子が描かれているとはいえ、実はいちばん意識を惹くのは、その背景の白なのである。際立った白色。その白を際立たせるために細い描線の墨絵を描いたのか、と思われるほどだった。大きな絵。

『梅花牡丹小禽図 孫億筆 康煕49年(1710)』
梅と牡丹はここでは白い花びらを見せている。小禽は青色で嘴のみ赤い。つがいのいる風景。しかしながら二組の鳥のカップルは、隣の相手をじっ とみつめている。

『寒月照梅華図 富岡鉄斎筆』 
墨の濃淡の美しい絵だが、これは次の絵と対になる。夜梅は墨の濃淡の美が第一なのかもしれない。そう思わせる良い絵。
『梅華満開夜図 富岡鉄斎筆』 明治44年(1911) 近藤家旧蔵  
どちらも近藤さんのために描かれたようだが、こちらは満開の梅に彩色が施されている。しかしそれがどうもあまりよくない。爺さんと孫の二人のほのぼのした様子は伝わるのに。

『清水裂』img848.jpg

可愛いので好きな裂。群青色の地に松喰鹿や鳥たちが楽しそうに縫い込まれている。お気に入りの一品。梅に鳥の文様を『清水』と言うそうだ。

『瑠璃釉松竹梅文有蓋壺 呉須手』 清前期
面白いことに、盛り上がる梅は白梅だと言うのに、白い花とは言えないような、瑠璃地をにじませている。少し法花を思い出すような造形。
 
『青花陽刻花鳥文蓋物』朝鮮
この陽刻は既に陽刻を越えて、木彫のそれのように見えた。こんなハキハキしたもの、他では見ていない。

『織部梅文皿』5点  珍しくピンク色が使われた織部。むろん梅の花の色。とても可愛い。そして織部らしく、セットであっても同じ絵柄ではない。こういうのが欲しいような気がする。ベージュ地にピンクの花、茶色の枝・・・甘いセンスもいい。

『色絵金彩柿右衛門写梅竹虎文皿』 マイセン窯1745年頃 
アウグスト二世の頃か、色々な悲話や稗史を思い出す。
虎が吠え掛かっている。日本人にとってライオンが幻獣であったように、欧州の人間にとって虎はいったいどういった存在だったのだろうか。

『色絵梅文大壷』img849.jpg

この壷も春を代表するだけでなく、大和文華館を代表する逸品なのだった。

『螺鈿花鳥文筆筒』   朝鮮・朝鮮  
梅に鶯の素敵な柄が入っている。李王家が朝廷を開いていた頃の朝鮮には、眼の覚めるような工芸品が多く生まれている。

『螺鈿梅月文合子』   朝鮮
螺鈿にも色々な技法があるようで、これは朝鮮で多く流行った埋め込み式螺鈿。茶色の玳瑁のような地に満月とふくよかな梅が咲き誇っている。

『象牙象嵌梅文八角香合』  
江戸前期の工芸品には、舶来の匂いが残っている。琥珀色の地に梅の意匠がいくつも。
可愛らしい花のパターニングが続くことに感心する。 

『螺鈿蒔絵梅文合子 尾形光琳・乾山合作 原羊遊斎模造
これは原本はなくなっているそうだが、本当に素晴らしい。
いかにもな白梅がぎっしり満ち満ちて溢れそうになっている。羊遊斎は本当に名品を作る。
酒井侯の弟君は、この品物を見て大満足だったろうな・・・

『彩漆絵梅鶯文盆』 この技法の日本最古のものはといえば、玉虫厨子を以って嚆矢とするらしい。すばらしく綺麗な色目を見せる盆だった。

『梅雀図六角筥』 平福百穂筆

以前からとても好きな箱なので、こうして絵柄をスキャンできて、大変嬉しい。
金箔・銀箔が文様のように置かれ、それを止まり木のようにして雀のデートが続いている。



『古画縮図(花鳥)』 狩野探幽筆
鳥の赤さ、花が目に残る。写生・模写がいかに大事かを実感する。

『春林書屋図 』呉春筆
いかにも呉春。お客さんが来るのをじぃっと待っている主人。
以前は好まなかった画題も最近は段々と馴染んでくる。



『寝覚物語絵巻』img850.jpg

全く珍しいことにカナのロの字の一番上線の位置で展示されていた。
この絵の物語は失われているが、春の訪れを喜ぶ気持ちになる絵なのだった。

『春日曼荼羅図』
室町頃の作画期の作品。仏たちの影向がある。暗い中に仏たちだけは浮かび上がっている。
地上の鹿のいる前に桜が咲いている。二分咲きくらいか。

『忠信次信物語絵巻 2巻のうち
これも以前に見ているから、大和文華館の秘蔵品以外はほぼ見たことになるか。
素朴な筆遣いの巻物で、息子たちの後生を弔う老母の心根が伝わってくる。阿弥陀堂を建て、念仏に勤しむしかないのだった。

『源氏物語図屏風 岩佐又兵衛筆 
若紫・蓬生・澪標・明石・絵合・若菜上・・・これらの名シーンが又兵衛ふうの筆致でイキイキと描かれている。絢爛華麗にして繊細周到な絵で、実に隅々にまで神経が通っていた。

『親鸞上人剃髪図』田能村竹田筆 
おぶわれて山を分け入る姿や、いよいよ剃髪という情景が描かれている。
絵解きに使えそうな作品だった。

『一閑蒔絵枝垂桜文棗 嵯峨棗』『蒔絵枝垂桜柳文棗 嵯峨棗』
枝垂れ文様を描いた棗を嵯峨棗と言うが、どちらもとても愛らしく美しい。

本も色々出ていた。
『都名所図会』天明6年(1786)版
『大和名所図会』寛政3年(1790)版
『江戸名所図会』天保7年(1836)版
丁度花の季節を描いたシーンを出しているが、とても面白い。名所図会というのはどうしてこんなに浮かれ心をあおるのだろう。


『蘭石図屏風』 与謝蕪村筆 
奇岩と蘭のコラボレーション。蕪村は春から初夏にいい作品が多いように思う。

菜の花
『東山第一楼勝会図画帖』 渡辺南岳・余田正胤筆ほか 寛政11年(1799)
寄せ描きというか、興に乗った絵師たちが京都東山の第一楼で描いたようだ。
チラシの菜の花に黒い蝶。それがチラシにも選ばれた絵なのだが、色の対比がとても綺麗だった。

ああ、楽しかった。本当に「春の意匠」を集めていて、それを楽しませてもらえた。
庭園も春の装いに変わっていた。そのことはまた後日書きたいと思う。今月末までの展覧会。

辻村寿三郎 平成アールデコ

わたしは現存の作家の中で、辻村寿三郎師をいちばん偏愛している。
それは『新八犬伝』に始まり、現在に至るまで変わることがない。
『辻村寿三郎 新作人形展 ?平成アールデコ?』展は24日まで京都高島屋で開催した。
わたしは二度ばかり味わいに出かけた。
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入ると『雨月物語』の『白峰』に想を得たシリーズが出迎えてくれた。
人形と書がそこにある。寿三郎師は『新八犬伝』放映直後、新聞小説『まどう』の挿絵を始められたが、それらは般若心経一文字一文字に裸体の人間が絡むというもので、当時かなり衝撃を受けたことを覚えている。
専門の書家ではないことが、却って書に独特の味わいを持たせたか、書く内容より字の躰そのものに不思議な魅力があった。

白河院 青坊主の院は煌く目を持ち、指先に朱をにじませ、綸子を召している。
この方は色好みなだけでなく政治にも色々な業を見せたそうだが、ここでは崇徳天皇と平清盛の実父ではないか、と紹介されている。

その隣には後白河院がある。 銀色頭の院は派手好みだけに明るい柿色の法衣をまとい、顔だけはにやけたような造りである。政治的態度と今様狂いとが、その悪評を今に伝えているからか、どことなく<厭な>ツラツキをしている。

西行法師 筵のようなものを頭上に広げ、空をのぞく法師は、袖中にされこうべを収めている。誰のされこうべか。これが西行でなく文覚なら想像もつくのだが。
麻の着物がいい色合いに染まっていた。

祇園女御 金色の唇をした、美しい女が朱袴のまま立っている。
白河院の子を身籠ったまま平忠盛に下賜された、という伝承がある。その一方清盛は彼女の子ではなく、その妹の子だとも言われているそうだが、こちらの出典は知らない。
わたしには祇園女御のイメージは、吉川英治『新平家物語』での、勝気で尼になってから却って好き放題に楽しく活きる女、というのがある。
しかし師はここに彼女のための歌を捧げている。
捨てられて なみだ後ひく さみだれの月 
さみだれに 涙かれて くちがさけても

顕仁親王と虎寿丸 二人の少年。顕仁親王は古風なみずらに髪を結い、ぼんやりした風情で相手を見ている。いや、見ているかどうかわからぬ茫洋とした眼差しである。
そのうつろな少年に比べ、対手の虎寿丸は名に虎の字を受けただけに、蓬髪をかきあげて結んだような髪に、きつい顔立ちの意思的な少年に見える。袴の裾模様は大きな虎が二匹縫い取られている。
この二人の少年が実は異腹兄弟だと言うおそれがある、ということに面白さを感じる。
二人の、自分の運命に対する立ち向かい方は対照的だ。
虎寿丸は平清盛となり、顕仁親王は崇徳院となる。
道なき道を切り開く清盛、帝位を追われ保元の乱を起こす崇徳院。
清盛は死後に道はない、と生あるうちに疾駆し、崇徳院は死後に魔王となって、亡者・天狗の群の上に君臨する。その軌跡をこの二人の少年から見抜くことは出来なかったが。

近衛天皇 病鉢巻を巻いた黒髪が痛々しいほどに艶やかだった。17歳で崩御する少年帝。眼病からの死のために、この人形の眼も閉ざされている。
彼は明るい柿色の綸子をまとうている。しかしそれは重たげに見えた。

鳥羽帝と美福門院 雛のように並ぶ二人。その背景には師の絵がある。決して金屏風ではなく、そこには雨曝しにされた数限りないされこうべが描かれている。野ざらしの髑髏には何が宿ると言うのだろうか。

「白峰」から「さみだれ短歌」を師は連歌する。
薄墨で書かれた文字の連なり。言葉は音声を持たない人形たちの心の声となる。

北面の武士・佐藤義清の人形がある。弓矢を持って立つ彼の裾模様は、彼の後身が詠んだ歌にちなみ、舞い散る花びらである。

待賢門院璋子 いくら平安朝の色の始まりが早かったとは言え、この姫はあまりに早熟ではないか。十歳で密通を始めたとは後世恐るべし少女なのだった。
しかも彼女は澄ましたおもてをあげて慎ましく座っている。

崇徳院、狂乱。 病鉢巻を締めた院は物狂いのように胸をはだけ、紫の打掛、海老茶の袴を忘れたように、どこかへ行こうとしている。ここではないどこか。讃岐に流され、死後に初めて強大な力を得たという院の、無慚な佇まいがそこにある。

鎮西八郎為朝 本朝随一の武人は強弓を手にして立っている。片手には兜が掴まれている。大きな紫の数珠を肩からその手に掛け渡している。
強さを感じさせる人形、その顔には見覚えがあった。まだ鬚を残していた頃の小笠原道大、彼に似ていると思った。

ここで世界が変わる。
大蛇がいた。オロチ即ちスサノオでもある神がそこにいる。
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初めてこの人形に会ったのは、もう16年も前か。松屋の人形展のチラシで見たのだ。
実物にはその少し後。舌先もチロチロと伸びている。二つに分かれた舌。そして猛々しい大蛇もまた大きく口を開け、チロチロと二つ分かれの舌を出している。
彼が何故この場にいるのかを考える。
スサノオは根の堅洲国の王となり、地上を去った。その物語がこの会場で彼を道祖神のようにしたのか。

新八犬伝。 全てのTVドラマで最も深い愛を懐くもの。わたしが見始めたのは物語も後半の、道節が仇敵・鰐崎悪四郎猛虎の姦計に陥り、水牢に落ちたシーンからだった。
あれからどれくらいの歳月が経ようとも、この番組に優る愛を注ぐものはないと思う。
馬琴の原作も読み、専門書も読んだが、やはりこの「新八犬伝」が一番好きで好きで仕方ない。

その好きな新八犬伝の人形たちが並んでいる。後に新たに作られた額もの・当時の写真(モノクロ)・当時動いていた者たち・・・
何度見ても・いつ見ても胸が震える。
額ものは小物、たとえば巾着袋を髪に見立てたりしての造形で、発想が面白い。
額蔵、役の行者、小文吾、道節。
人形は左母次郎、八房、玉梓、伏姫、義実、おかつ。
写真は信乃、角太郎、毛野、義実、水入りする道節、小文吾、現八。
彼らに誘われて、壁に仕切られた一隅に入ると、「芳流閣」が始まった。
ああ、嬉しい・・・。45分間の夢の時間。
実はこのDVD三年前の展覧会で購入しているのだが、いまだに開けていないのだ。
NHK人形劇クロニクルシリーズVol.4 辻村ジュサブローの世界~新八犬伝~NHK人形劇クロニクルシリーズVol.4 辻村ジュサブローの世界~新八犬伝~
(2003/01/24)
坂本九、辻村ジュサブロー 他


こちらは1話20話最終話のDVD。
愛が深すぎると、往々にしてそういう現象が起きてしまう。
だから今こうして見ることが出来て、本当に嬉しかった。
うっとりしながら席を立つと、新八犬伝の人形たちが出迎えてくれた。
金碗大助、小文吾、現八、女田楽あさけの(実は毛野)、額蔵が。

意識が変わり、今度は小さな貝人形があった。蜆か浅蜊かを使った、とぼけた味わいのある人形たち。貝の表面に縮緬を張り込んで顔が生まれる。着物を着る前に皮膚として縮緬を着る人形たち・・・。それは貝であっても変わることがない。
ここにいるのは女房やおいらん、糸巻きを持つお三輪、橘姫。

また小さい人形のシリーズがある。こちらは「たけくらべ」。この人形たちはある特徴を具えている。小村雪岱描く女たちが三次元化すると、この人形たちになる。
ジュサブロー著書の中にこんなことが書かれていた。
「鏡花の小説の女たちを人形にしようとすると、・・・になってしまう」
伏字にした文字を眼にしたとき、自分の頭の中にそれが浮かんだ。

源氏物語縁起。’01年とその翌年にも見ている。
小さな人形たち。顔立ちも小さく墨や朱を置かれたもので、本当に小さく愛らしい。
その源氏物語の世界を鳥瞰するのが一際大きな人形・紫式部なのだった。
寿三郎人形の特徴を具えた美しい顔立ちの人形は、この「源氏物語」の世界の創造主であり、ときにはこうしてデウス・エクス・マキーナとしてこの場に立っている。
各場面が散りばめられた台。嘆く桐壺、物狂いとなり肌を曝して庭を逍遥する桐壺、雨夜の品定め、光君と葵上との婚姻、言葉巧みに若紫を連れ去る(かどわかす)光君、薄衣を残して消える空蝉、そして人知れず夕顔の遺骸を運ぶ惟光。生きているときはか細く頼りなかった肉が、死んだことで重量感を増している。髪は広がり広がり、手足も大きく広がり、女郎蜘蛛のように男の背を覆い尽くす。
女に死なれ、茫然と佇む光君。巨大な擬宝珠によりかかる主人を尻目に働く惟光はほっかむりをしていた。

人形佛大日縁起。源氏物語縁起の対面にほとけたちがいる。白縮緬ではなくやや濃い色の縮緬で肌を覆われた仏たち。石川淳風に言えば「死なない料簡の佛だち」。
空海になる前の、讃岐にいた少年・佐伯真魚が仏の前から真っ逆さまに墜落する。
どこかの廃寺からのものなのか、今出来のものなのか、獅子や象の木彫が仏たちの体重を支えていた。

角を曲がると、芭蕉の葉を持った男がいた。壮年の松尾芭蕉。そこには写真が飾られていて、森の緑の中、小さな鳥居があり、その前にウサギ人形がいた。また、苔むした石燈篭の前にもウサギ人形はいた。

歪んだ美はバロックかもしれないが、恋に歪ませた建物写真はバロックではなく、そこにいる「平成の娘たち」人形は、わたしには遠い存在だった。

十二星座の人形たちが壁にかけられている。
アリエス、タウラス、ジェミニ、キャンサー、レオ、ヴァルゴ、ライブラ、スコーピオ、サジタリウス、カプリコーン、アクエリアス、ピスケス。
それぞれの特性は小物で示されている。
最初にこの十二星座の人形たちに会ったのは、’96年の深川江戸資料館だった。
当時のチラシ。mir595.jpg

帰る間際にそれを知り、タクシーを飛ばしたことが懐かしい。

目玉座が出開帳している。パリ風ショータイムの始まり。平成アールデコ。SILKDOLLと名づけられた新作人形たちは、やや大きな造りだった。
チラシ左の彼女は座を見つつ、別な塔の上でくるくる回転を続けている。

阿蘭陀異聞 三年ぶりの再会。モルガンお雪、シーボルトの娘いね、マダム蝶々、唐人お吉、マダム貞奴。
南北五人女 小糸、三囲の土手での桜姫、団扇を持つお糸、お岩さん、お染。
西鶴五人女 雪ウサギを持つおせん、おさん、おまん、お七、お夏。
・・・時折、自分がこの中の誰かに似ているような気がする。
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吉原 何種類かあるうちの一つ。やや大きな人形たちで、遊女、かむろ、太夫、振袖新造、おかみらがいた。

VTRはここにも流れている。
『押絵と旅する男』 その映像が流れる前で、舞台と同じ装いがここに広げられている。
娘、鳥打帽をかぶる兄、お七人形。

最後に葛の葉と童子丸と狐がいた。
『元禄港歌』で繰演された悲しい母子の人形。「恋しくば たずね来てみよ 和泉なる
 信太の森の うらみ葛の葉」
わたしは説経節の原典「信太妻」も好きで、秋元松代の原作戯曲も好きで、平幹二郎の台詞回しもとても好きなのだった。

二度が二度とも夢見心地で、どちらも閉店までその場に執着し続けた。
久しぶりに人形町のアトリエに行きたい、と思った。
しかしながらときめきが大きい分、絶望に近い焦燥感と胸のきやきやは深まるばかりでもある。
完璧に観る、ということが出来ないそのもどかしさのせいかもしれなかった。
もっと奥へもっと深奥へ・・・希求は募るばかりなのだった。

昔の京をのぞく

昔の京都をのぞく
ご大層なタイトルだが、別にタイムスリップしたわけでも、古跡をたどったわけでもない。
京都で見た小さい展覧会の感想文まとめ版、そんな内容ですわ。
・京の鳥瞰図
・池大雅
・雛人形
こういうのを見たので、それを少しばかり。
あまりに出かけすぎているせいか、いつ行ったか・どこへ入ったか忘れるときがある。
そのためにもデータベース化した記録や、そこからの記憶を大切にしなくてはならない。
時々は二度三度見る展覧会もあるし、書きようのないこともある。
寺町通り丸太町上ルの京都市歴史資料館では、「京の鳥瞰図」を見た。
ここは新島襄記念館のほぼ隣で、向かいには京都御苑がある。
数年前から行きたい館ではあれど、行く機会に恵まれなかったのが、去年から展覧会のたびに出かけるようになった。ここは無料で京都の歴史資料・民俗資料などを見せてくれる。
鳥瞰図と言えば大正の吉田初三郎だとアタリをつけて出向くと、無論吉田の作品も多いが、意外なものも色々展示されていた。

一番古いのが『モンタヌス都の図』 これはオランダ人モンタヌスの「日本誌」に描かれた京都の地図で、西暦1669年出版。ただし聞きかじりの内容なので、見てきたようなウソどころではない「え????」が多いらしい。しかし西洋の古地図というのは元々いきなり龍がおったりするから、まぁそれはそれで面白いもんです。

横山崋山『花洛一覧図』mir591.jpg

だんだんリアルさが出てきた。なんしか「あっここここ」があるもの。ところでわたし、地図は好きなのに地理は嫌い。たぶん中一のとき、白地図の色塗りに失敗して、教師に叱られたせいだと思う。

『円山公園鳥瞰図』 明治の京都。枝垂櫻も描かれている。ずーっと奥に金閣ぽい建物があるなと思ったら、それは旅館・吉水温泉の楼閣。チープかもしれないが楽しい。火事で二十年後には焼失したそうな。

昭和の広重は川瀬巴水、大正の広重は吉田初三郎。
色々沢山出ていて、これが見ても見ても見飽きないし、見たりない。京都市内の鳥瞰図なのに富士山や門司の文字まである。
昭和天皇の即位大礼を記念して、岡崎公園で開催された「大礼記念大博覧会」の会場などが細かく描かれている。そう、今の京都市美術館、あれね。
交通図会、名所大鳥瞰図などなど色んな名称にしているが、どちらにしろ遊山気分を盛り上げてくれる。

池田遙邨『京都名勝図会』 ‘52年の作で、西山上空から東を望む構図なのだが、どう見てもガイドブックの手描き案内地図。・・・遙邨の絵は可愛いからなぁ・・・

‘58?’65まで白川書院から刊行された竹村俊則『新撰京都名所図会』という本が凄い。ビルの窓の数まで描いてる・・・40年以前の本なのに、「京都の名所旧跡に関して疑問が生ずれば、まずこの本を紐解くことが早道です。」と解説にも書かれていた。
この展覧会は4/6まで。

京都文化博物館では春の恒例お雛様が並んでいる。毎年どーのこーのと書いているので詳しくは書かないが、今年はさすがに立雛を寝かせるような恐ろしいことはしていない。
髪を描いている人形ならともかく、髪をつけた立雛を並んで寝かせると、どう見ても情死体にしか見えない・・・
有職雛、次郎左衛門雛などの対のほか、なんとも立派な、立派過ぎる御殿作りの段飾りもあった。
お道具に桐の箪笥まであるか。しかもへんな人形も添えられている。お産人形とかほっかむりの時次郎みたいな優男や、梅下に佇む女とか。まぁあるだけそろえて並べたんでしょうね。
関西はリアル志向なので、雛のお道具にも台所のオモチャなどが多いのだ。
珍しくも陶器雛もあった。 白くて綺麗だが、貫入が入るのが皮膚の細胞にもみえた。
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同じく文化博物館では池大雅の絵も展示されている。今回は書はなく絵のみ。
『寒山拾得図』 丸い。丸いとしか言えないくらい、丸い。一筆書きぽい面白さがある。
円の中にそれぞれのポーズと表情がある。これは禅問答のような・そうでないようなヘンな楽しさがあった。考えることは無限に生まれてくるものだなぁ・・・
『柳下童子図屏風』 ころころはここにもいる。二人の子供が橋の上で水面に手を入れて遊んでいる。流れも早くないので落ちても大丈夫そうだ。さっきの二人組が童子に還ればこんな感じのような気がする。
『墨竹図』『墨梅図』 どちらも文人画・南画と言う分け方など見捨てて、心のままにサラッと描いたような名品。勢いを感じる一方、人生に無駄な装いは不要、という言葉が聞こえたような気がする。
雛と池大雅は京都文化博物館で4/13まで。
ところで惜しいことをした。3/16に文化博物館では森雅之特集で『浮雲』を上映していたのだった。
わたしはこの映画が好きで好きで仕方ないのに、残念なことをしてしまった・・・。

美の壷を楽しむ 2

昨日の続き。

掛け軸入門・表具 またまた好きなものが現れた。
装身娯目帖 これは表具師の家に伝わる大正時代に制作された雛形帖。実物の何分の一かの愛らしい表装が並んでいる。
その当時の書家や画家にそれ用の作品を作ってもらったそうで、そのこと自体が楽しい。

こちらは「絵因果経」益田本、五島美術館蔵。mir587.jpg

古裂の面白さがよく出ている。
一方、表装を自分好みのものに変える、ということを<ツボ>にしたコーナーがあった。
北村美術館の北村謹次郎の例が展示されている。
熊野懐紙集や蓮月尼短冊など。CGで元のものと、現行のものとを比較展示している。
そして剥がしたものは別に帳面に綴じられているが、それはそれで楽しいものになっている。
相性がよくない、ということを考える。美意識の在り方を思う。
現行のそれがベストなのかどうか、わたしにはわからない。しかし見ていて邪魔にならないというのは、やはり成功していることなのだ。
陽明文庫展で見た家煕表具のような豪華絢爛なものばかりがベストではなく、さりげなさと言うのも大切なことだ。
・・・と言いながら、わたしはけっこう表装に色々したい方なので(実際にする機会はないのだが)そう言うこと自体を楽しく思う。
京都には山本之夫氏と言う表具師がいて、彼の作品を’02年に京都むろまち美術館で見る機会があった。優れた表具師や庭師は同じことを口にする、とそのとき思った。
「作品本体を活かすため、目立ちすぎてはいけない」
釣り合いと言うものの感覚を養わなければならぬのだった。
他に金襴や緞子、間道の布が大きいままの姿で置かれていて、それにも感心した。
わたしは茶道具のうち、何が好きと言うてもお仕覆がいちばんなのだ。

切子。メイド・イン・(かつての)ジャパン。江戸系と薩摩系とがあった。
ギヤマンがカットガラス系、ビードロが吹きガラス系だったか。
仮面の忍者赤影の追うギヤマンの鈴は洋物なのだったハズ。
話はまたも脱線するが、妹の友人が面白い子で、英語の設問にこんな答を出した。
Q、わたしは東京に住んでました。
A、I live in EDO
・・・ウケたなぁ。要するに、そのlive in EDOの頃に制作されたガラス。
ガレのような不透明に多重層の色を、というのではなくに、それこそボヘミアやヴェネツィア風のカッティングが入るから、切子なのだ。
その中でも黄色や青や赤を入れたものがある。
ここには出ていないが、サントリー美術館所蔵の蝙蝠形切子鉢は最高にすばらしい。
薩摩切子のカッティング技法は<ストロベリーダイヤモンドカット>と言うそうだ。

高島屋ならではの特別コーナーがあった。
レトロポスター。わたしの大好きな北野恒富と橋口五葉のポスター三枚が出ている。
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恒富のは高島屋史料館に蔵されているもので、これは十年以前、サライか今はなきアサヒグラフで見て、途端にのめった作品。大体商業芸術も好きなので、嬉しい。
肩脱ぎのポスターは当時道行く人に獲られまくったそうだ。人気沸騰。
五葉のは日本郵船のポスターで、束髪娘がこちらを見る図。
(実はこの後に堺筋の高島屋史料館へ走った。今回は池田遙邨の金閣などを見た)

他にも友禅、藍染め、江戸文様などをみた。
藍染は実物がそこにあり、触れるように支度されていた。気持ちの良い感触。目の前には千鳥に波を絞りで示した浴衣があった。
有松絞りはなかなか素敵だ。
江戸の文様は型紙が置かれているが、これは今で言うシルクスクリーンなのか。
幕末から明治の「縞に蝶」「波濤に蝶」などが気に入った。先のは小さく、後のは大きい蝶。
基本的に蝶が大好きなので、そんな柄を見ると嬉しくて仕方ない。
松ぼっくりや雪などのパターニングも可愛い。
うちの母は江戸小紋などが好きなのだが、わたしは友禅が好きだ。目標・宇野千代先生。
それにしても型紙を見ていると、欄間とどこか通底するものを感じる。

唐津焼。始まりが染付で〆が唐津焼と言うのもええ選択ですね。
・・・とは言うものの、実はわたし唐津焼にあまり縁がない。見ていても良さがよくわからない。
唐津の本場に行ったのに、唐津焼を見なかったタタリか。
しかし一枚よいのをみつけた。目跡がくっきりするもの。これは可愛い。
他にぐい呑みが並ぶが、酒を飲まないので実際のよさがわからない。残念なり。

最後に反省。昨日の記事冒頭で染付吹墨山羊文皿を初見などと書いたが、「それはおかしいな」と今朝いきなり思い出した。
探すと自分の絵はがきコレクションの中に(絵はがきではなく切り抜きなのだが)鎮座ましましておりますがな。
これです。mir588.jpg

ついでに言うと、これは見た実物のとは別物で、兄弟皿だと思う。
月の位置が前後に異なっている。・・・もしかすると時間が経って月が移動したのかもしれないが。
中国の「図絵宗彜」ずえ・そうい から採られた構図らしい。

ああ、自分のダラクと衰退を感じるなぁ・・・
書くときはきっちり調べて書かなアカン、と反省の遊行七恵でした。

美の壷を楽しむ 1

なんば高島屋に『美の壺』展がきた。楽しみに待っていた。
10のテーマがある。それぞれ楽しもう。
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まず染付。
吹墨兎文皿  これは馴染みのうさぎ皿で、あちこちで見掛けるが、それだけ人々に愛された皿なのだ。これは栗林コレクション。
続いてうさぎが丸く控える皿がある。ひどく可愛らしい。初見。思わず下手な絵を描いてしまったくらいだ。
吹墨山羊文皿  吹墨が夜の靄のようで、薄い三日月の下に昂然と顔を上げる山羊を静かに写し出す。山羊文は初見。
辰砂鶴形香合  長い首を伸ばして羽繕いする鶴が愛らしく表現されている。仁清にもこんな作品がある。丹頂に辰砂が使われているが目立ちはしない。ここまでが栗林コレクション。ええのをお持ちですなあ。
染付唐草文輪花小皿  これがすばらしい!見込みは濃い藍の唐草で、ぐるりは白地の唐草。実にすばらしい。やはり器というものは自分が使う気で見てしまうところがあるから、この小皿は(むしろ小鉢)自分で使いたい欲望をかきたてるのだ。ああ、本当に欲しい…!戻ってまた見たが、やはり欲しい。手頃な大きさ、濃い発色。唐草自体にそんなに愛着はないが、これは凄いわ。名残惜しく・未練がましく行きつ戻りつを繰り返した。これは九州陶磁文化館の柴田夫妻コレクションだという。

次はアールヌーヴォーガラス。
国内には諏訪の北澤美術館という素敵な美術館がガレやドーム兄弟の名品を蒐集している。
ガレ 蜻蛉文脚付杯 チラシで見る限りではわからぬが、トンボの目玉は緑色なのだ。
♪トンボの眼鏡は水色眼鏡 青いお空を飛んだから 飛んだから
そんな歌もあるが、このトンボの丸い目玉は綺麗な緑色だった。
ガレのガラスの解説としてこんなことが書かれている。
「チェコやヴェネツィアの透明なガラスと違い、不透明なガラスであることが光を閉じ込め・・・」その通り、光が封じられてガラスの内部で出口を求めて増幅している。
屈折率の美は見られないが、多重層の美は味わえる。まるでアラバスターのような。
二種の木蓮水差がある。一つは半透明で、もう一つは不透明。不透明の方が艶かしかった。
花のふくらみ具合、色の折り重なる部分・・・密やかな歓びをそこに見出している。
ケマン草文花器 ウランをガラス生地に混ぜているので、紫外線を当てれば緑色に発色する。これはついこの前、たばこと塩の博物館で坂崎幸之助コレクションの中でも見ている。
あちらはメイド・イン・ジャパンのガラスだが、きれいなのに変わりはない。
ガレからドームへ。
ドーム兄弟の繊細さが行き渡る作品たち。アネモネ花瓶、スミレ文香水瓶。これらの良さは愛らしさにある。
ガレを武井武雄とすればドーム兄弟は初山滋のようなかんじ。

魯山人の器/織部焼
織部の実物を見つめ続けて、その本質を掴んだ・・・このエピソードは凄い。
どんな教本よりも確かな話だ。
銀三彩俎平鉢 こういう発想があるのが凄い。チラシで見れば銀も灰色に見えるが、実物は銀彩である。角皿の誕生は革新的だったそうだ。
志野四方平鉢 まるで雪中に立つ木のようだった。

会場には谷啓さんのお座敷が再現されている。建具がいい。床の間の建具、麻柄も入り、本当に素敵だ。蓄音機からはジャズの他にクレイジーキャッツの曲も流れてくるそうだ。

根付・櫛
根付や櫛の良いのはこれまでにも数多く見ていている。
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大阪市立美術館のカザール・コレクション、京博や東博のコレクション・・・いいものを多く見た。それでもまだ足りない。ここにあるのを見ると初見もあるので、やっぱり嬉しい。
特に気に入ったのは黒柿製のわんこと黒檀に象牙を使った白蔵主。昔のと今出来のウサギとの対比が面白かった。ほかにも芳藤の『東海道五十三次猫之怪』の岡崎から取った、寄った猫が面白い、。彼の師匠・国芳は『猫飼好五十三匹』を描いたが、弟子はそれでいい。
そういえば南北の芝居『獨道中五十三次』ではおかざき(国芳に描かせると<をがさけ>になる)は化け猫の国だそうだ。
黄楊で出来たイノシシなども可愛かったし、よくもまぁここまでと思うほど細かい細工が施されていた。
櫛は是真と羊遊斎のがそれぞれ並ぶ。
表・背・裏の続き絵が楽しい。こういう技法を返し文というのか。
以前から見ているくせに、名前を覚えていないのだ。
月雁秋草文 この蒔絵が本当にシャープできれいだった。満月の下での萩ススキ・・・
秋の良さはこうしたものに示されている。

続きは明日。

写真とは何か 20世紀の巨匠たち

既に閉幕しているが、梅田の大丸ミュージアムで「写真とは何か。20世紀の巨匠たち 美をみつめる眼 社会をみつめる眼」展を見た。
マン・レイから始まり、アンディ・ウォーホルをも含めて、キャパ、ニュートン、メイプルソープ、ユージン・スミスまでの14人の作品を展示していた。
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チラシの幼児二人を捉えた作品はユージン・スミス『楽園への歩み、1946年』
幼い兄妹ふたりが暗い木陰から日の当る場所へ歩き出している。タイトルのつけ方が巧い。そして幼子二人の姿にそのタイトルをつけたこと自体の意味をも、考えさせられる。
原初の男女が兄妹だったと言う、各地に残る創世神話を思い起こす。
楽園から放遂される以前、どのようにして楽園に迎えられたのか。
そんなことを延々と考えていた。

少し前の話だが、どういうわけか駒場の日本民藝館でアーヴィング・ペンの写真展が開催されたことがある。「ダオメー」アフリカのダオメーの民俗を撮影した数々。’04,9。
その頃わたしはダオメーにある種のときめきを懐いていたので、初めて民藝館に出向いた。
何にときめいていたか。
ブルース・チャトウィン『ウィダの提督』を原作としたヴェルナー・ヘルツォーク監督作品『コブラ・ヴェルデ』がそのダオメーを舞台にしていた。
偏愛する役者クラウス・キンスキーが<貧者の中の貧者>から身を起こし、提督として栄光と破滅とを味わう物語。暗黒大陸にただ一人の金髪の白人男の生と死。
彼の子供は600人を超え、彼の愛人は千人に達するが、彼はこのアフリカの中で深度の高い孤独に苛まれる。彼の死にも無関心に歌い踊るアフリカの女たち、子供たち。
彼女たちの肉体に刻まれた不思議な刻印。
それを忘れられずにいたので、ペンの作品にゾクゾクした。
今回、そのうちの同種の写真を見た。彼女たちの膚を刺す刻印は刺青ではなく、瘢痕なのである。ScorDecorated。当時の私はそのことをこう書いていた。
「刺青にも増して酷愛の軌跡」と。それから三年半経ったが、意識は変わらなかった。

わたしの展覧会めぐりの始まりは大丸百貨店からの誘いだった。
20年もこうして楽しませてもらっている。
心斎橋では主に近代日本画・近代日本洋画の楽しみを教わり、梅田では写真などを見せてもらってきた。
だからメイプルソープもヘルムート・ニュートンもどちらも梅田の大丸ミュージアムで知ったのだった。
どちらも深い官能性こそが特徴だが、その視線は方角が異なる。
アメリカよりもコンチネンツの選ぶ快楽の方が、深く重いように思う。
見る側は沈黙しながら眼だけを動かして歩く。
挑発するのはモデルではなく、カメラマンの意識そのものなのだ。その眼に対抗、あるいは従順になりながら作品を眺める。観賞ではなく秘かに“It commits by an eye”。

マン・レイの作品もまた大丸で見たが、それより先にどうしてかなんばシティで見ている。
‘90年6月、その一週間後には中山岩太「上海から来た女」の写真を見ている。
マン・レイの作品よりも、その作品の生まれた背景、その時代に憧れがある。
『アングルのヴァイオリン』 女の背に描かれた<何か>に惹きつけられるのは、この作品と、文字で描かれたあるものだけだ。
「女の背中は燦然とした」この一文と、この写真とは全く違う地平に立っている。
しかしながらこの女の背中もまた、永遠に輝き続けているのだった。

わたしは毎日新聞の読者だから、毎日新聞の特派員とキャパとの関係を連載読み物として楽しんでいた。数年前、彼の最後の作品、文字通り地雷を踏む直前の写真がプリントされたのを見た。
そして彼が属したマグナム・フォト・シネマの作品群も見た。
報道写真というものの本質を考える。考えながらも、そのときにはロバート・キャパの風貌が頭の中に広がっている。キャパは実にいい男だった。
彼の肖像写真はチェ・ゲバラのそれと同様、わたしの中では「いい男」の双璧なのだった。
それにしてもキャパ『ちょっとピンボケ』は本当に素敵だ。

他にも見ているのだが、書きようのない状況に入り込んでいる。
わたしは自分の望むものしか見ようとしないから。
写真展を見るといつも緘黙する。そして声にしない言葉が延々とあふれ出す。
感情も浮遊する。
それをどう宥めようか考えることもないまま、会場を後にした。

ひろしま美術館所蔵・フランス近代絵画展

えき美術館では月末まで「ひろしま美術館所蔵・フランス近代絵画名作展」を開催中。
ひろしま美術館は素敵なコレクションを持つと評判だったが、ここが公立ではなく広島銀行による記念事業の私立美術館だと、今回初めて知った。開館30年になるそうだ。
広島の復興と平和への祈りと文化振興のためにと建てられたことを知り、少しばかり胸に満ちてくるものがあった。
「愛と安らぎのために」をテーマとして作品を収集しただけに、眺めていて朗らかな気持ちになる作品が多かった。
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ゴッホ ドービニーの庭 これは「晩年の名作」とコピーがあるだけに、確かによい作品だと思う。緑の野が、木々が、建物が、目に優しい。
塗り方にもある種の抑制が効いていて、安堵する。
激しさのないゴッホの絵と言うのは、なんとなく尊いような気もした。
最近仕事に追われ神経がささくれ立っているところへ、この絵を見、なんとなく穏やかな心持ちになった。療養をしているような気分、と言うのが正しいかもしれない。

チラシにはゴッホの下にフジタの三枚続きがある。
フジタ 三王礼拝・十字架降下・受胎告知 '27年の作だからまだ藤田嗣治なのだが、表記はレオナール・フジタである。
キリストの生涯を描く絵画のうち、わたしは東方の三博士をモティーフにした作品が特に好きだ。ここでは牛や馬の姿もあり、彼らとベツレヘムの星を立会いにして、三人の王が聖母子にまみえている。
フジタはこの三枚の背景に金箔を使う。日本画のような技法での作品である。
中の悲嘆絵の描線の美しさ。しかしながら常に思うことがある。フジタの色彩はどうしてか心惹かれることがない。特に色の種が増すほどにその感が強くなる。
抑制された色調と言うより、なにかしら鬱屈を感じてしまうのだった。

コロー 花の輪を持つ野の女 コローは女性像に良いものを感じる。美人画として眺めるわけではないのだが、コローの描く女にはどことなく魅力がある。
彼の死後にアトリエから大量の婦人像が現れたことと関係があるのかもしれない。
女は腕にピンクのカバーをつけている。布の質感がわかるような。
しっかりした首、きちんと対称的な顔の造形。身体をやや傾けていても顔だけは真っ直ぐなのが、女の存在感を強く示している。

レジェ 踊りmir580-1.jpg

普段はあまりレジェに関心がないのだが、この絵には惹かれた。多分左側の女の表情に惹かれたからだ、と思う。「踊り」自体はちょっと何をしているのかよくわからないが、追求するのはやめよう。
シンプルな絵であればあるほど、ちょっとした眉の動きなどに引き寄せられるものなのだった。

ルノワール パリスの審判 ルノワールはこのエピソードを描くのが好きだったのか、どこかで別な作品も見ている。充実した肉体の女たち、輝くばかりの肌。黄金のリンゴを手渡す瞬間の、パリスとアフロディーテの表情。彼女だけが顔の色艶が明るい。
左上のヘルメスはやや重たそうだが、構図を引き締めている。

クールベ 雪の中の鹿の戦いmir584.jpg

この画家は本当に鹿の絵の多い人だ。オス同士の争いを眺めるメス。優良な遺伝子を伝えたいから、メスは冷静に二頭の戦いをみつめている。

ピカソ 酒場の二人の女 「青の時代」の作品にはどれにもせつなさがつきまとう。
明日どころか今日ですらわからないような二人の女。二人でいても一人ずつ。

ゴーギャン ブルターニュの少年の水浴mir585.jpg

とても可愛らしい少年たち・・・♪ 構図的にはセザンヌ先生を思い出す。

マネ バラ色の靴(ベルト・モリゾ) 前身黒ずくめのモリゾが椅子の前に立つ。裾から右足だけを出す。バラ色の靴がのぞく。画家の望んだ構図なのか、モデルが画家と観客とを挑発するために取ったポーズなのか。
バラ色とは言え決して明るくない色合い。モリゾは黒ずくめと言ういつものパターンだが、こうしたところにバラ色の小物を使っている。

ピカソ 子羊をつれたポール、二歳 画家の息子 mir583.jpg

長いタイトルに子供への愛情がにじんでいる。ピカソは40代以上になってから子供をこさえているが、中でも最初の子ポールを描いた作品に名品が多い。
色彩をペンで封じたような描きようが、子供と子羊の柔らかさを強調している。
ポールの頬、ポールの腹、ポールの足、きょとんとしながらポールのそばにいる子羊。

パスキン 緑衣の女 いつものように曖昧なぼかされた色調なので、女が緑色の衣装を身につけている、と言われれば「そうなのか」としか言えない。セピア色というより濁る川の色。そこにイブニングともチュチュともとれる服を着た女がソファに座る。
表情からは何を考えているか読み取れない。どこも見ていない女。

キスリング ルーマニアの女mir580-2.jpg

エコール・ド・パリやフォーヴの画家たちは、民族衣装を着た若い女を描くのがちょっとしたブームになっていたようで、幾枚もそうした女たちを見てきた。ここにいるのは黒髪の若い女で、ややメランコリックな眼差しをどこかへ向けている。キスリングの好む表情。ルーマニアのブラウスは刺繍が丁寧で、その華やかさが却って白い布地の清楚さを引き立てている。綺麗な口紅。白目の少ない大きな目。
やや丸顔の中にそれらが収められている。その彼女の影が薄いことが、ふと気にかかるのだった。

ヴュイヤール アトリエの裸婦 ヴュイヤールの室内風景は、多くの描きこみがあるが、ここではそんなに多くは描かれていない。黒髪の裸婦が立つ。肌はやや濃い色をしている。
なにがどうと言うこともないが、裸婦もまた室内に備え付けられた家具のようにも見えた。

フジタ 裸婦と猫mir582.jpg

藤田の、こうした作品ならいくらでも見たいものだと思う。グラン・ブランもさることながら、やっぱり猫だ。このキジネコはやや横広がりの顔で、目つきが鋭い。シッポの触感がリアルに伝わる。一方、裸婦の乳輪の薄紅色と、肉の陰が魅力的だった。
マティス 赤い室内の緑いの女 以前マティスの制作のプロセスを集めた展覧会を見た。
単純化された線描とシンプルな色調、その<完成>に至るまでのプロセスに驚いた。
一つのモティーフの変遷は30枚を越えていたのだ。
だからこの絵もサクサク描いたものではなく、選び抜かれた<極めつけの線・決定された色彩>で制作されたものに違いない。昔は簡略化しすぎだと思ったが、今はそうは思わない。絵画の究極と言うことを時々考える。

ル・シダネル 離れ屋mir580.jpg

意外なくらい大きな絵で、これ一枚が壁を占拠していた。
宵闇の深い頃、家に灯りがともる。庭の木花は満開で、優しい香に満ちている。
彼の作品については、てつりう美術随想録「ル・シダネルのやさしき不在」という見事な随想に深く書かれている。

なかなか行くことの出来ない場所の作品をこうして楽しむことが出来、嬉しい気持ちで満たされている。展覧会は月末まで。いつかひろしま美術館に行きたいと思っている。

ドイツポスター1890?1933

チケットをいただいたので喜んで出かけた。
基本的にドイツが好きである。ごく幼い頃からドイツに憧れていた。
今もドイツ語に触れると嬉しくなる。
京都国立近代美術館によると、
グーテンベルク以降の印刷技術とその豊かな歴史を持つドイツでも、フランスとりわけパリの動向さらにはイギリスの影響を受けて、1900年頃から近代的なポスター、つまり画とテキストが融合した新しい視覚媒体としてのグラフィックへの関心が高まり、第一次世界大戦前に最初の黄金期を迎えます。その際に特徴的なのは、19世紀的な「絵画的ポスター」から、いわゆる「即物的ポスター(Sachplakat)」が台頭してきたことです・・・ バウハウスやその他の新たなデザイナーたちによって、ドイツのグラフィックは第二次世界大戦前、第二の黄金期を迎えることになるのです。
好ましいところだけ選ってしまった。
mir579.jpg 各時代のポスターたち。

絵画的ポスターから即物的ポスターへの転換が、実はモダニズム精神そのものだと思う。
会場には四十年余の間に生まれたポスターが170点ばかり展示されている。
会場はアート系の学生らしき人々で、随分賑わっていた。

ポスターの裏面がリストになったものをもらった。それとチラシとを手にしてぐるぐる廻る。
商業芸術ってなんでこんなに刺激的で面白いのだろう。
目から飛び込み意識を刺激するのがシゴトだから、当然ポスターにはその力が期待されている。
それが即物的であればあるほど、意識に残る。
前代から同時代のフランスでは、ロートレック、ミュシャ、シェレらのポスターが活きていた。
あれらは言わば「芸術的ポスター」で、即物性は薄い。
エスプリを大切にする国民性と言うのもある。
それと趣を異にしたのが、ソヴェートになってからのポスター(ロシア構成主義の)、日本では里見宗次ら以降のポスター、そしてこの時代のドイツのポスターなのである。
わたしはどちらかと言えば芸術性というか、日本のポスターでも美人画ものが好きなのだが、しかしこうした即物性にも惹かれるのは確かだ。
何しろわかりやすい。
このわかりやすい、と言うのは大切だ。何を言いたいかわからんポスターでは仕事にならない。
情緒を排除したところに新しいシャープさが生まれる。
因みに日本のポスター史はこちらに詳しい
のぞいてみて、実に多くの資料と画像があるのに感心した。

さてドイツの20世紀前半。19世紀末からの余波が活きている時代。
「ドイツ近代ポスターの先駆者たち」

ハンス・バルシェク 『伯林生活誌』mir578-3.jpg

ペーター・ベーレンス『接吻』mir578-1.jpg

これらを見ると、ユーゲント・シュティールの影響を感じる。

「ドイツ近代ポスターの黄金時代」
ドイツ諸都市に開花したポスター芸術、ということだが、ミュンヘンがポスターアートの最先端の地だったらしい。ドレスデン、ベルリンとの差異はわたしにはわからない。
カンディンスキーの作品も並ぶ。第二回サロンのポスター。

<Mercedes>とあるからベンツか、と気づく。ダイムラー自動車会社。1914年。
こんな時代の車に乗ってみたい。

旧宮邸のポスター。mir578-2.jpg

なぜか魚が上を泳いでいる。これはあれか、ここがホテルか保養地かになり、魚釣りも出来ますよ、的な?

もっとハッキリしているのはこちら。
「お菓子を買うならS―i印だけ」mir578.jpg ・・・けっこうロコツだな。

見ていて面白いものが多い。やっぱり商業芸術は見て・見られてナンボのものです。
目立たないとアカン。言いたいことハッキリしないとね。
テキストより絵で一発でわかるのが本当にいいポスターだと思う。
そしてキャッチコピーは短いほどいい。

とは言え戦時下に入るとこれがまた言葉が増えてくる。
たとえばこんなのがある。
「無政府主義と其の暴行脅迫に対して独逸の各階級は一致して祖国を擁護せよ、今や我国は危急存亡の秋なり、救え」
「独逸の戦闘員、非戦闘員捕虜に対する救済事業、今日は我が捕虜に対する犠牲日なり」
・・・・・・わかるのか、これで?
そしてこのときの絵に面白いものがあった。
虎の顔をした半裸の巨大な男性が民衆を覆いつつ、襲おうとしている。
どうみても、タイガーマスクの悪者バージョン。
う?む・・・独逸も大日本帝國も、ユーモアが消えた時点で没落していったのだなぁ。
ただのプロパガンダというのは面白くないものだ。
「暴力にもユーモアがある」と言う言葉は、通用しない。

最後にカルピスのポスターや杉浦非水のそれもあり、数だけでない充実感があった。
今月末までだが、かなり楽しめる内容だった。

ヴォーリズの建物

滋賀県立近代美術館ではウィリアム・メレル・ヴォーリズ展を開催している。
ヴォーリズの建物でベスト3をあげるなら、順不同で
大丸心斎橋店
大丸ヴィラ(中道軒)
神戸女学院
これらが私のベスト3。
米国から来て、近江八幡で人々の心を掴み、一柳米来留になった人。
日本を愛し日本で土になった人のうち、小泉八雲と一柳米来留は格別だと思う。
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チラシの図は大丸心斎橋のエレベーターの表示原画。
わたしは色んな百貨店のうち、大丸心斎橋店がいちばん好きだ。
同じものを買うなら、必ずここで買おうとしている。
なにしろ名品中の名品たる建物を大事に使い続けるその精神が、とても嬉しいのだ。
だからできる限り足を運び、カードのポイントを貯め続けている(笑)。

お膝元の滋賀県での展覧会を皮切りに全国巡回し、東京へは来年だと言うが、滋賀県に行く予定があるので、まとめて出かけた。でも来年の東京展にも行くだろう、わたし。
ヴォーリズ建築事務所が開設して今年が丁度百年ということなので、こうした素敵な展覧会が開かれている。平日に出かけたのだが、なかなか繁盛していた。
お客の大半は年配のご婦人方で、これが皆さんなかなかよい意見を聞かせてくださる。
つまりリアルタイムにヴォーリズの建物やメンソレータムを使ってきた方々なのだ。
四十年ほど前に亡くなったヴォーリズ。
しかし決して過去の人ではないのだ。
mir576.jpg

チラシ裏面の通り五つのセクションに分かれての展示には、現存・非現存の建物の写真や図面が展示されている。
全国に亙ってヴォーリズ事務所の建物が生まれている。
活きているものも無くなったものも多い。
関西圏のヴォーリズの現存する建物のうち、非公開の個人邸宅は別として、あとはほぼ全て訪ねている。

1はやはり近江八幡。以前でかけたとき、ヴォーリズ記念病院内のサナトリウムにも入らせてもらったが、空気の通るよい病院施設だった。今は使っていないから、朽ちるのが少し怖い。ガリラヤ丸の写真も見る。やっぱり伝道師だな?。

2の写真は関西学院の象徴たるチャペル。ここは一個の建物だけでなく、関西学院全般としての造営を任されていて、それがすばらしい調和を生んでいる。
もうハリボテ式しか残されていないが、東洋英和女子の写真もあった。
そのドアなど。mir575-1.jpg

九州の西南学院も保存が良いそうなので、いつか行きたいと思っている。

3は大丸。随所に見所の多い、すばらしい建物。子供の頃からたいへん好きな場所。
アールデコの粋、いくら褒めてもまだ足りない。何もかもがすばらしい。
それから山の上ホテル。いつか宿泊したいと思っているが、なかなか日が合わない。
とても良い環境だと言うことは、池波正太郎の随筆にも書かれている。

4の軽井沢の別荘は会場に再現されていた。家具は本物を持ち込んでいる。軽井沢彫りという綺麗な木彫を施された椅子や机。櫻、百合などの可憐な花々がそのモティーフに選ばれている。
再現だから本物ではないにしても、その空間の居心地の良さは伝わってくる。
とても素敵だった。

5では住宅建築を紹介していた。ナショナルトラストの管理下にある旧駒井邸などが有名なところだが、あの建物に入ると感じるのは、日本人が住まうに気楽な建物だと言うことなのだ。違和感のなさがすごい。そこが物足りなさに感じる人もいるかもしれぬが、居心地の良さと言うことは、家に対して無意識であることではなかろうか。
住まぬ身からすれば、そんなことを考える。

こちらは先般九州で手に入れたチラシ。
静岡の旧マッケンジー邸。mir577.jpg

無論ヴォーリズ設計。どこからどう見ても本当にヴォーリズの味がする。

図録はヴォーリズ研究の第一人者・山形政昭先生監修のが出ている。
重たいのと、これからまだ先があるので、帰宅後購入することにしている。
と、ここまでは展覧会。私にはこの先がある。

琵琶湖文化館でみたもの

琵琶湖文化館と聞いてもピンと来なかったが、ほとりにたつお城みたいな建物と聞けば「ああ、あれか」と。それが今月末で閉館すると言う。memeさんのブログで知り、大津歴博の別所駅からまっすぐ島ノ関駅へ出た。
IMGP3767.jpg湖岸から。IMGP3768.jpg 正面。
実はここに来るのは22年ぶり二回目。親に連れられて来たとき、水族館だった。絵や仏像など記憶がない。中に入りこれまでの46年間の歴史を読むと、やっぱり水族館もあったそうで、それらは琵琶湖博物館に移行したそうだ。絵画の大方は瀬田の近代美術館に移っている。その近代美術館ではヴォーリズの展覧会が開催中。
近江は寺社系文化財が全国四番目に多い地なので、ここにも国宝や重文がある。
しかし仏像がニガテなわたしはあんまり見ない。仏画だけは辛うじて眺める。

聖衆来迎寺の国宝・六道絵を見る。鎌倉時代の作。畜生道が特に目立つ。嘆く象の表情や色彩が今もよく残っている。
同寺の重文・絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図 これはやはりきれいだと思う。
特に惹かれたのは三月経曼荼羅図 仏の眷属には美麗な存在が多い。それを眺める。
また如意輪観音像があり、これは鎌倉の作だと言うが、インド美人のような趣があった。
つぐんだ唇になんとも言えない魅力がある。
真っ直ぐこちらをみつめる大きな眼にも蠱惑的な・・・
(仏画に俗な美貌を求めてよいのかどうかは別として、やはり美麗なものが好きだ)

続いて『青の造形』と題された企画を見る。
孔雀の絵が並んでいたり、紺紙に金か銀かの文字で綴られた法華経などがある。
そう、色んな青色の造形。
孔雀は六幅出ていたが、昨日の張月樵や若冲の作も含まれている。

宇野宗甕 青磁桔梗香合IMGP3771.jpg

これは現代の人の手による作品だが、とてもきれいだと思う。

清水卯一 青磁貫入茶碗  元々清水の青磁貫入が好きなので嬉しい。大き目の貫入は薔薇の宇宙のようだった。

わたしの目的は「風俗画」なので三階の会場へいそいそと上がる。25点のなかなか良い絵が並んでいた。

洛外図 どこを描くのかわからない。小島に人々が寄り集まる。金雲は大きい。
近江をも含めての洛外なのか?

山法師強訴図mir574.jpg

比叡山の山法師はしばしば武装して神輿を担いで強訴に来たそうで、迎え撃つ方も陣地を堅く守っている。背には矢が負われ、相手の出方を見守っている。
あの後白河法皇でさえ自由にならぬのは「サイコロの目と賀茂川の流れと叡山の僧兵」だとこぼすくらいだから、よっぽど凄いのだ。そう言えば去年、京都歴史資料館で『八瀬童子展』を見たとき、彼らと比叡山とのトラブルの文書を見もした。
作者不詳だが、勢いのあるはっきりした絵だった。

紀楳亭 俳画人物図 昨日記事にした絵師。こちらもたいへん楽しそうな人物ばかり現れている。酔うて女にもたれる高僧、踊ったり鬼ごっこするような人々、しゃべり声や歌舞音曲の音色まで聞こえてきそうな気がする。

岩佐勝重 若衆図 後に手をついてくつろいだポーズで本を読む若衆。黒地に真桑瓜の数珠繋ぎ文のような柄の振袖を着ている。
その隣には、
菱川師宣 美人図 殆ど同じ体勢の女がいる。こちらは赤い内掛で、文を読んでいるらしい。実は今日のわたし、この女と似たような髪型をしていた。
この二枚の絵を並べて展示しているところに、学芸員さんの遊び心を感じ取る。
芭蕉の句「梅柳さぞ若衆かな女かな」これを思い出す。

大津絵・青面金剛図 これはちょっと不思議な味わいのある作品だった。土俗的な魅力がある。不動と白衣の童子らと三猿、トリたち。大津絵と言うより素人絵師が絵馬に描いたような、ああいう感覚である。こういう作品に出会うとゾワゾワする方だ。

大津絵・雷図 デンデン太鼓を地に落とした雷が、雲から身を乗り出して、鉤爪で拾おうとしている。
その隣には、
大津絵・鷹図 こちらは谷岡ヤスジ的な鷹で、アサーとか言いそうな口の開け方をしている。もしかするとアサーではなくアホーかもしれない。なんせ隣の雷に向いているのだから。

狩野氏信 源平合戦図mir573-1.jpg

那須与一が矢を放ち、扇が今しも海へ落ちてゆく有り様を描いている。武士たちの表情が一人ひとり違いを見せていて、さすがに狩野派の絵だと思う。
武士だけでなく馬もそれぞれ個性がある。

横井金谷 鬼念仏図 こちらも昨日記事にしたが、大津絵のキャラ設定を借りて創作した絵だった。傘を背たろうた鬼はどことなく破戒僧(というか追い出され者)風で、見返る顔にどことなく淋しさがあった。

駒井源 江口之君図 チラシが入手できず陽の入る写真なのだが。
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さすがに応挙の弟子で美人画が(特に唐美人が)得意の絵師だけに、なかなか綺麗だった。

円山応挙 楊貴妃図 籐籠に赤い牡丹が差し込まれたものを手にした彼女は、ひどく地味な拵えをしている。これはまだ玄宗のもとへ上る前の、一時的に道観にいた頃の姿を描いたのだろうか。飾り一つない珍しい姿。
しかしながらその隣には、
岡本豊彦 楊貴妃図 鳳凰の飾りのついたティアラをつけた彼女が笛を吹いていた。

月岡雪鼎 業平東下り図mir573.jpg

マメオくん登場。切迫感のない奴め。雪鼎は上品な作品が多いので、どんな絵でもどことなく優美に見える。
伊勢だけでなく源氏絵もあった。しかしそれらの中でもこの月岡の作がいちばんよかった。本当にここのコレクションは立派なのだなぁ。

吉村孝敬 鍋冠祭図 これも陽が入ったが。IMGP3770.jpg

この風習、フェミニズムの観点から言えばセクハラとしか言いようがない。だから今では小学生の幼女たちが行う。(最近の中学生ではシャレにならないかもしれない)
しかし絵そのものはほんわかムードに満ちている。
応挙の弟子の中でもこの絵師の絵にはどことなく妙な味わいのある作品が多い。プライス・コレクションの唐獅子ファミリー図もそうだった。

五階の展望室から琵琶湖を眺める。
IMGP3765.jpg噴水までしている。雪も残る。
IMGP3766.jpg

琵琶湖の風景はtanukiさんが素敵な写真を多く記事にあげている
目を移すと、俵の藤太ゆかりの三上山も見えた。
琵琶湖文化館・・・復活する日があるなら、また来てみたいと思った。



楳亭・金谷 近江蕪村と呼ばれた画家

教えてくださる人があり、大津歴史博物館へ久しぶりに出かけた。
自宅から2時間余かかるので眩暈がするが、見たいものは見たい。
楳亭・金谷 近江蕪村と呼ばれた画家』 
紀楳亭(き・ばいてい)と僧侶もした横井金谷(よこい・きんこく)の文人画や俳画の展覧会。
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「一回見て面白さに気がつくとヤミツキになる!」「忙しい人ほど見て欲しい、肩の力を抜いて楽しむ世界」「江戸時代のほっこりキャラがたくさん!」
これらはチラシのキャッチコピー。なるほど納得の展覧会だった。
先に楳亭の作品を色々見た。
彼は蕪村の弟子で九老とも名乗り、呉春とはむろん同門。
言われてみればなんとなく「ああ」である。

寿老人図 白鹿が座る寿老人に懐いてまとわりついてる。こうなるとお使いとかお供とかを越えて、仲良しさんの図である。・・な目が神仙も霊獣も同じで、よく似ている。

白梅図  セピア色の夜梅。褪色してセピアになったのか元がそうなのか判別がつかないくらい、自然なセピア色の背景に白梅が咲きこぼれている。昼の梅もいいが夜の梅のよさは堪えられない。(羊羹でも「夜の梅」は人気だ)匂いまで漂ってくるようである。

秋草双狼図 モノクロだが絵がある。mir572-2.jpg

ちょっとキョトンとしていて、それが愛敬になっている。こっち向きの狼の顔に見覚えがあると思ったら、以前うちにいたやせた猫に似ていた。トボケた顔のこいつら、全滅したのだなぁ・・・

荒巻鮭図 荒巻と書くのか新巻と書くのか知らないが、ここにあるのは巨大な干魚である。
墨に朱を混じらせた薄墨で一気呵成に描き上げたような勢いがある。開いた大きな口からのぞくギサギザ歯並びが怖いくらいで、目も大きい。高橋由一のシャケにはまだ脂を感じたが、このシャケは齧るのに根性と気合が必要だ。だからか、由一のシャケとは上下が逆に釣られている。そんなシャケの絵。

那智山瀑布図 薄墨でさらっと描かれている。しかも水を表すのは上部の (( だけ。このシンプルさが水量を感じさせる。

羅漢乗虎渡海図 これはもうヘンな絵としか。タイトル通りの情景。羅漢が虎に乗って海を渡る。虎の尻尾はニョロニョロと天に向かって立っているけど、顔は水につけたくないからノド上りっぱなし。ノド笛丸見えでいいのか、という感じ。尻尾を立てろ!はガンバの冒険だった。

秋雨飛鷺図 ぐいっと意志の強そうな鷺が雨を劈いて飛ぼうとしている。雨に打たれても負けないぞ、の心意気があるような。

大津三社図 チラシにも顔をのぞかせたウサギがいる。mir571-1.jpg

鳥居にまといつく三者。根元にウサギ、横棒に五位鷺が飛んできて、上にはカラスがいる。これは何かの暗喩か神社のお使いなのかわからない。でもカワイイからイイや。そんな感じ。

蝦蟇仙人図 頭に蝦蟇を乗せるのは鉄拐と決まっているが、これは今まで見た中でも貧相で、ヨォヨォと声をかけたくなる。蝦蟇の重みによけい痩せてゆくのかもしれない。

夏山雨意図 杣人が二人山を行く。雨は靄を呼び、空気そのものに水分が入り込んでいる。そうした図は文人画や南画に多いが、それだけに雰囲気がある。
山家のわらぶき屋根が白く光る。しかしその屋根の連なりだけを見ていると、ラサのポタラ宮殿のようでもある。

滝双鹿図 滝の前で鹿のカップルが仲良く舐めあっている。足の細さ、胴の横長さ。ベロが可愛い。しかしオスはひしゃげて見える。眼だけカエルのように上についている。

大津絵鬼念仏図 大津絵そのものではなく、やっぱり俳画の楽しさが入り込んでいる。
短冊など貼り混ぜて出来ている。mir571.jpg


関羽図 美髯公として財産の神として、中国では古くから慕われている関羽だが、日本人は三国志が大昔から好きなので、やっぱりその画題の作は多い。ここにいるのは関羽だけでなく、後にモンゴル風な帽子をかぶった、びっくり目玉の張飛が後から顔を出している。

外法と大黒の相撲図 この二人の組み合わせはよく見かけるが、大抵は髪剃りなどで、相撲と言うのは初めてだ。相撲すると言うより肩を組んでのフォークダンスに見えて仕方ない。

本もあり、ページが開かれているが、壁には全頁のコピーが展示されている。
在原買山『春の絵會』 俳画集か、可愛い絵が多い。股のぞきするシカや、布袋に話しかけられる稲荷山の狐さんたち。耳はピンとしつつ背中は丸く、愛らしい。目は^^なのだ。

大津絵見立て忠臣蔵七段目 これは楽しい。上からお軽、大石、斧九太夫というところを、大津絵キャラが演じている。床下の鬼が可愛くて仕方ない。
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楳亭に比べ、金谷の方が絵の滑稽味は薄い。しかしご当人はトンデモ系らしい。
坂本で庵を結んだそうだが、比叡山でなにやら大変な行が始まると、これ幸いとそのツアーに入り込む。誰もやりたがらない役目を我から受けるのも、そのツアーに参加したさのためとやら。こういうキャラは晩年まで楽しく生きて行ける。
正式な門弟ではないが蕪村に私淑していた、というのがよくわかるような。

鍾馗大臣 チラシにもなったが、大きな目が印象的で、衣服の線の太さが力強くていい。
細かいところは細い線を使っている。巧さがある。いい感じ。
これなら魔も寄ってこれないだろう。

美人図 鳥居帽子をつけた美人、もしかすると女ではないかもしれないが、いずれにしても「美人」は美人だ。この展覧会では珍しい美人画でもある。1797年城崎温泉で描く、とある。
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孔明奇策図 三井寺にある扁額風絵馬というか、板絵。船上の楽団みたいな鉦太鼓を持つ連中。どの戦のときの奇策なのか。

春開帳庚申青面金剛 境内で青面金剛の大きな面をつけた人がいて、信者や野次馬らで賑わっている。青面金剛は大津絵の画題にもあったと思う。

法然絵伝 これはさすがに畫僧を名乗るだけによく描けている。多分、実際に絵解きとして使われもしたと思う。法然上人の子供時代からの始まりで、二幅出ていた。比叡山での学習、負ぶわれての山中行路、家族との別れ、襲撃、剃髪など。ただし「法然頭」と呼ばれる頭の描き様ではなかった。色紙大の絵が何面も貼り付けられている。

月下清助居士草庵図
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薄い月の光の下に小さな庵がある。こういう暮らしは出来ないが、出来ないからこそ、古来より画題として愛されるのかもしれない。
白澤庵所蔵と言うのを見て、6年ほど前のシアトル白澤庵コレクション展をここで見たことを思い出した。あれはなかなか素敵な内容だった。
そして去年京都・東京の近代美術館で巡回された都路華香展だが、彼の絵の名品もこのコレクションで多く見ていたのだった。

他に彼らの師匠・蕪村らの作品が少しずつ出ていた。
紫陽花に猫 寝る斑猫。黒の方が多い。よく寝ている。右手が口許に上っている。
指先はきれいに分かれているのが珍しい。

張月樵 玉后弾琴図 扇面図で美女が窓辺に身を見せながら琴を弾く。彼は呉春の弟子。
このあと見に行った琵琶湖文化館にも作品があった。

たいへん楽しめた。十年以前ならニガテだった分野だが、今はこんなにも面白く思える。
俳画の妙味に楽しみを覚えるようになったわけか。
展覧会は4/20まで。途中で入れ替えがあるそうだ。

京都市美術館を撮る

先日、京都市美術館を撮影した。
展覧会は『心のふるさと』と題された所蔵コレクションの素敵な展示だが、それを見る一方で、名品を展示する施設そのものを大いに愉しんだ。
以前から撮影がしたかったが、自由なのかどうか知らなかったし、訊くのも色々憚るところがあった。幸い機会があり、これから館の外観と中などをご案内したいと思う。

IMGP3199.jpg 京都美術館のプレート。
京の字が口でなく日になっている。上にはある字が並んでいたが剥がされている。調べるとすぐわかる。『大禮記念』の文字。とても納得できますね。時代を感じる。

IMGP3197.jpg 帝冠様式の玄関。建築家・前田健二郎渾身の傑作。

IMGP3193.jpg 胴っぱらにはこういうことも出来る。

IMGP3206.jpg 作庭は当然の如く植治。東山の庭は植治だ。

IMGP3208.jpg 扉の装飾も素敵。

内部に入り、ぱちぱち。
IMGP3215.jpg

照明  IMGP3217.jpg

色ガラスの窓  IMGP3226.jpg

装飾柱。なんと大理石ではなく木に彩色・・・ IMGP3247.jpg

二階へのアプローチ  見所の多い建物だとつくづく。

IMGP3249.jpg 天井の装飾が見応えある。全面を撮影するのは私では不可能。すばらしい天井。

IMGP3262.jpg 貴賓室の装飾の一部。

IMGP3272.jpgこの階段に「あっ♪」な人と仲良くなりたいです。
そう、片岡仁左衛門丈がここに座っているポスター。きゃ♪そこを登ったのよ。
IMGP3302.jpg二階バルコニー。シェナを思い出すな。
おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの・・・
二階から見下ろす。IMGP3288.jpg

 
とにかく装飾のすばらしさに改めてときめいた。
果てがなくなるのでもう打ち切る。実際にここへ来て建物を鑑賞してください。
最後にこれは現在入れない地下へ連れて行っていただいた。
以前、やなぎみわの展覧会もここで行われたそうだ。
IMGP3300.jpg ドア。
何のドアかわかりますか。・・・Shoe shine service 靴磨きサービス、つまり進駐軍さん向けの、です。ちょっと色々考えましたわ。

この建物の魅力は深いので、ご覧になってない方は是非行かれることをおススメします。


心のふるさと 京都市美術館コレクション

京都市美術館の所蔵名品の展覧会『心のふるさと』を見る。
『京の百景』とはまた異なり、画家自らが描きたい場所を描いた作品たちで構成されている。
近畿圏とアジア、ヨーロッパの各地。

(洛北・洛西)
武藤彰『洛北の秋』 IMGP3195.jpg この絵は看板にも使われた。
終戦の年の洛北の秋・・・戦禍から逃れた静かな地で画家はどんな新教でこの山里の秋模様を描いたのだろう。

落合朗風『梅ケ畑の秋』 こちらはまだ平和な昭和二年の秋の絵。脱穀に精を出す女たち。ここらは洛外なのでまさに百姓仕事がたんとある。

(洛東)
近藤浩一路『大原女』 今まさに橋を渡る大原女たち。靄のにじむ林に掛かる橋。働く女たち。墨絵の静けさが画面全体に広がっている。

竹村竜太『風景』 この絵は以前から好きなのだが、実際の場所がどこなのか特定できないでいる。たぶん、と予測をつけているのだが何しろ昭和十年の景色なのだ。いくら古都とは言え七十年も前の市街地はムツカシイ。しかし丘の上から見渡す風景に晴れ晴れとした心持ちになってくる。もしこの絵の風景が、京都でなくフィレンツェであっても構わない。変わりなく心に残る絵。薄茶色い静かな市街地の風景。

池田遙邨『南禅寺』 大正末年の作画。古来からの社寺境内図を踏襲した構図。絵としてよいのかどうかはわからないが、わたしはこんな作品が大好きなのだ。
須田国太郎『八坂の塔』 まったく珍しいことに白いような明るい絵。大正四年だから須田がまだ須田らしくなかった時代の作品。

宇田荻邨『清水寺』 mir569.jpgチラシの絵。雪に覆われた清水寺。
平安時代後期から清水寺ブームが起き、参拝者がグンッとあがった。今も修学旅行生が大勢来る。
清水の舞台から飛び降りる図は、春信まで描いている。

今井健一『通天橋』 紅葉の名所、東福寺の通天橋。この絵を見て思い出すのが、津雲むつみ『花衣 夢衣』でのエピソード。別れた恋人との再会、逢いたい想いを絵に託す画家、そして。・・・実際の秋の最盛期はごった返しで、そんなときめきはどこにもないのだが。

(鴨川)
鹿子木孟郎『出雲路橋付近』 大正から戦前のその風景。本当にかつてはこんなのんびりした風景が開かれていたとは、信じられない。

伊藤快彦『出町柳』 うちの母は今の出町柳をすたれた、と言う。昔の方が賑わいでいたと言う。しかしこの絵で見る限りは全くもって広々と静かで、華やぎもせず廃れもせず、川の流れを眺めることが出来るような場だった。

(洛南)
伊藤快彦(帰属)『風景、京都駅』 大正期の京都駅、京都ステンショ。これが今も残っていたら、さぞや楽しかったろうに。今の京都駅の構造上どう考えてもミスだとしか思えない建物などよりずっっっとすばらしい。ああ・・・絵を見るだけでもよしとするしかないか。

富田渓仙『宇治川之巻 伏見』 渓仙と言えば水車に淀城に鷺というパターンが多いが、ここでも水車がカラカラカラカラと廻っている。水車と言うよりコレは魚を取る罠なのであるが。水の色がとても澄んでいた。

(宇治)
石井弥一郎『黄檗山禅悦堂』 黄檗山萬福寺には巨大な魚鐸がある。それを描いている。打たれて摩滅した腹もまだふくらんでいる。こういう絵を見ると、あの静かな佇まいの中に自分も入り込みたくなるのだった。そして普茶料理をいただき・・・

須田国太郎『村』 日を浴びる集落。この絵は宇治のどこかの村の図だったのか。まだ須田スタイルとは言いがたいものの、既に形態や色調に少しずつその感覚が現れている。

(滋賀)
麻田弁自『唐崎之松』 墨絵の濃淡が松の量感を見せている。ああ、いいものを見た。
実際の唐崎の松よりも画家の眼を通した風景の方が見事、と言う好例だと思う。

(兵庫)
西山英雄『港』 昭和九年の神戸港の様子。働く人々、大きな船、どことなく変な絵にも見える。

(大阪)
池田遙邨『雨の大阪』 中之島の風景を描いている。見るだけで嬉しくなる。大阪が東洋のマンチェスターと呼ばれた栄光の時代の、雨の朝。昭和に入ってからの遙邨の絵は何もかもがすばらしい。

(奈良)
水野深草『遅日』 奈良のどこかのお寺の門前に牛。どうも昨秋以降わたしは奈良――(廃都)――に惹かれていて、どうにもならない。黒い牛の背に当たる日差しが気持ちよさそうな午後。時間の流れが異なるのを感じるような絵。

(和歌山)
麻田鷹司『雲烟那智』 墨が利いている。ああ、水飛沫がくる・・・そんな<実感>さえ湧き出してくるような、那智の滝を、画家は描いている。

小林柯白『那智滝』IMGP3192.jpg

緑の中に瀑布。ご神体だと言うことも忘れ、ただただその美しさに惹かれ、その絵に惹かれ。

(アジア)
秋野不矩『テラコッタ寺院』 インドに行くことは恐らく(絶対)ないのだが、秋野不矩さんのインドの農村を描く作品を見ると、自分も同行している気になるのだった。
「ああこのお寺はテラコッタなのか、日干し煉瓦はユーフラテスの向こうか」そんなことを考えてしまったり。色彩が深く心に刻まれてゆく・・・。

(ヨーロッパ)
明治の昔から大勢の画家がヨーロッパへ出て行った。今では忘れられつつある洋画家たちの残した作品が数多く展示されている。
川端弥之助、都鳥英喜、浅井忠・・・いずれも大正期の作品。
明治の世に油絵を学んだことが実感できる作品たち。
ほかに奥村厚一の素描やスケッチの多くが出ていた。

こうして眺めると、画家各人の心の在りようが、好んだ場所がわかってくるようだ。
わたしは自分の好きな場所を、風景を描くことは出来ない。その技能もなく、そのくせイメージだけは肥大しているので、巨大な溝が生まれるばかりだ。
ここでこうして画家たちの<心のふるさと>を眺めたことで、とりあえずその溝の上に橋を掛けておく。

堺彷徨するひとびと

IMGP3327.jpg 大仙公園の梅の花(裏梅が可愛い)
堺市は大きい。交通機関もちょっとムツカシイ。なんしか南北の交通は発達していても、東西はどうにもならない。これは堺だけでなく、大阪全般のの特性かもしれない。
大阪府の形を考えると、仕方のない話のような気もするが、そのおかげで延々と彷徨することも多い。

ちょっと前に堺に遊びに行った。北摂は大阪の北端、堺は大阪の南の入り口。
狭いとは言え人一人からすると、大阪はやはり大きい。遠いのは当然。
まずJR阪和線で堺市駅に出た。ここでミュシャを見る。
堺市立文化館はミュシャ・コレクションで高名。
ミュシャの息子さんやチェコ政府からも感謝状が来ている。
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ミュシャは「やっぱりきれいな?」と感心する。なにしろいつ見ても何かしら「お気に入り」作品がみつかる。
アールヌーヴォーもミュシャがいなかったらモテハヤサレなかったろう。

その余波というか、詩の雑誌『明星』表紙は藤島武二がアールヌーヴォーな絵をつけている。
堺といえば与謝野晶子を思い出す向きもあるのは当然で、この文化館の違う階には与謝野晶子の記念館もある。そちらも色々な資料があり、それを楽しんで眺め、短歌の短冊や色紙を見たりする。
パネル展示では、彼女の書いた少女時代の思い出が明朝体で読みやすくされていて、けっこう面白く読んだりした。

次に行くのは堺市博物館。ここは同じ阪和線の百舌鳥駅。仁徳天皇陵の南の下。
しかし鍵穴風にしか見えないのに、前方後円墳というのだから、丸みを帯びてる方が実は後になるわけか。・・・目で見る表示と字で書く名称との乖離を感じるなぁ。
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てくてく歩き、博物館に着く。
吉田初三郎を始めとするパノラマ地図の展覧会。それが見たくてやってきました。
(常設展示では明治に一度だけ発掘された仁徳天皇陵の石棺の模型が鎮座ましましていて、わたしはいつもキョーフに駆られている)
吉田初三郎のパノラマ地図は本当に楽しい。
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堺や姫路は知ってるから「おお、ここここ」「イゃー昔はこんなんやってんわ」などと楽しめるが、全く知らない身延山などは「ほほー」と興味をかきたてられる。
おとどしの夏、横浜で「地図の旅」展が開催され、そのときも沢山見たが、今回も随分多く出ていた。別に京阪神だけではなく、別府温泉のパノラマ地図などもあり、それが見ていてとても楽しい。
こういうのを見ていると浮かれ心が湧いてくる。元々地図を見るのが好きなので色んな妄想が生まれ、それが楽しくて仕方ない。
例えばこのお伊勢さんへのポスター。mir567.jpg

美人画もよし、地図もよし、では否応なく遊びにいきたい?、と心が浮き立ってくる。いいなぁ。
お弟子さんで、一本立ちした絵師の地図もいくつかあった。
わたしはこういう商業芸術が大好きなのだ。

博物館は広大な大仙公園の中にある。
今は丁度日本庭園で梅や椿を見せていると言うので、広い公園の中を歩く。
IMGP3322.jpg IMGP3323.jpg IMGP3324.jpg IMGP3325.jpg クリックしてください。
ああ、きれい・・・。すっかりいい気持ち。
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しかしいいコンコロモチなのはここまでで、ここからがえらい目に遭う話なのだった。

冒頭に書いたように堺は東西の交通機関がよくない。その上土地勘のあんまりない私と友人の、歩くだけは歩ける二人組なのだ。
歩きましたがな、延々と。
何で歩くか。どこへ向かうか。・・・堺名物くるみ餅といえば寺地町のかん袋が有名だが、たまには違う店へ行こうと友人が言い出し、そこへの長い旅になったのだ。
これが大変な辛苦で、とんだ辛酸なめネコになってしまった。
わけのわからない道を歩く我々の視界に巨大な病院の影が映る。
そこへたどり着くまでに20分以上要する。

・・・結局一時間以上歩いて到着。これが氷のくるみ餅。
緑の餡でくるむお餅。IMGP3331.jpg

おいしいけど、食べなれたかん袋がやっぱり好きだ。

そこからまた歩くのだが、いきなり吹雪になった。泣ける。
映画「八甲田山」ではないが「天はわれを見捨てた??」
まぁなんとか歩くと、阪堺電気軌道の石津駅が見えた。ホッとした。
それに乗ると、楽しい気分が湧いてくる。
南霞町で下車するまでの30分ほどの市電の旅。これは本当に楽しいものだった。
ちょっと離れすぎているけど、
また折をみつけて堺へ遊びに行こう。
そのときはあべのか恵美須町から阪堺電気軌道に乗って、一日乗車券であっちこっちを訪ねようと思っている。


福岡県立美術館で何を見たか

だいたい何処へ行こうとも、その地の美術館・博物館には出来るだけ縁を持とうとしている。
博多に行ったので、九博、アジア美術館、県立美術館だけはなんとか廻れた。
その中で県立美術館の展示がいちばん私の好みにあったように思う。
「生誕百年・伊藤研之と福岡の洋画家たち」
伊藤と言う画家は知らないが、福岡の地から多くの洋画家たちが出たことは、知っている。
青木繁、坂本繁二郎、古賀春江、児島善三郎、高島野十郎、山口長男・・・綺羅星の如き洋画家たちが現れた。そのうちいくつかについて書く。

坂本『能面』mir566.jpg

三枚の能面が置かれている。いずれも女面。ピンク色の画面は靄がかかったようで、それはいつもの坂本の手法なのだが、能面自体から吐き出された靄のようにも見えて仕方ない。無声映画『狂つた一頁』ラスト近くの狂宴、そこでは面をつけることで正気と狂気との垣根を取り払った。それに使われた能面がここにある、そんな気がした。

高島『有明の月』mir566-1.jpg

珍しく二日月のような細さの下弦の月を描いている。
「月ではなく闇を描きたかった。闇を描くために月を描いたのです」高島の言葉。
月下の森は沈黙する。闇は細い月光に照らし出されている。暗くはない闇の中で。
「旅する野十郎」という冊子をもらった。
中身はよくできている。多くのカラー図版があり、解説もある。
三鷹での回顧展で彼の作品は多くの人の心に刻まれた。
風景を写生していても、「そこではないどこか」この世の外の国を描いたような、静かな狂気を感じもする。野十郎の旅はどこへ続いていたのだろう。

児島『下板橋風景』 いちめんの雪。線路が大きくカーブを見せる。ずっと向こうに汽車が行く。手前の高架下にも雪。雪に覆われた野にあるサイロも白い。
カラリスト児島の雪の風景は、やはり豊かな色彩を感じさせてくれるものだった。

伊藤『風景』 ‘31年のどこかの風景。少し向こうに木々が立ち、こちらには家がある。家の前には瓦礫がある。壊したのか壊れたのかはわからない。
「僕は風景ではなく心象を描く画家だ」 作者はそう言った。ではこの「風景」はリアルなそれではなく、かれの心象スケッチでもあるのだろうか。
瓦礫にひどく魅力がある。テラコッタタイルのついた瓦礫・・・綺麗だと思う。

高島『さくらんぼ』 この画家は蝋燭の絵を多く描き、久世光彦はその絵を見て『怖い絵』と断じていた。確かに蝋燭は怖い。不気味な怖さがある。先にあげた『月』も昼間の景色たる櫻や睡蓮池の絵でも、静かな狂気と破綻が満ちていた。
しかしそれらと違い、卓上静物たるはずのさくらんぼにこそ、薄ら寒いような怖さがあった。白地に、皿から這い出したようなさくらんぼたち。手前まで転げたさくらんぼは既に腐っているように見える。赤い実も黒い細茎も、何かの神経を苛むようだ。
この絵が例えば連続して並べられていたならどうだろう。さくらんぼたちがじわじわと詰め寄ってくるような、そんな幻想が生まれてくるようだった。

他に郭徳俊の『フォードと郭』などのシリーズがあった。アメリカの大統領の顔写真上部と、作者本人の顔の下半分の。

出る間際、吉村忠夫の図録が半額になっていた。喜んで買う。見たかった作品がいくつもある。やはりどこであろうと、現地に行かねば手に入れられないものがある、と実感した。
今度は久留米の石橋美術館に行きたいと思う。


春の九州ツアー 太宰府-博多

最終日。西鉄で太宰府へ。sha 278

観光客は関西・関東からよりアジアからの方が多いらしい。
天神さんのお参り。sha 279ちゃんと本殿に梅の木彫が施されているし、
牛もいる。妙に人懐こそうな牛。sha 280

お賽銭をあげて拝む。
甥っ子が賢く育ちますように、なんて拝むようではわたしももう終わりかも知れない。

梅は満開でいい匂いが漂う。sha 281

梅が枝餅も大人気。参道全ての店で梅が枝餅販売ちゃうかな?
そこから九州国立博物館へ行く。
巨大な建物ですわ。sha 287

エスカレーターを包むライトは何色もに変化する。sha 286これでBGMがつけばMOAだ。
今日は特別展がなく、常設展示のみなのだが、観光客が続々と来る。展示場は広大で、展示方法は万博の国立民族学博物館に似ている。九州の古代の遺物の本物が沢山展示されている。
アジアとの関係が深い九州ならではの展示が多い。
ところである一室へ入ると、そこはガラスケースから本物が出されていて、途端私はひどくむせた。花粉症ならぬ古墳症か?!それっきりずっと具合が悪い。(後で風邪のような症状が)
しかし最近どうしてか古代への情熱(シュリーマンせんせい)が失われているのを感じるぜ。うちの母は古代ローマとか古代エジプトとか古代日本とか好きだけど、わたしは最近ますます中世・近世・近代に愛情が湧きだしてくるなぁ。
・・・そんなことをこの会場の中で思うから、コフンコフンと咳き込むのか。←ヨワッテル。

きゅーはく絵本シリーズなどでも人気の虫たちの姿はみつけられなかった。売り切れ。
しかしミュージアムショップに行くと虫たちいっぱいおりました。グッズになってます。
絵本ではオバケのがほしい。欲しいけどフレーベル館のだから帰宅後考えよう。
一階の「あじっぱ」は靴を脱いであがると、世界各地の色んなおもちゃや着物などを触ったり使ったり出来る場になっている。
わたしはタイの巨大ストールをまきつけて、学芸員さんにパチッ。
だから九博のあじっぱの写真コーナーにはわたしの姿もある。

楽しんでから併設のホテルオークラのレストランでスペシャルランチをいただく。クリックしてください。
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サラダにヒヨコマメとやらが入っていて、普段マメを食べない私は残してしまった。
我が家ではマメは殆ど食べないのだ。マメの加工品は食べても・・・。

そこから再び太宰府へ戻る。
梅が枝餅を買う。ぬくいのをもろたけど、持ち帰るから却ってムダかもしんない。
天神で一旦解散したのが三時。新幹線で会いましょう。墓参りの人・お土産買う人・美術館に行く人々に分かれる。
わたしは美術館行く人。歩いてみたいからバスに乗らずテクテク。
初日の夜に見た辰野金吾?な文学館。sha 303

書かなかったが、そこで多くのニュースペーパー貰って通読した。
夢野久作・檀一雄・梅崎春生などなど。
わたしは梅崎は読んでないが、夢野と檀はメチャクチャ好きなのだった。
書かれていた事柄を思い出しながら歩くと、いきなり日銀。
sha 298 さすがによい建物。
公園にある県立美術館に入る。
高島野十郎、坂本繁二郎、古賀春江ら福岡出身の洋画家の作品が色々あった。
はがきを少し買うと、高島野十郎について書かれた冊子を貰った。コレが実はスグレモノで、他の作品もフルカラーで掲載されていたりする。こちらについては後日詳細。

そこから更に歩き、とうとう中州の博多座まで来る。劇場とホテル・ニューオータニとオフィスビル・商業ビルの複合体。この一隅に福岡アジア美術館があるのだった。
ところがたどり着くのにたいへんな労力を要した。
博多座から行けば苦労はないが、ホテル側から行けば間違ってオフィス棟に入り込んでしまう。たいへんつまらない労力を使い、機嫌が悪くなってきた。
やっとの思いで福岡アジア美術館につく。コンテンポラリーはニガテなんだが、滅多に来れないのだからやっぱり見ておきたい。
「開幕!カラクリ劇場」mir565.jpg

タイトルとしてはエエ感じ、わたしは見世物小屋とかカラクリとか好きだからちょっと期待する。
いきなり金色ブッダがコンニチハしている。ホホエミの国タイの金佛ぽい感じ。
スィッチ踏めと言うので踏むと、丁寧なお辞儀をしやはるが、アタマが割れてて、中身がのぞくやないか。これはマンガ家・徳弘正也的ギャグですな。
タイのスティー・クナウィチャヤノン「永遠なる不毛」。
それからレトロっぽい台湾少女の肖像写真の額縁に沢山の電光がついて、中国語のけたたましいラブソングが流れる間中、忙しなく点滅し続けていた。
‘20-’30年代の繁華街にいる気分。こういうキッチュさがとても好きなのだ。’97年の作品だから、つい十年ほど前。台湾の呉天章「春宵夢」。

そこから常設に移り、’20年代のインド画家タゴールによる繊細な描線の「アショカ王の妃」を描いた絵を見る。たいへん綺麗な描線で、少女マンガを思い出した。残念ながら葉書はなし。さきの画家とは違う、詩聖タゴールの絵もある。こちらはややベタっとした女の顔を描いている。面白い描き方。詩のほうは知っているものがあるが、絵は初見。
あとはキッチュなものも多く、そそられなかった。
カフェや遊び場もあり、ソファの代わりに東南アジアのどこかの国にありそうな、籐か竹かで編んだ巣のようなものがいくつか。これはオブジェではなく中で休むもので、一つの巣にはカップルがくつろいでいた。わたしもちょっと寝転んだ。殆ど硬直死体のような倒れ方をしてみた。

出てから近くで軽くお茶してからバスで博多駅に行き、そこで名物の貝柱の粕漬けを探す。
スーパーがあったので、土産物屋でなくそこで探すと・・・ありましたありました。他に大好きなメカブも安かった。鯨の塩味肉もあるが、そちらは悩んだ末にやめた。食べたいけどまた今度にしよう。
思ったよりずっと安い。

皆さんと合流して、カシワ弁当を買う。sha 305

おいしかった。それから梅が枝餅を貰う。なるほどおいしいわ。

なんだかんだ言ううちにあっという間に新大阪に着く。
楽しい九州ツアーでした。のぞみ号は早かった・・・。次はどこへ行こう。
とりあえずおうちへ帰ろう。

春の九州ツアー 唐津

旅の二日目は唐津ツアー。
薬院駅から地下鉄とJRが乗り合いする線で、唐津に出る。唐津焼のオブジェが駅前にいる。
sha 170 お獅子。
唐津焼の幟の向こうにうどん屋の文字が見えて、一瞬「唐津焼って回転焼きみたいな感じかなー」と呆けたことを考えてしまった。←イヤシなわたし。

旧高取邸へ。ここの内部は撮影禁止。
外観など。sha 173 

 sha 171

内部についてや歴史など詳しいことは、こちらの高取和民氏のHPをごらんください。
修繕前なので、現行とやや異なる部分もある。
防空壕もあったが、空襲はうけなかったそうだ。
この建物の素晴らしさは、欄間と建具を見るだけで、納得する。
物凄い細工。
たとえば、光が入ることを計算して刳り貫かれた孔雀の欄間がある。
光は孔雀の影を隣室の壁に浮かび上がらせる。
・・・こういう細工が無限にある。外観よりも内部に入ることでその広さを実感する。
滅びゆく名建築の命が、このような形でつながれることを、ただただ祈るばかりだ・・・。

そこから唐津城に出る。エレベーターはナナメに上るので「チャーリーとチョコレート工場」のエレベーターを思い出す。わたし、ウォンカさんのファンです♪
そのエレベーターの管理にゃんたち。sha 196

他にもガードにゃんとか色々いてはりました。

お城からは虹ノ松原一望。唐津の歴史を書いたパネルを見て、色々感慨にふける。
わたしの好きなマンガ「AMAKUSA1637」にも出てたからなぁ。
唐津城遠望
sha 169 

宝当島遠景sha 191 

虹ノ松原遠影sha 194

タクシーでその虹ノ松原へ入る。sha 197 熊谷守一の絵のようだ。

唐津バーガーなるものを食べる。一個400円。バンズも焼かれてておいしい。
sha 198 食べ応えありました。今度は佐世保バーガーも食べてみよう。

松原の中で肺を緑色に湿らせてから、再びタクシーを呼ぶと同じ運転手さんが来た。
そこから市民会館隣の曳山展示場へ。唐津くんちの曳山たちがここに収蔵展示されている。
sha 200 展示&収蔵とはいい考えだ。
タイが一番有名だが、獅子とか龍や謙信の兜の曳山がある。メチャ巨大。謙信の兜と言えば八重垣姫の話を思い出して、にやっ。

街中を歩く。旧唐津銀行へ。sha 205


これがすばらしい。
外観や内部など。
sha 208 

sha 229 

sha 224 
立派だった。
これはみんなのノノシる辰野だが、評価が高いのも当然で、二階の貴賓室の天井細工が絶品。
あちこちに見処が多い。イオニア柱にも可愛い添えがある。
sha 211 なかなかこれはない。
隣には松露饅頭の大原老舗本店がある。コロコロしていておいしいのです。

再びタクシーで駅の向こうにある近代図書館に出て、チラッと眺める。
sha 248

次は電車で西唐津へ出て、タクシーで旧三菱関係の歴史資料館へ向かう。
ベランダコロニアル。sha 251

こちらは修理中で休館なので、待ってもらってたタクシーで再び駅へ戻る。

西唐津から天神へ戻り、鳥の水炊きを食べる。鳥はおいしいがスープにくせがある。
sha 262 新三浦の一人用セットにしたが、フツーの水炊き鍋もある。

そこからこれも修理中で休館の福岡貴賓館へ。sha 269

そこで一旦解散し、翌朝まで自由行動。
わたしは一人で天神を歩き倒す。博多は1ブロックが大きいので歩き応えがある。

ところで博多の西鉄バスはすばらしい。エンドレスでバスが来る。しかも都心部は100円均一。感心した。バスの便のよさはもしかすると日本一かもしれない。
これまでは京都市バスに感心してたが、こちらが上だ。

明るい気分で明日へ続く。

春の九州ツアー 柳川-中州

久しぶりに新幹線に乗り、これまた久しぶりに西に向いた。
今回のツアーは近代建築探訪がメインで、博多を根城に柳川・唐津・大宰府ハイカイの予定。
撮った写真は305枚だからとても公開は出来ない。建物の細部に拘る撮影とかするからヲタ向け内容に傾くし。とりあえず何をしたかだけでも書こう。

四人ツアーで財布係がわたし。この人数なら最初にある程度集金して同一行動の際に一人がまとめて支払うほうが、合理的で時間短縮も出来る。
年配の方々とのツアーなのでタクシーを多用した。
西鉄の「柳川・太宰府いちにち紀行」切符2800円を購入すると、往復の特急と柳川の川くだり、割引クーポンなどがついてたいへんおトク。

柳川といえば北原白秋。白秋の生家が記念館になっている。
舟に乗るのも記念館に行くのも後廻しに、うなぎの老舗・本吉屋の本店へ向かう。
茅葺屋根のあるいい佇まい、庭には枝垂梅満開で、風に乗り花弁が散る。
うなぎのせいろ蒸し。おいしい。sha 001

柳川はうなぎで有名なのよ。みんなうなぎ好きで大喜び。
そこから船着場へ出る。舳先に座れた。ああ、春を感じるなぁ。
船頭さんが楽しい話や綺麗なノドを披露してくれ、ぽかぽか陽気に満腹なので寝てしまいそうになる。
sha 008  狭い水路もス-イスイ。
客船・小舟に関わらずクルージングするの好き。
舟からあちこちに立つ詩碑が眺められた。
白秋だけでなく、檀一雄の碑もある。sha 015 

舟が着いて、白秋記念館へ行く。丁度今はお雛様の「さげもん」の時期だから、視界いっぱいに愛らしい縫い物・ヌイグルミ・人形が吊り下げられている。
これは柳川のあちこちま屋内で見られる風景なのだった。
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白秋の詩は好きなものが多い。そのうちの一篇から少し。

曼珠沙華
GONSHAN.GONSHAN.何處へゆく。
赤い、御墓の曼珠沙華、曼珠沙華、けふも手折りに來たわいな。
GONSHAN.GONSHAN.何本か。
地には七本、血のやうに、血のやうに、ちゃうど、あの兒の年の數。
・・・
白秋の詩の中でも殊に惹かれる詩。怖い詩だ。
白秋には『水郷柳河』という散文もあり、かつて柳川の川の字が河だと知った。

さて立花侯の「御花」へ向かう。ha 093

すばらしい白亜の御殿。柳川での我々の目的地。
地震のとき被害を受けたそうだが、修復されてよかったよかった。
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  sha 049 

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立花侯の姫君ゆかりの小さな雛道具なども別館で展示されている。
ここと唐津の旧高取邸がツアーの二枚看板。
併設レストランで立花さん自慢のみかんジュースを飲む。おいしい。
sha 089  瓶でなきゃ買いたかった。

博多に帰ってからは有名なラーメン屋さんに行った。マンガ「島耕作」で博多のラーメンを食べるシーンがあり、それを思い出しながら食べる。わたしには濃かったな。
思えばお店でラーメンを食べる機会が少ない私。sha 111


それから福岡文学館へ行く。
これは辰野金吾の設計した「いかにも辰野式」建物で、なかなか可愛いが、四人のうち辰野を批判しないのはわたしだけ。みんな色々言う。
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外観とか中とか辰野センセの建物だけで拵えた都市の絵とか。

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まあ中州の夜も少しは知ったし、一日目は早く休みましょう。

「老いらくのてんごう」仏師の彩色木材人形

京博で正月から三月末まで『仏師 清水隆慶 -老いらくのてんごう-』が開かれている。
博物館によると、
今回特集する清水隆慶も、江戸時代に京都で活躍した仏師で、四代まで続きました。今回はそのうち、麟岡(りんこう)と名乗った初代(一六五九?一七三二)と、毘首門亭(びしゅもんてい)を名乗った二代(一七二九-九五)の作品を展示します。といっても仏像ではなく、仏師の余技ともいうべき風俗人形の類が中心です。初代隆慶自身は、これらを「老いらくのてんごう(老人のいたずら)」と称しました。仏像造りに使う技能を世俗的なものに使ってしまった、という照れからでしょうか。しかし、さまざまな造形上の約束事がある仏像にくらべると、これら人形類は、自由な発想でのびのびと製作され、巧みな彫技が遺憾なく発揮されています。江戸時代の京仏師のてんごうぶりを、じっくりとご覧ください。
じっくりと、ご覧した。
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木彫彩色人形がいくつも並んでいる。凝って凝って作ったと言うのでなく、チョチョイのチョイで彫り上げて彩色しました、という感じ。洒脱な感じがいい。
てれかくしに「てんごう」と言いはしたが、余技を越えている。
『百人一衆』 何段にも分かれた段を道に見立てて、京の町衆が行く。むろん町衆だけでなく最上段は内裏、途中には道々の者も多い。
祈祷師系の山伏、座頭、笠で顔を隠す三味線弾きと謡い、いまだ風流傘を立てて歌い舞う三人の女、他に僧侶、大原女、・・・ほかにも色々。実にどれもこれもイキイキしている。
よく観察していたのだろう、と思った。

『初代清水隆慶位牌』と『二代清水隆慶位牌』 むろん生前に拵えたものたち。
こわいのは位牌の台座に人間が隠れ住んでいることだった。
美化も何もせず、というところが気に入った。

『関羽立像 』鬚なしの美髯公がいる。パブリックイメージがずれてくるなぁ。

『竹翁坐像』 義太夫の大夫。上方では大夫、江戸では今もチョボ。竹翁とあるからてっきり竹本義太夫 かと思えば、そうではなく後の宇治加賀掾。声まで聞こえてきそうだ。

『髑髏 』木と言うより象牙のそれのようだった。

ほかにも『富士見西行像 』や『千利休立像』がある。面白いものを見せてもらった・・・
そんな気がする小さな展覧会だった。


3月の予定と記録

遅ればせながら3月の予定です。

京都国立近代美術館 ドイツ・ポスター 1890-1933
京都市歴史資料館 京の鳥瞰図
京都文化博物館 乾山の芸術と光琳
茶道資料館 裏千家所蔵 絵画展—屏風を中心に—
思文閣美術館 愛でたきもの 雛とミニチュアのお道具展 −ミニチュアで織りなす『源氏物語』の世界−
美術館「えき」KYOTO ひろしま美術館所蔵 フランス近代絵画名作展
細見美術館 源氏絵と雅の系譜 −王朝の恋−
大丸ミュージアム・梅田 「写真」とは何か 20世紀の巨匠たち 美を見つめる眼 社会を見つめる眼
藤田美術館 茶〜茶人と道具〜/同時開催 初代館長を偲ぶ
湯木美術館 茶碗を愉しむ
香雪美術館 京焼の華 永楽家歴代の名品
大丸ミュージアムKOBE 大名茶人・遠州400年 小堀遠州 美の出会い展
西宮市大谷記念美術館 新収蔵品
奈良国立博物館 特別陳列 お水取り
大和文華館 春の意匠−花やぐ季節の贈りもの−
滋賀県立近代美術館 ヴォーリズ
伊庭貞剛旧邸
逸翁美術館 呉春と蕪村 後期(既に3/1訪問済み)
それから九州ツアー 3/6から3/8まで。
柳川・唐津・大宰府。

その間、コメントやTB対応遅れます。
記事だけは自動で挙げるのを作成しました。
つまり今日は既に博多におるわけです。

秘蔵の横山大観作品

埼玉県立近代美術館に大熊家という旧家から多くの近代日本画が寄贈された。
まったくすばらしいことだ。27作家47点の名品がここへ収められ、一般公開の日を待っている。名前を見ていても意外と京都画壇の画家も多く、これはほんとうに楽しみだと思う。

手始めに横山大観の作品4点が展示された。2/17まで。(既に終了)
富士山、白梅、朧夜、海・・・むろん正しいタイトルは他にあるが、それらを描いた絵が並んでいた。
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『日本心神』 わたしは大観の富士山にあまり関心が湧かないが、これが旧家の床の間にお正月に飾られたりしたことを想像すると、やはりいいものだと思った。
雄大さを感じる、いい作品。

『朧夜』 どの作品を見てもいいものだと思う。春の香まで感じるような。墨絵にあまり関心はないが、こうした作品は好きだ。
暈しに淡い月光の色と薄い桜色がけぶるように見えて、なんともいえない情緒がある。

『白梅』 枝振りがいかにも大観ゑがく梅、という感じがある。まだ明治の頃、大観は盟友・菱田春草と春秋の対になる作品を多く描いたが、大観が春を・春草が秋を描く作品に不思議とよいものが多いと思う。名前に春はあれど、どこか侘しさ物寂しさを感じる秋の絵にこそ、春草の良さがにじむ。
まだ咲き初め頃の梅の枝には鶯らしき小禽もいる。早朝のような気がした。

『漁村曙』 波の段々と打ち寄せたり途中で力をなくして他と混ざり合う動き。それが画布に写されている。掛け軸なので細く空間が切り取られているが、波も空もそのまま無限に広がりそうな、そんな予感がある。

美術館ニュースで見た、堂本印象の『鳥言長者草』に惹かれた。
清朝婦人の両把頭が大きく目立つ一方、奇岩に寄りかかり指先に小禽を止まらせるその姿。
白地の上衣を彩るのは染ではなく刺繍のような気がする。
この絵の実物にいつかじっくり向き合いたい。
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熊谷守一展

先月、はろるどさんと埼玉県立近代美術館へご一緒した。
熊谷守一展を見た。
ご一緒する方の感性が鋭いと、こちらも良い具合に引きずられて、たいへん楽しく作品に向き合える。

熊谷守一と言えば「モリカズ様式」と呼ばれる極めて独特の絵がすぐ浮かんでくる。
究極に簡略化されたラインと明るくハキハキした色調との調和。
忘れることが出来ないその姿。
展覧会は年代ごとと対象との5章に分かれている。
こちらは美術館が出したアートカルタ。絵柄は天地無用になっているから見るのにイチイチ首を傾けたり絵を横にしたりしないといけないが、重要な作品や好きな絵が多く載るのが嬉しい。
mir560.jpg クリックしてください。
(文中では以後カルタと称し、上段左から右に向かって12345、最上段から最下段にかけては一、二、三、四、五と表記します)


第1章 形をつかむ
美校時代には同級の天才・青木繁にも一目置かれていたそうで、ここに並ぶたとえば肖像画などはアカデミズムでありながらも、その当時の彼が望んでいたものが滲んでいるように思う。卒制の肖像画は全て藝大に収蔵されているから、これは上野で機会があれば見れる。この頃の作品は、蝋燭の明かりに照らし出されるような重暗い明度のものが多いが、どことなく中村不折を思い起こさせもする。いかにも<明治の油絵>という感覚なのである。だからこの頃の作品の作者が、後の明快な作風に転じるのが信じられないと言うか、別人のように思えた。

カルタ一の5『馬』この白馬は守一の愛馬で、見るからにおとなしそうな馬だった。
ところがその愛馬を兄に売られてしまい、彼は随分泣いたそうだ。
「コレ青よヨク聞けよ」だと塩原多助だが、そうではなくどうもドナドナ的な・・・。


第2章 色をとらえる
人生の転機もあり、画風の転換期の予兆が見られる時代に差し掛かった。
試行錯誤の時代というか、どことなく「あ、これこれ」なものが見受けられてくる。

カルタ二の5『風』 背景に虹のようなものが描かれている。薄い色調。まだまだ個性を打ち出すところまではいかない。

カルタ三の5『烏』 赤茶色な空、ゆるい丘陵、カラスたち。夕焼けに包まれているのだろうか。
この絵には素朴な愛らしさを感じる。

第3章 天与の色彩
「対象を輪郭線で区切る守一の手法を、
「守一様式」と呼ぶことがあります。この手法が定着したのは1939年前後からです。」
解説にそうある。
熊谷守一のパブリック・イメージの作品が現れてきた。
正直なことを言うと、「会えて嬉しい」作品たちが溢れてくる感じなのだ。
どれを見てもいい、と思うのは既に熊谷の魅力にハマッているからだろう。
120点も並んでいる。一つ一つ丁寧に見たが、全く飽きない。

カルタ一の4『松並木』 松の幹、道のくねり、緑のたわみ。なんとも言えず良い絵。下半分のスッキリさと中から上への混雑振りが却って「いかにも松並木」な感じがある。

カルタ二の1『宵月』 極端な単純さと言うものは、恒久的に生命を保つ。
これを見たとき、オランダのディック・ブルーナーを思い出した。
ミッフィーやお友達はみんな五色までの世界で生きている。
ブルーナーと熊谷と東西に分かれた双子のようなところがある。

カルタ二の3『雪』 こちらは白地に茶色い影の雪で、既に降り止んで残雪になったものに見える。会場ではその隣に同じタイトルの絵を置いている。こちらは水色の空に黒い影が描かれた雪だった。白色一つにしても、こんなにも鮮やかなのは、不思議なくらいだった。

カルタ三の1『櫻』 桜の花びらと小禽。この構図は福田平八郎的だと思う。福田のシンプルさもまた、大人になってから愛するようになったが、熊谷もそんな画家なのだった。

カルタ四の3『蝉』 一言「カワイイ??」黄色い幹にとまる茶色い蝉の可愛さは本当にすばらしい。自然を友として晩年を過ごした熊谷らしい作品だと思う。

カルタ三の2『夕月』 この絵を見て「坂本繁次郎みたい」と思ったのはわたしだけか。他にもそんな方がおられると思う。和風のお約束のような色調。

半券につかわれたのは『白猫』 毛の柔らかさは感じないが、猫らしさがとてもよく伝わる。
たいへん好きな作品。
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『椿』 日本一小さな洋画。3.3x4cmの大きさの絵を入れる額は、無論日本一小さいものだった。私もこの絵はとてもよいと思う。

『揚羽蝶』何点もアゲハを描いたものが出ていたが、どれもこれも本当に愛らしく、そしてきれいだった。わたしは蝶が好きなので、すぐにヒイキするのだ。

カルタ四の5『ヤキバノカエリ』 子供さんを亡くされたつらさを描いたものは、以前に激しいタッチのものを見ている。これは娘さんの死後に描いたもの。
わたしは最初にこの絵を知ったのはいつだったか、絵とある詩とを同時に知った。
『呪詛の歌』 「地婆 鬼婆 牙 八重歯  行く先墓場 途中に焼き場」
・・・この詩と絵とが接合して離れになくなってしまった・・・

第4章 守一の日本画
簡素きわまる洋画は、一見したところそんな二時間もかかっていないようだが、実は魂をすり減らすくらい慎重に描かれていたそうだ。ところが日本画のほうはご機嫌さんなまま、人前でもなんでもスーイスイと描かれたと言う。そして揮毫したのを人にあげもしたようだ。

カルタ五の1『つばめ』 燕の飛行する姿を捉えている。羽の部位の墨のかすれがそれを教えてくれる。
余技の楽しさと言うものが日本画には見える。描き方は南画風にも見えた。
見るからに「明るい気分で」描いているのかよくわかる。


第5章 変幻自在の書
『人生無根蔕』 じんせい、ねもなくへたもなく・・・『サヨナラだけが人生だ』ですね。
書にはあまり関心がないのでどうなのかわからない。しかし味わい深いものを感じるのは確かだ。
堅苦しさのないところがよいのだろうか。
わたしは洋画家の書には優しい気持ちを向けることが多い。須田剋太、中川一政など・・・

見応えのある展覧会だった。充実したのを感じる。
『鯤』が出ないかなと期待したがなかったのが、惜しかったようなもする。
京都からは『獅子頭』も出馬していた。嬉しい気分である。

常々はろるどさんの展覧会の感想を読むと、作者の精神性とかその背景などにも言及されるので、わたしのようなエエ加減なのとは大違いだな、といつも思っていたが、なるほどはろるどさんの視線は鋭いと感心した。
取捨選択の方向性が異なることが、たいへん興味深かった。
また何かにご一緒したいと思う。

お雛様の日

時間から言えば少し遅いのだけれど、お雛様の日です。
今日は立雛を集めてみました。
棟方志功の大和絵による。 IMGP3361.jpg

なんだか楽しくなるようなカップル。けっこうイケてるかもしれない。

小林古径の大正6年のお雛様。IMGP3362.jpg

共布がいい感じ。ちょっとお雛様が巻かれすぎかも・・・

上村松園の松竹梅のめでたさ。IMGP3363.jpg

このお雛様はけっこうお内裏様ににっこり笑いかけるような風情がある。

家のお雛様にもアラレやチラシをお供えしたけれど、桃が手に入らなかった。
それでこちらの梅を供えよう。
池田の薄紅梅。IMGP3359.jpg

なかなか綺麗に咲いている。

こちらは同じ敷地内に咲くナゾの木花。ちょっと枝だけ見れば桜に似ているが。・・・
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まだこの時期、大阪に桜は咲かない。なんと言う名前なのかわからないまま、お雛様へお供えする。

目黒美術館の「美女の図、美男の図」

目黒区美術館には「もっと展示して」と願いたくなる所蔵作品がたいへん多い。
今回の展覧会も言えば蔵出し。
「美女の図、美男の図 ?藤田嗣治、高野三三男から現代作家まで?」
このタイトルで50枚ほどの洋画や版画を並べている。
むろん漫然と並ぶのではなく、それぞれ副題の下に区分けされている。

・横顔の美
藤田の絵が四枚ある。レオナールではなく嗣治の頃の作。
特によかったのは『赤毛の女』と『君代のプロフィール』。君代はアオリ構図で描かれ、赤毛の女はややモディリアーニ風だった。後者は1917年に描かれているから、「エコール・ド・パリ」そのものを感じたりもした。

・殉教
ここにはキリストがいる。わたしはどうしてかこのタイトルを見て三島由紀夫の作品を思い出していた。『殉教』は見事な短編だった。
高野『嘆き』 あるだけの彩色で描き止められた姿。
藤田『殉教者』 『ジーザス・クライスト・スーパースター』の映画を見たが、そのときのジーザスとこの青年は似ている。その一方で『デスノート』の夜神月にも似ている。
考えようによっては、月は当初は「正義感」そものへの殉教者の部分も持ち合わせていたのだった。月やジーザスを思い起こさせる美青年がそこにいた。

・美少年
青年の次には少年が現れる。
高野『うたたね(ねむる金髪の男の子)』 ちびっ子。少年というより男児という感じ。フランス人の子供のような愛らしさがあった。
藤田『メキシコの少年』 二人の少年がいる。メヒコだけにやや浅黒い。兄と弟くらいに見える。座る兄と立つ弟。この少年たちは藤田を誘惑せず、藤田もそそられはしなかったろう。
高畠達四郎『少年青帽』 キュービズム風
里美勝蔵『少年』 バンダナをする少年、濃い顔。
どうも近代日本洋画にはわたしの好む「美少年」は少ないように感じる。というより、この子達を「美少年」の範疇に分類してよいのか。

・女優
高野による高峰秀子と京マチ子の二枚の肖像画。五十年以前の二人の女優がイキイキと描かれている。デコちゃんの赤いドレスの裾がとても長く、髪と胸元と靴の黒とが全体を引き締めている。この絵の翌年に彼女は『二十四の瞳』の大石先生を演じている。
わたしは高峰秀子は『浮雲』がいちばん好きだ。
京マチ子はバレリーナのような衣装を着て、ソファにもたれている。肉感的だった。OSKの頃のダンスシーンなどを見てみたい気がした。彼女の演じる肉感的で妖艶な女はなかなか好きだった。
『雨月物語』『羅生門』『鍵』・・・
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・芝居・衣装
アルルカンやピエレットの絵が並ぶ。三枚は高野、一枚は矢橋六郎。どちらかと言えばわたしの嗜好から外れる。

・猫と化した魂
高野『赤と黒のエチュード』 赤地を背景に黒猫と黄色いドレスの女がいる。どの猫も「猫である」時点で魅力的だが、就中、黒猫の魅力は抗し難いものがある・・・
今井俊満『黒猫と少女』 こんな少女のうちから黒猫の魅力に憑りつかれてはいけないのに。ふと岸田今日子の小説『暖炉の前で聞いた話』を思い出した。
コラージュとドローイングで拵えられた作品。
中川紀元『女と猫』 へんなくろねこととらねこがいる。女よりも猫に気合が入った絵。
藤田『猫のいる自画像』 この人が出ないと、この展示は成り立たない。猫は藤田に顔をこすり付けている。藤田の猫たちはいつもいつも誰も彼もひどく魅力的なのだった。

・ミステリアス(誘惑)
田中保『金髪の裸婦』 田中の裸婦は以前から好きだが、ここにも所蔵されていたか。白すぎる肌はハレーションを起こしかけている。髪と同じ金色がのぞく。決して陶器のような感触ではなく、湿り気があるようにも思う、そんな肌だった。
池田永治『平和の女神も案外殺風景なものだこの献物をなんと見る』 タイトルが長いとすぐに『愛のままにわがままに僕はきみだけを・・・』のメロディが流れてくる。
船上、首を盆に載せる女・・・サロメではなく、タイトル同様ちょっとシュールな絵。
高木由利子『イジィーと鏡、ポートベロー通り’88』 二十年前のゼラチン・シルバープリントの写真は、その隣に並ぶ小野佐世男『やみの女』墨とカラーインクで描かれた絵と似た空気がある。どちらも純粋に綺麗で、そしてムードがある。
司修『エデンの園に連なる森』 司は装幀の仕事を多く見ているが、こうしたタブローにも深い魅力がある。

・たくましい体と心
藤田『レスリング』 グレコ・ローマン式のレスリングなのだが、どう見てもゲイにしか見えない。赤茶色い紙に水彩で描かれている、二人の美しい男たち・・・
人前で見ることが苦痛なくらい、ときめいた。じっくりと飽きるまで一人で眺めたい・・・
『裸婦』もあったが、こちらの二人の方が遥かに魅力的だった。

・知的美人
高野『緑衣』 なるほど賢そうでしっかりしている。

・あどけない少女
野田英夫『車中の少女』 不安そうな少女。img969.jpg

去年府中美術館の『動物絵画の百年』で栄紫山の虎と比較したりしていた。
その虎と大きな目がとても似ている。img968-1.jpg

クリックして拡大してください。

・都会的な風景の中で
昭和初期の都会。何故この時代はこんなにもモダンで、そして不安なのだろうか。

・流行の先端に立つ(ファッショナブル)
下川凹天『銀座はうつる』 この絵は以前から知っていた。モボとモガが並んで闊歩する絵で、日本のマンガの歴史の中に紹介されることが多い。宝塚の手塚記念館にもパネルで紹介されている。今回、初めて作者や色んな背景を知った。

なかなか興味深い展覧会だった。
特に久しぶりに高野の作品をたくさん見た。以前同じ目黒の庭園美術館で見ている。
それから頴川美術館には、全く珍しいことに高野の花の絵がある。
たぶんマグノリア。背景の臙脂色と花弁の白にときめいたものだ。
今度ここで再び回顧展でもしてほしい・・・

こちらも山本武夫展同様4/6まで。再訪するなら『レスリング』を一人でじっくり眺めたい・・・

山本武夫 美人画と舞台芸術

山本武夫の展覧会と聞いても、知らない人なので危うく行き損ねるところだった。
目黒区美術館で初の回顧展ということなので出かけると、なんとわたしの偏愛する小村雪岱のお弟子さんで、しかも名前に覚えはなくともその仕事に心当たりの多い人だった。
これだからきちんと情報を得ないといけない。私にとって行き当たりバッタリは敵だ。
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このチラシ絵タイトルは「シダル幻想」。ロセッティの「シダル」なのである。ただしこの女性は元禄頃から宝暦頃の髪形の日本美人である。
下の絵は舞台装置『蝶の道行』の原画。そうと知ったとき、鼓動が高まった。

一枚絵から展示が始まる。
ちょっと不思議な静けさを湛えた女たちがいる。
顔の中の陰影のつき方がその不思議さを醸し出しているのか。
総体的に師風をよく継いだように思う。女の髪の生え方や目つきにそうしたことが窺える。
しかしそれだけでなく、何か別な要素もある。・・・明治の石版画の人物像に似ているように思う。・・・見れば見るほどそう思う。
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のれんから半身を出す娘。黄八丈を着ているので芝居の「白木屋おくま」かと見当をつける。すると娘の視線の先には手代の忠七がいるのかもしれない。

他の一枚絵の女たちを眺める。
着やせする身体の上に短い首でつながるやや大きな顔。飛鳥時代の仏像のようなプロポーションだと思う。だからいやなことはない。
そんな体形の女たちがあるときは紫陽花をみつめ、あるときは桔梗を眺め、あるときは白拍子として舞を舞っている。

挿絵や口絵が大量に並ぶ。常々挿絵専門美術館の弥生美術館に出かけ、日本の挿絵の歴史にものめりこんでいるはずが、この画家を知らなかったのは、なんともナサケナイ。
しかも絵を見れば知る画家なのだ。
村上元三『牡丹亭お遊』表紙原画。五色の糸を掴んで舞う女。
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他にも吉川英治『女来也』の原画もあれば、戸板康二『団蔵入水』まである。
『団蔵入水』は実際に入水した役者の生涯を描いた短編だが、この本の表紙絵などをわたしは覚えていた。松並木と海と・・・
’80年代半ば-’90年代半ばをわたしは時代小説と歌舞伎とで暮らしていたのだ。色々な口絵などを見ると嬉しくて仕方なくなってきた。
『合の山』お杉お玉の二人の女芸人がいる。この『合の山』のお杉お玉のことも時代小説から教わった。『大菩薩峠』にも登場する。

挿絵も多く展示されている。
『次郎吉娘』こちらも師匠の衣鉢をついで白と黒のときめきがある。
『江島生島』の艶かしさ・・・牢内に押し込められた貴婦人が打掛も剥がされ、縛られている姿は凄艶だった。
『切られお富』 これも読んでいる。村上の作。挿絵を見るとまた本文が読みたくなってきた・・・
挿絵にはその力がある。

書籍・雑誌装幀も実に多く、そして見知ったものもいくつもある。
すべてシンプルでシャープで<和の美>の横溢したつくりとなっている。
下母澤寛の作品が多い。師匠の雪岱も下母澤寛と組んで名作を多く残している。
(『突っかけ侍』などその最たるものだ)
『花の兄弟』『喧嘩街道』『弥太郎笠』『浮名行燈』・・・ああ、江戸の美意識が生きている!
長谷川伸や白井喬二だけでなく、邦枝完二とも組んでいる。こちらも先の下母澤寛同様師匠には名作『おせん』『お傳地獄』がある。
そして城昌幸『若さま侍』シリーズ。このシリーズを全て手がけている。
どれを見ても素晴らしくいいセンスだ。

舞踊会プログラムの表紙絵にも名品が揃っている。流派を超えて、品の良い絵を送り出し続けた。
美人画だけでなく、風景や静物の美しい絵も多い。
日本画の美意識を心ゆくまで味わえるのだ。
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そして舞台美術。道具帳がこれも実に多く出ていて、それも今日まで使われている作品も多かった。
冒頭に挙げた『蝶の道行』、『お吟さま』、『滝口入道の恋』、『姐巳』などなど枚挙に暇がないとはこのことを言うのか、と思うほどに多い。
そのうち『お吟さま』を見て思い出したのは、八世三津五郎がこの芝居でお吟さまの父・千利休を演じている間に、フグで中毒死したこと。『姐巳』はたぶん中村雀右衛門が演じたあれでは・・・ということなどなど。
他にも『恐怖時代』がある。ああ、わたしは谷崎の戯曲で最愛なのがこの『恐怖時代』なのだ。
タイトルを知ったのは横溝正史『蔵の中』での愁嘆から、舞台化を一部見たのは蜷川の芝居のみ。
・・・ぜひとも歌舞伎で見せてもらいたい・・・!
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他にも舞台衣装のデザインなどが並び、会場いちめんが花の開いたようにみえた。

師匠の雪岱の『おせん』などもいくつか展示されている。今は埼玉近代美術館で特集展示もあり、本当に嬉しい。その雪岱から世話を受けて資生堂にも作品を残している。
コールドクリームのポスター。mir558.jpg

和風香水『禅』シリーズなどの仕事。
ただただときめくばかりだ。

こういう内容が好きな人には堪えられない面白い内容なのだが、多くの人に向くかどうかはわからない。わたしにはとても良かった展覧会である。4/6まで。



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