恵比寿の東京都写真美術館に行って、三つの展覧会を見た。
『紫禁城写真』『シュルレアリスムと写真 痙攣する美』『知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッティ』
どれがどうよかったか、どうでもよかったか、そんなことをごく私的な感想で綴る。
少し前に旧朝香宮邸の庭園美術館で『
建築の記憶』展をみた。
この中で伊東忠太と小川一眞のコラボを見たが、それが紫禁城だった
明治の写真家・小川の写した紫禁城には、胸がかきむしられるようなせつなさを感じた。
失われたものへの郷愁、という言葉だけでは捉えきれない感情がそこにある。
今回その胸の痛みを再び味わうために出かけたのだが、最初に見たのはそれとは異なる作品だった。
中国の若いカメラマン侯元超による、小川から百年後の紫禁城写真がそこに展開されていた。全く同じ構図のモノクローム作品である。百年の時の流れを追想する、と美術館は謳う。なるほど、そうかもしれない。
侯氏の写真には、不思議な明るさを感じた。それはきっと紫禁城の辿った時代の変遷を、わたしが知るからそう感じたのかもしれない。

今の紫禁城は観光名所・世界遺産なのである。みんなが見たがるすばらしい建造物なのだ。
かつて紫色を禁じられ、明清朝の栄光と破滅とをみつめた建物とは、性質が違うのだ。
しかし侯氏は小川の百年前の写真、百年前の紫禁城を現代に蘇らせるように、撮影する。
ただ、それはどことなく嘘くさく、ハリボテのような感があった。
違和感はとうとう最後まで付きまとい、それがもしかすると百年と言う時間の正体なのかも、とわたしには思えた。
忠太は明治の人だから、最早平成人にはその言語は通じぬらしく、解説文は全て現代語に意訳されていた。そのこと自体にわたしは少し身を引く。
忠太の言葉そのものを期待していたわたしは疎外されていた。しかしそれも仕方ない。

天安門、太和門、乾清宮などこれまでTVなどで見知った建造物がある。
しかしそれらは全てその当時のカラーでみた映像なので、ここにあるものとは全くの別物に見えた。
太和門藻井(そうせい=組天井) チラシ右下。すばらしい、としか言いようがない。
中華装飾の粋と言うべきものがそこにある。以前、この装飾文様の写しを見たことがあるが、実際の状況と言うものを見ていないだけに、ただただ感心した。
明代の文化の爛熟期に生まれたのか、清朝の盛期に造られたかは知らぬが、なんと言う美しさか。この組天井を見ただけでクラクラした。
同じ藻井でも、太和殿宝座のそれは折上げ格天井の態を成している。そして四本の柱は金色に塗られているそうだ。
乾清門前左右の袖牆(そでがき=門の袖に作られた脇的存在)日本の袖垣とは全く発想が違うので、説明しづらいが、これもまた立派だった。紋章のような装飾がそこにある。
同じアジアでありながらも、全く異なる文化と美意識と発想なのだ。
乾清宮前面の廂 これも延々と続くもので、見るからに美しい。数年前上海に近代建築ツアーに出たが、上海灘のそれらより、豫園や蘇州の明代の庭園にひどく惹かれたものだった。これを見て、そのことを思い出した。
交泰殿宝座の上に於ける藻井 この写真を見て村上もとか『龍 RON』での太和殿宝座の天井部の軒轅鏡を思い出した。そこには黄龍玉璧が隠されていた・・・
他にも太和殿前の獅子、鶴、亀の銅像や、屋根に連なる鬼龍子ら、饕餮文の入った香炉など、わたしの好むものばかりがあった。実にいい気持ちで見て回り、アタマの中に坂本龍一の『ラスト・エンペラー』のピアノ曲を流しながら、出て行った。
次に見たのは『痙攣する美』である。
リストがないので自分で書き散らしたが、どうも前半のシュルレアリスム以前の作品にばかり、わたしの好みは偏っている。
マン・レイの有名な作品がいくつかと、アジェやブラッサイの作品があるだけで、わたしは嬉しい。
マン・レイの『キキ』もブラッサイの『ダリ』もとても素敵だが、パリの風景あるいは情景を写し撮ったアジェやブラッサイの作品には、ひどく惹かれる。
アジェ『1912.4.17 日蝕の間』 人々が日蝕を見ようとガラスを黒く塗ったものを眼に当てて、そちらに向かっている。なんとなくヒューマン・コメディーということを思う姿。
ブラッサイ『ノートルダム北塔の樋嘴』 怪獣の嘴。’33年の怪獣のある日。怪獣の姿は暁闇に包まれつつあるが、輪郭線ははっきり見えている。
‘29年の、シトロエンの広告イルミネーションの見える写真も素敵だ。’33『サン・ジャックの塔』も全て影のように見える。そして街角の灯りだけが・・・
こうした写真にときめいてどうにもならなくなる。
パリだと言うことはわかりきっているのに、どうしてか頭の中で『さらばベルリンの灯』のメインテーマが流れている。’66年のジョン=バリーの名曲。映画は陰鬱なスパイものだった。
アジェ『ルーアン、サンパレス通りの家』'07。屋根の勾配の迫りかたの良さ!これはわたしの個人的嗜好にフィットしている。ユトリロの描いた修道院もこんな傾斜の屋根だった。建造物の撮影の場合、技法とか構図とかよりも、建物そのものへの偏愛度によって、わたしは左右される。
鶏卵紙か。「・・・切らん切らんと狂乱の態」「ケランケランは鶏卵のこと」というのがあった。
森下雨村あたりが言ったはずだ。(古いな、私)
・・・その用紙が巧くセピア色になり、そこに写る風景もますます魅力を増す。
アジェ『旧医学校(1483?1775)』 ドーム屋根が潜水メットのよう。『ハンニバル・ライジング』を思い出した。若きハンニバルは奨学医学生として、献体された遺体のホルマリン漬けの管理を一人でしていたが、この建物の中でそれが行われていたような気がした。
『回転木馬』 フランスが何故こんなにも回転木馬が好きなのかは知らない。この有名な写真を見ていると、わたしはいつも頭の中に音楽が流れるのを感じる。
とても好きな映画に『シベールの日曜日』’62がある。ここにも回転木馬が出ていた。
この写真の回転木馬が、少女の乗ったものかどうかはわからないけれど。
ブラッサイの猛獣狩り三態。『オルシーニ家の宮殿裏にある吸血蝙蝠』『森の中の亀』『グエル・パークのとかげ』・・・羽だけ見えていたり、苔むしていたり、ヘビな顔つきでも、なんとなく楽しい。
この辺りまではレトロな古写真と言うべきもので、わたしの嗜好にとても沿うのだった。
改めてアジェの建築写真を眺めると、装飾の細部写真が多い事に気づく。どうしてもそうなってしまう。とても実感としてわかる。
だからアジェが好きなのだと思う。
シュルレアリスム 痙攣する美 これをいよいよ眺める。
インドリッヒの作品を見ていると、ドールハウスやコーネルの箱を思い出す。
エキゾティックな顔立ちの少年が窓に寄り添う。絵だと言うことはわかっていても、写真の中の現実として、彼は活きている。

ベルメールの身体の一部だけの作品を見ていると、小出楢重の随筆が思い浮かぶ。
「一部分というものは奇怪にして気味のよくないものである。」
全てがあるうちでの一部分を眺めるのは好きなのだが、足だけとか手だけと言うのはなんだか怖いし、やはりいやだな。
しかしこの『痙攣する美』にはそうした作品が多い。
ヘルベルト・バイヤー『義眼』 箱にきちんきちんと詰められた義眼たち。
饅頭のようだ、とイヤシのわたしは思う。
義眼の当て字に「偽眼」と答えた人がいるらしいが、なんとなくこの写真を見てそれを思った。
どうも昔からシュルレアリスムはニガテなので、逃げ出してしまった。
最後に『知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ』展を見た。
見る気はあまりなかったのだが、新聞の評で飯沢耕太郎氏が勧めていたので見る気になった。チラシはもうなくなっていた。リーフレットに辺見庸氏が一文を寄せている。
作品そのものより、二人の文章の方に惹かれるものを多く感じた。
写真のタイトルは全て詩歌から得たらしい。
遺作『この憶い出をきみに伝えん』 犬の剥製、犬、変な面のオジさん、廃墟、彼らの影、カラス。これらで構成されたシリーズもの。
『雪の劇場』 不気味な面の老女たち。KKKのようなモノが吊られている。なんとなくやなぎみわに通じるものを感じる。
『スプーン・リヴァー』 架空の村の墓碑銘より、<彼女>を探して。・・・こういうコンセプトにはひどく惹かれる。
『自然について知っていること』 これは随分多い数で構成されている。木賊のような枯れ枝の向う・・・武二の『耕到天』を思わせるような畑、ナゾな植物・・・
『私には自分の顔を愛撫する手がない』 司祭シリーズ。スタイリッシュだが、これもまた見るうちに苛立たしくなってきた。

『スカンノ』 黒衣の老人たちの中に、一人の少年がいる。歩く少年。彼は一体何者になるのだろうか。・・・何かの予感を覚えるような作品がある。
見るうちに息苦しくなって来た。一応全部見たが、途中で逃げたくなった。実際、逃げた。
三つの展覧会を見て、わたしはやはり百年前の紫禁城に引篭もりたくなった。
痙攣する美の手前までで帰ればよかったような気も、した。
三つの展覧会のうち、紫禁城だけは5/18まで続いている。後はもう終わっている・・・