美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

『少女マンガパワー』展をみた

京都国際マンガミュージアムで『少女マンガパワー展』を見た。
出展作家は23名。原画と原画‘の展示。(原画ダッシュというのは原画の精密な複製。修正の痕なども残る分。限りなく原画に近い存在)
以下、敬称略でまことに自分勝手な感想などを書いてゆく。
(展示順の感想文です)
例によって長々かいてます・・・・・
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ガレ・ドーム・ラリックを眺める

ガレ、ドーム兄弟らアールヌーヴォーガラス工芸と、ラリックらアールデコガラス工芸の共演を、京都高島屋で見ることが出来る。
ポーラ美術館などから多く出張してきて、人々の目を愉しませている。
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これらガラス工芸品はただそのまま眺めるだけでなく、光を当てることで違った様相を見せ、更なる歓びを味わわせてくれる。
先日サントリーミュージアムで『ガレとジャポニズム』展を愉しんでからまだ日も浅いが、同じ作品が出ていないことにも感心した。
本当に多くの作品がそれぞれの工房から生まれている。

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「美しいものをみつめ続けると麻痺してしまう。だから眼を閉じ、不意に目を開ける。するとそこに・・・」(「夭折家族」より)
その言葉通り、美に麻痺しかかった神経と眼とを一旦鎖す。少しの時間を置いて不意に眼を開ける。視界いっぱいの美がそこに広がっている。
意図も意味も持たない音声だけがあふれて、その美にときめいていることを暴露する。

グラデーションの妙を見せる、ドラゴンフライの繊細な翅を表現するガラス。
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一色だけと言う色彩に、無限の深みと遠浅の波を味わわせるラリックのガラス。

ガレから生まれたガラスの生物の美・・・
技巧に技巧を重ねた末に、自然の美をも凌駕する造られた植物たち。
永遠にそのいびつな形の器に封じられて、決して外へ出ることは出来ないけれど、その中で花を咲かせ続けている。

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作家性の違いと時代の嗜好とが、同じガラス工芸品にこんなにも幅を持たせている。
静かに明るい気持ちで眺めて廻った。
これらのガラスはたとえ深海の底に沈んでも、輝きを失うことはないだろう。
展覧会は8/4まで。

色―響きと調べ

京都市美術館のコレクション展を見た。
「色―響きと調べ」
古語に色彩を表す言葉が多いだけに、てっきり日本は色彩の豊かな国だと思っていたのだが、そうではないらしい。
「日本は元来色の種類に乏しく、色を表す言葉も外来語を含めて少ない国」だと展覧会の前書きに記されている。(柳田國男『明治大正史 世相篇』から)
・・・日本語の語彙に色彩を表す言葉は、少ないらしい。
少し、驚いた。
緑色を表す言葉だけで30近い言葉があるはずだのに、それでも少ないのか。
非常に不思議な感覚だった。

とはいえその少ない色彩も年数が降るに連れ、輸入もあり種類が増加してゆく。
柳田の著作が出た時代、丁度色彩環境がそれこそ「多彩化」したそうだ。
展覧会はそこのところを見せようとしているのかもしれない。
そのため、キャプションごとに色を設定して、方向性を見せている。
(展示品は全て近現代のもの)
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ところで「色―響きと調べ」というタイトルから思い出したが、色は視覚、響きと調べは聴覚の領域に属するものだと思うが、何かのハズミで視覚と聴覚が入れ替わった人の話を聞いたことがある。口で説明されてもよくわからないが、形を持つことはあるのだろうか、と思った。
実感がないので、いまだに想像するだけだが。

富田渓仙 伝書鳩  これは数年前の京都市美術館の年間予定表に使われた作品でもある。
今はどうか知らないが、昔は伝書鳩もよく働いたそうだ。すんなりした鳩色の鳩たち。
静かな色調が落ち着いている。

川崎小虎 森の梟  可愛い。小虎の小動物はどれもこれも愛らしい。本当に可愛い。撫でてやりたくなるような愛らしさがある。森の緑と梟の茶色が優しい色合いを見せている。

幸野楳嶺 帝釈試三獣図  ああ、これはあれか、空腹のバラモンに食べ物を集める動物たちの話で、兎だけが何も見つけられず、それで火を熾させたところへ自分の身を、というエピソードだと思う。林の中で怪しい爺さん(失敬な)のそばに動物たちの姿が見えるが、これは予め定められた悲劇の前兆シーンなのだった。

榊原紫峰 奈良の森  鹿のくつろぐ奈良の森。しかしここに描かれている豊かな樹を見ると、奈良と言うより殆どイメージ的な天竺の森のような気がする。鹿の角は枝のように見え、生き物を描いた写生画ではなく、観念的な物語絵のようにも思えた。

西村五雲 園裡即興  ウサギが籠の内外にいる絵。たいへん有名な作品だと思う。なにしろよく見かけるし、よく出てくる絵。タイトルも巧い。ウサギは何か考えているのだろうか。
ほわほわの毛に包まれたその表情からは、読み取れない。

竹内栖鳳 雄風  虎です、猛虎です。獣王の意気高らかに 無敵の我らぞ 阪神タイガース♪
・・・いや要するに紀元2600年奉祝展のための虎絵なんですが、見ただけでアタマの中に六甲おろしが流れてきたもんな。かっこいい。

富岡鐡斎 掃塵山窩図  タイトルを見て素直に「サンカがお掃除する図」かと思い、実に珍しい題材だな、1921年だから三角寛のサンカシリーズが出る前か・・・などと考えていたら、そうではなく、いかにも鐡斎らしい山中の高潔な文人たちのお掃除図だった。
それであわてて英語タイトルを見ると、“Mountain Den for Sweeping Away Dust”とある。つまり山の穴倉お掃除図、という意味だったのだ。紛らわしいタイトルだった。

入江波光 彼岸  この『彼岸』は波光の作品の随一だと思う。初めて見たとき、漣のような静かな震えに満たされた。ずっと向うの、どこからかつながる川から来た小舟には天人たちがいる。
微笑む彼女たちの頭上にもその同胞たちがいる・・・
この世の外の風景を描いた作品の中で、いちばん美しい作品。

山本春挙 山上楽園  この絵を見ると、アニメの『ハイジ』の山の上の湖を思い出す。
心も綺麗になる風景。この楽園を目指して行者たちの登る姿が小さく描き添えられているが、それはこの画家の別な作品『雪山遊鹿』の鹿の群れ同様に見える。

菊池契月 今回よい絵が数点出ていた。南の国のユートピアを描いた『南波照間』、凛々しい馬を描いたもの、可愛らしい赤童子、ミラノで模写した美しい女の図などなど・・・
これらを見ていると、やはり契月は見事な絵を描く、と思う。何もかも全てが静かに美しいから。

甲斐庄楠音 青衣の女  どうにもならない自分の身の上、それをかこつわけでもなく、しかし這い上がる気力もなく、それでもこうして生きてゆく・・・生きているうちにはいいことがあるかもしれないし、ないかもしれないが、それでも生きてゆくしかない。
そんなイメージがある絵だが、この薄い青の着物を見ると、ナマナマしいものを感じるのだった。

徳岡神泉 流れ  今では神泉の良さにときめくわたしだが、以前はよくわからなかったし、どことなくニガテだった。この流れも実は縦なのか横なのかわかっていなかった。
不思議な色の合わせ方をする画家だといつも思う。

勝田哲 朝  チラシの絵。モダンガールなおねえさんが朝から優雅にレコードをかけている。テーブルに掛かるレースが綺麗。レコードホルダーには沢山のレコードが見えるが、彼女は何のメロディを選んだのだろう。

工芸品からも少し。
楠部彌弌 彩埏花宴  わたしは楠部彌弌が大好き。板谷波山より好き。それで置かれている花瓶の周囲をぐるぐる廻った。どこから見ても、やっぱりステキだった。

龍村平蔵 日暮文蒔絵錦  染織作家として、初代龍村平蔵は本当に偉大だ。龍村作品を見るだけでどきどきする。趣味の好悪を越えて、尊敬の念があるからそう思うのかもしれないが。
だからここにある作品も本当に優美で見事なものだと感嘆する。批判は一つも思い浮かばない。

他にもこんな作品がある。
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この展覧会は百点を越える展示があるので、わたしの紹介はごく一部に過ぎないが、こうしたコレクションを見て回ると、京都市美術館の所蔵の深さに感心する。以前は蔵匿されていたが、今はこうして様々なコンセプトの下で展覧会が開かれるので、本当に嬉しい。
何も特別展だけが立派ではないのだ。こうした所蔵品展にこそ、その実力が示されるのだ。
とは言え8月末までこのコレクション展が開催された後は、『パリの百年』展が開催される。
チラシを見ると、既に開催された東京のそれより、魅力的だった。
総花的な展覧会で楽しめるので、それにもお客さんがいっぱい来ればいい、と思う。

竜馬の手紙を見た後には・・・

暑いので記憶も曖昧になりつつある日々を過ごしている。
IMGP4708.jpg考える人も暑そう。

京博に再び杉本哲郎の模写した『アジャンター・シーギリヤ壁画』展をみに出かけた。
感想は前回同様「やっぱりよかった、見に来た甲斐がある」と言う感じ。
それもよかったが、夏の恒例展示・坂本竜馬の資料展が面白かった。

竜馬の手紙はなかなか面白いので、これまでも展示があるといそいそと見に来たが、今回は京都初公開の一通があった。
お姉さんの乙女さんに当てた膨大な手紙の中でも、これは「オヨヨ」というか「あー・・・」な内容。
つまり最初に上京してお世話になった千葉道場の佐那子さんのことを綴ったもの。
手紙は既に何年か経過していて、昔は少女だった佐那子さんも既に26歳になった時点での、内容。佐那子さんの美点について色々書いている。しかしどうしたいとかは一切書かれていない。ナンギナヤツメ!
司馬遼太郎『竜馬がゆく』によれば、佐那子さんは晩年、女学校の寮監をしていたが、「自分は坂本竜馬の許婚でした」と語っては、彼から手渡された片袖を大事に守っていたそうだ。
これは北海道の竜馬記念館準備室(そんな名称かどうかは定かではないが)からの借り物らしい。蝦夷地開拓か。それで言えば、マルセイバタサンドで名高い六花亭のお菓子のパッケージ絵は坂本直行という画家が描いたものだが、その人は竜馬の親族の人なのだった。

他によく展示される、おりょうさんと新婚旅行に出かけて逆矛に遊んだ手紙はこちら。
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あと、兄の娘でたいへん可愛がっていた春猪さんあてに書かれた手紙が、解説によると「ひどい内容」のもの。実際読んでみたが(読み取れぬのはプレートをカンニング)そうそう惨いものでもないが、確かにコラコラな内容ではある。
たぶん、竜馬もしんどい時期だったのが、こんなことを書かせることになったのでしょう、と甘い眼で眺めるわたし。

今回、竜馬と中岡信太郎が襲撃された近江屋の遺品も出ていた。
血染めの掛け軸『梅椿図』とこの書画貼交屏風。下の牡丹に猫の絵に血がしぶいている。
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左の鏡と袋物は竜馬の遺品。けっこうオシャレ。
今では見廻組の犯行説が主流。わたしもその派。
他に鳥羽伏見の戦いを風刺した瓦版や、慶喜が船で逃亡する図(芳年)などがある。
チョボクレ節やええぢゃないかの図がとても面白かった。
また繁盛する近江屋さんの様子を描いた楽しい絵もあった。

しかしやっぱり竜馬は人気がある。わたしもとても好き・・・ときめくなぁ。

あとは前回同様、十二類絵巻や賀茂競馬屏風や鶴の草紙(怪獣ワザワヒが可愛い)を見てから、正面通りへ向かった。
いまだにお隣の豊国神社にも方広寺にも行っていないな・・・
博物館向かいの民家前の街路樹。何の木花かわからないが、きれい。
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耳塚を見る。秀吉の晩年の狂気の犠牲。塚の写真は撮らない。申し訳ないので。
しかし玉垣はたいへん興味深い。知った名前がずらずらずらと並んでいる。
戦前の名優たちや文楽の人々の名がいっぱい。
調べると、大正四年に作られたものだった。興味ある方はクリックしてください。
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このお向かいには烏寺というお寺があり、瓦にも烏がデザインされている。
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蓮生坊(熊谷直実)所縁のお寺らしい。というか、ここで烏たちが彼の極楽往生の話をしていたとかなんとか。
それを聞いた専定坊のお寺。IMGP4720.jpg

この通りには正面湯という銭湯があるが、休業中、残念。
実はこの後出町柳に出た。友人と待ち合わせしているので、七条からいきなり百万遍に舞台が変わる。しかしそこで悲劇が待ち受けていた。
期間限定の肉冷麺を食べに行ったのに、そのお店・太陽軒がナゼかインド料理屋さんに変身していたっっっっっ!
でも太陽軒の看板はまだあるのに、あるのに・・・ううう(涙、涙、涙)
・・・結局京大のカフェテリアで冷麺を食べた我々。これが意外とおいしいことが、また泣ける。
学生向けなので安価で量が多いのよ・・・わたしたちには多いのよ・・・ううう。
あと十年経てば二杯くらいペロッといけそうだが、今が一番食べれない年頃かもしれない・・・←ナサケナイ。

京大博物館では宇宙の展覧会をしているが、それはやめて思文閣に向かう。詳細は後日。
そこから三条に出て、イノダで休憩。
イノダのコーヒーフロートは、バニラアイスではなくレモンアイスなのが特徴。サッパリしていて、とてもおいしい。
この後には京都マンガミュージアムに行き展覧会を見て、帰阪。
電車に乗る前、大丸のそばのうどん屋でうどん食べたけど、つくづく麺好きだと実感した。
なんせ、この翌日(つまり今日のお昼)わたしはゴマ味の冷麺を食べ、夜にはソーメンを食べていたのだ。それでまだなにか麺が欲しいのだ・・・
とりあえずそんな夏の一日の話。

地下への通路で見かけた黒い羽のトンボ。IMGP4721.jpg

天神祭の夜に

今日は天神祭の船渡御。昨夜は鉾流し神事があった。
花火も打ち上げられる。御霊信仰はにぎやかに行われる。
こちらは江戸時代の天神祭の様子を描いたもの。
長谷川貞信『天神祭船渡御図』mir750.jpg

それと北斎の『諸国名橋奇覧』から天神橋。
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陸渡御と船渡御が描かれている。

この橋を渡って伸びる天神橋筋商店街は、日本一長い商店街。わたしも時々ぶらぶらする。なんとなく楽しいところ。

大阪の夏祭りは6月末の愛染さんから始まるが、やはり天神祭が一番メジャー。
ちなみに最近は中村勘三郎が得意演目にしている『夏祭浪花鑑』は天神祭ではなく、高津神社のお祭が背景にある。
この芝居は歌舞伎でも文楽でも人気演目。わたしもたいへん好きな芝居。
人気演目だからよく上演され、それが芝居絵にもなる。
上方の浮世絵師もそれぞれ『長町裏の段』を絵にする。
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今は知らぬが、ちょっと昔の大阪では高津界隈の育ちやと言うと、「ええ氏」やということになった。
ジマンのネタになる土地だったのだ。
何しろ大昔は朝廷もありました。
高津宮から仁徳天皇がぐるり見渡して「カマドの火が立ってない」と驚かれて、三年間免税処置がとられたのだ。
今なら免税どころか「民も痛みを受けろ、ガマンしろ」になるところですかな。

大体毎年夏は祇園祭・天神祭を楽しみに出かけるが、今年は家に引きこもった。
花火も見たいが諦めていたが、TVでどでかい<花火>を見た!
中日戦の初日、我らが阪神タイガースの関本選手が満塁ホームランを打ったのだ!
野球のプレーの中でもホームランは打ち上げ花火と同じ興奮がある。
ああ?嬉しかった!応援しすぎてコーフンしすぎて、試合終了後わたしはぐったりしてしまった。
嬉しいしんどさにへろへろな、天神祭の夜でした。

前田寛治のパリ

今、『前田寛治のパリ』として大阪市立近代美術館(仮)で8/3まで展覧会が開催されている。
この絵が好き、と言うよりも全般としての前田作品に惹かれているので、出かける。
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前田寛治の描く若い女には、独特の静けさがある。
シックな色彩と静かな眼差しがそう見せている、と言うだけでなく、彼女たちは動きを持たないように見える。
生きている静物画、そんなイメージがある。
つまり西洋における静物画(死せる自然)という意味ではなく、彼女たちは活きている。
活きてはいるが、動くことの予想できない状態でもある。

描かれた女性たちはフランス人もいればポーランド人もいるし、日本人もいる。
肌の微妙な色の違い・質感を前田寛治はここに提示する。
豊かな頬、丸い目、つむった口元。
肌色をベースに、そこに色を足してゆくことで人種が分かれてゆくのを感じる。
裸婦の肌の色合いを見ながらそんなことを考える。
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西洋人と日本人の体型の違い、それを前田寛治はクリアーして行く。
小出楢重が日本人裸婦を描いた頃に前田も日本の女の身体を描いた。
どちらもが臥せた身体の腰骨の出具合、腿の太さ、腰周りの強さを描いている。
現在と違う、昔の日本の女の身体がそこにある。
それを描いたときから新たな平野が開けて来たのに、どちらも1930年前後に死去してしまった。

昨夏、兵庫県立美術館で『絶筆』展が開催された。
前田の絶筆は故郷の海を描いたものだった。
海原ではなく、浜からの海。日本の海の風景。
ここが此岸で海の向こうが、という感じはないにしても、それでもどこかへゆくのかもしれない、そんなことを考えた。

前田は写実を求めたが、彼の作品を眺めると、写実とはなんだろうと考えることがあった。
ウルトラリアリズム絵画を通過した現代の眼で眺めると、写実ということの意味そのものがよくわからないのである。
これはあくまで私の不明に根を発することなのだが、特にそのことが気にならない「自然さ」が前田寛治の絵画には、ある。
それを写実と言うのかどうかはわからない。

前田の描く女たちの眼は音楽記号フェルマータに似ている。特に半円フェルマータが。
それはパリの女もポーランドの少女も日本の娘も変わることがない。
この優しい目がどこをみつめているのかはわからない。
自分を描く画家を見ているのか、いずれ観客となるべき人々をみつめているのか、それともどこともしれぬ先を眺めているのか。
ただ、彼女たちはこよなく優しい目をしている。
ふくよかな頬とその優しい目がそこにあるだけで、静かな喜びが満ち満ちてくる。

しかし一人だけ悲しい目をした女がいた。
『J.C嬢』 彼女だけはなんとなく哀しい眼をしていた。
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彼女だけでなく殆どの女たちに共通して使われる色彩がある。青緑と、濃い青鼠色である。
色の名前をあまり知らぬので、その名を書く言葉を持たないが、海老原ブルーよりもう少し薄い感じの青緑と、今年の服飾の流行色の青・・・それらがひどく美しかった。

キュビズムの洗礼を受けた時代、友人からの思想の影響を受け、プロレタリアへの傾倒を示した時代、前田の絵は暗い色調を帯びていた。
1924年から翌年の作品にはその翳りが大きかった。
同じくキュビズムの影響を受けた黒田重太郎の裸婦などは、その肉感に深い魅力があったが、前田のキュビズム風裸婦は、どうも肉が分割されすぎているように見えた。

労働者を描いた絵の中で胸を衝くものが二点ばかりあった。
大原美術館所蔵の『二人の労働者』(サッコとバンゼッティ)、そして『メーデー』である。
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前者は大原所蔵とは言いながら、わたしはそこで見た記憶がなかった。
しかしこの絵を見た瞬間「サッコとバンゼッティ」を連想していた。
イメージとは怖いものだ。
実はわたしは八歳のときベン・シャーンの『サッコとバンゼッティ』の絵を見ていた。
『おばけを探検する』という本の中にこの冤罪事件のあらましが書かれ、その参考資料としてその絵が載っていたのだ。
高校生の頃には事件を基にした映画『死刑台のメロディ』を知ったが、それらが下地になり、二人の労働者の絵を見ると、咄嗟に「サッコとバンゼッティ」だと連想するようになっていた。
前田による『サッコとバンゼッティ』が描かれたのは1923年、二人が処刑されたのは’27年、前田は完全なる同時代人としてこの絵を描いたのだった。

一方『メーデー』と言うタイトルは前田の決めたものではなく、便宜上そのように呼ばれているそうだが、これは労働者たちの行進を描いたものだから、遠いタイトルではない。キュビズムの影響と言うより、イタリア未来派の影響を受けたような色彩構成だと思った。
暗い行進ではなく明るい力強さ。それを感じた。
前田寛治は一度だけ当局に拘束されたことがあるそうだ。
理由は彼の友人・福田和夫が思想家として活動したのがにらまれたため。
福田の影響を受けて前田はプロレタリアに眼を向けたが、思想家ではなく芸術家だった彼はやがてそこからも離れてリアリズム絵画へ向かった。
そして独自のリアリズム絵画に到達した、らしい。
福田と前田の2ショット写真がある。どちらもとてもよく似ていた。
多分、その頃が一番影響を強く受けていたのだろう。

前田寛治、佐伯祐三、小島善太郎、里見勝蔵、木下孝則ら、いわゆる「パリ豚児の群れ」の楽しそうなスナップ写真が幾枚もあった。
彼らによって結成されたのが1930年協会であった。メンバーを見るだけでときめく。
木下はつい先般、横浜そごうで展覧会もあったようで、巡回があればと思っている。
このメンバーでは前田、佐伯が特にわたしの好きな画家なのだが、彼らの作品と前田が「写実」を学んだクールベの作品も少しばかり展示されていた。
mir748.jpgクールベの裸婦から肌の質感を学んだのだろうか。

mir749-1.jpg小島善太郎『テレサの像』 恋人の横顔。

mir749.jpg佐伯の最初の滞仏時のことを思う。

それにしても鳥取県立博物館はえらい。
ここには菅楯彦のコレクションもある。大阪市が菅の寄贈を管理できないと拒絶したので、鳥取が名乗りを挙げてくれたのだ。
そんな昭和の真ん中頃から文化果つるところ(コンラッドか)になりかかっている大阪も、仮設近美でこの展覧会を開催してくれたのだ。素直にありがとう、と思おう。






大阪の祈り 様々な美と形

大阪歴史博物館で『大阪の祈り 様々な美と形』を見た。
初日に出かけたが、なかなか熱心なお客さんも多かった。
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大阪にはとにかくお寺が多い。京都もお寺が多いが、大阪のお寺は日常の生活に密着しているので、たとえば聖徳太子信仰の重要な地点・河内の大聖勝軍寺は街中のお寺で、こんな構図なのだ。
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この半跏思惟像はここと法隆寺と知恩院とに、兄弟がある。

宝山湛海という僧で仏師の人が17世紀にいた。名前の通り、生駒の宝山寺を開いた。
ここは生駒の聖天さんとして、地元に親しまれている。
石切は生駒山脈の山裾、と言う感じ。その宝山寺には明治に建てられた擬洋風の獅子吼閣というステキな建物があるので、それを見学に二度ばかり訪ねた。ケーブルカーも可愛いが、どうも肝心の本殿を拝んだ記憶がない。あえて避けたのかもしれない。

その湛海仏師の造った仏像が今回、たくさん出ていた。聖天信仰と不動信仰とに激しい情熱をかけた僧だから、チラシの青い不動にも迫力がある。
しかし一番感心したのは佛龕だった。小さい厨子。精妙巧緻というのか、実に良かった。
この人のお弟子には清水隆慶がいる。そちらの展覧会は奈良で見た

前の時代に戻る。
白鳳時代の鋳造菩薩像が小さいがガシッとしていてクビレなしの体形で、いかにもな感じがする。これはもしかすると念持佛だったのかもしれない。
正直言うと、仏像は古様であればあるほど、尊さを感じる。だからオリジナリティの濃いというか、作家性の強い仏像は苦手。

宗派が変わり、茨木のキリシタン遺物。
象牙彫りキリスト磔刑像 チラシの画像にはここまでしかないが、十字架の台座には孔があり、そこにシャレコウベが置かれていた。象牙だからその髑髏もなんとなくリアル。

マリア十五玄義図 これは同種のものを京大博物館の展覧会で見た。やっぱり茨木から出土。向うの方がいい保存だった。こちらは少し破れている。
これは耶蘇教曼荼羅図。ザビエルはしかし、高位の人なのだな。
以前マカオでもザビエルの足跡を追ったことがあるが・・・。

中津の南蛮文化館からもイエズス会の遺物が出ていた。安土桃山時代の精巧で華美な蒔絵細工。あまり好みではないが、素晴らしい出来。これらは聖餅用容器。

四条畷の田原氏の墓碑には十字架とHの文字が刻まれている。多かったのだろう、当時は。

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今度は中華からの思想を輸入した星曼荼羅を見る。
ゾルディックと東洋の十二宮との一致とか色々思いながら眺める。
九曜と二十八宿などが鏤められている。

実物展示の他に、その所蔵地の風景写真などがある。
三十六歌仙絵を持つ波太神社は阪南市らしいが、その写真を見ると古き寺町、と言う風情があった。いい感じ。なかなか泉州へは行けぬので、こういう機会に知ることが出来、よかった。歌仙絵は案外大きく、土佐派の絵師によるものだった。
なんとなくここで謎解きとかがあれば、浅見光彦とか出てきそうな感じ・・・

河内長野から狛犬が来ていたが、こやつを見て「およっ?」と思った。奈良博で見た狛犬によく似ている。目鼻立ちなどそっくり。同じ鎌倉時代だからと言うだけでなく、もしかすると兄弟犬かもしれない。・・・どちらが『鴻池の犬』かは知らないが。

面白いものを知った。いや、実際のところ初めて見た、と言う感じ。
西国三十三度行者の資料。つまり三十三ヶ所巡りをするのに、自分で行かれへんので代人を頼む制度、その仕事を請け負う行者の背負い物など。
今でもバイクで走ってご朱印ついてもろて、それでショーバイする人もおるから、当然のことですな。なかなか面白い。昔々からこういうショーバイは成り立っていたのだ。
ここでは仏壇仏具一式が並んでいた。昭和40年代まで続いていたらしい。
四天王寺にはその供養塔があるようで、パネルがあった。

他に住吉大社の太刀や道修町の文書(毒薬贋薬の禁止とか)、昆布屋の神宗の持つ久留米藩蔵屋敷図屏風などがある。大阪市内の名所旧跡などの絵が貼り付けられている。
蛸の松や、天神祭など・・・また比売許曾神社の下照姫天降図があった。船で地上に来る。東成から生野には神々の伝説が多く残っている。
しかし文化14年のシャカ生誕図はこれはもう巨大なキッチュ画像で、一瞬横尾忠則が描いたのか、と思ったほどだ。いや実にびっくりした。イェ?イとでも言いかねない幼児。

最後に近代のものをいくつか。
毛馬閘門・洗堰の写真や模型があった。近代土木事業の面白さがよくわかる。
そして佐伯祐三の絵画数点。
実は私、これらが目的で来たのですよ・・・本当は。
全て山本發次郎コレクションで、今では大阪近代美術館(仮)保管。

いや?大阪にはまだまだ古いものがようけあるもんですなぁ。
知事は文化を抹殺しようとシャカリキだけど、それでも文化はまだ死んでなかったことを確認しただけでも、よかった。展示は9/1まで。



江戸時代の仏教・神道版画を見る

奈良県立美術館で『志水文庫・江戸時代の仏教・神道版画』という展覧会が開催中。
これも見応えのある内容だった。
200点ほどの展示物は、全て庶民のための信仰の道しるべ。
個人コレクションとして蒐集されたのを一枚一枚見て歩くと、ただもうその膨大さに感心するばかりだった。
江戸時代だから当然ながら神仏習合、庶民の信仰の流行り廃りもあり、殆どなんでもあり的な様相を見せている。
しかも、どこそこの国のナントカ山カントカ寺、と名前もきっちり入っていたりする。
・・・急に思い出した。私が好きなのは『南無山四尊寺』なむさん、しそんじ とか『属佛寺』ゾクブツ寺 こういう類なのだった。(出典:石森章太郎『さんだらぼっち』、諸星大二郎『西遊妖猿伝』)
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チラシは当麻曼荼羅。元の版木は三条の檀王法林寺。それを摺って彩色したもの。
当麻曼荼羅は賑やかで、フルオーケストラのようだとかねがね思っていたが、これもまた期待を裏切らない。曼荼羅は余白の美とは対極の地にあるから、とにかく描き込む。込むと言うより混む、くらいの感覚。描き混む。佛口密度が高い。

大津絵の来迎図も面白い。いつもの絵柄より、こういう信仰関係の版画の方が面白い作品が多い。キッチュでポップな、という形容詞が合う。可愛いから欲しくなる感じ。

天保年間の兜率天曼荼羅、これはフルカラー彩色で、バックが濃い水色と言う明るいもの。元々弥勒菩薩の待機する兜率天は、言ってみたら未来の国なのだからこの手の色合いもOKなのだろう。宮殿の内外を描いている。
通行人とか機嫌よくオシャベリする人々も見受けられた。賑やかでけっこうなことだ。
なんとなくメーテルリンク『青い鳥』での『未来の国』のイメージがある。

合羽摺りの版画もかなり多く、安価に庶民が手に入れられて、家のアチコチに貼って、毎朝拝んだりしたのがよくわかる。
祖母の台所には荒神さんが祀られていたが、そこにはやっぱりお札みたいなのが貼ってあった。清荒神は参道が楽しいので、小さい頃はよく連れられて行った。
最近ご無沙汰だが、たまには出かけよう。頂上には鐡斎美術館もあるし。

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鬼が手にしてるのは五趣生死輪図。これはフルカラー、モノクロ、と何種かあり、パターニングは決まっている。そこには地獄・畜生・餓鬼・人・天の有り様が描かれていて、鬼は言えばサンドイッチマンとして地獄の広告を持っているのだった。
チベット仏教の同種のもあり、そちらは修羅道も入っての六趣。この手の絵はアジャンター遺跡にもあるそうだ。先日京都で見た杉本哲郎の模写した部分には、これはなかった。
この種の絵については芥川の『地獄変』(第七章)にも少し記述がある。
久しぶりに読むとやっぱり気持ちの悪い話だ、面白いけれど。

往生要集の天和、元禄、天保、嘉永年間の版本が並んでいた。
時代が少しずつ違うので絵の描きようも異なる。鬼たちはどれも可愛い。幕末の本に至っては劇画調だった。

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白衣の菩薩が獅子に乗る。これは京都の仏師が描いたもので、古びがついて、版画と言うより肉筆風にも見えた。

佛傳図も色々あるが、やはり生誕と涅槃が人気らしく、それが多かった。
生誕図では、こんなのがよかった。
ルンビニーの無憂樹のそばで「天上天下唯我独尊」する釈迦を祝って、門外にはゾウや牛のファミリーが集っている。インドではなく風俗は中華風。

涅槃図に至っては色んなパロディや二次創作も出ている。
若冲は野菜で涅槃図を拵えたが、鯨の涅槃図には魚類が集結していた。
追善絵もそんなのがあり、浮世絵も色々工夫を凝らしているが、笑ったのは西南戦争での西郷の最期を涅槃図にしたものだった。なんでもしてええんか?という感じ。
幕末の人気細工師・一田庄七の籠細工の涅槃図を浮世絵にしたものもあり、こういうのはとにかく大好きなので、喜んで眺めた。
浅草奥山では見世物として上方くだりの細工見世物が大流行し、國貞も国芳もこぞって描いた。それらの展覧会をこれまで楽しんできたが、今度国立演芸場の資料室で久しぶりに展覧会があるので、とても楽しみだ。

全身を種字でまとめた不動図もよかった。なかなか先鋭的なファッションだった。

神道の図は物語風ではなく、神の肖像を真正面から捉えたものが多かった。
八幡神だと騎乗し、背に矢を負うている。姫神たちも真正面。
近代に入るまで真正面の鼻の描き方には苦心した日本の絵師たちだが、やはり平面的な構造になっている。しかし威光は衰えるわけでもない。
色んな神様が集合した図も多く、やはり正面向き。神との対峙になる。

象頭山神像 これは実は祟徳院の姿を描いたものだと言う。御霊信仰のうちでも一番恐ろしいような・・・
同じように祟りなした天神様の図も多かった。それでも天神様は学問の神様になったのだが。

西宮のえべっさんの図もあった。えべっさんの行事は1/9、10、11日の三日間だ。
関西はえべっさんで盛り上がる。わたしは近所のえべっさんで気合が入る。
関東にはえべっさん信仰がないのに、なぜ恵比寿があるのかよく知らない。単にビール会社がそこにあったからなのか。

この手の展覧会は普段余り興味を持たないのだが、どうしてか観たかった。
ちょっと我ながら不思議。しかし面白い内容だったので、観てよかった。7/27まで。



仏の国の落穂を拾い歩く

予告を入れてアチコチ出かけると、それが制約になり誓約にもなる。
ほぼ達成、かな。あえて行かなかったところもある。
それは時間の問題もさることながら、次の違う予定日に組み込む方が、楽しいから。
奈良ツアーは仏の畑の落穂を拾って集めたような、気分。
だから今回の記事はタイトルどおり。

とにかく7/19は朝9時半には奈良にいて、二度目の奈良博『法隆寺金堂展』を見た。
一回目の感想はこちら。やっぱり仏は仏だけど、会期末だからか、すごい繁盛してました。
邪鬼は可愛いし、天蓋は凄いし、壁画には新たな発見があったし。
そう、わたしが好きなのは勢至菩薩と判明。
やっぱり再訪してよかった。
ほんでも前回と違い、残念ながら常設室・西新館は閉鎖されていて、本館の常設のみ。

坂本コレクションの古代中国青銅器は、いつもながら可愛い。饕餮くんたちがいっぱいおるだけでも、嬉しい。しかしこれは好き嫌いが分かれるようで、わたしみたいな人もいれば、「あーやめてやめて、パス」の人もいる。
関西では中国青銅器の名品に逢う機会がけっこう多いのだ。もっと仲良くしよう。

仏像は鎌倉時代の四天王が良かった。お地蔵さんはほっとする。しかし基本的に仏像はニガテなので、あんまりマジメに対峙出来ない。
狛犬は好きなので、そちらにはニコニコ。阿に可愛いのがいた。目にガラスが嵌ってる奴で、触れるなら撫でたくなるタイプ。

仏の国には蓮がある。奈良博の蓮。IMGP4697.jpg
やっと開いている蓮を見た。
お向かいの氷室神社には睡蓮池。IMGP4694.jpg
こちらは白がメイン。清楚でいいな。

続いて奈良県立美術館へ。このとき関西版のぐるパスを買う。千円で、9割が割引で、入場券は少ない。ただし三ヶ月の期間と応募者全プレなどの特典がある。
ここの展覧会の内容はまた別項で。
江戸時代の仏教・神道版画を見た後もまだまだ仏の落穂ひろいを続けねばならない。

石切神社に向かった。IMGP4699.jpg
ここはデンボの神様・ガンの神様として日本第一の神様。以前一度だけ訪ねたことがあるが、それは大人の遠足なので、わいわい話して歩いたから、距離感が思い出せなかった。
参道には色んなお店がある。冷やかして歩くには私にゆとりがない。
なにせ坂を下るのに適した足元ではなかった。サンダルの構造上、平地はともかく上り下りは大変まずいのである。しかし行くと決めた以上は必ず行く。
真昼にフラフラしながら神社へ向かうのは、こちらに信仰心が無くとも、誠意と執意があるからだろう。
本殿も立派だが、IMGP4701.jpgそれよりもお百度石が現役も現役なのだ。
「体調に合わせてお廻りください」とある。熱心な人々は大人から子供まで、真剣な面持ちでお百度をされていた。わたしはそこまで出来ない。一度だけ廻り、後は社務所で病気平癒の赤い小さなお札を購入した。
亀の池もある。IMGP4700.jpg


猛暑日であろうとそんなにくたばらないのだが、さすがにこの上がり下りはこたえた。
電車を待つ間、耳が遠くなっていた。
みなさん、あんまり暑いときにムチャは控えましょう。
生駒経由で吉田へ向かう。いつものレジェール・ソルティへ。
キンキンに冷えた電車は空いていて、それでかなり回復した。
ここのケーキは本当においしい。一番好きな味。
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フルーツにはそれぞれ薄いジェレがかかり、スポンジは薄いチョコ生地とバニラとクリームで、中にラムレーズンが潜んでいる。生クリームに大葉が合うなんて知らなかった。
鮮烈に清澄。生グレープフルーツジュースは苦いまま飲むのが好き。
もう一つケーキを・・・と考えたが諦める。

吉田からまっすぐ谷町四丁目へ行き、大阪歴史博物館に。おお、陽炎が立っている。37度か。
ここでもまたホトケサマと会うことになる。
しかしそれは故意にではなく、『大阪府・大阪市指定文化財・特別展』と言うタイトルに惹かれたからの訪問だが、冷静に考えたらそんなもん、わたしmeetブツゾーなん、当たり前やんか。
大阪は古い土地なのだ。指定文化財の大半は仏教系でんがな。
というわけでタイトルは『大阪の祈り さまざまな美の形』
・・・これもまた後日に別項で記事を挙げる。
なんだかなー、本当に続くなぁ。

そこから難波に出て上方浮世絵館に行き、ここへはぐるパスの入場券で入る。
展示物はいいし、建物の構造も楽しいけれど、掃除しなさすぎる。あんまり厳しいことを書くのは避けてきたけど、二度と行く気がなくなるくらい穢い。しかもスタッフの始末が悪すぎる。(客は私一人だった)

ラストに大阪近代美術館(仮)で前田寛治の洋画を見た。感想はこれも別項。
ここは清潔なので安堵する。終りに洋画を見たことでなんとなくホッとした。
たぶん、仏像を見続けたことでわたしの中に薄い恐怖が拡がっていたのだと思う。

この日は随分遅く帰ったのでぐったり寝て、翌日京都へ出かけたが、色々思うところあり予定を変えた。暑いけれど大阪よりマシやわと思いながらバスにも乗らず歩く。
京都市役所の上には夏らしい雲が。IMGP4705.jpg

お昼は寺町御池のスマートで洋食を。去年の今頃も同じくここでランチした。
今回も似たものをたのむ。
白身魚フライとハンバーグ。IMGP4704.jpg
食後にアイスコーヒーを飲んだが、お料理はおいしいのに、ここのコーヒーはどうもわたしには合わない。やっぱり京都ではコーヒーはイノダがベストなのだ。

さて某大学病院に入院中の上司をお見舞いして、モモと昨日の石切さんの小さい赤いお札を差し上げた。やっぱり昨日たくさんのホトケサマに遭ったのは、お見舞いの後押しだったのかもしれない。どうもそんな気がするツアー。
帰宅したら何故かお出迎えは「当たり前田のクラッカー」だった。
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休みの予定とか

明日明後日の予定を書く。実行する・出来ないは別問題。
まず明日。
石切神社参拝――奈良博――奈良県美術館――大阪歴博――東洋陶磁――上方浮世絵館――大阪近代美術館(仮)――スパワールド
早朝から出かけて、割りと遅めに帰宅することになる。
去年も出かけた尼辻の喜光寺に蓮を見に行くのも良さげと思ったが、やめた。
今年は祇園祭にも出かけなかったし、蓮も寝てたし、ちょっとタイミングが合わないので、違うことをしよう。行けたら高津宮の夏祭にも行く。
石切さんへは、会社の上司が入院加療中なので、拝みに行く。でも御札が高価なら買い控えるだろうな、わたし。ええオッチャンなので早く帰ってきてほしい。
石切さんは特定疾病のカミサマ。

明後日。
京博――周辺散策――河井寛次郎記念館――六波羅界隈散策――京都市美術館――お見舞い。
しかしここ二、三日ほかの同僚たちが出かけてるから、却って間を空けた方がよいのかもしれない。
なにしろあんまりお見舞いと言うのをしたことがない。
上司の入院先の某大学病院は駅前なので行きやすいが、ここには先月別な上司というか先輩が糖尿で入院していた。(既に退院して会社にいる)
昔はトライアスロンでもたいへん有名な人だったのだが、いつの間にこんなことになったのか。糖尿はお見舞い品にも困るし、緊急入院だったからか、そんなにみんな心配もせず見舞いにもあんまり行かなかった。ゆっくり休ませる目的もあった。
しかし一人ひどいのがいて、『これでも食って元気出せよ』とカリントウをお見舞いに持って行ったそうな。おいおいおいおいおい・・・知らんかったらしい・・・、糖尿が甘いお菓子禁止と言うのを。

不思議なことと言うか当然と言うべきか、モーレツな社長になって以来、会社にゆとりがなくなった。完全限定向けにしか働きかけてこなかったので、儲けると言うことが意識の外にあったのだ。その意識が導入されてこなかったのだ。
今の世の中、それが許されるはずもなく、追いまくられている。
それに対応できず身体が不調を来たした社員の入院が、これで五人目と言う状況。
わたしは昨夏「軽いノイローゼ」(我が社でブームの言い方)だったようだし。
それらが病気の遠因だという意見もチラホラ・・・

まぁとりあえずそんな状況です。

夏の楽しみ

蓮を見るのはやはり早朝に限る。
毎年必ずどこかの池へ蓮や睡蓮を見に出かけているが今年はしくじった。
午前の終わりに出かけると、蓮め、寝ていた。
・・・わたしがわるいのか。IMGP4689.jpg

午前と言う文字を考える。ひる・まえ。でも時間の推移があるから6時と11時半とは意味が異なる。
莟んだ蓮。IMGP4692.jpg

突然『蜘蛛の糸』を思い出した。
「しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。」
極楽の蓮は午の前も開いているらしい。

わたしもおシャカ様をまねてぶらぶら歩いたが、歩いた先には睡蓮が咲いていた。
白と赤と。IMGP4681.jpg

花の影IMGP4682.jpg

白い睡蓮は静かに見える。
IMGP4687.jpgIMGP4688.jpg
ありがとう、睡蓮。
楽しい気分で池から離れた。

こちらは舞子ホテルの日本庭園でみかけた水色めがねのトンボ。
かわいいな。IMGP4668.jpg
トンボとセミとチョウとはともだちでいたい。

夏の楽しみが身近にあるのが嬉しい。

舞子ホテルで遊ぶ2

昨日の続き。
さておいしくお昼をいただいた後、一旦洋館の二階の一室で一休み。
そこの照明がステキ。IMGP4555.jpg
ステンドグラスだけでなく、照明も手作り。

洋館のステンドグラスはお手洗いに至るまですばらしく、それこそ枚挙に暇がないのであげない。
代わりに照明器具をあげることにする。
しかしすばらしいのは照明のガラスだけではない。
家具がまた凄い。
別室に移るとこんなのがある。
テーブルの角。IMGP4582.jpg
これは竜だけど、椅子には獅子が彫り飾られている。綺羅というのではないセンスだな、ただただ凄い、凄すぎる。
そこの照明。IMGP4573.jpg
・・・阪神淡路大震災の震源地に近いのに、よくぞ生き延びた・・・

和館に戻る。
お昼をいただいた大広間の床の間の建具。
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凄い細工。別室の床の間は宝袋をモティーフにしていたが。
ここに昨日あげた少女の絵が飾られている。
その照明。天井は格天井で柄は鳳凰。IMGP4602.jpg
すばらしいとかステキとか、こんな言葉しか出てこないなぁ。

欄間がまた手が込んでいる。IMGP4606.jpg
鶴たちなのだが、この裏には緑青色の彩色が施された千鳥たちの姿がある。

奥の間にゆくと、こんな欄間が。IMGP4623.jpg
花の柄を丸の中に刻む。数種類あった。歌舞伎の大名家の襖絵と同じような感覚。
本当に見事な美意識。

そこからお庭をのぞくと、こんな灯篭が。IMGP4637.jpg
以前訪ねた聖トマス学院の旧山口邸の灯篭と同じく、茶道具。
なかなか可愛い。

渡り廊下にも趣向が凝らされている。網代と細竹面が交互に続く壁と、船形天井。
こういうのをみるだけで、日本に生まれて、上方に生まれてよかったと実感する。
曲がりはなに何があるかと言うと・・・IMGP4631.jpg
これは半地下になっていて、以前は竹のアーチ屋根がトンネル状に続いていたが、実はこれは庭師の人のための秘密の道なのだった。
なんと行き届いていることか。最初に知ったときは感銘を受けたが、今回は竹トンネルが無くなっていて、少し残念。


再び洋館に戻る。ミミズクの階段を見上げる。IMGP4649.jpg
ここにはステンドグラスの小さなランプ風の照明も他にある。
階段や廊下にはこんな可愛らしいモザイクが活きている。クリックしてください。
IMGP4566.jpg  IMGP4583.jpg可愛い・・・

庭園で遊んでから玄関に戻る。
洋館のファザードを眺める。ステキなレリーフがあった。
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また来ようと思う、日常から離れて。





舞子ホテルで遊ぶ?

舞子ホテルに遊びに行った。
私には珍しくリゾートアワーを持ったわけです。

須磨・舞子・明石は関西有数のリゾート地ですね。
小説や映画を探しても、印象的な情景描写が多い。
横溝正史『悪魔が来たりて笛を吹く』でも須磨の(正確には須磨の月見山)別荘などの描写がたいへん素敵だった。
今東光『春泥尼抄』でも春泥さんは舞子で遊んだ。

大阪人のわたしには近いけれど、日常とは違うイメージのある場所。
なにしろ光君も行平さんもここらで色々とあったし。
明治の外国人もこの界隈に別荘を建てた。今はだいぶ失われたが。

数年前の訪問では、広い庭園から舞子の海と明石大橋が一望できて、胸が広がるような景色だったが、今はそれは望めない。
なにしろマンションまみれですからなー。
舞子ホテルは日下部汽船の社長の邸宅をホテルに転用したもの。マンションも日下部さんのもの。
ちょっと勿体無いけれど、まぁ仕方ない。
入り口からしてシンプルでいい。IMGP4538.jpg

わたしはあんまり仰々しいのより、こういうシンプル系が好き。

洋館部分の様式はセゼッション。角々に見栄えがある。
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無論奥には和館があり、そのつながりも巧い。

玄関も素敵。IMGP4651.jpg

なにしろここのステンドグラスは、日本のステンドグラスのベストに入るほどの名品。
前に来た時もなぜか置かれていたゾウさん。IMGP4650.jpg


このホテルの守り神はしかしゾウさんではなく、階段に住むミミズク。
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理由は日下部汽船、汽船会社と言うことに理由がある。寝ずの番のミミズク。なかなかいい守り神だと思う。

わたしと友人が案内された和館遠景。
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こちらでお昼をいただいた。以前は畳に卓だったのが、テーブル席に変わっていた。

舞子ホテルの扁額が和館大広間に掛かっている。これは箸袋にもなり、ホテルのロゴにもなった。
文字は川端龍子『照帆子舞』マイコ・ホテルと読む。
海を眼前にしたホテルにふさわしい扁額だったが。
床の間には堂本印象の美人画がある。三谷十糸子かと思った。
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さてここでお昼ゴハンをいただきました。
会席御膳「ふみづき」
◆先 付  玉蜀黍豆富 ◆前 菜  旬菜五種盛り合わせ
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おいしいです、本当に。

◆椀 盛  寄せ湯葉の清汁仕立てIMGP4542.jpg

これもなかなか。わたしの大好きなジュンサイがたくさん・・・

◆造 里  鱧 鮪IMGP4543.jpg

夏はやっぱりハモです。梅肉がおいしかった・・・

◆蒸 物  蓮根饅頭IMGP4544.jpg

わたしはレンコン饅頭とかシンジョウとか、とにかく大好き。特にあんかけが最高。

◆焼 物  イサキのサラダ焼きIMGP4545.jpg

イサキそのままでもいいけど手が込んでいる。

◆冷し物  蕎麦と夏野菜盛IMGP4546.jpg

イカスミ麺。ゴマ味でおいしい。野菜はシャキシャキ。
そして食べ終わると・・・カニ現る!IMGP4547.jpg


◆食 事  季節の御飯 赤出汁 香の物IMGP4548.jpg

今日はとうもろこしでした。ほほーという感じ。赤だしも大好き。

◆食後のデザートと和菓子
スイカIMGP4549.jpg

わらびもちIMGP4550.jpg

どちらもおいしくてシアワセ??

とりあえず今日はここまで。続きは後日。なにしろ満腹になったもんで動きたくないのさ。
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アジャンタ・シーギリア壁画模写を見る

先日、法隆寺金堂展で見た壁画模写には感銘を受けた。
あの壁画を模写した画家の一人は、インド美術との関連を口にしたそうだが、確かにそんな趣が感じられる。
実際、明治末から戦前の一時期、インド仏教美術への憧れが世間にあったそうだ。
そしてその最たるものを、京都で見た。
『杉本哲郎 アジャンタ・シーギリア壁画模写 70年目の衝撃』
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京博の新館での企画展示。京都の日本画家だった杉本哲郎が、インドやスリランカに渡り、その地の遺跡壁画を模写してきたものを、1938年に発表してから、今年で70年目なのだった。京博は言う。
「考えてもみてください。海外渡航など夢のまた夢、カラー写真・印刷技術も未熟だった時代、原寸大の天然色で異国の壁画が目の前に立ち現れたのです。しかも、杉本は、中年以降、苦心して学んだ美術史の素養を活かし、キャンパスや絵の具にも工夫をこらし、写真ではできない質感表現を達成しています。日中戦争の暗雲たれこめる中、これを見た人の胸に去来した感懐はいかばかりであったでしょうか。」
実のところ、わたしはインドにもスリランカにも無縁で、この先も行く予定はないだろうから、写真で見るか映像で見るしかないのだが、それとても縁は薄い。
つまり1938年当時の人々と同じ衝撃と感銘を受ける可能性があった。
6/25-7/27までの展示、わたしは6/28に出かけ、そして7/26に再訪する予定がある。

シーギリア・レディースには前々から関心があったが、とても行けそうにないので旅行社のパンフレットで一部分を眺めるのみだった。
アジャンタ壁画は聞いたことはあるが、どんな絵なのかさえ知らなかった。
だからこの展覧会が始まるのをずっと待ち続けていた。
チラシは薄紫の摺りだが、佛の背後にその当時の新聞記事が使われていて、ますますそそられた。こんな見出しを見れば、それだけでときめくものだ。
『生命を代償に 貴重な二大壁畫を齎して 杉本哲郎畫伯歸る』
『印度壁畫の模寫に氣を吐く畫伯』
『猛獣と死闘の彩管』
・・・かっこいいよな、なんとなく。

アジャンタ遺跡から始まる。7世紀初頭の絵画。
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パドマパーニ(蓮華手菩薩)像 <アジャンタ第一窟壁画模写>部分
展示物はもっと大きなものだが、チラシではこの部位しか見れない。
このとき画家は『上げ写し』と言う技法で模写したそうだ。技法としてはよりリアルなものだということで、’37年当時そのままの彩色なのだった。
それで解説プレートを読むと、現在は実物は下手な修復のせいで、なんとニス塗られてしまって、今の色彩はメチャクチャになってしまっているそうな。
それでは往時を偲ぶことなと到底できるわけがない。
だからこの杉本の模写だけが今や世界唯一の存在になったそうだ、本物の彩色を偲ばせることが出来る存在として。

とは言えリアルな分だけ怖いのだが。
左上の楽器を持つ足がトリで首のないのは、次の画像ではその全身を現してくれる。
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ミトゥナ(男女抱擁)像〈アジャンタ第一窟壁画模写〉
尻尾の長い猿がいっぱい描かれているが、実際これらハヌマンは現在の遺跡にも姿を見せるらしい。(猿の王)もまたどこかにいるのだろうか。

ところでここの模写は杉本が日本人初ではなく、荒井寛方も大正六年にしていたそうだ。
寛方は印度や埃及を題材にした作品が多いから、修行として模写したのかもしれない。
現にインドに絵画教師として招かれただけでなく、戦前の金堂壁画模写もしている。
(清方の相弟子だが、方向性は異なる)
そういえばこの絵で思い出したが映画の方の『インドへの道』では、ミトゥナ像へのある種の強迫感からヒロインが事件の発端を作ったのではなかったか。
デヴィッド・リーン監督、最後の作品だった。

次の一室はシーギリヤ・レディースで占められている。こちらは5世紀のもので、シーギリヤ・ロックの壁画として残っているが、当初500体だった妖艶な天女たちは、時代の過ぎ行く中でどんどん失われ、ついには1967年の政治的混乱の最中に多く剥ぎ取られ、今では11体しか残っていないそうだ。
もったいない話。
残された天女たちは皆、手に手に蓮の花などを持っている。
失われなければ、凄まじいばかりに壮大であったろう。
尤も、狂気の王の生んだ空間だということを考えれば、その凄まじい数の天女たちに囲まれているのも、少し怖いような気がする。
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アプサラス(天女)像〈シーギリヤ壁画模写〉
胸も露わな方が身分が高く、そばにいるのは侍女らしい。
艶かしく豊麗な天女たち。どんな物語がここに残るかも知らないのだが、ときめきは拡大化するばかりだ。

指先で花を摘まむ美女もなんとも艶かしい。mir741-1.jpg

こちらはアジャンタとは違い、スケッチしてからの模写らしい。
皆で11体の美女がいる。
誰も彼もが実に艶かしく微笑んでいる。

実物写真はこちらのサイトさんのが綺麗だった。
そして京博のサイトの収蔵品コーナーには、他の絵も置かれている。
08071301.jpg色々あるうちから。

壁画を模写するにあたり、現地政府との折衝の難しさなども解説プレートに書かれていたが、どんな困難も乗り越えて、こんなに素晴らしい模写作品を後世に残せたのは、奇跡的なことだと思う。

見に来た甲斐のある展覧会だった。



京博の常設

京都国立博物館に出かけて、70年前の模写絵を見たのだが、それについては別な日に書く。
今日は常設展のこと。

公家列影図  お公家さんがズラズラ?と並んでいる絵。時々こういう作品の<意味>を考える。どういった意図で作られたのかを。どうもわたしにはわからないのだった。

十二類絵巻  室町時代に描かれた絵巻。これは比較的よく展示される。今回は、戦に破れ世の無常に感じた狸が、泣きあえぐ子らを捨てて出家しようとするシーンから。
剃髪し、小さい庵を貰って、本尊の前で何故か腹鼓を打ちまくる。そして無為の日々を過ごす姿が描かれている。中世の出家と言うのは、責任放棄に思えて仕方ない。遁世の方がまだマシかもしれない。鬼も犬に吠えられ、身の置き所がなくなった姿を見せている。
しかしながらそれでも現世で生きるべきだ、と思うのはわたしが現代人だからだろうか。
 
狗子図 円山応挙  可愛いわんころたち。上から首根っこを掴まえてやりたくなる。
ところでこの絵、意外なことに画像がなかった・・・え゛っという感じ。

暮色図 菱田春草  この絵は秋の夕暮れだと勝手に思っている。細い枝の一本にカラスが一羽止まる図。しかしこれと似た絵が御舟にもある。御舟のは柳にカラスが数羽いる。
区別はつくが、なぜか二人ともが夭折した日本画家だと言うことを、思った。

日吉山王祭礼図屏風〈もと襖〉(檀王法林寺) 三条京阪駅前にあるお寺。だん王、と表記されることが多い。幼稚園も経営している。ここにこんな襖絵があったのだなぁ。
そういえば、ここから程近い東山三条には、ナゼか「京都滋賀県人会」のオフィスがあるし。ご近所サンなのにと思っていたが、どこかに理由があるのかもしれない。

飲中八仙図屏風 海北友松  飲んだくれて楽しげなオジサンたち。どういうわけかこの手の絵を見ると、必ず山口瞳の『酒飲みの自己弁護』を思い出す。

洛中洛外図屏風 住吉具慶  方向感覚が狂ってる方向音痴の癖に、地図を見たり名所図を見るのが大好きだ。人々の営みが描かれた平和な鳥瞰図にはいくらでも愉しみがある。
人嫌いなくせに雑踏を歩くのもとても・・・好きだ。
遊ぶ子供ら、木を運ぶ人々、北野、今宮、大徳寺、金閣、影向松、鳥居、広沢池、西芳寺、壬生の畑、放生会、大師堂前での僧らのパフォーマンス、西本願寺。

賀茂競馬図屏風  mir738.jpg

最初にこの屏風を見たのは、淡交社『近世風俗画』5巻の一冊から。狩野博幸先生の編集本で、購入したのは’93年の雛祭りの日だった。随分高価で苦しかったが、嬉しい入手だった。その中でも狩野先生がこの屏風には色々面白い解説&エッセイを寄せていて、わたしも随分面白く思ったのだった。
理由は画像の左の観客が示している・・・うふふ。

禁苑郭公図屏風 狩野尚信  構図的にたいへん面白い作品。なにしろ禁裏の屋根の上を杜鵑が素早く飛び去る図なのだから。こういう作品はとてもかっこいい。

工芸品で素晴らしいものもみた。
いずれも琉球の螺鈿もので、葡萄に栗鼠の意匠。丸、四角、丸椅子型のものたち・・・
葡萄は豊饒、栗鼠は愛らしく、造形のすべてに煌く葡萄とリスとが嵌めこまれ、刻み込まれている。こんなにステキな工芸品、久しぶりに見る。
正式名称は『葡萄栗鼠箔絵螺鈿文庫』らしいが、黒地もあれば赤地もあり、どちらもとても魅力的。赤は潤み朱というそうだ。ブドウが豊に実ることで栗鼠の姿は実の陰に隠れ、探す楽しみさえあった。本当にステキな琉球漆器だった。

あと正倉院裂などもあり、やはり京博の常設は見事だと思う一方で、ここも東博のように個人的楽しみまでの範疇での撮影を許可してくれたらな、と思った。
月末にもまた京博に行くが、その頃には展示換えがあるだろう。

中野美術館に行く

中野美術館に行くのは三度目で、’91年の7月、’00年5月以来になる。
タイミングが合わぬことが多く、そんな回数なのだ。
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最初に行った日、大きな窓から見える蛙股池を眺めていると、白鷺が飛んだ。
下手な絵でその様子を鉛筆で描いたのが、今も手元にある。
入江波光と須田國太郎の作品は、ここで見るのがいちばんかもしれない。

今回は名品展、いいのを集めている。
1階の洋画室では久米桂一郎の『夏の少女』が出迎えてくれた。
目黒の駅前に久米美術館があるが、そこでは何故かこれまで一度も久米の作品を見たことがない。
却ってこうした他の地区での私立美術館で見かけたりする。
白い帷子または浴衣を着た少女の真っ直ぐな眼差しが心に残る。清潔さが伝わる作品。

椿貞雄の少女もいた。師匠の劉生えがく村娘於松に似た面立ちの、少女。
頬の赤みと黒みが少女の元気さを教えてくれる。
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この部屋の真ん中には佐藤忠良の彫刻のおねえさんがいる。なんとなく並んで2ショット撮影したい感じ。『若い女 夏』 彼女が夏の女だから、わたしがここへ来るのも初夏から盛夏の頃なのだろうか。

村上槐多『松の群』 額縁があるから、この不気味な赤松たちは結界の中に閉じ込められているのだ、と思った。この絵はがきのように縁取りの結界がないものは、松がはびこるのをとめることは出来ないだろう。
槐多は人物画だけでなく、自然の風景にもどことなく不気味なイノチを吹き込んでいる。
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階段を下りると池が見える。池の対岸には大和文華館の森が見える。
暑い日にこんな風景を見ると、それだけで不思議なときめきが生まれる。
夏にしか味わえぬ愉楽、それを想像する。

半地下というか、玄関から見て地下一階の室内に日本画が展示されている。
茶室の再現があり、吉野杉で作られているそうだ。
奥には高村光雲の木彫『西王母』が鎮座ましましている。
洋画には若い女、日本画には王母。彼女たちはここの守り神なのだろう。
ここには入江波光だけでなく村上華岳の作品が常に何点か飾られている。
二人とも国画会を出発点にして、それぞれの道を歩んだ日本画家だが、どちらもとても内省的な、そして深遠な精神性を感じさせる作品を遺している。

富田渓仙『鵜飼』 mir737.jpg
鵜舟の篝火が幻想的な様相を見せている。風に火が揺れている。黒い鵜たちは姿も定かではない。水彩のにじみが効果を挙げていた。

『野田の藤』 福島区の野田に昔からある野田の藤を描いている。いちどだけ遠目に見たことがあるが、実物を楽しんだことがない。この絵のように大きな房がぼわぼわ繁茂しているのかどうかも定かではない。


絵を眺めて楽しむだけが、この美術館の価値ではなかった。絵と共に在る、その雰囲気そのものを愉しむ・・・これが中野美術館の正統な楽しみ方らしい。
次はいつになるかわからないが、いつか夏以外の時期に来てみたいと思う。

秋野不矩 創造の小径

東大阪市民美術センターで『秋野不矩 創造の小径』展が開かれている。
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4月に京都国立近代美術館での『生誕百年記念展』とはまた異なるラインナップの展覧会。
ギャラリー鐡斎堂、海の見える杜美術館、浜松市秋野不矩美術館、個人蔵などの所蔵品などで構成されている。
巡回も東大阪に始まり、上記を巡る。

東大阪市民美術センターは花園ラグビー場の前にある。同じ公園内の一隅。
静かで清潔な建物、そして安価で展覧会を開催する。
ありがたい、本当にありがたい美術館。
だからわたしも北摂から河内へ行くのだ。
行く価値のある場所として、ここは機能し続けている。

わたしは女流画家と呼ばれる画家たちに、尊敬の念を懐いている。
上村松園、三岸節子、秋野不矩・・・皆、長生きし、作品を残し、次代の命をも残した。
妥協せず、己の描きたいもの・描くべきもの・描かねばならぬものを、描いた。
彼女らの作品の前に佇むと、それだけで胸が熱くなる。
だから何度でも作品に会いたくなるのだ。

回顧展では若かりし頃の作品も多く並んでいたが、こちらは<秋野不矩>のパブリック・イメージが完成された以降の作品がメインである。

<秋野不矩>のパブリック・イメージとは何か。
やはりインドの大地を、インドの生命を描いた作品、それらが彼女の描く絵のイメージなのだった。

秋野不矩のインドは、オレンジ系黄土色、緋色、土黒色、乳白色、空青色、葉緑色・・・などの色彩が多く使われている。
乾ききった風、砂、時間・・・それらが同価値を持つのを感じる。
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神仏像、特に女神像が多く描かれている。
インドの女神は円やかな胸を見せている。両手で下からそっと(指を開いたまま)掴んでみたくなる、胸。それを不矩は描いている。
下唇の微妙な艶かしさも忘れない。不可思議な微笑を浮かべる甘い唇。
何一つ否定せず、全てを肯定して、不矩は描いているように思う。

それは’70年代後半からの、女人俑を描いた作品にも、既に見出せる感覚だった。
唐代美人たちはふくよかに笑みを浮かべている。
そのような造形だから、と言うだけでなく、不矩は生命体ではないはずの陶器人形の魂を捉えて描いているに違いなく、だから彼女たちは不矩の絵の中で静かに笑っているのだった。

インドの村落風景を描いた作品を前にすると、自分がそこに連れて行かれたことを知る。
戻るには遠い道を行かねばならず、しかも画家の描く先にしか道がないことを知らされる。

ひとけのない場所に不意に牛や犬の姿がある。
牛は聖なる動物だが、犬はどうなのか。インドの野良犬には狂犬病が多いと聞く。寝そべる黒犬に、少しの不安を感じつつ、その絵の前を去る。

インドの民家の壁には白線の絵が描き込まれている。花はわかるが抽象的概念のものは、意図するものもわたしにはわからない。
しかしそれを眺める牛もいる。

牛もいつものんびりしているわけではない。
渡河する牛もいる。皆で渡る姿は頭部だけが見え、長い顔とツノばかりが影絵のように見える。
『帰牛』という作品がある。洪水のような大雨の後、水牛たちがノシノシと帰る姿を描いている。インドの牛は大人しいらしい。コッテ牛はいないのだ。
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竹紙に描いた作品がいくつかある。
素材がざわざわしているのが個性にもなり、面白い作品たちだった。
特に『雨』がよかった。
なんとなく越後縮のような趣がある。

一方、カラフルな作品も忘れてはいけない。
元々不矩は『いっすんぼうし』などの絵本でカラリスト振りを発揮しているが、ここにもそうした美しい多彩な作品が出ている。

『クリシュナ像』 童画風な可愛らしさがある。神様と言うよりNHKのキャラクターぽい感じがして、「クリシュナくん」と呼ばわりたい感じがする。

花の絵も多くでていた。いずれも金箔が背景に効果的に使われている。
梅が多いが、南国の花々の美も描かれている。それらは印度更紗の布の上に置かれていたりする。
チラシにも使われた『散華』は、シャカが本来は熱国の人だということを、改めて思い出させる力があった。

『紅衣』 今回、いちばん胸を衝かれた絵。半券にもなったが、この絵は急にそこにある、と言う感じがして、ギョッとする。美しいだけでなく、非常に力強いものを感じる。
ある日、いつもモデルをしてくれる女学生が、このストールを巻いてやってきたのを描いたそうだが、たぶん最初に彼女を見たとき不矩は「ギョッ」としたに違いない。
魅力的な作品だと思う。
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猫のコーナーがあった。
同じく猫好きな加山又造からもらったシャムネコ兄弟、ペルシャ猫、黒猫らが画面いっぱいに描かれている。どついもこいつも一癖二癖ありそうだと思ったのも当然で、金目に金箔が効果的に使われている!
特に白いシャムネコの目には巧い使われ方をしていて、見る角度により猫の目が細くなったり大きくなったりするように見えるのだ。瞳孔の拡大縮小を、金箔が演出するとは。
思わず色んな位置から何度も何度も眺めてしまった。楽しい時間だった。
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絵と対話しながら眺めるのに丁度良い点数の展示で、見終えた後には、深い愉しみが生まれていた。展覧会は7/27まで。8月は池田遙邨の展覧会が巡回してくるのだった。

建築を表現する 弥生時代から平安時代まで

奈良博の東新館で『法隆寺金堂展』が開催されている他に、西新館では『建築を表現する 弥生時代から平安時代まで』展が併催中。
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家型埴輪だけでなく、玉虫厨子の模造品が出ていた。
これはセゾン美術館の所蔵の。わたしは普段、高島屋史料館の持つそれを見ている。
なにやらつい最近どこやらの企業が玉虫厨子をまたもや再現したとかどうとか。
・・・そんなにたくさん玉虫の翅て集めていいのかい?

絵巻がいくつかある。
信貴山縁起絵巻の飛倉の巻が出ていた。
ちょうど長者の倉へ米俵たちが戻ってゆくシーン。
古代SFですね。米俵と鉢を見てびっくりする人々の様子がいい。
これを詠んだ石川淳の俳句が懐かしい。
「鉢投げて 米俵飛ぶ 秋の空」

一遍聖絵 雨にぬれて着物を拭いたりする人々を見ながら一遍がなにやら皮肉な歌を詠んでいる。しかしこの記事を書いている今日、わたしは帰途に大雨に降られたので、この場にいたら上人に口答えする、きっとするぞ・・・そう思った。

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奈良博所蔵と東大寺所蔵の二巻が出ていた。
善財童子の旅。
三十年以前に、この物語のモティーフを使った高橋睦郎『善の遍歴』というモノスゴイ小説があった。空前絶後の怪作。他にも色々書かれたものがあるがこれが一番凄い。
童子が善智識を得るための旅は、即ち自分探しの旅でもあるようで、彼の取捨選択もビミョ?なのだった。

当麻曼荼羅 滋賀・西教寺  どうも当麻曼荼羅はフルオーケストラ的な様相を感じる。
誰の作った交響曲かと問われたら悩むところだが、当麻曼荼羅を見る限り、いつも音楽が鳴り響いている。

阿弥陀聖衆来迎図  紺地に金で描かれた来迎図、こちらもアタマの中に勝手にBGMが流れる。ただしこちらはグレゴリオ聖歌とかそういう系。やっぱり状況がそんな連想を呼ぶのだ。

奈良博の所蔵品は「当然」と納得するものの他に、意外なくらい「えええっ」と驚くものが多いので、いく楽しみがある。

国宝・法隆寺金堂展

奈良国立博物館で『法隆寺金堂展』が開催されていて、招待されているから早く行こうと思いつつ、待った。
先般、東博で薬師寺の日光・月光の菩薩が出開帳して、東都の熱心なお客さんを感嘆させたが、今回は法隆寺からご近所とは言え、お外へお出ましあそばしたのは、四天王だった。
四体揃ってのお出ましを待っていたので、行ったのは7/5。
そう言えば法隆寺のお寺自体に長らく出かけていない。もう20年くらい。
あんまり古寺巡礼に関心がないので、そういうことになる。
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東新館で金堂が再現されている。実はわたしの目的は四天王像より、その足下に踏みしだかれている邪鬼たちと、壁画の複製を眺めることだった。
とは言え四体を眺めると、やっぱりいいものだなーと思う。
大体が飛鳥・白鳳時代から天平年間が好きなのだから、仏像が怖いとか、畏み畏みとか言うのを一旦停止して、気楽に楽しむことにする。

広目天は元の尊顔が赤外線か何かで再現されたのが後ろの柱に貼られているので、比較する。ぼやけた顔もこれで眺めると、また違った趣がある。
筆と巻子を持っているのは、悪事を記録するためとかどうとか。
他の天王に比べると、ややカシコそうにも見えた。

衣裳などは大体お揃い風で、ドレープがたいへん綺麗。やはり飛鳥の美はドレープにある。
身体のバランス自体はちょっとあれですが。
正面から見たら褪色も激しいが、裏から眺めると、背から腰下まで元の衣裳の配色も残っていたりする。綺麗なものですね。

さて邪鬼。一番可愛いのは持国天の足下の奴。牛風味の顔。目が可愛い。(チラシ右端)
佛の眷属関係より、こういう邪鬼が可愛くて好きなものが多い。
法隆寺の後の世代の、東大寺のあちこちで働く邪鬼たちなんて、もぉ可愛くて可愛くて。
重たいのに我慢して踏まれてる姿がなかなかイジラシイのさ。

それにしても本来なら四方を睥睨する四天王がこうして社外で一堂に会すると、一つ並びになるのが、なかなか面白い眺めだと思う。それでも配置には、博物館側も工夫を凝らしている。

台座が出ていた。mir731.jpg

釈迦三尊像台座、薬師如来像台座、阿弥陀三尊像台座。
これらとその仏像のお写真が遠近法も上手に飾られている。
けっこうこういう工夫が好き。

金堂内陣旧壁画(飛天図) 焼失を免れた飛天図。この飛天のヒレが綺麗な曲線を描いている。

さて当時の日本画家の粋を集めて制作されたのが、再現壁画。
戦前、インド仏教絵画がブームになった時期がある。
これについては後日、京博の記事と絡めて書くけど、この壁画もアジャンター遺跡の絵画に通じるものがある、という見解があり、わたしもなるほど?と納得。
敦煌経由ではなく、いきなり印度天竺。
それで近年、焼け爛れた・・・というか黒くなった元の壁画観覧の機会があったが、残念ながらこぼれた。新聞記事で見ただけだが、やはり何ともいえず恐ろしさを感じた。
申し訳ないことに、わたしが仏像ニガテなのは、まず畏怖心とそこからの恐怖心があるからだと思う。とりあえず、模写を見る。
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金堂外陣再現壁画 これが見たかったので、嬉しい。
特別好きなのは第6号壁 阿弥陀浄土図。安田靫彦、羽石光志、吉田善彦チームの作品。
左右の菩薩の不可思議な美貌に惹かれている。

コロタイプ印刷に彩色をして、ということだが、焼失前によくコロタイプ印刷されていたものだ。もう40年前になるのか。
この菩薩の顔は切手にもなり、数年前に龍谷大学の展覧会に出ていた。
それだけでなく、この日もらった山梨県立博物館のチラシを見ると、この模写に参加した吉岡堅二らの作品が載っていて、嬉しかった。
以前、彩色前のコロタイプ印刷そのものを見たことがある。便利堂さんの。
それも山梨で展示されるそうだ。

木造天蓋(中ノ間・西ノ間所用)mir730.jpg

これが見応えがあった。格天井を見せるために鏡を支度してくれているので、井戸を覗き込むような気分で身を乗り出した。
なにかしら、深い感銘を受けた。
天蓋周辺を飾るのは木彫彩色の管と玉で、それがとても可愛い。
見たことがあるような気がしたのは、40年前くらいの団地の玉暖簾に似ているからか。
それにしてもいい感じ。他に鳳凰の飾りもついていた。

七星剣 北斗七星や雲形などが繊細な線で描かれている。眺めながら色々と物思った。

法隆寺関係の年表を眺める。
例の刺繍がどのように発見されたかを初めて知った。
実物を見るのも初めて。
天寿国繍帳 上側の盛り上がり刺繍は飛鳥のもの、下部は後年の補綴。
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このチラシは先年の展覧会のもの、残していてよかった・・・
こういうものを見ると、聖徳太子の実在性を素直に信じる。

半券についた三角の券で法隆寺の見物が割引になるらしいが、今回は見送った。
ところでつい先日、東博の常設を色々見て廻る中で、法隆寺宝物館にも足を運んだ。
わたしは現行以前の、晴れた木曜日以外は見学できなかった時代にしか行かなかった。
だから殆ど初めての訪問だと言ってもよさそう。
なにしろ’89年以来。

法隆寺も廃仏毀釈でえらいメに遭い、存続するために皇室献上か何かして、ご下賜金をいただいた。それがこのコレクションかなぁ。そのあたりのことはあまり知らない。
こちらも少し撮影したのを挙げてみる。

鳳凰をモティーフにした絵柄をあちこちに鏤めた長持。
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螺鈿が綺麗。IMGP4519.jpg

実は驚いたのが、広い会場いっぱいに並ぶ小さい佛たち。
「え゛っこんなにたくさん!」とびっくりしたのだった。
幡も繊細な作りで、綺麗だった。
流出したことで、あちこちに法隆寺の宝物が伝わった。
藤田美術館にはここの華籠が伝わっている。荘厳するときの籠。
初期仏教の在り方と、新しい信仰への期待とが見えるようだった。

今年はそれにしてもどうして聖徳太子関係の展覧会が続いたのだろう。
春には『聖徳太子と所縁の名宝展』もあったが、あれもすばらしかった・・・

展覧会は7/21まで。

『 映画の中の日本文学』を見る

東京国立フィルムセンターが好きで、時々通う。
昔の映画を観ることもあるし、展示室で昔の映画関係の資料を愉しんだり。
今回は『映画資料でみる 映画の中の日本文学』ということで、このタイトルだけでもわたしにはときめきがあるなぁ。

今も昔も、映画オリジナル作品だけではやってゆけそうにないらしく、文学作品を原作にして作品が生まれている。
映画化された作品たちの数を数えたらどんなことになるか。

展覧会の主眼点。
「世界の映画史をひもとけば、その百年以上にわたる歴史を通じて、さまざまな文学者たちの残したテクストが脚本家や監督たちを絶えず刺激してきました。
この展示では、古代・中世から近世を経由して、明治期・大正期までに主に活躍した作家たちの原作による映画作品に焦点を当てます。」

まぁけっこう期待しているわけですよ、わたしも。
(とはいえ、アニメーションに関しては、わたしは完全オリジナル主義で、マンガのアニメ化は基本的に嫌いです)
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なにしろ膨大な上に、かつての日本映画黄金期の作品たちがたくさん並ぶから、見て回るのに時間がかかるかかる。
現代の日本映画にはあんまり関心が向かない分、古い映画に好きなものが多いのでマジメに眺めるし、説明もきっちり読み、更に色々な追想にふけったり妄想に奔るから仕方ない。
映像が流れるのもあり、それもきっちり見る。面白い。ポスターも時代の流れ・嗜好の変遷が見えるし、そこらが楽しい。

チラシは漱石の『猫』 ポスターには1936年らしいオシャレさがある。
漱石の猫が白猫なのはこれくらいしか見てない。役者も前三人しか知らない。
その上のスナップは溝口監督の『お遊さま』(谷崎原作『蘆刈』)。商業的にはコケたらしいが、こういう作品を映画化しようとする試みは好き。


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しかしポスターの好みだけを言えば、チラシ裏面の内から、右端の『真珠夫人』ですね。
いかにも1927年のセンスが光っている。この大正時代の字体からしてステキ。
栗島すみ子が主演なのでした。そういえば、TVで大ヒットした『真珠夫人』も『牡丹と薔薇』も見たことがない。今放映中の『花衣夢衣』は原作コミックの大ファンですが。

真ん中は1938年『阿部一族』・・・ロシア・アバンギャルド風と言うか・・・これには前進座が総出演。『人情紙風船』と同じ。
わたし、中村翫右衛門けっこう好きでした。息子の中村梅之助さんの『遠山の金さん』は金さんのベストだなぁ。その息子の梅雀さんは『信濃のコロンボ』が可愛い。
代を重ねるごとに、鋭い匕首からケーキナイフのように変わっていったが。

左は1953年『夜明け前』 この映画が大コケにコケて、近代映画協会はたいへんな苦労をしたそうだ。新藤兼人監督のエッセイが好きで、かなり沢山読んできたので、このポスターを見ると「おお、これが吉村カントクの・・・」と感慨深く思ったりする。

源氏物語も今年が千年紀と言うだけでなく、いつでもどこでも人気が高い。
映画も何本撮られたか。これと谷崎の『細雪』は舞台の方がいいと思う。
どちらも和の美の極限を描いているだけでなく、女優が張り切る作品。

近松の原作の映画化作品でマジメに見たのは
溝口健二『西鶴一代女』 これはVTRソフトを持っている。かなり好きな作品。
篠田正浩『心中天網島』 心中した二人の死骸のスチールが最高だと思う。
まぁ要するに、自分が耽美派だということを再確認したわけですが。

上田秋成も溝口は映画化している。
『雨月物語』 これも本当によかった。わたしは森雅之ファンだから、ドキドキした。京マチ子の深い官能性にもまた。ああ、甲斐庄楠音の絵が動いているような妖しさがあった。

さて実は近松にあんまり関心がないわたしだけど、江戸の鶴屋南北(大南北)はもぉめちやくちゃ好きで好きで、夏になると南北の芝居が見たくて仕方なくなる。
中でも四谷怪談は最高ですな。
中川信夫のそれがわたしはベスト。天知茂の伊右衛門が言葉にならないくらい、いい。
中川信夫監督作品には好きなものが多い。
『生きてゐる小平次』なんか、わたしの中では邦画ベスト3に必ず入る。

藤村『破戒』 これは授業で見たが、わたしが見たのは’62年版の市川雷蔵の丑松に、藤村志保のお志保さん、長門裕之(桑田佳祐そっくり)、三國連太郎、岸田今日子・・・
雷さんもステキだが、わたしはやっぱり三國さんがいちばん好き・・・
しかし’48年に木下恵介監督で池部良と桂木洋子でも撮影されていたのは初見だった。
池部良がとても綺麗な青年なのにドキッ。

泉鏡花 大好きなだけに、映像作品はあまり見たくない。ただし芸道ものや芸者ものは別。
幻想系作品の映画化はいやだと言うことさ。

古すぎてみていないが、『路上の霊魂』はいつか機会があれば見たいので、ここで少しだけVTRが見れて嬉しかった。これもいつか『狂つた一頁』のように全シーンを見たいものだ。

実は谷崎作品の映画化でいちばん面白かったのは、市川崑監督『鍵』だと思う。
わたしはこの映画の端々で、狂ったように笑ってしまった。
今思い出しても笑い出しそうになる。

里見 好きな作家で、とにかくハタチの頃ケンメーに本を探し回った。
小津安二郎監督作品の大半は、里見と所縁がある。別に原案とかそういうのでなくとも、「あれっこのシーン」と言うことで、小津監督と里見の交友もまた魅力的なのだった。
・・・とは言うものの、実はわたしは小津監督よりも、同時代ならミゾケンとか成瀬巳喜男の方がずっと好きなのだ。これは嗜好の問題。

かなり面白かった。展示換え後は昭和の文学かな。
わたしは水上勉『飢餓海峡』内田吐夢監督作品がとても好きなのだ。少し期待している。
それから久しぶりにポスターコレクションの泰斗・御園コレクションが見たくなった。

それとニュアンスは少し違うが、日本橋三越で『赤毛のアン』展を見た。
アンは人気があるから大繁盛していた。翻訳者村岡花子さんの紹介も多く、見ていてとても価値のある展覧会だった。ただし内容については、これまでのアン展とそう大差はなく、目新しいものではないが、その分だけ安心感があった。

東博ノ常設ヲ楽シム どうぶつ宝島篇

6月の東博の常設を長時間に亙って楽しんだが、これで一応ラスト。
今回はどうぶつ宝島篇。
昔の東映動画にありましたね、どうぶつ宝島。今から思えば宮崎駿さんの作品でしたか。
春休み・夏休み・冬休みの朝に放映され続けていたなぁ。
そのことを追想しながら並べてみる。

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虎ちゃんの可愛らしさは絶品。もぉにゃんこもにゃんこだけど、やっぱり強そう。
やっぱり今年の阪神タイガースは優勝ですよ。

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けっこうこの白鹿のやつ、わるぽい。目つきがけっこう鋭いな。
馴れてるけど、いざとなったら噛みつくかも?いや、それはないか。

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基本的にこの手の猫?犬?はナゾだ。猫はどうも浮世絵のそれが一番よさそうだ。
子供も可愛いのかそうでないのか・・・

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麒麟麦酒の麒麟ですな。中国では瑞獣、古代日本ではシシ神として恐れられていたそうだ。
雲に乗ってるようにも見えるが、ビールの泡かもしれない。

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同じ画帳にあった唐獅子。牡丹があるので嬉しくて獅子舞しているらしい。
目線はこっち向きなので、けっこう意識してるな。

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これはまぁ猫でしょう(と言い切る)。おかあさん、なんで孔雀の羽根を咥えるかなぁ。
薔薇の花咥えてたらカルメンか。

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木のカエル。茶色いからウシガエルかもしれない。
こいつは間違うてもTシャツには貼り付きそうにはないな。

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ちびのアマガエルがお水飲もうとしてるのか。
なんとなく可愛い。指先サイズのカエルの可愛さ、いいですね。

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応挙先生のわんころが三次元化したような奴ら。まるまるして可愛い。
根付にはこういう愛らしいのが多いので嬉しい。


集めてみると、とりあえずわたしには楽しい記事になった。

東博ノ常設ヲ楽シム 工芸篇?

6月に眺めた中から、好きなものを集めた。

日本の陶磁器

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色鍋島はなぜこんなにも愛らしいのだろう。
可愛くて仕方ない。タンポポが赤いのもこの色鍋島だけに許されている。

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九谷の良さと言うものはあまりよくわからない。
しかし九谷がなければ日本の磁器に図像は生まれなかったかもしれない。

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紫陽花の愛らしさを表現しようとして、内にも外にも花があふれ出したらしい。
家にあるなら、白和えか可愛いポテトサラダを容れてみたい・・・

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見込の柄は花ではなく、花火の開いたようにも見える。
その渕に花火の残影が映し出されている。

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小禽の、小さくとも鋭い鳴き声・羽ばたき。
それを写し取り、釉薬で封じ込めると、時間は止まってしまった。鳥ももう飛ばない。

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内外に春を描く。下千本、中千本、上千本、さくらさくら・・・
この花の下で宴を開かねば、なんとする。

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京焼の美しい制約と誓約。はみ出すことのない美。
退屈と安堵は、柔らかな優しさの上にある。

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実はこれがなにかわからない。わからなくともいい、と声がする。
口べりのきらめき、胴の造形、その愛らしさがあるから、それでいい、と。

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山形の皿に暮す白鷺たち。仲間は他にもいて、ここからは見えない。
飴茶色の地に住みながらも、色のにじみもなく、白は永遠に汚れない。


展示換えごとに東博に行きたい、と改めて切望した。

東博ノ常設ヲ楽シム 工芸篇?

わたしが見たのは6/21だから、今では展示換えしてますか。
まぁ好きなものばかり並べてみましょう、何を見たか忘れぬためにも。
まず東洋の古陶磁。

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この釉薬の色合いにときめくのだ、結局。
中国の釉薬の美には深遠が待ち受けている。

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刻まれた花の輪郭に深みがある。
撫でれば指の腹は何を感じるだろう。

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貫入には深い偏愛がある。雪の結晶にも、花びらの重なりにも見える。
言葉に出来ない官能的な美が生きている。

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青花。回教国から来た回青、コバルト。
花は白く、その花の影は深く青い。


日本の蒔絵など。

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煌く螺鈿が周囲を飾る。
刻まれた青い花は永遠に咲き続けている。葉は茶色く変わろうと。

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少し加工してみると、寂びの風情が出た。
華やかなものにこうした古びをつけるのは、果たして邪道なのだろうか。

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雛道具の豆細工。掌で弄ぶことは姫君にも許されなかったかもしれない。
実物をそのまま小さくしたのではない、夢の国のお道具なのだ、これらは。

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羽黒鏡というものを改めて眺める。先に細見で見た時の喜びが蘇る。
鋳造技術は繊細な美の世界を支える力でもあった。

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紫陽花の蒔絵が愛しい硯箱。季節に応じ、旬に合わせて選ぶ文房具。
江戸時代の人間の美意識を深く味わう。

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鑿で刻まれた花は崩れぬ美を見せる。
暗い赤色は娘の喜ぶ色ではないかもしれないが、深く美しい。

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とても好きな図柄、これに袖を通したい、とガラス越しに想う。
左右の柄の異なる美。いったいどんなひとが着ていたのだろう。


東博には好きなものが多すぎる。少しずつ挙げてゆくことにする。

東博ノ常設ヲ楽シム 古代東洋篇

久しぶりに東博の常設を堪能したが、それをまた下手な写真で挙げてゆこうと思う。
なにしろ最初に入ったのが東洋館だったから、そこからカメラが始まるのだ。
それはそれで面白かったしね。

IMGP4448.jpg ガンダーラ佛など
いきなり「三つ首塔」のようだが、文明の伝播の在り様がよくわかる展示だと思う。
因みにわたし、顔はガンダーラ佛がいちばん好きで、身体のリアルさからはクメール佛が好きなのですよ。だから東博より松岡で、クラクラするのさ。


IMGP4449.jpg たぶん、獅子像
それにしては哲学的風貌で、生え際はローマ人のようでもある。
どんな来歴があるかは知らないが、ちょっとニヒルでシニカルぽいところがステキだ。


IMGP4450.jpg 銅鼓
この銅鼓の存在を知ったのは、諸星大二郎『孔子暗黒伝』から。
孔子暗黒伝 (ジャンプスーパーコミックス)孔子暗黒伝 (ジャンプスーパーコミックス)
(1988/05)
諸星 大二郎


四半世紀前くらいカナ?とにかく衝撃を受けていた。
対になる『暗黒神話』は無人島に持ってゆく一冊だけど、この作品も凄かった。
アジア全域をぐるっと廻っている。そして待ち望まれた地へは決して帰らない。
その主人公ハリ・ハラの旅の指標として、銅鼓が使われもしたのだ。

ところが'89年に東博に初めて来た日、これを発見してしまった。
その途端、なんとなく『孔子暗黒伝』への尊敬の念が崩れてしまった。
とは言え、気を取り直して改めて深く読むと、やっぱり凄いとしか言いようがないが。
でもなぜあんなにも落胆したのだろう・・・

いまだにそのことを忘れられないし、ここへ来るたびにそのことを思い出すから、きっと永遠にそのことを反復し続けるのだろう。


昔に比べるとこの建物も随分明るく綺麗になった、と思う。

東京国立近代美術館の所蔵品を観る

毎年夏になると東京国立近代美術館の所蔵品展が楽しくなる。
今回初めて撮影させてもらった。ちゃんとカメラOKシール貼りましたよ♪

写真は撮らなかったが好きな作品も多く出ていましたね。
洋画で言えば、
青木繁 運命 、和田三造 南風 、関根正二 三星
日本画では
土田麦僊 湯女 、小川芋銭 飼猿とカッパの争い 、
それだけでなくこんなのも観れて嬉しい。
今村紫紅 絵巻物模写 春日権現記 ・絵巻物模写 後三年絵巻(其一)、「印度旅行スケッチ帳」

やっぱりええですね。

わたしがパチパチ撮ったはこちらです。
IMGP4440.jpg 戸張孤雁 素描
随分前に名古屋で戸張孤雁 回顧展を見て以来、このヒトのファンになった。
彫刻も版画も洋画も素描も・・・本当にいい。
描かれた女の実感が伝わってくるような作品。

IMGP4441.jpg 時々、こんな身体を撫でてみたくなる。
ひんやりしているだろうと思いつつ、ふっと掌にぬくもりを感じるかもしれない。

IMGP4442.jpg 南薫造 六月の日
この絵を見て、大関松三郎の詩を思い出した。「山芋」「虫けら」ではなく、ごっくんごっくんと形容のある、やかんから水を飲む詩。小学校か中学のときに教科書で知った。
徴兵されて、随分若くに死んでしまった。
土臭いのはニガテだが、ときどき彼のことを、彼の作品のことを考えている。


IMGP4443.jpg 三岸好太郎 雲の上を飛ぶ蝶
三岸の短い人生のうち、晩年にいきなり生まれた傑作が、この蝶や貝の絵だと思う。
ピンクや水色を背景に、蝶が飛んでたり、貝がのさばっていたり。
時々思うことがある。
こんな絵を描いて走り去るように死んだ男には敵わない、と。
長生きすればまた変容するだろう。ここで止まってよかったのかもしれない。
少なくともそう思うのが一人ここにいる。

IMGP4444.jpg 題を失念した。
どう好きか答えるのがいやになることがある。訊かれても答えることは出来ないし、したくない。
この絵の良さは、好きな人にはわかるに違いない。

IMGP4445.jpg 須田国太郎 歩む鷲
昔、須田がニガテだった。しかし京都の近美で「鵜」を見てから認識が変わった。
この絵は先年の回顧展で見て、とても好きになった作品。カメラでは捉え切れていないが、まなざしの鋭さが本当に精悍で、そのくせ歩く足が可愛くて仕方ない。

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三岸の絵の額縁もよかったが、この額縁もいい。むろんチャイナドレスの女もとてもいい。
つくづく、日本人の洋画が好きなのだと思い知らされた。

やっぱり下手は下手だが、撮影させてもらうと、自分の好きな作品を違う視点で眺めることが出来るので、嬉しいものだと思った。

ちょっとピンぼけ(キャパ???♪)ですが、わたしは楽しうございました、ははははは♪

皆さんもどうぞおでかけください。

芸術都市パリの百年

パリの百年。芸術都市のこの百年の動向。
東京都美の次に広島そして京都を巡る展覧会。
『芸術作品を通して、パリという都市の洗練された美しさ、そこに生きる男女の哀歓の姿、そして都市文化と自然との調和への憧憬をご覧いただきたいと思います。』
基本的にわたしは、タイトルと実際の内容に多少の乖離があったりハッタリだったとしても、あんまり気にならない。展覧会の内容が面白ければ、それでいいのだ。
展覧会は5章に分かれていて、それぞれ楽しめる作品があった。
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1.パリ、古きものと新しきもの 理想の都市づくり
パリに行ったことはあるが、実際に自分が歩いたパリよりも、描かれたり撮影されたパリの都市風景にこそ、馴染みがある。思えば不思議なことだ。
自分が歩いた20世紀末のパリは面白い街だったが。

アルピニー セーヌ河とサマリテーヌ浴場の眺め  この浴場のことは知らないし、画面を見てもどこにも温泉マークはなかった。どうもへんな視点でこの絵を見ているな。

ジャン・テクシエ カルーゼル橋の再建  一見マルケ風で、働く機械がなんだか可愛い。

ジャルジュ・ダンテュ トロカデロ公園、サイ、雪の印象  タイトルだけなら三題話のようだ。しかし実際このタイトルは即物的なほどに的確なのだった。
雪の日の公園、サイ像。存在感のあるサイ像。今はオルセーに飼われているらしいが、このサイはかつて公園のヌシだったに違いない。灰色と白灰の画面。エッフェル塔が遠く霞んでいる。雪の日にこのサイ像の前に行ってみたかった。

シャルル・ラコステ ロワイヤル橋  白い橋。実は隣にシニャックの『ポン・デ・ザール』が並んでいたが、こちらの絵に惹かれた。幻想的な橋、崩壊するのではないかと思わせるような橋。白昼夢、白い闇に包まれたような橋。

マルケ 雪のノートルダム大聖堂  グレー。輪郭がくっきりした大聖堂。パリの雪は灰色をしている。マルケの絵の中だけでなく。この灰色の雪に埋もれてみたい。

リュシアン・リエーヴル ピガール広場  ‘27年のピガール広場。二両仕立ての市電が走り、バスもトラックも見える。サクレクール寺院も見える。明るい気分になってきた。鳥瞰する構図。

エッフェル塔の建築写真が多く出ていた。その構造がわかるもの・そこで働く状況・何かの楽しみ・・・そうしたことごとが写真作品として活きていた。
これらの所蔵は全てオルセー美術館だった。
特に素晴らしかった二枚がある。どちらもガブリエル・ロッペの作品。
エッフェル塔の落雷  
オルセー駅、夜  どちらもすばらしく美しかった。夜の光の美をモノクローム写真で味わった。

2.パリの市民生活の哀歓
人間、生きている以上は世間とつきあわねばならない。殲滅を望むわけにはいかないのだ。
お上は税を取るばかり、厭な奴らも多いが、それでも働かないと生きてゆけない。
しかしその一方で楽しく華やかに暮らす人々もいる。

ルノワール ニニ・ロペスの肖像  印象派風の色調に彩られた美少女。
まだ若い頃の作品だから、この色彩で美少女が映えている。

ヴュイヤール 地下鉄、ヴィリエ駅  ドーム型の天井、ホームとトンネルの暗度の差異を描いたはずなのに、どちらも暗い。パリの地下鉄に一人で待ち続けているような、そんなせつなさを感じ取ってしまう・・・

フジタ 無題  ‘20年代に時折描かれた悄然とした少女たちの一人。斉藤真一の瞽女さんのような不思議な表情を見せている。ピンクのリボンも色褪せていた。

エミール・ベルナール セーヌ河のクリシー河岸  中年夫婦がとぼとぼと歩く。これを見たとき古いフランス映画『嘆きのテレーズ』冒頭シーンを思い出した。
こういう絵があるところに、本当にフランスの匂いを感じる・・・

ボナール かわいい洗濯屋さん  幼女が身体ごとすっぽり入るような大きな洗濯籠を腕に提げて歩く。身体バランスをとるために傘を地面に突きながら歩いている。
ちゃんとした社会制度が整備されていないから、こんな小さい子が働くしかないのだ。

オノレ・ドーミエの連作シリーズがあった。いずれも無論のこと風刺画。その場限りでは面白いが、あとからちょっと不快になることもある。
にんげんてイヤなイキモノですね。

3.4.パリジャンとパリジェンヌ 男と女のドラマ
ロマン派の世界から始まる。
わたしは絵画に文学や芝居の要素が入り込んでいるのがとても好きなので、楽しく眺めて廻った。

ユゴー 嵐の古城  ゴシックロマン風のペン画で、いい感じだった。
これは文豪の手遊びなのかもしれないが、その後はユゴーの作品世界を描いたプロによる絵画が並んでいる。いずれも名を知らない画家ばかりだが、それでも作品にはどうも見覚えがある。たぶん、ユゴー展か何かで見ているのだろう。
・・・関係ないが、わたしはユゴーの娘アデルを描いた映画『アデルの恋の物語』が、息苦しいくらい好きだ・・・

『ノートルダム・ド・パリ』からのいくつかの情景の絵画化。
誘拐されかけるエスメラルダ(ちゃんと彼女の友達の仔山羊がいる)、カジモドの鞭打ち、そして処刑されかけるエスメラルダを救うカジモド・・・
ドラマティックと言う言葉がここには溢れかえっている。

社交界を出入りする婦人たちの肖像に、特に見るべきものがいくつもあった。
尤もその画家も描かれた婦人たちも知らないが。

テオ・リッセルベルグ アリス・セットの肖像  点描で映し出された、鏡の前の女。夜会巻きに、青紫のぬめるように光るドレスを着ている。このドレスの色合いに惹かれた。

カロリュス・デュラン ル・ヴァヴァスール男爵夫人の肖像  黒髪に黒レースドレスだけの姿からは深い魅力が放たれている。絵の力よりモデルの力かもしれない。

ルノワール ボニエール夫人の肖像  チラシの左上にいる婦人。やせすぎていてなんとなく苦しい。水色のドレスはきれいなのだが。

シャセリオー 東方三博士礼拝  このマリアが何ともいえず優美で、ロマン派の美を感じた。

モローが5点来ていた。
レダは二種あるが、どちらもよかった。白鳥のなつき具合がへんに可愛いのだ。
夕べの声 これは千露さんがとても愛している一枚で、しばしば見かけているだけに、深く知っているような気持ちになった。

しかしながら、今回いちばん惹かれたのは初見の『デリラ』である。
茶色黒い裸婦は宝飾をまきつけている。青い眼は輝き、こちらをじっと瞠める。
サムソンでなくとも誘惑されてしまう。
随分小さい頃、セシル・B・デミル監督『サムソンとデリラ』の映画がとても好きで、TV放映があるたび熱心に見た。黒髪のデリラの艶かしさにゾクゾクしていたことに気づいたのは、少し大きくなってからだ。
旧約には魅力的な女がとても多い・・・・・・

セザンヌ先生が『聖アントワーヌの誘惑』を描いているのも、なんとなく不思議な感じがする。しかしチラシ左下の絵を見ると、どうもあのエピソードのシーンと言うより、森の中での水浴裸婦図に見えてしまう。『誘拐』を思い出しながらながめた。あれはゾラとの関係のメタファだと言う話だった、と思った途端にゾラの写真が数枚ある。
こういう展示構造が妙に面白かった。

ヴァラドンの40年間ほどに描いた5点もそれぞれ面白かったが、意外なくらいにサティがハンサムに描かれているのが目を惹いた。それに比べて自分の生んだユトリロを観る眼は冷酷でさえある。

ドンゲン ポーレット・パックスの肖像  とても好きな画家で、いつか回顧展があればと思っている。できたら庭園美術館で開催して欲しい。
例によって不思議に緑色の多い絵。毛皮の女。目が大きくて可愛い。随分大きな絵なので、少し離れたところから眺めた。

彫刻が並んでいる中を歩く。
ロダンやブールデル、マイヨールらの人物像。日本の近代彫刻はロダンから多くを学んだが、しかしその精神性の在り方は大きく異なる。
そのことを改めて感じた。
現代ならともかく、かつての日本の具象彫刻は恋人たちを捉えることを良しとしなかったのだ。
しかしパリの彫刻は違う。こうして彫像となった人々の姿を眺めて歩くと、艶かしいものを感じ取ることもある。尤もそのコンセプトの下で集められた作品ばかりなのだから。


都美の建物の中で少し面白い空間があり、おととしのパーク・コレクション展では金色の麦屏風や橋上から流れる扇面を眺める女たちの屏風が置かれたり、随分以前のアールヌーヴォー展では、パリのメトロが本物そっくりに再現されていた。アールヌーヴォーの美はハリボテであっても伝わってくるものだ。

今回はそこにエッフェル塔の一部が再現されていた。
それはなかなか楽しいハリボテだった。
これを見ていると、鉄骨同士の交差する域は六芒星のようで、面白く思った。

5.パリから見た田園への憧れ
市庁舎や美術館の天井画の下絵や習作が、本絵のそれらよりずっと面白そうだった。
ドラクロワとドニのそれらは、やっぱりなにかしら気概に満ちてもいた。
ルソーやボーシャンの素朴な建物や花などもよかったが、やはり先のを何度も見直すのに時間をかけた。
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わたしにはなかなか面白い展覧会だった。次は広島それから京都への巡回がある。

7月の予定と記録

早くも七月ですね。
七夕も近いです。
予定している行事などなど・・・

京都国際マンガミュージアム  少女マンガ展
京都市美術館  コレクション展 第2期 色 — 響きと調べ
茶道資料館  夏季展 涼を求めて?染 付 磁 器 の 魅 力?
思文閣  松谷みよ子の仕事
高麗美術館  朝鮮の美術工芸−高麗青磁を中心に−
大阪市立近代美術館(仮)  前田寛治のパリ
サントリーミュージアム天保山   ガレとジャポニスム
東大阪市民美術センター  秋野不矩 創造の小径
松伯美術館  収蔵作品展I 花鳥画に託す 生命のぬくもり 「花(雪月花三題のうち)」
中野美術館  所蔵名作展「日本画・洋画の名品」
奈良県立美術館   庶民の祈り 志水文庫 江戸時代の仏教・神道版画
奈良国立博物館  国宝 法隆寺金堂展
大和文華館  くらしを彩る工芸?飲食器・装身具・文房具?
香雪美術館  水墨と青磁・染付・金襴手など
神戸ゆかりの美術館   没後10年 水辺の風景に魅せられた洋画家 川端謹次展
舞子ホテル見学

百万遍の太陽軒で7/22から限定の肉レーメンを食べたい。
祇園祭宵宵山 も行きたい。
天神祭だけじゃなくせともの祭のせともの市が復活してるなら行きたいが・・・

近所のスーパーのチラシから。
mir723.jpg ワイルド7フィッシャーズ。

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