パリの百年。芸術都市のこの百年の動向。
東京都美の次に広島そして京都を巡る展覧会。
『芸術作品を通して、パリという都市の洗練された美しさ、そこに生きる男女の哀歓の姿、そして都市文化と自然との調和への憧憬をご覧いただきたいと思います。』
基本的にわたしは、タイトルと実際の内容に多少の乖離があったりハッタリだったとしても、あんまり気にならない。展覧会の内容が面白ければ、それでいいのだ。
展覧会は5章に分かれていて、それぞれ楽しめる作品があった。

1.パリ、古きものと新しきもの 理想の都市づくり
パリに行ったことはあるが、実際に自分が歩いたパリよりも、描かれたり撮影されたパリの都市風景にこそ、馴染みがある。思えば不思議なことだ。
自分が歩いた20世紀末のパリは面白い街だったが。
アルピニー セーヌ河とサマリテーヌ浴場の眺め この浴場のことは知らないし、画面を見てもどこにも温泉マークはなかった。どうもへんな視点でこの絵を見ているな。
ジャン・テクシエ カルーゼル橋の再建 一見マルケ風で、働く機械がなんだか可愛い。
ジャルジュ・ダンテュ トロカデロ公園、サイ、雪の印象 タイトルだけなら三題話のようだ。しかし実際このタイトルは即物的なほどに的確なのだった。
雪の日の公園、サイ像。存在感のあるサイ像。今はオルセーに飼われているらしいが、このサイはかつて公園のヌシだったに違いない。灰色と白灰の画面。エッフェル塔が遠く霞んでいる。雪の日にこのサイ像の前に行ってみたかった。
シャルル・ラコステ ロワイヤル橋 白い橋。実は隣にシニャックの『ポン・デ・ザール』が並んでいたが、こちらの絵に惹かれた。幻想的な橋、崩壊するのではないかと思わせるような橋。白昼夢、白い闇に包まれたような橋。
マルケ 雪のノートルダム大聖堂 グレー。輪郭がくっきりした大聖堂。パリの雪は灰色をしている。マルケの絵の中だけでなく。この灰色の雪に埋もれてみたい。
リュシアン・リエーヴル ピガール広場 ‘27年のピガール広場。二両仕立ての市電が走り、バスもトラックも見える。サクレクール寺院も見える。明るい気分になってきた。鳥瞰する構図。
エッフェル塔の建築写真が多く出ていた。その構造がわかるもの・そこで働く状況・何かの楽しみ・・・そうしたことごとが写真作品として活きていた。
これらの所蔵は全てオルセー美術館だった。
特に素晴らしかった二枚がある。どちらもガブリエル・ロッペの作品。
エッフェル塔の落雷
オルセー駅、夜 どちらもすばらしく美しかった。夜の光の美をモノクローム写真で味わった。
2.パリの市民生活の哀歓
人間、生きている以上は世間とつきあわねばならない。殲滅を望むわけにはいかないのだ。
お上は税を取るばかり、厭な奴らも多いが、それでも働かないと生きてゆけない。
しかしその一方で楽しく華やかに暮らす人々もいる。
ルノワール ニニ・ロペスの肖像 印象派風の色調に彩られた美少女。
まだ若い頃の作品だから、この色彩で美少女が映えている。
ヴュイヤール 地下鉄、ヴィリエ駅 ドーム型の天井、ホームとトンネルの暗度の差異を描いたはずなのに、どちらも暗い。パリの地下鉄に一人で待ち続けているような、そんなせつなさを感じ取ってしまう・・・
フジタ 無題 ‘20年代に時折描かれた悄然とした少女たちの一人。斉藤真一の瞽女さんのような不思議な表情を見せている。ピンクのリボンも色褪せていた。
エミール・ベルナール セーヌ河のクリシー河岸 中年夫婦がとぼとぼと歩く。これを見たとき古いフランス映画『嘆きのテレーズ』冒頭シーンを思い出した。
こういう絵があるところに、本当にフランスの匂いを感じる・・・
ボナール かわいい洗濯屋さん 幼女が身体ごとすっぽり入るような大きな洗濯籠を腕に提げて歩く。身体バランスをとるために傘を地面に突きながら歩いている。
ちゃんとした社会制度が整備されていないから、こんな小さい子が働くしかないのだ。
オノレ・ドーミエの連作シリーズがあった。いずれも無論のこと風刺画。その場限りでは面白いが、あとからちょっと不快になることもある。
にんげんてイヤなイキモノですね。
3.4.パリジャンとパリジェンヌ 男と女のドラマ
ロマン派の世界から始まる。
わたしは絵画に文学や芝居の要素が入り込んでいるのがとても好きなので、楽しく眺めて廻った。
ユゴー 嵐の古城 ゴシックロマン風のペン画で、いい感じだった。
これは文豪の手遊びなのかもしれないが、その後はユゴーの作品世界を描いたプロによる絵画が並んでいる。いずれも名を知らない画家ばかりだが、それでも作品にはどうも見覚えがある。たぶん、ユゴー展か何かで見ているのだろう。
・・・関係ないが、わたしはユゴーの娘アデルを描いた映画『アデルの恋の物語』が、息苦しいくらい好きだ・・・
『ノートルダム・ド・パリ』からのいくつかの情景の絵画化。
誘拐されかけるエスメラルダ(ちゃんと彼女の友達の仔山羊がいる)、カジモドの鞭打ち、そして処刑されかけるエスメラルダを救うカジモド・・・
ドラマティックと言う言葉がここには溢れかえっている。
社交界を出入りする婦人たちの肖像に、特に見るべきものがいくつもあった。
尤もその画家も描かれた婦人たちも知らないが。
テオ・リッセルベルグ アリス・セットの肖像 点描で映し出された、鏡の前の女。夜会巻きに、青紫のぬめるように光るドレスを着ている。このドレスの色合いに惹かれた。
カロリュス・デュラン ル・ヴァヴァスール男爵夫人の肖像 黒髪に黒レースドレスだけの姿からは深い魅力が放たれている。絵の力よりモデルの力かもしれない。
ルノワール ボニエール夫人の肖像 チラシの左上にいる婦人。やせすぎていてなんとなく苦しい。水色のドレスはきれいなのだが。
シャセリオー 東方三博士礼拝 このマリアが何ともいえず優美で、ロマン派の美を感じた。
モローが5点来ていた。
レダは二種あるが、どちらもよかった。白鳥のなつき具合がへんに可愛いのだ。
夕べの声 これは千露さんがとても愛している一枚で、しばしば見かけているだけに、深く知っているような気持ちになった。
しかしながら、今回いちばん惹かれたのは初見の『デリラ』である。
茶色黒い裸婦は宝飾をまきつけている。青い眼は輝き、こちらをじっと瞠める。
サムソンでなくとも誘惑されてしまう。
随分小さい頃、セシル・B・デミル監督『サムソンとデリラ』の映画がとても好きで、TV放映があるたび熱心に見た。黒髪のデリラの艶かしさにゾクゾクしていたことに気づいたのは、少し大きくなってからだ。
旧約には魅力的な女がとても多い・・・・・・
セザンヌ先生が『聖アントワーヌの誘惑』を描いているのも、なんとなく不思議な感じがする。しかしチラシ左下の絵を見ると、どうもあのエピソードのシーンと言うより、森の中での水浴裸婦図に見えてしまう。『誘拐』を思い出しながらながめた。あれはゾラとの関係のメタファだと言う話だった、と思った途端にゾラの写真が数枚ある。
こういう展示構造が妙に面白かった。
ヴァラドンの40年間ほどに描いた5点もそれぞれ面白かったが、意外なくらいにサティがハンサムに描かれているのが目を惹いた。それに比べて自分の生んだユトリロを観る眼は冷酷でさえある。
ドンゲン ポーレット・パックスの肖像 とても好きな画家で、いつか回顧展があればと思っている。できたら庭園美術館で開催して欲しい。
例によって不思議に緑色の多い絵。毛皮の女。目が大きくて可愛い。随分大きな絵なので、少し離れたところから眺めた。
彫刻が並んでいる中を歩く。
ロダンやブールデル、マイヨールらの人物像。日本の近代彫刻はロダンから多くを学んだが、しかしその精神性の在り方は大きく異なる。
そのことを改めて感じた。
現代ならともかく、かつての日本の具象彫刻は恋人たちを捉えることを良しとしなかったのだ。
しかしパリの彫刻は違う。こうして彫像となった人々の姿を眺めて歩くと、艶かしいものを感じ取ることもある。尤もそのコンセプトの下で集められた作品ばかりなのだから。
都美の建物の中で少し面白い空間があり、おととしのパーク・コレクション展では金色の麦屏風や橋上から流れる扇面を眺める女たちの屏風が置かれたり、随分以前のアールヌーヴォー展では、パリのメトロが本物そっくりに再現されていた。アールヌーヴォーの美はハリボテであっても伝わってくるものだ。
今回はそこにエッフェル塔の一部が再現されていた。
それはなかなか楽しいハリボテだった。
これを見ていると、鉄骨同士の交差する域は六芒星のようで、面白く思った。
5.パリから見た田園への憧れ
市庁舎や美術館の天井画の下絵や習作が、本絵のそれらよりずっと面白そうだった。
ドラクロワとドニのそれらは、やっぱりなにかしら気概に満ちてもいた。
ルソーやボーシャンの素朴な建物や花などもよかったが、やはり先のを何度も見直すのに時間をかけた。

わたしにはなかなか面白い展覧会だった。次は広島それから京都への巡回がある。