美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

アジア文明博物館

シンガポールではいくつかの博物館に入った。
その中でも特に良かったのは、アジア文明博物館だった。
シンガポール国立博物館の所蔵品が、シンガポールでの古代から近代への成り立ちの中での、そのライフスタイルを集めたもの、と位置づけできるとすれば、こちらは全アジアの民俗と文明・文化の紹介に徹している。
特にこの展示は日本での「国立民族学博物館」と「国立歴史民俗博物館」に近いように思う。
(どちらも大好きな博物館だ)
中学の頃から民博に出かけていたわたしは、ヨーロッパ大陸の「文化」は好きでも、「文明」はアジア全域とアフリカ大陸、南米大陸の方がずっと好きなのだった。
今回、その大好きなアジア全般の「文明」を深く深く味わうことが出来た。

一階フロアには、サバニのような細い船があり、そして今出来らしき銅鼓があった。
これらを見ただけで「孔子暗黒伝」を思い出して、わたしはときめいている。

IMGP5805.jpgこの階段の向こうにアジア文明が広がっている。

大体の地域別に分けられての展示が始まった。(国別というのではなく、おおまかな分け方がいい)
今巷で流行のガネーシャもあるが、こちらはクメール佛らしき体躯の仏像。
背後にはナーガラージャが見える。IMGP5808.jpg

ベトナムの年画。IMGP5810.jpg
カエルの戯画で、学校入学祈願かも?

刺繍の虎たち。可愛くて仕方ない。IMGP5811.jpg

これは細かいビーズ刺繍の帯。キラキラキラキラ煌いて、まるで天の川のようだった。
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暗い室内で、視線を変えるごとに煌きの度合いが変化し、うねるような美しさがあった。

金をふんだんに使った装飾品も素晴らしい。IMGP5818.jpg

あああ、瓔珞も綺麗だが、それを纏いつかせる肉体に、まず惹かれる。
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IMGP5828.jpgこんばんは?? 可愛いようなコワイような、可愛い奴め。

これをウサギと言うのはけっこう根性いるんちゃいますか?模造品がショップにも出現。
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ヨーロッパ人の偏愛するジャポニズムだと思う。現代日本のわたしにもときめきが生まれる。
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イスラームの細密画だが、青鬼はいるわ、地面には切り刻まれの死体は転がり倒すわで、けっこうホラーしてるな。
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美人たちが孔雀のとまる木に向けて、散華している。
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すこし有元利夫を思い出す。

これは国宝の平家納経を思い出す。折り返し部分の絵の中でこんなのがあった。
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企画展として、「neither east nor west」モノクローム写真の肖像画展があった。
タイトルは「東も西も」という意味らしいから、いかにも19世紀末から20世紀初頭ぽくていい。
ターバンを巻いたハンサムなひと。IMGP5842.jpg
わたしはあっさりしたイケメンより、濃いオトコマエが大好きだ。

オリエンタル・ビューティー。IMGP5844.jpg
日本の島津家令嬢のドレス姿もあった。

この博物館は平日は19時までだが、金曜は21時閉館で、19時以降は無料となる。
ミュージアムショップは世界中の色んなグッズがあるが、絵はがき類はゼロ。
撮影可能だから、それでOKということなのかもしれない。

またシンガポールへ行くときには、ここを再訪したいと思っている。

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やっぱりハイカイ・シンガポール篇?

インド人街から今度はモスリムの街へ向かう。
シンガポールは宗教・信条ではもめない。
友人S曰く「一種の社会主義・共産主義みたいなもんやからね?。
政治もフハイはしてないけど、反対も出来へん感じよ?」
観光用に開かれたイスラム寺院ではなく、ジモティ・モスリムのための寺院へ入る。
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わたしは長袖カーディガンをすばやくかぶったが、同行二人は捕まる。
でも捕まったおかげで、可愛い柄のモスリムワンピースを貸してもらえる。
着せ替え人形。茶色系と青灰色の二色ワンピースには、それぞれ可愛い刺繍があって、いい感じ。(でも化繊だからメチャ暑かったらしい)
記念撮影もした。しかしここのモスリムのおじさんたちは皆さん親切で、優しかった。
神戸にもモスリムの寺院があるが、そこの人はパキスタン系の人で、こちらも親切だったなぁ。
モスリムとは本来「平和を愛する人々」だということですが、世界はキビシイなぁ。
ここの人々は皆さん和やかでした。

わたしは中学生の頃、片倉もとこさんの「アラビア・ノート」をまじめに読んでいた。
それから井筒俊彦「イスラームの世界」も読んでたが、それらはやっぱり映画「アラビアのロレンス」の影響ですわな。
新宿か渋谷ではデヴィッド・リーン生誕百年記念で「アラ・ロレ」のニュープリント上映をしていたな。

さて、モスリムの次は旧正月を控えて大混雑を極めるチャイナタウンへ向う。
これが凄まじい。赤色が主体の正月飾りが溢れかえっている。それを買う人々も凄い。
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いや?ニホンジンにはこんなヴァイタリティおまへんわ。
凄かった。
わたしは中国の爆竹が大好きなのだが、シンガポールでは爆竹は禁止されてるので、残念。
以前、横浜の中華街で双十節の日に獅子舞と爆竹鳴らしの後をついて2時間くらい歩いたことがある。硝煙の匂いを好きなだけ味わって、殆どラリッた状態で楽しかったなー。

アジア文明博物館は金曜日は九時まで開館で、七時からは無料らしいので、待つ。
表にはゾウさんの像。IMGP5644.jpg
なんとか言う白い好い匂いの花が落ちてたので、拾って頭に挿した。
S曰く「妖しい目つきのナゾの女」になった。
写真を撮ると、目が据わっている。(いつもそうか)

橋を渡った向かいには、以前は郵便局か銀行だった建物を改造してホテルにしたのがある。
IMGP5793.jpgフラトン・ホテル。

シンガポール川に掛かるいくつもの橋の一つは、吊橋型で、色んなタイプがあるのは隅田川と同じ。
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川遊びしようとする少年たちの群像がある。ちょっと可愛くて撮影したが、「いかにもショタスキーなヒトが撮った」写真になったので、掲載できない。
このホテルのハイ・ティーも素敵らしい。

さて七時になり博物館へ入るが、内容については別項に書くけど、この博物館は国立博物館より、ずっと好みだと思った。たいへん面白い博物館。真の意味での博物の館。
出てから元の中華街へ戻り、屋台へ。
わたしとマダムKでは絶対に足が向かない屋台。現地在住のSのおかげです。
しかしやっぱり屋台そのものがイヤだとマダムKの意見があり、Sがよく行く蘭州拉麺という店に入る。ちょっと会話の行き違いからわたしのラーメンだけ遅れたのがつらいが、おいしかった。
その後はスィーツの屋台に行き、白玉団子入ピーナツスープをいただく。これがもう絶品!
クラクラした。ああ、本当においしかった。
絶対わたしたちだけでは行けないお店。みんな相席なので、インド人のおじさんたちと仲良くテーブルをシェアするが、皆さん本当に礼儀正しい。
驚いたのは、食べ終わった食器を片付ける専門職がいること。この屋台村にはそんな商売が成り立つのだ。うーむ、感心した。わたしには出来ないな?多分、失敗する。
買い物をする根性はなかった。あまりの人混みに負けた。でも大変楽しかった。

以下、悩んだこと。(反転してください)
この日はタクシーで帰ったが、友人Sが何から何までおカネを出すのには、心苦しかった。
わたしはマダムKからお金を預かり、二人分を支払う会計係を務めているので、余計心苦しい。(ハイ・ティーだけはワリカン)
ところがSは「本当はもっと立派なお店につれて行きたかったのに、屋台で申し訳ない」と言う。いよいよわたしは苦しい。
わたしは支払いたい。でもどうしていいかわからない。Sとわたしだけなら、「ほな日本でわたしがなんぞゴチソーするわ」ということで円満解決するが、Kは全くの他人である。
(二人は全くの初対面)
Kはあんまり物事に拘らない奥様なので「アラありがとう」で終わるが、わたしはちょっとKをにくみそうになった。それでいいのか?それともわたしが細かいことに拘りすぎるのか?素直にSの好意を受けるだけでいいのか?
・・・今度シンガポールに行くときはHISでチケットを取り、一人で行こうと思う。


いよいよ最終日。ホテルのチェックアウトは午後四時なので、それまで遊ぶ。
最後にカヤ・ジャムをパクパク、ドラゴンフルーツをハグハグ、ピンク・グァバ・ジュースをゴクゴク・・・
九時にはSがロビーに迎えに来ていた。
まずはセントーサ島へ。
巨大マーライオンタワー。IMGP5858.jpg
丁度この日からフラワーフェスティバルで、それこそまさに百花繚乱。凄かった。
季節は最早意味を成さない。
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公園にはガウディぽい噴水があり、楽しい。
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帰りはケーブルで空中遊泳、これがまた面白かった。
ついてからは地元のニョニャ料理でランチ。おいしい。
というか、なじみある味。家で造るご飯のおかずぽい。
ニョニャは娘惹と書くらしいが、実感がある。

街へ戻る。SとKの後ろを歩くことにしている。
見た建物のお浚いをし、見損ねた建物を見に行く。
ミャンマー・カフェで一休みする。ナゾなコーヒーもある。わたしはスイカ・ジュースを飲んだ。
やっぱりスイカが一番好きだ。

消防博物館へ。マカオでも入ったなぁ。新宿の消防博物館も入ったよ。
案外楽しいのだ、こういう博物館は。
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マカオではポルトガル語表記なので、大方意味がわからなかったが、ここだけは完全に意味がわかった。ボンバイエと読めた。ボンバイエは猪木だ。燃える闘魂だ。つまり炎関係ということは、消防だ・・・という三段論法で?中に入ったのでした。
シンガポールの消防の歴史も面白かった。係員さんも親切で明るい。色々体験コースもあり、なかなか面白かった。こういう実録的なところ、好きです、わたし・・・
IMGP5731.jpg実際の消防車。

他に切手博物館に行き、ここでも面白いものを見たが、それらはやっぱり後日詳述する。
またも中華屋台の一隅でお茶する。好みのものを拵えてくれるのがすごい。
わたしはマンゴー紅茶にタピオカ入のものを頼んだ。
こんなにおいしくて、こんなに安いのだから、やっぱり凄いな??

地元スーパーに行く。とにかくスーパーが好きなので嬉しい。
実はデパートよりスーパーの方が楽しい。
色んなものを見たが、ヘンな感心をした。シンガポールは100%近くが輸入品だが、日本からの輸入品も異様に多い。そして案外大陸ものが少なかった。台湾製はあるけど。
それにしても食品は安い。そのくせ日常品のあれこれが高かったりする。
紀伊国屋の本もみんな高かった。ちょっと面白すぎ。
Sにはお土産として丁度発売されたばかりのビッグコミックオリジナルを持っていったが、普段マンガを読まないSが夢中で読んでいたのにも、少し哀しいものを感じた。

熱帯の公園を行く。元は砦だったところへ。ああ、熱帯植物・・・その繁殖力にクラクラする。
蝉の声、鳥の声・・・みんな違う、印象に残る音の集積。
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公園はホテルの裏側にあった。
ホテルの隣には明治屋もあるので、そちらにも出向く。さっきのスーパーよりかなり高いが、さすがは明治屋だった。

シャワーしてからチェックアウト。リバークルーズしてからそのまま空港へ運んでもらうオプションだったので、係員さんが迎えに来る。
Sよ、さらば。来月大阪で会いましょう。

リバークルーズ前にクラークキーの水辺のレストランで四川料理をいただく。辛いけどすごくおいしい。ハフハフ言いながら食べたなぁ。ネギ味噌がメチャクチャおいしかった。
おいしくいただいた後はいよいよナイトクルーズ。
船はボンボリもあるので、どことなく屋形船風にも見える。シンガポール川をズイズイ行く。川風の気持ちよさ!!あ゛―いいキモチ。
IMGP5889.jpgライトアップ・マーライオン。
ドリアンとも呼ばれてます。IMGP5897.jpg

船はいいなぁ!IMGP5903.jpg

空港でチケットを取るときに、往きでe―チケットを取ったと言われて、そんな用紙を持ってたかと焦った。見つけたから良かったが、コワいことですな。
乗り場で会いましょうということで、単独行動。
免税店で買うものもないので、日本円に換金すると、百円玉までくれた。やっぱり日本の円は強いんですね!コインを貰ったのは今回が初めて!
残った小銭は2ドル55セント。何か買えるかなと薬局をウロウロ。ありました、これは使える。ふふふ。
化粧も落として、機内ではぐったり。往きは『スターウォーズ』の『クローンウォーズ』を見たけど、帰りは何も見ずに半分起きたまま寝ていた。
朝五時半、関空到着。熱国から寒い国へ帰還。すぐ着替えた。
梅田までのバスは始発が6:35なので待つしかない。
Kは60歳なので、荷物を無料で送ってもらえるらしい。バスを待つわたしに笑いながらさっさと電車へ向った。
わたしは知らない奥さんと「寒いですね?」と言いながら旅行の話で盛り上がった。
それでバスの中では完全に寝ていた。
大阪は雪だった。積もってはいないが降っている。
コロコロ荷物を運びながら、近所のコンビニに入って立ち読みして、おやつを探したが何もないので、家へ向った。
日曜の早朝でよかった。とりあえず意識をなくしていていい。
こうしてハイカイは、終わった。

やっぱりハイカイ・シンガポール篇?

それからわたしらはナイトサファリに向うことになった。
夕方の高速道路にはオートバイを飛ばす人々がいる。
マレーシアからの通勤者。シンガポールは淡路島くらいの大きさだから、マレーシアは感覚的には対岸の神戸みたいなものなのかもしれない。
驚いたのはトラック。荷台にいっぱい人が詰まれている。出稼ぎのインド系の人々。
シンガポールは車を所持すると大変高くつくというが、それでも車がないと困る人々もいる。友人の旦那もチャンギ空港内に勤務しているので、毎朝高速を飛ばしているそうだ。

シンガポールは朝7時でもまだ暗いが、夜は7時半まで明るいままだ。
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ナイトサファリは世界初の夜だけのZOOで、広大な自然環境の中に多くの動物たちが暮らし、その姿を我々は見て回る。
隣接する動物園は昼間の開園で、夜は仕舞う。
わたしたちはここで夕食を食べた。インド人シェフの女の人が、わたしがラム肉を選んでいると、作ったのは自分だと話しかけてきた。
わたしはタドタドシイ英語で答えた。
“I like it, but トリカレー、nonono・・・”
これで通じるから、向うの人はえらい。
辛いものがニガテなわたしだが、彼女のススメで選んだココナツ煮込みと、ナマのライチはおいしかった。

さていよいよナイトサファリに足を踏み入れる。
まずは歩くコース。空はまだ明るさが濃いけれど、林立する木々は闇に纏いつかれ始めている。
こんな状態、たまらなく好きだ。
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アンコールという水牛を見る。巨大なツノの水牛。おとなしそうな顔をしている。
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スナドリネコというのを見る。これはスナドリ、つまり漁師さんな猫なのだ。
イリオモテヤマネコの親戚筋らしい。
猫も野生化したやつらは、なかなか凛々しい。
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いよいよトラムに乗ってgo!
友人からの情報でトラムに乗るときは右側で、ということを守る。
ノーフラッシュ撮影を幾度かしたが、それは無駄な行為のように思えてきたのでやめる。
写真を撮ることより、自分自身がこの楽しみを味わわなくては。
IMGP5621.jpgこのワニは魚しか食べない。

様々な動物を見る。見たものの名前や順序はリーフレットをみればわかることだが、何がどう・かにがどう、という次元で括れる話ではない、と思った。
青みの残る空の下、暗い塊に変わった木々と、ナマナマしく息づく生きものたちと。
その空間を共有するわたし。
隣同士で暮らすのに不適合ではないか、と思うような組み合わせもあるが、それでも共存している。
キリンやシマウマやオリックスが同じゾーンなのは理解するが、近い種のご近所さんというのは、容易に混ざり合ったりしないか。食い合うこともないのだろうか。
そんなことを思いながら、トラムに揺られる。
IMGP5615.jpg寝る熊猫。

わたしはトラムに乗っているが、歩くコースもある。歩いてはいけないコースもある。
質感のある闇に寄り添う明るさ。密林。樺島勝一の絵の世界。
そうこうするうち、トラムが水の上を走る。水陸両用車。いきなり現れる人間。
歩くコースと交差した道を渡ったのだ。突然動物が現れるより、この方がコワい。
ちょっと昔の映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を思い出す。
どきどきしているのを感じる。
こんな空間に来たかったのだと思う。このまま帰らなくてもいいような気持ちになる。
しかしトラムは終点(始発駅)に帰還した。
わたしは降ろされ、ヒトのクニへ帰る。
動物ショーは見なかった。むしろ見たくなかったので、よかった。
見ればこの広大な空間がマガイモノでしかないことを、はっきりと気づかされる。

火を噴くショーを見た。これはヒトの仕事。わたしはけっこう見世物が好きなので、楽しいような気がした。
IMGP5628.jpgごぉぉぉぉぉぉぉ??

翌日。一日完全にフリー。
しかし予定は満ち満ちている。
シャングリラホテルでハイ・ティーをしようと決め、現地の友人Sが予約をしてくれた。
だから待ち合わせはホテルのロビーになる。
ランチと一緒にするから、その前に街歩きへ出た。

名前は立派だが中身はちょっとおいおいなペニンシュラ・ビルの界隈を歩く。暑い。
昨日つれて行かれた免税店はオーチャード通りにあるが、そこからタクシーで国立博物館に出かけていた。今日は夜にアジア文明博物館に行くらしい。
再び国立博物館の前を通る。中身より、ガワの方が好みだったかもしれない。

ラッフルズ・ホテルへ向かうと、さすがに立派。
中庭が完全に植民地のホテルだと言うことを感じさせる。
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やっぱりベランダ・コロニアル様式と言うのは、寒い国の住民が暑い国で暮らすために作り出した様式だと、実感。
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IMGP5673.jpg一隅に雀がいた。

地下鉄もデポジット制だというのが面倒なものの、乗りなれてきた。
しかしシャングリラ・ホテルは随分な坂の上にあるので、タクシーで向った。
タクシーはサーチャージや時間による値上げもあり、正直よくわからない。
マカオの方がタクシーはいいと思う。

友人Sと久しぶりに会う。夏以来。元気そうで何より。
ホテルの二階でランチ&ハイ・ティー。
紅茶は101種類から選ぶ、ビュッフェ・スタイル。
これが大変おいしい。トロサーモンがおいしすぎる。何回食べたか。
紅茶はわたしはピーチブロッサム・ティー。
インド人の給仕がついてくれる。
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ケーキも色々食べるが、一つ変なにおいのものを食べて、ウググになる。
それがドリアン・ケーキだった。ああ、あの・・・
どうもあきませんでした。

ホテルを出てからインド人街へ出る。友人がいつも行く雑貨屋さんへ向う。
目つきがコワいと思っていたが、インドの人々は親切だった。ものも安い。
会社の同僚たちに眉ペンとコロンを買う。友人は鍋をほしがった。
やっぱりこういう街へは現地住まいの人と一緒でないと、わたしではどうにもならないのだった。
IMGP5706.jpgヒンディー語の看板がある。


やっぱりハイカイ・シンガポール篇?

大寒の直後に熱国へ渡ってよいのかどうか、ともかくシンガポールへ向った。
着いた途端、熱気が来たなぁ。
それで早速薄着に変わり、現地ガイドさんのお迎えバスに乗る。
今回のツアーはわたしと同行者だけのフリーだけど、いくつかオプションを入れていて、それでご一緒する人々もいる。
ホテルはリバーサイドのノボテル・クラークキー。周辺のオシャレなお店の灯りがキラキラ綺麗だった。
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時差は1時間だから、却って苦しい。つまり夜7時半についたということは、日本時間は8時半なので、空腹なのよ。
同行者マダムKは団塊の世代だからわたしより20年長。
彼女は手製の地図を作成し、色んな情報をそこに書き込んでいるから、今回わたしは何もしない。せいぜい地下鉄MRTの乗り方や路線図をアタマに入れておいたくらい。
オプションとして二日目に市内観光とその後にナイトサファリ、最終日にリバー・クルーズを予約している。
マダムKは自信満々なのだが、地図の見方を間違えていて、夕飯はさらに1時間遅れた。
ちょっと泣きたくなったなぁ。
蟹チャーハン、えび湯葉巻きなどを食べるが、これが大変おいしいので、多少機嫌はよくなる。
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マダムKに先に入浴を勧める。わたしはどんなときでも長風呂なので、大抵そうしている。
シャワールームとバスタブが分離されてるのが嬉しいが、出たらマダムKは寝ていた。
ちょっとこれには困りました。
つまり日常の生活で言うと、本当は寝る時間だからよいのだが、後の始末とか色々がしにくくて困った。親なら押すけど、他人様にはやはり遠慮があるので、毎晩けっこう苦しんだ。
生活時間が異なる人と同室で寝泊りするのは、やはりムツカシイ。
IMGP5515.jpgあちこちに迎春を祝う飾りが。

ホテルの朝食はバイキングだけど、さすがシンガポール、色んな食べものが溢れていた。
シンガポール名物のカヤ・ジャムを麦芽系パンに塗ると・・・メチャおいしい??!!
それとドラゴンフルーツ。見た目は毒々しい赤色の果物だけど、中は大根にゴマが鏤められたようなもので、わりとサクサクしておいしい。
それからどう見ても柿メロンのようなパパイヤ。
この三つがわたしのシンガポールの朝の楽しみになった。

気温は30度で、雨季の癖に雨不足。しかしガーデンシティと呼び習わされるだけに、素晴らしい緑の都市。しっとりする。

わたし、夏に強いのよ。暑いと聞いていたのでノースリーヴで動く。
なんと心地よいことか。熱帯の快さと言うものは、これは好きな人でないと到底わかってもらえない。暑さも愉楽の一つになる。
そして日陰に佇むと、風の涼しさを味わえる。凄まじく気持ちいい。
こんな歓び、夏でないと味わえない。
IMGP5563.jpg蓮池。

ザワザワと暑さに灼かれながら、市内観光する。
富みの噴水というのがいかにも華僑的発想でいいなぁ、最高裁判所の辺りにはへんな観覧席があった。なにやら書いてある。
Chingei?チンゲイですか?珍芸?
旧正月が間近に迫っているので、なにかパレードがあるらしい。
(翌日、現地在住の友人Sから聞くまでナゾなままだった)

元祖マーライオンIMGP5526.jpg
正面から見ると、ちょっと趣が違って可愛い。
花々も南国。
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どちらも名を知らない。IMGP5535.jpg


宝石屋と言うか玉髄の加工工場につれてゆかれる。
風水がどうのと言うけど、わたしは基本的に信じていないし、宝石に関心がないので知らん顔をしたいところだが、そうもいかない。向うもわたしに買わせたいし、ガイドもわたしに売りつけたい。
・・・これは本当に面白い経験だった。
わたしは決して妥協しない性質なので、色の濃淡、形のこと、装飾の構成にも色々意見を述べた。
欲しいものは買うけど、少しでもダメなものはいらないのだ。
手映りが悪い、装飾が好みくない、斜めから光を当てたら安物くさい、形がキライ、・・・
こんな客、諦めたらいいのにそれでもグダグダいうては持って来るが、わたしは最初に自分の好みを言うてるんだぜ。それに合うのを持って来ればいいのに。
当初日本円で24万円の指輪を出してきたが、半額に負けると言い出したときにはつい笑いそうになった。挙句それを5万というので、3万以下にしてくれと言うと、手間賃も出ないという。まぁそうだとしても、それなら何故当初24万なのか、根拠を聞きたいものだ。
「人間、妥協することで生きるものです」
とうとうマネージャーがそう言うたので、わたしは笑って中国語でこたえた。
「不是」
交渉は終わった。

ランチは中華街の一隅にある香港風飲茶のお店。
ここの平打ち麺のオイスターソース炒めがメチャおいしい。
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ご一行様のうち、わたしだけがそれをパクパク食べたなぁ。

中華のお寺(道教寺院)、モスリムの寺院、ヒンズー寺院、と有名どころのお寺をめぐるが、それぞれの違いが見えて面白いし、また住民同士がトラブラず、仲良く共存しているのに感心した。
IMGP5517.jpgイスラムのお寺
IMGP5542.jpg道教寺院の漆喰飾り
IMGP5554.jpg虎の彫刻もある。
IMGP5561.jpg仏教寺院前の排水蓋も蓮。
IMGP5556.jpgヒンズー寺院の実物大フィギュア?
IMGP5558.jpg・・・すばらしい!

実際、シンガポールの人々は多民族・多人種の都市国家なので、共存共栄しないと繁栄しない、と知り尽くしている。
だから治安も良いし、人々の親切さと言うのも、本当に心地よかった。
これはアジアだからこその親切さのような気がする。
白人社会では、このアジア的親切さと言うものは全く、遠いものではなかろうか。
シンガポール滞在数時間後には、その空気にすっかり馴染んでしまっていた。

『カリガリ博士』を楽しむ

ちょうど90年前の20世紀初頭のドイツで『カリガリ博士』という大傑作映画が誕生した。
中学くらいの頃から見たいと思っていたが、曲がりなりにも映像で見ることが出来たのは、20余年前の春だった。VTRを借りて50分ほどの映像を眺めた。
ひどくハマッた。
元々ドイツ製のものは何でもかんでも好きなので、ますます惹かれた。
これはその時代のドイツ表現主義の傑作であると同時に、第一次大戦後のドイツ経済破綻と世相の暗さとを感じさせる作品で、ラストシーンも当局の干渉を避けるために狂人の妄想と言う態にしたが、本当は違うらしい。
しかし政治的な意味合いを知らずとも、十分に楽しめる作品である。
同時代の鑑賞者の大半も随分ハマッた人が多かったとみえ、今に残る評論やイラストがいくつもある。
たとえば映画監督・溝口健二はそのドイツ表現主義という様式に深く影響され、1923年には『血と霊』という作品を撮った。(フィルムは失われているが、いくつかスティールが残っている)
竹久夢二は絵が描けるので、概要をイラストとして残し、折口信夫も相当好きだったことが伺える。
そのカリガリ博士がyoutubeに音楽つきで51分間丸侭挙げられているのをみつけた。
(原本は無声映画)
たいへん驚いた。わたしはDVDソフトを買うか買わずかでとても逡巡していたのに。
とにかくここ最近、黙ってジィッと映像を見続けるということが苦痛になっていたので、今この文章を書きながら同時に映像を見ている。
二つの事柄を同時進行しながらでないと、イライラするので、こうしてyoutubeに挙がってくれたことが嬉しくてならない。
ご覧になる方はこちらへどうぞ。


わたしは『カリガリ博士』、『巨人ゴーレム』、『ノスフェラトゥ』といった大昔のホラー映画が大好きなのだ。
ただしドラキュラ伯爵は今も活躍中のクリストファー・リー氏のがあまりに怖すぎて、長い間トラウマになっていた。(もう一昔前のルゴシのは見ていない)
今なら見れるような気もする。
なにしろ今ではクリストファー・リーは『STARWARS』のドゥークー伯爵だったり、チョコラティエのウィリー・ウォンカさんの父上だったりするのだから。

それはさておいて、元のカリガリ博士に話を戻すと、他にもこの物語に影響を受けた作品が今もいくつかある。
中井英夫はカリガリ博士の傀儡たるツェザーレをモデルにした『セザールの悪夢』を書いた。
挿絵は建石修志で、幻想的な雰囲気の濃い、作品とマッチした絵を描いている。
マンガ家・中島一恵は『ツェザーレ』で、物語を背景にした共同幻想を描いている。
どちらもひどく好きな作品だ。

見終わった今、やっぱり好きだと感じている。
今度は『ノスフェラトゥ』を見よう。あれは上映会の最中、「キャッ」と声をあげてしまったことがある。(ヘルツォークのリメイクではなくオリジナル版の方)
今度はたぶん・・・大丈夫だと信じて。

1/21?1/25不在のため、記事は全て予約投稿です。お返事などは全て後日になります。申し訳ありません。

あの頃なにを見ていたか ’89

20年前からわたしは今と同じような暮らしぶりに入った。
つまり‘89年から本格的に展覧会に行くようになったのだ。
その頃に見たものを挙げてみる。
19890218 高畠華宵 ナビオ阪急
19890218 松園・松篁・淳之三代 ナンバ高島屋
19890318 ジャン・コクトー アクティ大丸
19890319 ピエール・クロソフスキー つかしん
19890416 安井曽太郎 大丸心斎橋
19890504 英太郎の世界 弥生美術館
19890505 常設 ブリヂストン美術館
19890505 新発見の叙情画 池袋三越
19890514 アラビアのロレンス 八尾西武
19890528 さよなら電気科学館 電気科学館
19890603 オディロン・ルドン 兵庫県立近代美術館
19890611 ヴィクトリア朝の絵画 アクティ大丸
19890715 フランス絵画の精華 京都国立近代美術館
19890829 手塚治虫夢ワールド 阪神
19891008 美の旅人・池田遙邨 京都国立近代美術館
19891010 デビッド・ホックニー 梅田阪急
19891014 大アンデス 民族学博物館
19891021 常設 志賀直哉邸
19891022 元興寺の寺宝 元興寺
19891101 ロダン 西洋美術館
19891101 一休 東京国立博物館
19891101 アールヌーボーの系譜・夢二世紀末の夢 弥生美術館
19891101 栄光のフランス近代美術?リヨン美術館 東京都美術館
19891102 常設 神奈川県立近代美術館
19891102 常設 鎌倉宝物館
19891102 吉川英治 神奈川近代文学館
19891102 常設 大佛次郎記念館
19891103 常設 ブリキのおもちゃ館
19891103 常設 横山大観記念室
19891103 「吉原」辻村ジュサブロー 下町風俗資料館
19891103 マンガ50年 銀座松坂屋
19891103 ちひろと筆 いわさきちひろ美術館
19891104 速水御舟 山種美術館
19891104 ムンク ブリヂストン美術館
19891223 リカちゃんハウス INAX 大阪
19891223 フランス近代絵画 ナビオ阪急

一年間でこれだけしか見ていないのだから、その当時はわりに大人しかったんだなぁ。
しかしけっこう内容も覚えている。

ところで怖いのは'99年。いまDBみて「うわーっ」になった。
つまり心の声を紹介すると、こんな感じ。
「えええ゛ーーーっもう十年!うそぉぉっ」
ああ、つくづく「歳月人を待たないぜ」ですなぁ。

1/21?1/25不在のため、記事は全て予約投稿です。お返事などは全て後日になります。申し訳ありません。

シンガポールへ参ります。

今日からシンガポールに行きます。
25日早朝に帰阪。朝も早よからゴロゴロ言わせながら荷物引いて帰るわけです。
メイワク者め。
なんか向うは暑いらしいから、大寒の大阪とは温度差約20度?30度という噂が。
ところでナゾなんが一つ。
わたしは今足がシモヤケ様です。これって向うに行ったらどうなるんやろ・・・

昔々シンガポールは昭南島とか勝手に名づけられておったのですが、シンガポール陥落で日本軍の手からも離れられたようです。
その大日本帝国がのさばっておった時代、ここへも多くの日本人画家が訪れて、色んな作品を残している。
例えば東博にある今村紫紅『熱国之巻』などはインドの風景と言うが、現実にはシンガポールの農村漁村風景をも参考にしているらしい。
実風景を知らぬので、何とも言えないが、魅力的な作品である。

大観の『南溟の夜』・・・これは二種あり、東近美と足立と。
解説にはガダルカナルだと書かれていたが、シンガポールに滞在したことで描けた作品でもあるらしい。
他にも伊東深水が現地の人々の情景を小気味よくスケッチしていた。

近代のシンガポールは40年ほど前に独立してから、大規模なパラダイムシフトを成功させて、世界の中でも超一流の清潔な都市国家になった。
だから今の状況しか知らないので、そこから過去を見る旅に出かけるのだ。
それがシンガポールツアーの目的なのだった。

千年以前、シンガポールはシンガプラと呼ばれていたらしい。
澁澤の『高丘親王航海記』ではその国を「羅越」と書いている。
そこの章を再読する。
「・・・羅越というくにがあり、そこには虎がおびただしく、その虎は常に羅越と天竺のあいだを渡り鳥のように往復して、決して他の土地へはみだりに足を向けないといいます。」
(最終章『頻伽』より)
高丘親王は力尽きていて、念願の天竺へは自身でたどり着けそうにないので、旧知のパタリヤ・パタタ姫の助言によって、虎の腹中に収まって天竺へ行こうと決めたのである。
物語の最後にとうとう親王は「モダンな親王にふさわしく、薄くて軽い骨」をその地に残して、天竺へ向った。

わたしは天竺へ向う気持ちも目的もないし、骨もまだ重たいので、そのまま大阪へ帰るのだった。



ベルギーロイヤルコレクション浮世絵展in京都

昨秋から始まっているベルギーロイヤルコレクションの浮世絵展が、京都高島屋で開催された。これは太田記念浮世絵美術館に始まり、京都高島屋、そして日本橋高島屋で順次開催されるコレクション展だが、3会場とも全て異なる展示内容だと言う。
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トップの太田の展覧会は見損ねたが、京都分は見ることが出来た。
ところがこれが凄い集客で、何を見たのか途中でわからなくなった。
リストがないのと、それから以前に見知った作品がわりに多いのが、その原因かと思う。
つまり脳に予め刻まれた画像と、今の自分の目で見ている画像とが入り交ざって、判別できない状態になったのだ。
ベルギーの浮世絵はマレなものは少ないが、その分すばらしく保存状態のよいものが多いそうで、それがいよいよお客を招んだのだろう。(わたしの混乱も)

このチラシはなかなか面白い。ベルギーからの行列のようにも見える。
こうして見てみると、作家性の違い・時代の違いもあるが、全く別な文化を背景にした絵のように思われる。

かなり多くの作品が来ていることは知っていたし、絵師ごとの作品数もそれぞれ多かったが、特に良かったのは春信だと思う。
春信の作品はよそでも見たものが出ていたが、それにしても発色が良いし、摺りの状態まで見えるようで、これは本当に見事だった。
そこから考えると、春信は江戸中期のヒトだから幕末にリアルタイムに新作が出るわけもないから、外国に流れるまでの経緯として、何度も再版があったために、こんなにも綺麗な状況で流出した・・・そしてそれをベルギーでは大事にされて、百年以上経った今もピカピカで見れる・・・
こういうことなのだろう。
そういえば欧州大陸と日本とでは湿度がまったく違う。向うは乾燥しているので、それが良かったのか?
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春信の性差のない男女の絵を見ていると、上品な描き方ではあっても、たいへん深いエロティシズムを感じたりする。
五常シリーズは仁義礼忠信といった言葉を絵にしたものなのだが、その言葉の意味を描く絵でありながらも、どこか色っぽく見える。
女同士の秘かな愉しみがそこに描かれているような、そんな感じ。


清長、写楽、歌麿、北斎、と海外で特に好まれる絵師の作品を眺める。
思えば我々日本人も長らく浮世絵から離れていたので、現代の人々が浮世絵を眺める心持は、外国人のそれと変わらないかも知れない。

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歌麿 このほつれ毛がたまらない。なんとも婀娜な女。指先でぐいっと半衿を引くのがまたまた色っぽい。手の細かいこと、後れ毛の描写が素晴らしい。絵師も一流、摺り師も一流でなければ、こうは描けない。

そういえば面白いことに、最近は幕末の浮世絵師の作品もよく表に現れるようになった。
一時ほどの国芳ブームも去ったが、近頃では海外の里帰り展で国貞の浮世絵を見かけるようになった。
国内では多く見かけるが、海外コレクションは里帰り展のとき、国貞を持って来なかったのに。
嬉しいことではある。
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縦三枚続の文覚上人。国貞はお客が喜ぶ勘所をよく衝いている。
これは役者絵なので、それぞれの役者の特徴がよく出ている。七代目団十郎は目玉の大きい人だと言うだけに、大きな目に描かれ、不動明王の五代目幸四郎は『鼻高幸四郎』と呼ばれるもナットクな鼻である。やはこの時代の役者絵、芝居絵が一番面白い。

国芳の戯画もいっぱいあり、嬉しかった。
金魚絵は見立て絵でもあるから、それを勘繰るのも楽しい。
そしてそうはしなくても、一目でわかる猫文字もあって、これがまた嬉しいのだ。
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次は春に日本橋の高島屋で開催と言うから、それを楽しみにしたい。

雅俗山荘を見る

逸翁美術館が閉ざされ、新しく移転することになり、かつての美術館は「小林一三記念館」として復活するそうだ。
これは昨春、美術館だった雅俗山荘を撮影したもの。
今までなんとなく公開し損ねてきたが、今回一部だけご案内したいと思う。

正門を内から見る。
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開門時しか見たことがないので、なかなか勇壮な門だと改めて気づく。

全景撮影は不可能なので、二階部分を。
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玄関もいい感じ。IMGP3880.jpg

入ってすぐの展示室の電灯。IMGP3890.jpg
この下で短冊や色紙をよく眺めたものだ。
IMGP3893.jpgその下のラジエーター。

山荘の名前。IMGP3903.jpg
他にも電灯は多い。IMGP3894.jpg

吹き抜けホール。本当に素敵だった。大概ここでは屏風などが展示されていた。
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二階からの眺め。IMGP3918.jpg
そちらの電灯。IMGP3913.jpg

二階の展示室では茶室の再現があり、常に過去の茶会記に沿った展示のしつらえが為されていた。
当然今は空いている。IMGP3915.jpg

階下、半ドームを描く空間の電灯。IMGP3925.jpg

和の空間へ至る、最初の情景。
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高校の頃、初めてここへ来た時、小禽がここで水浴びするのを見た。
なんとなく慕わしい。

つながった茶室。IMGP3959.jpg
即庵といい、逸翁の茶友・畠山即翁が命名した。扁額も即翁による。

広い庭園に茶室が点在する。素敵な和の庭園。
こちらは外から見た、先ほどの半ドーム型の部屋。
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記念館として残されて公開されるのも素敵だが、この空間で美術品を眺めることが出来た、その事実を忘れてはいけない。
本当に素晴らしい空間だったのだから。
秋には公開の目処も立つらしい。

カットカットカット

今日は予定していた内容が到底書けそうにないので、違う話に差し替えた。
わたしには珍しい話、世間にはよくあることなのだと思いたいのだが。

もうすぐ旅行なので今日はカットに行った。
本当は今日は友人と新年会もかねて京都へ行く予定だったが、向こうの体調不良もあり、中止。
わたしも昨日からちょっと具合が悪くなったので丁度いい。
それではということで、色々支度をすることにした。

カットしたはいいが、どことなく気に入らない。
ボブというよりオカッパにしているわたしの前髪が気に入らない。
前回40CM近くカットしたから、もう当分はこうしてオカッパ暮らしをするのだが、それにしても前髪が重たい。
手ですくと、なにやら大失敗した眉が見える。

そうだ、今日わたしは眉を書くのに失敗していたのだ。
だから前髪が変に思えるのだ。
美容師さんの技量のせいではなく、己の下手さをノノシルべきなのだ。
それで憂鬱になった。

色々買い物をしたので気分が晴れるはずが、どうもあかん。
買ったばかりのレギンスを穿いてポカポカになったが、やっぱりサムイ。
サムイのはわたしの化粧の下手さなのだ。

一旦帰宅後、母親の勧めに従い、近所の化粧品屋にでかけた。
そこでは今キャンペーン中で、某社の化粧品を買うと眉カットなどをするらしい。
わたしがいつも使うのとは違う社だが、ここのはわるくないのはわかっているし・・・
色々悩んだが、結局わたしはそのキャンペーンにのった。
わたしはこれまで顔をそったことは成人式のときだけだし、眉も触ったことがない。
ジーと音がする機械がわたしの眉を剃って形を整えだす。
目を開けてびっくりした。
右と左で差を見せるために、右だけ綺麗に整えられているのだが、その顔が母の妹にそっくりだった。
左もカットし、整えたらますます似ている。
叔母の子供たちは誰も叔母に似ていないが、姪のわたしはこんなに似ている。
母と叔母とはあんまり似ていないので、血の流れと言うものは面白いナーと感心した。

普段つけない色のアイシャドーをつけてもらったが、たまたまわたしの選んだそれは今年の色らしい。
なかなかこの色もいい。
わたしは目許がきついので、あんまり凝り過ぎるとどうかなと思っていたが、やっぱりプロの手にかかると、全然違う。
しかし随分眉も剃ったらしい。
細い細い形にはせず眉頭や山はそのままだが、眉尻が全く別人だ。
これはやっぱり面白かった。

ようやく機嫌もよくなってきて、このまま遊びに行こうかと思っていたが、いきなり外は寒風吹き募るという状況である。
残念ながら帰宅。
帰宅しては誰にも顔を見せびらかせられない。まぁ尤も見せられても「それがどないした!」だろうが。

しかしなんとなく今日一日は疲れた。やっぱ緊張してたのか。
・・・明日からは眉を書くのも楽しみだ。
書かずともよいような形に整えられてはいるけれど。

追悼・福田繁雄氏

新聞に福田繁雄の訃報が載っていた。
わたしは氏のファン、とは言えないまでも、やっぱりいくつかの作品を愛していた。
わたしなりの追悼と追想である。

三つ下の妹が幼稚園で毎月貰う絵本シリーズの中に、あるとき「おかしなかげ」という作品があった。
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この作品はシャレていてナンセンスな面白味もあり、わたしは作者の名前を覚えた。
小学生の低学年でも、興味を持てば作者の名前を覚え、機会があれば他の作品も知ろうとする。
わたしの脳に福田繁雄の名前と作風がこれで刻み込まれたが、他の作品に出逢うには、ちょっと時間がかかった。
cam055.jpg自分の影に脅される。

'96年夏、日本橋三越で福田繁雄グラフィックアート展が開催された。
出かけたわたしは、アート全般に無関心な同行者と一緒だったため、早足で廻るしかなく、残念なことに面白味を味わうことは出来なかった。
そうこうするうち、あっという間に歳月が過ぎて、もう21世紀も最初の十年が終わりかけている。
そこへ福田繁雄の訃報である。
なんとなく福田繁雄に対して残念なキモチが残されたままになった。

わたしの現代アートとの最初の出会いは福田繁雄に始まったが、熟成されることなく終わったような気がする。
氏のご冥福をお祈りする。

「大京都の時代」をみる

京都歴史資料館はいつも興味深い展覧会を開催する。
昭和初期の大礼の頃、京都もまた付近の町を統合・併合して「京都市」を巨大化し、大京都と呼ばれるようになった。
大体1920?30年代は、都市の名に冠をつけるのが流行ったのか、大大阪、大東京、大京都、大名古屋・・・名古屋だけ愛知ではなく大名古屋、と自称・他称した。
それで昭和初期の大礼記念の頃の大京都の状況を、この展覧会は見せてくれる。
以前京都市美術館の建物をここで紹介したが、門の表札に古い文字が見える写真を挙げていた。
京都市美術館は大礼記念で生まれたのだ。
IMGP3199.jpg「念記禮大」ではなく「大禮記念」。
京都は古い町だが、ずっとそのままというわけではない。
なんしか洛中は幕末に焼けてるし、その後に建てられた民家が結局、現在の我々が喜ぶ「京都の町屋」なのだ。
そして京都「市」になったので、道路整備や下水道などインフラ関係を充実させた。都市計画をきちんと立てて、それを遂行している。
その資料などが並んでいて、なかなか面白い。
道幅を膨らませたり、区切りつけたり。
堀川通りや烏丸通が車道として発達したのもこの時代らしい。

村上もとかの名作『龍―RON―』も昭和三年の京都から始まっている。
龍(RON) (1)龍(RON) (1)
(1991/07)
村上 もとか


その第四話では京都の町が掘り返される様子が描かれている。未曾有の不景気の最中、なんとか少しでも景気がよくなればと、ご大禮にあわせての都市改造が行われたのだ。
この辺りの時代はやはりたいへん面白い。面白すぎるくらい、面白い。

区画改修計画図などを見ていると、現在の町並みと対比できるから、それがまた興味深い。
丁度江戸時代の古地図を見て、楽しいのと同じ。
写真絵はがきもいいものをいっぱい見た。
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つい先日は同時代の神戸の写真絵はがきを沢山見たから、ますます楽しめる。
しかしこんな地図を見ていると、学校の授業ではただの苦痛に過ぎなかった地理が、なんで今は面白くて仕方ないのか不思議になる。授業で習った地理は一切役に立たず、自分が実地で学んだり経験したりしたことだけが、自分の力になっている。
これはわたしがえらいのではなく、わたしの受けた学校教育がアカン証拠かもしれんわね。

さて三本の映像も見た。
大礼当日の京都市内の映像。花電車が通っている。
それと昭和10年の水害の様子。これは八世片山九郎右衛門撮影によるもの。
そして京都市下水道工事の記録フィルム。宣伝と啓蒙するための内容。インフラは本当に大事。
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いい展覧会だった。1/25まで。



上野伊三郎+リチ コレクション展 ウィーンから京都へ、建築から工芸へ

京都国立近代美術館で「上野伊三郎+リチ コレクション展 ウィーンから京都へ、建築から工芸へ」を見た。
中身は知らなくてもチラシを見ただけでときめいた展覧会。
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1920年代から活躍し始めた二人の回顧展。
上野伊三郎は宮大工の家筋に生まれ、ベルリンでは構造学を、ウィーンでは振動学を学び、やがてウィーン工房の主催者ヨーゼフ・ホフマンの建築事務所に入所して、工房でテキスタイルや陶器のデザインをしていたリチと出会い、結婚する。
カラフルで可愛い意匠はリックス文様と呼ばれ、随分人気があったようだ。
今ここに展示されている作品を眺めても、それはよくわかる。
キュートでファンシー。一言で言えば、そう形容し分類できる。
いや要するに「可愛い」のだ。

伊三郎はモダニズム様式の建築を設計し、リチは可愛いデザインを追及する。
家の外側は箱みたいでも、中のインテリアがキュートというのが、二人のコラボの成果なのだった。
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リチのデザインした意匠を眺める。
ちょっとスカーフに欲しいような気がする。

またリチの僚友たちの仕事もここに並んでいるが、全てウィーン工房の仕事なのに、どことなく和風テイストが感じられるのだった。
それは多分に色の合わせ方によるものと思われるが。
これらの作品は豊田市美術館に所蔵されている。

やがてウィーンから帰国した伊三郎は上京区竹屋町にオフィスを開き、リチはその美術工芸部主任となり、そこへは本野精吾らが集った。
そして「日本インターナショナル建築会」が結成され、機関紙も発行される。
その表紙を見ると、モダニズムの只中にあることを感じさせるものだった。
丁度この展覧会にあわせてか、復刻もされたらしい。
こういうセンスはやはり’20-’30年代ならではのものだろう。

伊三郎が設計した店舗で有名なのは京都のSTARチェーン店。
こちらにその歴代の店舗デザインの写真がある。
今は残念ながら別な設計になったが、伊三郎が没するまでは全て彼のデザインだったようだ。わたしはこの会社を知らないので調べたら、「え゛っあれですか!」・・・お世話になってます、ハイ。

ブルーノ・タウトが来日する。桂離宮の美を彼は<発見>する。
そのときずっとそばにいて世話を焼いたのが上野夫妻だった。
タウトの展覧会は少し前にワタリウムで行われた。

見て行くと、戦後もここのオフィスは良く働いたようで、日生劇場のカフェ・アクトレスの内装はリチだった。
これは先般、汐留の村野藤吾展で見ている。
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リチのデザインがプリントされた<幡のようなもの>が、幾枚も釣り下げられている。
可愛い布たち。
何に使うかによるけれど、なかなか魅力的なデザイン。

そして可愛い飾り箱たち。すべて七宝焼きで作られている。
有線七宝と不透明釉薬と透明釉薬とを巧みに使って、モダンでオシャレなデザインがそこに生まれる。
ここに展示されているのは当時の製品ではなく、20年ほど前に再製作されたものたち。
欲しいなーと呟いてみる。
・・・本当に欲しくなる。
富本憲吉と上野リチの飾り箱は、欲しいものの上位にあがっている。
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それにしても本当に可愛いものだらけ。
壁紙、プリント服地、クリスマス・オーナメント、イースター・エッグ・・・
何もかもが可愛い。

リチの仕事が可愛くて華やかなので、ついついそちらばかり気になったが、伊三郎の設計の仕事もなかなか興味深いものが多かった。
見るからにモダニズムという建造物でありながら、どことなく親しみやすさを感じる。
装飾性はなくとも、冷たくはない建物。
設計図を見るのもたいへん面白いし、勉強になる。
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ところでリチのデザインに戻るが、途中いくつかどこかで見たようなものがあった。
それでやっぱり見たのかと、解説を読むとロマン吉忠の仕事をしていたのだ。
納得。

夫婦がコラボした中国の風景絵巻もあるが、これもオシャレで素敵だった。
田舎の市場風景なのに、なんだかモダンなのだ。ちょっとオシャレすぎるくらい。
見ていてわくわくした。

伊三郎と共に日本に来たリチは戦後何度かウィーンに里帰りもしているが、亡くなったのは京都でらしい。後進の教育にも力を注ぎ、最後まで作品を生み出し続けたのは本当に素晴らしい。
晩年の作品に、都ホテル京都の貴賓室壁用クロスがあり、それはキラキラする素材で織られた花鳥図だった。やっぱりとても可愛い。
いいものをいっぱい見せてもらえるいい展覧会だった。
2/8まで。目黒区美術館には4/11-5/31まで巡回。

京都御所ゆかりの至宝 蘇る宮廷文化の美 3

今でこそ皇室は神道と言うことだが、かつては仏教徒だった。魅力的な仏画がいくつかあった。

3章 宮廷と仏教
風天・水天像 十二天像のうち 2幅 平安時代 大治二年(1127) 京都国立博物館 水天:1/10?2/1/風天:2/3?2/22
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前々から見たことがあるはずだが、改めてこの場で見ると、なんとも優美なお顔だと思う。美麗な仏画。本当に綺麗。

孔雀明王像 1幅 鎌倉時代 13世紀 京都・智積院 1/10-2/1
手足が赤みを帯びている。それは全部が朱色に染まったというのではなく、白い手足が悴むか何かで赤くなった、そんな雰囲気。そしてきりっとした顔をこちらに向けている。
一方明王を載せている孔雀はきょとんと丸い目をむいていて、それが可愛い。

高倉天皇宸翰消息 1幅 平安時代 治承二年(1178) 京都・仁和寺 1/10-2/1
この書かれた年代が問題。これは天皇が、兄の仁和寺の守確法親王に向けて、「無事男児が授かりました」と言う内容なのだ。つまり徳子が安徳帝を生んだことを書いている。
その安徳帝の外祖父に当たる平清盛の出生の秘密を記した資料も展示されている。

舎利相承記 1巻 鎌倉時代 文永元年(1264) 滋賀・胡宮神社
これは中国・育王寺などから仏舎利2000粒を贈られ、それを相承した来歴を記す書きもので、系図でもある。
白河院が寵愛の祇園女御とその妹にも譲り、それが清盛に伝わるようだが、白河院と女御の妹との間に線が引かれ、そこに清盛が子として記されている。懐妊という意味らしき文字が記されていた。(懐は女篇)
これが清盛が院のご落胤だと言う証拠の資料だという話である。

普賢菩薩騎象像 1躯 平安?鎌倉時代 12世紀 京都・妙法院
ゾウは黒くなって白象ではなく黒象に見える。細身の佛。後白河院が自らの墓所の安置佛に選んだという伝がある。閉じた瞼や顔立ちが石川さゆり風に見えた。

旧御所黒戸所用仏具 一具のうち
 (1)大壇 (2)厨子入舎利宝塔 (3)菊灯台 3種6基 江戸時代 19世紀 京都・水薬師寺
大壇には獅子が飾られていて、くりくりして愛らしい。蓮弁も綺麗。菊の雪洞。灯台と言うより雪洞の大きいもの風。

唐幡 (1)御簾に菊花文様唐幡 (2)海浦春景文様唐幡 2旒 江戸時代 19世紀 奈良・中宮寺
菊花はオレンジ地、海景は紫地で、見事な刺繍が施されている。
中宮寺には学生時代以来一度も再訪していない。今年は是非出かけよう。

4章 宮廷の装束
ずらずら並んでいる。立派なものばかりだが、あんまり関心がわかず、一通りしか見ていない。しかし一枚だけたいへん興味深いものがあった。

礼服 東山天皇御料 1具 江戸時代 17世紀 御物 1/10?2/1
最礼服ということだが、刺繍された動物たちの可愛らしさに惹かれた。
虎、猿、四足の竜、かれらが規律正しく行進している。
そんな図柄の刺繍が可愛くて、威儀もなにも飛んで、可愛い動物アップリケのついたスモックに見えて仕方ないのだった。

冕冠 孝明天皇御料 1頭 江戸時代 19世紀 御物 1/10?2/1
これはベンカンと読むらしい。礼服と共に用いる冠。玉や水晶や金のきらめきで綴られた冠。一世一代の冠だそうだ。

5章 御所の工芸
普通釜と言えば千家十職の大西家を思い出すが、これは千家の茶の湯用の釜ではなく、御所御用達の釜だからか、飯田助左衛門の手によるものが集められている。
八景図八角釜、銅唐草文水指、銅七宝繋文建水、銅流水文蓋置、銅唐草文杓立
全て17-18世紀に拵えられたもの。

6章 紫宸殿の荘厳?賢聖障子絵?
これは京博の中でも中央室と呼ばれる特別な空間に設置されていた。
永徳展ではここに上杉本洛中洛外図が、STAR WARS展では実物大のポッドが展示されていた。
そこに実物とまた別な縮図とがある。賢聖とは中国の賢い忠臣のこと。
左右から肖像が並ぶだが、真ん中に獅子VS狛犬が鎮座している。
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表情がとぼけている。cam044-1.jpg
賢聖障子絵 狩野孝信筆 20面 桃山時代 慶長十九年(1614) 京都・仁和寺
こちらは名前はなく、一枚の襖に二人ずつ描かれた人々が、ずらずらと並んでいる。
探幽筆賢聖障子絵縮図 小方守房筆 1枚 江戸時代 17?18世紀 福岡県立美術館
探幽の縮図帳はこれまでにも多く見てきたし、どうもこの分も記憶にある。
蕭何、張良といった前漢の功臣に始まり、菅仲、諸葛亮、太公望、それに魏徴、李勣ら唐初の功臣、書家の虞世南、蘇武、楊雄、董仲舒、叔孫通まで。けっこう時代もなにも適当な並べ方をしているな。尤も誰もこの時代の人々を、異国の者たるニホンジンは見てへんのだった。

7章 御所をかざった障壁画
京都御所の障壁画展で見たかと思ったが、そうではない。

牡丹麝香猫図襖 伝狩野永徳筆 4面 天正十四年(1586) 京都・南禅寺 1/10?2/1
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半券にも使われたが、にゃあっとしてとても可愛い。
右ののファミリーも左の親子もそれぞれ個性的で、いい感じ。
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枇杷雉子図襖 伝狩野永徳筆 4面 桃山時代 天正十四年(1586) 京都・南禅寺 1/10?2/1
丸い枇杷がよく生っている。足元には白百合が咲く。
群鶴図襖 伝狩野永徳筆 4面 桃山時代 天正十四年(1586) 京都・南禅寺 1/10?2/1
亀も泳いでいる。鶴のカップルはオスの首が黒く、小振りなメスは全て白く描かれている。

牡丹図襖 狩野孝信筆 4面 桃山時代 慶長十八年(1613) 京都・仁和寺
大きな牡丹がいっぱい咲き乱れている。 金型雲が大きく描かれている。珍しい。
唐人物図屏風 狩野孝信筆 2曲1隻 桃山時代 慶長十八年(1613) 京都・仁和寺
孔雀とオジさんたち。蒙古スタイルの少年もいる。
どうもアジアでは孔雀はオジさんと一緒のスタイルらしい。西欧ではオリエントな美女が一緒にいるものだ。

住吉社頭図襖・壁貼付 狩野派 5面 江戸時代 元和六年(1620) 京都国立博物館
これは普段は新館二階の特別室にしつらえられている襖絵。歳末・旦の頃を描いている。
物売り、胸からかけた箱で見せる人形芝居などもいて、人々で賑わう情景。

浜松図襖 狩野派 3面 江戸時代 元和六年(1620) 京都・青蓮院
松と貝殻が溢れかえるように描かれている。てっきり剥落かと思いきや、それが貝殻だった。思えば寺社には殆ど行かないので、どんな襖絵があるかもよく知らないのだ。

長谷寺春景図襖 狩野敦信筆 4面 江戸時代 延宝五年(1677) 宮内庁京都事務所
牡丹の長谷寺だが、ここでは満開の桜に埋もれる情景が描かれている。舞台から桜を眺める人々。この引き手は尾長で、くるんと丸く巻いている。

厳島図襖 狩野洞春筆 3面 江戸時代 宝永六年(1709) 京都・光明寺
昨秋、厳島にやっと出かけたので、この絵を見ると嬉しくて仕方ない。船で行き交う人々。また行きたくなってきた。特に何がどうということもないのだが・・・。

8章 御所の障屏画
こちらは 見たことがあるものが多かった。
荒海障子 土佐光清筆 2面 江戸時代 安政二年(1855) 宮内庁京都事務所
浮世絵師・国芳えがくところの「手長・足長」がいる様子が、土佐派の絵でここにある。
山海経は妖怪本として人気があったのだろうか。

清涼殿 名所図襖 安政二年(1855)
このシリーズが来ていた。前後期交代で出ている。すべて土佐派の手による。
辰市図襖 土佐光清筆 2面 江戸時代 宮内庁京都事務所 1/10?2/1
奈良県添上郡に立った市の様子。正月明けか、ぶりぶりを持つ子もいた。
宮城野図襖 土佐光文筆 2面 江戸時代 宮内庁京都事務所 1/10?2/1
銘菓「萩の月」の本場だけに萩が咲き乱れている。

琴棋書画図屏風 山本素軒筆 6曲1双 江戸時代 17-18世紀 宮内庁京都事務所
若き日の光琳の師匠。のんびりした時間の流れる絵。中には眠る子もいる。
金ぴか絵を多く見てきたが、これで終りになる。
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2/3からは後期が始まるので、それもちょっと楽しみにしている。

京都御所ゆかりの至宝 蘇る宮廷文化の美 2

絵画の見事さもさることながら、むしろ工芸品の技の深さに感銘を受けることが多い。

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住吉蒔絵机 1基 桃山時代 16世紀 京都・仁和寺
日月蒔絵硯箱 1合 桃山時代 16世紀 京都・仁和寺
どちらも本当に見事な出来栄え。住吉は太鼓橋、松、社の三つが揃っていればそれで住吉だと言う約束なので、定まっている分だけ、技能がはっきり見えたりする。太鼓橋の反り具合の見事さ、本当によかった。
図では蓋表に日、裏に月というのが見えるが、展示では裏の月は見えなかった。日は金、月は銀という決まりも思えば優美なものだ。そして日月は太閤を、中の竜は後陽成天皇を示しているのだった。

桐竹鏡 1面 桃山時代 天正二十年(1592)
こちらは面白いことに真ん中の持ち手というか摘まみ部分が亀になっていて、可愛く出来ている。思えばよくあるようなだが、案外ない意匠だった。

さて少し時代が下がり、後水尾天皇が現れる。家光の妹・東福門院と結婚した帝。
妻はその時代のファッションリーダー、夫はカルチャーの担い手。
今ならイケてるカップルなのだが、政治的状況から色々複雑な思惑があったでしょうね。

後水尾天皇宸翰覚書 1巻 江戸時代 承応三年(1654) 京都国立博物館
これは自分が拵えた修学院に行きたいということを大老酒井に訴えた手紙。せつせつと書かれている。随分長文でもある。1/10?2/1まで展示。

寛永年間はこれまであんまり興味がなかったが、近年ようやくそちらにも目が行くようになったので、今回の展覧会は本当にありがたい。

池坊専好立花図 附寛永六年紫宸殿立花御会席割指図 1帖・1巻 江戸時代 京都・頂法寺 /立花図屏風 6曲1双 江戸時代 17世紀 東京国立博物館 右隻:1/10?2/1
言えば座席指定図。これは後に出てくる聖賢図の間での席。それと池坊専好のいた時代だと言うことを、はっきりと知らされるような、立花図が18枚。一本中心の花を決めて、周囲に他の緑花を集める。そのスタイルが貫かれている。

修学院離宮中御茶屋客殿 釘隠
 (1)七宝花車形釘隠 (2)七宝笹竹形釘隠 2枚 江戸時代 延宝五年(1677) 宮内庁京都事務所
これが実に可愛くて可愛くて。釘隠し、引き手への偏愛は、後水尾天皇の時代で頂点に来たのではないか、と思った。
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金梨地鳩紋蒔絵糸巻太刀 (中身)太刀 銘幡枝八幡宮藤原国広造 1口 拵:江戸時代 17世紀/中身:桃山時代 慶長四年(1599) 京都・幡枝八幡宮
鳩のマークが可愛い。片身に五羽。鳩はここの神紋。そういえば鎌倉の鶴岡八幡宮も鳩か。・・・もしかして、八幡は鳩がゆかりの動物なのだろうか。

葵紋蒔絵中棗 1合 江戸時代 17世紀 京都・川端道喜
文琳茶入 1口 中国・明時代 14世紀 京都・川端道喜
どちらも粽屋さんの川端道喜のお店に伝わっている。東福門院がここの四代目を可愛がり、多くの下賜品があるそうな。

後西天皇像 1幅 江戸時代 17世紀 京都・泉涌寺
後水尾天皇の息子で、御所に伝わる多くの文化財のコピーを作らせた帝。焼失の危険を考えてのことらしいが、おかげで多くの文化財が完全に消失しなくてすんだそうだ。
この肖像画は表情や肌艶などがちょっとリアルな感じがした。

青磁鳳凰耳花生 銘万声 1口 中国・南宋時代 13世紀 和泉市久保惣記念美術館
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これは以前から見知った国宝で、口のところに一ヶ所だけ茶色い飛びが見える。
素晴らしい名品、今も久保惣のサイトで目玉として現れる。(2/8まで)
青磁鳳凰耳花生 銘千声 1口 中国・南宋時代 13世紀 陽明文庫
どらちも後西天皇の命名。家光―東福門院―後西天皇―近衛家煕という流れ。
家煕の侍医・山科道安はこの花生を「至極ナリ」と書き残している。
この対の花生けは砧青磁の究極の美と言うてもいいように思う。

扇散蒔絵櫛箱 1合 江戸時代 17-18世紀 京都・下御霊神社
これは本当に可愛くて可愛くて仕方ない。こんもりした形に、大きめの扇図が所狭しと描かれている。こんもりしているから、いよいよ可愛い。

2章 桂宮家と桂離宮(3室)
うっかりしていた。桂離宮にも行ったのに。
ここは月の名所なので、それに関わる造形も多い。

青磁楼閣人物文杓立 1口 中国・明時代 15-16世紀 宮内庁京都事務所
これは面白い造形で、こんなのは他に見たことがない。杓立の筒胴のまんなかに楼閣を現出させている。まるで蜃気楼のようだ。

桂離宮 引手・釘隠
 (1)四稜花形七宝花文引手
 (2)木瓜形七宝四弁花文引手
 (3)折松葉形引手
 (4)花手桶形引手
 (5)月字形引手
 (6)水仙形釘隠 6組9枚 江戸時代
(1) (2)寛永十八年(1641)頃(3)?(6)寛文三年(1663)頃 宮内庁京都事務所
どれもこれも可愛くて仕方ない。やや大振り。時々こうしたものを他のミュージアムで見かけることがある。それで誘惑されてしまうのだった。
cam042-2.jpg 月の字が見事に活きている。

源氏物語図屏風 狩野探幽筆 6曲1双 江戸時代 寛永十九年(1642) 宮内庁三の丸尚蔵館 右隻:1/10-2/1
紅葉賀などが見える。光君の華々しい前半生のシーンばかりが選ばれている。
左隻:2/3-2/22 ということだが、こちらには彼の後半生の苦さが選ばれているのかもしれない。

明日が完結編になるか?

京都御所ゆかりの至宝 蘇る宮廷文化の美 1

京都国立博物館の『京都御所ゆかりの至宝 蘇る宮廷文化の美』展初日に出かけた。
九時半始まりの少し後についたら、もう早や満員御礼。随分繁盛している。
章ごとにコンセプトは違うものの、タイトルから外れることもなく、雅な文物を楽しんだ。
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1章 京都と天皇の遺宝
平安時代から明治までに拵えられた作品が並び、当たり前だが、京都が帝の鎮座まします地だったことを改めて思い起こした。

天皇影図巻 1巻 明治時代 明治十一年(1878) 京都・曼殊院
平安時代の作をこの頃に模写したらしいが、後白河から後鳥羽帝までが見えた。間に今上とあるから、その時代の作と見做してよいのかどうか。
後鳥羽院はたいへんな胆力の豪力の人だと言うだけに、この似絵でも眉太く、力強さの滲み出す面立ちに描かれていた。

後白河法皇像 1幅 鎌倉時代 14世紀 京都・神護寺
これを見て’86年の『在位60年記念 京都の名宝』展を思い出した。そこには源頼朝の肖像画が出ていて、意外と大きな絵だったので驚いたのだ。
今回は『在位20年記念展』である。
この後白河院の肖像画を中心に、頼朝らの肖像画が周囲に鏤められていたそうだ。
五味文彦『院盛期の政治』によると、後白河院は頼朝少年を・・・
たしかに「日本一の大天狗」と罵られるような、とぼけた顔つきの肖像画だと思った。
後鳥羽天皇像 1幅 鎌倉時代 13世紀 大阪・水無瀬神宮
これは隠岐に流される直前、まさに落飾寸前の姿らしい。水無瀬で遊んではった頃の豪儀さはないかもしれないが、流され王の貫禄が見える肖像画である。

太刀 菊御作 1口 鎌倉時代 13世紀 京都国立博物館
その院が関わった太刀がこれ。なんでも毎月全国の誉れの刀匠を呼んで刀を打たせ、自らも鍛え上げたそうである。四天王寺に伝わる掌判を思い起こすと納得できる力強さだった。

車争い図屏風 6曲1双のうち 右隻 1隻 室町時代 永禄三年(1560) 京都・仁和寺
これはかなり描き込まれた絵で、人々の表情もしっかりしている。
いい絵だった。
ところでこの後に丸太町の京都歴史資料館に向ったら、そっくりな絵をモティーフにしたミニチュア屏風がある。こちらの次長さんがおられたので、お話を伺うと、歴史資料館の所蔵屏風のミニチュアで、本物は秀吉から伏見の民家に伝わっており、当初から仁和寺の作品と対になったものだと言われてきたらしい。
不思議な偶然が面白かった。

後陽成天皇宸翰女房奉書 1幅 桃山時代 文禄元年(1592) 京都国立博物館
これは秀吉の朝鮮出兵をいさめる内容のもので、イケズで言うのでも政治的立場から言うのでもなく、まだ若い帝が太閤の不在を案じて書いたご宸翰なのだった。

羅漢図 狩野孝信筆 2幅 桃山時代 17世紀 京都・東福寺
汚れたような羅漢たちのツラツキの凶悪さより、派手派手な蛍光色で彩られた鬼たちの方がよっぽど可愛かった。

とりあえず内容が多いので、今日はここまでとする。続編あり、ということで。

甲南漬資料館・高嶋邸

昨日は兵庫百景などを楽しんだが、その続として今度は灘へ出た。
灘五郷と言えば酒蔵。しかし清酒ばかりが生まれているわけではない。
甲南漬がある。尤もそれは酒粕から生まれたから、やっぱり灘は日本酒のクニなのであった。
その甲南漬を作った高嶋酒類販売会社の、二代目さんが拵えた邸宅は、今では甲南漬資料館になり、地元のランドマークとして愛されている。
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阪神淡路大震災のとき、灘は壊滅状態になった。
それ以前、毎年この灘では「酒蔵オリエンテーリング」という楽しい企画を続けていて、多くの日本酒愛好家がその日を楽しみにしていた。
わたしも友人たちと二十歳を過ぎてから毎年楽しみに通ったが、もう昔の話になった。
今も時々そんなイベントが開かれているらしいが、本当に出かけなくなった。昔日の楽しさを再現できるとは思えないし・・・。
それでも時々は行くが。
さてその頃もこの甲南漬はポイント場所になっていたが、大震災のとき、この建物はビクともせずに建ち続けていたそうだ。
えらい、本当にえらい。
この建物を設計したのは、すぐ近所の御影公会堂を建てた清水栄二で、こちらの方が先に建ったから、公会堂のモダンさを先取りしたようなデザインが散見できる。
照明器具もそれぞれ異なり、なかなかよかった。
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どの部屋も広く、作り付けの家具類も機能的だった。全体的にアールデコと和との折衷が巧く折り合っていて、居心地の良い空間に仕上がっている。
IMGP5450.jpgラジエーターカバーの意匠。
天井も楽しい。IMGP5449.jpg
暖炉もアールデコ。モダンな建物。

屋上に上がらせてもらったが、そこにハシゴが壁に立てかけられていたが、それまでアールデコに見えた。
すぐ隣には阪神電車の電車の待機所?がある。
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応接間は今では喫茶室になっている。窓の作りは、阪神から山陽方面にかけて多い拵えである。
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つまり、海が見える地域の特性。
今はすぐに43号線が迫っているが、かつてはすぐそこが海だったのだ。

和館は失われたが、庭はなかなか凝っている。
上からの情景。IMGP5463.jpg
洋館から和館へ至る廊下は何故かカーブを描く。
そして色違いのステンドグラス。IMGP5469.jpg

階段もいくつかあり、それぞれ趣向が異なる。
玄関先のタイルも綺麗だが、この噴水がいい。
魚に乗る男の子。IMGP5481.jpg
こうした手洗いの意匠で心に残るのは、大阪倶楽部の鬼の意匠などがある。
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売店前の菰樽IMGP5491.jpg

売店では飲む味醂まで販売していた。かなり濃い?味。それと粕漬けのサザエなど貝類の甲南漬の試食もある。
以前、お魚の粕漬けを買うて帰ったが、かなりおいしかった。
今回は粕汁のレトルトと、肉そぼろを購入。
ここでは粕漬け系のランチもあるし、同じ敷地内にはおそば屋さんもある。
おやつタイムなので、そこでぜんざいをいただいた。
安価でおいしいぜんざいにはお餅が2個入っていた。
ちょっとシアワセな気分で甲南漬資料館を後にした。
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神戸と兵庫のモダニズム

ようやく2009年度の展覧会見学が始まった。
今年最初の行き先は神戸市立博物館。
「神戸と兵庫のモダニズム 川西英えがく「兵庫百景」を中心に」を見た。
館蔵品の洋画・日本画・版画などだからか、常設展示料金200円での見学。
しかしこんな好い内容のものをそんな嬉しい値段で見せてもらい、ちょっとお年玉な気分になった。
展覧会の副題は「絵画の中の近代建築&神戸を写した写真・絵はがき」。
以前から言うように、大阪は洋画・京都は日本画・東京は版画で表現されるのが好ましいが、神戸は一体なにがふさわしいのだろう。
それを知ることが出来る展覧会かもしれなかった。
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タイトルにもある「兵庫百景」は1962-63年に新聞連載されたもので、これはチラシなど印刷物で見た限りでは、川西らしい明るい色彩の版画だと思ったが、なんとポスターカラーを使って色紙に描いた「肉筆画」だった。ちょっとびっくりしたなぁ。
百景は一室に集められて、地域ごとに分けられての展示だった。

「この沿線の風景は、北河内とは違って、六甲山脈とはいいながら柔媚な山と美しい街とのかもす気分は、日本で最も豪華な眺めであろう」 今東光「春泥尼抄」より。
川西の描く「兵庫百景」よりもう一昔以前の風景を、この小説ではそう表現していた。

1934年と1938年の神戸港の様子を描いた二枚の絵がある。
画家の名前も作品も初見だが、絵を見るとなるほどいかにも神戸港だという感じがする。
海から見た神戸港。小見寺八山。海と街と山と空と。
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神戸の人間は方向を示すのに「山側」「海側」と表現するが、大いに納得するところだ。
大阪は「北・南・東・西」と方位を使い、京都は「上ル、下ル、入ル」で理解する。
京阪神、隣接していてもこれほど県民性の異なるクニは他にないのではないか。
下はYコジマ「神戸港眺望」。明治初のワグネル辺りが描きそうな画風と構図。
ここから世界に向けて出たり入ったりしたのか。
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つい近年まで神戸には近代建築が多く残って、それらが活用されていた。
しかし阪神淡路大震災で多くが失われてしまった。
それ以前の神戸大空襲にも生き残れた建物も、失われた。
在りし日の姿を写した古写真たち。
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わたしはこういう風景が見たくて、全国をハイカイしているんだよなぁ。

別車博資「クレセントビル」 これも「兵庫百景」と同年の作。50年近い昔とは思えないモダンさがあった。外国旗だけでなく、停まった車が妙に可愛いからかもしれないのと、女の後について歩く男の姿がそう見せるのかもしれない。(下の画像、一番上の右から二枚目)

二代長谷川貞信「神戸港」 ‘39年の神戸港だが、スッキリしたモダンさが満ちていて、この絵師が最後の上方浮世絵師だと言う意味を、ふっと思い出させてくれた。
モダンで素敵な作品。わたしの大好きな商船三井ビルディングと海岸ビルが見えている。
(下の画像、左端一番下)

旧居留地界隈には、こんな建物が集まっていたのだ。
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今は改装しているが、やっぱり素敵な大丸が、こうして見てみると、なにやら船のようにも見える。
今ではそうは見えないなと思っているが・・・ 
市役所の展望レストランからの撮影がこちら。
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ランチしながら撮ったが、ちょっと面影があるではないか。素敵だなぁ。

いくら見ても見ても見飽きない。
しかしここに描かれた風景の大半は既に失われている。
経年のせいだけではなく、人災天災もあった。本当に惜しいことである。
だから今、こうして眺めることが嬉しくてならない。
見て記憶にとどめることで、自分の心の財産になる。
知った風景、知らない風景。
いくらでも見せて欲しいし、見ていたい。
今回、見ていてノスタルジィを懐かせる作品が多く、それだけでも貴重なコレクションだった。

わたしもこれまで北野以外のあちこちを撮影して廻ったが、それでもまだまだ足りない。
がんばって見て歩こう。

ところで神戸だけが兵庫県ではない。むしろ神戸はほんの一部分にしかすぎない。
昔の地図の感覚で言う処の「摂津」「播磨」「淡路」「丹波」「但馬」と5つの地域がある。
このうち「摂津」はわたしにはとても親しい。
わたしは大阪の摂津の地に住まうからだ。わたしは北摂の民。こちらは昔風に言えば「南摂」にあたる。
その一帯を川西英の「兵庫百景」で見る。
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あああ、どこもかしこも泣けてくる。
宝塚ファミリーランド、阪神パーク、灘の酒蔵(酒蔵めぐりをしたかつての日々よ!)・・・
本当にこの界隈はわたしの大好きな場所なのだが。

こんないい展覧会から始めることができて、本当によかった。
しかも小さい図録には川西の「兵庫百景」がmapつきで掲載されたオマケもある。
それで200円なのだ。

都市風景画や近代化遺産に惹かれる方は、ぜひともこの重厚な神戸市立博物館に行かれることをお勧めする。展覧会は2/8まで。

かわいいわんこ

毎月ある図録が届けられるのだが、今月号が来たので開いた途端、これだ。
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天明年間の応挙のわんころたち。スミレも咲いた野でころころ遊んでいる。
あんまり可愛いので噛み付きたくなった。
プニプニしたふくよかさを実感するような愛らしさだと思う。


それからページを繰ると、次はこんなわんこが現れた。
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宗達の墨絵のわんこの子孫なのか、前田青邨のわんこ。
きゃんきゃんしたところが可愛くて仕方ない。

お正月のお年玉をもらった気分。

「復活の」イデオン

先日、ネットの知人が今になって『伝説巨神イデオン』に夢中になって苦しい、と言うのを聞き知った。わたしにとってもイデオンはサンライズアニメのベストに立つ作品だと思っているので、たいへん嬉しかった。
それで手元に映画公開当時の資料集があるので、そちらをプレゼントすることにした。
わたしはロマンアルバムがあるから、それでいい。
更に何か他にプレゼントできるものはないかなと探した。

1月の予定と記録

明日からいよいよ通勤と言う方々も多かろうと思いつつ(わたしもか!!)、とりあえず1月の予定をば挙げてみようと思います。
今月は1/21?25までシンガポールに行くので、その間は何かしら記事とか挙げようと予定中です。
わたしの始動は1/8(木)から。
今月は新年会もいくつかあるので、それに忙しいこともあるし、ツアー関係の打ち合わせとかしないといけないし・・・・・・。
確定しているお出かけ先は以下です。

神戸市立博物館  神戸と兵庫のモダニズム?初公開?川西英えがく『兵庫百景』を中心に
甲南漬・高島邸見学
京都国立博物館  京都御所ゆかりの至宝−甦る宮廷文化の美−
京都市歴史資料館  京のかたち� 大京都の時代
京都国立近代美術館 上野伊三郎+リチ コレクション展 ウィーンから京都へ、建築から工芸へ
京都府京都文化博物館  ノリタケデザイン 100年の歴史
大谷大学博物館  みやこの姿
高島屋京都店 ベルギー王立美術館所蔵浮世絵展
茶道資料館  吉祥 —福・禄・寿を中心に—
奈良国立博物館  特別陳列 おん祭と春日信仰の美術  
大阪城天守閣  冬の展示『風俗図屏風』
大阪くらしの今昔館
大阪歴史博物館  お菓子の博物館 —初公開・山星屋コレクション— 1月14日?
芦屋市立美術博物館  歴史企画展 大坂画壇3 −文人のたしなみ−
シンガポールツアー

それで今年はがんばって新潟に行きたいと思ってます。(気負う)
雪はニガテなので、春以降かなぁ・・・(ヨワキ)
でも行くぞ---

川柳を作ってみた

元旦の日、隣家の叔母が自分の所属団体のまとめた本を持ってきた。
川柳だった。叔父は前々から新聞に投稿してるのは知ってたが、叔母も拵えてたのか。
新聞に採用されたとき、叔父はわざわざ「お前も新聞読め?」とメールしてきたっけ。
ペラペラめくると、川柳と言うよりマジメな句が多い感じがしたが、一人だけギャグなのがいるなと思ったら、叔母だった。
叔母のは笑える句が多かった。
やっぱりウソでも笑ってナンボでしょう。
それでというのもあれだけど、スナオなわたしも早速作ってみたが、ビミョ?なんしか出来ない。
なかなか川柳と言うのもムツカシイもんですな。
とり合えず10句作ってみました。


目標は一年ずっと遊ぶこと

熊の湯で美人になると言われても

ほどがあるギネスとギブス言い間違い

いやなシワ脳から消えて顔に出る

丑年の母居眠りて長ヨダレ

駅伝に気合入って外出れず

噛みすぎてガムもゴムへと変身し

「機嫌よく」言うてるうちから腹立てる

賀状見て舌打ちもらすフラチ者

ETC「その他」の車と信じてた


なんとなく正月ぽくていいもんですね(どこがや??)
ところでこの叔母は明るい人で、習い事が大好きだ。
陶芸とガーデニングは、わたしがジマンしたいくらい素敵な感じ。
(でもわたし、花の名前を覚えられないので甲斐がないか)
しかし他にも面白いものを習っていた。
それを読む。

実演が見たい南京玉すだれ

叔母は南京玉すだれも習っていたのだった。
いっぺんくらい見てみたいとツネヅネ思っている。

鳥取カニツアー

年末の忙しいときに鳥取までカニツアーに出かけた。
本当は12/21に予定してたけど、都合で12/29という押し詰まった日に出かけてしまったのだ。基本的に年末に出かけるのは、罪悪感でチリチリするけど仕方ない。
友人たちと朝も早よから出発しましたよ。(忘年会なのさ)

大阪から鳥取へ向うのは中国縦貫道路になるけど、なんでかしらんが空いてる空いてる。
これはラッキーだぜと喜んだね。なんせこの時期は渋滞するのが当然だと思ってるし。
賀露港で海産物のお買い物。カレイとハタハタの一夜干しを買うたが、安かったなー。
住む猫もよく肥えてる。IMGP5398.jpg

さてバスツアーのランチはこんな感じで、意外なくらいカニ飯がおいしかったりする。
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量も多くて大満足。食べ終わるのに随分手間取った。

鳥取砂丘。
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実はわたしはここへ来るのは三度目だけど、一度として晴天だったことはない。
いつも雨後などの重馬場状態。しかしこの日はピーカンで、ほれこの通り。
晴れてますな。山越えて海の際まで行きたかったが、カニに手間取りムリでした。
足で踏む砂はサラサラ・・・気持ちよかった。

帰りは智頭に寄る。智頭は古い街道町で、杉玉を細工したものなどを各家が軒に吊るしている。
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この巨大な正月の松飾をしている家は石谷家と言うが、年末なので閉館中。

ふと見ればススキならぬ杉玉のミミズクがいてました。
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消防や役場は板張りのレトロな建物。
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諏訪酒造で諏訪泉の試飲。IMGP5425.jpg
わたしは日本酒をこういう利き酒でいただくのがとても好きなので嬉しかったわ??
やや軽い飲み口なので、キュッと飲んじゃったよ。
ラベルもいいね。IMGP5426.jpg

ビールや洋酒はあかんけど、日本酒だけは少しだけいただきますのさ。
尾瀬あきらの名作『夏子の酒』に出てくるモデルの一つにもなったそうだ。
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夏子の酒 (1) (講談社漫画文庫)夏子の酒 (1) (講談社漫画文庫)
(2004/06)
尾瀬 あきら



こちらは塩田屋という店屋の瓦。素敵な構造。
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それでそこには日活の映画監督・西河克己の記念館があった。
西河克己は吉永小百合から山口百恵までの映画を撮った監督。
わたしはモモエちゃんが大好きだったので、子供の頃熱心に見てたなぁ。
『絶唱』『春琴抄』『霧の旗』などなど。
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帰りのバスもスイスイ走り、予定より早く大阪到着。お土産もあり、機嫌よく帰宅したら、甥っ子が来ていた。この日4つになったのが、懐いてくるのがすごく嬉しかった。
まぁ機嫌よく過ごせたカニツアーでした。

2009年、今年もよろしくお願いします

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           あけましておめでとうございます。
            今年も東奔西走の予定です。
             お見かけのときはよろしく・・・。

                     遊行 七恵




                      上田耕冲「牧童図」
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