美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

東本願寺の至宝展

東本願寺の至宝展に行った。
東京、大阪と巡回して、京都に来た。(5/25まで)
大阪には本願寺の南北の御堂に由来する御堂筋がある。石山本願寺の上に大坂城は建っている。
しかし地元の大阪でなく京都展で見ることにしたのは、日程だけでない理由がある。
見学するお客さんの意見や反応を知りたいからだ。
実際に東本願寺の建つ地に暮らす人々のナマナマしい感想、それがとても興味深かった。
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親鸞聖人御影  真正面顔を写している。洋画の技法が入るまで日本画では真正面顔というのは、あんまりよくないのが多い。しかしこうした宗教者の真摯な顔というのはわるくないものだ。

教行信証・坂東本  複製品だから、親鸞の爪痕は見えない。角筆。
あのニュースにはけっこう驚いた。もう一年半前か。
ほかにも書き物が色々出ていた。

襖絵も随分たくさん出ていたが、それを見ていると声がする。
「イゃ、ここにこんなんあってんやわ」「あのヒト見やはったん、これやろか」
出た、ナマナマしい反応。
妙心寺展、三井寺展、これらの展覧会はやっぱり関西で見ると反応が面白い。
東京展では手の届かない美術品として眺められ、賞賛されるものたちは、こちらではリアルな信仰の対象として、畏怖と親しみとが同時に向けられるのだ。
だから初公開のものがここにあると、「隠してはってんわ」になるのだ。
その「隠してはって」というのが面白いのだが、とにかくフツーでは見れないものを見れるのだから、みんな機嫌よく眺めている。
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唐人物・花鳥図 狩野元信  元信は法華信者だったが、仕事は何でもござれで、この絵も円満ないいものだ。特に左のツツジ?シャクナゲ?と木に止まる鳩が可愛い。

雪中松鹿図 円山応挙  二匹の鹿がいるが、寒さに耐えるという感じはしない。雪の中にいるよ、と言う姿。

渓流香魚図 長澤芦雪  上記の屏風の裏面。たぶん芦雪だろうと言われている理由が、渓流の中の鮎の描写が巧すぎるから、と言うことらしい。
あ、ほんと・・・そんな感じ。鮎の目が芦雪の描く他の動物と似ているのが楽しい。

徳川慶喜の大政奉還関連の書が色々あるのにも感心した。説明を読んで納得したが、やはりこうしたところに歴史の重さを実感する。虫食いしているのが惜しいが。

ところで本願寺はやっぱりよく焼けているので、明治の再建の襖絵などが多かった。
そしてその再建の様子がひどく興味深かった。
まず京都画壇の仕事を見る。

御影堂杉戸絵 蓮池図 香野楳嶺  綺麗。褪色もあるが綺麗。
御影堂大衝立 唐獅子牡丹図 望月玉泉  ちびっこ獅子(体だけは大きい)が二頭いて遊んでいる、という雰囲気がいい。裏にはチョウチョを追っかけるちびっこ獅子という風情。玉泉は他に桜の大木を描いた屏風にもいいものがあった。
阿弥陀堂襖絵 桜孔雀図 岸竹堂  ツガイらしき孔雀がいる。よくある構図だが、なんとなくメスの立ち位置がいい。

明治22年の再建工事写真を見る。記録写真としてもとても貴重。
御影堂1/50スケールの側面図や建て起し図があったが、後者には感銘を受けた。
まるで立版古!しかも欄間や釘隠しまでリアルに書き込まれたのが「立って」いる。
これは非常によかった。建築に関心があるヒトはみんな興味深くみつめていた。
わたしも面白くて仕方なかった。
他に棟上式のときに使われた巨大な鈴があったが、ドラえもんの鈴と同じ形なのが可愛かった。

寛政年間の御影堂再建記録がこれまたひどく面白かった。
信者の人々が山から木を切り出し、それを里へ運搬する図があった。
信仰心があるからみんな熱心で嬉しそう。それに木を下ろす工夫がいい。
あとは有名な毛綱があった。木材下ろしのときの綱。えらいものです。

棟方志功の襖絵再現や肉筆画があった。倭画。例によって天女は綺麗。
ただ襖絵はちょっと抽象的というか観念的すぎないか。
元気になると言うか落ち着かない気分になるのでは。

それでその志功襖絵再現コーナーに特別出品の阿弥陀像があった。
ちゃんとお賽銭箱も設置してある。
ちょっとウケた。

面白い展覧会だった。

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棟方志功 神仏の柵

青森の棟方志功記念館から借り受けた作品の展覧会が、堺の北野田で開催されていた。
5/17で終了。「神仏の柵」と副題があるだけに、神仏をテーマにした作品が集められていた。
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板画、倭画がメインで、有名どころでは「釈迦十大弟子」と「湧然する女者達々」があった。あとは倭画による天妃たちが多く出ている。
棟方志功はファンが多いから、なかなか盛況だった。わたしも学生の頃に大原で見て以来ずっとファン。
改めて眺めると、板画の技法も色々変化を見せており、その進歩の道筋もなんとなく辿れて、いよいよ興味が深まった。

わたしはあんまり好みではないが、黒い板画も、その進化の途上での発見・開発の技法。
「湧然する女者達々」cam255-1.jpg
最初の展示のときに並べ方が間違ったという伝説がある。
これは「ユウゼンするニョシャタチタチ」と読むのだが、勅使河原蒼風は「ニョシャなんて軽い、ニョモノタチタチだ」と喝破したらしい。
わたしはそのことを書いてある本を読んで以来、頭の中ではずっと「ニョモノタチタチ」と呼んでいる。

「華厳譜」 これは彩色ナシのモノクロのみだが、素晴らしい出来のもので、特に「風神」はベスト。

「東北経鬼門譜」 この作品を見ると必ずドキュメンタリー「彫る 棟方志功の世界」を思う。昭和初期の東北の悲惨な状況をリアルタイムに見た棟方志功の思い、というものを考える。

全くの初見があった。タイトルがちょっと曖昧なのだが、上宮太子・・・ようするに聖徳太子の生涯を板画で表したシリーズ。
これはなかなか見応えがあった。聖徳太子の生涯となると、エピソードは大変多い。
選ぶべきシーンをどこにするかは、作者の意図を超えて、大体が決まってくる。
まず誕生、百済僧・日羅との面会、物部氏との戦い、勝曼経講賛、黒駒、夢殿・・・・・・
板画ではヤマトタケル以来の美少年ぶりだと思った。

岡本かの子の詩「女人ぼさつ」を板画にしたものが出ていた。
わりと好きな作品。詩自体もいい。
「薔薇を見れば 薔薇のゑまひ 牡丹に逢はば 牡丹の威」
「足裏の土踏む力 女人われこそ 観世音ぼさつ」
深い自信とナルシシズムを感じつつも。
これは彩色違いがあって、大原の所蔵品の方がわたしは好き。青森のは赤が多すぎる。

他に倭画はふっくらした白い顔にアッサリ綺麗な彩色の施された美しい天人らがいて、こうした絵を見ると、独特の美人画だと思うのだった。

最後に棟方志功の書で好きなものを一つ。
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・・・いい字だなぁ。わたしはこの字が好きだな。
なにしろわたしは遊行七恵だからなぁ。

近江商人の館と観峰館

今や東近江市となった五箇荘町に出かけた。
近江商人発祥の地。JR能登川駅からバスに乗って金堂竜田口で降り、そこから徒歩で延々と歩いた。
わたしはあんまり田舎と言うのはニガテで、一人でこんな遠くへ行くことは出来ない。
今回はわたしの所属する近代建築を眺めるサークルの皆さんと一緒だから、顔色も悪くなることなくたどりつけた。
それで五箇荘町全体を遊ぶのではなく、五箇荘町歴史民俗資料館と「書道文化と世界を学ぶ博物館 観峰館」に行くのが目的なのだった。
五箇荘町歴史民俗資料館とは「スキー毛糸で財を成した藤井彦四郎邸」を改修して資料館となった和風邸宅なのだ。
(全てクリックすると拡大します)

門は洋風。IMGP6450.jpg巨大な躑躅の植え込みや松の木がすばらしい。庭には砂利が撒かれている。
この邸宅は町で最大の規模を誇っている。
門番の羊IMGP6446.jpg

客殿と洋館が県指定有形文化財、主屋や土蔵などが登録有形文化財
ということなので、その辺りを眺める。
質素倹約を旨とする近江商人だけに、家訓も立派だが、ゼェロクのわたしには「すんません」なものである。
入ってすぐに可愛いわんこの襖絵。IMGP6453.jpg
上村松園の描く美人がよく締める帯の柄と同じような。IMGP6454.jpg多分謡曲「竹生島」からのもの。

外から見れば洋館はアメリカ西部風だが、普通の洋間。
IMGP6443.jpg洋館外観。

色々と銅像や本棚などがあり、民具も多かった。IMGP6465.jpgナゾな像。無邪気な子供と言うより力道山みたいだ。
シャンデリアもある。IMGP6461.jpg

総体的に和の素晴らしさが大きい。
座敷も色々あるが、中でもここがステキ。IMGP6456.jpg
掛軸は小野小町を描いたものか。IMGP6457.jpg
そこの天井は直したようだが。IMGP6460.jpg
座敷からの眺め。最高。IMGP6458.jpg

台所の土間などはなかなかいい。IMGP6468.jpg
天井裏が使用人の寝間だと思う。IMGP6469.jpg
ハシゴがあるから、あれは寝てる間は外されて、逃亡阻止を図られたろう。
映画のポスターがあった。「てんぴんの詩」。これは見たなぁ。(見させられたと言うか)
ミニチュアの雛道具IMGP6470.jpg
欄間も素晴らしい。IMGP6472.jpgIMGP6473.jpg 住吉文様。
釘隠しもいい。IMGP6475.jpg


それから日本唯一の書道専門学校へ行った。
特定の建築士が入ったわけではないので、建築としてそう面白味があるわけでもないが、ここが書道専門の場だと言うことが、面白い。
長らく使う間に色んな工夫が入っていて、それが興味深かった。
外観とIMGP6483.jpg講堂の天井トラスIMGP6478.jpg
庭の一隅には中華な四阿もある。IMGP6477.jpg

それからその書道文化の美術館・観峰館に入った。
建物はなかなか可愛い。入り口ホールの吹き抜けの天井には梅鉢型の窓がいくつもある。
書道専門と言うても、東京の書道美術館とはまた違って、中国の文物だけでなく西洋アンティークがあった。
以前には清朝期の美人画展も開催されていたらしい。

見終えて元のホールに戻ると、絵葉書を一人5枚プレゼントということで、喜んでもらって帰った。
こういうの。cam253.jpg

帰りは到底バスなど待てないのでタクシーを頼んで分乗した。
近くにある元は郵便局の個人宅を外側から見学。ゼセッション風に見えた。
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それにしても遠かったなぁ・・・

杉浦茂101年祭

杉浦茂の生誕101年を祝って、明るい展覧会が開かれていた。
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早く行こうと思っていたのに、なまじご近所と言うことで出遅れて、会期末に行ってしまった。
反省が後から後から押し寄せるなぁ。
というのは、こういう楽しい展覧会には色んなイベントが付き物だし、限定品販売もあるんで、色々惜しいことがあったのさ。
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「ふしぎまんじゅう」が食べられなかったのは残念だけど、まぁ他にオヤツも食べたからいいか。
今度からはちゃんとおやつの時間に間に合うように出かけよう。
(その程度の反省かい!)
京都マンガミュージアムで5/24まで開催されていた。

なんで百年ではなく101年なのか。
百年なら、中島敦、松本清張、太宰治らと同年ということになるけど、それより一歳上で今年開催。
because?101の形が杉浦キャラの指の形によく似てるから。
こういうの。cam252-1.jpg
う?む、なんとなく杉浦な気分。

わたしが杉浦マンガを知ったのはいつだったかなぁ。
多分'88年には知っていた。というのは、その頃いきなり再刊が始まった杉浦マンガを色々購入しているから。
杉浦茂傑作選集 怪星ガイガー・八百八狸杉浦茂傑作選集 怪星ガイガー・八百八狸
(2006/11/22)
杉浦 茂


これは多分オジの影響かと思う。
隣家のオジはつげ義春ファンで、ちょっとシュールなものも好きなヒトなので、こっちからキタような気がする。
別なオジは鉄人28号ファンだから、傾向が違う。

それで2002年に三鷹のミュージアムで「杉浦茂?なんじゃらほいの世界」を見て、再燃したりしていたのだ。
ここで「ちょっとタリない名作劇場」の原画を色々見て、この本が欲しいな?と願ったけれど、あれから7年経ったが、未だに手に入らない。
'50年代が杉浦の繁盛期間だったが、それからもまるでゆるやかな脳波に似た動きで人気が出たり沈潜したりしていた。
よく知らないが、'84年に西武がオープンするときのイメキャラに杉浦キャラが使われたりCDジャケットになったりしていた。

それで’88年の出版の事情が多少マズイところがあって、また沈潜かなと思っていたら、別な出版社から新作が出始めた。
「聊斎志異」 むろん原作そのままではなく、やっぱり杉浦的な世界に変わっていたけれど。
「王昭君」「盧生」などだと、ラストシーンに深い絶望感がすっとのぞいている。
明るく破天荒なギャグの嵐の中に、こうしたものが現れるのが、一層のせつなさをかきたてる。

わたしのシュミから言うと、大繁盛の頃も可愛いが、シュールさが爆発した晩年の方が好きです。
たとえば「ミフネ」とか彼の出てくる「異次元X」あたり、大好きですな、やっぱり、
なにしろオリキャラは丸い顔や独特の目で可愛いが、背景がいきなり印象派の絵とか女優の顔とか宇宙空間になっているかと思えば、不思議なコラージュがバリバリ現れる。
こんなセンスが好きで仕方ない。

繁盛記の頃の傑作群で一番好きなのは「少年児雷也」。
少年児雷也 (1) (河出文庫)少年児雷也 (1) (河出文庫)
(2003/03)
杉浦 茂


これは’88年に買うて以来、何回読んだかわからないくらい。上記は河出版。
好きなシーンは児雷也の師匠(ガマの変身が出来る)が敵にだまされて、ヤニ入団子を食べてしまうところ。
ガマの姿ではらわたをジャブジャブと「一つ一つ丁寧に洗っては葉っぱの上に置きました」 ところがワルモノはそのはらわたを盗んでしまい、「おれたちゃ年中はらぺこよー♪」と歌うハゲタカたちに。
「おー本日はなんたるよき日ぞや」「うめえなんてもんじゃねえよ、もう」ニコニコもぐもぐ・・・
ホント、好きです。

ミュージアムでは原画の他に、150人ほどのマンガ家に杉浦キャラを描かせている。
本来の自分の絵柄とまるで違うのにそっくりに描く人も多く、また更に自分の代表キャラを杉浦化した人もいた。脇キャラの「コロッケ五えんのすけ」が好きな人も多かった。(うちの母もコロッケを出すたびに「コロッケ五えんのすけじゃ??」とノタモーてる)

あと杉浦キャラやちょっとしたマークなどをスタンプにして、それをエコバッグにペタペタして、自分のオリジナルエコバッグを拵えるコーナーがあった。
けっこう楽しかったな??
IMGP6501.jpg表と裏。 IMGP6502.jpg

なんとか「ちょっとタリない名作劇場」を再刊してほしい・・・そんなことを願いつつ、さらば。

民博でみた「チベット・ポン教の神々」

民博で「チベット・ポン教」という特集展示があった。
チベット仏教は知っているが、ポン教とは初めて聞く。
仏教以前にチベットに広まっていた土着宗教らしい。
あんまり宗教には深入りできないが、色鮮やかな曼荼羅のようなものがあるので、それを見て回った。
タンカというのかどうか。
物語として面白いというか、心の揺らぎをも描いたエピソードが綴られている。
下手な写真だが、とりあえず紹介したい。
クリックすると拡大化されるが、腕が悪いのでぶれていたりする。

IMGP6425.jpgIMGP6429.jpg絵と物語「天界からの降臨」

IMGP6434.jpgIMGP6431.jpg 「子息の誕生」

IMGP6430.jpgIMGP6428.jpg 「出家」

IMGP6432.jpgIMGP6435.jpg 「ダンツェトゥン城の悲劇」
IMGP6438.jpg悲劇の情景

IMGP6436.jpgIMGP6437.jpg 「魔王との戦い」
IMGP6440.jpg娘の悲しみ。IMGP6441.jpg子を残して去る。

IMGP6427.jpgIMGP6426.jpg 「入滅」

色合いもハッキリしている。まんなかの神像の周囲で物語が進行している。異時同時図。
中でも他人の子を犠牲にしてまでわが子の無事を願ったが叶わずに自害する夫婦の有り様は、凄惨だった。
また魔王に連れ去られ、その居城「苦しみの城」に幽閉され、育児にも苦しむ娘と、のちに彼女に置き去りにされる魔王との間の双子の子らの哀れさも、妻と子らの別れを隠れて見守る魔王もよかった。

物語としてとても惹かれた。

特集展示は7/21まで。

みんぱくx千家十職 牛年余春と樂歴代

千里の民博で「みんぱくx千家十職」という展覧会が開かれている。
これは千家十職の現当主と民博とのコラボ展覧会という趣向で、とても面白かった。
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千家十職家の歴代の名品と現当主の新作・旧作の展示・・・だけというのなら、在り来たりだ。
それならこの国立民族学博物館で行う必要性はない。
民博には世界各国の様々な生活用品が集まっている。(集まり続けている、と言うべきか)
その民博の蒐集品から千家十職の当主たちが、「家業」とリンクするような物品をチョイスし、更に自分の好みの何かを選んで展示し、そして・・・という内容なのだった。

これは非常に面白い試みだった。
元々千家十職とはお茶の家元・三千家に出仕し、それぞれの職能に沿った茶道具とその周辺とを拵えるのが仕事なのだ。
中には利休好み、宗旦好み、といった決まり物を作ることもあれば、先祖の業と個性とを髣髴とさせるものも作る。
それから自分の個性を押すこともする。
しかし甚だしくかけ離れたものは、決して作らない。
それがお約束なのだ。
今回の展覧会の面白味は、およそ茶道具とは無関係なものである世界各国の民具などが、
彼らの眼を通して千家十職の仕事とタイアップして展示されるところにある、と思う。
また現在の当主個々人の嗜好や志向などが見えてくるので、そこにも興味が湧いてくる。

更にそれら民具などをただ展示するのではなく、そこから得たインスピレーションによって拵えた新作も展示されるのだ。
これが前述の「そして・・・」の続き。
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会場は本館の隣の筒状の建物。
入ってすぐに今日庵の再現がある。落ち着くなぁ、と言いながらふと目を向けると、黒田家、土田家、奥村家の歴代の名品がある。上京区にいる気分になる。
利休四百年忌の際に三千家の家元が合作した書「西江水」がある。この字を見ると柳生石舟斎を思う。それから「懈怠比丘尼云々」ああ、茶道資料館で実物を見ている。
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アアエエナァと呟きながら、中川家、永楽家、大西家、樂家と眺める。
そう言えば水屋も再現されてたけど、あれは不審庵の再現やったなぁ。
巨大な鵞鳥の香炉、鶴が抱え込むような釜、干支の動物を縫い取った袋物、煌びやかな器・・・
歴代の業がそこにある。
中村家、飛来家、駒澤家と廻って次の半円へ向うと、途端に世界がガラリと変わる。

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このチラシがそのもう半円の景色。網の中に集められているのは、アフリカの仮面や瓢箪の民具、楽器などなど。これを選んだのは樂吉左衛門氏。
「アフリカンドリームをテーマにした茶碗を制作しました」
とのことだが、これらの所蔵品を見てビビビと来たのだろう。
以下、元ネタと家元の新作とを並べる。

ところで先のアフリカの向かいにはギョッとするものがあった。
チラシでは文字に隠されているからわかりづらいだろうが、<月12日[木]>の文字の背後にあるものがソレ。
ここの一隅は大西清右衛門氏のチョイスによるが、そこには実物よりやや大きな「死者の像」が設置されていた。
ミイラ、金縷玉衣、と死者の肉体を収める容器はこれまで見てきたが、こんな妙にリアルな(それでいて、ありえないような造形の)モノを見たのは初めてだった。
何なんだろうか、一体。
異様な気持ち悪さがあった。

二階へ上がると千家十職の職能をそのまま表したようなものが並んでいた。
ここのコンセプトは「手仕事を動詞で考える」 なるほど??!!
叩く、鋳込む、捏ねる、削る、描く、塗る、張る、組む、曲げる、切る、縫う。(11になったよ)面白いものが集められていた。
その中で一つビックリしたのが、ライオンの形をした棺桶。ガーナ製。
帰宅してその話をしようとしたら、TVのCMでそれが現われた。葬式会社のCMだが、ガーナのライオン棺桶だった。本当にビックリした。こういうのもアリなんだろう。

特別展の会場の空間が和の真髄+世界の民具でナゾな空間に変わっていたのを実感した。
茶道に無関心な向きでも、この展覧会は大いに楽しめると思う。
毎日新聞がこの展覧会と関わっているため、記事を色々挙げたりインタビューなども掲載しているので、より楽しむことが出来た。
会期は6/2までだったが延長して、6/14までになったそうだ。

イスラームのタイルをモティーフにして中村宗哲が拵えた角皿もいい感じだった。
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一方、それと同時に関西にある古美術を扱う美術館が連携して、千家十職と縁のある品々を展示してもいる。
先に挙げたチラシの裏には、各美術館の展覧会タイトルと優待事項などが書かれているので、いよいよ嬉しい。
春にはそれに参加している藤田美術館と湯木美術館とに出かけて、素敵な陶磁器を愉しんだ。

次はそこともエニシの深い北村美術館「牛年余春」と樂美術館「樂歴代」。
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宗達の牛が見たかったので、嬉しい。口許と目許に個性のある牛。ちょっとコッテ牛な奴である。
行った日は相客がなかったので、一人でジロジロと眺めた。
他に面白かったのは、白毫寺の鬼瓦。歯並びが可愛かった。
山本梅逸の「鴨東春雨図」も靄けていて、春の風情がよかった。

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朝鮮で日本用に作られたお茶碗。小さくて可愛い。猫の爪の引っ掻き傷ぽいところからそのように分類されるらしい。

いいものを見れて嬉しい。北村美術館では6/7まで開催。

北村から樂美術館へ。この間はバスに乗る。隔月刊で「今出川通りの美術館だより」というものがあり、そこには西から東へ向けて、堂本印象美術館、茶道資料館、樂美術館、北村美術館、橋本関雪記念館の展示案内と、各館をつなぐ交通機関が載っている。
北村から樂へは四つほどのバスが走っていた。

樂歴代。cam250.jpg
長次郎から当代までの名品が並んでいる。
わたしはとにかく三代道入(ノンコウ)が大好きで、「ノンカウ」と書かれた文字を見ただけで嬉しくなる。
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画像では深緑にしか見えないこの黒樂、実はキラキラキラキラキラキラキラ光っていた。
なんと綺麗で繊細なお茶碗だろう、とそれだけでも見に来た甲斐があった。

茶碗だけでなく香合も並んでいて、代を重ねる家の業というものを深く味わわせてもらった。
鶴が首をすくめて丸くなっている香合が特に可愛い。鶴の目つきがいい。
他に蛤形に白菊の胡粉が盛り上がったものがあったが、これはどことなく別なものを想起させた。

最後に当代の新作があった。赤樂。ワイン色が翳むような、そんな色合いの赤樂だった。

いい時期にいいものを見た。マスクをして出歩いた甲斐のある展覧会ばかりだった。

イタリア美術とナポレオン

既に終了してしまったが、京都文化博物館で「イタリア美術とナポレオン」展が開催されていた。(5/24まで)
これはナポレオンの親戚で枢機卿になったフェッシュ卿の蒐集品を基にしたフェッシュ美術館からの来日品。
美術館のサイトはこちら。日本語版はないが作品は見れる。
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ボッティテェリの聖母子が目玉と言うことで、こちらは初来日。
後のもわたしは知らないものばかりだが、なかなか綺麗。
イタリアとフランスの作品で占められている。
時代はナポレオンの居た時代、と大まかに書いておく。
気に入ったものを少しだけ。

サンティ・ディ・ティート 子供時代cam241-1.jpg
背景の青い空、蛾のような大きな蝶、それを無心に追う少女。
何か寓意があるのかもしれないが、それを措いて、この絵には惹かれる。
幼女と言うより中年婦人のような顔立ちだが、少し開いたままの口といい、真っ直ぐな視線といい、蝶を追うことに心の全てが向いている。
伸ばされた右手は蝶を追い、左手では小鳥を掴んでいる。
意味を持たすような構図だが、そこまでわたしは忖度しない。
ただしこれはタイトルからもわかるように、人生を四つの段階に分けて描かれたシリーズの第一作なのだった。

Etienne Parrocel dit le Romain キリストとサマリアの女 
熱心に話しかけるキリストを見る女の額から鼻筋は優美なラインを描いている。ピンク色の衣裳も彼女によく似合っている。
キリストの視線は実は彼女のうなじから肩口へ向けられている。
話よりも何よりも視線が物語っているのは、なんだろうか。

Paul Brill 風景cam242-1.jpg
この薄青紫の靄が包んだ渓谷と丘の風景は、ひどく艶かしかった。
どこか神秘的な情景にも見える。これはスェーデンボルグの唱える死後の世界の一隅にも思える。
そして絵そのものはウィリアム・ブレイクの先達のようでもある。
この幻想的な世界は、靄とセピア色の岩や木で構成されている。とても魅惑的な色調。
この画家の作品はルーブルにも多く所蔵されているそうだ。

David de Coninck 静物画
ボデゴンにも見えるが、イタリアの静物画らしい。はじけたザクロはひどく大きい。花も毒々しい。ブドウらしきものは何かの幼虫の連なりにしか見えない。そして赤いオウムが居る。暗く重い赤が全体を占める中、その赤を撒き散らしたのは、まるでこのオウムのように見えた。

これとは作者は違うが、オウムと果物たちと言う構図は他にもあった。
ジョバンニ・パウロ・カステッリ オウムと庭の果物cam241-2.jpg
スイカを泰西名画で見るのは珍しい。プラド美術館展以来。しかしここには黄色い土手カボチャもある。ナシや黄桃もある。その黄色が絵を重くしていない。
それにしても、やはりスイカは日本の風景に合うものなんでしょうなぁ。

ストーメル イサクの犠牲
既に少年の目は死んだものの色を見せている。アブラヒムの手を抑える天使の目も陰鬱な色を宿している。誰も贄を求めず、誰も忠誠心を求めず、しかし血の色だけを欲している。・・・そんな雰囲気がある。

Giovanni Bellini 聖母子cam241.jpg
巻き毛の赤ん坊と、母。若い母親は静かに物思いにふけっている。
二人の光背は絵ではなく、刻まれている。

Sandro Botticelli 聖母子と天使
ピンクの塀の内にいる聖母子と天使。ここは閉ざされた庭園なのだった。
閉ざされた庭園と言えば、ペルシャ語でパラダイスと言う意味なのだが、キリスト教圏では意味が違い、これは聖母マリアの純潔を意味しているそうだ。聖なる言葉が実はとても艶かしいものだと知った。
赤ん坊の足の太さが気にかかるが、美しい一枚だった。日本初公開。

Luca Giordano 聖セバスティアヌスの殉教
眼が怖い。矢は2本だけ刺さっているが、これで十分なのだろう。
美青年の図が多い中で、これはナマナマしい処刑図なのだった。

Viviano Codazzi 水辺にある宮殿の玄関廊
宮殿の玄関口を横から見た構図。建物の構造を眺めるのが好きなので、絵画としてより、そちらの興味が優先している。
いい柱だなぁとか、この構造だと全体の大きさはとか、そんなことを。
ちょっとシンガポールの最高裁の建物を思い出した。
(単にこの立ち位置から見たことが記憶に残っているから)
基本的に西洋の洗礼を受けた国では、最高裁などの公共的な建物は、ギリシャ・ローマ様式を採る事が決まっている。

ベネデット・ルティ 難破船を救う聖カタリナ
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力持ちだなぁ。生前は無力でも死後に聖人になれば物理的な力をも手に入れるらしい。信仰の力と言うより、なんか他のことを考えてしまうなあ。
船乗りを破滅させる妖女もいれば、こうしてマストを支える聖女もいるのだった。

ナポレオンの胸像があった。これを見て、二つのことを思い出す。
コナン・ドイル「六つのナポレオン像」と阿刀田高「ナポレオン狂」う?む、こんなことしか思いつかない。
でもこのナポレオン像はあの帽子をかぶっていない。胸像の場合、やはり帽子は必須アイテムのような気がする。・・・島流し後ということかもしれない。

パオロ・ポルポラ 猫のいる静物cam242-2.jpg
猫が暴れてますね。可愛いドラ猫。cam242-2-1.jpg
精悍な猫。死んだ鳥の毛を毟っている。

ジュゼッペ・レッコ 亀と魚のある静物
ガメラがひっくり返って死んでいる。魚も死んだまま。どうも泰西名画と言うものは、人であれ動物であれ、魚介類でも果物でも、死んだ姿を描くのだろう。
静物画、と言う言葉の本来の意味がなんとはなしに不気味に感じる。

マイテーゼ トルコ絨毯のある静物
トルコ絨毯の明るい美しさが際立っている。赤くて綺麗な花柄。ピカピカな絨毯。
マティスが現れるまで、この絨毯の美しさは忘れられたままでいたのではなかろうか。

セパスティアーノ・コンカ クマエの巫女cam243.jpg
黄色いマントとピンクの衣服が絖のようで綺麗だった。
手に持つ羽ペンが予言を紡ぐのか。

あまり普段は関心を持たない分野だが、それでも一点一点を眺めると、やっぱりいいものが多い。
この展覧会は巡回するかどうか知らない。ああ、いい展覧会だった。

春陽のもとに 久米桂一郎の留学時代

目黒駅西口前に黒いビルがある。1階が三井住友銀行だと言えばわかるだろうか。
そのビルは久米ビルといい、8階に久米美術館がある。
ここは美術ブロガーの方にもあんまり知られていない美術館で、実際展覧会も年に二回ずつしかしない。しかも期間が短い。
わたしが最初に行ったのは、‘94年3月の「岩倉具視と西欧使節」展だった。
タイトルを見て「美術館でなくて資料館では?」と思われるだろうが、ここは近代歴史学の祖たる父・邦武と、洋画家の息子・桂一郎ふたりを顕彰するミュージアムなのだった。
つまり「岩倉使節団」の一員として明治初期に渡米した父と、その父から応援されて渡欧した息子の資料等を見るのがメインで、それだからちょっとばかりマイナーなのかもしれない。
今回は「春陽のもとに 久米桂一郎の留学時代」として、ラファエル・コランの下で修行していた時代の洋画や資料などが展示されている。
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桂一郎は父の後押しを受けてフランス留学し、コランに入門する。コランと言えば黒田清輝の師匠だが、その黒田と桂一郎とは生涯に亙って仲良しさんだった。
展覧会では、彼らの友情や共同生活の様子がハキハキと伝わってくる。
チラシ左下には二人の2ショットもあるし、日記にも面白いことが色々書かれていた。

留学中の作品として、フランスの田舎の風景が多い。都会を描くことはしなかったのか、(尤も師匠のコランも都会を背景にした作品はなさそう)田舎の道や、島や畑や林ばかりである。あとは裸婦と農作業する人々。

裸婦立像cam240-1.jpg
女の背中が光っている。肩甲骨が綺麗。このあたりが官展派だと感じる。
黒田も桂一郎もコランを師匠に選んでよかったと思うのは、こうした作品を見たとき。
同時代の印象派の影響を受けず、アカデミックな作風を身につけたのは、帰国後にもよかったと思う。最初期の東京美術学校での教育に、これほどよい手本はないからだ。

果園の秋、晩秋といった作品を見ると、光を実感する。外の光。自然な光。
特に上の「果園の秋」が府中市美術館に所蔵されていることが、とても興味深い。
府中市美術館の他の所蔵品を思い出して納得し、なんとなく嬉しくなるからだ。
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広くもない展示室だが、作品がたくさんかかっている。
ガラスケースの中には、桂一郎が購入した書物がずらずら並んでいた。
語学に堪能で、父からのバックアップもあって、欲しい本を買えるだけ買ったようだ。
まったくうらやましい・・・・・・

面白かったのは、モデル論。箇条書きにしてみる。
・ 大家のモデルは、自分も画家と一緒に描いた気でいる。
・ イタリア人とフランス人は体形が異なる。学生モデルはイタリア人が多い。
・ 男性モデルはギリシャ風、キリスト専門、と分かれている。キリスト専門モデルはそれらしい髯を生やしている。ギリシャもバッカス専門などと分かれている。
そうなのか!ちょっと面白かった。

黒田は何点か友人をモデルにした作品を描いている。写真で見るよりオトコマエである。
cam240.jpg友愛を感じる。

その黒田との珍道中も面白かった。
何をしていても楽しかったような感じを受ける。
また、1888年のバルセロナ万博では人手不足から桂一郎も駆り出され、スタッフとして働いたそうだ。よく働いたようで、けっこうなことだ。

二人の若者の肖像cam240-3.jpg
模写作品である。案外自分と黒田とに見立てていたのかも(笑)。

ブレハ島  黒田もよく描いている。ブルターニュの島。この島は本当はブレア島というそうだが、島の人々はその地の詩人で画家のアリィ・ルナンの居酒屋に集まり、グラスに絵を描く。二人も描いたようだが、そのコレクションの蒐集は今も続いているそうだ。
以前にTVで見たように思う。
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特に惹かれるものはなかったが、なかなか楽しめる内容だった。

展覧会は5/27まで。次は秋に何かが開催されるだろう。

ヴォーリズ 恵みの居場所を作る

昨年三月に滋賀近代美術館で見た「ヴォーリズ展」が汐留に巡回している。
ヴォーリズの設計した建物のうち、関西にあるものはほぼ見て回った。
惜しくも非公開のまま取り壊されたものもあるが、それ以外、殆ど取りこぼしはない。
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ヴォーリズの残したもののどこがどういいのか、と言われると、この展覧会の副題がその答となる。
「恵みの居場所をつくる」つまり、その空間の居心地の良さ、ということだ。

チラシは神戸女学院の図書館。天井の装飾がステキな空間。
わたしもここを撮影しているが、改めて眺めると、本当にいい。
ヴォーリズの拵えた空間がいいだけでなく、カメラマン増田彰久さんの技術が素晴らしいから、いよいよステキなのだった。
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わたしが個人的に選ぶ大阪三大名建築は、北から南へ向けて言うと、中央公会堂、綿業会館、大丸心斎橋店である。いずれも一目見たら忘れられないステキな建物ばかりである。
就中、大丸は百貨店と言う性質上、多くのお客さんが訪れる場であるが、各売り場・各店舗の個性の違いはあるにしても、その空間を好まれてここを訪れる客が多い、と言うことを覚えていなくてはならない。
(この先の画像はわたしが撮影した下手なものなので、雰囲気だけ掴んでほしい)







旧安田楠雄邸へゆく

今日は建築関係の記事を複数挙げる。

旧安田楠雄邸に出かけた。
普段は水曜・土曜のみの開館たが、行った日がGWの最中なので開いていた。
安田財閥所縁の邸宅で、㈶日本ナショナルトラストの管理下にある。
平成7年にご当主がなくなり、19年から一般公開されるようになった。
その間12年かかっている。何度か特別公開されたが、行く機会が無かった。
安田さんが亡くなられた後にアサヒグラフ誌上で、藤森照信先生と森まゆみさんとがこの邸宅を紹介されていた。あの特集記事はいいものだった。
知人がここに詰めるために数年前、関西を出たが、行ったときにはもういなかった。

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以下、わたしのへたな写真を挙げる。

藝大コレクション 春の名品選

芸大美術館で春の名品選を見た。同時開催というか、メインの門跡寺院のお宝もいいが、こういう収蔵品を見せてくれる展覧会も大好きだ。
わたしが見たのは前期です。
タイトルにリンクが貼ってあるのは、その画像へ飛べます。
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1 古美術 
《小野雪見御幸絵巻》 何度か見ているが、一度この絵巻を心行くまで眺めてみたいものだ。
絵巻を絵解き風に楽しみたい、と思うことがしばしばある。

《普賢十羅刹女図》 いつも思うことだが、羅刹女たちはなかなか可愛い。その答辞に好まれた筆法で描かれているからか、ふっくら頬で、褪色していてもなんとなく豊か。

2 日本画(近代)
菱田春草 《寡婦と孤児》 こういう絵を見ると、「明治初期の日本画」を実感する。明治に入る前まで多くの人々の見る「絵」は浮世絵と、寺社などの襖絵などがメインだったことを思うと、「近代日本画」の歴史と言うのも「日本の洋画」と同じ道のりを歩いていたのだ、と思う。
そしてその地点から脱皮しようとして、最初に革命を起こしたのが「朦朧体」を選んだ画家たちだった、と言ってもいいだろう。

上村松園 《草紙洗小町》 丁度今の松伯美術館でこの上村家の画家たちが影響を受けた能狂言の作品ばかり集めた展覧会が開催されているが、この絵も無論その一つ。しかし草紙をジャブッと水洗いして新しい墨が消えると言うのは・・・ありえるのかどうか、わからない。

3 西洋画(近代)
高橋由一 《花魁》 出ました、ウルトラリアリズムの花魁。この人がお職なのか、下っ端なのかわたしには判断がつかない。しかし人生に倦んだような目つきがたまらない。いつまでこのショーバイを続けられるのか、いつまで続けなくてはならぬのか。

原田直次郎 《靴屋の親爺》  このオヤジのところへは夜中に小人さんらが来るようには思えない。むしろ小学唱歌の鍛冶屋のオヤジっぽいムードがある。

和田英作 《少女新聞を読む》  何で知ったか忘れたが、世界で一番新聞が普及しているのは日本らしい。そして日本人は江戸の昔から識字率が高いので、こんな少女でも寝そべりながら新聞を読むのだ。因みに私も新聞を読むのが大好きだ。読み終わったらついでにチラシまでじっくり眺める。

藤島武二 《池畔納涼》  何度か見ているが好きな一枚。女二人が涼んでいる。これは不忍池なのだろうか。そこらはわからないが、どことなく涼しそう。これで風が凪いだら・・・・・・・

岡田三郎助 《ムードンの夕暮》  三郎助は圧倒的に可愛い美人画がいいと思うが、こんな紫色の空を描いた作品を見させられては、ただただため息ばかりだ。本当に綺麗。

五姓田義松 《水神の春》  このタイトルを見て「牧神の午後」を思い出し、わくわくしていたら、なんのことはない「水神」は地名で、どこかの田舎の風景だった。

堀江正章 《室内草花図》  室内、と言うがこれはむしろ中庭という感じ。窓の外にはまた花が見えるが。
円形花壇いっぱいの花。とてもステキな風景。本当にいい感じ・・・・・

南薫造 《すまり星》 昴です。青い夜の☆。ちょっとかっこいい。南はロマンティックな作品が多くて、好きだ。プレアデス、か。

安井曾太郎《男子裸体》 ・・・おっちゃん。《裸婦》 ・・・女の背中。
前も安井のおっちゃんのヌードを見てげんなりしたことを、今になって思い出した。

谷中安規 《竜の夢(ドラゴンズ・ドリーム)》   裸婦と竜。ステキ。谷中はかなり好きなので、嬉しい。

4 彫刻
高村光太郎 《獅子吼》  コワモテの僧。吼えてへんけど、こわいですな。

石川光明 《鹿》  白鹿。やっぱり日本ジカはなんとなく可愛い。
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5 平櫛田中コレクションより 昭和初期の彫刻
橋本平八 《猫》  「日本の美術館名品展」でも見たが、猫はなかなか尖り系の奴。

藤川勇造 《ミスター・ボース(印度人の首) 》  このボースはどっちのボースなんだろう。新宿中村屋に関わりのあるボースなのか、それとも。かつて独立の志を持った革命家のインド人は日本によく来ていたそうだが。

6 工芸下図の世界
岸光景 《正倉院紋様図巻》  鳥と飛天の。この本歌は見ている。長細い板だった。綺麗。

中野其玉(模本制作), 本阿弥光悦(原作) 《光悦作 蒔絵笛筒》  これは大和文華館に本物がある。「対決」か「大琳派」にも出張していた。

柴田是真 《千種之間天井綴織下図》  これはスカーフの柄のようで、綺麗だった。さすがは是真と言うセンス。ちょっと欲しいような気がする。
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村岡学柳(原作)《下図類(蒔絵書棚)》  壁瓦。兎の真正面顔のパターニング。妙にいい。可愛い。こういうタイル、あったら売れるだろうか。

白山松哉 《白山松哉関係資料》  「伊勢」の富士を見る図。

7 工芸
《陵王装束》  豪奢で綺麗だが、一体どんな美貌だったのだろうと思うことがしばしばある羅陵王。

尾形乾山 《銹絵染付山水図鉢 》  いかにも、と言う感じで安心してみていられる。

平田宗幸 《茄子水滴》  リアルなナス!こういうのはやはり明治の嗜好を見るような感じ。

津田信夫 《鳳翔薫炉》  背中が開いていて、そこで薫じるのだろうか。

松田権六 《鶺鴒文大棗》  鶺鴒の優美さがキラキラしている。

一言ずつの感想文だが、他にも多くの見るべきものがある。6/14まで開催中。なかなか楽しかった。

紙塑人形?鹿児島寿蔵展

鹿児島寿蔵の紙塑人形を最初に見たのは大丸での展覧会だった。
'97年のその展覧会では日本の古代史や伝承に現れたキャラを造形したものが多く出ていた。
中でも有間皇子は憂いと諦念とを表に見せた美しい少年像としてそこにあり、心に残った。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
この歌を想起させる造形だった。

今、新橋停車場の鉄道歴史展示室で鹿児島寿蔵の展覧会が開催されている。
?7月20日(月・祝)まで。
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今回は古代史の中の人々と、市井の子ども、異国、主にシルクロードの地に生きた人々を象ったものを展示している。
美しい色調、派手ではないが煌く衣裳。それらは寿蔵和紙と呼ばれる、作家が独自に開発した和紙で作られている。
染めも作家の手によるもので、寿染めと言う。
全てを独自で開発していったのだ。
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とにかく愛らしい。奇抜さはなく、魔性も感じないが、愛らしさに惹かれる。
無論、ただただ愛らしいばかりではなく、冒頭に挙げたような有間皇子のようなせつなさもまた、人形は露わにする。

真っ赤な色彩の拵えのタジマモリ。慟哭のタジマモリ、とタイトルがある。常世の国へトキジクノカグノコノミを探しに出かけたのに、帰ってくれば自分にそれを命じた天皇は既に崩御していた。
泣いて泣いてタジマモリが小さな島になった、という話は古事記にある。
実際奈良にはそのタジマモリの島が小さな池に浮かんでいる。
人形は手に柑橘類を持っている。飛鳥では、5/3をタジマモリの日として、夏みかんをトキジクノカグノコノミに見立てている。随分前、飛鳥に行った日、夏みかんを貰って、わたしもタジマモリを可哀想に思った。わたしは柑橘類が大好きなのだ。

佐保媛はクリムト的な彩りを身にまとわせていた。春の佐保媛。少し色っぽい。
摩耶夫人もまたクリムトを思わせる構成のものを衣服として、まとうている。
不思議に似合っていた。

「大佛開眼の日」に祈る若い娘の像。古代日本史上最大のイベントの一つ。
「春の宴」 萩尾望都の「半神」を思わせる二人の女。(あれは一方が栄養を失っていたのだが)
もしくは舟越桂の木彫像にも生まれ出でそうな。

一体一体をじっくり眺めた。これで無料でいいのだろうか。
そして壁面にはアララギ派の歌人としての寿蔵の仕事が示されている。
宮中の歌会始の選者でもあったそうだ。
雅で大らかな人形たちは、歌人の心から生まれたものかもしれない。

岸田劉生 肖像画をこえて

岸田劉生と言えば「麗子」という意識がある。
多分それは間違いではない。
しかしそれだけではないのも当然だ。
たとえば東近美所蔵の「切通之写生」などの風景画は、やはり劉生だからこそ生み出された「名画」だと思う。
しかしこの損保ジャパン美術館での「肖像画」を集めた展覧会は、やっぱり劉生が「肖像画の画家」だと納得させられる。
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以前、個人的にいつか「麗子」の肖像画ばかりを集めたweb展覧会を開催したいと思っていたが、実物をこんなにもたくさん集めた展覧会に会えて、嬉しい。

第一室に入ると、劉生本人の自画像がズラズラ並んでいる。
見ているうちに段々とヘンな気持ちが湧いてくる。
これは岸田劉生と言う一人の人間の、その時々の顔を捉えたものなのだが、時間による成長や、感情の醸成による表情の変化などを考慮しても、全く異なる顔の集まりに見えた。(時期はそんなにかけ離れたものではないが)
そしてその中にはハッキリ言うと、殴ってやりたくなるものもあった。
これは見るわたしにも問題があるのかもしれない。
それで早々にこの室を去ったが、やっぱりなんとなく拳を握ったままでいる。

劉生は「首切り」と言われるほど、自分の周辺の人々の肖像画を描いた。
劉生を尊敬していた椿貞雄あたりなどは喜んでいたかもしれないが、他のヒトはしんどかったろう。
北方ルネサンスをもっと重くした色彩(なんと軽い字面だろう、劉生にソグワナイような気がする)に塗込められた人々の肖像。
個々人の人格の違いを表しながらも、これらの作品群はどこまでも「岸田劉生の作品」なのである。
個人のための肖像画ではなく、画家・劉生が描きたくて描いた顔の集まり。

麗子が現れる。幼女麗子の様々な肖像。ここには画家の実験精神と同時に、父親の愛情が溢れている。
時に寒山拾得のグロテスクさに倣い、妖女化したものもあるが、総体的には子どもの顔が並んでいる。

むかし、この麗子が怖かった。
しかしそれは日本の洋画がニガテだと言う事情もあった。
今では途轍もなく好きな小出楢重、林武、前田寛治ら、「日本の洋画」を独自の視点から成立させた画家たちが揃ってニガテだった。
わたしが子供の頃から一貫して好きな日本の洋画家は、小磯良平、藤島武二、青木繁らなのだ。
優雅さ、あるいはロマンティシズムが溢れていなければ、関心がなかったのだ。
しかしあるとき突然、楢重の好さが「わかり」、麗子の可愛さに惹かれた。
それは理屈ではなく、本当に突然の変心だった。
その場を与えてくれたブリヂストンには、今も感謝している。

様々な麗子がいる。この室内には5歳から16歳までの麗子がいる。
麗子と言う絶好のモデルが手元にあることで、劉生の芸術は永世のものになった、と思う。
描かれ様は一つのスタイルで統一されたものではない。ありとあらゆる筆法で描かれた麗子。
ゴーレムのような麗子、にやっと笑う麗子、ワンピースが可愛いお澄まし麗子、神道の女神像を思わせるような三人麗子、嬉しそうな麗子、寒山拾得のような麗子・・・
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時に麗子の友達で、鵠沼時代に知り合った漁村の娘・於松がいる。於松はなかなか個性的な顔で、わたしはけっこう於松のファンでもある。
ちびの女の子二人は、互いの競争心を煽られて、しんどいモデルもがんばってこなしたそうだ。
ちょっと面白かったのは、やさぐれているような一枚。面白いものだと思った。

最後に朱の枠の中にいる十六歳の麗子を見る。白い顔に綺麗な結い上げ髪の娘さんになった麗子。
しかしその年以降の麗子の肖像を見ることは叶わない。
その年に劉生はこの世の外に出た。

劉生は身内や仲間内には愛情が深かったようで、その証明のようなエピソードがあった。
小さい男の子の肖像がある。それは妻の甥っ子なのだが、孤児になった彼を劉生は手元で育てる。
しかしその子は幼いうちに死んでしまう。衝撃を受ける劉生。
そのエピソードを踏まえてから、改めてその肖像を眺めると、劉生の描いた「肖像」があってよかったと思うのだ。
描かれたことでこの幼い者の命はここに留まる。そんな気がした。

妹照子を描いた一枚は、以前にも見ているが、かなりの美人だと思う。
劉生の肖像画で唯一の美人だという感もある。

6/2からは一部展示換えもある。大好きな「二人麗子」も現れる。その頃にはまた麗子に会うつもり。しかし、第一室の自画像群はすっとばすかもしれないが。

2.26事件の現場 渡邊錠太郎邸と柳井平八

杉並区立郷土博物館へ「2.26事件の現場 渡邊錠太郎邸と柳井平八」展を見に行った。
駅からそこへたどり着くまでの苦労は思い出すのもイヤだが、行った価値のある内容だった。
「2.26事件」の概要については、wikiででもご覧下さい。
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子どもの頃から「2.26事件」に何故か関心があった。
今でも2/26になると「ああ、この早朝に」と思う。9/1の正午になれば「ああ・・・」と思うのと同じである。

それでこの杉並区立郷土博物館で、なんでそんな展覧会が開かれているかと言えば、襲撃された渡邊錠太郎の邸宅が昨年取り壊され、建具やドアなどがここへ寄贈されたからだった。その邸宅を設計したのは陸軍省で設計を担当していた柳井平八で、彼の残した建物などの紹介もあった。
2.26事件と近代建築と。二つの関心あるものが同時に展覧されることで、わたしはムリを押して出かけたのだった。

会場に入ると、渡邊邸の玄関などが再現されていた。
なんとなく意外な気がする。ただしそれはわたしの錯覚のせいなのだが。
つまり、わたしがこの展覧会を知ったのは、2月に新聞記事で見たからなのだ。
新聞独自のモノクロの色彩が意識の底に残り、銃撃されたことなどが思い浮かんでいたので、ちょっと予想外だった。
この頃の流行として、和洋折衷の住宅が多く作られたが、渡邊邸もその例に入る。
だから昭和初期の近代建築として見る分としても、ひどく興味深い。
しかしその邸宅の残骸には、無惨な記憶が染み付いている。

その当時の新聞記事から起こした写真を使った週刊誌がある。
そこからこの玄関などが再現されている。肉が飛び散ったと言う部屋も。
悲惨な記憶の家。
その写真では、ドアは凄まじく破壊されていた。

錠太郎の次女・和子さんは父から向うへ逃げることを言われたが、結局父の元に来てしまった。
銃の腕前に自信のある錠太郎は既に応戦態勢で居たが、来た娘に藍胎のテーブルの陰に隠れることを眼で指示する。
そしてその娘の目の前で、惨劇が繰り広げられるのだった。

そのことを渡邊和子さんは語られているようだが、悲惨な記憶である。
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2.26事件を思いながらその家の名残を探る。完全な再現ではなく、所々の再現。
生活した痕跡を辿るのは少し難しい。

図録がよく出来ていた。展示には無い写真資料も多く含まれている。
それらを眺めながら、様々な思いが胸を横切るのを感じる。
わたしは近代の歴史的事件として、この「2.26事件」とロシア革命とにひどく関心があるのだが、「襲撃された家の名残」を目の当たりにするのは、これが初めてだった。
なんとも言えないナマナマしさを感じる。

一方、渡邊邸を設計した柳井平八の他の仕事も紹介されていた。
東京高等工業学校(現・東京工業大学)卒後、陸軍省に入庁。つまり辰野金吾系ではない、建築士なのだ。

箱根強羅花壇の洋館は旧閑院宮別邸で、これは柳井の設計によるものだと言う。
そしてここの照明や和室の付書院などが、渡邊邸と同じ意匠らしい。
強羅花壇の案内文によれば「竣工後、大きな改修点はなく、今なお当時の趣を伝える貴重な建築でもあります。」ということらしい。
そしてそのことについては藤森照信先生がサイトに解説文をよせている。
関西人には箱根は遠き憧れの地だが、行ってみたいと思った。
(富士屋旅館にも行きたいのだが)
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ちょっと曖昧な記事になってしまったが、やっぱり詳しく書くのにはムリがあるのを感じた。
しかしこの展覧会に行くことが出来て、それは本当によかったと思う。
展覧会は5/10で終了している。




セザンヌから梅原・安井まで 細川コレクションの近代洋画

永青文庫の所蔵品のうちから、「近代洋画、セザンヌから梅原・安井まで」として、ステキな洋画がお蔵出しされてきた。
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昔のことを思えば、近年の永青文庫は本当に積極的だ。
大倉集古館と双璧の変わりよう。そしてどちらも大成功だと思う。
世界的なコレクタ ーであった細川家16代・護立(1883?1970)は、梅原龍三郎や安井曾太郎ら近代洋画家たちのパトロンとしても知られています。・・・細川護立と親交の深かった近代洋画家の絵画や、護立との間で取り交わされた書簡類を展示し、細川護立が近代絵画の育成に果した役割を検証します。」
とのことだが、この護立氏は本当の意味での「貴族」だとしばしば感じる。
つまり「貴族が芸術家を庇護するのは当然です」(グローリア伯爵)という言葉を納得させられるからだ。
自ら「白樺派の金庫番」を任じた若き日の行状などを、その周辺の人々の随筆などから読むと、ますます感心する。
わたしはそういう人をちょっとばかり尊敬している。

ポール・セザンヌ「登り道」1867年
チラシ一番上の作品。今なら永青文庫のサイトで額縁入りの作品が見れる。
そうそう派手でもないが、いい感じの額縁の中に、セザンヌ先生の「登り道」が納まっている。水彩の特性がステキなタッチ。道を行くのは先生ご本人のようにも見えた。
これはプレートによると、1926年に児島喜久雄と共にギャラリーで購入したそうだ。
21739.13円。昭和初期の22000円が現在のいかほどかは、わたしにはわからない。
この絵は5/6まで実物展示、その後は高見沢の複製木版画が展示されるそうだ。

梅原龍三郎「紫禁城」 1940年
チラシ真ん中。梅原はこの時代に紫禁城を多く描いている。この絵では緑色の空に広がる雲が印象的だが、なんとなく「・・・黄砂のひどい版?」と思ってしまうのは、現代人の目で見るからかもしれない。

梅原と安井のパレットがそれぞれ展示されている。梅原のは赤、青、緑が目立ち、安井のは白、緑、少しの赤と黄色。
これを見て思い出したが、女優の高峰秀子は梅原と仲良しさんで、梅原からパレットを貰っていたが、梅原の死後は自宅に「自分用・梅原仏壇」として、そのパレットを飾っているそうだ。以前、高峰さんのエッセーの中で読み、その写真も見ている。

梅原龍三郎「薔薇図」 1940年
紫禁城と同年の作。万暦の花瓶に白バラがわんさか放り込まれている。赤や青の線がそれを引き立てていて、豪華な一枚。

梅原龍三郎「唐美人図」 1950年 cam228-2.jpg
これは俑を描いたもので、その実物も展示されていた。7世紀の唐代初期のもので、舞妓俑だが、やっぱり梅原が描くと梅原の絵になっている。
先日、安田靭彦の描いた俑美人たちを見たが、あちらもやっぱり靭彦の絵になっていたことを思い出す。

梅原龍三郎「貴妃」 1941年
楊貴妃だと思う。ちょっと色っぽいポーズを取っている。言燕珠という女優がモデル。京劇だと梅蘭芳が楊貴妃の酔態を演じる「貴妃酔酒」という名品があり、梅原はそれを見ていたらしい。なにしろ「梅原龍(メイ・グァンロン)としてデビューしようか」と戯言を吐いたそうだから。

安井曾太郎「承徳の喇嘛廟」 1937年
チラシ一番下。安井は承徳の喇嘛廟を色々描いているが。この絵は真正面からのもの。わたしは以前に違う角度からのものを見ている。
ピンク色の壁、翡翠色の入り口、ハッとなるような色彩の作品。
現在の写真もあわせて展示されているが、案外変わったりもしない。この時代だと、この承徳の喇嘛廟には馬賊の人々が修行に来ていたのではないか。
そんなことを思いながら眺めるのも楽しい。

安井曾太郎「連雲の町(一)」 1944年
ああ・・・なんとも言えず安井らしい絵。手前の木々がよく、向うの民家の屋根がいい。
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安井曾太郎「朝鮮婦人」1936年
体操座りする妓生を描いている。妓生は土田麦僊が専売のように描いていたが、ここにもいる。

安井から護立氏への絵葉書があった。四人の妓生が踊る図。銅鑼も見えている。
他にも昆明池に浮かぶ邸宅の着いた船(動かず)を描いたものもあった。

藤島武二「裸婦像」 明治時代後期-昭和初期
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武二は素描に淡彩を施すような作品も多く残しているし、それらはアールヌーヴォーな美人画が多いと思う。
この裸婦もそう。髪のうねり、背景のうねり。
女の表情がちょっと面白い。いつの時代の作品か判別がつかない、ということは長い作家歴のの只中、こうした絵も多く描き続けたと言う証左でもある。

久米民十郎「支那の踊り」 1920年頃
これが今回の驚きの一枚。カンヌ映画祭で言うなら「ある視点」に出品されるような一作。
女の顔が見えない分、いよいよそそられる。
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服装から見て、リアルタイムの時代の女だとわかるが、後は何も知らされない。
「踊り」とタイトルは入っているが、伝統的な京劇や崑劇という風でもなく、むしろ新しい踊りのようにも見える。
ただ女の前にある屏風らしきものは、漢代から唐代あたりの様相を描いたものにも見え、それと女のいる場所の円形の絵が古代風で、それがとても魅力的でもある。
女の腕のたわみ、指先の反り方、足の曲がり具合、のけぞる首・・・何もかもが艶かしい。
そして黒い上衣の内側に濃い赤が潜むのがのぞいて、それがいよいよ魅力的なのだった。


この時代、メールは無論、電話もそんなには普及していなかったから、直接会うて話すか、もしくは手紙を書くかしかなかった。
しかし白樺派界隈の人々は「友達耽溺」していたから、のべつ幕なし・ひっきりなしに手紙を書き続け、送り倒している。
そのことについては、以前にも書いている
だからこの書簡類も礼状だけでなく、近況報告や心持などを書いているものもある。

斉藤与里の1944年の絵はがきには、防空不動尊なるものが描かれていた。
時代を感じるねぇ。しかし不動尊は焔を背ビラにした佛なので、果たして効くのか・・・

他に細川家特製の手ぬぐいがあった。
これは関わりのある画家たちに下絵を描かせて拵えるもので、日本画家はともかく、洋画家たちは勝手が違うので戸惑うものも多かったらしい。
梅原のは遠目に見ると、昔風の栓抜きが並ぶパターニングだったが、近づくと裸婦の連続紋様である。
先に挙げたミネコさんと梅原夫人、安井夫人がモデルとなった「栓抜き裸婦手ぬぐい」がここにある。

正宗得三郎「中国服を着た女」 
これも先の「金蓉」正宗バージョンである。青色のチャイナ服というのも同じだが、こちらの彼女は膝に黒猫のおもちゃを置いている。可愛いにゃんこ。目の丸い猫のおもちゃ。

須田国太郎「能舞台」
須田は戦争中、大いに能狂言のスケッチを続けた。それらは現在大阪大学に寄贈されているが、数年前、伊丹市美術館でその展覧会が開かれた。
わたしは須田の油彩画より先にこちらのスケッチにひどく惹かれた。
描かれているのは桜間弓川の「誓願寺」らしい。後姿が二体。他者ではなく、動きを描いたもの。江戸時代、桜間家は細川の殿様のお抱えの能役者の家柄だったそうだ。
しばしばこのブログで参照にあげている「芸十話」の中にも、須田が熱心にスケッチを取るエピソードが描かれている。

山田隆憲「朝鮮」 1930
朝鮮のどこかの田舎の旧跡に、白衣の女がいる。石段に坐す女。白色は朝鮮民族の好む色彩だと聞いているが、その好きな色の衣裳でのんびりそこにいる、と言うのもいいものだ。

田中良「鏡山図」 1918
歌舞伎の鏡山の1シーンを油彩で描いている。姫の前で、お初が主人・尾上に代わって、岩藤と闘う。「お初と尾上はSで演じます」という口伝を思い出す。

それにしても本当に興味深い作品が多かった。
今の時代、どうにもならないほど不況で、企業のメセナどころか個人がパトロンになることも苦しいだろうが、昔はこんなヒトもいたのだ。
旧きよき時代の遺産をこうして楽しめて、幸せだ。
展覧会は6/21まで。もう一度見に行きたい、と思っている。

「風俗三十二相」と「月百姿」

芳年「風俗三十二相」と「月百姿」
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太田浮世絵記念美術館で、来月末までこのシリーズの展覧会が開かれている。
半分ずつの展示で、二ヶ月通うと「風俗三十二相」と「月百姿」が全部見れるわけ。
「三十二相」は近年に千葉市美術館で壁一面使ってペタペタ貼ったぁるのを見ているが、えらく上部の展示だったので、じっくり眺めるというわけにはいかなかった。
「月百姿」はとらさんがこれまでコツコツとコンプリート目指しておられたのだが、この二ヶ月でババーン!ということになる。

わたしが「月百姿」を最初に見たのは、’92年夏の大丸梅田ミュージアムでの芳年展で10点ばかり。それ以前は浮世絵全集などの図録で見ていた。
その翌月には、この太田から程近いところにあったDO!FAMILY美術館で「三十二相」をやっぱり10点ばかり見ている。
その年は芳年没後百年だったので、芳年だけでなく師匠国芳のいい展覧会も各地で開催されていた。
昨秋には礫川美術館でも「月百姿」を中心にした展覧会があり、それで今月来月の太田で、わたしも全部見ることになるようだ。

「月百姿」は物語性の強いシリーズで、正史・稗史・伝説・物語などに現れるキャラと月とを絡めた構成で、魅力的な作品である。
描かれた月は満月もあれば三日月もある。それぞれの場面に応じた月がそこにある。
月そのものを描かずとも、月を連想させる、いわば月の留守文様みたいなものもある。
本当に一点一点よく考えられているものだ。
特に気に入ったものを少しだけ。

「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」の山中鹿之助は兜に三日月がついている。
その立ち居姿がとてもかっこいい。尼子十勇士。

九紋龍史進は柳の下の床机で涼んでいるが、彼の横顔は若さが漲っていて、いい感じ。
師匠描くところの九紋龍史進とはまた趣が異なる。劇画風なキャラ造形。

月夜釜 石川五右衛門の配下二人の盗人、アホですな。それにしても巨大な釜だ。
こんなん割ったら役に立ちませんぜ。尤も親分の五右衛門はこういう釜で茹でられるんですが。たまにはこういう戯画もある。

豊原統秋 北山月 室町時代の楽人。狼に囲まれてマズイ時に、ジマンの笙の音で死地を抜けた。この人のご先祖には時秋がいて、伝説では新羅三郎から秘曲を伝授されていた。
ところで満月に狼で、笙の音に感動して噛まなかったとかいうのを聞くと、「もしかしてこの狼って実は満月の日に変身する狼男では?」と勝手なことを思う。

一とせのおしゅん ・・・物理的に可能なのかなぁ、といらんことを考えました、反省。
必要時間まで考えて計算したりしたことは、ナイショです。

他にも「月百姿」ではないが、芳流閣や熊坂vs義経、新形三十六怪撰の鬼と2ショットの図など、なかなか見応えのあるものが多く出ていた。妖術使いを集めた三枚続きなぞはわたしの好きな一枚。(児雷也、大友若葉姫、仁木弾正などなど・・・)
同工異曲で盗賊尽くしも描いているから、けっこう芳年はシリーズものが多い人なのだった。

太田は相変わらず外人客が多い。これらが物語絵だということを解説するのもなかなか難しいかもしれない、と思った。残りは来月のお楽しみ。

5月の東博で見たもの

今日は2つの記事を挙げる。
東博の常設展時で見かけた歌麿の金太郎と山姥(綺麗なお母さん)の仲良しな絵。
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歌麿は手鎖者にならぬように方便として母子絵を描きだしたけれど、気が乗ったか、とてもいい作品を多く生み出した。摺り師も美人画同様気合の入った仕事をしているようで、経年劣化は仕方ないにしても、本当に楽しめる作品が多い。
こういう幼児と楽しく過ごせるヒトは、やっぱり幸せだろうと思う。
見るこっちもシアワセ。江戸時代は連帯責任制を採っていたので、親による虐待も今よりずっと少なかったろう。
ああ、いいなぁ。可愛いし、楽しそう。

他にも清長の金太郎。遊んでる姿が可愛いなぁ。
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申し訳ないが、ルーブルのお子様たちより、唐子や浮世絵のジャリ共の方がずっと好きだ。
これはやっぱり洋画の子どもたちは悪戯をする姿をあんまり描かれないからかもしれない。
ちびはやっぱりいたずらして、怒られてなんぼでしょう。
もっと遊べ、こども。

普段あんまり仏画にも仏像にも関心を向けないけれど、綺麗なものを見た。
阿弥陀来迎図。阿弥陀も綺麗だが、菩薩がとても美人。
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こういう艶かしい尼僧も見た。IMGP6268.jpg速水御舟。
御舟にしては珍しい、艶かしい美人。しかも尼僧と言うあたりが面白い。

普段見ないような作品が現れるのが、東博の嬉しいところだ。

美の宮殿の子どもたち

ルーヴル美術館から都合半年に亙って所蔵品のうちから「子ども」に限定した作品が日本に来て展示されている。
「美の宮殿の子どもたち」
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六本木の国立新美術館では6/1まで・大阪中之島の国際美術館では6/23?9/23まで開催。
東京展を見てきた。

7章に分かれての展示。200点余もの展示のうち、気に入ったものだけちょっと書いてみる。
(とにかく凄い大混雑で、まともに見れてないのも多いのですよ)
またさらに集めた古代から近世までの作品を、それぞれのコンセプトにあわせて展示している。(しかしながら混雑のため、見やすいところから見て回ったので、わたしの場合、そのねらいを最初から逸脱している)
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1.誕生と幼い日々
全ては誕生から始まる。

フラゴナール 子どもを抱く若い女性
彼の絵の場合、子どもより若い女性に気をとられるが。

2.子どもの日常生活
「育てられる」子ども。自分で動けない頃から段々と自我が生まれ始める頃へ。

ゴブラン製作所・コゼット工房 原画:フランソワ・ユペール・ドルエ 猫と遊ぶ若い娘
可愛い。猫はキジ柄。特に手が可愛い。
これだけではなく同じスタッフでの「若い生徒」というのは、なかなか面白かった。
クリッとした大きな目の子なのだが、その目つきはやらしかった。

BC12世紀 台車に乗ったライオン、ハリネズミ
この二つの置物は何に使用したのか知らないが、やっぱり可愛い。
古代オリエントにはこうした置物や絵画が多い。
撫でてみたいくらいだった。

アドリアーン・フォン・オスターデ 豚の解体
肉食民族ですなぁ。土方巽の舞踏の背景に確かこんな感じのがあったと思う。見てはいないが。

ヘンリー・ボーン 原画:ゲインズバラ 仔犬を抱く農民の少女 
七宝焼。美少女である。ゲインズバラの「画家の娘たち」などを思うと、やはりこうした年端もゆかない少女の美しさはいい。

3.死をめぐって
日本では「七歳までは神仏のもの」という考えがあるが、子供の死は特に避けえぬことでもあった。

少女のミイラと棺 新王国、ラメセス朝時代(前1295-前1186年頃)
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ミイラの顔は本人に似せると言うが、こうした面立ちの少女だったのだろう。
正面と横からの眺め。
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少女の肖像 3世紀末
ビザンチン風な顔立ち。右手に鳩、左手に柘榴がある。図像学的には何か意味があるだろうが、それを考えずとも、なにかしら意味深な感じがある。

ジャン・バチスト・ドフェルネ 悲しみにくれる精霊
cam221.jpg出たー!
既に記事にされた方々が挙げられた画像の中でも、特別ウケた作品。
これを見ると、ネロ皇帝の嘆き「おお!涙壷を持て」というのを思い起こす。ちょっとオヤジしてるところが、面白い。

ジャン・バチスト・ルイ・ロマン 無垢cam225-3.jpg
大理石の少女像。アバラが浮いた幼い身体。左手に蛇を持つ。胸もない、十歳くらいの少女。
無垢だから蛇を手にするのか、それとも今の時だけの無垢さ・将来の不安を象徴するのか。

フルリー・フランソワ・リシャール 小さな赤頭巾
納屋の中のベッド。既に老女は無く狼がそこにいる。赤頭巾はそのベッドの前に来ている。
死が目の前にあることよりも、あやうさの方を感じる。

4.子どもの肖像と家族の生活
育てる手がなければ、かなしい。

フランソワ・ユペール・ドルエ 三角帽をかぶった子ども
前出のゴブラン織りの原画の画家の作品。
三角帽とは変な帽子だ。バラ色の頬の子供。ヱヴァのカヲルくん風。

ジョシュア・レノルズ マスター・ヘア 1788年
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男児をこのような愛くるしい女児の様相で育てる、と言うことは20世紀まで続いた。
ルノワールの息子たちの幼い時分の肖像も全て、女児風だった。腕のぽっちゃりしたところがとても愛らしい。

若い女性と仔猫を抱く少年 イギリス 1800年頃
抱っこされた仔猫の目が尖っていた。子どもより仔猫が気にかかる。

ペーテル・パウル・ルーベンス 少女の顔 
なかなかしっかりした子どもっぷりである。首飾りもしている。顔だけの絵だが、きっとこの子の手首は輪ゴムでも嵌めたような線が入り、手の甲には指の数だけえくぼがあるだろう。

5.古代の宗教と神話の中の子ども
子どもの存在は軽いものではなかった。多神教の中では特に。

幼いホルス神に授乳するイシス女神 
エジプト神話の中でもこの辺りは特に面白い。物語として読む神話は、なまじな小説より面白いものが多い。しかし像として、イシスはいいがホルスがちっとも可愛くないのだった。

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子どものサテュロス ローマ帝政期
笛を吹いている。なかなか可愛い少年像。・・されているが。膝の形容がリアル。


蛇を絞め殺す幼児ヘラクレス
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この壷を見ていると、ヘラクレスが全然子どもっぽくない。今チラシを見てもそう思う。


6.キリスト教美術のなかの子ども
幼子イエスに幼子ヨハネ。旧約にも多くの子供が現れる。

アンドレア・デッラ・ロッピア工房 幼子イエスを礼拝する聖母
これは背景も綺麗な青で作られていて、聖母と百合の白さが目に残る。
ステキな焼き物。cam221-1.jpg

ゴブラン製作所ジャンス工房 原画:ニコラ・プッサン 河から救われるモーゼ
モーゼより、女たちやそばに設置されたスフィンクスが気にかかる。
ところでゴブラン織りは大体いつ頃までが大流行の時代だったのだろう・・・
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7.空想の子ども
天使やキューピッドもこの分類に収められていた。

葡萄を収穫するアモールのタピスリー 4?5世紀
コプト織と言うのか、可愛い織物。働くアモールたち。いいですな。
幼児虐待ではないぞ。

例によって長くなってしまったが、それでも見るべきものはまだまだある。
東京では6/1までだが、大阪では6/23?9/23。

「錦絵はいかにつくられたか」?「江戸の料理茶屋」

佐倉の歴博で「錦絵はいかにつくられたか」を観た。
展覧会は既に5/6に終了しているが、行った5/1はなかなかお客さんも多かった。
これは企画展だが、常設室でこちらにあわせて「錦絵に見る江戸の料理茶屋」という展示もあった。先にこちらを見る。

鎖国して徳川政権が長く続く間に、ドメスティックな文化はどんどん進化していく。
わたしは江戸時代の文化が大好きなので、色んな資料を見たり芝居を観たりしてきたが、その中でも芝居小屋と料理茶屋の発展と言うのはなかなか面白かった。
料理茶屋では書画会も開かれたし、句会やちょっとした噺の会、素浄瑠璃の会も開かれた。こういうところは、現代の料亭にも引き継がれているが、やっぱり江戸の昔の方が華やかだったろう。

四世鶴屋南北(いわゆる大南北)は化政期に大活躍して、「四谷怪談」「桜姫」「一寸徳兵衛」などなど、キワドイエグみの傑作を生み出していったが、彼の芝居の中では多くの宣伝文句が入り込んでいて、現代では「ナンダコレハ」なものも多くなっているが、その当時はさぞやウケたろうと思われる。
その中で料理茶屋の名が出て来るのは「桜姫東文章」だった。
前後の説明はナシでこんな感じ。
「お膳は八百善か」
それで喜んでころこんで、会合に出かけて行き、べろんべろんに酔っ払って帰宅する。
(後は南北らしくコロシ場が待っている)
その八百善は江戸第一の料理屋だったそうで、文久三年の番付が出ていた。
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ここに載る店が今でも残っているのかどうかは知らない。
一時、わたしも東京に出るたんびに、旧幕時代から続く老舗を訪ねることを続けていたが、近年はなかなか出来なくなっている。
それで広重辺りの「江戸高名会亭尽」シリーズなどを見て、喜んでいる。
以前に「梅若伝説」展で、戦前は木母寺が随分栄えていたと知ったが、賑やかな場には必ず有名なお店があった。ここだと「植木屋」。向島だと「平岩」。
幕末がジリジリ近づいていても、ちょっと豊かな庶民では、昨日も十年前も変わりがないかもしれない。
広重のシリーズを見ていると、どうもそんな気がする。

この料理茶屋とは多少意味合いが違うのだが、吉原では仕出し料理は喜の字屋という店が大手だったそうだが、こちらは飾りに力を入れすぎていて、実際に食べるものはちょっとしかなかったようだ。
鈴木あつむ『おいらん姐さん』にそんなエピソードがある。
おいらん姐さん 2 (2) (マンサンコミックス)おいらん姐さん 2
(2008/01/29)
鈴木 あつむ


錦絵に描かれた妓楼の座敷に出てくる、立派な植木の陰に盛られた刺身などが、それに当たるのだろうか。
国周は明治の料理屋も描いている。
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さて企画室へ入ったが、ありがたいことに写真OKでしたな。
「いかにつくられたか」というだけに、版木や摺り色の増殖の様子などがわかるようにしつらえられていた。いや、本当に手間なものです。えらい。
でも、申し訳ないことにわたしはそちらに感心するより、出来上がりの作品にエエのをみつけて、そちらに強く惹かれていたのでした。
幕末の絵師の作品が特別好きだけど、今回本当にゾクゾクするものをいくつか見た。
(折角歌川派の版木が新発見されたのに。いや、それだからよけいに嬉しいのか)

国芳のコロシバ 春藤治郎衛門
クリックすると拡大だが、IMGP6256.jpgこちらは表情や手元だけ特に。
IMGP6256-1.jpg凄い目つき。ゾワゾワするぜ。
それでも弟子の芳年と違い、国芳は健康と言うか健全な生を送ることが出来た。
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「めうにすてきのず」とでも言うべきか。
やっぱりご維新というのを経験する・しないでえらい差が出るもんやなぁ。

こちらは心中しようとする恋人たち。既に着物の柄が「南無阿弥陀仏」の六文字。シャレてるというべきかふざけてると言うべきか(本気なら余計に面白い)。
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国貞は役者絵に凄まじくいいのが多い。
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晩年は多作すぎて質が落ちたと言われるが、それでもいいのはいい。特に芝居絵と役者絵、草双紙の表紙絵などは、どれを見ても最高。
IMGP6254.jpg悪婆ぽい。ステキ。

三世田之助らしき婀娜な女の絵もある。IMGP6249.jpg
後世の私でドキドキするんだから、リアルタイムのファンは絶叫してたんじゃないか、と思うね。

広重もたまにはこんなのを描いた。IMGP6255.jpg
捕り手のサスマタがなんとなくいい。構図的には阿新丸(くまわかまる)風。

色がまだ完成されていないものと、一部完成のもの。クリックしてください。
IMGP6252.jpg  IMGP6251.jpg見世物の孔雀の前にいる坊ちゃん。

かなり楽しめた展覧会だった。

板谷波山をめぐる近代陶磁

「板谷波山をめぐる近代陶磁」を六本木の泉屋分館に見に行った。
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板谷波山と言えば出光コレクションをすぐに思い出すが、さすが住友、所蔵していたのだった。(尤も展示物全てがここのものではないのだが)
京都の本館ではついぞ近代ものは見ないので、六本木に分館が出来て、そこでこうした展覧会が開かれるのはまことに喜ばしい。
展覧会のねらい。
「板谷波山は「葆光釉」と呼ばれる光を包み込むようなやわらかな質感の釉薬に特徴があり、「葆光彩磁珍果文花瓶」でも大型の器面全体をむらなく覆い、その柔らかな光の表現は独自の世界を創り出しています。波山は、葆光釉の他にも「彩磁」「白磁」「青磁」など様々な技法、また中国の吉祥模様やインドネシアの更紗の模様を典拠とするなど、デザインにおいても学習の成果を遺憾なく発揮しました。そこで「葆光彩磁珍果文花瓶」が制作された大正期を中心に波山の作品をご覧いただきたいと思います。」
数年前の「日本のアールヌーヴォー」展でも波山の葆光釉が選ばれて展示されていた。
大正期に生まれたこの独特の陶磁器を、リアルタイムに見た人々の衝撃はどれほどだったろう。
そのことを想像するだけでわくわくする。

板谷波山「彩磁菊花図額皿」 筑西市立下館小学校 明治44年
画像がなくて残念だが、この地の色は今流行の明るい緑紺色で、偶然にもその日わたしが着ていた服と同じ色だった。妙に嬉しかった。
そして清い白菊が浮かび上がっている。これは昭憲皇后の御前で制作したそうだ。

板谷波山「彩磁印甸亜文花瓶」 茨城県陶芸美術館 大正5年
サイジ・インディア・モン・カビン。インディアン風な図柄と言う意味らしいが、アールヌーヴォーの匂いが濃い。

板谷波山「葆光彩磁葡萄唐草文花瓶」 大正4年
薬師寺の三尊の台座の唐草文様をモティーフにしたそうだ。
この辺りを見ていると、「温故知新」という言葉を思い出す。

板谷波山「葆光彩磁紫陽花文鉢」 大正前期
これは欲しい!大体わたしは乾山や道八などが得意とした、器の内外に花が描かれ・刻まれた鉢が大好きなのだ。
これも紫陽花が可愛くて仕方ない。
やっぱり花は椿か紫陽花かのこんな鉢がいい。蝶のモティーフは鉢でなく皿が好きだが。

板谷波山「褐釉八つ手葉彫刻花瓶」 大正8年
浮き上がる八つ手は色に塗り込められている。自由に葉を広げることは許されない八つ手。
なんとも艶かしい花瓶だった。

板谷波山「葆光彩磁珍果文花瓶」 大正6年
チラシ左側の青い花瓶。これぞ<板谷波山>という逸品。重文なのも納得。
しかしわたしはあまり好みくないので、ただきれいやなーと感心するばかり。

板谷波山「彩磁花鳥更紗文花瓶」 大正8年
ト、トリが蝶を噛んでる??(涙)。cam218-1.jpg
トンボは花の影に隠れている。更紗については色んな手があることを知っている。これは花鳥文なのだが、トリめw
彦根更紗をモデルにしたそうな。

板谷波山「氷華磁仙桃文花瓶」 茨城県陶芸美術館 大正15年頃
チラシ右上。白に見えるが実物は綺麗な薄い青白磁。図象の刻まれた道筋に少しばかり色が濃く残る。それがなんとも言えず艶かしい。

玉蘭銘「マジョリカ写銀杏文皿」 明治-大正時代・1910年代
波山の妻で、この人もよくしたという。息子さんは寡作の人だったが、奥さんは夫唱婦随なのか、いいものを残している。
その同時期に息子さんの拵えた花瓶もあるが、可愛い感じの作風だった。

驚いたことに、制作途上の欠片や破片も展示されていた。こうしたものを見る機会は少ないので、たいへん興味深かった。

他に同時代人・明治初の先達たちの作品が並んでいた。
三代清風与平「錦彩磁牡丹之画壷」 明治時代
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緋牡丹は色だけで表現され、白牡丹は陽刻で示される。地にそのまま描かれた蝶が、花々の上を飛ぶ。 綺麗な作品だった。

初代宮川香山 「倣洋紅意花瓶」 明治時代
チラシ右下。綺麗な焔の色。首から胴への波状の文様が、炎上する様相を描くようで、ひどく美麗だと思った。

初代宮川香山  「青華鳳凰形花入」 明治後期
長い背中が空いている。これは津田信夫の孔雀像とも共通する造形。

初代宮川香山  「乾山写し百合型向付」 明治-大正時代
遠目からでも写しだとわかるが、しかしやはり「ああ、近代の作だ」と感じた。
どこがどうかと言われると説明に困るが、実際目の当たりにすると、この感覚は伝わると思う。

初代宮川香山 「色絵金彩犬張子香合」 明治43年
可愛い!ちゃんと犬張子。紙張りのそれのような。可愛い。
こういう掌サイズの可愛いものをわたしも集めてみたい・・・

なかなか楽しめる展覧会だった。ただし好きな人にしかお勧めできないかもしれない。

聖地巡礼 野町和嘉写真展

東京都写真美術館の地下で『聖地巡礼 野町和嘉写真展』を見た。
壁に沿って彼の捉えた聖地と、その巡礼者たちの姿が連なっている。
目をどこへ移そうとも、そこには聖地巡礼の状況がある。

二年前か、『聖地巡礼』と同じタイトルの写真展が大阪の民博で開催されていた。
それは一人のクリスチャンの巡礼者がキリスト教圏の聖地をパックパッカーとして訪ねる姿を捉えたものだった。いわば聖地を旅する個人の目が見た風景なのだった。
ここにある写真群はそうではなく、一人のカメラマン野町氏が世界各国に活きるそれぞれの信仰の聖地と、そこに巡礼する人々の姿を、遠くから或いは近くから写し取ったものなのだ。

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ガンガーはヒンズー教徒最大の「祈りの川」である。そこで沐浴する人々を捉えた一枚は、ドキュメントを越え、(むろんフィクションと言うことではなく)、神話がそのまま活きている様相を捉えたように見えた。
赤色の衣に身を包んだ婦人が手から掬った水をこぼしている。彼女の視線はどこへ向けられているか。ヒンズーの諸神に向けられているのは確かだった。
彼女より若い婦人たちが右側に数人いる。ポニーテールをした人はきっと若い娘だろう。
しかし彼女もまたここで沐浴をしている。
いつの時代かと思った。カラー写真なのでそうそう古いものではなかろう、と制作年を見た私は口を開けた。
2007年。たった二年前のインドの風景。
大掛かりなパラダイムシフトはどうした、とわたしはひとりごちた。
映画産業はムンバイだから少し離れているにしても、IT産業はどうした、インド式九九は?
・・・観光用の見世物でないことは間違いない。
人々の眼差しは真摯であり、異教徒の視線を気にする風もない。
ヒンズーの神々への供犠は生きているのだ。自身の沐浴は神々のために行い、自らの清さを捧げるものなのだ・・・
数々の写真を見ながらそんなことを考えた。

巡礼の出発を捉えた一枚がある。
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思い思いの華やかな色彩で身を包む女たちを乗せた舟が川を行く。対岸の町並みはどうもリゾート地風な賑わいがあるが、この舟に乗る人々は物見遊山と言う風もない。
普段はきっとこの川の向こう、岸を歩いているかもしれない。もしかすると、昨日までそこで働くパートの奥さんも、この中にはいるかもしれない。
しかし巡礼としてこの舟に乗った時点で、全ては遠ざかる。
彼岸に船出する人々、と言ってもいいような気がした。

ヒンズーから離れると、次はアフリカについた。野町氏は二十代半ばの頃にサハラに魅せられた、と年譜にある。サハラ砂漠に魅せられた、というよりも、そこに住む人々に強く惹かれたのだった。
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少し前のフランスの広告のような一枚がある。アルジェに滞在していた1972年に捉えた一枚。完全なる空色、黄金の砂を集めたような砂漠、茶色い道、そこを行く少年。
まったくシンプルな色調だけで構成された一枚。しかしそれは作為的な色あわせではなく、ここはそんな地なのだ、と納得させられる強さがあった。

ヴェルナー・ヘルツォークがクラウス・キンスキーと組んで撮った最後の映画『コブラ・ヴェルデ』はダオメーを舞台にしていた。(ダオメー・・・現ベナン共和国)
山賊から奴隷商人、そして『ウィダの提督』にまで成り上がったコブラ・ヴェルデは、王から疎まれる中ついに力尽きてしまうが、映画のラストシーンは、彼の死で閉じられるものではなかった。
この暗黒大陸唯一の金髪碧眼の白人には、600人以上の現地妻がいて、子供も大勢産ませていた。その彼女らなのか、そうでないのか判別のつかないアフリカの女たちが異様なまでに陽気に唄い踊り狂うシーンが延々と続き、そして映画は唐突に終わるのだった。
アフリカの大地に焙られる苦しさは映像の中からも実感できたが、この陽気さがついに理解出来ず終いだった。
わたしはアフリカの写真を見ながら、そのときの心持ちを何度も何度も反駁し続けていた。

1995?2000年まで、サウジアラビアからの依頼で、メッカとその巡礼を徹底取材した、とある。モスリムたちの巡礼する様子を、極東の異教徒が撮影した、というそのことにも驚いた。動き回るモスリムたち、写真は人々の動きを捉えるが、それはブレを隠さぬ撮影だった。このブレた粒子が全てモスリムだということを改めて思う。
眩暈がした。日本人にはこの力はない。
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いったい日本人には聖地と言うものはあるのだろうか。
日本の仏教には弘法大師の開いた「四国八十八ヶ所」「西国三十三ヶ所」などがある。
いずれも「同行二人」として巡礼をする。しかしそれは死後のためにする行為なのではないか。死後の安寧を願っての巡礼。
しかしここに写しだされた人々は今生きているその只中で、生きているからこそ出来ることとして、生きる義務として、聖地巡礼を続けている。
凄まじいエネルギーだと思った。

政治的にも経済的にも苦しいエチオピアだけを捉えたシリーズがある。
「エチオピア黙示録」というタイトルがつけられている。
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12年前のこのシリーズにはこうしたモノクロが多い。何か理由があるのかもしれないが、そのことは私にはわからない。
エチオピアと言う国家そのものをわたしは深く知ることがない。
アベベが出た国、ギリシャ神話にも現れる国、皇帝のいた国・・・
受苦と言うことを考える。祈りと言うことを思う。聖なる地とは一体何なのだろうか。

最後にアンデスの聖地巡礼が現われた。
可愛い女の子がいた。その女の子は何の神を信じているのだろうか。
微笑む仮面をつけた人々は何故「ウクク」(熊)と呼ばれるのか。彼らは何をしようとしているのか。
夜明けと夜更けと。祈る神は異なるのだろうか。
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わたしはアンデスを思うと、必ずヘルツォークの『アギーレ 神の怒り』『フィッツカラルド』を想う。アンデスの現地の民の憤りと喜びと。
このアンデスシリーズには背景が青いものが多かった。時間の都合で青が多く現われたのかもしれない。それとも意図的に青色の時間を選んだのだろうか。

重い時間だった。観て何を思うかは個人の心の底に隠されるだろう。

水墨画の耀き

出光美術館の水墨画展を見に行った。
静嘉堂の水墨画展に行き損ねたのでジクジたる思いを抱えながら、出光の水墨画を見に行ったのだ。
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チラシの虎がカワイイ。トラ?耳かいてる?
こういう腕の太いトラちゃんが妙に可愛い仕種をするのは、やっぱりモデルがにゃんこだからか!

室町時代から大正の富岡鉄斎までが並んでいる。

岳翁蔵丘「武陵桃源・李白観瀑図」
桃源郷は中国の文人の見果てぬ夢の地だが、この絵を見ていて諸星大二郎の「桃源郷」を思い出した。その地に居る間は確かにユートピアなのだが、少し離れた眼で眺めると、もう何もない。
無論ここにはそうしたせつなさもシニカルな眼もないけれど、しかしどことなく遠いものという趣がある。決してたどり着くことが出来ぬ場所だからこそ、憧憬の風景が描かれているのだが。
まだ酒飲み李白が「ああマイナスイオンだな?」と瀧を見る情景の方が明るくていい。


東山御物の名品として知られる名品がいくつか。
牧谿「平沙落雁図」 
玉澗「山市晴嵐図」
近江八景の本歌。牧谿のそれは大和文華館にも類似品があったような気がする。
後世の画家がその絵を本歌として描いたのだったかも。

牧谿「叭々鳥図」 これはとても可愛くて、中国の絵師の描くトリの中では叭々鳥が一番いい、と常々思っている。

能阿弥「四季花鳥図屏風」 チラシのトラちゃんの右側のトリたち。妙にふてぶてしい可愛さがある。
 
等伯「竹虎図屏風」 右隻のトラも左隻のトラも、可愛くて仕方ない。このトラちゃんのチラシを見て、行く気になった人、けっこう多いと思っている。身を低めているトラの様子、猫によくあるポーズなので、元は猫がモデルだとしても、やっぱりトラも猫も親戚だと言うことを実感する。

狩野探幽 「叭々鳥・小禽図屏風」 チラシで耳かきトラの真上にいるのがそれ。
この黒い鳥は実在するのかどうか知らないが、水墨画の人気者。目つきが可愛い。
八大山人の叭々鳥もよかったが、日中の叭々鳥特集とか見てみたい気がする。

武将たちの作品もいくつかある。遠目に見て、「そういえば本宮ひろ志の作品に出ていたのと似ている」と思ったのが、近くに来て「おお」となった。
土岐富景 「白鷹図」 本宮の「猛き黄金の国 斉藤道三」に現れる土岐氏は鷹の絵ばかり描いていた。そして実際とても上手だと言う設定だったが、本宮ひろ志は出光でこの鷹の絵を見たかもしれない。もしそうなら、本宮ファンとしては、とても嬉しい。
描かれたのは立派な白鷹だった。凛とした横顔がいい。
猛き黄金の国斎藤道三 (4) (集英社文庫―コミック版)猛き黄金の国斎藤道三 (4) (集英社文庫―コミック版)
(2004/09)
本宮 ひろ志



俵屋宗達「神農図」 目玉の丸い♪を曲げたような眉毛のオヤジが草を舐めてる。ちょっと飄然としたヘンな可愛さがある。神農は薬のカミサマだから、薬草か毒草かを舐めて調べてるのかもしれない。

「竜虎図」 丸耳のトラは不機嫌なドラえもんといった風情のツラツキで、宗達だけでなく光琳もこんなトラを描いている。竜は観客の意見を聞くかのような視線を投げかけている。

仙がい「狗子画賛」 これは以前から好きな絵で可愛い、と単純に見ていたが、解説で不自由さがどうのと書かれていたので、なるほどただただ可愛いと見ていたのは一面だけかと思った。
別にそこまで考える必要があるのかどうかはさておいて。

葛飾北斎「亀と蟹図」 これは出光で新発見された作品で、初めに展示されたときのことを覚えている。・・・とここまで書いてから、いつに見たのか調べる気力がなくなった。

田能村竹田「菊図」 繊細な線で構成された菊。どんな筆で描かれたのだろう。

他に禾目天目や乾山の淡彩の皿などが出ていた。青木木米の煎茶セットもあり、コンロには刳り貫きの中に人形があって、まるでそコンロ自体が中国のお茶屋さんぽい雰囲気に見えた。
なかなか面白い風情があった。


渋い世界だと思っていた水墨画も、段々といいものだと感じるようになった。
そういえば、マンガ家でも筆で絵を描く人々がいる。安彦良和、バガボンドのときの井上雄彦、妖魅変成夜話のときの岡野玲子、また池上遼一も筆のときがある・・・
みなさん、すばらしい画力の作家ばかりだ。
こうなると返す返すも静嘉堂に行き損ねたのが口惜しい・・・・・
ちょっとばかり反省した。出光の展覧会は5/31まで。

カルティエと薩摩切子

二つの煌く展覧会を見た。
Story of・・・ カルティエ展。1850?1970年代の作品までを、片山東熊の設計した麗しき表慶館で味わった。めぐり逢う美の記憶、と銘打たれた美しい展覧会。
そしてもう一方。
まぼろしの、と冠された薩摩切子の展覧会。一瞬のきらめき、という副題がガラス工芸の美と儚さを謳い上げている。こちらはサントリー美術館で。


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どの時間に行っても混雑は避けられまいと予測したとおり、夜の表慶館は女たちで満たされていた。
この表慶館ではこれまでにも美しい宝飾の展覧会を幾度も開催している。
日本の美術館で、こうした装飾品の美を展示するに相応しい場と言えば、この表慶館と、旧朝香宮邸たる庭園美術館の二つを措いて、他はない。

わたしはその場に集う女たちの群の中に入り込み、ため息と瞬きと動悸とに自らを急かされながら、見えるもの全てを見て歩いた。

渡されたリストには、その宝飾品を呼ぶ名前と、作られた場所と、生まれた年と、その美を構成する母材とが記されていた。
たとえば巨大なキャンディを中央に据えたようなパリュールは、
カルティエ パリ、1850年頃、ゴールド、ファセットをつけたオーパルシェイプ/ペアシェイプ、アメジスト、鼈甲 
このように書かれている。しかしその文字を読むまでもなく、目の前にあるパリュールは何で構成されていようと無関係に、美しいのだった。

多くのティアラを見る。ペンダントトップを、ブローチを、リングを、ネックレスを。
全てが暁闇の中に浮かび上がるように、安置されている。
照明は宝飾品を美しく照らし出すために設置されているので、そこに映る影を拾いはしない。
わたしは自分の影がこれら美しい宝飾をまとう姿を期待したが、照明はそれを許してくれなかった。

装うことは、ただただ美であるばかりではない。遊び心もまたその範疇に含まれる。
パンテールとカナ表記のある、ねこ科の動物のしなやかな造形が見える。
それはフランス語の日本語読みで、そのしなやかな動物が豹だと知る。
タイガーと英語発音のものもある。
どちらもその特製たる毛皮の柄を宝飾によって再現する。
縞や斑点にはオニキスが使われる。世にも豪華な虎や豹がそこにある。
鰐もまた。cam213.jpg


宝石だけが美しく尊いわけではない。輝く石はみな美しい。
それら貴石を使った装飾品が多く並んでもいた。
印度、波斯といった大いなる古き国の伝統を巧みに織り込んで、新たな展開が生まれている。そこにはそれら貴石が非常に効果的に配置されていた。
彫刻を施された石、七宝焼、それらが一際魅力的に耀いている。
欲しい、と思ったのは、実はこうした西洋人から見たエキゾティックな形のものばかりだった。

エジプト熱が沸騰した1922年以降、エジプトをイメージしたデザインのものも作られていた。しかしその当時、本物のツタンカーメンの美麗なる装飾を夢見た人々に、どれほど必要とされたかは、わからない。

極東への憧れが、中華風なモティーフの装飾品を多く生み出させた。
翡翠、瑪瑙、黒曜石などの玉類もそこに使われている。
これらは比較的気軽な面白味があり、仰々しさがない分、楽しく使えるように思われた。

ジャン・コクトーがアカデミー会員になったときの剣があった。これはしばしばコクトー展で見たものだが、近年は縁がなく、久しぶりに見ることが出来、嬉しい。
詩人のセンスのいい造形がそこに活きている。

見れば見るほど、目が眩む。見る者の欲望を糧に、いよよ美しく耀く宝飾品たち。
他を思うゆとりもなく、それ自体と向き合って、自分の剥き出しの欲望に灼かれながら、会場を出た。
美しいものをみつめすぎると麻痺してしまう、と言う言葉が耳元に揺らいでいたが、そのままふらふらと夜の道へまぎれていった。




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サントリー美術館は赤坂で開館した頃から、工芸の美を観客に届け続けている。
それは六本木に移ってからも変わらず、今回も素晴らしいカットグラスの数々を展示している。
薩摩切子の歴史は短かった。
「一瞬のきらめき」と銘打たれたように、数十年の歴史しか持てなかった。
薩英戦争で工場が失われてしまった。
しかしそれまでの短い時間の中で、美が思い切り凝縮されている。工場が失われることなど、誰も予見できなかったにも関わらず。
短い歴史の中に生まれた美しいガラスをただただ愛でた。

イギリスやボヘミアのカットや、江戸切子といったカッティングの美しいガラスが並ぶ。
薩摩は鎖国下の日本に属しつつ、秘かな自由を得ていた。
海外貿易が薩摩には存在していたのだ。
土や海からの産物にそれほど期待が出来ない以上、工業力を高めることが、その国の太守の責務でもある。
島津家は職人たちの技能向上のために多くの努力を払った。
どんな職種であろうと、職人である以上、自分らの技能が向上することを願わぬヒトはいない。
その結晶がこれら薩摩切子なのである。

カッティングひとつにしても海外の技術を目の当たりにしつつオリジナリティに富んだもの・風土に沿うものを生み出していったのが、展示物から見て取れる。
特別に美しいもの、それらは職人の技能と叡智の結晶なのだ。
後世の我々はため息をついて眺めるばかりだが。

サントリー美術館所蔵品の中の誉れの逸品・藍色被船形鉢、これに魅せられた向きも多いと思う。
わたしなどもサントリーの工芸品のベストを選ぶとすれば、このガラスを挙げずにいられない。
吉祥文たる蝙蝠をも取り込んだ構図の美しさ。藍の色の深さ。大胆なカッティングの妙。
百数十年後の現代に残ってくれたことを、ただただ喜ぶばかりだ。
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篤姫が将軍家へ輿入れする際に持たせた雛道具の一つに、薩摩切子の袖珍類がある。
驚くほど精緻なガラス類。これらがみな雛道具だと言うことに、言葉を失う。
なんと言う技能だろうか。
国の威信をかけて、この一類を拵えさせた太守と、その期待を担って見事な作品を生み出した職人たちの<み業>。
飽きることなく、この小さなガラスたちをみつめた。

以前「美の壷」で切子が取り上げられたことがある。そのときに多少の知識が身に入った。
カッティングの種類の名前も知ったし、色の違いも教わった。
それらを頭の中で反芻しながら、居並ぶ作品を眺めて歩く。
手に取ることができないので触感はわからないままだが、その重さを・そのカッティングの様相を、幻覚の掌に感じる。

旧幕時代、諸大名は自国の名品を他国に贈答品として使う慣わしがあった。
たとえば肥前の場合、誉れの鍋島焼がある。薩摩はこの切子を贈答品とした。
それらが明治の世になり、今や大名華族となった貴顕らの集うパーティや品評会に姿を現すようになった。
現在の所蔵先を見ていると、これら薩摩切子の華やかな流転の様相が、宙に浮かぶ素描のように見えてくる。

目にも心にも煌くものを刻まれて、その場を去って行った。真昼の太陽に照らし出されながら、さっきまでみつめていたガラスの影に囚われたままで。

東博の阿修羅展

奈良から東博へお出ましなさった阿修羅と他の八部衆の皆々様のお姿を拝見しようと、大阪から出かけたわたし。
奈良の興福寺境内にある宝物館では子供の頃から見慣れているが、他の地域で(それも東京)拝むことになるとは、ちと驚いておったわけです。
大人気だと言うことは皆々様のブログや一般ニュースで聞いていたので、ここは一つ気を引き締めて、夜間開館に出かけたましたのさ。
金曜だけでなく土日も8時まで開館と言うのは、さすがの東博でもあんまりしてへんのではないか。
これが大正解。
やっぱりこの辺りの情報を得られるのは、先達の美術ブロガーの方々のおかげです。
ほんとうにありがとうございます。
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第1章 興福寺創建と中金堂鎮壇具
興福寺は明治初に廃仏毀釈のアオリをまともに喰らって、地所は売らなアカン、宝物は流出してまう、塔も売ってまおか、というヒサンな境遇に落ちたのですが、まぁなんとか落ち着き、やがて今日へつながる寺院経営が活き始めたわけです。
しかしながら、明治初に寺院から出ていったグッズの数々はやっぱりちょっと散逸したみたいですが、ありがたいことにこの東博が色々集めてくれてはりました。以下、感想。

鏡、盤、匙、杯などが並ぶ。8世紀の遺物は大方が国宝。
ちょっと正倉院展を思い出しながら眺める。
それでいちばんドキドキしたのは、水晶や瑪瑙、琥珀などの石類。
これは展示方法が素晴らしい。
水晶念珠 、水晶念珠親玉、水晶丸玉・水晶面取玉・水晶碁石形玉 32個・10個・52個 、ガラス碁石形玉 、琥珀念珠、琥珀丸玉・琥珀面取玉・琥珀碁石形玉 7個・3個・12個 、瑪瑙念珠 、瑪瑙丸玉・瑪瑙碁石形玉・瑪瑙面取玉・瑪瑙念珠親玉 6個・2個・5個・1個
舎利石 22個 、黒石玉 100個 、黒水晶玉 6個 、青緑石玉 7個・・・素晴らしい!!
ああ、字を書き連ねるだけで、あのキラメキが思い出される。
照明の当て方の妙にひどく感心した。
いくら元が綺麗なものでも埋もれていては、美は表に出ない。こうした光の当て方により、埋もれていた美が露わにされ、新しく、美の信者が増える。
ドキドキしすぎて、何度も戻っては眺めた。
隣の表慶館ではカルティエのジュエリーがやはりキラキラしく並んでいるが、それに劣らぬ美の洪水がここにある。

砂金、金塊、延金などはたぶん陸奥辺りから出土したものだろう。
和同開珎を繋いだものまである。

いいものを見せてもらった。オープニングはやっぱりこうでなくては。

第2章 国宝 阿修羅とその世界
次の部屋へ行くまでに面白いと言うかキモカワな像を見たり、怖いようなボックスを見たり。

波羅門立像 源三郎作 1躯 安土桃山時代・天正5年(1577)
この顔は、なんとなくつのだじろうの描く亡霊の三次元版に見える。手にはスティックがあり、これは後補にしても、何なんだろうか。

法隆寺蔵の阿弥陀三尊像及び厨子(伝橘夫人念持仏)が来ていた。 飛鳥時代の作で、光明皇后の母・橘三千代の念持佛とそのお厨子。
わたしはあんまり厨子を見るのはニガテなのでチラ見した。どうにも怖いのだ。
この前代の玉虫厨子もそうだが、どうもニガテである。中に仏が坐すことは知れているのに。
鎖された箱の中から尊いものが現れる、そのこと自体が怖いのかもしれない。

そしていよいよ天平六年制作の八部衆・十大弟子のご登場。
ご存知の方も多かろうが、興福寺の宝物館は薄暗いのとシィ?ンとしすぎているのと、展示の並びのバランスのわるさとで、妙に居心地がよくない。人が大勢いてもどことなく薄暗い雰囲気がある。展示の仏像たちも生気がない(あっても怖いが)。
ところがここはやっぱり展示構成の妙ですな、非常に華やかに見えた。

沙羯羅立像 この坊やは前々からヘンな帽子をかぶっているなと思っていたが、帽子やなく、みぃーさんがトグロ巻いているのでした。丸顔のほっぺたぷっくりさんで、可愛い年頃。きちんとした軍装だけど、半ズボンOK!という感じ。
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ああ、腕だけ展示・・・その本体は凛々しい顔と胸肩と胴当てばかりが残る。この五部浄の頭には猪か犬かわからない吼えるものがいる。顔料の緑がはっきりと顔に残っているが、褪色のせいで抹茶色に見え、とてもいい感じ。これは多分元は・・・しかし今のこの色合いに惹かれる。
それにしても腕のみ展示、と言うのはなかなかコワいものがある。

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どう見ても、かぶりものの獅子にガブッと噛まれ「にゃーっいでぇぇぇ」な顔。赤いのは、きっと痛いのをガマンしているため。しかしこれは獅子なのか虎なのかちょっとわからないわたし。

緊那羅立像 一本ツノと額に第3の眼がある少年。今まで気づかなかったのは、わたしの不徳かウカツか。修験道の開祖・役小角も額に小さいツノがあったそうだ。それでエンの・オヅヌ。
因みに小角はこの仏像を作らせた光明皇后の父・藤原不比等によって、伊豆に流されている。
(流されても好き勝手に空を飛んでいたそうだが)

迦楼羅立像 出ました、トリ顔。ガルーダはニガテなんですよ。これまでは薄暗い宝物館だからこそなんとも思わなかったけれど、明るいところで見ると、やっぱりリアルなトリ顔で、それが妙にニガテ。関係ないが、わたしが「ガルーダ」という言葉を知ったのは「勇者ライディーン」からだった。

釈迦十大弟子もリアルな造形で何体かがずらずらと並んでいるが、今回その背後までチラチラ眺めた。
目犍連立像などは比較的彩色もよく残っている。
骨や輪郭もリアルだった。

このサロンの向うに通路がある。そこは赤い光が満ちていて、映像が見れるようにしつらえがある。
否が応にも期待が高まるというもんです。

360度どこの角度からも見れるように設置されている阿修羅像。正直言うと、こういう形はキワモノを見せるみたいやな、と一瞬思ったものの、それは間近で見た瞬間に撤回。

右顔から背後、背後から左顔、そして正面顔へ。
目を離すことなくそのように眺めてゆくと、これまで懐いていた意識が崩れた。
今まではただただ「少年美」をそこに感じていたのだが、今初めて違う感じを覚えた。
つまり、悪神から善神へ至った心持ち、と言うものを感じたのだ。
初めて「悟り」というものをそこに見たように思う。
横顔・背後・横顔そして正面へ。この流れで、阿修羅と言う神が、善なる仏の眷属へ変わっていったのを、実感したような気がする。
こんな風に感じたのは初めてだった。
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チラシも綺麗だし、ここで販売する絵はがきも綺麗だが、同じ阿修羅の写真なら、仏像写真専門の飛鳥園のものか、奈良博の向かいの永野鹿鳴荘の写真の方が、わたしは好きだ。
しかし、写真は確かによく撮れているけれど、今回の阿修羅に関しては、自分の肉眼で観たものの方が上だと思う。

第3章 中金堂再建と仏像
鎌倉時代の四天王などが並ぶが、わたしはこの時代の仏像はニガテなので、また元の部屋へ戻った。慶派の仏師たち、申し訳ない。

東博所蔵のキラキラの石たち、可愛い八部衆の少年たち、そして阿修羅。
夜間開館日だからこその適度な混み具合の中を、わたしは何度もうろついてはため息をついた。本当にいいものを見せてもらった・・・・・・
すごく幸せなキモチで東博を出た。これから行かれる方は、やっぱり夜間開館日がよいかなと思います・・・・・・・

ベルギーロイヤルコレクション浮世絵in日本橋

ベルギーの浮世絵はやっぱり何と言うても、色が鮮やかだ。
初見のものも色々あって、そちらにも感銘を受けたが、それ以上に「よく知る絵」の摺りの美しさ・保存の良さにちょっと感動してしまった。
太田浮世絵記念美術館、京都高島屋、日本橋高島屋と続いた展覧会もこれでお終い。
日本橋での展覧会を楽しんだ。
太田での展示のことは東京の方々が書かれているが、京都を見た方はあんまり聞かないので、わたしは自分の記憶を辿るしかない。
京都展の感想はこちら
高島屋の経費節減か、それとも他の理由からか、チケットもチラシも同じデザイン。
尤も高島屋は全館共通のチラシを拵えるのが特性なので、それはいいとしても・・・もしかして、京都展と同じ内容なのか?
そうであってもいい、と思いながら会場に入ると、京都展よりは見やすい状況だった。
(あっちは行った間が悪かったか、大混雑していたのだ)
とりあえずみてよかったものを書いてゆく。

春信 やつしかきつばた 伊勢物語の見立てもので、可愛いかきつばたがいっぱい咲き乱れている。こうしたところの色合いが本当に綺麗。鯉もいる。

やつし朝妻舟 烏帽子をかぶり朝靄の中に浮かぶ舟にいる女。ショーバイの1形態とは言え、叙情性さえ感じるのは、春信の筆だからか。

司馬温公の瓶割りも、助かった小僧の小さい両手が可愛い。春信の魅力はやはり「小さい」と言うことなのかもしれない。

布袋と女を描いたものが二つ。
口説かれているのか、袖を掴む布袋を小さい眼でじろっと見下ろす女、その手は簪に掛かっている。しつこいなら簪で手をぶつよ、ということなのかそれとも。
一方、「布袋の道行き」がある。おんぶされる女。お供の小僧もいる道行。

鳥籠と男女 花頭窓が開いていて、梅が見える。男はしゃがみながらそっと女に文を手渡している。たぶん女の方が年上。こういうところに春信のよさがあると思う。

それにしても本当に色の綺麗なものばかりが集まっている。
それから、子どもの登場するものに色々いいのがあった。

重政 八月初かりかね ちびら三人が空行く雁を指したり、大きいマツタケを持っていたりする。この元気さが可愛い。

やつし八景 比良 雀取りのちびたち。わんこを抱くのもいる。三人組が何をするか。
こういうちびらの元気な絵を見るのは楽しい。

文調 大だるまと子どもたち 子どもらが大きなだるまさんの周囲で遊びたおす。

清長 子宝五節遊シリーズも可愛かった。江戸時代、子供は可愛がられていたのを感じる。
(むろん労働力として扱われてもいるのだが)

浮絵ねずみの嫁入り 細かく描きこまれていて、なかなか面白く、この界隈の展示品のうち、いちばん人気があったみたい。

勝川春旭 新版浮絵頼光大江山入之図 鬼退治ご一行様が来る直前の鬼の御殿の様子。宮殿は中華風装飾。雷文が連なっている。遠眼鏡をのぞく鬼もいる。

歌麿 青楼十二時シリーズが全て並んでいるが、これがまたたいへん綺麗な色合いで、今出来のように鮮やかだった。

広重 五十三次も出ているが、水口のかんぴょう干しには「!!」だった。こんなに綺麗な色のもの、見たことがない。感心した。広重は幼児期から観ているが、本当にビックリした。

国芳 水滸伝の好漢たちが並ぶ。これもまたいい色合いのままのものが多く、その分迫力が満ち満ちている。う??ん、いいなぁ!
弓を構える小李広花栄、水中に敵を連れる短冥二郎阮小吾、智多星呉用はヘンな地球儀を見つつ、指折り数えている。そして面白いのは○型の星が六つ飛んでいること。明治に入るまで日本の星は○型で示されていたのだ。その証明。
花和尚魯智深もある。「むしゃえの国芳」と謳われただけに見事なものだし、わたしもこのシリーズを見てから、元ネタの水滸伝を読むようになったのだから、偉いものだと思う。

出ました、金魚シリーズ。
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戯画を描かせると、ホント、天下に汝の能に対す者ナシ、でんな。だから弟子筋にもその道のプロが現れる。
フフフ・・・みぢん古。酒の座敷では金魚掬いの掬いを三味線に見立てているし、纏い姿で勢揃いする金魚たちの手にも掬いが。
にわか雨ならぬ「にわかアメンボウ」やし。(これは数年前の「和樂」表紙にも使用)

忠義重命軽 忠臣蔵の義士たちが忠義と命の文字とを背負っていたり、押しつぶされそうになっていたり。このあたりに国芳の意識が出ているなぁ。

さて出ました猫文字。「たこ」cam057-3.jpg
たこ抱え込んで噛みつく猫の嬉しそうな顔。おいしそー、うれしそー。でもタコらのうらめしそーな顔が。

ああ、本当に面白かった。京都の展示品とかぶるものが多かったと思うが、とても楽しめた。なんせ京都で見たのは正月。日が開くと再訪もまた楽しいもんですよ。
日本橋での展覧会も明日まで。

尼門跡寺院の世界

関西に住むということは、他国に比べて社寺と縁がある暮らしをしている、と言うことでもある。
東京藝大美術館で「尼門跡寺院の世界」展が開かれているが、なんとなく親しいような気持ちで出かけた。
知人に尼僧はいないが、男僧は何人か知る辺があり、近年の仏教寺院系の展覧会について話す機会があった。三井寺、妙心寺、興福寺、そしてこの門跡寺院系などなど。
尼寺では「一日体験コース」もあり、友人と試してみようかと言う話もあったが、漬物が嫌いとか、正座し続けるのがいやだとか、お掃除に自信がない・・・などなどの「理由」から諦めてきた。もう今更やりたくないから、この体験コースとは無縁なままだが、時々は門跡寺院でのお茶会に出てみたいもんや、と話すことがある。

13ヶ所の門跡寺院から寺宝が運ばれているようだ。既にご覧になった方々の「凄い凄い」という感嘆の声をムダには聞かず、気合を入れて眺めよう。
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皇女たちの信仰と御所文化、と副題にある通り御所文化が門跡寺院には生きている。
やんごとなき姫君が年端も行かぬうちに由緒ある御寺に上げられる。
これは仏教キリスト教の垣根を越えて、共通する現象である。
そもそも身分が高位でなくては、門跡にはなられしまへん。

無論素晴らしいお宝が山とあり、それらを一つ一つドウノコウノ言えぬので、ざっくりとゆく。中には見たもの・聞いたことのあるものがいくつもあるが、これは関西人の一得と言うことだろう。
尼門跡寺院のうち、堀川寺之内の宝鏡寺さんは、春秋のお人形さんの一般公開などで、しばしば楽しませていただいている。
中宮寺さんは法隆寺のネキにあり、法華寺は行こう行こうと思いながら、たどりつけていない。他のお寺もあんまり縁を持たない。なにしろ入れないところもあるはずだ。
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さて眺めてゆくと、法華寺の善財童子の木造彩色像が目に付いた。昭和に作られたものだから、そんなに古いものではないが、なんとも可愛らしい。
善財童子は道を尋ねて文殊に出会い、そこから五十四の善智識と出会って行く。少年の旅は続き、その終点には普賢菩薩との出会いが待つ。
このお人形たちは法華寺での「ひな会式」のもの。
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春のひな会式の様子を写したものはこちら
小堀鞆音 光明皇后図 伝承を絵画化している。昭和初期までは歴史画という分野が確かにあって、これもその一つだが、さすがに今はそういうものが見当たらない。

中宮寺は最古の尼門跡寺院だけに、色々と興味深いものがあるが、やっぱり何と言うても天寿国繍張裂、これですな。ガラス越しに眺めながら正倉院以前の美の形とか色んなことを考えた。思考の道筋は曲がりくねっているので書き留められないけれど。

どのお寺も格式が高く、由緒正しいので、伝わるものも当然ながら立派。
でも立派と言うだけでなく、何が書いてあるかとかよくわからないが、キモチとか伝わってくるような感じがする。
袈裟や古文書、肖像画などもそう。立派は立派だけど、心の流れとかそんなものがなんとなく見えるような。

少女の頃からお寺のうちに入らはるから、世間の縺れとか縁がなくなる分、可愛いもの・綺麗なものへの愛着が増すようで、玩具も本当に丁寧なつくりのものが多い。
宝鏡寺は人形寺として有名なんだが、わたしが見たときにはお雛様とか来ていた。
違う期間には孝明さん、万勢伊さんという白肉さんらがここに来るようで、会われへんのは残念だが、またお寺でお会いしましょう。
やっぱりお人形さんで遊ぶのがいちばん心の慰めになると思う。

奈良絵本、巻物などもいくつか見る。
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千代のさうし、大織冠絵巻などを見る。前者は敬虔な娘に起る奇瑞譚、後者は「珠取り海女」のバージョン。
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こうした絵巻や絵本を手にとって眺めてはったのだろうか。

観るべきものが多ければ多いほど、なんとなくせつないようなキモチになってきた。
先日、中将姫伝説のお寺・當麻寺に出かけたら、ある門跡さんの書かれた色紙があって、それを読んでちょっと胸がいっぱいになったことを思い出した。
「幸不幸は我が心にあり」・・・全くそのとおりだ。

ところで半世紀ほど前、「春泥尼抄」という小説が映画化され、大ブームになった。
わたしは’86年に原作小説を手にいれ、今も楽しく再読し続けている。
河内の貧農の娘が北河内の門跡寺院に上げられ、そこの法弟(跡継ぎ)たる菅原家の末裔・春鏡尼さまと同年と言うことで引き立てられる。春泥と名づけられた彼女は尼僧制度に反発し、人間らしい生活を求めて秘かに闘い続けるが・・・という前提で物語が進むが、面白すぎる小説で、何度読んでも飽きない。
映画の方はさすがに見ていないが、その映画プロデューサーの自伝にこれまたとんでもなく面白いエピソードがある。
映画化するにあたり、尼僧学校から猛烈な抗議が来る。そこで華族出身(侯爵)の助手を連れて、奈良の三門跡を訪ねる。円照寺、法華寺、中宮寺である。
侯爵と門跡とは無論相識る関係なので、ご挨拶に入り込んでから、丸め込むのである。
「最後は御仏のお力に導かれて解脱するわけです。映画はここのところを描きたいのです」
だから、そこに至るまでの破戒ぶりは飽くまでも解脱のための、などと騙すのだが、それで三門跡からOKが出たので、それを触れ回ってなんとかしのぐ。
映画の試写会には反対勢力だった大勢の尼僧を招待したが、終演後には全員がすすり泣いている。うまく騙くらかされたようなもんだが、映画とは騙すものでもあるから、やっぱりよかったろう。
わたしはこういうエピソードが大好きなのだ。


展覧会は東京藝大美術館で6/14まで。しかし不思議なのはどうしてここで開催しているのか。ちょっとナゾなのだった。


日本の美術館名品展・日本画版画彫刻篇

日本画と版画などで、この展覧会も幕を閉じる。
タイトルにリンクを張っているのは、画像があるサイトへ行きます。
我ながらやりすぎの自己満足シリーズになってしまったよ・・・

日本の美術館名品展・日本洋画篇

日本の美術館名品展の日本近・現代洋画篇
こちらもタイトルにリンクが張ってるものは、画像のあるページへ飛びます。西洋絵画篇と同じです。

日本の美術館名品展・西洋絵画篇

東京都美術館へ『日本美術館名品展』を見に行った。
これは公立美術館百館が、自分処の誉れの名品を送り出すという展覧会で、7/5まで上野で続く、凄い展覧会なのだ。
なにしろ作品の一点一点に親元からのステキなメッセージがついている。
作品を見るのも楽しいが、この文章がまた面白かった。

以前「経県値」というのを測ったことがある。つまり自分がどの都道府県を歩いたかを示すもので、その当時のわたしは4県のぞいて大方歩いていたから、けっこうその土地の公立美術館には出かけているようだった。でも当然ながら出会えなかった作品も多いわけだから、とても楽しみなのだった。
既に行かれた皆さんの記事で、かなり時間が掛かるのはわかったので、開館と同時に入ったけど、やはり最低2時間は掛かりますね。
行けども行けども美術品、という趣でしたな?。
長くなるので分かれることにした。好きなものだけピックアップしても多すぎる。
タイトルにリンクが張ってるものは、画像のあるページへ飛びます。

ロスコ展の片隅で

マーク・ロスコについては殆ど知らないので、川村記念美術館での展覧会がなんとなくコワかった。
ご覧になった皆さんの感想は素晴らしい、と言うものが多く、そんなに素晴らしいと絶賛されているものを、わたしも共感できるのかどうか。
現代美術に理解度が低いわたしでは「わからない」ばかりではなかろうか。
しかし見ないと何も言えない。まずは見ることから始めよう。
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改めて展覧会のチケットを眺める。
瞑想する絵画。
わたしは妄想は好きだが瞑想とは無縁だ。どうすればいいのだ。
とりあえず展覧会の趣旨などを読む。
「・・・レストランのために、作品制作の依頼を受けたことをきっかけにしています。最高級の料理と優れた現代アートをともに提供するというコンセプトのもと、ロスコも作家のひとりに選ばれ、レストランの一室の装飾を任せられたのです。当時のロスコは、グループ展などで他人の作品と同じ部屋に作品が並ぶことを嫌い、自分の絵だけでひとつの空間を創り上げたいと切望していました。そこで、およそ一年半を費やし、30点の絵画を完成させたのです。」
でも結局それは実現しなかった。レストランの雰囲気が許せず、絵は飾られなかったのだ。
それで散逸し、テートやこの川村でロスコ・ルームが拵えられたそうだ。

テート・ギャラリーのシーグラム壁画展示のための模型がある。それを覗き込んでから、本当の作品を眺める。
紅い。
赤で構成されている。全部赤色。むろん一色の赤ではないのだが。

赤い壁画に囲まれた一室にいるとどうなるのだろう。自分に聞いてみる。
・・・わたし、緊張しているのかなぁ、ちょっと苦しい。
山吹色ならわたしにはいいかもしれない。(か、感想にすらなっていないっ)

「永遠に自作だけで構成された部屋」か。・・・嬉しいような淋しいような。
わたしはゲテで無秩序な派手さが好きだからなー、美人画と螺鈿で構成された目黒雅叙園が大好きだということ自体、このロスコ・ルームにいる資格がないのかもしれない。

しかし自作絵画だけで構成されるべき部屋と言うのは、建築そのものもまた不要と言うことになるのでは、とふと思った。
絵を飾るのは壁だけど、その壁もまた絵からすれば<他者>ではないのか。
壁画だけで構成される、それが完全なる空間と言うことになる・・・?
白い壁でなくてはならないのか、木の床であることにどこまで許容が?
壁、床、天井、柱で構築された空間。他者である空間。
空間をどこまで許容できるのか。
ロスコの壁画を眺めながらそんなことを考えてしまった。

他者を存在させない空間。
そこに観客は存在してもいいのか?観客こそが最も他者ではないのか。
・・・なんだか理解度が低いがために、そんな瑣末なことばっかり考えてしまった。
まことに申し訳ない。

NYのそのレストラン「フォー・シーズンズ」の当初の状況が見てみたいと思った。
ロスコが何を見ていやになったかを知りたい。
ロスコの思考の流れを知りたい。

ロスコの書簡を見る。とても大変だったろう、と思った、ロスコも相手も。
中で一つ、展示室の壁面の色などの指定がロスコ側から出ていた。
ということは、ロスコの望む完璧さを保つためには、空間の構築から始めることが、必須なのかもしれない。
コミュニケーションは途轍もなくムツカシイ。

そういえばこんなものを見た。ビジネスジャンプ連載中の猿渡哲也『傷だらけの仁清』の前々回。家を出た老人が下手な絵を描いて暮らしている。老人は言う。熊谷守一や高島野十郎のように生きたかった、と。そして老人の死後、そこからロスコの絵が現われる。
その号を読みながら、孤高と言うものは本当に難しいものだと思った。

最近は現代美術にも意識を向けようと修行中なので、理解度は低くとも、とりあえずとぼとぼ歩くしかないのだった。
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