美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ

ルネ・ラリック展にでかけた。
「華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ」と言う副題の通り、アールヌーヴォーの美から、アールデコの美へ移りゆく流れを確かめることが出来る。

前半のジュエリーを見ていると、「あれもほしい、これもほしい」と欲望が湧き出してくる。
欲望の装置は胸の底に設置されていて、それは目から入り込んで神経を通って、胸にたどりつく。
その頃にはもうドキドキがとまらない。

白地にジュエリーが展示されているのは、少し淋しい。
むしろ闇の中においてほしい。
微かな照明を、ジュエリーそれ自体の光が増幅させて、より輝かせて見せてくれるだろう。

大きな花のブローチがあった。
花びらの細胞がこまかく区切られている。全てそれらは人工の花を煌かせるための細工なのだ。

高価な石、貴重な石、そして人造の石。
それらは一つの意思によって寄せられ、花になり豹になり、女の横顔になる。

ティアラ、コーム、ドッグ・カラー。植物も動物も昆虫も、その枠のうちに納められる。
デザインという法律によって。

随分以前、ラリックのデザインする女性の横顔を七宝焼のテンプレートで見かけた。
ルネ・ラリックを知らない幼いわたしは、そのテンプレートに透明な釉薬を置いて焼成した。
われながら美しい出来映えだと思った。それは今も手元にある。
しかし数年後、オリジナルを見たとき、女の横顔が不透明な釉薬(または不透明ガラス)で拵えてあるのを知って、不思議な衝撃を受けた。
アジアの片隅の少女が拵えたものは、表面的な美しさを表しただけに過ぎず、オリジナルの美しさは微妙な官能性にあふれていた。
少女はその美しい横顔に惹かれつつ、微かに憎しみを覚えた。

古代の王の印章に筒型のものがある。それは粘土板に押し付けられ、転がされることで、王の印章となり、四角な枠の中に、その身分と力とを刻み込む。
ラリックの指輪「白鳥」は丁度それを思わせた。
筒を開放し、展開することで、そこに白鳥の湖が現れるだろう。

美の潮流がアールデコへと代わる。

多くの花瓶を見る。いくつものガラスケースが林立し、そこが島になり、その島に花瓶が飾られる。モティーフは却って古代へと向かうが、技法はいよいよ新しくなる。

不透明なガラスであることが、オパールを連想させる。オパールの肉体を持つ巫女たちの乱舞。
舐めるように眺めると、次には小禽たちが現れる。
一羽二羽ではないインコたち。寄り集まっての鳥会議。ただの水のみ場でのくつろぎなのかもしれないが。

1925年のアールデコ博覧会は、日本にもアールデコの館を生まれさせた。
若き皇族の住まいはアールデコの輝きに満たされ、八十年後の今も美しくそこに在る。
ラリックの女神たちが玄関ホールで、訪れる客を眺める。

その博覧会に出現した女神たちが再び集められている。
一体ずつ様相の異なる女神たち。祭壇に佇み、眺める客たちを見下ろしている。
どことなく円空の観音佛を思い出させながら。

子供の頃、香水といえばコティだった。シャネルやゲランでなく、コティ。
そのコティの香水壜の愛らしさを忘れることはない。
だから今、目の前に並ぶコティの香水壜を見ると、懐かしさを覚える。

車に格別の関心がない。
車にアクセサリーがあることも、長く知らなかった。
ここにある30ほどのカーマスコットを眺めると、各自が生まれてきた理由を思い、それがひどく面白くなる。
早く走るもの、すばやいもの、空を飛ぶもの、聖なる存在を担いで渡るもの、夜目が利くもの・・・
どれを選ぶかは、何を望むかによって決まるだろう。

そしてここに一台の車がある。かつて大名華族有数の富豪だったN氏が作らせた車が。
ピンクベージュの美しい車はクラシックカーとして、トヨタの博物館にある。
それが久しぶりに外出して、ここに来ているらしい。
この車のマスコットもラリックなのだろうと思いながらも、確かめることを怠けた。

展覧会は9/7まで。
スポンサーサイト

美しきアジアの玉手箱 シアトル美術館展

サントリー美術館の「美しきアジアの玉手箱 シアトル美術館所蔵 日本・東洋美術名品展」に行った。
09082701.jpg
神戸でも開催されることはわかっているが、待てなくてね。

チラシ自体はサントリーのそれより神戸のチラシの方がそそる。
黙ってても集客が望めるサントリー美術館と、呼ばないと来ない神戸での違いと、やっぱり派手なものが好きな体質からの違い。
(呼ばれなくても行く人も多いけど、やっぱり関西では呼び込んでなんぼです)
09082901.jpg神戸のチラシ

既に行かれた方々の記事を読みふけっては、「ああ楽しみ」と思っていたし、わたしが特にこの分野を好きなことをご存知の方々は、展示品を見ながらわたしのことをフッと思い出してくれてたりなさったようで、やっぱり早く行かなくてはとあせったあせった。
(例によって長いです)

まず日本美術。
土偶から始まるとは予想してなかったので、それはそれで機嫌よく眺めた。
実は土偶より埴輪の方が好きなわたしです。かたっぽの足が失われていたが、そうは見えず、曲げたように見えて、そこが妙に可愛い。

兜跋毘沙門天立像 平安時代  つい最近知ったが、フツーの毘沙門と兜跋とは異なるそうな。
色々説明も読んだが、とりあえずそのことを思い出しながら対峙する。
ああ、なんだか踏まれてもいいかもしれない。(踏まれている、というか下支えをするのは地天)どうもそんな気になってきた。
実に立派な像で、兜も甲冑もいい感じ。バックルもいい。

行道面は正直ニガテもニガテで、面はまだしも完全にかぶるやつなど、サヨナラだが、まだこれは面なので向き合える。つまり被り物はこわいのよ。
この面はなんというか、無駄のない顔立ちをしている。
つまり顔の構造が、これ以上他の手を加えられないくらい完璧な造りになっている。
美貌と言うのではなく、この顔はこれで本当に完全なのだ。
久しぶりにそんな顔を見た。龍の面。

浦島蒔絵手箱 鎌倉時代  太郎が今しも玉手箱を開けますよ、状態の絵がある。鶴が舞い、海上には巨大な亀がいて、その背にはビルディングのような竜宮城が建つ。
太郎は爺さんになってしまうのだが、昔話ではそれで終わっても謡曲などでは、太郎が鶴になり乙姫が亀になり、ふたりで仲良く舞い舞いする、というエンディングもある。
鶴は既に待機している。太郎は果たして鶴になれるのか。
・・・しかしこれは化粧箱には向かないだろうな・・・だって、あけた途端に白煙が出て婆さんになるのはイヤやんな。(白粉が爆発して真っ白けっになるんもイヤや)

椿彫木彩漆笈 室町時代  これは鎌倉彫の技法で拵えた笈なのだが、妙な迫力がある。高野聖のものだと説明があるが、この笈は生活グッズ・旅グッズ入れだろう。
ホネは入らないだろう・・・入れたくはない・・・
なんというか、こうしたものにもこんなに鮮やかな木彫彩色が施されていること自体に、ときめいた。

志野や織部、染付のいいものも並ぶ。
織部片輪車星文四方鉢  これは五戦星型の☆と○との繋ぎ文で、面白い柄だった。
五戦星形は陰陽師の星形で、海で働く海女さんもそれをお守りにしていた。
明治の陸軍はこの絵柄の☆。どちらにしろ五戦星形はつい近年までは使われていなかったそうだ。
農耕民族の国では星は○形でした。
この柄はこんな感じ。☆⌒○⌒☆⌒○⌒☆・・・

染付波兎は「竹生島」由来のもので、これはその当時から随分人気があったろう。
わたしもときどき「月海上に」とかなんとかうなることがある。

九谷焼のような伊万里焼の染付をいくつか見た。焼き物の歴史を思う上で、貴重な資料なのかもしれない。

地獄草紙断簡 声地獄  これは生前に動物を苛めたものが落ちる地獄。畜生道の場合は生前の報いで畜生に変身なのだが、ここは動物愛護精神に反した者の地獄なのだった。
地獄の門番は猫だと言うのがあったが、ここはどうなのか。

二河白道図 鎌倉時代  珍しい、と思った。道が斜め。真っ直ぐではなく斜めだと言うのは初めて見た。なんとなくゴクラクロードと言う感じ。その道自体が市松模様なのも面白い。畳の縁ぽい感じ。

長谷寺縁起絵巻 室町時代  つい先般、同じ場面を描いたものをご覧になった方も多いと思う。木が流れて大津にとどまって・・・
その木を神仏の眷属たちが守ろうとする情景。働く風神雷神を見たのは、あれが初めてだった。
今回も風神雷神がよく働いていた。初期の奈良絵本風な素朴な可愛らしさがある。

鹿島立神影図 南北朝時代  鹿に乗り、今しも春日へ向かう神の姿。鹿が金色に輝くように見えた。この神はタケミカヅチ。随行二人共々茨城県から奈良県へ配置転換。

時代不同歌合絵切 鎌倉時代  壬生忠岑かと思うような名が書いている。歌は読めないが「恋すてふ」か何かだろうか。

北野天神縁起絵巻断簡 船出配流  いよいよ菅公も九州へ左遷・・・政治の敗者は憤りを内に溜め込んでゆく。船に黒犬がいる。童子もしょぼくれながら船にもたれる。帆もまだ下がっている。

駿牛図 鎌倉時代  目ばかりこっちをみる牛の図。駿馬図だけでなく牛もこうして描かれる。
どことなくクレタ島あたりの壁画の牛にも似た風貌。

出山釈迦図 鎌倉時代  すっくとしたオジサン。足の爪が長い。肥痩の線。
こうした展覧会ではなく、何もない空間でこの一枚とだけ向き合えば、なにかしら哲学的な気持ちになるような予感がある。

禅宗祖師図 江戸時代  散発してもらってます。切る方もお客さん(!)もジャガイモぽい風貌で、日常の行為全てが修行に基づく、ということから離れて、のんびりした風情がある。

山水図 雲谷等顔 桃山時代   縹渺とした、という言葉がそのままあてはまる。湘相八景図
なのだが、こんなにも縹渺とした景色は・・・

竹に月図 室町時代  筍は伸びてしまった。型雲が広がる。雀がいる。・・・この絵は改変され続けてきたそうだ。月の変遷。

烏図 江戸時代  サントリーのチラシ。なんというか、非常に深い絵だと思う。群烏図なのだが、騒音はない。じっと見れば見るほど、色々なことを思う。ただしそれは言葉にならず形にもならない。ただ、長くこの絵の前にいたい。そんな気持ちになった。
川村記念美術館にも烏の群れ、鷺の群れを描いた屏風があるが、この烏屏風にはなにかしら、見るものに「自分」を省みさせるような・・・それが何なのかはわからないが、この絵の前にいることがいいことのような気がした。
少し休みながらこの絵を長くみつめた。

囲碁図 桃山時代  竜安寺-伊藤伝右衛門-シアトルへと流転した。その道のりを知ることも面白い。

鹿下絵和歌巻 光悦書・宗達絵 桃山-江戸時代  これも鈍翁が切ったそうだ。佐竹本にしてもそうだが、なんだか最近その是非について色々と考える。
全部を集めてみることは最早不可能だろうが、再現バージョンが出ていた。
やっぱりいいですね。シカシカしている。鹿の筋肉がよくわかる。ロクロク見ないではわからない。Dear Deer(親愛なる鹿よ!)。

五美人図 葛飾北斎 江戸時代  神戸のチラシを改めて眺めると、浦島の玉手箱からこの美人たちが現れているのがわかる。そこからは蝶々も虎もウサギも椿も烏も牛頭・馬頭も出ている。
そりゃ白煙より、邪気より、こんなお姉さんたちや可愛い虎なんかが出てきた方が楽しいに決まっている。

天保14年に総勢70名が参加したお絵かき&詩文のトンボ・チョウの双幅がある。こういうのは面白いから好きだ。寄せ書きを一つ一つ眺めるのはしんどいが。

中国美術に移る。
饕餮くんたちが並んでいる。大きな目をムイているのが可愛い。賢そうな饕餮くんもいた。
元々は禹王に対抗した存在だから、賢そうなのがいても不思議ではない。しかしどの饕餮を見ても可愛いなぁ。

菩薩立像 唐代前半  くねった胴体、トルソ。ほどよい肉付き。小さく立つ胸の蕾を、そっと噛んでみたくなった。

堆朱のいいものが色々ある。昔はあんまり好まなかったが、だんだんとこれらの美に惹かれるようになった。その深みに惹かれてきたのかもしれない。

三彩胡人像 唐代  たぶん酒の入った皮袋を抱えて笑っている。ヒゲオヤジ。濃い顔。「古書は読むべし、皮袋の古酒は飲むべし」と言う言葉を思い出す。
こういうのは今なら却ってトラットリアなんかにあると面白いかもしれない。

青花鳳凰花卉文稜花大盤 元代  ペルシャとインドを何度も往復した由来を持つ大盤。来歴を知るのもまた骨董の楽しみだ。

明代の青花アラベスク文双耳扁壷と、ベトナムの青花草花青海波文瓶とが並んで展示されているのも面白い。安南と中国の染付の関係については、東博の「染付」展を参考に。
わたしはけっこう安南の染付も好きだ。今も失われることなく続く技法、と言うのがいい。

紅釉瓶 清朝  綺麗。本当に綺麗な紅色。透き通り、横貫入がまるで花の繊維のように見える。
りんごアメにも似た美しさ。惜しいことに展示のガラスと照明との関係で、下部がよく見えない。
それにしても綺麗な紅色だった。

粉彩梅樹椿文盤 清朝・雍正年間  凄い!黄緑の線の梅は、まだ若い梅だとわかる。椿が明るく咲く。工芸の絵柄も、清朝になるといよいよ迫真の線描になる。

牧牛図 元代  のんびり牛と、花を手にした牧童と。牧歌的な風景であると同時に、「十牛図」を思ったりもする。

山畳賞月図 伝・李唐 明代  月を眺める高士と、忙しく働く侍童たち。なんとなく面白い。

蘭亭図 陳馥 清朝・雍正?乾隆年間  扇面図。絵は前代に描き、彩色は後代に行う。何があったかは知らないが、絵はそれまで白描だったのか。塗り絵のようにしたのか、とか色んなことを想像する。

韓国美術、その他アジア美術
ここに来て、深い感動を受けた作品がある。終盤にこんな展示をされると、他の全てが飛んでしまう。
しかし最初にこれを見ると、後が続かなくなるかもしれない・・・
大概わたしもスレッカラシだと思っていたが、今回実に久しぶりに感動した。

梅図 李公愚 朝鮮時代  8面全てに白梅が描かれている。清楚な白梅。妖艶な白梅というものは描かれず、ここにあるのは全て清楚な花々だった。

青磁陽刻蓮花文梅瓶 高麗時代  貫入の細かさ!花も綺麗!形も素晴らしい。色を眺めると層が深まって、宇宙の深淵をのぞくような心持になる。 やはり高麗時代の青磁は何物にも代え難いよさがある。

青磁象嵌菊花文盞托 高麗時代  11世紀後半?12世紀の高麗青磁の美麗さは、他の追随を許さぬものだと思う。
これは象嵌された菊花が可愛く周囲を巡っていて、ほのぼのといい気持ちになる。サンタク、と読むこれは、杯乗せなのだが、本当に優美。

白磁瓶 朝鮮時代  この白磁の瓶を前にして、わたしは動けなくなった。形は玉壷春、と呼ばれる部類のもので、何と言う美しさなのか。眺めるうちに両腕が粟立つ。目の表面が勝手に潤う。
凝視するのをやめて、何度も何度も瞬きを繰り返す。分裂し、再生を繰り返すことで、自分の意識に、脳髄に、この美麗な壷を刻み込むのだ。
あまりにこの壷が美麗に在りすぎて、それまで見たほかの全てが飛んでしまった。
喉が重くなるほど、美しい白磁瓶だった。

この美しい瓶に似たものを小倉遊亀も描いていた。
「紅梅白壷」。img710.jpg
あの絵を最初に見たときの衝撃は今も忘れない。見るほどに愛着の増す一枚だが、この壷はその「美」そのものを具現化したようだった。
なんという美麗さだろうか・・・


他にもボロブドゥールの像や、インドラの艶かしい像などがあったし、台座の動物たちが可愛い像もあった。
しかし全てはあの白磁の玉壷春に飲み込まれてしまった・・・
今こうして日を置いたからこそ、なんとか書けている様な気がする。
神戸に来るのは9/19から。また行こうと思う。
素晴らしい世界だった・・・・・・・

「アートコレクター」

「アートコレクター」というアート系の隔月間誌がある。
わたしはコミック以外あんまり雑誌と縁がない人なのだが、今回びっくりした。
Takさんが登場されると記事を読んでいたので、ちょっと読んでみようと思っていたら、ご連絡をいただいた。
「まだまだいるぞ」ということで、とらさん、はろるどさん、一村雨さん、あべまつさん、memeさんらに続いてわたしまでご紹介されてるやないですか。
これはTakさんのご好意によるものです。
Takさん、ありがとうございます。
これからも皆さんでこの美術ブログ界を盛り上げましょう!!

ボンボンバカボン、バカボンボン♪ バカボンのパパが表紙の雑誌です。
09082801.jpg

この秋の「行かなくちゃ」な展覧会情報が満載でした。

第15回アートコレクション

アートコレクションも15回目だそうだ。
わたしも年中行事として、8月にはアートコレクションを必ず加えている。
09082702.jpg
今年はオランダ絵画だった。
今はどうなったかわからないが、このチャリティーイベントが開催された当初、貸出先の企業名を明かさなかったように思う。尤も全てがそうではなく、名を出すところは出していたか。
15回のイベントで、吉野石膏は多大な協力をされていると思う。
今年もゴッホの絵を貸し出している。
チラシ一番下の、帰途につく農家一家の姿を描いた作品。
この絵を最初に見たのは吉野石膏コレクション展だったと思うが、なんとなく静かで敬虔な気持ちが湧いてくるのを感じる作品。
これは都美にも出たから、ご覧になった方も多いと思う。

ゴッホは他にも吉野さんが「白い壷の花」という作品を持っていて、それが出ていた。
これも山形の美術館に寄託されてるのだろうか。
花は満開の美しい時期を過ぎ、黒々とした葉にも生命力は薄れている。
しかし不思議に惹かれる一枚だった。

よく「栄光の」と冠がつくが、確かにそうだ。
泰西名画にヨワいわたしもオランダ界隈の絵画の偉大さは、なんとなく知っている。
「フランダースの犬」で、ネロがルーベンスの絵を見た歓喜のまま神に召されるシーンに泣いたのはもう随分昔だが、ネロのおかげでか、オランダ絵画の偉大さを教わった。

近世になるとショボンとなったようだが、20世紀半ば過ぎまで活きたキース・ヴァン・ドンゲンも元はオランダ人だった。彼はパリで活躍したし「栄光のオランダ絵画」を担ったわけでもないので、この展覧会には呼ばれていない。残念。
ミッフィー(うさこちゃん)のディック・ブルーナもオランダ人だ。あいにく彼の作品もここには出ていない。

INGコレクションの作品が多いので、個人的に親しみがある。カレンダーになっているから。・・・とはいえ、本当に知らない画家の作品が多かった。

レンブラント工房の「聖家族」もあるが、親方はどこまでペンを入れたのだろう。
ここもさいとうプロのような状況で・・・、と考えると楽しくなった。

しかし「たけし」にはびっくりした。やっぱりこういうところでわたしなんかは引いちゃうんですな。

魔術的写実主義・・・絵画にもマジカル・リアリズムの概念があるとは知らなかった。
まぁそりゃあるわね。なにもボルヘスやブルース・チャトウィンの小説世界だけがマジカル・リアリズムの専売特許ではない。
しかしここに並ぶ作品群、確かにリアリズムの手法で描かれているが、シュールレアリズムというわけではないのですか。どうもよくわからない。
己の不勉強を棚に上げて勝手なことをほざいてしまった。反省。

写真も外国人の目から見た日本、というのはけっこう好きなので、それは気楽に楽しめた。
つまり「ああ、外人さんはやっぱりあのお寺とか好みなんやなー」という実感が伴う楽しみ方が出来るからだ。二重構造のような楽しみ方だが。

とりあえず来年もまた行くつもり。内容がなんであれ。

花・華 日本・東洋美術に咲いた花

大倉集古館で「花・華 日本・東洋美術に咲いた花」展を見た。
やっぱりこういう展覧会はなごみますわ?
あんまり難しいことも考えずに、機嫌よく見て回れるところがいい。

「能装束 鬱金地垣夕顔模様縫箔」 あ?綺麗な能衣装。小袖にしたいね。欲しいわ。
ところで先日、こんなのを読んだ。
・・・源氏の夕顔も結局は男を誘う暮らしぶり云々・・・ 平安時代の生活も苦しいものです。

松村景文「四季草花図」  可愛い小禽たちがいる。景文の自然描写はつつましくて、仰々しくないところがいい。

清朝の絵師による花卉図がいくつかある。東洋の自然へのまなざしは優しい。
「死んだ自然」ではなく、「活きている自然」。特に自然の中で生きたいとは思わないが、こうした作品を眺めるのは好きだし、幸せな気持ちになる。
絵も全体を楽しめるだけでなく、細部を眺める楽しみがある。
「あっこんなところに燕が」とか「雀が踊るように舞ってる」など、気がつくことが楽しいのだ。可愛いスミレ、合図しあうようなアゲハ、川で群れるメダカ・・・
東洋の美はこうしたところから生まれているのを実感する。

面白いものも並んでいた。団扇。うちわと読むが、この展示はダンセンと読む。
芝居などに使われるもので、イメージとしての中国の人が持つ扇。
固定されたイメージと言うものはとても面白い。ステロタイプはうっとおしい反面、妙な安心がある。

「一字金輪像」 鎌倉時代  美麗な仏が描かれている。真正面を向く顔。朱唇が艶かしい。花瓶に花が生けられていた。しかしその花よりもなお、このほとけは美麗なのだった。

仏教と花との関係は古い。
日本で言えば聖徳太子が最初に立花をしたと言うし。
その太子の生涯で花が実際に降り注がれたのは、勝鬘経講讃の折り。
鎌倉時代に描かれたものが出ていた。太子のそばに坐す童形の山城王子がかわいい。

「仏涅槃図」 鎌倉時代  大倉所蔵のこの涅槃図には猫がいるのだ。泣いたり嘆いたりするのは人々や動物だけではなく、異形のものもいる。
十年位前、涅槃図に猫がいるのは滅多にないと聞いた。確かにあんまり見ないような気がするので、大倉の涅槃図が出ると、まず猫を探すのだった。

伝藤原光信「桜に杉図」桃山時代  桜はピンクと言うか白を見せているので花だと感じるが、杉はまるで闇のようだと思った。
その枝葉が広がるごとに、桜を闇のうちに閉じ込めてしまいそうだと思った。

木村兼葭堂「本草画譜」  さすがというかなんというか、クロッカスとサフランの絵がありましたよ。本当に旧幕時代の大坂には文化人がいたのだと実感する。
色も綺麗なスケッチだった。

奈良絵本もいいのを見た。それと普通は奈良絵本のものが絵巻仕立てになったのが、めでたい話で有名な「文正草紙」ここでは文昌という字で、広げられていた。

数年前のアート・コレクション展にも出た大観の素朴なシリーズが出ていた。
「寒牡丹」「文鳥」「野菊」「羅漢松」「茶花」 
いずれも羅馬展の前年の昭和4年の作。文鳥の可愛らしさにはニコニコする。
大倉さんゆかりの作品群なのだった。

9/27までの展示だが、まだその頃は本格的な秋ではないが、ここでなら少しばかり秋を感じることが出来るだろう。

「日本建築は特異なのか」をみる

佐倉の歴博で「日本建築は特異なのか」を見る。
歴博の建築関係の展覧会はなかなか面白いのでいつも楽しみだが、今回も考えさせられたり、納得させられたりする内容だった。
どういうことかと言うと、東アジアでの比較建築学と言う感じかな。
中国・朝鮮・日本の古代からの建築様式(主に宗教施設)、道具などから、特異点・共通点を見てゆこうという試みで、興味深い内容だった。

わたしは近代洋風建築がメインなのだが、古代からの建築も決して嫌いではない。
朝鮮半島には渡ったことがないので自分で確認もしていないが、中国の場合、確かに宗教施設に限って眺めると、似てはいるが違う部位を色々とみつけていた。
それは民族の嗜好の違いから来るものだと解釈していたが、無論それだけではなく風土・環境の違いと言うことが大きく影響している。
そして一つの様式が続いたのではなく、輸入された新しい様式を取り入れることで、いよいよその世界は広まり、また鎖されてゆくのだった。
それらを踏まえて展示されたパネル、実際の大工道具、模型などを見ると、新しい発見があり、ひどく面白く思えた。

平安神宮の模型がある。宮大工・木子清敬とまだ院生の伊東忠太が建てた明治の神社。その模型は忠太のオリジンである。
忠太には大アジア思想と言うか志向があるから、どこかにインドや中国の匂いもするが、この平安神宮は青竜楼などの組み物に、中国・朝鮮との共通性を感じさせる。

組み物とは何か。それだけを見ていればトーテムポールのようにも見える、柱飾りの「なにか」。その模型があり、自分で組んでみるとなかなかムツカシイ。

大工道具もいつの時代から用途が変異したのか・いつからそのように分離したのだろう、と考えさせられる。
説明も丁寧だし、配置もいい。
こういう展覧会を見ると、色んなことを学べるので嬉しい。

8月の神奈川ハイカイ

三日目。京急で横浜へ。そのホテル、以前にogawamaさんとご一緒したトラットリアのすぐそばでした。びっくりしたよ。
荷物を置いてから鎌倉へ。
暑すぎてアタマがますます混迷の度合いを深めたか、近美別館がどこかわからなくなる。
たどりついてからも見ているものの意味がわからなくなる。
「ぼくたちの宝物」とはなんなんだ?
松本竣介の素描を見て、舟越桂のそれを想う。どこか似ている。ピュアな感じがするからか。

鶴岡八幡宮参拝して、アタマの混迷を払ってもらい、国宝館へ。動物特集。それでか、外に出ると野生のタイワンリスが疾走するのを見た。
源平池には白い蓮が咲いている。
近美で坂倉の公共建築作品を見るが、どうもあまり面白くなかった。汐留での展覧会のほうがいいと思う。

ついに鎌倉から先へ入る。
三浦半島はほとんど知らないのよ。
逗子で降りた途端、バスが来た。乗ったはいいが大渋滞。参った・・・六代御前まえというバス停を見て、懐かしく思う。わたしは平家物語を研究していて、論文に清盛と六代とを取り上げたのだ。「平家の枢と裔」というタイトルで。

しかし海岸が多いのは当たり前にしても、本当に海やなー。大阪の内陸に住むわたしには海は遠いものなのよ。神戸の海は海水浴ではないし。
ああ広々してるなぁ。実感。
それでやっと美術館についた。
お昼をここでいただいたが、待ち時間が長くて目がくらんできた。
ガラス張りのレストラン。海岸と松ととんびが見える。
Aランチをいただく。湘南豚の和風ソースとやらが非常においしかったけれど、湘南豚とはなんなんだ?ちょいと不思議。
ところで錯誤があり、ここに谷内六郎館があると思い込んでいた。
あれは横須賀なのだった。

向かいの(少し坂を上る)山口蓬春美術館へ。宗達のわんこなどを見た。
画室から葉山の海が見える。吉田五十八の建物はいい感じだといつも思う。

帰りはバスもスイスイ走り、新逗子から馬堀海岸へ出た。本当は時間があれば、戦艦三笠?猿島?観音崎という遊覧コースがしたかったが、こんなツメツメコースで無理は出来ない。
基本的に時間を計って計画を立てているので、急な予定変更は出来ない。
それをするとたいへんな労力が掛かる。
わたしのツアーはハイカイではあっても、彷徨ではないからなのだよ?
結局ココロの問題なんですがね。

それで船便はあきらめて、地上を走るものとして、観音崎へ。
横須賀美術館。ええですな?。コドモノクニ展と谷内六郎を見てから帰途に着く。
京急大津駅を行過ぎるとき、目に入った看板がある。
「内出産婦人科」・・・なんとすばらしいネーミングだろう!
今度来たときには撮影しよう。

逸見とか安針塚とかの駅名を見ると、佐藤さとる「わんぱく天国」を思い出し、胸がいっぱいになる。わたしが戦艦三笠に乗りたかったのも、あの作品が元なのだった。
わたしが1920?30年代に強く惹かれる要因の一つに、この「わんぱく天国」の世界があるのだった。

金沢文庫で花火遠望。キティちゃん、バケラッタのO次郎のキャラ花火が見えた。嬉しいわ。
特急に乗れたので横浜まで早い早い。
京急はけっこう好きなので、今度は三崎口まで行ってみよう。

さて横浜で鼎さんにお会いし、建造物としての美術館について色々論議しあう。
外観はよくても使い勝手が悪いもの、作られた当時はよくても経年の結果、現代にあわないもの、構造的に駄目なもの・・・色々と難しい問題だ。

最終日。
横浜で半日遊ぶことにしているので、みなとみらい1日券450円を購入し、大いに使う。
馬車道の歴博で「諭吉と横浜展」を見る。なかなか面白かった。
特に諭吉の青春回顧が楽しい。咸臨丸でアメリカに行って、シスコの写真館で店の少女と2ショット撮影したものを、出港してから皆に見せびらかしたりとか・・・
サザンの「サ吉のみやげばなし」ならぬ「ユ吉のむかしばなし」というところです。

次に日本大通へゆくと、改札外に何かの係員らしき人々がいて、「あっちです」とわたしに言うのでその言に従うと、なんかトライアスロンしてはるし・・・
ちゃうやん、わたしは横浜都市発展資料館へ行くのよ!
ぷんすかぷん。時間がもったいないし、しかしそれにしてもトライアスロンの選手と思われたんやろか、色も黒いし・・・・・

元町・中華街へ。えびさんとお会いする。
ゑび新聞誌上では少年ぽい自画像だが、凄く睫毛の長い方なので、うらやましい。
いせ辰へ寄るが、わたしは20年前初めて横浜へ来たとき、この谷戸坂にいせ辰があることにビックリした。なんせ「いせ辰=谷中にあるもの」だと思っていたので、なんでヨコハマに『和』のいせ辰が?と思ったのだ。
しかしここは古くからあるそうな。和紙の端切れをいただいた。可愛い。嬉しい。

神奈川近文で茂田井武展を見る。たいへんよかった。ちひろ美術館で見たときより良かったように思う。
いい気分で元町へ出て、ヘレカツサンドを食べたりしてから、みなとみらいへ。
やっぱり道に詳しい人とご一緒すると新しいことを知る。
わたし、横浜美術館へはいつも桜木町から行っていた。みなとみらい駅は考えていなかった。
しかしここが一番近い駅なのだった。

19世紀のフランス絵画を見ながら横でわたしがボソボソとへんなことばかり言うのでえびさんもサゾ困られたろう。
鑑賞後はカフェで草間弥生ソファ(勝手に名づけた)でまた・・・

いよいよ楽しい時間も終わり、空港へ向かう予定になる。
さらばよ???
機上の人になって外を見たら、雲が線になって夕日と闇とを分けていた。
面白い眺め。そして大阪空港へつく時間になっても旋回している。
順待ちかなと思ったら、別の便にトリがまた飛び込んできて・・・少し経ってから着陸。
「従業員はドアモードをオートに変更してください」の指示が入ってから、実際にわたしが機外へ出れるまでの時間を計ると、たった150秒だった。
しかしイライラしている。解決法としては1ランク上のシートに座るか、イライラしないように心がけるか二つに一つだと思った。

次は9/20の頃にまた首都圏にでかけます。

8月の首都圏ハイカイ第二弾?

残暑お見舞い申し上げます。
8/20?23までの四日間、例によって首都圏ハイカイいたしておりました。
展覧会それぞれの感想文は後日において、今日はダイジェストです。
佐倉、大宮、八王子、横須賀・・・関西在住の女がよくも出歩くぜ、という広い範囲を今回も遊ばしてもらいました。
しかし、今回はさすがに暑かったです!しかしそれよりなお暑い大阪から脱出できただけでもよかったのかも・・・

羽田から京成佐倉まで出ると言うのも不条理な感じがするけれど、伊丹?成田便は取れないので仕方ない。
佐倉についたらこれまた日差しがきつい、砂埃が立つ、で雰囲気的にウェスタンな感じかな。
マカロニウェスタンでもいいけど、それじゃちょいと陰惨な陰りがあるか。
一番近いのはヴィム・ベンダース「パリ、テキサス」かもしれない。
今回もJALのwebチェックインでビッグマック、ポテト、コーヒーのクーポンがあたったので、急ぎのランチにそれをいただく。
とにかく予定が詰まっているとこうなるなぁ。
以前アメリカがバブルの頃、株屋のお兄さんはドン・ペリでハンバーガーを流し込んでいた、と言うのを聞いたことがある。
別に儲けたりしてるわけではないが、わたしも多少似たことをしているなぁ。

わたしが「佐倉に行く」と言うと、周囲の皆さんは誰も「歴博」とは思わず、「・・・義民伝か?」と訊く。
そうやね、普通は。
でもそうやなしに、わたしは歴博へ行くのだよ。「百鬼夜行の絵巻」と「日本建築は特異なのか」どうか見るために。
まぁ結論から言うと、特異という方向へ答えが出るように導かれてもいるわね。
実証性についてもここまで資料を並べられると、とても納得するし。

見終わって外へ出た途端、目の前にバスが来た。乗りました。
暑いので助かるけど、駅のホームで10分も待つのでは大差ないかもしれん、と不逞なことを考えた。
乗り換え少しして、六本木1丁目へ。
泉屋分館で高島屋史料館の名品を見る。大勢のお客さんが喜んではるのを見て、なんか嬉しい。
高島屋と住友の回し者みたいなわたし。
来月は後期を見るよ。

大倉集古館で日本の古美術を眺め、毎度のアートコレクションでオランダ絵画を眺める。
さっき泉屋で小出楢重の「六月の郊外風景」を見たが、あれはこのアートコレクション展で見たのが最初だった。
あの衝撃はたぶん生きてる限り残る。
そしてここへ来るたびに思う。

次に麻布十番経由で六本木へ出た。今回は京急羽田空港からメトロ+都営1日券を購入したので、それでうろうろしている。
ルネ・ラリック展に入ると、皆さんやっぱり目の光り方が違う。
わたしもキラキラ(ぎらぎら?)してたと思う。
さてそこからサントリー美術館へ。
シアトル美術館展に入ったが、Takさんが「遊行七恵さんご覧になったら狂喜乱舞しそう。。。」と書いておられたけれど、狂喜乱舞ではなくて、久しぶりに目の表面が潤ってしまいましたがな!!

あんまりいいものを見てしまうと、それまでに見たいいものが飛んでしまう。
鹿も絵巻も飛んぢゃいまして、李朝の白磁にただただ感動した。あんまり良すぎるので、しつこく瞬きする。
目を開けて凝視するより、しつこく瞬きを続けることで、サブリミナル効果を期待するわたし。
詳しくは後日に書くつもりだけど、書けるかどうかわからない。
あああああ、本当によかった。

アジアの美にフラフラになったわたしは地下へ降りまして、珍しくベトナムのフォー専門店へ入って、フォーと生春巻きをいただいた。
店員さん、どことなくクメール佛ぽい風貌だったなあ。
おいしかった。わたしは麺類が好きだから嬉しい。
おかしかったのは、わたしが入ってから後の新しいお客さん全員がお一人様の女客で、全員が手にサントリー美術館のチラシなどを持っていたこと。
そぉかー、みんな一緒だな?アジア万歳!!

と、それで元気が出てきたわたしはその前日に知った「さいとうプロの仕事」展を見るために六本木から森下へ向かう。
森下文化センターには何度か行ったが、夜九時まで開館とは知らず、ええいっと行ったのよ。
わたしは75年からビッグコミックとオリジナルの愛読者なので、ゴルゴ13とも付き合いが長い。
(依頼したことは一度もナシ)
完全分業制なのは本当に凄い。職人的マンガ家もいる反面、こういう仕事の進め方もいい。


ここは元々は田河水泡の記念室なので、のらくろの常設も見る。何度か見ているがやっぱり面白く思う。内容もさることながら、その当時のファンの少年が、休日に帰る家のないのらくろにあてて『ぼくの家においで。母さんもいいって言ってくれたよ』とファンレターを送ったというエピソード。
そういうものにわたしはキュンとなるのさ。

翌朝は大宮までJRで出て、東武に乗り換えて大宮公園へ。
埼玉歴史民俗館に食の文化史の展覧会を見に行くが、むろん学術的な内容だとは思うけれど、イヤシのわたしは絵とか蝋細工の食べ物を見るだけでワクワクヨダレなので、なんも考えんと出かけた。
大阪弁のニュアンスを伝えるのはムツカシイ。
イヤシとは食いしん坊プラスアルファの意味があるのよね。
つまり仲間内で「ジブン(同格から目下向けへの呼びかけ)、イヤシやな」「アンタもやんか」「えっへっへ(笑)こいつぅ?」と言う使い方をする。
間違っても目上相手とかマジメな場で言うてはいけません。

それから線路挟んだ向うのさいたま漫画会館へ行く。北沢楽天の資料館。来月には里中満智子展もある。楽天の資料をもっと見たかったが、不足な気分。わたしは楽天の風刺漫画より、童画が好きなのだ。
この界隈は盆栽村と言うて、盆栽作りで有名なところらしい。

大宮に着いたとき、一瞬鉄道博物館?に行こうかと思ったが、やっぱ予定通り浦和へ向かった。
いつもうらわ美術館に行くのに道を間違えるわたしだが、今回はまっすぐに行けた。
BIB(ブラティスラバ国際絵本展)原画展を見る。
絵本展を見るのは本当に楽しい。

巣鴨経由で東洋大学へ行く。井上円了の集めた妖怪関係の資料を見る。
八日医学入門へんな変換、妖怪学入門ということだ。
幽霊の掛け軸が三本ほどあった。やせこけた幽霊を見て、「天牌」の菊多を思い出した。
丁度単行本50巻を購入したばかり。
あと閻魔大王のどアップがあった。
ちょっとだけだが、なんとなく面白い。

八王子へ。だいぶ慣れてきたが、やっぱり遠い・・・
夢美術館で「大河原邦男のメカデザイン」を見る。やっぱりかっこいい。
わたしはボトムズとザクが一番可愛い。

三鷹で牧島如鳩展を見たが、この感想を書けるかどうかわからない。
既に行かれた方々の感想を読んでいて、気合も入っていたが、わたしに書けるか?
今年のベスト展に入れにくいが、第一等の中身という・・・カンヌ映画祭で言えば「ある視点」賞と言うとこです。

長いので、とりあえずここで第一部おわり。続きはまた別記事です。



天保山のサントリーミュージアム

今朝、新聞を開くと天保山のサントリーミュージアムが赤字のため来年末に閉館、と出ていた。

とうとう来たか、という気持より「…そうなんや」という諦め感が湧いている。
94年開館から15年、これは!という記憶と記録に残る展覧会がなかった。サントリーミュージアムはサントリー美術館とは異なる企画展を続けて来たが、残念ながら本当に良かったものは思い浮かばない。ロートレック展はよかったがあれは東京との共同企画だったろうから、どうもやはり難しい。

しかし何ら人々の心に痕跡を残さなかったわけではない。展覧会に無関心な向きにも「あの天保山には海遊館と観覧車となんか美術館がある」という認識があった。続いて「天保山は日本最低山や(笑)」と言うだろう。
幕末の浪花名所図会には桜の名所として描かれているが、その名の通り天保年間に人工的に作られた山で、160年後に海際の遊覧地としてミュゼ等が誕生したのだ。

またこれで大阪から文化が一つ消えるのか。しかしサントリーにはありがとうと言いたい。せめて棹尾を飾ってほしいと思っている。残りある限りの展には行きたいと思う。嗜好をこえて。

シルクロード 文字を辿って ロシア探検隊収集の文物

京都国立博物館で「シルクロード 文字を辿って ロシア探検隊収集の文物」を見た。
memeさんが金曜の夜間開館に出かけられて、観客の少なさに驚かれていたので、わたしも心配になりましてな。
しかし土曜の開館直後に入ったときにはまぁまぁ繁盛していたので、ほっとしました。

展覧会の概要について。
この展覧会では、その四大コレクションのうちロシアのコレクション、すなわちサンクトペテルブルクにあるロシア科学アカデミー東洋写本研究所所蔵の文献類を、同研究所の全面的な協力を得て、「敦煌学発祥の地」である京都で公開するものです。
これらの文献類は、敦煌と中央アジア周辺、さらにはカラホトのものが有名であり、写本の仏教経典を中心に漢文・西夏語・コータン語・トハラ語・ソグド語のものなど、その総数は断片を含んで2万点以上と報告されています。時代的には、ほぼ4世紀から12世紀にわたり、文字の違いはいうに及ばず、写本のかたちや書写の形式などにもそれぞれの違いが見られ、大変興味深いものがあります。
今回の展示では、コータン・クチャ・カラシャール・トルファン・敦煌・カラホトで発見された文献を中心に、その中から世界的にもよく知られた写本・版本類の優品約150件を展示します。そのほとんどが日本初公開です。


主催新聞社の記事を読んでいたところ、西夏文字が出るとあり、それだけでもドキドキしていた。
むかし、井上靖原作「敦煌」を映画で見て、かなりハマッていたので、西夏文字にはちょっとアコガレがある。
さらにこのブログでしつこく書いていることだが、わたしは中学の教科書で読んだ「龍村平蔵の獅子狩文錦復元」「大谷探検隊」に感動して以来、中央アジアへの深い憧れを抱いている。
とはいえマジメに敦煌学を修めたわけではなく、ファンとして好きなことだけ学んだ程度だ。

中央アジアは民族の坩堝であり、多民族であるということは、異なる文字が氾濫しているということになる。
日本語も大して書けないわたしが、これらの文字を習得することは不可能なので、文字を翻訳し、解読した学者の熱意と誠意とには、本当に頭が下がる。
これらの文字の羅列を見てからロシア語を見ると、ロシア語のほうがまだ読めてしまうのが面白い。
尤もそれは文を読んだのではなく、ロシア人が地図を拵えていて、そこにロシア語、漢字、現地語の3表記があるから読めたのに過ぎない。

地図。大学1年の頃、丁度諸星大二郎「西遊妖猿伝」にハマッていて、「敦煌」にもハマッてで、ついに自分で日本からシルクロードを越えてローマまでの地図を模造紙いっぱいに拵えたことがある。夏休みの自由研究ぽい気持ちで拵えて、たいへん楽しかった。
(作ったのは秋だったが)
漢文の先生が唐詩選の専門家で、わたしが漢詩・唐詩を愛していたのを喜んで、その地図を持って来いと仰るので持って行ったが、縮尺が悪いのと方向音痴が作る地図だということがネックになって、先生の苦笑を誘った。

ここにある地図は立派な地図で、ロシア探検隊が正確に測量した地図だった。
他にも敦煌千仏洞全景図があり、これはS.M.ドゥーディンが1914-1915に描いたもので測量技師たちの技能も加わった立派なものだった。模造紙6枚続きの一大パノラマだった。
窓の装飾、柱頭飾りなど、リアルだった。

それにしても文字の氾濫である。中には梵字に似たものもあるが、これは現代の表記が適うのか。言語とその地方の字体とが異なっていたりするし、メモを取っても取っても追いつかない。
またその文字をどこに記したか、と言うことも重大になる。
白樺の幹を鞣したものに書いたものもある。貝葉紙というものに書くことも多い。
本当に興味深い。読めない文字の羅列にしか見えなくとも、その文字を使っていた民族がいた、と言うこと自体が面白いのだ。
文字や言語へ強迫観念が生まれてきそうな内容である。

ジャータカがあった。これらは物語としてみた場合、ひどく面白い。
毒の話がある。ある家に後妻に入った女が継子を毒殺しようとするが、継子はそれに気づき、皿を取り替える。継母が戻ったときには、彼女の子供ら7人が全滅している。
家の中の敵を屠る手段としては、救いのない話であるが、その話も読めない文字で書かれていると、残酷味が薄れる。

西夏文字で綴られた論語や文海(西夏語辞書)を見る。壮観な眺めだと思う。
漢字に似つつ、遠く隔たっている。交わることもない。
これだけ画数の多い文字は珍しい。ある意味、ハングルの対極にある。

最後に国宝や重文の写本類が並んでいたが、見ているわたしの目の前で紙食い虫が這っていた。あわてて係員を呼んだが、ちゃんと駆除できたろうか。
それだけが心配である。

展覧会は9/6まで。結局2時間以上見学していた。


妖怪天国ニッポン

京都マンガミュージアムで「妖怪天国ニッポン」を楽しんできた。
これは6月に姫路で開催された展覧会の巡回。
memeさんとご一緒しようと約束していたが、新型インフルの余波でアウト、京都を待った。待った甲斐はあって、かなり楽しめる内容だった。

「絵巻からマンガまで」の副題があるが、その始まりの「絵巻」にしても、百鬼夜行絵巻、酒呑童子絵巻、化物嫁入絵巻や稲生物怪録などもあり、それからしても楽しいではないか。

マジーッなのは与謝蕪村までが「妖怪絵巻」を描いていたこと。尤もブライス・コレクションには松村景文の幽霊画もあったから、不思議ではないのかもしれない。

日本は本当に妖怪や幽霊が大好きな国民性で、恐れながらも好きなんだと言うのがありありと見えている。
なにしろ歴史が古い。
江戸時代に大メジャーになったとは言え、平安時代からモノノケとお付き合いがあり、それを描いているのだから半端ではない。
現代もこれほど妖怪や幽霊のマンガが多いことを考えても、やっぱり国民性として「好き」だとしか言いようがない。

現代の妖怪ラブの基礎は水木しげるが築いた。
それは現代人が竜馬ファン・新撰組ファンなのは、司馬遼太郎のおかげなのと同じで、妖怪やオバケは水木しげるのおかげなのだ。

江戸時代の芝居である歌舞伎では妖怪より圧倒的に幽霊の登場が多い。
妖怪が出てくるのは数えるほどだ。
芝居ではなく読み物ではまだ妖怪も多い。
馬琴「椿説弓張月」「八犬伝」、秋成「雨月物語」などなど。
(前者は元から妖怪、後者は妖怪に化った者たちが多い)
しかしそれでも圧倒的に多いのは幽霊である。

山東京伝も幽霊や因果譚の好きな作家で、今回もそれだけでヤマが出来ている。
生者の間は弱者でも亡者となれば力を得るのか、幽霊からモノノケに変化する連中も多い。
しかし厳密には彼らは妖怪と括っていいのかどうか。
見た目はヒト型でも中身は・・・というのが姫路城の刑部姫など。
南北にはお岩さんというスーパースターがいるが、彼女は怨霊で、妖怪ではない。

ところが、鳥山石燕の絵本や北斎漫画などには妖怪が次々に姿を見せているから、けっこうなことだ。妖怪ラブは江戸時代に始まったのだ。
その鳥山石燕の画もいくつも見られて、たいへん嬉しい。
時代は下がり、幕末の浮世絵になると、派手派手な芝居絵やかこつけての風刺絵が現れるから、これがまた楽しくて仕方ない。
国芳門下の連中が大活躍している。
一つ一つ見て歩くと、パターンが決まっていることにも気づくが、とにかく面白い。

蹄斎北馬の挿絵でしんとく丸の譚があった。これは妖怪でも幽霊でもないので、そんなのに分類していいのか。横顔が綺麗な青年だった。

ところで今回わたしは「稲生物怪録」の図版を見たが、これは稲垣足穂によると、平太郎少年の愛の目覚めということだが、どうもそうは見えない。
また平太郎が豪胆と言うわけにも見えない。
というのは、やっぱり諸星大二郎「栞と紙魚子」シリーズにこの物語が現れ、「・・・もしかして平太郎って天然?」と以前から思っていたことが「立証された」ような感じで(笑)。
しかし宇野亜喜良まで絵本でこの物語を描いていたとは。
(尤も彼の絵だと、やっぱりタルホ先生の説が正しいような気がしてくるのだが)

面白いのは北斎の「百物語」を芳幾がちりめん絵にしていること。
中右コレクションにあるが、さすがこういうフシギなものは中右コレクションのほかには持てないのかもしれない。

ほかに「釈迦八相倭文庫」が怪談系とは知らなかった。タイトルしか知らなかったので、今回こうして実物を目の当たりに出来て嬉しい。
(この草双紙は泉鏡花の愛読書の一つなのだ)
ここでも草双紙のコーナーを設けられていて、簡単な概要もあるのが嬉しい。

幕末には子どもを楽しませるオバケカルタ、オバケ双六、オバケ立版古などがあった。
カラーコピーして販売して欲しいな・・・
写し絵は幻灯で写すが、国立演芸場には小平次の怨霊の写し絵があり、わたしは以前下手な絵で一生懸命模写した。

さて明治になりました。
妖怪はもとより幽霊も「神経のせいです」とばかりに一旦排除され(廃仏毀釈とよく似ている)はしたものの、「真景累ケ淵」「真景牡丹灯篭」と三遊亭円朝が噺にしたことで、再び日の目を浴びることになった。
尤も幽霊も妖怪も日の目を浴びるとアカンのですけど。

日日新聞系などでまたちょこちょこ出てくるようになったのが嬉しい。
しかし幽霊はともかく、怖い妖怪は本当に水木しげる先生が現れるまで、雌伏したままになった。

特設コーナーを見る。
荒井良と言う作家が拵えた妖怪張子が面白かった。
京極夏彦所蔵と言うのもいい。
その京極ワールドがそこにも展示されていた。

わたしは現代小説でモノノケ系を読むのはニガテなので、読者ではないのだが、氏が水木しげる先生を大事にされている、というニュースを聞いてなんだか嬉しく思ったりしている。

件と書けば「けん」「くだん」と読み、言葉自体の意味はそんなあれでもないのだが、妖怪としての「くだん」はその字の通りヒト・ウシである。人面牛。
件は生まれてすぐに預言を口にし、そして死ぬ。
小松左京「くだんのはは」はめちゃくちゃ怖い小説だった。
妖怪・件と「九段の母」とをひっかけてのタイトルは巧すぎる。
石森章太郎もコミック化しているが、そちらもたまらなく怖かった。
(関係ないが、石森名義の頃、時代物に怖いものが多かった。「変身忍者嵐」は「山月記」や「小栗判官」をモティーフにしたエピソードがあったし、「佐武と市捕物帖」も怖い話が多かった。やっと明るい話が描かれるようになるのは「さんだらぼっち」が軌道に乗ってからだった)

その件の剥製があった。縫い目のないぬいぐるみのようだった。
こういうものは想像するから怖い。剥製を見れば意識が限定されてしまう。
人魚の剥製もあったが、こちらもハイハイな感じ。以前河童の手も見たが、なんだかこういうのは楽しい。

その隣では怪奇な物語を紙芝居にしたものが画像として流されていた。
なかなか面白い。以前、平野の町ぐるみ博物館で、大和川界隈を舞台にした怪談の紙芝居を見た。面白いところで終わり、その続は二度とわからない。今思い出してもドキドキする。多分結末は誰も知らないだろう。

先に「怖い妖怪」は水木しげるの登場まで待たねばならないと書いたが、怖くない妖怪は大正の作家によって書かれることもあった。
宮沢賢治「ペンネンネンネン・ネネムの伝記」とその試作品「ペンネンナーム」のタイトルロールは共に「バケモノ」である。
そしてRRR武井武雄は実に様々なバケモノを描いた。
どちらもキラキラした星の欠片を、読者の心に送り込んでくれる作家だった。
ここには彼らの紹介はなかったが、わたしはそのことを思い出している。

妖怪マンガ誕生前夜というコーナーには、賢治やRRRと同世代の「正チャンの冒険」が出ていた。正チャンとお供のリスとは様々な冒険をするが、ある日森の中で天狗に遭う。その天狗たちは生首だけで空を飛び、正チャンを噛んで怪我をさせた。
(このマンガのオチはなかなか気が利いているが、ここには挙げない)
挙げられていたのはその天狗篇だけだが、他にも寺院の怪奇な妖怪と、そのタタリにより狛犬にされた僧侶たちの話など、面白いエピソードが随分多い。

この時代は河童をモティーフにしたものも多い。
河童は芥川龍之介により、その社会構造の一端が暴かれてしまったが、まだまだナゾが多い。伏見の黄桜に行けば、酒蔵のそばの記念館で各地の河童の玩具を見ることも出来る。

杉浦茂のハチャメチャで可愛いキャラたちの中にも怪しい連中が多いが、こちらはあくまでも「可愛い」のだ。
いよいよ水木しげる登場である。

わたしの下のオジは団塊の世代なので、カムイと鬼太郎と鉄人28号とバカボンに、リアルタイムに熱中した。
鬼太郎は墓場鬼太郎の本を持っていたが、あの話は怖かった。ゲゲゲになってからはともかく、墓場の方は怖かったな?ゲゲゲでも鬼太郎がヘンな注射を打たれて姿が変わる話はトラウマになるくらい、怖かったが。

「河童の三平」「悪魔くん」は再刊されたときに入手したが、とても面白い。
特に「悪魔くん」は色んなバージョンがあるからややこしいが、出来る限り手に入れようとしたので、多分全部揃えることが出来たような気がする。

それにしても鬼太郎のおかげで、妖怪の今日がある。
原作の鬼太郎はなかなかシビアな面もあり、セコいところもあって、却ってその方が好きだ。昔のグッズなどを眺めながら、色んなことを思い、それがまた楽しい。

展覧会の解説で、ウルトラ怪獣と妖怪とが同一レベルで愛されるようになった、というのを読み「ほほー」という感じがした。
今の今までそんなこと考えもしなかったので、ほほーと感心したのである。
それが本当のことなのかどうかは知らぬが、とにかく「ほほー」である。

「怪物くん」「どろろ」「猫目小僧」の紹介がある。
実は「どろろ」は下のオジがくれたので、これはかなり昔から所蔵している。
妖怪から体のパーツを取り返す、と言うのは青年の自己実現云々という解釈もあるが、そんなことより何より、読みながらやたらと思想くさいな、と思っていた。
描かれた時代性もあるのか、左翼的なのだ。
小学低学年でそんなことを感じ取っていたのは、学校がそんな風だったからだろう。

猫目小僧は可哀想な話なのでつらい。全般的に楳図かずおの妖怪は怖いが、それよりも作者も言うように「人の心の方が怖い」のだった。

「ドロロンえん魔くん」もあったが、こちらはアニメと同じくペコちゃん顔の可愛いえん魔くんだった。高校の頃「バイオレンスジャック」完結篇が漫画ゴラクで連載されていて、そこに「炎魔」と名乗る美青年が現れ、最後はジャックに倒されたが、この美青年はあのくりくり可愛かったえん魔くんの後年の姿なのだった。
そのこと自体にびっくりした。

荻野真「孔雀王」も好きだった。特に前半の民俗学ぽいあたりとか。

諸星大二郎作品が並ぶ。
「妖怪ハンター」がある。丁度私がジャンプで読んだ号が出ていた。
「死人帰り」。反魂の術。この術は近藤ようこ「美しの首」を読むまで、ほかに見なかった。
「詔命」「ヒトニグサ」などなど名品が並ぶ。
やっぱり諸星大二郎はすばらしい。
「蟻地獄」の異形の土偶が展示されていた。おお?こんな感じかっ。「六福神」に至っては、入り口で一緒に記念撮影と言うサービスまである。
「描き損じのある妖怪絵巻」いいですね?本当に巻物仕立てが出ている。
最後に新作書き下ろしマンガがあった。「ネット妖怪天国ニッポン」・・・笑えたなぁ。

この展覧会も8/31まで。ああ楽しかった…

承天閣の名宝

相国寺の承天閣美術館に行った。新しくなってからは初めて。
パリの美術館での展覧会を終えて、凱旋展という感じ。
ここは靴を脱いであがるのだが、一歩あがると、良いお香の匂いが出迎えてくれる。
白檀だった。夏の暑い日にこうしたお香に包まれると、清涼さを感じる。
出かけたのはお盆前の平日なのに、けっこうお客さんもおられた。
金閣・銀閣・承天閣の名宝、ということが人の心を捉えるのだろう。
ただし展示換えも多くて、わたしが見たかった作品がいくつも仕舞われた後だった。残念。

それにしてもこの美術館は所蔵品の多くを、ネットで画像公開してくれてはる奇特な美術館なので、ありがたい。
ご覧になる方はこちらへ。

十牛図を見た。心の物語。高校のときわたしを可愛がってくれた先生はユング派の学徒でもあり、今もわたしに年賀状を下さるが、その絵柄は必ず十牛図なのだ。
先生お手製の木版画。そして今もわたしの「牛」はうろうろしているまま。
この絵を見ると禅のこととは別に、色々なことを考えてしまうのだった。

茶室の再現があった。
水屋もわるくないが、脇の室へのアプローチがとてもいい感じだった。 
茶室としていい感じと言うだけでなく、和室として素敵なのだ。

若冲の作品が色々ある。仏画はともかく、金閣の大書院の障壁画が素晴らしかった。
ここにあるのは葡萄小禽図と月下芭蕉図。書院そのものの再現もなされている。
巨大な芭蕉の葉陰に満月がぼんやりうかぶ。なんとなくハワイのビーチのようで、妙にリゾート感覚していて、それがわくわくさせるのだった。
葡萄の方は、壁から伸びた葡萄の蔓が書院そのものを侵食してゆくようで、静かな迫力がある。
どちらか言えば妖しささえ感じられるのだった。

他に茶道具を多く見た。
堆黒倶利香合などのぐりぐり柄の丸い香合などは、近年になって大好きになった。
仁清の寒山拾得の茶碗も可愛い。

機嫌よく表に出ると、灯篭が二つばかり気になった。
どちらも虎が関わる灯篭。数匹で笠を持ち上げる働き者の虎の灯篭。
こういうのが苔の上に鎮座しているのが嬉しい。
次の展覧会にも行こうと思う。

染付 藍が彩るアジアの器

東博で「染付」展が開催中である。
見る前からわくわくが止まらなかったが、見てからもワクワクが止まらず、見終えてからは書けなくて惑惑である・・・。
みたのが8/2で今日は8/18、明後日からはまた東京という日々の中で、とんだテイタラクである。
それほどこの展覧会が良かった、ということだと好意的に解釈していただきたい。
(単に怠け者なのかもしれないが)
09081703.jpg

平成館の展示室をお伊勢さんと二つに分けていた。
お伊勢さんを見てから染付へ入る。
入ってギョッ。ギョっなのは当然、巨大な魚が視界いっぱいに広がっている。
これはわれらが東洋陶磁美術館の人気者・青花蓮池魚藻文壺ではないか。
(正確にはその拡大版)
♪サカナサカナサカナ?サカナはトモダチ?
いい演出で、明るい気分になる。ああ?これを見ただけでも染付バンザイ!
12章に分かれての展示。タイトル見ただけで期待度が高まる。
どのコーナーにも必ず好きな染付がある。それに会えると思うだけで嬉しい。

第1章 元時代の染付
第2章 明時代前期の染付
第3章 雲堂手―民窯の染付
第4章 明時代後期の染付
第5章 ベトナムの染付
第6章 朝鮮の染付
第7章 明末清初の染付
第8章 伊万里と鍋島の染付
第9章 清時代の染付
第10章 京焼と地方窯の染付
第11章 伊万里染付大皿―平野耕輔コレクション
第12章 染付の美を活かす

染付ワークシートをいただいて、わたしもいそいそと探索に走る。
1章から4章までの2室の展示のガラスケースは明治時代のものらしい。
道理でレトロで素敵なシックさがある。でもガラス自体は新しい。戦前のガラスでは偏光しているのだが、このガラスはいやな反射もなく、凄く見やすい。
日油株式会社というところの特殊な低反射フィルムのおかげだそうだ、すばらしい!
それにしてもあの魚と藻とを拡大したおかげで、このあたりはまるで巨大水族館のようで、それだけでも嬉しくて楽しくてしかたない。

出光の青花明妃出塞図壺がある。これは王昭君の物語のことだった。
かつての悲話は長く人々に慕われ続け、こうして立派な壷を彩っている。

白抜き龍が波の上で大暴れ、という扁壷がある。これは東洋陶磁所蔵つまり安宅コレクションの一つだったと思うのだが、この兄弟は畠山にもいる。’07年の「青と白のやきもの」展チラシを任された天球瓶がそれ。同時代の多分同じ窯から生まれた兄弟だと思う。

謂れとか出自とか、それにまつわる逸話などを知るのも、やきもの展の楽しみ。
所蔵者がどれほどそのやきものを愛したか、そのことを思うだけで、目の前のやきものがいとしくなる。

青花琴棋書画図壺 戸栗美術館蔵  なにも琴棋書画を楽しむのは高士だけとは限らない。この壷では貴婦人と二人の侍女が楽しそうに遊んでいる。
明代の女といえば「金瓶梅」を思い出すが(時代は北宋末期ではあるが、風俗などはそのまま当時の様相で描かれている)、これくらいの身分や財があるなら、楽しんで暮らすことに誰の批判もない。

青花楼閣人物図壺 東京国立博物館蔵(谷村庄平氏寄贈)   これはまた可愛い図柄で、童子が「お客さんが来られましたよっホラッ」と手をさしている。嬉しくなるようないい感じの図柄。先のもこちらも民窯で生まれたから、こうした絵柄が可能なのかもしれない。

明代はやはり文化爛熟の期だけに、絵柄にも楽しそうな情景のものが多い。
共に嘉靖年間の作で、東博所蔵・横河民輔氏寄贈の2つに良いものがある。
青花唐子図大鉢  ソラマメみたいな童子たちの独楽遊び。
青花四愛図大壺  「四愛」の文人たちの姿が描かれている。陶淵明の菊、林和靖の梅、周茂叔の蓮、黄庭堅の蘭・・・四君子だと蓮の替わりに蘇東坡の竹が入る。
周茂叔が蓮を愛する姿を描いたものを見ていると、わたしも小舟を出して蓮池の中をゆらりゆらりと漂ってみたくなる。

こちらも横河氏の寄贈で、胴にいっぱい蝶々が飛んでいるのが、青花蝶文双耳瓶。
あああ、きれい・・・

ベトナムの表記は昔だと「安南」とか「越」ということになるが、その頃は漢字が流通していたので、注文も通りやすかったろう。
中にはイスラーム風のものやスズキコージ風のものもあり、色のにじみが個性になるものもあって、これらが実は五百年後の現在も同じように生産されていることを思えば、それだけでも嬉しくなる。
ベトナムの「青花」には、中華風ベトナム料理だけでなく、フランスやオランダのお菓子も似合うのだ。

以前は「李朝」と言うた時代も、現在では「朝鮮時代」または「李氏朝鮮」などと言うようになった。政治的な絡みはおいとくとして、朝鮮の染付は18?19世紀頃のものがいい。
わたしは朝鮮のやきものがたいへん好きなのだが、それは12世紀頃の高麗青磁を頂点にして、その周辺の青磁に溺れ溺れしている。
染付に関しては、東洋陶磁美術館に李さんが寄贈してくださってから、親しくなったので、日が浅い。
だから民画風の虎などが可愛く描かれたものや、ナデシコや秋草の描かれたやきものを見ると、嬉しくなる。
韓流ドラマはニガテだが、古美術品を見るために韓国へ行きたいと思うことが多い。

オジが以前、韓国に単身赴任していた頃、向こうのやきものを土産に持ち帰ってくれたが、それらはすべすべしているだけではなく、水を入れれば表面が潤うような性質を見せていた。掌にその湿潤を感じるときのあの歓びは、説明しにくい。掌に走る静脈がその湿潤に反応し、深いときめきが生まれた。そこには緩やかな官能性があったと思う。
特にそれは青磁と白磁とに顕著だったが、染付にもその特性は備わっているだろうと、わたしは信じている。

古美術界で名のある人ゆかりの逸品を目の当たりにすることが、わたしの修行の始まりだった。幸い近くに逸翁美術館があり、高校生の頃から通ったことがよかったのかもしれない。(尤もそのためにか、わたしは現代美術を理解しにくい体質になったが)
そして東洋陶磁美術館の安宅コレクションが中之島にあったのも幸いした。
長じて後は東博で壷中居主人が寄贈した名品を眺めることが出来るようにもなった。
まことにありがたい。
その広田氏寄贈の古染付の名品が随分たくさん出ていた。
言うたら、今の住まいでのショーだから、当然顔出ししますよ、ということか。
いちいち何がいいかにがいいとは言えないので大雑把に書いてしまうが、こういう名品を見ることで目が養われ、心が洗われるんやな?と実感する。
・・・とりあえず気に入ったものをいくつか。

古染付辻堂香合 五島美術館蔵  元は大阪の藤田家伝来品。見た瞬間、その可愛らしさに惹かれた。明代の染付は可愛いものが多い。撫でたくなる。

祥瑞花鳥図二段捻鉢  こちらも五島蔵。綺麗、本当に綺麗。発色の美しさにときめいた。
この7章随一の綺麗なやきものだった。

ところでワークシートをもらったが、それがとても楽しい作りのもので、何度も遊ばせて貰った。こういうものはけっこうレベルが高いので、必ずいただくことにしている。

伊万里と鍋島の染付を見た。
わたしは母と嗜好が大きく異なるので、一緒に何かを楽しむということがたいへん少ない。
しかしやきものだけは別で、これは母がわたしを巧く導いたな、という感じがある。
尤もここでも、母は伊万里、わたしは鍋島に意識が向くのだが。
しかし決して伊万里を軽んじるわけではない。
そして母からは「濃染」の美を教わった。

伊万里で一枚、素晴らしい大皿を見た。
染付吹墨椿文大皿  6.7月の東博ニュースに画像があるが、これはもう完全にわたし好みの逸品。大皿と言う円の宇宙に閉じ込められた紅白の椿。それが天と地とそれぞれに咲いて、互いをみつめ合う。見事に美しい一枚。
何度も何度も眺めた。今日の二百品ほどのなかで一枚くれるというのなら、こちらをぜひともいただきたい。本当に素晴らしく美しかった。
まだドキドキしている。

染付群烏文輪花皿  こちらには五羽の烏がいる。なんとなく面白みがある。
他にもめでたいうさぎをモティーフにした大皿もあるが、なじみのものも多く、楽しい気分で見て回った。

それにしても本当にすばらしい展覧会だった。こういう楽しみは決して捨てられない。
ただ名品を並べて見せるだけではなく、楽しい演出も施されていて、それに乗せられて、いよいよ機嫌よく見て回れた。
ラストには染付をメインに、ほかのやきものも友情出演して、「染付の美を活かす」コーナーがあった。
そこではおいしそうな食卓のしつらえがあった。
クラクラした。こんなすばらしいセッティング、わたしの前に供せられたら!!!
あああ、ワクワクばかりで、まともな記事にならなかった・・・。
でも本当に、染付の美をここまで堪能させてもらえるとは、思っていなかった。
ありがとう東博。本当に嬉しかった。

坂倉準三 モダニズムを住む

汐留ミュージアムで坂倉準三のインテリア展を見た。
鎌倉の神奈川近代美術館では「モダニズムを生きるー人間、都市、空間」が開催中で、こちらはその第二部にあたる。
「モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン」展。
鎌倉へは8/22に行くが、先にこちらを見た。
09081601.jpg

実のところモダニズム建築がニガテである。
公共の建物ならともかく、個人住宅でモダニズムと聞くと、どうしても「夏暑く冬寒く、見栄えがよくない」というイメージがある。
この思い込みについてはちょっとした根拠がある。
関西にはモダニズム建築の名残が色々あるが、知人の住居がそのうちの一つだった。
「本当に困る」と言うのが知人の意見で、彼女から延々と自宅の弱点を聞かされて、そんなもんなのか、と思ったのだ。
それからもう一つ。
これは関西独自の文化のようだが、木造建築の場合、木切れをそのまま晒すと言うことは絶対にありえない。関東にはそうした木がまるまま見える住宅が多く、今の世では却って風情があるように見えるが、関西とくに京阪ではそれはありえない建て方なのだ。
関西では必ず塗る。塗って隠してしまう。白塗りさんにして、覆い隠してしまう。
「汝らは白く塗りたる墓に似たり!」というセリフがよみがえる所だが、まぁ塗るのは当然という状況なのである。
それがモダニズムの洋風の家では、(木ではないからということもあるが)塗らない。塗らないから経年の汚れが見える。
つまり、それがニガテの根源なのだった。
しかし今回の展覧会で、モダニズム住宅へのイメージが大きく変わったことも事実だった。

意外なことに、坂倉は関西での仕事が多い。公共の建物については鎌倉展を見てから書くが、彼は個人住宅も多く手がけている。
それらはパネルや模型などで示されていて、施主は匿名の頭文字で記されているが、総じて皆、いい感じの住宅である。
彼が設計したインテリアの再現やパネル写真、建物自体の外観なども見る。
とても興味深い内容だが、びっくりしたのが上村松園さんの画室を設計したのが坂倉だと言うことだった。

松園さんの画室の写真などは著作や資料集などで見ていたが、改めて建物の設計者が坂倉だと思って眺めると、全く異なる感興がある。
間に高島屋が入っているから、三者の関係が見えてきて、それも面白い。
写真で見る限り、いい感じの和風建築である。
しかし残念ながらその画室を松園さんが使う日は来なかったが。

ル・コルビュジエのオフィスで修行した板倉の同僚・シャルロット・ペリアンの作品も並んでいた。戦時中に国が彼女を招聘したようだ。
個人的に言うと坂倉より彼女の作品の方がわたしは好み。
それは例を挙げると、上野伊三郎よりリチが、アントニンよりノエミ・レーモンドの作品のほうが心を捉えた、というのと同じなのだ。
そのペリアンは民芸に惹かれ、坂倉の案内で河井寛次郎邸に出かけている。
ペリアンと板倉の二人展が高島屋で開催されているのもいい。

現在ドメイヌ・ドゥ・ミクニとして軽井沢でも人気のレストランとなった邸宅写真を見る。
これはなかなか素敵なので、やっぱり行きたいと思った。
謂れのある建物、美しい建造物が無闇に打ち壊されるよりは、こうして生きてくれれば嬉しいと思うので、安堵した。(尤も紫禁城などを思うと胸が痛むのだが)
信州にいる妹を誘って出かけても、いいかもしれない。

龍村平蔵の次男邸  閉じられつつ開いた中庭という構造は、神奈川近代美術館の先行として見てもいいだろう。水平岩の連続にはきだし。和風だが、やはりどこかが新しくモダンさにあふれている。
和風建築でのモダニズムは、軽快で心踊るような良さがある。

個人邸宅で和風建築の場合、モダニズムが巧く活きているように思う。
和の楽しみを理解しているからこその、構造なのだろう。

汐留ミュージアムは演出も上手で、動画を素敵な音楽と共に流す、ということをする。
以前村野藤吾展のときもそうだった。
あのときは村野がインテリアデザインした客船ぶらじる丸・あるぜんちん丸のCG作品だったが、どちらもが戦争に徴用され、撃沈している。傷ましい映像には美しい音楽が寄り添っていた。
今回は、坂倉の設計した個人住宅の映像にドビュッシー「沈める寺」を合わせている。
非常に美しい映像作品だった。
これらがyoutubeにあれば、わたしはここに挙げたいのだが。

大阪市内に点在する彼の作品を見る。名を特定できない住宅群だが、場所に心当たりがあるので、いつかそっと外観だけでも確かめてやろう、と思った。

岡本太郎の自邸も坂倉だった。現在は記念館。螺旋階段が個性的だ。村野の螺旋とはまた異なるありようを見せている。

今回の展覧会は個人住宅を集めたもので、とても親近感を感じさせる優しい展示だった。
次は鎌倉の近美で、坂倉の設計した公共建築を見る。
そちらもとても楽しみだ。

ル・コルビュジエと西洋美術館

ル・コルビュジエが設計した国立西洋美術館をまとめて世界遺産へ、という運動があった。
ル・コルビュジエは一つ西洋美術館を設計したのみにとどまらず、この界隈全体の構想を有していたが、あいにくそれは実現しなかった。
現在、コンサートホールが建っている地はかつては寺内地だったが、本来そこへル・コルビュジエがホールを建てる予定があったそうだ。
しかしそれは実現せず、弟子の前川國男の作品が建ち、現在も多くの人々に愛されている。
夜間開館の日など、西洋美術館をでて、眼前のホールのシャンデリアの明かりが眼に入ると、それだけで心がほのぼのする。
そして今一度美術館を振り返り、師匠の拵えた建物を眺める。
なんとも言えず優しい気持ちになることが多い。

ル・コルビュジエの建物は実のところ私のような前近代的な建物を愛するものには、味気なさ・物足りなさを感じるのだが、しかしながら決して厭な感じはしない。
'01年に御堂筋のファニチュアーショップで、東大工学部の学生たちが拵えた、世界中に残るル・コルビュジエの建物の模型が展示された。
そのイベントに行くと、熱心な学生が多くいて、懸命に眺めている。
わたしも一つ一つ丹念に眺めた。
その中には当然この国立西洋美術館があった。
09081602.jpg

今月末まで西洋美術館では彼の建てた建物を改めて眺める、と言う状況にある。
数年前にもそうしたイベントがあったが、時折こうした状況に入るというのは、実に良いことだと思う。
改装した美術館に入ると、絵の展示場所が変わっているので、それだけでも新しい気分になるが、そこへ更に「ル・コルビュジエの建物を楽しむ」という項目を追加することで、二重三重のわくわくが生まれる。

今ではトマソン化した階段などもあり、「ナゼこんなものがここにあるのか」という疑問も生まれる。
それを考えること自体が楽しくなる。
しかもそれは他ならぬ「美術品を飾る壁や床」のことなのだ。
興味が湧くのは当然のことだ。

ル・コルビュジエの設計図がいくつも展示されている。
実際の設計図も楽しいがそれ以前の、思考の軌跡が読み取れるような図面もまた興味深い。
どれを選択し、どれを棄てたか。取捨選択の道のりは即ち思想の変遷である。
そのことを思いながら眺めると、非常に有意義な企画だと思う。


美術館の展示物の移動についても少し書いておきたい。
彫刻は彫刻で集められていた頃、それはそれでよかったが、今回絵画と絵画のはざまに置かれることにより、観る者の視点が変化したように思う。
つまり絵画とは二次元空間の物品である。ところがそこへ三次元構造の物品が参加することで、意識が変化する。
眼は二次元と三次元のものを同時に楽しめることになる。
三次元を見た眼で二次元を見ることで、それまでとは違う発見がある。
それがひどく面白かった。

ル・コルビュジエ展を見たことで弟子の坂倉準三の展覧会が見たくなった。
あわてて汐留ミュージアムへ向かったが、いいタイミングの展覧会があることを喜んだ。

日本芸術院の名品

芸大美術館の3階で日本芸術院の過去の名作を展示している。
09081302.jpg

日本芸術院の大きな展覧会は、’90年9月に「日本芸術院展」として奈良そごうで見ている。
そのときのチラシは「光昏」東山魁夷 だった。
秋の始まりにふさわしい一枚だったが、今回も大きく壁を装っている。

「沼」山辰雄  これは大変に衝撃を受けた作品で、今絵葉書を眺めてもやはりドキドキする。
新しい日本画を感じる一枚で、洋画との差異というものが殆ど感じられない。
沼に映る月、青い夜・・・見事な作品だった。

ほかにも奥田元宋や稗田一穂などの作品があったが、無論それらは今回もここに並ぶ。
20年近い歳月が経っているとは自分でもビックリだ。
戦前既に巨匠の画家たちの作品もあった。
玉堂、素明らのほかに新興大和絵もある。

「右大臣實朝」松岡映丘  牛車から降りようと身を露わにした一瞬。
絵はこの姿を捉えているが、次の悲劇を後世の我々は知っている。
實朝は甥の公暁によってこの後、暗殺されるのだ。
彼は日本脱出を試みた最初の一人だが、全て塞がれ、やがて悲劇的な死を迎える。
映丘の筆は彼の静かな面立ちを描いているが、そこには薄幸さが漂っている。

洋画にもよいものが多い。
伊藤清永の裸婦はふくよかで自信に満ちている。
福福しさを誇りに出来るのは、現代では裸婦図だけではないか。
足首に至るまで自信がみなぎっている。

織田廣喜の女たちはカシニョールの描く女たちとは魂の姉妹かもしれない。
絹谷幸二の「蒼穹夢譚」を最初に見たとき、SF小説のようだと思ったものだ。          
砂に埋もれた画面、それを見下ろす風神雷神。突き抜けるような蒼穹。
同時代に生きて、彼の新作を見ることが出来るのは、嬉しいことの一つなのだ。
彼は「黙示録」ですら明るい青色で表現するのだ。

工芸品も並んでいる。

「ガラス飾筥 春に舞う」藤田喬平  この人のガラス装飾は蒔絵をガラスで表現したかのようで、深い美しさに満ちている。
工芸館などで見かけるたびにときめくが、高島屋史料館にも多くの作品が収蔵されているので、観る機会が多い。
やはり世の多くの人は藤田ファンなのだ。

機嫌よくいい作品を眺めさせてもらい、嬉しかった。

かたちはうつる――西洋美術館の版画

西洋美術館の「かたちはうつる」版画展にお出かけです。
09081401.jpg

洋画の版画は実はニガテでして、なんでかしらと。
東洋の版画(主に浮世絵)は好きなのにな、と自己分析してみました。
こたえ=昔の兵庫近代美術館の西洋版画室が、異様に暗くて静かで真っ白で怖い場所だったから。
多分、たかがそれだけの理由。
不当な理由だよな、とひとりごちつつも、場所と言うのは大事だと改めて実感。
なんせそれがトラウマになり、町田の国際版画美術館へも行ったのは、織田一磨展覧会が無料だった日だけ。
しかし江戸博の来月の大正の新版画展はめちゃ楽しみなのだから、やっぱり本質的に西洋より日本画好きなんでしょうね、わたし。
とはいえ、今回の展覧会はogawamaさんがわくわくのレポを書かれていたので、遅まきながらわたしもココロ入れ替わるかも、と期待して。

先般「白樺派の愛した美術」を見たばかりだからか、ここでも同じ作品をたくさん見かけた。
思えばこれら版画蒐集の最初は、白樺派の洗礼を受けた人の手によるものだから、当然のことなのだ。
そう思うと親しみが湧いてくるやないですか。

•アルブレヒト・デューラー《メレンコリア?》 
•フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《理性の眠りは怪物を生む》
•マックス・クリンガー《夢》《ある生涯(15点連作、表題葉2、帙入、第3版15部のうちのひとつ)》
この辺りは「白樺派」で見ているから嬉しい再会と言う感じ。
特にクリンガーは好きなので、嬉しい。しかしクリンガーの特集をどこかで見れないものだろうか。

•ジョルジュ・ルオー《連作「ミセレーレ」中の一点》
•オノレ・ドーミエ《古代史23 「美しきナルシス 彼は若く美しかった、うっとりとやさしい息吹で/そよ風がほら、妙なる輪郭にそっと指を滑らすよ/泉の鏡なす水面に向かい/ためつすがめつするのが好きな、私らと同じホラ穴のムジナるしす」(ナルシス・ド=サルヴァンディ氏秘作の、肩の凝らない4行詩)》、〈古代史〉(50点連作)より
ルオーは汐留で、ドーミエは伊丹でおなじみ。

•ジャック・カロ《パリの景観:ルーブル宮の見える光景》
これも前々から見知っていたが、こうした集まりの中で見ると、なかなか興味深い作品だと知る。

•アルブレヒト・デューラー《アダムとイヴ》
けっこう邪悪な感じがええねんけど、そうは表立って言えないか。

•フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《彼らはここまでむしり取る》、〈戦争の惨禍〉(80点連作)より
このシリーズが色々出ていたが、どうしてか悲惨さよりも、別な興趣にソソラレてしまう。なぜかはわからない。
色んな縛り方、殺し方があるからだろうか。

•ウジェーヌ・ドラクロワ《ハムレットの死》〈シェイクスピア『ハムレット』による連作(13点連作)〉より
これは随分前に「prints21」で特集が組まれていたので、切り抜いている。オフィーリアよりハムレットの美青年ぶりに萌えていた。
なにしろハムレットの死のシーンにBL的な眼を向けているので、向うの王妃の死が全く目に入らなかった。
今回解説で「ハムレットよりも王妃の死が云々」とあり、初めて王妃の死に気づいたのだ。
改めてヒトと眼の行き場が違うのを知ったよ。

•マックス・クリンガー《舞踏の準備》、〈天幕〉(46点連作)のうち第II部(24点連作)より
これは女同士のアブナい関係と、憎悪とを同時に感じた。女の眼が怖いし、ドラマティック。

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《陽気の妄》、〈妄〉(18点連作)より
西洋のオバケ特集とかすればいいねん、と思うときがある。日本のオバケは展覧会ネタにもなるが、西洋はナゼしないのか。
これなど出たら面白いのに。

色々見回るとなかなか面白く感じた。これもお盆までの展覧会。

藝大コレクションを見る

上野に一日おるぞ、と決めた日がある。
それで芸大美術館に出かけたが、さすがにここの所蔵品はいつ見てもいいものが多い。
しかも今回の展示品は全てサイトでリンクが張られているので、絵がすぐに見れるやないですか。
無論、見れないのもあるけれど。
ありがとう、芸大美術館。
09081301.jpg

絵因果経 天平時代[8世紀後半]
これも天平期のものはあちこちで見たが、鎌倉時代に模本が拵えられているし、いちどくらい全編通して眺めてみたいものだ。
仏陀のジャータカとか色々。構図的にはエジプトの死者の書や敦煌の文書にも共通するものがある。
わたしは天平期の字体が好きなので、読み通せはしないが、機嫌よく楷書を眺めもする。
巻き替えがあるらしいが、わたしが見たのは托鉢中の釈迦のもとへお弟子たちがぞろぞろ集まるシーン。やがて竹林(祇園精舎)に終結しました、の図。

繍仏裂 白鳳時代
飛鳥から白鳳、そして天平への時代は浪漫に満ちている・・・
京都の南座の緞帳はこの時代の裂を参考にして作られたものもあるので、古代の技法が今にも伝わったことがなんだか誇らしくて仕方ない。
中学の頃、「獅子狩文錦」復元にかけた龍村平蔵の物語と大谷探検隊の話を知って以来、本当に好きで仕方ない。
この刺繍は赤と緑の色が良く残っている。

群仙図屏風 曾我蕭白
出ました蕭白。これはフルカラー版ではなく墨絵淡彩の方だが、相変わらずヘンなのはヘン。
眼の焦点はどこに行ってんねん、何してんねん、な仙人たち。
こういうのを描くところに真骨頂がある、と言う説もあるが、単に好きなのかも知れない・・・最近そんな気がする。

鯉図 伊藤若冲
またまたこういう人もおるわけですから、18世紀の京都画壇と言うのは、やっぱり凄いなと。
この角度で鯉の腰って曲がるのか?そんなことを思いながら眺めるのがまた楽しい。

動物縮図 
誰の作かは知らないが、猫が肉球を舐める構図などがあり、可愛かった?

悲母観音 狩野芳崖
亡くなる年に描かれた一枚だが、本当に知らぬもののない一枚。これを川島織物が織り上げたものを、先般京都で見ている。
博覧会に出すにふさわしい作品だった。

秋野鹿 巨勢小石
巨勢金岡の末裔筋の絵師だと思うが、いかにも明治の絵。鹿のカップルが秋の野を行く姿。
牡鹿が空を見上げるが、その首から胸が太くて逞しい。

獅子児落図鐔 後藤一乗
幕末の工芸は力量を落としていない。この獅子の子落しは蕭白のそれと違い、一匹だけだが、ちょっと可愛い。

月虎図小柄 船田一琴
細い小柄によくこれだけ細工が出来ると感心する。トラのシマシマがいい。つきを見上げる虎ちゃんが可愛い。

鬼女 板谷波山
波山21歳の木彫作品。解説に是真の鬼女の影響云々とあるが、確かにそんな雰囲気はある。
是真の鬼女は茨木です。丸囲みから飛び出す姿。あの絵はパーク・コレクションにある。
懐かしいなぁ。学生波山はどこで見たのだろう。

老婆 山田鬼斎
片肌脱ぎの旅の老婆が岩に腰掛けている。
これは小町落魄像かもしれない。婆さんだが足先が綺麗。大理石。

弾阮咸婦人像 唐時代
剥落もしているが形はほぼ綺麗に残っている。ふっくらした頬と髪の女。阮咸というのは月琴に似ている。白くて綺麗な像だった。
唐の影響で日本も管弦が同時代、よく流行していた。思うだけでときめく。

風俗図屏風 江戸時代
いかにも楽しそうで、いい感じ。断簡状態だが連続性も見える。各部屋での楽しみがいい。
こういうのを見るのがまた嬉しい。遊女だけでなく色子もいるような・・・

柳下鬼女図屏風 曾我蕭白
蕭白の絵には狂笑したくなる状況と、深い悲傷とを感じさせる一人立ち図とがある。
この絵や奈良美の「美人図(元は狂女図)」は後者のほう。
この鬼女は最初からその様相だったのか、そうではなく中途でこんな状況になったのか、私には判別がつかない。
ただ、この鬼女には恐怖はなく、どこか傷ましさを感じさせるものがある。
人の世からはみだし、ヒトに恐れられつつも蔑まれているような鬼女。
この絵を見ていると折口信夫の詩歌を思い出す。

百鬼夜行絵巻 江戸時代 
可愛い奴らが多い。ツクモ神というのはどこかオブジェぽくて可愛い。鐙、杵、薬研、砧、薬箱、燭台、香炉・・・漢字で書くと硬いが、絵にはかな書き。

写生 猫 川端玉章
可愛い猫たちが色々描かれている。猫好きかどうかは知らないが、よく猫の生態を捉えている。

橋柱の照明装置 高木勝四郎 昭和5年[1930]
これは今も大阪のどこかの橋にありそうな気がした。大阪の橋はわりとレトロな風合いを今も大事に残しているので、この時代のデザインならなおのこと喜ばれる。いい感じ。
それで思い出した。全然似ていないが、厩橋の照明は馬のステンドガラスだった。
けっこうあの橋もいい橋だ。

談話室用の喫煙具 小泉清一 昭和5年[1930]
こちらも同時代のもアールデコ製品。実に魅力的。どことなくパチンコを思い出したが、この三次元構造は天文台にも似ている。

粧ひ 山辰雄 
1936年以前の作だと言うだけに、後年の「高山のイメージ」から随分遠い作風である。
銘仙の着物を着た女。その上に羽織を引っ掛けようとしている。その当時の平均的な日本の女の日常がそこにある。彼の揺籃期をうかがい知る事が出来るような一枚。
同じことは今回初お目見えの藤田の絵にも言える。


霊南坂風景 守屋多々志 
1936年以前のここはこんな風景だったのか。その意味で近代風景画はわたしには楽しい。
実写風景を描いてもシュールでファンタジックな牛山憲之もいいが、こうした作品は記録として眺めることも出来る。
近代都市風俗を想うわたしには楽しい一枚。

伊香保の沼 松岡映丘
以前から好きな一枚。沼の水に足を浸す女。静謐な狂気を感じる。この世のひとではないような感じもある。桃山?江戸初期辺りの風俗だが、どことなく怖いような一枚。

鵜飼 川合玉堂
働くオジサンたち。玉堂の絵の中でも鵜飼は、どれもがいい。

序の舞 上村松園
この絵を描くに当たって、松園さんは息子の嫁に格式の高い文金高島田を結わせて、モデルにしたという。改めて絵の前に立つと、自然と背筋が伸びるような作品。

一葉 鏑木清方
清方は鏡花とは生涯の仲良しさんだったが、一葉のファンでもあった。ところが彼女に会いたいと思う間もなく、とうとう会わずじまいだった。それでこうした肖像画を描いて追慕するだけでなく、「一葉女史の墓」という名画も生み出している。
ところでこの絵は昔切手にもなったが、うちの妹はわたしが清方ファンだとは知っていたが、その名の読み方を知らず、「ツミキセイホウの切手あげるー」と持ってきてくれたことがある。
時々は可愛いところもある奴だった。

聨珠画巻
小堀鞆音, 篠田柏邦, 結城素明, 松岡映丘, 小泉勝爾, 川合玉堂
大正15年の作。この時代多くの画家がコラボレーションするのが流行していた。
特に映丘はよく色々なものに参加したり、企画している。
(漱石「草枕」絵巻など)

含花育英帖
龍村平蔵(表紙織物), 今泉雄作(題字), 藤島武二、岡田三郎助、久米桂一郎、 和田英作らの絵に 香取秀真の跋文。
大正15年から昭和2年にかけて作られている。

つるされた猫 朝倉文夫  
本当はネコをこんな風に吊ったりしたらあきませんよ。かわいそう。

西洋婦人像 山本芳翆
この絵も以前から好きな一枚だが、やっぱり芳翆は神話をモティーフにした作品が好きだ。

婦人像 レオナール・フジタ(藤田嗣治)
明治42年、丁度百年前の作品。藤田も画学生の頃はこんな絵を描いていたのか、という一枚。後年のスタイルから思えば仰天するのが、藤田、高山、熊谷あたりだと思う。

麹町英公使館 五姓田義松
広々とレンガ塀、巨大な門、そのせいでか廃墟に見えるくらい。
なんだかいいな。以前ここへ入らせてもらったことがある。
この絵はやっぱりかっこいい。

柱頭彫刻 工部美術学校生徒 制作年不詳
このデザインは凄い。ロマネスクというよりゴシックかもしれない。非常に興味深い表現。
もしこれが実現していたら、とても面白いと思う。

岡田三郎助が小袖のコレクターだとは知っていたが、刀子のコレクターであるとは知らなかった。
彼の集めた刀子たちがぞろぞろ並んでいる。どれもこれもなかなか味わい深いつくりのものだった。
わたしは「怪獣形挟ミ切リ刀子」が気に入った。今もし似たようなものがあるなら、購入する可能性大・・・

それにしても見るものの多い展覧会だった。随分楽しませてもらった。
8/16までだから、会期はまだもう少しだけある。

道教の美術 TAOISM ART

三井記念美術館で「道教の美術 TAOISM」を見た。
09081101.jpg
大阪市立美術館でも秋に開催されるが、待てなくて出かけて、随分感心した。
ところが記事を書くにあたり、今になって三井のサイトを眺めると、こんな文がある。

「この展覧会は、大阪市立美術館が中心となって企画し、三井記念美術館と長崎歴史文化博物館の3館を巡回する展覧会です。東京会場となる三井記念美術館が最初の立ち上げ館となりますが、各館の規模や展示室の広さが異なるところから、大阪会場が全体を網羅する展示を行い、他の会場ではそれぞれの切り口による展示テーマを設けております。
三井記念美術館では、「道教の神々と星の信仰」という副題にありますように、展示室の前半において道教の歴史を古代からたどり、様々な神々を石像や画像などで紹介し、さらに日本で道教の影響を受けて展開した修験道・陰陽道・禅宗・冥界(めいかい)と十王思想などを紹介いたします。
展示室後半では、陰陽道や密教・神道などで道教の影響を受けて展開した星の信仰に焦点をしぼり、道教的な星の神々や密教の星曼荼羅、陰陽道の天文関係資料、寿老人や七夕などの庶民信仰にまで視野を広げて展示いたします。」


ぎゃーっ でした。地元、ごめんなさい。←反省。
なんかどうも見たことのある展示物が多いと思ったり、三井より先に天王寺のチラシを見たりしていたのも、気のせいではなかったのだ。
またもや長い感想文です。

伊勢神宮と神々の美術

東博の「伊勢神宮展」に出かけた。
お伊勢さんは関西の子どもの修学旅行先の定番の一つだったが、わたしの学校は違うところへ行ったし、わたしも無縁なまま過ごしてきた。
実際にお伊勢さんに出かけたのはほんの数年前の社内旅行のときだった。
今は近鉄がお伊勢さんツアーのナイスなチケットクーポンを販売しているから、行きやすそうなのだが、常世長鳴鳥がズラズラ並んでいると聞いて、わたしは行く根性をなくしているのだった。
因みに赤福は関西では定番のオヤツ。百貨店や近鉄の主要駅に行けばすぐ手に入るが、氷赤福だけは時期を見計らって本店に行かないと、食べられません。
09081102.jpg


■第1章 神宮の歴史と信仰

国宝 古事記 中巻 賢瑜筆 3帖のうち1帖 南北朝時代・応安4?5年(1371?72) 愛知・大須観音 宝生院蔵
古事記はかなり好きな読み物で、幼児期では福永雄彦の訳で読み、少し大きくなると武田祐吉の訳本を読みふけった。
各民族の神話そのものが好きだと言うこともあるが、比較神話学の見地で古事記を眺めても、これは本当に興味深い内容なのだった。

国宝 延喜式 巻第四大神宮式 28巻のうち1巻 平安時代・10?11世紀 東京国立博物館蔵
ところがこの延喜式あたりになると、わたしなどはもうグリコだ。(お手上げの意。オジサンのよく使うギャグだ)

以後多くの書が並ぶ。申し訳ないがすっ飛ばす。
斎宮歴史博物館といういい博物館があるが、生憎まだ出かけたことがない。
今回はそこから焼き物などが多く出ている。
斎宮制度が活きていた時代、多くの文物が集められたことは、跡地の出土品から類推できる。
平安時代初期?中期の墨書の皿などは、何を意味するのだろう・・・

昔々から参詣曼荼羅図、社寺境内図などが大好きである。
お伊勢さんの参詣図も当然ながら楽しみにしていた。
伊勢参詣曼荼羅 2幅 室町?江戸時代・16?17世紀
素朴な絵は庶民の思いを感じさせる。
どっちが内宮でどこが外宮かよくわからないが、禊をする人々の姿がいい。
とはいえ、この絵の外には間の山や古市の店並が広がっているのだろうが。
(聖所と悪所とは必ず至近距離にある)
岩清水八幡宮のそばに橋本があるように。

伊勢参詣曼荼羅 2曲1隻 安土桃山?江戸時代・16?17世紀 米国・キミコ・アンド・ジョン・パワーズ・コレクション
なかなか綺麗な色合いで、見ていて楽しい。
こういう絵を見ると間の山のお杉・お玉を思うのだ。

国宝 陶製経筒 三重県伊勢市朝熊山経ヶ峯第一経塚出土 1口 平安時代・承安3年(1173) 三重・金剛証寺蔵
経筒と言えば、藤原道長が埋めた経筒、あれは千年紀に合わせて展示されたのだが、今回奈良博の「寧波」展にも出ている。
京都で見るより奈良で見たときの方がかなりよかった。

重文 雨宝童子立像 1躯 平安時代・12世紀 三重・金剛証寺蔵
なかなか美童である。この童子は雨乞い関係なのだろうか。
そういえば雨の日には、会社の先輩で口の悪いヨシテル氏がよく「お前の上にだけ雨が降ると思う」と言うので、
「あんたがヨシテル坊主になってそこの窓からぶら下がったら晴れるで」と言いかえす。
彼は真宗派の学校の出なので、「あっ親鸞聖人様お聞きくださいましたか、この悪人の言葉を」とすぐに言いつけよるのだった。

重文 東大寺大仏縁起絵巻 詞 後奈良天皇筆 絵 芝琳賢筆 3巻のうち上巻 室町時代・天文5年(1536) 奈良・東大寺蔵
縁起絵巻は大抵が面白い。史書にも残る国家的大事業だからこそ、想像の余地も多い。
楳図かずお「イアラ」にもそんなエピソードがあった。
縁起絵巻は物語を思いつかせるものだ。

■第2章 遷宮と古神宝

太刀がたくさんあった。奉納されたのだろうか。古刀と新刀の違いについて学んだが、鎌倉時代のものは古刀ではないはずだ。
とはいえ、よくわからない。
重文 古神宝 玉纏横刀 伊勢市皇大神宮東御敷地出土 1口 鎌倉時代・13世紀 三重・神宮司庁蔵
造りが美麗なものは全て儀礼用の刀だろう。
こういうものがぞろぞろあるところに、お伊勢さんの底力があるのだなぁ。
しかも伊勢だけではなく福岡の宗像大社の神宝も多く出ていた。

「福岡県宗像市沖ノ島祭祀遺跡出土」というものがたくさんある。
海の正倉院と呼ばれる沖ノ島からの出土品。安彦良和「ナムジ」「神武」を思う。
それにしても鶴岡八幡宮や熊野速玉大社など、壮大な神社からの出土品が多い。

■第3章 今に伝える神宝

昭和4年から48年までに拵えられて奉納された衣裳や櫛笥などが並んでいた。
こう言うのを見ると、まだ日本の職人の技能と言うものが生きていたことを感じる。
しかしそれもいつまで保てるのだろう・・・不安を感じる。

■第4章 神々の姿

重文 男神坐像 1躯 平安時代・9世紀 京都・松尾大社蔵
こちらは東奔西走されることが多い。あちこちお出かけご開帳のカミサマ。
そういえば松尾大社には行ったことがない。

重文 男神坐像 1躯 平安時代・12世紀 京都・大将軍八神社蔵
やっぱりここのオバケイベントに行こう。オバケの扮装で行けば、色々特典があるそうだ。

重文 童形神坐像 4躯 鎌倉時代・13世紀 京都・石清水八幡宮蔵
可愛い童形の神たち。日本の神道特有の思想を思う。

お伊勢さんの展覧会、と言うのもなかなか意義のあるものだった。
大阪歴博にも来るようだが、一足お先に拝見した。

謎のデザイナー 小林かいち

小林かいちの展覧会がニューオータニ美術館で開催されている。
伊香保の保科美術館の所蔵品。昨年弥生美術館で回顧展を見てときめいて以来だから、やっぱり期待度が高くて、うずうずしていた。
サイトには画像が色々あった。

限られた枠の中に広がる世界。
四枚組みの作品なら、そこに時間の推移もあり、心の揺らぎもある。
一枚ものならば、そこに感情が全て押し込められている。
それらはいずれも、憂愁と都会的なシャープさ、また魔都的な魅惑に満ちていて、決して明るい陽光の下で繰り広げられる心の綾を描いたものではない。
描かれているのは夜、または霧に覆われた時間。
街灯の明かり、遠くのネオン、薄暗いバァの電灯・・・
果てのない闇の中に佇むわけでもなく、闇の中にすら微かな灯火がある風景。
しかしその灯りを大きくすることは決して出来ないのだった。

薄い絶望。微かな期待。どちらも存在するだけに厄介な感情。
一色で染められない感情がそこにある。
そうしたメランコリックな様相にときめきながら、始まりも終わりもない物語性に対し、半開きの目を向ける。
たとえば、トランプのカードを背景にした表情のわからない女の哀しみは、途切れることなく続いている。昨日もなければ明日もなく、そして今ですら確かではない女。
それをみつめては微かなため息をついて、次の作品へと向かう。

鎖された世界の中での繰言が続いている。
かいちの描く女たちは外の世界に出てゆくことは出来ないし、それを望みもすまい。
彼女たちは永遠にその憂いの中で生き続ける。

夢二の作った詩歌「宵待草」を思う。
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな
ラストの「今宵は月も出ぬそうな」に女の想いが込められている。
そして夢二の描く女たちにはその想いがあふれている。
しかしかいちの描く女たちには、それがない。
顔を描かないのは、そのことのメタファなのか。
かいちのおんなたちは二連目までで終わっている。
そこが彼女たちの終末点なのだ。

一方、一枚ものの中で、地元・京都の風物を描いたものがある。祇園の舞妓らの後姿と、京の風物とが描かれている。
吉井勇の作った「祇園小唄」そのもののような後姿もあれば、大文字もある。
他の女たちの哀しみは、ここにはない。人形のような後姿には感情すら薄いものとして描かれている。

不思議なものを見た。
どう見ても正チャンとリス。小人さんたちと鐘を背負う後姿は「春の鐘」の1シーン。
当時の人気マンガをかいちが自分の絵葉書デザインに引用していた。
これはまだいい。
すごいのは、正チャンとリスとが夜の巷へ駆け出している姿。
かいちが描くと正チャンまでが妖しく見える。

他に小鳥や京都の花街の団子提灯などを図案化したものがいくつかあり、それらは揃って可愛い出来だった。
見ごたえのある内容だったが、チラシにあるような、東京で大々的に紹介する「初の展覧会」かどうかは、ちょっと判断できない。
弥生美術館の「小林かいち」展の良さがふっと蘇って来るので。
展覧会は8/23まで。伊香保に行けば常設の美術館があるのが嬉しい・・・

ミリオンセラーの絵本原画と世界の絵本画家たち

損保ジャパン美術館で、ちひろ美術館所蔵の「ミリオンセラーの絵本原画と世界の絵本画家たち」展が開催されている。
優れた絵本は、子供の心の成育に役立つだけではなく、大人になった人々の友達にもなる。

実際世界中の絵本作家の作品が並んでいた。
見ていてとても楽しい。
わたしは絵本展が好きなのでとても楽しかった。
作品からは、作家個人の個性と、その生育した地の性質、民族性などを見てしまうこともあり、それがまた興味深い。

パツォウスカー、アンソニー・ブラウン、ドゥシャン・カーライらBIB(ブラティスラバ国際絵本原画展)、ボローニャ絵本市などで馴染みの深い作家の原画も多く並び、たいへん楽しかった。

センダック「かいじゅうたちのいるところ」





イメージ画がある。眠る怪獣。

赤羽末吉「そら、にげろ」
そら、にげろそら、にげろ
(1979)
赤羽 末吉


山を上り下りするシーンと、柿を食べるとサルが・・・
内容を知らない人の心をそそるシーンが並んでいる。

「四人の子供、世界を回る」 これは「魔法のベッド、南の島へ」と同じ物語かもしれない。絵を描く人が変わると、それだけで雰囲気は一変する。

イタリアとチェコの作家たちは20世紀中頃以降、素晴らしい作品を今に至るまで世に贈り続けている。
それ以前の19世紀ではイギリスとドイツの絵本が美しい。
グリーナウェイ、ポターらの愛らしい絵本、ラッカムの美麗な世界、クレインやドイルの幻想的な作品・・・決して忘れられない美しい作品群。

ル・カインは近年亡くなったが、もっと長生きしていたら、今も荘厳で美麗な絵を描き続けていたろう。東洋に生まれた西洋人の目には、東洋の神秘とでも言うべき美しい世界が広がっていたのだ。
アラジンと魔法のランプアラジンと魔法のランプ
(2000/06)
アンドルー ラング



「赤ずきん」はそれだけで一つの展覧会を開催できるほど、多くの画家が手がけている。
‘06年にはそんな展覧会もあった。
40年前のバーナデット・ワッツの赤ずきんは、表紙・裏表紙で一枚の作品になる。
赤ずきん (岩波の子どもの本)赤ずきん (岩波の子どもの本)
(1976/01)
グリム


花咲く野道を行く赤ずきん。そのそばには赤いベロを長々と垂らす黒い狼が、四足でつき従う。誘惑したのか・されたのかわからない状況。
―――だから「赤ずきん」は好きなのだが。

ビンバ・ランドマン「ジョットという名の少年」
ジョットという名の少年―羊がかなえてくれた夢ジョットという名の少年―羊がかなえてくれた夢
(2000/11)
パオロ グアルニエーリ石鍋 真澄

 
これは素晴らしい絵本なのだが、今回驚いたことにその作品を、教会の聖なる三連祭壇画の形式で、テンペラ画で描いていた。
これは非常に面白かった。原画も世界で一枚しかないが、このテンペラ画もこの世にこれだけなのだ。ジョットの生涯を描いた絵本が、この形式でも存在することが、とても面白かった。

ユゼフ・ヴィルコン(ヨゼフ・ウィルコン)の一枚ものや木のオブジェが色々きていた。
ウィルコンは以前から大好きな作家だが、今回もいい作品をたくさん見た。
にじ (ウィルコンの絵本シリーズ)にじ (ウィルコンの絵本シリーズ)
(1989/08)
ジークフリード・P. ルプレヒト


マントを着た猫、シルクハットをかぶった虎、襟巻きをした虎・・・
実物大木彫彩色の「ドアの前の犬」などなど、いつも面白い作品が多い。

ノルシュテインとヤールブソワの「霧の中のハリネズミ」があったのは嬉しい。
きりのなかのはりねずみ (世界傑作絵本シリーズ)きりのなかのはりねずみ (世界傑作絵本シリーズ)
(2000/10)
ユーリー ノルシュテインセルゲイ コズロフ


丁度ハリネズミくんが森から抜けたところで、背後に大きなフクロウがついてきているシーン。
映像も手に入れたが、絵本を手に入れたときの嬉しさは、ちょっと形容できない。
ちひろ美術館でも「ノルシュテインの絵本作り」という展を開催していた。
あれもいい内容だったことを思い出す。

茂田井武「とりよせのおじいさん」、初山滋「ことりのふきよせ」共に小鳥の集まる絵。
どちらもちひろ美術館で回顧展があったが、茂田井は丁度今横浜の神奈川近代文学館で回顧展があるので、23日には行くつもり。

井上洋介「でんしゃえほん」の楽しさもいい。シュールでユニークで、そして少し毒がある。大人向けになるとおどろおどろしたところもあり、そこがまたいい。
でんしゃえほんでんしゃえほん
(2000/01)
井上 洋介



夏休みは各地で絵本原画展があり、出かけるたびに新しい発見があったり、楽しい経験になったりする。ああ、いい展覧会だった。



堀内誠一 旅と絵本とデザインと

「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」という展覧会が世田谷文学館で開催されている。
昨年はギャラリーTOMで「澁澤龍彦 堀内誠一 旅の仲間」展が開催され、たいへん楽しませてもらった。
今回は堀内誠一と言う、多方面に才能を発揮したアーチストの仕事を眺めた。

彼の父は多田北烏の弟子筋で、人生の最初期からデザインの楽しさを、堀内誠一は知っていたのだ。
その頃からの写真などを見る。とても楽しそう。
多田北烏の拵えたポスターは、現在も京都工芸繊維大学やアド・ミュージアムなどに保存されているが、明るい商業デザイン作品で、わたしも以前から好きだった。
本画の作家たちに比べて下に見られているが、こうした商業イラストレーターや挿絵画家の作品は、その当時に見た人々の心に長く深く残るものだ。
後世のわたしなどのようなファンもいる。

さて堀内少年は戦後14歳で伊勢丹の宣伝部に入社して、催事デザインやウィンドーディスプレイなどでその才質を磨き、発揮し始める。
その頃の作品も展示されているが、なかなか素敵だ。
やはり商業デザインと言うものは、人目を引き、ココロを掴むものでないとダメだ。
その力があちこちにあふれた作品がいくつもある。

やがて26歳で最初の絵本「黒馬ブランキー」を出版する。原作はフランスの子供たち、彼は絵を描いた。大きな目の黒馬はほっそりしていて可憐だった。

伊勢丹を退社し、アド・センターを設立し、平凡社の雑誌をいくつもたちあげる。
ここではアート・ディレクターとして手がけた雑誌がたくさん展示されているが、今も続く人気誌も多く、そのことにも感心した。
わたしはあんまり雑誌を読まない人だが、そんなわたしでも知る雑誌が多いのだ。
しかもどれもこれもかっこいい。

可愛いゾウの物語「ぐるんぱの幼稚園」を刊行する一方で、澁澤たちと「血と薔薇」誌を発行したり、「anan」のアートディレクターとしても活躍している。
この時点でいくつもの方向のセンスが発揮されている。
可愛い絵本、マニアックなカルチャー、自分のために楽しむ若い女たちへの情報誌、若い男性への情報誌・・・

わたしとしては絵本が一番親しい存在なのだが、それにしても守備範囲の広さには驚くばかりだ。
09080902.jpg

やがてパリに家族そろって移住する。
筆まめで絵の上手な堀内はカラフルで可愛い書簡を多くの知人友人たちに送り続ける。
その一部は昨年の「旅の仲間」でも見たが、本当に手の込んだ内容だった。
正直言うと、こんなに細かく書き込んであると、読むだけでもメチャ時間がかかる。
書簡自体が一つのイラストmap&情報誌&エッセーであり、そうそう海外に行けなかった時代の人々にとっては、本当にアコガレココロを焙られるような、素敵な「作品」だった。
09080901.jpg

堀内本人の撮影した写真も引き伸ばされて壁に展示されているが、これがまた素敵なものが多い。
書き込み多数の書簡より、わたしはこの写真のほうに浮かれ心を揺さぶられた。
「行きたい行きたい行きたい・・・」
パネル前でつぶやいてしまうほど、素敵な写真たち。

また世界各地のおみやげも並んでいた。
中にはそれをスケッチして彩色したものもある。実物より、堀内の絵になった方が可愛い。
そう、堀内誠一の作品はどこかに可愛さや愛嬌があるのだ。おしゃれなだけでなく。

堀内誠一は帰国後、絵本作家たちの発掘に努め、絵本史の紹介にも力を入れた。
展示作品のうち、「ああ見たことがある」と思うものも多かった。
ドイツの19世紀の童話や教訓話などがそうだ。
逃げ出したお皿やもじゃもじゃペーターなどなど・・・

早い晩年、堀内は絵本の仕事に力を入れていたが、仲良しの澁澤と同じ病に倒れ、同じ年に亡くなってしまった。
仲良しさん同士で、違う世界へ旅に出てしまったのだ。

展覧会は9/6まで。損保ジャパンの「世界の絵本作家」と共に眺めることをお勧めする。
堀内誠一の尽力で、日本に紹介された絵本作家の作品がいくつも出ている。

寧波-アルプス-淀川花火

一日で世界一周したみたいなタイトルですな。
しかも間に壷中天とか入れたら、小宇宙的な状況になる。

今日は淀川の花火大会なので、どこで見るかが大事だった。
しかも高校野球も始まった。第一試合がかなり面白い展開になったので、結局出かけるのが1時間遅れてしまった。
本当は今日は国立国際美術館?大阪市立美術館コースを考えていたのだが、それは九月頭に持ち越すことにした。
どっちも福沢諭吉関係の展覧会。諭吉の肖像画が描かれて、透かしの入った四角い紙は大好きだが、どうもあんまりわたしの手元にとどまらないなぁ。
諭吉の旅はどこまで続くのか。

いきなり思いついて奈良へ行くことにした。本当は来週に行きたいのだが、色々あるさ。
梅田でちょっと買い物したからいよいよ出かけるのが遅れた。
車内ではぐっすり寝てしまう。
奈良国立博物館の「聖地寧波 日本仏教1300年の源流 -すべてはここからやって来た- 」に再び出かけた。
前回の感想はこちら

今日は楊貴妃観音から交代された仏と、展示換えの羅漢図を見るのが目的。

・・・びっくりした。
楊貴妃観音が鎮座ましましていた場に神奈川歴史博物館所蔵の北宋の仏が。
そのスタイルというか、体勢にドキッとしたのだ。
片膝を立てて座し、手を泳がせている。非常に安楽な姿勢、尤もなかなか女にはしにくいポーズでのくつろぎ。
たいへん印象的だった。
また、南宋の将像などを見ると、やはり北宋とは違う、と言うことがはっきりとわかった。

羅漢図は色々入れ替わっていたが、瓜を食べるシーン、洗い物をするシーン、頭頂から水を噴出す羅漢にみんな注目、というのが非常に気に入った。どう見ても水芸ですがな。
それを奇瑞というのはゴーインすぎですが、奇術というならOKな感じ。

ボストン美からの借り物も、小銭をばらまく羅漢と、集めに回る貧者たちという、ちょっと嫌な絵があった。

そこから花園ラグビー場そばの東大阪市民美術センターに出て、印籠・鼻煙壷・香水瓶の展示を見る。
本当に可愛いものばかりで、ドキドキする。
原羊遊斎の拵えたものもあるが、名を知られぬ職人の手による名品が多く、江戸時代の日本の職人芸の奥深さを知る。

鼻煙壷は近年の作が多かったが、ガラスの内側に絵を描くという至難の業を見せてもらえ、クラクラした。中国の奇妙なまでの器用さには唖然となる。
だってこんな小さいガラス瓶の内側に、群集とか百蝶とか描けるねんで。
まったく恐ろしい。これが本当の壷中天というものかもしれない・・・

香水瓶は色んな個性があって楽しいものの、中の液体が気になって、形状を楽しむ気持ちがやや薄れてしまった。
しかしここの美術館の展示方法はいつもセンスがいいので、今回も楽しめた。
六角錘を拵えて、それぞれのケースに香水瓶を展示する。
のぞくと、アクリルガラスなので隣の展示が見えると思いきや、実は鏡で増幅された展示物を眺めていることに気づく。
これは非常に面白い展示だった。

さてそこから大阪市内に戻る。船場でちょっと買い物をしてから難波の高島屋に行く。
ここで「アルプスの少女ハイジ」展を見る。友人と合流して色々楽しむ。
ハイジはリアルタイムに見ていたが、そこで一つ新発見があった。
わたしはハイジは’73年放映だと信じていたが、’74年だった。
そして今も家にあるハイジの絵のコップ(今はわたしではなく甥っ子が使っている)、これが実は黒髪のショートヘアのハイジではなく、やや茶髪でミニお下げのハイジなのだが、それはパチものではなく、’73年当時に外国向けに拵えたハイジの宣伝用の絵の一枚だったのだ。
いや--新発見にびっくりした。そうだったのか、ハイジ。
それにしてもグッズもたくさんあったが、実物大ヨーゼフのぬいぐるみはなかなかよかったな・・・

さて淀川花火。十三の淀川から打ち上げるのだが、そんな真下に行けば「死して屍拾うものナシ」という状況になることは明白。
それで相談の末、野田阪神または海老江で見ようということになり、難波から千日前線で野田阪神に出て、人ごみの中を歩き、海老江の交差点も越えて、河川敷にたどり着く。
これが大成功!
花火がぼんぼん打ちあがるのが見えるわ、花開くのも大きいわ、音は腹に響くわで、本当にコーフンした。
いや---花火はええわ!
キレーキレーキレー、きゃ---、おお----ッ なんて叫びっぱなし。
本当に良かった。
スターマイン、土星、キティちゃんなどもよく見えて、本当に良かった。
星の欠片が飛んできたような気がする。
本当に楽しんだ。
来年もまたここで見てもいいな・・・

野田阪神から阿波座経由で本町、そして梅田に戻り、阪急に乗る。車窓からはまだまだ大勢の観客が帰り道を規制されてるのが見える。
これはいいプランだった。

それにしても「寧波-アルプス-淀川花火」・・・本当に世界一周したような心持になった。


嬉しい誕生日

誕生日を迎えた。
昨日は建物の見学に出かけたので会社を休んだが、その前日に後輩Rが「明日から私休むんで」と先にプレゼントをくれた。
上品なネコの絵の入った書類ケース。
ありがとう。美少女ネコはわたしのアイテムになかったから、びっくりです。

今日は会社に出かけたら、わざわざわたしのいるフロアに先輩や後輩らが来てくれて、「言葉だけやけど、おめでとう」。
ありがとう、嬉しいわ。
同期Nもロッカーで待ち伏せて(!)なにやら「ぐったりねこ」グッズをくれた。

思えば昨日も建物見学に出た際に、いつも親切にしてくれはる奥さんから、素敵な紅茶をいただいたのだった。

みなさん、ありがとう。


以下、こちらは過日拝見してきた建物。
最近画像を取り入れると不具合を起こす我がパソなので、こちらのサイトを眺めることにした。
「紅塵荘」・・・神戸の素晴らしい邸宅で、現在は病院。
それから日本写真印刷。こちらは撮影不可だが、見学することができ、たいへん嬉しかった。
元は京都ネル本社ビルで、見事な建物。
それを修復された担当者の方から詳しいお話も聞けて、昨日は大変有意義だった。
展覧会の図録で素晴らしい技能を見せてくれる企業だが、こうした旧きよきものを残して活用される心意気が、なにより素晴らしいと思う。

わたしも今日からまた機嫌よく遊んで廻るぞ!
・・・ついでながら、新しい仕事がなかなか楽しいので、そっちもちょっとがんばっている。

写楽 幻の肉筆画

何ヶ月前か、ギリシャのマノス・コレクションの中から写楽の肉筆画が発見された、と記事を読んだ。それで江戸博で展覧会をすると知って、とうとう見に行くことが出来た。

マノスさんという富豪の息子さんが熱心にコレクションしたうちに混ざっていたようだが、他の浮世絵を眺めると、なじみのものも多く、衝撃的な出会いと言うことはなかった。
ただ20世紀初頭のギリシャのコレクターが私財の大方をコレクション蒐集につぎ込み、さらに貰い受けた宮殿を美術館としてハコ共々本国に寄贈した、ということに感銘を受けている。
えらい人だ。しかし政経共に混乱が続いていた本国では、それを省みなかったというから、実にもったいない話だ。
が、そのおかげでか保存状態の良い作品がこうして展示されている。

1.日本絵画
馬の絵が目に付く。
狩野山楽「牧馬図屏風」と探幽を模写した克信・洞庭の「野馬図屏風」、それから作者不詳の「韃靼人狩猟図屏風」。
とにかく前者二作はウマウマウマウマウマウマしている。馬の山。ただし一山いくらの馬ではなく、それぞれに個性も柄もある、という描き方なので、飽きない。
が、狩猟図はトラもクマもヒョウ(たぶん雌のトラのつもりでしょう)も、みんな哀れ。

懐月堂派の立美人図があるが、珍しく着物の柄が白いなと思ったら、どうも未完成品らしい。その説明を知ってから改めて眺めると、塗り絵の手本のようで、面白かった。
線の肥痩が魅力的だった。

2.初期版画
鳥居清信から春信、勝川派、清長、歌麿、写楽までが並ぶ。
尤も歌麿は長生きはしなかったが、北斎と僚友だったからここに入るのかどうか。

清信 三つ蒲団の遊女と客  春本の最初の方のページらしい。三つ蒲団は季節が変わるときに、客に拵えてもらうのが遊女のステータスだったようだが、はたしてここに描かれている客がその太客かどうかはわからない。
二人の足の位置がなかなかいい。

奥村政信 遊君シリーズが楽しい。マノスさんも「コレハ楽しい」と思って買い集められたのではないか。だるまさんと遊女が衣装を交換していたり、色んな仙人との情景があったりで、面白い。尤もマノスさんがそれらの「見立て」をどこまで理解していたかは不明。

鳥居清満 初代中村松江の八百屋お七  わたしは歌舞伎が好きで、役者絵を見ても細かい部分を眺めるのが楽しい。だからこの松江の着物にちゃんと成駒屋の祇園守の紋が書かれているのが、嬉しかった。いいものをみつけた気分。

春信 母と子と猫  お母さんの懐に猫が入っていて、それを幼い娘が「触らせて?」と手を伸ばす光景。幼児ではなく童女。ほのぼのしていていい感じ。

磯田湖龍斎 浮世風俗八景・比丘尼帰帆  これはタイトルからいくとちょっとえっちくさい感じもするシリーズなのだが、そんなことよりも気になったのは、水平線。まっすぐではなく弧を描いている。安永年間の作品。「地球は丸かった」。
しかしこの時代の日本人で、地球と言う概念を持っていたのは、果たしてどれほどの数がいたろう・・・

清長といえば八頭身美人ばかり思い出すが、ふっくらした唐子らの可愛さに惹かれた。碁でケンカをする唐子(これがもし司馬温公だと、瓶割はなくなるな)、子とろ遊びに興じる唐子たち・・・可愛くて仕方なかった。

歌麿の山姥と金太郎シリーズが一枚出ていた。カッパ・カットの最中の金ちゃんとママの図。ちょっとばかり成長したか、わるさもせんと大人しくおっちんしている。
ママは相変わらずゆるパーマを長く伸ばしている。

写楽の肉筆は、黒い一室に飾られていた。
扇子絵なので、横たわらされている。

四世幸四郎の本蔵と米三郎の小浪  父と娘の図。
この四世幸四郎は苦労人で、そのかみの芸談などから知ったことを考え合わせれば、あの額の皺は、加古川本蔵という役柄や、加齢のせいだけではなさそうな気がする。
尤もそれだから苦衷にみちた本蔵のお役を演じられるのかもしれない。ニンにぴったり、とかなんとか言うて。
一方小浪の黒い着物の柄がなかなか綺麗だと思った。夜桜のように見える。
実際、ショップをのぞくと、この着物の柄を取り込んで拵えたシャツや袋物が販売されていた。とても素敵だと思った。

4.摺物・絵本
魚屋北渓の貝尽くしがあった。わりとこの絵師の魚介類の作品が好きだ。
博物誌のそれとは違い、どことなく愛らしさがあるので、マノスさんも気に入ったのだろう。

5.後期版画
豊国、北斎、英山から広重まで。

北斎の「百物語」が五枚全て所蔵されていて、それはなんとなくうらやましかった。
色も綺麗に出ている。それにしても髑髏を描いたものでは、北斎の「小平二」が一番怖い。
国芳の「相馬の古内裏」の巨大骸骨などは笑顔に見えるし。
ここでは応為(北斎娘お栄)の「福原殿舎怪異之図」があり、雪の塊が髑髏に変わっているが、それほど怖くもない。

国貞「ゑんにちの景」、国芳「百種接分菊」は、秋の太田記念浮世絵美術館の特別展にも出るらしい。チラシにそれらを見た。
江戸の人々は四季折々の植物をとても愛し、身近な遊山を楽しんだのだ。
明治になるまで、都市部では庶民は楽しく暮らしていたのだ。

なかなか楽しいコレクションだった。いい気持ちで見て周り、作品がよく残っていたと感心しながら出た。特にどれがいいこれがいい、肉筆は素晴らしい・・・という感想もないが、楽しい気持ちになったことは確かだった。

中国の陶俑

出光で中国の陶器を集めた展覧会が始まった。
中国の陶俑と題されただけに、古代の作品が多い。
前漢から唐代までの作品。
そうした区切りをつけての展示と言うのもいいものだ。
09080501.jpg

文化の爛熟が好きだ。
夏や商(殷)代と言った殆ど神話に近いくらいの時代の文化はともかく、
最初に中国全土の国家統一を成し遂げた秦の後の前漢、その時代がとにかく面白い。
劉邦のずっと後の武帝の時代がやはり文化の成熟があり、それからまた時間を置いて、
唐代の爛熟がある。
その文化の爛熟の度合いを測る一つに、これら工芸品があると思う。

後漢時代の明器(冥途でも明器)などを見ると、死者は生前と全く変わらない暮らしぶりをすることが決められているのがわかる。
これらは既に何度も見ているものだが、改めて眺めるとやっぱりあの世のドールハウス、あの世のリカちゃんグッズなのだ。

その一方、150cm大の楼閣があり、これなどは水木しげるの妖怪城の趣がある。
緑釉に塗られているのが、いよいよおどろ系に見える。
見上げる観客の目に、死者の姿は見えまいだろうが。

前漢時代の壷の絵柄は、焔が渦巻いているように見え、非常に面白い。
大阪に出光美術館があった頃、ガラス越しに見たその壷にたいへん惹かれた。
今もそれが好きなのは、この出光のコレクションのおかげなのだ。
その壷と再会する。やっぱり嬉しかった。

時代が下がり、北魏へと入ると、俑の顔つきが変わる。これは仏像にも言えることで、
北魏の仏像は一番謎めいた顔立ちをしているように思われる。
だから時々思うことがある。この北魏時代の顔立ちを模倣して、マリア観音などを作れば、
非常に奇異の感に打たれるのではないか、と。
(わたしのイメージでは芥川の「黒衣聖母」なのだが)

唐三彩が現れた。
昔はあまり好まなかったが、今はそうでもない。
随分前に高島屋で唐三彩を見ているとき、展覧会に無縁の後輩が「これはアイスのトッピングが垂れてるのと同じですよね」
そういうのを聞いてから好きになった。
ただしそのとき、そばにいた未知のご老人から叱られたのだが。

灰陶加彩神将がある。唐代のもの。合理的精神が生まれ、官僚社会であるとは言え、一方でこうした前時代の信仰心も生きている。
そしてこの時代の人物俑は非常に魅力的である。

楽人たちが並ぶ。オーケストラを構成する。しかし音声は感じない。静謐である。深い静けさ。どことなくフレスコ画を思う。
唐代の女たちは美しく装う。個性を尊重し、様々な髪型を選ぶ。
陶器の人形たちは誰もが美しく、そして静かな佇まいを見せている。

第二室の曲がり角のあの場所は、いつも少し素敵な展示がある。
今回はそこに三彩家屋があった。
それは前回の「やまと絵」の出口に現れた家屋である。
他の仲間と一緒に展示されているから、そんなに奇異な状況には見えぬものの、前回の記憶が残る私には、ややこわい。

展示でひどく面白かったのは、出口近くのいちめんの壁の中。
騎乗する人物俑たちが整列している。
遠目には一個小隊のように見えるが、実は女もいれば兵もいて、彼らの素性はバラバラである。
しかしこの展示はたいへん面白かった。

他にも小品が多く並び、とても可愛いものがいくつもあった。
それらを眺めるのも楽しい。
いいものをいっぱい見て、機嫌よく出光を出た。

トリノ・エジプト展

エジプトの魅力と言うのは強いんだな?と実感するのは、展覧会場に行った時。
とにかく普段は展覧会にもイベントにも無関心な人々までわいわいと集まっているところ。
なんしかミイラのご威光はえらいもんよ。
事前にTakさんの記事で、この展示は映画の美術監督の人だと聞いていたので、そこにも興味がありました。
ただ単にミイラや発掘品をダダダダッと並べてたかて、面白くないもんなぁ。
過剰な期待はアカンけど、楽しみにはしているのさ。

開館前から並んだご利益がありました。
わたくし、スイスイと見学しましたが、振り向けばえらいこと人だかりしてはりますがな。
入り口と言うのはどうしてもそうなるもんですな。

1.トリノ・エジプト博物館
パピルスがある。つまり文字があるわけです。エジプトの文化は高い。
書いたる内容はというと、 トトメス3世のシリア遠征についてのことだが、叙事詩的な表現で綴られているみたい。
古代の王の事績は大抵そう言うスタイルですな。
敵から見たら腹立つばかりなり。

アメンヘテプ1世像
慣れた表記はアメンホテップだが、どちらが正確なのかは知らない。
この王様は芸術文化の関係で歴史に名を残したらしい。
その統治下の住民から愛されたり信頼されたりする王様、というのはそれだけでも立派なものだ。
白い像でなかなか綺麗だが、これは塗り直しとか修復とかナシ?
それにしてもこの顔は、五十年前の日本の健全な少年ぽい匂いがする。

エジプトは動物を神格化して崇めるが、特に毒や牙のあるような強い動物に対しては、機嫌取りぽいくらい神様にしている。御霊信仰とも共通する意識とか感じる。
それで蛇もまた立派な神様になっていた。

メレトセゲル女神を描いたオストラコン  蛇はネクロポリスの守り神でもある。仏教でもヒンズー教でも神道でも、蛇は神様だったり善き存在だったり。
蛇が悪なのはキリスト教だけかも・・・

コブラとハゲワシ、ウズラなどの習作が残っているが、蛇と鳥が仲良しさん風なのが可愛い。蛇と鳥といえばケツアルコアトルとか思い出すよな。
古代になるほど、信仰の根に共通するものを感じるなぁ。

とにかく昔のエジプト人はみんな自毛を剃ってヅラをつけるのがフツーでしたから、そういうグッズも残っていたりする。
掃除の箒もあるが、これは随分低いもので、屈んで働いたようで、疲れやすそう。

ところでこの博物館はエジプト美術専門ということで、博物館の昔の様子を描いた絵が出ていた。1881年の絵。
なんとなくほのぼのしている。こういうのは写生したのか。ふと気づけばミイラがこっち向いてたりしたら・・・・・・

2.彫像ギャラリー
ここがそうか!Takさんが書かれていた空間。わたしも写真を見て「わーキレー」と思っていたが、予想以上に素敵な空間。
ミラーとライトで構成された空間に彫像が並ぶ・・・闇の煌きが彫像を浮かび上がらせる。
ライトの微妙な美しさにも感心した。
こういうのが演出の妙なんですね。そうでなければただ単に彫刻が立ち並ぶばかり。

オシリス神を象った王の巨像頭部  これは口元に微笑が浮かんでいる。
チラシではそうは思わなかったが、実物はどことなくオードリー・ヘプバーンに似ている。
特に「ティファニーで朝食を」のときの彼女に。

またまた巨大な牡羊の頭部が鎮座ましましている。犠牲なのかなんなのかはともかく、三千年ほど前の彫像。ところが百年ほど前に略奪しやったナゴリの「MB」という刻みが、後ろについているのは、ちょっといややな。

チケットの図柄に選ばれているのは、ファラオではなく役人イビ氏の像。こんな巨大な像を作らせるほどの力があったわけですが、言うたら昔も今もお役人は変わりませんなぁ?の証明みたいなもんですな。

チラシに選ばれているのが、初公開のツタンカーメンとアメン神の2ショット像。
しかしチラシより、グッズ購入したときの袋に印刷された写真のほうが素敵。
これは都美のいつもの空間に展示されている。
(あの特別な場所です)

3.祈りの軌跡
アメン・ラー神に牡羊の頭部を捧げるペンシェナブの像  これは絵葉書も買うたけど、その祈りを捧げるペンシェナブの肩に、刺青のような神様の図像があるのが面白い。
そういえばうっかり忘れていたが、エジプトは刺青をしない文化だったはず・・・

ウセルサセトの耳のステラ  これは神様聞いてください!という意味をこめて、耳の絵を刻んでいるのだが、どことなく絵馬を思い出した。
それにしても力強い祈願だな。

3500年前の家族の肖像があった。夫、妻、娘。いい感じ。ここの遺伝子はどの時代まで続いているのだろう・・・

女神の頭部を持つアイギス  要は胸飾りだけど、その形が女の人がマントを左右に開いているというもので、わたしは懐かしの「ソウル・ドラキュラ」を思い出した。
「一噛み惚れよ?」というのもあったなー。

木製のアーキトレーヴ  軒蛇腹というもの。こうした建造物の装飾を見るのは、たいへん好き。インドの柱なんかも面白くて仕方ない。

出ました猫の像。ところがこの猫は細すぎる。ちょっと可哀想。猫を大事にしよう、という気持ちが改めて湧き出てくる。

ハヤブサ、トキ、ジャッカルらの像もぞろぞろ現れるが、どれもこれも可愛い。隼なんて「ハイジ」のピッチに似ている。猛禽ではなく小禽風。ジャッカルは三沢厚彦さんの彫刻に似ているし。

死者の書がどんつきの壁に飾られているが、どことなくチベットの死者の書に似ている。構成がそうなのか。縦文字だからか?
そういえば折口はなぜ自著「死者の書」の装丁にエジプトのイメージを与えたのか・・・

4.死者の旅立ち
カノポス容器や猫の棺などを見る。
ミイラも時代が変わると作り方が変わって、内臓を別にするのでなく、元に戻す方法を取られるようになっていく。今までは内臓が外臓、ミイラにないぞーだった。(こんなオヤジギャグを言うようになるとは・・・)
でも、そばにいた全然知らないご年配の母子連れに言うと、ウケてくれたのでヨシかな・・・

木管の破片に描かれた死者を導くアヌビス神  ローマ時代のものだから、この展示物の中では新しい分。アヌビス神が手を引いている。どんな道筋を通るのだろう・・・

5.再生への扉
ここの展示構成にまたヤラレた!
つまり2のライトとミラーにときめいてからしばらくは、淡々と展示が続いていたのが、ここでまたキターーッッと言う感じ。
つまり、壁を二重構造にし、大きな円を開けた。
そして照明をそこにあてると、それは滅さない太陽になる。
いや、光の優しい温かさから思えば、これは月なのかも知れない。
その光を背景に、葬送用の模型船が展示されている。
月の船。
かなり胸を衝いた。

たいへん面白い展覧会だった。演出一つでここまで楽しめる展覧会というのもあるのです。
本当に良かった。
これからご覧になる方は、展示の演出にもドキドキしてください。


八月の東京ハイカイ第一弾

暑中お見舞い申し上げます。

早速八月の東京ハイカイ第一弾を開始してきました。
第二弾は20?23日。
展覧会の感想は後日それぞれ挙げてゆきます。

世田谷文学館へ向かうのに、乗り間違えて渋谷から準特急で調布についた。
芦花公園まで戻る。折角当初予定より早く都内についてもこれではなぁ。
しかし車窓から面白いものを見た。
茂垣産婦人科。もがくのは怖いよな・・・。
そういえばこんなのもある。
ひびき耳鼻咽喉科、こだま耳鼻咽喉科。・・・どうかと思う。

堀内誠一の展覧会を楽しむ。こんなシャレた人はもう出てこないのではないか。
損保ジャパンでは世界の絵本作家展を見た。
わたしが現代作家で新作が楽しみなのは、人形作家、写真家、絵本作家だけかと思う。

ところで今回初めてヒコーキをwebチェックインした。するとマクド(関西人やな?)のビッグマックセットが当選していた。
よくわからんが、嬉しい。
それをランチにしたが、正直言うとビッグマックはこのトシで食べるのはしんどい。
ていうか、そもそもファストフードはあんまり食べないので、他のお客さんの元気さにびっくりした。

ニューオータニへ行くのも久しぶり。巴水展以来。
数年前右腕を吊りながらこの弁慶橋を渡ったことがある。
さすがに東京はミンミンゼミがメインなので、ミンミンミンミン鳴くセミの声に押されるようにして、ボート乗り場に行った。
腕吊った怪我人の女の人が一人で来た事に、ボートのお兄さんたちも困惑。
で、どういう成り行きか、そこでカレーを食べた。ヒトサマがボートに乗るのを見ながら。
お兄さんたちは色々世話を焼いてくれた。ありがとう、皆さん。
それから何年経ったか・・・

小林かいち展をみたわけだが、言うたら人々の記憶の闇の向うから現れ出でた存在なわけでしょう。
グッズを買おうとするおばさんが、一番有名な作品はどれ?と訊いていたが、売り子さんも困ったろうな。

さてそこから永田町に出たら有楽町まで3分だと言うのはええねんけど、乗り場までが随分遠いのを、うっかり忘れていた。
しかし歩き出したら止まらないからまぁその通りにして、出光へ。
中国の陶俑を見る。初日の午後。なかなか繁盛している。結構なことだ。
そこから三井へ行くにはどういうルートがいいのかいつも悩む。まぁ結局日比谷線で銀座に出て三越前に出るわけやけど、ブリヂストンまで出たらメトロリンクバスに乗ることも可能だったかもしれないが、時間が惜しい。

三井で道教を楽しむ。かなり面白かったが、なんでここでするのかがちょい不思議でもある。閉館までおったよ。そして新日本橋から錦糸町経由で両国へ。
江戸博でギリシャの写楽の扇子とか見た。
その時点で足がアウト。弱くなったな?しかしそんなもんかもしれない。

うなぎが食べたかったが、食べそこね、カレーうどん専門店に行くと、ちょっとよくない状況があり、結局コンビニに入って色々買うたが、これが案外わたし的には楽しかった。
それで田中マー君vsハンカチ王子の対戦の番組見て、今更ながらに胸を熱くさせた。

翌日。上野に半日おることを決めていた。タイムリミットは16時。
九時前に都美につくと行列している。なんでも8:50には開館するそうな。
雨も降り出してきたが、かなりにぎわっている。
ミイラミイラミイラ???♪

その後に芸大へ。所蔵品展も日本芸術院所蔵品展も、どちらも見ごたえあり。
で、雨の中を東博へ行き、まず伊勢神宮を見てから、染付へ。
この染付については書いても書いても書ききれないような予感があるね。
素晴らしかった、展示の装置も。
常設ではついに吉田博「精華」を撮影できた。これが本当に嬉しい。

しかし言いたい。上野のミュージアム山ではどこともおいしいお店と言うのは、ないのかしら。わざとそう作ってるのかも? 特にT博ではいつもそう思う。
ぐにぐにの魚なんか初めて。初物食べたら三年長生きと言うが、これは違うな。
併設のカフェなりレストランなりで、少しましなところがあるのならぜひお教え願いたいもんです。
T洋館、H隆寺館、S洋美、T書館・・・と今のところ連敗気味のわたしです。

さて西洋美では版画を見てル・コルビュジエを見て・・・やっぱり汐留の板倉準三展へ行こう。
その気になって飛んでいった。
これが本当に面白い展覧会だった。やっぱり押してよかった。
それでここでタイムリミットになり、空港へ向かった。

ICチェックインがシステムダウンしてるとはびっくり。でもやっぱりマクドのセットが当たり、ちょっと嬉しい。飛行機は30分以上遅れたが、仕方ない。
次の東京出没日は8/20。今度は後半二日、神奈川。
かなり楽しみにしている。
それにしても東京が涼しいのに感心した。大阪はやっぱりメチャ暑かったのでした。

吸血鬼のコミック

昨日こわい映画を集めたけれど、そこから吸血鬼のことを色々思い始めてしまった。
とにかくわたしと同世代、更にその上の世代の人で、クリストファー・リーの端正なドラキュラ伯爵が牙をむいて血を吸う姿に、恐怖し、真剣に怯えた人は多いはず。
・・・しかしその一方、妙に惹かれるものがあるのも当然かもしれない。
というわけで(全然脈絡がないが)吸血鬼のマンガを集めてみた。

銀河荘なの!木原敏江
これは子供時代に初めて木原さんに熱狂した作品。
もう35年経ったが、やっぱり今でも好き。
そしてラストシーンでこの物語の舞台から500年後の世界が現れているけれど、それを想うたびに現実の年を数え、「ああ、この話からもう何年経ったんだ・・・」と必ず思う。

ポーの一族 萩尾望都
ポーの一族 (1) (小学館文庫)ポーの一族 (1) (小学館文庫)
(1998/07)
萩尾 望都


本来ならこちらが先に現れるべき作品なのだろうが、わたしは「銀河荘なの!」の中で出ているのを見て、そこから知ったのだ。
この物語の透明な美しさについては、言葉では表現できない。

吸血鬼幻想 坂田靖子
短編。坂田さんはコメディーより、シリアスな短編にひどく惹かれる。
全般に白い画面の中に細い線がある、というスタイルの作画の中で、昼日中での吸血幻想と言うのが、実は一番恐ろしい。
しかもそれが現実なのかどうかすらさえもまた・・・

夜が終わらない 赤石路代

ウィルス感染による吸血鬼跋扈が怖かった。
タイトルがまた途轍もなく怖い。絵柄が可愛いだけに変に怖かった。


ヴァルダ 迷宮の貴婦人 望月玲子
これは20世紀初頭の欧州の地方に実際にありえそうな状況。
陸の孤島のような城に滞在しなくてはならぬ人々。城と財産を受け継ぐためには冬の間そこに滞在することが条件。
そして描かれた貴婦人の像に呪いがかかっていて、それが夜な夜な絵から抜け出てくるのが、怖いなんてものではなかった。
本当に怖い作品だったが、そのラストが更に怖い。
つまり、やっと吸血鬼は消えたものの、その閉ざされた空間にたった一人で生き続けねばならない少女の孤独が、一番恐ろしいのだった。

ここまでは主に少女マンガ作品。
次は少年マンガと青年マンガ。

赤い海 つのだじろう
漁船の中、次々に血を失って死んでゆく船員たち。
実はそれは乗組員の少年による復讐劇だったが、しかし最後に生き残ったのは・・・・・・
とにかくラストシーンが心臓に悪いだけではなく、その直前が怖くて怖くて・・・

カーミラ 星野之宣
「妖女伝説」の一篇だが、若くて美しい女が吸血鬼なのではなく、初老の女がそうだというのが一番こわい。
彼女はその年恰好でなら、いつまでもどこででも長く暮らせるのだ。

あとは咄嗟に思いつかない。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア