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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

清方ノスタルジア

鏑木清方ほど好きな画家は他にいないかもしれない。
ずっと好きなまま今に至っている。
サントリー美術館で「清方ノスタルジア」というやさしいタイトルの展覧会が開かれている。
10010201.jpg 春雪

日本画の必然として退色がある。
それを少しでも遅れさせようと、絵はいくつかの時期に分かれて展示される。
見たいものを全て見るには何度も足を運ばねばならないが、残念ながらわたしは11月の半ばから始まった展覧会をまだ一度しか訪ねていない。
しかし行った日に見たものは喜びと共に心に残されている。

清方の絵は鎌倉の記念館、福富太郎コレクションを筆頭に多くの美術館、個人が所蔵している。
鎌倉の記念館にはしばしば通い、福富コレクションの展覧会も出来る限り通っているから、並ぶ作品のうち「ああ、こんにちは」と懐かしい目で眺めることが出来た。
残念なのは福富コレクションの白眉「妖魚」が展示換えのため見れなかったことだが、この絵も福富氏のコレクション展でしばしば眺めているので、惜しくはあるが唇を噛むこともない。
また、ご覧になった皆さんが深く心惹かれたとブログに書かれているのを読む度、なんだかこちらまで嬉しくなってくる。
これは自分があの凄艶な人魚を深く愛しているからこそ、多くの皆さんが彼女を賛美することに喜んでいるのだと思う。
ファンでいてよかったとつくづく思う。

しかし同じ福富コレクションの「薄雪」を見損ねたのは残念・・・!惜しいことをした。
あの作品はあんまり見る機会がないので悔しい。

見慣れた作品でも場を変えて改めて眺めると、新しい発見がある。たとえばそれは初期作品「曲亭馬琴」で、馬琴が引き寄せている手炙りには源氏絵があると、今回初めて気づいた、そんなことだ。

西鶴五人女のおまん  名都美術館で眺めたときより、儚い色っぽさが増しているように思う。ゲイの男を振り向かせたいために男装する美しい娘。白桃のような頬には薄い産毛がそっと立っている。少しばかり紅潮した目元はあわあわと優しい。

春の夜のうらみ  新潟近代美術館には清方の名画が多く収められていると聞くが、この絵の前に立つと、そのことが容易に肯われる。
春の夜の恨みとはすなわち「春宵怨」のことだろう。なんとも艶めかしくもあり、そしてどこか清楚でもある。
むかし三島由紀夫がまだ少年だった玉三郎を見て「ぼんじゃりした風情」と評したが、その「ぼんじゃりした風情」はここに描かれた女にも活きているように思われる。

明鏡  鏡に映る女の指にはエメラルドが輝いている。そのカッティングは角いものだった。昭和六年、鏡台に置かれた化粧品はその当時の最新のものだった。それがなんとなく嬉しい。

個人蔵の「娘」は小品の良さが出たと思う。島田に結うた娘の手籠には水仙、紅梅が入っている。優しい絵だと思う。清方の娘で水仙を持つのは「たけくらべ」美登里ばかりだと思うが、この娘にもその面影が宿っているのかもしれない。

通夜物語  盟友・泉鏡花の小説をイメージした絵。清方の魅力は絵の美しさばかりでなく、そこに文学性が活きているからだと思う。
ここに描かれた丁山は退廃的な色気に満ちた遊女だった。高級なそれでなく、自堕落さがその魅力となってしまう女だった。深川の蓮葉な女のエロティシズムが画面にあふれている。

二人美人図  女と若衆とが描かれている。くつろいだ二人の姿。琳派風の煙草盆、長キセル。綺麗な男は清方の作品に表だって現れることは少ない。挿し絵や口絵では美しい男はいても、タブローで美しい男は少ない。だからこれは珍しい作品なのだった。

江ノ島 箱根  箱根の湯を描いた方が好みだった。手ぬぐいをくわえる女が何ともいえずいい。
こんな女を見るとこちらも箱根の湯に行きたくなる。

廓の宵  ひやかしが二人ほどいた。風俗画として眺めるのも楽しい。

蛍を題にする美人画は数多いが、この絵にも小さく蛍がいる。丸い箱庭にとまる蛍。月を見る女。今ではこんな風情のある女はどこにもいないだろう。

清方記念館の壁によく貼られる美人風俗双六があった。
物語・芝居などに現れる美人たちがそこにいる。初花、照手などなど。
cam010-1.jpg

肖像画も色々と集められていた。
圓朝図は評論などにもよく書かれていることだが、知る人だからこそのリアリズムがある、のは確かだと思う。
清方の回想録「こしかたの記」に二人で上州ツアーするくだりがある。健一少年はそのころ脚気にかかっており、父の知人である師匠が脚気には転地療養がいいと少年を連れだしてくれたのだ。他の随筆でもこのツアーのことはしばしば描かれており、読むうちにこちらまでそのツアーについていってる気がしてくる。
顔など知らぬ人であってもリアルさを感じるのは、清方の絵に文芸の味わいが深く漂うからだと思う。

芝居絵として「寺子屋」画帳、卓上芸術の一つ「お夏清十郎物語」、扇面図の「お嬢吉三」「毛剃」「鏡獅子」「狐火」「保名」「戻橋」などが出ている。
清方は芝居好きな人で、多くの芝居絵を残している。以前に鎌倉の記念館でも「清方の芝居絵」展があったくらいだ。

明治風俗十二ヶ月  東近美で見た後、鎌倉でそれを羽子板の押し絵にしたものを見た。たしか今月の展示もそれだと思う。
11月の「桟敷」は楽しそうで特に好きだ。

清方は失われた明治の風俗を世に残すことにも熱心だった。絵にも文にも多くそれを描いて残した。
江戸ともまた違う明治の東京を教えてくれたのは清方なのだ。
展覧会のタイトル「清方ノスタルジア」とはこのことを深く思ってつけられたものだと感じる。

神田祭  手古舞のために男装した芸者がなんとも粋でかっこいい。これはやはり歌川玄冶店系の絵師の描く絵だと思う。国芳の弟子筋ではあるが、それだけでなく国貞の芸者絵をも思い出した。
背後には祭の山車がにぎやかに渡っている。謡曲「小鍛冶」が見えた。わたしが最初に知った謡曲なので、それだけでも嬉しい。

いで湯の春雨  これは数年前に東京美術倶楽部で見た
こうして表に出てくれてとても嬉しい。

そういえば去年の夏、北九州で福富コレクション展が開催されたそうで、私の手元には綺麗なチラシが入った。こういうチラシは嬉しいので保存している。

そしてタブローばかりではなく、風呂敷の図案もの、団扇絵などもある。若い頃に清方は浴衣の図案作りもしていたので、こうした作品を見ても、ただ絵が巧いだけでなく、構成そのものがいいなと感じる。

サントリー美術館のサイトに「清方にとってのノスタルジア―古きよきものへの憧憬―に焦点をあて、清方芸術の魅力を探ります」とあるように、会場には清方旧蔵の肉筆浮世絵や彼が愛した(と思われる)数々の古く美しいものが列べられてもいた。
春章のおおらかな美人、北斎の柳に燕、清長の長身美人たち、師筋の芳年、年方らの作品。
工芸品も蒔絵の美しい煙草盆や硯箱などがあった。

雑誌「苦楽」表紙絵も多く並び、楽しい気持ちで眺めた。戦後の清方の楽しい仕事として雑誌の表紙絵と、絵物語がある。
挿絵画家で始まった清方は、晩年には好きな文章を書きながら、制約のない絵物語を拵えて、楽しく暮らしていたのだ。卓上藝術の喜びを満喫して。

うれしい、ただただ嬉しい心持で会場をめぐり歩いた。
2010年の最初の展覧会感想記事に「清方 ノスタルジア」を挙げることが出来、本当に幸せな幕開けになったと思う。



2010年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。
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めでたいトラ年になりますように。
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