美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

京都・壬生寺展

明日まで難波高島屋で「京都・壬生寺展」が開催されている。
‘92秋に京都文化博物館で「壬生寺展 ―大念仏狂言と地蔵信仰の寺―」を見て以来、18年ぶりの展覧会ではないかと思う。
壬生寺は「大念仏狂言と地蔵信仰」と新撰組ゆかりのお寺で、現在も節分と春秋に無言劇を行う。
その壬生狂言は西暦1300年以来710年続く伝統の無言劇で、念仏の教えをわかりやすく伝えるために作られている。
寺の創建は’991年だから千年以上の歴史もあり、寺宝も驚くほど多岐に亘っている。

最初に壬生寺縁起絵巻が出ていた。
室町時代のもので、木彫の仏像を拵えるシーン、夢で「ご先祖から預かりの太刀」を地蔵から渡される武士などが描かれている。
これは六巻もので、最終的にはお寺の建立シーンがあるのだが、ここでは三巻まで。
丸顔の人物たちがイキイキと動く様子が描かれている。

また冊子本「壬生寺縁起」元禄本もあり、そこには尼僧たちが金鼓(ゴング)を打ち鳴らすシーンが描かれている。ゴングはカーンといい音を立てたことだろう・・・・
その金鼓の実物(焼損している)と無事な頃の拓本とが並んでいた。

他に発掘資料があり、木製ヒトガタや蘇民将来の札があった。
蘇民将来については色々興味深い伝承や謎もあるので、いっとき私もハマッたが、この信仰は地域分布に色々差があるのが面白くもある。

書面がいくつか。
秀吉の朱印状。寺領がお土居にかかるので安堵するもの。それから壬生寺はよく災害があったので、その勧進帳が二種。他に幕末の新撰組が大砲打ったり騒いだりの振動で近所迷惑です、何とかしてくれという状。いずれにしろ軍事関係の組織がそばにあると、近所迷惑は深刻なのだ。
それで思い出したが、大学時代の友人に代々の米屋がいる。家には堂本印象を始め多くの京都画壇の作家の絵がある。みんな米代に貰てきたものだが、ここは百年以上経ってても「壬生狼(ミブロ。新撰組の悪称)めが」と罵っていた。

旧い伽藍図もある。寺は何度か災害があり、現状になったのは意外と近年なのだった。
それで狩野永徳「洛中洛外図」上杉本にある壬生寺は、古様を描いたものということだ。

関西では夏に地蔵盆がある。わたしの近所も行う。少子化しているとはいえ、新出来の提灯に子供らの名前があり、それらがずらずらと並ぶのを見ると、なかなか壮観だ。
壬生寺は地蔵信仰のお寺なので、ここも行っているかと言えば、ここは数あるお地蔵さんをあちこちに貸し出してはるということだった。
お地蔵さんは子供の守り仏さんなので、あちこちの町内に出張しはるのも、喜んでくれてはるように思う。
近畿では、今も普通に道々に小さな祠などがあり、通りかかるたびに必ず目礼して過ぎるが、それが身についているからか、仏像を「美の対象」として見ることが出来ない。
どうしても信仰の対象として見てしまう。
それは神社仏閣が活きている地域に住まうからの性質なのだが。

厨子に納まる地蔵像があった。仏牙舎利塔もある。近年新しく納められた仏像もある。
拝む人がいる。いまここでは「展覧」されているが、寺内に入れば信仰の対象になるのだ。

友禅画家あだち幸さんという作家による障壁画などが多く並んでいた。
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焼失して以来地獄極楽図がなかった壬生寺の新たな地獄極楽図を描いたものだった。
優美な弥勒菩薩と苦悶する人間の像が対照的で、新しい時代にふさわしいと思った。

さて壬生狂言の展示が始まる。
室町時代より伝わる「壬生三面」と呼ばれる狂言面「猿」「姥」「狛蔵主」があった。
特別に大切にされてきた面であるが、その古様さに18年前のわたしは異常な衝撃を受けたものだった。
狂言の衣裳も並ぶ。花熨斗裾文振袖、二階菱・烏小紋長着、「大念佛」の他に施主の名を墨が記された旧い衣裳、それから現在の作家・八世田畑喜八氏らがこしらえた衣裳や、彼も含めた有志による「壬生狂言衣裳を応援する会」による大幕なども展示されていた。
今度の2/2、2/3の壬生狂言「節分」にこの幕が使われるそうだ。

「カンデンデン」の壬生狂言は無言劇だが、楽器演奏がついていてその音が「カンデンデン」なのだ。
会場では映像も流されていた。
わたしは’93春に鑑賞に出かけ、毎日必ず上演される「焙烙割」を見た辺りから具合が悪くなり始め「土蜘蛛」を見たときには完全にアウトになった経験がある。
救急車を呼びましょうかと言われて、お断りしたが、あれはなんだったのか。
大阪についてしばらくすると消えたが、これはわたしが壬生狂言に避けられている証拠のような気がしてならない。
壬生狂言―ハンディ鑑賞ガイド壬生狂言―ハンディ鑑賞ガイド
(2000/03)
井上 隆雄

「土蜘蛛」のいちばん人気シーン。

古風な狂言面が並ぶ。この古様さにかつては強い衝撃を受け、深く惹かれたのだ。
今も「壬生狂言」と聞くとときめきが湧き、その時期に来ると「・・・見たい」と欲望が湧くが、最早あきらめている。

江戸、明治の「狂言図」ビラがあった。一演目につき1シーンごとの絵が載り、それらが一枚のビラに集められたもの。芝居のビラもそうだが、どうしてこれらはこんなにも魅力的なのだろうか。番組の絵を見、読める字を追うだけでも楽しくて仕方ない。

会場の映像をもう一度見た。丁度「棒振」が流れていた。見事なバトントワラーである。
それを見終えてから会場を出た。
難波高島屋では2/1までの展示、壬生狂言「節分」は2/2と2/3に上演。
因みに恵方巻の丸かぶりに使われる海苔を、その壬生寺で「祈願してもらったもので拵えた」という商品が今年はあちこちで販売されている。
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ふたつの竹久夢二展を見る

2/1まで日本橋三越で竹久夢二展が開かれている。丁度期間中に都内にいたので見てきた。
見る前に弥生美術館の併設・夢二美術館にも出かけているから、都内で二つの夢二展を見たことになる。
その少し前に京都高島屋でも夢二展が開催されていたが、そちらは岡山の夢二郷土美術館の作品などが出ていたらしく、三越のは弥生所蔵のものが出ていた。

三越展は「憧れの欧米への旅」と副題がついている。
夢二は日本での人気に陰りが入り、私生活も暗くなってきたので、心機一転巻き返しを狙って、欧米へ機嫌よく出かけたのだった。
その滞米・滞欧中のスケッチなどが最初に並んでいる。

外国のスケッチは以前から弥生で見ているから馴染みのある作品も多いのだが、改めて「憧れの欧米への旅」という視点で眺めると、その外遊が成功しなかったことを知るだけに、なんとなく切なさが先に立ってしまう。

夢二は元々「絵を描くこと」そのものが好きな人なので、売れようが売れまいが関係なしにスケッチを描き続けた。
そして本絵を描いて個展を開いた。が、個人ではどうしようもない世界的不況などの影響もあり、一向に売れなかったそうだ。しかし売れないと旅は続かない。
プロとして生きている限り、作品が売れてなんぼなのだから。

会場は最初に夢二の欧米でのスケッチを展示している。客層は若い人だけでなく、かねてより夢二を代表する大正ロマンにときめくご年配の人が多い。
しかし彼らはたぶん、このスケッチでは物足りないようで、妙な違和感を抱いているようだった。
「夢二の美人画」または「夢二の童画」を楽しみに訪れたのは確かなようだった。

そんなことを思いながら見るのは傲慢かもしれないが、やはり観客の多くはデパート展には「ときめき」を求めに来るのだ。
だからだろう、会場の半ば過ぎ以降からは美人画が多く並びだした。

外遊中に描いた作品の中に「着物の女」と言う一枚がある。
顔立ちは欧州の女のそれである。その女がガウンのように着物を着ている。
外国にいながら日本の絵を描くと、どうしてもジャポニズム化するのかもしれない。
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セノオ楽譜が随分多く並んでいた。
いつ見ても楽しいシリーズである。こういうものを見ているとついつい歌いたくなる。

終わりのほうに夢二が表紙絵を描いたPR誌「三越」が幾冊かあった。
橋口五葉や杉浦非水だけでなく夢二も表紙絵を描いていたのだ。
センスのいい意匠。10012903.jpg
夢二の美人画もいいが、わたしは夢二は童画と工芸の意匠により深く惹かれる。

そして今回日本初公開となるのが「最後の油彩画」たる「扇を持つ女」がこちら。
髪を垂らしたまま着物を着ているからか、やはりどこの国の女かわからない風があった。
無国籍、そんな女。10012901.jpg


弥生美術館併設夢二美術館では「竹久夢二と大正ロマンの世界 展?女性・流行・文化生活にみる新しい波?」が開催中(?3/28)
モガたちが闊歩する写真があった。現代からは想像もつかないほど、彼女たちは勇気凛々の女たちだったのだ。
モガのいる室内写真は手彩色のもので、それは六甲にあった大谷光瑞の別荘「二樂荘」に似ていた。時代の最先端のステキな室内だった。

夢二の絵では大正三年の「湖上の月」がよかった。誰もいない湖面にボートが一艘浮いている。そのボートに坐して女が一人泣いている。それを見るのは上空の月だけだった。

弥生美術館でこれまであまり展示されていない井伊梅子、小林かいち風なシリーズ絵を描く橋爪ゆたからの作品があった。
飯澤天羊という画家はサロメに扮する松井須磨子を描いている。「悪魔と須磨子」など、なにやらオリエンタリズムあふれる作品である。
そしてその松井須磨子がサロメに扮した写真があった。
なかなか魅力的なものである。当時の日本人が夢中になったのもよくわかる。
しかし杉本苑子の説によれば、サロメは松井須磨子より奇術師の松旭斎 天勝の方が魅力的だったらしい。
他に浅草オペラのシュトラウス「サロメ」もあった。

珍しいのが婦人誌の表紙絵を武井武雄が描いているもので、三人の女が並んで座るものだが、どことなくコケシ風なかんじもあり、面白い。

三越は2/1まで。竹久夢二美術館は3/28まで。

ボルゲーゼ美術館展

京都国立近代美術館の後、今では東京都美術館で開催されているボルゲーゼ美術館展に行った。大阪人のわたしなら京都で見るべきだが、ありがたくも東京展チケットをいただいたので、京都に眼をつぶって都美で見た。
都美はこの展覧会のあと長く鎖され、改装工事に入るので、それを応援するキモチがあるのもあったが。
既に京都で見終えた友人たちからの感想をじかに聞いてはジクジたる思いも湧いたものの、こうして都美で見ることが出来たから、やっぱり幸せだ。
例によって長々と感想を挙げている。

やっとこさ東博に初詣

もう一本、東博で見たもの。
「博物館で初詣」を楽しませてもらいました?
初詣と言うてもわたしの場合、十日過ぎ以降になるので、まるでえべっさんか初釜かというような感じでしてな。

それでチラシにもなった応挙の虎を見たり、虎がへしゃげた形の枕を見たり。
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このトラ枕、なかなかカワイイ。チラシで見たときはつぶれトラやんと思ったが、ナマで見るとなかなか雄雄しい。

朝鮮のトラもついこないだ高麗美術館で大漁だったけど、東博にも生息してて、刺繍の中でガォ?ッでした。
これはヒュンベというもので、波濤の上にトラというのがめでたい図柄らしい。
岸駒の「虎に波図屏風」も同じですな。このトラはほわほわしてた。

後藤一族の小間物類は大抵が「猛虎」という題がついているし、阪神タイガースも「猛虎」と言うのが定着してるのに、どういうわけかワードもケータイも「モウコ」と打つと「蒙古」と出る。これじゃモンゴルですがな。
(関係ないが、ある地方では「モウコ」とはおばけ・怪物の類を意味する言葉)

やっぱり東博は楽しいなぁ。
行った日は案外ぬくかったので、真冬とは言えベンチでくつろぐ人も多かった。
わたしもちょっとここでランチとかしたくなった。
・・・そうか、コンビニがあれば便利なんですね(今更何を言うてんねん)。

他にも好きなものをちょっとばかり。
安田靫彦 御夢  これは後醍醐天皇が見た夢の話。楠正成を見出すエピソード。そういえばここには靫彦の「夢殿」も納められていた。あれは聖徳太子の絵。

下村観山 楠公  どういうわけか最近、大楠公(楠正成のこと)関係の絵や資料をよく見かけるので、なんとなくタイムリー。

太平記ゆかりの笠置には小学校の林間学校以来、時々出かけるが、今も「近いわりに古風さ」が残る山だと思う。山の入り口には案内猫・二代目かさやんがいる。

荒井寛方 乳糜供養  苦行していたシャカの前に乳粥を捧げるスジャータとその一行の図。寛方はインドを舞台にした作品が多く、なかなか魅力的だが、殆ど展覧会が行われないのが残念。栃木県の方にミュージアムがあるようだが、たどり着ける日は・・・

他に橋口五葉の美人版画が数枚あり、馴染みの女たちなので嬉しいが、彼の風景版画を初めて見た。大正9年の三条橋と神戸の宵月と。そんな頃の三条も神戸も、さぞや楽しかったろう・・・

土偶ともどもまた見に行く予定。何度も同じものを見ても、なんとなく楽しいのが東博の魅力だと思う。

洛中洛外図舟木本

洛中洛外図舟木本の公開が東博で1/13から始まっている。
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喜んで行く予定を立ててたら、色んな方の記事で1/4スケールの屏風が地下のショップで販売されたと知る。
自分のカメラだけでもいいかなーと思ってたけど、わたしは所詮かなしいシロート。
屏風仕立てのものはやっぱり屏風で手元に置けるなら置きたいよね、ということで機嫌よく東博へ向かう。
これは作者不詳と言うことだけど岩左派の工房ぽい絵で、実にキャラの表情や行動が多彩も多彩。
2500人の描き分けが出来てるのはやっぱりスゴイです。
丁度屏風の前に立ったら、熱心に単眼鏡で眺める年配のご婦人と立派なカメラを持ったオジサンとがいて、それぞれ非常に長い時間をかけてそれぞれ楽しんではりました。
わたしはデジカメをメガネ代わりに使用する。
単眼鏡は使わない主義なので、これでいい。

以前から「ここのシーンはみつけるぞ」と祈願してたシーンを探しだすのにもたいへん時間をかけた。
いやもぉ予想以上に面白かった。
もともと遊楽図や都の名所図なんぞが好きな身としては、これはやっぱり楽しい屏風ですがな。しかも現存する建物も描かれてるし位置関係がビミョ?なのも楽しいしで、なんぼでも見て楽しめる。

舟木本の詳細を書いた本もあるけど、数ヶ月前に立命館大学で開催された近世の春本・春画展の講演会でも、この舟木本の記事も出ていた。
わたしは講演会には行かないが、それに参加したあるyoginiさんから機密扱いで文書が届き、ときめきながら展示を待ったなぁ。

なにしろありとあらゆる人間模様が展開している。
僧と尼の密会、少年と戯れる老僧、仲良しさんたち・・・
働く人々もいる。商売熱心な遊女、実の親子なのか親方子方なのか、重そうな荷物を持つ大人と子供、牛に方向を示す人もいる。
鐘の絵を描いた幟を持って勧進する僧たち、食べ物屋、売り店、それをのぞく人々。

大仏殿から大勢の人がこぼれる。あちこち開かれた戸の隙間から顔を出すなかなかイケてる若い男、男同士で仲良くしているカップル、お主である振袖若衆の警護をする人々の中で一人だけ妖しい目線を少年に送る奴・・・
こういうのはまたとても好き好き好き。

ああとても楽しいなぁ。
どれくらい時間がかかったかわからなくなったが、充実した。
しかし自分のぱそが画像取り込み不可能なので、折角ぱちぱち撮りたおした写真が出せないのは、非常に残念なり。こういうときに焦ったり反省したりするのだった。

ところであの1/4スケール屏風、意外なくらい重かったので、それを持ち歩いた身としてはちょいと疲れてしまった。

2/21まで展示しているので、また見に行くつもり。今度は気楽に。
(でもたぶん映像上映を見ることはわたしはないだろうな・・・)

洛中洛外図 舟木本―町のにぎわいが聞こえる (アートセレクション)洛中洛外図 舟木本―町のにぎわいが聞こえる (アートセレクション)
(2001/03)
奥平 俊六


この本もやっぱりいいなぁ。

庭園美術館でイタリアの光をみる

東京都庭園美術館はよく知られているように、旧朝香宮邸をそのまま美術品展示の場に変えた建物である。
アールデコの館と呼ばれ、訪れたものが他の美術館で味わうことの少ない「その場にいること」の喜びを多く享受させてくれる、見事な空間である。
そこでの展示は、絵画であれ工芸品であれ、館にそぐうものでなくては、まず館の位に負け、見劣りし、本来の美を表に出せないまま敗れ果てることになる。

イタリアの印象派 マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち
今、庭園美術館ではこのタイトルの展覧会が開かれている。行くまではその「マッキアイオーリ」というのが個人名なのか集団名なのか地名なのか、全く知らなかった。
それどころか、中に入り、この麗しい館に飾られている作品を少しばかり見て歩いて、それでもまだ「マッキアイオーリ」が何を示すのかをわかっていなかった。

今回、全く事前情報なしで出かけたのだ。既に記事を挙げられているブロガーの皆さんにそむいて、「全くの予備知識なしで」見てみようと思ったのだ。
なにしろ行く気はあっても全く未知のものだから、却って無の状態で出かける方がいいかも、と甘い考えでいたのだ。

日差しを感じた。
イタリア・トスカーナ地方の日差しが、庭園美術館という建物の中にきらめいている。
「光を描いた」イタリアの近代画家たちの集団。
大方の作品には特別好ましい、と感じるものはなかった。しかし素通りは出来ない。
ほぼ全ての作品から明るい日差しがあふれるので、そちらへ向かってしまう。
気持ちのいい日差し。明るい陽光がこちらを照らすので、日焼けしそうな気がした。

シルヴェストロ・レーガ 庭園での散歩
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白い衣服の婦人二人が日傘を差しながら散歩している。日傘はとても小さい可愛らしいもので、たぶん本当には役に立っていない。全くUVカットの出来ていない傘だ。しかし傘の崩れた円形の影は顔から胸元を覆い、そこだけは白色を灰色に変えている。
こんな衣装を見、こんな時代を思うとき、わたしはどうしてもヴィスコンティの映画を思い出す。「ヴェニスに死す」のタッジオの母親を演じたシルヴァーナ・マンガーノが着ていたドレスは、長い裾を引いていた。その頃はアイロンがまだなく、どんな高価な衣装であっても全て皺が生じていたのだ。
この二人の婦人の裾には襞ではないものが見える。それこそが19世紀の衣服の証なのだった。

同じ作家の作に赤シャツ党の「ジュゼッペ・ガリバルディ」を描いたものがある。
ヴィスコンティ「夏の嵐」もまたイタリア独立運動が背景にあった。冒頭にオペラ座で煽動ビラが舞い舞いするシーンがある。あれは上流階級の物語だったが、しかしこの「赤シャツ党」の存在を忘れてはならないのだった。

わたしはあまり田園風景に関心が湧かない。可愛いウシが野道を行く絵があり、草も青々と生え、いい空気を感じたが、それでも田園に関心は湧かない。

突き抜けるような青空の下、イチジクを盗む子供たちの絵があった。
こんな青い空はナポリ以来見たことがない。トスカーナ地方にもこんな青空が広がっていたのだ。

階段のところに魚を釣る人の絵があった。
踊り場ではなく階段のところ。長い空間に長い絵。まるで本当にそこで釣り糸をたらしているかのようだった。
そうした明るいリアリズムがある。
三原順の短編集「ラストショー」の表紙絵がこんな風な感じだった。
階段の踊り場に波を蹴立てて快走するヨットの絵がある。それを皆が見ている構図。手前の少年の腕には海賊に付き物のオウムが止まっていて、わたしは長い間、そこが屋内ではなく船の一室だと思い込んでいた。
今、この絵の前に立って、そこの空間がそのまま水面に面しているような気がしてきた。

庭園美術館は時折このように、予想のつかない展覧会を見せてくれる。
そしていつも気持ちよく館を離れることになる。

3/14まで開催。

鰭崎英朋展

弥生美術館で久しぶりに鰭崎英朋展が開かれている。2001年には「清方と英朋」展も開かれたが、彼だけの展覧会はというと、’96春の開催だから14年ぶりになる。
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ポスターやチラシに使われている絵は彼の作品の中でも特に名品である「続風流線」の口絵。前編「風流線」の口絵は鏑木清方が描き、後編は鰭崎が描いた。
原作は泉鏡花の長編伝奇もので、わたしなどは鏡花の全作品の中でも特別に好きな一篇である。
多くの人々の思惑が交差する物語で、これは「風流組」の「浪裡白跳・河童の多見次」が入水した美喜子を救い出すシーンを描いている。
因みに前編の口絵は、風流組の新たな党首となる龍子が、初めてその場に現れるシーン。
挿絵には必ず強い物語性がなくてはならない。
その意味では清方のそれより鰭崎英朋の絵の方が、強い魅力がある。

鰭崎英朋は清方同様「歌川玄冶店」系統の絵師である。
師匠の右田年英の同輩は水野年方(その弟子が清方)、彼らの師匠は芳年である。
因みに鰭崎英朋の弟子には同じく挿絵画家の神保朋世がいて、彼の回顧展は’97春に弥生美術館で開催された。師匠の右田は’99春に開催。

清方は後にタブロー画家となり、晩年に卓上芸術として、出身の挿絵や物語絵を楽しんで描いたが、鰭崎英朋は生涯に亙って挿絵画家であることを貫いた。
どうしても挿絵画家と言うものは一段低く見られがちだが、わたしは挿絵画家に大好きな作家が非常に多い。
そもそも清方を偏愛するようになったのも、清方の作品に漂う文芸性に惹かれ、そこから彼のキャリアを知り、いよいよのめりこんだからだ。
一般大衆の喜ぶ絵を描くのが低く、展覧会用の作品を描くのが偉い、というのは正しくはない。
心に残る作品がすばらしければ、垣根などはない。

鰭崎英朋はまだ挿絵を描いていた頃の清方と合作を作ることも多かった。
それらは今回も展示されている。
有名なところでは「生さぬ仲」である。
前回展覧会で初めてこの物語を知り、その挿絵を見もしたが、絵を見るだけでドキドキするものがある。またそうでなくば「挿絵」ではない。
明治以降、大衆小説の大流行があった。江戸時代の草双紙と同じ立場だったろう。
「不如帰」「生さぬ仲」「己が罪」などなど・・・
これらは新聞連載などで多くの読者を得て、やがて上演もされた。
それでいよいよ人気が上がったのだ。

鰭崎英朋は多くの挿絵を描いた。一般に明治以降最も多くの挿絵を描いたのは大正から昭和50年まで描き続けた岩田専太郎(彼の師匠は伊東深水、その師は無論清方である)だと言うが、鰭崎英朋の作品数も実に多い。

数年前TVドラマになり大ブームになった「真珠夫人」も彼の絵で飾られている。
(連載当時、映画化された「真珠夫人」の主演は美人女優・栗島すみ子だったが、彼女の父は後述する栗島狭衣である。またその映画ポスターは国立フィルムセンターにある)
新聞連載の一部が展示されているが、物語の終末近く瑠璃子が重傷を負って床につくシーンガ描かれていた。

清方と鰭崎英朋を比較して「清雅な清方、妖艶な英朋」とも言われるが、確かにその傾向はある。尤も清方にも妖艶な「刺青の女」「妖魚」挿絵「百合子」などがあり、鰭崎英朋にも清雅な娘の絵がある。

挿絵画家は当然ながら雑誌の表紙絵や口絵にも麗筆をふるう。
鰭崎英朋の描いた表紙絵は基本的に和装の女である。洋装の女はまずここにはいない。
彼の描く洋装の女は挿絵の中で言えば「生さぬ仲」の洋行帰りの悪役くらい。

幾枚かの写真を見る。烏合会の写真では僚友・清方や彼の義兄・都筑真琴らと共に写り、24歳の英朋、31歳の泉鏡花、38歳の小杉宙外の3ショットでは、火鉢による座姿と、三人ソレゾレ寝そべったり遊んだりするくつろいだ姿が残されている。
彼は清方同様、鏡花とも仲良しだったのだ。

鰭崎英朋は幽霊好きで、その点でも鏡花とウマがあったようだ。なにしろ鏡花には「お化け好きのいわれ少々」という随筆もある。
英朋の幽霊画で有名なのは全生庵所蔵の「幽霊の美人画」とも言うべき蚊帳にたたずむ若い女の幽霊だが、今回それは別な日に展示されるらしい。
今回ここには水の底にいるような静けさに満ちた幽霊画があった。しんとした怖い絵である。
閉じられた襖のこちらに控える若い女がいる。
一心に畳の先をみつめている。その視線はしかし温度が足りない。そして襖は完全に閉められたわけではなく、少しばかり開いていて、向こうの室の明かりがこちらに一筋ばかり届く。
それがひどく怖い。
大正三年夏の一枚。この今しも立ち上がろうとせん女は何を念うてここにいるのだろうか・・・

鏡花の怪談「海異記」にも挿絵を描いていた。
これは海からきた「何か」に幼子を取り殺される若女房の物語で、終末に一気に恐怖が訪れるが、そのおびえるシーンがよく描けていると思う。
右ページでは若女房が手ぬぐいを開くところを、左ページには風雲急を告げて、黒い「何か」の影が浮かび上がっている。そしてその二枚の間にはカモメが鋭く飛ぶのだった。

'96年の展覧会で「続風流線」と並んで魅力的だった「伏姫」も出ていた。富山に住まい日々読経三昧の伏姫が水鏡に自分の姿を映したところ、犬の顔が浮かんだというシーンがある。姫が水面をのぞこうとするところが描かれている。これは菱田春草にも同じ構図があるので、画家には惹かれる情景と画題なのだと思う。

福富コレクションの「初袷」もいい絵。着物の感じがどうかしら、と確かめる娘心が初々しくていい。

朝日コレクションというコレクターは初めて知ったが、その口絵コレクションにはいい作品が多いと思った。
香汗淋漓  こんな言葉は初めて知った。それで何が描かれているかと言うと、芝居の桟敷席に雀のように並び座る娘たちがハラハラワクワクする図なのだった。
なるほど「香汗」も淋漓たる有様だろう。

大正六年に「清玄桜姫」の絵がある。新清水寺の高僧だった清玄が若い頃の過ちから因果は巡る糸車で、17年後に心中相手の生まれ変わりたる桜姫に出会い、運命を狂わせてしまう。前世は自分の恋人だったが現世では全く愛してくれない姫のために、落ちぶれ果てる清玄。病に蝕まれつつストーカーになり、姫に嫌われる姿が描かれている。姫は見るからに迷惑な様子。
これは近年では染五郎が父の幸四郎と演じて大評判になったが、私が最初に見たのは孝夫&玉三郎コンビで、凄まじい人気作になった。
そしてその以前は昭和四十年の八世三津五郎と今の雀右衛門、さらに以前は大正に遡る。
この因果な物語は鶴谷南北が拵えたが、それ以前から「清玄桜姫」ものとして人気があったのだ。

明治42年、四谷怪談を見たらしく、舞台情景をスケッチしている。それがまたかなりおもしろい。シーンはたぶん小仏小平が旧主の為に田宮家秘伝の薬を盗もうとして捕まり、いたぶられるところと、毒を飲まされた後のお岩さんと按摩の宅悦のいるところと。
芝居好きな画家にはこうした舞台スケッチが多い。清方にもあるし、洋画家の金山平三、牛島憲之にもステキな舞台スケッチが多い。

おもしろかったのは双六。明治から昭和真ん中まで双六は人気があった。多くの画家が双六絵を描いた。挿絵画家だけでなく、他にも・・・
英朋の双六はその当時の女の一生や女の職業を描いたもので、だいぶ笑えるものがあった。清方との合作がいい。0歳から21歳までの目、一応メモったわたし(笑)。


お相撲の絵も鰭崎英朋は多く描いた。
弥生美術館では2002年に「みんなのアイドルおすもうさん」展を開催し、そこで多くの鰭崎英朋の相撲絵が出ていた。
彼は明治34年から新聞連載で相撲の取り組み絵を描き続けたのだ。
文は作家・栗島狭衣。その父は明治初めの美男力士・綾瀬川だったそうだ。美貌は孫娘にまで伝わっている。
二人のコンビは人気があり、随分長い連載になったそうだ。
今ほど娯楽が多岐にわたる時代ではなかった頃、相撲と芝居は二大娯楽だったので、多くの人が待ち望んだ「作品」だったろう。
相撲版画では「照国」関がかっこよかった。

他に国定教科書の挿絵、講談社の絵本の仕事も紹介されていた。
「花咲爺」である。
花咲爺 (新・講談社の絵本)花咲爺 (新・講談社の絵本)
(2001/06)
鰭崎 英朋

どうも眺めているうちに、ダメ系の人がやけくそになって成功しました的な物語に思えてきて仕方なくなったが。←ばかもの??っ!

本は今回初めて国書刊行会から画集が出版された。
妖艶粋美──甦る天才絵師・鰭崎英朋の世界妖艶粋美──甦る天才絵師・鰭崎英朋の世界
(2009/12/24)
松本 品子


‘96年当時では、鰭崎の娘さんが追想録を出していたくらいしかなかったから、とても嬉しい。

有意義な展覧会だと思う。とても面白かった。
なお、鰭崎英朋についてはlapisさんに素晴らしい記事がある。
そちらをご覧になることもお勧めする。

1月二度目の東京ハイカイ

今月二度目の東京ハイカイをしてしまった。
基本的に東京へ行くのは月一度にしてるのに、たま?にこういうこともある。
展覧会の感想は後日それぞれ詳述するにして、とりあえず。

土偶に再会。やっぱりニャー子がいちばんカワイイ。ツリ眼とニャーな口元と三本指のサインがいい。今回少し離れた地点から俯瞰すると、ニャー子に▲耳があるのを発見。
まるきりネコやん、さすがはニャー子だ。
サザエさんなミミズク土偶も好き。それでなんで遮光器に関心が向かないかと言うと、寝起きの人に見せられない顔が遮光器土偶に似ているから、かもしれない・・・

舟木本を見る。延々と撮影する。凝視し続けて、見たかった情景を発見したり色々。楽しい。皆さんご推奨の1/4スケール屏風を購入したが、意外に重いのでちょっと悩む。
荒井寛方のスジャータの絵があった。全く珍しい。

東博を出てから都美へ向かう。ボルゲーゼ美術館展。その前に都美のレストランでオムライスをいただくが、苦手なのが入ってたのでちょっとカナシイ。
それにしても京都で見ておけ、と言うところですがまぁ色々と。都美もこの展覧会後はしばらく閉じるし。

とことこと歩き上野桜木を越え、カヤバが繁盛しているのを遠目に見る。
そのまま延々と坂を行く。アマガサキ鳥獣剥製店の角を曲がり、近道で弥生美術館へ。
この剥製店は随分昔からあるが、久世光彦「蝶とヒットラー」にも描かれている。
鰭崎英朋展を見る。併設の華宵室の方は先日亡くなられた館長鹿野さんと華宵の交流が展示されていた。初見のものが多いのは、プライヴェートな作品だからだと思う。合掌。
いつも弥生は2時間予定してるが、2時間越えてしまった。

ららぽーとのukiyoe東京へ。(表記が正しいかどうかは知らない)江戸の英雄展。これがまぁ実に面白かった。幕末浮世絵の武者絵や芝居絵が好きな人には大ウケすると思う。
本は1500円。いや?来月には展示換えがあるんでまた楽しみよの?

渋谷に着いたらもぉ5:30越えててたばこと塩は諦め、ブンカムラへ。
ヴィクトリアン・ジュエリー。
これまで全く興味のなかったガーネットに深く深く魅せられる。
血赤色と黄金の取り合わせってあんなに魅力的だとは・・・(絶句)

翌日は国立新美術館へルノワール詣で。開館前についても満員御礼。でもルノワール展だから、お客さんは皆ニコニコ、わたしもニコニコ。並ぶ絵の大半は「おお、コンニチハ」な馴染みのあるものだけど、ポーラ美術館の光学調査が興味深かった。

そこから坂を下りて森美術館へ。53階へ一気に上がるのはいいけど、やっぱり40階くらいで耳がおかしくなるもんですね。途中からは速度が増して1階1秒くらいになる。
医学と芸術。これは「人体の不思議」と大昔の「衛生博覧会」の現代ヴァージョンかなぁ。
皮膚の下の筋肉や骨の説明図を見て思い出したことがある。
「ハチミツとクローバー」の羽海野チカさんが昔こんなギャグを描いていた。
人体模型像を壊した生徒がその代償に、授業で半身にサインペンで「ここが上腕筋でー」と描き込まれ、油性ペンなので消えず、そのままクラブ活動をして、周囲を怯えさせる・・・
すごく笑ったなぁ、わたし。
色々ある中で暁斎と応挙のホネ図や目玉オヤジの詰め合わせのようなものが印象に残る。

ここから麻布十番に出るのに手間取って、庭園美術館についたのは予定より遅かった。
マッキアイオーリ展を見る。正直「マッキアイオーリ」とは何かすら知らなかった。
イタリアの印象派のような人々。この展示はここで行われたことにも価値がある。

三越で外遊中のスケッチを中心とした夢二展を見る。終わりのほうには美人画や芝居絵が出てくるが、前半のスケッチだけでは観客の期待にこたえられないのでしょうね。

そこからメトロリンクに乗れたらよかったが捨てられて、待つのもイヤで高島屋へ歩く。
浜町漬を買う。バラ売りがないんで箱で買う。でも話が通じない。というより、都合のいいこと以外には一切返事しないのはスゴイな。今までデパ地下でこんな店員にあたったことがない。

フィルムセンターで戦前のフランス映画ポスターを見る。先月の野口久光のそれとどうしても比較してしまう。それでやっぱり・・・野口久光ってすばらしいなぁ。
ポスターとしては巧いと思うけど、野口のポスターはその映画が見たくなるポスターだった。その違いを感じる。

タイムアウトで空港へ。例によってJALに乗るけど、行きとは違い帰りは満員御礼に近い。
行きはガラガラで、それもいきなりキャンセルしたと思しき状況だった。
だからか行きは「雲をいただいた富士山が見えます」とかアナウンスが入ったり、なんとなくエレジィな感じがあったけど、帰りはまぁね。

帰宅してぐったりしすぎて、昨日は記事にならず。一日遅れのハイカイ日記でした。

七宝 -色と細密の世界-

INAX大阪に「七宝」展が巡回してきた。
既に東京で見ているが、改めて眺めると、やはり深い喜びが湧き出した。
中学の頃、七宝焼を拵えていた。学校のクラブでかなり本気で七宝焼に打ち込んでいた。
しかし顧問が変わると七宝焼の楽しみは鎖されてしまい、以後二度と七宝焼を作る側に廻ってはいない。
今も七宝焼に深い視線を送るのは、途中で断ち切られたからかもしれない。
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京都には並河靖之という名工がいた。
有線七宝の第一人者で、煌びやかな世界を生み出した。
関東には濤川惣介という無線七宝の名工がいた。
同じ「ナミカワ」同士、技法の違いはあるが、すばらしい美をこの世に届けてくれた。

七宝の歴史は古い。よく見るところでは城郭や寺院の引き手、釘隠しなどに七宝の技法が使われている。
そして明治になり、ワグネルの指導などから黒色釉薬が日本でも使えるようになった。
それが劇的な変化を七宝焼に及ぼした。
ここに集められているのは近代七宝の名品がメインで、京都の並河記念館と清水三年坂美術館、名古屋の安藤七宝店、銀座の宝満堂などから来ている。

輸出用に制作されたものが多いので、やや過剰な構図にも思えるが、しかしながらこれが絵画ではなく工芸品だと言うことを思うとき、その精妙巧緻な技にただただ感嘆するばかりになる。
また隙間を埋めるほどに描きこまれた花瓶や壷を見れば、化政期に流行した刺青を想起する。
それ以前の刺青はそんなにもきららなものではなかった。
浮世絵師・国芳の武者絵が爆発的に人気を博したことから、その絵と同じ美麗な彫り物をわが身に入れてくれ、と熱望する火消しや鳶のイナセな若い者が後を絶たなかったという。
化政期に流行した刺青、その煌びやかな彫り物は「文身」という言葉にふさわしい状況だった。
その美麗な様相を思い起こさせるような近代七宝の名品を眺める。

一方濤川惣介の無線七宝は滲みや暈しを多用しているが、それはまるで日本画のように見えた。
わたしは有線七宝の方が好ましいが、それでも美麗なものを愛するのに差はなく、こちらも喜んで眺めた。

櫛があった。その櫛は有線七宝で作られている。線によって区切られた釉薬は他と交じり合うことはない。独立した色彩がその地に活きている。しかし全体としてみれば優しい調和がある。
この櫛は美しい飾り櫛だった。眺めるだけでもほのぼのと嬉しくなる櫛だった。

東京、大阪と二度に亘って通った展覧会だが、その甲斐があった。本当に美麗なものばかりだった。大阪展が最後の巡回地、2/18まで。

世界無形文化遺産登録記念・受け継いでゆく祇園祭

祇園祭の文化財を色々眺めた。祭の時期は真夏だが、世界無形文化遺産登録記念と言うことで、祇園祭の展示が京都文化博物館で行われた。(展示は1/11に既に終了している。)
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個人蔵の祇園絵巻で、明暦年間のものなのに昭和初期頃の作画に見えるほど、リアルな動きを描いたものがあった。
イキイキしている。みんながみんなイキイキしている。
猩々の装をした子供たちが可愛いし、彼らがよく跳ねたり引っ張ったりするから、イキイキして見えるのか。

祇園祭の主役は鉾である。その懸装品などが展示されていた。
「神事これなくとも山鉾渡らせたく候」と言うくらいだから、古来の伝統に乗っかるだけでなく、新しい装いを多く取り入れる。

胴掛で可愛い鶴や龍を描いたものがあった。(綴れもの)だが、絵そのものは現代の童画家・瀬川康男のそれによく似ている。
解説プレートを見ると19世紀の李朝時代のものだった。

それに今回は出ていないが、東インド会社を通じて購入したか、トロイ戦争をモティーフにしたタピストリーを胴掛にした鉾もある。

20世紀初頭の山鉾巡行写真も幾枚か展示されていた。
「四条高倉」を行く月鉾の背景にインド=サラセン様式の建物が映っている。これはもしかすると大丸か?明治末にこの地にあったというから・・・そうか、こんなステキな建物だったのか。ますます大丸ファンになるぜ。

他にもたくさんの山鉾をモティーフにした模型などが展示されていた。
それに各山鉾の末広も並んでいる。
菊水鉾は上村松篁さんの絵だった。

あああ、こういうものを見ると、早く夏になって、祇園祭に行きたいと思ったりするのだ。
楽しい展覧会だった。こういうのを見せてくれるところが、やっぱり凄いな・・・

糸あやつりの万華鏡 結城座 375年の人形芝居展

INAXギャラリー東京では「糸あやつりの万華鏡 結城座 375年の人形芝居展 」が開催されている。
大阪にも来るから待てばいいようなものだが、待てなかった。
では私はそこまでファンなのかと訊かれれば、答えに窮してしまう。
わたしは好きなものをあからさまに好きだと言えることが出来る環境と、そうでない状態のものを二つながら心に抱えているのだった。

「結城座は、徳川家光の治世、1635年(寛永12年)に、初代結城孫三郎が日本橋で旗揚げした江戸糸あやつり人形一座です。幕府公認の五座(歌舞伎三座の市村座・中村座・河原崎座、薩摩座、結城座)の一つでしたが、いまではその活動を存続する唯一の座となり、国や都の無形文化財にも指定されています。現在は十二代目結城孫三郎を座長とし、伝統を継承する古典から、シェークスピアなどの海外作品や時代性を帯びた新作まで幅広いレパートリーで芝居を繰り広げています。世界各国にあやつり人形はありますが、そのどれとも異なる独特の世界をつくり出す結城座の人形芝居。375年もの年月をかけて培われてきたその多彩な魅力を紹介します。」
サイトにはこのように紹介されている。

子供の頃から人形が好きだった。
リカちゃん人形とそのフレンズ、新八犬伝、サンダーバード・・・
少し大きくなると文楽に奔った。
丁度文楽劇場が開場した頃だったか、とにかくよく見た。
見た、というのは正確ではない。
わたしは義太夫を聴きに行ったのだ。

やがてあるとき結城座を知った。
深い衝撃を受けた。
わたしが見たのは山口小夜子と人形が共に一つの舞台で一つの枠の中で動く世界だった。
山口小夜子の異様な美貌と共に、人形たちの不可思議な存在感に強く惹かれた。
それはわたしが偏愛する世界観に基づいていたからだ。

しかしのめりこむことは出来なかった。
何故か。
人形も、物語の枠も、その紡ぎだす様相も、何もかもがいとしいのに。
その理由を知りたいキモチもあって展覧会を時間をかけて眺めた。

結城座の人形のカシラが雛壇に飾られる。たまに文楽人形のカシラに似たものがあることがかえって他の人形たちの個性を際だたせる。
額にほくろ ではないが、そこから糸がつながっている。なぜそこに操り糸がつながるのか。神経回路の現れなのか。

カシラの中に、頭の半分が削られたものがあった。血がべっとりと顔についていた。
鉈か斧かで削られた頭、血だけでなく脳漿も流れているかもしれない。
右半分が焼けただれた顔もある。
その中にめでたくそして尊い存在たる三番叟の翁の顔があった。しかしこの翁は「笑っている」ように見せかけているだけに見えた。
山口小夜子のデザインした源氏物語の人形の顔は、どことなく彼女の美貌を宿しているように思えた。それは男性の人形について言えることだった。

映像コーナーでは近年の結城座の演目が数分ずつ放映され続けていた。
幻灯もまた結城座にとっては大事なアイテムだという。
乱歩の「芋虫」をモティーフにした舞台では、宇野亜喜良の描いたものがそこに浮かび上がった。人形と幻灯とヒトの織り成す煌びやかな悪夢がそこに開く。

黒子ではなく操演者たるヒトの姿も演出のうちに計算され、発声も彼らのものだった。
しかし人形を操るヒトよりも、彼らの手によって動かしてもらっているはずの人形の方が、主導権を握っているように見えた。
つまり「動きたい」という意思を持つ人形が、ヒトを使って動いているのではないか、という疑念が湧いているのだ。
たぶん、それは私の妄想ではないはずだ。

作品によってはいかがわしさを感じるものがある。それは確信犯的な視線によって生み出されたものだ。
そしてそれこそが本来私の好む異端そのものなのだが。

映像を見るうち、やがてわたしは自分がどうしてこの世界にのめり込まずにいるのかが、なんとなくわかってきた。
ヒトの発声、そのエロキューションが体質にあわないのだった。
他の舞台でもそうだが、その発声にときめく役者は若くない人が多い。
若くても修行を積んだ発声はいいのだが、リアルな発声がどうもニガテだ。
蜷川の芝居でもそうだった。
わたしはセリフ回しに苛立つことが多い。
結局それだけの問題なのかもしれないが、それは譲れない一線だった。

にもかかわらず、結城座の世界には受け入れ難さと同時に、闇の底へ引き込まれるような魔力を感じる。
わたしがもし文楽の国に生まれていなければ、なんのためらいもなく結城座の世界に入り込んでいたろう。

毒を飲んだような気がする。
強い毒のくせに序々にしか効力を見せない恐ろしい毒を。
表面にはまだ現れない爛れが少しずつ内部に広がって行く。毒を飲んだことに気づいたときにはもう舌の先は溶けた後だろう。
わたしの舌は溶けているか?解毒剤は内部にあるか?

この先も溶けた(あるいは蕩けた)舌を隠しながら、わたしはそっと結城座の世界を遠くからみつめるだろう。

朝鮮虎展

高麗美術館で開催中の「朝鮮虎展」に行った。
これは昨年末からとても楽しみにしていた展覧会で、早く始まれ-とわくわくしていたものだ。
なにしろチラシからかなりキている。
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元から虎が好きとか若冲が好きとか、そんな向きを措いても、一目見ただけで「!!」と来るではないか。

スリッパに履き替えてまず一階展示室への短い階段を降りるとそこには虎のコマイヌがいる。
番犬的役割を担うておるわけだが、撫でたくて困った。
壁に沿った展示は虎の絵が並び、ガラスケース台には本や虎の郷土玩具がある。

虎は朝鮮の地にあっては親しくもあり、畏怖もあり、という存在だったのだ。
今回は民画はないものの、庶民の描く民画などでも虎は身近な存在として描かれ、擬人化もされている。
むろん吉祥絵画としても愛されていて、そうした作品が次々と現れていた。

あんまりよく知らなかったのが虎とカササギがペアの「鵲虎図」。
これは吉兆を意味する図柄らしい。
こういうことを知るのも楽しい。
何点か「鵲虎図」があるが、中でも面白いのが豹柄の虎と目つきの良くないカササギ。
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顔つきも楽しいし、稚拙な感じが却って親しみやすくていい。
不条理系ギャグマンガの主役二人、という風にも見える。

マジメなペアもあるが、そちらは新年に床の間に飾られていたものだろうか。

山神様と一緒の虎もいる。羅漢と一緒の虎は中華の虎だが、朝鮮の虎は山神と一緒なのだ。
なんとなくおとなしそうに見える。(でも油断するとガブリ・・・)

前々から大好きな飾り箱が出ていた。華角函という名前。
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カード大の一面一面違う絵を貼り付けた箱で、象や虎や狐がいる。
こうした飾り箱の可愛らしさは見ていて本当に楽しくなる。
それも見るものにこびるような可愛さではなく、どちらかと言えばぬぼーとした風貌なのがいい。
眠たそうなゾウ、オッチャンぽい虎などなど。ヤギも一筋縄で行きそうにない。
いいなーほしいなーと常々思っている。

若冲が墨絵で描いた虎と、その本歌の彩色虎が並ぶのは壮観だった。
本歌取りしたはずの若冲の虎はもう既に『若冲の虎』になりきっているが、本歌の虎は虎で、そんなことを気にする風もなく、一心に分厚い肉球を舐めている。
可愛いな-ああもぉ、噛まれるのはわかっているが、尻尾を掴みたくて仕方ない。

絵として眺めると、本歌の背景は梅の木らしき枯れたものと草が生えている。
若冲は「竹虎図」として竹をザザッと描く。10012001.jpg
ツラツキもこちらの方がファンキーになった。

本歌の伝・李公麟の虎は黄色と黒の縞柄の流れだけを眺めれば、どことなく艶かしくもある。
ツメの黒さが陰影にもなり、そこがたいへん面白い。
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中国の虎の絵もある。子連れ虎。日本には昔「子連れ狼」がいたが。
丸々した仔虎がママ虎にじゃれる。こわカワイイ顔つきのファミリー図。
ここには三匹の子がいて親にじゃれついて遊んでいる。うちには猫の家族が何代もいたからその様子のリアルさがよくわかる。虎も猫もやっぱり同じなのだ。
そしてこの虎家族を見守るカササギたちも、もしかすると友人ではなく家族なのかもしれなかった。

中国と朝鮮では虎への認識が微妙に異なっているように思う。
中国の虎はヒトを喰った後、その喰ったヒトを自分の使役に使う、という伝承がある。
喰われた人々は鬼(キ。亡霊のこと)となって親方の虎のために、他のヒトビトを誘い出そうとする。
とはいえ絵の虎は可愛かったり勇ましかったりするのに変わりもないが。

中国の水飲み虎が可愛い。太い手の手首あたりはヒョウ柄なのが楽しい。真っ赤なべろがいい。

日本からは探幽縮図も出ていて、神仙と虎の図などがある。
他に光琳のユーモラスな虎があった。わりと人気ものの奴です。

岸駒の虎もある。乳虎之図。松の下でママ虎とちび三匹。ママの背中にかじりつくのは豹柄ちゃん。ママの縞模様は松の幹に似ていた。

おもちゃの方は朏(みかづき)コレクションから。みかづきコレクションを見るのは久しぶり。この文字を覚えたのも、展覧会が以前に京都文化博物館で行われたおかげ。
可愛いおもちゃの虎たち。道修町の神農さんや信貴山には張り子の虎がぶらぶら揺れているが、朝鮮の虎は首をゆらしはしなかった。

二階に上がるといつも両班(ヤンバン)の一室が再現されているが、今回はそちらよりもVTRの方に目がいった。
アムール虎の映像が流れていた。野生の虎はもう四千頭くらいしかいないそうだ。そのことを考えると本当に切ない。
「偉大なる王(わん)」もアムール虎だった。

他に虎をモティーフにした朝鮮民話の絵本がたくさんおかれていた。日本語版もあるがハングル文字の原語本もある。字は読めなくても原語版を開いた。絵本は文字が読めずとも楽しく読み進めることが出来る。
いい感じで楽しめた。

展示換えもあるので、少し日をおいてから再訪しようと思う。本当に楽しい展覧会だった。
京都駅からは9系統で堀川通りをずーーーっと直進のバスがある。
私は四条から行くのでまた別系統。

北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展

北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展を東洋陶磁美術館で見た。
サイトに興味ある一文が書かれている。
「北宋汝窯の伝世品は北京・台北の両故宮博物院をはじめ世界でも数少ないもので、日本では当館所蔵の「青磁水仙盆」が知られています。北宋末期、北宋宮廷の命により宮廷用の青磁製品を製作した汝窯は、「天青色(てんせいしょく)」とも呼ばれる青みがかった独特の釉色と精緻なつくりで知られ、中国の青磁を代表するものの一つとして評価が高いものです。本展は宝豊県清凉寺汝窯窯址の出土資料約80点により、北宋汝窯青磁の謎と魅力に迫ります。」わたしは11世紀の高麗青磁を偏愛しているが、美しいものはやはり愛でたいと思う。

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青磁刻花龍文瓶  チラシやサイトに画像があるが、実物の色を再現してはいない。
「汝窯で文様のある例は伝世品では知られていませんでしたが、清凉寺窯址からは各種文様のある例が少なからず出土し、汝窯は文様がほとんどないという従来の汝窯の認識を改めることになりました。」という解説を読み、そうなのかと思う反面、その図柄にあまり関心が向かなかった。
わたしがみつめていたのは龍の頭部にあたる部位の貫入だった。異様に美しい貫入だと思う。
貫入を罅と訳するわけにはいかない。
実際に「破」があるからこそ生じた現象だが、それは破綻した状況ではない。
より深い美貌を与えられたのだ。美しい壊れ方だと言うべきかどうか。貫入の生じた部位の深い美しさは、永遠の神秘にも似ている。

青磁印花牡丹文蓋   蓋に描かれた牡丹文には陰影がつけられていた。美しい花の影。
しかしそれは東洋的な美しさを表出するための作為だったろうが、実際にはひどくモダンに見えた。ただそのモダンさは現代のそれではなく、マヴォやロシア構成主義的なモダンさなのだった。

龍型香炉蓋片   龍の口先割れ、ふっくら手の甲が可愛い。
唐獅子を象った陶片にはぶた鼻、巻き毛などが見えた。
こうした欠片にも楽しみがある。

金代の青磁碗の貫入は雪か塩の結晶のように見えた。折り重なる様子は、まるでここではないどこかの銀河を思わせる。
天青色の爽やかな色合いに、味わい深い貫入が入り込んだ状況を見ると、それだけで強く惹かれる。
そして緑がかった淡青色の貫入は、わたしにとっては薔薇の花束だった。


わたしは南宋の青磁のうち「砧青磁」と呼ばれ、古来よりわが国の茶人粋人たちに愛されてきた青磁にはあまり関心が向かないが、この北宋の青磁にはときめくものを多く感じた。
南宋のそれには手をさしのべる余地がないが、北宋の青磁には愛玩する隙がある。
深水の美人と清方美人の違いのようなものを、感じているのだった。

いい心持で常設室へ向かうと、安宅コレクション、李コレクションが待ってくれていた。
高麗青磁の青磁象嵌の陶板がある。小さな鷺の遊ぶ世界。
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この世で最も美しい高麗青磁だとわたしは信ずる。その確信はもう二十年も変わらない。

李コレクションには今年の干支の虎がいる。白磁に近いものに浮き彫りされた虎が。

本当にいい心持ちで東洋陶磁の美に遊んだ。
この展覧会は3/28まで。

生誕130年記念 菊池契月展

もう一度くらい行けるか行けないかわからないが、1/24まで京都のえき美術館で菊池契月展が開催されている。既に二度ばかり出向いたが、まだ見足りない気がする。
えき美術館にはリストがないので、自分でイチからメモを取らねばならないが、二度ともそれができない状況にあったので、完全にうろ覚えでの感想になる。
が、幸いなことに三重県立美術館がサイトに展示換えリストを出してくれているので、それを参考に出来る。ありがとう、三重県立美術館さん。

契月は信濃から京都に出た人で、師匠の芳文の婿養子になり、優美な人物画を多く残した。
その子息たちも芸術家になり、数年前には菊池家回顧展が京都で開催されたが、彼だけの展覧会はなかなか開かれなかった。
しかし生誕百三十年・没後五十五年という昨今となっても、彼の絵には静かな人気がある。
特に「敦盛」像は表に出るたびに新しいファンを獲得している。
わたしも初めてあの美少年像を前にしたとき、ときめいて苦しかった。
あいにく今回京都には敦盛さまはお出ましにならぬのだが、他の美しい人々が多く現われた。

明治の頃の旧い絵を見る。

那須宗高  控えるもののふ像。これは屋島で名を挙げた那須与一だと思う。
福原故事  平家が現在の神戸(福原)を開いたのは宋との貿易を考えていた体と言う話だが、ここでは落日の平家一門の姿が描かれるばかりである。急速な貴族化が一族の衰退を招くとは、誰が予測したろうか。
悪者の童  平家物語に現われる「かむろ」たち、即ち平家の悪口を言うものを監視し、六波羅に通報する子供らの姿である。愛らしいおかっぱの子供たちだが、やることは悪辣である。それが時々はツラツキにも出ている。
10011803.jpgクリックするとにくたらしいのやちょっと可愛いのも見える。

前述の「敦盛」は後年の作だが、契月は平家物語から材を採ることが多かったのかもしれない。

垓下別離  覇王別姫である。項羽に別れを告げられ嘆く虞美人。項羽は無念さに中空を睨む。
車匿童子訣別  しゃのく童子とは悉達太子(シッダールタ)の御者で、太子が出城した後もついてゆけると思いのほか、太子により帰れと命じられる。
義太夫で「檀特山の憂き別れ 悉達太子を送りたる車匿童子が悲しみも・・・」のそのシーンである。尤も「童子」と言うてもオジサンなのだが。

近藤重蔵  蝦夷地で現地のアイヌの人々と話し合う近藤と、村の人々を描いている。
女たちの口元には独特の刺青が施されている。

清潭  横顔の美しい舞妓を描いている。夏なのか、暑さよりむしろ涼しさを感じる美しさがある。
童女  ふっくらと愛らしい童女がひとり遊びをしている。ほっぺたが可愛い。
明治の頃には愛らしい童女の絵が多かったと思う。この子もその一人。

少しずつ明治の頃の作風から変化し、背景を簡略化して人物描写に重きをなす様式へ変わってゆく。

深窓  中国風俗の美しい女が机にもたれている。陶製の椅子に座り、艶かしい目をこちらに向けている。朱塗りの机には数冊の本と赤い花瓶にいけられた牡丹が咲き誇る。
女の赤い服が印象に残る。
郭子儀  こちらにも美しい女がいる。二人共に赤い服を着るが、色合いは微妙な違いを見せる。
契月は赤色を効果的に使う、と思った。

吉法師・竹千代  子供時代の家康と信長が描かれている。見るからに元気そうな子供と、子供ながらも落ち着き払った子供との対照が面白い。
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二人の少年が巻物を見ている。鎧兜をつけた侍が現われる絵巻を見る。
以前この絵を京都市美術館でみたとき、結城の合戦での安王春王のようだと思ったが、今もそんな風に見ている。とても美しい少年たちで、彼らの未来を少し心配する。
小楠公兄弟  若き楠兄弟の端座する姿がある。どちらが兄なのかが少しわからない。
しかし共にとても凛々しい。

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淡群青色を背景に二人の天平美人が立つ。欧州から戻って描いた作品。ルネサンスの影響があるということだが、この世ではないような背景描写がそれをいうのかもしれない。
光明皇后  手に巻物を持ちすっくと立った姿。数ある光明皇后図でも特に良い一枚。
国母と言うだけでなく自らを「藤三娘」と称した心持ちも伝わってくる気がした。

実は「麗人」「朱唇」「寵人」の三作が時々わたしの中で混ざり合うことがある。
それは「少女」「友禅の少女」「散歩」が並ぶのと同じ感覚で。
10011804.jpg 「朱唇」

「朱唇」は桃山時代の風俗の若い娘がぺたんと座り、なんとなく楽しそうな一人思いにふけっているような姿を描いている。袖から長く伸びる白い腕が柔らかく、組み合わされた手指が娘の心を表わしている。
かつて背景にも心を砕いていた日々は遠くなり、「人物を描く」そのことのみに収斂されていくのが、はっきりとわかる。

被衣  桃山風俗らしき婦人を描いているが、そのゆったりした落ち着き振りがいい。
若い娘にはない魅力がある。この絵は渋温泉・金具屋にあるそうだ。
わたしは渋温泉は歩いただけだ。手前の湯田中温泉・よろづやを愛しているが、金具屋にも行きたくなってきた・・・

楕円型に編んだ籠に熟れていない柘榴と、弾けて赤い実を曝け出す柘榴とが置かれた様子を描いた絵がある。「石榴」(ざくろ)。ざくろには様々な文字が当てられる。
文字の変相が多い分、ざくろの捉え方も多様になる。
その小さく煌く粒を歯に押し当て、尖った犬歯で引き裂きたくなる欲望と、はぜかかった硬い実を元のように鎖したくなる切なさとが、ざくろにはある。

もう少し見たい作品があるのだが、あいにくそれは今回現われなかった。
またいつか会う日もあるだろう。京都での展覧会は1/24まで。

木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン

東京都写真美術館で「木村伊兵衛とブレッソン」を見た。
二人それぞれの作品はこれまで数え切れないほど見てきている。
展覧会だけではなく図録、写真集、新聞、TV・・・あらゆる場で見ている。
その意味では個々の作品に新鮮味を感じることはないが、「好きな一枚」に再会できる喜びがある。
そして「木村伊兵衛とブレッソン」というタイトルの意味を思いながら展示を眺めれば、そこに新しい楽しみが湧き出してくるだろう。
二人は共に街と人とを多く被写体にしている。人のいる風景を撮る、と言う方が正しいか。
展示はまず木村伊兵衛から始まる。

以前に何で読んだか、木村伊兵衛と同時代の土門拳とを比較する一文があり、そこに興味深いことが書かれていた。
きさくな情景を多く撮る木村伊兵衛と重厚な風景を撮る土門拳。しかし実際のヒトとのふれあいは、木村伊兵衛がクールで通し、土門拳は弟子だけでなく周辺にも深い付き合いを持った ―――大体そんな内容だったが、それが妙に心に残った。
木村伊兵衛の撮る風景には、ヒトの存在感が圧倒的に強い。しかしその内面にまで踏み込むことをヨシとしない性質がそこにあることを思えば、作品を観る者の見方も自ずから面白い変化を起こす。
どんなイナカを写そうとも、生粋の都会人気質が活きている写真家の作品、それを踏まえて作品と対峙するのは、かなり面白かった。
少しばかり感想を書く。

戦前の那覇の芸者を写したものがある。かなりな美人芸者。
昔の那覇には辻町遊郭というところがあり、そこにいたヒトかと思う。
その辻町遊郭については濃い情緒とやさしいヒトが多かったと殿山泰司の回想がある。
戦前、折口信夫はフィールドワークで沖縄を訪ね、版画家前田藤四郎も琉球文化に惹かれた。木村伊兵衛もその時代の沖縄を撮りたかったのだ、と思う。

戦前、戦後すぐの荒廃した都市風景の後に、ようやく落ち着いた時代の街と人の風景が現われる。それを眺めるうちに不意に違和感のある一枚にぶつかる。
どこかの街角で店を出たばかりの袴姿の男がいる。着物にソフト帽をかぶり、大きな風呂敷包みを手にしている。質屋のオヤジのようなタイプだと思ったら、道修町を行く人だった。ああ、と思った。
大阪も空襲をひどく受けたが、道修町から船場界隈には明治大正の建物が良く残っていたのだ。東京とは全く異なる都市風景の一隅を、東京人・木村伊兵衛は面白く思ったに違いない。

同じような時期に秋田の大曲を写した連作がある。よく「新潟美人」「秋田美人」などと言うが、実際はどうか知らない。しかし木村伊兵衛の写したひとは確かに「秋田美人」だった。農家の働く女のひとが伊兵衛の被写体としてそこにいる。二人ほどの女のひとはどちらもたいへんに美人だと思った。

やがてヨーロッパの街角を写した作品が続く。東京を捉えたものと大差のない作品群。
文化も人種も越えて人間の姿というものを思う。
人々の一瞬の情景を切り取る手法に変わりがないことが面白い反面、あの道修町の一枚の違和感を再び思い起こさせる。

やがて展示の終わりが近づくと、世に名を知られた人々のポートレートが並び始める。
1938年の上村松園、鏑木清方、川合玉堂、横山大観。四人の日本画家たちの肖像。
面白いことに一人清方だけはその容貌のアップ写真である。明治の市井の職人のような短髪、その特徴である腫れ瞼、穏やかだが意志の強そうな顔立ち。
背景には何も見えない。

ポートレートとして非常に興味を持って眺めたのは「中山夫人」だった。1949年のその作品は参考資料から他の構図を見ることも出来、それらを追うといよいよ関心が深まるばかりだった。
写真家・中山岩太の未亡人。洋装の夫人はこの世相のよくない時期にあっても、どこか超然としていた。時勢と異なる退廃美があった。欧州か租界にしかいないような女。
日本の女にもこんな雰囲気のあるひとがいたことに驚くと同時に、その雰囲気を捉える手と眼とにただただ感心した。

ブレッソンの写真が並び始まる。
幾枚もの記憶に残る写真。見事な決定的瞬間。戦前と戦後の時間の流れを頭においていても、人々の姿に途切れを感じることはない。
ドラマティックな情景を捉えた作品がいくつかある。
復讐を果たした瞬間の女と罪業が遂にあらわになった女と。
政治的イデオロギーのぶつかり合いと言う大義の下での内乱状況の町の片隅。
そうした大きなものでなくとも、水浸しの街を飛ぶ人の姿、それを見ただけではっとなる。

ボーシャンの絵に現われるような人々がくつろぐ光景がそこに並ぶのを見たとき、つい笑ってしまった。
ブレッソンの意図は正確なところはわからないが、わたしはそれを見てなんとなくくつろいで笑ってしまったのだ。

瓶を運ぶ坊や、行事のために天使の扮装をする女児らを引率する尼僧など、何気ないときに見てきた写真がそこにある。
ブレッソンの作品だと思うより先に見ていた写真は、大方の場合とても気に入っていて、絵はがきを自分のコレクションに加えていた。
作者を知ってからは他の作品にも愛情が拡がる。そしてどの作品も「わるくない」と思う。
魅力ある写真を撮る人、その意識が覆ることは、最早ない。

展示構成は木村伊兵衛のそれと変わりがなく、最後のほうには有名人の肖像が並ぶ。
後世の我々が持つその人々の「イメージ」が狂うことなくそこにある。
賢そうなキュリー夫妻、「室内」にいるピエール・ボナール、不逞な顔つきのカポーティ、異常さを感じるほどのサルトル、カフェにいるのにくつろげないジャン・ジュネ・・・
彼らのパブリック・イメージはブレッソンの手によって定まっていたのも知れない。

チラシは、1954年に二人が互いを撮ったものを並べている。
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右には木村伊兵衛がブレッソンを撮ったもの・左には木村伊兵衛のいる情景をブレッソンが撮ったもの。
木村伊兵衛はブレッソンと同時に少し向こうの建物を写し撮り、ブレッソンは木村伊兵衛の背後にいる親子をも風景にした。
とても似ていて全く違う何かがそこにある。

展覧会は2/7まで。

絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から

国立国際美術館が今の地に移転して5周年と言うことで、記念展「絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から」が今日から始まった。
チラシは奈良美智「the little judge」2001年の作。ワカメちゃんカットの女の子が暗い水の中に立ちながら、小さな灯りのような筆を前方に差し伸べている図。
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28人の現代作家の近作・新作が集められている。200点ほどがB3とB2フロアで展開している。わたしは現代作家に殆ど関心がないので名を見ても、作品を見ても、知らないだらけだった。

今日は初日と言うことで午後2時から講堂で「作者と語る」第一回目が開かれるそうで、整理券が配られていた。
講演会もトークもニガテなので行かない。行ってレポを挙げれたら、関東のブロガーの皆さんへ、関西に住むものからのプレゼントになったろうが、申し訳ないがアウト。
この感想文にしても、現代アートシロートの私が勝手に書くのでアテにはならないだろう。
では書かなくてもいい、というくらいのものだが、それでも心に残ることがいくつかあるので、やっぱり書くことにした。
シロートのザレゴトとして、外れたことを書いててもムシしてやってください。

展覧会のサイトにこんな一文があった。
「本展でご紹介する作家の多くは、新しさを一義的に追求することなく、目に見える世界を素朴に再現するものでもなく、個人的で日常的な視点から、描くことそれ自体を肯定し、時代の閉塞感さえも軽やかにあるいはアイロニカルに捉える自在さを具えています。また、完成作としてのタブローばかりではなく、ドローイングの瑞々しい表現を積極的に駆使し、挿絵や絵本、マンガなどこれまで周縁的なものとして排除してきた大衆文化の養分をも吸収した斬新な作品群も数多く見られます。」
・・・それならある程度わたしもわかるかもしれない・・・

北大路魯山人展

北大路魯山人の幻の壁画が初の里帰りということで、日本橋の高島屋へ出かけた。
去年が没後五十年の節目の年ということで昨夏から彼の回顧展が多く開かれているが、この展覧会はその中でも彼の盛期の作品を集める、と言う点が面白く思えた。

わたしは魯山人の書と言うものにはあまり関心がないので、いくつか並ぶ濡額を見ても「ああ、やはり味があるなぁ」くらいしか思わない。
いや、紙に書くものより彫り付けた文字の方が魅力があるな、とは思いはする。
しかしながらそれは、濡額の隷書体に惹かれるだけなのかもしれない。

なまずの形の焼き物があった。向付け。この大きさで箸置きと言うことはない。
泳ぐなまず。イキイキしている。しかし、と私は思い返す。
実際に生きたなまずと言うものを見たこともないのに、イキイキしていると思うのは、これは作者の手にヤラレたということではないか。

青磁の壷を見る。南宋風で貫入が綺麗に入っている。まるで本当に南宋の頃のもののように見える。

染付双禽文花入がある。毛羽立つ小禽が二羽ばかりいて、それぞれの目つきが違うのが面白い。

わたしの大好きな色絵椿文大鉢もあった。これは普通の大きさの大鉢だった。

・・・・・・たったこればかりを見ただけで、わたしはすっかり魯山人に丸め込まれていた。

色絵椿文大鉢は普通の鉢や巨大な大鉢など色々作られていて、チラシを見るだけではどれが現われるのか、正直わからなかった。
むかしむかし、椿狂いをするようになった頃に魯山人の椿文に焦がれて、奈良そごうまで展覧会を見に行くと、緋毛氈の上に巨大な巨大な椿柄の鉢が鎮座ましましていた。
あの大きさは予想外だった。
それ以来、椿文の鉢を見ると、大きさがどの分なのかを考えるようになっている。
そしてその大きさにビックリした私は、魯山人にほくそ笑まれているような気がするのだった。

器などは飾って眺める美術品としての面と、使う「用の美」の二面性を持っている。
現に銀座のQ寿司は魯山人の器を使っている、と言うのがウリの一つだった。
(どう考えても洗うのが大変そうだが)
その魯山人の器を使ってお料理を盛り付けた写真パネルがあちこちにあった。

京懐石・辻留の素晴らしいお料理がそれぞれ一番似合う器に盛り付けられていた。
お料理は見事な食器(!!)の魅力もあって、いよいよおいしそうに見えた。
匂いも味も温度も届かない写真パネルの中のお料理を見るだけでヨダレを垂らす観客もいるのだから、実際に彼の拵えた器に盛り付けられたお料理をいただく人々の口福はいかほどのものだったか・・・・・・

どれを見ても何を見てもあまりにおいしそうなので、ついつい肝心の器をスルーしてしまった。
反省して向き合った器は星岡茶寮で実際に使われたものたちだった。
さすがに素晴らしくいいものが多い。
その星岡茶寮のかつての日の写真資料などを色々見る。
女中募集の要項がなかなか興味深かったりする。
昔は大阪にも星岡茶寮があり、うちの母などは子供の頃そこの枝折戸で遊んでいたと言う。
しかし戦災で消失してしまい、今では名残も殆どない。外壁の一部が少し前まであったようだが、私には判別できない。

店で使われた鉄製リス葡萄文吊行灯が可愛い!!切り絵風な造りで、とても可愛い。
こうしたものは文化資料としてもとても興味深い。

織部の魚型箸置き、ブローチのようにも見える。これまた可愛い。
どうも今回は、魚をモティーフにしたものばかりが目に残った。
それはやはり辻留のお料理写真のせいだと思う。

最後に船の装飾壁画を見た。これが幻の、と冠された壁画で、よくぞ生き残ってくれたと思うほどの出来映えのものだった。
富士をモティーフにしたものは爆発しそうな力に満ち、桜を描いたものは絢爛豪華だった。
桜は特に拵えに手間がかかっていそうである。
花びらは陶器片。貝殻も埋め込まれているのできらきらと煌いている。
琳派の仲間のように見えた。
しかし魯山人はその作品について自讃しているが「小川破笠のセコセコしたのよりは面白いと」・・・そんなこと書かなくてよろしいでしょうに。
先人をオトシメルことで自分を高みに持ち上げたがる体質の人なのか。
いいのを見て機嫌よくなっていただけに、ラストのそれで魅力ダウン。
まぁわかっていたようなことですが。

展覧会は1/18まで東京日本橋の高島屋で。

寒いのに大阪を出て、京都から琵琶湖のほとりへ行く

今日は京都から滋賀へ出た。
阪急の烏丸で降りて今年初めてのイノダ。
最近はコーヒーが苦く感じるので外では飲まなかったが、やっぱりイノダのコーヒーはおいしい。
季節限定のベリーケーキも台のスポンジにかすかなシナモンが振られているのがいい。

北区の高麗美術館から同じ堀川通りの樂美術館そして京都駅のえき美術館を見てから大津へ向かう予定。
しかし目の前で46系統のバスが出てしまい、追いかけたが逃げられた。
それで千本今出川で乗り継いだらええわい、と違うバスに乗り、久しぶりに千本通りを車窓から眺めた。
平成も22年、21世紀も10年経ったが、この通りは昭和がまだ生きている。
なんとなく胸がかきむしられるようなノスタルジィを感じるね。

千本今出川で乗り換えて高麗美術館へ行く。虎の展覧会。詳細は後日に回すけど、今年のベストに早速リストアップですがな。ああ、ええものを見た。
京都へ行かれる方、ぜひぜひ行くべきです。
それで今は春のリクエスト展のアンケートをしている。それを書くのもけっこう楽しい。

ここで時間をとりすぎたので樂美術館に行くことが出来なくなった。北野白梅町のランチもとりやめて、まっすぐ京都駅へ。
チケットショップできっぷを買った後、そばの店で半チャンセットを食べた。私にしては珍しい。
ラーメンは年に数えるほどしか食べないから。
うどん派のわたし。

先日からえき美術館では菊池契月展が始まっているので再訪した。やっぱりいいなぁ。また来よう。
それでJRのホームにはいると、予定の時間とは違うのに新快速が来ていた。なんでも前の電車が遅れているらしい。乗った。あんまりJRに乗らんのでよくわからんが、JRはよく遅れるそうなので、見かけたら乗れと言われている。

大津で下車するのは初めて。いつも京津線の浜大津。バス停で見学会の皆さんと合流。
バスで旧琵琶湖ホテルへ。(現びわこ大津館)
近代和風建築。岡田信一郎設計。桃山風の建物で歌舞伎座に似ているのは同工異曲。
サイトをみてください。
八年前に来たときは、修復工事の終末頃で、今はすっかり地元の人々のふれあいの場。
いろいろ撮影する。
内部もよく修復できている。竹中組の仕事はやっぱりいい。
残念ながら私のぱそ、画像取り込みを拒絶しよるので、写真を挙げられないの。全く無念だ。
そろそろ新しいぱそを買えと言うことか、それともケータイを買い換えるべきなのか・・・
(実はわがケータイ、8年目なのだ)

琵琶湖ホテルからバス停まで寒い寒い。
仲良しの奥さんが手袋を忘れていたので、片手だけでもと手を握りながらバス停まで歩く。
お母さんにもそうしてあげるのかと訊かれて「しない」と速攻で答えると、申し訳ないと言われた。
しかし仲良しな他人だからこそできる親切というものがあると思う。
うちの親も別なところで誰かに親切にされているようなので、わたしもよその人に親切にするだけだ。

大津から大阪までしゃべっている間についてしまった。
建築の見学会は一ヶ月に一回だが、今回もなかなか有意義だった。

川喜田半泥子のすべて展

川喜田半泥子の展覧会が松屋銀座で開催されている。
今回の東京いきなりツアーは、この半泥子と高島屋の魯山人、三越のアンコールワット展を見るのが目的の大半を占めていた。

半泥子の展覧会を見るのは御影の香雪美術館以来。そのときは「魯山人と半泥子」展だった。おかげで「カワキタ・ハンデイシ」の名とその生涯、作品の大方は学ぶことが出来た。
とはいえ長い歳月が経っていたので、松屋では全くの初対面のような心持ちで楽しく眺めた。

半泥子は実業家としても活躍した人で、百五銀行の頭取として行員たちにハッパをかけた時の資料などもあって、それがなかなか諧謔に満ちていたりする。
やきものだけでなく、多方面にわたってキラキラしたものが迸っていた人なのだ。

会場に入ると、庵の再現があった。そのしつらえがとてもいい。
他方、面白いものがある。
庵を守るかのような狛犬がいるのだが、一匹はアタマの上に重たそうな陶板を乗っけられて困っているし、もう一匹もう?んう?んと困った顔をしている。どちらも吽くん。
コマイヌならぬコマッたイヌである。

「昭和の光悦」とも呼ばれ、好きなように生み出したやきものということだが、変な重たさのない、良い意味での軽快さがとても気に入った。

織部黒茶碗 銘「暗香」  まさに夜の梅の趣が活きた素晴らしい茶碗で、見飽きることなく眺めた。
こうした織部黒は作り手の恣意がいきるようだが、本当にしゃれていて、可愛らしい。

粉引茶碗 銘「雪の曙」10011301.jpg
白と薄桃色の二色がほのぼのと明け染める空、すなわち「曙」を思わせる。

井戸手茶碗  ‘41年の作。その白釉薬の掛かりを眺めると、金沢銘菓「柴舟」に似ている風に思う。どちらもとても優美。ガラス越しに眺めるだけだが、この茶碗に口を当て、少しばかり歯を立ててみると、きっと「柴舟」の味わいが蘇ってくるだろう・・・

染付茶碗 銘「初夏」  その銘にふさわしい爽やかさがある。薄い薄い青白磁。見込みの貫入の美しさは忘れられない。

片身替茶碗  淡青色と薄水色の片身替がとてもモダンで、本当に綺麗。透明度の高い空が深い湖に映るのを見たような、心持ちになる。

粉引茶碗 銘「たつた川」  楓の葉を貼り付けて白化粧し、とった上にも。
可愛くてきらきらしている。色々な「竜田川」を見てきているが、この「たつた川」はその中でも特に素晴らしいと思う。
そういえば、本当の「竜田川」近くに住まう人に聞いたところ、やはり秋の美しさは格別らしい。

技巧に技巧を重ねたものが好きなわたしは、やはり凝ったものに惹かれてしまう。

面白かったのは文匣。なかなか綺麗な造りなのだが、見ようによってはコフィンに見えるので、そのあたりに一人でウケてしまった。

作陶だけでなく茶杓も拵えている。
銘「角兵衛獅子」  竹生島の竹で、櫂は少し曲がっている。角兵衛獅子の子供が逆立ちする様子を思わせるのかもしれない。

教養豊かな趣味人らしく、他に建築や写真やパステル画もいいものが多かった。
特にモノクロ写真にいいものがあった。
まだ十代の頃に撮影したものだというから、明治の話である。
福原信三ら大正期の都市散策者らが撮りためた作品と通ずるものもある。
彼らの先達のような匂いがあるが、写真にはそこまで入れ込まなかったらしい。
光の採り入れ方がとても綺麗だったが。  
また、ハーフティンバーのステキな洋館を背景にした写真もあるが、残っていれば見てみたいところだ。
尤も非公開ながら彼が建てさせた千歳文庫は国登録有形文化財であり、写真で見る限りはモダ二ズムとアールデコとのどちらの影響も活きるステキな建物だった。
彼自身が設計した茶室などの写真を見ると、優美でそしてとても明るい居心地のよさを感じた。
ところで今回初めて知ったが、藤島武二は中学のときの先生だったそうだ。
だから半泥子の作った石水美術館に武二「桜美人」図があったのか。とても好きな絵だが、あまり出てこない一枚。
それでか、子息らとジャワツアーしたときのパステル画には明るいロマンティックさが活きていた。


最後に彼の戯画を楽しんだ。
蛙の親玉がいい。これはとても楽しい。そして五黄の寅生まれの半泥子はトラの絵をいっぱい描いているが、ガオーッと吠えるよりニャオーッな奴らに見える。
「非猫」といいつつも・・・・・(笑)。
(そういえば鏑木清方も半泥子と同い年で、だから戦時中には人に頼まれてトラの絵をよく描いていたそうだ。トラは千里を往復する、ということで)
竜虎図屏風などは、竜までが「ギャートルズ」のオヤジ風に描かれていた。

半泥子の自画像を最後に挙げる。10011302.jpg
なんとなく可愛い。
展覧会は1/18まで。

東山魁夷と昭和の日本画

山種美術館で「東山魁夷と昭和の日本画」を見る。
魁夷は大がかりな展覧会もよいが、山種のような専門美術館で、彼と周囲の人々の作品を集めてしんみり眺めるのもいいものだと思う。

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チラシに選ばれたのは「年暮る」。親交の深い川端康成に失われゆく京都の美を、と示唆を受けてホテルオークラから見えた景色を絵にしたもの。
昭和43年の京都にはまだまだ町家が並び、そこには雪が降り続けていたのだ。
積もるほどの雪はもう何年も見ていない気がする。
しん として静かに美しい景色。
深、清、心・・・どの字でも当てはまるような静かな風景。

魁夷は「未更会」という集まりにも参加していて、そのメンバーの作品も多く並んでいる。実のところこの展覧会では、魁夷より他の画家の作品を楽しく眺めてしまった。

川合玉堂 竹生嶋山  琵琶湖に浮かぶ弁財天の島。鳥居が見える。謡曲を思う人は波ウサギの絵が浮かぶだろう。しかしこれは文字通り竹生島の風景画である。
思えば玉堂には観念的な作品は全くなかった。

松岡映丘は昭和初期に多くの合作を生み出している。
漱石「草枕」絵巻なども名品で、いつか奈良で見たとき感動したが、ここにあるのは「伊勢物語」絵巻。何度か見ているがやはり綺麗。
映丘は「筒井筒」を担当している。子供たちの姿ではなく、大人になった二人の姿を描いている。秋草咲き乱れる庭に佇む男と、彼に気づいていない女。
美しい情景がそこにある。

「東下り」は魁夷の舅の川崎小虎が描いた。
小虎らしい色合いと、可愛らしさが目立つ人物造形。
どことなくファンシィなムードがあり、そこが好きだ。

結城素明の四季を描いた掛け軸は昭和15年の作で、今から見ると、「本当にあった景色なのか」と思う作品。もうどこにもない景色がそこに広がっていた。
70年前の日本にはこんな山紫水明の地があったのだ。

小虎 秋瓷  たいへん現代風な作品で、灰色で統一された画面の中に花が元気よく活けられた花瓶がある。それがなんとも言えずイキイキしている。単にイキイキしているだけではなく、この花は人の思惑などどうでもいいように顔を挙げていた。
昭和36年の作。丁度日本が本格的に元気が出てきた時代らしい。谷崎の「瘋癲老人日記」は同年の作で、作品を読んでいると、そんな実感がある。

皇居新宮殿の絵画にちなんだ作品という章がある。
昭和40年代に皇居新宮殿を彩る作品が生み出されたが、それは無論一般市民の目に触れることはない。そこで同題・同趣の作品を、ということで作られた作品群が集まっていた。

なんと言っても素晴らしくよかったのは山口蓬春「楓」と橋本明治「朝陽桜」だった。
本歌は宮殿の正面の間に対のように設置されているが、展示は並んでいる。
それがどうしようもないほど魅力的。
型押ししたような明治の桜は、永遠に爛漫の時を保ち続ける。
蓬春の楓の鮮やかさは枯れることを知らず、鮮烈な意識を見るものに刻み付ける。
この二枚が並ぶ状況に、自分がいることを、この上なく幸せに感じる。

上村松篁 日本の花・日本の鳥  この扇面図屏風は本当に名品だと思う。
わたしは鳥は好まないが、松篁さんの花鳥図には惹き込まれてしまう。
特に緋桃を描いたものが本当にいい。絵葉書を買っていて、それを時々見返すが、複製品でも楽しいのだから、こうして本物を前にすると、いよいよ明るい心持になるのだった。

大観・玉堂・龍子による松竹梅図が楽しい。(昭和30と32年。各自がそれぞれどれかを描いている)特に良かったのは龍子の「梅・紫昏図」。紫色の夕暮れが拡がる空の下に崩れかけたような茅葺の家がある。傾いた家であろうとも人の気配がある。なんとなく暖かな家。
大観の「梅・暗香浮動」もいい。大観は「夜桜」が名作として高名だが、彼の梅花図は大作・小品どちらも優しいものが多く、こちらの方がわたしは好ましい。
そういえば龍子「竹・物語」はピカーッと光る竹を描いたものだった。まだ竹の外へ出る前の、発見前の情景。

杉山寧 響  この絵を見ると必ず茅場町時代の山種を思い出す。わたしが最初に行った日、階上から階下へ下る階段の壁にこの巨大な滝と裸婦の絵が掛かっていたのだ。
壁そのものが滝に見え、そこに自由な裸婦がいるかのような錯覚が起こり、しばらく立ちつくした。
その衝撃が長く残り、色々な本で杉山のことを調べたりするうちに行き当たったのが、彼が三島由紀夫の舅であり、三島からはあんまり評価されていなかったという話だった。
そしてこの「響」は三島の割腹した年に描かれている。三島が評価しなかった画家は事件のすぐ後に大きな評価を受けている・・・

高山辰雄 坐す人mir296.jpg
これは高山の全作品のうちでも、わたしにとっては別格の作。
それまで高山の絵には関心がなかったが、この「坐す人」を見たときの衝撃は異常に大きかった。それで一気に高山への偏愛が沸騰した。
今でもこの絵の前に立つと、たまらなくなる。

吉岡堅二 龍門幻想  中国・龍門の巨大仏像・・・うす紫地に金色の仏像が描かれている。
それが現実の光景なのかタイトルどおり「幻想」なのかは、ついにわからないままだろう。
今、目の前にあるその絵だけを、信じればいい。

東山魁夷の作が色々出ていたのに、他ばかりを選んでしまった。
ちょっと申し訳なくもある。今月末まで。

細見コレクション 琳派に見る能

国立能楽堂では細見コレクションの「琳派に見る能」展が開かれている。
はろるどさんの詳細な記事により、道を間違えることもなく、楽しみに出かけた。
先に挙げた「大倉コレクションに見る能面・能装束」展とは違い、こちらは主に琳派の作品に表れる、「能を思わせる」作品を集めた展示だった。

洛外図屏風  知恩院、三十三間堂、大仏殿から始まる屏風。耳塚は見当たらないが豊国神社はある。色もなかなか派手で人々もイキイキしている。いちゃつくのもいれば、ケンカするのもいる。お能を見る人々もいるし、食べ物屋をのぞく人もいる。お能は解説によれば「葵上」が演じられているらしい。ああ、布晒しの人もいる。

細見コレクションの中でも特別好きな工芸品・釘隠しがあった。
いずれも七宝の素晴らしい作品で「夕顔文」「梅枝文」それと「鳥兜文引手」。
鳥兜は雅楽に使用される被り物だが、能では「富士太鼓」という演目に使われる。
その「富士太鼓」は雅楽の家をめぐる物語なので、やっぱり雅楽から離れることはない。
(因みに「富士太鼓」は数年前に、染五郎と愛之助で歌舞伎「三国一夜物語」として演じられてもいる)鳥兜、カナで書いたら毒薬。

岩佐又兵衛作と言われる「俊寛図」があった。
大海原へ漕ぎ出す大船と、小さな小さな人間たちの図。肉眼では人物の表情を捉えることは大変ムツカシイと思う。
一人取り残される俊寛が波打ち際で身悶えて泣き崩れている。手には船と陸とを繋ぐ縄がちぎれたまま握り締められている。
船の舳先には赦しを受けた人々が見える。喜界が島に取り残される一人と、都へ戻る人々と。左端の汀から右手の海を眺めると、構図の巧さに感心する。
(平家物語には、後に有王という少年がはるばる俊寛に会いに行く物語がある)

伊勢物語のかるたも楽しい。絵を見ただけでも「ああ」と現代のわたしでも!と来るのだから、往時の人々は「ハイッ」とばかりにかるた取りに励めたろう。
実際には美しい絵が色もそのままに残るので、使われはしなかったろうが。

中村芳中「光琳画譜」  芳中らしい脱力系と言うか、ゆるキャラな人々の絵がある。
耳長斎(にちょうさい)とも共通するゆるさがとても楽しいし、親しみ感がある。
四拍子の人々、花を挿した車(シダが目立つ)の前の人々・・・

鈴木其一「白椿に樂茶碗花鋏図」  タイトルそのまま。白椿があり、樂茶碗があり、花鋏があるという図。何か三題噺にもなりそうな感もあるが、やっぱりそのままか。

其一「弓張月図」  タイトルだけを見れば為朝かと思ったがそうではなく、鵺退治の源三位頼政を描いたもの。右幅には、長い弓を置いて空を見上げる頼政が、左には卯の花にホトトギスと月が描かれている。叙情漂う作品。

市川其融「雪中常盤図」  常盤御前の立ち姿。その袖にかばわれる乙若がいかにも寒そうである。描き表装には雀が飛んでいる。

いよいよ神坂雪佳登場である。
大鎧図  空の鎧を立たせるための木が目に見えて、中に人がいるような感じがする。つまり「祟りじゃ??っ」な感じ。
住吉明神図  ここではヒトの姿で描かれている。白髯の老人である。
神楽図  ぽっちゃりした巫女さんが可愛い。
菊慈童図  雪佳は多くの菊慈童を描いたが、この菊慈童もとても愛らしい。髪は肩にかかる程度で、白菊に囲まれて座している。手には扇がある。深山幽谷に住まう中にも閑雅な趣がある。童子、というにふさわしい幼さがいい。
ほかにも「百々世草」から軒端の梅を描いたものなどが出ていた。

綺麗な装束や光悦の謡本などもあり、優雅な心持になる展示品が揃っている。
入替えもあるので、行けるときには行こうと思う。

展示室へ行くのにラクなのは、千駄ヶ谷駅・国立競技場駅から地上へ出て線路沿いに歩き、一つ目か二つ目の信号で向かいの道へ渡り、歩道が途切れたところにある近辺mapを右手にいきなり折れると、住宅街の中に能楽堂の施設が見えてくる。展示室入り口はそちらからがいい。

大倉コレクション 能面・能装束

大倉集古館の所蔵する能面・能装束は因州池田家、備前池田家に伝わるものが多いらしい。
池田家の売り立てにより、大倉コレクション・林原コレクションがある。
数年前、大倉と隣の泉屋分館とのコラボ展で大倉のお能のコレクションを色々見せてもらった。わたしは演能そのものにあまり関心がないのに、能面・謡曲などには深い愛着がある。昔の能役者の芸話なども、とても好きなのだった。

「新春を寿ぐ」として大倉コレクションの能面・能装束展が3/14まで開催されている。
新春、寿ぐと来れば必ず翁・三番叟が現われる。
^^こういう形の目をしたオジイサンの面である。
眉も髭も混じりのない見事な白い毛の、位の高い面。
そして「三番叟」として黒色尉という黒い顔のオジイサンの面がある。
どちらも旧い時代の日本の「笑い」を口元目元に見せている。

そして明治に描かれた大きくない屏風には、松と鶴が描かれているが、薄い日の出も見える。大倉鶴彦君古希、とあるからには大倉喜八郎の古希祝に描かれたものかと思う。

出目是閑を始まりに出目家代々が打った面が並んでいる。
いずれも桃山時代から享保年間のものなので、キャラメル色にやけている。
個性の強いものが目に残る。
小尉、邯鄲男、笑尉、平太、怪士、痩男、顰・・・
このうち「痩男」は映画にもなった「彼岸島」のキャラの一人が被っているものだと気づいた。その面が神社に奉納されていたというのも、なかなか意味深ではある。
「怪士」は頬高が目立ち、先の「痩男」と同じ洞水の作。
全く同時代でありながら作者名の伝わらない「顰」は、大変怒っているように見えた。まっかっかで歯と目が金色に光る。
後に出てくる「獅子口」もこちらに劣らず口をガーーーッと開けていた。

怖い顔ばかりみたところで「小面」が現われる。
この小面は愛らしいだけでなく、にっこりと楽しそうに見える。
機嫌の良い娘の顔を見ると、なんとなくほっとする。
そして以前やはり泉屋とのコラボ展で見た「萬媚」に再会する。とても綺麗だった。
実のところ「小面」のような若い娘の面より、やや年のいった女面が好きだ。
それは文楽人形でもそうで、娘よりは人妻の方に魅力を感じる。
驚いたのは「相生増」。元の面を写したこの面には、あえて入れられた傷がある。
傷は陶器の継ぎに似ていた。女の顔にそんなものを入れる神経がわからない。
「泥眼」より怖ろしいのが「近江女」だった。目に狂気が宿っている。しかも実際にこんな顔つきの女は世に棲んでいる。それが怖ろしかった。

神楽面と狂言面で同じ性質を持つものたちが並ぶ。乙とおかめ、嘘吹とひょっとこ。
どちらも神楽面の方が古様で、滑稽さを感じるよりはどことなく怖ろしさが潜んでいるように思えた。
狂言面では他に姫、大黒、福の神、鼻引、猿、白蔵主、狐があった。
よく能はシリアス、狂言はコメディと分けられるが、私は狂言面の方が能面よりずっと怖ろしく思われる。
笑顔を張り付かせた面というのは、怒っているそれよりずっと「含むところ」があるように思うのだ。
京都の壬生狂言の面なども間近で見たとき、その古様さに驚き、異様に惹かれる一方で、退きたいような何かを感じもしていた。
そしてその思いはやはり変わらない。

能装束も豊かなものが並んでいる。
特に惹かれたのは江戸時代中期に拵えられた「白地銀籠目花丸模様縫箔」。
この花丸がいい。歌舞伎の時代物に現われる御殿の襖絵に描かれる花丸、それと同趣。
菖蒲、紅葉、菊、牡丹などか色糸を変化させて縫い取られている。
他に鱗文様摺箔があり、「道成寺」に使われるときを想像して、ちょっとその前に佇んだ。

小道具のうち「弁慶頭巾」の実物を見たのは初めてなので、ちょっと面白かった。
絵では芳年も描いているが、実物はどうも見たことがなかったのだ。
ドラマ「坂の上の雲」で伊東四郎がかぶっていたのに似ている。

黒地金銀色蝶蒔絵鞘太刀  これがひどく気に入った。鞘を縦に六羽の黒揚羽が並ぶ図。
わたしは蝶がとても好きなので、嬉しくて仕方ない。いいものを見た。

幕末の狩野派の絵師が「通円図」を描いていた。宇治の通円。三幅対で、シンプルな絵。
能楽を絵にしたものはなかなかステキだと思う。
昭和51年には大倉集古館にいた繁岡鑒一(しげおか・けんいち)という人が能のキャラ絵を描いている。スタイルブックのようなステキさがある。
彼はライトの弟子で、川奈ホテル、赤倉ホテル、そしてホテルオークラのインテリアを担当していた。
資料しか知らない人の作品を見ることが出来、ちょっと嬉しい。

ヤクの毛で作った赤頭もあった。チベットあたりからの輸入は随分昔からあったのだ。

最後になり非常に美しい能面を見た。
「童子」面である。二重瞼の美しい少年。前髪も綺麗。
福本伸行「アカギ」から鋭さが取れたような風貌だった。
厳島神社所蔵の「童子」面と共に、ここの「童子」面は私にとって二大美少年像ということになる。

新春にふさわしい、いい展覧会を見た。

「春の妝い」?はるのよそおい?

泉屋分館「春の妝い」前期を見てきた。
9日から始まるのにあやうく8日にいきそうになった。三井でポスターを見て勘違いに気づいた。ありがとう、三井。
春の妝い?はるの、よそおい。そう題しただけに新春を愛でる作品が集まっていた。
そして寅年だけに虎も多く集まっている。
泉屋のコレクションの始まりは関西からだから、京都画壇の珍しい作品が見れる。

菊池雲章 乳虎之図  1920年の作。コワモテのママ虎がひとりっこにお乳をあげている。
ママ虎は周囲を見回している。睥睨しているのではなく警戒しているのだ。文字通りの虎の子を守るために。毛並みがとてもリアル。
京都市動物園も開業している頃か、京都画壇の動物画は明治以降どんどんリアルになってゆく。

橋本雅邦 深山猛虎  セピアっぽい色の虎カップルがなにやら天の一角を睨んでいる。
賢そうな虎たちだった。

高橋広湖 水墨猛虎  虎ファミリー図。子育て参加のパパ虎は子虎のおなかをその立派な前足で押さえている。三匹兄弟のうち、一匹はママ虎のお乳を飲んでいる。
水墨画なのかどうか・・・

木島桜谷 竹林白鶴  チラシの絵。この右隻の鶴たちの関節の蝶番には穴があけられていた。なんなんだろう。

他に正月の縁起物の寿老人を描いたものも色々あった。
そして梅は安田靫彦の名品が出ている。
二つ目の展示室では能衣装が多く集められていた。

工芸品から少しばかり。

明代の銘々皿に梅鉢型のものがあって、手の込んだ造りを見せていた。
まず形そのものが梅で、見込みに螺鈿で梅のアウトラインが埋め込まれている。
そしてその梅の枠の中に細い下弦の月があり、その真下に梅が咲き誇っている。
夜の梅の美しさを味わえる名品。

15世永楽善五郎が大正末に拵えた仁清写しの白鶴香合が可愛かった。音楽記号の半円フェルマータを思わせるような形の目をした鶴が、無邪気に上を向いている。

新春らしいいい展覧会だと思った。展示換えも楽しみな「春の妝い」は3/14まで。

1月の東京ハイカイ?

本当は23と24だけの東京ハイカイ予定だったが、急遽8に出かけることになった。
とはいえ9には帰る予定でのこと。
関西にはこの時期、えべっさんという大きな祭があり、毎年どんなことがあっても必ず地元のえべっさんに行くことにしているので、他国に長居できないのだ。
尤もそれは私の単なる取り決めにすぎないが、決めたことはやり通したい。
行きは例によって飛行機、JALもこの大阪?東京路線だけは黒字なんだろうな、という状況。
それで帰りは名古屋から1時間かかる先の美術館に行く予定で、名古屋から京都に出て菊池契月の展覧会を見てから私鉄で帰宅にした。
つまり、帰り時間はある程度予測はついてもけっこうイージーなのだった。
これは私にしてはひどく珍しい状況で、新幹線を使わなくなって以来初めてのこと。
目的意識を持って予定表を立てて、それで動くように自分を律している(うぉ?カッコイイ!)ので、崩れるとどこまでも流されてしまう恐れがあるのだ(なんや、だらしないだけやん)。
まぁとにかくGO!よ。(個々の感想文は後日)

大阪がさぶかったのでぬくいかっこで都内に来たら、暑いくらいなのには参った。
かえって風邪を引く。困るねぇ、こういう差異は。

品川まで出るのに京急がえらい遅れて40分かかったのにはびっくりした。車内で寝てたからええようなものの、起きてたらわたし暴れてまっせ。
恵比寿から山種へ向かう。
ああ渋谷橋。呪わしき螺旋階段よ。
なにしろ自分が上ってきたのがどこかさえわからなくなる。
頭のねじ巻き具合と螺旋階段とは反比例の関係のように思う。
タワーを目印に歩く。山種の隣の基本八百屋のなんでも屋さん、けっこうフリの客多そう。

東山魁夷と昭和の日本画を見る。魁夷とフレンズの作品が集まっている訳です。
大好きな作品2点に会えたので、それだけでも大変うれしい。
蓬春の楓と高山辰雄の「坐す人」ですね。
それと「暗香」。これは梅の意味なんだけど、今日はこの「暗香」がけっこうキーワードだったりする。

機嫌よく見て帰り、次はガーデンプレイスを目指す。
この組み合わせは案外よく歩くことになるので、何かいい方法はないかと思案中。ハチ公バスは広尾高校の向こうの國學院大からガーデンプレイスへ通っているが、そこへ向かうのにも時間がかかる。やっぱり歩くしかないらしい。

木村伊兵衛とブレッソン展。これまでわりとよく見ているはずだが、それでもこうして並んだのを見ると、壮観。それもモノクロ作品の素晴らしさにうなるばかり。

木村の作品展示のラストの方に清方の顔のアップがあった。
髪を短く刈った、戦前の職人の風貌だった。
これを見る限り清方は芸術家というより、職人としての「絵師」そのものに見えた。
清方は絵を描くときは前掛けをしていた。そこにも彼の自意識がある。

清方の風貌を見てから、その作品を見に行くのもいい感じだと自賛しつつ、サントリーへ「清方 ノスタルジア」再訪。
何度見てもいいものはいいし、前回見ていても気づかなかったことに気づいたりするしで、日を置いて同じものを見るのはなかなか有意義なことだと思う。
やはり大正半ば頃の女の艶めかしさがいちばん好きだ。
それは清方一人の作風だけでなく、大正という時代のなせる業のような気がする。

清方を見てから是真を訪ねるのもやはりいい歩き方をする、といよいよ自賛がジマンになってきた。
前回は「青海波塗り」などのだましテクニックにひっくり返ったが、今回は漆絵をじっくり楽しんだ。
かなり気に入っている変な顔つきの猫、琵琶法師なカエル、蝶の乱舞に再会できてうれしい。でもページ替えで自力脱出する桃太郎に会えなかったのは残念。茶色いゾウさんがいた。あと雛人形の寄り集まりみたいな絵があったが、これはあれか、平安貴族の図だったのかもしれない。
ところで青海波塗りの箱を見るうちに、これはホログラムみたいな気がしてきた。
本当のところはどうかわからないが。

三越のアンコールワット展にゆく。これは昨秋京都で見逃したので、ここで見れてよかった。とはいえクメール仏は好きだしレリーフも大好きなのだが、色々と私には差し障りがあって、解説文を読んだり時代背景や歴史を思うことは苦痛なので、そのあたりは避けた。
やっぱりどうしてもキリング・フィールドを思ってしまう。

面白いものを見た。20世紀初頭のテンペラ画によるラーマ・ヤーナのリアム・ケーという物語絵。絵の構図などは募帰絵や太子絵傳やポン教の一代記などと同じ系統だから、慣れたらスイスイ物語と同時に楽しめる。
猿の王ハヌマーンがかなり面白いし、王女の心のありようなども興味を惹かれた。
双子の王子が可愛いし、猿の軍隊が楽しいのだった。
それを写したグッズを購入した。

続いて高島屋へ向かう。このほど発見確認された(発覚した)魯山人の壁画を目玉にした展示。けっこう楽しめたが、最後に本人の言葉(自負)が出ていて、それを読む限りこの人「いらんこといい」やな、と思った。ジマンするのに先人をオトシメるのは輩のすることでしょうに。

外に出た途端、紀の善に行きたくて仕方なくなった。
東西線で飯田橋へ向かう。
予定外の行動。ランチのフォーと生春巻が消化されただけでなく、強い欲望が湧きだしている。
それはやはり前日についったーで見た抹茶ババロア賛のせいですね。
で、ついつい抹茶ババロアだけでなく先に粟ぜんざいまで食べてしまって・・・
おいしくて幸せだけど、反省した。

銀座に戻りINAXで結城座展を見る。かなり長時間をかけた。
私が文楽を血肉にしていなければ、とめどなくのめりこんだであろう世界が展開していた。

松屋で川喜多半泥子を見る。ogawamaさん絶賛展。
随分前に見たときよくわからなかったが、何年も経った今では半泥子の良さが何やら掴めつつある気がする。器もいいが絵がまたよかった。

ブリヂストンへ安井の肖像画をまた見に行く。
同じところで同じ感想が出たので、今後は安井の肖像画にも親しみが持てるのだろう。
しかしもし誰か高名な洋画家に自分をモデルに描いてもらえるのなら、私はやっぱり安井ではなく小磯良平にお願いしたいなぁ。

1月の東京ハイカイ?

1の続き。つまり今日のことです。でも順序はこっちを先にした。

今日は名古屋と京都に寄るつもりで飛行機をやめて新幹線の腹算り。
朝一番に千駄ヶ谷の能楽堂へ向かうが、目の前の国立競技場で何か催しがあるらしく、なかなか混んでいた。明日は大学ラグビー決戦の日よ。
今日は何かわからんけど、もしや高校サッカーかな?
事前にはろるどさんの情報があり、正面入り口まで出ず途中曲がったら、すぐに展示室入り口かあった.
細見美術館所蔵の能関係の作品が並んでいた。
これがかなりすばらしいものが多くて嬉しい。なにしろ無料公開ですしね。
細見の方でも能楽堂所蔵品を展示しているので、交流展のようなものだろう。
又兵衛と雪佳の絵が見せ所。

大江戸線から南北線に乗り換えたのが麻布十番だというのは、ちょっと不幸かもしれなかった。どこまで降りるねんという状況。地下へ地下へ行くねんもん。参ったなぁ。
奈落の底へ行くみたい。

泉屋博古館と大倉集古館へ行く。
泉屋では新春らしい梅の絵や可愛い虎ファミリー絵を見たが、その家族構成はパパとママと赤ちゃんたちで、同じ構成の家族が見学に来ていて、坊やが泣き叫んでいた。
泉屋は構造的に音響効果がすばらしいので響く響く。
絵の虎のママもパパも子供たちをあやしてたけど、ヒトの方は置き去りにしてた。
ちらっと見たらお兄ちゃんらしき幼児が人恋しいのか人なつこいのか、見知らぬ私にニコッと笑いかけるので、私は指を口に当てて「シー」と万国共通の仕草をしてみせた。
親は虎に食われたのか、いなくなっていた。

大倉では所蔵の能関係の品々を見た。
童子面にひとつ大変な美少年があった。アカギから鋭さを取り払ったような端正さにときめいた。

永田町へ。国立劇場へ向かうがいつの間にやらここにも森ビルがあり、伏見稲荷の千本鳥居を思わせるような通路を越えると、演芸場が見えた。
惜しいことにお休みなんで幕末の浮世絵などをみそこねた。
古典芸能情報館では新歌舞伎展をしているが、主なのは坪内逍遥「牧の方」、岡本綺堂「修善寺物語」、真山青果「元禄忠臣蔵」だった。それぞれの小道具や台詞などの展示があるほか、「元禄」には田中郁子さんという歌舞伎和紙人形作家の作品も出ていた。御浜御殿がやっぱり見た目が華やかでいい。
「修善寺」の夜叉王の打った頼家の面が二つあり、一つはラストで娘の桂がかぶったもので、そこには最初から血糊があった。昨日見たばかりの結城座の人形カシラを思い出す。

再び永田町へ戻り有楽町へでる。出光美術館へ。
「麗しのうつわ」初日。これは後日かなり詳しく書くけど、年頭にふさわしい素晴らしい逸品揃いで、わくわくした。
今回のツアーは暗香と器に尽きる感じ。

実は昨日の夜中、ケータイの電源が切れた。時計なしの一日。
東北の友人が新型インフルになったというコワイ知らせを最後に冬眠してまいやった。
それで多少時間の感覚が狂ったところへ、新幹線の都合もあり、名古屋に着くのが最速でも四時前、そこから碧南市へ1時間というのでは、たいへん苦しいことになる。
藤井達吉の絵は諦めるしかなくなった。
あるyoginiご推薦やったのに残念なことをした。

それでとりあえず京都までのぞみに乗る。
乗ってからギョッ。ukiyoe-tokyo行き損ねた。仕方ないか。
岐阜の大垣あたりまでくるといきなり雪国になっていた。真白き岐阜の民家たち。
この分だとやっぱり京阪も寒いかもしれない。
東京は風がなくてぽかぽか陽気だったからぬくかったなぁ?。

京都駅の伊勢丹で菊池契月を見る。そこから文化博物館に出て常設の祇園祭展示を見る。
それで帰りにあんかけうどん食べたら、そのまま阪急に乗って帰宅するのだ。
今回すべてポメラで打ってる。
新幹線の車内で打っている。未来進行形なのはまだ車内で米原をすぎたところだから。
(当然ながら今はもう自宅でぱこぱこ打っている)
ポメラはいいなぁ。今回実感する。ただしもっと軽ければなおいいんだがなぁ。
次は2週間後に東京へ行きます。

京都市考古資料館「秀吉の時代」

京都市考古資料館という施設がある。場所は今出川大宮のバス停前。
元は西陣織物館として本野精吾の設計で1914年に建てられた。
カッキリしたいい建物で、三階建てだが、手洗いなどは半地下だと思う。
ここで秋まで「京都 秀吉の時代」という展示が開催されている。
無料施設でなかなか面白い展示も多いので、今出川通りをハイカイするときは大抵寄っている。

サイトにはこうある。
「京都市内の秀吉が築いた聚楽第や御土居などの遺跡から出土した遺物展示、 関連調査写真パネル、関連絵画史料などを展示予定」
それで何が展示されていたかと言うと、瓦と暮らしの中の焼き物と、キリシタン墓碑に南蛮貿易で渡来した壷などだった。

さすが黄金の茶室を作るだけに、瓦も金箔の使われたものがあった。
聚楽第の遺物の一つ。ちゃんと誤算の霧(凄い間違い変換だ!)五三の桐文が浮かび上がっている。
大仏殿の瓦もあるが、どれもがやはり桃山時代の絢爛さを偲ばせた。

わたしは秀吉が好きだ。わたしが大阪人だからというだけでなく、なにより「明るさ」がいい。
黄金の茶室を拵えたり、大茶会を開いたり、とにかくバカバカしいくらいのスケールの大きさが楽しくて仕方ない。尤もそれが誇大妄想狂的に変わった晩年は困るのだが。
でもまぁ、ワビサビよりハデカビが楽しくていい。

それで機嫌よく展示室内をぐるぐる回ったが、やっぱり茶陶がいちばんいい。
実はここは埋蔵文化研究に長けたところなので、京都市内のあちこちから出土した茶碗・鉢・皿などが多く展示されている。
欠片だけのものもあれば、ほぼ元の形のものもある。それらを見て回るのが楽しいし、出てきている陶磁器が大方が染付だというのも面白い。

他にここにはお寺の屋根などに光るシビの模造品が置かれている。
そして立ち入り禁止の三階への階段には何故か兵馬俑が数対安置されているのだ。
初めて見たときはさすがにギョッとした。
9?4時まで開館しているが、誰も見ない暗い時間に、あの兵馬俑たちの目がキラ?ンと・・・・・光らない、とは言えない。

やっぱり古い町だけに色々と面白いものが残されている。
なんとなく好きなスポットの一つ。

小村雪岱とその時代

埼玉近代美術館で小村雪岱の展覧会が開かれている。
雪岱は川越の生まれの人で、その随筆「日本橋檜物町」にも川越から水路で東京へ入ったことが書かれている。
暮らしたのは東京だが、その縁で埼玉には雪岱作品が多く残されている。
近年では2007年と2008年には埼玉近美で、2009年には川越市美術館と、他に彼の勤めた資生堂でそれぞれ展覧会が開催されている。
どの展覧会も、すべてが美しかった。
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現在の展覧会は「小村雪岱とその時代」ということで雪岱を主体に、彼とかかわりのあった芸術家たちの作品が展示されている。
しかしながらやはり目はどうしても雪岱の作品を追ってしまう。
なぜなら雪岱の作品は、あまりに他と異質だから。

「昭和の春信」と謳われた雪岱だが、春信には追随者がいた。
しかし雪岱には彼を模倣するものはいなかった。
唯一の弟子・山本武夫は師の足跡を追ったが(師の情趣は受け継いだが)、「小雪岱」にはならず、彼自身の藝術を全うさせた。
それは目黒区美術館での回顧展を見た人には納得できることだと思う。

その全容は「粋でモダンで繊細で」という副題の通り、粋でありモダンであり、そして何よりも繊細であったが、その繊細さには腺病質の細さはなく、時として意表を衝かれるほどの大胆さがあった。

雪岱の魅力は深い。
その魅力は口絵・装丁、モノクロ挿し絵、舞台装置の設計という大きな柱に分かれると思う。展覧会ではそれらを楽しむことが出来るようになっている。

雪岱の口絵・装丁を一つのくくりにいれた理由は、それらが彩色作品で、動きを止めた美しい画だということが主だった。
永遠に時間は動かず、その空間の中だけに美が生き続ける。
「見立て寒山拾得」などは深く見つめると、ルネサンス以前のフレスコ画を想起させてくれる。これまでそんなことを考えたこともなかったが、今回は絵を前にしてそんな感慨に耽った。

鏡花の本は文章にふさわしい美しい仕立てが求められた。
ただ美しければよいというものではなく、繊細な美が息づいていなくてはならない。
華美なもの派手なものは、度を超せば鏡花の文章を収めた器にふさわしいものではなくなる。雪岱の繊細さはその機微を知り尽くしてい、鏡花の美意識に寄り添って活きている。
名品の中の名品と絶賛される「日本橋」をはじめ、「愛染集」「雨談集」「芍薬の歌」そして鏡花最後の本「薄紅梅」に至るまで、ぶれることなくその美意識を貫いた。
雪岱自身の言をここにあげる。
「・・・その後春陽堂からのものは大抵やらせていただきましたが、なかなかに註文の難しい方で、大体濃い色はお嫌いで、茶とか鼠の色は使えませんでした」(泉鏡花せんせいのこと)

一方雪岱の挿し絵は白と黒の大胆な美を露わにしている。
邦枝完二の小説「お傳地獄」「おせん」の挿し絵はその白と黒の美の極限を世に送り出したものだ。
何度見ても背筋が寒くなるような美に満ちている。
そしてそれは特に「お傳地獄」に顕著な特徴なのだった。

暗い川の流れの中に女の太ももから指先に至るまでの足だけが、逆さに描かれている。
長い連載の中の一枚だけのことかもしれないが、この絵の衝撃はあまりに大きい。
また、(のちに版画作品にもなった)お傳が背に刺青をいれる情景、これなども退廃美の極みと言っていい。

「おせん」は江戸情緒を醸し出す構図を選び抜かれたことで、「お傳」の妖美さは失われているが、しかしながらその分多くのファンを掴んだと言えるのではないか。
お傳は明治の世の話、おせんは江戸に生きた女の話ということで、至る所に江戸の風情が活きている。
展示では「おせん」の物語を追ってくれたので、話の流れがようやく私にも掴めることができ、とてもありがたかった。

今回ここには「江戸役者」「けんか鳶」「忠臣蔵」などが並んでいるが、できれば子母澤寛「突っかけ侍」と鏡花「山海評判記」も見てみたいと思っている。
ただ嬉しいことに、雪岱画帳に切り抜きがあり、その「突っかけ侍」1シーンが出ているのが見えた。
それだけでも嬉しい。

ところでどの展覧会でも画集でもスルーされてしまうが、雪岱最初の挿絵は里見「多情仏心」だった。大正12年に連載があったその当時の現代もので、雪岱はコンテで作品を仕上げたが、失敗作だと看做されている。
しかし挿絵全集で見る限りは、「雪岱だと思わなければ」なかなか面白い作風なのだった。
わたしは鏡花偏愛から周辺に愛が拡がっていったものなので、里見の作品にも手を伸ばし、伸ばした手がそのまま彼の著作を次々に掻き寄せる熊手となってしまった。
ここでこんなことを言ってもどうにもならないが、里見の小説も随筆もメチャクチャ面白いのだ。読み始めて20年、全く飽きることなく再読し続けている。

三つ目の柱として新歌舞伎や舞踊劇のための舞台装置設計がある。
長谷川伸「一本刀土俵入」などは名作中の名作として、現在もほぼ変わることなく使われ続けている。
なんと言っても安孫子屋の店先がいい。秋らしく菊の鉢植えが置かれ、店の二階には日の出の絵の入った雨戸がある。
その二階の手すりにもたれてお蔦が三下どもをからかったり、三味線でおわら節を弾いたり、茂兵衛に「櫛笄簪諸とも」あげたりしたのだ。
十年後に一人前のやくざになった茂兵衛の心に深く刻まれた恩は、決して廃れない。
彼の胸には安孫子屋の二階の手すりにいるお蔦が常に活きている。

この芝居は六代目菊五郎のために作られたが、その初演では他にもエピソードがある。
役者と言うより学者とも言われた八世三津五郎は酌婦の一人として菊の鉢植えの前辺りに立ったが、そのとき襟おしろいをして、きたないような布を巻きつけて出た。
六代目はそんなリアルな工夫が好きだから、まだ若かった彼を褒めたそうだ。

「蝶の道行」なども彼の手によるが、あいにくその展示はなかった。
そして舞台装置について雪岱の言葉を挙げる。
「由来舞台の成功した装置と言うのは、装置が舞台に隠れてしまうのが最上のものかと思います。・・・やっぱりどこまでも舞台装置は、所謂背景とならなくてはいけません。」
本当のプロ意識のある人の言葉だと思う。

展覧会にあわせて「春琴抄」の上映会もあるが、その装置を拵えるときの苦労話が、非常に興味深かった。
つまり雪岱はあくまでも「江戸」あるいは「東京」の人なのである。
上方の建築様式・住まい方が、全く想像もつかなかったのだ。
「大阪の商家」という随筆の中で、そのことを雪岱は詳しく書いている。
船場と靱に残る商家を見学したということだが、今ではもう殆どそれらの建物は残っていない。(コニシボンド)の小西家くらいしか思い浮かばないほどだ。
そしてこの映画では、考証だけでなくメーキャップまで決めたそうだ。

小村雪岱と「その時代」ということで、同時代の絵師たちの作品をも多く見ることが出来、とても楽しめた。特に鰭崎英朋は弥生美術館で現在回顧展が久しぶりに開かれているので、いい前哨戦になったと思う。
清方の「風流線」、五葉の「遊行車」も見れて、わたしとしては大満足だった。

2/14まで埼玉近代美術館で開催中。

国宝 土偶展

東博で開催中の土偶展に行った。
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正直、これまでは土偶にあんまりアイがなかった。
わたしは埴輪ファンなので、ちょっとソエンだったのだ。
なにしろ畿内には土偶はない。博物館では見ることもあるが、こっちの古墳は埴輪の時代だから、やっぱり地元っ子ヒイキ(!)で埴輪のハニーちゃんが好きなのだ。
それとこれはもっと大きい理由かもしれないと思うことが一つ。
小さい頃、映画「大魔神」三部作をTVでよく見ていた。今でも事務用品で指に嵌めるのを勝手に「その緑色の大魔神とって」と人に言うくらいだから、常に意識にあるのです。
その大魔神は巨大埴輪だった。
大魔神 [Blu-ray]大魔神 [Blu-ray]
(2009/06/26)
高田美和青山良彦


ついこないだ海洋堂フェアに行って間近で見たから言うけど、武装埴輪ですがな。
だからよけいに埴輪が好きなのだな。

でも土偶といえば諸星大二郎の諸作品がアタマに浮かんでくる。
暗黒神話、マッドメンなどなど。
他に遮光型の土偶はキカイダーかロボット刑事Kの敵方要塞として出てきてたのが印象にある。

1.土偶のかたち
2.土偶芸術のきわみ
3.土偶の仲間たち
こういう風に分かれているが、3の土偶の仲間たちというのに惹かれたわ?
土偶フレンズ。いいですねー。
もぉ殆どNHKアニメのゆるキャラみたいで可愛い可愛い。
実際その土偶の友達を見たらヒトガタやなくて、舟形に顔がついてます状態な土偶型容器なわけです。
可愛くて仕方ない。

それで2のきわみ、つまり土偶仲間の王様は三体いて、縄文のヴィーナス、合掌土偶、中空土偶なのですな。
この三巨頭がみんな国宝。
でも私はどっちかと言えば彼らより、サザエさんみたいなアタマの「みみずく土偶」と猫顔の土偶が好き。
猫顔の子には<ニャー子>と勝手に名をつけた。

山形出身の立像土偶はパンタロンをはいて上を向いているように見えるので、’70年代の歌手みたいだと思う。
それと合掌土偶をはじめ「蹲踞」する土偶は、アンデスの遺物と似ている。
われわれはどこから来てどこへ向かうのか、は知らんけど土偶はその答えを隠しているのかもしれない。

ガラスケース一枚隔てたとは言え至近距離から可愛い土偶たちを見て回るのは、本当に楽しい。
丁度いい広さの会場でくるくる回って見れたこともよかった。
でも今はお客さんがぎゅー詰めであっち見こっち見はムツカシイそうな。

そうそう、遮光器土偶はついこないだ星野之宣「宗像教授」シリーズに、東北のイタコを象ったものではないか、という説が現れてたなぁ。
それはそれでロマンがあると思う。読みながらすごくありえそ?と思った。
とはいえ子供の頃からわたしはあれは宇宙服または潜水服だと思っているが。
(フランス映画「冒険者たち」のイメージですな)

土偶フレンズにぶたさんがいるが、これは「いのしし型」ということで、ウリ坊ぽい。
豚も猪も実は無トン着にごたまぜで見られているが、この時代はやっぱり日本だとイノシシですね。
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ああ、本当に可愛い。

それで機嫌よく出口そばの解説プレートまで寄ったら、おおおっ諸星大二郎の絵がある!
これは「暗黒神話」ではないか!
大英博物館の展覧会で紹介文に載ってたのだ。
めちゃくちゃ嬉しい!
帰宅後ページ開いてそのシーンを確認する。
嬉しくて仕方ない。
思わずその解説文も写してしまった。←諸星ヲタ。
暗黒神話 (集英社文庫―コミック版)暗黒神話 (集英社文庫―コミック版)

諸星 大二郎



これからは埴輪のハニーちゃんだけでなく、土偶のドギーちゃんとも仲良くしよう。
1/23にはもう一度見に行く予定。舟木本もその日に見るので、色々楽しみが多いのだった。

1月の予定

さて2010年の幕開けにはこういうのを予定してます。
日にちは既に開始してる分は最終日を、まだのは始まりと終わりとを書いてます。

土偶 2/21 東京国立博物館
洛中洛外図舟木本 東京国立博物館 1/13?2/21
初公開 博覧亭コレクション 江戸の英雄 2/28 平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO
江戸の彩 ―珠玉の浮世絵コレクション― 2/24 太田記念美術館
竹久夢二と大正ロマンの世界展 ?女性・流行・文化生活にみる新しい波? 3/28
生誕130年記念 鰭崎英朋(ひれざきえいほう)展 ?明治・大正の挿絵界を生きる? 3/28 弥生美術館
愛のヴィクトリアン・ジュエリー展 華麗なる英国のライフスタイル 2/21Bunkamuraザ・ミュージアム
新春を仰ぐ - 大倉コレクション 能面・能装束展 3/14 大倉集古館
斎藤真一展 瞽女と郷愁の旅路 2/21 武蔵野市立吉祥寺美術館
内井昭蔵の思想と建築 2/28 世田谷美術館
江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆 × 絵 2/7 三井記念美術館
没後10年記念 東山魁夷と昭和の日本画 1/31 山種美術館
糸あやつりの万華鏡 -結城座 375年の人形芝居- 2/20 INAXギャラリー
?ガンダム30周年? 機動戦士ガンダム展 2/21 杉並アニメーション
木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし 2/7 東京都写真美術館
医学と芸術展:生命と愛の未来を探る ―ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト 2/28 森美術館
新歌舞伎の世界 1/27 伝統芸能情報館
ボルゲーゼ美術館展 4/4 東京都美術館
「没後120周年 井上安治」展 3/28 ガスミュージアム
戦後フランス映画ポスターの世界 3/28 フィルムセンター
川喜多半泥子 1/18松屋銀座
北大路魯山人 1/18 日本橋高島屋
アンコールワット 1/18 三越日本橋
竹久夢二 1/20?2/1 三越日本橋
滝平二郎遺作展 2/3 ていぱーく
生誕130年記念 菊池契月展 1/24 美術館「えき」
国立能楽堂コレクション 描かれた能―絵で楽しむ、文様が語る― 2/14 細見美術館
うけついでゆく祇園祭 京都文化博物館 1/11
朝鮮 虎展 2/14 高麗美術館
茶の湯 新春の宴 3/28 樂美術館
THE ハプスブルク 3/14 京都国立博物館
大阪の20世紀?ポスター・古写真などからみた昔のくらし? 1/23?3/22 大阪府立弥生文化博物館
ふたつの飛鳥の終末期古墳―河内飛鳥と大和飛鳥― 1/23?3/14 大阪府立近つ飛鳥博物館
井上雄彦 最後のマンガ展重版 大阪版 3/14サントリーミュージアム[天保山]
北宋汝窯青磁―考古発掘成果展 3/28 大阪市立東洋陶磁美術館
七宝 -色と細密の世界-  2/18 INAXギャラリー大阪
壬生寺展 1/21?2/1 難波高島屋
静謐な美の極み 小磯良平&金山平三展 3/28 山王美術館
レオナール・フジタ展 ?よみがえる幻の壁画たち 1/8?1/28 大丸ミュージアム・神戸
画家としての藤井達吉 1/11 碧南市藤井達吉現代美術館

1/8に東京、9は愛知県と京都、10は地元でえべっさん。14は琵琶湖方面へ。
1/23、24にまた東京。あとが巧く回るかどうかが不明です。
行ける所にはタタタッと出かけましょう。

安井曾太郎の肖像画

松の内もいよいよ終わり。
明日からは仕事と言うことで、軽く記事を挙げる。
ブリヂストン美術館でテーマ展示されている「安井曾太郎の肖像画」の感想など。
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梅原龍三郎と安井は日本洋画界の2トップだった。
(須田国太郎が加われば、日本洋画の三巨頭と呼ばれた)
彼らの次代のスターは林武になるが、安井も梅原も最晩年まで名作を多く生み出し続けた。
ブリヂストンの解説によると「安井は静物画、風景画にも優れていましたが、肖像画の分野でも名手という名声をかちえています。」というわけで安井の肖像画を多く眺めた。
以下、感想の前のむかしばなし。

小学生の頃、安井の「玉蟲先生」「安倍能成君」と言う肖像画を図版で見て、「・・・安井曾太郎ってギャグな絵をマジメに描く人なのか」と思った。
その頃は「戯画」という言葉を知らなかったからそう表現したわけだが、正確に言うと「カリカチュアを描く人なのか」と思ったわけだ。
小学生に安井の良さがわかるわけがなかったかもしれない。
しかし中学、高校、大学の頃も一向に安井の良さがわからないまま来ていた。
わたしは梅原は賑やかで好きだが、安井の肖像画を見て「モデルになった人、怒らへんかったんかなぁ」とヘンな心配をしていたのだ。
10010302.jpg玉蟲先生


‘89年春、大丸心斎橋で「安井曾太郎生誕百年記念展」があった。
私の母とオジ(母の弟)は梅原より安井、ルノワールよりセザンヌを高く評価しているので、喜ぶ彼らと共にその展覧会を見た。
見てやっぱり「・・・玉蟲センセも安倍サンもこの絵によく文句つけんかったなー」と思った。
女の人の肖像画も色々あるが、いわゆる「美人」は皆無だった。
(丁度その頃わたしは日本画の清方、松園、挿絵の華宵に夢中だったので、よけいそう思ったのは確かだ)
感心した作品といえば、安井少年が描いた昆虫スケッチ。このウルトラリアリズムタッチは他に手塚治虫くらいしか知らない。
他に「孔雀と女」というやや象徴派的なロマンティックな作品に惹かれ、またブリヂストン所蔵の黒い背景の「薔薇図」にも魅せられた。
しかし肖像画はどうしてもダメだった。

それから20年ほどの間にわたしも多くの絵を見るようになり、特に洋画はブリヂストン美術館で鑑賞修行させてもらったこともあり、だんだんと安井の良さというものが掴めるようになってきた。
マティスでもそうだが、以前は「え゛?」だった作家も機会があればその美に「!!」となる日が来るものだ。
大きくなってから「凄いな」と思うようになったのは、マティスと安井と小出だった。
ほかの画家は最初から多少に関わらず「好き」とか「凄い」と思っている。
尤も安井の絵は静物画と風景画に惹かれるが、肖像画は相変わらず「???」だった。

秋の終わりから1/17まで開催中の「安井曾太郎の肖像画」はそんなわたしの「???」を少しばかり転換してくれたと思う。
安井の作画方法は一度目はリアルに「みたまま」を写し、そこから多くのプロセスを経て作品を完成させる、と言うものだった。
これは以前に見た「マティス プロセスと変容」(2004年・西洋美術館)を想起させる手法だった。

実に多くのスケッチがある。日本画で言う「大下絵」のようなものもある。
一人の対象を前にして、様々な絵画の可能性を探っているかのような作品がある。
それまで「なぜそんな色を塗るんだ」と思っていた色彩についても、これらを眺めていると「必然のもの」「選び抜かれた色彩」だと感じ始めるようになる。

考えれば泰西名画の王侯貴族の肖像画ではなく、これは昭和初期から中期にかけて活きていた日本人の姿なのだ。
地位のある人が多く描かれているが、誰も「作り物」ではない活きた様子を捉えられている。
だからこそ極端な美男美女はいないのだ。

むろん立派な風貌の人もいる。
その経歴は知っていても顔を知らない「小宮豊隆」などは、ヒョウキンなオジさんにしか見えないが、この肖像を見ていると小宮の師匠・夏目漱石の随筆に現れる小宮を髣髴とさせる。
筆は意思を持ってその人々の風貌を、その内面性と共に描き出す。

私の知る「安倍能成君」に至っては、’44と’53の作があり、それぞれ微妙な違いがあった。
カリカチュアかと思った安倍さんはリラックス安倍サンだったのだ。
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立派な風貌の代表は「深井英五氏」「藤山愛一郎氏」「大内兵衛像」だった。
それぞれ個性の違いはあるが、共通して「立派な風貌」だった。

面白かったのは「徳川圀順氏肖像」の徳川氏。絵自体、立派な風貌の人を描いているなと思う一方、貴族と言うよりバトラー風に見えもした。
そしてその肖像画を見た徳川氏の感想がよかったのだ。
「わたしはこんなおやじかとがっかりしたが、安井さんに描いてもらわれた方が皆いわれるように、自分も段々絵に似てくるように思われる」
なんだか深いところで納得がいったような気がした。

行ってよかったと思う展覧会だった。
ブリヂストン美術館はやっぱりわたしに色んなことを教えてくれる美術館なのだった。
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