美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

特別公開を見るin京都のお寺

京都は春秋の良い時期に普段は非公開の寺社を見せる催しをする。
今回は15ヶ所の公開があり、一律800円の入場料には、文化財保護費も含まれるそうだ。
全部回るのは至難の業である(いや、わたしにとってはね)。
期間や公開時間はそれぞれ異なるので、詳しくはチラシなりサイトを見るなりして、確認してから出かけたほうがいい。
検討した結果、建仁寺の大統院に行くことにした。

実はあんまり寺社に出入りしない。だから建仁寺の境内に入るのも一体いつ以来のことなのか思い出せない。
朝十時の祇園を歩き、やはりこの時間ではこの街は面白くないなと思いつつ、新緑に満ち満ちた建仁寺のうちに入った。
大統院は初公開とかで、ニュースを見てその気になったのだ。
竹に囲まれた細い通路を行くと、すぐ裏手の六道珍皇寺の寺宝公開ポスターが見えた。
そちらにも行くことにしたが、カメラを忘れたことに気づいて、ちょっと反省した。
歩く先々、残しておきたい風景ばかりで、勿体無いことをした。

こぢんまりした大統院の庭園は石とリュウノヒゲの市松文様でまとめられている。
重森かと思ったが、そうではないらしい。聞き取り損ねた。

リストがないのでメモ書きから書いてゆく。
見たかった軸物は応挙、松年、白隠などがあった。

応挙 幽霊図  応挙の幽霊は美人画の範疇に入るものが多いが、この幽霊は怖かった。
なにしろ乱杭歯を見せている。薄い胸に右手をあてて、左手は何かを求めるようにスッと伸びている。目元になんとも言えない凄みがある。
これは悲哀ではなく静かな苛立ちと怒りが底にある幽霊らしい。

鈴木松年 髑髏図  これが幽霊図の隣に掛けられているのだから、なかなかいい配置ではないか(泣)。なんとなく西条八十の詩を思い出す。「行く先墓場 途中に焼き場」・・・
こちらはその後の情景ですかね。「野に髑髏 家に幽霊」・・・いややなあ、これも。
無論のこと、髑髏は野晒しで、そばに草が生えている。

白隠禅師 蛤蜊観音図  ハマグリとアサリのリの字がついている。大ハマグリは口を開けて幻の城を浮かび上がらせると言う。蜃気楼である。
城でも楼閣でもなく、その上部には観音が出現している。髪はもこもことセットされ、ちょっとばかり色っぽい目つきの観音である。

林羅山 柳図  林羅山の画賛図で柳がそよぐ小品。なんでもここで学んだそうだ。しかし彼は仏教でなく儒学の人になった。文字はちょっと読めない。

ニュースで見たやきものは3か所に分かれて展示されていた。
正面向かって右が旧幕時代のもの、左が明治のもの、真ん中に幕末の名品いろいろ。
まず江戸から。

水越与三兵衛 青花図蓋物中色絵百鳥図  蓋は青花でシンプルに洗練された絵柄が拡がり、蓋を取れば中にはカラフルな百鳥(実際には十数羽)がやや大きめに描かれている。
本当にカラフルで、しかも腹を見せる鳥までいる。これはむしろ現代の陶芸作品にありそうなセンスだと思った。

大好きな仁阿弥道八がいくつも出ている。
狸手焙  暗い赤茶の大狸である。狸の腹に炭をくべたか。とんだカチカチ山ではないか。
カチカチ山置物  言ってたら出てきた。うさぎどんとたぬきどんがそれぞれ薪を背負っている。じんべさんを着て山袴をはいている。正直に言うと、ウサギの鋭い目つき顔つきより、たぬきのくりくりした目やとがった口が可愛い。きょとんとしている。
双犬香炉  可愛いわんこ。白わんこの上に斑で麿眉のわんこが乗っている。愛い奴らよ。

明治の作品はやっぱり明治らしい明るさがあった。
五世清水六兵衛 蟹置物  リアル・カニ。
清風与平 黄釉瓢瓶掛け  薄黄色な釉薬が明るい気分を呼ぶ。
久世久宝 犬手焙  道八のそれを手本にしたか、しかしこちらのわんこはあんまり可愛くない。わたしはこの陶工を知らなかった。
他に交趾写しあった。

真ん中にはガラスケースがあった。
道八 桜楓鉢  やや小ぶりだが、その分締った感じがある。東博にあるものの親戚筋だが、あちらよりずっと細長い。
木米 煎茶一式  丁度今東京の出光美術館で「茶 tea」展があるが、そこでも木米が大活躍している。ここにあるのは羅漢をモティーフにしたシリーズだった。
頴川 赤絵十二支四神鏡文皿  これが見たくてここへ来たのだが、惜しいことに赤で継いでいる。重美。わたしは樂美術館でこの皿を見てひどく惹かれたのだ。
今回、不完全とは言え画像が手に入り、嬉しい。
樂のものは完全態だったが、継いでいても価値は下がることはない。
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乾山 長方皿  20cmX12cm大の角皿。絵替わりで、菊、藤、さつき、小松の絵柄のものが出ていた。

楽しいココロモチで大統院を出た。
出て、今度は案内板にソムいて近道を通って、六道珍皇寺へ入った。
ここは小野篁ゆかりの寺として有名だが、夏の六道まいりが特に人気がある。
「地獄絵と道教」というタイトルだけでも惹かれるなぁ。
本堂へ入る前に境内の閻魔像などをのぞいたら、なんとなく寒気がしたのでサヨナラよ。

丁度なかでは熊野観心十界図の説明があった。
熊野比丘尼の絵解きに使われた図である。修復されたばかりらしい。
近藤ようこさん「安寿と厨子王」にも熊野比丘尼の絵解きシーンがあり、池上遼一版「修羅雪姫」には熊野比丘尼の暗闘エピソードがあった。

コミックに描かれた実物を眺めるのも楽しい。
本堂のそれは大人向けのもので、離れに掛けられたそれは子供向けに使われたのでしょうと、ガイドさんが話していた。
その子供向けのものはやや稚拙ではあるが、色もはっきり残り、老いの坂などは黒い虹の太鼓橋のように見えて、それはそれで魅力がある。

地獄絵と道教と聞いて「!」と来たが、カンは当たるものだ。
三井や大阪市立美術館で開催された「道教の美術」展でも人気が高かった「焔口餓鬼図」がお出まししてはるやないですか。
青い顔に赤い髪が逆立つあれです。崇禎年間の作。
cam885.jpg  いや??なんか嬉しい。

朝鮮の十王図が2枚。何日目のかは書かれていない。18?19世紀の作。
朝鮮らしい明るい配色。にぎやかな地獄風景、拷問シーン。
下に地獄特製ミキサーがある。放り込まれるのはもちろんヒト。下からミンチが出て、わんこのごはんになる。
「腸詰工場の少女」を思い出すなぁ。
さらには蒸し器まである。巨大な蒸篭。ううむ、すごいな。
しかし左端に集まる下げ髪の女たち、妙に楽しそうである。泣くのもいるが、にやにやするのもいる。

中国の十王図は明末のもので、例のミキサーに逆さに放り込まれた身体が見えるが、妙に綺麗なカタチのおしりである。そしてその足は纏足に包まれている。スタイルのいい美人だったのだろう。
それにしても天界は何も感じず何もない、というのでは退屈だろう。

他に如意輪観音と血の池地獄の女たちの絵、賽の河原図などがあった。
庭園は室町時代のもので白砂が広がっている。
わたしは室町時代の庭園が好きなので、楽しい。
庭の端には井戸がある。四角い大きな井戸である。蓋がされているが、あれが例の篁の通勤路の井戸だそうだ。
それにしても働きすぎの篁である。
遊ぶことしか考えていないわたしは反省すべきかどうか・・・・・

最後に迎え鐘の物語を聞き、その後に突かせてもらった。
ごぉぉぉん・・・ 静かに低い良い音色だった。

東大路に出たわたしは、そのまま円山公園に向かった。
いづ重のおいなりさんを買って、公園のベンチでいただいた。
おいなりさんはやっぱりこれくらい味の沁んだ揚げでないとあかん。
しかし麻の実が硬くて、昔はそれが好きだったのに今は苦手だからか、ちょっとイラッとした。
人目がなければ麻の実ばかりほっぺたに集めてみたかった。
それを一列に吐き出したら、来年あたりそこにタイマが咲くかもしれない。
まだ八重桜が残っているので、最後の花見をする人も多かったので、あきらめた。
ここから京近美へはまだ10分ばかり歩くが、新緑の葉陰の下を機嫌よく歩いた。
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美に生きた職人たち

安芸の宮島の向かい、つまり対岸の山の中腹に海の見える杜美術館がある。
「偉才のコレクター梅本禮暉譽の軌跡」として、これまで蒐集されてきた作品を数期に亙って展示している。
今は二期目「美に生きた職人たち」展が開催されている。
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少し早めに宮島口についた。船に乗り宮島へ渡る。前回はJRに乗り今回は違う船に乗る。
こうした船に乗るとフェリーニ「そして船は行く」の心持になる。
(現にフェリーニと打てば、変換は<フェリーに>と出た)
船から本土を眺めると、金ぴかの飾りのついた白い建物が目立っていたが、そうは違和感も感じない。
丁度引潮の時間帯だったので大鳥居の下は人もわらわらと集まっていて、アオサのようなものが見えもした。
あつあつの紅葉饅頭をかじってから、また船に乗り本土へ戻り、美術館へ向かった。

皆さんがお出迎えくださり、展示室へ導かれた。
第五展示室からまず眺める。

宮島厳島を描いた屏風などが主に展示されている。
厳島神社=宮島なのか宮島=厳島なのか、子供の頃からずっと混乱が続いている。
分かち難い存在だと納得して、何も考えずにいる。
神の島であることから、屏風には禊をする人々の姿もある。
神の使いたるシカの姿を見ることもある。
(しかしながら奈良と違い、あまりシカ達が庇護を受けているようにも見えないのだが)
海の中の陸であるため、禊は海水で行われている。
金比羅の屏風では川水だったが、ここは海水である。

祭礼図ではいよいよ人々の賑わいが高まっていて、人物の動きもはっきり描かれている。
さぁさぁほらほら、と声が聞こえてきそうな作品である。
紺碧の海と金箔の陸地と雲と神社の朱塗り(実際には檜皮色)のコントラストが綺麗。

数点眺めるうちに面白いものをみつけた。
蹴鞠をする人々が描かれている。江戸時代初期の蹴鞠。
これは公家による田舎わたらいだ、と観るべきかもしれない。

厳島道芝記という元禄年間の本が出ている。挿絵には地震でつぶれる家が描かれている。
いつのどの地震かはわからないが、本に出るくらいの規模だったのか。
このあたりの状況を知らないと、本当には楽しめない。

ここで一旦停止してランチへ向かった。
ほまれのSEIHO OMBRAGEでお魚を中心にした贅沢なランチをいただいた。
ガシラや稚鮎などの後にお肉まであらわれ、ソースをパンでこそげた。
更にチーズも勧められて、機嫌よくいただいた。
わたしはチーズに詳しくないので名前は知らないが、オレンジ色のチーズとカッテージ・チーズらしきものがとてもおいしかった。
その後のデザートに至るまで、まことにけっこうである。
先年はディナーをいただいたが、このランチもすばらしい。
そして学芸顧問の先生を始め、学芸員の皆様や、美術館のサイトでイラストや案内コミックを描かれているともかさんにも久しぶりに会えて、楽しい歓談のときを過ごせた。
その後、「天の橋」という普通は通れない橋を歩かせてもらったが、そこからの眺望は凄まじく、自分の目で見たものがなんだったのか、ちょっとわからなくなっている。

再び展示を眺める。

奈良絵本を見る。
「舞の本」と「村松物語」と大いに楽しませてもらった。
「村松」は岩佐又兵衛工房の作だということだが、女たちの嘆く・泣く様子が同一パターンで続いているのが、たいへん面白く感じた。
揃いの美しい着物を着た女たちが向きを変えながらも連なって嘆き続ける。
まるで万華鏡のようだった。
このパターニングはお手本があったのかもしれない。

「舞の本」は幸若舞の詞の部分を絵本化したもので、このコレクションは元は府内藩松平家に伝わっていたそうだ。
幸若舞で今も知られているのは「敦盛」だろう。
信長が好んだ「人間五十年 下天の中をくらぶれば 夢幻のごとくなり」それ。
他は殆ど知られなくなっている。
三弥井書店の刊行する書籍には、幸若舞関係の研究書も多い。

大学のときについた先生が中世の文芸などを研究されている方で、わたしはそこから説経節と平家物語に溺れたのだった。幸若舞についてもレポートを出しもした。
詳しく書くとわたしがついた先生がどなたなのかわかってしまうので、書かない。
本は今も販売され続けている。
わたしは今も時折それらのページをめくっている。

唐丸籠に押し込められ、嘆く人々を描いたもの、尼公の乗る牛車が駆け出すのにつく童子など、美麗な作品が実に多く現われていた。
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展示の設えも素敵だった。畳に本が置かれるという展示は、とても楽しい。
この展覧会の展示はなかなか工夫されていて、花鳥画の浮世絵の展示室には鳥の歌がチロロロ・・・、中国版画室は落ち着いた臙脂色でまどめられていて、ムードを盛り上げてくれている。

源平ものの奈良絵本が大量に所蔵されているのも興味深い。
ここから海でつながる屋島の戦、橋合戦などが目に残る。
他に十二類絵巻もあり、動物たちの着物の柄もそれぞれの属性を示しているのが楽しい。
京博での十二類絵巻と構図も似ているが、これは往時人気のあった物語ということで、色々製作されたのだろう。数年前に大阪市立美術館で見たものは、また違う手だった。

先年、さる方の奈良絵本コレクションを拝ませていただく好機があった。
現在それらは大和文華館や奈良大学の共同研究の対象になっている。
こうした方々が大事に守ってこられた宝を、こうして目の当たりに出来るのは、本当に嬉しい。

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浮世絵へ移る。
チラシに選ばれているのは春信「今様おどり八景 布晒の帰帆」である。
天下にこの一枚だけしか知られていない。

女の小さな手足が愛らしい。チラシは「美」の文字と巧く絡ませているが、本物の背景は帰帆の連続パターンである。
この当時どんな歌が流行ったかは知らないが、アタマの中に流れる音楽はこれである。
沖の暗いのに 白帆が見える あれは紀伊の国蜜柑船
かっぽれが流行したのは幕末だったが、紀伊国屋文左衛門は元禄の人だった。

やつし夕顔、やつし草紙洗小町がある。
どちらも見立てもの。扇子の上に夕顔があれば源氏、山吹を素手で差し出せば太田道灌がネタ元になる。
草紙洗うのは小町ならぬ子供らである。小町娘らしき姉の前でチビ共がふざけている。
春信にはこうした姉と弟妹たちのやさしい絵が多い。

風流四季歌仙 二月・水辺梅  これは先般三井記念美術館で見た高橋コレクション展でも、特に愛された一枚として記憶に新しい。
なにしろこの絵を背景にした肖像画を描いてもらった高橋氏は、とても喜ばれたそうだ。

奥村政信も並んでいた。
宇治の橋姫、渡辺のつな  渡邊綱が鬼に襲われたのは別な場所で別な鬼だが、宇治の橋姫を始めから鬼として描き、それが人を襲うのを観たのは、初めてだ。
かなりリアルな格闘を描いている。
どちらかと言えば大森彦七に近いくらいだ。

月岡雪鼎 袖中の猫と戯れる美人  タイトルどおり袖の内に猫がいて、それが女を引っかいたりふざけたりしている。
そんなところに猫を入れて重たくないのか、と言うことをチラッと思いつつ。
そういえば国芳はドテラの中に猫を二、三匹常に抱きかかえながら絵を描き続けたそうだ。
おそ松くんのデカパンは猫を三匹ぱんつの中に入れていたとか。

国貞の見立て三十六歌仙絵があった。大首絵に近い。中には清玄も描かれている。
高校の頃から清玄桜姫ものが大好きなので、これは見逃せない。

広重の花鳥画が26点ほど出ていた。20年前の花博の年、ロックフェラーコレクション展が大阪で開催された。
わたしはそれまで広重は五十三次と名所絵ばかり観ていて、花鳥画を大量に見たのはこのときが初めてだった。
ここのコレクションとそのロックフェラーコレクションは双璧をなすと言う。
好きな作品が何点も出ていて、なかなか楽しかった。

最後に中国の清朝の版画を見た。この年画をこれほど多く観たのも、こんなに質の高いのを見たのも、今回が初めてだった。
いや実に素晴らしい。

果実図がある。綺麗な鉢にザクロとりんごらしきものが載せられている。
綺麗なだけでなく、ソソノカサレそうである。手に取りたくなった。

ブランコで遊ぶ絵もある。仇英の官女図にもあるが、このブランコに乗る美人は足先を見せていた。纏足をした足である。まことに珍しいものを見た。
この作品は他に壁や石段積みがなんとなく未来派風に見えて、ちょっと面白く思えた。

百子図は賑やかで楽しそうである。各人が好き勝手に遊んでいる。漢族・蛮族の風体をした戦争ごっこをするものもあれば、木から落ちそうなのもいる。赤い月と北斗七星が空にある。


楽しく見学した後、館内のカフェで素敵なティータイムを味わった。
ベランダにはストーブが出され、毛布も与えられる。
生クリームのつくコーヒーには可愛いケーキがつき、なんと飲み干した後にお代わりまで。
そして二杯目のコーヒーには小さなクッキーが添えられた。
まったく申し訳ないくらい、よくしていただいた。

ここへ来るのは二度目である。いずれも美術館の方々の温かいお誘いがあり、楽しく見学させていただいた。この場を借りてお礼を申し上げたい。
それにしても、本当に楽しい一日だった。

6/13には奈良絵本研究の泰斗・石川透氏の講演会がある。
この展示は6/27まで。次は7/4から新しい展示が始まるのだった。

池田文庫の嵐璃寛関係資料展/品川・歌舞伎の大舞台

新聞などでも取り上げられていたが、十三代目片岡仁左衛門が大事に保存していた、嵐璃寛を描いた浮世絵や絵看板、愛用品などが、今回池田文庫に寄贈された。
その展覧会が開かれたので、早速池田文庫に出向いた。
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嵐璃寛(あらし・りかん)は上方で代を重ねた歌舞伎役者だが、今はその名を継ぐ人はいない。
元は同じ梨園にいた前進座の人々のうちに、その名を継いだ役者がいたが、彼が没した後、子孫はその名を継いでいない。
途絶えている名跡なのである。

嵐璃寛をモデルにした小説が杉本苑子にある。敵役である。
そのことについて、璃寛の子孫たる嵐圭史氏が苦笑しつつ、文章を書いてもいる。
実在の人物が敵役として小説に登場したりすると、こうして子孫が苦笑せざるを得なくなる。
澁澤龍彦も城山三郎「雄気堂々」に出てくる、澁澤榮一に対抗するじいさんが自分の曽祖父に当たることを書き「鼻の高いところが遺伝した」と一方でジマンもしていた。

さてその璃寛を描いた役者絵が実にきれいな彩色を残していて、どんなにか大切に守られてきたかがよくわかる。
代々の璃寛を描いた芝居絵などは、早稲田大学演劇博物館の浮世絵検索などで見ることが出来る。

東の早稲田 西の池田文庫 そう称される二つの存在はまことに心強い。
とはいえ早稲田収蔵の芝居絵は主に江戸上演のものが多く、絵師も江戸の人であり、その辺りはやはり池田文庫には及ばない。
難波には上方浮世絵美術館があり、大阪コンベンション協会が刊行する冊子に毎号季節に合う作品を画像提供しているが、コレクションの全容を露わにしないので、あまりよくわからない。
今回、役者たちの船乗り込みを描いたものが出ていた。
その絵は以前にも上方浮世絵美術館で見ているので、この絵が他にも生き残っていたことを知る。(チラシ最下段真ん中)

江戸に比べ上方はリアル志向がある。
いくら絵空事を描いたものでも、あまりに飛びすぎているとフラッグが立つ。
彩色・配色は派手で綺麗でも、構図や背景に面白味が薄いものが多い。

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芳瀧 廓文章  右端の伊左衛門は紙衣を着ているのか?ちょっとわからない。
着物の表面にはやわらかな文字が連なっている。歌である。
(伊左衛門といえばこのスタイルでなければ)
それを着てコタツの上に座っている。
夕霧はじめ他の二人もそんな伊左衛門からちょっと引いて、彼を見る。
配色が本当に見事に鮮やかである。
コタツ布団は青地に赤・緑・黒枠の蔦紅葉、その背後の襖絵は縹色に雪の南天。そして床の間は木目もハッキリして、水盤の水は渦を巻いているが、コリオリの力が左右しているわけでもない。生けられているのは椿と紅梅。とても愛らしい。これまで見たことがないくらい、いい感じの床の間の花である。

同じく芳瀧で明治7年の八犬伝の芝居絵が二枚あり、一は墓場前で道節と荘助が顔を見合わせ、一は女装の毛野が座しながら刀を持つものである。
どの人物も目つきに特徴がある。

絵看板で頼政の鵺退治ものがあるが、このキマイラは顔が猿、胴が虎、尻尾が蛇だったが、どういうわけか腹のところに役者の紋所らしき銀杏紋が描かれていた。
腹だけにイチョウ、というギャグか。(そんなあほな)

広貞 手習鑑の桜丸と八重の2ショット。桜丸は三つ子の三弟である。彼だけは自害する。三つ子は見た目で言えば、松王丸が長男のようだが、さにあらず梅王丸こそが長男で、そのために父の白太夫の後を継いで、菅公の牛を牽く舎人になれたのだ。
松王丸は自分で就活した結果、時平の舎人になり、敵方につくことになった。
桜丸はまた別なところで舎人をしているが、彼だけは前髪立ちである。
実際に桜丸を演ずるのは女形を演じる役者であることが多い。
この三つ子の女房たちも亭主に合わせた名前の女で、着物も亭主の名前に合わせている。
着物も庭も桜だらけである。
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このチラシはなかなか面白い構成だと思う。
左二段目のドラえもんの鈴柄の着物の女は鏡前でポーズを取っているように見えるが、これは実はハシゴを上る八百屋お七である。鏡は嵐璃寛のもので、後に十三世仁左衛門も使用したもの。
本物の拍子木の上にはそれを打つ役者絵も配されている。

面白い展覧会。前期は5/5まで、後期は5/8?5/30。200円でこの充実振りなのだった。


既に4/11で終わった役者絵展についても少しだけ。
JR大森駅から徒歩10分のところにある品川歴史館へ先日初めて行った。
館蔵役者絵展を見に行ったのだ。なにしろ「品川」である。幕末の浮世絵ネタには事欠くまい。
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チラシを見ただけでも「これは!」と思った。
右は幡随院長兵衛と白井権八。江戸奴の大物とアナーキーな美青年の出会いの場である。
刑場として有名な鈴ケ森での、コメディタッチな大量殺人と、それを見て感心する親分の出会いは、今もよく上演されている。
会場では巨大な立版古のジオラマセットが組まれていて、鈴ケ森ムードを味わえる。

左は半鐘めがけてハシゴを駆け上る八百屋お七である。絵は芳年。最初にこの作を見たのは能登ツアーのとき、二十歳少しだった。泊まった旅館の消防喚起ポスター。芳年は既に知っていたが、この絵は知らず、しかし一目見ただけで「芳年ぽい・・・」と思い、頼み込んでポスターを貰ったのだ。いい旅館だったなぁ。

そのお七の横のホッカムリの身分ありげな侍は、着物の柄から「!」とくるように、伊達家の殿様である。(ただし役名は足利頼兼である)鞘も鰐肌のいいもの。
高尾太夫をアンコウ斬りする、短慮で残忍な殿様である。

国周と二代広重がコラボした慶応三年の作がある。
東海道一目千両 品川 うはばみおよし
うはばみは「ウワバミ」。その二つ名を持つお由という悪婆を三世田之助が演じたもの。
黙阿弥は田之助にあてて、多くの退廃的な魅力を持つ女を書いた。
慶応元年にも田之助はお由を演じているから、この芝居もその頃には随分人気があったろう。
わたしは化政期とご維新前の芝居が好きで、九代目団十郎によって貶された作品の大抵が、「見たくて仕方ないもの」ばかりなのだった。
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国芳の荷宝蔵のムダ書きシリーズが出ていた。これは別に品川が舞台ではないが、荷宝蔵自体は当然、品川にも多く並んでいたろう。

海案寺の紅葉を描いた作品も二枚ばかり出ている。

おかしいのは明治29年の「品海之釣魚」。国周。みんな散切りでフロックコートに身を包み、どう見ても「犬神家」の助清のかぶっていたようなマスクを手渡そうとする。
これはある意味シュールな光景かもしれない・・・・・

かなり面白い企画展だった。これが100円なのはえらい。
それにしても区立の歴史館というものはおそるべし。
文京、新宿、渋谷、港区、千代田区、足立区、そしてこの品川。
出来たら宣伝をもうちょっとしてほしいところだった。

逸翁美術館へ行く前後

日曜日は地元の市長選もあり、自転車に乗ってうろついた。
投票所は自分の通った小学校の体育館で、こんな時でないと先輩yugyo7eは入れないのだ。
広く大きな運動場?懐かしの百葉箱もある。
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隣には我が出身の幼稚園もあるが、こっちは建物は全面的に建て直されている。
中学も近いけど、そちらは隣の町内の投票所。
昔は小学校の周辺はすべて田圃だったが、今は住宅まみれ。

そこから池田へ向かう。逸翁美術館「芭蕉・蕪村 人と書と絵」
芭蕉直筆短冊なども多く出ていたし、なかなか見応えのある内容だった。
チラシのタイトルロゴは大正ロマンぽくて可愛いが、芭蕉の文字もまた可愛かった。
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芭蕉はあまり豪華な造りの短冊などに句を書くことは少なかったそうで、並ぶものたちは皆慎ましそうだった。
昔のうどん屋の品名を書いたそれを思い出すが、決してこれはわるくちではない。
あの派手・華美・絢爛の元禄時代にあっても、そのスタイルを守ったところがかっこいいと思うのだ。

出品作はむろん逸翁所蔵品も多いが、伊丹の柿衛文庫からの出張も多い。
柿衛文庫は俳句専門美術館だから当然よいものを持っている。
伊丹と池田は大昔から近所同士の交流もあるのだから、これまでここと柿衛とが協力が薄かったのがフシギなくらいだ。
もっとどんどん交流すればいい。
伊丹の白雪、池田の呉春といった日本酒もあることだし。

芭蕉を描いた肖像が右向き分と左向き分と二つある。
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どちらも出立するゾな絵。

芭蕉は大阪で死んだ。
御堂筋に今もその碑が立っている。
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
辞世の句としても、背景を見ずとも、巧い句だと思う。
丁度その前週に会社で芭蕉の話が出て、九州男の社長は芭蕉の死に場所を知らなかったので説明して、この句を舌に載せたが、果たして彼が芭蕉と縁が出来るかどうかは、定かではない。

筆まめな芭蕉は弟子筋の者たちとも濃やかな交流を繰返している。
今なら芭蕉とその一門はツイッターを駆使しているかもしれない。
140文字も要らず、575の17文字分。批評は140文字。
芭蕉にしろ茶の利休にしろ、エピソードには事欠かず、更に謎の多いところも共通している。

芭蕉の「奥の細道」を絵巻にしたのは蕪村だった。
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蕪村の南画風な作品より、ちょっと飄々とした作品のほうが面白い。
以前から楽しい作品がここには多く収蔵されている。
チラシにはドモ又兵衛がキコシメシテ千鳥足でご帰宅と言う情景。かわいなぁ。

寒山拾得図  いわゆる留守文様。大きな箒と巻物だけの画面。
こういう寒山拾得図もいい。

他にも楽しい作品が多く出ていた。茶室の設えも後期からは変わる。

さて元の逸翁美術館が4/22から小林一三記念館としてオープンしている。
共通券販売である。
少し歩くと八重桜が見える。玄関前の桜は散ったあとだが、こうして次が控えている。

小林一三生前の頃の雅俗山荘を再現しているそうだ。
以前は封印されていたドアが開き、奥へと誘われる。
ああ、と思った。
小林一三とその家族の生活がここにある。
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内部は撮影禁止だが、洋はハレ・オモテであり、和は奥ということを改めて思う。
いい和室。天井は大振りの網代だったり、源氏香の文様の入る建具などがある。

一階のフレンチレストラン「雅俗山荘」でティータイムを楽しむ。
ケーキセット。かなりおいしい。特にチョコの温度設定は絶品。
紅茶はお湯を後からまた足してくれることになっていたが、都合がつかなかったのが残念。
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機嫌よく池田の商店街を歩くと、おもちゃ屋さんが店頭でバーゲンしていた。
ダイヤブロックの電車を購入。わたしはレゴよりダイヤブロックのファンなのだ。
とはいえこれは自分で遊ぶためのものではなく、甥っ子にプレゼントするためのもの。
ああ、いい一日だった。

爽やかな日本美術 水・流れ・涼の表現

大倉集古館の「爽やかな日本美術 水・流れ・涼の表現」を見た。
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西洋での水の表現はどうも死の匂いやこの世の外に住まう存在を描いたものが多いように思う。
しかし日本の場合、水は親しいものになる。
水がそこにあるだけで豊かな心持ちになるものだ。

菊水蒔絵硯箱、菊水蒔絵乱箱  いずれも菊花が流水の上にある文様を美しい工芸品の表層に置く。
藤流水蒔絵盥  こちらは藤やオモダカなどが見える。

光琳と乾山兄弟のコラボ作品がある。寿老人の描かれた皿。その皿が実際にどう使われたか・あるいはどのように鑑賞されたか。どちらにしろ可愛いお皿だった。

能装束もいくつかあるが、やはり水を思わせる文様のものを眺めると、日本人の美意識の在り方と言うものがよく伝わってくる。
柳は街路樹としても好まれるが、川べりに生きる木だった。
それはなにも日本だけのことではなく、中国などでもそうだ。
柳に鷺文様などを見ると、イメージ的に初夏を感じる。尤もそこに雪が積もることもありうるのだが。

チラシになったのは宇田荻邨 淀の水車  荻邨はよほどにこの組み合わせが好きなのか、多くの作を描いている。中でも大倉所蔵のこの絵は群青の水、みずみずしい緑の葉、白い鷺に黄色い水車という色の取り合わせも爽やかで、なにかしらイキイキするものを感じる。
小さな水しぶきも一層その爽やかさを際立たせてくれる。
淀川にいつまで水車があったのかは知らないが、関西では今も数ヶ所に水車が使われる場があるのだった。

四季の若草図巻  花田がある。水田に牡丹、おもだかなどが咲き、子らは機嫌よく遊ぶ。
ツクシ摘み、筍とり、芦刈。春の楽しみがそこに描かれているなと思えば、スイカ畑に瓜畑が現われる。丸い茄子も実っている。キュウリも生えて初夏から夏である。
また葡萄の穫り入れ、菊花揃い、柿とり、そして慈姑らしき作物も見える。紅葉狩のそばには大根畑もあった。
つつましく楽しい、月次の植物が続く巻物。 

出光の「茶tea」でも見た青木木米に頼山陽の煎茶図や軸物。むろん出光のものとは別物だが、ご近所さんの美術館でほぼ同時期に見れるのは楽しいし、嬉しい。
他に探幽の瀑布図、英一蝶の大井川富士山図。
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宮川長亀 隅田川納涼図  人が大勢で楽しそうにしている図がやはり好ましいと思う。
船には役者が乗るのもあり、猿回しが乗るのもある。ちょっと大きい船の中では舞を見る女客たちもいる。煮売り屋の船もある。
遊楽することは大切だ。江戸の人々の夏の楽しみ方がそこにある。

鶴岡蘆水 両岸一覧  天明元年の隅田川両岸風景。私が見たのは、永代橋から深川、凧揚げが遠くに見える空、混雑する両国橋、本所の筏師、秋の三囲神社、木母寺、綾瀬、そして千住大橋までだった。実際に永代橋から三囲神社までは歩いたことがあるが、まだ木母寺にも行ったことがない。千住大橋のそばには今では石洞美術館もあるというし、今度はこの図に描かれた場を全て回ってみたいものだ。

明治からの近代日本画も他に出ている。
筆谷等観 春耕  ウシの可愛いこと。春霞が出てモァ?とした空気の中に牛。昭和四年の作。

川合玉堂 高嶺の雲  山頂はザクザクしている。日本の山とは思えない。明治末。玉堂はどの山脈を思ったのか。

珍しいことに塩川文麟の作品があった。四條派の絵師で、関西では良く見かけるが東京にもあるとは思わなかった。
瀑布の図  滝を描いた絵はなんとなくそこから爽やかな<気>が飛び出してくるように思う。ちょっと気持ちよく絵の前に立った。

5/11?6/6まで後期展示へ変わる。
全然関係ないがチラシのタイトル文字の配置を見て、昭和初期のギャグマンガを思い出した。
あんま
ころす
もちや
・・・・・あんま ころす もちや ではなく、あんころもち ますや という読み方だった。

茶の裂地

湯木美術館では「茶の裂地」展が4/25まで開催している。
淀屋橋駅から徒歩数分の平野町にあるので、いつでも行けるさと思っているうちに会期末近くなり、記事も遅くなる。反省。人間、やれるときにやらなあかんもんです。
Someday never comesだ。It’s too lateか。いやなタイトルの歌やなぁ。
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茶の湯の裂と言えばまず「お仕覆」を私は思い出す。
お仕覆の様々な文様を眺めるのが非常に好きだ。
茶道具のうちでもお仕覆と茶杓と茶碗は特別偏愛しているので、行くアテのない展覧会のチラシでも、ちょっとお仕覆が載っていれば、必ず保存する。
しかしお仕覆がメインの展覧会と言うものは、残念ながら観ていない。
今回もお仕覆が主役と言うわけではないのだが、それでもチラシにあるように、愛らしい姿を数多く現してくれていた。
また茶の湯には当然ながら掛軸が欠かせない。
表装の美をも今回は多く楽しませてもらった。

面白い達磨図を見た。光琳の達磨。フツーぎょろっとした目玉のヒゲオヤジというのが達磨のイメージだが、光琳の達磨は違った。案外普通の人風に見える。
そしてこの絵を飾る一文字・風帯は萌黄地草花文金銀モールで、なかなか華やかだった。

建盞天目  禾目天目茶碗。このお仕覆は一重蔓牡丹唐草文紹巴と言い、利休の弟子筋の里村紹巴が愛用したもの。手描きと型染めを併用したもので、いい感じ。
解説によると「『槐記』に表裏のない地厚な一重の紋織りとあった」そうだ。

帛紗が色々出ている。
更紗、金紗、蜀江錦、唐織紹巴、糸屋風通、ペルシャ糸金・・・
どれもこれも手の込んだ綺麗な布地だった。
リストには一つ一つの特徴をメモしているが、みんな異なる様相を見せているので、観るのもメモを取るのも楽しかった。
続いてお仕覆登場。
名前だけでも書いてみよう。その文字の連なり、それ自体が既に美になる。
赤色紬地金襴、細川金襴、濃萌黄地梅鱗文金襴、萌黄地釣石畳文金襴、宗薫緞子、鎌倉間道、間道織留、音羽裂、青地撫子文錦、茶紬地織留・・・・・・
このうち「音羽裂」は毘沙門亀甲繋文に梅花。わたしはこれや「清水裂」を見ていると、中国の法花を思い出すのだった。
「濃萌黄地」は益田鈍翁ゆかりのリンキ梅のもの、「釣石畳」は(足利)尊氏金襴とも言い、大内義隆とも縁があるそうだ。

他に本願寺名物 名物裂手鑑という貼り付け帳面を見た。
ガラス越しにしか拝めないが、手にとって指の腹で触感を確かめてみたい、と思わせる作品が多かった。
こういうものをそんなに広くない空間で親しみ深く眺めるのは、やっぱり楽しいことだった。
茶の裂地は4/25まで。次は「釜と水指」が4/28?6/30。

花の万博の日本画 花博20周年記念

大丸心斎橋北館、要するに元のそごう14階で「花と緑の日本画」展が開催中。
'90年の大阪鶴見緑地で開催された「花と緑の博覧会」のために生まれた50枚の新作日本画展の、20年ぶりの大阪集合なのだった。
あの頃わたしは既に日本画が好きで喜んで出かけたが、これらの作品は現在佐藤美術館に所蔵されていると知った。
よかった、散逸しなくて。
絵画の大半はこの20年の間に何度か別々な場で見ていたのでナジミのものもあれば、全く20年ぶりのものもあった。
しかし20年も経っていたとは驚いた。
時間の観念がちょっと不足しているので、あんまり実感がない。
とはいえ、場内の壁面に飾られた作品を一通り眺めた瞬間、言葉にならないような懐かしさが湧き起こってきたのだが。
今では鬼籍に入られた方も多い。

cam865.jpg松篁 桃春  
松篁さんの桃を描いた作品は、どれもが佳品だと思う。白くてピンクな桃の花が咲き誇り、枝にとまる文鳥らしき小鳥たちも楽しそうに花を眺めている。
小禽の大き目の黄色い嘴と黒い顔に丸い眼。親しみやすい顔立ちの小鳥たちは、絵の前の我々の表情をそのまま映してくれているようだ。
桜や梅と違い桃はカクカクした花びらで表現される。縦並びも桃の特性。優しい、いい心持ちになる絵なのだった。

元宋 吉野細雨  もあもあしている。靄は春の気分を表わしているのか。赤色に強い特徴を持つ元宋のピンク色の世界が広がっている。

遊亀 紅梅と古鉢cam865-1.jpg
この絵について画家本人の言葉があった。「梅さんが鉢さんに近づくと寄るなと言われるの」しかし梅さんと鉢さんの間に妥協が成立したらしく、二者はいい位置関係に収まっていた。よく見ると鉢さんには椿さん、牡丹さんなどが最初から住み着いているから、今更紅梅さんに来られても、みんなと仲良くしてくれるかどうか心配だったのかもしれない。

球子 富士に献花  奥に富士、手前に花。距離感がないので富士山の胴っぱらに花が抱え込まれているように見える。

牧 進 浅き春cam865-2.jpg
20年前に絵はがきを購入していた。今も好きな絵。金時人参のような赤い枝垂梅を喜ぶ小禽たち。竹の樋から流れ落ちる水は石の手水に落ち、愛らしい波紋を見せている。この小禽たちの水飲み場であり、水浴の場でもあるだろう。

魁夷  タイトルを忘れた。緑色の春の景色を描いている。山に萌える緑は若々しく、希望が広がるような気がした。

不矩  インドの鮮やかな布地に、インドの鮮烈な花々を散らしている。散華。インドでは茎からでなく、花の頭だけを捧げるのだ。

改めて眺めると、本当に素晴らしいラインナップだった。

cam867-1.jpg辰雄 椿  
この画家の描く不可思議な静謐さに魅せられて随分経つが、何度見てもやはり素晴らしい作品が多いと思う。
五色椿が生けられている。その斑の花びらを眺めるうちに、その花が膚の一部のように感じられてくる。白は脂、赤は血の筋・・・肉厚な部分と薄い部分と。
艶かしい花だった。

牡丹の集まる中に不意にカタツムリがいる。「たぶん、工藤甲人だ」と思ったら、やはりそうだった。ファンタジックと言うよりもシュールに近い。「思いがけないところにカタツムリが」と画家は言うが、多分こうした非日常的な光景こそが、画家の日常なのだろう。

加倉井和夫 松韻cam867.jpg
一目見て能の世界だと思った。何番目ものかは別として、これは間違いなく能の世界を絵にしたものだと思う。

多々志  平安の女房らしき女が描かれている。美しい平安時代の頬。夢のような美しさが衣にも背景にもあふれている。

cam866.jpg福井爽人 雨後  
インドの風景を描いたそうだ。暑さを感じないインドの風景。熱国とは思えない。しかし雨後と言うことだから気温も上がらないのかもしれない。
安居ということを思う。祇園精舎を想う。

2015.5.24追加
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他にも又造さんの夜桜、大山忠作の鯉、森田曠平の舞妓、淳之さんの水面近くを低空飛行する鳥、太清の薔薇など、見ごたえのある作品が並んでいる。
中島千波、畠中光享らの20年前の作品を見ることが出来たのも嬉しい。
そして平川敏夫の作品については、後日別な記事で書いてみたいと思っている。
4/26まで。
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マネとモダン・パリ

三菱一号館美術館が本格的に始動した。
プレオープンとして建物を見せる展覧会には出かけていたので、その規模や歩く感覚は一足お先に味わわせてもらった。
まことに結構な空間である。床やドアの取っ手やちょっとした装飾などがシックで魅力的である。

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開館記念展として「マネ と モダン・パリ」が4/6?7/25開催されている。
随分長い会期だが、建物の感じから考えても、マネの作品がその空間にしっくりと合うようになるだろう。
建物自体に魅力がある美術館・博物館で「飾られた」作品を眺めるうちに、優しい錯覚が生まれることが多々ある。
つまりその絵なり工芸品なりがヨソからもたらされたものでなく、この「邸宅」に始めから所蔵されていて、そこの主人から招かれた「わたし」が屋内を逍遙しつつ、作品を楽しむ。そしてそれはここへ来た最大の目的ではなく、あくまでも目的の一つにすぎない・・・
そんな錯覚を覚え、優雅な心持ちになるのだった。

マネのいた時代のパリは、新しい文化が席巻しようとしていた。
その「変貌するパリの姿と合わせて辿る」マネの回顧展をこのすばらしい空間で楽しませてもらった。

・・・厳密には楽しみたかった、と言うべきだったか。
何しろものすごい人人人。お手上げ。火火火。
何を見たか覚えていても、どう楽しめたかがわからなくなっている。
これはナサケナイ。
それでいつも長々と感想書いてるが、今回はちょっとスタイルを変える。
夏休みまで続く展覧会、またじっくり見る機会もあるさ。(言い訳するな)
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スペイン趣味の時代の作品は、ある時期まで、マネのパブリック・イメージだったと思う。
つまり20年前までくらいはベルト・モリゾの肖像や「黒い帽子のマルタン夫人」はマネの代表的な作品としては紹介されていなかったように思う。
なんでかは知らないが、子供の頃のわたしが新聞や教科書などで見た「マネの絵」は「笛吹き少年」や「ローラ・ド・ヴァランス」などだった。
今回はあの少年は来ていない。「ローラ・ド・ヴァランス」はフルカラーの油彩画とモノクロだけの版画がある。
特徴のある目元・口元が忘れられない。

同じく「死せる闘牛士」はカオは全然違うものの、ルドルフ・ヴァレンティノ「血と砂」を思い出させてくれる。そして「トレロカモミロ」を。
トレロカモミロは小学校の音楽で習ったが「みんなの歌」から来ていたのか。今も歌詞を大体覚えていたので、闘牛士と聞くと必ず♪トレロカモミロとてもねぼすけ 闘いよりも昼寝が好き♪と歌ってしまう。
闘牛士=コリーダと言ってもあの映画やライオネル・リッチーの歌は出てこないぞ。
さてマネの「死せる闘牛士」は手にピンクの布を掴んではいるが、牛に負けたのかどうかまではわからない。質感のわかるタイツソックスと白いサッシュが目に残る。

「ゾラの肖像画」の背景には自作「オランピア」や相撲錦絵に屏風がある。
ゾラが何の本を読んでいるかはわからないし、ゾラの頭の中でどんな物語が展開しているかもわからない。「ナナ」かもしれないし「獣人」かもしれないし。
時代がとんでいようがなんだろうが、それは問題ではない。何かを考えているゾラを描いているところに味わいがあるのだった。

ポーの「大鴉」の挿絵は初めて見た。マラルメによる仏訳。それら触発されたかエクスリブリスも羽を広げるカラス、他にカラスを描いている。
マラルメの「半獣神の午後」の初版のための挿絵もある。
ああ、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ニジンスキーの「牧神の午後」のイメージがあふれ出る・・・

いよいよベルト・モリゾを描いた作品群登場。
チラシのモリゾはオルセー美術館展のときも晴れやかにお出まししていた。
時代はこちらの方がはるかに先だが、小磯良平の婦人たちに似た雰囲気がある。
他の絵には全くそんな感想を持たないが、どうしてもこのモリゾだけは小磯的人物に見えて仕方ない。

新パリの設計図や同時代の画家たちによるパリの絵がある。それらを眺めているとき、また錯覚が生まれた。
いま、自分が見ているのはパリの風景や劇場の細部などではなく、三菱X号館の見取り図や資料ではないか・・・
そういう楽しいような気分も生まれてくる美術館だった。

生誕120年 奥村土牛

山種美術館の奥村土牛展を見た。
開館記念特別展シリーズの四弾目にピッタリだと思う。
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昔、まだ山種が茅場町の駅の真上にあった頃、そこで土牛の「鳴門」や「舞妓」それに醍醐の桜を見た。
まだ土牛が存命の時代で、館内のTVに映るインタビュー映像でも、絵を描くところが流れていた。
のろくとも確かな歩みを続ければいい。
そんな意味の言葉を土牛が語るのを聞いた。

日本画家は短命か長命かに分かれる。
短命の画家は奔りながら傑作を残し、長命の画家は段々といいものを生む。
名前が土牛とぎゅう、というだけでもモッチャリ感があるが、土の牛は長生きして、いい絵をたくさん残した。

身近に丑年の人が多くいる。どのウシかは知らないが共通して皆、ズンズンとくるような人だ。
なんとなくオオモノにも見える。
中には完全にコッテ牛な奴もいる。
土牛の顔つきを見ていると、やっぱり力強さを感じる。大地の牛、という言葉が浮かぶ。

第一章 土牛のあゆみ――大いなる未完成
そのタイトルを見ても、やはり土牛の歩みはおそくとも、しっかりしたものなのだと知る。
雅名に牛をつくくらいだからやっぱり牛の絵があった。

聖牛 賢そうで、しかし無邪気そうな目をした牛が二頭いる。絵の背景はない。聖なる牛は乳牛らしい。ガンガーの水を飲む牛なのか、天の川を渡る牛なのか。

兎  ‘36年の兎は黒ウサギで、赤いポピーの花のそばにいる。どことなく夢みるような優しさがある。
‘47年の兎はリアルな存在感のある兎だった。わたしはポピーのそばにいるウサギが好きだ。

「舞妓」「踊り子」どちらも近い年に描かれている。そして顔立ちには独特の味わいがある。
瞼に個性がある。
和の粋をゆく舞妓とクラシックバレエの踊り子と。
どちらも自分の立ち位置をしっかり踏みしめている女性たちだった。

那智  那智滝の一本堂々たる水流。しかし絵の前に立つと、その水は白く峻厳な峰にも見え、天の頂へ延びてゆくように思われる。力強い造形だと思った。

鳴門  「醍醐」よりこちらこそが土牛の代表作だと言う人もある。大きくて立派な渦が巻いている。海の色は秘色に近い。実際には音などないはずなのにゴゥゴゥと聞こえてきそうな。
雄大な作品だった。

稽古  お相撲さんを描いたタブローは、土牛のこの栃錦と橋本明治の初代貴乃花だけかもしれない。土牛自身とてもお相撲好きだったそうだが、いかにもそうした力強さを感じさせる風貌だった。足腰の強い、粘り腰の・・・
この栃錦は実に恰幅よく、立派な関取だった。

犢(こうし)  生まれたての子牛と三ヶ月上の兄弟と。・・・牛の兄弟てえらい年子やねんな。

清流会に出した絵を見る。
泰山木  白いマグノリア。花瓶は古九谷で紅梅柄らしきもの。春を感じさせるいい花。それが明るく描かれている。

干支の動物たちを描いた気さくな作品群がある。
1975年の卯年に始まり1986年のトラまでランダムに出ていた。
‘86寅年初頭はタイガース、慶応のタイガー軍団のためにあった。
ウサギは和菓子になりそうだし、龍は横山大観の顔つきだった。
書簡には可愛い土人形の牛。伏見人形の仲間か。
ウシは天神様とゆかりが深いので、こうした愛らしい姿にもなる。

奥の展示室で醍醐の桜を中心に色紙に描く花の絵が並んでいた。
やはり醍醐の桜は素晴らしい名作だった。
わたしの従妹で展覧会に無関心なのが、この絵をたまたま何かで見て、それで醍醐に行った。
実際の桜もすばらしいが、この絵に触発されて出かけた、と言う話がとてもいいと思う。
時間をかけてじっくり眺め、これまで気づかなかったことなどを知ったり、いい心持で花の下にいた。

木蓮  赤い花びら。艶かしい。臙脂色と薄紅とを見事に使い分けている。
芍薬  すばらしく美麗だった。数多の花びらの折り重なりあう様子には陶然となった。

画稿やスケッチなどを見る。
’81.5.23の薔薇の写生帖にこんな走り書きがあった。
「日課として見るかぎり写生することにする」
全く立派だと思った。本当に素晴らしい。
5/23まで。

森村泰昌 なにものかへのレクイエム 戦場の頂上の芸術

森村泰昌の動向にはわりに感心がある。
「今、何をしているのか」が気になる一人なのだ。
だから何らかの展覧会があればなるべく出かけるようにしている。

東京都写真美術館で「なにものかへのレクイエム――戦場の頂上の芸術」展が開催されているので、出向いた。
二年前の二月にシュウゴアーツで「荒ぶる神々の黄昏/なにものかへのレクイエム」を見ているが、今回の展覧会はそれが更に拡大化し、深度を増したものだと思う。
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大型スクリーンで三島由紀夫している森村が映っていた。
「ミシマユキオ」しているというと、やっぱり市ヶ谷の自衛隊の演説なのだが、別にそれをまったく同じように再現しているわけではない。
演じている、リアルに演じている。
しかしそれは「そのものになる」わけではなく、皮膜一枚向こうに森村泰昌がいる、という図式での「変身」なのだった。
近代リアリズム演劇と歌舞伎の俳優の間には深い溝がある、と言うようなことを読んだことがある。
六代目歌右衛門は役の性根を押さえつつ、「中村歌右衛門」であり続けた。
役柄そのものになりきる・憑依される(する)役者より、わたしとしては、個人の自我を保ちつつ、「某」を演ずる役者、その方が好ましい。
森村はあくまでも「女優になったわたし」「名画になったわたし」であり、「わたし=森村泰昌」であり続ける。

映像の中でミシマしている森村は檄を飛ばしている。わたしはリアルタイムの三島由紀夫の演説は知らないので、その時代の空気もわからない。
しかし四十年後の現在に、三島の口調で、三島の呼吸で、森村が演説するのを聞くのは、なにかしら異様な面白さがある。
惹き付けられる、というべきか。
実際の三島の演説は自衛隊員たちから冷笑を受けただけだと聞くが(作家・野上弥生子は「可哀想に」と三島に深く同情を寄せていた)、ここでも演説を聞くものは誰もいない。
演説が果てたあと、カメラは位置を変え、演説者の背後に回り、演説者の目に移る情景を捉える。
人々がただただ通り過ぎるだけの情景がそこにある。

そのカメラワークは松本俊夫監督「ドグラマグラ」での追想シーンのそれと似ていた。
精神病院の解放病棟を主な舞台にしたこの映画では、主人公の意識がどこにあるかによって、背景の変換がある。錯誤もある。
気がつけば元の解放病棟の庭にいた、というそれを思い起こさせる。

森村がミシマする場は今では使用されていない、大阪市博物館のバルコニーだと思う。
かつての大日本帝國陸軍の建物である。大阪城内の一隅にある。
その誰もいない空間での演説というものは、本質において市ヶ谷での三島のそれと酷似している。

森村の額に締められた鉢巻の文字が途中まで読み取れなかった。
三島はたしか「七生報国」だったが、森村は「七転八△」に見えた。
最後の一文字がどうしても読み取れない。
七転八倒か七転八起か。
やがて終わり際にようやく文字が読み取れた。
七転八起だった。
それも演出の一つなのかもしれない。

展示室に入ると写真作品があった。
それらはシュウゴアーツで見たものが多かった。
特に気に入ったものを少しだけあげる。

浅沼稲次郎が山口二矢に刺殺されるシーンがある。この構図は有名になりすぎて、日比谷公会堂にそのレリーフまである、と聞いている。実物を見ていないのでなんとも言えないが。
刺す方も刺される方もどちらも森村である。周囲の人々もそうかもしれないが、厳密には浅沼と山口の二者だけが「その場に存在するもの」である以上、周囲は目に入らなくてもいい。浅沼の眼鏡の飛び方、山口の上着の翻り方、その瞬間をよくここまで造形できたものだと感心した。
空気までが作られているのだ。
関係ないが、日本の発禁本ばかり集めたフランスの本を読んだことがある。変な逆輸入という感じ。そこで少しだけ大江健三郎の「セブンティーン」を読んだ。山口二矢を描いた小説だった。

細江英公による三島由紀夫「薔薇刑」をも森村は演ずる。
「薔薇刑の彼方へ」と言うタイトルで、それぞれに副題がついているが、その副題に三島の作品名が鏤められている。
潮騒が耳朶に触れる、黒蜥蜴は眼球に宿る、黒蜥蜴は脳天に宿る、黒蜥蜴はまだ生きている、卒塔婆小町との対話、弱法師の夢/叫び、金閣寺に咲く・・・・・・・
このあたりはパロディと言うより再現された画像に見える。星座もあるし。
ただ蓮池の中で指眼鏡をする図は、背後に四天王寺の八角堂らしきものが見えるので、これだけはパロディとしての作品だとわかる。あとはどちらかと言えば「再現もの」である。

ベトコン少年を射殺するシーンの背景は心斎橋の大丸と、旧そごうの前だった。
村野藤吾の設計した垂直線の連続が見える位置から行くと、どこが「現場」かわかるのは、大阪人の一得かもしれない。
この元ネタの写真はたしかピュリッツアー賞を得たのではないか。
殺される少年の怯えも、撃つ側の冷徹な目も、どちらも森村のものだった。

第二章「荒ぶる神々の黄昏」の解説にこんな一文があった。
「歴史上の人物に男装して成り代わり、過去との対話に臨む」
男装して成り代わり、というところに妙な諧謔を感じた。

釜が崎でレーニンになり、中之島の中央公会堂の特別室では地球を弄ぶ。
独裁者の無意味な長広舌の演説は言葉遊びに満ちている。これはやはり大阪人の精神構造から来るものだと思う。まじめに聞いていて笑ってしまったが、周囲は誰も笑わない。しかしわたしは笑った。
右側と左側の「独裁者」の「言葉」のうち、左側の真摯な台詞は綺麗な英語だった。
わたしは独裁者になりたくありません、という言葉は政治的なものだけでなく、普遍的な状況にも及んでゆく。
しかしその右と左は容易に入れ替わる。果てのない演説が再び始まる。

「動くウォーホル」のうち女の視線はいつまでもついてくる。八方睨みに設定されていて、それは森村の意図的な遊びなのかどうか、ちょっと考えた。
彼に偶然性の作品などあろうはずもなく、やはり意図的なものだろうと思う。

「イブ・クラインとしてのわたし」はあべの筋の阪堺電気軌道の路線前で空を飛び、ガンジーは彼の実家のお茶っ葉屋さんで糸をつむぐ。

そして「海の幸・戦場の頂上の旗」はやや観念的すぎるようにも思えた。ピアノ曲が流れているのを聞きながら、この先の森村はどこへ向かうのだろうと、思った。

和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち

サントリー美術館の「和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち」展はかっこよかった。
どうかっこいいかと言うと、和のシャレたヨサが一堂に会しているからだった。
江戸時代のヒトビトの美学、それを目の当たりにした感じ。cam858.jpg

なにしろ日本人は古代から舶来品を「写す」技術が素晴らしい。
よその国のええものを見たらそれを揃えるだけでなく、自国で拵えてしまえる技能がある。
それも「出藍の誉れ」的な見事さを見せてくれる。

ギヤマンとビイドロの違いについて、以前教わったが、どちらにしろ魅力がパチパチあふれている。
びいどろ、と聞けば歌麿の美人画を思い出すし、ギヤマンと言えば「仮面の忍者 赤影」が追いかけていたお宝「ギヤマンの鐘」だ。
それくらいの認識でいいかもしれない。
尤も「ビードロ」は長崎土産のボッペンのことだと思うし、ギヤマンはカタチが色々あるのだ、と思い込んでもいる。

中国から色んな文化を貰ってきた日本だが、ことガラス製品だけは中国の愛する不透明ガラスにあんまり関心を寄せず、透明なそれに強く惹かれたようだ。
江戸中期のガラスを見ていると、大方は透明もので、透過する鮮やかな色彩を見せはしても、練り物のようなガラスは少なかった。

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ネジネジとツイストを見せる脚付杯がある。
こんなのを手に入れたヒトは楽しかったろう。
指紋が擦れるようなねじれ方がいい。

そしてどんなシーンでそのガラスが使われているかを見せてくれる絵が何枚かあった。
阿蘭陀人酒宴之図  こう言うのを見ると「カムイ」をチラッと思い出す。
とにかく宴会を描いたものは活気があっていい。
「芝蘭堂新元会図」は早大でも見たが、これもわいわいしている。

摂津名所図会が出ていた。嬉しい。これは楽しい本なのだ。
色んなシーンでチラチラとガラスが見える。
ここには出ていないが大阪にも「天満切子」という和ガラスがあるのだった。
カッティングについてここでウネウネ喋れたらよいが、そこまで知識がないので何にも書けねぇ。

北斎 風流無くてななくせ  ああ、これか。
ガラスはやっぱりその頃のオシャレなグッズだったのだ。
北斎周辺の日常を描いた杉浦日向子「百日紅」にこんなシーンがあった。
スッポンの血を飲もうと言う話での会話。
「生血の杯を買おう」「ギヤマンの?」「ギヤマンのだ」
うーん、実物を見ながらその台詞を思うと、リアリティがあるように思う。

それにしても色んなガラス製品があるものだ。
遠眼鏡まで展示されてる。伸縮自在のミニチュアもある。遠眼鏡といえば海賊だな。
ここでなぜか「パイレーツ・オブ・カリピアン」でなく、ポーの「黄金虫」の暗号を思い出した。
「ヨキメガネニテ」というやつね。

鉢や徳利や杯のいいのを随分たくさん眺める。
チラシの左上端の三色三段重には唐草文様も入っているし、本当に可愛い。
黒にしか見えない闇紫の梅型皿もいい。
チロリも藍色なのか瑠璃色なのか知らないが、本当に綺麗。

彫りの入ったガラスも見事。色の綺麗なものもいいが、透明な表面に彫り物があるのは、複雑な美麗さがある。
大阪証券取引所に飾られているガラスも綺麗な文様が刻まれているが、これらはみんなどこか艶かしいのだった。

ビーズの繋ぎで拵えられた簾や硯箱など、見ていてビックリするものも多かった。
仏具にもビーズがチカチカ使われているから、その当時にそれを見た人々、深く心に刻まれたと思う。

グラヴュールという技法が使われているものも多くて、それこそ目を皿のようにしてみつめた。
文具類、装飾品、煙草盆までガラスで出来ている。そういうのを見ていると、江戸の人々の美意識のあり方とでもいうものが、なんとなく伝わってくるな。

ボトルシップみたいな瓶細工があるほか「数眼鏡」の実物もあった。
これは複眼鏡で、和漢三才にもあるそうな。実物を見たのは初めて。
これは小出楢重の随筆にも出てくる四天王寺の境内に出た「蛸踊り」を見るときに使うものだった。
ちょっと長いが引用する。
「その多くの見世物の中で、特に私の興味を捉えたものは蛸めがねという馬鹿気た奴だった。これは私が勝手に呼んだ名であって、原名を何んというのか知らないが、とにかく一人の男が泥絵具と金紙で作った張ぼての蛸を頭から被るのだ、その相棒の男は、大刀を振翳しつつ、これも張ぼての金紙づくりの鎧を着用に及んで張ぼての馬を腰へぶら下げてヤアヤアといいながら蛸を追い廻すのである。蛸はブリキのかんを敲きながら走る。今一人の男はきりこのレンズの眼鏡を見物人へ貸付けてあるくのである。 この眼鏡を借りて、蛸退治を覗く時は即ち光は分解して虹となり、無数の蛸は無数の大将に追廻されるのである。蛸と大将と色彩の大洪水である。未来派と活動写真が合同した訳だから面白くて堪まらないのだ。」(めでたき風景「春の彼岸とたこめがね」より)
文中の「きりこのレンズの眼鏡」それこそが数眼鏡だった。
小出は数眼鏡と言う名を使わなかったが、菅 楯彦は「四天王寺 数眼鏡 蛸踊りの図」を描いている。内容は全く同じもの。湯木美術館には生田花朝女の「蛸踊り図」がある。
なんだかすごく嬉しい。
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どう見ても試験管が並んでいるようにしか見えない一輪挿しとか、ガラス棒やビーズ棒の檻とか、すごく欲しい金魚玉とか、見れば見るほどわくわくが募ってくる。
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江戸風鈴のインスタレーションも面白いが、風がないので生の音はなく、録音された音がチリンチリンと鳴るのは、ちょっと味気なかった。微風でもあればと思いつつ、却ってそれなら音なしでもいいかも、と思ったりもした。

そういえばアルフィーの坂崎幸之助氏は和ガラスコレクターとして有名な方で、以前にたばこと塩の博物館でそのコレクションを見たが、そちらは江戸のものではなく明治から昭和の真ん中あたりのガラスが多かったように思う。
江戸で上から下までぎやまんの美に惹かれ、それを好む遺伝子がずっと続いている証明だった。

サントリー美術館はやっぱりかっこいい展覧会をする。5/23まで。

造幣局の通り抜けと土佐堀通りハイカイ

造幣局の桜の通り抜けは明治時代から続いてる。
なんでもここには「ここにしかない桜」も数種あるそうだ。ソメイヨシノはここにはなく、ソメイヨシノの散った後に咲き乱れる八重桜が大半を占めている。
造幣局の敷地内へ入る小さい橋からの風景。
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民家なのか料理屋なのかお寺の庫裏なのかわからないが、数種類の桜とマッチしたいい眺めである。

モコモコに咲く八重桜の中には遠目には桜餅に見える木もある。桜餅と言うのは私の場合「道明寺」である。餅米を蒸して桜色に染まった丸々した愛らしいお餅がのんびりと木にぶら下がる風景・・・シュールだなぁ。
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黄桜は酒ばかりではない。
鬱金という桜は黄緑がかっていていわゆる「桜色」とは異なる色めを見せている。
御衣黄も黄桜だが、また色が違う。

私の好きな桜は関山。濃い紅の八重桜。わりに関西のあちこちで咲いている。
紅手鞠、ヨウキヒ、都錦などなど・・・
木の下には花の名前だけでなく出身地などが書かれた札がある。見ていると東京の荒川が多かった。
荒川沿いにはいろんな桜が咲いていたのだなぁ。

この日はまだ大川沿いのソメイヨシノの残っていて、二重に桜を楽しめた。

実は通り抜けをしたのは夕方のことだった。
昼前に藤田美術館へ行き、ちょっと昼間の桜も見てやろうと思ったのが間違いだった。
そういうココロエ違いが予定を狂わせるのだ。
八幡の松花堂美術館へ行き損ねたのは非常に痛かった。
落ち込みながら淀屋橋の複合施設でランチを頼んだ瞬間、メールが来た。
川を挟んだ北側の中之島の公会堂で、伝統のオムライスを食べるために並んでいるという友人からのメール。
彼女はそこからこの日だけ一般公開される日本最古の木造幼稚園・愛珠幼稚園の見学に行くという。
私が桜の通り抜けを約束しているのは夕方五時すぎ。
早速彼女と幼稚園見学の約束をして、わたしはランチの後に湯木美術館へ出かけた。
ここでは茶の湯の裂を眺めた。(後日詳述)

時間が来たので幼稚園へゆくと随分列ができている。
実はお昼にゆく前に、幼稚園への道を訊く年輩の方がいたので「こっち曲がってあっちの角」と説明もしていたが、自分もゆくことになるとは思わなかった。

数年前にこの幼稚園を見学撮影している。今回は撮影禁止。ここで以前撮影したものを挙げてもいいが、万一のことでもあるといけないので、やめる。
幼稚園や学校の情報は難しい。

創立当時からのピアノを演奏するヒトもいる。
ピアノは心斎橋にある、これまた文化財登録されている三木楽器から購入したものらしい。
ところどころにアールヌーヴォーな装飾がある。
以前ここを見学したとき、ご一緒していたご年輩の婦人がマイクをとってお話してくれはったことを思い出す。
講堂の二階(バルコニー)への園児立ち入り禁止になった理由。昭和三年にその方の同級生が並ぶ鉄柵の隙間に首を挟んで大騒ぎになった。
大阪倶楽部の向かいにある今橋消防署分署(現在はイタリアンレストラン)から消防士が飛んできて、それでやっと首が抜けたそうな。
「わたくしは昭和四年に卒園いたしましたが、卒園生の会長は緒方洪庵のご子孫の緒方さんが務めておいでです」
・・・歴史を感じたなぁ。緒方病院はこの幼稚園の前にあり、適塾もすぐそこにある。

幼稚園の可愛いお手洗いや机や遊具などを見て、懐かしい気持ちになった。
そして資料展示に、わたしが幼稚園のときに貰った絵本「ひかりのくに」シリーズの一冊「ぞうのめもりぃ」の1シーンが開いていた。
IMGP7904.jpg(わたしの所蔵する本。該当ページ)

懐かしかった。そしてそのことを即座に思い出す自分がなんとなくコワイような気もした。
三十年以前のその頃の記憶がパパパッと灯っている。
尤もその絵本は今も手元にあり、この十五年以内に再読しているからすぐに思い出せたのだろうが。

この幼稚園は船場の人々が拵えた。
百年前くらいの大阪は、依然としてお上に頼らず、自立して生きていたのだ。

この淀屋橋界隈には近代建築が多くのこり、リノべーションされて活きているものも多い。
北浜レトロという人気店舗もそうだが、ここは二時間待ちだったのでやめ、堺筋の元・弘得社だった五感へ行った。
ここも随分待たされたが、しゃべることが目的の一つなので、待ち時間も苦にならず、階下のショップをチラ見しつつ階上の席が空くのを機嫌よく待った。
相当手を入れていて、昔の面影は完全にないくらいだが、いくつかある小部屋の一つに棟方志功の絵をモティーフにしたガラスがあった。
弘得社はステーキハウスだった。カツレツやステーキのお店に志功はよく絵を描いている。

小部屋に数席ずつテーブルがあるが満載にはしない。適度な距離感を保てるように気遣われていた。
それで待ち時間も長くなるようだった。
正直、待つのは嫌いだが、こういうゆとりというものは大事だとも思う。

彼女はまだ用事があるので梅田へ、わたしは京橋へ向かった。
夜桜にはまだ早いが約束どおり別な友人と夕方の桜を楽しんだのだった。

IMGP7897.jpg泉布観。年に数日しか公開されない。銀橋から撮影。

見終えた後、川沿いを天満橋へ向いて歩く。
大量の屋台が出ている。珍しいところで中華の焼餅も出ていた。買って食べている女の子に訊いたら「油っぽい?」ということだった。
白い鯛焼きを買ったが、ちょっとモチモチ感が足りない。
肉の串刺しやシシカバブ、焼きタケノコ、佐世保バーガーまで来ている。
カルメラや伊賀の堅焼き、鳥の唐揚げ、どて煮、チヂミ、サザエの壺焼き・・・
金魚すくいならぬメダカすくいを見たのにはびっくりした。

そこから久しぶりに梅田の東通商店街へ行った。十代後半から二十代の終焉前までよくこの界隈で飲み歩いた。あの頃はなぜかよく飲んだのだ。
そしてそのころよく入ったニューミュンヘンというビアホールへ久しぶりに行くと、重厚なドアを開けてくれたのは、インド系らしきすてきなお兄さんだった。また蝶ネクタイのオジイサンたちがにこにこと何人もで出迎えてくれた。いいなぁ、この雰囲気。
ざわめきが大きいが騒いでいるわけではなく、いい感じ。中二階から階下を眺めながら自慢の唐揚げや生春巻などをおいしくいただいた。
わたしはこういう雰囲気のお店が好きだ。
だから浅草の神谷バーにもよく行くのだ。

いい気分だった。昼と夜、それぞれ違う友人と遊べて、たいへん楽しい一日を過ごせたのだった。

ユビュ 知られざるルオーの素顔

汐留ミュージアムでルオー財団所蔵の「ユビュ」シリーズを堪能した。
初日に出かけたが、なかなか繁盛していた。
わたしはルオーの描くキリスト関係の作品はみんなニガテで逃げたくなるのだが、このユビュや「悪の華」などの挿絵関係はとても好きなのだった。
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元々はアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」から画商のヴォラールが「!!!」とキて二次創作し、それをルオーに挿絵依頼したものだそうだ。
何年前か、MIHO MUSEUMでなぜかそのユビュ王のシリーズを見た。
マジメなルオーがフザケた物語の挿絵を見るからに楽しそうに描いているのを感じた。
それでニガテなルオーもいいな、と思ったのだ。

何が流行するかしれたものではない、というのが人間社会だ。
ユビュ王が随分流行したことで、植民地のクレオール出身のヴォラールが「アフリカ版ユビュ王」を二次創作し、それでルオーがハマリにハマッたというのも面白い。
アフリカのプリミティヴな美に感銘を受けたのはモディリアーニだけではなかったということで、このシリーズにはアフリカな影響が随所に見受けられる。

版画集「ユビュおやじの再生」、および水彩画と油彩と資料。

色彩などはいかにもいつものルオー的なのだが、線が面白い。
ガチガチに塗り込められ、色と線に閉じ込められるように構築された世界から一転して、色彩は重く暗くとも、どこか軽やかな世界へ移る。
伸びやかな腕や足、その肢体が生み出すポーズ。
「滑稽で支離滅裂な極悪キャラ」たるユビュのさまざまな行動と、周囲のこれまたとんでもない人々の様子を描いたシリーズは、「物語」そのものに触れることを渇望させる。
独立したタブローではなく、挿絵であることが、いよいよ魅力を発揮している。

ここには画像がないが、非常に気に入った一枚がある。
「呪文」  ヤシの木の下の黒人たち。のけぞる肢体のバネの強さ、木なのか人なのかわからない様子。全然関係ないが「バナナ・ボート」のメロディがアタマの中に流れてきた。

それにしても色々と二次創作が続いている。
ソヴェート訪問ユビュおやじとか、なんとか。タンタンや弥次喜多もびっくりだろう。
黒人芸術への憧れが、フランス在住の芸術家たちにどれほど広がっていたかは知らないが、なんとなく楽しく感じるのは、この物語が徹頭徹尾メチャクチャ系だからかもしれない。

「選挙人さん」という題の絵がある。太った横顔で眼の辺りが黒い。なんとなく諸星大二郎の描く不気味な人物を思い出す。

ところでこの作品でタイトルやなんやかや、ルオーはドイツ語を使っていたそうだ。
それはドイツ語で書くことでドイツ文化を揶揄するためだ、という解説があった。
そうか、と思った。普仏戦争のナゴリなのだろう。

チラシは「マリココ」というタイトルだが何を意味するかは知らない。
なんとなくノミの王サマかクモの王サマに見える。

展覧会は6/13まで。

金沢文庫の絵画

横浜の金沢文庫に行った。
二年ほど前「金沢文庫の浮世絵」展チラシを手に入れて「行きたい」と思いつつ行けないままだった。
今回の展示は「金沢文庫の絵画」だった。
前後期展示変えがあり、先月末あたりから国宝の絵画が出始めた。
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チラシは十二神将の寅神。全身を彩る緑色、神々それぞれ違う色を持つ。ここには見あたらないが足下には眷属がいる。
目つきの鋭い神様。eye of the tigerという歌もあるくらいだし、トラはやっぱり強面系らしい。

国宝の絵画は執権の北条氏や金沢氏の肖像が多かった。
北条実時cam447-1.jpg
リアルな肖像だと思った。
目つきの鋭い僧形のヒト。口許にも意志の強さが現れている。眉の形も様式的ではない。
どことなく谷崎潤一郎を思わせる。
そんな風貌だった。

北条顕時  こちらも肖像画としておもしろい作品だった。やや上目遣いの、なんとなく皮肉屋な顔つき。性質が描きこまれているようだ。

金沢貞將cam447.jpg
こちらも個性のよく出た肖像画だった。
眉や目の感じが晩年の東千代之介に似ているようにも思えた。上畳の縁取りも綺麗な色を見せている。

天部絵巻をみると、美人が多い。伎芸天は花を持ち、弁財天は琵琶を弾く。
多手の胎蔵天がいる。常世長鳴鳥は彼女に見蕩れている。 
また別な弁才天がいて、こちらはに箜篌に似た楽器を弾いている。
子供まみれの天部がいる。やはりそれは訶利帝母。元の鬼子母神。
女児はおかっぱさんで、さらさらと線が走っている。

瑜祗塔図cam449.jpg
  どう見ても怪獣のような亀らしき生物がなにやら仏塔を乗せている。そこへ天人たちが飛んでくる。しかしこの絵、正直なところ、絵の大変上手な小学男児が描くそれとよく似ている。クラスに必ずいる怪獣絵の巧い男児の絵。

釈迦三尊図  萬暦とあるが恐らくは朝鮮のものらしき仏画。印象的な彩色。竹林に潜む童子も、獅子も、みんな可愛い。白梅が咲いていて、みんなが見ているのだった。

十五王図  罪人を責め立てようとするところへ仏が来られたので、皆さん起立してお出迎え。馬頭の持つ矛も先が蓮の花になったり、罪人の口から蓮茎が伸びたり。

見終えて一階へ降りようとすると、吹き抜け空間に巨大な和紙の照明がある。イサム・ノグチ風なやつ。つまりサントリー美術館でみかけた2M大のあれ。
大きさも同じかどうかは知らないが、なんとなくうれしい。
この展覧会は4/18まで。

茶 喫茶のたのしみ Tea

出光美術館の「茶 喫茶のたのしみ」を大いに味わった。
茶道具の展示と言えばお抹茶のそれを思うが、今回はお煎茶のお道具も集められていた。
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幕末頃、文人墨客の間に煎茶道ブームが起こったそうで、有名無名の職人の手による愛らしい茶具が今も多く残っている。
そして煎茶と言えば青木木米、名古屋の中村竹洞、山本梅逸らが思い出される。 
彼らは機嫌よく連座して煎茶を楽しみ、普及に努めたという。

実際その木米の拵えた急須や湯鑵が並んでいる。
高麗写荒磯文急須、色絵魚藻文煎茶碗、白泥煙霞幽賞涼炉・炉座などである。
そのうち涼炉は白地の胴の中にフルカラーの彩色がされて、そこで舞人の姿がある、という構成。
なかなか惹かれるものがある。
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煎茶に親しんだ木米がほっこりする姿を描いた作品がある。田能村竹田の「木米喫茶図」である。
チラシに採られたこの絵の周囲は白っぽかったが、チラシが茶葉色なのでてっきり実物もそうなのかと勝手に思いこんでいた。

その竹田を描いた絵もある。小杉放菴「竹田先生」 縁側に座った竹田が頼山陽愛用の急須を手にして幸せそうな微笑みを浮かべている。

この辺りの並べ方はとても居心地がいいと思う。
優しいつながりを感じるからだ。

養老勅使図  ううむ、茶やのぉて酒ですが。大昔、岐阜のある滝が(カミサマが)孝行息子をあわれんで?コトホいで?水を酒に変えて、という話があり、朝廷から勅使まで来たのだ。それを描いているが、しかしながらその酒がいつまで出ていたかは定かではない。その孝行息子のおやじが喜んで飲み続けて、それからいつまで生きれたかは、誰も知らないのだった。

喫茶というても日本ばかりの風習ではないから、諸国のtea道具が出ている。

明代の楽しそうな絵がある。蘇漢臣「売漿図」  移動式カフェの図。天秤棒で担ぐ茶道具一式を下ろして声をかければお客が集まってくる。母子もお茶を楽しみ、老人も若い人もいる。唐代や北宋や明代のように庶民の生活にも享楽の影が濃い時代は、なかなかおもしろい絵が多い。

水注と承盤のセットがいくつか出ている。
ポットとその保温器。中国のものは承盤がやや深いが、朝鮮のものはそうでもなさそうだった。
尤もここにあるものを見た限りなので、詳しいところはわからない。
高麗青磁の瓢型水注は非常に綺麗な色合いを見せていた。
わたしはこの世の青磁の中では11世紀から12世紀の高麗青磁が最も美しいと思う。

北宋の青白磁水注も綺麗な色だった。
釉薬が溜まったところが微妙な味わいを生み出している。

ほかにマイセン窯、ウースター窯の愛らしいティーカップがあった。外国向けの古伊万里のそれもある。

南宋の禾目天目茶碗は器の底へ向けて流星群がなだれ込んで行くように見えた。

邸内遊楽屏風  獅子舞ならぬ竜舞と花笠。店先の女と若衆がなまめかしい。道には盲人もいる。朱塗りの塀の外を行く騎馬の若衆もなまめかしく、その姿を見ると「少年行」を思い出す。白すぎる顔に長い髪の若衆。この女郎屋ではカルタをしたり舞ったり鼓をうったりして、おのおのが楽しんでいる。
奥座敷では茶の湯をして、亭主もまじめな顔をしているし、茶を立てる女も真顔である。
掛軸は白梅に小禽図。ちょっとした堅苦しささえあるくらいだ。
しかし二階では待機している女郎たちは寝そべったり、気楽にくつろいでいる。
左では建物の離れと池とが描かれている。
外からのぞく連中も描かれ、庭の鯉も元気そう。渡り廊下はちょっとしたくつろぎ場もあるので、そこでしゃべる者たちもいる。離れでは尺八演奏もしている。
まことに無為にして楽しげな場である。

乾山の色絵椿文四方向付が出ていた。以前から大好きなお皿。乾山ブランド。可愛くて仕方ない。欲しい、とツネヅネ思っている。

欲しいものならもう一つある。近衛家伝来の茶箱。cam446.jpg
螺鈿竹雀文籠地茶箱。雀たちの目つきちょっと凶悪だが、乱舞するのが可愛い。

仁清の鶉香合もあったが、どうしてこうも小さいものは愛らしいのだろう・・・cam445-2.jpg

面白い文具もある。
端渓石の竜虎硯の海に水を注いだ状況をCGで再現していた。
白磁登竜筆洗も同様である。どちらも竜虎が浮かび上がったりして立体感が生まれるのだった。こうしたお遊びは本当にいい。

浦上玉堂の拵えたお琴にもびっくりした。飴黒光りしている。
どんな音色なのだろうか。
季節柄「春の海」でも聴きたいところだった。

見終えた後、皇居を眺める休憩室で冷たいお煎茶をいただいた。
気持ちよくって二杯もいただいた。ありがとう、出光美術館。

安田靫彦 花を愛でる心

二ユーオータニ美術館の安田靫彦展に行った。cam444.jpg

院展の三羽がらすと謳われた安田は多くの名作を残して四十年ほど前に亡くなっている。
ここでは一番旧い絵でも明治末から大正初期の「紅葉の賀」があるくらいで、後は昭和期の作品が多く出ていた。
タイトルの副題が「花を愛でる心」ということで、花を描いたものが並んでいる。

紅葉の賀  平安貴族らしいふっくらした貴人が船に乗る。侍童も穏やかな笑みを浮かべている。のどかなある秋の日。
画面は縦長のもので、頭上の紅葉を見上げる人々と櫂の行方がよくわかる。

羅浮仙  大正ロマンは挿し絵の世界ばかりではない。この時代の美人画は清方、松園といった大家をはじめ、多くの作家が甘く夢見るようなまなざし・口許の美人を描いている。
梅の精たる羅浮仙もまた、ふっくら唇を笑ませたとろけるような目つきの美人として描かれている。
白梅は空間を埋め尽くすように咲き乱れ、清艶な匂いがこちらにまで届くようだった。
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阿呼詠詩  あこ・えいし。あことは菅原道真公の幼名。幼いうちから詩の天才を発揮したという伝承がある。
東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・・と詠んだのは後年だが、この幼い天神様も梅の下にいる。
ふっくらした愛らしさの中に、静かな知性が見える子供だった。

生成  これは川端康成と安田靫彦展の最後に展示されていた。深いときめきを呼び起こす作品だと思った。ナマナリとは何を意味するのか。能面のそれとは無論意味も違うだろう。生成する、という動詞での言葉でもない。
調べれば答えが出るかもしれないが、わからないまま、この美しい絵を愛し続けるのもいいように思う。
大和し美し―川端康成と安田靫彦大和し美し―川端康成と安田靫彦
(2008/09)



菊慈童  これまで数多くの菊慈童を見てきたが、靫彦の菊慈童は幼年の姿を採っている。
頭頂の左右に丸く可愛いお団子を結び、さらさらとした垂髪はふくよかな頬を翳める。
こどもの手には菊の葉がある。その立つ周囲にはキレイに植えられた菊の列が続いている。

女楽の人々  琵琶と竪琴を持つ古代の女人たち。もっと言えば月琴と箜篌とを持っている。くご、と言う古代の楽器。ビルマの竪琴にも似ているといつも思う。
そのくごを再現したものを見たことがある。音色はわからない。
この箜篌を持つ女人の絵は、青木繁「享楽」藤島武二「天平時代」吉川霊華「箜篌」などがある。いずれもすばらしい名作だと思う。

歴史画の次に花木が現われる。

高麗の扁壷や唐津の瓶に、投げ入れるような仕草で納められた花がある。
豪華に装わせられた花と花器ではなく、凛とした風情の漂う一輪の花が、つつましくそこにある。
思えば西洋の画にはこうした作品はないのではないか。
静物画の花は豪奢であることを義務付けられ、一輪だけがさりげなく挿されている状況と言うのは、描く側も見る側も、その存在自体を考えなかったのではなかろうか。
これは日本独特の精神から生み出された美意識だと思った。

靫彦は実際いけばなを好まず、大仰な花を求めなかった。
野の花が好きだという性質がまた、とても好ましく思う。
それがそのまま作品に活きているから。

梅を愛した、というのは以前から予測していた。
ここにある紅梅や白梅の美しいものを見ただけでも、作者の心模様がみてとれそうだ。
桜は梅のように幹そのもののおもしろさがない、という理由から花のアップばかりを描いている。山桜が好きで、それを全体でなく細部だけ描く。
自分の好ましく思うものだけを描いた人だ、と改めて感じた。

靫彦の弟子に小倉遊亀がいる。彼女の梅を描いた作品に、他を圧して全き美を顕したものがある。李朝時代の白磁の壷に紅梅を生けたものである。白磁の肌がしっとりと汗をかいているようにすら見える逸品。
今、靫彦の梅を見ながら、弟子の作品にそうした素晴らしい名品があることを、とても幸せに思える。

写生画の展示があるがそれらは全て川崎市民ミュージアム所蔵品である。
以前そこを訪れたとき見た作品が多く出ていて嬉しかった。
実に様々な花や野菜が描かれている。
昭和24年5月のチューリップなどは以前からスカーフに欲しいような作品だと思っている。

紫陽花もきれいだった。しかしながら紫陽花は清方や御舟に絶品がある。
花では梅とチューリップこそが靫彦作品でなくては、という味わいがあるように思う。

芍薬を見ていると、あの重たげな花びらの集まりをそっと両の掌で包んでみたいと思った。
肺の隅々にまで流れるような芳香。芍薬の美の前に、様々な記憶が湧き起こってくる。

何度も行きつ戻りつしては安田靫彦の世界を楽しんだ。展覧会は4/18まで。


佐伯祐三 下落合の風景

佐伯祐三は大阪で生まれ、東京に住み、パリで死んだ。
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これまで多くの展覧会が開かれてきたが、佐伯のアトリエがあった下落合の風景ばかりを集めた展覧会と言うのはなかったと思う。
「佐伯のパリ」展なら何度もあった。見るたびに微かに胸が痛んだ。
芸術家の運命と言うものを思う。作品に全てを捧げて燃え尽きる魂と肉体を想う。
実際、佐伯の描いたパリ風景の前に立つと、夭折する画家と言うのはこんなにもいい絵を描いてしまうのか、と嘆息する。
パリの街角を描いた筆致の激しさと、その地での傷ましい死を思うと、佐伯はヴラマンクによって「生き急ぎの道」へ蹴り込まれた・・・と言う気がしてならない。
しかし佐伯の描く日本風景はどことなくのんびりしている。

日本が急激な近代国家への道を歩んだのは、佐伯が生まれたちょっと前の頃である。
そのちょっとの時間で都市部は急速な発展を遂げたが、それでも郊外の町は都市部ほどの過激な変容を見せず、柔らかな変化を徐々にみせていった。

チラシにある「下落合風景(テニス)」などはパリのカフェー風景とは遠く離れている。
その時代の新しい和風民家が絵の中央に鎮座ましましているが、どこか牧歌的である。
絵の右端には木柱の電信柱が立っているが、宮沢賢治ではないが月夜になったら独り言でも言いそうなとぼけた風情がある。

下落合風景(白い壁の家)  よく晴れていると言うよりむしろ、重たい空にすら見える下に、そんなにきれいでもなさそうな白い壁の家が見える。
この家は大正頃から生まれだした和洋折衷の「文化的な」新しい民家だと思う。
そうしてやっぱり電信柱が立っている。柱を挟んで左右に人がいるのも見える。
その時代のリアルな風景なのだ。
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佐伯はあんまりタイトルにこだわらなかったのか、「下落合風景」として1?13と言うように番号がついて、それがタイトルになっていた。
この中で特に気に入ったのは「9」である。
茶色い家と道の曲がり具合がたいへんよろしい。自分もこの道を前にしたらデジカメで撮るだろう、と思った。草がのんびり生えているのもいい。
そのとき係りの人が寄ってこられて、この絵の現在地図を示してくださった。
延寿東流公園とある。絵を離れてその名の由来について色々はなしあった。
そうした脱線もなかなか楽しい。
都市の風景画にはこうした楽しみがある。

パリ風景の絵が何枚か出ていたが、それらは以前の展覧会などで見たものか多かった。
写真と自画像とライフマスクとを見比べる。奥目のひとだなぁ、と改めて気づく。
愛娘や愛妻との楽しそうな情景がそこに生きている。

大きな柳行李の旅行鞄があった。トランク。これなら通気もするしいい感じだが、今ではもぉ見つけることがムツカシイだろう。佐伯の遺品というだけでなく、近代日本の遺品なのかもしれない。

佐伯は友達とも仲良く付き合っていたようで、イーゼルが展示されていたが、それは友人の曾宮一念にプレゼントしたものらしい。ソミヤと佐伯の手書きがある。
曾宮一念は大阪の画廊で見たり、鈴木信太郎の随筆などでヒトトナリを知ったりしたが、こうしたプレゼントをもらえる人だったのだと思うと、ヒトゴトながらなんとなく嬉しくもある。

他にさらさらと描かれた作品も並んでいたが、いずれも「働く人」あるいは「何かをしている」人の絵だった。
よく観ている、と思う絵が多かった。

作品数は少ないが、いい展覧会だった。なお4/28より佐伯のアトリエが公開されるそうだ。
展覧会は5/9まで。

四月の東京ハイカイ?

いよいよ最終日すなわち昨日。
東京駅のロッカーにコートからなにから納めて、上野へ。
科学博物館で「哺乳類」展を見る。
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朝イチなのに満員御礼。剥製よりやっぱりホネだぜホネ。
近年マジでホネ好きです。
しかし生命体というものは勝手なことをしてはいかんのだ、と考えさせられた。独裁はいかんのだ。ヒトが一番えらいわけでもなし。

恵比寿の駅前で老夫婦がうろうろしていたので「山種ですか、それならついてきてください」言いながら何を道しるべにして歩くかとかをエラソーに説明した。
なんせ私自身がマレな方向音痴だから、妙な自信がある。
歩く速度が違うので、私は先行したが、土牛を見ている最中にご夫婦がニコニコされてたので、安心した。
あの螺旋階段、なんの影響も受けずに歩ける方はエライと思う。

その螺旋階段を下りて一つ目の通りまで来たら、こっち曲がればガーデンプレイスみたいな表示があるので従う。
しかし駅経由で歩く歩道をダダダッと行くのとどっちが早いかわからんな。

真夏ぽいな。日焼けしそう。写真美に入る前に三越の地下でフォーと生春巻を食べる。
おいしかったが、具なしのフォーが食べたいと思う。

森村さんの「なにものかへのレクイエム」予想以上に時間をかけた。やっぱりよかった。兵庫にも来るが、待たずにこっちに来たのは正解だと思う。
しかし受付、ぐるっとパスの割引って知らないのかな。電卓も使いこなせないのは、爪が長すぎるからでしょうね。

出光へ。煎茶のお道具などを見ておりますと、こちらもお煎茶がいただきたくなるものです。皇居を眺めながら、冷たいお煎茶を二杯ばかりいただきました。

三菱に行ったが、これがスゴい人出で疲れきった。建物そのものはプレ展で楽しませてもらったから勝手は分かるがマネを見ると言うより、三菱一号館に掛けられたマネの作品を楽しむ、ということになっておるな。

そこからブリヂストンへ行く予定が疲労のピークが来てアウト。お茶でもいただきたいと思ったもののどこもかしこもヒトでいっぱい。
このどこが不況なのか、不景気なのか。

いろいろ考えた末、ロッカーへ荷物を取りにゆき、羽田へ向かう。御浜御殿の跡地の庭園の桜を見下ろしながら。

羽田にはいいカフェがないのを忘れていた。
それでとりあえずお菓子を買いに行くと、目黒ベルンの売り子さんが親切にしてくれたし、試食もおいしかったのでここのプチケーキを購入した。それをおやつにしようと思ったが、結局食べずに持ち帰る。

四月の東京ハイカイはここで終わり。来月は5/1?5/4首都圏潜伏。

四月の東京ハイカイ?

翌日は先月行き損ねた金沢文庫へGO!気持ちよく寝てる間に着きましたよ。
ここは清方の別荘があったところとしてわたしの中には記憶されておるのです。
桜だけでなく、桃もきれいし木蓮もいい。山吹は一重が多かった。
称名寺は高名だけど、そちらはいつかに回して、金沢文庫だけで遊ぶ。
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過去展覧会図録に「金沢文庫の浮世絵」があり、二年前行き損ねたことを思い出し、コブシを握ってしまった。
なにしろこの図録の中身から言うたら、たいへん面白そうだったから。
ああ、オノレの行動力のなさを羞じるぜ。

関内へ向かうのに色んなルートが考えられたけれど、やっぱり京急で横浜へ戻り、そこから関内へ出た。
彩色立面図の後期を見に神奈川県立歴史博物館へ。
今回もかなり感銘を受けた。なんでこんなに面白いのだろう、ああ楽しい。

次は大森へ。
品川歴史館というところで品川辺りを舞台にした浮世絵を集めた展覧会を見るのだ。
こういうハタもある。IMGP7777.jpg無料です。

鈴ケ森の場の立版古の拡大版が出迎えてくれた。嬉しいねぇ。
わたしは浮世絵の芸術性より、浮世絵で楽しむキモチの方が好きだな。
幕末の浮世絵で大いに楽しむ。でも図録がないのが惜しい。
国芳の「荷宝蔵」シリーズも出ていた。それにやっぱり国貞ですね。
「お若ぇの、ア お待ちなせぇ」幡随院長兵衛?!!
「南無妙法蓮華経」の供養塔は今もあるそうな。

常設も品川宿のミニチュアジオラマを拵えたり、土蔵相模の資料や大森貝塚のモース先生資料とか色々あって、楽しい。そうそう、土蔵相模と言うと「幕末太陽傳」を思い出す。川島雄三には随分ハマッた時期がある。今も好き。

区立の歴史博物館や資料館というのは、侮れんものです。
お庭には立派な茶室も移築されているし、水琴窟もあった。
キンキンコロコロといい音がしたが、ちょっと物足りない。
文京、新宿、港区、千代田区四番町、渋谷白井記念、そしてここ品川。
みんなとてもいい感じです。もっと宣伝したらええのに、奥ゆかしいというか・・・
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この日から始まった汐留ミュージアムの「ルオー ユビュおやじ」展を見た。
ユビュおやじのシリーズものを集めた作品展はなかなかないらしい。数年前にMIHOか佐川で見たのはユビュおやじの再生だったっけ。

六本木一丁目から大倉集古館へ向かって歩くと、私服警官が何人かいて、こちらをチラチラ見ている。
道を曲がった途端、制服が飛んできた。
わたしは白いスプリングコートに黒系のサングラスでカッカッカッと歩いていたので、ちょっとコワイ人に見えてるかもしれないが、職質うけるイワレはないぞと思っていたら、「すみません、少しお待ちください、今から皇后さまのお車が」
おおおーっそうなんや!カメラ構えてもいいですかー「いや、もう時間的に無理かも」とかなんとか言ううちに、わたしの目の前を立派なお車がゴーッ。あっっっ一瞬横顔が。
あーなんかラッキーというか嬉しいというか。
おまわりさんが「すみませんでした」と言うのへついつい「イヤ?めっちゃ嬉しいーっ教えてくれてありがとうっ」
少し離れていた私服もなんとなくホホエンでおったなぁ。

大倉もいい心持ちで眺めて、九段下へ。千鳥ヶ淵の桜がきれいわー。
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昭和館で新版画を見る。巴水、紫浪、小泉、織田らのいいのを見たが、それが無料なのがすごい。
大きなたまねぎ、か。IMGP7790.jpg

江戸博でモンゴルを見る。いろんな族があるのでそれごとの違いがあるが、解説が細かいのでわかりやすかった。パオも持ってきてたし、鹿角の玉座とか馬頭琴もあり、これは千里の民博こそが展示すべきものだなと思ったり。(巡回あるんかしら)
それにしても「スーホの白い馬」・・・赤羽末吉さん?
馬頭琴の音色も聴けたが、雄大な中に悲しいような繊細さがある。

夜の庭園美術館へ。
夜桜の艶容を楽しむ。IMGP7799.jpg
シダも若いのが出ていて可愛い。
以前も撮影に根性入ったが、今回も気合いみなぎったなー。楽しくて仕方ない。本当にいい気持ちですな。

しかしその後がちょっとよくないので、それはパス。
浅草に行きたかったが行けず、墨堤の桜も見れず。
金沢文庫の桜IMGP7786.jpg

四月の東京ハイカイ?

四月の2週目に東京ハイカイでは、葉桜がフツーですが、今回はおかげで行く先々で花見を楽しみましたなー。
いきなり府中へ向かう。今回は東府中から歩く。サンドイッチとか買うたので、公園でいただくのだ。
ああ、桜並木。IMGP7745.jpg
日本画にこんな絵もあった。花吹雪はさすがにわたしの腕では撮れない。
花の下のベンチでランチ。少し離れた先でどうやら太棹の演奏する人がある。
わたしは小唄端唄長唄清元より、文楽に使う太棹や津軽三味線の音色が好き。
ジャラジャラとええ気分で聴いた。
やっぱり花の下では筝曲や三味線などがいい。

府中市美術館の国芳たのしみに来た。
ポスターがまずエエよね。IMGP7748.jpg
ところがいきなりザセツがきた。
図録完売。13日以降に第二刷があるとか。前払い予約する。ちょっと泣けた。
展覧会の個々の感想は後日しつこく書き綴る。
常設の牛島ののんびりしたシュールな世界、司馬江漢らのちょっとフシギな世界もいい感じで楽しんでたら、赤瀬川原平さんの千円札があった。
これは実物を見たのは初めて。たしか裁判で負けはったはずなり。
ううむ、なんとなくコーフンする。

新宿まで戻り、久しぶりに新宿歴史博物館へ行く。
街路樹に桃花。いいねぇ。IMGP7749.jpg

佐伯を見る。見るの無理かと思ってたが、なんとかなったのだ。
しかしここはかつて企画展が無料で常設が有料と言う不思議なシステムを採っていたが、今回は全て有料だった。
大正から昭和初期の文化的生活が大好きなので、そのモデルルームにあがる。丁度三月三日ということで、ばら寿司とハマグリお吸い物、タケノコの炊いたのがちゃぶ台に出ていた。
ラジオからは広沢虎造の森の石松が流れる。
わたしが虎造ファンになったのは、ここで聴いたのと、中村勘九郎(当時)の石松ドラマでずーっと聴いたから。
それで今やCDを揃えるくらいだから、相当キてますわな。

ほんで四谷から赤坂見附のニューオータニへ出て、安田靫彦展を見る。やっぱり日本画はいいなぁとつくづく思う。
そこからサントリーで和ガラスを見に行ったが、こちらのそれは上等なものが多かった。
アルフィーの坂崎幸之助さんは和ガラスコレクターで、以前スゴイコレクションを見たことがある。
なんだかそれも懐かしい。
ミッドタウンの地下でフォーと生春巻を食べてから、竹橋へ向かう。

近美の竹喬展、盛況と聞いていたが最終日前の金曜は見やすい感じだった。
大阪で見たときとは雰囲気が違う。囁きの内容も違う。
「あー、これ去年のカレンダーやわ」というような声はなく、皆さんシンシにご覧になってる感じ。
前後期の入れ替えで大阪で見損ねた分を見れてよかった。
どう見てもピカチューにしか見えない「残雪」もあった。

常設では須田國太郎とアジェがあり、喜んで眺めた。須田の鷲はかっこいいより、むしろ可愛いように思う。
鷲の顔のアップIMGP7760.jpg
・・・迫力あるな。ごめんなさい、スダせんせ。

他にお気に入りはこんなところ。
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中村貞以と吉川霊華
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お隣の国立公文書館では「御家人の生活」展してたが、タイムアウト。ザンネン。
展覧会は終わったけど夜桜見物といく。
工芸館への道なりに枝垂桜のいいのがあり、前からファンなので見れてよかった。
なんともいえず妖艶。IMGP7775.jpg

井上ひさし追悼

東京からの帰途のなかで井上ひさしの死去を知った。
TV画面には元気だった頃の井上の姿や彼の近親者、つきあいの深かった人の悲しみのコメントが流れていた。
75歳か。ちょっと早いではないか。病死だとニュースは言った。
遅筆堂だと自称するくらい原稿があがるのが遅い人だったから、あの世に行くのももう少し遅れてもよかったのに。

ごく小さい頃から井上ひさしの名を知っていた。作品にもふれていた。
尤もその頃は自分で井上作品を選んでいたわけではない。
井上ひさしの本業は小説と戯曲をコシラエルことだったが、そこから他の分野にも走り込んで、素晴らしい作品を数多く生み出してくれた。
私の生まれる前から放送していた「ひょっこりひょうたん島」を筆頭に、ナンセンスさに満ち満ちていたアニメ「アンデルセン物語」「花のピュンピュン丸」などは井上の脚本も多かったそうだ。
それらを意識せずに見ていて、なんとなく井上ひさしは子供の頃から知るヒトとなっていたのだ。

家にも井上ひさしの本が何冊もあった。
「おれたちと大砲」「合牢者」「手鎖心中」などである。
親は井上ひさしを読めと勧めた。

ちょうど小学三年生の頃か、家でとっている新聞で井上の連載小説が始まった。
「百年戦争」である。
この小説はどういうわけか随分長く単行本化されなかった。
(’94年講談社文庫として、全体を書き直しされての、書き下ろし化出版)
わたしは愛読していたので本がほしかった。
子供のことだからどうやったら手にはいるのか全くわからず、それでもどうにかその本が手に入ればと願い続けていた。
本屋に行っても図書館に行ってもないし、まさか出版されていないとは思いもせずに、二十年ばかり待ち続けた。
待つのは慣れている。
わたしは子供の頃から短気だが、本が手元に入るのをずっと待ったり、見たいものが見れることになる日をずっと待ったりするのは、苦手ではない。
いつか必ずそれはわたしの手元に来る、そう確信して生きているから、待つことが出来るのだ。

それにしても「百年戦争」は本当に長く待った。待ったがその間ずっと物語のあらすじやちょっとした台詞、中に出る言葉遊びの歌、ラストシーンなどは忘れなかった。
「百年戦争」は猫とネズミの戦い(にこと寄せてのカミガミwars)の物語で、キャラがなかなか魅力的だった。特に名前がひどく良かった。
黒猫で足だけ白いのがタビスケ、三毛猫はミケランジェロ、他に猫目姫もいた。
丁度その頃コマーシャルで「あんたが大将」というのがあり、それを取り入れていて、「あんたが○○ わしが▲▲ あんたが×× わしが□□・・・」これが延々と続くのだった。
井上文学に活きるナンセンスさの発露に大ウケしたものだった。

「百年戦争」にハマッたまま二年後に、耳鼻科の待合室で文芸雑誌を開いた。
「十二人の手紙」が掲載されていた。
小学五年のときだった。こちらは数ヵ月後に単行本化され、新聞広告に載っていたので、図書館で読んだ。重い物語が何本かあり、小学生が読むべきではないな、とそのとき思ったので、購入は見合わせた。好きなエピソードは、自分の頭が覚えているからそれでいい、と思った。
わたしは殆どの場合、本は読んでからでないと買わないのだ。

中学の頃からか、リアルタイムに連載を読むことはなくなったが、新刊が出るたびに評判になるので、結構なことだとなんとなく応援していた。
そのまま長く歳月が過ぎ、とうとうどこかへ飛んでいってしまった。

ある時期から、井上ひさしの真髄は小説ではなく戯曲にあるのではないかと思うようになった。
「薮原検校」「雨」「たいこどんどん」などを読むと、やはりそうだと思う。
台詞が全て活きている。
というより、活きた台詞以外ないくらい、完璧で、そして途轍もなく面白い。
実際に見た中で「薮原検校」がいちばん堪えた。
演出にもよるのだろうが、やはり面白かった。
面白く、そしてどうしようもなく哀しかった。
悪党の最期に、国家の冷酷さ、そうでなければ生きられない苦しさ、そうであっても死んでゆくみじめさ、・・・様々な何かが突きつけられてきた。

わたしはあんまり戯曲を読まない。
秋元松代と井上ひさしと鶴屋南北、河竹黙阿弥のそれだけは読む。
もう誰も新作がないのだなぁ、と改めて思った。

ご冥福を祈るしかない・・・・・・

伏見の花々

昨日の続編。伏見で見た花々をあげてみる。
中には全く名前を知らない花もあった。

IMGP7686.jpg伏見桃山幼稚園内の桃。天へ向かって咲く。

御香宮の椿2種。IMGP7694.jpg  IMGP7697.jpg
どちらも可愛らしい。

IMGP7708.jpg枝垂れと郷桜の競艶。
花自体が大きい。IMGP7707.jpg

桃が外へ。IMGP7716.jpg

IMGP7710.jpg天と花。
古代を想起させる。IMGP7712.jpg

黄桜酒造記念館へ。
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「黄桜」名の由来の黄色い桜・御衣黄。今年の造幣局通り抜けにも。

お酒は人を酔わせ、この花は馬を酔わせる・・・
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寺田屋の椿。IMGP7741.jpg

土手に咲く赤い葉。IMGP7739.jpg
名を知らない植物。なんという名前なのだろうか。

伏見の花を楽しんだ。





  

伏見を歩く

このブログを始めたのは2005年4/14だった。伏見に行ったことを書いている。
あれから五年たち、五年ぶりにわたしは伏見へ行った。
行った先は全く同じ地で、かんそうもまったく一緒だった。
感動が変わることなくそこにあるのか、わたしがちーーーっとも成長していないのか。
それで今回は感想はなしで、五年前にはなかった画像を入れて伏見再訪の記事を挙げる。
過去記事はこちら

IMGP7687.jpg伏見桃山聖公会教会 IMGP7688.jpg鳩とオリーブの瓦
内部のトラス屋根も素敵。宮大工の技術。
IMGP7679.jpg

お隣の御香宮。IMGP7698.jpg派手で明るい。
IMGP7701.jpgア??な獅子。
本殿の虎。IMGP7700.jpg

IMGP7724.jpg酒蔵の影

長建寺の(たぶん)猪。IMGP7735.jpg

IMGP7742.jpg龍馬ブームは長いぜよ。

IMGP7738.jpgその下の川を船が行く。

寺田屋そばの民家。ほんのり和洋折衷IMGP7744.jpg

春の伏見を満喫した。

中山太陽堂の白粉展

大阪の大動脈は御堂筋である。大阪は南北の道は筋、東西は通りと呼びならわされている。
企業の多い本町を貫く通りに本町通と中央大通があり、その中央大通と、御堂筋から西へ向いて大きい筋を一つ二つこえてあみだ池筋と交差するあたりに、クラブコスメチックスの社屋がある。ここらは地下鉄で言えば中央線の阿波座駅1出口か2出口が近い。阿波座は千日前線もあるので間違えると「ココハドコ?」になりやすい。
さてそのクラブコスメチックスは昔「中山太陽堂」と名乗っていた。大正末から昭和初期に人気のあったプラトン社という出版社もこの中山太陽堂を母体とし、化粧文化のみならず、出版文化面にも大きな足跡を残している。

明治からずっと化粧品を拵え、そして素敵な宣伝広告を打ってきた会社。
その資料室が、久しぶりに再開している。
既に四回ばかり企画展が春秋二期の平日に行われている。
今回はクラブ白粉の展覧会だった。
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私の母に聞くと、祖母は当初ヘレナ・ルビンシュタインを愛用していたが、いつからかクラブ白粉、クラブ美身クリーム、クラブ化粧水を使いだしていたそうだ。
歯磨きはクラブのかライオンのかと聞いたら、ライオンだったそうだが。
双美人の絵がついた化粧品が、この会社の商品だ。

入ると店先に設置する用のガラスケースがあった。ちょっとアールヌーヴォー風な意匠のそれは、クラブコスメの壜を置くためのものだった。

面白い広告がある。
「美人になる近道・・・お化粧鉄道図解」 ううむううむううむ。
双六と電車路線図とはある意味、似たところがあるが、どちらも宣伝に使えるものだと教えられた。

東郷青児が入社して意匠を担当した白粉ケースがあった。金髪美人のきれいな絵。
また、北野恒富のポスターが二種あった。
明治末のものは、元禄美人。クラブ歯磨。
昭和三年のものは、耳隠しといわれる髪形をした、薄紅色に鳳凰の着物の女。
どちらも魅力的。
一方和装でもアールデコ風のポスターもある。

そして昭和初期の新聞広告も色々展示されていたが、そのうちの大正六年11/22のその記事には小杉天外の連載小説「七色珊瑚」が掲載されていて、挿絵は池田輝方・蕉園カップルのものだった。読んでみるとなかなか面白い。

他に都をどりや名古屋おどりのリーフレットにも宣伝を出していた。
しかし何と言うても一番面白かったのは、昔のスター坂東好太郎が演じる「クラブ双六」の青年Aくん。カラーではなくて、なにやら明治の頃の手彩色写真風な撮り方の双六は物語形式になっていた。
チビの頃はクラブ歯磨きで歯を磨き、学生時代はラグビーで鍛えたAくんだが、大学は出たけれど就活に失敗。理由がわからず落ち込むA君がある日開いた新聞にはクラブコスメの宣伝が。そこにはスター「坂東好太郎」のニコッとした素敵な写真があり、彼はクラブコスメの愛用者だとA君は知り、自分も同じように整えてみたところ、見事就職できました。やがて先輩の紹介でB子さんを知って仲良くするが、ある日芸妓アイコに惹かれてしまう。美麗な化粧でにっこり笑うアイコと地味なB子。悩むA君。
一方B子もまたA君が何故自分に会ってくれないか悩むが、あるとき彼の手紙と小包が届く。中にはクラブコスメのお化粧品一式が!そしてB子は日々化粧に精進し、ついにA君の心も復活し、二人はやがてゴールイン・・・・・・・!
昭和九年っていい時代だなぁ(笑)。

楽しい気分で資料室を出た。

堀文子 いつくしむ命

御影の香雪美術館では堀文子展が開催されている。
この人の作品は十年くらい前にカレンダーで花の絵を見て、それでいっぺんに好きになった。わたしは椿が特別好きなので、椿の絵がみごとな人だと、それだけで好きになるのだ。

雑誌「サライ」に「命といふもの」という画文シリーズを数年にわたって連載しているが、その原画も40点近く並んでいた。
ここに描かれているのは大仰な花ではなく、すぐ手元に咲くような植物や、季節の野菜などである。

たとえば「スイカ」がある。スイカは多くの人の好む夏の帝王である。
そのスイカが堀の手で切られ、断面を鮮やかに見せている。そしてスイカはその甘みを、今度は堀の手で描き出されている。
見る私は夏を思って生唾を飲むばかりになる。

「ゆうすげ」を見たとき、画家と同姓の作家・堀辰雄を思った。彼と詩人・立原道造のことを。

絵そのものは淡々と描き出されているが、画文集として後に世に送り出されるこのシリーズを見ていると、絵に自分の心や思いが反映されてゆく。
元は堀文子個人のモノローグから始まったシリーズだろうが、眺めるうちに自身の思いを投影させられてしまう。このシリーズにはそんな力があった。

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三年ほど前、高島屋で堀文子の展覧会を見て、猫がいっぱい暴れまくっている絵を見た。
わたしはおとなしそうな猫より暴れんぼ将軍のようなヤツラが好きなので、こういう猫のワイワイしたような絵が大好きだ。

月と猫  随分大きな猫だった。虎猫と言うより茶系のゲジ柄というのか、立ち上がって木の枝を持ってこっちを見る眼など、人の親指くらいある。
向こうに緑色の満月がある。ありえない色の月だが、もしかすると猫がその手で掴む枝の先に緑色の絵の具がついていて、それで月をあんな色に塗り替えたのかもしれない。
一仕事終わってホッとしたところへ堀文子の目撃があった。
60年前の猫、何をしてるかしれたものではない。

堀文子が創造美術(現・創画会)の一員だった、ということは深く納得できる。
五十年ほどの間、その場にあって作品を生み出し続けていたというのはえらいと思う。
戦後の日本画の団体にあっては、この創画会がわたしは一番好ましい。
というより、とても好きな作家が創画会には多く所属していたからだ。

魔王の館  灰色と黒とで構成された世界。誰もが気づけぬほどに大きな鳥の背の上に、その魔王の館は聳え立っている。鳥の足は画面に描かれてはいないが、必ずそうに違いない。そしてその世界は魔王に支配されている。魔王は鳥に命じて大地を飛び立つことも出来るがそうはしない。鳥の羽ばたきは嵐を起こし、鳴き声は大地を引き裂くからだ。
いつでもそれを魔王はしてのけることが出来るのだ。
・・・・・・絵の前で物語はいくつもの枝葉を広げ続けてゆく。

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チケットにも採られた「ケツァール」は色鮮やかな鳥の姿を見せている。
インカ文明に惹かれた堀の歓びが、これらインカのシリーズから伝わってくる。
わたしは花の名前も色の名前もあまり知らないが、この鳥の頭や羽の青っぽい緑色は、何と言う色なのだろうか。嘴とツメが金色の愛らしい鳥よ。

青い鳥を運ぶブルカの女  これは以前からとても惹かれた作品で、現実の絵ではないと思っている。やなぎみわの「寓話」シリーズとも一脈通じるような味わいがある。
不思議な魅力に満ちた絵。

他にも多くの名品が揃っている。展覧会は5/5まで。

船をとりまくアールデコ/豪華客船のインテリア画

昨日に続き、本日も横浜で見た二つの展覧会の感想を。

「船をとりまくアールデコ」というタイトルは魅力的だ。
日本郵船というだけでもときめくのに、そこで「アールデコ」と来れば、これはもう流線型のキラメキだ。そのキラメキがわたしの胸を何筋も貫き去ってゆく。
現実には海にも船にも無縁なわたしは、「日本郵船」「商船三井」、そして「三菱長崎造船所」という文字を見ただけで勝手な妄想に飛んで行ってしまう。
ああ、ステキステキステキステキ・・・!
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横浜にある日本郵船博物館は以前からとても好きな博物館だが、その空間に入っただけで既に陸を離れた心持になる。
陸とは地や土のことではなく、自分の現実と言うものかもしれない。
「光彩陸離」という言葉がある。
意味は1 光が入り乱れて、美しくきらめくさま。2 物事が、他を圧してすばらしいさま。
1の場合のイメージは宙空でのきらめきをわたしは想うが、光の奔る先が海であってもおかしくはないのだ。
勝手な解釈をしながら、わたしは船を行くのだ。

カッサンドルのポスター「ノルマンディー号」がある。本当にカッコイイ。
どこへなと連れて行ってもらえそうな気がする。海を渡るどころか陸に着かず、そのまま宇宙へも行けそうだ。

グラフィックデザイナーの里美宗次もカッサンドルの影響バリバリに受けたポスターを拵えているが、それよりも彼はやっぱり日本郵船のロゴ「NYK」を使ったコケシ形キャラのポスターがいい。

アールデコの時代、婦人たちの社会進出がある。展示は船のインテリアのみならず、彼女たちのドレスなどもある。子供用の小さなバッグもキラキラしている。
アールデコは煌きの時代なのだ。
アールヌーヴォーに動きはないが、アールデコはパシッパシッと音が時折聞こえるくらい、走っている。
船は速度を大切にする。
アールデコで飾られるのは当然なのだ。

船上でくつろぐ日本人一家の写真がある。みんなその当時の最先端の洋装で、機嫌よく笑っている。実際にカクテルドレスが展示されているが、それはこの写真のひとの大切な思い出だという。
今もお孫さんがそのカクテルドレスを受け継いでいる、という解説を読んで嬉しくなった。

氷川丸のアールデコ特集もたいへん良かった。
マルク・シモンによるデザイン。彼は先行する秩父丸のデザインも行っていた。
他に中村順平のデザインも展示されている。大阪歴博でも見たから、懐かしくなった。
この後に横浜みなと博物館で「豪華客船のインテリア」展を見るのがますます楽しみになってくる。

しかし浮かれているばかりではなかった。
以前からこの日本郵船博物館に来ると、深いせつなさに掴まれてしまうが、それでも来ずにはいられない。
豪華客船として建造された、和の名前を持つ優美な船たちの墓碑がある。
いずれも戦争に駆り出され、どこかの海域に沈んでしまった。
すべての美しい夢は海底に眠るまま。
船の名前と沈んだ海域と月日が書き込まれた碑を見るのは、つらい。
つらいが見ずにはいられず、一つ一つの名を追うては、せつなさが満ち満ちる。

その日わたしがその前にさしかかると、少年が熱心に眺めていた。
眼の動きから彼もまたわたしと同じように、一つ一つの船の名と沈んだ海域とその命日を追っているのを知った。
わたしは会葬者に目礼をするような心持で、その場を静かに去った。

受付でいただいた銀色のコインでジュースを飲む。
この博物館のサービス。いいキモチで一休みしてから、わたしは次へ向かう。
ここから徒歩10分ほど先の「横浜みなと博物館」へ。

帆船日本丸の前に面白い形をした建物があり、それが横浜みなと博物館だという。
豪華客船のインテリア画を集めた展示が、奥の企画室で開催されている。
わたしはここへ来たのは初めてなので、常設展からゆっくり眺めた。

船と無縁ではあるが、船の出る本や映画は好きなので、一人で機嫌よく見て回った。
バーチャル舵取りコーナーがあった。電車でGO!の船版。
勧められて舵を取った。船は大桟橋から横浜の港をくるっと廻るだけのコースなのだが、これがムツカシイ。いや、他の人は知らない。
わたしはアカンのだ。
「きゃっギャッきぅっっ」とか奇声を上げながら舵を切って、とうとう岸壁に衝突。
他にお客もいてなかったのと、あまりのデキの悪さに気の毒になったか、係りの人がオススメくださり、もう一回やった。
まぁニンゲン、ゲーム出来るヒトとそうでないヒトとの落差は、日本海溝くらいのものさ。

横浜の開港資料もあり、楽しくなった。やっぱり大和和紀「ヨコハマ物語」の読者ですもの、アタマに浮かぶのはあの世界。
ヨコハマ物語(4) (講談社漫画文庫)ヨコハマ物語(4) (講談社漫画文庫)
(1996/04/11)
大和 和紀



さていよいよ「船のインテリア」
かつての豪華客船建造の時代、様々な建築家やデザイナーが腕をふるった美麗な空間。
汐留ミュージアム「村野藤吾展」のときには彼がデザインした船のCG映像が、マーラーの音楽とともに現れた。
そしてそれは船へのレクイエムでもあったが。
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入るとすぐにシャドウボックス風の巨大立版古があった。
つまりデザイン画を拡大コピーして、それを立たせているのだ。
そしてイスなどは実物を使っていて、ちょっとしたジオラマになっている。

実に充実した展示だった。
いちいち書いてゆくことが出来ないくらい、たくさん出ている。
デザインについても面白い流れがある。
初期つまり明治初-明治末は「輸入」の時代、大正-昭和初期は「輸入・模倣期」、そして昭和十年代の黄金期は自立して、製作・施工を日本人の手で行っている。
当然のことかもしれないが、これは建築の世界と足並みを揃えている。

明治初期のお雇い外国人の時代、日本が自前で生み出した建築家第一世代は如何に西洋と等しい建物を作れるかどうかが眼目となり、大正期から活躍しだす第二世代は和を再発見する。そして第三世代はそこから更に新しい道を開いた。

納得できる流れである。
それはともかく、初期の天洋丸はイギリス製のデザインでアールヌーヴォーを採用していた。浅間丸はジョージア様式でまとめられている。
そして中村順平がデザインした新田丸やぶらぢる丸は、和の美も採り入れられていた。

秩父丸は桑港便であり、乗客の多数は欧米人であった。言い直すと一等船客は外国人であり、それ以下に日本人が乗船した。
発注を受けた横浜船渠の努力についての一文を読むと、この仕事がいかに大事なものかが伝わってくる。「大プロジェクトであった」その通りだ、まったく。
だからこの秩父丸の資料展示が、場内の大半を占めているのも当然だった。

多くの会社が競作している。マルク・シモン社、ヒートン・タブ社、高島屋、横浜船渠によるデザインもある。そして使用されなかったデザイン画も展示されているので、その見ごたえのあることには、うなるばかりだ。
折上げ格天井のあるベランダなど他で見たこともない。ただただ豪華だった。

そして現存する氷川丸のコーナーが来る。
フランス直輸入のアールデコと謳われるように、この船の内装はマルク・シモン社がほぼ全域を占めている。
特別室は川島織物が手がけているが、それは古写真しか残されていなかった。

やがて現代の明るい豪華客船が現われた。
わたしはせいぜい神戸湾をクルーズするルミナス神戸に乗ったくらいだが、母の知人は飛鳥2という豪華客船で遊びに行って、わたしにデンマーク製のボールペンとノートのお土産をくれた。なぜデンマーク製なのかがいまだにナゾなのだが。

それにしてもいいものを見せてもらった。思い出すと目がチカチカする。
この「豪華客船インテリア画展」は4/11まで、「船をとりまくアールデコ」は6/6まで。

いい気分でお向かいの日本丸に乗り込む。
氷川丸以来の船。・・・和船だと先月「なにわの海の時空館」に設置してあるのに乗ったが、船の構造が全く違うことを思い出す。
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こういう帆船というのは本当にカッコイイものだ。
わたしの愛読書「海皇紀」は実際に作者・川原正敏さんが船乗りの学校を出られているので、素人の知らない細かいこと・詳しいことを色々かかれている。
そこで得た知識がこの日本丸の上で蘇る。
海皇紀(32) (講談社コミックス月刊マガジン)海皇紀(32) (講談社コミックス月刊マガジン)
(2007/06/15)
川原 正敏


あ゛--気分はもう影船のクルーだわ--

あちこちアチコチ見学させてもらって、本当に面白かった。
なにせピカピカに光る真鍮の階段の滑り止めが今も目に残って離れない。
潮風に晒されながら、機嫌よく遊んだ横浜でした。

「西洋館とフランス瓦」/「彩色立体図に見る日本の近代建築・前期」

横浜でとても優美な展覧会を続けて観た。分けて書くより共にした方が楽しさが蘇る気がする。

横浜都市発展記念館では「西洋館とフランス瓦」を見た。
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現代と異なり、かつて瓦と言うものは、不可欠な建築資材だった。
日本家屋には有名どころでは三州瓦なり石州瓦なり淡路瓦なりが屋根に乗っけられていたが、明治に入り西洋館が建ち始めると、従来の国産瓦ではちょっとイメージが違うということで、それらは西洋館には採用されなかった。
尤も後年には帝冠様式と言うのが打ち出されて、西洋館に和風の屋根を乗っける、というのがブームになったから和瓦も復権できたが、それが最後の仇花のような気さえする。
スパニッシュ様式の建物には瓦は重要な役割を持っている。オレンジ色の円筒を半分に切ったようなのが上下上下・・・と交互に噛み合っていたら、まぁスパニッシュだということになる。(断定したな)
それでこの展覧会はスパニッシュや日本のものでなく、フランス瓦を取り上げている。

ジェラール瓦というのがあったそうだ。実業家ジェラール氏が拵えた瓦。葺き方が日本の方式とは違うので、屋根が軽くなるそうだ。それが急勾配の屋根の西洋館にピッタリだった。(関係ないが、赤毛のアンの住む家は「切妻屋根」だった)
倣わなくても擬洋風の建物を拵える日本の大工さんたちの技量を支えたのは、同じく擬洋風の建材を拵えることのできる職人さんたちだ。
ジェラール瓦とは製造法は違うが、同じくフランス瓦が日本人の職人さんたちによって、同時期に作られてもいた。
いい話だなぁ、わたしはこういう話だいすき。しかもそれでジェラール側が更にいい瓦を拵えた、と言うのがますますいい。

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磯子にある旧柳下家というおうちの瓦はその模倣ジェラール瓦だそうで、この展覧会で初めて知った建物だから、いつか訪ねようと思う。
それで本家本元のジェラール瓦が見れるのは、元町公園のプール管理事務所棟だそうだ。
(そこが元のジェラール工場の跡地なのだという)

写真資料に大山柏邸があった。どう見ても魔法使いのおうちである。こんなカタチの家は上海で一軒見たことがあるが、どちらもとても魅力的だ。
しかし残念ながら東京大空襲でやられている。まったくモッタイナイ・・・

5/9までの展示。わたしはこの都市発展記念館、いつも楽しませてもらっている。

続いて神奈川県立歴史博物館。「彩色立面図による日本の近代建築」
これは凄い展覧会だった。前期を見たので、後期も行くけれど、とにかく凄い。
何がどう凄いのかと言うと、モノスゴイ・リアリズムなのですね。
岡義男氏と言う建築家が日本に残る近代建築を写生した・・・と言うと「ああよくある」と思われるかもしれないが、そうではない。
主観による風景画ではなく、それは「そこに存在する建物の」ありのままの姿を描いたものなのだ。安野光雅もびっくりの繊細な作品群だった。
ここまで凄い彩色立面図はこれまで見たことがない。
前期は神奈川県内にある建物を集めていたが、目を瞠りながら眺めるばかりだった。
cam433.jpg クリックしてください

以前、オルセー美術館でフランス版の立版古を購入したことがある。ジヴェルニーの庭。
あれも妙にリアルだったが、この彩色立面図もカラーコピーして立版古にしたいくらいだ。
単色刷りのチラシを貰ったが、そこの画像は写真だとしか思うなかった。
フルカラーのものは「絵」だとわかるが。

世の中には凄腕の人がいるものだ・・・
随分以前にINAXで世界の有名な建物をペーパークラフトで拵えたのを見た。
ミキモト真珠島では貝殻で拵えた東海道五十三次も見た。
どちらも人の手によるものなのだ。
唸るばかりである。

会場には建物の実物写真も共に展示されているので、それと見比べながら楽しむこともできる。
また図録にはその現地写真と地図などが記された付録がついている。嬉しい配慮だ。

この岡義男氏は本当に根気よく丁寧な作業をされている。
わたしは何の絵も描けないし、図面も引けないので、氏の作品を魔法のように眺めるばかりだった。
そしてこの作品群には消えた建築物も含まれている。
それだけでも胸がいっぱいになる。
以前上海で「消逝的上海老建築」という図録を手に入れたが、まさにその「消逝」した建物への愛情こそは、失われたものであるがゆえに、深い。
快い酩酊と共に深いせつなさに蝕まれながら、会場を出た。

後期「銀行建築編」は5/9まで。

三岸節子 心の旅路 満開の桜のもとに

三岸節子の展覧会が難波の高島屋で開催されている。
「没後十年記念 心の旅路 満開の桜のもとに 」これを皮切りに全国巡回がある。
五年前には「生誕百年」を記念した展覧会が開かれたが、それ以来の全国展だと思う。
なくなったのは'99年四月だが、今回その命日を会期中に迎える。
そしてその年の正月には数ヶ月前開館したばかりの三岸節子記念美術館の巡回展「生きた・描いた・愛した」が、大阪で行われた。
そのときに節子の最新作として桜の絵が出ていた。
「さいたさいたさくらがさいた」 国民小学校の教科書で見かけるようなタイトルだが、画面いっぱい満開の桜とM字型の幹が群青の空を圧する、いい絵だった。それは今回出ていない。

同時期に描いたと思われる「桜がさいた」が今回の「桜」である。
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若い頃の自画像があった。19歳と21歳の。どちらもやや斜めからの自画像。甘さのない若い女の顔がそこにあった。
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そしてここで展示は節子の最初の夫・好太郎の作品に変わる。
'93年にやはり高島屋で「夭折した天才たち」展があったが、そこにも好太郎の作品が出ていた。
時間だけが足りなかった そのキャッチコピーにふさわしい画家がラインナップされていた。

確かに好太郎は「天才」だと感じる。並ぶ作品のうち「貝殻」が特に好ましい。
スタイルをどんどん変化させていった好太郎が蝶と貝殻にたどりついたとき、運悪くあの世に鞍替えする目にあった。
だからそれ以降のスタイルは見ることができなくなり、シュールな蝶や貝殻が彼のゴールになった。
時間があればまたどんな変化を見せるかは誰にもわからない。

その死が節子を活かした。彼女は多くの随筆や日記を残していて、言葉の端々から強い意志がこちらに伝わってくるが、そのうちの一つに好太郎の死について書いたものがあり、それを読んで深い感銘を受けた。
そしてそれ以降の節子の作品は、何もかも力強い意思的なものになった。

ヴェニス小運河  黄色い建物とトルコブルーの水が印象的な作品。

その絵のそばに節子の言葉が記されていた。
「私の作品は気分的である。所詮どれほど苦労しても近代的にはならず構成的にならず、感情に陥ってしまう。」
そしてそこからヴェニス賛が延々と続く。
その言葉を読んで、わたしは深いシンパシーを感じた。
節子のように自身のスタイルを堅く守っている画家にして、その言葉があるのだ。
絵だけでなく、節子の言葉からも、わたしはがんばって生きようという気持ちになるのだ。

日本にいる間は花の画家として愛された節子がフランスに出て以来、力強い風景画を描くようになり、その風景に木が描かれるようになった。

ブルゴーニュの麦畑  真っ赤な建物がある。山吹色の地とつながっている。ヴェネツィアンレッドというものがあるらしい。それがこの色のことをいうのかどうかは私には本当のところはわからない。
しかしこの赤の力強さは激しく伝わってくる。
赤と山吹の間に黒い垂れ線が見える。輪郭線の黒がにじんで垂れているのだ。それもまたいい。にじんで垂れたものであってもそれは汚れではない。
そして何よりも赤。
月一度流れる赤い血をそのまま画布になすりつけたような強さのある、赤。
節子の強い意志がそこに血のように流れていることの証明なのだ。

古い小説で今東光「春泥尼抄」という作品がある。
'50~'60年代の大阪で戒律に逆らいながら、人間として生きようとする尼僧・春泥の物語である。
この小説には絵画についての描写が多い。児島善三郎のバラの絵、千与四郎が庭掃除する絵、そして節子の「パリーの壁」はそのまま章題となっている。
そのまま抜き書きする。
「春泥は三岸節子という女流画家のうちに流れるものに似たものを感じて、我ながら驚いた。彼女がパリ―の壁を描いている一点などは、その白壁の汚点が、まったく彼女の麗筆によって美化されている。疵や汚点もまた美しいものだ。春泥は自分の肉体に美しい疵や汚点がつくのも厭うものではないと思った。昔の人は、美意識の過剰から文身をしたではなかったか。文身もまた疵であり、汚点に相違ない。」
五十年前の小説において、そのように節子の絵は魂を打つのだった。
その当時のリアルタイムな感想だった。

ブルゴーニュの一本の木  上に鳥たちがいる。何度見てもすばらしい絵だと思う。
一人で生きることの、一人で立つことの意味と意義とを無言のうちに示してくれているような気がする。

こうして節子のエネルギーを目の当たりにすると、自分もがんばろう、力強く生きようと思うのだ。一過性の感情かもしれないが、節子と言う先達がこの世にいて、こうした素晴らしい作品を生み出していったことが、なにかしら自分の背筋を逞しくしてくれる気がするのだ。
cam430.jpgグァディスの家

最後に彼女と好太郎の息子・黄太郎の作品があった。
夜の散歩道  葉の枯れた木が林立する道、水色の空、卵色に近い白い闇、灰黒い土・・・
どんな思いでその道を夜歩くのか。宇宙人に攫われたらどうするのだ。
そんなことを思いつつ、絵の先にあるだろう家を想像しながら、会場を出た。

山下清 展

山下清、と言えば「裸の大将放浪記」ときれいな貼り絵くらいしか思い出せない。
映画では小林桂樹が演じ、TVでは芦屋雁之助が演じていた。
そんなに言うほど関心があるわけではないので、作品も有名な「長岡の花火」くらいしかまともに見たことがなかった。
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北野田フェスティバル、堺市立東文化会館で4/11まで展覧会がある。

堺の北野田へは地下鉄御堂筋線の終点なかもずから乗り換えた。北摂から泉州へのツアーはちょっとしんどいし、あんまり関心のない画家の作品を見にわざわざ・・・と思ったのだが、珍しく親が勧めた。
「なんとなくほのぼのしてて和むよ」と言う。「エエ絵ぇよ」と続ける。
基本的に和む、と言うことと縁が薄い。和むより神経がヒリヒリするくらいが好きなのだが、やっぱりたまには和んでみたいと思った。

展覧会の趣旨を書いた中にこんな一文があった。
「・・・今までの山下清のイメージを一度外し、何の先入観も持たずに自身の心の目で・・・」
その勧めにも従おう。こちらの心の目は閉じっぱなしだが。

八幡学園と言う学校の方針で貼り絵を始めたようだが、少年時代のその作品を見て、作品の緻密な繊細さに感心した。
貼り絵は子供の頃に図工の時間に拵えたが、その同じ年頃だった清少年の細かく濃やかな手の業にはただただ感心するばかりだ。
人物一人一人の顔や、建物内部の質感などがしっかりと作られている。
よくもこんな手のかかる根気の要る作業を続けたものだ。
作品が巧いことが、その大変さを想像させる。

古い切手を利用して栗のイガイガを表現している。植物の繊維などは紙をネジてネジて貼り付けている。気の遠くなるような作業だ。

彼は放浪を繰り返したが、それは学園に飽きただけでなく、徴兵忌避のためだった。
そのことは以前に殿山泰司あたりのエッセイで読んていた。
かれは「るんぺん」生活を続け、よそ様のご飯をもらって歩いた。
「西洋館に飯は貰いにくい」という意味の言葉を清は書き残している。
なんとなくその辺りの機微がよく伝わってくる。

放浪中に愛用した浴衣やリュックサックがあった。大きなリュックだった。
護身用に石を5個も入れていたそうだ。
彼は行く先々の風景を心にとどめ、学園に「帰る」とそれを紙の上に再現した。
どの作品も本当に細かく描き込まれていた。
構図が同じものが貼り絵になったりペン画になったり油彩画になったりもして、それらを見るのも面白かった。

ライフ誌で取り上げられたことから、新聞社も彼を追いかけ、とうとう鹿児島で見つかった。放浪の旅は終わり、彼は勧められて旅を「しなくてはならぬ」ひとになった。
行く先々では陶器の絵付けもしていた。

ほおずきcam426-1.jpg 富本憲吉が喜びそうな絵柄である。

しかしそれら陶器の絵付けもいいが、「皿絵」がまた途轍もなくよかった。
それは学園で使う紙皿に清が貼り絵作業を施した作品で、どれもこれも重厚なマチエールを見せていた。

それにしてもかつての日本では、集団から零れ落ちた人は、わが道を行こうと一人旅を続けていたのだなぁ。芸のためとはいえ、初代高橋竹山もそうだった。
日本の風土はそれを受け入れるツクリになっていたのだ。

ぼけ  明るい青空に木瓜の白い花が映えている。これはゴッホのアーモンドの花か何かに似ているが、実際この「日本のゴッホ」はゴッホの模写もしている。
そしてゴッホについてなかなか鋭い意見も述べている。
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スイスの町  貼り絵もペン画もまーーったくズレもブレもない、同一構図。
今回、修復保全のプロの方の手によって、元の色彩を取り戻しているそうだ。

ペン画がひどくよかった。
フェルトペンで描かれた作品は、たいへん良いものが多い。どれもこれもがためらいのない線であり点であった。
岐阜の大仏  斜め顔を上斜めからの構図で描いている。
紙で出来た大仏なのによく保つと感心する清に、お経が書かれているからですよと答えた土地の信者さんの対話が、なんとなく面白い。

二月堂  良辨杉もある。お水取りのない時期の、静かな佇まいの二月堂。
これを見て、無性に二月堂へ行きたくなった。
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版画の白隠禅師の墓もよかったが、ペン画のほうが私の好みだ。
面白かったのはゴッホの墓でのこと。かれはゴッホの墓よりも周囲の墓のほうがいい形だと描こうとして、それを周囲の人に停められている。

東海道五十三次シリーズ。
これにひどく感銘を受けた。シリーズは全てこちらのサイトで見ることが出来る。
私は特に四日位のコンビナートの風景と、金谷の茶摘み風景に惹かれた。
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いつもならこうした構図や茶畑に興味もないが、今回はまじまじと見てしまった。
大きい!はないものの、静かに静かに浸透するよさが息づいていた。

来てよかった、本当にそう思う展覧会だった。




日本人を魅了した中国美術―白鶴美術館

今年の御影・白鶴美術館の春季展は「日本人を魅了した中国美術」である。
現代中国にはあんまり関心がないが、古代から近代までの中国美術には深い関心があるので、喜んで出かけた。
cam423.jpgクリックすると拡大します

行った日はまだ桜もそんなに咲いておらず、六甲山脈の中腹にある白鶴までてくてく登るのは、いつもながらややしんどい。
汗をかきながらたどりつくと、そこはひんやりしており、心地いい空気がある。
「天地無窮」と彫られた石碑を右眼に見ながら白鶴美術館へ入る。

中庭には躑躅の丸い塊や池があるが、ここに桜はない。
回廊を過ぎると本館になる。
昭和9年に建てられた近代和風建築の粋とも言うべき優雅な建物である。
わたしは近代洋風建築を追いかけ続けているが、この白鶴美術館はそれとは全く別に、とても、とても好きな建物なのだ。
まずその佇まいがいい。威風堂々として、しかし拒絶する建物ではなく、優美さに満ちた柔らかな建物なのである。
幾つも連なる窓は常に軽く開けられていて、六甲の風を通している。
高い格天井には白描に近い鶴の絵が描かれ、その下で風に吹かれながら、古めかしいガラスケースに収められた展示品を見る。
美術品をみつめる眼の端には窓の向うに広がる阪神の海が、そして美術館の裏庭(林と言うべき庭)が同時に入り込む。
集中を欠く状況ではなく、小さな風景は展示品の表装そのものになる。
その歓びは実際にここへ来ない限りは決して味わえぬものだろう。
多くの人に知らせたいと思う一方で、この歓びを自分だけのものにしていたい思いにも駆られる。

前漢時代の壷がある。
金銀鍍渦雲文壷  これは出光や東洋陶磁美術館にもあるが、いずれも彩色が剥落しているとは言え、力強さの残るいい絵柄の壷だと思う。
渦巻雲は龍を暗示しているのか、それはわからないが、なんとなく前漢の始祖・劉邦を想う。
本当に好ましい壷だ。
他に灰陶彩画雲気文壷もあり、どちらもその時代に「雲湧き起こる」文様が好まれたことを想像させてくれる。

唐三彩鳳首瓶  カタチは波斯から来たらしい。正倉院の御物にその形がある。これは三彩をかけられた明器で、よく壊れずに土中から現れたな、と感心した。
繊細な造形を見るのは楽しい。チラシ右上端。

白地黒掻落龍文梅瓶  いかにも北宋らしい一品で、龍の爪がよく伸びていた。

文化的には盛唐、南宋、明がとにかく好きだ。その時代に生まれた文化的なものは、好き嫌いを越えて、すばらしい。
爛熟した文化の中でしか生まれ得ない美がある。
その明代の優品をあげる。
cam424.jpg五彩龍文獅子耳方瓶  
本当にカラフルで、瓶にまといつくような龍はそれぞれ違う色を表にしている。獅子はみな白い獅子である。鬣が緑だというのは魅力的だった。

金襴手瓔珞文鉢  瓔珞文の優美なありようが魅力的。幾何学的な連続性を保ちつつ、温和な味わいがある。

法隆寺から出た金銅小幡がある。飛天が舞っている。この仲間は東博の法隆寺展示室にあるらしい。廃仏毀釈の頃に流出したのだろうが、白鶴美術館の創始者・七代目嘉納治兵衛が奈良の出であることを思えば、なにやら床しいものを感じる。
(チラシ左上端)

冷泉為恭の聖徳太子像があった。わたしはこの本歌の絵(宮内庁管轄だったか)も、この模写も、たいへんニガテである。「日出処の天子」ファンではあるが、どうにも・・・そうだ、わたしは厩戸王子ファンだが、聖徳太子はビミョ-なのだった。お札のときは大好きだったが、それ以降はなにやらひどく怖いのよ・・・

二階には大好きな饕餮くんがいた。チラシ中央真ん中。本当に可愛い。関西では中国の古代青銅器に会える場所が多いので、とても嬉しい。

南宋の天目茶碗がいくつも並んでいる。
玳玻梅花天目茶碗  ステンシルの技法で作ったのか。可愛い。ここは梅花がくっきりしている。
旧萬野コレクションのそれは大形の花だが、多少崩れを見せていた。こちらはカタチがくっきりしている。チラシ右下端。
 
青磁鳳凰耳花生 チラシ真ん中右端。これはおそらく日本人に一番愛される青磁なのだ。
砧青磁。久保惣美術館にあるそれは「万声」と名づけられ、その兄弟は「千声」と呼ばれる。
久保惣の「万声」は「和の美術」展4/10?5/23に展示される。
ところで砧について、白鶴のサイトでは興味深い一文がある。
楽しい読み物である。

国宝の大般涅槃経集解が出ていた。奈良時代のものだから、書体はわたし好み。

他に楼閣山水図、緑陰補魚図など爽やかな山水画が出ていたが、5/9?6/6には応挙の「楚蓮香図」が出るらしいので、再訪するか否か悩み中なのだった。
初夏が近づくにつれ、白鶴美術館の空気の心地よさがいや増すばかりなので、その頃にやはり訪ねよう・・・・・

本館から少し歩いたところに新館があり、オリエントの絨毯が展示されていた。
ペルシャ、トルコ、コーカサスと言った絨毯文化の地から採集されたものばかりで、18世紀から現代のものまでの優品が揃っている。
以前から好きな動物図はなく、今回は花柄のものに惹かれた。
花柄と言っても小花や大きな花が舞うような抽象的なものではなく、花瓶から花があふれ出している構図のものである。何故かそうした構図の絨毯を見ると、静かな音楽が頭の中に流れてくる。
たぶん、そんな絨毯が敷かれ、パティオがあり、そこに小さな噴水があり、象や孔雀が少し遠くに見えるような邸宅を、わたしの頭が勝手に思い描いていて、その家で流れる音楽が聞こえてきているのだと思う。
絨毯一つにしても様々な面白さがある。

6/6まで。
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