美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

大唐皇帝陵

橿原考古学研究所附属博物館で開催中の「大唐皇帝陵」展に行った。日曜美術館で見たとき、陵から発掘された、身を伏せる官僚らしき俑に惹かれた。
私は勝手に「平伏さん」と呼んでいるが、サイトを見たら平伏さんの斜め上でせんとくんが寝そべっていた。
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今更ながら、隋の次の世が唐である。
隋は数十年しか保たなかった。
その中で遣隋使が親書を持っていった。
「日出処天子」から「日没処天子」に「恙無い?」(ちょっと略しすぎ)と書かれた書。
挑発的な呼びかけの内容に、ムッとなったということが、向こうの史書に記載されている。
その本自体は奈良国立博物館で開催中の「大遣唐使展」で展示されている。

この展覧会も「大遣唐使」展も共に「平城遷都1300年記念」によせての大きな催しなのだ。
平城京のモデルは大唐である。
その大唐歴代皇帝の陵墓を、文字通り深く掘り下げた展覧会がこの「大唐皇帝陵」展なのだった。

「当時の東アジアを中心とした国際社会をリードしていたのが、中国・唐王朝です。唐の皇帝たちは、都が置かれた長安(西安市)の近郊に展開する唐皇帝陵(唐十八陵)に眠っています。
 唐皇帝陵の実態は依然多くの謎に包まれていますが、近年、陝西省考古研究院を中心に皇帝陵園や皇族墓の発掘調査が活発におこなわれ、大きな成果を上げています。とくに第9代玄宗の兄、李憲(譲皇帝)の恵陵、第21代僖宗の靖陵は、皇帝陵内部の調査が原則許可されていない中で例外的に墓室が発掘された貴重な調査例です。
 この展覧会では、唐王朝の皇帝と皇族の陵墓にスポットを当て、最新の考古学的成果を用いて、世界帝国の最高権力者が眠る唐皇帝陵の実態に迫ります。」

眠る御霊には申し訳ないけれど、やはり興味が強く湧く。

最初にその陵の遠景写真がパネル展示されている。
皇帝のお墓は陵、皇族のお墓は墓、と明確な違いがあるものの、追善の気持ちで名称は墓でも実際には陵レベルの埋葬をされたヒトもいる。

陵には2つのタイプがある。高祖の献陵のように人口の墳丘タイプ、太宗の昭陵に始まる元の山をくりぬいて作るタイプと。
後者のそれは「因山為陵」山に因りて陵を為す?という発想がある。

唐は太宗・李世民のときに最初のヤマが来た。
(わたしはどうしても太宗と言えば、諸星大二郎「西遊妖猿伝」の大唐篇での彼を思ってしまう)

その時期に「中国」以外の蛮夷の国のトップたちの彫刻が建てられている。
十四国蕃君長石像  突厥から越南あたりまでの各地の蕃君長の像が立っていたようで、ここに首から下の立派な像が来ていた。
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「周辺諸国を次々に征服して唐を巨大な世界帝国に育て上げたのが、第2代皇帝太宗です。子の第3代高宗は、その業績を称えるために、父に帰順した異民族の王14人の等身大の石像を作り、太宗の墓・昭陵に献上しました。」
中には女王もいたようだが、ここに来ているのはどうやら突厥系の王ばかり。
背中に編み編みの長い髪が下げられている。辮髪の一種という説明があるが、首がないのでわからない。
他に頭部と言うても眉から上辺りの部分だけ残るものもあって、それはやっぱり胡人風だった。

同じ遺跡からは鬼面文塼(鬼顔の素焼きタイル)が出ているが、壊れもしていない。なかなかファンキーな顔の鬼である。
他にも鹿革のポシェットも見つかっているが、こうした実用品が発見されるのはなかなか面白い。

太宗自身は夫人と合葬を望んだ。そしてその息子・高宗はそのようにしたが、同母妹で若くして死んだ新城長公主(再婚先で30才で急死)を悼んで、皇后の礼を以って墓を造営している。
そこからは多くの加彩人物俑が出ているが、朱がよく残っている。顔は墨描き。鎮獣もいるが、明らかに辟邪風なのもあれば、人面のものもいた。
他の陵墓の鎮獣も人面風、獣風と色々あるが、狛犬に似たものはいなかった。
そしてこの公主の墓を発掘した記録の本があるようだが、中国語版と英語版だけらしい。

ところで太宗の息子の高宗の夫人が武氏であり、それが則天武后になる。
そして子の中宗の夫人が韋氏で、彼女ら二人を併せての「武韋の禍」がある。
二代続いて怖い女が嫁になった李家である。

睿宗の子・玄宗が父や斬首された従兄弟らのために武装蜂起し、ついに韋氏を退け、父を皇帝に即位させる。
このあたりの説明を読むだけでもドキドキする。
だいたい近代までの中国史はどの時代でも非常に面白いのだが、やはり政権交代時の混乱と言うものは異常に面白い。

若かった玄宗はなにやら凄くかっこいい。
中年以降の、政治に無気力で、楊貴妃と仲良くするだけが生きがいの玄宗の前身が、こんなにも魅力的だとは嘘のようである。

彼は韋派により晒し首にされた従兄弟・節愍太子の名誉を回復させ、玉製の諱冊・哀冊をこしらえさせた。それを「墓」ではなく「陵」として太子の副葬品にしている。
他に武后時代に流行した髪型の女子俑も入っているが、55cmほどの綺麗な女人像だった。

そして何より今回の展覧会のメインとなるのが恵陵だが、これは玄宗が異母兄・憲のために造営した陵なのだ。
憲は父の長男であったが、弟の働きで韋氏一派が滅ぼされ、李氏に権力が戻ってきたことを重く見て、自ら進んで皇太子を辞し、弟・玄宗にその座を譲った。
父もまた早いうちに退位し、玄宗に譲位している。
こういう事情から玄宗はその兄・憲を生涯大事にしたそうだ。
毎日なにかしら珍味を送り、誕生日には訪問し、なくなったときには「譲皇帝」として恵陵を造営した。
兄の憲も幸せだったと思う。弟が晩年にしょんぼり失意のヒトになるのを見ずにすんだし。

その陵内に白虎・青龍図の長大なのが描かれていて、その模写が展示されていた。
いゃもぉ凄い規模。「航空機での輸送が困難であることから、今回の展覧会のために、実物大の模写を制作しました」というシロモノ。ちゃんと引導飛人と、行列する儀仗ご一行延々・・・と描いているらしい。玄室への道も守られておるわけです。
700x330が二面ですからなー。

この時代の三彩女子俑は先の則天武后時代の流行から変化して、楊貴妃スタイルに変わっている。ふっくら可愛い頬にふわふわの髪型。
そしてなんと言っても『平伏さん』です。チラシにどアップで平伏さんの頬がある。
後姿がまたキュート。
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「死んでも働く」のは中国の民間信仰がそんなカタチだからだろうが、それにしても平伏さんはえらい。

あと胡人俑で「怖い顔」グランプリに出場できそうなのがあった。
「長いシルクロードの旅に打ち勝った力強さを」表現しているらしいが、ホンマに怖い顔である。
他にポロをする壁画もあり、剥落はしていてもよく残っていて、楽しそうな様子がよく見えた。

未盗掘の墓からの出土品も出ていた。25才で死亡の公主で、金冠をつけたされこうべの写真が出ていた。ここには愛らしい銀製や銅製の鏡やお碗などがある。若い女のヒトが喜びそうなグッズばかりである。

正倉院には唐代の鏡がたんまりあるが、本家の中国にはそれが殆どない。
プレゼントしたものだから、大英博物館みたいに「返せ!」といわれることもない。
その正倉院でみかけるようなガラス製品がいくつかとと、唐三彩の枕などが可愛い。
そして十二支のどうぶつたちをヒト化した33~35cmの像と久しぶりにご対面。6年ぶり。
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最後にこれは唐ではなく奈良から出土した隼人石というものが出ていた。
聖武天皇と光明皇后の間の子が夭折したときに拵えられたお墓から出土したもの。ネズミらしきキャラがかなり可愛く描かれていた。

この展覧会は本当に行ってよかったと思う。これを見てから「大遣唐使」展にいって理解度が進んだような気がしている。6/20まで。
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大阪で活躍した画家たち 再考 大阪画壇

堺筋の高島屋史料館へ行った。
「大阪で活躍した画家たち 再考 大阪画壇」
前後期として少しだけ絵の入れ替えがあったので、どちらも見た。

チラシは浪速御民 菅楯彦「鯛あみ」
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桜鯛かな、ホイホイポイポイ網にかかるかかる。
取るおっちゃんらも桜色に・・・いゃ、赤銅色に染まって、いそいそわーわー働く働く。
もぉこの鯛の可愛さなんか、ちょっとやそっとではないね。
ぷりぷり。
鯛たちも丸い眼を見開いてアレマ!という声も聞こえてきそうだけど、申し訳ないが、タイの悲哀はおいといて、賑やかで威勢がよくて、めでたい絵だと思う。
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以前に今橋の大阪美術倶楽部で菅楯彦展を見たとき、これと同工異曲のものを見た。
そのときは赤鯛ヴァージョンと黒鯛ヴァージョンと二作見たから、これで三作目ということか。
菅楯彦とも交流のあった谷崎潤一郎は「魚は鯛だ」と言って、タイのいいのをパクパク食べていたそうだが、これはやっぱり関西の一得でしょう。
谷崎も、いい時期に関西にいたと思う。
(谷崎の「聞書抄」は菅楯彦の挿絵で飾られた)

菅の甥に当たる菅真人の歴史画が二枚あった。
菊池武光公 対陣図
名和長年公 奮戦図
どちらも楯彦かと思う作品だった。オジで師匠の楯彦の死後に、遺作を完成させもしたそうで、それで味わいが似ているのだった。

北野恒富 芸妓  これは前期のみ。芸妓と言うよりその手前の舞妓に見える。京都の舞妓ではなく南地の舞妓。もう少し大きくなれば宝恵かご(ホエカゴ。愛染祭に出る)に乗れそうな感じ。

娘  後期の作風。様式的な表現で、大正頃のあやうい魅力はないものの、素知らぬ顔をしながらこちらを見ているような、困った面白味がある。綺麗な薄い飴色の櫛にはちょっとだけ撫子が透かされている。

婦人図  ポスター原画。白い肌が艶かしい。「美の壷」展が大阪の高島屋であったとき、特別展示されていたのを思い出す。

中村貞以 平和  もんぺすがたの娘さんが白い鳩を放とうとする。しゃがみながらの一心な横顔がいい。敗戦後に生まれた作品だと思うが、これは寺嶋紫明の「彼岸」と共に本当の意味での「平和」を望む絵だと思う。

白と赤の朝  タイトルだけではなにやら違うことを思うが、要は朝顔の色です。白いのと赤いのが咲いている。どこぞの奥さんが通りかかる。白地に藍で波千鳥を描いた浴衣を着ている。

洋画へ行く。

小出楢重 六月の郊外風景mir828.jpg
何度も書いているからもう書かないが、ある意味、極北の絵だと思う。わたしは「枯れ木のある風景」よりこちらを強く推したい。
いつまでもみつめ続けていたい。しかしみつめ続けるうちに私もこの風景に取り込まれてしまい、帰って来れなくなるかもしれない。そんな恐れを微かに感じながらも、それでも見ずにはいられない作品。

田村孝之介 白い馬  馬の睫毛の長さ。これはサーカスの一場面を描いていて、縦長の構図の中に馬と馬術師らがいて、それぞれがポーズを取っている。
どこかおしゃれな風が吹いている。
田村孝之介の作品にはどこかにモダンさがある。

鍋井克之 熊野詣  以前、国鉄天王寺ステーションに長大な壁画があって、その原画だそうだ。実に多くのシーン・風景・人々・時代が描かれている。
四天王寺?住吉?和歌の浦?道成寺?白浜?串本?瀞?湯峰?那智・・・
それぞれが明るく、そして重たい色彩で描きぬかれている。こちらに押し寄せてくるような迫力がある。
一つ一つを眺めると時間も忘れそうだ。

高岡徳太郎のバラは画面いっぱいに描きこまれている。
今日までも続く「バラのマークの高島屋」のあのバラ、高岡のデザイン。
高岡は他にも高島屋の「日光博覧会」のポスターも製作している。
高島屋のポスターはそれだけで展覧会が開けそうなほどだ。
それとローズちゃんも高岡の仕事。

いい展覧会だった。6/25まで。

大阪画壇はなんで消失したのだろう。それを思うと哀しい。
こんなにもええ絵がたくさんあるのに。
高島屋史料館と芦屋美術博物館ががんばって大阪画壇の名品にスポットをあててくれてはるのを、こうしてわたしは享受している。

「歴史を彩る 教科書に載る名品」 藤田美術館

藤田美術館の「歴史を彩る 教科書に載る名品」展を見たが、なるほど確かに「歴史を彩る」「教科書に載る」名品が集まっていた。
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まず二階へ上がると、刺繍で出来た仏画がそこにあった。二点。
刺繍阿弥陀三尊来迎図 鎌倉時代
刺繍釈迦阿弥陀二尊像掛幅 鎌倉時代
かなり綺麗に色も残っている。刺繍はやっぱり色が残るものだ。これは鎌倉時代のものだが、中宮寺のものはそれよりずっと以前でいまだに美麗だし。思ったとおり黒糸は髪の毛。髪は一度人体から無縁になると、変色も脱色もしなくなるのか。

華厳五十五所絵巻残闕 鎌倉時代
善財童子の旅ですね。かなり好きなの。この華厳経の説話も好きだが、それを元ネタにした高橋睦郎の小説「善の遍歴」を必ず思い出してしまう。

玄奘三蔵絵 第2巻 鎌倉時代
三期にわたって場面換え。幻想的なシーンと普通の風景画の2シーンがあった。鬼や夜叉の国を通過するのか。

仏功徳蒔絵経箱 平安時代
国宝ということで「歴史を彩る 教科書に載る名品」にぴったり。平安時代の蒔絵はあんまり残ってないそうで、それだけでもえらいものだ。
こまごまとした鳥や魚、雲の掛かる峰。絵柄も面白いが、これは法華経の説話を絵画化したものらしい。しかしどんな物語なのか原典がわからないので、ちょっと残念。
とはいえ魚がいっぱいいるのは厳島の平家納経の何巻かを思い出す。

平家琵琶 銘 千寿 室町?桃山時代
チラシにも出ているが、実物を見るのはこれが初めて。
(平家物語を語る上原まりさんの琵琶は筑前琵琶)
学生時代「平家物語」を研究していたわりには、実際の語りは上原まりさんのものしか聞いたことがなく、耳なし芳一の後裔とは、いまだに無縁である。
水木しげる「悪魔くん」の中に琵琶法師が現われ、ファウスト博士と対話するシーンがあるが、博士は琵琶を「古代のギター」と呼んでいたことを思い出した。

流水文銅鐸 弥生時代  可愛い、すごく可愛い銅鐸。≡とか波打ち形とか。

綺麗な蒔絵の硯箱が二点あった。
千歳蒔絵硯箱 室町時代  葦手。梨地が綺麗に拡がる。
桜狩蒔絵硯箱 尾形光琳 江戸時代  騎乗する貴人と豊かな白梅がとても素敵。
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他に光琳では乾山とのコラボのお皿も出ている。
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肖像画では、歌仙絵と自画像などあり。 
大伴家持像(上畳本三十六歌仙絵)鎌倉時代
雪舟自画像 室町時代
豊臣秀吉画像 伝 狩野山楽  江戸時代(一階にある)
やっぱりいいものが多く出ている。秀吉も家持も同じく上等な畳の上に座しているが、四百年の歳月が全く別世界を生み出している。同じ日本の絵とは思えないくらい。

法隆寺金堂天蓋付属飛天像 飛鳥時代
法隆寺金堂天蓋付属金銅小幡 飛鳥時代  
おなじみのシブイ薄板。 飛天たちの表情がいい。他の姉妹たちは東博の法隆寺館にいるんでしたっけ・・・

いよいよこれ。
曜変天目茶碗  南宋時代   チラシの上。いつもは懐中電灯を貸してくれるが、今回の展覧会では支度されていない。残念。上から横から斜めから下から、眺める。
美麗なのは当然だと思いつつも、やはりその美に撃たれる。
時折、その中に閉じ込められてみたい、と思うことがある。

階下へ。 茶道具が多く並んでいた。
釜に可愛いものが出ている。
天猫姥口釜 室町時代  信長が柴田勝家にあげた釜で、信長の狂歌が伝わっている。
狸謡風な、ちょっと泥臭くてえっちくさい狂歌で、くすっと笑える。
釜じたいは色合いもいい感じに苔緑風に見えるし、形は耳つきマカロンぽい。

応挙と芦雪の絵があるが、好みから言えば弟子に軍配を上げたい。(速攻で行事差し違えちいう手が上がったり、異議アリ!の声がかかるかもしれんが、わたしの好みだからええわ)
幽霊・髑髏仔犬・白蔵主三幅対 長澤蘆雪  江戸時代
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描表装。師匠の美人幽霊を手本にした作品。先日京都の大統院で見た応挙の幽霊は乱杭歯で怖かったけど、こちらは「応挙の幽霊=美人」のパブリック・イメージをそのまま踏襲して、美人に描いている。
白い仔犬は白いしゃれこうべのそばでなにやら物思う風アリ。
白蔵主は薄の野に立つが、その腰のヒネリよりも、表情に味わいがある。

他に英一蝶の屏風も出ていた。
しかしわたしは芦雪ばかりが気になったので、一蝶の絵に興味がむかなかった。

紫式部日記絵詞 鎌倉時代  
今回、こちらをじっくりと楽しませてもらった。ガラスケースに拡げられていて、何シーンかを見せてもらえて、嬉しかった。

交趾大亀香合 明?清時代   
ある意味で藤田美術館のヌシ。購入の際のエピソードなども面白い。見栄えの見事さ。
‘08年の秋季展では曜変天目茶碗と共にチラシの表を飾った。
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短い手足が妙に可愛い。

やっぱりこうした名品展というのはいいものが揃っている。いろいろ良いものを見て、機嫌よく美術館を出た。

「話の話」ノルシュテイン&ヤールブソワ

神奈川近代美術館・葉山館でユーリ・ノルシュテインとヤールブソワの展覧会が開かれている。
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楽しみに待っていた展覧会だ。
近年はちひろ美術館やジブリなどで展覧会も行われ、絵本も多く出るようになった。
かつて味わわされた強い飢餓感は既に癒えてはいるが、それでもこうして作品を目の当たりにすると、あの当時のせつなさが甦る。
また映像はyoutubeなどでも見れるようになったが、かつては本当に、触れる機会のない状況を生きていた。
今ではラピュタ阿佐ヶ谷などでよくイベントや上映会が開かれているが、20年前はどうにもならなかった。特に関西では本当に淋しい状況だったのだ。

この展覧会はやはりノルシュテインのファンのヒトと共に味わいたいと思っていたので、えびさんという同好の士と楽しめたことは、本当に幸いだと思う。

随分昔、朝日新聞のCMが最初だったと思う。
1980年代のある日、朝日放送のCMに突然おおかみくんが現れた。
丁度おおかみくんがゆりかごの子供に向けて子守唄を歌うシーン、そこから子どもが泣き喚くまでが流れた。
衝撃だった。
それまでほぼ日本のアニメしか知らなかったわたしには異常な衝撃だった。
こんなにも美しい映像を見たことがなかったのだ。
日本のアニメも素晴らしいが、この外国の作品からは深い何かが届いてきた。
それから日をおかず、今度はハリネズミくんが現れた。
小さな松明のようなものをかざして森をそっと歩く。
何かを探していることがわかるが、それが何かはわからない。
そしてその灯りが蛍火だとわかったのは、そのCMが終了するときだった。
この数十秒の映像が今日までも、脳裏に強く刻み込まれている。

とにかく探そう。おおかみくんとハリネズミくんに会いたい。

あの映像が誰のものかがわからなかった’80年代当時のわたしは、洋書と外国絵本とを探しに出た。その結果ポーランドのヨゼフ・ウィルコンを知ることになったので、それはそれで幸いな出会いを得たと思う。
(狼の作画に似た雰囲気があったのだ。他者だと知ったのはもう少し後になる)
そして’84年、徳間書店から刊行された「話の話」の本を手に入れることが出来たおかげで、ようやく私の渇きは半ば癒された。

それから四半世紀以上が過ぎている。
今、逗子の美術館でこれまでの集大成のような展覧会が開かれている。

第?章 25日─最初の日
第?章 ケルジェネツの戦い
第?章 キツネとウサギ
第?章 アオサギとツル
第?章 霧の中のハリネズミ
第?章 話の話
第?章 外套
第?章 冬の日「狂句 木枯らしの身は竹斎に似たる哉」

作品ごとに章が組まれ、そこに世界が広がっている。

今回、自分の偏りを強く自覚した。
第?章 アオサギとツル
第?章 霧の中のハリネズミ
第?章 話の話
ここにばかりわたしの意識が向くのだ。

他を言えば、たとえば「ケルジェネツの戦い」は実際の映像を見たとき「イコンが動いている」と思った。
数人が行列から消えると、そのすぐ後にまた同じ顔の兵士が配される。
あのシーンがひどく心に残っている。
しかし今回の展示では殆ど何も資料が現われていない気がする。
色々と製作者の心の事情があることを知る。

「キツネとウサギ」はちひろ美術館展でのチラシや小さな図録の表紙を飾っていた。
ところがわたしはこうした物語そのものがニガテなので、それであまり愛情が湧かない。


展示には色々な資料があった。
その中でもマケットが多く出ていた。箱に入った映像再現模型。
これを見ているだけでも楽しい。
また素敵なシーンが選ばれているのが嬉しい。

偏ったまま、感想を書く。
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「あおさぎとつる」 せつない恋物語。心のキャッチボールは投げた球が返らず、転々と転がる球を拾って投げても、今度はまた。
原作となった民話を読んでいるが、この映像ほどに心は揺らがなかった。
揺らぎ。やはりノルシュテインとヤールブソワの眼と手とを通してこそ、ときめきやせつない想いが生まれるのだろう。
永遠に繰り返される心のすれ違い。離れることも出来ないし、一緒になることも出来ない。
あおさぎが半開きの眼のまま、ネックレスの玉をジャラジャラいらう(指でなぶるの意)シーンが何故だかいつも心にある。

ここにあるマケットでは東屋での二人の姿が表されていた。
廃墟のような東屋。草も生えている。
ロシア式湯沸かし器サモワールで沸かした茶を飲むシーンが思い浮かぶ。
相手より優位に立つ・下手に出る相手を一蹴する・・・
去る相手の背を見た瞬間から始まる後悔と反省、立場の逆転、そして同じことの繰り返しが。未来もないし過去もない、けれど現在の地点ですら曖昧な二人。
靄のかかったような背景とメランコリックな音楽とがいつまでもいつまでも心に残る。
アオサギとツルアオサギとツル
(2006/04)
ユーリー ノルシュテイン



「話の話」については、ただただ何かもがいとおしいとしか、言いようがない。

おおかみくんの表情、踊るカップルの状況、リンゴを齧りながら夢想する子ども、そしてミノタウロスと詩人とある家族の肖像と。
それらに対する説明は一切ない。
しかしながら、台詞のない映像の流れを追うだけでも、そこにある物語を、心のありようを知ることが出来るような気がする。

この作品について、高畑勲が徳間文庫「話の話」において詳細な解説と評論とをあげている。
話の話―映像詩の世界 (アニメージュ文庫 (F‐006))話の話―映像詩の世界 (アニメージュ文庫 (F‐006))
(1984/01)
高畑 勲


それ以上の解説は最早なくてもいいと思う。あれより上の読み解きは不可能だし、不要だ。
ただただ「話の話」スカスカ・スカザクを楽しめばいい。
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個人的に好きで仕方ないシーンがいくつもある。
というよりも、好きなものだけで成り立っている気がする。
それも以前から好きだったものだけでなく、この「話の話」を見て以来「好きになった」ものなのだ。

じゃがいもをそっと持ってゆく。一つころんと落ちた。少しの間があってから、そっとおおかみくんの手が伸びてそれを拾う。
焼いたジャガイモはとてもおいしい。だけど熱い。ちょっとやけどして、ふーふーする。
口笛を吹く。

その一連の動きにどれほどの作業が積み重ねられているのか。考えると気が遠くなる。
そしてキャラをただ動かすだけでなく、そこに心が活きている。
その心に、<見ているもの=観客>が感応する。


「霧の中のハリネズミ」  絵本を手に入れたとき、嬉しかった。音声はないが絵が手元に入ったのだから。そして絵本は映像をそのまま転用したものではなく、新たに絵本用にこしらえたものだと知ったとき、感動が倍増した。
きりのなかのはりねずみ (世界傑作絵本シリーズ)きりのなかのはりねずみ (世界傑作絵本シリーズ)
(2000/10/25)
ユーリー ノルシュテインセルゲイ コズロフ


語りが入り、言葉も入る。会話ですら入る。独白もある。
ハリネズミくんの後をつける大きなフクロウ。「ホーホゥ!!」 その鳴き声のマネ、わたしは我ながら上手だと思う。

映画のエスキース「白馬と川の中のハリネズミ」 この次のシーンの画像が、かつて雑誌MOEに出ていた。嬉しくなって、わたしは額装している。今もそのまま廊下に飾っている。
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こぐまくんと星を数える約束がある。ジャムがお土産。小さく布包みにして持っている。
それだけでも可愛くて可愛くて仕方ない。
効果音がまたいい。そこから心の変容が始まる。
観客として<客観的に見る>から当事者として<体験する>状況になる。
一緒にドキドキする。

川の中のハリネズミくんを助けてくれるのはなまずか何か大きな魚。
「スパシーボ」ロシア語が耳に優しい。

ここで思うことがある。
ハリネズミくんは魚に救われるが、「話の話」に現われる魚は誰も救わず、絶望的な状況を認識させるために現われる。
そのくせこれらの魚は似ているような気がする。


現在も製作中の「外套」は’84年に高畑さんが既に言及しているが、まだ完成を見ない。私は個人的にゴーゴリーと言えば映画「妖婆 死棺の呪い」が思い浮かぶくらいで、あんまり好きな作家ではないのだ。見につまされる切なさがいやなので、この「外套」には関心が湧かない。

「冬の日」を見ていると思い出すことがある。実は石ノ森章太郎の江戸を舞台にした作品群である。
何かしらそのあたりと通ずるような静けさがある。
風が吹くのを感じる。


どうも全くまとまりを欠く記事になってしまった。いつも以上にひどい内容である。申し訳ない。
そうだ、最後にちょっとこぼれ話。
手塚治虫「アドルフに告ぐ」に、ユーリ・ノルシュテインが特別出演している。バイオリニストとして。
手塚の遊び心。

最後に「話の話」「霧の中のハリネズミ」がyoutubeに入っているので、それをあげておく。
(英語スーパーつき)



いつまでもこの世界にいたい、といつも思っている。

高麗美術館「あなたが選んだコレクション名品展」

京都の高麗美術館では「あなたの選んだコレクション」として高麗美術館所蔵の名品の内から特に人気の高い10点を中心に70点ばかり、よいものが並べられている。
わたしも投票したが、展示のそばにはそれぞれその名品を推した人のコメントが掲載されている。それを読むのも楽しい。
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わたしが推したのは「華角三層チャン」(チラシ真ん中)
綺麗な飾りのある箪笥。19世紀後半の製作。とても可愛い。159枚の絵柄で飾られている。
飾りは牛角だそうだ。なんとなく透明感がある。ニスかと思ったがそうではない。透明釉薬でもない。複雑な技法で透明性が高まるように拵えられているのだ。
実にいい感じ。絵柄そのものは素朴で可愛い。動物たちが多く描かれている。カードが集められた、そんな感じ。
因みにチャンとは朝鮮の箪笥のこと。(木扁に蔵の字でチャン)
そして装飾のあれは、華やかな造りだから華角と呼ばれているのだろうね。

鮫皮玳瑁螺鈿双龍文ノンtou174.jpg
ノンというのが何かよくわからないが、見た感じではやっぱり箪笥とか何かの入れ物棚なのだった。
龍の皮の部分が鮫皮をハッつけてある。細かい丁寧なツクリ。蝶番はちゃんと蝶。
わたし、この蝶番だけでも欲しいくらいです。

青磁象嵌牡丹文扁壺  13世紀のうるわしい名品。青磁象嵌の静謐な優美さは、東洋陶磁美術館の安宅コレクションで教わった。
ここにある扁壷は愛玩すべきもの・賞賛すべきものとして、今、目の前にある。
牡丹は自らの美に驕ることなく、優しく頭を下げている。

鉄砂帆船魚文壺  今回、この壷がコレクターにとても愛されていたことを知った。機嫌のよい絵柄で、確かにこの船に乗って海へ出るのも楽しそうだ。
見るうちに音楽が流れ出してくる。世界の海なんか小さい小さい。
尤も、この船に乗って「帰りたい」と呟かれていたとを聞くと、胸が痛むのだが。

黒漆塗螺鈿長生文碁盤  「碁を打つと碁盤のなかに張られた銅線がかすかに響き、しばらくの余韻が愉しめる」と解説にある。ピシッではなく「ピシッ ・・・・・・・・―――ッッ」こんな感じかな。わたしは碁のことは本当に何も知らないので、全ての碁盤にそんなカラクリがあるのかどうかもわからない。
「ヒカルの碁」にもそんなのはなかったな?(あれは普通の木の碁盤だった)
そういえば「天牌」では氷の貴公子・三國さんが牌を捨てるとき「キィィィィィンーーー」という効果音がついていたが、あれは捨て牌がコワイからだった。
とにかく、たいへん美麗な螺鈿で、長生文というめでたい文様もけっこうなことだった。


猫図tou174-2.jpg
猫がちょっと上を見上げている。飛ぶ虫を目で追う。着地する手と肉球をこちらに向ける手と。かわいい?かわいい?!!
朝鮮絵画の猫の愛らしさにくらくらする。惜しいことに画像は単色刷りだけど、可愛さはよくわかる。

白磁壺  チラシの真ん中上のが第一位でごさりました。李朝の頃の愛され度が高い名品。
実はこの壷を見ると志賀直哉が愛した壷を思い出す。それは東大寺にあったかなんかだけど、盗まれそうになってパリンパリンに割れ壊れたのだ。それを東洋陶磁美あたりで懸命に修復し、見事に生き返ったのを見た。
こちらは豊かに円やかな様相を保ち続けて欲しい。

黒漆螺鈿花鳥文箱  19世紀頃の朝鮮の螺鈿技術はまことに素晴らしいと思う。
大和文華館にも同時代の名品があるが、どちらも華やかで明るく、そしてとても賑やかだ。
完全に私好みの螺鈿作品なので、これとチャンと猫と、どれに票を投じるかめちゃくちゃ悩まされたのよ。それでまぁお土産にいただいた螺鈿手箱も手元にあるし、猫は同居してるし、で、いちばん無縁なチャンを選んだのだった。

みごとな壷がいくつかある。
仲良しなシカップル。tou174-1.jpg
こういうのを見るとほんわかモードになる。
むかし、志賀直哉が選んだ「座右寶」でナマイキな目つきの鹿の壷を見たが、あれ以来わたしは壷に鹿の絵があると、ついつい喜んでしまう体質になっている。

蝶の飛ぶ壷も可愛いが、しかし小さい水滴たちの愛らしさには悲鳴ものだった。
手前右のガマちゃんが可愛い。いいな???。
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もう本当にいいものがこれでもか、と現われているのでクラクラしっぱなし。
実に良かったです。ときめくなぁ。
6/6まで。次は6/12?8/15まで、近代日本人として初めて朝鮮美術を見出した淺川兄弟の展覧会。その次は朝鮮各地の観光絵はがきや鳥瞰図などなど。
今年は特に楽しみの多いラインナップだと思う。

天遊 正木美術館春季展

もう今日で終了を迎えた「天遊」展の感想を挙げようと思う。
今回の展示名品の柱として、チラシには三項目の並列がある。
国宝 平安三蹟
千利休
人間国宝 江里佐代子
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チラシの右上は長次郎の黒樂「両国」に利休の拵えた茶杓「ゆみ竹」、左上には後嵯峨院本白氏詩巻 藤原行成筆、下三点は江里佐代子の截金彩色まり香盒。
後期に平安三蹟が現われると聞いていたので、正木美術館へ出かけたのは先週のことだったのだ。

この藤原行成の書は60年ほど前の鴻池家の売り立てで、小野道風の「三体白氏詩巻」と共に正木氏が入手したもので、5Mもの長さをみせる巻物だという。
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道風の書はあいにく前期展示だったので見そびれたが、こちらも道風の楷書の現存唯一の遺墨で、たいへん素晴らしい作だそうだ。
しかし後悔しても仕方ない。縁とはそのようなものだ。同じ大阪なのだから、いつかまた見ることもあるかもしれない。
白氏とは即ち白居易。その詩巻を目の当たりにするだけでも大きな価値がある。
文字そのものはさすがに流麗なもので、わたしごときがどうこう言える立場にはない。
しかしこういう字に憧れるかと訊かれたら、黙って微笑むだけにしよう。

他に高僧の手蹟もあったが、どうしても関心が湧かなかった。
わたしは天平年間の楷書は偏愛しているが、他は眼に入っても消えてしまうのだった。

春日鹿曼荼羅と春日境内曼荼羅とがあった。同じ14世紀のものだが、先のは南北朝、後のは鎌倉時代の制作。
鹿の顔つきに何かしら親しみがある。
古美術に無関心な同行の友人が答えを出してくれた。
「スニフに似てる」
ムーミンの友人スニフは確かにこんな顔をしていた。

傳・等伯筆の利休像があった。帽子をかぶらずスキンヘッドを見せている。
上畳に座し、手に白扇を持っている。生前の利休像ということだった。

寒山拾得図 赤脚子筆・了庵桂悟賛  いやな感じのしない図だが、その分面白味が薄くはある。

墨梅図 絶海中津賛tou172-1.jpg
白梅の清楚な美しさがこぼれている。細い枝振りと新たに伸びた若枝の配置がとてもよかった。

リストには前期となっていたが「十牛図」が出ていた。
この「十牛図」は哲学性を感じさせるより、なにかしら温かさを感じた。
牛と少年の心のキャッチボール。
現に逃げつつ牛は少年を見ている。愛想よしの牛で、少年が自分を捕まえるのを待とうとしたり、寸前で身を躱したり。そして追いかけっこに飽きたので「さぁ帰ろう」とばかりに家へ向かってゆく。
少年は多分明日も牛に逃げられ、牛も少年を置き去りにしそうでせずに、一緒に帰るだろう。

江里佐代子の2007年の急逝は、本当にあの当時びっくりした。
展覧会を見てファンになったところだったからだ。
まだまだお若いし、作品もどんどん精力的に制作されてた頃だったのに。
2005年に泉屋分館で「金箔綾なす彩とロマン・人間国宝江里佐代子・截金の世界」展があり、その後にたしかMIHOさんか佐川でも展覧会があったが、そちらには行けなかった。
それにしてもこんな気の遠くなる工芸に携わるヒトはえらいものだ、と感心したことが懐かしい。

会場内でもこれが江里さんに捧げられた展覧会であることが記されていたが、「天に遊ぶ」まさにその通りだった。
技巧の極限を見せてもらった。
そして2007年の正倉院展前に奈良国立博物館で「美麗 院政期の絵画」を見たが、そのときにも大いに截金細工が使われているのを知った。
素晴らしい技法は工芸・絵画の枠を超えて生きたのだった。

他に茶道具がある。
小さくて可愛い香合が集まっている。
香合ばかり集めた展覧会も時々開かれるが、本当に可憐なツクリが多い。

伊羅保茶碗があった。友人は古物に関心がないので、何故そんな名なのかと訊く。
「ざらざら・ざりざりしてて、いらいらっと掌にくるから」
・・・大阪人は特にオノマトペを多用していると思う。

歌仙絵があった。凡河内躬恒のそれがなんだかひどくウケた。
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困ったような表情をしている。装束の皺までもがそれを強調している。
なんとなく楽しい。

一方最初から戯画に近い歌仙絵もある。
呉春 休息歌仙絵巻  みんなくつろいでいる。おしゃべりしたり笑ったり。
いつもちょっとだけ頭を見せる斎宮女御は本を読んでいた。

いいものを見せてもらった。
図録はあるYoginiの指令を受けて購入したが、和綴じの綺麗な体裁をみせていた。
「中はどんなでしたか」
そう訊かれたので少しだけ開いた。
見る側に想像の余地を与える「本」だと思った。

京都ハイカイ 6つばかり展覧会

今日は朝から京都へ出た。烏丸で地上に上がったら46バスが見えたのに、なぜか乗らなかった。それで暑いのに堀川まで歩いてから9バスに乗って、直線で堀川通りを北上。
高麗美術館で「あなたが選んだコレクション名品展」を見る。
前回の「朝鮮の虎」展のとき、わたしも投票しておいたが、それは2位になっていた。
他にもいいものをいっぱい見たけど、これはまた別な記事に起こします。

それで私としては9バスで下って、堀川今出川から北野白梅町へ出てランチするか、または烏丸今出川で先に承天閣へ行くか腹積もりでいたところ、来たバスが9のはずが何故か4バスだった。
なんで間違える?放送も9バスって言うたよ。それが乗ったらなんで4バスやの?
9と4て似てるか?・・・丸いか角があるかの違いか。
とにかく絶望的な気分で深泥池とか通って、北山についた瞬間、耐え切れず下車。
その後に北8バスで上堀川まで出て、元の道に戻る。
北山で数分待つ間に3人から道を聞かれる。ツネヅネよくヒトサマに道を聞かれる。
大阪でも東京でも京都でも、ひどいときは海外でもいきなり道を聞かれる。しかも外国語で。・・・なんとかアッチやコッチや!と教えるけど、疲れるぜ。どうもそんなタイプらしい。

しかし蹴るバスあれば拾う店アリで、昨夏あたりからちょくちょく行くお店では人数と席の関係で、待ち時間ナシで座らせてもらえた。ごめんね、他のお客さん。
豚しゃぶと野菜のゴマダレうどんと明石焼きをいただいて、機嫌よく店を出た。
常にお客さんが多い気軽なお店で、ムードはないけど、味もいいし店員さんらもいいし、交通の便もいいので大好き。

102バスかなんかで烏丸今出川に出て承天閣へ。
柴田是真展。東京では三井記念美術館で開催したあれ。
前回の記事はこちら
チラシ、うまいと思う。
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技巧の粋ともいうべき重箱に、板橋所蔵の楽しい猫とネズミ絵を絡ませるのは、やっぱり面白い。
でもキャッチコピーはどうかなぁ(苦笑)。
ここの美術館は靴を脱いであがるが、スリッパなしで、けっこう気持ちいい。
廊下を行くと突き当たりは、巨大ガラスで庭を見せる。
新緑の濃い季節柄、室内まで緑に染まっていた。
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猫の親子、かえる、うさぎ家に婿入りするカラスの照れとか、滝を水鏡にした鷹とか、楽しい絵を見る。三井ではわりと展示換えごとに行けたはずだけど、見損ねてた作品が少しあったする。
それとついったーで出処を知った特別公開品「滝桜小禽図」が雄大だった。
桜の巨木は描表装で、本絵には滝と雀。小鳥のひっくり返り方は難度技。マイナスイオンを全身に受けてピカピカになりそう。

繁盛する展覧会で、外人グループもいたが、中に一人面白い女の人がいた。
たぶん大学生くらいと思うそのひと、足のくるぶしの上に芦雪風のわんこをタトゥーしていたのだ。あんなの初めて見た。ちょっといい感じ。

さて樂にいきました。tou045.jpg
歴代展。わたしは三代目の道入(ノンコウ)を偏愛してるけど、今回の展示品ではちょっと満足できなかった。
チラシの赤樂は「山人」という銘を持つ。
しかし今回は十代目の旦入の黒樂「破れ窓」にときめいた。
ツートンカラー。tou046.jpg
画像では粟色と黒に見えるが(それじゃ粟ぜんざいではないか)、実際は黒白。そして透明釉薬も掛けられていて、割られて出来た隙間が透明な釉薬でふさがれてはいるものの・・・という見かけなのだった。これはただの技巧と言うのでなく、遊び心というものか。

他に一対の獅子香炉を見た。赤は一入、黒は宗入の獅子だが、実はこの「一対」は後世のヒトによる取り合わせなのだった。
どう見ても最初から仲良しさんな獅子に見えた。大きな尻尾と大きなあごとを持つ獅子たちが仲良くおしゃべりしてるような・・・いいものを見たなぁ。

9バス再乗し堀川御池で下車。堀川御池ギャラリーへ。
「きょう・せい」展を見る。京都市藝大卒の9作家たちの作品展。
藤井良子さんというヒトの染布が好ましかった。色んな染め色の布を上からたくさんたくさん干して・吊っている。意図はしらないが、これはこれで大変に面白いと思った。

芦田尚美さんは作品のモティーフにアリスを選んでいた。大きな鉢があったが、そこにはアリスとドードーたちが焼き付けられている。
「DRINK ME」の瓶もある。いただいたチラシがあるのでご紹介。なんとなく気になる人になった感じ。
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ただわたしは現代アートはよくわからんし、生理的に合わない作品もあり、全体としてはどうなのか。
他に銅陀工芸高の前身・京都府画学校の卒業生たちの寄贈作品の展示室もあった。
チラシは松篁さんの「白鷺」tou044.jpg

又造さんの裸婦はソバージュでガウンを着てあぐらをかいている。胸がのぞくが、エロティシズムは存外ここにはない。むしろ服を着ているほうがいろっぽいのかもしれない。

学徒出陣で20才でなくなった作家の作品がある。
三木清という漆芸科卒生で、「エジプト文様手箱」がひどく綺麗だった。
艶かしい、と言ってもいいと思う。柄ではなく色艶の美。柄は途轍もなく愛らしい。
猫のバイオリン、狐のハープ、らっぱのウサギ。コウノトリの子育て。小さなキャラたちが全面にちょこまかちょこまか。可愛くて仕方ない。
欲しい、と思った一番の作。

そこからは京都文化博物館。冷泉家の展示。あーなんか都美で見たときより面白くなってる。乞巧奠(きっこうでん)再現コーナーではブルーナイトの演出あり。天の川です。

大丸京都では森田りえ子「東方彩夢」展を見た。
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こちらも東京で見ている。三越で。
大振りな椿の絵が最高にいい。金閣のための杉戸絵とか。
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大丸京都は長らく工事していてミュージアムも閉鎖していたが、再開の第一回目が森田さんの絵と言うのは、たいへんエエと思う。
正統な日本画の血脈を見せつつ、新しい風が生きる。
そんな作風の森田さんに今後もずっと期待。

高島屋のリサとガスパール、何必館のMAYA MAXXは時間切れでアウト。
イノダでレモンアイスクリームの入ったコーヒーフロートをいただいてちょっとだけくつろぐ。
それから京阪三条ではいつもよく行くうどん屋であんかけをたのんだら、夏場はないと言われてショボン。
でもセットはミニうな丼、あげたて天ぷら、ミニうどん、小鉢などでなかなかおいしかったから、ご機嫌。

東京で見たものが京都へ巡回したのを、数ヶ月ぶりに見てるわけだけど、ちょっとずつ設えなんぞも違うから、別物として楽しめた。
いい一日でございましたわ。うどんも二回食べたしね☆


写真家 中山岩太 私は美しいものが好きだ。レトロ・モダン神戸

兵庫県立美術館で中山岩太の展覧会を見た。
タイトルがまず素敵。
「写真家 中山岩太 私は美しいものが好きだ。」
これを見て思い出したのは、2005年の同美術館での展覧会「安井仲治 ?僕はこんな美しいものを見た?」
同時代、近い場所で活躍した二人の写真家は共に「美しいもの」を愛したのだった。
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銀鉛の写真の美に惹かれる。
モノクロ写真が主流だった時代の、都市風景、人々の姿、花や静物。
ちょっとした人々の仕種そのものがフレームの中に収められた時点で、美しいものに変わる。
写真家の眼はそれを特別なものにする。

中山岩太の写真を最初に見たのは'90年の三越での展覧会だった。
地震の前まで三越は素晴らしい映画と展覧会とを、まだ無知だった私に多く見せてくれた。
そこで見たものは「上海から来た女」だった。
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当時既に'20?'30年代への偏愛が強かったわたしには、その一枚だけでも十分に魅力的だった。
その女の顔を見たとき、頭の中に気だるい歌が流れ出してきた。
それは1934年公開の「フットライト・パレード」の劇中歌「上海リル」だった。
(戦後の「上海帰りのリル」とはまた違う歌で、「帰りの」が返歌とすれば、「上海リル」は本歌である)
原曲はアメリカのものだが、ディック・ミネの歌声が残されている。
わたしはアメリカの原曲の方を'85年頃に知ったのだ。


20年経った今でも中山岩太の名を聴くと最初に思い浮かぶのは「上海から来た女」なのだった。

展覧会は二部構成で、最初に中山岩太の作品だけが集められている。
第一章 東京からニューヨーク/パリへ
第二章 モダニズムの光彩
第三章 モダニズムの影
第四章 甦る中山岩太

中山岩太は1920年代の多くをNYやパリ、スペインで過ごしたか、いい作品を多く残している。
‘24年の「・・・」というタイトルの作品はショールをまとうインド系美人を捉えたものだった。目元の艶麗さはモノクロ作品だからこそ、いよいよ発揮されている。

1920年代のアメリカは困難と狂喜の綯交ぜになった時代だったように聞く。
‘20?'25年の間に撮られたらしい「セントラルパーク」を見る。
なんとも言えず侘しい風景だった。
寒々しい風景には、90年後の21世紀の今日が来ることは、全く予想も出来ない。
それは中山岩太の捉えた街の表情なのか、それとも彼の心象風景なのかはわからなかった。

‘26年の一連の「スペイン風景」は広角レンズで撮影したような、不思議な湾曲を見せていた。スペインは地方によって全く表情を変えると言うが、なぜかわたしはその風景がグラナダのような気がしてならなかった。
実際にはスペインに行ったことなどないにも関わらず、しかしそのように見えた。

未来派パントマイムの舞台風景を写したものがあった。’27年。
そして’32年の「無題」の作品に、一枚の画面の左半面に女の顔半分、右に未来派風舞台が見えるものがあった。
未来派は中途から政治的なイデオロギーが加わったので離れた、と何かで聴いた気がする。

帰国してからの作品に、酷く好きなものが多い。
福助足袋などがその代表と言ってもいい。
しかしこの作品も試行錯誤の軌跡が残されていて、今回それが展示されてもいた。
小さく福助がいる、そのことだけでこの作品は深く意識に刻み込まれる。

‘33年に第一回神戸みなとの祭が開催されている。
それを写した連作がある。
小磯良平が原画担当したポスターを捉えたものがある。
そのポスターはわたしも見ている。小磯らしい上品な、そして明るい作品だった。
それを中山岩太の目が再構築する。
世界が揺らめくような情景がそこにあった。

そしてチラシに選ばれた「長い髪の女」が現われる。
‘33年に生きる長い髪の女。どの国のどの人種のどんな女なのかは知らない。知らないし、知る気もない。しかし、ここにこの女は永遠に生き続けることを知る。

「神戸風景(雨)」の連作は’39年の作だった。
すべてがパリの何処かの風景に見えた。アジェの切り取ったパリ、それに近い気がする。
ゼラチンシルバープリントの魅力を感じるのは、こうした作品群からだ。

随分以前まだ「兵庫県立近代美術館」だった頃に「水の風景」ばかりを集めた展覧会があった。そこにここにある一枚が出ていたことを思い出した。
その展覧会は小林清親の「木母寺の雨」から始まる展示だったが、そこに中山岩太の写真が加わることで、随分奥行きが生まれたように思えた。

わたしは中山岩太のコンポジションはニガテで、見ていても殆ど楽しめない。
‘40年代の作品にあまり関心が向かないのは、彼のみつめる先が以前と変わったからだった。
しかし「蝶」の神秘的な美しさ、「冬眠」のタツノオトシゴの不思議な魅力は忘れがたい。

第二部は「レトロ・モダン神戸 中山岩太たちが遺した戦前の神戸」と題されている。
第一章 神戸大丸と中山岩太
第二章 神戸みなとの祭りと中山岩太 
第三章 中山岩太と「神戸風景」
第四章 もう一つの「神戸風景」―「流氓ユダヤ」と戦中から終戦後にかけての神戸

大丸は300年ほど続く老舗だが、元町に店だししたのは幕末の頃だそうだ。
清盛の福原遷都で歴史に少しばかり顔を見せてから後は、ほぼ埋もれていた町が開港後は一挙に花開いた。
繁華な元町にモダンな大丸がオープンし、そこで中山岩太は大いに活躍した。
(当時の建物は村野藤吾設計だったようだ)
多くの著名人のポートレートが残されていた。
夭折した音楽家・貴志康一のそれは、バイオリンを弾く横顔を写したもので、中山岩太の作品として知る以前から貴志康一の肖像として見ていたものだった。

今竹七郎も大丸に勤務し、多くのDM用デザインやパンフレットを製作し、それらも展示されていた。どれもこれも’30年代初頭らしいモダンなセンスで作られている。
これらは西宮大谷記念美術館の所蔵品で、以前展覧会もあったから、楽しい再会だった。

また前述の神戸みなと祭ポスターの現物と、小磯の原画が並んでいた。
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そして光村印刷の出した写真集もまたそこにある。
とてもにぎわったようだ。

今も「神戸まつり」は開催されていて、サンバチームなどが元気に踊っている。
わたしはあんまり神戸と縁がないのでよく知らないが、人気があるらしい。

敗戦前夜なのか、それとも敗戦後なのか、ロングで海岸通を捉えた作品がある。
「神戸風景(港)」’45年版である。今も麗容を見せる商船三井ビルディングがある。
神戸の中心地のうち、わたしはこの海岸通がいちばん好きだ。

戦前の神戸を描いた手塚治虫「アドルフに告ぐ」を思う。
手塚の曽祖父は例の「陽だまりの樹」の手塚良仙だが、彼の父は会社づとめの傍らアマチュア写真家として活躍もしていた。
何度か安井仲治あたりの展覧会で作品を見てもいる。
実験的な面白いものだった。火花がパチパチするものとか。
そして完全なるプライベート・フィルムだが、’20?’30年代の手塚家の家族の様子を捉えた8mm映像も見ている。(手塚記念館だったと思う)
そんなモダンな父の子である手塚治虫が描く戦前の神戸は、まさに中山岩太の切り取った風景だった。
それは中山岩太の作品を参考にしたというのではなく、リアルタイムの眼が捉えた風景だったのだ。

川西英の「神戸十二ヶ月風景」が出ていた。
こちらは’31年の連作。新開地、六甲、福原、須磨、大倉山・・・布引、元町と続いている。
色合いの綺麗な木版画。またその数年後には「神戸百景」を製作しているが、こちらは'60年代の「兵庫百景」の先駆のような作品群だった。
中でも一番印象に残ったのは花隈駅前に今もある本願寺系のお寺で、地元では異国寺とも呼ばれる、タイやビルマにありそうな建物を描いたものだった。

こうした都市風景を捉えた作品は、いずれも深く心に残されている。
他にも多くの絵はがきや観光資料などがあり、とても楽しい気持ちになる。

やがて「流氓ユダヤ」シリーズが生まれる。
数人の写真家たちによる連作もの。彼らが何故「流氓」となったかは、「アドルフに告ぐ」にも描かれている。日本に来る人々もいれば、上海経由でアメリカへ逃れた人々もいる。
「龍―RON」にもそうした人々が描かれていた。

安井仲治「流氓ユダヤ 窓」 tou037.jpg
深い恐怖と静かな絶望がこちらにもはっきりと届いてくる。

展覧会は5/30まで。

韓国の民画と絵本原画展

西宮大谷記念美術館で韓国の現代絵本と古くから民衆に伝わる民画の展覧会が開催中。?5/23。
昨今、朝鮮の民画の愛らしさが段々世に知られてきて、人気も高まっているところへこの展覧会だから、わたしが行った日もなかなか繁盛していた。
韓国の絵本作家たちの近年の絵本原画がまず出迎えてくれた。
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チラシは右側が民画のとら。牙と言うより八重歯を見せてこっちを意識している。しっぽも長い。バックにはボタンの花と松にどうやらカササギらしき鳥がいる。虎にカササギは朝鮮の民画の定番。
まつげも長くて可愛い虎。
中国では虎は悪者で、食べた人間を自分の使い・倀鬼ちょうき(人扁に長の字と鬼)にして次々に食人したりするが、朝鮮では魔除けの力を持ち、人気者である。
いいなぁ。可愛い。
朝鮮の虎の良さはここ数年で日本に行き渡ってきているように思う。

さて絵本原画。チラシ左の上から。
ハン・ビョンホ 天下無敵の五兄弟  虎が使役されてますな。猫風な虎。あんなわるい五人兄弟にひっかかった虎も気の毒な。これは異時同時図ですかな。民話から再話したものか。

クォン・ユンドク 猫は私だけのまねをする  現代の韓国の少女と飼い猫の楽しいエピソードの連なり。
タイトル通りの状況だから細かい説明は不要。にゃんこと少女の楽しい様子が繰り広げられ、見ているこちらも嬉しくなる。
ああ、こんな猫もいいな。私と一緒にいてくれて、一緒に遊ぶ猫・・・
面白かったのは絵の配色。ここでも黄緑と黄色と赤が多用されているが、朝鮮の人たちの好む色合いがこうしたところにも出ているのだ。
猫は三毛猫だからこちらも女の子だろう。
背景も手抜きされず、簡易化されず、細かく描き込まれている。

同じ作者の「仕事と道具」はまたいい絵本だった。 
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画像は文具・絵具類。ところどころに古い朝鮮の美術品があるのもいい。
私はこんな風な色々描き込まれている画面って大好きだ。

イ・オクベ お話袋のお話  これはある文芸好きな若旦那にまつわる物語で、なかなか面白い筋立てなのでちょっとご紹介する。
その若旦那は各地に伝わる物語を収集し書き残す趣味を持っていた。書いたものは袋に詰めている。
さて歳月が経ち若旦那は結婚することになった。ところがそうなると収まらないのは袋に詰め込まれた「お話」たちである。よくも閉じこめやがって、と憤った挙げ句に協議して、若旦那をとり殺すことに決定した。
花嫁さんのもとへ行くまでに命を取ろうと決まったのだが、それをこの家の賢い下女が聞いた。
下女はそうはさせじと自ら若旦那の馬の轡をとって旅をする。むろん若旦那はそんなことを知らないから、毒入り木イチゴを欲しがったりなんだかんだと危機に瀕するが、その都度この賢い下女のおかげで命拾いする。
まぁ色々あってようやく若旦那は花嫁さんとご対面ということになるが、そこでも下女の活躍がある。
最後は若旦那が閉じこめていたお話たちを解放することで、災厄は消え、お話たちも自由になって喜ぶ・・・
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これは非常にわたしには面白かった。
なにを示唆し、なにの暗喩かは本当のところはわからないが、たいへん興味深い物語だった。(見方は色々ある)
とはいえ物語そのものも面白いが、絵そのものもいい。
両班の人々の様子、室内の設え、キャラの可愛らしさ。知恵の使い方もよく描かれていて、面白い作品だった。

ハム・ヒョンジュ 暗行御使の虎  椿や霊芝などが生える崖に逞しい虎がいる。背後の松の木には鹿やウサギが隠れているが、怖くて隠れているというのではなく、かっこいい虎にキャッ♪という感じ。・・・いいなーこういうの。
暗行御使とは朝鮮の隠密のことらしい。アメンオサと発音するそうだ。
「新・暗行御使」というコミックもあるが私は未読。
それにしても虎が暗行御使として働くとは、なかなかかっこいいな。
で、その暗行御使の虎は悪者の女に力を奪われるが、善きヒトの助けを借りて、刺された呪いの簪を抜いてもらい、再び戦いを挑み、今度は悪を倒すのだった。
この暗行御使の虎は黄色味が濃いので、ぐるぐる回るとバターになりそうだが、真っ当な働き者である。
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ペ・ヒョンジュ お正月の晴れ着  男児バージョンと女児バージョンがある。
両班の家の子らしい、立派な着付けと立派な支度。民族の誇りを心に持つのは本当にえらい。もう日本にはその心は失われつつある。
女児たちの目元の涼しさ・額の豊かさがいい。

イ・ユッナム 水宮歌(スグンガ)  後列真ん中のうさぎ、彼が主役の一人である。
そのやさぐれぶりから大体想像がつく物語だと言ってもいい。
日本にも伝わる民話と同じものが原作となっている。
つまり竜王が病気になり、占いもしくは診察の結果、ウサギの生肝を食すると良くなると診断が下される。(日本だと猿の生肝である)
そこで亀が陸へ上がり、標的を言葉巧みに誘いこんで竜宮へ連れ込むが・・・・・
このウサギはかなり悪い奴で、ははぁんと「!!」と来た後は「生肝は丘の木の上に干してある」とかなんとか言うて、竜宮で贅沢三昧した挙句に陸へ。

朝鮮の人々にとってウサギとはどんな存在なのか。民画ではよくこんな図を見る。
長????いキセルでタバコを吸う虎がいて、その虎にニヤニヤ笑いかけているウサギがいる。どう見てもホルンのようなキセルを持ちもする。
虎はどうやらこのウサギにいかれてまいそうである。
しかし書きにくいことまでも表現できるのは、すごいと思った。
韓国の絵本のパワーはすばらしい。

他にパンソリで有名な「沈清伝」を基に仮面劇風に描いた「沈清歌」、鬼(おばけ)と虎のなさけない「トッケビとおかゆ売り」などなど、見ごたえのある作品が並んでいた。
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色んな表現で絵本が生み出されているが、この展覧会に集められていた絵本は「民画」の影響を受けたものも多いという。
本当に良質な作品とたくさん出会えて嬉しかった。

その民画も色々な形のものが展示されていた。つまり実際に民家を飾る絵として活きてきたので、表装されてたり屏風になったりで、本当に愛されてきたのがよくわかった。
めでたい吉祥図も多く、見ていて興味深かった。

わたしはドラマの韓流ブームにあんまり縁を持たないが、朝鮮の古美術、就中、やきものの美には強く惹かれている。
高麗青磁、李朝時代の白磁、その美にときめき続けた後に、箪笥などの木工芸品に深く惹かれ、それから絵画に眼が向いた。
絵本に関しては、この西宮大谷での毎夏の「ボローニャ絵本原画展」で様々な国の絵本原画を見せてもらい続けたことで、多少の知識や眼が活きるようになったと思う。

朝鮮民族にとって虎は愛すべき猛獣であることを知ったのは、こうした状況の中からだった。
民画にも多く姿を見せる虎は、いつのときも愛され続けている。

こういう展覧会は本当に行ってよかったと思う。

山本容子のワンダーランド

ぼやぼやしながら日を送るうちに、埼玉近美での山本容子の版画展が終わってしまっていた。「山本容子のワンダーランド 不思議の国の少女たち」
見ることが出来たのは嬉しいが、記事を書いてないままではないか。←反省。
好きな作家なのにこんなことが時々おこる。申し訳ない。
それであっさりと山本容子作品へのオマージュをここに記そう。

作品も好きだがご本人もとても魅力的で、わたし的にはアコガレの人たる山本容子。
展覧会があれば出来る限り行くようにしているが、それでもまだまだ見残している作品も多い。
今回の展覧会はこれまでわたしが見れなかった作品も多く現れているのが嬉しかった。

初期の作品が並ぶのを見ていると、試行錯誤とか構想の軌跡などが見えたような気がする。
本当のところはわからないものの、それだけでも楽しい。
映像が流れているが、映し出されていたのは、彼女の初期作品群を譜面に見立てての即興演奏だった。こういうセッション、すごくかっこいい。

新聞連載の挿絵作品集があった。(「静かな大地」)
野菜や果物や工具類などがコマ絵のようにある。それが障子や抽斗の中や屏風に貼り付けられているのが、ひどく魅力的だった。
これらは池澤夏樹の小説のための挿絵だが、物語の本筋そのものを視覚化するのではない性質のものだった。
しかし全く無関係と言うものではない。
それどころかその挿絵があることで、読者は「その日」の家族の状況・暮らしぶりを想像することになる。
以前に辻邦生の「光の大地」では物語とリンクした挿絵を生み出していたが、あれは物語の進行と同時にゴーギャンの世界をも綯交ぜにした作品だった。
発想はまったく違うものの、どちらもとても素敵な作品なのに違いはない。
しかしこのちょっとしたトマトであるとか豆だとか、箪笥や箸などを見ると、画文集のような趣まで生まれてくるし、こまごましたものが寄り集まるのを眺めると、なんとなくささやかながらもシアワセな気持ちになるのだった。

むかし、辻村ジュサブロー(当時)は、瀬戸内寂聴の「まどう」に般若心経の一文字一文
字と人体とを組み合わせた挿絵を提供していた。
そのことを思い出しながら眺める。

音楽と共に在る作品を見た。
跳ねるような明るい気持ちが作品から溢れてくる。
♪が連なる、ヒトが踊る、犬や鳥が喜ぶ。
わたしも好きな、ちょっとは歌えるような音楽がたくさんあった。
ハナウタまじりで作品を眺めると、わたしもその中に入り込めた気がする。
とても楽しい。

ストラビンスキー 春の祭典  オレンジとブルーの調和にときめいた。作品の前に立つと頭の中にあの連続音が流れ出す。ニジンスキーが振り付けたカクカクとしたぎこちない動きが目の前に浮かんでくる・・・・・・

古典文学を再話したシリーズを見る。虫愛づる姫君、更級日記・・・
平安時代の少女たちの顔。ふっくらしたしもぶくれの頬に柔らかな唇。
村上勉の子どもたちにもこんな顔が多い。

「竹芝」をモティーフにした作品は特に好ましかった。
もともとこの話が好きだと言うこともあって、見ていて嬉しかった。和紙にソフトグランド・エッチングという技法でカタチが生まれ、そこにグワッシュで彩りを施し、純金箔刷という、手の込んだ制作。
この「竹芝」は姫君みずからが新世界へ飛び出す、というところがすばらしい。薄の生い茂る野を駆け行く男の首にしがみつく「光る、美しい」姫君。駆け抜けるリズムがそこに描かれている。
しかし、とわたしは他のことを思う。
檀一雄「光る道」もまた「竹芝」を描いた作品だが、男の眼と女の眼は違うものを見ている。そこには表面に出ない深い悪意と恐怖が滲んでいた。
わたしは檀一雄もとても好きだが、「竹芝」の姫君は山本容子の描く姫君がいい。

日向ぼこtou032-1.jpg
二匹の猫の楽しそうな様子がいい。丸い頭に小さい三角の耳。女の子の毛糸に巻き込まれてくるくるくるくる・・・
薄い黄土色と水色の取り合わせがこんなにもすてきに見えるのは、山本容子の世界だけかもしれない。

流れるように見て歩き、歩く速度でときめき続けた。
その私と同じ速度の人がいた。
まだ学生ぽいような若い男の人。
時々ぶつかる度に彼はわたしに目礼をする。
その横顔は山本容子の「アリス」に似ている・・・と私は勝手に思った。

「不思議の国の少女たち」という副題がつくとおり、この展覧会は女の子たちがいる世界だった。ワンダーランドの少女の代表はやっぱりアリスに違いない。
そのアリスのワンダーランドの住民たちを描いた作品の中で一番気に入ったのは、やっぱりチェシャ猫さんだった。
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枝の上で笑っているチェシャ猫。消えかかっているのは忍法かもしれない。イングランドならぬワンダーランドの忍法。
分身の術。朧の術、陰身の術。・・・もしくはチェシャ猫型の雲が浮かんでいたのかも。

盤上の敵を一つずつ確かめるように「鏡の国のアリス」を見る。
キャラがとても可愛い。これは今年の新作だった。
また新しい魅力を見せてもらえたのだ。なんて嬉しいことだろう。

そして鉄道博物館のためのステンドグラス、それにときめいた。
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綺麗な作品。実物も二枚ばかり来ていてその前に立つ。映る光彩は本当に綺麗。
ああ、私も早く鉄道博物館へ行きたい。

山本容子の世界に触れると、ここではない何処かへ行きたくなるのだった。

長谷川潾二郎

平塚市美術館へ「長谷川潾二郎」展を見に行った。
彼を最初に知ったのは'97年の「洲之内徹と気まぐれ美術館」展でのことだった。
そのときのチケットが「猫」つまりあの愛しいタローを描いたものだった。
今回の展覧会ではチラシの表を飾っている。
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タローについては今回の展示に「タローの履歴書」があり、タローの静かな生涯について知ることが出来、嬉しいような気持ちになった。

洲之内展のとき、彼の著作「さらばきまぐれ美術館」所載「幸福を描いた絵」の抜書きがあったが、それを少し引用する。
「・・・わたしが貰っていってもいいですかと言うと、いやまだ完成していない、髭が描いていないと言う。じゃあその髭を描いてくださいよと言うと、長谷川さんは、髭だけを描くということは自分には出来ない、猫がこの通りの格好で座ってくれないと髭も描けないが、しかし猫とは暑いと長く伸び、寒いと丸くなってしまって、こういう格好で座るのは春と秋の、年二回だけだと言う。・・・・・」
今回の展覧会までわたしはこの「猫」がタローと言う名だと知らずに来た。
そして髭を描く前にタローが静かに彼岸へ去ったことを知った。
そうか、とわたしは思った。
タローは春秋を安穏に寝て暮らし、画家はその眠りを妨げることなく、片方を「未完成」にしたまま、やさしい良い絵を完成させたのだった。
タローは寝ていて静かだったが、他の全ての絵もまた、限りなく静かだった。

長谷川潾二郎に惹かれたのは、やはりその展覧会のおかげだった。
彼に関心が湧いたが、評伝などはみつからなかった。
ならば洲之内徹の著作をきちんと読めばよかったが、わたしはそこからでなく、長谷川潾二郎の兄である林不忘の小説を読むことにした。
当人への関心が高まったとき、わたしはその周辺にも深い関心を寄せるのだ。
それで林不忘が牧逸馬であることを知り、「めりけんじゃっぷ」シリーズの作者・谷譲次でもあることを知った。
(夢野久作ファンのわたしは社会思想社の現代教養文庫版を揃えていて、その宣伝で牧逸馬も谷譲次も知っていたのだ)
また彼ら四兄弟の末弟・長谷川四郎には子供の頃からなじみがあった。
つまり古典文学を子供向けに再話した文芸シリーズなどで、よく読んでいたのだ。
こうした迂回を楽しみつつ、絵を見る機会が欲しいと思っていたのだから、随分長い待ち時間ではあった。

「音のない世界」を目の当たりにした。そう思う。
音楽を内含する作品もあれば、こうして音を遮断した作品もある。
しかし決して動きのない世界ではない。

眼を開けてこちらを(なんとなく)みつめるカツギ柄の猫。
「猫と毛糸」tou030-1.jpg
こんな猫、実際に知っている。このカツギは金目の猫だが、どういうわけかこの柄の猫は不思議な魔力のような魅力に満ちている。
グレーのクッションに寝そべるカツギの猫はまだ子猫から中猫くらいだが、既に不思議な魅力をあたりに放っている。傍若無人に生きる特権を得た猫。
それを画家はとらえている。

また塀の外でボール遊びをする女児のいる風景を見る。
「時計のある門(東京麻布天文台)」tou030-4.jpg
そこには確かに生きている実感があるが、しかしそれでも音はしない。
音声を拒絶していると言うわけではなく、どこか音と絵とは切り離されていて、遠くに対峙している。
そんな世界が広がっていた。

一緒に見ていたえびさんと二人、「緑色が好きなんだ」と囁きあった。
長谷川グリーン二郎。
緑は画面に収まってはいるものの、緑色で描かれた森はその枠の外にまではびこり、世界を侵食しているようにも思えた。


函館の人だというから、そこに住んでいた頃には町の名所を描きもする。
平面的な「函館風景」は海と煙突が描かれ、「ハリストス教会への道」には一人のおじさんと犬が描かれている。
1923年の「ハリストス正教会」はタイトルだけ見れば、あのたまねぎ頭の建物が思い浮かぶところだが、ここにあるのは建物の下部の横っちょだけ。
この絵が記録用の建物写真なら、速攻で消去されるところだろう。
しかし作者の意図するところを読みとらねばならない。
いや読みとらずとも、画家の目が何故この風景を選び、画家の指がその風景をどう描いたかを想う必要はある。

窓とカマキリtou030.jpg
構図だけをみればルソーを想う。えんじ色のカーテンは片方に寄せられているので重くはない。
繊細な緑が窓の外に広がる。雲も出ている。
そして窓際に緑色のカマキリがいる。あの窓の遠くの緑から来たようなカマキリが。

1931年にフランスに行ったようでパリ風景を描いた作品が並んでいる。
どれを見ても緑が濃い。都心部を描くのではなく郊外を描くことが好きだったか、いい作品も多い。
「巴里郊外」と題された絵は奈良の風景に似ていた。奈良の廃都の風情がそこにある。
「道(パリ郊外)」は山頭火の句を思い出す。まっすぐな道でさみしい・・・・・・
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翌年には荻窪風景がある。
荻窪にはそのころもう井伏鱒二も住んでいたか、静かで穏和な町がそこに描かれている。しかしその一方で少しの不気味さも活きている。
「雪の荻窪風景」 瞽女さんが歩いてそうな町。そして連隊が目的地へと急ぐような町。

「庭の森」という絵がある。これも見たことがある。大阪の至峰堂画廊所蔵というから、そこで見たのかもしれない。・・・ナニカイル。そんな雰囲気がある。濃い緑の森。その森から骨だけの巨大な鳥が飛び立ちそうである。

前述の函館も荻窪もどことなく特定の場所を描いていないような感じがするが、「南禅寺風景」もまたそうだった。
どこがどう「南禅寺」なのかがわからない。境内のどこかを切り取ったというわけでもなさそうである。
結局それが一種の不可思議さを漂わせるのかもしれない。
「正倉院付近」に至っては、そこに描かれている風景が果たして「正倉院」付近なのかどうかさえ、どうでもよくなってくる。

芭蕉の庭  巨大すぎる芭蕉の葉陰の下、緋毛氈を敷いて女の子二人が向き合っている。
深く濃い緑の中に赤い四角い空間が生まれ、そこにおかっぱの少女が二人いることに、不思議な力が生まれている。
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幻想的な作風と言っても作家本人はそれを意図的に表出させたかったのだろうか。
小杉小二郎もそうだが、平明な表現で不思議に幻想的な空間を生み出す人の絵には、やはり音声が欠落しているように思う。
そしてそれは不快ではないのだった。

なかなか彼の回顧展がないまま時が過ぎていったが、数年前に大阪の至峰堂画廊で小さい展覧会があり、そのときに長谷川潾二郎の静物画を見た。

紫蘇の実tou031.jpg
これがその絵。実物はもっと黄色味が少ないので不完全な複製だが、わるくはない。白い琺瑯風な水差しにしその実がついた細い枝が。やはり不思議な存在感のある絵だと思う。

柚子の木  これも'97に見た。小さい柚子の木の前を小さい鳥が三羽行く。何の鳥かはわからない。奇妙な構図ではある。もしかすると柚子の下には誰かが・何かが埋められているのかもしれない。

玩具と絵本  ケンダマ、紙風船、鉛筆、ゴムボール、そしてドイツのもじゃもじゃペーターの絵本。
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ドイツのその絵本は実物を見ているが、とてもリアルだった。
しかし何故よりによってもじゃもじゃペーターなのだろう。
静物たちについた影ですら、微妙な不可思議さがある。

資料集を見る。カットや素描が全て蔵書票に見える。セミや小さい干支ものが面白い。
見れば見るほど不思議な静けさを感じ、静かであることを幸せに感じ出す。
それに包まれてゆくのは心地よかった。
展覧会は6/13まで。

細川家の至宝/細川家の明治・大正

細川家の至宝を拝みに東博へ行った。
朝イチに行くと入館前でも並んでいたので、なかなか人気やな、と実感。
2部制。「武家の伝統と細川家の歴史と美術」「美へのまなざし 護立コレクションを中心に」と分かれている。
先に2部から見よとmemeさんからありがたいご指南が届いておったので、素直な七恵さんはエスカレーターを上がって、迷わず「美へのまなざし 護立コレクション」を見に行った。先客も相客もいないんで、存分に楽しませてもらえた。
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最初は江戸時代。

白隠禅師の墨絵がずらずら並んでいる。
どちらかといえば白隠や仙の絵はニガテだったが、近年は楽しく見るようになった。
それはきっと、それまで「綺麗な絵」にしか関心が向かなかったのが、色んなものを見ることで、だんだん目が養われてきたからだと思う。
白隠にしろ仙にしろ大阪弁でいう「けったい」な絵を描く。
面白く思った作品をちょっと集めてみる。

まず白隠。
達磨図  やたら大きな眼がどう見ても宝珠風。それで賛には老眼鏡なしで描けたゾとジマンしてるが、それでこんな眼の描き方なのかも。
虚堂智愚像  赤袈裟に払子持ちにんまり。髯の剃り跡の濃い坊さん。
乞食大燈像  水木しげる的キャラに見えた。
十界図  閻魔さんでなく観音さんがいる。白隠オリジナルなのか。
白隠慧鶴墨蹟 関山慧玄偈  なんでも立ったまま往生を遂げたヒトらしい。凄いな。
鼠師槌子図  如来な大黒さんと手下のネズミたち。

次に仙。仙といえば出光コレクションばかり思い浮かぶが、細川家(今では永青文庫)にも多く所蔵されていたのですね。
人形売  なにやら気さくそうな感じ。  
騎獅文殊図  獅子が妙に可愛い。歯がむき出しなのはともかく、やたら歯並びが可愛い。その背中の文殊菩薩は、わが愛する阪神タイガースの関本選手によく似ているのだった。
花見図  墨絵で宴会を描く。楽しそうな様子。ハメを外すヒトはいないらしい。

絵の次には刀装品にいいものをいくつか見た。

桜に破扇図鐔 伝林又七作  これはモティーフそのものが面白い。なぜ破れ扇なのかがわからないが、見た目がたいへん面白い。
桜九曜紋透鐔 銘 又七 林又七作  細川家は九曜の紋で、櫻が九つ繋がりしてるのが可愛い。こういう意匠はやはり魅力的。
他にも別な作者の田ごとの月図、透かし唐草、武蔵野図をデザインした鐔があった。
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さていよいよ近代日本画と近代洋画。

黒き猫 菱田春草  子供の頃からこの絵は知ってたが、なかなか実物にお目にかかる機会がなかった。数年前の東京美術倶楽部で、この猫が木から下りる絵を見たとき仰天したが、それもこの絵を知っていればこその驚きだったわけだ。
やっぱりこの焼き芋屋さんの黒にゃーは、可愛い。指先がたまらんぜ。
耳が立っていて、灰色の眼を一点に向けているのは、描く春草をみつめているためか。
この黒にゃーのクッション、幹のタピストリーつきで販売してたけど、ちょっと欲しい気がした。
tou028.jpg (画像は猫のみ)

焚火 横山大観  寒山拾得が黒い道士風な衣を着ているのが、他では見ないところ。
大観の寒山拾得は他に、上野の大観記念館の美少年図があるが、なかなか好きな感じ。

豫譲 平福百穂  ’97年に奈良そごうで平福百穂の回顧展があり、そのときに見た。
中国の豫譲という男の復讐譚を描いている。目的のためには手段を選ばない男で、絵にも彼の力強さがあふれかえっている。

霊泉由来 川端龍子  西洋のトリプティックのような3面構造の絵。右に白鹿、左に藍色の髪の女、中には滝水。どことなく鏡花の「高野聖」を思わせる構図。
山に閉じこもる女は霊泉により若さを保ち、言い寄る男たちを弄んだ果てに小動物に変える・・・・・

花鳥(李・柏) 真道黎明  赤いスモモに青い尾の鳥、そして冬柏。色の美しさを堪能。

髪 小林古径tou027.jpg
これは以前から好きな作品だが、前期展だけの展示だそうで、見れてよかった。昭和初期、薄緑色の腰巻。きれい。髪をとく女の着物はその当時の流行ぽいだけでなく、画面を引き締めている。二人を繋ぐ長い髪がまた魅力的。

孔雀 小林古径  緑色の鮮やかな孔雀。こちらに押し寄せてきそうな迫力があった。

縞ジャケット アンリ・マティス  ブリヂストンのレギュラーさん。実は私の年長の友人に、この絵の人とよく似た奥さんがいる。私は勝手に彼女の名をつけて、この絵に呼びかけている。

支那の踊り 久米民十郎cam228-3.jpg
この絵が出てきてくれているのが嬉しい。去年初めて見た作品。女の身体のくねり具合がなんとも言えず艶かしく、そしてどういうわけか、微かな悲哀さえ感じもする。ついったーで久米のことが話題に出て、それで少しずつ彼の生涯などを知ることが出来て、嬉しいと思う。

去年の永青文庫の展覧会のチラシ。
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承徳の喇嘛廟 安井曾太郎  他にも数点同じ建物が描かれているのを見たが、永青のが一番堂々としている。実物の写真も見ているが、絵の力強いピンク色は実物を圧倒していた。

紫禁城 梅原龍三郎  日中史のややこしい時代に描かれた作品。しかしピンクの雲の下に広がる巨大な城郭の美は、まさに「大きい」。

絵を見て機嫌よくなったところへ、今度は中国を中心にした東洋美術の名品を眺める。

金銀玻璃象嵌大壺 中国河南省洛陽金村出土 1口 中国 戦国時代・前5?前3世紀
ガラス象嵌と金のポコポコ。よそで見たことのない意匠。みごと。

金銀錯狩猟文鏡 中国河南省洛陽金村出土 1面 中国 戦国時代・前4?前3世紀
チラシの下半分を占める鏡。豹vsヒト。細川ミラーとして世界的に有名な一枚。
金の残り具合が素晴らしい。豹とヒトの文様も細かい。たいへん見事な作品で、やはり国宝と言うものは凄いな、と改めて感心した。

金銅獅子鈕獣面文三脚香炉 1口 中国 明?清時代・17世紀
蓋のチョボが獅子・・・犬みたいなのが天に向かって口を開けている。
ちょっと谷岡ヤスジのド忠犬ハジ公を思い出した。

三彩女子 1躯 中国 唐時代・7?8世紀  武則天の時代前後の流行のスタイルをした女子像。髪型も衣装もなかなか。唐代はファッショナブルで遺宝も素晴らしいものが多い。

三彩馬が一対来ている。白馬は緑がたらり。鬣も一房たらり。茶色い馬は鬣を全て左にまとめて流している。どちらも勇壮で華麗。

三彩宝相華文三足盤 1口 中国 唐時代・7?8世紀  
こんなに細密で絢爛な三彩は滅多に見ない。本当にすばらしい。愛玩の一品。

白釉黒掻落牡丹文瓶 磁州窯 1口 中国 北宋時代・11?12世紀
こちらは白鶴美術館の龍文瓶と対しているらしい。白鶴の龍文瓶がアタマに蘇る。爪の開き具合が可愛かったな?。(美術館のリーフレットにご登場の龍ちゃん)

月白釉紅斑文盤 鈞窯 1枚 中国 金時代・12?13世紀
水色の地に紅が舞う。そんな風情の盤だった。金代のこうした作例には本当に美貌のものが多いと思う。

五彩仙姑図花盆 景徳鎮窯 2口 中国 清時代・17?18世紀
仙女たちが色々と楽しげに。鶴に乗ったり、紅蝙蝠が飛ぶのを眺めたり、笑いさざめいたり。こういうのを見るのがまた好きなのよ。

他にもイランの12?13世紀の素敵なやきものが、東博ほまれの昔のガラスケース内に納められていた。嬉しくなるなぁ、そういうことも。

ターラー菩薩立像 1躯 インド パーラ時代・10?11世紀
こちらは私は初見。女尊。観音。救済。霊をも救う。美麗な女菩薩。

第二部の美術品を存分に堪能してから、第一部へ向かう。
細川家の鎧とか軍扇とか陣羽織などあるけれど、あんまり関心が湧かない。
書状に肖像画、お城の図などなど。
以前に熊本へ行ったとき、細川家のご城下ではあるが、「清正公のお城」をヒトビトが尊ぶのが見えたのを思い出す。

「武家の嗜み 能・若・茶」のところでは、以前に見たものが色々あり、嬉しく思った。
まだ奈良そごう美術館があった頃、よく細川家伝来のそれら能楽関係・茶道具などが展示されていたのだ。あの頃は本当に奈良そごうでよく学ばせてもらった。
その意味では師匠でありお手本は細川家のお宝なのでした。

宇佐神宮所蔵の能面にいいものが多かった。
能は実際に見る根性がないが、謡曲も能面も衣裳もたいへん好きなのだ。
実演を見るのは歌舞伎と文楽だけだが、お道具類は能楽が好き、というのはちょっとわたしもコマッタちゃんですな。
小喝食がなかなか可愛い。やっぱり美少年を見るのは嬉しい。
どこかで喝食だけ集めた展覧会でもないかなぁ。←フジョシの妄想。

茶道具も実に素晴らしい。
油滴天目が特にわたしの好み。

やはりこれくらいの名家でなければ集まらないものというのはあるものだ。
本当に素晴らしい。
展示替えがあるので(現在はその替わったものが出ている)来月アタマにまた向かいます。

それで東博を出てから少し他を回り、その後に永青文庫へ行った。
「細川家の明治・大正」をみる。
以前にも細川家の歴代の当主と夫人たちの展覧会があったが、今回は東博の展覧会とリンクして、コレクションを集めた人々ゆかりの展示となった。
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明治半ばの洋館写真がある。コンドル風というよりむしろ片山東熊風な邸宅。
家族写真もあった。護立氏ご一家。チラシのオモテにある。

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先に工芸品について書く。
金彩針描人物文蓋付ゴブレット  とても綺麗。18世紀末から19世紀の頃に生まれた。

青色文字彫双耳瓶  清朝に生まれた青い瓶。画像ではあの青が再現できていないのが悔やまれるが、まことに美しい青い瓶。

花蝶文香合 高野松山  綺麗!これは欲しいわ!本当に素敵。縁周りが金と黒の市松文様と言うのがまたいい感じ。
ああ、このレプリカでもいいから欲しいものよの。
他に蓮香合、波香合、牡丹香合、菊文香合などがあるが、作者自身の素敵なセンスにもときめいた。

もう一点美麗なものがある。
加彩舞妓俑  衣装の花柄も良く残っている。藍色のベストも。
花蝶文香合共々チラシに掲載されているのが嬉しい。

細川護立氏は若いうちから学校仲間の白樺関係者のために自ら「金庫番」となった。卒業後には前にも増してせっせと芸術家を庇護した。
全くえらい人である。
それで自分のお膝元の熊本出身の画家・堅山南風も応援したそうだ。

南風 秋草図  桔梗や女郎花が咲き乱れている。綺麗な情景である。ところで目黒雅叙園には「南風の間」があり、南風の作品がその部屋を美しく飾っている。
全く関係ないがその雅叙園の創立者は偶然にも「細川」さんである。お風呂屋さん出身の。南風は二人の「細川」さんから愛されたのだった。

下村観山 春日の朝  仲良しな鹿が寄り添っている奈良の朝。朝のもやもやした空気がそこにあった。
百年前の奈良の様子については、護立氏と仲良しだった志賀直哉・木下利玄・里見の三人が奈良ツアーをしたその顛末を残していて、絵を見ながらその本を思い出すと、楽しい臨場感が湧いてくる。

他にも多くの名品があるが、やはり細川家は凄い。来月初めには再び東博へ行くが、たのしみで仕方ない。

野間記念館の横山大観展

野間記念館で横山大観展を見た。
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「大観の画業が最も充実した大正期の作品を中心に、名にし負う横山大観の名品、佳作を一堂に。」
チラシにはそう書いてある。

野間のチケット半券は「千与四郎」である。千利休の少年時代の賢いエピソードを絵画化したもの。与四郎のいる庭は非常に風情のある庭で、実際にそこへ行きたくなるような魅力が満ちていた。

大観の与四郎を描いた作品はそのようにして野間で愛されているのだが、この展覧会では野間清治と大観との心の絆を随所に見ることが出来る。

1923年の関東大震災の被害状況を知らしめようと野間が「大正大震災火災」を出版使用と企画して、同年10/1に刊行された本がある。
つまり震災後一ヶ月目に出た本。そのための大観の絵。
タイトルを知らずに観れば、始皇帝の阿房宮(史記の記述から)が炎上しているように見える。
あれは三ヶ月間燃え続けたそうだが。
凄まじい火災の様子が見て取れる。
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大観は地震発生の折、あの「生々流転」を院展に出したところで、その初日を迎えていたそうだ。そのあたりの話は清方の「続こしかたの記」に詳しい。
地震の後に、大観はシリッパショリをしてなかなか活躍したそうだ。

平和な時代の作品も出ている。
月明  指の腹が山になったような景色がある。「マッドメン」を思い出す一方、実際にこんな風景の山が、昔は確かにあったろうと思った。

杜鵑  山中を鋭く飛ぶホトトギスの姿がある。
その鋭さがロングで捉えられているのがいい。

大観だけでなく、その周辺の人々の作品も多く出ていた。
それについてもちょっとだけ。

木村武山の十二ヶ月色紙シリーズは、以前から好きだった。
三月の「雀に花びら」が可愛い。きょとんと首をかしげる雀がいい。
一羽だけでなく三羽の雀たち。
彼らは仲良しさんなのか、他の月にも登場していた。
雀が三羽というとすぐに「悪魔の手毬唄」を思い出してしまうのだが。

前田青邨 三武人  これは神武天皇たちの姿を描いている。金鵄が杖の先にいる。
青邨の古代武人の絵はどれを観てもいいものが多い。

隣には安田靫彦の「女人俑」があった。こちらはこちらでその個性がよく出ていていいと思う。

今回三羽烏(雀ではない)のうち古径だけはなかったが、三人の「歴史画」または「物語絵」で、青邨は日本神話、靫彦は中国古代、古径は日本の中世文芸を描いた作品が、特に好ましい。

戸板康二「ぜいたく列伝」で書かれていることだが、大観は終生「明治の書生っぽ」さが消えず、国士的視線を持っていたのはなにもガチガチの思想家というのではなく、明治のヒトらしい「日本国家」への愛があふれていたからだという。
だから戦後に大観を批判するのは間違いだという説には、わたしも賛成した。
えらい画家ではあったが、ネにある「日本大好き」が昂じて「日本」らしい富士とか鶴とか初日の出が大好きで、それを描くのが「画家たるもののツトメ」だと信じきっていたのだろう。それで今の眼から見て苦笑されるところがあるのは、仕方ない気もする。
野間の十年記念展にいい展覧会だと思う。
5/23まで

谷根千界隈の文学と挿絵展

弥生美術館では「谷根千界隈の文学と挿絵」展が開催中。
わたしは’90年に弥生美術館の会員になって、それからずっと会員だが、こういう地元を取り上げた企画展は初めてだった。

谷根千やねせん、という言葉は作家の森まゆみさんとその同志の方が使われだしてから、世に知られたと思う。
わたしも弥生に来るようになってから、その界隈に愛情を持つようになった。

今回の展示ではその谷根千だけでなく文京区のほぼ全域まで拡げて、文芸作品を集めている。谷中は江戸時代には八百八寺、根津は神社と遊郭で知られた。
また本郷は明治以降は東京帝國大学のお膝元となり、様々なヒトが関わっている。
本郷もかねやすまでは江戸のうち
この川柳は今でも「かねやす」の前に碑として残されている。

その界隈、ちょっと思い出すだけでも色んな文芸作品がある。
「牡丹燈籠」「三四郎」「吾輩は猫である」「D坂の殺人事件」「蔵の中」「雁」、コミックでは「希林館通り」の舞台は本郷だったし、「菊坂ホテル」は本郷・菊富士ホテルの人々がモデル、「ドラゴン桜」には櫻木神社も出てきた。

その牡丹燈籠を橘小夢が独自の解釈で絵物語にしている。
絵物語と言うのは正確ではないか。物語を再構築し、それへの挿絵を小夢がつけている。
黒と白の深い官能性に満ちた世界が開けている。
お艶と新三郎の物語は二重奏三重奏のように不思議な展開を見せるが、円朝の書いた「恋の結末」はあまりわたしの好みではなかった。
小夢もそうだったらしく、大胆な書き換えをしている。
つまり亡霊のお艶はお札で締め出されて泣いていたが、カネに目がくらんだ下男に頼んで札剥がしをさせている。(それで新三郎は取り殺されるのだが)
が、小夢はこう書き換えた。
新三郎みずからがお札を剥がし、亡者のお艶に我から取り殺されることを望んだ、と。
生者と死者から死者同士となり、冥婚を果たしたのである。
ただしそれはロマンティックな「恋の成就」というものではなく、離れがたい妄執、灼け焦げるような官能への希求というカタチでみせている。
妖艶な小夢の絵には、そのナマナマしさが、奇妙なほど美しく現われていた。
tou019.jpgクリックしてください。
また中村不折の「我輩は猫である」の絵も出ていて嬉しい。
これは書道博物館でも見たのだ。
洋画家の日本画は浅井忠も宗だが、本当に洒脱でいい感じのものが多い。

本郷に住んだ清方が描いた「お宮の死」は雑誌からの展示だが、これは私も以前から見ているが、当時ラファエル前派のオフィーリアを想起させるという批評があったのも、なんとなくわかる。しかしやはり清方の絵そのものではある。
挿絵で道を始めた清方は、晩年に至るまで時折、こうした深い魅力を持つ女を描いていた。
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その清方の師の年方、更に先師の芳年の作品も並んでいる。
いずれも明治の作品である。芳年の武者絵・・・当麻蹴速vs野見宿禰、熊坂vs牛若丸、年方・・・遊ぶ大石、懸想文を見る花魁とかむろなどなど。
みんなこの界隈の住人だったそうだ。

今回初めて知ったのは夢二本人の小説「出航」。それは偽名ではあるが完全に私小説だった。
お葉さんの目線で物語が綴られている。
そこでは夢二は三太郎という名で現われているが、菊富士ホテル住まいの頃に学生たちが窓の外で「ばーかのばーかの三太郎」とお葉さんの多情をからかう唄を放吟する様子が描かれていた。
わたしはその唄は上村一夫「菊坂ホテル」で知った。
菊坂ホテル 菊坂ホテル
(2008/05/20)
上村 一夫


「菊坂ホテル」は菊富士ホテルの人々を描いた作品で、夢二と谷崎を軸にして、ホテル(要は高級下宿)の娘さん・八重子の眼から見た日常と言う体裁をとっている。
わたしにとっては「凍鶴」「修羅雪姫」と並んで上村の傑作なのである。

その物語の挿絵はむろん夢二本人のものだが、お葉さんは藤島武二のモデルを勤めただけでなく、伊藤晴雨のモデルもしている。「菊坂ホテル」では夢二との関係が煮詰まった彼女が機嫌よく晴雨にシバラレるエピソードがある。
夢二本人はそうは書かずにいるが、夢二による挿絵に、お葉さんがシバラレているのを観て、ちょっと感心した。あんまり夢二の絵ではシバラレる女は面白味がないのだった。
それはそれでいいと思う。

樋口一葉「十三夜」を絵物語にしたのは伊藤彦造だった。女の家の壁の仁丹ポスターが目に残った。物語そのものが切ないからか、絵もせつなく侘しさに満ちている。

今回初めて知った画家に小澤清人(おざわ・きよんど)という人がある。
「D坂」を久世光彦がドラマ化したときのタイトルバックに使われた絵が数点出ていた。
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日本語の入ったイコンを背景にした、艶かしい人物と猫のいる絵。
女としてこの人物は描かれたのだろうか。
それすら疑いながら、その妖美さに強く惹かれた。

併設の華宵記念室では華宵の便箋コレクションが出ていた。
やはり異国情緒あふれる作品が魅力的だった。
あの可愛いカールの掛かった髪型はマルセルウェーブと言うのを初めて知った。
そして夢二美術館では月見草をテーマにした叙情画が集められていて、加藤まさを、須藤重らの素敵な作品が出ていた。
初見の山口将吉郎「薄明の丘」には驚いた。彼の武者絵は好きだが、こんなはかない少女も描くとは。現在の花村えいこの絵に似ていた。
一階では童画が集まっていて、わたしの大好きなパラダイス双六があった。
いい企画だった。6/27まで。

星新一展

世田谷文学館で星新一展が開かれている。始まって三日目に出かけた。
開催前からわくわくしていた。
ついったーでmemeさんとogawamaさんが星新一について熱く語っているのを読んだところへ、一村雨さんが中学生の頃に星新一にファンレターを出し、直筆のお返事が届いたと明かされたのを読んで「おおおおおおおーーーっ」と画面の前で吠えた。
いいな!星新一!!!!!
一村雨さんもうらやましいが、少年一村雨さんにきちんとお返事を出す星新一がたまらなくいい。
その返事のはがきは今も一村雨さんは大事に保管されており、一村雨さんの展覧会の記事にも挙げられている。

わたしが星新一を読みだしたのは中学一年の時からで、学校の図書館で延々と読みふけった。
今でも好きな話が何本もある。
元々SF好きだが、それが定着したのは星新一の作品と出会ったからだと思う。
星新一の作品群のおかげでショートショートの楽しさを、短編の面白さを知ったのだ。

展覧会は作品世界の展示ではなく、星新一という作家の生涯を追うものだった。

星新一が星製薬の創業者・星一の息子であり、森鴎外とも血縁関係があることは、熱心な読者だった頃から知っていた。
父上のことを書いた「人民は弱し 官吏は強し」などは本当に中学生のアタマで理解できていたかどうかは別として、星新一のいつもの「名を持たない=匿名」キャラが出ず、どんでん返しもオチもなく、人々が真っ当に苦闘するリアリズムの作品も、真面目に読んだ。
(しかし細かい内容は殆ど思い出せないのだが)
タイトルだけは常にアタマの隅に生きている。

その星一氏の外遊フィルムを見た。昭和九年十月、工業倶楽部での会合、頭山満、杉山茂丸、内田良平が発起人。
(ああ、昭和史だ!)
白髪の紳士が星一氏、日本が誇る豪華客船・龍田丸で旅立つのだ。そして横浜港で見送る賢そうな坊やが星新一だった。
これは字幕にも凝っていて、なかなか面白い記録映像だった。

星製薬は「クスリハホシ」というキャッチコピーをこしらえた。
その実物の印刷物などを見る。
そして子供時代の星新一が描いたクレヨン画も見る。
かなり巧い絵ばかりである。
それで思い出した。
日独伊の三国同盟で、文化交流があった。
日本の小学生の絵が遠く海を渡り、ムッソリーニだかヒトラーだかが、それを見たそうだ。
北杜夫の絵も海を渡ったが、星新一の絵も海を渡り、総統の目に留まった。
トラックの絵。トラックの横っ腹には「クスリハホシ」。
・・・好きなエピソードだ。

歌人の祖母が描いた白鳥の絵があった。アールヌーヴォー風なきれいな絵である。
遺伝ということを考える。

星新一の愛玩のシュタイフ社のテディベアや手袋人形コンちゃんなどがあった。可愛いと思う一方で、星の歴史小説を想起する。城の中の人を描いた物語を。

今回初めて知ったが、父の死後に継いだ会社を譲り渡した相手は大谷米太郎だったそうだが、その大谷はもしやニューオータニの大谷米太郎なのか?
どうでもいいことだが、なんとなく気になった。

会社という重い頸木から逃れて後、本格的に作家生活に入って傑作を書きまくったことは、やっぱり人類にとっても幸福だと思う。
真鍋博や和田誠の表紙絵の、数多い単行本・文庫本を目の当たりにするだけでも価値がある。

(1978/03)


  

(2001/12)



実際作中に描かれた状況が現実化していることもある。
薄型のTVとかそういったものは、もう今この世にある。

その作品はショートショートだけでなんと1001篇あるのだ。似たような物語もあるが、駄作がないのが凄い。
不意にわたしは「古風な愛」を思い出した。
何故よりによってその一篇を思い出したのか。
特に好きな物語で常に心の底に在るからか。
理由はわからないが、その物語が蘇ることを嬉しく思った。

星新一のアイデアやメモを集めたコーナーがあった。
それがミラーボールに納められている。
すごいな、これ。
オブジェとしても面白いし、星新一の世界がクルクル回っていると思うだけでも嬉しくて仕方ない。
加納夏之だったか、彼の作品にこんなのがあったような気もする。
ああ、なんだか宇宙だ。
それにしてもなんと小さく細かい文字なのだろう、それもビッシリと書かれている・・・!
メモの収まったボールが頭脳よりも地球よりも重く感じられた。細かい文字は本当はどこまで増殖し続けるつもりだったのだろう。

星新一の交友関係もいい感じだった。
どくとるマンボウのマブゼ共和国からなにか賞ももらっているし、バーまり花ではそこで初めて出会った有名人たちからコースターにサインやイラストをかいてもらっている。
森村誠一、中上健次、水上勉、源氏ケイ太、五木寛之、UFOを描く和田誠、レオを描く手塚治虫、サイボーグ009の石森章太郎、女の顔半分を描いたつのだじろう、光瀬龍のロケットに、顔なし筒井康隆、ラムちゃんやゴルゴ13にアンパンマンやなせたかしもある。
こういうのを見るだけでも楽しかった。

いい展覧会だった。

われわれが
過去から
うけつぐべきものは
ペーソスで、
未来に目指すべきは
ユーモア。

とても心にしっくりくるコトバ。
展覧会は6/27まで。

もう一つの版画展 「版画に描かれたくらしと風景」

昭和館の三階企画室で、二ヶ月にわたり「館蔵名品展 版画に描かれたくらしと風景」展が開催されていた。
前後期で展示作品が大方替わり、どちらも存分に楽しませてもらった。
'90年代頃は新版画の展覧会が割に多かったが、21世紀に入ってからはたいへん少なくなり寂しかった。だが、去年の江戸博での新版画展あたりからまた色々と展覧会が開かれるようになり、そのたびに嬉しい気持ちになる。
千葉市美術館のすばらしいコレクションを堪能し、記事を書いて日も浅いが、またこうして昭和館での感想をあげる。なお、例によってこの展覧会は既に終了している。まことに申し訳ないが、これは新版画へのオマージュと、無料公開してくれた施設へのお礼をかねた感想文である。
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展示されている作品の多くは都下を描いたものである。
そして制作年が確定されていないものは別として、後は全て「昭和」に生み出されている。

新東京百景がある。
多くの版画家が、それぞれの風景を捉える。
ちょっと作者とタイトルを挙げてみる。
恩地孝四郎 井の頭地畔暮色  
平塚運一 浅草仲見世  
藤森静雄 表慶館春雪  
川上澄生 青山墓地
諏訪兼紀 新橋演舞場
逸見享 植物園
・・・・・・彷彿とする。実際に自分がその場にいるような。とはいえリアルな作品ではなく、それぞれ独自のデフォルメが活きている。そこがまた面白い。
戦前の東京の良さがあふれた、いいシリーズだった。

同時期に小泉癸巳男による「昭和大東京百図絵版画」がある。50点ばかり出ていた。

あたごやまのJOAK  実はこの作品を見て、わたしは愛宕山のNHK博物館へ行こうと思ったのだ。もうだいぶ前の話。近年は全く出向いていないが、御成門から歩きだして、小高い坂の上にあるJOAKへ向かう。不意に森閑とした域に入り込むのが、とても好きだった。この版画を見ると、あの頃の気持ちよさが蘇ってくる。
そして今でもまだ、あのトンネルのすぐそばには、古い古い民家が残っているだろうか。

神宮外苑絵画館  まだ一度も行ったことがないが、大阪に出光美術館があった頃、絵画館の所蔵品の展示があった。小泉の作品を見ると、あの絵画館の独特のフォルムが、まるで雪を切り出してこしらえる住まいのように見えた。

木挽町歌舞伎座  ああ(涙)。力強い線と明るい色調。巴水も同時代の歌舞伎座を版に起こしているが、あの繊細な線描と、この小泉の太い線とでは、まるで別な建物を見るようで、面白く思えた。この小泉の歌舞伎座は黄金色に輝いている。

三井と三越  昭和四年の三井と三越がそこにある。なんだか80年の歳月が一挙に消えた気がする。
その頃の三越は「明日は帝劇、今日は三越」の時代だった。

両国の川開き  花火が綺麗。昭和十年の川開き。横溝正史「夜行虫」の時代。妙にドキドキしてきた。

シリーズでなく単発ものも多くでていた。
前川千帆 渋谷百軒店  形をはっきりさせはしても、細かい作画をやめた、おおらかな木版画。賑やかな町には鳥居がある。この光景は渋谷文学館白根記念郷土博物館の常設室にある、渋谷のジオラマで見ているような気がした。

ノエル・ヌエット お茶の水  これはがすミュージアムで見たが、聖橋の下からニコライ堂までが描かれている。入道雲は茜色に染まり、日傘を差して歩くヒトも見える。
この風景を見ていると、子供の頃のドキドキした気持ちが蘇ってくる。

山村耕花 日本銀行旧館  陰影の取り方が面白い作品に仕上げている。
摺師の考えか、絵師の発想か。

近年大人気の巴水の作品を挙げる。
霧の朝(四谷見附)  幹と枝ぶりに個性の強い松がある。広重も描いた松がそこにある。
弁慶橋の春雨  ああ、橋上のご婦人方の顔はわからないが、彼女らはたぶん、赤プリのほうを見ているのだ。まだその時代にはなく、そして今は失われつつあるホテル。
東京二十景 不忍池の雨  向こうに弁天堂が見える。つまり横山大観の家の前から見える光景。青銅のベンチがリアルである。
築地本願寺の夕月  巴水ブルー。青い夜。満月がぽっかりと浮かび、伊東忠太の傑作を背後から優しく照らし出す。巴水の本願寺を見るうちに久しぶりに出かけたくなった。
雪の向島  降り続く雪の美しさ、積もる雪の質感、小舟の上の傘。叙情を深く感じる。

巴水の弟弟子の笠松紫浪の作品もある。
彼の回顧展は随分前に開催されたが、ほとんど今では見れない。ただJRの旅情をそそるポスターには、紫浪の作品がしばしば使われていた。
ここでも東京を離れた地が描かれている。
鎌倉鶴岡八幡  こないだ倒れた大銀杏がまっ黄色に輝く。木の影が大きい。巫女さんが二人ばかり通り過ぎて行く。
日光 陽明門の雪  誰もいない。遭難しそうな雪。閑そうな陽明門である。

チラシに選ばれているのは井川洗がいの千人針。
支那事変版画シリーズ。日清戦争では肉弾三勇士だが、日中戦争では肉弾二勇士がいたらしく、それが描かれている。共に版画と肉筆画と。

やがて戦後になる。
大阪の洋画壇の巨匠・赤松麟作の大阪三十六景があった。
四天王寺、道頓堀、天王寺公園、心斎橋などが出ている。
いずれも彼の油彩とは違い、どこか気軽なかろみがあり、見ていて楽しい。
浅井忠もそうだが、洋画が本職のヒトがこうした作品を描くと、粋な飄逸さがにじむ。

スゴいのは昭和20年12月20日の作品群「東京回顧図会」。
敗戦後四ヶ月の東京で、こんな作品が生まれている。恩地、川上、平塚らが作る。
恩地 二重橋  橋の影が映り眼鏡になる。その鼻の部位に一本の柳が通る。顔のようだ。
川上 東京駅  洋髪の婦人がいる。日傘の和装婦人もいる。一体いつの東京なのか。
川上 夜の銀座  濃ピンクで彩られた銀座の夜。 

少し戻り戦争前夜の「新日本百景」。
北村今三 秋の阪神パーク  カラフル。しかし人物はみんな青色に塗りこめられているので、ブルーマン・ショーみたい。サル山とループ飛行機が見える。まだこの時代、レオポンはいない。
内田静馬 雪の高田市  豪雪地帯だが、焼き芋屋もパン屋もある昭和14年。なにやら洋館もちらりと見える。ほのぼのする表現。
川西英 日向青島  鬼の洗濯岩は、もっとギザギザですよ・・・
浅野竹二 東本願寺小雨  人力車が数台止まっている。門前の蘇鉄、大きな石灯籠、噴水。今も殆ど変わらない佇まいだった。
徳力富吉郎 道頓堀の夜  ネオンが川面ににじむ。アサヒビール、菊正宗、赤玉、いづもや。今だとグリコのネオンが描かれるだろう。

都市を描いたものだけでなく、婦人風俗や子供の楽しそうな様子を捉えたものもある。
伊東深水 現代美人集 花火
吉田博 金魚すくい  藍染の浴衣の娘さん、おかみさん、学生帽に白シャツの学生さん。
みんな楽しそうである。
そこには中原淳一の娘たちもいる。

最後に働く人々を写し取った作品がでてくる
洋画家の和田三造による「昭和職業絵尽」
木版画という感じがしない、飄々とした作品群。

吉田博の息子・遠志の戦前の「夜の東京」もあった。
これは三鷹で「吉田家三代」展でもみた。
屋台店、新宿といった二枚。
こんな時代の飲み屋を渡るのも悪くなさそうだった。
それにしても「べんきょうの店」にはウケた。これはまけますよ、という意味でのことかと思う。

本当に面白い展覧会だった。また何かいい企画を立ててくれれば、と思った。

日本初公開のユトリロ展

損保ジャパン美術館のユトリロ展に行った。
ユトリロはルノワールと並んで多くの日本人に愛される画家だから、実に多くの作品が日本に来ている。
しかしそれでもこうして「日本初公開」の作品群があるのだ。
彼の「多作」のその背景にあるものを思えば、せつなさが胸をかむ。

少し前にあった三鷹でのユトリロ展ではユトリロの孤独、周囲との「関係」などがクローズアップされる展示となっていたが、先にその展覧会があったことは幸いだったと思う。
今その三鷹での記憶を呼び戻しながら絵を見ている。
ユトリロの作品の変容を、そのことで静かに受け入れているのだ。

「パリを愛した孤独な画家」 Un peintre solitaire qui aimait Paris
この副題が重い。ユトリロの生涯を思ったとき、その孤独に気がふさぐのだった。

作品を見るに当たって、何の先入観つまり予習も知識も教養もないまま見るのと、ある程度の前知識を持ち、作品の意図するところをふまえながら眺めるのとでは、まるで見方が変わる。
(古典を題材にした作品を鑑賞するには知識・教養が不可欠だが)
どちらも大切な目であり、どちらも同等の価値を持つが、ユトリロを見るときは、やはりある程度の予備知識を持ちながら見ることが良いのではないかと思う。

ユトリロの生涯を無視したまま作品を見たならば、どのようにその世界が成り立つのか。
既にユトリロへの「気の毒さ」が胸に広がっている私にはもうわからない新しさがあるのだろうか。

白の時代の作品がやはりいちばん好ましい。
どれがどうということを言葉にするのがこの場合、無駄なような気もするが、それでも書いてみる。
個々の作品ではなく、「白の時代」全体への感想として。

サクレ=クール寺院の白、そこへ至る道の白、薄青灰の空ににじむ雲の白・・・
石灰を偏愛したユトリロの心は本当にはわからないが、見ているわたしにもその白が深くいとおしい。

壁が白い。その白い壁にはフランス語が書かれている。
フランス語はわからないが、彼の描いた文字は言葉ではなく絵だと改めて思う。
同じくパリの街角を描いた佐伯祐三は看板や広告の文字を執拗に描きこんでいったが、あの激しさはユトリロにはない。
佐伯はユトリロの白を選ばず、ユトリロは佐伯の描いたパリを描かない。

教会がある。鐘楼が低い屋根の上につく。鐘楼の屋根を支える柱は飾りがついているが、やや曖昧である。アカントスで飾られているのかそうでないのかもわからない。
しかしその教会の多少パースの崩れた外観は、奇妙なまでに美しかった。

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むかし読んだ本にこんな台詞があった。
「パリの女の命は短い、石灰を多く含んだ水を使うから、早く色褪せるのさ」
だからこそ美麗な化粧が発達したのだ。
石灰は消毒にも使われ、墓碑を持たない貧民たちの共同埋葬穴にも、大量に石灰が投げ込まれていた。
こんな言葉もある。「(汝らは)白く塗りたる墓に似たり」
その墓の白は石灰だったのだろうか。


しばらくして絵が変容し始める。

ロバンソンの小館  正面奥に建物がある。左右に公園の小さなコイル状の柵が円を描く。向かって右手には木。
何だかとてもかっこいい、と思った。
イギリスとフランスでは庭園の様式が違うが、この園の愛らしさはやはり「フランスってかっこいい・・・」と思わせる何かがあった。

しばらくすると絵画制作者が人間貨幣鋳造機へ変わった。
本人が望んだわけではないが。

風景画を描く画家が室外に出してもらえず、絵はがきなどを見ながら絵を描く、というのはやっぱりどう考えてもすごいことだと思う。それは作者の腕がすごいというのではなく、その状況を作り出したものたちと、そこから逃れえずそのまま描き続けたものがいる、そのことがすごいと思うのだ。

プレ・カトランのレストランの二番目のファサード、ブローニュの森  これもとてもかっこいい建物で、見ているだけでも行きたくなってくる。
ユトリロが実際にそれを見て描いたのかどうかはわからないが、建物の佇まいに深い魅力を付与させたのは、やはりユトリロの力なのだった。

慰霊碑  チラシに画像があるが、これはちょっとしょんぼりする色調に仕上がっている。
本物の色はチラシの色ではない。チラシはちょっと黄色が出すぎている。本物はもっと緑が濃い。気に入った作品だけに惜しい。しかしながら実物の良さを知ることが出来て、よかった。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット、モンマルトル  段々とモダンな時代になってきているのを感じる。何点かあるのだが、面白い構図のものがあった。裏側からの一枚。
まるで長谷の大仏を背後から眺めたような感じ。

サン・ミッシェル教会、リモージュtou016.jpg
この縦長の作品を見て'62年のフランス映画「シベールの日曜日」を思い出した。
インドシナ戦線に従軍したことで深い心の傷を負った男と、父に見捨てられ名を奪われた少女との、孤独な魂のふれあい。町で一番高い教会の先端で舞う風見鶏を、少女はクリスマスプレゼントに欲しがる。その教会はヴィル=ダブレーにあるのだが、この絵の教会にとても似ていた。
ゴシック様式だからそう見えるのかもしれないが。


・・・・・・作品がどんどん荒れてきている気がする。色遣いもタッチも。濫作の気配を感じる。
彼の生涯を思うと、気の毒さがあふれてくる。
この展覧会の本当に「凄い」ところは、だめになってきた作品をもきちんと展示していることだと思う。

マキ、モンマルトル  巨大なスカートの女たちがいる風景。坂道らしき道。家々の隙間から緑がこぼれる。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの風車が見え、そして白いサクレ=クール寺院のアタマが見える。まるで北斎の富嶽図のように、遠く小さく。しかしそこには寺院があった。
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スカートの女たちはユトリロのせめてもの抵抗だったのだろう。
「助けて」と書いた紙屑を窓の外へ投げても、拾った人々は救いを求める言葉を読まず、高名な画家の真筆だとして、カネになる日を待つ。

サン=ピエール広場とサクレ=クール寺院、モンマルトル  白いアタマを隠すほどの緑、明るい色の洪水のようだ。赤い街灯まである。
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母の死後には、母以上に支配的な女と暮らしたユトリロ。熱心に神への祈りを捧げるユトリロ。彼の人生とはなんだったのか、そんなことを少しばかり考えた。
展覧会は7/4まで。

近代日本美術の百花

既に終了したが千葉市美術館の「近代日本美術の百花」はすばらしい展覧会だった。
「リニューアル・オープン記念所蔵名品展」ということで、所蔵している作品を並べてくれているのだが、これがフツーではないのだ。
こんなにレベルの高い展示、他の美術館なら特別展ではないか。
しかも二百円という安価である。
千葉市美術館ではこれまで一度として展覧会に失望したことがないが、ここに至って、ただただ感嘆し、大喜びするばかりである。
千葉市美術館、ありがとう。本当にすばらしい。
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千葉市美術館には近代版画の立派なコレクションがあるが、今回もそれらを大いに楽しませてもらった。
(絵画50点・版画200点の構成である)

最初に現れたのは森寛斎の「四季花鳥図」だった。
右隻の春にはキジがいて、ツバメや他の小禽が嬉しそうに飛び交っている。紅梅が細く咲き、水辺の花花もいい。
左隻の秋には可愛い萩が咲いている。黄蝶、白鳩が楽しそうに見える。
和む。最初にこうした屏風に出迎えられると、気持ちが和んでくる。

なにしろ並ぶ作品の多さがフツーではないので、代表を選んで感想を挙げることにする。
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堅山南風 草花図  山百合を中心にブドウ、朝顔、水仙などがある。南風の絵は最近ではなかなか見れないので嬉しい。

橋本明治 春庭  咲いた咲いたチューリップの花が 並んだ並んだ赤白黄色・・・一つの花に赤白黄色が同居している。優しいみどりの葉の下には、小さいメジロのような小禽たちがいる。
見ていて心がやわらかくなる絵。

吉田博 雲井桜  夜桜を眺める女が二人。青い夜。しだれ桜の美が暗い青夜色になじんでいる。
関係ないが制作年が昭和元年になっている。大正15年は長いが、昭和元年は短い。
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川瀬巴水 1920年頃の作品が多くでていた。
東京十二ヶ月 谷中の夕映え  あの五重の塔がある。震災にも戦災にも遭わず生き延びたのに、心中の巻き添えで焼け落ちた塔。カラスが一羽飛んでいる。空のグラデーションがきれい。夕映えの空を見上げている心持ちになる。

旅みやげ第二集 水揚げ樋(佐渡新見)  入道雲の下、働く人々。緑が濃い。ジャワ風。日常の風景を描きとり「旅みやげ」として世に残した巴水はすばらしい。

川上澄生 朴の花とポット  どこかシュールな風景。ふつうの静物画なのに謎な良さがある。
こうした作品を見ていると、静物画というものはもしかすると非日常の情景なのか、と思うことがある。

橋口五葉 チラシに選ばれたのは「化粧の女」。髪梳ける女、夏衣の女、浴後之女・・・何ともいえず艶めかしい。
他にも手ぬぐいの女、長襦袢の女などがあり、いずれも見知ったなじみの作品だが、改めて目の当たりにすると、その美しさに心がわきたってくる。
夏装之娘  玉三郎に似ていると思う。
五葉の女はいずれもすっきりした体型で、今の人なら玉三郎、その当時なら六世梅幸が偲ばれる。

山本昇雲 「今すがた」シリーズがでている。数年前太田記念美術館で昇雲の回顧展があったが、それ以前はここと、今はなきDO!FAMILY美術館などで少し出てくるだけだった。
明治末の女学生の愛らしさを切り取ったような「今すがた」シリーズは、絵の構成自体は少し前の少女マンガ風な感じで、周囲に花が咲き乱れているのがいい。
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伊東深水 新姿十二姿  全部出ていた。それだけでも嬉しい。深水の美人画は往時、たいへんな人気だった。
ある世代以上の人は絵を見るのが趣味でなくとも、伊東深水だけは知っていた。
そして今でもその方たちは言う。
「深水(美人)はやっぱりキレイねー」
わたしもそう思う。
出ていた中では「口紅」が特に心に残る。
指で紅をとる、島田の女。緋鹿子が美しい。

小早川清 近代時世粧ノ内 1?6が出ている。一番有名なのは「口紅」だろうか。背景の暗藍色、黒髪、髪飾りの重い赤薔薇。そして白い顔から配色が変わり、華やかな半襟と帯が綺麗。指の赤い石もいい。

清方、雪岱も少しばかり出ている。
この少しばかりというのが実はすごいと思う。

江戸博の新版画展で人気の出た山村耕花の役者絵がたくさん出ていた。
彼が描いた時代の役者たちに関心があり、芸談を読んだり、古い写真を見たりしてきたので、深い親しみを感じる。こんな時代に生きて、毎月ごとに芝居を見れたら、さぞや楽しかったろう。そして当然ながら(その当時の)今出来の役者絵を購入するのだ。

役者絵ならもう一人、名取春仙がいる。こちらも色々みている。山梨県に春仙の美術館があるので、いつか行きたいと思っている。
五世歌右衛門の淀君は狂乱の体をなし、鬼丸のお富はぬか袋を口にくわえている。
その表現力がいい。いかにも「切らん切らんと狂乱のてい」とか「黒塀のおめかけさん」という風情がある。

吉川観方の役者絵も出ていた。河内屋の権太。二世延若。いかにも延若らしさが出ている。顎のたくましさがいい。
この河内屋のエピソードは色々聞いているが、本当に大きい役者だという感じが出ていた。

驚いたのは坂本繁二郎と山本鼎の明治末の「草画舞台姿」。いろんな役者の舞台姿をとらえている。
長十郎の扇屋敦盛は可愛かった。女装する美少年・敦盛の芝居は明治には人気があったらしいが、近年では'93年に梅玉が演じたくらいしか記憶にない。

20世紀初頭、多くの外国人版画家が日本の風景・情景を作品に残した。
ヘレン・ハイドの子供たちは動きもリアルで、可愛い。ヘレンが温かい目で子供らを見守っていたのがよくわかる。
亀戸天神の太鼓橋  芥子坊主の坊やとギボシが同じ大きさなのは微笑ましい。おてんばな女の子も可愛い。

バーサ・ラム 外国にはいない、日本独特の職種の人々をとらえている。
それはエミール・オルリックも同じで、このあたりの作品を見ると民俗学としても面白く感じる。

フリッツ・カペラリ 鏡の前の女  女の表情がいい。よく思うことだが、この当時日本にいた外国人男性はどこまで日本の婦人を理解できていたのだろうか・・・・・

エリザベス・キース 青と白  骨董品の店先、青と白がいくつも見受けられる。女は藍の着物、染付の器、北斎の「神奈川の」波の向こうの富士、朝顔も青い。

中国の太鼓橋  蘇州あたりの風景だろうか、アヒルが歩いているのをみて「白蛇伝」を思い出した。

彼ら外国人版画家の作品群は、かつて横浜美術館での展覧会で知ったのだった。
そしてその作品群の多くがこの千葉にあることを知って、なんだかとても嬉しくなった。

大正末から昭和初期の都市風景版画が集められていた。
わたしは常々「大阪は洋画、京都は日本画、東京は新版画」で描くのが最高だと思っている。
その通り、新版画の名品が集まっている。

新東京百景シリーズはいろんな画家による作品群で、こうした作品を見ていると、それだけで楽しい心持ちになる。
藤森静雄の「震災記念堂」は我が偏愛の伊東忠太による建物で、作られた動機を思うと胸が痛むが、これが昭和六年の「百景」に選ばれていることにも感慨深いものがある。

川上「百貨店の内部」、深澤索一「柳橋夜景」などは特に好きな作品だが、この頃はまだ蔵前に国技館があった時代だということを、改めて思う。

他に織田一磨の銀座シリーズがあるが、織田は町田と武蔵野で回顧展があったので、おかげで多く観ているから、なじみの作品が出ている、と喜べた。

戸張孤雁 十二階  震災前まではこれが浅草のランドマークだったのだ。中はデパートだったそうだ。
名古屋で戸張の回顧展を観たとき、この作品を見たような気がするが、ちょっと定かではない。「玉乗り」はよく覚えているのだが。

川西英の曲馬団はどれを見ても明るい配色なのがいい。
かれは「新版画」の範疇から離れる人だが、これはこれで個性を強く打ち出しているのがいい。

夢二の「婦人グラフ」シリーズが色々。これらは弥生美術館でおなじみのもの。わたしは夢二は肉筆より版画が好きだ。それも特に色合いの濃いものが好き。そして美人画もいいが、実は彼の童画が大好きなのだった。

神坂雪佳の「百々世草」があった。アヤメ、アジサイ、ユリなどを乗せた舟。優しい叙情性を感じる。

五葉の装丁本が多く並ぶ。
装丁だけを言えば、五葉と共に美の極致を生み出したのは雪岱だと思う。ここにないということは、所蔵されていないということか。ちょっと残念だが、その分たくそんの五葉装丁本を見る。

美麗な本を眺めるだけでも幸せな気持ちになる。
わたしはやっぱり本が好きなのだ。

最後の章には不思議な絵があった。
青木大乗 罌粟  一輪挿しの罌粟。この艶めかしさはちょっと文章では再現できない。その絵の中の空気そのものが、罌粟の花に蕩されている。

横尾芳月 線香花火  二人の女がいて、室内で線香花火を楽しんでいる。香炉の灰の上での線香花火。ぱちぱちと花火が光る。・・・・・したくなってきた。

随分長々と書いてしまったが、それでも実際の1/3以下くらいしか書けていない。
これは本当にすばらしかった。千葉市美術館の底力を見せてもらったのだ。
本当にありがとう、千葉市美術館。
なお次回は5/22?6/27若冲アナザーワールド展と所蔵浮世絵展。
こちらはまた大いににぎわうだろう。

再発見!クレパス画

うらわ美術館で「再発見!クレパス画」を見た。
クレパスといえば小学校の低学年頃によく使った画材だが、正直なところわたしはニガテだった。クレヨンの方がいいような気がしていたが、大きくなるほどにクレパスのえらさがよくわかってきた気がする。

大阪の森之宮にサクラアートミュージアムがある。クレパスの会社サクラクレパス内にあるそうだが、地元なのに一度も行ったことがない。
これまでに奈良県美などで貸し出し展をしていて、いい作品が揃っているのは知っていたが、なまじ近いことで行くあてがなかったのだ。
それで大阪から遠く離れたうらわで見るというのはどうかと思いつつ、いい機会になる気がした。

行くとその日はGW期間中で無料だった。ありがとう、うらわ美術館。
近代の画家がそれぞれクレパスと言う画材で以って、様々な作品を生み出していた。
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チラシには上左=村井正誠「踊る人」、上右=脇田和「青い頭巾」、右下=須田刻太「作品」、左下=小杉小二郎「三色スミレと野の花」。
こうして眺めてみると、やはりクレパスと言う画材の味わいというものが、よく出ていた。

洋画家の「塗り方」にはそれぞれの個性が出ている。厚く重く塗り重ねる人、表面に凹凸を残さぬほど薄くに塗る人、枠線の中に納める人、枠線などない人、いろいろ。
油彩でなくクレパスになっても技法を変えない人もいれば、同じようにするのでなく、クレパスならではの実験を楽しむ人もいた。

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梅原龍三郎 浅間山日没  これが油彩ならどこか重さもあるところだが、クレパス画になると一見「児童画」風な趣が出て、梅原の天衣無縫な良さがよく出ていると思う。

須田国太郎 マミジロとモクゲ  ひどく重苦しい色調の作品が多いひとが、クレパスではやや明るいテキスタイル風の作品を生むものだ、と感心した。
塗り重ねられてはいるが、ムクゲの白い花が活きているのと、青い鳥の白い眉?が可愛い。


熊谷守一 裸婦  わたしは熊谷は油彩よりこのクレパス画のほうがいい。赤い枠線の中にキュッキュッと塗られた膚や窓や髪の質感がいい。

林武 裸婦  正直、一番ビックリしたのがこの林の作品だった。あの強い厚塗り重ねの画家が、クレパスだと気さくささえ感じるほどに軽やかなのだ。
いつもの油彩では味わえない動きまで、そこにある。
しかしこのクレパスを軽く見ているわけではないことは、確かだった。

山本鼎 スイカ  鼎がクレパス運動を推進したそうだが、とても濃く濃く塗っている、と思った。

カラリストと呼ばれた鈴木信太郎も大好きな「長崎風景」や「人形」などを描いていた。
稚気あふれた明るさがとてもいいが、ここにあるクレパス画は却ってしっとりした落ち着きがあった。ちょっと不思議な現象だと思う。

舟越桂 習作  '02年のスキンヘッドの人物。やっぱり穏やかな目をしている。

三岸節子も多くのクレバス画を描いたのか、「花」「パリ風景」などのほか読書する女のいる「室内」などがあった。油彩もクレパス画も、やっぱり節子の作品は激情をそこに封じ込めているように見えた。

織田広喜 少女  世紀末風な帽子の少女がいる。どことなくぼやけたような美しさがある。92才でこんな絵を描けるのか。そのことにも感銘を受けた。
柔らかく優しい世界がそこにある。

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小磯良平 静物とモデル  この描線だと多分’50年代のものかと予想する。(当たっていれば嬉しい)クレパスは塗り方(筆の痕)もよくわかる。

寺内萬治郎 裸婦  寺内の裸婦には赤色を配することが多いと思っていたので、青色がそこにあるのに、新鮮な感じがした。
青と黄色の配色、それがひどく魅力的だと思う。
寺内には他に「緑衣の婦人像」があり、こってりした赤色が塗りこめられていた。

絹谷幸二 春風  油彩でもクレパスでも明るい色彩、思いがけない配色は変わらないようで、この幸せそうな女の人の顔を見て、こちらまで嬉しくなった。

クレパス画というのは面白いものだ、と思った。ちょっと自分が想像していたものとは違って、なかなか自由な世界が広がっていた。
展覧会は6/27まで。

追記:ここへ来た子供さんから大人までが描いたクレパス画が壁いっぱいに飾られている。
それを見るのもけっこう楽しかった。

国芳 奇と笑いの木版画

この20年ばかりの間、どれだけ国芳展を見て来たろうかと考えた。
心に残る展覧会だけでも五つ六つではない。
里帰り展で見たのも合わせると、もっと多くなる。
しかし今回の国芳展は、その中でも上位に入ることは間違いない。
このポスターに「おおおっ!」となった人も多いと聞くが当然だ。
これは国芳の作品がいいところへ、後生の人が更にチエをしぼって巧い取り合わせをしたものだから、まさに「絶妙」というしかない。
「猫もがんばってます」
猫好きな国芳が大喜びしそうなポスターになった。
IMGP7748.jpg(前期のときは櫻満開)
前期は4/9、後期は5/1に見た。
作品は前後期ともども配分のよいチョイスだったと思う。
タイトルは「奇と笑いの木版画」むろんそれだけでなくやさしい風景画も多く出ていた。

好きな作品が多いので、もう本当に純粋に楽しんだ。

最初に国芳の名を上げたのは武者絵だった。
前後期で交代はあったが、梁山泊の好漢たち八人の姿が現れていた。
いずれも色もよく残り、見るだけでわくわくしてくる。
わたしが水滸伝を読むようになったのは、学生の頃に国芳のこのシリーズを見たからだった。(手元にあるのは平凡社版120回本・駒田信二訳)
そしてこの通俗水滸伝豪傑百八人シリーズは、とらさんがたいへんな労力をもって、そのすべての好漢たちの名と特性と画像とをリストに挙げられているので、そちらをご参照ください。
(おかげでいつでも楽しむことができる)
とらさん、ありがとうございます。

本朝水滸伝シリーズでは渡辺綱を描いたものが、赤色がよく目立っている。
明治前の赤色は国産のものだが、こんなにはっきりした赤は珍しいように思う。

団扇絵がある。美人画。
春の虹げい  美人がうなぎの串をあーんとしたところ。
うなぎは天平時代から「むなぎ(うなぎ)めせませ」と詠われてきたが、江戸時代中期の頃から、現在の料理法が確立したそうで、国芳の頃には大人気になっていた。
あたしもうなぎ好き・・・
こんな風に蒲焼きをあーんとするのは楽しそう。

大願成就有ケ瀧縞  縞柄着物の美人画に本朝や異朝の故事をからめて描く。わかるひとにはわかるネタ、見立て。江戸時代のこうしたセンスはとても楽しい。
今回は「許由」と「布引の瀧」が出ていた。

江戸じまん名物くらべ こま込のナス  丸いナスだった。賀茂ナスみたいな感じ。可愛い。

百種接分菊  去年この作品は複数の展覧会に姿を見せていた。一つの菊に接ぎ木をして多くの種類の菊を咲かせている。見物は大喜び。
見ているこちらも嬉しくなる。

子供が楽しそうに遊ぶシリーズがある。
べっとりくっついているのはお相撲をする子供たち。
一緒にいる犬までにこにこするのは雪遊び。
川で楽しそうにじゃぶじゃぶ大勢の子供が遊ぶのもいい。
浮世絵師は人々の日常も明るく切り取ってみせる。

国芳は我も喜び・ひとも喜び・版元も喜ぶ絵を生む。
楽しめる作品が本当に多い。
国芳の浮世絵は「浮き世」であり、憂き世ではない。
暮らしぶりは憂き世であっても、いや「憂き世」であるがゆえにこそ、浮世絵を描く。
だから多くの作品が楽しいものなのだ。
絵を見て喜ばないのは為政者側ばかり。

江戸時代の政策なり施策なりについて調べてみると、「外憂」がなかったばかりに、我から「内患」を拵えるようなシステムが活きていた、どうもそう思える。
だからやたらと理不尽な取り締まり令をだしたり、不条理な法を施行するのだ。

役者絵を描くなとか、芝居でリアルタイムなものは上演するなとか、もぉ本当に制約が多い。
もしかすると、その抜け道を潜る楽しさを知らせるために、そんなわけのわからん法令を出しよったのかも、と思うときもある。

その期待に見事に応えたのが、我らが国芳御大だった。

釘のひっかき絵のような体裁の「荷宝蔵壁のむだ書」「白面笑壁のむだ書」はすべてが役者の似せ絵である。
しかし「これは落書きですよ」と押し通している。それもわざとバレバレにしつつ。
そのスレスレ感がたまらない。
「さやあて」とある絵には岩永やお染久松に義経、「しめたしめた」には俊寛が。しかも猫の瓦版屋みたいなのがいるのがケッサクだ。
今回、このシリーズをたくさん見れたのが嬉しい。

奪衣婆やお竹如来へのヒトビトの願い事もいい。欲の皮がツッパラかって、見てるこっちが笑えます。
そういえば国芳の曾孫弟子にあたる清方にもお竹如来図があるが、あちらは仏画風の静かな作品だった。
こちらはたいそう賑やかである。
かねのたんとある親父が欲しいとか、(下女奉公などを世話する、人材派遣業=)桂庵の主人がいいのをよこしてくれとか、この絵の版元です、よく売れますように・・・
書いてる本人がまず最初に楽しんだろう。

国芳晩年期に浅草奥山では活人形やツクリモノがたいへんな大人気だった。
国立演芸場の資料室ではそうした作品を多く所蔵し、展示することも多いが、今回はそこで見た作品がいくつかあった。
一つ家を描いた作品が国芳には特に多いが、錦絵までここに展示されている。
老婆をいさめようとしても聞き入れられず苦悩する娘の表情が心に残る。

忠臣蔵も国芳は随分多く描いている。
芝居の方の忠臣蔵がまず目を引くが、誠忠義士伝シリーズになると、リアリズム志向で義士が描かれる。
リアリズムというてもやはりどこか大仰なところもあるのがご愛敬だが、こういうのを見ると、真山青果「元禄忠臣蔵」を想起する。
だから名は芝居にあわせて大星由良之助なのだが、まぎれもなくこれは大石内蔵助なのだった。
一方、戯画でも忠臣蔵には熱が入っている。
蝦蟇手本ひやうきんぐら タイトルからして巧い。
道外てうちんぐら ・・・提灯になるのはお岩さんだけかと思ってました。
なんでもありです、すごいわ。

風景画もでている。
東都名所シリーズでは「浅草今戸」が好きだ。尤もそれは絵の叙情性だけでなく、石川淳「至福千年」に、今戸に住む一字庵冬峨がいるからだった。
また「東都宮戸川之図」ではウナギかきをする人の顔がリアルに描かれていた。
うなぎかきは実際には見たことなどない。せいぜい四谷怪談で直助権兵衛がするのを見るくらいだ。

長いチラシを今回美術館が拵えたが、それは「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」だった。
よくよく見ればうろこは□に渦巻きが入っていて、それが延々と続いている。
昔なら蚊取り線香風、今ではロールケーキ風と言う感じ。
わたしも長い絵のうちではこれと「相馬の古内裏」のガイコツが大好き。

岡崎のバケネコ話を描いたものがあった。
そこにポスターやなんやかやと大活躍する「がんばる」猫がいる。
親方の大猫ではなく、豆絞りをして踊る猫。
これは芝居の「獨道中五拾三駅」を描いたもの。近年では市川猿之助が大バケネコを演じていた。
このにゃんこさん、可愛くて仕方ない。ただ可愛いだけではなく、なんだかとても愛しい。
あんなキャプションついてるのを見た後で実物を見れば、応援したくなるし、仲良くしたくなる。猫、がんばれ。

百物語化物屋敷の図 林屋正蔵工夫の怪談  これも好きな一枚。いいよな~お化け屋敷。
竹沢藤次 独楽の化物  演芸場資料室で見たのが最初。実際の見世物の様子はどんなだかはわからないが、国芳の絵を観るだけでも想像が深まる。
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道外化シリーズも面白い。雨宿りする色んなやつら。商売を始めるものもいるし、ぼんやりするものもいる。夕涼みでは犬までへんな顔をしている。
狐の化け方教室まであるが、こちらはお師匠さんも大変である。

一方、へんげものではない猫の困惑絵もある。
猫と遊ぶ娘  猫で遊ぶ娘。これを見たとき「リアルやなぁ」と感心した。わたしの友人で激しく虎党がいるが、彼女は家の猫に「六甲おろし」の節で踊りを強要していた。丁度この絵のように猫の手足をばたばたと動かして・・・
(わたしはそこまで猫に強いることはございません)←えーーー?

猫でおしゅん傳兵衛まである。「ソリャ聞こえませぬ傳兵衛さん」のあれである。
「もうこの屋根では会わぬぞよ」の台詞がキマっている。

猫の曲手まり  これがチケットなのが嬉しいところだ。マジメ顔な猫たち。
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猫の当て字は「たこ」と「ふぐ」が出ていた。どちらも猫たちはたこやふぐを噛んだり抱え込んだりしてもいて、見ているだけでわくわくする。
猫飼好五十三匹も出ていて嬉しい。

本当にどれを見ても何を見ても楽しくて楽しくて仕方ない、いい展覧会だった。
とうとう5/9までになったが、5/9中に行ける人は楽しんできてください。
  


あおひーさん個展「すくいとる」

既に終了したが、あおひーさんの個展「すくいとる」は不思議なときめきに満ちたものだった。
「経堂のすずらん通りのすぐそこに」あるギャラリーへ向かうと、にこやかな童顔に髯を生やしたあおひーさんがいた。
こんにちは、とわたしは入っていった。
「こんにちは、ようこそ!」とあおひーさんが出迎えてくれる。
作者ご本人からの説明を受ける前に勝手に見て回る。
作家の意図することと、自分の感想の間のなにかを「すくいとる」ために。

あおひーさんの作品はブレている。ソフトフォーカスで捉えられる世界。
ブレた写真を故意に晒しだしたのは森山大道だったが、あの荒さとは全く異なる。
あおひーさんの切り取る(あるいは「すくいとる」)世界は、のんびりと光っている。

「細部の隅々まで確実に写し撮ることの出来る」カメラを得て、自分のいる世界の大半をはっきりと観てみたいと思っているわたしにはこの、ほのぼの・ぼんやり・ほんわかモードはまるで、別な心の国の住人からのおたよりだと思えた。

背景に闇が選ばれた作品がある。少しの規律を守る赤い光が続く。その赤い光は食紅で染められたバラ型のチョコレートのように見える。
ただしそのバラは赤だけではなかった。
「これ、なんだと思います?」
少年がわくわくしながら秘密をバラす話し方で、あおひーさんが種明かしをする。
あの赤いバラたちは、夜間工事の警備員のオジサンの背中で光るライトの列だと言う。
「えっ」とわたしは声を上げる。
えへへ、とあおひーさんは笑う。

このギャラリーは白い部屋だった。
その縦長の白い空間の底に、四枚の宇宙写真があった。
宇宙写真と思ったのはわたしの眼とアタマだ。
あおひーさんはそんな遠くは写さなかった。
お話をうかがって、「そんな身近なものが」とちょっと驚いた。
あおひーさんは一体どんな魔法を使ったのだろうか。
今でもわたしは、あの四枚はやっぱり宇宙のどこかにある、名前の知らない星雲だと思うのだが。

花を写した作品群がある。大きさはポストカードより少し大きいくらいに見えた。
壁にはそのうちの一枚が大きめに出力されている。
その下に黒布が敷かれたテーブルがあって、そこに花々があるのだ。
綺麗な花だと思った。
真っ白な空間に赤い花が息づいている。しかもその花と枝をオーラが取り巻いている。
まるでその花を守ろうとするかのように。

白い空間に黄色い柔らかなかたまりが見える。
椿の蕊だった。あおひーさんの目はその柔らかさを見出し、手がそれをすくいとる。
わたしはふと、その黄色い中心に指の先を沈めてみたい欲望に駆られた。

花々の作品はいずれも、タイルに欲しいと思った。
建築への偏愛があるわたしは、明るいキッチンや優しいバスルームに、この作品を応用したタイルを貼り付けてみれば、どんなに素敵だろうと想像する。
きっとその室内はとても居心地のよい空間になるだろう。
あおひーさんの本意に添わないかもしれないが、そんなことを今も思っている。


やさしい緑の写真の隣に赤い焔があった。提灯を写したものだそうだ。
ハグキだとコワイですね、とつまらない冗談を言いながらわたしはトリュフォーの映画「緑色の部屋」を思い出していた。
蝋燭を灯し続ける男のいた部屋。写真を見つめながら確かにそんなことを思っていた。
その一方で提灯と聞いて、夏目漱石の京都ツアーの印象を書いた随筆を思いもしている。

浜辺に佇む人をロングで写した作品に惹かれた。
後にタイトルが「浜ニ佇ム」だと知ったが、その人は女性ではなく男性だった。
あおひーさんのお話を伺って笑ってしまった。
しかしその写真はわたしの眼には、海から上がってきたイキモノが、誰もいないのをみすまして、ヒトに変身している状況に見えた。
誰にも見られなければそのイキモノは巧く人間社会に溶け込めるのだが、ここであおひーさんにみつかり、決定的瞬間を撮られてしまった。
そうなるともうヒトにはなれない。ヒトにもなれないし、元の海のイキモノにも戻れない。
もうどうしようもない。どこへも行けず、あおひーさんのすくいとる世界の中に閉じこもるしかない。
(もしかするとあおひーさんは、そのイキモノをそっと自室に匿っているのかもしれない)
その作品の中に姿を見せることで、陸にいる仲間に合図を送っていることも考えられる。
そしてあおひーさんは、いつか<彼>が海へ還る日を共に待ち、今度はその姿を写し取るのかもしれなかった。

あおひーさんの「すくいとる」なにかと、わたしの脱線混線したアタマの配線が、ちょっと仲良くなれた気がした。
ありがとう、あおひーさん。
あおひーさんからいただいた名刺。
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メレンゲとレモンジャムのような愛らしい花たち。

5月の首都圏ハイカイ

5/1?5/4まで首都圏に潜伏し、ハイカイしていた。
去年の同じ期間もそうしていたので、来年もそうなりそうな気がする。
なんで東京へ行くの、とよく地元の知人や会社の人に訊かれる。
「見たい展覧会があるから」と答えると、「(展覧会は)大阪にも京都にもあるやん」と言われる。ソラその通りです。
しかし「来ないのが見たい」と思っている。定点観測する美術館も多い。
それを説明してもあんまり理解してもらえないので、「ああ、道楽者なもんで」と答えると、訊いた人はみんな「ああ、そうか」と妙に納得する。
大阪では「道楽者」と言えばなんとなくそれだけで「ああ」と納得され、赦されることが多い。
展覧会それぞれの感想は後日別な記事に挙げてゆく。

ホテルの近くから見たスカイツリー。IMGP7960.jpg

府中へ向かった。京王線の快速特急か何かに乗っていたが、競馬開催だと言うので東府中で臨時停車する。下車する人の9割は向かいに待つ府中競馬場行きの電車へ走る。
みんな意気揚々というかアドレナリン噴出している。
わたしは別な方向へ歩き出しながら、やっぱりアドレナリンが溢れてる気がする。
国芳展、後期。
完売した図録の重版を予約してるし、前日のツイッターで混雑の様子を見て、いよいよ気合が入っているのだ。
「猫もがんばってます」わたしもがんばってます。

かなり楽しんでから、公園の一隅で藤棚を見ながら買ってきたチラシ寿司をいただく。
ここまで来た甲斐がある展覧会だった。本の出来もよさそうだし。

車内で昼寝するうちに芦花公園に着く。世田谷文学館で星新一展を見る。
中一のときからファンだからもう30年か。
SFファン仲間にメールで感想を送ると、みんなウォーウォー吠えていた。

そこから乗換えを続けて経堂へ行く。隣の千歳船橋は昔、オジが住んでいたので記憶があるが、経堂は知らんのよ。しかし世文でさっきもらった植草甚一MAPは経堂あたりを特集したものなので、あわてなくてもいい。ほら、見えた。
あおひーさんの個展。
あおひーさんの作品を眺めた。わたしは建築を撮影するために、暗部でも細部まできっちり写るカメラを選択しているが(ヘタなのは自分の腕のせい)、まったく価値観の異なる作品世界を観たのだ。
ちょっと衝撃だった。
展覧会は5/5までだが、感想を挙げることはもっと遅くなるので、申し訳ない。

新宿へ出たが、あおひーさんの作品が意識に残っているので、自分が歩く道々すべてが「あおひーヴィジョン」に転化されて見えてくるのが、面白かった。

損保では日本初公開のユトリロ展を見る。
これが予想より遥かによかった。
良過ぎた、と言うべきか。おかげで予定時間が狂いだした。
ちょっと前に三鷹で見たユトリロ展も大概ええ内容だったが、これはまた・・・それも全部が全部「名品」と言うのでなく、ダメぽい作品があるところが、却って凄いのだ。
傷ましさが胸を噛み、それで時間がかかったのかもしれない。

memeさんに「ユトリロでユトリ、ロス」とメールを打つとウケてくれたのがスクイで、折角7時まで開館していた三井は諦めて、江戸博へ向かった。
「龍馬伝」は見ていないが評判だけは聞いていた。なんでもフクヤマ・リョーマよりも、ばばちいカガワ・ヤタローがメチャええとかなんとか・・・
TVのことはさておいて、龍馬の資料を見る。
京博や霊山記念館の資料が多いのは当然のことながら、やっぱりなにやら見覚えの多い内容であった。
特に活躍はしてないけど、わたしも歴女のハシクレですからなぁ。

近江屋の室内再現があった。ううむ。
お客さんは親子で来られてる人も多かった。みんな、こういうことを機会に、もっと日本史を学ぼう。←希望。

5/2。千葉へ出た。佐倉へはまだ行かない。とにかく千葉へ出た。
10時前に千葉市美術館についたが、リニューアル記念の所蔵名品展、これが凄い内容で、200円でこれだけ楽しませていただいてよろしいんか、と何度も声に出しそうになった。
5/9までで、記事挙げるのが遅いわたしではまぁ何の役にも立たないけど、行ける人は行かないともったいない。千葉市美術館はエライ。本当にえらい。

三越の地下で冷やし中華を食べたが、ごまだれと蒸し鶏がたいへんいい。
今年の冷やし中華・冷麺はここからスタート。

千葉から浦和へ。高崎線は早い。先に北浦和の近美で山本容子展を見る。

二十代の頃、三十代になれば山本容子みたいになりたいと思い、三十代に入った頃には四十を越えたら山本容子のようになりたいと思い、アラフォーの今は五十代になったらやっぱり山本容子・・・でもたぶん、ゼッタイ、無理・・・ということがだいたい見えてきている・・・
ああ、カッコイイ山本容子。

そこから一駅戻ってうらわ美術館へ行くと、なんとその日は無料日だった。クレパスアート展。大阪のサクラクレパスの所蔵品。時々どこかでこうした展覧会がある。

その後美術館の入っているホテルの一階のカフェに入り、なんとなくデザートバイキングを選択してしまった。
一人でそれをするのは初めてだ。おいしかったが、サービスはアウトだ。ここは大阪の某ホテルが本部らしいが、サービスをどう心得ているのだろうか。大阪でもう一度レクチャーを受けるべきだが、そんな予算もないのかもしれない。

結局ここでも時間の感覚が狂い、予定は破れたが、そのかわりいろんな電車に巧く乗り継げたのが楽しかった。
赤羽からは湘南新宿線にササッと乗れて恵比寿に早々とついた。なんか痛快ですがな。

ヒルズへ行く。森美術館のボストン美術館展。リストがないのが痛いが仕方ない。
監視員に可愛いお兄さんがいたのがちょっと楽しい。

5/3、神奈川在住のえびさんと遊ぶ。都内でホリデーパス購入。平塚まで入ってるのでたいへん助かるし、使いごたえ大有り。
平塚で待ち合わせて徒歩で美術館へ向かう。
平塚に詳しいえびさんのおかげで近道スイスイ歩き、楽しいお話も続いて、あっと言う間に美術館。長谷川りんじろー。字はリンの字がmacとwinでは違う見え方になるようなので、勝手ながらカナで書く。
たいへんにいい展覧会だった。緑色と猫のタローが心に残る。

美術館でランチしてから逗子へ向かうがその前に横浜ゴムの記念館を見る。
数年前これが見たくて平塚へ来たのに、まだ記念館が移築されていなかったことを思い出す。

逗子からバスで神奈川近美・葉山館へ。ユーリ・ノルシュティン展。あいにく映像は満員御礼で入れなかったが、漏れ聞こえる音楽や効果音で「ああ、あのシーン」と思い浮かぶのが楽しかった。
ここも大幅に時間がかかるから、ほかにも行くヒトはご用心。

逗子駅のカフェで色々おしゃべりしてから大船でお別れ。
わたしはそこから松屋銀座のミッフィー展。うさこちゃん。ただ可愛いだけではない。
そこには人種差別や障害者差別などの問題も含んでいる。
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でも正直に言うと、「たれみみくん」はすごく可愛い。本人はそう呼ばれるのが悲しいのでしょぼんだが。
それにしても「おかしのくにのうさこちゃん」ではお菓子を食べ過ぎてムクムクしたうさこちゃんがいて、それがひどく可愛かったな??

最終日。この一年、ここのホテルにほぼ毎回泊まっているが、それは朝食のクロワッサンがおいしすぎるからなのだった。
それでこの日もクロワッサンをぱくぱく食べてから、出ていった。メトロ1日券で動く。九段下のロッカーを使ったが、電子制御なのがちょっといい感じ。
そこから上野へ。
細川の殿様のお宝を見る。オススメ通り二部から見学すると、自分のみやすいように見れて嬉しかった。
常設も金太郎の錦絵や維盛物語などを見たので、やっぱり東博はいいなーと実感。

うなぎが食べたかったが、伊豆栄は不忍池の下の方、わたしが歩いていたのは弁天堂なので諦めて、そのまま弥生美術館へ向かう。
谷中根津千駄木を縮めて谷根千というが、わたしも以前に森まゆみさんたちの活動から「谷根千」に惹かれて、随分歩き回ったものだ。
そこから本郷まで含めての土地で暮らした画家・作家の作品を中心にした企画。
予想外の面白さに満ち満ちていた。
夢二の方ではまさをやしげる、淳一、虹児らの叙情画と夢二の童画なども並び、大好きなパラダイス双六も飾られていた。

暑い暑い日ざしの中を次は飯田橋へ。軽くランチ後、江戸川橋へ向かうが、この炎天下にあの坂を延々と歩く根性がないと思いながら地上へ出た途端、バスが来た。
掬われた・救われた。
それで機嫌よく椿山荘前まで乗り、先に永青文庫へ。東博の展示を見た目で今の企画を見るのもたいへん興味深い。

続いて野間へ。藤棚が綺麗。IMGP7988.jpg
大観を中心にした展示。ここは本当に自分にとってのマイ・フェイバリット・ミュージアムの一つ。この先もどんな内容のものを展示しようとも、必ず行くつもり。
尤も、ここにあるものは好きなものばかりだが。

そして九段下へ戻る。昭和館での新版画の後期。前期も良かったが後期もひどくよかった。
うれしい気持ちで見終えたら、丁度タイムアウト。
そのままロッカーから荷物をひきあげ、空港へ向かった。
楽しいツアーはここでおしまい。

おまけ。五月五日なので家ではばら寿司。柏餅と一緒。
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椿。桜そして竹。絵画の中の春爛漫

石清水八幡宮があるから八幡市と名乗る。
市には淀屋辰五郎の墓もあるし、男山の竹はエジソンの役に立った。
松花堂美術館は松花堂昭乗ゆかりの地にある。

春の企画展「椿、桜そして竹 絵画の中の春爛漫」が5/5まで開催されている。
広大な庭園には多くの種類の植物があるが、もう桜も椿もほぼ終焉を迎えた今、庭園拝観の気持ちになれなかった。
そうなるとチケットは受付ではなく美術館内での販売になる。
近代日本画の名品が滋賀、京都、大阪から集められていた。
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遙邨 江州日吉神社  手前に山桜の枝と花が交差し、その向こうに日吉神社の境内が広がる。小さなお社が所々にあり、中には小さく狛犬が描かれてもいる。
にぎやかな川の流れがあり、川床も出ている。あんまり人はいない。
パラソルを差して歩く人が見えた。
境内のお社も小さい人も、みんな花や草に埋もれてしまいそうだった。
遙邨のこうした風景画(境内図・眺望図・鳥瞰図)は何もかも皆どこか楽しいムードがある。

松篁 花鳥椿  チラシ裏面右端のそれは、まだ若い頃の松篁の作品。どこか宋の国の絵を思い出すような色調。大正の京都の日本画にはこうした色合いの作品が多かった。
そしてそれはここに展示されている印象の「椿と小禽」にも顕われている。
薄い血の広がりを思わせるような赤さが印象的な作品で、こちらもまたよくふくれた小鳥がいる。

荻邨 野々宮  白描に近い、手元の竹林。向こうに朱塗りの境界がある。静か、たいへんに静か。音のないような風景。
現実の野々宮に行ったことがないが、この絵を見ていると実はもうとぉの昔にそこへ行っているような気がして来るのだった。
 
恒富 花の夜  白くたおやかな桜に寄りかかるように、桃山時代風の女が立っている。
大正期の作品。中に着込んだ臙脂色、袖口、女の唇。
わたしは恒富のこの時代の女もとても好きだ・・・・・・・
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溪仙 祇園夜桜図  円山公園の枝垂桜。篝火が焚かれているが、その赤よりも花の色に深い魅力がある。繚乱。

青邨 みやまの四季  高島屋史料館ほまれの一枚。梅に見える木は実は多くの花を咲かせる楽しい生命の木。小鳥たちも楽しそう。

曠平 富士太鼓  楽人同士の争いに短を発して、互いに悲劇が起こる物語。謡曲。女と幼女の進む足元に魅力がある。鳥兜をかぶる女の目は鋭くも、どこかに悲しみがある。

靫彦 紅白椿  こうした椿の美を見ると、本当にうれしくなる。自分が椿好きなのはこんな佳品を数多見ているからだと思う。

大観 八幡緑雨  もあもあした感じがいい。こうした感性は友人の放庵からの影響があるのかもしれない。

マイナーな展覧会かもしれないが、楽しさに満ちた内容だった。

五月の予定と記録

ああ、五月ですね。
遊びに行かなくては。
ということで、予定(行けたらいいな?)ラインナップです。
とはいえ、5/1?5/4首都圏潜伏しますが。

開館十周年記念 横山大観展 ?5/23 講談社野間記念館
〈宵待草〉100年の軌跡 竹久夢二 詩人画家の誕生 ?日本画、詩画集からセノオ楽譜まで??6/27夢二美術館
谷根千界隈の文学と挿絵 展 弥生美術館周辺を舞台にした“ものがたり”弥生美術館
茶の湯の美―数寄のかたちと意匠― ?6/20 畠山記念館
挿絵本の世界 ?きれい、カワイイ、怖い? ?6/6 町田市立国際版画美術館
コレクション展1.朝倉文夫2.芸大コレクション―動物を中心に―?6/6 藝大美術館
映画の中の日本文学 Part 3― 戦後の文学―?6/20フィルムセンター
細川家の至宝?珠玉の永青文庫コレクション??6/6 東京国立博物館
モーリス・ユトリロ展?7/4 損保ジャパン東郷青児美術館
ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち?6/20森アーツセンター
江戸を開いた天下人 徳川家康の遺愛品?6/20 三井記念美術館
ロトチェンコ+ステパーノワ―ロシア構成主義のまなざし―?6/20 東京都庭園美術館
住友コレクションの茶道具?6/20 泉屋分館
細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション?6/6 永青文庫
城山三郎展―昭和の旅人―?6/6 神奈川近代文学館
話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ?6/27神奈川県立近代美術館/葉山館
ルーシー・リー展 ?6/20国立新美術館
大河ドラマ特別展 龍馬伝 ?6/6江戸東京博物館
ロトチェンコ+ステパーノワ―ロシア構成主義のまなざし― ?6/20 庭園美術館
星新一展?6/27 世田谷文学館
「札幌聖ミカエル教会」とアントニン・レーモンド展 -日本で発見した木造モダニズム-
?6/20 ギャラリーA4
ゴーゴー・ミッフィー展 ?5/10松屋銀座
エミール・ガレの生きた時代?5/30 目黒区美術館
ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち ?6・20森アーツセンターギャラリー
江戸を開いた天下人 徳川家康の遺愛品?6/20 三井記念美術館
茶の湯の美―数寄のかたちと意匠―?6/20 畠山記念館
歌川国芳 奇と笑いの木版画・後期?5/9府中市美術館
昭和の版画展・後期 ?5/9昭和館
開館十周年記念 横山大観展 ?5/23野間記念館
あおひーさんの個展「すくいとる」antique studio Minoru5/1?5/5
ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて?7/19川村記念美術館
近代日本美術の百花 ?5/9千葉市美術館
平明・静謐・孤高?長谷川りん二郎展?6/13平塚市美術館
想像と装飾の美 ?デザイナ?・山口蓬春の視点??6/6山口蓬春記念館
ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡?6/13横浜美術館

この先は関西。色々見て行く予定こちらも多い・・・
冷泉家 王朝の和歌守展?6/6京都文化博物館
あなたが選んだコレクション名品展?6/6高麗美術館
京都市美術館コレクション展 第1期「円と方」?6/20京都市美術館
?江戸の粋・明治の技? 「柴田是真の漆×絵」エドソン・コレクション初帰国?6/6承天閣美術館
樂歴代展 樂美術館コレクション?6/6樂美術館
泉屋博古館創立50周年記念 『住友コレクションの近代洋画』?6/27泉屋博古館
きょうせい ?5/30京都市立芸術大学ギャラリー
京都銅陀工芸高校130年記念?6/13京都市立芸術大学ギャラリー
美しきカントリーライフ ?理想郷への回帰とたびだち?5/30アサヒビール大山崎山荘美術館
聴竹居見学
昭和のおもちゃとマンガの世界―北原照久 大コレクション展―?6/21大阪歴史博物館
レゾナンス 共鳴 人と響き合うアート?6/20 サントリーミュージアム
天遊 国宝平安三蹟・千利休・人間国宝江里佐代子?5/30正木美術館
池田谷久吉と収集コレクション?絵葉書・沿線案内・観光案内を中心として?6/6泉佐野市立歴史館
鴻池コレクション扇絵名品展 ?5/30 大阪市立美術館
高麗時代の水注?7/25 大阪市立東洋陶磁美術館
恋文?谷崎潤一郎と佐藤春夫?11/28 芦屋市谷崎潤一郎記念館
写真家 中山岩太『私は美しいものが好きだ。』レトロ・モダン神戸?5/30兵庫県立美術館モダニズムの光華「芦屋カメラクラブ」?6/20芦屋市立美術博物館
韓国の民画と絵本原画展?5/23西宮市大谷記念美術館
四季の山水?5/20頴川美術館
平城遷都1300年記念「大遣唐使展」?6/20奈良国立博物館
M/C/エッシャー展 ?視覚の魔術師?5/9奈良県立美術館

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