美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

建築はどこにあるの?

「建築はどこにあるの?  7つのインスタレーション」展に行った。
見る、だけですまない展示だった。
体感する、考える、ということを経験した。

20世紀半ば過ぎのモダニズムの堅固な建物の前に、竹らしきもので拵えられたゾウさんやキリンさんのカタチをした休憩所のようなものがあった。
子供が遊び、カップルがくつろいでいたり、本を読む人もいる。
福岡のアジア美術館の館内には、籐椅子というより籐<巣>のようなものがところどころに置かれていて、その中で勝手にくつろげるようになっているが、あれの屋外版のようなものかと思った。
とてもいい感じだと思った。
夏の間だけでもずっとあれば気持ち良さそうだ、と思ったのだ。
実際にアジア美術館でその巣の中に篭ってみたとき、外へ出るのがイヤになったくらいだから、そのゾウさんやカバくんの真下にいれば楽しかろう、と考えた。
それは「アトリエ・ワン」の作品だった。
わたしはそのゾウさんたちを好ましく感じている。
<作品>だということを認識する前に見て、「感じ良さそうだ」と思っている。
そのことが無条件でその<作品>を受け入れる力になっていた。

心地よさ。そのことを考える。
「わたしが」建造物に対して求めているのは「心地よさ」と「機能」と「美貌」なのだが。

館内に入る。
カメラは許されている。しかしその日の私はカメラを持たないで歩く。自分の眼をカメラに委託できない状況にあった。
「見る」ことよりも他のことに力が入ったのは、そんな理由があったからだが、結果としては良かった。

目の前に網とでも言うべきものが広がっている。
「とうもろこし畑」と題されていても、それがこれだと言われれば、普段の私は大変に困る。
しかしタイトルを見ず・作者を思わずに作品と対峙すると、この空間が何かを生み出そうと壊そうと、それはそれでいいものだと思い始めた。

隙間のなさそうなタイトケーブルの張り巡らされた空間が目の前に広がり、それがかなりのスペースを占めるように見えた。
実際にはそれは紙で出来た構築物なのだが。

「どこに建築があった?」と訊かれれば、「その隙間にある影がそうかもしれない」と答えたい。
完全なる連続体は途中で断ち切られているが、それを円でつなげばもう出口はなくなる。
そうなれば内側にしか体面積は広がりを持たなくなる。外へ意識を広げることはこのカタチでは不可能だ。
しかし我々はその外側からしかこの状況を見ることが出来ないでいる。
可視領域とそうでない域との差異は何か。その間に入り込むにはどうするか。
細径ケーブルを分断する専用ニッパーがある。それを使ってみたい欲望に駆られる。
実際にはそれは紙で出来た構築物なのだが―――――。

「草原の大きな扉」
「どこでもドア」は人類の究極の「欲しいもの」の一つだと思う。
それを思い起こさせるドアがある。しかしドアしかない。これが一枚だけのドアならトマソンということになるが、このドアは一対である。そして架空の草原がそこに広がるのを感じる。
可愛い屋外用のイスとテーブル。小ささがとても好ましい。
タオル掛けらしきものがある。テニスサークルの人たちのためのテーブルセットかもしれないし、そうでないかもしれない。宮本輝の「草原の椅子」という小説の挿絵を思い出した。あの椅子とここにある椅子とは全くカタチも違うのに、椅子を見ていて豊かな気持ちになるのは同じだった。

「DUBHOUSE」を見ていると、ある種の映画とプロモーションヴィデオを思い出す。
どちらもSF。
「アルジャーノンに花束を」を映画化した「まごころを君に」の中での、チャーリー・ゴードンの妄想の部屋。
忌野清志郎の’80年代の曲「不思議」のプロモーション。
じぃっとのぞきこむ。
何が見えてくるのかと言えば、一体自分は何を見ているのだろう・何が「見たい」のだろうと考えだしてしまう。
その意味では本当には何も見えていない。
しかし意識の内側で音楽が鳴り続けている。止めることのできない音声が。

「赤縞」は面白かった。体験型。自分もシマシマ・他の人もシマシマ。行動するより見る側に立つ方が面白いと思った。しかし楽しみすぎてしまうと、ヒトというものは何も考えられなくなるものだと知った。

「ある部屋の一日」の空間の中にいると、自分がどこかの宇宙船の中にいるような気持ちになっていた。重力安定装置が稼働中なのでひっくり返らないが、その分自分の肉の重みを担わなければならない。
不思議な空間だった。そして体調が良くない自分では、ここにいられる時間が短いことを実感した。

最後に伊東豊雄の作品が待ち構えていた。
ここだけは作品を見るより先に、作者の名前が眼に入ってしまっていた。
なにか感想を挙げたいと思うが、意識が限定されすぎてしまって、却って何も言えなくなった。

ええかげんな感想だが、マジメに作品と向き合ったことは確かだと思っている。
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6月のハイカイ 2しました

六月中に二度も東京に行ってしまった。
一ヶ月に二回も行くのは実はポリシーに反するが(こやつにポリシーなんかあるのか?)、まぁ色々と。
それにしても今回は風邪が治らぬままなので、困った。
誰にも会うことを避けてうろつくしかない。
孤独な放浪者、と言うとなんかカッコイイな。
今回はまず出光美術館へ向かった。
展覧会の個々の感想は後日に続くとして、チラチラと書く。


羽田空港から三田経由で日比谷に出ると、帝国劇場の地下についたので、これはええがなと喜んだ。出光に一番近い出口ではないか。
屏風。いいものを見たなぁ。また詳しく書くけど、江戸名所の屏風で今まで気づかなかった2シーンとか発見して、それが嬉しかった。
あと万国地図&民族の屏風もなにやら面白いしね。
しかし今回ガラスと照明に工夫が凝らされているので、それを確認するのも面白かった。

そこからてくてく歩いて三菱一号館へ。マネ再訪。時間帯が良かったのか、まぁわりと見やすかった。おかげで前回にはない感想も湧いたし。
「大鴉」が今回は特に気に入った。それとパリの建物の表面図とかもきっちり確認できたのがよかった。

工事中の東京駅を越えてブリヂストンへ。
「印象派はお好きですか」はい、大好きです。
マネ見てからブリヂストン経由で、オルセーの後期印象派を見るのは我ながらよい発想のような気がする。
今回、風邪のおかげで新しい発見があった。
私は背が高いので大抵の場合は絵を見下ろすから、絵の表情は上から下へのものばかりだった。しかしハナ風邪のせいで、上からでなく下から見上げるようにすると、見慣れた絵が知らぬものに変わった。
これは面白い体験だった。
だからルノワールの可愛いシャルパンティエ嬢の靴下や足の感じが今までになくよく見えたし、モネの睡蓮の池も橋のこっちから見てるココロモチになった。
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あー眼の高さが変わると面白いな。
それはやっぱり、いつも見慣れた作品でないと味わえない、楽しみなのだ。
こちらは新収蔵のロートレック「サーカスの舞台裏」
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馬の目が可愛い。「よろしくね」という感じ。みんなも新入りに気さくに挨拶しよう。

ポーラ・アネックスへ。「音の出る展覧会」を楽しむ。
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絵は五枚だけど、これは数を競うものではないので、楽しく眺めた。
デュフィよりマティスの作品のほうが見ていて音楽を感じた。
ストラディヴァリなどの実物が置かれているのを見て、何百年経とうと、きちんと手が入れば名器は活き続けるものだ、と思った。
現代の名工・陳昌絃さんの伝記を思い出す。

INAXギャラリーへ入る。土曜だから横から入るが、なかなか繁盛している。
五億年の植物化石。先にいる人々は凄まじく熱心に化石を見ている。
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わたしは羊歯がたまらなく好きなのだが、羊歯の化石をみつけて嬉しくなった。
植物遺体ということばそのものに感応する。
コレクションの大半は大阪の長居にある自然史博物館からの貸し出し。
・・・以前のホネ、骨格標本展示でもそうだが、地元の博物館で見ずに、なんでINAXで見てしまうのか。
すんません、長居。
関係ないが「化石の記憶」は面白いコミックだった。

そこから一旦ホテルに向かい、色々支度し直してから出かける。
オルセー美術館展をば楽しむ。
自分がパリのオルセーに行ったのは10年ほど前だが、その間に何回日本でオルセー展があったかなぁ。どれもこれも満足のゆく展覧会だった。
けっこう見たかったものが多く出ているので喜ぶ。
もちろん初見も多いので大いに喜ぶ。
混んでてもわりに見やすかった。解説はもともとあんまり読まないのでかまわないが、しかし他の鑑賞する人にはちと不便そうな気もする。
気分は蛇使い女。(どんなんや!)

そこからミッドタウンへ行く道は紫陽花が満開の方を通る。
丸々した紫陽花が垂れてて可愛い。撫でながら歩く。

また地下でフォーを食べる。一瞬南翔に入ろうかと思ったが、時間がかかりそうなのでやめた。行きたかったら心斎橋で食べてもいいし。(でも多分大阪に戻ると551の蓬莱に行く可能性が高くなる)

サントリー美術館で国立能楽堂のコレクションを大いに楽しむ。
なんでか知らんけど、わたしは見るのは歌舞伎と文楽に尽きるが、お面を見たり装束を観たり、芸談を読んだり謡曲を聴いたりするのは大好き。
実際の能狂言を観るのはしんどいんですけど。
(観ると必ず途中で具合が悪くなるのだ)
こちらも後日詳しく書くけど、いいものをいっぱい見るとそれだけで疲れも忘れるなぁ。

さてまっすぐ帰ればいいものをちょっとだけのつもりで某書店に入り、結局長くいたので風邪はますます悪化した。

一泊二日の二日目。つまり昨日の日曜。
皆さんが「日曜美術館」をご覧になってる頃にわたしは車中で惰眠のヒトになっていた。
多摩川を越えた時点で眼を覚まし、二子玉川で乗り換えて上野毛へ。
五島美術館で日本・中国・朝鮮のやきものを見る。
早い目に入ったのにもぉお客さんいっぱい。
今回は掻き落としの牡丹柄の瓶が素晴らしくよかった。
これに匹敵する華は仁清の芥子絵の壷くらいか。

この日はどこやらのお茶会もあったらしく、そちらの受付も盛況で、次々と庭の向うの茶室へ向かわれる。
ソファで一休みした途端、妙な違和感がわいた。あれれと思ったらイスにご年配のご婦人持ちのハンドバッグが置き去りにされてますがな?。
もうお茶会の受付は終わってる。それで美術館の受付にあわてて持っていった。
これがフツーの展覧会のお客さんなら、駅まで近いから「ギャッ」となって戻ってきはるだろうが、お茶会やとそうはならん。
しかしコワイ話や。

渋谷のたばこと塩の博物館で年間フリーパス券を購入する。
絵柄が二種あったのでこちら。tou226.jpg
阿蘭陀とNIPPON。サッカーの前に見てたら良かったかもしれない。
とにかく良かったのは実は青貝工芸品だった。レンブラントが和紙で版画拵えてたのにも「ほほーっ」。どっちがよくノルかは知らない。

そこから更に坂を上ってNHKの前のハチ公バス乗り場へ。このバスで山種へ向かおうと決めたのだ。
バス出発。停車場NO.8(ラグビーのポジションみたいだ)の東4丁目で下車もいいが、坂上の9の白根記念渋谷文学館で降りる。ここは色々良い展覧会するけど今回はパス。そこから國學院越えていきなり曲がると広尾中学。隣が広尾高校で、沿いを行くと見慣れた通りに出た。山種に無事に着く。
今度またたばこと塩に行った後はこのパターンもいいな。
(たばこと塩辛ちゃう、からガーデンプレースはよく使うルート)

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浮世絵入門。皆さんの評価はイマイチな展覧会ですが、まぁ広重の五十三次が好きなわたしは機嫌よく見て回りました。わたしはトシが1ケタ台の頃から広重のそれを見続けているので、なんだか改めて向き合うと「コンニチハ」な気分になるのだった。
(永谷園のオマケだけやなくて、うちの父が広重ファンで、一九の「東海道中膝栗毛」ともども私はそれに親しんできたのだ)
他に春信の「色子と供」が良かった。色子には多大な関心があるので機嫌よく目を見開いて眺めましたのさ。橘柄の振袖が綺麗な色子でした。
そういえば奥の第2室で春草の女たちの絵を見たが、端っこの少女が構てるのは犬?それとも犬顔のイタチ?・・・かなり悩んだな?。←悩むな、フツーは犬じゃぞ。

さて恵比寿から近美のある竹橋へ行くには色々乗り換えに手間取るが、日比谷?大手町?竹橋以外にルートもないんでしゃーないですね。
近美で「建築はどこにあるの?」を体験する。
体験する、と書いたがこれは実際にそういう傾向がある。
本当は都下の建築仲間と一緒に見る予定だったが、わたしの体調が悪いので会うのをやめて、単独で見学に来たのだ。

タイトルを見て作品を見るのはやめた。作品だけを見ることにする。つまり作者がタイトルに込めた意識や主張をこちらで考えることをやめて、目の前にある状況だけを眺め、体感することにした。

予測よりだいぶ時間がかかった。カメラを持ってくる予定だったが手が震えるので今回やめた。←風邪はこわい。
それで次に常設へ行くと、これまた珍しい結城素明のカラフルな作品や、紺地に金泥の草いきれが立ち上ってきそうな川端龍子の絵もある。
奥には南薫造コーナーまである。
「六月」は当時漱石などからも批判を受けたそうだが、私はこの絵を見るといつも大関松三郎の詩を思い出すのだ。
絵そのものを批判することは案外わたしには難しい。
大抵の場合は妙な妄想や連想が湧き出してきて許容してしまうのだ。
純粋批判なんかムリもムリ。
他は1930年代のシュールな油彩画を見て「・・・けっこう今風やん」と思ったりした。

汐留に行くのは後日。ハンス・コパーよ、サラバ。
日本橋から羽田への快特に乗る。
予定より20分早いので羽田に着くとまだ四時半過ぎ。
それでお茶なとしよかと探すと、なんと丸福珈琲店あるやんか。
大阪ミナミの名店で、近年はコンビニにも販売してるもんなぁ。
カフェオレとチョコにバニラのタルトをいただく。
ハナミズ鬼なわたしは本当はこの状況でコーヒー類はあかんけど、丸福だしなぁ。
タルトもおいしかった。オーレも優しい味。
もぉそれで満足して飛行機に乗ったのでした。

次の東京ハイカイは来月の連休頃です。
それまでにカラダよ、治癒してくれ?

中国の小さなやきもの

細見美術館の「中国の小さなやきもの」は可愛いものだらけだった。
明器だから冥途のお供のやきものだが、そういうものに限って小さくて愛らしいのだ。
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チラシの犬はまるきりビクターのニッパー君そのものだが、蓄音機が生まれる遙か以前にこの世に出ている。
(世に出たのはつい近年かもしれないが。なんせ副葬品なり)
このニッパー君は金から元の頃に作られたそうだが、金も元も漢民族とはちょっと違う文化を持っていたから、犬もまた違うつきあい方をしていたのかもしれない。

それにしても可愛いものばかり集められている。
みんな手のひらに載るどころか、その手のひらの指をクイッと曲げた中にすっぽり、というサイズ。ああもぉ、本当に可愛い。
<美は掌中に在り>とはよくぞ言ったものだ。

白磁藍黄釉の合子、杯、壷。
本当にこんなに小さいのにとても精巧で、色めも綺麗。

壷にも耳があるが、その耳も可愛い。ギリシャのアンフォラという形のものなどもあり、本当に広い。

鉄絵唐三彩の小さくて可愛いやきものがチョコチョコ並ぶのを見るだけでワクワクする。
綺麗な装飾がついているから、いよいよスゴいし。

時代が少し下がって北宋のミニチュアたちが現れる。
ちょっとずつ前代との時差を感じさせる作りがいい。
青白磁のいいものがある。

わたしは子供の頃からリカちゃん人形で遊んできたから、やっぱりこういうものを見ると、それだけで嬉しいココロモチになる。
あの世のドールハウスはどこまでも愛らしい。

冒頭で犬のことばかり書いたが、ほかに山羊もいれば雀もいる。
山羊はコロンと転がっているが、これがまた精巧で可愛いのなんの!
よくチョコレートで恐竜やゾウさんなどの形のものがあるが、この山羊もそんな感じ。
(なめて溶かしてまうぞ?)
全然関係ないが、こないだ東北のアンテナショップに行ったら、なまはげチョコがあった。ちゃんとなまはげの形してた。手に包丁があったかどうかは確認できなかったが。

雀は笛でもあった。土鈴ならぬ土笛。鳩笛ではなくて雀笛。ふくら雀の形。ぽてぽてに肥えて可愛い。

三彩の花柄がある。丸々した花が開いている。めでたそうな感じ。
鉄絵の蕨文が堂に描かれた瓶もいい。

それで面白かったのが褐色釉印花双魚文。ちょっと長谷川潔風な感じの線。
こういうものを見ると、時代の違いなど感じなくなるのですよ。

ほのぼのするキモチいい展覧会だった。
大阪の天神祭の頃まで会期があるから、祇園祭にあわせて見るのもいいし、天神祭を楽しむ前にここで可愛いものを見て機嫌よくなって、花火を見るのもいいと思う。
並べ方もよくて、ニコニコ揃いの展覧会。

稲垣仲静・稔次郎兄弟展

京都近代美術館の稲垣兄弟の展覧会は見応えがあった。
夭折の兄は大正デカダンスの日本画を描き、後に大成した弟は型染め作品を拵え続けた。
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弟の型染めを見て「ああ、あの人か」と思う一方で兄の作品を見て「これを描いた人なのか!」という驚きを持ちもした。
つまり弟の型染めは知らぬ内に親しんでおり、兄の絵にはソソラレつつも踏み込んでゆかなかったことになる。

チラシに選ばれた猫は「猫の絵画館」の表紙を飾りもしたので、どこかで見たことがあるひとも多いと思う。
妖しい目つきの白い猫。頭の上と背の一部と尻尾が黒い、金眼の猫。
東西の猫の絵を集めたものを見ても、なかなかこうした目つきの猫に会えるものではない。
猫の絵画館 (コロナ・ブックス)猫の絵画館 (コロナ・ブックス)
(2008/03)
コロナブックス編集部



兄の素描を見る。
大変な描き込みである。殆ど空間がないほどに何かが描かれている。
兄の素描のその画面は、まるで寄せ絵のようだった。
本絵が意外に少ない分、自然と素描に目がゆく。
それが異様に魅力的なので、本絵よりこちらをすべて見てみたいと熱くなった。

花魁の顔のアップがあった。塗り方などはちょっと甲斐庄楠音に似ているが、表情はそんなに特異なものではない。化粧はともかく、こういう顔つきの女は今も多くいる。化粧がエグイからグロテスクに見えるが、関西には時々こんな表情で笑う女がいるものだ。
だからあんまり衝撃も受けない。
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しかし素描だけは別だ。一枚に多く描くのは他の画家にもよくあることだから別に驚きもしないが、その質が違うのだ。なにかしら不可思議な画面を目の当たりにしている気がする。そしてそれが何であるかがよくわからないのだった。

豹という絵がある。これを見たとき1917年という制作年がアタマから消えた。現在の作品にしか見えない。また、これが日本画だということを忘れて、デザイン画として見てしまうことにも気づいた。とてもかっこいいと思った。

夭折した兄を惜しみつつ、弟は別な道を進んだ。
民話のねずみの嫁とりをモティーフにした作品は、以前から好きなものだった。
絵はがきを以前に購入してもいる。
それが全編出ているので、『次の展開』を楽しむことができた。
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祇園祭や干支を描いたものにユーモアがある。
奥行きというのか、ノビシロというのか、キチキチではない。
トラの顔つきがとてもいい。

播半の布団があった。播半といえば甲山の方にあった料亭のことだと思う。今はもうない。ここ用のお布団なのか、その名建築を単にモティーフにしたものなのか。
こんな作品は他ではみない。

稲垣仲静・稔次郎兄弟の展覧会は6/27まで。

二つの写真展 ローマ追想 / モダニズムの光華 芦屋カメラクラブ

京都近代美術館で「ローマ追想」展を見た。少し前に西洋美術館でやはりローマの写真展があったので、てっきり巡回だと思っていたら全く違うことを聞かされて、あわてて出かけた。
チラシに選ばれている風景はいずれも19世紀中葉の30年ばかりのローマ。
「永遠の都」羅馬の150年ほど前のセピアの写真は、優雅に美しかった。
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京近美のチラシと言うものは大抵とても魅力的である。
一般的に関東のそれより関西のほうが巧いチラシが多いが、京近美のチラシは巧い上に一個の作品として見ても成立する美しさがある。
それは随分前の「ドナウの夢と追想」から変わることなく続いている。
殊に写真を使用したチラシは、その傾向が顕著になる。

チラシを手にしながら会場を回る。人間が殆ど写っていない風景が続く。一つの著名な建物を数枚続きで展示する手法も楽しい。
まるで連続フィルムのようだ。
しかし突然違和感が生まれる。
それはサブリミナル効果のような感覚だった。
ああ、とわたしは納得する。
同じ構図・同じ方向から撮った写真でも、時間の流れと言うものがあり、不意にヒトが現われもするのだ。
カメラはその風景に不意に入り込んだ闖入者を追い出しはしない。

それを目で追いながら、続いて言葉の壁に行き当たる。
言葉の壁と言っても言語の隔たりではなく、文字通り「言葉の綴られた紙を張った壁」が現われるのである。
それは京近美がニュース誌「視る」に長く連載し続けていた、吹田草牧の滞欧日記の一部をコピーしたものだった。
それらを読むのは多少時間がかかる。「視る」誌上とは違う実物もまたそこにあるからだった。
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ローマに行って何を見たいのか・何をしたいのか。
旅の目的がハッキリしていれば撮る写真も自ずと方向性が定まってくる。
ここにある写真の内のどれほどが意思的なそれなのかはわからない。
しかしこの展示にはきちんとした意識の流れがある。

以前ローマに行ったとき、意外と印象が薄かったことを思い出す。
わたしはフィレンツェに魅せられていて、そこからまだ意識が抜け出せなかったこともある。
だがローマは古代からの遺跡と現代とが混ざり合って活きる地である。
凱旋門も噴水も神殿も、みんなそのときどきの新しいものと同居している。

そんなことを思いながら眺めて歩くのは面白かった。
「旅をする」その行為が人々に浸透し始めてゆくのがこの時代からだというが、その旅は中世の聖地巡礼とは別な属性を持っていた。
この時代の「旅」はその前代からの「グランド・ツアー」の進化型なのだった。
大人の修学旅行先はローマだと相場が決まっていた時代。
ああ、確かにそれは素敵だったろう。

眺める内に自分もまた150年前のローマに佇む心持になってきた。


もう一つ別な展覧会の感想も挙げる。
こちらはほぼ80年前の日本の何処かで・あるいは「国」も「地域」も何も関係のない場所で撮られた作品群。


80年前の芦屋はおいおいに現在のような状況を整えつつあった。
小出楢重は既にその頃には芦屋の生活を楽しみ、谷崎潤一郎も住人になっている。
芦屋に生まれた「芦屋カメラクラブ」が創立80周年を迎え、その記念展が開かれていた。
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「1930年前後から写真家たちの関心は、絵画を思わせる叙情的な「芸術写真」から、写真特有の技法を駆使して、
写真でしか捉えられない新しいイメージを前面に押し出した「新興写真」へと大きく移り変わり始めていました」
その時代の作品を芦屋市立美術博物館が展示していた。

1920年代の都市散策者による都市風俗写真がいちばん好きだ。
福原や太田黒らの作品にときめいている。
しかしその次世代の中山岩太、安井仲治らの作品にも深く惹かれている。

フォトモンタージュ、フォトグラムといった手法が本来どのような状況を「見せて」くれるのかを。本当には知らない。しかしここに並ぶ作品群を見るうちに理解したような気になる。

中山岩太、ハナヤ勘兵衛らの作品はこの芦屋で随分見てきたが、ガラス乾板が展示されているのは嬉しかった。
勘兵衛の「ナンデェ!」が合成写真なのか他のテクを使ってのことなのかわからなかったので、この乾板を見て色々理解できたのだった。

船というタイトルの作品がある。船の細部を写したものだから、全体がわからない面白さがある。

無題というタイトルを付けるのが流行っていたので、同じ「無題」が多くて、その点がこまった。
その一枚に、激しく踊る女を捉えた一枚がある。
まるで「狂つた一頁」のようだ。

高麗清治の作品もまた「無題」である。中国扇で顔を隠す、眼の印象的な女。
なにかしらひどく魅力的だった。
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紅谷吉之助は和をモチーフにすることが多かったように見える。
この団扇を意図的に並べ、それを恣意的に切り取る。
不思議な魅力が生まれるのを知る。

特に目立つものはなかったかもしれないが、その分一定レベルの作品が集まっていて、それはよかったと思う。
次回の展覧会は大坂画壇の作品を集めるようだが、芦屋にはそうした良い企画が、これまでいくつも生まれている。

江戸みやげ 千葉市美術館所蔵浮世絵名品展

千葉市美術館の所蔵浮世絵名品を楽しませてもらった。
とにかく千葉市美術館の底力というものは、感動的だと思う。
このコレクションだけで、フツーなら他のところでは一個の展覧会が堂々と開けるのに「併設」というツツマシサである。
えらい、千葉市美術館!
税金も払うてない他府県のものがこんなところでほめても仕方ないのかもしれないが、それでも声を大にして言いたいのだった。
前々から見たかったもの・見て「おおっ」なものばかり記す。


菱川師宣 衝立のかげ  作品自体はモノクロ版画で、購入者が好きなように色をつけたと思われるこのシリーズ物の一枚。
これまで「平木版」と「高橋版」だけ見て来たが、ここのも悪くない。
それになにより「きゃっ♪」となったのが、展示のタスケに置いてある図録の師宣本(十年前、千葉市美術館で開催済み)を開くと、このシリーズが出てるやないの。
四枚ばかりシリーズがあって、それぞれ所蔵四者の作品が出ていた。
これは嬉しい。
師宣のこのシリーズは全編見てみたいものだと思いながらなかなか難しかったのだが、図録のおかげで見ることが出来、よかった。
それもこの企画がないと、この図録も置かれてなかったろうし、見なかったのだから、ラッキー。
じっくりと眺めた。
ちょっと趣旨から離れてるかもしれないが(かまうものか趣味ということさ)、1?4の紹介を書く。

1(衝立のかげ、または 若衆と娘)・・・千葉版は娘の眉が濃いめ。ほぼ無着色で娘の着物の柄にのみ朱がチカチカ入る。シカゴ美術館版は完全に無着色。
2(低唱の後)・・・シカゴ美版と高橋版のみ。
3(屏風の陰)・・・仲良くしてはります。かむろが陰から見てます。娘の閉じる目と、引き寄せられつつ下がる眉がいい。
4(抱擁)・・・これは別バージョンがあるので、必ずしも同一時に拵えられたものとは言えない。4種あり。諸肌脱ぎの男がたゆたうような眼をしているのが印象的。

鳥井清信(初代) 抱擁  こちらもまた、カムロの前でくちづけあう二人。いい教育である。

春信のよいのが色々出ていた。
見立為朝  お座敷遊びの中で、波柄の屏風に向けて矢を持って立つ若衆と、二人の女。
為朝は強弓を使える剛の者として名高く、それをお座敷遊びに見立てている。

蚊帳の母と子  子供はまだ遊びたいらしい。ままごと道具があるのを見ると、この子は女児らしい。夏らしくミニ包丁でミニスイカのセット。楽しそう。

琴を弾く美人  身分のありそうな娘が座敷で琴を弾く。
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天袋には菖蒲の絵があり、違い棚が八つ橋を想起させる。
それにしてもいつも思うのだが、春信の描く袖はとても強張ってそうだ。形状記憶振袖なのかもしれない。

歌川豊春 浮絵浪花天満天神夜祭之図  これは綺麗!黒地に白抜きの花火がドーンドーンパチパチ・・・。250年前の夏の空。この頃も現在も、変わらず天神様のお祭に花火は必須。

豊国 三世沢村宗十郎「足利頼兼」と三世瀬川菊之丞「高尾」  寛政7年の芝居絵。いわゆる「高尾のアンコウ吊るしのコロシ」。名と時代は別なものを充てているが、伊達騒動のそもそもの発端。殿様の着物が笹柄なのが「竹に雀」の紋所の伊達家を暗示する。

豊国 二世沢村田之助「足利頼兼」と二世尾上松助「高尾」  
縦の二枚続き。美男の殿様のサディズムがぎらつくようで、見ているだけでときめく。
化政期のアブラギッシュさがヒリヒリ表れていて、好きな一枚。

広重 東海道五十三次のうち 蒲原  「詩情」とはこの絵に漂う空気そのものなのだ、と思う。雪の中の蒲原。シリーズの中でも特に好きだ。

国貞 江戸自慢  シリーズもの。こうしたイキでイナセな女たちの風情は、確かに「江戸みやげ」にピッタリだと思う。現代の私も「江戸」みやげに欲しいと思う。
かっこいいなー。女二人が一緒に寝ててもクールベやロートレックではないところがいい。

他に清親もあり、見れば見るほど奥の深さを感じさせられるのだった。
わたしなんぞは化政期以降あたりからの絵がたまらなくなる方なので、ドキドキが多かった。
こちらも今は展示換えで、6/27まで。

山本丘人展

すでに本日で終了したが、山本丘人の展覧会はよい内容だった。
三月に京都で開催されたのを見逃したあと、東京・日本橋で見れたから、気持ちも和む。
成川美術館と美術館夢呂土・山本丘人記念館の所蔵品がメインの展示だった。
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随分むかしに成川美術館展があったとき、このチラシの「地上風韻」を見た。
藤棚の下の白イスに座す女の人の周囲には可愛らしいタンポポが咲き乱れている。
そしてなんとなく優しい霧が彼女を取り巻く。
タンポポはやや首が長い。外来種のタンポポかもしれない。彼女は白いドレスを着ている。赤いベルトも見える。
その長い髪に覆われた背からは彼女の思いは伝わらない。
どこか向こうを眺める顔はこちらを決して見ることもない。
それがいっそう作品に秘めやかな情感を与えている。

以前この絵の続きのような作品を見た。
ここには出ていない。
絵に別な人が現れ、こちらを向く猫のいる風景。花はあじさいだった。
「そこではないどこか」を描いてもいるように見えた。

山本丘人は「不思議な佇まい」を描くことに、晩年の力を注いだのかもしれない。

若い頃の絵を見る。
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にこやかに行き交う人々。オールドタイプの車が連なっている。
公園はちょっと小高い上にあり、坂にも人がゆくのが見える。ある午後の風景。静かで楽しそうな光景。
私はこの絵の中の人々と共に楽しく過ごしたいと思った。

平明でわかりやすい明るい絵ばかりでなく、その数年前のまだ二十代はじめの婦人像などは、どこか「不思議な佇まい」を見せている。
この婦人はこちらに顔を向けているが、その周囲には柔らかな靄のようなものが漂っている。青梅を手にする婦人はまだ明け方少し経った時間帯の中にいるから、そんな風に見えるのかもしれない。
しかしこの若い頃の作品に後年の源泉を見るのは間違いではない気がする。
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やがて敗戦後、日本も新しくなり、日本画の世界も新しさを求める。
「創造美術」を結成したメンバーの一人として、それまでと全く趣を変えた作品を生もうとしていた。

尖ったような線の絵を描いている。
私はその模索時代があまり好みではないので、意義の尊さは理解するが、関心が湧かないので通り過ぎてゆく。

やがて会からも離れ、尖りも消えて、やわらかな作品が現れ始めた。
解説に「叙情的な心象風景」と書かれているが、なるほどその通りだと思った。
私の感じだ「不思議な佇まい」は人の在・不在に関わらず、どの作品にも漂い出す。

「残春」と名付けられてはいても、この桜は満開の美しさを見せている。
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少しばかり花びらが地に舞うているが、花は枝をたわめさせるほどに咲き誇っている。
この桜はたった一人で見た桜なのかもしれない。
他の誰も見ることのなかった桜。
誰かが同じ地にいて同じ幹の桜を描いても、この桜と同じものを描いたとは思わないだろう。
しかしそれは「誰か」を拒絶したものではないのだ。

他の作品もまたそうした優しい雰囲気を漂わせていた。
そのあり方はル・シダネルのそれを思い起こさせる。
いい展覧会を見せてもらえたと思う。

次の巡回は私にはわからない。

住友コレクションの近代洋画

京都の鹿ケ谷(ししがたに)と言えば、平安末期なら「打倒清盛」の謀議を俊寛らがこらした場所、食べ物で言えば京野菜の鹿ケ谷南瓜(毎年7/25には安楽寺で南瓜炊きがある)、美術館なら泉屋博古館というところか。
六本木にある泉屋分館は住友コレクションの洋画を収蔵しているが、本館ではこれまで洋画の展示がなかった。理由は知らない。
'03、’06、'08と東京では見たが京都で見るのも楽しいものだ。

展示室の前にこれら洋画が多く所蔵されていた住友須磨別邸の写真が出ていた。
同道した友人は建託好きな人なので、絵よりもそのことに喜んでいる。
わたしもこの須磨別邸の写真が図録に入っていれば、と切望する。

住友春翠の集めた名作が数多く飾られた須磨別邸は空襲で炎上してしまった。
黒田清輝の「昔語り」「朝妝」の本絵もそれで焼失した。
どんな理由があろうと戦争はアカンと思うのは、こういうときだ。
生命も美も文化も失われてしまう。
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住友コレクションにモネが数点あり、これは彩色の一番濃い明るい絵。
しかしこの絵は東京では不評だった。「モネらしくない」という意見が多かったのだ。
「モネ」完成以前の作品であるため、避けられたらしい。
しかしモネだと思わずに見れば、「いい公園やな?木陰も気持ち良さそう?建物も赤い木もええ感じ?」と、このアカデミックな作品を評価する声もあったろう。
邸宅の壁を飾るには、こうした作品のほうがいい。

ローランス 年代記  この絵もまた須磨別邸に飾られていて、その写真も残っている。
老人が若い娘に年代記を読ませている。娘は文句も言わずにまじめにそれを読む。
室内の描写はディズニーの「白雪姫」の小人さんの家、またはル・グィン「ゲド戦記」で若きハイタカが暮らす師匠の家のアルコーヴを思い出す。

山下新太郎は以前にブリヂストンで特集展示があった。
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彼の描く婦人たちは皆とても美貌の人ばかりだが、実際に新太郎の愛妻はとても綺麗な人だったそうだ。
読書の後  背後からの光が婦人の頬に陰影を落とす。窓際の瓶の下には鶴柄の布が敷かれている。明治末にはある種の「無国籍」風景が流行していたことを、改めて思い出す。

同時代に描かれたほかの絵を見る。
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(真ん中だけは違う。昭和の小磯作品)

岡田三郎助は和風美人を多く描いた。
浴衣に団扇の丸髷の人は、こちらを賢そうな目でみつめる。

和田英作 こだま  実際に画家本人にある種の幻聴があり、それにインスピレーションを受けて製作したそうだ。(ルーブル古代彫刻室において)
同時代の京画壇の鹿子木孟郎にも似た雰囲気の作品がある。
アカデミックな作品にはこうした幻想性が活きるものが多いが、印象派を受容後は、ほぼなくなってしまった。

石井柏亭の随想によると『今でこそ大原、三井、松方が絵画コレクターだが、当時は住友ほどの近代洋画コレクターはなかった』とある。
それらがこの須磨別邸に多く納まっていたことを思うと、やはり泣けてくる。
写真で見る限り、灯篭形の塔屋があり、光君以来のリゾート地・須磨を容易にイメージさせる。広間のステンドグラスも綺麗だった。
現在は門柱のみ須磨海浜公園に残されている。


他にもよい絵がたくさんありナジミのものも多かったが、完全に初見が一枚あった。
鍋井克之 奈良の月  1930年の奈良。ルソーが描くような月がそこにあった。

二人麗子、小磯のバレリーナ、梅原の北京など、見るものも多い展覧会。6/27まで。
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昭和の旅人 城山三郎展

既に終わったが、神奈川近代文学館での「城山三郎」展は静かな感動があとからあとから押し寄せる、よい展覧会だった。
城山三郎は名古屋のインテリア業者の草分けのヒトの子に生まれ、お店は弟さんが継いでおられるそうだ。
私は城山三郎の経済小説しか知らず、彼の私生活に関心がなかった。
初めて彼の私生活に関心が湧いたのは「そうか、きみはもういないのか」が話題になったときだった。
そうか、もう君はいないのかそうか、もう君はいないのか
(2008/01/24)
城山三郎


城山三郎が愛妻家として有名だということも私は知らなかった。
作家は作品で価値判断を見出すべきだと思うものの、晩年にそうした作品が生まれた背景を知ることもまた、不可欠だと思い知らされる。

展覧会では幼少期から最晩年に至るまでの彼のこしかたが展示されている。
しかしそれはただのプライバシーの公開と言うものではなく、作家・城山三郎の思考の軌跡を知るための手がかりなのだった。

城山三郎は1927年生まれだった。軍国少年として育った城山は志願入隊し、そこで大日本帝國の軍隊の愚かしさ・おぞましさを身をもって体験する。
同世代の知識人では澁澤龍彦や佐藤さとるが徴用された工場での憤りを描き、そっとささやかな復讐を遂げもしている。
城山三郎はリアルタイムに復讐も反抗も出来なかったのだ。
そして軍の狂気をつぶさに観察したことと、体験したことが背骨となって、生涯にわたって「人の幸福や志が組織の大義によって損なわれてはならない」という強い思いを抱くようになった。
更にそれが城山の文学的誕生の地となり、組織のあり方・リーダーの資質と言うものを追い続け、わかりやすい文章で示そうとした。

城山三郎の作品に最初に触れたのは実は大河ドラマ「黄金の日日」だった。
小学生の目に「原作 城山三郎」の文字が飛び込んできて、それが消えなくなった。
黄金の日日 (1978年)黄金の日日 (1978年)
(1978/01)
城山 三郎

黄金の日日 完全版 第弐集 第29回~第51回収録 [DVD]黄金の日日 完全版 第弐集 第29回~第51回収録 [DVD]
(2003/11/21)
市川染五郎栗原小巻



ところでわたしは司馬遼太郎、柴田錬三郎、下母澤寛のファンである。
みんな「シ」で始まる名前なので図書館へ行くとなんとなく「シ」を眺める。
上記の三人は歴史小説・時代小説系の人だが(そう割り切れば楽だか・・・)その後に続く城山三郎は現代が舞台の小説を書く人だと、図書館で知った。
「雄気堂々」「落日燃ゆ」「官僚たちの夏」「もう、君にはたのまない 石坂泰三の世界」「男子の本懐」「わしの目は十年先が見える」・・・・・
いいタイトルの作品が多いと思う。

15年ほど前に「もう、君にはたのまない 石坂泰三の世界」を新聞連載で読んだ。

大阪万博は知らない世代なので、ぴんと来ない。しかし読み進めれば進むほど、ドキドキしてきた。入れ込まない表現を使うくせに、読者をその世界へ追い立てる力のある作家だと思った。どういうわけか新田次郎の文章を思い出したが、それは私の勝手な感想に過ぎない。
連載終了後のある日、万博公園へ出かけた。
もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界 (文春文庫)もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界 (文春文庫)
(1998/06)
城山 三郎


そこに石坂泰三の銅像があった。びっくりした。ちっとも知らなかったのだ。
しかしあの作品を読んでいたことが、石坂泰三への親しみを生んだ。
これはやっぱり城山三郎にノセられているな、と思いつつも。

雄気堂々 下    新潮文庫 し 7-4雄気堂々 下  新潮文庫 し 7-4
(1976/05)
城山 三郎


そういえば「雄気堂々」は澁澤榮一を描いているが、そこに現われる本家の旧弊な爺さんが、澁澤龍彦の曽祖父に当たるそうな。
それは澁澤のエッセー「玩物草紙」の中に書かれているが、澁澤はちょっとばかり爺さんを擁護し、ついでに自分のジマンもしてみせるというお茶目さを発揮している。
もし城山三郎が澁澤のそれを読んでいたなら、こちらも苦笑して「ごめんごめん」と言ったかもしれない・・・などと、私は勝手に想像して楽しんでいる。
玩物草紙 (中公文庫)玩物草紙 (中公文庫)
(1986/03)
澁澤 龍彦



城山三郎は旅をする作家だった。
旅をする文学者といえば折口信夫を想起する。彼は室生犀星から「黒衣の旅人」と名を贈られたが、城山三郎はソフトをかぶり、ちょっとくたびれた鞄を持って、大量のメモを取りながら旅を続けたようだ。
彼のノートを見ていて「こういう使い方をする人は、手帖会社から表彰されるべきでは」と思ったりもした。

奥さんとの関わりも展覧会ではなかなか大きく取り上げていた。
一目惚れと奇跡の再会。そして幸せな日々と。
「そうか・・・」の中で奥さんが自作自演の鼻歌を歌うシーンがある。この奥さんはたいへん明るくお茶目な人のようで、言ってみたら「おもしろい人」だったようだ。
そんな唯一無二の奥さんに先立たれて城山がどれほど落胆したか、展示を見るうちにこちらまで深くシンクロしてきたか、胸が重くなってくる。

「妻子だけが大事、他には冷淡」というのはイヤだが、城山三郎は妻子を大事にし、友人を大切にし、仕事を熱心に続けた。
それらの軌跡を見るとき、そこに「誠実」と言う言葉を思う。
彼の小説が何度も愛読者賞を受賞したのもやはりそこだとし思う。
ただ面白いのではなく、誠実に資料を集め・誠実にそのモデル人物の内面を追い・誠実に丹念に描きこんだからだ。

いい展覧会を見たと思う。また彼の小説が読みたくなる内容だった。
現在は「開高健」展が開催中。
彼もまた深い魅力を持つ作家である。来月訪問の予定。

智恵子抄 高村光太郎と智恵子 その愛

菊池寛実記念智美術館の『「智恵子抄」展』を見た。
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智恵子と高村光太郎の愛の軌跡については彼の詩集「智恵子抄」を読んで、知っていた気になっている。
深く好きな作品集である。諳んじる詩篇もいくつかある。
10年ほど前に姫路文学館で「『智恵子抄』高村智恵子その芸術と生涯?紙絵」を見て感動した。
その記憶は今も活きている。
それを思いながら智美術館のラセンを描く階段を下りると、最初に光太郎の彫刻が現れた。

20世紀初頭の光太郎の作品が並ぶ。動物たち。
虎の首を見たとき「・・・タイガーマスクの塑像やな」と思ったのはナイショだが、この真正面向きの虎の顔というのはいいものだ。
イノシシは全身像で、これはやはり首だけより全体の方がイノシシは可愛いからだろう。

やがて十和田湖の裸婦たちの素描や試作が現れた。
二人の婦人が向かい合って手のひらをあわせる像。
なにかしら心が清くなり、まっすぐな気持ちになる像だと思う。
実物を見に行きたかったが、まだ十和田湖へは行ってないので、ここで資料を見るのも楽しかった。
やがて光太郎の詩編が直筆とパネルとで展示され始める。

あなたはだんだんきれいになる

千鳥と遊ぶ智恵子

山麓の二人・・・・・・わたしもうぢき駄目になる 意識を襲う宿命の鬼

レモン哀歌 そんなにもあなたはレモンを待つていた

文字がだんだんぼやけてくる。胸がいっぱいになり書かれた言葉の連なりが音楽に変わり始める。

ちいちいちいーーーーー


智恵子の切り絵(紙絵)は現在公開不可能な状態らしい。
十年前はまだ実物展示があった。
今は光太郎の甥で写真家の高村氏によってリアルな複製品が見れるようになっている。
70年の歳月を経た繊細な紙工芸品は守られねばならない。
私はそのことに賛成する。

複製品とはいえその美しさは損なわれてはいない。
鉢に入る果物や野菜の断面などのほか、花といった静物だけでなく、シンメトリーの作品もある。智恵子の姪御さんが傍らでお世話をしていたと聞いたことがあるが、その人には作りたてのものは見せず、光太郎にほめられてから、改めて見せていたそうだ。
そのエピソードを思いながら作品を見て歩くと、なにかしら目頭が熱くなってくる。

十年くらい前、「光太郎と智恵子」というドラマがあった。小林薫と佐久間良子の共演で、ゼームズ坂の病院に入ってからの智恵子の日々が映し出されていたが、そこで智恵子が拵えた紙絵が実際に映像に出ていた。
ドラマの中で光太郎がその出来映えに驚いて「智恵さん、すごいよ、これは」と話しかけると、会話のできない智恵子がうれしそうに笑うシーンがあった。
現実にはどんなものだったかはいっさいわからない。しかしそれに近い情景はあったろうと思う。

智恵子の狂気について光太郎が諦念に満ちた文章を残しているが、生まれる前から決められた宿命のようなその状況を、いちばん苦しんだのは、やはり当人と光太郎だったろうと思われる。
しかしこれら智恵子の「紙絵」芸術は智恵子が「人間商売」から離れた後で生まれたのである。
自主的な制作で機嫌よく拵え続ける智恵子と、その活動と成果に驚嘆する光太郎。
そんなことを思いながら智恵子の紙絵をみつめた。

以前、よく大井町に宿泊した。
早朝に周辺を歩き倒した。ゼームズ坂にも歩いていった。
今は智恵子のいた病院はなくなっている。
そのことは町の人から教わった。
「ここがそう」言われた地には猫がいた。二匹ばかりの猫と挨拶して、そのまま去っていった。

展覧会は7/11まで

伊藤若冲 アナザーワールド

千葉市美術館に「若冲ワンダーランド」見に行く。
本当のタイトルは「伊藤若冲 アナザーワールド」だったな。
千葉市美術館は今まで一度もハズレがないのでわくわくしていた。
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展示は確かにとても良かった。
先行の静岡展の状況を知らないから、わたしはこれで満足する。
見ていてやっぱり思ったのは、わたしは若冲作品は好き嫌いがかなり激しく分かれる、と言うこと。
とにかくトコヨノナガナキドリがニガテである。
その絵を見ると暫くは苦しくなるので←根性なし、見ないようにしている。
しかしトリオヤジ若冲の展覧会に行って、トリを見ないで過ぎることは、まずムリ。
なかなか苦心惨憺な状況だったが、それでも他の作品を大いに楽しんだ。

ただ、解説文にちょっと引っかかりを感じた。
わたしは図録を買わなかったので、きちんと解説文を読み取れているかどうかがわからない。
またどなたが書かれたとか意図がどこにあるかをわたしはわからないし、なにより私自身に読解力が欠けているから、勝手な解釈をしているのかもしれない。
何に引っかかったかと言うと、ほかに展示されている絵師たちの作品解説が、なんだか可哀想な感じがしたのだ。
つまり若冲だけが偉くて一流で、他は皆追随者もしくは未完成の人あるいは「若冲が世に出るための踏み石」・・・と読めてしまって仕方ないのだ。
それがちょっとイヤなので、タイトル以外は文字を読まないで通ることにした。
私の勝手な解釈ならとんだヌレギヌをかぶせたことになるが、まぁわたし一人背を向けていても大したこともないだろう。
例によって好きな作品だけ少しばかり挙げてみる。

若冲前史として様々な絵師の作品が出ている。

大坂の絵師・葛蛇玉が現れた。この絵師はプライス・コレクションで見てお気に入りになったのだが、ここでもなにやらオヨヨな作品を生んでいる。
蛇玉図  その通りで蛇がにゅーっといる。口には玉。
そしてそこに版画と言うか印鑑も同然なスタンプ版の挨拶&紹介文が乗っているのがいい。
色々絵を描いてはそこにペタペタ押したとしたら、なおいい。

鶴亭 蘇鉄図  三幅対の一つ。宝暦年間の蘇鉄。蘇鉄と言えば関西だと堺の南宗寺と神戸の相楽園がすぐに思い浮かぶ。鶴亭はどこの蘇鉄を描いたのだろう。

それから若冲の初期作品が並ぶ。トリがお出ましなのでわたしはさける。
しかしわんころや鹿とか鯉などが出てくると、喜んで絵の前に立つ。

猫と言えば国芳、トリと言えば若冲という認識があるが、若冲にはあとわんこという強いアイテムがある。(虎もおるよ)
応挙のわんことはまた違う、目つきの面白いわんころたちである。
「101匹わんちゃん」はダルメシアンだったが、若冲の頃は和犬たちである。彼の「百犬図」が見たいと思ったが、ここにはなかった。
しかしその100匹わんちゃんに対抗できるほど愛い奴なわんこが出ていた。まったく背といい脚といい指といい、可愛くて仕方ない。
眼で撫で回してみる。ますます愛しさに溺れる。

果蔬涅槃図  野菜集めておとむらい、というよりもこの絵を見てると「・・・もしかして絵看板にも使えるかも」と思ったりする。
若い内に隠居はしたが組合の寄り合いにもがんばったと言う資料もあるし、若冲は若冲なりにお店の宣伝とか考えてたかもしれへんし。
近代京都では色んな文人や画家の手による店の扁額があるわけですから、それが何も明治からのブームのものとは限らないわけですし。

宝暦年間の売茶翁像はどうも俳優・天本英世に見えて仕方なかった。スペインに長く暮らした怪優・・・

サルカニ図  言わずとしれた対立構図な二者。いかにもサルがイケズそうな顔をしていた。

竹虎図  これは今年始めに京都の高麗美術館で「朝鮮虎展」にお出まししていた。
舌が可愛くて仕方ない。肉球をなめるトラちゃんが本当に愛い奴なり。
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静岡県美から来てくれた「樹花鳥獣図屏風」。私は勝手に「イキイキ地球家族」と呼んでいる。(プライスさんちのそれは「わくわく動物家族」とか、その時々に好きな呼び方をしている)
技法については他の方々が詳しく書かれているし、わたしはあんまりそういうことに目がゆかないので割愛するが、とにかくこの作品はいい。カラフルで楽しそうで、元気な感じがする。
今回初めて気づいたのは、右隻のどうぶつランドの奥側に泳ぐ馬たちがいること。
渡河とかでなくじゃぶじゃぶしてるというか、ババンガバンバンバン♪な感じ。
専門家のヒトビトが色々細かい研究を発表されてるけど、わたしはあんまりそういうことは考えずに、一緒にこの中におる気分で楽しみました。
そういえば科学博物館で「大哺乳類展」があったが、あれにもこの屏風が特別出演してもいいかもしれなかった。
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丁度今の時期(6/14?)はMIHOさんのゾウさんとクジラさんの絵が出ているが、あれはあちらで見たからまぁいいさ。
首をまっすぐ伸ばしてる鹿に会えたのは嬉しい。

乗輿舟は好きな作品。技法もいいが、全体的に描き方が幽玄な感じがする。ただわたしは現在の淀川を知っているのと、明治から戦前までの古い写真に見る淀川を知っているので、この版画作品にそうした感想を抱くのかもしれない。長柄、源八渡し(現在の源八橋)などなど。しかし当時でも現実の風景からカイリしているのは間違いなさそうだ。

実は私がトリオヤジでない彼の作品を見て「・・・ええやん」と最初に思ったのが「花鳥版画」で小禽たちを描いたものを見たとき。便利堂で勧められてからココロ変わりしたのだった。
椿に白頭図などは臈纈染めにして着物を拵えたいくらいだ。

石灯籠図屏風  京博で時々見かけるのが縁で、好きになった作品。点描の世界は不思議な空気を漂わせている。
いつも感じるのは、この石灯籠のある世界は明け方のまま時間が停止している、ということ。そんな時間に起きてることはまずないのでハッキリ言えないが、それでも明け方だという確信がある。
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蓮池図  敗荷図。これが実は金ぴかのサボテン+トリの裏の襖絵だったというのがなかなか。この絵の所蔵のお寺がご近所なので、ごくごくちびの頃から若冲を知っていたのだ。なにかしら無常感や諦念に似たものを感じるが、裏の金ぴかトリよりはやはりこちらがいい。(ワビサビですか、それは)

石峰寺図  出たっ!極楽ランド。獅子に乗る・象に乗るオプションもあり、という感じ。京博の薄暗い新館でこの絵を見ているとき、ミョ--に薄ら寒い思いをした。
今はどうも水木しげるの「ワンダーランド」に見えてしまう。

そのお寺に所蔵されている虎図を見た。太眉でニヒッと笑うような虎で牙と言うより八重歯が可愛い。

伏見人形を描いた作品のうち、二人の布袋さんと稚児のそれがおもしろかった。みんな目がパタリロ風なのがいい。
そういえば伏見人形は鵤幸右衛門が考案した、という伝承もあった。それが本当なら世に出て二百年くらい経ったこの頃にはもう、こうして描かれるほど人気があったことになる。

多くの人々が楽しんでいる展覧会だった。わたしは後期は行けそうにないが、好きな作品を見せてもらえて嬉しかった。
やはり千葉市美術館の展覧会はいい。 

ボストン美術館展

いよいよヒルズでのボストン美術館展も終わりに近づいた。二回ばかり出かけたが、どちらもたいへん楽しめた。
ヒルズは苦手なのだが、この展覧会が楽しみでいそいそと出かけたのだ。
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好きな作品だけを少々あげてみる。
80点のうち正直言うと17世紀の肖像画はニガテなのでついついスルーしてしまうが、宗教画はわりに興味深く眺めている。それは絵の中に物語があるからだと思う。

ムリーリョ 鞭打ち後のキリストtou209-3.jpg
ムリーリョは愛らしいマリアやいたいけな聖幼児たちを多く描いているが、ここでは成人ばかりが見える。
キリストは背中を激しく打たれ、牢内で這うようにして衣をさぐる。
そんなキリストを痛ましげにみつめる二人の天使。
彼らの衣は赤みの濃い茶と白である。そこから露わになる腿から膝、そして足の甲までと這うキリストの背とが同じ高さで描かれている。
かれらの表情より先にその白い足に目がゆく。
そしてキリストの痛々しい白い背の赤い傷を見る。
なにかしらある種の欲望を感じもする。
それは画家の本意ではなかろうが、アジアの片隅の異教徒はそんな目で絵を見ていた。

フランチェスコ・デル・カイロ 洗礼者聖ヨハネの首を持つヘロデヤ  前提として「サロメの物語」が脳裏に浮かぶ。しかしそれはワイルドの戯曲のそれではない。彼女に名を与え、その行為に深い理由を与えたのはワイルドだが、元の物語にはその娘に名はなかった。サロメがいつからサロメになったかについては、それを記そうとした本もある。

洗礼者ヨハネは不倫婚をした王と王妃を厳しく非難した。そのことを王妃は強く恨み、相手を呪った。それがやがてヨハネの首を断たせることになる。
娘に自分たち夫婦を激しく糾弾する敵の首を切り落とさせ、その首を抱えて呆然と口を開ける女。この女はサロメではなく、その母である。
ワイルドの物語の中ではサロメは切り落とした男の生首に接吻するが、この女はそうはすまい。自分たちを糾弾した男のその舌に痛みを与えるばかりなのだ。
女は興奮が絶頂を越えたことで白目を剥き、口を開けて呆然としている。
恍惚感を通り越して、殆ど縊死したような顔をしている。
その女の顔は何かに似ていた。こんな顔を女は人前で見せてはいけなかったはずだ。
女は死者の生首を散々に弄び、生首は舌を長く伸ばしている。
その男の顔も何かに似ていた。

変なことが気になる性質である。
19世紀末までは衣服にアイロンなどかける習慣がなかったことを知ってから、どうしても貴婦人や姫君の衣装を見ながらそのシワシワな布の様子を見てしまう。
ファン・ダイクのメアリ王女もゲインズバラのプレイデル夫人もアイロンと関わりのない衣装をまとっているのだ。

ブーグロー 兄弟愛tou209.jpg
おにいちゃんなヨハネと弟なヨシュア。ブーグローは国内では松岡美術館などで見るくらいだが、とても好きな画家だ。宗教画ではない、ということを建前にしてはいるものの明らかなその関係性が、かえっていい感じに見える。
愛らしいくちづけ。おにいちゃんの手はくちづけをくれる弟の背近くへ伸びる。
その二人を抱え込もうとする母親。父親不在の家庭の中での兄と弟。
ヨハネおにいちゃんが褐色の髪だというところにときめく。
将来はどんなにいい男になるだろう、と勝手な期待にわくわくしているのだ。
こんな幼いうちからとても魅力的な少年なのだ・・・・・!
ブーグローの絵にはこんなときめきがある。

コロー 花輪を編む娘tou209-1.jpg
わたしはコローの描く女たちがとても好きだ。
コロー展の以前、コローの美しい娘を見るなら東京富士美術館で見る他はなかった。
あのコロー展からこうして見る機会が増えてとても嬉しい。
田舎風の衣服を着たやや丸顔の娘が熱心に手を動かす。座って作るのではなく立っているのは、コローの好みなのかもしれない。
二の腕も胸元も健康そうに張っている。頬の赤みも愛らしい。健全な娘がそこにいる。

ルノワール ガーンジー島の海岸の子供たち
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以前から図版でよく見知っていたが、やはり実物を目の当たりにすると嬉しさが沸き起こる。黒い帽子の少女の愛らしさ、彼女に話しかける薄黄色の帽子にピンクのワンピースの少女の健康な頬。そして座る男の子と、少女にもたれる子供。
スカートをはいてはいるが、この子もまた男児なのかもしれない。
さらに背後には楽しそうな人々の影がある。明るい彩色の影、といってもいいだろう。

ガーンジー島はフランスとイングランドの間あたりにある島だと聞いている。
わたしはこの島の名を聞くと必ずユゴーを思う。
ヴィクトル・ユゴーは政争に負けてガーンジー島に家族を連れて移住した。その島での退屈な日々から逃れて大陸へ戻り、新大陸にも渡り、ついにはマダガスカルまで流れていったユゴーの末娘アデルの恋の物語は、トリュフォーが映像化している。
ここでは子供たちが楽しそうにくつろいでいるのに、ほぼ同時代、同じ島で暮らす一人の若い女は苛立ちながら生きていたのだ。
どうしても私はそのことを思ってしまう。

モネの作品がいくつもあった。
普段は睡蓮の池ならどんなものでも好きだが、今回は人物を描いた絵が心に残った。
アルジャントゥイユの自宅の庭のカミーユ・モネと子供  何種かのチラシの中で、この絵にはこんなコピーがついていた。「1875年 光に満ちた妻と子との時間」ほんとうにその通り。数年後にこの幸せは崩れてしまうことを、後世の私たちは知っている。
だからこそより深い目でこの絵をみつめることになる。
画家はむろんそのことを知らない。
目の前にある幸せな風景を熱心に描いているのだ。
筆の動き方を見極めることができるような彩色、比較的はっきり描かれた女の顔、衣服や背後の草と同じような塗られ方をした子供の顔。
幸せの時間をそこに感じる。

終わり近くで眼が開かれるような作品が並んでいた。
デ・ホーホ オランダの家の室内
サーレンダム アッセンデルフトのシント・オデュルフス教会
暗い室内から眼を左へ移すと、新教の真っ白な教会内部が飛び込んでくる。
その差異の激しさに!!となった。一枚一枚の感想ではなく、同じオランダの「室内」にこんなにも光と闇があることに、感銘を受けたのだ。
なるほどレンブラントもフェルメールもオランダのヒトだと思った。

ボストン美術館は多くのすばらしい作品を所蔵しているが、大半が市民からの寄贈だと聞いて感慨を新たにした。
そういえば数年前の肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」もビゲロー・コレクションだった。

ところで今回二度ばかりこの展覧会に出かけたが、二回ともわたしは個人的にニコニコなことがあった。
一度目の見学の際、イケメンな監視員のお兄さんにいろいろとお世話になった。
二度目の訪問では大好きな青井実アナウンサーと少しばかりお話もできた。
こういうことがあると、ニガテなヒルズもいい所に思えてくるものだ。
この展覧会は7/6から京都市美術館に巡回する。

挿絵本の世界―きれい、カワイイ、怖い―本と版画のステキな関係展

既に終了したが、町田国際版画美術館の「挿絵本の世界?きれい、カワイイ、怖い?」展はうわさに違わず面白い展覧会だった。
とにかく実に多くの資料が出ていた。それだけでも驚く。
そして人気の展覧会だけにチラシが早々になくなっており、リストも作成されていないので、自分の記憶と展覧会情報サイトからの資料で書くことになった。
順番はまちまち、自分の思い出した分から書いてゆく。

最初に時祷書などがあった。
以前はこうした中世キリスト教関係の作品にはまったく関心が湧かなかったが、最近では深く興味を持てるようになった。
その様相、美麗である。
時祷書の豪華な挿絵に感心するばかりだった。
中世における「書物の価値」についてこれまで学んできたが、実際に目の当たりにすると、その価値の重さにうなるばかりである。
しかしこの当時、どの階級の人々がこの美麗なものを眼にしたかを考えると、黙って皮肉な笑いを浮かべるしかない。
尤もそれだからこそ、この美麗なものが今日まで生き残れたのだが。
年代記もまた荘厳である。
書かれた文字よりも絵にばかり意識が行くのは、この本を生み出したものの本意なのかそうでないのかは、わからない。
全体的に絵柄自体は素朴でありながらも、不思議なほど魅力的である。

黙示録があった。その絵を見たときヴィクトリア朝の挿絵を思った。
中世の作品であるがどこか時代のなさを感じるからかもしれない。
手元に聖書はないが、多少は覚えている字句もある。
それを手繰り寄せながら絵をみつめた。

デューラーの版画は、近年わたしが岸田劉生とその仲間たちの作品を多く見すぎたせいか、本家本元でありながらも「・・・・・よく描きこんでいるな」という程度しか感想をもてなかった。これは不幸なことかもしれない。
北方ルネサンスの巨匠に対して失礼な感想だとは思うが、わたしの感想があまりに主観的だから仕方ない。
いつかデューラー作品に感激したいと思っている。

やがてドレが現われる。
ギュスターブ・ドレの「神曲」は、様々な場で見ている。
それは美術関係のみならず、むしろ他の場で見ることが多い。たとえば福本伸行「アカギ」である。「アカギ」単行本にはドレの「ベルトラン・ド・ボルン」が見返しに使われている。
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今更ながらダンテ「神曲」は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」で構成されている。
長く続くアカギとワシズの闘争は地獄のような様相を呈している。
それを思えば、確かにそこにドレの「神曲」が使われるのは、必然のような気もする。
そして今、「アカギ」の生涯が「神曲」と同じ構図を描いていることに気づいた。

「神曲」はドレが描いたものばかりではなく、ウィリアム・ブレイクのそれがある。
ブレイクの版画もまた多くの二次使用がある。
つのだじろう、水木しげる、永井豪といった霊的な作品を描くマンガ家たちはしばしば自作にブレイクの作品を引用している。
(それはスェーデンボルグとの関連がある)
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また神秘家たちが多かった19世紀末では妖精を描いた作品も多くあり、それらは以前から好んで見ていたものが多く、喜んで眺めた。

モリスとバーン=ジョーンズの美本が出ていた。「チョーサー作品集」。
つい最近も見たばかりだが、美麗なものは何度見ても楽しい。
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そしてミュシャ「トリポリの姫君」が現われたが、これは初見。いつもポスター芸術や工芸品、そして故国帰還後の作品しか見ていないので、脂の乗った時期の挿絵にはうなるばかりだった。

やがてバルビエやケイト=グリーナウェイの作品群が現れた。バルビエのおしゃれな作品を見るのはとても楽しかったが、その楽しさが大きいばかりに、今回図録を買うことをやめてしまうことになった。
図録では残念ながらバルビエの作品がだいぶ割愛されていたので、バルビエにドキドキしていたわたしはちょっと淋しくなったのだった。

グリーナウェイの展覧会が随分前に大丸で開催されたが、それ以来の数を見た。
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可愛らしい女の子たち。その当時グリーナウェイの描く女の子たちのファッションは現実の女の子たちに愛されて、実際に絵と同じ衣服などが拵えられたそうだ。
百何十年前かの可愛らしいファッションは、21世紀の展覧会でも、やはり愛らしかった。

他にウォルター・クレインの作品もあり、可愛い挿絵を存分に楽しんだ。
私は彼の「かえるの王子様」がとても好きだ。
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彼の絵本原画展も開いてほしいと思う。

いよいよ「コワイ」挿絵が現れる。
ポーの小説の挿絵で有名なハリー・クラークが現われた。
彼の作品は耽美・退廃・蠱惑的なもので、忘れ難い印象がある。
ここでは「ファウスト」があった。
誘惑するもの(メフィストフェレス)と誘惑されるもの(ファウスト)の彼我の関係が逆転或いは同化そして反転しそうな情景である。
どちらも自分たちの行く先を知りつつも嗤っている、そんな口元を見せていた。
醒めたまま地獄へ堕ちてゆくのもいいのかもしれない。
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'98春に「ビアズリーと世紀末展」が開催されたが、そのときクラークの作品を多く見る機会があった。白と黒の世界。色彩を失くした世界で唯一残る二つの色。
クラークの使う白は、黒をより際立たせる役目を負うていた。

ビアズリーは「サロメ」だけでなく「アーサー王の死」が少しだけ出ていた。
高校の頃、ビアズリーに夢中になった。それで大判の美術書をコピーした。学校でしてもらったが、勉強もしないでそんなことばかりに熱心な生徒に、先生方も優しかった。
だから「アーサー王の死」は絵を楽しむだけでなく、必ず追憶にふけることを決められている。

マネの「大鴉」があった。これを見ると必ず思い出すのは土方巽である。
彼の長女はこのポーの詩「大鴉」から採られたと聞く。
(現在はどうなのかは知らない)
この「大鴉」の思想的子孫は青野聡「カタリ鴉」かもしれない。
マネの版画自体は油彩画の別バージョンと言うものをこれまでよく見てきた。
完全オリジナルはこの「大鴉」くらいしか見ていない。

たいへん面白い展覧会だった。勧められて「行ってよかった」と強く思う内容だった。
一方常設企画室の柄澤斎の作品は、予想していたものと違っていたので、少しばかりわびしくなった。彼の作品は滋賀近美で見た「天体と宇宙の美学」でのものがいちばんいいのかもしれない。

近道があるらしいので、今度来るときはその道を通ろうと思う。

生誕百年・赤羽末吉展

ちひろ美術館で「赤羽末吉」の絵本原画を見た。
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世間に名高い作品はモンゴルの馬頭琴の悲しい物語「スーホの白い馬」だが、ほかにも実に多くの名作がある。
わたしが最初に見た赤羽作品は「九人の兄弟」でこれは幼稚園の図書室で見た絵本だった。文は君島久子という中国文学の翻訳者として超一流の文学者だから、本当に贅沢な取り合わせの絵本だと思う。
今回の原画展には「白い馬」「星になった竜の牙」「あかりの花」といった中国からモンゴルにかけての物語絵本と、日本の昔話「大工と鬼六」「笠地蔵」、オリジナルなナンセンスもの「にげろや、にげろ」、そしてシリアスな源平ものと説話文学から材を得た「春のわかれ」、宮沢賢治「光のすあし」などが出ていた。

赤羽末吉が亡くなったのはほぼ20年前で当時福山あたりで回顧展があったが、それ以後の展覧会はなく、生誕百年の今年、とてもいいタイミングだと思っている。
かつての展覧会に行けずにいた私にとってもやっと心の負担が軽くなるばかりでなく、心の底から「見てよかった」と思う内容だった。

赤羽は若い頃に日本画を学んでからは独学を貫き、戦中戦後を違う仕事に生き、本格的な絵本作家デビューを果たしたのはだいぶ年を経てからだという。
五十歳の絵本作家デビュー。
駄作のない赤羽世界は、その年齢が生んだものかもしれない。
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かさじぞう  まずしくとも善意と神仏への敬愛の念を持つおじいさんの顔つきがいい。

大工と鬼六  この作品の構成は大和絵と墨絵が交互に現れるもので、そこがなかなかユニークだった。
今回初めて知ったことだが、その構成は出版社の経済状況からの苦心の手だったそうだ。
しかしそれが強い効果を生んでいるのだから、なにがどうなるかしれたものではない。
だいくとおにろく(こどものとも絵本)だいくとおにろく(こどものとも絵本)
(1967/02/15)
松居 直


わたしはこの物語が好きで、いろんな人の再話を読んだり絵本を見たりしたが、いつでも面白く思う。
赤羽の大工は腕組みをしながら困った顔をしている。
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まさか軽い返事でこんなことになるとは、というのがよく出ている。虹のような橋が架かっていて、知らん顔で鳥がぴ?と飛んでいる。

鬼と言えば赤羽の描く鬼は人気があり、随分多くの鬼の絵本を描いたそうだ。平べったい輪郭にモコモコ髪、可愛い牙と太い眉の下の大きな目。なんとなく愛い奴である。

スーホの白い馬  赤羽自身の言葉を読んでいくつか納得するところがあった。彼は長く中国大陸に暮らし、その乾いた大地に愛着を抱いていた。そして引き揚げ後、新潟の地のしっとりした風土に惹かれ、毎年必ずそのしっとりした空気を味わいに出かけたそうだ。
乾きと潤いと。どちらにも深く惹かれた画家の意識を知ることで、よりいっそう作品への理解が深まる気がした。

先般江戸博でモンゴル展があり、馬頭琴の展示があった。多くの人がそれを見て「スーホだ」とつぶやいていた。
それはやはりこの絵本「スーホの白い馬」が深く心に刻まれているからだろう。
わたしも馬頭琴と言えばすぐに「スーホの白い馬」を思い出すし、思い出しては悲しさに胸をかまれる。
この絵本はこの先もずっと生き続けてほしいと思っている。

あかりの花  これは小学校の教科書に掲載されていた物語で、とても好きだった。
わたしはこの物語を「つる女房」より先に知ったので、木下順二の「夕づる」が「つる女房」を基にしたものだと知っていて尚、「あかりの花」と似た心持ちの物語だと思うのだった。しかし教科書の絵は赤羽だったかどうか。

にげろや、にげろ  二十年前の赤羽末吉遺作展のチラシにも選ばれた作品。旅人の着物の柄の千鳥たちが逃げだして、野越え山越え、えっさっさ。楽しい絵本だった。
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ナンセンスギャグの連続だが上品な作風なので、明るい気持ちで追いかけられる。
ラストシーン、とうとう千鳥たちに追いつき、千鳥たちも戻って、旅人はにこぉ?と本当に嬉しそうに笑う。
見終わるとまた開きたくなる絵本だった。

今回初見なのは源平合戦シリーズだった。
壇の浦のたたかい (源平絵巻物語 第7巻)壇の浦のたたかい (源平絵巻物語 第7巻)
(1979/04)
今西 祐行


わたしは源平ものが好きだが、これは知らなかった。
絵本で源平ものと言えば木下順二と瀬川康男のシリーズが思い出される。
瀬川の様式美に満ちた作風が、木下の文章にそぐい、たいへん良い作品だったと思う。
一方この赤羽作品もまた、それに劣るものではなかった。
瀬川の視線が人々と同じ位置にあるとすれば、赤羽の視線は鳥瞰だと言える。
実際壇ノ浦の戦いを描く一枚に、人間どもの争いを気にすることもなく、大きく飛びゆく鳥の翼があった。
赤羽はその鳥を真上から描き、その下に生ける修羅界をも映し出す。
その視線こそが魅力的だった。

赤羽の少し年長向けの絵本に「春のわかれ」がある。
これは新聞の書評で読み、それから知った作品だった。
中世の貴族の家に生まれた優しい若君の、悲しい生涯を描いた絵本だった。
書評では確か「愛護の若」と「今昔物語」の一篇を基にしたというようなことが書かれていたと思う。
家宝の硯を割った家来をかばって、父に犯人だと名乗り出た若君が、父に追われ、その怒りの激しさと仕打ちの酷さに心身を痛め、ついに儚くなる・・・
少年の死で父もまた深い後悔に苛まれ、若君にかばわれたことでその死を招いてしまったことを苦しむ家来の出家など、救われる人の誰もいない物語だった。
赤羽はその悲しい物語を墨絵に近い手法で描いた。
他の作品に見られるような優しいユーモアも消して、筆の跡が見えるような線で人々を描く。

そして赤羽の最後の作品が現れる。
宮沢賢治「ひかりの素足」である。この物語は近年になり初めて読んだ。何故それまで読んでいなかったのかが自分でもわからない。初めて読んで以来、しばしば「青空文庫」で読み返す。読み返しては静かな畏れを感じ、口にできない感動を覚えている。
この物語には鬼が現れる。赤羽の鬼は前述のように人気が高く、皆に愛されている。
しかしここに現れる鬼はそんな愛嬌者ではない。
猛吹雪の中、立ち止まることを許さぬ看守の鬼なのである。そこへ「ひかりの素足」が現れる。
鬼たちは静かにその「ひかりの素足」に頭を下げる。
この絵本では二人の兄弟が描かれるが、アップで人間の表情が描かれることはない。
少し離れた立ち位置からの撮影とも言うべき、抑制の利いた静かな画面構成が、この物語をより深く心に残す役割を果たしている。

改めて良い展覧会だと思った。
このちひろ美術館は今では「ぐるっとパス」に参加しているので、絵本芸術に関心を持たない人でも気軽に訪ねるのもよいかと思う。

そして今回のちひろ作品は「あめのひのおるすばん」と「たけくらべ」が出ていた。
「あめのひのおるすばん」はカーテンに体を巻き付かせる少女がとても可愛らしく、猫がいい味を出していた。

7/11まで。

近代の歴史画と『講談社の絵本』展

野間記念館の「近代の歴史画と『講談社の絵本』」展を大いに楽しんだ。
とにかく近代日本画と挿絵関係が好きな方々には、強くおススメしたい。
元から講談社は好きな出版社だが、この野間記念館が開館してからはいよいよ愛が深まるばかりだ。
(私は、文化事業を展開する企業で楽しませてもらうと、なるべくその会社の製品を購入したり応援したりするよう心がけている。←ええお客さんやな??)
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野間コレクションの日本画は十二ヶ月色紙はともかくとして、ほかは雑誌の口絵・挿絵をタブローにしたものなどが多い。
絵に文芸性・物語性が活きているものが好きなわたしにとっては、必ず楽しめる展覧会がここで開かれている。

前田青邨 羅馬へのおとづれ  早大會津八一記念館に「羅馬使節」の大作があるが、こちらはその関連作らしい。雑誌「キング」の口絵として生まれた一枚。
伊東マンショ少年が白馬にまたがり、こちらへにこやかで凛々しい笑顔を向けている。
昭和三年の作だが、思えばその二年後には大倉男爵のバックアップで、羅馬日本画展が開催されている。無縁と言うにはあまりにロマンがありすぎる。

長野草風 博雅三位  今やすっかり「陰陽師」の相棒として人気のある博雅三位は、昭和戦前の人々にとっては「音曲に全てを捧げた貴人」というイメージがあった。
ここでも柴折戸の脇にしゃがんで音曲に聞き入る姿が描かれている。満月下の薄は銀に揺れ、貴人を優しく撫でている。相手が誰かを描かずにいるところが却って効果をあげている。

吉川霊華 鎌倉武士  彩色の薄い仏画・仙女画などを多く描いた霊華にしては珍しく色の濃い作品だと思う。葦毛の馬の世話をする武士。そばには主人に忠実な犬もいて、鷹も鋭い目を見せている。
「いざ鎌倉」の気概がそこに活きている。

尾竹国観 天津日嗣  出雲神話だったか。細い木材で拵えたテーブルに刀や勾玉などが置かれている。そして光輪のあるひとが少年を随えてそこに立つ。
国士として生きようとした絵師の心が描いた一枚。

木村武山 神武天皇  金鵄を杖に止まらせてその場に立ち尽くす。先日大和八木駅前でその金色のトビの銅像を見たところだが、思えば神武帝はトビやカラスと縁のある帝だな。
尤もわたしの「神武」イメージは安彦良和作品のそれなのだが。

光明皇后  今年か来年かに確か光明皇后の展覧会があるはずだ。白鳳から天平年間の婦人風俗が好ましい私は、皇后と随身の女たち、背後の華やかな柱装飾にも嬉しくなる。

松岡映丘 人麿  人麿のポーズは定まっている。座して望郷の念に駆られつつ筆を持つ姿。
ここでは筆と書とを手にしてはいるが、唐の地に佇む姿が描かれている。背景には大和を象徴する桜の咲く様子が描かれている。人麿の見る(見たい)風景としての和の里山が。

池田の宿  チラシに選ばれた一枚。何度もここで太平記のその一説をあげているので、今回は書かないが、いつ見てもドラマティックな作品。

井川洗ガイ 神代風俗図、鎌倉時代風俗図、文化文政期風俗図  昭和13年の連作。
神代の女は桜下に佇む。ヒレと勾玉を身につけた美しい女。
鎌倉時代の女は白拍子の装をしている。化政期の女たちは花見に向かう。

蔦谷龍岬 三枚の夏・春・秋の絵があった。大正末?昭和十年までの期間に描かれている。 
神苑雨後  青山に虹がかかり、市女笠、衣被りの女に童子が橋を渡っている。
中世の女の旅には酷い物語が多くついて回るが、この絵の女たちは薄幸そうな様子もなく、静かに山を超えてゆきそうに見える。 
殿裡惜春  庭に見えるのは藤の花。もう桜は過ぎて徐々に初夏が近づいてきている。縁側にまで出ることなく室内から二人の十二単姿の女たちがその様子を眺めている。
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嵯峨野の里  秋の暮れ、庭には柔らかく豊かな秋草が咲き乱れる。女郎花がしっとり咲くのを室内からぼんやりと女が眺めている。その膝前には琴があるが女は弾こうとはしていない。この女は小督なのである。平家から逃れて嵯峨野に住まう小督は琴を弾いて心を慰めていたが、その琴の音でまた運命が動くのである。
蔦谷の描くものは全て美しい彩色に満ちている。色同士がもめることもなく優しい調和を見せている。

ここで少しばかり中国が舞台の絵を眺める。
吉村忠夫 柳塘行  唐美人が白馬の曳く馬車を降りて馬の手綱を手にする。
なにか詩歌があるかと思うがちょっとわからない。
柳があり池があり、唐美人がいる。それだけで絵になり詩になる。

町田曲江 文信公  南宋の文天祥。岩獄中にいる。背筋も正しい。「正気の歌」とかを拵えているところらしい。忠臣の鑑ということで昭和四年の「キング」誌に「世界史上の華絵巻」シリーズとして選ばれたらしい。時代を感じるのはこういう作品を見るときだ。 

木村武山 樊噲  「項羽と劉邦」の物語の中でも特に樊噲の現われる鴻門の会のエピソードは面白い。ここでは張良の言を受けて劉邦を守るために陣幕に入る樊噲が描かれているが、たいへんコワく眼をむいている。脇の盾の鬼面よりコワイ目つきである。この作品もまた「キング」の「世界史上の華絵巻」のためのもの。

鴨下晁湖 海上の月  海の果てに沈む月を眺める中国の貴人と武官。元ネタはわからない。「明月絵物語」シリーズ。絵のほかに物語の紹介があったろうが、読んでみたい。
こうした口絵にはそうした力がなくてはならないのだ。
鴨下はシバレン「眠狂四郎」の挿絵で有名だった。

安田靫彦 上宮太子像  静かな横顔がそこにある。僚友・小林古径の「夢殿」が東博で同時期に展示されているので、どちらも見れて嬉しい。

小林古径 鉢の木  謡曲「鉢の木」のその鉢の木を叩き切るところ。これはまぁいいお話なのだろうが、学生の頃からどうも好きではない。今の人に「鉢の木」なんて言うても能楽が好きでないとわからないだろうが、戦前は常識として知られていた物語なのだった。

他に松岡映丘の菅公、紫式部、鎌倉右大臣、西行のタブローがある。
そしてそこから十二ヶ月色紙シリーズが現われるが、今回初めて見た作品があり、機嫌よく眺めて回った。とにかく多いので書ききれない。
面白い特徴を少々。
尾形月山のそれは市井の人々の様子を描いたもので、江戸の風俗画として眺めるのもいい。

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大正末の「キング」誌シリーズ「国の華絵巻」ではヤマトタケルから明治大帝までの人々が描かれている。
中村岳陵 日本武尊  女装したオウスノミコトが熊襲兄弟を倒そうとカーテンから中を伺うシーン。きつい目つきの美少年がいい。数年前明治神宮宝庫館でヤマトタケル展があったとき、多くの画家のタケル像を見たが、やはりこの女装した美少年図が多かったことを思い出す。

尾竹国観 白虎隊  やっと飯盛山へ逃れてきた少年たち。しかし振り向けばお城が燃えている・・・!(実はお城の前のあたりが焼けているだけだったが、少年たちは会津城炎上だと思いこんだのだ)絶望した少年たちが今しも自害しようとする情景。大正末だからこの史実から六十年ほど前のことだったのだ。15歳ほどの少年たちのうちただ一人生き残った飯沼氏はこのときまだ存命だったのではないか。以前白虎隊の跡を訪ねたことがあるが、深いせつなさに胸をかまれたことを思い出した。

やがて昭和四年には「聖心画譜」シリーズが始まる。
先の「国の華」と同じ人物を描いたのは川崎小虎だった。
光明皇后  花を摘み童子に渡す皇后はとても愛らしくファンタジックだった。小鳥たちもチュンチュンと鳴きながら華が舞う中を飛び、蝶も緩く羽ばたく。長身の皇后は愛らしい少女のようだった。
そして「聖心」では千人の困窮者を洗う皇后が描かれている。こちらもまた現実から遠く離れた優美さがある。
小虎の描く女たちはどこか夢想的な愛らしさを常に漂わせている。そこが魅力的なのだ。

山口蓬春 神皇正統記を編む北畠親房  こういう作品があるところに戦前の教育というかモラルというかを感じる。

ほかに「世界史上」では野田九甫「スパルタ武士」、結城素明「ジャンダーク」(ジャンヌ・ダルク)、蔦谷「蘇武」があった。

人気大衆誌「キング」でこうした絵を見て、人々は日本や世界のいろんな歴史を学び、好きなキャラを持ったのだろう。
それにしてもこの「近代の歴史画」展は十年ぶりのようで、以前のチラシを取り出して感慨深く・・・
(時間早すぎるなぁ、経つのって)

そして「講談社の絵本」原画が12種でていた。
いつ見ても本当にいいものばかりだ。
今回の展覧会コンセプトは「近代の歴史画」だからここにもそうした作品が集まっていた。
桃太郎 (新・講談社の絵本)桃太郎 (新・講談社の絵本)
(2001/05/18)
齋藤 五百枝


菅原道真、八幡太郎義家、弁慶と義経、新田義貞 と言った人々を主役にした絵本はいずれも昭和13?15年だった。
浦島太郎、さるかに合戦、舌きり雀、かちかち山、かぐや姫、桃太郎、金太郎・・・・・
これまで何度も見ているが、いいものは何度見てもいいものだ。
時々復刻版のこれらの絵本を集めたくなる。
猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)
(2001/06/20)
井川 洗がい


当時の錚々たる画家たちが彩管を揮い、文学者たちが熱心に文章を書く。
暗い時代にさしかかっていたとは言え、子供文学の黄金時代はまだこの頃まで続いていたのだった。

ところでこの中では「かちかち山」が割にドキッとするシーンがでている。今では見れないシーンなのでこれを見るのがかなり楽しみではある。
かちかち山 (新・講談社の絵本)かちかち山 (新・講談社の絵本)
(2001/05/18)
尾竹 國観



7/19まで展示が続き、夏休みが入り、九月からは清方と近代美人画展である。
そちらも楽しみだが、この展覧会も本当に面白かったので、また見に行こうかと考えている。

小村雪岱の世界

清水三年坂美術館に出かけた。
「小村雪岱の世界」展が8/22まで開催されている。
そこでは雪岱の弟子・山本武夫が寄贈した作品などが集まっていた。
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木版画は「お傳地獄」「おせん」などの代表作が展示されていて、この辺りはしばしば展覧会に現れるので、コンニチハな気分で見れるが、問題は肉筆画と挿絵原画である。
初見が随分あった。

矢田挿雲の「忠臣蔵」は別なシーンなら見ているが、これは外伝「義士餘聞」の挿絵なのである。その作品があること自体を知らなかった。
また吉川英治「遊戯菩薩」も初見。(展示のうち「義士」とタイトルが混ざるものがあり、それは直さねばならないだろう)
こちらは絵を見る限り吉川得意のややこしい恋愛関係のもつれもありそうで、総髪の袈裟男が町人たちにポカポカ殴られてたりするのが目をひいた。
雪岱なりの美男というところだろうが、物語の概要を知らぬので、なんとも言えない。

里見弴「闇に開く窓」はその存在を知らなかったので二重にショックだった。
私は雪岱のみならず弴ファンを任じているから、これを知らずに来たことが悔やまれる。
雪岱の挿絵の最初の仕事は弴の「多情佛心」でこちらはコンテを使った作品だから、今日から見た雪岱の絵のパブリックイメージからは遠く離れている。
しかしその四年後の「…窓」は、今に活きる雪岱のモノクロ美で構成されている。
キャラはかなり目が大きく描かれているが。

挿絵では他に下母澤寛「笹川の繁蔵」の第二回目の表紙絵があった。
下母澤寛とも良い仕事をしていて「突っかけ侍」などは傑作だと思う。
どこかで「突っかけ侍」の全ての絵を展示してくれないだろうか。

珍しいところで内田誠「隆に賜へるの書」に風景画があった。版画。
坂を上りきる手前の坂の途中の(多摩蘭坂ではない・・・)洋風の民家や上に広がる楕円を描く大きな建物が、モダンな味わいを見せている。内田誠は明治製菓の宣伝部で「スヰーツ」誌を出し、本人も「水中亭」(=カバ)を名乗った俳人だった。
雪岱は江戸を今に蘇らす名手ではあったが、一方ではこうしたモダンなセンスの持ち主でもあった。
だからこそ資生堂に招聘されたのだが。
古さのない和モダン、それが雪岱の作品の本質ではあるまいか。

和モダンの真髄を見せてくれるのは挿絵ばかりではない。まず装丁にその才が開かれている。
大好きな鏡花を囲む九九九会の仲間で、文人でもある実業家・水上滝太郎の随筆「月光集」は、そのタイトルを裏切らない美麗な装丁を見せていた。
お納戸色というより縹色に近い地に、銀色で彩られた睡蓮がぱちぱちと、そこかしこに咲いている。
うつくしい、銀の睡蓮。それが濃くもなく薄すぎもせぬ青い池に咲き乱れる。
手に取るより、愛でながら眺めるのにふさわしい本だった。

荻原井泉水「観音巡礼」は見返しが曼殊沙華、表紙が緑色の三角の山というもので、西国三十三ヶ所の文字があった。
宋代に範を求めた独特の美しく可憐な文字。
その文字は今でも資生堂で生きている。

舞台装置の原画もあった。
「平重衝」 蓮台が見える。大仏炎上の物語かと思う。
「長崎の絵踏」 港に停泊する洋船の場と夜の二重十字架と。
「道成寺」 これは多分六代目菊五郎のための道成寺だと思われる。
現行のそれとは違うのもあるが、雪岱は六代目のために多くの新作を拵えている。
踊りの天才・六代目菊五郎は自分のための「道成寺」や「藤娘」を演出しているから、まずそのことを思った。

肉筆画はやや彩色の濃いものが出ていた。
チラシの上にある絵などを見ると「昭和の春信」というより清長風にも見える。
そして下の女はどちらかと言うと、本人よりむしろお弟子の山本武夫のそれに近い感じもある。

チラシの背景は意匠図案の槍梅。愛らしい梅だと思う。紫の地もいい。
そしてこちらはタイトルは仮称ながら「柳橋」と呼ばれる肉筆。まことに情感のこもった良い絵である。
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他に古画の模写に精出したひとらしく、仏画に平家納経の剣を持つ女人図などがあった。

いい心持で階下へ行くと、そこには並河靖之の七宝焼が並んでいた。
先般INAXギャラリーでここの所蔵品の多くが展示されたが、あれもまたまことに好い内容だった。

好いものを見て、暑さも忘れて外へ出た。

都下にて茶道具拝見仕りて候?目黒区美術館「紅心 小堀宗慶」

「紅心 小堀宗慶 創作と審美眼の世界」が目黒区美術館で開かれている。
ご本人の作品群と古美術の名品とが一堂に会している。
ご本人の作品では佐竹本三十六歌仙の模写絵が特によく、わんこを描いたオリジナル絵が可愛くて仕方なかった。

古美術の展示ではその解説が面白く、作品を眺めつつ小堀氏の意見を楽しむ、という二つの喜びを得られた。

三井記念館蔵の桃底花入は利休所蔵という伝えがあり、さらにはこんな逸話が添えられている。
佐々成政より献上された黒百合を北政所が利休の娘にいけさせた、というのである。
これを私は興味深く読んだ。
佐々の没落は黒百合の献上に始まり、利休の娘とは「お吟さま」ということで、稗史にどちらもが一篇の物語を残している。
それを細かには書かずにさらりと記すことで、かえって余韻が活きてくる。
首の優美さ、肩に回る濃密な文様の連続をみつめながら、わたしは小堀氏が耳元でその物語をささやいてくれているような気がした。

唐物肩衝茶碗「初花」と「遅桜」がでていた。徳川と三井と、別なところに暮らす茶碗。「初花」の仕覆は珠光緞子片身替、白極手緞子、それと乙細丸竜(細丸竜鳥襷)というのがエッシャー風で面白い。
「遅桜」の仕覆は浅黄地鳳丸緞子だったが、それぞれ楽しく眺めた。対と見なされている茶碗がこうした場で出会い、それを見るのもいいものだ。

ところでこれは後から知ったことだが、三井記念館の「家康の遺愛品」展でもこの二つの茶碗は4/14?4/25まで展示されていたそうだ。
引きこもっていたものも、一度外へ出ると、旅が続くものだ。

どこかで見たぞと思ったのが湯木美術館所蔵の茶入だった。「飛鳥川」「生野」という銘がついているが、仕覆もたくさんついていて、着せかえ感覚かも・・・と勝手な想像がわいた。

東博の青磁茶碗「馬蝗絆」を見ると、やたら継ぎが目に入った。金の継ぎがバッタ(飛蝗)を思わせるのだろうが、わたしにはどうも・・・ホッチキスにしか見えなかった。←ごら?!
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そして国宝の大井戸茶碗「喜左衛門」が現れた。
怖い伝承があるが、それはやはり凄まじい魅力がある故か。
わたしなぞ間違っても触りたいとは思わないが。
(まぁ触る機会もないのがサイワイか)
小堀氏の解説がまたたまらなく怖かった。
小堀氏はこのお茶碗を洗うたのである。
何百年も誰も洗うてないお茶碗をその手で洗う。
文を読むだけでさぶいぼが立つぜ。
しかも洗うてどうなったかを書かれているのだ。
「ブクブクと泡がでた」らしいが、その汚れは経年のそればかりではあるまい・・・・・
想像するだに恐ろしい。

ほかに色々見るべきものがあり、興味深い展覧会だったと思う。7/11まで。

都下にて茶道具拝見仕りて候 泉屋分館「住友コレクションの茶道具」

泉屋博古館分館では「住友コレクションの茶道具」を見た。
ここは2つの展示室があるが、非常に機能性重視な展示ケースなので、情緒はない。
しかしその情緒を排した展示だからこそ味わえる良さというものがある。
作品それ自体の魅力、他を峻拒したところに活きる「美」というものを確かめることが出来るのだ。
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茶入にあまり関心が向かないが、それを包むお仕覆には強く惹かれる。
唐物文琳茶入「若草」のお仕覆は定家緞子 嵯峨桐金欄、笹蔓緞子などだった。
茶入は文琳、つまりリンゴ型ということだが、その形を包む布がこれらきらびやかな織物なのだ。まるで能役者のようではないか。
チラシには着物なしの茶入のなめらかな肌が、堆朱の盆に載せられている。

瀬戸肩衝茶入「真如堂」  大正六年に赤星家売り立てがあり、そのときに住友家に入ったらしい。春翠が購入したものか。
茶道具の来歴を知るのも楽しみの一つなので、もう少し説明があれば嬉しい。
モール裂、富田裂、八左衛門間道のお仕覆があるが、この八左衛門間道は初見。横縞。

茶入に関心が向かないとか言うてた舌の乾かぬうちに、こんなことを書く。

仁清 唐物写十九種茶入  これは以前に別な展覧会で見たが、可愛くて可愛くてならない。そのときに全部の名前を書いたが、今回は好きなものの名だけを挙げる。
瓶子、水滴、茄子、鶴首・・・
めでてみたい、と思うのはこうした小さいものか集まっているときだ。

青磁桔梗香合  明代の愛らしい香合。琵琶湖の博物館で現代作家の手による桔梗香合を見たが、本歌はこれかもしれない。

古染付荘子香合  荘氏=胡蝶の夢、と言ってもいい。だから小さな愛らしい蝶がそこにある。
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この香合は畠山の所蔵にもあるから、たいへん好まれたのだろう。
(そもそも古染付であること自体がそれを証明している)
わたしも好きだ。わたしは蝶と椿をモティーフにした工芸品を見ると、それだけでわくわくしてしまう。色でワクワクするのは山吹色(小判ではないぞよ)。
蝶の羽根の色合い(釉薬)は泉屋と畠山のものとでは、微妙に違う。
そこがまた楽しいのだった。

仁清の白鶴香合があった。これが本歌。よそで見かけた永樂の手による白鶴は、ここからの写しらしい。往時、春翠はそれに笹蔓緞子のお仕覆をつけて配る予定があったそうだ。

東方朔釜 大西清右衛門(淨長)  大正13年の作。桃枝を担いで横向きの爺さんがちょこんといる。とぼけた横顔。東方朔は武帝に仕えていたが、実は仙道修行のヒトだったらしい。桃を担ぐのは、彼の逸話の一つ「西王母の桃を盗む」ところから。
東方朔については陳舜臣「小説十八史略」と諸星大二郎「無面目」が面白く描いている。

古銅象耳花入「キネナリ」tou194-1.jpg
モノクロ画像だが実物も暗めの色なので違和感はない。
象さんの耳と鼻が取っ手として活躍する。それをベルトのように締めるのが饕餮くんという取り合わせ。これは南宋-元代の作品だから、饕餮くんは言えばレトロな文様として使われたのかもしれない。

他に明代の祥瑞、古染付などがあったが、どちらも鳥の絵柄。そして共に鳥がファンキーな表情を見せているのは面白い。ろくろ首もびっくりな鶴とか、茫然な鶉とか・・・

青磁浮牡丹花入  元代の青磁は色も濃く量そのものも多く、ゆったりしている。
頸の伸びたところへリングが何層も重なっているように見えるので、ちょっとシャムとビルマの間に住まう女のヒトのようだと思った。

これらの茶道具の多くを集めた春翠住友吉左衛門友純は、メセナのヒトだった。
住友は大阪に銅吹き所を持っていたし邸宅も庭園もいくつも所蔵していた。
なにしろ「住友営繕課」からは名だたる建築家が出ているのだ。

関西各地に残る住友家の別邸、住友に仕えた広瀬宰平、伊庭貞剛らの邸宅などをこれまで見てきているが、いずこもたいへん趣味のよい建物ばかりだった。
原則非公開なので場所は伏せるが、こちらはやはり住友家の邸宅の一つで、庭園を植治が拵えた素敵な空間がある。

また、大阪市立美術館のすぐそばの慶沢園は住友家の邸宅の一部だったが、四季いつでもその庭園の美しさが味わえるのは、大阪にその庭園を寄贈してくれたからだ。
そして中之島の景観を拵えてくれたのは住友春翠の力が大きいと思う。
図書館の荘厳な美貌は住友家の力あればこそだ。
(かつての日、中之島界隈に、その美しい図書館、対岸の日本銀行の勇壮な麗姿、さらに当時の市役所と控訴院の優雅な建物に囲まれた上、大正の「今太閤」岩本栄之助の寄付によって、中央公会堂という唯一無二の愛すべき建物が生まれたのは、全くすばらしいことなのだった)

茶道具から話が外れたが、大阪に住まうからこそ享受できる喜びをわたしはかみ締めている。
そしてその春翠の愛した茶道具が今、東京でも多くの人々の眼と心を楽しませているのが、ひとごとながらも嬉しくて仕方ない。
展覧会は6/20まで。

都下にて茶道具拝見仕りて候?畠山記念館「茶の湯の美」

都内で茶の湯関係の展覧会をいくつか見た。
それらについて書こうと思う。(訪ねた順から)

畠山記念館「茶の湯の美 数奇のかたちと意匠」
新緑の頃と言うのは樹下に立つだけで気持ちが良くなる。
畠山の庭園の木漏れ日は水玉模様のように見えた。

実業家で茶人で、というヒトのうち逸翁と即翁畠山一清の所蔵した茶道具は、特に私の好みのものが多い。
茶道具や古美術品は畠山記念館くらいの展示スペースでじっくり・しんみり眺めるのがいいかもしれない。たゆたうようなお香に心地よくなりながら、お道具と向き合う。

最初に茶箱が見えた。竹組茶籠。組物には乾山の銹絵雪笹茶碗と熊川茶碗があった。
遠目からでも「いいお茶碗があるな」と思うと、まず必ず乾山のものだから、それだけでも嬉しくなる。

南三井家伝来の黒檀山水彫茶箱もいい。以前に三井記念館で三井家の愛用した茶箱の展覧会を見たが、外に出たものでも、さすがにいいものだった。
もう一つ茶箱。清代の籐組茶籠、中に更紗風の小じゃれた布が張り巡らされている。
可愛らしい茶道具が集められているが、特に愛らしいのは親指と人差し指で作る円より小さな香合。布袋柄の螺鈿もので明代に生まれた。
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取り合わせの妙味と言うものを大いに味わう。
素敵なもの・好きなものばかりを集めて一堂に会させる、と言うのはそうそう出来ることではない。それを行い、そして眼を磨き心を養う。
尤も、眼を磨き心を養ったりせずとも、愛があればそこに磁場も発生する。
(ファンというのはなかなかバカにできないもので、遠くからでも好きなヒトとか好きなものはピカッッと見えるわけです)

先に挙げた茶籠の取り合わせに乾山のシブい茶碗がキラキラ光って見えたように、向こうにも黒光りするものがある。

道入 黒樂茶碗  ノンコウの黒樂がピカピカ瞬いて、わたしを招く。
形はやや横伸びな沓型風な感じで、指で持つ辺り・掌で押さえる部分・唇に当たる域、良い感じの薄さに見える。
実際にはガラス越しで眺めるばかりで、本当の触感というのはわからないものの、こちらの視線が触手となって、その対象を撫で回しているのだ。
こういうときに「見る愉しさ」を感じる。

蜻蛉蒔絵棗  びっくりした。どう見てもアールヌーヴォー。17世紀の蒔絵だが、ガレが拵えたかのようだ。時空をフィードバックしてガレが漆芸品をジャポンで拵えた、と言うてもおかしくないような一品。トンボがあふれかえっている。

もう一つ、時代がわからないような棗があった。
記三という作者による黒棗。桃山時代の作で、不昧公が日野間道を後からつけているから、長い時間を愛され続けてきた棗なのだ。
それがまたどうしても今出来にしか見えない。
あんまり棗に目が向かないが、これは何故こんなにも現代風なのかがわからない。
特に飾りの目立つことのない、シンプルな黒だからそう見えるのか。常に愛されて生き続けているからか。いい棗とはそういうものかもしれない。

鍋島色絵更紗文皿  今までいろんな更紗文を見てきたが、これは絶品だった。本当に綺麗な更紗文。
あんまり綺麗なものを見ると、強く刻み込まれるか、かえって真っ白になるかだが、今回は後者だった。
たぶん、まだまだほかに綺麗なものを観ていかねばならんので、真っ白になったのかもしれない。

絵では光琳の「禊図」がよかった。
tou192-1.jpg伊勢物語。この構図はいつ見てもおもしろい。
誰の手でも面白いと思う。話そのものがちょっと笑えるからだが。
しかし「むかしおとこ」君は真剣だろうから、後世の見物人が笑うのはフソンなのだった。

蛙図 狩野養川院  上を見るカエル。ノドから腹の白さ。カエルが見上げるのは何なのか。エンジャクいずくんぞ・・・ということでもなさそうである。前の水葉がどことなく木魚に見えるのはご愛敬か。

畠山で今回のツアーを始めたのはよかったと思う。
そこから泉屋、目黒区美、出光という道をたどれた。

畠山の「茶の湯の美」は6/20まで。

六月の東京ハイカイ

六月の東京はいきなり出足が遅れた。いつも飛行機なのだが、一度予約していた便がキャンセルになり、違う遅い便になったのだ。その分のんびり出かけ、空港で月マガを読んだりしたけど。
ところがそんな時間帯の飛行機がまさかのもしかでメチャ小さいのにはびっくりした。
しかも機内で乗客同士で言い争いしている。東京へ帰る奥さんvsビジネスマン。社会性がないとかあるとか。どっちにもないんちゃうん、こんな狭い機内で言い争いするような奴らには。

今回ノートを忘れた。何で忘れるかなぁ。←反省しろ。
暑いけど殆ど<九の一>みたいなかっこで白金台を歩き、畠山記念館の庭園の緑で癒される。シダはいつ見てもいいなぁ。
隣の工事はどうなるんだ、いったい。

展覧会の感想の細かいことは後日また綴るけど、それにしても畠山の茶の湯のお道具は取り合わせの妙味に尽きるなぁ。深い感銘を受ける。
ノンコウ、乾山はやっぱり遠目でもピカピカ光る。

色々あってなんかランチにうなぎを食べた。
ついったーでお江戸のウナギ食べたいと書いたけど、やっぱり<予言の成就>へ向かうためには、言うてなんぼですな。

野間へ。前までは江戸川橋からあのだらだらと長い新目白通りを延々と歩き、美術館にたどり着く頃には(ホンマにたどりつく、としか言いようがない)汗だくだくでヒィヒィ言うてるのだが、前回初めてバスで向かって、その良さに気づき、以後はバスで向かうことにした。徒歩10分が2分弱ですからなぁ。
体力は他の処で使おう、と決意して200円のバスに乗るのだった。

野間ではいちばん自分の好きな分野の絵がこれでもかっと出ていて、たいへん嬉しかった。
今回は特に初見の色紙が2シリーズあり、それも面白かった。
絵に物語性があるものがいちばん楽しい。

結局ここに時間をかけすぎてゆとりがなくなった。
あわてて泉屋文館へ向かうが、ここではゆとりと落ち着きが重要視される茶の湯の展覧会でした。
こういうのどういうのかな、テンモウカイカイではないだろうが。テンバツテキメン?
ちょっとチャウな。

近くの菊池美術館へゆく。智恵子抄。数年前に姫路文学館で大がかりな展覧会を見たが、それ以来のいい内容だった。今回は智恵子の切り絵細工は実物ではなく、光太郎の甥の写真家による複製の展示だった。

三井記念館では家康関係の展覧会。正直に言うとわたしは家康が嫌いだ。秀吉は面白いから好き。
何年前か江戸博で日光東照宮展があったが、あのときもなんだか・・・・・
でも好き嫌いを言うてたら立派な大人になれません。
みました。見ると必ず何点かええものをみつける。
南蛮屏風、色白に眉のはっきりした美人がたくさんいるのを見た。よかった。
それと聖徳記念館に形の似た金網ぽい入れ物がすてき。

新日本橋から千葉へ。チーバ君に会えるかと期待したけどわからんかったな?。
若冲を見る。わんこと虎と鹿にキャンッですがな。静岡からはイキイキ地球家族な屏風も来てたし。それと京博の極楽パークもあった。淀川ツアーもあり。
(タイトルはみんな私が勝手につけてる)

千葉の凄さは所蔵品にあり、と常々思っているが、今回は浮世絵の良いものを見せてもらい嬉かった。

中日。(チュウニチではないぞ)
元町・中華街の6番出口ってすごいよなーと感心する。だって地下・地上何階分?上りきったらアメリカ山でしょ。バラ園も近いし、海は遠景になるし。
てくてく歩いて外人墓地をヨコメに見る。彫像がある一方でなんとなく和風な墓碑もある。
朝だから別に怖くない。
港の見える丘公園はバラが真っ盛り。匂いは感じないが眼には優しいバラばかり。
開館と同時に文学館へ入る。城山三郎。この作家は本当にタイトルが巧い。
徹底した取材もいい。取材力・タイトルの巧さは司馬遼太郎と城山三郎が2トップな気がする。
静かな感動が後から寄ってくるような感じで展覧会を出て、ハマ美のポンペイ展へ。

鼻欠けでない彫刻群と、働くキューピッドたち。それがすごく意識に残る。
このかくれんぼキューピッドなんぞは殆どバルテュス的世界やな。
チラシになったフレスコ画は少年愛ぽくてときめくし。
フレスコ画のヨサを満喫。
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町田へ出た。何年ぶりに来たのか、わたし。織田一磨展以来。忘れてたが来た途端思い出した、キョーーーフの坂道。これは怖いわ。

国際版画美術館というだけに本当に諸国のええ版画が。
今回の挿し絵の展覧会は随分人気らしくてチラシがなくなってた。図録を買う気だったが、ちょっと寂しかったのでやめる。幸い自分が所蔵する絵はがきのモトネタが多く出ていたのでそれだけでも助かる。
常設では大好きな柄澤斎の作品群が出ていたので、喜ぶ。

キョーーーーフの谷を這いあがる。
小田急から京王乗り継ぎは下北沢だけど改札なしでスイスイ行けたのが嬉しいし、計ったように急行が来たので渋谷までアッと言う間についた。そこから目黒へ。
目黒からあべまつさんとお約束。
memeさんとお茶されてた後に私と連れだって展覧会へ向かったが、スキニーなヒトの後に私みたいなものを見たら、視界が広がって困ったろう。

小堀宗慶さんの展覧会初日。怖い伝説が生きてる孤蓬庵のお茶碗とか初花とか色々見た。ご本人の作ではわんこの絵が良かった。

坂道を上りきり、曲がらずまっすぐ歩く。白金台幼稚園の前を通るが、可愛い山小屋風の建物が見えて、微笑ましい気持ちになった。ちょっと前川國男自邸に似ている。

庭園美術館につく。ロシア構成主義。このアールデコの館とほぼ同時代の作品だと思うと、'20年代の視界の広さにドキドキする。なんと魅力的な時代だったことか。
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こういう作品はわたしの好みやなぁ。

あべまつさんとは六本木でお別れ。
わたしはヒルズへ行く前にミッドタウンへ。
ミッドタウンの地下のフォーを食べに行く。
この辺りに来たら必ずそこでフォーを食べる。
恵比寿にいったら三越の地下でフォー食べるし、有楽町でもフォー食べてるのだった。
(あともう一ヶ所あればフォーがフォーになるな)

なんか冷たいフォーを作ったようで、冷麺大好き少女のわたしは喜んで冷フォーと生春巻を頼んだら、店員さんに温かいものもどーぞと勧められて、もち米とタロ芋のチェも注文した。
冷フォーには揚げ春巻が入ってて、量もたいへん多かった。ぬくいフォーの方が私には好ましいみたい。
それでおやつのチェがメチャおいしいのだ。
クセがあるので十年前の私なら食べられへんが、今の私はパクパクおいしくいただけた。それこそクセになりそう。

ボストン美術館展再訪。なんかTVの生中継がとか言うのでふぅんと思いつつ、ベンチ見たらなんと!わたしの大好きな青井実アナが座ってた--!
話しかけるとスゴ--く長身で小顔で可愛くて愛想良しさんで、わくわくした!
大阪で活躍してるときからファンだけど、ますますファンになったよ--♪これからもがんばってね☆

機嫌良く出てからホテルへ向かったら道に迷った。←浮かれすぎ。
するとその前にいきなり登録文化財の建物が!これは初見だわ。
そういうときに限ってカメラがない。それでメモだけ残しながらまっすぐ歩くと、やがて知ってる場所へ出たので、次は撮影に行くぞ。

最終日。
上野へ向かったが、御徒町のさるビルを見ていてなんだかソソラレた。いっぺん入ったろ。←ささやかな希望。

東博再訪。細川家のお宝のラストDAY。この週だけ展示の能衣装で紅葉柄のものに惹かれる。
久米民十郎の「支那の舞」再会。改めてじっくりと眺めると、女の手指の形、アールデコだなと思ったり、背景の壁画が唐代ではなく漢代ぽいと思ったり。

企画へ向かうと、百年以前の北京の風景写真が展示されていた。小川一眞らによるもの。これは以前に都写美と庭園美などでも見たが、こうして企画展示してくれていると嬉しい。見たいものだけで構成されているというのは凄い。
図録は600円。いい参考図録になる。

やっぱり東博は最低でも2時間は必ずかかる。いつでもなにかしら感銘を受けるし、新発見があるし、再会がある。
そしてそこで働く人々のいろんな姿を見る。ガラスの拭き方が絶妙なおばさんや、力強く頷く警備員のおじさん・・・

高田馬場でお昼してから上井草へ。ちひろ美術館への道案内がなくなってる。なんでかしら。記憶を頼りに住宅街をハイカイして、たどりつく。←不審人物。
赤羽末吉さんの展覧会。詳細は後日だけど、これは本当に良い作品展だった。

再び高田馬場。今度は日本橋へ出て高島屋へ。山本丘人展。三月に京都で見損ねたので江戸で敵討ち。
え゛っだったのが都内から郊外転居のことで、うちのオバのご近所さんだというのにちょっとびっくりした。
その後は大磯だけど、同じ時期にご町内してた時期もあるかもしれない。

シメが出光。一つの展覧会の初日と最終日に行くというのも、ええものですね。
茶の湯。今回の展覧会めぐりも茶道具に始まり、中にも茶道具があり、シメがまたそれというのはやっぱり面白い。

飛行機の時間が来たのでここで首都圏からサラバ。
また来月。しかしまだ飛行機をとれてないのがコワイな。

大遣唐使展

先日は「大唐皇帝陵」展の記事をあげたが、今日は「大遣唐使」展の感想。
奈良国立博物館へはいつも近鉄奈良駅から行くが、途中の西大寺?新大宮間には平城宮跡が広がり、今はそこで大がかりなイベントが開かれている。
この平城宮から遣唐使を送ったのは12、13次くらいまでか。
そんなことを思いながら氷室神社前でバスから降りると、もう昼を過ぎていたので池の睡蓮はみんな眠っていた。

会場へ入ると、照明が波濤を映し出していた。
波の移ろいのただ中に立つと、自分の影も揺らぐようだった。
第一部 波濤を越えた日中交流

最初にもらったチラシは絵巻をおもてにしたものだったが、次にはこちらの二体の仏像のもの。
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「命をかけても伝えたかった」
心に残るコピーだと思うし、顔のアップだけにしたのも巧いと思う。
その実物が二つながらこちらでお出迎え。

観音菩薩立像 唐の時代に生まれた石像。ペンシルベニア大学博物館から日本へ初めて渡ってきた仏像。膝下まで瓔珞が流れる。

聖観音菩薩立像 薬師寺からお出まし願った仏像。先の唐の仏像のプロポーションの美がこの仏像で完全に開花した、という感じ。ドレープがまことに綺麗。こちらはブロンズ。
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さてガラスケースへ向かうと、和同開珎から始まる展示。
このおカネが西安から発掘された、ということに意味がある。日本人留学生が持っていたのか、チップにそれが使われたのかとか、いろんなことを思うのも楽しい。
寺沢武一「コブラ」はアメコミ調SFコミックだが、その中でコインの裏表を見るシーンに和同開珎が出てきて、とてもウケた。

玄宗皇帝の頃に井真成という日本人留学生が36歳で西安で客死すると、それを悼んで墓誌に「彼の骨は異国の土に埋もれたが、その魂は故郷へ帰るだろう」という意味の言葉が刻まれている。

遣唐使の船はたとえ立派な大船であってもいろんな理由で沈み、唐土へ向かわず海竜王の宮へ落ちて行くことが多かった。
難破してどこかの浜に打ち上げられても略奪と殺害が待ち受けていたりと、散々な目に遭う。
あの鑑真さんも大変な艱苦を経て、失明してまで日本へ来てくれたのだ。
船がちゃんと唐につき、目的を果たして再び国へ帰る、というのは殆ど奇跡みたいな確率だったろう。
(それでも吉備真備は二度も入唐したのだから凄すぎる)

しかしこうして望郷の念を抱きながら客死する人々も多かったのだ。
初回から最終回までの遣唐使の大使や副使などを書いた一覧を見ると、この国家的プロジェクトがいかに大変だったかがよくわかる。

平安時代に遣唐使は中止されたが(菅原道真が提言した)、その幻の遣唐使は20次だったそうだ。唐内の政治的混乱が原因ということだが、唐に行っても得るものはない、と見極めた彼に「渡唐天神」伝承があるのは面白い。
ちなみにそのときの副使は紀長谷雄。長谷雄草紙のあのお方ですな。
話はまたそれるが、あの説話では鬼が死人から佳きところ48ケ所を集めて天下随一の美女を拵えるのだが、そのあたりが中国的だと思いもする。

19次は副使・小野篁は行かず(昼は朝廷に仕え、夜は冥土の役人までしてたのだから、行く時間なんかありゃしないさ)、18次では最澄と空海が行ったのだから華はここまでか。
個人的に震え上がったのは16次の副使・小野石根「水没」の字を見たとき。イワネという名で遣唐使で、とくれば南條範夫「燈台鬼」ではないか?。わたしはご幼少の砌、その話を聞かされて長らく怯え続けていたのだ。今も怖い。
やっぱり遣唐使として(国の代表やん)出かけても何があるかわからんのよ。

身分保障はどうなっているか、相手国の人を苦しめてもええのか、というツッコミを入れたくなるのが、この展覧会の目玉の一つボストン美術館所蔵「吉備真備入唐絵巻」です。
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・・・なかなかこういう筋の絵巻はないね。碁で相手の石を飲み込んだんで下剤まで飲まされるとか、いろいろいろいろ・・・そうそうビロウなシーンはございませんでしたが(見せてへんだけかもしれんが)まぁ笑えたょ。
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♪探し物は何ですか みつけにくいものですか ▲の中へ▲の中へ・・・♪(井上陽水が怒るわ)
しかし平安時代はビロウな絵が多いな。餓鬼草紙にもなにやら・・・

高山寺から「春日神・住吉神」の2ショット絵が来ているが、これは明恵上人が例によって「見た夢」かと思ったら出現しはったらしい。
夢でみるは、現でみるはで、多忙・多望な上人さんですなぁ。

その隣には一見したところ役行者かと思ったくらい怖い顔の住吉神座像がある。何故か鶴岡八幡宮蔵。
住吉さんは航海の神様だから遣唐使の人々も航海の無事を祈りに行ったのだ。
大阪の住吉神社は日本中の住吉宮の元締めだが、地元では「すみよっさん」と親しまれている。
秋には大阪市立美術館でずばり「住吉さん」展が予定。10/9?11/28。
天王寺からは可愛い路面電車の阪堺電気軌道が住吉さんまで運んでくれる。

出光美術館からは綺麗な三彩の枕や盤などが来ている。
出光で見るときも綺麗で可愛くて嬉しくなるが、この大遣唐使展で見ると、またそこに長い歴史というものも感じる。やっぱりいいものを持っているなぁと改めて実感。

ところでその三彩の破片を集めたものが奈良文化財研究所
から来ているが、これらは元は奈良の大安寺出土品。先日見たばかりの「大唐皇帝陵」にも多くの大安寺出土品が出ていた。あのお寺は唐やベトナムやインドからの留学生を受け入れていて、彼らの生活用品の名残なのだった。
ここにある枕は無論のこと陶器製だが、「枕が替わると寝られへん」というヒトビトは古今東西にいたのだ。だから枕は自分のお気に入りのものをどこにでも持ってゆく。
現代ではエンゼルスの松井秀喜選手がその代表、中世欧州ではサドがそうだったらしい。
とても合理的だと思う。

第二部 国際都市長安と唐代宮廷文化
ここでは先に見た「大唐皇帝陵」とリンクするものが多かった。

仕女図 節愍太子墓  ここで見ることが出来たのが嬉しい。
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花柄のヒレを巻く女、花柄ブラウスの女、男装の女。髪型はまだ初唐のそれ。眉も濃くて太い。
玄宗皇帝のいとこで、武韋の禍に巻き込まれて処刑された悲運の皇族。玄宗は彼を悼んで立派なお墓を造営したのだ。

さてお墓から現われる宝物を色々と眺めたが、強く引き寄せられたのが「白玉蓮台形基部」かまぼこ型の白玉の頂上には青の石、黄色の石がきらきら。昔の指輪風のきらきら。
大きな石だったな?

西安の宝慶寺から世間に出た如来三尊像が3対お出まししてた。みなどこかインド風で装飾も個性的だった。則天武后の時代には左掌を伏せるスタイルの如来像があった。
それで十一面観音立像があるが、「滅罪」の印を手にしている。小顔で綺麗だが、高橋葉介の描く美少年(または美少女)のような雰囲気がある。

いよいよドキュメント遣唐使である。
(その前触れに遣隋使がある)
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大阪市立美術館で開催された聖徳太子絵傳の展覧会で見たものが出ている。展示換えがあるが、私が見たのは遣隋使の船と鬼が出ているもの。
それで法華議疏があったが、これは書き込みがとても多いと言うことで、どうも岡本宮で法華経を講じたときの聖徳太子のノートではないかという説があるそうな。だから太子直筆では、と言う疑いもある。

船王後墓誌がある。船氏は道昭の実家で、王後は彼の二世代後の人。
そして藤原鎌足・定慧・不比等三人の肖像画がある。以前にこの奈良博で見た藤原氏の展覧会以来。あのときは「御破裂山」、そしてその故事に爆笑してごめんなさい・・・
このあたりの人々は、長岡良子「古代幻想シリーズ 眉月の誓」を必ず思い出すのでした。あのシリーズは本当に名作だ。

白村江の戦い以降の展示があるが、見かけたとき背後の奥さんたちの会話が耳に入った。
「いまどきの学校ではハクソンコウと読ませてるねんて」「えっハクスキノエやん」
私もビックリした。護良親王もモリナガ親王からモリヨシ親王になってもたし、色んなことが変わるなぁ。で、わたしは圧倒的にハクスキノエを支持します。

欧陽通の筆による墓誌拓本を見る。周囲の唐草文様の美麗さもさることながら、欧陽通の文字の確かな流麗さに強く惹かれた。すごい好みの文字。う??ん、ちょっとびっくりした。普段あんまり好ましい文字を見ないので、いっそう惹かれた。

「三人の天才、それぞれの運命」という第10次遣唐使の仲麻呂、真備、玄を中心にした展示コーナーの中で、従者に双子が生まれて「翼」「翔」という名がつけられてるのがなかなか今風でかっこいい。ツバサとカケル。親がどのような思いをこめていたかがよくわかるなぁ。
玄については谷川健一「魔の系譜」で読んだが、確か死後はネズミになって経巻を噛み破り続けたとかなんとか。

やがて大仏造立と遣唐使。東大寺から秘宝が色々現われる。
アメジストの綺麗なもの、伎楽面、西大門扁額。この扁額には天部像が貼り付けられているが、どことなく天神橋筋商店街の看板で、天神祭の出迎え人形が張り付いてあるそれを想起させる。

鑑真和上の渡海を描いた「東征傳絵巻」は日本に行くことを和上が承諾するシーンが広げられていた。
この方こそがまさしく「いのちをかけても伝えたかった」・・・それを体現された方なのでした。鑑真展でも色々胸に迫るものがあったなぁ。
しかしその一方で「使節拝命は名誉か、災難か」という展示にもウケた。

次に第五部 正倉院の時代。
ここでは白鶴美術館所蔵品の鏡や香炉がたくさん出ていて、白鶴で見るときとはまた違う感銘があった。つまり改めて「白鶴は凄い」と言う実感が湧いたわけです。
正倉院宝物と殆ど親戚のような宝物が続々とあるから、やっぱりうなるばかりなり。
それにしても大仏量・・・ちがった、大物量。

この時代はアジアの外交が賑やかだったが、ある拓本などは漢文とチベット文が併記されていた。
京大人文科学研究所所蔵品。・・・北白川の素晴らしい建物が思い浮かぶ。

最後に再びドキュメント遣唐使。最澄と空海の旅です。
だんだん奈良の所蔵品より京都のそれが増えてくる。
高丘親王は天竺を目指したが、このヒトは元々唐に留学していた。
・・・こういうことを書くとすぐ「高丘親王航海記」が読みたくなってくる・・・
そして遣唐使の停止を建言した菅原道真公の遺品が道明寺から来ている。

私も長々と書いてしまったけど、本当にこれは立派な内容だった。
6/20までだが、行けるものならまた行きたいと思う。
本館と新館を繋ぐ地下回廊では例の真備の絵巻の映像コーナーがあり、こちらもよく出来ていた。
今後この規模で「遣唐使」展は出来ないのではないか。
充実の展覧会。

6月の予定と記録

さて六月になりました。
今月はまず6/4から首都圏に潜伏。戻って京都、地元大阪にもまたうろうろと。
今回の東京はあんまり長居できません。来月いつ行くか悩んでる最中。飛行機の都合があるしねえ。

ロトチェンコ+ステパーノワ―ロシア構成主義のまなざし―  東京都庭園美術館
泉屋博古館創立50周年記念 住友コレクションの茶道具 泉屋分館
木造モダニズムVol.3 「札幌聖ミカエル教会」とアントニン・レーモンド展 -日本で発見した木造モダニズム- ギャラリーA4
江戸を開いた天下人 徳川家康の遺愛品 三井記念美術館
茶の湯の美―数寄のかたちと意匠― 畠山記念館
ルーシー・リー展 国立新美術館
赤羽末吉 ちひろ美術館
講談社の絵本 野間記念館
日本の美・発見IV 屏風の世界 ―その変遷と展開―出光美術館
智恵子抄 高村光太郎と智恵子 その愛 智美術館
山本丘人 日本橋高島屋
紅心 小堀宗慶展 目黒区美術館
挿絵本の世界 ?きれい、カワイイ、怖い?町田市立国際版画美術館
城山三郎展―昭和の旅人―神奈川近代文学館
ポンペイ展 世界遺産 古代ローマ文明の奇跡 横浜美術館
ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて 川村記念美術館
「伊藤若冲 アナザーワールド」
「江戸みやげ 所蔵浮世絵名品選」千葉市美術館

続いて京阪神。
京都が生んだ奇才木田安彦「富士百観とふるさとの名山」展 思文閣美術館
中国の小さなやきもの?美は掌中(しょうちゅう)に在り?細見美術館
泉屋博古館創立50周年記念 『住友コレクションの近代洋画』泉屋博古館
にゃんとも猫だらけ えき美術館
「小村雪岱の世界?知られざる天才画家の美意識と感性?」清水三年坂美術館
旧大津公会堂見学
昭和のおもちゃとマンガの世界―北原照久 大コレクション展―」大阪歴史博物館
『レゾナンス 共鳴』  人と響き合うアート サントリーミュージアム
描かれた適塾 阪大博物館
モダニズムの光華「芦屋カメラクラブ」芦屋市立美術博物館
花鳥風月の美 香雪美術館
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