美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

日本建築教会と関西の建築界

大阪歴史博物館で「日本建築教会と関西の建築界」が26日まで開催されていた。
先週見てきたが、終わった今になってこんな記事を出そうとしている。

大大阪の時代というものがあった。
関東大震災で壊滅的な大打撃を受けた首府に換わり、「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪が大躍進した時代である。
その時代を中心に、大阪府下には多くの西洋建築が建てられた。
現代も残るものもあるが、まぁ9割は失われている。
壊された建物の欠片は少しばかり保存され、それはまるで本当の星のカケラのように愛されている。
それらの名残は今見ても、とても魅力的なのだった。

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旧近畿建築会館の外観写真とステンドグラス。
このあたりは他にも多くの素敵な建物があったが、今では本当に少なくなった。

「大大阪の時代」が語られる中で必ず現われる「新大阪ホテル」の外観写真が展示されていた。
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これは現在の新幹線の駅・新大阪とは無関係なホテルで、大阪の政財界が色んな希望を託して建てたホテルだった。
無論いまは遠い昔の夢の話だが。
その新大阪ホテルのコックの一人だったヒトが後年、中之島の公会堂の地下レストランでおいしいオムライスを拵えていた。
高齢のため退かれたが、現在もそのレシピは受け継がれ、綺麗になった公会堂のレストランで提供されている。

やがて戦後、焼け野原の大阪に新しい建物がニョキニョキ這い出てくる。
数年前まであった心斎橋の喫茶プランタン。これは戦後しばらくの写真。
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わたしは前は通っていたが中でくつろがなかった。
ここのフランスパンを買いに入るだけだった。
後悔はいくらでも生まれてくるものだ。

大正11年の箕面桜ヶ丘の住宅博覧会については、その現在の様子を撮った記事もある。
今回、初めて知ったのだが、近鉄あやめ池、阪和上野芝、伊丹緑ヶ丘もまた住宅博覧会が開催された地で、そこから現在のような様相になっていったようだ。

こうした写真や資料を眺めるのは楽しい反面、深いせつなさを覚えるが、今後も出来る限り見て行きたいと思っている。



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静嘉堂文庫の「錦絵の美」後期

静嘉堂文庫の「錦絵の美」後期展を見た。
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国貞・広重の世界と副題にあるとおり、二人の作品が並んでいる。
どちらもとても好きな絵師。
現在では国芳がベストなのだが、子供の頃は広重と国貞がとにかく好きだった。
広重は家に画集があったのと永谷園のおかげでファンになったが、国貞はいつの間にか好きになっていた。
鏡花「国貞ゑがく」の影響もあるかと思う。

前期は行き損ねたが、とらさんの記事で堪能させてもらった。
ところで国貞といえば美人画と役者絵なのだが、今回は美人画がメインだった。
国貞は弟弟子の国芳のような奇想はないが、芝居絵などではたいへんに面白い作品を多く残している。
こと芝居絵に関して言えば、国芳より国貞のほうが魅力的なのだ。

今回の展示で感心したことがある。
静嘉堂は国貞のシリーズ物を実に多く所蔵していて、それも楽しい作品が多い点。
現代では「芸術的価値が低い」と言われる国貞は、しかしその存命中ずっと人気絵師であり続け、それがために多作だった。駄作があるにしても、どこかに見どころのある絵が多く、今回もそこのところを愉しませてもらった。

新版錦絵当世美人合シリーズは色んな年頃・身分の女たちが、それぞれ好みの役者気取りでポーズを取っている。
杜若、梅幸、三升、秀佳、曙山・・・みんな国貞の錦絵で馴染みになった役者たちだ。
それを気取る女たちもそれぞれの役者のニンに合っている。
みんなどことなく蓮葉で粋で、そして婀娜な感じがして、なかなか楽しい。

当時高名会席尽シリーズは美人画とコマ絵に当時高名の料亭を描いたもので、中にはわたしも知るお店もあった。王子の卵焼き屋・扇屋である。
こういうものを見ると「今度行ってみようか」という気になってくる。
現代のわたちがそれだから、当時の人にはリアルな宣伝だったろう。

当世美人流光好 化粧  鏡に顔が映る。背を向ける女。半裸で化粧をする。首を塗るところを見ると素人とは思えない。文化年間の作品らしい。この女の背の細さに見覚えがある。橋口五葉の描く湯上り美人のようだ。
明治の代から百年前は文化年間になる。
五葉が装丁を担当したのは胡蝶本、鏡花本、漱石本・・・
その漱石「夢十夜」の中にこんな台詞があったことを思い出す。
「丁度百年前だったな、お前がおれを殺したのは」
漱石と五葉の生きた明治から百年前の、同じような女の背。

神無月はつ雪のそうか  そうかは惣嫁と書き、夜鷹のこと。寒い夜に二八そばをすすりにストリートガールたちが集まってきたのだ。茣蓙がショウバイ道具だが、寒さ暑さしのぎにもなる。中には裸足の女もいる。この一杯のそばだけがぬくもりになる。

当世三十弐相 ゑらい所のお娘御じゃ相  背中に蝶柄の掛布をしている。これは「お七掛け」とも言われる。エエ氏のお嬢さんということで、着物も飾りも凝ったものを身につけている。口紅は笹紅。
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国貞と広重のコラボ作品がある。
双筆五十三次。風景を広重、人物を国貞。互いの境界線を守りながら描いているのが面白い。全く違う個性なのに、なんとなく馴染んでいるのが楽しい。
しかもこれは宿場の風景とその地の人の姿を描いただけではなく、その地にまつわる故事や芝居のエピソードを図像化したものでもある。
中でも白須賀の児雷也(美男で有名な八世団十郎)がとてもかっこよかった。

広重 六十余州名所図会  榛名山雪中  真っ白な中に赤いお堂がぽつんとある。その強烈なコントラストが忘れられない。しかも絵は決して派手ではないのだ。
こういうのを「叙情性に富む」と言うのだ。
阿波 鳴門の風波  力強さに!!となった。
実際に旅をしたことがなくてもこんなにも描けるのはやっぱり凄い・・・

豊国漫画図会 弁天小僧菊之助  弁天小僧といえば「知らざぁ言って聞かせやしょう」で始まる朗々たる台詞を吐く、女装の不良少年で盗賊。白波五人男の一人。
その弁天小僧が島田を崩しながら、盗人に入った家の小さい箪笥に腰掛けて、刀をざっくり畳に刺し貫いて手元に置きつつ、酒を飲もうとしている。
退廃の極みのような凄艶な一枚。以前から好きな作品だが、この絵に人気があったことがよくわかる。倒錯の美を体現している。
見ていて本当にときめいた。
絵で見る分にはやはり弁天がいい。女装をしつつ背中の刺青がのぞくところがたまらない。
芝居では同じ黙阿弥の女装の美少年なら、わたしは「お嬢吉三」がいいが、絵だとやっぱり弁天小僧が最高だと思う。
この絵については面白いエピソードがあるが、それは割愛する。
画像は国立国会図書館にもあるのでそちらへ
そういえば横溝正史の名作「蔵の中」にも、この錦絵が重要なアイテムとして現われるのだった。

美人画にあわせて、清朝のやきもので美人が描かれているものをあわせて展示している。
8/8まで。幕末の浮世絵が好きな人には本当におススメの展覧会。

奈良の古寺と仏像 ?會津八一のうたにのせて?

三井記念美術館の「奈良の古寺と仏像 ?會津八一のうたにのせて?」の評判がいい。
皆さんは奈良の仏像に惹かれておいでになったようで、わたしのように會津八一とコラボ、と喜んだものは少なかったのかもしれない。
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実際のところ「會津八一のうたにのせて」というわけではなかったと思う。
「奈良の古寺と仏像」はそれだけで独立し、秋艸道人の短歌と密接に絡み合うような展示ではなかった。
わたしとしてはそれがちょっと残念だった。
三井に行く前に、川村記念美術館でコーネルと高橋睦郎の素敵な空間を愉しみすぎたことが仇になったのかもしれない。

地下鉄から上がると、飛鳥園の仏像写真のパネル展示が開いていた。
黒光りしたような佛たちの姿がそこかしこにある。
秋艸道人の姿もある。
わたしは釈迢空の短歌も好きだが、秋艸道人のかな書きのうたにも深い感銘を受けた。
秋艸道人の短歌を思いながら飛鳥園の写真の間を逍遥すると、ここが東京・日本橋だということを忘れてしまいそうになる。
いつのときでも、想いだけは自在に好きな時・場所へ行くものだ。
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美術館へ入る。
飛鳥?白鳳?天平時代の仏像はまだ惹かれるものが多い。
古様を残す金銅仏を眺める。
なんとなく見知った仏がある。
好きだから覚えているのか、知らぬ間に見覚えているのか、定かではない。
衣のドレープの美しさに惹かれる。

実物を見るのが初めての仏もある。
唐招提寺の「押出吉祥天立像」がそう。やや横向きのたいへん綺麗な像。
また法隆寺の「押出阿弥陀三尊および僧形像」の勢至菩薩の美貌には強く撃たれた。
たいへん静かな美貌である。間近で見ることが出来たのは、やはり「展覧会」のおかげだと思う。

おほてら の かべ の ふるゑ に うすれたる
              ほとけ の まなこ われ を み まもる

便利堂ほまれのコロタイプ印刷「法隆寺金堂壁画」が飾られている。
先年奈良博で見た「法隆寺金堂展」を想う。
上記の歌は秋艸道人がその壁画を見た折に詠んだもの。

東大寺の四天王が来ていた。鎌倉時代の力強い作品群。足下に踏まれる邪鬼たちが実は目当てでもある。可愛い。本当に可愛い。これからもがんばってくれ。
そういえば星野之宣「ヤマタイカ」で描かれた東大寺の四天王像は、巧いと思ったが、邪鬼たちまでは思い出せない。

びっくりした、と言っては語弊があるかもしれないが、正直に言うとやっぱりビックリしたホトケがある。
五劫思惟阿弥陀如来坐像  ・・・巨大なアフロヘア。はみだしてる。・・・すごい。
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長い間(なにしろ五劫!!)じーっと考え事をしている(思惟)から、こんなアタマにならはったらしい。
のりつけ雅春「さすらいアフロ」主人公・田中広を思い出した。
上京アフロ田中 8 (ビッグコミックス)上京アフロ田中 8 (ビッグコミックス)
(2009/09/30)
のりつけ 雅春



仏教工芸品が集まる中で、室生寺の華鬘の美麗さが目に残った。綺麗な色が残っている。向かい合う鳥と華。室生寺は石楠花が有名だが、ここにも長く行っていない。
行っても塔を眺め花を愛でるだけだから、やはりこの機会にこうした美麗なものを見ることが出来て、よかったのだと思う。

早稲田の會津八一記念館には時々出かけるが、新潟の記念館にはまだ行ってない。いつか行きたいと思いながら歌碑拓本などを見る。
秋艸道人の文字はなかなか味わい深く、わたしには好ましい。

橘寺の日羅像を初めて見た。tou277-1.jpg
見てちょっと胸を衝かれた。
山岸凉子「日出処の天子」に現れる日羅そのままの顔立ちだったからだ。
むろん作画するに当たって、この橘寺の日羅像を参考にしたろうが、本当にそっくりだった。物語の中での日羅を思い出し、しばらくその前から離れることが出来なくなった。

法隆寺の多聞天はダルビッシュ投手に似ていると思った。言えば胡人風な容貌だからか。
彼同様魅力的だった。

元興寺の聖徳太子像があった。孝養像。なかなか可愛い。鎌倉時代の作。死後650年ほどのちの作。

仏像に見るべきものは多かったが、秋艸道人のうたはやはり記念館か書物からか、または奈良の野で歌碑を探すかした方がよいようだった。
また、特別な信仰心と言うものはあんまりないが、わたしにとって仏像はやはり「美の対象」ではなく、「祈るべき・すがるべき対象」なのだと改めて思った。
これは先祖代々関西に住むものの特性なのかもしれないが。
(そのわりにはふざけたことを書いているが)
それでもこうして「眺める喜び」を得られたのは幸いだと思う。


根津美術館「いのりのかたち」

新しい根津美術館に初めて出かけた。「新創」記念特別展第七部という状況である。
「いのりのかたち 八十一尊曼陀羅と仏教美術の名品」
日本・中国・朝鮮の仏教美術の優品を見る。
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近年やっと仏教美術を楽しめるようになってきた。
関西に住まうため身近に寺社があり、日常も仏事に縛られることが多かったので、どうも「美術品」として眺めることが出来ないでいたのだ。
それから思えばこうして楽しめるようになったのは、大きな変化かもしれない。

釈迦多宝二佛並坐像  最近この二佛並坐像をよく見るようになった。右手を挙げているのが釈迦だとある。法華経に説かれる情景。なんとはなしにポンペイの壁画のようにも見える。
仲良きことは美しき哉、というのでもなさそうだが。

隋の頃の七連仏坐像がなかなか面白かった。
クリスマスのオーナメントのように見える。
・・・口から出るナムアミダブツをメザシやと思うわたしですから。

観心寺観音菩薩像光背  河内の観心寺にはいつか出向きたいと思うが、明治の頃の廃仏毀釈で流出したか、こんなものがここにある。
しかしどこへ消えたかわからなくなるより、こうして展示されるくらいの方がまだいい。

仏画で好ましいのを集める。
普賢十羅刹女像  平安時代の一枚。これはなかなか美人揃いで、以前から気に入っていた。普賢を乗せる白象の鼻先に二人の童子がいるのもいい感じ。
阿弥陀三尊来迎図  鎌倉時代。脇侍がどちらもたいへんな美貌で見ていて楽しい。
阿弥陀如来像  これはきっちり制作年とその理由が知れている画像。朝鮮の高麗時代1306年に王の解放を願って描かれた仏画。
真正面向きの大きな阿弥陀様のどっしりさに思いが込められている。
配色も日本のそれと違うところが興味深い。だいぶ変色したとは思うが、鮮やかな緑色と緋色の衣の取り合わせに民族の嗜好を感じるのだ。
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三井寺展でなるほどと思ったのだが、仏のお姿を世に顕すには三次元の彫刻ではなく二次元の画像が尤もふさわしいそうだ。
だから仏像より仏画の方が尊ばれ、表に出ないことも多かったのか。

鎌倉時代の五大尊像を見る。不動明王だけ欠落しているが、あとの明王は達者である。元気で躍動感のある絵。
コワモテだが案外かわいい感じもある。

次の部屋へ行くと、長いものがあった。
善財童子の旅、鎌倉時代の絵因果経、十二因縁絵巻。
この十二因縁絵巻が面白かった。
言うてみればRPGのようなもので、出てくる鬼キャラがみんな可愛い。
主人公は次々と相手を降参させてゆくが、彼より「ぶちメカ」のような鬼たちが可愛いし、ときどき現れる美人系も面白い。
チラシには終わりのシーンが出ていた。
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思えばこう言うのはモモタロウ同様、鬼側からすれば不条理な話である。
鬼の親玉が負けるのを、子分どもや動物たちが見守る図。
(でも実際は人生における苦悩の要因を十二種類集めてそれを克服する、という図らしい)

青銅器の部屋があった。
ここではわたし好みの表記「殷」で統一されている。
展示の配置が最高によかった!
饕餮くんたちがゾロゾロおるのです。
しかも真ん中にスポット展示という感じで、上蓋に人面ついてます的な饕餮くんが三体ばかりいるのが最高!可愛いなぁ♪
双羊尊は初見。美術館でもらった観覧券はその双羊尊をモティーフにしたもの。
絵だけで見たらアンデス原産アンデス在住ぽいが、実物はやっぱり殷な青銅器。
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廊下に乾隆帝が大喜びしそうな宝飾時計があった。本当にきらきら。
ところでここの二階の柔らかなシールド?わたしのようなウカツな者にはちょっと危険かもしれなかった。

魅惑の大皿を楽しむ。
明代の呉須、青磁などが並ぶのを見るのは壮観だった。
日本のものでは鍋島が好きなので、それらを喜んで眺めた。
磁器の美しさと言うものは、他に替え難いものだ。
描かれた美しい絵柄をみつめながら、物思いに耽った。

最後の展示は茶道具だった。
「夕さりの茶」とは素敵なタイトルを選んだものだと思った。

大阪の逸翁美術館では毎回逸翁の残した茶会記を再現する展示が、随分前から続いている。
何年の何月に誰とどんな風に楽しんだかを細かに記した逸翁のおかげで、根津嘉一郎が雅俗山荘で機嫌よく茶の湯を楽しんだことを、知っている。
同じお茶仲間には畠山即翁、五島慶太らがいて、彼らの残した蒐集品をそれぞれの美術館で、見せてもらってきた。
そういう前触れがあるからか、一つ一つの作品を愛でるというより、ガラス越しにではあるが、「夕さりの」茶会を鑑賞する―――そんなココロモチでそれぞれを楽しんだ。

さすがにいい美術館だった。
行かれた皆さんが根津ネヅNEZUといわれるのも当然だ。
(なんでローマ字表記がNEZUなのかは知らないが)
「いのりのかたち」は8/8まで。

江戸絵画への視線

山種美術館の「江戸絵画への視線」は面白い展覧会だった。岩佐又兵衛の「官女観菊図」の重文指定記念と言うことで、山種所蔵の江戸時代の絵画を集めて展示している。

宗達と光悦のコラボ作品が出迎えてくれる。
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例の鹿がずらずら並ぶ新古今集鹿下絵和歌巻断簡のうち、ここにあるのはつつましく一人立ちする鹿。
ほかに四季草花下絵和歌短冊帖があったが、丸い菊が良かった。団菊というやつ。この時代はまだ団菊祭もなかったな、とつまらないことを思う。
銀が酸化して黒くなっているのが感じよく見えるのは、和の感性なのかもしれない。

宗達 槇楓図  ☆がいっぱい出ている。☆★☆。足下のリンドウ、見上げる楓。可愛い青☆はリンドウ。赤い★は楓。

抱一や其一の作品はこれまでにもここで見てきているが、其一の四季花鳥図が目の端に入った途端、逃げ出してしまった。トリファミリーがシアワセそうにそこにいたからだ。和やかだけどニガテな絵。

17世紀初頭の源平合戦図、輪踊り図などもあった。
源平合戦図は左右ともに合戦の名シーンが描き込まれていて、「あっあれあれ」とみつけるのも楽しかった。
福原でか、小さい帝が見えた。安徳天皇。
義経八艘飛びはあったが、入水シーンはなくてちょっとホッとした。
輪踊りではほっかむりの鼓持ち、大傘持ちがいた。まだ中世のしっぽがつながっていた時代。

さて又兵衛の官女観菊図は元は金谷屏風の一枚ということだったが、ほかの絵はここにはない。
薄墨色の美しさを感じる。狂乱の極彩色とでもいうべき絵巻群も良いが、薄墨色の作品には深い静けさがある。しかしその静かな世界にさえも又兵衛の深意が含まれているかのように見える。打掛の絵柄の優雅さにも眼がむいた。
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狩野常信の二枚の作品が楽しかった。
唐の皇帝が楽しんだという、仕女たちによる花いくさを描いた「明皇花陣図」、そして唐子と一緒の「七福神図」があった。七福神それぞれが唐子らと楽しそうに描かれているのだが、コワモテの毘沙門天がいなかった。
戯れ歌に「七福神のその内で弁天一人がなぜモテた?」というのがあって、毘沙門天がフクレるのだが、今回も・・・(笑)。

珍しいのが山本梅逸、岡田半江、中村竹渓ら。名古屋から関西では見ても、他の地で見れるとは思いもしなかった。山種に所蔵されているというのがフシギな感じがした。 

芦雪の唐子遊び図を見た。フルカラーの絵。子供らは好き勝手に楽しく遊んでいる。
しかしなんとなくおとなしい。やっていることはけっこうめちゃくちゃなのだが、音がしない絵なのである。芦雪のほかの子供らの絵は画面からはみ出してきそうな勢いがあるが、ここにはそれがなく、静かに納まっている。
ちょっと私には物足りなかった。

近代絵画も2室に展示されていた。
是真の漆絵がある。鮎の川跳び、コイの斉唱、カラスたち、丸々した雀たちといった作品。晩年になっても元気で面白い作品が多くて、見てるこちらも楽しくなる。

御舟「名樹散椿」と平八郎「芥子」があるのも嬉しかった。
9/5まで展示は続く。作品解説にも面白いエピソードが書かれ、それを読むのも楽しい。
「江戸絵画への視線」がこうして開かれてゆくのを感じた。

カポディモンテ美術館展

西洋美術館の「カポディモンテ美術館」展に行った。
16世紀前半にファルネーゼ家から教皇が出て、それで熱心な蒐集が始まったそうだ。
その当時のリアルタイムな作品が、500年後の日本でコンニチハ。
イタリアの(ナポリの)ルネサンスからバロック美術がメインである。
キリスト教のアラマシを知っていることを前提にされる作品群である。
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巨きなチラシとなったパルミジャニーノ「貴婦人の肖像(アンテア)」を見る。
豪奢な衣裳・装飾をまとう美貌の婦人がそこに立っている。
コルティジャーナ・オネスタもしくは花嫁というのが、彼女の「素性」らしいが、500年後の今となっては、そのどちらであってもいい。
聡明そうな目つきの美貌の婦人がこちらをみつめる。
その姿を現代の我々が眺める。彼女はこちらをみつめ返すことはしない。
豪奢な装いが記憶に刻まれる。

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ティツィアーノ マグダラのマリア  改悛の涙を流す彼女が描かれているが、他に職業がなかったのに、それを責められて荒野で長いこと反省する、というのがわたしなどにはよくわからないところだ。
しかしそんなことを思わせるための絵ではなく、美しい女を描くための方便としての作品だろうから(勝手なことを)、素直に見れはいいのだった。

コレッジョ 聖アントニウス  16世紀初頭の絵なのだが、バーン=ジョーンズの作品を彷彿とさせる。
茫然とした老人の顔がそんな風に見える。

ベルナルディーノ・ルイーニ 聖母子  背後の闇の中に百合が咲く。

ガローファロ 聖セバスティアヌス  既に聖人の印たる光の輪が頭の周囲にある。
緑のマントが身体を覆いつつも、肌の白さが目に残る。
口を開けているが、苦しさはもう消えている。

ジョルジョ・ヴァザーリ キリストの復活  生き返ったのは三日後と言うことだが、こんな元気そうなキリストなぞ見たこともなかった。
Vサインして走ってるのだ。階段をかけ降りている。手に旗まで持って。
「まいど?生き返りました?よろしくっ」
そんな声が聞こえてくるような。
そしてその勢いに負けてひっくり返っている兵士たち。

エル・グレコ 燃え木でロウソクを灯す少年  なかなか可愛い少年がフーッとしているのが可愛い。

アンニーバレ・カラッチの作品が三枚ある。いずれも物語性の高い、またケレン味のある作品。
元ネタの解説を読んでフムフムと言いながら絵をもう一度見る。やはりこうした作品は解説がないとわかりにくいのだろう。読んでいろいろ納得。

グイド・レーニ アタランテとヒッポメネス  劇的な情景。ヴィーナスからもらった三つのリンゴを背後に投げることで早き女の足を止める。肌の青白さ、腕の形、表情。
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三つのリンゴの力は日本神話にもある呪的逃走のそれを思わせる。

ウルビーノの窯  飲み物を入れる大きなタライ。マヨルカ。ネレイス。トリトンなどの図像があるが、なかなか色っぽい。飲み物を取り出すと絵柄がのぞくから、見る人はニヤニヤと笑えたろう。

トスカーナ大公の工房で作られた小箱がある。黒檀に化粧張り、貴石のレリーフ(様々な果実を模している)・・・派手な明るい小箱だった。

カラッチョロ ヴィーナスとアドニス  姉と弟のような。キューピットはハトだか犬だかを追っかけてる。
なんとなく親和ムードのただよう作品。

ジェンティレスキ ユディットとホロフェルネス  力みなぎる作品。やったぜ!という感じ。絵を見てから解説文を読んで、「あ・・・」。最近はこういうことも表に出すようになったのか。
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ストーメル 羊飼いの礼拝  書きにくいが正直な感想を書こう。小汚いバーサンやオヤジたちの中にあって光に包まれる赤ん坊ひとり。私生児を生んだ女と、その母子を養う予定の、影の薄いジーサン・・・
そんな風な人々。まるでルイス・ブニュエルの映画のワンシーンのようだった。

聖アガタを描いた作品が二枚ばかりあった。画家も描いた時代も違うから比べることは無意味だが、グアリーノのアガタは切り取られた胸を押さえながらも昂然と顔を上げ、挑むようなまなざしをこちらに向けている。

アントニオ・デ・ベリス アベルの死  左端のアベル、萌える?!そして赤茶けた野を手さぐりで歩もうとするカイン。こんな作品を目の当たりにすると、当時の鑑賞者も萌えてたかもしれない。

少年を救う聖ニクラウスの絵が二枚ある。こちらも聖アガタのときと似たようなことを前提にするが、二枚が二枚とも少年を救うというより、大勢の少年を侍らせているように見えて仕方なかった。
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ジョルダーノ 眠るヴィーナス、キューピッドとサテュロス  昔のグラビアアイドルのようなポーズに、カーテンからのぞく男・・・ 

ここはナポリにある美術館だそうだが、わたしはナポリには行ったけれど町中を歩くことは出来なかった。
ガイドさんに治安が良くないので出ないでくださいと言われて、火山を港から遠望しただけ。
町中をバスバス走るというだけでナポリよサラバだったな。
しかしこんな素敵な作品群を見ると、やっぱりナポリをハイカイしたいと思った。
「ナポリを見て死ね」ともいうけど、なかなかムツカシイかもしれない。
展覧会は9/26まで。その後京都文化博物館に来て10/9?12/5まで展示される。

ブリューゲル版画の世界

「ブリューゲル 版画の世界」初日の夜に出かけた。
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作品が面白いのもあるが、色んな工夫のある展覧会で、それがまたとても楽しかった。
ブリューゲルの描いた変な怪生物が場内アチコチを跋扈している。
出口そばにはそやつらのスタンプまである。
わたしが特に気に入ったのは二足歩行するサカナ。
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これを見ると諸星大二郎「栞と紙魚子」シリーズで古書マニア紙魚子の偏愛の書ル・コントス作「直立魚類」がここからキタのかと思ったり。

スケールの大きい虚構を見た、と言う感じがする。
描かれたものすべてに何らかの意がこめられているのだが、その意図も意味も意義も、実際のところ説明を受けなければ全くわからない。
しかしわからなくとも、その画面からあふれ出すタダナラヌ様相には眼が向くのだ。
寓意を読み取れずに楽しむのは、半分以下の愉楽しか与えられないものだということだが、それでも面白く思えるのが、ブリューゲルのエラサだと思った。

1555?6年のシリーズものは雄大な景観にキリスト教のエピソードを小さくつけていったもので、どこに改悛のマリアがいるやら、どこで聖ヒエロニムスとライオンが隠れているやら、イカロスの墜落現場の下方ではヒトビトの生の営みが繰り広げられているやらで、そこのところが妙に面白かった。

七つの罪源シリーズも細かに描き込まれ、イチイチ見ているとクラクラしてくる。
これらはフリーカードになり、アチコチでお客を待ち伏せている。
わたしは「邪淫」をゲットしたが、わたし的には「激怒」と「大食」を自分のキョークンにすべきやな、と思っている。
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一方「徳目」シリーズもあるが、やっぱりちょっと退屈だった。
天国より地獄が面白いのはいずこもおなじことか。
しかし「正義」がただの拷問シーンなのには笑った。
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ベルギーあたりのコトワザは実に多種多様で面白そうだが、覚えることはちょっと難しそうだった。
とはいえ、説明はなくとも「ああ、なるほど」と納得するものもいくつかあった。
人間の心理なんか、宗教・民俗・人種の違いはあっても、大差ないらしい。

今回初めて知ったことがある。
ネーデルラントやベルギーの中世の婦人たちが、頑なに髪を隠す被り物をしている理由。
そして花嫁になるその当日だけ髪を垂らせること。
色んな文化があるものだ。

眺めるうちに、三浦建太郎「ベルセルク」で世界が変わってしまったとき現われた「幻造世界」の見開きシーンがやはりブリューゲルを参考にしていることを思った。
諸星も三浦も絵のタイプは全く違うのに、ちょっとした共通点をみつけたようで、わたしは面白かった。

展覧会は8/29まで。京都のえき美術館にも秋に巡回がある予定。

「能の雅 狂言の妙」後期をみる

7/25まで開催のサントリー美術館「能の雅 狂言の妙」のうのエレガント きょうげんのエスプリ展の後期を見てきた。

能装束や能面も大幅に入れ替わっていたが、見たかったものが幾つか出ていて嬉しかった。

微笑みすぎる萬媚はとても楽しそうだし、銀杏の前髪を持たぬ大喝食は笑窪はあっても剛毅な感じがする。
表情の強い面が出ていた。
茗荷悪尉などは目の形が茗荷に似てるからだと言うのには笑った。確かにそんな目をしている。

衣裳でも好きなものが来ていた。
紅地雪持椿模様唐織  これは細見美術館での巡回でも見ている。
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狂言面では武悪があったのが嬉しい。かなり不気味な顔つきである。ユーモラスなところはない。これで働かないヤカラなのだから、主人も殺意を抱くのは仕方ないのかもしれない・・・(いや、それはちょっと)

「百万」絵巻と絵本が見たかった。
前期でわたしが見たのは前半部分だった。この日はラストに近いシーンを見た。
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烏帽子をかぶり、笹を手にする物狂いの女というスタイル。
「わが子恋しや」と文にもある。
やがて生き別れたわが子との再会。
着物もきちんと着て装束を調え、わが子とともに嵯峨大念仏狂言へと向かう。
絵本も絵巻もともに念仏狂言の楽の人々を描いているが、絵巻では更に、そのうちの若い楽人が子供と面識があるような雰囲気を漂わせている。
まるで「家なき子」のような感じがする。

これが見たかったので本当によかった。
次の展覧会は鍋島焼。いつもサントリーは素敵な展覧会を企画してくれるいいところだ。


誕生!中国文明

「誕生!中国文明」 大いに楽しむ。
数ある古代文明の中でも特に中国文明に深いアコガレがある。
それも特に青銅器が大好きだ。
これは諸星大二郎の諸作品を読んで育ったせいだと思う。
「孔子暗黒伝」で知った饕餮に惹かれたのは初読の頃からだから、随分長いファン歴だ。
'89年秋、初めて東博に来たとき、東洋館で諸星の描いた文物の実物を目の当たりにし、
「・・・これがそうか」と思った。
憧れていたものの実物と対峙する。
そのときの心持はちょっと表現しにくい。
また併行して陳舜臣の著作も読みふけっていたので、古代中国そのものに親しみがあった。
ミュージアムをハイカイするようになっていよいよ愛情が深まるばかりになったが、その始まりはこの東博からなのだ。
ありがとう、東博。
とても楽しみにしていた展覧会へ、わたしは入ってゆく。
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展覧会には三つの柱があった。
第1部 王朝の誕生
第2部 技の誕生
第3部 美の誕生
タイトルを見るだけで心が湧き立つようだ。

1 幻の初期王朝 夏(前2000年頃?前1600年頃)
わたしが憧れ始めた頃は、まだ夏王朝の存在が半分は証明されていなかった。

動物紋飾板  今回のスターである。チラシにも美麗な緑色が光っていた。
チラシを最初に見たとき「・・・巨神兵?」と思うような風貌だったが、実物は小さく愛らしかった。
前17?前16世紀に生まれたそうだ。
伝説によると夏王朝の滅亡は前16世紀だから末期の文物なのかもしれない。

爵や鈴、玉刀などがある。何千年も昔でもこうした高度な技術が生きていることを改めて思い知る。
他に白と黒の対の「カ」と呼ばれる焼き物がある。字は禾の下に皿。三本足の器。
これはとても魅力的な焼き物だが、その頃から「白と黒の対」が活きていたことを面白く思う。
二元論がどうのということでなくとも、その対比を当時の人々も好んでいたのか。

関係ないがインドのタージ・マハルも今の白だけでなく王様用の黒も建造予定があったと言うが、あれはあれだけで強い魅力があるから、やはりなくてよかったとも思う。

2 王朝の確立 商・周(前16?前8世紀)
近年は「商」と呼ばれるようになった殷代。
「殷」という呼称も次代の周が決めていたものだから、やはり「商」が正しいのかもしれないが、わたし個人は「殷」がとても好きだ。
殷の滅亡を描いた物語は実に多い。
わたしが最初に読んだのは小学五年のとき、わたなべまさこの「白狐あやかしの伝説」での妲己の物語だった。
そこらのことは東博2007年の特別展「中国 悠久の美」展感想にも色々書いている。

関西には中国の青銅器がたくさんあって、奈良博、泉屋博古館などは常設室があり、白鶴美術館も豊かなコレクションを見せてくれる。
東京ではこの東博と根津美術館がすばらしい。
常設でもこれだけ楽しいのに、特別展として河南省の名品がドッと空を飛んできたのだから(海からかな?)本当に嬉しくて仕方なかった。
饕餮くーん饕餮くーん、とつぶやきながら場内を歩くブキミな女、それがわたしだ。

戈  カ。刃物。「海のトリトン」の持つオリハルコン製の短剣に似ている。
歯の部分が玉製のものもあった。そちらは柄が青銅。

西周に入り、また様相が変わってくる。
ジコウ  可愛い。悪魔っぽい。背に蓋がある。可愛い。
トラの尻尾の刀も可愛い。
古代中国はちょっとした動物園でもある。

綺麗な玉璧を見た。これを見ると「完璧」の故事を思い出すが、その話を知ったのはコメディマンガ「伊賀野カバ丸」からだった。
こうしてみると、本当にマンガから色んなことを教わってきたなぁ。

カク国という国があった。始皇帝が出るまで中国は大小色々な国家があった。
そのうちの一つカク(字は出力しそうにない)の太守夫人の墓から出土したものが集まっている。
玉覆面  色んなカタチの玉が集まって顔を構成するパーツになっている。隙間は一体何で埋められていたのか。布か、それとも。

3 競い合う国々 春秋・戦国(前8?前3世紀)
このあたりの時代も実に面白いエピソードが多くて、とても好きだ。
もう饕餮くんはいなくなるが。

編鐘があった。ちゃんとセットで並んでいる。ここでは音色を聴くことは出来ない。
京都の泉屋博古館ではその音色を聴くことができる。
それを思いながら眺める。展示ケースの向こうは黒い装いに見えた。
闇からの声が届くような気がする。

六戈戟  トーテムポール風な飾りが可愛い。
虎形鼓座  木製のトラで渦巻き柄モンな奴。<気>がみなぎる様子。

しかしここで凄い展示を見た。
ブツそのものが凄いというより、展示そのものが素晴らしかったのだ。
九鼎、九鬲といった容器たちがズラズラズラーッと一斉に並んでいるのだ。
この風景は素晴らしかった。
これは実際に見てみないとわからないトキメキに満ち満ちている。
はろるどさんの記事に素敵すぎるお写真があるのでご紹介する。
本当に凄いので、ぜひぜひこのコーナーを大いに楽しんでほしいと思う。
何周くらいぐるぐる回ったかな?自分が映り込むのがまた楽しくてね♪
知らないヒトの影を追うのも面白かった。

4 大帝国の形成 前漢(前3?後1世紀)
「項羽と劉邦」の物語がまたまた大好きで、展示を見ると好きな小説の一節やマンガの1シーンが思い浮かぶ。(横山光輝のそれですね)
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金縷玉衣があった。170cmくらいなのか。永城市芒とう山僖山1号墓出土ということだが、以前見たそれは同時代だが、河北省 定州市 八角廊村 40号墓からの出土品。
やっぱりこれは「孔子暗黒伝」を絶対に思い出す。ユラ?と起き上がる金縷玉衣の恐怖。
副葬品の葬玉シリーズがなかなか面白い。耳栓・鼻栓に蝉型の含玉・・・まではわかるが、玉豚がよくわからない。ちょっとナゾのブーブー。

馬車の部品色々、功賞品の金モノなどなど。
そういえば項羽は出し惜しみしたのでいよいよ人望が無くなったのだった。
ケチであることが敗北の原因の一つだと言うのも面白い。


第2部 技の誕生
1 暮らし
戦国?北宋まで1600年くらいの時代の中で生まれた文物が来ている。
その中でも七層楼閣が素晴らしい。
後漢の時代にはこうした明器がよく作られたようで他にも見ているが、それにしても高い。
入り口の前には犬かなんかがいる。働くヒトもいる。CGで構築の再現が見れるのも楽しい。空中通路があるのもいい。
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明器はあの世のドールハウスグッズだから、見ていて可愛いものが多すぎる。
炉  5匹のセミを焙ってる。(食べるのか!?)
池  ガァガァな家禽たち。
動物の解体  これは初めて見た。フィギュアと言うシロモノですな。下で犬が肉かぶるのが印象的。海洋堂とコラボしてほしい。

先般みたばかりのマーブル柄の陶製枕や白地枕をみる。
マーブル柄のは大安寺によく残ってたと「大遣唐使展」などで知ったが、白地のは送子観音をモティーフにした絵柄のもので、まぁめでたい系というかお願い系と言うか・・・

2 飲食の器
シュミに走って好きなものだけを挙げる。
漢代のガラス杯がたいへんに綺麗だった。青色ガラス。これは本当に綺麗。
唐代の金製五花形杯はポピー風な花形で、ガレあたりが作りそう。
北宋のどうやら汝窯のものらしき、青磁套盒が静謐な美に満ちていた。
同時代に鈞窯で生まれた澱青釉碗は思わず嬉しい声を挙げてしまうほど、綺麗だった。

3 アクセサリー
玉か金のアクセサリーなわけですね。
玉羊が小ちゃくて可愛い?。虎型の笄飾りなんて、阪神タイガース公式グッズで販売できそう。可愛いものが多かった。

第3部 美の誕生
1 神仙の世界
西周時代の神面が三枚。厭な感じの横顔、正面向き、エノケン似の顔など。
博山蓋鼎や羽人なんぞは去年の「道教の美術展」を思い出す。
画像石もあって嫦娥や仙人のモティーフが刻まれていた。
鎮墓獣はえらそー。

2 仏の世界
10世紀の獅子がなんだか親しみがある。前田青邨が描きそうな顔立ちだからか。
三彩舎利容器がカラフルで綺麗。力士と獅子つきというセキュリティOKなタテモノ形。
北宋の頃の天王や力士立像が可愛いのだ。力強いのに愛嬌ある。ムンッという感じ。

それで開封市から出土した准胝観音坐像磚、文殊菩薩坐像磚、地蔵菩薩坐像磚、不動明王坐像磚・・・みんな北宋のものだと思うと、水滸伝を思い出すのだった。

3 人と動物
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やっぱり可愛いのは漢代のわんこ、唐代の楽舞俑など。
漢代前半の闘犬像はフィギュアぽいが、この時代に闘犬賭博が盛んだったことを示してもいる。

4書画の源流
何が気に入ったと言っても、南北朝時代の画像磚。フルカラー。1500年ほど前のものがよくここまで褪色もせず残っていたことにも驚く。絵柄も面白い。
出行図なんぞは変に楽しそうに見える。武器を担いでいるはずなのに釣りに行くような雰囲気がある。男装の旗持ち・香炉持ちなどはレストランの給仕ぽいし。
これは楽しくて何度も何度も見た。
よっぽどいい保存状態のお墓だったのだなぁ。発掘後52年経っても崩れもしていない。
某タカマツヅカ古墳と大違いやなぁ。

あああ、本当に楽しかった。
内覧会に行けなかったのは残念だが、夜間開館でこうして楽しめて本当に嬉しい。
ますます好きになった。
展覧会は展示替えなしで9/5まで。その後は来春まで九州や奈良を渡る。



七月の東京ハイカイ?

三日目ついに最終日。今回のツアーは隙のないツアーになった。我ながら感心する。
とはいえ、最後でコケる。疲れてしまって予定電車に乗り損ねる。
仕方ない。起きたことに文句を言うな。「起きたことは全て正しい」は「マーフィーの法則」と斉しいと思う。それをなんとかねじ伏せなければならんのだが。

新橋でロッカーに荷物を放り込む。前までは宅配してたけど、ポメラさんをお供にしてからは大荷物くんもポメラさんと一緒にロッカーで待機。
9:40発のバスに乗りたいのに、二子玉川についたら38分。しかも降り口の逆方向やん。
走った。お客さんが少なかったのを幸いに、走りに走った。
改札でたら丁度41分になるところ。新しく3番のバス停なんてわからんから、高島屋へ走る。バス停についてゼイゼイとベロ出してたら、バスが来た。ラッキー。予定通りに乗る。

静嘉堂の道は林なので木漏れ日が錯綜している。水玉にも見える。
五分前に館前に着いたので、先にお庭へ。ああ、涼しい・・・
前期はいき損ねたけど、国貞を大いに楽しむ。本当に面白い。江戸末期の市井の女たちの楽しい生活が顕われていて、見てて楽しかった。

この日は日曜なのでバスは世田谷美術館へ向かう。凄い遠回りだけど文句を言うな。
しかしどうもスイカと追加の現金の関係がおかしい。
ゴッチャン体質はアカンと思い、せめて他国(!)にいる間はノートにつけてるんだけど、よくわからんのだった。

世田谷美術館では19世紀末の写真を大いに楽しみ、満足した。
しかし意外だったのは常設室の企画展示・建畠覚造の抽象彫刻。ふだん抽象的な作品はニガテなのだが、彼の作品は非常に魅力的だと思った。
マケット(模型)がたくさんあるのだが、これらが公園の遊具ならどれだけ楽しいだろうと真剣に思ったのだ。特にどう見ても螺旋滑り台なのは絶妙。
わたしは今も甥っ子をダシにして公園で遊んでしまう女だから、もぉ本当に楽しかった。
作者の意図はともかくとして、純粋階段にしか見えない階段などなど、いいものが多かった。こういうものを実物化した公園があれば、本当に楽しいだろうに・・・

お昼。あんまり何も食べたくないのでヤバイと思った。時々こういうことが起こるので、意識的に何でもいいから食べることにしている。
売店で焼餅を買った。思ったよりおいしい。はふはふ。
お餅と言うても純然たるお餅じゃなくてでんぷんが混じってるものだから、暑い日にも却っていいのかもしれない。

大岡山経由で目黒へ。飛行機のチケットのサービスでマクドのコーヒープレゼントがある。
目の前にマクドがある以上、スルーはしない。
ブラックでザーと飲むと、アトクチがなんにもないのがよかった。
それでザリザリの氷を口の中いっぱいに含んで、庭園美術館へデッデッデッ。
解けたところで木陰が。助かるなぁ。

有元利夫。あまりによすぎて、絵を見ながら感想を書くと言う行為を放棄した。
本もいいサイズ。アールデコの館という特性を楽しむことなく展示作品に没頭したのは、これが初めてのように思う。

白金台?日比谷。庭園から出光へはこのルートがいいと思う。
屏風展の後期。こちらも展示換えを大いに楽しんだ。
次は日本のヴィーナス。

日比谷から新橋へ。旅ももう終幕に近い。
汐留ミュージアムでハンス・コパー展を見る。
入ってすぐに彼の師匠筋のルーシー・リーの拵えた陶製ボタンの展示を見てときめく。
煌くようなボタンたち。星の欠片を集めたようだった。
それが鏡に反射して、下方へと繰り返しが無限に続いているのだ。
星は天上にあるが、この無限に続くきらめきは地底へと続いている。
どちらも決して手の届くことのない先で輝き続ける。

コパーの拵えたやきものは、集団で置かれていると、一つの工業都市を形成する。
過去の作品であってもそれは古いものではなく、過去の時代に夢見た未来都市の風貌を見せている。未来都市考古学。それを目の当たりにしていると思った。

羽田までは快速特急に乗ったが、これが一番後ろの車両の最後尾の席なので、密室ぽい。
本当は小田急線で見た箱根行きのワイドビューなのを心に描いてたけど、これはこれでいいですな。品川から羽田までノンストップが凄いわ。

羽田の窓から富士山が見えた。
頂上のMWMなのが見えず、台形のカタチの中に白色が塗りこめられている。
とても綺麗です。IMGP8209.jpg

大阪についてタクシーの運転手さんと雑談する。東京も暑かったけど、大阪もとんでもなく暑かったそうな。
こうして七月のハイカイは終わった。

七月の東京ハイカイ?

二日目。8:50に京成佐倉を出発。♪バスバスはしるバスバスはやい?9:20川村記念美術館着。開館前なので庭園散策。
まだ元気そうな紫陽花、IMGP8177.jpg
可憐にして妖艶な山百合IMGP8176.jpg
古代の大賀ハスと「ひつじ草」と札のある睡蓮たち。
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可愛いな??キスゲもある。
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IMGP8178.jpg白鳥の城みたい・・・

それで企画展の高橋睦郎とコーネルの箱は、あまりに良すぎてつらくなった。
こういう素晴らしい展覧会はやっぱり早く行かないとあかん、と強く思った。
遠いとかなんとか理由をつけるな、わたし。

日本橋で下車。郵便局の裏手にあり、川に面する三菱倉庫。
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実にこちらもいい建物。楕円なところは神戸の御影公会堂などを想起させる。モダニズムの面白さ。

三井記念館に行く前に向かいの奈良県ショップで三輪ソーメンと柿の葉寿司をいただく。
IMGP8202.jpgこの取り合わせが大好きで、家でも年中してる。
わたしは大阪のバッテラ、京の鯖棒寿司、大和?橋本の柿の葉寿司が特別好きなのだ。
江戸前の握りも大好きだが、熟れ寿司・押し寿司の類はまた格別。

奈良の仏と會津八一の歌との取り合わせの展覧会だと思っていたら、残念ながら秋艸道人の歌は添え物に過ぎなかった。さっき見たばかりの高橋睦郎とコーネルのそれとは違う。
関西人の一得で「なんとなく見知ってる」仏が多く鎮座まします中に、どう見てもアフロヘアの仏像が一体。「・・・さすらいアフロ、みたい」思わず心の声が出てしまった。

渋谷のハチ公バスに乗る前に東口バス停前の児童書専門店に入る。絵本に詳しい店員さんと歓談。専門店にはやはりこうした本への愛があふれる人がいないとダメだ。「誰でも出来る仕事」ではアカンと思う。
白根記念渋谷郷土館文学館前で下車すると、丁度この日から昔の渋谷の写真展が始まっていて、それを先に眺める。
明治の恵比寿ビール工場、大正末期の役場、人通りの少なすぎる道玄坂、衛戍監獄などを見た。役場は玄関先に大量の菰樽があって威勢が良かった。
それで久しぶりに地下の文学館へ降りて奥野健男の書斎再現を眺めると、深沢幸雄の版画、ショスタコーヴィッチのCD、「遊民の系譜」などが目に付いた。
やっぱり奥野はすごくいい。

隣接する國學院大の伝統文化リサーチセンターへ行くが入り口がわからない。やむなく二階の図書館へ入り案内を請うと、親切に先導してくださったが、これは大学側のミスではないかな。もっとわかりやすくしてくだされ。
見に来たのは「かぐや姫の物語」だったが、他の常設資料にも圧倒された。
だって武田祐吉、折口信夫、とぞろぞろ揃ってナマの資料なんか見れませんよ、フツーは。
ちょっと泣きたくなってきた。凄いぞ國學院!!
展覧会は7/21までだけど、この内容は後日かなり色々と書きたいことがある。
でもわたしのアタマではタチウチどころかタチマチぐったりかもしれない。
Takさんが展覧会の詳細な記事をあげてはります。そちらをごらんください。

そこから山種へ向かう途中に塙保己一を顕彰する記念館らしきものがあった。
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実にこれもいい建物でそちらに惹かれた。平日開館なのでいつか行きたいが、中山太郎「日本盲人史」を読んでおくべきか、と少し考える。
井上ひさし「薮原検校」での保己一のイメージが浮かんでくる。

山種の「江戸絵画への視線」初日だった。岩佐又兵衛「官女観菊図」重文指定というのに影響されたか、カフェでさくらんぼ緑茶の冷たいのと菊をモティーフにした和菓子をいただいた。東京ハイカイでの久しぶりのほっこりタイムではないか。

六本木に。マン・レイ。さすがに知らない作品が多く出ていた。というより、自分の知る作品がほぼ一枚もなかったことのほうが凄い。
最後の奥さんジュリエットを見ると、シモーヌ・シニョレに似ている気がした。
変な金髪カツラはやめよう、なんかのプレイみたい・・・

それで森まで歩く。恐竜。ここのシステムはちょっとうっとうしいのでイヤになるが仕方ない。
恐竜はワニ系のヤツラが好きだ。
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でもこうして広い東京の空を見下ろして吠える恐竜もカッコイイ!
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この展覧会は小さい男児と楽しみたかった。

近所のお店でレーメンなど食べる。一度うわさの「豚組」さんにも行きたいが、機会があるかどうか。
サントリーの「能の雅 狂言の妙」後期を見る。「百万」絵巻と絵本が目的。満足。
しかしこの日はまだ大仕事がある。

ブンカムラへ。ブリューゲルの初日。九時までなのでじっくり。
スタンプ押したりアニメーションをチラッと見せてもらったりと、楽しい工夫が多かった。
しかしあまりにも細かい世界なので眼が回ってきたのは事実。
見ながら諸星大二郎「栞と紙魚子」、三浦建太郎「ベルセルク」思ったり。
なんとなく、ぬりえがしたくなったな。

七月の東京ハイカイ?

七月もまた東京をハイカイした。
今回もやっぱりキチキチなスケジュールを組んでるから、コワイのは公共交通手段の突然の不通・延着ですね。
関西はまずそれがない。だから分刻みスケジュールを組めるけど、首都圏ではそうはいかない。
駆け込み乗車でもすごいツワモノを見た。赤ちゃん抱っこしてるママさんが半分挟まれながら飛び乗ってんの。根性あるなぁ。
それで思い出したのが妹の友人。
通学でギリギリ飛び乗った途端、叫んだ。
「しまったぁーーっ!あたしの守護霊ハサマレたーーーっ」 
いっぺんで車両がナゴヤカになったそうな。妹は恥ずかしかったらしいが、こんな子、大好きやな、わたしは。

さて例によって空から降りてくるわたし。
空から降りてくるのは昔なら「恐怖の大王」かメアリー・ポピンズというところだが、マイル貯めてるわたしはこの数年ずっと空から降りてくるのだ。

それでホテルに荷物置いてから浅草線に乗って青砥経由で千住大橋へ。
・・・けっこう高いな。ちょっと考えるルートやと思った。
駅前、なんだか何もないのでオヨヨだが、石洞美術館のビルがドーンッとソビエておるので、家の建ち並ぶ中をすりぬけて千住金属へ向かう。
仕事の都合でこの会社が作る製品を知っているけど、そこの会長さんが石洞佐藤千寿氏とは知らなかった。千寿さんの千住にある千住金属、か。
展覧会の詳細はまた後日に詳述するけど、入り口に小さい蓮池もあり、中のツクリも良く、感じのいい美術館だと思う。

隣の町屋駅へ出ると、都電荒川線が見えた。可愛い電車。都電はなかなか好き。というか、住宅街を走る路面電車が好きなのだ。
バラがいっぱい植えられていた。大事にされているみたい。
町屋から表参道へ。根津美術館へ。

根津が新しくなってから来るのは今回が初めて。仏画がメインの展覧会。別室には大好きな饕餮くんたちがいっぱい。表示も「商」ではなく「殷代」なのが嬉しい。
なにしろ中学のときから「殷」で覚えてるから「殷」でないとイヤなのよ。
「殷賑を極める」というコトバもわりに好きだしね。
(関係ないけど太平記でも護良親王はモリナガ・シンノウで、モリヨシと読むのはわたしはイヤやな。
ミッフィー<うさこちゃん)
暑いからお庭には出ず、そのまま世田谷代田へ向かう。

斎田記念館の日本画を見に行く。江戸時代に製茶で財を成した斎田家の所蔵品。
広い敷地のどれほどを占めているのか・・・
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展示品は実際に使用していた作品ばかりだそうな。「花の朝」はなのあした いいタイトルの展覧会。明治?昭和戦前の作品が主に出ていた。
7/24まで。続いて9/1?12/8まで絵画名品展2。

今度は新宿へ出た。どうも新宿は土地勘がねぇ。ほぼ8割り方迷う。それで損保ジャパンにつくのが遅れた。
トリックアート、面白かった。こういう展覧会は大人だけが楽しむのは勿体ない。騒がれるのは困るけど、子供と一緒に楽しみたい展覧会だと思う。
森村泰昌さんの鼻をつけた洋ナシが面白かった。
うちの親は森村さんの鼻はなかなかよい形であると言うので、改めてジックリ凝視。

芸大でシャガールを見るのは次回に回して、西洋美術館へ。
カポディモンテ。金曜の夜間開館とはつくづくありがたいものです。
「すいれん」で展覧会にあわせたメニューの一つ、アサリとモッツアレラのトマトソースのパスタをいただく。

てくてく歩いて東博へ。もともと中国の古代文明にすご???く興味があるので楽しく眺めた。やっぱりええわ、饕餮くん。
常設では古径の蓮と踏み絵を描いた作品が出ていて、久しぶりの再会に喜んだ。
この絵は清方も絶賛していたもので、実物を見れたときは本当に嬉しかったな?

公園の噴水、雲のかかる月。IMGP8168.jpg

オオモノの猫。IMGP8165.jpg

IMGP8166.jpg花王を思い出す。

さて前月の初めに人形町から歩き出して堀留あたりで曲がって・・・でみつけた素敵な近代建築を、今回発見。
実在していてよかった。ハリオグラス。
IMGP8171.jpg IMGP8173.jpg
しかしビックリしたのは、撮影するのに斜交いのビルの軒先に来たところ、そこに付き合いのある会社があったこと。
「うちの会社、やや駅からも遠いし、何もないんですよ??」と訴えてたおねえさん、向かいにこんなええ建物あるやないの???!
シュミが違うとそんなもんか。

日本画家・畠中光享の眼  インド・仏教美術の流伝

北大路の大谷大学博物館へ出かけた。
日本画家・畠中光享が蒐集したインドとその周辺の仏教美術の展覧会が開催されている。
「日本画家・畠中光享の眼  インド・仏教美術の流伝」
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畠中光享は大谷大の出で、在学中から絵を描くようになったそうだが、わたしは画家の作品と言えば、陳舜臣の新聞連載小説「天球は翔ける」の挿絵を見たのが最初だった。
天球は翔ける〈上〉天球は翔ける〈上〉
(2000/04)
陳 舜臣

天球は翔ける〈下〉天球は翔ける〈下〉
(2000/04)
陳 舜臣



琉球育ちの天球の活躍を描いた小説はなかなか面白く、挿絵は清楚で、毎朝楽しく眺めていた。
そこから画家の名を覚え、気をつけていると、インド美人を描いたタブローなどを眼にするようになった。
現代インドではなく、近代までのインドを描いている。

今回も博物館の前面にやや大きめの作品が展示されていた。
二人の女性がいる風景。インドの優しい、穏やかな時間の中で。

展示されているものは画家が好んで集めた仏像や絵ばかりなので、万遍なくということではなく、偏ってはいる。しかしそれこそが画家の美意識を証明することでもある。
畠中光享という一人の日本画家の眼と心が選んだ優れた作品群を、観る。
そのこと自体に愉楽がある。

ギリシャ風な風貌を持ち、朱色が顔面に強く残る女性像がある。髪はなだらかなウェーブを見せ、両目には焦点がある。
こうした像を見ると、文明の十字路と言う言葉を実感として感じる。

チラシに選ばれている仏頭はどういうわけか、反転されている。
実物と対峙してそのことに気づいた。
何故そんなことが起こったのかは知らない。
物理的なミスなのか、確信犯的な行為なのか。
どちらでもいい、というわけにはいかない。
しかしどちらもまた美麗であることは確かだ。
こちらは反転した画像。tou259.jpg


チベットの阿弥陀の仏画を見る。華やかな彩色の仏画。去年チベットの少数信仰のボン教という宗教のタンカを民博で観た。仏教とは違う信仰ながら、どちらも華やかな彩色だと思った。チベットの彩色の華やかさは何に基づくものか。
18世紀の阿弥陀浄土変相図。救いを求める腕が何本も何本も伸びている。

インドで仏教が完全に衰退したのは13世紀だった。
そして仏陀への信仰の深さがインド人に仏像を造らせなかった要因だと知った。
だからインドの仏像に期限があることを知ったのだ。
ずっと以前から不思議に思っていたことが、この展覧会でやっと解けた。
解けた糸はどこへ絡まるか。
仏像の足首に巻かれる気配があった。

北インドの12世紀の絵入り貝葉経があった。一文字も読めない文字の羅列と、腕が六本ある女の仏像が描かれている。女の顔は怖かった。
この時代でもまだ貝葉経が活きていたのだ。

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偶像崇拝を憎む回教徒による破壊が行われたが、ようよう生き延びた仏像たちには、独特の美がある。
額に「第三の眼」を持つシヴァ神像も破損しているが、みにくさなどまるでない。
しかしこの画像も実は反転されているのだが。(右端図)

砂岩製の仏像が多い。風土のことを考える。その土地の、どの素材で像が生まれるかを考える。
石像ではなく砂岩であることが、その像をいよいよ神秘的に見せる。

欄循を見る。砂岩で出来た飾り柱。三宝が描かれているが、インド風なので三宝と言われても実感がない。日本にたどり着いた頃には全く異なる形に変わっている。
こちらかオリジンだとしても、なにかしら別なものを見るようで、面白い。
むしろその紋章はブルボン家のそれのようにも見える。

インドには仏教と並行した時代、むしろそれ以前からジャイナ教という宗教もあったが、その教祖の像が二点ばかり出ていた。砂岩。性器まで刻まれている像。インドの像と言うよりメソポタミアの壁画のようなイメージがある。
一点、子供らと手を繋ぐ像もあった。仲良しのイメージなのかそうでないのかはわからないが、何かの意図がないとこうは作られない。

クメール佛が現われる。
観音立像。何の飾りもない、肉体だけの像。
随分前にロックフェラー・コレクションのクメール佛たちを見て、その静謐な美貌にときめいたものだが、ここにある仏像もまた、ひどく静かな佇まいを見せている。
少し前にハンマースホイの作品世界に触れ、強い衝撃を受けた。
その静謐な世界に打たれたのだ。
いま、クメール佛を目の当たりにして、この静謐さもまたハンマースホイのそれと同じものだと思った。いや、そうではない。
この静けさは茶を喫した後の静けさと似ているのだった。
なんという美しい静けさだろうか。
その静けさにいつまでも包まれていたいと思った。

不意にネパールの仏像がそこに出現した。
出現した、としか言いようがない。ガラスの向こうに展示されているが、それはいきなりその場に出現したかのように、唐突感がある。
木造佛である。インドラだと説明がある。雷帝インドラ。不意の出現はそれを示唆しているかのようだった。

ディーパンカーラ その名称を聞いても読んでもよくわからない。燃灯佛とある。なんのことか。しかしたいへんに綺麗な仏像である。ブロンズ製、17世紀のネパールの仏像。
宝冠にトルコ石らしきものが嵌められている。

ヒンドゥーの神々の像を見る。いずれもクネクネしたポーズの、肉の圧力が強い像である。
宝飾も肉の上を滑って、艶かしい。
特に気に入ったのはトルソとでも言うべき胸像。胸から腹まで残った像は実に豊かな胸を見せていた。丸々した胸の上に這う宝飾はまるで生きているかのようだった。

そして少し先にクメール佛の首のない像があった。
こちらも女神像である。静かな肉体がそこにある。

この二つの像を長く見比べた。不思議なほど楽しい時間だった。

最後にチベットの小仏画が集められていたが、その中に「墓場の神」としてオレンジ色で描かれた二体のガイコツがあった。水木しげる的ではなく、メキシコのスカルぽいガイコツである。なんとなく陽気なココロモチになった。

展覧会は8/8まで。

麗子登場!―名画100年・美の競演

「麗子登場!!―名画100年・美の競演 神奈川県立近代美術館X兵庫県立美術館」
チラシは鎌倉館の麗子が選ばれている。
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その時代の子供がよく着ていた可愛い着物に、手には黄色い野花が握られている。
「Reiko」と黄色いロゴが横にズザッと走り、Oの中に「近代洋画、メガ盛り」とあるので一瞬「麗子メガ盛り」と読んでしまいそうだが、その麗子はこの一枚しか登場しない。
正確にはもう少しあるが、タブローはこれだけである。
この美術館から数キロ離れた小磯良平記念美術館で現在「劉生展」があるので、関西で麗子を堪能したいなら、そちらに出かけるのをおススメしたい。

これまでにも鎌倉館と兵庫県美の前身・兵庫近美とは仲良くしてきたようで、共同企画もあれば貸し借りもあり、巡回も続くと言ういい関係を保っているように思う。
内側のことは知らないが、お客さんには嬉しい状況だろう。

兵庫県立美術館は夏になると他館と連携して、普段関西では見られない美術品を展示する。
近年では改装工事中の川村記念美術館の所蔵名品展を数ヶ月間に渡って展示し、多くのお客さんを喜ばせた。
今回は鎌倉にある神奈川近代美術館・鎌倉館の所蔵品がやってきて、「近代洋画メガ盛り」というアオリ文句もそのままの状況になっている。

さて兵庫県美の使いにくい建物にやってきました。
いつ見ても危ない階段の横を通りながら、展示室に入る。
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第一章 明治―洋画の黎明から美術の制度が出来るまで
高橋由一の江ノ島図、五姓田義松の横浜風景、安藤仲太郎の浅草寺を描いた日本の寺の内部など、やはり明治初期でないと生まれ得ない「油絵」たちが現われる。
江ノ島も浅草寺も江戸時代からの人気スポットだから描かれる場も人もコナレているが、横浜はやっぱりちょっとビミョ?な感じがある。前輪と後輪の大きさの違う自転車に乗る人などもいるが、侘しい感じがある。

本多錦吉郎の羽衣天女などを見ると、油絵で日本古来の物語を描こうとする努力を感じる。
それは川村清雄や彼の弟子・桜井忠剛にも顕著な特徴としてあらわれる。
川村の『ユリと桃』、桜井の『能楽図』などは欄間に嵌め込まれるような横長作品で、日本画の題材を油彩で描く、と言う趣がある。
実際、尼崎の旧藩主の息子で、初代市長の桜井は市民の求めに応じて日本家屋に合う作品を制作している。そしてそれらは現在も尼崎市内の旧家に保存されていることが多い。
先年、桜井を中心にした明治初期の洋画家の展覧会が尼崎で開催されたとき、その実例を見ている。

しかしいつまでもその傾向が続いたわけではなく、岡田三郎助らの浪漫的な美人画も現われてくる。
岡田三郎助 萩  最初にこの絵を見たとき、本当にドキドキした。小袖蒐集家の岡田が描く着物は、どれも皆なかなか忘れがたい魅力に満ちていて、この絵の小さな女の人が着る着物もとても可憐だった。

金山平三 秋の庭  こちらも『萩』に続いて兵庫所蔵。少しばかり尋常でないような女の人が佇む秋のフィールド。

第二章 大正―日本近代の青春期
梅原龍三郎の椿、小出楢重の椿、どちらも楽しく眺めた。
梅原の椿はちょっとばかり時期が過ぎて落ちかかっている風情がある。
小出の椿はガラス瓶の横にあるレモンの黄色さが全体を明るくし、さらに引き締めてもいるように見えた。かなりいい絵だと思う。
ほぼ同世代の二人のうち、小出の夭折、梅原の長命を思うと、この時代の梅原の椿がまだちょっと中途半端なのは彼にまだまだ生命力があるからではないか、と勝手に想う。

村山槐多 風船をつく女  これは木炭で描かれたデッサンなのだが、完全な完成を見ずとも惹かれる作品だった。なによりまずとても力強い。すっくと立った女がそこにいる。
こちらもぐっとコブシを握りたくなった。

岸田劉生 村娘  於松。わりに於松が好きである。この於松はアタマに大きな作り物の花飾りをつけ、麗子も時々羽織る毛糸のショールを着ている。
なんとなくこの表情が、この顔つきが好きなのだった。

先般「細川家の至宝」でも評判が高かった久米民十郎の絵があった。
駱駝と従者 王妃たち  エジプト壁画を模したような構成で、それが屏風に描かれている。日本画でも荒木寛方がエジプト趣味に走っていたが、久米にもその傾向があったのか。

面白かったのは清水登之のアメリカ時代の『テニスプレーヤー』と念願のフランスにたどり着いてからの『映画館』、その違い。同じようなものかと思うが、清水がどういう気持ちで描いていたのかを量るのも楽しい。

未来派風の作品が多かった。そしてこの時代に在日していた白系ロシア人たちの作品もあり、それらが目を惹いた。
また白土三平の父の岡本唐貴の作品もあるが、23才でこういう絵を描いていたのか・・・と色々考えたりする。

麗子本人の描いた挿絵があった。劉生の著作に使われた絵。
二人麗子。泉屋分館所蔵のドッペルゲンガー風なものではなく、ヒトの麗子がお姉さん気分で、人形の麗子を妹にして、髪を梳いてやる・・・そんな絵だった。

第三章 昭和戦前―パリの思い出と暗い予感
このタイトルが想起させるとおりフジタの裸婦が現れた。
そして児島善三郎の『立てるソニア』見返り裸婦。
小磯の『スペインの女』は黒がとても印象的だった。絵画的な黒色ではなく、実際に黒のレースがそこにある、そんな色合いの黒だった。
そして内田巌の作品があることでまた色々と考えさせられた。
藤田嗣治をレオナール・フジタにしてしまった、ヒト。

そろそろ独立とか二科展とか出てくるなと思った途端、林武の裸婦が現われた。この赤銅色の膚の裸婦にはとても親近感がある。顔立ちも好き。いつの時代にも「いるいる、こんな女のヒト」と感じさせる裸婦。

須田国太郎 工場地帯  広々とした視野。ワイドビューな工場地帯。やっぱりいい。
工場だから決して空気はよくないが、深呼吸してみたくなるほど、広々。

第四章 戦争期―絵画に残る傷あと
松本竣介の『立てる像』は戦争中の作品なのに、どうしてかわたしはいつも敗戦後の日本に立つ青年像、だという気がしてならない。それも学生服を着ているといつもいつも誤解する。実際に絵の前に立つと、彼の着ているものはそんなものではないことを知るのだが、それでもわたしの中での『立てる像』は変わろうとしない。

和田三造 朝鮮総督府壁画画稿  インド風なイメージがそこに広がる。これは以前からとても好きな作品だが、なぜその場所でこの画なのかがよくわからない。わかっても仕方ないのだが。

小磯 斉唱  以前「日曜美術館」でこの作品を取り上げて、色んな話題が出ていた。
それを見ながら、芸術と社会との関わり、時代、ということを考えた。
清楚で凛とした作品が何を意味するか。そのことを改めて考えている。

第五章 昭和戦後―具象絵画の成熟と前衛の復活
申し訳ないくらい関心が薄い。
ただ、1960年の森芳雄『動』を見て!!となった。赤茶色のコンテで描いたような、二人の男の肉のぶつかり合い。これは『フォルテシモ』のミュージックビデオの世界だと思ったのだ。♪愛が全てさ 今こそ歌うよ なのに映像では二人の男が肉をぶつけ合っている。
妙に萌える映像だったが、それの原点をここに見たような気がした。

第六章 日本画の名品から
好きな作品が出ているのがまず嬉しい。
山口蓬春 宴  真っ青な、文字通り快晴の空の下、大喜びする埴輪三体。みんな女性らしい。彼女たちは宴の最中だったのだ。50年前の作品。本当の青空の下で。

三谷十糸子 猫と少女  チャイナ服の少女が猫をエエ加減に抱っこしている。
そして真正面を向く。少女の全体からオーラのような光が漏れている。

どちらの作品も、「日本画名品展」などには出そうにないが、とても好きなのだ。

第七章 彫刻の名品から
これらは一室に閉じ込められているのではなく、ここまでの六つの章ごとに配置よく展示されているのだった。
高村光太郎、戸張孤雁、中原悌二郎、柳原義達・・・・・・・
そんなに大きいものは少なく、いい感じの配置なので、くるくると眺めることが出来た。

この展覧会は7/19まで。二つの美術館のいいものをたくさん楽しむことができる。

旧大津公会堂

先月、大津の旧公会堂へ行った。こちらはリノベーションされて今ではレストランなどが入り、盛況のようだった。
場所は京津線(けいしん・せん)浜大津のすぐそばにある。
タイルがなかなかいい感じの建物だった。
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こちらは外壁の装飾
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窓も面白い。IMGP8089.jpg

在りし日の姿。IMGP8061.jpg

そして半分路面電車の名残を残す京津線は夏にこんな企画もしている。
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なかなか楽しそうである。JRはニガテだが、この京津線で行ける圏内はとても好きである。



旧神戸市立生糸検査所

神戸には多くの近代建築が残っている。
今も現役のものもあれば、しばらくの休止を経てリノベーションされて新しい活躍を始める建物もある。
旧神戸税関の向かいにある旧神戸市立生糸検査所を訪ねた。
(全てクリックすると拡大します)

外観
生粋の神戸っ子・清水栄二による昭和初期の設計。空へ伸びるゴシック様式。
装飾はたぶん、カイコ。IMGP8152.jpg
下から見上げるとこんな感じ。IMGP8153.jpg

エレベータが可愛い。IMGP8117.jpg

多くの部屋があるが、そのうちの一室の天井装飾と床のモザイク。
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家具も趣がある。
IMGP8122.jpg よく見るとIMGP8123.jpg
素敵だ。

階段もいい。IMGP8130.jpg 親柱IMGP8127.jpg
降りるとこんな光景が。IMGP8118.jpg

三階の窓から表を眺めると神戸税関と神戸のタワーが。
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北玄関へ向かう。ここはかなり素敵。
天井装飾IMGP8132.jpg
壁面IMGP8134.jpg
地下への階段IMGP8146.jpg
その壁IMGP8140.jpg
親柱IMGP8138.jpg

事務室から検査所へ。
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素晴らしい!!こうした工業の機能美は好き嫌いが分かれるが、わたしは大好き!
そして天井。IMGP8143.jpg
ゾクゾクした。なんという美貌。

この市立検査所と隣接して旧国立生糸検査所がある。そちらもゴシックだが、やや重厚さが強い。
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昭和七年。IMGP8161.jpg

機嫌よく見学してから神戸市役所の24階のカフェでおやつ。
神戸市内とわたしのおやつ。IMGP8162.jpg

にゃんとも猫だらけ

京都のえき美術館で「にゃんとも猫だらけ」展を大いに楽しむ。
6/16-7/11の終盤に行くしかなかったのが悔やまれる。こんな展覧会があるときに風邪なんか引くなよ、わたし!!
とにかく楽しい、可愛い、面白い展覧会だった。
摺りがどうのとか構図がこうのなんて言うてられない。
可愛いものは可愛いし、おもろいものはおもろいのだ。
理屈ナシでめちゃくちゃ楽しめる展覧会だった。
平木浮世絵財団からの提供。

国芳を中心に、と言うことだが、案外と国貞も猫を多く描いていることを知った。
それに人物も風景の一つになる広重が描く猫も主役だったり、背景の点描だったりする。
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チラシからしてええ感じ。
大きい猫は「ネズミよけの猫」の一枚絵。イヤ実に立派な猫なり。ええですなぁ。
その上のにゃんこたちは絵文字なヤツラとか役者見立てのとか、春に府中で大活躍した「がんばってます」な猫とか。
春の仕事の様子。IMGP7748.jpg
この手ぬぐいを向こう鉢巻な猫の相棒のほっかむり猫の肩とか膝がまた福々しくていいんだよな--♪

「山海愛度図会」シリーズでもこの「おおいたい」の猫の愛咬はまた愛い奴ですな??
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でも実際に咬む猫はちょっと困るのよね。うちにも「手手かむイワシ」もびっくりな「手手かむ猫」がおったもんです。親にすぐ叱られてた。

広重のふくれ猫はいかにも江戸らしいしっぽの短い奴で、その背中の猫背具合がにゃんともいい感じです。
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明治になったかて、着物暮らしは長く続いたけど、朝顔市のべっぴんさん、猫柄の着物を着てる。
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そういえば、「野晒悟助」といえば野晒しドクロの絵柄の着物と決まっているが、ここに出てきた悟助の着物は猫尽くしで出来たドクロ柄だった。

おもちゃ絵の芳藤はこの「流好温泉の図」が好きだったのか、このほかにも同じような構図のものを数種拵えている。提灯に「ポンプ」の文字が楽しいし。
また他の絵師たちも芳藤のこの絵を基にしたのを描いている。
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やっぱり猫の温泉っていいよな。(温泉=お風呂屋さん。実は関西では今も銭湯の名前に△△温泉というようなのが多い)
ねこのおんせんで思い出したけど、別役実と佐野洋子の絵本「ねこのおんせん」はキョーレツなヒネリの効いた面白い作品だった。

八代目団十郎は天下の美男だったけど32才で大坂で自害しちゃった。お墓は天王寺の一心寺にあるが、そのとき出た死に絵の多さは空前絶後だったらしい。それでここにある絵は老若女女たちの泣き崩れる姿だけど、雌猫も一緒に前の手で眼をぬぐっておるのだった。
凄いなぁ。杉本苑子「傾く滝」を久しぶりに読みたくなったよ。

ねこの曲芸も色々あるけど、これは鞠の曲芸。よく働く猫たち。
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女三ノ宮の猫事件は光り輝く源氏の君の不幸の始まりでしたが、あれは後世にもええ構図として大人気でした。随分多くの見立て絵が出ていた。
またそれだけやなく、美人の裾にもぐりこむ猫たちがぞろぞろ描かれている。
中にはその猫を甲高な足が踏む踏む踏む・・・楽しそう。

コンパクトな図録は国芳の「猫飼好五十三匹」の影絵を装丁に使うセンスのよさ。
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本当に楽しい「にゃんとも猫だらけ」な展覧会でした。
明日まで。

陶芸の美 日本・中国・朝鮮

五島美術館「陶芸の美 日本・中国・朝鮮」を大いに楽しむ。
サイトによると
「五島美術館の所蔵品から「やきもの」の名品を選び展観。
古墳時代から江戸時代にかけての「日本陶磁」の名品や、唐・宋・明 時代を中心とした「中国陶磁」の逸品、日本の人々にこよなく愛された「高麗・朝鮮陶磁」の優品など、重要文化財4 点を含む約 60 点を紹介します。
また、国宝「金銅馬具類」(宮崎県西都原古墳群出土)を特別展示予定。」
とのことで、わくわくしながら2日めの早い時間に訪れた。
・・・いや、がんばって開館前に着こうとしたが結局10時半についたのだが、既に大繁盛してました。
やっぱり東洋のやきものへの偏愛が強いなぁ?と改めて痛感。
わたしもその中に混ざって楽しく拝観。
(今回、五島名物の作品写真入垂れ幕がなかったのはザンネンだった)
*印以外は五島美術館のサイトで画像が見れます。

?日本陶磁?
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*水禽埴輪 古墳時代  首長の鳥が昔のコンロの上に座ってます、と言うような形。

黄瀬戸立鼓花生 銘 ひろい子 桃山時代  鼓というより、分銅を思い出した。

黄瀬戸平茶碗 銘 柳かげ 桃山時代  もともと黄瀬戸が好きで、特に植物の絵があるのを見ると喜ぶわたしです。銘は西行の歌からのもの。見込みの目跡もまるで砂子のようで可愛い。
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鼠志野茶碗 銘 峯紅葉 桃山時代  九鬼家伝来。茶色い鼠志野。六角形の中に入れ子が続くような柄が入っている。なんとなく播州駄菓子ぽい感じがある。

鼠志野鉢 桃山時代  こちらも茶色い。亀甲花柄。●で花びら表現。

黒織部沓形茶碗 銘 わらや 桃山時代  宗旦が銘をつけたそうだ。◎が可愛い。

織部舟形手鉢 桃山時代  緑が濃い。水泳の飛び込み台みたいな文様がある。

古伊賀水指 銘 破袋 桃山時代  画像ではそうは見えないが、緑青吹いたような緑色で、なかなか綺麗だった。ビードロ釉(灰釉)をかけたもの。銘のセンス、いいな。

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信楽一重口水指 銘 若緑 桃山時代  こういうものを鬼桶というそうだ。銘は不昧公。

古備前耳付花生 桃山時代  鈍翁旧蔵、と解説にあり納得。オモテは歪。ゴマ釉掛かっているが、どうも味噌ダレのようで、田楽を思い出してヨダレが湧いた。

*長次郎赤楽茶碗 銘 夕暮 桃山時代tou251.jpg
宗旦が銘をつけた。鴻池家伝来。徳岡神泉が描くような微妙なグラデーションが見事だった。

*のんこう黒楽茶碗 銘 三番叟 江戸時代  いい感じ。薄手で縁にドロリとした帯釉が。
ノンコウだと思うだけで、何を見てもいい感じがする。

*絵唐津四方筒向付 桃山時代  これは可愛い絵柄で、稲の上を雀が飛んでいるらしい。その上には渦巻き柄のものがあるが、雲ではなくどうやら風らしい。

色絵山水文大皿(青手)古九谷様式 江戸時代  波唐草で地を埋め、長い三角錐屋根の家とマッチしている。つい先般、こんなカタチの倉庫めいた家を見たところ。

*乾山色絵菊文向付 江戸時代tou251-1.jpg
カタチ自体が菊柄で、その中に菊がぎっしり。乾山ブランドでも人気の品らしく、他でも見かける名品。色の出具合もまちまちだが、魅力的。

?中国陶磁?
*瓦胎黒漆量 戦国時代・ B.C.4?3 世紀  長沙の出土品。枡らしい。漆掛けと言うのが凄い。珍しい!!その隣にはそれと同じ様式の「勺 」(スプーン)があった。

*白磁弁口水注 唐時代・ 7 世紀  注ぎ口の後ろ、つまり取っ手の上の部分に人の顔が着いている。これはきしょいな・・・。

*三彩貼花文鍑  唐時代・ 8 世紀   フクと読み、意は三足のついた銅器の釜のこと。
茶色に、紐状のものを丸く曲げて花形に寄せたものを貼り付けている。

三彩万年壺 唐時代・ 8 世紀   胴が丸くはったものを万年壺と言うが、このカタチはけっこう好き。緑系の流星が滝のように降る、もしくは印象派風な柳。そんな柄模様。

緑釉牡丹文鳳首瓶 乾瓦窯 遼時代・ 11 世紀  濃緑にキャベツのような牡丹が胴にあり、鳳かどうか、ペッツぽい顔のついた瓶。

白釉黒花牡丹文梅瓶 磁州窯 宋時代・ 12 世紀tou253.jpg
これは素晴らしくよかった。絵はがきもあったので喜んで購入した。もともと梅瓶は好きだが、掻き落しが見事すぎる。
重要美術品なのは大納得。絵柄だけでいうなら、対抗できるのは仁清の芥子柄の壺だけ。
一方、掻き落しで対抗するのは、白鶴美術館の重文・龍文梅瓶。
こちらは参考までに。tou253-1.jpg


*白釉鉄絵牡丹文瓶 磁州窯 宋時代・ 12 世紀
*緑釉鉄絵牡丹文瓶 磁州窯 宋時代・ 12 世紀
この二品は色こそ違え、カタチも絵柄もそっくりなので、同一工房で生まれた兄弟のような気がする。

青磁鳳凰耳瓶(砧青磁)竜泉窯 南宋時代・ 12?13 世紀   砧の名品は色々あるが、こちらもまた見事だった。

青花樹鳥図大壺 景徳鎮窯 明時代・ 15 世紀  他に類例のないもの。細く、くねった幹に止まる鳥のカップルたち。なんとなくめでたいような絵柄。

*三彩楼閣人物文大壺(法花)景徳鎮窯 明時代・ 15?16 世紀  人々が書画を楽しむ様子が描かれている。よく出来ている。綺麗だった。

*五彩人物唐草文盤(古赤絵)景徳鎮窯 明時代・ 16 世紀  カップルと馬がいる風景。なんでも小説か戯曲の1シーンらしい。明代のウキウキ気分がよく伝わってくる。

五彩透彫水注(金襴手)景徳鎮窯 明時代・ 16 世紀  この透かし彫りは孔雀をモティーフにしたものらしいが、ちょっとわかりにくかった。

*五彩人物文水注(金襴手)景徳鎮窯 明時代・ 16 世紀   土瓶型の水注。鴻池家伝来。八仙過海図。渡海ではなく過海と言う言葉は初めて知った。行く先は蓬莱か。551ではない。

*五彩盃・盃台(金襴手)景徳鎮窯 明時代・ 16 世紀  台には2匹の龍がいる。それが鬣がとてもなびいていて、風のカミサマ風。宗達以来の風神ではなく、「まんがにっぽん昔はなし」の「風の神とこども」みたいな感じ。そう、あんにゃさまの風のカミサマ。

*青花花鳥捻文鉢(祥瑞)景徳鎮窯 明時代・ 17 世紀   藤田家伝来。見込みにどーんと牡丹の花が。ねじりの祥瑞はなんでどれもこれも素敵なのだろう。

青花蔦文合子(古染付辻堂香合)景徳鎮窯 明時代・ 17 世紀
因の下に日の字がくっついたようなカタチ。可愛いおうち。

?朝鮮陶磁?
*青磁鉄地白堆草花文梅瓶 高麗時代・ 12 世紀  ああ、また綺麗な形を見せてもらった。
鉄泥塗ってから青磁釉薬かけたものということで、一名・黒高麗とも言うそうだ。
全くムラのない完璧な膚だと思った。オリーブ色の膚。何と言う艶かしさか。
その膚の胸の上部に白い花の文身がある。
白堆された植物。彫って、白で埋める手法。そこへ顔を埋めたくなった。

*粉青粉引鉄絵草花文扁壺 朝鮮時代・ 16 世紀  朝鮮の草花は決して自己主張を強くしない。しかしとても目を惹く。可愛い。

井戸茶碗 銘 美濃 朝鮮時代・ 16 世紀  手に入り込みそうな素敵なカタチだった。

*白磁辰砂蓮花文壺 朝鮮時代・ 18 世紀  安宅コレクションのものと同型。花自体はやや少ない。いいものはやはりいい。

特別展示
*国宝 金銅馬具類 宮崎県西都原古墳群出土 三国(新羅)時代・6世紀

これを見たときは特にどうこういうこともなかったのだが、例の藤ノ木古墳の国宝の馬具の破損の件を聞いた今となっては・・・・・・・。
どれもこれもみんなかけがえのない名品たち。よく守ってください。8/8まで。

花鳥風月の美 応挙から仁清へ 香雪美術館

香雪美術館で「花鳥風月の美 絵画と工芸 応挙から仁清へ」を見た。
二階建ての美術館に入った途端、目に入るのが抱一の十二ヶ月花鳥図押絵貼屏風。
モノクロで小さい図版だがここに挙げる。
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抱一の十二ヶ月花鳥図は大体どれを見ても「いいなあ」と思うのだが、ここのは特にいい月があった。
左から二つ目の十一月、ミミズクがいる図。このミミズクは飼われているので止まり木とひも付きだが、このミミズクの愛らしさはちょっとやそっとではないぞ。
ミミズクだから耳が立っているが、全身ほわほわで、その目の丸々と愛らしいのには、見るこちらがキャンとなった。丸い大きな目には可愛いアイラインが上下にキリッと伸びている。周りに飛び交う鳥たちはちょっとイジワルな感じもするが、このミミズクはそんなこと気にせず、大きな目を爛々と光らせていた。
余りに愛らしいので、このミミズクだけつれて帰りたいくらいだった。
連れ帰ってなんとする?撫でまくるのだ! ・・・と言うくらい、本当に可愛かった。
他の月の絵もいいものがあるが、このミミズクを見てはかすんでしまう。
一階に入った瞬間、パッと目を引く屏風なのに、よくよく熟視したらあんなに愛らしいものがいるのだから、結局はそこで終わってしまうのだ。
ああ、シマイに近い月でよかったなぁ。

可愛い壷がある。
青花 花鳥文広口壷  「大清雍正年製」の銘がある。この文様は花鳥とあるが、鳥のいない風景だった。細かい花唐草が隙間なく下地を埋め尽くし、本当に綺麗だった。
景泰藍ケイタイランと呼ばれる種類。濃密な美がそこにある。

七宝 花鳥文大花入  これも清のもので、竜がモザイク風に埋め込まれている。実に大きい花入れで、地は明るいトルコブルー。そこに様々な花鳥がある。
この七宝は有線七宝。掐絲琺瑯(コウシ・ホウロウ)と言うそうだ。

二階へ上がると、江戸時代のいい絵が工芸品共々、配置もよい感じにこちらを向いている。

芳崖 紅葉小禽図  モノクロだが今回のリーフレットに選ばれているので画像がある。
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やはり「花鳥風月の美」を体現するのはこうした作品だとつくづく思った。

雅邦 月下群狐図  三匹のよく肥えた狐たちがお月見でもしているような風情。ファミリーなのか友達なのかはわからない。狐たちそれぞれの表情が面白い。トボケた顔つきもいれば、眠たそうなのもいる。それにしてもよく肥えている。
寂しい狐たちではなさそうだ。

宗達 烏図  宗達はピン動物をよく描くが、これは烏。なんとなくファンキーな烏。両羽を挙げているが威嚇ではなくノビでもなく、ラジオ体操ぽい。可愛いなぁ。

とにかく今回の展覧会での動物画の可愛さはちょっと類を見ないくらい。
花鳥風月の美と銘打ってるが、この数点を見ただけで「香雪に棲むどうぶつたち」展とか開いて欲しい、とつくづく思ったね。
それで小さい図録とか出してくれたらええねんけど。
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応挙 菜花遊猫図  これがまた実にスゴイ。わたしはこれまで応挙=幽霊とわんこと孔雀とトラという意識が強かったけど、この絵を見て初めて「写生画の大家」ということを思い知らされた。
リアルであってリアルでない、しかし絵空事ではない、実感のある絵。凄い、と思った。
葉の花を背にした白地に黒ぶちの猫が左前足をちょっとばかり前に出して、こちらを見ている。昼間だから眼は金の海の中に三日月を描いている。
そしてその前(画面向かって左側)にはスミレが小さく咲いている。
何と言う猫の可愛さか!!カメラ目線の猫は静かに端座しつつ、こちらを意識している。
なんというイキイキした絵だ。
この絵が1795年に描かれたとは、到底思えない。つい今、描いたばかりのような新しさがある。その新しさとは絵が今風とかそんなことではなく、「リアルタイム」な実感というべきものだった。素晴らしい猫の絵だった。

景文 三社図三幅対  タイトルはそれで絵はハト、朝日に波、シカというものだから、ちょっとした判じ物になっている。解説によると、ハト=八幡様の使い(源氏。岩清水八幡宮)、朝日に波=伊勢神宮(皇室)、シカ=春日大社(藤原氏=公家)ということで、三社(三者=武士・公家・皇室)が仲良くすることを祈願した絵らしい。
こういうのを見ると、わたしなんぞはウシ(天神様=学問の神様)、狐(お稲荷さん=商売繁盛)、トラ(阪神タイガース)で三幅対を頼みたくなるぜ。

芦雪 長春小鳥図  デタッ文鳥!まだ咲かずに閉じている紫木蓮の木に小鳥たち大集合!先頭に止まるのは芦雪お得意の文鳥さん。みんな向き方々向いてるけど、どこか直線的で、それがありえない感じがして、面白い。蝶も寄って来ている。中には最近は滅多に見ない黄色い蝶もいる。ああ、本当にいいな。

狙仙 猪図  ブヒ。秋草の上に寝転ぶ。これが湿地帯ならヌタとかいうのね。それを猟師が狙うのがヌタ待ち。萩に猪ではなかったが、いかにも秋らしい。

沈南蘋 竹雀図  この人の絵、ですか?・・・という雰囲気の絵。大和絵にしか見えない。竹に青い朝顔が絡んで咲く中に チイチイパッパッ チイパッパッ な群雀たちがいる。
描き方も構図も特徴がない。しかしわるい絵ではない。ただこの人が描いたのか、と言う不思議さは残る。

梅逸 墨梅図  梅逸らしい「これでもかっ」な密な梅梅梅。多々梅。濃淡を利用するのではなく、一色で(同一レベルの色)梅と幹とが濃厚に描かれている。

江漢 青鷺遠村図  江漢の描く動物達はどうもエラソォである。この鷺もむろんその傾向が強い。エラソォというのは感じの悪いものだが、彼の動物達のエラソォさは「思慮深そうな」エラソォさなのである、と思った。

鳥尽図  作者不明の中屏風。上段は金銀砂子で、下段は竹の柵の向こうに鳥の楽園、というイメージの世界が広がっている。
わたしはトコヨノナガナキドリはニガテだが、小禽は好きだし、猛禽も大好きだ。ここは「小鳥遊」=タカナシの世界だった。木々を飛び交う小禽たち。地には花が咲き小さな池には水鳥が泳ぐ。秋草が主に咲くが、ちょっとばかり紫陽花もある、おや、まだ子供のハヤブサもいた。可愛いなぁ、この丸い頭に大きな目玉に小さくても鋭い嘴。
この屏風はよっぽど鳥の好きな人が誂えたのに違いない。
全然関係ないが、京都に通称「鳥の風呂屋」と呼ばれる銭湯があるそうだ。ガラス窓の向こうに多くの鳥を飼うているからだと言う。
奈良の上村淳之さんのお仲間みたいな感じですね。

工芸品では釜のよいものや仁清の桜花文透鉢、乾山の立葵透鉢などおなじみの素敵な器が出ていた。まったく涼しくていい感じがする。
そして兄弟コラボの小禽図額皿。笑う千鳥。

蒔絵の硯箱も実にたくさん出ていたが、下絵を狩野栄川が描いた、九条家伝来の吉野山図蒔絵硯箱および文庫がかなりよかった。彫師もわかっている作品だが、桜の描き方がとても濃やかで、繊細な愛らしさに満ち満ちている。

しかしいちばん心惹かれたのは、銘のない吉野蒔絵茶箱。
この吉野山の桜の描き方が、山の中の桜ではなく、森のようにしか見えなかった。
桜の森の桜の闇を蒔絵が生み出している。それも夜の闇ではない。光る道がある。
本当にこれは真昼の暗黒の桜だった。
こんなに濃密な空間は見たことがない。

茶箱の中にセッティングされていた香合は布袋が座すもので、先ごろ畠山記念館で見たものの親戚のようだった。
やはり見に行ってよかった展覧会だと思う。
7/19まで。

七夕 2010

七夕と言うことで、♪笹の葉さらさら 軒端に揺れる という状況を我が家でも再現しておるのですが、お星様キラキラ金銀砂子 と言うことはムリぽいです。

それで久しぶりに展覧会の記事じゃなくて、七夕企画してみます。
七夕を想起させる絵を少しばかり集めました。

北野恒富 願いの糸 右向きと左向き2枚。
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針仕事が上手になりますように、と願う昔の女のヒトの行為。

こちらはまつ本一洋(まつ はウカンムリに公の下に木のマツ)の「七夕踊り」
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寛永から正保年間に流行った小町踊りが原型らしい。
今では今出川通堀川東入ルの白峰神社で「七夕小町踊り」として引き継がれているそうだが、それは昭和37年に再興されたそうだ。振り付けは茂山千作さん、監修は故・吉川観方。名前を見ただけで良さそうなイメージがある。
絵は図録から引っ張ったので、見づらいかもしれない。


絵本では初山滋の「たなばた」を挙げる。
たなばた(こどものとも絵本)たなばた(こどものとも絵本)
(1977/04/01)
君島 久子初山 滋


いい感じ。

最後にコミック。
大島弓子の名作「七月七日に」(「全て緑になる日まで」所収)
全て緑になる日まで (白泉社文庫)全て緑になる日まで (白泉社文庫)
(1996/12)
大島 弓子


せつないせつない物語だった。

今年は昼間に大雨の後、さらさらと空気が綺麗になった。しかし星は見えないのが残念だが、いい七夕のような気がする・・・・・

「能の雅 狂言の妙」前期展をみる

「能の雅 狂言の妙」のうのエレガンス、きょうげんのエスプリ。
巧いタイトルだと思う。
サントリー美術館で「国立能楽堂コレクション展」が開催されていて、機嫌よく出かけた。
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国立能楽堂のコレクションは近年関西にもちょこちょこ来てくれているので全く初見と言うこともないのだが、それでも嬉しい。
能楽堂自体も時々いろいろ企画展を行うが、却ってこうしたときの方が多くのお客さんの目に触れることになる。
思えばそこら辺りは矛盾だ。無料観覧にお客は少なく、有料観覧にお客が来る・・・

さて、実際にいいものを見せてもらえたが、それをイチイチ細かく述べることはしないでおこう。
ざっくりと書いてゆきたい。

特に気に入ったものを集める。

能面  基本的にわたしは、ややとしかさな女の面や文楽人形に魅力を感じている。
役柄も娘よりも人妻に惹かれるものが多いと言うことから、大体の嗜好が知れる。

小面  チラシ左下。唇がたまらなく色っぽい。この下唇の魅力は何なのか。

泣増  なきぞう。少し頬が紅潮している。天下一大和の書き込みが面の裏にある。唇の朱がやや剥落していることが、却って艶かしい。

安達女  「黒塚」に使われる鬼女。角と歯が黒い。思えば不条理な説話である。

小喝食  前額に下がる銀杏形の髪がやや大きめ。顔立ちもしっかりクッキリしている。
笑窪のある少年。愛嬌を感じる。なんとなく薄命ではない気がする。

敦盛  唇に朱が差されている。平家物語の一節が浮かび上がると共に、横溝正史の名作「蔵の中」をも思い出す。「敦盛様のように美しくお化粧をして」蘇芳をぶちまけたような血の海の中で絶息している美少年。
文字で描かれた美少年は現実の少年が演じるよりも、こうした美しい能面をつけて演じたほうが美麗になり、観る者も執着が湧くように思う。

獅子口  金ピカ、大口にゃーーーっ!! という感じである。
上に挙げた面は全て江戸時代のものだが、こちらは室町のものである。

能装束  染色に移行する着物に反して染織にこだわった能装束。桃山以来の織物、縫取、摺箔の伝統は今日まで続いている。

特別展示の桃山時代の装束が入り口で出迎えてくれていたが、そこから書く。

紺地白鷺模様狩衣  この白鷺たちの群にまず驚いた。布地の関係で首が切れてるのもあるが、それにしても凄い白鷺連である。サギサギしている。

白地松藤揚羽蝶模様縫箔  揚羽蝶の丸い目玉まで表現されている。「蝶の舌」はクルリとコイル状に巻いている。これらはそれぞれ岐阜県内の別の春日神社の所蔵だというが、春日神社と能との関係を考える上でも、非常に興味深いものではなかろうか。

茶地紫陽花小花模様縫箔  丸囲みの中に紫陽花の花が縫い取られている。剥落ではない白さ。白紫陽花の形容がある。

次に加賀百万石の前田家伝来の能装束について。
制作年のわかる装束が幾つも出ていた。

紅地花入蜀江模様厚板  豪華。花がランダムに咲く。ふっくらした花々の美。見事だった。文化7年12月の書入れが残されている。

紅地白鷺太藺模様縫箔  安政五年。世の中の騒ぎとは全く別天地のようです。真正面顔の鷺が可愛い。明治からの前田侯の動向はなんとなく知っているが、幕末の前田家がどんなことをしていたかは知らない。そんな時代にこんな贅を凝らした能装束を拵えることができるのは、やっぱりえらいものだ。
世が騒ごうと政治が動こうと、文化は守られなければならない。チラシに選ばれたのも当然だと思う。

それにしても装束に鷺柄が多い。鷺がいかに愛されていたかを証明するのか。
明治の頃に廃流になったが、鷺流という能の家筋もあった。九代目団十郎に能の歩き方を伝授したのを最後に廃絶したと聞くが、なんとはなしにそのことを思う。

能楽堂所蔵の能装束にも興味深いものがいくつもある。

紺地立浪水犀桶模様縫箔  カバ、ウマ、サイがおるとは・・・!!びっくりした。

腰帯は現代のものだが、水仙模様などがとても可愛い。

階段を下りると、能舞台が設えてあった。
その向かいには作りものがいくつも並んでいる。
道成寺の鐘、桜、鞍馬天狗の羽団扇、鞨鼓台、唐団扇、汐汲み車、包丁にまな板まである。
そこには無論タイがある。あら惜しや、鍛冶がないぞよ。

能の楽器  能管、小鼓、大鼓などが出ている。皆それぞれ凝った蒔絵にくるみこまれている。大変に美麗。「イョーッポンッ」という音声が頭の中に流れる。
わたしが最初に聴いたのは「小鍛冶」だった。
ソレ唐土に伝え聞く龍泉太阿はいざ知らず
・・・・・もしかするとこれは長唄かもしれない。なにしろ小学五年の授業だったから自信がない。近々友人に訊くことにしよう。と、エエ加減なことを書いておく。
そういえば「御家人斬九郎」の母上・真佐女は小鼓の名手と言う設定だった。
TVでは岸田今日子さんがヨッハッと機嫌よく打っていたのを思い出す。

狂言面  「猿に始まり狐に終わる」という言葉がある。こちらも舞台を見るのがちょっと体質に合わなくて申し訳ないが、無縁のままである。折角茂山社中の舞台が見に行ける環境にあるのに、本当にもぉ・・・

登髭  なにやらイヤ??なオヤジのツラツキである。
尼  こちらもなにやらヤラシイカオツキで笑っている。
ふくれ  ムッとしているようにしか見えない。
空吹  どこ見てるねん、と訊きたい。チラシの右上。
聟猿  キリッとしたエテである。
白蔵主  口元がギザギザな歯の連続。WWWWWWな口である。
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後期には「武悪」も出る。最初に見た狂言は「武悪」だったが、あれは今もとても好きだ。やはり小学校の授業で見たのだが、最初に現われる主人の押し殺した激怒と殺意が、今も忘れられない。
それにしても狂言の面は喜劇を超えて、却って何やらシリアスなものを感じる。
ここには出ていないが、壬生狂言の面の古様さは、怖ろしいような魅力がある。

狂言装束  やはり能装束とは違って簡易で平明なよさがあると思う。
素襖上下や肩衣がぞろぞろ並んでいるが、なんとなく楽しい感じがある。

黒地流水鷺模様肩衣  鷺、なにやら若冲を髣髴とさせるような、楕円に線が延びてます、みたいな風にも見えた。

浅葱地芭蕉蝸牛模様肩衣  装束も色々あるなぁ。これなんぞは装束と言うより、化政期にぶらぶらしていた町奴か御家人崩れが着そうな柄やないですか。何の演目に使うたんかな。
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黄地碇模様肩衣  これまた大きな碇がドンッと描かれている。「いや?幕末だねえ」とはほりのぶゆきの「江戸むらさき特急」での名台詞だが、やっぱり時代かなぁ。

最後のコーナー「能楽の絵画・文献」は後期展示を見てから併せて書くつもり。
なので、今回はここまで。(なんというエエ加減な)
後期は七夕から天神祭の日まで続く。

オルセー美術館展2010ポスト印象派

これまで何度も「オルセー美術館展」があり、その都度「よかったな」と感銘を受けてきたが、今回もまた「やっぱりいいな」と声を挙げている。
実際にパリのオルセー美術館に行ったときの記憶と言えば、作品よりも元・駅だった建物の構造だったり、巨大な時計などで、メインは夜間開館日の閉館までいた挙げ句、ホテルまでタクシーに乗ったはいいが現金を使い果たしていて、アルジェ系の運転手に「この友人を人質にしてくれ、部屋までお金を取りに行く」と交渉したこと。
友人は絶句したし運転手もあわてて「¥でいいよ」と言い出したこととか。
・・・ろくなことしか思い出せないな。
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多くの作品がきていて、多くの人々が集まっているので、絵の前にたつのもなかなか難しいが、見たいものはじっと見れたので、嬉しかった。
ポスト印象派というククリの中に入る画家の作品群がある。20世紀にハナサキをつっこんでいる時代。それらを眺めるのは面白かった。

第一章1886年 最後の印象派

モネの日傘の女性、睡蓮の池など「いつ・どこで」見ても、やっぱりよい絵も来ている。

モネ ボルディゲラの別荘  竜舌蘭か、手前にある植物を見ているといかにも暑そうな感じがする。ちょっとルノワール風な。

ノルウェー型の舟で  舟のことはよくわからないが、これはフランスの舟と違う形なのか。三人の女が池らしきところで釣りをしている。水面に彼女たちが映る。静かな池。映画「黄昏」を思い出す。
いや違う。「黄昏」がこのモネの描く空気を映像化した、という方が正しいのかもしれない。

ドガ 階段を上がる踊り子tou246-1.jpg
壁の赤茶色と少女たちのチュチュの薄水色との対比が目に残る。ざわめきまで聞こえてくるような。
こういう作品を見ると、秋のドガ展がとても楽しみになってくるのだ。

ピサロ ルーアンのボワルデュー橋、夕日、靄のかかって天気  橋桁がやたらしっかり描かれている。強固な橋桁。わたしは「水辺の土木」に関心があるので、絵がどうのとか言うより、こういうものを見るとそちらに関心がどーっといってしまうのだ。

第二章 スーラと新印象主義

スーラのポーズする女の習作が色々あった。
ところがこの点描をジッ と見ているとブラウン管を思い出してしまう。
恣意的に点描を用いたのでなく、科学的根拠の下に意識的にその手法を確立したスーラ。
だからある種の法則があるのだろうが、それを見ているうちにブラウン管を思い出すのはどういうことか。三原色で成り立つブラウン管。暖かいブラウン管。
わかるようでわからないが、どちらにしろそんなことを思い出しているようでは、スーラの作品に関心があまりわかなかったのがバレてしまうな。

しかしシニャックの女たちはよかった。
きらめくもので成り立つカラダがそこにある。
そうなるとこれは完全にシュミの問題になる。
スーラに関心が湧かずとも、シニャックが素敵だと思うのは、嗜好の方向の話だ。
他にもリュスの点描を見ていると細切れの人参をここに加えたい気がしてくるし、点を打つにしても大変だろうと思ったりで、絵を楽しむより別なことを考えてしまうのだった。

ジョルジュ・レメン ハイストの浜辺  どう見てもSFだ。ナゾな配置。ナゾだ。シュールというよりも。時々こうした絵を見ることで気分がハイになる。
ハヤカワ文庫の表紙にこの絵が加わればどんなに素敵だろう。本気でそう思う。

第三章 セザンヌとセザンヌ主義

セザンヌのよさが徐々にわかるようになってきたのはこの十年くらいのことで、それ以前はセザンヌをどうも避けていた。絵そのものに文芸性・叙情性を求める様なわたしでは、確かにセザンヌを避けるのも当然だったろうが、近年はそのセザンヌとセザニズムに走った画家たちの作品に深い興味を持つようになったのは、やっぱり自分も進歩したのではないか、と思う。
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水浴の男たち  森の中の泉で水浴する人々を多く見てきたが、この「水浴する男たち」は特によかった。身体の筋肉の張りがいい。そしてその身体と空の雲の色合いがとても心に残る。

たまねぎのある静物  芽を吹きすぎたたまねぎ。絵を描くうちに時間が経ちすぎて食べれなくなりつつあるのかもしれない。そんなことを考えている。
へんなことを思い出している。「ドグラマグラ」の九相詩絵。
たまねぎにはまだ時間がある。茶色い背景がまだその生を保っていることを教えてくれる。

ドニ セザンヌ礼賛  絵としてどうこうではなく、こういう絵はなんとなく嬉しくて好きだ。内輪ウケみたいなところがけっこう好きなので、楽しく眺めた。

第四章 トゥルーズ=ロートレック

近年ロートレックの回顧展を幾つか見てきたので、ここにある三枚を眺めると、それだけで嬉しい気持ちになる。
娼婦である「赤毛の女(化粧)」にしてもその後姿は魅力的だった。赤毛女への偏愛を感じる。そして「女道化師シャ=ユ=カオ」の黄色いヒラヒラが目の前を泳ぐと思ったら、どう見ても凶状持ちのようなツラツキの「黒いボアの女」が現われる。
イジ悪さと親しみとがもつれ合った世界がそこにある。

第五章 ゴッホとゴーギャン

このあたりに来ると、やっぱり人の多さに参った。

ゴッホ アニエールのレストラン・ド・ラ・シレーヌ  白塗りのベランダ・コロニアル・スタイルの店舗。花が伝い這う。その佇まいに惹かれて描いたのだろうが、この建物が目の前にあればやっぱりわたしもパチパチと撮影するだろう。

馬車、アルル郊外のロマのキャンプ  子供らがいる。オランダ人のゴッホがロマの人々をどう見ていたかは知らない。少し離れた地点からの絵。
色々考え込んでしまうので去ることにした。

星降る夜  理屈を書くのはやめて、やっぱり綺麗だと思う。好きな一枚。これが見たかったので嬉しい。右から見たり左から見たり。

アルルのゴッホの寝室  これはだいぶ前に便箋になったのを購入している。この部屋にいるとバランスを崩しそうになるなと思いつつ、割りに好きなのだ。なんとなくこの絵を見ていると清志郎の歌が流れてくる気がするのだ。

ゴーギャン タヒチの女たちtou246-2.jpg
右のピンクのワンピースの女の姿勢を見ていると、猫背と言うより大阪弁で言う「ブンコ」に近いなと思う。猫背よりもっと背を曲げてしまうあれ。この姿勢が内臓を圧迫し、背骨を湾曲するのだが、着物を着ていた人は帯を負うようなカタチでそれに親しんでもいた。
しかしこのタヒチの女がなんでそんな姿勢なのか、そのことに妙な関心が湧く。
これはひどくなると顔が腹辺りに来るが、身体が柔らかくないとムリな状況でもある。このタヒチの女の身体の柔らかさを想像する。
ゴーギャンの描くタヒチの女たちは誰も彼もが柔らかそうな肉体の持ち主だった。

第六章 ポン=タヴェン派

実際にオルセー美術館で見て記憶に残っている作品が現れたのでちょっと嬉しい。

エミール・ベルナール 愛の森のマドレーヌ(画家の妹)  湖への道に寝転ぶマドレーヌ。最初に見たとき何かの寓意画かと思ったが、今回はそうは思わなかった。ただ赤色が意識に残るばかりだった。

ジョルジュ・ラコンブ 紫の波  和風。波の表現が風呂敷の唐草模様を思わせる。和の波だと思う。

第七章 ナビ派

なかなかこのあたりの画家の展覧会がないので、今回は大いに喜んだ。

ポール・セリュジエ 護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川  この絵をエポックメーキングにしてナビ派が結成。不透明釉薬で焼かれた七宝焼のような作品。

ドニ カルヴァリオの丘への道  キリストの道。被り物をしたシスターたちが靄けたキリストにくちづける。この服装はもっと後代のものだから、錯誤があるのだが、もしかするとそうではなく、シスターたちがキリストの道を再現して歩くところへキリストの幻影が現われた、と解釈すべきなのかもしれない。

ドニ ミューズたち  木々の隙間に戯れるミューズたちが見える。カフェ風。そしてその森は小金井公園のそれのように見える。

ボナール 白い猫tou244.jpg
この猫とは20年くらい前に知り合いになった。うーんとノビたら確かにこうなる。可愛いなぁ。ボナールもよく猫を描く。フジタ的と言うより国芳的な感じで猫が現われる。

第八章 内面への眼差し

象徴主義の作品が現われて嬉しい。かなり楽しみにしていた。

モロー オルフェウス  時間をかけて眺めた。モローの中でも特に好きな一枚。
最初に見たのは画集からだが、そのときから変わらず好きな作品。
八つ裂きにされたオルフェウスの首と竪琴を抱き上げる女と、遠景の女たちと。
なにかしら静かな哀しみを感じるのだった。

ルドン 目を閉じて  よく知られていることだが、武満徹がこの絵からインスピレーションを受けて「閉じた眼」を作曲しているが、あの曲想を思いながら絵の前に立つと、不思議な優しさを感じる。
自分も眼を閉じてみる。絵も音楽もシャットアウトされるか?いいや、そんなことはない。
眼を閉じて絵の前に立つと、残像はより鮮やかに瞼に広がり、音楽はいよいよ深く染みとおるのだった。

ルドン キャリバンの眠り  これはまた好きな作品で、キャリバンが可愛すぎるのが楽しい。元ネタの「テンペスト」は蜷川演出とピーター・グリーナウェイのそれを見たが、グリーナウェイでのキャリバンはピーター・ガブリエルが演じていて、手足の長いワルそうな奴だったが、ここでのキャリバンはくるくる丸く寝る可愛い姿を見せている。
首に羽根のオバケも出るが、本当に可愛い。掌に納めてやりたくなるくらい、可愛い。
こういうキャリバンは可愛がって育ててみたくなる。

ボナール ベッドでまどろむ女  これは初見。ちょっと開きすぎですよ。しかし今風なおねえさんではある。111年前も今も変わらないか。

ボナール 男と女  オルセー美術館でも見て、ポストカードを購入している。(日本で買う根性がないわたし)
何と言うても猫がいい。猫が二匹ばかり寄ってくるのがいい。キジと白と。
今夜は愉しかったからいいけど、ダメな日にはその猫の爪をニュッと出して、カレの背中を引っかいてやれ・・・・・・!

ヴァロットン 夕食、ランプの光  ランプに猫の柄がついている。可愛い?。しかしここの家族はちょっとこわい。

クノップフとハンマースホイの女たちが隣同士に並んでいた。
「マリー・モノン」の横顔と、「休息」する(たぶん)イーダの後姿と。
この二枚の絵があたりの温度を静めたような気がする。

第九章 アンリ・ルソー

二枚だけとはいえ、これが見たさに足を運んだ人も多いと思う。
わたしもここにある二枚にドキドキした。

戦争  小学五年生のとき、担任がこの絵の複製画を出して色々話をしたが、彼はゴーギャンとルソーとの区別がつかず、話が混ざり合っていた。
小学生のわたしの目にはこの「戦争」が焼きついているが、彼はその後もこの絵を生徒に見せながらゴーギャンの生涯の話をしたのだろうか。

今回、この絵を見ながら「彼岸島」を思い出していた。剣を握る指の形など。勝手な想像だが、「彼岸島」はこの絵を見て思いついたのではないか、とチラッと思っている。

蛇使いの女  可愛い。夜に笛を吹いてはいけません、蛇が来ますよ・・・という俗諺がそのまま活きている熱国。白い満月の下でピーと笛を吹けば、大小さまざまな蛇が来る。
眼ばかり白い女の笛は蛇だけでなくトリまで呼んでいる。
ここはアマゾンのような気がする。それも16世紀のアマゾンに違いない。
「アギーレ 神の怒り」での川の両岸に潜む原住民の悪意。アギーレたち白人が来なければこうして満月の下で機嫌よく笛を吹いて蛇を呼ぶばかりだったのに。
そんなことを思いながら、自分も小さく口笛を吹いてみた。

第十章 装飾の勝利

壁画装飾を見るのはなかなか楽しいが、さすがに疲れてきた。
申し訳ないことにここはさらさらと見るばかりで印象が薄かったりする。
とはいえ公園や水の戯れなどを自邸の装飾にするというのは、やはり西洋文化だと当たり前のことを改めて思い知る。
飽きてしまわないような大掛かりな絵が必要なのだった。

この展覧会は大人気で、開館時間も変更されたらしいが、そうすることで多くのお客さんが楽しめるのはいいことだと思う。
それにしてもやはりオルセー美術館の所蔵品はすばらしかった。

清朝末期の光景

東博の企画展示室で「清朝末期の光景展」が7/4まで特集陳列されている。
タイトルを見ただけで鼓動が高まる、動悸がする。
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「清朝末期の光景」とは、そのリアルタイムに写し撮られた様々な風景・情景・光景が百年後の今に甦るわけか、とわたしは解釈する。
しかし図録見返しにはこれらがその原本ではなく、新たに原本から採られ再現されたものである旨が書かれている。
それでいいと思う。
再現技術が可能な作品は、その特権を享受すべきなのだ。
それで感動が薄れるということはない。
直筆で拵えられたもの以外は(極端なことを言えば)全てその方向へ進むほうが良いのではないかと思っている。
以前、こんな展覧会もあった。
そこで不完全燃焼だった想いもこの展示で昇華されたと言っていい。

それにしても綺麗な作品ばかりだった。
建物そのものはところどころ廃色が濃いものの、それでもこの不可思議な存在感がそれすらも美麗なものに見せる。
小川一眞、早崎梗吉、関野貞が映した「清朝末期の光景」がそこにある。

太和殿宝座、四天柱、宝座の藻井(そうせい。飾り天井のこと)。
いずれも見事な彫刻が施されている。
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西洋でのフレスコ画に埋め尽くされた大聖堂・宮殿も壮麗だが、東洋の彫刻に満ち溢れた空間と言うものは、艶麗である。
描くだけでなくそこに瑕をつけ、彩色を施す。刺青の技能を思いながらこの空間を想う。
そしてそれが銀塩のモノクロで表現されている、そのこと自体に深いときめきが生まれる。
藻井には軒轅鏡(けんえんきょう)と呼ばれる銀色の珠がつるされている。村上もとか「龍 ―RON」ではその珠の裏に秘宝が隠されていた。そのことを思い出す。

金鰲玉蝀橋(きんごうぎょくとうきょう)。
tou240.jpg美しい蓮池。
明代以降?清朝を舞台にした絵画や映像などで「蓮採り舟に美女たち」という情景を見ると、それだけで心がふるえる。
今やそのような歓びを味わうことは不可能なのかもしれない。
蓮池への深い憧れが写真を見ることでいよいよ増幅されてしまう。

岡倉天心と共に龍門石窟へ向かい、その美に衝撃を受けたのは学会だけではなかったろう。
撮影した当の早崎が一番衝撃を受けていたのかもしれない。
そして十年後に同地を再度訪れた早崎のその写真は、不思議な魅力に満ちていた。
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経年による瑕なのか、それとも石窟自体に生じた瑕なのかわからぬ白い光のような斑点たちは、いよいよ石窟内部を煌びやかな空間に見せている。
右上写真の毘盧遮那佛の向かって左に蝶を思わせる剥落がある。仏像の視線はその蝶を追うように見える。なんという美しい画像だろうか。
その隣の写真からは荘厳な音楽が聴こえて来るように思われた。
そしてその下の菩薩はまた違う地のものだが、今でも殆ど知られていない寺院のものだという。
静かに現われる。そんな風情のある菩薩像を今、わたしたちは見ている。

他にも「美しい情景」を三枚。

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上は禹門口。禹王の業績が活きる地。そこで馬が水を飲む。色彩のなさによる美。
下は阿房宮の故蹟に咲く花々。この世の風景とは到底思えない。

龍亭へ向かう人力車、水浸しの道、轍。他に何もない空間。どこかシュールな世界。
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現在でもこんな情景を見ることがかなうのだろうか。

近年、西洋よりも東洋の美に惹かれる自分に気づく。
旅をする先もすべてアジアだった。
欧州を歩く孤独な愉しさもかけがえのないものだが、アジアの片隅で生きる歓びを捨てることは出来ない。
こうした写真展を見ることで、いよいよその歓びが増すことを感じている。

今年の蓮

毎年夏になると蓮を見に行くことにしている。
以前は万博公園まで始発電車で出かけたが、どうしてもクルマの連中に負けるので、万博に行くのをやめた。
それで自転車で行ける近所の蓮池へ向かうことにしたのだ。

行く前についでに笹を伐りに行った。今夜は笹飾りをするのだ。七夕まで時間がない。
当日には笹も茶色くなっているかもしれないが、それでいいのだ。

蓮池に着くと、まだ蓮があんまり咲いてないことに気づいた。
7/4だぜ。
しかし咲いてへんのは咲いてへんもんです。

とりあえずちょっと撮れるものは撮った。
クリックすると拡大します。

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池には柵が回されているので、そこから一番近いところの開いてる蓮。

寝てます。IMGP8097.jpg

遠景。IMGP8098.jpg

橋も含んで。IMGP8096.jpg

太極拳するひとびともおる公園。民家集落もあるが、そちらへは幼稚園以来出向いてない。
蓮だけでなく睡蓮の池もある。
IMGP8099.jpg白睡蓮。

清楚です。IMGP8103.jpg

いきなり現われた!IMGP8102.jpg
潜水艦みたいやん。

モネ先生に捧ぐ。IMGP8101.jpg

IMGP8100.jpg 来年までサラバ。

屏風の世界

出光美術館の屏風の世界を堪能した。
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毎年この6~7月半ばの展覧会は和の良い展示が続くけれど、今年はまた本当にいい展覧会だった。
それは「見せ方」に因るところが大きいのかもしれない。
従来とは違う有機EL照明とやらを使った展示で、天然に近い明度などに設定されている。
図録でも屏風を本来の折り目を見せての掲載で、これがまたなかなかよかった。

1.日本式屏風の誕生
こうした章ごとのタイトルが、拡散する意識をまとめてくれるので、たすかる。

山水屏風 残闕 南北朝時代  表具も素敵だった。今では軸物になって。右幅では手前の赤い欄干の橋がいい。柳が揺れている。やや仏画風な味わいもある。
左幅は山中を行く貴人。四角い傘を差し掛ける従者。扇持ちもいる。
松ばかりではない木々。なんとなくそれを見て始皇帝を思い出す。始皇帝は山頂に多くの自分の碑を建てさせたから。

日月四季花鳥図屏風 室町時代  春の風景と秋の風景と、どちらも甲乙つけがたいが最近は秋の美に惹かれる。しかし目は右から左へ向かう。即ち春を見てからの秋なのである。
秋の美は春があるからこそ生まれる美なのだと知る。鳥たちの様子も違う。
緑の濃い屏風。花びらが散る。白いモコモコの桜。雉がくつろぐ春。嵌め込みの金の満月。
屏風自体の縁がまた綺麗なつくりになっている。螺鈿。
秋の風景に鹿が溶けつつある。(剥落が鹿を秋の野に飲み込もうとする)
萩から現れ出ようとする鹿はどこを見ていたのか。銀の半月がある。

四季花木図屏風 伝・土佐光信  紅梅に始まり赤ユリも咲き、ついには川へ落ち行く紅葉が現われる。「紅葉筏」と言うそうだ。いい言葉を聴く。
しかしながら楓の尖った△△△がなにやら「タスケテ~」風にも見える。
楓は「蛙手」が語源だったことを思い出す。

四季花鳥図屏風 能阿弥   最古の水墨画屏風だそうだ。以前は水墨画に恐怖に近い嫌悪感さえあったが、最近はその静けさに惹かれるようになった。
いや、水墨画だから静かでなくてはならないわけではない。そこのところがわかってきたのは、この能阿弥あたりの作品を見てからだと思う。
濃淡の美。豊かな自然風景。
目つきの悪い鳥は叭叭鳥か。鳩もいれば潜む鴛鴦もいる。雁も飛び、雀を見返る白鷺もいる。それにしても目つきの悪い鳥たちが固まって口を開いているのは、立ち話にイソシムご婦人方のようにも見えて仕方ない。

四季花鳥図屏風  伝・雪舟  右にピンクの牡丹がパッと咲く。その曲線に対する無骨なほどの直線の竹。雀が飛ぶ。どっしりした松の幹には鳩。左の水面にはピンクの蓮が開いているが、白鷺がそれを目掛けて急降下するらしい。
ピンクの花の位置がとてもよかった。
  
西湖図屏風 狩野元信 室町時代後期  蘇東坡(蘇軾)ゆかりの蘇堤(Ω)、白楽天ゆかりの白堤(=)。それらが混在する街。いいなぁ。
何年前か、上海の近代建築を見に行ったときも、結局いちばん良かったのは明代の蘇州の庭園だった。むかしむかしに極められた土木・建築様式がやっぱり面白いのだ。
小さなジャンクや投網する人の姿もあった。

屏風で横長になった目を引き締めてくれたのは、小さな工芸品たちだった。
「沈金菊文四方盆」は暗く静かで、「堆朱蓮文盆」はパッと明るかった。パッという語感がピッタリ!な蓮の咲き方。
「蝶蒔絵経箱」は全面に群蝶。鱗分を思わせる梨地。
「女郎花蒔絵硯箱」は江戸時代の美意識を感じた。駒が見返るのは何か。乗り手はどこへ消えたか、硯の浦に沈んだか。

2.物語絵の名場面
わたしの好きな「絵に物語があるもの」が表れた。知る物語も知らない物語も、どちらも楽しい。

天神縁起尊意参内図屏風 室町時代  物語の大意を解説から写す。
「勅命により法性房尊意が菅原道真の怨霊の猛威を鎮めるために宮中に参内しようと賀茂川にさしかかった時、雷雨で荒れ狂う川を尊意の法力によって開き渡るという北野天神縁起における場面」を描いたものだそうだ。
・・・日本にもモーゼみたいなのがおったわけですね。
牛飼舎人たちも大変だったろう、牛は頭を低くして突進中。眼の大きい黒ベコ。カメラ目線の牛。なかなか実録もの風な趣があって面白い。

業平東下り図屏風 伝・俵屋宗雪  色々といたたまれないことを仕出かしたり、なんだかんだの逃げの旅。日本人は大昔から一旦逃げてしばらく都落ちしてからなら、罪を赦されることになっている。法律ではなく何というのか、魂の風習なのか。
金屏。富士山頂のズンズンズンとした三連がはっきりくっきり。主従はちょっと怯えてもいるように見える。

宇治橋柴舟図屏風 桃山時代  柴は茶と青とに色が分かれている。水車の水は永遠にこぼれ続ける。しかしその水の形容はまるで女の髪が落ちてゆくようにも見える。
岸の柳も左右、違う柳だった。季節の違いなのか、柳と楊の違いなのか。

蟻通・貨狄造船図屏風 伝・岩佐又兵衛  働く人々の表情がいい。笑う子供ら、ハグキむき出しの従者たち、よくできた竜頭などなど。明るく煌びやかな色彩がイキイキしている。キャラがわりと大きく描かれているから迫力がある。
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三十六歌仙図屏風 伝・岩佐又兵衛  これは巧い構成だった。上部にずらずら並ぶ三十六歌仙たちと、下部には色んな説話の1シーンが文琳型の枠内に描かれている。
二十四孝から釜堀の話やゾウさんたちが工作手伝う話、牛若vs弁慶、若衆たちの宴会などなど・・・こういうのが面白いのだ。

岩佐勝友の源氏物語図屏風、源氏物語澪標図屏風などを見ると、大阪にあった出光美術館を思い出す。むかしむかし出光で「源氏絵」展が三期に亙って開催され、大いに楽しませてもらったのだ。あれから、どこでどんな源氏絵屏風を見ても、必ず出光を思い出す。
わたしにとって「源氏絵」は出光で見たものが全ての原点なのだ。

「源氏絵色紙散蒔絵硯箱」は次々と源氏の名シーンが現われるようで、まるで可愛いアルバムのようだった。
「金襴手孔雀文双耳壷」ホイットニーの手が入ったのかと思うくらい。赤地に金の絵。明代の壺だが、この影絵のような孔雀文は本当に、世紀末的な美がある。

3.風俗画の熱気と景観図の大空間
いちばん好きな世界。大勢の人々が何かしているのが面白くて仕方ない。
まず前期に出かけたので、その感想。

南蛮屏風 桃山時代  カラフル~~♪ 船から大砲をいっぱい出してる。カノンカノン♪働く船乗りたち。一方の陸地でもみんなざわざわ。(ざわ・・・ざわ・・・だと福本伸行ですね)
このズボンがまた面白い。・・・今の腰パンのヤツラの対極みたいな。
 
江戸名所図屏風  これは特に好きな屏風で、これまでもマジメに見てきたつもりだったが、それでも初めて気づいたシーンが多かったりする。
'03年にはこの屏風をメインにした展覧会もあった。
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キャラの顔立ちが好きなのですよ。こういう顔立ちのキャラが好きなのです。
それで「何に気づいたか」と言うと、喧嘩に巻き込まれて転ぶ座頭。杖を探す手が妙に可愛いのだ。その手の可愛さが意識に残る。
それと色子屋で耳かきしてもらう僧侶。なかなかいやらしい顔つきなのがいい。
前々から気に入ってた、蒸し風呂屋の客と湯女たち、人形芝居の小屋、街中を行く傀儡師、物売りたち・・・いいねえ。
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(キセルにタバコつめる男の子、サッカーの長友選手に似てる・・・)
それにしても風俗画と言うものは、何度見ても・どこから見ても楽しめるものだなあ。

世界地図・万国人物図屏風 江戸時代  色んなところでこの手の屏風を見ているが、どれもこれも妙に楽しいし、好奇心が募る。
万国人物、世界各国の民俗というか、各国の男女の風俗が描かれている。それがまた『本物』かどうかこちらではよくわからないところが、いよいよ面白くて仕方ないのだ。
そして各民族の人々が妙に艶かしいのがいい。漢語表示の国家名もいいし。
大明、高麗、日本、韃靼あたりは多分リアルな表現なのだろうが、その先はまことに怪しい。それが楽しいのだ。基本は男女一組なのだが、民族によっては一人の女に二人の男などもあり、その関係性を色々妄想するのも面白い。最後には小人族もある。こちらは多数。
地図はナントカ法によって描かれているようだが、海にはクジラもいればイルカも飛んでいる。なんだか気宇壮大で楽しいぞ。

阿国歌舞伎図屏風 江戸時代  まだ初期の作のようだ。茶屋遊びする若衆を演じる阿国。桜の下の小屋。享楽気分がいい。
わたしが最初に出雲の阿国を知ったのは、小学生の頃に見た人形劇「真田十勇士」からだった。そのときの阿国たちの歌声がまだ耳に残っている。
それからだいぶ年月が経ったが、どこかで「阿国歌舞伎図」を見るたびに、他の阿国図を思い出す中で、ジュサブローの人形も必ず思い浮かぶのだった。

大坂夏の陣図屏風 長谷川等意  これは「戦国のゲルニカ」と呼ばれたあれとはまた違うものだが、ここにも残虐なシーンがところどころ描かれている。敗残兵をむしりとる、首ナシ足ナシの死体など。逃げる町人への乱暴は描かれていないが。

歌舞伎・花鳥図屏風 江戸時代  若衆歌舞伎。二人の美青年が踊る。優美な顔立ちの二人。
ときめくなぁ。遊女歌舞伎も賑やかでいいが、こちらの二人へのときめきのほうが大きい。
揃いの装束も似合っている。カブリツキで眺めるココロモチ。わくわくした。
しかしこれは以前は若衆歌舞伎・遊女歌舞伎図屏風という名で、裏の花鳥図は出ていなかったと思う。

古九谷のいいものが色々出ていた。
色絵葡萄文大皿  藍色の葉と緑の葡萄がいい配置に描かれている。色も濃く出ている。
色絵山水文大皿  山水と言うても家がある。山家と言うイメージではなく、どちらかと言えば倉庫のように長い家。後は人のいない光景。なんとなくコワイ。

これらが優しい照明の下にあるのだ。見慣れたやきものがいつにも増して綺麗に見える。
出光の演出に感心するばかりだ。
やっぱり「照明」というものは本当に大切だとこの数年痛感している。
東博でのプライス・コレクション展、阿修羅展、大阪市立美術館の三井寺展などで照明の凄さと言うものを教えられてきたが、本当にそれは重要なことだと思う。
今回の出光でも感心するばかりだ。
マンガで□⊡とか△▵▵でピカピカなのを表現するのがあるが、ホント、そんな感じでピカピカキラキラ見える。

元禄年間の桜花蒔絵徳利が大きいのにはびっくりした。これは実用したのか?
面白いのは樽乗人物形酒器。古伊万里とポルトガル製のとが並んでいる。顔の表現がそれぞれ面白い。ニホンのはビミョ?だし、ポのはいかにも酒飲みな顔をしている。
他にも多くの楽しいやきものがいい具合に配置されている。
楽しく眺めて歩いた。

お茶をいただきながらお堀を見ると、抹茶色より濃い緑色をしていた。
展覧会は7/25まで。後期展示は7/6から。こちらは風俗画ではなく景観図が現われる。

7月の予定と先月の記録

いつもニュースソースとしてアテにしていたサイトがどうもリニューアル後不調で、見るのをやめた。
どうしようかなとつぶやいたところ早速Takさんから「ミュージアム・カフェ」を勧められて「これはこれは♪」と喜んで、そちらで色々検索したり、新聞から拾ったりしたうち、行く気十分なのを挙げます。
尤も期間が長いのは来月回しになるかもしれない・・・

花の朝(はなのあした)初公開!齋田コレクションの絵画名品  齋田記念館
誕生!中国文明  東京国立博物館
近代日本画にみる東西画壇‐東京・京都・大阪の画家たち  泉屋分館
江戸絵画への視線 ―岩佐又兵衛《官女観菊図》重要文化財指定記念―  山種美術館
ブリューゲル版画の世界 ベルギー王立図書館所蔵  ブンカムラ
マン・レイ展 知られざる創作の秘密   国立新美術館
地球最古の恐竜展  森アーツセンターギャラリー
平城遷都1300年記念 奈良の古寺と仏像?會津八一のうたにのせて? 三井記念美術館
没後25周年 有元利夫展 天空の音楽   東京都庭園美術館
ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い
 交錯する夢と幻影   東京藝術大学大学美術館
ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新  汐留ミュージアム
大昆虫博  日本人と虫たちの深く長い歴史   江戸東京博物館
錦絵の美 ―国貞・広重の世界―  静嘉堂文庫美術館
フェリックス・ティオリエ写真展 ―いま蘇る19世紀末ピクトリアリズムの写真家―   世田谷美術館
ポーラ美術館コレクション展 印象派とエコール・ド・パリ   横浜美術館
生誕80年「開高健の世界」  神奈川近代文学館
奇妙奇天烈!? 明治の版画あれこれ   神奈川県立歴史博物館

こちらは京阪神。
没後200年記念 上田秋成  京都国立博物館
京の閨秀・女流・女性画家‐担ったもの/担わされたもの 京都市美術館
日本画家 畠中光享の眼 インド・仏教美術の流伝 大谷大学博物館
京都が生んだ奇才木田安彦「富士百観とふるさとの名山」展 思文閣美術館
にゃんとも猫だらけ えき美術館
逸翁が見た海外 ?海を渡ってきた美術品?  逸翁美術館
印象派と20世紀美術 モネ、ルソー、モランディ、セガンティーニなど、サントリーコレクションを中心に   サントリーミュージアム天保山
高麗時代の水注 大阪市立東洋陶磁美術館
美術の中の動物たち  尼崎市総合文化センター 美術ホール
素朴絵画の世界 アンドレ・ボーシャン展  伊丹市立美術館
画家 岸田劉生の軌跡   神戸市立小磯記念美術館
麗子登場!?名画100年・美の競演  兵庫県立美術館
旧神戸生絲検査場見学
浮世絵版画 - 武者絵と美人画  久保惣記念美術館
華やぎの装い 鴻池コレクション  大阪歴史博物館
近代建築を記録する  大阪歴史博物館

1990年への追想

先般、「花博20周年記念」展を見たことで、'90年当時わたしが何をしていたかを振り返ってみることにした。
丁度今日は2010年の半年目を過ぎた7/1。
いい頃合のような気もする。

この年の5月から毎月必ず何処かの展覧会・美術館・博物館などへ出向くようになったのだ。
今のところ241ケ月連続ということになる。
241ケ月か・・・さすがに長いね。
でも90年はまだそんなにもあちこち見たりしていないのだった。

19900201 うさこ・ディック・ブルーナ そごう大阪
19900210 竹内栖鳳 京都高島屋
19900311 小磯良平 神戸市立博物館
19900318 近代日本の美人画・目黒雅叙園 奈良そごう
19900318 永田萌 アクティ大丸
19900324 アルフォンス・ミュシャ ナンバ高島屋
19900331 手塚治虫夢ワールド 元町大丸
19900401 小倉遊亀 北浜三越
19900602 昭和の文学 北浜三越
19900602 マン・レイ ナンバシティ
19900609 写真 「上海から来た女」 北浜三越
19900610 名作浮世絵の系譜・師宣?深水 京都文化博物館
19900614 与 勇輝 ナンバ高島屋
19900617 近代日本画の秀作 兵庫県立近代美術館
19900617 日本画の四季 西武アピア
19900805 近代の美人画・福富コレクション 奈良そごう
19900805 花のある絵 梅田阪急
19900811 少女マンガ・あすか 八尾西武
19900813 池田理代子 京阪守口
19900825 常設 民族学博物館
19900908 日本芸術院展 奈良そごう
19900921 ロックフェラー浮世絵コレクション・花と鳥 大阪市立美術館
19900921 サントリーグランヴィレコレクション・ポスター 府立文化情報センター
19900921 ホリ・ヒロシ「人形たちの森」戯曲編 アクティ大丸
19900929 近代日本画の誕生と歩み 大丸心斎橋
19901006 六大浮世絵師 神戸そごう
19901013 大観と龍子 足立美術館
19901013 常設 小泉八雲旧宅
19901024 文楽写真 ソニータワー
19901025 EROS90楽園へ 金子國義 キリンプラザ
19901028 手塚治虫 神戸市立博物館
19901102 EROS90楽園へ 金子國義 キリンプラザ
19901110 エルミタージュ美術館 奈良県立美術館
19901110 サンパウロ美術館 奈良そごう
19901110 ヴィクトリア&アルバート美術館 アクティ大丸
19901112 手塚治虫 神戸市立博物館
19901123 京の百景 京都文化博物館
19901201 モース 民族学博物館

こうして眺めると、普段はDBで見てるものばかりだけど、一つ一つの展覧会の感想やちょっとした記憶なんかがとめどなく思い出されてくるなぁ。
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