美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

大昆虫博  日本人と虫たちの深く長い歴史

もうすぐ閉幕を迎える江戸博の「大昆虫博  日本人と虫たちの深く長い歴史」展はとても面白い内容だった。展覧会?博覧会?どっちでもいい、とにかくわくわくする展示がいっぱいだった。
実を言うと、科学博物館の哺乳類展よりも、わたしはこっちの方が楽しかったな?
これはただのシュミの問題ですが。
というか、哺乳類展は陸も海も多少とも「マジメに考えよう」というキモチを起こさせる内容だったように思うけど、大昆虫博は「見てみー面白いぞー」的なノリがあったように思う。
それはやっぱり奥本大三郎、養老孟司、池田清彦、そしてやくみつるという「虫好きオヤジ」たちのコレクションとメッセージが「楽しもう!」という方を向いているからだろう。

・・・と、一応そんなことを書いたけど、要するにわたしは蝶々が元々大好きで、セミとトンボがこれまた大好きなので、シタイとは言えついつい愛でてしまう習性があるわけよ。
可哀想にと思いつつ、その美貌にときめいてしまうのが蝶の標本。
へたな写真で悪いが、機嫌よく撮ったのでそれを出します。

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里山にいる虫たち。仲良くしたい・・・
以下、クリックすると拡大化します。

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巨大なセミ。大王でも帝王でもいいが、うるさいやろな??

綺麗な蝶のオンパレードと言うことで。
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メタリックな翅の蝶なんて今回初めて見た。

IMGP8298.jpg翅に花柄・・・

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綺麗なのを見るだけで嬉しい。

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昔「フィーリング・カップル5対5」というのがあった。関西ローカルの大学生出演番組。それを思い出すなぁ。

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壁に貼られてたやくみつるの絵。本当は望遠鏡でみつけだすらしいが、望遠鏡の順番待ちの間に勝手に見つけてしまったので、望遠で撮るが、やっぱりぼやけた。

IMGP8301.jpg・・・シュミの問題、か。

やくみつるたちが山手線の駅周囲で発見した虫たち。こぉいう地道なフィールドワークが好きなんだ。
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岐阜にある名和昆虫博物館。建物そのものがまた素晴らしいので、近年のうちに見に行きたい。

それにしても並べ方も巧いと思ったなぁ。ときめくように、わくわくするように、導かれている。
ああ、楽しい展覧会だった。

ヘッセの蝶の標本を見るのも楽しかったけど、今回も本当にときめいた。
しかしこんな綺麗な虫たちも年々歳々減り続けている。
やっぱりニンゲンがよくないのだから、なんとかしなくてはいかん。

ところで伊丹と箕面の昆虫館にはドームがあり、そこでは放蝶されていて、一年中いつでも活きている蝶たちと仲良くできる。黄色い服を着ると、特に寄って来てくれる。
でも整髪量とかパヒュームは蝶の身体にわるいから、なるべくナシの方向で、蝶に会いに行こう!

会期は9/5まで。

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納涼 妖怪・化け猫

昨日で終了したがukiyoe-tokyoの妖怪・化け猫展は面白かった。
とらさんTakさんが記事にされている。
こういう展覧会は何も考えず理屈ぬきで楽しめるのがいい。
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光が入る写真なんてホントはアウトですが、却っておどろ?な感じになってるのが面白い。
おばけなのに光で活きてるわけですね。

日本人は平安の頃は魔を恐れたが、江戸時代の人々はむしろ魔を楽しんだ。
芝居や絵草紙でお化けを見て、大喜びで錦絵を買った。
需要があるから供給があり、多く摺るからサラのまま残ったり、大事に保管されて、今になり世に現れたりする。
それをこうして楽しめるのだから、本当にいい財産だ。
国芳の知盛の亡霊は多く残るが、ここにあるのは平家蟹と亡霊の姿。
遠目なので顔は曖昧、ちょっとばかり広重風な感じがある。
しかしこの絵のタイトルは「程義経恋源一代鏡」(旧字)というもので、国芳が「ほどよし」名を出すときは春画が多いし、タイトルにも「恋」が入ってるし、もしかするとオバケ絵ではなくて、春画でのパロディなのかしら。

弟子の芳虎も「大物浦」を描いている。こっちの奥には二位の尼と安徳天皇ら。
ダイモツを通るたびに必ずわたしも「船弁慶」を思い出してます。

芳年の「月百姿」も色々出ている。「伊賀局」「夕顔」「経信」など。こちらは総じて静かな絵の方が怖いものが多い。慄然たる、という感じ。
「新形三十六怪撰」では「小町桜」と「武田勝千代」。明治に入り神経を病んでからの妖怪や幽霊を描く芳年の彩管は本当に静かに怖い。
瓦解以前の妖怪絵は師匠譲りのどこか健全な元気さがあったのに。
「新形」も「真景」も全ては神経衰弱から来ているのだった。
そういえば明治以降の芳年の美少年はまつげが長く、ちょっと妖しい魅力がある。

周延も「六波羅の雪」を描いていたのか。清盛の前で雪が骸骨の集まりになるあれ。
しかし清盛は大喝して蹴散らすのだが、徐々に彼に怪異がまとわり着き始めるのだ。
このシーンを描いたのでは他に、珍しく広重の作もあるから、見比べると面白いと思う。

さていよいよ化け猫登場。これがまた可愛いのよね。
フツーの猫の絵も可愛いけど、化け猫になると芸までつくから、もぉ可愛いのなんの!
「猫もがんばってます」のあの猫だけでなく、10083001.jpg
相棒のほっかむりキャットもよく働いてます。
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そしてそれら手ぬぐい猫たちが、このルームの柱絵になっている。
お客さんを喜ばせようと、柱に黒い不織紙を巻いて、その中に踊る猫たちの拡大コピー。いいなぁ。
全部で5本の柱にそれぞれ化け猫S。こういうのが好きなんですよ。
しかもソファに特製クッションが。踊る猫の絵のクッション!!欲しいよ???

「独道中五十三次」の「岡崎」はこうして可愛い化け猫にまみれるのだった。
ところでこの芝居自体は近年では猿之助のところで見た。なかなか面白い破天荒な芝居で楽しく、趣向が凝らされてるのはさすが大南北の作だと思う。
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国貞の妖怪絵は=芝居絵である。芝居のシーンを描いたらそれが妖怪絵ということになり、国芳のように自分からオバケの絵を描いたわけではなさそうである。
わたしは子供の頃、広重を知った後に国貞を知り、その絢爛な画風に惹かれた。物語性が強い絵が好きなのでとても楽しかったのだ。
国芳のような強烈な面白さはなくても、お客が喜ぶような、言うたらちょっとゾクなところもあるのが楽しいのだ。
高尚である必要性はない、と割り切った感じがいい。

だからここにある絵はみんな幕末の魅力的な役者たちの芝居絵である。
三世田之助が婀娜な目つきで描かれているのも、当人の魅力をさらに増幅させてのことだろうが、絵そのものの魅力となると、どうなのだろう。
昔からこういう作品が好きなわたしには、判断がつかない。

二世国貞の四天王大江山入之図  首を切り落とされた酒天童子が頼光の兜をガブッ右往左往の最中に、頼光一行を支援している熊野権現、住吉明神、八幡の三神が現れてビームを。ううむ、面白い絵だった。

歌川広景という絵師は殆ど見ない。戯画が多くて楽しい。
江戸名所道戯尽 2 両国の夕立  隅田川に落っこちたカミナリさんの尻子玉を狙う河童。カミナリさんは両国橋にすがりついている。
同じく 浅草田圃之奇怪  三人の百姓が狸の指揮にあわせて行進、足踏み中。一人は頭の上に草鞋を乗っけてる。

画像はタイトルをクリックすればとんでゆける。

文化12年の尾上松緑死絵は国貞による。この松緑は前名を松助といい、怪談芝居の名人だったそうだ。そのことは往事の芸談などで知っていたが、絵を見ると一目瞭然な感じがある。つまり涅槃スタイルの松緑の周囲に、実にいろーーーんなバケモノたちが集まっている。ろくろ首や犬神や一つ目小僧、へびにガマの天竺徳兵衛の仲間、九尾の狐に仁木のねずみもいた。・・・彼らがみんな悲しんでいる。

早稲田の画像は続きものなのに、左右逆になっている。

本当にこういうコンセプトの展覧会は大好きだ。
妖怪・バケネコの展覧会は終わったが、九月十月は「江戸の英雄」第二弾なので、これまたとても楽しみなのだった。


没後25年 鴨居玲 終わらない旅

横浜そごうで「没後25年 鴨居玲 終わらない旅」を見た。
鴨居玲は晩年は神戸の熊内町に住んでいた。新神戸駅の近くの、高級住宅街。
‘91年頃に大阪市立美術館で回顧展が開かれ、またなんだかんだと多くの絵が関西のギャラリーにあることから、案外身近な画家でもある。
アートエキスプレスが発行する「ギャラリーガイドブック」にもよく鴨居の絵が掲載されていたので、実物を見る前からそちらで慣れ親しんでいた、ということである。

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晩年の作品ばかりを見知っていた。
汚い酔っ払いなどの、ちょっとペーソス漂う連中。
だから彼が宮本三郎の弟子筋だとは知らなかった。
初期の作品は確かにそんな趣がある。
「青い手袋」「座る裸婦」「裸婦立像」などはどこから見ても宮本三郎の影響が濃い。
女の肌が浅黒いところや、身体の線が。

‘68年の「静止した刻」は安井賞を受賞した作品だが、いかにもその賞を得るような感じがする。
リアルタイムを知らぬからこその、感想だが。

それにしても重く暗い。
重厚さに息苦しくなる。
小汚いヒトビトを描き続けるからか、画家本人の手と眼がその色彩を望むからか。

‘73年「わたしの話を聞いてくれ」 自身をモデルとして、老人の必死さが現われている。
近年、こんな歌が流行った。♪おれの話を聞け 5分だけでもいい
・・・つまり、誰も彼の話を聞かないのだ。

老人、廃兵、酔っ払い。
洋画と言う技法がよくないのでは、と思うくらいの重さを持たされて、彼らが活きている。

しばらく見るうちに、綺麗な横顔が見えた。
日動画廊の長谷川智恵子氏をモデルにした作品が数点出ている。
みな横顔で、額から鼻にかかる稜線の美しさに惹かれた。

ゴヤの「裸のマハ」をモティーフにした関節人形の裸体図があった。
鉛筆で描かれている。少女人形の裸体。くねられた足、少しばかり開きもしている。
画家が気に入っていた作品だと言う。
人形の冷たい容貌には、見るものを誘いながらも突き放す何かがある。

‘81「望郷を歌う」 これは前述のギャラリーガイドブックで見ていた。現在どこの所蔵かは知らない。チマチョゴリの女のヒトが緑色の背景の中で力強く歌っている。
アリランを歌っているらしいが、わたしは勝手に「身世打鈴」シンセタリョンの一人芝居のヒトかと思っていた。
鴨居の作品の中で、これだけは特別に好きな一枚だった。

神戸に居を移してからダメになった。
そんな感じがする。そして解説でも鴨居の苦しさを書いている。
50を過ぎてから裸婦をモティーフにし始めているが、なんとなく面白味の少ない絵だった。
寝転がる裸婦が少しばかり足を開いている。しかしそれを描く筆は硬かった。
裸婦の身体から固さが抜けていないのを感じた。
なんとなくそのことが哀しい。

芸術の苦しさを思う。自死することの重さを思う。
少しばかりの悲しみを抱きながら、会場をあとにした。
なお、鴨居玲とその姉・羊子については、えび新聞さんがみごとな読み物を発行されている。

8/31まで。

樂焼に見る「貝殻・魚・花葉・動物」をたのしむ

明日まで開催の樂美術館・シリーズ「樂ってなんだろう」 貝殻・魚・花葉・動物 様々なデザイン、器の造形 を見てきた。
夏休みなので子連れで楽しんでもらおうと言う、企画。
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まず目に入るのが中国の三彩の壺。華やかな色調のいい壺だが、これを手本として樂家初代の長次郎が「樂焼」を生み出したと思うと、やはり不思議な感じがする。
子供向け解説プレートにもこんなことが書かれている。
ここからどうやって黒いやきものを思いついたんだろう・・・・・・・
手本との個性の差を改めて考えた。

初代からの動物をモチーフにした香炉が並んでいる。
名づけて樂焼動物園。
浮世絵もやきものも、ちょっとした動物園が開催できるのがすてきだ。

ずらっと獅子が並ぶ。みんな足太でぶさいくな可愛さがある。すごい鼻の穴、大きい口、ザリザリな歯型。触れるなら撫でまくってみたくなる、愛嬌がある。
特にわたしの偏愛するノンコウの赤樂獅子は正面向きで「んがっ」な顔をしている。
可愛いなぁ。こういうふんばりくん、大好き。

それで獅子は現実にいるライオンとはまた違う霊的な存在なのだけど、英訳を見て首肯。
Lion Dog まぁこれが一番リアルにわかりやすいわな。

さてご先祖代々のお獅子の次には馬が現われる。馬は頭を下げて草を食む姿を造形されてる。赤馬。これは1920年代のアールデコ風にも見えるのだが、実はかなり重い由緒のあるやきもの。表千家のお家元さんの代替わりの際に使われる香炉なのだった。
つまり立場が偉くなっても常に謙虚たれと言う意をこめたものなのだった。
実るほど頭を下げる稲穂かな あれよあれ。
全然関係ないが思い出した。
橿原の今井町には江戸時代の街並みがそのまま活きているけど、そこでは馬用・牛用のつなぎに高低があった。
牛は仰向け・馬は俯け。これが逆だと牛はコッテ牛になり、馬は奔馬になるわけさ。

チラシの左端のガチョウも香炉。随分大きい、というより実物大。しかし中身はとても薄作りらしい。こういうことを知ることが出来るのは、「子供向け」のよいところ。
小さい疑問にも、大人が「今更訊けないナゾ」にもばっちり応対。
このガチョウを拵えるために実際におうちでガチョウを飼うてはったそうな。
11代慶入の作。

小さい掌サイズの香合や香炉が集まっている。
その中で異彩を放つのが右端のシャチホコくん。なんせ周囲のどうぶつたちは、実在のばかり。狸、猿、鴨、虎、兎などなど。
みんなとても可愛い。
私はニガテだけど、仲良しさんなトコヨノナガナキドリのカップル像もあった。
どう見てもエイリアンなミミズクや、
赤樂に白い孔雀の横姿が描かれた茶碗があった。
なんとなく遠めにも松篁さんぽいな、と思ったらやっぱり上村松篁さんが絵付けした白孔雀だった。
白孔雀の絵は参議院か衆議院に所蔵されている。

あと貝殻がいっぱい集まっていた。
サザエ、巻貝、アサリ・・・中にはやきものではなく本物をメッキしたのもあった。
遊び心というやつですな。

こういう風な可愛いやきものばかり見ていると、本当にニコニコしてしまう。
むかしむかし所蔵していたヒトビトも同じようにニコニコしていたろう。
とても楽しい展覧会も明日まで。

涼を愉しむ 畠山記念館

畠山記念館の夏季展は「涼を愉しむ」として、書画・茶器・懐石道具のうち特に涼やかなものを集めている。
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ねじりの祥瑞から始まる。
藍の発色も綺麗だし、見るだけでない楽しさが湧いてくる一点。
見るだけでない楽しさとは何か。
それは「使ってみる」楽しさを想像できることだ。

次に仁清の透かし水玉鉢を眺める。
これには何を入れるべきか。
茶人たちの腕の見せ所というやつか。

そう思いながら見るうちに、昭和13年の畠山即翁の茶会記の再現があった。
つまり懐石に使ったうつわの取り合わせをガラスケースに展示し、そのお料理の写真が並ぶという趣向なのだ。
わたしはこういう展示が大好きだ。
即翁の茶友・逸翁も丁寧に茶会記を残しているが、そのメニューを見ると楽しくなる。
湯木美術館でも同じくお料理の再現写真がある。
大阪のイヤシのわたしは、子供時代通販のチラシでやきものを見るのが好きだった。それはうつわ本体を見るのでなく、その器に盛りつけられるお料理を見るのが好きだったのだ。

夏の懐石はやっぱりさっぱりがいい。再現写真を見ていると食べたくなるものばかりだった。
備前平鉢には鮎の塩焼き、絵唐津草花文鉢には強肴としてトマトの輪切り、そしてちびっこな可愛い染付のちりれんげ(永楽保全の作)が添えられて、薩摩酒呑の塩を掬うように設えられている。

こういうものを見ると楽しくて仕方ない。

ほかに面白いところで昔の錠前を模した仁清の錠花入れ。
素焼き風で、貼り付けの花型が三つあり、クッキーのマリー似のものと、ハクセンコウ風のものが二つ。

絵は抱一の賤が屋の夕顔図がある。猫がいるのが妙にリアルな感じ。
以前から大好きな一枚。
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乾山の秋萩図には賛か何かがあるが、ここでの「秋」は火ヘンに禾の「火禾」。これを見ると横溝正史「悪魔が来たりて笛を吹く」を思い出す。登場人物の名前がこの字で火禾子あきこだったのだ。

他に狩野常信の滝もあり、見るからに涼しげなのが嬉しい。

9/20の彼岸まで。たぶん、まだ暑いような気がする・・・

浮世絵動物園 in 太田記念美術館

今日まで開催していた「浮世絵動物園」を見学してきた。
太田記念美術館の壁やガラスケースにどうぶつたちがいる。
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江戸時代までは狆は犬とはまた別種のイキモノだと思われ珍重されていたそうで、「狆を連れた美人」図と言うものがわりによく描かれた。
ここには珍しいことに三畠上龍のそれが出ていた。
畳に上がって鑑賞するのにふさわしいような絵。
狆そのものを描いたのは北斎で、お座敷ペットたる狆さまのご様子がよぉくわかる。

歌川豊春 関の小萬と丹波の与作  丹波の与作の説話は多いが、ここでは小萬とのカプリング。動物は小萬を乗せる馬。葦毛だった。
オグリキャップと同じような柄である。

月岡雪鼎 猿かに図  タイトルだけ見れば猿がカニに固い柿の実を投げつけてるか、カニに仕返しされてるか、というところだが、予想が全くハズレる図。
縁側を歩く、何故か女装した猿の裾を、カニが外から掴んでいる。サルは裾からがっしりした太短い足を出して、カニを追い払おうとしている。
なかなか面白い構図だった。

国貞ゑがくところの美人たちが金魚を楽しむ。嬉しそうに金魚を眺める目つきがいい。
これが弟弟子の国芳になれば、金魚が武装して戦うところなのだが、ここではそうはならない。
関係ないがわたしはJAのキャラクターの「ちょきんぎょ」が大好きだ。

幕末になって世情も騒がしくなったが、相変わらず江戸市民は見世物小屋を楽しんだりしている。
ダチョウを見たり、舶来の鳥を見たり。
芳幾は「猛虎之写真」を描いている。
フォトの写真ではなく「真を写す」の意での写真。幕末やなぁ。

見立ての天竺徳兵衛では蝦蟇が出ているが、蝦蟇の妖術使いは天徳と他に児雷也がいる。

大蘇名義の芳年の和漢百物語には意外とナゾのどうぶつたちも多く出ているようで、武蔵、白藤源太などが凄い眼力を発揮している前で、ちょっと活躍している。
仁木弾正は鼠と縁が深いので、むろん鼠と2ショット。
大黒さん、仁木、お岩さんがねずみと縁深い。

他に月百姿からも孫悟空、月のウサギ、白蔵主などなど・・・全てそぞろ寒くなるような風情がある。

周延が明治半ばに物語絵を描いているとは。
蟹満寺の説話を描いている。カニマン・ジ。蟹の恩返しの物語。ここのお寺の扁額は金ぴかだった。

定番は広重の花鳥図で、これらはいつ見てもどこで見てもいい感じ。
色んなところで見るのは、摺った当時にそれだけ人気があったことなのですね。
それがまたうまいこと後世に残ってヨカッタヨカッタ。

鼠の相撲  これは以前、この太田記念から年賀状で届いたことがある。
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嬉しかったな?。干支全部揃えたいと思ったが、なかなかね。

北尾政美 大黒が振り出す鼠  打ち出の小槌からどんどん鼠が飛び出してくる?大黒の家来はねずみです。

出ました、国芳の蝦蟇手本ひょうきん蔵。城明け渡しの大星由良之助の見得を切る蝦蟇。なんかかっこいいぞ。
かっこいいのは当然か、蝦蟇に見立てて役者絵でもある。

国芳の弟子筋は師匠に倣い面白い絵が多いが、武者絵もわるいものは描かない。
「船弁慶」関係の絵には平家蟹や亡者の姿もあるわけよ。

豊廣 寿老人に鹿  鹿にもたれて居眠る寿老人に、鹿の目つきが・・・ふふふ。

面白かったのは国政の「兎の草履打」tou375-1.jpg
・・・これは無論「鏡山」パロディなのだが、以前板橋で見たボローニャの秘蔵浮世絵「道行」と同じような発想。
あちらは芳藤。
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兎でやるところがなかなか可愛い。幕末から明治の作だろうが、色も煌びやかで楽しい。
シリーズがあるのなら、全部見てみたいよ。

それでなんとも奇抜なのが芳虎の「家内安全ヲ守十二支之図」・・・キメラですわな。
鵺は魔獣として退治されたけど、このキメラは「家内安全ヲ守」る動物だと言うことです。
ううむ、さすが国芳の弟子。
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他によかったのはモモタロウvsキンタロウの家来たちによる相撲大会。御大は見物してる。こういうのも可愛い。

チラシも可愛いし、楽しい展覧会だった。
こういう内容のものをしばしば見たいと思うのだよ。

八月のハイカイ3

いよいよ八月の首都圏ハイカイも最終日。
都営夏の1dayチケット500円がアシになる。

以前は荷物を宅配に頼んでたが経費節約のおり、まぁそれだけでなく、ポメラを持ち歩くのがしんどいのでロッカーを使うことになるが、それなら荷物そのものもロッカーにしまえばええやん、と合理的な考えからロッカー派に変心したのだ。
新橋のロッカーに押し込んで身軽になったところで、高輪台へ。
以下、例によって展覧会の感想は後日。

畠山記念館。夏の暑さを忘れさせようと、すゞやかな染付や夏の風物を描いた作品などが集められている。(旧字で書くとなんだか本当に涼しげな感じがする)
いいものをいっぱい見て、心も涼しく目も清く。

ところで夏休みの宿題のために来た三人の中坊がいて、見方がわからんと言うのでちょっと示唆したが、その後に学芸員さんも来て案内してたので安心した。
監視員はただ叱りつけてたけど、手を打つべきでしょうに。
尤もこの監視員はほかのお客さんにもちょっとキツかったのだけど。

次に月島経由で豊洲のukiyoe-tokyoにおばけの絵を楽しみにゆく。
絵を見るうちに一周するという構造の室内には何本か柱があるが、その柱には手ぬぐいバケネコちゃんたちの拡大コピーが貼られてて、見ていて楽しかった。
しかもソファにはやっぱり手ぬぐいバケネコちゃんのクッションが!!
きゃ~可愛い~ 欲しいわ~
それにしても来月は「江戸の英雄2」だからそれも楽しみやわ~

銀座一丁目から地上へ出る。
出たらがんこが見えたので入る。
日舞の演舞中だと言われたが、見る時間がないと言うたら、子供がいっぱいの間へ通されてしまった。子供走りまくり。
うわ。早くしようと思ったので断ったらこれか。
いやいや、もしかすると、子供の空間から早く逃げたいと思わせるための措置か?
デザートもついでに頼んだら、その方が先に来るかもと言われてOKだと言うたけど、本当に先にアイスクリームが来た。前菜はとうふアイスでございましたか!
しかもそれを食べ終わる前にお料理がついた。
どうにもなりませんな?
がんこのコジマ社長もこの銀座店がそういう方針?とは知ってはるんやろか。
なかなか関西のがんこでは味わえない経験をしたなぁ。
次にここへ行くことはないんで、一つ話にもならへんなぁ。

暑い中をブリヂストンへ向かう。
三日間のうち、この日曜がいちばん暑かったわ。
ブリヂストンについたら、イチニノサンでメトロリンクが来たのでそれに乗り、先に三井記念美術館へ向かう。

奈良の古佛再訪。
巨大なアフロの五劫佛さんもお元気そうでしたな。
なんかどこで見たか忘れたが、奈良の五劫院のやっぱりアフロなホトケさんが東京出張するらしい・・・どの展覧会かなぁ。

随分昔からひどく人気のある仏像が来ていた。
明治初期の写真にも残されている、トルソ。
唐招提寺のトルソ。今回間近で見れて、その腿の肉の在り方に深い実感を感じた。
どういうわけかわからないが、わたしは腿の筋肉の張り方によく目を奪われる。
だから安彦良和えがくところのキャラたちが好きなのですよ。

唐招提寺での會津八一の歌。
おほてらの まろきはしらの 月かげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

再びメトロリンクに乗ってブリヂストンへ。
ヘンリー・ムア。
彫刻だけでなく素描などが多く出ていた。

彫刻家の素描や淡彩をつけた絵というものは、どうしてこうも魅力的なのか。
ロダンにしろマイヨールにしろ、近くは舟越桂にしても。
なにかしら不思議なほど深い魅力がそこにある。

ムアのリトグラフ作品を見るうちに、自分がどこにいて何をしているのかがわからなくなってきた。
ストーンヘンジのシリーズをじっと見ていると、黒線の集合体で構成された巨石が急に空へ飛んで行くような気がした。
落下もせず、それはそのまま飛び続け、大気圏外に出る。
残された巨石たちも次々と飛び立ち、最後に残った石はどうしようもなく立ち続ける。
・・・そんな物語をみているようにしか、思えなかった。

新橋へ向かう。停車場。
日光道中の展覧会。国鉄と東武の歴史でもある。
テツなヒトビトがたくさん来ている。
「きぬ」とか「けごん」といった列車の大きい模型もある。
わたしは駅弁の掛け紙や行楽案内とか見るのが大好き。
それらも色々集まっていた。
こういうのを見ると「日光に行ってみようかな」と思うのだ。
結局遊び心を刺激されるんですね。
そして幕末から明治の頃の日光を捉えた写真、日光写真(日光で感応させて撮るあれと違うぞ)というのも楽しい。
面白い展覧会だった。

そこでタイムアップ。新橋のロッカーへ。
京急のエアポート快特に乗って速やかに羽田へ。
何事もなく飛んで降りて、ほっとした。
タクシーから降りて玄関を開けると、猫の後ろ足だけが見えた。
わたしが帰ってきたのであわてて出て行ったらしい。

八月の首都圏ハイカイはこれで終わり。

八月のハイカイ2

二日目はJRのホリデーパスを酷使した。
(本日も展覧会感想の詳細は後日に)
まず大宮に向かったが、上野から東北線に乗ったりして時間短縮に務め、東武野田線の大宮公園駅に着いたのはまだ9時前だったから、わたしもえらいもんです。
埼玉歴史と民俗の博物館で小企画展「ヒーロー参上」。
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これはおまけのシールなのだ。
幕末浮世絵から昭和47年頃までの宣弘社の着ぐるみのヒーローたちの資料があった。実写の特撮が大好きだったわたしは喜んで出かけたが、一室だけなのが惜しい。
実際に使われた月光仮面のサングラスが黄なりがかっていたが、あれは元からなのか経年によるものか。
わたしがリアルタイムに見てたアイアンキングがあった。
今でもアカペラで歌えるぞ。レッドバロンは名前しかしらない。

今を去ること25年くらい前、TV大阪で懐かしのヒーロー特集があり、よく見たが、そこで初めて知ったシルバー仮面の資料があったので、妙に感心した。
あの放映では実写の「悪魔くん」も「隠密剣士」も「快傑ハリマオ」もあった。
VTRコーナーでは光速エスパーが放映されていたので機嫌よくみた。
エスパーが三ツ木清隆なのと、お父さんが細川俊夫が演じてたのは覚えていたが、学校の先生が山田康夫なのにはちょっとびっくり。
出て来た善玉宇宙人がいかにも昔の松本零士的キャラなのがご愛嬌。
(原作なのかコミック版なのかよく知らないが、松本作品なのだ)

そこから湘南新宿線と中央線特快で三鷹へ。
駅前の美術センターでは4人の画家の作品が大きく展示されていた。
「画家のかたち、情熱のかたち」tou374.jpg
田中田鶴子、桜井浜江、高島野十郎、ラインハルト・サビエ。
桜井の作品がいかにも独立美術協会のメンバーらしい色調と強靭さに満ち満ちていて、それが肚に来る。
そしてサビエのデジタル版画「横田めぐみの父」「横田めぐみの母」という作品を見たとき、その作品がどうのこうのというのでなく、胸がいっぱいになった。

三鷹から八王子へ行く前に駅ナカでランチ。石焼ごはん。クーポン券でサラダを貰ったが、脂っこさがまだ抜けない。でも時間がないのでコーヒーも飲まずに電車とバスを乗り継いで八王子夢美術館に到着。

わたしは出先で歯を磨くひとなのだが、美術館のビルの洗面所でガシガシ磨いてたら、オノノカれてしまった。
鏡に映る顔はフツーに見えたけど、よそ様からはどうだったものやら。

押井守・・・実はあまり関心がなくてこれまでスルーしてきた映像作家。大昔の「うる☆ビューティフルドリーマー」の頃からアニメを見なくなりだしたので、タイトルだけは聴いていても本当に全く見なかったのだ。
でも友人から「あたしの代わりに見てきて」と懇願(脅迫とも言うな)されたので、客観的に眺めてきた。
実は実物を前にしながら感想を書くと、そこに記憶が集中するので、話すときに案外思い出せないことが多かったりする。今回は話すことが主流なのでメモを取らずにじーーっとみつめ続けた。つまり主観を捨てて客観だけでものを見るという経験を久しぶりにしたのだった。
(これをすると、話した後はまたあんまり思い出せなくなるのですよ・・・)

八王子から横浜経由で鎌倉へ。
まだ三時半なので出来たこと。とりあえず人ごみの小町通をなんとか抜けて、鶴岡八幡宮へ行った。
折れた大銀杏(お相撲さんのちょんまげやないし)からはあおあおとした若葉が萌えてる。
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7eということで7円ばかりお賽銭をさしあげて、色々と拝む。
(ヨクドオシイ、という大阪弁はここでは禁止)

ちょっとばかり白い蓮も開いてて、それを見つつ国宝館へ。
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鎌倉の「ミホトケ ヒモトク」ということで、いつも見てる奈良や京都より後の時代のミホトケを眺める。ギャラリートークの最中なので耳ダンボになったが、あとでちょっと質問したり。土でこねた紋様なんて鎌倉オンリーらしいし。
ああ、綺麗な池。IMGP8270.jpg

清方記念館に来ると、どなたもいてはりませんので、静かなココロモチで鑑賞を。
梅蘭芳と崔承姫の素描を見て嬉しくなる。

横浜そごうでは鴨居玲展を見る。20年くらい前に大阪でも大回顧展があったが、この画家は関西のギャラリーガイドブックにもほぼ毎号作品が掲載されていたので、ナジミがある。
神戸のおうちも同僚のご近所だし・・・。
そうそう、嬉しいことに図録のバーゲンしてて、以前買うのをやめて激しく反省していた鈴木信太郎の図録と、日本民藝館の「李朝の工藝」の2冊をget。
嬉しいわ。

ハマから錦糸町経由で両国へ。
日本の昆虫ですがな~。大昆虫博。
たいへん楽しかった。蝶とセミとトンボは大好きなので、わくわくした。
近所に箕面昆虫館・伊丹昆虫館という2館もあり、大丸心斎橋が夏になるとよく大昆虫展を開催するので、たくさんの昆虫たちを見てきたが、それでもドキドキする。
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モルフォ蝶の美麗さだけでなく、メタリックシルバーの翅を持つ蝶は初見。
セミもこんなに巨大なのがいるのね??
それで母子で来館してはるのが、ママ鉄ならぬ虫ママで、息子がよけてるのにママは夢中でシャッター切り続けていた。
虫愛づる姫の後の世の姿か。

銀色バッタの巨大オブジェもあって、感心しきり。
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3Dシアターもあったが、わたしは眼鏡ナシでも目を曲げると勝手に、飛び出す絵本状態になるので、そんなに迫力を感じないのよ・・・
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奥にいる白い服の女は誰でしょう・・・

その後に何の期待もせずに入った某定食屋チェーン店で、しまほっけとなす味噌炒め食べたが、かなりおいしかったので深く反省。
どこでも日進月歩しはります。今度は地元の店に入ろう。
店を出たら亀戸天神のおみこしが出ていた。

帰りに錦糸町の駅中で亀戸の老舗・船橋屋のあんみつと葛餅を購入。
ほんと、久しぶりに買う。
ホテルであんみつを食べたところ、その餡と黒蜜のおいしさに「!!!」だった。
大好きな紀の善とはまた違うおいしさがここにある。
機嫌よすぎて、ぐったり倒れて寝てしまいました・・・

八月のハイカイ1

八月の首都圏潜伏は暑かろうと思いきや、随分と凌ぎやすかった。
これはわたしが熱国・大阪から来たからだと思う。
「寒い国から来たスパイ」という小説があるが、「暑い国から来た女」はどこへ行くのか。
「暑い中歩くのに帽子かぶらな脳天ファイラーになるよ」というのがうちの母からのありがたいお言葉だが、そもそも脳天ファイラーとは何なのか。
(意味は分からないがなんとなく実感の伝わる言葉やなぁ。)

さて出立前日にちょっとした神経ヤラレました状態になったわたしは、ネットの上から暖かい励ましを受けて、いつものように飛行機に乗った。
とにかく飛行機が怖い。怖いが乗らないとどうにもならない。乗った。飛んだ。降りた。・・・よかった。

常宿に荷物を置いてから上野へ向かった。
今回、京急の羽田から泉岳寺、都営線+営団全線1dayチケット1300円を購入したので、それをフル活動させた。
(元を取ろうというコンタン見え見えである)
各展覧会の個別感想はまた後日に)

科学博物館で「海の哺乳類」展を見た。
クジラって・・・ホンマに大きいのにびっくりした。
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剥製はいややが、骨は大好きなので喜んでいたが、その大きさに圧倒された。好きとかそういうレベルの話を越えて、立派さに唖然。

それと水族館でよくイルカは見るが、シャケ・・・やのーてシャチは白浜まで行かないと見れないので実感がなかったが、これまた大きいのにびっくりした。
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「イルカの日」「オルカ」といった映画を思い出すねぇ。
科博の庭にはさっきの骨に、人工の皮をかぶせたらこうなりました的なザトウクジラが跳ねている。
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芸大でシャガールを見る。シャガールが学校の先生になり、学生たちに新しい先生を紹介した途端、みんなそっちに惹かれたという話は、ちょっとつらいなあ。
そのマレーヴィチの描いた建築を模型にしたものがあり、これが実に良かった。ほとんどネオ・ゴシックにも見える。
あとシャガールの「魔笛」の衣装デザインなどがたいへんよかった。1967年のメトロポリタン歌劇場のコケラ落としか。これは本当にかっこ良い。

そこから久しぶりに三崎坂へ向かう。
'90年代初頭、わたしは森まゆみさんの著書に夢中になって、彼女の紹介してくれた「谷中」町歩きを懸命に実践してた。自分で地図まで拵えてたんだから、私も相当キてたのね。

その頃によく行った喫茶店カヤバはすっかり状況も変わったが、愛玉子の店は相変わらずな感じがした。
久しぶりに全生庵。すっかりきれいになったな。昔はガラスケースもなくタンスや巨大クーラーを壁にして軸とか掛けてたのが、こぎれいになって。
しかしその分幽霊が減ったな。でも怖いのは幽霊画の横に満谷国四郎の観音図があったりするところなんですよな。

全生庵は三崎坂を直進すると千駄木に着くので、そこから根津へ出る。
こういうときに都営もメトロもなんでも乗れるチケットは便利やなーと実感。

さて弥生美術館では栗本薫展。ファンではないので殆ど無縁だが、それでも「真夜中の天使」「翼あるもの」は読んでいた。
そもそも「小説JUNE」の読者ではないので、そこらの作品と縁遠いが、挿絵や口絵が木原敏江・竹宮惠子といった素敵な人々なので、それらは当時からチラチラ見ていた。
今回、改めてドキドキした。やっぱり美麗。
一方「グィン・サーガ」の絵師たちとして四人の絵が並んでいたが、いちばんわたしの好みなのは丹野忍という人の作品だった。
あと時代物の挿絵に堂昌一まで参加していたのにはびっくりした。
そして今回、ご遺族が故人のコレクションしていた武部本一郎の原画を、散逸もしくは死蔵させないためにも、と弥生美術館に寄贈されたそうだ。
こうしたところに深い感謝を覚える。
好みではなかったが、栗本薫と言う作家がいなければ開かれなかった分野と言うものは、確かにある。
そのことを改めて実感し、感謝する。

華宵室では企画展に連動して「華宵の美少年」が集められていた。
ときめくなぁ。わたしの偏愛する「南蛮小僧」の「死中の活」がでていた。
数年前、この絵に溺れて飛行機に乗り損ねたことを思い出す。
そんな魔力のある作品。

夢二美術館の方は絵封筒が集まっていた。木版画の美。夢二と小林かいちの作品がメイン。愛らしさとせつなさ。ときめきの時間。
こういうものは実際に見ないとどうにもならない。

さて当初の予定より早く時間が過ぎたので、軌道修正して泉屋分館へ。
住友コレクションの日本画は京都で見ているが、やっぱり嬉しい。
詳しくは後日書くが、こういう小さい展覧会が楽しいのだ。

溜池山王経由で明治神宮へ出た。この日はしのぎやすかったのだが、原宿を歩くヒトビトの熱気でえらく暑い。
そんな中で太田記念へ入ると「浮世絵動物園」が開かれている。
ここの動物たちは「猛獣注意」ということもないし、暑さ・寒さにもそないヤラレないので、見物するのに丁度いい。

乃木坂から地上へ出たとき、なんだか野菜が欲しくなった。
そこでSUBWAYで卵をベースにしたサンドイッチを頼む。アボガドのペーストやザリザリのレタスなどなど・・・思えばランチは科博の二階でデミソースかけオムライスだけだった。野菜をかじりました気分を大いに楽しんでから、サントリーへ。
もぉ鍋島については語りきれないので、後日に偏愛のカタマリが生まれることでしょう。
(暑いときに熱いココロモチを篤くカタるなよ)

さてミナサン、と来たら浜村淳か。(関西ローカルやなぁ)
金曜なので遅くまで開いてくれてはる出光美術館へ。
日本のヴィーナス。丁度ギャラリートークの最中なのでついて回る。
肉食系女子とかイマ風なわかりやすい比喩など交えながら、学芸員の廣海さんが楽しいお話をされる。
実は私が最初に「ギャラリートーク」なるものを聴いたのは大阪の出光美術館だった。
その次が大和文華館。
今もここのギャラリートークがあるときは、まるで閉店前のスーパーで、生鮮食料品に30%offの値札を貼る担当の方について回る買い物狩人、みたいな感じでくっついて歩く。

出光美術館の学芸員で詩人の柏木麻里さんに初めてお会いする。
今日はたまたま遅い時間にもおいでやったけど(申し訳ない・・・)、いきなりコンニチハとお訪ねしたのだ。
短時間に色々楽しいお話をさせていただき、嬉しかった。
ガールズトークなので中身はナイショ(え゛っ?!)。
ご自身の詩集までもらっちゃった。イヒヒ。
蜜の根のひびくかぎりに蜜の根のひびくかぎりに
(2008/04)
柏木 麻里


しかしここでお見せできないのが残念やけど、柏木さんの文字の美しさはちょっとやそっとではないのだ。
オノレヲカエリミテチョットバカリ反省。
(・・・反っくり返って省みる、の意味ではないよなぁ、反省って)

また今度お話したいですね、とかなんとかモゴモゴ言いながらサラバするが、この日が凌ぎやすかったのでよかった。大阪の日常みたいな暑さやと、化粧が落ちるどころか、アメーバー状態になってるからなぁ?。そんなんでは到底ヒトサマに会えません。

ところでこの日はまだ最後に東博へ行こうという野心があったので、持ってるメトロ乗り放題チケットだとえらい時間がかかるので、時間優先でJRを利用した。
「誕生!中国文明」再訪。
贅沢に、見たいものだけを見る。
セミを乗っけたバーベキューコンロとか古代高層マンションとか「行軍」というより魚釣りにしか見えないカラーレンガ絵などなど。
常設でも土蜘蛛草紙など見てから機嫌よくサヨナラ。

まーホンマに見たいものをいっぱい見た一日でしたな?。
日本橋コレドの地下で軽くダシ茶漬けなどスススッといただいてから、帰る。
自分の生存確認をツイッター上にあげてから、そのままおやすみ・・・
こうしてハイカイ初日が終わった。

京博新収品


京博の新収品展を見たのに書いてなかった。
京博のサイトに画像も色々、説明も色々あるのでそちらをごらんください・・・
と書いてたのでは「日々是遊行」にならんではないか。

今回はアッサリと書くことにしよう。いつもしつこく書いてるからたまにはそれでもいいだろう・・・←自分がダメなのを別な要因に見せかけようとする魂胆らしい。

玄宗皇帝と楊貴妃の仲良しな屏風は狩野山雪だった。煌びやかで明るく、妙に楽しそう。そして咲き乱れる椿の花がみごとだった。こんな細かいところにまで神経は行き渡っているのだ。

奈良絵本を絵巻に作り変えたのがある。
「すすか」つまり鈴鹿御前と坂上田村麿の物語か。座敷に集まる女たちの前に、ある女の生首が置かれている。みんなそれを見て嘆いているが、物語の前後がわからないのが残念。

曾我蕭白の蹴鞠する寿老人図は面白かった。
おでこの長い老人が球を蹴ろうと顔を上げるので、あごが長く見えるのだ。
こういうあたりの発想がとても面白い、絵自体は軽やかな墨絵だった。

芳年から清親あたりまでの浮世絵版画をまとめた帳面も出ている。
こういうのを自分の手でめくってみたいと思う。

須磨彌吉郎氏と言う人が戦前に集めた近代中国の絵画なども大量に集まっていた。
日本から大陸に渡った絵描きたちの絵も色々ある。
誰一人として知らない画家たち。数点惹かれるものもあるが、むしろここで見るよりは野間あたりで見たいと思うような作品だった。

宋時代の壁画には二人の天使が描かれ、清の壁画には楊貴妃や天女が描かれていた。
こういうものも楽しいが、よく保存されてこられたな、と感心しきり。

やきものにも非常によいものがあった。
柿右衛門色絵花鳥図陶板  これは西本願寺のコシ壁に貼られていたものらしい。
いかにもそんな風情がある。綺麗だった。

イギリスのやきものも多く出ていたが、本当に趣味の広い人だったようだ。
螺鈿のよいもの、御所人形まで集まって、たのしい見学となった。
8/29まで。

世界の絵本作家展? 絵本の世界へ旅しよう

えき美術館で「世界の絵本作家展? 絵本の世界へ旅しよう」を見た。
11人の絵本作家の原画とオブジェなどを楽しむ展覧会だった。
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実は本当に創作絵本に親しむようになったのは随分遅かった。
親の方針で古典的な「世界の名作」絵本は与えられたが、創作絵本は一切排除されてきた。
だから6歳で幼稚園に入ったとき、初めて創作絵本や創作童話を読むようになったのだ。
「ぞうのエルマー」も「どろんこハリー」もレオーニのねずみさんたちも、みんなみんな大人になってからのおつきあいだった。
今回そのエルマーやハリーの原画をたくさん見れて楽しかった。
エルマーのあたらしいともだち―ぞうのエルマーエルマーのあたらしいともだち―ぞうのエルマー
(2004/10)
デビッド マッキー



どろんこハリー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)どろんこハリー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
(1964/03/15)
ジーン・ジオン



随分昔に描かれた絵本は、今では再現・表現不能な色彩を見せていた。
独特な色合いは、実は絵の具自体の性質の低さ・印刷技術の未発達という理由もあったそうだが、却ってそのレトロな色調が魅力的だった。

今回私が一番惹かれたのはレオーニのねずみさんたちだった。
チラシは、小鳥さんたちがねずみさんたちに赤い実をプレゼントするシーン。
なかよしさんね、と思ったらその前のシーンが凄かった。
一羽の悪い鳥がネズミたちの餌を奪ったので、怒ったネズミたちが決起して鳥たちを襲撃するシーンだった。
フェルトか何かで作られた可愛いキャラクターたちが、可愛いまま殺し合いをしていたのだ。ネズミに刺された鳥の胸からは血が流れていて、それもフェルトで表現されている。
「しかし」と物語は殺伐なままではいないことを示す。
一部が悪いからと言って全体が悪いわけではないのだ、と。
そして和睦の印に小鳥さんたちがねずみさんたちに赤い実をプレゼントするのだった。

他に、みんなが勤勉に働き続けるのを尻目にぼーっとしたままのねずみがいて、しかしながらえさを食べ尽くした後のねずみたちの前に現われた彼は、溜め込んでいたお話をする。
それを聞いてねずみたちの心は豊かになる。
かわいいフレドリック・・・
フレデリック マスコットセットフレデリック マスコットセット
()
サンアロー


文化が如何に必要不可欠なものか、それを思い知らせてくれる物語だった。
わたしはイソップの「アリとキリギリス」に示された教訓が大嫌いだ。キリギリスもまた芸術の中でしか生きられないのだ。
中島敦にもそんな物語があるが、そこでは物語の種が尽きると、話し手は同じ部族の者たちに喰われてしまうのだった。
どうするティリー?どうするティリー?
(2002/08)
レオ レオーニ




スズキコージの「空飛ぶトランク」があった。艶かしくて騒々しくて素敵な絵本だった。
いつも不思議にスラブ風な世界を描くのに、アラビアが舞台だからか、そうした雰囲気はなかった。お姫様がとても魅力的だった。

こみねゆらは絵本よりも人形たちに惹かれた。
ガラスケースに納められた数多くの人形たちはみんなとても綺麗だった。
眺めるヒトの視線など素知らぬふりをして、すました顔でそこにいる。

長谷川義史という作家も初めて知った。
ぼくがラーメンたべてるときぼくがラーメンたべてるとき
(2007/08)
長谷川 義史

という絵本があった。
可愛いなぁと思っていたら、それだけではすまない物語だった。
「ぼくがラーメンをたべてるとき」どこかの空の下では子供が倒れているのだ・・・
絵柄の愛らしさが、物語の重さを増させる。

もうすぐ西宮大谷で「ボローニャ絵本原画展」も始まる。
夏は絵本と親しくなる季節でもあった。展覧会は9/5まで。

深澤幸雄の軌跡

東大阪市民美術センターで銅版画家・深澤幸雄の展覧会が開かれている。
深澤の作品を最初に見たのは「たばこと塩の博物館」での「版画・たばこのある風景」だから、もう12年になる。
チラシが彼の作品で飾られ、それに惹かれて出かけたのだ。
その後'03年に伊丹市立美術館で回顧展があり、どういった道を歩いてきた作家かを知るようになった。
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東大阪のチラシと先に行われた笠岡市立竹喬美術館のチラシ。
「銅版画の名手・深沢幸雄の軌跡」
どちらも’70年代の作品が選ばれている。

彼が「深沢」なのか「深澤」なのかは知らない。
わたしは最初に知ったとき「深澤」だったので、勝手ながら旧字で通す。

しかしこのタイトルは巧い。
深澤の作品を一度でも見たことがある人にとっては、ひそやかな微笑を浮かばせる誘いがある。
1924年に生まれ、86歳の今も新作を世に送り出し続ける深澤。
その「軌跡」を目の当たりにすることができた幸運を、少しばかり自慢してみる。

全ての作品のファンと言うわけではないわたしは、’50年代?'70年代末の作品にはあまり関心が湧かない。
観ていて息苦しくなるからかもしれない。
だからこれらのチラシも実はわたしにとっては重いものだった。

深澤の作品でひどく惹かれるのは、'80年代後半から現在、更にその先へ向かう時に生まれる作品群である。

顔は迷路 ‘88。tou370.jpg
彷徨うヒトらしき立像が幾体もある。顔だといわれれば顔かと答える顔がある。
メタリックでシャープな作品からは、静かな音声が流れてくるような錯覚がある。
顔であり迷路であるそれは、まるで鉋で削られた薄い銅版がくるくると巻き取られたようでもある。
ヒトというより特殊ビスのような何かがその周辺を任意に歩く。
それ以上どこへも進めないまま、永遠に。

この作品の数年前に作られた作品にもまた「迷路」が描かれている。
憂愁市街(迷路)’85。tou368.jpg
ここではまだビスたちに顔と言うものがある。どことなく猜疑心に満ちた暗い存在としてのヒトビトが。
この迷路に出口はない。
今回は出なかったが、深澤の「注文の多い料理店」は面白い作品だった。
注文を繰り出す山猫の影がずぅぅぅんと響くような作品だった。
あれも多分'80年代後半のものではなかろうか。
ブラックユーモアが効いていて、そのくせどこかとぼけている。

`85-'88年は面白い時代だった。
あの頃からあちこちをハイカイし始めたわたしには、面白い時代だったとしか言いようがない。
世間もなんとなく面白かったが、思えばみんな浮かれていたのだ。
その時代にこうした「迷路」が生まれたことを、その意味を、考えるべきか否か。
しかしこの頃から段々と作品にある種の情緒というか詩情が滲み始めている。

近年の作がある。
左は「光のあたった人」’10。右は「白い小鳥」’09。
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どちらも観ていて心が和やかになる優しさがあった。
光のあたった人には文字の羅列がある。正確にはそれは文字ではないのだが、なんとなく何かの詩の数節または散文の抜書き、美しい歌詞のように見える。
意味を成さなくともそれらは美しい言葉として、光のあたった人を飾っている。

ガラス絵が並んでいた。ガラス絵はやり直しの利かない技法で描かれる。
繊細さよりもおおらかさを感じる作品が多かった。
これらもまた近年の産物だという。

深澤幸雄の軌跡はここまでは見えているが、その道はまだ続いている。
どうやらまだまだ先は見えないらしい。

展覧会は8/29まで。

絵本作家「片山健の世界」展

南草津のしが県民芸術創造館という施設で絵本作家「片山健の世界」展が開催されている。
駅からそんなに遠くないと言うことなので、がんばってでかけた。
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片山健の絵はとてもエネルギッシュで、オリジナルの創作絵本も大好きなものが多い。
特に猫の「タンゲくん」は最高だ。
刊行された年からずっとファンだが、今回原画を見ることが出来て嬉しかった。
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展覧会では「タンゲくん」「おやすみなさいコッコさん」「きつね女房」「わたしがおひさまだったら」「狼森と笊森、盗森」の5作品100点と、数点のタブロー、そして片山が今回の展覧会で特別に製作した一枚の大きな絵が出ている。

まずその大きな絵について。
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これは「タンゲくん」が猫の話だと言うことから「猫と私のエピソード」を主催者が募集したところ、多くの作品が寄せられたそうで、そのうちの一点を元に、片山と地元の中学生たちが共同制作したものだった。
そのはなし自体、静かな感銘を覚えるもので、それをみんなで絵にしたと言うのが素晴らしい。

さて「タンゲくん」。見たとおり立派で大きいおすの猫。片目なので「丹下左膳」から「タンゲくん」。
タンゲくん (日本傑作絵本シリーズ)タンゲくん (日本傑作絵本シリーズ)
(1992/10/01)
片山 健


ある日「わたし」の夕食の場へのっそりやってきた大きな猫。当然のようにして「わたし」の膝に座る。
わかる、わかるぞ??うちにもある日突然、どこから来たのかよくわからない立派なおす猫が当たり前みたいに入ってきて、くつろいでたわ?
こういう猫には妙な風格と愛嬌がある。
「タンゲくん」はそのまま「わたしのいえ」に住み着く。「わたしのねこ」になってくれる。
でも道で会って呼びかけても知らん顔して他の猫と去って行く。
そのシーンが顔出し絵看板になっていた。
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「タンゲくん」は水彩画で描かれていた。猫の毛並み、重たそうな肉付き、にゃあとした立派な顔つき。
いいなーいいなーいいなー。
物語のラストではまだ「タンゲくん」は「わたし」の家にいて、「わたし」のお蒲団の上でねてるけど、明日はどうなることか。
今うちにいる「マガリちゃん」もこんな感じになりそうだが、おすの猫はすぐに旅に出るからなぁ。
でも猫はそうでないとあかんのかもしれない。

「タンゲくん」は「100万回生きたねこ」「八方にらみのねこ」に対抗できるオオモノな猫なのだった。

「おやすみなさいコッコさん」はお蒲団の中に入っててもなかなか寝ない女の子の物語。繰り返しの台詞。
「クマさんも寝たよ」「クマさんは寝たけどコッコは起きてるの」
だんだんみんな眠り始めて・・・「コッコさんのお手手も寝たよ」「コッコのお手手は寝たけど・・・」
やっとおやすみ、コッコさん。眉がきれいな半円形を描いていたコッコさん。
これはシリーズ物らしいが、わたしは知らなかった。
おやすみなさいコッコさん (幼児絵本シリーズ)おやすみなさいコッコさん (幼児絵本シリーズ)
(1988/01/30)
片山 健



「きつね女房」はせつない民話調の物語で、これは油彩画だった。
油絵の具を叩きつけるように・こすりつけるようにしつつ、どこかしら深く繊細な世界を開いている。
異類婚譚。山道を行く男の後を着いて歩く旅姿の女。
そのシーンがまず素晴らしい。
灰色の影と濃紺とで表現されていて、深く引き寄せられる。
男の女房になり子にも恵まれ幸せな日々を送る中、機織の最中に窓の外を眺めると、懸崖にいちめんの椿。
この椿の美が凄い。この女房ならずとも見蕩れる。
見蕩れて女は正体を顕わしてしまう。それを目ざとく見つける幼いわが子。
「人間に見られてはいけない」のは何も小人だけではない。ヒトに化けた狐もまたヒトの世を去らねばならない。別れのせつなさ。
剛毅な線描の人物描写、激しく美しい画。
何度もその椿を眺め返した。わたしに尻尾は出なかったが、長く見蕩れ続けた。

宮沢賢治「狼森と笊森、盗森
狼森と笊森、盗森 (ミキハウスの宮沢賢治の絵本)狼森と笊森、盗森 (ミキハウスの宮沢賢治の絵本)
(2008/10)
宮沢 賢治

」が出た。
物語はタイトルをクリックすると青空文庫にゆく。
賢治独特のユーモアがそのまま絵になっている。
特に狼森の狼たちが「ないないない、それはない」と手を振って否定するのが可愛い。
黒灰色の塊みたいな狼たちがほんのり愛らしいのだった。

そして「わたしがおひさまだったら」の子供の巨大なエネルギーが、とてもよかった。
(チラシ)
このおんなのこに親しみを感じたりもした。
ちょっとばかり子供の頃のわたしの顔に似ているような気がする。
「わたしがおひさまだったら」みんなにおはようっていうな。
こういう「うん!」みたいな状況が続き、機嫌よく一日が終わるのだが、本当に活発で明るくて、見ていてこちらも元気が出てきた。

ああ、来た甲斐のあるいい展覧会だった。8/22まで。


沈没船引き上げ陶磁と「あやかし お化けの世界」

天王寺の大阪市立美術館のお盆特別夜間開館に出かけた。
「あやかし ?お化けの世界」が目的だったが、オバケにたどり着く前に色々と他の楽しみも待ち受けていた。

まずミホトケたち。白玉のとか巨大な佛頭とか並んでいるのを見るだけでヒエビエしたが、これは先日詳しく?書いたし、思い出すのはチト恐いんでパス。

カザールコレクションの根付や印籠も楽しく眺めたが、今回は小さい企画展があった。
沈没した船からサルベージされたやきものたちの展示である。

随分以前に出光美術館の大阪で、「南海沈没船の遺宝」という展覧会を見たことがある。
東シナ海辺りで16?18世紀に沈んだ船から、数多のやきもの類がサルベージされ、それが展示されていた。
またマカオの博物館でも、わりに大きいコーナーでそれら海底に沈んでいた宝が引き揚げられたのを展示していた。
アジアの海には明代の染付や安南のやきものが、今も数知れず眠っているのだ。

今回大阪市立美術館ではこの20年にサルベージされた遺宝を展示している。
やきものがその中心だが、年代もほぼ似たものばかりで、そこから沈没年代も測定でき、歴史的価値も高い遺産なのだ。
気分は海賊のお宝拝見というところである。

色々な船の名がついた展示物を見るのは、興味深かった。
中には食器ではなく装飾品として運ばれようとしたものもあり、その再現写真が飾られていた。
こういうのを見ると「気分は海賊のお宝」などと言ったが、アラン・ドロン、リノ・バンチュラらの主演したフランス映画「冒険者たち」を思い出しもする。
頭の中には♪レティシア?と女の名を呼ぶ歌が流れてくる。

二階へ上がる。
所蔵の近代日本洋画を見たが、夏らしい展示だった。
つまり海辺や山中の風景、子供らが遊ぶ情景である。
せみとりの絵の横に「セミ川」なる絵があるのは洒落かな。

いよいよオバケを見に行く。
まず真珠庵の百鬼夜行を模写した原在中の絵巻を見たが、時代が新しいから色も綺麗でお化けたちも可愛い。
他に蝦蟇仙人図があるが、これが凄い。全身、周囲、蛙だらけ。懐からも袖からも蛙蛙蛙。う???む。
蛙たちは手に手にツクシンボやタンポポなどを持って闘おうとしてる。
河鍋暁斎もびっくりのカエル絵である。


あと神農像木彫もあるが、ここに入るのも納得なコワサ。
それにしても「あやかし」よりホトケやカミサマ系の方が怖いとはどういうことだろうか。

京焼、鼠志野なども展示されていたが、やっぱり乾山の角皿がよかった。
こういうのをジックリ眺めるには夜間開館で人がいないのがいいのだけど、それにしたかって、わたしのほかにはだーーーれもいてへんのにはびっくりした。
前々から思っていたが、大坂市立美術館は宣伝しなさすぎだ。
全く勿体ない。

この企画展は9/5まで。

楳恐―っ 楳図かずお恐怖マンガ展

今日で終了した梅田hepホールの「楳恐―っ」は楳図かずお恐怖マンガ展だった。
原画はなくて再現したのを展示している。それでいいと思う。
それと作品から特に恐いシーンを拡大再現してある小部屋なんかがあるわけだから、これは「絵を見る」のではなく、楳図かずおの恐怖マンガを体感する、と言うイベントなのだった。
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左上はチケット。ポスターはこの赤バージョン。
右上は限定ステッカー。なつかしきまこと虫とグワシ!の指が。

私が小学生の頃、近所に住む祖母の家に休みになると長期住まいしていたが、ふたりでよくトライしたのがこの「グワシ!」だった。
祖母は器用なヒトだったが、さすがにこのグワシ!は出来ず、セロハンテープで指を固定してたことを思い出す。
むろん孫の私もそれを見習ってテープで固定したが、子供の指だからすぐねじれる。
そこへ訪ねてきた母が「何してんの!」と怒り、「見てみぃ!」と突き出した手は、みごとに「グワシ!」だった。
あの瞬間、私も祖母も楳図かずおの恐怖マンガのキャラのように、口の横に皺を2本入れて、恐怖に引き攣った顔をさらしていたことだろう・・・。
(実は今も母は瞬間芸で「グワシ!」が出来るのだった。今日帰宅してから実演してもらったのだ)

まず「赤んぼ少女」タマミが現われる。タマミの部屋をペンライトでそっと照らすとそこに・・・しかしこれは以前キリンプラザで開催された「ウメカニズム」展での「タマミの部屋」に比べるとインパクトは薄く、べったりしたキモチ悪さしかなかった。

「猫目小僧」がわたしと同じ年の生まれとは知らなかったな?持ってたのにヨミ不足ですな。うちの妹は今も「猫目小僧」の孤独が可哀想だと言い、猫目小僧の最期についてよく話すが、昔、それを聞いたとき私は最終巻を買うのをやめたのだった。
可哀想なのを見るのはつらかったからだ。

それで「洗礼」まで来たが、これはリアルタイムで読んでいて、今もわたしの愛読書なので絵を眺めることを楽しんだ。
何回読んでも飽きない。飽きないどころか、年々歳々身にしみてくる。
凄まじい話だと思う。そして、リアルなのだ。
表紙絵か、脳蓋を外して脳漿を食べようとする構図を見ると、「ハンニバル」も負けてるな?と妙な感心をした。

しかし生理的嫌悪感からくる恐怖と言うのはまた格別ですな。
「神の左手悪魔の右手」の作り物のところで「ヒィッ」でした。するとそこにいた小学生姉妹が「こっちも怖いよ?」というので見たら、ハサミで口やほっぺたを切り裂いて・・・
協議の結果、小学生姉妹と三人で見て回ることになったが、今になって考えたらこんなイベントにちびっこ姉妹だけで来ててええのか?親なるヒトはついに見なかった。

「おろち」「恐怖」などのシリーズものも大好きだったが、ここらは「ヒトの心ほど怖いものはない」というやつですね。
それでホールの真ん中に向かうと、そこは「漂流教室」だった。
わたしは「漂流教室」のラストをリアルタイムで読んだが、一から読む勇気が長くなかった。丁度20年くらい前にやっと読んだけど、非常にこたえた。涙で絵がかすんだ。
感動しすぎていまだに思い出すだけで目頭が熱くなる。
何に感動したかと言うと、少年たちの行動ではなくて、お母さんの想いに対して、胸が熱くなるのだった。

ところで楳図かずおのSFは絶望的な状況のものが多く、わたしの神経がちょっとおかしくなるので、なるべく読まないようにしている。
だから今回初めて目の当たりにした作品もある。
スピリッツで連載していたのをチラチラ見つつ、逃げていたのだ。
逃げないとヤバイと気づいていたのだ。
特に「14歳」からは完全に逃げていた。
若冲も負けるくらいのトリがいるような作品からは、わたしは逃げるよ。
楳図の恐怖マンガがトラウマになるヒトは多いが、SFの方でトラウマを抱え込むヒトはどれくらいいるだろう・・・。

他にまことちゃんもあったが、そのまことちゃんの実物大フィギュアのついたUMEZZ HOUSEの内外を捉えた蜷川美花の写真も展示されていた。
黄色い部屋とか赤い部屋とか金色タイルの手洗いとか・・・あーすごいわ、やっぱり。
しかしこの家一軒だけ見てたら「別にそうそう変な家でもない。むしろ可愛い」と思ったが、周囲の邸宅の群からはやっぱりちょっとあれかな・・・
現代の「二笑亭」みたいな感じなのか。いや、またニュアンスが違うか。

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「楳図かずおセンセイのデビュー55周年を」祝え!とあるけど、呪え!と読んだヒトもいるかもしれないな・・・
「トラウマの上塗り」と楳図センセイは仰るが、確かにその傾向あるよね。
ますますトリがだめになっていくのを感じるよ。
ちびさんたちとも「14歳」で別れたし。
最終日に行けてよかった。・・・とりあえず。

南草津 京都?東花園 天王寺ハイカイ

大阪駅前第二ビルのチケットショップで大阪ー京都ー南草津の往復券と大阪ー鶴橋(チケットは寺田町になる)、大阪ー天王寺のチケットを購入した。
はっきり言ってJR西日本がイヤなので、なるべく乗りたくないが、仕方ない。それぞれの駅に目的地があるからだ。

案の定大阪駅では新快速が3分遅れだった。南草津は快速で行くからいいが、しかし高槻を越えると快速が米原まで各停の普通電車に変身したのには、「・・・なんでやの?」
関西は私鉄王国である。他社ではこういうことは起こらない。
国鉄の頃からどうもこちらに乗ると人生を損した気になるのだった。

遠い、実に遠い。今回は久しぶりに本をお供にしたのでそれでココロをなだめているが、カラテだと10円玉を二本指で折り曲げてしまいそうになる。
(ちゃうて、そのカラテと10円玉のエピソードは)

南草津のしが県民芸術創造館で「片山健の世界展」を見る。
展覧会の感想は全て後日に回すが、この絵本原画展はたいへんよかった。
元々片山健ファンだから言うのではないが、見に行って本当に良かった。
もっともっと見たいと思った。
絵本原画は印刷されたときの効果をまず第一に考えねばならないが、原画そのものにも力がなくてはならない。
片山健の絵本原画はどちらもとても素晴らしかったが、ことに「きつね女房」の裏山の椿の土手を見上げる情景の素晴らしさは、ちょっとやそっとではなかった。
大好きな「タンゲくん」にも会えたので、遠い地へ来たことにも悔いはなくなった。

京都へ戻って速攻でえき美術館の「絵本の世界へ旅しよう」を見る。レオーニのねずみさんたちがいい、良すぎる。こみねゆらさんは、絵よりも制作された人形たちのほうに強い魅力を感じた。

京都から東大阪は遠いけど飛んでゆく。
大阪で乗り換えて鶴橋経由の東花園へ。ラグビー場と同じ敷地にある美術センターでは銅版画家・深沢幸雄の展覧会がある。もう終了の支度してはるのに見せてもらう。
やっぱりよかった。特に'85年以降がいい。というより、近年が素晴らしい。80歳を越えてからの新作が全てみずみずしい。ガラス絵も良かった。
メタリックでポエジーな作品に会えて嬉しい。

鶴橋から天王寺へ。
今日と明日は特別に夜間開館している。
「あやかし?お化けの世界」展を見に来たが、観客はわたし一人だった。
こわい、怖すぎるがな。
というのは、いきなり中国の北魏あたりの大理石の仏像(三尊像)などがずらずらとあるなと思ったら、次には巨大な仏頭が何点もどーんどーんと遠近感を利用して・・・・・・
怖くて近寄れない。
日本の木造の仏像も、道教関係のもなにやら怖かった。

おばけよりよっぽどホトケの方が怖いわい。
そういえば水木しげる「悪魔くん」に村のハズレや山道に立つ地蔵と言うのは実はヒトを監視しているのでは、という台詞もあったことを思い出す。

肝心のオバケたちは可愛かったな。

外に出たらもう通天閣が可愛くライトオンしてた。ケータイではイマイチうまく撮れない。
それでもフェルメールの道(ええ名前やなぁ)を通ると、先に倒れる物体が。
猫の死体かと思い「ナム」と言うた途端、尻尾ぱたぱた。失礼しました。
車もヒトもないし暑いから道の真ん中でお休みしてはりましたんか。
見たらそばのマンホールの上にはチャブタンな猫もいた。

天王寺から大阪へ戻り、要はキタへ戻ったが、時間の都合で「楳怖―っ」展は諦めた。
明日までか。行くよ、必ず。
そして阪神の地下で551蓬莱であんかけ焼きそばと小籠包とを食べて、機嫌よく帰宅したのでした。

帰ってしばらくするとドーンドーンと打ち上げ花火の音がする。
猪名川の花火か!と思って自転車で出てゆくが、途中で音が消えたので帰る。
今日が猪名川の花火かどうかはわからなかった。
大阪府警のヒトが立ってたので訊いたがやっぱりわからない。

疲れたので今日はお風呂屋さんに行くことにする。
膝裏の腱が痛いので、電気湯に浸かるつもり・・・

華やぎの装い 鴻池コレクション

大阪歴史博物館に鴻池コレクションを見に行った。
「華やぎの装い」ということで、主に旧幕時代の衣裳や、戦前までのお道具類などなどの展示である。
今回、大阪弁の表記が頻繁に出てくると思う。
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「鴻池」と言えば古い大阪人にとっては憧れやら尊敬やらそういう感情がフツフツとわきだす存在なのだが、現在ではそうそう気軽に思い浮かばない状況になった。
落語に「鴻池の犬」というのがある。亡くなった枝雀のそれは最高だったが、こんなふうに落語になるくらい鴻池家というのはある意味人気があった。
しかしどんなええ氏にも落日はあるのが世の常、蘇我ほど古なくとも平家の昔から「ただ春の夜の夢の如し」というやつで、終戦後には売り立てのウキメに遭いはりました。
何千本もの扇子は浮世絵の太田記念美術館が購入したが、その他の衣装や使うてたお道具類はこの大阪歴博に寄贈しはったそうで、今回はそれらがどーんと展示されている。
大体において鴻池さんは(さん付けで書きたいし、実際に「鴻池さん」と会話の中でもそない呼んでいるのだ)、鴻池新田を拵えはったり、伊丹で清酒を造ったりしてはったのだ。
つまりただの贅沢なお大尽やのぉて、「よくしてくれはった」という軽い恩義を感じたりしておるのさ。

さてその鴻池家の歴代の衣裳などが並んでいるのを見さしてもろたわけだが、まぁ実に手の込んだ名品ばかりで、やっぱりそんじょそこらの成り上がりのカネモチとはちゃうな、とつくづく実感した。
赤ちゃんのおくるみまで並んでいるが、丁寧な拵えでお芝居に出てきそうなエエ衣裳でした。
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振袖ともなると実に立派なものばかりで、これらは一体何遍くらい着やはったのかと思った。
なんぼ鴻池さんでも普段遣いにはしはりませんやろ・・・そやからこそ残るに違いないし。

それで男の人の打裂羽織とかもあった。ブッサキ・ハオリ。これは騎乗時に着たりするもので、「鬼平犯科帳」にもよく出ている。袖なしの羽織。チャンチャンコとはまた違います。
火消し袢纏もある。ご丁寧に児雷也や七福神の絵柄がお札の透かしみたいに入っているが、これはまぁ遊び心というやつですな。

お仕覆の裂も色々出ていた。どれを見てもたいへん綺麗やし、面白い柄もある。
つまり間道や金襴とか緞子だけやなく、更紗もあるが、面白いのが人形手紹巴緞子と虎ノ紋緞子。
人形手は唐子のパターニングやけど、蓮持ち童子がズラズラで虎のは尻尾が可愛いのだ。
実に面白いのを持ってはる。

さて旧幕時代の什器が出た。
よくお大名の花嫁道具なんぞを見てきたが、こちらは全く見劣りしないどころか、凌駕してたりする。
実用ではないやろうが、なななんと塵取りにまで鴻池家の紋入りには仰天したな。
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食器ではお箸にもきっちり入ってる。五ツ山という紋でパッと見は円で朝顔を示したような感じなり。
やっぱり大名貸しもしてはったくらいやから、さすがですわ。

それでこの鴻池さんの遠祖はどなたかと言うたら、「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」の山中鹿之助幸盛ということらしい。
兜に三日月つけてた、あの尼子十勇士のお方ですね。
で、それから実際の始祖・鴻池新六さんの肖像画が出てきたりする。
大阪の今橋には本邸があったが、こちらは今や大阪美術倶楽部になっていて、前に上がったとき、ええお座敷やと感心したもんです。
ただし今の建物は手を加えすぎていて、昔のナゴリはあんまりないようで。

さて近代に入り、今回の展覧会の展示品の半分を集めなはった十一世鴻池善右衛門幸方氏のコーナーに来た。
以前から博物館の『近代』コーナーに鴻池家で使うてはったお道具類などが展示されてたりしたが、今回はそれをじっくり拝ませてもらいました。

まず大礼服を召された幸方氏のお写真があります。tou362-3.jpg
明治20年から昭和6年まで44年間ご当主を勤めなはった幸方氏はたいそうな趣味人で、実にようさんのモダンなお道具をお持ちでした。

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左端の藍色に金をきかせたコーヒーカップは永楽妙全の作。永楽家は三井家と縁が深いが、実は幸方氏の奥様は三井高保氏の令嬢。
鴻池さんも戦後の処理がうまいこといってたら、今頃もしかすると本町あたりに「鴻池記念美術館」が建ってたように思うね。

真ん中はガラスの振り出し、右端は天使を象ったスピーカー。
他にも人形型電気香水焚というのがあった。
二つあり、メフィスト風なのと、アールデコ風の婦人のと。
アールデコ風のはノリタケで見たのによく似ている。昭和5年に資生堂で購入。
丁度モダンな時代ですな。

透かしの入ったアイスペール、色ガラスのフルーツ皿、電気蛍籠なんていうのもあった。
なんやというと、電気つけたら描かれた蛍がチカチカしやるのよ。
あーもぉこういうのはどこ探してもないわ。
(当時かてなかったと思うけど)
秋草七宝電気スタンドは心斎橋の大丸で購入。

それで舞扇がダーッと並んで展示されてるが、こちらは1915年の大正天皇即位の礼で拵えはった一部。ここには45本並ぶ。なんでも舞扇だけで総数1800本越えてるらしい。
絵は上方で活躍した絵師ばかり。庭山耕園のが多い。
今東京で皆さんをひーひー言わせてる菊池契月の美人さんもある。

それと押絵もあるが、これがまた優雅なものばかりで、綺麗でしたな。
同時代に三井家では刺繍絵がブームになり、鴻池家では押絵か。面白いな。

蓄音機もエジソン製、グラフォフォン製、蝋管もある。『石橋』と大薩摩の『ちくまがわ』とか。あと紙を使う手回しオルゴールや幻灯があったのには、にこにこですな。
幻灯の種板はハイド・パークやセーヌ川といった外国の素敵な風景が多かった。
国立演芸場には『小幡小平次』など物語系のがあるが、いつか上映会で見てみたいもんよ。
大きい写真機もあった。立体写真ビューアーには「Z.K」ゼンエモン・コウノイケのネームシールあり。
鴻池さんは新しいものをどんどん手に入れてはったんですね。
さすが大大阪の時代に生きただけある!

さて、世に言う「鴻池委嘱盤」を聴きたくてここにきたのだが、それは大正10?15年に素浄瑠璃を録音したものだった。
今回3分ずつ流れているのは『勧進帳』『忠臣蔵』『三十三間堂』。
『勧進帳』は「鳴るは滝水」、『忠臣蔵』は三段目の高師直が判官を苛めてるところ、『三十三間堂』はお柳が木を伐られて夜中に苦しむところ。
聴いていて実によかった。
私はお人形もいいけれど、浄瑠璃を聴くのが非常に好きで、特に昔の名人のを聴くのをたいへんに楽しみにしている。
文楽に行くのも「見る」やのぉて「聴く」のね。
これは本当に嬉しかった。ありがとう、と言いたいです。

そして鴻池幸武著「吉田栄三自伝」などが並んであるのがすごく嬉しかった。
幸方氏の次男で、武智鐡二のお友達。武智と八世三津五郎の対談集「芸十夜」にもしばしば幸武の辛口トークが取り上げられていた。
早稲田演劇博物館勤務で、文楽研究者。31で戦死しやはった方。まことに惜しい・・・
あの「芸十夜」は近代の古典芸能の指標本として、わたしはとても深く教えを受けているのです。

ああ、ええ展覧会でしたな。

立原正秋没後30年

1980年に立原正秋が逝ってから30年が過ぎる。

先の「やきものへの偏愛」の記事で立原正秋こそがわたしの師の一人であると書いたが、いちばん最初に立原正秋を知ったのはTVドラマからだった。

‘76年に昼ドラで「冬の旅」が放映されていた。
低学年の小学生はその時間帯にはほぼ帰宅できた。
我が家でTVドラマを見ることは殆どせず、わたしは当時住んでいた家の隣で、そこのおばさんと一緒に熱心に見ていたのだ。
美少年俳優だった佐藤佑介が行助を演じ、憎たらしい義兄を池田秀一が演じていた。
他者の罪をかぶって少年院へ行く一人の少年の心模様と魂の成長と、そして周囲との関係を描いた名作だった。
原作は’68-69年にかけて読売新聞で連載されていたそうだ。
冬の旅 (新潮文庫)冬の旅 (新潮文庫)
(1973/05)
立原 正秋


わたしが原作を読んだのは中学の頃だった。
ドラマと違い、主人公の少年には義兄への深い悪意があった。
むろん悪いのは義兄であり、義兄がことを起こさなければ少年が院へ行くこともなかったのだが、少年は兄の罪をかぶって自ら少年院へ行くことで、義兄に対し、強い立場を持ち、彼に深い劣等感を刻み込んだのだ。
その辺りの心理は中学生のわたしには衝撃的だった。
そして何よりそのラストシーンで、少年の不慮の死が語られていたことにもショックがあった。
「冬の旅人」であった少年は春の訪れを鳥たちに託していた。
春がまだ来ないことに少年は気をもみつつ暮らしていたが、死んでゆく意識の中で鳥たちの羽ばたきを聴き、ある種の安寧と幸福を覚える。

このラストシーンは、今日に至るまで深い感動をわたしに遣し続けている。
そこからわたしは立原正秋を読み始め、彼の随筆や小説から朝鮮のやきものへの憧れが育まれたのだった。
ほかにもラストシーンでは立原の初期の「薪能」「剣ケ崎」が素晴らしいと思う。

中学生程度でよくも読んでいたと思うが、その頃のわたしはとにかく立原正秋に溺れていたのだ。
「鎌倉夫人」ではライオンを連れて散歩する女が描かれているが(確認してないのでちょっとこのタイトルかどうかわからない)、それがずっと意識に残り、いまだに小町通を歩くたびにそんな女とライオンが出てくるのではないか、と変な期待を懐いている。
わたしにとって鎌倉文士=立原正秋なのだった。
大仏次郎、久米正雄ではなく、立原。

ところが’80年8月12日、立原正秋が食道がんで世を去ってしまった。
まだ54歳の若さだった。新聞の訃報記事には着流しで鎌倉の浜辺を歩く写真が挙げられていた。

そうこうするうち「恋人たち」というドラマが始まった。
これは立原の「はましぎ」「恋人たち」のドラマ化だったが、出演者たちの個性が際立ち、たいへん面白く見ていた。
その作家の作品がドラマ化の頃に作家が世を去るのはシバレン以来だと思ったりしながら。
(柴田錬三郎原作の「真田十勇士」が放映中に彼は世を去ったのだ)

こういう言い方は失礼かもしれないが、渡辺淳一は立原が新作を発表できなくなったことで浮上してきたのではないか、とわたしは勝手ながら思っている。

思い出したことだが、同じ鎌倉に住む同世代人・澁澤龍彦はその随筆の中で、立原正秋とは街中で顔を合わせても互いに知らぬ顔をしたというようなことを書いていた。
照れからくるソッポだったのだろう。

没後三十年を経ても立原正秋の人気は続き、今日でも本は容易に手に入る。
書かれている物語の時代背景などに多少わからないところなどもあるが、いつ読んでもやはり面白い。
8月12日、立原正秋のいなくなった日に彼の作品を追想することで、わたしは静かな歓びにふるえている。

やきものへの偏愛について

先般、ツイッターで好きなやきものの話を数人の方とかわしたとき、自分の偏愛するやきものについて、思いをめぐらした。
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やきものに関して、わたしには二人の師がいることを改めて思う。
まず母である。
母は古伊万里、有田などの磁器を偏愛し、厚手のやきものは家に置かなかった。
現在も家にあるものは磁器ばかりで、食器としての陶器は絶無といっていい。
これは母一人の嗜好もあるが、代々の大阪人たる母が何故九州の磁器を偏愛するかと言えば、今はもう失われてしまったが、かつて大阪には「せともの市」が天神祭のころに立っていた。
場所はその名も陶器神社、つまり火防で有名な坐摩神社(ザマは通称、本当はイカスリと読む)の境内とその周辺(信濃橋界隈)に四日ほど市が立つのだった。
そこに集まるやきもの類はほぼ全てが有田などで、母はそれを子供の頃から自分で選んでいたと言うから、そこで眼が養われたらしい。
また母の実家は典型的な没落地主なのだが、什器もほぼ失われはしたものの、まだ祭のときなどに使う用途で残されていた巨大な皿類が、やはり古伊万里や柿右衛門だったり染付だったりしたそうだ。
わたしが少しばかり大きくなった頃には、それらの皿は祖母の手で台所の床下に深く蔵われていたが、夏休みなどの時に、祖母がそれらを出すのを、わたしも手伝ったりした。
その頃のわたしはただただ「大きい皿やなぁ」くらいしか思っていなかった。

母は仕事に就いていた頃、全国各地に出かけていたが、多くの窯元と知り合いになり、その縁で実に多くのやきものを集めていた。
これらは家で普段遣いになっていたので、わたしは小さい内から綺麗な器でごはんを食べて育ったのだ。
しかし子供の頃はキャラクター物が欲しかったので、あんまり記憶がない。
とはいえ母の教育はすっかり染みとおっていた。

中学になったときわたしは陶芸部に入った。
普通なら陶器作りと言うところだが、指導の先生が磁器作りのヒトで、わたしたちは薄い磁器を拵えたりもした。今思うとよくそんな、と思う。
そうこうするうち半年も経たず先生が替わり、今度は七宝焼きの先生が来たので、七宝焼きにのめった。
三年のときに来たのは土を捏ねるのがどーのこーのと理屈を捏ねるオヤジだったので、そこでやめて、委員会活動に専念した。

やがて大阪中之島に安宅コレクションを柱にした東洋陶磁美術館が開館する。
わたしもあちらこちらをハイカイするようになる。
茶道も習おうかと思ったが、その当時とにかく和菓子がニガテ(だけでなくチョコレートもだめだったが)だったわたしはそれを諦めた。
それで茶陶の美に眼が開くのが遅れていったが、一方で朝鮮の青磁にめぐり合うことが出来た。

それは東洋陶磁美術館だけのおかげではなかった。
わたしのオジの一人が技術提携で韓国に赴任し、帰国の都度お土産として豊かな青磁の梅瓶や玉春壷などを持ち帰ってくれたのだった。

実物の美に撃たれた。
それまでは話に聞くだけだったのが、美麗な実物と出会うたのである。
衝撃を受けた、というだけではない。
わたしの世界は確かに変わった。

しかしこのエピソードから「もう一人の師」がオジであるとは言わない。
わたしのやきものを鑑賞する眼を育ててくれた師は、小説家・立原正秋だった。
むろん立原と私との間に実際の接点があったわけではない。
彼の書いた小説を通じて、わたしは朝鮮のやきものの美に目覚めたのだった。

立原正秋については別項に書いてみたいと思っているのでここでは割愛するが、彼の小説を読みふけったことが、朝鮮のやきもの全般への憧れに結集したのは間違いなかった。
憧れがふくれあがったのは、実際のものを見ていなかったからで、妄想はいよいよ憧れを増させていった。
そこへ実物が現れたのである。
触れることの出来る実物と、そして安宅コレクションという、ある種の極限まで突き詰められた美しいものを<視た>のである。
これで何も感じないのなら、その感性は既に死者と同然だと言っていい。
しかしわたしは生きていた。
活きていたからその美を強く欲したのだった。

ここまでふたつのやきものへの偏愛の根がどこにあるかを書いてきたが、また別なやきものについて書いてみたい。

前述の通り、磁器を偏愛している。
偶然性の産物より、技巧に技巧を重ねた果てに生み出されたものが好きである。
伊万里も有田も九谷焼も良いものだとは思ったが、わたしにはどこかしら最後まで愛せない何かがあった。

あるとき、鍋島焼を見た。
いつどこで見たかはもうわからないが、あるとき確かに<見た>。
<閉ざされた庭>の美をそこに感じた。
この皿が藩窯で生産され、大名間での贈答品などに使われたことを知り、鎖国したことにより国内文化の頂点を極めた時代に生み出されたことに気づいた。
文化の爛熟を迎えないと生み出されない美を目の当たりにしたのである。
他国文化の影響を受けずに成長した、和の粋がそこにある。
鎖国、閉ざされた庭。
しかしながら閉ざされた庭とは鎖国の比喩ではなく、パラダイスの語源としての言葉である。だが和の粋とはその鎖国によって成熟したものであるから、遠い言葉ではない。

やがて衝撃的なほど、うつくしいものを見た。
椿の花を描いた皿だった。
美しく、そして愛らしい絵柄だった。

椿の柄は随分愛されたようで、サントリー美術館、出光美術館、戸栗美術館、東博や大阪市立美術館でも見たが、最初に見たのは栗田美術館だったのかもしれない。
栗田美術館は今では栃木県にあるが、随分前には浜町にもあったのだ。
しかしどうもそれ以前に見た記憶がある。
ようやく思い出した。
‘94年に茶道資料館で見た「椿」ばかりをあつめた展覧会で初めて観たのだった。
栗田ではその二年後に見ている。

そのときからどうやら本当に色鍋島への偏愛が始まったようである。
やがて’98年に日本橋三越で「色鍋島展」が開催され、それに出かけていよいよのめりこんだ。
茶道資料館でも栗田の名選をする、赤坂の頃のサントリーも椿の皿を出す、京博の新収納品にも多くの色鍋島がある、戸栗でも色鍋島ばかり集めたものがある・・・
そして’03年には大阪市立美術館で「色鍋島の美」という大きな展覧会があった。
そこである程度の落ち着きがわたしにも生まれてきた。
自分の中での色鍋島の位置が決まったのである。
もうそれは生涯変わることがないだろうと言う確信を持ちながら。

鍋島焼については、現在開催中のサントリー美術館の展覧会を強く楽しみにしている。
展覧会は心の領土をそれ以上侵食(あるいは拡大)しないだろうが、偏愛の泉の深みはいよいよ増してゆくに違いない。
深く深く・・・

ほかに特に偏愛するやきものとして、個人名を挙げてもいる。
まず江戸時代の陶工として、尾形乾山と三世樂道入、通称ノンコウをそこに挙げている。
彼ら二人の作品についてもここで延々と愛するようになった経緯を縷々述べてもいいが、それは最早タワゴトに過ぎなくなる。
「技巧の極地を味わわせてくれた」このことに尽きる。

そして近代の陶工としてわたしは板谷波山ではなく、京都の楠部彌弌を挙げる。
楠部彌弌は明治から昭和の末近くまで生きた。波山より一世代後の陶工である。
どの作品にも独特の愛らしさが横溢していて、「愛でていたい」と思わせる力がある。
波山の作品にアールヌーヴォーの影響を感じる一方、楠部彌弌の彩埏にはアールデコに近いものを感じる。
どちらも好きだが、アールヌーヴォーよりアールデコが好きなわたしの嗜好に楠部彌弌の作品はぴたりと寄り添ってくれる。

また塚本快示の名をわたしは挙げた。今年は没後20年にあたるかと思う。
青白磁の美麗さをわたしの眼と心に刻み付けた作家だった。
最初に見たのは大阪の出光美術館だった。
その日、萬野美術館で「萬野美術」と銘打たれた展覧会に大いに動揺し、その美しさに頭を激しく殴られたまま、難波から心斎橋へ歩いていた。
一つの美に打ちのめされたわたしは、何故か対抗馬を出したくなった。
それに囚われてなるものかと思ったのかもしれない。
(自分の眼の遥か上をゆく美意識を目の当たりにさせられたせいだと思う)
心斎橋の出光美術館へ向かったのは、予定があったからとは言え、このルートにしたのは僥倖だったとしか言いようがない。
そこでわたしは塚本の作品を観たのだ。
信じられぬ美しさだった。
薄い青白磁の釉薬が溜まった地、貫入の入り具合、何もかもが綺麗だった。
薄青いばらの花が咲いている・・・そんな風に当時のわたしは思ったのだ。
今、東京の出光美術館の「日本のヴィーナス」展で、塚本の作品が美人たちに囲まれて静に展示されている。

曜変、油滴、禾目といった突発性変異をみせる美麗なやきものたちへの偏愛も深い。
中国のやきものには極度に好きなものと、どうでもいいものがあり、そのことを露わに出来ない。
複雑すぎて心模様を書ききれないのだった。

やきものは本来「見る」ばかりのものではなく、用の美を持ち合わせた存在である。
しかし名品になればなるほど、滅多なことでは触れられなくなる。
そのためにやきものの鑑賞は絵画を見るときとは自ずから異なってくる。
半ば以上それは妄想の世界だと思うのだ。

自分の眼が指や舌になり、見ているものを撫で回す・・・
軽く噛む・上唇と下唇とでゆるく挟む・舌を丸めて先端で舐める・舌の中ほどまでを使って舐め上げる・・・・・・・・・・
無論それは個人の妄想・幻覚に過ぎない。
しかしながらその感触をわたしは一人愉しみ続けている。

やきものへの偏愛について、自分の思いの一端を少しばかり書いてみた。

ならで仏像をみる

先週の土曜日、奈良へ出かけた。
せんとくんに会うためではなく、何年ぶりかで大仏殿へ行くことをまず目的にした。
その二日前にTVで大仏殿を見ていて、ちょっと行きたくなったのだ。
基本的に東大寺へは三月の「春を呼ぶ」お水取り以外は行かない。

曇ってて暑くない日。1600円の奈良&斑鳩1dayチケットで大阪市営地下鉄と近鉄指定区間乗り放題を手にしている。
バスもいつもは氷室神社前(博物館前)で降りるが、その先へ。
参道にはお土産屋さんと鹿がいっぱい。カノコカノコ。
今回はケータイの写メで撮ったものを挙げる。

鹿せんべいや鯉のえさというものは買ったことがない。どこまであげたらええのかがわからないから。中途半端なことをすれば、貰えなかった他の鹿に悪いとか色々考えてしまうので、何もしない。が、しないことがいいのかどうかも判断がつかない。
唐突に手塚治虫「火の鳥・異形篇」の1シーンを思い出す。
火の鳥は言う。「無限に無限に」・・・・・・・・

涼しいとはいえ熱日は熱日。シカたちの行水。
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大きな木の根元の木陰で憩う鹿たち、というのは昔の日本画によくある構図だが、やっぱりいい感じ。

東大寺の南大門の金剛力士像を見上げる。立派でカッコイイ。
しかしケータイではどうもあの黒光りする感覚が巧く捉えきれない。まだ慣れてないからかもしれないが、確認するとがっかりしたので挙げない。

大仏殿に入る。・・・いつ以来かがわからない。
小学校のとき遠足で何度か来たがその頃は「昭和の大修理」の最中で、今とは違うルートで見学した。足場だかなんだかを上ってゆくと、像と言うより3D画像な感じの大仏がずぅん・・・っとキて・・・うわぁぁぁっな感じだったなぁ。
今は下から見上げる。おや、内部撮影OKなんやわ。
花入れにはアゲハチョウつき。
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先月末まで新聞連載していた童話「ならまち大冒険」で、奈良町のタイヤキ大将(妖怪十二神将の一人らしい)がタイムワープして同じ鋳物のオオモノ・大仏作りを支援するというのがあったけど、なるほど鋳物といえば鋳物ですわな。
タイヤキ、たこ焼き、大仏さん(どつかれそうやな)。
不意に星野之宣「ヤマタイカ」で、この大仏が炎上して姿を変え、不動明王になって佛敵をぶちのめそうとするシーンを思い出す。
♪必殺の技が討つのはわが身なのかと 恐れるな 心開けよ・・・

四天王。SH3B00080001.jpg

信仰心より行楽地の楽しいキモチが先行するね。
大仏さんの鼻の穴と同じサイズの柱の穴くぐりに挑戦する外人さんたちがいた。
がんばれ?。パチパチパチ。アカンヒトはアカンけど。

足なりに三月堂(法華堂)へ向かうが、構内地図は大変わかりにくい。
近年のうちに東大寺ミュージアムが出来るそうな。
今回は法華堂の仏像たちを眺める。
拝む、という感覚が段々と消えてきているな。
弁天さんの白い美貌に、しばらくひきつけられる。
巨大な梵天さんもいる。

すぐそばの二月堂へ上がることにする。
ああ、回廊がある。ここを松明が上るのだ。
ちょっとだらだらと長い回廊である。
ここをあんな巨大な杉の松明を掲げてゆくのか。

二月堂へ。山水を曳いている。キモチいい。
修二会のとき、僧たちが駆ける木の廊下がここにある。
奈良一望もキモチいい。ツクツクボーシが鳴いていた。
夏の終わりを不意に実感する。
「ああ、夏が終わった。夏が終わった。」
檀一雄「火宅の人」のラスト近くのヒトコマがアタマをよぎる。
下界はまだ灼熱だろうが、この二月堂はもう晩夏なのだった。
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絵馬茶屋でカレーうどんを食べたが、ナマに近いニンジン3キレが入っていたのには、ちょっと色々考えさせられた。
そのまま山を下る。

奈良国立博物館で「仏像修理の百年」を見る。
岡倉天心の日本美術院から生まれた修理専門の部門があり、百年後の今日も大いに活躍されているということで、過去から現在、そして未来に向かう「仕事の成果」を見る。
たいへんわかりやすいし面白い内容だった。
色んな技術が日進月歩しつつ、過去の技能が現代のそれを凌駕しているという事実をも、目の当たりにしたり。
むろん仏像だけでなく神像もあるが、色々並ぶうちにいちばん「え゛っ」となったのが、国東半島の臼杵の石仏。
あの首の落ちてたのを元の位置に戻したという話。初めて知ったわ??

それにしても色んな修復があるものだとつくづく感心する。
考え方も1つではないわけです。価値観の多様性についても色々考えさせられた。
平等院の飛天たちの修理のための図面はパネルになって、展示ケースのサイドに貼り付けられてるが、これを一点一点見るのも面白かった。

ちょっとコーフンしながら本館へ向かう。
片山東熊の設計した本館は今度から「なら仏像館」となって新しく出発したそうな。
さっき見たばかりの法華堂の仏像が二体来ていた。
二天王。阿吽。武装している。かっこいい・・・

青銅器の坂本コレクションも久しぶりにジックリ眺めて、楽しい奈良ツアーだった。


大阪セルロイド会館

大今里に大阪セルロイド会館と言う素敵な建物があるというので出かけた。
このあたりの地理には疎いのでよくわからないが、最新の技術は方向音痴のわたしを許してくれず、迷うことなく現地へ連れて行ってくれた。

外観はオレンジ色に塗り替えられている。
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見る方向が変われば表情も変わるという典型。
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ちょっと顔つきみたいな。
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玄関も可愛いスクラッチタイルで装飾。
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中の階段がとても素敵。
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窓からの光が差し込む。
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快晴の日でした。
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丸窓はこんな表情を見せる。
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会議室にはグリコのオマケで有名な宮本順三さんの絵が飾られている。
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セルロイド資料室にて。
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また一ついいものを見た。

印象派とモダンアート

サントリーミュージアム天保山で「印象派とモダンアート」を見た。
基本的に油彩画が集められていて、大方はサントリー・コレクションである。
ブリヂストン、ポーラ、ひろしま、西洋美術館、メナードなどから少しばかり借り出して構成されている。
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大阪にサントリーミュージアムが生まれる前、府立現代美術センターでサントリーが購入したばかりのグランヴィレ・コレクション(アールヌーヴォーから現代のポスターコレクション)をお披露目したりしていた。
その頃は赤坂見附にサントリー美術館があり、「暮らしの用と美」を標榜して主に古美術品を展示していたので、大阪ではこの展覧会のタイトルにある「モダンアート」の展覧を軸に動いていたように思う。
しかしながら「美術館」に比べて「ミュージアム」はどうも言うてみれば空回りしているような感があり、特に美術館が六本木に移ってからの充実振り・積極性を思えば、ミュージアムは見ていて痛々しさを感じるほどだった。

それでというのもなんだが、結局サントリーミュージアムは大阪から撤退することになったが、それを哀しむ人・惜しむ人も多く、状況を変えて継続することになったらしい。
そこらの事情はわたしにはわからない。
ただこれまでとはもう同じ環境ではなくなることがわかったので、サントリーミュージアムが開催する展覧会には出来る限り行こうと決めている。

光との対話 ――印象派の試み

ピサロの絵が集められている。ピサロは最初から最後までずっと印象派展に出し続けていた画家である。
ここにある十枚はいずれも優しい色彩の作品ばかりである。
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ブリヂストン、埼玉近美などの常設から来てくれた作品などは、親しみがある分、他の作品のサポート役にも見える。
それは一貫して優しい親しみやすさ・調和をピサロが描いているからだと思う。
「水浴する女たち(習作)」は三人の裸婦が描かれているが、みんな柔らかい体をしている。
優しい皮膚がそこにある。そんな作品だった。

モネもまた集まっていた。
チラシとなった「ウォータールー橋」の紫色で満ちた画面はとても魅力的だった。
帰宅ラッシュのウォータールー橋の忙しなさ、対岸の工場地帯の煤煙、水運。それらがある種の詩情を帯びて、美しい光景に変じている。
モネのいた時代のイングランドは環境汚染が激しかったはずなのに、モネの手と目はそれを美しい風景にする。

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「国会議事堂ばら色のシンフォニー」も同じことが言える。
カタチの詳細はわからなくともこれは「国会議事堂」であり、空と水面とが同じような色調で描かれている。シンフォニーとはそういうことか、と深く納得する。

『光との対話』をする画家は他にも多くいた。

ルノワール ポール・シャルパンティエの像  男児だが女児の格好をしているのは当時の流行。ブリヂストンのお嬢ちゃんの兄弟かしら。可愛い。金髪にたれ目でちょっと口を開いてるところがいかにも幼児で、見ていて優しい気持ちになる。

セイレーンたち  初見。完全に初見。二人の美しい裸婦たち。額飾りをつけている。波に身を浸しながら優雅な微笑を浮かべている。
立派な肉の実感がある。肉と肉の重なり合う域にはそれゆえの隙間が生まれるが、その隙間がまた魅力的なのだった。
セイレーンと言う「人間ではないもの」を描きつつも、その肉の実感こそ描きたいものだったのかもしれない。

セガンティーニ 水のみ場の牛  牛の目線はこちら向き。セガンティーニはわりとスイスの牧場のどうぶつたちの絵をよく見るが、たまには彼のダークサイドな方の絵を見たい。

この美術館は天保山という「大阪最低山」と向かい合う(山の方が遥かに低い)くらいの位置にあるが、ベイエリアの特性を生かした一室がある。
そこに彫刻が五体ばかり置かれていた。
わたしはその中ではマンズーの「枢機卿」が好きなので、嬉しくてぐるぐる眺めた。
何必館の「枢機卿」は近寄りがたい厳かさがあったが、このサントリー所蔵の「枢機卿」は片頬に微笑を秘めたような顔つきだと思った。

具象の絵画――20世紀美術の一段面

20世紀初頭のルドンの作品があった。
「ステンドグラス」と「アポロンの馬車」である。
どちらもたいへん綺麗な作品だった。「ステンドグラス」には暗い影もあり、それが全体を引き締め、「アポロンの馬車」は天馬たちがたいへんに綺麗だった。

ルソー パッシィの歩道橋  秋なのかもしれない。細い歩道に沿う檻のような林。鯨のハグキのようにも見える。こういう構図を見ると、牛島憲之がルソーの跡継ぎの一人だと思うのだった。
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ボナールも良いものが集まっていた。
ガウンを着た「湯上り」、おかっぱに近い「青い襟の少女」、黄色な膚に少女風な横顔の細い裸婦が「化粧」する図など・・・確実に20世紀初頭からモダンな時代へ移り行く世相を実感させてくれる。

マルケの二枚の絵がひどく魅力的だった。
どちらもポン・ヌフを描いている。
1938年の「ポン・ヌフの夜景」は黒と黄色の素敵な配色が目立ち、そこへ赤が加わりチカチカと夜の闇を照らす。
その数年前の「ポン・ヌフとサマリテーヌ」はマルケらしい曇天の日だった。
ポン・ヌフがパリの橋だとわかっているが、この色彩を見ているとヴィル=ダブレーを舞台にした「シベールの日曜日」を思い出してしまう。

ローランサン 牝鹿  ハレエ・リュッスのための一枚。シュールな感じがする。人物はやや小さくロングに描かれているが、それがいつもの作品と違っていて、面白い。

モランディの静物画を見ていると、確かにそこには器があったりするのだが、何もないに等しいものを感じる。かれの静物画はそこにあるものを描くのではなく、そこにあるものを感じさせない絵なのだった。

花束の回廊

多くの花の絵があった。
ルドンの花はこの画像ではそこまで感じないが、実物を見たとき「この花瓶は青磁に違いない」と思わせるような色合いを見せていた。
カタチ自体は伊賀焼みたいなのだが。
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マティスの「ベゴニア」も言うてみたら掻き落とし風で、カタチ自体もカクカクしているのが面白かった。

そうしてキスリングの花にはやっぱりミモザが入っている。

色と形の冒険――20世紀美術の新しい表現

デヴィッド・ホックニーの作品があった。
嬉しい。'85年頃の作品が二枚。一番好きだった頃の作品。
ああ、プールサイドの回廊。影が素敵・・・
ブルーナもニッコリなくらい、明確でシンプルな色彩で構成されている。
最後に好きな作品があって、嬉しかった。

お隣の海遊館では、ネコザメやおとなしいエイを撫でるコーナーも特設されているので、海遊館とサントリーミュージアムとを併せてご覧になることをおススメする。

誕生日です、ありがとう。

今日8月7日はわたしの誕生日なのだ。
だからというのもあって7eと名乗ってもいる。

ウルトラマンとリカちゃん人形がたぶん、同級生のはずだ。
生まれ年は違うけど、司馬遼太郎と野比のび太も同じく8月7日生まれだ。
わたしのエトはエド時代を代表する某お7と同じで、だから同級生が少なかった。

生後すぐのわたし。tou287.jpg
長髪で生まれてきたのでオジたちから「ビートルズだ」と言われたそうな。
この写真では赤ちゃんらしくグーしているが、生まれたときパーしていたそうだ。
生まれたときからフザケタ性格だったらしい。

暑い日のお宮参り。祖父母。tou288.jpg

地元神社は天神様。創建はかなり古い。なにしろダザイフに流される前に菅公が、旅の間の足が丈夫でありますように、と拝みに来やはった神社なのだ。
学問の神様の天神様と足のカミサマの藤原魚名さんとえべっさんとをお祀りしている。
今もガンバの選手が足の無事を願いに来る。

母方の祖母に抱っこされてるわたし。tou289.jpg
祖母とはとても仲良しだった。外見は全く似ていないが、気質がそっくりだとよく言われる。
(そして現在、わたしは亡父にそっくりな性格だとよく母にシテキされている)


生まれた年を遠く離れて、なんとか元気に生きてます。



上田秋成 没後200年記念

京都国立博物館で上田秋成の展覧会が開催されている。
上田秋成といえば「雨月物語」に「春雨物語」がすぐ思い浮かぶ。
ヒトトナリは大阪弁で言う「ヘンコ」=偏屈+αということをよく聞くが、今回は彼の交友関係なども明らかにされていて、大いにイメージが変わった。

天明六年(丙午)の肖像画には慈雲尊者の賛がある。20年後の文化四年は自賛。十徳姿でちょっとぐったりしんどそう。74才やもんなぁ。爪が丸くカットされている。
この絵を基にした模写が数点あり、富岡鉄斎のも見た。

初代道八による秋成像はリアルだと評判だったらしい。顔を見ると徳弘正也のキャラみたいな感じ。シワもリアルに刻まれている。
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雨月物語の初版本があった。「白峯」のページが開かれている。
わたしは雨月がたいへん好きなのだが、「白峯」はやっぱり怖かったなぁ・・・
子供の頃は抄訳を読み、次いで原文のを読んだが、漢文の素養がないとちょっとしんどいやんという感じもした。ありていに言うと中国文学の素養というやつよ。
読んだ頃はたまたま中国古典文学にハマッてたからその流れで喜んで読んでたが、今はもうデキのいい訳文を読むことで済ませている。

ところで秋成は色々ペンネームを持っていたが、カニを意味する「無腸」は有名だが「剪枝」は初めて知った。
枝を剪る、の意なのか「牡丹燈籠」のモトネタの入ってる瞿佑の「剪灯新話」を念頭においていたのか。
秋成の研究者じゃなくてただのファンの私にはわかりませんが。

以下、秋成の著作が並ぶ。
「諸道聴耳世間狙」しょどう・キキミミ・せけんざる。和訳太郎名義の本。ワヤクタロウ=大阪弁で言う「ワヤ」=めちゃくちゃ、もぉアカンくらいの意。フザケたネーミングなのがいい。だって滑稽本ですし。
それでこの一巻目は「狙」の字に「猿」を当てている。
「狙」に「猿」と来れば「猿の狙仙」こと森狙仙を思い出す。同時代のしかも同じ大阪人だしなぁ。

「世間妾形気」せけん・テカケ・かたぎ。浮世草紙。ちょっと読みたいと思った。
「書初機嫌海」かきぞめ・キゲンカイ。機嫌買いというコトバがある。これは気ままの意らしいが、わたしがこの言葉を知ったのは、今の中村勘三郎がお父さんの十七代目勘三郎を追想する中で書いていたから。
気ままで天気屋さんで有名だった勘三郎は俳名だか戯名だかで「キゲンカイ」と自ら名乗っていたそうだ。そういう洒落っ気はかっこいい。
「癇癖談」くせものがたり。秋成本人が自分がクセの強いヘンコだと認識していたようで、そんなタイトルを選んでいる。キゲンカイと名乗った勘三郎と同じ。

「あしのやの記」これは木村蒹葭堂の自伝を秋成が書いたもので、当代随一の木村蒹葭堂との交友の深さがシノバレる。彼の絵・秋成の賛による白梅図もあった。

本式の絵師では呉春と仲良しさんだったようで、彼の絵によく賛を残している。
「七夕図」大きな梶の葉を一枚ドーンと描いただけのもの。梶の葉に願い事を書く風習が活きていた時代ですね。
「蚕図」白いヤツラが桑の葉の上でニョロニョロと・・・

松村景文らとのコラボもある。「やすらい祭」図。高校の頃から「やすらえ、花よ」と言うのを知っていたわりには、実物を見ていない。来春くらい行ってみたい。

秋成は子供の頃にホーソーで片目をやられたが、老境に入り残りの目も病気で失くしかけたところを鍼灸医・谷川家の治療で治ったそうだ。
「神医」と敬い、常に贈り物などをして感謝の意を忘れずにいたらしい。
呉春らの下絵による蒔絵細工の盃なども贈っていて、それが今日まで残っていた。

応挙の弟子で唐美人の名手・山口素絢とは仲良しだったようで、引っ越すからおカネお願いという無心の手紙も展示されていた。
「きうにきうに」急に急に、という書き方がリアルで面白い。
古来から借金申し込みの手紙と言うのは面白いものだが、さすがの秋成も切羽詰っているからかリアルな言葉遣いが面白い。

秋成は大阪から引越して京都で晩年を過ごしたが、それでか多くの京の絵師らとつきあいがあったようで、応挙、蕪村、池大雅、竹田らの絵があった。
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若冲の絵も一枚あるが、秋成のお墓の台座は若冲ゆかりの石峰寺から持ってきたもので、どうやら若冲が彫ったものらしい。カタチはカニ形。
「無腸」さんらしくお墓もカニのカタチだったのだ。

8/29まで。

私鉄電車の模型展

天神橋筋六丁目の住まいのミュージアムに出かけた。
ここの企画展はいつも小規模ながら楽しいものが多い。
天6に行く楽しみはここに来ることも含まれている。
「私鉄電車の模型展」 関西は私鉄王国。(JR西日本はナカマではないのさ)
これが予想通りたいへん面白い内容だった。
模型電車がゴーゴー走るだけやなくジオラマもよく出来てたし、子供が喜ぶチョロQも、ぐるぐる回り続けるのがあったりで、楽しい作りになってる。
待機場には機関車トーマスもあるが、彼らがストをしたりするとはなあ。
(マジで恐れ入ったのだ)
入り口には改札が設置されてて、気分が高まるよ。
そして座席が展示されている。

場内の真ん中には大阪市大と高槻高校の鉄道同好会の人々が拵えたジオラマがあって、それぞれ機嫌よく電車が走り続けている。
こういうのを見ると、作る人に「えらい!!」と拍手を送りたくなる。
椅子も置かれてて、目線が丁度電車に来るように設置されてるのがニクい。

さて壁面展示では関西の私鉄各社の様々な資料が飾られており、それを見るのが楽しみだったから、喜んでじっと眺めた。
それぞれコーナーがあり、まずは<百貨店>で高島屋が現れた。
昔懐かしい開場記念ポスターもあり内部案内やイベント宣伝も見られ、楽しい作りとなったている。
高島屋は南海電車の出発点だから、和歌山や高野山案内はここに始まるのだ。

近鉄は大軌を取り込み経路を拡大したから、その大軌の資料もあるが、百貨店は今のどれになるかがわからない。
阪急百貨店よりも、阪急は宝塚ファミリーランドが素晴らしくよかったことを思い出す。しかしここには伊東忠太が設計した優美なモザイク壁画写真パネルがあり、嬉しかった。
ああ、あの鳳凰や月のウサギや麒麟はどこへ行くのだろう・・・

遊園地が最高に好きだ。テーマパークには関心が湧かない。
かつての遊園地案内地図や写真を見ると泣けてくる。
2000年に終了したファミリーランドのことを思い出すだけで胸が痛む。
(その年のオバケ屋敷はゲゲゲの鬼太郎だったな??)

阪神パークもあやめ池もひらかたパークの菊人形の絵葉書もあり、嬉しかった。
(ひらぱー以外はみんな無くなっている)
ひらかたパークの菊人形・・・いつからか大河ドラマを菊人形のネタにするようになったが、昔は有名な説話や芝居の名シーンがジオラマ再現されていたらしく、ビラにも双六風にシーンが鏤められていた。
坂崎出羽守が炎上する大坂城から千姫を救い出すシーンや、楠公父子桜井の別れなどなど・・・昔のお客さんみんなが喜べるシーンばかりだった。

また他に、沿線の長い近鉄は鳥瞰絵師吉田初三郎の長??い作品がたくさんあった。
それを見るだけで楽しさが増加するなあ。
なんしか九州を描いても遥か向こうに富士山、浦塩が描かれたり、天竜下りをメインにしつつ台湾、函館の地名が・・・
むろんそれだけではございません。お伊勢参りの美人画などは特に楽しい。
色んなガイドのリーフレットが並ぶのを見るだけで、ノスタルジーがタレナガされますわ。

そして電車の装備品が展示されていた。
夙川の駅看板、どこそこ行きのプレート、回送や特急などの表示、路線図・・・
わたしは関西と首都圏の路線図を見るのが大好きなので、これも大いに楽しんだ。
こうして考えたら、近世風俗画の延長が行楽ガイドですと言うても間違いやないな。
大勢のお客さんがなんだか楽しそうな図。
それを見るのが一番!

わたしが壁面ぐーるぐーる見て歩く間も模型電車たちはケンメーに走り続けていた。
いいねぇ!
惜しいのは写真撮影が禁止と言うことと、チラシがないということか。
そこらがかなり残念だけど、来たら楽しめる展覧会と言うことを言いたいのかもしれない。
ここの駅は大阪市営地下鉄&阪急電車乗り入れの天神橋筋6丁目。
日本一長???い天神橋筋商店街の一隅にあり、常設展も大いに楽しめます。

書けなかった感想 3 木田安彦の世界

こちらも書けなかった感想である。
京都の思文閣で8/1まで「木田安彦の世界 富士百観とふるさとの名山」が開催されていた。
三ヶ月あまりもの長期開催だったのに、終幕に出かけるとは怠慢も怠慢である。
しかも百万遍はわたしには遠くない場所なのに。
反省。
短い記事にまとめたみた。

今年の三月に汐留ミュージアムで木田のガラス絵と版画を堪能した。
あちらは西国三十三ヶ所と日本の名刹。
こちらは富士山と各地の名山。
富士の場合は見えるところまで行かないとあかんだろうが、日本の名刹とふるさとの名山は微妙にリンクしあっている。けっこうなことだ。

ガラス絵は絶望的にやり直しの効かない技法で以って作られる。
目で見る画面の最前列を最初に描き、その背景を作ってゆくというシステムである。
普通の絵とは逆の経過で拵えられる。
ここらあたりの技法については小出楢重が昭和初期に詳しく書いているので、青空文庫あたりで読めると思う。

富士山を色んな場所から描く。
大昔から日本人が好んできた「武蔵野」、それを木田も描く。
銀波と表現される薄がここでは金色で描かれている。大変繊細な金の線である。
どことなく金糸の刺繍を思い出すが、薄の形を見ると、線香花火のようにもみえる。

町並みと富士山を比較させる作品もあった。
青富士の裾野にカタチもばらばらな建物群。
これをみたとき、不思議な哀歓を懐いた。
何がどうと言うこともはっきりわからぬのだが、そこにヒトの生きる場所がある、と言うことを感じたのかもしれない。それで哀しさと小さな歓びとを見出してしまったのか・・・

ふるさとの名山はその土地土地の愛され、畏怖される山々を版画で表現している。
登山もあれば修験者の道のりを描くものもあり、何もせずともヒトビトを見下ろし・見守る山もある。
それらを眺めていると、行ったことのない山であっても何やら親しみを感じ始める。

展示もよかった。真っ黒のカーテンを張り巡らしてそこに作品を飾ることで、一層色彩や線の美しさが明らかに鮮やかに映える。
これはたいへんいい事だと思った。

思文閣の次の展覧会は奈良絵本。こちらもとてもとても楽しみだ。

書けなかった感想 2 「かぐや姫の物語」

昨日同様「書けなかった感想」を挙げる。
國學院大學伝統文化リサーチセンターで7/14?7/21まで「かぐや姫の物語」という<展示会>が開かれていた。
國學院大のそばの白根記念渋谷郷土博物館・文学館にはしばしば出かけているが、こちらに入るのは初めて。
地下の資料館へ入ると、驚くほど深く広い、知の集積場が開いていた。

目的は「かぐや姫の物語」を見ることだったが、その後に他の展示を見終えるのに、先の時間の倍を要した。
さすがに國學院大である。このことはまた後ほど少しばかり書いてみる。

「かぐや姫」の成立時期や、登場人物のうち姫に求婚する五人の貴公子たちのモデルは、随分以前からある程度解明されているが、ここでは翁とかぐや姫の関係性というものを考えさせられた。
つまり展示の流れから多少ズレたところで、わたしは勝手な感想を懐いたのである。
以下、展覧会の本筋とは関係のない、戯文である。

翁とはそも何者なのか。
竹取を生業とするという時点で彼が裕福とは無縁な人物であることはわかる。
しかも壮年の時期を遥かに越えて、老人である。
しかしながら彼は尋常のヒトではない。
竹から現れた「小さ人」を発見し、養育し、そこから富裕の人となるのである。
また「竹取」について以下のように「万葉集」に記述があるが、
(昔有老翁 号曰竹取翁也 此翁季春之月登丘遠望 忽値煮羮之九箇女子也 百嬌無儔花容無止 于時娘子等呼老翁嗤曰 叔父来乎 吹此燭火也 於是翁曰唯<々> 漸T徐行著接座上 良久娘子等皆共含咲相推譲之曰 阿誰呼此翁哉尓乃竹取翁謝之曰 非慮之外偶逢神仙 迷惑之心無敢所禁 近狎之罪希贖以歌 即作歌一首[并短歌])
「爺」ではなく「翁」と称されるこの老人は一体何者なのかを、改めて考えることになった。

武田祐吉旧蔵「竹取物語絵巻」とハイド旧蔵「竹取物語絵巻」の比較をすると、どちらも「正保版本」に近い、と解説にもある。
わたしがみたところでは、武田本の翁は頭巾をかぶり、ハイド本では無帽である。
正保本を見ていない(見ていても認識していない可能性もある)ので、正しい比較など出来ようもないが、どちらも「平安時代」の風俗で以って描かれている。
平安時代の風俗では無帽はあってはならぬことではないのか。
「裕福な庶民」という立場を貫いたとしても、それは許されることではないのではないか。
天皇から求婚を受ける時点で、この家には身分が付与されたと考えてよいのではないか。
ならば無帽であることをなんと考えるべきなのか。

また、翁にとってこの養い娘とは何だったのか。
富を齎した養子というだけでない何かがあったのか。
貴公子らに難題を押し付け嘲笑し、天皇にさえも拒絶を伝えるこの娘はしかしながら、発見者であり養い親である翁にだけは、真情を見せるのである。

・・・研究者でもなんでもないわたしに答えなどあろうはずもなく、意識を元に戻す。

「竹取物語」は古来より人気のある読み物として、多くの写本が生まれ、のちには美麗な奈良絵本や絵巻にもなり、また楽しい挿絵の入った刊本にもなった。
武田本、ハイド本のほかにもさまざまな「竹取物語」が展示されていた。

その中には貴公子の一人・大納言大伴御行が龍の首の珠を得ようと船出して、雷神に苦しめられる様子を描いたシーンがあり、なかなか見ごたえもあった。
パネル展示もそのバージョンが色々。
嘘をついたりごまかそうとするほかの貴公子たちに比べると、この大伴氏は自ら船に乗り込むくらいなので、お気の毒な感じがある。
しかし姫には誰も一緒で、誰も姫の同情を買うことすら出来ない。

契沖の注釈書なども展示されている。
ガラス越しに感心するばかりなり。
(手にとって読んでもいいと言われても、読んで意味が掴めるとも到底思えない)

そうこうするうち、「かぐや姫」の外に出た。
國學院の歩みと、そこから現われた学者たちゆかりの遺墨、著書などがあり、折口信夫の箱根の別荘まで再現されていた。
「わが師 折口信夫」「折口信夫の晩年」などで描写されていた一室がそこにあることに感銘を受けた。

そして凄まじかったのは、大学が蒐集した品々である。吉田神道行事壇、北野天満宮のズイキ祭の神輿や他の祭の曳きものまであるのにはビックリした。
これらを一つ一つ丁寧に見ていたら半日以上はかかる。
大学博物館の常設展の深さに驚いたのは、天理大、京大、阪大、東大、そしてこの國學院だった。
今度は本気でジックリと眺めたいと思っている。

展覧会についてはTakさんが読み応えのある記事を書かれているのでそちらをぜひとも。

これからは國學院も要チェックですな。

書けなかった感想 1 ジョゼフ・コーネルx高橋睦郎 箱宇宙を讃えて

既に終了したが感想を書ききれず、しかしながら通り過ぎることの出来ない展覧会がいくつかある。
今日と次の記事はそれらについて書こうと思う。

川村記念美術館で「ジョゼフ・コーネルx高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」を見た。
4/10?7/19までの三ヶ月もの長期に亙る展示だった。
川村記念美術館が所蔵するコーネル作品に、詩人が魂のコトバを寄せた企画だった。
高橋睦郎の世界を愛し、コーネルの箱宇宙に惹かれているのに、行くのが遅れた。
時々こんなことがある。
手遅れな愛。
侘しさと後悔を噛み締めつつ、終幕に近い日に出向き、今更ながらの深い偏愛に苦しんだ。

コーネルと高橋睦郎のためにあてられた部屋は夜よりも暗い空間だった。
星が出ていた。
白い星々が。コーネルの宇宙を再現した部屋だから、星が出るのは当然だったのだ。
うかつなわたしはコーネルの箱宇宙に生身のまま、入り込んでいた。

コーネルへの愛に満たされた先達がいた。
その愛はコトバで表現される。
詩人は自分の神経経路と細胞質と、それから飛び込んできた星のかけらで拵えたコトバで以って、コーネルの宇宙を讃えた。

コーネルと高橋睦郎の部屋にはオルゴールの音色が流れていた。
数年前、神戸にコーネルの箱が運ばれてきたときも、微かな音色が耳をかすめていた。
わたしは時折雑音の入る耳を軽く揺さぶりながら、その音源を捜した。
しかし音源にたどり着く前に迷路に入り込む。

この迷路は自分で正解をみつけられないように作られていた。
箱の魅力と詩人のコトバとを深く味わえば味わうほどに、迷路は重層化し、オルゴールの音は深まり、星の煌きが強くなる。
が、わたしを二人の宇宙の囚人にする。
コーネルの箱と、高橋睦郎の詩 が。

「この世 あるいは 箱の人」
この人は老いさらばえた少年
衰弱した天使
夢の箱舟がこの人を攫ってきた
・・・・・/・・・・・・・・・・・・・・・

高橋睦郎の詩は確かにジョゼフ・コーネルを指して作られたものだが、このコトバを視たとき、わたしは高橋睦郎の友人を想起していた。
23年前の夏、地上からどこかへ飛び出していった人を。
その人もまた「老いさらばえた少年」であり「衰弱した天使」の一人だったから。
その人の骨は、彼が最後に書いた小説の主人公のそれと同じく、「プラスチックのように薄くて軽い骨」だったろうとわたしは信じている。

小さい頃、お菓子の入っていた箱、洋酒が詰められていた箱、果実の収まっていた箱が好きだった。
それらの箱はわたしの手の内に入ると、拙劣な細工と装飾を施された。
誰の目にもきたならしいものだったろうが、作ったわたしは楽しくて、その楽しさが箱を尊く美しいものに錯覚させてくれた。
やがて箱は持ち主の知らぬ間にどこかへ消えてゆく。
楽しい、美しい記憶が拡大化しつつ、薄れてゆく。

コーネルの箱を見ると、自分の箱の行方を思うことがある。
(つぶされてごみとして処理された、という現実だけが正しいわけではなく、どこか宇宙の果てに、捨てられてしまった子供たちの夢が集められた場所があるに違いなく、そこにある自分の箱を想うのである)
コーネルは死んだとき、自分の箱をあの世に持ってゆくことが出来なかったのだ。

地上に残されたコーネルの箱を、もう一人の「老いさらばえた少年」である詩人が、自分の魂から生まれるコトバで讃えた。
それは美しく清楚な書物としてこの世に、限られた数だけ送りだされた。
本を手に入れることが出来た人々は、その本を鋭利な薄い刃物で開くことを勧められる。
本を傷つける行為こそが、詩人の魂のコトバを受け止める手段なのだが、それを厭う人もいたかもしれない。

わたしは(出遅れたわたしは)、本を得ることが出来なかった。
嘆くことはしてはならなかった。
詩人のファンとして生きるわたしは、全ての本がこの世のどこかに散らばっていったことを喜ぶべきだったから。
だが、それでも心は淋しかった。

その心の淋しさを埋めてくれる優しい手があった。
本が届けられたのだ。
ありがとうございます、と眼を東へ向けた。
心に感謝の灯を灯そう。
そしてその灯で詩人のコトバを読んでいる。

8月の予定と前月の記録

夏は好きなんです。
自分の生まれた季節だからか、夏にはわりと強いし、夏の喜びを知ってるからかなぁ。
というわけで8月の予定です。

誇り高きデザイン 鍋島 8/11?10/11  サントリー美術館
ザ・コレクション・ヴィンタートゥール 8/7?10/11 世田谷美術館
浮世絵動物園?8/26 浮世絵太田記念美術館
妖怪・化け猫8/3?8/29 ukiyo?e TOKYO
欣求浄土(ごんぐじょうど) ?ピュア・ランドを求めて?9/26 大倉集古館
夏季展 涼を愉しむ ―書画・茶器・懐石道具― ?9/20 畠山記念館
日本美術のヴィーナス ―浮世絵と近代美人画― ?9/12 出光美術館
アントワープ王立美術館コレクション展 アンソールからマグリットへ  ベルギー近代美術の殿堂 ?10/3 東京オペラシティ アートギャラリー
近代日本画にみる東西画壇 ‐東京・京都・大阪の画家たち‐?9/26 泉屋分館
大哺乳類展?海のなかまたち ?9/26 国立科学博物館
誕生!中国文明 ?9/5  東京国立博物館
ポンピドー所蔵シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い 交錯する夢と幻影 ?10/11 東京藝大美術館
平城遷都1300年記念 奈良の古寺と仏像?會津八一のうたにのせて??9/20 三井記念美術館
大昆虫博  日本人と虫たちの深く長い歴史 ?9/5 江戸東京博物館
画家のかたち、情熱のかたち―桜井浜江 島野十郎 田中田鶴子 ラインハルト・サビエ ?8/29 三鷹市美術ギャラリー
押井守と映像の魔術師たち ?9/5 八王子市夢美術館
没後25周年 鴨居玲展 ?8/31 横浜そごう
ポーラ美術館コレクション展 印象派とエコール・ド・パリ ?9/4 横浜美術館
田中一村 新たなる全貌?9/26 千葉市美術館

首都圏ハイカイは8/20?22だからどんな取捨選択になるか。
ここからは関西。

貝殻・魚・花・動物 様々なデザイン ?8/29 樂美術館
「写真絵はがき」の中の朝鮮民俗 8/21?10/17高麗美術館
逸翁が見た海外 ?海を渡ってきた美術品? ?8/22 逸翁美術館
楳怖ーっ楳図かずお恐怖マンガ原画展 ?8/15 hepホール
水木しげる・妖怪図鑑 ?10/3 兵庫県立美術館
華やぎの装い 鴻池コレクション ?8/30 大阪歴史博物館
銅版画の名手 深沢幸雄の軌跡 ?8/29 東大阪市民美術センター
電車でお出かけ 私鉄沿線―鉄道模型大集合― ?9/5 住まいのミュージアム
水木しげるゲゲゲ展 8/25?8/31 阪神百貨店
大阪セルロイド会館見学
至宝の仏像 東大寺法華堂金剛力士像特別公開 ?9/26 奈良国立博物館
画家 岸田劉生の軌跡 ?9/12 小磯記念美術館
フランダースの犬35周年記念「世界名作劇場」 8/4?8/18 難波高島屋

有元利夫 天空の音楽

有元利夫の作品を最初に見たのはいつだったか、また何で見たのか、どこで見たのかは思い出せない。
思い出すことにも意味はない。
有元利夫の作品は既に限定されている。
今はまだ隠れたままでいようとも、いつかは世に現れるだろう。
今の世にあるもの全てを見ることが出来る可能性がないとは言えない。
その一方、有元利夫の世界の全てを見ようとすることは、不可能なのだ。

有元利夫は1985年に地上を去った。
地上に見切りをつけるには早すぎる齢での脱出だった。
地上にいた頃から中空を浮かぶような作品を生み出していたから、画家本人が地上を離れても、不思議と淋しくはない。
作品は常に活きている。
どれくらい歳月が経とうとも、その作品が古びることはない。
同じ作品を何度見ても、その世界が深まることはあっても飽きることはないのだった。

東京都庭園美術館で「天空の音楽」と題された有元利夫の展覧会が開かれている。
巧いタイトルだと思った。
有元がバロック音楽を好んだこと・浮遊感のある作品、それらを思うと、このタイトルはなくてはならないものだと思えてくる。

有元利夫の作品タイトルは静かな言葉で綴られている。
音楽用語が多く含まれているが、決して騒がしいものではない。
彫刻家の舟越桂の作品タイトルが、詩の一節のような趣があるのと同様に、有元の<言葉>は美しい。

アールデコの美術館は、かつてある家族の暮らした場だった。
美術館として活用されている部屋部屋は客を迎える場であり、食堂であり、個人の空間であった。全ての室内は計算されつくした美に満たされている。
その空間に飾られる作品は、建物の美しさに背いてはならない。

有元利夫の作品は、その建物を裏切ることはなかった。
それどころか、この建物を別な空間に変えていた。
「建物に飾られたことで作品がいよいよ美しく見える」と言うことが、これまでの展覧会には間々あった。
しかし有元の作品は飾られたことで、この空間を彼の世界に変えてしまった。

チラシとなった<厳格なカノン>の絵の前に立つ。
tou283.jpg
魅力的なチラシだと思うが、作品の原本を目の当たりにすると、やはり深さが違うと思った。チェンバロの音色が流れてくるようだった。

色彩の美しさにも深く惹かれた。
ジョットの好んだ青色、海老原ブルー、川瀬巴水の夜色としての青。
個性的な青色群に有元の青も肩を並べている。

わたしにフレスコ画の魅惑を教えてくれたのは、イタリーの画家たちではなかった。
古画の趣があり、かつシュールな作品群を生み出した有元利夫が、導いてくれたのだ。
わたしは有元の作品が並ぶ空間を逍遥する。
いつのときでも古楽器の音色が聴こえている。

藝大の卒業制作<私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ>の連作の半分を眺める。
1973年の作品群。
'70年代の作品は線が多いといつも思う。
空間に「隙間」がないような気がする。
「隙間」というのはユトリというものかもしれない。

'77年の<花降る日>は随分前の展覧会でチラシのオモテに選ばれていた。
tou284.jpg
わたしはこの絵を見ると、彼女の上る螺旋状の坂道(または重円塔)がデコレーションのないケーキに思えるのだった。バウムクーヘンを重ねたものではなくに。
そして天から降ってくる小さな花々がそこに降り積もることで装飾が完成する。
そんな妄想を勝手に懐いている。
そうだ、思い出した。宮本輝の小説「愉楽の園」はこの絵を表紙絵にしていた。

宮本輝の本の表紙に有元の作品が選ばれているのは、とても素敵だった。
「青が散る」も「錦繍」も「胸の香り」も「彗星物語」もみんな有元の絵が使われていた。
もしかすると、わたしが最初に見た有元の作品は、宮本輝の本の表紙だったのかもしれない。
青が散る〈上〉 (文春文庫)青が散る〈上〉 (文春文庫)
(2007/05)
宮本 輝


胸の香り胸の香り
(1996/06)
宮本 輝




1979年の次の年が1980年なのは当然なのだが、'79年までの有元の作品と’80年からの有元の作品の間には、厳格な違いが活きているように思う。
それ以前にも時折ちらちらと見えていたものが、'80年から完全にその方向へ進みだした。
そんな感じ。
似ていても違う。知らないうちに世界が変わってしまった。
そのことに気づいたのは、この展覧会で多くの作品を見たからだった。

‘80年代での短い歳月の中で、有元利夫の作品は何もかもが深い魅惑に満ちていた。
多くの作品が三番町小川美術館に蒐集されている。
小川美術館では高山辰雄の「聖家族」などを見ているが、あの静謐な空間にふさわしい連作が集められていると思ったものだった。
そこに有元の作品が多く納められているのも、「そうであるべきこと」のように思える。

今回版画集や絵付けしたやきものなどを初めて見た。ちょっと微笑ましい気持ちになる。
旧朝香宮邸で有元利夫の世界の一端を味わえることが出来るのは、9/5まで。
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