美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

琳派芸術 第一部 煌く金の世界

出光美術館「琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派」の前期展に出かけた。
前期は「第一部 煌く金の世界」として光悦から光琳・乾山兄弟をメインにした展示がある。
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まず「琳派芸術」のロゴが可愛い。
派のサンズイが梅花になっている。
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こういうのを見つけるのが小さな楽しみになる。

1章 美麗の世界
光悦と宗達のコラボ作品が出ている。
蓮下絵百人一首和歌巻断簡、月梅下絵和歌書扇面、萩薄下絵和歌書扇面などなど。
宗達が金泥で花鳥風月の影を思わせるような絵を描き、その上に光悦が流麗な手蹟を載せる。
どちらも強い我を張らず、合致した優美な作品に仕立て上げている。
わたしはついつい絵の方を追ってしまうが、しかしここから書だけをなくすと、やはり何かしら物足りなさを感じるだろう。
絵と書の一体感の幸福。
それが光悦&宗達のワークなのだった。

宗達の扇面が並ぶ。扇面に描かれた美麗な絵。扇面と言う枠の中で活きる雅。
伝・宗達ということだから、本当には宗達工房の作品で宗達監修と言うことかもしれないが、それは別に不都合ではない。
美麗であることに変わりはない。
扇面散らし屏風に至っては壮麗な有様だった。
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先ほどまでの単品の扇面図がソロで歌う楽器だとすれば、この屏風はフルオーケストラ、もしくは大群舞の様相を見せていた。

2章 金屏風の競演
7つの金屏風がずらずらずらーっと並ぶ様は将に壮観。遠目からでもキラキラピカピカに見えた。
日本人はやはり金が好きなのだ。銀のシブさもいいけれど、金は格別なのだろう。
金は日本国土から生まれ出た鉱物なのだ。

京博、根津、出光の三枚の金屏風が一堂に会する情景、そこに佇む。
四季草花図屏風、あるいは草花図襖。
金地の空間に咲き乱れる草花たち。
目線を均一の高さにして右から左へ流す。果てに至る。
次に左から右へと戻る。季節の逆行。花が不思議な表情を見せる。
金地に開く赤い花の妖艶さにときめき、藍色の花びらに惹かれる。
小さい花から大輪の花まで斉しく綺麗だった。
伊年ブランドの壮麗な美を堪能する。

実際このあたりを何度も往復する人々を見かけた。わたしも行きつ戻りつして意識の底にこの美麗な世界を刷り込ませた。
全体像を把握してから個々の花々を愉しむ。
可愛い小茄子のふくらみ、ペルシャ絨毯を思わせるような赤い花々の集まり、小さく賑やかなスミレたち、黄色く丸いたんぽぽ・・・
そんな喜び方もこの三つの屏風から教わった気がする・・・

3章 光琳の絵画
大阪市美の燕子花図が来ていた。いつもちょっと遠慮がちに見えたこのやや小ぶりな絵が、ここでは自由に咲いているように見えた。
花を描いたものは、その花が展示された場によって、開いているかどうかを確認してしまう。

紅白梅図屏風  MOA美術館の姉妹だと看做していいのだろうか。可愛い梅が咲いている。
白梅は静かな咲き方だが、紅梅は京劇の「花旦」のような動きを感じさせる。よく咲いているから、というだけでない賑やかさ。

太公望図、禊図、白楽天図、と物語や伝承を描いた情景図屏風がある。
いずれも水に面した人々。
太公望は嬉しそうな眠たそうな、昔男くんは川の流れをみるのか、単に背を向けるのか、問答する白楽天vs住吉さん(仮装中)。
人々が好んだ説話をこうして絵にする。
それだけではなく、人の思わぬ構図にしてしまうところが、やっぱり光琳の巧さなのだと思う。

4章 琳派の水墨画
墨梅図 宗達  縦長の絵の真ん中にすぅっと伸びるまっすぐな枝。それを横切る細い枝。枝の配置がいい。
咲ききっていない白梅花というものは、どこか幼い少女のようで、静かな美しさがある。

神農図 宗達  しんのうさんは薬の神様なのでここでもなにやら草をかんでいる。(薬になるかどうかを自分で調べている←働き者)
着物は柏の葉っぱのようなのを着ているのがこれまたいかにも。頭には小さい角もあるが、なんで神様に角があるのか、ずっと前から不思議に思っている。
光琳の神農さんは目を見開きながら草をかむが、なにやら考えてもいるような顔つきだった。

竜虎図 伝・宗達  色白な竜はともかく、丸顔の虎が昔の日本のおっちゃんみたいで可愛い。柔道とか得意なタイプの。

竹虎図 光琳  このおとらさんはなかなか人気者で、よく見かけます。可愛い。

白蓮図 抱一  白い蓮が丈高く伸びている。どことなく鬼気迫るような一枚だと思った。


絵画ばかりが琳派ではない。工芸品には乾山というオオモノがいる。
やきものがメインの展示の時は別として、ほかの展覧会の時にもさりげなく展示されるやきものの名品たち。
今回もえりすぐりの京焼が集まっている。

赤樂兎文香合 光悦  卯年の始まりにいい。ススキが風になびき、ウサギが同じ方向に顔を向けている。招きではないがこのウサギも手を挙げているのが可愛い。

色絵絵替角皿 乾山  女郎花はわかったが、ほかの草花はわからない。わからないなりに綺麗だなと感じる。赤い木花、黄の草花、白い花びら・・・優しい絵柄のセットもの。
とても愛しい。乾山ブランドの魅力、というものを感じる。

色絵紅葉文壷 乾山sun148.jpg
大好きな壷。画像で一目惚れし、実物を見て、いよいよ好きになった一品。もぅ可愛くて可愛くてどうにもならない。色の取り合わせも形もサイズも、本当にベスト。イスラムタイルで少しばかり似たものを見たことがあるが、そのとき「あっ乾山写し!」と小さく叫んだことがあるのを思い出した。

透かし鉢も出ているので嬉しくて仕方ない。
芦雁文、竜田川。別な角度から見ると、また新しい楽しみが生まれる鉢たち。
飛ぶ雁が金で表現されているのもいい。透かし方が雲を思わせる。
一方紅葉流るる竜田川のほうは、ある種の欲望に駆られるカタチをしている。
そこに指を突っ込みたい・・・口にしたことのない、欲望。
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色絵椿文輪花向付 魅力的だと言うのはお世辞でも何でもなく、実際に欲しくて欲しくて仕方ない。

だいたい乾山のやきものは、どれを見ても何を見ても素敵だ。だから時々写しを買おうかと思ったりもする。
幕末の道八が乾山写しを拵えたのも、そのブランド力にあやかろうというのではなく、一ファンとして自分が「素敵だ」と思った先人のやきものを<作ってみたかった>からだろう、とわたしは勝手ながら信じている。
わたしも「腕に覚えあり」というヒトなら、乾山の写しを拵えてみたい。
そんな魅力が乾山のやきものにはある。

本当にいいものばかりが揃っている。
黄金の美麗さを堪能するだけでなく、光悦、宗達、光琳、乾山らの作家性も楽しめた。
ありがとう、出光美術館。

いいものを見せてもらっただけでなく、今回は本当に助かったと思ったことがある。
風邪薬の影響で不意に意識が飛びそうになったとき、休憩席でお茶をいただき、休めたおかげで、意識が定かになった。助かりました。
今回は二つの意味でありがたさを感じた。

次は2/11?3/21第二部「転成する美の世界」。
銀の愉楽を味わえそうな展覧会。
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「日本画」の前衛

東京国立近代美術館で開催中の<「日本画」の前衛」1938―1949>展は衝撃的な展覧会だと思う。
このタイトルから既に様々な予測あるいは期待を持ちながら出向かねばならない。
「日本画」の前衛、なのである。
5章に亙る展示からは、短い時間の中で生まれた絵画の<新しさ>が実感できる。
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わたしは申し訳ないくらい、近代日本画の忠実なファンである。
戦後、アンシャンレジームを体感した日本画家たちが創造美術という団体を旗揚げして、新しい日本画制作に励んだ・・・その話はとても好きだ。
その団体が現在の創画会として繁栄しているのも、好ましい。
しかし現代の日本画にはむしろ、ある種の奇妙な嫌悪に似たものを感じもしている。
その現代日本画と、戦前のオーソドックスな近代日本画のはざまに、こうした前衛的な作品群が生まれていたことは当然と言えば当然なのかもしれない。
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前衛集団「歴程美術協会」の軌跡 、という章がある。
その「歴程美術協会」をわたしは知らないが、そこに参加していた作家数人の名は知っていた。
そして彼らの作品はとても魅力的だった。

田口 壮 季節の停止 1938年  以前から好きな作品。描かれた時代から半世紀後の時間の中で見たのだが、全く古さを感じなかった。

船田 玉樹 花の夕 1938年  チラシの一枚。この時代に生まれたことがうそみたいな一枚。
月が花に取り込まれている。花は自己主張する。ワタシハアカクサク、ワタシハアカクサク。
強い、とても強い。その力強さをこそ、愛したい。

丸木 位里 馬(部分) 1939年  丸木位里と言えば小学校の道徳の教科書の挿絵などしか思い浮かばない。だから今回ここに展示された作品のどれもが、異常に新鮮に見えた。
赤ではなく色鉛筆の朱色に近い地に、ぼんやりした白い塊があって、それが「馬」なのだ。
丸木位里のこんな表現を見たのは本当に初めてだ。とてもときめいた。

他にも「紅葉」「柳暗」「池」「らくだ」「牛」などがあったが、全てが「見たことのない丸木位里」の作品だった。
わたしの頭の中にある「丸木位里作品」と、こちらの作品群をトレードしてもいいだろうか・・・・・

山岡 良文 朝鮮古廟:蒼龍図・白虎図・持送天人図 1938年  ちょっと不思議な感じがした。
お墓の中の絵ではなく、宇宙空間のどこかに描かれたような。

山岡 良文 ヂーグフリード線 1939年  青池保子「エロイカより愛をこめて」のエピソード「ケルティック・スパイラル」にこのジークフリート線が重要なポイントで出てくる。テロリストたちの隠れ家として。(33?34巻)
このギザギザは第二次世界大戦時にドイツがフランスとの境界線に拵えたもので、呼び名は連合国軍側のもの、ドイツ側ではこんなロマンティックな呼び方はしなかったそうだ。ヴェストヴァル(=西の壁)。
作中の説明によると「1936年から当時のドイツ西側国境沿いに建設された防御システムだ。ブンカー(塹壕・地下壕の意)と対戦車障害物とで成る500キロの長大な要塞線だ」
巨大なギザギザが並ぶ様は確かに恐竜の歯型のような感じがする。
これは「竜の歯」と呼ばれ、またスイスのチョコレート「TOBLERONE」がその戦車止めに似ているそうで、スイス側からはその名でも呼ばれていたとある。
撤去費用が大きすぎて今もドイツの森の中にこの「竜の歯」は残されているそうだ。
この絵画はリアルタイムにその「ヂークフリード線」を描いているのだ。
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どこか未来派風な強さがある。
70年の歳月が一挙に飛んで、実感のある建造物のように、わたしの目の前に現れている。

岩橋 英遠 土 1937年  後年の作風を思い起こさせるところがあるようにも思えた。
色がそうなのか、線がそうなのか、構図がそうなのか・・・

北脇 昇 周易解離図(八卦) 1941年  この作品を近美の常設で見ても通り過ぎる可能性が、わたしにはあるけれど、ここで見ると何かしらとても魅力的。
八卦だからそのまま宇宙に通じている。
陸地の地図、海の海図、空の航空図、宇宙の宇宙図。これはきっと宇宙図なのだろうと思った。

びっくりしたことがある。
この展覧会、昨秋京都の近美で開催されていたのだ。
わたしはちっとも知らなかった。なぜ「知らなかった」のだろうか・・・
田口壮「季節の停止」ならぬ「思考の停止」に取り込まれていたような気がする。

氏家浮世絵コレクション

鎌倉国宝館の氏家コレクションを見に行った。
このコレクションは主に肉筆浮世絵の名品で構成されている。
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菱川師宣 桜下遊女図  かむろと共に佇む。打ち掛けは黒地に梅柄、かむろは黄地に菊柄。梅も菊も季節をあまり考慮せずに着てもいい文様なのだった。

懐月堂安度 美人立ち姿図  江戸時代ではあるがどこか昭和エロ風。昭和元禄と謳われた時代に描かれたような、今から見れば懐古的な官能性がいい。
少し俯き加減ながら、誘っているのだ・・・

奥村政信 当流遊女絵巻  船遊び、そして吉原の大門の様子。華やか。輪舞する人々もある。座敷遊び。「今の時代の遊び方はこんな風」だと描いてみせている。

宮川長春 美人立ち姿図  右手で褄をとる。紅地に雪白菊がのぞく。きれい。きりっとした花魁。

宮川長哉 縁先美人図  座してキセルをもてあそびながら、庭を見る。ぼんやりと見る。手持ちぶさたなのだろう。今ならケータイを見ていそうな雰囲気。

円村水欧 五美人観桜図  需要があるのがよくわかる。

鈴木春信 梅下遊君立ち姿  枝折り戸のところに立ち尽くす女。やや面長で、柳のような目を持つ女。

喜多川歌麿 万歳図  室内で太夫と才蔵が芸をみせている。子供らが楽しそう。 

月岡雪鼎 柳下美人図  夏。柳に虫かごを釣ろうとする女。薄物からのぞく肌は少し汗ばんでいそうだ。風情、というものを感じる。今の酷暑ではこんなことはもう出来そうにない。

人形廻し図  三番叟の人形を持つ女。傀儡女は遊女でもあったそうだ。当世風結髪ではなく、古風な流し髪。異装でいるということは、常民ではない、ということでもある。
この絵には馬琴の賛がある。文化壬申重陽日・・・

月岡雪斎 月下舞妓図 雪中詠歌図  四季ものか三幅対のばらものか、と思ったがそうではなく、着物の柄などで季節を二つずつ描いているのだった。

鳥文斎栄之 柳下二美人図  月見か、涼しそうなかっこをしてくつろぎ、しゃべりあう女たち。
江戸の庶民の女の日々の姿は、今と少し似ている。

御殿山花見絵巻  文化八年、庶民も奥女中らもみんなここへお花見。舟も見えるし、楽しそう。この頃までは御殿山の花見ものんびりだったろうが、幕末になると・・・

勝川春章 生け花美人図  室内で三人がアヤメなどを生けている。染付に生ける。呉須のきれいな花器。いい雰囲気の空気がある。

観梅美人図  白梅。枝振りがいい。女は埃よけにピンク色の揚帽子というのをかぶるが、これは安永から寛政年間に流行ったものらしい。小さな植木鉢を持つ女。墨絵風の梅。

葛飾北斎 一枚もののシリーズが可愛い。
大黒に大根  児島高徳の見立て。蓑笠を背負っている。
波にツバメ  扇面図。口を開けて飛ぶツバメ。
タコ  ううむ、意志のあるタコ、宇宙人ぽい。
小雀をねらう山かがし  蛇苺の赤さがいやらしくていい。ねっとりしている。
雪中張飛  林冲という説もあるそうだ。笠を持ち上げ天を見上げる漢。細かい雪が降り続く。

菊川英山 雪中美人図  左にはここへ来た女がいて、右には縁先から呼ぶ女がいる。
植木鉢にも雪が。やや背の低い感じがする女たちだが、英山というより英泉の女のようにも見えた。

広重 御殿山の花 両国の月 高輪の雪  月は満月で花火はなし。雪は茶と白のわんころが可愛い。今でも楽しめるのは両国の月だけか。版画のときとは違う質感がある。
特にそれは「高輪の雪」に顕著で、白と茶色の対比が面白い。

岩佐勝重 職人尽くし  鏡師、経師、数珠師、歌比丘尼、染物師、鍛冶師。職人尽くしと言うても美人も欠かさず描いている。鏡師のもとには遊女がかむろをつれて来ているし、歌比丘尼は少女も共にいる。ここには他に笠で顔を隠す尺八吹きもいるが、これは本物の虚無僧ではなく、アソビ人のコスプレだろう。
なかなか興味深いシリーズもの。

西川祐信 美人観菊図  これは美人は美人でも女じゃないみたいね。いいお座敷。菊もよく手入れされている。 手水が木の株を刳り貫いたもの、というのがなんだかいい感じ。

作者不明の役者絵がぞろぞろ。これはブロマイドくらいのサイズ。
時平、奴の小萬、九郎兵衛、八重、桜丸、小浪、定九郎、源蔵、鱶六、玉手御前・・・・・
鼻高幸四郎だと確認できるものが一枚だけあるが、あとは誰か特定できない。

かなり楽しめる展覧会だった。多少の展示替えがあるらしい。2/13まで。

歴史を描く 松園・古径・靫彦・青邨

山種美術館「歴史を描く 松園・古径・靫彦・青邨」を見て来た。
歴史画、物語絵というものがとにかく好きである。
抽象画に無関心なのは、わたしの根がここにあるからだと思う。
絵そのものに文芸性があるもの、それを好んでいる人々も少なくはないと思った。
展覧会に行き、多くのお客さんが楽しんでいるのを見て、ますますそう思った。
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神話と文学の世界
思えばラファエル前派とも共通する「物語絵」好きなのである。

橋本雅邦 日本武尊  明治半ばにヤマトタケルがまた人気になったか、これは厳しい面もちのタケルである。
数年前に明治神宮宝物館でヤマトタケルを描いた近代日本画展を見たが、焼津の焼き討ちか熊襲兄弟との関わりか、そのどちらかを描いたものが多かった。こちらはたぶん焼津の情景を描いたものだと思う。

川崎小虎 伝説中将姫  当麻寺の曼陀羅を拵えた中将姫を描いている。継母に虐待されて家を出たとは言うものの、多くのおつきの者に囲まれている。
小虎らしい夢見るような面もちの姫の頬が可愛い。そしてふわふわの蓮が夢幻的。
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松岡映丘 山科の宿?雨宿り  雨宿りで仲良くなって約束した男と女。貴人の気まぐれな言葉を信じる女。
物語の前半が出ていたが、横長の画面に様々な「情報」が描き込まれていて、それを一つ一つ見てゆくのも面白かった。

平家物語と武者絵の世界
平家物語には多くの名場面があるので、画家たちは描き甲斐があるだろう。

守屋多々志 平家納経  厳島に金でめかした立派な法華経を納めた平家の人々。その帰路なのか着くところなのかを描いている。貴族化した平家の男女を鳥居の柱越しに描いている。面白い構図だった。
ここに描かれた平家の人々は、わずか数年後に自分たちの栄華が地に落ちようとは思いもしなかったろう。

森村宜稲 宇治川競先  先陣争い。配置関係が意外と曖昧だと気づく。
  
小堀鞆音 那須宗隆射扇図  チラシの絵。屋島で那須与一が矢を番えて平家の女官の挙げた扇の的にドォッと的中させる・・・敵味方区別なくヤンヤヤンヤ・・・
この絵を見ると、与一は一心に的を見ているけど、与一を乗せる馬は主の指先を見ている。
馬の念力でヨイチ、当てる。

前田青邨 大物浦  わたしが最初に青邨に惹かれたのは、この絵のシリーズのような「知盛幻生」を見たときだった。
義経一行は
攝津・大物浦から九州へ逃れようと船出したものの、こうして船は嵐に見舞われる。波の荒れ具合、青波、船の中の人々の様子。見飽きない一枚。

今村紫紅 大原の奥  平家物語の終焉「大原御幸」。髪を下ろした建礼門院徳子と侍女の住まう庵に、かつての舅・後白河法皇が訪れる。語り合いと赦しと解脱と。
北条秀雄の戯曲にその情景を描いたものがあり、晩年の六世歌右衛門が門院を、新国劇の島田正吾が法皇を演じたのを見ているが、深く静かな感動があったことを思い出す。

橋本雅邦 児島高徳  「天勾践を空しうする莫れ。時に范蠡無きにしも非ず」のまさにそのシーン。唱歌になるくらいよく知られていた。

歴史を彩った人々
情景ではなく肖像をメインとして、そこから物語が、歴史が思い浮かんでくる。

森田曠平 出雲阿国  近世風俗画には様々な出雲阿国がいるが、近代に入ってからは見かけなくなった。しかし森田はこうして、堂々とした彼女たちを描く。華やかな衣装に身を包んだ阿国は共演者たちと共に舞台に立つ。
過去、誰もしなかったことをして、時代を彩る。森田の煌びやかな絵は40年近く経った今もなお、耀く。

百萬  お能には子を失くす親の姿が多く描かれる。「隅田川」は悲しい結末を迎えたが、この「百萬」は母子の再会を見せてくれる。
子を失い、子を求めさすらう旅の間、母は狂気の装いを見せる。
秋元松代「元禄港歌」は優れた戯曲だが、この「元禄港歌」の物語は説経節と能とがそれぞれ二重写しとして底流に流れる。
そのクライマックスで主役が演じるのが、この「百萬」だった。
冒頭で瞽女たちによる「信太妻」の語りとしての子別れがあり、終焉に「百萬」での母子再会がある。
百萬は能狂言を絵巻や絵本にしたものにも多く見出せる。
近くはサントリー美術館での展示に出ていた。

守屋多々志 慶長使節支倉常長  ローマの床、ローマの柱、ローマの町並み。洋犬と支倉と。構図の面白さがとてもいい。
 
前田青邨 蓮台寺の松陰  未来を思う青年像、として眺めるのもいいように思う。

他に上村松園の「砧」をはじめとした彼女の優美な作品が集まっていた。
見て回り、描かれた物語を思うだけで心楽しくなる展覧会だった。
2/17まで。

東博で歴史画・物語絵を見る

山種美術館「歴史を描く」展の感想を挙げたが、東博でみかけた物語性のあるものを少しばかり。

下村観山 弱法師  梅林にいる。金屏風の梅林に彼だけがいる。身毒丸が。
観山の「彼」のイメージは説経節や「合邦辻」のそれではなくお能の弱法師・俊徳丸なのだった。
真っ赤な夕日が屏風の左端にある。沈みゆく直前の最後の力で赤く輝いているのか。
梅林は満開である。これだけ咲いているとさぞや良い香りがあふれかえっていることだろう。
今回あることに気づいた。
この弱法師は薄い無精ひげを生やしていた。弱弱しく細った生命体に生えるひげ。
まだ彼は生きているのだ。
そのことを知ったように思う。

項羽 安田靫彦  項羽に別れを告げられ泣きすがる虞美人。「覇王別姫」。
虞姫の後姿を捉える描線は艶かしく、装飾の少ない衣装をまとった彼女は深い悲しみに包まれているが、その身を抱く腕は最早期待できないのだ。
この絵に漂うロマンティックさを想う。大正ロマンということを考える。
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神輿振 前田青邨  叡山の荒法師たちが神輿を担いで下りてきて・・・その様子を絵巻風に描いている。
以前も見たが、人物がみんなイキイキしていて表情を追うのも楽しい。
青邨の絵巻ものは見ていると、なんとなく楽しくなってくる。はれまぶたと口元のせいか。

聴幽 大智勝観  かすかにきく。そのように解釈してよいかと思う。
かそけき音を静かに聴く。絵全体に広がる静けさの中に、 何かしら風韻を感じる。
  
日本武尊 青木繁  前月も見れて今月も見れた。やはり青木の絵を見るのは嬉しい。
「描かれたヤマトタケル」でどうしようもなく好きなのが、この青木のタケルと棟方志功のタケルなのだった。

いずれも1/30まで東博で。
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他に気に入って眺めたものが2点。

羅浮仙図 岩佐又兵衛   頬から顎のふくよかな仙女が、ゆったりと梅林の中に佇む。梅香があたり一面に広がっている。
春の始まりを感じる存在。明治以降から戦前の日本画には多く描かれたが、近世ではあまり見なかった。こちらは1/23まで。

近世職人尽絵詞 鍬形斎   丸べったい人物たちと好き勝手な猫や存在感の大きそうな商品などなど。
こう言うのが見たくて鍬形の作品を集めた展覧会に出かけると、外れたりしたこともあった。
風俗画は面白い。特に江戸時代もこれくらいになると、みんなが「江戸」に慣れてきたようで
、そこらが楽しい。2/13まで。

絵本の黄金時代 1920-1930年代 子供たちに託された伝言

国際子ども図書館の企画展示はいつも素敵だと思う。
半年近くにわたって「絵本の黄金時代 1920-1930年代」展が開かれている。
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「子どもたちに託された伝言」という副題がついているが、実際に絵本を拵える側の「大人」はその当時本気で「子どもたちに良いものを届けたい」という思い(志というべきか)を持っていたようだ。
展覧会では主にアメリカとソヴェートの絵本が集められ、他はフランスと日本の作品が少しずつ並んでいた。
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最初にアメリカの展示がある。
アメリカの伝統的なピューリタリズムが随所に見受けられるように感じた。

ロフティング「ドリトル先生」から二作出ている。
「アフリカ行き」と「月から帰る」である。
「アフリカ行き」の方は私の愛読書「おはなし、だいすき」にも採り上げられていて、懐かしく思った。
原作者による絵もあるとは、今回初めて知った。
SF風味の物語はやっぱり楽しい。

多民族の国である。
この絵本展に集められた作品は1920?1930年代という人種差別感情の激しい時代であるが、それでも多民族の多様性を肯定しようと、そんな作品がいくつもあった。

見て回っていると、外国から来た絵本作家たちも活躍し、さらに各民族の様子を描いた作品も多かった。
なにより猫を描いた作品が多いことにも興味がわいた。
「のらねこボタン」「シャム猫サキムラ」「町の猫たち」「アンガスとねこ」・・・アングロサクソンは猫より犬派、ラテンが猫好きだとよく聞くが、絵本で描くには猫の自由な性質が面白いのかもしれない。

ポターの絵ではない「ピーターラビット」を見たのも初めてだった。やっぱりアタマがポターの絵で固まっているから、ちょっと受け入れられない。

ディズニーアニメで有名になった「ポカホンタス」もある。
全般的に「レトロな」色彩が目立った。
印刷技術の進化の前の時代だからこそ生まれた、暖かな古めかしさ。
それがとても可愛くて、優しい。

びっくりしたのは1934年出版の「わたしたちのレーニン」という絵本。アメリカで、出たのである。
冷戦の時代に入ってなかったからだろうが、それにしてもよく出版されたものだ。
全く驚いた。そして冷戦の時代にこの本がよく生き延びたなとも思った。
そのあたりが「アメリカの多民族性」なのだろうか・・・

次にソヴェート絵本が来た。
ロシア革命前後でまっっったく変わってしまった芸術観。
世紀末芸術とも言うべき革命前夜の美麗な絵本と、社会主義と共産主義から生まれた理念による、明確で可愛らしい絵本と。
後者の方はたとえば東京都庭園美術館などでも開催されていた。

新しい世界に生きる子どもたちへの贈り物。
洗脳とか教育とかそんな意識もあったろうが、とにかくソヴェート時代の絵本は健全である。
特に第二次大戦前のこの時代の絵本はまさに「黄金時代」にあった。
小さきものたちへの責務、それを考えた場合はわたしもこれら単純明快な色彩と線描、健全な物語で作られたソヴェート絵本を推奨したいが、耽美退廃を偏愛するわたしなどは、やはりロシア末期の美麗な絵本を愛したい。

健全な子どもたちへの絵本、その担い手として詩人マルシャークが一番に思い浮かぶ。
マルシャーク「静かな絵本」は物語も絵も美しく、わたしはとても好きだ。
ここにあるのは実生活に基づいた作品と、技術力・生産力など工業や農業を紹介するものが多く、子どもたちにも自分らが「ソヴィエト社会主義共和国連邦」の一員であるという自覚を促す作用が見込まれるものばかりだった。

マルシャーク自身、前時代の芸術至上主義に立脚した画家や作家たちを過激に排斥したと言うが、そのあたりがもぉ私などは厭でしょうがない。

だから本当に惹かれる世紀末芸術の徒・イワン=ビリービンの絵本が現れると、嬉しくてならなかった。
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20世紀初頭に出版された「民話集」シリーズの装丁はビリービンの手によるもので、スラブ民族のその民族性というものを前面に押し出した様式を採っていた。
「蛙の王女」「火の鳥」「うるわしのワシリーサ」「鷹の羽根」・・・
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中でも「うるわしのワシリーサ」が夜中に家の外に出て、庭に立ててあるドクロライトを手にして、不審なものを見て歩くシーンなどは、ときめいてどうにもならないほどだ。
美麗さが絵の全体を貫いている。
背景に細かい、リアルな描きこみがあり、色彩も中間色や複合色が多く使われている。
単純明快なソ連絵本とは全く別世界の作品群!
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美麗なものは美麗なままでいい。
わたしはビリービンの絵本をこそ、愛したい。

他にも美麗なものがあるが、それらはやはりビリービンの弟子筋の絵本作家の仕事だった。

ナールブト、ミトローヒンらの美麗な世界。
こうしたものを見ていたいのだった。

次に別な国で生まれた絵本たちが現れた。

ウォルター・クレインの絵本が一点出ている。
クレインのすっきりした美麗さにも強く惹かれているので、とても嬉しかった。

実際のところ、排除したりせず並立させれば、よりソ連の絵本世界は深く広大なものになったろうに、と思った。
モダニズムと世紀末芸術とが同時に愛されるのは、やはり絵本の世界だと思うのだ。

さて「日本のモダニズム」として'30年代の絵本が出ているが、村山知義の絵本はともかく、木村俊徳、山下謙一らのそれは海外絵本の忠実ななぞりにすぎなかった。
これらを展示するのではなく、モダニズムの旗手として、武井武雄、初山滋、岡本帰一らの作品を並べるべきではなかったか。
どのような意図でこうした選択になったのかがわからない。
いや、スペースの関係もあるが、「絵本の黄金時代」と言うならやはり講談社の絵本も並べてほしいところだった。

最後にはイギリスのグリーナウェイ、ミロ、ローランサンの絵本も出てきた。
実り多い展覧会だったと思う。2/6まで。

ウッドワン美術館所蔵 近代日本絵画のあゆみ

大丸神戸店で開催中の「ウッドワン美術館所蔵名品展」を見に行った。
丁度7年前の今頃、難波の高島屋で初めて見て以来の再会。
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ウッドワン美術館は15年前に開かれた。いいコレクションを持っている。
しかしなかなか広島廿日市市の山中までは出向けない。
だからこうして百貨店のミュージアムで出開帳されると、たいへん嬉しい。
ありがとう、大丸元町。
大丸と高島屋で開催される展覧会で、わたしは育ったのだ。

行く前に前回の図録で復習する。心積もりをしてから出かけないと色々と手間がかかる。
デパート展ではまずリストはないものと心しておかねばならない。
記憶と照合しながら歩けば、純粋な鑑賞がしやすくなる。

チラシだけで15点も画像が出ている。嬉しい。
こちらは裏面。
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まず洋画から始まる。

黒田清輝 木陰  寝そべる娘。麦藁帽子には白百合が置かれている。涼しそうな着物を着た娘がちょっと一休みする。場所や状態は違っても、現代の様相とさして変わりがないことを思う。光と影の対照が、この場の心地よさを実感させてくれる。

山本芳翆 婦人像  婦人というよりまだまだ娘な感じがする。明治中葉の娘。簪なのか、白菊状の飾りが髪に挿され、指にはガーネット風な石がある。瓜を思わせるような縦じまの着物に藍地の更紗風な帯を締めて、彼女は椅子に寄りかかりながら、顔を斜めに上げている。意識した表情。どことなく小癪なところがいい。

この絵は最初のほうに展示されているのだが、出口近くの日本画コーナーに、同じポーズを取る「美人」をみつけた。
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橋本明治 舞妓  こちらは床の間に肘をついているが。
とにかくこの舞妓の手の形の優美さにときめいた。もっと繊細に描くヒトもあるが、この描線で生まれた優雅な美しさ、というものはとても尊いように思える。
画像になると感じないが、実際の絵は遠くからまるで背後照射されたステンドグラスのように、輝いていた。

藤島武二 女の顔  東洋人の女をモデルにしているが、どの民族の女なのかはわからない。正面近くから描かれた顔には「うつろさ」がある、と解説に書かれているが、むしろこの顔はうつろなのではなく、かつて存在した<東洋的な表情>を顕にしている、と言うべきなのではなかろうか。昔の日本婦人にままある表情を見せているのだから。

萬鉄五郎 風景sun076.jpg
「日本のフォービズム」を代表する画家、としてはたいへんニガテなのだが、この「風景」はとても好ましく思える。
これは西洋から来た洋画を完全に自家薬籠中のものにして、日本の洋画として表現した絵だ、と思った。
ある晴れた午後に、石垣と松並木の道を行く人力車。乗った客が何者かはわからないが、穏やかな心持ちをそこに感じた。

国吉康雄 白いシュミーズの女  赤茶色いベッドかソファかに立膝で坐す女がいる。黒髪の女は立膝に肘をおいて、頭を支える。黒い両目は大きく開かれて、どこかを見ている。
いつもの憂愁はここにはなく、現実と向き合い、しっかり活きる女の顔が描かれている。
心持ち微笑が口元に浮かんでもいる。
ちょっと乱れた「シュミーズ」とガードルと。何のショーバイかは聞かぬことにして、やはり元気に生きなくてはいけないのだ。
しかしスリップと言えば別に何にも思わないが、シュミーズというだけで、昭和なエロを感じる。

藤田嗣治 ディナーパーティ
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7年前の図録には藤田の絵は一切掲載されなかったのに、こうして絵はがきまで売られていた。隔世の感。
魚介類から酒類から野菜にみかんにわけのわからんものまでが、卓上にぶち撒かれている。
それをまた楽しそうに窓の外から大きなネコがのぞいている。
右の窓にはキジ柄のやんちゃそうな顔が出て、左の窓には立った尻尾の先がのぞいている。
これはヒトのためのディナーパーティではない、らしい・・・。

メキシコを描いた「大地」とも久しぶりの再会だった。他に晩年のイラスト風な作品もあった。’50年代のフジタの作品は'70年代後期の劇画を想起させてくれる。

小出楢重 裸婦  ここへ来る前に芦屋で小出の作品に浸っていたから、その続きを見たような気がした。日本婦人の身体。背中を向けて寝そべる、いつもの構図。この質感がたまらなくよかった。

枯木のある風景  小出の絶筆である。同じ題材であってもわたしは「六月の郊外風景」を強く推したい。ここへ来る前に芦屋市美博で見たばかり。不穏な絵。
こちらはシュールさが漂っている。しかしある種の不吉さが見出せもする。
心は闊達でも肉体が弱かったことが、本当に残念だった・・・・

海老原喜之助 曳船  パリかどこかの川を行く。曳かれる小舟にはヒトが二人。岸辺には枝の目立つ木々が並ぶ。そして白い家が建ち、洗濯物がある。
曳船はまるで♪のように煙を吐きながら川を進む。川の水は明るい水青色。
海老原ブルーとはまた違うブルーが画面の下半分を圧していた。

次からは日本画について書くが、その前に’04年の高島屋のチラシを参考までに挙げる。
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竹内栖鳳 秋圃  稲わらに集まる雀たち。仲間を呼ぶのかピーチクうるさそう。
一羽だけこちらを向いている。小さくて可愛い雀たち。

横山大観 月  明治末頃の作。中国のどこかの町で、人々が橋上に寄り集まって月を見上げている。山の端にかかる月。石で作られた橋は強固に出来ている。その橋に腹ばいになって下をのぞく子供たちもいた。そして遠近感を感じさせるための木が手前にはえる。
面白味の強い作品だった。

羅浮仙  大正ロマン漂う一枚。梅林に現われる美しい梅の精。手に白梅を持つのはちょっと見ないポーズだと思う。
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鏑木清方 春に遊ぶ  まだ幼さの残る少女が春野にいる。黄蝶や白蝶が彼女の真上で舞う。少女は摘み花をするわけでもなく、どこか遠くを思っている。

大観の羅浮仙、清方のこの少女、共に蕩けるようなめつきをしていた。
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上村松園 雪吹美人図  たぶん母娘。傘を差される娘の背中には肩掛けがついている。これは「油とり」というもので明治の一時期、上方にだけ流行したもの。
このことについては山種美術館所蔵の「庭の雪」に解説がある。
幕末懐古ではなく、そのリアルタイムの流行を取り入れていたのだった。

安田靫彦 森蘭丸sun073-1.jpg
優美な少年。前髪をあげて月代に流している。お納戸色の上下に辻が花風な小袖を着て端座する。違い棚には中国青銅器を模した花入れに、作者得意の紅梅が活けられている。砧青磁の袴腰の香炉からは、おそらく少年の主たる信長公が手に入れた蘭奢待がくゆらされているのだろう・・・

明治の歴史画というものはどうしてか一目で知れる。
橋本関雪 片岡山のほとり  明治末の大作。六曲一双屏風を平面で眺める。
聖徳太子一行の前に現われる聖者の化身の飢人。静かな筆致でその情景が描かれている。
関雪はその飢人を達磨大師の化身として描く。

川端龍子 潮騒  大海をみつめる海鳥たち。白い羽根に顔黒。(旅立ち前のユリカモメみたい)力強くて大きな作品。「会場芸術」にふさわしい一枚だけに、大きな柱一面がその展示に充てられていた。

速水御舟 荒海  大正四年の、まだまだ元気な時代の作品。彼の死が近い頃の作品には「・・・これはやはり夭折してしまうな」と感じるものがあるが、大正頃の作品にはそんなものはあまり感じない。この絵に使われた色彩がそう感じさせるのかもしれないが。
青波に白いしぶき、風に圧されて斜めに生える松並木。なにかしらイキイキしている。

梅林老夫の図―浅春―  白梅林。男がへたり込むようにしながら草を摘んでいる。南画風な作品。

上村松篁 白木蓮  ちょっとカクカクした大きな花びらと、おとなしく止まる文鳥さんたちの図。人が見る前に鳥が白木蓮を見、それを画家が見ている。そんな感じがある。

加山又造 戯  牡丹の前のペルシャネコ。これも一連のペルシャネコもの。
このペルシャネコはけっこうモコモコ系で、青い目をぐりっと見開いて、背後を見ている。
誰かに呼ばれたのかもしれないし、人がいないのを確かめているのかもしれない。
後者だと、この後ネコは間違いなく牡丹の花にタタカイを挑むだろう。

石本正 白く咲く  白い衣裳をまとった女が立っている。しっかりと顔を正面に向けている。引き結ばれた薄めの唇、あらわになった胸も、衣裳をその下で押さえる両手も、なんら照れることもなく、堂々としている。快い強さ。そんなものが彼女にある。
含羞の舞妓もいいが、こうしてしっかりと正面を向く彼女はかっこいい。

奥村土牛 仔犬  赤目のわんこが雪の中に踏ん張って座っている。上目遣いで、硬く口を結ぶわんこには、なにか強情さも感じられる。
コビないぞ、ぜったい。 わんこの決心が聴こえてきそうだ。

いい作品をたくさん見た。楽しいキモチで二巡ばかりして、会場を後にした。
大丸元町店での展示は1/24まで。

仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護

東京国立博物館の特別展「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」の内覧会に出かけた。
月曜日の開催なので土日の続きで都内に留まったが、その甲斐がある内容だった。
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平山郁夫と言えばシルクロードや神社仏閣を描いた作品がすぐに思い浮かぶが、それだけではない業績がある。
展覧会のタイトルにある「文化財保護」、それに熱意をそそいだ人だった。

テープカットには主催者のほかに薬師寺管長、歌手の谷村新司氏らがいて、谷村ファンのわたしはそれだけでも嬉しかった。心の中で「チンペイちゃ?ん」と声援を送り、開かれた展覧会場へ向かっていった。

山根基世アナウンサーの語りと喜多郎の音楽とで構成されたヘッドフォン型音声ガイドを借りる。
外の音を聞き取りにくいのが難だが、これはこんなものなのだろう。むしろそうでなくてはならないのかもしれない。
ガイドの構成はとてもよかった。

最初に「平山郁夫 取材の軌跡」として、これまでの年月、平山が訪ねた様々な地の風景、人々、遺跡などのスケッチが現れる。
多くの地域に出かけ、そこで何を見て・何を感じ・何を思い、こう描いたのか。
そのことを見る者が考えることも出来る、そんな展示。
そしてメインの展示は地域別に組まれている。

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マトゥーラ・ガンダーラ

天堂苑樹  横長の画面には森が広がる。その中にぼぅっと燃えるような黄金の光が見える。説教を聴講する菩薩たち。心が静かになるのを感じる。仏教の始まり、その地で。

女神像奉献板が三枚並ぶ。二枚ははっきりとラクシュミーだと位置づけられているが、もう一枚は(たぶん)ヤクシニーーだと言う。
いずれもシュンガ朝という王朝のBC1世紀?AD1世紀に作られたもの。
豊かな胸が目立つ像。過剰なほどの装飾が全身を取り巻くが、決して厭な感じはない。
ヒンズーの神々の多様性。
仏塔や欄楯柱の装飾の美麗さも同様で、優雅な信心ということを考える。

何台かのモニターが設置されていて、それを見るのも面白い。
観覧の手助けとして楽しめるから。

ガンダーラ佛の端麗な造形にときめきながらこのコーナーを回る。
私は日本の鎌倉時代以降の仏像の多くに恐怖感があるが、古代の異国の像には、ちょっとばかり秋波を送りもする。
解説を聞きながらその艶かしい肉の造形を愉しむ。

バーミヤン

バーミヤン大石仏を偲ぶ/破壊されたバーミヤン大石仏
21世紀初頭のこの暴挙には画伯ならずとも暗然たる思いに胸が塞がれたことだろう。
二枚の絵からは憤りと哀惜の念と、強い意識力とを感じる。
もったいない、と改めてわたしも腹が立つ。

中国敦煌の壁画などは、百年以前から列強各国などが壁から引きはがして、本国に持ち帰っている。
きちんと保存されたらまだ救われるが、闇の中へ消えることを思えば、全く寒気がする。
バーミヤンの遺跡の壁画を守るために「流出文化財保護」と言うシステムが働いているそうで、ここにあるのは日本委員会が保管しているものたちだそうだ。

多数の壁画を眺める。古代の国際交流の盛んな時代に生まれた荘厳な絵画を。
剥ぎ取られ、削られた壁画に残る色彩は鮮やかなものばかりで、往時の姿は「絢爛」たる壁画世界だったと想像が広がる。

西域

楼蘭の遺跡 昼
砂漠と言う字がふさわしいか、沙漠と言う字がふさわしいか。
そんなことを思いながらこの絵の前に立つ。ヘディンによって発見され、スタインが形を示した遺跡。
小学生の頃に読んだ「世界のなぞ、世界のふしぎ」に、この楼蘭、そしてミーラン、失われた二つの都市と、その二つの都市を滅亡させた「さまよえる湖」ロプ・ノール湖のことが書かれていた。
深い憧れを懐きながら歳月を経てきたが、今、この絵の前に立つと、わたしの感傷も憧憬も何もかもが、黄砂に埋もれてしまうことを知った。
わたしの憧れの歳月、その何十倍何千倍も長い時間を、この沙漠は生きている。

ミーランから出土した「有翼天使像」の壁画は大谷探検隊の将来品だったそうだ。
中学のときに大谷探検隊、龍村平蔵の「獅子狩文錦」再現の苦難、そうした話を知って以来、西域への強い憧れがある。


同じく将来されたのが舎利容器と化粧箱。
東博所蔵のこの眼をみはる容器は、以前に国際美術館か奈良博かで見ている。
密陀絵。千数百年の時間を生き抜く力を持つ技法で描かれている。

敦煌

幡や垂れ幕がある。
東博東洋館に所蔵された幡たち。独特な描線と色彩で写しとられた地蔵菩薩たち。
墨の色が不思議なほどナマナマしい。

先程の西域からこの敦煌にかけての絵を見ていると、井上靖の小説を映画化した「敦煌」をどうしても思い出す。
廃人と化した友人(柄本明)が言葉も持たなくなり、未来も過去も何もかも捨て去り、ただただ一心不乱に壁画を描き続ける。
・・・非常に怖い状況があった。

則天武后が書写させた華厳経があった。彼女は唐代の最中に新朝を打ち立てただけに、則天文字というものをも作り出させた。その文字がこの中にも使われているそうだが、わたしではみつけられなかった。
そういえば「文字」と言えば西夏文字というものもあった。
井上靖「敦煌」は、その西夏文字が科挙に出てそのために受験に失敗する男を描いていた。
映画でその文字を見たとき「なんと画数の多い」と思ったものだ。
実物は去年、京博で見ている。

西安・洛陽・大同

雲崗石窟をめぐる作品が出ている。例の巨大な仏像。
<発見>したのはフランス人ということだが、それより以前に我が偏愛の伊東忠太が2ショット撮影している。彼はこの遺跡をなぜ発表しなかったのだろう・・・

北魏の佛頭がいくつか。とてもよく似た微笑を浮かべた白い顔の仏たち。
大阪市立美術館から来たものが三点ばかりあり、あそこの暗い空間で見たときは怖かったものが、ここではそのままにこやかな微笑に見える。

東博の佛龕は西安の宝慶寺の遺物だった。その宝慶寺の遺物は各地の博物館に収められているそうだ。保存されていて在り処がわかるものはホッとする。
去年の大唐皇帝陵展でも、この宝慶寺にゆかりする遺物をいくつも見て、深い感銘を受けたことを思い出した。

アンコールワット

アンコールワットの月  群青色に満たされた遺跡と、人工池に映る月と。空の月の煌きや小さく瞬く星々は水面には映らない。しかし青い夜の中に建造物の姿はありありと映し出されていた。

初めてクメール佛の優美な造形を見たのは、’92年末の大阪・出光美術館での「ロックフェラー・コレクション アジア美術展」でのことだったと思う。
その造形美にひどく惹かれた。
カンボジアの内戦については、十代の頃から映画「キリング・フィールド」や「装甲騎兵ボトムズ」、高階良子の諸作品から知ってはいた。
また澁澤龍彦の最後の小説「高丘親王航海記」には「真臘国」のエピソードがあり、面白く読んでいた。
しかしアンコールワットそのものは、展覧会に行くようになってから写真を見たり、模型を見たり、拓本を見たりすることで、「知る」ようになったのだ。
現地へ行くことはわたしの場合、たぶん不可能なので、展覧会だけはまめに見ているように思う。実際に行ったヒトの撮ったスナップやVTRなども見ている。

クメール佛の装飾の少ない造形。若々しさを感じる。
その露わになる肉体。広長い口元。みつめているとアジアの熱が身の底ににじみ出してくるようだ。

以前から人気のある「ナーガの上の佛陀座像」を改めて眺める。私はあれを見ると、掌をこちらに向けて指を曲げて「ブッダ?」とついついやってしまう。できたら掌の中に絵を描くとかフィギュアを納めておくとかすると、いよいよ楽しい(ような気がする)。

アンコールワットの保存運動を示した展覧会をこれまで何度か見ている。
上智大学が活躍している浮き彫り修復などにも感銘を受けていた。
その運動の起こりが平山画伯だと言うことを、今回改めて想う。
文化を守る気持ち、それを形にした実行力。
本当に偉いと思う。

大唐西域壁画
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薬師寺の壁画。再現された空間は、そのまま長安から西域へ向かう道が広がるように見えた。玄奘三蔵の心持ち。彼の視線の再現。
秋に薬師寺へ出かけて、これを見ていた。

気持ちが大きくなる一方で、「文化財保護」を痛感する、そんな展覧会だと思う。
仏教伝来の道、そして文化財保護活動。
この展覧会を東京国立博物館で開催する意義は大きいように思った。

展覧会は3/6まで。

今月の東京ハイカイ

大概この旧正月頃は雪で交通機関が乱れます。
しかしそれでも出掛けずにいられない者もおるわけです。

だいぶ前、私の乗った飛行機が羽田空港に着くのを最後に、空港が雪のために閉鎖されたことがあった。今回はそうはならなかったが東北や信州は大変らしい。


個別の感想は後日にして大まかな感想を挙げます。

上野に行く。
間近な西洋美術館に入る。秋から長らくデューラーの版画を展示しているが、フィナーレになってから見に行くのも悪くはない。
細密でパラノイアぽい作品群に唸る。sun064.jpg

特にキリスト受難のシリーズは面白かったわ。こんな構図を選ぶか?と言うようなのがいくつかあり、また無関係なウサギが妙に可愛かったりする。
常設版画室のアウトサイダーなのはちょっといやな感じ。戯画でもあんまりなんは感じ悪いな。

子ども図書館の絵本の黄金時代では主に20?30年代のアメリカ、ソ連絵本を見た。
レトロビューティな色彩感覚のアメリカと、社会主義から子供らへ、夢と希望を託すために選ばれた明快な色彩と線のソ連、更にその前代の帝政ロシアの世紀末美術。
私は様式美に満ちたビリービンと、その弟子たちの作品が特に好きだ。
今回もビリービンの髑髏ライトを持つ「うるわしのワシリーサ」などを見て、機嫌良かった。

東博の新年のお年玉みたいな恒例の展示を楽しむ。
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ウサギまみれで面白いし、北斎の「神奈川沖の富士」を四度摺るのも楽しかった。
バレンはクルクルと回すのが正しいやり方なんで、小学生たちの前でちょっと模範を。
たまにはこういうお役立ちもします。
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上野から有楽町に出た。風邪薬が効き始めて気持ちいい。
フラフラ歩くと明治生命ビルの見学に誘われた。
ああ?やはり素晴らしい!ハイカイにはこういう味わいもあるね。

出光美術館の琳派を大いに楽しむ。
ところが昼に飲んだ風邪薬がこんな時間にいきなり効いて、立ちながら寝落ちしてしまう。
仕方なく皇居のお堀を見ながらお茶を二杯頂いて眠気を覚ます。飲んでからの時間計算をミスったのが原因。

まあ意識もはっきりしたんでもう一度見て回る。
それでちょいとばかり予定狂いましたが、微調整して東近美に走る。
日本画の前衛。sun063.jpg

何と言うかシュールでオシャレな作品が多かった。悪い意味でなく、パッケージデザインに使いたいものがかなりあった。作者の意図は読めないけど、そういう興味がわくのがこの展覧会だった。
常設には深水の雪中美人などわかりやすい日本画が出ていて、楽しかった。

再び丸の内に戻る。三菱一号館でカンディンスキーと青騎士展の再訪。内覧会以来。
この展覧会でカンディン好きになったのよ♪ いや?いいなあ。
青騎士さんたちがまたエエのよな。
七宝焼の不透明釉薬を塗り付けたような色彩感覚がよござんした。

併設展のコンドルの三菱のための図面や模型や在りし日の邸宅写真などを眺める。
こういう建物が今もまだあれば・・・ね。

さすがにここでアウトでした。
ホテルに向かう。近所のファミレスで食べたオニオングラタンスープがおいしかった。

二日目。
鎌倉に直行。まだ早いから観光客も少ない。だから小町通を闊歩した。
気分は立原正秋のヒロイン。
鶴岡八幡宮に向かうと、まっすぐ本殿向かうわけにいかず迂回路を行け、と示されているが、時間がないんで遠くから遥拝。
国宝館で氏家コレクションの肉筆浮世絵を見る。久しぶり。最初に見たのはまだハタチすぎの頃で、ネットなんか流行ってなかった。自分の楽しみだけで感想書いてた時代。
メモってたら見知らぬオジサンに何のため?と訊かれたことが懐かしい。

横浜に戻り日本大通の横浜開港資料館に向かう。ときめきのイセザキ。イセブラの昔。
すごく楽しそう。今はサビレているらしいが、いつか歩きたいわ。

湘南新宿線で恵比寿に。山種よ?
歴史画です。大好きな分野なんで大いに喜ぶ。
東博でも物語絵や鎌倉でも故事来歴絵を見たし、なかなか楽しいわ。

今回はホリデーパスを使うているので移動はJR。
汐留の白井晟一展を見た。
静謐さに満ち満ちた世界。建造物ではあるが、人間の存在感がない、いや、拒絶した空間
だと思った。書もよくする人で「無窓」というのがあった。
無窓は無想でもあろうか。無念無想。
内省的な思想の現われ、哲学的な建造物・・・考えねばならない様々なことども。

新橋から神田の南口に出ると、某名建築が見えるけど、ここは堅く見学お断りなんで軽くスルー。
三井記念美術館に入る。
松の茶屋か。戦後の荒波をこうして凌いだのですね。
我が偏愛のノンコウや乾山らのやきものや、綺麗な螺鈿の茶箱などを見る。
もっと松の茶屋の写真などあればいいのだが、ちょいとばかり惜しいな。

新日本橋から千葉へ向かう。
何やら事故の影響とか。新幹線もそやけど在来線も色々大変。

明るいうちに千葉に着く。例によって道に迷って、千葉中央駅まで出る。何のためのJRなんかな。
ギッターコレクション展です。名古屋以来の再会。楽しく眺める。
記事を書いた展覧会を再訪するのは気楽に作品と向き合えて楽しい。

さーてホリデーパスのお力を示しましょう。(おおげさな・・・)
千葉から横浜まで72分らしい。乗った・寝た・着いた。朝以来の横浜。
そごうで九谷焼の三世徳田八十吉展。
グラデーションの綺麗さに「ヲヲ」となる。
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一点一点で見るより数点を連続して見てみると、万華鏡をのぞいてる気分になった。
勝手ながら、こういう楽しみ方をさせてもらった。
また古九谷の倣いがさすがに素晴らしくて、目の保養という展覧会だった。

ここでタイムアップ。ポルテでサンマーメンとシウマイを食べて帰る。
わたしは餃子よりシウマイ派なの。

昨日、つまり三日目の朝、月曜日。
月曜に都内にいるなんて、まずこれまでありえなかったので、感覚が狂う。
狂うことも予測してたので、事前に立てた計画では「電車混むぞ」と書いてある。
しかしやね、普段から自転車通勤のわたしが首都圏のラッシュアワーに耐えれるはずもなく、これはもぉ実は実行不可能な状況でしてな。
というわけで、昨日千葉へ出かけたことで、予定を変えれました。

東京駅に荷物を置く。送ればいいけど、一月中は運送会社はあまり使いたくないのだよ。
(そういうわけで「送りますね」と約束している方々に遅刻遅刻なのだ、すみません)
まぁでももぉ月半ばやしなぁ。

新日本橋で降りて三越本店で「善光寺大本願上人」展を見る。
開基が蘇我馬子の娘で聖徳太子の妃とあってビックリした。
「えっ刀自古!」そう、わたしは山岸涼子「日出処の天子」をリアルタイムに読みふけっていた世代。アタマの中には綺麗だった刀自古娘が浮かんでいたのでした。
何度か善光寺にも行き、早朝の「お数珠頂戴」にも参加したり色々したけど、肝心のことを知らんかったなぁ。
なむ?。

昨日に続きまたもや神田へ向かう。乗り継いで両国へ行くのだけど、さすがに場所中なのでお相撲さんを二人ばかりみかけた。
お相撲さんと言えば、わたしは千代の富士がいちばん好きだった。あの頃は阪神タイガースと大相撲観戦に打ち込んでたなぁ。「キャプテン翼」にも熱中してたなぁ。’85年頃。

江戸博で「江 姫たちの戦国」を見る。副題が「生きた 愛した 戦った」だったが、このフレーズは懐かしき「六神合体ゴッドマーズ」の挿入歌「十七歳の伝説」にもあった。
ああ、泣けてくるぜ・・・。
歴史上の人々のイメージってね?どうしても読んだものからのイメージが強いんだよな。
秀忠なんぞは隆慶一郎の一連の作品群のわる??いわるいイメージがついてもたし、彼女が溺愛した忠長は「シグルイ」の狂気のヒトの顔が浮かんできますな?。
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宮殿(ぐうでん)は暗い空間に展示されていて、迫力があった。あれを見ただけでも来た甲斐があると思うような実物。ちょっと怖かった。

時間調節してからいよいよ東博へ。
「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」展の内覧会。
谷村新司さんのトークがあった。チンペイさん、ナマで見聞きするの久しぶり♪
薬師寺から出開帳の絵画は、ほんの数ヶ月前にその薬師寺で見たばかりなので、「おお、元気ですかな」な気分で眺めたのだが、「文化財難民」になった文化財たちを目の当たりにすると、つらいものがあった。
しかし平山郁夫の実行力・発言力などでこうして一時的な憩い場が出来て、本当に良かったと思う。
立派な行為だ。こうして救われた文化財も少なくないのだ。

なんとなく胸を張りながら東博を去った。
予定より早く新幹線に乗ることにした。そうしないと雪で遅れるらしいし。
一時間半早いのにチケット変更。
また来月までさらば。
今回もいいハイカイをさせてもらいました。

海を渡った古伊万里 セラミックロード

えき美術館で開催中の「海を渡った古伊万里 セラミックロード」展がたいへん素晴らしい内容である。
本当に名品揃いだった。sun050.jpg

それも当然で、佐賀県立九州陶磁文化館コレクションが、関門海峡を渡って、出開帳してくれているのだ。
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やきものでは極端に磁器を偏愛している。
普段は完全に国内向けの色鍋島を最上段に置いているわたしだが、今回ばかりはコロッと宗旨替えしそうな勢いがあった。
佐賀県立九州陶磁文化館といえば、柴田夫妻コレクションが有名である。
今回も随分たくさん来ていた。
以前にもところどころの展覧会で楽しませてもらってきたが、今回は本当に「タノシム」どころではないほど、強い感銘を受けた。

コレクターの眼を通した美術品を、観る。
趣味・嗜好を越えて「美しいものは美しいのだ」と意識する。
そのときコレクターの美意識と共鳴する。
また、これまでその美を気づけなかったものから美を「発見」する。
そのときコレクターの審美眼に敗北し、同時に学ばせてもらえたことを、知る。

柴田夫妻の選んだやきものたちは、二つの歓びをわたしに授けてくれたのだった。

磁器を英語でchinaという。Chinaだと中国の意になる。漆器がjapanなのと同様に、磁器はchinaなのである。
そのChinaのchinaが17世紀半ば、世界市場へ輸出できなくなる事態に陥った。
輸出入がダメになるのは内乱が起こったからである。
明朝が倒され清朝へ変わる。
その間隙を衝くようにして、Japanのchinaが世界へ出て行った。

今回の展覧会には現物のほかに、多くの写真パネルの展示がある。
添え物ではない写真たちである。
白谷達也というカメラマンの眼を通して選ばれた美術品たちの姿である。
自分の眼で見たものよりも、他者の眼を通して映し出されたものの方が美しいとき、それは写真作品の勝利なのだった。

展示された写真たちは大方が、不思議な魅力に満ちていた。
ジャカルタにあったオランダの東インド会社はよく働き、西洋に古伊万里の美を運んでいった。
そのインドネシアの写真がある。
インドネシア独特の人形が座している。男女像。その前に様々な輸入やきものが並ぶ。
男女の人形は色鮮やかなやきものを楽しんでいるかのようである。
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その写真パネルの前には実際のやきものが展示されてもいた。
ちょっと3Dのような錯覚がある。

インドネシアのこの空間だけではなく、やきものが室内を覆う情景を写したものが、他にも多く出ている。
南アフリカ・ケープ州知事公邸はやきものと重厚な金唐革に覆われた室内が映し出され、オランダのデ・ハール城では絵画を<眺める>かのようなやきものが置かれる様子があり、オーストリア・シェーンブルン宮殿の磁器室は、白大理石と金とで飾られた壁面に艶やかなやきものが設置され、そしてドイツ・シャルロッテンブルク城の磁器室は、極めて多彩なやきものに侵食されていた。一目見れば決して忘れられない、摩訶不思議なセンスで、この空間は維持されていた。
偏愛の度が過ぎると、こうなるのか・・・という思いでその情景を眺めるばかりだった。

展示された名品のうち、特に好ましく思ったもの数点を挙げる。
(普段はサムネイルだが、今回はそのままで出す)

オリーヴ色の青磁雲竜合子が可愛い。龍の目つきがはっきりしている。
寛文年間の作。見過ごせなかったのはやはりこの龍の目に捉えられてしまったせいかもしれない。
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色絵竹梅花鳥文角瓶  元禄年間。これは展示では梅と竹の面が正面向きだったが、その側面の椿に鳥の図柄に深く惹かれてしまい、何度も何度も見に戻った。
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上部のバラのような雲文も綺麗だし、なによりも発色が素晴らしい。
図録ではこのように「わたしが見たいもの」が載せられているので、とても喜んだ。

染付山水文手付水注sun055.jpg
寛文年間。染付はやはりこのくらい濃みなものでないと、という思いがある。そして普段は絵画でもやきものでも山水画はニガテなのに、この水注を始め、惹かれるものが多くあった。基本的に風景画は「わたしの行きたいところ」という意識を一本の線にして、その上下で好悪を決めていた。
この光景の広がる空間になら、わたしは行ってみたいと思うのだった。

色絵唐花唐草文鉢  寛文年間。マヨルカにも似た雰囲気のものがあるが、これは色数が抑えられている分だけ、更に魅力的だと思う。イスラームの花宇宙を思った。
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この図柄が拡大すればイスラームに、狭められればこうしてやきものになる・・・
なにかしら緩やかなバロック音楽まで聴こえてきそうな気がする。

色絵花鳥文皿sun057.jpg
寛文年間。だいぶ色落ちしているとはいえ、これもまた見事な色絵だった。黄色い小禽たちのさざめく声がこちらにまで届く。花びらの剥落は小禽たちによって食まれたからのような気がする。そして一見無秩序に見える花鳥の乱舞も少し離れれば一定の法則に則って活きていることがわかる。六つの☆に閉じ込められた空間。そこからはみ出した小禽たち・・・優美な世界がここにある。

色絵甕割文八角皿  延宝年間だから寛文より少し後である。司馬温公の子供時代のエピソードの絵。
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甕に落ちた子供を救う少年もなかなか愛らしいが、左側に立つ少年の美貌に深くときめいた。やきものでこんな美少年を見たのは初めてだった。

色絵傘美人文皿、染付傘美人文皿  元禄年間。ここで初めて柴田夫妻コレクションではないものが出た。
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かむろに傘を差された遊女の前に、3羽の水鳥が現われて挨拶をする。
こんにちはグワーッ、いい天気ですねガー、気持ちいいですねギェーッ(水鳥だから雨の日が楽しいのだ)
そして周囲の飾りには四羽の小禽と美人が交互に並ぶのだが、それぞれの鳥の表情が面白かった。

色絵龍虎文輪花皿  延宝年間。普通は竹に虎なのだが、ここでは竹に龍が巻きついている。虎はそれで怒っているらしい。龍はそれに向かって「うるさいなー来れるもんなら来てみぃー」と言うているようにも見える。
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他にも随分すばらしい作品が多かった。
もうすっかり自分はスレッカラシだと思っていたが、これらを目の当たりにして大いに衝撃を受け、深くときめいて、胸がざわめくのを覚えた。
まだまだ「見るべきもの」は後を絶たないのだ。
この素敵な展覧会は1/23まで。

アールヌーヴォの館

此花の伝法にある、アールヌーヴォーの館を訪れた。
外観はセセッシォンである。分離派。
しかしながら内装はアールヌーヴォー洋式を採っている。
非公開のこの建物の撮影もさせていただいたが、内部写真は流出禁止ということで、心にとどめおくことにする。
そこで簡単に外観だけをここに挙げる。
外観は隠していないので、通りすがりのヒトがパチパチ撮ることもあるだろう。

実は二度目の訪問である。
最初に来たのは'99年12月で、あの頃は随分ひどく荒れていた。
現在は随分きれいになっている。
登録文化財になることをお断りしつつも、とても大事に守ってこられた、そのことを感じさせる素敵な建物だった。
日本でアールヌーヴォー様式を取り入れている建物は、西日本工業倶楽部(旧松本邸)とここだけにになる。
そのどちらにも関わりのある建築家がいる。素晴らしいことだ、どちらも建物が生きているのだから。
以前西日本工業倶楽部にもお邪魔してあちこちをパチパチ撮ったが、やはりなにかと共通するものを感じた。
しかし内部は公開してはならぬので、建物の名称も書くことを避けている。
洋館と和館のつながりも素晴らしく、欄間に彫刻家の記銘があることにも驚いた。全く見るほどに味わいのある建物である。

IMGP8655.jpg正面
IMGP8652.jpg建物の厚みをみよ。
こんな装飾も可愛い。IMGP8656.jpg

和館は外から見れば虫籠窓で見るからにキモチ良さそうな風情があった。
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ステンドグラスの使用もまことにすばらしい。IMGP8653.jpg
こんなところにも使われている。

見事な建物を見た一日だった。


「カイエ」追悼

わたしにとって「カイエ」は夢の場所であり、lapisさんは指標の一人だった。


「カイエ」追悼


わたしはあまりメールを見ない。怠惰だから。
しかし時折それは、知らぬ間の罪にもなる。

四日ぶりにメールを開くと、ある方から衝撃的なお知らせが入ってきていた。
「カイエ」のlapisさんが去年の1/10にお亡くなりになっていた、と言う内容だった。
lapisさんはその二日前の1/8に「あなたの好きなフィリップ・K・ディックの作品は?」という記事を挙げられていた。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」「高い城の男」などの作品を残したディックである。

わたしはそのときこんなコメントを挙げていた。
「こんばんは
中学のとき「電気羊」を知ったのですが、その前に何故か「城」の方を。
諸星大二郎の絵で見てみたい気が時々します。

映画「ブレードランナー」は確かにメチャかっこよかったですね。
あの頃同級生の男子たちがハリソン君と同じ髪型になってました。
ラストを2パターン拵えてたのも、あの頃は衝撃的でした。
by 遊行七恵 (2010-01-09 22:49) 」

わたしは他の方々同様、lapisさんのファンなのだった。

わたしが最初にカイエを訪れたのは、小村雪岱の関係からだった。
それまで雪岱の話をしようにも周囲に誰もいなかったのだ。
それは雪岱だけのことではなく、他の大方もそうだった。
わたしは淋しい環境に生きていたのだ。
孤独であることを認めたとき、わたしの前に世界が開いた。

ネットの世界でわたしは初めて、自分と同じものを大事にし、同じものを愛する人々と繋がったのだ。そんな仲間がいることを知ったのだ。
本当に嬉しかった。

その仲間の一人にlapisさんがいた。
彼もわたしの出現を喜んでくれたようで、以後様々な意見交換を行った。
やがてわたしの記事が展覧会の感想文に特化してゆくと、自分はそこまで見ることはできないが、と前置きしつつ時折素敵な意見を寄せてくれるようになった。
そしてlapisさんはご自分の世界を更に更に深めていかれた。
その深度に眼を奪われ、わたしもその鰭の端を掴まえようと、苦しい息を吐きながら深く水中に潜り続けていった。
追いつけたとか追い越したとか、そんなこともなく、ただひたすら潜っていったのだ。
何を求めていたのかは、もうわからなくなっていたし、それが徒労なのかどうなのかもどうでもよかった。ただただ深い地域へたどりつきたかった。

ではlapisさんは何を得ようとしていたのか。
それはわたしにはわからない。
わたしは「カイエ」のファンであり、lapisさんと同じものを深く愛する性質ではあったが、わたしは所詮他者に過ぎない。
ただ、勝手に思うことがある。

今自分が存在するこの世界において、見るべきもの・感じたいこと・知らずにいられない何か、そんなものたちの在りかを、lapisさんもまた探し続けていた・・・

わたしはそんな風に考えている。

わたしはlapisさんを指標の一人と思い、あの鋭くも優雅な知性を唸らせ、喜ばせる記事を書こうと努力してきた。
別に彼のために書いたわけではなく、飽くまでも自分勝手な喜びのために書き散らしてきはしたが、lapisさんから褒められると、嬉しかったのは確かだ。

彼の死因は知らない。
ただ更新されなくなって久しいブログを訪ねるたびに、胃の辺りを重く感じていた。
死の予兆はなかった。たぶん、外的な要因がそこにあったろう。
あの知性も道半ばにして現実から消えてゆくのだ。
深い虚しさと悲しみが胸に満ち溢れてくる一方で、わたしはこうも考えている。

lapisさんはこことは違う地に立つようになったのだ。
別な次元、別な時間、別な場所からこちらを眺め、微笑しているに違いない、と。

今はただlapisさんの遺した「カイエ」が、この先も生き続けることを、願っている。
そうすれば、あの知性をいつまでも感じ続けることが出来るのだから。

わたしにとって「カイエ」は夢の場所であり、lapisさんは指標の一人だった。
ありがとう、lapisさん。

大正イマジュリィの世界

大正イマジュリィの世界 デザインとイラストレーションのモダーンズ
松涛美術館で、素敵な展覧会に酔った。
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随分昔から大正を中心とした「時代」にときめき続けている。
その時代のファッション、絵画、音楽、生活、なんにでも惹かれる。
特にその時代の出版物にひどく惹かれていて、出来る限り資料を集めたり、展覧会を見たり、本を読んだりしてきた。
その嗜好を助長させ、さらに成長させてくれたのが、挿絵専門の弥生美術館なのだ。
わたしが今日のように東京へ出てくるようになったのも、20年前に弥生美術館の会員になったからだ。
その弥生美術館で愉しんで来たさまざまな「大正イマジュリィ」が、渋谷の松涛美術館に集合している。
(初見のものも無論多いが)慣れ親しみ、愛し続けてきた作品群が、こうして一堂に会する情景は、まさに壮観というべきもので、松涛美術館全体が大正ロマンに満ち満ちていた。

「イマジュリィとはイメージ図像を意味するフランス語ですが、装幀、扉絵、挿絵、ポスター、絵はがき、広告、漫画など大衆的な複製としての印刷・版画の総称です」
チラシにそう書いてある通り、ここには魅力的な印刷物が数多く集まっていた。

以下、ごく簡単に記したい。
耽溺し、偏愛する世界について書こうとすると、あまりに深みに落ちてゆきそうなので、それは避けたいと、思っている。
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大正イマジュィの13人
藤島武二、橋口五葉といったアールヌーヴォーの影響を受けた作家の作品から始まるのも楽しかった。

大正新版画の雄としての五葉も素敵だが、挿絵画家・装幀家としての五葉が更に好ましい。
「吾輩は猫である」だけでなく、漱石の中世騎士物語たる「幻影の盾」「薤露行」などの収められた作品集の表紙絵は、ラファエル前派の画家の手によるものか、と思う優美さがあった。


武二も美麗な絵を多く残したが、タブローだけでなくこうした装幀や表紙絵にも同じように美麗な作品が多いのが、なによりも嬉しい。
彼のこうした作品群は、うらわ美術館でも見ている。

杉浦非水の絵はがき集がたいへんよかった。
非水の作品と言えば三越のポスター、地下鉄ポスターがすぐに思い浮かぶが、ここではまた少し違う味わいのものが出ていた。

夢二、華宵の作品群は、弥生美術館で楽しませてもらってきているので、ここではただただ嬉しく眺めるばかりだった。しかも画集になかった作品群が今回の図録に出ているのも、嬉しくて仕方がない。
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富本憲吉の仕事は、少し前に大きな回顧展で色々と見たが、装幀や表紙絵は見ていなかった。彼は「模様から模様を作らず」のヒトだから、どれを見ても誰とも似ていない。

近年、劉生の挿絵・絵本・装幀・表紙絵などを見る機会が多くなった。そしてそれらを見る度に、劉生の作品への好感度が上がって行く。
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麗子ではなく於松風な童女たちがいた。
また「かちかち山」もある。中はこんな感じ。
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小林かいちの絵はがきセット四種、蕗谷虹児の叙情画とパリ時代のアールデコな絵、このあたりはやはり1920?30年代でないと生まれ得ない作品だと思う。

今回、橘小夢の作品を見た人々が「ヲヲヲッ」になっていたそうだ。
とても納得である。わたしだって初見なら「!!!」になっていた。
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小夢の作品は’93春、弥生美術館の回顧展で初めて見た。
小夜福子、水の江瀧子らスタァ版画は初見だが、他の作品は皆なつかしい。
かるかや道心の二人妻の「嫉妬」、谷崎「刺青」の女郎蜘蛛を背中いちめんに這わせる娘、鬘を持ち手に小ヘビを巻いて笑う田之助の頭の周囲には金の光がある。
「水妖」はその昔、ドイツの心理学の本にも教材として採られたそうだ。
皆川博子は小夢の絵を自著表紙絵にも使ったが、わたしなどはその絵にもその文にもときめいていた。

エラン・ヴィタルのイマジュリィ
ここでは様々な書籍が集められていた。

津田青楓による漱石「道草」は神奈川近代文学館にも収蔵されていて、この装幀はそのまま絵はがきか、年間予定表を飾るかして、使われていた。

才人・藤井達吉の図案集を見たが、これはこれでやはりいかにも藤井らしい図案で作られている。

浮世絵のイマジュリィ
清方、雪岱らの作品が出ている。和モダンというべき作品群がここに集まっている。
江戸への郷愁、憧憬などが結晶化したものが「浮世絵の」イマジュリィだと思った。

夢二は上方の芝居を基にした小説などの絵が多いが、慣れ親しんだからこそ生まれる情感、そんなものが作品に滲んでいる。
「近松の人々」などは特にそんな面白味があった。
ここには出ていないが、弥生美術館所蔵の長田幹彦や吉井勇の著書の装幀は全てが、そうした趣のあるものなのだ。

明治の東京に生まれ、幕末生まれの祖母に溺愛されて育てられた清方と、小江戸・川越と日本橋檜物町とにゆかりの深い雪岱とでは、雪岱の方が江戸の匂いが濃いように思う。
清方は明治の東京の人々を描き、雪岱は江戸時代の人々を映す。

雪岱の装幀を見るのは本当に楽しい。見ること自体が喜びになる。
雑誌「春泥」表紙三冊が一つの続き物のように見えた。
燕飛び交う日に、見立て寒山拾得の女二人・・・そんな絵に見えた。

震災のイマジュリィ
震災のルポルタージュ、復興のための作品、どちらも見た。

虹児の絵葉書セットは以前も弥生で見ているが、どうしても大震災と関連付けられない。
どちらかと言えば感想は「綺麗な絵」だと言ってしまいそうになる。
震災後の復興を願って描いているのだろうが、やはり叙情が全体にあふれている。
悲惨なものを見た後はやっぱりこちらを見ていたくなるのだった。

子供・乙女のイマジュリィ
童画や叙情画が集まっていて大変嬉しかった。
このコーナーにいると心が清くなるのを感じる。

加藤まさをの「花の精」は可愛らしいシリーズものだった。
わたしはまさをは「消え行く虹」といった悲しい小説、どことなくセンチメンタルな少女たちの絵が特に好きなのだが、こうした愛らしい絵もいいものだと思う。

岡本帰一の絵をここでも見れるとは思わなかったので、大いに喜んだ。
「ウサギノダンス」などは見た途端♪タラッタラッタラッタ・・・とメロディが口をついて出てくる。
ここにはないが「子供の夢」を描いた絵などを見ると、子供には一人ひとり自分だけのウサギさん、ゾウさん、ネコさん、犬さん、ライオンさんなどのお友達がいて、夢の中ではいつもみんな仲良く遊んでいる・・・そう信じてしまうのだった。

武井武雄の「ラムラム王」がなかったのは、全く残念すぎると思った。
ほかに名品が出ていたが、やはり「大正」はラムラム王の時代だと思ったりする。

怪奇美のイマジュリィ
今の今「心が清くなるのを感じ」た私が、ここにいると「心が黒くなる」のを感じるのだった。

水島爾保布の「人魚の嘆き」には随分ハマッていた。元々谷崎ファンだが、この「人魚の嘆き」は小説本体より挿絵にときめいていた。
だから中公文庫「人魚の嘆き・魔術師」は水島の挿絵が全部入っているので、今も鍾愛の一冊なのだった。
人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)人魚の嘆き・魔術師 (中公文庫)
(1978/01)
谷崎 潤一郎



松野一夫も随分以前に弥生で回顧展があった。ここに出ている「新青年」表紙絵もそのときに見た。モダンな作風だと思う。
「黒死館殺人事件」の挿絵も出してくれればよかったのに・・・

竹中英太郎「満州美人絵はがき」「陰獣」があった。隠微で魅力的な作品。
‘89年に弥生で回顧展があったが、あのときもひどくよかった。
それ以前に乱歩「孤島の鬼」の挿絵で英太郎にのめりこんでいたが、彼が映画「戒厳令の夜」に数枚のタブローを提供していたことを知ったのは、その回顧展からだった。
あの当時、息子の竹中労が英太郎画集「百怪我が腸に入る」を出していた。

京都アールデコのイマジュリィ
初見の作家ばかりが集まっていた。

山六郎「女性」表紙絵は魅力的だった。この雑誌はプラトン社のものだから、たいへん魅惑に満ちた作品が多いのも当たり前かもしれない。
どこかでプラトン社の回顧展をしてくれないだろうか・・・

尖端年のイマジュリィ
大正モダニズムを実感する。
昭和になると「エロ・グロ・ナンセンス」になるのだが、その手前のはなし。

ロシアアバンギャルドの様式を取り入れた本の装幀もあれば、「婦人グラフ」も出ている。
岩田専太郎の美人画も出てきた。わたしは専太郎は戦後の作品より戦前の、特に大正から昭和初期の作品が好きだ。

だんだんと今では「知る人ぞ知る」本が出てくる。
谷譲次「踊る地平線」の木村荘八、島田清次郎「地上」の水島爾保布、藤森成吉「何が彼女をさうさしたか」・・・
小出楢重「めでたき風景」もあった。これは今読んでもたいへん面白い随筆集である。

新興デザインのイマジュリィ
マッチラベルやポスター、広告などの面白い作品が集まっていた。

大衆文化のイマジュリィ
バレエのパンフや楽譜などのための作品が色々。

これら二つはちょっとばかり面白味に欠ける、と思った。
というより、これらだけを切り離して別な展覧会にしてもいいのかもしれない。
そうしてもう少し肉付けをして・・・

たいへん面白い展覧会だったのは確かだ。
いいキモチで見て回った。
展覧会は1/23まで。
なお、弥生美術館では「挿絵の黄金時代」展を3月末まで開いている。
国立子ども図書館「1920?1930年代 子供の本」も見逃してはならない。


ギッター・コレクション展

ギッター・コレクションを楽しんだ。
名古屋松坂屋ミュージアム、千葉市美術館と巡回した展覧会である。
タイフーン被害から逃れたギッター・コレクションをこうして目の当たりにしている。
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18世紀江戸時代の主に京都画壇の絵と文人画、琳派もあれば浮世絵もある。
以下、簡単な感想を書く。ところどころちょっとばかり長くもなるが。

達磨図 若冲  実際のところ達磨はインド人だからこんな顔つきはしていないだろうが、日本の達磨はやはりこんな顔つきだろうと思うたりする。
でこっぱちにむき目玉、横広がりなムの字の鼻にボサボサなヒゲ。
若冲ランドの達磨はこんな顔つきのオジさんなのだった。
面壁九年、しかし何を悟り何を得たかは誰にもわからないようだった。

若冲の寒山拾得図が二枚ある。賛はそれぞれ別な人。
たいへん可愛らしい二人組が二枚あるのだ。よく見られるグロさが全くないこの二人は、神仏の化身とは見えず、風狂逸脱の僧にも見えず、機嫌のよい子供達に見える。
この坊やたちの頭をなでてあげたい・・・
ねんねする坊やたちは一枚の枠の中に納まり、双幅はそれぞれの立ち姿を描く。
後ろ向きに立つから表情はわからない。
蓬髪は墨の置き方が面白い。ちょっ見ればアザミの花のようにも見えるアタマだった。

白象図 寄り目のゾウさんである。フェルマータのような形。「派遣戦士山田のりこ」のような目をしている。

寒山拾得図 蕭白  背中合わせに静かに坐す二人。寒山は白く、拾得は黒く。拾得は寒山の分身という説があるそうで、それで影のように黒いのかもしれない。静かな二人・・・
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月に雲 芦雪  白く塗り残す外隈。かっこいい月。
鵜飼図 芦雪  小襖。鵜匠と鵜たちは小さい群。
月に竹図 芦雪  頴川美術館によく似た作品がある。竹は細く伸びている。
牛に童図 芦雪  後ろ向きに梅の枝へ鎌を当てる子ども。牛を繋ぐヒモのたわみがいい感じ。可愛い。

太秦祭図 池大雅  マダラ神さんのお祭。

竜虎図 徴翁文徳  竹を噛む虎。爪立てて。家の仔猫が丁度こんな感じで暴れまくってる。絵師もきっとそんなメに遭って、こんな構図を選んだに違いない・・・(!)

熊野参詣図曼荼羅  ああ、海には補陀落渡海の小舟がある。白い帆に棺桶。生きながらの死出行。見送る人々。熊野の境内にはやたらと狛犬が見える。神聖なカラスもいる。紅梅と桜が同時に咲いているのも、なにやら不思議な予感を覚えさせる。禊する人の上に不動明王の姿が顕れる。金銀の日月。
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四睡図 宗達  薄墨だからよけいみんな眠たそう。可愛い坊やな寒山拾得。虎も幸せそう。可愛い。
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鴨に菖蒲図 宗達  飛んでます、白花の上を。

春夏草花図 渡辺始興  白が目立つ花花。
月次草花図 中村芳中  扇面図屏風。たらしこみが綺麗。

朝陽に四季草花図 抱一  表装は寶尽くし。紅葉、水仙、梅、青菖蒲、河骨などなど・・・
秋冬草花図 抱一  赤いヌルデモミジ、キキョウ、小白菊。

蓬莱山図 其一   梅が咲く奇岩の島に。
伊勢物語・禊図 其一  侍童の背中が丸い。ヤンキー座りな人々。

紅楓図 酒井鶯蒲  幹はたらし込み。赤のグラデーションが綺麗。
銀杏に月図 鶯蒲  たらしこみの銀杏、ぴったりな技法。ステキ。

輪舞図 雪佳  京都の「千總」所蔵品のものと同工異曲な気がする。
秋草花図 雪佳  青が目立つ花々。紫苑、その下の桔梗、青と白の乱舞。形は決して壊れない。 
百々世草 雪佳  何ページか出ていた。鹿たち、曳船、山家の春・・・のんびり、まったり。

布袋図 白隠  座禅しててもなにやらヤラシイ目つきをしているな。
観音図 白隠  月光に照らされる観音は白衣をまとうこともあり、色は殆どない。
しかしその足元に広がる蓮池は、白い花、紅の花を開いている。池の水も青い。
ハマグリ観音図 白隠  三十三観音の一つということだが、これでは「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」かランプの精である。
七福神図 白隠  みんなで歌舞音曲を楽しんでいるが、毘沙門天の代わりにゲスト出演した鍾馗だけは怖い目つきでムッと立っている。彼がウカレたら、あかんか。

達磨図 応挙  ふくれ瞼の下の鋭い眼。口元はちょっとばかり女性的なのが、却って本人の意志の強さを示しているようにも見える。・・・けっこうかっこつけすぎな感じも。

欠伸布袋図 センガイ  先般の出光でのセンガイ展チケットとも、兄弟らしい。

龍図 山岡鉄舟  「書は体を現す」で、まるきりこの「龍」字は龍になっていた。

達磨図 中原南天棒  安来節でもやりだしそうなツラツキである。
托鉢僧行列図 中原南天棒  かわいい???ずらずら続く饅頭行列?
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松に桜流水図  随分前に大倉集古館で「金と墨のモノクローム」展があったが、その仲間のような作品。若松が目に付いた。その松と川はどこか又造さんを思わせる。

墨竹図 柳沢淇園  墨の濃淡で細竹の節変わりをシマシマのように見せる。竹の本体とその影。いいものを見た。この柳沢淇園の展覧会が先般行われていた。
行けばよかった、と少し反省。tou816.jpg

牛図 応挙  手紙の終わりに坐す牛がいる。墨の濃淡で牛の肉のありかを見せている。

松に虎図 源  唐美人が得意な源の可愛い虎ちゃん。よくよく見れば口の端が上がっていた。おとなしそうに見えてもやはり虎は虎だぜ、という風情がある。
ちょっと朝鮮の絵のトラに似ている。tou989.jpg

桜に烏図 源  はっ となる印象の強さがあった。カラスの濡れ羽色は墨の上に群青をかけているらしい。花びらも胡粉が盛られていて、ふわふわした実感がある。

双鹿図 呉春  シカップルのデート。メスはけっこう出目ですな。月を見ているのか。
 
双鴉図 紀楳亭  目つきも顔つきも鋭いけど、なんかニクめないな。

翠柳白鷺図 山本梅逸  ああ、梅逸の花鳥画だわ・・・。頴川美術館で色々見た絵師。
四季草花図 梅逸  色のつけ方がとにかく梅逸独特だと思う。遠目からでも「もしや梅逸では」と予測を立てながら・・・

菜の花に蝶図 谷文晁・亀田鵬斎 賛  薄い色だが、それがその場の空気を、風を、教えてくれる。
草花図 椿椿山  三幅対のうち真ん中の枇杷とユリネがたいへんおいしそうである。

山水画のセクションがあったが、ちょっとばかり早足で行く。これらがニガテなのは「こんなところへ行ったらどうしよう」と言うキモチが私にあるからだった。
それでもちょっとばかり心に残ったものを題と絵師名だけ書く。
山水図 雲谷等益、富士に三保図 池大雅、寒山行旅図 蕪村、秋冬山水図 横井金谷、
山水図 岡田半江、火伏金生図 玉堂、山水図 谷文晁 
 
洛中洛外図 伝土佐大掾元庸  慶長八年以降の作品らしい。右隻、清水が1右上にある。その下には耳塚もある。2には身体を洗う女。色んなキャラがいる。盲人と手引き、万歳と才蔵。左には盆灯篭を飾る家、提灯と笹。・・・祇園祭が見当たらなかった。

花見遊楽図  享保期の作画ということでか、髪型に趣がある。(タボが長い)華やかな女たちの行き交う情景。真野あずさ風な美人が多い。
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立美人図 滝沢重信  こちらも享保期。やはりタボが伸びている。文字を描いた小袖を着ている。指の細さが魅力的。
  
色子図 川又常正  二つ折れのような編み笠を持ち上げた美少年。色の白さは透けるようである。色子の美ははかない。だからこそ、深くみつめたいのだ。
納涼美人図 川又常正  まったりしている。そんなに暑くもなさそう。タバコ盆を持つカムロの美少女に惹かれた。
円窓官女図 鳥文斎栄之  円窓の上には紅の蕾をもつ梅がある。開いた梅は薄紅梅。上品な梅の下の窓の中には、やはり上品な官女が文を書いている。

納涼美人図 歌川豊広・山東京伝 賛  海と帆が見えるからこれは品川だ。月の下の船。
座敷からそれを眺める芸者は三味線を持ちながら立っている。着物も涼しそう。
桟橋美人図 歌川芳広  芭蕉柄の帯が目立つ。芸者の姐さんの粋な立ち姿。

鴨川納涼図 山口素絢  川床はいいな?人々の楽しそうな様子がこちらにも伝わる。
鈴鹿峠宿り木図 素絢  なんでもこの宿木は安産信仰になっていて、ここにいる二人の旅女は嫁姑らしい。にこやかな嫁の表情がいい。

文読む芸者図 祇園井特  せいとくにもこんなフツーの美人画があるのか。踏み読む美人。笹紅に太い眉というのは常のことながら、この美人にはいつものアクの強さはなかった。そのことにびっくりした。

奥の細道図 蕪村  扇面。芭蕉と曽良の後姿。
平家物語(待宵の小侍従) 呉春  なにやらのほほんとたのしげである。


文人作画図 立原杏所  文人が襖に絵を描いている。こういうのも面白い。杏所もまた最近展覧会があった。
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もっともっと学ばなければならない、とちょっと反省した。

遊里風俗図 富田渓仙  12面の貼交屏風。日本どころか中国の杭州の遊里まで加わっての風俗画である。心のままにさらさらと描いたような、洒脱な面白味があった。
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瓢箪と酒賛歌 亀田鵬斎  こんな作品が終わりに来るのはいいものだ。
「ああ、楽しかった」 という心持になる。

本当に楽しかったギッター・コレクションである。 

1月の予定

今日は仕事始めということで、それにあわせて今月の予定です。


酒井抱一生誕250年 琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派― 出光美術館
「日本画」の前衛 1938-1949 東京国立近代美術館
四季の彩りと『十二ヶ月図』展 講談社野間記念館
歴史を描く―松園・古径・靫彦・青邨― 山種美術館
建築家 白井晟一展 精神と空間 日本を震撼させた 孤高の天才 汐留ミュージアム
室町三井家の名品 ?卯花墻と箱根松の茶屋? 三井記念美術館
善光寺展 日本橋三越

肉筆浮世絵の美 ―氏家浮世絵コレクション― 鎌倉国宝館
ときめきのイセザキ140年-盛り場からみる横浜庶民文化 横浜開港資料館
追悼 人間国宝 三代 徳田八十吉展 ?煌めく色彩の世界? そごう美術館
アルブレヒト・デューラー版画・素描展  国立西洋美術館
絵本の黄金時代 1920?1930年代 子どもたちに託された伝言 国際子ども図書館
カンディンスキーと青騎士  三菱一号館美術館
ジョサイア・コンドルの岩崎邸建築展  三菱一号館美術館

帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展 千葉市美術館
江?姫たちの戦国?  江戸東京博物館
仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護  東京国立博物館


海を渡った古伊万里 えき美術館
お江戸の琳派と狩野派―板橋区立美術館×細見美術館― 細見美術館
樂吉左衛門還暦 樂美術館
京の寺内町 大谷大学博物館
筆墨精神―中国書画の世界― 京都国立博物館
東大寺本坊襖絵・小泉淳作 京都高島屋

ウッドワン美術館展 元町大丸
ワイドビューの幕末絵師 貞秀 神戸市立博物館
森村泰昌の小宇宙/或る美術蒐集家のコレクション 兵庫県立美術館
神戸・大阪のモダニスム 山名文夫を中心に 神戸ファッション美術館
小出楢重を歩く  −1920年代 大阪・神戸・芦屋 芦屋市立美術博物館

大和文華館の日本工芸  大和文華館
赤塚不二夫展  大丸心斎橋
河井寛次郎  なんば高島屋 
旧鴻池組本邸

都内へは1/15?17潜伏予定。
2月はプライベートなハイカイに引き続いて、業務により東京出張。一週間ほど都内にいます。

線の表現力 アートの諸形態、須田国太郎「能・狂言デッサン」から広がって

大阪大学総合学術博物館では1/8まで「線の表現力」という展覧会が開かれている。
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松の内までは休みだが1/4?1/8の期間が残っているので、行けそうな人は阪急宝塚線石橋駅で下車して、阪大までトコトコ歩いてほしい。
入場無料でこれほどいいものを見せてくれるのは、やはり大学博物館だからか。
「アートの諸形態、須田国太郎<能・狂言デッサン>から広がって」という副題の通り、須田の能・狂言デッサンが40点余りと、藤田や佐藤忠良らの作品が集まっている。

須田国太郎は重厚な洋画家として知られるが、同時に能・狂言デッサンを夥しく描いていることも、決して忘れてはならない。
‘02年春には伊丹市立美術館で能・狂言デッサン展が開かれたが、たいへん素晴らしいものだった。
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須田は1891?1961年を生きたが、彼は戦前の古典芸能の名人たちを目の当たりにし、それを描き遺している。
そのことについては、このブログで何度も挙げている、武智鐡二と八世坂東三津五郎の対談集「芸十夜」に書かれている。
武智主催の断絃会などに出かけた須田は、熱心にスケッチし続けている。
そのことについては本文を引用する。
(「芸十夜」のうち「芸四夜」本文100P・金春光太郎の芸についての話から)
「須田国太郎さんがいつも脇正面でスケッチをしていましたが、量感では金春さんが飛びぬけてるといってましたね」
その金春光太郎の「井筒」スケッチがここにも展示されていた。

勝手ながら、わたしの古典芸能鑑賞の師匠と仰ぐ武智鐡二と八世三津五郎、彼らの著書などから知った、多くの戦前・戦中・戦後の古典芸能の演者の姿がこの空間に現れている。
金剛巌、観世左近、桜間弓川、野口兼資、喜多六平太、桜間金太郎、金春光太郎、茂山千五郎、観世銕之丞、宝生九郎・・・・・・・・・

須田は油彩作品とは全く別人のような軽やかな筆遣いで、スピーディーに演者の動きを捉える。
一枚物をみれば「極まった」姿がそこに映し出されるが、連続物を見れば、その演者の舞う動き・意図などがはっきりと捉えられ、見るものに動作の実感を伝えてくれる。
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翁、清経、熊野、武悪、鞍馬天狗、邯鄲、黒塚、隅田川、弱法師、富士太鼓、景清、石橋、羽衣などなど・・・
名人たちの舞台姿を髣髴とさせる、素晴らしいデッサンばかりだった。

これら須田の能・狂言デッサンは六千枚を越えているようで、それらのうち五千枚がご遺族の手でこの阪大に寄贈されている。
そして阪大では現在web上でそれを公開してくれている。
大阪大学附属図書館「須田国太郎 能・狂言デッサン」
今回の展示はその原画である。スケッチの並ぶ空間に立つだけで、自分もまた見所にいて舞台を眺める心持になってくる。
昭和の名人たちが須田の確かな線描によって鮮やかに甦る・・・・・・
まことに素晴らしい作品群がまさに今、ここに展示されている。

須田の作品ばかりではなく、他にも面白い作品が出ている。
北斎の版本、幸野楳嶺私塾による粉本もの、村上華岳「菩薩」や山岳図などが最初に出迎えてくれる。
また藤田嗣治の’20?’30年代の婦人図がある。中でも「二人の裸婦」はクールベ、ロートレックの系譜に連なる、密やかな愉しみを持つらしき二人の女の姿を描いており、興味深い。
フランス式の愉しみは奥が深い、そう感じさせる一枚だった。

松本竣介 鉄橋近く(g)  風景スケッチではなく、シュールな風景画に見えた。戦中にこんな作品が生まれていることが、どことなく不思議でもある。
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他にジョン・ケージの図形楽譜というものが出ていた。初めて見たが、音を視覚化するとこうなるのではないか、と思いもした。

わたしは須田の能・狂言デッサンを見れただけでも満足だが、こうして他にも楽しめる作品が多いのだった。

2011年、今年もよろしくお願いします

あけましておめでとうございます。
今年はどんな素敵な展覧会があるか、
そんなことを考えながらの迎春です。


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なんとなく妄想。
白うさぎに惚れてる茶うさぎたちと、それを知り尽くしている白うさぎの図。
・・・  ・・・  ・・・
元旦からこんな調子で始まりです。

今年もよろしくお願いします。
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