美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

白井晟一展

短い記事2本目。

白井晟一の展覧会が汐留ミュージアムで開催されている。少しばかりの展示変えもあり、そのどちらも見たくて二回ばかり見てきた。
正直にいうと、白井の哲学性・思考、思索の深さ、冷徹なまでの目に対して、わたしはニガテな心持ちがあった。
施主がどのような願いをこめて施工を頼んだか。
そういうことを考えながら展覧会を見て歩くと、白井の発想の根源が内側にある、ということを感じずにいられなかった。
自己との対話・事象との対話、それらが作品に深みを与えているが、はたして施主というものは白井にとってどのような存在だったのだろう。
実際に白井作品を体感出来る場と言えば松涛美術館くらいしか知らない。
しかしその松涛美術館では時折わたしは不思議な疎外感を感じもする。
塔を中心にした外壁を歩く。そんな意識がある。
塔は空洞なので空からは雪が降り積もり、底に湧き出る噴水の水と刹那の交接をする。
それを窓から眺めている。
体感することのできない美をそこに見出している。
結局それが疎外感になるのかもしれない。

白井は一体どちらを向いて設計という仕事を行っていたのだろう。
原爆ドームへの自主的なアプローチ、それを思うだけでも様々な考えが浮かんでくる。
施主などいなくとも、白井は作りたいものを作り続けていた・・・
今となってはそんな気がするばかりだった。
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黒田清輝「昔語り」

短い記事を二つ。

東博の近代絵画展示室で黒田清輝の京都時代の作品が集中展示されている。
これらはすぐそこの黒田記念館からの出張である。
絵は「昔語り」のデッサンや下絵などを集めたもの。本絵の「昔語り」は戦火で焼失した。
黒田のデッサン力の確かさを感じる下絵群。
小督の物語を語る僧とそれを聞く人々と。
この一場の情景を描くために黒田が様々な工夫をしていたことが伝わってくる。

しかしそこでいつも思うのは、二人いる舞妓のうち一人が男にもたれているが、そんなことを置屋のおかあはんは許したのだろうか・・・
ついつい疑問ばかりが残ってしまったが、この絵はわたしも好きなものだ。

画像は全て文化遺産オンラインで見ることが出来る。

野間コレクションの真骨頂「四季の彩りと十二ヶ月図」

「四季の彩りと十二ヶ月図」野間コレクションの真骨頂。 
そう題された展覧会が野間記念館で3/6まで開催している。
野間清治が当時第一線の日本画家たちに「十二ヶ月図」を描かせた色紙群がある。
記念館の数あるコレクションのうち、その色紙だけで六千枚を越えている。
これまで折々それらが展示されてきたが、今回は特に中心として展示されている。
花鳥画、美人画、風俗画そして月次絵としての「十二ヶ月図」が並んでいる。

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チラシ表は松園さんの十二ヶ月図。向かって右上から下へ一月二月、隣へ移り四月五月・・・
美人画家・松園さんの「美人画でない絵」は一月、四月、六月。三月の雛人形はどちらともとれる。
このように正方形の色紙の中に美しい世界が広がっている。
そしてそれは松園さん一人ではない。
これまで見てきた作品のどれ一つとして手を抜いたものはなく、大方はこの制約を楽しんでいたのでは、と感じる作品群、それが野間コレクションの真骨頂たる「十二ヶ月色紙」なのだった。

松園さんのこの色紙は、松園さんのほかの仕事と比べても全く遜色なく、それどころか「いつもとは違う」魅力を感じもする。
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たとえば十月の女は江戸初期以前の風俗に見えるだけでなく、どこか「松園さんらしくない」愉しみを知る風にも見える。そしてわたしなぞは、そのあたりに魅力を感じもするのだった。

中村大三郎の十二ヶ月色紙は、月次風俗を大首絵の美人画で表現していた。戦前のモダンな時代に生きた美人、そんな彼女たちを飾る月次の喜び。
こういう楽しみもあるのを教わった。

チラシ裏には川井玉堂の十二ヶ月図がある。
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漁村、農村、山村。かつての日本に点在した里山や河川に活きる人々が描かれている。
特に12月がたいへん好ましく思う。ブリューゲルの猟人は集団だが、玉堂の猟人は単独で動く。どことなく「なめとこ山のクマ」の小十郎を思いもする。
この絵は本絵でも似たものを見ている。玉堂は同じ構図の作品をいくつも描くから、そんな巡り合わせもある。
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色紙は昭和初期から十年ばかりの間に集められたが、その頃の福田平八郎は後のパブリックイメージからちょっと離れた絵を描いていた。
しかし月によってはいかにも「福田平八郎」そのもののような小禽がいる絵もあり、丁度この時代が彼の過渡期だったのを思いもする。

たいへん心豊かに日本の十二ヶ月を楽しめる内容だった。
特に凄い作品というものはないが、一定以上の良さがある作品群の中にいられて、とても楽しかった。

行く道々の花

二月の終わりはやはり早春という感じがする。
今日は午前中出社していたが、予定が変わり、午後から終わりということでポカッと間が空いた。
土曜日にこんなことが起こるのは年一回だけだが、たまにはこんな風に仕事を優先させることもある。
それで遠出ではなく近場をうろつくことにした。

わたしの行く先々・通る道々に咲く梅や椿を、写メからの画像だが挙げてみる。

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まずスタートにわが家のサザンカを。

近所の枝垂れ梅。SH3B03320001.jpg
毎年この梅を見るのがとても楽しみ。

家から一つ目の横断歩道の手前に咲く椿。SH3B03330001.jpg


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毎朝遅刻しそうになる私を見守る梅たち。


普段は通らぬ道に大きく咲く。SH3B03270001.jpg
だからこの時期だけはこの町内を行く。

帰宅してから隣の市へ走る。
川を越えてたどり着くと古い集落が残り、そこに並ぶ蔵に沿って咲いていた。

手前から白梅、紅梅、薄紅梅・・・SH3B03360001.jpg

畠の前の道で見たが、なんの植物なのかわからなかった。
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大丸梅田でも人気のパン屋さんの本店へ行く。
ここのクリームパンは絶品。
本店のクリームパンはあつあつのぬくぬくだった。
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パンの空洞とクリームの溶岩流のような。・・・ほんのり幸せ。

たまにはこんな日もあっていいと思う。





日本の子どもの文学

国際子ども図書館で2/19から始まった「日本の子どもの文学」展を早速見て来た。
まだ始まったばかりで長期展示になるようだが、ぜひとも早く挙げたいと思った。
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深く好きな世界がそこにあるのだ。
一刻も早くその只中へ溺れてみたい。

そんなことを思いながら図書館へ出かけた。

チラシを一目見ただけで行かねばならない、と感じる人は少ないかもしれない。
しかしわたしはチラ見しただけでドキドキしている。
向かって左には大正時代の「赤い鳥」、真ん中には昭和真ん中の「だれも知らない小さな国」、右には昭和初期の「少年倶楽部」。
いずれも少しの紹介でも必ず出かけずにいられない、わたしの偏愛する本たち。

筒状の展示コーナーの内外を見歩くことで距離感が消えてしまい、下方のガラスケースを凝視することで空間の把握が疎かになり、円を描いて歩いた先に次の道標が立つ。
気づけば本章を見終えてい、一瞬取り残されたような感覚が生まれる。
ぽつんと立ち尽くしているのがせつなくなるほど、その直前まで自分が幸せな時間を過ごしていたことを知る。外に出たことでいよいよ見ていたものへの愛着が深まる。

第1章 『赤い鳥』創刊から戦前まで-「童話」の時代
第2章 戦後から1970年代まで-「現代児童文学」の出発
第3章 1980年代から1999年まで-児童文学の現在
第4章 現代の絵本-戦後から1999年まで
第5章 子どもの文学のはじまり
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白秋「トンボの目玉」の見開きページに金魚の詩が出ていた。
母さんお出かけさみしいな ページではここまでだが、続きが怖い詩。
金魚を一匹絞め殺す・・・・・。
大正時代の子供のための文学には、薄い毒が含まれもする。
それが魅力の根源なのだが。

まるまるしたわんこのこがね丸、帰一の蝶々の女の子が泣くのも見慣れた童画だが、ここでこうして眺めるだけで嬉しくなる。
清方の「少女倶楽部」表紙絵はおさげ少女だった。
一流の画家も雑誌表紙絵や口絵を描いていた、「雑誌の黄金時代」。
初山滋の「ひろすけ童話」を見ると「むくどりの夢」が読みたくなる。

おお!「神州天馬侠」!うちの父は戦後「天馬侠」を読んで「あれほどドキドキした本はない」そうだが、わたしも高校の頃から大正?戦前の少年少女雑誌などにのめりこむようになり、天馬侠を読んでやっぱりドキドキした。挿し絵の山口将吉郎の端正な絵がすぐに思い浮かんでくる。

大正の児童文学者として忘れてならない豊島与志雄「卵の夢」、鈴木淳のヨーロッパ風な作品に続いて千葉省三「トテ馬車」の挿し絵の地図にはときめいた。村の地図らしいが、まるで宝探しの地図に見えた。
こんな地図を見るとそれだけでわくわくする。

あっ!「豹の眼」!嬉しい!伊藤彦造の魅力的な挿し絵、高垣眸の波瀾万丈な物語!本当に嬉しいなぁ。大学の頃に近所の古本屋でみつけたとき、嬉しくて息苦しくなるほどだった。

小穴隆一の杜子春の挿し絵は初見。芥川の発表したと同時代の中華民国の人々のような様子で描かれている。

紋章が表紙の「敵中横断三百里」、「吼える密林」どちらも絵はウルトラリアリズムの椛島勝一。
小林秀恒の挿し絵の「怪人二十面相」もある。
RRR武井武雄の作品が「赤ノッポ青ノッポ」しか出てないのが惜しいと思いもする。

やがて石井桃子の登場がくる。
クマのプーさんの翻訳、そして「ノンちゃん雲にのる」。ノンちゃんの表紙絵は黒地に翁でレトロな配色がいい。
そして児童文学の変容がはっきりと露わになってくる。
敗戦後の「戦後」ということを、物語から読みとることになる。
壷井栄「二十四の瞳」などが特にそれを感じさせる。

いぬいとみこ「ながいながいペンギンの話」「木かげのこびとたち」と来て、ついに佐藤さとるが現れた。
「佐藤暁」名義の「だれも知らない小さな国」である。
わたしはこの物語に小学生の頃に出会って以来、今も変わることなく惹かれ続けている。
そしてわたしにとってのコロボックルたちは、村上勉の描く姿をしているのだった。

松谷みよこ「たつのこ太郎」、今江祥智「山の向こうは青い海だった」、寺村輝夫「ぼくは王様」・・・
大好きな「いやいやえん」「モモちゃん」「チョコレート戦争」が並ぶのを見るだけで、嬉しさが全身を突き抜けて、外に飛び出してゆきそうだ。
「肥後の石工」「ヤン」「ベロ出しチョンマ」が並ぶと小学校の図書室にいる心持ちになった。ほかにも「ボクちゃんの戦争」「くまのこウーフ」「車の色は空の色」「グリックの冒険」「地べたっこさま」・・・ああ。

瀬川康男の絵も魅力的な「こどもあそびうた」、天沢の「光車」も懐かしい。
ぼっぺん、ズッコケ、はれぶた、イッパイアッテナ!!!
う?ん、満足。

空色勾玉、鬼の橋はさすがにタイトルしか知らないが、このあたりは80年代以降の作品だったか。
'75年の太田大八の絵本「かさ」は全編セリフはおろか一切文章のない作品だが、絵を見るだけで物語の展開が理解でき、そこに当然あるべき「町の物音」が聞こえ、少女の心模様が伝わってくる。
これは幼稚園で毎月配られる絵本の一冊で、妹が貰ってきたのをわたしがそのままもらい、今も手元においている。すぐ目の前にある一冊。

堀文子「ピップとちょうちょ」、茂田井武「セロ弾きのゴーシュ」、そして「ぐりとぐら」に「いないいないばあ」といったロングセラーの絵本も並ぶ。
赤羽末吉「大工と鬼六」安野光雅「ふしぎな絵」もいつまでも観てほしい絵本。
「ふきまんぶく」は未読だが表紙だけは常に意識にある。
ちひろの絵本も出てくる、「ネズミ君のチョッキ」も「さるるるる」「長谷川くんきらいや」「コッコさん」「まがればまがり道」・・・楽しくて仕方ない。

英字の縮緬本も出ていた。「子供之友」には、かちかち山のウサギの絵があった。
臼の舟に乗るリアルウサギの正面顔。櫂は杵である。
雑誌「少年世界」の実物を見るのは初見。これは乱歩「孤島の鬼」に記述があるが、弥生美術館、ちひろ美術館、府立児童図書館でも見たことがなかった。
「少女の友」には帰一の絵による「あの町この町」の童謡があり、夢二の「どんたく」も出ていた。

正ちゃんもあった。正ちゃんが芝居をすることになり朝日新聞で広告を打ち、リスと共に芝居をする・・・正ちゃんの展覧会でも見たような気がするが、はっきりとは思い出せない。
モダンな武井武雄の「舌切り雀」。日本の風土ではないけれど、日本。
村山知義「ネコの尻尾」もモダンだが、びっくりしたのが大木惇夫の文だっこと。
「たべるトンちゃん」も見たところで、終わり。

ああ、面白い展示だった。出来たら冊子くらい拵えてほしいけれど・・・
やはりわたしは大正から’70年代までのおよそ50年間の児童文学がいちばん好きだ。
しかしこうして眺めるととても息の長い作品が多いことにも気づく。
それらを読んでいたことを幸いだと思った。
国際子ども図書館で開催中。

文字表現  筆墨精神、20世紀のタイポグラフィ、書道博物館の優品

そんなに離れてない期間に、文字に係わる展覧会を三つ見た。
京博の筆墨精神、庭園美術館のタイポグラフィ、書道博物館の優品である。

文字と言うものを改めて考える。
文章ではなく文字である。
筆墨精神と冠された展覧会では中国の書を味わい、タイポグラフィ展では20世紀のポスター芸術に顕れる書体を楽しみ、書道博物館では中村不折の需めた書や拓本、本人の手蹟から特に選ばれた優品を、眺めた。

共通する面白さは文字の形である。書体と言うべきか。
古代から漢字の祖国中国では、一つの文字に複数の書体があり、書家はそれら異字体を紛らせることなく書き分ける訓練を積みもしていたそうだ。
また印刷技術が大いに発達した20世紀では、ポスターの文字も装うようになっている。中世の飾り文字ではなく、字そのものからのメッセージを、見るものに届けるために。

筆墨精神は王義之から呉昌碩まで、と副題があるように書聖・王義之の草書を基にした「宋拓十七帖」や「明拓・定武蘭亭序」などが出ていた。
これらは京博の上野コレクションから来ている。
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上野コレクションが京博に寄贈されて50年という節目の年、関西では中国書画コレクションを持つ美術館・博物館が一年をかけて順次その公開をする。
辛亥革命からも百年、温故知新のキモチで中国の古い書を眺める。

正直に言うと、これらの文書を眺めていても、達者の手かどうかもわからないし、それどころか判別できない文字もある。手書きというものは達筆であるが故に、かえってわからない形状に変わることもある。

日本の場合、三筆や三蹟と謳われた達者たちの手蹟は文脈の流れもあって優美に感じるものが多いが、中国の書は一文字一文字への強い思いが表に出ているように思えた。

五世紀の法華経・大智度論残巻は明治の大谷探検隊が将来したものだそうだ。
大谷探検隊ファンの私などは、それだけで尊く見えてくる。
東寺や石山寺に伝来した旧い文書もある。
三国志の残巻もある。

唐代の玉篇巻第九残巻にはこんな文字があった。
「・・・豫章 旧志 日」 あの豫章のことだろうか。

高山寺に伝わる仏教説話「冥報記」、智積院の金剛般若経なども多少そそられた。
東福寺の額字「首座」「書記」などは大きい字だった。
首座しゅそ、と聞くとお寺ライフを描いた「ファンシィ・ダンス」を思い出す。
三井記念美術館所蔵の「孟法師碑(唐拓)」は女仙・孟法師没後に弟子たちが建てた碑だということで、〆の文字「殉」がとても魅力的だった。
王陽明の書も初めて見た。これまで見たことがなかったので、ちょっと嬉しいキモチになる。小学生の時に知った王陽明のその手跡を今になって見れたのだった。

この展覧会では「中国書画の世界」とあるだけに画もまたいいものが出ていた。

沈南蘋の花鳥画があった。目の大きな黒い鳥たちはカラスなのか叭叭鳥なのかはわからないが、妙に可愛い。沈南蘋の絵は日本に多く残っている。
羅聘「袁枚像」肖像画なのだが、賛によると乾隆16年にこの絵を袁家に持ってゆくとそこの家人に嫌がられた、らしい。
手に菊花をもった、麿赤児ぽいオジサン像である。

ほかに鎌倉時代の国宝「山越阿弥陀図」京博所蔵が出ていた。実際臨終の場で使われた掛軸らしい。これは冥土・陰・・・じゃなかったメイド・イン・NIPPONの絵だが、この名品が京博にあるのもまた、意義が深いのだった。

筆墨精神は2/20にて終了。

さて20世紀のタイポグラフィ。デザインのちから・文字のちから。
そのタイトルに全てが含まれている。
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これまで庭園美術館ではロシア構成主義関係の展覧会を何度か開催しているが、そのときに見たポスターの文字は、みんなとても印象的だった。
またウィーン分離派のポスターなどにも印象的な手書き文字が入っていて、それが絵を一層魅力に見せていた。

今回展示されているのは全てが何らかのポスターである。
タイポグラフィーを見る、という意識を持たなければ、20世紀ポスター芸術展かと思いもしよう。
よく見るソ連のポスターもあった。
目を共有する男女の額にUSSRとあるあれ。このタイポグラフィーも「いかにもソ連」だと見ていたが、改めて「タイポグラフィー」ということを考えながら眺めると、「文字の力」「書体の魅力」というものを感じさせられる。

実際のところ、わたしなどは文字の書体に特にこだわるほうである。
好きな書体・いやな書体などがあって、それにかなり左右されもする。
だから文字表現というものに関しても色々と思うところがあったが、それを口にしたりはしなかった。する状況になかった、というべきか。
それが今回このように展覧会として出てくると、感心するばかりになる。
なぜか。
やはり、これまで「タイポグラフィー」をメインにした展覧会がなかったから、だと思う。

色んな面白いポスターを見る。
絵ではなく文字表現を追う。
これはなかなか機会がなかったことだから、その行為自体をひどく楽しめた。

展示とは無縁な話だが、江戸の芝居小屋が鳥居派の絵看板に席巻されたのは、それまで看板が「あらすじと役者名」とを書いたところにたまに添え物程度の絵がついたものだったのが、鳥居派の絵看板は、間近では変なバランス感覚の役者絵が、遠くから見ればバッッと目立つものに変わった・・・そんな作りが江戸市民の心を掴んだからだ、と言われている。
遠目からでは字ではなく巨大な絵でなければダメなのは確かだ。
しかしながら、20世紀に入ってからは文字表現もまた絵と同様に強い立場になった。
そのことを、数々のポスターから実感する。
ポスター芸術におけるタイポグラフィーの絵との親密性、そのことを思いながら眺め歩く。

能のポスターがあった。
黒地にカラフルな文字の羅列がとても魅力的だった。
この文字表現は文字ではあっても絵以上にインパクトが強い。

「森」と「林」の文字を大小濃淡さまざまに加工して、白地にまるで植樹するように文字を置いていったポスターがある。
絵ではなく文字だけの表現。しかもその文字は「森」と「林」の二文字だけで、何の意図があるのかをその二文字からだけでは読み取ることが出来ない装置を持たされている。
しかしながら、その文字の集合体から、文字の意図ともいうべきものが読み取れもする。
そのことがひどく面白かった。

文字の崩壊ということを考える。ゲシュタルト崩壊。しかし意図的に崩落させられた文字は、今度は文字という機能をなくしたことで、絵と融和するかと言えば、そうではない。
意味をなくし、形を半分なくしたとしても、文字は文字のままなのである。

・・・そんなことを思いながら庭園美術館を離れた。3/27まで。

根岸の里、と俳句の定番になっていたその場所には所々に奥ゆかしいたたずまいがあるものの、おおかたはすっかりハデハデしいなにかに変わりきっている。
台東区立書道博物館では中村不折の愛した旧い中国の書や拓本、彼自身の書や絵画などが集められているが、今回はその中から選ばれた作品のリクエスト展、もう8回目。
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ここでもやはり王義之や顔真卿らの手蹟を元にした作品が出ている。
ところでわたしは便宜上「王義之」のギの字を「義」で書いているが、本当は羊の下になにやら難しい字をあてたギなのだ。
文字の展覧会の感想を書きながらも、こうしてええ加減なことをしているのには反省。

ここでは伝・聖武天皇や光明皇后、橘逸勢、最澄、空海、小野道風、紀貫之らの書が出ていた。
百万塔陀羅尼も一つ並べられていたが、これは世界最古の印刷物を収めた小塔。
万博にある民博でも見ているが、文字そのものにこれまでは関心が向かなかった。
今回は、文字表現そのものを観る気で展覧会にいる。

井伊直弼の書はなかなか力強かった。幕末では山岡鉄舟の書が人気が高いが、これくらい強い文字は行書でも私には好ましい。

ほかに正岡子規が不折に送った手紙や、彼が江戸時代?明治に活躍した俳人らの句からチョイスしたカルタ集、漱石からの手紙などが出ていた。
子規の選んだ俳句で面白かったものを少しばかり。少しばかり間違えて覚えているかもしれないが。
南大門 たてこまれや シカの声  正秀
正行か 思ひを鷹の 子別れ  史邦

不折自身の書をモティーフにした看板や商品ラベルなどもあった。
清酒「眞澄」「夢殿」、神州一味噌、新宿中村屋・・・・・
なかなかこういうのを見るのも楽しい。文字そのものが商品を連想させたりする。
京都などでは様々な文人らの手による看板をよく見かけるが、さすがに東京では余り見ない。
それで思い出した。
数年前アカデミー外国語映画賞をとったオランダ映画「キャラクター 孤独な人の肖像」のタイトル文字、ナゼかアラーキーだった。その理由はいまだに知らない。

書道博物館「みんなが見たい優品」は3/6まで。

文字ということで最後に泉屋分館の中国青銅鏡展。(3/6まで)
漢代から唐代の青銅鏡を集めた展覧会である。
京都・鹿ケ谷の泉屋博古館に坐す鏡たちが、80点余り六本木へ出いている。
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東方父、西王母、四神、神仙、葡萄唐草、鳳凰、獅子らのモティーフのほかに、めでたい文字も連ねてある。
文字の持つ重さ・深さを知り尽くす中国文明が生み出した、吉祥の言葉を刻まれた鏡。
青銅鏡という枠の中に納められた「祈り」が、そのまま天へ届いてゆく日もあったかもしれない。
鏡は時代が下がるにつれ精緻さは高まるが、面白味(非日常的な意味での)が消え、写生的な楽しさを感じさせる作風へと変化を見せる。

「文字」を深くたどる三つの展覧会と、文字をも含んだ工芸品の展覧会と。
様々な楽しみを味わえさせてもらった。

2月の東京ハイカイ

日曜日、予定より遅く起床して、お出かけが30分遅れる。
大体こういうときに寝過ごすと後の動きが悪くなるので、朝イチから反省する。
浅草橋まで歩く。これまで工事してた場所がストレートに通れるようになっていた。
一応正しい方向へ向かっているのか確認のために、そこにいたカップルに道を尋ねると、カノジョの人が「一緒に行きましょう」と云うてくれたので、謹んでご遠慮する。
でも駅が見えたとき、お二人さんに心からお礼を言う。ありがとうございました。

鶯谷の書道記念館に行く。中村不折の優品を見るシリーズ7。
例によって詳細は後日に回すけど、今回は洋画はなくて戯画風な日本画がいろいろ。
書も色々。
そこから東博へ歩く。自然と国際こども図書館の前を通ります。
わが偏愛の「日本の子供の文学」展が丁度19日から始まったとこ。
「赤い鳥」「コドモノトモ」「少年倶楽部」などなどを目当てに入り込むと、これがまた予想にたがわぬ・・・どころか、予想以上にホクホク。大いに時間を使ってしまった。
まぁまた再訪するにしても、本当によろしうございましたよ?。

東博では梅がちらほら。
常設展示も体験コーナーも、平山郁夫と文化財保護の特別展も、みんなとても楽しかった。
近代作品を集めた一室では黒田清輝の作品が集まっていたが、記念室は工事か何かしてたんだっけ?いや、ちょっとわからない。

本当は弥生美術館へ行きたいんだけど、ヒトサマと待ち合わせをしたので、鑑賞時間を捻出できそうにないのでやめる。弥生は最低2時間かかるのだ、わたしの場合。
そこから弁天堂を横目に不忍池の周囲を歩く。
池と道路挟んだ前のホテル・ココグランデの一階がドン・レミーのアウトレット屋さんということを新聞で読んだのでちょっとのぞく。なるほどすごいお客さんでした。

そうこうするうち本郷三丁目まで歩く時間がなくなり、急遽地下鉄に乗る。
あわてて大江戸線へ向かったが、遠いねぇ。
それでもなんとか約束時間にはそのお店の前に立ったが、・・・・・いてはらへん。
中に入ったはるのかな、と思ってたらメールが。もぉ中でボルシチを召し上がってはるとか。急いで扉のうちの人になったが、いてはりません。
結局、2店舗あるお店の本店へ行かれてたそうで、わたしも罪なことをしました。反省。
そこからすぐそばの文京ふるさと歴史館で再度待ち合わせ。
おもちゃ絵の浮世絵展。とても楽しい。
無事来られたあべまつさんが恐縮されてたけど、わたしも本店のこととか考えてなかったので申し訳ないです。
あべまつさんは、あなたの体格を見間違えるほど目は衰えてない、と仰ったけど、そのときわたし、自分がゲゲゲの鬼太郎のヌリカベも驚くサイズだと改めて実感したわ。
尤も色黒だから黒壁(笑)←長浜の黒壁スクエアか??(笑)。
あーなんか申し訳ない、こんなのと一緒に歩かれてたら気詰まりなのを気づけなかった。
ウカツさに反省。
今後はどこかで見かけても「うざい壁だな」と避けてやってください。

江戸川橋駅から地上へ上がるとラッキーなことにバスが来た。
なにしろ時間がないから、無駄な時間が取れない。徒歩8分がバス2分やもんなぁ。
野間記念館ではに野間コレクションの中核をなす「十二ヶ月色紙」を中心に展示。
370枚。2枚不足なのはどの画家かな、とか思いながら機嫌よく眺める。

そうこうするうちにとうとうタイムアップ。
江戸川橋?飯田橋?御茶ノ水?東京へ向かう。このルートがいちばん良さそう。
疲れてたので新幹線の中ではぐったり。
楽しい東京ハイカイはおわり。
次は来月だけど、なるべくどなたにもお目にかからないようにしよう。いや、むりか。
悪目立ちするもんなぁ、わたし(笑)。

2月の東京ハイカイ?

この土日、都内に潜伏してました。
あんまりあちこち出かけてないけど、それなりの楽しみはありましたな。
個々の展覧会の感想は後日にして、大雑把なところを少しばかり。

品川から五反田に出て高輪台に。
畠山記念館で抱一の絵や乾山のやきものを堪能。
ここの風神雷神はそれこそ「ファイトー」「 イッパーツ 」・・・タウリン7500な神さんたち。
可愛かったわ。

地図を用意していた。畠山から庭園美術館に歩いて行きたくて。
歩く、歩く、歩く。
やがて気づくとなぜか病院の敷地内にいた。そこを抜けると・・・・・五反田駅が見えたやないかい?
私は白金台に行く予定やったのに?
仕方ないから目黒まで出ましたがな。
駅前の讃岐うどん屋に入って牛蒡天ぷらうどんとユズのおイナリさんかじってから、美術館にGO!

タイポグラフィー。
京博で中国の筆墨精神を見て、ここでは20世紀の様々な書体を見る。

お庭には梅が咲いてたわ。白梅に紅梅。
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ジャガーさんにも梅。110219_1250~01


更に行く。
泉屋分館で中国青銅鏡を見る。漢代から唐代の鏡。
あれ?てっきり器の方か思ってたわ!
饕餮くんは来年の今頃に六本木にお出ましらしい。

ご近所の菊池さんでは、志野焼の鈴木蔵さんの作品展。これが予想以上に良かった。
展示のための演出もいい。うーん、よかった。欲しいのは'09年のピンク釉のお茶碗ですな。

そのまま神谷町へ出る。菊池の隣のビルから下界へ降りるのも楽しい。大抵ここからか城山ヒルズ?の道を通って神谷町へ行く。

出光美術館。銀の美貌にときめいたわ???!お客さんもてんこ盛り。
銀の素敵さによろめいたのでした。

さてそこからてくてく歩いて汐留へ向かうが、ティータイムなのに適当なお店がみつからない。
最近はコーヒーもチョコもココアもダメなので、紅茶がメインのお店を探すんだけど、ないなぁ。
常にゆとりを犠牲にして遊んでる(矛盾したこと言うてるよ)から、お茶なんか出来ないわけだけど、たま???にお茶と御菓子を、と思ったのにこのテイタラクですがな。

新橋停車場。先にこちらへ入る。石川光陽の昭和モダンな風景写真。警視庁に勤務していたカメラマンの捉えた昭和の風景に、強く惹かれた。
モダンなだけでなく緊迫感があるのも、やはり「職業柄」か。226事件の写真なんかビックリするような構図だった。

汐留ミュージアム。白井晟一展再訪。最初に見たときよりも、こうして少しの時間を置いての再訪で、こちらの意識も明確になってくる。
思想も哲学も大事だけど、それは作り手側の問題にとどめるべきではないのか、と少しばかり批判する。建物を使う側にもそれを求められても困る。

次に浅草・合羽橋のドンつきにある台東区中央図書館へ。入谷から歩く。
さすが下町だけにヒトビトの親切さが濃いね。
この辺りへ来るのは何年ぶりかか。以前、亀戸にいた友人とぶらぶら遊んだとき、入ったお蕎麦屋さんでTVドラマ「牡丹とバラ」最終回放映していて、その友人が「録画してなかったからよかった?」と喜んでいたのを思う。
彼女は今シンガポール暮らしだけど、亀戸にいた頃、いきなり「紀の善でおやつしよう」と呼び出したりした。「なんで大阪のあんたがいきなり新宿から電話してくるかな」とか笑ってたけど、そうやって不意に呼び出したりするのがわりと楽しかった。

図書館の一階には池波正太郎記念室があり、あれ以来の再訪だけど、今回は池波の描いた油彩展示があった。
sun282.jpg余技ではないな。

池波は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人梅安」シリーズがとにかく好きで、没後20年以上の今でも、何度も何度も再読し続けている。
再現された池波の書斎には、杉山其日庵「浄瑠璃素人講釈」があり、その本への池波の想いがそこに書かれていたりする。

二階の展示コーナーでは浅草十二階?凌雲閣ノスタルジア?展が小さく開催中。
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江戸博には十二階の資料のカミサマ・喜多川さんの資料が多く所蔵されている。
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十二階については上村一夫「修羅雪姫」「菊坂ホテル」や池部良のエッセイなどから憧れが生えていたが、とにかく十二階を描く資料がなかなか面白いので好きなのだ。
そして図書館だけに十二階と縁のある小説などが集められていた。
浅草紅團、帝都物語などなど。ちょっとばかり帝都物語よむ。わたしは加藤と恵子の間柄が好きなの。


7時過ぎに図書館を出てのこのこ浅草雷門へ出る。神谷バーへ入る。
見知らぬヒトビトと楽しく一時を過ごすのがいいのさ。
蜂ワインの白とするめにシメジの天ぷらなど。おいしかったわ?
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胃がどうのと言うてる時にワインやイカはあかんのちゃう、と思いつつ。
フキノトウの天ぷらは来月からやて。残念。

とりあえず土曜日はこんなところでした。

あるレンガ建て記念館

明治30年のレンガ建て洋館が大阪の海老江にある。
地下鉄・阪神・JRと三つの駅から至近距離にあるが、あまり知られていないらしい。
大日本住友製薬会社の記念館。作られた当時は大日本製薬の煮沸室だったそうだ。
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可愛らしすぎる外観。
この妻壁飾りがまるで教会のよう。IMGP8803.jpg

IMGP8777.jpgステンドグラスあり。
小さいのが二つばかり。

この建物の後ろには大正のレンガものが建つ。
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天井は小屋組みIMGP8778.jpg


ちなみに記念館の中には道修町の旧本社を飾った獅子頭?のスペアらしきものも展示されている。
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ほかに顕微鏡や濾過器など。
そして面白いのが許可証。ラムネ製造、手術用のアヘンなどなど。
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床には大阪窯業あたりの手作りレンガ。IMGP8794.jpg
小さい☆型がついている。

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塀の一部も素敵なレンガ。

明治の建築は煉瓦だったのだ。そのことを改めて思い出す。
見倒したような気がしていたが、それでもこうして初見のものにも会える。
ニホンはまだまだ楽しい国だ。

寺田順三展

京都のえき美術館で寺田順三展が開かれている。
名前を見てピンと来なくても、絵を一目見ればアッ♪となる。全く知らないヒトもキャッとなるキュートさ。
ほんとになんて可愛いんだろう。
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入口すぐに静かに鑑賞せよと客心得があるけど、そんな騒ぎ立てるヤカラなんかおらんでしょと軽くスルーして、作品前に立った途端、キャー♪ なななんだ、この愛らしさは?
立て看板の意味がよーくわかりました!確かにこの可愛さは騒いでしまいそう!
あまりに可愛くてクラクラしたわ。
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今年の新作として、「旅立ち」の想いを込めてフランス語で「départ」と名付けられたシリーズがある。
色んなどうぶつキャラがそれぞれの旅スタイルでそこに立っている。
配色はクラシカルな取り合わせで、50年代風に見える。
間近に見ればそこここにわざと色むらをこしらえる細かさに気づく。
レトロな色合いを自然に身につけたキュートなキャラたち。
それはウォルト・ディズニーや彼の世界観を視覚化したメアリー・ブレア、ジャングル大帝の頃の手塚治虫、そしてラムラム王・武井武雄の絵本に見出だされる、不思議に優しい色調だった。
こんな優しく柔らかな世界があることを、長い間すっかり忘れていた。
キャラの可愛らしさもさることながら、わたしはその色彩感覚にひどく惹かれた。
もう今では再現できない、とばかり思っていたあの色調。

寺田順三の描くキャラたちはその楽しい顔立ちにレトロな空気をまといつかせて、そこに立っている。

寺田順三のデザインしたグッズが集まるコーナーでは、欲しいものだらけだった。
コップやお皿、鞄やちょっとした装飾ものなど、どれを見ても何を見ても可愛くて可愛くて仕方ない。
手作りの缶バッヂなどもあり、ちょっと集めてみたくなった。

「カルルとふしぎな塔」というアニメーションが流れていた。
キャラ設定をしているようで、そのラフスケッチなども展示されている。
日常から一歩離れた域での物語。アニメーションもよく出来ていて、楽しかった。
ただ、やはり動画になると寺田順三のほかの作品に比べて色調が違うのは仕方ない。

寺田順三がこれまで生み出してきたポスターなどが並んでいる。
本当に魅力的な、レトロな色彩、シンプルな構図の作品群。
小鳥は小鳥、ペンギンはペンギン、クマはクマ・・・みんなとても幸せそうに見える。
可愛いものを見て心があったかくなった。2/20まで。

最近みた工芸品の美?三つの展覧会から?

今年はどうも二日に一度ずつくらいしか記事を挙げれない。
季節が移れば状況も変わるだろうが、今はこんなものだ。
感想を長々と書けるほどきっちり見れてない(=理解できてない)のがその原因かもしれない。なんにせよ、門の外に佇むものが覗いた程度では楽しめない、そんなこともあるのだろう。
書けなかった展覧会の幾つかを挙げてみる。

☆ルーシー・リー展(大阪市立東洋陶磁美術館)?2/13まで。
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梅田から機嫌よく歩いて中之島へ向かったが、行列してるのにはびっくりした。
さっむい日なのに老若男女のみなさん、文句も言わんと並んでいた。
わたしも並んだけど、外の行列の熱気はそのまま展示室に持ち込まれていたみたい。
少しばかり、特別に気に入ったものを挙げる。

緑釉鉢  くちべりの、鉄を思わせる重厚なメタリック感と、その下に広がる、深く鮮やかな緑の融合が見事だった。貫入の細やかな濃密さにもときめいた。
形自体はシンプルで、どことなく雲水の托鉢の碗に似ているようにも思えた。

後はやはりボタンが素晴らしいと思った。
極端な話、ここにあるどれかをいただけるとする、そうするとわたしはそのボタンに合う服を拵えるか探すかする、と思う。
こういうのを本末転倒と言うのだが。(ケストナー「エーミールと三人のふたご」人物紹介・「警笛のグスタフ」より)

☆夢みる家具 森谷延雄の世界展(INAX大阪)?2/17まで
東京で見そこねたので地元で見た。しかも会期ギリギリ。勿体ないことをする、と反省。
もっと前に見ていれば再訪できたのに。

家具デザイナー森谷の仕事のうち、彼が関わっていたものがあった。
京大の楽友会館と、画家の松岡壽邸である。

京大の楽友会館は、武田五一が基本設計だが、仕上げを託された森田慶一が大いに変更したそうだ。 そしてそこの家具が森谷らしい。
机は分離派的な見栄え。 談話室を写した絵葉書が三枚ある。全て手彩色。

‘25年には松岡壽邸の家具をたくさん拵えている。玄関ベンチ、書棚などなど。
松岡は「天地開闢」などの天井画で有名。

森谷は古代の家具史も調べている。膨大なるスケッチはどれもみな、大変細かい。
クィーン・アン様式、ヴィクトリアン様式などに分けて、丁寧な図説を拵えている。
雷文のイギリスの椅子などが特に面白かった。
これらは佐倉市美術館と松戸博物館所蔵など。

夢みる家具、とタイトルがついているのも肯わされるのが、三つのお部屋。
朱の食堂。三々九度の色をモティーフにしている。茶卓子は天板に市松模様がある。
眠り姫の寝室。ハート型をモティーフにしたベッド。どことなくグリコのオマケ女の子用のものを思い出す。
鳥の書斎。ああ、そうかと思わせるのが、森谷本人の自註。ワイルドの「ドリアン・グレーの肖像」冒頭シーンこそが、森谷のその心持ちを示している。
大正ロマンに満ち満ちた世界。木のめ舎というカンパニーから生まれ出た可愛い家具たち。
絵葉書は眠り姫の寝室の一部から。
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ところどころ表現主義的な様子も見えるが、当時の批判として耽美すぎるというのがあったらしいが、それのどこがわるいのかが、わたしにはわからない。
今の世に生きていたら、と少しばかり妄想に耽る。

綺麗なものをみると、綺麗な夢のなかにいる気になる・・・

☆華麗なガラス工芸「ガレ、ドーム、ミューラー、そしてティファニー展」(アートホール神戸)?2/28まで。
山寺後藤美術館の所蔵品が神戸に来ている。
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ガレの紫陽花花瓶は、速水御舟の描く紫陽花を三次元化したように見えた。
共に静謐で、それ自体で完結しているところが似ている。

正面に黄色地に赤い大花が咲き乱れる壺があった。牡丹か何かの大きな花。
ガレは実際に牡丹を見たのだろうか、シナでは「百花の王」と謳われた、あの豪華な花を。

レモン・イチゴ文コンポート。光が上からあたることで地にその絵柄が落ち、その影が広がる。檸檬と苺の本影。それを計算してガレはこのコンポートを生み出したのだ。

ユリと蝶ランプ。惜しいことにチラシでは、赤みの濃い黄色に見えるが、これは光を当てずとも美麗な姿を見せていた。
青ユリと蝶とが黄色い空間で、互いの存在をいとしむように配置されている。
その距離感がひどく魅力的だった。
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ドームの夕暮れあるいは残照の美しさを感じたのは、風景文花瓶だった。
ドームの作品にはいつも物語を感じる。

ガレ工房で学んだミューラー兄弟の自然風景、いずれもその前に自分が在ることの歓びを思う。ミューラー兄弟の作品は初めて「そうと思いながら」見た。

ティファニーの良さはわかっているが、ここにある作品は性質が少し他と合わず、ちょっと外れたようなこころもちになった。
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工芸品の良さを堪能できる美術展を三つばかりあげてみた。

生誕80年 大阪が生んだ開高健

開高健、あまりに魅力的すぎる、作家。
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開高健の生誕80年と彼の出た大阪市立大学創立130年とを記念して、なんばパークスホールで開高健の展覧会が開かれている。
「生誕80年 大阪が生んだ開高健」展。
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以前にも大丸京都店で彼の展覧会が開かれたことがある。
(2004年「開高健フィッシュオン!」)
没後20年をすぎた今も人気の高い小説家だが、そのときも今も、リアルタイム時からのファン、没後からのファン、男女の区別なく、大勢のお客さんが来ていた。
それが文学館での展覧会でなく、デパート展だというところに、開高健の人気の深さ・高さを実感する。
今回も商業施設での展覧会だが、決して安易なものではない。
たとえば資料類は茅ヶ崎の開高健記念館などから提供されている。
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開高健はよく知られているようにサントリーで働き、今も残るコピーをたくさん作った。
短い言葉の連なりが、心に残る文章になる。
だから本格的に小説家として稼働してからの開高健のちょっとした一文は、どれもが消えることのない煌めきをみせている。

展示の最初に開高の生家の模型が現れる。
若かった開高が住んだ家は、つい先頃老朽化のために取り壊されたが、その直前に開高とつきあいのあった人々が集まって、なにやら楽しい会合があったそうだ。
また取り壊される建物の記憶をとどめるために、建物の木を使ってウクレレを拵えるヒトがいて、その実物も展示されている。
模型自体は畳も本物を使い、欄間も建具もよく出来ていた。
開高家は東住吉の北田辺の方にあったそうだが、阿倍野から南によく見受けられた昭和初期の民家だった。和風モダンと言うべきか。
その新築を四軒購入して家作にしていたようだ。
同時代の北摂の民家とはまた全く違う造形。
そのことを思いながら観るのも楽しい。

芥川賞をとった「裸の王様」やネズミがあふれかえる「パニック」、大阪の砲兵工廠の鉄くず拾い(アパッチ)を描いた「日本三文オペラ」などなど、初期の傑作の草稿などがある。
パニック・裸の王様 (新潮文庫)パニック・裸の王様 (新潮文庫)
(1960/06)
開高 健


晩年まで変わることのない、丸まっちぃ・可愛い・読みやすい文字が並ぶ原稿用紙。
こんな愛らしい文字が鋭い刃を呑んだ文章にもなり、アブラギッシュなエッセー、情熱と虚無とを同居させたルポルタージュを形作るのか。
開高の短い言葉のうち、途轍もなく好きなものが一つ。
「旅は成就した。円は閉じた」
この言葉を常に心の底に横たわらせて、わたしは生きている。

開高健のルポルタージュ文学の展示を見ていると、その「精神の運動」の軌跡というものが見えてくるような気がする。
東京に移り住んでそこで活躍していても、背骨が大阪という都市空間とつながっている。
もっと言えばミナミの血が血管を流れ、脳髄へ回っている。
その状況で東京を「視て」いる。
比較都市論ではなく、あくまでも「開高健の眼が視た東京の各所」についてのルポ、それがあのわかりやすく、そして深い知性に満ちた文章で綴られている。
言葉に出して開高の文章を読んでみると、いよいよ面白さが味わえる。
しかしながら標準語で書かれたそれらの文章は、本当のところ<どこまで理解されているか>を、今回改めて考えさせられてしまった。
くどいようだが、開高健は大阪のミナミの生まれ育ちである。
微妙な言い回しに(あるいは彼自身の視線に)他圏の者が完全な理解を得ているかどうか。
同じ大阪の血を持ちながらも、ほぼ「隣国」と言っていいキタのわたしなどでは、やはり真底からわかっている、とは言えないところがある。
(こちらの読解力の低さを措いたとしても)
文章の流れを見ながら、そんなことを考えた。

ベトナムで九死に一生を得た話がある。ちゃんと証拠がある。
その実物とは、開高の被っていたヘルメットである。
銃弾が貫通し、一周して元の入口から出た、という奇蹟のヘルメット。
開高の人生観・文学観が変化を見せることになったというベトナムの旅。
わたしはその時代のことは知らないし、聞いてもたぶん理解が薄いが、それでも出来る限り同時代人のルポや随筆を読んだりしてきた。
たとえば俳優の殿山泰司のベトナムルポなどである。
殿山泰司は徳間書店から派遣されてベトナムへ行き、開高健は朝日新聞系で向かった。
開高健はそこから「ベトナム戦記」と「輝ける闇」を書き、殿山泰司は日記を書いた。

三部作のうち2にあたる「夏の闇」は新潮社書き下ろし純文学シリーズの一だが、総じて新潮社のこの書き下ろしシリーズは重く、そして豊穣な世界がその裡に鎖されている。
開かねば、その芳醇な味わいは決してわからない。
夏の闇 (新潮文庫)夏の闇 (新潮文庫)
(1983/05)
開高 健


初版本の装丁を眺めながら、皮膚の一枚下を這い回るざわめきを感じていた。

開高健の魅力は多岐に渡る。
広く深い世界。
たいへんわかりやすい文章でその世界が構築されている。
晦渋で難解な言い回しはせず、しかしながら重厚さも軽快さも同じレベルで活きる文。
それは小説やコピーや随筆だけでなく、ちょっとした一言からも伺える。

たとえば学校の同窓会の誘いに対する返事。
ハガキが並ぶのを見るうち、つい笑ってしまった。
大方は同窓会の欠席の返事である。
「近況」について、「大作家」あるときは「自宅営業」、また「生きた。禿げた」などなど。

仕事について奥さんへ出すメモも読みやすい文字である。
そのメモがいかにも’60?’70年代的なものなので、そのことにもウケた。
メメント・モリ、と上部に書かれているのはいいとして、下部には延々とカップルたちの最中のイラストが続いている。その間がメモ欄なのである。
色んなタイイの色んな描写、こんなメモ帳を使っているところが楽しい。

それで思い出した。
丸谷才一のエッセーには、和田誠えがく丸まっちぃ可愛い開高健の似顔絵と共に、彼の楽しいエピソードがいくつも描かれている。
それはちょっとここでは書けないネタなのだが、本当に笑って苦しいくらいだった。

さて開高健と言えば「釣り」だと言う人もある。
実際、開高健の著書でわたしが最初に触れたのは「オーパ!」だった。
学校の図書室で大判の「オーパ!」が並んでいて、たいへん貸出率が高かった。
オーパ! (集英社文庫 122-A)オーパ! (集英社文庫 122-A)
(1981/03/20)
開高 健


亡くなった直後に追悼番組があったが、そのときもアマゾンかカナダかで釣りをする開高健が映し出されていた。
「キタキタキタキターッ来たでーっ」とマイクなしでも大概よく聞こえる声がした。
丸谷才一の言うところの「文壇三大大音声」の一人だけに、フツーに音を拾っていては、マイクも壊れるかもしれない。
釣具がいっぱい並んでいたが、釣りをしないわたしにはただただビックリするような面白さがあった。
また今回初めて知ったことがある。雑誌「釣りサンデー」も開高健がゆかりのヒトだったのだ。わたしの会社では、今の社長に交代する以前は、「釣りサンデー」を定期購入していたので、釣りをせぬわたしも読んでいたのだ。

それにしても、なんて魅力的なんだろう、この人は。

明るいキモチで見て回るうちに、いきなり激しく撃たれる状況に入り込んだ。
開高健の言葉がわたしを殴ったのだ。
小説家である以上、言葉に出来ない・筆舌に尽くし難い、なんてことは書いてはいけない、必ず何らかの言葉に置き換えねばならない・・・そう言った意味の言葉がそこにあった。

ハリセンでシバかれたと同じ衝撃が頭頂部に走った。
その通りだった。必ず何らかの言葉に置き換え、形容を顕かにしなくてはならない。
開高健の言葉へののめり込みようを決して笑うことは出来ない。
わたしとても、言葉を尽くし、レトリックを駆使し、感じたこと・思うことを、きちんと書かねばならないのだ。才能のあるなしは問題ではないのだ。
書け。書くだけが心の活きる道だ ・・・・・・・・・
改めて強い気持ちを持つことを、背中をドヤサレタようにきいた。

場内では二カ所から開高健の声が聞こえる。
出身学校での講演会、またなにかの会での開高のトーク。
文壇三大大音声と謳われた(!)開高健の声の大きさ・朗らかさ、話の面白さ、絶妙な間合い、大阪人の特性が満ち満ちた「シャベリ」の愉快さ。
いつまでも聞き続けていたい、そう思わせる魅力がそこにあった。

茅ヶ崎には開高健記念館がある。行きたいと思いながらいつもたどりつけなかった。
今度はそこへ向かうための旅をしたいと思う。
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なんばパークスホールでの展覧会は2/20まで。

英国風景画家ターナーの銅版画

東大阪には花園ラグビー場がある。その第一グラウンドの手前に東大阪市民ギャラリーがあり、そこで2/27まで「没後160年 英国風景画家ターナーの銅版画」展が開催されている。
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広島の宮島の対岸の山腹にある、海の見える杜美術館の所蔵を基に展覧会は構成されている。あの美術館のコレクションにはいつも驚かされるが、今回も作品を見ながら感嘆の声を挙げるばかりになった。

ターナーの版画を見たのは、今回が初めてだった。
彼が英国最大の画家の一人だということはわかっているが、これまであまり深い興味が湧かずにいた。嗜好の問題に過ぎないが、文芸性が少ない絵や田舎の風景に関心がないので見ていても「きれいやな?」程度で終わっていたのだ。
ところがそうした風景画が版画で表現されると、途端にひどく魅力を感じるようになる。
版画そのものが好きだということもあるが、実際の理由はよくわからない。
色彩を載せない銅版画の魅力、それに囚われているのかもしれない。
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ターナーは「旅の画家」と謳われていた。
彼は欧州各地を旅しては、その地を描き続けた。
だからイングランドだけでなくフランス風景の作品も多い。
チラシはヴェネツィアを描いた「グランド・カナーレ」である。
イタリアの美貌にターナーは深く惹かれたそうだ。

この作品の前に立ったとき、画面の枠の外の風景も容易に想像できる気がした。
いや「想像できる気がした」ではなく「風景が見えた」と言うべきだった。
灰色の世界がそこに広がっていた。
ベニスの建造物、行き交う舟、さざなみ、白い雲・・・画面の端は建物を途中できった形になっているが、その続きがそのままそこにあるように思えた。

描かれたものの奥にも風景が広がる。
ターナーの銅版画は狭い枠を持たないように、見えた。

バトル修道院、ハロルド王戦没地  「サセックスの景色」から。
わたしはイングランドのハロルド王は知らない。北欧のハロルド王は知っているが。不勉強がこんなところでたたる。知らないからちょっと調べる。横道へ逸れるのでここには書かないが、かなり興味深い生涯を送っている王だった。
そのバトル修道院は画面の左側奥手に描かれ、そこへ向かう道では犬がウサギを追っかけている。誰かが猟をしているのかもしれない。色の濃淡で遠近感が活きる。

トラファルガーの海鮮  これはさすがに知っている。
力強い描写と濃密な構成が迫力のある画面を生み出している。
溺れる人々の表情まで描き分けているのがいい。帆の動き、黒煙、波のうねり。

各地の風景描写も魅力的だが、画面の端っこに姿を見せるどうぶつたちが可愛い。
風景の点描といも言えるが、なんとなく遊び心というものを感じる。

意外なことにギリシャ・ローマ神話を題材にした作品もあり、そうしたものを見るのも楽しかった。
「風景画家」による物語絵というものは、意外な面白さがある。
おいしいものを見た気になるのだ。

なかなか興味深い作品の多い展覧会だった。

場所のキオク

場所のキオク

いつもいつも展覧会の感想文ばかり書いているが、たまには趣向を変えて自分の中にある「場所の記憶」についていくつか書こうと思う。
(楽しいこととか厭なこととか取り混ぜて)

往事歳々・・・

1.鎌倉国宝館
わたしがまだ二十歳ちょっとの頃に浮世絵熱が沸騰して、あちこちに出かけた。
歌舞伎への愛情とリンクしての見学で、いろんなことを覚えようとしていた時期だった。
鎌倉国宝館の氏家コレクションはそんなときに知ったのだが、GWの最中に開催されたからか、随分と観客が多かった。
メモを取っていると、見知らぬオジサンに「メモなんかとってどうするの」と言われた。
今ならいくらでもかわせるが、そのころはまだプロトコルのスキルも何もない、まじめな性質が表立っていた年頃だったので、絶句した。
オジサンの奥さんが「きっと大学の授業よ」と言うのにオジサンは納得したのか去っていったが、今はどの展覧会でも必ずメモをつける人がいるので、オジサンも訊いてられないのかもしれない。

今や誰もメモを取ることを不審に思うたりなぞしない時代になって、本当によかった。
ここを訪れる度に必ず思い起こすエピソードなのだけど、案外トラウマになってるのかなぁ? 


2.京都ドイツ文化センター
ある年のGWの最中に神戸で遊んでいた。
そのとき急遽、京都ドイツ文化センターで夕方六時半からヘルツォーク監督とクラウス・キンスキーの最後の映画「コブラ・ヴェルデ」が上映されることを知った。
京都ドイツ文化センターには行ったことはないが、実は中学のとき以来の憧れがある。
普段のわたしは神戸から京都へ向かうということはまずしない。
ところがこういうときに限って、阪急電鉄一日乗り放題のパスを持っていた。
この日は夜から隣家のオジ宅の宴会に出席する予定がある。
宴会はどうせ夜遅くまで続くと見込んで、いきなり京都へ向かった。
京都ドイツ文化センターは荒神口の近くにある。
焦って違うバスに乗り、随分遠回りしてしまった。
歩くのは普段から早いが、このとき超特急で歩き、六時すぎにセンターの庭に着いた。
祇園で買ったお稲荷さんがある。それをかじってから映画を観たが、観客は十人を切っていた。映画の冒頭で辻楽師のような男が主人公の一代記を語ろうとする。彼を一言で語る。
「貧者の中の貧者」と。
その言葉にぞくぞくした。貧乏人、貧民ではなく貧者。最早「神話」の域に入り込んだような気がした。
映画が終わってから今度は正しいバスに乗って速攻で帰宅した。

だから京都ドイツ文化センターは、わたしにとって「神戸から向かって『コブラ・ヴェルデ』を見て、お稲荷さんをかじった場所」なのだった。


3.某駅前学園
その駅に大和文華館がある。初めて出かけたのは’90年代のある暑い日のことでした。美術館の前池には鷺が飛んでいた。
駅から美術館へ向かおうとしたとき、駅前学園の女生徒たちがやってきたが、同世代ではない、見知らぬオンナノヒトに向かって、意地の悪いことをした。
その学校はその界隈では名門だということだが、彼女たちの品性のなさを知った。

以来、大和文華館へ行こうとするたびに必ずこのことを思い出す。
思い出しては腹が立つので、今ではちょっと困っている。
楽しい美術館通いの支障になるからなぁ。


4.新目黒川と目黒橋
’98年の年末、熱に浮かれながら目黒を歩いていた。風邪を引いているのに出歩いているのだ。薬も効かない、ドリンクもすぐ醒める、という状態で目黒橋の上に立っていた。
視界が熱で潤んで、靄がかかっている。そんな状態で新目黒川を眺めた。
桜が舞い散っているような気がした。
夕日の残照と水面の煌きと、熱とで見えるもの全てが壮麗な有様をみせていた。
クノップフの絵のようにも思えた。

あんなに綺麗な、幻想的な川面は二度と見ていない。
目黒の坂を歩くたびに、あの日あの場所へもう一度行きたい、と考えている。


5.代々木公園
数年前の晩秋、あるイベントに参加して、以前から会いたかった人に会い、その人から手作りのマフィンをもらった。嬉しかった。
会場を出たわたしはたばこと塩の博物館へ行き、そこから原宿へ向かおうとして、不意に歩きたくなった。代々木公園を通る。そこは銀杏の落ち葉で金色の地に見えた。
わたしはベンチに座り、さっきもらったマフィンを食べた。風が少し冷たく感じるが、マフラーとそのもらったマフィンとで、暖かく感じた。
食べ終わったとき、不意に風が吹いて、地の黄金の銀杏が舞い舞いした。
金色の葉っぱがゆっくりと落ちてゆく。
一人きりでいることの歓びが不意に深く胸に落ちてきた。

そのときの情景を思い浮かべると、わたしはいつも小さな幸せに満たされる。


6.松涛美術館
東京が大雪で交通網が麻痺した日がある。その日わたしの乗っていた飛行機を最後に、羽田空港が閉鎖されたあの日の話である。
渋谷が全て雪に埋もれていた。
誰も歩いていない。しかし松涛美術館は開館している。わたしは歩くしかない。
誰もいない真っ白な道に不意に犬の散歩の夫婦が現われた。
白い雪道をそれでも駆ける黒犬が不意に消え、数メーター先からいきなり「バウゥッ」と吠えながら飛んで出た。
犬にみとれたせいでか、道を間違えて鍋島公園にいた。道はわからない。困った。
そこへ勇敢な奥さんが門の外へ出てきたので、道を尋ねると「ヤマモトフジコの家の前を曲がって」と仰る。ヤマモトフジコの家なんか知らないが、奥さんはわたしが山本富士子を知らない、と思ったらしく、そのヤマモトフジコの家まで送ってくださった。ありがとう。
やっとの思いで松涛美術館に入り、あの噴水を眺めた。
噴水の構造は水が下から上へ向かうように出来ている。
下から吹き上がる水、そして天から降り続く牡丹雪。無限の水と無限の雪と。
永遠を見た気がした。

どんな暑い日であっても、松涛美術館の噴水に降りかかる雪と水の光景を思い浮かべると、外界からわたしは一瞬、遮断される。


他にも色んな場所の記憶があるのだが、「そこへ行くと必ず思い出す記憶」ということで集めてみた。

小出楢重を歩く

小出楢重のいた時代を追う企画があった。
芦屋市立美術博物館で開催中の「小出楢重を歩く −1920年代 大阪・神戸・芦屋−」展。
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今で言う大阪市中央区島之内の薬屋の長男として生まれた小出だが、後は継がず「油絵師」になった。
本人は「洋画家」として生きたが、当初その職業は新聞に「油絵師」と書かれていたことが、彼の随筆に載っている。
タイトルどおり「1920年代の大阪・神戸・芦屋」の写真やスケッチが展示されているが、スケッチは小出自身の手によるものだとはわかっていたが、写真も彼の撮影のものだと、今回初めて知った。
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小出はモダンライフを愛した多趣味な都会人で、煤煙の大阪から逃れて、その当時それこそ浜辺では「テテ噛むイワシいらんかえ?!」な芦屋に転居した。
芦屋が立派な住宅地になるのが丁度小出の移住あたりからだから、やはり小出は最初期の芦屋の「エエ氏」の一人なのだった。

病弱で43歳で急死したものの小出自身はたいへん闊達な性質で、残されている16ミリ動画などを見ると、機嫌よくあちこち出かけては楽しそうに過ごしている。
馬にも乗るし(走らせる映像はない)、ボートも漕ぐ(夫人も漕いでいた)。
子どもらと雪合戦もしているが、20年代のステキな帽子にコートのスタイルでヨロヨロ雪まみれになっている姿は、ちょっとばかり可愛い。
見るからに大阪弁で言うところの「気さんじ」なヒトなのである。
第一室と第二室をつなぐ休憩コーナーには小出の映像が延々と流れ続けている。
それを見ていると、没後80年と言う長い歳月が一挙に消えて、「知り合いの機嫌の良い男が」えらい楽しそうに遊んでいる、そんな風に思えてしまうのだった。
わたしはブリヂストン美術館での「小出楢重の肖像」展から小出楢重のファンになり、京近美での回顧展で沸騰してしまった。
あのときもスクリーンで小出の機嫌の良い様子を見ていたが、久しぶりにこうして眺めると、本当に嬉しいような気持ちになる。

写真ばかりではなく、小出の随筆の生原稿が展示されていた。
小出は絵も面白いがその文筆がまたとにかく面白い。
ここに「下手もの漫談」の自筆原稿があるが、その「下手もの漫談」がまた笑える内容なので、自筆をちらちら見るだけで「あーハイハイ、あれやな?」と楽しくなる。
小出の随筆は一読すると、ひつこく(しつこくの大阪弁形)何度でも読み返したくなる。笑えたなぁ。

特に好きなものが「春の彼岸とたこめがね」だが、その直筆がここにあって、たいへん嬉しい。
以前からこのブログで何度もその「たこめがね」を挙げているが、ふたたびみたび小出の挿し絵を挙げる。
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来月にはそのお彼岸、小出の大好きだった「たこめがね」は見ることはないが、彼が父と共に見た「夕日がキリキリ舞い」する情景は、まだ見れそうである。

「春眠雑談」の原稿を見ると随分たくさん推敲している。洒脱でサラサラ書いているような文なのに、こうして練り上げられている。
随筆の達者と謳われた小出楢重のこの「努力」を忘れてはいけない。
とはいえこの「雑談」は大阪の温気についてのことなので、読んでて笑うに笑えない苦さもあるのだった。

小出の実家は一子相伝(という文字を見るとわたしなどはどうしても「北斗の拳」を思い出すのだが)の秘薬・天水香を売るというお店なのだが、店の看板の巨大な亀の看板について小出は「亀の随筆」という一文を残している。
それによると、出火があってもこの亀が口から大水を吐いて店を守った・・・らしい。
亀は後に大阪市立博物館に寄贈されたそうだが、十年以前に博物館の学芸員さんに尋ねたところ、「みつかりません」そうだ。倉庫で冬眠しているのか、ガメラになって宇宙へ飛んでいったのかもしれない。
その亀の写真があった。これは嬉しかった。
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今までは小出の描いた亀の水吐き図しか見たことがないのだから。
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筆まめな小出はフランス留学中には絵日記を残している。
室内、カフェなどなど。
家への手紙などにもこまごまと話し言葉で書き綴っているから、やはり文章を書くのが好きなのだろう。

小出が随筆だけでなく一種の漫談家であったことはよく知られている。
座談の名手だと谷崎潤一郎もほめている。
これは関西人の特性だと思う。
代々の大阪人には往々にしてそんな者がいる。
そしてその面白さを好まぬヒトもいる。

小出の本職たる洋画も展示されている。
チラシに選ばれた絵は、彼がいた信濃橋洋画研究所の窓から見た、今の相愛学園あたり。
この風景は小出の同僚・国枝金三らも描いている。
その比較展示を以前、西宮大谷美術館で見たとき、不思議な感銘を受けた。
今回も感情は変わらない。

小出は芦屋から大阪の信濃橋まで通勤した。
今でもそんなヒトは少なくないだろう。
わたしは信濃橋を通る度に必ずかつての信濃橋洋画研究所のことを想うのだった。

芦屋風景のスケッチがある。現存する仏教会館がある。
この建物は道路拡張などのために元の場から数メーター移動しているが、今も建物は活きている。

散歩が好きな小出だが、制作は室内で行われた。
小出は闊達な性質だが、身体は屋外制作を許してはくれなかったのだ。
美術館の敷地内に再現されている彼のアトリエから、裸婦や人形などが生まれている。
日本の風土に根付いた女の体を描くことに心を砕いた小出。ここにある裸婦図はどれも、肌の色の濃い、堅太りしたリアルで肉感的なものだった。

小出の油彩には体臭が活きているが、墨絵の挿し絵にはその脂濃さは薄い。ガラス絵にはそれはまだあるが。
しかし彼の日本画には、油彩や墨絵の挿し絵とはまた違う妙な迫力がある。

玩具づくし 姉様人形、鳩笛、でんでん太鼓、犬張り子、キユーピー、ビリケンさん・・・そんなおもちゃたちが所狭シと描かれている。

着物や帯にも小出は筆を進める。小出の油彩はリアルな重厚さを前面に押し出しているが、日本画は南画を戯画にしたような面白さがある。

奈良を散歩する西洋人 西洋人のカップルの後ろからえらそーな鹿がついてくる。こういうのを見るのが楽しくて仕方ない。
小出は若い頃に奈良の老舗旅館・江戸三の離れを借りて絵を描いたりしていたことがある。
そこを出て木辻遊郭のそばに下宿して、とんでもないメに遭ったりした一件をこれまた面白い読み物にしているが、わたしなぞは、何度読んでもあのクダリは爆笑してしまう。

今回初めて小出がデザインしたステンドグラスの下絵を見た。キュビズム風な画面構成で、ダイヤと花に囲まれた巻き毛の裸婦が描かれている。全体にオレンジ色なのが珍しい。もし、これが実現しているのなら見てみたいものだと思う。

小出の随筆の中に、神戸のユーハイムあたりでお茶するエピソードがある。小出はメレンゲのお菓子を好んで食べている。美術館のカフェでは展覧会の会期中、そのお菓子を再現したものを販売しているが、なかなかおいしかった。

今回、高島屋史料館所蔵の「六月の郊外風景」が来ていた。照明が反射して、絵の中に<観るわたし>が映り込んでいた。わたしも小出の描く風景の中に入ったのだった。
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展覧会に図録はないが、「小出楢重を歩く」として大阪市内の地図の上に小出のいた場所を記したものがある。
その裏面には同時代の大阪風景写真(絵はがきと、小出自身によるスナップ)と彼の素描などが載っている。
古写真を愛するわたしには、小出の資料としてだけでない価値がある。
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小出楢重は1931年2月12日に亡くなっている。
もうまもなく小出が亡くなった日が近づこうとしているが、そんなときにこの展覧会を観ることができて、本当に良かった。
展覧会は2/20まで。

大和文華館の日本工芸

大和文華館の「日本の工芸」を見に行った。梅もチラホラ咲いていて、工芸品を見るのに嬉しいような出迎えだと思った。
行くと丁度学芸員さんによる解説が始まったところだったので、そぉっと参加した。

縄文土器から始まる。巨大な壷。加曽利E式とあるが、不勉強でその様式のほかにどんなものがあるかはわからない。飾りは上部だけにあるので、ちょっとばかりアーカンサスを象った装飾柱に似ている。

埴輪がニ体ある。鷹狩男子は手に可愛い鳥をとまらせている。決して猛禽には見えない。群馬の埴輪。美豆良の髪が可愛い。
そして茨城の埴輪は色もよく残っている。ズボンには二重線の輪柄が入っている。

伊賀、信楽、瀬戸など古窯のやきものがある。
志野や織部に萩、唐津が静かに並んでいた。

伊万里焼の名品がでている。
鉄釉千鳥文向付  鉄釉がしぶい茶の空になり、そこを千鳥が群だって飛ぶ。たいへん愛らしい。五客分が並ぶので、鳥たちが続いて飛んでいるように見える。

柿右衛門様式の可愛い八角形の瓶や小鉢、紐文様や更紗文の色鍋島、古九谷様式の大皿など見ものが多い。

京焼は愛らしいものが多く集まっていた。
色絵鴛鴦香合 仁清  
色絵夕顔文茶碗 乾山 
初代館長・矢代に偏愛された二つのやきもの。
鴛鴦は本当に小さくて愛らしいし、夕顔は黒樂の地に白い花が開いている。
乾山の名品はほかに色絵竜田川文向付などがでていて、嬉しかった。
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これはこの大和文華館、逸翁美術館、MIHOなどにも所蔵されている。
奥田頴川、青木木米、永楽保全らの可愛い可愛いやきものが集まっているのを見ると、
本当に嬉しくて仕方ない。
淡路島の賀集平の造った平焼の『色絵鳥文鉢』もとも久しぶりに会う。

やきものの次にガラスを見た。ぎやまん、びいどろの類です。
硝子蓋物  長崎製らしい。不純物の入り込みで面白い景色になっている。
純然たるものより、なにかしら瑕が入ることで、却って綺麗に見えるということ。

宗教系もある。
木造女神像  平安中期の女神。少しの欠損がやはり美貌を際立てている。
刺繍五髻文殊菩薩像  鎌倉時代にもまだこうして刺繍による仏像の絵がある。いつの時代まで続いたのだろう。獅子がなかなかかっこいい。

金属を見る。
松山鏡や羽黒鏡があった。大きさが丁度すっぽり掌に入りそうで、実はこれを見ると、昔なつかし「ママレンジ」で作るホットケーキを思い出すサイズなのだった。

鉄製蜻蛉文真形釜  芦屋釜か、トンボがビュンビュン飛び交っている。こういう可愛い釜がたまに欲しくなる。

銅板地螺鈿花鳥文説相箱  平安時代の可愛い入れ物。インコらしき小鳥が刻まれているが、とにかく丸い目が大きい。このインコの可愛さにはびっくりした。
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今回、埴輪の鷹・仁清の鴛鴦・千鳥文向付・このインコ、と可愛い可愛い鳥ばかりが目立っている。ネコ派のわたしもくらくらするくらいだった。

漆工芸
鎌倉彫の合子、根来の樽、高台寺蒔絵に彩られた徳利や盆、堆朱を思わせる香合などなど。
わたしの大好きな提重もあった。
蒔絵紫陽花椿文提重  大事にされていたのだとつくづく感じる一品。
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伝本阿弥光悦作 沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒  面白かったのは、この筒をくるっと展開させて拓影を取ったのも展示していたこと。シカシカろくろくな様子。
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一閑貼の棗、螺鈿蒔絵梅文合子(雁金屋兄弟コラボ作品を羊遊斎が模造)、桃山時代の洋櫃、琉球の美麗な沈金などの工芸品・・・
抱一と羊遊斎の合作の茶入が出ていたのも嬉しかった。
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本当に好きなものばかりで構成された展覧会だった。
次は2/19?3/27で中国・朝鮮の美術。お庭では梅と椿の競演を楽しめそうだ。

京の寺内町

京都の大谷大学博物館で江戸時代の「京の寺内町」展を見た。
東西の本願寺周辺地図や火事による焼亡範囲図、寺内町の住宅地図、洛中洛外図屏風、そして本願寺御用達の商人のことや、出入りの者の自死の始末などなど、たいへん興味深い内容が繰り広げられていた。
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最初に天明年間の大火被害の範囲地図がある。(天明八年一月晦日出火、二月一日暮六つ消火)
碁盤の目の町だから、一見したところ、グラフ用紙に薄い彩色がされているようにも見える。出火元は団栗図子(現在の祇園・団栗橋付近)。随分な被害で、その当時「応仁の乱以来の」と称されていたそうだ。(36797軒焼失。東西の本願寺も丸焼け。)
一つ話として「京都の人の前の戦争=応仁の乱」という言い方をするが、そんな頃から残ってる建物と言えば寺社などばかりで、フツーの民家はない。
蛤御門の変や禁門の変のときの被害が残ってる、という家の方が、実は建物としては古かったりすることが多い。
なにしろこの「応仁の乱以来の」大火で京の町は大方焼け消えて、再建しているのだ。(もちろん場所にもよるが)
京都市内は第二次大戦の被害は殆ど受けなかったが(市役所に砲撃の痕が残っている)、人災などで建物もやっぱり色々と苦労している。
改めてそのことを思いながらこの地図を見ると、色々と見えてくるものがあり、感慨深く眺める。
平安時代には二年連続の「太郎焼亡」「次郎焼亡」と呼ばれる大火が起こり「都を嘗め尽くす」状況になったと言う。
(京都文化博物館常設室設置のVTRに、焼失場所の地図などが現れる一本がある)
詳細な地図には「井伊掃部」「松平丹後」などの名前が見える。
また、洛中だけでなく周辺を描いてもいるが、点描で「大」や舟形、鳥居形などを記しているのも楽しい。

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洛中洛外図を見る。雲は金型雲で、人物はやや小さい。豊国神社、三十三間堂、大きな耳塚、方広寺大仏殿と例の鐘、清水、南座、山鉾巡行、吉田神社、なぞの金閣までが右隻。
左は妙に白い金閣、北野天満宮、画面下に鞍馬、巨大な桜がある仁和寺(とてもお多福桜には見えない)、天守閣のある二条城、牛車で西陣を行く行列、上賀茂神社、天竜寺、筏師のいる桂川、東寺まで。牛の表情がけっこう面白い、山吹色がよく目立つ屏風だった。

東本願寺の寺地が増えたのは、家光が1641年に元の敷地の東側の土地を加増したかららしいが、その百年後の地図が出ていた。寺内町という名称ではなく、「東本願寺御境内町絵図」として旧来の土地たる「古屋敷」と新しい土地の「新屋敷」の巨大な地図。
間口と住民の数や名前も記されている。新屋敷のほうには枳殻邸(きこく・てい)が、古屋敷には本坊が中心として描かれている。

東本願寺濫觴ならび炎上記  栄枯盛衰というべきか。太鼓の番屋とかなんだかんだ書いてある。折角信者たちの寄付で再建したお堂なども数年で焼失したりしている。
火事は怖い。

お寺の役人の日記が面白かった。今と変わらない。
門番が首つり、それで検視に来た者たちに穏便に済ませてもらえるよう色々苦労する。
最後はナントカ思惑通りに行ったことに安堵し、来てた三人に酒肴の接待をして帰らせる。
他に出入業者の選定などには、出入り頭の本屋と筆屋の承認と推挙が必要とか、そんなことを知った。

なかなか興味深い内容の展覧会だった。こういう内容のものが見たかったので嬉しい。
2/19まで。

2月の予定と記録

早くも二月。
今月、本当は東京出張ということで、「ヒヒヒ。公費で出かけられるぜ」とほくそ笑んでおったところ、天網恢恢なのか身から出たサバなのか好事魔多しなのか、急遽わたしの東京出張がなしになった。
理由は、出張先の同業者の社長が自ら接待するとかなんとか言い出してオオゴトになり、それならわたしみたいなペーペーではなく課長級以上でないと申し訳ないとかなんとか・・・。事大主義とでもいうのか、当然なのかは、わたしにはわからんわ。
だから自腹きって東京行き。まぁいつものことなので別にええねんけど、会社のヤツラは一発どついてやろう、と思っている。
それで代替案でわたしは3月に九州出張ということだけど、阿蘇の方らしい。雄大な景色はええね。
ただ、当初行く予定日だった日がわたしの都合悪い日なので「いやや」と言うたところ、上の方で調整取るらしい。わがままかもしれないけど、そうしてもらわないと困る。

というわけで、今月の予定は空いています。
たまにはお片づけにいそしむべきかもしれないが、それはまたいつか・・・

子どもの遊びと学び ―おもちゃ絵を楽しむ― 文京ふるさと歴史館
20世紀のポスター[タイポグラフィ]  東京都庭園美術館
酒井抱一 ?琳派の華 畠山記念館
四季の彩りと『十二ヶ月図』展 野間記念館
中国青銅鏡 泉屋分館
挿絵の黄金時代展 ?懐かしき昭和20?30年代の挿絵画家たち? 弥生美術館
宮本三郎と連載小説  宮本三郎記念美術館
流旅転生 鈴木藏の志野 菊池寛実記念 智美術館
みんなが見たい中村不折 書道博物館

東京には2/19、20います。
出光、汐留などの後期展も見るし、東博にも再度おでかけ。

筆墨精神―中国書画の世界― 王羲之から呉昌碩まで 京都国立博物館
寺田順三 えき美術館
大和文華館の日本工芸  大和文華館
没後160年 英国風景画家ターナーの銅版画 東大阪市民美術センター
森村泰昌の小宇宙/或る美術蒐集家のコレクション 兵庫県立美術館
ガレ、ドーム、ティファニー アートホール神戸
大阪が生んだ開高健 なんばパークスホール 2/11?2/20

京阪神の古美術系美術館はあんまり2月は開いてません。
逸翁は梅が咲いてからお出かけ予定。
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