美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

藤田美術館「季節を愉しむ2 春から初秋の美術」

藤田美術館の春季展「季節を愉しむ2 春から初秋の美術」を見てきた。
二階へ上がると、静かな空間の中に古寂びたガラスケースや展示空間が広がり、いつものように黙って出迎えてくれた。
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応挙 中大原女左右菜の花綿花図  ほわほわした綿花に薄黄色い蝶。わたしが最初に見た「綿花」は「カムイ伝」での農民たちの収穫シーンだった。あれが随分心に残り、それから今になっても綿花を見ればその情景が浮かぶのだった。
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古染付桜川平水指  江戸時代、これらは「南京染付」と呼ばれたそうだ。染つぶしと白抜きで花の濃淡を示し、本当に日本人好みらしさがある。実際、とてもいとしい。チラシの上の。

玄奘三蔵絵 第1巻 第1段  小さい頃からカシコい玄奘くん。親から講義を受けてる間、座しているのは失礼に当たる、と・・・。更に他のちびがチビらしく機嫌よく遊んでるのを目もくれず、ひたすら思索にふけっている・・・。正直、こんな子どもはいやです。
立派な邸宅。チラシにもなったシーンは第二巻。この奇岩は噴水でもある。なんだかこんなのがある庭園へ行きたくなってきた。
わたしが見た一巻では、この邸宅の外でアヒルが泳いでいた。ミヅラに結うた玄奘くんはカシコそうでも、おそばの者たちはそれぞれ。転寝するものもいるし花を見るものもいる。
色んな人々の描写が楽しい。

砧青磁浮牡丹龍環耳花  いかにも元代の砧青磁。この深く厚い濃さがいい。浮き彫りが釉薬で固まっているくらいなのが、却って綺麗に見える。

十二ヶ月図 狩野探幽  姫路の殿様の弟君だけが定家の歌を絵にしたわけではないぞ、というのをとちょっと感じたり。春の絵が出ている。
藤に雀は三月、卯の花に杜鵑(ああ、夏は来ぬ)、橘にクイナ。それぞれが品よく納まっている。
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藤花狗小禽図 長澤蘆洲  芦雪の養子。ちゃんと絵の命脈は受け継がれている。わんころたちの可愛いこと。いい位置に文鳥?がいるのもいい。くつろぐわんころたち。これが猫なら「文鳥、危機一髪図」になる。

藤熨斗桜草文長絹  絽にキラキラ・・・・・お能のどの演目に使われたのだろう。

祥瑞砂金袋共蓋水指  祥瑞大好き。わたしはとにかく染付は「濃み」でないと。叭叭鳥たちがワイワイ集まっている図も達者。色の濃淡の綺麗さにときめく。いい染付だ。  
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黒楽茶碗 「まこも」長次郎/黒楽茶碗「ホトトギス」常慶  このシブい空間で見ると、心にピシッと来るものがあるな。普段は華麗なノンコウばかり愛しているが。

花蝶蒔絵挾軾(カチョウマキエ・きょうしょく)と読む。正面に置いて使う脇息らしいが、これを正面に置いて使うとは、まぁあんまり行儀の良さそうな状態とは思えませんね。
チラシ真ん中。平安貴族の日常品なのか。蝶柄が可愛い。

一階へ。

祭礼図屏風  かつての祇園祭は前祭が6/7だったそうだ。右隻はその前祭、左が6/14の後祭。明治十年から現行の七月になった。
型押しの金雲の下、巡行する山鉾を眺める群集。その右5面に面白い情景発見。
長刀鉾前に坐す二人組がある。左の髭の男が右に坐す、色白の若い男の膝に手を遣っている。若い男は笠で顔を隠しているから表情はわからないが、嫌がるそぶりもない。
ほかにも、僧体の男が畳を持ち出して見物しているが、その左右に少年を侍らせていた。
その肩を抱いているところがはっきり。屏風全体に女性の姿が少ないのがまた意味深で・・・。
                  
梧桐小禽図 伝 玉澗  青桐とイカルという鳥。院体画。イカルの嘴の大きさ。             
朝顔小禽図 駒井源  1795年に描いたそうだ。朝顔の青さが濃い。シジュウカラたちの乱舞。

古今和歌集断簡  粘葉装でっちょうそう。たいへん綺麗な料紙。紺地金泥で夜景。
歌は七夕にかこつけた戯れ歌。

銅製笹蟹蓋置  細蟹=小さい蜘蛛。転じてササガニ。更に蜘蛛の糸は織女との縁がある。言葉の変容が面白い。本体は笹の下に蟹がいる形。器用な作り。

両部大経感得図(善無畏)藤原宗弘  これと対の絵は昨秋展示されていた。お堂を訪ねると、中にぎっしりホトケサマたち、という絵がそれ。
こちらは塔の外で、塔を見上げながら休む三人。宴会はジシュク中か。
 
茶杓 銘 藤の裏葉/東方朔 千利休  「く」の字に曲がっている。蟻腰。櫂先もくっきりしている。
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交趾桃香合 銘 みちとせ 上の別銘「東方朔」は西王母の庭から三千年(みちとせ)の桃を盗んで食べたという逸話を持っている。この濃い黄色の香合と取り合わせて、茶会で活躍したのかもしれない。そんなことを考えるのがとても楽しいし、それが古美術を展示する美術館の醍醐味なのだった。

他にも可愛らしい香合がいくつも出ていた。
青磁桃香合(青と緑と黄色の取り合わせ)、牡丹唐獅子蒔絵香合(花喰い)、車胤蛍学図蒔絵平香合 小川破笠(蛍の光がピカリ。螺鈿)、冊子形香合 野々村仁清(朝顔の絵がついている)、堆黒周茂叔一文字香合、染付兜巾茄子香合(小さくて可愛い)・・・

梶葉七夕蒔絵硯箱/梶葉七夕蒔絵文台  短冊にウサギと芒が描かれていた。「七夕」の文字も見える。梶の葉が舞い散る水面。

玄奘三蔵絵など一部展示替えあり。6/12まで。
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竹久夢二 図案と装飾展

弥生美術館に併設する夢二美術館では「図案と装飾」展が開かれていた。
夢二は美人画もいいが、童画や図案にひどく名作が多い。
ヒトによっては美人画よりもこちらの方がいいと言う向きもある。
わたしなぞも夢二美人より却って図案に惹かれることがある。

夢二は千代紙の図案を拵えているが、それは自らの店「港や」で販売もしたが、当時栄えた大阪・平野町の柳屋、京都のさくら屋、そして今も繁栄するいせ辰にも版木があるらしい。今度、いせ辰で夢二の図案の千代紙を探してみようと思った。

雑誌の付録にも夢二はいい作品を生んでいる。
わたしの大好きな「パラダイス双六」が今回も出ていた。
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本当に大好きで仕方ない。いつかここに行きたいと絵を見る度に思っている。

今回は他に家族双六、お伽双六があったが、家族双六はなかなか笑えた。
なにしろ15がクリスマスで上がりなのだが、その直前の14では「すす払い。お父さんは一回休み、お母さんは疲れていたら上がりへ」・・・笑ったなぁ。
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今回初めて絵はがきに気づいた。
おとぎの国巡り、という割にはなかなか寒いコマがある。
「山のおばあさん どこへ行ったかおばあさん、あとに狼 おおこわい」
赤ずきんではなく、日本の少女が言うと「山の人生」や「姥捨て」や「やまんば」などを想像する。
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明治にはウサギ、万年青、絵はがきの三大ブームがあった。
それで夢二も「月刊夢二カード」「月刊夢二絵はがき」を刊行しているが、なんとなくかっこいいネーミングだと思う。

カードなのか「日本の浅春」というステキな作品があった。
右側には梅花の下の女、左には大きな蝶がたくさん浮かぶ中に佇む少女の横顔。ピンクのセーターの少女はうっとりと蝶をみつめている。
とても綺麗な構図だった。

夢二は本の装丁も数多くしているが、全集ものもデザインしていた。
婦人の友社から出たフレンドライブラリーという少女向け全集で、箱のレタリングがよかった。手書きの味わいがあるタイポグラフィ。
単行本の装丁では今回初見の長田幹彦「地獄」が目を惹いた。
紅地に白梅と青い枝が所狭しと描き込まれた表紙。こうしたときに夢二の意匠力を感じる。

続いて夢二が表紙絵を飾った雑誌たちが一堂に会していた。
先ほどまで見ていたカストリ雑誌とは全く異なる、愛らしい絵ばかりが集まっている。
「若草」は亡くなる前まで描き続けていた雑誌で、美人画もあるがそれ以上に可愛らしい図案そのもので飾っているのが目に付いた。
「女学生」「小説倶楽部」「蝋人形」「民謡詩人」(昭和初期、新民謡運動というのがあった)「女学世界」「中央文学」「婦人グラフ」・・・。
中でも「婦人グラフ」は今日でも人気の作品で、わたしも好きな絵が多いが、夢二はこれらを描くにあたり、アールデコの雑誌から構図を得ていた。
「淑女画報」表紙絵は可愛いものが多かった。
大正14年には夏と冬にいい絵が出ている。
睡蓮が大きく咲く池、満月を背景に木に止まるミミズク・・・こうした絵にわたしは惹かれる。
あとは「セノオ楽譜」シリーズがずらずらと並んでいた。
「カリガリ博士」の影響を受けて描いたものや、バレエ・リュッス風なものなど、様々な面白味にあふれている。

大いに楽しんで美術館を出て行った。
次は4/1?6/26「夢二 花をえがく、花をうたう」と「藤田ミラノ」展。
ちなみにチラシがいつものB5ではなくA4サイズなのも新鮮だった。

百花繚乱!挿絵の黄金時代 懐かしい昭和20-30年代の挿絵画家たち

弥生美術館は3/27まで「百花繚乱!挿絵の黄金時代 懐かしい昭和20-30年代の挿絵画家たち」展を開催していた。
「敗戦後」に雨後の筍どころの騒ぎではない勢いでザーッと、いわゆる「カストリ雑誌」が現われてはやがて消えていったが、ヤケクソな明るさとどうにもならないモヤモヤとが合致したのか、非常に面白い(その分だけ品は良くない)読み物がダーッと生まれていった。
文章だけでは本は売れない。キラキラした美人画を描く挿絵画家たちが引っ張りだこになり、疲労を後に廻して作品を大量生産していった。

今回、自分への覚書の記事でもあるので、非常に長い。
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京都国立近代美術館 春の常設展示

京都国立近代美術館の常設を楽しんだ。
企画で面白かったのが<日本画の下絵に見る「きったりはったり」>。
特別展でパウル・クレーの「きったりはったり」?「切って・廻して・貼って 切断・再構築の作品」?を見た後で、なんだか微笑ましいココロモチになった。
わたしはクレーを<楽しむ>よりある種の緊張を感じてたので、自分のホームグラウンドに帰った気がするのかもしれない。

8点全てが大正期の作品の下絵だった。
・中村大三郎 灯篭のおとど(下絵) 真ん中に重盛が座し、左右にハスの花を捧げ持つ女房が立つ。優美なおもての人々。本絵を知らぬのでゼヒ見てみたいと思った。
・都路華香 大下図「埴輪(別稿)」「埴輪」 数年前の回顧展で見て以来の再会。にこにこする老爺は変わらず、別稿では美人が立ち、本絵に選ばれた方は少年が立っている。
岡本神草 左「口紅」草稿 ・右「拳を打てる三人の舞妓」 「口紅」本絵は化粧する舞妓の妖女じみた表情に絡め取られたが、この草稿では普通の女のように見え、それはそれで新鮮な感じがした。
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一方の「拳を」はだいぶ前にこの作品が発見されたときか何かで、そのときに見て以来だと思う。

・岡本神草「春雨のつまびき」草稿 これも本絵を知らないが、草稿で見る限り、この玄人筋らしき女の顔はどうも浮世絵から来ているように思われた。
どうかするとこちらをトリコロシかねない顔つきを見せている。
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<春の名品選 「コレクションにみる春」>
こちらも近代日本画。やっぱり自分が近代日本画がいちばん好きなのを実感する。

・橋本関雪 朧夜白狸図  関雪ゑがくどうぶつたちは皆が皆、たいへんカシコそうな顔をしている。この白い狸もそう。寄り眼を見せながらクンクンと歩く。ヒトの罠から逃れようとしつつ。  
・菊池契月 桜  全体に淡彩というより殆ど白描に見えるほどの白さが目に残る一枚。切花の桜を投げ入れている大壺は、イスラームの壺のように思う。
・西山翠嶂 春霞  大画面に春が横溢している。人間世界のはるか上に広がる春霞。左端に大きく天女が描かれている。胸がとても綺麗な天女が。
・菱田春草 春山瀑布  斜めに走る瀧はまるでまっすぐな亀裂、もしくは雷鳴のようにも見えた。名前が「春草」であっても、わたしは彼は秋の景がいい、と思っている。
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・伊東深水 春宵  製作年未詳らしいが、わたしはこれは戦前の作ではないかと思っている。女の線にふわふわとした優しさを感じるからだ。戦後の深水の女たちはみんなとても強い芯を感じさせる線で描かれているように思う。
この女が玄人か素人かは知らないが、静かな艶かしさがいい。
・森田曠平 惜春「盲目物語」より 谷崎の小説の1シーンを描いている。右端に三味線を弾く盲目の弥一、左側にお市の方はじめ彼女の子等がいる。
舞う情景でありながらも、深い静謐さを感じる。それは人物の眼ヂカラに根付くものかもしれない。
わたしは森田の「物語絵」が本当に好きだ。どこかで彼の物語絵だけを集めた展覧会が開催されないだろうか。

工芸品では非常に綺麗なものを見た。
・堆朱楊成 乾漆木蓮図硯箱SH3B03920001.jpg
これも大正期のもの。おりしも木蓮が花盛りになりつつある今、こうした作品を見ると、それだけで嬉しくなる。
・楠部彌弌 葡萄文蓋付壺  昭和初期の作。色が綺麗。
・バーナード・リーチ 生命の樹  最初にこの陶板画を見たとき、本当に感動した。この陶板画をみていると、色んなことを考える。
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一本の樹を中心に鳥が集い、虫がうごめき、生命の連環が生まれる・・

洋画では初見のものが一点。
・須田国太郎 夜桜SH3B03930001.jpg
これは初めて見た。須田の重厚な色彩構成が夜桜<らしさ>を演出している。今回は印藤真楯の「夜桜」も出ているが、40年ほどの歳月の流れでは日本洋画の「夜桜」は――京都洋画壇の「夜桜」は――変化を見せないのかもしれない・・・

色々といいものを見た。5/22まで展示は変わらない。

湯木貞一生誕110周年記念展1期:季節の演出 湯木貞一の茶会

吉兆の湯木貞一は今年、生誕110周年を迎えるそうだ。
彼は一代で身を起こし、日本料理の粋を極め、茶の湯にも精進したヒトだった。
'97年に亡くなったが、その数年前にわたしは東京の歌舞伎座で偶然みかけたことがある。
当時でも随分高齢だったが、ソフトな感じで、しかしお元気そうなおじいさんだった。
遠目にもよい印象が残ったので、なんとなく勝手にファンになった。
やがてその所蔵品をみせる湯木美術館に出かけ始めた。
最初に見たのは「藍の器・祥瑞・呉須」。いいものを見た、と思った。
それから通うようになり、ほどなく湯木貞一が没した。
没後一年には「白吉兆翁・追想の茶」展が開かれ、そこでもよいものを見せてもらった。
それ以後も、年四回ほどの展覧会を、大体は見ているように思う。
だから初見というものは少なくなってきているが、その分「再会」を楽しみにする品々が年々増えてきている。
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湯木美術館がほぼ一ヶ月替わりで三期に亙って「湯木貞一生誕110周年記念展」を開催する。
1期:季節の演出 湯木貞一の茶会
2期:数寄者との交流 小林逸翁・松永耳庵・松下幸之助
3期:湯木貞一の茶道具 コレクションから
始まったばかりの1期:季節の演出 湯木貞一の茶会、それを見に行った。

昭和50年4月28日・高麗橋吉兆での茶事の道具組の一部再現展示がある、とリーフレットに載っていた。
展示品のうちからそれらを眺めるのも楽しい。
見ているだけで想像が湧き出し、ついでによだれまで湧いてきそうになるから。

壁面に手書きの茶会記の拡大コピーと、明朝体の活字版が出ていた。
湯木貞一の直筆が巧いかどうかはわからないが、味のある流れがそこに見えた。
さすが一代の稀有な料理人だけに、メニュウ文字を追うだけでワクワクしてくるが、実は一番ウケたのはこれだった。
<ビチャ飯> ・・・・・なんなんですか。
干菓子は以下。梅あんせんべい(大阪)、から板(京都)、花ごぼう(東京)。
一つも知らないが、花ごぼうはもしかすると葩餅かも、と思ったりする。
色んなことを想像するのも楽しい。
他にも「延寿筆の絵アリ 一寸マチガイ」と書かれているのも楽しい。

さて実際のお道具などを見て回ろう。

いきなり○の絵がある。円相図である。大抵こういうものは高僧の手によると相場は決まっている。江雲宗龍筆とある。書名は任雲子に花押である。完全な○ではなく、時計回りに描き始め、頂点寸前で外へ飛んだ円相図。

交趾台牛香合 様々な所蔵を経て今はここにある白牛。昨秋の「上方豪商の茶道具」にも出ていた。形も緑色の深さも可愛い。

次に灰手前で使用の品々が現われた。
・唐物脛当炭斗(すねあて・すみとり)藤田家伝来
・片桐石州作 鶴羽箒 鴻池家伝来
・石州好桑柄火箸・同灰匙 鴻池家伝来
・金盛徳元作 松竹梅金嵌大角豆鉄鐶(きんぎんがん・ささげ)東本願寺伝来
・長次郎作 昔焙烙
これらを取り合わせたのは勿論、湯木貞一なのだ。
当然ながら、わたしなどには出来ないことだが、これらを目の当たりにするだけで、色んな学びになる。
マナヅルの三枚重ねの羽し少し黒みを見せ、ササゲを象った鉄鐶はモコモコ、長次郎の焙烙は本当に使っていたのを感じさせる古び具合を見せていた。

・唐物茶入「紹鴎茄子(みほつくし)」昨秋の「上方豪商の茶道具」以来。一度おもてに出るとなかなか休めないのが人気ものの宿命か。
・信楽芋頭水指 本阿弥光甫作 こちらは一年ぶり。茶色い小芋がごろんとそこにある。
・茶杓「苫」 細川三斎作 飴色が綺麗。11年前に初めて見たと思う。
・古銅桔梗口獅子耳花入 東山御物 全体のプロポーションがきれい。上下の桔梗型△▽の胴は菱形で、こちらには饕餮文。細かい面白さがあった。
・大井戸茶碗「対馬」 宗氏所蔵から「対馬」。添え状に「明和の頃、大坂の××屋に、千金出し求め」というようなことが書いてある。
・嵯峨蒔絵中次 平瀬家伝来 これも好きな一品。桜に眼光鋭い鷹、花筏、夜の煌きのような嵯峨蒔絵。

ここには佐竹本三十六歌仙の在原業平がいる。
今回のチラシには表具も写っているが、その鴛鴦のところが数年前の「友の会」募集チラシにも使われていたもので、今回こうして画像が手に入って嬉しい。
これまで随分多くの佐竹本三十六歌仙を見てきたが、やはり業平は本当にいい・・・。
あな、えおとこや。そんな感じ。これは大正八年の分割事件のとき、ビール王・馬越恭平が引き当てたというが、そこから湯木さんの手元に来るまでの変遷を知りたくもある。
今回、着物の外線が意外と太いことに気づいた。これなら着せ替えなどが出来そうである。

松下幸之助の色紙があった。「無心」と題がある。大きく「心」と書いた下に小さく五つの「心」が並んでいる。六つの心、それで「ムシン」なかなかいいものだ。

・銹絵染付春草文蓋茶碗 乾山 これを向付に使うのが、やはり湯木貞一という人の非凡なところなのだろう。今では不思議ともなんとも思わないからこそ。
春菜に敷ゴマ味噌、レンコンのいとこ煮・・・
器自体はツクシ、ワラビ、スミレ、シダなどが内外に楽しそうに咲き乱れている構造。
・時代絵替碗 蝶々に流水に紫陽花。好きなものばかり。またこれらがモダンな線で描かれている。
・青磁二段菊鉢 南宋から元初らしい色の濃さ。菊柄、その鎬の縦線に入る色が綺麗。
・呉須赤絵花鳥文鉢 鳥が花に巻きつきつつしっかり立っている。
・織部四方手鉢 チラシ真ん中、業平の真上。これを綺麗だと感じるように、日本人の美意識は調整されている。
・瓢吸物椀 蓋は湯木さんが後づけ。全く違和感がない。
・絵唐津沓鉢 グレーと黒の取り合わせがクール。鈍翁伝来品。さすがにステキ。

茶室再現の展示では、昭和の渡邊喜三郎作の膳や碗のほか、先ほどの乾山の向付、絵替碗(蔦絵)などがセットされていた。
見る側に置かれていたら、ますますお茶の客になった気がするかもしれない。

いいものを見せてもらってますます湯木貞一が好きになった。1期は4/24まで。

パウル・クレー おわらないアトリエ

京都国立近代美術館開催中の「パウル・クレー おわらないアトリエ」に出かけた。
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パウル・クレーの思想はとても魅力的なのだが、その作品はわたしには少しばかり遠い。
抽象表現を理解できる能力がわたしには欠如している。
見て楽しむだけ、ということではパウル・クレーの本当の魅力を知ることは出来ないだろう。
せっかくスイスのパウル・クレー・センターから多くの作品が来ているのだから、思索しつつクレー芸術を眺めよう、と決めた。
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展覧会はいくつもの章で構成されている。元からの壁面と、特設された壁面を使っての展示である。
章のタイトルは展覧会を構成する枠として、またクレー芸術を理解するテキストにもなるように選ばれている。
プロセス、として「写して/塗って/写して」「切って/回して/貼って」「切って/分けて/貼って」「おもて/うら/おもて」とそれぞれの作品が分けられている。
そこへ行く前に「自画像」と「現在/進行形」があり、「プロセス」が長く続き、最後に「過去/進行形」がある。
能の「序破急」を思わせる構成かもしれない。
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自画像として1919年の作品が集められていた。
怪獣にしか見えないもの、ポーズをとるものなどがある。
そこから展覧会が始まっている。

ところどころにクレーの写真がある。恣意的なものではなく綿密な計算に則っての撮影。それらを見て行くことで(たぶん)クレー芸術を理解する手助けにもなる(かもしれない)。

日本語訳されたタイトルを見るだけでときめく作品が集まっているのが「現在/進行形 アトリエの中の作品たち」。
庭園建築のプラン、隠者になった子ども、赤い旗のある建築、破壊された村・・・
わたしはその空間を歩く。

タイトルが「庭園建築のプラン」であっても、設計図ではない絵画。
「赤い旗のある建築」は縦の楕円形に収められた風景でもある。
「破壊された村」の色彩構成は少しシャガールを思った。
「花ひらく木」を見ているとキルティングがしたくなってくる。
またヴィンタートゥーア美術館に所蔵される「花ひらいて」の裏に描かれた、タイトルを持たない「無題」(それこそがタイトルなのか)は、胃の中で針金の魚が泳ぐような光景に見えた。
「公園の池」は記号化されたヒト・池・木々などで構成されているが、それは縄文時代の日本からみつかった「古代絵文字」のように見えた。
「獣たちが出会う」ヤマネコ?ゾウ?よくわからない。
いま「わからない」と書いたが、そもそも「わかる」ことに意味があるのだろうか・・・。

油彩転写の作品群を見て歩く。
(展示のために設置された)壁には1と数字がついている。

船の凶星のための素描  六芒星の真ん中に少しマークが入っていて、それが凶星らしい。その星の下には多くの船が集まっている。
矢 アフリカン・アートのような矢。
綱渡り師 これは好きだと思った。

それにしてもなんと多くの画家たちがパウル・クレーの影響下にあるのだろうか!
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2として「切断・再構築」の作品が現われる。
クレーは間違いなく芸術の錬金術師だった。
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蒸気船が植物園のそばを通り過ぎる  言葉通りではない世界がそこにある。
少しずつ自分が何を見ているのかがわからなくなってくる。

カイルアンの眺め。カイルアン、門の前で。 二つの作品を眺めるとなんとなく心が安らぐのも確かだった。それはきっと水彩だからだと思う。
これらは<3切断・分離の作品>の範疇にある。
カイルアン、門の前で なにがいるのか。ラクダかクジャクのように見える何かがいる。
連続性を持たない画面。
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黒地にいろんな色を切り貼りした「人口庭園」がある。
どうしてそのタイトルなのかはわたしにはわからない。
しかし技法はとても好きで、タイトルそのものも好きなのだった。
それはたぶん「人口庭園の秩序」礒田光一の文芸評論を思い出しているからかもしれないが。この黒地にぺたぺたといろんな色を貼る、というのは自分でもしてみたくなる。

別れを告げて  照る照る坊主のような顔つきの墨絵風な。数年前の展覧会で初めて見たときも今も、同じ感慨が湧き起こっている。
どういうわけかこの絵を見ると映画「M・A・S・H」の挿入歌がアタマに流れ出す。
朝鮮戦争時代までに生まれていた変な歌。そのタイトルのわからない歌の中にこんな歌詞があった。
“・・・say good-bye”
日本人の女の歌手が歌っているらしいが、妙に気だるくベタなアクセントで、しかもメロディラインはなにやら琉球サウンド風でもある。
しかしどこかせつない。
そのせつなさがこの「別れを告げて」いる照る照る坊主に漂っている。
そんな勝手なことを私は感じている。
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クレーの子どもの肖像を見るのも前の展覧会以来。
純粋に可愛い、と思う。
わたしはきっとクレーの絵画世界から本当は遠く離れて生きているのだと思う。

考え込んで クレーの晩年の一枚。この目つき、トミー・ウンゲラーの人物を思い出す。彼もクレーの影響下にあったのだろうか。
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多くのクレー絵画を見て歩いた。リストと絵の照合にちょっと手間取ったりしながら。
これだけ多くのクレー絵画を見て歩いて、自分もまたクレーの色彩に染まるかと思えばそうでもなく、やはりわたしはひとりでそこにいた。
深い疎外感を隠したまま会場を出る。他の人はきっとクレーの絵を見て楽しいキモチになったろう、と思いながら。
京都展は5/15まで。
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知と美の集大成 関西大学所蔵名品展

伊丹市立美術館で開催中の関西大学所蔵名品展は楽しい展覧会だった。
関大には今や博物館があるが、外部展示はなかなか表に出ない作品が列んだりするので、それが面白い。
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例えば北野恒富の美人画などはチラシではこうしてスゥッと立ち姿を見せているが、博物館の展示でな未だお目にかかることもない。
また'94年の大丸心斎橋での展覧会にはこの妖艶な美人ではなく、様式的な桃山美人が出ていたが、今回はお目見えせず、残念だったが。

関西大学は大阪大学とは違う方向で様々なコレクションを続けている。
とはいえ共通するものも少なくはない。
木村蒹葭堂の資料などが出てくるあたり、やはり関西の私学の雄だと思いもする。
チラシにある木村蒹葭堂「花蝶之図」も綺麗な絵だし、上田秋成から木村蒹葭堂への手紙の草稿なども面白い。秋成のサインは「無腸(=カニ)」だが、これは昨秋の秋成展で色々見たことを思い出す。

耳長斎(にちょうさい)の戯画絵巻「別世界巻」が出ていたのは嬉しい。
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だいぶ前にこの伊丹市立美術館で耳長斎の展覧会があったとき大ウケしたが、あの展覧会は好評すぎて、図録が早々に売り切れ、その後再販もないので、全く残念だと今も思っている。
だからここで耳長斎の作品に出会うと嬉しい。
鬼がヒトをキセルにして一服している図が出ているが、大抵がこんな感じのもので、バルテュスもびっくりな「ヒトを楽器にして演奏する」鬼とか遣り手婆な鬼とヒトの金箸などが続く。タイトルはそれぞれ「●●の地獄」とついている。
中にはちょっとサディスティックすぎるものもあるようで「おやまの地獄」は見せてもらえなかったが、なんとなく想像がつく(だからこそ、いっそう見たいのだが!)。

中井藍江(なかい・らんこう)は初めて知る絵師だが、その「槙檜群鹿図」は面白かった。
鹿というより馬にしか見えない鹿たちが群れている図。馬な鹿のいる図。ふふふ。

関大の誇るべきコレクションの一つに、菅楯彦作品群がある。
菅楯彦の作品を多く所蔵しているのはさすが関西大学だと嬉しくなる。
チラシの「ゾウ使い図」は何百年か前のゾウ使いの姿を描いたものだが、どこか軽妙な楽しさがある。
ゾウさんも大きな牙を見せつつも、おとなしそうなツラツキである。
今回はほかに「職業婦人繪巻」が学外に初めて出ていた。
こちらは'09年に関大博物館で見ている。
そのときの感想はこちら
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洒脱さがステキな菅楯彦。もっともっと再評価されていい画家。

他に美術館併設の俳句博物館「柿衛文庫」では所蔵名品展も開催している。
宗因賛・西鶴画 花見西行偃息図  肘を立てて寝転ぶ西行。ほのぼのしている。
頼山陽 遊箕面七絶  箕面に遊んだ感想を詩歌に。
地元伊丹の酒造を描いた蔀関月の絵など、楽しいものが多く出ている。

展覧会は3/27まで。
なお関大博物館での展覧会は無料なので、これを機にもっと世に知られれば、と思う。

大和文華館の中国・朝鮮美術

大和文華館の開館50周年記念名品展として今度は「中国・朝鮮美術」展が3/27まで開催されている。
東アジアに属する日本にとって中国・朝鮮は文化の先輩に当たる。
出藍の誉れという言葉もあるが、基の中国、朝鮮の古美術はやはり美しく、眺めるうちにすっかり心奪われてしまうばかりだった。
嘆美主義の初代館長・矢代幸雄の美意識にそぐう美麗な絵画・工芸品の数々を集めた上に、更に新しく呼び寄せられた名品達、その饗宴を楽しまずしてなんとするか。
様々な梅が咲く庭園を眺めながら美術館へ向かった。
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最初にいかにも北魏らしい白い石造が出てくる。
・石造浮彫飛天像 龍門出土  車の上の飛天?削れたり崩れたりしてても福耳がはっきりしていて、残欠部分はきれい。
・石造二佛並坐像  多宝と釈迦の2ショット。裏に悉陀太子と車匿童子の別れの場が刻まれている。
・石造四面佛 北魏?隋まで流行した形式ということで、上部へゆくにつれ細くなる。
そしてその頂点には山型のギザギザ飾りがついているのが可愛い。
玄関灯にこんなのを見かけることもある。見ようによってはゴシック風。
ちなみに刻まれた佛たちは笑っているのだった・・・

次に唐代の工芸品。
・白銅海獣葡萄鏡  白銅がきらめく。海馬が刻まれているのが西アジアらしい、と解説にあるが、西アジアを越えて更に西のギリシャ神話を思いもする。
海の泡から生まれ出るのは美神だけではないのだ。
・銅製貼銀鎏金双鳳狻猊文八稜鏡  サンゲイ、と読む。獅子のことらしい。瑞花が青光りして螺鈿のようなきらめきを見せている。
・銀製忍冬双鳳文輪花合子  スイカズラと言うのは本当はここに彫られた花とは違うものらしいが、工芸品にはだいたいそのスイカズラが定番なのだった。
アカンサスがギリシャで柱頭装飾になるのと同じようなお約束。
・三彩立女  唐代のふっくら美人。頬にはその頃の流行していた花鈿の化粧をしている。可愛い。以前の大和文華館案内リーフレットにはこの美人がにっこりしていた。

北宋?清朝とりどり。
・白地黒花鯰文枕  ナマズが二匹にんまりしながら泳いでいる、そんな枕。顔つきはビッグコミック誌のキャラみたいな感じ。
それにしてもナマズ柄の枕って一体どんな夢を見せてくれるのだろう・・・
・赤絵仙姑文壷  いろんなシーンでの美人たち。西王母を描いたのは桃と猿のいる図らしい。以前も見ているが、なんとなくこういう絵柄が取り巻く壷は楽しい。
因みに以前みたときの感想をこちらに挙げている。
・青花双魚文大皿  丸々した魚二匹。明代の青花(染付)は色も絵柄もとても好ましい。
・五彩花鳥文小壷  小さくて丸くて愛らしい。昔はチマチマしてるように思ったが、近年は五彩の小さい壷や小皿が大好きになった。
・黄地紫彩花卉人物文尊式瓶  黄土色の地に様々な人物がカラフル?に。
・五彩花鳥文大鉢 ナポレオン三世の皇后ユージェニーの所蔵品だったそうだ。見込みに鳥たちが派手派手しく飛び交っている。清朝らしい絵柄。

可愛いもの・面白いものが集まっている。
まず桃とリンゴが並んでいる。
・桃花紅合子  綺麗な色。
・蘋果緑盃  青リンゴの色。可愛い。
どちらも手の内で可愛がりたいような小さな器たち。
やがて打って変わって「面白いもの」が現われる。
・堆黒屈輪大盆  ぐりぐり。60cmの大きい盆にやや大きめのグリグリなのでじっと見てるとこちらの目もぐりぐりぐらぐらぐるぐる・・・
技法として面白いのはこの二点。  
・鎗金鳳凰唐草文稜花合子
・存星竜鳳文角繋合子  菱形の合子がつながっているのが可愛い。この技法はたくさん見ると飽きるが一つ二つ見るのは楽しい。

わたしの大好きな清水裂が出ている。
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今回は真ん中の猿と地をゆく鹿に注目した。猿は片足を梅においている、鹿は花喰いの様相を見せている。
何度も見ているが視点を変えると新しい楽しみを見つけ出せるのだった。

中国絵画を見る。
・文姫帰漢図  以前も見たが、今回は別れの場面が開かれていた。
漢民族と異民族とのはざまに生まれた悲しい物語は、いつまでも心に残る。
・萱草遊狗図/蜀葵遊猫図 伝毛益 南宋  sun310.jpg
今回初めて知ったが、右側の母猫と左側の格闘組の真ん中に消えつつある茶虎がおるのだった。
麝香猫ファミリー、子猫は四匹らしいが、目立つのはやはり噛み合うわるい奴らばかりだった。
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萱草のわんころたちのそばには百合の花が咲き、バッタとメンチ切り合うわんこもいた。
・竹燕図 馬遠  留まる二羽、飛んでくる一羽。可愛い燕たち。ちゃんと紺・赤・白の三色で出来ている。ツバメというものは中国では特に歌にも多く歌われ、望郷の念を掻き立てる存在のようなものかもしれない。
・秋塘図 伝趙令穣 北宋  チラシ。今回初めてここに二種類の鳥が描かれていることを知った。空を舞う鳥たち、塘の水鳥たち。柳は妙に疲れて見え、対岸の木々には靄がかかっている。秋の豊穣さはここにはない。
・雪中帰牧図 李迪 南宋  トットットッと歩くウシが可愛い。牛歩とは言うがこの牛は割りに足取りも軽やかで、頭に音符でもつけていそうだ。しかしその頭上には騎乗のヒトが手に入れたキジらしき獲物がぶらさがっているのだが。

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朝鮮の美術を眺める。
その中でも古新羅の装飾品などを見ると、繊細な作りで魅力的だと思う。実際に使うかどうかは別としても、やはり綺麗だ。

高麗時代のやきものには偏愛するものが多い。
ここでも優雅なものをいくつも見た。
・青磁九竜浄瓶  きっと九龍には意味があるのだろうが、わたしは知らない。日本神話にはヤマタノオロチという八つ頭のオロチが出てくるが、ヤツラは龍ではない。
ちょっと造形的にはうるさい瓶。
基本的に高麗青磁を酷愛しているが、特に青磁象嵌がたまらなく好ましい。
・青磁鉄絵孔雀牡丹文梅瓶
・青磁象嵌蓮池三魚文扁壷
・青磁象嵌辰砂雲鶴文合子
これらを賞玩したい欲望に駆られている・・・・・・・

・銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶  まるで闇に浮かぶように見えた。銀象嵌というのは暗い魅力があるものだ、と思った。人の知らない時間に遊ぶ水禽たちを見たような気がする。 
・螺鈿葡萄文衣裳箱  以前から好きな箱。葡萄の表現がいい。実と細い茎と。
・螺鈿菊唐草文小箱  チラシ右下。新収品。高麗末~朝鮮時代初期に作られた一品。
繊細で精緻な造りをみせている。文句を言わない連続パターン。可愛いのだが、多少の苛立ちを感じてしまう。それはきっと日本の桃山時代の南蛮ものと同じようなパターニングだからかもしれない。

朝鮮の絵画を見る。
・楊柳観音図  高麗時代後期だが朱色はよく残っていると思う。この絵も以前から好きなもので、観音の足元にいる赤ん坊(善財童子)やハスの花が愛しい、といつも思う。
・葡萄図 李継祜  墨の濃淡で葡萄の色分けをしているのだが、葡萄の旨味まで表現されているのがすばらしい。黒色と薄灰色の葡萄。そっと口に入れてしまいたくなる。

80点近くの楽しみに加え、庭園の数ある梅たち、寒咲きアヤメらの出迎えもあって、本当に楽しく過ごせた。
ありがとう、大和文華館。

生誕250年 酒井抱一 琳派の華

先日発生した東北・関東大震災に被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
まだまだ予断を許さぬ状況の中で、大変な思いでお過ごしのことかと思われます。
また計画停電などで様々なご不便を忍んでおられる皆様も多い中、「自分の見た展覧会の感想文をあげる」ということに対し、わたくし自身がやはり忸怩たる思いを抱え、様々な葛藤に悩んでまいりました。
しかしながら、わたくし自身の過去の経験を省みまして、やはり「書きたいことを書こう」「もしかすると読んでくださった方がこの駄文で少しばかりは明るい心持ちになられるかもしれない」、そのように思い至りました。

今を去る16年前の阪神淡路大震災の折、わたくしの住まう大阪北部の市は府下唯一の被災地となり、亡くなられた方もおられました。
実際、わが家の道路を挟んだお向かいのおうちでは奥様が一時生き埋めになり、すんでのところで救助されるということもございました。
ニュータウン住まいの友人たちの中にも、震災を機に思いがけない転身を余儀なくされた人もいました。
震災の折、わたくし自身も大量の本に埋もれてしまい、そのとき一瞬ですが、人生も何もどうでもよくなってしまいましたが、不意に「今週のスラムダンクまだ読んでない」ということに気づき、それでわけのわからない棚の下から這い出ることができました。
自分の見たいもの・見るべきものがまだこの世にある以上、生き続けなくてはならない。
そのとき強烈に実感いたしました。

こんなときに不謹慎な奴だ、と思われる方もおいでかもしれません。
けれどこれが偽りのない、わたくしの真情です。
苦しいときだからこそ、少しでも「見たいものを見る」、それがわたくしの活きる力そのものなのです。
皆様もどうか少しでも明るいお心持ちになられるよう、心から祈願してやみません。

遊行七恵 拝


日本のアールヌーヴォー 版画、ポスター、挿し絵を中心に

堺市立文化館は与謝野晶子の資料室とミュシャ・ミュージアムとを有しているが、他にギャラリーがある。
3/15までそこで堺市所蔵美術作品展が開催されている。
12回目の今回は「日本のアールヌーヴォー 版画、ポスター、挿し絵を中心に」という副題のもと、美麗な作品がギャラリー全室を彩っている。
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初めに本家フランスのアールヌーヴォーのポスターなどが現れる。
ジュール・シェレ、ウジェーヌ・グラッセ、テオフィル・スタンラン、そしてミュシャといった豪華な作家たちの作品である。

ミュシャの描く女の横顔、それを飾る宝飾品の美麗さ、シェレの踊る女の紅潮した頬の明るさ、スタンランの黒猫と三毛猫のともだち・・・
見慣れたポスターもこうしたタイトルの下に集うと、新しい喜びを見いだせる。

グラッセの作品はブリヂストン所蔵の「毒殺魔」とか硫酸を人にかけようとする怖い女などの絵ばかり見ているので、ここにあるインクのポスターやカレンダーの優雅な赤毛女の絵は新鮮だった。
ハープを支えに物憂げな横顔を見せる赤毛女、その構図だけでもロマンティックだった。
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ロートレック「ディヴァン・ジャポネ」、ボナール「ルヴュ・ブランシュ」、好きな作品はここにもある。

チャールズ・ウッドベリー 1894年の文芸誌「センチュリー・マガジン」表紙絵には小田原提灯と岐阜提灯が描かれていた。長いのと丸いのとが遠近法も楽しく描かれているのはジャポニズムからか。
クリムトのパラス・アテナが見守る中でミノタウロスと戦う王子。
この絵も好きな一枚。

さていよいよ日本のアールヌーヴォーの登場である。
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藤島武二、橋口五葉、浅井忠、この三者が最初にして最大の作家たちだと言うのは間違いないように思う。
武二は「明星」「みだれ髪」の表紙や明治半ばに爆発的ブームを迎えた絵はがきの製作の立役者として、アールヌーヴォー風な絵を世に送り続けた。
展示されている絵はがきなどを見ると、それだけで嬉しくなる。

たとえば与謝野晶子「小扇」装丁。女の目元とその下を覆う黒い扇。目だけ描くと、こんなにも官能的になる、という見本のような絵。艶かしい目。
同じく晶子の「毒草」の邪悪な笑いを浮かべる女の顔なども武二。
本絵にも、明治の浪漫主義がキラキラする、とても美麗な作品が多く、海景や山を描いたものより、ずっとずっと魅力的だと思う。

五葉の日本郵船ポスターを始めとした明治大正の美人たち。創作版画でのすっきりした美人たちとは異なる、カラフルな美人たちからは意外なくらい強い生命力を感じもする。
そしてここには彼のもう一本の柱、装丁の仕事も出ていた。
「吾輩は猫である」前中後編装丁を改めて眺めると、手の込んだ仕事をしているのを知る。
絵自体もシニカルなユーモアがあり、そこがとても面白い。

杉浦非水と中澤弘光のコラボ作品に「みだれ髪」カルタがあった。
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中澤は「みだれ髪」を熱愛し、暗誦するほどのファンだったそうで、そのカルタが出ていた。
これは以前神保町の古書会館で「中澤弘光展」があった時に見たことがある。
帰宅後本を出すと、出てきた出てきた・・・

北野恒富、岡田三郎助の美人画も多く並び、なんという豊饒さだろうと改めて、このコレクションに感心した。
まだ恒富の作品に触れる前、最初にそうと知らず遭ってときめいたのは、高島屋やクラブコスメのポスターだった。
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艶かしさと清楚さとが同居した、こんな愛らしいのにみつめられては・・・。

近年高島屋史料館の外に出ては人々を惑わすようになったのが、三郎助の「支那絹の前」。これらが並んだ壁は、それだけで暗い輝きを放っている。
こんな絵が見ていたくて、わたしはあちこちをさまよっているのだ。

しはらくして予想外な絵を見た。
清方が晶子「黒髪」を描いていた。晶子の自筆短歌と清方の色紙。ステキな作品である。
まるでアメノウズメのような黒髪の女がいる。足元にはタンポポが咲く。
大正六年の作。清方には珍しくふっくらした女が髪を梳る立ち姿。
大正年間はふっくらした女が流行ったそうだが(六代目菊五郎の女形がウケたのもそこに理由がある)、そうなるとこれは古代の女ではなく、大正リアルタイムの女ということかもしれない。

実に多くの「日本のアールヌーヴォー」近代日本画、日本洋画の美人たちを見た。
とても楽しい企画だった。図録がないのがまことに惜しい。
一方別室では新収蔵品の展示もあった。少しばかり紹介する。

成園 夕涼み  団七格子の浴衣を着た女が洗い髪を風に流している。白い腕、白い顔。純粋に綺麗な女の立ち姿がそこにある。
チラシ左端にいる女。真ん中の五葉美人、右端のミュシャ美人と並んで遜色のない美人。

中村貞以 婦人像sun304-1.jpg
兵庫髷の女が桔梗を手にする。伏目がちの端正な女。着物の色も上品で、貞以が好んだ品の良さが全身から漂っている。

戦前の大阪では女流画家に勢いがあった。ここに出ている島成園だけでなく、木谷千種とその弟子たちもどんどん作品展を開いていたそうだが、今では本当にそれらは日の目も見なくなってしまった。
これからも堺や池田市や芦屋が、昔の大阪画壇の栄光をなんとか世に広めてくれることを願いたい。
展覧会は3/15までJR堺市駅の堺市立文化館ギャラリー。無料なのが嬉しい。

幕末大坂の絵師 森一鳳

大阪歴史博物館の特集展示「幕末大坂の絵師森一鳳」を見た。
「猿の狙仙」、応挙の高弟・徹山、そして一鳳と続く森派の系譜。
その一鳳の作品が集められていた。
京都画壇は今も活きるが、大坂画壇は戦前までの繁栄を、今に伝えることが出来なかった。

かれは藻刈船の絵で有名だった。
「藻を刈る一鳳」もぉかるいっぽう?儲かる一方、という言葉遊びから来ている。
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商都大阪では商売の縁起物が愛された。
言葉遊びにも秀でているから、この一鳳の藻刈船の絵は大いに愛された。
町人階級だけでなく、細川家のお抱え絵師にもなり、幕末の京都御所再建の折には襖絵を描いてもいる。
明治の初め頃に亡くなっているが、晩年まで多くの作品を生んでいる。

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チラシ右の孔雀は自分が止まる白梅の花をみつめ、左の白鸚鵡は絵を見る人に向かって笑いかけているように、見える。
どちらも愛嬌のある鳥たちだった。

幕末に生きた絵師だけに面白い風俗画があった。
御符図  慶応三年の作。この頃やたらと御符が天空から舞い舞いする、という事件があった。大抵はお伊勢さんのお札などである。
「ええぢゃないか」が流行るような混乱の世相の中、このお伊勢さんの御符図は実際に一鳳が見たものかもしれないし、単に流行ものを描いたものかもしれないが、面白い。

美人図  花魁の立ち姿。笹紅を下唇に塗りつけたおとなしそうな美人。どこの花魁かはわたしにはわからない。

瀧見観音図  立膝をした白衣観音さんが香を薫じながら瀧を見上げる。座布団代わりの藁はほわほわしている。横姿というよりちょっと背後も見えるような構図は、瀧見李白に多いのではなかろうか。
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猿図  猿のソセン(祖先ではなく狙仙)をセンゾに持つ(ただし養祖父)一鳳だけに、可愛い猿を描いていた。目、耳、口を塞ぎ、正面向きの体を丸める猿。三猿をいっぺんに演じている。一人三役でエンずる猿。なかなかこんなのは見ない。

他にもどうぶつ画がある。
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鹿に若松図と白狐図。どちらも体つきのしっかりしたやつらである。
この画像の配置だと鹿がキツネをみつめるような感じがするが、無関係な二者である。
とはいえ鹿は何を見るのか。
そして仄かな暗さの中に佇む白キツネは何を思うのか。

月次ものがある。連作なのか偶然なのかはわからない。説明はなかった。しかし並べ方を見ると、連作物のようにも思われる。
若松山図、立雛図、香魚図、水郷一軒家図、満月図、雪中泊船図・・・
他にも風景画を集めた帖が出ていた。
浪華勝概帖と題されたもので、これは一鳳だけでなく他の絵師も描いたものを集めた帖。
天保山、住吉さん、夏祭、野田藤などなど・・・
幕末の浪花を楽しめる帖だった。

こうした機会をどんどん作って、忘れられた大坂の絵師たちを顕彰し、展覧会を続けていってほしい。
4/4まで。

春を呼ぶお水取り

ここ数年必ず見学に行く東大寺二月堂のお水取り。
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最初に見たときは二月堂の真下の竹矢倉組んでるところ、つまり最前列のかぶりつきでしたな。
終了後には世話役のおじさんから杉の燃えさしもろたりした。
いい匂いでしたわ?

翌年からはだんだんと後ろに下がりだし、近年は第二駐車場から遠望するというパターンになっておりましたわ。
それでまた大抵わけのわからん遠回りをするから、西大門の巨大な提灯をジーッと見ながらヒトケのない道を延々と歩いたり。
あの提灯の巨大さを実感するのに10分くらいかけて歩くわけさ。

今年はちょっと考えてバスで手貝町まで乗り、戻って曲がって道を上がることにしたところ、まっすぐ二月堂に着きましたがな。
6時過ぎでまだこんなけ上がれたのにビックリ。そりゃ大混雑してはいるけどね。

アナウンスが入り色んな注意を語りかける。
ストロボ焚くなとか掏摸に気をつけてとかこれは宗教行事だから終わった後に拍手すなとか。
このお水取りは天平時代から絶えることなく続く行事で、世界平和とこの国の安泰を願って云々。

全くその通りやん、意味も知らんと花火見に来るような気でいたらあかんのよ、観客全員。自戒するよ。
ソヤソヤ、拍手で思い出した。
亡くなった尾上梅幸の本のタイトルは「拍手は幕が下りてから」だった。

良弁杉の横に立ち位置確定。まだ練行衆の通る前の回廊も写しておこう。
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昨夏、なんにもない時間帯に、この二月堂の回廊をとおり、舞台に上がって奈良を一望したときの気持ちよさが甦ってくる。
青い夜空に杉がそびえる。SH3B03590001.jpg


回廊が大変近いのでお松明がよく見える。本物が上る前の時間ですよなミニ松明もハッキリと。
やがて鐘が鳴り出した。いつもこの瞬間ドキドキする。午後七時。
期待と不安が渦巻く感じ。

一本目来た。回廊を上る上る・・・舞台に上がったお松明の立派さ!
端に掛けてぐるぐる回す。火の粉が舞い散る・・・!
と、その時とんでもないことが!
いきなりボタッとお松明のアタマが、火の塊が、そのまま真下に落ちたのだ!
ウワッなんということでしょう!
ビックリしたわ!
隣にいた奥さんたちもビックリして「こんなん初めて見たわ」と言うてはりましたな。
ううむ、一本目のお松明がボタッと落下するなんて、この国の安泰どころか暗澹たるものを感じましたな、(政権末期の悪あがきてやつかな)アンタイでなくアンタンか、アンタ、イイこと言わんねぇ。

その後はもぉ大丈夫でした。罪の穢れも火で祓われた気がした。
あとは歓喜ばかりが身にも心にも広がる。

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あんまりうまく撮れないけどまあご愛嬌ということで。
火の粉が素晴らしく散って綺麗かった?ときめきましたわ。

ああ春が近づくのを実感する。
あとはお彼岸、センバツが来れば本当に春やわ。
いいキモチで奈良を後にした。

警視庁カメラマンが撮った昭和モダンの情景 石川光陽写真展

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室では「警視庁カメラマンが撮った昭和モダンの情景 石川光陽写真展」が開かれている。
昭和モダン、と聞くだけで心浮き立つわたしだが、この展覧会もその期待に十二分に応えてくれる内容だった。
サイトには石川光陽と言う人をこう紹介している。
「カメラマンの腕を見込まれて昭和2年に警視庁に入庁、交番勤務一日のみの特別待遇を受けました。“空襲カメラマン”と称される光陽は、戦時中、警視総監の特命で、東京大空襲の惨状を撮影し、戦後、GHQからフィルムの提出を求められますが、自宅の庭に埋めて拒絶し、当時の貴重な資料を命がけで日本に残しました。」
ホネのある人だ。
しかしそればかりではなく、旧い東京風景を肌理濃やかに写し取ってもいる。
作品は九段の昭和館の所蔵。石川は九段で写真の修行をしたから、その作品がそこにあるのにも、なにかしらゆかりを感じる。
九段の辺りにはまだ「昭和モダン」と、それ以前のレトロな魅力を感じる建物がいくつも残されている。

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昭和十年の東京駅。ドームが活きている。丸の内口。市電、自転車、少ない人通り、ソフト帽の男性たち・・・戦前の、薄い不吉さと穏やかな日々とが、仄かに漂う情景。
数年後の東京駅は、この写真と同じドームを冠せられる、らしい。

ボンネットバスの「乗合自動車」がある。昭和九年の夏、バス車掌の女の人が昔のバス車掌には必携の大きなガマ口バッグを腰の辺りに提げている。
押上?浅草?上野を走るバス。今だとパンダ模様のバスがスカイツリー?浅草?上野を走っているから、同じルートの先達なのだ。
背景の店舗の看板などはローマ字なども見える。敗戦後のオキュパイド・ジャパン時代ではなく、大日本帝國の東京府の看板。

円タクという言葉を知ったのは子供の頃に見た清酒・松竹梅のCMから。石原裕次郎が着流し姿で歩いていてそこへ「昭和初期、一円ブームがあった。どこまで乗っても東京市内は一円で走る円タク、全集本も一円・・・」というようなナレーションが入るのだ。
それで円タクを知った。
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この円タクはとてもステキなクルマだった。クラシックカーの魅力にときめいて苦しくなる。わたしは今の車は別に欲しくないが、こんなクラシックカーなら欲しい、とよく思うのだった。

近代版画で馴染み深い日本橋。昭和初期の日本橋の美貌。左手奥に西川の布団屋さん。
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日本橋の装飾の鋳造は津田信夫。昨夏佐倉市美術館で見た工芸家の作。見事だったな。

石川の写真は当然ながらモノクロだが、色の濃淡の綺麗なところはまるで墨絵のように見えた。モダンさと情緒とが同時に活きている。

昭和11年の二月はよくよく雪が降ったらしい。
昭和11年立春の浅草六区。映画館が並ぶ街に降り続く雪。タイポグラフィがとても魅力的。
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同じ月の26日にあの事件が起こる。そしてその翌日27日に石川が写した一枚。
これまでこんな写真、見たこともなかった。
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かなりショックを受けた。話に聞いたり資料を見てきたが、こういうアングルのものは初見。この写真撮影は石川も緊張していたそうで、気づかれぬように撮影するのも怖かったろうと思う。

最後に出てきた写真は昭和34年の東京タワーの上からのショット。「空から日本を見れば」の大先達というところ。(そういえば先日の放送でスカイツリーの真上からの映像はかなりびっくりした)

展覧会には他にその当時の駅弁の包装紙や絵はがきなど色々と興味深いものが展示されていた。
こんな面白い展覧会が無料だというのも嬉しい。
3/21まで。

琳派芸術 第二部 転生する美の世界

出光美術館の「琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派」の第二部を楽しんだ。
「転生する美の世界」とはまことに巧い副題だと思う。
第一部の「煌く金の世界」は本当にきらきらした金屏風が集まり、その豪奢さに圧倒され、朗らかな喜びに包まれた。
そのことについてはこちらに詳述している。
今回は江戸琳派を中心にした世界が広がる。

私淑する。抱一は光琳に私淑する。
私淑する、という言葉の意味を考える。
「直接教えを受けることの出来ない作家などを自分の先生として尊敬し、その言動にならって修養すること。」
そのようにわたしの手元の辞書にはある。

酒井抱一は尾形光琳に<私淑>した。
<琳派>の正当な後継者だと宣言するようなことはしなかったろうが、先達の顕彰これに努めた。
光琳の没後百年に際し、光琳の展覧会を開催したことを思うと、こちらの胸まで高まる。
なんという適材適所だろう、彼がそれを行うことは必定だったに違いない。
殿様の弟だからというても、誰もが抱一のように芸術性豊かな人とは限らない。
芸術家であり、パトロンでもある彼が「殿様の弟」だということが、幸いだったと思う。

見せてもらった作品たちのことについて、少しばかり書こうと思う。
(前フリと本文との微妙なミゾについては気にしてはいけない)

会場では最初に「琳派の系譜」として其一の三十六歌仙図が現われる。
これは明快でカラフルな三十六歌仙が一堂に会した構図だが、いつも引きこもりの斎宮女御を探すような人もいて、彼の前が丁度一人分空けられているのはご愛嬌か。
モシモシ、斎宮女御はやっぱり几帳の中に隠れてはりますよ・・・そう教えたくなる。
掛軸の天地は流水に扇面。こちらの色調も明快でカラフルなのだが・・・なんとこれ、描表装だった。中廻しは連続パターンなのだが、これも描いたそうな。びっくりな一点。

風神雷神図屏風 抱一  この風神雷神を見る前に畠山記念館でも抱一の風神雷神を見てきたところだが、あちらが「ファイトー」「イッパーツ」な二人組だとすれば、こちらは「いくよ?」「OK?」な温泉卓球風な二人組である。
足の爪は鋭いが、丸い眼球に粒のような黒目が可愛い。どちらも口を開けているので阿吽にはならぬが、金歯を自慢しあっているようにも見えた。

宗達 歌仙図色紙(大伴家持) 光悦風な和歌色紙が隣にあるのを家持くんが見ている、ような構成なのは元は別なものを集めての貼り付けものだからだそうだ。
それでイヤシなわたしは和歌の始めの「いもや」という三文字に反応している。

宗達の物語絵がいくつか出ていた。
まず西行物語。
一巻でよかったのは襖絵に描かれているシカの絵。それで西行物語の流れを無視して絵を見ていると、色々と妄想が湧き出してくるのだ。貴人が身分の下の士を・・・などなど。
四巻は萩が生い茂った屋根の下での対話シーン。シカたちがびょーんと飛んでいる。
(少し離れた先に展示されている)二巻は、例の「願はくば花の下にて春死なん」・・・寝そべってはりますわ、西行さん。

続いて源氏絵であるが、「葵」で源氏が、碁盤に立たせた幼い紫の上の髪をチョキチョキするシーンを見ていて、個人的に気持ち悪くなってきた。
絵が悪いのではなく、光源氏という男が気持ち悪くなったのである。
普段は何も思わなかったが、この絵を見て、いよいよ光源氏がきもちわるくて仕方ないのだった。

伊勢は「武蔵野」「若草」の色紙と色んなエピソードを詰め込んだ屏風(ただし伝・宗達作品)など。
どうもわたしにモノノアハレが足りぬのか、コイゴコロと無縁なのが原因かわからぬが、伊勢も源氏もあまり好みではなかった。

屏風展示のためのスペースへ降りる。そこには抱一の八橋図屏風が出ていた。
このスペースはまことに素敵な空間だと思う。
奥から手摺越しに眺めるのもいいし、短い階段を降りて間近で眺めるのもよく、長いすに座ってぼんやり眺めるのもわるくない。
遠目から見れば、そこに池があり、小さい木の橋が架かっていて、水辺に紺色の花菖蒲が咲き乱れる様子を亭の窓からのぞく心持ちにもなろうし、間近で見れば自分もこの板橋のどこかに立っているような気にもなる。
今回は、その板橋を支える橋梁(というほど立派でもないが)の木組みに目がいった。
背景が金屏風のこの絵の中で、X型に造形された縛り紐もやはり金色乃至同色なのが、目に残った。何度かこの絵を見ていたが、それまでは花ショウブの紺色と葉の緑にばかり気を取られていて、気づきもしなかった。地の色と溶け合っている。
背景とその縛り紐とが直結した、そんな錯覚が生まれている。

いよいよ銀屏風の世界である。
銀はブームがあったらしい。与謝蕪村、山本梅逸も銀屏風を用いたそうだ。
梅逸の絵は頴川美術館で色々と見てきたが、背景を埋め尽くすほどの花々や小禽にばかり見蕩れて、銀屏風なのかどうかをこれまで気にしてこなかった。
そして今、抱一の銀屏風は夜の比喩だと見做していいのだろうか。

金は太陽、銀は月を示す。
それは大和絵だけの約束ではなく、遠くインカ帝国などでも変わらない。
抱一の夜は黒ではなく銀だった。
銀屏風に開く紅白の梅。
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梅は花の形だけでなく香り、幹・枝振り、と見所の多い存在である。
金時人参を思わせる紅色の梅と、香りの深そうな白梅と。
ほかに何の絵も描かれていないことで、紅白の梅木がいよいよ華麗に・可憐に咲き誇る。

どちらかと言えば白梅が愛でられているようにも見える。
「夜の梅」という羊羹は闇に浮かぶ白梅をイメージして作られたが、確かにこの白梅にも同じ魅力がある。背景の色が違っていても。
しかし紅梅にもまた異なる魅力がある。
金属音が響くような空間に、この紅梅は咲いているのだった。
銀の工芸品を中国の銀の産地に因んで「南繚」とも呼んだりするが、この銀には確かにそんな風情があった。

裏表で見せる魅力が異なるのは、なにも特殊な事象ではない。
抱一上人の雛屏風は、表の金屏風に四季花鳥図が描かれ、裏は銀屏風に波濤図が広がっている。
雛屏風だけにサイズは決して大きくはない。
愛らしい小さな空間にびっしりと、四季折々の植物と生物が活きている。
紫陽花、芙蓉、芥子、花菖蒲、撫子、蒲公英。
スミレほど小さき人に生まれたし  漱石にそう読まれたスミレも咲いている。
夏から秋にかけては朝顔、桔梗、白菊などが咲き、小禽が川の青い流れを眺めている。
そして裏の銀屏風の波濤は抽象的な表現にも思える一方で、「銀の波」という言葉が視覚化されたようにも思えるのだった。
琳派の作品ではなく、平安時代の法華経が書かれた扇面の下絵のようにも見えた。

其一の秋草図屏風が二枚出ていた。
絹本の方は金砂子を撒いて優しい空間に仕立て上げている。☆型の桔梗も赤い薄も愛らしい。もこもこした花も撫でてあげたくなるようだ。
それに対し、銀地に描かれた草花は、なにやら物凄いような存在感がある。
白い花も青い朝顔も、目を見開き、瞬きもせぬまま何かを凝視しているような。
輝ける闇。
酸化した夜。植物の息遣いがナマナマしく聴こえてくる・・・・
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全く関係ないが、漱石「夢十夜」の第三夜にこんな一文があったことを思い出す。
「・・・今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に」
この屏風はたぶん、文化年間より後の時代に生まれている。

其一の師匠たる抱一の傑作「夏秋草図屏風」は東博で暮らしている。
出光にその草稿があることを、今回初めて知った。
見る。・・・かなり現代風だと思った。
二百年近い前の構図とは思えなかった。草稿を見て初めて知ることも幾つか出てきた。
完成される前の絵には作家の思考の軌跡などが見えもする。
完成品より下絵が面白い作風の絵師もいる。
わたしはこれまで東博本の完成された面白さだけを味わってきたが、今回出光で草稿を見て、全く別な歓びを味わえたのだった。

其一の藤花図の大きさにちょっとびっくりした。砂子の地を背景に青い藤が豊かに咲き誇っている。大きな絵ではあるが、京焼のようにも見えた。

芒野図屏風  千葉市美術館所蔵の其一作品。霧の流れも表現されている。
数年前に都美で見たパーク・コレクションの麦図屏風を思い出した。
ここに描かれた野に立ち、そっと息をついてみたい。
そんな思いに駆られる。
霧に包まれた芒は金泥で表現されているが、高温焼成された磁器のような美貌がそこに具わっていた。
加山又造さんがRIMPAの系譜の人だということを、この屏風を見て思い出した。

抱一の作品の中でも特に好きなのが十二ヶ月花鳥図もの。
今回も本当に嬉しくなる絵ばかりがある。
螺鈿のような紫陽花、丸く可愛い柿の実とメジロたちと・・・
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他にも好きな絵が多いが、このへんで。
それにしても抱一はいったいどれくらいこのシリーズを世に送り出したのだろう。
酒井候、貴殿の弟御の月次図を所望いたしたいのだが云々・・・
色んなことを思うだけでも楽しい。

蒔絵師の原羊遊斎と抱一とのコラボ作品はいくつか見ているが、いいコンビだと常々思っている。光琳と乾山、抱一と羊遊斎、神阪雪佳と弟・祐吉・・・琳派の系譜にはいいコンビの名が連なる。

その羊遊斎の拵えた四方盆がまた大変すてきだった。
十枚揃えの盆にはそれぞれ異なる植物の「影」が描かれている。
影というよりむしろ花影と言う方が近いか。
影絵のような絵柄。黒地に金で花影が描かれる。
細かな絵柄よりずっと魅力的な作品に仕上がっている。
なおその下絵類も今回ここに展示されている。

其一の桜・楓図屏風は金屏風にシックな佇まいを見せている。
満開の白い桜、幹の根元ばかりの楓、その立ち位置がまたとてもいい。
シンプルで奥が深い、春秋を代表する木々。
上下、描かれていない木々を想わせる。

四季花木図屏風  近年「春」より「秋」の美に多く惹かれる。
この秋の花木は少しばかりモーリス・ドニ風にも見える。
☆型の桔梗がニッと少しばかりイヤな笑いを浮かべているように見える。
何かに似ていると思ったら、「鋼の錬金術師」のフラスコの中にいた頃のホムンクルスによく似ていたのだった。
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今回も乾山のやきものが色々と出ていたが、だいぶ展示替えもあり、新しい気持ちで眺める。

銹絵絵替扇面形皿  「萬丈銀河舞翆巒」と文字がある。壮大だなぁ。

色絵能絵皿  八橋・・・水彩画という趣、花月・・・清水の舞台に桜花、人はなし。
お能の情景を視覚化するのはコトバが頼りになる、と改めて思う。
多少の大道具があっても、能舞台はたいへん観念的な場なのだ。
しかしそれでもこうして人々の意識する風景はこうして表れる。
やきものを通してそんなことを考えた。

銹絵絵替長角皿  四海一閑人・・・乾山?!昔の蔵前国技館に似たドーム型のような建物が描かれているのがちょっとフシギである。わたしが何かと見間違えているのか?

色絵絵替角皿  小さくて可愛いお皿。白椿の絵柄が多いのもいい感じ。欲しい、と思う一品。和の花を描いたお皿は何故こうも愛しいのだろうか。

3/21までなので、もう一度行く。

三月の予定と記録

三月になると、途端に興味深い展覧会が目白押しに。
どのような回り方をするのがベストかを考えるのも一苦労。
とりあえず「確実に行く」+「行きたいな」を集めてみました。

江戸の人物画 ―姿の美、力、奇 府中市美術館
旅する絵描き いせ ひでこ展 世田谷文学館
鹿島茂コレクション1 グランヴィル 19世紀フランス幻想版画 練馬区立美術館
新宿中村屋に咲いた文化芸術  新宿歴史博物館
宮本三郎と連載小説 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
五百羅漢 増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信 江戸東京博物館
レンブラント光の探求/闇の誘惑 版画と絵画 天才が極めた明暗表現 国立西洋美術館
生誕100年 岡本太郎展 東京国立近代美術館
包む―日本の伝統パッケージ展 目黒区美術館
「江戸のメディア 浮世絵」展 切手の博物館
百花繚乱!挿絵の黄金時代展?懐かしき昭和20?30年代の挿絵画家たち? 弥生美術館
煌きの近代 ?美術からみたその時代 大倉集古館
おもちゃ絵の世界 紙の博物館
野間コレクションの90年 講談社野間記念館
白洲正子 神と仏、自然への祈り  生誕100年特別展 世田谷美術館
岩崎家の人形展 ―桐村コレクションのお雛様を迎えて― 静嘉堂文庫美術館
役者に首ったけ! ?芝居絵を楽しむツボ? たばこと塩の博物館
フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展  ブンカムラ
小林清親 浮世絵太田記念美術館
島尾敏夫と奥野健男 渋谷郷土文学館
シュルレアリスム展 ―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による― 国立新美術館
ボストン美術館浮世絵名品展 錦絵の黄金時代 ―清長、歌麿、写楽― 山種美術館
芸術写真の精華  日本のビクトリアリズム 珠玉の名品展  東京都写真美術館
「美を結ぶ。美をひらく。」?夢に挑む コレクションの軌跡  サントリー美術館
三井家のおひなさま 吉徳コレクションの名品 三井記念美術館
琳派芸術 出光美術館
マリー=アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展  三菱一号館美術館
「なぜ、これが傑作なの?」 モネからポロックまで。 ブリヂストン美術館
鏑木清方と東西の美人画 福富太郎コレクション 横浜そごう
美しいリトグラフの世界 ?19世紀フランスを中心に 町田市立国際版画美術館
ゲゲゲの鬼太郎 横浜放送ライブラリー
椿、咲く ?絵画と工芸? 茅ヶ崎市美術館
ル・コルビュジエ「東方への旅」を旅する 大成建設ギャルリー・タイセイ
船→建築 日本郵船歴史博物館

幕末大坂の絵師 森一鳳 大阪歴史博物館
大和文華館の中国・朝鮮美術 大和文華館
日本のアールヌーヴォー 堺市立文化館ギャラリー
ミュシャ 堺市立文化館
知と美の集大成―関西大学所蔵名品展 柿衞文庫
西宮の山岳信仰 西宮市立郷土資料館

期間の長いものを次の月に回すと、たちまちのうちに新しい予定に圧されるのはわかっているけど・・・
府中はここ数年この時期からGWにいい展覧会があるし、けっこうたいへん。






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