美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

2011年の展覧会ベスト10

さーて2011年もいよいよ終わりです。
今年は本当にいろんなことがありました。
個人的にもますます「悔いなく生きよう」と強く思うようになりました。

今年見た展覧会のうちからわたしが選んだベスト10をあげます。
見た日からの順番です。
ただし、国芳と抱一展はのぞきました。
今年は抱一展と国芳展が東西で開催され、もぉ本当に愉しませてもらいました。
抱一をめぐる展覧会は出光も畠山も非常によかったし、国芳は太田も大阪市美も面白かった。
だからこの二人の展覧会は「横綱」ということでよそにおきます。

・関東
花鳥の美 ―珠玉の日本・東洋美術 出光美術館
辻村寿三郎 安土桃山 花の宴 目黒雅叙園
華麗なる日本の輸出工芸~世界を驚かせた精美の技 たばこと塩の博物館
生誕130年 橋口五葉展 幻の〈黄薔薇〉あらわる。 千葉市立美術館
没後100年 青木繁展 よみがえる神話と芸術 ブリヂストン美術館
孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本 東京国立博物館
実相寺昭雄 ウルトラマンからオペラ「魔笛」まで  川崎市民ミュージアム
実況中継EDO 板橋区立美術館
知られざる歌舞伎座の名画 山種美術館
石川光陽写真 警視庁カメラマンが撮った昭和モダンの情景 新橋停車場


・関西
海を渡った古伊万里 セラミックロード 九州陶磁文化館コレクション えき美術館
消えた西洋館 増田彰久写真展 大阪ニコンギャラリー
大英博物館 古代ギリシャ 神戸市立博物館
最後の役者絵師 名取春仙 東大阪市民美術センター
寶を護れ 大正時代の保存プロジェクト 高野山霊宝館
百獣の楽園 美術に住むどうぶつたち 京都国立博物館
天竺へ 三蔵法師3万キロの旅 前期 奈良国立博物館
生誕120年 岸田劉生 大阪市立美術館
京の小袖 前期 京都文化博物館
子規の叔父「加藤拓川」が残した絵葉書 前期 大阪府立弥生文化博物館


今年はまた千葉市美術館と出光美術館と大阪市立美術館の充実にうなるばかりでした。
これらは特筆すべきことだと思います。
また来年すてきな展覧会に出会いたいと思ってます。
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子規の叔父「加藤拓川」が残した絵葉書 明治を生きた外交官の足跡

大阪府立弥生文化博物館は国道26号線沿いの池上曽根遺跡に隣接している。
駅は信太山駅が近く、そこから「茶色い道を進んでください」と案内があって、古く静かな街中を曲がったりまっすぐ歩いたりして、10分弱ゆく。
わたしなどは「信太山」と聞けば昔の浄瑠璃や説経の「信太妻」をまず思い出す。
恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
悲しい物語が胸に蘇る。

さて「茶色い道」をたどって、弥生文化の池上曽根遺跡を右手にした、ステキな建物に入ると、常設室では弥生文化のさまざまな資料が展示されていて、それを見るのも楽しいが、今回の目的は企画展の方なのだった。
子規の叔父「加藤拓川」が残した絵葉書 明治を生きた外交官の足跡
近代日本の展覧会である。
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チラシやサイトの照会文にはこうある。
「正岡子規の叔父として司馬遼太郎原作『坂の上の雲』にも登場するパリの外交官・加藤恒忠〈つねただ〉(号 拓川〈たくせん〉)は司馬氏をして「拓川の生涯は友人を作るためにあった」と言わしめたくらい幅広い交友に生きた人であった。
その証として、数多くの書簡や写真、数千枚の絵葉書がアルバムに残されていた。
後にベルギー公使として、日露戦争前後をロシアやイギリス、フランス、ドイツなど列強諸国に近いブリュッセルに駐在したこともあって、この小説に登場する軍人や外交官、芸術家などの絵葉書も多数含まれている。」


明治の絵葉書ブームは、数多くの傑作を世に残したが、絵葉書好きなわたしもその残光を拾い集めて暮らしている。
なんとしてもこの展覧会には行かねばならなかった。
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前後期に分かれての展示で、クリスマスに訪ねると、愛らしいプレゼントをいただけたのがまた、とても嬉しかった。

拓川はとにかく交流の広い人で、しかも筆まめで几帳面な人だったようで、素晴らしいコレクションがそこにその片鱗を見せていた。

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絵葉書ファイルはとても立派なアルバムで、これは多分外国製のものだろうと思われた。
拓川は秋山兄弟の兄の好古とは生涯に亙って仲良しさんで、共に旧藩主・久松定謨のフランス留学に従っている。
その後フランスやベルギーに赴任するようになり、かの地での暮らしが長いせいか、色々とセンスの良さを感じる遺品があった。

絵葉書は絵だけでなく、名所写真もまた人気だった。
モノクロに手彩色されたものもあるが、セピア色に褪色したことで、いよいよ美しさを増した風景写真が特に眼を惹いた。
これらを見ていると、19世紀末から20世紀初頭の世界の姿が自分の目の前に開けてくるような、錯覚が生まれる。
それは幸せな感覚だった。

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先日ついに終了したドラマ「坂の上の雲」は日露戦争終結までを大きく描いていたが、むろん世界はそこでとどまりはしない。
その翌年にはスペイン皇帝の結婚式があったそうだ。
拓川はその式に列席し、その写真も出ていた。
ここではパレード時に爆弾テロが起こったというから、やはり言われるように「20世紀は戦争の世紀」だったのを実感する。

外交官という職業を越えて、拓川には友人が多くいた。
思想も主義も超えての交友の広さには驚くばかりだった。
ベルギー駐在時の訪問者ノートには片山潜の直筆サインがあったし、「荒城の月」の土井晩翠からの絵葉書もあった。
西園寺公望、住友吉左衛門(二人は実の兄弟である)、犬養毅らとの交友は「なるほど」と思うものの、びっくりしたのは、住所録に「天勝 下谷」の文字があること。
サロメを演じもした奇術師・松旭斎天勝のことではないか。
・・・幅広いなぁ、本当に!

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ドラマの中で陸羯南が子規に優しくするシーンがあるが、実際に羯南は拓川にたのまれて、子規の面倒を最期まで見てあげたそうで、その羯南からの絵葉書がまた印象的なものだった。
赤地に窓枠があり、そこに風景の入ったもの。

風景ばかりではなく、絵にもよいものがあった。
武二のアールヌーヴォー風な「鼓の女」がある。これは人気のあった絵葉書で、ローダー・コレクションでも見ている。
他に黒田清輝との交友も深かったようで、そのあたりも見受けられる。

日本製の絵葉書でもおしゃれなアールヌーヴォー調のものがたくさん見受けられた。
松原と富士を遠景に、羽根のある天女が身体を反らした意匠のものなどが特によかった。
他にアラブ風の女の半身像、キモノの前をはだけた白人の娘など、妙に惹かれるものもある。
瑞西、伊太利、白耳義・・・漢字で書くのがそぐう風景写真の数々。
奇抜なモードに身を包んだ美女たちもよく、猫の擬人化の戯画シリーズも楽しい。

本当に数多くの絵葉書があり、そこから「拓川の生涯は友人を作るためにあった」という司馬遼太郎の言葉が、実感として胸に落ちてくる。

とりあえず前期は12/25で終了したが、後期は1/5~1/29まで。
また出かける予定を立てている。

京阪百貨店で見た「川瀬巴水」展

守口の京阪百貨店六階美術画廊で、31日まで「川瀬巴水」展が開かれている。
yartgallery_sさんの企画。
機嫌よく出かけると、巴水の世界が壁一面に広がっていた。
初期摺の作品が30点弱と、そうでないものが80点ばかり、そして巴水の製作風景を捉えた映像とで、その世界は構成されていた。

巴水ブルーの美しさをそこで堪能し、また巴水の赤を「宮島」の鳥居や寺社の屋根瓦で愉しんだ。
そしてわたしは随分前に見た「こいのぼり」を探していた。
真っ赤な緋鯉が朽ちかけた築地塀の間に泳ぐ風景を。
ここにあるのは香川県のこいのぼりの風景だった。
しかしこのこいのぼりより、もっと赤いこいのぼりであり、もっと朽ちた壁だったように思う。
そのようにわたしの記憶は構築されているのだ。
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丁度そこに今回の企画を教えてくださったギャラリーの方々がおられたので、色々とお話を伺い、また別な絵を紹介されもした。
しかしどうも違う。
たぶんもう会えない絵になったのだ。
わたしはこの世にない絵を自分の中に持つことになったのだ。
寂しいようでもあり、嬉しいようでもある。

わたしは少しばかり絵葉書を買った。
いずれも綺麗な色を再現していた。
'90年代初期に巴水の作品を初めて知ったとき、集めれる限りの絵葉書を集めたことがある。
そのときの心持を思い出しながら、喜んで絵葉書を選んだ。
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やはり来てよかった。
わたしはお礼を言って画廊を離れた。
またいつか、巴水の作品が並ぶ中に立ちたいと思いながら。

手塚治虫展 「アトム」デビュー60周年・「ブッダ」DVD発売記念

梅田の阪神百貨店で手塚治虫展が開かれている。
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展示物は宝塚の手塚記念館からの出張ものだが、場を変えると眼が新しくなった。
見慣れた作品や資料が全く別な新出作品に見えるのだ。
それは観客の熱気の高さに因った。

こうしたデパート展で見ると、驚くほど人々の<手塚治虫愛>の深さを思い知らされる。
観客層の年齢の幅広さだけではなく、普段は展覧会に縁を持たないひと、マンガが日常のものでないひとが多く詰めかけ、作品を前にして、それぞれの記憶を呼び覚ましては、深い感動に打ち震えている。
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手塚治虫以前のテヅカオサム少年の作品展示――昆虫の模写などから始まり、戦争中の自身を描いた作品と、実際のデビュー作がある。
それらの次に当時の少年たちを驚愕させ、熱狂させた「新寶島」「ロストワールド」「メトロポリス」などの作品が現れ、手塚自身が語った言葉が添えられてゆく。
それはたとえばコマワリについてのことや、映画的手法を取り入れたことなどの技法についてや、手塚が何を思ってその作品を描いているか、どのようなメッセージをそこにこめているか、といったことどもである。

原発事故の収束あるいは終息が全く見えない今、手塚が作品に鏤めたメッセージを目の当たりにすると、半世紀以上も前に手塚治虫はそれを危惧していたことを思い知らされる。
決して万能ではない科学を、その科学に振り回される人間を。

実際に重大すぎる事故が起こってからでないと実感などはなかった。
だが手塚治虫はそのことを思っていた。
決して今日の事態を想定してはいなかったにしても、彼の作品にはそのことを危惧するメッセージがある。
しかし、同時に手塚の作品には希望があった。


以前から連作「火の鳥」には好き嫌いがあって、たとえば「太陽篇」や「異形篇」は好きだが、「復活篇」などは息苦しく思っていた。
「ヤマト篇」も好きではないし、「宇宙篇」に至っては、逃げ出したくなった。
ところが今まであまり好まなかった「鳳凰篇」の原画が展示されていて、それを見ている最中、不意に胸が熱くなった。
両手を断ち切られ、森に打ち捨てられている我王の言葉がまっすぐにこちらを貫いたからだった。
しかしそれは希望というものではなく、諦念からくる悟りの言葉なのだが。

自分の受けた感動を隠していたい状況というものがある。
わたしは一人で見ていたのではなく友人と一緒にいた。
二人の友人はそれぞれ感嘆しながら、原画を見たり手塚の言葉を読んだり映像を見ている。
わたしは自分の感銘を面に出したくはなかった。

しかし次に見たものは「ジャングル大帝」のレオの最期の状況だった。
いつ見ても泣いてしまうものがそこにある。
わたしはひどく苦しくなった。
そのとき、六十代くらいの女のヒトが何度も頷いているのが見えた。
ああそうか、このヒトもきっと。
わたしはそっとその場を去った。

この展覧会は映画「ブッダ」のDVD発売記念に合わせてのもので、映画「ブッダ」の原画やキャラクター設定表なども出ていた。
近年、長時間に亙って映像を見る、ということが苦痛になっているので、わたしは映画を見なかったが、改めて資料を見るうちに「・・・やはり見に行けばよかった」と思った。
そして原作「ブッダ」が悟りを開くシーンが展示されているのを見て、やはり胸を衝かれた。このシーンも、何度よんでも常に全身が粟立つのだった。

ショップには阪神百貨店での限定品があった。
'85年の阪神タイガース奇跡の日本一の際に描かれた虎のキャラの色紙をモティーフにしたものである。
色紙も展示されていて、思わず'85年のあの日の感動が胸にこみ上げてきた。
つくづく阪神タイガースファンでよかった、手塚と同じ市に生まれてよかった、と改めて思った。

まだまだ他にも見たものが多いが、ここではもうそのことは書ききれない。
展覧会は31日まで。
なお12/25まで阪急三番街では手塚キャラがこうしてクリスマスを祝っていた。
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切り抜きもちょっとだけ。
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京都復活教会

イブなので、教会の写真を挙げよう。

北大路堀川のランドマークのこの教会は昭和十年にヴォーリズ建築事務所設計・田林工務店施工。

中はシンプルな可愛らしさがある。
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 側廊の窓にはキレイな色の十字架の硝子。

IMGP9581.jpg 照明もいい。

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一つ一つの文様の意味を教わる。

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この後、パイプオルガンの生演奏を聴かせてもらった。

天井は小屋組み。IMGP9594.jpg

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決して過剰ではなく、しかしわびしさもない、可愛い装飾がそこここに活きている。

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幼稚園の建物も続いている教会。可愛いなぁ。

気持ちのよい空間なのは、やっぱりヴォーリズ建築事務所だからかも…

大和文華館の中国美術コレクション展

2011年関西中国書画コレクション展に参加する展覧会のうち、なんとか半分は出かけている。行けなかったのは滋賀や三重の展覧会で、大阪・京都・奈良は機嫌よく見て回れた。

12/25まで開催中の大和文華館の中国美術コレクション展もその仲間の一つで、大和文華館の所蔵品の豊かさ・審美眼の高さとを満喫させてくれる。
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このコレクションは初代館長・矢代幸雄の収集品が中核を成している、ということだった。
『歎美抄』-矢代幸雄が選んだ美の精粋-という特別展が開かれたこともあるが、素晴らしい眼を持つ人の収集品を見ることは、その美意識の一端を共有させてもらえる、ということである。
思う存分、堪能させていただきたいと思った。
なお、こちらのコレクションは基本的に「金石や茶道具といった文人の趣味や茶人の好みが反映された分野の作品は少なく、宋画や陶磁器において、鑑賞性の高い逸品を所蔵」ということだった。

<矢代幸雄と工芸・考古の収集>
陶磁

黒陶朱彩饕餮文鐃 殷代の饕餮君はやはり可愛い。眼に朱が残っている。

灰陶加彩鴟鴞尊 前漢の遺物。対でこちらを見ているミミズク型尊。白ミミズク。可愛い。むしろ今風にも見える造形。

灰陶加彩誕馬 誕馬とは挽き馬のこととある。冥府への先導をする。赤い馬だった。南北朝生まれ。
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三彩立女 大和文華館の華の一人。ふっくら豊かな唐美人。長くこの美術館の案内リーフレットの表を飾っていた。
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白磁蟠竜博山炉 うねうねしすぎですね。ワダカマル(蟠る)という字がこの字なのを思い出した。

白磁円硯 一見したところ台座に見える。蹄型の足が周囲にフリルのように這うている。

白磁印花牡丹文鉢 綺麗。雷文の連続パターンに花。定窯らしい白さ。

青磁多嘴壷 これはデヴィッド・コレクションに兄弟がいるそうな。

青磁雕花蓮華文瓶 いかにも耀州窯なオリーヴグリーン。
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白掻落牡丹文水注 可愛い。小さくてもぎっしり、という風情。

白掻落牡丹文枕 こちらは枕のサイド部分に掻落。北宋らしい可愛らしさが横溢。

青磁鯱耳瓶 いわゆる砧青磁。

ここまで見ていると、本当にその時代その時代の、その出自らしさのある、名品ばかりが並んでいる。
中国陶磁のお手本のような名品ばかりなのだ。

五彩花鳥文小壷 チラシに選ばれた可愛らしい色絵の壷。高さも9cmほど。掌に載せて可愛がってみたい壷。

赤絵楼閣山水文碗 鴻池家伝来品。いわゆる雲堂手。のほほんとした風情がある。

五彩龍文透彫硯 「大明万暦製」の銘が入っているが、「清朝が近い」と感じてしまう造りだった。時代の好みというものを、文化の流れというものを、考えさせられた。

五彩花鳥文大鉢 これはナポレオン三世のユージェニー后が所蔵していたものらしい。内外に花鳥が描かれ、特に内側の黄鳥が可愛い。派手で楽しい。

金工・その他

細金細粒細工飾金具 セミ形、渦巻き型などの小さくて精密な造りの金具が9点ばかりある。帽子につけていたらしい。西方文化、北方騎馬民族の影響も、とプレートにあるが、確かにそんな雰囲気を感じる。

ほかにベルトのバックルなどや鍍金の簪セット、ライオンの親戚の狻猊や鳳などがまといつく鏡、獅子形鎮子などがある。どれもいい感じの丁寧な造り。
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銀製鍍金宝相華文大碗 これは綺麗。光の当たり具合で表情を変える。豊かな毛彫りにときめいた。

鳥型佩玉、12点の青玉帯飾、乾隆帝の時代に生まれた赤色硝子の皿などがまた、特によかった。長い歴史を持つだけに本当に素晴らしい作品が多い。

清水裂もある。大和文華館の所蔵品のうちでも特に私の好きなものの一つ。
このあたりは今年の三月の展覧会でも大いに愉しんでいる。
「中国・朝鮮の美術」展で。

<書画観賞と伝来の歴史>
近代以前

秋塘図 伝趙令穣
文姫帰漢図
萱草遊狗図/蜀葵遊猫図 伝毛益
竹燕図 馬遠
雪中帰牧図 李迪

これらは前述の「中国・朝鮮の美術」で見たばかり。
ただし全く同じ展示の方法ではない。
「雪中帰牧図」は狩野派の二人の絵師による模写も並べられていた。
今ではわかりにくくなっている左の絵の牛の顔つきなどもここではくっきりしている。

文姫の絵巻も今回は帰還途上の休憩の場と、都にたどり着き、なつかしい実家に戻ったシーンとが展示されていた。春には夫や子どもらとの別れのシーンが開かれていたが。

麝香猫ファミリーについては春に詳しく書いたから措くとして、今回はわんこファミリーがポスターに出演していたので、それをちょっとばかり挙げる。
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好奇心旺盛なわんこたち。可愛いなぁ。

近代以降

仕女図巻 伝仇英 1540年。人物はやや大きめ。青色の奇岩が置かれた庭で楽しく過ごす人々。仇英の描く宮女たちの世界の全貌をいつか眺め通したい、と思っている。

越中真景図冊 張宏 1639年。八枚のうち四枚が出ている。浙江地方の風景。ジャンクの急流くだり図、のようなものもある。イキイキした風景図。
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聴松図巻 王翬・楊晋合作 1700年。これは張学良旧蔵品だったそうだ。静かな林の中で。

乾隆帝の時代、功臣たちの肖像画を、皇帝は西洋画風なリアルな技法で描かせていた。そして漢文と満文とでその功績をも列記している。
そんな一枚がここにもあった。

参考に出ていた図版や本のうち、興味深いものがいくつもあった。
山中箺篁堂(山中商会の出版部門)の出した『古美術研究資料東洋之部』、国華社の『国華』など。
後者はコロタイプ印刷と共に、手間のかかる技法を使って、古美術品の再現に取り組んでいた。原画撮影してからネガのゼラチン膜を版木に転写し、さらにそれを彫るという技法を採ったのだ。
明治の人々の真摯な努力に驚いた。

12/25まで開催中。

京都国立近代美術館の常設室で見たもののうちから

京都国立近代美術館の常設室で見たもののうちから、特に好きなものを少しばかり。
そしてあんまり色のよくない写真だが、見たものの記録として挙げておく。

まず日本画。
榊原始更 幽庭IMGP9569.jpg
始更は紫峰の弟で、甲斐庄楠音と蜜な関係があった。
別れた後、始更は結婚したが、画業のほうは兄と違い、あまり今日では作品が知られてもいない。
タイトルは「静かな、かそけき庭」とでも言うべき意味を持っているのか、しぃんと静まり返った風景に見える。

吹田草牧 醍醐寺泉庭 これは初めて近美に来たときに喜んで絵葉書を購入したもので、秋になると、この屏風が出てくるのを嬉しく思って眺めている。
いつ見てもいい絵であるし、また日本の秋の庭の理想がここに描かれているようにも思われる。

次はアルフレッド・スティーグリッツの写真「NewYork」から。
色の調整でミスッてしまってセピア色に見えるが、実物は綺麗なモノクロである。

野望の街 1910年の「野望の街」。何か予感めいたものがそこにある。ぞくぞくするような何かが。
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二本の塔屋、NY これも多分1910年代ではないだろうか。百年前のNYの様子が伝わってくる。
とはいえ、構図的には同時代のモンパルナスの画家たちの風景画を思わせるようでもある。
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日本洋画。
須田国太郎 校倉(乙) そういえば正倉院そのものは数年間保存工事か何かされるので、外側から見れないのだった。

児島善三郎 箱根晴秋 いかにも児島らしい明るい、心ののびやかな色調で繰り広げられた、遠望図。横長な画面がパノラマ写真を見ているようで、古きよき時代の「総天然色映画」をわくわくしながら見ているココロモチになる。
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鍋井克之 勝浦の夕映 これを見ていると、高島屋史料館に収められている、かつて天王寺駅に展示されていたという、南紀勝浦風景の大パノラマ絵が思い浮かぶ。
習作の一つとして見るべきなのか、画家が勝浦を好きになったことで生まれてきた絵と見るのかはともかく、こちらもいいココロモチになる風景。

河井寛次郎の陶磁器。
三つばかり愛らしいものが揃っていた。
青華瓜虫菱筒、兎糸紋火焔青花瓶、砕苺紅瓶子
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賞玩したくなる、愛らしさがある。

12/25までこれらの展示は続く。

川西英コレクション収蔵記念展・夢二とともに

川西英の膨大なコレクションが京都国立近代美術館に収蔵され、その記念展が開かれている。
「夢二とともに」という副題が示すとおり、川西が集めに集めた竹久夢二の作品群と、それを少年時代の川西が模写したものと、また夢二と同時代のほかの作家たちの作品などがズラッと並んでの、絢爛な展示である。
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挿絵画家、商業芸術の担い手というものはどうしてもタブロー作家より一段低く見られがちだが、しかし愛され度の高さは、彼ら以上の場合が多い。
版画家として名を成した川西英にしても、出発点は竹久夢二の作品への愛と尊敬からの模写なのだ。
芸術家にならずとも、川西のような愛が心に占める人は決して少なくはない。
田中角栄も挿絵専門の弥生美術館が開館したとき、一番に訪れて、高畠華宵の「さらば故郷」を見て涙ぐんでいたそうだ。
誰にでもそうした心の底に眠る愛があるのだ。

近年は大正から戦前の叙情画や挿絵の人気も高まり、またその当時のファンも少なくなりはしたが、元気なうちにもう一度あの頃の喜びを、と言う方もおられることで、研究も収集も進んでいき、まことに喜ばしい状況になっている。
わたしなぞも弥生美術館の会員になり20年を過ごしている。一度も休むことなく企画展を楽しみ、各地で開催される叙情画・挿絵展にせっせと足を運んで暮らしている。

さてそんなわたしたちの先達たる川西英のコレクションを眺める。
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明治末の「夢二画集」四季それぞれの号もきちんとある。
これらは弥生美術館やその他の夢二コレクションを持つ美術館でもよく見かけるから、当時人気も高かったのだろう。
想像をかき立てられるような情景を描いたものと、可愛らしい意匠とで、表紙が飾られている。

夢二への熱烈なファンレターに対して、夢二本人も丁寧なお返事を川西少年へ送っている。
ファンを大切にする夢二らしい優しい文章が綴られている。

肉筆画があった。

河岸の落日 タイトルだけ見れば和の情緒あふれる景色かと思うが、これはやや高い塔の立つ河岸に夕日が射し込む、モダンな風景だった。
夢二の肉筆画は彩色が柔らかなものが多いが、この絵も優しい構成をみせている。

ガラスケースの中には川西英の手による膨大な模写絵シリーズが並んでいるが、基本的に肉筆画の模写はなさそうだった。

それにしてもなんとすばらしいファンだろうか。
ありとあらゆる夢二グッズを集めている。
夢二グッズ専門店の港屋オリジナルの風呂敷や柳屋の袱紗などのほか、可愛い千代紙・封筒類などなど、本当に世にある夢二グッズ全般がここに展開されているのだ。
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また夢二の死後のさまざまな会合なども「川西英様」宛で書類や招待状、案内状が届いている。
ファンの多いヒトではあるが、ここまで熱烈なコレクターは、ほかにいなかったのではないかとすら、思う。

川西英の手製夢二作品の切り抜き帖がまた素晴らしい。
言うてみたら、夢二画集の編集と装丁を一人で引き受けた、そんな感じ。

挿絵で初見の可愛いものがあった。
猫の町 ヒトとネコが仲良く暮らす幸せの町。決して朔太郎の「猫町」ではない、どこか。
大人向けの小説の挿絵も少年は切り抜いている。

版画の貼り混ぜ帖がまた凄い。
単行本の部、雑誌の部、情話新集の部・・・などと分けている。
このうちの千代紙の貼り混ぜものは、弥生美術館にあるものとほぼ同じ構成だった。
また版画の部には弥生でよく見る「得度の日」と「秋津(=とんぼ)」が共に貼られている。

夢二の初公開肉筆三枚。
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左の幅の男は夢二本人だという話もある。

ところで夢二の作品は多岐に渡っているが、わたしは夢二のデザイン感覚と童画とがいちばん好きだ。彼の美人画はどちらかといえばあまりそそられない。
木版画も色の濃いものを使った作品のほうが好きなものが多い。
だから「婦人グラフ」のシリーズや「セノオ楽譜」の作品群が好ましい。

セノオ楽譜の夢二の表紙絵ものを、こんなに大量に一度に見たのは今回が初めてだった。
90点くらい出ていた。
セノオ楽譜のマークはウサギさんだが、no.15「初恋之歌」だけどうしてかウサギさんがいなかったことに、今回気づいた。
小さいことだが、そんなことに気づけて楽しい。

図録には収録されていないようだが、「どんたく絵入小唄集」の表紙がいい。
毒キノコか苺かわからないが、毒キノコらしい冠の女と子どもたちがいる。その女がイワン・ビリービン風な美人だった。大正初期の作品。

夢二関係では、最後に千代紙のシリーズが並べられていたが、何もかもが本当にステキだった。
これらを見ていると、夢二や谷崎らを中心に描いた上村一夫「菊坂ホテル」の1シーンを思い出す。
自殺した女学生(実は眼を閉じているまで)の胸元にある遺書の封筒が夢二作品だったのを見た人々が、勝手なことを口々に言う。
その中で芥川は、夢二の仕事では美人画よりこうしたデザインのほうがいいと言う。
褒められて喜ぶ夢二に菊池寛が「よかったよかった」と笑う。
そのエピソードは上村の創作だと思うが、いかにもこのヒトならこう言うだろう的なノリで、何度読み直しても笑ってしまうのだった。

川西の集めたほかの作品を見る。
版画仲間の作品がたくさんある。
恩地孝四郎(彼は夢二の仲良しだった)、前田藤四郎、山本鼎らの作品が目立った。
版画蒐集に力を入れている和歌山美術館や千葉市美術館や上田の版画館でも見たものたちが多い。非常にレベルの高い作品群である。
前田作品は大阪市近代美術館(仮)←どころか(没)になりそうな状況だが――、で展覧会を見ているが、それ以来の再会だった。

深水「対鏡」もあった。これは嬉しいことだ。この版画が京近美に入るのは、本当に嬉しい。平木浮世絵財団と渡邊版画以外のコレクションでは見ていないからだ。

富本憲吉、リーチ、梅原、安井らの版画も一見の価値がある。
梅原のそれは数年前に奈良県立美術館でも見ているように思うが、裸婦ものばかりで、たいへん造形的にも面白かった。

長谷川潔は元からここにあるので、こちらもお仲間が増えてけっこうだし、永瀬義郎の版画が見れるとは、思いもしなかった。たいへん嬉しい。
また一点しかここには出ていないが神戸の別車博資、大阪の辻愛造の作品が入ったことも喜ばしい。

前川千帆、川上澄生らの作品群は見ているものが多くて、前に立つと自然と親しい気持ちがわいてくる。
それがまた、川西英への親しみにもつながってくる。
川西英本人の作品ではやはりサーカスがよかった。
また展覧会の最後に当時の流行千代紙シリーズが並んでいて、それが非常に見ごたえがあった。
どれを見ても楽しかった。

企画展はここまでだが、次に四階の常設展に行くと、またタイアップした作品群がたくさん出ていた。
川西英の描いた神戸百景もあるのもいい。
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これは非常にいい作品で、版画作品として楽しいだけでなく、当時の風俗資料として眺めるのも興味深いのだ。

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岡本神草の夢二絵風スケッチまであるのにはびっくりした。
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また川西英の息子・祐三郎の外国を描いた作品も出ている。
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これらがこの京都国立近代美術館に収蔵されたのが、本当に嬉しい。

展覧会は12/25まで。
ショップのグッズも可愛いものがたくさんあった。
図録もステキなのだが、雨の日に出かけたわたしはまだ未購入なのだった。

芥子と鷲 近しいものをみつける

今年見た作品のうち、作者や時代は違っていても、題材が近しいものを二つばかり挙げる。

芥子図屏風
前田青邨(光記念館蔵)
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狩野重信(出光美術館蔵) 
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青邨の「罌粟」の花は白い。半分はまだ咲いていないが、重信の芥子は色とりどりに咲き乱れている。
どちらも綺麗。

次は働く鷲の姿。鷹は鷹狩りに雇われるが(!)鷲はヒトのためには働かない。

伝・永徳 鷲捕兎図屏風 出光美術館「長谷川等伯と狩野派」に現われた。
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色絵鷲文大皿 九州陶磁文化館所蔵「海を渡った古伊万里」で姿を見せた。
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どちらも精悍で、爪の下の雉もウサギもどうにもならない。

他にも当然多くの近しいものたちがあるが、今日はココまでしか思い浮かばない。
そして出光美術館蔵のこれら二つの作品は、今日まで開催していた「長谷川等伯と狩野派」の展示換えに出てきた、人気のものたちなのだった。

明治期の日本銀行支店建築

先般、日銀本店の向かいにある貨幣博物館の企画展「明治期の日本銀行支店建築 建築家 辰野金吾・長野宇平治」を見た。
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小さい企画展示だったが、かなり面白かった。
実際の仕事は長野だったということがわかったり(資料の裏づけを見た)、辰野の指示書きの文字を見たり。
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今現在も建物が現存するのは、本店と、大阪店・京都店・小樽店だけになったらしい。
そのうちで京都店は京都文化博物館別館として、今も人々に愛されている。
わたしもあの三条高倉の旧日銀京都店の建物を見るだけで嬉しくなる。

小樽は金融資料館になっている。
一般公開する前に行った時はまだ現役だったような気がする。
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二年半前、広島で遊んだとき、市電から日銀らしき建物を見たのでそこまでのこのこ歩いたが、今資料が見つからない。勘違いなのか、実際に見たのか、こうなると判然としない。

そして大阪の日銀支店は今も現役の日銀なのである。
二度ばかり内部見学をさせてもらっているので、そのときの写真を少しばかり挙げる。

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京阪の駅が出来る前の様子。

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重厚でいい感じ。

貴賓室のドーム天井はこうなっている。
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その続きの窓は綺麗な装飾が施されている。
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それからこれはドーム屋根なのだが、'98年に撮影したものなので、どの位置から撮れたのかがちょっとわからなくなった。
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ご存知の方はよかったら教えてください。


最後にこちらは日銀本店の見学のチラシ。
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池袋モンパルナス展 ようこそ、アトリエ村へ!

随分前にどこの美術館での開催かは忘れたが、「池袋モンパルナス」展が行われ、興味を引かれたのに行きそびれたことがある。
そうなると口惜しさばかりが先に立ち、長い間鬱屈していた。
今回、板橋区立美術館で「池袋モンパルナス展 ようこそ、アトリエ村へ!」を見学できて、やっと心が晴れた。
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戦前から戦中の池袋には多くの芸術家が住んでいて、まさに「モンパルナス」の様相を呈していたそうだ。
大正末が舞台の乱歩の小説「孤島の鬼」でも池袋は郊外の新しい町として描かれ、少しばかり世間から距離を置いた人々が、自分たちのルールに従って、どこか優雅な生活を送っていた。

むろん心は優雅でも金銭にゆとりがあるわけでもない。
しかしそのモンパルナス(=アトリエ村)では、芸術家たちの楽しい暮らしがあったことは確かなのだ。
詩人・小熊秀雄の詩に「池袋モンパルナス」という言葉が現れたときには、そこはある種のパラダイスを形成していたのだ。
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板橋区立美術館は企画力も高いし、大道具の使い方も巧い。
今回もアトリエの間取りの再現などが設えられている。
毎回ここの展覧会にはそうした楽しみがある。
だいぶ前の「地獄極楽」展では臨終の場が再現されていたし、「浮世絵の死角」でも江戸の町中にいるような心持ちにさせてくれる作りがあった。

アトリエの間取りは小さい玄関に小さい台所(流し台のみ)
と手洗い、押入、三畳一間に、そして板の間のアトリエという全部で10~15畳くらいの構成になっている。
これは注文建築などではなく、この界隈がアトリエ村になる・なっていることを見て取った家主と周旋屋が拵えてまわったようで、百棟以上が作られたそうだ。

再現アトリエの壁にはロシア構成主義風な展覧会案内ポスターも貼られ、ガラスケースには当時の雑誌などもある。
このアトリエはどうやら画家・吉井忠の部屋らしく、彼のスケッチ(長崎町の戦災を受けた様子のもの)や「女」が飾られていた。

この「女」は当時の読売新聞に「北欧的写実精神云々」と評論が寄せられている。机に肘突く女は夏物ワンピースを着ているが、季節は判然としない。それは風景画でも肖像画でもないからだ。
卵が机の上にあり、女の手にも卵があり、外は荒野で民家が遠くにちらりと見えるだけ。
描き方が写実な分、かえってシュールになる、というのが面白い。

アトリエの外の壁(!)には吉井の当時の日記の活字版が展示されている。(原本は翻刻されたらしい)
'39~'45年の日記にはナマナマしいリアルさがあった。
抜粋されたその日記を読む。
文章は当時の文語体。非常に面白い語り口である。
(さらに要約したが)

・ヒゲさん(古沢岩美)応召でしょんぼり
・麻生(三郎)ゲッソリやせた
・(ダダイスト)高橋新吉に会う
・'41年当時、福沢一郎が当局に挙げられ、「シュールはいかん」と検事に言われる一方で「しかし絵は大いに描け」と励まされる
・京都の北脇昇が来てゐる(独立美術協会に入会)
・(瀧口修造が検挙され)奥さんのアヤ子さんから話を聞く

いろんな人々の動向と共に戦争のことや食事のことなどが書かれている。
この同時期の人の日記では、パレオにいた土方久功の饒舌な日記や、さすが漢文の素養が溢れ返る中島敦の日記などを読んだが、文体は違ってもそれぞれの肉声がそこにあることで生まれる、強いリアリティがこちらの胸にも響いてくる。

さて第一展示室と第二展示室の間には映像が流れていて、それを見てみた。
実相寺昭雄による「怪獣のあけぼの」10巻、池袋モンパルナスの生き証人たちに話を聞く内容だった。
ここに展示されている画家のうち、寺田政明の息子が俳優・寺田農になり、今日も活動を続けているが、彼と共に研究者が画家の未亡人に話を聞いたり、寺田自身の回想を聞いたりしている。

詩人・山之口獏の名前が出たので、ひどく懐かしく思った。
小学生の教科書には山之口の詩が二編ばかり採られている。今もすぐに思い出すのが、小さい娘ミミコの理屈を描いた詩だった。
父ちゃんの下駄をはくんじゃないぞ、で始まる詩。
ミミコはミミコで理屈をこねるのが面白かった。

山之口獏は沖縄から上京し、ここに住まい、近くの沖縄料理店によく出かけたそうだ。
彼の詩に、郷里へ戻って沖縄語で話すと「上手ですね」と標準語で返されて憮然となる心持ちを描いたものもあった。

少し戻り、「怪獣たちのあけぼの」・・・なんと巧いタイトルだろうか。
寺田農は彫刻家け白井謙二郎の未亡人を当時のまま建っているアトリエに訪ねる。
よくこのアトリエが残ってますねと言うや、高齢の未亡人はこともなげに「それは(白井が)90歳まで生きたから」と答える。
確かにその通りだった。
戦災に遭わず、引っ越しもせず、改築もせず、使い続ければ、なんとか生き残るものだ、建物は。
話は小熊にも及ぶ。詩人でもあり、マルチタレントでもある、という。

芸術家の息子が俳優になる、というのも一昔前にはあった。今回初めて知ったが、ジャン・ポール・ベルモンドの父も彫刻家でポール・ベルモンドという人だそうで、息子が父の作品を美術館で眺める写真があった。
他では松山省三の息子は先代の河原崎国太郎だった。
夢二の息子の一人も新派で役者をしていたが、彼は若くして戦死している。

映像の他に、板橋区立美術館特製の「池袋モンパルナス」mapが展示されていた。50円で販売されてもいる。
北川が銭湯のそばに住み、お社のそばに丸木夫妻がいて、立教大そばに銭湯とお社があり、そのあたりに古沢が暮らす。
雑司ヶ谷には'45年2月まで「上り屋敷」駅もあった。
そういえば、乱歩は立教大に隣接した邸宅に暮らし、それは今では立教大に寄贈されている。


前置きが長いようだが、これらを踏まえてからでないと「池袋モンパルナス展 ようこそ!アトリエ村へ」を本当には楽しめないと思う。
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小熊秀雄 夕陽の立教大学  オレンジ色の綺麗な夕陽!道にも光が広がっている。
見栄えのする大学の建物がそこにあり、夕陽にとけ込むような人の姿が二つあった。
日本の風景には見えない、1935年の「夕陽の立教大学」。

ケンカ  女、男、男の立ち位置。中の男が泣いている。怪我をしている。ボヘミアン・ヘア。これはトンビを着ているのか、ただの上着か。怪我は血を流すほどのもので、ズボンにまでそれは染みている。端の肩を貸す男はふんぞり返っている。
危うい関係性が見えるようでもあり、そうではないのかもしれない。

寺田政明像  戯画風な肖像画。

長谷川利行 靉光像  21歳の靉光。本人の自画像よりいい男じゃないか・・・
これはやってきた長谷川がその場でシャシャシャッと30分ほどで描きあげた作品だそうだ。

水泳場  わかりにくい。いかにも長谷川な絵。少し離れないと何を描いているのかわからない。やっと「水泳場」に見えた。1932年の作。
その頃、隅田川の一部をせき止めてプールに使ったらしい。
そこへ集まり楽しく過ごす群衆を描いていたのだった。

酒祭り・花島喜世子  エノケン一座の女優を描いたもの。どこかロートレック的なものがある。

長谷川の残された作品はどれを見ても個性の溢れたものだが、それだけに大半が失われたのは本当に惜しい・・・

田中佐一郎 立教遠望  綺麗な建物を遠くに、手前に松を配するという、浮世絵的遠近法が面白い。

中尾彰 残塁  シュールだとしか言いようがない。よくわからない。
しかし形は妙に可愛い。可愛いが、思想的にどうこう言われると困る。タイトルも言うたら「何故?」と言いたくなる。野球を想起するタイトルでこれはどう言った意味なのだろう・・・もしかすると、残塁したことで監督にコロされたとかそんな比喩か。←ただの妄想にしてもひどい。荒野に置き去りにされた牛の骨にも見えるしなあ。

鳥居敏文 少年と犬  白シャツに大きな帽子をかぶった少年がやせた犬といる風景をキュビズムで描いている。

難波田龍起 ヴィナスと少年  ギリシャ神話をモティーフにした世界を描く難波田の絵はどれを見てもときめく。前から好きな一枚。
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ニンフの踊り  三美人の図。彫刻風な女たち。真ん中にいる女はどういうわけか天平美人または唐美人のような髪型にしている。頭頂に二つの髪輪を結ぶ・・・

真鍋(金子)英雄 水辺  色遣いがジブリ風に見えた。特に「アリエッティ」の緑。
よく眺めれば隠し絵のように妙な鳥も潜んでいる。

大塚睦 地割れのある風景(風景A)  裸婦が赤ん坊をおんぶしながらどこかを見ている。追われた子供は破れ傘をさしている。気球が飛んでいる。地割れは深く、崩れる建物がある。木は倒れ、焼け残ったものがあちこちに。
淀む空。 米倉斉加年の描く女を思いだした。彼の描く人々は敗戦後の澱みを身にまといつかせている・・・

丸木俊の絵は四枚あった。
池袋モンパルナスの時代に描いた油彩の「デッサン会」はまだしも、'44~'45年の自画像や「位里の像」などはその情念の重さにこちらがたじろいでしまった。

一方、位里の絵は大きいものが二枚。
花王  墨絵で描く牡丹
ラクダ  ガオーッと吠えそうな、真っ黒い物体。

靉光は東近美「自画像」と彼の名を上げた「鳥」があった。
わたしは初めて見る「シシ」が気に入った。
寝てるらしい、シシ。しっぽと足は確かに「シシ」だが。
描いた本人が「シシ」だというなら「シシ」なのだ。
この「シシ」はライオンでも獅子でもない、珍獣「シシ」に違いない。

先般、麻生三郎の回顧展を見たが、抽象すぎて全くわからなかった。今回はそこへ至る前の「池袋モンパルナス」時代の絵が集まり、これはまだ具象の域にあった。

'35年の「自画像」はクリクリした目が可愛い青年図だが、'41年のそれはどこか悲惨なものがあり、山口貴由の描く「シグルイ」世界の住人に見える。

一子像  赤ん坊の長女の顔。クリクリした目がパパとそっくり。これは板橋区立美の所蔵品だが、同じ'44年に描いた個人蔵の「子供」もよく似ていたから、たぶん日を置かずにこれら二枚は描かれたろうと思われる。

丁度同時期に桐生市の大川美術館で「松本竣介とその時代」展が開催されていて(~12/11)、そのチラシをここに紹介する。そこにその「子ども」もいる。
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松本竣介 ニコライ堂  いつ見ても本当に惹かれる。この「池袋モンパルナス」の人々の作品群では松本の絵がいちばん好ましい。
実際のニコライ堂で一度ミサに参加したこともあるし、日曜の朝にガンガン鳴らす鐘の音もわざわざ聴きにいったりもしていたが、松本の描くニコライ堂へ行きたい、と思うのだ。
松本の絵にはいつもそうした魅力がある。

自画像  可愛い、賢そうな青年像。

りんご  少女の愛らしさに胸がキュッと締まる。その前日にたばこと塩の博物館で、「森永のお菓子 エンゼルからの贈り物」展で見たポスターに、松本の少女を髣髴とさせる女の子の貼り絵があった。遠い双子のように思われた。

寺田政明 生物の創造  ドードーなど滅亡した種族の生物がいる図。盛りだくさんな生物たち。シュールな光景。

正直いうと、シュールなものがニガテである。
シュールな作品でもそこに詩情があったり、物語性があるのなら、やはり惹かれる。
デルヴォーが好きなのは綺麗だから。
杉浦茂が好きなのは面白いから。
わたしのアタマではシュールなものを見ても、ついつい理屈を考えてしまうので、よけいわけがわからなくなるのだった。

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古沢岩美は実物の絵はほぼ見ていないが、挿絵は見ていた。
また今回、古沢が岡田三郎助の弟子筋で、彼の家に居候していたことを初めて知った。
彼は一昔前の新聞の一番下の欄の新刊紹介などで、よく裸婦画集の宣伝が出ていて、それで見覚えた画家だった。
むろん動かぬ裸婦だけでなく、「動いている」裸婦+αの図も色々見てはいる。
ナマナマしい官能性があった。

誘惑  大胆な姿態。'37年の作だが、むしろ'70年代の化粧品ポスター風な強さがある。

地表の生理  女も何もかもぐにゃぐにゃ。諸星大二郎「生物都市」のぐにゃぐにゃの先駆者のようだった。

「女幻」「憑曲」といった戦後すぐの作品はグロテスクさのほうが勝っている。
わたしは彼の挿絵「櫻の国」が好ましかった。はつらつとした娘さんのまなざしがいい。


他にメキシコな北川民次、アメリカの野田英夫の絵もあり、実に見所の多い内容だった。
長い間の鬱屈も昇華され、とても楽しく眺められた。
展覧会は1/9まで。ありがとう、板橋区立美術館。

討ち入りの日

今日は12月14日、赤穂浪士討ち入りday。きっちり換算すれば本当はもう一ヵ月後らしいが、昔から12/14で通っているから別にいいでしょう。

そこで久しぶりに展覧会の感想文ではなく、自分の好きな赤穂浪士(義士という方がいいんだろうけど、わたしがいちばん最初に耳で覚えた言葉は『浪士』なのだよ)の絵をおいてみた。
無論、浮世絵。
なにしろ近代になってからは芝居では今も愛されていても、絵画の題材にはならなくなってしまったからなぁ。

討ち入り当日ということで、揃いの衣装を着た浪士たちのうちから。
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誠忠義士傳・大石主税(三世沢村田之助)
色っぽい悪婆や嗜虐的な美女を得意にした田之助で主税。

その当時、実名では芝居は演じられないので、普通なら「大星力弥」となるところだが、実名の主税とあることは、もしかすると絵師・三世豊国がお客の嗜好を見て、そう見立てた絵なのかもしれない。


こちらは芳幾の「仮名手本忠臣蔵」討ち入りの場、十一段目を描いたもの。下は殿の墓前にご報告の図。
当然お芝居のほうの名前。
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わたしは映画やTVでは討ち入りシーン大好きだが、芝居ではあんまり関心がわかない。
芝居はやっぱり九段目くらいまででいいと思っている。

最後は毎年この頃に企画展に力の入っている赤穂市立歴史博物館の'04年のチラシ。
毎年いいものを拵えているが、丁度この年のが当日の絵なので挙げる。
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その裏はこんな感じ。
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宣伝になるが、赤穂市は毎年この日に「義士祭り」を行っている。
一度も行ったことはないが、ニュースで見ていると毎年とてもそそられる。
行列のBGMはNHK大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマだった。

アルプスの画家 セガンティーニ 光と山

アルプスの画家 セガンティーニ 光と山
そのタイトルどおり、アルプスの光と山がそこに広がっていた。
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セガンティーニの絵の実物を見た(最初の記憶がある)のは大原美術館の「アルプスの真昼」だったと思う。
今回の展覧会があるまで殆ど見ていない。
近年に少しばかり見ているが、いずれもアルプスが舞台のものだったと思う。
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ところでわたしが最初に「セガンティーニ」を知ったのは坂田靖子「孔雀の庭」からだった。
鎖された庭園(=パラダイス)の中で、意図的に作られた木が、セガンティーニの絵に現れる木によく似ている、と狂言回しの画商が思うシーンがある。
それはセガンティーニの象徴主義の作品の一つだった。
「嬰児殺し」と画商はつぶやく。
その後トレヴィル辺りからの美麗な本にセガンティーニの象徴主義の絵が集まっていて、わたしはその部分しか知らずにいた。
今回の展覧会でもそうした傾向の絵は殆どなく、「アルプスの画家」の健全で明朗な世界ばかりが並んでいる。
心も晴れ晴れとなる、アルプスの光と山が。

1.ミラノとブリアンツァ初期
暗い色彩と重い構図の作品が多い。
一言ずつ感想を挙げる。

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・死んだカモシカ 一見してクールベかと思った。妙にリアルな死骸がそこにある。
・鐘つき番 暗い。カンテラの灯りが少しばかりあるが、室内の暗さよりも「こういう描き方」でないといけない暗さに見える。
・小屋に帰る羊の群 聖母子がそっとその絵の中にいる。
・階段の習作 無人だからというだけでない静けさがある。グレーの色が音を吸い込んでしまった。
・羊たちへの祝福 モコモコ羊たち。暗い空の下、司祭が少年の侍者らと共に羊たちを祝福する。
・羊のいる風景 雪は汚れていた。重い空が広がる。
・居眠りする羊飼い 少年と顔の長い羊たち。
・農夫 羊の小屋で。
・水飲み場で んぐんぐんぐ・・・飲む。女に飲ませてもらう水。羊たちは心配そうに見上げている。
・白いガチョウ 白地に白い羽根。
・キノコ 「どんこ」なキノコ。もこもこしておいしそうではある。
・11月の寒い日 油彩版とコンテ版と。コンテの方が光の表現がいい。焚き火する人々の様子。
・山のアヴェ・マリア 祈っている風な羊もいる。

確かにどこから見ても「アルプスの画家」の絵だった。
しかしまだこの時代は空気が重たい。

2.肖像画
働き者で熱心なセガンティーニ。
四枚ほどの仕事と資料としての手紙などを見ていると、本当に一生懸命なのがよくわかる。
ただ、あんまりわたしの好みではないなと勝手に思った。

3.サヴォニン 山岳の光 1886年
13歳のバーバ少女を小間使い兼モデルにして、「光と山」を描いている。

羊の剪毛 羊の毛刈り。モコモコからツルツルへ。既に刈り取られた連中もやってきて、なかなかにぎやか。
女の赤いバンダナだけが華やぎを見せている。

わがモデルたち 油彩版とコンテ版と。百姓男女の健康そうな様子を捉えている。「自分らがこんな風になるのか」と感心しているのか何なのか、彼らがのぞき込む姿を見ていると、「松山の鏡」の説話を思い出す。

小屋に帰る羊の群 一目見て「デルフリ村かな」と思った。ハイジはアルムの山にいるが、そのずっと下界の村はデルフリ村だった。ペーターが寄託されている山羊たちの大半はこの村の人々の財産なのだ。
山羊でも羊でも別にかまわない、こんな絵をたとえばフランクフルトで見れば、ハイジはやっぱりノスタルジーに胸をかまれて泣くだろう。

水を飲む茶色い雌牛 分割主義。色の混ざりあいはない。厳格な分離がある。すごくきっぱりしている。そしてそのことで明るい日差し・明朗な陽光が感じられる。
牛の影が濃く地に広がっているのもいい。
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アルプスの真昼 先行の佐川もこの損保もこの絵をチラシに選んでいる。一年違いで同題の絵があるが、本当にアルプスの真昼とはこうなのだという実感が迫ってくる。
晴れ晴れとした空の下で、よい温度の中、この上ない心地よさ。そうしたものを感じる。

母山羊と子山羊 羊でなく山羊。立ったままお母さんのお乳を飲む子山羊。元気そうでいい。幼い命へ暖かな目を向ける。

死んだノロジカ まだ若い茶色いノロジカ。これを見て思い出すのが、陸奥の佐藤兄弟の里を通り過ぎようとしたとき、鹿の死骸が道にあったこと。料理屋さんに連絡したが、やはり山の暮らしにはこうしたことも少なくはないらしい。

森からの帰途 橇に木など乗せてそれを牽いて帰る農婦。雪の村への足取りは力強い。

日陰の憩い バッタリとうつ伏せに休む女。「アルプスの真昼」女さんがこんなところでイキダオレておる。一休みすれば立ち上がるのだろうか。
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湖を渡るアヴェ・マリア 夜、羊たちを乗せた小舟に。羊は人間の象徴でもある。救い主としてのマリアなのか。

4.マロヤ アルプスの象徴主義
私が見たかったのは前述したようにセガンティーニの象徴主義の作品なのだが、ここでは数点ばかりが出ていた。
他にはミレー風の絵もあり、そうかと思えば「生」と「死」の習作もある。

生の天使 「樹冠に座し」という状況はこういうことを指すらしい。抱いた子に頬ずりする女。青灰色でまとめられているが、優しさを感じる絵。

虚栄 思えばいかにも19世紀末な絵。小さな水たまりに自分の影を見いだす女。金髪を持ち上げ、白い素肌をさらして。周囲は「何もない」高原。彼女は何を求めるのだろう。

5.自画像
ジョヴァンニ・セガンティーニの貌。四点ある。
二十歳の自画像、23くらいの自画像(生首風)、35の自画像(神話風な顔つき)、そしてイコン風な自画像もある。

6.シャーフベルクでの死、マロヤでの埋葬
ここでは友人で弟子のジョヴァンニ・ジャコメッティの作品があった。
「死の床のジョヴァンニ・セガンティーニ」が二枚ある。鼻の高さがよくわかる絵だった。

そして二人で完成させたのがこの「ふたりの母たち」だった。
ひとの母子と羊の母子と。母羊が人の母を慕うというより、とめようとするような仕草を見せているのが心に残る。

開催されて本当に良かった。展覧会は12/27まで。

ザ・ベスト・オブ山種コレクション 江戸絵画から近代日本画へ

チラシを見るだけで「何があろうと行かねばならない」という気持ちになる。
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右は御舟「炎舞」(後期展示)、左は映丘「春光春衣」

「ザ・ベスト・オブ山種コレクション」前期の「江戸絵画から近代日本画へ」を見た。
やはりベスト・オブと名づけるだけに名品ばかりがあふれている。
「あの絵がない」というちょっとばかり残念なこともあるが、それでも疑いなく、名品ばかりが揃えられていた。

こちらはまだ茅場町時代の頃の山種で手に入れた名品図録。zen083.jpg
当時のわたしには本当に高価だったが、それでも手に入れた喜びばかりが今も活きている。
初めて山種に行ったのは'89年の11月だから、随分むかしのことなのだった。

江戸絵画と浮世絵
岩佐又兵衛、池大雅、田能村竹田から光悦、抱一そして歌麿、写楽、広重の作品が20点近くある。

又兵衛 官女観菊図 大きな人物が画面いっぱいに描かれているが、薄い墨絵に淡彩なので、そうそう押し寄せるようなものはない。これが絵巻の時のような絢爛なものなら、苦しい。

竹田 二橋亭図 椰子の木もある。どこか異郷のような風景。それは絵がある説話を元にして描かれているためだが、不思議なリアリティがにじむのが面白い。
そういえば椰子の木はいつから日本人に知られるようになったのだろう。自生はしていないだろうが、「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ」とも歌われ、「大菩薩峠」の未完の終章のタイトルは「椰子林の巻」だった。

椿椿山 九能山真景図 坊さんとその従者が道を登る。拝みにゆく様子をロングで捉えている。

浮世絵も何点かある。いずれも色も綺麗なもの。やはりベスト展には出てくる名品たち。

春信 梅の枝折り
清長 社頭の見合
これらはいずれも恋のトキメキがある。恋愛進行中と今から始まる恋と。
それにしても「梅の枝折り」は本当に人気がある。ここだけでなく、よそでも大事に愛されているのを折々に見かける。

寛政年間の歌麿の美人画や写楽の役者絵も綺麗な摺りだった。
北斎の赤富士、広重の庄野などもいい。

宗達と光悦の四季草花下絵和歌短冊帖、新古今集鹿下絵和歌巻断簡もある。
さすが山種美術館と思いながら見て回る。

今年は抱一年だが、その締めくくりのように、ここにも二点よいのがあった。
飛雪白鷺図と秋草鶉図。
どちらも魅力的。白鷺の雪はジンジャーシュガーのように見え、秋草は女郎花もススキもステキだが、珍しく桔梗が見えないのも目を引いた。

近代日本画が現れる。
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観山 老松白藤図 めでたいところから始まる。

栖鳳 班猫 こちらは愛でたい猫。いついかなるときも可愛くて魅力的な白にキジ柄の大猫さん。このキジさんと春草の黒猫さんが日本を代表する絵猫なのは間違いない。

春草 月四題 四季それぞれの名月がある。名は春でも秋に魅力の深い春草。この連作では冬の雪笹向こうの月が粋なように見えた。

大観 燕山の巻 タジン鍋のような形の塔を持つ城内。いかにも北京、といった風情がある。雄大で繊細な筆致がいい。大観がいかにその時代の中国を愛したかが伝わってくる。

明治半ば過ぎというより、19世紀末の絵を見る。

雅邦 日本武尊像 松の下に佇むオジサンぽいヤマトタケルノミコト。こちらの表記は日本書紀。物語性は薄い。もう少し可愛い方が、なんてことを思ったり。

玉堂 鵜飼 22歳でこういう絵を描くのか。既にここで晩年への道が見えている。
崖下で働く鵜匠と鵜と。絵に彼らの心が躍っている。気持ちよく働いてください。

玉章 海の幸図 同じ明治の海の幸でも「明治の黎明」を感じさせる青木のそれとは違い、こちらは江戸から続く一連の時間の中での絵。漁村の朝の様子。古い絵。のんびり。

次に異郷を描いたもの。

小村翠雲 海寧観潮 銭塘江の人々が船に乗りながら海嘯の様子を見ようとしている。夏に起こる津波はその地の名物らしい。大正11年に画家はリアルタイムで見ているそうだ。

関雪 西湖蜀桟道図 桃の咲く時期。歩む人々もあれば働く人々もいる。苔むす塔が立つ。穏和な時間の流れの中で。左側に川が描かれている。そこにはジャンク船がゆく。これは関雪の見た光景なのだった。

西郷孤月 台湾風景 横長の画面に長い檳樃林がある。温熱を感じさせる空気が漂うが、しかしどこか寂しい。遠くに工場も見えるが、そちらにもたどり着けそうにない。
画家は不遇な生涯を終えているそうだ・・・・・

物語性の高い作品。

鞆音 那須宗隆射扇図 「さー射るぞー」な与一。

映丘 山科の宿(雨やどり) 物語の前期。鷹狩の途中。家には柿が生えている。
映丘の物語絵は細部にわたるまで濃やかだった。

古径 道成寺(寝所、日高川、入相桜) 選ばれた絵はいずれも素晴らしい。そしてこの三枚だけでも物語が読み取れる。最後に入相桜というのも無常観の表れのようにも思える。
動きがあっても、静かな世界だということが素晴らしい。

初めて見る絵もあった。
石井林響 総南の旅から 隧道口 二人の農婦が岩壁にもたれるようにしながら一休みする様子。おにぎりでも食べたくなる風景。

春挙 火口の水 大きな絵で迫力がある。春挙は日本画でロッキー山脈などを描くこともあるから、この軸も当然の仕事なのだろうが、その迫力に思わずウンと頷いてしまった。

特によく知られた作品群が待っていた。

靫彦 出陣の舞 幸若舞「敦盛」を舞う信長。衣装なども細かく眺めると、古様な作りになっている。千鳥柄の小袖。こういうところもきちんと見なければならない。

青邨 腑分 いつも思うのだが、この土灰色の若い女の死体、妙にスタイルがいいというか、よすぎるというか・・・首なし美人なのである。

華岳 裸婦図 わたしは山種のベスト・オブ・ベストといえば前述の栖鳳「班猫」とこの「裸婦図」と御舟「炎舞」だと思っている。
長くそう思っているから、もう容易には変わらない。
昔、初めて山種に行ったときに買った裸婦図の絵葉書は今もわたしの机にある。褪色してしまったが、それでも措く気にはならない。
一度、この永遠の裸婦像のスケッチなどを見てしまったことがあるが、それは自分の記憶の底に封じていたい。やはりこの完成された絵こそが、久遠の裸婦像なのだった。

松園 砧 これは京都市美術館「山種美術館名品展」のときのチケットや図録表紙にも選ばれているが、あまりに気品が高すぎて、わたしなどは少しばかりニガテではある。
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却って大正ロマン香る「蛍」などのほうが可愛らしくて好きだ。
今回、どちらも並んでいるのが嬉しい。

御舟 名樹散椿 この絵の椿を見ようと、その木のあるお寺に行ったが、実物より御舟のこの絵のほうが華麗だった、という経験がある。
花の一つ一つを注意深く眺めたが、本当に美麗だった。
木の配置、方角、花の大きさ、何もかもが豊かだった。

蓬春 梅雨晴 アジサイが本当に綺麗で。綺麗なだけでなく、とてもモダンでイキイキしているのが好きだ。蓬春の明朗な配色は理知的でもあり、そこがとてもステキ。

最後に大観の書を篆刻した銘板「嶽心荘」と靫彦の「山種美術館」の文字を見る。
自分が近代日本画のファンになったのは、やっぱり日本に山種美術館があるからだ、とつくづく思った。

前期は12/25まで。後期は1/3~2/5。こちらもとても楽しみ。わたしの見たい絵が出ていると嬉しいのだが・・・。

トゥールーズ=ロートレック展

三菱一号館美術館コレクション2として「トゥールーズ=ロートレック展」が12/25まで開かれている。
出遅れたが、機嫌よく眺めた。

手元に四枚のチラシがある。
先に出たものと少し後に出たものと。
いずれも背景色は恣意的に変えられているが、絵は一目見るだけでロートレックのものだとわかる。
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「シンプソンのチェーン」は横長のもので、これは数年前にサントリーミュージアム天保山での展覧会のショップで、ステキなトートバッグになっていた。
あのとき買えばよかったが買い損ねたので、絵を見るたびに嬉しいようなジクジたるような。
ロートレックはとても闊達な男性で、自転車レースが大好きだったそうだ。
とはいえこのポスターはクライアントには不評で、実際には不採用だったらしいが。
しかし自転車に乗るのが好きなわたしから見れば、「ロートレックの作品だから」というのを措いても「ステキな絵でなんとなくかっこいい」という理由で、このリトグラフ作品を選びたいと思う。
やっぱりトートバッグは買っておくべきだったなぁ。

アリカティド・ブリュアンの左向きの後姿がチラシに選ばれているが、右向き分もいい。
どちらもこの役者の不敵でブイブイ言うてる感じがよく出ている。
アクの強いオヤジのにくたらしいカッコよさがある。

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寄席の芸人らの一枚ものポスターなどがずらずら並んでいると、自分もその世紀末パリにいて、「さて今日は誰の何を見ようか」という気分になる。

ウサギリボンのメイ・ベルフォールの抱っこする黒猫が可愛い。
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イヴェット・ギルベールはやっぱりヘンな顔に描かれている。
ロイ・フラーのひらひらした踊りは前にサントリーでも見たな・・・
と、そんな風に親しいキモチがわいてくる。
それこそがポスター藝術の使命であり、力なのだった。

マルセル・ランデールが<いた>。
このリトグラフなどは特に親しく眺めているが、丁度現在M新聞で「マルセル」という小説が連載されていることを思うと、いよいよ興味がわいてくる。
小説は1968年の「マルセル」盗難事件を機軸にした謎解きものなのだった。

実のところわたしはロートレックの油彩画よりリトグラフで表現された、商業藝術の方のファンなので、今回の展示のようにリトグラフ作品が大半を占めているのは楽しく思えた。

本の仕事も面白かった。
ルナールの「博物誌」やメニューカードに描かれた動物たちが楽しい。
ちょっとばかり戯画風でもあり、シャレた面白さがある。
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見て歩くうち「彼女たち」の連作の前に来ていた。
そこでわたしは画家のK氏が若い男性と共に「彼女たち」を観賞する情景を目の当たりにした。
K氏にはもう二十年以上ときめき続けている。少しばかり経年によるかげりは見えたが、相変わらず綺麗な男性だった。
K氏が若い男性にレクチャーしながら「彼女たち」を見るのを、わたしが視る・・・
思えばロートレックの作品のうち「彼女たち」ほどK氏にふさわしい作品はない。
なんという素晴らしい偶然だったことか。
わたしは二重の愉しみを許されたのだ。
それを享受せずしてなんとしようか。

結局あまりにときめきすぎて、自分の心臓の鼓動が部屋中に響き渡りそうな気がして、わたしはそこを去った。
去った先には、娼館で暮らす女たちの日常のしぐさを取り上げた作品群が待っていた。
そして歌麿の浮世絵もある。

わたしはやっぱり熱に浮かされたままそれらを眺め、リストに何彼書くことも出来ぬまま、展覧会を出たのだった。
「彼女たち」を見るK氏を視たことを歓びながら。

クリスマスまでにもう一度行きたいところだが、心にいつまでもあの情景が残る限り、何度見てもこれ以上何も書くことは出来そうにない。
ロートレックを見る限り、この先もずっとあのことを思い続けるだろう・・・

能面と能装束 神と幽玄のかたち (前期)

子供の頃からどういうわけか、能面や能装束を見たり、謡曲の詞を目で追うのは好きだが、実際の演能を見るのはニガテである。
狂言にもややその傾向があり、「観る」ことに関しては、今も全く、門の外に佇む者に他ならない。
他方、歌舞伎と文楽に関しては舞台を見るのが大好きだが、衣装を見たり人形を見るのには大して関心がわかない。
これらはやっぱり舞台の上で活きている人形や役者を見るのが好きなので、動かない状態のものに関心がない、というべきか。
古人の名人芸を古い音源で捉えたものを聴いているときなど、自然に涙が滲むこともある。
能狂言、歌舞伎に文楽、どちらも何故自分がそんな状況(嗜好)なのかは、さっぱりわからないまま、生きている。

三井記念美術館の「能面と能装束 神と幽玄のかたち」展(前期)を見た。
チラシにある重文の「旧金剛流宗家伝来能面」全54面公開、という謳い文句にひどく惹かれている。
左上の翁(白式尉)は前期、右下の大飛出は通期展示ということで、今回はどちらも見た。
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最初に能楽のための楽器や謡本が展示されている。
それぞれ意匠を凝らした美麗な装いをまとう楽器であり、本である。

能管 銘・柴葛 葡萄栗鼠蒔絵筒  葡萄にリスの意匠が高蒔絵で表現されている。ぼこぼこと浮かび上がるような手法で、リスにも葡萄にも丸みがあるのがいい。

御所車夕顔蒔絵大鼓胴  源氏の「夕顔」をモティーフにしている。
説明によると、皮は十回も打ったら駄目になるそうな。
オオカワ、ともよばれる楽器。その皮の色はセピア色に近いようにも見えた。
そして必ず私は「綾の鼓」を想う。

楽器蒔絵小鼓胴 伝・千草  法華寺伝来品。琵琶などの絵で包まれている小鼓。
思えばその意匠は非常に面白い。楽器自体が楽器に纏いつかれているのだ。

光悦本はこれまでにも多くの美術館で見てきたが、やはり美麗だった。
最近のことで言えば畠山記念館でも光悦本を見たが、この三井では「高砂」「井筒」「熊野」などが並んでいた。
照射される光によって趣を変える。そんな工夫が見える美麗な謡本。
特に「熊野」の表紙の綺麗さには目を瞠った。
また、元和卯月本という謡本も展示され、きちんと二番目もの・三番目もの・・・と観客を導く並びになっている。

橋岡一路氏という方からの寄贈が多く出ていた。
こういう方によってこれらは愛され、大事に保管され、やがて無縁だったわれわれにもこの名品たちを愛する機会が与えられるのだ。

松椿蒔絵面箱  九曜紋が入っている。座金が綺麗。
お能ではないのだが、わたしは面箱を見ると「笛吹童子」の明の面打ち師や「修善寺物語」の夜叉王を思い出すのだ。
大事な面を入れる箱はこのように綺羅に飾られている。そのことにもときめく。

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面が並ぶ空間へ向かう。

まずは翁から始まるが、実際のところ副題「神と幽玄のかたち」の「神」を体現するものはこの翁なのだ。
世阿弥の頃からこの群に属する「延命冠者」が省かれたと説明にあるように、演劇以前の存在だったのが、この翁だということを思えば、笑顔に似せた風貌も、忽ちにして畏るるものに変わる。
面をつけている間は、演者はヒトから離脱して、カミの使いまたはカミそのものに成り代わる。
その意味で翁面が象徴的な使われ方をしているのが、映画「狂つた一頁」だった。
精神病院内での大混乱の最中に、苦悩し続けていた「正気」の主人公が、その狂人たちの騒ぎの中で翁面をかぶる。
狂人たちは翁の出現により、無秩序な馬鹿騒ぎを、実りある祭りに変換させる。
ヒトでは到底その域にまで到達できなかったのが、翁の出現により、可能となる。
非常に意味の深いシーンだった。

ここにある翁、または三番叟は笑顔である。
しかしわたしはその永遠の笑顔というものが怖い。
まだベシミなどの方がコワモテではあるが可愛らしさを感じる分、親しみやすさがある。
中に一枚、笑わぬ父尉があった。釣り目でこちらを観ているような面だった。
そして黒色尉は密陀絵で出来ていた。

ベシミへの親愛感、というのは「いるいる、こんなおっちゃん」という感覚からのことだ。
小ベシミ 伝・赤鶴  本当にこんなおっちゃん、いてます。・・・そんな顔をしている。

長霊ベシミ  「熊坂」専用面。目が天地つまり上向いて下向いて、というアンバランスな目にどこか面白さがある。

不動  怒った顔なのは不動だから、というだけではなかった。
この面にはこんな伝承がある。
室町時代の名人が、不動像から顔だけを剥ぎ落として面にした。それをつけた演者は外そうにも外せなくなる。無理強いに剥がすと、顔の肉を殺がれて、血痕が滴る・・・
肉付き面の伝承はこんなところにもあったのだ。

童子 伝・千種  前髪はさらさらとたれている。綺麗な面立ちの少年だった。この面で菊慈童を演ずれば、彼が元は穆帝に愛されていた理由も深く納得できる。
そして菊の露で千年を生きるのも、この美しさを惜しまれたからだ、とも想うる。

猩々 金剛頼勝  赤い膚に不思議な笑いを浮かべている。二重まぶたの目が綺麗だった。

喝食 伝・夜叉  こちらは現世のナマナマしい少年である。前髪はイチョウ型。きつい顔立ちの少年。

怪士 伝・千種  寝かせ展示。・・・妙に怖い。

女面をみる。

小面(花の小面) 伝・龍右衛門  秀吉が愛し「雪月花」のうち「花」と位置づけた面。
やや白すぎるが、可愛らしさの濃い面。
偶然ながら、この一週間前に京都文化博物館で「金剛家の名宝」展の中、「雪」面を見ている。「雪」よりも「花」の方が妙に可愛らしいように思う。
白拍子として可愛がりたいような「花」だった。

追記 ツィッターで教わったが、「月」は江戸城の火災で滅んでしまったそうだ・・・・・・無念。


孫次郎(オモカゲ) 伝・孫次郎  これが本歌だという。左右を圧する、優れて美しい面だった。よく知られているように、亡妻の面影を面に移したという伝承がある。
室町時代の美人の基準などは知らないが、そのことを措いてもこの面は端正な美しさを露にしていた。静かな静かな佇まいを保っている、と言える。
この面の左隣は先の「花の小面」で、右隣には江戸時代に金剛頼勝が写した「孫次郎」が並ぶ。本歌の孫次郎は他を控えさせる美しさに満ち満ちていた。

むかし、わたしが初めて「能面」というものを知ったのは、小学生の頃に読んだマンガからだった。それは赤江瀑の原作をのがみけいが描いた作品だった。
そこには修行中の面打ち師の青年を取り巻く激しい愛憎があった。
孫次郎をどうしても完成できない青年は自分の顔に鑿を当てる。
しかし心願は届かず、青年は衰弱し、痩男の相貌を見せるようになる。
彼を愛する女は「孫次郎」そのものを深く憎悪し、調伏までした挙句、ついには自らの眼を鑿で突く。
誰も救われぬまま終焉を迎える物語だった。
今でも孫次郎を見ると、必ずこの物語を思う。

少し若い頃、わたしは孫次郎よりもっと若い女の貌が好きだった。
しかし年を経るにつれ、「萬媚」に惹かれたり「増女」のあるものを好きになったりした。
一方、文楽の人形では最初から娘よりも人妻の人形のほうが好ましかったから、これは面や人形に対しての「自己投影」とはどうやら無縁らしい。

他の女面を眺める。
増女 伝・増阿弥  唇こそ朱いが、眼がひどく怖い。
十寸髪 伝・龍右衛門  寄せた眉が怖い。
泥眼 伝・龍右衛門  ひどく怖い。

怖い怖いとばかり書いているが、面の下の抑えきれない情念が噴出しそうな貌に、反応してしまうのだ。
もう「蛇」や「般若」になった後はそうは怖くない。走り出しているからだ。彼女たちの目的は完遂されるばかりだが、岸辺の向こうの話だから、そうは怖くない。
しかし「生成」までが怖いのだ。
どんな激発があるかわからないからだ。

小町ものに使われる「老女」や「痩女」を観ると、無常観が自分の内底から湧いてくる。
が、そこでわたしは悟ることなどなく、「この年頃になっても出来る限り化粧をしよう」と思い至るのだ。それが自分への義務だと思う。
実際に「痩女」に似た人が近所にいて、わたしは怯えていた。
街角に立ち尽くしていたからだ。
ところがある日、その人がそれなりに化粧をして自転車に乗る姿を見た。買い物帰りだった。見た途端、本当にほっとした。
このキモチはわかるヒトにはわかってもらえると思う。

最後に可愛らしい小面があった。やや丸顔で子ども子どもしたような、少女の貌だった。

ところで前述の橋岡氏の寄贈品の中に、和楽山謡曲寺観世音参詣順路之図という参詣図があった。これは能の道の厳しさ・狭さ、また広さ・深さ・高さを示すための擬図だった。
描かれたのは幕末から明治の頃、いちばん能楽界がつらかった時期である。
大名の庇護を失い、道も塞がってはいても、それでもただただ道を精進する。
そのことでやがて視界も開き、心も豊かになる。
図を前にして、わたしも一人、勝手ながらこれに似た山を歩こうと思った。

出口前の7室では能装束が豊かに並んでいた。
珍しいことに法被と側次がたくさんあった。
コミック風な雲龍文様、中国の皇帝の龍袍(ロンパオ)をモティーフにしたものもある。
油煙模様というナゾだが可愛い柄の縫箔もある。
二年半前、京都の金剛能楽堂で流派の装束を大量に見学したが、今回のようなものは出ていなかったので、面白く思った。

前期展示は12/25まで、後期は1/3~1/28。

水墨画アラカルト

泉屋博古館の「水墨画アラカルト」を見た。
チラシは南北朝時代の黙庵霊淵「布袋図」
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正直なところ、この布袋さんがにや~と笑う顔はわたしなんぞにはコワい。
こういう「笑い」というものがニガテなのだ。
浮世絵の笑いは好きだが、中世の「笑い」の概念がよくわからないので、ニガテだともいえる。
タイトルの副題は黙庵から鉄斎まで、とあるから中世から近代までの水墨画が集まっているのは確かだった。

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漁樵問答 雪舟  岸辺に二人の姿が見える。遠景。こちらからそちらへ近づくことはない。アングルも動かせない。この二人に焦点が合わされ、遠くの山は霞み、近くの柳は湿気を含んだように薄暗く膨らんでいる。
禅のことはよくわからない。
しかしこの絵には深い静けさと同時に、ある種の諦念やそこからの和みとでもいうものを感じる。
子供の頃にはニガテだった水墨画に感じる特性が、今では徳性に感じるようになった。
それがこうした絵を見たときに、自分のうちからにじんでくる。

白衣観音図 伝・黙庵霊淵  岩上でくつろぐ白衣観音がいる。ひじを突き、どこかを見上げている。人間世界のことなど知ったことではない表情である。
仏の無慈悲というものではなく、夢見る若い女に似ていた。

琴高仙人図 伝・狩野元信  おどろおどろした<気>の波を跳ぶ。鯉も力強く、仙人も気合が満ち満ちている。今から天へ昇る。そんな気迫がある。それを絵師は見てしまった。
見てしまった以上は描かずにはいられない。
・・・観客は仙人と絵師とを見ているようだった。

雪中売炭翁図 英一蝶  さっむいさっむい雪の積もる道を爺さんが炭を背負って売り歩いている。その爺さんに気づかず、家の中では唐子二人と首に赤いリボンをつけた猫が丸々・ぬくぬくと過ごしている。

白丁図 中村芳中  貴人の下僕を指す言葉。この男はぼんやりさんな感じがする。片っ方だけ草履を履いて、もう一方は素足のまま。雇い止めにならないようにもうちょっと身なりも整えないと。

十時梅ガイによる池大雅「十便十宜帖」が出ていた。本物は川端康成が愛したものだった。
これはこれで面白い。

利市三倍図巻 坤 鉄斎  コンの巻が出ている。これは街中の人々の色んな様子を風俗絵巻風に綴ったもの。中国を舞台にしているらしい。
唐子たちが楽しそうに元気に遊び、寝そべって安気に過ごす人もあれば、「我々周旋」と書いた幟を立てている人々もいる。
儲かれ、というような意図がタイトルに含まれていたとかどうとか。
鉄斎もやかましいことは言わず、クライアントが喜んでくれたらいいか、というような作品を残している。

秋暮帰牧図 下村観山  もあ~~な茶色で統一された画面。馬に乗り帰る人々を遠くから捉える。朦朧体の和やかさ。
つい昨夜、'93年の下村観山展図録を見ていて、面白い一文を読んだ。河北倫明氏が安田靫彦から聞いた話として、昔は「観山は大観よりもずっとすぐれていた、当時は靫彦も古径も青邨も紫紅もみんな当初から観山を目標に置いていた」と書いている。
今では観山は忘れ去られつつあるので、改めてこの文をあげる。

円山晩雪図 河野秋邨  大正時代の円山公園の枝垂桜が白雪に覆われた景色が描かれている。非常に魅力的だった。
重たくはない筆致で桜も雪にまみれ、遠くの山も寺も白く埋もれ、しかしイキイキした風景だった。「行きたい」と思った。この景色の中へ。

深山猛虎図 橋本雅邦  静嘉堂の竜虎図の親戚。ここではカップルらしき虎がいるだけだが、牝が座ったままガオーッで、牡は立ったまま口をつぐんでいる。

鉄斎の扇が何本か並ぶ。梅月図が特にいい。というより、以前高島屋でこの扇を見てから、鉄斎のファンになったのだった。

椿図 尾形乾山  白椿を竹に活けた。いかにも乾山らしい白い椿が清艶でとてもいい。薄墨で描く椿の美にすっかり惹かれた。 

衝立をいくつか見る。屏風というても衝立屏風。中心は一つ。
墨松図衝立 呉春  松ぼっくりが可愛い。
梅図屏風 彭城百川  力強い幹!
梅実図衝立 山口素絢  梅の実がくるっと咲いている。
寒月照梅花図 岸連山  雪で寒そう・・・
梅鶯図 芳中  鶯が薄墨で描かれて可愛い。

猿猴捉月図 狩野常信  丸顔のお猿さんが腕を長~く伸ばしあって水面の月を取ろうとする。おろかで可愛い。

狗子図 円山応挙  可愛い!!白いわんこが丸くなって寝てるその背にあごと右手を乗せて、こちらを見る黒いわんこ。可愛い可愛い!応挙のわんこはいつ見てもどれを見ても、めちゃくちゃ可愛らしい!どきどきするくらい愛らしい。これを見ただけでも来た甲斐がある。

双鯉図 応挙  これは大阪市立美術館での大掛かりな展覧会にも出ていたと思う。
彩のはっきりした(しかし明るくはない)二匹の鯉を縄でくくって吊ってる様子。
うろこのリアリティがたまらない。

こうして眺めてみると、自分がどんどん水墨画が好きになってきているのを感じる。
展覧会は12/11まで。

愛染明王 愛と怒りのほとけ

こちらも既に終了した展覧会である。

金沢文庫の愛染明王展は最後まで人気の高い展覧会のようだった。
わりに早い時間に着いたが、もう賑わっていた。
対になる鎌倉国宝館の展覧会は前月見ていたが、なかなかここまで来れなかったのが結局こうした状況を呼ぶのだった。
図録完売と言うのは残念ながらも、文庫にはめでたい話だと思う。
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愛染明王は赤い。
理由をきちんと知らずとも深く納得し、受け入れる。
青や黄色ではいかん、赤に染まる明王でなくては、その勤めは果たせないような気さえする。
奈良博を始め醍醐寺、西大寺、そしてこの地元からも名品が出ていた。
怒っていない顔もある。アッと声を挙げたような顔もある。
台座周囲に宝珠や巻貝が飛び回る図もある。

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宝山寺と言うと生駒の聖天さん。ここもいいところです。そこの愛染さんは、周囲に散らばり系。

醍醐寺の曼陀羅は敷物風な花柄がいい。ご本尊は真ん中に赤く鎮座ましましている。

両頭愛染曼陀羅は面白かった。赤はむろん愛染さん、黒いのは不動さん。下方に騎獅子の赤い童子が狐を射ようとし、騎白象の白い童子は鳶を射ようとしている。狐も鳶も邪悪なるものの形象化として描かれている。

展示品の前の所蔵者として武藤山治や白河法皇があるのを見ると、色々と感慨深い。
尤もそれぞれ違う意味での感慨なのだが。

西大寺流の愛染信仰が蒙古襲来を撃退を祈祷するところから始まっている、というのも面白かった。
尊勝陀羅尼を唱えて神風を・・・

もっと早く行けばよかった展覧会だった。

生誕125年 萩原朔太郎展

最終日もしくはその前日あたりに出かけた展覧会について少しばかり書く。
まず萩原朔太郎展の感想。
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十年ほど前、前橋に出向いた。近代建築を見るのが目的だったが、当然のことながら前橋文学館にも入る。
前橋は朔太郎の地である。朔太郎が詩作だけでなく、音楽活動にも熱心だったことはよく知られている。
前橋に楽団を作ったのも朔太郎だと言う話だった。
文学館ではそのあたりの資料を色々見た。マンドリン演奏が得意だったと言うので、それだけでも詩人朔太郎がいよいよかっこよく見えた。
しかしわたしが一番好きなのは「朔太郎の猫」なのである。
詩集「青猫」、小説「猫町」などなど・・・

詩と言うものは、書かれた言葉を眼で味わうだけでなく、音声化する喜びもある。
文学館では多くの朗読者によって朔太郎の詩が音として表現されていた。
大好きな女優・岸田今日子さんの朗読を聞く。



まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。

『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、

ここの家の主人は病気です』

朔太郎の詩は一連目の「まつくろけの猫が二疋、」から最後の「『おわああ、ここの家の主人は病気です』」まで、隙間のない綴られ方をしているのだが、今わたしがこのように隙間を空けたのは、岸田今日子さんの朗読を再現したいがためだ。
『おわああ、ここの家の主人は病気です』の「ここの」から一息で、重く静かな音声で朗読されたのが、たまらなく怖かった。

世田谷文学館に最初に行った日、タイミングよくムットーニのからくりボックスの上演が始まるところだった。
中島敦「山月記」、海野十三「月世界旅行」そして朔太郎の「猫町」だった。
その少し前に大阪のキリンプラザでムットーニ展を見てファンになり、「アサヒグラフ」での特集でいよいよ好きになっていたところへ、思いがけない見学になった。非常に嬉しかった。
朔太郎の作品と言えば岸田今日子さんの朗読と、ムットーニの「猫町」がすぐに思い浮かぶのは、そうした理由からだった。
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世田谷文学館で朔太郎展があることはわかっていたが、芦花公園までのせなかったのは、何が理由だったか今となってはわからない。
結局最終前日に行くことになり、存分に愉しみはしたが、色々と惜しいことをしたと反省もした。
その日は偶然にも詩人・吉増剛造氏の会があったが、時間が常に不足しているわたしは参加できなかった。
中途退場と言うものは基本的にしないから、それでどんな講演会にも行けない、という状況がある。
すぐそばのホールで氏の言葉や映像を楽しむ人々うらやみながらも、自分は自分で一人で朔太郎を楽しんだ。

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朔太郎の若い頃の写真を見ると、谷崎も負けるような巨眼をむいていた。
しかし壮年の頃になると、やや瞼の重い憂鬱な顔つきに変わっている。
わたしは朔太郎のそんな顔の方が以前から好ましく思っていたので、舟越保武の拵えた朔太郎の顔像に惹かれた。
この像は朔太郎の像と言うだけでなく、舟越の傑作のひとつだと評がある。
実際いい像だと思う。若い顔よりもこちらの方が魅力的だった。
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朔太郎の描いた猫の絵がある。
それが今回のチラシになっている。
朔太郎の「猫町」は川上澄生によるものだが、その顔とこの猫の顔もよく似ている。
どちらも本当ににゃあとした顔立ちの猫である。
宮沢賢治の描いた猫も妙な面白さがある。
宮沢賢治は猫を題材にした童話を色々書いているが、本人は実はあんまり猫が好きではなかった、という話もある。
判る気がした。
猫だけでなく、犬でも金魚でも小鳥でもそして人間でも、実際に好きな人よりもそうでない人の方が、それを対象にした作品は面白い。

「猫町」のコーナーがある。
ムットーニの「猫町」を中心に、その周囲の壁に川上の「猫町」の挿絵がパネル展示されている。
日常からほんの少しスリップしてしまったことで、視てはいけないものを視てしまう。
現実なのか悪夢なのかもわからない状況の中で、町に溢れる猫の姿がある。
窓から顔を出す猫はあごを窓枠に載せて、「わたし」を見ている。
「わたし」は町の全ての住人から見られている・・・・・・・・

ぞわぞわする面白さが活きていた。

時系列に沿っての展示を眺める。知っているつもりでいても知らないことが数多くある。
だから文学館の展示というものは好きだ。
 
そういえば朔太郎の本の装丁は非常に美しいものだった。
田中恭吉、恩地孝四郎ら版画家とのコラボによって、今の時代にはありえない美麗な本を生み出したのだ。

展示室では色々な工夫がされていたが、中でも子供向けワークシートがよかった。
こちらはクイズラリーの3問4問だが、3は朔太郎のデザインによる椅子の飾りやパンフレットのイラスト、さらにこの展示室内にはムットーニの作品も含めて55匹の猫がいるらしい。数えなくてはならなかったが、タイダなもので数え切れなかった。反省。
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純情小曲集がある。うちの「こころ」は例の「テルーの唄」の元ネタ。
作詞などと本人も書かず、「萩原朔太郎の詩による」と一言つければ、却って良かったと思うのに。

音楽だけでなく、朔太郎は写真にも夢中になっている。
ステレオスコープ写真が再現されていた。
「廃園」が特にいい。他にも馬のいる村、アヒルのいる池(遊園地)などなど・・・

詩人の言葉、音楽家の演奏、カメラマンの写真・・・
朔太郎の残した作品は、何もかもが煌いていた。

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階下の常設室で萩原葉子の特集が組まれていた。
朔太郎展に併せての企画だろうが、これはある意味どうだろうかとも思った。
つまり両親のせいで不遇な少女時代をすごし、大人になってから父のことを書いてやっと突き抜けることのできた作家なのである。
尤も作品紹介よりも、中年以降晩年に至るまで、ダンスと手芸で機嫌よく過ごすことのできた一人の女性の道筋を主に展示しているのだが。

萩原葉子にこんな明るい晩年があったから、見ているものは救われるが、気持ちよく朔太郎の世界に耽った直後に、寒々しい現実とでもいうものを見て(見せられて)しまうのである。
熱が急速に冷えてしまう・・・
萩原葉子は別な機会に大きく企画を立てて欲しい作家だと思った。
こちらは1/29まで。

東洋文庫ミュージアム 時空をこえる本の旅

東洋文庫ミュージアムに行った。
ずっと憧れてたので嬉しい。今はそうでもないが学生の頃は本ばかり読んで暮らしていた。
その頃は大学の所蔵する本を全て読みたいと思っていた。

本の形のチラシ。ステキ・・・zen061.jpg

六義園の秋のライトアップでこの日は夜の九時まで開館。普段は八時まで。
ここは一部を除いて写真撮影可能と言うので、喜んでぱちぱち撮った。
撮ることに熱が入って(そのわりに下手な写真だ)、きちんと内容を見たかどうかがわからないのだが。

奈良絵本「しゃかの本地」 涅槃図ですね。これは初見。絵自体とても美麗。
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ロビンソン・クルーソーの初版と同年の本も出ていた。貴重本。1719年。
アダム・スミス「国富論」もある。いや、内容は忘れきってるけど(汗)。
アラビアン・ナイトはわりと近代のもので、挿絵はけっこう少女マンガ風。
トルストイ「コーカサスの虜」があった。これを見ただけでジクジたる思いがわく。そのことはここでは書かないが、なにかしらつらくなる。

ルバイヤート、マハーバーラタ、ラーマーヤナなども並んでいる。
そしてこちらはタイの「プラアパイマニー」という物語の挿絵。タイの王子様の冒険譚。人魚との恋愛、王女様との婚姻などなど・・・
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モリソン書庫というものが大山脈のように聳えている。
無論手にとって読むことは不可。SH3B08770001.jpg
司馬遼太郎記念館の司馬サンの蔵書の並びを思い出す・・・

ハーンとチェンバレンの往復書簡もある。
ハーンは本当に親日家でとうとう小泉八雲さんになったが、チャンバレンは日本研究はしても日本人が嫌いだったという話がある。

インドの細密画がある。好き。しかしこれらは時代が古いものほどいいものばかりで、近世になるほど良くなくなってくるのがコワイ・・・

妙法蓮華経が光っている。SH3B08860001.jpg


ボタニカルアートぽい本もあれば、地図なのか挿絵なのかわからない絵のある本もある。
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こちらは銅版画で、たぶん中国のどこかの庭園をイメージしたもの、らしい。
全体図と十二支像と。SH3B08790001.jpg
SH3B08800001.jpgSH3B08810001.jpg

なぞな東洋の風景画もある。
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写真禁止は孫文と宮崎滔天の関係資料。今年は丁度辛亥革命百年。東博でもいい展覧会が開催されたなぁ。

怖いのは「回顧の路」と名づけられた細い廊下。突き当たり奥に全面鏡。廊下自体はガラス張り、一面は壁、もう一面には百万塔陀羅尼や甲骨卜占のかけらなどなど。しかもナゾの音楽が流れている・・・
ヒィヒィ言いながら通り抜けると、そこには世界各国から刊行されてる「東方見聞録」が。
ううう、妙に怖いぞ。SH3B08830001.jpg


最後にPCで自分のオリジナル絵葉書を拵えるコーナーで楽しく遊べることをご報告。
敦煌などの遺跡から発掘された壁画や仏像などから好みの画像を選んでモザイクにするのだ。
これが遊行七恵のこしらえた「さがしだしてみて」。
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楽しい楽しい東洋文庫ミュージアムだった。
今度はカフェにも庭園にも行きたい。
 

東博でみたもの

東博で見た素敵な作品たち。
芭蕉の直筆。その表具がいい。もろに芭蕉柄、刺繍。
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前に「芭蕉なんて名乗るのは凄いセンス」と書かれたのを読んで、当時の状況がわからないから「何故だろう」と思ったことがある。
しばらくしたとき「芭蕉=バナナ」という認識があったというのを読んで妙に納得した。

伊万里のウサギも可愛いが、これも今月いっぱいか。
こちらはイマイチ映りが良くないので挙げないが。
ウサギは吉祥動物だから色々と絵になるが、十二支のうち羊は日本ではあんまり意匠化されないな、と改めて思い出す。尤も「羊太夫」と呼ばれた人もいたようだが。

寛文小袖が二領並ぶ景観!いいなあ。やっぱりこの時代のがマイベストやな。
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わたしが実際に着たいのはこういう柄なのですよ・・・

浮世絵は広重の忠臣蔵の揃いものが出ていた。
それぞれの段の名シーンをずばり描くが、キャラの表情の細かいリアルさがいい。
城明け渡しの由良之助がキッと見返る顔などは悔しさと決意が入り混じっているし、五段目の定九郎がニンマリするのなどはもう、芝居よりいい。
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最近の定九郎はちょっといい男過ぎるのが逆にあかんような気がする。
最初期の定九郎は山賊スタイルだったのを今のかっこいい系にしたのはいい工夫だが(ちゃんとここにも面白い逸話がある)、その意味を完全に忘れているのではないか。
何故そうなったかということを考えてしまうのは、わたしがリアリズム志向の関西人だからかもしれない・・・

初期油絵。鹿子木孟郎の虎は白毛が奴ヒゲみたい。
かなりコワモテな虎。SH3B08590001.jpg
夜中に野っ原でこんなのに出遭ったら命はないですな。

安田靫彦の描く美少年はいつ見てもときめく。
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院展の三羽烏のうち彼だけが美少年を描ける。少年だけクローズアップ。

ところで表慶館は現在工事中の東洋館に替わって、東洋美術を展示しているが、それも今月限りということだった。
あのフレンチルネサンスの美麗な空間に東洋の古い美術品を置くというのは、非常に魅力的だったが、仕方ない。
きれいだなぁ。
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漢代のオブジェだと思えば可愛い。SH3B08900001.jpg
大体古代のものは用途がわからないと「祭祀に使われたのでは」と説明が入るが、最近はそこに関心が行かなくなってしまった。
可愛いものは可愛い、と勝手な鑑賞者は思うのだった。

赤絵も可愛いのが二点ばかり。近年こうした赤絵にも愛情がふつふつとわいてきている。昔は染付一辺倒だったが、今は赤絵も掌で賞玩したい・・・


南宋の青磁。この貫入が実に好ましかった。この時期だけの美。
影までが魅力的に思われる。SH3B08930002.jpg


朝鮮の豊かな磁器たち。欲しいと思うものは無限にある・・・
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クメール佛の首など。暁闇の中の仄白い首・・・しばらくすると動き出しそうな気配がある。
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こちらはガンダーラ佛。美貌の佛。そしてその背後の佛も共に写せることが出来て嬉しい。
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やっぱり東博はいいところです。

12月の東京ハイカイ

最近は三泊四日で東京ハイカイを繰り返していたが、
年の瀬や 気持ちも暮るる 遊び人
と言うことで二泊三日ツアーになった。
個々の展覧会感想はまた別個に挙げます。

金曜は激寒と聞いてたが、ずっとショウガをお友達にしたおかげか、それとも気合いが満ちているのか、寒ないねんなあ、わたし。
これは特筆すべきことなんですね、わたし的には。
なんせめちゃくちゃ寒がりやから。
今年は漢方と医食同源がわたしの隠れテーマになったなあ。

山種で名品見てからあの渋谷坂を下ると銀杏が道一面広がるように散らばってて、それすら絵の続きに見えた。

次いでたばこと塩の博物館で森永のお菓子展を楽しむ。
こんな企画は一人で行ったらあかんなあ、誰かと行くべきやな。
店先再現が楽しい。
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それにしても実に多種多様やわ。
お菓子への情熱が熱い。
いいことずくめの展覧会だけに粉ミルクや例の事件などの黒歴史は無視。

おもろいネタを思い出した。
入社面接で「貴社の歌が大好きです」と言うた学生に面接官が「では歌って」と言うと、その学生は高らかに
♪チョコレート チョコレート アッ!・・・チョコレートは森永~

エンゼル不在でしたな。

下の浮世絵展示は国周らの明治の評判名店と美人画に見立て文様のシリーズもの。珍しいものを見たわ。

半蔵門線で三越前に出る。
貨幣博物館に入ると日銀関係のお菓子やグッズの自販機があった。
小企画展 日銀支店の建物を見る。
辰野金吾と長野宇平治の資料と各地に作られた名建築の写真やパネル展示。
なかなか面白い。
常設も楽しいからまだ行ったことない人はゼヒに。
SH3B08500001.jpg日銀本店

三井では金剛流の能面など展示。
秀吉銘名の雪月花のうち「花」 の小面がある、可愛らしい。
しかしその隣にはっと胸を衝く静かな美貌が見えた。
孫次郎の本歌。深い静けさに満ちている。
また童子が魅力的で何度も眺め回した。

メトロリンクバスで宝町に出たら、信号が歩く先々みんな青になるので、気づいたら出光にいましたわ。
等伯と狩野派の展示替えを見る。
鷲づかみなウサギと芥子の屏風など。
学芸員の柏木さんを独り占めしながら贅沢な鑑賞。
出光には素敵な監視員の方がおられてわたしは前からドキドキしてるのだが、お友達のゑび新聞さんの最新号には、また別な監視員さんにときめくキモチが載ってるから、やっぱり出光美術館は目が高いんですなあ♪

さてまっすぐ東博に行けばいいんだが、丸の内のイルミネーションに惹かれてロートレックを見に三菱へ。
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きゃっ!金子国義さまだわっ!
ときめき過ぎて苦しくなり、自分が何を見てるのかもわからなくなった。
それにしても相変わらず綺麗でした。

戦前の帝国劇場資料が別室に展示されてて、早稲田大学演劇博物館で見て以来の再会になる。
こういう企画が本当に好きやわ~
林唯一のモガたちがステキ。

すっかり遅くなったがやっぱり東博に行くことにした。
本館だけ見て、この日は終わり。


二日目。

雨の中、板橋に向かう。今日は都営線一日券で動く。
ちょっとした手違いで開館前に入れなくなる。
バス時間に合わせて出かけたのに時刻表違うやないかい、Yahoo!めっ!

板橋では池袋モンパルナス展、これは以前見たかったのに見そこねたのでやっと仇討ちした気分。

春日まで戻り文京ふるさと歴史館で坂道展を見る。
いや実に文京、いや江戸には坂道が多い!参ったなあ~

神保町で味噌煮込みうどん食べてから世田谷文学館に行き、萩原朔太郎展を見たが、やはり猫町が非常によかった。
挿絵つきの本が欲しいなと思った。川上澄生の挿絵。

損保でセガンティーニを見る。
アルプス系の絵がメインだった。象徴主義は二枚だけ。

サントリーも南蛮がラスト、これは神戸に来るからその時に感想をナガナガと書こう。
展示タイミングでか、わりに地元で見てる作品が多い。
美形の馬にときめく。zen059.jpg


雨も止んでるから喜んで千石に出たが、道に迷う。
親切なご夫婦に道を教わり、ますライトアップ中の紅葉する大名庭園・六義園に入る。
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チラシの通り綺麗でしたわ~特に池に映る紅葉が素晴らしい。
こちらは青いライトでなにやらインスタレーションぽい。SH3B086800010001.jpg

とにかく大名庭園とは無縁で来たから面白かった。
浄土庭園、夢窓国師、小堀遠州、そこから小川治兵衛、重森三玲と来てるので、間の大名庭園がないままだったのだ。
尤も、夜間開館だから全容把握なんかしてませんが。SH3B08620001.jpg
(真昼で、目を開けて歩いてても方向狂う奴がよく言うぜ)

道を挟んだところの東洋文庫ミュージアムにもついに入りました。
普段は20時までがライトアップにあわせて21時まで。
これまた非常に面白かった。撮影可能だったので喜んでぱちぱち。

二日目も隙間なく遊びました。

いよいよ三日目。
好天。雲ひとつない上天気。凄いな、この青空。
金沢文庫へ。

愛染明王の展覧会も最終日。今回ラストdayというのばかりに出かけているな。
面白かった。
そこからトンネルをくぐって、称名寺の庭園へ。SH3B08880001.jpg
庭のイチョウがステキ。
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横浜そごうでも最終日の柳宗悦展を見る。
これも来年早々に大阪に来るが、見れてよかった。
民藝は全てがそれで統一されているなら、心地よいもの・使い勝手のよさそうなものに思えるが、実際のところ自分はそれらに囲まれて生活することは望まない。
「綺麗」と「美」との違いについて少しばかり考え込む。

おとついきっちり観れなかった東博へ。
これも特別展は最終日。
この日は今月末で一旦閉める表慶館に入る。
東洋の文物と西洋をめざして作られた空間・・・非常にマッチしてるだけに残念。

庭園へ。SH3B09000001.jpg

初めて入りました。
憧れてたけど、タイミングが合わずに入ってないんだよな。
この階段もこの角度から見れたのが嬉しい。SH3B09020001.jpg

茶室もステキ。SH3B09010001.jpg

わたしは紅葉も好きだが、黄葉も大好きなの。

まったりしてから、近美へ。
「ぬぐ絵画」・・・これもかなり面白かった。
それで機嫌よく常設もめぐったが、この日に限り撮影許可を貰うのを怠ったので、ちょっと反省する。
こちらもたいへん良かったのだ。

ばったりとはろるどさんに遭遇。千葉市美術館の学芸員の方ともお話しする。
来年は来年で色んな展覧会が待ってくれてるなぁ、と実感した。

本当はukiyoeTOKYOにも行きたかったが、タイムアップ。
いいツアーだった。
2011年の東京ハイカイはこれにて千秋楽。
また来年早々お会いしましょう。 

旧国鉄奈良駅

過日、旧国鉄奈良駅に行った。今の奈良駅の横にちょこんと居座っている。
居座っている、と書いたが居座るまでに色々あった。
こんな愛らしい建物を「壊してまえ~」という一派もおったからだ。
そのあたりのことはもう書かない。
今こうしてここにある。それでいいのだ。

奈良は廃都とも言われるように、京都よりさらに古い都であり、棄てられたからこその魅力がある。
崩れかけた築地塀などの並ぶ佇まい、不意に残る野道。
それらの魅力には効し難い。

その廃都、古都には景観への強い配慮が必要とされた。
純然たる西洋風建築というものは、片山東熊のこしらえた奈良博物館など数点で、あとはみんな和の美を基調とした建物になっている。

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奈良駅正面。

寺院の水煙はここにも生きている。IMGP9557.jpg

建物内外の漆喰装飾など。
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照明もいい。IMGP9554.jpg
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斜めから見た。IMGP9563.jpg


こちらは往時の奈良mapIMGP9545.jpg
よくよく見てみると…IMGP9546.jpg
見たことのある建物でしたね。

まだまだほかにもこんなところに…!
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ロマンティックな夢でも見れそうな。

今も十二分に魅力を発するこの建物は、今では観光案内所になっていた。
本当にいいことだ。


朝鮮陶磁名品展 静嘉堂の東洋陶磁3

静嘉堂の所蔵する朝鮮陶磁と漆工芸品などを愉しんだ。
愉しんだ、のである。
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個人的なことを言えば、高麗時代の青磁の美しさには子供の頃から溺れたままだ。
実際の美に触れる前に立原正秋の文章で目を開かれている。そこから始まった憧れが今も胸底に生きている。
その高麗時代の優品を見る。

青磁鉄絵唐草文油壺 高麗時代らしい、愛らしい一品。掌のうちで賞玩したい。慎ましく可愛い花の絵がいい。

青磁輪花盤 先のより少し時の経った頃のもの。貫入の入り具合を見る。山脈のような連続した貫入が綺麗だった。

青磁陰刻双鸚鵡文鉢 薄く鸚鵡の彫り物が入っている。

青磁陽刻蓮弁文鉢 外側の蓮弁がとてもモダンで、しかも薄いグラデーションになっているのが綺麗。貫入もアールデコ風に見える。

青磁鉄絵牡丹唐草文梅瓶 彫るべきものを絵にした、という感じがある。

青磁蓮華文水指 縁のたまりの濃さがみごと。

青磁象嵌菊花文鉢 小菊。「幼い豪奢さ」というべきものを感じる。

青磁象嵌葡萄文瓢形水注 翡翠色の美麗な水注。貫入の綺麗さにも胸を衝かれる。葡萄の図案がまるで身を包む装束のようにも見えた。

青磁象嵌菊花文四耳壷 これは菊柄の可愛いワンピースのようだった。

青磁象嵌菊花文長頚瓶 こちらはセーター風。

彫刻家の新海竹太郎が集めたものがこちらに収蔵されている。そのことを思いながら眺めて歩く。

小さきものの愛らしさを堪能する。
青磁象嵌陽刻菊牡丹文油壺、青磁白堆鉄絵蓮弁文油壺、青磁象嵌花蝶文油壺、青磁象嵌花卉文小瓶、青磁象嵌菊花文小瓶・・・・・・・
どれを見ても本当に愛らしい。撫で摩りたくなるものばかり。

特に素晴らしかったものは以下のもの。
青磁象嵌雲鶴花卉文小瓶 なんと豊かで豪華な造りか。こんな小さい身体にあらゆる美が集まっている。首筋の雲鶴、胴の華・・・優美そのものの小瓶。

青磁象嵌花鳥文四耳小壷 その花鳥の色彩が、1950年代のディズニーの絵本のようで、非常にレトロモダンだと思った。今ではこんな色はなかなか作れないそうだが。なにか心に残る色調がここにある。

青磁象嵌菊花文小壷 見れば見るほど愛玩したくなる。良すぎる。撫で回したい、自分の体温をここに移してみたい・・・そんな欲望を覚える。

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やがて時代は李朝に移る。
粉青ものがたくさん出ているが、それらはいずれも関心がわかない。

鉄砂雲竜文壷 17世紀後半の壷。竜が可愛い。賢そうでしかもファンキーな感じがする。こういう竜はあまり見ないが、それだけに印象深い。

白磁透彫雲龍文筆筒 19世紀前半。雲龍部分が青みがかっているのが綺麗。

高麗茶碗の名品も並んでいるが、気に入ったのはこれ。
堅手茶碗 銘 秋かぜ  白なのだが青白磁風で綺麗だった。

最後に漆工芸品などが出た。
京都の高麗美術館や大和文華館などで優れたものを観てきているが、ここにあるものも劣らぬ美麗さを誇っていた。

黒漆螺鈿玳瑁蓮華唐草文箱 ああ、綺麗!他に何を言えばいいのだ。綺麗なものは綺麗なのだ。

漆地螺鈿葡萄栗鼠文箱 葡萄がたわわ。いい意匠。この文箱は鍵つき。朝鮮の工芸品のうち、箱物は鍵や蝶番にも愛らしい工夫がされていて、それだけでも欲しくなる。

19世紀の螺鈿箱も豪奢だった。全面に螺鈿を貼り付けている。ぴかーっと光っている。
金ではなく白青い光。

華角張十長生文箱がいくつもある。
これはやっぱり高麗美術館でよく見せてもらっているし、お気に入りのものもあるので、特にどれかに衝撃を受けるということもない。
しかしながらやはり高麗美術館で「観る悦び」を教わっているので、ただただ楽しく眺めさせてもらう。トラやキジといった動物が「朝鮮」を表しているように思う。

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12/4まで。

12月の予定と前月の記録

早いもので師走ですね。
何かとせわしない。
月初は関西ではまだ紅葉も楽しめます。

今月の予定。自分がリアルに行きたい・行けそうなところをメインにしてますが。


セガンティーニ 光と山 損保ジャパン~12/23
池袋モンパルナス展 板橋区立美術館~1/9
ぬぐ絵画|日本のヌード1880-1945 東京国立近代美術館~1/15
ザ・ベスト・オブ・山種コレクション 山種美術館~2/5
明治期の日本銀行支店建築 貨幣博物館~1/15
森永のお菓子箱 エンゼルからの贈り物 たばこと塩の博物館/1/9
南蛮美術の光と影  泰西王侯騎馬図屏風の謎 サントリー美術館~12/4
坂道・ぶんきょう展 文京ふるさと歴史館~12/
ロートレック展  三菱一号館美術館~12/25
都市文化の成立と帝国劇場展 三菱一号館美術館~1/13
生誕125年 萩原朔太郎展 世田谷文学館~12/4
色々な忠臣蔵 ukiyoe Tokyo~12/25
東洋文庫ミュージアム開館記念
歴史・時代小説家篇 鎌倉文学館12/23~3/31
籾山艦船模型製作所の世界―幻のモデルメーカーが残した商船模型― 日本郵船歴史博物館 12/3~4/1
愛染明王 愛と怒りのほとけ 金沢文庫~12/4
柳宗悦 そごう横浜 ~12/4

こちらは関西。
朝鮮陶磁の美 青磁、白磁、粉青沙器 高麗美術館~1/29
川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに 京都国立近代美術館~12/25
駒井哲郎展 1920-1976 ‐版にみる夢と現実 伊丹市立美術館~12/18
明代龍泉窯青磁 大窯楓洞岩窯址発掘成果展  東洋陶磁美術館~12/25
水墨画アラカルト 泉屋博古館~12/11
所蔵中国名品 大和文華館~12/25
子規の叔父「加藤拓川」が残した絵葉書 明治を生きた外交官の足跡 大阪府立弥生文化博物館12/3~1/29

ちなみに明日2日~4日まで東京におります。展覧会の終盤に行くのもどうよ、と思いつつ。
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