美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

2月29日はにんにくの日=吸血鬼の弱る日

2月29日は閏日だが、語呂あわせで「にんにくの日」でもあるそうだ。
にんにくの日と言われても特にどうということもないが、例によってわたしの連想は妙なでんぐり返りをしてみせる。

にんにく=吸血鬼がいやがるもの。
吸血鬼=クリストファー・リー。

これで決まり。
ここではピーター・カッシングやゲーリー・オールドマン、あるいは「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」のトム・クルーズとブラッド・ピットは措いておこう。
(「トワイライト・サーガ」もなしの方向で)

とにかく子供の頃の恐怖の対象は、クリストファー・リー演ずるドラキュラ伯爵に尽きた。
幼稚園に行く前からかなりの歳月を怯えて過ごした。
何しろシバシバ悪夢にうなされるくらいだった。
夢の中では、ホテルの一室でドラキュラ伯爵に追い回される恐怖を、延々と味わわされていたのだ。
そうこうするうちにほかに恐怖の対象が広がってきたが、依然として彼は別格だった。
尤も、全ての吸血鬼が怖いのではなく、クリストファー・リー演ずるドラキュラ伯爵が、怖いのだ。
だから同時期に見ていたアメリカのアニメ「幽霊城のドボチョン一家」のドラキュラ(声は名古屋弁の南利明)はむしろ他のキャラよりずっと好きだったくらいだ。

ストーリーはもう覚えていない。後にブラム・ストーカーの小説を読んだので、おおよその流れはわかっているが、クリストファー・リーのドラキュラ伯爵の物語はそれだけではなかったと思う。続編やら外伝やら、そんなものが延々と生まれていたはずだ。
とにかく高潔な貴族の風貌を見せる、白皙のクリストファー・リー・ドラキュラ伯爵(!)が何も知らない美女の首に牙を立てる。
赤い血が流れ、美女が干乾びる。
様子を見た男も襲われ、殺される。
‥・・・青白い、立派な顔に血が滴って・・・
本当に怖かった。

怖いなら近づかねば良いのに、これがまた引き寄せられる。
わたしは昔のホラー映画を見ずにはいられない性質なのだった。
見過ごせない、とでもいうべきか。

クリストファー・リーへの恐怖は長々と続いた。
いつ見たのか・何処で見たのか忘れたが、(それとも雑誌で見たのを自分で見たと思い込んでいるのか)、映画のコスチュームなどの展覧会があり、そこでクリストファー・リーが着用したドラキュラ伯爵の衣装が展示されていた。
193cmの長身だという。
それを見たとき、多少の恐れが消えた。
やがて、待ち焦がれていた「STAR WARS」の新三部作が公開され、そこに「ドゥークー伯爵」としてクリストファー・リーが元はジェダイ騎士だったとして、立派な姿を見せていた。
更にほぼ同時期の「ロード・オブ・ザ・リング」でも悪の側に立つ魔法使いとして、やはり活躍している。
そして「チャーリーとチョコレート工場」ではショコラティエ・ウィリー・ウォンカの厳格な歯科医の父として登場し、最後に息子と感動的な再会を果たすのだった。
これを見たときに、本当の意味でクリストファー・リーへの恐怖が消えた。
彼は老齢に達しても貴族的な風貌をもった、立派な俳優だったのだと、わたしはようやく認識した。
(とはいえ、いまだにあドラキュラ伯爵だけは怖い、怖すぎる・・・)

前述の「幽霊城のドボチョン一家」はドラキュラ、フランケン、狼男、ミイラに魔女たちが住まうマンションのような城で、キャラたちが毎回それぞれ好き勝手なことをしつつズッコケたり、不意に演奏が始まったりという、特にどうこうストーリーのない、しかしスラップスティックなギャグが満載のアニメだった。
ここのドラキュラは声を当てた南利明の名古屋弁が非常に効いた、愉快なキャラだった。
顔色は当然青白いし、爪も長々と伸びているが、どこか可愛い。紳士的なナリをしているのもいい。
コウモリに変身してもすぐに壁にぶつかってドラキュラに戻り、「だめだわーこりゃあ」と気を失う。
わたしが最初にみた「可愛い吸血鬼」はこの南利明の声のドラキュラだった。

次に惹かれた吸血鬼は木原敏江の「銀河荘なの!」のキャラたちだった。
リアルタイムには一度だけ読んだ記憶があるが、本をそろえたのは小学五年のときだったか。
そこにいた吸血鬼たちは木原敏江の唯美主義に沿った、美麗な青年たちだった。
この作品で初めて吸血鬼への恐怖が失われた、と言ってもいい。
そして今もわたしはこの「銀河荘なの!」を特別に偏愛していて、今自分の生きている年が西暦のいつなのかを確認する度に、「あぁ」と想うのだった。

「銀河荘なの!」の終盤に大学で吸血鬼の講義が行われ、そこに萩尾望都の「ポーの一族」エドガーの絵が特別出演する。
わたしが「ポーの一族」を知ったのは、木原敏江の作品を通じてなのだった。

「ポーの一族」は萩尾作品の中でも特に好きではあるが、再読するのにためらいがある作品だった。
わたしは好きになりすぎると、かえって遠ざけてしまう傾向がある。それで近年は読まなくなっているが、この作品に触れていると、時間の流れが意味を持たなくなるのを感じる。
初めて吸血鬼に対して憧れを感じたのは、「ポーの一族」
だった。

小池一夫原作・平野仁の絵による「少年の町ZF」は吸血鬼の宇宙人の侵略によって、人類の大半が吸血鬼化する話だった。
たまたま数人の少年たちがその枠から外れてしまい、孤独な戦いを強いられることになる。
吸血鬼の長の娘を無理やり味方に引き込んだことで少年たちの戦いは、いよいよ熾烈さを極めることになる。
しかし懸命に「人間として生きるための努力」をし続ける少年たちの姿は、今読んでも胸に迫るものがある。
むろん吸血鬼たちの攻撃は激しい。
やはり怖いことは怖いのだが、リアルタイムに読んでいた頃から、その感動が生きていたので、今もしばしば読み返す本になっている。

星野之宣「悪女伝説」の一つに吸血鬼カーミラの話がある。ここではヴァンパイアの魅力、血を吸われることでの陶酔について書かれている。その快楽から逃れるためには自死するほかはないくらいに。
ラストのどんでん返しは予期されていたとは言え、怖いものだった。

吸血鬼のコミックから離れたのは、中学くらいだった。
その後は近年まで読んでいない。

そうこうする内に展覧会へ出向くようになり、ムンクの「ヴァンパイア」の色違いの作品群を見た。
これは怖かった。
「マドンナ」も大概だが、「ヴァンパイア」の怖さはちょっとやそっとではない。
ムンクと言えばついつい「叫び」を自分の顔でも再現(!)するギャグを繰り出してしまうが、「ヴァンパイア」にはそんなことは出来ない。
ひんやりと非常に冷たいものが背筋を走るのを覚える。
どんな明るい色調であろうとも、怖いものは怖いのだ。
寒気のする吸血鬼の絵なのだった。

再びコミックでの吸血鬼譚に戻る。
「ガラスの仮面」のエピソードの一つに、亜弓さんが「吸血鬼カーミラ」を演ずるものがある。劇中劇であるため、そんなに緊迫感はないが、それがわたしと吸血鬼コミックとの再会でもあった。

坂田靖子はスラップスティックコメディとシリアス作品とを同じ配分で描ける作家だと思う。
短編「吸血鬼幻想」は後者である。
白い画面で繰り広げられる物語は、青年の妄想なのか現実なのか判然としない。
逃れようのない日常の中で青年はただただ活きているとも言えないまま、生きてゆくしかない。
血を吸われるシーンはあるが、それは青年と彼の庇護者との愛の行為の一つにしか見えない。非常に静かで、温度の低い作品だった。

赤石路代「夜が終わらない」は現代を舞台にした吸血鬼譚だった。
ここでは未開の地での風土病からの伝染という形を取っている。可愛らしい絵柄なのでそんなに怖くもないのだが、次々と恐ろしい状況が迫り続けてくるため、かなり読みごたえのある話となっている。
薬剤の到着をひたすら待ち続ける、というナマナマしい設定が怖さを運んでくる。
絵にだまされるが、これも怖い吸血鬼譚なのだった。

「彼岸島」は現在も連載中だが、吸血鬼と人間との戦いを彼岸島という絶海の孤島を舞台に繰り広げる、果ての見えない話である。
怖さよりも気持ち悪さが先に立つが、血を吸うシーンや、吸血鬼の血が人間につくことへの恐怖が執拗に描かれ、読む身はぞわぞわするばかりである。

吸血鬼の恐怖の頂点、とも言えるものはまだある。
アニメ「妖怪人間ベム」のエピソードにある。
タイトルは忘れたが、非常に恐ろしく、そしておぞましいものだった。
ベム・ベラと分かれて一人ベロは、傷ついた青年を救う。青年は弁髪姿の一団に撃たれていたのが崖下へ落ちたらしい。父を弁髪の一団の本拠地に囚われていることを話し、青年はベロの協力を得て、牢へ向かう。
一方ベムとベラはある武闘派の僧侶とその弟子たちと知り合う。弟子たちはあの弁髪の一団だったが、彼らは全員口が聞けないでいる。
それはある地方を襲っていた吸血鬼父子を退治しようとした際に、その強力な魔力によって弟子たちは聾唖になったのだった。僧侶も死闘を経てようやく吸血鬼の父親を本拠地の牢に封じるが、息子を取り逃がしてしまい、ようやくその行方を突き止めたところだったのだ。
ベム・ベラと僧侶たちが守る牢に、ベロの思いこみと過失からついに青年がたどりつき、死に際に牢の鍵を開ける。
ギィィという音を立てながら吸血鬼が牢から現れる・・・
最後はあっけなく倒されてしまうのだが、そのドアが開くまでの緊迫感たるや、今ここで書いていても怖くて耐えきれなくなってくる。
本当に怖い吸血鬼はこのあたりだったか。

無声映画を見ることにハマッた時期がある。
特にドイツ映画がよかった。
カリガリ博士、ゴーレム、ノスフェラトゥ。
怖いくせにわたしはやはり吸血鬼の物語を追っていた。

梅田に会員制で上映会を行うPLANET1という施設があった。
わたしはそこで「ノスフェラトゥ」を見てしまった。
モノクロの無声映画は夜景でも妙に画面が白かった。
話はブラム・ストーカーの原作をほぼ忠実に追っていたように思う。
とにかくこれが怖かった。
余りに怖いので小さく悲鳴を上げてしまったほどだ。
今もスキンヘッドで尖った耳の、眉のない顔を思い出すと背筋が寒くなる。
本当に怖かった。

近年になり、「ノスフェラトゥ」をヘルツォーク監督がリメイクしたものを見た。
クラウス・キンスキーが吸血鬼を演じ、イザベル・アジャーニが犠牲になる美女を演じていた。
こちらはそんなに怖くもなく、機嫌よく見ていたが、やはり吸血鬼は怖いものであることに変わりはない。

小説では横溝正史の時代伝奇小説「髑髏検校」が日本製吸血鬼として、非常に怖かった。
中学の時に読んで余りに怖くて、机の奥に入れるのも怖く、早々に学校図書館に返したものだった。
今も再読する根性はない・・・

最後にツイッターで教えてもらったが、「ノスフェラトゥ」の映像がyoutubeにあげられているということなので、それを紹介する。

追記:昔アメリカかイギリスか忘れたが「ソウル・ドラキュラ」という歌があった。サビのところしか思い出せないが、そんな歌もあったし、「一咬み惚れよ~」というコピーがあったことも覚えている。

229にんにくの日から吸血鬼へ。
長々とおつきあいくださりご苦労さまでした・・・
(怖いのはみんなで分けあおう~)
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東京拾遺 書きそびれていた感想

そろそろ二月も終わりなので、二月の東京で見たものの感想もここで終わらせよう。
ハイカイ録には大まかなことを書いてるけど、感想文に出来ないままなのが何件かある。
けっこうこうした取りこぼしが多いのを反省。


☆東博の常設展示
丁度おひなさまの展示に変わり、雛道具の愛らしいのを眺めた。
三谷ていさんと仰る方の寄贈品。紫檀象牙の豪華な材に蒔絵を施したものが素晴らしかった。
わたしは関西の子供なので、こちらで見るものと違うのが興味深い。
これまでにも名古屋、柳川、信州、大洲など各地の雛道具を楽しんできたが、江戸の雛道具を見るのも楽しい。
地方により違いはあっても、女児の幸せを願うのは同じ。
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大好きな御所人形も出ていた。
この時季は可愛い白菊さんたちに会えるのがうれしい。
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むろん御所人形は関西で多く会えるのだが、箱根の向うで会えると、また喜びが違う。
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他には嵯峨人形などなど。

ところでこやつは土くれの埴輪のハニーちゃんや土偶のドギーくんとはまた一線を画した、キャプテンdogoo。
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・・・海賊にしか見えないのだった。

神仏系では、薬師寺の聖観音の模造品もあったり、興福寺の仏具も色々。
廃仏毀釈で世に出てしまったものがこうしてまとまっていると、ほっとする。
羅漢図に善財くんの旅に鎌倉時代の絵因果経が並ぶ内に、奈良時代の絵因果経も顕れた。
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茶道具は前月から引き続いて出てるのもあったり。
本体も魅力的だが、それにまつわる逸話がまた好きなので、そのあたりを想像するのも楽しい。

浮世絵では春信を見た。SH3B09780001.jpg
他には雪だるま作りの子どもや、ウサギ抱っこの娘さんの絵に惹かれたり。
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特別展の方では、もう「清明上河図」は北京の故宮奥深くへ帰っていったが、それでも他の麗しい作品はまだ人の眼を心を楽しませていた。
随分な人出で、熱気もあった。
のんべんだらりと見て回るわけにも行かず、好きなものだけに集中して眺めて回った。
やはり「夜合花」が好きだが、絵も疲れたか、少し色あせて見えた。
逆にコスプレ皇帝は人目に晒されて、いよいよ元気を増しているようにも思えた。
楽しい展覧会も今では終わってしまったが、長く心に残るのは間違いなかった。


☆書道博物館
東博へ入る前に根岸の書道博物館へ入った。
「みんなが見たい優品」というリクエスト展。
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書のほうはあんまりよくわからないのでパスしたいのだが、それでも気づけばけっこうマジメに見てる。
北京故宮展に出てる拓本の写しもここにあるそうで、それをチェックしておく。
拓本と言えば必ず思い出すのが谷崎の「瘋癲老人日記」の終盤。老人が京都で颯子(息子の嫁に爺さんは懸想しておる)の足裏を拓本するのだが、その前段で中国人の拓本技術の高さを褒めている。
わたしはそれが意識に刷り込まれているので、拓本=中国人の技術の高さ=瘋癲老人日記、という図式が活きておるのでした。

書のコレクターたる中村不折のおかげでこうした名品は残ったんだろうが、肝心の不折の作品は、書よりも油絵にそそられている。
書では「神州一味噌」「新宿中村屋」のロゴなどが有名。
(後日「神州一味噌」のパッケージでロゴを確認した)

今回は島崎藤村「若菜集」の表紙絵がいい。
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☆菊池寛実記念智美術館
ここで備前焼の金重有邦さんの近年の作品群を見る。
ザリザリ感のある備前焼は大物ならともかく小さいものはニガテである。
しかし「用の美」を措いて造詣の美を楽しむなら別である。
独特の景色を楽しんで、明るい気持ちで見て回る。
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ここは「展示する」こと自体にも力を入れているから、一点一点を楽しめるだけでなく、遠景でも楽しめるようになっている。
梅や桜だと「一目千本」というところだが、そんな喜びがある。

それにしても副題の「生まれくるもの」というのは巧い。
なるほど確かにその通りだと思う。

備前焼の赤だけでない色が出ていた。
なんだろうと解説を読んで膝を打ちたくなった。
炭に竹を加えることで、青の発色が生じるのだ。
こうした工夫は体得してこそのものだ。
化学反応により生じることとはいえ、経験から発想がわき、それを実行するのは人の手とその感性なのである。
いいものを見た、とつくづく思った。


☆出光美術館
こちらは三世山田常山の愛すべき急須たちである。
本当にこの展覧会のおかげですっかり急須愛に目覚めてしまった。
深い愛らしさにときめいた人はどれほどいたことか。
常滑焼の面白さを存分に堪能し、自分のお気に入りを勝手に決めて、楽しい楽しい展示に喜ばせてもらった。
再訪して、特に好きになったキューシーにウィンクしてから、去った。


☆石神井公園ふるさと文化館
常設では練馬大根の歴史や練馬駅の再現や祭礼などのジオラマがあったが、なによりも屋外展示の「旧・内田家住宅」がよかった。
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明治20年代初に建てられた民家で、大きな板間にはいろりと神棚と仏壇があり、土間には竈がある。
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上座敷・下座敷・前座敷があり、それぞれ釘隠しも趣向を変えている。
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建具もよく、硝子もいい。
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こういうものを見るのも楽しい。


☆フェルメールからのラブレター展
この展覧会は既に京都で見ているが、今回ブンカムラで見てみると、一層楽しみが深くなった。展示の配置やちょっとした工夫に関しては、ブンカムラのほうが演出力が上だということだ。作品への印象まで変わるほどだから、やはりブンカムラは侮れない。
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☆ルドンとその周辺 夢見る世紀末 展
こちらもやはり京都で見ているが、ただしこの三菱一号館には大きな特徴がある。
「グラン・ブーケ 収蔵記念」という副題の通り、下記の絵が目玉なのだった。
たいへん大きな絵で、びっくりした。
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花瓶の青が綺麗で、こぼれる花々がいい。


二月の東京ではこういう風に楽しませてもらったのだった。
次は3/16~20まで予定。


福田平八郎 下絵と本画

東大阪市民美術センターに福田平八郎の「下絵と本画」が来ていた。
大分県立芸術会館の所蔵品である。
東大阪市民美術センターは大掛かりな宣伝はしない、つつましい市民ミュージアムだが、企画も展示も、これまで一度も「面白くない」もののない、良いところである。
期待しながら出かけて、やっぱり楽しく眺めて回れた。
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日本画家の下絵と言うものは重要な意味を持ち、時には本画をしのぐ面白味のある作品も少なくない。画家の考えの変遷を眺めることも出来、とても興味深い存在である。

福田平八郎は大正期から戦前までの作風と、戦後の作風の違いをそれぞれ楽しめる作家いである。
わたしは随分以前は戦後のモダンな作風(簡略された線や形態、軽快な色調)を快く思わず、院体画に影響を受けたもの・大正デカダンスに親しいものに深い関心を寄せていたが、'99年6月に横浜そごうで開催された「幻の日本画・首藤コレクション」展ですっかり転向してしまった。
その寸前から段々とその良さに眼を開かれ始めていたが、首藤コレクションの平八郎の三幅対で完全に戦後の平八郎の作品のファンになったのである。
やがて'07年5月の京都国立近代美術館での回顧展を見て、大正以前の作品にも愛情が行き渡るようになり、今ではもう「特に好きな画家」の一人になっている。
そしてそのきっかけとなった首藤コレクションについては、また後に多少書くが、先に見たものを記したい。

一階ロビーのガラスケースに大正七年の「緬羊」が飾られていた。
おとな・子ども含めて10頭の羊。羊の毛色は灰色でやや重いが、そんなところにどこかデカダンスなものを勝手に感じる。

「雨」「漣」といった作品は、それこそ子供の頃には理解できなかった。
それを描くことに何の意味があるのだと思っていた。
ところが今では非常に良いものだと思っている。
こちらの意識が変容あるいは成長したからこそ、その味わいを楽しめるようになったのだ。
いま、それらの下絵を目の当たりにして、平八郎の本画への軌跡を見ようとしている。

それにしても「漣」は遠目に見ると、ウナギ・アナゴ・ハモの泳ぐ姿に見えて仕方ないのだった。
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昭和26年の「紅葉」には鳩が何羽も隠れていた。これは写生なのだが、かなり細かく描かれている。画家の眼を意識を追走すると、だんだんとそこにいる鳩たちが紅葉の中へ消えてゆくように思えた。

「水」は下絵がセピア色に変じていた。本画はこのように青と緑で構成されている。

今日は普段あまり絵を見ない友人と一緒に見ていたのだが、向こうの発想とこちらの妄想が妙な地点で交差して、それが地上に降り立つや、思いがけない感想が湧き出してきた。
以下、しばらくその模様を載せる。

まづ水。(こう書くと石川淳「至福千年」冒頭だ・・・)
「これはあれか、油の浮いてしまった水面か」
「うーん、環境破壊はいかんなぁ」
青と緑で構成された「水」が全く別物に見えてくる。

「安石榴」は以前から好きな絵で、特に下側の枝にいる猫が気に入っていた。
「この猫は番してるんかな」
「単に寝てるだけちゃうん、半開きの眼で」
「ほな眼覚ましたら、この絵から消えやるな」
勝手に絵の続きを話し合う。

平八郎は桃と鮎とを多く描いた。
「ああ、これは白桃、そっちは黄桃やわ。汁が滴りそうなんと固いのがあるなぁ」
「さすが仲買人やな、野菜もフルーツも詳しいな」
「ウチは魚屋やがな。ついでにいうと、そこの鮎、みんな天然やわ、見たらわかる」
「ほー、そらそら結構やん。こいつを塩振って焼いて、蓼酢で食べたら最高やな」
桃も鮎もわたしたちの前では到底無事ではいられないらしい。
その後も延々と続くので、ここで打ち切り。

どう見ても抽象表現の作品があった。
それについて平八郎が面白い一文を残していた。
アメリカから来た抽象表現を取り入れた人々への一種の警告である。
平八郎は抽象表現を拒否する立場を採ったのだが、しかしそこにある絵は、どう見ても抽象的な表現で構成されていた。
そのあたりの面白味は禅語のようなものだったか。

装飾的な絵を見た。
「白梅」と「初雪」。zen266.jpg

どちらも非常に好ましい。
こうした作品を見ると、それこそ風呂敷にしたり帯にしたくなる。
世界を凝縮し、そこに好きなものだけを集めたような作品。その愛らしさにときめく。

チラシになった「雪」は薄い紫を何層にも重ね塗りしたそうだが、それが夜の雪のような風情を浮かび上がらせていた。
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最後に「桃」の絵を見た。
これは冒頭に挙げた首藤コレクションの首藤定さんのために平八郎が描いた一枚。
首藤さんは大連の商工会議所の会頭だった人で、敗戦の際に邦人の脱出を手助けするために、それまで集めに集めた日本画コレクションをソ連に渡した、という立派な人なのだ。
絵は今もロシアにあるようで、'99年に里帰り展をしたのだ。
首藤さんは特に同郷の平八郎を応援していて、たくさんの平八郎の絵がロシアに残された。
後に病床にある首藤さんのために平八郎はこの「桃」を描き、それを枕頭に齎したそうだ。

興味深い展示の多い展覧会は、3/4まで。

麗しの京美人

京都文化博物館の特集展示「麗しの京美人」展を見た。
'93年の秋に「京の美人画」展が大々的に開催されたが、それ以降は時々展示されてはいても、なかなかあの規模には届かなかった。
今回はかなり満足した。今まで見ていなかった作品もいくつか見たようにも思う。
この文化博物館所蔵のものと、寄託管理されているものと色々あるが、やはり「京の美人画」をここで見られるのは嬉しい。
今回の図録は出ていないが、以前の「京の美人画」図録はまだ活きているのだろうか。
もし出ているのなら、購入することをオススメしたいと思う。

衣通姫 西川祐信 これは前回の「京の美人画」チケットを飾った一枚。
「我が背子が来べき宵なり ささがにの蜘蛛のふるまひかねて知るしも」
衣通姫(そとおりヒメ)の詠んだ歌を絵にしている。
平安朝の衣裳を着た高貴の女人が、軒より垂れ下がる蜘蛛を見る図。
この衣通姫は日本書紀の姫。

わたしは古事記を先に読んでいるので、日本書紀の衣通姫と古事記の衣通姫の乖離に、以前から困らされている。
だからというわけでもないが、記紀はそれぞれパラレルワールドだと思うことにしている。
ヤマトタケルも古事記の倭建の方が好きだ。日本書紀の日本武尊よりロマンティックだし。
そういえば今年は古事記成立(712年=和銅5年)から1300年にあたるのか。
だいぶ前に太安万侶(おおのやすまろ)の実在の証拠が確か出ていたはず。  

源氏物語 若菜下 西川祐信 女三ノ宮が姿を顕すところ。公達たちのハッとなった姿と、猫の勢いが目を惹く。静かな絵ではなく、意外と動きがある。

美人図 冷泉為恭 幕末の復古大和絵の名手だけに、綺麗な十二単美人を描いている。衣の重なりの美麗さがいい。桜の下で檜扇を開く高貴の女人、顔を隠すことがいよいよ美しさを予想させるのだった。

伝吉野太夫図 益利 座して文を読む。
吉野太夫は絵にも芝居にも踊りにもなり、江戸時代を代表する美人の一人。
こちらも代を重ねていたが、何代目かは知らない。二代目が最も有名だが。
しかし上品で教養のある太夫図はいつの世も人気だ。

富貴佳境・貴妃文楽図 源 中国美人が得意の源の対もの。
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どちらも楊貴妃の姿を描いている。髪型や髪飾り、衣裳、装身具などを替えているのも芸が細かい。富貴花(=牡丹)を愛でる楊貴妃、奇岩を背に書を楽しむ美しい姿。

美人図 長沢芦雪 立姿。若い女だが、帯は柔らかものを重く垂れて結んでいる。浮世絵の女の帯とはまったく違う感覚。リアルな布の質感がある。
指先を袖の中に隠す。
こういう仕草を見ると立原正秋の「はましぎ」の登場人物・信子を思い出す。
信子は常に和装であり、顔の角度まで考えていた。当然指先も袖内に込めている。
この娘は月兎を紋にしている。鶯色の着物から下の赤地が透ける。若い女は素足のまま立っている。髪には鼈甲の櫛。
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太夫雪見図 山口素絢 こちらは日本美人の名手。この絵もしばしば表に出ては人を魅了する。雪の寒さと太夫の頬のほんのりした朱さ。息もきっと白いはず。なんとも風情のあるよい一枚。

歌妓図 渡辺南岳 アクの強い女。それが身だしなみ中。銀鼠の着物に赤地に孔雀柄の帯を締めている。この女も柔らかくて芯のないような帯を締めているのだ。

歌妓図 合川和 巨大な笄を直す。めがね絵を思い出すようなその特異な髪型。膝の折座る形も個性的。下唇には笹紅
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白骨と美人 天沢 秋の野に垂れ髪の美人がふと立ち止まる。
視線の先には薄の陰に斃れる白骨。無常感よりもどこかシュールなものを感じる。
ススキだけでなく白い女郎花も咲いている。わびしい野。

ここから「せいとく」と上龍の絵が現れる。
この二人は'93年「京の美人画」で知ったが、どちらも非常に個性的な絵を描く。

太夫道中図屏風 祇園井特 一曲で左にかむろと振袖、右に太夫と遣り手と男衆と小僧。井特のアクの強さは薄い。太夫は今日は後ろ盾のように立ち、前を行く振袖の披露目を眺めている。二人のかむろも可愛い。
かむろの一人は白い蝶を追う。もう一人の少女は髪を結い上げている。この子は着物の襟に「油取り」という布を掛けている。山種にある松園さんの絵にも同じ風俗があるが、そこでの解説によると明治の一時期に流行ったものだという。
しかし井特は江戸時代の人である。流行のぶり返しなのかもしれない。
それともこの頃は違う名前で呼ばれていたのかもしれない・・・
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鼓美人図 井特 立つ女は左手に小鼓を持つ。賛が書かれていて「手弱女」だけは読めた。薄い着物にふっくらした頬の女。着物の表現が違うものを連想させもする。ちょっとアブナい。

二美人図 井特 仲良く耳打ちし合う二人の女。後世では深水が好む構図。これも時折みかける。

観桜美人図 三畠上龍 公家の上臈が白い桜の枝を折ろうとしている。優雅な様子。

扇美人図 三畠上龍 モコモコのすごい帯。裾には乱菊。鶸色の地。顔立ちは今の女優・真野あずさに似た美人。

納涼美人図 三畠上龍 床机にしどけなく座す女。赤いモコモコ帯。暑さに負けたか、胸元もかなりくつろげている。川の上に床机を出しても風はなかなか・・・

舞妓納涼図 吉原真龍 木の柵にもたれる舞妓。白菊の着物に黒い帯を締めている。
笹紅の下唇が可愛い。

常盤御前図 塩川文麟 雪に撓む笹の下に佇む母子。今若、乙若の子ら二人は薄着、胸に抱かれた牛若は眠る。幼い兄弟は母の袖に顔をつっこみ、せめてもの暖をとろうとする。

夏美人図 歌川春貞 すっきりした立ち居の美人。玉三郎に似ている。黒を着流す細面の女。素人だとするとまだ若い町女房か。

妓女図 幸野楳嶺 これもしばしば表に出る。にっと笑う舞妓。書斎にいる。文人の愛するステーショナリーグッズの集まった一室に妓女。面白い。
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官女図 伝・菊池容斎 すっくと立っている。檜扇をぎゅっと持つ。
容斎は故事絵をよく描いたから、これにも何か元ネタがあるのかもしれない。

百合女風流図 谷口香嶠 これは祇園の名茶屋・東林のお梶の娘(ここでは養女)お百合を描く。池大雅の妻となった女流絵師・玉欄の母でもある。
床机に座り一休みする。桜の一枝が伸びている。
お百合は仮名文字の流れるような着物を身につけている。
母のお梶は歌舞伎の舞踊劇「六歌仙」にも姿を見せる才女だが、このお百合も当時の京では人気の高かった人。
彼女らを描いた小説がある。池波正太郎「おとこの秘図」。
お梶・お百合の奔放で楽しそうな姿が描かれている。

魯秋潔婦図 幸野楳嶺 中国に魯秋という人がいて、その夫人の逸話が名高いそうだが、不勉強で知らないでいた。烈女にはあまり関心が向かないのだ。
彼女は桑の実を採ろうとしている。その髪を包む青い帽子に見覚えがある。フェルメールの「青いターバンの少女」のそれに似ていた。明治18年の作。日本画の色の美を愛でる。

伊賀局と天狗図 渡辺省亭 怪力で名高い伊賀局が天狗と対峙する逸話は幕末から明治に掛けて好まれたか、芳年「月百姿」にも描かれている。
怖いものなしの伊賀局が外廊下で、庭の中空に杖を突いて困り顔の天狗からなにやら相談を受けている図。

久米仙人図 鈴木松年 この絵師は明治初に「今蕭白」と謳われたほどの人だが、もう忘れられた絵師でもある。
だいぶ前に神戸の板宿で展覧会があったが、いけなかったことが今も残念に思われる。
久米仙、ざぶーんっの図。妙に勢いがあるのがいい。

娘 菊池契月 色白の細面の娘が団扇を使う。うなじをそっと隠す仕草がいい。明治40年代の絵。大正のロマンティックさが少しずつ見え始めている。
薄紫色に鴛鴦をモザイク風にした柄の着物。髪は高々と結い上げている。可愛らしい娘だった。
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芸妓図 甲斐庄楠音 墨一色で妖艶な女を表現している。墨の濃淡、線の肥痩で艶かしさがこちらに強く迫ってくる。
やや太い線で描かれた女の背後からの姿、首ばかり軽くねじてこちらに片頬を見せている。
白々とした顔。白粉の白。大正から昭和初期の作品。官能的な作品。

おしろい 廣田多津 女の画家が化粧する女を描くとき、二つに分かれるかもしれない。
男向けの女を描くか、女向けの女を描くか。自分のための化粧は後者だ。
モダンな着物を着たはっきりした女。

おばけ 堂本印象 これは節分の夜の祇園風俗を描いたものだが、大正初期らしいデカダンスさが匂い立っている。日本の特殊な風俗ではあるが、この女たちの群像図はフランスのそれにも似ている。もしくはイギリスのビアズレーの「イェローブック」表紙絵にも使われそうな。

菫摘み マツ本一洋 この人の「マツ」の字は出ても、画面にきちんと変換されまい。
桃山風俗。足元に点々と青いスミレが咲いている。眉を丸く整えた美少女がそこにいる。
背後の木はぼんやり描かれていて、この野が現実のものなのかそうでないのか、判然としない。

夕暮れ 上村松園 この絵は御所の近くの鴨沂高校所蔵。「京の美人画」展が洛中で開かれると、期間限定で姿を見せる。松園さんのお母さんを思い出して描いたもの。
懸命に家事をこなす、かつての日本の婦人のある日の姿。

猫と娘 三谷十糸子 赤い絣の着物に白リボンの娘が黒猫を抱っこしている。丸顔の黒猫はこちらをぼんやり見ている。戦後の絵。

鴨川の夕涼み 梶原緋佐子 昭和48年の作だから、もう純粋に可愛らしい、綺麗な娘を描いている。初期の社会派な絵より、昭和に入ってからのこうした純然たる美人画のほうがかなり好きだ。しかし緋佐子の転進が、実はより暗澹たる時代になったことへのアンチテーゼだったことを思うと、戦前の美人画には、一概に「きれいきれい」と喜ぶことは出来ないのだった。戦後の美人画には機嫌よく応援と感嘆の声を挙げれるのだが。
緋佐子の展覧会も'91年の遺作展以来開かれていない。
青々とした鴨川を背景に可愛らしい舞妓がいる図。

昭和61年に京都は日本画家たちに多くの新作を依頼している。
その作品群が出ていた。
ここにあるのはほぼ全てが祇園の女たちだが、三輪良平一人だけが大原女か白川女かを描いている。風俗は分かれているのだが、どっちがどっちだったか忘れてしまった。

次にモノクロ撮影の昭和30、31年の春の祇園を捉えた作品がある。
浅野喜市の連作。モノクロではあるがその華やかさは色を超えて迫ってくる。

他に江戸~明治の振袖や旧幕時代の簪、化粧道具、耳盥、さらには紙入れ、煙草入れ、筥迫といった小間物も展示されていた。
筥迫(ハコセコ)はわたしも小さい頃の節句の和装時によく胸元に差し込まれていた。
頭には大阪の子どもらしく「おばけ」をしている。
この「おばけ」はむろん妖怪でも祇園の節分のそれでもない、「おばけ」である。

懐かしい心持で見て回れる、楽しい展覧会だった。
3/25まで。なお振袖は一部展示変えあり。

江戸の妖怪

石神井公園ふるさと文化館というところへ初めて行った。
この界隈は殆ど知らない。
確か昔、檀一雄が家を持っていたはず、と思いながら歩く。
「火宅の人」たる檀はその家で、嵐山光三郎から原稿依頼を受けて、「月刊太陽」に何かしら書いていたはずだ。
池のほとりを延々と歩く。
地図は真っ直ぐな道を歩けと示している。
真っ直ぐ歩いても歩いてもたどり着けない気がしてきた。
そもそもわたしは何を見ようとしているのか。
目的は「江戸の妖怪」展を見るためだ。
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殆どどなたも話題に載せなかったこの展覧会に惹かれて、ここまで来ている。
しかしどうにもたどりつけないでいるというのはどういうことか。
もしかすると、既にわたしは妖怪の力で、ただただ延々と歩くようにコントロールされているのだろうか。
・・・そんなことを思いながら歩く内にやっと道が終わった。
わたしはその建物の中へ入る。時間は9時少し過ぎだった。

二階に常設展示室と企画展示室がある。
常設は無料だが企画は有料である。
わたしは企画展示室へ入った。

江戸の妖怪展の案内がある。
「昔の人々は、得体のしれない力によって引き起こされたと考えられる不思議な現象を指して、「妖怪」としていました。妖怪は文献などに記されるようになり、やがて文学や絵画、芸能などの題材となっていきました。
本展覧会では、江戸のまちで流行した妖怪について、草双紙や浮世絵などを通じて、そのいきいきと活躍するすがたを紹介します。歌川国芳や月岡芳年、葛飾北斎、十返舎一九などが描いた草双紙や浮世絵など約90点の資料を展示します」
ということだが、実際いい資料がたくさん出ていた。
それらはこの石神井公園ふるさと文化館の所蔵品ではなく、あちこちから借りてきたものなのだが、この企画を立てた方々の尽力で、いいものがたくさん揃っていた。
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プロローグ:江戸時代初めの怪談
最初に本が出てきた。
浅井了意の「狗張子」「伽婢子」など。
これらは元ネタは中国の怪奇小説などを日本向けに翻案した読み物。挿絵がいい。作品自体は寛文から元禄年間のものだから、幽霊には足がある。(幽霊の下半身が靄けるのは応挙から)
「蜘蛛塚」は蜘蛛の妖怪が現れるシーン、「牡丹灯籠」は丁度荻原新之丞が白骨と仲良くしているところを隣家の人がのぞくシーンなどが描かれている。
私は最初に「牡丹灯籠」の元ネタの方を知ったので、日本の翻案ものとは案外縁が薄い。幕末から明治にかけて円朝の落語でこの噺も大人気になり芝居にもなったが、元禄の頃から知られている噺とは知らなかった。
他に「原隼人佐鬼胎」という話があった。こちらは死後百日の妻が老僧につれられ帰ってくるもの。白衣に錫杖をついた妻は裸足である。

1.妖怪図鑑
18世紀に入ってからの本が出てくる。
「倭漢三才図会」と鳥山石燕の「画図百鬼夜行」「今昔画図続百鬼」「百器徒然袋」、桃山人「絵本百物語」などである。

「倭漢三才図会」には中国の「山海 などにも典拠のあるような妖怪類が描かれている。
水虎、川太郎(河童の一種)、鳥のウブメ、人魚などなど。

石燕は歌麿の師匠でもあるが、お化けの絵のオーソリティとして有名。
生霊、死霊の絵があるが、既に足はなくなっている。
幽霊の立ち姿、逆さまの姿について書かれた松田修の論考を思い出す。
猫また、うぶめ、元興寺(ガゴゼ。世界遺産・元興寺由来の妖怪)、ろくろ首、ぬらりひょん、人魂・・・
姫路のおさかべ姫、玉藻前といったところから、皿屋敷で知られるお菊さんの話もあるが、ここでは「皿かぞえ」と紹介されている。
だんだんと石燕のオリジナルが出てくる。水木しげるの妖怪図鑑も石燕の図鑑を元にした妖怪たちが多い。

「絵本百物語」はカラー本で、絵は竹原春泉。頭の後ろにも口のある「ふた口女」、目鼻のない「お歯黒べったり」、小豆洗い、虫になったお菊虫、かさねなどなど。

佐倉の歴博からも妖怪絵巻が来ていた。
天狗、犬神に始まり、大首、のっぺらぼう、小雨坊(池波正太郎「剣客商売」に「妖怪・小雨坊」の一篇がある)、百々爺(ももんじい。北斎もそれを自分の「百物語」に使っている)、がんばり入道(すごい名前だ。「がんばれ」は前畑さんへの応援からメジャーになったのだが。1936年)、〆は高砂婆(「高砂」のあの媼だが、翁がいないと妖怪の仲間入りになるのか)。

他にはパロディーとしての妖怪絵巻があった。
平家蟹ならぬ平気蟹(厚かましいご婦人)、見越入道ならぬ見越入湯(入湯中も台所で味噌を使いすぎていないか薪を使いすぎていないか気になって仕方ない金持ちでケチの親爺)などなど。
江戸の人々のパロディー愛好熱が高くて、楽しい。

2.化物草紙
多くの黄表紙が出ている。学生の頃、おじの家で読むようになり、言い回しなどが面白いと思った本もあるが、今は何処に行ったのだろう・・・

「化物大閉口」は絵が豊国というもので、これはまた楽しい話である。にぎやかな江戸が住みにくい化け物たちは、黄表紙の戯作者に相談へ行く。とりあえず街中を見学に出ることにしたが、義眼・入れ歯・白髪染め・毛はえ薬の宣伝看板などを見て化け物たちは仰天。
「江戸にゃ住めねへ」とばかりに箱根を越えようとする。

その「化物大閉口」の「世界」を借りたか、十返舎一九が絵も文も書いたのが「化物見世開」である。
いや解説を読むと「野暮と化け物は箱根の先」という諺があるらしいから、そちらを踏まえてのことか。
とにかく江戸の化け物たちは江戸にいられなくなり、箱根あたりの田舎に住処を求め、落ち着いてからは仕事を始める。
化け物の親分格は見越入道なので、彼が率先して何かしら仕事を見つけねばならない。
そのうちに「百物語」する人々の前に出演をという依頼や、欲張りばあさんの葛篭に入る依頼を受けたりするようになる。
商売は非道なことをせぬので土地の化け物たちからも信頼を受け、みんなめでたしめでたし、ということで終わる。

黄表紙は他愛のない筋が多いので、文章のリズムさえ覚えれば、読みこなせると思う。
久しぶりにわたしも図書館に行こうかと思った。

それにしても一九はやはり面白い。絵もこれだけ達者だと、そりゃ他の人の手はいらぬようにもなるか。
わたしは小学生の頃、福田清人が子供向けに書いた「膝栗毛」を愛読していた。それが今も身に残り、江戸文化が好きなのだと思う。

他にも「化物忠臣蔵」「化物太平記」「化皮太鼓伝」などが出ていた。
最後の「太鼓伝」は一九の文に國芳の絵がついている。水滸伝のパロディで、見越入道が護良親王から誘いを受けて、世界を魔界にするために豪傑探しの旅に出る、というもの。
関係ないが、わたしは「太平記」の護良親王をモリナガと習ったのだが、今ではもりよしで呼ぶようになり、変換も護良で一発で出てくるようになった。
なんとなく納得できないままである。

3.大衆芸能と妖怪
歌舞伎になった怪談ものといえばまず「四谷怪談」をいちばんに思う。
四世鶴屋南北、通称・大南北の傑作だったが、南北は他にも多くの怪談ものを描いている。
そもそも芝居に怪談ものが大流行したのは、南北が書いた「天竺徳兵衛韓噺」からだった。
これは今では「天竺徳兵衛新噺」として上演されることが多い。
とにかく蝦蟇の妖術使い=天徳か児雷也、と相場は決まっている。
南北先生は綯い交ぜの手法が非常に上手で、たとえばこの天徳には累(かさね)まで登場する。
こちらはその芝居を基にした合巻にした本。絵は國芳。
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蝦蟇がまた妙に可愛くて可愛くて仕方ない♪

わたしが見た天徳といえば、猿之助の天徳だが、やっぱりああいうケレン味たっぷりの芝居は、理屈抜きに楽しい。

累といえば鬼怒川である。祐天寺もこの因果譚と深い関わりがある。
わたしが小学校二年の誕生日のときに貰った本「おばけを探検する」にこの累の話が詳しく載っていた。今もシバシバ再読するが、非常に面白い本なのだ。
そしてこの累の物語は陰惨としか言いようがない。
だからこの絵を見たとき、びっくりした。
「累成仏得脱図」。zen257.jpg
ウィンクするようなカサネちゃんを中心に「なんまいだ~」の文字が放射線状に書かれている。
うーん、江戸の人は偉い。

他に「皿屋敷」の芝居絵、「小平次」の芝居絵、「四谷怪談」などがある。
どれを見ても非常にわくわくする。絵師は國芳と國貞。どちらもとても素敵だ。

あとは浅草奥山で人気のあった見世物小屋の生き人形や独楽回しの怪談物を描いたものが出ていた。
これらは昔々、国立演芸場資料室でたくさん見て、すごく好きになったものばかりだ。
無論絵師は國芳。

4.化物絵の世界
芳年の絵があったり、國芳の「化物忠臣蔵」が出ていたりした。
芳虎の化物絵もある。暁斎の化物絵には、外国人まで混ざっていた。なかなか笑える。

5.妖怪遊び
ここではおもちゃ絵の中に生きる妖怪たちの姿があった。
明治になり赤色が浮世絵にも使われるようになったので、それを多用しているのが目に付く。
「新版おばけづくし」「化物子ども尽くし」「おばけのしばい」「百物語双六」などなど・・・
こういうのは見ているだけでほのぼのと楽しい心持になる。
そうだ、いつだっておばけはトモダチなのだった。

とても楽しい展覧会だった。
3/4まで。

企画室を出た後、常設室に入ると、そこは江戸時代から昭和の真ん中までの練馬が再現されていた。時間があればもっと楽しみたいが、ゆとりのないわたしはくるくる見て回るしかない。建物の裏に古い屋敷も再現されている。
帰りは「ここから近道」とあるとおりに帰った。
不思議なくらい早く駅に着いた。近道の効力と言うより、とりついていた妖怪が離れたのかもしれない。

呉春の俳画と写生画 特別公開「白梅図屏風」

梅の絵は今の時期に表に出る。
熱海のMOAでは光琳の紅白梅図屏風が現れ、逸翁には呉春の白梅図屏風が久しぶりに表に出た。

今年は梅の開花が遅いらしく、早咲きのロウバイはともかく、山の野梅も、家々の塀からのぞく梅も、寺社の梅も、まだたよりを聞かない。
しかし描かれた梅はいつでも馥郁と咲きこぼれ、観る者たちを喜ばせてくれる。

3/4までの逸翁美術館「呉春の俳画と写生画」展には呉春の白梅図屏風が、平面状に展示されていた。
屏風は本来折り曲げられて眺められることを前提に描かれるが、むろん平面鑑賞もわるいものではない。
むしろそれが現在の展示のあり方である。
展示室に入り、最初に観るのは小磯良平えがく逸翁小林一三のスーツ姿の肖像画である。
にこやかな小林に挨拶された心持ちで右手に曲がると、そこに白梅図が待ち受けている。

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ああ、と思う。嘆声をあげるほかはない。
元禄の絢爛たる光琳の美ではなく、ここにあるのはしっとりと落ち着いた白梅の、それも未だ咲き誇る前の姿なのである。
実物を目の当たりにすると、その静けさに打たれもしようし、日本人の愛する「寂」をしみじみと実感もしようし、色を愛でる・形を喜ぶ、といった面白味もある。
しかし実際には、そうした感情からも少しすさって、ただそこにある美に感銘を受けるばかりなのだった。
そしてそれこそが「写生画」の本質であり、それに観るものたちが打たれるのは、絵師の・作品の、誉れなのだと思う。

印刷物にこの白梅図をモノクロで掲載したものを観たとする。
色はむろん濃淡くらいしかわからない。
しかしこの呉春の白梅図は、そのモノクロのチラシであっても芳香を放つ。そんな希有な魅力がある。

間近で眺めると、細かい工夫がよくわかる。しかし遠目に見ても、その魅力は劣らない。
しみじみと静かな心持ちになってきて、絵を十分楽しんだ後は、その名残を感じながら、この絵に背を向けてくつろぐことも、いいだろう。
この白梅図にはそうした心のゆとりを許す良さがある。

呉春は池田=呉服の里(くれはのさと。ちなみに明治座にある呉服座もまたクレハザである)に住まう間に、多くの文人墨客と交友を結んだ。
京へ去るまでに生んだ絵はいずれも優しい和やかなものだった。
彼はいくつかの号を持っていた。
存允白、月渓などである。そのあたりを秘かに楽しもう。

龍山落帽図・桃李園図  龍山落帽図は人気のある話らしくよそでも見ている。
山中の宴でかぶりものが飛んでも気にしません、のは本人ののほほんさよりも、侍童が必ず働くからだろう、と踏んでるからでしょう、とツッコミを入れたくなる。
よく働く少年は背中だけ見せている。
桃李園でも宴会が開かれているが、こちらにはまだ髭のない若い男がいい心持ちそうに酔っている。どちらの絵の自然描写も点描や線の肥痩、墨の濃淡などで写実に描かれている。

秋景孤鹿図 呉春はこの材が好きらしく、ほかにもひとりぼっちの鹿を描いている。
こちらは秋の鹿。これこそまさに「声聞く時ぞ秋は」である。
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月渓の号で描いたものは線の強弱が激しいものが多い。

寒山拾得図 謎な坊主姿の二人。ロン毛ではない。
木樵山水図 集めた薪を置いて一休みの樵だが、遠景の山がどう見ても胎児の横顔にしか見えない・・・

大原鹿画賛 平家物語の終り「大原御幸」の前段「大原入」。そこに現れる鹿を描く。

五月雨画賛 高井キ菫題 柳に雨。さらさらと描かれている。

幻住庵記画賛 上に舟、中に老人が描かれている。賛はかなり長い。もらったリストの裏にその文が書かれている。長いので読むのも一苦労する。
サインくらいはここに写せる。
天明丙午夏四月書於呉山僑居月渓「呉春之印」あり。

玄象琵琶画賛 これは今昔物語に出ている物語で、「陰陽師」ですっかり人気者になった博雅三位が、琵琶の音色に惹かれて近づくと、鬼がそれを演奏していたとかそんな話。
描かれているのは琵琶の玄象をビェンビェンと弾く鬼と、後姿の侍童。黄色い衣が可愛い。
賛が上部に書かれているが、いつ見ても呉春の文字は個性的で、なかなか感じがいい。
一緒に見ていた人が「陰陽師」ファンなので大いに喜んでいる。
彼女は夢枕獏の小説を、わたしは岡野玲子のコミックを思っている。

奥の細道画賛 以前の雅俗山荘の頃、休憩室に呉春の奥の細道の絵巻のレプリカが展示されていた。


高砂図 ・・・しわしわ。でも元気そうなお二人。金婚どころかダイヤモンド婚も遙かに越えてそう・・・

梅渓人物図 小舟から梅の枝を握る。手にまで梅の香りがつきそうな。梅は<・・・>で記されている。

四俳人画像 芭蕉、其角、丈草、嵐雪。芭蕉は旅の間よく使っていたたすき掛けの布カバンを側に置いている。今なら「信三郎帆布」か。

老松図 薄墨で描かれた枝ばかりがある。幹の巨大さはそこから推量しなくてはならない。日本を始め東洋絵画の観念とはなんと豊かなものだろうか。

逸翁が対にした絵がある。
寒山孤鹿図と観月人物図である。逸翁の独特のセンスは学ぶほどに興味深いものになる。無関係なはずだが、今こうして並ぶのを見ると、離れてはならぬもののように思えてくる。

山中採薬図 大きな絵。松の幹の木肌のより具合がリアル。松を中心にじいさんと孫の男児とがいる。力強い絵。構図はいかにも呉春の大きな絵、という感じがする。
孫は足に滑り止めのカンジキらしきものをはめている。

こちらは本当の対。
松下遊鯉図 鯉の鱗のリアルさ。一枚一枚がくっきりと活きている。
岩上孔雀図 墨の濃淡で孔雀の華やかさを描いている。足下にレンゲが咲いている。 
こちらもリアルな描写。

秋夜擣衣図 砧図。家の外でトントン砧を叩く。古来よりこの画題は愛されている。
働く女のそばにヤカンが置かれている。不在の亭主を待つ手持ち無沙汰とかよりも、日々の暮らしの中の一こまを見たような気がする。

見慣れた絵ばかりであっても、やはり楽しい。

桜花遊鯉図 更紗の表装がいつ見ても綺麗。この作品は禁裏御用品だったとある。

「綱立て」句武者画賛 これは渡邊綱の噂話をする二人の武者を描いたもの。
句は其角「綱立て つなの噂の 雨夜哉」 
綱が帰ってきたときには鬼の腕を持っていることだろう。そんなことを思いながら眺めるのが楽しい。

陶淵明画賛 これはいわゆる「嫁入手」と呼ばれるもので、呉春の師匠・蕪村の亡き後にその娘の再婚費用を捻出するために描かれたもの。
鼻の形を見るといつもいつも峰岸信明の描くキャラ・入星を思う。他には見ない形。

十二ヶ月京都風物句画賛 十二ヶ月を詠み込んだ句に絵が添えられているが、句は十二以上ある。私が見たときは半分ほどが見えていた。

寿老人の上下姿、笹に何か飾りものをつけたものを笑いながら持ち歩く男と、三番叟の烏帽子をかぶった子供、ここらあたりは正月と二月である。
句は「徳介に門たたかれて福わかし」と「初午や竹の伏見は二日月」
正月の句はわからないが、二月の初午と伏見とはよくわかる。
他に花見帰りの人々、早乙女たち、鎧姿の人々などの絵とそれにふさわしい句がある。
呉春の粋(すい)な良さが伺える作品。

最後に昭和31年3月11日の茶会の再現が成されたものを見る。
掛け物はむろん呉春。柳に小禽。ふっくら可愛い小鳥がいる。
古備前の花入れに左入の黒樂、菓子器は赤地金襴手といういかにも永楽和全な作。
茶器は原羊遊斎の可愛い可愛い蒔絵だった。

いいものを眺めてから、機嫌よく牧落までうなぎを食べに向った。

明治・大正・昭和の大衆メディアでつづる 正チャンとその仲間たち展

続いてこちらは「明治・大正・昭和の大衆メディアでつづる 正チャンとその仲間たち展」の感想。
新聞マンガ史とその周辺と副題がついている。
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銀座のホテル・モントレーの向かいにある若山美術館で多くの印刷物の展示を見た。
ベルギーのタンタンよりも少し早い時代に生まれた正チャンとリスの冒険マンガのポスターを見たとき、俄然行く気になった。
わたしは挿絵も大好きだが、昔の絵物語やマンガも大好きで、特にこの「正チャンの冒険」はひどく好きなのだった。
だいぶ前にていぱーくで展覧会があったときは本当に嬉しかった。1920~30年代のカルチャーは本当になにもかも面白くて、大好きなものが多い。

こちらは「正チャンの冒険」第一話の最初のシーン。
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いきなり正チャンはファンタジーの世界に足を踏み入れている。長く相棒になるリスとの出会いである。
リスにつれられ不思議な冒険を始める正チャン。

展示資料は室内いっぱいにあるが、表を見るものばかりで中身が見れないのは誠に残念だった。
しかしそれでも楽しくはある。

「デンスケ」を初めて見た。ごくごく個人的な感慨がある。母の高校の若き数学教師はこのあだ名を奉られていた。それはこのマンガに描かれた青年から採られたものだということを、長い時間がたった今、娘の私はやっと知ったのだった。

RRR武井武雄の絵本、初山滋「たべるトンちゃん」もある。見ていて本当に楽しい。
また壁面にはラファエル前派の画家たちの作品をモノクロ複写したものが何点も飾られていた。
ほかにも「信貴山縁起絵巻」など。
こういうのも面白い。
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上の階ではウォルター・クレインのシェークスピア「ヴェローナの二紳士」の挿し絵が展示されていた。
豪華本の挿し絵の展示である。
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物語そのものはめちゃくちゃというか、わけがわからない展開である。
二人の青年の恋の行方を追うわけだが、こいつら二人自身がまずアヤしい。私に言わせてもらえれば、どこが紳士やねんという状況である。
しかし絵は周囲の飾りも含めてとてもきれいだった。

少し昔の文化は本当に魅力的なのだった。
それを味わいながら帰った。

昭和初期のサラリーマン・コレクター 森井荷十コレクション展

ここ数日1930年代を話題にした記事を挙げている。
興が乗るままもう少し。
既に終了したが練馬区立美術館の森井荷十コレクション展はたいへん面白かった。
これを無料で見せてくれるのだから、練馬区美術館の見識の高さと鷹揚さはさすがに素晴らしい。
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森井はサラリーマンであり更に川柳作家として昭和初期に名を成したそうだ。
チラシがまたいい。リーフレットにもなっているが、これは大事に手元に蔵っていたい。

鉄斎 東坡壁画図 宴を楽しむ一同のいる建物の上に、蝋梅が咲き誇っている。酒の香と蝋梅の香りが混ざりあって、ここまで届きそうである。
鉄斎の自賛の文字もそのにぎわいと香りで踊るように見える。
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菅楯彦 住吉小集楽の図 楽しそうな宴の様子がいい。
先の鉄斎の絵もそうだが、大正期の関西の絵師たちの絵には、どこかのんびりほんわかしたムードがある。


清方 朧駕籠 近松の芝居から材を得た幽霊画。手前のシャクナゲの薄いピンクが清楚でいい。駕籠から出た幽霊はどこを見ているのかわからない。蛍らしきものがそばに飛ぶ。まだ若い清方の絵。明治の絵だということを感じる。
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清方 春風春水 木柵にもたれる女。花を見る。享保の頃の女だろうか。サインは「あぢさゐのや」だから大正後半以降。絵も「いかにも清方」らしい絵。

輝方 保名 大正の役者で保名を得意としたのは梅幸だったか六代目だったか。輝方の保名は優雅な見栄えをみせている。
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輝方・蕉園 元禄美人 蕉園の方が幼い感じがある。愛らしさがある。輝方美人はそれよりは多少たけているが、大正らしいロマンティックさがある。

橋本関雪 暁江帆影 中国の船、中国の塔、中国の山岳。
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小川千甕 水田里 夜になれば田毎の月が見れるだろう。

島田墨仙 草叢蛙鳴 のんびりした心持がいい。
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小杉放菴 松下人 墨のかすれがまた味わいとなる。

木村荘八 三番叟 この時代の三番叟を得意とする役者は二世猿之助だが、それを思ってこの絵を見ると、どこか面影を宿しているように見える。
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青木大乗 白菜の図 白菜とクワイが描かれている。青木はなかなかまとまって見る機会のない日本画家だが、昨夏川西で初めて色々と見た。
こうしたコレクターの人たちが持っているのは嬉しいことだ。
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山口蓬春 松原図 チイチイチイ・・・松ぼっくりも転がっている。後年のモダニズムな日本画とは全く違う。しかしそこがまた面白い。
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清親と安治の江戸から明治へ移り変わる錦絵が並ぶ。
場所はすべて「東京」である。
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上野東照宮積雪之図が特にいい。雪にまみれた鳥居や灯籠と、背景の重い灰色、小さな赤い社、そして傘を差す女がいる。和の風情というものを、情緒というものを深く感じる。

清親と安治の作品は花小金井のがす資料館でしばしば展覧会が開かれている。そちらは版画だからほかのところで見ることもあるが、錦絵はあまり見ないから楽しい。
ただ構図などは慣れ親しんだ版画の世界と見まがうものが多いので、ついつい見ているものが錦絵なのか版画なのかわからなくなる。

コレクター荷十のリアルタイムな時代を思う。
1930年代。そのリアルタイムな時代を版画で表現した作品も集められていた。
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小早川清の美人版画と小野忠重の線の太い創作版画が特に印象深い。ルオーを思う配色も目に残る。
特に瓦斯工場Aがよかった。
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武藤六郎は初めて知る作家だが、南洋をモティーフにした題材が魅力的だった。
パパイヤ、タコの木、ゴーギャンばりの森陰の女・・・
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この時代の日本人は南洋にも多く出ていたのだ。
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土方久功、中島敦などなどが南洋でさまざまなものを見、経験して、形に残している。

小林朝治 正受庵降雪 雪の実感がある。
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小林朝治 千曲川清月 今も確かにこんな風に見える気がする。
 

短冊に面白いものがあった。
枇杷を描いた河野通勢と田中一村のそれがいい。
丸々した枇杷、ぷりぷりした枇杷・・・
違いがとても面白い。

最後に荷十の川柳がいくつか展示されていた。
 ハーモニカ小僧道々ふきならい
明治末からのハーモニカブームがよくわかる一作。
 働けり疲れけり伸びし爪をみる
リアルな川柳やなぁ・・・ 

面白い展覧会だった。もう終わってしまったが、忘れたくない内容だった。

都市から郊外へ 1930年代の東京

この地図を見てほしい。
これは1930年代のある年の地図である。
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チラシに使われた地図は主に世田谷を写したものだ。
今日の区分とは異なる地域もあれば、今は存在しない建造物も載せられている。
これは1930年代に、都市から郊外へ街が拡大化されていった証明なのである。

世田谷文学館の企画展「都市から郊外へ 1930年代の東京」は、先行する板橋区立美術館「池袋モンパルナス展」、松涛美術館「渋谷ユートピア」と共に、近代の東京の在りようを示す重要な展覧会だと位置づけられるだろう。
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1870年代からの本格的な近代都市文化形成から半世紀が過ぎ、都市から離れた周辺郊外にも近代化が広がっていた。
この展覧会は世田谷文学館の企画したものだから、当然ながら世田谷区を中心とした目線で事象は語られ、資料が提示される。
観るわたしたちはそのことを踏まえて展示を眺めてゆく。

最初に沿線地図がある。
目蒲線などの沿線ガイドである。ちょっとした行楽地も描かれている。
区画整理され、計画的な建設がなされた田園調布の地図もある。その地図はひどく美しい放射線状の形を見せている。人工庭園の秩序、という言葉を思い出す。
東急の場合、郊外都市を形成するにあたっては、阪急を手本にしている。
ターミナルを終点・始点にし、その沿線に住宅地を開発してゆくのは阪急が先行している。
小林一三に兄事した五島慶太は、それをより発展した形で広げてゆく。
また人口が増えることで、自ずと必要のある施設が生み出されてゆく。
郊外の発展は自然発生したものではなく、非常に意図的な状況で成されたものなのだ。

東京朝日新聞社が関わった「朝日住宅」の資料を見る。現存する建物はない。コンペによって選ばれた設計が三次元化した状況を見ることは出来ないが、平面図や写真資料からその魅力を測る。
和風ハーフティンバーの外観をもつ家は特に好ましかった。
この時代は和洋折衷の概念が消化され、それを見事に形に出来る技能が広がり始めている。
どの家の資料を見ても明るい希望が満ちている。

野上弥生子の邸宅模型と写真がある。非常に魅力的な建物は、現在臼杵市に移築され、国の文化財になったらしい。中に入りたくなる邸宅だった。
見る限り、ひどく好ましい邸宅だと思う。1930年代のモダンさが活きている。
他にも多くの魅力的な「新しい家」が以前はあったことが伺える。

初めて知ったことがある。同潤会といえば集合住宅、というイメージがあるが、一軒家も拵えていたらしい。これにはちょっと驚いた。サラリーマン向けに十年ばかり供給していたようだ。現存するかどうかは知らない。
自分の勉強不足をはじると共に、新しいことをここで教われてよかった、と思う。

都市での消費は郊外に住まう人々の娯楽となっている。
伊勢丹の宣伝を見る。明るいポスターと楽しいノベルティ。
都市文化を、消費文化を楽しむ人々。
わたしが1930年代を好きでいる理由がここにある。

新宿のデパート抗争はたいへん激しいものだった。
今も伊勢丹、京王、少し離れて高島屋などがある。
現在の梅田も大概だが当時の新宿の状況は、大変な激しさを見せていたろう。

新宿伊勢丹の建物は当時の華麗なモダンさを今に保っているが、進出以前から隣接するほてい屋をいずれ収めたいと思っていたため、建築当初から各階をほてい屋と同寸法で拵えていたらしい。
こういう周到な話は面白い。

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映画が弁士つきのものからトーキーへと変わって行き、映画製作の本数も増加した1930年代。人々がより多くの映画を楽しむようになった時代、名作が多く生まれていった。
映画ポスターの展示を見る。
「マダムと女房」「ふるさと」「妻よ薔薇のやうに」「若い人」「エノケンの千万長者」「人情紙風船」「我が輩は猫である」「上海」「綴方教室」・・・・・
フィルムセンターで時折上映される作品がここにも出ている。ポスターも御園コレクションなどで見ているが、世田谷文学館は自前の所蔵品を展示していた。
それはやはりここに撮影所があったことが力となっている。

映画撮影の現場を描いた伊原宇三郎のシュールな絵がある。リアルでありつつ現実離れした空間と言う二重構造をさらに絵画化することで、三重構造となる。それを<現実のわれわれ>が見る、と言うことを考えると、四重の構造が活きることになる。
非常に面白いと思った。

難波田龍起のギリシャ神話をモティーフにした絵画が現れた。
彼の詩がパネルに掲載されている。
花  私はルドンの敬虔な花を求める 奇しくも咲いた幻の花を

難波田のギリシャ神話への傾倒についてはルドンの影響があるらしいが、こうした詩からもそれが伺える。
わたしは難波田の描くギリシャ神話の絵の魅力には以前から吸い寄せられていたが、今回こんなにも多くの作品に出会えるとは思っていなかった。ひどく嬉しい。
絵を見ながら、ある小説を思い出していた。
福永武彦の短編「夢みる少年の昼と夜」である。
1954年のこの作品は、太郎と言う少年の夢想を柱にして進められる。
太郎はギリシャ神話を想う。
福永はマラルメの「古代の神々」を引用してギリシャの神々を形容する。
わたしは太郎の夢想を、難波田の作品から追体験しようとする。
絵画を見ながら太郎の夢想がここに再現されることで、一層作品が近しいものになった気がする。

1930年代は「少年探偵団」の時代でもあった。
今も必ずどこの小学校にも置かれている、江戸川乱歩の永遠の名作である。
その挿絵や「少年探偵団」の構成員であることを示すBDバッヂが展示されていた。
弥生美術館での展示で馴染んだ作品群だが、これらがこの「都市から郊外へ 1930年代の東京」展にあることで、「少年探偵団」の世界がいよいよ鮮明になってくる。
この連作に登場する少年たちは、東京郊外の町で暮らす少年たちなのである。
彼らのモダンさこそ1930年代である証明なのだった。

暗さをも感じ始める時代ではあるが、1930年代の少年たちはなんと輝いていたことだろう。
日本では「少年探偵団」を始め、「少年倶楽部」で華々しく活躍する少年の物語があり、ドイツではケストナーが「飛ぶ教室」やエーミールとその仲間たちの活躍を描いている。
ときめきが更に募る展示があった。
村山槐多の描いた「二少年図」が久しぶりにここに出ていたのだ。
この絵はそもそも乱歩が熱愛して、生前は常に手元で愛していた。
現在はこうしてここに寄託されているが、乱歩はこの少年たちの絵を眺めながら、「少年探偵団」の活躍を描き続けていたのだ。
わたしは入隊の資格を持たないが、外から少年たちを応援し続けている。

展示にはないが1930年代といえば必ず思い出すべき事件が二つある。
それは1936年の二.二六事件と阿部定事件である。
丸谷才一がこの件について非常に面白いことを書いている。
二.二六で世相が暗くなったときにお定さんの事件が起こり、妙に気分が明るくなってしまった、というような意味の一文である。
そのお定さんが捕まった日の新聞を見たことがあるが、下半分がお定さんで、上半分がチャップリンとコクトーが同じ船で来日した、という記事が大々的に載っていた。
決して忘れられない新聞記事だった。

写真を見る。
桑原甲子雄の切り取った東京の風景である。まだ二十代半ばの桑原の眼に写る東京の風景・東京の人々の暮らしをみる。
都市部の繁栄と薄暗い寒さが映し出されている。
こうした連作を見ることで、その当時の東京の姿を多少は理解できたようにも思いもする。

稲垣知雄の1930年代の創作版画を見る。
よく知られた「猫の版画」ではない、都市風景図である。
森下仁丹のネオンが輝く上野駅を遠景に、公園の道路を横切る黒猫を描いた「上野風景C」などには特に惹かれた。
煙突を俯瞰する図もひどくいい。
これらを一つ一つ丁寧に眺める楽しさは、この展覧会に来ない限りは味わえない。

映画や舞台になった「アジアの嵐」もあった。ティムールの物語である。
これは春秋座を旗揚げした頃の二代目市川猿之助(後の初代猿翁)を描いたものだった。
随分以前からこの作品には惹かれていたが、全容を知らぬままである。
こうして少しでも触れることが出来て、とても嬉しい。

レコードが多く世に出た。ジャケットを見るのも曲名を見るのも楽しい。
それらを見るだけでなく試聴も出来るシステムになっていた。
わたしは以前から1930年代の歌曲が好きなので、喜んで聴いた。
二村定一「アラビヤの唄」、渡辺はま子「いとしあの星」、藤原義江「鉾をおさめて」、ディック・ミネ「上海ブルース」などなど・・・
「侍ニッポン」などはついついこちらまで鼻歌を歌ってしまった。
誰もいなかったからよかったが。

最後に菊池一雄の彫刻群があった。
菊池一雄の父・契月の日本画は特に好ましく思うが、この長男の彫刻はあまり見てこなかった。父と二人の息子たちの展覧会を以前京都で見たが、そのときも日本画ばかりが気になっていたので、きちんと眺めた記憶がない。
基本的にリアルな彫像が多い。わかりやすい作品だと思った。系譜で言えばロダンの孫弟子にあたるが、菊池はパリだけでなく諸外国をも歩いている。

有意義な展覧会だった。
非常に興味深く眺め、深々と味わった。
こうした展覧会は本当に貴重なものだ。
少しでも多くの人に見てほしいと思う。
4/8まで。

今和次郎 採集講義

汐留ミュージアムで「今和次郎 採集講義」展を見る。
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本格的な展覧会は今回が初めてらしい。
だいぶ前に松涛美術館で和次郎と純三兄弟の展覧会を見たが、あれではやはり不完全だということでもある。
今回、会場に入った途端、本当にクラクラした。
執拗なまでに細密・濃密・精緻な調査報告が延々と展開されている。
それを一つ一つ熟視していると時間がどれほどかかるのかわからない。
見る側がそれでは今に悪い。
今はその調査を延々延々と行っていたのだから。

メモを取る根性がなくなり、ただただ見て回るだけになったから、大したことは書けない。
いつもエエ加減なことしか書いてないが、今回は特に酷くともご容赦を。
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信州や群馬の民家の調査報告を見る。
百年近い前の日本の中部の民家は、今では全く遠いものになっている。
これだけの数のスケッチを見て回ると、自分もそのツアーに参加してコンパスくらい持って計測したり、汗を拭いたりしてるような心持になってくる。
わたしはなにしろ関西の人間なので、中部の民家は全く知らないのだ。

絵はいずれも妙に魅力的。
伊豆大島の民家を見てると、♪三日遅れの便りを乗せて~と唄いたくなるし、津軽の写真を見ると、勝手にじょんがらが流れ出してくる。

1920年代の山間部や地方都市の様子は、正直あまり関心がない。わたしは基本的に都市文化にしか興趣を覚えないのだ。
だからこのあたりの今の仕事は、「楽しむべきもの」ではなく「学ぶべきもの」として、わたしの脳は記憶する。

朝鮮半島をも今は歩く。
柳宗悦や淺川兄弟の朝鮮スケッチや写真を思い出しながら、今の調査スケッチを見るのは、非常に興味深かった。
三つも状況証拠を見たようなもので、そのあたりが面白い。

それにしても今の興味の対象は細かい、細かすぎる。
現在ならやっぱり、こういう超精密調査が出来るのは、林丈二さんくらいしか思い浮かばない。

眼が眩んできた。
わたしは大学の頃たしか民俗学と国文学とを学んでいたので調査にも出かけたりしたはずだが、一つもマトモなことが出来なかった。その理由と原因がわかった気がする。
やっぱり人間、やれるときは徹底的にやらないとイカンのだ。
今ほどの情熱を持たずとも、何か一つくらいは極限近くまですべきなのだ。
今更ながらに反省。

バラック装飾社の仕事を見る。これは大学のときに資料を見たが、そのときから今に至るまで、どうもわたしの印象はよくないままだ。
建築への考えの違いだから、決して歩み寄れない。
今もそれは変わらない。

チラシの「東京銀座街風俗記録」は松涛美術館でもチラシに選ばれていたように思う。
絵で見る分には「なんと凄いな」と思うだけだが、それがマネキンで再現されているのがここに展示されていると、話は別だ。
「なんじゃこりゃー!」と松田優作ばりに叫びそうになった。

「本所深川貧民窟」調査は1925年だが、それを見てると、ほぼ同時代の伊藤晴雨の責め絵巻「地獄の女」あたりを思い出した。
奉公先を探しに来た女がその界隈で・・・・・・・いかん、そんな連想はやめよう。

今が設計した建物の写真などを見る。なかなか素敵で使い勝手も良さそうである。
バラックより本建築の仕事が尊いというのではなくに、これは完全に趣味の問題である。
大越娯楽場は特にいい感じだった。
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渡辺甚吉氏の山中湖の別荘はCGで再現され、映像が流されていた。
非常に魅力的な別荘。1930年代後半から40年代初頭の、色々と制約の多かった時代に、よくもこんなにもと思う。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、という標語を思う。
今は見事な工夫を施して、素敵な住まいを拵えようとする。

笑ったのは「新時代の生活方向 家庭の各員の生活マヂノ線を防護しませう」。
生活マヂノ線ですか。尖るなぁ~www
いかにも1940年代。ギャグではなく本気なのが悪い冗談のようだ。

ようやく「最早戦後ではない」どころか繁栄が徐々に見える時代になってきた。
その頃の今の仕事はあんまり出ていない。
展覧会の最後には今の写真が展示されていた。
スーツではなくジャンパーのおっちゃんである。
こういうナリで歩き回っていたからこそ、地方で受け入れられたのだろうか。
また、ここにも妙な資料があった。山形のハンコタナとかいう顔隠しの布である。
・・・怪しすぎる。

考現学の面白さを十二分どころか十五分くらい楽しませてもらえた。
しかし観て回るには本当に時間がいるので、充分なユトリをココロと体に準備してほしい。
3/25まで。

読み継がれる吉川英治文学 / 紫煙と文士たち 林忠彦写真展

野間記念館で吉川英治の展覧会が行われている。
今年は吉川の没後50年・生誕120年の節目の年だという。
吉川英治は新聞や文芸誌に多くの作品を連載した。
中でも大日本雄弁会講談社の仕事はいいものがある。
野間記念館は講談社を母胎にしている。
だからここで展覧会を開催するのは、当然だとも思う。
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展示室に向いた途端、川本喜八郎の人形が見えた。
「三国志」のキャラたちである。
ドラマの原作は羅貫中「三国志演義」(立川祥介訳)だが、キャラ造形を川本は吉川英治の「三国志」によっている。
それを思いながら眺めると、彼らへの愛情がいよいよ深まるのを感じる。

壁面には戦後の映画や舞台ポスターが飾られている。
「恋山彦」「鳴門秘帖」「新平家物語」などなど。
戦前のポスターもある。「天兵童子」は昭和16年だった。

「宮本武蔵」を基にしつつ奔放な展開を見せる「バガボンド」を描き続ける井上雄彦の色紙があった。
「武蔵と出会い、取っ組み合って十数年、絶えず変化を促され続けているような気がします ありがとうございます 感謝をこめて 井上雄彦」という一文と共に、武蔵の横顔が青ペンで描かれていた。
そして武蔵と宝蔵院との闘いシーンのレプリカ原稿がある。この物語もどこまで開かれてゆくのだろうか・・・

武蔵は数多く映画化されたが、小説も諸外国に翻訳出版されている。
それらを眺めると、サムライをモティーフにした表紙絵のものが色々あるが、一冊スゴイものがあった。
ゴルゴ13の眼が描かれている。・・・・・スゴイ選択。

講談社の雑誌で連載していた作品の挿し絵が色々並ぶ。
岩田専太郎「無明有明」 色っぽい姐さんが描かれている。昭和11年。
専太郎とのコンビでは「鳴門秘帖」が最高だとわたしは思っているが、ここでもそれは遺憾なく発揮されている。

昭和9年の「親鸞」は山村耕花、14年から18年の「三国志」は矢野橋村、戦後の杉本健吉とのコンビも名作を生んだ。「私本太平記」に「新平家物語」。
戦前の少年たちを熱狂させた「神州天馬侠」の挿絵は山口将吉郎だが、本の表紙絵は山口五百枝だった。
また戦前の「鳴門」は専太郎だが、後年の未完の「続鳴門秘帖」は鴨下チョウ湖。

珍しいところでは昭和九年の現代小説「讃母祭」を富永謙太郎がシャープに描き、小村雪岱も「遊戯菩薩」を描いている。
意外なことを知った。
短編だけを数えれば、雪岱は吉川の作品を31篇も担当していたのだ!
なお「武蔵」は矢野が「風の巻」まで、石井鶴三が「空の巻」までを担当している。
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吉川英治は人柄の良さも今に伝わっている。
この展示には出ていないが、かつて「少年倶楽部」での人気連載小説「天馬侠」が休載する際、吉川は巻紙で「親愛なる天馬侠愛読者の諸君!」という呼びかけから始まる詫び文を長々と書いていた。
わたしは随分前の展覧会でそれを知り、ちょっと胸がいっぱいになったものだった。

だからこそ吉川は多くの人に愛されたのだった。
今回私信や色紙に書かれた文などを読んで、やはり愛される人は謙虚なものだと思った。

面白かったのは、吉川の弟子・杉本苑子による南北朝の系図だった。これはテストでもある。
つまり吉川は杉本に「南北朝の混乱の原因を説明せよ」と題を出したところ、杉本がこの系図をこしらえてきたそうだ。赤ペンが入っているのは吉川による解説だった。

久しぶりに専太郎の挿絵の入った「鳴門秘帖」を読みたくなってきた。
ある時、予想もせぬまま神戸で手に入れた本である。
わたしは戦前の吉川文学のファンなのだった。
展覧会は3/4まで。


続いてこちらは、たばこと塩の博物館で開催されている林忠彦の文士の肖像展の感想。
林忠彦の写真は「カストリ時代」やこれら「文士の肖像」を始め、晩年のカラーフィルムの世界の街角風景、そして最後の東海道に至るまで、まことに見事な世界が活きている。
誰もが知るこの「太宰治」の肖像も林だった。
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その撮影についても非常に面白いエピソードがあり、この展覧会では林自身の回想が添えられていることで、いよいよ作品を楽しめる構造になっている。

「紫煙と文士たち」というタイトルは、昭和の頃まではたばこを吸うことがかっこよかった時代だからである。
文士にはたばこが似合う人が多かった。たばこを咥える動作、煙をくゆらす表情、そんなところに魅力を見出す、林忠彦の撮った文士たちはそれが赦された最後の人々だった。

現在「文士」と呼べる小説家はいない。断言してもいいだろう。
しかし昭和半ば過ぎまでは確かに「文士」はいた。
戦後文学というものがあった頃、その担い手を「文士」だと看做してもいいだろう。
わたしは現代文学には関心がないが、近代文学には深い偏愛を寄せている。
戦後の文士たちへの愛はそこから生まれているが、その彼らを写した肖像を見て歩くうち、いよいよ距離感がなくなるのを感じた。
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最初に現れるのは織田作之助である。
彼を撮影したことから、林忠彦の「文士の肖像」は生まれたのだ。
織田への林の友愛とでも言うものを文中の端々から感じる。
そしてその写真がよかったものだから、それを知った太宰が「おれもおれも」でバー・ルパンで何気なくこのポーズをとったところを林がパチリとやったのだ。
それが今では林忠彦の代表作になっているのだ。

安吾の肖像も印象深い。というより、わたしが坂口安吾を思うとき、その作品以外に作者の姿といえば、この写真しか思い出せないでいる。
作品はたとえば「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」「白痴」「堕落論」などがぱっぱっぱっと思い浮かび、文章のリズムが蘇るのだが、作者本人はこの屑まみれの空間にいる姿しか、思い出せない。

田中英光への回想は痛々しかった。田中の生そのものが痛ましいからだ。
この写真を撮ってからすぐに田中は太宰の墓前で自死しているのだから。

シレッとした石川淳がいる。大体石川は誰の撮影であっても、いつもシレッとしている。
わたしは彼の作品世界に溺れてしまい、長くその支配下にあった。
自分が今「遊行」を名乗るのも、韜晦して生きるのも、全て石川淳の作品に溺れてしまったからだった。

林はリアリズムの写真を撮るが、多少のヤラセというか演出をそこに食い込ませもする。
プロの写真家だからそれは当然のことだ。
しかしここにある二人の文士は、林の意図を超えてナマナマしくオノレの存在感を撒き散らしている。
ただし方向は全く逆なのだが。

志賀直哉が窓辺にいた。志賀の安定した精神性と言うことをよく聞くが、それがどういうことなのか「安定した精神」と多少ずれのあるわたしにはよくわからない。
しかしこの写真を見ていると、風景と一体化していることを感じる。
個人の影が消え、風景の中の人物として、そこに生きている。
思えばそれこそが志賀直哉そのものなのだった。

川端康成には志賀のサラサラ感はない。
その写真を見たとき、これは林の意図以上に川端の明確な意思が生きている、ということをひしひしと感じた。
ロダンの彫刻がある。それも手ばかりの彫刻である。形から言えば女の手である。
それを川端は真剣な眼で凝視している。
美を観賞する目ではなく、これは完全に死姦する者の眼だといっていい。
わたしはひどく気味悪く思った。

川端の毒にヤラレた後に、ダンディーであり、優しく朗らかな印象の大仏次郎を見て、本当にほっとした。例によって猫たちと一緒にいる、くつろいだ写真である。
大仏次郎はいつでも柔らかな印象がある。
わたしは実は彼の作品はあまり好まないが、彼のことを書いた評論や文芸論はなぜかとても好きなのだった。

三島由紀夫の肖像は三枚あった。どれもが端正な顔をしているものだった。
まだ縦の会の活動前の写真で、どんなにしてみてもやっぱり「品のいい坊ちゃん」という感じがある。
それはここにも出ている、亀井勝一郎のノーブルな顔と共に、どうにも変えられないものだった。
しかし、だからこそ三島は筋肉をつけ、自身を改造したのだ、と思えた。
林の写真はもしかすると三島自身が見たくないものを捉えたものなのかもしれない。

檀一雄の風貌はとても男らしくていい。わたしは九州の男性論理とは無縁でいたいが、檀のかっこよさにはいつもクラクラする。
彼の描く男のかっこよさもそこなのだが、彼のキャラたちはみんな檀一雄になってしまう。
若くない、その風貌にこそ、ときめく。

風貌で言えば、シバレンこと柴田錬三郎のニガい顔はまた特別よかった。わたしはシバレンが亡くなったときのことを今も覚えているが、あのニガいシブさに、子供心をときめかせたものだった。
シバレンは大人向けの小説だけでなく、実は児童文学にも翻訳者として大いに活動していた。その文は優しいおじさんのものだった。
ニガくてシブい、優しいシバレンは、やはりとてもかっこいい。

武田泰淳の撮影のときのエピソードが面白かった。泰淳はずっと伏し目がちだったので、林はてっきり泰淳はおとなしい人だと思い込んでいたそうで、ところがその後に作品を深く読んで、その落差に!となったそうだ。
カメラマンの眼を欺く力が、このぼーっとした風貌には隠されている。

若くても白髪の綺麗な司馬遼太郎、かっこつけすぎの三好徹、実にオトコマエの水上勉、思わず声を挙げそうになるくらいカッコイイ五木寛之。
北杜夫の難しい顔(たぶんウツ状態のときに撮影したに違いない)、丸々していかにも元気そうな開高健、わけがわからないくらいシブい梶山季之・・・

昭和の文士たちの風貌にときめいた時間だった。
ほかにも「カストリ時代」から「額縁ショー」「犬をおんぶする子ども」などが出ていた。
3/18まで。

茶会への招待 三井家の茶道具 /新町三井家の新寄贈品

三井家の茶道具を見に出かけた。
自分ではお茶は習っていないのに、<茶道具を見る>ことだけは大好きである。
同じことはお能にも言える。
観能はニガテだが、面を眺め装束を愛で謡曲の流れを追うのが好きである。

能の展覧会の後に茶道具の展覧会が続く。
三井記念美術館は、まるでわたしを喜ばせるために企画を立ててくれている、ようだ。
・・・そんな勝手なことを口走りつつ、いい心持ちでお道具を眺める。
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はじめに南宋~元代のものと桃山から江戸時代初期のものが現れる。
いかにもその時代らしい釉薬の濃くかかった青磁の花入れがある。胴には綺麗な牡丹が浮かび上がる。
両側に耳輪があるがこれは動かないように固定されている。それで名前が「青磁浮牡丹文不遊環花入」なのだった。

志野重餅香合 前々からこの香合を見ると涎がわいてくる。重餅というより、ホタテの重ね焼きに見えている。
どちらにしろおいしそうな見かけである。
醤油の香ばしさまで漂うようで、ガラスケースの外に出ればさぞや・・・・・

十二支文腰霰平釜 初代大西浄林の作。これが実に味わい深くていい。十二支は時計とは逆回り、競馬だと関東のコースの回りに配置されている。
どう見ても「お手」をする虎、うずくまりのウサギ、顔を上げる馬、ガッツポーズのサル・・・
彼らの下に砂利のように霰が広がっている。

備前火襷水指 いつもの名品。ところで先走るが、これを見た後に菊池・智美術館で備前焼の金重有邦の火襷を多く眺めた。なんとなく嬉しい。

色絵桐巴文水指 いかにも仁清らしい水指。三つ巴。

茶入を三つばかり見る。
唐物丸壷茶入、唐物鶴首茶入、唐物肩衝茶入。それぞれ銘があり逸話がある。
本体もよいがそれを包むお仕覆がまたそれぞれ素晴らしくよかった。三つとも青緑の布地がいい。

御所丸茶碗を見ていると後ろから影が差した。
ほかのお客さんに場所を譲って違う方向からも眺めた。
四方から眺められても御所丸茶碗は焦ることもなく、悠々とそこにある。

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茶事の取り合わせを見る。
実際に自分が亭主の大役を務めるならば、と思いながら見て回るのも楽しいだろう。
楽しむだけでなく、学ばせてもらえたのが嬉しい。

虎関師錬墨跡(花屋号) 「花」の字の下に二行あるが、その「花」の力強さがいい。

金欄手鳳凰文宝珠香合 永樂保全 これもまたいかにも保全という感じの香合。三井家は永樂家の庇護者でもあった。

三井家に伝わったものだけでなく、その昔は雲州蔵帳にも名を記したものもあれば、象彦に作らせたらしいものもある。いずれもそのこしかたを思うだけでも楽しくなる。

乾山の笹文蓋物もある。太笹が可愛い。
業平の銘をもつ伊賀焼の花入れは、非常に綺麗だった。炭に竹を加えることで、緑色がそこに生じる。ガラスのような繊細さが魅力的。

桃山時代の備前建水があった。なにか親しみを感じる。
・・・「黒ひげ危機一髪」ゲームのその樽にそっくりなのだった。

色絵団龍文四方水指 華やかに龍が四面に描かれているが、その地が白磁の白ではなく青白磁風なのもいい。

再び仁清の色絵鱗文茶碗。黒地に鱗文というのが、どことなく浪人者の着流しのように見える。色っぽい。

名碗が延々と並ぶ。
いろいろと良いものを見て歩く。
贅沢な喜びを味わう。
長次郎の黒樂、景徳鎮の金欄手に祥瑞、大井戸、三島、高麗、斗々屋・・・・・
鸞天目の天目台がまたよかった。菊花が盛り上がっているのは貼付か。綺麗、とても綺麗。

三井家の茶道具の取り合わせをこうして楽しませてもらえ、とても嬉しい。
ただ贅沢を言うならば、以前に見た茶箱の取り合わせ、あれを再び見せてもらえたら、とも思う。

最後に初公開として、新町三井家の新寄贈品が並んでいた。これがまた素晴らしい。

中でも三井依子さんが父上から買うてもらった江戸時代のひいな形の本のコレクションが素晴らしい。
元禄年間から明和年間頃までに出た本が11種ばかり並ぶが、いずれもそのリアルタイムの最新流行のファッションブックなのだ。
単に着物の柄を描くだけでなく、それを着た女性の絵が添えられているのもあり、さぞや楽しくこれらの本を眺めただろうことは、容易に想像できる。

金沢文庫から流出した白氏文集もある。一級の価値があるこれらの資料がここに入ったことはまことに喜ばしい。

鳥類真写図巻 渡辺始興  全長17M、63種の鳥がリアルに描かれている。
彼の使えた主・近衛家煕が「花鳥を描くときは、鳥の羽の重なりを理解する必要がある」と諭したことで、始興は研究を重ねたそうだ。
絵巻には延々と様々な鳥の顔と羽などが描かれていて、トリがニガテなわたしはシマイには気持ち悪くなってきた。
最後のトリはこれまた鳥類保護者たる上村淳之さんが「青鳩」と呼ぶところの緑色の山鳩が出ていた。
参考までにとパネル展示で、この図巻を本歌にした応挙の鳥類図巻(東博所蔵)が出ていた。よく写しているだけでなく、応挙のほうが一層リアルだった。

展覧会は4/8まで。

映画「Jエドガー」観賞

久しぶりに興奮しながら映画館を出た。
クリント・イーストウッド監督作品「Jエドガー」を見たのである。
水曜と言うことでレディスデイだった。しかしそんなサービスデーでなくとも見るべき映画だと、見終わった今、思っている。
FBIを創設した男の半生を描いた映画だということくらいしか予備知識はない。
新聞に掲載されていたイーストウッド監督のインタビュー記事を少しばかり読んだ程度で、行く気になった。

レオナルド・ディカプリオがそのJエドガーの若い頃から死までを丹念に演じている。
まだ若い彼がその童顔を、どこか憎憎しささえ漂うような難しいものにして、演じきっている。
FBI長官Jエドガー・フーバーが青年に回顧録の筆記をさせる。
彼を眺める老獪な男の目に、一瞬だけある種の光が浮かぶ。
そしてこの高齢の権力者は<最初の状況>から話し始める。
まだ今日的な捜査のあり方が確立していなかった頃の話を、テロが横行していた話を。

以下、ネタバレしてしまいます。

和のよそおい 松園・清方・深水

山種美術館の「和のよそおい」はおっとりした佳い展覧会だった。
「佳い」という字を選んだのも、展覧会から醸される雰囲気にふさわしいから。
その字の通り佳人が集められた展示なのだ。
副題に「松園・清方・深水」とあるように三人の絵が要所に配置されているが、無論ほかの作家たちの描いた佳人も多く現れていた。
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地下へ降りて扉が開き、右手へ進むと最初に清方の「伽羅」が出迎えてくれる。
ふっと軽い眠りから醒めた静かな佳人が、まだものも言わずゆったりとどこかを見ている。
枕は源氏香の形を見せている。伽羅を焚き染めるための形。
髪にも衣裳にもその香りが沁みてゆく。
清方の描くこの佳人は、四季折々の花をも身につけている。
着物や掛け物にその花々が咲いている。
優美とはこうしたものを言うのかと思う。

久しぶりに昭和初期の伊勢物語絵巻を見る。松岡映丘らの合作もの。
「筒井筒」を弟子の吉村が、後半の「河内越」を師匠の映丘が描く。
映丘らの合作絵巻は他にも奈良博に収まる「草枕絵巻」があるが、いずれも優美。

映丘といえば、ここにある「斎宮の女御」は初見。絵の上方に山が緑に霞み、手前には琴を前にした斎宮の女御が坐す図。唇に朱が置かれているが、それ以外は薄墨で描かれている。品のある、気高い女人の図。
映丘は新興大和絵の旗手だが、描く女性たちは王朝から大正~戦前のリアルタイムに至るまで、皆ひとしく気品がある。
後に蛇になる清姫も、映丘の絵ではつつましさを失わぬ高貴な女人に見えるのだった。

池田輝方 夕立 わたしは輝方の絵が好きだが、今日ではなかなか見ることができない。
だからこうして会えると、本当に嬉しくなる。
後に妻となる蕉園の方が当時は世評が高かったが、わたしは輝方の描く娘のほうが好みなのだ。
右隻はどこかの神社に雨宿りする人々を描き、左隻は大門の下で内緒話をするお嬢さんと丁稚らしき少年を描く。いずれも江戸の市井の人々。
右隻の一にはひげの剃り跡の濃い男を配し、五にはなまっちろい男を配し、真ん中に女たちを集めている。
左の大門と築地塀には青々としたイチョウの葉がからみ、都会にしかいない娘と少年を寄せる。構図も面白いし、その構図から、ここにいる人々の間に活きる何がしかの物語が想像もされてくる。そこがまた楽しいのだった。

守屋多々志 聴花(式子内親王) 久方ぶりにお会いする。今回初めて気づいたことがある。内親王は二本の桜の間に坐しておらるるのだが、奥の桜と手前の桜は花の色が異なるのだった。奥の桜近くに坐される内親王からは、手前の桜のほうが眼に入るはずだが、花の散り舞う音は奥の桜のものなのだ。
どちらも満開の花だが、今日を限りに咲き終わるばかりかもしれない。
内親王のこの静けさには、こちらの呼吸も止められる。
フレスコ画を少しばかり想う。
ある種の緊張感をもって、いつもこの絵に対している。

北澤映月 想(樋口一葉) 雪の降る背景には、一葉の生み出した女たちの線描がある。
だれも幸せを掴むことはない。ここに描かれた一葉は半井桃水のもとへ覚悟を持って来たのに、その想いは師には通じない。雪の中へ帰る一葉のそのときの心持を、映月は好きだという。
わたしはこの絵がそうした心持を描いているものとは思っていなかった。
そしてその画家の言葉を知って、ふと上村一夫の「一葉裏日記」を思い出した。

浮世絵がいくつか出ている。
春信の「柿の実とり」がいい。丁度ここへ来る少し前に東博で、春信の夜の梅を眺める男女を見たばかりで、その恋人たちとここでもかち合った気がした。

舞妓を描いたものが多く出ていた。
しばしば見かける人気者もあれば、初めて会う妓もいる。久しぶりの姐さんもいる。
麦僊、土牛、遊亀らの舞妓はよくお座敷ならぬ壁に掛かるが、橋本明治のレーザー光線を思わせる着物を着た妓らは、久しぶりだった。
山川秀峰の「芸者の図」は初見。こんな姐さんが山種にいたのだ。
浅葱色で江戸小紋の着物に、黒地に金梅の帯を締めた、すっきりした江戸前の姐さんだった。

森田曠平の投扇興に熱心な舞妓たちの屏風とは、本当にいつ以来の再会か。
右端の眠り牛の交趾香合は、舞妓たちの熱闘にも無頓着でいるが、わたしたち観客はちょっとばかりドキドキしながらその迫力ある様子を凝視する。
投扇興のルールはよく知らないが、投げた扇の当たり具合で点を競い合うはずだ。
当たりの状況にはそれぞれ源氏物語の名がつけられている。
たしか的を倒してはならんはずである。
しかしこの的に挑戦する舞妓の勢いは強い。手の動きにその速さが現れている。
的は舞妓の力と気迫に圧され、後ろへ弾き飛ばされつつあるのだった。
森田の絵はこの山種で見ることが今ではいちばん多いように思う。
なくなる前の最後の作品は小池一雄の「夢剣源氏祭文」の挿絵だったが、どの作品にも森田独自の気迫があった。静かなものから表立って現れるものまで。

他に油彩の林武の舞妓もある。この人も大人になってから好きになった画家だった。

いい気持ちで見て歩くと、深水のモダンな和装美人をみかけた。
「春」である。例によって二人の婦人が楽しそうにささやき合う図。囁くほうの右の婦人の着物がキュビズム風で、妙にモダンな楽しさがある。

面白いものと言うてはなんだが、安井曽太郎の水彩画があった。「パラソルの女」と題されている1940年の作品。庭に出てパラソルをさして座っているのだが、明治中期の記念撮影のような構図だと思った。

明治半ばの雑誌口絵がたくさん出ていた。
寺崎廣業、梶田半古、尾竹竹坡、それから清方。
この辺りまで山種は所蔵していたのか。とても嬉しくなる。
清方の口絵は当時の大人気小説「魔風恋風」のヒロインを描いたもの。
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わたしはその口絵は十年以前に手に入れている。
とても嬉しかった。
この口絵は弥生美術館と清方記念館とでしか見ていない。

松園さんの特集陳列がある。18枚、松園さんの描く佳人たち。
今回パネルで髪形などの説明があった。それがまたとてもいい。
山種美術館はいいタイミングでわかりやすい説明をしてくれる。
とても楽しく学べる。

和の美と言うものを改めて感じさせてくれる佳い展覧会だった。
なお和装されて訪ねれば、プチギフトも支度されているそうだ。
きちんと着付けて出かければ、描かれた人々と妍を競えることもあるようだ。
3/25まで。

神秘のデザイン 中国青銅芸術の粋

泉屋博古館の分館では最近しばしば、中国青銅器の展示がある。
鹿ケ谷の本館から中国青銅器が大挙して分館へ出開帳に行くのだ。
無論それはヒトの手で企画され、梱包され、大事に移動されてゆくのだが、旧い時代の青銅器たちを眺めていると、ヒトの意思で移動展示させられるのではなく、青銅器自体の意思で東下りしてゆくような感じがある。
チラシ表の左半分に横向きの顔を見せるミミズク型の青銅器などは、特にそんな雰囲気を見せている。
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長い時代を、土の中や墓所の隅に埋められていたりキャビネットに蔵われていたりした青銅器たちが、リアルタイムの時代から久方ぶりに世に出て、海を渡り、多くは関西で可愛がられて暮らすようになってから、大体百年くらいになる。
そして去年から今年に掛けて「関西中国書画コレクション展」が関西各地でリレー形式で開催されてきた。
その中でも泉屋博古館は昨秋「住友コレクションの中国絵画」を見せてくれたが、中国青銅器の特別展はなかった。
ないはずである。
わざわざ特別展をせずとも、泉屋博古館は世界的に知られた中国青銅器を、常設展示しているのだ。

そもそも鹿ケ谷の泉屋博古館は半世紀前に、その世界的な青銅器と鏡鑑のコレクションを保存公開するために開かれたのだ。
それが今回六本木の分館が開館十周年というアニバーサリーの年を迎えるに当たり、泉屋博古館のヌシたる青銅器たちが<我から出向いた>としても、なんの不思議もない。

わたしは鹿ケ谷の本館も好きだが、この六本木一丁目の分館がまた可愛い。
飾りっ気のない二つの展示空間に美術品が並び、その空間をつなぐ真ん中の部屋には光があふれ、明るいくつろぎを齎してくれる。
機嫌よくお茶を一杯いただくことで、「さーて次へ行こう」という気力も満ちてくる。
そんな分館に泉屋博古館のヌシたちがぞろぞろ現れ、本館では見せてくれない貌を露にしてくれる。
それを楽しまずして、なんとしようか。

古代中国の青銅器たちの形状や用途での呼び名は、全て難しい字で構成されている。
多くはきちんと画面表示されるかどうか、わたしにはわからないので、カナ表記とする。

饕餮文平底爵 いきなり漢字である。(饕餮くんへの愛が強い私はこの文字は登録しているのだ) 饕餮くんの太い眉に見開いた目が可愛い、と思って眺めていたら、現物の上に饕餮君の顔のパーツ説明がある。
ふむふむ、これが鼻か、これが口か、といった風にリアルな説明である。
饕餮君のファンでない人・初めて出会った人にもよくわかる顔の拓本。

饕餮君は主に商(かつては殷と呼ばれていた。わたしも殷代と言うほうがかなり好きなのだが、ここでは泉屋博古館の表記に従う)から周の頃に青銅器に刻まれた人気者である。
神様だという説明もあるが、わたしが最初に見た饕餮君は諸星大二郎「孔子暗黒伝」の怪獣だったので、その説を採りたい。
第一、神様には可愛い造形は少ないが、怪獣には千差万別のキュートさがある。
円谷プロの怪獣たちで育った世代である以上、そこは譲れない。

面白い饕餮君を見た。
顔が上下に並んでいるのだが、上の饕餮君はお目目ぱっちりなのに、下の饕餮君は「眠いよ~」な眼をしていたのだ。
これは初めて気づいた。お兄ちゃんの饕餮君と弟の饕餮君。顔は似てても個性は違います。

ミミズクも実に人気者で、チラシの裏に回ると、表のチラシの続きがある。
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その界隈にはまた他のミミズクもいる。
みんな嘴を閉ざしているが、機能はポットなので、働くときは口を開けるミミズクもいる。

虎は中国ではえらく強い立場を保っていた。
チラシでは小さくしか載せられていないが、あのがぶ飲みトラは鹿ケ谷の本館では案内リーフレットの表紙を飾るスターなのである。フィギュアまで作られているくらいだ。
この造形の意味について色んな説があるが、やっぱり、どー見ても人喰いトラでしょう。
そういえばアフガンの混乱のときに失われた博物館のお宝の一つに、豹が人を齧ってる造形品があったが、あれはそのまま人食いでしょうね。

それでトラは宋代になるとやたらと物語に出てくる。
何しろ人食いを専門にするトラは、食った人間を自分の下働きにするくらいなのだ。
(食い殺されたヒトは倀鬼というモノに変化してしまうのだ)
しかしそんな未来でなくとも、トラはやっぱりよく出ている。
今では絶滅危惧種になってしまったが、昔の中国大陸にいた虎は、アムール虎になるのだろうか。

ゾウさんの人気が高いのは今も同じだ。わたしは猫、パンダに続いてゾウさんが好きだ。
ゾウさんのグッズを貰うと嬉しくなる。
ゾウさんのモティーフをそこかしこで見かけるが、古代の中国人にとってアジア象はどのような存在だったのだろう。ちょっとそのあたりを想像する楽しみが、ここにはある。
青銅器の躯体に貼り付けられていたり、刻まれていたりするゾウさんたちを見ていれば、古人がゾウさんへの畏敬の念を持っていたのは間違いないと思う。

今回はウサギや魚や鳥のモティーフもたくさん紹介されていた。
これらはついつい見過ごしてしまうものたちなのだが、こうして紹介されると、次にその青銅器諸君に会ったとき、「そうそうこの子にはウサギさんやゾウさんやセミ君がおったな」と思い出せるのだ。
いいガイドである。

単に現物を眺めるのも楽しいが、近年になって九州大学とのコラボで、泉屋博古館の青銅器の内部撮影が出来るようになり、それらが発表されているのが嬉しい。
本館では厳かな感じの青銅器たちが、ここでは気軽に「自分たちはこんな感じです~」とニコニコしている。旅をして明るい気持になる青銅器諸君なのである。

それにしてもあれだけ鹿ケ谷に通っているのに、完全に初見のものが何点もあった。
これだから、ミュージアム通いはやめられないのだ。

前漢の「禽チュウ蓋カ」字では何のことかわかりませんわね。これは英語ですと“Wine kettle with bird lid,He”とあるので、大体の意味はとける。
・・・どう見ても急須です。日本式急須。前漢といえば「項羽と劉邦」のその劉邦が開いた時代。そんな2100年以上前に急須があるとは!
かなりびっくりした。なにしろ出光美術館で山田常山の急須を見てから、急須愛に目覚めたわたし。てっきり急須は日本にしかその形を見出せないと思っていたのに。
ううむ、さすが中国四千年は深い・・・・・!

時代が下がって、北宋の青銅器を見る。ウサブタさんとでも言うべき動物型の容器があった。これはわざとこういう形にしたのかもしれないが・・・・・

最後には清朝の青銅器たちに初めて会った。
レトロスペイクティブというやつですかね。こちらは青銅製で拵えた工芸品です、という趣がある。

やっぱり「神秘のデザイン」は古代中国青銅器に尽きるのだった。
2/26まで。

チラシをつなげられるかな・・・・・
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二月の東京ハイカイ録 2

ハイカイ二日目
例によって個々の感想は後日。

いきなり石神井公園へ向かう。
「日本の妖怪」展を見るために。
乗り継いでゆくと、意外と早くついた。8:45。

石神井公園といえば檀一雄が住んでいたのではないかな。
そんなことを思いながら公園の池の横を延々と歩く。
まさに延々。・・・いつまでたっても池が終わらんやないかい!

飽きたころにやっと建物が見えた。
2階で企画展と常設展とをしている。
「日本の妖怪」凄く楽しい展覧会だった。
あちこちからよい資料を借りてきて、面白く集めて。
いいなぁ~
今季はどうも23区内の資料館・歴史館などが充実してるなぁ。

常設は練馬大根の歴史と、石神井公園駅界隈の発展の様子。
こういうのを見るのが好きだな。
しかし時間がないんで残念ながらスルスルッと歩くばかり。

併設の旧内田家の建物もよかった。
欄間がいい。やはり関西の民家とは違う特徴がある。

中村橋までそう遠くもない。
練馬区立美術館では個人コレクションの凄いのを見せてもらう。
これも本当によかった。
版画が特にいいのが揃っている。
それで無料なのだ。くらくらするな。ありがとう、練馬。
しかしそこにあったチラシを見て呆然。
年末まで「滝瀬源一」展があったことを今初めて知り、く~~~っっとなる。ヴェルヌ全集の表紙とかetc・・・田代光の義弟になるのか。

続いて江戸川橋へ。乗り継ぎが悉くうまくゆくやないの。
しんどいわたくしを救うのは都バスです。
野間記念館で吉川英治展をみる。吉川の人柄のよさをつくづく感じる。
好きな挿絵もたくさんあり、また川本の人形も並んでいるのが嬉しい。

出た途端、目の前にバス!乗る。割り引き利いたかどうかはわかんない。
バスと地下鉄で後楽園へ。メトロMのカレーの王子様で、野菜の素揚げカレー食べる。
わたしは野菜の素揚げとカレーの組み合わせがかなり好きなのだ。

歩いて文京ふるさと歴史館へ。
風はあるけど暖かいのですぐ暑くなる。
文京ふるさと歴史館「伯爵家のまちづくり学者町・西片の誕生」で納得したことが、福山藩阿部家の大名屋敷跡で、阿部さんが尽力して街づくりをしたことと、福山藩主だった関係で、福山出身の武田五一が関わったったことなど・・・

今度は都営の春日~神保町経由で芦花公園へ。
今日から初日の「都市から郊外へ」を見るが、これが非常にいい展覧会だった。
池袋モンパルナス、渋谷ユートピア、とここに至ったのを感じるが、本当によかった。
本は資料集の趣が強い。
かなり時間をかけて見た。後日の記事をお楽しみに。

本当は国立国会図書館へ行きたいところだがお休みなのであきらめる。
それで芦花公園から明大前経由で渋谷に出たが、150円という安価に驚く。京王線はえらい。
東急も京王もいいなぁ。

たばこと塩の博物館で林忠彦の文士たちの写真を見て、つくづく自分がこの時代の文士を愛していることを知る。
いいよな~~

フェルメール展に行く前に大戸屋で豚と野菜の蒸しなべをいただく。かなりおいしいやないですか。わたしは近年本当に野菜が好きになったなぁ。

ブンカムラのフェルメールのほうが京都より楽しい展示だった。
理由をいろいろ考えながら見て回った。

ここで二日目のハイカイ終わり。

ハイカイ三日目最終日。
ホテルから東京駅までの送迎バスが今月から運行されるようになったが、私は今回はパスしてとりあえず鶯谷に向かう。
書道博物館に直行したいが大概道を間違える。一人でこの界隈歩くのは色々ヂクヂたるものがあるがまあなんとか。
書もいいが、中村不折の挿絵や彼の周辺の人々の資料を見るのがまた楽しみなのだ。
今回は藤村の若菜集の表紙装丁と漱石の幻影の盾の挿絵を見た。

寛永寺橋を渡る。風は強い。不意に泣き風を思う。明るい朝に何故か想う。

それにしても上野桜木界隈には店やがないなあ。
ビックリやわ。いつもながら。

東博では至宝の清明上河図は帰ったが、まだまだ人気満タンで多くのお客さんがいた。やっぱり夜合花の絵からは甘い匂いが漂っていると思う。それにウットリしただけで満足よ。
再訪にはこういうささやかな楽しみや喜びがあるもんです。

そういえば土偶のサザエさん、みみちゃんと呼ばれてたな。
今日はまた別な土偶がいた。
差し詰めこいつはキャプテンドギーかな。
本館の大屋根にはコワモテな鳳凰モドキもいた。今後はロプロスと呼びたい。

さて駅中でまたも野菜メインのランチ頂くが、こちらのカレーは甘かった。

恵比寿に向かう。上野からは山手線だと30分かかる。中抜けしようと中央線や湘南新宿線を使い、退屈はしなかったが時間は山手線の方が早かったように思うわ。

山種の和のよそおいには松園さんだけで18美人が出ていた。
いつもながらよろしいなあ~

さていよいよ2月の東京ハイカイ締めくくりは汐留ミュージアムの今和次郎、なんだけれど、あまりに細密過ぎアタマが痛くなってきたがな!

うーむ、わたしが勉強あかん理由がわかってきた気がするわ、トホホ

まだ日のあるうちに新幹線に乗る。巨大な夕日が見える。
来月はもうお彼岸か。次の東京ハイカイはその頃に。

二月のハイカイ録 1

二月の東京ハイカイです。
寒い寒いと予測して色々装備してゆくと、満員電車の中では夏状態になります。
かなり反省。思えば私は自転車通勤なのでダッシュはしてもラッシュとは無縁なのだった。

新幹線の中ではマスクとサングラスという怪しい風体だった。
そのままで寝てたら、隣席のサラリーマンたちがヒヤヒヤしていたらしい。検札の人も黙ってジィーッと待ってたみたい。
皆さん、起こしてくれてもよいのよ、わたし噛み付いたり暴れたりしませんから。

展覧会の個々の感想はまた後日にするとして、大まかなことを書いてゆこう。

三井記念館で茶道具を楽しむ。
正直言うと、以前に見た茶箱の展覧会のようなものを僕は期待していたのだ、という感じがあるが、それでもいいものを見たのは確か。
ノンコウの「鵺」も見れたしね。十二支を刻んだ釜もよかった。特にトラがいい。
初公開の展示品がすごい。
三井依子さんが父上に買ってもらったさまざまな「ひいな形」が素晴らしい。
江戸時代のファッションブックなのだが、元禄二年から明和二年までに出版された11冊の「ひいな形」。着物の柄を大々的にページに載せるだけでなく、それを着た美人の絵や、着物のデザインをする現場の絵などもあるのが楽しい。
ほかには金沢文庫から流出した白氏文集の巻23と38。
そして渡辺始興の「鳥類真写図巻」。これは東博にある応挙のそれの元本。17Mに63種の鳥類がリアルに描かれている。
始興は近衛家煕から「花鳥を描くときは鳥の羽の重なりを理解する必要がある」という言葉を与えられていたので、リアリズムに向かったらしい。
見ているうちに私はゾワゾワしてきた。さらばでござるよ。

三越では三重のパラミタ・ミュージアム所蔵の棟方志功の肉筆画や、京都にあった山口邸のために描いた襖絵、板戸の絵などが出ていた。
もうこの邸宅は元の形を失っているが、それでもこうしてパラミタに入ったことはよかった。邸宅の一部がここで再現されていた。それを見るだけでも楽しい。
特に襖絵の藤と岩の絵がいい。空間が活きている、と思った。
他にびっくりしたのが志功の油絵。おお~という感じ。秋の収穫をする人々の絵が特に目に残る。

銀座のホテル・モントレーの前のビルにある若山美術館へ行く。
「正チャンの冒険」などを見る。サザエさん、フクちゃんなどもある。原画ではなく、印刷物を見るのだが、それはそれで楽しい。
ずっと自分の中では正体不明だった「デンスケ」も見た。ああ、そうだったのかという納得がゆく。
他にウォルター・クレインの流麗な挿絵も見せてもらった。
シェイクスピアの「ヴェローナの二紳士」。話自体は「ああ、そうなの」というものだが、絵はやはりいい。

そこから本当は「にゃんとも猫だらけ」の化け猫を見に行く予定だったのだが、二年前に京都で見た「にゃんとも猫だらけ」展の図録が不意に頭の中をよぎり、ちょっと延期にしてしまった。「パワーアップして帰ってきた化け猫!」らしいけど、ごめんね。

泉屋分館で中国青銅器を愉しむ。
いやもぉこれは本当に面白かった。
もともと鹿ケ谷の本館で青銅器は楽しんできたが、ここでは展示の配置が違うので、工夫も違う。つまり本館は「当然ご存知でしょう」という前提で勝手に青銅器を楽しむのだが、分館では事細かにいろんな説明や見所を紹介していて、さらに拡大写真まで載せてるから、まったく別な展示として、大いに楽しんだのだった。
いつも丸い目を見開いてニヤッなトーテツ君の下に「ねむいよ~」なトーテツ君もいたり、トラ、ウサギ、ゾウ、セミのモティーフを「ほら、ここここ!」と教えてくれたり。
しかしびっくりしたのは前漢の青銅器に急須があったこと。いや~ときめいたわ。
それにしても清朝の青銅器にはびっくりしたな・・・
とても楽しい展覧会だった。

菊池記念・智美術館の「金重有邦」のやきものも面白かった。
備前焼の人。特に近年の作がよかった。薪に竹を加えて緑色を生じさせてて、それがまた魅力的だった。火襷のよさに感心した。
それにしてもここは配置の妙が本当に・・・
一つ一つを味わうよりも、総体として楽しめる工夫がされている。

最後に壁を見るとなにやら掛け軸がかかっている。
奥村土牛の書で、ポキポキした字体で「観自在」とある。
それを見たとき何であろうと「自在に観る」ことを許された、そんな気がした。
画家が何を意図してその文字を書いたかは知らないが、なんだか背中を押された気がする。ちょっと感動してしまった。

神谷町から日比谷へ。出光美術館へゆく。
山田常山の急須を再び愛でに来た。
大好きな監視員Mさんがお客さんに親切に応対されてるのを偶然目にする。
やっぱりいいなぁ~Mさん♪どきどき。

純粋に愛でるだけでいいや、と思っていたのにやっぱりメモを取り出してしまうね。
鑑賞と観察と考察とが離れがたいのを感じるなぁ。
こちらは常滑焼だから、先の備前といいこの常滑といい、本来の私の嗜好からは離れてるのだが、とても好く感じる。
一ヶ月ぶりの再訪なのと、備前を見てからの目なので、いよいよ親しいキモチで急須に接する。
実を言うとわたしは煎茶を飲めない(鉄分不足のために飲まないようにしているのだ)ので、急須と無縁だった。
あるときからコーヒーも飲めなくなり、もっぱら紅茶ばかりになった。
紅茶のポットは耳が横についたものだから、それを贔屓にする以上、急須はなんとなく敵だった。
しかしこの山田常山のさまざまな急須を見てゆくうちに、すっかり心の垣根が取れたような気がする。
なにも急須は敵ではないのだ。わたしの心が勝手に急須を敵視していただけなのだ。
今後もやっぱり煎茶はなるべく飲まないままでいることになるが、急須への愛は暖めておこう。

丸の内の並木のイルミはやっぱり華やかでいい。
機嫌よく三菱一号館へ向かう。
「ルドンとその周辺」は既に京都で見て感想もあげているが、今回もほぼ同じ感想が出てきたのには、われながら感心する。感心か寒心かは別として。
ただしここでは巨大な「グラン・ブーケ」が目玉なのだった。
248.3x162.9という大きさである。すごい花の絵だった。

寒い中を延々と歩き、日本橋から電車に乗ったら、途端に夏状態。あ゛づ い゛~
こういうので風邪を引くんだぜ。
浅草の某店。そこまで苦難を押してやってきたのに。すごーーく味が落ちてて呆然。
人と一緒だったら多少目をつぶるけど、一人で食べるといよいよ味をはっきりと認識するじゃないか。悲しいくらいだめだめ。フキノトウのてんぷらもないし・・・(涙)
もぉさらばだわ・・・

悲しがりつつ、ホテルへ向かう。
定宿なので気兼ねなく今ここにおるのですが、すぐ真横に大きいドラッグストアができてるのにはびっくりしたな。
というあたりで初日のハイカイ録は終わり。また明日。

「二人組」の魅力 「兵隊やくざ」から「夢なきものの掟」そしフランス映画まで

先日「兵隊やくざ」を京都TVで見た。
京都TVは古い日本映画をノーカット&CM抜きの一挙放映するシステムを採っている。
今回初めて知った。

「兵隊やくざ」は勝新太郎主演のシリーズ物の一つである。
「座頭市」が売れたので、今度はこちらということで製作されたそうだが、わたしはカツシンのシャシンはこの「兵隊やくざ」と同じくシリーズ物の「悪名」の方が大好きだ。
「座頭市」はどうも非常にニガテで、今も変わらない。たけしが金髪で演じたのもあるが、どうしても楽しめない。
カツシンが嫌いと言うわけでもないので、色々考えると、結局「座頭市」は常に独りで行動する、仲間を持たない、ライバルや敵であっても心を通わせる相手はいるにしろ、最終的には独りぼっちになるしかない、そこがニガテだったのだ。
孤独さがニガテなのかと言われると、またニュアンスは異なる。
そうではなく、「勝新太郎」というキャラクターが孤独でいるより、誰かと仲良く付き合っている姿を見るほうが、わたしは楽しいと思うのだった。

「兵隊やくざ」は有馬頼義の小説「貴三郎一代」を原作とし、第二次大戦中の中国大陸での日本陸軍を舞台に話が進む。一作目は増村保造監督作品であり、以後は田中徳三監督がメガホンを取る。
田中徳三は「悪名」シリーズでも監督をしているが、彼の作品は増村とはまた違う面白さに満ち満ちている。
増村作品での「兵隊やくざ」では、日本軍の愚劣極まりない状況が非常にシニカルに描かれている。むろんその点は田中でも変わらないが、田中作品にはなにやら明るさがある。
状況はますます悪くなるのだが、それでも田中のシャシンにはどこかしらアホらしい面白味がある。
増村作品にはそのアホらしさが面白味にはならない。そしてそれがまた増村らしい面白味になっている。

「兵隊やくざ」たるのは勝新太郎演じる大宮貴三郎だけではない。彼は武闘派だが、その上官で関東軍に何年もいる古参兵・有田上等兵(田村高廣)もまた「インテリやくざ」そのものである。
有田は上等兵だが、本来彼は名家の出で軍の幹部候補生だったのが、試験に白紙答案を出すような男であり、それからしても見かけと違うクセの強さを持っている。

映画は全編有田によるモノローグで進む。

有田が大宮を可愛がる様子が映画の中で延々と流れる。
有田は大宮を他の上官に殴らせぬために色々画策をしたり、自分と同期の班長たちを半ば脅迫して、大宮をかばい続ける。
鉄拳制裁を中隊長に強いられても、有田は大宮を打つ気にならない。
大宮は内地では浪曲師崩れの(師匠に破門されたのだ)、色町の用心棒だった。
喧嘩慣れしている大宮は有田に「やられた」風にレンガで自分の顔をぶつ。
そうしたことから「大宮はいよいよわたしを尊敬するようになった」。

大宮は酒は我慢できても女を我慢できず、「公用」の腕章を勝手に持ち出して、慰安所に行く。将校専門の妓・音丸が面白がって相手をしてやったところへ有田が来る。
大宮に音丸を勧められた有田は、このときは断るが、後日すっかり馴染みになった音丸と大宮のところにやっぱり有田もおり、三人でばかばかしい戯れにふける。
しかし既に大宮は軍からの脱走を計画している。
もとより単独行ではなく、大宮は有田を連れ出すつもりである。

日本軍はいよいよ窮地に追い詰められている。戦局はもう底に近くなりつつある。
そのとき大宮に南方への転属命令が下りるが、大宮は有田と共にここからの逃亡を考えているため、有田をぶちのめして我から営倉入りする。
むろん有田はその意図を読み取る。
とはいえ、南方行きは免れたものの、全軍出動という事態になり、二人は軍用列車にいる。
眠りに付く兵隊たちの中で、有田はそっと大宮の計画を確かめる。
席を離れる二人。
途中、憲兵の青柳に見咎められるが、彼をぶちのめし、機関車の釜に石炭を放り込む機関助手らを脅して、列車の接続を離す。
しばしば停車してしまう列車のために誰もその異常に気づかない。
機関車は希望を抱いた有田と大宮を乗せて、雪原の中をどこまでもどこまでも走り続けてゆく。

一作目の「兵隊やくざ」はそこで終わる。
連作ものの「兵隊やくざ」は次の作品の冒頭で、この列車がゲリラの地雷を踏んで、二人がまたもや軍に入らざるを得ない状況から始まる。
どこへ行っても同じような状況が待ち受けている。二人はそれを謀略と暴力とで巧みにかわしながら(あるいは痛めつけられながら)、通り越してゆく。
そして連作の最後で、ついに日本がポツダム宣言を受諾し、兵たちは日本へ帰れることになるのだが、結局二人は様々な手違いから、最後の帰還船に乗り損ねてしまう。
茫然と佇む二人。
次の作品は、外伝とも言うべきものだから、その後の二人の物語ではない。


一作目のラストシーンを想う。
主人公の二人組が現状から逃れて自由を得るシーンで終わると、見るものに強いカタルシスと爽快感とを与える。
これほど魅力的なことはない。
逃亡幻譚である。


生島治郎の連作小説の二人組・紅真吾と葉宗明も、第二作目「夢なきものの掟」のラストで、日本の特務機関と青幣の追求を逆襲によって逃れ、どちらもまた何物にも帰属せずに、見えない先へ向かって車を走らせる。
そのとき葉の運転に身を任せながら、紅は二人の行く先が暗いものであっても、共に同じ墓穴に葬られることを想う。

この「夢なきものの掟」は「黄土の奔流」に始まり、五年後の「夢なきものの掟」、「総統奪取」そして「上海カサブランカ」へと至る。
「黄土の奔流」は1923年の夏から物語が始まる。
上海で小さな貿易公司を経営していた紅は破産寸前であり、起死回生を狙って(というより殆どヤケクソとしか言いようがない)重慶へ歯ブラシの原料の豚毛を買い付けに行く。
しかし揚子江には匪賊が待ち受けており、決して安全な旅ではない。
この仕事に募集してきた者たちも皆が皆、ひとに言えない事情を隠していたり、一攫千金を狙いつつも、絶望を懐いてもいる。

旅が進む。絶望的な状況は変わることがない。その旅の間に同行者たちのそれぞれの事情が明らかになってゆく。雇い主たる紅には隠す事情もないが、美貌と片面の火傷とを持つ、「葉村宗明」が本来は葉宗明という中国人との混血であり、辛亥革命に挫折したことから父の組織・赤幣を裏切り、そのために半顔を焼かれたことを、紅は葉の元・婚約者から聞く。紅と葉との関係は複雑に絡み、紅は葉が自分に対し、素直ではない友情を懐きつつあるのを感じながら、今や赤幣の頭目となった葉の元・婚約者と関係を結ぶ。
ラストでそのことを知った葉は紅に銃を向けるが撃てず、さらに乗ってた船の転覆で二人は命からがら岸に這い上がるが、気を失う直前に葉は自分を救った紅に「甘いな」と言う。


「夢なきものの掟」は「黄土の奔流」の五年後の秋から話が始まる。
重慶から命からがら戻った紅と葉とは日本人社会に足を向けることなく、上海の最下層社会でその日その日をどうにか送っていたが、葉がどうやら阿片に手を出したらしく、それを紅がなじったことで葉が姿を消してしまった。
しかも葉には娼婦殺しの疑いがかかっている。

紅は葉を探し歩いて、かつて交友関係のあったイギリス人の前に現れる。
紅は友人の好意で紳士の装いをし、やがて青幣の末端組織の阿片売人のもとですっかり落ちぶれた葉と再会する。
葉を売人から買いたたき取り戻した紅の度胸に売人の上司が惚れ込み、そこから商売の話が始まる。

かつて革命に挫折した葉だが、上海に戻り紅と暮らすうちに共産党に入り、彼なりの活動を始めていた。
つまり葉は自らの快楽のために阿片に手を出したのではなく、青幣に潜り込むために阿片中毒になったのだった。
殺人容疑に関しても葉はすべてを終えたら潔白を示したいという。
紅は紅で葉を探すうちに日本軍の特務機関とも接触し、日本からの阿片を青幣に売買する契約を結んでいた。
紅は全ては葉を見つけだすための産物だと話し、葉のために力添えをすることを言う。
納得した葉は紅の監視下で阿片中毒を克服することを誓う。

葉の中毒症状、閉ざされた病室での紅と葉、ふたりの濃密な空気に、ページを何度も繰り戻させられる。
手のふるえる葉に食事を与える紅、少しずつ回復してきた葉が紅にシニカルなからかいを口にしたりするシーンが続き、二人だけの空間に声をかけることもできぬまま、ただただ凝視し続ける。

やがて復活した葉を相棒に、紅は日本軍と青幣の双方から荒っぽい利鞘稼ぎをする。金は葉を通じて共産党に流れる。
年が明け、いよいよ上海は住みにくくなる。
しかも紅のサヤ稼ぎもバレてしまう。しかし日本軍と青幣の追求を逆手に取り、紅は先手を打って彼らを襲撃する。
娼婦殺しの疑いも晴れ、仇も討って、葉は同志たちから共に一旦地に潜むことを提案されるが、それを拒んで紅と共に逃げることにする。

「僕はあんたとウマが合うから一緒にいようと思ってるだけですよ」
葉の言葉を聞きながら、紅は二人の行く先にたとえ死が待っていようとも、二人が共に同じ墓穴に放りこまれるだけだと思う。
車はそのまま闇の中を走り続けてゆく。

この紅と葉の二人組の物語は四作あるが、この二作目ほどときめくものはない。
それは中ほどの濃密な空気と、ラストの二人だけで逃亡するシーンの魅力に他ならない。

正直この物語はここまででよかったようにも思う。
続編を読めたからこその贅沢な言い分ではあるが、いつまでも「いつかどこかで紅さんと葉の活躍が」と想像する、それが楽しみになっていたのは確かだ。

紅の想うように破滅がくるかもしれないが、それでも二人は満足して死に、共に埋められたろう。
それを想いながら何度でも読み返す「夢なきものの掟」。
そんな力がこの作品にはある。

しかしながら数年後に続編が書かれていた。
「総統奪取」である。さらに連作最後「上海カサブランカ」ではは敗戦間近の上海が舞台となり、五十を越えて店を持った紅の姿を見ることになる。
葉も党内部で出世してい、二人の関係からはあの濃密な空気が消えてしまい、長らくの友愛だけが活きている。
だが決して紅に安寧はない。彼は日本軍のために再び無一文になるのだった。
そんな紅に葉は以前と同じ言葉はかけないが、それでも紅のために動くのだった。
この続きは永遠にわからない。ここで終わるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。日本軍敗戦後と中国の内戦の最中にまで話が進めば、今度こそ紅と葉の最期を見てしまうことになったかもしれない。
生島治郎はそれを記さず、この世を去ってしまった。

「二人組」の魅力は尽きないままである。
次はまた別な二人を記す。

「悪名」は実在した河内の大親分・朝吉をモデルにした今東光の小説を映画化したもので、これもまた大変な人気を博し、多くの続編が作られた。
映画「悪名」を見て本宮ひろ志が「男一匹がき大将」を思いついたというのは有名な話だが、ここにもまた魅力的な「二人組」が現れる。
主人公・万吉と子分の銀次である。
伊藤銀次が自分の名をこの子分の銀次から採ったというのも納得できる。
銀次は魅力的な男だった。

元に戻り、「悪名」では朝吉を勝新太郎、その相棒モートルの貞やんを田宮次郎が演じた。
これはまた二作目が面白く、オトコマエの(田宮次郎だから当然なのだが)貞やんが、軽快でかっこよかったのが、眼に残っている。
一作目で朝吉はこれまでのエエ加減なだらしなさを打たれ、そこから大親分への道を歩み始めようとする。

二作目の終盤では、物語に大きな展開がある。
オトコマエのモートルの貞やんはつきあう女が妊娠したことを知り、二人で相合傘をしながらテレテレと歩いていたが、いきなりズブリとどてっ腹を刺されて、思いがけない死を遂げる。
ばったり倒れる貞やんのうえに降る雨。
名カメラマン宮川一夫の工夫による、巧みな映像だった。

貞やんの死に涙する間もなく、朝吉に赤紙が来る。
戦地で朝吉は胸のうちを貞やんに語りかけながら、生き抜こうと走り出してゆく。

魅力的な二人組の系譜がここで途絶えるかと思いきや、大映はそうはしなかった。
モートルの貞やんの弟・清次を出したのだ。
演じたのはやはり田宮次郎である。
わたしなどは「白い巨塔」の医師よりも「タイムショック」の司会よりも、田宮次郎はモートルの貞やんや清次がいちばんカッコイイと思っている。
河内弁でわめく男であれほどオトコマエは他にいない。
(後年の事ながら、阪本順治監督「新・仁義なき戦い」での豊川悦司もまた「大阪弁わめく男でこんなにカッコイイ男、他に見たことがない」と今でも思っている)

清次の台詞がいい。「梅に鶯、朝吉に清治や」巧い脚本である。
清次という男を得て、朝吉はとうとう大親分へと進んでゆくのだ。


日本映画・文学での魅力的な「二人組」について少しばかり挙げてみたが、思えばアメリカ映画では意外にそれは少ないことに思い至る。
「明日に向って撃て」のブッチとサンダース、「刑事スタスキー&ハッチ」が輝くばかりで、後がちょっと思い出せない。「スティング」の二人組もまた「明日・・・」とキャスティングの同じニューマンとレッドフォードだった。
日本のドラマでは刑事物に特にその魅力が深いのが顕著である。
「俺たちの勲章」に始まり「相棒」に至るまで・・・

日本と同じ比重で「二人組」の魅力が深いのはフランスである。
「暗黒街の二人」は厳密には「二人組」ではないのだが、映画を深く見ると、納得してもらえよう。
フィルム・ノアールというジャンルがあったフランス映画である。
当然ながら数多の魅力的な「二人組」がいる。
「ボルサリーノ」は永遠に忘れられない二人だった。
また「冒険者たち」「突然炎のごとく」では二人の男とひとりの女という構図だが、フランス映画の場合、必ずある匂いがする。
三角関係というよりも、もっと深い関係である。
一人の女を媒介することで、男たちがより深い結びつきをしてしまう、そこにこそその匂いがたちこめるのである。
またそれは香港映画にもある。香港ノアールと呼ばれるジャンルにもその匂いがある。
「男たちの挽歌」「上海グランド」などに・・・

去年か、日曜美術館を見ているとき、かつてのフランス映画にたちこめたあの匂いを、あるときわたしは感じ取った。
それは現代美術家・森村泰昌の案内で、あいりん地区を姜尚中が並んで歩くシーンだった。

煙か何か白い靄のようなものが辺りに立ち込めていた。
二人はその中を殆ど言葉も交わさずに歩き続ける。
話すことを拒絶したのでも、話すべき言葉がないのでもなく、二人は言葉を持たぬまま歩く。しかしこのときの姜と森村との間には距離感がなかった。
現実に並んで歩いている以上に、二人は深く寄り添っていた。
ある種の疎外感を基にし、それを共有したことで、二人の間に距離がなくなった。
わたしはそんな風に思った。

いくつもの自分の勝手な思い込みだけで長々と書き連ねてしまったが、今のわたしには深い充実感がある。
女は「二人組」にならなくてもいい。孤独であっても孤独でない、ということを考える。
そして男の「二人組」に憧れる。

昨日「兵隊やくざ」を見たからこその感想となった。

神戸文学館(旧・関西学院チャペル)

今日は王子動物園に隣接する「神戸文学館」の建物を少しばかり。
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元々は関西学院のチャペルとして建てられたのだった。
今では神戸市出身・神戸にゆかりの深い文学者たちの紹介・展示などをしている。
隣接する王子動物園には明治の素敵な洋館があるが、こちらはもう少し後。
向かいには元は兵庫県立近代美術館だった建物がある。

'07年6月に神戸文学館開館記念の展覧会に来たときの感想はこちら

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中の硝子は可愛い模様が入っている。

周囲の鉄柵には月とクロスの関学を示すアイテムが。IMGP7422.jpg

王子動物園も少しばかり見える。
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かつての遺物も展示。IMGP7418.jpg

いい建物です。IMGP7421.jpg


本当はもっとたくさんあるのだが、なぜかこのファイルだけきちんと活きてくれない。
okな分だけ挙げることにしたが、何故なんだろう。他のはうまくいくのに。

西長堀の細野ビルヂング

大阪の西長堀の地下鉄から地上へ出たら、このビルがある。
(むろん入り口にもよるのだが)
名前は「細野ビルヂング」。
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昔は細野組の本社だったが、今は社長の細野さんのご好意で、コンサートが開かれたりギャラリーの機能もあったり、というセンスの良い現場になっている。
なんというても建物は使わなければ駄目になる。
細野さんのご英断にヨソながら感謝し、アタマを下げている。



中から玄関を眺める。

この写真だけではわからないことだが、実は遠近法が設計にも活きていて、柱間の距離が少しずつ違うように設定されているそうだ。

事務所らしい棚は作り付け。IMGP9760.jpg
IMGP9765.jpg欲しいと思ったり。

レトロなドア♪IMGP9762.jpg

この広間には立派な柱がある。IMGP9766.jpg

大大阪のモダンは楕円形なのだ。IMGP9778.jpg


いくつかの部屋の天井。
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照明も可愛い。
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廊下を行こう。IMGP9761.jpg

階段へ。IMGP9768.jpg IMGP9772.jpg
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窓も階によって違う。
IMGP9777.jpg 大阪の街が少しばかりのぞく。
こちらは富士山な窓。IMGP9776.jpg
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貸しギャラリーのそこここにかつての時代の細野ビルヂングの写真が。
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開かれたドアの奥にはなにやら色っぽいお姿が何体か。
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ところで外へ出ると、我々の入ったのとは違う出入り口もある。
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こちらが本当の玄関なのかな?

ちなみにこちらから入るとこんな感じ。
廊下と昔のポスト。
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雪の舞い散る日に見に来たが、いい建物でした。
これからも末永くね・・・IMGP9783.jpg

ニッケ 加古川工場

加古川に「ニッケ」の工場がある。二年前の秋に見学と撮影をさせてもらった。
工場見学だから内部の現場状況は撮っていない。
工場内にあるレンガ造りの可愛らしい建物や、かつて場内を走っていたトロッコなどの線路跡を見たり、撮影したりしている。
うっとうしい天気の日には、秋晴れの建物を見よう。

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とんがり屋根が並ぶ可愛さ♪

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いい感じで向き合おう。

電線も張り巡らされている。IMGP7025.jpg

塔。これはTVロケにも使用。IMGP7027.jpg

IMGP7030.jpg 堂々と正面。

ちょっと近づこう。IMGP7031.jpg

こんな入り口。IMGP7034.jpg

窓です。可愛いアーチ。IMGP7037.jpg

遠景ふたつ。
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なにやら気概を感じる。
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中の小屋組み。逞しい。IMGP7039.jpg

閉じられた出入り口。IMGP7049.jpg

遠目にはブンカーにも見える。ヂークフリート線。IMGP7046.jpg

線路の跡。IMGP7044.jpg

サイレンだったかな。IMGP7048.jpg

記念館もある。
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軒の柱も可愛い。IMGP7057.jpg

なんとなくアーリーアメリカンなココロモチになる工場だった。
JRに乗ればふっと見える工場。
いいところだった。




  

1981~1999年の立春前後

先日、十年前のことどもをチラッと書いたら案外評判も良かったのでエエ気になり、’80年代~'99年までの立春をはさんだ前後十日間の行状を、挙げてみることにする。
2000年以降はデジタルデータしかなく、それ以前はプリントしたデータがあるので、久しぶりにそちらを開いたら、けっこう面白かった。
(細かいことは日記に書いているが、項目が挙げられるものだけデータに記載している)

(1981)
1/31 TVでヴィスコンティ「夏の嵐」見る。アリダ・ヴァリについて日記に記した。
2/1 TVで「動乱」みる。邦画。今となっては内容は思い出せない。
2/2 TVで「OMEN」見ている。何度見てもときめいている。
2/3 節分(なお2/3は必ず節分行事を行うので、記載なくともその日は動いている)
2/5 森脇真朱味「おんなのこ物語」にハマリ始める。
2/6 「ニーベルンゲン」(著者不明)、井上ひさし「十二人の手紙」読了。「エロイカより愛をこめて」の何巻かを購入。なお「十二人」は雑誌で読んで以来の再読だった。
2/8 安彦良和「アリオン」に熱狂。本屋で1巻を開いたときの衝撃は今も忘れない。
2/9 TVで「OMEN2」見る。ちょっとばかりBLなときめきを感じる。

(1982)と(1983)のこの十日間は記載なし。

(1984)
2/4 箕面~五月山を耐寒登山。この年はかなり雪が深く、六甲縦断が不可能だった。
2/5 TVで「忠臣蔵・七段目」見る。演者は誰か不明。
2/6 TVで「遠野物語」見る。邦画。今となっては内容は思い出せない。

(1985)
2/1 TVで人形劇「ひげよさらば」見始める。その日のうちに上野瞭「ひげよさらば」原作を読み始める。立原正秋「恋人たち」再読。
2/2 TVでウォーレン・ビーティー「REDS」見る。当時は「ベイティ」ではなかった。
2/3 TV大阪で「豹の眼」ジャガーの眼 見る。昭和半ばのドラマが特別放映されたらしい。オジの勧め。

(1986)
2/5 TVドラマ「俺たちの旅」「必殺仕掛人」再放映を見始める

(1987)
2/2 池田弥三郎・加藤守雄それぞれの「折口信夫」への追想を読む。
2/3 学問からではなく、「折口信夫」という人間への関心が沸騰し始める。熱狂する。
2/5 最初期の「ジャングル大帝」オープニングを見て、深く感動する。
2/6 「釈迢空」著者不明 読了。
2/7 新歌舞伎座にて市川猿之助・実川延若らの「連獅子」「沼津」観賞。
2/9 三島由紀夫「豊饒の海」最終巻「天人五衰」読了。(4→1へ読み、再度1→4へ)

(1988)
1/31 米倉斉加年「多毛留」、近藤ようこ「美しの首」購入。
2/2 阿久根治子「つる姫」入手。幼稚園で読んで以来やっと入手。16年目の喜び。
2/4 岩波版「鏡花全集」3と22に溺れる。
2/5 佐野洋子「100万回生きたねこ」、いわさきちひろ絵「赤いくつ」購入。アンデルセン「砂丘の物語」への頌を書く。
2/6 山上たつひこ「金瓶梅」購入。こういうラストもあり、と思う。

(1989)
2/1 久世光彦演出「キツい奴ら」にハマる。
2/2 野坂昭如「赫奕たる逆光」、池波正太郎「仇討群像」読了。
2/3 澁澤龍彦、石川淳への頌を書く。VTR「夜叉が池」見る。「戦場のメリークリスマス」のオルゴールをもらう。
2/4 「土方巽頌」著者不明、丸谷才一の「クラバート」論、夢野久作、中井英夫の短編集を読み始める。(図書館で借りた本は並行して読む)
2/7 内訳は今は忘れたが豊中市内の本屋数店を回って29冊の本を買う。一日の最高記録。
2/8 「キツい奴ら」に夢中。
2/9 手塚治虫の死去の報を受け、それまで買い損ねていた「海のトリトン」「三つ目がとおる」「どろろ」欠巻分などを買う。悲痛のために泣きながら自転車を走らせる。

(1990)
1/31 「BATMAN」映画館で見る。ゴッサムシティの描写が綺麗だと思う。
2/3 「少年読本」著者不明 読了。
2/5 大相撲三月場所チケットとる。(当時は若貴兄弟ブーム)。長岡良子「天ゆく月船」購入。
2/6 近藤ようこ「水鏡綺譚・上」、安彦良和「ナムジ・2」購入。大いにときめく。

(1991)
1/31 坂田靖子「バジル氏の優雅な生活」にハマる。
2/1 澁澤龍彦「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タル事」、丸谷才一「文学ときどき酒」読了。
2/2 森田信吾「栄光なき天才たち」購入。「近代日本画に見る春」展、「星の王子様」展。
2/6 心斎橋のドイツ料理店で会食。エレベーター事件。(誰もボタンを押さず、一分後に相客全員が爆笑する)
2/7 ファイル用バインダーを大量購入し始める。
2/9 「昭和の日本画百選」「日本の美人画」の画集と、折口信夫「死者の書」購入。

(1992)
1/31 三越劇場にて映画「ダリ 天才日記」鑑賞。大いにウケる。
2/1 石川淳の訳による「背徳者」読了。
2/2 「世界の奇書」著者不明 読了。
2/3 鏡花「註文帳」わたなべまさこ画 読了。購入しなかったことを今も反省。
2/4 TV「アンタッチャブル」見る。「小林一三と演劇」展。池田文庫にて清方「銀砂子」「築地川」、里見「アマカラ世界」、「月照」著者不明、「溝口健二 人と芸術」読む。
2/7 ドールハウスの長火鉢製作。万華鏡修復。「カレワラ」読了。
2/8 中島敦「弟子」読了。芝居のチケット取りにわくわくしすぎる。
2/9 久世光彦「花迷宮」読み始める。

(1993)
1/31 45冊目の日記帳に突入。(大学ノート。'80.6.10以来つけていた)
2/2 津本陽「柳生兵庫助」全巻、安部能の訳「封神演義」、岩波美術館「幻想ファンタジー」画集など入手。
2/5 国芳への頌を書く。
2/6 勘九郎(当時)らの「野崎村」「船弁慶」「研辰の討たれ」観劇。「松緑芸話」司馬遼太郎「韃靼疾風録」入手。
2/7 「水滸伝」への頌を書く。
2/8 南条範夫「少年行」読了。「城下の少年」の変奏である。
2/9 「白縫譚」が欲しくてどうにもならなくなる。

(1994)
1/31 紅シャケとろにのめる。(基本的にある食べ物に凝ると、最低2週間は食べ続ける)
2/1 瀬川康男「ふたり」にのめる。この絵本はしかしいまだに入手していない。
2/2 鶴屋南北「桜姫東文章」入手。
2/4 十五世市村羽左衛門への頌を書く。
2/5 奈良博「草枕絵巻」展~奈良そごう「魯山人」展~大和文華館「江戸時代の絵画」展~難波高島屋「秋野不矩」展~「おもちゃ」展。夜から「男の花道」など観劇。
2/6 「かげま茶屋」著者不明、手塚治虫「ロック冒険記」読了。
2/7 「ジョジョの奇妙な冒険」を改めて通読する。

(1995)
2/3 「さらばわが愛 覇王別姫」CD購入。
2/4 「中国映画が燃えている」著者不明 読了。
2/8 鏡花「雪柳」読了。

(1996)
2/2 風邪で苦しんでいる。
2/3 初午ぜんざいをいただく。梅シソかっぱ巻きを丸かぶり。
2/4 「ピョートル 反キリスト」著者不明 読了。ピョートル大帝にのめりこむ。
2/5 20年来のナゾが解ける。大河ドラマ「勝海舟」主演交代のナゾ。「スラムダンク」頌。
2/8 坂口尚追悼。
2/9 フジタTOY~DO!FAMILY美~太田記念美。「三人吉三」観劇。(2/11まで都内にてハイカイ)

(1997)
2/1 「ブリキの太鼓」CD入手。「ポーランド郵便局」に非常に溺れる。
2/2 戸板康二「六段の子守唄」読了。「日展の90年」前期展
2/3 ピングーとピンガのペンをもらう。細巻にこる。
2/4 厄除け饅頭とミスドと桜餅が重なり、胃が重い。
2/5 ローソンで「焼ソバ弁当」購入。おいしいが、いつのまにか見なくなる。
2/7 かに道楽にて新年会。
2/8 初めてかす汁おいしいと思う。「コーン・コレクション」展~「大阪近代洋画」展~「日展90年」後期展。

(1998)
1/31 出光美術館(心斎橋) かに道楽 TVで雀右衛門主演「桜の森の満開の下」みる。
2/1 明大ラグビー部主将を熱狂的に応援する。ブラッド・ピットのファンになる。
2/4 映画「セブン・イヤーズ・オブ・チベット」見る。
2/7 芸人の運命というものを考える。広沢虎造に溺れる。有線でジブリ特集、6時間聴く。
2/8 「御用絵師」展。久世光彦「蝶とヒットラー」「花迷宮」、カルカッツォ「スリーパーズ」購入。
2/9 青池保子「エーベルバッハ中佐」に爆笑。さすが青池さん!と大喜び。

(1999)
1/31 高口里純「美しい男」入手。大河ドラマ「元禄繚乱」オープニングについて言及。
2/2 「俺たちの勲章」再放送開始。
2/4 「藤城清治」展
2/5 浜詰までカニツアー。久世光彦「黄昏かげろう座」読了。TV「マディソン郡の橋」見る。
2/6 天橋立散策
2/7 ギャリコ「七つの人形の恋物語」読了。カラヴァッジョに眼が向く。
2/9 赤瀬川原平「ベルリン正体不明」読了。


こうやって眺めれば、今はもうここまで本を読んでいないことに気づく。図書館とも無縁になったし。
あんまりカシコくない人生を送っているが、楽しいことは楽しい。
とりあえずまだまだ続くだろうから、ここに挙げた以上の喜びが待ち受けていることを、なんとなく期待している。

山中商会迎賓館(現パビリオンコート) その2

バーの雰囲気もいい。
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ステンドグラスが素敵。IMGP7225.jpg

隣へ続くドアや別棟には実に愛らしい硝子がはめ込まれている。
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打って変わってこんな外観。
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こちらは従業員控え室。これも素敵。
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山中商会の歴史を感じさせるものたち。
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東洋古美術が世界へあふれていったことを思う。
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なお、ウェデングだけでなく、入ってすぐ左手で和洋折衷のカフェもある。
みたらし団子とコーヒーなどなど。

山中商会は終わらない。
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山中商会迎賓館(現パビリオン・コート) その1

「ハウス・オブ・ヤマナカ」で再び光を浴びた山中商会。
その迎賓館は今や「パビリオン・コート」というウェデングの場となっている。
青蓮院の門前というより、クスノキの向かいなので、木の根元ばかりに見惚れて歩くから、ついついスルーしてしまうが、この中に素晴らしい建物があるのだ。

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和風な趣がある。IMGP7172.jpg


調度品はさすがに「山中商会」らしく、優美なものが多い。
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折り上げ格天井も豪華
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柱周りも素敵な装飾がある。
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木彫の素晴らしさには感嘆するばかり。
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テーブルも椅子も何もかもが装飾性の強いもの。
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職人技にときめくばかり。
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カーテンボックスも。IMGP7192.jpg IMGP7200.jpg

シャンデリアの豪華さもいい。IMGP7222.jpg



階段を守る獅子。金ぴかくん。
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その階段がまた豪華。
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壁にかかる花の絵はシンプルさが優しい。
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メインホールはここまで。

青蓮院逍遥

立春。なにか良いことを挙げたいと思ったが、思いつかない。
体調不良もあって外出もしていない。
とりあえず以前見学&撮影したのに挙げていない「ハウス・オブ・ヤマナカ」の山中商会の建物を記事にしよう。
現在はウェディングの会場にもなっている。
場所は京都の青蓮院門前。
見に行った日は丁度青蓮院の秘仏公開のときだったので、庭園散策もした。

というわけでまず青蓮院の記事。秋の風景なので今の時季には合わないが。

外観IMGP7149.jpgIMGP7150.jpg

ご紋の垂れ幕つきの門IMGP7151.jpg

お玄関にもIMGP7153.jpg

中へ入ると、新しい襖絵が。IMGP7155.jpg

欄間は波模様。けっこう荒磯。
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外周りIMGP7152.jpg

秋の庭でした。
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少し丘から見下ろす。IMGP7168.jpg


あまたの日本画家が描いた「青蓮院のクスノキの根元」がこちらです。
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冬の庭も見たい、と今更ながらに思う。


追記:2009年に画像なしで挙げた記事はこちら。
青蓮院界隈を歩く

十年前に見た吉野石膏コレクションとその頃のこと

現在日本橋三越で「吉野石膏コレクション展」が開催されている。
行く予定でいたが、諸般の事情により行き損ねることになった。
くやしい、たいへん口惜しい。
巡回が関西にあるのかどうかも不明である。
さてそこで、過去に吉野石膏コレクションを見たときのことを思い起こそうとした。
偶然にも、丁度十年前の2002年の2月に見ていた。
大丸梅田で。zen199.jpg
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そのときのチラシと、他で手に入れたチラシとを挙げることにする。

下は日本橋三越。
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その下は秋田県立近代美術館。
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秋田のは1998年のチラシ。蒐集癖が役立つのはこんなときだけ。

当時の日記を出してくれば展覧会の感想を再現できるのだが、それはどうかなぁというキモチもある。見て楽しかった、このコレクションに感銘を受けた、それでいいのだ。

2002年の二月は他に何を見たのか。
ちょっと下に出してみる。
20020202 村田泰隆「飛ぶ宝石」-蝶の写真 阪神
20020207 テディ・ベア シュタイフスペシャル 大丸心斎橋
20020209 蘆花記念館と旧徳富蘆花邸 蘆花恒春園
20020209 宮沢賢治幻想紀行 世田谷文学館
20020209 乱歩・横溝・仁木・大藪/ムットーニ 世田谷文学館
20020209 みんなのアイドルおすもうさん 弥生美術館
20020209 夢二 都市と女 弥生美術館
20020209 編集狂時代-松田哲夫 紙百科ギャラリー
20020209 イタリア映画ポスター フィルムセンター
20020210 皇居周辺(九段下・英国大使館・爼橋・小学校) 建築探訪
20020210 物語る絵画 山種美術館
20020210 「少年倶楽部」の時代 野間記念館
20020210 寄せ木細工 たばこと塩の博物館
20020210 東都高名老舗尽くし たばこと塩の博物館
20020210 ウィーン分離派 1889-1918 クリムトからシーレまで ブンカムラ
20020210 国芳の系譜 芳年・暁齋・年方 1 太田記念浮世絵美術館
20020211 昭和の挿し絵 昭和ロマン館
20020213 旧琵琶湖ホテル 建築探訪
20020213 コーポレートアート 吉野石膏所蔵セザンヌからシャガールまで アクティ大丸
20020216 動物たち 茶道資料館
20020216 手塚と宝塚歌劇 手塚記念館
20020223 旅の人-安野光雅 大丸心斎橋
20020228 長野(毎日新聞・公邸・藤屋旅館・大門) 建築探訪
20020228 デュフイとエコール・ド・パリの精華 大谷コレクション 長野県信濃美術館
20020228 一枚の葉 東山魁夷館
20020228 雛祭りと田中田鶴の生涯 田中本家博物館

いちばん最初の村田さんの「飛ぶ宝石」というのは、阪神の画廊で開催された蝶々の写真展。村田製作所の本社か研究所がある長岡京の海印寺あたりの裏山で捉えたもの。
たいへんに綺麗だった。

山種美術館では守屋多々志の「厩戸皇子」にドキドキしていた。あれから十年も経ったとはうそみたい。
その直前に周辺をハイカイしているとき、コーギー犬を散歩させてる奥さんと仲良くなり、奥さんのご案内で小学校や大学などなどを見て回ったことも、「記憶に新しい」のだ。

ブンカムラの「ウィーン分離派」はチラシそのものがとても魅力的だったし、たばこと塩の博物館で見た寄木細工は本当に眼からウロコだった。
丁度今森アーツでも国芳展だが、十年前の二月の太田は「国芳の系譜」だったか。

蘆花恒春園、紙百貨ギャラリーは、このとき以降訪ねていない。
松戸に在った「昭和ロマン館」も今はなくなってしまった。

その昭和ロマン館では「昭和の挿絵展1」を楽しんでいた。
田代光「白い巨塔」、中一夜「剣客商売」番外編「ないしょないしょ」、鴨下晁湖「眠狂四郎」シリーズ・・・これらの魅力的な挿絵のほかに、小村雪岱の口絵なども出ていた。
この頃は挿絵といえば弥生美術館と野間記念館のほかに、この昭和ロマン館があったので、とても楽しかったのだ。
ちなみにこの月に見た弥生美術館「みんなのおすもうさん」では、近年再評価された鰭崎英朋のお相撲さんの絵のほかに、岡野玲子「両国花錦力士」のカラーイラストもあった。
一方野間では「少年倶楽部」の時代として伊藤彦造の「杜鵑一声」がチラシ表を飾っていた。

そして月末から三月頭には信州ツアーをしている。
近代建築を見て歩いたのだ。
宿泊したのは湯田中温泉よろづやさん。大好きなお宿で、このときは特別室に宿泊するという贅沢もした。十五世市村羽左衛門ゆかりのお部屋が取れなかったのが残念だったが。

・・・2012年二月の今、十年前と殆ど何の変わりもない暮らしをしている。
進歩もないが退化もしていないらしい。
とりあえず、そんなところで今日は終わり。

二月の予定と前月の記録

けっこう一月は長かった気がするけれど、二月になりましたね。
節分がまずわたしの二月最初の大イベントです。
それと本当は4、5で都内に行こうかと思ってたのをやめて、10~12日に都内潜伏します。
11日から始まる展覧会も多いし、再度出かけようと思うのも色々あるし、楽しい都内です。
その一方、地元関西はあんまり展覧会がないので寂しい。
冬枯れの庭園を見て回るのも風邪の元なので、蟄居しようかと思案中。

そうそう、東博「北京故宮」と出光「山田常山」には再訪するけど、これらは本当に年初から素晴らしい展覧会でしたわ~

行きたいと思うところをとりあえず。
和のよそおい―松園・清方・深水― 山種美術館2/11~3/25
都市から郊外へ 1930年代の東京 世田谷文学館2/11~4/8
伯爵家のまちづくり―学者町・西片の誕生― 文京ふるさと歴史館2/11~3/18
茶会への招待 三井家の茶道具 三井記念美術館2/8~4/8
大江戸スター名鑑 太田記念美術館21~2/26
東洋陶磁美術館コレクション悠久の光彩 東洋陶磁の美 サントリー美術館~4/1
みんなが見たい優品展 パート9―中村不折コレクションから― 書道博物館~3/25
林忠彦写真展 〜紫煙と文士たち〜 たばこと塩の博物館~3/18
ルドンとその周辺―夢見る世紀末 三菱一号館美術館~3/4
今和次郎展 採集講義展 汐留ミュージアム~3/25
読み継がれる 吉川英治 文学展 野間記念館~3/4
昭和初期のサラリーマン・コレクター森井荷十コレクション展 練馬区立美術館~2/14
三代 山田常山―人間国宝、その陶芸と心 出光美術館~2/19
神秘のデザイン―中国青銅芸術の粋― 泉屋分館~2/26
百椿図―椿をめぐる文雅の世界― 根津美術館~2/12
フェルメールからのラブレター ブンカムラ~3/14 
にゃんとも猫だらけ ukiyoeTOKYO2/2~2/26
すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙 神奈川県立近代美術館 葉山2/11~3/25
正岡子規と美術 横須賀美術館2/11~4/15
清方と舞台 第一期 鏑木清方記念美術館2/7~3/11
横浜・街の写真館~幕末から昭和初期まで 横浜開港資料館2/1~4/22
横浜にチンチン電車が走った時代~まちの主役!路面電車 横浜都市発展記念館~4/1
新日本画への道すじ 戦後の画業を中心に 山口蓬春記念館~3/25
生誕100年 藤牧義夫展 モダン都市の光と影 神奈川県立近代美術館 鎌倉~3/25
歴史・時代小説家篇 鎌倉文学館~3/31
籾山艦船模型製作所の世界―幻のモデルメーカーが残した商船模型― 日本郵船歴史博物館~4/1
ル・コルビュジエと大西洋 大成建設ギャルリー・タイセイ~4/21

関西。ラインナップがちょっと淋しい。
春と吉祥 八幡市立松花堂美術館~3/4
福田平八郎 下絵と本画 東大阪市民美術センター2/4~3/4
千家名物とそ周辺 湯木美術館~3/11
模様をめぐって 京都市美術館~3/25
雛人形と雛道具 象彦漆美術館2/2~4/3
ホックニーのグリム童話 和歌山県立近代美術館2/11~3/25
平 清盛 院政と京の変革 京都市考古資料館~6/24
呉春の俳画と写生画-特別公開 重文「白梅図屏風」- 逸翁美術館~3/4
聖なる銀 アジアの装身具 展 INAX大阪~2/23
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