美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

絢爛豪華 岩佐又兵衛絵巻「浄瑠璃物語」

「絢爛豪華 岩佐又兵衛絵巻」展が三期に分かれてMOA美術館で開かれている。
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既にチラシ上段を飾る「山中常盤物語」は展示を終え、今は中段の「浄瑠璃物語」である。
下段の「堀江物語」はまた来月に行く予定。

「山中常盤」は映画をみているし、日にちもなく、今回はパスしたが、反省している。
やはりこの絢爛豪華な絵巻はカメラのファインダー越し・映像越しで見るのでなく、自分の網膜に焼き付けるべきだったのだ。
他者の眼を通過したものを見るのでなく、自分の眼で見てこその愉楽なのだ。
「浄瑠璃物語」を見てつくづくそう思った。

さてこの「浄瑠璃物語」は前述の「山中常盤」の後日につながる物語である。
源氏の御曹司・牛若丸の母・常盤御前が息子会いたさに旅に出て盗賊に殺害されたのを、牛若丸が霊夢によって知り、見事に仇討ちを遂げる、というのが「山中常盤」である。
この「浄瑠璃物語」は鞍馬山を出た15歳の牛若丸が、金売り吉次兄弟と共に陸奥への旅をする道すがら、三河国矢矧宿の長者の息女・浄瑠璃姫と結ばれるが、別離の苦痛からの死と、再会の喜びによる再生を経て、後日を約して別れる。
やがて味方を得て平氏追討に都へ戻ろうとする御曹司はその途上、約束を守るために宿に立ち寄ったが、浄瑠璃姫の死を知り、菩提を弔い更に復讐をも果たす。

この「浄瑠璃姫」の物語は古くから人口に膾炙している。
15世紀後半には既に成立し、「十二段草紙」とも呼ばれる人気の話だった。
現代ではややこしい筋立てだと思われようが、かつての日本人の多くはこの物語に涙した。
実際「物語」としての面白さは深いと思う。
そして又兵衛とその工房で作られたこの巻物は、きちんと十二巻を数える。

詞書は全て読み下しやすいように壁面プレートに活字体で写されているが、当然ながら旧仮名遣い・古語であるために、リズムに慣れないと読むのが面倒かもしれない。
また形容を変えての反復が多いということも特徴である。そのあたりはかつての人々には面白かろうが、今では「またか」ということになるだろう。
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1.金売り吉次兄弟に連れられて、15才の牛若丸(当時は遮那王という名で鞍馬寺にいた)は奥州の藤原秀衡を頼って旅を始める。
正体を隠しての旅なので、御曹司とはいえ、馬にも乗せてもらえず徒歩で、吉次の下人のような立場でとぼとぼ歩いている。
彼は「馬追い冠者」と呼ばれている。

やや俯き加減で歩く牛若丸のやるせない心情が、その眉の下がり具合・眼の伏せ方・肩の落ち方でハッキリとわかる。
貴種流離譚の人だということが、改めて伝わってくる描写である。
また、岩佐又兵衛自身が、牛若丸に自身を仮託しているように感じられる。
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一行が宿場町に入ったとき、偶然ながらある店舗の紋が向い揚羽なのをみつけた。可愛らしい紋所である。
ばたばたと忙しく立ち働く人々の表情や、それぞれの着物が、繊細な描写を見せている。
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矢矧宿に泊まった夜、しょぼくれた牛若丸は、管弦の音色に惹かれてふらふらと、音色の出所・長者屋敷の門前に向い、音曲を聴きつつ立ち尽くす。
屋敷のうちでは長者の姫・浄瑠璃姫が大きな琴を弾き、侍女たちがそれぞれ楽器を演奏している。侍女のうちでも右端に近い侍女の一人がなかなかの美女である。
皆それぞれの個性が、顔立ちと着物とで分かれて活きている。

詞書ではその侍女たちの名前とそれぞれの楽器名とを悉く記している。
しかしたった一つだけそのオーケストラに足りない音色がある。笛である。
何故笛の音色がないのか牛若丸はいぶかしみつつ、懐より源氏の重宝・名笛「せみおれ」を取り出して口に当てる。和する管弦、完璧な調和が成る。

2.耳の鋭い浄瑠璃姫が皆の合奏を止めて、その音色に聴き入る。
名手の笛の音に侍女たちも耳を澄ます。
やがて姫はまず女房玉藻に門前に佇む人を偵察するよう命ずる。
このような笛の名手といえば、平氏では敦盛などが、源氏では牛若丸だけだろうと話になる。
玉藻は門前の少年を見るが、大した観察眼はなく、すぐに戻って、取るに足りないものだと報告する。しかしそれでは姫は得心しない。今度は女房十五夜をよこす。
ここで十五夜の観察が、延々と詞書に現れる。
着物の文様の精密な描写が本当に延々と続く。呆れるほど細かい。
わたしはそれを読みながら、いちいち分と絵とを対比して眺めた。
何しろ十五夜の眼はどうなっているのか、夜なのに(中世の夜である)真昼の只中に間近で凝視しているような、鋭い観察と報告が続くのだ。
さすがは御曹司だけにぼーっと立っていても、その気品は隠せず、十五夜の眼にも好ましく映る。
十五夜は長口舌をふるい、少年の様子を明らかにする。

3.当時は歌の応答は必須だった。浄瑠璃姫は和歌を詠んで十五夜に託す。牛若丸の返歌もあり、やはり門前の人は馬追いなどではなく源氏の御曹司だと姫は気づく。
十五夜に手を引かれ、屋敷のうちに入る牛若丸。たよりなげな少年よりも、ずっと女房十五夜の方が背が高い。十五夜の微笑がいい。いかにも物慣れた風情がある。
合奏することになったが、端居させられることを牛若丸は承知せず、知らん顔をする。
御曹司たるもの、流離の身であっても、身を低くしてはならぬのだ。しかも相手は自分がそうと気づいている雰囲気もある。ここは絶対に譲ってはいけない、と少年は考える。
そこで女房たちは高麗縁の畳・繧繝縁の畳を重ね敷いて、やっと座らせる。
誠に手間のかかる話だが、このあたりの駆け引きは当時としては棄てられない描写である。
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合奏する人々。豪華な合奏シーンが描かれている。優美と言うよりどこか豪快な面白さも見える。
詞書で管弦(かんげん)を「くわげん」と書いてあるのをいくつか見たが、今とは違う読み方をしたのだろうか。そのあたりはちょっとわからない。

辻風が吹き込んで、御簾がまくれ上がり、BOY MEET GIRLの様相になる。
桜の咲く、美しい夜だった。
姫の右手に座り鞨鼓を打つ女房がまた美女である。

4/5.一旦屋敷を辞した牛若丸は、夜半またも長者屋敷の門前に佇み、時を待つ。早熟な少年の、時間を待つ間の表情が面白い。
やがて再び女房十五夜に導かれ、そぉっと姫の寝間へ向う。
ここでの詞書がまた非常に細かい。15人の女房たちの名前と、その房の障子の絵柄を延々と書き連ねる。一間限りの狭さだということを忘れて、その障子障子を眺める。
そしてその房の前を十五夜につれられた牛若丸がそぉっと歩くのだ。

姫の寝間が描かれている。
その丈なす黒髪の乱れが見事な描写である。部屋の内装の見事さも素晴らしい。
ただ単に金ぴかなだけでなく、墨絵で達磨大師の絵も障子に描かれているのが面白い。
目覚めた姫と牛若丸との遣り取りが続く。とうとう仲良くなる二人。
背景は等しく豪華絢爛なままで、少年と少女の小さな動きと表情の変化とを描きわけて、数枚の絵が続く。
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6.後朝である。そのきぬぎぬのわかれを惜しんで姫は泣く。牛若丸も泣きたい。しかし彼はここを去らねばならない。必ずの再会を約して、鞍馬山の天狗より学んだと思しき忍術・霧の印を結んで、牛若丸はその場から消える。
すぅっと消えて画面には残影だけがある。面白い描写だった。

7.再びしょぼくれる牛若丸。強風の中を歩きながらどんどん一向に遅れだす。旅する身のつらさ・はかなさがその表情に描かれている。
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8.蒲原宿の宿きくやでついに病に伏す御曹司。烏帽子は取れてざわざわした髪がのぞく。苦しそうに眉を寄せて寝込んでいる。
先を急ぐ吉次一行は主人与一に御曹司の看護を頼み、砂金や巻絹を置いて出発する。
・・・吉次はとにかく奥州に源氏の御曹司を「売りに行く」のが仕事だと思うのだが、物語の構成上、やや本末転倒な状況に陥っているらしい。

9.きくやの女房は病に伏していても気高い御曹司を見込んで娘婿になるよう強いるが、牛若丸は承知しない。怒った女房は亭主の留守に雇った男たちに牛若丸を海に棄てさせる。
しかしその男たちは、髪はほつれ顔色も悪くとも、気品高き御曹司の様子に打たれ、水中に沈めるのではなく、浜辺の六本松の根元に捨ててゆく。

説経節「をぐり」では照手姫が川に沈められようとしたり、浜辺で苦しめられたりするが、いずれも人の情けと神仏の加護とで救われる。
ここでも、きくやの倉に置かれていた源氏の重宝がそれぞれ童子・大蛇・白鳩・烏などに変化して、御曹司を守りにゆく。

小さな蚊帳のような中で病に苦しむ牛若丸。その周囲に屯する大蛇や鳥たち。海からは龍も姿を見せる。それを恐れて村人は浜に近寄らない。
また源氏の氏神(八幡神)は僧の姿をとって牛若丸から浄瑠璃姫への手紙を預かる。

10.浄瑠璃姫は母にも内緒で女房れいぜい一人をつれて、牛若丸の元へ向う。
やっと蒲原宿へ着いた二人は辻堂で雨をしのいでいたが、そこへ箱根権現の変身した老尼が現れ、少年の死を告げる。

箱根権現はどういう立場で浄瑠璃姫に牛若丸の死を告げたのかが、わたしにはわからない。
一刻も早く助けに行けということなのか、意地悪なのか。
箱根権現と八幡神との力のバランスも関わっているだろうが、そのあたりは不勉強なままである。

11.砂浜から女二人の手で掘り出される御曹司。御曹司の首をかき抱き、嘆き悲しみ泣く浄瑠璃姫と、すっくと立ったまま右手(東方か)に向って祈り続ける女房れいぜい。
姫の涙で蘇生する御曹司。そしてれいぜいの祈願により、元気を取り戻す。
御曹司は必ず姫を北の政所に迎えると約し、二人を重宝が変化した大小の烏天狗に乗せて、家へ帰す。

この大小の烏天狗の描写がグロテスクな絢爛さに満ち満ちている。
室内のあちこちに、巻の始まりを示すためにか、色んなシーンをプリントした<予告>がある。ここでは丁度烏天狗に負われた二人の女の絵が出ていて、わたしは一瞬、甲賀三郎諏訪の説話を思い出していた。
神道集にある甲賀三郎諏訪の説話では、妻・春日姫を天狗にさらわれた三郎諏訪が、その行方を追って地底の国を遍歴するのだった。
だから一瞬、「一難去ってまた一難、今度は姫と侍女が悪い烏天狗に攫われたか」と思ったのだった。
人は(烏天狗は)見かけによらぬもの、彼らは善玉だったのだ、申し訳ない。

12.義経となった御曹司は平氏追討を旗印に都へ上ると途上、約束の通り姫に会いに矢矧の長者のもとへゆく。歓待される一行。女房たちもいずれも華やかである。
しかし浄瑠璃姫の姿がない。いぶかしむ御曹司の前へ墨染め姿のれいぜいが現れる。
浄瑠璃姫は馬追いと勝手に通じ、更に無断で家出をしたことで母の怒りを買って、家を追われて、御曹司を待ち焦がれつつ世を去ったことを告げる。

御曹司はれいぜいの案内で姫の墓前に立ち、ねんごろな法要を行うが、そこで五輪塔が割れて光を放ち、欠片が御曹司の袂に入る。
それが浄瑠璃姫が成仏した証だと悟った御曹司は、そこに「れいぜい寺」を建立する。

墓が割れる、というのは前述の「をぐり」にもある。をぐりは墓が割れて、餓鬼阿弥として蘇生するのだが。
「あらありがたのおんことや築いて三年になる小栗の墓がかつはとくだけ卒塔婆は割れのき倒れ群烏笑ひける」
しかし浄瑠璃姫の再生は、ない。

御曹司の家来は姫の母を簀巻きにする。それを矢矧川へ沈める。簀巻きにする様子と括り付けるべき石の塊がハッキリと描かれている。
中世の人間の心のありよう・モラルの持ちようは、現代とは全く違うことを忘れてはいけない。恩は恩、仇は仇で、必ず返さなくてはならない。
そうしてこの長い物語は終わる。

全巻に亙って絢爛豪華な描写と彩色と金箔遣いとで、本当に煌びやかであった。
眼をどんなに見開いていも全てを見渡せたかどうかわからない。
詞書の味わいも深く楽しむには、今回は時間が足らなかった。
いつか、いつかまたこの長大な絵巻を楽しみたいと願っている。

来月はこちら。SH3B11380001.jpg
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「ヨコハマ ヨコスカ ストーリー 二つの港町の戦後文化」展をみる

神奈川県立歴史博物館で「ヨコハマ ヨコスカ ストーリー 二つの港町の戦後文化」展を見た。
そう、「戦後文化」を歴史博物館で見た、のだ。
うちの親が子どもだった時代、オキュパイド・ジャパンの時代へ出向いたのだ。
なお、今回の感想では当時の呼称などを使うが、偏見を持っているわけではないことを記しておく。
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小ホールにジープがあった。
ジープはやっぱりMPの象徴だ。進駐軍の乗り物だ。
当時の本当のジープである。
ジープに乗ったアメ兵が群がる子どもらにチョコやパンや缶詰を投げ与える・・・
「鬼畜米英、撃ちてしやまん」とわけもわからずににくんだ人々から食べ物を貰う。
暗い気持ちになって展示室へ入る。

ヨコハマの大きな地図があった。
解説を読むと、要するに進駐軍の接収によって、横浜の街自体の復興が遅れたことを書いている。
自治権が返るのは十年近い後だから、その間ヨコハマはYOKOHAMAでしかなかったのだ。
吉田初三郎の鳥瞰図にも、進駐軍のいた界隈は空間になっていた。

戦後すぐのラジオの英会話テキストがあった。この頃の流行歌が色々とアタマに流れ出す。
小さい頃、横溝正史に夢中だったおかげでか、敗戦後の日本の流行等が記憶されている。
実際に見たことなどないのに、なぜかそうした記憶がナマナマしく自分の中に生きている。

伊勢崎町や横浜駅前の当時の風景写真を見る。
どこからどこまで見ても占領下のジャパンでしかない。
パーマネントの女たちが歩く。パン助ではない人もみんなどんどんパーマを掛けてゆく。
それはいいことだと思う。
パンパンとして<自立>して暮らしている。手段は二の次である。みんながんばれ。

パン焼器があった。押し寿司の木箱の内側に鉄板二枚嵌めたような造りである。そこへ練ったうどん粉を入れて電気を通すと、パンが焼ける。簡単な原理のそれは廃材などで作られたものらしい。

ハーシーチョコがあった。
ハーシーチョコ、コカコーラ、チューインガム、それが戦後アメリカから齎された一番のカルチャーのような気がする。
後の話だが、売店で巨大なハーシーチョコとちびっこハーシーチョコが販売されていて、リアルタイムにハーシーチョコを食べていたと思われる年配の奥さんが、じーーーっとそれをみつめていた。かなり長い時間だった。
わたしはチョコといえばベルギーでもスイスでも日本でもなく、ペニンシュラホテルのチョコが最高だと思うのだが、うちの母はやっぱり「アメリカ文化の子ども第一世代」だからか、ハーシーチョコの話をしばしばする。
そういえばハワイ土産に貰ったハーシーチョコは口いっぱいに甘みが広がり、歯も歯茎もチョコにまみれるほどだったが、妙な充実感があった。
あの奇妙な感覚をわたしは思い出したが、この奥さんが思い出していたのは、どんなことだったのだろうか・・・。

昭和26年の新聞広告には闇市から発展した商店街の大売出し広告が載っていた。
村上元三「新撰組」の連載があった時代である。
広告文化は面白い。一つ一つ眺めるだけでも楽しかった。
少しずつ物品が増えていた時代。
野毛に今もある洋食屋のお皿などがあった。
「センターグリル」というお店。「米国風洋食」と皿に書かれている。
米国風洋食・・・?・・・・・いつか食べに行ってみたい。

アメリカへの輸出用おもちゃがたくさんあった。北原コレクション。ご近所からの貸し出し。シルクスカーフはシルク博物館からの借り出し。
輸出用のスカーフの絵柄はやっぱりちょっと変なセンスだった。

昭和24年に日本貿易博覧会が野毛と反町の二つの会場で開催された。
かなり大掛かりな博覧会だったようだが、実際は大赤字だったらしい。
「もぉ日本は大丈夫ですよ」という気概を見せたかったのだろうが・・・・・
博覧会記念絵葉書には伊東深水の綺麗な美人画があった。

やがてついに接収解除である。
この展覧会には出ていないが、とにかくアメリカ文化=ペンキ文化なので、非常に立派な大邸宅を接収しながら、そこにどーーしようもないペンキをベタベタ塗りたくっていたので、自宅を返された人々も大変に苦労した。
全くもってお気の毒である。

横浜市交通局が「よいこの交通安全双六」を出したが、その実物のほかに同時代の大阪の「よいこの交通安全双六」も展示されていた。
双六はやっぱり面白くなくてはいかんので、これはやっぱり大阪版の方がよかった。

次にヨコスカストーリーである。山口百恵の歌を思い出したが、それは無関係。
横須賀の観光マップを見る。吉田の弟子・中村慈郎の原画・下絵・印刷物の三つがある。
わたしは横須賀美術館にしか行ったことがなく、一度横須賀の街中を訪ねたいと思っている。
尤もわたしの場合は佐藤さとる「わんぱく天国」のファンなので、望んだ景色は見えないだろうが。

スカジャンがあった。丁度つい最近このスカジャンの発祥について書かれた記事を読んでいた。展示品はいずれも昭和30年代のもので、実に派手。発祥の店プリンス商会の人の話が書かれていたが、米兵が修理してと持ってきたスタジアムジャンパーについでに刺繍を施してあげたところ大喜びされ、噂を聞いた米兵たちが我も我も、とそれを需めてきたそうな。
鷹や富士山や虎や龍が背中で幅を利かせている。
アッと思ったのは、つい近年ここで展覧会があった真葛焼の猫!それをモティーフにしたものが出ているではないか。2008年の新作だった。
うむ、奥が深い・・・

EMクラブというものを見た。ちょっとネオゴシックな建物である。
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これは戦前に日本海軍が建てた兵員クラブが接収されたもので、その頃の写真があった。
中庭で楽しそうにみんな遊んでいた。
ビアホールがあり、映画も無料、という楽しい場所だったのだ。
取り壊し写真を見る。勿体無いが、仕方がない。

日本人向けの映画館の宣伝類を見る。パンフもある。知ってる映画がいくつかあった。
時代を感じる。しかしこうした文化は本当にいい・・・
戦後の映画界の黄金期。アメリカもニューシネマ以前は、機嫌よく楽しい娯楽作品が多かったのだ。
ダンスホールやキャバレー関係の資料もある。このあたりは以前にも見ている。
今回はチャブ屋はない。

最後の展示室へ向う廊下へ出た途端、ジャズ喫茶ちぐさの看板が黄色く光っていた。
「これがちぐさの看板か!」思わず声に出してしまった。
日本のジャズの総元締めのような存在のお店。
わたしは高校の頃、愛読する殿山泰司のエッセイでこの「ちぐさ」を知った。
しかしジャズを聴きに行く根性がないまま大きくなり、気づけは「ちぐさ」は74年の歴史を閉じていた。
展示された写真を見るうち、なんとなく胸が痛くなった。
遅れてきたものは何も与えられることはないのだ・・・・・
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原信夫という偉大なジャズマンもわたしは知らない。
その人の衣装やサックスが展示されていた。
帰宅後チラシを見せると親は一発で「あっ!」とか言い出し、色んな話を始めた。
母は大阪の女だが、やっぱりそのあたりのことは詳しいので、展覧会のあとの補助資料として、今回大変興味深く話を聞いた。
尤もジャズは母より父の方が好きだったそうだが、父はとっくにあの世なので聞くことはできない。母はラテン喫茶に入り浸っていたそうだ。

戦後67年の今年、わたしもじっくりとヨコハマ・ヨコスカを旅してみたい。
そんなことを考えている。
展覧会は6/17まで。

おまけ:帰宅してからハーシーチョコをママにあげると、ママからはセサミストリートのクッキーをもらった。
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齋藤茂吉生誕130年記念 茂吉再生

神奈川近代文学館の「齋藤茂吉生誕130年記念 茂吉再生」展初日に出かけた。
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わたしは子どもの頃親から「齋藤茂吉は日本一の歌人だ」と教わったので、長らくそういうものだと思い込んできた。
またオジから茂吉の次男・北杜夫の作品の面白さについて延々と聞かされてもきた。
オジはTVドラマ化された「楡家の人々」に特に夢中だったが。
だから北杜夫の小説も早くから読んできたし、むろん茂吉の歌集も読んできた。
今も茂吉の短歌をいくつか暗誦できるが、その本当の味わいと言うものを、実際何処までわかっているか定かではない。
ただ、茂吉の歌からは「実感」というものを強く感じる。
そしてそこに静かな得心がある。

とはいえ「赤光」「あらたま」の衝撃というものがいかほどだったかは、当然知ることはない。この二つの歌集によって、大正時代の多くの若者、就中、文学に関わっていた人々の受けた衝撃の大きさと言うものは、殆ど今日では想像を絶する巨大さだったらしい。
今回、その「衝撃を受けた」人々の言葉が挙げられていた。
芥川龍之介、萩原朔太郎、北原白秋、佐藤春夫である。
それぞれの文章そのものがまた、名文だった。

芥川が「赤光」で受けた衝撃の大きさは、この一文のほかにも晩年の小説にも出ていたりする。また佐藤春夫に至っては茂吉オマージュとして言いようのない歌集を編んでいる。
その「赤光」のための挿絵は木下杢太郎だが、西域の仏像頭部を描いたものが、艶かしかった。
また、第二歌集「あらたま」は森鴎外「青年」の一節から取った言葉だというが、みずみずしさを感じるよりむしろ、壮年の重々しさ・胸のうちの暗い闇、そんなものを感じる作品が多い。
字面を眺めていても、平板な言葉遣いでありながらも、不気味さが光っている。

少年時代の茂吉の絵の巧さに感心した。十歳くらいで小遣い稼ぎに凧絵のために武者絵を描いているが、これがそんなちびっこの絵とは到底思えない。巧すぎる。
それは彼の養父・齋藤紀一の父に指導を受けての絵らしいが、それにしても巧い。

才能のある少年を自邸にひきとり養育した齋藤紀一とその家族の写真を見る。
なんとなく一筋縄でいかないような面々に見えるのは、わたしが既に息子たちの書いた評伝を読んでいるからだろうか。

齋藤家は当初浅草に医院を開いていたが、それで茂吉少年は浅草への深い憧れと愛着を持つようになったらしい。
本当の最晩年、家族と共に浅草観音を詣でる写真が後に出てくるが、それは人生の始まりと終わりの地への愛着を感じさせる、せつない風景だった。

さて齋藤家はついに荘厳な青山脳病院を設立する。
この建物は上ノ山温泉にある茂吉記念館に模型があり、以前に「いいなぁ」と眺めていた。
ところで齋藤家に男子が生まれたことで茂吉の立場が「跡取りの養子」から「女婿」に変わるが、結局この病院経営を担うのは茂吉だった。
その責務の大きさ重さに茂吉は大変苦労し、歌作も苦労していたようだ。

茂吉の手紙の面白さは北杜夫の作品から知っていたが、今回直筆手紙を見て、思わず笑ってしまった。
義弟に当たる齋藤西洋に受験勉強の心構えを書いてよこしているのだが、非常に読みやすい字で延々と(執拗に)書き綴っている。
二高を受験するよう勧めているのだが『「一高でないと幅が利かなくてよ」とお前の姉たちは言うだろうか、まことに女と小人は養いがたしと言う、先人の言葉は正しい』
というようなことを書いている。
こういうところに茂吉の「おもしろさ・おかしさ」を感じる。

また小宮豊隆との「セミ論争」の直筆文もあった。あれは実地調査までしたというから、その執念は深い。
折口信夫と同じくらいの執念の深さが活きているように思う。
そして食べ物への終着の深さもまた・・・
(なにしろ昭和三年はうなぎを68回も食べている!)

五歳の長男・茂太のえがく「ウチ」は壮麗な青山脳病院図だった。
確かにこれは城だった。ただしその城の個室には外からかける鍵の部屋が多かったのだが。
青山脳病院の失火による大惨事は当時の新聞記事の複写を見ても、本当に悲惨なものだった。当時は個人情報保護などないからズバズバ書くし写すが、気の毒に患者たちがたくさん犠牲になったそうだ。
そしてそれを機に紀一は気力が衰えてしまい、茂吉が一人で立ち働かなくてはならなくなった。
その頃の茂吉はといえば海外留学中だった。送った本も全て灰燼に帰したのだ。
(エジプトでの記念撮影には薬師寺主計もいる)

更に茂吉を痛めつけたのは家庭不和である。奥さんの輝子さんは晩年には多くの女性ファンを持つようになったが、若かったあの時代は、輝子さんの行状を面白おかしく、悪く報道した。
しかも文学仲間がお花で挙げられてしまっている。里見弴夫妻も妾宅で云々とある。
一人だけ無傷な大仏次郎が、困ったようなコメントを挙げているのが面白い。

やがて戦争である。
もぉ踏んだりけったりもいいところだが、茂吉はやっぱりがんばっている。
そしてその頃の茂吉については、北杜夫や齋藤茂太さんがかなりあからさまに書いている。
非常に面白く読んだが、一方でわたしの偶像だった「日本第一の歌人・齋藤茂吉」像が崩れていったのは、息子たちの優れた評伝のせいだと思う。

大石田での茂吉の後姿を捉えた写真などはせつなかった。
大石田といえば金山平三の絵が思い浮かぶが、モノクロの写真からでもその自然の美しさが伝わってくる。
茂吉は郷里で癒されたのだろう。

そして最晩年、茂吉の貰った文化勲章などを見る。そのときの茂吉はもう一人では歩けなかったようで、輝子と茂太の介添えで皇居へ参内している。
よぼよぼの茂吉が妻と二人の息子と共に浅草寺参拝のシーンが残されているが、ようやく安寧な心持になったのかどうかはわたしにはわからない。
ただ、いい顔をしていると思うばかりだった。

この展覧会は6/10まで。なお秋には世田谷文学館で「茂吉と『楡家の人々』」展が開催される。

中国陶磁の文様世界~龍の肉球・獅子の睫毛~

白鶴美術館の春季展示が面白い。
タイトルだけでもそそられる。
『中国陶磁の文様世界~龍の肉球・獅子の睫毛~』
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ここのお宝たる白地黒掻落龍文梅瓶の黒竜の手を見よ。
ジャーーーンッ肉球!三つもある。
それに気づかれた学芸員の方が出された本はこちら。
その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術
(2010/07)
山中 理


満を持しての登場。
この肉球の龍は造形的に不思議な様相を見せている。異形と言うてもいい。尻尾は魚風で足も少なく、しかも尻尾は裂けている。魚な龍つまり「魚辰」・・・魚屋さんの屋号のようだ・・・解説を読むと、本当に学芸員さんのウキウキ心が感じられて、それだけでも楽しかった。


白鶴美術館は山の上にあるので気合を入れて坂をずんずん上って行くのだが、しんどい。しんどいけれどついた途端に気持ちが明るくなる。
坂の上の雲ではないが、やっぱりいいところにあるなと想うのだった。

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五彩魚藻文壷 明代のハキハキした動きの魚藻文は人気だったようで、染付のよいものを見ているが、ここにあるのはカラフルなもの。
福岡市美術館、MOA美術館にも兄弟がいるそうな。
この手の壷を見ていると、必ず思い出すのが魚類都市。澁澤龍彦「犬狼都市」で語られる敵国はこんな雰囲気ではないか、と勝手に思うのだった。

五彩武人図有蓋壷 こちらも明代のカラフルな壷で、肉付きのよい男たちが格闘技を披露している。いつもこれを見ては「水滸伝」を思っている。
さてこの壷には睫毛アリの龍の着物を着た人もいて、壷の下部に描かれた獅子にも睫毛があるということが示されていた。
注意力散漫なわたしはそこまで気づかなかったので、今回それを教わり「ほほー」と感心する。こういうところに着目されるのは、やっぱりいいなぁ。
こちらは格闘技だが、出光所蔵の壷は綱引き。先般「明清 陶磁の名品」展にも出ていた。
そして白鶴と出光の壷は一対だったらしい。鴻池家伝来。

ところで前述の本が出てから、わたしも龍の肉球を観察するようになったが、白鶴だけでなく、出光にも肉球を持つ龍がけっこう多いことに気づいた。(明代のやきものでは)
尤も、肉球だと思っていたら実は手の甲のウロコだった、ということもあるのだが。

金襴手獅子牡丹唐草文八角大壺 チラシの睫毛獅子の住まうのは、この壷の下部。
解説に懐かしいことが書いてある。
獅子の口元が、オバQのラーメン大好き小池さんの口元に似ている、ということ。
ムニ~となってるからなぁww 
小さい頃、近所の小池さんの前を通るとき、必ず「小池さん、ラーメンずるずる!」と騒いだのはわたくしでした・・・

金襴手八仙人図瓶 蓬莱に住まう八仙の姿が描かれているが、紅一点の何仙姑の瞼と、藍采和の笛吹きが印象に残る。

染付動物花鳥文六角口壷 六面にそれぞれ吉祥柄がある。蜂の巣をつつく猿、なんてのはどう考えても次の不幸を予測させるのだが、実は中国では音感から吉祥文様と言うことになっているらしい。虎と鳥、これはカササギかな?羊と鷲と言う取り合わせもよくわからない。染付自体はかなり濃いもので、色だけで見れば、非常に好きな色合い。

狩野永徳「四季花鳥図屏風」が出ていたが、修復したのか、非常に綺麗に見えた。
赤ゲラ、菫、タンポポ、やまがら・・・

いかにも唐な盤や瓶を見た後、久しぶりに三彩詞文枕を見た。
「月明満院」で始まる詩歌で、失恋の歌らしい。「七娘子」という歌で、以前見たときに歌詞を書き写したが、今それを挙げるのはちょっとむりなようだった。

白掻落唐子文枕は金代のもので、図柄が楽しい。蘇鉄らしき木を中に、一人は鳥かご?を持って歩き、後の一人はねずみ?を抱えて歩いている。
何かしら意味があるのかもしれないが、わたしは知らない。

玳玻な天目茶碗が集まる。
玳玻梅花天目茶碗 可愛い。花の降る空を閉じ込める。有元利夫の絵のようだ・・・
玳玻倶理天目茶碗 なんだか凄い拵えである。かっこいい。
玳玻鹿の子天目茶碗 可愛い。愛でたくなる可愛さに満ち満ちている。

絵では高野大師行状記の一巻が出ていた。母のもとに稚児僧が来る夢。馬や犬だけが!となる情景。

沈南蘋 巌上孔雀図 妙に元気な孔雀がいる。
蕭白 牡丹鷹図 ピンクに紫の牡丹が咲いている。今風な彩色。鋭い鷹がキリッ!

獅子の睫毛と龍の肉球を堪能してから新館へ向う。

中東絨毯の動物文様。わたしは幾何学的な文様や花柄もいいが、こうした動物文様がまた面白くて好きだ。
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左側はまさに「花と龍」ですww 
そして右側のライオンはなかなか勇ましいのだった。
木々に鳥の巣があり、孔雀や鸚鵡もいる。獅子vs鹿、豹もいる。ヤギの首を噛み切って血まみれだったりする。
コヨーテらしきものが樹上のリスを威嚇する。それをさらに豹も狙っている。
前から好きな絨毯なので、こうして一部だけでも画像があってとても嬉しい。

全て一対になっている動物絨毯もあった。
鳥、兎、鹿、馬、猿、孔雀、獅子。目つきの悪さもご愛嬌になっている。
連続文様でも手間が掛かったろう・・・

獅子が鹿をかむ図のあるのを見ていると、どことなく曼荼羅を思い起こさせてくれる。
ジャータカにもそんな話があったのかもしれない。

ペルシャの領主の狩猟とヤギ飼い。これも以前からなんとなくわかるようでわからないナゾの話。だからこそ面白いのだが。
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旧館も新館も6/10まで楽しませてくれる。

京近美・コレクションギャラリー#1

京近美で「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」を楽しんだ後、四階のコレクションも見に行った。

村山と同時代の画家たちの作品も特集展示されていて、なかなか面白かった。
山岡良文「ヂークフリード線」や玉村方久斗「休日」などはわりと好きな作品で、再会が嬉しい。

三岸好太郎でペンの鋭い三枚の作品があった。これはその短い晩年の作品群の一つ。
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『蝶と貝殻』より「海と射光」「旅愁」「貝殻」。
彩色豊かな油彩もいいが、こういう「蝶と貝殻」もシャープでいい。



春らしい上方美人を少しばかり。成園と華岳の美人。
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飛天もいてます。今回初めて撮れた。
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恩地孝四郎の版画美人もいる。
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特にこの雰囲気が好き。IMGP9945.jpg
乱歩や久作の小説に出てきそうな雰囲気がある。


「模様カラ模様ヲ作ラズ」を信念とした富本憲吉の小箱。シダのパターンが可愛くて大好き。
お皿もいいが、やっぱり欲しいのは小箱。
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残念ながら奈良の安堵町にある憲吉記念館は来月で閉館するのだった・・・


河井寛次郎のかな、ちょっと忘れてしまった。
とても好ましい文様。
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2012年度の京近美の素敵なコレクション展の第一回目でした。

近世絵画にみる 中国文化への憧憬・後期

頴川美術館の「近世絵画にみる 中国文化への憧憬・後期」展にいった。
前期感想はこちら

ここは展示数は多くはないが、どの展覧会にも必ずなにかしら心に残る作品が出てくる。
それを見るだけでも来た甲斐があるように思う。

重山雲樹図 中林竹洞 一見して拓本のような絵だと思った。これは宋代の技法に倣ったそうだ。「米法山水」というらしい。南宮に倣う、と説明にある。
大小の米点で表現することで、遠近法も活きる。
この絵は時代もはっきりしている。1835年。天保年間か。

秋景人家図 貫名海屋 こちらは1847年。貫名海屋は「幕末の三筆」の一人と称えられている。わたしも海屋の書は見ているが、絵はあまり知らない。
賛はむろん自賛。深秋只聴寒窓外 胡孫剥栗皺
淡彩で静かな情景が描かれている。確かに賛の通り手前の一軒は窓を開け、中の青カーテンが見える。胡孫はサルのことか。解説には「幕末の騒がしい中にあって孤高を」とあるが、まだ黒船は来ていずとも、世情騒然タル、という実感があるのかもしれない。

秋路訪友図 岡田半江 薄墨に朱が所々に。小橋を渡ろうとしている。「あっち」とばかりに目を向ける。彼らだけでなく、地の人がそこかしこにいる。

柳に白鷺図 渡辺玄対 南蘋風で南画。柳の下の白鷺が振り向けば、そこには白牡丹。こうした取り合わせは確かに「中国文化への憧憬」という雰囲気がある。

秋林閑座図 立原杏所 カラフルな山がある。崖下には一軒家。そこへお茶を持ってくる人あり。のんびりしているが、本当に暇そう。

枯木竹石図 椿椿山 白描風に描かれている。竹や水仙が強い風に揺れている。太湖石は薄暗い。しかし切迫するものはない。

芙蓉麝香猫図 山田宮常 毛長の大きな猫が二匹いる。どちらも鼻の大きい猫。手前は白地に黒まじりで奥は白地に茶まじり。白牡丹の下でくつろぐ二匹。手前の黒まじりはすっかり眠っているが、奥の茶まじりは顔を上げて大きな目を中空に向けている。なにかしでかしそうなツラツキがいい。

長春錦鶏鳥図 中林竹洞 長春花はバラ系の花らしい。その花の下にカラフルな鳥カップルがいる。石や竹と共に。

柳桃黄鳥図 山本梅逸 この絵は本当に好きだ。華やかな色彩でありながらも濃くはなく、あっさりきれいな絵。
柳の緑、桃のピンク、黄色い鳥。楽しそうな色彩感覚。
この色彩の取り合わせを見ると、「少年行」を思う。配色が等しい、というだけだが。
しかし春にこの絵を見るのは心楽しい。

笠置山図 中林竹洞 この絵は頼山陽の詩「笠置山懐古詩」から生まれたもの。絵は詩の四年後、山陽の死後に描かれた。詩自体はなかなか過激ではある。
この絵を見ると、久しぶりに笠置山に行きたくなってきた。案内猫・二代目カサヤンに会いたい・・・

蓮図 浦上春琴・頼山陽 賛 春琴・山陽・田能村竹田の三人が料亭(沙河)で遊んだときの記憶を元にした絵。
幕末の上方文人画家たちの交友のありようが偲ばれる。

対のような絵がある。表装も対になっている。絵はどちらも優しいが、賛は厳しい。
柳下遊魚図 中林竹洞 梁川星巌 賛 
 一川春月帯亭台 游蕩何人酔未回 
 風巻余声落愁枕 当爐女唱墨夷来
 *川を隔てて盛り場の女が唱う。「米人が来た」という流行歌が、外夷を愁う枕元に聞こえるとは

陶家遺愛図 山本梅逸 頼山陽 賛
 植援慇懃扶葡萄 無如秋雨打柔條
 随扶随倒花狼藉 不似先生愧折腰
 *陶淵明は権威に屈することを愧じたのに、彼の愛した菊は秋雨に腰を折って乱れ咲く

それぞれの賛を見て、「・・・いやぁ幕末だね~」という、ほりのぶあきの時代劇ギャグマンガの台詞が思い浮かんでいる。
竹洞、梅逸の絵がしっとりしているのに騙されてはいけないのだった。

5/20まで。

五浦と岡倉天心の遺産

京都高島屋で開催中の「五浦と岡倉天心の遺産」展は興味深い展覧会だと思う。
丁度今、東博で「ボストン美術館所蔵 日本美術の至宝」展が開催されているので、その関連として眺めても面白いし、近代日本美術のムーヴメントを知る展覧会だとみなしても、意義深い。
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最初に天心の金ぴか像がある。巨大な像で、例の帽子と古代中国の朝服をモデルにした制服を着用したもの。
以前名古屋ボストン美術館で天心の写真や資料その他を見たことがあるが、銅像はあまり見ていなかった。これはこれで面白い。
天心の愛用した釣具などもある。
そして天心の翻訳本が三種あったが、いずれもそれぞれの読者層に向けて文体を変えているそうで、凄い英語力だと感心した。
古風な英語、わかりやすい米語などを書き分けれるのは本当にえらい。

古代から明朝までの中国の官吏服みたいな制服も展示されていた。
朝服と大観は書いている。そして帽子もセットなのだが、そのスタイルで町を歩くのは相当根性がいったらしい。
帽子はともかく上っ張りはけっこう面白いが、脱亜の時代にあえてそれをする、というのはかなり気合が入っているように思う。
明治の半ばの話。
(そういえばそれから数十年後にはルバシカが芸術家の間に流行るのだが、あれも構造的には同じかも)

さて天心は自身の女性問題もあって学校を追われたそうで、茨城の五浦に移り、そこで自分を信じてついてくる大観らと共に一種の芸術村を営んだ。
もともと大観と春草は仲良しさんなので、観山だけハグレになってはいかん、と武山を招き、そこで五軒の家が建てられることになった。
それぞれの家の設計図が展示されていた。
これが実に面白かった。
各人の嗜好がよく出ているように思う。
それぞれのこだわりが見えたり、こだわりのなさが見えたりで、興味深く眺め、頭の中で3D化してみるのも面白かった。

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チラシのこの絵は塩出英雄が描き、短冊は安田靫彦が書いたのだが、実際にこんな雰囲気の芸術村だったに違いない。
ほんわかいいキモチな眺めである。
左上の渡り廊下でつながった建物が日本美術院の本館。真ん中の右手が大観、隣が春草、一番下の右端の赤い塔が六角堂。そこから左へ行くと天心、その後ろの建物には短冊がないのでわからない。そして左端上は観山、その下が武山の住まい。
昭和45年の絵。

天心は能の翻訳もしている。安宅、小敦盛、白狐など。
そして彼が愛用した茶箱もあった。ピクニックボックス。
どこでもお茶を楽しむのはいい。煎茶具もある。
タゴールの詩と写真。ああ、明治を感じる・・・

「日本美術院」初期の絵を見る。
インド行の成果というべき作品がいくつか。
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堅山南風 熱国懐古 低い土手作りの井戸の前に二人の女がいる。インド美人。
南風は東博にも「熱国」をテーマにした絵巻物があるが、多彩なその配色がいかにも「熱国」のイメージを伝えている。「熱国」の魅力を感じる絵。

大観のインド美人を描いた作品もひどく好きなのがあるが、ここには出ていない。
しかしインド狂いしたというべき荒井寛方の作品がいくつか出ていた。
アジャンタ壁画の模写、ブッダ、聖牛図、天竺山村図など。
いつか栃木の寛方ミュージアムに行って、その作品群を見てみたい。

面白い絵を見た。蘭亭図なのは特にどうということもないのだが、その賛が面白い。
「京洛銅陀草莽深春風・・・」奥原晴湖の絵。銅陀草莽というのがいい。

大観、観山らの写生があった。そういえば彼らのスケッチというものを殆ど見た記憶がない。興味深く眺めた。

西郷孤月の絵が二枚。「虎」と「うさぎ」である。
なんとなくのほほんとした趣がある。まだ国内の日々の中にいた頃か。

春草 羅浮仙 信濃から来た。いつ見ても静かに美しい。

観山 狐婚礼 シルエットで狐の嫁入り行列が描かれている。これは駿府博物館蔵ということなので、駿府にも行きたくなってきた。

武山 小春 薄い血を流したような秋の景。鮮やかではないが、心に残る秋。

芋銭 桃花源之図 白い静けさがある。

春草 五浦の月 崖上の松に、満月が少しばかり顔を隠しながら、寄り添っている。地味な色遣いなのだが、それが穏やかな心持にさせてくれる。

観山 牧童 昔の日本のウシ。四つ足袋のウシ。どこか懐かしいような不思議な味わいがある。

ところで日本美術院は奈良に第二部があり、そちらは修復技術を主に学び、司っていたそうだ。
新納忠之介 春日巫女人形 剥落しているように見える。それがまた魅力に思える。

平山郁夫の「日本美術院血脉図」は'65年の作だが、仏画のようにも見えた。
騎乗する天心とその周囲を守る金色の人々。仏とその眷属の様相を呈している。
「血脉」はケツミャクまたはチスジ(=血筋)。なるほど、と思う。

惜しくも阪神大震災のために取り壊されたが、須磨に内田信也邸があった。
この大邸宅に武山の揮毫した杉戸があり、それは無事に救い出され移築され、今回ここで組み立てられていた。
高さ自体は大したことはないが、とにかく杉戸に囲まれた空間が大きい。
表は藤、内側に松の絵が続いている。邸宅の偉容を偲ばせる大きさだった。

紫虹 道成寺 普通は清姫を思うところだが、ここで描かれているのは烏帽子姿の人物である。それを後ろから描いている。背景には石垣がある。能の様子を描いているようにも見えるが、詳しいことはわからない。

彫刻では平櫛田中の作品とエピソードが紹介されていた。
天心から最後の言葉を貰った田中は終生それを守りぬいたそうだ。
大変な長命で最後まで彫刻家として生きた田中の生涯には、その言葉が常にあったのか。

最後に昭和30年代から平成の今に至るまでの「院展」図録表紙絵原画がずらーっと並んでいた。
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S32 靫彦「埴輪」、S33青邨「風神雷神」、S34遊亀「青葡萄」、S35土牛「朝顔」・・・
S37南風「紅蜀葵」、S40靫彦「富士山」、S46塩出「風景」(五浦か?)、S48球子「富士」、S50土牛「ひまわり」、S53松尾敏男「朝顔」、S55映月「柿」、S63郷倉和子「アジサイ」、H2真野満「上代美人」、H5敏男「潮音」・・・・・・・・
特に心に残ったものを書き出してみたが、錚々たる名が挙がった。

興味深い展覧会だった。次は日本橋高島屋へ巡回するそうだ。京都は4/30まで。

すべての僕が沸騰する  村山知義の宇宙

すべての僕が沸騰する  村山知義の宇宙
神奈川県立近代美術館・葉山館と京都国立近代美術館とで楽しんだ。
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リストがないので自分のメモに頼るしかない。
チラシは葉山の方を。京近美のはちょっと好みから外れる。

村山の仕事は多岐にわたりすぎていて、これまでその全貌を見渡すことはできなかった。
今回の展覧会は村山の残したものを出来る限り集めて、その輪郭を露わにしようとする、そんな意気込みを感じた。
村山の戦前の仕事は失われてしまったものが多く、その複製品を展示している。
わたしはそのことにも満足している。
少しでも村山を感じてもらいたい、という意識の現れだと思うからだ。
本物がないのは残念だが、だからといって何も紹介しないのでは「すべての僕が沸騰」しないではないか。
やはりここは代替品であっても展示されるのが嬉しい。

最初に同時代の洋画家たちの作品がある。
一言ずつの感想を挙げる。
久米民十郎 トリの夜鳴きする声 シュールな画面。
東郷青児 彼女のすべて キュビズムに未来派がまざる。
神原泰 音楽的創造シンフォニィ#3(生命の流動) わからない・・・
ヴィクトル・パリモフ 日本女性 キュビズムすぎて形がわからない・・・
ダヴィッド・ブルリューク ウラル ベタな夕日
他にもジプシーの女というヌードダンスをする三人の女の絵がある。
<わたしには>わからなくとも、その時代を実感させる作品たち。
そういえば久米の絵を見るのはこれで二回目である。
細川護立のコレクションで一度見ただけで、あの後この画家のことを調べると、神奈川近代美術館が所蔵していることを知ったのだった。

会場では村山の一部作品をプリントした幡を何枚か吊っている。
それらを見るだけでも、村山知義の広さを感じる。
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版画の本がある。後藤忠光「青美」第一号。zen380.jpg
日の下に二人の女が壷を前に跪いて拝む図がある。こういう図は好きだ。
他に本ではブルリュック・木下秀訳「未来派とは」がある。ブルリュークのことだろうが表記が違うのが、また面白い。

柳瀬正夢の作品を多く見たのも貴重な経験になった。
だいぶ前に柳瀬の展覧会を見損ねた憾みがある。
かれのSFマンガをチラッと見ているが、その資料も今はちょっと探し出せない。
「川と夢」は色が綺麗だった。「仮睡」は赤っぽくてカクカクしている。
階段が入り組んだ「底の復報」は面白かった。
柳瀬の絵は配色が複雑で、ちょっとばかりオドロに見えるものがあるが、このあたりはそこまでいっていない。
赤いペーズリーがうねる「未来派の素描」も面白かった。ぐりぐりに目玉がある。

幡にもなった村山の叙情画がある。
ウォルカァの童話「夢のくに」の挿絵。
「彗星の王様のお姫様」zen378.jpg
これは童画家村山知義の作品。「TOM」サイン入り。
同時代の童画・叙情画家たちの間に流行した異国趣味の流れもある。
わたしはこの絵はがきを随分前に手にいれ、今もこうして愛している。

牧野虎雄の「花苑」には百合や小さな草花の生い茂る様が描かれているが、この庭を描いた絵にもどこかしら叙情的なものを感じる。
和達知男の未来派風水彩画もいい。
山岳風景も山水画風で面白い。
リノカットもいかにも時代を感じさせる。
ゲオルグ・グロッスの戯画が色々ある。わたしは江戸の戯画は好きだが、それ以外の戯画はかなりニガテなので、見ていてもあまり楽しめない。風刺が鋭すぎて苦しい。

村山は1920年代初頭のドイツに留学した。
政情不安ではあるが、いまだ熱い面白さのある都市文化が活きていた。
村山がいた数年後のドイツの状況をコミック化した作品がある。
‘92年に発表された森田信吾「栄光なき天才たち・名取洋之助篇」である。
当時、この作品からわたしは「バウハウス」を知ったのだった。
そのバウハウスの教授陣の作品がある。

カンディンスキー、アーキペンコ、クレー・・・
カンディンスキーの連作「小さな世界」、クレーの「小さな秋の風景」はなかなか面白かった。特にどう見てもスイカの断面図にしか見えない一枚が楽しい。

‘20年代のドイツを始めとする世界のモダンダンスやレビューには以前から深い関心があった。このあたりの展示を見るのはひどく楽しい。
村山はドイツでニッディー・インペコーフェンという少女ダンサーに熱狂する。
‘20年代のベルリン。
ニッディーの写真と踊る映像が設置されている。
40年後の日本の暗黒舞踏を思わせる動きもそこにあった。
見ながらわたしは少し後年の日本映画「狂つた一頁」と’89年の「ドグラマグラ」を思い出していた。どちらも新しいダンスを、モダンバレエを見せていた。

そのノイエ・タンツに熱狂した村山は自らも踊り始める。
オカッパアタマにワンピース姿の彼のダンスは写真でしか見ることは出来ないが、ひどく魅力的だった。
「命がけで突っ立った死体」と言うことはないが、この異様な魅力は大きい。
葉山のチラシにも出ているのは「自由学園で踊る」21歳の村山である。
他にも「フムメルのワルツを踊つてゐる私」。
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舞踏家の肉体については土方巽が著書「美貌の青空」に、強い印象を残す言葉で綴っているが、確かにそれを想起させ、当てはまることを実感する。
村山が自らのアトリエで全裸で踊る写真があった。
うずくまる姿を見ても、これもダンスの1シーンだとわかる。
そして細い背中を見せる写真には、深く惹かれるものがあった。

単独のダンスだけではなく、パフォーマンスもあった。
すごいポーズを取っている。zen371-1.jpg


マヴォについてはこの展覧会でも大きな展示だが、そのあたりはあまりわたしには関心が湧かない。ロシア構成主義の影響もあるのかと思うくらいで、見ていてもその時代感覚は伝わっても、ときめきがない。
マヴォ同人の詩を読んでみる。
・・・どうも偽悪的な感性がわずらわしい。汚い単語を連ねることが詩になる、というのも厭だ。

柳瀬の描くマヴォのメンバーの戯画風似顔絵を見て、軽く笑った。ちょっと面白い。
着物を着たオカッパの村山の横顔が、先日なくなった内藤陳に似ていた。
それが機嫌よく仲間内でベラベラおしゃべりしている図。
そしてその時代を捉えた資料が刊行されている。
そこに「マヴォ第一回展覧会」ポスターが掲載されている。
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村山の設計した舞台のミニチュアがある。面白い構造だが、芝居はどうなのだろう。
モホイ・ナギにも通じるような作風だった。
いいのかどうかはわたしには判断がつかない。
ただ、この時代の吉行あぐりさんの美容室の建物はとても素敵だと思う。
外観も内部もおしゃれだった。
葵館のロビーもいい。そこにいる村山夫妻の写真もいい。
当時の記事には、断髪の妻と長髪の夫のジェンダーフリーぶりに目を白黒させている様子が、はっきり出ていた。
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村山夫妻は仲良しさんで、妻のかずこ(変換がうまくゆかないので、かな表記する)が非常に面白い童話を書き、それに夫のTOMが絵をつけていた。とてもいいコンビだったことは、後の展示コーナーでもよく伝わる。
その妻が亡くなったとき、村山は息子さんを責めた、というのを息子さんの書いたもので読んだ記憶がある。

近代劇全集の挿絵があった。元から挿絵好きなわたしは喜んで眺めた。
映像でもそれらが流れ続けている。熱心に見ていると時間はいくらあっても足りない。
作品により画風を変えているのもいい。
モダンな「望郷」が特によかった。

童画家・村山知義の展示を見る。彼はかなり若い頃から童画を描いていた。
そのあたりの仕事については'91年の「子どもの本・1920年代」展の図録に掲載されている飯沢匡の村山論が興味深い。
この感想を書くにあたり、再読したが、20年経った今もやはり面白く感じた。
なお1920年代の童話や童画については、このブログ上でシバシバ取り上げているので、改めて書くことは避ける。それだけでも一本分かいてしまうからだ。

童画の展示については葉山よりも京都を大いに推したい。
ワークショップもある。展示もとても楽しく見やすい。
わたしが一番好きなのは「三匹の小熊さん」シリーズで、これは復刻した絵本もある。
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絵の可愛さと文の妙なリズムが楽しい絵本である。
こちらはその映像のコマを集めたもの。
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(自分の持ってる資料なので切り貼りがきれいではないが)

これは十数年後にVTRソフトを手に入れて嬉しかったが、今回の展覧会でも上映されていて、喜んで眺めた。何回見ても面白い。
このシュールでちょっとトボケたユーモアは、1920年代を生きたものだけが持つ感性なのかも取れない。
近年、ギャラリーTOMでもその展覧会が開かれたとき、今ではDVDも出ています、と教わって嬉しく思ったが、手に入れてはいない。

20世紀末、資料の少ない時代にわたしはわたしなりに懸命に探し回り、かずこの童話が掲載されている本を取り寄せたり、TOMさんの絵を見るために遠出もした。
あの頃の苦労が懐かしい。
他に欲どおしい猫の「おなかのかわ」や「なくなった赤い洋服」の原画などが出ている。
かずこが亡くなった後、村山は演出の仕事を柱にしつつ、それでも良質な童画を送り続けていた。村山だと意識しないで見ていた絵本がいくつかあった。

最後に村山の晩年の仕事が集められていた。
舞台演出などである。そして小説「忍びの者」がある。

ここでごく私的なことを書く。
村山を<知った>のは中学一年の時だった。
オジが「忍びの者」の大ファンで、やたらとわたしに村山を薦める。
オジはTVドラマの品川隆二の石川五右衛門ファンで、そこから原作に走ったらしい。
わたしは学校の図書館で「忍びの者」を読んだ。
石川五右衛門の話は最初の章までで、続編は真田十勇士の話に展開していた。
その数年前にNHK人形劇で「真田十勇士」に熱狂していたわたしは、別バージョンの真田十勇士の話にも惹かれた。
人形劇の原作はシバレンこと柴田錬三郎だったが、この村山版にも深い面白さがあった。

村山の「忍びの者」の映画を、わたしは調べ始める。
そして映画のあらすじや1シーンを載せた「映画大全」本を開くと、そこに市川雷蔵の五右衛門がいた。
家が焼けるのを見て驚いているシーンである。
その前歯の美しさに強く惹かれ、わたしはそれ以後かれのファンになってしまった。
この「忍びの者」ポスターは私の持つ資料から出した。
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そうこうするうち、わたしは村山知義が元は築地小劇場の演出家で左翼で、というようなことを知るようになり、資料を色々とみるようになった。
マヴォの関係や若い頃の「転向」問題などを知ったのは大学の時だが、それは文章による資料で知っただけで、画像は長く見なかった。
更に彼が童画家だったことを知ったのはもう少し後だった。
彼の童画作品を見たのは'91年だった。
前述の子供の本の黄金時代たる1920年代を取り上げた展覧会で、わたしはRRR武井武雄とTOM村山知義を知ったのだ。

村山の童画には彼の妻かずこの童話が相方として活きていたことを知ったとき、わたしはその名に覚えがあった。
幼稚園へゆく前に与えられ、現在も手元に愛蔵している童心社の読み物本「おはなし、だいすき」に所収されている「じゃがいもホテル」の話の人ではないか、と思い当たったのだ。そこで早速本を開くと、北田卓志の挿し絵ではあるが、童話の作者は村山かずこに間違いなかった。
タイトルは「川に落ちたたまねぎさん」だった。
今に至るまでこの話の面白さが忘れられないが、そこから1920年代の童画に眼を開かれたわたしは、当時手にはいるだけの資料を集め始めた。
その中で、童画家だけでない村山の仕事を、画像でも見るようになったのだった。

・・・・・いつものようにノスタルジーと偏愛で固まった記事になってしまったが、この展覧会は本当に面白かった。
昨今の「池袋モンパルナス」「渋谷ユートピア」「都市から郊外へ 1930年代の東京」これらの展覧会と連動して「読む」と、彼らのいた時代の空気を深い吸い込めるような気がする。

京都展は5/13まで。その後は富山を経由して世田谷へも巡回する。
・・・・・富山と世田谷のチラシも今からとても楽しみにしているのだが。

錦水亭で筍つくし

今日はかねてからの約束どおり、仲良しの奥さん方を引率して、長岡天神の錦水亭にたけのこづくしをいただきに参りました。
阪急の長岡天神駅からてくてく歩くと、乙訓の筍売りの台をいくつもみかける。
みんなおいしそうな筍だった。
筍の字を改めてみる。
竹カンムリに旬で筍。ほんと、この時期しか食べられない。

長岡天神の八条池や境内の枝垂桜など。
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錦水亭は池からの別館の眺めが非常によいので、よく時代劇のロケに使われている。
今日はわたしたちは五人だからか、本館へ案内される。
SH3B11100002.jpg いいお玄関。
やっぱりこういう破風が活きているのはいい。

玄関すぐ。SH3B11110001.jpg

二階へ案内される。
ああ、綺麗な建具が。SH3B11120001.jpg

ここからの眺めはもう新緑。SH3B11130001.jpg

お料理は「たけのこ」のコース。
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木の芽和え・のこ造り・田楽

筍のお造りはもぉ本当に現場に近いところでないと食べられへんので、ときめくときめく。
田楽味噌もまた三色ともおいしいのなんの。
木の芽和えがまた竹を模した器に入ってるのがいとしいくらい。

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若竹すまし汁とむしたけ。

順番はこの二つの間に別なのが来るけど、まあ都合で。
すましがまた清冽。
むしたけは以前に来たときのものより格段によくなったと思う。しんじょ風で上に生麩。前のはちょっと気に入らなかったのを思い出す。

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じきたけ

「じきたけ」という登録商標を持っている。素晴らしい筍だった。こんな巨大な筍の炊いたんなんか初めて。
はむはむはむ、と噛んでも噛んでも終わらない感じ。おいしかった!またダシが最高によかった。

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焼竹

丸く切り揃えたものを一旦味付けしてから焼いたらしい。おいしいけれど、昔最初に食べたときの異常な衝撃が心に残っているので、ちょっと感動が薄い。でもおいしいのは確か。

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てんぷらと酢の物

てんぷらは衣にウニなど三種を混ぜたもの。筍のサクサク感がいい。
そして酢の物が非常においしかった。
これだけアップにしてみる。SH3B11210001.jpg
ぷるるんなのは昨今の流行。それにしてもおいしい。

最後はのこめし(登録商標)と水物のメロン。
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香の物には筍の佃煮も。

ああ、非常においしかったし、お部屋も本当によかった。
食後お庭を散策する。

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マンホールもタケノコ。SH3B11230001.jpg

来年とは言わないが、また十年以内に来たいわ。
お誘いした奥さん方も皆さんたいへん喜んでくれたので、わたしも嬉しい。



造幣局の通り抜け2012

木曜に造幣局の通り抜けを楽しんできた。
二年ぶりのライトアップ。

種類はもぉ覚えられなかった。

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桜に酔ったココロモチ。

造幣局の建物と。SH3B11040001.jpg

こちらは全く照明が落とされているので、ちょっと手を加えたが、この円い装飾は一円玉のイメージだろうか。
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本当に綺麗な桜たちだった。今年もありがとう。
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帰りは銀橋を通った。SH3B11050001.jpg
LEDライトがかっこいいな。

大川を見ると船が行きすぎていった。
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最後は洋食屋さんで晩御飯。梅ワインもちょっとばかり。
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いい夜でした。

「KATAGAMI Style」にときめく

三菱一号館で「KATAGAMI Style」展を見た。
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4/24からは展示換えもあるということで、そちらはGWのお楽しみ。
私が行った日は展示リストがなかった。サイトにだけ出ていたのか、事前にそれをチェックしていなかったので、ちょっとばかりザンネンな状況になる。
なにしろ膨大な数の展示なので、書くのが追いつかなかったのだ。

「日本の型紙が世界中へ伝播して行く様子がよく伝わる展覧会だった」
感想の主体はこの一文に尽きる。
和の美の深さに改めて感じ入る、そんな企画なのだ。

全ての壁面やガラスケースに、和の美と、そこから影響を受けたと思しき西洋の美術作品が、並んでいる。
一点一点を細かく書き連ねるよりも、総じて「美麗だ」と感じたことをまず伝えたい。
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最初に見本帳、ひいな形などの資料が現れる。稲穂や秋草といったものは「伊勢型紙」と呼ばれるものだった。産地がちゃんとある。
こういうこともここで初めて知った。
ステンシルの力、と言うことを思う。凄い技術。
そしてこれらの所蔵先がサントリー美術館や千里の民博だというところにも、「用の美」を大切に思う心が活きているのを感じもする。
他には紅型、幕末の浮世絵の女たちの着物などに「型紙」の美を見る。

国別の展示がある。
たとえばイギリスの場合だと、アーツ&クラフツ運動の中から生まれた作品が集められている。
モリスの壁紙、マッキントッシュの家具、クレインの壁紙、モーガンの煌く花瓶、リバティのカタログ、ギムソンの家具などなど。
基礎に日本の「型紙」の美があって、そこから自在に展開してゆく。
その変奏のありようが非常に魅力的だった。
カワセミにアイリス、アーモンドの花と燕、水色地にピンクの色あわせなどなど。
ビアズリーの「サロメ」にもそれが転用されているのを初めて「知った」のも、嬉しい。

フランスの場合、パリ装飾美術館からの所蔵品があった。ガレのモザイクを使った机、ミュシャのポスターの細部などなど。
ドニも絵だけでなく何かしらデザインしていて、そこにもやはり和の美が活きているのが楽しい。

オルタの設計した建造物にもその傾向を見出すのは、すごいと思う。こうした示唆がなければそこまで考えが及ばなかった。

ドイツ、ウィーンの作品も並べられている。
コロマン・モーザーの椅子の背の市松模様のような編み方、あれも確かに「型紙」だと言える・・・!!

かなり感銘を受けたのだが、今日の記事はまず前哨戦と言うことにしたい。
今度GWに再訪するので、そのときに詳しく挙げたいと思う。

バルビエxラブルール

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練馬区立美術館で鹿島茂コレクションの「バルビエxラブルール」展が開催されている。
初日にのこのこ出かけたところ、めめさんとばったりお会いしたので、機嫌よく二人で見て歩く。
最初にバルビエの初期の絵が現れる。
シノワズリーとアールヌーヴォーとロシアの世紀末な感性が融合したような、優美で奥深い作品群。
後期のモダンでアールデコな世界もいいが、わたしは初期の作品群に強く惹かれる。

今回リストが作成されてないので、細かい作品名をはっきり思い出せないが、記憶に残っているのは、「ニジンスキー」「ビリティスの歌」、他にギリシャ神話を背景にしたもの、物語を抽出して描いたものなどがあった。

「ニジンスキー」はこれはジョルジュ・バルビエという作者を知る前から、作品だけは知っていた。
中学の頃からニジンスキーに熱狂していたわたしは、その資料を熱心に探していて、しばしばこれら「綺麗な絵」を目にしていたのだ。
今回改めてニジンスキーを描いた作品群を見て、決して見ることのかなわぬバレエ・リュスの舞台を目の当たりにしたような心持になった。
そういえば今では「バレエ・リュス」表記だが、わたしが中学生だった'80年代は「バレエ・リュッス」だった。

「バラの精」「牧神の午後」「ペトルーシュカ」「シェヘラザード」・・・
音楽が頭の裡を流れてゆく。それを聴きながら絵を見ていると、描かれたキャラクターたちが動き始める。なんという美しさだろうか。
この幸せな幻覚はバルビエの絵が見せてくれたものなのだ。
わたしは繊細に描きこまれた絵をみつめながら、優美な歓びに打ち震えていた。

「ビリティスの歌」の豪華本を見ることが出来たのも嬉しい。
これも中学の頃に知った物語だが、画集を見るのは今回が初めてだった。
'77年の映画「ビリティス」のいくつかのシーンが蘇る。
映画全編を見てはいないが、友人の持っていた資料を見ていた頃が懐かしい。
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どれを見ても酷く繊細で美麗だった。画面全体の美麗さは、細部の繊細な描き込みによって支えられている。部分拡大して眺めれば、全体の様相はわからなくなるが、しかしそこに美しい夢と妖しい色彩とが息づいていることを、知ることになる。
眺めるのが本当に楽しい作品が集まっていた。

シノワーズの影響を受けた絵は、青色の使い方が特徴的だった。

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バルビエのファッションイラストを見る。
これらを最初に見たのは大丸でのアールデコ展でだった。
そのときかなりたくさんの絵葉書を見たり複製を買ったりしたが、今回はそれを上回る質量だった。
さすが鹿島茂コレクションだと改めて感心する。
ファッションイラストの変遷を見せる展覧会が、以前九段の方の大学で開催されたが、そのとき見たものも多く出ていた。
どちらも鹿島コレクションだったのかもしれない。

美麗さに幻惑されたまま、次の展示室へ向うと、そこにはラブルールの作品があった。
同時代の作家でありながら、全く様式も方向性も異なる作品群を目の当たりにしたとき、強い違和感にぶたれた。
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昆虫の絵がある。遠近法が浮世絵風な、森の情景である。
ファーブル昆虫記や魚類図鑑を見ている気がした。
ところが眼と意識がラブルールの作品に慣れ始めると、このそっけないようなシャープさが、非常にモダンに感じられるから、そこがまた面白かった。
キュビズムの影響があると解説にもあるが、形のとり方には確かにその線はあった。
だが無論それだけで構成されているわけではない。
同時代の先端を行く。
日本でも同じ時代に非常にシャープなセンスが生まれている。
「時代」がそのまま絵になったような、そんな作画スタイルだと思った。

木版画と銅版画の面白味の違いが顕著に出ていた。
どちらも非常にシャープだった。日本の探偵小説雑誌「新青年」に登場してほしい、そんな趣がある。
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「ドリアン・グレイの肖像」の挿絵があった。
このイラストを見ていて、今まで考えたこともなかった発想が湧いてきた。
「ドリアン・グレイの肖像」を探偵小説に書き換えてみたい。
そしてそのときの挿絵にラブルールの絵を使いたい。
ワイルドの原本の挿絵には、むしろバルビエを推したい。

こういう展示にはそんな夢想が許される隙間がある。
非常に気に入った展覧会だった。

悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで

出光美術館のコレクションの幅の広さには本当におどろく。
前回「古筆手鑑」展で、次の「悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで」展のポスターが貼られていて、「・・・出光に青銅器が」と明るい期待が湧き出していた。
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古代中国の青銅器コレクションは出光では見ていない気がした。
ただ、このチラシの下部にある「灰陶加彩龍雲文獣環耳壷」には覚えがあった。
これは前漢のもので、'98年夏に大阪の出光美術館の「龍と虎 東洋美術のモティーフ」展で見たのだ。
「もしかすると、そのときに青銅器を見ているかも」
その程度の記憶を抱えて、出かけた。

展覧会は三章に分かれていて、それぞれ魅力的なタイトルがつけられている。
その漢字の連なりに、まずときめく。
なお、作品名のうち、ここに変換できないのがあるので、出光美術館のサイトのリストをごらんください。
pdfなので注意を。


第一章 唐物荘厳
ここでは中国絵画が二期に別れて現れる。
そして南宋から清朝までのやきものや玉の工芸品などがある。

平沙落雁図 牧谿 本国よりも日本での評価が高い、という解説を読むたびに、日本人の嗜好のありようというものを考える。
わたしもこの茫洋とした絵に惹かれている。
絵には小さく飛ぶ雁の姿と水辺に憩う姿とがあるが、全体に砂霞が広がっているような空気があって、容易に全体を見通せない。そこが魅力の根源かもしれない。

唐詩三題 別山祖智 最後の詩は「春眠暁を覚えず」の「春暁」、中は「五陵の貴公子」と読める。最初のはちょっとわたしには読めないから、後でまた調べよう。
唐詩は学生の頃とても好きだった。自分でも書き写したりしていたが、今は少し遠くなっている。

山水図 伝夏珪 ここに描かれている人々には動きがある。右幅の上には小さい住まいがあり、その前庭で子どもと犬が遊んでいる。左幅の亭では赤い盆を持つ人がいる。
景勝地なのか、小さく描かれた人々はいずれものんびりと楽しそうに見える。
峻烈さのない山水図は本当にほっとする。

南宋の茶碗や茶入などを見る。

禾目天目茶碗 あまり細い線は見えない。禾目は少ない感じがする。
鸞天目茶碗 鸞が平和そうに舞っている。
唐花天目茶碗 切り絵のような三つの花がいとしい。
梅花天目茶碗 内側いっぱいに梅花が咲き乱れている。碗の中の梅散華。

唐物水滴茶入 これはポット型。掌のうちで愛でてみたくなる。
青磁下蕪瓶 下部が蕪状でふっくらしている。大きな貫入が花びらのように見える。
青磁浮牡丹不遊環耳瓶 はっきりとした花が綺麗だった。

明清の工芸品を愉しむ。

堆朱四睡図香合 熟睡の四人?組。虎の毛皮でみんなぬくぬくしている。
堆朱楼閣山水図硯屏 非常に細密。気が遠くなりそうな工程を経て生まれてきたのだ・・・

他に翡翠の筆洗などを見たが、それだけで嬉しくなった。わたしはこの日翡翠色のセーターを着てきたのだ。これらのお仲間になりたくて。

胡銅獣耳擂座瓶 銅の剥げた部位が光る。手垢のせいで剥げたのだが、それがまた綺麗に見える。目の鋭い獣が耳部になる。なんという可愛らしさだろうか。
擂座には雷紋と、唐草とも波とも猫手とも蕨ともつかぬ「の」の字連続花がある。

螺鈿楼閣人物図稜花食籠 これはまた非常に仕事の細かい食籠だった。見るべき箇所が多い作りになっている。うるさいといえばうるさいのだが、しかしこの大きさの器をそのままでは置かれない。一面一面に非常に凝った装飾がなされている。
今回、その一面一面を念入りに眺めた。非常な技巧を知る。
四段目の花鳥図は12枚あるが、いずれも少しずつ柄が違うことに気づく。三日月の下の花鳥もあれば、昼間の花鳥らしきものもある。
細かいことを楽しめる、いい時間を過ごせた。

存星龍文八角盆 萬暦年間の技巧はどこまで高く、どこまで深かったのだろう。
踊る龍がいる。こんな構図は他に見ない。類品があるなら、そちらも見たい。この龍はまるで舞楽のような動きを見せている。
その龍を囲む八角の縁取りはそれぞれの時季の花である。百合が特によかった。

青磁浮牡丹瓶 元代らしい釉薬の濃さがいい。牡丹などは型押しで別に拵えて、それをはっつけているのが普通らしいが、それにしてもこの牡丹唐草は、後世のアールヌーヴォーを思わせる美しさを見せている。

第二章 三代憧憬
三代とは古代の夏・殷・周を示すそうだが、周の政治に理想を見るのはともかくとして、夏・殷は・・・どうだろうか。文化的なことだけをさしているのだろうか。
そんなことを考えるのも楽しい。
「倣古」イニシエにナラう。思えば一種の二次創作(=ファンの愛情)なのだ。

本歌たる殷・周の青銅器と、後世のやきものとが出ている。
形を古に採り、表面を彩るものはその当時の流行を選ぶ。
尊式の瓶が三点がある。厳密な再現ではなく、それぞれの展開を見せているのが好ましい。
なお、ここで初めて殷の饕餮文尊が現れたのだが、それはとてもおとなしそうな饕餮くんだった。全身が緑青てんこ盛りで、コケのムースをかぶっているようで可愛い。

元代の飛青磁瓶があった。薄いオリーブグリーン地にこげ茶の水玉柄の瓶。
指の腹で焦げ目をつけていったような確かさがある。上品な佇まい。

胡銅雷文獣耳瓶 ケモノというよりオニ(中国のオニではなく日本の)ぽい感じが可愛い。
胡銅四角瓶 蓋はないが、米櫃によさそうな趣がある。←いいのか?
青磁算木手瓶 貫入がたいへん綺麗だった。算木手はビルディングのように見えるので、そこに貫入(=ヒビ)があるのは・・・と思いつつ。
金銀象嵌饕餮文簋 清朝に生まれた饕餮君だが、銀紙を貼ったようにピカッと反射する。

孔子一代図巻を見る。清朝に描かれた図巻。伝・孔貞運。作者は孔子の子孫だろう。
聖人行状記。漢の高祖にお供えする、ヤギ・ウシ・ブタの図が妙に印象深い。
ところで絵でみる孔子といえば、諸星大二郎「孔子暗黒伝」以外のヴィジュアルが思い出せない。小説では中島敦や井上靖も書いているが・・・

第三章 源流遡上
最後の一室へ入り込んだ途端、一気にそこが古代中国の妖しい空間に変わっているのに気づいた。
饕餮くんまみれではないか!

わたしも関西人の一得として、中国青銅器とは随分仲良くしているが(泉屋博古館、白鶴美術館、黒川古文化研究所、大阪市立美術館、奈良国立博物館・・・)、出光の第三室があの独特の空気に満ち満ちているのには、歓喜した。
嬉しくてまじまじと見歩いていると、ところどころに見慣れた青銅器があるのがまた、ひどく喜ばしい。
「ここにも兄弟たちがいるんやなぁ」と温かいキモチになるのだ。
類品とは即ち縁者なのである。親族、と言うほうが近いか。

また並べ方が巧い。
たとえば殷の三つの爵を一つのケースに入れているが、中で3爵たちはポーズをキメているように見える。
「えっへん」と咳払いしながら「休め!」ポーズでそこにいるのだ。
ちょっと小柄な宇宙人にも見える。
これはもぉ会心の展示ではないだろうか。

先走ったが、最初に現れたのは玉璧である。
新石器時代~前漢時代頃に細工された玉璧たち。
円形ブーメランのようなもの、矛や斧、蝉型、獣面、鳥型、魚型、蟷螂型、双龍型・・・
可愛くて可愛くて仕方ない。
玉璧の可愛いのは大和文華館で馴染んでいるが、ここの鳥型はまた特別愛らしい。
賞玩したくなる、というのはうそではない。掌に収めて、親指を支える肉と四本指のアーチとで、そっとモミモミしてみたくなる。

「完璧」の故事を知ったのは中学のときだった。
「璧ヲ完フシテ趙ニ帰ル」非常に魅力的な話。故事成語の中でも特に素敵だ。

玉で思い出す話は他にも一つ。「玉璜伝」武田泰淳の小説。高校の教科書に掲載されていた。
五年位前に東博の展覧会で玉璜を見て「そうそう」と思い出したのだが、あの当時作者が泰淳か井上靖かが判然としなかったのだ。それで五年後の今はやっぱり泰淳だったと認識。
あ、そのときの展覧会タイトルも「悠久の美」でしたか。
やはり青銅器は「悠久の美」なのだ。
そのときの感想はこちら

ところで前述の「完璧」の故事だが、それを何で知ったかと言うと、「伊賀野カバ丸」だった。
カバ丸が読んだ漢文の教科書にその一文があり、ルビもあったので当時のわたしは覚えたのだ。
えてしてこう言うところから、勉強が始まるのかもしれない。

玉器のことでもう一つ。ネームプレートを見て行くと、随分な年代が書かれている。
夏・殷・周どころかそれ以前の新石器時代の細かい内訳が書かれている。
ときめくなぁ。
そういえば大阪の出光美術館のチラシには、いつもいつも中国・朝鮮・日本の年表があった。あれは本当に役に立ってくれた。

さてノスタルジーから離れて、カワイイ怪物ランドに踏み込むと、あるわあるわ饕餮くんオンパレード!本当に嬉しくなってくる。
わーいわーい♪と喜んでいるうちに、ある種の疑念が浮かび上がってきた・・・
「わたし、見てる気がする・・・」
他の青銅器コレクションで見たのではなくに。

異様に可愛いものをみつける。象さんのついた器である。
ぱおーと鼻を天に上げた象さんが四頭いる。ぐるぐる回っている。
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あまりに可愛くてワクワクしていたが、そのワクワクがドキドキに変わってきた。
「・・・見たことがある気がする」
この象さんたち。
「小象の行進」はヘンリー・マンシーニだったとか「百番目の象が来る」は佐藤さとるだとか『象と一緒に遠足したい』という童謡もあったな、と故意に遠いことを考える。

可愛いのは象さんだけではない。ミミズクもいる。
しかも二種類の形を見せている。青いほうはコノハズクか(え?)。
こちらは他の美術館にも住んでいて、時折姿を見せるが、こちらの茶色い毛羽のフクロウは殆ど見ない。
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胸の毛羽や丸い目、突き出したクチバシ。思わず撫で回したくなる。
背中合わせに兄弟もいて、その点は根津美術館の羊さんと一緒である。

足のすぐ上に顔のある饕餮くんの器が可愛い。なにかメカニックな小動物のようにも思える。

最後に前漢のやきものを見る。
灰陶加彩龍雲文獣環耳壷 冒頭にも少し挙げたが、これを最初に見たときの感動は今も胸の底に活きている。
今、改めてその前に立つと、このやきものが意外とシックなものに見えてきた。
最初に見たとき、その柄の面白さに惹かれたのだが、14年後の今は、柄よりも全体の調和に惹かれている。
「もう一度みたい」と思っていた期間がこんなにも長かったことにも驚いたが。

展覧会を見終えてから図録を読むと、面白いコラムがあり、本を開いて「そうそうそう!」と頷いていた。近年は青銅器を愛する人も増加しているから、この展覧会を機に、もっと多くの人が「トウテツ愛」に目覚めてほしい。

ちなみにこの手ぬぐいは今回の展示から生まれたもの。
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近年のわたしは夏になると、この手の手ぬぐいと仲良しになるので、今から使う日が楽しみ。

東京で青銅器と言えば東博と根津、そして泉屋分館がすぐに思い浮かぶけれど、こうして出光に所蔵されていることを改めて知ると、なにやら静かに豊かな気持ちになる。
今度いつ会えるかはわからないが、少なくとも今は6/10まで色んな青銅器に会えるのだ。
それを喜んで、また会いに行こう。
5/8からは展示換えもあるので、そちらも楽しみ。


ところで一つザンゲ。
帰宅後、サイトを見ると、出光美術館では青銅器の展示は13年ぶりとある。
13年前は東京の出光には行っていない。つまりその展覧会とは無縁だったのだ。
ではいつあの象さんを見たのか。
他にも見覚えがあるのは錯覚なのか、それとも他館のとカンチガイしているのか。
・・・心を落ち着けて自分のDBを見ると、’96年4/20に大阪の出光美術館に「殷・周の青銅器」展を見に行っていた!!!
うわ゛~~反省!道理でこの象さんにも覚えがあったはず!
そのときの感想はノートに「トウテツくん可愛い」と自筆で書いていた!
記憶は常に反芻し続けねばならない。
それを怠ったことを反省しないといけない・・・

山寺後藤美術館所蔵 ヨーロッパ絵画にみる永遠の女性美

ニューオータニ美術館に山寺後藤美術館の絵が来ている。
「ヨーロッパ絵画にみる 永遠の女性美」ということで、17~19世紀の洋画による美人画が見られる。
山寺後藤美術館のコレクションはこれまでにも何度かみているが、いつも楽しい心持にさせてもらっている。関西からは遠いので、東京でこうした企画があると、喜んで出かけている。
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最初に聖母子などがある。

聖母子 アレッサンドロ・トゥルキ 聖母の赤い衣と、すぐそこの赤ん坊の丸い腹が和やか。やや丸顔の見るからに若い聖母と、ぷくぷくした赤ん坊の取り合わせは、目にも心に優しい。
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祈りの聖母 サッソフェラート 彫像のような面立ち。薄い群青色のマント。祈る手にも関節が入っているが、やはり彫像のような趣がある。

悲しみの聖母 ムリーリョ 面長に見える聖母は悲しい目を上向けている。鼻先や頬上の赤みは泣いた痕かもしれない。ふくよかな手は自らの衣をつかみ、胸からあふれようとする悲哀を押さえつけるようにも見える。
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エジプトからの帰還途中の休息 ジュゼッペ・バルトロメオ・キアーリ 青衣の聖母の膝から落ちそうな幼子イエス。二人は日の光を浴びている。影の中に立つヨゼフ。輝く聖母子を見守るために影の中に立つような風情がある。
四階級の天使たちがきている。年長の天使二人はひざまづき花を捧げる。顔だけの天使が中空に舞っているが、それよりもその下のいたずら好きそうな天使が可愛い。
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次からはローマ神話に材をとる。

羊飼い姿のヴィーナス ジャン・パティスト・ユエ 横長なのは施主の要求かも、と解説プレートにあるが、確かにこれは西洋欄間にぴったり。
羊飼い姿というコスプレだが、ちゃんと鳩のカップルもいる。下にはピンクのバラもある。犬と視線を交わすヴィーナス。

ニンフと天使たち コニラ・オクターヴ・タッセール 魅力的な美少女に群がる天使たち。宗派の違いを越えた美の周波に、秋波を送る小僧たちの図。
色っぽくて楽しい。
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ディアナ パウル・エミール・ヤーコプス ディアナの水浴をついうっかり見てしまった猟人アクタイオン。彼の災難はここから始まる。見た・見られたの瞬間を描いている。ディアナの頭上には銀月がティアラのように輝く。おつきの侍女たちも美人揃い。
背景の暗い空、残照、それらがアクタイオンの運命を暗示するかのようだった。
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誰にとっても愛が主人になる アンリ・ピエール・ピクー 綺麗だと思う。描かれている女たちはみんなとても綺麗。衣装の襞などもいい。色も綺麗。ただ、「愛」のツラツキがなんとなく面憎いのも確かだが。
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様々な婦人像が現れる。
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落ち着いた青色の服 伝ジャン・マルク・ナティエ チラシに選ばれている。白いドレスの上に青い服が広がっている。楽器を抱える女と、バラ色の衣を身につけた幼子と、二人共に額の広さ・頬の色の美しさが目立つ。

少女と鳩(グルーズの模写) ジョン・コンスタブル コンスタブルの親族の女性が離婚したとき、娘を夫に取られ会えなくなった。この絵の少女はその愛娘によく似ていた。
コンスタブルはグルーズの絵を模写する許可を得ると、丁寧に仕事をした。
たれ目の愛らしい少女。可愛くカールした髪。ふっくらした手が抱える鳩たち。
絵が愛らしいだけに、その女性の悲しみが思われる。
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水浴する女たち タッセール 先のニンフの方が艶めかしくてよかったが、この絵はなにを目的にして描いたのだろう。女たちの体つきは妙にリアルだと思った。すべてが綺麗というわけでもない、体がある風景。

森の中のジプシーの少女たち ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ この画家を知ったのは以前に見た山寺後藤美術館の展覧会で、だった。
なかなかド・ラ・ペーニャの絵は見ることがないので、今回の展覧会にもきっと出てくるだろうと期待していた。その期待は逸れることがない。たいへん嬉かった。
エキゾチックなジプシーの娘たちの美貌、色鮮やかな衣装、そして「森」。
大きなときめきを感じる。
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少女の肖像 ドミニク・ジャン・バティスト・マゴー 美少女。少し頭頂を膨らませてあげたい髪型だが、それは些細な話だ。傍らに詰まれた柴や少女の手にある刃物を見ると、彼女の暮らしぶりも想像がつく。生活者である少女。視線の先に何があるかは知らないが、真正面からみつめられたい、と思わせるような美少女だった。

アラブの美女 カバネル 怖いような眼をしたアラブの美女。眉の濃い、酷く彫りの深い顔。組まれた指。固く結ばれた唇。彼女の背景にあるものが何かはわからないが、決して穏やかな心持でいることない、と言うのを感じる。
カバネルの絵には文芸性があるものをよく見るが、この絵にもきっと何か物語があるに違いない。・・・・・そんな期待を寄せてしまう絵。

栗色の髪の少女 ジャン・ジャック・エンネル 深緑のドレスを着る娘。遠いところに思いを馳せているような眼。彼女もまた先の「アラブの美女」同様、ここではないどこかに本当の気持ちが向いているように思われる。

愛しの小鳥 ブーグロー この絵こそ、山寺後藤美術館の所蔵作品で最初に見た絵だった。
輝くような笑顔の少女と、その手の甲に止まる小鳥と。純粋な喜びが伝わってくる。
少女のブラウス。スカート、もたれるテーブルに掛かる布。三つともその質感が異なるのを感じる。ブーグローの作品のうちでも、特に幸せを感じる一枚。

バラを持つ女性 エティエンヌ・アドルフ・ピオ 優美な女性。黄色いバラを手にしている。やや黄み掛かった顔色には優雅な微笑が浮かび、傾けた首に生まれる影と背後のベルベットのような闇の深さの違い。優美さにときめいた。

孤児 ジョージ・エルガー・ヒックス 二人の金髪巻き毛美少女が身を寄せあっている。
身なりも貧しく、いる場所も、置かれた食器も見るからにみすぼらしいが、彼女たちの魂までは朽ちてはいない。「孤児」であることを貴種流離譚のように語っているのかもしれない。しかし未来は薄暗いままなのだった。

神よりの授かりもの アウグスト・フォン・ヘッケル 立派な家の前に捨て子がされたらしく、その家の女主人と子どもらが、捨て子を受け入れようとしている図。
気高い女主人と家の内側の影に佇む主人。ふとモーゼの故事を思い出した。

美人画は他にもミレイやポインターらの作品があった。
あとは花を描いた作品が並んでいた。
花の絵もよかったが、室内の静物画の花よりも、美女たちのほうが好ましく思えた。
この展覧会ではまことに嬉しいことに、リストにそれぞれの作品が小さく掲載されている。
ありがたいリーフレットを大事にしたい。
展覧会は5/27まで。

「カワイイ」が集まっていた弥生美術館

弥生美術館の春期展示は「KAWAII」ものであふれていた。
とにかく可愛い、カワイイ、かわいい。
日本語の「カワイイ」は今や世界語になり、その意味をきちんと理解されているが、しかし「可愛い」の意味も微妙な変遷を経ていることを、今回の展示で教わった。
その証左として各世代の「カワイイ」アンケートが挙げられている。
詳しくは弥生で見てもらえればよいが、微妙な違いというのが非常に興味深かった。
わたしの同世代の人のアンケートに面白い一文があった。
「カワイイよりキレイでいたい」というような意味のことが書かれている。
ああ、わかる。わたしは他者(=モノも含めての)には「カワイイ」を求めるし、可愛いものも好きだが、自分に対しては「綺麗」でありたいと思っている。
そして綺麗なモノがやはり大好きだ。
世代間の意識の違い、それは埋められないものだが、しかし同時に「可愛いものは可愛い」と認識しているのは、確かだった。

近代日本の「カワイイ」の直接の先祖は、やはり松本かつじの「くるくるクルミちゃん」に始まるだろう。
かつじの叙情画は明るく健康的で、メランコリックな要素は少ない。多少憂いを含んだ少女がいても、しばらくすればなにかしら彼女を元気づける要素が現れる、そんな期待を持たされる。
そして「くるくるクルミちゃん」はショボンはあっても、決して深く憂うることもなく、元気でカワイイ。
活発で愛らしいその仕草・雰囲気・顔つきがいい。
今見ててもカワイイのだから、当時リアルタイムにクルミちゃんを見た世代は、その可愛さにキュンッ♪となったことだろう。
クルミちゃんグッズを見ていて、欲しいと思う気持ちが強くなるばかりだった。

中原淳一の少女たちはクルミちゃんのような天真爛漫な明るさはないが、やはりこちらも明朗活発で可愛い。

着せかえや花カード、便箋などを見るだけでも楽しいし、やはりそれらは「カワイイ」のだった。
同行しためめさんは「ぬりえ」を集めていた、と仰る。
彩色せず、白いまま保管しているそうだ。
わたしはぬりえはニガテで、ちょっとも遊ばなかったが、ぬりえの可愛さにときめいていた幼心はわかる。
今になり、「きいちのぬりえ」を見て「カワイイ~」とやっぱり声を挙げてしまうのだから、ぬりえの力は大きい。

ぬりえはしなかったが、着せかえは非常に好きだった。
今もし小学生の姪でもいれば、一緒に遊べるだろう。
わたしは小学生の時の雑誌の付録の着せかえは、すべて保管しているのだ。
自分でこしらえたものもあるくらいだから、よっぽど着せかえが好きで楽しかったに違いない。
というか、今もやりたくなってくる。

叙情画の加藤まさを、須藤しげるの絵のついたグッズをみる。これはやはり「カワイイ」ではなく「綺麗」なのだが、往時の少女たちの心を鷲掴みにしているという点ではやはり「カワイイ」の部類に入るのだと思う。

内藤ルネのコーナーにきた。これはもぉ本当にカワイイ。
わたしもいまだにルネさんのパンダの貯金箱やイチゴやレモンのシールを持っている。
日本の「カワイイ」の中興の祖とでもいうのか。
とにかくここで方向性が決まったように思う。
どれを見ても本当にカワイイ。

パンダと言えば高橋真琴のパンダも可愛かった。
こちらのパンダは高橋のほかのキャラ同様、星目玉なのだが、こちらは綺麗カワイイのパンダ。

村山亜土のカワイイグッズの前に立つと、「家にあるよね」という親しい気持ちがわきだしてくる。
小さいボックスからノート、ピン、なんでもかんでも。

明るい気持ちになってカワイイを堪能した。

夢二の絵封筒、便箋、半襟などの「港屋グッズ」を見る。
大正時代の乙女心を衝くカワイイものたち。
わたしは夢二は美人画より、こうした意匠を優先したものや童画の方が好きだ。
ふっくらした椋鳥やキノコ、椿、梅。可愛くて仕方ない。

セノオ楽譜もでていて、あれが好き、これが好き、と楽しい心持ちで見て回ると、自然と音楽が頭の中に流れ出す。

特別に胸を打つ、というものはないかもしれないが、今回の展覧会は世代を問わず楽しい気持ちになる、よい展覧会だった。
こうした企画に出会うと、やっぱりほのぼのと幸せを感じる。

竹内栖鳳と京都画壇

野間記念館で「竹内栖鳳と京都画壇」展を見た。
所蔵品を展示する美術館だから同じ絵を見ることも多い。
しかし、同じ作品を見たとしても、その展示の状況や方向性が変化すれば、また違った楽しみが齎される。
わたしは飽きることなく、野間記念館を訪ね続ける。
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チラシ表の上は「古城松翠」、江戸城のお堀のお掃除をする舟が見える。(藻刈舟)
同工異曲の作も見ているが、この絵は黒松の良さもさることながら、働く人の小ささにも惹かれる。
大正末の作で、リアルタイムに見たものかもしれない。時間の流れ方がゆっくりしているような感覚がある。

下は「鮮魚」。笹の上にグジが置かれている。グジはアマダイのことで、京都人が喜んで食べるお魚である。栖鳳は料亭の息子さんで、「家継ぐんいやや」と泣いたお子だったが、台所に出向いてはしばしば食材の写生をしていたようだ。
だからか、栖鳳の描くお魚も野菜も、みんなどれもこれもたいへんおいしそうに見える。

栖鳳は生徒たちを引率して京都市動物園へ写生によくいったそうだ。
ここにある「猛虎」は江戸時代の虎の絵とはまた違うリアルさがある。仕草はやっぱり猫ぽいのだが。

京都画壇の動物絵画が揃っている。
榊原紫峰 猫之図 横広がりの猫がずんっと座る図。貫禄がある。
西村五雲 夏木立 ミミズクが眠そうに木に止まる。可愛い。
堂本印象 清亮 白サギとセキレイのいる風景。夏日。
栖鳳の「犬」は可愛いわんこだが「兎」はアールヌーヴォー風な面白味がある。

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今回は色紙がたくさん出ている。
木島桜谷の十二ヶ月は全て動物を描いたものだった。それも写生風なものから様式的なもの、物語を感じさせるもの色々。一つ一つがたいへん楽しい。
他はこんな感じ。
まつ本一洋の優美さ、伊藤小坡の月次行事、松園さんの品のよい娘たち、中村大三郎の目の大きな娘たちと月次。

春になると出てくる土田麦僊「春」は中の母子もいいが、左右の紅椿、白木蓮の対比がまた綺麗。麦僊本人はいやだが、絵は人物より花を描いたものに強く惹かれる。
「都をどりの宵」でも舞妓よりその背後の藤がいい。

講談社の雑誌「キング」を飾った数々の名画を眺める。この時代の口絵はこんなにも存在感があったのだ。

再び十二ヶ月色紙。
五雲の花鳥図、紫峰もまた花鳥を描き、福田平八郎も続く。
それぞれの個性の違いが、並びあっているのを見ることで、いよいよ強く感じられ、それも楽しみになる。
まだ徳岡神泉の「神泉」らしさがでていない時代の色紙もいいし、松篁さんの若い頃の十二ヶ月もいい。

小さい企画展であっても、やっぱり楽しい野間記念館だった。

旧島津製作所(現フォーチュンガーデン)

旧新島襄邸から徒歩10分ほどで今度は京都市役所に隣接する旧島津製作所へ向かった。

途中見かけた本因坊ゆかりの家。
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二つの色を見せる花。IMGP9976.jpg

島津製作所が出た後、ここはウェディングとレストランのお店になった。
かなり改造されたが、こうして穏健な使われ方になり、ほっとしている。

ファサードIMGP9978.jpg

窓の魅力は変わらない。IMGP0013.jpg

外壁の装飾はライト風。IMGP9979.jpg

玄関のシャンデリアIMGP9980.jpg

魅力的だ。IMGP9981.jpg IMGP9982.jpg

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武田五一の監修によるこの建物は長らく閉鎖されていたから、元の姿をわたしは知らない。
レトロな写真をみる。
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昔のエレベーターIMGP9987.jpg

階段は階により窓の形が変わっている。それどころか窓がないときもある。
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一階はレストランと時間によってはカフェにもなる空間。
二階から上はそれぞれオリエンタル、コンチネンタル、と趣を変えてのウェディングルーム。
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花の飾りも豊かに美しい。
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天井の漆喰装飾はシンプル。
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くつろぎたい。IMGP9999.jpg

ベランダから新しく増築された空間を見下ろす。巨大な竹と池とがどこかオリエンタリズムに光る。
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池の鯉はすべて銀色だった。IMGP0010.jpg IMGP0011.jpg

武田五一は楕円形が好きなのだが、「島津」だけに○に+のガラスを拵えた。
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屋上ではいずれ夏の楽しみもあるだろう。
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少し小さい部屋には島津製作所の記念館から借り出した様々な器具やめがね絵が展示されている。
こうしたインテリアも楽しい。
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島津製作所のポスターも可愛いが、巧く撮れなかった。IMGP0009.jpg

もう一度最後に玄関の装飾を見る。IMGP0012.jpg
本当にいいムードがある。

今後は二階はネット予約以外は使えなくなるようで、貴重な時間を過ごさせてもらえてよかった。

旧新島襄邸

昨日は雨上がりの京都をハイカイしたが、桜がまだまだ綺麗でうれしかった。
平安神宮の枝垂桜や疎水のソメイヨシノ、丸太町の旧春日小学校、最後に円山公園の桜と4ヶ所で桜を楽しんだ。
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花をみた足で御所の近くの旧新島襄邸に見学に行った。普段は木曜が休みだが、まぁ色々と。
新島会館の二階から見た新島邸。IMGP9952.jpg

洋館部分はベランダコロニアル様式。IMGP9953.jpg

庭に咲く巨大な木蓮。IMGP9954.jpg

ああ、春やなぁ。

丁度新島襄の奥さん八重子さんを主人公にした大河ドラマが始まるらしいので、リーフレットにも力が入ってる。
わたしは山本八重子さんと言えば、随分前にドラマ「白虎隊」で田中好子さんが演じたのを見た。
スーちゃんが気丈に振舞う姿が今も眼に残っている。
その後も夫婦愛のドラマがあって、中で同志社大のラグビーが映ってるのを面白く眺めた。

自宅あちこち。
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ランプIMGP9956.jpgそれから和室の引き手IMGP9960.jpg

家中あちこち動きました。
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レトロなオルガン。IMGP9973.jpg

早い時期の和洋折衷。セントラルヒーティングも完備。なかなか凝っている。
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八重子さんは未亡人になってから和室住まいを楽しんだらしい。
綺麗な襖絵。IMGP9971.jpg

いい天気でよかった。IMGP9972_20120413133026.jpg

間もなく二階が立ち入りを止められるようになるので、この春の間にご覧ください。

「幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界」と「フェリーチェ・ベアトの東洋」

東京都写真美術館で二つの優れた展覧会を見た。
「幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界」と「フェリーチェ・ベアトの東洋」である。
どちらも非常に魅力的な情景を捉えていた。
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堀野は1907~1998まで生存した写真家だが、実際の作品をきちんと見たことがないように思う。見たとしても堀野のシャシンだと認識していない、と言うべきかも知れない。
「新興写真の旗手として、日本の近代写真の成立と展開を語る上で欠かすことの出来ない写真家として名前は知られていますが、その実際の活動の軌跡と評価、位置づけはこれまで不十分なものでした。」
チラシやサイトの紹介文にはこうした文があった。
なるほどと思いながら、作品を眺める。
展示されているものは1920~’30年代の作品である。
わたしが最も惹かれる時代の風景と状況が、そこに開かれていた。

1925年の築地小劇場あたりの舞台写真がある。
ゴーリキー「夜の宿」である。それを思うとやはり築地小劇場の作品のようにも思う。
他にイェーツの仮面劇「砂時計」がある。
イェーツといえば「鷹の井戸」を思う。同時代の舞踏家・伊藤道郎の「鷹」を想う。
イェーツは仮面劇が好きなのか、とこの写真を見ながら歩くと、次に「牧場の花嫁」の1シーンが出た。
長身の男の長いコートの中に、小さい女が囲い込まれるように入っている。寄り添いながら二人は牧場を行く。なにかしら不思議な光景に見えた。
舞台写真なのだろうが、舞台の枠を通り越して、別な空間を歩むように見える写真だった。

伏見直江がいた。
猫のヒゲを書いた顔で笑っている。
わたしはびっくりしてしまった。
わたしの知る伏見直江と言う女優は、常に時代劇の女だったのだ。
歌舞伎で言う「悪婆」、幕末の退廃的な中での姐御、蓮っ葉な女、そんな役柄のものをスチール写真で多く見ていた。
とてもカッコイイ女だと見ていたが、ここではメーテルリンクの「青い鳥」の猫チロを演じているのだ。エリマキトカゲのような襟をつけ、帽子をかぶって。
これを見ただけでも、この展覧会に来た甲斐があったように思った。

続いて夏川静江の「ヴェニスの商人」のジェシカがいた。後世の真知子巻きのようなストールのまき方に、大きな数珠のようなネックレスをしている。綺麗だった。

他にも「赤んぼ少女」タマミのようなヘアスタイルのモガな女優の写真もあり、'20年代最先端を堀野が捉えていたことが伝わってくる。

クロチルド・サカロフ夫人と言うヒトのダンス姿の写真があった。モダンダンスである。
一瞬のポーズを捉えている。こちらもとてもかっこいい。
新作舞踊写真はどれもが皆、胸を衝くようないいポーズのものを捉えていた。

崔承喜の舞台写真があった。1931年。彼女の足跡を追う金梅子のドキュメント映画を見ている。サイ・ショウキ(チェ・スンヒ)はその時代の大人気ダンサーだった。鏑木清方も綺麗な舞台姿を描いている。
わたしも20年くらい前から彼女のポートレートなどを集めるようになっている。
この写真もひどく美しかった。彼女は「菩薩」などを踊るのが巧かったという。
やがて彼女は北へ渡り、消息はついに途絶えたままである。
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第一部がこうしたポートレートだったのに対し、第二部と第三部はルポルタージュの側面を持つ、実験写真の作品が集められていた。
第二部で集められたさまざまな作品は、そこでは独立した位置を有しているが、第三部ではそれらはグラフモンタージュとして世に出ている。

「大東京の性格」としてさまざまな写真が集まっていた。
いずれも非常に面白い角度からの撮影である。
船の甲板を真上から捉える・橋脚を俯瞰する・船の鉄板のボルトを延々と写す。
さらにうらぶれた町を、うねるような階段を、ポジとネガで表した鉄板をそこに並べる。

それら断片は雑誌「犯罪科学」誌に連載される。
毎号の筆者は変わってゆくが、写真は全て堀野のものだった。
「隅田川アルバム」は村山知義の作品でもあった。
千住から月島の風景、「塵芥」という字のタイポグラフィ、「川は都会に流れ込むと同時に、その塵芥を押し付けられる」というコピーが入る。
めまぐるしいルポ、「動くことのない動画」を見ているような面白さがあった。

「一億層白痴化」の名言を生んだ大宅壮一の号もある。浅草・金龍館のレビューに出演する女たち、布人形の押絵、たばこを吸う女、玉の井の「ぬけられます」看板(ますは□に/を入れたもの)そうした写真が集められていた。
さらには「スポーツにもヒエラルキー」という言葉が綴られている。

北川冬彦のときは「シナリオ」と称している。武田麟太郎の構成のときもあった。
いずれも1930年代の裏暗さがよく捉えられていた。

第四部ではさまざまな著名人のポートレートと当時の風俗、日常風景が集められていた。
元気そうな「託児所の子どもたち」、外人たちの優雅な「中禅寺湖のヨットレース」、電話をする松方幸次郎、写生する横山大観、風呂屋の脱衣場で三助のような様子で微笑む長谷川伸、1932年のメーデーの様子などなど。
戦火の靴音が聞こえるような「女学生のガスマスク行進」もあったが、これはむしろ報道写真の部類だった。
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第五部には当時のモガたちが捉えられている。
戦争が始まる前はまだ、女たちも進化し続けていたのだった。
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水着の女、映画会社の事務員、ドレスの女、毛皮の女、振袖の女・・・
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「船旅の女」などはその十年以前の有島武郎の小説「或る女」を思い起こさせた。
そしてその女は後姿を見せているが、もし振り向けば、「上海リル」と呼ばれる女になるのかもしれない、と妄想が湧いてきた。

第六部を見る前にその中身を映像で見るコーナーがあった。
朝鮮アルバム。
実物を見ると、これはもぉあかん、という感じがちらっとした。
みんなにこやかな朝鮮の人々である。日本の支配下にある朝鮮の人々の「にこにこ写真」である。妓生の学校を写したものもある。
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ほかに白系ロシア人の村、北京の女たち、モンゴルの若妻の写真などがあった。
モンゴルの風俗は面白いが、他はどうも国策と言うものがちらつきすぎて、色々考えさせられてしまった。
やはり面白いのは第五部までだった。

5/6まで。

続いてフェリーチェ・ベアトの東洋を見る。
この展覧会は外国からの巡回なので、解説が全て面白い日本語になっていた。
いかにも翻訳もの、な日本語で綴られているのも面白い。学芸員さんの解説が始まっていたので、ちらちら聞きながら歩いた。
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ベアトは長く日本に住んで多くの写真を残した。
彼のキャリアはクリミア戦争からだった。つまりリアルタイムに撮影できない時代からの、出発である。
ベアトはそれではどうしたか。終了直後の現地の様子を捉えることにしたのだった。
だからここにあるインドのセポイの乱を写したものは、悲惨だった。
建造物の美貌にときめく一方、その地に落ちているものを見ると言葉が止まる。
白骨である。殆どオブジェにしか見えないが、ヒトの体の中にあるはずの、白骨。
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初期作品として「ゲッセマネの園」が現れた。実在していたことを知らなかったので、びっくりした。ちゃんとオリーブの木がある。なんだか感動した。
こういうことを知らないまま来ているから、目が開かれるのか。

全体として、インドの建物を写した作品群が非常によかった。
よいのはやはり装飾の美麗さなのだが、時間の経過により失われてしまった風景、それを思いながら見てしまうので、一層よく思えるのかもしれない。
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「大理石の宮殿」写真を見て神坂智子「天竺夜話」を想い、「ムリッツアルの街路」を見てシンガポールのインド人街を思い出した。
インドは私には決して行くことの出来ない地。
そのことを思いながら、再び眺める。

1860年代の中国写真を見る。
北京や広東の風景写真がある。わたしはその数十年後の、小川一眞と伊東忠太による北京の写真のほうが好ましい。
そして朝鮮の写真は状況を思うと、気の毒さが先に立ってしまう。

日本の風景写真は、やはり外国人が見たNIPPONである。それをつくづく感じる。
比較文化論。さまざまな職業のものを写すところにそうした意図が見える。
面白いのは川崎大師の鐘楼だった。柱飾りの象がトリケラトプスにも見えるのだった。
パノラマ写真もあり、目が両横に大きく見開かされる。
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ビルマの建物もひどくいいものがある。他に働く象さんも見れて嬉しい。
しかしやっぱり欧米人の眼で見たアジアなのだと実感する。

面白い作品が多いのだが、やはりわたしは堀野の作品のほうがよかった。
こちらも5/6まで。

桜・さくら・SAKURA 2012

山種美術館の「桜・さくら・SAKURA 2012」を、東京の桜が満開になった日に見た。
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行く先行く先、どこも桜が開いている。
八重洲一丁目に始まり、ホテルに荷を置いてから向った恵比寿駅の界隈でも、ソメイヨシノや枝垂桜が道を飾っていた。
桜の時期に桜柄の着物を着るのは間のわるいことだと看做されている。
しかし桜の時期に桜を描いた絵を見るのは、いよいよ心楽しくなる。
桜への偏愛。
建物の内外で大いに桜を愉しんだ。

最初に土牛の「醍醐」の桜が現れた。
非常に美しい桜である。幹の胸そり具合の堂々たるところへ薄紅の枝垂。
花の一つ一つの形まで描かれながらも、決して個として主張をしない花。
特定の桜を描いた絵では、日本随一のように思う。
春になり、この絵を思い浮かべては「今年こそ醍醐寺に花見に行こう」と思う。
しかし、この絵を目の当たりにすると、もう醍醐へ行こうという気が薄れている。
絵の美しさに満足して終わってしまうのだった。

石田武が2000年に描いた「月宵」「春宵」はどちらも金色の朧月に満開の枝垂桜という、豪奢な取り合わせだった。月の配置が異なるくらいで、どちらもとても似ている。
二つながらに美麗な作品。

この絵を見ると、今度は又造さんの「夜桜」がみたくなる。'86年の名品。この絵に逢うと、又造さんの描いた究極の美人とはこの絵ではないか、と思いもする。
黒の裸婦、白の裸婦、さらに少女たちの美しい姿態も見てはいるが、彼女らに弥増して、この夜桜は美しい。

艶かしいものを続けて見た後に、静謐な山と桜の絵を見る。
魁夷「春静」である。これは杉山と桜の形の対比も面白い。
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つまりタテタテタテに伸びる杉と、ヨコヨコヨコに広がる桜の違いが、色の濃淡を超えて、印象的なのだった。ちなみにわたしの部屋の今月のカレンダーはこの絵なのだった。

御舟の昭和四年の桜の素描を見る。まだ「元気」だった頃の絵。
山崎妙子館長の記された御舟の研究書を思いながら眺めると、味わいがまた深くなってくる・・・・・

土牛の「吉野」は上千本と緑の山とを同時に味わえる空間だった。
吉野の空気がこちらに届いてくるような、そんな作品。

遠目にもはっきりした仏の輪郭があるのは古径の「弥勒」。これは奈良の大野寺の磨崖佛なのだ。今ではもうこんなにもハッキリした線などはないらしいが、紛れもなくこの絵の中では佛はこうして活きておらるるのだった。
巨大な佛像の真下に桜があり、そこを行過ぎる杣人がいる。
長閑な春の昼。いつかわたしもここへ行きたい。

古径では他に「清姫」の最後の一枚「入相桜」が出ていた。全ての登場人物が消えた後の静寂の中、満開の桜がゆっくりと散ってゆく・・・
そして御舟もまた「道成寺入相桜」を写生している。
彼らが道成寺の縁起を思っていた頃、歌舞伎では六代目菊五郎が舞っていただろう。

山元春挙の「裾野の春」は富士山の裾野の桜だった。ロッキー山脈など雄大な風景を描いた春挙らしい、大きな心持になる絵。巨大な自然は動かない。四季折々に表情を変えて見せるが、動くことはない。しかしその裾野には人里がある。人里は栄えもすれば朽ちもする。ヒトと自然とをどちらも一つの画面でみせる、春挙らしい大きな絵。

再び石田武の絵が現れる。2005年の「千鳥が淵」。その頃にはまだ山種美術館は千鳥が淵の桜を臨んでいた。
この画家は2年前に物故されている。
桜の絵ばかりを愛でたが、いつかこの画家の秋の絵を見たいと思う。

皇居を彩った絵の再現というのか、その奉納された絵を基にした作品がここにある。
橋本明治の「朝陽桜」は久しぶりに間近で見たが、いつ見ても本当にいい。
胡粉の盛り上がり、明治らしいくっきりした線、明快な形容。
わけもなくこの絵の前で「うむ」と頷いている。

そこから振り向くと、長大な屏風絵を飾れるコーナーが見えるのだが、そこが元宋の「奥入瀬」に<なっていた>。
元宋と言えば赤をメインにした風景画がまず思い浮かぶが、ここでは新緑の奥入瀬が広がっていた。なんという清々しさだろうか。全くの新緑シーズンではなく、桜の時期の緑。靄と水と風とがそこにある。自分の肺にまでその空気が入り込んでくる。
葉緑素が活きる、そんな大作だった。

旧い絵を見る。静かな優しさのある絵を。
森寛斎の明治初の京洛四季を見る。おっとりした優しい絵。しかしこの頃は奠都があって、京洛が廃都になりかけていた時代なのだ。

狩野常信の「明皇花陣図」は長くほどかれていた。楊貴妃と玄宗皇帝のたわいない享楽に仕える侍女たち。楽しそうに花軍をしているが、「春風駘蕩」という趣はない。

映丘「春光春衣」の王朝美人の優美、雅邦の「児島高徳」の気概、森田曠平の「百萬」の狂気、みな全て愛しくなる。
契月の「桜狩」は山種でみるのは久しぶりだった。数年前に京都のえき美術館で「富士と桜」展でチラシに選ばれていたことを思い出す。気品ある少年と馬の立姿。
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加藤登美子という作家を初めて知った。「桜の森の満開の下」の女を描いている。風俗は江戸時代のように見える。胸をはだけて、どこを見ているとも知れぬ女。シカン文明の仮面を思わせる目をしている。小説からのイメージだというが、各人のイメージのありようの違いが面白くもある。わたしはむしろ近松の女のように思えた。
この女は己の狂気で他者(=山賊)を巻き込む女ではなく、自分の内側を蝕んでゆくように見えた。

小茂田青樹の「春庭」はまたひどく好きな絵である。絵として好きというより「この空間に立ちたい」と思う、そんな好きさである。
散歩して、ふとそこに佇む。そんなことを思う。
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玉堂ののどかな風景を五枚ばかり見た。タイトルはいずれも四文字で構成されている。
湖村春晴、渡頭の春、春風春水、渡所晩晴、古城新月。
そのうちの「春風春水」はワイヤーと滑車を使って渡し舟を行き来させる様子を捉えている。そのシステムは明治三十年ごろに考案されたもので、かつては全国の渡し場で活用されていたようだ。わたしもどこかで見た記憶がある。
玉堂は晩年には香淳皇后の御歌の師であったそうだが、彼の絵にはそうした詩情が確かに息づいている。

大観にものどかな絵がある。わたしなどは大観の作品ではインド美人を描いたものや、物語の人々を描いたもの、四季折々の風景の小品が好ましい。
日本第一、というようなものはニガテである。
だからここにある「春の水」はのほほんとして、筏がのんびり行過ぎてゆくのが、なんとなく楽しく思えるのだった。

作家本人の気概とは別方向なものを好む、と言うことがままある。
印象の作品は特に初期から戦前のものが好ましいし、戦後の抽象になると何がなんだかさっぱりわからず、「また元に戻りなはれ」と声をかけそうになる。
ここにある「桜」は戦前のもので、大正期のややデカダンな味わいも消えて、和やかな世界が広がっている。まだ真昼のことで、桜を照らす篝火もついてはいない。わんこがぽつんと番をするようにそこにいる。
ほっとするような風景がある。

稗田一穂の幻想的な世界観は何に基づいているのだろうか。
「朧春」を最初に見たのは絵葉書だった。'90年代のある日。
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満月が水に沈んでいる。花は月を掬うように枝を伸ばしているが、その手は届かない。
・・・・・そんな風にその絵を見ていた。
今こうして絵の前に立つと、自分の認識が間違っていたことに気づかされる。
月は沈んでなどいない。月影が水面に浮かんでいるに過ぎず、花との距離感もある。
しかし、それはあくまでも今の自分の眼で見た風景に過ぎなかった。
やはり月は水に沈み、花はそこへ枝をさし伸ばしている。
ただ、かつては花の腕は月を掬うように見えたのだが、そうではなく、沈んだ月をより深く沈める手に見えていた。

松篁さんの「日本の花」は扇面図である。これも先の明治の絵と同じ存在である。
最初に山種美術館に来た頃は既に上村家三代の虜だったわたしは、実物を見ることもないままこの絵葉書を購入していた。しばらくして実物を見たときも満足したが、あの小さな愛らしい複製品に、わたしは十分楽しませてもらっている。
絵の前でわたしは松篁さんの花々に小さく挨拶をした。それだけで嬉しくなれた。

滝以外の千住博の絵を見たのは、もしかすると初めてかもしれない。
「夜桜」。黒地にピンクの花が点々と咲く。クレパスのピンクを思わせるような花の色。
不思議にみずみずしい絵だった。

最後の展示室へ向うと、そこに太閤千代枝垂桜があった。アクリル板で永遠に封じ込められていた。
永遠の桜・・・・・

渡辺省亭の雀と、川崎小虎の雀が並んでいる。
省亭の雀は三羽いて、いずれも賢そうな目を大きく瞠っている。口元にも知性と微笑がある。
一方小虎の雀は二羽が二羽ともぐっすり眠っている。とても愛らしい雀たちだった。

今年は雀による桜をついばむ被害がないようだが、今日の大雨で花の散りも激しかったろう。絵の中での桜は長く変わることがない。外の桜が散り果てても、山種の「さくら・桜・SAKURA 2012」は5/20まで咲き続けている。

「絵本合法衢」を観る

国立劇場の四月公演は「絵本合法衢」である。
この芝居は前年三月に上演されていたが、東日本大震災により、上演中止となり、一年後の今、こうして上演されている。
この芝居は20年前に、片岡孝夫(当時)が左枝大学之助と立場の太平次の二役を演じて評判をとった。
当時はまだ今のような情報社会ではなかった。
芝居にしろ展覧会にしろ、情報を得るのはなかなかしんどいものだった、ということを思い出す。
雑誌もあまり読まないわたしは、上演が終わった後にこのことを知った。
その無念さは、言葉では言い表せない。

そして今、ようやく二十年目にして一つの無念が解けた。
わたしは「絵本合法衢」を観ることが出来たのだった。

以下、延々と感想を挙げる。物語の筋も書いてしまうので、知りたくない方はお気をつけください。
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四月の東京ハイカイ録 2

今月の都内ハイカイは芝居を観るのがメインなので、勢い展覧会を見る数が少なくなる。
そんな月もあるということさ。
しかしいい展覧会を見落としは致しません。以下は昨日今日の概要。
展覧会の感想はまた後日。

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土曜日。
寒いと言うので温くしたが晴れは晴れで陽射しはきつい。そろそろ春手袋が必要やと思いつつ、まず根津に向かった。
虎屋さんの雛道具と意外な近代日本画とを目的に。

いや参った。
物凄い精密な手仕事を見た。小指の爪の半分大の染付急須に、毛針で細工したような切り子硝子、打ち出す道具がよくあった銀の茶器、漆もここまで使われるのをしれば我から樹液垂らすのではと思う塗りもの、そんなものが数限りなく並べられているのだ。
クラクラした。
雛道具のミニチュアは地元でもしばしば見ているからどんなものがあるかは予測はついても、その技巧と数は見ないとわからない。
さすが虎屋!唸るばかりなり。
おまけにやや大きめのお道具には虎屋の和菓子を置くと言うのが心ニクイ。
根津の日本画では昭和初期の堂本印象の振袖娘に応挙なわんこの仲良しな絵がよかった。

見終えた時には生和菓子をいただきたくなっていたわ。
あいにく根津カフェは洋菓子メインだからサラバしたが、お庭散策しながら、つくづく和の美を感じたよ。
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根津の庭は久しぶり過ぎてほとんど見知らぬ地。
苔に埋もれた石仏やスミレが可愛い。


国立劇場に行く前に千鳥ケ淵をチラッと見に行くがあまりの人出に負ける。桜、大満開。
しかし国立劇場でも桜祭の開催してました。しかも珍しい種類の桜が集められているのだ。
わたしは仙台屋桜に特に惹かれた。
国立劇場のロゴ入り法被を着た係員さんがいろいろお世話やいて、お茶とおせんべいの振る舞いもあった。ありがとうです。
演芸場の資料もチラッと見たりで楽しい待ち時間を過ごす。
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芝居の感想は明日あたり挙げるが、二十年待った甲斐がある、いい内容だった!
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芝居の資料などなど。

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ハネた後には赤坂見附のニューオータニ美術館に向かった。
山寺後藤美術館の西洋美人画を堪能する。一部は何度か見ているがやはりいいものはいい。

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その後は久しぶりに神楽坂の紀の善に行き、抹茶ババロアをいただく。変わらぬおいしさにウットリ♪
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それでいよいよ機嫌がよくなり、寒い中を夜桜見て歩く。
飯田橋から新見附橋まで往復して桜を楽しむ。
よく見れば菜の花やたんぽぽも咲いて本当に春の中にいるのを実感した。
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電車は速くて光の筋になる。SH3B10690001.jpg

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いい夜を過ごしたが、一つミスった。
夕方以降にカフェインとり過ぎて結局三時半まで起きていたのだった。
尤も芝居の感想を延々と書いていたのも原因だろうが。


三日目。
寝不足は肌にもアタマにもよくないし、私の場合やと体の節々が痛むという厭な状況になる。
迂闊にお茶も飲めない。


ホテルの送迎バスで東京駅に向かい東海道線で品川に行きロッカーに荷物を預けてから池袋に向かう。
練馬区美術館で「バルビエxラブルール」の初日。
(関係ないがこのタイトルの書き方はフなオトメ心をそそるわ~~~)

ときめいてる最中、いきなり肩を撃たれて(え?)ふりむくと、memeさんだった。
二人で眺め歩いてから、お昼を食べて、次に弥生美術館へ向う。

弥生美術館では「カワイイ」をコンセプトにした企画展が開催中。
本当に可愛くてドキドキしたところで、memeさんとは飯田橋でお別れ。
わたしは野間へ行く。

江戸川橋の花見がまた凄い。川沿いの桜を見るうちにバスが来たので乗る。
一区間だけど、この坂を上るデメリットを考えると、やはりバスがいい。
野間では京都画壇とお庭を楽しんだが、こちらも花見客が多かった。
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野間の枝垂桜


目黒へ向う。また物凄い人の波。目黒川の桜。ああ。
雅叙園で辻村寿三郎師の「平家物語縁起」を見るが、前回のおさらいという感じで、そんな新味はなかった。
しかし人形ともども雅叙園の百段階段を愉しむのが目的だからよろしい。展示替えで完結するそうな。
ここからは目黒までバスだが、進まない。花を見ながら人を見る。

タイムアップで品川から新幹線に乗ったが、せめて30分早いのにすべきだったと新大阪から乗ったタクシーで思う。
友人から「平清盛」でフ女子大喜びシーンが演じられてると、ハナ血の出そうなメールが続々と届いたのだ。
く・や・し・い~~~!!再放送を見るしかないが、わたしは今週の土曜は阪神間にいたいのよーーーーーっ
ほんとうにもぉ~~~。

まぁそんなあんなですが、四月の東京ハイカイはこんなところで終わりです。


追記:月曜になって会社でそのことをグダグダ言うてたら、上司がDVD取ってくれるとかいうので「え?」だったが、彼の家のTVは前日のなら取れる機種だと言うことでした。
ありがとうございます~~
言うてみるもんですなぁ、なんでも。

四月のハイカイ録 1

桜が満開になった東京へ出向いた。
八重洲北口へ出ると、小さな桜並木が見えた。けっこうなことだ、街中でいながらにして花見ができるではないか。
気温、予報よりずっと温くて、上着は定宿へ置き去り。身軽になってまずは恵比寿へ。
山種美術館へ向かう道すがら、左手は紅枝垂桜、右手にはソメイヨシノの並木が見えた。
山種では桜を描いた絵を集めていた。
展覧会の感想はいずれも後日に書くけれど、ここでもすっかり「理想の花」を楽しんだ。

その後は再び坂を下りて駅へ戻り、ムーヴィング・ウォークを早歩きしながらガーデンプレイスへ。
写真美術館。二つの展覧会を大いに楽しむ。
時間がないのであいにくなことにフェリーチェ・ベアト展の解説を聞くことはできなかった。
個人的には堀野正雄展の方が好み。

そこから出光美術館へ向かったが、恵比寿~日比谷は地下鉄もJRも同額なのだな。競合路線と見られているからか。

出光美術館ではまさかのもしかで、大量の中国青銅器が現れていた。
これがもぉ実によかった。まさかこんなに大量にこんなに名品ぞろいとは思いもしなかった!
本当にどきどきしたなぁ。
次はGWに行くけれど、それが今から楽しみ♪

三菱へ。日本から生まれた「KATAGAMI」展。驚いたとしか言いようがない。すごいわ、これは。
くらくらしたころに地下を通って東京まではじめて歩いていった。
なんだか忍者の気持ちになって歩く。

八重洲からバスに乗りホテルへついて、さぁもぉおわり。
今日のハイカイはここまで~

ザ・タワー 塔と都市の物語

ザ・タワー 塔と都市の物語
いいタイトルだ。とても魅力的なタイトルだ。
これを見ただけで行かねばならない、と思う。
そして行ってみると、予想以上の満足があった。
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江戸博の特別展は東京スカイツリーが完成した記念と言うことだったが、それでなくてもついつい足が向く展覧会だと思う。
ヒトは何故そんなにも塔が好きなのか。
「バカと煙は高いところへ」と言う憎まれ口もあるが、高所恐怖症でない限りは高いところへ行きたがる人は多い。
昔の歌にもこんなのがある。
高い山から谷底見れば・・・   ちょっと古すぎたか。
しかしこれは何も日本人の特性ではなく、世界の人類共通の嗜好ではないか。
嫌いならバベルの塔はありえないし、ストゥーパも地中化する。

会場へ入ると、まず最初の章として「人はなぜ塔を建てるのか」が始まる。
改めて「なぜ」と訊かれて答えられる人はいるのだろうか。
人類は人類として歩き始めた瞬間から、高いところへ向かいたがるのではなかろうか。

バベルの塔を描いた銅版画や本を見る。
画家の手は違うが、イメージは同じである。
螺旋状(あるいは階段状)に積み重ねられてゆく塔である。
古代の土木技術ではこうした大の上に小を重ねてゆく工法が採られたのだ。
わたしはバベルの塔といえばボッシュだけでなく、横山光輝原作の「バビル二世」を思い出す世代だが、あの物語では地球に不時着した異星人バビルが母星への通信塔として現地人に建てさせたが、科学性がないためのヒューマンエラーで壊れた、という設定だった。
それもまたありえそうな話だと思いもする。

薬師寺の水煙の模造品があった。大きい。天女が左右に三人ずつついている。
「凍れる音楽」は塔の上にある。
少し前までの日本では「塔」とは全て仏教用語だったらしい。
谷中の五重の塔の在りし日の錦絵や焼け残りが出てきた。
谷中の人々は今もこの塔の再建を望んでいるのだろうか。

塔で思い出したが、上宮王家が滅びたとき、一族は塔にこもって散華したのだった。
またグリム兄弟の採集した物語に活きるラプンツェルは、高い塔に閉じ込められた少女だった。長い髪を塔の下へ垂らして王子を招く。
諸星大二郎も塔を描いている。「塔に飛ぶ鳥」は非常に魅力的な物語だった。絶望と諦観とがそこにある。
「高い塔の男」、「塔に降る雪」、「幽霊塔」・・・塔を背景にした物語は尽きることがない。

明治になり、江戸時代からの名所・芝の愛宕山に「愛宕館」と「愛宕塔」が生まれた。
その辺りの錦絵や版画を見る。織田一磨のほぼ百年前の愛宕山は静かだった。
わたしは'90年代の末頃しばしば愛宕山にでかけた。NHK博物館へ行くためだった。
まだその頃は御成門に松岡美術館があり、慈恵医大の見事な建物もあって、あの界隈を歩くのが好きだったのだ。
もし今もまだ愛宕塔があれば、わたしはきっと昇っていたろう。

江戸の人々の富士山への愛着はただ事ではない。府内に町内に砂を盛って、富士に見立てたり、低い山を▲▲富士と呼び習わしてプチ登山をし、木造のハリボテ富士を拵えたりした。
中には見世物で偽物の富士の中に活き人形をおいて、リアルに仕立て上げているところもあるのだった。

エッフェル塔の資料を見る。今ではなくてはならないランドマークも、かつては冷遇されていたことを知る。
放射線状に延びる町並みの地図を見るのも楽しい。
他にリヴィエールのエッフェル塔三十六景や東京タワーを描いた笠松紫浪らの版画もあり、楽しく眺めて歩く。

浅草凌雲閣は多くの資料を見ている。
随分前に大阪の土佐堀通りにあるギャラリーで特集展示があり、そのときも楽しく眺めた。
関東大震災でこわれてしまったが、大正時代の人はここで買い物をしたり望遠鏡であちこちを眺めたりしたのだ。
十二階下と呼ばれる私娼窟が出来たのも当然だった。
上村一夫「修羅雪姫」には明治23年のその様子が描かれ、同じく「菊坂ホテル」には大正九年の凌雲閣の様子が面白く描かれている。
ここでは双六が楽しい。
特に三世国貞の描いた双六には、凌雲閣のどの窓からも人が出ているのが面白かった。
そういえば数ヶ月前に西浅草の図書館で凌雲閣関係の資料展があり、実に多くの本が出ていることに感心した。
そのときは久しぶりに「帝都物語」を堪能したのだが。
他にも「浅草紅団」「押絵と旅する男」などがある。

凌雲閣では美人コンテストを行い、その写真を階段に貼り付けて、客を上の階へと誘導していったそうだ。
その写真は小川一眞によるものだというから、豪勢な話だ。
明治美人の数々。

ルナパークというものがあった。跡地は今の天王寺公園である。
橋爪紳也さんのコレクションが江戸博にきていた。それだけでも嬉しい。
丁度百年前の通天閣の絵葉書がたくさん出ている。

明治から大正の内国勧業博覧会は非常に面白い。それを追った展覧会をぜひどこかで見てみたいと常々思っている。
堺の水族館、上野公園のイルミネーション、猩々たちの持つ水瓶から水があふれる噴水、夜光絵葉書、ルナパークのきらめき、ありとあらゆる娯楽がそこにある。

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近代へと展示が進む。
東京タワーの登場である。
以前、INAXギャラリーで塔博士たる内藤多仲博士の展覧会があり、東京展では博士の自邸を見学するという、素晴らしい企画があった。
博士の邸宅では、タワーの構造計算書なども見せてもらえた。
わたしは建物の良さに惹かれたが、さすがに素晴らしい構造だと思った。
そういえば、東京タワーはもう少しすれば、芦屋の原コレクションの鉄道模型展が開催される。
「月刊東京タワー」という本もあったのだなぁ。
そういえば「聖☆おにいさん」でもブッダとイエスがアナンダをつれて東京タワーへ行って一騒動おこすエピソードがあった。あれも楽しい話だった。

各地に建つタワー写真も見たが、それを見ていて思い出したことがある。
以前東京都現代美術館でみた、未構築の建物をCGで作成した写真で、ソ連の「第3インターナショナル」の塔。あれも不思議な塔だった。
また見てみたいと時々思っている。

図録もとてもいい出来。5/6まで。
常設室では千里の太陽の塔の金ぴかな顔が設置されていた。
上からあの丸顔を見て、その大きさに感心した。
通学で毎日見ていたが、改めてびっくりしたのだった。

4月の予定と前月の記録

春四月ですね。
行きたい所は無限にあるけれど、とりあえずこれだけがアコガレの地と言うことで。

桜・さくら・SAKURA 2012―美術館でお花見!― 山種美術館 ~5/20
セザンヌ―パリとプロヴァンス 国立新美術館 ~6/10
ヨーロッパ絵画に見る永遠の女性美 山寺後藤美術館所蔵 ニューオータニ美 ~5/27
竹内栖鳳と京都画壇展 野間記念館 ~5/20
幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界 東京都写真美術館 ~5/6
J・ポール・ゲティ美術館展フェリーチェ・ベアトの東洋 東京都写真美術館
虎屋のお雛様 根津美術館 ~4/8
KATAGAMI Style―世界が恋した日本のデザイン 三菱一号館 4/6~5/27
「セノオ楽譜」デザインと京都時代の夢二を追って竹久夢二美術館 4/5~7/1
大正から始まった日本のkawaii(カワイイ)」展 弥生美術館 
芸大コレクション展―春の名品選― 東京藝術大学大学美術館 4/5~6/24
悠久の美 ―唐物茶陶から青銅器まで 出光美術館 4/3~6/10
あなたに見せたい絵があります。開館60周年記念 ブリヂストン美術館 ~6/24
バルビエ×ラブルール  練馬区立美術館 4/8~6/3
春季展 唐物と室町時代の美術 畠山記念館 4/7~6/17
ジョルジュ・ルオー名画の謎 汐留ミュージアム 4/7~6/24
細川忠興と香木、蒔絵香道具 心にくく薫りいで―永青文庫4/7~7/16

大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年 国立新美術館 4/25~7/16
越境する日本人 工芸家が夢みたアジア 1910s-1945 東京国立・工芸館 4/24~7/16
神秘のひといろ―中国の単色釉磁 松岡美術館 4/22~9/23
情熱と憂愁―パリに生きた外国人画家たち モディリアーニ、藤田、そしてピカソ… 松岡美術館
KORIN展 国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」根津美術館 4/21~5/20
薔薇と光の画家 アンリ・ル・シダネル展 損保ジャパン 4/14~7/1 
近代の京焼と京都ゆかりの絵画―受け継がれるみやこの美― 泉屋分館 4/14~6/17
芸術家の肖像―写真で見る19世紀、20世紀フランスの芸術家たち―展 三鷹市美術ギャラリー4/14~6/24
シャルロット・ペリアンと日本 目黒区美術館 4/14~6/10
東洋絵画の精華 ―名品でたどる美の軌跡― 静嘉堂文庫 4/14~6/24
ホノルル美術館所蔵「北斎展」三井記念美術館 4/14~6/24
毛利家の至宝 国宝・雪舟筆『山水長巻』特別公開 サントリー美術館 4/14~5/27
観世宗家の至宝 大倉集古館 4/17~6/3

前田青邨「知盛幻生(下絵)」・絵巻「山幸海幸」と日本画の名品 人間国宝美術館~9/1
洛中洛外図屏風と風俗画 国立歴史民俗博物館~5/6
蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 千葉市美術館4/10~5/20
アメリカ美術を変えた日本人 国吉康雄展 横須賀美術館4/28~7/8
茂吉再生 -生誕130年 斎藤茂吉展- 神奈川近代文学館4/28~6/10
ヨコハマ・ヨコスカストーリー二つの港町の戦後文化 神奈川県立歴史博物館4/21~6/17
女性風俗と四季の風情 鏑木清方記念美術館4/19~5/23
岩佐又兵衛絵巻・浄瑠璃姫物語 MOA美術館4/6~5/9


次は関西。
世界遺産をつくった大工棟梁―中井大和守の仕事 大阪くらしの今昔館4/20~5/20
草原の王朝 契丹 しき3人のプリンス 大阪市立美術館4/10~6/10
茶会記をひもとく- 逸翁と茶会 逸翁美術館4/7~6/10
中村順平 建築芸術の探究 大阪歴史博物館4/4~5/28
生誕170年・没後100年『藤田傳三郎の軌跡』 藤田美術館~6/17
佐伯 祐三展 -純粋なる魂を描いた、夭折の画家- 山王美術館~7/29
名物記に載せられた茶碗と名碗たち ―高麗・樂・国焼を中心に―湯木美術館~4/30
近世絵画に見る中国文化への憧憬・後期 頴川美術館4/8~5/20
アンデスのデザイン Design in the Andes 関学博物館~6/9
中国陶磁の文様世界 ~龍の肉球・獅子の睫毛~ 白鶴美術館~6/10
中東絨毯の動物文様
片岡球子 香雪美術館~5/6
いわさきちひろ展  兵庫県立美術館~5/6
マリー・ローランサンとその時代パリに魅せられた画家たち 小磯記念美術館4/14~7/8
麗しき女性の美―松園、青邨、契月、麦僊、不矩― 姫路市立美術館4/21~/27
艶なるもの 姫路市立美術館4/21~5/20
南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎  神戸市立博物館4/21~6/3
五浦と岡倉天心 京都高島屋4/18~5/6
平 清盛 院政と京の変革  京都市考古資料館~6/24
宗廣コレクション 芹沢介展 京都文化博物館4/7~6/3
すべての僕が沸騰する―村山知義の宇宙― 京都国立近代美術館4/7~5/13
王朝文化の華―陽明文庫名宝展―宮廷貴族近衞家の一千年 京都国立博物館4/17~5/27
名品展 -コレクションの歩み- 大和文華館4/15~6/24
三国志の時代 橿原考古学研究所附属博物館4/21~/17
解脱上人貞慶 -鎌倉仏教の本流- 奈良国立博物館4/7~5/27
「線を極める」 ~一本の線に込められた思いとは~ 松伯美術館~5/13
「蘭にみた、夢~蘭花譜の誕生」展 大山崎山荘美術館~5/27
池田あきこ原画展 ダヤンのアベコベヤの月 阪神百貨店4/25~5/1
「屏風絵」展 大画面と立体感の魅力・前期 高島屋史料館~5/15

今月は他に新島襄旧邸と旧島津製作所本社を見学に行きます。
それと長岡京の錦水亭へ参ります~~~
国立劇場では待ちに待った仁左衛門丈の「絵本合邦衢」を!
本当にこのお芝居とは15年くらい前からずーっと縁がないままで・・・(涙)
今回やっと、やっと・・・


花の美術

大和文華館の「花の美術」展を楽しんできた。
今回はチラシがなくポスターだけだが、綺麗な作品が集められているのがよくわかる。

<梅>
最初に朝鮮絵画が現れる。
孟浩然の故事を描いた「灞橋尋梅図」が2点あった。
朝鮮中期の作者不詳の一枚ものと、色んな絵師による書画冊からのものと。
こうして思えば孟浩然という人は旅をよくする人だったのだ。
孟浩然と言えば「黄鶴楼」の送別を思い出すが、逸話がある分、画題にもなるのだった。

清朝の蘇州版画もある。芥子坊主な子らがいる。蘇州版画もこの程度の彩色ならまだそんなにキッチュさが前面に出なくていい。

墨梅図 汪士慎 乾隆6年の作。本当に近年は明清絵画の面白さと言うものを知るようになった。やはりそれは関西在住の一得だと思う。
この梅のシャキッと鮮烈な白さが眼に残る。枝の鋭さに心を貫かれても、それは痛まず、却ってその傷から、新しい生命が芽吹くような気持ちになるのだった。
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白梅図屏風 芦雪 ああ、これを見るのも久しぶり。個人蔵のを借り出してこられたそうだ。梅の幹のそっくり返り具合がいい。そして根元の影が面白い。
力強くて立派な梅の木なのだった。

四君子図 梅逸 作品リストの表紙を飾っていた。一目見て「梅逸ぽいな」と思ったら梅逸だった。嬉しい。画面は真ん中あたりで斜めに分割されて、左上に鋭い白梅と竹が集まり、右下に色のやや強い菊などが配されている。
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やきものでは青花、五彩の瓶に黄釉梅花文筆が出ていて、楽しく眺めた。
いつもの大きな有田の梅文大壷も可愛くて、やはり梅はいいなと思うのだった。
今回は他に織部の可愛らしい梅文皿とマイセン窯の梅竹にトラの皿がよかった。
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<椿>
清水の銹地色絵梅椿文徳利が可愛らしい。
螺鈿耕作文棚 解説によるとこれは日本・朝鮮・中国のどこの生まれかわからない棚らしい。
形は一見日本風なのだが足は朝鮮風で、というようなキメラな棚。
しかし螺鈿は煌き、どこの国だろうが東アジアで生まれたのは確かそうな。良い棚だった。

<蘭>
蘭石図屏風 蕪村 花の絵よりも葉や茎が目立つ蘭だった。そういえば蘭はなかなか咲かないものだった。そんなことを思いながら洒脱な筆遣いを見ている。
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<桜>
寝覚物語が少し出ていた。今度の名品展にも出てくるが、絢爛豪華な絵巻である。

慶長17年(1612)の稲富流鉄砲伝書が出ていた。
達筆な文字もさることながら、その華麗な表具にも目を瞠った。金銀泥に墨痕淋漓。鮮やかな印象が残る。

古九谷様式の桜文徳利も愛らしいし、嵯峨棗の枝垂桜もいい。
金銅桜花金具は非常に愛らしく、これを小さなアクセサリーにしたいと思った。

<牡丹>
磁州窯の北宋時代の掻落もいいが、金代の赤絵の小壷が可愛くてならない。
近年は赤絵の小さい可愛らしいものによく惹かれる。

花鳥図 景文 不意にこの絵があらわれて、さっきまで見ていた中国風な絵が飛んでしまった。雀の首の小さな強さ、羽ばたき。
そうしたところに鎖国したからこそ生まれた、和の美の髄が現れているように思えた。

<蓮>
金銅蓮華文磬 これは実物よりモノクロ印刷の方が妙に面白い。渋みが出るからかもしれない。
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高麗時代の細首の瓶があった。わたしの最も好きなやきもの。青磁象嵌。水禽たちの和やかで静謐な世界がその小さな空間に広がっている。
本当に静かな、静かな世界。

<菊>
釉裏紅菊唐草文鉢 元から明初の景徳鎮で生まれた可愛らしい鉢。

<秋草>
平安時代の鏡が出ていた。10cmほどの丸い鏡はいわゆる羽黒鏡。秋草に蝶や鳥がふらりふらり飛び交うような柄。

高台寺蒔絵の盆もあり、秋草とはいえこの時代のそれで表現されると派手になるものだと思った。

<山茶花>
田能村竹田の画帖から。この山茶花はしっとりと愛らしい。

色々と楽しい気持ちで眺めた。
庭園の梅はまだ名残の美を見せている。
寒あやめも咲いているし、椿もある。
三春の滝桜はまだ咲いていないが、次の展示の頃にはどうなるか。
「花の美術」は4/8まで。

薬師寺花会式

今日はお天気がいいと聞いていたのに薬師寺についたときには雲が随分広がっていた。
人波にまぎれてあるくと綺麗な花が見えた。
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まじまじと眺める。SH3B10310001.jpg
花会式は造花を飾るのだが、自然もこうして花を開いていた。

お昼ごはんをいただけるということなので並ぶうち、雨が降り出した。
混んでるのでたいへんだが、親切な方々と同席する。
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ばら寿司。おいしうございました。

白鳳伽藍、本堂などをめぐる。
銀色に光る弥勒菩薩、金色に輝く薬師如来などを拝む。
聖観音にも額ずく。

造花は菊、杜若、百合、椿、梅など。
とても可愛らしい。
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お庭をゆくと、椿が咲いているのがみえた。SH3B10360001.jpg

石碑の周りには寒椿が鏤められている。
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一時になると美々しく装った稚児行列がきた。
本当に小さい子から少し大きな子どもまで30人ばかりが大人の介添えをうけながらやってくる。
とても可愛らしい。
一人ひとりに『可愛い』『袴、気をつけてね』などと声を掛けてゆく。
そんな位置に立っていたので、丁度よかった。
中には黒目がちな目を向けてきて「ありがとう」という子どもさんもいる。
皆さんに幸あれ。

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この後は南都楽所の舞楽などを楽しみにしていたのだが、雨がいきなり激しく降ったりやんだりというイヤな様子を見せたので、残念ながら帰ることにした。
野点も回廊のところで行っていた。
この日は裏千家。
お干菓子は天平の瓦に浮き彫りされていたような天女を刻んだ落雁。
ポリポリとおいしくいただき、お抹茶もさわやかにちょうだいした。

もう少し天気がよければ、と思いながら薬師寺を出ていった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏様に手を合わせたとき、一瞬「無」の心になるのを感じた。
何もない心になったとき、穏やかな時間というものがあることを知った。
不思議な感覚だった。


花会式は4/5まで。
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