美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

ハスと睡蓮

暑いながらも夏の終わりを実感する今日この頃。
特に今日は8/31。
社会人になって長いのに、いまだに「ああ、夏休みが終わる~~」と嘆息するわたし。
残暑厳しき折りなれど、夏の追憶と言うことで・・・

少し前に撮ったハスと睡蓮の写真をまとめました。

画像 426画像 427

画像 430画像 422

画像 431画像 420

画像 421画像 423

画像 424画像 425

画像 436画像 439

画像 434画像 435

画像 432画像 433

画像 440画像 441


こちらは白い睡蓮。
画像 445画像 446

画像 447画像 448

画像 449画像 450


最後にピンクの睡蓮。
画像 437画像 438

ぎちぎちに置かなくてもよかったかも。
夏の花は好きなものが多い・・・
スポンサーサイト

京大YMCA地塩寮(ヴォーリズ)

先般、京都大学YMCA地塩寮の見学に出た。
YMCA地塩寮というそうだ。
ヴォーリズの最初期の設計した建物の一つ。
京大正門でバスを降りてとことこ。
画像 408

お邪魔させていただけて、本当に嬉しい。
地塩寮についてはこちらが詳しい。

まず外観を眺めて歩く。
画像 402 画像 401

画像 411 画像 410

可愛い。画像 405

違う側から見ると鬱蒼としてる。
画像 412 画像 413

ドアがまた愛らしい。画像 406

中からはこんな風。画像 368

どの窓もドアも落ち着いていて、建物だけでなく心の風通しがよさそうに見える。
室内は照度が落ちているが、気持ちが落ち着く空間。
画像 382 画像 384

図書室のドアが可愛い。画像 385

玄関そばのこのスペースが気になる・・・画像 376

図書室ではみなさんまじめに・・・。
画像 386 画像 371

元のビリヤード室へ。
画像 392 画像 375

暖炉も可愛い。画像 393

いいなあ。
画像 377 画像 379

階段は何故こんなにも魅力的なのか。画像 390

ハンガーかけ。画像 391

赤い窓枠~画像 395

裏へ回ると、別な建物があるが、そこへは向かいません。
庭に小さくなでしこが咲いていた。画像 396


ありがとうございました。いい建物でしたわ~

そのまま東大路に戻らず裏手を行く。
ここにも京大関係の素敵な建物あり。

画像 414

画像 415 画像 416

まだまだ見て回る地は多い・・・

富久邸 ヴォーリズの和風建築

先日、堺の富久邸にお邪魔した。
こちらはヴォーリズの手がけた「近代和風住宅」なのである。

ヴォーリズの和風建築は見たことがなかった。
個人のおうちでも、たとえば北白川の駒井邸のような洋館でありつつも、「和」(=なごみ、でもある)が生きる建物も見ているが、本当にこのように完全な和空間は初めてだった。
今回はご主人の富久さんが東京に居住されているため、このおうちの価値をわかっていて、丁寧に、そして愛しながら借りてくださる方を求めての、一般公開だった。
主催は東京のTATO DESIGN株式会社
ツイッターでこのことを知り、見学させていただくことにした。
(なお賃貸の詳細についてはTATO DESIGNの大山さんまで)

同行する友人は共に近代建築を見て歩く方で、これまでにも多くのヴォーリズの建物を見ている。非公開の建物も含めると一体いくつになることか。
ヴォーリズ研究家の山形政昭先生には及ばぬが、なんとかがんばって残された建物をすべて見て回りたいと願っている。

今回、お許しをいただいて少しばかり撮影した。
デジカメの電池不足で、素晴らしい細工の数々をお伝えできないことが残念ではある。

門は以前は瓦の乗ったものだったが、随分前に惜しいことに変わってしまったそうだ。
(こうしたお話はこちらで育った当主の方のおば様から伺った)
時代を感じるお話の数々を聞くことが出来て、とても有意義だった。

お庭がまた優しい。丁度植木屋さんの手入れがあった日で、鮮やかな匂いがした。

玄関周りから昭和の日本家屋の端正な美を味わうことが出来る。
一度サッシを換えられたそうだが、元の状況に戻されたそうだ。
玄関は家の顔。愛情と尊敬の念を感じる。
画像 464

内側からの眺め。
画像 462
この繊細な作業はもう現代ではなかなか・・・

障子窓、床の間、眺めるほどに味わいの深さを感じる。
床柱のつけ方も現代の形とは少し異なるようで、こうした形式でうちもやってほしかった、と思ったり。
あめ色に輝く木の美しさ。
本当に丁寧に暮らしてこられたのをそこここから知る。

お座敷でこのおうちの図面などを眺める。
昭和八年の建物。施工した大工さんとヴォーリズとはどんな話し合いがあったろうと想像するのも楽しい。

かつての姿。画像 456

このあたりはまだぽつんぽつんとしか家がなかった時代に生まれているのだ。
おば様の少女時代のお話は貴重なもので、昭和の堺の魅力を知ることにもなる。

階段がまたとても素敵。ヴォーリズの魅力を感じる。
画像 457

二階へ上がると洋室があるが、それは北白川の駒井博士の書斎を思わせる。
画像 458

風通しの良い座敷。画像 461

もう一つの座敷の天井にはこんな繊細な美がある。
画像 459

ヴォーリズの書も。画像 460

一階の台所はレトロな美しさのある、機能的なもの。さすがにかまどではなく今は新しいものになっている。
その水周りの合理性・機能性はみごと。

そして仏間があるが、その襖の引きにすごい工夫がある。
これは六甲の山荘でヴォーリズが工夫したベランダの雨戸と同じく、たいへん見事なもので、ほかでは見たことも聞いたこともない。
これぞ匠の技、という感じ。

一階座敷から奥庭を眺める。
画像 455
本当にいい感じ。

堺の閑静な住宅街にあるこの一軒家。この家の価値を知り、そしてこの家を愛してくださる方を求めている。
最後になったが、若いご夫婦オーナーのご親切、おば様の貴重なお話、この機会を与えてくださったTATO DESIGN株式会社の大山さんに感謝したい。
本当にありがとうございました。

なおこのおうちの賃貸に関しての詳しいお話は、こちらのTATO DESIGN株式会社 大山さんまで。
サイトの最後に連絡先などがあります。

ありがとう、富久邸・・・
画像 463

橋本コレクション中国書画/中国山水画の20世紀

大阪市立美術館と東京国立博物館とで、それぞれ中国書画の名品を見た。
先に大阪の感想を書く。
なお文字化けしそうな文字は音読みのカナで表記する。

大阪市立美術館の橋本コレクション展は前後期にわたって開催中である。
どちらも楽しく眺めてきた。
橋本末吉というコレクターは戦後の動乱期に桑名鉄城のコレクションを手に入れ、また近現代絵画をも収集した。

明代から清代、民国からつい近年までの作品が時代ごとに並ぶ。

辺文進 柏鷹図 猛禽だということを実感させる。

鄭文英 山水人物図 青衣の童に高士らしき人とがいる。色がほとんど抑えられた中での青が目に残る。

石鋭 探花図 探花とは科挙の第三位合格者をいうそうで、この図は科挙の受験を目指す人に贈られたもの。青々とした山に深い緑を魅せる松が生い茂る。どの山にもめでたき山と緑がある図。
チラシでは、この下には丁度四百年後の任頣の花鳥図があるが、時代の流れを感じさせて面白い。
zen698.jpg

周臣 風雨帰舟図 強い風雨が大きく表現されている。その風雨の下、岸辺から離れた二隻の舟がある。船頭の笠がとばされたのを眺める人々、家の中で風雨を避ける人々、小さな人間たちの営みが明るく描かれている。

張路 道院馴鶴図 これはまた与謝蕪村風な素朴な趣があり、その空気がいい。

王諤 高士濯足図 画面下方に川の水に足を浸ける高士が見える。そばにはやや老けた童がサンダルらしきものをもって主人を待つ。またもう少し離れたところにロバと馬子が控えている。暑い日にこうした絵を見るのもいい。

鄭文林 漁童吹笛図 「狂態邪学」と非難される画風だが、室町時代の水墨画に通じる「風狂」とでもいうようなものがある。怪異な人物たちはイキイキしている。

李著 漁楽図 長い長い絵で、川に舟を浮かべ漁を楽しむ人々が描かれている。
これは渡辺崋山の模本が伝わるというから、なるほど日本人好みの図ではある。
言い争いをとめようとする人、酒盛りする人々、鵜飼いと休む鵜たち・・・人々の姿が活写されている。

文徴明 山水図 細密画。非常に繊細な描き込みがある。

謝時臣 華山仙掌図 これは面白い図だった。高さ2mもある巨大な絵の遙か上方に、山肌が見える。その一つに河神の巨大な掌が押されている。とても面白い。実際にこんな景色があるのかどうかは知らないが、とても印象深い。

張龍章 穆王駿驥図 穆王には八頭の駿馬がいたとかで、それらの姿を絵に残している。二頭ずつの連作もの。賢そうな馬と穏やかそうな人がいる。この人がどうも穆王らしい。馬は二頭とも馬具もつけず一見野馬風。しかし背の流れなどが美しい。

呉彬 渓山絶塵図 絖に描く。チラシ表にも選ばれているが、執拗なほどの細密描写。
山の連なりというより、それぞれ独立した橋杭岩のような姿が面白い。
その中に点在する建物だけが画風が変えてあるのもいい。
zen693.jpg

孫杕 牡丹図 カラフルな牡丹図。岩と牡丹、そして足下にタンポポ。

徐枋 竹霊芝図 清朝に入り宋風な懐古調の絵を描く。

藍濤 玉堂富貴図 上に海棠、下に様々な牡丹が咲き乱れる。白をベースに薄紫を花弁の端に浮かべたもの、薄ピンクのもの、赤い筋を走らせたもの、そして赤い花もある。華やかなめでたい図。
zen695.jpg

虞沅 菊花小禽図 艶やか。白菊、赤菊、宋代院体画に近い雰囲気がある。

顔嶧 荷郷清夏図 蓮の少し咲く池畔。すゞやかな美。

高鳳翰 「揚州八怪」の一人。泉屋博古館でもこの人の野菜を描いた絵巻を見ている。具合がわるくなって右手が使われなくなったが、左手で復活した画家。
晴霞浄艶図 まだ右手の時代。のびやかな美しさがある。
松山一角図 こちらも。絵のうまさを感じる。
この画家は左手の作品しか見ていなかったので、今回右手の作品が見れたことはよかった。

丁観鵬 阿羅漢像 菩提樹の葉に羅漢図を描いた連作もの。それを台紙に張っている。こういうのも面白い。
zen689.jpg

湯楙名 松下仕女図 二人の女がいる。体は細いが顔の大きな女たち。

周笠 皆大歓喜図 二重の大喜びの図。松下で万歳している。何に喜んでいるのかはよくわからない。  

李脩易 藤牡丹図 綺麗。白っぽいシルクの服のような。そこに藤と牡丹が。

陳元ピン 故山西湖図 明代の西湖もまた景勝地だった。名所図としても楽しめる。
zen707.jpg

謝時中 夷斉山居図 タイトルから「伯夷・叔斉」の故事にまつわる絵だとわかる。
人物も木々の中に同化しているようだった。
zen705.jpg


丁敬 墨梅図 清新な美しさがいい。
zen690.jpg zen697.jpg
呉煕載 蝉過別枝図 柳の細い葉。蝉たちが飛ぶ。ああ、夏の喜びを感じる。

沈南蘋 雪梅群兎図 まだ若かった頃の作品だというが既にどう見ても南蘋。
白梅と雪をおいたような白椿の木下に三匹の兎。それぞれの目つきがたまらなく面白い。
zen694.jpg
右手の白黒は何か談合しているようだし、左の白水仙をクンクンする白兎は不審気な面もち。
カワイゲはないのだか、妙に心惹かれる。
日本で大ブームが起こるのもよくわかる。この暑苦しさがいいのだ。
zen708.jpg

高乾 春王双喜図 沈南蘋の弟子で再来日もしてくれた画家。岩に牡丹とカササギのカップルと。タイトルは無論そこから。支障とは違う情緒がある。
zen706.jpg

何元鼎 侯禄図 吉祥画。木の上にはサル、それを見上げる鹿。メジカは流れの方へ顔を向けている。秋のある日。
zen702.jpg

方済 富士真景図 来日の際、千葉に漂着し、そこから長崎へ護送されたが、その旅の間に各地を写生して歩いたらしい。残っている唯一の肉筆画。
誰がみても富士山は美しい形を見せている。山頂のモコモコと滑る稜線と。そしてちょっとばかり中華風な民家があるのはご愛敬。
zen701.jpg

江稼圃 清渓重嶺図 蜀山人や竹田らと交友したそうだ。本来は船主として来日したというのも面白い。だから役人である蜀山人ともスムーズに会えたのかも知れない。
zen704.jpg zen703.jpg
羅清 蘭竹石図 明治初に来日して、松本良順らと交遊した。これは彼のために浅草寺で描いた指頭画。竹と石とが濃淡も美しく描かれている。

虚谷 金魚図 わたしは「ちょきんぎょ」が大好きだ。こちらは赤い出目金たち。木につられてるようにも見えるが、機嫌よく泳いでいる。イキイキと。
zen699.jpg

陳崇光 群鳥争鳴図 四羽の叭叭鳥がわめきあっている。下には水仙が咲く。元気そうな図。

いよいよ呉昌碩の登場である。
京博で見て以来、その面白さを知るようになったが、今回もいい絵がある。
藤花爛漫図 これもまたにぎやかな図で、何百年も前の絵とはやはり全く違うのを(当たり前だが)つよく感じる。
木与石闘図 木と石の闘う図。押し合いへしあいの木と石。面白いなあ。
浅水芦花図 この言葉がまた好きなので楽しく眺めた。
雪山飛瀑図 雪をいただいた木が可愛い。電柱のくねったような木が特に可愛い。
zen700.jpg

王震 蘇武牧羊図 匈奴の国で蘇武は羊飼いをしている・・・山羊にも羊にも見えるが、黒二匹と白一匹がいる。望郷の念はその厳しい面から読みとれないが、何か激情を抑えているようにも見える。

陳衡恪 古木栖鴉図 この画家は梅蘭芳のサロンにいた人だという。八羽の鴉。赤目のやつら。

張聿光 春苑狸奴図 リドとは何かと思ったらどう見ても黒猫だったのだが。それが何か石の上に座ってこちらを向いてニャーッ・・・可愛い。

干悲闇 柑子小禽図 くっきりした線で色も鮮やか。これを見ていた小学生女児二人が「これを宿題の感想文かこう」と言い合うのが聞こえたが、確かにこの絵が一番はっきりした線と色とで構成されている。
小学生にはたぶん、これ以外は曖昧なわかりにくいものばかりなのかもしれない。

張大千 水殿清風図 この絵は不忍池の蓮を描いたもの。水気たっぷり筆に含み、それで大きく葉を描く。魅力的な一枚。19歳で京都にきて、それから敦煌へそしてブラジル、アメリカ、台北に移り住んだそうだ。
zen696.jpg

前後期ともども大変みごたえのある展覧会だった。
9/2まで。

続いて本日までだった東博の「中国山水画の20世紀」について多少。
北京の「中国美術館」から来た名品。
良くできたリーフレットを無料でいただけたのも嬉しい。
そこには「よくわかる!中国近現代絵画のながれ」のチャート表があり、画家たちの派閥が把握できるようになっている。

前述の呉昌碩からが中国近代絵画の幕開けだというが、ここでも呉の強い線が目立っていた。

斉白石 滕王閣図 縦長の画面が三部に分かれている。
山脈、林、町。それぞれにつながりはなく、白い空間が広がる。あえて描かないところが新しいのだった。

張大千 山水画冊 豊かな自然を描写している。色の付いたものもあるが、むしろ墨絵の良さに惹かれる。

呉湖帆 廬山東南五老峰図 翡翠色の岩の美しさに惹かれた。大飛瀑、豊かな流れ、そして濃く紅葉した木々。
とても綺麗な風景だった。
個人的には廬山・五老峰といえばやっぱり聖闘士の修行先というイメージが、ある・・・
zen709.jpg
左には陸ゲン少の朱砂冲哨口図 ああ、たしかに朱の砂が。

林風眠 水上魚鷹 墨の濃淡で表現された世界。しかしここには伝統的な山水画だけでなく、西洋のポスト印象派の影響もあるらしい。非常に面白い一枚。
zen692.jpg
この人はパリに留学していたというが、その時代は丁度20世紀の絵画芸術の大きな変遷の時代だった。

藩天寿 雲岩澗一角図 力強さと繊細さが融合したいい絵。
zen691.jpg

高剣父 漁港雨色 この画家も先般の京博で知ったのだが、山元春挙、竹内栖鳳らの影響を受けたというのも納得できる。美しい滲みがいい。そして水面が白だけでなく複雑な淀みを見せるのが印象的。

20世紀の中国絵画の流れなどは、宋から明清に至るまでの時代のそれよりも、わたしには難しい。
まだまだ鑑賞することも未熟なので、ただただ眺めて歩く。
正直、近年になればなるほど関心が薄れてゆく。
いいと感じた作品はみな半世紀前の、文革前までものばかりである。
今後も「見たい」と思うものは、やはり宋から明清そして20世紀第一四半期頃までの作品になるだろう。
尤もそれは私の場合、どこの国のものでもほぼ同じなのだが。
色々なことを教えてもらえた良い企画展だった。

藤田嗣治と愛書都市パリ 花ひらく挿絵本の世紀

松涛美術館「藤田嗣治と愛書都市パリ 花ひらく挿絵本の世紀」をみてきた。
わたしは日本の挿絵文化は偏愛しているが、海外の挿絵文化には案外関心が向かない。
しかしネットでの評判が非常に高いので、やはりこれは見るべきだと出かけた。
zen687.jpg

1919年から1960年代までの長期にわたるフジタの挿絵が集められていた。
フランスの本といえばすぐにペーパーナイフで切るのを思い出すが、これは普通にページが開けられる本ばかりである。
フランスの出版社といえばわたしが知るのはせいぜいガリマール社くらいだが、いろいろな社からフジタの仕事が見えたのが面白い。
関係ないが、映画にもなった「私家版」はフランスとイギリスの出版事情を背景にしたミステリーで、映画になったときのアオリが「本が人を殺す」だったのを覚えている。

画家によってはタブローより挿絵のほうにこそ味わいが深い、という性質の人もいる。
そしてその場合は(魅力的な挿絵の場合は)、文章の添え物ではなく、絵のほうが主体ともなり、絵を見ることで物語を読みたくなる、と言う力を引き出すのだった。
しかしフジタの挿絵はそこまではいかない。
意図的に抑制しているのかどうかもわからない。

多くの作品を見るうちに好ましいと思うものは、すべて官能的な状況を含むものだった。
たとえば「ポーゾル王の冒険」は木口木版の作品だが、ふっと悩ましいような何かがある。
物語も「家出した娘アリーヌ姫を捜し求める王」というのが、どこか妖しい。
連れ去られた娘を捜し求める父の姿を描いた「犬笛」とは違い、ここには背徳的な翳りがある。

ポール・モーラン「ムッシューU」の挿絵はドライポイントで製作されている。中国人の霊をフジタは描く。それはキョンシーなどではなく、むしろベジャールが振り付けした「中国の不思議な役人」を思い起こさせる。

「アマルと王の手紙」というアマル少年の夢想を描いた小説の挿絵には黒いゾウを描き、「獣一党」にはまた別なゾウを描く。
同じゾウでも種類の違うような面白みがある。

戦中の森三千代「インドシナ詩集」のための挿絵は、アンコールワットを描いていた。
作品を知らないので、どういった状況なのかがわからない。しかしこの挿絵を見て、中身を読んでみたい、と言う気持ちが湧いてくるのは確かだ。

1923年の「日本昔噺」は絵だけでなく編・訳ともにフジタが行った。線描の美しい挿絵。
玉取り、浦島、養老、姥捨て、仁徳帝、鵺など。
草薙のヤマトタケルがたいへん美少年だった。フジタの描く美少年を初めて見た。

日本を舞台にしたものが続く。
いずれもフランス人の意識の中にある日本女性が書かれている。
日本人から見れば面映ゆいような日本女性が。
そしてそのためのフジタの絵もまた、どう見ても日本人の描いたものには見えない。

ピエール・ロティ「お菊さん」「お梅が三度目の春」、トマ・ローカ「御遠足」ポール・クローデル「東方所観」などなど。

「中毒に就いて」という作品の挿し絵は阿片中毒の様子を見せている。船上娼妓のようなものもいる。諸肌を脱いでいるのもいる。おもしろい絵とそうでないものとが列ぶ。
zen688.jpg

フジタだけでなく長谷川潔も参加した「芭蕉とその弟子のハイカイ」という翻訳「俳句」と絵の本もあった。
近年、ロシアのユーリ・ノルシュテインらで連作アニメーションをこしらえたが、それは「連句」という形式をとっていた。外国人の俳句へのあこがれは、20世紀だけでなく21世紀にも続いているのだった。

コクトー「海龍」の挿し絵をみてアッとなった。これは以前見ていて「もう一度見たい」と思っていたものだ。東近美か京近美で見ている。
芸者、タバコ吸う女、和の風情の女、芝居、そして「ぬけられます」。わたしが覚えていたのは「抜けられます」だった。「ます」は字ではなく□に/を入れた升模様。玉ノ井を舞台にした作品にはこれがあるので、フジタも玉ノ井を描いていたのか、と当時なにか不思議な気持ちがしたものだ。
物語の中身はわからない。コクトーのその作品を調べたらわかることだろうが。
しかしわからないままでいてもいい。
透明感のある女たちのうなじを見ているだけで、心地いいから。
zen688-1.jpg

1951年の「魅せられたる河」は版画だが、中でも「宝石の女」は魅力的な作品だった。
虎とライオンを従えた裸婦が宝石だけを身にまとうてこちらを見据えている。

やがて60年代になり、フジタの絵に幼い子供たちが幅を利かせるようになる。みんな口を堅くつぐんだ子供たちである。
「しがない職業と少ない稼ぎ」「四十雀」などなど。

フジタはエコール・ド・パリの一員だった。
同時代のほかの画家たちの挿し絵も多く出ていた。
zen688-2.jpg

ラディゲ「肉体の悪魔」の挿し絵がヴラマンクだとは知らなかった。絵よりも、そのことを知ったこと自体が面白かった。

パスキンの「シンデレラ」はペローのそれを原作にしつつも深い官能性を漂わせ、物語に潜む背徳性をあぶりだすようだった。
それで思い出すことがある。
岸田今日子に「セニスィエンタの家」という短編小説がある。スペイン版シンデレラのような物語を描いた壁画を岸田今日子らが見に行く。
シンデレラは王宮の舞踏会に行くために魔女からドレスや靴を授かるが、ここではその実父から受け取る。そしてその代償に少女は・・・
わたしは、この岸田今日子の背徳的なシンデレラを、フジタの絵で見てみたい、と思った。

シャガールの「ダフニスとクロエ」は何度も見ているが、ボナールらのそれは初めて。
シルヴァン・ソバージュのそれは古代ギリシャの壷絵のようで、アンドレ・エデュアー・マルティのは、どこか懐かしい。ル・グィン「ゲド戦記」の前三部作の表紙絵に似ているように思った。
彫刻家のマイヨールの挿し絵もあり、「ダフニスとクロエ」がいかに愛されているかを知る。
ラヴェルの楽曲の影響もあるのか。
それこそ「音楽と美術」の関係があるのか。

ラ・フォンテーヌ寓話集を描いた画家も多い。
グランヴィル、ドレ、ルイ・ブーケ、シャガール、そしてフジタも描いている。

最後に挿し絵以外の油彩画やエッチングをみた。
フジタの「裸婦と猫」はやはり猫に目がゆく。まだちびっこな猫である。
「雪」もいい。横たわる裸婦の上に黒い空と雪と鳥が描かれている。どこか不穏な空気がある。

北海道立美術館からパスキン、キスリング、ルオー、ローランサンの絵がきていた。
最後の最後で脂っこいものが来るのも面白い。

9/9まで。

美術館で旅行! 東海道からパリまで

旅に長く出ていない。
旅とは何か。
改めてそのことを、その意味を考える。
ほぼ毎月大阪から東京へ行く。
展覧会を見たくて出かける。
わくわくはある。しかしそのわくわくは展覧会へのわくわくであって、大阪から東京へ行くことへのわくわくではない。
すなわちわたしの中では東京へ行くことは旅ではないのだと思う。
旅。
わくわくが伴わなければ旅ではないのか。
いいや、そんなことはない。
古代から中世においての旅、近世での旅、現代の旅。
全て少しずつありようと意義とが違うように思う。
旅とは何か。
再びそのことを考える。
答えはまだ見えない。
だが、ヒントはある。

zen684.jpg

山種美術館の夏休み企画「美術館で旅行! 東海道からパリまで」には各地の風景画が程良く並べられている。
これを風景画展として見るか、そこから一歩踏み込んでその絵を自分の行く先として見るか。
旅先の風景だと思えば、その絵に対して親和力が深まる。
画家の立ち位置と自分の佇む地とが同じになり、眼前に広がる風景は自分の見る風景になる。

第一章 広重と歩く東海道と名所

最初に広重の東海道五十三次が現れる。
保永堂の五十三次。
子供の頃から広重の五十三次には親しんでいる。永谷園のお茶漬けに入っていたカードのセットものがあるだけでなく、大判の画集が家にあり、父は小さかった私に膝栗毛を読ませ、その画集を眺めさせ、東海道五十三次に親しませたのだった。
飽きるほど見ているはずなのに、それでも一枚一枚丁寧に眺めると、また新しい気づきがあったり、楽しい心持ちになりもする。
「蒲原・夜之雪」を見たとき、こんなに白かったかと思ったら、解説にもそのことが書かれている。
参考の別な摺りを見ると確かに暗い夜である。
知っている絵でも、少しの違いを見たことで、新しい楽しみが生まれるのだった。

ところで広重以降にこの五十三次を描いた絵師といえば、池田遙邨がいる。
彼は「美の旅人」と呼ばれていた。
そして旅から最も遠い人と思われていた、鏑木清方も車に乗り日をついで、東海道を旅している。羅馬日本画展に出向く人々を見送るというのを大儀にして、初めて家族旅行を成し遂げたのである。
清方はその旅について「続こしかたの記」に詳しく書いているが、彼もまた広重の五十三次を常に脳裏に置いていた。

わたしは前期に行ったので、佐夜の中山夜泣き石を越え、掛川の秋葉山までを見た。
秋葉山といえば「秋葉山の火祭り」として次郎長の話に出てくる。そう思った途端、広沢虎造の威勢のいい語りが脳裏に流れ出してくるのだった。
後期は無事に三條大橋まで。

第二章 日本を旅する 北海道から沖縄へ

実際自分も北海道から沖縄まで旅をした。
行ってない県といえば栃木、茨城、高知くらいか。
そんなことを思いながらこの界隈を歩く。

岩橋永遠 カムイヌプリ 湯気が立つような山、ブロッケン現象が描かれているのも珍しい。

吉田善彦 春雪妙義 いかにも吉田らしいモアモアした風景。

野口小蘋 箱根真景図 明治40年の箱根芦ノ湖。小舟が浮かんでいる。大きなホテルも見える。日本人向けというより、日本に来る外国人向けのための風景に見える。

石井林響 総南の旅から 連作もの。90年前のある日の島。気持ちがほぐれるような風景。

川合玉堂 鵜飼 働く鵜たち。実際の鵜飼を見たことはないが、この絵の前に立つと、観光客になって鵜飼を見ている気になる。

石本正 飛騨の酒蔵 宮川沿いの風景。飛騨に行ったときの記憶がよみがえる。
この酒蔵の奥に入り込み、三之筋や味噌買い橋へ向かっていきたい・・・

速水御舟 比叡山 墨の濃淡がいい。比叡山は近いようで遠くて、あまり行くことはないのだが、京都についた瞬間から比叡山が見えているのだ。消えようのない存在感。
わたしにとって山とは六甲なのだが、それも見えてはいても行かない山である。
しかし決して意識の底から抜けることのない存在感がある。
そんなことを思いながら比叡山を眺める。

第三章 世界を旅する マンハッタンからパリへ

海外へ行くのは確かに「旅」だとわたしも思う。
今秋、久しぶりに「旅」をする。ベトナムへ行く予定。
かつては欧州大陸のどこかを行くのがとても好きだった。
またオセアニアもとても好きだった。
しかし近年はアジア各地を行くことが、いちばん自分の心にも舌にも適うことに気づかされた。

西郷孤月 台湾風景 丁度百年前の台湾の、ビンロウ樹の並木道。横長の画面からわびしさが伝わってくる。
画家の不遇な生涯を知らずとも、この絵のわびしさは見るものの心に伝わってくる。

昭和五年のローマ日本画展に出席したのは横山大観らだが、それに御舟も出て、閉会後も行ける限り足を伸ばした。
エジプトの風景を描いたものがとてもよかった。
妙に可愛い人々が描かれている。zen685.jpg

それだけでなく、フィレンツェやアッシジの写生がある。
自分が行ったときの記憶が蘇り、絵の中に混ざりあうのを感じる。
記憶はこうして美しい改竄を受け入れるのだった。

児玉希望 モンブラン 白い、本当に白い。あの鮮烈な空気がここに再現されている。

zen686.jpg zen686-1.jpg

加倉井和夫 ミコノスの磴 こちらも白い。地中海の白。明るい白。ああ、気持ちいい。

結城素明 巴里風俗 1925年、モダンなパリの街角が描かれている。
zen686-2.jpg
世紀末から1930年代までのパリの美貌を思うだけで、うちふるえる。
自分が本当に旅したいのは、その時代のパリなのである・・・

江戸時代の旅、日本国内の旅、世界の旅と楽しい旅行をしたように思う。
いい気持ちで展示室を出たとき、不意に現実に帰った気がした。
そうか、と思った。
旅を日常にするのでない人にとっては、非日常であることが旅なのだ。
小さな理解が生まれる。
しかしそれが全てではないのだが。

不意に言葉が蘇る。
「漂泊の思いやまず」 確かに、そう。
いつかまたどこかへ旅に出たいと思った。

ドビュッシー、音楽と美術 印象派と象徴派のあいだで

今日はドビュッシーの誕生日だという。
150回目の誕生日。

ブリヂストン美術館の「ドビュッシー、音楽と美術、印象派と象徴派のあいだで」展はたいへん見事な展覧会だった。優雅さを体現した内容だと思う。
この展覧会はオルセー美術館、オランジュリー美術館との共同開催ということで、フランスと日本が、音楽と美術とでつながっているのを感じる。

行く前からとても期待していた。
ドビュッシーは特に好きな音楽家なので、京橋のブリヂストンへ着くまでの間、ずっと頭の中に彼の生み出した音楽がとめどなく流れ続けていた。
それは組曲の中の一曲だったり、何かの曲の一部だったりすることもある。
たとえば少しの段差を上るとき、わたしの頭の中に流れる曲は「沈める寺」になる。
外の暑さから逃れ、涼やかな美術館の中に入ったとき、曲はいよいよ佳境に進む。
わたしは自分が浮遊しているように思う。
その心持を懐きながら絵を見始める。

<ドビュッシー、音楽と美術>
ドビュッシーと彼の周辺の紹介がある。音楽の教科書でみている顔がそこにある。
青色でまとめられた室内に作品がある。
遠くからドビュッシーの音楽が聞こえてくる。
自分の頭の中からこぼれたものではなく、本当に流されている音楽。
心地よい空間に佇む。それだけで満たされてくる。

若きドビュッシーはラファエル前派やアーツ&クラフツに惹かれていた。
こんな逸話を知ることも楽しい。

アンリ=エドモン・クロス 黄金の島 ああ、なんだか心が遠くへ運ばれてゆくようだ。
微妙なグラデーションの美しさは音楽の推移を思わせる。
そしてそれは(その曲が終焉へ向かうときの)姿に似ている。
zen680.jpg


<選ばれし乙女>の時代
絵画と音楽とが分かちがたく結びつく、ドビュッシーの芸術。
そのことを思いながらそこにあるロセッティやドニの美しい絵を眺める。
イギリスとフランスの美しい作品を。

バーン=ジョーンズ 王女サプラ このブリヂストンから東京駅を挟んだ向こうに三菱一号館がある。そこではつい先日までこの画家の美しい夢のような絵画世界が広がっていた。
この王女サプラは悪竜の顎にかかる前の、まだ平穏な日々を過ごしていた頃の姿か。
zen682.jpg

ダンテ・ガブリエルティ・ロセッティ 祝福されし乙女(習作) 首をかしげた美しい顔、それを支えるうなじもまた美しい。

モーリス・ドニ 木々の下の人の行列(緑の木々) この絵を見たとき、もう30年ほど後の日本の「新版画運動」を思いおこした。翠の木々の隙間を行くのはヒトというよりヒトではない人々のようにも見えるが、この光景は日本の林のようだった。
線描と遠近感の面白さを感じる。

ドニ ミューズたち 同じく林(または森)の中の人々が描かれているが、こちらはずっとクローズアップされている。
絵の中で美しい女たちが思い思いにくつろいでいる。逍遙する人もある。
彼女らはミューズなのだろうが、神秘性というものは感じない。
ドニの描くひとではない女たちはみなとても優美だがどこか慕わしい。
zen682-1.jpg


<美術愛好家との交流>
ドビュッシーが、自分を支援してくれる人々との交流から、関心を持つようになった画家たちの作品が集められている。

ルノアール ピアノに向うイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロール 今回のチラシに選ばれている。優しく豊饒な空間。姉妹の背後には競馬の絵とバレエダンサーのいる風景と、二枚の油彩画が掛けられている。これらはどうやらドガの絵らしい。
ルロール氏との交友から生まれた絵。
zen680-1.jpg

ドガ 踊りの稽古場にて 可愛らしいダンサーたちがいる風景。パステルで描かれたことで不思議な透明感があり、それがチュチュになると、質感さえ感じられる。

シャヴァンヌ オルフェウス 絶望して倒れるオルフェウスがいる。顔を手で覆っている。
シャヴァンヌは今日的には忘れ去られつつある大家の一人という位置にあるようだが、文芸性の深い美しい作品にはとても心惹かれる。

カイユボット ピアノを弾く若い男 先般ここに収蔵され、お披露目のあった作品。改めて、この作品が同時代のものだと思い至る。

アマン・ジャンのイヴォンヌ像もある。


<アールヌーヴォーとジャポニスム>
もしかするとこの嗜好が生まれた時代は、人類の歴史の中でいちばん美しい時代なのかもしれない。

カミーユ・クローデル ワルツ 彼女の彫刻を間近で見るのはあまりなかった。作品の美しい力強さと、どこかもろいようなものとを同時に感じる。
イザベル・アジャーニの演じたカミーユの映画があった。
カミーユの悲劇がそのときからずっと心の中に横たわっている。
この像をドビュッシーはずっと手元に置いていたことを知った。

ドビュッシーの「海ー三つの交響的スケッチ」に北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が選ばれていたことを知ったとき、非常に不思議な感じがした。
わたしが知ったその頃、この絵は色んなアーチストたちによってパロディ化されていた時代だったので、こうしてスコアの表に使われていたことが、ひどく印象に残ったのだった。
zen683.jpg

ドニ 木の葉に埋もれた梯子(天井装飾のための詩情に満ちたアラベスク文様) 様式的な作品。四人の女がいる。
この作品もドビュッシーの魂に触れたものなのだろう。
ドビュッシーには「アラベスク」という作品がある。

ドニ バッカス祭 とても好きな作品。この絵には音楽や歓声が封じ込められている。

ガレの作品がある。暗い色のガラスが。
アレクサンドル・シャルパンティエの青銅作品に見覚えがあった。ひどく綺麗な二つの作品。浮き彫りの美しさに記憶がある。オルセーで見たのかもしれない。

弥勒菩薩半跏思惟像がある。六世紀頃の朝鮮のもの。頭大な仏像だが、とても美しい。ギメからきたもの。


<古代への回帰>
「牧神の午後への前奏曲」。ニジンスキーの牧神の写真を思うだけで、自分の皮膚と神経と細胞とが美しい痙攣を始める。

zen681.jpg

アドルフ・ド・メイヤーの写したニジンスキーの写真がある。
「牧神の午後」の舞台写真が七枚。ニンフを演ずる女性ダンサーたちの身体的しんどさを思う。しかしその一方で凄い振り付けだとも思う。
ニジンスキーの衝撃的な振り付けの寸前の一枚があった。
それを見たことが、わたしの心の財産になる・・・


<ペレアスとメリザンド>
わたしはオペラは聴くだけならまだしも、舞台を見る、ということが到底できない。
この「ペレアスとメリザンド」も学校で聴いて、素敵だと思ったものの、上演されたとしても見にゆけそうにない、と学生の頃から思っていた。
ただ、ここにあるように衣装画や道具帳を見るのはとても好きなのだった。

ドニ イヴォンヌ・ルロールの肖像 このイヴォンヌはこうして別な画家たちにも描かれている。ここには三人のイヴォンヌがいる。同時に存在するイヴォンヌ。
美しいイヴォンヌから画家たちは芸術の大切なインスピレーションを受けたのだろう。
イヴォンヌこそ「ミューズ」なのだった。
zen680-2.jpg


<聖セバスチャンの殉教、遊戯>
聖セバスチャンと言う名を見るだけでときめきが走る。

レオン・バクストのデザイン画があるのがまた何よりも嬉しい。
ボナールの「遊戯」のための素描がまたとても可愛らしい。2等身キャラたちが可愛い可愛い。


<美術と文学と音楽の親和性>
ドビュッシーの胸像があるが、随分大きいので驚いた。

ルドンの作品がここに並ぶのもとても意味が深いようにも感じる。
「神秘の語らい」「供物」と見慣れた絵ではあるのだが。

ここでモロー「化粧」が特別に展示されていた。
久しぶりに見て、その変わらぬ美しさに嬉しくなった。


<霊感源としての自然-ノクターン、海景、風景>
 
シャルル・ラコスト 影の手 タイトルを見たとき、真っ暗な空間から伸びる手、または灰色の何もない空間から伸ばされる黒い手を想像した。
しかしそうではなかった。
残照が「影の手」を作っている。その手はやがてどんどん大きくなり、あたり一面を手のひらに収めてしまうのだ。そうして夜が始まる・・・

マネ 浜辺にて こうした男女の関係性は、マネが描くとナマナマしく感じられる。


<新しい世界>

モンドリアン、クレー、カンディンスキーそしてマティスやシニャックがドビュッシーの同世代だということを改めて知らされた気がする。

わたしはドビュッシーの「夢」と「月の光」だけはエレクトーンで弾ける。弾いている間、深い陶酔がある。
自分の弾くものだから巧いはずもないが、ドビュッシーの世界に少しでも触れていることが嬉しいのだった。

会場の中でずっと音楽が流れている。自分の頭の中の音楽が外の音楽とつながる。
ドビュッシーに満たされた空間にいる。
深い歓びの地に立てたことを代え難い幸せだと感じる。
ドビュッシー、生誕150年を祝いたい。

どうぶつ大行進

千葉市美術館にはいつもいつも驚かされたり、感嘆させられる。
たどり着くまでにちょっと手間取るが(わたしの場合です)、最近はありがたいことにタイアップされたか、某社のバスに乗せてもらい、なんとか道も間違えずに通えるようになった。(無論それでもわたしの定宿からは遠いのだが)
それが展覧会の中に入った途端、「来て良かった」と強く思うのだ。速攻変心である。

この美術館でこれまで見た展覧会に、ハズレはない。
わたしが最初に来たのは「日本の版画Ⅰ 1901~1910」'97年からだが、この15年の間、一度たりとも不足を感じてはいない。
図録に多少『惜しい』はあっても、展示には不足など生まれようもない。
それが特別展の話だけではない、所蔵品を並べた企画展がまた素晴らしすぎるのだ。
その所蔵品を惜しげなく出してくれて、しかもクイズラリーまで、というぜーたくな企画展が200円!!で開催されている。

zen676.jpg
zen677.jpg
(いかん、ちょっとズレが出た)
このチラシを見て、それだけで「行こう」と言う気になる、そんな人も多いはずだ。
わたしなんぞはもともとチラシで釣られるヒトなので、これを見ただけで見事に一本釣りされてしまった。
一見したところ双六風な拵えになっている。ところどころにエンボス加工が施されていて、チラチラ動かすとピカピカ光る。
本当にセンスがいい。
千葉市美術館のチラシは昔からそそるものが多い。
今回のチラシは私の中ではかなりの上位。
「どうぶつ大行進」の構成はこのようになっている。

◎ プロローグ どうぶつ大行進
◎ 動物たちとのつきあい 江戸時代
・ ウシとウマ
・ 犬猫のいる情景
・ 猿曳き
・ 鳥を飼う、虫を愛でる
◎ 託された吉祥のイメージ
・ 吉祥の題材
◎ 江戸時代動物画の豊かな表情
◎ どうぶつがきた!
◎ どうぶつを演じる、どうぶつが演じる
◎ どうぶつを描く、学ぶ、遊ぶ
◎ 版画動物園
・ 猫
◎ 水の中へ!
◎ 霊獣たち

部屋ごとに分かれているのがまた、動物園ぽくて楽しい。
それにしてもなんという数の多さだろうか。
zen675.jpg

リストとクイズラリーの用紙とを手にしながら歩く。
漫然と絵を眺めるのも楽しいが「どこじゃ、どこにおる」などと該当どうぶつを探して回るのが途轍もなく面白い。
面白いのだが、案外難しいので眼が血走ることになる。
見て回るのに懸命なわりにリストに細かく感想を書いているから、わたしもなかなか働き者だ。(自画自賛しておこう)
どのコーナーのが、というのはやめて、随意に気に入ったどうぶつたちのことを書いてゆきたい。

小林清親 獅子図屏風 獅子カップルが草原にいる。月下の二頭は共に右奥の何かを見ている。それが何かはわからない。獅子はあばら骨も描かれている。餌となるものを見出しているのだろうか。

川合玉堂 白兎 可愛いのが寝ている。あんまり可愛いのでリストにその概線を描いてみたが、やはり玉堂には遠く及ばない。

橋本周延 上野不忍池大競馬図 真昼の大レース。パパパパンパパンパパーン・・・上空から花火にだるまに福助に、といろんなものが降ってくるのも面白い。

高嵩谷 渡舟雨宿り図屏風 多様な風俗が描かれている。
春の雨に駆け込む人々。大きな渡し船に乗る人々。
暴れ馬に奴、巫女、駕篭に乗るままの婦人、貸本屋、花屋、盲人、牛の田鋤も見え、また唐人飴売りもいる。
唐人飴といえば岡本綺堂の「半七捕物帳」にもその風俗が取り上げられている。

三畠上龍 狆を連れた美人図 紫陽花柄の着物に龍柄の帯。狆はこの天保年間でも犬種ではなく「狆種」と独立してみられていた。とんだチン種である。
つり目美人だが、優しそうである。

大蘇芳年 新撰東錦繪・於富与三郎 玄治店前に佇む与三郎と蝙蝠安の二人。この絵は丁度同時期のukiyoeTOKYOの芳年展にも出ている。偶然にも於富さんの住まいへゆすり・たかりに行こうとする二人の姿。少し離れた先に新内流しのシルエットがある。

鳥文斎栄之・北尾重政 猿曳き図 えらそうな猿(というより、物怖じしない・舞台度胸のある)がお座敷で、綺麗なおねえさんたちの前でなにやら芸を見せようとしているところ。猿曳きといえば与次郎を思い出す。
zen674-1.jpg

鳥の絵が集まっている中をわたしはついつい軽く見過ごしたので、あとでえらい目に遭うことになった。

歌麿の狂歌本に描かれたミミズクが可愛い。
岸岱の「群蝶図」と三熊花顛「群蝶図巻」はどちらもなかなか脂濃い蝶が舞い舞いしていた。

伝・沈南蘋 鶴鹿図 上に鶴、下に鹿がいて間に白バラが咲いている。鶴と鹿とは話し合っているように見える。

俵屋宗達 狗子図 白と斑のわんこが寄り添ってくつろぐ。斑わんこは眠り、白わんこは起きている。可愛くて可愛くて噛みしめたくなる。

可愛い虎が二頭並ぶ。
諸葛監 虎図 南天の実と。可愛いなあ~
渡辺秀詮 虎図 ずんっと虎ちゃん登場。太い足が可愛いし、しっぽの先がまた可愛くて可愛くて仕方ない。

森狙仙 月下猿図 これまたカシコそうな猿である。一匹だけがムムと月を見る。

司馬江漢 犬のいる風景図 油彩画なのだがここにいる柴犬が可愛い。くるっとしっぽが可愛い。

大西椿年 楚南画譜 彩色摺画譜。寝る斑猫、起きるトラ猫、可愛いのなんの・・・叫びそうだ。

中村芳中 光琳画譜 この寝るわんこたちは芸艸堂のシールにもなり、人気を博している。千鳥の絵も可愛い。

宗達 許由巣父図 牛が可愛い。上で耳を洗っている許由は安彦良和さんのキャラ風。

摂津名所図絵がある。孔雀茶屋という物があったようだが、小さい動物園くらいな規模である。昔ならありそうな。今のどの辺りなのだろう。

森一鳳 象図屏風 この絵の主役はゾウだが、周囲のタイル状に見える装飾がいい。

山本梅逸 豹図 ギャーッと吠える豹。これは見たのかもしれない。

間宮林蔵や松浦武四郎といった蝦夷地と関わりの深い人々の図誌や日誌が出ていた。
それにつけられた絵にはトナカイや、アイヌの人々とわんこが描かれている。

昇斎一景 元ト昌平坂聖堂ニ於テ博覧会図 真ん中に真っ赤な鯱がある図。これは東博の垂れ幕になっている。楽しい図。

昨日あげた記事は「第五回内国勧業博覧会」明治36年の感想だが、これは第一回目の明治五年のもの。

歌川国輝の博覧会図には剥製や人骨に鎧まで描き込まれている。

魚屋北渓の昔話のヒーローたちがいい。
金太郎と猪 みんなとても可愛い。
桃太郎 オモチャの家来を前にした桃太郎。

竹久夢二の子供のための絵本がいい。わんこをはじめほかにもいろいろ。わたしは夢二は美人画より童画と図案を強く推したい。

吉田博の大正15年の連作版画「動物園」が面白い。
なかなかリアルなのだが、そのくせどこかトボケた味わいがある。

清親 猫と提灯 何回も見ていても初めて気づくこともある。提灯の中にネズミがいたのか。ううむ。

川上澄生 黒猫 これは先般の川上回顧展で見てお気に入りになったもの。水色が印象的。イスに座すにゃんこ。

高橋弘明 猫 あくびのにゃーーーっ可愛いなあ。
zen674.jpg

神坂雪佳 百々世草 シリーズの中でもこのわんこは特に人気が高くなった。かたつむりさんをみつめる白わんこ。背後の茶斑わんこは眠たそう。
zen673.jpg

橋口五葉の装丁した本がたくさん出ていた。
アールヌーヴォー風なものから和風モダンなものまでいろいろあるが、いずれもすてき。
鏡花の「乗合船」には大サンショウウオが描かれていた。むろん漱石の「猫」もいる。

浅井忠の図案集もあるが、鹿のシンプルな意匠があり、とても可愛い。こういう鹿は浅井忠の世界ではゆるキャラかもしれない。

吉田博 ホノルル水族館 色とりどりのカワハギ。綺麗な摺りと色。

清原啓子 貝殻について ああ、この人の作品をここでもみれるとは思わなかった。
八王子夢美術館で見たときから心惹かれていたが、千葉でも幻惑された。貝殻だけでなく小さな天使たちがいっぱいいる。今も存命なら、どんなにか世界が広がっていたことだろう。

石井林響 王者の瑞 大正七年。麒麟に出会う王。中国では麒麟は霊獣であり、瑞獣でもある。
古代日本ではシシガミとよばれ恐れられた、と諸星大二郎「孔子暗黒伝」には描かれている。

さて楽しく眺める一方で、「こいつはどこにおったかな~」がいくつかあり、とうとうヒントを見た。くやしいが仕方ない。それでまたわたしがあんまり難しい顔をしているのを見かねてか、とうとうお手伝いが・・・監視員さん、ありがとうございます。
そう、わたしは鳥がニガテなのでサササッと行ってしまったのですよ・・・
でもフクロウに雀にペンギンは好きなんですよ・・・

ありがたいことになんとか全問正解して、記念品もいただいた。
しかし2時間はゆうにかかった。
東京湾花火はみれなかったが、充実した気分で帰った。
本当に千葉市美術館の所蔵品は奥が深い。
また今度も楽しい企画を期待しています。

追記:クイズは二種あり、こちらはまだ気楽に探せそう。
zen678.jpg

大阪企業家ミュージアム「第五回内国勧業博覧会と企業家たち」を見る

大阪企業家ミュージアムの企画展「第五回内国勧業博覧会と企業家たち」を見に行った。
明治になり富国強兵・脱亜入欧・殖産産業励行で、とにかくあっという間に近代日本になり、やがては「大日本帝國」へ進むことになるのだが、国内充実を確認&見せびらかし&エトセトラで博覧会ブームが起きた。
そこで売れ残ったものなどを売り始めたのが、百貨店の始まりの一つでもあるらしい。
勧工場。

さて#1~3回が東京の上野、#4が京都で、#5が天王寺と堺で開催された。
明治36年(1903)の話。
天王寺公園もルナ・パークという素敵なイベント会場だったり、色んな催しのほかに遊園地もあったりで、そのあたりは「大阪くらしの今昔館」のジオラマで再現もされている。
わたしは大阪万博は知らないし、「花と緑の博覧会」も夜間にジェットコースターに乗っただけだし、「愛・地球博」もお土産をもらっただけ、という博覧会とは無縁な人なのだった。
しかし昔の博覧会の様子を描いた浮世絵や古写真を見るのは大好きで、今回の展示をとても楽しく眺めた。

このイベントで活躍したのが大林組だということで、古写真も大林組からの提供が多かった。今も立派な企業だが、近代日本の黎明期から戦前までの大林組の仕事を見て行くと、本当に胸が熱くなる。
昭和6年の大阪城天守閣再現も大林組の仕事。
この博覧会でも突貫工事で、さらに儲けよりも心意気でがんばったことを知り、ますますリスペクトの念がわく。

ところで大阪では初の博覧会だったとはいえ、もぉ5回目と言うことで多少マンネリ化が進み、客足も途中から伸びなくなってたようで、その打開策に福引を導入したそうだ。
今は別にどうと言うこともないが、当時はそれで集客率が跳ね上がったそうな。
(余興としての福引きに、その日だけで13万人が来たらしい。)


国内勧業博覧会とはいえ、外国人にも招待状を出していて、1万人近い外人客が訪れたと資料にある。
その中でもロシアのクロポトキン大将が来たときのエピソードがかなり興味深かった。
(明治36年6.16)
クロポトキン大将は日露の関係がヤバくなり始めたこの時期に来て、通訳と共に会場を歩くのだが、日本政府が見せたい最新鋭の機械や工業に見向きもせず、やたらと食べ物を見て歩いたらしい。
しかしこれは何も「大阪の食べ物は安くておいしい」ことを知ってクロポトキン大将がヨダレたらして歩いたわけではなく、彼は軍事の際の非常食のことを考えて見て回っていたそうだ。だから非常に気に入ったのが干しシイタケであったというのも、笑えない話なのである。
戦争においての非常食などをどのように、と大将は考えていたのだろう。
しかもまた、まだ見てる最中に連絡が入り、クロポトキン大将は急遽「旅順」に帰還したとか・・・
資料を読むだけでも色々想像がわいてくる。
ああ「坂の上の雲」の時代だなあ。

全然関係ないが、豊島屋のハトサブレの創業者は毎朝、ハトサブレの出来を調べるためにも自分の舌でチェックしていたそうだが、たまに黒こげなのが出ると「これじゃ黒パトキンじゃー」と叱っていたそうだ。時代がよくわかるエピソード。
尤も創業者はハトサブレを「鳩三郎」と呼んで可愛がっていたというから、その言語感覚が可愛いのだった。

前述した福引についても面白いエピソードが資料に出ていた。
丁稚と手代の複雑な関係と、むかしの大旦那の偉い話など。
こういうのを読むと、百年前も今もいやな人間関係は常に存在し続けるのを感じる。
日本人よ、目下の者にたかるな。また目上の者にもたかるな。同輩にもたかるな。

さて堺の水族館が第二会場なのだが、そこには大きな噴水が据えられていた。
東京・上野の噴水では猩々たちがわいわいと大きな壷を支え上げる像が拵えられていたようだが、ここでは楊柳観音が艶かしく座す像。高村光雲の作。

水族館は博覧会終了後もかなり長期に愛され、川西英の版画作品にも姿を見せている。
またその流れで堺の大潮温泉も辰野金吾の設計で作られ、今はその名残が河内天美の南天苑に再使用されている。

ルナパークに戻り、動物園。カラーで動物たちの絵と名前が記されているが、現行のどうぶつたちとはやや名前も違い、特性も異なっている。
「昔のことだから正確ではない」と言うのではなく、もしかすると現在とは違っているのかもしれない。とんだミッシングリングだ。そう考える方が楽しい。
ちょっとここにその動物たちの名前を挙げてみる。
星虎(豹に似ているが違う)リマウ、ピンタンとある。
黒虎(リマウ、イタン)、狗虎(リマウ、クンパン)、すれべす猿、狸猫(ムーサン)などなど。

夜間ライトアップの写真がある。1万以上のライト。今ならLEDか。
そして場内は暑いから、アイスクリンもよく売れた。
アイスクリンといえば、子供の頃「アイスキャンデ」「アイスクリン」と呼ぶ大人が多かった。

面白いエピソードがある。
堺の水族館では当時の芳川逓信大臣が来たため人払いをしようとすると、粗末な身なりのじいさんが「わしはちゃんと料金払うて入ってるんじゃ」と答えてると、大臣がそのじいさんに「やぁ児島くん」と呼びかけた。
このじいさんは児島惟謙といい、大津事件のときの大審院長。政府の圧力をはねのけ司法の独立を守った人。
それだけの気概があるから、こうも言った。
「大臣ヅラして市民の博覧会を邪魔するな」
入場者は大喝采。
いま、こんな立派な人は本当にいなくなった。

パビリオンの資料を見る。
工業館の写真を見ると、レトロなガラスケースが見えた。今だと京都市美術館か東博にしかないような、素敵なケースである。
東京府別館には香水噴出器が「ヴァイオレットの佳芬を振りまく」状況だったらしい。
医科大学の展示物は蝋製の患部模型があったと言うから、ちょっとした衛生博覧会のようだったろう。
不思議館では電気の舞をするカーマン・セラ嬢が大人気だったようで、当時の記事でもきれいな絵があった。ライトの色を変えることで踊りも七変化。

カナダ館ではその当時まだ珍しかったパンが無料配布されたのが人気になりすぎて、とうとう販売へ変えたのだった。
また4/1から7/31までの夜間開館にはそれだけでも54万人が訪れたそうだ。

資料はほかにもある。
#3の明治23年には徳富芦花が「思出の記」に博覧会の様子を書き、次には栖鳳のライオンが足裏をなめる図のタピストリーがある。
新聞記事には「築港行幸、泉布観行啓」がある。

色々楽しい資料も多く、当時の綺麗な浮世絵もあり、かなり楽しめる。
常設は大阪の企業家たちのプロフィールやその仕事を紹介するもの。
以前から何度も見ているので今回はパスしたが、図書コーナーでは社史や評伝などが多数ある。
大雷雨の日だったので、館の方に勧められるまま雨宿りをし、日清ラーメンの安藤百福さんの自伝や現社長の「カップヌードルをぶっつぶせ」を読んだ。
なかなか面白い経験をしたと思う。

なにわの海の時空館「別府へ」

なにわの海の時空館に久しぶりに出かけた。
コスモスクエア駅から丸―いドームが見える、あれ。
眼を転じて対岸にはこれ。SH3B141200010001.jpg
フンデルトヴァッサーのオーサカドリームランドin舞洲。
ここの見学記事も前にあげている

さてさて二年に一度ずつくらいでここに来ているが、その日は丁度舞洲でサマソニがあるとかで、凄まじい行列があった。みんな大変だわい。
炎天下だからな~~(しかも昼から大雷雨)

以前に来たときのなにわの海の時空館の記事はこちら

見上げれば魚が見えた。魚影。SH3B141300010001.jpg

どんなのが大阪湾にいるかのイラストも充実。
SH3B14140001.jpg

ドーム天井を背景に船のフィギュア。SH3B14150001.jpg
かなり大きい。そういえば日本の「あこがれ」のフィギュアはヤマトタケルだということだった。
インディアンの酋長もいる。SH3B14160001.jpg

浪華丸外観。SH3B14170001.jpg
SH3B14180001.jpg

中のキッチン。羽釜。SH3B14220001.jpg

浪花百景の複製。なかなか面白い構図。
SH3B141900010001.jpg SH3B142000010001.jpg

碇も展示されている。こうして見れば「碇知盛」って凄まじいな・・・
SH3B14210001.jpg

今回の企画展は別府と阪神の航路が開いて100年の記念。
別府の地獄めぐりのポスターや、往時のポスター。
SH3B14230001.jpg
SH3B14290001.jpg
SH3B14300001.jpg

中でも大阪商船の美人画ポスターは好きだ。
SH3B14260001.jpg SH3B14270001.jpg
SH3B14280001.jpg

船内の客室のための花型に寄せるシーツなどの説明や実演コーナーもある。
SH3B14240001.jpg

昔の客船たちの写真パネル。戦後の賠償でどこかの国へ行ってしまった船も多いが、撃沈されるよりマシだ。
SH3B14250001.jpg

最後は柳原良平さんのギャラリー。面白いコレクションがたくさんあった。いいねえ~
SH3B14310001.jpg
SH3B14320001.jpg

柳原さんはサントリーのトリスおやじで人気があるが、おじいさんが築港を開いた方らしい。そうなんや~~と新たなことを教わる。
横浜港や神戸港のようなかっこよさはないかもしれないけれど、小さくて可愛い、実用的なよさがあることを知った。
やっぱり大阪はいい。

アートコレクション展「東京美術学校から東京藝術大学へ」/「近代日本洋画の魅惑の女性像」

今年のホテルオークラのアートコレクションは「東京美術学校から東京芸大へ」ということで、明治の昔からの近代日本洋画の名品が並んでいた。
芸大美術館が出来る前は、すばらしいコレクションがあることを知ってはいても、見せてもらえる機会に恵まれなかった。
今では立派な美術館もあり、またこうして外部展示もあるのだから、改めて芸大美術館が開館してよかったと思う。
毎年アートコレクションは「秘蔵の」名品を並べてくれるが、その意味では今の芸大コレクションはもう「秘められ蔵われた」作品群ではないのだ。
一方、今回の展示には吉野石膏コレクションも出ていて、いよいよ嬉しくなる。

最初に洋画を見る。

ラファエル・コラン フロレリアル 裸婦が野に寝そべる図。この裸婦の表情が好きだ。白桃のような魅力がいい。

岡田三郎助 ムードンの夕暮れ 紫が画面を覆う。薄紫の空、三郎助の描く可愛らしさは風景にも現れる。

支那絹の前 この絵も近年よく表に出るようになったが、以前は、見ようと思えば高島屋史料館で出てくるのを、じいっと待つしかなかったのだ。
三郎助の妻・八千代が彼の収集した美しい絹を身につけ、そこにたたずむ・・・

藤島武二 池畔 納涼する女子二人。絵の良さもいいが女子二人の雰囲気がいい。なごやかでよい感じ。池には蓮も咲いている。

池畔静物 昭和三年。構図がなかなか大胆で面白い。初見。テーブルには赤絵のティーポットセット。ダリアが瓶に活けられている。りんごもそこにある。窓の向こうの池にはヨットも浮かんでいる。こういう構図もいい。

二人の裸婦が並ぶ。
安井曾太郎 黒髪の裸婦 黒髪がぬめぬめと目立つ。
梅原龍三郎 裸婦 赤地の裸婦の肉の張りがいい。麗子にも似た日本的な女。

黒田清輝 婦人像(厨房) 実は黒田の描く婦人たちのポーズをよくまねては、ドヤ顔をしている。むろん冗談ではあるが。
(団扇を持って「湖畔」と言うたり)
しかしこの絵の婦人はまねしてみてもあまりウケそうにない。やや寄り目に見えるのは鼻筋のせいかもしれない。
女の前に黒田がいることを想う。

正宗得三郎 白浜の波 ・・・え?赤土やん、白浜は白い浜なのに?と最初に思った。
別に黄色でも黒でもよいのだ、あくまでも絵としてよければ、それでいいのだ。
山々と押し寄せる白波のうねりがいい。

梅原 カンヌ 昭和40年。いかにも梅原らしい濃い色彩がいい。ルノワールのカンヌも明るかった。師弟の特性だけでなく、やはりカンヌは明るくて色彩が濃いのだろう、という勝手な思い込みが生まれる。そういうのも楽しい。

青木繁 旧約連作 これは先般の青木の回顧展でも見たが、いい連作物だった。
ラファエル前派風なのではなく、むしろアカデミックな風貌をしている。
「光あれ」に始まる作品のうち、「ダヴィデの聖詠」「エステルとハマン」は特に好ましい。

日本画を見る。

横山大観 村童観猿翁 これは随分前に大丸心斎橋の展覧会で見たのが最初だった。
子どもら11人が楽しそうに林の中で牛の背に乗る猿回しの猿を囲んでいる。
解説によると、この子どもらは同期らの幼顔を想像して描いたもので、猿回しの老人は先生の橋本雅邦をモデルにしたとか。そうか、ちょっとした遊び心があったのか。楽しい。

下村観山 臨済 平べったい顔に描かれている。

山寺の春 稚児が山の中に春を見出す。これは'93年の観山展で見たのが最初だと思う。
ロングで捉えた構図がよく、色も大人しく、春ののんびりしたところがいい。

菱田春草 帰牧 遠くからの図。農婦らしきヒトが鍬を担いでいる。洋画の影響を感じる。

渡船図 手前の木枝がパキパキしている。船のヒトビトはいずれもシルエットである。こちらにはどこか浮世絵の匂いも感じる。

東山魁夷と高山辰雄の悠基主基屏風が出ていた。これは天皇在位20年の祝賀の展覧会のときに最初に見たように思う。そしてその前代の昭和天皇のときのものを見たことも覚えている。この瑞穂の国の弥栄を願う、めでたい屏風である。

山本丘人の大正13年の絵と昭和54年の絵が並ぶ。全く別人のような感がある。
青衣の和装美人が月下に佇む絵と、それから半世紀以上後のは、ワンピース姿の女たちがにこにこしながら走っている。時代相の変化だけでなく、画家の進化・変容を深く感じた。

杉山寧も同じく、昭和初期ののんびりした村童たちがススキの野を雀を抱いてゆく姿と、昭和52年の「曜」赤地に立つヤギと言うシュールな絵とは同じ画家の手によるものとは本当に思えない。

この二人の画家は戦後の日本画の危機の際に、試行錯誤して後年のスタイルを生み出したが、わたしはときどき、そのままの様式で進化していればどうだったろう、と考えている。

松岡映丘 千草の丘 水谷八重子をモデルにしたもので、先般の回顧展では東京で特に評判が高かった作品。配色が明るくていい。

浦の島子 丁度乙姫から玉手箱を手渡されるシーン。
明治から大正にかけて浦島を描いた作品は洋画日本画共に少なくないが、これはなにか意図的にそうした流行があったのだろうか・・・いつか浦島絵ばかりの展覧会が見たい。

前田青邨 紅白梅 吉野石膏のコレクションのうちでも特に好ましい一枚。可愛い。

厳島 大正6年。赤い鳥居は描かれず、島の波打ち際を南北に描く。霧か靄が出ている。海はそのために白く隠れる。寝殿ばかりがありありと映る。

小林古径 花 梅の下に寝そべる少年・・・え?少年なのか。髪をひとつに束ねた女かと思っていた。美童好きなわたしなのに、見間違えるとは無念。藤柄の着物が、白い顔に映える。朱唇が艶かしい。

最後に再び洋画。

中村研一 昭南の我が家 日本の南下政策の頃、シンガポールにて。テラスに濃い葉陰がある。熱国の温度と涼しさとを同時に感じる。いきたくなってくる。

ほかに荻須高徳、フジタの裸婦などがあり、林武の迫り来る熱さをみせる「椿」もよかった。

毎年のことながら、秘蔵の名品アートコレクションは本当に楽しいし、ご苦労なことだとも思う。今後も続いていってほしいと思う。今年は26日まで。
 

夏の恒例行事(!)ホテルオークラのアートコレクションを見に行く前に、泉屋分館へ行く。
アートコレクションが「東京美学校から東京藝大へ」なので、歴史的に関連のある泉屋の「近代日本洋画の魅惑の女性像―モネ・印象派旗挙げの前後―」展を近くで楽しめるのは、とても嬉しいことだった。
こちらについても少しばかり書く。(例によって回顧から)

この六本木に泉屋博古館分館がオープンしたとき、京都の本館と違い、近代日本画・近代日本洋画の展示が多いことに目を瞠った。
いたってシンプルな展示室に住友コレクションの名画が飾られている。
これらはかつて住友本邸や須磨をはじめとする各地の別邸に掛けられていたのだ。
そのことを思うと、それだけでときめきがわいてくる。
ありがたいことに、あるツテのおかげで関西各地に今も残る、住友関連の別荘や庭園などに入らせていただくことが出来た。
場所やその名は秘すとして、本当に素晴らしい空間を味わわせてもらえたが、どの建物からも残念ながら美術品は撤去されていた。

わたしが住友コレクションの作品を眺めるとき思うのは、住友家近代の祖たる春翠の美意識のありようと、その芸術全般に対しての気高い心映えについてである。
純粋に作品を作品のみの価値で眺めるべきだという思いもある一方、こうして護られてきた作品に対しては、やはりその背景にあるものをも含むべきだと思うのだった。

とはいえこのシンプルな空間で、同じ作品を何度見ても楽しいし、何度でも見に行く気になるのだった。
なお、この展覧会ではそこに添えられた解説がこれまで以上に詳しいものなので、いちいち勉強になる。

中川紀元 少女 黒い背景に負けぬ、白いワンピース姿の少女が佇む。花を抱えている。

渡辺与平 ネルの着物 1910年の妻ふみ子を描いたもの。出産直後であってもふみ子の美しさは変わらない。

渡辺ふみ子 離れゆく心 1913年のふみ子の自画像。自他共に認める美貌。この人は美男の夫・与平を亡くした後、会津八一の熱烈な片思いを振り切って、自分の心のままに生きた。再婚後「亀高文子」として昭和を長く生き、西宮で幸せな生涯を閉じている。
亀高文子の回顧展の感想はこちら

与平の見たふみ子、本人の自画像、それらが並ぶのは、やはりある種の感銘を受ける。

岡田三郎助 五葉蔦 浴衣の柄に由来するタイトル。丸顔の愛らしい婦人がいい。

泉屋の「美人画」はほかにも以下のラインナップがある。
山下新太郎「読書の後」、和田英作「こだま」、藤島武二「幸ある朝」・・・
皆さん、本当に綺麗で上品なのだ。

鍋井克之 奈良の月 昭和五年 まだ僚友・小出が生きていた頃か。少しばかりルソー風な平板さがあり、それがトボケた味わいになっている。

岸田劉生 四時競甘 今回が初出。色が非常に鮮明。色んな果実が描かれている。ざくろが最後にある。大正末の作品。昭和と平成の四半期近くを眠り続けると、こんなにも豊かな色彩が顕れるのか。

梅原龍三郎 姑娘卿々弾琵琶図 坊主頭の姑娘。大きな琵琶を抱え込んでいる。尼さんではないのはわかるが、こんな戦時中に若い女が坊主頭になることなどあるのだろうか。
絵の中の話だけかもしれないが。そのことにも眼を惹かれる。

梅原では他に時代の異なる薔薇の絵が何点もあり、それが一枚の壁に並ぶ様はまさに壮観だった。

ほかにも岡鹿之助「三色すみれ」小杉放菴「金太郎遊行」がある。どちらも大好きな作品。
外人の絵ではモネの公園、ローランスの年代記などなど。
楽しい心持で見て回れる企画なのだった。9/23まで。

都内でみた書の展覧会二つ・・・

子供の頃、お習字を習っていた。
小学二年生だったので漢字を楷書で書くことから始めた。
先生は武道家でもあるA先生の弟子で、じかのお手本はその先生、教本のお手本はA先生のもので、今から思えば時に植芝盛平の書も教本にあった。
楷書は非常に面白く、特に力強く堅苦しく書くのが、わたしの好みだった。
子供心にも、書に柔らかさはいらない、と思っていた。
ところが中学に上がると行書をマスターしなければならない。
それで挫折してしまった。
今でもそうだが、わたしは端正で力強い楷書が好きで、他はあまり興味がない。
大学に上がった頃、国文学の学生だったので翻刻も読みこなさなければならなくなった。
藤原定家をにくむようになったのは、彼の写した「更級日記」のせいだった。
そして展覧会に出歩くようになり、蕪村の飄逸みに惹かれるようになり、その文字にも愛情を懐くようになった。
大きな転換期が訪れた、と言ってもいい。
そこから少しずつ書への愛情が生まれ始めてきたが、それらは優れた展覧会の中で育まれたものだと言える。
さて長々と個人的な前書きを書いたが、要はわたしは言い訳をしたいのである。
青山杉雨の書を東博に見学に出かけ、どうしてもその良さがわからなかったのだ。


東博の青山杉雨の展覧会は自分にとっては、前に進めない展覧会だった。
わたしが出かけたのは金曜の夜間開館時で、そんなに混雑もせず、いい具合に見て回れる距離感と雰囲気があった。
会場に入ると杉雨の書が現れる。
どこをどう見るべきかがまずわからない。
そして彼の到達した地点と言うものも全くわからない。
目の前に広がる書が何故この形なのかもわからない。
わたしは印刷される文字でも明朝体が特に好きで、そこから離れた文字にはあまり関心がわかない。
隷書体を見ても草書をみてもほかの書体を見ても「文字」だと認識するだけで終わってしまう。

むかしの書家のうち、三藐院近衛信尹がとても好きで、展覧会があればその前でうっとりするが、本当に理解してるかといえば、とてもそうは言えない。
ただ筆勢や形や墨の色にときめくばかりである。

「文字」そのものをメインにした展覧会に行くことは好きである。
それは「書」として見る事はなく、自分の知らぬ形の異国の文字の羅列がとても興味深いからなのだ。特に古来から中世の中央アジアの文書を見ると、内容を勝手に想像し、それだけでぞくぞくしている。

しかしここで見るべきは文字の意味ではなく、言葉の意味ではなく、書そのものである。
わたしにはどう見ても現代アートにしか見えないものがそこにある。
素晴らしい書家であり、「書の巨星」と謳われた方の書を、少しでも理解したいと思うのだが、見て歩くうちに自分が何を見ているのかがわからなくなってきた。

ただし、ゲシュタルト崩壊の道筋をたどるようなことにならなかったのは、やはりそこにある作品が自分のような者にでも、何か訴えかけてくるからか。

確かに青山杉雨の書はわたしにはわからない。
自分の不勉強を棚に上げる気はない、わたしはこのひとの書を理解できるほどの知識も教養もないのだ。
いやそれは杉雨一人ではなく、近代の書家全てに言えることかもしれない。
(ただし、書を専門にはしていないが、須田剋太の書だけは見ているとこちらの気合いまで入ってくるので、好きだ)

もしわたしが先生の下でだめはだめなりに続け、書の歴史にも分け入っていれば、この杉雨の書についても自分なりの解釈と鑑賞が出来たろうと思う。
申し訳ないが、本当になんにもわからなかった。

古来より何事も先達は必要だと「徒然草」にもある。
わたしは場内にいるご年配のご婦人に尋ねればよかったのかもしれない。
いやそれより先に、自分の先生の友人の別な先生にお会いして、レクチャーを受けるべきだったかもしれない。
そうしたことをしなかったがために因果応報で全く孤独な気持ちになってしまったのだ。

ただ、この人の展覧会を国立のミュージアムの頭領と言える東京国立博物館で開催した、というのはやはり尊いことのように思う。

会場では杉雨の書斎が再現されている。
そこにいると静かな気持ちになるのを感じる。
なるほど書家というものはやはり周囲を整えないといけないと思った。

別室では杉雨の集めた中国絵画が展覧中。
こちらはまた別に感想を挙げるが、とてもよかった。
中国絵画の良さを感じるようになったのは本当にこの近年になってからだが、やはりその世界に踏み込まないと何もわからないままだったろう。
近代の書についてもいつか自分にも腑に落ちることもあるかもしれない・・・


書ということでもう一つ展覧会を見ているので、そのことも書く。

大倉集古館で「国宝 古今和歌集序と日本の書」をみた。
まず百万塔陀羅尼があった。小さくて可愛い。
特殊東海製紙(株)の所蔵。
改めてリストを見ると大倉、東博、特殊東海のもので締められていた。
特殊東海の所蔵品や、関わった仕事をここで見るのも久しぶりだった。

賢愚経断簡がある。大聖武。とても好ましい。
魚養経、和銅経などもある。
どちらも時代背景を考えると、いろいろと興味深いものがある。

田中親美のこしらえた模本の平家納経が二巻あった。
やはり美麗である。いつかこの人の仕事だけを集めた展覧会が行われれば、と思う。

古経貼交屏風 中聖武、二月堂焼経などが貼られているのも豪華。

そして古今和歌集序が33枚続きで出ていた。大変綺麗だと思ったが、書の方より全体を見ての感想。

光悦の和歌巻、詩書巻がある。いずれも綺麗で、特に詩書巻の下絵の木蓮のピンクがいい。

最後に昭和初期の木内半古のこしらえた四君子象嵌重硯箱をみたが、これがまた大変手の凝った美麗な工芸品だった。白い花の美しさが輝きを秘めてそこにある。

少し前に出光美術館でも古筆手鑑のよいのを見たが、そのときも自分の好むのは奈良時代の力強い楷書で書かれたものや経文だった。

己の教養のなさを反省しつつ、秋には京博で天皇のご宸翰を集めた展覧会があるな、とチラリと考えていた
青山杉雨展は9/9まで、大倉は9/30まで。

バーン・ジョーンズ展

三菱一号館で見た「バーン・ジョーンズ展」は本当に夢のようだった。
この後に兵庫県立美術館に来ることはわかっていたが、どうしても早く見たかった。
あの空間で味わいたい、という欲望が募っていたのだ。

'89年6月、当時の大丸ミュージアム梅田でラファエル前派展を見て以来、それまで好きだったアールヌーヴォーが、一時的にしろ自分の心から飛んでしまった。
あの展覧会のタイトルは「ヴィクトリア朝の絵画」だった。
そこでラファエル前派周辺の人々の絵画を見て非常に感銘を受け、溺れるようになった。
'90年代初頭、わたしは再びアーサー王伝説をよみふけり、聖人伝説にも眼を向けた。
ラファエル前派の画家の中でも特に偏愛を寄せたのはウォーターハウスとバーン・ジョーンズだった。
20余年経った今、こうしてバーン・ジョーンズ展を眺めることが出来、本当に喜ばしいと思っている。

リストの順と展示室の歩みとは必ずしも同じではない。
そこに三菱一号館の個性がある。
建物の形を活かした美術館だからこその選択なのである。

全ての作品に溺れきった言葉を寄せるより、少しの作品を特に選んで感想を挙げたい。

迷宮のテセウスとミノタウロス タイルデザイン 本では見ていても実物は初めて見る。
迷宮に送り込まれた王子テセウスの歩みと、ぬぅぅと出ている牛の顔。
このままだとばったり遭いそうなのだが、その緊迫感はない。ただ静止した時間と空間の間に二者がいる。永遠に対立する関係の二者が。

鍛冶場のクピド 水彩・グワッシュ 鏃を研ぐ青年の美しさ。そばにいるのは白い鳩(ヴィーナスの象徴である)。この青年クピドの研ぐ鏃では心を奪われるより命を奪われそうにも見える。

マーリンとムニエ 水彩・グワッシュ V&A美術館展があったとき、この絵を初めて見た。
この絵を見るまでわたしの中ではマーリンとは思慮分別もある大魔法使いだったのだが。
zen670.jpg
マーリンはニムエという若い女に執着する。女に禁断の魔術を教えてしまうのが、自身の破滅を招く。女は魔法の本を開いてマーリンが来るのを待つ。犬は主人マーリンの危機を感じていて、必死で止めようとする。しかしマーリンはいそいそと女のもとへ向かおうとする。ニムエのまなざし、口元にこれから行う業の予習と成就を願う様子が見える。
ニムエはしかしマーリンを石に封じても彼を見捨てず、却って自分が彼の主人になり、しばしば石のマーリンに会いにいってやるようになるのだった。

トリスタンとイゾルデの墓 鉛筆・墨など 二人の石像が並んでいる。犬も慕わしげに擦り寄っている墓の側面には二人の愛の顛末(事象)がレリーフされている。
トリスタンとイゾルデの愛の物語は多くの絵や物語になっている。
悲恋の二人。地上では不可能だった恋の成就。
こうして墓があることに安堵を感じるのはファンなればこそだろうが、それを描けるのは画家であるバーン・ジョーンズの特権なのだ。

慈悲深き騎士 水彩・グワッシュ 描かれた物語は、騎士である聖グアルベルトが仇の命乞いを受けて彼を赦したことで、訪れた先の教会のキリストの木像が聖グアルベルトを祝福する、というもの。
zen669.jpg
緑に囲まれた小さな教会、木の板目もはっきり見える。静かな面持ちの聖グアルベルトがキリスト像の前に跪いていると、木像が動いて、仇を赦した男の寛容な心を祝福する。
優しく暖かいなくちづけと共に。

聖ゲオルギウスの龍退治と王女サブラ救出の物語は、古来より多くの芸術家・職人の手により二次元・三次元化されてきた。
西洋にとって龍とはあくまでも「悪龍」であり、キリスト教の教えの外のものなのだった。
ここにある「闘い」は物語のクライマックスのシーンを描いたものだが、龍は二足歩行のワイバーンのようにみえる。もしくはオオトカゲである。
zen668.jpg
龍の顎から救われた王女は目を輝かせて騎士をみつめるが、戦う男はあくまでも沈鬱な表情を変えようとしない。
聖ゲオルギウスの手甲に青筋が入るのが眼に残る。
また、この作品のためのメールヌードの習作はとても綺麗だった。この身体に甲冑をつけていることを想う。

クピドとプシュケの物語の連作がある。
泉の傍らに眠るプシュケをみつけるクピド 油彩 背景の細かさにも心惹かれる。
獅子口から水があふれ、バラが落ち、金色の日がある。
真夜中だけの恋人たちは、こんな時間に互いを見合うことはないのだ。
金の日の下で彼女は眠りに落ち、彼のまなざしにも気づかない。

11点の水彩習作が一つの大きな額の中に飾られている。それを一つ一つ眺める歓びは深い。
物語の推移を思いつつ、プシュケの旅の成就を願う。
異界へつれて行かれた女を追う男の旅は最後に必ず破綻があるが、男を追う女の旅は半ば以上成就する。

フローラ 油彩 この絵は随分前に郡山市美術館で見たのが最初だった。
春の女神たるフローラがその地にあることをわたしはとてもふさわしいものだと思った。
三春、という地がある。
梅、桃、桜と時期が少しずつ異なる花が一斉に咲く地。
同じ県の中に豊饒の春があり、春の女神の絵がある。
そのことを思うと、心が豊かになる・・・
zen670-1.jpg

牧神の庭 油彩 右手に笛を吹く牧神がいる。川が流れ、そこには翡翠もいる。翡翠の耳にも牧神の笛の音色が届く。その音色は左手に座す恋人たちにも届いているが、このヌードのカップルは音楽を楽しむのよりも、その音楽による効果で自分たちの歓びが増すのを知っているような目つきをしている。

運命の輪 油彩 zen666.jpg
輪には上から奴隷、王、詩人がつながれている。それぞれのアイテムを見せていることで彼らの身分または職能がわかる。しかしながら彼らにこの状況下での差異はなく、輪の傍らに佇む女の眼は深く閉ざされている。
この運命の輪は犠牲者を生み出し続けるだろう・・・

魔法使い 油彩 「テンペスト」をモティーフにしたものだと解説プレートにある。
zen667-2.jpg
老いた父と若い娘の見る先の丸鏡には、難破しようとする船がある。
ここから父娘の壮大な物語が始まるのだった。
二人は魔法を身につけた者らしい暗い色のマントを身につけている。
物語の成り行きを知るだけに、この先はこの描かれたキャラたちで状況が動き出すように思えてくる。

ピグマリオンの連作を見ることが出来たのも嬉しい。
タイトルは「ピグマリオンと彫像」なのである。油彩。
zen672.jpg
恋心 彫像の影が床に映りこんでいる。それがとても色っぽい。
心抑えて その彫像をじっ とみつめる浮かぬ顔の男。
女神のはからい 柱の装飾の美しさ。バラに満ち、足下にはハトたちもいる。
成就 幸せがそこにある。しかし生身になった彫像とは却って視線が合わず距離感を感じてしまう。

今回、チラシで「ペルセウス、ただいま丸の内で奮闘中」というのにウケてしまったが、確かにその通りよく働いて戦っている。
「ペルセウス」の連作は好きなのだが、こういうコピーがつくとは思わなかったので、明るい気持ちで眺めた。

メドゥーサの死Ⅱ 女たちの肌の妙な白さが目立つ。

果たされた運命 ホースのような胴体の海蛇。思えば元はただの(!)プーだったペルセウスも、こうしてスカウトされて仕事にがんばって、ついには栄誉を受けるのだ。

甲冑のペルセウス・習作 ファッションイラスト風でとてもかっこいい。

この連作では井戸にメドゥーサの首を映すのを見る絵があったと思うが、あの作品も非常に美しいものだった。

いばら姫もしくは眠り姫、は岸田今日子の背徳的な美しい小説のタイトルだった。
川本喜八郎が映像化している。
バーン・ジョーンズのいばら姫は「眠れる森の美女」なのである。
zen667.jpg
眠り姫 油彩これを最初に見たのは大丸ミュージアム梅田の2周年記念のとき。チラシのメインに選ばれていた。今こうして目の当たりにすると、その美しさが沁みる。
連作のうち他はバーミンガム、これはダブリンにあるそうだ。

王宮の中庭・習作 何点もある全てがグワッシュで描かれている。機織の最中の不意で急激な眠り。竹柄のような文様がみえる。


東方の三博士の礼拝 タペストリー 非常に綺麗な製品で、繊細な造りが素晴らしい。
左端にいるヨゼフは柴拾いをしたらしい。その足元の斧が気にかかる。
三人の博士のそれぞれの様子がまたとても深い魅力をたたえている。
タピストリーもここまで来ると絵画と変わりがなくなってくる。
zen667-1.jpg

聖杯堂の前で見る騎士ランスロットの夢 油彩 ランスロットは確かに不義をしたが、しかしそれでも王に対する忠誠と友愛とを持ち続けた。
不義の恋人グィネヴィアに対しても常に愛と真実とを捧げたが、彼はとても魅力的な男性なので、切ない落とし穴があった。その気もなかったが子を得てしまうのだ。
しかしその息子は長じて後、彼の成しえなかった聖杯探求に成功する。
これはその前の物語の場面。不義の人であるという理由から、その中に入ることは許されなかったランスロットの姿がある。男性的な魅力に満ちたその眠り顔を、困ったようにみつめる天使がいる。

アヴゥロンにおけるアーサー王の眠り グワッシュ これは大変横長の作品で、郡山市美術館でこの絵葉書を購入したとき三枚続きになっていた。
画面に出るのはこの二枚まで。
zen671.jpg
ブリテンを統一したが内憂外患と執念深い敵との争いでアーサー王の晩年は苦しい。
彼はとうとう倒れてしまう。しかしその直後に彼の敵であり、しかし彼との深い間柄を持つ魔女モルガン・ル・フェイによってこのアヴァロンの島へ運ばれ、次の世まで今も眠り続けているのだった。

展覧会には彼が挿絵を描いた本も出ている。
ガラスケース越しにその麗容を楽しむことが出来る。

どの部屋にいても、どの壁にも、バーン・ジョーンズの美麗な世界がある。
19世紀末を彩った美しい世界が、再現とはいえ百年前の様相を呈する空間に飾られている。
この贅沢な喜びを味わえたことを決して忘れはしない。
美しい夢を見せてもらい、ただただ感謝している。

ブラティスラヴァ国際絵本原画展/いわさきちひろと世界の絵本画家

絵本をメインにしたいい展覧会を見て回ったので、そのことも少しばかり書きたい。

隔年開催のブラティスラヴァ国際絵本原画展。わたしはうらわ美術館で見たが、関東では次に千葉市美術館に巡回する。関西には来るときと来ないときがあるので、なんとも言えない。
毎年開催されているボローニャ国際絵本原画展は新人発掘の場、登竜門としての絵本原画展だが、こちらの展覧会は既にプロとして活躍する作家の作品を集めたもので、正直に言うとレベルの高さはこちらがはるかに高い。
BIBと略称され、1967年からの歴史がある。
zen662.jpg

今回の展示作品のうち、特に心に残る作品を挙げていきたい。

ジャンク・コアト「サプライズ」2010年。金のりんご賞受賞。台詞のない作品で、おしゃれな絵と色とで物語が進む。
1人の大人の女性とグレーのよく肥えた猫が暮らす部屋。
女性はお出迎えする猫を抱き上げ頬ずりする。
ある日女性と猫の部屋に男が来る。
女性の膝または腹の上に寝るのは猫の特権だが、よく眠る女性と猫とは別に、女性の隣の男はいやな顔で猫を見ている。
女性のおなかが大きくなる。猫はその膝に座す。どんどんおなかが大きくなる。
とうとうタイムリミットがきたとき、猫を置いて女性は男と共に部屋を出る。
猫は主人のいない部屋にいる。
まだふっくらしたままの女性が赤ん坊を抱いて部屋に戻る。しかし猫のお出迎えはない。
女性は赤ん坊をあやしながらも猫の写真をみつめている。
ある日女性はドアを開ける。
足元には自分を見上げるグレーの猫と、その猫の子ども2匹がいる。
赤ん坊を抱き男と並ぶ女性の前に親子猫がいる写真がある。

とても魅力的な作品だった。
見ながらこのフランスの女性と猫の関係は人類普遍のものだとも思った。
必要以上に描きこまれない作風がとてもいい。
シャープでしかし暖かな世界。ふくよかな猫の見上げる目、女性の静かで温厚な日々。
12081401.jpg
男が来たから子どもを得たが、彼女は猫と自分の子どもとだけでも生きてゆけるだろう。
本が欲しくなった。フランス語版の絵本でもいい。
台詞がない絵本はどこの国のものであっても、心が通訳してくれる。

チラシに選ばれた作品は韓国の作家が描いたもので、フランスで先に刊行されてから本国でも刊行。
「走れトト」競馬の物語。馬たちのヒンヒンとした鼻息が伝わってくる。
それだけではなく馬券握って夢中の人々も面白い。
絵本で競馬を描いたものは本当に初めて見た。面白くて勢いのある絵本だった。
zen660.jpg

それからこちらは斉藤洋の翻訳文の「ニコとねずみステキな世界」。
トラ猫ニコがねずみのルツィーリを食べようとすると、「あなたの知らない世界」(注:ホラーではない)を教えるからととめられる。
好奇心でついてゆくニコ。(好奇心は猫をもコロす、という諺を知らないのか、ニコ!)
いきなりライオンの前。自分よりずっと巨大な猫にひびるニコ。
挙句にジェットコースターに乗る二人。(トラがジェットコースターに乗るのは「わんわん忠臣蔵」にもありましたなあ)
遠景にジェットコースター全容が描かれ、曲がるところ・高速のところ・上るところなどなどポイントごとにニコの表情のどUPが出てくる。
これは面白かった。
ニコは当然グッタリ。それで今度はニコがルツィーリにいいものを見せてやろうと言い出し、ルツィーリを口に咥えて(噛みはしない)屋根に上り、夜空を見せる。
ルツィーリはコーフンし、「月に行きましょう!」とニコを誘う。
 
とても楽しい作品だった。色はやや抑え目で、しかし量感のある絵だった。
二人が仲良くなってゆくのが面白いし、ラストがまた愉快。

それにしてもここでもやはりCG作品が多い・・・

日本人の今井彩乃さんの「くつやのねこ」の原画があった。
2009年のボローニャ絵本原画展で見た作品
09091901.jpg zen661-1.jpg
ねこがわるくて可愛くて非常に魅力的。
2010年には日本語版も刊行されていた。


飯野和好
うらしまたろう (いまむかしえほん7)うらしまたろう (いまむかしえほん7)
(2011/03/23)
広松 由希子


「うらしま」は御伽噺の「うらしまたろう」ではなく、丹後風土記の「浦嶋子」を基にしている。

ちょっとばかり大人っぽい作品で、描かれた人物たちの色っぽさにときめく。
40になりまだ嫁もなく老母と暮らす太郎。力のみなぎる男で、とてもかっこいい。
そこへ現れる亀の変化した姫。二人で楽しく暮らす竜宮。
姫は地上の四季の様子を座敷にとどめている。それを一枚一枚開いて太郎に見せると、太郎の胸にノスタルジーが湧き出す。
「見るなの座敷」とは違い制約はないが、どちらにしろ太郎はここから禁忌を約束を破るのに一歩踏み出すのだ。
呆然とする太郎。玉手箱を開くと白煙は出ず、太郎は塵に帰す。姫の悲しい呼び声が残る。
せつないラストだった。

併設で「日本の仕掛け絵本」が集められていた。
いまどきのポップアップ絵本ではなく、何十年か前までの手作り感たっぷりの楽しい絵本。

八つ山羊 これは「狼と七匹の子山羊」の翻案。最初のドアのところと狼が子山羊を食べたときの腹に仕掛けがついている。

細川血達磨実記 明治25年。なんとこれはアノ話ではないか。開かれているページは、火事で細川候と奥方らが庭に逃げ出したシーンと、お宝を取りに炎の中へ向かう大川とが描かれている。牧金之助という作者のもので、絵は浮世絵調。
ドキドキする。仕掛けはどうなっているのかよくわからない。

「子供之国」誌の付録。運動会や祭りの絵が楽しそう。それぞれ工夫を凝らした仕掛けがある。天岩戸の仕掛けもある。当然ながらこれは岩が動く。
zen661-2.jpg

龍角散が絵本を出していた。サービスもの。多田北烏の絵。昭和6年の変わり絵本で、小さい本だが切り替えがある。

紙に隙間を作り、その内側に別な絵を通らせて動かせることで絵が動いて見えるようにしたものがある。中の絵は差し替え可能。
これ自体は「モアレ効果」というもので、チラチラするのが面白い。
以前に兵庫県立歴史博物館で見ている。
モアレ効果とは「二次元空間周波数のうなり」という説明を別なところで読んだが、非常に面白い。わたしは子どもの頃からこうした現象や眼の錯覚がとても好きなのだった。

懐かしいものがあった。万創の「飛び出す絵本」である。'70年代初頭に販売されていたもので、これが大好きだった子どもは決して少なくはない。
ここには仮面ライダー、ムーミンなどがある。
わたしはムーミンともう一つ何かを持っている。
嬉しくてならない。

ほかにも「子供之友」の付録でひな壇(折り曲げて拵える)と傘や、昭和7年の宮尾しげを「あっぱれ無茶修行」の仕掛けものが面白く、また黒崎義介の桃太郎がいい。
桃から飛び出したり、シロが可愛くて仕方ない。
zen661.jpg

武部本一郎の原画による「ヤマタノオロチ」も迫力いっぱいだった。武部の絵には独特の魅力があるが、ここにもその感性がにじみ出ている。

今ではアメリカのサプタの物凄い仕掛け絵本があるが、やっぱりこうした「飛び出す絵本」をはじめとした仕掛け絵本は人気がある。
わたしは物語性を重視したりするが、仕掛け絵本はそれだけでわくわくしてしまうのだ。

最後に宇野亜喜良の「りゅうのおくりもの」を見た。

「江ノ島妖怪伝」とついているが、これがまた全編美麗な飛び出す絵本なのだった。
本当にいいものを見せてもらった。9/2まで。次は千葉。


次に損保ジャパンでの「いわさきちひろと世界の絵本画家」展について少しばかり。
zen660-1.jpg

ちひろはいつの世でも人々に愛される作家だとつくづく思う。
タイトルは知らずとも、必ずどこかで見たことがある絵を、人はそれぞれ心の底に持っているだろう。
今回は「りゅうのめのなみだ」「あかいくつ」「ぽちのきたうみ」「絵のない絵本」「戦火の中の子どもたち」の絵本原画があり、「おにたのぼうし」などの本が紹介されていた。
タブローでは「ぶどうを持つ少女」がある。
このうちわたしは「あかいくつ」「おにたのぼうし」の絵本を持っている。

見て歩くと母子らしき人々が絵本の展開を追って「ああよかったね」とささやいたりしている。そうだ、ちひろの絵を見て安堵する人は多い。
しかしちひろは安寧だけを描きはしない。
「戦火の中の子どもたち」などはモノクロで表現され、見るものの心に深い何かを残す。
それは傷かもしれないし、信念になるものかもしれない。
わたしはちひろの絵を見ると、心が清くなるのを感じる。
多くの人もそうなのかもしれない。

あとは全てちひろ美術館の所蔵する日本と世界の絵本画家の作品。

岡本帰一、武井武雄、初山滋、茂田井武らちひろの先達たる画家たちの作品を、わたしも嬉しく眺めた。一番好きな絵本画家・童画家だからだ。
これらの作品は今見てもとてもいい。

同世代から少し後の作家たちの作品が現れる。
彼らもまた大好きな作家。
赤羽末吉、瀬川康男、井上洋介などなど。
ここでは赤羽の「そら、にげろ」が出ている。日本画の美しさとユーモアに満ちた絵本。
瀬川の様式美も忘れられない。
このふたりは実際に子どもの頃から大好きな絵本画家で、展覧会があると喜んで出かけた。
もう二人とも故人になってしまったので新作に会えないのがさびしいが、作品は今も世にあるのが喜ばしい。
また井上はナンセンスさが絶妙で、80歳の今も現役なのが頼もしい。
いつも新作が楽しみな画家なのだった。

外国作家の作品はほぼ一枚ずつくらいなのでちょっと残念だが、その中でもユゼフ・ヴィルコン、パツォウスカーらの作品は複数点出ていた。
わたしはヴィルコンのファンで、今回は知らない作品「金のひかりがくれたもの」1997年刊行を初めて見れたのも嬉しかった。
画面に無関係ながらヒョウやトラやライオンがいるのもヴィルコンらしくていい。
zen663.jpg

明るい気持ちで見て回り、また近々上井草のちひろ美術館に行こう、と思った。8/26まで。

奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 (日本の秘境など)

再び弥生美術館の大伴昌司展に向かう。
今度はウルトラマン以外の仕事を見る。
図解はほかにもあった。
キャプテンウルトラとシュピーゲル号。
キャプテンウルトラは'83年にTV大阪の特集放送で見たが、シュピーゲル号と言うのは見たことがない。しかしながら、「特撮ドラマ音楽集」でこのテーマ曲を知り、そのリズムのかっこよさに今もシビレている。

仮面の忍者赤影らの図解もあった。石原豪人の絵。
サンダーバードの悪役ミスター・フッドの秘密基地の図解が楽しい。それからレディ・ペネロープの水陸両用車などなど。
あと「神州天馬侠」の敵・呂宋兵衛の隠れ家の図解を見てウケた。
「寝るところ」・・・これを見て思い出したのが、ほりのぶあき「江戸むらさき特急」の一本。
「ここがお前の死に場所だ~」「あ、あんたタバコ吸う?」「ここがお前の喫煙場所だー」「ここがお前の寝場所だ~」・・・大好き。

それにしてもこの大伴昌司と言う人は本当に凄い。
この人の本名や家族構成などについても資料展示されているが、ご両親は高名なジャーナリスト四至本夫妻で、政府の依頼を受けて外貨獲得のためにメキシコに貿易拠点をもうけてそこの所長として働き、幼い息子はメキシコの遺跡が大好きな場所になるという。
それが戦前の話。帰国後、長じて後にペンネーム大伴昌司となった彼は様々な企画を立てプロデュースする人になる。
谷中の全生庵で百話の会を開いたり、恐怖文学の泰斗・平井呈一とも交流を持ったり。
恐怖文学だけでなくSFにも詳しく、星新一、光瀬龍、まだ高校生の荒俣宏らと仲良くなる。平井は講談社版の小泉八雲「怪談」の訳者でもある。
わたしは子どもの頃からとても好きだ。

ところでこの四至本夫妻は戦後には吉田茂の依頼を受けてワシントンに行くような仕事もし、お母様は100歳をこえて健在のようで、去年の写真を見ると、白髪豊かな素敵なご婦人だった。
大伴は自宅と父母の住まう母屋とを秘密の扉でつなぎ、友人の誰もに「天涯孤独の大伴」と思わせていたそうだ。そして彼は高校生の頃から不動産販売業と株式で儲け、その利益で欲しい資料やレコードを迷いなく購入していたそうだ。
ただの坊ちゃんではなく、自分の実益と趣味とを両立させていた男なのだ。

さて大伴の仕事に戻る。
‘69年の少年マガジンの冒頭グラフィックページで今日を予見するような情報社会の到来について特集している。
これについては評論家の立花隆もかなり衝撃を受けたらしく「諸君!」かなにかオピニオン雑誌で問題提起をしたりしたそうだ。

DNAの螺旋なども出てきて、わたしはそれにもびっくりした。
それから映画「2001年宇宙の旅」の図解、「天地創造」の図解。
ノアの箱舟に到ってはもぉ完全にSF表現だったし、バベルの塔はイラストが水木しげるで、ここに「大学」や「蒸し風呂」があるのには眼を見開かされるばかりだった。
「ドリトル先生」の図解の中の「大海かたつむり」はちょっと個人的なウケがあった。
「やかん教室」という勘違いを思い出したのだ。

'70.5.31号の「少年マガジン」で凄い「事件」がおこる。
雑誌表紙がモノクロで「巨人の星」星飛雄馬が泣きながら走ってくる図。
これは絵は川崎のぼるだが構成は横尾忠則で、その企画編集を大伴。
そしてその冒頭特集が凄い。真っ黒ページから始まり、横尾忠則の写真と作品の紹介があるが、度肝を抜かれる、という状況だった。
そこでは「絵師・横尾忠則」「表具師・大伴昌司」と記してある。

次に同年8.23号では表紙に、戦前の講談社の絵本「桃太郎」の終わり近く、桃太郎が鬼を拉ぐシーンの絵が使われていた。

同年8.30号もまた凄い。香蝶楼のお岩さんにまるで耳なし芳一のような書き文字が記されている。よく見ればその文字はお経ではなく(当然だ、幽霊ですぜ、旦那)、その号に掲載されている作品名と作者名の羅列なのだった。

次に出てきたものにめちゃくちゃ惹かれた。
南村喬之と組んだ「日本の秘境」である。
これがまぁ「湿った腐葉土・・・」のむかしの日本から取材した、湿りに湿ったゾワゾワする民俗エピソードの宝庫なのだった。
14071801.jpg

大体まず表紙から怖い・・・今で言うなら山口貴由の描くような横幅の広い顔の化け物、それが包帯を巻きながら丑の角を見せて、田舎の民家に現れるのだ。
・ ミイラ即身成仏 土中に生き埋めになりつつ五穀断ちし、それでも5年は生きる即身成仏・・・それらしきものが戸板に座したまま縛り付けられている。担ぐ村人たち。嵐の中を走る。なぜ、という言葉も出ない。
・ 死霊を護る夜 小さなお堂の中に巨大な地蔵がある。その頭にはやはり巨大な軍帽が。そして堂内には「めめめ」「ててて」の絵馬や、数限りない人形やお札や手の形の縫い物が地蔵像にはりつけられている。眼を描いた絵馬もある。悼み拝み縋る姿なのだが、ただただ怖い・・・
・ 深山ねこ岳修行 行者二人の顔は猫である。やってきた者は人の顔をしているが、手には山犬の絵のついた札がある。それを猫の行者に見せて入山を求めている。新参者の入山許可には秩父三峰神社の山犬のお札が必要なのだ。秋田の猫山、熊本のねこ岳・・・各地にある猫の修行場。
・ 土蔵の中の密儀 村人たちが仏像の前に座す「生き仏」らしき少年を一心に拝んでいる。

非常にぞわぞわする絵と構図。怖くて仕方ないが惹かれてやまない世界がそこにある。
ほかにも鼠浄土図、東北のキツネ憑き落とし・・・
いやーやっぱり日本の風土に根ざしたものは怖さも格別だわー。

次は香山滋の小説を基にした「不思議な世界 大秘境」シリーズ。絵師は柳柊二。
香山滋の小説は現代教養文庫からまだ出ているかと思うが、非常に面白い。
面白さと言うても今の世に受け入れられているかどうかはわからない。
タイトルを見ただけでもわたしなどはどきどきする。
「オラン・ペンデクの復讐」「海鰻荘奇談」「妖蝶記」「月ぞ悪魔」「北京原人」「キキモラ」「ガブラ」「ソロモンの桃」・・・昭和30年代までの美しい悪夢は、ほかに宝塚歌劇の演目くらいしかない。
さてその香山の作品をうまく抽出して絵物語に仕立て上げている。
いずれも人見十吉の連作もの。'48年頃。カストリ雑誌掲載だろうか。
「軟体人間の沼」リア・アンデグア族の変わり果てた姿・・・こういうのがまたそそるそそる。
「エルドラドウ」「肺魚の秘宝」「ウンスターグランラン」「死峡の有翼人」などなど・・・
ほかにポーの小説を基にした「闇に踊る白歯」・・・ギャグにも見えるこのシリアスさ。

関係ないが掲載ページの下にフーセンガムのCMが入り、「猫目小僧」があった。
ほかにもメキシコのテオティワカンなどなど。

あっ出たーーーーっ「暗黒の魔王ドラキュラ」!!!!!っっっっっ
この端正な絵がまたクリストファー・リー先生を思い起こさせ、いよいよわたしのトラウマの原因になったのだーーーっっっっっ
そうか、大伴昌司の世界がわたしのトラウマを拵えたのか~~~~っ
・・・非常にドキドキした。

最後に漫画入門本もあった。なんとさいとうたかを「無用ノ助」が漫画の構成について色々詳しく教えてくれる、と言う本。団子式と注連縄式の物語展開の違いなどなど。
ああ、大伴と言う人がもし早世しなければ、もっともっと面白い状況になっていたのは確かだろう・・・

弥生美術館が今回こうして大伴昌司を取り上げてくれたことでわたしの積年のナゾも解けたし、色んな納得も生まれ、そして改めてその世界への愛情が確認できた。
とても有意義で面白い展覧会だった。9月末まで。

ウルトラマン・アート/怪獣博士・大伴昌司

弥生美術館と埼玉近代美術館とで、ウルトラマンを軸にした非常に面白い展覧会を見た。
弥生美術館では「奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解」が、埼玉では「ウルトラマン・アート」が開催されている。
わたしがリアルタイムで見たのは「帰ってきたウルトラマン」以降だが、ごくごく小さいときから「ウルトラマン」も「ウルトラセブン」も再放送でしつこく見続けてきた。
ただ惜しいことに今に到るまで「ウルトラQ」だけは見ていない。
何故か再放送を見ていないのだ。まことに無念ではある。

2006年に世田谷文学館で「不滅のヒーロー・ウルトラマン」展を見たが、あのときの感動は今も胸に残る。
その時の感銘の記録はこちら
記事の中で大伴昌司のことにも触れているが、弥生美術館で彼の特集展を見るまで、その仕事の全容を知らぬままだった。
まず大伴昌司展について書きたい。

かれは怪獣博士と謳われたひとだが、名前を知らずともその仕事を見れば「あっ」と思う方は凄く多いと思う。わたしも名前は知らなかったが、出てきた資料を見て「あっ!」ばかりで、知らぬ間に随分たくさんこの人の恩恵を受けていたのだな~と思った。
'73年に36歳で急死されたのでそれ以後の仕事はないが、今見てもドキドキする面白い企画がたくさんあった。

まず怪獣の図解が出てきた。バルタン星人の図解などは懐かしい!
全身をよくこれほど解説してくれたものだと思う。
バルタン眼とかエレキング碍子骨とか、今なら「んむ?」なのもあるが、とにかくワクワクドキドキする。
大伴本人は絵師ではなく、自分の思っていること・描きたいことを稚気あふれる描線で描く。それらを基に水氣隆義、遠藤昭吾、南村喬之といった絵師たちが本格的な絵にするのだ。
見事なコラボである。

「ぼくら」’67年のある号には「怪獣特売場」なる見開きのグラフィックページがあり、それがまた面白いの何の。
ここではウルトラマンの怪獣だけでなく、別会社の怪獣もいる。
たとえば・・・大魔神。かれは怪獣ではないが「正義の神様と言うことで人気がある」2億円の高値がついている。
共に1億円なのがこちら。
ガラモン・・・「歩き方が面白いので人気があり高い」
ガメラ・・・「ぜったいにしなないから高い」
いいな~いいな~この発想。
他にもバルタン星人2億円、ゴジラ2億8千万、キングコング3億6千万、キングギドラ2億2千万。
断っておくがこれは1967年の価値観だから、今だと一体いくらなのか・・・
また笑えるのがこちら。
カネゴン・・・非売品。「人間なので売れないよ」いいね~~
ガッパ、レッドキングが8千万と多少安いのは哀愁を感じる。
そして本当に特売なのを集めると・・・
ケムラー・・・1千万円。「スモッグの原因なので安い」なるほど~~昭和40年代は光化学スモッグの時代でしたな~

「主婦と生活」にも特集記事がある。
「ボクたちは子どもの人気者です」時代を感じる・・・今のお母さん方はこういう系統でやかましいことは言わないからね。

あ゛っ石原豪人も怪獣事典描いてる!さすがに怪獣たちだと石原らしい官能性はない。
(・・・あっても困るか)
「ウルトラセブンVSイカルス星人」でした。

‘67年の少年マガジンでは冒頭の特集で「きみも怪獣を作ろう」として「高山おじさん(高山良策)」の仕事風景が写真に出ている。カネゴン、ラゴンといったウルトラQ系の怪獣製作風景。

そしてその年の5/15の新聞に、少年だった浩宮さんがデパートに出かける記事がある。
本屋さんで他の子どもらとまじって怪獣図鑑などを眺めながら怪獣の名前をつぶやき、どっちの本を買うかで悩み・・・。
可愛いなあ、というのは不敬かもしれないけれど、本当に可愛らしかった。
そして悩んだ末に秋田書店の怪獣図鑑を選び、あとは弟宮のお土産もみつけて、ご機嫌で皇居へ。いいお話やな~~

'70年のカラー絵本がなつかしーっっ!わたしも持っている。
これこれ。img222.jpg



さて、ここで一旦大伴のウルトラマンの仕事を離れて、埼玉近代美術館の「ウルトラマン・アート」に移る。
ここでは撮影可能な室がいくつかあり、大喜びでパチパチ撮り倒した。

実際に着てらした着ぐるみやフィギュアが大量に展示されているだけでなく、フィルムの1シーンもパネル展示されている。
わくわくがとまらない。

まずバルタン星人。前からの姿だけでなく、珍しい後姿。
SH3B13870001.jpgSH3B13890001.jpg


ある日の戦いなどなど。
SH3B13900001.jpg
SH3B13920001.jpg

あれ、この怪獣の名前を忘れてしまったよ・・・なんだっけ。
SH3B13910001.jpg


ビラ星人登場。ちゃんと影もビラ星人。当たり前だけど嬉しい。
SH3B13930001.jpg

そしてウルトラセブン。SH3B13940001.jpg
セブンの後ろアタマもかっこいい・・・(とはあまり思っていないんだけど)
SH3B13950001.jpg

戦うセブンの勇姿。
SH3B13960001.jpgSH3B13970001.jpg

そういえばセブンにはアギラという味方の怪獣もいたな。

セブンvsビラ星人。SH3B13980001.jpg

ちゃんとメトロン星人もいた。むろんちゃぶ台付き。「まぁ座れ」と言われたい~~~
SH3B13990001.jpg

そしていちばん萌えなのがこちら。
SH3B14000001.jpg
セブンが敵に捕まって十字架に架けられてるシーン。
ああもぉ、こんなのを見るとときめきが突き抜けて外へ迸りそう!

こうしたフィギュアや着ぐるみだけでなく、資料もたくさん並んでいる。
去年実相寺昭雄展に行ったときも思ったが、やはりウルトラマン、それ以上にウルトラセブンには深い物語と提起された問題とがある。

最後に埼玉近代美術館の吹き抜け空間をみると、ウルトラマンが飛んでいた。
うぉーっという感じ。いいなぁ。
SH3B140100010001.jpg

そういえば小さい坊やがお父さんに「どうしてウルトラマンとセブンとは飛ぶとき、手の広げ方が違うの」と訊いていた。
確かにそう。ウルトラマンは手をまっすぐにし前方へ向け、セブンはやや水平に開いている。それぞれのスタイルの違いだと言ってしまえばそれまでだが、こうしたことに気づいていなかったので、また新しい魅力を知ったのだった。

埼玉県立近代美術館の「ウルトラマン・アート」は9/2まで。

「来て、見て、感じて、驚いちゃって!」サントリー美術館を楽しむ

サントリー美術館の空間が祝祭空間に変わっていた。
デジタルとアナログの融和、というものを実感できる空間で、これは本当に楽しい。
写真撮影どうぞ、と言われて喜んで写メをぱちぱちしたが、楽しすぎて手がぶれた。
変な写真で申し訳ないが、この楽しかったキモチを残しておきたくて、ここに挙げたい。

子どもを喜ばせるための企画として立てられた今回の展覧会かもしれないが、本当にワクワクと楽しく、ずっとここにいたくなるような空間が広がっていた。

所蔵品の豊かな深さが基礎にあるからこそ出来る企画なのが、照明の美しさ・楽しさにはすっかり幻惑された。
展覧会が始まる前の苦労話を少しばかり伺ってはいたが、なるほど人の手と知恵とテクノロジーの合体が、こんなにも素晴らしい状況を拵えるとは、ただただ感服するばかりだった。関わったすべての人に感謝したい。

会場入った途端、天井になにやらきらめきの名残が。
丁度プラネタリウムが消えてゆくところだったのだ。
少し待つと再び天空に美麗な文様が浮かび上がってくる。
それが草花だと気づいたとき、自分の立つ場にもその草花の影が落ちてくる・・・!
わくわくして正面を見ると、その草花を鏤めた優美な手箱が見えた。
SH3B13690001.jpg
浮線綾螺鈿蒔絵手箱は普段外からしか見ず、ああ綺麗だなと思うばかりだったが、この投影の後では、自分が手箱の内側に納められた錯覚が生まれてくる。
なんとときめく錯覚だろう。
わたしは手箱の中にある蒔絵の櫛、あるいは倶梨文様の小さな合子なのかもしれないのだ。


出だしにこんなわくわくがあった次に、これはまた一際シブい空間が待ち受けていた。
武蔵野図屏風がススキの原の向こうにあった。
屏風には月も出ている。
SH3B13700001.jpg
ああ、この月の銀の光にススキの穂も光る。
描かれたススキと手前のススキとは、一つの土を共にして、サントリーの野に乱れ咲いている。
そこを歩けばわたしは狐になり、または「昔男」を知ることを旅僧に語る女になるだろう。


和のガラスは元からサントリーの宝の一つだが、それが長いテーブルに並べられ、鏡の反射の原理で、青い夢幻の空間になっている。
SH3B13710001.jpg
なんという綺麗さなのか。あまりに綺麗で現実とは思えなくなった。
カプリ島の青の洞窟。あそこにこの青いトンネルはつながっているのかもしれない。


洛中洛外図屏風を見ていると、必ず「その空間に入り込みたい」という欲望がわいてくる。
その欲望は肯定され同意されても、中に入り込むことは難しい。
勅使河原宏の映画「豪姫」では洛中洛外図を再現して、そこに宮沢りえが絵の中の人物と同じポーズをとる映像を作ったが、それであってもあの空間を体感することは出来ない。
それだけが無念。
けれどここではタッチパネルで見たい空間を拡大でき、そこにいる人物を間近で見ることが出来る。
話しかけれそうな位置関係になるのだ。
こんな風に。
SH3B13720001.jpg


踊るおねえさんたちも並んでいる。
SH3B13730001.jpg


色鍋島を自分で拵えるコーナーがあった。すごく愉しい。
そして知らない人たちのオリジナル色鍋島と並んで画面に映る。ほんの短時間だけど嬉しい。
SH3B13740001.jpg
二度と戻らないことがいよいよその瞬間を貴重なものにする。


迷路のように次の場が見えないつくりになっている。
地図は渡されているが見ないで歩く。地図のない旅も面白いから。

・・・・・なんでしょうか、このオブジェは。赤黒い妙な丸いものが転がっている。
SH3B13780001.jpg

福岡アジア美術館にはところどころに巣のようなものが設置されていて、それが実は椅子と言うか休みどころになっているのだが、あんな感じのものなのか。
ぐるっと回ると、ああ、中が開いている。
そして背後には光悦の赤樂茶碗がある。あの赤樂が巨大化すると、こうなるのか。
おわんの舟で川を渡り、都へ出た一寸法師の末裔になろう。


ドキドキしすぎた。一つ一つをきちんと見たのかどうかは自信がない。
ただただ「楽しかったキモチ」ばかりが強く残っている。
深い喜びを抱いたまま、この空間から抜け出していった。

小さな企画展・常設展をみる 東博とそのほか

東博の常設展で色々と楽しいものをみたので、それも小さく挙げておこう。
まず楽しみは浮世絵で、これは時季に沿う展示が出てくるのが嬉しい。

国芳のいなせな女たち。風に吹かれているのがかっこいい。
SH3B13830001.jpg SH3B13840001.jpg

どちらも団扇絵。七夕を背景にした女もいる。
暑いときにこんな風の涼やかな団扇をパタパタしてたら「さぞや」と思いつつ、これらが団扇にならなかったからこそ、二百年後の今、絵を見れてるのだとも思うのだ。


団扇を持った美人もいる。笹紅を下唇につけた、祇園井特のえがく女。
SH3B13820001.jpg
珍しく面妖なところのない、すっきりした美人。

夏といえば「金魚」というのも江戸時代の楽しみ。
扇子を池に、赤い金魚が泳ぎまわっている。
SH3B13860001.jpg

応挙の息子も弟子もみんな可愛いわんこをよく描く。
応瑞の二わんこ。可愛くて可愛くて撫で回したくなる。
応挙は家では猫を飼うていたそうだが、描くのはわんこが多い。
SH3B13850001.jpg

むかし子どもの頃、応挙の幽霊画が怖くて、応挙がとてもニガテだったが、ファンになったのはやっぱりわんこ絵からだった。
いつか応挙一門のわんこ絵展があればと思う。
国芳一門の猫だらけ展もあったことだし。


コンドルの設計した東博の図。かっこいい。
SH3B13800001.jpg
実際にはあかんかったのだが、見る分には楽しい設計図。
SH3B13810001.jpg


いいものを見て歩いて楽しい時間を過ごせた。


小さい企画展示をもう少し。
・池袋の豊島区民センターで開催中の「東京今昔物語」。
SH3B13630001.jpg
学習院大の学芸員資格を取ろうと目指す学生らの自主企画展。
昔の名所絵葉書と、現況とを同時展示したり、同時代の婦人・子供雑誌の双六や地図も展示。
SH3B13620001.jpg
こういうのがまた面白くて好きなんだが、もう少しひねりあれば、とも思う。
「じゃどんな?」と訊かれれば巧い説明は出来ないけれど、この学習発表会的なノリだけではちょっと寂しいのは事実。
SH3B13590001.jpgSH3B13610001.jpg

これからもがんばってほしいと思う。


・江戸博の会議室で無料展示されている芥川龍之介の展示。
芥川は両国の人だから、ジモティですわな。子どもの頃からの写真や描いた絵などのほか、貴重な初版本などなど。
パネル展示の「杜子春」の挿絵を見た小学男児くんが「綺麗だな~」といいながら写メ撮ってるのは、ヒトゴトながら「よしよし、将来有望」と勝手に喜んだりした。
zen664.jpg


こういう企画展示は地元の人々にも偶然来た人にもいいものだと思う。
SH3B14020001.jpg
SH3B14030001.jpg

八月の東京ハイカイ録 その4

8月の東京ハイカイも今日で終わり。
天気にもなんとか守られそない暑くもなく過ごせました。
しかし連日の遊行と深夜までオリンピック見たりするくせに、普段より早起きなんかするもんですから、もぉアカンと言う状況ですがな。
わたしも昔の光今何処なわけですな。
さてそれで発想を変えまして、行く先変更しました。
ひとつやめたら途端に三つも行けることになったのは、勧進帳の問答やないけれど、一殺多生の利に因りて、と言うことですかな。
どこをパスしたかは内緒。

例によって細かい感想はまた後日。

予定を変えたら丸一時間ゆっくり出来たが、高校野球が面白過ぎて出遅れたよ。
まあ時間調節はお手の物やし。

まず畠山記念館で茶道具を楽しむ。
今回は唐津焼、更紗の包み、画にウサギがいて、それぞれ可愛いかったわ。

それにしてもいながらにして深山幽谷の観があるなあ。

五反田経由で恵比寿に行くと、これが大雨やん。困ったなあと思った途端、目の前にバスがありますがな、嬉しいわい。二つ越えて山種美術館に。
今回は旅を集めたと言うか、見てると旅心をそそられる作品ばかりで、見慣れたはずの広重の五十三次からして、ああ旅に行かなくちゃなキモチにさせてくれる。そして風景画を見るとそれだけで想いが広がるよ。


今自分もまた実はハイカイと言う名の旅をしていることを忘れていたが、それを思い出させてくれるいい展覧会だった。


バスで渋谷へ。この系統は頻発なのがいいな。
東急の地下でシラス丼にせいろそばを食べるが、何故かやたらと遅い。不思議やわ。塩辛いシラスだけど大根おろしで中和した。カウンターの隣席の女の人、すごい苛立ちを隠さなかったな。
わたしは待ちくたびれてグッタリしてたよ。


さて松濤美術館で藤田の挿絵を見る。
色々えっちくさいのもあり楽しい。
女同士のフランス風な愉しみを思わせるのもあるしね。
そして日本を舞台にした挿絵があるが、これはフランスの画家による日本を描いたものだとしか言いようがない。
海竜はコクトーとのコラボだが、わたしはこれを以前見ている。久しぶりに見れて嬉しかった。

フランスの挿絵好きな人にはかなり勧められる内容。
尤もわたしは同時代の日本の挿絵のファンなんだがね。


Bunkamuraの近くのポスターハリスギャラリーで寺山修司の幻想写真館・犬神家の人々を見る。かなり面白かった。
その世界に眩惑されて表に出ると、突き当たりの狭い空間に、ゴミなのか必要な何かなのかわからないものが眼下にあふれていて、不意に奇声を発しながら背中に大きな値札を貼付けた坊主頭の人が現れ、現実の風景とは到底思えなかった。
寺山修司の世界がそこに広がっていたのだった。


大手町に出る。
これまでどうしてか皇居の三の丸尚蔵館に辿りつけなかったが、今日は毒気が抜けたか素直に中に入れた。
珍品を集めた展覧会だった。
所蔵品がたくさんあるからこその企画だと思う。
こういうのも面白い。

すぐそばのパレスホテルに入る。
完成したのだよ。
現代の作家による工芸の名品を見るが、やはりいいなと思うのは螺鈿細工ばかり。あと青磁のいいのを見たか。

ホテルの地下でお茶しようかと思ったがやめて、荷物を預けている定宿に向かう。
途中スーパーによりモンデールの白くまエクレアを買う。
それをホテルのロビーでカジッたら、かなりおいしかった。ハマリそうやわ~

休憩後いよいよサラバなり。
新幹線に乗りますよ。駅弁は宮城のお肉とお米を紐引っ張ると温くなるあれ。
おいしうございました~
今回はポイントのおかげでグリーン車に乗ったのさ。
いい旅をしました。

八月の東京ハイカイ録 その3

ハイカイ三日目。天気が荒天だとニュースがいうのでビビリながら外へ出る。上野から宇都宮線に乗り換え浦和へ。
ブラティスラバ絵本原画展。
感想の細かいことはまた後日に。

猫と女の人の関係の「サプライズ」や今井彩乃さんの「長靴をはいた猫」、日本の仕掛け絵本が特によかった。飛び出す絵本って大好き。

北浦和の埼玉近美に行くつもりで間違えて南浦和へ。
…駅ナカで冷たいうどん食べてから北浦和へ。
ちょっとおこわのおにぎりなんて買って、噴水前でかじってると、いきなりすごい音量でハンガリー狂想曲が流れてきた。噴水もそれにあわせて勢いよく飛び出てる。
それを見てからウルトラマンアートへ。
本当にときめいたなあ。
自分がいかにウルトラマン、そしてウルトラセブンで育ってきたかを再認識した。
ありがとう、ウルトラ星人。

今度は赤羽まで寝続けて、危ういところで、湘南新宿線にのる。
新宿駅はとにかくわたしにとっては鬼門に近くて、わからんのだよ~
それでもなんとか西口から出てうろうろ歩いて、やっと損保へ。
いわさきちひろと世界の絵本画家。
好きな画家たちの作品も少ないけれど出ていて嬉しかった。
特にヨゼフ・ウィルコン。

機嫌よく眺めてから駅に戻ると、なにやら大雨のせいで電車が遅れてるらしい。
私は幸いなことに雨と無縁でいたのでした。
御茶ノ水で総武線に乗ったら座ってしまい、快速に乗り換えるつもりが、気づけば津田沼。
気持ちよく寝てたな~~

千葉も雨上がりの後ですごくぬれてた。五時過ぎ。
PALCOバスに乗せてもらい、そこから千葉市美術館へ。
「どうぶつ大行進」
これがもぉ軽くも書けない充実で、参った。
本当は早く出て東京湾の花火を見るつもりだったのに、気づけば七時過ぎてて、それでもクイズラリーも見学も終わらない。
千葉市美術館の奥深さに改めて驚く。

なんとかクイズラリーも満点を取り、可愛いグッズをいただいた。
ありがとうございます。

ああ、結局閉館前までいた。花火はアウト。
駅ナカでまたうどんを食べてから快速に乗る。
ホテルについて五輪見ながらこれを書いて…それで終わり。
今日はここまで。

八月の東京ハイカイ録 その2

ハイカイ二日目。
例によって展覧会の感想は後日詳しく挙げます。

まず弥生美術館へ。弥生へは根津か東大前なんだが、この暑いのに根津の暗闇坂なんか登ってられるか、と市ヶ谷から東大前に向かったんだが、これがちょっとミスだったかもしれない。結局駅中でよく歩くので効率が悪い。
多少の坂くらいあるぜ。

怪獣博士として名高い大伴昌司展。これがまあ面白すぎ。すごくどきどきわくわくしたなあ。わたしもウルトラマン、ウルトラセブン好きな人間として、やっぱり知ってるよ、この人。なんかもぉめちゃくちゃ嬉しかった。あとはホラーものがいい。日本の秘境、香山滋の連作物、それからドラキュラ。ううむ、今見ても恐いわい。

華宵は「婦人世界」などの作品と夢二は震災関連。
見ごたえがあるのはいつものことです、はい。
大好きな弥生美術館。

カフェ港屋でカレー食べてから電車に乗る。けっこうおいしいのだ。
次は六本木一丁目の泉屋分館で近代日本洋画をみたが、その直後にホテルオークラのアートコレクション展では藝大関連の作品を見て、近代日本の絵の道が見えたように思う。
ところで隣の大倉集古館、母体がホテルなんだから、受付さんもホテルマンの研修受けたほうがいいかもしれない。前から思ってたけど今日は特にそう思うので、はっきり書く。
書跡はよかった。聖武天皇の賢愚経、百万塔陀羅尼、貼交屏風は中聖武にはじまり二月堂焼経、五月一日経などなど。古今和歌集の33枚続きにもときめいたし、田中親美の平家納経もあり、見所多し。

サントリー。これがまぁめちゃくちゃ楽しかった。
楽しすぎてコーフンしちまったぜぇ~
とにかくこの楽しさはすごい、さすがサントリー。
楽しい気分のまま汐留ーミュージアムに行き、アールデコのガラスをみる。ピカピカクラクラ・・・
そしてブリヂストンへ向かって、ドビュッシー、音楽と美術を見て、本当に心地よくなる。
音楽はいいね、という台詞をカヲルくんのようにつぶやく。

八重洲の地下で和幸のとんかつ食べてから上野へ。
ううむ、書の難しさにくらくらする。現代美術のようだ・・・
常設もいいものがたくさんあり、楽しく眺めてから帰る。
今日はここまで。

八月の東京ハイカイ録その1

案外涼しい八月の東京ですな。
と、今日が特別涼しいということを知らんと、わたしはあちこち出歩いていた。
今回の東京ハイカイは四日間ですが、暑いやろから色々ゆとりを入れてコースを設定していた。
展覧会の感想はまた後日詳しく書き起こします。

江戸バスでまず宿に向かい、荷物を頼んでから練馬区美術館へ。
小竹向原からスイスイと中村橋へつくと、太陽も陰に隠れてるし風も吹いてるしセミもミンミン鳴いてるしで、機嫌よく美術館へ入れた。
船田玉樹展。
・・・・・一言で言えば執拗。「間」を許さないような濃密な空間。息苦しかった。
しかし戯画でもある河童の連作ものは楽しい。
かれの師匠は速水御舟で、ところどころに御舟の絵があるが、遠目からでもひどく惹かれるものがある。なにしろ「あ、これ素敵」と思うものは悉く御舟であり古径であり靫彦である。特に御舟の白地に薄紫の花弁が豊かな牡丹がよかった。

そこから池袋の豊島区民センターへ行くので色々電車を乗り換える。まっすぐ西武線池袋だと遠いんだよ…でも結局よく歩くんだけどね。
区民センターでは学習院大の学生の企画した東京の今昔を見た。絵葉書と鳥瞰図と双六などなど。
けっこう楽しいよ。手作り感が強いが。

久しぶりに東池袋へ。'94年頃は本当にこのあたりによく通った。
つまり同人誌専門古書店に通っていたのだ。中野とここがわたしの餌場でしたな。
もぉ今はそんな情熱がない…オフラインにサヨナラしてしまい、オンラインでさえも…
ただ、アムラックスみたりすると、あの当時のわたしのときめきが蘇って来て、それ自体に涙ぐみそうになる。

豊洲へ。駅中の工事もだいぶ進んだな。ららぽーとへ向かい、ukiyoeTOKYOに入る。
芳年展。ほぼ知ってる絵の集まりだが、楽しい。以前に見たときと今とでは知識が違っているから、よけい楽しくなってたりする。
「花上野誉碑」の乳母お辻の水垢離図が特にいい。井戸の周りの蓮と糸瓜の花が乱れ咲く空間に、坊太郎が呆然とする図。

有楽町へ出ました。出光美術館。「東洋の白いやきもの」~~~!
今夏は高麗青磁に溺れてるけど、白いやきものがジワジワと現れてきてますがな~~
いいものをいっぱい見れて本当に嬉しかった。

三菱へ向かうと、広場のところが風が吹き渡りセミもミンミン鳴いて気持ちよかった。
バーン・ジョーンズ展。
素晴らしすぎ。これはまたしつこく書くけど、邸宅のためにこしらえた作品が多かったので、この空間で見れてよかった。
ああ、本当にすごいな。

途中でさぬきうどんを食べてから、そのまま森下へ。
文化センターで杉浦茂とと?展を楽しむ。アンケートを書いたらフーセン坊やのストラップもらえた。ラッキー。
原画や「やさいはくすりだ」などの書?も飾ってて楽しかった。
やっぱり杉浦茂は面白いわ。

ちょっと歩きたくなって新大橋を渡る。きれいなライトアップ。
ホテルに戻り、オリンピックを見て、こうして書いているところ。
今日はここまで。

正木コレクションをたのしむ 其の一

正木美術館の夏季展「正木コレクションをたのしむ 其の一」を楽しんできた。
夏季展は今までなかったらしい。そうなのか、そこまでは知らなかった。
なにしろ北摂のわたしが正木へ通うようになったのはこの2~3年ばかりの間だから、まだまだ正木コレクションを見るのはシロートなんですよ。
zen657.jpg

今回は相客がとても多い。大混雑はしてないが、まさかこんなにも相客が多いとは。
みんな楽しんでおらるるようでヨカッタヨカッタ。

まず古代から。
灰陶加彩辟邪旗座 旗を置くものを辟邪で。口を開けて吠えるワンコ風な辟邪。朱色が残るのもいい。背に旗を立てる穴がある。南北朝時代の中国の可愛い奴。

緑釉犬 後漢時代のわんこ。漢代にはこの手の緑釉犬がわんわん生まれた。こいつはほかのワンコに比べてやや小柄だが、四肢を踏ん張るのが可愛い。ブルドッグにも似ているが、ちょっとばかり出目。しかしよく見れば踏ん張る足は後世の補足かもしれない。

縄文土器深鉢 ああ、いつもの人気者。昔のボディコンのワンピースを思い出す。こういうのも面白い。

遮光器土偶 だいぶ欠けてるけれど土偶のドギーちゃんは可愛い。

埴輪人物頭部 前回の展覧会「古代礼賛・中世礼賛」のスター。
あのときは須田さんの緑の雑草を鈴冠に挿していたが、今日は鈴冠のままで、かわりにドギーちゃんとの間に白い花を置いていた。
この埴輪さんは正木コレクションの誇る「美青年」なのだった。
zen488.jpg

青磁刻花六耳壷 南北朝の米色青磁。
ところで軽く「南北朝」と書いているが、古代中国の時代のほうです。
日本の南北朝はその千年後。

白磁貼花竜耳瓶 隋~唐 縁を噛む二匹の龍、というより水飲み竜に見える。ギリシャからの流れを感じる形。

青磁神亭壷 越州窯 神亭は魂亭ともいうそうだが、見る限り人と楼閣の群れで立錐の余地なし状況。このあたりまでは祭祀用なのだろう。

赤絵人物 宋代 小さい女の人形で可愛らしい。日本の郷土玩具の土人形に似ている。

黒釉騎馬人物 金代 時代性を感じさせる。異民族・金の時代。こちらも小さい人形。

そして驚くようなものを見た。
秋篠寺伎芸天宝冠 768年のもの。現状の伎芸天には宝冠はない。正教会の司祭の冠のように豪奢である。木製に浮き彫りでそこに金メッキされている。花唐草。
維新の頃か戦後かに流出したのだろうか・・・

伊川院晴川院唐画写画帖 狩野栄信・養信父子による写生帖
・鳩 宋代院体画の手本を模写したのかもしれない。鳩の胴体のグラデーションがとても綺麗。以前から好きな作品。
・枇杷 おいしそうなふっくら感あり。
・うずら 目が鋭い。そばの植物は粟か。
・青桃 堅そうな実がある。その質感がリアル。
他にも・群仙・布袋・鹿と雀・水に映る葵・滝を見る高士・月下高士・波の上の仙人・亀・物売りと群がる子供ら・葡萄・竹・・・

室町時代の水墨画を見る。
竹雀図 周耕 二羽の雀が楽しそうにおしゃべり中。
牧馬図 啓孫 二頭の馬ともう一頭と。位置関係がいい。
翡翠図 家津 雪舟の弟子筋。嘴が長い。
白鷺図 祖栄 毛繕い中。わかりやすい可愛い鷺。
犬図 照陽 麿眉のやや大きい犬と。子犬と。可愛い。しっぽクルンとしているのがいい。大きめの犬の目つきがわるい。
猿図 等芸 室町だから中国の猿。母子猿。アイアイする。手を伸ばしてぶらさがる。
猿図 以天宗清 丸顔の猿が長い手足を曲げながら座している。「月を捉る」な猿らしい。とはいえポップな雰囲気もある。
水牛図 以天宗清 シナ作る牛。面白い表情である。

階段室の空間には明器が並んでいた。
ミニチュアの世界。
農舎、竈・井戸など、そして山羊や犬を取り合わせてセットにしているのもいい。

ミミズクをモティーフにした後漢時代のやきものがある。ツインミミズク。猫頭なのが可愛い。こういうのがほしい。

雑伎する人々をとらえたやきものがある。
どうも「アイーン」しているようなのや、マンザイしているようなのもいる。要は楽しみというのは二千年くらいでは変わらないのかもしれない。

青銅孔雀香炉 透かしの多い綺麗な香炉。

二階に上がる。

牧牛図 可翁 二幅。「十牛図」から採ったものかもしれない、とある。1は牛の背に乗り行く子供。2は親子の牛がいる。子は楽しげに親に寄って行く。

陶器の枕が二つ。花蝶鳥文枕と鹿文枕。どちらも可愛い絵柄で、特に生意気な鹿がいい。

砧青磁のよいものも並び、根来の剥落の少ない鉢や湯注もある。

最後に能阿弥の墨絵があった、
蓮図 墨の濃淡だけで蓮の美しさ・静けさを表現している。
zen658.jpg

いいものをたくさん見て嬉しい。8/12まで。
次の「其の二」も楽しみだ・・・

奈良県立美術館所蔵 近代の日本画

奈良県立美術館の館蔵品を集めた「近代の日本画 人物・花鳥・風景」展は楽しかった。
毎夏、館蔵品の名品を集めて展覧会があるが、やはり近代日本画とそれ以前の江戸絵画の名品がいい。
それはここのコレクションの主軸が、吉川観方という目利きのコレクターの集めたものだからかもしれない。
わたしは近代日本画をことのほか好ましく思うので、この企画は本当に楽しかった。

<人物>
・尊像をあらわす
ここには特に古い作品が集められている。

菊池容斎 禅宗六祖之図 安政五年の作。達磨から始まる古い画題のものだが、これから20年後にはもう「近代日本画」が始まりだすのだ。

加納鉄哉 観音見瀧図 明治45年。観音は瀧を見上げることもなく、ただ静かに端座している。そばの獅子親子が可愛い。ブサカワな良さがある。マイナスイオンが心地よさそうである。

橋本雅邦 琴棋書画 柳の下で機嫌よく。硯を洗う子供が可愛い。
zen655.jpg

荒井寛方 聖観音 美貌の観音。金と青。浄瓶を持つ。寛方はインドにも出かけ多くの美麗な仏画を描いているが、ここにはその一種のエグみはない。

不染 鉄 聖観音像 サラッとした仏画。この作家の作を認識しながら見るのは初めて。この人は松篁さんの年長の仲良しさんで、松園さんもこの人を気に入り、おうちに鉄さんのお部屋があった、と何かで読んだ。
そのエピソードを知ったのは近年のことで、それから初めて不染鉄の作品を見ている。

・歴史画の隆盛
日清・日露以降から戦前までの流行。「神国日本」の姿。

谷口香嶠 浄妙奮戦図 橋の上でナギナタをふるう浄妙。祇園祭を思いながら眺める。

木島桜谷 明治天皇騎馬像 明治天皇への「愛」は国民の多くに生きていた。馬の睫が長い。

久保田米僊 村上義輝の図 護良親王のために錦の御旗を取り戻す図。今はこんな画題は説明されてもわからない人が多いだろう。わたしは「学んだから」知るだけで、何の予備知識もなければどうにもならない。

松本楓湖 楠正行如意輪堂の図 明治44年。弓で字を書く。これも「太平記」から採られた画題。
「太平記」は戦後アッと言う間に人気がなくなり、大学で「太平記」を学んだときも先生はその当時既にミイラのようだったことを思い出す。

谷口香嶠 蛭子大神図 にっと笑うエビス様。太古の姿で立つ。

・美人画の魅力
やはりいちばん好きなのはこのコーナーである。

岸 竹堂 少女図 明治後期。びっくりした。何がかと言うと、竹堂が動物以外にこんな少女図を描いていることにびっくりしたのだ。
と思っていたら、竹堂は遊女を描くのが好きだと解説にあり、そちらにもびっくりした。
笹紅を下唇に光らせる少女が、白バラを髪に挿し、緑蔦の柄の着物を着ている。涼しい目元がいい。
竹堂の美人画を集めた展覧会が見てみたい。

渡辺省亭 「柳橋園の像」「梅屋敷」は居場所を変えただけで同じような構図の作品だった。芸妓らしき女が立ち、もう一人若い方はこちらに背を向けて座している。その髪型が変わっているのだが、なんという髷なのかはわからない。

鏑木清方 涼風 小舟に突風が。「アラ」な表情の美人がいる。ああ、明治美人。

上村松園 春宵 芸妓に耳打ちする仲居。二人の着物の色の対比。仲居の黒帯の質感、芸妓の裾模様の愛らしさ。
柱の灯りの形もいい。

北野恒富 舞妓図 唇の朱、襟の朱、など落ち着いた画面の中に引き立つ朱の色がいい。結んだ指先にも薄く朱が差されている。
大正前期の「浪花の悪魔派」らしい絵。
zen656.jpg

野長瀬晩花 つれづれ(歌妓図) 上に三味線を吊っている。柱によってうたた寝する歌妓。手から本が滑り落ちている。大正の頃、実際にこんな情景はあったろう。

岡本神草 沐浴美人図 盥で体を洗う女。これが春信風な絵で、神草の他の絵とは趣を異にする。ちょっと違和感が生まれるくらい、違う絵。

竹久夢二 雪中子抱き美人 お高祖頭巾の女がだっこしている。せつなさはないが、どんな背景があるのかわからない。

吉川観方 夕風(お菊) ぼーっと浮かぶお菊さん。むろんこれは皿屋敷のお菊さんである。

<花鳥>

・古典と近代
一言ずつ書きたい。

狩野芳崖 竹虎図 猫背の虎が可愛い。線描くっきりで、カトゥーン風な楽しさがある。実は雪村の「竹虎図」を写したものかもしれないらしい・・・

橋本雅邦 烏鷺図 左側でカラスたちが争うのを冷ややかに見るサギたち。いやねぇ。

川端龍子 陽春花鳥図 珍しく小品で、山桜に瑠璃鳥の組み合わせ。小さくて可愛らしい。龍子の小品もいいと思う。

中村岳陵 芥子 赤い花が大きく咲いている。ゆらゆらと風に揺れる度に花がふくらむように見える。

・花鳥諷詠の世界
和やかな世界

今尾景年 蘆に翡翠の図 色は鮮やかではなく地味な彩色をしている。カワセミがのんびりとそこにいる、そんな「風景」がある。

鈴木松年 猛虎図 威風堂々たる虎。画面から飛び出せ。

宮崎玉緒 山桜図 白とピンクの花がいい。うっとりする。

<風景>

・山水画 描かれた理想郷
南画の世界

松林桂月 霊峰富嶽 下の村から見る白い富士。そうか、富士の裾野にも生活があり、その一方で富士は尊く高い。

不染鉄 南島海村 墨絵。伊豆大島がある。波があり、三角に突き出た島の端があり、そこに家が並ぶ。船から島へ上がるときの景色なのか。どこか心になじむ。

名所を描く
版画も出てきた。やはり名所図会は楽しい。

森川曾文 祇園祭長刀鉾図 江戸時代の祇園祭りを描く。人々の多さは今以上かもしれない。

小林清親 両国大火浅草橋 明治14年。火の赤さ。これは明治の赤なのだ。ニュース画像という側面を持つ一枚。

川瀬巴水 喜光寺(奈良県) ここは東大寺の本堂の雛形でもあり「試みの寺」と呼ばれる。夏は蓮の名所であり、わたしもしばしば訪ねるが、小さな境内に膨大な蓮の鉢が並ぶのはまさに壮観。巴水は昭和25年にこの版を起こした。
夕暮れの金堂と池とを描く。

土屋光逸 奈良興福寺 昭和12年。 猿沢の池に雨が降る。75年前も今もここはあまり変わらない。

池田遙邨 けふもいちにち風をあるいてきた 昭和62年。晩年の作だが、全く衰えていない。遙邨が亡くなったのは既に90代に入ったときだったが、それでも当時のニュースでは「急死」扱いだったことを覚えている。
彼の回顧展もすぐに行われたが、そのときのタイトルは「美の旅人」だった。旅をよくし、晩年には山頭火を絵画化した遙邨は死後20年以上を経ても、こうして人々に愛されている。

・風景画の誕生
さわやかな作品が揃っていた。

竹内栖鳳 保津川 川のゴーーーッとした流れがよくわかる。明治21年だからまだまだ若い頃の作品だが、やはりうまい。これを見ていると、保津川下りをしたときの感慨が蘇ってくる。

川合玉堂 小雨の軒 藁葺き民家の上をホトトギスか飛ぶ。小雨に濡れる馬と子守の子らと。叙情性の生きる絵。

不染鉄 山 どーんと山がある。それを彩るのは様々な色の緑と白。細かい描写ではあるが、それでも大胆な画に見える。

8/19まで。

三井版 日本美術デザイン大辞展

三井記念美術館の「三井版 日本美術デザイン大辞展」は、三井の所蔵する作品を軸に「あいうえお」順で集めて見せた楽しい展覧会である。
思えばこうした「アンソロジー」はこれまであまり見なかったように思う。
自分の心の中でこうした分類はしていても、実際にそれが形になることはないので、とても興味深く楽しく眺めた。

ここではたとえば「あ」といえば「赤絵」と「葦手絵」がある。
先のは明代の赤絵花鳥文鉢である。
「日本美術」と言うても完全に日本製のものばかりではなく、南宋や明のものもある。
日本人が愛したものを「日本美術」として列べる。
そこに三井のコレクションの深さをも感じさせられる。
そして後者の「葦手絵」には大正時代に田中親美が拵えた模本の「平家納経」が出てくる。
ごく近代の作品もあるのが嬉しい。

「う」は「雲竜」である。堆黒合子、染付水指、探幽の図がある。
探幽の絵は京都のお寺のもので、かなり大きかった。
にらみを利かせるようで面白い。

「か」で出た応挙の「郭子儀祝賀図」は子供が可愛い。
zen652.jpg

「き」の「雲母摺=きらずり」では光悦謡本が並ぶ。

滅多に見ないのが「け」の「牙彫=げちょう」。日本の職人芸は維新でも死なず、明治から昭和戦前まで活きていたことを知る。
リアリズムのニセモノというのはやっぱり面白い。

「こ」で「こしらえ」というのは何かというと、「太刀拵」「打刀拵」を指していて、「拵え」という言葉がかつてはそれを言うのを改めて思い出す。
ここでは安田靫彦の「九郎義経」が参考に出ていたのも嬉しい。

「す」は「すやりがすみ=すやり霞」とあるが、この用語がわからない。しかし出ている「酒呑童子絵巻」を見れば、絵の上下に流れるものが「すやり霞」だとわかる。
zen653.jpg

知らない言葉も、この「日本美術デザイン大辞展」で教えてもらえるのだ。
なんといういい「辞典」だろうか。

「た」は「誰が袖」。屏風が出ている。素敵な着物がたくさんある。
zen654.jpg

「と」は饕餮。ただしこれは殷周の古代青銅器ではなく、明代の懐古趣味から生まれた花入れ。

「に」は何が出るかなと思ったら、「二十四孝」がキタ。
それがまた雛道具の組盃に描かれているもので、実に精妙にして繊細。大舜のために来たゾウさんたちも楽しそう。

「ら」は「樂焼」。大好きなノンコウの赤樂「ヌエ」がある。可愛くていつ見ても「いいなぁ」と思う。
ほかに「螺鈿」もあるが、鵜飼蒔絵櫛が出ていて、それがなんと三井高福さんの拵えたものだというので、そっちの方にも感心した。旦那芸を越えた美しさがある。

最後は「わ」。「椀・碗」。桃山から江戸初期の黒塗椀と、明代の色絵金欄手茶碗。
ジャパン(漆器)とチャイナ(陶器)で終わり。

こういう展覧会は気軽に見て回れて楽しい。
小中学生むけのワークシートもあり、大人も子供も明るく眺めて回れる内容なのだった。8/26まで。

大出雲展

先週から京都国立博物館で始まった「大出雲展」に行った。
zen648.jpg

古事記1300年・出雲大社大遷宮の記念なのだ。
この展覧会は10/10~11/25東博でも行われる。
出雲は11月を「神無月」ではなく「神在月」と呼ぶ。
この展覧会がある間、京都は「神在月」だと京博は誇る。
それは驕りではない。この展覧会を見て、とても納得した。

出雲神話は非常に深い。
わたしは「古事記」を通じてでしか読み込んでこなかったが、'88年に安彦良和の「ナムジ」に出会ってから、一挙に出雲への関心が沸騰した。
そのことについては別な場でも書いているので割愛するが、現在の日本で「古事記」の魅力を露にしてくれたのは、主に安彦良和氏の一群の作品だと思う。
「ナムジ」その続編「神武」そして野見宿禰らを描いた「蚤の王」。
「古代日本」の不可思議な魅力を描いた作品は他にも諸星大二郎、山岸涼子氏らの大傑作があるが、こと「古事記」に限定すれば、やはり安彦良和氏の作品が高く聳え立つように思えてならない。
ナムジ―大国主 (1) (中公文庫―コミック版)ナムジ―大国主 (1) (中公文庫―コミック版)
(1997/09)
安彦 良和


わたしはこの展覧会へ入る前に「ナムジ」すなわちオオナムチの生涯を描いた作品を思いつつ、あえて再読せず、展示品に対峙した。


zen647.jpg

第一章 神話とは何か 古事記と神話の成り立ち

第一室に入ってすぐ、原田直次郎のスサノオの絵が現れた。オロチ退治のスサノオの絵だが、キャンバスを破っていきなり犬の顔が出るあれ。
私が最初にこの絵を見たのは'93年の「描かれた歴史」展でだった。
決して忘れることのない絵である。
zen651.jpg

そして南北朝時代の写本「古事記」上巻や太安万侶の墓誌が並ぶ。
緑青を吹いた縦長の札には真珠がついているそうだが、わたしにはわからない。
文字だけが見える。養老七年。これが出土したときの感銘が蘇ってくる。

木簡が二つ。「□大津皇」と「舎人親王」と。それを見るだけでドキドキする。
このあたりは長岡良子の古代幻想ロマンシリーズが蘇ってくる。優秀な官僚としての藤原不比等が・・・

日本書紀巻第一がある。「奇稲田姫」表記を見て「紀」を実感する。三島大社蔵。大蛇退治のはなし。
そして本居宣長の朱筆や書入れの入った版本がある。ルビつき。
「古事記伝」でも丁度スサノオとクシナダ姫の話。
「・・・建速須佐之男命 汝命者 所知海原矣事依他・・・」ウナバラヲシラセトコトヨサシタマヒキ・・・「大歓喜此ノ言記中往々ニ見ユ」
正直、字面を見るだけで嬉しくなる。
その宣長の書状がある。出雲の第76代国造の息子で彼の弟子たる千家俊信あてのもの。

「粟鹿大神元記」というものは初めて知った。別バージョンの日本神話。かなりそそられる。いつか読んでみたいが・・・

スサノオとクシナダ姫を描いた絵馬のほか、浮世絵が何点かある。
近松の芝居で「日本振袖始」というのもあるし(わたしは芝翫さんの岩長姫で見た)、それに因んだ豊国の絵や、狩衣のスサノオと十二単の姫を描いた勝川春亭、嘆く父母(水色の衣)と姫(ピンクの衣)の周延などなど・・・
ヤマタノオロチの不気味さは、絵馬のが一番よかった。黒雲の中にもあ~っ。


第二章 神話世界と出雲

埴輪と須恵器と勾玉と弥生土器がたくさん出ている。
以前から思っていたが、須恵器を見るとハンス・コパーの作品を思い出す。
埴輪も出雲のそれは畿内のものとまた違うようにも思う。
たまたまなのか、全てがそうなのか、みんな目がきつい。眦が吊っているように思う。

埴輪は鹿、馬、力士、椅子、男覡などなど。各部復元されたものもあるが、自然な感じ。
男覡だけは赤土ではなく白土だったのには興味が惹かれた。なにか理由があるのだろうか。

瑪瑙の勾玉は橿原考古学研究所のもの。ここのミュージアムショップで、まがいものとはいえ、勾玉のペンダントトップ買ったときは嬉しかった。赤の勾玉。
因みに今日の私は深碧色の服を着ていた。碧玉の勾玉と同じような色。
そういえば私の持つ「古事記」の表紙は碧玉勾玉の写真だった。武田祐吉の訳注。

島根県出土と石川県出土というものを見ると、なるほどオオクニヌシが越のヌナカワヒメのもとへ通ったという神話は確かだったのだろうと思う。
神光照海、加賀の潜戸といった言葉が頭のうちをよぎる。
しかしそのときわたしの見ているヴィジョンは諸星大二郎「孔子暗黒伝」の1シーンなのだが。

第三章 出雲大社の創始

やはりここへ来ると、「神武」の早い段階を思い出す。ナムジと敵対するヤマト政権のものとの対峙。そして以後二度と姿を現さないナムジ。
幼いタケツノミの口惜しい表情が思い浮かぶ。

大きなパネルと長い木切れがあるジオラマがそこに展開されている。
櫂と船棺だという。被葬者の姿は見えないが、再現されたそこは非常に私には恐ろしい場となっていた。島根の猪目洞窟遺跡、というところがこんな状況を見せていたらしい。
写真には小さな祠らしきものもある。

福岡の宗像大社沖津宮祭祀遺跡の出土品たる勾玉・白玉・鉄剣などがあった。
いずれも可愛らしい大きさと形を見せている。

福岡の宗像大社というところを知ったのも、「海の正倉院」を知ったのも、全て「ナムジ」「神武」でだった。
畿内に住むわたしは他の地域の古代を知らなすぎた。
わたしは「ナムジ」からそれらを辿っていったのだ。

鈴がある。ドラえもんが首に下げるのと同じ形の鈴である。この形の鈴はアジアの鈴なのだ。欧州のベルと鈴とは違う。鈴が何に使われたのか、用途は様々に浮かぶが、鈴が発掘された、そのこと自体を面白く思う。

中央室へ向かう。
ここは特別なものを展示する場である。
かつて「スターウォーズ」展をしたときには、アナキンの乗った実物大のポットが展示されていて、強い喜びに打たれたものだ。
瑞雲を描いた壁面に囲まれた狭い道を通り抜けると、そこにオオクニヌシを祀る巨大神殿の復元模型があった。
この存在は知っていた。
'90年代初頭、INAXギャラリーで「階段物語」展を見たとき、模型写真が出ていたのだ。
しかしこれほど大きな模型とは知らなかった。
ここだけは写真撮影可能なのでパチパチ撮ったが、一体どんな大きさのものが古代に創建されたのだろうか。
SH3B13390001.jpg

平安時代「雲太・和二・京三」と巨大建物を列べて書いた人がいたそうだ。
雲太が出雲大社で一番、和二は東大寺の大仏殿で二位、三位が平安京の大極殿という列び。
そして2000年に発見された「宇豆柱」も展示されている。
写真は巫女さんがそれを拝むところ。

この巨大な「出雲大社」を拵えてもらう替わりに国を譲った、のか・・・いや、国を譲るからこそのことか。


第四章 出雲の青銅器祭祀

加茂岩倉遺跡の出土状況のパネルと模型がある。
銅鐸が向き合う入れ子状態で埋められていた。

袈裟襷文銅鐸・流水文銅鐸が十数個あった。
展示では大小を前後に並べているばかりで、「ここでこれだと東博ではどんなにか」と楽しい想像をしてたのだが、後にショップでこの絵はがきを見て絶句した。
この集まりよう・・・zen649.jpg
緑青を吹いた銅鐸の集合をみて、まるで無縁墓の集合のように見えたのだった。

1984年に荒神谷遺跡から358本もの銅剣がみつかったときの興奮はわたしも忘れられない。あのときは本当にびっくりした。
今回42本が木箱に納められて展示されていた。
そしてこの画像。これは情報誌でみつけたものだが、とてもモダンでかっこいい配置だと思った。
zen646.jpg

古代中国の青銅器ばかり偏愛しているが、わが国黎明期の青銅器にも愛を注ぐことを忘れてはいけない。


第五章 出雲の神と仏

神の世界へ仏が参入し始めた。
律令制度の整い始めた天平年間から平安・鎌倉までの神仏像と、それ以後の時代の資料などがある。

ハンサムな平安時代の観音や少し古風な飛鳥の観音が目を引くが、蒙古調伏のための十一面観音がまた美しいのにも惹かれた。
一方、にっこり笑う摩多羅神や、怖い顔の牛頭天王座像、不思議な表情の男神座像には、避けたいような凝視していたいような説明のつかない面白さがある。
特にこの男神座像については解説がまた興味深かった。
三井寺の新羅明神にも通じる異形性、という言葉にあの神像の異様なかんばせが蘇ってくる・・・

第六章 出雲の神宝

工芸品の美しさを堪能した。
特に島根の北島家に伝わる数々の宝には感嘆するばかりになった。
足利義政からの拝領品、などがあるのもすばらしい。

舞楽図屏風も同時に演じることのない演目をともに描いているのが楽しい。
zen650.jpg
前に宗達のを見たが、こちらは狩野安成の絵。

人麻呂像は探幽の手によるものだが、この人麻呂は脇息にもたれてうつむいている。

ほかに土佐光起の三十六歌仙図が新出資料として出ている。業平も小町も綺麗で、赤人は赤衣というのも面白かった。

かなり面白い展覧会で、21日から後期展示になるというが、見応えのあるいい内容だった。

京都国立近代美術館の夏のコレクション

「katagami」展の感想は三菱で挙げたので今回はパスして、今日は常設展。

にゃんこ三匹。
SH3B13410001.jpg

SH3B13420001.jpg

SH3B13440001.jpg

上からフジタの裸婦の横にいるキジさん。
真ん中は千種掃雲の「木陰」でくつろぐ白に黒のついた猫。
下も千種ので「南国」住まいの黒猫。

みんなそれぞれ迫力がありかわいいなあ~~~!!

真ん中はここだけ見たら写真風だけど、全体の絵はこんな感じ。
SH3B13430001.jpg

暑いので涼しいものが見たい。
蓮池へ行こう、とばかりに菊池契月「蓮華」屏風。
SH3B13450001.jpg

中国の蓮池を楽しむ二人の女人。
SH3B13460001.jpg

ああ、妖艶・・・
この20年後には清涼な日本婦人と朝顔をを描いた「朝爽」があるが、大正時代の契月は妖艶な絵が多かったのだ。

池田洛中「公園夏日」は大好きな作品。1933年。モガのいた時代。
百日紅が綺麗。
SH3B13470001.jpg

暑いけれど楽しそう。SH3B13480001.jpg


小倉遊亀さんもこんな少女を描いていたのだ。「虫かご」可愛い・・・
SH3B13490001.jpg

他にも清涼さのある夏の絵がいろいろ。
SH3B13500001.jpg

長谷川潔の初期の頃の木版画がかなり好き。
SH3B13510001.jpg

同時代の薄い彩色のものも好き。
SH3B13520001.jpg

マニエール・ノワールの復活はエライと思うが、趣味はこっち向き。


洋画のモガたち色々。SH3B13530001.jpg

写メでとったのでブレてしまったが、楽しかったので、それでヨシにしよう~~♪
この展示は8/26まで。

絵が歌いだすワンダーランド コドモノクニへようこそ

多摩美術大学美術館の「絵が歌いだすワンダーランド コドモノクニへようこそ」展に行った。
zen641-2.jpg

とにかく大正から戦前の雑誌文化が好きで仕方ない。
コドモノクニ、少年倶楽部、少女倶楽部、令女界、キング、文藝倶楽部・・・
いつから好きになったのかはもぉわからない。
少なくとも小学生の時にはそれらへの関心があった。

zen643-1.jpg

昭和50年代半ばには、その半世紀前の児童向け読み物や挿絵に、既にときめいていた。
丁度少年マガジンで藤子不二雄「少年時代」の連載が始まり、その中で「豹の眼」「少年探偵団」などのタイトルを知ったように思う。
尤も「少年探偵団」はポプラ社の全集が、日本中のどの小学校にも設置されている、と言う事情があったが。
また、ごく小さい頃から今も手元にある童心社「おはなし、だいすき」には、当時現役の画家たちの挿絵と、戦前の黄金期に生まれた幼年童話が掲載されていて、幼稚園へ行く前からその本が大好きだったことが、わたしの基礎にあると思う。
zen643.jpg

やがて1990年の「子どもの本1920年代」展を見て、一挙に沸騰してしまった。
そして近年、横須賀美術館でもコドモノクニの回顧展があった。
そのときの感想はこちら
他にも多くの展覧会を見てきたことが、私の喜びの源に活きている。

zen644.jpg

コドモノクニには実に多彩な作家たちの活躍があった。
絵のほうでは武井武雄を筆頭に岡本帰一、本田庄太郎、初山滋、川上四郎、竹久夢二・・・
そして恩地孝四郎、古賀春江、東山新吉(魁夷)らもここで活躍した。
魁夷は自分が童画を描いていたことを隠そうとしたが、わたしは彼の童画が好きだし、後の日本を代表するような作家になってからも好きな作品が多いが、その隠そうとした心根だけは好まない。
方向性は違うが、彼の先達たる鏑木清方は生涯にわたって自分が挿絵画家出身であったことを誇りにし、それで侮られるようなことは「なかった」のだ。
魁夷もファンタジックな作品を解説するときにでも、「若い頃に子どもの皆さんのために描いていたことがここで結実した」くらい言えばよかったのだ。
zen642.jpg

さて、会場では「コドモノクニ」の表紙がずらーーーっと並んでいた。さらにページが開かれ、素敵な童話と童画、あるいは童謡と童画の組み合わせがそこらじゅうにあふれていた。
一つ一つ見て回るこの楽しさ、この喜びをどう伝えればよいのか。
楽しくて仕方ない。

zen641-1.jpg

そして童謡の音声が流れ、その絵が壁に写されていた。
たとえば「あの町この町」。
「あの町この町」の唄は正月の宵だったのだ。洋装の少女が羽子板を抱えながら、行過ぎる人々を見ている。少女だけは彩色も鮮やかだが、ほかの人々はみなシルエットだった。
そして日の丸が静かに並んでいる・・・
せつなさと懐かしさの入り混じる感情が湧き出してくる。

「ウサギのダンス」の歌詞の草稿と絵などがある。
♪タラッタラッタラッタ ウサギのダンス・・・
今もすぐに口をついて出るが、この続きを知らないままだった。
zen641-3.jpg

昭和13年まで武井武雄のサインはRRRだった。ルイ・ド・ラムラム(ラムラム王)の略。
絵を見るときいつもRRRのサインを探す癖があるわたしには、嬉しい時代。
本田庄太郎の愛らしい絵も大好きだ。
ふと見ると、解説に「平明な絵が云々」とある。
そうか、わたしは平明な絵が好きなのか、と改めて知る。

zen641.jpg

それにしてもどこを見てもどれを見ても楽しくてならない。
せつないような哀しいような物語がある一方で、カラッとしたドライさもある。
ファンタジックな物語とリアルな情報もの(教養もの)。
どちらをも大事にして、一つの雑誌に掲載する。
編集者の志の高さに改めて感心し、かつてこんな時代を持っていたことをうらやましくも誇りにも思う。

zen642-1.jpg

リストはちょっとわかりにくかった。というより、リストに載せる以上の作品数があり、いちいち照合できなかった。
特別好きな作品もあれば、初見のものもある。
忘れていたものもあれば、あまり好きではないものもある。
しかしいずれもこうして集まっているのを見れば、それだけで嬉しい。
自分もまたこの黄金時代に生きていた気がするのだ。

細かいことはいう必要もない。楽しかった気持ち、それだけが大事だ・・・
ああ、わたしは久しぶりに「ラムラム王」の世界に入り込みたくなってきた。

zen642-2.jpg

そういえば以前から思っていることだが、大正モダニズムを過ごした人々・・・武井武雄、宮沢賢治、石川淳に到るまで・・・
みんな、ちょっとばかりトボケたユーモアがある、と思う。

最後に村山知義の「ぼくとトム」の映像が流れていた。「ぼく」と犬の「トム」との幸せな時間。わたしは村山知義は何よりも「童画家・TOMさん」として愛している。

9/2まで。とても幸せな時間をすごせたことを感謝したい。 

朝鮮の美術 祈りと自然

大和文華館の展覧会は基本的に所蔵品の展示である。
しかし初代館長矢代幸雄の眼の素晴らしさ・母体の近鉄の文化力の高さ、そして後に続く人々の努力が、その所蔵品のクオリティを常に非常に高いものにしている。
だから同じ作品を展示し続けていても、目的を変え、配置を変え、意図を明確にすれば、やはり何度でも見に行く観客がいる、ということになる。
わたしなども学園前はちょっと遠いのだが、「次はこれか」と予定表を見ながら行く算段をし、大まかなことだけ押さえておいて、あとは会場で楽しもう、と出かけるのだ。
同じものを見ていても「おお、こんにちは」「ああ、久しぶり」と心の中で作品に呼びかけると、それだけで楽しくなる。

「朝鮮の美術 祈りと自然」
zen640.jpg

最初に三つのガラスケースが眼に入る。
左から右へ眼を向ける。
高麗時代の三つの名品が居並んでいる。かれらがわたしたちを出迎えてくれるのだ。

銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶 
青磁象嵌葦芦水禽文陶板 
青磁九龍浄瓶

浄瓶の柳に水禽は前後により季節と植物の種類が違う。
zen638-1.jpg zen639.jpg

以前から見てはいたが、今回はその黒の中の美しい刻みを丹念に味わえた。
現実の鳥はニガテなのだが、観念の鳥への愛情は深い。口蓋は菊柄。
zen638.jpg

次の陶板は大阪市立東洋陶磁美術館蔵の名品で、わたしがこの世で最も愛する高麗青磁の名品である。
白い鳥たちの楽しげな様子、そして柳の下の白は梅または水のきらめきだと解説にあるが、実際その通りだと思う。この陶板を見るたびに豊かな心持になり、ふだんのざわめきが消え、わたしは静かな人になる。
mir303.jpg

三つ目の九龍は改めて眺めると、首の鱗とその周辺の貫入に惹かれた。これまで気づかなかった美がそこにある。思えば龍頭の形容ばかりを見ていたので、細部の美しさに気づいていなかった。これは全く新しい発見なのだ、わたしのなかでは。とても嬉しい。


〔信仰:祈りの世界〕
印花文骨壺 統一新羅時代に生まれたこの骨壷には可愛いスタンプがペタペタある。
いずれもどこかで渦を巻いていたり、うねっていたりする。可愛い柄で飾られた骨壷。

何点か金銅如来立像がある。短躯でしかし襞なども細かく作られている。新羅佛。
一方、高麗の石造如来坐像は滑石で出来たゆったりしたものだった。

柄のくっきりした瓦などがあるが、中でも飛天をモティーフにしたものはよかった。
風に乗り舞い舞いする天女の様子が美しい。
また唐草文の平瓦も繊細なこしらえだった。

古新羅の刀の柄頭がいくつかある。だいぶ前に藤ノ木古墳で発掘されたものと似ているようにも思う。古代の日本・朝鮮・中国の距離と言うものを考える。

金銅製舎利容器は統一新羅時代のものでセットものだった。中でもガラス瓶が可愛い。
いずれもミニチュアのお道具のようで賞玩したくなる。

銀製層塔形舎利容器及び金製内容器 奈良博の塔型舎利器も小さくて可愛らしい。

そして高麗の金銅厨子は扉から金剛力士が飛びだしてきそうな迫力がある。中は仏ラッシュ。ぎっしり。

高麗~朝鮮中期の仏画を見る。
五百羅漢図 イチローに似ている。「晦渋な表情」とあるので、そうなのか、とも思う。
大方広仏華厳経 いつ見ても煌びやかな紺紙金泥。仏の優しい笑顔がいい。
楊柳観音図 高麗後期の丸顔の観音。下方にいる赤ん坊は善財童子。暗いが色は綺麗。
大和文華館の「中国・朝鮮美術」11年3月に見ている。

阿弥陀八大菩薩図 高麗後期 カメラ目線の仏たち。モデル立ちしている。CA風。
阿弥陀八大菩薩図 朝鮮中期 こちらはまた大きくどーんときている。麻布だが壁画風。
仏画断片 16世紀のものだというが、西域の仏画を思わせるような彩色と顔立ち。面白い。


〔自然に見出された美〕
冠岳夕嵐図(鄭敾筆、朝鮮時代) 遠目にも目立つ絵。真景図。ソウル八景の一。薄水色で描かれている。18世紀にこの様式が流行ったのか、この画家だけのものなのか。右奥に小さく帆舟が見えるのが可愛い。

群鹿図 朝鮮中期 林にあふれるシカ達。バンビもいる。霊芝も生えた森。黒は玄鹿、白は白鹿とそれぞれ霊力のあるめでたいシカ。角突合せる鹿もいて、ディアディアしている。

可愛らしい工芸品を見る。

螺鈿菊唐草文小箱 高麗末期~朝鮮初期 近年になり大和文華館が購入した小箱。本当に小さくて可愛らしい。
12080101.jpg

螺鈿唐草文箱 こちらは大柄な分、奔放な感じがある。とても綺麗。

華角貼裁衣尺 朝鮮末期というから近代に生まれたもの。高麗美術館で華角のよいものをたくさん見て以来、とても好きになった。世界で朝鮮にしか生まれなかった技能。素晴らしい。これはお裁縫用の尺なのだが、梅・牡丹・菊・椿を一つの場に並べ、次に細かい区切りで、牡丹・蝶・と続く。とても可愛らしい。

高麗青磁のよいものを見る。

青磁象嵌水禽文細口瓶 この鶴首がまたいい。すぅっと伸びた後に球胴。高麗特有の形式。
青磁陰刻柳鳥文合子 薄い。この薄さが凄い。
青磁鉄絵孔雀牡丹文梅瓶 おおらかな筆致で、民画風にも見えるが、ソ連の絵本にも似ている。
青磁「尚薬局」銘合子 しっとりした佳い色。以前から好きなもの。
青磁人物型水滴 むかし、萬野コレクションにも人物型水滴があり、それが篠山紀信の手で萬野山荘の水の流れの上に設置されて、撮影されていた。
見るこちらも心地よかったが、この水滴がまたとても気持ちよさそうだった。
いま、ここにあるこの人物型水滴にも、どこかかれにふさわしい地で、そんな気持ちよさを味わわせてあげたい。

黒釉葫芦瓶 高麗時代に生まれたこの瓶は正木、東洋陶磁美術館にそれぞれ兄弟がいるらしい。あまり気をつけてみていなかった・・・

李朝になる。白磁の美しいものを見る。

三島が出てきたが、こちらはちょっとニガテ。
しかし三匹の魚の絵柄のついたものは面白かった。

白磁青花透彫蕉葉文筆筒 巧い拵えで、芭蕉だけが青々している。
青花透彫花文筆筒 これが実に素敵で、ほしくて仕方ない。花も枠も青白く、葉だけが青い。梅かスモモからしいが、可愛くてどうにもならない。ああ、欲しい・・・!

白磁梅瓶 マーブル。

粉青双耳盃 ギザ耳。からくりの歯車のよう。可愛い。祭祀用だったらしい。

鉄砂青花葡萄文大壷 浅川兄の所蔵品だったらしい。うっすらセピア色で青花は見えない。

青花山水文碗 ミニ丼。沙鉢(サバル)というそう。

絵を見る。

芸苑合珍書画冊 秦再奚ほか 朝鮮後期の画帳。薄いフルカラー。豆彩風な。しかし清朝のそれとはまた違う。

孟浩然の故事を描いた「灞橋尋梅図」は今年四月の「花の美術」展でも見た。
そして5年前の「梅と桜 清澄と爛漫」でもみたが、やはり新しい心持で対している。

葡萄図 李継祜 墨の濃淡で葡萄の実の熟し方を描く。なにやら艶かしくもある。

見慣れたもの・懐かしいものも、全ては見せ方一つで新しい歓びになる。
8/12まで。

八月の予定と前月の記録

早くも8月~

今回はまぁおとなしく・・・予定です。
おもしろびじゅつワンダーランド サントリー美術館 8/8~9/2
やきものに親しむⅨ 東洋の白いやきもの ―純なる世界 併設:仙厓 出光美術館8/4~10/21
青山杉雨の眼と書 書の巨星と中国書画コレクション/中国山水画の20世紀 中国美術館名品選 東京国立博物館~8/26
二条城展  江戸東京博物館~9/23
美術館で旅行!―東海道からパリまで― 山種美術館~9/23
生誕100年 船田玉樹展 練馬区立美術館~9/9
ドビュッシー 、音楽と美術 ―印象派と象徴派のあいだで ブリヂストン美術館~10/14
近代日本洋画の魅惑の女性像―モネ・印象派旗挙げの前後― 泉屋分館~9/23
奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 展/夢二の恋と関東大震災をめぐって 弥生美術館~9/30
バーン=ジョーンズ展― 装飾と象徴 ―  三菱一号館~8/19
どうぶつ大行進~江戸時代から現代、美術のなかの動物たち~ 千葉市美術館~9/2
楽器は語る-紀州藩主徳川治宝と君子の楽- 国立歴史民俗博物館~9/2
ホテルオークラアートコレクション展8/3~8/26
杉浦茂とと?展 森下文化センター~9/2
明治~昭和初期の東京の絵葉書 豊島区民センター~8/12 
ウルトラマン・アート 埼玉近代美術館~9/2
ブラティスラヴァ世界絵本原画展 うらわ美術館~9/2
明清の美術 爛熟の中国文化 大和文華館 8/18~9/30
近代の芦屋―芦屋モダニズム文化―/中世・近世の芦屋―伊勢物語への憧憬と絢爛な文化― 芦屋市立美術博物館 8/4~9/23
古事記1300年・出雲大社大遷宮 「大出雲展」 京都国立博物館~9/9
橋本コレクション 中国書画 大阪市立美術館~9/2
正木コレクションを楽しむ 正木美術館~8/12
阪神・別府航路開設100年記念「別府へ」 なにわの海の時空館~9/2
江戸時代のペーパークラフト-入江コレクションの組上絵- 兵庫県立歴史博物館~9/23
鉄道絵葉書の世界 天理参考館~8/12
高麗青磁の精華 心にしみ入る「翡色」の輝き 高麗美術館~9/2
第五回内国勧業博覧会と企業家達 明治最大の博覧会・大大阪時代への起爆剤 大阪企業家ミュージアム~8/31
大同生命創業110周年記念特別展示~9/28
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア