美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

ハノイをハイカイ その2

二日目。中華料理「桃李」で朝食ビュフェ。フォーがとてもおいしい。
スイカジュースもドラゴンフルーツも大好き。
シンガポールでもそうだが、南国フルーツが好きなので喜んではぐはぐ。
卵料理はリクエスト式。トマトとチーズとハムのオムレツ。チーズとトマトだけでもいい。

ベトナム半日観光をオプションでつけてたので、8時半にはお迎えがある。
ベトナムの好青年。日本語はまだまだだけど親切で誠実そうなのがよみとれる。
マスクをもらう。助かるなあ。

幼稚園の前を行くが、子供向けのどうぶつ絵が可愛い。
塀のモザイク壁画もいいが、これでギネスを目指しているらしい。
路面のレンガの刻印。IMGP0654.jpg

植民地時代に建てられた西洋建築が林立する。それら全てが美しく、そしてそれら全てが汚れている。
亜熱帯の木々が影をつくる。日除けになるがしかし日は強い。雨の予報はあっても雨は降らない。
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途中で見かけた中華風邸宅の塀。IMGP0655.jpg

1076年にベトナム最初の大学として開設された「文廟」へ行く。
中には孔子を祀った「奎文閣」がある。
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中国の影響下にあったので、非常に中華的な瓦屋根でそれがまた綺麗。
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盆栽と花文字が素敵。IMGP0673.jpg IMGP0682.jpg

中には科挙の合格者の石碑。亀の上の碑。上野碑と字が出たが、それだと「花上野誉碑」ですな~~
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踏み石ひとつにしてもお獅子がついてたりする。可愛いのう。
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こいつもカワイイ。IMGP0678.jpg

キッチュな彩色の作り物があるところがさすが。
不思議な盆栽は確かホンノンボとかいうはず。
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前に本の宣伝で見たが、確かにちょっとというかかなり日本のそれとは違う。
しかし盆栽に宇宙観を織り込むところは似ているかもしれない。
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主に道教の宇宙観が入り込んでいる、らしい…

旧市街地へ。昨夜の水上人形劇の近くでいったん下車して歩く。
歩くのが怖いような車とバイクの洪水。
徒歩スピードが通常の1/7くらいに落ちている。

マリンタクシーという緑色のがボラなくていいそうな。
そんな知識をガイド青年は与えてくれる。
レーニン像の前を越えて、そこで初めてここが共産国だということを実感する。

ホーチミン廟に行く。
わたしはホーチミンの遺体が保存されているのを小学生の頃から見たいと思っていたのだが、まことに無念なことに現在工事中で、とうとう中に入れなかった。
とはいえまたハノイに来れるかというと、そんなのは無理なので仕方ない。
大理石のホーチミン廟を遠目に見る。IMGP0660.jpg

夜はライトアップされるらしいので、それを楽しみにしよう。
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こちらは大統領府だったっけ。IMGP0668.jpg
もう忘れている。どうも違う気もするがまぁいいや。

ハノイは花が多いので、蝶もとても多い。それを見るだけでもよかった。
大理石の廟を遠目にしつつ、花を見て歩く。
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次に一柱寺に行く。IMGP0663.jpg

千年の歴史があるそうだが、本体を支える柱は作り直されすぎていて、あまり面白くはない。
周辺の装飾は当然ながら中国文化の影響を受けている。
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あとで知ったことだが、1954年にフランス軍は何を思ったか、これを爆破して去って行ったらしい。
腹いせだとしてもやることがひどい。
ただし翌年にはベトナム人の手でこの建物は再建されている。
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ホアンキムエ湖の玉山祠に入る。ここもキッチュで面白い。
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だいたい中国文化の影響を受けたのが現地化すると、また妙に面白味が増すのだよな。
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ねこ発見!IMGP0689.jpg

池の南の半ばに浮かぶ「亀の塔」はロングすぎて撮れず、次回を待つ。
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それにしても申し訳ないことに、孔子廟とこことがアタマの中で混ざり合ってる。
写真が間違っててもカンニンしてください。

ガイドさんは土産物屋につれて行こうとしないひとで、何も買っていないまま。
それが今回は何でもあるビルに入る。しかしあくまでもただの見物で、買うことはしないというか出来ない状況に。
あまりに凄まじい大・活・活況で、何がなんだかわからなくなったのだ。
いや実際この無秩序と大混乱は一体何なんだろうか。
買うことはおろか手にとって商品を眺めることさえ出来なかった。
完全なる敗北以前の問題、相手にさえしてもらえなかった感じ。参ったな~
市場の名前も覚えられなかったのは、その凄まじさに負けたからか。

車窓から見えたカテドラル。IMGP0695.jpg
ここへも後日行くのさ。

ベトナム料理のランチへ。青磁のお皿がきれい。IMGP0699.jpg
本当はこういうのを見たいし買ったりしたかったのだが、全く無縁なのでせめて写真だけでも。

ここのフォーはだめだったが、魚なのか鳥なのかわからないものが飴煮になったのがおいしい。
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ほかにもトマトとトウフのスープが出たが、そのトウフのおいしさにびっくりした。
近年こんなにおいしいトウフは食べてない。
近所にほしいようなトウフ。

店屋はけっこう綺麗な作りだった。IMGP0698.jpg

壁にはベトナム人の画家の作品。たぶんカラーを描いている。ちょっと未来派風で素敵。
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通路には小さな水の流れもある。IMGP0696.jpg

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一旦ホテルに戻る。そこでオプションは終わり。
ありがとう、ガイド青年。

ここまでが二日目の前半。

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ハノイをハイカイ その1

長らく待ち望んでいたベトナムハノイへの旅が始まった。
ところがわたしは飛行機が怖いので、行く数日前から重い憂鬱が広がり続けてきて、とうとうノイローゼ寸前になった。
つくづくアカン子のマリモ。
古いギャグが言えるだけマシかと思うが、実際には色々大変だった。
近年には東京にも新幹線で往来するようになったが、以前は飛行機だったから毎回神経が飛行高度より高く飛んでいた。
参った。
しかしベトナム行きはわたしが言い出したのだ。
今更やめましょう!とは言えない。
荷物の支度も特に何もせず夏物衣料を引っ張りだして、東京ハイカイの中身共々ガワが強いゴロゴロに入れ替える。中はスカスカ。
同行はシンガポール以来三年ぶりの20歳ほど年長の奥さん。彼女はとても旅慣れしている。

ベトナム航空の機体はエアバスで3x3の席。私は必ず通路よりに座る。同行の奥さんは真ん中席だが「態度が大きいのでラクよ」と笑う。うむ、確かにその通り。
6時間ほど乗ったと思う。機内食は変わったクリームスパと生ハム風なベーコンのサラダがよくわからない味で、パンとリンツァートルテはおいしい。
3年ぶりの海外なので英語も思い出せない。
日本語にもイマイチ自信がないのに英語もベトナム語もフランス語もサッパリで、よく出かけるぜ。

写真家・増田彰久さんの「建築のハノイ」本に触発されてのハノイツアーだが、丁度来月某社から増田さんを先生にしたツアーがあるので、それもモデルにしての「気ままにハノイ」5日間なのである。
フリープランなので現地ガイドに多少お願いする以外は、ほぼ全て自分らでなんとかしないといけないのだ。

機内では基本的にクラシックを聴く。アルビノーニのアダージョやドビュッシーの夢などが聞こえる。
完全に聴くのではなく聞こえるという程度の高さでいい。
建築のハノイ―ベトナムに誕生したパリ建築のハノイ―ベトナムに誕生したパリ
(2006/04)
増田 彰久、大田 省一 他




ハノイが見えてきた。
川と緑が多い。亜熱帯で稲作地帯。日本よりマイナス2時間。ロストラゲージにもならず安堵。
石原裕次郎の若い頃に似た係官に「サイトシーイング」とか「フィフスデイズ」とか答えながらベトナムの地に立つ。出迎えの若いお兄さんはショウバイ抜きのニコニコ顔で、いい感じ。

1時間ほど高速に乗るが、窓の外には植民地時代の建物が多く残り、それらが全てアジア化しているのが興味深い。
「アジアにおける西洋文化の受容とその変容」を関心事の一つにしているので、非常に面白いのだが、一方でその佇まいにはある種の無惨さをも感じる。
つまり西洋文化の名残が残っているがために、かえって剥落や汚れが目立ちすぎるということだ。
そしてそれを受容している、というよりも無関心であることに多少の衝撃を受ける。

農耕風景がみえる。牛がよく働く。東南アジアでは牛は非常に大事な働き手である。
ヤシと廃屋と新築ビルディングとが遠くになる。
やがて市街地に入る。植民地時代のではない古民家は赤い屋根瓦を乗せている。これは中国文化の影響。

△の竹笠をかぶる人々が見えてきた。
ベトナム戦争の頃に出た絵本「ベトナムのダーちゃん」の表紙絵を思い出す。
△の竹笠の人々は天秤棒を担いで物売りをしたり、座って店を開いている。
活気がある。しかしこの車とバイクの洪水はなんなんだ。
町は商売ごとの通りに分かれている。
靴は靴、額縁は額縁、服は服。
しかし歩道という物があるのか。歩く人はいるし座り込んで商売する人も多いが、なんなんだろう。
額縁屋の多さに感心する。しかも自作の絵を描いてそこに嵌める人もいる。
ベトナム人は絵を描くのが好きなのか。

湖が多い。大きな船が見える。レストランらしい。公園は人が多い。楽しそうだが、そこへ行く道が見えない。
あまりに車とバイクがあふれすぎている。
エコということをそろそろこの国も考えなければならないのではないか。

ホテルニッコーハノイ。河内大酒店。わたしらは日系ホテルでないと無理。
今回は今から人形劇+フレンチ夕食のオプションと、明日の半日観光を頼んでいる。
とりあえず五千円を換金すると1255000ドン。
デノミしてくれ~。全てホーチミンの肖像画入り札。
ホテルのロビーにはガラス越しにカラーが群生していて、蛾が飛んでいた。
蛾をガラス越しに見ると、蝶の舌同様クルクルとコイル状なのがよくわかる。


ガイドさんの出迎えでまず夕食へ行く。
ベトナムフレンチ。非常においしい。
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サラダがエビに薄切り人参に型押し切りポテトなどで大量。
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パンプキンスープの表面には可愛い花柄が。バリスタの仕事ですな~
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メインは魚か肉かなので、奥さんが魚わたしが肉にして半分こした。
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本当はマナー違反だけどまぁエエやん。
魚の方がおいしかったな。最後にベルギーチョコムース。
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今までいろんなフレンチレストランに行ったが、ここは近ければ愛用したいと思った。


水上人形劇にゆく。IMGP0649.jpg

丁度先日堺でアジアの人形劇を集めた企画展を見たところなので、ちょっと勉強したことになるかな。
非常に楽しみにしていた。
ずいぶん前にINAXギャラリーで音声のない映像を見たが、そのときは特に何とも思わなかったのだが、実物は全く違う。撮影は1$なのでやめたが、払えばよかったかも。
いや撮影すればライブ感が失われて楽しめなくなるか。
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芝居好きな奥さんがいう。「本水使用で御簾実演に生演奏ね」うむ、その通り。三人のお姉さんが二胡や琴やササラなどを演奏し、舞台説明をする。ベトナム語なのでさっぱりわからない。しかし上部に英語の説明スーパーがでる。
四角いプールの上で松に彩色を施した人形たちがすばらしい動きを見せ、物語や状況はわからずとも、非常に楽しめる。
満員御礼なのも大人気なのもチケット売り切れが多発するのも納得。
娯楽としても芸術としても非常に楽しめる。
何本かの演目がある。
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水しぶきと雷鳴が轟き、水上に龍と鳳凰とが現れ、戦うのか和合するのかわからない動きを見せた後、百の卵が生まれる。(ベトナムの創世神話にちなむ)そしていきなり百人の子供が現れるっ!!
この子供らの戯れが可愛いのなんの!!人形それぞれが個性も違って動きも変わって、実に楽しげに跳ね回る。
ものすごいテクニック。そこへ御簾音楽で尺八らしき音色がビィンビィンと響く。
また違う演目が始まり、今度はバンブーパインとか言う尺八らしき笛を吹く男が現れ、傘を差した美人たちに聴かせると、中の一人が男と仲良くなる。
そういえば尺八演奏で女をひっかける、というのは中上健次「千年の愉楽」にもあるエピソードだった。
次には蓮の花を持つ美人人形たちが続々と現れる。
優美な動きを見せる。
それにしてもうまい。千年の技芸は戦乱の中にあっても廃れなかったのだ。よかった。
ほかに片足を上げる伝統踊りのようなのがあったが、それや猟はよくわからない。
また木琴らしきものを演奏する人形たちが現れ、先に出ていた人形たちも再度現れると、客席から手拍子が起こる。
わたしもシャンシャン手拍子を送る。
いよいよフィナーレが近づいてきたが、どんな技能でこんなことが出来るのか、ただただ感心するばかり。
御簾の内から演者たちも現れ、人形も動きが楽しさを増し、お姉さんたちは光る蓮を手に手に踊る。
きれいで明るくて、とても楽しい。
レビューショウとして最高に面白かった。
本当によかった。

興奮を残したまま車に乗ると、窓の外から見えた素敵な窓がある。
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アールヌーヴォーとアールデコとが混在してもいる。

ホテルではジムとサウナでくつろぐ。
サウナはそんなに暑くはない。ホテルの前には動物サーカスがあるが、それに行くのは無理だろう。

ホテルの窓から見える風景。
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科挙について奥さんと話す。中国で生まれた科挙制度はベトナムにも渡り、ここでも大変な労苦があったのだが、何故日本にその科挙制度が根付かなかったか、と問う奥さんに対し、わたしは自説を延々と述べる。
つまり中国文化の影響下にあった古代日本ではあるが、政府は血縁社会であることを選んだため、実力登用の機会である科挙を敬遠した・・・
ある程度は正しいような気がすることをしゃべる。
初日はここまで。

京近美の常設をみて

先日、京都国立近代美術館の常設を見た。
特別展が高橋由一なのに対抗して、同時期の京の洋画家・田村宗立を特集展示している。

田村の作品は時折ここで見ているものもあるので、目が開かされたというようなことは少ないものの、改めて彼が明治初期の京都洋画壇で活躍した意義について考えてみた。
従来の日本画からの脱皮、西洋の完全な模倣でない、日本の洋画への道…
田村は曲がりくねった道を歩きつつも、後進に手にした提灯ならぬランプの灯りを振って進んだのだが、惜しいことになくなった。
今ではそれこそここで見る以外、どこでみることもない。かれは誰もが知る画家ではなかった。残念である。

不思議な絵もある。SH3B14900001.jpg
地獄の鬼の休日。

いちばん展示の多いのは京都府立駆黴院図ではなかろうか。
建築パース図のようで妙に心惹かれる。

ポスターになった「洋童図」は不気味さあふれる明治の洋画である
こういうものに漂う「妙な空気」はいったい何なんだろうか…

さて常設の日本画では魚類が活躍していた。
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栖鳳のお魚。さすがに川魚料理屋の息子だけに実においしそうに描いている。主題は海老らしい。

他にもおいしそうなのがいくつもある。

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西村五雲の「山の幸海の幸」には独活、コナス、鮎がある。見ただけでヨダレが湧く。
新見虚舟「鮒」の丸々したのもいい。SH3B14840001.jpg

徳岡神泉が静謐で神秘的な画風に行く前の、おいしそうな海老もいいが、都路華香の「水底游魚」にはまさに「ギョッ」として「うおっ」となった。
ううむううむううむ。

魚類から離れて、デロリが二点。
甲斐庄楠音「娘子」と稲垣仲静「太夫」。どちらも暗がりで出会うと、それこそ「ギョッ」とする。

工芸品では河井の草花図皿がよかった。
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そしてわたしの大好きな楠部弥弌の桔梗を意匠化した彩埏新秋花瓶があった。
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弥弌は特にこの様式の作風がとても好きだ。

蒔絵や螺鈿のきらきらする筐をみる。
浅井忠の図案で神坂祐吉(雪佳の実弟)の拵えた「月象之図 硯付手箱」。
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象はゾウさんではなく「かたどる」の象。お月様の杵突き兎。

松田権六の蒔絵箱「赤とんぼ」も秋にいい。SH3B14870001.jpg

常設の底力がとても快い。

石村亭ふたたび

五月の末に下鴨神社近くの石村亭へ行った時のことは、二つの記事にあげている。
石村亭(潺湲亭) 谷崎潤一郎の愛した家。
石村亭(潺湲亭)の庭園

どちらの記事にも温かいお言葉をいただいて、とても嬉しかった。
さて、それから4ヵ月半ほど経ったある日、わたしはふたたびこの石村亭へおじゃました。
秋の彩りはまだ先のことだが、晴れた日特有の美しい色調をここで楽しめた。

同じ位置からの撮影が多いが、挙げてみたい。
説明はなしに純粋に写真だけをあげる。すべてクリックすると多少大きくなる。

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秋の美も雪の美もいつか堪能させていただきたい。

大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱

ニューオータニ美術館で小村雪岱の展覧会が開かれている。
近年はしばしば雪岱の展覧会も開かれるようになり、資料もよく集まるようになったが、'90年代初頭は本当に見たくとも見れない絵師だった。
わたしがブログを書くようになってからだけでも4つ5つの展覧会が開かれているのだから、本当に随分世に広まってきた。

以前、「鏡花本」について書いたことがある。そのときに当然雪岱のことも挙げた。
あそこにわたしの「鏡花本とその周辺」への酷愛と遍歴を書いているので、よろしければお読みください。
こちらから

さて「大正・昭和のグラフィックデザイン」という副題があるとおり、最初に出てくるのは本の装丁。
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第一章 泉鏡花との出会い 花開く才能
雪岱の随筆集「日本橋檜物町」に「泉鏡花先生のこと」がある。
そこに鏡花との出会いや交流について書かれている。
その部分だけは青空文庫で読める。

独立したガラスケースが整然と立ち並んでいる中に、美麗な本が置かれていた。
一つ一つ独立したボックスの中の本、そのガラス自体がひとつの宇宙となり、非常に華やかな広がりをみせている。

日本橋、遊里集、愛染集、由縁文庫、紅梅集、芍薬の歌…
濃やかな美貌を見せる本たち。シャープな線描と独特の配色で拵えられた、文章の着物。

雪岱の美意識を高く評価したのは同じ画家の鏑木清方だった。
かれは自分の随筆集「銀砂子」の装丁を雪岱に依頼する。
「銀砂子」は文章と装丁の沿う、流麗な美しい本だった。

鏡花を愛する人々で構成された「九九九会」のメンバーには三人の作家がいた。
二人は小説家、一人は随筆と評論を専らにした。

久保田万太郎の「駒形より」は薄ぼんやりと蔵並びが映るのがいい。
久保田は下町育ちの江戸っ子だが、案外ハイカラこのみなところがある人で、ベタな和風は大嫌いだったらしいが、その一方で雪岱のシャープな和風には深く心惹かれていたそうだ。俳人でもある久保田は句集もあるが、そちらはどうだったか。

里見弴との関係も深い。雪岱最初の挿絵の仕事は里見弴の「多情仏心」だった。
ただし後のシャープな線描のそれではなく、コンテで描いたもので、ここから大きく画風が変るのだった。
ぼあ~としたもので、やっぱり後の作風がいい。
とはいえ、これはこれで悪くはない。
わたしは泉鏡花への酷愛からその周囲への偏愛が始まり、20歳そこそこの頃から里見弴の本も古書店で集められるだけ集め続けている。
ただ残念なことに戦前の本は「若き日の旅」以外は手に入れられず、雪岱の美しさ装丁とは無縁なままきている。

「多情仏心」「縁談窶」「大道無門」「山手暮色」などなど。
ああ、手元にある本をもう一度開いて文章を追いながら、雪岱の手を想いたい…。

水上瀧太郎の本も多い。かれは明治生命の創業者の息子で、鏡花を物心ともども支えた。
名前も「風流線」の水上規矩夫と「黒百合」の瀧太郎から採っている。
どちらも明治の鏡花の傑作である。
かれは慶応の出で「三田文学」に長く文芸評論を書き続けた。また随筆も多い。
わたしは文庫版の「貝殻追放」を持っているが、やはりそれには雪岱の名残もない。
ここにある「海上日記」「貝殻追放」「月光集」の美しい装丁を見てはため息をつく。

九九九会には法曹界の人・三宅正太郎もいた。かれは判事として活躍し、幾冊かの随筆を残している。「法官夜話」「嘘の行方」(いいタイトルだ…)これらの装丁も雪岱。

雪岱の意匠による紅梅図着物と帯があった。
黒に裾だけが鶯色で梅が描かれている。帯には鏡花の賛もある。
「鴛鴦や 雪に柳を すらすらと」
鏡花と雪岱のコラボは他にもある。「日本橋」の芝居を記念して、かれらと花柳章太郎とで絵馬があるそうだが、実物はおろか写真も見ていない…もうないのだろうか。

金子國義の所蔵品がでている。
金子自身へのときめきも大きい。その彼が蒐集した雪岱の絵…
二重のときめきがある。
「星祭」と「茄子」 どちらも静かに優美。

第二章 舞台とのかかわり 戯曲本と舞台装置原画
雪岱は六代目菊五郎の要請を受け、多くの舞台装置を拵えた。映画のセットも拵えている。
たとえば谷崎「春琴抄」を映画化したときは、大阪の商家の佇まいがわからないということで、船場道修町の商家を訪ねてもいる。
彼は小江戸・川越に育ち、日本橋檜物町で人になったのである。
たしかに大阪と東京とでは建物は全く拵えが違う。
台所ひとつにしても違う。
「忙しいがでかけた」と雪岱は随筆に書いている。

真山青果、松居松翁、長谷川伸、木村富子ら劇作家たちの本がある。
中でも長谷川伸の戯曲は六代目が好んで上演したので、型も出来た。
岡本綺堂全集の12巻もある。
いずれも繊細な美しさに満ちている。

今なお長谷川伸・岡本綺堂の作品はしばしば上演され続けているが、大正から昭和初期の劇界は非常に豊饒だ。

彼らの戯曲の舞台化のための装置原画がある。
雪岱の仕事は丁寧で、今なおその装置を基にした舞台が繰り返されている。
いちばん人気なのはやはり長谷川伸「一本刀土俵入」である。序幕第一場「取手の宿 安孫子屋の前」はその原画を見ただけであのざわざわ感がよみがえってくる。
菊の鉢が置かれ、二階の雨戸の絵は日に波。
わたしは吉右衛門丈、前進座の梅之助丈らの駒形茂兵衛をみている。
そういえば今現在、小林まことが長谷川伸劇場としてこの「一本刀」を連載しているが、あの背景はもしかすると雪岱のこしらえた舞台装置を使っているかもしれない・・・

「半七捕物帳 人形づかひ」の舞台装置原画もある。
半七も六代目はしばしば舞台に乗せた。
わたしは原作をよく読むが、江戸への郷愁に満ちたいい作品である。

前述の「春琴抄」の映画「お琴と佐助」の脚本集もある。
モノクロ映画だからこそ陰影をたいせつにしなくてはならない。雪岱は大阪でそれを見出したのだろう。

なお、唯一の弟子・山本武夫の展覧会を以前目黒区美術館でみたが、師匠の衣鉢をよく継いだ仕事をしていて、そこでもやはりみごとな舞台装置原画があった。

第三章 挿絵 共鳴する画文
ここではモノクロの美を堪能する。

なんと言うてもやはり、邦枝完二の文に雪岱の画のコンビがいちばん光っている。
「おせん」「お傳地獄」、この二つは挿絵界の金字塔である。

二年前わたしは名古屋市博物館の展覧会をみた後、グランドフロアで開催されていた古書市をのぞいたとき、昭和37年に二版を出した「小村雪岱画譜」をみつけた。
中には雪岱の挿絵が非常に大量に納められていた。
偶然な入手だったが、心臓が躍った。
もうこんな凄い偶然は滅多にないので、本当に嬉しかった。
開くと、ここにある挿絵がいくつも納められている。

田中屋コレクションから「おせん」が出ているが、田中屋は川越にあり、一度訪ねたことがある。
そのとき川越市美術館「小村雪岱展」で見たのがそれ。
見事なコレクションだった。


「お傳地獄」の挿絵のうち、耽美の極みとも言うべきは、お傳が背に彫り物を入れているシーンと、真っ黒な川の中に女の太股が流れて行くシーンである。
一目見ただけで永遠に記憶に刻まれる、たぐいまれな情景である。

下母澤寛「突っかけ侍」がある。この挿絵は以前雑誌「サライ」で紹介されているが、ここにあるのはまた別シーン。
「突っかけ侍」は父の蔵書だが、昭和40年版なので当然挿絵はない。長らく読まないままだったが、「サライ」で挿絵を見て読む気になり、読み始めたらあまりに面白すぎて一気読みした。かなり長かったが、本当に面白い。
これで雪岱の挿絵があれば面白さが倍増するだろうに・・・本の前に立つ度そう思う。

挿絵はやはり「どんな話なのだろう」とそそらせる力がなくてはならない。
現に私は「突っかけ侍」の挿絵を見て、それで本を読む気になったのだ。
ときめかせる力がなくては挿絵ではない。
同時代の他の挿絵画家たちの作品のいずれもが、そうした魅力を持っている。
それは何十年経とうと変わらない。風俗や流行が変移したとしても。
だからわたしはいつまでも大正から昭和戦前の挿絵を深く深く愛してしまうのだ。

追記:とらさんが「突っかけ侍」の挿絵についての詳細な記事を挙げられた
それを紹介したい。

特集 装幀の妙
ほかの作家の作品や先の鏡花、久保田らの集めきれなかった作品を列べている。

長田幹彦「祇園夜話」 長田幹彦の祇園ものや情話ものといえば竹久夢二の装幀を思い出すが、雪岱も携わっていたのは知らなかった。「夜の鳥」「続雪の夜がたり」などなど・・・

ほかにも吉井勇「麻の葉集」、村松梢風「情話集」などなど夢二がやりそうな本の装幀をしている。

大佛次郎「怪談その他」「鼠小僧次郎吉」、なんだかときめきが沸き立ってくる。

内田誠「水中亭雑記」 これは戸板康二の随筆によく現れる明治製菓の戦前の広報雑誌「スヰーツ」編集長でカバとあだ名のあった人の随筆。カバだから水中亭のシャレ。
なんだか嬉しくなる。

びっくりしたのは村松の「残菊物語」と城昌幸「若様侍捕物帳」の装幀。え゛っと思った。
こちらも担当していたとは・・・!!

あとはわかもと本舗の販促のうちわや木版の「見立寒山拾得」などなど。

いいものを見たあとショップをのぞくと、便利堂さんから出た素敵なブックカバーが見えた。すでにツイッターで見ていた鏡花の「龍蜂集」装丁からデザインしたもの。
そして凄い物をみた。
黄色いTシャツなのたが、それは金子プロデュースで、絵柄は「お傳地獄」。
息が止まりそうになった。

展覧会は11/25まで。
また見にゆこうと思っている。

江戸の旅情/江戸の判じ絵/明治美人風俗・楊州周延

東京で見た浮世絵をあと少しまとめる。
太田の月岡芳年展は後期を見てから一括で感想を挙げる。

・ 江戸の旅情 五街道と旅
・ 江戸の判じ絵 これを判じてごろうじろ
・ 明治美人風俗 楊州周延
このあたりについて。

まず江戸の旅情 五街道と旅
ていぱーくでこの展覧会を見たのだが、浮世絵や江戸時代の旅道具のほかに各地の元の宿場や街道の現在の写真などが展示されていて、それがまたいよいよ旅心を刺激する。
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江戸時代、各地に関所はあったが、それでも日本人は旅を愛し、実際に歩いた。
往来手形などを手に入れてから旅立つわけだが、思えば「世直し・漫遊」の旅を続ける水戸黄門とご一行様は本物の身分証明書も持ってはいたが、大抵は嘘のを出していたわけだ。
それで地元のごろつきやそれらと結託した権力者に向けて、「控えおろう」とこればかりは本物の印籠を見せるのだが、あれは別に印籠と言う物体に力があるのではなくて、紋所に意味があるわけだから、紋所さえあれば文机でも耳盥でもかまわないかもしれない。
尤も旅にそんなもん持って歩けないから、やっぱりこの印籠がベターか。

印籠は薬入れでピル・ケースなどと訳されたら侘しいなあ。
しかしそのピル・ケースを持ってなくては旅の途中でいきなり「持病の癪が」となっても誰も助けられまへんがな。相互扶助の念は今よりずっと強かった江戸時代だが、一方で自己責任の重さを旅する者は知っていたわけだ。

旅に目的を持たなくてもいいが、江戸時代の旅のうち、寺社詣でというのはいつでも人気があった。お伊勢参りは抜け参りで、ということで勤労契約が締結されてる商店の小僧なんかも、「お伊勢参り」だと言えば、雇用側はあかんとは言えないのだった。
たまに引き戻されるのもいたが、まぁ大概は出かけてしまったらしい。

展示品を見ながらそんなことを思っていると、だんだん自分も旅に出たくなってくる。
とはいえ、これを見ている私自身じつは旅の途中なのだが。

広重の東海道五十三次はたいへんな人気を今日まで保っている。
いろんな種類のを拵えて、連作の中でも白眉といわれるものや、滑稽な明るさが目立つのもある。摺りや絵として面白みのないものでも、その土地の風情がうまく切り取られているものも多く、江戸時代から今日にかけての愛され度が高いのも納得する。
わたしも子どもの頃から五十三次はよくよく見慣れていて、昔の宿場の地名を見ると、すぐにそれが思い浮かんだり、膝栗毛のシーンが蘇ったりする。

狂歌東海道五十三次、保栄堂版五十三次、行書五十三次、そして木曾海道六十九次などからピックアップされたものが並ぶ。
なかでも御嶽は面白かった。木賃宿の景色が描かれている。なにもいい宿屋や飯盛り女のいる宿ばかりが描かれるのではなく、こうした貧しい宿が描かれているのも興味深い。

そういえば木賃宿の描写でいちばん面白かったのは実は夢野久作「犬神博士」だったりする。あれは北九州が舞台ではあるが、明治の風俗がよく出ているようにも思う。

初代ではなく三代目の広重は明治の風景を多く描いた。永代橋や江戸橋、駿河町界隈の明治だからの新風景をよく描いている。
「江戸から東京へ」という矢田挿雲の読み物をふと思い出した。

ところで今回はじめて知ったが、往来手形には行路死の場合の処理の方法まで書いていたそうな。旅が命がけであったことをも示す資料。

浮世絵自体はそんなに数も多くはなかったが、面白みのある展覧会だった。10/28まで。

次に「江戸の判じ絵」たばこと塩の博物館。
だいぶ前にPART.1が開催されての第二弾。随分お客さんが入っていた。
単に「観る」だけではもう集客も見込めないだろうが、こうした「体験型」展覧会はとても人気が高くなってきた。
皆さんガラスケースにはりついて「うーんうーん」とうなったり笑ったり、アタマの上に突然100Wの電球が点いたりしている。
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チラシ表に5枚の判じ絵があるが、そのうちのひとつでも一目で「!」となるかと言えば、これがあかん。連戦連敗である。
やっとわかったのはこの右上のベロを矢で貫かれたおじさん。舌に矢で「シタヤ=下谷」なのだった。
鈴に目がついてるから「雀」とか、蝦蟇が茶をたててるから「茶釜」とか、もう江戸時代の地口にもてあそばれっぱなしである。

チラシ裏には答えを少しばかり載せてくれてるが、頭を完全に切り替えてもなかなか回答できない。
歯の下にひっくり返った猫がいる→は・こね=箱根に至っては、「おいおいおいおい」である。
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しかしひっくり返ったで思い出したが「犬神家の一族」であの有名なポーズ、湖から足が逆さに出てるあれこそ、昭和の判じ絵だった。
佐清(すけきよ)が逆さだからヨキケスで、ヨキ・コト・キクの三つの呪詛が完成したのだった。
作者が横溝正史だから出たネタだと思うこともしばしばである。
それでまた関係ないが、わたしはシンクロナイズドスイミングを見るたび必ず「…スケキヨ~~」と口走るのだった。

簡単なのはたとえばサルの絵に「゛」がついて「ザル」だったり、ヒトの頬に「六」でほぉろく=俸禄…は・は・は…

これらは単独だが、もっと難しい組み合わせものもある。
芝居の外題や役者名は逆にそれ自体がヒントになるので「!」となるが、他が池内。
あっわたしまで「いけない=池内」だなんて書いてる。
よわったな。

とりあえず大いに楽しめる展覧会は11/4まで続く。

たばこと塩の博物館の3階には小さいコーナーがあり、今回は「文化文政期の謎染」。
豊国ゑがく団十郎の着物には「かまわぬ」の文字と絵の意匠が染め抜かれている。
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鎌の絵と輪と「ぬ」でかまわぬ=構わぬ。
これと別バージョンが「鎌い枡」のかまいます=構います。どこの家のかは忘れたが。
他にも菊五郎だと「キ」「呂」を巧く組み込んだキ95呂格子を拵えている。「キ9・5呂」9と5は線の数。それで菊五郎。
同工異曲で「中村格子」もある。
ほかにはマッシュルールの断面図を交互に数珠繋ぎしたような「芝翫縞」などなど。
先の「かまわぬ」を最初に知ったのは、石森章太郎(当時)の「さんだらぼっち」のエピソードから。
吉原の始末屋(吉原の見世にツケをした客のところへカネをとりに行く商売)とんぼを中心にした人情話だが、その中に騙されて「かまわぬ」染を作らされた染物屋の窮状を見かねて、とんぼが知恵を絞る話がある。
(このエピソードは連載終了寸前のもので、とうとう単行本に収録されないままである)
それでわたしは「鎌○ぬ」を知ったのだった。
小学校の終わり頃に見たきりだが、忘れられない話。1~18巻まで手元にあるが、最後の巻だけ何故出なかったのだろう…

こちらの展示も11/4までか。

最後はukiyoeTOKYOの「明治美人風俗 楊州周延」後期の感想。
惜しくも前期は見そこねている。
周延は「最後の浮世絵師」の一人。彼が死んでほんとうに浮世絵師は稼業として成り立たなくなった。
今年は没後百年、明治45年か。

旧幕時代は師匠の豊原国周と合作したのが展示されているが、ここは国芳系統ではなく、国貞系統。
師匠の国周は役者や美人画の大首絵で、明治の世に最後の光芒を見せた。

三世澤村田之助の児雷也ノおゆき・四世市村家橘の大蛇丸のたつ 慶応三年(1867) 鯔背な二人!!役者絵はやはりこうして観る者をゾワゾワさせなければならない。
三世田之助には以前随分ハマッた。杉本苑子「女形の歯」、皆川博子「花闇」、南條範夫「三世田之助 小よし聞書」、舟橋聖一「田之助紅」や、矢田挿雲の田之助について書いたものも読んだりした。
これを観ながら当時の田之助への熱狂ぶりを想う。

明治十年の西南の役に取材した作品は他の絵師にも多く見られる。
鹿児島暴徒追討記 三枚続。村田の血塗れの赤がナマナマしい。
奇星之実説西郷隆盛 いわゆる「西郷星」が描かれている。これは実は火星大接近だったとか。
他にも西郷と妾の別れの場や、戦場の絵がある。
言えば十年ぶりの内乱なのである。
当時の人々の関心の高さが伝わる。

上野の不忍池の周囲を巡る競馬が明治17年開催された。
その競馬図。景気づけに打ち上げ花火がバッと開いて、上からいろんなものが降ってくる。たこ、鶴、牛、福助、虎、だるま、傘を差した西洋婦人(メアリ・ポピンズのようだ)などなど。周り方は絵と実際とは逆。見る前に描いたそうだ。

チャリネ/大曲馬御遊覧ノ図 サーカス天覧。洋装の女官たち。高貴な人々もこうして明治の浮世絵に現れる。

周延は明治天皇と皇后そして女官たち高貴な階級をよく描いた。

高貴納涼図 洋装と洋館、そして和の秋草と。面白い。描かれているのは明治天皇なのだが、どこか田舎源氏を思わせる華やかさがある。
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明治美人図を色々眺める。このあたりはわたしが浮世絵にのめりこみ始めた頃に比較的たくさん見ている。懐かしい再会である。
また、2009年には「帰って来た浮世絵CHIKANOBU スクリップス大学コレクション展」を国際基督教大学湯浅記念館で見ているが、あのとき以来のものも多い。

幻燈写心競シリーズ、真美人しりーずなどなど。
この中でも「女学生」を見ると、男装して世に出た女学生が後に盗賊になる、という明治の芝居を思い出す。
名勝美人図はビラのようで面白い。
また「美人囲碁之図」は摺が非常に凝っていた。銀摺りが残っているのがきれい。

ここに出ている中では一番終盤の明治38年の「幼稚苑」1~12月の連作はたいへん可愛くてよかった。「はつ午」「ひなまつり」「廻り灯篭」「えびす鯛」などは元からの和の風俗だが、「わんわん」と遊ぶ子はセーラー服の男児なのだった。
西洋の幼稚園が日本にも広がっていた時代。

明治は遠くなりにけり、どころか昭和も遠くなりにけりだが、百年後の今こうして眺めることが出来るのは喜ばしい。
10/28まで。

お伽草子 この国は物語にあふれている

サントリー美術館の「お伽草子」展は深い魅力に満ち満ちている。
しかしあまりに数も多く、保存の観点からも、展示替えが頻繁に行われるので、関西のわたしにはやや無念なところがある。
とはいえ、一度でも楽しめたのだから、わがままは言えない。
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赤坂時代の'96年「絵巻小宇宙 絵の中の人々」展を見たときの楽しさは、今もこの身に残っている。
わたしの胸の底にはいくつか小さな筐があり、そのうちのひとつが絵巻物のもので、螺鈿を鏤めた蓋を取ると、そこから室町時代の人々やどうぶつたちがあふれ出してくる。
他の筐にはまた別な物が収められ、大きな葛篭にはオバケもいる。
今回の展示はそのかみの筐にいたものたちが元の場に立ち現れて、大いに活躍していた。

第3期に見たものについてあげてゆく。
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序章/第一章 昔むかし 御伽草子の源流へ
御伽草子・渋川版より。モノクロ印刷の読み物である。いずれも慶応義塾図書館蔵。
・猿源氏草紙 駕籠の姫君と橋の上で行き交う鰯売りの図がある。これは身分違いの男の婚姻譚で、サクセスストーリー。この話を基にした新作歌舞伎があった。勘九郎時代の勘三郎と玉三郎とのパネルを見ている。
・蛤の草紙 17、8くらいの女と蛤と漁師のいる小舟。不思議な出会いから物語は進む。

絵巻。
・浦嶋明神縁起絵巻 漁師仲間がいる。黒い鳥は鵜。海鵜があちこちにいる。それが物語に味わいを添える。
北川幸比古「おばけを探検する」に「浦島太郎」ではなく「浦の嶋子」の物語の紹介があった。本をもらったのは小学二年だったが、今も折々再読している。御伽草子への愛が芽生えたのはそこからかもしれない。

・長谷雄草紙 永青文庫の名品を一時に見ることができ、たいへん嬉しい。この絵巻を大正の昔か、小村雪岱は模写している。そのときのことを随筆「日本橋檜物町」に書いているのを懐かしく思う。
長谷雄卿は博打に強く、男が鬼の正体を見せてゆくシーンも面白く、死人のよい部分で出来上がった女に約束を破って触れたことで女が溶け出すのもよかった。

第二章 武士の台頭 酒呑童子を中心に
ここではサントリーと逸翁からそれぞれの酒呑童子の名品が出ている。
少し前に逸翁で「絵巻・大江山酒呑童子・芦引絵の世界」展を見たが、そのときに今回出ている「大江山絵詞」「酒伝童子絵巻」が共に物語の全容を見せてくれた。
いま、再会できてとても嬉しい。

・化物草紙 平安期の三善清行の屋敷に現れる化物たちを描く。大阪市立美術館の田万コレクションから。なかなか可愛いオバケたち。このあたりの話は岡野玲子「陰陽師」にも描かれていて、わたしの頭の中でそのエピソードが再現されてゆく。

・大江山縁起図屏風 池上本門寺所蔵。少しずつ鬼化してゆく経緯が描かれている。なにやら怖さがある。また鬼たちは生け捕られて都へ連れられてゆくが、その後どうなったろうか・・・

・岩竹 西尾市岩瀬文庫蔵。化け蟹の話。蟹も化けるくらいになると食べられない。

第三章 お伽草子と下克上
このタイトルは巧い。
・硯破草紙絵巻 明応四年(1495) 家に仕えるものが父上の大事にする硯を割ったことを知り、若君がかばってやるものの、父君は激怒のあまり若君を追い出す。その衝撃で若君は病に伏し、父上が若君を迎えに行ったときは、若君は既にこの世のヒトではなくなっていた・・・
細見美術館蔵だというが、初見。この物語自体は悲しいが好きである。
優れた絵本画家・赤羽末吉の「春のわかれ」はこの説話を基にしている。

・新蔵人物語絵巻 男装で出仕した娘が帝に愛されて(!)、やがて正体がばれた後もその寵愛を受ける、という話。これは帝の嗜好が気にかかるところだが、とても楽しい。
絵だけでなく、物語がいいから、いよいよ楽しい。
しかしこれもラストには発心譚の様相を呈する。

・ささやき竹物語 僧の悪計が面白い。あの竹の長さ。笑える話である。似た話はヨーロッパにもある。艶笑譚は洋の東西を問わず好まれる。
青池保子「司祭と医者の話」はそれを基にしているが、実は娘のほうもなかなか・・・とても楽しい作品である。

・おようのあま絵巻 これを最初に知ったのは近藤ようこ「おようの尼」で。おおらかな面白い話。絵もほのぼの。
御伽草子を現代のヒトで描くことが出来るのは、近藤ようこ、花輪和一両氏だけだと思う。

・鼠草紙絵巻 可哀想といえば可哀想なのだが。清水寺のご利益は実に広範なもので、こうして鼠の願いをも聞きとどけるが・・・

ブームというものがある。平安時代には長谷寺がブームだった。熊野詣もブーム。四天王寺もなんでもありで流行った。
そして清水寺の時代が来て、定着する。

第四章 御伽草子と<場> すれ違う物語・行きかう主人公

・松姫物語絵巻 絵自体はやや稚拙な感じで可愛いのに、物語はひどい、ひどすぎる。
息子がもらった嫁の身分が気に入らぬからと、誘い出してヒトに殺させる姑。姫の霊によりその事情を知り出家する息子。とんだ因果譚ではないか。
インドに似た物語がある。細かいことは思い出せないが。唐天竺日本と物語は伝播し変容し、地になじむ。

・しぐれ絵巻 永正10年(1513) これが皆さん話題の「二重まぶたのイケメン」の出る絵巻である。物語は読み取れなかったが、ついつい二重まぶたさんを追いかけてしまった。
ふふふ、描いたのが女性だというのも納得。

・小男のさうし この話も近藤ようこ作品で知った。彼女の中世譚は非常に魅力的である。いつまでも繰り返し読み続けているが、読むほどに愛が深まる。

・清水寺参詣曼陀羅 三頭身キャラたちが清水寺のあちらこちらを元気に行き交う。よく見るとにこにこした人が多い。清水に来て願いを託したからか、願いが叶ったからか、みんなにこにこ。
桜が咲く春、とにかく機嫌よくにこにこ。
山の向こうに日月もない。卒塔婆も数本立っている。拝むものもなく、人の行き過ぎるのを見守るだけ。

・雀の小藤太絵巻 これを赤坂の時に見て、たいへん感銘を受けたのだった。雀の父が子を蛇に飲まれたことから発心し、諸国行脚をする。清水の舞台は桜で囲まれているが、春のその美しさを見ることで、せつなさと諦念とが胸の内に押し寄せる。この橋の上に立つ姿がたまらなくいじらしい。彼は百歳まで踊り念仏をして往生するのだが、さすが雀だけに百まで踊り忘れずなのだった。
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第五章 見えない世界を描く 異類・異界への関心
ここへゆく前に注意書きがある。
薄暗く、しかもぼんやりしたカーテンに不思議な形の影が映っている。

・鼠草子絵巻 姫君が残していった道具類を前に泣く鼠の権頭。
一つ一つに泣き、一つ一つを和歌に詠む。
髪の束まであるが、あれは何なんだろう。

・是害房絵巻 泉屋博古館所蔵の是害房。最初に見たのは'92年に姫路でだった。曼殊院本。
けっこう好きな絵巻なので嬉しい。少し前に他本との比較も出来て、違いを楽しめた。
湯治で怪我を癒す。万葉の昔から日本人は湯治で体を治すのだ。
(是害房は外国の天狗ではあるが)
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・付喪神絵巻 歳末の煤払いで捨てられた古道具たちのイキドオリ。彼らに妖術を伝える古文先生が妙に可愛い。仕返しをする古道具たち。それを止めようとする数珠の一連上人は置き去り。しかし仕返しの後には調伏がくる。
結局彼らは一連上人のもとへ向かい、世を捨てる。

そういえば出家と遁世とは違うという言葉があるが、遁世しなければ絵巻に現れる人々・どうぶつたちは救われない。
「世を捨てるのが出家ではなく、世に捨てられたのが出家です」というせりふが今東光「春泥尼抄」にある。
中世の無常観に近いものを、わたしはあの小説の終焉に感じた。

・百鬼夜行絵巻 真珠庵のものやそうでないものなどがあり、どれをみても面白い。
しばしば機会に恵まれて見てきているが、本当に面白い。
わたしはお化け好きなので、この中の経文を読むかのような、猫化けぽい奴に、イラチ風な琵琶とのろそうな琴のコンビが特に好きだ。
別バージョンのはちょっとコワモテが多い。

最後に絵巻に現れそうな調度品が出ているのがいい。
文机、唐櫃、箪笥、手ぬぐいかけ。
こうした工芸品がそこにあるだけで、絵がぐっと身近なものになる。

なんとかもう一度みたいと思いつつも。

市川団十郎 荒事の世界 /八世 市川団十郎

十月の東京ハイカイの中で、浮世絵の展示をいくつも見たが、そのうち二つは「市川団十郎」に関する展覧会だった。まとめてその感想を挙げる。

・日比谷図書文化館「市川団十郎 荒事の世界」
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市川宗家の荒事は江戸の人々にとって神事であったろうと思う。
「一つ睨んでごらんにいれまする」と舞台から団十郎に睨まれると、病にも掛からず災いも吹っ飛ぶ、という信仰がある。
荒事はむろん人の手により作られたものである。
しかしそれを神事にまで高めたのは、市川宗家代々の苦心・工夫と江戸の人々の熱烈な支援と愛があったればこそだろう。
江戸が新しい地であったことがその信心を育てた。
上方には随分大昔からの神仏が現在も活き続けている。
そうしたことから荒事が江戸で隆盛を極めたのは当然なのだった。

当代団十郎丈は十二代目である。
昭和の末頃に襲名したとき、杉本苑子原作の初代団十郎の生涯を描いた「花道は炎のごとく」に主演した。
そのドラマの中で団十郎は市川家の制定した「歌舞伎十八番」を次々に演じた。中でも「不動」は特に熱狂的に庶民に迎えられ、お賽銭が投げつけられて、団十郎丈がつい目を瞬いたのを、今も忘れない。
あれは一種のコスプレだったかもしれないが、一人ですべての役を演ずるのは楽しかったろう、と勝手なことを思う。
実際のところ歌舞伎十八番を一代で全て演じた役者はいたのだろうか。
もしいなかったとしても、浮世絵ではそれは可能だった。

展示は歌舞伎十八番のうちよく演じられる「助六」「鳴神」「勧進帳」などの装束の設置と、柱に巻きつくように飾られた浮世絵とで構成されている。
「柱巻き」は「鳴神上人」の動きにあるので、それを洒落ているのかもしれない、と一人楽しく考える。

十八番それぞれの浮世絵は三世豊国の連作ものだった。
特に可愛いのが二番の「象引」。ゾウさんを持ち上げてるのだが、妙に可愛くて可愛くて。
四番の「うわなり」はタイトルしか知らなかったが、これは甲賀三郎の二人の妻の争いに関連した「うわなりうち」からきているらしい。
十五番「不破」の不破と名古屋山三の立ち姿もかっこいい。

ガラスケースには18世紀半ばの「芝居きやうげんの図」。今の人形町三丁目にあった中村座の様子が描かれている。
また三世豊国「江戸名所図会 24 渋谷 金王丸昌俊」もある。これは「暫」ということで、「あれれ」と思ったら、当時は「暫」の主人公は誰々と決まってはいなかったそうだ。今のように「鎌倉権五郎」になったのはもう少し後らしい。

面白いものをみた。文化元年(1804)山東京伝著・喜多武清画の「近世奇跡考」に助六が拳を振り挙げてる図があった。ここには助六が元は「荒事」の範疇にあったことを示す図。

チラシは国周の「暫」。明治25年。当然ながらこの団十郎は九代目。

芳幾の明治27年の「擬九星市川系譜」。初代から九代目までがそれぞれに見合ったこしらえで描かれている。
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真ん中の下は白酒売りの六世。彼は22歳でなくなったそうだ。彼とその姉で後に七世を生むことになるおすみを中心にした、一ノ関圭「鼻紙写楽」は雑誌廃刊のために休載したが、非常に面白い作品だった。小学館はなんとかこの物語を、(完結した形で)単行本を、出してほしい。
さてその後に八世団十郎がいる。「児雷也」のこしらえをしている。彼は32歳で自死をとげた。
どちらも美しく描かれていた。

衣裳を見る。
助六のシックな黒塩瀬に対し、意休の派手な縫い取りのある羽織。だがわたしなどはこの意休の丸に虎文の縫い取りが可愛くて可愛くていい感じに思えるのだった。
勧進帳の弁慶の山伏ルック・・・
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鳴神上人の激怒が伝わる衣裳の柄、雲の絶間姫のきれいな赤もいい・・・
歌舞伎の衣裳の面白さを味わう。

当代団十郎丈の舞台写真を見る。
'92年の「解脱」の景清と阿古屋。阿古屋は亡くなった宗十郎だった。古風な愛らしさのある、いい役者だった。
'09年の「象引」は知らなかった。演じていたのだ。
妙に楽しい。

11/28まで。

・早稲田大学演劇博物館「八代目 市川団十郎」
前述したとおり、天下の美男・八世団十郎は32歳で自死した。しかも大坂での公演初日の朝に世を捨ててしまった。
ちらしは助六。
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帯の「壽」文様が生き物のようで面白い。

展示は団十郎を描いた浮世絵だけでなく、自身が描いた軸ものなどのほか、幕府が送った褒賞、そして家族ぐるみつきあいのあった家との往復書簡などなど。

とにかく天下の美男ということでその人気は凄まじく、それに便乗した浮世絵の種類も膨大で、ここに展示されているのはほんの数割程度にすぎない。
細面で美しい目鼻立ちをしていて、その美貌にふさわしい役柄を演じて、しかも彼に当てた新作も多く出て・・・と役者としてはもう本当にすばらしい環境にいた。
しかし親父は奢侈禁止令に触れて江戸を所払い、父の妾たちとの軋轢などなど、イヤなことも多かった。
入るのも大きいが出るのも大きい役者の家で若くして跡を継いで気苦労もたいへん大きかったろう。
死の原因が何かは今もってわからない。当時もナゾ、今もナゾのままである。
それについては杉本苑子「傾く滝」で大胆な推理がなされている。
杉本苑子の力業を感じる、小説としては非常に魅力的な世界ではあるが、これもまた作者の想像の域を出ず、やはり本当のところはわからない。

さてその八世の美貌を写した錦絵の多くは、国貞の作であり、国芳の手のものもある。
共通するのは細面の美男子と言うことか。

上方上りお名残狂言として演じられた「伊達競阿国戯場」いわゆる伊達の十役を演じた連作ものが特によかった。
事の起こりの「足利頼兼」が玄関でほっかむりをする図などは非常に面白い。貴人のほっかむりというのはなかなか見ないし、この後の行動を思うと、いよいよ興味深い。
「仁木弾正」も「八汐」もいいし、「細川勝元」もいい。
これはまだ死とは無縁の27歳、嘉永二年三月の芝居。

児雷也や田舎源氏の光氏などは彼に嵌めて出来たような感がある。
白い大蝦蟇に乗って印を結び、どろんどろんと妖術を使う錦絵など、みるだにときめく。
また実際その美貌ゆえにあてられたのが「与話情浮名横櫛」の切られ与三郎である。
こうした絵を見ていると、当時のファンの心境にシンクロして、わたしもきゃーきゃー声を挙げそうになる。

やがて死に絵が現れる。
これも凄まじい数が出ている。国芳展などでも多く見たが、本当にたくさんあった。
ここでは、自殺直前・数珠を持つ立ち姿・父と子などがある。

小さい企画展だが、かなり面白かった。展示変えをしながら12/2まで続く。
なお、先の日比谷とこの早稲田とで当代団十郎丈の講演会がある。
どちらも10/30。日比谷は11時から12時、早稲田は14:45~16:15。
日比谷はもう予約終了。

二つの「竹内栖鳳展」をみて・山種美術館

山種美術館で見た竹内栖鳳と京都画壇の画家たちの感想をあげる。

第一章 先人たちに学ぶ
栖鳳の前には「四条円山派」「森派」の血脈がある。そこから展示が始まる。


与謝蕪村 野馬図 宝暦十年の作。仲良しな馬たち。茶色や白。林の中で遊ぶ。
蕪村や呉春の良さを感じるようになったのは、やはり逸翁美術館、柿衛文庫でいいものを見続けたおかげだと思う。
今こうして山種美術館の中で蕪村の絵に会うと、懐かしい嬉しい心持ちになる。

円山応挙 虎図 応挙の虎はいろいろ見ているが、この東博の虎はまた可愛らしくてかっこいい。
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色も白くて、なにやらプラチナタイガーとでも言いたくなる風情がある。
波の上の岩でじっとしているが、目ばかりこちらを向いている。

応挙 雪中双猿図 灰と白の猿。雪の枝の上でこの二匹はなにをしているのか・・・
白土三平「カムイ伝」か外伝の中に猿の習性が描かれていたが、それを描いているのだろうか。妄想はいくらでも膨らむ。

伝・長沢芦雪 唐子遊び図 可愛らしい子供ら。碁石がきらきら見える。笑い声までもが絵の中に封じられている。収蔵庫の中でもきっと楽しく笑っているに違いない。
他に「鶴」の絵もあるが、わたしは鶴より唐子ちゃんたちがいいな~~

森寛斎 京洛四季(第一帖)(第二帖) 明治初頭の京都のあちこちが描かれている。天子様が東の京府とやらへ出て行かれたあとも、それでも京は都なのだということを思う。
鳥居に太鼓橋の絵は住吉文様のようだが、実際はどこを描いたものか。

国井応文・望月玉章・中島有章 京洛四季(合作) 先の寛斎のそれとほぼ同時代の作品。
賀茂の競馬、西大谷本廟、アーチを見せる石橋の下の蓮、唐破風・・・
昭和の終わり頃、当時一流の京の日本画家に依頼して、京都府は京都各地を描かせた。時代は流れても、京洛には見るべきところ・描かれるところが少なくない。

今尾景年 松下牧童図 青い上着の坊やと牛の目線が面白い。
前述したとおり、栖鳳の邸宅はレストランになったそうだが、この景年の邸宅も今では料理屋になっている。いい雰囲気の小部屋でお昼をいただいたことを思い出す。

第二章 竹内栖鳳の画業
山種美術館でみた栖鳳展といえば、'93「栖鳳と松園の周辺」、'06「栖鳳と弟子たち」、’10「大観と栖鳳」などがある。
しかしなにより山種美術館を代表する名品のうちでも、特に素晴らしい一つが栖鳳の「班猫」なのは疑いようがない。
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本当に素晴らしい。今回は海の見える杜美術館所蔵の、栖鳳の手元に来てからの猫の写真が展示されていて、嬉しかった。長谷川りん二郎の眠る「猫」のタローのようなポーズを取っている。可愛くて仕方ない。
なお、偶然だがこの画像の横に「山種美術館」と入ってるのがまた面白くて、そのままにしている。

池塘浪静 木賊の生えた池で、ぴょんっと飛ぶ鯉。これは京都市美術館蔵で、わたしは'90年代初頭の展覧会で見て以来である。まだまだ江戸時代と地続きの「明治の日本画」の範疇にあるように見える。

象図 曲馬団の象。左の象は背に猿を乗せてるが、その猿は雀を追おうと手を伸ばしている。象はアジア象らしい耳をしている。描写はリアルで、欧州で見てきたのが効になった表現で、とてもいい感じ。

昨日、栖鳳の逸話などを書いた記事を挙げているが、本当に動物好きだったらしいのを実感する作品が、とても多い。
可愛らしい「みみづく」「蛙と蜻蛉」などはもうじかに賞玩したくなる代物である。

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「若きアヒル」、「風かおる」は共に昭和12年の作で、アヒルとツバメ、それぞれの質感・触感の違いが掌に直に感じられるような気さえする。
そうしたところに栖鳳の魅力を感じる。

明治の頃、中国ブームが訪れた。文芸・文化への憧れが噴出したといっていい。
それは特に関西で顕著だった。近年の「関西・中国書画の美」展でその実例が世に多く顕れた。
栖鳳も大観も何に触発されたか、中国旅行を決行し、豊かな実りをうちに蓄えて帰国した。

栖鳳は欧州旅行で旧態依然たる京の日本画の方向転換・革新を図ったが、その数十年後には今度は中国旅行により、自身の画業に更なる天地を開いた。
墨絵にその様子が見て取れるが、他にも中国ののどかな風景(主に揚州)を髣髴とさせる地・潮来を愛して、それを描くようにもなった。

潮来小暑 ぼかし具合の綺麗な一枚である。牛と青衣の働くヒトとがロングで捉えられた、のんびりした一枚。
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艸影帖・色紙十二ヶ月 鯛、葱坊主、松島がいい。色の美しさを楽しむ。
野間の色紙コレクションでもそうだが、栖鳳は色紙の小品をとても楽しげに拵える。

ほかにもいいものをたくさん楽しませてもらい、いい心持になった。

第三章 栖鳳をとりまく人々
栖鳳は京都画壇の大御所と言う立場に立つことになったが、当時の京都画壇には他にも多くの名だたる画家が多くいた。
皆それぞれの画塾を開き、そこに属しながら良い絵を生み出そうと日々努力した。

都路華香 寒山拾得 にこにこな二人。とても可愛い。
実のところ、華香の絵が山種に所蔵されているとは思わなかった。さすが近代日本画の山種美術館だと改めて実感した。

山元春挙 冷夢図 長―――い滝である。春挙は山岳を愛した人で、雄大な自然を描くことが多い。

松園 新蛍 何度見てもやはり上品でよい。

西村五雲 白熊 地上最大の肉食獣・・・。五雲は岸竹堂~五雲という系譜のヒトだが、栖鳳の門下にも入った。動物を描くことを得意とした画家で、彼の弟子に今度京都国立近代美術館で回顧展のある山口華楊がいる。
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西山翆嶂 狗子 可愛くて好きな作品。かれは栖鳳をたいへん尊敬した弟子で、信頼も受け、栖鳳亡き後は師匠がしてくれたように自身も多くの弟子たち・生徒たちを育て上げた。

最後に村上華岳の裸婦図があった。zen833-3.jpg

途轍もなく愛している作品である。ああ、嬉しいと思った。
やはり山種美術館は凄い。

前期は10/28まで、後期は10/30~11/25。

二つの「竹内栖鳳」展をみて・松伯美術館

過日、松伯美術館と山種美術館とで竹内栖鳳展を見た。
どちらも非常によい展覧会だった。
一つの記事まとめるつもりが長くなりすぎたので分けた。

まず松伯美術館の感想をあげる。
ここでは15点ばかりの作品が出ている。数だけでいえば少ないが、山種美術館には出ないものもあり、小品も多く、小さな喜びに満ちている。

熊 明治22年 まだ若い頃の作品。墨絵で屏風仕立て。
ほぼ20年後の「熊」はフルカラーで可愛い熊さんだが、こちらはモノクロの熊。
リアルな毛並。のっそりと雪の中をそっと掘って何か見つけたか、クンクン。可愛らしい。

雪中雀 三羽の雀が可愛い。こけたりする仕草がリアル。

大獅子図 藤田美術館ほまれの一点。四曲一隻屏風だが、非常に大きい。藤田では、二階の最奥の特別室のようなガラスの中に鎮座する。
この絵は1900年(明治33年)8月に欧州に遊学した栖鳳が、各地の動物園で模写したことが活きて、生まれた作品。
とても立派な風貌で、それまでの「唐獅子」とは異なるリアルな生物としての獅子。

ベニスの月 明治37年 これも四年前の欧州での見聞が活きている。
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サンタマリア・デッラ・サルーテ寺院。うっすらと綺麗な作品。コロー好きな栖鳳の勉強がここにも出ている。
作品は高島屋史料館にあり、史料館の解説によると、「雪月花」の一つ「月」を栖鳳が担当した。ちなみに「雪」は同世代の山元春挙「ロッキー山脈の雪」、花は都路華香「吉野の桜」というラインナップで、かなり雄大な「雪月花」である。
これら「雪月花」は日英博の「ビロード友禅 世界三里 雪月花」の下絵になった。
そしてこの「ベニスの月」の二、三年後の第五回内国勧業博覧会に栖鳳は「羅馬古城跡真景」を出している。

街道午蔭 大正八年 中央に木がある。かやぶきの家の中では女が昼寝している。庭には傘などがある。ある日ののどかな昼下がり。そして街道には荷馬車とひとがいる。
この説明だけでは横長の絵を想像するかもしれないが、これは縦長の軸装された絵。

群鴉 三羽のカラスが柿の木にいる。爪で柿の実を掴むのもいる。柿と鴉との色の対比が面白い。栖鳳は「ハシブトカラス」が好きだったそうだ。ベタぬりのようなカラスの質感がリアルである。
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春寒 引っ越した翌年の作。かぶらにかじりつく鼠。軽妙洒脱な良さがあるが、鼠にかじられたかぶらはどうなんねん、とついつい考えてしまう。

朝寒 昭和12年 白や茶色のアヒルの子らが身を寄せ合う朝。ふあふあの触感がある。
栖鳳は動物好きで、多くの動物たちを飼っていたそうだ。

松魚 青黒い魚がど―んっとそこにある。大、中、小のカツオ。尻尾はぴんと△。
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少しばかりピンク混じりなのが新鮮な雰囲気を作る。

南支風光 水の町。青衣の人々のつどうにぎやかな情景。栖鳳の愛した中国のどこかの町をイメージしたもの。
zen830-2.jpg 木下美術館蔵。

椿樹小禽図 これは去年五月に京都の虎屋ギャラリーで見たもの。
そのときこんな感想をあげている。
「たらしこみで表現された、幹の表皮の薄い緑、墨の濃淡で構成された椿の葉の厚さ。赤い椿は半分顔を隠すようにしながらこちらを見ている。そして木の根もと上の分かれたところに、文鳥のような小鳥がちょこんと首をかしげているのが可愛らしい」
鳥はヤマガラだった。附けたてという技法で、色画のみで拵えられている。線はなし。
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次に貼交屏風があった。これは実は栖鳳の色紙の印刷物を集めたものを丁寧に貼った屏風で、よほど大事にされていたのか、数十年後の今日でも綺麗にみえる。
本当の絵ではなくコロタイプのものであってもこんなに大事にされ、愛されてくると、その所蔵家の中では真物になるのだ。
絵はいずれもつつましいヒトの暮らしのものが集められている。
・富士のような山影がある。白に青の山に緑の丘が広がる。
・白鷺が岩に立つ。冬枯れで寒そう。和のよさを思う。
・あっち向きこっち向きの鯖が置かれている。さすがに料理屋さんの息子はこういう絵をおいしそうに見せてくれる。
・行き交う乗合船のある景色。水を汲むヒトもある。
・アヒル一羽が後ろ向きに佇む。
・平桶の柄と縁にそれぞれ雀が止まる。可愛らしい表情がよく見える。
・秋の林を行く農家のおかみさん。川がさやさやと流れる。
・一輪の椿による雀。紅椿、葉、雀、それぞれ技法を変えて描く。木と雀は没骨、葉と花は線描がくっきりと。
・千代田城の藻刈り舟。昭和のある年の春三月。栖鳳はこのモティーフが好きらしく、野間記念館にもこれと同じ構図の本画と色紙とがある。

色紙のシリーズがある。昭和13年、芸艸堂から出たもので「西鳳逸品集」と自署がある。
木扁を抜かしての自署というのも面白い。
印刷+一部加筆の色紙。いずれも洒脱であったりホンワカしてたり。
・岩にカラフルな小鳥が止まるもの
・墨絵でしっとり潤いを含んだ大気を感じさせる川岸を描いたもの、ここには柴舟をこぐヒトや川辺に洗濯を干すヒトもある。
・市女笠に取りすがるようにしつつ笑うキツネを描いたものがある。なにやら得意げな様子がいい。今昔物語風なムードがある。
・ 二匹のアマダイ(京都ではグジという)。頭の固そうな桜色のタイ。おいしそう。谷崎潤一郎はタイが大好きだったそうだが、たしかに関西だと色んなタイをおいしく食べられる。
・蛇籠にカラス。花びらがチラチラと舞う。
・中国の町。しっとり大気。赤い窓枠に青衣の人々。
・葱坊主と雀。雀は背を向けている。可愛い。
・曾我五郎が大根を積んだ馬を引く。歌舞伎十八番の1シーン。可愛い五郎。これは以前にも見ているが、この頃だと誰の演じた五郎だろう・・・
・水気たっぷり含んだ森。木橋をわたるのは大原女か。湿気が広がる。
・梅に目白が可愛い。
・中国の石橋と家のある風景。墨に含んだ水が広がっている。
・わんこ・わんこ・わんこww
・二羽の兎が寄り添ってウットリしたような目をしている。
・2本の桜の咲く野
・シャモ・・・わたしはニガテなので本画からも逃げた。
・たんぽぽとうさぎ。
・串刺しの魚がよく焦げておいしそう~~

この展覧会は既に終わっている。

なお現在、京都美術館の「京の画塾細見」展に栖鳳の「絵になる最初」が出ている。
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この背景の障子の秋草、雲母だと先日初めて知った。いつも女の方しか見ていなかったので、とても新鮮な気持ちになった。

また、「アレ夕立に」ともどもわたしにとってはとても懐かしい作品なのである。
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竹内栖鳳を追いかけて

明日二十日は、首都圏の皆さんの多くが山種美術館に集まる予定である。
「没後70年 竹内栖鳳 京都画壇の画家たち」のブロガー鑑賞会に参加されるのである。
皆さんは山崎妙子館長の丁寧な説明を聞かれたり、世話役のTakさんyukiさんのさりげない心遣いを受けたり、ブロガー仲間の方々と楽しまれるのだ。
いいなあ、本当にうらやましい。
その日のわたしは京都ハイカイする予定なので参加できない。全く残念な話だが、既に山種美術館の展覧会を拝見し、また少し遡った日に奈良の松伯美術館でも栖鳳展を楽しんだので、良しとしよう。

そこでさびしんぼうのわたしは、とりあえず自分が読んだり見たり聞いたりした竹内栖鳳の逸話などを集めてみようと思う。
わたしの勝手な解釈が入ったりするので、専門の方から見れば「おいおい」なこともあろうが、小さな栖鳳ファンのタワゴトということで許してほしい。
なお出典のわかるものは書いたが、わからないものや思い出せないは書いていない。
どなたか教えてくださる方があれば、ゼヒよろしくお願いします。

25歳の栖鳳は高島屋意匠部に勤務している。これは京都の日本画家の暮らしぶりだけでなく、その頃の京都画壇のありようを示してもいる。
呉服がまだ日常のものだった時代、京都の画家たちは高島屋や千總などのためにデザインを考えていた。後にはタイアップして売り出すこともあった。
たとえば、「絵になる最初」の絣は栖鳳オリジナルで、それを再現した絣は高島屋から販売されたが、たいへんよく売れたそうだ。
なお栖鳳が高島屋に勤務したのは結婚の翌年。友禅の下絵を担当している。

明治26年、この頃東京の岡倉天心は京都の栖鳳をヘッドハンティングしようとして失敗している。そのときのことを書いたものを読むと、なかなか面白い。
「さぁさぁ今から一緒に(汽車に)乗って行こう」と勧める天心に対し、「社会的名声のためにも、暮らしのためにも(行きたい)」と思いつつ、断る。

栖鳳は明治33年8月に欧州遊学している。各地の動物園を回り、後にそれを画業に大いに生かしてもいる。
(獅子図などが特に顕著)

明治34年2月、帰国した栖鳳は「棲鳳」から「栖鳳」になる。
欧州在住時に栖鳳の集めた絵葉書やポスターを見たが、アールヌーヴォーやゼセッション、またエスプリの聞いた戯画などがある。
これらは「海の見える杜美術館」の「栖鳳とその門下生たち」図録に掲載されている。

栖鳳と言う人は革新的な考えを持っており、それを自らの画業に反映させるだけでなく、弟子たちにも新しい道を進むことを推している。
たとえばそれは若いものたちで構成された国画会の創立に際し、顧問を引き受け、彼らの背を押している。
そうした新しいものを取り入れ、進めようという気概があるヒトなのである。
それは既に明治末の雑誌の聞き書きからも伺える。
そこではこんな言葉を残している。
「新しく生まれるものには活気はある。ずっと古いところへ復ってみても、今人の試みるところには、どこか新しみは自らある」

昭和四年、高台寺南道に引越しする。ここは現在フレンチレストランになっているそうだ。
栖鳳はよく知られているように料亭の息子だったが、子どもの頃から絵が好きで家業を継ぐ気がなく、結局お姉さんが後を継いで弟に好きな画業をさせた。
それを栖鳳は生涯恩に思っており、後には自分の墓をお姉さんの隣に建てるよう遺言する。
栖鳳の実家は御池通油小路西入ル「川魚料理・亀政」だった。

栖鳳は画塾「竹杖会」を主催していたが、京都画壇というところは美学校と画塾との関係が非常に親密で、行ったり来たりということが普通だったそうだ。
これは現在開催中の京都市美術館の「京の画塾細見」でのギャラリートークで伺った。

数多い弟子の中でも特に高名なのは上村松園さんだが、松園さんもこの三人目の師匠にはたいへんな敬意と感謝の念とを懐いているようで、いくつもの資料を読むと、松園さんが男性の塾生らと共にスケッチツアーに出られたのも、やはり栖鳳が師匠の塾にいたからこそだと思う。

他に弟子の中ではこれまた多くの優れた弟子を育成した西山翆嶂の、師匠への傾倒振りがほほえましい。かれは松園さんから「栖鳳先生かと思うほど、足音や、煙草の吸い方にそっくりなところがあった」といわれている。
(「文化勲章の10人 京都日本画の粋」より)

ところで栖鳳の傑作「班猫」は沼津でみつけた白にキジの大猫を貰い受けて描いたものだが、その写真が現在山種美術館でも展示されているのはたいへん嬉しい。
その所蔵は海の見える杜美術館だが、ここでは他にも初期の頃の猫の絵の写真(実物はどうなったのだろう)とその絵のモデルになったらしき猫の家族の写真がある。
こうした資料が残るのは嬉しい。

次からは松伯美術館での先の展覧会でみた資料などから。

昭和五年の御池の画室・耕漁荘での栖鳳の写真がある。66歳。縁側の柱にもたれている。
その柱は「椽」テン・タルキ、と説明にある。栖鳳は画帖開いてぼんやりしたような風情。
これは黒川翠山の撮影。翠山の写真は’98年の東京都写真美術館「仮想庭園」にも出ている。

栖鳳の言葉がいくつもパネル展示されている。
それを少しばかり抜書きする。
「画家は形と言うものをしっかり掴んでいれさえすれば、芸術としての見事な輪郭は自然に具わるものであろう」昭和11年『輪郭について』

栖鳳は随筆の雑誌連載を抱えていた。
「大毎美術」~『耕漁荘夜話』。
・大正14年11月 帝展政策を終えて、伊豆の千人湯に入った話。
「色白の女の湯浸かりを見ると、洋画より浮世絵風だ。女が立ち上がった刹那、その身体の色がさながら今海の底から採り上げた珊瑚とでもいいたいような、ほんのりとした薄赤みをもって麗しく輝くのです。
私は恍惚として身を凝視している。そしてふと首から上以上を見ると、白粉が白く塗られていて、どうやらこれは只者ではないと知ると、全く幻滅を感ずるようなときさえありました」 
・昭和3年 御所のための主基地方屏風についての話。
「今尾景年翁が豊楽殿の千歳の松を、野口小蘋が悠基地方を描いた」

先の色紙でもそうだが、栖鳳の小品は多くのヒトに愛されたが、特に雀の絵の人気ぶりは大きかったそうだ。

栖鳳は昭和17年に亡くなっている。8/23の死で8/27の葬儀。
その死についての記事などが展示されていて、ガラス越しながらも読めたので、写す。
・栖鳳の死で帝室技芸員の席が空いたが、人格もいいヒトになると、なかなか・・・
・黒谷さん(金戒光明寺)で葬儀が行われ、川合玉堂が弔辞をささげた。その締めくくりは和歌であった。「嗚呼ついに永久の別れの湯河原の山河くまなく月てる今宵」
・お墓はその黒谷さん。かねてより遺言どおり姉・琴女さんのそばに埋葬された。
・高台寺の南門前から霊柩車が出る。雨の日のことで参列者は傘をさしもする。レトロな霊柩車の写真がある。
・八坂の塔の近くに大豪邸を建てていた。庭に石仏が飾っていたり、洋館があったり。そこに画室もある。その邸宅について、金島桂華がコメントを残している。
「広すぎるが、やはりあれくらいのヒトになると必要」
(帝展松田改組の際に)電話が2回線が役立ち、ヒトも収容できた。
・村松梢風の「葬送の記」より。
「時々雨が降り、晴れ間あり。猛暑の日。琴さんは弟のため独身で店を経営した。かねがね姉の隣に埋めてくれと言っていた」

「美術殿」昭和15年10月号に、日本画壇の人々が総出演して撮られた映画のことが書かれている。角田喜久雄の「風雲将棋谷」である。上野、京都、大阪の美術館で上映されたそうだ。キャスティングを写す。
流れ星雨太郎:西山翆嶂、鳥居甲斐守:小林古径、蝎道人:川端龍子、楽々亭迷山:鏑木清方、龍王太郎:澤宏靭、役人:川村曼舟、お絹:木谷千種、朱実:秋野不矩、お加代:小倉遊亀、仏の仁吉:菊池契月、久太:板倉星光、愚昧和尚:竹内栖鳳・・・
しかしこれ、本当かなぁ?
うそであっても楽しい。

かつて栖鳳の旧居を記念館としていた美術館があったが、残念ながら今はない。
しかし関東では野間、山種、東近美くらいでしか栖鳳を眺める機会はないが、関西ではしばしばその機会に恵まれている。

なおこの20年ばかりの間に開催された栖鳳の絵が多く出ている展覧会で、自分の見たものをあげてゆく。
19900210 竹内栖鳳 京都高島屋
19900929 近代日本画の誕生と歩み 大丸心斎橋
19910217 近代日本画の十人 大丸心斎橋
19910731 山種美術館展 京都市美術館
19921107 日本画近代化の旗手たち ナンバ高島屋
19930522 栖鳳と松園の周辺1 山種美術館
19930626 栖鳳と松園の周辺2 山種美術館
19941103 栖鳳・松園-本画と下絵 京都市美術館
19960608 日本画・明治から大正1 山種美術館
19990410 近代日本美術の名品・野間コレクション ナンバ高島屋
20010912 文化勲章を受けた京の画家10人 京都高島屋
20030426 うるわしの京都いとしの美術館 京都市美術館
20060423 大観・玉堂・栖鳳 近代日本画の三巨匠 野間記念館
20061015 竹内栖鳳と弟子たち 山種美術館
20071103 京都と近代日本画 文展・帝展百年の流れの中で 京都市美術館
20090214 画室の栖鳳 京都市美術館
20090307 文化勲章受章者の作品 高島屋史料館
20100219 大観と栖鳳―東西の日本画― 山種美術館
20120408 竹内栖鳳と京都画壇 野間記念館
20120901 竹内栖鳳 松伯美術館
20120922 京都画塾細見 京都市美術館
20121007 竹内栖鳳と京都画壇 山種美術館


明日はわたしも皆さんと同じように栖鳳展の感想を挙げたいと思っている。

平家物語画帖

平家物語への偏愛についてはいくら語っても語りきれない。
自分の女紋が祖母伝来のアゲハチョウだということからも、いよいよ平家への愛が深まる。
小さい頃から平家物語に深い関心があった。
幼児期、最初に与えられた絵本の中には「牛若丸」がいた。
彼は源氏の御曹司で平家を倒した立役者だから、平家の敵ではある。
かれはいとしい。
しかし個人・牛若丸への愛とは別に、平家の栄華と滅亡とに、幼い頃からわたしは打ち震え続けてきた。
どうしても手放すことの出来ない愛情がそこにある。

いま、根津美術館で「平家物語画帖」展が開催されている。
平家物語画帖は以前に別系統の本を見ている。
根津本はまだ見ていなかったのでとても楽しみだった。
「諸行無常のミニアチュール」という副題が巧い。
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子供の頃から平家物語を愛してきた。
栄華を極め、それを頂点にして一気に滅亡してゆくものに、どうしてか深い愛情を寄せてしまう。
かつての日本人の多くにもまたそうした嗜好があった。
栄華と滅亡と。
片方だけでは愛されない。
滅ぶからこそ栄光がなくてはならないし、また栄華を極め、人の世の理を踏み越えたからこそ滅んでゆく。
そこに人は心を動かされるのだ。
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120枚の扇面図によってこの画帖は構成されている。わたしは後期展に行った。
細かい感想をメモに残しているが、それを挙げるためには物語の概要もまた同時に必須であることに気づいた。
平家物語画帖一点一点全てに物語がある。
文芸性の濃いこの作品は物語そのものを知らずして、完全にその楽しみを享受することはかなわない。
とらさんが素晴らしい記事を挙げておられる。
前期
後期と。
この記事を読むだけでも平家物語を、その人間関係を学べる。
もっとはっきりいうと、画集を持たないヒトはこの二つの記事をプリントアウトするだけでもかなり満足できるだろう。
わたしは前期展に行けなかったが、とらさんのこの記事で展覧会を追体験できた。
とらさんの丁寧なお仕事と、そしてこの展示品の大半が「画帖」という特性を持つがゆえに、満足できたのは確かだ。
つまり画帖は清方風に言えば「卓上芸術」なのである。龍子のいう「会場芸術」ではなく、手元においてシミジミ楽しむ、その性質があるからこそ、図録所収画像やネット画像が美しければ、心楽しい状況になるのだ。
実際目の当たりに出来なかった悔し紛れの弁だというには、わたしの見たとらさんの記事は優れ、図録はよく出来ていて、わたしはその二つを楽しむことでかなりの満足感を得ている。

あとはガラス越しに見た画帖について、好き勝手なことを書いてゆく。
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21.鼬の沙汰の事 大量に現れる鼬。後白河法皇は幽閉されたその場にそんな生き物が大量に現れたことに驚き、陰陽師に占わせると、吉事と凶事が三日以内に起こる、と聞く。
鼬たちは茶黒く小さく描かれ可愛いが、こんなものが大量に現れては、驚きあわてるのも当然である。
予想外の生物が大量に発生するとき、洋の東西を問わず必ず何かが起こる。
南米に黄金を求めてやってきたスペインの一行は、隊長のアギーレを残して全滅するが、川を流れ続けるその筏に大量の小さいサルが発生する。アギーレはサルと共に永遠の彼方へ流されてゆく・・・
なおこのときの陰陽師は安倍泰親。晴明五代目の子孫に当たり、若いうちから鳥羽院のもとへも出向いていた。
話は違うが、鳥羽院と泰親ときくと、わたしは必ず「金毛九尾のキツネ」の説話を思い出す。金毛九尾のキツネは玉藻の前と名乗り鳥羽院の寵愛を受けつつも、院を病に伏させ、さらには日本国を滅ぼそうとする。その正体を見破ったのが泰親で、そこから宣旨を受けた武士たちがキツネを那須野まで追うのである。
そんな泰親が鳥羽院の孫の後白河院にもこうして視たてを行うのが、なかなか興味深い。

27.橋合戦の事 宇治橋での戦い。この構図を見ると祇園祭の「浄妙山」を思い出す。
というか、それが頭の中に生き続けている。この構図はやはり面白く思われていたので、山にもなったのだろう。ここでもヒトのアタマの上に手を掛けてクリッと身を飛ばしている。「平家物語」には往々にしてこうした身体的に面白いポーズ・構図を採るものがいる。

ところで平家物語はむろん平安末期が舞台なので、平安朝独特の怪異現象が起こり、それを伝えてもいる。
29.鵺の事、30.幽霊鵺の事、32.物の怪の事、33.同髑髏の事、34.同馬の尾に鼠が巣くふ事
これらが物語に別種の味わいを与えている。
鵺はキメラとしての相貌をあらわにしている。頼政に拉がれているその顔はサル、胴は虎、尻尾はヘビであるが、こんなイキモノが世に出るのは平安時代だけである。
また清盛が襖を開けると庭に大量の髑髏が、というのは後世の浮世絵にも多く描かれている。江戸の庶民は清盛ネタが大好きだったようで、様々な逸話が浮世絵になっていた。
ここでは浮世絵ほどの迫力はないが、白い山になった髑髏がある。
しかし鵺や髑髏くらいはまだいいが、馬の尻尾に鼠が巣を作るというのは、わたしは気持ち悪くてイヤだ。

36.文覚の荒行の事 那智滝に打たれる厳しい修行を続ける文覚。彼は袈裟御前の死を契機に出家し、己に無茶な修行を課す。今でもよく「滝に打たれて修行」と冗談を言うが、江戸時代は「滝に打たれて」=禊または文覚の荒行を想起していたようだ。半分冗談で半分本気の世界。尤もこの文覚は常に本気である。本気すぎて困るヒトである。
袈裟御前の事件でもそうだが彼は何もかもが過剰に出来ているらしい。感情の発露も巨大で、都びとなのにそれを隠そうともしない。

39.紅葉の事 衛士が紅葉を集めて焚き火にした事件がある。帝の紅葉ではあるが、院はそれを風流心だと笑って済ませる。こういう逸話が平安の風流そのものなのである。
来るべき武士の世では、この逸話は形を変えてしまう。
「鉢の木」は武士の心根の物語である。
 
40.葵の前の事 高倉帝というヒトも気の毒なヒトで、本当に好きなもの・好んだ人は彼のそばにはいられない。また心を寄せて寵愛しても、相手は本当には自分を愛してはいない。
従姉に当たる妻との間には子供がいるが、妻の実家の干渉がイヤで、本当には愛していなかったかもしれない。挙句は夭折する。
その高倉帝が可愛がった幼女が葵の前であるが、彼女が政争に巻き込まれることを恐れ、また世評を慮って帝は遠ざける。哀れな話ではある。

59.宇佐行幸の事 宇佐八幡に祈願に行くが、宇佐はたよりにならない。よくないご神託しかないのも当然で、源氏は八幡神を信仰しているが、平家はそうではない。厳島の神々に祈願はしても、鳩の神様には出向かなかった。それが今になって拝みに行っても・・・

76.鷲尾三郎義久の事 鵯越から一の谷へ向かう道を義経一行が猟師に尋ねた結果、その息子・熊王が道案内になる。彼は名も鷲尾三郎義久と改め、義経の家来となるが、彼は後々の衣川にまで同行し、義経と生死を共にすることになる。
現在月刊マガジンで連載中の沢田よしひろ「遮那王」にはその熊王が出てきて活躍中。
学生の頃、平家物語を学んでいた私は友人らと今も残る鷲尾家に代々伝わる資料などを見に行く予定があったが、所用で私だけ出かけられなかったことを思い出す。
鵯越在住の一人が鷲尾家に連絡を取り、色々とお話を聴いたそうだ。

104.嗣信最期の事 佐藤兄弟の兄・嗣信は能登守教経の強弓から義経を守ろうと、身を以ってその矢を受け絶命する。武闘派教経は戦の折、さまざまな活躍を見せるが、いずれも不運としか言いようのない状況に陥る。嗣信が義経をかばわなければその強弓は総大将を討っていたし、後の壇ノ浦でも義経を追い詰めたにも関わらず、八艘飛びで逃がしてしまう。
さてその嗣信の最期だが、これもやはり月刊マガジンで掲載された川原正敏「修羅の刻」の「義経篇」で感動的なシーンが描かれていた。読み返すたび、涙ぐんでしまう。

105.那須与一の事 この一事だけで与一は永遠に名が残った。江戸時代だけでなく明治になってもこの矢を射るシーンは絵画化されている。講談などでもここは語りどころの一つである。昭和初期の少年雑誌にも美しい口絵が描かれた。

110.阿波民部心変りの事 平家の実質上の軍事権は知盛が握っているが、暗愚の兄宗盛の立場も尊重しなくてはならない。結果、阿波民部の裏切りを止められず、戦況は悪化の一途をたどることになる。
知盛と阿波民部との関係を描いた戯曲がある。木下順二「子午線の祀り」である。
わたしがみたのは嵐圭史の知盛だった。民部は知盛への愛に苦しんでいるように思われた。
その愛の苦しさから彼はユダになったのである。そのようにわたしには見えた。
わたしはあの壮大な演劇を見ながら自分が静かな感動を受けていることに気づき、心の漣にふるえたことを忘れない。

112.先帝入水の事 小舟に女が三人いる。舳先に立つ女は尼形ではないが、幼児を抱えているので二位の尼(時子)かと思われる。「波の下にも都の候ぞ」と話しかけて入水する。
あとの女二人も続くのだが、ここでは一人赤い鉢巻をした船頭だけが静かに座している。
船頭は戦においては無縁なので、壇ノ浦の戦い以前は命は保障されていたそうだ。(他殺はされない、と言う程度である)
彼らはエンジンでありモーターであり、自動操縦機と看做されていたのだが、義経が「水主梶取をも」斬ればよいと言い切ったことで状況が変った・・・というのが「子午線の祀り」にある。ここで発想の転換が生まれたのである。

113.能登殿判官の舟に乗り移りし事 前述の八艘飛びがここで絵画化されている。
ぴょーんと飛ぶ義経と、待てと手を伸ばす能登守。金と青の背景が美しい。青い海を背景に飛ぶ御曹司は金色に包まれている。それが彼の超人的なジャンプを美しく見せている。

114.能登殿最期の事 教経はついに義経を仕留めえず、最期のときを迎える。彼は自分に打ち向かってきた強力の者たちを両脇に抱え込み、死出の供にせん、と入水する。
能登守を描いた川原正敏の作中ではこの入水は出なかったが、武闘派たる彼の口惜しさと決断とは作中によく表れていた。

根津本では知盛の最期は描かれていない。
林原美術館所蔵の絵巻にはいましも入水せんとする姿がある。
知盛の最期の言葉「見るべきほどは全て見つ。今はただ自害せん」・・・なんという見事な終わり方か。
その感動がここで断ち切られたのは非常に無念だが。

116.判官西国下向の事 義経の悲惨な逃避行である。九州行きは大物浦で嵐のために頓挫する。平家の亡霊による邪魔が入るのだが、その図は国芳とその一門により多く描かれた。
また前田青邨「知盛幻生」という近代日本画の名作がすぐに思い浮かぶ。
滅多に大物を通らないが、まれに阪神電車に乗り大物を越えるとき、私は必ず義経一行の難儀を思い出し、国芳や青邨の絵を想うのだった。

117.六代の事 維盛の子・六代君がかくまわれているのだが、そこへ追っ手が来る。幼児の六代はわんこを追いかけて外へ出て、その姿を目撃されるのだ。
わんこやにゃんこや雀の子が契機になり、ヒトに姿を見られたものは、後に悲しみを味わうことになる。
わたしは学生の頃まじめに清盛と六代のことを論文にしたりしたが、結果はあまり芳しくなかった。六代の墓は逗子駅から神奈川近代美術館葉山館へ向かう途中にある。

120.小原御幸の事 かつて建礼門院だった徳子は人跡まばらな大原(小原)で暮らしている。
そこへかつての舅であり、また平家滅亡の一端を拵えた後白河院が訪れる。
生きながら地獄を観たと語る。
この画題は近代日本画にもおおく描かれている。また北条秀司の戯曲では法皇と徳子の語り合うシーンが大詰めにあり、六世中村歌右衛門の徳子、島田正吾の法皇という顔合わせの素晴らしい舞台があった。今は二人も鬼籍のヒトとなったが、あの場を見ることが出来たわたしは幸福だと思う。

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深い感動がしみじみと広がるのを感じながら歩を進めると、他にも為恭の絵や長春の肉筆がある。また平家琵琶もあった。
わたしは上原まりさんの筑前琵琶による平曲は聞いているが、やはり平家琵琶といえば耳なし芳一に尽きる。実際に聴くことなどありはしないのに、そう思うのだった。

他に曾我物語の屏風もある。工藤は裸で寝ているところを襲われる。
屏風の中での曾我兄弟の最期はちょっとわからなかった。

平家物語の能面も集められていた。
「童子」面は優美で、「十六」より好ましい。
絵ばかりでなく能面を集めたところもとても好ましい。さすがは根津美術館だと思う。
いいものを味わわせてもらい、いよいよ平家物語への愛が深まってゆくばかりである・・・・・

歴史だけが全ての真実ではない。事実は隠蔽され勝者の理屈により書き換えられることも多い。
闇に埋もれた真実は失われ、稗史にこそ敗者側の真実が生きていることがある。
安居院をセンターとして琵琶法師が各地をさすらい、平家物語を広めていった・・・ということを思う。
このことももう四半世紀前に耳をかすめていった話だ。
今ではまたもっと研究が進んでいて新しい事実が世に出ているかも知れず、逆に興味が失われ、研究は後退しているかもしれない。
いずれにしろわたしはただの部外者に過ぎず、何をいうことも出来ない。
今はただこの美しい世界を愉しむばかりである。

展覧会は10/21まで。

利休参上

正木美術館の「利休参上」チラシはインパクトが強い。
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チラシの出来により「行くか行くまいか」悩むヒトもあるだろう。
わたしなぞはチラシの魅力に惹かれて、都合が悪いのに無理をして出かけた展覧会が数知れずある。
又そういう展覧会は必ず豊かな実りを齎してくれるし、行った記憶も廃れない。
とはいえ、この「利休参上」のチラシがわたし好みかと言われると、そうとも言えない。
しかしこの衝撃度はかなりのものである。
もともと正木美術館は展覧会ごとに行きたいところだが、このチラシの強さには「ををっっ」となった。
東京でこのチラシなりポスターなりを見た人々が「う~~む、行きたい、凄い凄い」と言うのを聴いている。なんだが巨大な茶杓でぶちのめされたような気がするくらいだ。
凄いチラシなのは確かである。

早速その利休の肖像画である。
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これは生前の利休を描いた唯一の画らしい。前のめりになっているが、あわてているのではなくグッと何か力強いものが感じられる。
62歳。等伯が描いたと伝わる。手には閉じた扇を持ち、口は強く引き結ばれている。
茶人と言うより武人の風情がある、という形容をいくつもの本で見ているが、確かにそんな強靭さがある。ただしそれは心の強さが表に出ている、という意味で。

虎関師錬墨蹟 聯芳偈 これは縦に字が書かれてはいるが、下地は横長に絵が入り込んでいる。大きな木を中に、可愛い童子が二人ばかり見える。その上に文字が流れる。
聯芳不竭 虎関書 二十四番風繞簷
れんぽうつきず 虎関書く 二十四番風簷(ノキ)に繞(マツ)る

墨竹図のよいものが三点並んでもいる。
北宋のものには蘇東坡の賛がある。元に描かれたものが日本に来て僧の賛を加えられたり、室町のものは和の風情を漂わせつつある。

室町時代の水墨画のよさを知ったのは、この正木のおかげである。
わたしはそれまで水墨画のよさを全く理解できなかったのだ。
わびさびという言葉もあまり好まなかった。
しかしわびさびには透徹な意識が生きている。

扇面図がいくつか。
三聖人図、サル図などはどこか戯画的な面白みがある。顔の丸いお猿さんは可愛らしく、ヤンキー座りする聖人爺さんたちは不穏なツラツキである。
三聖人図を描いた「戯墨」の描いた扇面の十牛図は以前から好きな作品である。
とぼけた牛の表情がいい。愛想のいい牛で少年をしばしばからかうそぶりを見せる。
一枚の図の中に何面もの扇を置いて、それで十牛図を完成させる。
可愛い牛と少年に和む。

桃山の扇面花鳥画になると彩色が豊かになる。
緋牡丹の咲く枝に尾の長い鳥が止まっている。鳥は剥落が激しく白い鳥になったが、四百年前はさぞや鮮やかだったろう。花だけは色をとどめている。

南宋の天目茶碗に明や室町の台を合わせたものが並ぶ。
禾目が繊細すぎるほどの建盞天目茶碗には明の黒漆松竹梅文青貝天目台を、玳皮釉双鳳文天目茶碗には朱漆金彩台を。
どちらも美しい。松竹梅文は白く刻まれ、六弁の花びらを持つ台は豊かに開く。

堅手茶碗 銘・浜千鳥 銘は小堀遠州がつけている。白とオレンジ色に発色し、さらに鹿の子文が散る。可愛らしい朝鮮時代の茶碗。

樂が現れる。横目で見る。あの分厚いのは長次郎、隣の薄手はノンコウ、と決め付けてそぉっとその前に立つ。
その通りだった。
鉄錆のような黒樂は長次郎で近衛家伝来の「両国」、薄い口べりの素敵な黒樂はノンコウで「散聖」、赤はやはりノンコウの「武蔵野」。
「散聖」は豊干や布袋といった禅僧の中でも法系本筋から外れた僧をさす言葉らしい。
なんとなくそれをこの茶碗につける心持と言うものが楽しい。
また「武蔵野」は色がやや薄く、荒涼とした風情を指したようだが、私の目にはアメリカ開拓時代の「西部」に見えて仕方ない。

谷焼というものが出た。樂茶碗である。17世紀の堺の谷氏が五世宗入に学んで拵えた茶碗。
こういうものがあるのが正木の面白いところである。

大名物の唐物肩衝茶入「有明」の来歴が凄い。実物を目の当たりにしつつ、そこまで愛される理由がわたしにはわからない、とは表立ってクチには出来ないが。
足利家~大友宗麟~徳川家光~会津松平家~徳川家斉~会津松平家~正木孝之・・・
茶道具の面白さは形や色だけでなく、その来歴にもある。

金輪寺茶器 春慶 桃山時代の春慶塗の「春慶」が拵えた茶器。綺麗な絖のようだ。
堺春慶。わたしはやはりこうして綺麗に塗られて、落剥しないものが好きだ。

白地鉄絵蝶文水指 磁州窯 北宋~金時代の名品。丸い白胴に黒い蝶が列を組んで飛んでゆく。非常に魅力的な絵柄。リアルではなくやや大雑把なところを味わいたい。
黒泥をまぜ、掻き落とす。蝶の翅の筋が美しい。

古備前算木花入 ハキハキした算木ではなく、摩滅したようにも見えるところがいい。
その花入れには、須田悦弘の白桔梗が一輪生けられている。そぐう。

古信楽蹲花入 いい具合の高さである。飴色に光る部位と鈍く重い良さが共にある。
ここには須田の白椿がある。
須田悦弘の作品を知ったのは、この正木美術館でだった。
今度千葉市美術館で回顧展があるが、そのときもこうした古美術と共に在ればいい、と思った。

利休好みの釜がある。辻与次郎。天正三年(1575)の釜。雲竜文がある。
わたしはそこに並ぶ古芦屋釜がいい感じだと思った。室町時代のものだから「古」のつく芦屋釜。

小さい香合や猪口などが並ぶのを見るのも楽しい。
中にはオランダ焼というのもある。賞玩する、ということを考える。

竹図屏風 寛永年間の屏風。これが非常にいい。様式美。
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作者はわからないが、こうした屏風には特に強く惹かれる。
麦、ススキ、菊などなど、純粋にその植物だけを描いた美しい屏風。
シュールな美を感じる。いいものを見た。

最後に柳橋水車図屏風を見る。銀月はない。蛇籠がみえる。波のうねりは静かである。
音のない世界で永遠に波は生きる。
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利休以前・利休最中・利休以後、と三つの時代のよいものを見た。
あのチラシのインパクトに撃たれた方は、ぜひともこの正木美術館へ。
多少の展示換えもある。12/2まで。

リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝

国立新美術館の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展には圧倒された。
実のところ期待はしていたが、前情報をいれずに出かけたので、あそこまで力の入った展覧会だとは思わなかったのだ。
まず空間の設えに驚いた。
これまでも大々的なエルミタージュ展やハプスブルク家展などで素敵な設えは見てきたが、これはレベルが違う。
再現されているのだ、国立新美術館の空間に「夏の離宮」が「バロック・サロン」として!
本当に驚いた。
あまりに圧倒されて、バロック・サロンでかなり長い時間を費やしてしまった。
他を堪能する時間が減ってしまった。
素晴らしい!
実際の夏の離宮の写真は、配布された新聞記事に載っている。

うむ、これを再現したのか。
サイトにはこうある。
ウィーン郊外ロッサウの侯爵家の「夏の離宮」は、華麗なバロック様式を特徴とし、その室内には今もなお、いにしえの宮廷さながらに、侯爵家の所蔵する絵画、彫刻、工芸品、家具調度が一堂に並べられています。本展では、その室内装飾と展示様式にもとづいた「バロック・サロン」を設け、華やかなバロック宮殿の雰囲気を再現します。また、日本の展覧会史上初の試みとして、天井画も展示。総合芸術としてのバロック空間を体感していただけます
実際その通り!
何を見てもどれを見ても「いい、いい、いい!」ばかり思ったのは、これは完全にこの空間に夢中になってしまった証拠。
一つ一つをためつすがめつ、ため息と共に目ばかりキラキラさせて眺め歩いた。
冷静になり、一つ一つを見て小さい感想を言うのは、この場合ふさわしくない。
個にして全、全にして個たるこの展示空間、それ自体を楽しめばよいのだ。
それにしても本当に素晴らしい・・・

チラシは全面を開くとA2ポスター大になる。
それはスキャンできないのでカメラで写す。
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そして肖像画がわれわれを誘う。
「ようこそ、わが宮殿へ」
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ああ、招かれてしまった。この栄誉は公にしなくてはならない。

天井画も壁面に飾られた画も、何もかもが優美。
そして家具や建物の装飾の総合的な美貌。
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まさに王侯貴族の優雅な空間。
佇むだけでくらくらする。

中国や日本の美しい磁器がヨーロッパに流れ出た時代、東インド会社を通じて世界中へその美が知れ渡り、王侯貴族はこぞって東洋の美を蒐集これに務めた。
しかしそれをそのままの形では愛さず、西洋の嗜好に沿う黄金の飾りを施した。
繊細なポーセリンに強固な金属の箍を嵌めて、緊縛する。
それでこそ、欧州の王侯貴族の嗜好に適うのだ。

過剰な装飾を施されたのは磁器だけではない。
キャビネットの美々しい装いを眺めていると、これが実際に使用されたのかどうか疑いが浮かぶ。とはいえ宮殿内のヒトの集まる空間の家具には、それほど実用性のあるものはないだろう。

絵の下に美々しいキャビネットやテーブルがある。一つ一つを眺めつつ、その組み合わせを楽しむ。
一つだけで見ても魅力的だが。
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天井画の作者はアントニオ・ベルッチ。四点の連作。これは東京でしか展示されないというから、やはりここで見れたのは嬉しい。

実際ここで本当に時間をとりすぎてしまった。
リヒテンシュタイン侯爵の持つ名画コレクションにたどり着けない虞れが出てきたのである。

なんとかバロック・サロンの魅力を振り切って次のコーナーへ向かう。
リヒテンシュタイン侯爵家の名画について必ず思い出すことがある。
青池保子さんの「エロイカより愛をこめて」のエピソード「第七の封印」である。
ここでは美術専門の怪盗エロイカが、リヒテンシュタインの秘匿された名画を見る機会に恵まれ、それを盗む計画を立てることから話が動き始める。
物語は東西冷戦の終盤時代だった。ファドゥーツ城の警備のコンピューターをこちらで操作するためにブラックボックスが必要となったが、そこへ旧KGBが自国のコンピューターの狂いを修正させたいがために、ブラックボックスを持ったIBMの技師を拉致する。
作中にはリヒテンシュタインの名画が姿を現すことはないが、今もそのときに感じた憧れは活きている。

名画ギャラリー やっとたどりつけた。
ここでは少しばかり細かい感想を書く。

ルーカス・クラナッハ(父) 聖エウスタキウス 縦長の絵。浮世絵でいえば三枚続な形である。
上部に立派な角の鹿がいる。三本も角があるのかと思えば、それはキリストの十字架だった。
突発的な出会いは衝撃だったらしく、エウスタキウスはキリスト教に改宗する。
主人の周りにたむろする犬たちの表情が面白い。そして木の陰に立つ馬はカメラ目線で、こちらをじっと見つめるのがいい。

グィド・レーニ マグダラのマリア かわいい。上を見るその目つきがいい。

「切り取った敵の生首を持つ」人々がいる。
クリストファーノ・アッローリ ホロフェルネスの首を持つユディト 黄色い衣装の女。どことなく親しみやすい顔立ちである。
ジロラモ・フォラボスコ ゴリアテの首を持つダヴィデ このダヴィデの美少年ぶりにはときめいた。ヤマトオグナがクマソ兄弟を倒した故事に通じるものを感じた。

チーロ・フェッリ 井戸端のキリストとサマリアの女 親愛な空気が感じられる。この和やかさがいい。


こちらはルーベンス・ルーム。
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ルーベンスといえばまず「フランダースの犬」である。
ネロが死の寸前に見たルーベンスの大作、ネロは満足しての死を迎える。
また堀辰雄「リューベンスの偽画」も。

聖母を花で飾る聖アンナ 聖アンナはやや年輩婦人として描かれ、マリアの祖母のようにもみえる。マリアは金髪の美少女である。天使たちがころころいる。音楽が流れてくるような作品。

キリスト哀悼 鼻血の伝う死骸。あちこちの血がナマナマしい・・・

実に多くのルーベンス作品を所蔵しているそうだが、その一端に触れることができて本当に嬉しい。

次にうつる。
モノスゴい細密な技術と装飾が待っている。

イタリアのさる工房で作られた「貴石象嵌のチェスト」が余りにすばらしくて目がくらんだ。

再び名画ギャラリーが始まる。

群衆を見る。主人公がどこにいるのかわからない絵。
ヤン・ブリューゲル 若きトビアスのいる風景 本当にわからなかった。

ピーテル・ブリューゲル ベツレヘムの人口調査 しかしいつもながらの猥雑な農村風景なのである。
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ヴィジェ・ルブラン 虹の女神イリスとしてのカロリーネ・リヒテンシュタイン侯爵夫人 この図を見て明治初期の日本洋画、本多錦一郎の女神像を思い出した。
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フリードリヒ・フォン・アメリング 夢に浸って 可愛らしさにときめいた。こうした表情はやはり19世紀絵画のものだとも思う。
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フランチェスコ・アイエツ 復讐の誓い この女の表情の厳しさから、迫りくる惨劇の時を想う。

バロック・サロンに溺れて時間を傾けすぎてしまい、こちらの作品を楽しむ時間が少なかった。
惜しいことをした。

12/23まで。

最後に愛らしい幼児を。
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講談社の絵本原画展

野間記念館で久しぶりに全館あげての「講談社の絵本原画展」が開催されている。
わたしは一冊も実物を持っていないが、本当にこの「講談社の絵本」の素晴らしさには、いつもいつもときめく。
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チラシは犬張子の可愛い絵。これは多田北烏の原画。昭和12年の「子供知識」から。
こういうのを見ただけでわくわくしてくる。

基本的に当時一流の日本画家が主として担当している。
子供たちによいものを、という意識が強く伝わってくる。
本当に美麗な作品ばかりである。
今回気づいたのだが、さすが日本画の絵本だけに四季それぞれの美しい表現がなされているものが多く、それをも楽しんだ。

笠松紫浪 浦島太郎 昭和12年 6点。
浦島太郎 (新・講談社の絵本)浦島太郎 (新・講談社の絵本)
(2001/07/18)
笠松 紫浪


竜宮では月琴を弾く少女もいる。月琴は明治から大正にかけて随分流行した。昭和初期になるとだんだん廃れてきたが、それでも異国情緒をかもし出す楽器として、人々の意識に刻まれている。
海底の竜宮とはいえ庭には牡丹も咲き、梅や藤も姿を見せる。珊瑚は当然そこかしこに赤枝を伸ばす。水仙も愛らしく咲く。
太郎はいまだ漁師スタイルであるが、鼻のすっとした美男子として描かれ、乙姫とのむつまじい暮らしを想像させる。
紫浪は鏑木清方の弟子で、木版画によいものを残しているが、さすがに清方の弟子だけに美しい絵を描いている。

鴨下晁湖 舌切雀 昭和12年 10点。
舌切雀 (新・講談社の絵本)舌切雀 (新・講談社の絵本)
(2001/07/18)
鴨下 晁湖


おじいさんが雀が倒れているのを救うところから始まる。愛らしい丸頭に三角の羽の雀。しかしおばあさんのこしらえた糊(米を水浸しにして拵えるから、当時としては貴重だということを弁えねばならない)を食べたために舌を切られ泣いて逃げ去る雀。
おばあさんは右手に鋏を持ったまま、強い目でそれを見ている。いじわるではあるが、立ち姿がなにやらかっこいいのは確かである。タンポポにアザミの頃。椿もある。
おじいさんは雀に会いに林へ入る。既に異界なので、行き合う雀たちは大きくなり、着物を着ている。竹に黄色と白の蝶たちが舞う。山桜の頃。
色とりどりの可愛らしい提灯の下がる雀のお宿。愉しい語らい。雀踊りなどなど。
やがて土産におじいさんは小さなつづらを背負って帰る。
今度はおばあさんが雀のお宿を訪ねる。藤が咲いている。
重いつづらを背負って帰るが、当然ながら寄る年波で一息では帰れない。つづらを下ろすと、中から様々な化け物が飛びだす。入道、一つ目の雀娘、轆轤首など。
晁湖は後年、柴田錬三郎「眠狂四郎」の挿絵を描き、一世を風靡した。弥生美術館での回顧展では主にモノクロームの美を堪能した。

織田観潮 竹取物語かぐや姫 昭和14年 26点。全頁の原画が出ている。
かぐや姫 (新・講談社の絵本)かぐや姫 (新・講談社の絵本)
(2001/04/17)
織田 観潮


秋のある日、柿とススキの見える家。竹に雀もいる。そこでのかぐや姫の発見。
やがて桃の花の頃、姫のもとへ求婚者たちが訪れる。
それぞれの顛末が描かれてゆく。鹿の毛皮をつけた公達は水中で苦しみ、燕の巣を得ようとした公達は空の星の前で目を回す。そこには星が「☆」で表現されていた。細い線描でふくらみはないが、江戸時代までの「○」表現ではない、明治以降の☆表現である。
そして月を懐かしむ姫の前には山吹が咲く。
帝の軍勢が月よりの使者に負ける。黄色い楓の頃、姫は月へと帰還する。
丸一年ほどの物語なのである。姫が去るその後姿に嘆く老夫婦。文章は西条八十。
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この絵本は実際それがあったかどうかは知らぬが、村上もとか「龍RON」で「はめえ」としても現れる。姫の顔のピースを隠す少年の心模様が描かれていた。

米内穂豊 鼠の嫁入り 昭和15年 9点。
鼠の嫁入と文福茶釜 (新・講談社の絵本)鼠の嫁入と文福茶釜 (新・講談社の絵本)
(2002/04/19)
米内 穂豊、石井 滴水 他


裕福な家柄だけに座敷の掛け軸は大黒様である。大黒様は鼠のお主でもある。赤ら顔の大入道の雲のもとへという話で泣く娘、古代装束の太陽にも嫌がる娘、風神も壁も向かない。やがて鼠は鼠同士の良縁が定まる。白い顔が初々しい。

桃太郎と金太郎の原画は上下に並べてあり、見比べるのも面白かった。どちらも昭和12年。
桃太郎は齋藤五百枝、金太郎は先の米内による。
桃太郎 (新・講談社の絵本)桃太郎 (新・講談社の絵本)
(2001/05/18)
齋藤 五百枝


桃太郎の飛び出す桃の内側がなんとなく微妙に官能的な色合いにも見えるのは、こちらの目のせい。桜の頃に旅立ち、黍団子を与えて家来を作る。
金太郎 (新・講談社の絵本)金太郎 (新・講談社の絵本)
(2002/02/18)
米内 穂豊


金太郎は秋の物語として描かれる。クマやウサギやサルや鹿らと楽しく相撲をとる金太郎を見つける武士一行。橋のない谷では木を切り倒してわたってゆく。熊も驚く力持ちである。帰宅するやお供の動物たちもにこにこしている。母の山姥は若い女で、鬘帯をしている。富士山の見える山中で、ススキに囲まれた家。
五百枝は佐藤紅緑の少年小説「あ〵玉杯に花うけて」の挿絵などでも有名。

尾竹国観 かちかち山 昭和13年 8点。
かちかち山 (新・講談社の絵本)かちかち山 (新・講談社の絵本)
(2001/05/18)
尾竹 國観


何と言うても婆殺しの場のよさが目に残る。
蕗は緑をなし、外には小さな鬼百合が咲く。その中での惨劇。自由の身になった狸が身をよじって婆を襲う。
アジサイの頃、仏壇に向かう爺と、やってきた兎。
桔梗咲く頃にはかちかち山でやられた狸の傷もだいぶ治りつつある。
復讐は海上である。狸の悲しい顔つきが可哀想である。婆に逆襲するときのかっこよさも目に残るが、仕方のない話である。
やがて兎が帰還した頃には茄子がなっている。

井川洗ガイ 猿蟹合戦 昭和12年 8点。よく出てくる原画だか、やはり愉しい。
猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)
(2001/06/20)
井川 洗がい


なにしろこのサルや蜂や蟹のリアルさに比べて、栗のまん丸な目が可愛くて可愛くて。
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次は世界の童話へ。
立野道正 親指姫 昭和15年 20点。親指姫一代記を丁寧に描いている。誕生と誘拐、そして鼠夫婦の家での暮らし、燕の看病、モグラとの縁談などなど。蝶は気の毒なことにリボンを結わえられたままで消息を絶つが、燕の羽は力強く飛ぶ。
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やがて幸せな結婚が姫の上に訪れる。優しく愛らしいタッチで物語が進んでゆく。

本田庄太郎 孫悟空 昭和14年 6点。本田らしい可愛いくりくりした絵で物語が進む。
孫悟空 (新・講談社の絵本)孫悟空 (新・講談社の絵本)
(2002/04/19)
本田 庄太郎


桃を盗む・お釈迦様の指の周りを飛ぶ・とらわれる・・・改心の末に旅立つ。
敵には自分の毛で拵えた小さな化身たちと共に立ち向かう、とみどころたっぷりの絵本。
本田は「コドモノクニ」などで大活躍した絵本画家で、特に幼年向けの作品が素晴らしい。
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田中良 家なき児 昭和13年 10点。養母のもとで幸せに暮らすルミだが、家庭の事情から旅芸人ビタリス爺さんと共に旅立つ。半ズボンの爺さんは三匹の犬とサルとオウムとをと従えている。雪の中で立ち往生する一行。イヌもカピのみ生き延び、爺さんも亡くなりルミ少年は一人で旅を続ける。優雅な船の旅をする母子、爺さんが捕まっている間に養ってくれた一家などなど・・・やがてヴァイオリン弾きのマチア少年ともコンビを組む。
もうけたお金で養母に牛をプレゼントし、楽しい晩御飯を囲む。
そのうちあの優雅な母子が実の家族と知り、ルミはマチアやカピ共々そこへ向かう。
田中良は主に婦人誌の挿絵などで活躍。コンテ風な描線での作品もよかった。
この「家なき児」はむしろ洋画風にも見える。

吉邨二郎 世界お伽噺(ガリバー旅行記)昭和13年 6点。小人国で捕まり、縛られたまま行進。
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お城で王に拝謁するガリバー。船も助ける。小人国での英雄的行為の数々。
しかしもとの人間界へ戻るや、悪いツラツキで、持ち帰ってきたミニ牛や馬を酒場でヒトに見せ、なにやらたくらんでいる風が見える・・・

黒崎義介 イソップ絵話 昭和12年 4点。「アリとキリギリス」には朝顔とアジサイが描かれ、「ヒケフナ(卑怯な)カウモリ」は戦争を、「オシャレナカラス」では孔雀に装ったカラスがひどい目に遭うシーンが、「キンノオノ」では女神が三本の斧を持って立っている。
黒崎は足立美術館の童画館にかなりの作品が収められているが、いずれも可愛らしい絵が多い。ここでは女神と樵が大人なので、わたしには珍しく感じられた。

川上四郎 童謡画集 昭和12年 14点。雀の学校、肩たたき、とおりゃんせ、ホタルコイなどの懐かしい童謡の一枚ものの絵が並ぶ。これこそ大正時代の名残かもしれない。
一世代後の子供たちも童謡を楽しんだことだろう。

やがてたくさんの画家が参加した「子供知識」シリーズなどが現れる。
「魚尽くし」では鯛を池上秀畝が描いている。
「おいしいお菓子」は本当においしそうで楽しい。チョコ、長命寺の桜餅、桃山、せんべい、クリームパピロ、キャラメル、おはぎ、ショートケーキなどなど・・・
スィーツだけでなく野菜や果物もたくさんある。
「自然界のいろいろ」は本田「虹」、田中「川」、多田「嵐」「火山」、東山新吉「山」「島」「木」などなど。
この東山新吉は後の東山魁夷。彼の童画は健全で優しく、いい作品。
童画家であったことを「隠そうとした」ことは、却って東山魁夷の瑕になるように思う。
わたしは童画家・東山新吉のファンである。

だんだんと愛国主義の熱が高まってきたか、日本神話や歴史上の忠臣を題材にした絵本が増えてくる。

田中良 日本武尊 昭和13年 6点。熊襲を襲う女装する美少年、焼津での草薙剣の神威。
白犬との邂逅、白猪との遭遇。そして白い鳥になり空の彼方へ向かうミコト・・・

鴨下晁湖 大国主命 昭和16年 8点。白兎とワニから始まる。ワニは本当はサメなので、可愛く尖ったサメたちが居並ぶ上を白兎がぴょんぴょん飛ぶ。当然「皮を剥かれて赤裸」になり、泣いていると大国主の兄たちが現れ、兎にうそを教える。
いよいよ赤膚になり泣く兎のもとへ現れるふくよかな大国主。浜辺には貝殻と珊瑚が散らばっている。
蒲の穂綿にコロコロ包まる兎。気持ちよさそうな目をする兎が印象的。
やがて秋のある日、スサノオの娘スセリ姫と出会う。蜂の攻勢も姫のヒレで救われ、火をかけられても鼠の力で助かる。
兎の表情がとても可愛らしかった。

荻生天泉 和気清麻呂 昭和16年 8点。女帝、僧業の男、和気清麻呂、といった三者の位置をみる。やがて猪の集団と共に歩む和気清麻呂。町づくりの絵が見える。

荻生天泉 菅原道真 昭和14年 6点。賢そうな幼児と梅の花。山頂での祈願、庭の梅、左遷の船で、大宰府の近辺の子らにも書を教える・・・
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山川永雅 八幡太郎義家 昭和13年 6点。赤子の頃、元服を迎えて、出陣、雪中での戦い、鬼のような顔つきのものを捕らえ・・・菊池寛の文。
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近藤紫雲 静御前 昭和14年 6点。踊りの稽古をする、凱旋する義経に花をささげる、都落ちに同行、吉野山の雪の別れ、さまよう・・・そして鎌倉鶴岡八幡での舞い。しずやしず・・・綺麗な絵。八十の文。

羽石弘志 楠木正成 昭和12年 4点。いくさごっこに興ずる子供、楠公父子の別れ、切腹。池田宣政の文。彼の文は独特のリズムがあり、好きな作品が多い。
「少年倶楽部」での活躍を思う。

小山栄達 加藤清正 昭和12年 6点。一人だけズンッと大きな子供、朝鮮へ出兵、虎と戦う、そして芝居で有名な「地震加藤」の場。

伊藤幾久蔵 山田長政 昭和15年 4点。いじめられっこを助ける、密航でシャムへ。
シャム王宮での暮らし、象に乗り戦う。
日本人でシャムと言えば確かに彼しか思い浮かばないが、実際に象に乗って戦ったかどうか。古代の王様を思いながら絵にしたのかもしれない。
幾久蔵は「快傑黒頭巾」などでも有名。

石井滴水 宮本武蔵 昭和12年 4点。村で闘う、白狐を討つ、塚原卜伝に負ける、巌流島でパッと宙に飛んで佐々木小次郎を倒す。
最後の巌流島のシーンは後に横尾忠則により、その作品を模写される。少年横尾の心に残るシーンだったのだ。またこの時代までの武蔵は江戸時代から引き続き、綺麗に月代を剃っていて、むさくるしさはない。

尾形月山 徳川光圀 昭和16年 4点。雪の日の若君、狩、修験者と出会う山中、晩年になり農地に働くヒトを眺める・・・
この時代既に映画などでも「水戸黄門」は愛されていた。

米内穂豊 雷電と相撲物語 昭和14年 4点。秋のある日、村で石臼を引く子がいる、殿様の御前にて、大勝負に勝つ。
雷電は松平不昧公お抱えの力士である。師匠は谷風。江戸時代無敵であった。

伊藤幾久蔵 二宮金次郎 昭和13年4点。貧乏暮らし、わらじ作り、働く・とにかくよく働く、本読みながら柴を担って歩く(あのポーズである)。
ニノキンの少年時代ばかりがクローズアップされるが、彼は後年に一種のコンサルタントとして、経済立て直しに働くヒトであることを忘れてはいけない。

富田千秋 西郷隆盛 昭和15年 4点。剣を抜く少年たち、ネクタイをする西郷、そして少年相撲の行司をするが、美少年ぞろいなのにはときめく。さすがヨカニセ・ヨカチゴを愛するお国柄である。特に一人じぃっとみつめる少年のまなざしの妖しさには、萌える。
最後は犬を連れて兎狩するシーン。これが上野の銅像のポーズ。

富田千秋 吉田松陰 昭和16年 4点。少年時代から賢い松陰。殿の御前で書を読む。松下村塾での師弟たち、そして密航しようとするも・・・
富田は薩長それぞれのヒトを描いているが、文はまた別々である。

田中良 野口英世 昭和16年 4点。手が包帯にくるまれている幼児期。母の看病、アフリカでの研究の様子。文は池田宣政。子どもの頃「偉人の伝記」として野口英世を読んでいたので、色々と懐かしい気持ちになる。

尾竹国観 日本よい国建国神話 昭和14年 14点。紀元2600年の手前か。国生みの二神、家を建てて住み始める、長髪の神、薬の作り方を教えたり、壷を焼いたり勾玉を作ったり。
天岩戸、川で箸の流れるのをみつめるスサノオ、ヤマタノオロチ退治。
国引き神話、大国主と赤膚のウサギと蒲の穂と。
三種の神器を渡す、猿田彦、神武東征。神武が鳥を見つける山中、金鵄。ヤマトヘ。
ヤマタノオロチのもやもやした描き方が不気味でとてもいい。

こういう展覧会を楽しめることが本当に嬉しい。10/21まで。

バーナード・リーチ 生誕125年 東と西の出会い

バーナード・リーチ展が難波高島屋に巡回して来た。
リーチは今も日本人に深く愛されている。
バーナード・リーチの器をこうして改めて眺めると、いろいろと気づくことも少なくない。
大胆な動物柄が多いことや、物語性の高い作品がいくつもあることなどである。
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たとえばウサギ柄の多さが目に付く。
楽焼のほかにもいろんなやきものがあるが、いずれも走っていたり飛んだりしている。
うずくまるような姿態は見せない。
絵でもウサギは飛んでいる。zen815.jpg
このウサギの目つきが艶めかしくていい。

一瞬リーチはウサギ年か酉年かと思ったが、1887年生まれなのでイノシシあたりか。関係なかった。

香港に生まれ日本で育ち、英国で人となった。やがてラフカディオ・ハーンの書物に惹かれ、日本に降り立ったリーチ。
白樺派の同人たちにエッチングを教えていた、という話は里見弴の随筆にも面白く書かれている。
同世代なのに気づかずリーチをずっと年長だと思いこんでいた、という逸話もある。
またリーチが着物を着て子連れで歩く姿を見た岸田劉生が諺「律儀者の子沢山」をもじって、「リーチ着物の子沢山」とシャレをとばしたこと等々・・・
リーチは白樺派界隈の人々から派生した民芸の人々と終生にわたって明るい交友を続けた。
ここにもそんな写真があげられていて、それを見るだけでもほのぼのする。

実際のところ、わたしは民芸運動は意義のあることだと思うし、展覧会は楽しいのだが、自分で彼らの作品を買うかというと、それはかなり指向が異なるので買わないのだった。
しかしこの人々へのあこがれは深い。
1887年あたりに生まれた人々への私の視線は、いつも暖かいものになる。

リーチは特に浜田庄司と仲良しで、一旦英国へ帰るときに彼を同行した。浜田も生涯にわたって、リーチと親友だったが、その英国留学も関東大震災がなくば、もっと続いていたろうと思われる。

鉄絵組合陶板「生命の樹」この作品が一番好きである。
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京近美で初めて見たときの感動は深いものだった。
今こうして画像を手に入れることができて喜んでいるが、初めて見た頃は本当に焦がれていた。

上空に柄杓星(北斗七星)が浮かび、その下に枝を広げる木がある。枝の下には働く人の姿があり、木の根には魚がいる。なんとなく幸せな気持ちになる。

そういえば、民芸に関わった人々の暮らしの場を再現したものや写真などを見ると、どれもが非常に魅力的に思える。特に駒場の民藝館(柳宗悦邸)、河井寛治郎記念館などは本当に見事な空間である。
かつて大阪にあった三国荘の再現も見ているが、あれも本当に魅力的だった。
また浜田邸の再現やパネル展示をみたが、そちらもとてもいい。
ここでもリーチの書斎の再現があった。
作り付けのデスク、その足下は斜めに傾いていて、足に楽そう。またその対になる床の間には軸がかかっているが、その真下には小さな茶机と座布団が向かい合う。
床にはイスとテーブルもある。
いい感じの書斎であり、人の相手もできる空間である。
これは洋室ではなく、和の空間だと感じる。

こちらは夏に日本民藝館で開催されたリーチ展のチラシ。
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中でもわたしは陶板の「虎」に惹かれた。
この画像では右半分の裸婦だけが写るが、全体には木を挟んだ向こうに目を開けてうずくまる虎がいるのだ。
夜の森の中で、虎、虎・・・そんな言葉が英語で書かれている。
アンリ・ルソーの描く密林のようではないか、と思いつつこの裸婦はもしかするとイブかもしれないとも思う。
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いい気持ちで見て回る。東京でも大人気だったのがよくわかる。わたしもとても楽しく眺めて歩いた。
大阪では22日まで、次は京都へ巡回する。

琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展

三井記念美術館で延暦寺・園城寺・石山寺などをはじめとした古社寺の神仏像、名宝が集められている。
「琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展」
東京初の、と冠がついている。
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チラシには大日如来が鎮座ましましている。快慶作の石山寺の仏様。
そして背後には華籠のシルエットと琵琶湖の影。

この展覧会は琵琶湖文化館の協力があったそうだが、その琵琶湖文化館の再生を、この展覧会の成功を通して、強く願いたい。
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観世音菩薩立像 奈良時代・報恩寺 頭大なのは白鳳時代の特徴とあるが、確かにその「らしさ」がある。異国の風もナマナマしく通っていた時代。
瓔珞の美しさが綺麗。

厨子入り阿弥陀如来立像 鎌倉時代・浄厳寺 たいへん綺麗な厨子。梨地に蓮弁。優美な厨子。

金銀鍍透彫華籠 平安~鎌倉・神照寺 細かい細工がとても綺麗。真ん中は薔薇のようで、綺麗な華がそこここに咲いている。

金銅透彫華鬘 室町時代・神照寺 大ぶりな柄。総角(あげまき)つまりリボンを結んで下げている形。それが刻まれている。

金銅透彫華鬘 寛元元年(1243)・長命寺 総角の下に○△□の石塔があり、梵字がその左右に配置されている。こういうのを「種字華鬘」というそうだ。
下にはジャラジャラと装飾がついている。七月廿日と読める字もある。いい感じ。

梵音具というものがある。磬などがそう。(木魚もそうなのだろうか・・・)
その磬も扇形のものや山形のものがあり、珍しい雲型のもある。
それら三点の磬がそこにある。
金銅雲型孔雀文磬 鎌倉時代・成菩提院 これは山形。中には蝶々の形もあるようで、いずれにしても豪華な美しさがある。

国宝などを配置する2室へ。
金銅経箱 長元四年(1031)・延暦寺 四角い箱の真ん中に「妙法蓮華経」とある。末法の世、法華経への熱望と依存。上東門院彰子(988-1074)が横川の如法堂に埋納したものだという。

4室には仏像がずらーーっと列んでいた。

大黒天半跏像 平安時代・明寿院 甲冑姿の大黒さん。元の天竺のマハー・カァラを思わせる。こういうのを「武装大黒天」というらしい。左手には宝棒(魔女っ子の持ちそうな綺麗なスティックにも似ている)、右手には袋。

毘沙門天立像 平安時代・西遊寺 足下に踏みつけられているニ体の邪鬼たちが可愛くて気に入る。うつ伏せでべちゃっと。このお寺のごく近くの薬師堂に設置されていたそうだか、このことから元は毘沙門堂だったかもしれないそうだ。

地蔵菩薩立像 平安時代・永昌寺 横顔がとてもイケてる。先の毘沙門天の隣に立つので、視界にちらちら入ったその顔がとても素敵だった。やはり鼻の形がいい。これは一本木の仏像。 

広目天立像 平安時代・大通寺 「ガッツだぜ!!」な広目天。袖の翻りがいい。こういうところに個性がある。

四体の十一面観音像がある。いずれも平安時代の立像だが、特に頭部ばかりが目にゆく。
長福寺 木造。頭部の十一面に美貌の仏が多い。
円満寺 これは井上靖の「星と祭り」に描かれたそうだが、顔本体はかなり摩滅している。手に蓮を一本。

千手観音立像 平安時代・葛川明王院 木造。十一面ある。手にそれぞれ様々な具を持っている。
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不動明王座像 盛忠作・長和三年(1014)・園城寺 パンチパーマではなく片側おさげの不動。滝に打たれてそうなタイプ。

地蔵菩薩立像 栄快作・建長六年(1254)・長命寺 びっくりするくらい美貌のお地蔵さま。うつむき加減のその顔立ちにときめいた。弓なりの眉、下弦の月のような目、鼻筋、柔らかな唇。美貌の坊さんを「美ボーズ」というが、本当にそれ。ときめいたなあ。

吉祥天立像 鎌倉時代・園城寺 賢そう。髪の豊かな女神。

厨子入り薬師如来座像 平安時代・石部神社 截金がまだ残っているのがいい。

熊野本地仏像(阿弥陀・千手・十一面・地蔵) 平安時代・熊野神社 そのうち千手と十一面とは手や顔が差し込み式のもので、どうかするとペットボトルの蓋についたグッズのようにも見える。

如庵は封じられ、その壁面に広重の近江八景のパネル展示がある。
少し先の6室では「神体山と近江の神々-八王子山・三上山・竹生島」のパネル展示があり、楽しく眺めた。

5室には絵巻と経巻と神像がある。
男神座像(伝落別命・伝大己貴命) 平安時代・小槻神社 落別命は小槻山君の祖だという。オオナムチは日吉大社の西宮の祭神。どちらも大変怖い顔である。特に眼球の飛び出している方の神は、三井寺の秘仏・新羅明神と共に恐るべき容貌だった。

女神座像 平安時代・建部大社 三体の女神像。真ん中の一際大きな女神は袖口で口元を覆っている。こんな姿態を見せる女神は初見。木造の三体はいずれも痛みが激しい。
この女神はヤマトタケルの妃・布多遅比売に比定されているそうで、左右の二人は当時の上流婦人ということだが、かつては彩色されていたのだろうか。
そんなことを思うのも楽しい。

桑実寺縁起 土佐光茂・室町時代・桑実寺 上巻はみれなかった。
物語は以下のよう。
阿閉姫の病。定恵和尚が薬師如来の出現を予言する。
光が射し込んで姫が治るまでが上巻。
湖中から薬師如来が、帝釈天の化身たる太白水牛に乗って出現する。その背後には雲に乗る八童子。岸辺には白馬が待っている。そちらは梵天の化身。岩駒なる白馬は雲に乗り、薬師如来をお運びする。八童子もむろんついている。
この下巻には元明天皇がお訪ねしたり、日光・月光に守られ霊験を顕す薬師如来の姿がある。
岩駒が空をゆくと、田や里が眼下に広がる。
この桑実寺の落慶法要は定恵が導師となり、白鳳六年11月8日に行われる。
その様子を瑠璃石から眺める薬師如来と岩駒。

紺紙金字妙法蓮華経 平安時代・百済寺 綺麗な文字の並びにときめく。

7室には仏画の名品が揃っている。

両界曼陀羅 室町時代・飯道寺 かなりはっきり残っている。特に中央部分が綺麗。

八大仏頂曼陀羅図 鎌倉時代・園城寺 稚拙な線がかえっていい。可愛らしいお顔。

十二天像・梵天 鎌倉時代・西名寺 きれい、とても綺麗な顔。白い四面。

阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図 鎌倉時代・安楽律寺 珍しいことに時計回りで来る。こういう行列は初めて見た。

観経変相図 鎌倉時代・長寿寺 韋提希夫人の説話がその枠外に続いているらしいが、そこまでは読みとれない。

六道絵・譬喩経説話図 鎌倉時代・聖衆来迎寺 父王殺しの王が死後、地獄で責められる際に唱えた念仏で救われる、という図。びっくりして引く獄卒の鬼たちが可愛い。

仏涅槃図 鎌倉時代・少林寺 泣きながら天から降りてくる摩耶夫人、それを先導する阿那律も泣いている。
多くの動物の中には白地に斑の猫もいた。

釈迦三尊十六善神図 鎌倉時代・聖衆来迎寺 左下の深沙大王の様相が面白い。へそに童子の顔がつき、股立ち取った袴の裾には左右それぞれにゾウがついている。しかも腰にはヒョウ柄。・・・オシャレなのかどうかは不明。

仏画はきちんと三期に分かれて展示換えがある。
関西人の私だが、ここまでたくさんの近江の名宝を一度に見ることはないので、たいへんよい機会になった。
11/25まで。後期は10/30から。 

メトロポリタン美術館展

東京都美術館の「メトロポリタン美術館展」の初日に出かけた。
主催者側の発表では開館前に300名並んだそうだが、わたしもその1/300か。
そんなに早く出かけたのにこんなに遅いのは、諸般の事情により・・・要するに怠慢と家PC不調が原因なのでした。
今回はそういうわけでとりあえず感想だけ先にあげる。
いつか気合が満ちれば画像もあげるときが来るかもしれません。
(10/14修復したので画像追加します)

展覧会のコンセプトは以下の通り。
「大地、海、空―4000年の美への旅」
本場のMETには行けそうにないわたしには、とても嬉しい展覧会だった。
なお画像は公式サイトにたくさん出ている。

第一章 理想化された自然

ニコラ・プッサン パクトロス川の源で身を清めるミダス王
ギリシャ神話のミダス王の説話から。しかしこの王様は、数ある王様の愚か話の主人公として名高い逸話を二つも持っているのは、すごい。たいがい懲りないといけない。
さて、絵だけを見れば裸族のオヤジが二人と赤ん坊が二人なにやら怪しいムードで、という感じなのだが、むろんそういう内容ではない。
草冠の人がミダス王、その膝元にいる男は「川の擬人化」と説明がある。
太い木のその枝に服を引っ掛けて、ミソギをしているらしい。人間あんまり欲張ってはいかん、という教訓も含まれた絵なのかどうかは判断できない。
そばの子ども二人はヒトではなくやはり何かの擬人化もしくは暗喩か。
土の色と暗い草の色がメインの中で、ちびの一人がまとう白布がアクセントになっている。

レンブラント フローラ 帽子の上に「フローラ」らしく春の植物。優しくもしっかりした横顔。大粒の真珠の首飾り。布の質感のわかる服と黄色いエプロン。エプロンには又花が。そして彼女の手にも花が。あの花は誰に与えられるものなのだろう。ヒトではなく、季節そのものの変移を示しているのだろうか。
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第二章 自然のなかの人々

音楽を奏でる男女の羊飼いのタピストリー (南ネーデルラント)
背景には様々な植物が実りの色を見せている。羊だけでなく鳥もいて、草の実をついばんでもいる。
男が吹くのは皮袋を工夫した楽器か。バグパイプのような音色が響くのだろうか。
そして女は少し伏し目がちに何かを読んでいる。
時間の流れの止まった世界の美が、ここにある。

ティントレット モーセの発見 王女が侍女にモーセの世話をさせる。じつはこの侍女はモーセの実母だという。背後にいる男たちは彼の未来または過去を騒がせるものたちか。
王女の衣裳の美しさ、侍女の胸の白さ。それらが目に残る。
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ブーシェ 使者の派遣 若い男のそばにいる白い鳩、アフロディーテの使い。羊飼いの男の指す指の先には何があるのか。夢みるよう少年のような横顔。傍らの犬は主人の指先をみつめる。木の繁茂と向こうの空の雲のモコモコ、羊の毛並み。ふわふわモコモコの質感が伝わってくる。

ドラクロワ 嵐の最中に眠るキリスト ホントだ、よく眠っている。みんな慌てふためいているというのに。櫂まで流してしまった奴もいるのに。
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「聖☆おにいさん」でのイエスは船酔いの激しいヒトなのだということを思い出す。
もしかするとこのイエスは酔い止めのために眠りこけているのかもしれない・・・

ミレー 麦穂の山:秋 三つの麦山の上空に黒雲が集まっている。そしてその麦山めがけて羊が走るように見える。(よく見ればそれぞれ草を食むだけなのだが)
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なにか不穏なときめきがある。シュールな恐れすら感じて。

ルノワール 浜辺の人物 沖にはヨットも出ている。少年がこちらに背を向けている。深呼吸するのか小石を投げるのか、何をしているかは定かではない。
手前の女二人も会話が途切れたようである。寝そべる白い犬が座す女を省みるように、首を曲げている。しかしこの犬もまた何を見ているかは。
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海のエメラルド色、立つ女のスカートの色、帆やスカーフや犬の白。
少しずつ薄い青が潜められている。

ゴッホ 歩き始め、ミレーに拠る 模写したにしてもやっぱりゴッホが描くとゴッホの絵になる。木の茂り具合、男女の服の具合、手押し車・・・ミレーの構図で描いたゴッホ作品。
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ゴーギャン 水浴するタヒチの女たち 真ん中に裸婦が立つ。見事な茶色い肌。左手奥の女はそれを横目で見ている。体の線は妙にぎこちない。一つ一つの配置は工芸品のための絵に近い。立つ女の左手の長さを考えるとちょっと変だが、この絵はこの枠の外にもまだ続きがあるように感じられる。
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第三章 動物たち
太古の時代からヒトは動物の姿を自分の手で再現している。
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メソポタミアの牛、ギリシャの馬、エジプトの隼、猫。いずれも畏れと恐れと親しみとがある。
中世フランスのキリスト教の儀式用の容器は鳩の形をしている。
ニュールンベルクのライオンの水差し、イタリアのライオンの顔を模した兜。
中世ではヒトこそが万物の長だという意識で動物の形が拵えられてゆく。
ザクセン選定侯アウグスト二世の時代に生まれたワシミミズクの磁器を見ていると、その治世下で様々な逸話が思い出される・・・

ティファニースタジオ ハイビスカスとオウムの窓 このステンドグラスが素晴らしかった!これはもう綺麗で綺麗で。ハイビスカスは白く表現されている。オウムは青。色の取り合わせのとても綺麗なガラスだった。
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最後にはポンポンの白熊が出てきた。今流行の白くまカフェでも開けそうな白くまである。大好きなシリーズ。
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第四章 草花と庭

花のモティーフのタイル(トルコ) これはINAXギャラリー大阪の旧店舗の階段に飾られていたのを思い出す。他に三鷹の中近東センター。明るくて可愛らしいタイルで、とても好きだ。イスラームにとってこの空間はすなわち宇宙なのだった。

一角獣のテーブルカーペット(北ネーデルラント) 中央に花々に囲まれた一角獣がいる。その四角い空間の周囲にも花の塊と、少し小ぶりな囲み内の一角獣とが列ぶ。細かい仕事だといつも思う。

ガレ せり科の植物の飾り棚 上部にせり科の植物の影が見える。
扉にはモザイクがある。蝶々のモザイク。薄い板をはめ込んで拵えたのだろうか。可愛らしい。

ルドン 中国の花瓶に生けられたブーケ 臙脂色の背景に白い花瓶いっぱいの花々。特にどの花が目立つということもなく、等しく美しい。
先般、三菱でルドンの巨大な花の絵を見てから、とても親しみを感じるようになっている。
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第五章 カメラがとらえた自然

アルフレッド・スティーグリッツ 切妻とりんご この遠近感のよさ。水にぬれたりんごと、切妻屋根と。わたしはこれを見て赤毛のアンの家を思い出した。あの窓はアンの私室の窓かもしれない。アンは窓を開けてこのりんごを見て、鮮やかな妄想にふけるだろう。

アジェ 池、ヴィル=ダヴレイ この甘い赤みかかったセピア色の美しさ。秋から初冬の頃だろうか。1923~25年の写真。この40年後にここを舞台にした映画「シベールの日曜日」が生まれる。あの映画を思い出させてくれる写真。せつなさが胸に広がる・・・

杉本博司 ボーデン湖、ウッドヴィル モノトーン、二分割、揺らぎ。
改めて杉本の仕事を想う。

第六章 大地と空

ムハンマド・ザマン・アストゥルラービー(中世アラビア)平面アストロラーベ 砂漠の海を行くモスリムたちにとって天体観測機は大変重要なものだということは、わたしも色々と学んでいる。今、その現物を見ることが出来てとても嬉しい。

ライスダール 穀物畑 雲がモコモコ~それだけで嬉しいなあ。風車もある。17世紀のネーデルラント・・・

ゴッホ 糸杉 「糸杉」の持つ意味を少しばかり思い起こす。葬礼の道に並ぶのはこの木なのだ。
木も草も空も雲も妙な渦巻きを見せている。まるで燃え立つようにも見える。細い三日月でさえも渦巻きの一かけらのように見える。
昼なのか夕なのか夜なのかもわからない。

アンリ・エドモン・クロス 海辺の松の木 点描。手前の松と中の海と奥の島影と。構図だけで言えば日本画のようなやわらかさがある。これがまた線が入れば、やじさん・きたさんが現れそうである。

アンリ・ルソー ビエーヴル川の堤、ビセートル付近 何の木かわからない、妙にへにょ~と伸びた木の下には、ウリ坊のような道。右手奥には水道橋。秋の風情もそこはかとなく。人々が歩いている。なんとなく二頭身キャラのようでブロックのおもちゃのようだ。妙といえば妙なのだが、この先の道を歩きたいような気もする。

ホッパー トゥーライツの灯台 「ああ、ホッパーだ」と思った。遠くからでも日の光を感じる。日焼けしそうな気がする。雲は秋なのだが。少しばかり目を細める。丘の下から灯台と建物を仰ぎながら。

七章 水の世界

カエルの分銅(メソポタミア) 太古のカエルは形をそう進化させてもいなかった。可愛い。妙に可愛い。石に線を入れてカエルの形にする。飛鳥の亀石にも通じる、シンプルな造形。口の大きなところがいい。民族によっては神話にカエルの出番がある。メソポタミアの中でカエルがどんな位置にあるかは知らないが、しかしこの分銅は可愛い。

蛸のあぶみ壷(ミュケナイ) スペインは日本同様蛸を食べるが、ギリシャはどうだったのだろう。これはどう見ても「海の悪魔」のお仲間である。

アブ・ヤフヤ・カズヴィーニによる写本『被造物の驚異』からの一葉 山があり、浜辺には千年の劫を経たような亀。海の上では泳いでるヒトが気の毒に怪魚にガブッッ!またそこへ他の魚や白ヘビまで寄って来るという・・・またそれをターバン坊やが「ふーん」みたいな顔つきで見てるのも・・・ああ、坊やは亀を見ているのか?
どんな話がここにあるのだろうか。知りたい。絵に物語があるものにはそんな誘惑がある。

ティファニー社 カエルの盆 うむ、ジャポニズム。月に群雲、妙な羽虫が列を成して飛んでくるのを、腹を見せたカエルが見守る。笑っているのか・虫を食うつもりなのか。水草と流水もひどく日本的。

モネ マヌポルト(エトルタ) こんなにあの崖をアップにしたものは他にないのでは。波のザザーンッとした感じも近い。迫力がある。崖の構造もこんな間近で見ると、よくわかる。興奮してきた、こんな近くで見れるとは。

ウィリアム・ド・モーガン 魚の大皿 ギョッとする魚皿。前にモーガンの展覧会を見たが、いつも濃いと思う。

まだまだ良いものがたくさんあったが、本当に楽しかった。
もう一度行きたいと思う。ありがとう、METと都美。

10月の東京ハイカイ録

十月の東京ハイカイ録のはじまりはじまり~~

先月はいろいろ忙しく結局都内に出ることはなかった。
それはそれで有意義だったけど、やっぱり月イチは都内に出ないと刺激が足らない。
というわけで今月は四日間都内に潜伏します。
展覧会のここの感想はまた後日それぞれ。

金曜から滞在しているが、東京駅の丸の内のきれいになったのを見ずに、八重洲口から外へ出る。いつも「江戸バス」を愛用してるが、今日は先に三井に行きたいので、メトロリンクに乗る。また目の前にくるんだから嬉しいね。

三井では湖国のさまよえる仏像たちの展示を見る。
琵琶湖文化館がなくなったためにこんな仕儀になるのだ。
しかしさすがによいのが多い。

わたしは特にお地蔵さんにときめくものが多かった。
美貌でね、弓なりの眉の下の下弦の月の如き両眼とやさしい鼻筋、そして引き締められつつも甘い口元にときめいた。
絵巻では桑実寺縁起も出ていて、帝釈天の化身した太白水牛、梵天の化身した岩駒にのる薬師如来と雲に乗ってついてくる8童子がいい感じだった。土佐光起。
少林寺の涅槃図には斑猫と、泣きながら降りてくる摩耶夫人などがいい。
16善神図では最下左の深沙大王のWゾウスカートが面白い。

コレド室町から江戸バスに乗る。
ホテルに荷物を置いてから出発。

まず特撮博物館が見たくてMOTへ。
ときめきすぎた感想は昨日挙げてます。

そこからバスに乗って豊洲へ向かうが、このバスはいいよな、離れてるMOTにぴったり。
……ちょっとミスがあったけど、とりあえず次に有楽町へ。

出光美術館で「東洋の白いやきもの」に再会。非常に楽しむ。
やっぱり東洋のやきものへの偏愛が生きているのを感じる。

そこから三田線で御成門へ出て、愛宕警察署の隣の東京美術倶楽部へはいる。
アートフェア。見るだけで買わない・買えない客だけど、こうして目ばかり肥えさせてもらおう。
応挙の神農、永楽保全の白蔵主など面白い絵を見る。樂はノンコウはない。
しかし乾山写しのよいのがいろいろあり、嬉しい。

歩く。日比谷公園へ。図書館内の文化館に入る。
歴代団十郎の荒事をみる。柱には歌舞伎十八番の浮世絵が。象引きが特にかわいい。
衣装がそれぞれ展示されてるが、意休の衣装の虎や龍のアップリケが可愛らし過ぎる~~
とても楽しく眺めて歩いた。

さて苦労したのは霞ヶ関の千代田線乗り場を探してのこと。機能してるのか?
なんとか乗りまして、二重橋へ。そこから三菱一号館へ。
シャルダン・・・うーむ。外的要素がよくなくて困った。
初日はここまで。

二日目の話。
朝イチから上野へ向かう。そう、都美のメトロポリタン美術館展初日。
少しばかり入場待ちして入るが、滑り出し上々で結構なことです。
わたしはエジプトの猫様やタピストリーにどきどき。

根津まで歩く。谷中は人が親切なので嬉しい。
大手町に出る。
ていぱーく。五街道。これはけっこう面白かった。浮世絵と、それぞれの旧街道の現在の写真なんかもあり、楽しく見て歩ける。

大手町で変なすし屋でランチ。おいしいのかそうでないのかわからん海鮮丼を食べてから早稲田へ。
日比谷で歴代団十郎の荒事を見た後、ここでは八世団十郎展。
大坂で自決するまで何があったんだろう・・・
彼の人気ぶりが伺える資料などなど。語りの入る新作長唄まである。

久しぶりにリーガロイヤルホテルの裏の新江戸川を渡る。
階段の苦しいのを我慢して一気に上がる。
永青文庫を行過ぎてから、今ここに春草の黒猫ちゃんがいることをしる。
門柱には茶色い猫もいたが。

野間で「講談社の絵本」原画を堪能する。いや~~すばらしい!
今回は描かれた場景を彩る植物の追跡をしてみた。
本当にこういう世界がいちばん好きだ。

野間から太田へ。
芳年。非常に面白くて、特に肉筆がすばらしい。
梅若から衣装をはぐ信夫の惣太。後姿の産女。
後期も楽しみ。

そこから損保へ。とにかくいつも新宿では迷子になったりするので気合のある今のうちに。
ジェームズ・アンソール展。・・・うう~~む、困った。むかしむかし名古屋のメナード美術館でアンソールの自画像と骸骨の絵を見たとき「オトコマエやな~」と感心したことを思い出す一方、「骸骨に囲まれんでもよろしいのでは」と全く同じ感想が湧いてきた。

ジクジたる思いのまま快速で三鷹へ。八王子はあきらめた。
依田洋一郎というNY在住の画家の絵を見る。
この人はご両親も画家で、その都合で生後すぐからずーっとニューヨーカー。
METかMOMAの監視員をしていたという経歴もある。
リリアン・ギッシュとチャップリンとハロルド・ロイドと劇場そのものへの偏愛。
乾ききった世界。世界の最先端の街だとばかり思っていたNYが実は古臭くて侘しくて、どうにもやりきれない絶望感が漂う空間だとは、思いもしなかった。
矢作俊彦と大友克洋の組んだ「気分はもう戦争」で、アメリカのどこかの酒場で女が、「この町が砂漠なのよ」と言ったが、その実感がある。
ほぼ同世代の作家の心象風景たがこれだと思うと、NYに行きたい気持ちも萎えてくる。


三日目。
まず静嘉堂へ。ところが何を勘違いしたか、バスが目の前を去ると言う状況に。
イキドオリパワー全開で歩き出しましたがな。
イキダオレたらどないすんねん、と思いつつ。
地元の奥様に道をお尋ねしてその通り歩いたはずが、民家園を大回りして、しかし予定以上に早くついたわい。小雨だから出来ることよ。
古典籍を楽しんだり色々見てから、帰りはバスで高島屋へ。

さるおこわ屋さんで「おこわ&天盛り」頼むとしつこく「そばはないですよ」・・・いりませんがな、わたしはおたくの見るからに醤油辛そうなダシは食べれません、とは口にせず「おたくのおこわがほしいんですよ」とニコッとこたえる。
ところがそのおこわは正直どうでもええ味なのに、てんぷらがたいへんおいしかった。
これにはびっくり。ごま油ならイヤやなと思ってたのが綿実油かサラダ油かで、カラッとさっぱり揚げで、たいへんよかった。
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根津へ向かう。
根津では平家物語画帖を堪能する。皆さんの記事で期待が凄く高まってたが、本当によかったのにはびっくりした。ああ、すばらしい。

続いてたばこと塩の博物館で「判じ絵」!これが難しいの何の。歌舞伎役者や外題は!とくるけど、後はアカン。いや~~江戸の人は凄いわ。

そこからハチ公バスで國學院まで出て坂を下ったりして山種へ。
途中に塙保己一の記念館か資料館があるが、ここの建物は素敵。
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山種で竹内栖鳳と京都画壇を楽しむ。10/20のブロガーの方々の参集がうらやましい。

もう夕方になってきた。国立新へ。リヒテンシュタイン。時間をたっぷりとらなかったことを反省しよう。もう一度いくつもり。たいへんよかった。シチュエーションがいい。

そしてサントリー。御伽草子。この楽しみがあるからしんどくても歩けたんだな~~と実感。いずれもいいものを見た三日目。

最終日。
世田谷文学館で2時間きっちり「齋藤茂吉と『楡家の人々』」を楽しむ。
楽しみが深すぎた。最後にはどくとるマンボウのコーナーがあり、さらに「マブゼ共和国」までが!
いや~~やっぱり面白い。

芦花公園の商店街で初めてご飯を食べる。
ネットで見つけたカレーがメインの古い洋食屋さん「ちとせ」へ。
母娘さんかな、このお二人は。
レトロでいい感じ。SH3B14660001.jpg
カレーにサラダにゆで卵。

そこからホントは石神井公園に行くつもりだったがやめて、ニューオータニ美術館へ。
小村雪岱。これがやっぱり2時間かかりますな。
凄いものを見たりいろいろ。楽しかった。

有楽町線でとよすのららぽーとへ。ukiyoeTOKYOで周延を見る。
芳年、芳幾、国周と共に明治の最後の浮世絵師の一人。

月島経由で両国の江戸博。川村清雄展初日。
明治の油絵師。幕臣の血の流れを感じさせる前半と、後半の仕事と。
見所の多い展覧会。

それでタイムアウト。
わたしは大阪へ帰ります。

特撮展だけは一本立ちできたが、あとがどうしても書けず、ここまで日延べしてしまった。
家PCはルーターがアカンので買い替えなりしないとダメ。
色々悩む状況が待ち受けているが、とにかく旅はたのしうございました。

来月もまたハイカイに出る。

「特撮博物館」に行って・・・

東京都現代美術館の「特撮博物館」へ出かけた。
チケット購入だけでも大変な行列だと聞くが、会期末の今もたいへんな繁盛振りである。
とにかく入ろう。

2015.5.23熊本市現代美術館のチラシ入手
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昭和の特撮がある。
わたしはCGには関心が向かないが、特撮はめちゃくちゃ好きである。
実際自分が'70年代に幼少期を過ごしたことで自慢できるのは、特撮番組を数多く見れたこと、それに尽きるのではないか。
とはいえあまりにその当時は幼くて、残念ながら物語の深い意味を悟ることがない番組も多かったが。

円谷プロのウルトラマンの資料の中で、横から見ると前かがみに見えるウルトラマンのフィギュアがあるのを見つけたり、目の形が怒っているウルトラマンの絵を見たりする。
こういうものをみつけるのがまた楽しい。

わたしが生まれる前の特撮はまた別な面白さがある。
わたしはウルトラセブンと同い年なのだ。だからそれ以前のものはTVの特集などでしか見ていない。
しかしそこに設置された乗り物や武器などを見るだけでわくわくがとまらなくなるのは、やはり特撮愛好魂がうずくからに違いない。
頭の中で”シュピーゲルシュピーゲルシュピーゲル…”と歌が流れてきもする。

ゴジラにはあまり愛着がないが、大映のガメラと大魔神には深い深い愛情がある。
大映の、と書いたがそれはつまり後年作成された角川映画のガメラには愛がないということである。なんで「子供の味方」ガメラを悪役にしたのか。
いまだに腹が立って仕方ない。

昭和の町並みの再現のために木造旅館「清水屋」なるものがあった。その隣には本郷館のような木造三階建ての建物もある。これらを見るだけでも楽しい。

'70年代初頭の特撮ヒーローの被り物を見る。
スペクトルマン、流星人間ゾーン、ミラーマン、ライオン丸、ファイヤーマン、シルバー仮面などなど。
シルバー仮面はリアルタイムには見ず、初めて知ったのはたがみよしひさ「軽井沢シンドローム」の中でだった。その直後にTV大阪で昔の特撮特集放送があり、やっと見た。
スペクトルマンは私の中では最初から「スペクトルマン」だったが、あれは実は「宇宙猿人ゴリ」でもある、というのを知ったのは大学のころだった。
特撮好きの友人(仮に「緑色の我が小さき友よ」と呼ぼう。なお「緑色の我が小さき友よ」とはSW#3における皇帝パルパティーンがヨーダに対しての呼びかけでもある)
「緑色の我が小さき友よ」と共にカラオケに行き、衝撃的な出会いをしたのだった。
科学者ゴリは故郷の惑星を追い出されたのだった。”身震いするほど腹が立つ”とゴリが歌うその歌には本当に驚愕した。
また、これは今回出てはいないが川内康成先生の「レインボーマン」の挿入歌「シネシネ団の歌」以上の衝撃でもあった。いや待て待て、「ライオン丸」の挿入歌も凄まじかったぞ!
・・・・・・・・話はいくらでも横道にそれる。

とにかく、それらのかぶりものがあったのだ。
ライオン丸を見て思い出すのは幼稚園のとき、偶然奥様情報番組で見たドラマの裏側だった。ライオン丸がハンモックで昼寝をしていたのだ。つまりアクションの俳優と入れ替わりの俳優との時間調整か何かでの休憩をTVは映したのだ。
あれはもう生涯忘れられない…
ほかにミラーマンは二頭身の貯金箱を今も持っている。

懐かしいのはほかにもある。ジャンボーグAである。途中でセスナだけでなく車まで変身できるようになったが、車は空を飛べないので、去り際がかっこ悪かったのを覚えている。

次に特撮小屋に入る。
こういう設定も面白い。長靴やワイヤーを見るだけでぞわぞわしてくる。
なんにでも仕事のプロはいるものだが、この小屋には職人への尊敬の念が生きている。

さていろいろ見て回るうちに「巨神兵東京に現る」の短編映画を見るコーナーに来た。
製作者の名前が出る中に「巨神兵 宮崎駿」とあるのを見て早とちりで妄想のヒトたるわたしは、宮崎駿先生がご老体に鞭打つように巨神兵の着ぐるみを着て、東京のセットを壊して回るのか、と勝手なことを思った。…無論そうではないのだが。

脚本と声優の語りは正直好みではない。何を言うているのか聞き取れないということと、むしろ台詞をしゃべらせるのではなく映像にすべきだったのではないか、と思ったりもした。しかし映像そのものは非常によかった。
巨神兵がゆっくりと飛んできて… 口から炎を吐いて…
そしてすべての破壊が始まるのだ。

これほど完璧な破壊と滅亡というものを見るのは本当にいつ以来だろう。
わたしはただただ口を開けて見守っていた。
自分も巨神兵の起こす破壊により、既に死んでいるに違いないと思いながら見ているのだ。
異様な快感があった。
何に昂揚したのか、わたしは非常に強く昂揚していた。
十年ほど前アメリカ映画「ファイトクラブ」を見て、「これを見たのが今の私ではなく<二十歳の私>ならもっともっとのめりこむのに、と思ったものだ。
あれにのめりこむにはもう年を取りすぎていた。

<二十歳の私>は村上龍「コインロッカーベイビーズ」と橋本治「暗夜BLACK FIELD」にのめりこんでいた。
あの頃は、世界が壊れて、何もかもが失われることを望んでいたのかもしれない。
いま、「巨神兵東京に現る」を見て、わたしはあのころの気持ちが蘇っているように思えてならない。抑えていた何かがあふれ出してゆきそうな…

階を進むと、そこに巨神兵が壊した東京の街が再現されていた。
わたしは皆さんと同じくあちこちを撮影した。
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そしてそれを「緑色の我が小さき友よ」と会社の先輩に送った。
二人からそれぞれ嬉しさとねたましさの混ざり合った返事が来て、やっぱりわたしはここへ無理を押してやってきてよかったと思ったのだった。
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展覧会は10/8まで。

紅型 琉球王朝のいろとかたち 中期

大阪市立美術館の紅型展の中期に出かけた。
構成は前期と変わらない。並ぶものが変わるだけ。

国宝の紅型衣裳を見る。
黄色地松雪持竹梅模様衣装(裏)黄色地紗綾形に桜散らし模様
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季節感を考えなくてもよいから、それこそ繚乱な文様を選ぶことが出来るのだ。
柄を見ながら、その豪華さに感心する。

白地花菱繋ぎ模様衣裳 苧麻 あっさりした柄でしかも着やすそうな、涼しげな衣裳である。最後の国王が愛した装束らしい。非常に機能性の高いいい感じの衣裳。

花色地斜め格子に橘梅扇文箱模様衣裳
とても可愛らしい。文箱文様はこれしか見ない。こういうのもいい。ステーショナリーグッズ柄が入るのも楽しい。
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黄色地流水に網干魚籠菊紫陽花模様衣裳
この取り合わせが又不思議なのだが、それが変ではないところが凄い。
着物の文様の多様さはシュールだと思う。
それにもまして、琉球の風土を思うとき、全くその不思議さが違和感なくなじんでいる。
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浅地稲妻に花の丸模様衣裳 絹の衣裳。稲妻柄は子供向けだと聞くが、これもそうなのだろうか。ヤマトで稲妻柄を着るといえば、歌舞伎衣裳くらいしか思いつかない。
「浮世柄比翼稲妻」か「白浪五人男」か・・・ああ、忘れていた。映画「旗本退屈男」早乙女主水が着ていた。あの意匠は甲斐庄楠音によるものだった・・・
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しかし花の丸は可愛い。

紺青地菊に扇模様衣裳 扇が二つつながりあうので、まるで蝶のように見える。
とても魅力的な文様。わたしはこういう柄、好きだな。

今回も色々満足しながら見て歩いた。
こうしているうちに感化されて、紅型衣裳が作りたくなるかもしれない。

夢の南洋別荘地

いきなり母から「実は南の海の底にうちの地所がある」と言われた。
うちは北摂には多少まだ地所は持っているが、農地解放でヤラレた没落地主の家だから、もうなんにもないと思っていた。什器一切、着物のよいのや家具まで売り払う暮らしぶりだったので、いまだに恨みが深い相手もいる。
それが何で縁もゆかりもない南の海の底なのか、深く考えもせずに車に乗った。

何時間かかったか、ついたらもう目の前は海である。
わたしは都心ハイカイ型なので海にも山にも無縁なのだが、とりあえずスキューバしなくては、その地所も見れない。
妹はスキューバダイビングも出来るが、わたしはチャプチャプ泳ぐくらいなので、あまり期待は出来ない。
しかしボートにその支度がされている以上、わたしが飛び込まなくては誰がする。
もとより母に沈んでみてくれとは言えない。

存外ラクに海に沈むと、どうやらその地所とやらがわかってきた。
一旦ボートへ顔を出すと、ハンマーと杭とを手渡された。
地所の範囲をきっちり打って来いとの仰せである。
水中でボクボク打ったり出来るんか、と思いながらそれを持って沈むと、案外うまいこと打てた。
それにしたかてわたしもなかなか有能やないか、と感心しながらロープもつけて地所を押さえておく。

海から上がってどこかのコテージに入り、うちわえびを食べていると、星があっという間にピカピカきらきら瞬きだした。随分早く満天の星空になるもので、非常に綺麗である。
こんな星空は大阪では見れない。いや、プラネタリウムがあるか。
よく働いたし、おいしいエビも食べてるし、星もキレイし、地所は手に入るしでホクホクしていると、勝手に笑いがこみ上げてくる。
ソヤソヤ写メしとこ、と星空やうちわえびをパチパチ撮ったが、それからどう時間が経ったか、もう大阪の自宅にいる。

妹が上田から戻っていて、世間話のついでにあの地所の話をすると、前から知っていたという。しかしわざわざ水中に潜って杭打ちなんかしたくないから、あんたがしてくれて助かると言う。
わたしとしてはちょっとばかり腹が立つし忸怩たる思いもあるが、あの星の綺麗さや海底の気持ちよさは忘れがたいので、まぁエエかと思う。
やっぱりわたしは嬉しくて笑っている。
しかしこれは夢だろうと思う。
思うのだが、写メを見ると、やっぱりデータに星空や杭を打った地所やうちわえびがある。
本物らしい、と確認してわたしはまた笑った。

少しして自分の笑い声で目が冴えた。先ほどまでの続きというか、同じ意識の流れの中でのはっきりした覚醒である。
時計が鳴っているので、止める。
止めてしばらくしてから、写メを開く。星空もえびも海底の地所も消えていた。
データ更新を怠ったのかもしれない。

階下に降り起きてきた母に「南洋の地所はどうなった」と尋ねると、「夏になるたび死んだろかと思うママが、なんでそんな暑いところへ地所なんか持つねん」
ついでにうちわえびの話をすると、「ママが甘えび以外食べへんの知ってるくせに、なんでそんなわけのわからん海老なんか食べるねん」と返ってきた。
おかしいな、わたしはシアワセのあまり笑ってたんだがなあ。
「笑うのは幸せの証拠やからええやないの」と言われたが、あの地所はやっぱり惜しい。
今度いつ行けるだろうか・・・・・・


10月の予定と前月の記録

本格的な芸術の秋となりました。
九月は関西にしか出没しませなんだが、今月は都内に四日ほどいてます。
行きたい・みたいの展覧会です。
10月はたそがれの国・・・‥

時代の美  奈良・平安編 五島美術館10/20~11/18
交歓と触発 ―石川県立美術館の近代洋画から 小金井市立はけの森美術館10/16~12/2
中国 王朝の至宝 東京国立博物館10/10~1224
維新の洋画家-川村清雄 江戸東京博物館10/8~12/2
大正・昭和のグラフィックデザイン 小村雪岱展 ニューオータニ美術館10/6~11/25
日印国交樹立60周年 インドへの道―美術が繋いだ日本と印度― 大倉集古館10/6~12/16
メトロポリタン美術館展 東京都美術館10/6~1/4
グラフィック・アートにみる夢二モダン/田村セツコ展 弥生美術館10/5~12/24
リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝 国立新美術館10/3~12/23
没後120年記念 月岡芳年  太田記念美術館10/2~11/25
市川團十郎 荒事の世界 日比谷図書文化館~11/28
八代目市川團十郎展 早大演劇博物館10/2~12/2
没後70年 竹内栖鳳 京都画壇の画家たち 山種美術館~11/25
岩﨑彌之助のまなざし― 古典籍と明治の美術 ― 静嘉堂文庫~11/25
江戸の旅情~五街道と旅~ ていぱーく~10/28
空想動物の世界展=モンスターワールドへようこそ! 古代オリエント博物館~11/11
ジェームズ・アンソール―写実と幻想の系譜―  損保ジャパン~11/11
ポール・デルヴォー 府中市美術館 ~11/11
オールドノリタケのなかの女性たち 八王子市夢美術館~11/11
記憶のドラマ 依田洋一郎 三鷹市美術ギャラリー~10/21
お伽草子-この国は物語にあふれている- サントリー美術館~11/4
江戸の判じ絵 再び これを判じてごろうじろ たばこと塩の博物館~11/4
江戸の旅情~五街道と旅~ ていぱーく~10/28
琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展 三井記念美術館~11/25
シャルダン展―静寂の画家 三菱一号館美術館~1/6
懐かし うつくし 貝細工 大田区立郷土博物館10/7~11/25
Design―江戸デザインの“巧・妙” 紅ミュージアム1/6~11/25
齋藤茂吉と『楡家の人びと』展 世田谷文学館10/6~12/2
家物語画帖-諸行無常のミニアチュール- 根津美術館~10/21
昭和初期 講談社の絵本原画展 野間記念館~10/21
やきものに親しむⅨ 東洋の白いやきもの ―純なる世界併設:仙厓 出光美術館~10/21
館長 庵野秀明 特撮博物館  東京都現代美術館~10/8
コーナー展「グラフ誌にみる昭和30年代」港区立港郷土資料館~10/13
隅田川の情景 絵巻 ~12/2/日活向島撮影所~11/4 すみだ郷土文化資料館

百花繚乱 女性の情景-生きて行く私-横須賀美術館~10/21
遠山元一と近代和風建築 日興證券創立者の邸宅とコレクション公開 遠山記念館~10/14
日本の客船ポスター 帆船日本丸・横浜みなと博物館10/16~11/25
華麗なるインド神話の世界-神々が結ぶインドと日本- 横浜ユーラシア文化館10/6~1/14
高句麗壁画古墳報道写真展 日本新聞博物館10/6~12/16
シャガールとマティス、そしてテリアード20世紀フランス版画と出版 神奈川近美 鎌倉~12/24

ここからは上方。
ザ・大阪ベストアート展-府&市モダンアートコレクションから-大阪市立近代美術館(仮)~11/25
生誕170年・没後100年『藤田傳三郎の想い』 藤田美術館~12/9
関西数寄者の茶道具 ― 明治・大正・昭和 ビジネスリーダーたちの茶会 湯木美術館~12/16
中国の青花―元明時代の景徳鎮磁器/白磁を飾る青―朝鮮時代の青花 大阪市立東洋陶磁美術館~10/14
絹谷幸二~豊饒なるイメージ~ 奈良県立美術館10/20~12/16
清雅なる仏画-白描図像が生み出す美の世界-大和文華館10/17~11/11
エル・グレコ展 国立国際美術館10/16~12/24
“絵解き”ってなぁに?―語り継がれる仏教絵画― 龍谷ミュージアム10/13~11/25
山口晃展 えき美術館11/2~12/2
宸翰(しんかん) 天皇の書―御手(みて)が織りなす至高の美― 京都国立博物館10/13~11/25
フランスvs 日本近代絵画 西宮市大谷記念美術館10/13~12/16
石山寺縁起絵巻の全貌 滋賀県立近代美術館10/6~11/25
石山寺の宝物 石山寺~11/30
阿弥陀さま-極楽浄土への誓い 大津歴史博物館 10/13~11/25
数寄屋大工―美を創造する匠― 竹中大工道具館10/6~11/18
日本美術の見方 いきもの編 細見美術館10/6~12/24
学校で出会う 京都の日本画 京都市学校歴史博物館10/5~12/2
シャガール展2012-愛の物語 真の芸術は愛にあるのです 京都文化博物館10/3~11/25
千利休と古田織部 茶の湯ゆかりの資料 堺市博物館10/2~11/4
東南アジアの人形芝居‐舞台の小さな主役たち 堺市博物館10/2~11/4
マウリッツハイス美術館展 神戸市立博物館~1/6
利休参上 正木美術館~12/2
茶の湯名碗展 野村美術館~12/9
つらつら椿~椿絵に宿る枯淡の境地~ 松伯美術館~11/25

それにしたかて忙しい秋の始まりですな。
なおわたしは10/25~29までベトナムに行ってます。
その間は多分ネット環境とつながれないと思います。

ウクライナの至宝 スキタイ黄金美術の煌き

大阪歴史博物館で「ウクライナの至宝 スキタイ黄金美術の煌き」展を見た。
わたしは北方遊牧民族関連の黄金装飾が好きなので喜んででかけた。
'92年に京都文化博物館で「スキタイの黄金展」を見て以来の再会である。
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このあたりの歴史についてもわかりやすい解説がパネル展示されていて、とても役に立つ。
最初に紀元前8世紀の「キンメリオイ(キンメリア)時代」のピンと首輪(トルク)が出た。
既にこの時代から黄金を美しい細工で装飾する技術が、スキタイにはあった。
ボタンが生まれるまでの間、ピンが衣服の留め金として活躍した。
それ以外は着てから縫う、ということが10世紀頃まで続いていた。
これは高校の頃に読んだ「アイスランド・サガ」の「グレティルのサガ」やケルトの人々の民俗・風俗を記した本にも載っていたが、西洋から北方遊牧民族まで、斉しくその技法が採られていたことを、面白く思う。

・スキタイ時代(前7~3世紀)
馬具もまた黄金を用いたものが多かった。型押しで拵えた図柄はヘラジカや獅子の顔を見せている。スキタイはまた、鹿の角に対する特別な意識があったらしく、そこに再生の象徴を見出し、図像として好んだ。

ヘラジカ、獅子、鹿の飾り板はやや横長長方形で、大体が3cm~7cmくらいまでのが多かった。また、裏打ちしたらしき、有翼人の柄の入った板もある。

弓の弦を張る道具で骨製の「弭」ユハズも展示されていた。弓偏に耳。なんだか納得する字面である。

紀元前4世紀になるとそろそろ鉄の時代で、鉄剣などが出てきた。
こういうのを見るとすぐに「王家の紋章」を思い出す。あちらはエジプトだが。
そしてここに猪の頭と動物闘争文をつけた黄金の剣が現れる。
チラシでも光っている剣。
その鞘は25cmくらい。
鹿が前からグリフィンに後ろから獅子に襲われ、獅子の後ろには二匹の豹が待機中という図像。けっこう動物闘争文が多いことにも気づく。

こちらは弓矢いれ。やはり動物闘争文。
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それだけでなく、人々の集う情景とパルメットとグリフィンが浮かんでいる。
猪、獅子、豹、牛、獅子、犬、雌獅子、牡牛、山羊、雌豹の闘い・・・
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人々の様子は、ギリシャ神話のアキレウスの説話かイラン系の英雄説話からしい。
'92年の展覧会の時にはアキレウス説話だとあったが、20年の間にまた新しい研究が進んでいたのか。
剣にしろこの弓矢入れにしろ、儀礼的なもの。

嘴の大きな鳥や鹿を象った竿頭飾りがある中に、一瞬古代中国の燭台に見えたものがある。
スキタイの神・パパイオスを象ったもの。この画像は'92年の展覧会のときに購入した絵葉書。爺さんの頭上に鳥らしきものが翼を広げている。
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ここから次の室へ向うのだが、そこで丘が作られていた。草原の丘。そこに石人が立っている。ファロス形にも見えるが、そばにいたご夫婦が女の人だと言うので、そうか、とも思う。実際のところはわからない。出土地も不明らしい。

リュトンと角杯の違いについての説明があった。
角杯は上から飲むが、リュトンは細くなったところから飲むそうな。
そうと知ってから見ると、リュトンの見方も変わってくる。
道具関係はやはり説明を先に読んでからの方がいい。

大鍋がある。「鍑」フク・・・サガリ、カマとも辞書にあるが、これは肉を入れて炊く専用鍋で、取っ手つき。肉料理で宴会したのか、神に供えたのかは知らないが、よく使われていたそうだ。
他にもアンフォラやシトゥーラといった器が色々ある。

装飾品を見る。
スキタイ人にとって首飾り・胸飾りは非常に重要なものらしい。
この胸飾りにも動物闘争文。
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骨製の櫛や青銅製の腕輪、じゃらじゃらした耳輪も多い。
蜻蛉玉の首輪や、このように色んな色の石を集めたものもある。今でも使えそう。
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わたしの好みはこちらの金の方。
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かぶりものなどにつけていたらしい、グリフィンの飾り板(3x4cm大)が55枚あった。
型押しらしい。それからゴルゴン・メドューサの飾り板もある。
なかなか怖い顔である。これらか魔除けになるのは、「毒をもって毒を制する」ということか。7人のゴルゴンと1人のメドューサ。

祭儀用の女性の服飾の再現があった。色んな飾り板がどのように使われていたかも納得する。

・サルマタイ時代(紀元前2~4世紀)
柘榴石と水晶と金が綺麗。

いるか形フィブラ(安全ピン)がある。これは前に見たときも可愛くて可愛くてお気に入りになったもの。フィブラはラテン語とのこと。
下のヘビの指輪はこれより百年以後のもの。
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・黒海沿岸のギリシャ系古代国家
確かにギリシャ的なものがあった。
赤像式皿 魚盛皿で、エウロペの説話、ネレイス、羽のある美青年(エロス)などが描かれている美しい皿。赤像と黒像とはネガとポジの関係なのだと軽く思う。
他にも、綺麗な赤像式の器をいくつも見る。絵がとても繊細。

クリミアから出土した耳飾は金をベースに、紅玉髄、柘榴石の取り合わせや、金に瑪瑙のものなど。これらを見ていると、後の正教会の十字架の装飾などを思い出す。

硬貨がたくさん出ていた。いずれね打刻式。東洋では鋳造のものがメインだが、西洋は打刻式がメイン。アレキサンダー大王の時代のものもある。ときめくなあ。

・中世の遊牧民(4~14世紀)
この辺りからタタール人(韃靼)などが現れてドキドキする。
ポロヴェツ人・・・
わたしのアタマの中では「韃靼人の歌と踊り」が流れ出す。
そしてフン族のアッティラ王の話・・・ゲルマン人の物語「ニーベルンゲンの指輪」の後日譚たる、クリームヒルトの復讐譚などなど・・・

フン族の剣が現れた。紅玉髄と柘榴石の装飾がついている。
「辻金具」という十字型の金具にも柘榴石がついている。赤い石への偏愛があるらしい。

ゴート族のこめかみ飾りも愛らしい。
変なのは「戦士小像」。ポーズがビミョーすぎる。
これは会場前の顔ハメにも出演していた。
SH3B14480001.jpg

・スラブとキエフ=ルーシ(4~14世紀)
いよいよキエフ公国の出現。
「スキタイの黄金」とは遠く離れた文化である。
だが、装飾の技法は手が込んでいて、美しい。ビザンチン様式を思わせる。
「東方的を起源とする装飾や美術が見受けられる」のは、やはり当然か。
それは「多色象嵌」の技法などから。
ここにある首飾りには確かにそんな風情がある。

こめかみペンダントは金に象嵌したもので、小鳥が対になっている。とても可愛らしくて魅力的。
わたしはビザンチン様式がとても好きなので、こういうものを見るのは嬉しい。

そして実際にビザンツの出土品が色々出ている。
スプーン、盃、行進用の十字架、メダイヨンなどなど・・・

・ウクライナの装飾美術(16~19世紀)
我々のイメージする「ロシア風」な装飾品が多い。七宝、ニエロと呼ばれる黒金象嵌。

聖遺物用十字架 銀に紅玉髄、アメジスト、ガラスの装飾がある。とても綺麗。
正教会の荘厳さを思う。

聖母子像のカバーがある。金製の顔ハメだと思ってほしい。

正教会の主教が持つものが出ているが、これがまた素晴らしい荘厳をされている。
エメラルド、ルビー、サファイア、スピネルなどなどがつけられていて、煌いていた。

最後に現在のウクライナの風景写真がパネル展示されていた。
ドニエプル川、コサック、そして・・
色んなことを考えさせられ、また思い出す。
11/25まで。
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