美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

須田国太郎展 没後50年に顧みる

須田国太郎の回顧展が昨年から開かれている。
わたしはようやく今の京都市美術館で見ることができた。

巡回先のチラシを色々手に入れた。ちょっと挙げてみる。
nec128.jpg nec129.jpg

nec130.jpg nec131.jpg

nec133.jpg



こうして眺めると、赤目の犬と塔と鵜とで占められている。
わたしは「鵜」で須田に奔った。それまではどうもニガテだったが、「鵜」の良さに震えてから、須田が非常に好きになった。
ただしこれは油彩の話で、彼の「能狂言スケッチ」は2002年に見て以来、どうにもならないほど好きでいる。

始まりの葉山で見る機会があったが行き損ね、京都で待った。
待ったが、正直なところ今回の展示はどうもあまりパッとしない。
その作品がよくないのではなく、作品の展示の方法がよくなかったのが原因だと思う。

須田は京都帝国大学で美学を学んだあと、スペインに行った。
スペインに行ったことで、あの重厚な作風が生み出される土壌が培われた。
そのことを思うと、須田が道を間違えなくてよかったと思う。

須田の油彩は一言で言うならやはり「重厚」である。
重苦しい色彩の配し方が記憶に残るひとである。
それを見るにはある程度の明度を上げなくてはならないと思う。
だが、全く無念なことに、初期から中期の作品の大半は、二重の防護ガラスの向こうにあり、偏光グラスを掛けでもしない限り、まともに見えなかった。

絵を入れた額縁にまずガラスがある。そしてそれを壁面展示するとき、その壁面全体を覆うようなガラスケースがあった。それが非常にまずかった。悪条件の中でも名品は生きているはずだが、映りこみすぎて、余分なものが絵の中に存在してしまう。
眼は描かれた絵とそこに移りこんだ不要なものとの区分けをしない。意識的にその部分を捨てると、絵そのものまでが削られる。
今回は本当に困った。

近年展示ガラスや照明の技術力がそれこそ目覚しいほどにアップした。
東博、出光、サントリー、汐留といった東京のミュージアムでの進化した展示スタイルに慣れてしまったことが、わたしの場合アダになったのかもしれない。
公立美術館にそこまで求めるのは、このご時勢に惨いかもしれない。
しかしこれだけ見えないと、やはり考え込んでしまうのだ。

また、須田の晩年に近い時代以降の作品は個別のガラスケース越しに見るからか、ストレスは殆どない。そしてこの美術館が開館した当初から使われているレトロな床面設置のガラスケース越しで見るスケッチ類も、見ることに何の不自由さもなく、昔のガラス特有の歪みがそこにあっても、ちっとも気にならないのである。

わたしか行った日は土曜日の午後で多くのお客さんがおられた。ご年配の人も若い人も多く、にぎわっていた。そして鑑賞するのにアクションがなかなか激しかった。
つまり「見ようとして」動くのである。
この動きを含めての「体験的鑑賞」だというなら仕方ないが、おそらくはこれは意図の外のこと、もしくはやむなくの想定内のことかもしれないが、それにしてもやっぱり見えない。

わたしはもうすっかり諦めた。
大型ガラスは私自身と須田作品を二重写しにしてくれるが、わたしは須田だけの作品が見たいので、かなしくそこを離れ、個別展示へと移った。

'05年秋に須田国太郎展が京都国立近代美術館と東京国立近代美術館とで開催された。
そのときの感想はこちら
このときに色々と見ているのを思い出しながら、絵を見る。

須田は動物好きな人だという話で、実際に猛禽類を始め様々な生き物を描いている。
たゆまぬ観察が眼を肥やし、描き続けることが技術を向上させる。
須田の能狂言スケッチは闊達な動きを捉えているが(「動かぬゆえに能と言う」という言葉もあるが、須田のスケッチは演者の動きを鋭く捉える)、動物スケッチは静かな様子を捉えている。
本画にそのまま移行することの可能なスケッチだと思う。
能狂言スケッチはそれ自体で完結し、油彩になったものとスケッチとの間には断裂がある。決して連続していない。
動物と能狂言と。この違いが非常に面白い。

今回わたしの愛する「鵜」も「歩む鷲」も出ていない。同時期に向かいの京近美に「鵜」が出ているのを確認している。「歩む鷲」も疲れたか、東近美で羽を休めている。

鳥で出てきたのはフラミンゴの群れと、向かい合って黙って枝に止まる二羽の鳥たちである。種族は知らないが、どうも別な属の鳥たちらしい。
わたしはこの向かい合う鳥たちに惹かれた。

スケッチがある。レトロなガラスケースの中にあり、見下ろす形で眺める。
本画と違い、のほほんとした空気がある。
まだこの本画もそんなに緊迫感に満ちてはいないが、基本的に須田の作品は強い緊張を強いられる気がする。
わたしはようやくここで息をつく。

各地の須田展のチラシを細かに見ると、色々な違いがあって面白い。中でも気に入ったフレーズを抜書きする。
葉山では「困難な時代にあって、須田国太郎の強靭な精神にあふれたその芸術に接することで新たな生きる力を得ることを願っています。」
nec135.jpg
左上から右上へ向けて、筆石村、窪八幡、自画像、ハッカ、グレコ・イベリアの首、雪の比叡山。

茨城は「暗く濃密な陰が、あたかもその奥底から見えない光を放っているかのような作品の魅力を『陰影、燦燦』と表現してみました」
nec136.jpg
上左から右へむけて、自画像、黄豹、バラとアザミ、犬、真名鶴、走鳥、窪八幡。

また石川では「商戦直後四ヶ月ほど須田は加賀に滞在し、片山津や大聖寺、那谷寺などの近隣を描き、小松で講演や講習会を行い、また金沢へは愛好した能の観賞に出かけるなどしています」
nec137.jpg
左上から、須田の写真、アーヴィラ、発掘、椿、犬、鵜、真名鶴、窪八幡。

鳥取は「京都にアトリエを構えながらも、須田はしばしば山陰地方にも写生に訪れ、田後や隠岐などの風景を描くと共に鳥取大学で集中講義を担当し、郷土に所縁のある多くの作品を残しています」
nec138.jpg
上から、水田、法観寺卒婆、真名鶴、漁村田後、断崖と漁夫たち、海亀。

京都は、かなり難しいことを書いているので割愛するが、短いながらも立派な須田論になっている。
nec134.jpg
チラシ裏はここだけ単一色であるが、上から発掘、神域にて、犬、走鳥、戸外静物。

須田は晩年は寝たまま絵を描く状況になるが、あちこちを旅していたのがわかる。
そして出かけた先で自身の芸術を深めるだけでなく、若いヒトビトの心に種を蒔き歩いた。

最後の巡回先の島根のチラシは残念ながらまたせ手に入れていない。
しかし5ヶ所それぞれの意図するところなどが見えて、興味深く思った。

今回の京都展で気に入った(元から好きなものも含めて)作品を集める。
黄豹 暁闇の中に金色のボディを輝かせて身を起こす豹。
nec132.jpg

対話・鴨とはげこう スケッチからしてどこかユーモラスだったが、本画もいい。濃密な闇が薄れた分、ちょっと軽妙な風情が出ている。
nec127.jpg

海亀 前回の須田展で見たときもこの絵を見て「ガメラや~」と喜んだが、やっぱり今回もジェット噴射するガメラにしか見えなかった。かわいいガメラの絵。
nec138-1.jpg

最後にほんの少しだけ「能狂言スケッチ」があったが、ほぼスルーされていたと言ってもいい。しかし本当に須田の作品を回顧するのなら、この能狂言スケッチの一群は置き去りに出来ないものなのだということを、せめて文章だけででも知らしめるべきだった。
武智鉄二らが戦中に開催していた断弦会などの場で、須田は熱心にスケッチし続けていたのである。時代背景を思えば、須田の精神力の強靭さと芸術への執心、古典芸能への偏愛の深さは、驚くほかはない。

今回は一つ一つの作品について自分の感想を書く、と言うことはあえて避けたが、やはり須田の良さに痺れたのは確かだった。
気軽に眺めることが出来たのは、学生時代の手作り同人誌「竹馬の友」表紙絵を見たときだけだった。
京都では2/3まで。次は最後の巡回地。島根へ向うらしい。

スポンサーサイト

江戸後期の美術 都市文化の洗練

大和文華館で「江戸後期の美術 都市文化の洗練」を見た。
基本的にわたしは常に「都市文化の洗練」に関心が向かうので、この企画展は興味深いものだった。
前月まで「江戸前期の美術 都市文化の華やぎ」として琳派をはじめとした絢爛な世界が開かれていた。そちらもたいへんよかったので、今回も期待して出かけた。
nec126.jpg

いくつかのカテゴリーに分かれているのでそちらを少しずつ。

・写実趣味・西洋趣味
タイトルのほかに沈南蘋の影響を受けた、というのもある。
正直なところ、このあたりはビミョーすぎるのだが、それはそれで面白い。

ライオン図 宋紫石 明和5年(1768) いや~モロに静養の影響受けて描いたんだけど、ちょっと違うでというライオンさん。でもけっこう顔は怖い。この雰囲気は明治の動物画にもある。動物園で模写をする以前の絵師たちの絵がやはりこんな風情を見せている。
ある意味では架空動物になっているのが面白い。

西洋婦人像 石川大浪 何度か見ているが、手本を見て描いてもこうなるのかと思うことが多い。前から思っていることだが、画力と言うものが進化するのは個人の力だけでなく、時代もまた進まなければムリなのではないか。
変な喩えだが、昭和30~40年代からマンガを描いている作家たちも、50年代以降は転換期を迎えて、随分画力が向上したのを目の当たりにしている。新しく出てきた作家たちの影響があったにしても、そこへゆくのには個人だけではムリなのかもしれない。

少女愛猫図 石川孟高 こちらは綺麗な模写だと思う。前にも本画と並んでいたのを見たが、今もいい感じの模写に見える。

江ノ島図 小田野直武 浮世絵や大和絵にはない妙なリアリズムがあることが、却ってこの風景を遠いものにしている気がする。別にこれが江ノ島である必要性がない、とも感じもする。♪海が割れるのよ~のチョンドでもかまわない、そういうことだ。つまり多くの人の認識する江ノ島から遠く離れているから、そのような感慨を持たせるのではないか、と思ったりするのだ。

七里ヶ浜図 司馬江漢 「種は尽きねぇ七里ガ浜」のあの七里ガ浜のはずだが、これはどこだろう。こうした写実主義に則って描かれたはずの風景のほうが、より架空の風景に近づくというのは、非常に面白い現象だと思う。
わたしは後世の人間だからそう思うのかもしれないが、リアル江戸時代の人に浮世絵とこうした写実主義との真景図などを出すと、どちらに実感が湧くだろうか。
そういうことを考え出すと、明治初の高橋由一の「花魁図」でモデルになった稲本楼の小稲が「わたしはこんな変な顔じゃない~~」と泣いたのも納得だ。
自分の目で見るものだけが「見えるもの」でなく、共通の認識が生きている以上、多くはそちらに向かうのではないか。

海浜漁夫図 司馬江漢 寛政11年(1799) サカナを持って歩く人々がいるのだが、どうもこれはまた諸星大二郎的世界観に近いのではないか。諸星の描く架空の土地(しかも絶望的な場所である)にたいへんよく似ている。諸星が似ているのではなく、この妙な写実主義が彼の描く架空世界に似ている、と思うのだ。

鱈図 円山応挙 荒々しい筆致で大きくタラをダラーーッと描いている。タラのグレーの鱗もバーッと塗りつぶしているのだが、それが逆に鱗を実感させる仕組みになっていた。

殿様蛙行列図屏風 渡辺南岳 これはまた好きな屏風。けっこう蛙の個体も大きく描かれていて、陸尺も立派。外線は力強い。わいわいとにぎやかそう。それぞれ顔つきが違うのも面白い。

花鳥図 松村景文 雀に牡丹・芙蓉に小禽の双幅。こういうのを見ると、それだけで和む。可愛い雀やあっさりした花。上方の絵の優しさがいい。

ガラスのよいのをみる。
長崎の黄色い蓋もの、江戸の透明な急須、赤や藍の薩摩切子など。
ガラスばかり集めているのもいいが、こうしてチョコチョコと出ているのも素敵だ。

黒漆墨形根付 柴田是真 これは奈良墨を半分ほど使いきった、という形をしている。笑ってしまう。さすが是真である。タダモノではない。

象牙や牙彫り、木彫りの根付けなどなど、ほかにも楽しいものが出ている。是真ほどの奇想はなくとも、それぞれ凝った趣向をみせている。

・文人趣味
近年、このあたりの作品に対することが増えた。そうなると馴染みがわくので、好きになってくる。

七老戯楽図 池大雅 一人一人がなかなか可愛い。こんな可愛い爺さんたちなんているものかと思いつつ、南画の面白さを感じる。

春林書屋図 呉春 こちらもほのぼの。わたしは大雅より呉春の世界が好きだ。ああ、早く春になればいい。そんな気持ちにさせてくれる。

秋渓訪友図 岡田半江 天保14年(1843) 大坂の文人サークルと、この絵とが二重に見えてくる。

親鸞上人剃髪図 田能村竹田 天保四年(1833) 久しぶりに見る。ロングで捉えられた光景。山の中の庵へ向かう一行、そして中へ入ろうとする人々。

東山第一楼勝会図画帖 森徹山ほか 寛政11年(1799) 侍童が煎茶を沸かすのを眺める高士。ねそべりながらその時間をゆったり楽しんでいる。文人たちが京都の東山の第一楼で楽しむ様子が届くようだ。

文人仲間の陶工・奥田頴川、青木木米らの赤絵龍文盃などがある。
思えば文人画の良さを教えてくれたのは、頴川美術館だった。

染付花鳥山水文水指 中川利三郎 鹿背山 林の中に三羽のウサギがいるのが見えた。後ろ姿の三角長耳と丸い背中とが可愛い。

・尚古趣味
古き日本の美を愛でる人々が世に現れ出したのは、いつからだろう。
ここに現れた画家も工芸家も、自分たちの生まれる前の時代の美を愛した。

瓶花図 抱一 文化15年(1815) 紫陽花、芙蓉、白百合、撫子、仙能・・・綺麗で華やか。しかし派手すぎはしない。そこが抱一のセンスの良さなのだった。

螺鈿蒔絵梅文合子 光琳・乾山合作/羊遊斎模造 いつ見ても可愛い。もう雁金屋兄弟の拵えたものはなくなり、後の世に生まれた模造品がこうしてかつての面影をしのばせてくれる。

竹製蒔絵椿柳文茶入 抱一図案・羊遊斎作 大好きな逸品。小さくてカワイイ。二人のコラボ作品のうちでも群を抜いて魅力的なもの。
img902.jpg

'05年にこの大和文華館で「岡田為恭」展が開かれた。今回はここで小さな為恭特集がある。
普段は「冷泉為恭」と表記するわたしだが、美術館にあわせて岡田姓で通そう。
なおチラシ表は全て為恭の作品で構成されている。

善教房絵詞模本 天保12年(1841)白描。女房たちの黒髪が流れるように美しい。

石清水臨時祭・年中行事騎射図屏風 白鶴美術館所蔵のものを特別陳列している。
前後期に分かれて左右が出る。まず右隻を見た。
為恭らしい紺色と金色の使い方が眼を惹く。貴人たちの大事な行事。
ところどころに桜が咲いている。おだやかな色遣いと構成。
この絵を白鶴で見た記憶がないが、絵自体は見ている。もしかすると、'05年のときかもしれない。

春秋鷹狩茸狩図屏風 画像は左隻。小さくてわかりにくいが、右端の松枝に手をかけている侍童は、その下の茸を採ろうとしているのだ。左端の貴人が見るのはカメだったか。
のんびりした風景の中で、人間はそれぞれ小さな行動をとっている。
nec126-1.jpg

春秋の図屏風 秋がいい。貴人と少年少女がいる風景。のんびりした楽しさがある。
画像は右隻。白梅と紅梅がしっとりと咲いている。
nec126-2.jpg

伊勢物語八橋図 留守文様というか、人間を排して、咲きこぼれる菖蒲を描くのが光琳や抱一だったが、彼らよりまだ後世の人たる為恭は、なんと花菖蒲を排して、人間を配した八橋図を描いた。その一方で表具は花菖蒲文様で埋め尽くされている。
これは洒落た趣向だと思う。

為恭の作品を見ていると、ここからさらに数十年後に松岡映丘やまつ本一洋らが現れるのは、必然のことだったのだと思うのだ。

2/17までなので、もう一度見に行ってもいいかと思っている。

上村三代の趣向を説く ~三者三様の試み~

松伯美術館の2/3までの企画は「上村三代の趣向を説く」~三者三様の試み~である。
わたしが最初に見た上村三代の展覧会は、'89年2月の難波高島屋での「松園・松篁・淳之三代」展だった。
高校の頃から松園さんの「花筐」に惹かれていたわたしは、やっとこのとき展覧会に出かけられたのだ。
しかも夕方6時を過ぎていたので「トワイライトサービス」として値引きされ、本当に嬉しかった。
その後、上村家の常設美術館が奈良に生まれてからは、企画展ごとに出かけられるようになり、ありがたさがいよいよ身にしみた。
つねに過去のことを思い出す体質のわたしは、何年経とうとも、こうして喜ぶことが出来るのだ。

まず松園さんの作品を見る。

虫の音 近世風俗画のような構図である。柱にまといつく女がいる。座敷では琴を弾く女と、三味線を弾く盲人がいる。縁側でくつろぐ女たちもいる。「彦根屏風」から想を得たのではないか、と解説にある。なるほどそうかもしれない。
近くのガラスケースにはこの絵のためのエスキースがたくさんある。明治42年、松園さんもまだまだ勉強中だったのだ。遊楽気分はやや薄いが、楽しそうな雰囲気はある。

人形つかい いかにも明治末頃の作品だという感じがある。どこがどうなのか専門家ではないから論理的な説明も歴史的な説明も出来ないが、明治だという実感がある。
これは松園さんの絵の流れと言うだけでなく、他の日本画家でもそうだ。特に人物を描く画家に顕著だとも思う。何度も見ているが、みんなが人形芝居を楽しんでいるのがよく伝わる。

美人舞踊図 これもまた先の「虫の音」同様に近世風俗画から学んだように思う。スケッチや下絵がたいへんいい。こうした稽古があればこそ、本番にいい味が出るのだ。
髪型は面白い髷(二つの長い輪を結ぶ)に手ぬぐいをかけたもの。小袖も腰まで落として次の着物を見せている。軽やかな手踊り。ここからは明るい歌も聞こえてきそうである。

鼓の音 非常事態が近づいている昭和15年、それでもこうした優美な作品を描いている。その精神力の強さに感銘を受ける。世間から隔絶して好きなことをしているのではなく、世間を知り尽くしながら、あえて己の住まう世界を深め、それを表現するところが本当の心の強さを示しているのだ。

暮秋 狂女である。白い背景の中に笹を担ぐ女がいる。笹を担ぐのは狂女の印である。女はかすかに口を開き、前方に向けて手を差し出している。しかし何も掴めるものはない。
昭和18年というご時勢にこうした絵を描く。晩年のある日、松園さんは何を見出し、この絵を描いたのだろう、どんな想いをこの絵に込めたのか。そのことに心が向う。

下絵やスケッチがたいへんよかった。正直な話、近年は松園さんの完成作よりそこに至るまでの軌跡に関心が向く。スケッチや下絵の類を見ていると、完成作が非常に静謐なものだと知る。スケッチでのアクティブさはどんどん削ぎ落とされ、軽い明るさも殺され、そして「気高い本画になる」のだった。


次に松篁さんの作品を見る。

鳥影趁春風 白木蓮に雀らがいる風景。白木蓮は静かにたおやかに花を開いている。雀たちも小さくさえずりながらその木の周囲にいる。ふわりとした花。にじむような白。幻想的な美しさのある光景。

冬暖 まだ後年の松篁さんの作品イメージから遠いが、温かみのあるよい作品。昭和8年の上村家のある日の光景。小さな娘二人が廊下でそれぞれ遊ぶ姿を捉える。
折り紙で拵えた奴さんで遊ぶ次女、座ったときにふと見上げた空に何か春の予感を感じ取る長女。戦前の幸せな家庭の一こまがここにある。

狐 長い胴を伸ばした狐が不意に背後を振り向く一瞬。白と茶色だけで構成された絵。戦時中の作品。松篁さんの描くこの狐は、白蔵主の変化前のようにも見える。賢そうな狐である。

澗 カン・ケンと読み、「たにみず」の意味がある。キュビズム風の岩がある。昭和28年、日本画滅亡の議論が出ていた頃。新しい日本画へ向うか旧を守るか。結局松篁さんはこの方向へは向わなかった。だからこそ、「上村松篁」になったのだと思った。

熱帯花鳥 緑の背景にトーチジンジャーの赤い花と、白の極楽鳥と。この艶麗さがいい。ハワイに行って松篁さんは熱帯の心地よさと絢爛な花鳥を堪能し、その経験からこれら一連の作品が生まれてくる。
ハワイに行った人で、こうした歓びを絵にしてくれたのは、松篁さんだけではないか。
ポリネシアの歓びを版画で描いたポール・ジャクレーという先達もいるが、日本画では松篁さんに尽きる。

鴛鴦 これも好きな作品だが、見るタイミングによって全く違う楽しみが見出せるのがいい。今日のわたしはこの作品を見て、鴛鴦の群れに鴨が一羽混ざっているのが気になった。
もしかすると隣で同じスピードで進む鴛鴦は、この鴨に何かしらアプローチしているのかも・・・と思ったり。鴛鴦たちがスイスイ泳ぐ水面。上半分に集まる鳥たちに視線が集まるが、しかし水は手前にも広々と続いているのだ・・・
nec125-1.jpg

ハイビスカスとカーディナル ピンク花と赤頭の鳥との取り合わせ。そういえば先の「熱帯花鳥」といいこの絵といい、いずれも昭和38~39年という「憧れのハワイ」時代の産物ではないか。「トリスを飲んでハワイへ行こう」というキャッチコピーを思い出した。

緋桃 これもたいへん好きな絵。鳥はニガテだが、松篁さんの描く鳥はある程度大丈夫である。深紅の桃花。桃は楯に四角く咲く。松篁さんのエッセーで知ったことである。
わたしは松篁さんの絵から花の咲き方を教わることもあった。そしてここにキジのつがい、キジップルがいる。花に負けない赤い顔をしたオスと「おや」という顔つきのメスと。
松篁さんの派手な色調が本当に艶やかで明るい。
nec125.jpg


最後に淳之さんの鳥たちを見る。

鴫 淳之さんはシギがお好きなのか、わりとシギの絵が心に残っている。薄明かりの時間帯か、シギが一羽、汀の植物のそばに佇んで、描かれていない月を見上げている。
ほんのりと温かい心持ちになる絵。

白鷹 勇ましい白鷹はよく見るが、この白鷹はまだ幼い鳥なのか、どこか不安げなところが見える。可愛い。きゅっとした嘴は確かに鋭い猛禽のものだが、目がまだ優しい。頭をなでてやりたくなる。

水辺の朝 薄い色の月下にシギが飛ぶ。楽しそうに飛ぶ。他の鳥がその様子を眺める。幸せな一日の始まり、その予感がある。
nec124.jpg

四季花鳥図 大阪新歌舞伎座緞帳の原画として3年ほど前に描かれた。最初に見たとき、非常に深い感銘を受けた。鳥たちの楽園。わたしは鳥がニガテなのだが、この絵を見ると、優しい気持ちになる。

淳之さんの描く鳥たちはいずれもみんな優しい目をしている。父上のような絢爛豪華さ・艶麗さはないが、つつましい幸せがそこここにある。
三代それぞれの個性の違い、それを楽しませてもらった。

大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具 前期

裏千家の茶道資料館で、名古屋の大松コレクション展が開かれている。
近代絵画と茶道具ということで、前後期に分かれての展覧会である。
元は大松美術館と言う形をとっていたが閉館し、しかし散逸することなくこうして抱えておられる。
それが今回こうして京都で展示されるのは、たいへんありがたいことだ。

まず日本画を見る。いずれも近代日本画の錚々たる人々の作品である。
nec123.jpg

御舟 松林 扇面図である。金地に生い茂る松葉と松枝。繁茂つよく、松籟の音色が届くようである。大正7年。まだまだ元気な時代の絵。

玉堂 長閑 白梅の下でメガネのおじいさんが作務衣のようなのを着て、干し柿だかなんだかよくわからないが、カーテンに吊るしてたものを取り外している。
これが何をしているのかよくわからないのが残念だが、確かに「長閑」である。
戦前のある昼下がりの情景。

玉堂 鵜飼 出ました、玉堂の鵜飼。手前に二隻、奥に一隻の鵜飼舟。松明が赤々と照り、鵜匠と黒い鵜たちを映し出す。よく働く鵜たち。そして適度な力で首を絞める鵜匠たち。
大昔から変ることのないスタイル。描かれた75年前も現代もそして大昔もこうだったろう。
そう思わせてくれる一枚。

玉堂 画手本巻絵 墨絵で松枝・笹竹・白梅をささっと描いている。線は太いめで、力強い。

青邨 水辺春暖 いかにも青邨の梅である。これが青邨様式の梅だというべきか。
紅白梅が優しく咲き乱れ、梅香漂い、小禽たちがくつろぐ。梅の根元はひとが坐している形をとり、幹もひとが背を伸ばしたように見える。
梅のひとの周りに小禽たちが仲良く寄り集まったような光景。とても愛しい。
nec122.jpg

青邨 椿 扇面に白椿。胡粉が流れ出すようなぼわっとした椿である。生姜砂糖をまぶしたお菓子がそこにあるような。

青邨 南天 葉は薄墨でシルエットのように描かれ、その上に不規則に南天の赤い実がぽつぽつと。この小さな赤い粒と葉の影との対比が、不思議ないたたまれなさを感じさせる。
何故だろう。描かれたのが敗戦の年だからか。どこか不穏な光景である。

松園 静思 黙って静かに物思いにふける女人がいる。戦後すぐの作品とは思えぬしっとりした味わいがある。

松園 初春 正月の晴れ着に「油取り」という背布を掛けた娘が手まりで遊ぶ。振袖を着て綺麗に結い上げてもらっていても、まだ心持は少女のままらしい。松園さんはこの「油取り」の風俗が好きなのか、山種美術館所蔵の一枚にもそんな娘を描いている。

松園 雪 雪を載せて白くなった傘を差す女。お納戸色の着物に赤の蹴出し。腰を屈めて見返る女。情趣深い絵。ふと雪岱を思った。

大観 神州正気 第一室の端と端に左右を向かい合わせるように展示していた。その空間に佇むと、古来から続く富士山の霊力を浴びるような思いがする。金地に富士山と松。戦時中の大観の気概をわるく取ってはいけない。

大観 海暾 かいとん、と読むらしい。意味は知らない。海波はなだらかに、その上にかもめは飛び交う。赤い夕日が浮かぶ。

大観 双雀 明治42年の作と言うことで、まだ若い画家のロマンティックなところが出ている。うねりをみせる幹と細い枝。木花は白いが何の花か判然としない。そこに雀が止まっている。細い木に咲く葉は青く、影を受けると紺色にもなる。シンプルなよさがいい。

大観 月明図 橋の上かベランダの上か、高士が欄干にもたれて眼下の水面を眺める。
月は白く天空にある。薄い闇が広がり、静かな一夜を思わせる。
大正時代の大観の描く中国風人物は、当時仲良しだった小杉放菴の影響が濃いように思う。

茶道具を見る。

祥瑞褶扇香合 明代の可愛い逸品。伊達家旧蔵のもので、掌に載せたくなる愛らしさ。
祥瑞の発色もいい。

萬歴赤絵枡水指 明代 四方と見込みに竜がいる。なかなかファンキーな竜である。

枝垂柳桜桐文蒔絵棗 いわゆる嵯峨棗。可愛らしく蓋から胴へと枝垂れが続く。

中興名物 瀬戸茶入 銘・老茄子 三井~鴻池~大松と伝来した。この茶入のためのお仕覆が3つある。大花麒麟、白地古金襴、一重蔓梅鉢緞子。いずれも可愛い。

歌合切 松永耳庵旧蔵。源氏物語に現れるキャラたちが詠むという形で、49~54番までの和歌が書かれているが、わたしには読めない。空蝉に始まり、明石入道までが見えた。
下地には白描で平安美人。

針屋釜 与次郎 蓋のツマミはナス。針屋宗春好みということでの呼び名。口べりはやや壊れている。以前は鋳造されたものが朽ちているのは、実用的な釜ということを考えると、疎ましく思えたが、大西清右衛門美術館で「壊れの美」を教わってから、その壊れ・朽ちも許されることを知り、惹かれていることを認めるようになった。

黒樂茶碗 道入 銘・烏帽子 一人だけ全く違う。やっぱり遠くからでもピカッ と光る。
釉流れの景色を烏帽子に見立てての銘なのか、内側の二つの山をそれに当てているのか。
やっぱりノンコウはどれをみても光っている。

八幡名物 絵瀬戸茶碗 松花堂由来。鈍翁旧蔵。玉子手に呉須で花唐草文。可愛らしい。

織部扇面手鉢 千鳥と梅と車輪と。こういう柄の取り合わせも面白い。

荒川豊蔵と前田青邨のコラボ茶碗がある。鳥居柄の入った志野茶碗。白の釉流れがクリームのとろけた様子に似ている。

最後に平成に入ってからの吉左衛門の茶碗や鵬雲斎の書などが出ていた。
やはり新しい、と感じた。

今の展示は2/3まで、後期は2/5~3/10まで。
この規模くらいで、近代日本画のよいものと茶道具の名品とを見るのが、いちばん安心する。和やかな気持ちでお茶もいただき、いよいよありがたく思う。

国宝 十二天像と密教法会の世界/成立八百年記念 方丈記

京都国立博物館の「国宝 十二天像と密教法会の世界」展は美麗な仏画にあふれた展覧会だった。
まず最初に国宝の十二天像が現れる。
チラシの十二天、それぞれの全身像を眺める。
元は東寺に伝えられた一連の仏画は今、この京博に納められている。
nec115.jpg

この十二天像は平安時代の大治2年(1127)に描かれた。
東宝記の巻二に制作経緯が書かれている。
ここにあるのは18世紀の書で、リズムのある書体なので、多少はわたしにも読める。
とはいえきちんと解説に書かれているので、労せずしてその意を掴める。
なんでも最初に描いたものは、鳥羽天皇から「疏荒」と言われたのでこのように描きなおしたとか。
「ヤレヤレトソアリケル。縁ニハ錦モテスト云々。其ヲ疏荒之由、鳥羽院間食」というのがその部分。
なお「東宝記」は東寺の歴史書、いわば社史である。
院政期の美麗な絵画はこうした裏話を持っている。

十二天、それぞれの魅力がある。
最初に全体を眺めてから、一体一体をじっくりみつめる。
座る敷物、従者なども全て違い、特性が描き込まれている。
順不同で挙げてゆく。

火天 グリグリした炎を背景に持ち、髪は個性的な髷である。たすき掛けに袈裟のようなものを身につけているためか、向かって右側の従者もそんなスタイルである。
一方左側の従者は外見は似ていないが、同じような手の開き方をしているのが、やっぱり仲間の印か。
倶利伽羅文のような炎のまとまり方も面白い。
nec118.jpg

帝釈天 なかなかの美貌で、右のこれも美麗な女性風な従者が花を捧げている。左の従者も美貌。

毘沙門天 従者もみんなコワモテである。甲冑もさすがに毘沙門天とその仲間だけにしっかりしている。よく見ると、毘沙門格子がちゃんと甲冑に描かれている。
毘沙門天が掌に置いているのは小さな宝塔のように見える。髭も綺麗に整えていて、かっこいい。
nec119.jpg

地天 朱唇がなまめかしい。

風天 風に吹かれているのか風を起こしているのか、身にまとうヒレも相当な勢いでそよいでいる。風天はそれを見るように風の方向に顔を向けている。甲冑を身につけているがその甲冑の文様にきり金が使われている。
タレ目のおじさんという容貌も個性的だ。左の従者も甲冑姿でやはり風を発しているらしい。
nec116.jpg

梵天 三面で色白の美しい容貌がいい。

水天 色白でふくよかな美しさがある。これだと鳥羽天皇も文句のつけようがないだろう。
蛇頭のついた棒を手にしている。袈裟に水色があるのは属性を思わせて面白い。袴が赤地に花丸柄なのも可愛い。
チラシに選ばれているが、巳年ということも関係あるのか。そんなことを考えたりするのも楽しい。
nec113.jpg

月天 左の従者の目つきの妖しさにどきっとした。

日天 目が細い。

・・・・・それぞれ従者の取り合わせも興味深いと眺め歩くうちに、いきなりスタイルの違う神仏が登場してぎょっとした。
片足を上げているのは蔵王権現などではないか。従者もいないし・・・と思っていたら、解説プレートを見て納得。
軍荼利明王だった。この像は今も東寺にいて、そう言われれば見たことのある顔立ちをしている。
頬にシミなのかてれたマークなのか、丸いものが浮かんでいる。火はぐりぐりである。
この十二天と五大尊像はセットで作られたのだった。
前期には不動明王が出ていたそうだ。
nec112.jpg

いずれも非常によかった。それぞれの属性を見いだしたり、衣装の違いを比べたり、従者たちを眺めるのも楽しかった。
仏画の美を堪能した、と思う。

次の室へゆく。
弘法大師の像がある。
互御影とある。これは僧形八幡神と大師とが互いの肖像を描きあいしたことからついた名だという。かなり剥落している。沓があるのはわかるが顔がほぼ見えない。

和菓子の虎屋さん所蔵で初公開の大師像がある。秘鍵大師像というそうだ。稚児文殊のように光の輪の中に、剣を持つ大師がいる。輪の外にいる貴人は空海を師と仰ぐ嵯峨天皇。右には浄瓶。その間には大師の巨大な沓。
解説シートがあるのでそれをもらう。
これは弘仁九年(818)疫病が流行した際、嵯峨天皇から宮中に招かれた空海が密教の立場から般若心経講義した(般若心経秘鍵)姿を描いたものだという。
nec117.jpg

また、空海像のスタイルは彼の弟子・真如法親王から始まるとあるが、その法親王がいわゆる高丘親王だというわけで、わたしとしては澁澤龍彦「高丘親王航海記」を思い出して胸がきやきやするのだった。

宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱 nec116-2.jpg
延喜19年(919)に拵えられた優美な冊子箱。あちこちに迦陵頻伽が飛び交う。表に二列で文字が書かれている。
真言根本阿闍利空海
入唐求得法文冊子之筥

仏画がある。
求聞持虚空蔵菩薩像 半眼なのは別に普通だが、それでもどこかきかん気そうに見えるのは、その放物線を思わせる口元のせいか。記憶力の仏様と言うことなので、わたしも手を合わせ、大いに拝む。

孔雀明王像 ピンクがかった肌にはっきりした容貌。騎乗する孔雀は真正面顔がファンキー。白い爪がパキパキしている。智積院蔵。以前「美麗 院政期の仏画」にも出ていたように思う。

天明九年(1789)に模写された年中行事絵巻のうち、巻四大極殿御斎会・巻五真言院御修法がでている。
白描でさらさらと描かれているが、人々の活気あふれる姿が活写されていて、それを見る方に興味がいった。
笑ったりくつろいだり、袖に手を入れてみたり、走ったり。舞楽の人々も鳥兜姿ではあるが、稽古の最中に見えるのがいい。三等身くらいの人々の動きが活発で、そこに面白味があった。

西大寺から十二天のうち三天が来ていた。
火天・帝釈天・閻魔天である。いずれも剥落が激しい。しかし騎乗する黄牛・白ゾウ・白牛はハッキリ残っている。いずれもオモロイ顔立ちである。特にゾウなどはわたしがよく描くゾウやウサギの目にそっくりで、親しみがわく。
すごく可愛い。

久米田寺の両界曼陀羅がある。少し剥落しているのが惜しいが、皆さん熱心に眺めていた。

密教の仏具がたくさん出ていた。金色に光る仏具が集まるのは壮観だった。
実は私は密教系の仏具をみると、荻野真「孔雀王」を思い出すのだ。裏高野というあれです。
nec121-1.jpg

東寺百合文書というものがあるが、以前から「・・・ユリもんじょってなに?」と思っていたのだが、これはひゃくごうもんじょと言うのだった。前田侯から百合もらったとかどうとか。
その一つに宝物の出納ノートや品名チェックリストなどがある。これらは建保四年(1216)に盗賊にやられたことが由来。その年の2/29に逮捕され、宝物も返ってきたそうな。
もうすぐ800年、確かに閏年だ・・・

元禄五年(1692)、先の十二天の絵を納める唐櫃が拵えられた。朱色の櫃で大きい。棺のようにも見えるが、とても立派だった。

ところで十二天というのは空海の頃までは確定していなかったそうだ。彼の後の宗叡の時代にメンバーが確定したという。それまでは十天だったり八天だったり。

灌頂というものは空海から始まっているようだが、そのときに稚児を愛でる風習も取り入れたとか、そういう囁きもあるのだが、それはただのヨタにすぎない。尤も、わたしはそんな話大好きだが。

中央室へ。
神護寺の十二天像と山水屏風がある。

十二天はフルカラーで非常に鮮明。鎌倉時代の作。
誰が誰天というのは書かれていないし、種字も読めないので、持ち物や装束などから推測する。

火天 インドの山奥で修行をして、そうな人。(ダイバダッタの魂宿し、だとレインボーマンだ)
月天 手に下弦の月とその上に白兎が乗る。
日天 赤玉を手に乗せる。太陽の中にいるのは鳥。
nec116-1.jpg
毘沙門天 こちらは普通の冠にみえるが、すると先の国宝の毘沙門天は兜拔毘沙門天だったのだろうか。
腹の怪獣がなかなか可愛い。装束も繊細な表現だが、指の形がとてもいい。
nec111.jpg
風天 やはり風になびいている。こちらも武人の様子だが、大元のインドではどんな神様だったのか。
地天 と思うのだが。花の入った籠を手に持つ。朱唇がなまめかしい。
梵天 違うかもしれないが。装束の美麗さがいい。

閻魔天 解説プレートに「スイカ柄の」とあり、誰がそんなのを?と探したら、閻魔天の腰布が赤地のスイカ柄だったのだ!!花まで咲いている。おお~スイカ~!こんな柄の布地、他にないで~!!なんだかめちゃくちゃ嬉しい。

山水屏風はどうもあまり興味を持てなかった。
というより、十二天にコーフンしすぎてしまった。
五種の山水図がある。時代もいろいろなのでそれを書く。
nec112-1.jpg

平安時代・京博 桜というより白ハナミズキのような木がある。人がくるのが見える。
幕末・神護寺 冷泉為恭模本 大和絵の名手と呼ばれるだけに古画に劣らぬ佳さがある。青と緑がきれい。
鎌倉時代・醍醐寺 忠実な模本。花見にくる高士など。
あとは残ケツが出ているが、南北朝時代のもので、京博と出光美術館とで分蔵している。

高野山水屏風 鎌倉時代 四季の高野山がある。二扇で1セット。雪の積もる本堂。緑濃い寺内。蓮の咲く池に、くつろぐ鹿たち。僧と稚児のいる風景、梅も咲く。
人はあくまでも小さく描かれている。鳥瞰図風。おしどりも小さくいる。みればみるほど新しく細かいものに気づくのだった。

最後にまた十二天をみる。
平安時代の面である。
梵天・帝釈天・風天・毘沙門天。梵天・帝釈天はよく似ていた。白と黄色の違いはあるが。

先に挙げた神護寺のを手本にもしたのか、滋賀の聖衆来迎寺蔵の十二天のうち六天がある。伝・高階高兼。
・水天 蛇もつ緑色。・火天 インドで修行。・伊舎那天 緑色で鉢持つ。・閻魔天 スイカでなくカボチャ柄の腰巻き。
ほぼ同じ感想が胸にわいた。

三重の大宝院旧蔵で奈良博に入った鎌倉時代の十二天像もある。
中でも個性的だったのは日天。両手に芥子の花を持っている。それから伊舎那天は首からドクロを下げている。深沙大王またその後身たる沙悟浄の姿を思わせる。

最後に南北朝から室町時代に描かれた十二天が現れた。
これは親戚同士のある個人がそれぞれ半分ずつ所蔵しているそうだ。初公開。敷物がそれぞれ違うのが目に残った。

仏画の美を堪能させてもらい、ありがたく会場を出た。
出たら今度は成立800年記念「方丈記」展が始まる。

大福光寺蔵の「方丈記」が巻首から巻末まで公開されていた。これは鴨長明自筆という伝承のある最古の写本らしい。
セルフカバーノートである。
「ユク河ノナカレハタエスシテシカモモトノ水ニアラス」から始まる現物を初めて見た。
平安末の五大災厄についても詳しい。
安永の大火、治承の辻風、福原遷都、養和の飢饉など。
「クサキ香世界ニ満チ満チテ」云々。
このあたりを読んでいると、以前の京都文化博物館常設室にあった映像「都市の栄光と悲惨」が思い出される。
あの映像には方丈記のこの一節が引用され、映像として一遍聖絵、長谷雄草紙、そしてボッシュやブリューゲルの地獄やバベルの塔の絵などが流れ、更に太郎焼亡・次郎焼亡が語られ、最後には「祇園祭」が現れるのだった。

この展覧会を見ていると、文化博物館の失ったかつての宝をいやでも思い起こされてしまう。全くもったいないことをしたものだ・・・

ふと見ると、床面にテープが貼られ「方丈」が作られていた。そうか、この空間か。実感が生まれてくる。
出家と遁世とは違うということもハッキリと腑に落ちる。

鴨長明は下鴨神社の正禰宜惣官の子として生まれた。
その下鴨神社の境内図がある。
nec121.jpg

昨年二度ばかり神社を訪ね、社家町をふらふらしたが、この境内図を見ると、なんとなく懐かしい気がする。

こちらは去年の下鴨神社での展覧会に出た資料。長明ゆかりの河合社の境内図と、再現された方丈である。
nec120.jpg

餓鬼草紙があった。生きてる人々の間にうごめく餓鬼ども。
nec114.jpg
人が汲んだ水のおこぼれを待つ。ごはんもまともに食べられない。
目蓮尊者の母が餓鬼になったことは知られているが、その絵も出ていた。
最後はむろん救いがある。施餓鬼で癒される餓鬼たち。

発心集断簡 「安居院聖 行京中時 隠居僧値事」アグイの聖についての記述がある。こういうのを見ると、それだけで嬉しい。

仏画をみる。
普賢十羅刹女像 いつものメンバーに訶梨帝母も加わる。みんなけっこう気合いの入った女人たち。

阿弥陀四尊来迎図 丸顔のお地蔵さんも参加の来迎図。なんとなく安心しやすいかもしれない。

面白い歌集もある。
藤原成範家集断簡 左に和歌が並び、それを眺めるように右手に藤原成範が配されている。彼は頭に手をやり、ちょっと「てへっ」な様子にも見える。

明恵上人の夢記も出ていたが、字は読めない。

最後に曼殊院の是害房絵が出ていた。対決に敗れて怪我をして倒れた是害房を日本の日羅房らが戸板に乗せて助けるところ。みんなに散々言われる是害房がちょっと可哀想である。
これから湯治をしてもらう手前のシーン。
読めた文字を写す。「我ガ本朝ニ岩湯・・・熊野ノ湯ノ峯、箱根ノ湯・・・近年ハ有馬ノ岩湯ニテ諸人療治ニ」
要するにわが国の湯治で有名な温泉の名を挙げているのだった。

こういうのが出ているとは知らなかった。ラッキー。

こちらも2/11まで。
 
面白い展覧会を二つも見せてもらえ、たいへんよかった。
2/11まで。

朝鮮の屏風

高麗美術館で「朝鮮の屏風」を見た。
和の屏風、中国の屏風、朝鮮の屏風とそれぞれ微妙に拵えが違う。
そういうことも学んで楽しく眺めた。
nec105.jpg

チラシには三点の屏風が出ている。
刺繍花鳥図八曲屏風、右手は山水図屏風、左手は文字図六曲屏風である。
そしてタイトル文字の間に紅白の扇が開かれた状態で示され、隣におじいさんの絵、右端には先の扇の閉じたものが配置されている。
(ポスターを戴いたので、ちょっと大きな画像を挙げる。)

刺繍花鳥図は季節の移り変わりを花鳥で表されている。いずれもとても愛らしい。
蓮にハチドリ、その下にカモ。柘榴に錦ケイ鳥、紅葉にキジなどである。
nec102.jpg
nec103.jpg
別な刺繍屏風には蝶もいれば、翡翠もいて、月に小禽というのもある。
こちらの美術館案内に使われているように、やや色も濃い。
nec108.jpg

日本では「仁義礼智忠信孝悌」・・・八犬伝だ♪ しかし本格的な儒教の国では廉恥などと文字がいくつか入れ替わる。
その「人として忘れてはならぬ八つの文字」を文字絵にしたものがこちら。
nec101.jpg
華文字も大道芸として残っていたお国柄だけに、工夫されている。日本ではこの方面はあまり発達しなかったようで、葦手はあっても、日本語のカリグラフィーも殆どなかった。
朝鮮は民画に近い筆致で文字絵を拵える。
この魚なども何の字を示すのかはわからないが、いい感じである。
nec100.jpg

山水図はそれほどよいとも思わないが、山を折り重なるように描いているところがなかなか興味深くもある。
nec099.jpg

葡萄絵屏風がよかった。墨の濃淡だけで葡萄の実の充実振りを描き分けている。
めでたい図である。

耕作図をみる。人の良さそうな庶民たちが農業に従事する姿。
nec098.jpg

あちこちに犬がいて、人と仲良く暮らしている。牛も良く働いて、楽しそうにモォ~と鳴く。
高士を乗せる牛もいる。nec104.jpg


灯りがある。蝶の形をしている。こういうのはわたしも欲しい。
朝鮮の蝶番など金属加工品には好きなものが多い。

ところどころにやきものも置かれ、展示に花を添えている。
この華角張りの箱もそう。nec109.jpg

こちらの象と虎は箱に貼られた絵の一部。こうして普段から美術館のチケットとして働いている。
nec107.jpg

平壌大同江図屏風 大きな川が滔々と流れ、ジャンクが行き交う。民家も数多く立ち並び、中には大きな街路樹も見える。ぱっと見したら南国の様相にも見えるが、ここは冬の厳しい平壌なのだった。

竜虎うちわもある。わたしは虎だけはちょっとほしい。
nec106.jpg

他にもサランバンに置かれていたと思しき文具絵図屏風などがあった。
こういうものを見て、士大夫たるもの・・・と日々気合を入れていたのだろうか。

紙で拵えられた箪笥、入れ物などをみる。
こういう技術力の高さに惹かれる。

展覧会は明日まで。ほのぼのと楽しい展覧会だった。

尾張徳川家の至宝

江戸東京博物館で徳川美術館の名品がご開帳されている。
尾張徳川の名宝はこれまでにもしばしば現地まで出かけて見に行っているが、こうした巡回展を見るのは初めてだった。
nec094.jpg

明治維新の後に廃藩置県などがあり、立ち行かなくなった大名家が売り立てなどをして、お宝散逸と言う憂き目に遭うことは多いが、尾張徳川家は偉かった。
かなり早い時期に美術館として成立させ、お宝を一般公開し始めたのだ。
さらに他の大名家の「お家の重宝」も売り立ての際に購入し、また寄贈も受けて、大名家の伝えたお宝として大事に展示するのだから、これは本当に尊敬に値する。
昭和初期にそのようなことをしたのはやっぱり偉い。

美術館のサイトにはこう書かれている。
「維新、大戦を通じて各大名家の道具がほとんど散佚してしまった今日、徳川美術館の収蔵品は大名家の宝庫・コレクションとして唯一のまとまった存在です。徳川美術館は、「大名道具とは何か?」「近世大名とは何か?」という問いに答えることのできる我が国唯一の美術館です。」
美術館を開いたのは「最後の殿様」として名高い義親公である。

なくなった戸板康二の「ぜいたく列伝」に尾張徳川家の義親公が登場する。
ぜいたく列伝 (文春文庫)ぜいたく列伝 (文春文庫)
(1996/03)
戸板 康二


義親公の子息と戸板が同級生で、邸宅に遊びに行ったことからのご縁である。
「虎狩の殿様」と喧伝されていた義親公が美術館の母体を成立させ、開館させたのだが、戸板の書く「最後の殿様」のエピソードはかなり面白い。
子どもだった戸板は邸内にあるゾウの足を処置したゴミ箱を見て、さすが『虎狩の殿様』だなあと感心したそうだが、大人になり何かの会合で隣り合わせになる。
戸板は子どもの頃の話をし、さらに美術館所蔵の「阿国歌舞伎草紙」はどこから?と尋ねると、公は軽く答えられる。
「オオサカからですよ」「大阪の美術館からですか」「いえ、大坂夏の陣のときに」
こういう会話がいちばんたまらない。面白すぎる。

さて、その「阿国歌舞伎草紙」はあいにくお出ましではないが、「源氏物語」の何枚かが来ている。それと「初音」のお道具などが。
この見事な宝を東京で見せていただこう。
nec095.jpg

最初に初代の義直公由来の品々があるが、これらを見るとどうしてもわたしのアタマには津本陽「柳生兵庫助」が思い浮かんでくる。
具足類、太刀などを目の当たりにすると、作中の義直公と兵庫助の対話などが再現される。
二世光友公の太刀を見ると、兵庫助の息子たちが剣術指南として働く姿がまぶたに浮かぶ。
鋭い気合声がこちらの腹にも響くようだ。

それにしても太刀も色々あるが、巷説に名高い村正まであり、それが家康の佩刀でもあったというのは、稗史好きなわたしとしては、ちょっと面白い。
刀は「皆焼」ヒタツラというよく焼かれた様子を見せている。
他に来国俊名義でなく孫太郎の名が刻まれた太刀もある。
そして乕徹もある。虎でなくこちらの乕を使っている。

後藤家の代々が拵えた刀装具も並び、いいものをたくさん持ってきたなと感じる。
徳川美術館での展示風景を思い出しながら眺めるのも楽しい。
そしてこれらの品々をみるにつけ、改めて大名家が軍(いくさ)の長たる位置に立つ、ということを思い知らされる。

宗春公着用の火事装束はさすがに豪華である。宗春公は倹約倹約の時代に名古屋だけは別だと豪奢豪奢とやって、楽しくはあるがやっぱり政治経済がちょっとまずい状況になってしまう原因を拵えた殿様である。
ただ、彼はただの遊楽好きではなく、インフレにすることで市場経済を活性化させようと考えていたそうだが、それが時代にマッチしなかっただけのことかもしれない。
なんとなく今の状況に似ている気がする・・・
このあたりの様子は池波正太郎「さむらい劇場」、横山光輝「時の行者」のエピソードに詳しい。

源氏物語をみる。
柏木(三)が出ていた。光君が薫を抱っこする絵。これを見るたび「因果応報」を思う。
かつて自分がしたことが、数年後にふりかかり、自分がされる立場になったのだ・・・
他に昭和初期の名人・田中親美が模写した東屋(二)もある。剥落も見事に再現し、たいへん美麗な作に仕上がっている。
数年前、五島美術館が完全な再現品を拵えたが、キラメキすぎてちょっとありがたみが薄れたことを思い出す。やはり現状の再現がいちばん好ましいのかもしれない。

茶道具がある。
これらは徳川美術館に行くと、特に楽しく眺める品々で、ここへ来てもその光は劣らない。
改めて解説プレートを見ると、岡谷家から寄贈された茶道具がけっこう多いようだ。
わたしの好きな柿の蔕茶碗などがそうだ。

白天目、黄天目、油滴天目など、いいものがきている。
旅先で偶然ばったりと知人に会ったような気持ちで、いよいよ懐かしい。
キラキラ煌く油滴、ラスター彩のような黄天目。

梔子連雀文堆朱盆 元代の赤い盆は一見したところモリス商会の仕事のように見える。
可愛くて仕方ない。

古銅砧型花生 銘・杵のをれ この来歴が面白い。
秀吉の前で家康との碁に勝った石川貞清が、後に家康に命乞いするために、この花生を差し出したそうだ。
道具にはそれぞれ物語があるのがゆかしい。
nec097.jpg

能装束をみる。徳川美術館にあるその展示室には能舞台もあった。
紅白段金霞枝垂桜に扇文唐織 これがたいへん綺麗で気に入った。扇は全て半閉である。
鬘帯や腰帯のほか、龍載や天冠などもある。太鼓に大鼓小鼓、能管などなど。

牡丹唐花文紅花緑葉沈箱 明代の工芸品。交互に赤と緑の漆を塗り重ね、それを彫るのだが、それぞれ深さを変えて彫ることで、色の違いが露になる。華麗な箱である。

多くの古筆もあった。わたしの好きな近衛信尹による朗詠屏風があった。俊成の詩歌から選ったものを書いているが、奔放すぎる筆致だった。

探幽の四季花鳥図屏風もある。豊饒な世界である。閉ざされた空間に四季折々の喜びが満ち満ちている。

寒山拾得図 伝・賢江祥啓 室町時代の水墨画だが、二人がなかなか美少年に描かれているのがいい。髪はやや薄いが、愛らしい少年風で、見ていて楽しい。

初音の調度をみる。・・・・・いたいた、鶯。梅だけでなく椿も咲いている。
nec094-1.jpg
この調度品は葦手も多用している。nec096.jpg

美麗なだけでなく教養の高さがにじむ調度品である。
これは家光の息女で光友の北の方となった千代姫の所有品なのだった。

他にも非常によいものが出ていた。
やはり尾張徳川家は凄い。
久しぶりに名古屋の徳川美術館に行きたくなってきた・・・

2/24まで。



歌川国芳 奇想の絵師による江戸案内

大丸元町店で「国芳」展が開催されている。
これは後に大丸福岡天神店と長崎歴博とに巡回するだけというシロモノで、神戸での開催を逃すと、九州まで出向かねばならなくなる。
関東は巡回なし。

nec090.jpg

チラシの表はワニザメに救われる(掬われる?)のは為朝と家来の八丁礫の喜平次らだった。
「讃岐院、眷属をして為朝をすくふ」図。
ペン画のようなモノクロの異形のものたちは天狗、つまり讃岐院(崇徳院)の手のものたち。

国芳はこのように三枚続きの物語絵を描くときは、大胆な構図を用いる。
巨大な骸骨がいるのは相馬の古御所だが、これも笑ってるように見える骸骨がとにかく目立つ。
宮本武蔵が大鯨と対決する図では、鯨の大きさが目に残り、武蔵がどこにいるのかも気にならない。

このように大きいものをどーんと描き、周辺にヒトビトを配する構図。
こういうのがまたとても巧い。

チラシ裏がいい。ポップな感じがする。
nec089.jpg

☆花のお江戸のファッション・グルメ
今回は浮世美人の三枚続きが色々出ていた。それと団扇絵と。
団扇絵では串刺しうなぎを食べるおねえさんの絵が出ていた。好きな一枚。
高名な花魁たちを並べたものもある。
それにしても団扇絵が多いのには感心した。なかなか残りにくいと聞いているが、それがこんなにも残っている。当時の人でも国芳マニアがいて、大事に守ってきたのだろう。
明治・大正・昭和・平成と連綿とつながる愛情を感じる。

当時一松花の夜涼 おしろい花・紫陽花・牡丹 まるで少女マンガのような構図である。背景にタイトル通りの花をそれぞれ背負った3美人。おしろい花は腰元、紫陽花は町家のお嬢さん、牡丹は多少いなせな風情の女。

松葉屋内代々山・中万字屋内八ツ橋・扇屋内花扇 ものすごい打掛。黒の背景に瑞雲がたなびき、そこにヱビス・大黒・弁天がそれぞれの花魁に向けて小判を振りまく。
立体感あふれる打掛を見て、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の熊襲兄弟を思いだした。
しかしこの打掛、豪華絢爛な拵えで、配色もいい。
実際にはこんなものなかったかもしれないが、絵空事の楽しみが横溢している。

連作「国芳もやう正札附現金の男」がある。
野晒悟助は一休の弟子筋ということでドクロ柄の着物に袈裟。着物のドクロは猫で出来ていて袈裟のドクロは敗荷。
梅の由兵衛は白黒の丸紋の着物だが、これは烏鷺つまり碁を指してもいる。
ほかに貫禄たっぷりの幡随長兵衛、手鏡を見ながら毛抜きを手に持つ唐犬権兵衛。
男伊達のかっこいい姿が並んでいる。

シリーズものでは「大願成就有ケ瀧縞」で、洗い髪の美人がおハギを詰めた箱を持つ絵が出ていた。そのコマ絵は菊慈童で、秋を共にイメージする。むろん美人はシマ柄の着物。
コマ絵の菊慈童はなかなか美麗で、国芳の一枚絵の菊慈童を思い出させる。
そういえば彼の弟子で早世した芳雪は、国芳の下絵による菊慈童の刺青を入れていたそうだ。勇壮な好漢を描くのが巧い一方、美人画もわるくない国芳だから、美少年の菊慈童もよいのは当たり前かもしれない。
しかしこのおハギ、白と黄色という珍しさ。なかなかおいしそうである。

春の虹 背後の虹よりやっぱりウナギに惹かれる。
ウナギで思い出したが、岡本綺堂「半七捕物帳」の半七はやたらとウナギを食べていた。江戸の中期からウナギの調理法が一気に進化して、たいへんおいしくなっのだが、高値なのは今も変わらない。

柳桜亭花也摺物 雪月花のうち花 この柳桜亭花也は長州藩主毛利斉元のことで、小唄を好み、こうして豪華な摺物をこしらえている。
描かれているのは三世尾上菊五郎。女のなりをして三味線をつま弾こうとする図。上に小唄の文句があるが、「大丸の包みほどけば新染ゆかた・・・」。
大丸がこの展覧会にこの絵を出したキモチ、わかるなあ~

国芳は企業広告も手がけている。ここには出ていないが現在も使われているのは山本山の海苔が有名か。
双六仕立ての広告ものもある。上野下谷にあった堺屋の扱い商品を集めた双六。こういうのが楽しい。

ほかにも松坂屋(上野広小路)の店先絵がある。大丸・松坂屋の企業共同体だから、いよいよぴったりですな。
深川にあった船橋屋の店先には美人たちとわんころたち。
平和な風景である。

☆季節を楽しむ江戸っ子のレジャー
三枚続きの美人画が多い。
おとそ気分の3美人、隅田川の花見、高輪あたりで虹を見る三人、両国の花火、酉の市などなど。
うちわ絵は「江戸三景」で隅田川・浅草寺・王子。

イメージ (52)

☆国芳の江戸散歩
美人画の次には風景画がくる。
東都名所シリーズがある。改めて眺めると、洋風表現を多用していることに気づく。
嫖客が日本堤をわいわい言いながら歩く絵でも、つい手前の彼らの様子に気をとられるが、背景の満月の光の表現などは、従来の日本の絵にはないものだった。

今戸焼の様子を描いたものも、窯とその煙とが陰影をつけている。手前の人物はいずれも従来ながらの浮世絵キャラなので、その対比が面白い。

スカイツリーだと話題になった櫓もある。舟で大川を行き来する人の様子、橋桁にぶつかるスイカの食べ残しなどなど、東都名所は楽しいところもばっちいところも共に描く。

顔と体の向きが同じで手の動き・着物や小道具のこしらえを変えた「雪中傘持つ娘」と「雪だるまを作る美人」。こういうのを見るのも楽しい。

子どもを描いたシリーズも出ていた。
江戸時代において、子どもが可愛がられている様子を記録した資料もある。角兵衛獅子、曲芸、蜆売りなど懸命に働き、また虐待される子どもらも多い一方、可愛がられることも篤かったのだ。
国芳の前の世代で京の絵師たる芦雪なども、子どもの可愛さ・楽しさを唐子に託して多く描いた。浮世絵にしろ円山派の絵にしろ、江戸時代の子どもを描いた絵は可愛くて楽しいものが多い。
子供遊び絵ではお相撲、いくさごっこ、子とろ、川遊びなどが描かれている。みんなイキイキしていて楽しそう。
nec093.jpg


☆江戸のコミカルワールド
戯画をみる。
初めて見る絵がいくつもある。初公開という話だが、類似品も見ていない。まだまだこんなにもたくさん、世に出ぬ絵があるのだ。

猫の当て字シリーズでは「たこ」があった。蛸を噛むのも可愛い。
「ふぐ」では遠目をする猫がけっこう好きだ。nec089-1.jpg


独楽の戯画もある。なんでも擬人化できるものだなあ。
動物たちの戯画は何度も見ているが、やっぱり面白い。
雨宿りする・麦湯を飲んで一休みする・売り買いする・・・
着物の柄一つにしても国芳はちゃんと行き届いたセンスを見せる。

てるてる坊主の戯画には笑った。ほんと、なんでも擬人化出来るもんやなあ。
久しぶりに「化け物忠臣蔵」も見た。十二段みんなそれぞれ面白い。

「流行猫の曲手鞠」は大阪市立美術館での国芳展で、ガイドキャラとして大いに働いていた。看板になり道案内もし、解説文にはシルエットも出していた。
やっぱり猫はいい。

猫といえば東海道五十三次をパロッた猫飼好五十三匹、芝居をパロッたもの、たとえ尽くしなどなどが出ていた。
どれを見ても楽しく・そして可愛くてならない。

英雄たちの大冒険
武者絵ではこれまた初見があった。
大概わたしも「国芳好き好き」と言うているが、こんなにたくさんの初見が出てきては、反省するほかはない。「好きだ」と言うならもっと深く知らなければならない。
水滸伝の好漢たちの一枚絵はよく見ているが、それでもまだまだ足りていない。

「通俗水滸伝」の連作が出てた。
その中でも「浪子燕青」に撃たれた。
わたしの見知っている「浪子燕青」はこちらの「水滸伝豪傑百八人之一個」のほうだった。
(参考画像。)nec092.jpg

この「通俗」の方の燕青はうかつにも見ていなかった。全くの初見である。
動きはこの「通俗」の方がはるかにいい。なんという躍動感か。
今まで知らなかったことにわたしはショックを受けた。
何故だろう。「通俗」での他の好漢たちの雄姿は見ているのに。
というより、わたしは二十歳になるころに「水滸伝」にのめりこんだのだが、その最初期に見たのが、先に挙げた柱を掴みあげている燕青の絵だったことで、彼のイメージがそこで固定し、ほかを見なくなっていたのかもしれない。
だからこんな今になって、この「通俗」での燕青の美麗さにときめいているのだった。
nec091.jpg

浪子燕青。一枚絵でならこの色白の美青年は背中一面を見せているが、ここでは身体をねじり、闘う様子を見せている。
「雪白の膚」という表現を思い出す。そこに青と朱の花を咲かせる。それを望み、強いたのは彼の主人・盧俊義だった。
この絵を見ているだけで、わたしは自分の細胞や神経がざわめくのを感じる。

こちらは長崎のチラシ。2014.12.28追加。
イメージ (51)

武者絵ではほかにも我が日の本の者たちの雄姿が列んでいる。
俣野五郎、武蔵、新中納言平知盛などなど。
このあたりは丁度十年前に松濤美術館で開催された「武者絵」展にも出ていたように思う。
懐かしいところでは、「本朝三勇士」があった。
古寺にいる不破伴左衛門、名古屋山三郎、高木午之助らの様子。青んブクレした死体を不破があとの二人に投げつけて脅かすシーン。男たちは細面の優男風だが全く動じない。
死体の様子が殆どもうギャグで、妙に面白いのもいい。

ああ、それにしても今回の出品はときめくものが多かった。
昨今の大掛かりな展覧会よりむしろこのほうが好ましい作品が多かったかもしれない。
神戸では1/28まで。

勝坂縄文

神奈川県立歴史博物館で「勝坂縄文」展と言うのが開催されている。
勝坂とは何かよく知らないが、とりあえず縄文時代の文物を展示かな、くらいのキモチで訪れた。
アタマの「勝坂」は地名だろうが、それがどこにあるのか知らないし、聞いてもぴんと来るかどうか。
縄文土器の展示といえば近年では東博の縄文、MIHOの縄文が優れた展覧会だった。
こちらはどうか。

・・・なにしろ神奈川県立歴史博物館は今まで見てきたところ、堅苦しい展覧会が多いなという感じがあった。
面白い内容であっても生硬さが強かった、というべきか。
しかし近年「面白い」展覧会が増えてきた。
少し前の「ペリー七つの顔」などはまずあのチラシが出色の出来で、内容も楽しかった。
今回の勝坂縄文展は一見したところ地味に展示物が設置されているだけのように見えたが、近づくとアニハカランヤ、随分楽しそうである。
そのことについて色々かいてみたい。

nec087-1.jpg


勝坂は相模原にあるそうで、関東では有名な縄文遺跡だそうだ。
とりあえず中に入ると、薄暗い展示室にヒトがワイワイ。
なんやなんやとガラスケースを覗き込むと、縄文土器が並んでるわけだが、そこについてるキャプションが面白いではないか。
なんだかハジケたな、神奈川歴博。
ワルフザケはいやだけど、やっぱりこれくらいの遊び心がないとね。
学芸員さんもチエをしぼったんだろうな~と思いつつ、その楽しさに乗せられました。
いいねーいいねー。

nec088.jpg

とか言うてるうちに、岡本太郎の写真が出てきた。
戦後しばらくの頃に岡本太郎が「発見」した縄文土器の素晴らしさ。
それを捉えた彼のフォトと、モデルになった土器たちがずらずらと並ぶ。
またそれだけでない工夫もあるから、これは神奈川歴博、あなどれない。

名前も新たに付けられてて、それがまたいい感じ。
このちびっこさん、「ちびーなす」ですがな。nec087.jpg

可愛いわ~ゴヒイキにしよう。

ほかにもこのぺたりと座り込む子もいる。ちょっとばかりムーミンのミーを思い出した。
どこら辺りかは、はっきり言えないのだが。
nec088-1.jpg

ミミズクがいた。耳が出ているからミミズクなのだが、その造形がまるで今出来のような風情を見せている。お土産屋さんで売ってるミミズクの顔そのまま。
ミミズク・フクロウは時代が違っても顔はあまり変らないらしい。

それにしても展示で一番ウケたのが、縄文人の失敗?品を集めたコーナーだった。
文様がね・・・ビミョ~~に崩れてゆくというか、一つの壷に貼り付けてる文様が途中でゆるくなっていってて・・・
これは後世のプロのヒトにはない現象ですな。
「・・・途中まで巧いこといったから、まぁ続きも・・・とりあえず作っておくか」
そんな声が聞こえてきそうである。

笑ったり感心したりしながら眺めて、とても楽しい展覧会になっている。
サイトもいい
こういう縄文展は今までなかったなぁ。とても面白かった。

機嫌よく楽しんだ後、何気なく受付でもらったアンケートを見て、楽しい気分から真逆のアンタンたるキモチへ。
ここに全文を載せることはしないが、要するに神奈川県の財政困難を理由にしての文化活動の制限というか、そうならないために何かいい案件はないですかというような内容だったのだ。
神奈川も大阪も文化的な土壌はあるのに、クビ長らはそれを否定して壊そうとしているのか。現場の努力も観客の喜びも捨て置いて。
文化の棄民制度を推し進めさせてはいかんのだが、わたしのアタマではいいアイデアは何も思いつかなかった・・・

常設展示へ向かう。
ハマ焼の展覧会で出会った高貼りの猫が二匹出ていると聞いて、喜んで出向いた。
猫は確かにいた。わたしが見たのは後に生まれた猫だった。
正式名称は「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒大香炉」とかいう。
mir678-1_20130118161538.jpg
最初の猫はちょっとコワイ口元をしている。
この猫柄はインパクトが強かったようで、スカジャンの模様にもなった。丁寧な刺繍だった。

井上安治の浮世絵があった。なんと珍しいことに鎌倉・鶴岡八幡宮での静御前の舞を描いている。こういうのは初めて見た。

外観の素晴らしさ、所蔵する作品の奥深さ、企画力・・・いい博物館だけになんとかがんばってほしいし、行政もその辺りを理解しなくてはいけない。

濱野彰親展

弥生美術館の濱野彰親展は、現役の挿絵画家の回顧展であった。
nec086.jpg
濱野は現在も達者に津本陽の作品に対し、シャープな挿絵をつけている。
つけている、と便宜上表現したが、文と絵とは同等の存在だとわたしは思っている。
作家と挿絵画家とのコンビはその昔「飯と汁」と表現されたように、離れ難い存在である。添えば添うほどに二者だけでなく読者にとっても、決して消えてもらっては困る存在なのである。
早い話がパッと見したとき眼に入るのは文章ではなく絵である。
その絵は一瞬で読者の気を引かねばならない。心を惹きつけ、抱き寄せ、そして本文へと誘う。そこから本当に読み物が始まる、とわたしは思う。
そういう意味で言えば、わたしは挿絵で抽象表現のものは全く関心を持てない。なんのためにあるのかさえわからない。
nec085.jpg

現在、現役として活躍中の挿絵の大家を少しばかり挙げる。
中一弥、蓬田よしひろ、そしてこの濱野である。
名は思い浮かばずとも、作品の話をすればすぐに思い浮かんでくる絵、それが彼らの絵である。
池波正太郎没後20年を経た今になっても、やはり秋山小兵衛は中の描いた小兵衛でないといけないし、幕末から明治へ時代を移しても、「かわせみ」の連中は蓬田の描いた人々がちょっとばかりハイカラになって出てくるだろう。
同じことは佐藤さとるの童話にも言える。何があろうとやっぱりコロボックルたちは村上勉の絵でないと、信じられない。

濱野は世に出た最初、漫画家仲間とつきあいがあった。
加藤芳郎、富永一郎など。
カストリ雑誌でデビューしたらしく、その頃の作品があった。ダンテ「神曲」などである。
やがて田代光のところに出入りするようになり、小松崎茂、御正伸らとつきあうようになった。
御正は既にこの弥生美術館で回顧展があったが、いつか田代光も見てみたいものだ・・・
関係ないが、田代光の姪御さんに当たる水彩画家・田代智子さんとツイッターでお話したとき、田代の厳しさなどを聴いた。しかし挿絵仲間の評判は決して悪くない。田代の仕事に対する姿勢をこのエピソードから感じさせられる。

やがて挿し絵界の大御所・岩田専太郎に雑誌で紹介されるようになる。
そして濱野の本格的な仕事は昭和30年から始まる。

火野葦平「花の座」「魔女宣言」「青空の街」などがある。三好徹は「帰らざる夜」がある。
いずれもシャープな描線で都会的な魅力がある。

猫とのトラとミーと一緒の写真がある。かわいい猫たち。
濱野は自費で「B5の絵」という画集を刊行している。
その記念パーティには実に多くの人が集まっている。
絵自体は冤罪、ホームレスなど社会派的な題材が多い。
モノクロで描かれた、描きたいものだけを描いた画集。

時代が進んでついに週刊マンガブームの時代が来た。
今もある週刊TIMESがこの業界での嚆矢として刊行された。やなせたかしの「花火の女」が表紙絵として出ている。時代の空気を感じる。

濱野と川上宗薫のコンビの仕事が多い。
吉行淳之介との仕事もある。どちらもアダルト系。ペン画のシャープで色っぽい絵。

「別冊現代」の表紙絵もある。中間小説ブーム。純文学と大衆小説の間。この分野はわたしも好きだった。
ペン画もいいが、フルカラーもとてもいい。職人としての濱野の力を感じる。

結城昌治、梶山季之、佐藤愛子、菊村到、源氏ケイ太・・・錚々たる作家との仕事が続く。
昭和30~40年代の文士の時代である。
寄せ書きを集めた屏風もすごい。こちらも名前を見るだけで「おうおう」と声を上げてしまう人々ばかりである。
田辺聖子、津村節子、平岩弓枝らとも組んでいる。

梶山の遺作「罪の夜想曲」の挿し絵を見て、この小説が読みたいと思った。女巌窟王という世界観も面白そうである。
そして松本清張「黒革の手帳」の挿し絵がある。勢いがあるが抑制された筆致がいい。
「迷走地図」「数の風景」などなどこちらもシャープな作品である。

清張とのコンビ作品が多い分、いろんなエピソードがある。
飛行機で出張する予定なのに清張が遅刻して飛行機が飛んでしまった。
やっと到着した清張を待っていたのは濱野と編集者だけである。
照れ隠しに清張が言う。「飛行機は待ってくれなかったかね」
それに対し濱野は優しく答える。
「作家を待つのは編集者と挿絵画家だけですよ」wwwww!!

光瀬龍、富島健夫、藤堂志津子、和久峻三、夏樹静子、ねじめ正一、花村萬月、深田祐介らとの仕事もある。
おお、深田「神鷲商人」もか。知ってる作品が出ると嬉しい。

'88年から徳間書店が刊行し始めた大仏次郎の文庫の表紙はすべて濱野の仕事となった。
自分の持ってる本もチェックしなくては♪
森村誠一、多岐川峻、黒岩重吾らの仕事も多い。

そして山崎豊子「大地の子」の挿絵が多く出ていた。
わたしはこの物語の重さに耐えられず避けてきたが、やはり挿絵を見、要約された物語を見るうちに、読むべきだという気持ちになってきた。
絵の力が、こんなわたしのようなものをも動かすのである。

山崎とは「二つの祖国」でも組んでいた。近年は津本陽との仕事が多い。そして逢坂剛の「ハゲタカ」シリーズも濱野だった。

大人向けの小説以外の仕事もある。教科書に「コースチャ坊やを救え」という読み物があるが、その挿絵が濱野だった。そしてわたしはそのコースチャ坊やの事件が20年前だったことに仰天した。
えーーっあの子が北海道に搬送されてきたときのこと覚えてるよーーーっもぉ20年も経ってるんかーーーっ

ほかの仕事では、何十年も前から唐招堤寺のうちわ撒きのうちわを奉納していたり、アクリル画で可愛い猫の絵もある。

濱野はまだまだ現役画家である。
今後もどんどんいい仕事を続けてほしいと思う。
いい企画だった。 

東洋館リニューアルおめでとう

長らく待ち望んだ東洋館のリニューアルオープン、おめでとう。
わたしは嬉しくて長居して、うっとりしておりました。
正直なところ、西洋の文物より東洋の古いものへの愛情が深い。
今回もとても気持ちよくこの空間を経巡り歩いた。
21世紀以降わたしは「アジアの旅」を繰り返しているが、それはやはり日本で東洋美術の精華を楽しんだからこそか。
その意味ではこの東洋館がわたしの師匠なのだった。
それでは「東洋美術を巡る旅」に出かけよう。

ガンダーラ佛の美麗な姿を眺めて歩く。

首がなくなっても優美。IMGP1052.jpg

三尊の美IMGP1054.jpg
天蓋はそれぞれ異なる装飾の様子を見せている。

サイドには文字もある。IMGP1053_20130121142135.jpg

IMGP1055.jpg IMGP1056.jpg
昔からガンダーラ佛だけは美の対象のとして眺め偏愛している。

綺麗な胸。IMGP1057.jpg

優雅な工芸品を眺めて歩く。
IMGP1058.jpg

すごい飾り。IMGP1059.jpg

からす天狗の親戚ですか。IMGP1060.jpg


古代のカワコワな顔IMGP1061.jpg
武器についている顔は、ヤラレる方には殆ど悪魔ですな。

漢犬。古代のわんこ。あちこちから見る。
IMGP1062.jpg IMGP1063.jpg

よく吠えるらしい。IMGP1064.jpg

手元に置きたい瓶IMGP1065.jpg

貫入が綺麗なものと色の清冽なものと。
IMGP1066.jpg IMGP1067.jpg

こちらはまた違う条件で撮影。
IMGP1072.jpg IMGP1073.jpg

小鳥さん。IMGP1068.jpg

うさぎさん。IMGP1070.jpg

きらきら天目。カメラのヴァージョンを変えてみた。
IMGP1069.jpg IMGP1071.jpg

牡丹の美を楽しむ。IMGP1074.jpg

雀と籠と。よく見えないので違う色でも見てみる。
IMGP1075.jpg IMGP1076.jpg

可愛いバロックな勾玉IMGP1077.jpg


どうぶつ絵の入る瓶。
亀らしい。玄武というシロモノ?IMGP1078.jpg

目つきの違うツル?サギ?それぞれ。
IMGP1079.jpg IMGP1080.jpg 

綺麗な色の瓶。IMGP1081.jpg


いよいよ高麗の青磁象嵌。わたしを魅了してやまない世界。
IMGP1082.jpg IMGP1083.jpg
東洋陶磁美術館でも高麗青磁は酷愛する対象だが、ここでも愛したいと思う。


勾玉。IMGP1084.jpg
わたしの持つ古事記は武田祐吉の訳注のついたもので、表紙は勾玉の写真だった。
子どもの頃からこの魅力に捉えられている。

銅鼓。IMGP1085.jpg
東南アジアに生まれた銅鼓。諸星大二郎「孔子暗黒伝」で初めて知ったものだが、現物を見たのはこの東博でのことだった。89年の話。ああコレがか!と思った。
後にシンガポール歴史博物館、ハノイ歴史博物館でも銅鼓の大群を見たが、やはり必ず「孔子暗黒伝」を思い出すのだった。


最後にインドの細密画。本館に出張していた分もあわせて。
IMGP1086.jpg

IMGP1095.jpg IMGP1096.jpg

大倉集古館でインド細密画の展覧会があったが見に行き損ねたのを無念に思っていたが、ここでこうして少しでも見ることが出来て嬉しい。

・・・あ゛っ大好きなクメール佛を撮影していなかった。反省。
いや、次回のお楽しみと言うことか。

いくら見ててもまだまだこうして見残しがある。
とても愉しい東博・東洋館なのだった。

2013年、トーハクに初詣した

毎年けっこうな催しが開かれる。
トーハクはやっぱりすごいなと感心しながら訪れる。

博物館に初詣
いいタイトルだなあ。わたしは基本的に三が日はどこにも行かずひきこもり、ようやく9日から11日の間に近くのえべっさんに詣でて初詣となるわけだが、こうして「博物館に初詣」と言われると、霊験あらたかなキモチにもなる。

ぱちぱちと好ましい展示物を撮影したので、それをここに挙げる。
全体を写したものもあれば、ごく一部だけ撮ったものもある。
タイトルを挙げるのもあれば、ないままなのもある。


十二支図。トリはサヨナラした。IMGP1087.jpg
ごめんね、わたしはトリが苦手なの。他にも消えてるどうぶつもいてますな。

IMGP1088.jpg
・・・いや、やっぱり可哀想だ。ニガテだというてサヨナラばかりしてどうするんだ。
というわけでこちらも。・・・でも足りないな、メンバー。

国芳の十二支。IMGP1089.jpg
やっぱり正月は遊び心に満ちてて欲しいねw

十二類絵巻。狸は可哀想だが、そういう役回りだわな。
文福茶釜以外、狸がいい奴だというのは・・・ちょっとないかも。
金長たぬきの話は侠気にあふれつつ、可哀想だしな。
IMGP1090.jpg

IMGP1091.jpg
中世の発心譚は半分冗談なのかも。


こっちはシャレにならない話。「賢学草紙」。京博にもいいのがあるが、こちらはモロに蛇になる。
道成寺と同じパターンのほう。救いのない話は中世に多い。
IMGP1092.jpg IMGP1093.jpg

IMGP1094.jpg


可愛い引き手など。七宝はいいなあ。
IMGP1101.jpg

鳥獣戯画の模写から。
猫可愛いwIMGP1097.jpg

カエルのみんな。IMGP1098.jpg

九谷焼。なかなか鋭い眼の鳥がいる。
IMGP1099.jpg IMGP1100.jpg

能装束に住まう獅子。これなるハ東の都の池之端ノその奥に住まう獅子ナリ。
IMGP1107.jpg

月次絵巻。先月も見たが可愛い女児がいる。
IMGP1102.jpg IMGP1103.jpg

IMGP1105.jpg IMGP1106.jpg


横山大観「游刃有余地」IMGP1110.jpg
この絵を見ると、横山光輝「戦国獅子伝」を必ず思い出す。
この丁に対し、梁の文王は無残なことを強いるエピソードが描かれていたのだ。
絵の雰囲気は小杉放菴の描写に近い。

観山の「弱法師」も出ていた。そしてこの二点について、鏑木清方と安田靫彦の対談の中で言及されていて、なかなか興味深いことを言っている。
その対談は東近美60周年記念に出た『現代の眼』アンソロジー『美術家たちの証言』の中に収められていた。
美術家たちの証言  東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』選集美術家たちの証言 東京国立近代美術館ニュース『現代の眼』選集
(2012/11/02)
東京国立近代美術館



最後は可愛い浮絵から。七福神と唐子。こういうの、楽しくていいな。
IMGP1108.jpg IMGP1109.jpg

茶道具と円山派の絵画

上野毛からまっすぐ三越前に向った。雪に遭わずにすんだが、随分な道のりだと思った。
三井記念美術館「茶道具と円山派の絵画」を見る。

最初に茶道具がある。冬の寒い日に茶道具を見ると、冷え冷えとした寒気と共に湯気の立つあたたかさを感じる。

十二支文腰霰平丸釜 大西浄林 これは遠めにも可愛らしい釜で、間近によって眺めると、十二支の動物が時計とは逆周りに腰回りにぐるりと浮かび上がっている。
それぞれの個性が良く出て可愛らしいが、特にトラは片手をあげる招き虎になっているのがいい。

三井家が旧幕時代に大名家に献上した茶道具が、瓦解後に売り立てられ、それを再び買い戻すということをよくしたらしく、今回はそんな来歴のある茶道具がいくつも出ていた。
遍歴せずによかった、と思う。こうして旧主に買い戻された茶道具は幸せだろう。

赤樂茶碗 銘「鵺」 ノンコウ 嬉しい再会。ノンコウは赤でも黒でもなんでもいいのを拵える。

円山派の絵を見る。
応挙 稲麻綿図 三幅対。左の綿は河内木綿の花のようでふっくら可愛い。どうしても木綿の花を見ると、「カムイ伝」を思い出す。

素絢 鬼図 節分の鬼である。家々に刺される鬼避けのまじない。即ちヒイラギにイワシのアタマのあれ。鬼はそれがニガテなのに、いきなりそんなものに出くわして、ギョエーとなる鬼の姿。

狙仙 岩上群猿図屏風 秋のある日、猿たちが妙に可愛い姿を見せている。丸くなった背が可愛い。

亀岡規礼 酒呑童子絵巻 狩野派の絵巻を手本にして描いたというだけに、色彩も華麗である。岩屋を抜け、洗濯する泣く女をみつける一行。既に住吉ら三明神からの加護を受け、鬼の住む異界へ入り込んでいる。
宴会の様子。そこから時間の推移が描かれている。ついに鬼の首を掻っ切るが、鬼は怒って頼光の兜にガブッッ!そして姫君たちの開放ということになるのだが、なかなかいい。

今度は高麗茶碗を見る。
粉引茶碗 銘「残雪」 口べりのところが魅力的。どう見ても犬やフクロウに見える景色があった。目の錯覚とヒトサマの見立ては一致しないが、とても面白い。

御本雲鶴茶碗 既に李氏朝鮮時代なのだが、12世紀の高麗象嵌ものを思わせるような拵え。それが非常にいい。既に600年ほど経ったときにこうしたものを拵えてと以来が入ったのだ。かっこいい・・・

最後に「夜はなしの茶事」として様々な道具やゆかりのものを集めている。
千家十職の拵え物、永楽保全の椿絵茶碗、象彦の塗り物茶碗などが特にいい。
また「夜ばなし」だけに灯りも色々展示されていて、初めて見るような形のものもあった。

しみじみといい展覧会だった。1/26まで。次は恒例の三井家のお雛様。

時代の美 桃山・江戸編 五島美術館・大東急文庫の精華

五島美術館のリニューアルオープン第三弾に出かけた。
第一弾、第二弾と出かけ損ねて、ようやく第三弾の桃山・江戸の美術を見に行くことになった。
半蔵門線の某駅から乗ったときは大雨だったが、トンネルを抜けるとそこは雪国だった。
さすがに「夜の底が白くなった」とは続かない。なぜならまだ午前9時台だったからだ。
びっくりした!1/14、大雪の日に上野毛の五島美術館へすべりもしないでたどりつけたのは、人も車も通らなかったので、道の雪がサクサクしたままだったからだと思う。
苦労してたどりついた五島美術館は、以前と形を変えることはないものの内部が非常によくなっていた。
これはこれはと思いつつ、まず「第一展示室」へ向う。以前の展示室が「第一室」としてオープンしている。

最初に桃山時代から江戸初期の流麗で豪壮な時代を象徴する文物が並んでいた。
光悦と宗達の色紙帖と鹿下絵和歌巻断簡などがそこにある。
新古今和歌集と和漢朗詠集がそれぞれずらーっと列び、優美さを露にしていた。
金泥・金銀泥で梅や鶴や月に桔梗、蒲公英、菜の花などが描かれている。
そこに墨の濃淡と力配分の絶妙な文字がつらつらと躍る・あるいは沈む。
非常によく出来た色紙で、数も多い。これらを集めたとき、本当に心躍ったろうと思われた。
わたしも特に気に入ったのがある。
春の田を人に任せて我はただ花に心をつくしなりけり
この和歌には、巨大な満月の下に松林という取り合わせだった。
眼が見開かれてゆく思いがした。

清正公、そしてその母堂の肖像画がある。清正公は熱烈な日蓮信者だというが、それは母譲りらしい。四百年以前の似せ絵。母堂は黄色地に花と扇柄・変わり身に亀甲文の小袖を用いていた。大変色鮮やかだった。

探幽の旅絵日記がある。二種あり、それぞれ東海道往来の図である。出ていたのは箱根あたりと近江あたり。江戸と京とを行き来してはその旅の最中にスケッチも怠らない。
絵師の鑑である。(というか、やっぱり絵を描くこと自体が好きだからか)

光琳 紅葉流水図(竜田川) 団扇型の中に秋がある。黄土色と赤の目立つ絵。
紅葉が可愛らしい。

乾山 雪松図 丸の中に雪を乗せた松の絵。81歳の乾山の絵。

乾山 四季花鳥図屏風 こちらも同じく寛保3年の作。鷺に菖蒲、柳に何か青い花、薊に鷺、飛んでいるのは皆が鷺。やがて季節は移る。蛇の目籠、萩に紅葉に鷺・・・ああそうか、花鳥のうち花は色々あってもトリは全て鷺だったのか。夏の鷺と冬の鷺の違いは冬がやっぱり丸々していることだった。こういうのも面白い。

十二ヶ月風俗絵巻 正月はぶりぶり持つ子らに万歳と才蔵がいる。節季候らしき姿も見える。英一派のものだと解説にあるが、元禄の頃もまだ中世の正月に近い道具立てを見せているのか。それはそれで興味深い。

涅槃図 冷泉為恭 淡彩の涅槃図。釈迦の胸に卍が浮かび上がる。カエル、カタツムリ、トラにヤギなどの姿も見える。生命全てが涅槃を悲しんでいる図。

不老門 為恭 洛陽にある門を描いたというが、中華風ではなく和風の門で、そこに松竹梅という、お正月にぴったりの吉祥画。

コレクションの根幹を成すのは古文書・古色紙などである。五島慶太は古美術のうちでも特にそれらを愛したという。
信長から青蓮院あて、秀吉から北の政所あて、利休、織部、遠州らの手蹟・・・
秀吉の文で面白いものがあった。書が一行ずつ大小大小変わってゆくのだ。このリズムは面白かった。正妻に対しての詫び状+能の稽古をしているので見せたい、という内容。
丁度今、大和和紀の描く小野お通の物語「イシュタルの娘」の最新話で、名護屋で秀吉が能の稽古をするエピソードがあった。いいタイミングにわたしはものを見ている。

ノンコウ 黒樂茶碗 銘・三番叟 これもまた遠くからでもわたしを招ぶ。ピカッと光ってわたしを招ぶ。他にも色々いい器があるのだが、それでもやはりノンコウのだけがわたしを招んでくれるのだった。

庭には出られない。春からの公開である。ましてや雪である。
室内から見る分には雪も楽しい。

新しく第二室になった展示室へ入る。小ぢんまりして、そこにやきものがあった。
志野、織部、古伊賀などがいい配置に並んでいる。
あれを見、これを見、しては楽しい心持になる。
中でも織部舟形手鉢の絵はまるでプールの飛び込み台のようで、面白かった。
本当は何を描くつもりだったか知らないが、織部の文様にはこんな楽しさがある。

三彩六角皿 源内焼 薄い紫・黄色・緑の取り合わせだが、まるで上質の和三盆で拵えたハクセンコウのように見えた。たま~~にハクセンコウも食べたくなる。あの口どけがいい。
このやきものにもそんな魅力があった。

時代の美「桃山・江戸編」は2/17まで。
次は2/23~3/31で中国・朝鮮編と言うことなので、その頃にまたここへくる予定。

ものづくり 上方“酒”ばなし

今日までの展示だったが、大阪大学総合学術博物館では「ものづくり 上方“酒”ばなし」展が開催されていた。
これが実に面白かった。
副題は「先駆・革新の系譜と大阪高工醸造科」とあるが、それは展示を見るうちに腑に落ちるものだった。
nec084-2.jpg

今日はセンター試験の日なので受験生の邪魔をしてはいけないと思って、予定を遅らせて到着すると、さすがに阪大ももう静かになっていた。
中に入ると杉玉が飾ってあるではないか。いいなぁ、いかにもな感じがする。
そして最初に館長の橋爪節也さんからのメッセージ文があり、それを読むだけでも面白い。

序章 古代・中世の酒造り 都の酒・寺の酒 
思えば上古の昔、三輪の酒を拵えたのは人と神とだったが、無論この時代の酒造りの技術は今日とは断絶している。

面白かったのは室町幕府が殆ど酒びたり状態だったということ。
わたしはこの日のミュージアム・レクチャーには参加できなかったが、この日のタイトルはずばり「酔狂の室町時代」だった。なるほど~~

伊丹の諸白、灘の寒造りなど知った言葉が出てくる。
南都諸白が伊丹のそれにつながるということは初めて知った。
歴史を学ぶのは面白い。

伊丹から灘五郷の酒蔵地図を見る。杜氏の出身地もみる。懐かしい。まだ阪神大震災の前は灘も毎年「酒蔵オリエンテーリング」を開いて、蔵開きをしてくれていたことを思う。
わたしは日本酒だけは自分からちょっとだけ飲みたい方なので、二十歳を過ぎてから友人たちとよく通った。そのときにそれぞれの酒蔵の方からお話を色々聞かせてもらったものだった・・・

第一章 江戸を席巻する「下り酒」
幕府は江戸にあったが、依然としておいしいもの・価値のあるもの・面白いものは「上方下り」として重宝された。
浅草奥山での細工見世物も「上方下りの」細工見世物は特に名高かったそうだ。
無論、日本酒も「上方下り」のものが尊ばれた。
「上方下り」でないもの=「下らない」=「つまらない」ということである。
諸国物産の番付を見ながら色々と楽しいことを思う。

こちらは明治10年の「大日本物産図会」である。原本は寛政10年の木村蒹葭堂と蔀関月の出した本で、これはそれに色をつけたようなもの。
nec084-1.jpg


第二章 洋酒製造・普及の最前線
1.大阪の麦酒工場
アサヒビール(朝日ビール)の資料がある。ポスターがレトロでいい。
明治25年の引き札(今で言うチラシ・ビラの類)がある。上方の浮世絵師・中井芳瀧によるもの。彼は国芳の弟子筋にあたる。
おもちゃ蒐集でも著名な川崎巨泉の「第四回内国博覧会」ポスターにはアサヒビールの宣伝も出ていた。
明治は宣伝に力を入れる時代でもあった。

こちらは「大阪吹田村醸造場之図」今のアサヒビール吹田工場のかつての様子である。
nec084.jpg
建物は妻木頼黄の実施設計。今は煉瓦の建物はないが、一部のみ保存されているようだ。
残っていればさぞや、と思う。

2.寿屋のワイン販売戦略
寿屋は今のサントリーだが、宣伝に力を入れているのは創業当初からである。日本最初のヌード写真もここの赤玉ポートワインからだった。
そのあたりの資料を見れば見るほど面白くて仕方なくなってくる。
開高健、山口瞳、柳原良平ら錚々たる人々の宣伝がここに展示されているので、それを見るだけでも来た甲斐がある。
サントリーは宣伝のみならず、現在に至るまで文化事業にも熱心な企業である。
改めてそのことに思いを寄せる。そして感謝する気持ちがわいてくる。
しかしそれにしても、新聞広告に落書き風な宣伝とは、すごい・・・記事の上にバッとかいてあるのだから、びっくりする。

第三章 ジャパニーズ・ウイスキーの先駆者
1.最初の事業家・鳥井信治郎
2.最初の技術者・竹鶴政孝
サントリーとニッカの二人。二人の仕事についてはそれまでに本などで読んでいたが、こうして紹介された資料を見ると、本当に偉いと思う。
このあたりの資料を眺めると、かつての日本人の勤勉さ・優秀さ・我慢強さ、そして進取に富んだ気風に拍手を送りたくなる。

第四章 大阪高工醸造科スピリッツ
ここであの副題の意味がよくわかった。非常に多くの優秀な人材がこの学科から輩出されていた。列伝と言う形をとっての紹介である。文を読み資料を見ると、先人たちの偉さがヒシヒシと伝わってくる。
清酒や洋酒だけでなく、ここでは焼酎についても色々と教わった。
現在も使用されている「きょうかい酵母6号」というものを初めて知った。
非常にたいせつなものがここで生み出されたのだ。すばらしい教育があったのだ。

終章 文化に酔う
今も通天閣のそばにあるトリスバーの所有するサントリーのノベルティグッズなどが展示されていて、興味深く眺めた。
またサントリーが出していた「洋酒天国」誌や、戦後すぐに出しすぐに廃刊になった科学雑誌『ホームサイエンス』などもみた。こちらの表紙は小磯良平で、上品な婦人の絵がいい。

一階のカフェでは紹介されていた清酒や焼酎の試飲と販売もあったようだが、さすがにそれは諦めた。わたしはそこまでは飲めないのだ(ホンマでっせ~~)。
酔ったようないいキモチで博物館を出た。
無料でここまで楽しませてくれる大学博物館は他にはない・・・

池大雅 胸中の山水

京都文化博物館で池大雅の小さな展覧会が開催されている。
「池大雅 胸中の山水」と題された企画展である。
数年前、苔寺へ特別拝観させてもらった際、ご近所の池大雅美術館へ向かったら閉じていてがっかりしたことがあるが、コレクションはいくらかが京都府の管轄に入ったらしい。
今回のように常設室で企画が立ち、こうして気軽に池大雅展が行われるようになったのは、それはそれで喜ばしい。

最初に池大雅と奥さんの玉瀾との仲良しさんぶりの証拠が現れる。
二人が仲良しだったのは当時から有名で色んなエピソードもあるが、いずれも微笑ましい。
今回は池大雅が玉瀾に絵のお手本としてプレゼントした二点ほどが出ていた。
線のカクカクしたものだが、尖りのないおっとりした空間が描かれている。
nec083.jpg
玉瀾はその絵を大切にして、亡くなるまでずっと手元に置いていたそうだ。
つつましい暮らしの中で助け合いながら、楽しく生涯を過ごした二人の、その証でもある。

山水画も色々あるが、池大雅のそれは実際の風景から遠く離れて、仙人の住まう地のようにみえる。画法だけでなく、心持がそうなのか、広々として果てがない。

高士訪隠図屏風 ゆったりした空間に木々は生い茂り、山も岩肌を見せつつ柔らかい。
nec082.jpg
小さな庵に住まう高士はくつろいでいて、丁度お茶の時間。机には琴があり、文具もきちんと並べられている。侍童の運ぶお茶はいつも好ましい温度に保たれているだろう。
庭には竹もあり、サヤサヤとよい音色を響かせてくれる。陶器の椅子もあるから、時にはそこで風の音を楽しむ。
薄黄色い空間には、静かな時間があった。大きな楽しみはないかもしれないが、小さく慎ましい喜びの積み重ねはあるだろう。そんな世界観が文人画にはある。

巫峡山水図 画中の「・・・」はおそらく梅花だろうと思う。時折とぎれを見せる山。ヒトも通わぬような山中にこそ「天地」がある。そのことを感じさせられる。
 
金鶏落照図 名前はコノマシクないが(わたしには)、この橋がなんとも魅力的である。
nec082-1.jpg
うねるような橋の中ほどに建物があり、その配置がまた画面全体を引き締めている。
右手の山は陣地を大きく広げ、左の奥の山は途切れているが、この遠近感がいい。
そして橋の上の建物はまるで着物の帯留のような威力を発揮している。
あの建物がないと、この絵は成り立たないように思った。
川には小さなジャンクが浮かぶ。悠々とした世界がここにある。

山水図屏風 縹渺たる景色である。あくまでも静かで、自然は動かず、人の影もない。
右から左へ目を移すと、ようやく5面めにロバを引く人の姿に気づく。自然に溶け込む姿である。争いのない和やかな山水の景色。心が落ち着くのを感じた。

このように温厚な心持になるのは久しぶりだった。
京都文化博物館の二階で1/27まで展示中。

高山辰雄・奥田元宋 文展から日展へ

ようやく山種美術館での「高山辰雄・奥田元宋 文展から日展へ」をみる。
どちらもとても好きな画家である。
中でも高山辰雄は最初はたいへんニガテな画家だったのが、あるときから非常に好きになった。
心の中で大転換が行われたのは、山種所蔵の「坐す人」と小川美術館所蔵の連作「聖家族」を見たからだった。
それは共に1993年のことだった。もう今から20年前の話である。
93年3月に茅場町時代の山種で「戦後の日本画」展を見て、そのとき川端龍子「夢」と高山「坐す人」が出ていて、強く撃たれた。
龍子の「夢」は今もロマンティックな作品として愛しているが、高山の「坐す人」から受けた衝撃は、愛とは違う形の何かをわたしの心に刻んだ。

「坐す人」からの衝撃が抜けぬまま、わたしはこれまでの反動のように高山の作品を追いかけ始めた。
しかしわたしが見ることの出来た作品は、近年の静謐で安寧なものばかりだった。
あの衝撃は行き場をなくしたまま、わたしの底に鬱積した。

梅雨時、今まで知らなかった三番町小川美術館で高山辰雄「聖家族展」が開催されると知り、麹町へ向かった。
番町界隈は殆ど知らないが、町歩きには愉しいところだった。
展覧会は無料だった。受付にも中にも誰もいない、洞窟の中のような空間に高山の「聖家族」の連作が飾られていた。
相客はいなかった。
わたし一人がそこで「聖家族」を眺めていた。そして一人で涙ぐんでいた。

気づけは20年過ぎている。三番町小川美術館を再訪することもなく、そこが開館しているかどうかすら知らない。
今回「聖家族」のうちから数点がここに来ている。所蔵は変らない。
次に再会する機会があるかどうかはわからないが、絵はそこで生きている。
高山辰雄は鬼籍の人になった。
「日月星辰」展はもう途絶えてしまったが、それでもこうしてかつての名品が世に現れる。
今も高山の作品を眺めることが出来るのだ。

前書きが随分と長くなったが、わたしは今回の展覧会を楽しみにしつつも、出遅れていた。
それがようやく見ることが叶い、深く喜んでいる。
nec080.jpg

地下の展示室へ向かう。自動ドアが開き右手へ曲がると、「聖家族」の一枚があった。
記憶と違う色彩を見せている。あの暗い小川美術館の中で見た絵は全てモノクロだったはずなのに、薄い茶色が浮かび上がっている。モヘアのセーターのような質感がそこにある。
解説プレートを読む。これは経年変化だと教わる。高山はそのことを知りながらその素材を使って絵を描いたのだ。群緑絵の具を焼いた「黒群緑」である。
これは高山辰雄が仕掛けた、後年の観客への遺産だった。

古びのついたものを愛でる習性が日本人にはある。
真新しいものも好むが、経年劣化を愛する感性がある。
ピカピカ光る銅鐸より、緑青に覆われた銅鐸が可愛い、というキモチである。
高山の「聖家族」は20年後の今、色が変わって温かみが増し、「聖家族」の幸せさがいよよ深まっていた。

「聖家族」に向き合う場所に孤高の「坐す人」がいた。
眉根を寄せ、輪郭線の太い大きな手が膝に置かれ、胡坐を組んだ足うらがはっきりと見える。これは苦行中のシッダルタの姿だとも言う。
「近代の宗教画」ということを考える。わたしはこの絵にすがりたいとは思ってはいないが、何故か非常に惹かれるものを感じている。理由は最初から考えた事がないままだが。

緑の影 紫陽花を描いている。綺麗な青でまとめられてる。タイトルは「緑の影」ではあるが青い絵。

春を聴く 鳩のいる空間。ずっと向こうに木の影が見える。鳩のつがいを描くのが好きだったか、バラを配した絵もある。静かで優しい雰囲気がある。
nec081-4.jpg

中秋 金茶色に銀月。無人の地に光が落ちる。家がぽつんと建つ。誰もいないが寂しくはない。静かで豊かな世界。

10点にも満たない作品数だが、会場内にいるときは、そのことに気づきさえしなかった。
心が深く静かに満たされているのを感じる。
いい気持ちになる展示だった。

次に奥田を見る。
元宋の赤、という言葉がある。青と言えばフェルメール、巴水、海老原にそれぞれの青がある。
赤は「元宋の赤」と突き抜けている。

奥入瀬(秋) 紅葉の時期の奥入瀬渓流の美しさを余すところなく描ききっている。日本の赤は秋にある。元宋の赤は日本の秋を絹や紙の上に再現する力があった。

松島暮色 赤のない絵。銀色の島が浮かぶ水面。向こうに夕日が見える。水面に島が映る。こちらも銀色である。雪が積もって銀色になったのか。しっとりした情緒の濃い絵。
nec081-3.jpg


副題にある「文展から日展へ」というとおり、明治の昔から昭和の終わり頃までの絵が集められている。
見慣れた好きな絵が多く出ていた。
また、初めて見るものもある。

古径 闘草 古風な時代のこどもたちの遊び。愛らしい。
松園 蛍 艶めかしい素材を高尚に描く、と言う意味を考える。健全な美しさは情趣に満ちていた。
春挙 火口の水 二頭の鹿が水を飲む。細い二日月が上っている。火口には緑も萌えている。春挙らしい山岳風景。
nec081-2.jpg

映丘 山科の宿・おとづれ 前期に出た「雨宿り」で仲良くなった男女だが男はその地を去り、久しぶりに「おとづれ」た家で女が我が子を生んでいたことを知る。新興大和絵の旗手だけに優美さが全面に行き渡っている。

小虎 春の訪れ 白木蓮など春の木花が咲き、蝶も舞う中を春の女神たちが悠々と飛んで行く。小虎の絵の愛らしさ・おっとりした風情がとても好ましい。

佐藤太清 清韻 豌豆畑は花盛りである。そこへ蛾らしきものたちが舞い舞いしている。薄緑と白の豌豆、蛾は鮮やかであり、また重い色のものもある。肺が清々しくなるような光景。

野島青茲 麗衣 インド美女!ハッと胸を打たれるような美人がいる。半世紀前のインド政府要人夫人・グーバー女史の肖像。不透明な色調が心に残る。

蓬春 芍薬 この花の甘い匂いが好きだ。絵を見ていると花の匂いがこちらに届くようだ。この絵が展示されるといつも同じ感想しか浮かばない。いい匂いのする絵。その魅力にいつまでも囚われてゆくに違いない・・・

nec081-1.jpg

明治 月庭 舞妓二人のささやきあう様子。わたしは明治の絵を見るといつもステンドグラスで再現してみたい、と思うのだ。自分にそんな技能はないにも関わらず。

川本末雄 秋耀 牛島憲之を思わせるようなシュールさ。孤島がぽつんと浮かぶ海。日本画の新しい地平から生まれた絵。

杉山寧 響 この絵を見ると必ず茅場町時代の山種美術館を思い出す。初めて来た日、階段の壁面にかけられていてギョッとしたのだ。あの衝撃は大きかった。だからか、今でもこの絵が出ると必ず茅場町での展示を思い出すのだ。
そして大きな気持ちになる。

魁夷 年暮る 名作中の名作だと思っている。魁夷には多くの名品があるが、わたしはこの絵を見るとたまらなく京都へ行きたくなる。実際にはもうこんな様子ではないのだが、それでも京都としか言いようがない。すばらしい絵。そしてこの絵を見ては、日本人でよかったと思うのだった。
nec081.jpg

いい展覧会を見たことを、ただただ喜んでいる。

1月の東京ハイカイ

既にいくつか展覧会の感想を挙げているが、先週末東京にいて、それらを見て歩いた。
常々「ハイカイしている」と自称しているが、今回はハイカイどころかあやうく漂流、いや遭難しそうになった。
14日に東京を離れ帰阪したのだが、その14日の雪に負けたのだ。
17日の今日までもまだ足下があまりよくない状況が続いているそうで、皆さん大変だと思いつつ。

11日は朝の間は仕事をしていた。昼からのぞみに乗って東京へ出たが、随分と快晴で富士山がやたらと綺麗だった。しかし眠いので寝ていると、もう夕暮れになった頃に到着。
重たいキャリーを持ったまま上野へ直行。
上野では金曜日だということで西洋美術館も夜間開館中。喜んで中へ入る。
なお展覧会の感想はまた別に仕立て上げる。

「手の痕跡」 ロダンやブールデルの作品が集っていた。
nec079.jpg

'89年の秋にここで「ロダン 地獄の門」展を見たことを思い出す。そして近年には「ロダンとカリエール」展もあった。
誰のエッセイか忘れたが、外国の美術館で監視員の眼を盗みながら秘かに彫刻のあちこちを触る、そんな秘密の歓びを持つ男の話があった。
確かにロダンやブールデルの彫像を見ると、そうせずにはいられなくなる欲望に、わたしも駆られる。

版画室ではクリンガーの連作3作が出ていた。「手袋」やギリシャ神話の「変身物語」クリンガー版などである。これが非常に面白かった。
もともとクリンガーが好きなので喜んで見ていたが、殆どクリンガーのジョークというかパロディ精神にウケて、なまじ綺麗な絵だけに笑いが止まらなかった。

さてその後に蛇行する森の道(!)を抜けて東博へ向かう。
「円空」展の内覧会である。
この内容については昨日感想文を挙げたので、どうぞそちらへ。

機嫌よく見終えてホテルへ向かう。駅を降りるといつも「閉店セール」している店が今日も元気にセールをしていた。

二日め。
再び東博へ向かう。並んで入場して、そしてイベントにも参加する。
円空展のためにやってきた飛騨のヒトビトとさるぼぼちゃんと白サルのキャラである。
IMGP1051.jpg

「飛騨の酒」はおいしかったが、寒い国だけにちょっと辛口。甘酒がおいしい。すごくおいしい。うむ、おいしい。
これは枡ね。IMGP1046.jpg

菰樽トンカチでカコーンッとかちわっていた。いいねえ。
IMGP1050.jpg


東洋館リニューアルオープンが凄い凄いというのは聞いていたが、実際自分がその空間に佇むと、その凄さというものがそくそくと感じられる。
長く楽しんだ。

本館もじっくり眺めたが、途中で時間が気にかかり、ある程度はしょりだしたとき、一階のやきものを見ていないことに気づいて道を戻ると、ピカッと光るものがある。
ノンコウでは?と急いでそこへゆくと、やっぱりノンコウではないか。
黒樂のキラキラした茶碗。IMGP1111.jpg
隣には長次郎のシブい黒樂があるが、申し訳ないがノンコウの黒樂ほどには惹かれない。
ああ、やっぱりノンコウはいいなあ。

出てから言問通りを越えて弥生美術館へ。
今年も会員として楽しませてもらうのだが、びっくりしたのは三階の上への階段室から歴代ポスターが撤去されていたこと。
あああ・・・22年ほどここへ通っているが、こんな日が来るとは思いもしなかった。
濱野彰親の挿し絵。非常によかったし、今も現役なのがいい。
華宵のモガ、夢二の旅の絵も楽しみ、再び根津へ。

山種美術館の高山辰雄・奥田元宋を深く眺める。
高山の連作「聖家族」を見るのは20年ぶり。所蔵する小川美術館で展覧会を見て、感動したのだ。そして「坐す人」がある。
これらを見るまでは高山辰雄がとてもニガテだった。
こうした出会いがあるからこそ、わたしはいつまでも展覧会に出かけるのだ。

静かな感動に浸りながら再び駅へ戻り、今度は写真美術館にゆく。
若手写真家の人々の作品群と北井一夫の回顧展とをみる。
菊池智子という写真家の、現代中国でのゲイの人々を捉えた連作ものに深い興味がわく。
写真の色彩設計はクリストファー・ドイルのそれにも似ている。
捉えられた人々は誰もが深い孤独を抱え、それを隠せずにいる。
言葉にならない切なさがあった。
IMGP1113.jpg

北井の写真のうち、学生運動を写したものはわたしには遠すぎて、早く通り過ぎてしまいたくなった。
しかし1980年の新世界を捉えた連作を見て、わたしは声を上げそうになった。
昭和55年の新世界の街角である。
わたしはこの年のことをかなりよく覚えている。丁度中二の年で、あまりに毎日が面白すぎて、それをそのまま捨て置くのが勿体無くて日記に書き始めた年なのだ。
その当時のわたしは時代の「最先端」の楽しみを享受していたのだ。
しかしここにあるのは、わたしの知る時代とは全く無縁な、どう見ても戦後しばらく頃の風景だった。簡易宿泊施設のある町、野球で遊びつつもその道具も持たない子どもたち。
非常に衝撃を受けた。

サントリー美術館ではフィンランドのデザインを見た。シンプルで綺麗なガラス製品などである。緑色のボウルが特にわたしの眼に残った。
nec077.jpg

撮影してもいい空間があり、時折パチパチ撮ったが、機械という他者を通したものより、自分の眼で見たものの方が綺麗だった。
プロの撮った写真ならまた別かもしれないが、自分の腕だと眼の方が上なままである。

nec078.jpg


江戸博に入る。夜間開館日なので出来たことである。
尾張徳川家の至宝をみる。
幸いなことに空いていたのでのんびり見て回る。名古屋の徳川美術館に収蔵されているものたちとの再会になる。
「源氏物語」の「柏木」、調度品の「初音」など見るべきものは多いが、いずれもゆっくり眺めることが出来、嬉しい。

銀座松屋に行き、観世宗家展をみる。昨年片山家の能装束や面などを見ているが、今回は宗家のもので、世阿弥の風姿花伝なども展示されている。
能面も現代に出来たものはやはり現代風な顔立ちだった。それは特に少年の面に著しく現れている。弱法師、慈童など。女面では笑いを含んだ「棹差し」が特によかった。
nec076.jpg

東銀座のさるコンビニではいい感じの女子店員がいて、この子が勤務するならまた来ようと思ったりもした。

三日目。
朝から横浜へ行く。
ユーラシア文化館で「華麗なるインド神話」展を見た。ほんと、面白すぎる。
この感想も既に挙げている

そこから開港資料館へ向うと、10時半の鐘の音が鳴っていた。近くの教会である。
十年ほど前にその教会へお邪魔したとき鐘うちのヒトと話したことを思い出した。
ここでは横浜の起業家の事跡を集めていた。高島町の由来となり、後には高島易断まで立ち上げたヒトのエピソードが特に面白かった。

神奈川歴博では勝坂縄文の展覧会があり、これがまた面白すぎた。
キャプションがいい。こぶりな女体像を「ちびーなす」と名づけたり。現代の陶芸作品のようなミミズク面もあったりで、本当にジョーモン万歳!な心持になる。

そうそう、久しぶりにこのにゃんこさんにも遭うたが、兄弟猫もいるのは知らなかった。
mir678-1_20130118161538.jpg
こちらは二度目のやきで、初めて焼いた兄さん猫はもっとワイルドだったw

ハマ美では「はじまりは国芳」後期展を見る。感想も挙げている。
それにしても好きな作品が集まる展覧会は、やはりとても楽しい。

そごうで「エリザヴェート皇后」の展示を見てから北浦和へ向う。
キレイすぎてついてゆけない。王族のひとのエキセントリックさはやはりスゴイ・・・

ベン・シャーン展に感銘を受け、それを形に現すのにはちょっと苦労した。
またうらわ美術館の「日本オブジェ」にはクラクラした。
どちらも感想を挙げている。

浦和から帰ってきて、駅の前にある、いつも閉店セールをする店の前に来ると、本当に閉店しようとしていた。
そうか、本当だったんだ・・・なんとなくせつなくなる。

この日は一日中なんとなくあったかかった。

四日目。ニュースでは「雨か雪」と言うてたので高をくくっていた。
大雨の中、まず五島美術館へでかけた。
地下鉄でずっと寝ていて、田園都市線に乗り入れてからも寝ていて、二子玉川のホームに向う瞬間に目覚めると、一面銀世界である。
「トンネルを抜けると雪国だった」が目の前にあった。
ビックリした!!

五島のある上野毛は人通りも少なかったのでサクサクと雪を歩けたが、駅前では滑りそうになった。
予定変更する。
まず日本橋へ帰った。やっぱり雪である。
三越記念へはぬれなくてすんだが、風の冷たさは尋常ではない。
つづいて出光へ。
ここだけはどうしても地上へ一瞬顔を出さねばならない。
たった十秒ほどの間にわたしが見たものは、丸の内で雪かきをする人々だった。
ほんとうにここは丸の内か?
たいへんビックリした。そのとき友人からメールが入り、その意見に従うことになる。

出光でオリエント美術を楽しんでから、また地下へもぐりこむ。
地上へ出た途端、深い絶望感に噛まれる。どうするのだ、このグジョグジョ雪。
それでもなんとか歩くしかない。
ホテルへ戻ってから、新幹線の予約を早いものに変更させる。友人からの忠告に従うことにしたのだ。
それで道路に出ると、タクシーなんか来ないし道はアウトだからキャスターを抱え挙げてわたしが歩くしかないではないか。時に午後3時半。
ホテルから東京駅までは徒歩も含めて20分でゆけるのに、たどりつけない。
総武線とまっているとかで地下鉄二つ乗り継ぐ。間違えて逆方向へ乗る・ついてからも凄まじい人ごみで歩けない・荷物を持ち続けたせいで手が震えて何も出来なくなる・・・!という状況でホームにやっと這い上がれたのはもう出発35秒前だった!

あああああ。
本当に苦しかった。
そしてその夜、無事に家へたどりついたわたしがネット社会に復帰すると、親切な人々の暖かなお言葉がたくさんきていた。皆さん、本当にご心配おかけしました。ありがとうございます。
今回は本当に雪に負けてしまったなあ・・・

飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡

東博で開催中の「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」展の内覧会に行った。
nec070.jpg

既に大勢のお客さんが詰め掛けていた。
本館特別5室での開催である。
広くはない空間だが、その分だけの親密感が生じる場でもある。

音声ガイドをかりる。
井浦新さんのヴォイスにくすぐられながら、会場へ入る。
音楽と共に井浦さんの語りが届く。
左回りで始まる空間。

木造佛。全て飛騨の木から世に現れた佛たち。
佛が林立している―――そのようにわたしは思った。
わたしが見上げた先には丈の高い佛が並んでいた。
その背後には飛騨の山林を思わせるシルエットを写した薄い帳が何枚か吊られていた。
それを見たとき、ここの人いきれが草いきれに変ったのを感じた。
コケや羊歯が柔らかく蹠を包むあの感覚、それに似たものまでが感じられた。

円空は08年にこの東博の「対決 巨匠たちの日本美術」で木喰と「対決」しているのを見て以来の再会だが、正確な心持を言うと「初めまして」に近い感覚がある。
前回、わたしは円空佛からも木喰佛からも逃げ出したのだった。
今回も途中で逃げ出してもいいくらいの気持ちで望んだのだが、結果的に深い感銘を受けて、翌日にも出かけることになったのだ。
nec074.jpg

一体一体についての些少な感想も執拗な賞賛も必要ない。
円空という一人の仏教者による木彫の佛たちは、個にして全、全にして個という見方も出来る。
いずれも表情豊かな佛たちは仲良く居並び、いかにも削りだされたままという様相をあらわにしている。
恐ろしい形相の佛であっても、どこかに親しみがある。
彼らの影が観客の頭上に差し掛かり、その中にいると円空の佛に護られた心持にもなる。

仏の影の下にいる安寧。そんなものを感じるのは初めてだった。
そしてその状況は会場の巧みな設定によるものだと知る。
照明、配置、巡る足取りもまた丁寧に計算され、どこにいても円空の佛を見ることになる。
そして同時に、円空の佛に囲まれた飛騨の国を体感する。

nec071.jpg
ずらずらと居並ぶのは三十三観音立像。実際にはそれより数が少ない。円空にリクエストをたのむ村人たち。円空は飛騨の木を使い、せっせせっせと削り彫り続けたことだろう。
地元の人々に愛され大事にされた佛たちは、元の表情が更に柔和になっているに違いない。

明王像を見上げる。牙が口の端からのぞく。彫り痕も激しく、表情は厳しい。
左右の童子たちもそれぞれの個性をみせる。

巨大な像があった。
金剛力士立像である。牙をはやした口を開け、額一面に凄まじい皺が入る。
暴悪大笑面のような顔つきである。
横に回ると巨大な耳が見えた。うねりを見せる線彫りである。非常に強い力を感じた。
木の肌がいよいよその強さを高めるようだった。

この像は円空が立ち木に直に刃をふるったものらしい。
資料としてその様子を描いた図版が出ていた。
真正面から逃れ、その右横に佇む。照明による影がいよいよ佛を大きく見せ、サイドの渦巻きが強く目を打つ。

横歩きすると、稲荷三神・稲荷三尊像のガラスケースに行き当たる。こうやって眺めると抽象的な表現だと気づく。狐さんの細長い顔にちょいちょいと鑿が当てられ、軽く目鼻が作られる。人の顔の神様とケモノの顔の神様と。
親しみはむしろ細三角の稲荷神にある。nec073.jpg


両面宿儺坐像の前に立つ。肩にもう一つの顔がある。飛騨の国に現れた異形のなにかである。解説プレートによると、両面宿儺が出没する日本書紀を円空は読む機会がなく、聞きかじりで自身の想像力のままに拵えたようだった。
わたしはこの像を見て、肩に出来た人面疽が巨大化してしゃべるようになったという話を思い出した。その人面疽は他者ではなく、もう一つの人格でもある。
また舟越桂の彫像も少し経ってから思い出した。
しかしそれはあくまでもわたしの感じ方に過ぎない。
ここにある円空の像はデモーニッシュな力強さを顕現する異業者として、誰の思惑も省みずに永遠に時を刻むのだ。
しかしながらこの二つの顔はいやなものではない。
優しい顔立ちではないが、憎々しさのない顔である。
そして大きな手で斧を持つ。暴れる気配はない。
それはやはり宿儺が飛騨の地においては悪者ではない、ということからだろうか。

nec075.jpg

迦楼羅(烏天狗)立像 顎というかくちばしの三角のトガリだけでなく、腹の辺りに鳥の羽根のような文様が浮き出ている。年輪だとわかるが、この像にふさわしいこしらえである。

狛犬がいる。平べったい顔の狛犬は千光寺にいるという。
木も摩滅しているようである。狛犬の歯が大きく鋸状なのもいい。そして霊的存在である印として渦巻き文様が生きている。

阿弥陀、薬師、釈迦の三尊がある。真ん中の薬師如来は大きな手を挙げて「やっ」とばかりに微笑んでいる。神仏にすがりたいとき、この佛の前に跪けば、明るく救われるような気がした。

歓喜天の小さな像がある。ガラスケースの背後には厨子の写真があり、そこから出てきた像だと知る。七年に一度だけのご開帳の秘仏だが、公開される年であってもこの歓喜天は世に出ないそうだ。
ゾウさんが抱き合うのが歓喜天の姿である。
そのために秘仏にされることが多い。
地元の人々が見たくとも見れないものを見させていただくのには、少し申し訳ないような気もする。
この小さな歓喜天はシンプルなゾウ形の造形だった。
ブランクーシの「接吻」を思い出した。隙間のない造形。
優しい表情で抱き合う小さな恋人たち。

最後に蛇体を思わせる胴体に深く彫り込まれた顔。宇賀神像である。
nec072.jpg

そこからまた目を移すと、片手をあげる薬師如来がいる。前を向くと力士像の横顔が。
この空間のどこにいても円空佛の存在がある。そして拒絶されてはいない。
わたしはいい心持ちで会場を出た。
広くはない空間だが、それが円空佛とわれわれの間に親密感を生み出す力になっている。
これからここを訪れる人もその空気を味わえれば、と思う。春まで会期は続く。

なお、この図録は冒頭にモノクロ写真が入り、文章がきてからカラー図版になる、という体裁を採っているが、そのモノクロ写真の美しさに深く惹かれた。
それをご覧になることを勧めたいと、強く思っている。

日本オブジェ

うらわ美術館の「日本オブジェ」のわけのわからない迫力にヤラレた。
まずこれをみてほしい。nec069.jpg

「日本オブジェ」・・・なんなんだ、この力強さ。わけのわからない押しがある。
美術館はホテルの三階という位置であるにも関わらず、ホテルの壁面に「日本オブジェ」のポスターが連続して貼られている。どーーんっときましたがな。
リストがないのでええかげんなカンチガイ・記憶違いも出てくるかもしれないが、とにかくこの迫力に引きながら見て回った、そのときの感想を少しばかり挙げたい。

オブジェは高校から大学の頃、案外好きだった。
その頃は今とは違い、その当時「前衛」と名指されていたものが好きだった。
‘50~‘60年代のカルチャーに好きなものがあったのだ。
今から考えると全くうそとしか思えないような話である。
先般、東近美の「'50年代」、埼玉近美「'70年代」の展覧会の感想でナマナマしい告白をしたばかりだが、丁度今から30年前の1983年当時は、こうしたオブジェ類に惹かれるところがあったのだ。

nec068.jpg

瀧口修造の詩作を見つつ、デュシャンの仕事を追う。
瀧口の魅力には蕩けてしまうが、やはりデュシャンとは距離を置く。
村山知義のMAVO時代の写真がパネル展示されている。
思えば去年の村山知義の回顧展は非常によかった。
瀧口修造も村山知義も、今後も企画展があれば出向きたいと思っている。

柳瀬正夢のコラージュ作品がある。柳瀬の描いたマンガの全貌をいつか見たいと思いつつ、いまだそんな状況にはならない。

チラシ左上端は山本嘉吉の「忘れられんとしつつある重大なある出来事」と題されたオブジェで、1925年に現物が作られて、ここにあるのは'91年の再現物。
ところが作者山本はこの「忘れられんとしつつある重大なある出来事」のキモになる部分を忘れきってしまったそうだ。
タイトルと相反するではないかと思ったが、よく考えると、このタイトルがそのことをある意味暗示しているのかもしれなかった。

中山岩太の写真、瑛九の絵、植田正治の写真、これらは比較的よく見てはいるが、自分が正しく理解しているかは別問題だった。

八木一夫の彫刻が出た。京都での回顧展でもわたしは逃げ出したことを思い出す。
やっぱり理解できないし、この作品の重要性も全くわからないままなのだ。

小原豊雲のいけばな写真がたくさん出ていた。御影に小原の記念館があり、秋に開館するのでしばしば見学に行く。彼の集めたアフリカ・オセアニアの仮面、南米の刺繍・テラコッタなどを見るのだ。
ここにある写真でも彼が蒐集したカヌーに花を絡ませたものなどがある。
岡本太郎のサメがガーッと歯をむき出してる絵を背景にいけばなをしたものもある。
勅使河原蒼風とのコラボ作品が一枚出ていた。
その蒼風が拵えたナゾのオブジェ「汽関車」も展示されているが、今のわたしではやっぱり意味不明な物体(=オブジェ)にしか見えない。
蒼風もミロの絵を三次元化したオブジェに花を生けている。

その蒼風の息子・勅使河原宏の映画「他人の顔」に使われた重要なオブジェが出ていた。三木富雄の鉛色の人体パーツのコーナーである。指パーツ、甲パーツにダ・ヴィンチの人体図までご丁寧に転写されている。
この映画は上映会があったので見ればよかったのだが、どうもその頃から安部公房も仲代達矢もニガテになっていたのでも見なかった。
そして三木の鉛色の耳がある。
実はわたしは男性の耳に対して色々と注文がある。ニガテな耳・いやな耳・好きな耳などなど。それは内緒だが、ここにある「耳」はなかなかいい形をしていると思った。

社会に出る頃から段々とオブジェに関心がなくなってしまった。
生産性重視に変わってきたからかもしれない。
それとも単に、自分の部屋が収拾つかない状態になってきていたからかもしれない。

向井良吉の椅子を見て困る。座れないから椅子ともいえない。座れないもの=役立たずというキモチが湧いて来る。「なにが勝利者の椅子じゃー」という気持ちになってくる。
いや、座りにくいからこそのたいとるなのか、と思い至るのはもう見てから数十時間後のことである。

赤瀬川原平の千円札事件がキタ。事件の経緯や当時の新聞記事などが壁面いっぱいの展示になっていた。たいへん興味深かった。面白すぎる。
絵がうまくゆかないやけくそで拵えたら、50年後の今になってもこうして語られ続けることになったのだ。なんとなくそれはそれでかっこいい。
ただ当時の世評は「はぁ?」だったようだが・・・

詩を見る。
新國誠一というひとの詩の表現法は良かった。自分が知る現代の詩人の手法とも共通する広がりを感じる。楽しいので、それをメモるのも面白かった。
向井周太郎という詩人も近い表現を採っている。こちらもいい。
言葉自体が紙の表面から浮き出してゆくようである。

そういえばわたしはタイポもオブジェのように感じるのだった。
それで思い出したが、手塚治虫の'70年代初頭の「きりひと賛歌」でもタイポで魅せる表現があった。彼も積極的にアートを採り入れていたのだ。

結局この展覧会でいちばん気に入ったのは「詩」だった。
そして今のわたしはもうオブジェから遠く離れていることも実感した。
こうした発見と自覚がまた興味深くもある。
オブジェを見ることを通して、わたしはわたしの意識を確かめる。
1/20まで。

ベン・シャーン展

ベン・シャーン展が埼玉近代美術館で開催されていた。1/14まで。
なかなかたどり着けず、とうとうこんな終わった後で感想を挙げようとしている。
ベン・シャーンの絵は社会的なテーマのものが多く、「サッコとバンゼッティ事件」「ドレフュス事件」「第五福竜丸事件」についての作品が特に名高い。
虐げられた人々へのあたたかい視線と、それを強いた・また他者に冤罪を被せた者たちへの批判的なまなざしは、鋭い。

若い頃の作品を初めて見る。
「ベン・シャーン」というパブリック・イメージから遠く離れた画風である。
フランスへ行って勉強もした。しかし、彼はフランスで得るところは何もなかった。
いや、得ることがないということを悟ったこと自体が、収穫だったのかもしれない。

初期の連作ものを見る。「レヴァナとわれらの悲しみの貴婦人たち」という旧約聖書から材を採った作品だが、売れなかった。
1931年に製作された、茶黒と白の水彩画である。一見ルオー「ユビュ王」を髣髴とさせるような連作である。


エステラジー フランスの「ドレフュス事件」の真犯人である。見るからに憎いようなツラつき・態度である。
nec064-1.jpg

ドレフュス事件は大仏次郎も書いていたが、読んでいてもわかりにくいところがある。つまりそれだけ深い陰謀だったようにも思う。

ベン・シャーンの描く細い線での人物像を見ていると、悪者はあくまでも憎たらしいツラツキをしている。
そのあたりはたいへんわかりやすい。

マサチューセッツ州知事、アルビン・フラー ゴルバチョフを思わせる風貌のこの知事は、世界から抗議を受けても死刑執行をさせたヤカラである。

「サッコとバンゼッティ」事件を知ったのは8歳のときだった。誕生日にもらった北川幸比古著「おばけを探険する」に事件の概要が紹介されていたのだ。別に二人がおばけになったのではなく、濡れ衣・冤罪による死、国家権力による圧死として紹介されていたのだ。
(この絵は今回の展覧会には出ていない)nec064.jpg

当時の私はベン・シャーンを知らず、ただ子供心に憤っていただけだった。
やがて中学になり「死刑台のメロディ」という二人の事件を扱った映画を、その主題歌「勝利への讃歌」を通じて知り、そこで改めてベン・シャーンの絵をもう一度みたのだった。

次に「ムーニー事件」が現れた。
トーマス・J・ムーニーは当時アメリカの四大有名人の一人だとある。ルーズヴェルト、リンドバーグ、フォードがほかの三人。大統領と飛行士と自動車会社社長と。
関係ないが、同時代の「J・エドガー」はリンドバーグの子供の誘拐事件を担当した、というのを思い出した。

ここでもあくまでも悪い奴らは悪いツラツキをしている。商工会議所会長、地方検事らのやらしいツラツキ。
正しい証言をする人、目撃者らは決して美男美女ではないがまともな顔つきで描かれている。

写真がある。1932年にベン・シャーン本人が撮ったゼラチン・シルバープリントのNYの風景。セピア色の街と人。
誰が撮ってもこうなる、のではなくベン・シャーンのまなざしが捉えた風景なのだ。

ニューディール政策でベン・シャーンも仕事を受ける。
連邦社会保障ビルのための仕事である。
解説を読んで非常に懐かしくなった。
忘れていた、ニューディール政策・・・

ペンによる挿し絵も多い。
nec067-1.jpg

「名誉ある除隊」など。どちらかといえばわたしはニガテである。
やはりどこか華やぎのあるものがないのは寂しい。

「第五福竜丸」のための挿し絵がある。
いたましく、せつない。

TV番組から生まれた作品群がある。
「ハムレット」。シンプルな構図の、いわば一枚にワンフレーズの絵。狂ったオフィーリアもいたが、ラファエロ前派の美麗な絵とは真逆のもので、実際のところはこんなものかもしれない、と思ってしまった・・・

有名人の肖像が現れた。
原爆投下をさせたトルーマン、最低としか言いようのないゴールドウォーターに至ってはツラツキだけでなくポーズまで悪い。
ガンディーもアクが強すぎるが、悪気はないようだ。
レーニンもまだましだが、毛沢東は・・・
サルトルはいい感じである。カザルスもいい。
マーティン・ルーサー・キング牧師は演説するところを描いているが、暗殺された後の作品である。
フルブライト議員も立派な風情がある。

公民権運動に関わり命を落とした人々を描いた絵のタイトルは「本当に偉大な人たちをわたしは忘れない」だった。

晩年の作品に旧約聖書から得た連作がある。
音楽と人の絵を左に、右には飾りの中に文言。
これはなかなかカラフルで、楽しい。
最後の「キタラを奏でる若者/ハレルヤ」に描かれた青年の横顔はなかなか素敵だった。

最後にリルケの「マルテの手記」をモティーフにしたリトグラフが並んでいた。
「愛に満ちた多くの夜の回想」はチケットやポスターになって、今回の展覧会を世に広めた。
nec067.jpg

学生の頃、それなりに政治や権利などについて足りぬアタマで考えていた。そのころのことを思い出した。いい展覧会だった。

華麗なるインド神話の世界 神々が結ぶインドと日本/はじまりは国芳 後期

1/14で終了する展覧会をいくつか見たので、その大まかな感想を挙げる。

・華麗なるインド神話の世界 神々が結ぶインドと日本  横浜ユーラシア文化館
19世紀末から20世紀初頭に描かれた、今日までも繰り返し印刷され続けている、あの西洋画の技法で描かれたインド神話絵が集められていた。
nec060.jpg

先月まで、大倉集古館で開催されていたインドの細密画はムガール帝国時代までのものばかりで、この近代絵画とはまったく世界観が違う。
実際のところ、この派手目の色彩にハキハキした絵にはなじみがある。
インドの絵といえばこうした絵ばかりを見ていたからだ。
だから横浜ユーラシア文化館に展示されているこれらの絵のほうが、先にわたしの目に飛び込んでいたので、20年ほど前に中世インド細密画を見たときにはかなりの衝撃を受けた。
この断絶はいったい何なんだろう。
その間の空白は。
当時のわたしはこれらの疑問におののかされ、懸命に調べようとしたものだった。
結果として、細密画をよく見るようになったが、却ってあの派手な世界から離れてしまった。だからというのではないが、今回の展覧会はわたしにとっては懐かしいものとの再会という心持にさせてくれる内容だった。

時代から言えばもうふつふつとインド独立の気持ちが全土に沸いてきていたころで、しかしながらそこでこの西洋絵画の影響を強く受けた技法が広まったのはすごい。
シヴァやヴィシュヌ、ラクシュミーそしてゾウの頭のガネーシャなどはすぐにパパパッと浮かぶが、神話の細かいことまではわからないので、今回小さい企画展ながらもメリハリのきいた解説もあって、楽しめた。
「もっと知りたい」とそそられる展示、というべきか。
nec061.jpg

インド庶民の人々はこれらの絵が印刷化されて出回ると、自分だけの装飾を施すことも多かったようで、ここにある絵の大半に、ビーズやレースやオーガンジーのような装飾がつけられていた。キラキラしている。明るい色彩をさらに荘厳する、というのはやはり信仰心からの気持ちなのだ。
ドラマティックな構図も多い。
女に赤ん坊を見せられて現実を拒否する修行者、博打に狂い王位も衣も剥奪されて森に追われた王とそれを追ってきた妃、ブランコで遊ぶ美しい姫(実はヴィシュヌの化身で唯一の女性。シヴァの子を産んで後に真の姿を現す)などなど。
nec062.jpg

また「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」の紹介もあり、面白かった。

そして明治初期の日本がインドに輸出したマッチラベルのポスターがある。
これらはたばこと塩の博物館などでもしばしば出てくるが、「無国籍」なキッチュで面白い作品群だった。
全部にMADE IN JAPANとあるので、昔からナゾだったが、失業した浮世絵師の仕事だったとは初めて知った。
いやほんと面白い。こういうのが好きなので、昔から集めていた資料もあるが、やっぱりいいなあ。
nec063.jpg

ほかのフロアではクメール佛の青銅製のものが出ていた。踊るシヴァなどである。
前日に東博の東洋館でアジアの喜びを堪能したばかりなのに、まだこうして楽しんでいる。
やはり東洋の魅力からは逃れられない。


次に「はじまりは国芳」の後期を見に行った。
nec066.jpg

前期もよかったが後期もいい。
好きな絵がいろいろ出ているので、それを眺める楽しみがまずある。

国芳の武者絵では今回は一丈青の姐さんと酒屋の親父でもある朱貴の兄貴が出ていた。
本朝ものでは相撲の天眼礒兵衛、鷺池平九郎。
三枚続きでは武蔵の鯨退治に大物浦の平家の亡霊。

弟子の芳雪の、為朝が猪退治は雪の山中でのことで白縫に喜平次との再会も同時に果たされた場面。ドラマティックで面白い。この弟子は師匠の下絵で菊慈童の彫り物を全身に入れた美男だったそうだ。

芳虎の大星力弥はすらっとしていて、りりしい。
やはり力弥はこうでなくてはならない。

国芳 陰亡堀の場がある。釣りをする伊右衛門とうなぎかきの直助権兵衛、後家お弓のいる岸の下に戸板にむくろを乗せたお岩さんがじぃーっと見ている。恨みよりむしろ妙な笑いまで浮かべている。岸にはお岩さんの家来として働くねずみの姿もある。
卒塔婆でその戸板をかき寄せた直助もびっくり、これでは伊右衛門のいう「業が尽きたら仏になれ」など絶対ムリムリ。

国芳 可愛い鬼灯たちがいい。nec065-1.jpg

芳藤 しんぱん猫とねずみのかたきどおし 忠臣蔵。チュウ臣蔵とならないのは、吉良がねずみで猫が義士だから。四こまが楽しい。

芳員 横浜岩亀楼子供手踊之図 横浜の岩亀楼は外国人の客を多くとったそうだが、今回も小さい舞台をこしらえて外国人客に踊りを見せている。構図は手前が楽屋と舞台を後ろから、そしてこちらを見る外人客。踊りは「関の戸」。子供とあるのでてっきり女郎のことかと思ったら、本当の子供のことで、えらい健全な舞台だったのだ。

芳虎 呉服屋清七nec065-2.jpg
時代が下ると色もこう変わる。

暁斎画帖 牡丹灯篭でお露に泣き口説かれる新左衛門、光氏と女、櫓太鼓を打ついなせな女(両腕に薄い刺青がみえる)、遊女とカムロ。
どれを見ても細かく描きこまれていて楽しい。

暁斎 群猫釣鯰図 八匹もの猫が池の鯰を狙っている。采配振るう猫までいる。こういう戯画は意味もあるのだろうがそれ以上に猫の可愛さにヤラレて、深読みできない。

鰭崎英朋 鑓権三重帷子 女敵討ちの場で、橋の袂におさいが崩れている。橋の上では夫と権三が闘うのがシルエットで描かれる。物語性の濃いところが好ましいが、話を知らない人にはなにがなんだかわからないか。

清方の「刺青の女」「妖魚」が並ぶ状況は、まことに嬉しい。ぞわぞわする。
こういう系統の作品から清方に惹かれたので、あんまり清冽なものにはちょっとばかり目を伏せてしまうのだった。

清方も弟子の多い人で、それがために「国芳一門」は昭和まで命脈をつないだのだった。
nec065.jpg
清方と巴水のとりあわせも素敵だ・・・

伊東深水 暮れ方 これは元は目黒雅叙園美術館所蔵の名品だったが、今はどこの所蔵なのか。こうして再会できたことを黙って喜ぶしかない。
nec066-1.jpg

前期では版画についても色々書いたが、今回も多く楽しませてもらった。
nec066-2.jpg

この企画は本当に楽しめた。
好きな作品がたんまり出ている、というのはそれだけで心持が明るくなる。
絵を見る喜びに満ちた展覧会だった。

旧ジェームズ邸 望淡閣 その2

いよいよ内部へ。

個室はそれぞれほかにお客さんがおられたのでおじゃましなかった。
シックな空間IMGP0994.jpg

階段へ向う。IMGP0999_20130110224709.jpg

階段の装飾IMGP0995.jpg IMGP1000.jpg

天井IMGP0993.jpg

こうした様子を見ると、甲子園口の新田記念館、旧甲子園ホテルなどと共通するものを感じる。

照明もすてき。IMGP0998_20130110224706.jpg

階段のステンドグラスIMGP1001.jpg

IMGP1002_20130110224705.jpg IMGP1003.jpg

往時の写真。IMGP0996.jpg IMGP0997.jpg


塔屋へ。IMGP1005.jpg

螺旋階段IMGP1004.jpg

驚くべき床面のタイルたち。すばらしい。これは渡辺節の綿業会館を思い出させる。
ここにある、と言うのがまた素晴らしい事だ。
IMGP1007.jpg IMGP1010.jpg

IMGP1009.jpg IMGP1008.jpg

塔屋の照明IMGP1011.jpg

そこから見る風景。IMGP1012.jpg IMGP1015.jpg

複雑な屋根の勾配IMGP1016.jpg

IMGP1013.jpg IMGP1014.jpg


地下へ向かう。
バーとビリヤードルームとがある。その床面にもタイル。
IMGP1006.jpg IMGP1021.jpg

IMGP1020.jpg IMGP1019_20130110230336.jpg

IMGP1018_20130110230334.jpg IMGP1022.jpg

IMGP1031.jpg IMGP1032.jpg

IMGP1030.jpg IMGP1028.jpg

つくづく魅力的。IMGP1027.jpg


今もまたビリヤード。IMGP1029.jpg

シックなバーの様子。
IMGP1025.jpg IMGP1024.jpg

IMGP1026.jpg IMGP1023.jpg


再び外へ。外から見た可愛らしいドアはここと通じていたのだ。
IMGP1033.jpg

外観あちこち。
IMGP1037.jpg IMGP1034.jpg

IMGP1035.jpg IMGP1036.jpg

IMGP1042.jpg 

IMGP1040.jpg IMGP1041.jpg

玄関は須磨離宮公園近くの旧西尾邸に似ている。あちらも改修して「鸞」として活躍されている。
いずれもいつまでも繁盛してほしい。IMGP1039.jpg


昭和初期の海と山の間の庭は、京都のそれとは全く違う顔を見せる。
IMGP1038.jpg

旧乾邸にも通ずるか。IMGP1043.jpg

レトロな車の似合う空間だった。IMGP1044.jpg

魅力の深いジェームズ邸・・・晴天が良く似合った。

旧ジェームス邸 望淡閣 その1

ジェームズ山の旧ジェームズ邸に出かけた。
神戸に生まれ育ち、その界隈一帯を宅地開発したジェームズの、昭和九年に建てられた邸宅である。
ジェームズ没後は長くサンヨー電機の井植氏の持ち物であったが、昨年暮れにウェディングレストランとしてオープンした。
昨春には同じような道を辿りオープンした、フォーチュンガーデン(旧島津製作所本社)にも出かけているが、やはりこのような有益な転身をなすのはめでたいことだと思う。

今回たくさん撮影したので、回を分けて記事にする。
なおいずれもサムネイルなのでクリックすると大きくなります。

まずご近所と邸宅の塀と外観など。
IMGP0950_20130110215415.jpg IMGP0949_20130110215413.jpg

IMGP0951.jpg IMGP0952.jpg

門とかつてはおそらく厩または車庫だったらしき建物。
IMGP0948_20130110215412.jpg IMGP0955.jpg

門から見えるそこここ。
IMGP0953.jpg IMGP0954.jpg

IMGP0957.jpg IMGP0956.jpg

光る道と噴水と。
IMGP0959.jpg IMGP0962.jpg

玄関装飾も魅力的IMGP0961.jpg

外灯もきれい。IMGP0960.jpg

見上げる喜び。IMGP0963.jpg


さて、今回は特別メニューを提供していただいた。
パンプキンスープ。カップ自体がまた魅力的。
IMGP0965.jpg IMGP0966.jpg

サラダ。赤いギザギザは今日野菜の赤大根。IMGP0967.jpg

ローストビーフIMGP0968.jpg

デザートIMGP0969.jpg

レストラン棟から見える水のカーテン。IMGP0970.jpg

窓から見える庭園IMGP0971.jpg

レストラン棟から本館へ向うときにみえた空間IMGP0972.jpg

元はプールだったのを改装。素敵。ここでもくつろげる。
IMGP0974.jpg

噴水正面。ただし水は出ていない。IMGP0973.jpg

中庭から本館を望む。IMGP0977.jpg

日本庭園の設え。IMGP0975.jpg

こちらは井植さんの時代に拵えられた茶室。IMGP0976.jpg

今日は閉じられていた。IMGP0978.jpg

庭から見える塩屋の海。IMGP0982.jpg

本館を眺める。三態。
IMGP0979.jpg IMGP0980.jpg

すてき。IMGP0981.jpg

やはり神戸には神戸だけの特色を持った近代洋風建築があるが、その味わいが濃い。
明るいスパニッシュ風味がまたよく似合う。

IMGP0984.jpg IMGP0987.jpg

古い金属とのコラボも素敵に見える。
IMGP0983.jpg IMGP0985.jpg

可愛いドアはどこへ続くのか。IMGP0986.jpg

再び視線をあげる。
IMGP0987.jpg IMGP0989.jpg

そろそろ庭を去ろう。魚の噴水にさよなら。
IMGP0988.jpg IMGP0990.jpg

再び玄関の装飾。IMGP0991.jpg

ドアの横の装飾。IMGP0992.jpg

次は中へ入ってからの様子。











京都の日本画 「学校で出会う」「動物へのまなざし」

新春なので、いかにも京都らしい日本画を二つばかり見た。
一つは京都市学校歴史博物館の「学校で出会う京都の日本画」の後期展と、一つは着物の千總が所蔵する日本画と着物などで構成された企画展「動物へのまなざし」である。
学校歴博は前後期と分けられての企画で、旧年中に前期を楽しんだが、後期ともども感想を挙げたいと思う。

まず千總ギャラリーの「動物へのまなざし」から。
nec058.jpg

近年、三条高倉の京都文化博物館で「千總コレクション」の展覧会があり、所蔵する着物や日本画、そして図案などを大いに楽しませてもらった。
あれは祇園祭の最中のことで、祭りの熱に浮かされながら楽しんだ記憶は今も消えない。
その後、千總の建物が改装されてサントリーのプロデュースによるIEMONカフェが生まれ、その階上に千總ギャラリーが開いた。
無料でこれだけのクォリティの企画展を見せてもらうのは、気が引けるほどの充実振りである。

松村景文 花鳥図押絵貼屏風(芙蓉に鵲・梅に雀) チラシの「な」と「し」に隣接する黒い鳥がその鵲。カササギは中国・朝鮮では吉祥の鳥として随分愛されているが、案外日本では画題に上がらない。いることはいるが目立たないというべきか。
nec059.jpg

さてこのカササギはなにやら啼いているようだが、無論その言葉はこちらには通じない。
しかし絵の全体を見ると、隣の雀たちに何か話しかけているようにも思われる。
尤もピーチクやかましい雀たちは自分らの声も聞こえないくらいだから、鵲の呼びかけにも気がつかないのだ。
芙蓉の薄い紅色が優しい。春と夏の絵があるということは秋冬もあるだろうが、いつか出る日も来るのだろうか・・・

森狙仙 猪図屏風 狙仙といえばサルではあるが猪もけっこういい。ブヒッとした立派な鼻に案外長いまつげ。牙も優しい風情がある。ちょっと流し目加減でこちらを見ているようだが。
羊歯の上に寝そべる。季節はそろそろ秋か。萩らしき花もある。
牡丹鍋の時期にはまだ少し早い。
nec059-2.jpg

円山応震 大黒と大根とねずみ図 お仲間集まりの図。色白大根を噛むねずみに、その親分格の大黒さま。戯画に近いニコニコ絵。

北斎漫画 何冊か。ねずみたちの働く姿を描いたページがある。案外可愛らしくていい感じ。北斎のネズミはなかなか愛らしい。

牛馬図風景 岸竹堂 馬は跳ねるし、牛は鳴いてるし。和やかな光景が広がる。
nec059-4.jpg
nec059-3.jpg

月下猫図 岸竹堂 こちらは先ほどの安寧ではなく、ちょっとばかり不穏なところがある。
猫は細い竹を降りている。笹がサラサラと涼やかな音を立てている。猫の眼下にはカマキリがいる。猫VS蟷螂である・・・・・

楠にリス 芝千秋 楠木の葉の黄色と緑の対比がいい。楠木のよい匂いが充満してきそうな一枚。リスは縞柄がどうも蛇を思わせる・・・

月下タヌキ図 岸竹堂 これまたなんとも和やかな月下図。ふっくらタヌキがポンポコしたりクンクンしたり。いい夜なのである。

猿図 前川玉嶺 月下に松にぼんやり座る猿。どこか遠いような目をしている。
こういう顔つきを見ていると、猿にも物思いがあるのだと感じる。

あとは小袖のいいのが何領か並んでいた。鴛鴦のいるのもいいし、他にも色々。
nec059-1.jpg

2/26まで開催するから、また訪ねるのもいいと思っている。



京都市学校歴史博物館「学校で出会う京都の日本画」展は前期後期ともにいい内容だった。
ただ絵が展示されている、と言うのでなく、描いた絵師とその絵を所蔵する・所蔵した学校との関わりについての記述もあり、それが感興を新たにしてくれた。
zen946.jpg

そもそも京都市は他に先駆けて学区制小学校を誕生させ、64もの番組学校が明治初期には開校しているのだ。底から多くの子どもらが巣立ち、中には立派な画家になるものもある。
また、中途から京都住まいをし、地元の要請を受けたり・貢献したいと思ったりで、絵を寄贈する画家もいる。
その辺りのことを思いながら絵を眺めると、その絵の放つ魅力とはまた別種のものがこちらの胸にも届いてくる。
それは誠意であり優しさであり、また暖かな思いやりなどである。
地元の学校に通う子どもらへの愛情に満ちた作品が、ここに集まっているのである。
zen947.jpg

・学校が伝える絵画
雄飛報国之秋 竹内栖鳳 昭和16年頃 虎の絵である。「もはや戦前ではない」時代の絵。だからこのタイトルである。「ユウヒ・ホウコクノ・トキ」と読むはずである。
しかしそれはそれとして、立派なトラである。写生を重んじた栖鳳らしいリアルさがある。

酔李白 幸野西湖 昭和10年頃 嵯峨小竣工記念に寄贈。西湖は幸野楳嶺の次男。絵としては面白い。唐の酔っ払い詩人の様子を、わざわざ小学生のために描きはしないだろう。
飲酒してはいけませんという戒めではなく、これはむしろ学校関係者(大人たち)へのプレゼント。それにしても李白はかなり深酔いしているらしい。

菩薩(木版) 小倉遊亀 この元絵に感銘を受けた摺師の人が自前で摺って、それを寄贈したとかで、そのことを知った遊亀も大いに喜び、丁寧な礼状をおくっている。
もともと彼女も学校の先生だったから、喜びもひとしおだったろう。

紫式部 中村大三郎 チラシ左上。源氏物語執筆中の紫式部。優美な平安美人として描かれている。

錦絵美人十二ヶ月 宮川春汀 明治31年 子どもの様子を描いた作品の多い浮世絵師。
実はわたしはこの絵師の絵を基にした絵本を持っている。
「むかしこどもあそび」と題された絵本は妹が幼稚園で毎月貰う本の一冊だった。
小さい頃から浮世絵に馴染んでいたわたしは、妹が本を気に入らないのを幸いに、早々と自分の手元に入れ、今日もすぐそばにおいている。

錦絵修身談 明治17年 芳年らによる内外の「修身」にふさわしい話を集めた絵物語。
中でも友から預かった金を守って、自分は貧民暮らしを続けたピエールの話はなかなかよかった。

・江戸期の絵画
諸葛孔明図 岸連山 これは軍師・孔明が戦陣にいる図だが、どの戦いを指しているのかは、ちょっとわからない。

・京都の画家と学校
油断大敵 西村五雲 「うさぎとかめ」の絵。これはヨソの展覧会でも見ているので馴染みがある。「油断大敵」と子どもらに教えていたのも面白い。そういえばヴォーリズの設計した豊郷小学校の階段の手すりには、ウサギとカメの彫刻が据え付けられているようだ。
zen947-2.jpg

松図 神坂雪佳 これはもぉいかにも雪佳らしい、松。松の緑と茶色の幹と白だけで構成されているが、ふんわりといい絵。

紫宸殿御庭前舞楽之図 土佐光武 明治~大正 蘭陵王を舞う。その舞台は紫宸殿からやや離れている。眺めるのは紫宸殿の廊下に集う人々と階段下の衛士とだけである。
ロングで捉えているため、静寂さがある。土佐家は公事記録の仕事もあるため、こうした実景を見ているのかもしれない。

孟母断機図 こんな怖い母親はなあ。学問からドロップアウトしようとした息子に、完成寸前の商売ものを台無しにするわけです。他にやりようもあるだろうに。
わたしはこの逸話がいやです。しかしここまでしないとわからんバカ息子なのかも、とも思えるし・・・

虞美人草 竹内栖鳳 大正9年 柔らかくて愛らしい赤い花。可愛い・・・

木花之開耶姫 まつ本一洋 下膨れの可愛い春の女神。回顧展でも見ているが、おっとりしたいい風情。

お手玉 木村斯光 チラシ。舞妓さんがお手玉で遊ぶ様子。無邪気な愛らしさと、遠からず身につく妖艶なものがかすかにのぞくのも面白い。
全体図はこちら。nec055.jpg

また、この界隈の写真がある。
今尾津屋子「黄衣」、加藤英舟「秋乃瀬戸」の犬一家などが見えている。
nec052.jpg

・記念の寄贈
青年 秋野不矩 昭和31年 息子さんをモデルにしたものだろうが、ちょっと白すぎてどこがどうなのかもわからない。

伏見人形を売る 徳力富吉郎 可愛らしい店先図。昭和初期のどこかのお店は、確かにこんなだったろう。徳力は西本願寺の絵所預。

・学校を飾る 
姜詩妻 菊池契月 明治40年頃 まだ彼独自の美人画になる以前の美人。丸顔で愛らしい婦人が林に佇む。この絵は今は京都芸術センターになった元・明倫小の集会室にかけられていたそうだ。今はかなり手の入った建物だが、あの和室空間は往時を思わせるつくりになっていた。

和漢故事人物図屏風 鈴木松年・今尾景年 中国を松年が日本を景年が担当したという。
nec057.jpg
左のオバケ門の上で高士がくつろぐ絵が面白い。他にも琵琶弾く武人(平家物語)、笙の秘曲を伝授する(太平記)、櫻の中を行く騎乗の人などなど。
なおこちらが当時の展示風景。nec057-1.jpg

魁星之図 富岡鉄斎 中国では文筆の神様と言う。鬼の姿をしている。
ちょっと愛嬌がある。nec052-1.jpg


唐獅子図杉戸 伝横山清暉 身を低くしてこっちを伺う獅子。ちょっとヘン。これは元は山階宮別邸に使われていたのを、元日彰小が購入したそうだ。

公助受父笞図 谷崎香きょう この絵を見たのは元の立誠小の自彊室での企画展。
こういう感じ。SH3B15130001.jpg
nec056.jpg


これも親孝行の話なのだが、どうも中国の、いや、儒教のそれはナゾだ。
絵はともかく、いい室内だった。イベントで見たのは11/3。

・子どもへのメッセージ
わらべ 板倉星光 愛らしい男女の幼児がどこかの境内で鳩を相手にする図。以前からなかなか好きな作品。ぽってりした子どもらの手や頬や口元が愛らしい。

東京オリンピック 昭和39年 絵師は不明だが、御所人形をモデルにしてスポーツの祭典というのは面白い。
白肉さんたち大活躍である。zen946-1.jpg
彼らは今回の展覧会のナビゲーターでもあり、小学校内のあちこちに可愛い姿を見せていた。
これなんか、ちょっと見ようによってはマズイんですが、楽しいww
SH3B16900001.jpg

こちらは1/22まで。見ごたえのある展覧会だった。

八瀬童子 天皇と里人

2007年に京都市歴史資料館で「八瀬と八瀬童子」展が開催され、多くの資料や映像を見せてもらった。
そのときの感想はこちら

あれから6年経って、今度は京都文化博物館で「八瀬童子 天皇と里人」展が開催されている。
資料は以前に見たものとほぼ同じではあるが、更に研究も進んだようで、その辺りを楽しみにしている。

最初に八瀬童子会が大事に保管し続けてきた歴代天皇の綸旨が現れた。
これだけの数がずらりと並ぶのはまさに壮観で、一枚一枚丁寧に眺めていった。
nec054.jpg

まず後醍醐天皇綸旨案がある。いずれも建武三年(1336)のもの。
次に後土御門天皇綸旨・明応元年(1492)、後柏原天皇綸旨・永正六年(1509)、後陽成天皇綸旨・慶長八年(1603)、後水尾天皇綸旨・寛永元年(1624)・・・と続き、江戸時代も八瀬童子の権利は保障され続けた。
明暦二年(1656)の後西天皇綸旨まではいずれも複数枚あり、それは天台宗座主に宛てたものでもある。そちらはいずれも丁重な文面だということだが、そこまでは私程度では読み取れない。
尚ここまではいずれも行書体で書かれている。

また、後光明天皇綸旨・寛永21年(1644)のみ出だしが「山城国」から始まるが、後はみな「八瀬童子等」である。
「年貢以下公事課役一向所被免除也」という一文がどの綸旨にもある。
後土御門天皇の綸旨にだけ「栗柿課役」とあるのが妙に面白い。

江戸時代も後期になり、仁孝天皇綸旨・文化14年(1817)になると非常にわかりやすい平明な書体になる。
孝明天皇綸旨と並び、たいへんわかりやすい書体なので、こればかりはわたしでも読める。
ちょっと写してみる。なおそれでもわからない文字があるのは確かではある。
「八瀬童子等自往古 課役一向取被免除也 存其△弥守先蹤可 致商賣者依 天氣執達如件」
「弥」が「彌」ではなく現行の「弥」だったのも印象に残る。
△は上カンムリに円の真ん中がない字なので、筆者の癖か略字か。

そしてこの特権は明治天皇の綸旨にも続く。慶応四年(1868)、ぎりぎり明治になる前の3/24のこと。

八瀬童子は近衛家と関係が深いそうだが、その辺りの説明は展示品からはわからない。
ただ近衛家の牡丹紋付の小長持ちや文箱があることからも察せられる。
説明によると、京都所司代下知状を拝領する際には、必ず近衛家からこの文箱を拝借したそうだ。
なお綸旨はいずれも灰色の用紙で、それは「宿紙」と呼ばれる再生紙ということで、それが故実になったそうだ。
紙漉きの技術が長く伝わっていたことを思う。

八瀬童子の歴史年表があった。
1092年、八瀬童子刀彌乙犬丸が、青蓮院に杣夫役免除申請をしたとある。
比叡山はお隣だが、青蓮院とも関係があったのか。

山林伐採のために隣接する大原の土地を通る権利を求めた書状がある。
応永22年(1415)の書面が残る。
また高野とも境界論争があり、それは特に寛文年間に大きくなったようだ。
境界線を描いた地図もある。いまだと衛星写真も出るところだろうが、この頃は手書きである。△と□とを足した民家がいくつか散見された。

織田信長の朱印状がある。永禄11年(1569)。比叡山焼き討ちをしても八瀬童子にはその立場を守ってやるというのである。
次に秀吉の治世下で京都所司代・前田玄以の書状もある。「当庄惣中」という宛名であるが、中身はやはり前例同様の保護について。彼らの暮らしを守る、と言う意味の書状もある。

正徳六年の「八瀬記」という読み聞かせ用の書状があり、これが総ルビで、わたしもなんとか読めるもの。みなに読ませるためわかりやすくしている。
しかし宝永年間には比叡山の勝手な言い分に怒った村人たちが江戸幕府に訴状を出している。そしてその翌年には八瀬童子の人々の言い分が通るようになっている。

天保15年(1844)には高野村井堰普請取替帳があり、それが高野隧道と呼ばれるものらしいが、今もあるのかどうか。
友人で高野に住まう洛外女さんにきいてみるつもり。
ところで「高野」はタカノである。コウヤは和歌山の高野山。
フルカラーの李之井堰絵図、櫻井之井堰絵図がなかなかリアルなもので面白い。
スモモにサクラ井か。風情があるなあ。

パネル展示で念仏堂の写真があった。およそ20年前に取り壊されたらしいが、八瀬の人々の信仰の深さを感じる。
そして四体の仏像がここに来ていた。
平安中期から鎌倉初期の木造。

十一面観音立像 ややふっくらめで、しかも両腕の実に長い造形なのが印象的。
天部形立像 目のぐりっとした元気な顔。桧製の寄せ木造り。
毘沙門天立像 顔の剥落は激しいが立派な姿。シンプルな装飾。
薬師如来立像 琥珀色のガラスの眼球がひかる。

いずれも古びた良さがあり、村人たちの素朴な信仰の対象だということを改めて感じさせてくれる。

地元の神仏関係は他にもある。仏像版画やお経の版木など。今は使われていないが、とあるが、今はまた別な形での頒布があるのだろう。

明治になり、輿丁として仕えるようになる。
明治五年から昭和12年までの村の記録があるが、そこに「淑子内親王桂宮御崩去」とあるから、そのときにも出たのだろう。
そしてチラシにもなった「明治天皇大喪奉舁参観図写真」があった。
nec053.jpg

解説によると、そばに佇む男性は宮内省の役人だとある。
大正元年九月九日。

七年前にも見た宮内庁からのお知らせプリントもあったが、今回は人も多いのでじっくり眺めることはできなかったが、たしか誤字があるはず。
そんなことを思いながら目を転じると、八瀬童子のそのときの装束が展示されていた。
大正天皇大喪装束と昭和天皇大礼装束と。
こうした古式ゆかしい装束を見るだけでもときめきが高まる。

最後のコーナーに入る前に八瀬に伝わる赦免地踊りの映像を見る。
13~14歳の少年が神使として女装して燈籠のかぶりものを頭に載せる。綺麗に化粧した少年たち、その晴れ着は「燈籠着」トロギと言うそうだ。
そしてその年に30歳になった青年たちを「十人頭」として燈籠をもって行く役目にあてる。
以前に見たのとは違う映像だが、暗闇の中にゆらめく灯りの妖しい美しさにときめく。

赦免地踊りの秋元神社の境内を特殊な撮影法で撮ったようで、素晴らしい四季のパノラマが広がっていた。
そしてその景色の中に映像で見た燈籠とその衣装、また少女たちによる赦免地踊りの装束も並んでいた。
燈籠には繊細な赤の切り絵がついている。それだけでなく一番上には芝居の書き割りのような、または立版古のような紙細工も取り付けられていて、それを見るのがまた面白いのだった。
切り絵では鯉や虎が特によかった。

こうした企画展があることがとても嬉しい。
いい内容だった。1/14まで。

加賀赤絵 /美しき日本の小さな心 豆皿、帯留、ぽち袋

京都のデパートで二つの工芸品展を楽しんだ。
高島屋の「加賀赤絵」と伊勢丹の「美しき日本の小さな心」である。
前者は九谷焼の赤絵「加賀赤絵」をメインにしたもの、後者は「てっさい堂」貴道裕子コレクションから豆皿、帯留め、ぽち袋を集めたもの。
まず「加賀赤絵」の感想から。

最初に筑波大学のコレクションの南京赤絵が出ていた。
近年は萬暦赤絵など明代の赤絵に強く惹かれているので、その数枚の赤絵を大いに楽しんだ。
その後から加賀赤絵が並び始める。
江戸時代後期に加賀藩では京から青木木米ら名工を招き、中国赤絵の写しなどをこしらえようとした。
今でも続くのかどうかは知らないが、多くの窯元の名がここに現れているのが、その証拠か。
下地があるところへそうした外来の知識・技能・刺激が加わったことで、技術が進化し始める。
やがて「加賀赤絵」と呼ばれる一つの作風が生まれ、時代の進歩もあり、赤絵金彩が出現し、ほどなくそれらが海外の万国博覧会で大絶賛されるようになる。
ジャパン・クタニと呼ばれるそれらをはじめ、江戸時代の再興九谷諸窯から現代作家までの作品が一同に集められている。
nec048.jpg

随分前に青山にある伊勢半・紅ミュージアムで赤絵ばかり集めた展覧会を見て以来の、加賀赤絵との再会である。
ワグネルの指導により、それまでとは違う赤を手に入れたやきものの世界は、急激な変化をみせ、「空間の美」をいとうような、海外の美意識に沿うような作品が展開されてゆく。
正直なところ、わたしにはあまり好みではない作品が続々と現れるので、多少引いた地からそれらを眺めていた。
とはいえ、全く無関心でいられるはずもない。
なにしろこの1/6からの開催にわざわざ合わせて出てきたのである。
楽しまずしてなんとするか。

九谷庄三「色絵金彩朝顔仔猫平鉢」 これが可愛らしい。大きすぎる朝顔、その蔓と蔓の間に巣をかけるクモ。そしてその様子を眺める小さな仔猫二匹。ニャアとした可愛らしさに満ちていて、思わず「チチチ」と呼びかけそうになる。
白地に斑の猫もこちらに背を向けるグレーの猫も共にリボンをつけられている。
飼い猫がお庭にいる図なのだ。浮世絵顔の猫たち。作者は文化13~明治10年の人。
これは能美九谷焼資料館所蔵。

nec049.jpg

他にも猫のいる加賀赤絵があった。
対の花瓶で「猫踊り図花瓶」 真ん中の画像がそれだが、肝心の猫が出ていないので、なんとも腹立たしい。
猫と蝶の取り合わせは中国での吉祥ものである。
蝶は清朝の豆彩を思わせる表現だが、ここにいる「猫踊り」の面々は吉祥もなんのその明るいバケ猫連なのだった。
ほぼ全員が半被乃至着流しスタイルで、縦横無尽に踊りまくっている。その踊りも優美なものではなく、どこかイナセでそしてふざけていて、とても明るい。
戯歌にあわせて踊っているに違いない。それこそ
猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが~
という歌かもしれない。戯れ歌の楽しさが花瓶の胴回りに横溢している。
両方の花瓶あわせて60匹くらいの猫が踊ったり、魚を銜えていたりで、にぎやかなことこのうえない。
ああ、こういうところを画像に入れてほしい。

有線七宝のような様相を見せる人物画も多い。
鵺退治、ヤマタノオロチ退治などの物語絵、美人観桜図、美人夕涼み図などなど。
驚くほど繊細なタッチで明治の美人画が現れている。

チラシのあちこちに踊る唐子達もそうで、百唐子、百老人図が次々出てくるのだから、その技量の高さにも呆れるほどだ。

最後にテーブルウェアとしての加賀赤絵。
SH3B16920001.jpg

SH3B16910001.jpg SH3B16930001.jpg


ここだけは撮影可能で、飯田さんのアートフラワーが文字通り花を添えていた。
やっぱりこういうところに百貨店ならではの華やぎがある。

自分の嗜好など関係ナシに、すごい技術を見せてもらったと思う。
面白かった。1/21まで京都高島屋。もうこの後は関西には来ないそうだ・・・。


次に古美術商「てっさい堂」の貴道裕子さんが蒐集した小さくて愛らしいものを見に、伊勢丹へ行く。
わたしも大概小さいものが好きだ。西洋のドールハウスは言うに及ばず、我が日の本の小林礫斎を筆頭にした、極小の美麗なものを拵える職人たちへのリスペクトは強い。
そして実用品でもある小さいものへの愛情もとても深い。
小さいやきものを買い集めるのもわたしのささやかな楽しみなのだった。
nec050.jpg

会場へ入ると、正月らしく餅花の飾りがあった。これはまた雅なものを見せてもらい、嬉しい。
そして蛸唐草の可愛い豆皿が現れた。色も濃く、やっぱりわたしは染付が好きだとつくづく実感する。
ごあいさつ文のプレートを見てから角を曲がった途端、絶句した。

巨大なガラスケースの中に数百枚もの豆皿が、妍を競うように、あるいは仲睦まじくに、ところ狭しと列べられていたのだ!
これはもう凄い眺めだった。まさに壮観としか言いようがない。

ここだけでも撮影させてもらいたいくらいだ。もぉ本当に素晴らしすぎて唖然とした。
色んなやきものを一堂に会してのこの様相・・・細かいことなど言う必要はない。
ただただ目を見開いて、これら数百枚の豆皿を垂涎のまま眺めるばかりだ。
一枚一枚の愛らしさもさることながら、これくらい集まると、もうただただ「壮麗」な景色だった。
ガラスの向こうでも眺める人がいて、みんながみんな口を開けていた。
わたしもぼーっと口を開けている。その開いた口にこの豆皿を何枚詰めることが出来るか。
窒息するまで詰めても、まだ余っている。
ああ、凄まじいコレクションだ・・・

その後もガラスの棚に種別ごとに豆皿が飾られていたり、ヒノキ板に魚柄・ウサギ柄・昆虫柄・鳥柄・植物柄などがそれぞれ配置よろしく集められていたり、ツタの形・富士山の形のものなどもそれぞれ仲間で寄り集まっていた。
青磁は三田焼のものが多かったのも特徴的で、こうしたところにもそそられる。

ああ、これだけでも見に来た甲斐があった・・・

と、わたしが豆皿に溺れてフラフラになったところへ次の波が押し寄せてきた。
今度は帯留である。

わたしは着物を着ない人なので帯留にさほど関心はないのだが、しかし小さく愛らしいものは斉しく好きである。
しかも日本の職人の技能の高さを愛し、尊敬するものとしては、やはりここでも存分に堪能せずにはいられない。

またこちらのレベルの高さがもぉ・・・!チラシに出ているのは上から、犬張子・百人一首寄せ・櫻寄せ・羽子板・鬼灯・暫だが、これらはホント手始め。
野菜の形をしたもの、おもちゃ尽くし、吉祥文様などなど、無限に可愛いものが湧く湧く・・・
根付や小柄のそばにつけるものなどにも、あれほど情熱をかけていた日本人が、帯留にも気合を入れてないはずがなかった。
本当にただただビックリして眺めるだけ。
中には宝石をそのまま使っているものもあり、指輪やイヤリングに良さそうなものも多い。
実際そのように転用するひともあるらしい。
うーむ、すばらしい。
舞妓さんの帯留が一回り大きいというのも知った。立派だなあ。
季節ごとの花の拵えをみると、必ず思い出すことがある。
櫻の時期に櫻の帯留をした人のこと・・・それはやめましょうと言ってあげられなかった。
本人が喜んでいるので水をさすことになるかと思ったのだが、やっぱり櫻の時期に櫻はあかんがな。
おかしいのはやきもので拵えた帯留で、ベティさんやドナルド・ダックらしいものがあったこと。ふふふ。どういう着物に合わせるんだろう。
富本憲吉のやきものもあった。
本当に帯留は無限にその種族を増やせるのだなあ・・・

nec051.jpg

最後にぽち袋がきた。
歌舞伎の留守文様が大変面白かった。
三本杭に数珠・刀・櫛・袋 これは三人吉三だろう。それから松に豆絞りは与三郎か。
他にも外灯(!)・出刃・巻き手紙はお祭佐七。
それから役者絵を描いた周峰という絵師のものもあった。名取春仙風な役者絵で、勧進帳の義経が福助なのは明治の頃のもの。五世歌右衛門の前名。しかし与三郎で十五世羽左衛門があるから、やっぱり昭和初期までのものか。
隈取ばかり集めたものもあるし、花札文様もある。

面白いのはちょっとHくさいぽち袋。シルエットで島田髷のお姐さんのヌードもあるし女給もある、それより何よりも、花魁と客の連作ものがよかった。封のところに時間の経過まであり、表には客と花魁の向きが色々。裏にはその足裏の様子。
ははははは。こういうのも面白い。

それにしてもこの「展示」は誰の手によるものなのだろう。
コレクションの中身が素晴らしいのは当然としても(しかしそれでも見たわたしは仰天したが)、また展示そのものが素晴らしい。
えき美術館の人の手によるのか、貴道裕子さんの指示によるものなのか。
どちらにしろ、本当に楽しめた。
「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」という言葉が浮かんでくる内容だった。
1/20まで。

本もたくさん出ている。
手のひらにのる骨董手のひらにのる骨董
(2013/01/08)
貴道 裕子

白川義員写真展「永遠の日本」

2013年、年初に当たり白川義員写真展「永遠の日本」をまず見に行った。
阪神百貨店での特別展示である。
白川義員は地球の自然を捉える写真家である。
今回の「永遠の日本」は「地球再発見による人間性回復へ」という連作の最終作だという。
白川は言う。
「日本の自然は、どこまでも鮮烈で、荘厳で永遠なのだ」
この言葉を事実として我々に提示するために、日本各地の壮麗な絶景をここに終結させていた。

五年前、この阪神で白川は「世界百名瀑」展を開催したが、実際わたしが白川の写真を見るのもそれ以来のことだった。
今回は四部構成で作品が並んでいる。
名山・名瀑、湖沼・森林・渓谷、高原・湿原、海浜・島嶼として、130点のパネルが壁面を飾っていた。

白川義員の写真といえば、自分の認識する自然風景の配色から大きく踏み出した色彩を見せてくれるひとだが、今回はどうだろうか。
極端なことを言えば自然風景の色彩といえば、朝焼けの赤、新緑の緑、紅葉の赤・黄色・橙、雪の白、昼の青、という大くくりができる。
それをベースにして、さらにそこから一歩も二歩も進んだ先の風景を見せてくれるだろうが、それでもあまりにかけ離れたことはないだろう・・・
と、そんな軽い気持ちで会場に入った途端、大きな衝撃が訪れた。

剣岳がそこにあった。
朝焼けする剣岳である。陽のあたる斜面はあくまでも赤いが、その陰になる稜線とその一帯が、赤紫色に染め抜かれていた。
赤と赤紫の色に二分された表面の向こうに山の線が刻まれている。
崇高、という言葉が思い浮かぶ。永遠の一瞬というものが唐突に理解される。
ふと、この山をどうしても登らねばならない男と、強力(ごうりき)の男とが語り合うシーンが、自分の胸のうちで開始される。
そんな架空の対話が少しばかり続き、二人はこの剣岳に向う。
わたしは自分の妄想の声を聞き、眼前の剣岳の朝焼け写真を見て、目の表面が潤いだすのを感じていた。

また黎明の剣岳も真っ青な空間に閉じ込められていて、こちらの肺まで青に染まりそうだった。雪に覆われた剣岳もあるが、やはりあの朝焼けの剣岳の崇高さが、長く胸に残っている。

桜島がある。写真家と言うものは一枚の写真を撮るためにその数十倍の時間を費やす。
一瞬のシャッタータイミングのために膨大な時間を費やし、それでも自然に蹴られることがある。
桜島早朝噴火 nec045.jpg
もこもこした噴煙と白い月。この配置での風景など、多くの人は誰も捉えられないのだ。
唐揚げのようなモコモコ噴煙に引き寄せられて、「永遠の一瞬」を実感する。

そしてまたも大きく噴火する桜島がある。噴火の光線は美しい。
nec044.jpg
精錬所のそれを思い出したが、精錬所の鉄の誕生こそ、実は噴火を母とするものなのだ。
手元で楽しむ花火の火、それもこんな光線を見せてくれる。魅力的な光の線条。

北海道の銀河・流星の滝がある。懐かしい。わたしは19のとき、大学の募集旅行で見に行った。とても楽しいツアーだったが、この滝を見ているとき、別なハナシで友人と盛り上がりすぎ、滝の記憶が飛んでしまったのだ。しかしそれでも懐かしい、と感じる。
実景を覚えていないのに、それでもこの美しい風景を懐かしく感じるこの心こそが「永遠の日本」、それを支える一部なのかもしれない。

華厳の滝の美しい写真がある。白川のメモも面白い。藤村操の自殺で一気に有名になったのは知っているが、その時代のことしか知らず、何故「華厳の滝」かをここで教わる。

前回の「世界百名瀑」展では世界中の滝に関する専門家が集まって(ヒラリー卿も含む)協議したそうだが、そこで白川は山形県にある滝を教えられて驚愕したそうだ。
ここにある写真も素晴らしかった。
日本にはまだまだ知られぬ風景が多く生きている。

かいらぎの滝 五年ぶりの再会。懐かしい。正直ちょっと怖くもある。

天人峡 こういう形を自然は作り出すのだから、人智など高が知れている。
それにしてもなぜこの岩肌が薄紫なのか。わたしはそのことにも打たれている。
nec045-1.jpg

知床連山の連作をみる。面白いことに見学するオジサンたちの大半が口々に疑問をのべる。
つまりこの配色になるのがわからん、ということである。
わたしなんぞはシロートもシロートだからホウホウと感心するばかりだが、ここにいるオジさんたちの大半はカメラ担ぐヒトビトらしいので、そんな「?」が横行しているのだった。
nec046.jpg

知床連山赤変 ああ、やはりここでも影は赤紫色になる。

流氷と知床連山 青と白だけの世界。緯度の関係で白夜に近いのでは、と錯覚させられる。
むかし「キタキツネ物語」という感動的な映画があった。一匹の若い雄のキタキツネが流氷に乗って北海道にたどりつき、雌と出会い子を育て、子を失い、生き残った子に後を託し、ついには再び流氷に乗って元の地へ戻ってゆく物語である。
わたしは流氷を見るたびに必ずあのキタキツネを思い出す。そして胸が熱くなるのだった。
nec042.jpg

日本の美は秋に尽きる。
春の美しさ、夏の楽しさ、冬の厳かさも捨て難いが、風景としてはやはり秋が最上だと思う。白川義員の切り取る日本の自然も新緑の頃と秋とが多いように思った。

白神山脈と岩木山 実景を知らないわたしはこうした風景があることにも感銘を受ける。
nec041.jpg

志賀高原蓮池 色の氾濫。そうとしか言えない。映画カメラマン・クリストファー・ドイルの映像を思い出した。あれは美麗な造形だが、このシャシンは白川の加工したものなのか・それとも自然の摂理が生み出した情景なのか。
わたしには全く判断できない。しかしこの色の氾濫としか言いようのない景色にはただただ驚くばかりだった。蓮池と言うのが実際にはすの咲く池のことを言うのか知名なのかすらわからないが、池の表面には蓮の残り(敗荷)というより、ジュンサイのような植物がフツフツと現れているのが興味深かった。

雄大な釧路湿原、この朝の景色はまるで須田国太郎の絵のようにも見える。
nec039.jpg

ノトロ湖サンゴ草 赤い草は珊瑚のようにみえる。
nec043.jpg

蒜山高原 青紫の遠山と陽を受けるススキと。ぞわぞわした。
nec047.jpg

太陽柱を捉えた写真もあり、また撮りにくいとこぼす仙石原もあった。
いずれも一枚一枚真摯な作品である。

熊野灘橋杭岩暁天 もう、ただただ唖然と眺めるだけだった。
nec040.jpg

岳岱原生林 凄まじい緑だった。原始の新緑。あまりに凄まじすぎて、人の入る余地などない。しかしここにはフェアリーが住んでいそうな気は、した。

鳥取砂丘の写真を見ていると話しかけてくる人がいたので相槌を打ったが、それにしてもやはり素晴らしすぎる。だから感銘を見知らぬ人にも伝えたくなるのだ。

最後に新舞子夜明けをみる。nec045-2.jpg
こんな風景があるのも日本なのだ。

深い感銘を受けて、会場を出ると、常にスーツ姿の白川義員が今回も礼儀正しくサインを毛筆で行っていた。「永遠の日本」。この姿勢にもそれが感じられた。
見事な風景を見ることから始めた2013年の展覧会の幕開けになった。

十年前に見たもの

2013年になり、いよいよ本格的な展覧会見学も明日から始まる。
それで今日は一つその前哨戦として、2003年に見たものを思い出すことにしたい。
わたしはどういうわけか3のつく年は色々と楽しいことが多く、展覧会やお芝居も3の年はアタリが多いのだった。
2003年当時はまだネットデビューもせず、展覧会に行っても自分ひとりで感想をチマチマ書いていたものだった。
初心忘れるべからずということで、あの頃の感想などを少々あげたい。
なお2003年は全部で294の展覧会見学と建物探訪を行っている。

我ら明清親衛隊 大江戸に潜む中国ファン達の群像

板橋区立美術館の江戸文化シリーズは毎度毎度おもしろい。
今回の「我ら明清親衛隊」展もタイトルからしてわくわくさせてくれる。
最初に版画が出ているが、このチョイスがまたいい。
「明清親衛隊」という気分を盛り上げてくれる。
zen979.jpg

蘇州版画 新造萬年橋 大変大きな縦長版画で、そこに町の賑わいが描かれている。
蘇州は「天に天堂、地に蘇杭あり」と、杭州と並んで素敵な場所という諺もある。
わたしなんぞも「蘇州夜曲」のイメージがまず湧いてくるから、この賑わいを見ると、ついつい夢を見る。

田中益信 玉取り竜宮のてい 謡曲「海士」「珠の段」。藤原不比等の命を受けて竜宮に珠を取りに行った海士の女が竜宮の追っ手から逃れようと闘うシーン。
竜宮の建物から竜宮門まで無論海である。門の外も海だが、そちらは人界の海。不比等の手のものが待機している。竜宮の連中もむざむざとお宝を渡すわけにはいかず、必死で追いかける。
なにがいいと言うても、追っ手のタコが最高である。何しろ手足合わせて8本もあるから、弓矢を引く手もあれば剣を振り上げる手もある。タコのデコ皺も三本ともぐねり、大変ムカついてるのがよくわかる。
一方の海女も刃を後ろ手に走って逃げるような体勢ながら、「えーいっしつこい!」というのが伝わってきて、この一枚はとても面白かった。
zen979-1.jpg

西村重長 浮絵海土竜宮玉取之図 これも同材で、構図も似ているが、先の方が面白い。
切り結ぶ相手は魚冠の武人、治外法権ということもあり、日本軍は門外に控える。

西村重長 名月品川の座敷風景 どうも手彩色らしい。のんびりした楽しそうな風景。
品川の海には白帆が見える。俵を積んだり色々。

奥村政信 見立十二段草子 浄瑠璃姫のところへ来る牛若の見立て。江戸時代の風俗。門の外には尺八を吹く御曹司。奥座敷には琴を弾く浄瑠璃姫。広々した邸宅。そう見えるように作られた「浮絵」。手彩色か。

歌川豊春 浮絵浪花天満天神夜祭之図 ・・・・・で表現された☆がよく出ていて綺麗。提灯行列も出ている。

ほかに両国涼み図(花火)、中国室内図(刺繍する女)、和田酒盛り(草摺引)などがある。
これら浮絵は遠近法も面白く、群像図だということもあって、細かい所に面白味がある。

そしていよいよ肉筆画が現れる。
沈南蘋ブームで脂っこい絵が生まれてきたが、並ぶメンバーもその界隈錚々たる絵師たち。
リストを見ただけでも期待感が上昇する。

黒川亀玉 関羽図 三国志の英雄・関羽が愛馬・赤兎馬に乗る雄姿。青竜刀に衣を引っ掛けている様子からゆくと、曹操の手元から旧主・劉備の元へ帰る図だろう。衣は曹操からの餞別で、礼は失するが心は受けたという気持ちを示している。(後に赤壁大敗後の曹操を、関羽はこの恩から、逃すのだった)
表具も朱色とオレンジと言う目に鮮やかなもの。

二代・黒川亀玉 草花図 トロロアオイと朝顔がねとーと絡み合う。描かれた年は「丙子」ということで、宝暦六年(1756)または文化13年(1816)というえらく長いことを・・・

建部凌岱 威振八荒図 鷹に追われる叭叭鳥。南天に雪が積もる。「八荒」というのが昔からナゾの言葉で今も調べてはいない。「修羅八荒」という小説もあるが。

北山寒巖 花鳥図 この絵師はヴァン・ダインのファンらしくヴァン・ダインをもじって「樊泥第」とも名乗ったそうな。寛政三年(1791)の絵師の話。梅に綬帯鳥というなかなか派手な取り合わせ。

諸葛監 松ニ虎図 諸葛監はプライス・コレクションでも可愛いのを見せてもらったが、ここでも丸顔に円い目の可愛い虎ちゃんがいる。尻尾先がくるんとし、ベロが赤いのもいい。なでてやりたくなる。

宋紫石 清影揺風図屏風 宝暦九年(1759) 強い風に揺れる青竹。
zen979-3.jpg

宋紫石 牡丹小禽図 この牡丹の色あいが綺麗。白いやや小さい花は木瓜だろうか。可愛い。とても色合いが綺麗なのが印象的。

宋紫石 一路巧名図 これは取り合わせにより吉祥を示す図。白鷺(には見えないくらいコワモテの奴)、白頭翁(そういう鳥)。一鷺(一路)それがガーとかギャーとか高声で鳴く(高名=巧名)。そして白頭翁は長寿の印という吉祥のとりあわせ。

宋紫石 十八羅漢図巻 13人ほどがいるが、みんないかにもヒマそう。虎もいてのんびりしている。

松林山人 牡丹猫図 白に黒ぶちという、猫絵の王道をゆく猫がいる。たいへん目が大きい。そして牡丹が薔薇科だということを実感させるような、そんな花を大きな目でギロッと見ている。可愛い。

渡辺玄対 白梅キンケイ鳥図 清楚な白梅と派手な色合いの鳥と。

zen979-2.jpg  zen980.jpg

戸田忠翰 白鸚鵡図 チケットにもチラシにも選ばれた白鸚鵡。この絵について学芸員の面白い解説があった。要約すると、表現するのに執拗なところと簡単なところあり、職業画家では許されない描き方をしている、というようなことだった。
そのアンバランスなところが多分この絵の面白味になってもいるのだろう。

それにしても鳥の絵が多い。わたしはあんまりトリが好きではないので、ちょっと逃げたくなる。

司馬江漢 柳に翡翠図 水面を見下ろす翡翠。鋭い眼で魚を見ている。
藤田錦江 白梅尾長鳥図 ぬめ~~としている。
土方稲嶺 朧月枯木鵲図 最上の画像右から二枚目。鵲が現れるのがやはり「明清親衛隊」ならではか。大和絵にはあまり見ない鳥。

土方稲嶺 麝香花下悠々之図 猫一家のお昼間図。右幅は白牡丹をくんくんする茶系のモコモコした猫がいるが、どうやらこれはパパらしい。
左幅は白にピンクの花の下、斑のママに斑と茶の子ども二匹がお乳をもらう図。ママ猫はけっこう横長の目でゆったりと授乳中。尻尾はモコモコ。

源鸞卿 風竹虎図 トラーーーッがおーーーーっ!眉とのどの白い虎。鼻も爪も髯も白い。
こういうトラもいい。

森蘭斎 福禄図 解説に吹いた。吉祥文様として蝙蝠が描かれているのに対し「ドラキュラの使いというイメージがあるが」WWWWW。ありますねえ。うむ。まぁそれは耶蘇教のハナシで、東洋ではめでたい奴です。とはいえどっちつかずのコウモリ野郎というノノシリもあるが。さて、何がどう「福禄」かというと、上に蝙蝠、下に鹿ップルがいることで、めでためでたの図になっているのだった。このシカのカップルは共に短躯で、カノコが綺麗に浮いていた。

金子金陵 牡丹双禽図 ここでも解説にウケた。牡丹は確かにパステルカラーで「乙女チック」かもしれない。しかし乙女チックというのにわたしはウケてしまったのだが。
話は飛ぶが、少女マンガのカラーで、初めてパステルカラーを使ったのは、わたなべまさこだったという。それまでは原色のわかりやすい絵を使っていたが、わたなべまさこは編集者の意見を退け、パステルカラーを使用し、その当時の少女たちから絶大な支持を受けたそうだ。今も現役作家として繊細美麗な絵で様々な物語を紡ぐわたなべまさこ先生、これからもがんばってください。

金子金陵 枇杷双鳥図 最上画像右端。枇杷がリアル。背景の色も枇杷色。

金子金陵 芥子ニ小禽図 紅白の芥子がうねる。こういう表現が面白い。下に小鳥がいて可愛らしい。

岡田閑林 渓流虎図 作り物のトラのように動かず、瀧を見ているだけ。秋のある日。可愛い虎。どちらかといえば上方下りの細工見世物の一景(ジオラマ)のような。

椿椿山 倣張秋殼花鳥図 本歌の張秋殼の絵は知らないが、花は綺麗で左右幅に飛ぶ雀もかわいい。

椿椿山 君子長命図 笹に青アゲハ、その下には蒲公英。そして白地に三毛の凶悪顔の猫がバッタを狙う。リアルな後姿。映画「バットマン」のジャック・ニコルソンのような顔つきの猫。

鈴木鵞湖 雪山図 三顧の礼を描く。孔明は読書中。木で鼻をくくるような対応の弟と劉備たち。鈴木は明治以降活躍する石井柏亭・鶴三兄弟の祖父だとある。
孫たちの活躍は祖父の代に既に予想されていたのかもしれない。
最上画像左から二枚目は中国の月の女神「嫦娥図」。前期展示なので見れなくて残念。

根本愚洲 白鷺図 くちばしの緑色の白鷺。色の取り合わせが綺麗。安政四年。

鍬形蕙斎 草虫図 朝顔、ひさごと左右それぞれに花を配し、可愛らしい構図。

お大名たちも「明清親衛隊」らしく、作品が並ぶ。

松平定信 達磨図 サインが大きい。「源定信」
大久保忠恒 鶴亀図 殿様の余技ではあるが、いい感じ。

松平乘完 秋叢嚢露図 抱一のオジ。だからなのか、なかなかうまい。青の紫苑、赤のケイトウ、朝顔、ピンクの秋海棠、黄蜀葵(トロロアオイ)といった色の取り合わせ。
ミツバチは黄色のトロロアオイに、クロアゲハは青の紫苑に、蜻蛉はケイトウにキスする。
雀も飛んで可愛い一幅。

狩野派の明清親衛隊もいる。
狩野養信 群鹿群鶴図屏風 沈南蘋の絵を模写したものらしい。シカより鶴が目立つ。

本も展示されていた。共に千葉市美所蔵のラヴィッツ・コレクションより。
建部凌岱 寒葉斎画譜 ウサギ3羽・・・うわ~~~ホラーかっ!というような縮れ線でウサギたちが描かれている。ついついわたしはそれを模写してしまったよ・・・

宋紫石 宋紫石画譜 トラがリアルに描かれていた。細かい描写。

1/3まで休み、1/6までの会期。やっぱり面白い板橋区立美術館なのだった。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア