美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ラファエロ展

ラファエロの大規模な展覧会が初めて日本で開催されている。西洋美術館で6/2までの三ヶ月間続いている。
朝一番に行ったらこれがまた大変な人出で人気に驚いた。
チラシは「大公の聖母」の一部をラファエロの頭文字Rでデザインしている。
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こちらは「ルネサンスの優美(グラツィア)、500年目の初来日」だが、その少し前のチラシのコピーはこうである。
「ルネサンスの優美(グラツィア) いよいよ、東京へ。」そしてソレより前の最初のコピーは「ルネサンスの優美(グラツィア) 来春、東京へ。」だった。

まず本人の自画像が現れる。ほんのりイケメンでありつつ、ちょっとトボケたような口元をしている。
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ラファエロの修業時代のほかの画家の作品が現れた。
ジョバンニ・サンティ 死せるキリストと天使たち 大柄なキリストである。それを磔から降ろすのに、赤と緑の服を着た人がなかなか苦労している。キリストの下腹部を覆う布、少し小さすぎるような。

アミーコ・アスペルティーニに帰属 東方三博士の礼拝 びっくりした。ほかでよく見かける東方の三博士の礼拝は静かに来ているものなのに、ここではわんさかわんさか人であふれて大渋滞の大行列ではないか。馬もびっくりしてそちらを見ているが、参りましたな。生まれてすぐだから「目前の大群衆皆に食べ物を与えよ」というわけにも行かないだろうし・・・幼子も新ママも人疲れしますよ。
そんな心配をしてしまうほどの人出である。

ピントリッキオ 幼児洗礼者ヨハネと聖母子 左に母子。背景に針をついて文様を入れている。これは綺麗だった。同時代くらいのほかの絵にもある。当時の流行だった技法らしい。
マリアは手にザクロを持っている。
東洋においてはザクロは吉祥果だが、キリスト教の場合何の意味を持っているのだったか。そのあたりの知識が私には不足している。

さていよいよラファエロである。
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天使 向かって右に視線を向けている。可愛らしい顔立ちの少年のように見える。あごがかすかに割れているのもご愛敬。赤い布の質感がいい。

聖セバスティアヌス これは矢でプスプスに刺されたものではない像。二重光輪を頭上に置き、その手に矢を持っている。金刺繍の綺麗な衣服を着ている。素肌を晒しはしない聖セバスティアヌス。これでは少年三島由紀夫もうなだれるばかりかもしれない。

若い男の肖像 たいへん綺麗な男で、赤い帽子をかぶっている。画家本人もとてもハンサムだったそうだが、描く青年も綺麗な男が多い。

対らしき作品がある。
アッシジの聖フランチェスコ 左向き。
パドヴァの聖アントニウス 右向き。花を持っている。
こういう作品を見ると、美術品というよりやはり信仰の対象の気がするのだ。

フィレンツェ時代、ダ・ヴィンチとミケランジェロと出会い、ラファエロも新たな一歩を進んだらしい。

聖ゲオルギウスと竜 翼のある悪竜と戦う。剣を降りかぶる聖ゲオルギウス。すでに赤白の槍がぼきぼきに噛み砕かれたのが地に落ちている。右奥に小さくドレスを着た姫が走って逃げているのが見える。

よく似た顔立ちの人々の絵がある。
リンゴを持つ青年(フランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレの肖像?) 豪華な衣装に身を包んだ青年は、ウルビーノ家の人らしい。テンの毛皮までつけている。
金壷眼で唇が薄く、顎の割れた顔。

エリザベッタ・ゴンザーガの肖像 ウルビーノ公妃。黒地に金と茶色のドレス。こちらも豪勢な衣装である。
この二人はよく似ていた。どちらもウフィツィ美術館に所蔵されている。

大公の聖母 チラシ。今回のメインの絵。nec253.jpg
暁闇の中に浮かび上がるように立つ聖母子。ところが調査の結果、この黒の背景は元から計算されて塗られたものではなく、本当は背後には室内風景が描かれていたらしい。ちょっと驚いた。しかしこちらの方がもう意識に残っているので、背景はこのままでもいいと思う。

聖母子 素描。ひどく綺麗だと思った。そういえば以前にもラファエロの素描を見て、感心したことを思い出した。
というよりも、わたしはこの時代の三人の天才・ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ラファエロの素描が好きなのだと思う。

無口な女(ラ・ムータ) 指輪を左右合わせて3本嵌めた女がこちらを見ている。無口そうで、意思の固そうな女である。若いのかそうでないのかもわからない。個人的にはこういう女に見覚えがある。従妹の一人がとても似ている。顔つきだけでなく、その意思の強固そうなところも。

磔刑図の解剖学的習作 素描の良さをまた感じる。腿の筋肉の張り具合がいい。

聖家族と仔羊 頭上の金の輪が彼らが「聖家族」であることを示しているが、なんだか微笑ましい家族図にも見える。尤も仔羊がいること自体が、既に後の受難を連想させるにしても。
一見すると、ぼくが羊さんに座ってたら、ママが「だめだめ」と抱っこに来た。ジイちゃんのような義父も「おいで」とヨロヨロしながら言葉を添える・・・そんな図。

聖母子と幼い洗礼者ヨハネ これも大変よい。幼児のぷくぷくした体つきと、若いママの綺麗さとが魅力的。
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ここでフラ・バルトロメオの「聖母子」や、ラファエロの絵をコピーしたカヴァリエル・ダルビーノの「死せるキリストの運搬」が現れたが、それぞれとてもいい。
前者は軽やかに美しく、後者は重厚で深刻な良さがある一方、女たちがひどく艶かしい。

いよいよラファエロがローマ教皇に深く愛される時代に来た。

ムーサの頭部 これもまたたいへん綺麗だと思う。今日の日本の女もしばしばこの髪形をする。わたしも髪を長く伸ばしていたとき、時々こうして一まとめにくるっとして頭頂部に置いていた。本当にすっきりと綺麗な素描である。

フェデリコ・ズッカリ 牢獄から解放される聖ペテロ ラファエロ作品に基づいてのものたらしいが、この光の天使につよく惹かれた。牢番も聖ペテロもどうでもよくなって、ただただこの光の天使をじっと見ていたい。そんな風にも思った。
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どこか日本の少女マンガにも近いものがある。また、きたのじゅんこの絵にも、この光の天使はいる。その美しさに惹かれて、ズッカリは自分でもこの絵を描いてみたくなったのかもしれない。

ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像 教皇に信頼されていた枢機卿で、またラファエロとも個人的に親交の深かった人。緋色の枢機卿の衣装をまとった肖像画。指のリアルさがいい。

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エゼキエルの幻想 マタイ、マルコ、ルカらの象徴たる動物が翼を持って、そこに現れる。随分とドラマティックな場面である。色も激しい。

友人のいる自画像 左の卵顔の男性がラファエロ、右は実はナゾの人だという。ラファエロをじっとみつめる巨眼の男性。深い親しみがある。ラファエロ本人はその顔は見ず、正面をみつめているが。

ラファエロは長くは生きなかったが、多くの弟子や後継者に恵まれた。
彼の原画を基にした二次創作も盛んだった。

ジュリオ・ロマーノ 聖母子 美人のママとえくぼの僕と。ぼくの手には花、ママの手には本。育児書ではなく、聖書もまだ出来ていない頃だから、何を読んでいたのか。

ベリン・デル・ヴァーガ 聖母子 少女のようなマリアは頭上に金銀宝石の飾りをつけている。大きく指を開くのが眼に残る。よく似た母子。綺麗な絵。

ラファエロの原画を基にした版画ややきものがよく売れたそうだが、中でも「嬰児殺し」はその悲惨悲痛な情景が、版画になることで一層際立ったように思える。

典雅な美を味わえた。6/2まで。
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ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア

ルーベンスと言えばどうしても「フランダースの犬」を思い出す。それもウィーダの小説ではなく、日本のアニメのそれである。リアルタイムにも再放送にも泣き、いまだに思い出すだけで涙がにじんでくる。
物語のラスト、ネロは大聖堂でルーベンスの絵を目の当たりにすることが出来、感動のまま静かにその生涯を終える。ネロと共にパトラッシュもまた天国へのお供をする。

ネロがそこまで感動するルーベンスの絵とは何なのか。

子供だった私はルーベンスの絵を見ることはなく、ネロと共にアニメに現れる絵を見るか、美術書を見るしかなかった。
そしてわたしはネロほどにはルーベンスの絵に焦がれることもなく、絵を見ることを希うこともないまま育った。

堀辰雄に「ルウベンスの偽画」という短編小説がある。堀の小説は細部はそうは感じないのだが、一つの作品それ自体が絵画のような趣を見せる。
わたしは堀の小説にそそられる形で、少しばかりルーベンスに近づこうと思った。
しかし実際にルーベンスの絵を見るのにはまだ時間がかかった。

今、渋谷のBunkamuraミュージアムでルーベンスの大きな展覧会が開かれている。
こんなに多くのルーベンスの絵をいちどきに見るのは初めてなので、少しばかりドキドキしながら出向いた。
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ルーベンスは大工房を主催していて、彼一人で描いた絵というのも少なくはないが、工房が描き、そこに御大ルーベンスが手を加えた作品、というものが多いそうだ。
そのあたりの知識は青池保子「エロイカより愛をこめて」で美術コレクターの伯爵が解説していたのを、素直に聞いたまでである。
きちんと西洋美術史の本も読めばよいのに、東洋美術はともかく西洋美術は少しばかり私には敷居が高い。

ルーベンスの自画像がある。下唇ふっくらの若い顔。工房の仕事らしい。

ルーベンスはこの当時の人らしく、イタリア美術を学んでいる。そしてそこで自分の方向性を見いだしている。

カスパール・ショッペの肖像 学者で、兄の紹介で知り合ったとある。なかなか男前のひと。四百年前の学者は若くとも荘厳な面もちを見せる。

聖ドミティッラ 殉教した聖人の画。彼らは自分の殉教アイテムなどを持ったり囲まれたりする。
ここでは右手に棕櫚の枝を持つ。堂々たる表情。

ルーベンスと工房による16世紀のイタリアの画家の作品模写もある。
婦人の肖像(マントヴァ公妃エレオノーラ・ゴンザーガ?) やや面長の婦人。大きな手で、指輪が綺麗。そこここにエメラルドやルビー、金鎖をつけている。静かに豪奢。

ティツィアーノの「毛皮をまとった婦人像」の模写がある。これはルーベンスだけの手によるものらしい。
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元絵そのままの模写ではなく、それを発展させたような模写。より肉厚になった肉体。この絵の前にたつと、ルーベンスのオリジナル作品のように見える。そんな肌の色。
そして実際この絵を模写したことで、ルーベンスは愛妻を描くのに想を得たらしい。

やがて今回のチラシになった絵が現れる。
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ロムルスとレムスの発見 左にいるオヤジは「川」の擬人化で、もたれた水瓶から滔々と川の水があふれ続けている。その先には貝殻がぽつぽつ落ちている。
隣にいる女は水の精(ニンフ)。そしてまるまる太った嬰児が二人。これがローマ建国のロムルスとレムス。狼やキツツキに育てられたという伝承通り、ウルフママから体をなめてもらい、キツツキ兄さんからはサクランボをもらっている。
ルーベンスの赤ん坊は本当に丸々している。
ここにはないが、以前に見たガニュメデスの誘拐なども、赤ん坊の姿で描いていたが、こちらも丸々していた。
(美少年でないガニュメデスなんかルーベンス以外知らないぞ。これは鷲にさらわれた様子からして、洋風「良弁物語」やな・・・と当時思ったものだった)

さてルーベンスはアントワープに大々的な工房と大邸宅をこしらえた。
そこで大作をどんどんこしらえ、版画もばんばん出した。
まことにめでたいことである。
その時代の作品を見る。

兄フィリプス・ルーベンスの肖像 先のカスパールを紹介してくれた新ストア派の学者の兄。この人とは仲良しだったが、惜しくも早世した。
哀悼の念をこめての本人作画らしい。

その兄の子等をモデルに描いたといわれるのが、「眠る二人の子供」。
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こちらの子等もふくふくと愛らしい。先のロムルス・レムスの双子よりはもう少しお兄ちゃん。
そしてこの左側の子供の顔を弟子は師匠の原画を元に版画にしている。
この二人の可愛らしい子供らは、上野の西洋美術館で普段は眠っている。

天使からパンと水を受け取る預言者エリヤ 旧約聖書は物語として面白いので絵になるシーンも多い。デリバリー天使。

ルーベンスと工房の仕事でいいものが出てきた。
二人の女性寓意像とアントワープの城塞の眺望 仲良くする二人の女は何の寓意か。右の女は兜をかぶっている。抱き合うこの二人にルーベンスはどんな意味をこめたのか。

聖母子と聖エリザベツ、幼い洗礼者ヨハネ エリザベツはマリアの従姉妹でヨハネはその子だが、それにしては随分と高齢の婦人に見える。ヨハネはころころしたちびっ子。イエスはまだまだ乳幼児。羊と一緒にいるのが楽しそう。
聖母は授乳中。まだ乳離れしない時期。

アッシジの聖フランチェスコ 裸足で立つ清貧の聖フランチェスコ。「第二のキリスト」と呼ばれるだけに手の甲に釘打ちの傷が出ている。聖痕示顕テオファニー。ひつじがスリスリすりよるのが可愛らしい。

再び御大の作。
煉獄の魂たちのために取りなすアビラの聖テレサ キリストに人類の罪の許しを願うたり、取りなしたりする聖人図というのを、近年になり知るようになった。
少し前まで連載していた前述の「エロイカ」のエピソードでは、聖ヨハネがキリストの向かって左側に立つということから事件が起こっていたが、ここでは聖テレサが特定個人のために取りなしを願っている。
土地寄進者メンドーサが煉獄に落ちていて(図の下側にいて身を縮める老人、周囲には同じく煉獄住まいの亡者たちがいる)、ミサをしますからと聖テレサが取りなすという話らしい。
これは驚いた。(というほどでもないが)土地寄進者が地獄いや煉獄に落ちるとは、とても厳しいものだ。
ブッダに祇園精舎を贈った長者が地獄へ堕ちたとは聞かない。色々と面白いものだと思った。

キリスト哀悼 磔から降ろしたところ。若い赤マントの人も力を使ったようで、大変そうである。御母のマリア、マグダラのマリアもみんな嘆いている。そばには箒がある。
あの箒はなにに使ったのだろう。それもきっと意味があるだろうが、私は知らない。いつか金沢もも先生にお尋ねしたいものだ。

復活のキリスト 三日経ったら蘇りました。えらく元気そうで、生前のどこか悲痛さを伴っていた様相も消えて、自信満々体力増強なキリストである。
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肉付きがよく腿も張り切っている。丁度今復活祭の時期なので、ピッタリの絵でもある。

ヘクトルを打ち倒すアキレス この展示では珍しくギリシャ神話が出た。元はタピストリーの原画。立派な男性の肉体美がある。敵将ヘクトルの喉を貫き通すアキレス。これはギリシャの神の教示による。戦う二人の両端に立派な柱が立つ。左はヘラクレスをモティーフにしたものか。どちらも頭上に果物籠を乗せた彫像である。
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ここからしばらくギリシャ神話が続く。

同時代のフランドルの画家が描いた「レウキッポスの娘たちの略奪」がいい。
許婚者のいる二人の娘を、ヘレネーの兄たる双子のカストルとポルックスがひっさらう情景。これはウフィツィ美術館所蔵とあるが、行ったときに見れなかったので嬉しい。

フェリペ四世の依頼による1636年の小品連作は、ギリシャ神話から材を得たものばかりだった。

プシュケと眠るクピド 肉付きのよろしいクピドが健やかに眠る。

ディアナとエンデュミオン 下弦の月を冠にしたディアナが永遠の若さと引き替えに眠りについた愛人エンデュミオンのもとを訪れる。

アポロとダフネ マント一つのアポロから逃れようと必死のダフネはもう手先が月桂冠になりつつある。アポロの真摯な恋心を決して受け入れられないのだ。

パンとシュリンクス こちらも男から逃れようとする女の図だが、先のハンサムなアポロと違い滑稽なツラツキのパンは鼻息も荒く、ただの犯罪者にしか見えない。
アポロもパンも最終的には同じ行為が目的なのだが。女の指が植物に成り代わるのも同様。
これら二枚が並ぶのはそれはそれで面白くもある。

グラコウスとスキュラ こちらも女が襲われる図なのだが、更に悪いことに悪い魔女キルケーの呪いまで加わって、女は海中で犬のようなケダモノにまで襲われている。

ヘラクレスの犬による紫の発見 浜辺には様々な貝殻が転がっている。ヘラクレスの犬は賢い犬で、貝紫をはっけんするのだった。
芝木好子「貝紫幻想」という小説があったことを思い出す。

次にはルーベンスの原画を元にしたエッチングやエングレーヴィングによる版画作品が現れた。版画を刊行すると頒布もしやすいし、絵が多くの人に知られるようになるので好都合なのだった。弟子たちは熱心に働いた。
中にはルーベンスのものでなくティツィアーノの原画を元にしたものもある。

ホロフェルネスの首を切り落とすユーディット 上部には四人のちび天使が見張りをしている。「シーッ」という雰囲気がちょっと面白い。下の惨劇も正当化される。

トミュリスとキュロス 息子の仇キュロスの生首を鉢に入れる。そばにいる犬もベロを出している

ヘロデの饗宴 ヨハネの首キターーーッ!!

幼いキリストと子羊と戯れる洗礼者ヨハネ 文句なく可愛い二人のちび助たち。

ルーベンスの工房の画家たちの作品が現れた。
ヤン・ブックホルスト アポロとピュトン イヤ、綺麗な男やわ♪と喜んでしまうくらい、アポロがいい男でした。

アブラハム・ファン・ディーペンベーク 黙示録の女 書かれた言葉をイメージ通りに描く。☆が女の頭上にいくつもきらめく。

ディーペンベーク 聖ボナヴェントゥーラの法悦 いやん。ベロ出しながらイッてるヤバイ人ですがな。しかもよく見たら宙に浮いてるし~

あまりキリスト教に詳しくないので書けないし、ちょっと書くと得体の知れないリプも来るので書きにくいが、やっぱり綺麗なものは綺麗。怖いものは怖い。それでいいのだ、ということで勝手な感想を長々と書いている。

最後にルーベンスとほかの専門画家たちとの共同制作が現れたが、このあたりで時間切れになり、あまりよく見ていない。

アントワープの二人の画家 マルタとマルタの家のキリスト ああ、あのシーンかというくらいはわかる。だからマルタがむっとしてるのもわかる。家庭の主婦はね、忙しいのよ。そんなマルタの声が聞こえてきそうである。

ネロ少年のように「ああ、神様、もう何もいりません」と法悦の中で天使たちに運ばれてゆくことはなかったが、来た甲斐のある、よい展覧会だった。4/21まで。

五島美術館「時代の美」 ―中国・朝鮮編

五島美術館の新装開館記念展「時代の美」もいよいよ大詰めを迎え、「中国・朝鮮編」が開催されている。
中国は文化の父、朝鮮は文化の兄として、古代から近世までは確かに尊敬の念と感謝の気持ちがある。
古美術に政治の世界を持ち込みたくはないが、せめて文化面だけでも良い関係を保ってほしいとも思う。

中国の玉類を見る。佩玉などがある。
可愛いのが二つ。
ミミズク型の白玉。3.4cm24gという小さい可愛らしいサイズである。ちゃんとミミズクらしく耳も立ち、指先でつまめそうな姿を見せている。

犠首形彫玉。これはわたしが勝手に「ギシュ君」と呼ぶ、牛ぽい奴。それがここにある。くるんくるんとした角に大きな目。可愛くて仕方ない。

大体殷代のどうぶつ・バケモノ関連は可愛くて可愛くて、見てるだけでわくわくする。

金工ではやはり唐代の鏡に惹かれる。
迦陵頻伽紋葵花形鏡 盛唐の頃か、まだ銀色に光る部分の多い鏡で、迦陵頻伽と飛天が二体ずつ空を舞っている。
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胡銅大曽呂利花生 これは江戸幕府所蔵のいわゆる「柳営御物」の一つ。南宋のもの。

大東急文庫は古書籍をたいへん多く蒐集しているそうだが、なるほど納得がゆく。
中でも私は宋版金剛経がとてもいいと思った。そもそも宋の書体が好きだというのもあるが。
また清朝に刊行された「芥子園画伝」があり、白木蓮のページが開いていた。今の時季にぴったりである。
絵の線を見ていると、清朝に流行った豆彩を思い出す。

高名な僧侶の墨跡も少なくないが、この辺りには私はあまりそそられない。
絵画に好ましいものがある。

鴨図 伝・徽宗皇帝 羽の黒い鴨。これは東山御物。
梅花小禽図 伝・馬麟 白梅に目つきの鋭い鳥のいる図。
叭叭鳥図 伝・牧谿 木に向かって飛んでくる様子。空気を感じる。
水月観音図 伝・牧谿 水上に立つ観世音。足元の水たまりは水に映る月。それを静かに見下ろしている。

などなど、なかなかよいものが出ていた。

次にやきものをみる。
三彩万年壺 これは出光美術館に兄弟のいる壺。唐代。白地に緑の線が綺麗で、夏に使いたいと思う。

緑釉牡丹文鳳首瓶 遼時代のもので、深い緑色。唐代を文化の父として後を追った遼。世界有数の華麗な文化に憧れた異民族。

白釉黒花牡丹文梅瓶 綺麗な花びらである。宋代の磁州窯。牡丹の花びらの外線のチリリリリとしたところがとてもキュート。

黒釉木の葉文碗 葉っぱを置いて焼成し、見込みにその姿を残す。しかしそれよりも外側のきらめきに惹かれた。青にも紫にも光る美麗な窯変がみえる。

三彩楼閣人物文大壺(法花) 明代らしい、明るく楽しい法花。人々は書を見たり色々と楽しんでいる。法花は花鳥文などが好きだが、こちらもわるくない。
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第二室では朝鮮の美術品が待っていた。
青銅銀象嵌蒲柳水禽文浄瓶 高麗時代の半ばに作られた、繊細優美な瓶。一見したところ黒い無傷の浄瓶に見えるが、目を凝らすとそこに細線で刻まれた楽しげな様子がある。
子供らが柳で遊んでいる。表と裏とそれぞれ違う遊びをする。丸々した子供たち。ブランコに乗りもすれば、柳に上りもする。巧妙精緻な筆致で刻まれた世界。
わたしは同時代の青磁象嵌の蒲柳水禽文を見ると、それだけで蕩けてしまうが、この黒い金属の上に開いた楽しげな世界にも、強く惹かれた。

高麗版貞元新訳華厳経疏・巻第十 1095年に刊行されたもの。こちらもとても繊細優美。

青磁鉄地白堆草花文梅瓶 いわゆる「黒高麗」と言われるもの。ごく最近になってから「黒高麗」にひどく惹かれるようになった。またそうなるとこのように、いいものが続々と目の前に現れる。
肩のすぐ下あたりに白堆で可愛らしい草花文が置かれている。決して華美ではないが、とても可愛らしい。
ヘンな喩だが、高齢の奥さんで身なりを綺麗にしている人、そんな人が着るセーターのようにも見えるのだ。わたしもあと30年ほど経てば、こんなセーターが似合う婦人になりたい。

3/31まで。

それから記事に挙げられなかったが、3/20で終了した畠山記念館の感想を少しばかり。
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乾山の結鉾香合の出迎えから始まる。いつみても可愛らしい。
色絵菊透鉢もある。黄色と白のあっさりした菊が居並び、隙間には秋の日差しが通るような、可愛らしい鉢。
仁清の水玉透鉢はごくシンプルなもので、このもっと小さなものが湯木美術館にもある。

このあたりのやきものは本当に賞玩したいと常々思わせてくれる。

光琳がデザインした小袖がある。
白梅柄。それを身頃で裁って、一曲屏風に貼り付ける。綺麗な屏風になる。これがあと何枚か小袖が続けば「誰が袖屏風」のようになるかもしれない。
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時季に合うのは其一の曲水宴図。ああ、春だなあと静かに浮かれてくる。

小さい感想だが、ここに来るといつも円満な心持になる。

添田唖蝉坊・知道 明治・大正のストリートシンガー

神奈川近代文学館で開催中の「明治・大正のストリートシンガー 添田唖蝉坊・知道展」について。
こちらは明治以降の歌舞伎と違い、より大衆に近い位置で立ってのアーチストの仕事である。
明治の壮士節は元は浪花節から生まれたのだが、堅苦しいし面白みがない。
しかしここに添田唖蝉坊というヒトが出てきてから、面白い歌が辻に流れるようになった。
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わたしは子供の頃からいくつか疑問を持っていて、それがいまだに解明されないままなのがある。
そのうちの一つに「ハハノンキダネー」とか「ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ」とか「ヨサホイホイホイ」あるいは「ストトントン」など妙なセリフの言い回しを音楽に合わせて歌う?語る?人がいて、その正体がなんなのかずっと知りたかった。
とはいえ、わたしが子供の頃にはとっくにそんなものはいず、私が見たのは「サザエさん」のマンガやコマーシャルで使われるフレーズのいくつかだった。

「ハハノンキダネー」はサザエさんにあり、舞台で「ハハノンキダネー」とバイオリン弾きながら歌う演歌師にみんな大笑いするが、カツオ君は意味がわからずサザエさんに聞き、タイミングがずれたところで爆笑する。
しかしわたしはその元ネタがわからないので笑えない。
母に訊くと「昔流行った」としか言わない。

「ラメチャンタラ…」は森永か明治のパイのコマーシャルに使われていた。
「パイノパイノパイ」だからだが、「変わった歌だなあ」と思っていたが、今回初めてここでその元ネタを知ったのだった。

「ストトン」などは音感が面白いので覚えたが、これも水木しげるの「河童の三平」にストトントノス大王とかが出てくるので「あれれ」と思った程度だった。

「ヨサホイ」については…ノーコメントで行こう。

唖蝉坊は当初は既成曲に新しい歌詞を乗っけて歌っていたが、そのうち新しい曲も作るようになった。
曲は必ずバイオリンである。
演歌師で思い出すのは、新藤兼人による殿山泰司の評伝「三文役者の死」に、少年時代のタイちゃんが街角で演歌師の歌う「俺は柳の枯れすすき」などにうっとりしていた、というエピソードか。
唖蝉坊は社会風刺の歌を楽しいリズムに乗せて歌い続けたが、その声はなかなか美声だったらしい。土岐善麿がそう記しているという。
やはり声のいい演歌師や語りの巧い講談師や浪曲師は人気が高い。
少し時代は下るが、浪曲の広沢虎造は今聴いても非常にいい。わたしは彼の次郎長ものを何本かCDで持っているが、ついついマネをしてしまうほど、魅力的なのだった。

また唖蝉坊は歌うだけでなく一種のルポルタージュも書いていて、「浅草底流記」という本も出しているが、それは川端康成「浅草紅団」冒頭に引用されているようだ。
わたしは子供の頃から親に「川端康成は読んではいけない」と戒められているため、彼の作品はほぼ未踏なので、このことは知らない。

続いて息子・知道の展示に移る。
彼は浅草の極貧の暮らしの中で育ち、父への反発心があったが、父の勧めでその道に入るや、父の才能にびっくりしたそうだ。
東京節、復興節、ストトン節などを作ってから文筆業に転じ、「演歌師の生活」「香具師の生活」そして「日本春歌考」といった著作がある。

その「日本春歌考」を元にして大島渚が映画を作っている。
前述の「ヨサホイホイ」もこのあたりに載っているようだが、わたしは読んでいない。
わたしはあの歌は一応三番までは知っているが、うちの親は四番までは歌っていた。
今回、人見絹江さんまで登場させた数え歌を知り、ずっこけそうになった。

知道は堺利彦を敬愛し、また地元の万年尋常小学校の立派な校長の評伝も書いている。
その教育者の話は私も何かで聞いたことがある。貧民窟の子らの教育と福祉に献身した、立派な教育者・坂本氏の物語。

社会の底辺に立つからこその叫び。資料には荒畑寒村も現れる。そして知道は山本周五郎とも非常に親しかったそうだ。なにかとても頷ける気がする。

雑誌がある。「民衆娯楽誌」。表紙にはルドルフ・ヴァレンチノ、酒井米子らのほかにアールヌーヴォー風な絵も使われている。
大正らしい素敵なセンス。

平和節と言うのが歌詞も出ていたので写す。
1919年のパリ講和条約を指した歌である。
世界の平和はどうなるか
フランスパリーに集まって
ソンはあるまいウィルソン 冗談ばっかりジョージさん
何もくれないクレマンソー 灘萬料理は西園寺
どんなご馳走が出来るやら (あとは囃し言葉が続く)

別な展覧会でこの父子のことを「大正・昭和のラッパー」と呼んでいたのも、よーくわかる。
展示には愛用のバイオリンも出ていたがそれは今や、なぎら健壱の所蔵品だという。
なぎら、高田渡、ソウル・フラワー・ユニオンズが彼らに感銘を受け、同じ道を歩いているそうだ。

かなり面白い展覧会だった。4/14まで。

長谷川昇「歌舞伎絵・文楽人形絵」/歌舞伎 江戸の芝居小屋

今日は歌舞伎関係の展覧会の感想と、明治・大正に流行した「演歌師」について書き進めたい。
まずは歌舞伎から。


来月いよいよ銀座の歌舞伎座の新装あいなっての開場である。
チケットもめちゃくちゃよく売れたそうで、わたしなどはいつ行けることになるか予測もつかない。
先日は銀座を歌舞伎役者の皆さんが「お練り」をしていよいよ空気を盛り上げる。
中村勘三郎、市川團十郎という大きな星を失っての痛手に耐えながらも、それでも立派な21世紀の歌舞伎座として鎮座ましましてほしい。

新しい歌舞伎座への期待を込めた、そして300年余の「かぶき」への尊敬と愛情にあふれた展覧会が、サントリー美術館で行われている。
展示は貴重なものが多く入れ替えも多く、わたしは1期目と最後の6期目に出かけた。
1期目の感想はこちら

6期目にはサントリー美術館所蔵の洛中洛外図や花下遊楽図などが多くあり、大いに楽しんだ。浮世絵もいいのがあり、やっぱり幕末の絵師が好きだと改めて実感してもいる。
さて、わたしがサントリーに行った日は六本木アートナイトの当日夜九時だったので、もう疲労と昂揚感とでふらふらしていた。
一つ一つを楽しみはしたが、総体として歓んだという状態だった。
こういう空間に溶け込むのも心地いいものだ。

特に好ましかった作品を少しばかりあげる。

上野花見歌舞伎図屏風 伝・師宣 洗練された筆遣いで享楽する人々を描く。
本当を言えば私はそれより数十年前の風俗が好きなのだが、この絵には遊び心を誘われる。

四谷怪談の隠亡堀の場を描いた三世豊国の芝居絵もいい。これは仕掛けもので、戸板返しのできるもの。わたしがみたときはお岩さんの亡霊になっていた。
やっぱり怪談の芝居が大好きだ。

13世羽左衛門時代の弁天小僧もあった。浜松屋の場。実際の芝居が行われる前に、彼を弁天に見立てて描かれた1枚もの、それがまたとても好きだ。

世田谷美術館からは6世中村歌右衛門の打掛が来ていた。
丁度その前日に世田谷で絵葉書を見たところ。
本当に立派な打掛。

2度3度と訪れても飽きることのない面白さがある。いい展覧会だった。3/31まで。


続いて国立劇場の伝統芸能情報館の企画展・長谷川昇「歌舞伎絵・文楽人形絵」展について。
これらの作品は画家の没後40年を記念してのものでもある。前後期に分かれていて、わたしはまず前期に出かけた。後期は来月から。
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半世紀ほど前の名優たちの姿がある。
昔のブロマイドや写真で見たモノクロの姿が、このリアルな洋画で日本的な彩色をされて、今目の前に立つ。
絵はその芝居が上演されたときとほぼ同時期のものが多い。
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粂寺弾正 二代目尾上松緑 ああ、いかにも松緑らしい恰幅の良さがある。絵の左端にたつのは芝居のタイトルでもある「毛抜」。丁度弾正が自分の髭を毛抜きで抜いていたら、あらあら不思議、毛抜きが勝手に動きます、というシーン。むむっと弾正が片膝立てたところ。昭和31年。

片桐且元 初代市川猿翁 新歌舞伎「桐一葉」。心理描写などが細かく濃やか。馬と共に佇む。豊臣家の滅亡を避けられない状況を思う顔つき。

局望月 三代目尾上多賀之丞 このお局、「紅葉狩」の鬼女の一人。扇子を持ち何やら思い入れ。多賀之丞は長命で非常に味のある女形だった。

助六 十一代目市川團十郎 足が非常に綺麗な「海老様」。この姿の良さにハッとなる。

矢の根 十七代目市村羽左衛門 ああ、若いなあ!当たり前なのだが。昭和33年なのだから当然か。わたしがこの役者を見たのはもう七十代にさしかかる頃だったから当然か。隈取りの顔も立派で弛みもなく、曽我五郎の力強さが絵からにじみ出ている。

揚巻 七代目尾上梅幸 これは「黒手組助六」の方の揚巻。斜めに体を傾かせピタッと止めたそのポーズの美しさ!打掛の華やかさといい、背後の三浦屋の紅殻格子といい、いいものだ。

暫 二代目尾上松緑 非常にかっこいい。わたし、実は松緑さん好きだったのだ。その頃の嬉しい気持ちが蘇る。

花子 六代目中村歌右衛門 本当に綺麗。道成寺の花子。黒地に桜の文様が入った着物。この時代の歌右衛門は三島由紀夫に「氷結した火事」と絶賛されていた頃か。

切られお富と安 三代目時蔵・八代目市川中車 珍しく「切られお富」の絵がある。昭和31年。丁度この頃は春日八郎の「お富さん」がヒットした後か。あちらの歌の「お富さん」は「切られ与三郎」のお富さん。これはお富さんが総身をバスバスに切られた話。
近年はこの芝居も全く上演されないが、わたしなどは見てみたいと思っている。

文楽人形を描いた絵も出てきた。

八重垣姫 狐火の段か。諏訪法性の兜を持っている。
翼が欲しい、羽が欲しい、という義太夫が聞こえてくるようだ。
油絵で描かれた着物には深い質感が表れる。その魅力にも惹かれた。

戸浪 「寺子屋」のときの戸浪。きりっとした佇まいがいい。

なまず 三代市川段四郎 これは舞台写真を見ている。とてもよく似ている。鯰髯がいい。
あまり段四郎は評価されているとは言い難いが、こうした絵や古い舞台写真を見ると、時代物などに良い味が出ているように思われる。

昭和の名優たちの懐かしい姿を見ることができ、とても嬉しい。
4/1~5/26までは後期。


東京で見た2つの「おかね」展覧会

東京で「おかね」に関する二つの展覧会に出かけた。
一つは日銀が運営する貨幣博物館の「おかね道中記」、もう一つは日本科学未来館の「波瀾万丈!おかね道―あなたをうつし出す10の実験」。
どちらもなかなか興味深い内容だった。

先に貨幣博物館で見た「おかね道中記」について書くが、こちらは江戸時代の旅行にかかる諸経費についての資料などが出ていて、ほほーと感心することも多かった。
わたしは時代小説が好きなので、知っているつもりの料金などがやっぱり少しずつ違ったりして、新しい知識も増えた。
昔の人はちゃんと諸経費をつけている。
わたしも東京ハイカイするときはきちんとつけている。

以前は小遣い帳をつけていたが、毎日毎日きちんとつけていると、持ち前の吝嗇…いや、清貧の心がむくむくと湧き出して、お金を使うことへの罪悪感にまみれだして、非常に哲学的なことまで考え出すので、これはよくないとやめました。
なにしろ度を知るというのができないもんで、一度始めると徹底してしまうので、ある種のノイローゼになっていたらしい。
ただでさえ「もったいない」精神が強いほうなのに、外からそんなのをやたら聞かされると、いよいよメマイものだし。

さて元に戻り、「おかね道中記」。
展示資料によると、室町時代くらいから旅もしやすくなったそうだ。
確かにその通り、物語などに見る旅も室町頃からの話が多い。
無論律令制度の整った奈良時代から、太宰府に転勤したり飛騨から匠が来たりという公的な旅はあったが、庶民はなかなか土地を出られない。
旅は旅でも土地を捨てる旅になると、それはもうまた大変。
やっぱり江戸時代からの遊山の旅がよろしい。

個人旅行ではなく仕事で6海道を行く旅というのがやっぱり一番多くて、中でも東海道は一番往来が激しかった。
行かれない人は双六で東海道を行ったり来たり、広重の版画を見たり、一九の膝栗毛を読んだりするばかり。

旅ではいくらいくらかかったとか何々を食べたとか、そんな細かいお金もきちんと書き残す人も多く、それがとても面白い。
また茶店でいくら置くかという問題もある。
現代日本では殆ど廃れているが、やっぱり「心づけ」というものは大事なので、それにいくら使うか。
その文化が今も生きていれば、欧米でいくら払うか悩まなくて済んだかもしれないが、アジアはサービスを金銭では計らない部類に入れているのが多いので、これはこれでいいとも思う。

おカネもいろんな形があるが、小判持ってる人というのは実際にはなかなかいなかったみたい。しかしもちろんあるところにはある。
千両箱、あの模型をわたしは造幣局の博物館で触ったが、持ち上げられなかったなあ。
金の重みに負けましたww

江戸時代に成立した芝居のうち「忠臣蔵」の六段目、いわゆる「勘平腹切」では「金」という言葉が47回出てくるそうだ。これは八世三津五郎と武智鉄二の対談「芸十夜」にあるが、豊竹山城少掾が彼らに教えてくれたそうだ。
勘平をもう一度武士の身分に戻し、討ち入りの仲間入りに入れてあげたいという善意が、とんでもない事件を起こすわけだけど、その前段で定九郎が爺さん殺してお金を取り、「五十両」と重々しくもにんまりするのが、それだけが芝居になっている。

ほかにも芝居で「おカネ」に関するセリフといえば、
「金が敵の世の中だ」「病には四百四病あるとは言うが、貧より辛いものはなし」
いいセリフですな。

近松の芝居も結局金詰りで起こる心中なわけです。
わたしは近松が描く心中物が好きではないのだけど、それは「このアホたれの男め」と言うイキドオリがあるからですわ。
金もないくせにええかっこするな。
それで女を巻き込むな。
……こういうので近松描く心中ものが嫌なんですね。

近松の芝居でモロにおカネが原因で起こる悲劇がある。
「女殺油地獄」。
明日のことなんか一つも考えていないバカバカな与兵衛が遊び金に困り、借金にも苦しみ、揚句は親切で人の好い隣家の主婦を殺す。
「不義となって貸してくだされ」
すごいセリフだと思う。実はわたしは近松の芝居ではこのセリフが一番シビレるのだが。
文楽でも歌舞伎でもシビレるが、和田勉が演出したドラマの中で、松田優作が太地喜和子に言うときのあの声がまた、忘れられない。

芝居の中のおカネについてもう少し書きたい。
南北も黙阿弥もお金がらみで苦しむ人を多く描いた。
善人は悪人に金をとられ、悪人も金で殺しあう。

四谷怪談の伊右衛門も当初はお岩さんを好きでいて、彼女のために公金横領してしまうのだ。しかし就職先の赤穂藩がつぶれてしまって浪人になり、物堅いお岩さんの父上に横領のことを責められたりする。邪魔者を消してお岩さんと所帯を持ってご機嫌なのもつかの間、今度は金がないので暮らしが嫌になる。子供まで生まれていよいよ苦しい。
鬱屈する日々の中で、隣の裕福な伊藤家から就職の斡旋+婿入りのお誘いが来る…

マンガや小説や映画やTVドラマで貧乏なのを見るのはムシズが走るほど厭だが、どういうわけか舞台の上のそれは、むしろ見ていたいのだった。

さて展示では旅の最中におカネをどう隠すか・守るかのノウハウも出ていた。
こんなものに入れていたのかというのもあり、面白い。
刀型のお財布とかいろいろ。
金本位・銀本位の話がここに加わるとまたややこしくなるのでやめるが、物価も地域差があったろうし、興味は尽きない。

小説「元禄お畳奉行の日記」を髣髴とさせるようなお金の使い方をする人もいて、大福帳?にその記録をつけているのがある。
また、茶店で食べた団子が16文、乗った馬の大根代が20文などと細かく書いてある。

歴史上の旅のお金について。
和銅五年(712)職務の旅に出た者が銭を渡されたという記録がある。
ところがなんと10世紀半ばに「銭貨」の発行が停止したそうだ。
そこで985年の「本朝世紀」によると、旅をするのにカネの代わりにコメを渡されて歩いたそうだ。

室町時代になると、庶民の旅も可能になったが、その目的の殆どは参詣などだった。個人ではなく団体の旅。
その際には御師(おし)が宿の手配などをしていたそうだ。
御師は昨日の「日本の民家一九五五」にもその集落写真が出ていた。
大山詣でのために働く御師、伊勢の御師などなどがいた江戸時代。
彼らは昭和の半ばまで働いていたのだった。

お伊勢参りの費用が出ている。
安倍川餅25文、団子5文などなど。
必要経費のほかにも、間の山(あいのやま)のお杉・お玉の三味線芸におひねりも飛ばしたろう。丁度そんな絵もある。
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そういえば江戸でお金といえば野村胡堂「銭形平次」を忘れてはいけない。
彼は寛永通宝を投げて悪人を倒していた。
ある時、いつもの寛永通宝をより強いものにしようとスーパー寛永通宝を拵えたら、通貨偽造法で捕まった・・・・・・・というのは、ほりのぶあき「江戸むらさき特急」でのギャグ。

一つ思い出した。
勝海舟の父・小吉がこれが御家人で暇人で腕白少年だったから、お伊勢さんの抜け参りに出たのはいいが、当然カネを持たない。抜け参りは無賃旅行が可能だが、それでも小吉はひどすぎた。
彼の自伝「夢酔独言」にもその話があるが、そこでとんでもないことが起こってもいる。
また大人になってからも、隣家の頼みをうけて密かに江戸府内を抜け出して(法律違反である)、摂津の伊丹にまで年貢を取りに出かけている。
この旅でも小吉はとんでもないことを起こしているのだが、幕末の御家人の旅を追うのは面白かった。そしてここにも「おかね道中記」があるのだった。

続いてもう一つ。
里見弴にそのものずばり「かね」という短編小説がある。主人公は守銭奴ではないのだが、オブジェとしての「かね」を愛し、決して使うことなく死ぬまで集め続ける。言うてみたら日本銀行券収集癖を持つ人間。
ある意味シュールな存在でもある。

こういう展覧会は面白いし、なんとなくタメになるような気もする。しかもおカネの展示でありながら、無料なのも面白い。
5/12まで開催中。


次に日本科学未来館のおカネのイベント。
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とにかくこの「波瀾万丈!おかね道」は副題に「あなたをうつし出す10の実験」とあるとおり、実験を続けてゴールを目指すというシステムを採っていた。
ファンキーなチラシを見るとフザケたものかと思ったら、これが大間違いで、後々になると「なるほどなあ」と納得するばかりになる。
まず入り口で「おかね道(どう)手帖」をもらい、そこにスタンプを押したり書き込んだりしながら、歩いて行くのだ。
これがその手帖。nec238.jpg

実験のネタバレはここではしないから、実際に日本科学未来館に行って確かめてほしいと思う。
実験は以下の通り。
1.ホモエコノミカスの実験場
2.ヒューリスクティクスの実験場
3.同調伝達の実験場
4.認知的不協和の実験場
5.アンダーマイニングの実験場
6.現在バイアス実験場
7.プロスペクトの実験場
8.ベキ分布の実験場
9.社会的価値志向性の実験場
10.社会的ジレンマの実験場
それぞれに趣向の違う実験が待っている。

細かいことは書かないが、面白かったのはある実験場でこと。
9割の人がする行為を、わたしはしなかった。
たとえゲームであろうとも現実であろうとも、決してしないのである。
そこにいた係員の人にその理由を語ると、スゴイ納得をされ、「あー、なるほど。それならこれは<しない>でしょうね~~」と言われた。
個人的性質というだけでなく、わたしが大阪の<キタ>で育った人間だということが関係している。
ヒントは阪急三番街にある。係員の人はそのことを知っていて納得したのだった。

わたしは公平性を求める性質らしい。一人勝ちも一人負けも嫌い。みんな同じと言うのとは違う、公平性。
なお、こちらはミライ銀行券。
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日本銀行券とは兌換できない。1通帳に4枚付いているが、寄付をしたので少し減った。
なかなか楽しめるし、大いに考えさせられる展覧会だった。
6/24まで。

おまけ。
神奈川近代文学館で開催中の「明治・大正のストリート・シンガー添田唖蝉坊・知道展」では演歌師のこの父子が作った歌がたくさん出ているが、庶民の生活の苦しさ(つまりおカネのなさ)を歌った歌も数多くあった。
いつの時代もおかねと人間の関係は難しいのだった。

日本の民家 一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点

既に先日終了したが、汐留ミュージアムの「日本の民家 一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点」展は非常に有意義であり、かつ見事な展覧会だった。

実際には撮影年度に多少のずれもあるようだが、一九五〇年代であることに変わりはなく、象徴としての「一九五五年」だとみなし、そのモノクロ写真を見る。
1955年とはすなわち昭和30年、敗戦後十年目の年である。
なおここに展示されている作品はすべて、オリジナルネガから新たに起こされたものだという。
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まず会場の設営が非常に巧い。一見無秩序な展示風景のように見えて、実際には我々が辿りゆく道が示されている。くねくねとうねる道は平面上に存在しながらも、「民家」風景を見る我々の視点を変化させ、立ち位置を移動させることで「一九五五年の民家」を実感させるように仕組まれている。

最初に京・山城の民家風景が現れる。
「空から見た中京区辺りの町屋」 自分の目が確かに高いところから、その平屋の瓦屋根の群れを見ている気になる。そしてこの風景は東山魁夷の描いた名作を思い起こさせる。
「年暮る」1968年に描かれたが、その時代既にこの絵の景色は失われつつあったろう。
しかし彼がこの絵を描くきっかけを得たのはやはり1950年代だったのだ。
魁夷の見た風景はこの二川の撮った風景でもあるわけだ。
そして2013年の今日、最早失われているとはいえ、やはり一目見てこの風景は「洛中」だと誰もが思い、それが恰も現存し続けているかのような錯覚を、一瞬懐く。
飽きることのない風景、失われていながらも永遠に存続する風景がここにある。

堀川べりの家並み、中京区のばったり床を収納している軒先などが続く。
今もまだこれらが薄く存在しているのを思う。
そしてたまらなく京都へ出かけたくなる。
最後に乾蔵をもつ鷹が峰の民家が現れる。鷹が峰には足を踏み入れたことのない私だが、「ああ、いかにも」と思うのだった。

大和・河内風景。
一九五五年のこの風景は、今東光「春泥尼抄」を思わせる。あの小説はこの時代とほぼ同時期である。いまだ河内が貧しく、大和が田舎田舎している頃。
「四条の集落(唐招提寺近く)」 池に映る建物の影。同時代の奈良を入江泰吉先生も捉えている。二川青年はまだ二十歳だった。入江先生はすでに壮年である。
しかし二人の視線はこの風景に関してはさして変わらない。
風景が同じだからというのではなく、そこに活きる魅力が二人の心を斉しく捉えたからだと、わたしは思う。

「奈良市百毫寺の集落」 この風景こそが「廃都・奈良」そのものなのである。
そしてこの風景は日本人の意識に刻み込まれている。実景を見る・見ないに関わらず。
その現象にはこうした写真の力が大きく関わっているのだ。
わたしなどは子供の頃は奈良のこうした「衰退」を厭うていたが、近年になり、しみじみとその「廃都」の美を楽しむようになった。
意識の底にこうした崩れた土壁の姿も「うつくしいもの」として記憶されていたのが、年を取ることで意識の表層に浮かび上がり、すっかり心を覆い尽くしていったのだ。

モノクロの風景写真の一枚向こうに天然の色彩がある。
それは心に刻まれた色彩であり、表面に見えずとも常に生きている。
そしてモノクロは色彩を喰らうものではなく、奥の色彩を思わせる装置でもあり、新たな色彩でもあるのだった。

羽曳野市の吉村家という特定の家を映した連作がある。
同じ大阪でもわたしは北摂のものだから、河内の風景は遠い。
簀子天井、奥座敷の七宝繋文様の欄間など、見ごたえのある造作が写されている。
羽曳野の近所、泉州岸和田には見事な建具を拵える職人が今もいる。
大阪には欄間文化があった。ほぼ壊滅状態とはいえ、信濃橋付近には欄間の店が並ぶ時代があった。今から思えばこの欄間も岸和田あたりから職人を呼んだのかもしれない。

橿原の今井町のいちばん古い今西家が出てきた。土壁は崩れぺんぺん草らしきものが生えている。のどかといえばのどか、無残といえば無残なのだが、解説によるとこのとき、今西家は改修完了したところらしい。新たに壁を拵えるのではなく、現状を生かす。
民家写真を見て、そのことを教わる。
近年、今井町を訪れた時、かなりきれいに直されていた。もうこの写真のようなこともない。

関西から山陽路へ。そして四国へ。
倉敷の大原孫三郎邸が真正面から写されていた。古さを感じない風景である。
つまり倉敷はこの時代で時間を止めて(それ以前の時代かもしれないが)、現在に至っている。人々はその佇まいを喜び、今も多くの人々が倉敷を訪れる。
小さな川からの眺めである。
真四角な眺めというべきか。小さな川からのこの眺めは倉敷のほかには、柳川などが近い。

愛媛の外泊(そとどまり)、徳島のつるぎ町の民家やその集落の道がある。隣県でありながらも全く違う風景がある。
南宇和という地域、石が多く使われているのもその地独自の理由があるだろう。
つるぎの民家の屋根には「針覆=ハリオイ」がある。ほかの地ではみることのない景色。

足は続いて西海路に向かう。
モノクロ写真の一枚に何か違和感がある。屋根が写っているのだが、茅葺きにしてはどこかおかしい。解説を読むと、草葺きの屋根らしい。ああ、そうだったのか。
なにかどーんと迫るようなものがある。

また変わった屋根をみる。何か跳ねたものが着いている。「馬の耳の形をした尖りのある屋根」・・・なるほど。
佐賀県の民家はなかなか面白かった。
しかし一方でその集落の構造がわかりにくい。これは他国者だからそう見えるのか、それともその土地柄のせいなのかは判然としない。

高千穂の民家の神棚もある。恵比寿大黒の面が飾られている。高千穂は神事の多い地である。そのことを思いながら改めてこの写真を見る。
この屋敷は神楽をする場ともなる。客は土間で見物する。藁の前は萱畳だったという。

陸羽・岩代、と聞いても土地勘がないのでわからない。
鶴岡、二戸、遠野、蔵王、猪苗代の民家や集落がある。
「鶴岡の田麦股の集落」は屋根に特徴がある。カブト屋根というそうだが、千木にも見える。わたしのような素人には細かいことはわからない。
そしてそのうちの一軒がクローズアップされていた。
妻側の屋根が魅力的で、一見したところヨーロッパ、特にドイツの民家のようにも思えた。
また、遠野の曲屋やその馬屋の中も写されている。馬屋の中には近くの駒形神社のお札が貼られていた。
二戸の巨大な民家は間口がなんと20間だった。関西ではありえない民家である。
想像も出来ない。

蔵王の民家の妻破風、この写真が今回は栞として、訪れた客にプレゼントされている。ありがたいことだ。
なおこの破風は「ニグラハフ」と呼ばれていた。

猪苗代町の村辻を歩く人の後ろ姿が捉えられている。
赤ゲットの引き回しを着ている、と解説にある。引き回しの意味が分からないが、どうも長い巻き付けもののように見える。明治くらいから「赤ゲット=赤い毛布製」を巻き付ける人がいたようで、泉鏡花の明治36年の長編小説「風流線」にもそんな装いの人が現れる。

武蔵・両毛を行く。
川越の米屋の黒壁作りの真正面がある。自分も川越に行ったことがある。そのときのいいイメージが今も胸に残る。
キング・オブ・蔵。まことに凄い迫力である。

秩父の三峰神社の神主集落というものが写っていた。神主集落というのは、いわゆる御師(おし)の住まう地域である。御師といえば芝居では「伊勢音頭」の福岡貢が伊勢の御師であった。そしてかれらは神様関係の仕事をする人々なので、この集落の民家の屋根には立派な千木がついている。それで思い出したが、栃木(とちぎ)は本来は十の千木(とおのちぎ)から来ているそうだ。
これはやはり日光との関係なのだろうか。

信州・甲州へ向かう。
養蚕のための建築が多く現れる。
塩山の屋敷の大黒柱、大町の大地主の屋敷、塩尻の立派な格子付きの民家・・・目が眩むようだ。
その大町の民家の外観を見て、現在「江戸たてもの園」に建つ前川國男自邸を思った。もしくは京都の相国寺を。完璧な三角の屋根がそれを思わせたのだ。
塩尻の蛇行する集落にも惹かれた。

北陸路に入る。
滋賀の長浜周辺は昔こうだったのか、と新しい感興を覚える。輪島の時国家が現れた。大黒柱が素晴らしい。わたしは上時国家は行ったのだが、ここは知らない。豪農だという話である。立派な大屋敷だった。
そして二川の写真は黒光りする床や柱を捉えている。

新潟の関川村の民家がある。屋根は二階に石を置いている。一階の屋根には瓦である。
豪雪地帯と言うことからの石だろうか。そして洛中洛外図の庶民の家の石をも思い出す。この石置きは他の地域にも見いだすことができる。
様々なことを思いながら眺めるうちに、行き逢った見知らぬ人々とその話をする。話すことで考えが広がって行く。
興味深い状況が訪れていた。

最後に高山・白山の民家が現れた。
真打ち登場といって差し支えないだろう。
高山からは日下部家と吉島家が出ている。隣接する二つの民家は、しかし建築様式にそれぞれの違いを見せる。
わたしは20年ほど前に高山を旅し、どちらの民家も訪れた。90年代の民家の様子が意識に残ったままである。
しかしその当時もうその民家は観光地としてしか生きていなかった。
日下部家の梁組、吉島家の梁組、それぞれの確かさ・美しさに感銘を受ける。カメラは黒光りする梁や柱を追う。
そして白川村の合掌造りの民家とその脇に佇む墓がある。
日本の民家とは何か。改めてそのことを考える。

非常に興味深い展覧会だった。
期間中2度ばかり見に来たが、いずれも深い感銘を受け、同時にまた、「日本」の国土・風土についても改めて考えさせられもした。
素晴らしい展覧会に出会えたことを感謝したい。
そして、この展覧会の期間中に亡くなられた二川幸夫さんのご冥福をお祈りしたいと思っている。

三月の東京ハイカイ録4

さて今回は三月の東京ハイカイ録その四ということです。
先週に引き続き今週もまたお出かけ。
金曜の夜に東京入りしたので眠い眠い。ホテルに入ってなんと珍しいことに11時半には睡眠。十一時半睡眠。十時半睡(ととき・はんすい)は黒田藩の総目付。ああ、この連作好きだったなあ。

人形町から水天宮へ向かう道の桜。130323_0844~010001


土曜の朝は一番に世田谷美術館へ向かった。ちょっと早い目に出かけたので、砧公園の桜も大いに楽しめた。
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小学生のころ、叔父が千歳船橋にいたので砧公園にもサイクリングに来たことがある。
だからここへくるといつも懐かしさがある。

砧公園の花。130323_1148~010001

展覧会の感想はまた別箇にするとして、ようやくみたスタイケンの写真は非常にモダンで、とてもときめいた。いつくか以前から知る写真もあり、それだけにたいへん興味深い。
常設では梅原の描く高峰秀子像がなかなかよかった。
この二人の交友の深さは高峰さんのエッセーなどで読んでいたので、それが絵画化されたのを見た気分。
もう一人特集の組まれてた高階秀さんのは抽象的でありながらもえっちくささが出すぎていて、ちょっとパス。わたしはこういうの好きではないの。

乗り継いで五島美術館へ行く。時代の美として、中国・朝鮮の名品がある。文化の父・兄として古代の中国・朝鮮にはリスペクトの念があるのだが。

豊洲へ行くが、今月いっぱいでサヨナラのukiyoeTOKYOの場所がわからん。わかりやすいからこそわからんということがある。交番で教わり、ついでに日本科学未来館へのバスも訊く。

広重・清親・癸巳男のそれぞれの作品を楽しむが、あの先々月の大雪が契機というか衝撃で閉館する、というのはやはり悲しいもんです。
どんなに発展していたとしてもまだまだ何かが足りない日本。

おまわりさんの言うとおり未来館直行のバスでGO!
久しぶりやな、このバスに乗るのも。

未来館では「波瀾万丈!おかね道―あなたをうつし出す10の実験」を大いに楽しむ。
自分は合理的である、というのを信じたいわたしとしては、なるほどと思ったり納得ゆかないこともあったりで、いろいろ思うところあり。結論として自分という人間の金銭感覚が「公平性を求める」人だというのがわかり、それはそれで納得する。
自分だけが儲けたって周囲がだめならどうにもならないもんなあ。
もともと独り勝ちも独り負けというのも嫌いだしね。
それぞれがそれぞれの立場でヨシというのがベスト。

無料巡回バスで青海駅前へ行く。「HOUSE VISION 2013 TOKYO EXHIBITION」に入る。これは著名な建築家たちと異業種の企業とのコラボにより作られた建物7つを巡るわけだが、非常に興味深いイベントだった。自分が考えることもできなかった発想もあり、また反発もあり、本当に行けてよかった。

バスで浜松町に行こうかと思ったら、今月末で廃止路線か!風も強いし待ち時間も長いので、初めてユリカモメに乗る。あかん、カナで書くと「ニルスの不思議な旅」やないが、小人さんになってホンマの都鳥の背中に乗るみたいやな。
要するに「ゆりかもめ」は関西でいえば、南港とか六甲アイランドとかポーアイとか行くのと同じようなシステムですわ。だから高いのだが、初めて乗ったから楽しい。
レインボーブリッヂが見える。もうすでに終わってしまった船の博物館も見える。泣ける。

満員御礼。混み合う。座ってると頭上でヲタクな会話が降ってくる。「それは違うで」と言いたい話題もあるが、知らん顔をするのもなかなかしんどいな。
しかしこんな満員の中で延々とヲタ話をするのはやっぱりよくない。TPOを心得よ。

新橋駅のそばのうどん屋に入ると、声が出にくくて指さししたら、どう間違えられたか「えーと、udon、OK?」と言われたのでついつい「Yes」と答えてから、わたしはナゾの外国人になってしまった。手を洗うとおじさんがわざわざ紙の手拭いを持ってきてくれるし、食べ終わってトレイを持ってゆくと「おお、サンキュー」と言われるので、ついつい合掌するとあちらも合掌。…たまにはいいさ。

国際フォーラムへ。アートフェア東京。予定はしてなかったが、急遽参加する。
やはりどうしても好きなものは決まっているので、古美術商のところにばかり目がゆくし、いいなと思うものはほぼ時々おじゃまするお店だったりする。
それでも現代アートのブースにも行く。色んな人がいるなあと感心する一方で、何のためにこれを作るのかとか、なぜそんなタイトルにするのかとか、何がしたいのか・何を売りたいのか理解できないところも多い。
ただ、わたしなんぞは客としてはいらん子な部類なので、向こうもわたしには関知しない。

かなり楽しんでから、次に渋谷へ行く。地元ではまず夜歩きしないので、気持ちが焦る。
ブンカムラでルーベンス。エスカレーターは出口付近が降り口なので、パトラッシュがいるのが見えた。なんかの寄付金。パトラッシュ~~~(涙)。
そう、わたしの世代はルーベンスといえばネロとパトラッシュ。フランダースの犬―――っ 泣けて仕方ない。
もちろんドライなわたしは「ああ神様、もう何もいりません」とネロのように歓喜することもなく叫ぶこともなく、「さすがにルーベンス」と言いながらブンカムラを出るのだが。

九時過ぎに六本木につく。
六本木アートナイト。とりあえずサントリー美術館へ。
歌舞伎座おめでとう、のこの展覧会も残すところあと7日とある。わたしは初日か二日目くらいに来てからこうして終焉間近にも来ている。
大繁盛。この日は24時まで開いてるからか、とにかくすごいわ。もうびっくりの熱気。

ほかの階でも色んなパフォーマンスやイベントがあって、人間目白押し状態。わいわいわくわくですなw
けっこう面白いし、楽しい。一人でうろうろするからまぁちょっと淋しいかな。
(ついったーでつぶやいたら、sachie姐さん、yukiさんらから優しい言葉をいただいて、やっぱり連絡したらよかったな~とちょっと反省。)

それで毛利庭園の桜を見に行くと、素晴らしすぎてびっくりした。
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桜そのものもすごいが、その照明の手の込んでること!赤・緑・青のライトを当てることで、桜の色に濃淡が現れる。それにシビレたなあ~~
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それにしても凄まじい人出で、デザインあ展の長蛇の行列にも負けたわ。
提灯がほしかったけど、仕方ないな。
桜を楽しみ、12時前にホテルへ。それでなんだかんだして午前2時半睡眠。
二時半睡か…


翌日は朝から覚悟の大行列で西洋美術館へ。
ラファエロですわ。
彼の絵は実は素描のほうが好きなの。ミケランジェロもそうだけど。
弟子の絵の中には少女マンガぽいのがあって、綺麗でしかも親しみやすい。

上野の桜も大満開。
わたしは東博へお花見。エンボス加工のスタンプで桜の缶バッヂもらえるということで喜んであちこち。
円空も再訪し、あの空間そのものをもう一度味わう。
そしてミュージアムショップの新しい空間へ行き、そのすごさに絶句。う~む。
私なんかは気後れするよ、これは。それでもスロープ上って本を見たりして面白くはあるけど、あのスロープまだ新しいから滑りますがな。ちょっとまずいかもしれない。

東博本館と桜130324_1154~010001

庭園散策。転合庵か。わたしが行くとピッタリすぎるのでやめる。
転合=テンゴウとは、古い大阪弁で言ういたずら・冗談・おふざけのこと。
だからわたしは家でも会社でも、古い人たちからは「転合しぃ」の冠がつけられている。

庭園の花たち。130324_1156~010001
その花を近くで見る。130324_1156~020001


色んな種類の桜も見れて楽しかった。
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今回は隅田川と千鳥ヶ淵はパス。

汐留で再び「二川幸夫 日本の民家1955」展を見る。いろいろと深く考える。
実は私は絵画や工芸はあくまでも愉しむものとして偏愛しているのだが、建築関係はやっぱり色々と考えさせられる対象なのだった。
行きあった見知らぬ人たちに自分の考えていることを話す。質問が来るのでそれについても考えながら話す。そうすることで自分の考えが一層深まったり、新しい地平が開くのを感じる。建築と文学とはわたしにとってそうした対象なのだった。

今回は時間が短いので、いろんなことを犠牲にしている。
出光美術館の「オリエントの美術」も三度目の再訪はできなかった。
東京ステーションギャラリーも来月に後回し。

最後は三菱一号館「クラコレ」に行く。「青のルノワール」を堪能し、エキゾチックなオリエンタルムード漂う作品を楽しむ。
しかしここで終わり。体力も財布も尽きた。

殆ど浮遊状態でなんとか東京駅にたどり着くが、危うく新幹線を乗り間違えるところで、やばかった。
次はたぶんGW頃に出かける予定。
三月の東京ハイカイはこうして終わる。

狩野派以外も大賑わい

板橋区美術館までテクテク歩くのは最近やめて、専らバスのお世話になっている。
わざわざバスにまで乗って出かける価値があるのかと自問しながらの旅立ち(!)だが、ついて中に入って、あの空間を楽しむと「来てよかったな~~」とたちまちにご機嫌になる。
しかも今回の展覧会は無料である。
いいのか、実際。
ほかの区どころか関西から来ている身としては、ちょっと申し訳ない気持ちにもなる。
「狩野派以外も大賑わい」
こういうタイトルにそそられるし、また面白すぎるのだから、やっぱりありがたく思う。
カメラOKですと言うから、ますます板橋区美術館はすごいわ。

ここは元のタイトル(大抵が堅苦しい)を大幅に変えて提示するので、それにも大うけしてしまい、感想なんかいらんやん~と思うこともしばしばある。
なんせ書こうかなと思うことはすべてこちらが支度してくれてるからなあ。

宇喜多秀家の朝鮮様式の鷹の絵には「韓流の鷹」というピッタリなタイトルがついているから、こちらはついつい「イ・ビョンホンな画家が描いてる?」と錯覚までしてしまい、そこからまた妄想がとめどなく湧き出してくるのだ。

貴人ご一行が雪道に難渋する図には「雪道はつらいよ」…これで思い出すのが、某雪国が「雪でも元気溌剌だというのをアピールしよう!」と「雪国はつらつ条例」を出したのに、世間様はそれを「雪国はつらいよ条例」と誤読していたという事実。
いや~世の中はやっぱりおもろいことが多いです。
作者の住吉広守もこれには「持った湯呑をバッタと落とし、小膝叩いてにっこり笑い」わが意を得たり~~というかもしれん。←言わんか。

住吉広尚、広隆の合作「春も秋も花見で宴会」はまさにその通りで、春はさる貴人の邸宅での園遊会。ウサギを眺める子供らもいる。秋はどこぞの野山にお出かけ、ホントに春秋ワイワイワールドですな♪やたら美人が多いのも特徴。

西川祐信の美人に舞うツバメが可愛い。着物も空もツバメ。

ところでチラシ。130323_0820~010001

タイトルは「お兄さんと一緒」やが、やばいわ~(笑)フヂョシ心をそそられるわ~
にやっ。

池田孤邨 花魁とかむろのいる風景に「本も読まなきゃ」とはいいタイトルやん。そうですね、立派な大夫になるにはまず教養。

そう紫山の跳ねる鯉の見事な歯並び!確かに「ビッグになるぞ!」はピッタリや。面白過ぎる~ハマ省の「ビッグボーイブルース」を思い出しましたわw

色っぽい踊り子の絵もあり、楽しいもんです。
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へんな白鷹の絵がある。これはまた丁寧やがなんか妙やなと思ったら、谷文晁の息子の絵らしい。当時の本にも「家運衰退」とあるそうな。親がうまくとも子もいいとは限らんからなあ。

凶悪猫は椿椿山。にゃーとは鳴かずギャオーっとか吠えそう。一応これも蝶に猫やから吉祥画やねんけどねw
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山本光一の狐狸図にはまた可愛いタイトルがついてるわ。
「春のポン太、秋のコン」こういうのが親しみわくのだよな。
彼の弟子にはあの絢爛たる石崎光瑶がいる。

前から好きなあのシースルー屏風、その絹のとこ「竹屋町」と言うそうな。今の京都の竹屋町は家具屋が多いんだっけ?
あまり歩かないからしらんわ。
唐草文様が綺麗。130323_0821~010001


是真の猫とネズミもここのやったか!三井記念美術館から承天閣美術館に巡回した是真展、承天閣ではこれがチケ半券でした♪

他にも漆絵のだまし絵など色々あり、面白く眺め歩いた。
それにしても狩野派は輪郭線が確実立派なんだが、わたしはそれよりは繊細な細い線に色を埋める住吉派がいいな。

ひな人形の生首絵もある…130317_1033~010001


こんなに楽しい、また素晴らしい作品をテンコ盛りにしてカメラもOKの無料のと、サービス過剰なくらいですがな。
なんか申し訳ないようや。またなんか優良で有料な、逆か、有料で優良な展覧会あれば必ず来ますわね。ありがとう板橋区美術館。

ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家+アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密

写真の展覧会を二つばかり見た。
一つは横浜美術館「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」。
一つは東京都写真美術館「アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密」。
どちらも非常に興味深い内容だった。
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先般、飯田耕太郎がキャパの撮影だと思われている作品のいくつかがゲルダ・タローのものではないかという仮説を世に投げかけた。
とても興味深い話である。
とはいえ、それでキャパの価値が下がるとは決して思わない。

わたしはその真偽に関してはわからない。そこまでキャパの世界に詳しくないということもあるが、それ以上に、戦場における報道写真で、そこまでこだわる必要があるのかとも思うからだ。
共に戦場に出て(それも公私にわたってのパートナーが)撮影したものに、個別のというか区別がなくなることもないのではないか、と思うのだ。
同じ意図を持ち、捉えたものがそこにあり、それがaの作品になるかbになるか。結果的にaのものになることもあるだろう。
わたしがこんな考えになったのは、報道写真で名を馳せた名取洋之助のエピソードを知ったからだった。
名取は恋人の撮った写真に「意味」を見出し、それを売り込んだ。
絵画と違い、写真には(報道写真と限定すべきか?)そうした性質もあると思う。

それに何より「ロバート・キャパ」にしろ「ゲルダ・タロー」にしろ、その名はどちらも自分たちで拵えた名前なのだ。架空の名前で駆け抜けた彼らに、そんなことを突きつけても仕方ない。
とはいえ、飯田さんの眼の鋭さにも胸を衝かれたのだが。

もって回った言い回しで、自分でも何が言いたいのかわからなくなった。論理に弱いので時々こんなことになる。

さて、作品を見る。
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最初にゲルダ・タローの作品を見る。
スペイン内戦に取材した作品が並ぶ。
無惨さの際だつ写真が多い。モノクロで死骸が並ぶ。目を開けたままのものもある。
これら一連の写真をみて、スペインの詩人ガルシア・ロルカの死を思った。
ロルカも軍事政権により暗殺されたのだ。

バレンシアの遺体安置所の写真を目の当たりにすることは出来ても、戦災孤児らの様子を見るのはつらかった。生き残りはしたものの活きてはいない目をしている。
しかしそれでも生きてゆかねばならない。

海岸で訓練中の女性兵士の、一瞬の姿を捉えた一枚はとてもかっこよかった。見事な静止画像で、銃の形と頭から腰にかけてと、ひじを支える膝から下の形、その人体そのものがまた一個の銃に化しているのが、かっこいいのだ。

やがてゲルダは死ぬ。
その死を国葬の礼をもって執り行う国家。政治的な葬儀である。
しかし彼女は急速に忘れ去られる。
そう思うと、政治的な国葬をされたものは必ず、短期間に記憶のかなたへ埋没されるように仕向けられている、そんな妄想がわいてくる。

次にキャパの写真を見る。
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ゲルダの撮った若きキャパのカメラを見る横顔を思う。
なんていい男だろうか。
こちらを見るはずもないのに、ドキドキする。
役者以外の男性の写真を見てドキドキするのは、キャパとゲバラくらいだ。
どちらも言葉にならない魅力があふれている。

キャパの写真展はこの20年くらいの間にわりとよく行ったと思う。
だから知る写真も多い。彼の報道写真以外の、マグナムフォトの仕事もかなり出たのを見てもいる。いつ見ても惹かれる写真が多い。
何を対象としていても。

わたしが「トロッキー」を知ったのは、間違いなくキャパの写真からだった。
中学の頃にロシア革命にハマリ、熱心に資料を見ていた頃、キャパの写真でトロッキーの演説する姿を見たのが最初。
この写真を撮ったとき、キャパはまだ二十歳にもなっていないのだった。
一枚の写真から迸る熱気に圧される。

キャパは1913年にブダペストに生まれている。
生きていたら百歳になる。きっと生きていたら今もかっこいいジイさんに違いない。
数年前、毎日新聞がキャパの半生を追いかけるルポを連載していた。
キャパが来日したときの縁が新聞社にあり、それであまり見ないような資料も出たらしい。
本当に、どの写真を見てもいい男すぎて、くらくらする。
彼の撮った写真もいいのだが、どうもわたしはそれより彼自身を写した写真にばかり関心が向く。

パリのストライキを捉えた連作のうち、百貨店の屋上でくつろぐ女たちを写したものがいい。どこか甘い関係をもつような女たち。フランスの愉しみを知る女たち。

一方、マドリードでの瓦礫の中、背を向け合って歩き去る二人の女たちからは深い孤独と虚しさとを感じた。癒しようのない何かを抱えさせられた女たち。
1936年の終わり頃のある日。

マルクスの肖像画の前に立つ周恩来 随分若い周恩来である。わたしは近代の中国人の中ではこの周恩来さんがとても好きなのだ。梅蘭芳と同じくらい、周恩来のファンなのだった。その周恩来の若い姿。坊主頭だが、とてもかっこいい。

キャパはヘミングウェイとも仲良しだったが、そのヘミングウェイも実にカッコイイ男だった。息子と一緒の写真を見たが、息子が可愛すぎてニコニコしてしまった。
ほかにも入院中のヘミングウェイの写真もある。
どちらもキャパだからこそ撮れた写真。

戦場でのたまらない写真もさることながら、人々のいい表情を捉えるキャパが、とても好きだ。

1954年にキャパが来日したときのことは、前述の新聞連載でなかなか詳しく書かれていた。
面白い写真は、東大寺見物の女学生たち。みんな大仏同様黒光りするような頬を見せている。
都踊り、大阪城、尼崎・・・色んなシーンをキャパは写す。

やがてキャパの死が近づく。
例の連続フィルムが展示されていた。

それにしても戦場のカメラマンは自著にいいタイトルをつける。
キャパ「ちょっとピンぼけ」、澤田教一「ライカでグッバイ」、一ノ瀬泰造「地雷を踏んだらサヨウナラ」、鴨志田穣「酔いが醒めたらうちへ帰ろう」・・・

本当にキャパはかっこいい。それ以上のことはあまり書きたくはない。
3/24まで。
なお常設室では澤田の写真も展示されていた。


次にブルーメンフェルドの写真について少しばかり。
このチケット半券を見て、てっきり'80年代~'90年代の人かと思ったら、1930年代に非常に美麗な写真を撮っている人だと知って、びっくりした。
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キャパと同時代にも活躍しているのだが、こちらはファッション写真を貫いている。
ヴォーグのための仕事など、くらくらするくらい綺麗なものが多かった。
自分とは全く違う遠い世界の、非常に磨きぬかれた女たちが被写体となり、途轍もなくかっこよかった。
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ああ、時代が変わろうと流行が変移しようと、かっこいいものはカッコイイ。
また、彼のヌード写真を見ると、いいのはぬれた布越しのカラダだった。
あまりにかっこよすぎてくらくらし、またちょっとした鬱屈にも噛まれた。
自分では決してこんな領域に踏み込むことは出来ない。
そこに立ち尽くす女たちの完成された美しさに対し、こんな風に思うのも、やはり写真がいいからなのだろう。

ああ、凄い世界だった。

江戸っ子 味めぐり

浮世絵太田記念美術館の今月の展覧会はたまらない内容だった。
「江戸っ子 味めぐり」
浮世絵に現れたおいしそーーーーーなものばかりを見て回るわけです。
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肉筆画では浮絵婚礼の図に当時の婚礼に出された向かいタイ・並びイセエビなどが描かれていた。ズラーッと並ぶ人々との位置関係がまたおもしろい。

芳幾の描く弥次喜多もある。これは多分、きなこ団子かと思ったらヌカ団子だったというシーンを描いたのではないか。茶店のばあさんの笑う顔がリアルだった。
小学生の時に読んで「ヌカ団子なんかたとえ昔でも食べたんかなあ」と疑問に思ったのだった。

座敷を降り壁面に向かう。
歌麿 春興七福遊 七草 「七草なづな 唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先にストトントンと叩きませ」と歌いながらまな板で七草を叩いていたそうだ。七草粥にもいろんな風俗がある。

国貞の「十二ヶ月」のうち七ヶ月分が出ているが、いずれもおいしそうなシーンがあり、メインのはずの美人をついつい忘れてしまうのだった。
梅見の重箱には伊達巻き、里芋。染付の鉢には豆。
初時鳥では初鰹を捌く女がいて、腕まくりがいい。
土用干しには染付鉢にカットすいかが山盛り。nec231-1.jpg
団扇には時鳥柄、庭には大きな朝顔。着物もたくさん干している。
二十六夜待にはワタリガニが鉢にたんまり。文月の二十六夜待は「御宿かわせみ」にも描かれているが、しかし夏にカニを食べるのは避けたい。高校の担任が夏にカニで食中りを起こしたのだった。
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ほかにも焼き芋、餅つきなどがあり、見てるだけでヨダレがわいてきた。

英泉 江戸御殿山桜盛之風景 田楽売りの茶店が出ている。江戸時代にはこうしたお店がよくあり、庶民はいろいろな外食をしたり、買って帰る内食をしたのだ。

広重にも二十六夜待がある。高輪での二十六夜待で、屋台がたくさん出ている。汁粉、団子、麦湯、天ぷら、二八そば、イカ焼き、寿司、スイカ、冷や水売り・・・ああ、小銭が飛んでゆきそう~
道々楽しそうな人々がいるが、みんな明るい顔をしている。ええかげんな顔つきなのがいい。とてもいい。

芳年 風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗 チラシ右下の姐さんがそれ。天ぷらを本当に「むまさう」に食べている。見ているとこっちまでやっぱりヨダレが湧く沸く~はぁはぁ。

子供の頃、江戸時代の料理についての本を読んだ。永山久夫の著書。あと奥村彪生の連載もほぼ同時に読んでいて、江戸時代のおいしそうなのを挿絵でも見ていて、その当時ヨダレにまみれていた。
今とちょっとも変わらない。
最近では江戸の女調理人を主人公とした小説やマンガの「みをつくし」もあるが、それ以前だと池波正太郎の「剣客商売」の秋山小兵衛、「仕掛人梅安」の藤枝梅安がまずグルメの双璧で、あと白石次郎「十時半睡」の「包丁さむらい」、岡本綺堂「半七捕物帖」の半七らが実においしそうに江戸料理を食べたり作ったりしている。
そういえば、鈴木おさむ「おいらん姐さん」にも料理上手のおいらんがいて、その腕で人気が出るという話もあった。

また、歌舞伎でも食べるシーンが色々あるが、造作だとわかっていてもヨダレが湧き立つ。
そういえばあれは六世梅幸が書いたか語ったかで、「昔から歌舞伎役者で、天ぷらとすしが嫌いなのはいません」という言葉が忘れられない。

国貞 見立源氏はなの宴 ここでは田舎源氏の光氏が女たちを連れてお花見を楽しむが、おいしそうなお寿司を用意している。この頃はお醤油だけでなく、酢と酒を煮詰めて拵えた煎酒というのも使っていたそうだ。
この桶のお寿司、普段そんなにえび寿司は食べない私だが、つまみたいなあと思った。
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それにしても江戸の人々は染付をとても愛好していたようだ。わたしも大好きなのでとても嬉しい。重箱も綺麗な塗りで、そうしたところを見るのも楽しい。

明治の戯画がある。
国政 志ん板 猫のそば屋 可愛いよね、このシリーズものは。人気のそば屋の中で色んなそばを食べてるのだが、気の毒にザルをアタマから掛けられた猫もいる。にゃーっとした顔が可愛い。こういうのがまた猫好きを喜ばせるのだ。

広重 五十三次 安倍川遠景 おお、安倍川餅を食べている。わたしが子供の頃、父の仕事の関係で、日本各地の色んなおいしいものをもらうことが続いていた。
安倍川餅もよく食べた。父の死後、安倍川餅と縁が切れたが、近年自分で静岡に行くようになると、昔よく食べたメーカーのと再会し、今も静岡に行く度に買うようになった。

北斎 鞠子 ここはとろろ汁で有名で、大すり鉢にとろろがあり、それをご飯にかけるのだった。見るからにおいしそうな絵。
ところで昭和五年、例の大倉男爵の肝いりの羅馬日本画展に出席するため大観や御舟らが神戸から船出するのだが、電車にも船にも乗れない体質の清方が、ハイヤーで神戸までみんなを見送ると言い出して、東海道を旅することがあった。これは建前は見送りだが、実際は家族への慰安旅行でもあり、清方自身の楽しみにもなった。
娘二人は弟子が共について先行し、夫妻は東海道を車で行くのだが、この鞠子でとろろ汁を食べて満腹になったので、安倍川餅が食べられなかった、と清方は「続こしかたの記」で悔やんでいた。旅の楽しみはやはり名物ものを食べることなのだ。

ああ、それにしても本当にヨダレにまみれた。この展覧会を見て、わたしは江戸前の寿司、うなぎが食べたくて仕方なくなった。でも天ぷらはやっぱり関西風のものでないとニガテだし、カニは松葉ガニがいいし、でもスイカは大好きだし・・・ヒーーーッ
いい展覧会だった。3/24まで。

新井淳一の布 伝統と創生

東京オペラシティの「新井淳一の布 伝統と創生」展は、たいへん衝撃的な展覧会だった。
実のところ、わたしはあまり現代の人に関心がなく、チラシを見ていても何も感じることもなかった。
しかも行こうとした時間に行けず、すっかり気後れしたのだが、偶然が重なりその翌日に出直すことになった。
つくと受付が荷物はロッカーへというだけでなく、なにか注意を色々口にする。
手ぶらで行くべきかと思ったが、まぁバッグを小さくして「これならどうです」とOKをもらってから中へ入って、納得した。あの広い広い第一室の照明が殆ど落とされた中に、長短、多くのテーブルが並び、その植えにさまざまな布が寝かされていた。
入り口からその全貌を見渡したとき、わたしは一瞬、霊安室に佇む自分と言うことを考えた。しかしテーブルに寝かされているのは布である。それもこれまで見たことのない布である。
入り口で「触ることの出来る布がありますから」と言われて「え゛っ!」と言ったわたしだが、この情景を見たとき、そこに入り込むことをためらいたくなる何かがあった。
しかし展示物を眺めるにはそこに歩を進めねばならない。

わたしの眼にさまざまな表情を持った布が映る。
テーブルに寝かされている布たちはまるではぁはぁと息づくかのように見える。
蠢きつつ静止している、そんな様子にも見える。

「氷晶」と名づけられた布は、アルミラップをくしゃくしゃにしたようだった。
ポリエステルとアルミニウムと真空蒸気セットというものが布をこんな風に仕立て上げたそうだ。

「銀の壁」と呼ばれるものは、全くその通り銀で出来た壁もしくは銀の山脈のように思えた。その銀は中央アジアの砂漠のように光る。タクラマカン砂漠をわたしは想った。

壁面展示の布は澤ってもよいものだった。指先と掌にあまりいい感触はなかった。
どちらかといえば表面に使われるならともかく、膚には触れたくないざわつきがある。
現実の衣服に本当に使われているのか。
わたしはファッションショーに無関心な自分を知っている。だからここにある布たちがショーのために生み出されたものだとすれば、全くわたしと無縁だと気づく。
布はわたしを拒絶はしないが、わたしは多くの布を自分と無縁のものだと看做しながら見て歩く。

自分の現実から乖離したものだと思って、純粋に作品としてだけ見て行けば、非常に興味深いものばかりがそこにある。
異様に美しい世界だった。

難燃性の布がある。わたしは十年ほど前仕事の関係で難燃性の布についてかなり勉強させられたことを思い出した。尤もソレはファッションの布ではなく、インフラ設備で使う布で、それが開発されるきっかけになった炎上事件のことを今も時折思い出しもする。
触感は殆どそれと変わらなかった。
技術のすごさに感心するだけでなく、その表面の色彩に惹かれた。

複雑な色彩を見せる布に「万華鏡」と名づけている。
オレンジや赤を基調にして黒や緑が走る。数種あるうちの一つに強く惹かれた。
それはまるで溶岩流のようだった。
この布をまとえば、わたしの身体は溶岩に包まれる。
そんな妄想が湧き出してくる。何度も何度も行きつ戻りつしながらその布を眺めた。

溶岩の熱さと正反対にある「氷河」を見る。ウール、ナイロン、アルミニウム。そして絞りで出来ている。塩の塊のように見える。古代の氷の中に潜む塩。それが表面に浮き出てきらきらしていた。

柔らかな布が現れた。綿の混ざった布で、中近東の羊の毛皮のような感じがある。
温かそうな布で、こんなのもあるのだと新しい気持ちで眺める。

大三角と名づけられたものは、ハワイのカパとか言うものからヒントを得たそうで、ササラで黒墨を刷り込む、それを再現したそうだ。
私はそれを見て、ポリネシアからミクロネシアにひろがる地域での男性の刺青を思い出した。

次の室に行くと布の迷路が出来ていた。四角いものではなく、内へ内へ巻き込まれてゆくものである。足音を立てないようにしながらわたしは歩いた。
カタツムリの内部に入ってゆく、そんなことを想う。
布の檻に閉ざされてゆく気がした。しかし見上げればオーロラが見える。照明により、布の表情が変化を見せているのだ。病室にも銀の宮にもなる空間にわたしはたたずむ。

最後に新井淳一の世界各国で撮った写真700枚近くが回廊に映し出されていた。
まるでスマートフォンのアプリのようだった。巨大なスマホ。
わたしはその上を歩きながら世界を踏んでいることを感じる。

言葉にならない興奮があった。ここへ見に来なければ知らなかった世界である。
本当にすばらしかった。いつかこの布と身近に接することがあるだろうか、あるならば・・・想像はどんどん飛躍していく。
3/24まで。

京都精華大て゜のチラシが手に入ったので挙げる。
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寺山修司展のなかで

世田谷文学館で寺山修司の展覧会が開かれている。
わたしは寺山が亡くなった時のことを覚えている。
彼の「晩年」を、その時代をリアルタイムに感じた、最後の世代かと思う。

亡くなった時、追悼文の一つに「酒も飲まないのに肝臓や腎臓が傷むとは悲惨だ」というのがあり、まだ高校生のわたしは「確かにそれは気の毒だ」と思った。
今回の展覧会で寺山がまだ随分若い頃にネフローゼを患ったことを知り、なにやら腑に落ちるものがあった。
しかし寺山はその安静の最中にも自身の才能を燃やし続けていたのだ。
そのことをこの展覧会で知り、わたしは初めて寺山修司に少しばかり歩み寄ろうという気になった。

わたしが生まれた頃、寺山は自身の劇団「天井桟敷」を率いて大活躍していた。
短歌だけでなく流行歌の歌詞もよく作った。
今も口の端に上る「あしたのジョー」「時には母のない子のように」「夜が明けたら」などなど実に多くの歌がある。
可愛らしい歌ではサンリオの人形アニメーション「くるみわり人形」の歌も寺山の作詞だった。
あの映画は叔母に連れられて行ったのだが、今に至るまで楽しい・嬉しい・綺麗な・そしてはらはらし、安堵する作品として記憶に生きている。

小学生の私が寺山を知ったのはその「くるみ割り人形」からだが、同時期にマンガ家・竹宮恵子との交遊も有名で、それを雑誌グラビアで見て、「ああこの人がか」と知ったのだった。
教科書には短歌が掲載されていたが、それは授業では学ばず、妹の教科書で見た記憶がある。

あれはいつの年か忘れたが、寺山がのぞき事件で逮捕されたことがある。
結局それはチカン行為としてののぞきではなかったらしいが、「なんでまたそんなことを」と子供だった私は新聞を読みながら苦笑していた。
寺山をいやらしいと思えず、苦笑してしまったのは、多分その頃すでに寺山のマスコミが作る「わるい」人物像を多少は知っていたからかもしれない。
そして、寺山修司ともあろうヒトがわざわざのぞくか?いつでも見ようと思えば見れる立場のくせに、と多少冷たい眼でその状況を見ていた。
(のちにその行動が、取材のためにアパートの敷地内に入って通報されたことからだと知ったが、当時のニュースは一律に「のぞき」と報道した)

あるとき、天井桟敷のメンバーを取材する番組があった。真っ白に塗りたくり妙な衣装を着けた人がお尻を打たれ続けていた。そしてインタビューに対し「気持ちいいですよ」と答える。
子供心にも、いや子供だからこそ「…このひとヘンやな。洗脳されてるのか」と思ったりした。

結局のところ、わたしが自発的に見た寺山の仕事というのはせいぜいが歌だけなのだ。
あとはこうしたネガティヴな話ばかりである。
そして何よりもわたしから「寺山修司」を遠ざけたのは、彼の作品のタイトルだった。

わたしは好きな言葉が多い一方、忌避すべき単語も多く抱えている。
寺山の芝居や作品の多くにその忌避すべきワードが散見どころか多発しており、それでいよいよ厭になった。
しかもその短歌にもまたわたしの避けたい言葉の連なりがある。
これはどういうことか。
歌詞にはときめいても、彼の短歌や短い言葉の連なりに激しい拒絶感を持ち続けたまま今日に至っている。

映画もまたわたしは避けてきた。
本来ならわたしが偏愛すべき世界に近いのに、微妙なずれがあり、そのためにその領域に踏み込まぬよう踏み込まぬよう、注意してきた。
「書を捨てよ、町へ出よう」も「草迷宮」も「さらば箱舟」もわたしは身をのけぞらせて避けてきた。
ただ「上海異人娼館」だけは見ておきたかったが。


短歌に対してもわたしはのがれ続けている。
文学館のホールから椅子が全て取り払われ、上から幡のようなものが薄闇の天井から降りている。数も少なくはない。
近寄るとその幡に巻き取られてしまいそうである。はえ取り紙のような粘着力がある。
行くな、と理性の声がするが近づく。幡に文字があるのを読んでしまう。
寺山修司の短歌がある。あの湿り気を帯びた、なにかの匂いのするような文字の連なりがある。
わたしは逃げるしかない。
その匂いは妙な湿り気を帯びていて、懐かしいような気持ち悪いような、言葉にしたくない感覚までも呼び起こすのだ。
オンナノヒトダケノニオイ…あれが短歌の字面から立ち上ってくるような。

しかもあざといようなしつらえがある。大正琴と朗詠の二重奏が静かに鼓膜を打つ。
これもまたなんとなくあのいやらしさを感じるのだ。
そしてわたしはやっぱり逃げ出していた。

わたしは寺山修司の世界から遠く離れて生きていこうとしていた。


展示室に中井英夫の書斎が再現されていた。
寺山修司と中井との交流の深さを感じさせる書簡も展示されている。
寺山の字はとても丁寧で読みやすい。
一つ一つを読みながら、寺山修司の心の流れを知る。
わたしは中学の終わり・高校生になるまでの空白期間に、中井英夫の世界を知り、そこに溺れた。
最初に読んだ『幻想博物館』の挿絵が建石修志で、ここにも彼の作品が二点飾られていた。
それを見ただけでもわたしはときめいている。

中井英夫との交友、寺山が19才で山田太一と出会い親しくなったことなどは非常に興味を感じる話だった。
まだ若い寺山の感性にもときめいた。
これは初めてのことだ。
何度も書いたように避けがちな相手なのに、この若い頃までの感性には素直に惹かれたのだ。
それだけに闘病中の寺山の中井への手紙はせつない。
兄貴、と中井への呼びかけにもせつなさが満ち満ちてくる。
このことだけでもかなりの転換がわたしの内側で起こっている。
とはいえ依然として彼の芝居も映画も短歌も避けているのだが。

去年、渋谷のギャラリーで寺山の写真展を見た。
これは以前からかなり関心があったので、見ることが叶って嬉しかった。
その写真はアラーキーに学んだと会場の解説にある。
私はそんなことも初めて知ったのだ。

ファンだとは言えないわたしがこれ以上何を書くことがあるだろう。
「これからファンになる」とはやはり到底言えない。
しかし見に来てよかったとは言える。

展覧会のタイトルは「帰ってきた寺山修司」だった。
彼の言葉の一部を副題にしている。
「百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」
そしてその後にこんな言葉がつく。
「寺山修司のことを、われわれはまだ百分の一しか知らない」
この言葉でゆけば、不熱心なわたしはその百分の一の半分以下くらいを知ったことになる。
3/31まで。

常設室では山本健吉を中心にした資料が展示されていた。
わたしは高校の頃から山本の評論を読むようになり、今もその名前を見たり彼の書いた文章の引用を見たりするだけで、なんとなく嬉しくなる。
また、西脇順三郎の展示もあった。わたしのいちばん愛する詩「天氣」がある。

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日

この文字の並びを見ただけで、自分の内側に光があふれてくるのを感じる。
寺山の世界でかき乱された心が自分の好ましい方向へ向いだすのを知る。
やはり世田谷文学館へ来てよかったと思った。

三月の東京ハイカイ録3

最終日、朝からやや出遅れたがまあそれなりに出かけて、バスにも乗って板橋区美術館へ。

無料ですよ、この「狩野派以外も大賑わい」展、しかも撮影OKですがな!
凄いわ、ホントに。
遠くても来た甲斐を感じます。

さてまたバスに乗り電車もうまく乗り継いで、1時間後には畠山記念館についたが、お茶会のヒトらで満員、だから長居もせずさっさと見て周り帰る。
乾山、光琳らのいいのを見て気持ちいいわ。

白金台にまで出る道すがら眺めた花たち。
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椿の顔はある種の猫に似ている。130317_1235~010001


松岡美術館でカラフルな作品を見るが、中でも法花で藍色やなく鮮やかな青のは初見。カメラ持って来ないとだめやなあ。ここはカメラOKやが写メはダメなの。

目黒駅近くのはなまるうどんで期間限定のタケノコ天ぷらにレンコン天ぷらなど食べる。おいしかったわ♪

さて機嫌よくなったところで、太田に向かう。なんせ「江戸っ子味めぐり」に空腹では行かれますかいなwww

江戸っ子の味めぐり、なんてものは字面見るだけでもヨダレものやのに絵になったら、もういよいよあかんわ。
美人とおいしそうなものの取り合わせが、食べ物にしか目が行かないよ。
や~ん( )>M<( )

キモチは描かれたお姉さんと一緒やわ!
ああたまらん!おなかいっぱいで見に行って正解や。ハングリーならどないなってたか。
天ぷら、鰻、寿司、卵焼き、餅。スイカにウリもあった。ああもう「むまそう」~!

乗り継いで日本橋高島屋へ。杉山寧展。エジプトや小アジアでの古代彫像をモティーフにした作品に特にいいのが多くて、旅心を刺激されたわ!
ああ、どきどきする。

今回はここまで。次はまた来週、ちょっとだけわたしも六本木アートナイトに参加する予定…

三月の東京ハイカイ録2

さてハイカイもいよいよ佳境に、というところでちょっと予定変更になる。
まぁそれはそれで仕方ないので、機嫌よく出かけよう。

今朝の朝食はケチャップご飯が出てたので、その上にスクランブルエッグをおいて個人的オムライスにした。おいしいわ。

横浜まで京急で出てからみなとみらい線へ乗り換え。一日券買う。今日からこの線と副都心線がつながったので、たいへんにぎわっている。

まず元町中華街へ。
わたしは近代文学館へ向かうのだよ。
展覧会の感想はまた後日に。

明治大正の演歌師たちの動向から、子供のころからずっとナゾだったことが解けたりした。
アアソウダッタノネ。(ちょっと演歌師ぽいかな~)

文学館手前の橋のほとりの花。わたしは木の花がとても好きなの。
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久しぶりに大仏次郎記念館へ。猫グッズが懐かしい~~130316_1042~010001

茶室も本当に素敵。130316_1039~0100010001

それにしてもご本人はやっぱりハンサムだわ~
「鎌倉ものがたり」の一色正和さんはきっと大仏次郎の若いころをモデルにしてると思うけど、晩年の大仏さんも素敵だから、一色さんがおじいさんになってもきっといい感じよ♪

椿がとても綺麗。130316_1040~010001


元町中華街が西武球場まで直通特急を出していた。
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すごい日にきているな。


日本大通へ。まず開港資料館へ。都市発展記念館とともにスポーツ関係の展覧会してて、これがとても楽しかった。どちらも堪能。やっぱり野球は最高。

神奈川歴博で鎌倉名所案内を大いに楽しむ。
こういうのがとにかく好きなのでたいへん楽しめた。
入り口ホールですでに大きくそそられる。
左側いっぱいに、昭和12年の鎌倉観光ガイドが長く広げられている。面白い。
その流れで中央に目を向けると吉田初三郎の神奈川から静岡の大鳥瞰図。おおーっと楽しんでから右へ目を向けたら、大仏の古写真ッッッッッ!!!いやーベアトのや誰が撮ったのかわからないけれど記念撮影などなど、すごいわ。そしていきなり大仏の横顔まで!
むむむ、こういうセンスがいいよな。
ほかは鎌倉彫などを見て、常設では国貞の浮世絵などを見る。

横浜美術館の敷地内にさいている130316_1357~010001


横浜美術館へ。キャパとゲルダ・タローの写真を見る。大変な人出でみづらいくらい。
めでたくはある。
キャパが好きなのだが(写真以上に当人が)、タローの撮った写真の力強さに寒気がする。
このことはまた書き述べたいと思うが、果たして私に書けるかどうか。

森村泰昌さんのトークショーに行きたかったが時間不足であきらめ、横浜に出ようとみなとみらい線に乗ると、特急だった。
恵比寿に行く予定がある。
本来なら横浜から湘南新宿線なのだが、今日は記念すべき鉄道オープン日だというので、そのまま乗車して中目黒で乗り換える。

山種美術館へ行くと、今日は募集された人々のための学芸員さんのトークが始まっていたので、そぉっと仲間入り。今回は和歌の展示替えを見に来たのだが、余得余得♪
解散後にご挨拶して帰る。

山種の近くのお店では桜が咲いていた。130316_1541~010001


写真美術館ではヴォーグなどで活躍したアーウィン・ブルーメンフェルトの綺麗過ぎる写真にくらくらした。いやいや…もぉ私などとは無縁な世界で。やっぱりヴォーグはかっこいい。

続いてオペラシティへ向かう。ここでは新井淳一の布の仕事を見たが、こちらは三宅一生らと仕事をする人。自分の現実から乖離しすぎているので、純粋に作品として眺めることになり、非常に衝撃を受けた。
こういうものを見ることで脳も活性化する。

常設では現代絵画を見るが、これについてもいろいろといいたいことがある。
否定ではなく、違和感との対峙について。

二日目はそこまで。

三月の東京ハイカイ録 1

三月の東京ハイカイは実は前期・後期と二部制なのだった。
とりあえず今日はその第一部。

昨日のわたしは実に忙しかった。
朝から社長独演会(講話会とか言うてたが)の聴衆になったんだが、途中意見を求められて、そうなるとシャベリでデシャバリのわたしは止まらず、なんだかんだと言うたりしたので余計疲れた。
ところが疲れてるというてもこういう状況での疲労は逆に私をハイテンションにする効用があって、気合はいりまくったまま、速攻で昼から退社して、いきなり加古川へ向かった。
恒例の見学会に出向いたわけです。
加古川図書館。そこへ行って見学と撮影してから元町まで戻り、今度は三宮から阪急で帰宅したわけです。で、昨日は激寒な一日でダウン着ててもまだ寒いのに、週末の東京は初夏ぽいやないですか。
仕方なくスプリングコートの中に厚着して出かけましたわ。
新幹線内では隣席の女子が極端に前のめりになりながら、超熱心に読書中。見る気はなくても見えるので気づいたのだが、彼女は監禁系えろ小説を熟読中だった。
別に何を読むのも個人の勝手だが、やっぱり態度が凄いから、そういう本は場所を選んで読みましょう(笑)。

東京駅からは送迎バスでホテルへ。
本格的な活動は翌日からです。
そして個々の感想文も別項で。

今朝。どう考えても東京のラッシュアワーに飛び込むことは不可能なわたくし。
実はわたしは自転車通勤者なのでラッシュというのをほぼ知らんのよ。というか知りたくないし。
それでも覚悟して出かけたが、もぉラッシュは済んでいて、ちょっとほっとした。
東府中へ向かっていたのだよ。新宿からは空いてきて、笹塚で乗り換えたときにはもぉのんびり乗車。

随分東府中駅が変わっててびっくりした。工事も長かったからなあ。
そこからてくてく歩いて府中市美術館へ。
桜並木の敷石が改装されるらしく引きめくられていた。

二色の梅。もぉだいぶ梅も終わりに近い。130315_0951~010001


「かわいい江戸絵画」に溺れる。これに溺れない人とは気が合わないように思う。
あんまりかわいすぎてくらくらした。後期も行くよ。図録はすぐなくなりそうなので購入したが、近年の「春の江戸絵画祭り」の中では最高値だと思う。

さて常設は「春」がテーマ。青木繁の絵もコラボものがあったりして楽しむ。
牛島さんのほんわかした絵もいいが、今回は奥村土牛の書いたエッセーがあり、二人が仲良しだと言うことを知る。
なるほど昔の人はいいことを言う。牛は牛連れ。
ついでにいうと土牛は岡鹿之助とも仲良しということは…ヨウテイ目ですなあ、皆さん。

駅に入ってた某居酒屋のお昼を食べるが、味はまだしも店員がだめだ。次はないかもしれない。
そのまま芦花公園の世田谷文学館へ。

寺山修司展。
正直なところ彼が存命中から苦手だった。どうも生理的に気持ち悪いのだ。それは彼の紡ぎ出す言葉の多くがわたしの忌避するものだからだった。
それをここに書き出すのもいやなくらいだ。
またそれが昂じて、ひとつの単語からいやな連想が湧き出し、そうなるともう字面に触れるだけで手を洗ってしまうようになった。
わたしは目を見開く一方で、目を半分閉じて生きているようなものだから、いやなものとは徹底的に向き合わないのだ。

ところがその一方、寺山の書いた歌詞などは非常にいいと思うのだ。
たとえば「あしたのジョー」「時には母のない子のように」「夜が明けたら」「くるみわり人形」などなど。
これはどういうことだろう。
今回そのあたりのことをじっくりと考えてみた。

結論としては、彼の書き出した短歌、芝居のタイトルなどに限り、自分のいやな単語が集中しているのだった。今思い出しても寒気がする。
しかし、詩には(歌詞には)その傾向が少ないのだ。しかもそこには魅力がある。
だから惹かれもする。

このことは矛盾してはいないしありえることだとも思う。
また詳しくは別項にするにしても、今回の展覧会でそれが理解できただけでもよかったと思う。

一方、一階では山本健吉や西脇順三郎の資料が集まっていた。
どちらもとても好き。そして西脇の「天氣」などもあり、それを見ただけで非常に深い喜びが生まれてきた。
寺山のところで中井英夫の書斎再現と建石修志の作品二枚、それから山本や西脇の詩歌でわたしは気持ちよくなって文学館を出た。

気持ちよくなりすぎたか電車を乗り過ごしてしまい、オペラシティにも野間記念館にも行けなくなり、結局永田町へ向かった。
時間があるのでコンビニによると、丸ごとバナナハーフ(これだと丸ごとではなく半分バナナだ)があり、それを購入。長らく観劇していないので、何をどうするかうっかりすっかり忘れている。

演芸場資料室で見たもの二つ。明治22年の奇術の浮世絵、チャリネサーカスのビラなどなど。
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伝統芸能情報館では長谷川昇の絵を見てから、国立劇場へ。
福助主演「女清玄」を見る。昔の歌右衛門の演じたものを資料で見ているだけだったのでとても楽しみに着たのだが、あまりに観客が少なくてひやひやした。
芝居の内容は後日詳しく書くが、この少なさには本当に申し訳ないような気さえした。

いかにも南北らしい面白さがまだ生きていた。しかし大詰めにデウス・エクス・マキスにあたる押戻しが現れるのはどうなのだろう。
そんなことを思いつつ、駅へ向かった。
初日はここまで。

日本画 こころの京都/京を紡ぐ 現代作家による京都百景 2

先の記事の続き。

土手朋英 京都市 初夏の植物園 東洋有数の巨大な温室ドームを背景に、初夏の植物がにぎやかに咲いている。カラーの白い花、ポピーの赤。とてもいい感じ。北山の植物園はとても好きなのだが、久しく行ってない。四年ぶりに今年の春は出かけよう。

鹿見喜陌 京都市 花薫る 一目見て「着物にほしい」と思う絵だった。たぶん白川の流れに大きく桜をかぶせたのだが、現実の風景ではなくシュールささえ生きていて、それがとても着物の絵柄にふさわしいと思った。
色がゆっくり移り変わるグラデーションに桜が落ちている…素敵だ、とても。

森田りえ子 京都市 一力亭白椿 遠目からもハッと胸を打つ色の対比の見事さ。レンガ色と本人は書くが、臙脂色にも見える暖簾には丸に万の字(一力)が書かれ、その隣に大きなとても大きな白椿が緑の葉もあをあをさせている。赤・緑・白の素晴らしさが際立つ。
森田さんの椿の良さは深く心に刻まれているが、改めて「森田さんの椿はいいなあ!」と声に出してしまった。

日影圭 京都市 登り窯 …闇が怖い。 多分ここは河井寛次郎の登り窯なのだろうが、深い闇がとても怖かった。

川島睦郎 京都市 彩り(東福寺) 無人の通天橋。私はこの絵を見て津雲むつみ「花衣 夢衣」の外伝を思い出した。その中に通天橋を描いた絵が出てくるのだが、そこには男とも女ともわからぬ人影が立っている。それを見て、昔の捨てた恋に灼かれる女。
少し感傷にかまれた。

井上稔 京都市 伏見・酒蔵のある風景 菜の花が手前に群生し、向こうに酒蔵が並ぶ。
黄桜か月桂冠かはわからない。しかし確かにこんな風景を見たような気にもなる。
伏見の酒蔵をふらふら歩き、大手筋の商店街を行き、川に浮かぶ十石船を見る。
ああ、伏見に行きたくなってきた。

ほかにもいい絵が多いが、ここまで。

次に「京の百景」から。
中信美術館は京都の現代日本画家を応援し、賞も作っている。この美術館も無料であり、機関誌も発行している。立派なことだと思う。
今回の企画は先の文化博物館のそれに連動してのことで、だから展示作品はすべて京都文化博物館の管理下にあるものを借り出している。
常の企画展もよいものが多く、本当にここは素晴らしい。


石本正 清水三年坂(産寧坂) 立ち並ぶ商家の屋根屋根が全て緑青を吹いた銅のように見える。そして視界が開ける先には白い空。実際にはそんなこともないのだが。商売をやめた家にも見える静けさがある。

秋野不矩 深山の春 これは以前からとても好きな一枚。イタチかテンかわからない茶色い小動物がいて、濃く鮮やかなピンクの花が咲き乱れている。
動物の描写がまたいい。茶色いボディに手足は黒い。毛並みのリアルな感触が伝わってきそう。

入江酉一郎 家族 白い靄のかかったような空間に、サルの家族が一列ずらりと並んで座る。うむ、全員なんとなく元気そう。

竹内浩一 忘人 禿鷹らしき目の鋭い猛禽がそこに佇む。人の存在など関知することなくに。

下村良之助 半月の杜 木目を地に浮かび上がらせたような背景、そこに2羽のフクロウが大きな目を見開いて止まっている。可愛い、とても可愛い。

中野弘彦 紅葉散る 白い縦長の画面に眠る鴨のつがい。少しばかり紅葉が散っているのだが、物語がそこに生まれるわけでもない。モミジに鴨ップルといえば龍子の「愛染」が思い出されるが、これはあくまでも白い絵。

平岡靖弘 石峯寺(羅漢さん) この寺は若冲ゆかりの寺だったか。石仏の羅漢さんがシュール。実際の景色は知らないが、ますます此岸の向こう側にある寺のように思える。

入江酉一郎 同志社(栄光館) 今出川通りからはっきり見えるあの建物。それが周囲に何もない背景に建物だけが描かれているから、非常に静謐な空間になっている。なんともシュールな風景。

岩倉寿 笠置 手前に川と橋が描かれ、遠くに山。ああ、行きたくなってきた。

中野弘彦 緑盛桃山御陵全図 鳥瞰図のような全図で、明治天皇・昭憲皇后・桓武天皇の御陵がそれぞれ鳥居と名札で示されている。そして町中からそこへ至る道が描かれているのだが、なにやら宝探しの地図のようで楽しい。乃木神社、宇治川も示されている。
安野光雅と山口晃のはざまに立つような雰囲気。とても楽しい。

竹内浩一 雨ま音 嵐電高雄口駅の佇まい。木の駅舎でその小ささがいい。しっとりしているのは雨のせいだけではない。情緒。それが活きている。昭和末頃の作品。

堂本元次 花映りて水匂う 池に桜並木が浮かぶ。茫洋とした美しさ。春特有のぼんやりした風情。とてもきれい。

小嶋悠司 丹後の農家 屋根に「水」「水」と書かれたものを挙げた民家。緑の濃い辺り。
水の字は防水防火のキモチから。

現代日本画はそれほど愛着がなかったが、改めて対峙するとやはり好ましいものがとても多いことに気づく。
今後もこうして情緒のある、現代日本画を眺めてゆきたい。

文化博物館は3/24まで・中信美術館は3/17まで。

日本画 こころの京都百選/京を紡ぐ 現代作家による京都百景

先日は京都文化博物館の「日本画 こころの京都」の前半部について感想を挙げたが、今日は完成したばかりの「こころの京都百選」と、中信美術館の「京を紡ぐ 現代作家による京都百景」の感想を少しばかり。

追加:チラシは2015年の巡回展のもの
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どちらも現役作家の作品で、前者はごく近年のもので占められ、後者は少し前の作品だが、共に京都文化博物館の管理にあるものということだった。

「こころの京都百選」は先駆者の「京の百景」同様、丹後・中丹・南丹・山城・京都市などと地域別に作品が振り当てられていて、作家たちはそれぞれの担当場所を熱心に描いた。

小西通博 丹後 経ケ岬 白い絵である。青灰色の森が見える。経ケ岬といえば灯台が思い浮かぶだけに、ここにも絵の真ん中に塔が立つ。
実際に行ったことのない地ではあるが、わたしは子供の頃からこの経ケ岬と聞くと、物寂しいイメージがある。
それは「新八犬伝」で、経ケ岬に「文字の浮き出る珠」があると聞いた八犬士の一人・犬阪毛野がわざわざ訪ねると、さもしい浪人・網干左母次郎が先着しており、「骨の歌が聞こえるのよ」と犬阪毛野に言うシーンから来ている。
実は彼はここで難破した唐人の骨を買いに来ているのだが、文字の浮き出る珠とはその骨を磨いたもので「怨」という字が浮かび上がっているのだった。
そんな話が頷けそうな物寂しさが、確かにこの描かれた場所にはある。

来野あぢさ 丹後 久美浜湾 今ならカニで売れる場所だが、普段は侘しくも静かな湾である。その湾を来野は紫陽花色に描く。「あぢさ」の描く「あじさい」色の海。

中村文子 丹後 峰山のこんぴらさん 描かれているのはそのこんぴらさんの狛犬ならぬ狛猫像である。養蚕と機織関係からこの辺りでは猫の神様を頼った。丸顔の可愛らしい像である。仔猫と一緒の像もある。これを見ていると加藤和恵「青の拔魔師」に現れる猫又のクロを思い出す。クロは当初その猫神として地元民に敬われ、この絵にそっくりな狛猫像も建ててもらっていたのだ。

小池一範 丹後 宇良神社と浦嶋明神縁起 真ん中に大きく神社を描き、周囲は全て海上。そしてところどころに浦嶋の縁起が描かれる。異時同時図の様相を呈している。
五色の亀から乙姫に、竜宮での楽しい暮らし、別離、そして左端には玉手箱を開ける浦嶋子(うらのしまこ)がいる。
この縁起によると、太郎ではなく浦嶋子。漁師ではなく領主の子と言う話で、亀も使いではなく乙姫の化身だった。色んな違いがあるのが面白い。

河村源三 山城 三室戸寺 紫陽花で有名な三室戸寺のガクアジサイを描いている。
昔は円い紫陽花が好きだったが、近年はガクアジサイが好きで仕方なくなっている。
大人の好む花なのだとも思う。この絵のようにガクアジサイがあるなら、その誘いに乗ってみたい。

上村淳之 山城 長旅のはざまで 久御山町のどこかの風景。池らしきところにシギが3羽いる。薄紅地の背景。モミジがぽつんぽつんと落ちている。淳之さんはシギがお好きなようで近年の絵にシギが多いのを思う。

吉川弘 山城 流れ橋 いわゆる木津の流れ橋。ここではずーんっとまっすぐ大きな板が向こう岸へついている。とても流れそうにない、強固な白い道が。

大野俊明 山城 浄瑠璃寺 池と本堂を描いている。端正でとても可愛い。大野の絵はいつみても可愛らしい。絵には詩情というより童謡の優しい明るい楽しさがある。

後藤順一 山城 雨音 岩船寺のあじさいと、そこに降る雨とを描く。浄瑠璃寺と岩船寺のコースをバスツアーで出かけたことがあるが、丁度こんな感じであった。
久しぶりに出かけてみたくなった。

風景画は時に、見る者に「そこへ行きたい」気持ちを起こさせる。

石原拓雄 山城 聖地笠置寺虚空蔵菩薩磨崖仏 絵がいいのかどうかという問題を超えて、笠置の磨崖仏がそこにある、ということにときめくわけです。しかも椿も咲いている。
とても好きな笠置山。嬉しくなる。

西田眞人 緑の府庁 緑に霞む府庁の正面。自分でも撮影によく出かけるが、この絵を見るとヨーロッパのどこかのお城のようにしか見えない。日本画という枠を超えて、むしろ岡鹿之助の世界に近い。

竹内浩一 京都市 明恵が在る(高山寺 石水院) 自作解説によると、自ら耳を切ってまで弱者に寄り添おうとした明恵上人云々とある。回廊が描かれている。引き戸は固く閉ざされている。しかし中に明恵上人の存在があるのは確かだろう。そしてその戸の前にリスと鳩がいる。リスも鳩も明恵の手でこの引き戸が開けられるのを待っているかのようだ。

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どうも長すぎるらしいのか、fc2に拒絶されて、続きがあげられない。また別記事に。

日本画 こころの京都

なにが好きなのかと言うと、やはり近代日本画がいちばん好きなのだと思う。
浮世絵も近世風俗画もラファエル前派も印象派も好きなのだが、近代日本画を見たときのしみじみとした嬉しさはいちばん深い。
尤もラファエル前派も印象派も洋画だから別にすると、近世風俗画、浮世絵、それに四条派円山派なども近代日本画の祖であり、大正新版画も身内だから、いろいろ考えるとやっぱりこの流れがいちばん好きなのだった。

京都文化博物館の「日本画 こころの京都」、中信美術館「はんなり 京を紡ぐ 現代作家による京都百景」、高島屋の「神坂雪佳と京都画壇」といった展覧会を続けさまに見ることができ、本当に楽しかった。
というわけで、ちょっと近代日本画のことばかり続くが、とりあえず。
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京文博の管理する「京の日本画」シリーズも随分幅が広がってきて、今回の企画は「こころの京都百選」完成記念だとある。
最初に昔の京の画家の絵を集め、次に'73年の「京の百景」から選んだものを置く。
これらはいずれも物故画家の作品群。
そのあとに今回完成の「こころの京都百選」が現れる。
わたしは今日の日本画より少し昔のそれのほうが好きなので、「こころの京都」では言ってみれば今日的ではない、昔ながらの日本画の技法で描かれた風景画を好んだ。

特に好きな絵について挙げる。
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京名所図屏風 応挙 鳥瞰図だというべきか、人々も小さく描かれているが、建物も遠い。斜め上からの視点で描かれているような風景である。非常に細密だが、その一方でキツキツにはせず、大きな建物を一つ描くと、その次に空間を置く。実景とはまた異なるのだが、それが静けさにもなる。
場所の配置は正確だと思う。右から左へ向けて眺めてゆくと、次々に名所が現れる。
右は清水の舞台から始まり、左は嵐山と嵐峡を行く筏師。嵐山のずっと向こうには応挙の故郷・亀岡がある。だからか、この川の辺りの描写は濃密ですらある。
寛政乙酉年夏、とサインがあった。

東山三十六峯図巻 原在中 奥に東山三十六峯が連なる。その手前に鴨川があり、付箋のような形で名所や峯の名前を知らしめる。手前の中州に見えるところには「紫式部・小野篁墳墓」とあるが、墓碑も塚もなく薄の生えるままである。田が開き桜も咲いている。
山々のずっと向こうには大原も見える。
手前にはどこのものか、なかなかいい庭を持つ茶室が現れる。池のほとりに花ショウブも咲き、点在する茶室もいい。享和三年三月とある。
ところで、東山三十六峰というとどうしても講談を思い出し、ついつい「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時…」と言ってしまう。

大原女図 素絢 頬を薄紅に染めた大原女が、にっこりしながら手拭いを咥えて、やや足を開き気味にして立つ。紺地に小菊柄の着物を着て、働く姿。

大原女図 三畠上龍 右は桜の枝を折ろうとする姿。足元に担ぐ柴の束が置かれている。黒い着物を着て春の喜びを感じる顔をしている。
左は秋の様子で、担ぐ柴の束にモミジの枝が少しばかり入る。
この左の女の顔、うちの母にとてもよく似ている。それも素顔のときの。

鴨川送り火図 文麟 ぼあ~とした夜。にじむ夏の夜。中州の辺りから大の字を見る。大柳も送り火を見る。

四条河原納涼図 横山華溪 にぎやか!四条河原町は昔から人の多いところ。色んなお店が出ていてとてもにぎやか。わんこもいる。小さい絵だがとても細かに描いている。

祇園夜桜図 竹堂 昔も今もあの円山公園の夜桜は人気なのだなあ。楽しそうに宴会する人々二組がいて、手前は舞妓さんが舞うし、向こうでもなにか踊る手つきがみえる。

妓女図 楳嶺 この絵もしばしば出てくるのでなじみ深い。円窓の書斎でにっこりする妓女。開いた扇子には漢詩が書かれている。
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年中行事 栖鳳 これは解説によると石清水八幡宮を訪う孝明天皇のそれを描いたものらしい。行幸なのか代参なのかはわからないが、貴人の姿は見える。
古画のような趣があり、まだ若い頃の作品ではないかと思う。

長岡春祠・深草秋梵図 玉泉 長岡天神の八条池と建物が描かれている。春で長岡天神にこの建物といえば、タケノコ料理で有名な錦水亭を思う。去年久しぶりにタケノコを貪らせてもらったが、ながめもよく、いい気持ちで過ごした。
この絵を見ていると、そのほんわか気分が蘇ってくる。池には小さな舟も出ている。
春風駘蕩な心持が絵の中にある。
一方、秋の深草は瑞光寺というところの門を描いている。秋というより早や初冬。深草はこの絵が描かれた明治24年の後には第四師団の美麗な煉瓦の建物が作られるのだった。

京洛四季図 芳文 貼り付け屏風。鳥居前・嵐峡・紅葉流れる川・雪の山門 場所の特定ができるのは嵐山くらいだが、いずれも京都と言われれば京都だと思う風景だった。絵としては雪の山門が特にいい。

出町柳農婦 香嶠 鴨川に足をつける農婦。木のそばで涼んでいるらしい。手拭いをかぶっているところを見ると日もなかなか暑いようだ。
今の出町柳でこんな事できるか、してみたいと思った。

太秦牛祭之図 柴原魏象 太秦広隆寺の奇祭。丁度今から門を出ようとする一行。お面もかけて牛にも乗って、準備万端。松明もある。薄闇の時間からの出馬ならぬ出牛。
この画家は初めて知った。1954年まで存命だったようだ。

夜桜之図 華岳 薄闇を混ぜたピンクと灰色のシマシマ段々の形を見せる、桜宴。
華岳はこの絵の風俗を元禄時代にしたそうで、確かに上方の享楽的な風情が漂っている。
山種の「裸婦図」以前の華岳は薄闇の官能性とでもいうものが活きている画家だった。
一番手前右の若い女、それが非常に艶めかしく、私好みだった。
この絵は随分前の展覧会で見てから時々みかけるが、好きな一枚である。

大船鉾・祇園社頭図 楳嶺 長らく大船鉾は途絶したままなのだが、この絵を元にして復元を始めているそうだ。
その意味でもこの絵はとても大切なのだった。
大船鉾は禁門の変で焼けてしまったそうだ。平成の復元で現れる大船鉾がこの絵の通りなら、とても楽しい。
祇園では鳥居が描かれていたが、とても静かだった。

長刀鉾図 鉄斎 墨と朱の二色で鉾の真正面を描く。和歌がある。
ちはやふる 神のそのふの ゆふたすき かけていく代の 都なるらむ

稚児之図 三宅凰白 チラシの絵である。これは八坂神社蔵。祇園祭の鉾や山に乗る生きた稚児はこの年から長刀鉾だけになったそうで、この坊やがそれ。
凰白のこの絵は昔新聞で見て知った。後に凰白の息子さんにお会いしてお話できて嬉しかった。凰白の師匠である山元春挙のお孫さん(お二人はご親戚なのだ)からこの絵の載った新聞をいただいたのも良い思い出だ。
この絵を見ていると、床しい香りが漂ってくるような気がする。

祇園会 映月 映月らしい可愛い姉妹がいる情景。家の中で母と幼い姉妹が祇園祭を楽しんでいる。下の子は長刀鉾のおもちゃで遊ぶ。みんな可愛く着飾っている。

祇園夜桜 渓仙 爛熟の桜。凄いピンク。

桂離宮春色図 渓仙 雪が残っているのか、白い土が見える。白い砂利なのかもしれないが。松に小さい白椿とやや大きな紅椿。パースの狂ったようなところがいかにも渓仙。

慕情 近藤浩一路 にじむ清水寺。八坂の塔も見える。墨絵の美しさを堪能する。

二条城遠望 平井楳仙 柳のそよぐ日。堀川で布を洗う男がいる。西陣の染め師だろうか。こうした風景も今は見られなくなった。

雨煙東山 榊原始更 紫峰の弟。ぼあ~とした祇園の町並み。いくつかぽんぽんと灯りも点る。洋風な塔も見えた。雨の風情を楽しめる。

壬生狂言の楽屋 まつ本一洋 おじいさんと愛らしい小坊主がいる。壬生狂言のお面を手にする小坊主。おじいさんのほうは都路華香の埴輪作りの老人に似た微笑を浮かべている。
この絵に関しては、二人の画家の構図や人物表現がとても似ているようにも思われる。

酒典童子 一洋 この童子はたいへんな美貌の人で、高貴な女人がくつろぐような様子で回廊にいる。そばには侍女が控えているが、全く以って「麗人」としか言いようがない。
脇息に凭れ、白の内掛けを掛けている。臙脂色の小袖には孔雀・斧・龍などの絵柄が浮かぶ。童子は額に中国風な装飾のあるサークレットをしている。枕屏風には中国の星座が描かれている。優美な姿。「酒典童子」と題されているのも納得な様子。
典雅な童子なのである。

春 樋口富麻呂 二人の子供が庭に毛氈を敷いて遊んでいる。左は紅、右は白の梅が咲く。梅は連続して咲いているから桃にも見える。優雅な午後。白い蝶もひらひらと舞う。子供らはカムロ頭をしている。時代はいつのことかはわからない。

醍醐寺泉庭 吹田草牧 この絵は非常に理知的でシャープな一方、軽妙さと情緒も蓄えていて、非常に印象深い一枚だと思う。草牧は京都国立近代美術館の月次リーフレットにその滞欧日記などが載せられていたから、なんとなくヒトトナリはわかるが、肝心の作品はこれ以外に覚えがない。

花菖蒲 平八郎 豊かにふくよかに咲き誇る花菖蒲。京近美収蔵品のうちでも特に好きな一枚でもある。

春雨 英雄 昭和九年の雨の日の京阪四条駅の様子。通勤が大変。この時代の駅風景などを見るのがとても好きだ。

京洛追想画帖 テルヲ どちらかといえばエグさを感じる絵が多い中、絵日記などが好きな画家なのだが、こうしたシンプルな風景画はその方面のよさが横溢している。
わたしは巻き替えを共に見て堪能した。
いちいち書き出すと本当に長くなるのでやめておくが、「卓上芸術」の楽しみに満ち満ちていて、長く見ても飽きない。

洛北修学院村 御舟 緑が非常に濃い。この濃さに比肩できるのは野間コレクションの山村耕花の中国で遊んだ一枚、あれくらいではないだろうか。竹のサラサラという音色が聞こえてくるようだ。

八幡緑雨 大観 大観もこうした愛らしい小品の方が好きだ。八幡は竹の産地として高名だが、その竹林の中の一軒が風に埋もれるようにして立っていた。

佳人好在 龍子 この絵はとても好きで、夏になるとこの絵が見たくなる。解説によると「瓢亭」の一室らしいが、この庭のよさにはときめくばかりである。
座敷で過ごす心地よさ、そんなものがここにある。

右:静かなる夜 松園。左:京人形 契月
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静かなる夜 貴女が源氏物語を読む。髪は結い上げていて有職雛のようである。

京人形 初公開らしい。確かに見たのはこれが初めてである。初期風俗図の一枚もののように美しい。

舞う 甲斐庄楠音 やはりこうして対峙するとその迫力にこちらが圧される。
ナマナマしい女がそこにいる。肉のナマナマしさと精神の空虚さ。その迫力にやられてしまう。

京舞 勝田哲 ああ、この画家はやはり大人の女、それも粋筋を描くと日本一だと思った。
艶かしさと凛とした立ち姿とが同居して、非常にいい。そして静かでありながら深い情念が皮膚の下一枚に燃えている。

少しばかり怖いような女たちを見た後に、可愛いかむろや舞妓を見る。

かむろ 緋佐子 赤い着物で文を持つ可愛らしい少女。
舞妓 大三郎 若草色の着物でちんまり座っている。まだ本当に初々しい。

平安神宮 不矩 この桜が生きるのは朱塗りの柱があるからだった。「京の百景」の中でもとても印象深い一枚。

青蓮院の老木 華楊 この絵を見たほうが実物を見るより早かったせいでか、実際に青蓮院の楠木のこんがらがった根本を見ていても、必ず絵が思い浮かび、現実と混ざり合ってしまう。分けようがないくらい融合した現実と、絵画と。
ときどきこんな「錯覚」がわたしには、ある。

光悦寺 桂華 実にカラフルで一目見れば忘れられない。正直、光悦寺に実際に行ったとしても、こんなにも艶やかな様子を見ることができるのかどうか。秋の美が隅々まで行き渡る。

苔寺 印象 やや抽象表現が入っているが、苔寺のあをあをとした様子がよく伝わる。印象が描いた頃は公開されていた寺も、今は特別公開などでしかお客を入れない。わたしは一度だけ入ったが、コケのあをあをとした新鮮さにドキドキした。
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薪能 松篁 能の美を顕わすのに「幽玄」という言葉を使うが、まさにこの絵も「幽玄」の美を具えている。薪の灯りで照らされたシテの姿が浮かび上がっている・・・ある種の緊迫感まで感じる一枚。

嵯峨野の細道 遙邨 この絵を最初に見たのは遙邨の遺作展「美の旅人」展でのことだった。
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あのときわたしは遙邨の世界に酷く撃たれ、いてもたってもいられなくなり見に行ったのだった。同行した友人が20年後の今も「あれはええ展覧会やったなあ」と言うくらいだから、やはり深く心に残るいい展覧会だったのは間違いない。
イタチかテンらしきものがいる・竹が伸びる・椿が咲く・・・それを思うだけでも気持ちよくなる。

ここまでが古画と「京の百景」から抜粋されたもの。非常に好ましい展示だった。

若狭・多田寺の名宝

龍谷ミュージアムで「若狭・多田寺の名宝」展を見る。
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チラシの三仏が多田寺の秘仏三尊。左から十一面観音立像(伝日光菩薩)、薬師如来立像、菩薩立像(伝月光菩薩)。
それぞれ個性の違う面立ちである。

多田寺は「海のある奈良」小浜にある古刹で、奈良時代から平安時代に造立された木造仏像を祀っている。
ツイッターで、寺から搬出され展示されるまでの模様を読んでいたが、様々な苦労と誇らかな気持ちとをそこから感じた。

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最初に十一面観音立像をみた。浄瓶を持つ、金のよく残る仏像である。この画像では胸にきれいなヨウラクが飾られているが、実物にはそれがなかった。別展示もされていない。監視の人に訊いてみると、針金が弱っているので展示を控えたそうである。
ふくよかなお顔の上には小さな顔が綺麗な形のまま整然と並んでいる。小さいながらもはっきりした顔立ちである。

ガラスケースから離れて振り向くと、かすかな振動をどこからか受けているのか、冠の横の飾りものがフルフルと震え続けていた。大丈夫だろうか、耐震は。そんな心配がわいた。

十二神将立像のうち辰神・亥神 亥神は焔髪という燃え上がるヘアスタイルで武将の装いだが、辰神はなんと唐の文官スタイルである。花柄の装束。こんな様相の十二神将は初めて見た。
どちらも江戸時代の像である。

木造の阿弥陀如来が三体ばかりあるが、いずれもふっくら豊かなのだが、一体だけ金ぴかーーーーっなのにはびっくりした。ほかの二体は平安後期なのだが、この金ぴかは室町時代の丁度510年前の仏だった。当時からずっとこのままだったのだろうか・・・

先に挙げたご本尊をみる。
この秘仏は眼病治癒で名高いらしい。わたしも拝んでおいた。その中の月光菩薩は額に水晶を埋め、唇を朱く染めている。
しかしこの三体は実は刻まれた時代が一つずつ違う。それを三尊に組み合わせたのは、当時の人のヒットだと思う。

大きな阿弥陀如来があり、その納入品も出ていた。
仏は平安後期、納入品は江戸時代である。
信仰の深さが数百年後にも続いている証拠だった。

四天王立像がある。いずれも目の縁を赤く塗られている。パット見は赤ガラスを埋め込んだようにも見える。
踏みつける邪鬼も真っ赤だった。

ほかにも多くの資料があり、小浜での信仰のありようの一端が掴めるような構成になっている。
多田寺だけでなく、ほかのお寺の仏像や仏画もある。
若狭の薬師信仰というコーナーでそのあたりが確かめられる。
そしてわたしが思い出すのは、若狭の人が幸福度が高いと言うことだった。背後に仏様がいる。その思いがあるからこそ、幸福度が高いのかもしれない。

最後に参考出品として「日本の神とほとけ」が集められている。

室町時代の高野四所明神像は色も綺麗に残っている。白と黒の犬、狛犬、弁財天もはっきりする。こういうのを見てなんとなく学んだような気にもなる。

子島明神、青面金剛、三宝荒神。神々の画像。多くの神々が仏教に取り込まれてゆく。
石山寺の星曼荼羅、普賢延命菩薩。なんとなくドキドキする絵。

富山の聞名寺から「熊野の本地」絵巻が来ていた。江戸時代のもので非常に美麗な絵巻物になっている。
王の不在時に山中に連れてゆかれ斬首される后。抱かれていた赤ん坊は首のない母の乳を吸う。
首なしの母の遺体のそばですくすくと成長する幼児。葉っぱで綴った服を着ている。周囲には彼を養育するために集まる虎、サル、九尾の狐、豹、犬、羊などなど。
本地物の中でもこの「熊野の本地」がいちばん面白いように思う。

二階の常設では「仏教の思想と文化 アジアの仏教」展が開かれている。
美貌のガンダーラ佛を眺めた後、やはりガンダーラ出土の仏伝浮き彫りをみる。
誕生、灌水、出家決意、出城、降魔成道、初転法輪、梵天勧請、幼児の布施、涅槃などである。またアジャセ王子の物語、ウサギの本生譚などもある。
そしてあちこちに釈迦の言葉が書かれている。なんとなく心に沁みてくる。

4/7まで。

奈良でみたもの 元興寺・万葉のこころ・寧樂美術館・お水取り

奈良に出かけた。
素晴らしい晴天の奈良は、春どころか初夏を思わせる陽気に満ち満ちていた。
まず最初に元興寺へ向った。友人とは餅殿商店街の入り口の、超高速餅つきで有名な中谷屋の前で待ち合わせである。
あの超高速技を見てはたまらない、やっぱりペタペタペタペターーーーッと搗かれた草餅を食べずにはいられなくなる。まだぬくくておいしい。

元興寺には実に24年ぶりの再訪である。まだ宿坊をしている頃で、そのときに寺宝を見ている。当時既に須田剋太画伯のファンで、元興寺には須田や杉本健吉、棟方志功らがよい作品を残しているのをそのとき知った。
寺の宝物室で見たのは主に昔の瓦である。当時は考古学的なものを見るのも大変楽しかったので、熱心に見た記憶がある。今の方がむしろ考古学的なものから遠ざかっているが。
今回も久しぶりに瓦や聖徳太子像などを見た。小さな仏像フィギュアも見た。

ところで今回元興寺に出かけた理由と言うのは、それらが目的ではなく3/14まで開催の「須田剋太と元興寺を愛した芸術家たち―杉本健吉・棟方志功―」展を見るためである。
普段非公開の国宝禅室での展示だという、二重の楽しみが待っていた。

最初に剋太画伯の書が出た。とにかく力強く気合に満ち満ちた文字である。
巧いとか下手とか綺麗とか汚いというのを通り越して、チカラギッシュとしか言いようのない、凄い書である。
作品は主に晩年の'80年代後半のものが集められていた。

W.B.イェイツの詩「我に狂器を与えよ」が書かれた屏風がある。これは'84年。物凄い文字の連なりである。

'87年の「天道地霊」も強い、強すぎる字である。
「花無心」も大きな文字で、昭和の末頃の画伯のありあまるエネルギーが迸っているのを感じる。

これらはいずれも鎌倉時代から伝わる木枠を使ったもので、昭和と鎌倉時代のコラボ作品のようにも見えた。剛直な良さを感じる作品群である。
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実際のところはこのような展示方法ではなく、光の当たらぬような配置での展示だが、画伯の書は太陽の下でも堂々と自らの意思を主張するだろうと思われた。

真ん中に桜の絵がある。nec222-1.jpg
薄墨桜と題されているが、枝のうねり具合にも力強さがあり、見ているこちらも気合が入り込んでくる。
優美なもの柔らかさというものはないのだが、しかしまっすぐに心に届くよさがある。

この絵の裏には同じく'87年に描かれた「赤とんぼ」がある。
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少年少女が手をつなぎ、古い昔の歌を歌っている。赤とんぼ、桜、砂山、誰れか故郷を思はざる・・・
少年少女の着物の柄は画伯がチョキチョキ切った色紙を貼り付けて出来たもの。
これは以前に画伯の仕事を追ったドキュメント番組で知った技法である。

地獄鬼という絵があった。例の屏風に描かれている。力強い地獄の鬼共が立ち尽くしているが、二人ばかり鬼共が地べたに転がっている。何が原因かはわからぬが、本当にいずれも力強い姿をしている。

力強い書に力強い絵。不動と阿修羅が対峙する絵もあれば、なかなかオトコマエの不動明王がずんっと立ち尽くす絵もある。

秋艸道人の短歌を書にしたものもある。
かすがのに しかなすくさのかたよりに わがこふらくはとほつよのひと

小さい絵もある。
柿栗画賛、ひらめカニ画賛などはけっこうおいしそうでもある。
鯛画賛などは真ん中にタイ?らしきものがどーんと置かれ、その周囲に感じで魚の名前ばかりを集めていて、すし屋の湯飲みのようだった。

ほかに仏画もいくつもあり、それがまたたいへんいい。
特に半跏思惟像、菩薩立像(横から描く)などがすばらしい。
また能の「弱法師」を描いたものがあり、それはとても綺麗だった。
この絵を見ると、お彼岸が近いことを感じる。そして四天王寺へ行かねばならぬ気がしてくる。

行灯絵の貼り付け屏風が面白い。夏祭り図はいいのだが、鬼を集めて「魑魅魍魎 阿鼻叫喚 魔界地獄」と鬼の千字文のようなのもある。鬼がいっぱいいるのも元興寺らしくていいような気がする。

それから杉本健吉を見る。元興寺の鬼はガゴゼという名前だったか、「日本霊異記」に現れたり、水木しげるの妖怪図鑑にも出てくる。
それをキャラとして杉本健吉が絵にしていて、とても可愛い。
『鬼』と言う字を二つ書き、その真ん中に金棒を描いているのはウィットに富んでいる。
他にも「いい人だった 鬼が泣く」は何か物語がありそうで気になる。

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また棟方の極楽坊の柵や彼の絵もあり、とても面白く眺めた。
展示物も場所とマッチしていて、いよいよその魅力が深まっていた。
また定期的に何かしら特別展でも開いてくれることを望んでいる。

次に新薬師寺の近くの奈良市写真美術館に行く。入江泰吉先生の写真を眺める。
前にも書いたがわたしは学校で先生の特別ゼミに参加していたので、やっぱり「先生」としか呼べない。犬養孝先生もそうである。
ここでは万葉集に表れた地を撮った作品が集められた企画展が3/31まで開かれていた。
「入江泰吉の万葉風景 よみがえる万葉のこころ」である。
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多くの写真がある中でも、特に今日は二上山を捉えた作品群に胸を衝かれた。
大津皇子の埋葬された二上山の写真によいものが揃っているように思った。
これは先生のお気持ちの問題もあったのかもしれない。
先生は入日と日の出のある二上山を様々な視点から捉えている。
そしてあるときなどは、薄暗い(というよりも暗澹たる)情景を捉えようと時間をかけられたようで、そのシャシンの良さにも打たれた。
もうすぐ奈良博ではその二上山とも縁の深い「當麻寺」展が開催される。
藤原南家郎女、中将姫の伝承のある當麻寺は二上山の裾野にあるのだ。
わたしはまた折口信夫「死者の書」を想つてゐる・・・・・

他の地域でもよい写真が多く出ていた。
飛鳥川のほとりの彼岸花の群生、柳越しに霞む興福寺の五重塔、雪に埋もれる道、大和三山・・・花もまたよいものが出ていた。
かたかご、ひめゆり、あじさいなどなど。

少しばかり遠い地にあるが、歩くことの楽しみを知る場所でもある。
また近いうちに出かけたいと思った。


わたしも友人もよく歩く。
そのまま歩いて博物館まで来た。
お水取りの最中なので博物館は6時まで開館しているようなので、と依水園・寧樂美術館へ先にはいった。
ここへも実に久しぶりで、いつ以来がちょっと思い出せない。(調べると99年に来ていた)
そのときは粉青沙器を見ているが、わたしはあれが(いわゆる三島)好きではないので、スルーしてしまったのだった。

宋代のさそり形帯鉤がある。可愛い。こんなバックルをつけるとは、さすが宋時代である。

田能村竹田 横琴美人図 墨絵による美人画。中国美人がしっとりと座している。今の季節にふさわしい、梅香漂うような一枚。

雪舟 金山寺 中国の高名な寺。遠くに棒状の山が霞んでいる。
寺だけは細かく色塗りがされていて、そこへ至る道もハッキリしている。

原在中 紅葉遊馬図 滝がある。そこに三頭の馬がいて機嫌よくくつろいでいる。薄茶・茶色・白の三頭。和やかな目をしている。紅葉も優しい。

貫名海屋 秋景山水図 中国の絵画を手本にしたような風情がある。山があり、下に亭のような家がいくつか。詩情がどことなく生きている。

川端玉章 四季山水図 春 霞に桜に滝。夏 水車小屋に三日月。秋 紅葉に川に橋。冬 雪山と民家。 いずれも日本の情緒豊かな四季風景。

やきものがある。
白磁花形小皿 北宋 可愛らしい。手元に集めたくなるようなサイズでとても可愛い。
輪花陽刻もいい。

つぎはいずれも高麗のもの。
青磁象嵌鶴文梅瓶 鶴が飛ぶ、首には簡単な装飾文様。飾りたくなる梅瓶。

青磁鉄彩象嵌雲鶴文梅瓶 暗い色合いの全面に白い瑞雲と飛ぶ鶴と。黒い瓶なのがまた魅力的。

青磁象嵌菊花文鉢 12世紀のもの。内側にうっすらと花が浮かび上がっている。外には青磁象嵌の菊花が可愛く咲く。

ふと見れば珍しいことに梶原緋佐子の美人画がある。ここのコレクションの特性から行くと不思議な取り合わせだと思ったら、なんと初代美術館館長の義妹にあたるそうで、その縁でこの二枚があるそうだ。

琉球 二人の女が琉球独特の髪型を綺麗にして、今そこにいますという構図。

明装 モダンな若い女がソレにふさわしいモダンな柄の着物を着て、パーマを当てた髪を肩に流しながらどこかを見ている。なかなかかっこいい。

田能村竹田 亦復一楽帖 梅花水仙が出ていた。墨絵。健気な水仙が横倒し、少し球根ものぞく。手にとって一枚一枚を眺めたくなるような色紙もの。

最後に道八のお猿さんが出ていた。可愛いエテコである。

美術館から庭園に出たが、非常にいい造りだった。130309_1624~010001

池泉回遊式の庭園で、藁葺きの茶室もいい。意外なくらいよかった。
藁葺きには貝殻を乗せている。130309_1621~010001


そこから博物館の「お水取り」を見て、最後に本物のお水取りを見たのだった。
奈良博の「お水取り」は恒例のことで、今年も二月堂縁起やお道具、練行衆の日記、過去帳、焼け経、献立表などが出ていた。そしてつい去年まで200年使われたまな板もあった。文化10年のまな板!

お水取りを見る。綺麗な心で見たいがなかなか難しい・・・
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奈良の面白さがわかる年頃になってきたように思う。

江戸時代の千家のわび茶 宗旦の高弟とその子孫たち

湯木美術館の「江戸時代の千家のわび茶 宗旦の高弟とその子孫たち」の後期展に出かけた。
うっかりして前期に出かけ損ねている。
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本当のことを言えばわたしは「わびさび」より「きれいさび」の方が好ましい。
だから利休の思想を極限にまで高めた宗旦のわび茶というものはニガテな筈なのだが、しかしながら見る機会が多いせいでか、ある種の親しみを感じている。
どこがどうということもはっきり言えないのだが、見て好ましく思ったものを挙げてゆく。

不休斎好み甲赤茶器 裏千家伝来 綺麗な朱塗り。これはわたしもほしい。

茶杓 銘「長命」 江岑宗左作 田安徳川家伝来 宗旦自身は生涯仕官しなかったが、息子等の就職には熱心で、世に出そうと懸命だったそうだ。それでこの宗左は紀州徳川家に出仕した。ところで田安家は吉宗の頃に紀州から分家したので、宗左の拵えたこのゴマフ入りの茶杓もそちらに伝来したのだった。

黒樂茶碗 銘「春朝」 長次郎 いかにもな厚めの作り。

斗斗屋茶碗 平瀬家・藤田家伝来 9つの目跡が見える。轆轤目が目に付く。また火色の片身替わりがいい。夏向けの茶碗だとある。

赤樂茶碗 銘「槌之絵」 左入二百のうち。けっこう大きく槌の絵が描かれている。

茶器 古九谷四方花鳥文 青と黄色のサギが可愛い。赤い花と蝶がひらひらと飛ぶ。可愛らしい茶器。

黒筒茶碗 銘「シャカカシラ」 覚々斎原叟 黒ピカな茶碗。仏頭を思わせるとあるが、そう聞くと山田寺の黒光りする仏頭が思い浮かんできた。

そういえば宗旦の展覧会といえば去年のこの湯木での同時期の開催もみている。
「千家名物とその周辺 利休・少庵・宗旦」展の感想とはいえ再読すると、今回の展示とは全く違うラインナップの作品が集められていて、湯木コレクションの広さを実感する。

また宗旦の350回忌記念の展覧会(2007年)を裏千家・表千家それぞれの資料館でも開催していて、そのうちの裏千家の茶道資料館での展覧会感想はこちら
息子の江岑宗左への手紙などもそこには出ていた。

さて元に戻り湯木美術館。
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不昧公の色紙が出ている。藤原家隆の和歌を散らしている。
花をのミ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せハヤ
添えられた白い桜は応挙の孫の応震によるもので、不昧公の美意識のありようの一端が示されてもいる。

茶杓 歌銘「梅の花」小堀大膳正之 おっとり部分に竹そのもののシミが出ていた。
こういう風情がまたいいものだとも思う。

画賛を2つばかり見る。
自画賛 土岐二三 後姿がなんともかわいい。nec219.jpg

利休像画賛 仙厓 可愛い絵が描かれていて、ついついわたしも軽く模写を試みる。
つまり私程度の腕でも描けそうな趣のある、可愛い絵。
にこにこしながら「こんにちは」な利休。
その賛が面白い。
釈迦佛天下人   釈迦は悟りで天下人
仲尼仁天下人   仲尼(孔子)は仁で天下人
大胆哉利休    大胆かな利休の茶、天下人
茶天下之人    
申し訳ないがサラッと描いたのを載せる。nec220.jpg
雰囲気だけでも味わってほしい。

懐石のお道具を集めたケースをみる。
了入のツボツボがある。小さくて可愛い。
長入の麦藁手筒向付は緑と赤のシマシマ。
左入の赤猪口もある。
むろん樂家だけでなく永楽家のやきものもある。
得全の染付捻り盃、保全の備前写しの片口など。
また道八の色絵桜図鉢も花を添えている。

宗旦自身のこしらえたものがやっと出てきた。
瓢花入 銘「面壁」 中を見せるように刳り貫いている。顔などはないがその姿は確かに達磨大師である。

わび茶と禅とはどこか相通ずるものがあるのかもしれない。

3/17まで。

それから少しばかり逸翁美術館の「漆の美」について書く。
こちらは三/三までだった。
ひな祭りの日に出かけていいものを見せてもらった。
タイトルがまず素敵である。

「漆の美 黒と金の世界」というだけに綺麗な蒔絵の作品が集められているが、それをさらに美麗に見せるしつらえもされていた。
展示室内の壁面や柱に、作品の写真パネルが貼られているのだが、いずれも実物にさらに光を当てたように加工したのか、万華鏡のようにきらめいている。
現物が「黒と金の世界」なのに対し、写真パネルは七彩をみせる。
そしてその写真パネルをみてから現物を探すのも面白い。

また、様々な棗を一つ所に集めて、しかもウェーブをつけた配置に立たせるということもしていて、それが非常に魅力的だった。
一つ一つを個として眺めるのも楽しいが、このような展示だと、全として楽しいものになる。
特に気に入ったものも見つかる反面、普段ならスルーしてしまうものでも、このウェーブの一員として欠かせぬ存在になり、魅力が生きてくる。
随意に配置しているように見えながらも、とても考え尽くされた設置なのだった。

個別に気に入った作品を挙げる。

住吉蒔絵硯箱 桃山~江戸時代 太鼓橋と鳥居と松林というのが「住吉」の決まりであるが、この硯箱の「住吉」は能舞台のように見えた。松林は金と黒で満ちている。波音の聞こえるような住吉の浜。非常に静かでありながらもどこか胸騒ぎもする。波音はやがて謡曲へと変わりゆくだろう・・・

桑木地南天蒔絵見台 小林如泥 縁にアカンサスのような文様の透かし装飾がある。左寄せには南天の蒔絵がある。台の下部には唐草の彫刻がある。
小林如泥は不昧公のお抱え職人だというが、彼は石川淳「諸国畸人伝」にも登場している。
それでなんとなく初対面という感じはないのだが、実際に如泥の作品を見たのはこれが初めてだった。
今後はこの職人の仕事をもっと見たいと思う。

田植取入蒔絵硯箱 働く早乙女らが九人ばかり描かれている。顔は描かれず唇だけは朱い。なかなか艶めかしい構図の硯箱。

黒地神路山蒔絵硯箱 竜胆が青と紫に光る。綺麗な細工をしている。

扇面梅樹外葛花蒔絵乱箱 衣服を入れるだけかと思っていた乱れ箱だが、昔の女の長い髪を入れるということもあったそうだ。
銀の梅に銀の葛花。手の込んだ蒔絵。

秋草兎蒔絵長箱 壁面のあちこちにいる写真パネルのウサギはここから出ている。
3羽のウサギが顔を背けたりなんだかんだで元気に過ごす。ウサギの姿態はリアルに描かれていた。
ススキには露がついている。

桐寄木藤花小鳥蒔絵提箪笥 雀がとぶ。螺鈿の藤が綺麗。逸翁はこの箪笥を外国で購入した小間物をいれるのに使っていたそうだ。

貝尽蒔絵冊屑箱 小川破笠 さくずばことは和歌などでミスったものを入れるもの。しかし逸翁はそれを菓子箱に見立てる。そのあたりに茶人・逸翁のセンスが見て取れる。上部には重ね笠の透かし彫りが連続し、下部には貝の貼り付け。このあたりがいかにも破笠らしさが出ている。

梅鉢文蒔絵大丸香合 豪華なこしらえである。これが写真パネルになると、非常にカラフルになる。

蒔絵塵取 むろん一度として実際にはチリトリになることもなかったろう。逸翁はこれを菓子器にしている。
何がふさわしいだろう。わたしならあの小さい貝殻のようなお菓子「吹き寄せ」をここに載せたい。軽い歯触りの吹き寄せ。生姜砂糖のついたもの・優しく甘いものなどなど。思うだに心豊かになる。

最後に茶室の室礼をみる。逸翁茶会記:昭和28年3月3日の第115会薬師寺会による再現展示である。
その中で目を惹いたのは、水指だった。
黄交チ法花である。江戸時代のものらしいが、永楽家の仕事のようにも思われる。
とても愛らしい。青や紫でなく黄色というのもいい。

いいものを見せてもらった。ひな祭りの日にふさわしい展覧会だった。
 
 

清香会館

夕陽丘高校の清香会館にでかけた。
環状線の桃谷駅から徒歩数分の位置にある。
同じ大阪とはいえ、この辺りに来たのは初めてなので、地図を見ていても位置関係が掴めず、通りがかった女子高生らに道を尋ねると、丁寧に教えてくれた。どうやら彼女らの通う学校らしかった。

学内に建つ清香会館は昭和九年に建造された。設計者は木子七郎である。
木子七郎は松山の萬翠荘、西宮の新田記念館などの設計者として知られている。
わたしはどちらも訪ねたが、非常に明快で且つ優美な建物だった。
昭和12年にはレジオン・ドヌール勲章を授与されてもいる。

清香会館は決して大きくはないがその分瀟洒で、かつて女学校であったときの愛らしい名残が、そこここに満ちていた。
少し前に清水谷高校の済美館にも出かけているが、やはり古い学校にはいいものが遺されている、と実感する。


階段のうねり具合がいい。エレガントである。
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「清香」の「S」の字を意匠化した階段の装飾。
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アールデコ風味も香り、この一点だけでも素敵だと思う。

窓。IMGP1115.jpg

玄関ホールの装飾を見る。IMGP1120.jpg

どうも犬に見えるのだが。
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・・・犬ですね。左右にはグリフォン。

タイルがまた可愛らしい。IMGP1123.jpg

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天井にもタイルがあり、何かの文様が入っている。4ヶ所。
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2対2な造りらしい。

こんなところにも気遣い。IMGP1134.jpg

シャンデリアも窓も本当に素敵。
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こんな壁面も素敵だ。IMGP1119.jpg


外から眺める。
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可愛らしい、本当に愛らしい。
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モダンで瀟洒な建物。IMGP1137.jpg

昭和九年という時代を感じさせてくれる。大大阪の時代を。
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プレートもいい感じに古びている。IMGP1140.jpg

ところで名前の「清香」とは梅花(特に紅梅)をさすことが多い。
笑いほころぶ。IMGP1141.jpg

玄関周辺。
眠そうな照明。IMGP1142.jpg

先の窓を外から見る。IMGP1143.jpg

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受け口で可愛い。IMGP1145.jpg

ところでこちらは創立百年の際に作られた『夕陽丘高校の制服を着るリカちゃん』である。
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こういうのもいい。





大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具 後期

次に茶道資料館で3/10まで開催中の「大松コレクション名品選 近代絵画と茶道具」の後期展の感想を挙げる。
前期展の感想はこちら
近代日本画の名品が15点と茶道具いろいろ。

玉堂 長閑 昭和24年にこの絵が生まれたことを想いたい。山の見える茅葺き民家の村。この村もまたどこかの山の中にある。紅梅が咲き、山からの水が樋を伝って降りてくる。農婦らは背負い籠を負いつつそま道を行く。
玉堂は多摩に移り、敗戦後もそこに住まった。
敗戦により失われたものは多く、また得たものも少なくはない。しかしここには何百年も昔から変わらぬ日本の暮らしがある。田舎が素晴らしいというわけではない。しかしこの時期にこの昭和24年という時代に、奈良時代からさほど変わらぬ暮らしを続けているのも、また日本人なのである。

青邨 宮島詣・航路 対幅。大正三年。清盛のこしらえた厳島神社、そこへ参拝する平安の人々。鳥居を回廊から眺める。潮の時間によりそこへも歩ける。
一方、宮島へ向かう船が描かれている。今ならJRか大松汽船である。貴人は座し、貴女は御簾のうちにある。
絵で見るだけでもいいものだが、実際に宮島に行った身として言うなら、ここはどこがどうということもないのだが、なんだかいい感じのところなのだった。

青邨 おぼこ ボラの幼名である。底には暗いうねりがある。この魚たちは群泳する性質があるそうで、絵にもその性質が描かれている。右へ向かうもの・左へ向かうもの。なかなか可愛らしい。昭和19年。

雪月花を描くという企画を三人の画家が数年間続けていた。ここにあるのは昭和29年の雪月花。

大観 吹雪 ああ、ぼあぼあと薄闇が広がる中に三羽の鳥が翼を広げて精一杯飛んで行く・・・

玉堂 夕月 小舟が止まる。しかし漕ぎ行く船人。ぼんやりと夕月。帆を下ろしているのはもう仕事が終わりということか。

龍子 花宵 白い桜満開。大きな目を見開くミミズクが一羽とまっている。とても可愛らしい。

三人「いかにも」な個性がよく出ていた。白・緑・白の雪月花だった。

松園 虫の音 萩の咲く庭。盲人の三味線。三人の女たち。彦根屏風の影響を言われるが、松園さんの古画の勉強がよく出ている作品。前期でもこの絵は出ていて、やはりいいものだと思った。

松園 春雪 傘が白くなっている。細い女が行く。前髪に紫縮緬の布を置いている。清長のような風情がある。見返り傘美人図。

青邨 水辺春暖 これも前期に続いて展示されている、梅の絵。青邨様式の梅、その中でも特にいいものの一つ。
音楽性を感じる。

松園 夕暮れ 障子を開けて針に糸を通そうとする。この構図はほかにもあるから、昭和16年の時期、松園さんはこのパターンの絵を好んでいたのかもしれない。

松園 文政頃美人之図 娘さんと女中のいる図。娘の着る着物は、薄青からグラデーションをみせて裾に花の散る散る振り袖である。帯は赤に金の紋という、松園さん好みの帯。女中は薄緑の着物で傘を持つ。
この取り合わせをみていると、円朝の「牡丹灯籠」のお露と女中のようでもある。カランコロンと下駄の音をさせながら、萩原新三郎のもとへ通う・・・

土牛 牛 大正15年。黒牛が一本の桜の木の前に立つ。静かな午後。自ら「土の牛」と名乗る画家の心意気を想う。
・・・といいつつ、ステーキハウスまたは焼き肉屋、いや精肉店での牛肉の部位説明図のような牛でもある・・・

玉堂 画手本巻絵 柿、首の白い鳥、荒神箒の三つが描かれていた。
荒神箒は丁度その前日にわたしは購入したばかりなので、妙な偶然に喜んだ。

茶道具をみる。
石山切がある。表具には飛んで行く鳥の図が使われている。

古銅龍耳下蕪花入 近衛家伝来。裾に饕餮君が這い回るが、明代の懐古趣味の現れ。

八幡名物 絵瀬戸茶碗 呉須で花唐草が描かれている。なかなかシックでいい。

数は多くはないが、いいものばかり集まった展覧会だった。
こういうものを見ていると気持ちよくなる。

次は3/27から永青文庫所蔵の香道具展。

兵庫県立美術館の常設展

兵庫県立美術館の常設展を見たのでそのことを少しばかり。

岡本唐貴の作品が出ていた。
白土三平の父上である。3作のうち晩年の2作が長男である白土三平からの寄贈。
(本名なのがまたファンとしてときめくときめく)
白土三平風に言うなら「賢明なる読者諸君はすでにお気づきのことであろうが」、シュールな作品と晩年の風景画の二本立てである。

ペシミストの祝祭 1925年。22歳。三科に参加していた時代。そこに50年後に少しばかり手を加えてから、作者寄贈。

灘の共同画室(神戸市外原田村351) 1979年。王子動物園の近くといってもいい辺り。お子様のわたくしもこの辺りを遠足などで歩いている。画家は神戸で晩年を過ごした。

或る日のカフェ・ガス 1980年。初期のシュールな感覚が消えて、温厚な心持で描かれたような雰囲気がある。
思えばこの頃は「バッカス」かギリシャ神話あたりか、白土三平は。

小出楢重のパリ日記が出ている。1921~1922年の絵日記というか・・・小出はパリに行ってもなんもええこともないわい、という意味のことを奥さんに手紙で送っている。
彼の随筆集の巻末にその書簡などが掲載されているが、かなり笑える。
小出の洋行のヨクナイ感は大阪のおじさんに存在するものだとも思う。
洋行好きな人もいるが、どうも概して大阪のおじさんは外国に行くことを厭う人が多い。
現在もそうだから、こんな時代だといよいよそうかもしれない。
本当はこの時代に洋行できること、それ自体が凄いことなのだが。

とはいえ、洋行後の小出の作品はやはり飛躍的によくなっているのは確かだと思う。
本人は得るところナシと言い切っているが、やっぱりエエ影響は受けておるに違いない。
第一暮らしぶりがモダンになったではないか。
そんなことを思いながら作品を見るのも楽しい。

神戸風景を描いた作品を色々と見る。
よく三都物語として、京を日本画・大阪を洋画・東京を新版画で表現するのを見るが、神戸の場合どの技法がよいだろうか。
小松益喜の洋画、川西英の木版画、神原浩のエッチング・・・
それぞれの味わいを楽しむ。
わたしは特に川西の1931年の「神戸12ヶ月風景」がいい。「一月新開地新春」「二月六甲山積雪」が出ていた。

神戸といえばやはり鴨居玲をスルー出来ない。壁にかけられた三枚の絵を見ると、別に神戸でなくてもよいのだと改めて気づくが、しかし彼はやはり神戸の画家としてそこにいなくてはならない。

むろん小磯良平を忘れることは決して出来ない。ここには常設室があり、六甲アイランドには記念美術館がある。
小磯のハイソサエティのご婦人方を描いた絵など、いつ見てもいい。
小磯の絵には上質な安寧さがあり、それが見慣れた作であっても退屈さをよばない力だと思う。

金山平三の常設も原田の頃から続くが、わたしはこの画家は大石田の風景や外国の田園風景などより、油絵の具のいやらしさがよく出た芝居絵がベストだと常々思っている。
今回も芝居絵や、またその傾向の強く出た作品に惹かれた。

長崎の蒲鉾屋 店先を描いていて蒲鉾は見えないのだが、確かにそこに蒲鉾屋があるように思われる。魚を練り練りに練って形を整え、焼くなり蒸すなりして拵える蒲鉾・・・
お弁当にも酒のあてにもいい。

焙烙割り(壬生) これは壬生狂言の一番の見ものたる「焙烙割り」を描いたもの。
金山の歌舞伎好きなのは知っていたが、壬生狂言も楽しんでいたらしい。
近年あまりに壬生狂言の人気がありすぎて見に行きにくくなったが、その人気の狂言でもこの演目は欠かさず演じられるものなの。焙烙に厄除けを願うのだ。
絵は舞台正面から描くのではなく、シモテから描いている。金山がどの位置で見ていたかはわからないが、面白い構図だった。

盛岡のうどん屋 これもベタなよさがある。変なたとえだが、泥絵の具でうどんの絵看板を描いたような面白さがある。

弁天橋ぎわ金くず屋 これがどこのことなのかはわからないが、金くず屋の油というものが手に着いてきそうな絵。

わたしはこの四点に深く惹かれたのだった。

次にはまたいろんな画家たちの作品を見る。
明治の油絵というものが最初に現れる。
洋画で描く物語絵・故事来歴を描いた絵などである。
本多錦吉郎 羽衣天女 これもいかにも明治な一枚。
神中糸子 桃太郎 おばあさんが拾う。
このあたりの絵を見ると、先人の苦労が偲ばれる。

岡田三郎助 萩 この絵を最初に見たのは90年頃だから古い話である。当時の兵庫県立近代美術館でみている。
三郎助らしい愛らしい和装美人が藍色の着物を着て、藍色の背景に立つ。

南薫造 五境(2) インド美人が描かれているが、タイトルの意味が分からない。1916年。インドブームの時代か。

新井完 鹿の本生誕 少女と周りに佇む鹿と。ジャータカを描く。

国枝金三 大阪街景 1928年。灰色の空。大大阪の時代、煤煙に汚れた大阪。川と建物とがぎしぎしに描かれている。国枝、辻、鍋井ら小出の僚友たちが描く大阪風景は、いずれもモダンで現実よりかっこいい。

前田寛治 ベッドの裸婦 最初にこの絵を見たのは集英社あたりが出していた日本の洋画といったアンソロジー画集でのことだった。
大胆な構図で画面いっぱいに裸婦がいる。色の配置もいい。点描ではなく筆でボンボンと置いている。それが妙なナマナマしさをみせている。

日本画が少しばかり出ていた。
菅楯彦 寒山行旅 中国の武人らの寒中行軍を描いている。なんの故事から来たものかはわからない。

森田恒友 雪の会津 ケラや蓑をつけた人々がいる。雪の深い会津のどこかの情景。

いいチョイスなのだが、期間がいつまでなのかがよくわからない。
とりあえずわたしが「フィンランド」展をみたときはこんな展示があった。



クールベ展

大丸梅田のミュージアムは改装後、まだ行ってなかった。
クールベ展から見始めるというのも良いことだった。
今回の展覧会は釧路に始まりこの梅田に来た後は呉に行き、首都圏には巡回しないそうだ。
貴重な機会めぐり合えて嬉しい。
展覧会の案内を見る。
「19世紀フランス絵画史上における重要な画家のひとり、ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)。古い時代と不平等な社会を嫌い、権力を恐れず“眼に見えるものしか描かない”という自らの主張を貫き、数多くの傑作を残しました。
本展は、クールベの生地であるスイス国境沿いの農村、オルナンにある“ギュスターヴ・クールベ・インスティテュート”の全面的な協力を得て実現した展覧会です。
初公開となる油絵8点を含む多数のクールベ作品。そして晩年のクールべを支えた画家たちとの共同作品やクールベを慕う画家によるオマージュ作品など約110点を紹介します。」
リストがないのが苦しいが、自分のあいまいなメモで感想を挙げてゆく。

クールベの故郷オルナンを舞台にした風景画が多く出ていた。

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緑はもりもりと濃く、岩肌を見ると、なるほどジュラ紀カンブリア紀という古世代の記憶はこんなところに潜んでいるのかと思わせてくれる。
水はあくまでもゴーゴーと流れ続ける。

クールベが猟が好きだというのは絵を見てもわかるが、その絵の中に描かれた風景を見ていると、深い同意が湧いてくる。わたしなどは猟も森もニガテだが、この描かれた世界を見ていると、なるほど猟をせずにはいられない心持というのもわかる気がする。
ジビエ料理が食べたくなる、そんな風景画だとも思う。

さて細かいことを少しずつ。

岩場の多い風景の中の画家とモデル タイトルが随分長いが、絵の構図の説明としてもピッタリである。超ロング。茶色い岩にモコモコの緑。その真ん中に小さな人の姿。
望遠レンズでのぞく世界。

オルナンの釣り人 渓流が綺麗。実景しか描かないという画家の言葉を信じるなら、ここは本当にすごいマイナスイオンと葉緑素の集まる場なのだった。

左:ブレームの滝 右:岩山の滝
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ブレームの滝 白い水しぶき。昼間の渓流。この辺りの絵は全てロングで捉えられた風景画。

舟遊び 川での舟遊び。十年前に大阪市美で見た人物のクローズアップされたものではなく、あくまでもロングの景色。

オルナン近郊の断崖 緑が濃い。遊び場よろし。これは実は珍しいことに架空の風景だそうだ。オルナン地方のクールベ好みの風物を取り合わせた景色。
・・・どことなく「世界の起源」を思い出させるようなカタチですなあ。

ルー川の源流 これはメトロポリタン美所蔵の絵のプロトタイプ。構図としてもとても面白い。板で水の流れを変えようとしている。こうした水辺の土木を見るのは、個人的にも楽しい。岩奥深くに建物もある。形式としては日本で言うところの「舞台作り」に見える、懸崖での。

サントンジュの風景もしくは樹木 この頃コローに出会い、一緒に仕事をしていたそうだ。
1868年、夕日の時間帯。

三枚の板画の戯画がある。連作「会議物語」。1868年。板に白で線描。
会議の始まり 昼食作りの光景が広がる。
争い または窓外投げ出し事件 もめてますな。
日没 または司祭館への帰還 ぐったりする。ベッドに倒れこもう。

木のある風景 1840年。まだ若い頃の絵。少しばかりロマン派風。
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1872年の作品が集まる。
匂いアラセイトウのブーケ 赤い花が濃い。葉茎から強い匂いが漂っていそう。籠に入れられているが、辺りに匂いが撒き散らかされている。

りんごの静物 三つばかりあるが、オレンジ色でひしゃげ方がひどい。

牝鹿と猟師のいる風景 川を挟み対峙する牝鹿と猟師の姿を、手前こちらから捉える。凛とした鹿。解説によるとクールベ自身を仮託した作品らしい。

雪の中の猪 ブヒブヒ。勢いよく走りこむ。こういうのを見るとニコライ・A・バイコフ「偉大なる王(ワン)」を思い出す。虎の王様のワンの一番好きな食べ物は猪だという話。
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少し後年へ。
ジュラ地方の風景 むき出しの岩が巨大な骨のようだ。緑に覆われてはいるが。これを見るとこの辺りが本当にジュラ紀の発掘現場?というのを実感させられる。
「狂風記」で市辺押歯皇子の巨大な歯が見つかる描写、あれを思い出しもする。

シヨン城 これは名高い左手側からの絵ではなく、右手の岸辺から歩いてゆける位置からの風景。1875年。わりと近いなという実感がある。城と坂道と。湖には小さいヨットが見える。バイロンの「シヨンの囚人」は前述の絵に影響を与えたかもしれないが、この位置からのシヨン城は、地元の観光名所である。悪い意味ではなくに親しみがある。

ゼリィ・クールベの肖像 1853年。彼女はギュスターブの妹たちの中でも特に兄に愛されたそうだ。しっかりしたデッサン。静かにこちらをみつめる女。

クールベは人物描写が下手だと敵から色々攻撃されたようだが、このあたりの絵を見ると、敵たちの適当な悪口だと実感する。
ここにはないが、眠る裸婦やジプシー女などの絵は非常に魅力があるし。
しかし攻撃されてしまうようなところを彼自身が作ってしまう、というのは納得できる。

犬に襲われる鹿 1865年。鹿の目つきがたまらない。方眼紙に描かれているが、非常にいい作品。
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スイスのもてなしに対するオマージュ 1875年。亡命先のスイスでよくしてもらったお礼にと胸像を拵え、それをリトグラフにしたらしい。
スイス、ありがとうという気持ちがあふれている。不遜な彼にしては随分素直な礼である。

チョークによるスケッチなどが色々並ぶ。やがて彼自身のデスマスク、手の石膏、愛用のパイプ、パレットなどが展示される。

その先には彼の仲間や同時代の画家たちの仕事が展示されていた。
ナルシス・ド・ラ・ペーニャ 森の外れ 赤がチラッと目立つ。森の外れにいる二人。柵を作っているのか。
彼の描く女たちの魅惑に溺れているものとしては、いつかド・ラ・ペーニャ展を見たいと思っている。
ところで彼はクールベのことを評して、自分の絵は居間や応接室に飾れるがクールベの絵は台所だとかそんな意味のことを言うたらしい。

オノレ・ドーミエ クールベの戯画を描いている。しかしからかってるのか逆に「クールベがんばれ」なのかは判断できない。

色んな画家によるクールベの肖像画があるが、若い頃のナルシーくさい自画像を思い起こすと、晩年のいろんな人によるクールベ像は、ちょっと嫌なタイプに成り果てているのを感じる。トシを取ったせいではなく、本人の心持のせいかなあ。

とはいえクールベには敵ばかりではなく味方もいた。
ケルビーノ・パタ ポン・ポールのクールベの最後の住まい この家、どことなくシヨン城に似ている・・・

またクールベの作品を後にリトグラフにするのが流行ったか、随分そんな作品があった。
プレジール泉の渓流にある鹿の隠れ家 オルセー所蔵原画の銅版画。鹿たちのカノコ模様、木漏れ日・・・この雰囲気は銅版画により生まれた、和やかなもの。

この展覧会はなかなかよかったが、ショップがちょっとわかりにくいというか買いにくい感じがあった。
この先も大丸梅田ミュージアムがいい展覧会を続けてくれることを期待している。
3/11まで。 

フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活展

フィンランドデザイン展に出かけた。
わたしが行ったのは兵庫県立美術館展。静岡市美術館のチラシも素敵だったが、たまには地元でじっくり眺めなくては。
・・・と思ったのだが、じっくり眺めるというのはほぼ不可能だった。
何しろすごい混雑で、お客さんてんこ盛り状態である。
フィンランドのデザインがそのシンプルさから大人気だということは知ってはいたが、こんなにも支持されているとは思わなかった。

少し前にサントリー美術館でフィンランドのガラス製品ばかりを集めた展覧会があった。
あれはさすがサントリーという、センスのよい照明と配置とで楽しませてくれたが、実際のところ<わたしは>そのシンプルデザインにあまり関心が湧かなくて、展覧会そのものはよくても展示品自体には愛情が寄せられなかった。
今回もそのシンプルさに対して、わたしは薄情だった。
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装飾過剰なのもいやだが、シンプルすぎると、わたしは「用の美」とか云々以前に「なぜそれでこの高値なのだ」というある意味根源的な問いかけをしてしまうので、楽しめない。
シンプルすぎるものを見て、そこに侘しさを感じ取ってしまうのでは、それはもぉどうにもならない。

だからその辺りの展示を見ても何も感じず、工業デザインの強さと言うことを考えたり、大量生産によるコスト削減とか、殆ど芸術から遠く離れたことばかり考えていた。
フィンランド・デザインといえばマリメッコが有名だが、ここに出ているテキスタイルのうち、確かに「芥子」柄は可愛い。可愛いし、欲しい。欲しいが高い。そしてあまりに多くの人々が手にしすぎている。
そうなるとわたしの購買意欲は眠ってしまう。
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マリメッコのテキスタイルが天井から吊り下げられている。それを見ながら、やっぱり芥子柄は可愛いと思う。思いながらもあれはトートバッグにはいいが服にはムリだと思う。
フランスのデュフィのテキスタイルデザインばかりを集めた展覧会が随分前に大丸で開催された。そのとき、デュフィのデザインはスカーフやブラウスにはいいと思った。
とはいえ大物すぎるデザインにはちょっと合わない。
マリメッコのそれも同じ。大きさによるだろう。
どうしても工芸品を見ると、こんなことを考える。

ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンのほかの仕事もまとめて見る。
彼女の展覧会は以前から随分多く開催されている。
わたしは98年ごろか、やはり大丸でトーベ・ヤンソンと周辺の企画展を見ているが、そのときも人々の関心はムーミンに向いていた。
これは日本の場合仕方ない。
誰もがみんなムーミンを知り、愛しているからだ。
変な喩えだが、世田谷の長谷川町子美術館には素晴らしい近代日本画・近代日本洋画のコレクションがあるが、あのミュージアムに行く人の9割はサザエさんなりいじわるばあさんなりを楽しみに出かけるのである。
コレクション展を楽しみに出かけて、リストはない・サザエさん客の騒ぎに悩まされる・絵葉書くらい作ってほしい・・・といった何やらカナシイ状況を味わうばかりで、しょぼんなのだが、それと「ムーミンとフィンランドデザイン」展はとても似ていたのだ。

しかし今回の展覧会はそこまでの悲哀はない。ムーミンの力が薄れたのではなく、それと同じ程度にデザインの魅力が大きかったのだ。
これはたいへんすごいことだとわたしなどは思う。
それでお前は何を目的に見に行ったのか、と問われれば「じつはわたしはカレワラが楽しみで」と、1割にも満たない意見を声を大にして言うのである。

カレワラこそはスオミ(フィンランド)の人々の魂の根源である。
言い切っても間違いではないと思う。
中学校のとき音楽の教科書に「レミンカイネンの歌」というものが載っていた。
そこには村上勉の挿絵があり、レミンカイネンの横顔が描かれていた。
歌詞も大半は忘れたし、メロディは最初から知らないが(実はこの歌は習わなかったのだ)、一目見ただけでときめいた。
そもそもレミンカイネンという語感がいい。小さい頃は英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・ロシア語圏の名前は知っていても、北欧の名前など知らず、それだけにときめいた。
しかも挿絵は大好きな村上勉である。
これだけでもときめかずにいらりょうか。

(中二の音楽の教科書より。
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久しぶりに引っ張り出すと、けっこう記憶が確かなのにも感心する。)

やがてコクヨや極東ノートではないノートを使うようになる。
あるとき手に入れたノートの表紙にはフィンランドの鳥瞰図が描かれていた。
サウナもフィンランドが発祥だと知る。
そしてアンデルセン「雪の女王」を更に深く読み込むようにもなる。
物語にはラップランドのおばあさんとフィンランドのおばさんとが現れる。
北欧諸国の違いなどを知る。
やがてエリンを舞台にしたケルト神話を絡めた、あしべゆうほ「クリスタルドラゴン」に夢中になり、そこに踏み込んだ挙句にアイスランド・サガ、エッダ、カレワラにも進む。
アイルランドからなぜ北欧に飛んだかは、よくわからない。偶然の重なり合いと言うこともある。同時にゲルマン神話にもわたしは奔る。

手元に「カレワラ・タリナ」という一冊の本がある。
第三文明社から出たカレワラの抄録本である。
高校の頃から比較神話学にのめりこんでいたわたしは、この本を手に入れて喜ぶ。
ここにはあのレミンカイネンもいる。彼がカレワラの中ではさして重要人物ではないことを知る。知るがファン心理は別である。
丁度「水滸伝」を国芳の武者絵から知った者が、九紋龍史進が百八人の好漢たちのうちで重要人物ではないことを知って尚、愛し続けていくのと同じ心持である。

カレワラにはワイナモイネンという老人が誰よりも重要な位置に立っている。
彼は賢者であり詩人でありそして冒険者である。
だが彼は最初から老人として生まれ、そのために賢くはあっても若い女の愛を得ることは出来ない。
ワイナモイネンに恋愛は成立せず、彼の求愛は時に悲劇を生む。
ワイナモイネンと知恵比べをし、負けたために妹をやると宣言した馬鹿な男がいる。
その男の妹・アイノの悲劇はここでも絵になり、展示されていた。

アイノはいつまでも父母の娘であり、兄の妹でありたいと願うのだが、兄の浅はかさ、母の喜び(母はワイナモイネンを家系に加えたがる)に追い詰められ、自ら水中の人となる。
母は嘆き、世の母たちに「娘の望まぬ婚姻を押し付けてはなりません」と呼びかけるが、もはや手遅れである。
絵は全裸のアイノがワイナモイネンから逃れようとする姿を描いているが、彼女は水中で第二の生を手に入れ、魚の娘となり、釣りをするワイナモイネンの手から二度までも逃げおおせるのである。

ワイナモイネンはアイノだけでなく、「ポポヨラの娘」たちにもフラれる。
シベリウスの交響曲として知られる「ポポヨラの娘(ポヒョラの娘とも表記される)」たちは美貌で、長女はワイナモイネンでなく鍛冶屋のイルマリネンを選ぶ。その婚礼の前哨戦に魔法のサンポが絡んでくるのだが。

カレワラは登場人物たちが非常に魅力的で面白く、物語の展開も言えば壮大なものではなく、ご近所的な親しみやすさもあり、神話と言うより民間伝承の大掛かりなものという雰囲気が強い。

その辺りがたぶん一番の魅力なのだろうと思う。
レミンカイネンが魅力的なのも、彼がオトコマエの女たらしで向こう見ずの冒険好きな青年だからで、わたしはちょっとばかり彼にブルース・チャトウィン「ウィダの提督」の主人公(というよりヘルツォークの映画「コブラ・ヴェルデ」、タイトルロールをクラウス・キンスキーが演じた)を思い起こしもしているのだった。

ここに展示されているカレワラ関係の絵画は全てアクセリ・ガレン・カレラによるものだった。
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ワイナモイネンとアイノ 1890年。この絵はwikiの「カレワラ」の項目にも使われている。

サンポの奪還 1895年。剣をふるう老人はワイナモイネン。アイノにさしのべる手は届かずとも、ポポヨラの討っ手たちに対する手は厳しく鋭い。
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レミンカイネンの母 1905年。物語の順から言えばもっと前になるが、描かれた時代は少し後になる。
レミンカイネンは向こう見ずで傲慢なためにいらぬことをして殺されてしまう。母はそんな息子の死骸を集めて蘇らすのだ。
オトコマエで女たらしでわがままな倅を持つと、こんな苦労をしなくてはならなくなる。
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こちらもまたカレワラから材を採ったような絵柄。
角笛を吹く男性は何かを告げようとしている。
ポスターのタイトルは「国民の啓発/歌と音楽の祭り/1900年、於ヘルシンキ」。
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ところでカレワラに関する単語が出たマンガは私が知る限りは以下である。
「ファンシー・ダンス」で北欧の青年が「エッダもカレワラもある」と言うシーンと、「テレプシコーラ」第一部ラストで六花ちゃんが「トゥオネラの白鳥」を踊るシーン。
この二つ以外は見たこともない。


結局のところこの展覧会でわたしが一番気合を入れて見ていたのはカレワラ関係だった。
というより他に関心が向かなかったというべきか。
とは言うものの、アアルトのイスや19世紀末から20世紀初頭の建築とその写真には大いに惹かれ、こうして絵葉書を購入もしている。

フィンランドの建築家といえばサーリネンしか思い浮かばない。
20世紀最初の年に作られた「ポポヨラ保険会社ビルディング」。外観しネオ・ゴシックにも見える。特に左下などはヴォーリズの大丸心斎橋店を思わせもする。
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そしてその装飾は物語と密接な関わりがあるようにも見える。
内部はアールヌーヴォーというよりゼセッション風味も感じるつ。
特に右上の階段がいい。

北欧の建築は自分の知る建築とはまた様相が異なる。
その装飾性は他と一線を画しているが、ここにもカレワラが顔を見せていることを知る。
様式としてはやはり世紀末は世紀末の美貌を共有しているのだが、独自の発展を遂げていることに引き寄せられた。
ただ、ここに展示されているのはごく一部なので、もっと知りたいという欲望が募ってくる。
その意味ではこの展示はフィンランドを知るための第一歩として、とてもよいものだとも思う。

最後にムーミンをやっぱり呼び出そう。
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この挿絵、見ただけで死にそうだ。なんだかよくわからないがものすごい。
自分らのイメージするムーミンからかけ離れ、だからこそ面白くも思う。
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「シャンデリアとご先祖を見上げるムーミン」・・・ホラーにしか思えない。
これで手足が変な方角からはみ出ていたり、網の表面に巨大な女の顔が浮かび上がっていれば、諸星大二郎の世界に変貌するだろう。
諸星化するムーミン・・・
冬眠するムーミンたちだが、薬品の配合を間違えて、カプセルから出たときには手足バラバラ(「暗黒神話」)、谷の外には出ることが出来ない(「諸怪志異」の「籠の子どもたち」)、ニョロニョロの中にはヒトニグサもいるかもしれない。
11人いる!(!!)ヘムレンさんはただの影の分裂かも知れず、一人に戻ると違う姿を見せる可能性がある。あの横顔だけを見れば馬の首星雲のようにも思われる。
・・・・・・・ などと、妄想は無限に湧いて出る。

他にもなんだかんだと見ているはずだが、たちの悪いカゼのせいで記憶がすっ飛んでいる。
こんなことしか書けないが、しかし見るものの多い展覧会ではあった。3/10まで。

おひなさま 三井家と京都文化博物館所蔵品

ひなまつりである。
あちこちのミュージアム、記念館などで旧家の雛人形とひな道具、それに可愛らしい御所人形や衣裳人形などが展示され、多くの観客からの賛嘆の声を受けて、キラキラしている。
見られる側の人形は取り澄ましながらもキラキラ輝き、見る側の人間は目を心をキラキラさせている。

今年のひな祭り、わたしは二つのミュージアムでそれぞれ見事な雛人形を楽しませてもらった。
尤も当日は自宅の雛人形を眺めていて、これから挙げる分は少し前に見たものばかりである。

三井家のおひなさま
三井記念美術館の毎年恒例の展示を見に行った。
今年は北三井家十代高棟夫人、11代高公夫人、高公の一人娘・浅野久子氏、伊皿子三井家九代目高長夫人らの所蔵した豪華な雛人形が集められていた。

中でも浅野久子氏の人形は京都の丸平・大木人形店・五世大木平蔵のこしらえた雛人形が見物だということである。

丸平・五世大木平蔵の優美な人形たちはこの三井家だけでなく、地元ででも見ることがあるが、いずれもすばらしい造形を見せている。
特に今月は京都の丸平文庫で雛人形の展覧会があり、去年見せてもらったときには、ただただその優美な世界に感嘆するばかりだった。

今回は三世から五世の平蔵の人形を楽しませてもらい、こちらは感心のあまり首を木偶人形のように振るばかりだった。

江戸と上方の人形はお道具からしてもいろいろと違いがあるものだが、ここでは京人形の名品が並ぶので、上方者のわたしとしては親しいような気がする。

チラシの御殿作りの雛壇は五世平蔵によるもの。
御殿づくりは上方の文化。
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江戸と上方の違いはまだある。お道具でも上方のそれには台所そのものがある。ちゃんと井戸もあり、まな板、ざる、包丁なども揃っている。
こういう妙にリアルなところがいい。

五人官女は衣裳人形に近い風情があり、五人それぞれ違う面立ちをしている。
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代々の平蔵の仕事も微妙な違いを見せる。
それは個性の違いというより時代背景の違い・流行の違いというものが主に影響しているように思われる。
こちらは三世平蔵の内裏雛。明治半ばの人形。
京の人形師ではあるが、並び方は東京方式を採っている。

三井家に生まれた娘・嫁してきたもの、それぞれが「お印」を持っている。
貴人は必ず自分だけのお印を持つものと決められているので、そのお印の柄だけで何代目の誰某とすぐわかるようになっている。

そのことを踏まえながらお道具を眺めるのも楽しい。
比較したりするのはよくないことだが、自分の記憶にある大名の姫君たちの雛人形や道具が思い出されてくる。
いずれも可愛らしいお道具にあふれていた。
近年では立花侯の姫のそれが忘れられない。

この展覧会ではほかに三井家の酒のうつわや屏風なども展示されていて、それらも一見の価値のあるものばかりだった。
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色絵鶴徳利 可愛いから前々から好きだが、改めてこのポーズを見るとバレエのようだとも思う。
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わたしはおもちゃや人形を集めて描いた屏風にドキッとした。
それは命のない人形たちを集めて描いた屏風絵なのだが、妙なナマナマしさがあったのだ。
絵師が誰かはわからないが、不思議な魅力と面白さに満ち満ちていた。

4/7まで。

次に京都文化博物館に所蔵されているお雛様たちを見る。
いずれも吉川観方コレクションである。
恒例のことながら、吉川コレクションの幅広さ・奥深さには感嘆するばかりである。

並び方はいずれもいわゆる京風という古様である。
有職雛・古今雛とお台所が出ていた。
安政年間の有職雛。孝明天皇の時代のリアルな髪型・装束を纏うた雛。
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こちらも幕末の有職雛で、男雛は直衣姿。女雛はおすべらかしで額の生え際に麿眉(造り眉)を置いている。

文政年間の有職雛。狩衣雛。高倉家のものらしい。正確無比な装束の再現である。

最後に古今雛。江戸で生まれた、公家への憧れが生きた雛である。それがやがて京へも逆輸入され、人気となったようだ。現行のお雛様とお内裏様の直接の祖先だといってもいいだろう。

上方の雛道具にはこのように台所セットは欠かせなかった。
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こうして眺めていると、わたしも久しぶりにしみじみと人形で遊びたくなってくる。
姪がいず、甥ばかりなのでもう楽しめないかもしれないが。
3/31まで。

こちらはお友達からいただいた雛菓子。ありがとうございます。
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家のお雛様にはバラ寿司・ひなあられ・桜餅に菱餅・桃の花をお供えした。

三月の予定と前月の記録

早いもので春は三月弥生の空よ、という状況。
春になれば浮かれ心も騒ぎ出し、体調不良もなんのその(いえいえ、まだまだあきまへん)。
おでかけしましょう、みなさん。


ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人 ニューオータニ美術館3/16~5/26
かわいい江戸絵画 府中市美術館3/9~5/6
近代日本の歴史画 野間記念館3/9~5/19
ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア  ブンカムラ3/9~4/21
ランシス・ベーコン展  東京国立近代美術館3/8~5/26
住友グループ秘蔵名画展~花~ 泉屋分館~5/12
ラファエロ 国立西洋美術館~6/2
狩野派以外も大賑わい 板橋区立美術館~3/24
奇跡のクラーク・コレクション 三菱一号館美術館~5/26
日常の美 浜口陽三春コレクション展~伊東深水をはじめ 新版画とともに~ミュゼ浜口陽三~5/6
エドワード・スタイケン写真展モダン・エイジの光と影1923-1937 世田谷美術館~4/7
春を祝う―仁清・乾山・光琳― 畠山記念館~3/20
花・鳥―しあわせの予感 松岡美術館~4/14

ほかにもお台場の建築展などなど。

収蔵コレクション展12 添田啞蝉坊・知道展 明治・大正のストリート・シンガー 神奈川近代文学館~4/14
つまみかんざし シルク博物館~3/24
観光地鎌倉と鎌倉彫 -近代鎌倉のガイドブック- 神奈川県立歴史博物館~3/24
ベースボール・シティ横浜 -ハマと野球の昭和史 横浜都市発展記念館~4/7
スポーツがやってきた!~近代横浜スポーツ史~ 横浜開港資料館~4/21
ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家 横浜美術館~3/24

久しぶりに大仏次郎記念館にも。

クールベ展 大丸ミュージアム梅田~3/11
花の美、石の美、庭園の美 大和文華館~3/31
若狭・多田寺の名宝 龍谷ミュージアム~4/7
書画と白磁、そして民画の世界―朝鮮時代の絵画と陶磁 高麗美術館~3/31
漆の美-黒と金の世界- 逸翁美術館~3/3
「美術館改修記念館所蔵名品展」後期-田能村竹田水墨画・川端玉章四季山水図・韓国陶磁器・中国古鏡・帯鉤など-  寧楽美術館~3/15

お水取りも行かなくてはならぬ。

円山応挙展 江戸時代絵画 真の実力者 愛知県美術館~4/14
山海評判記 鏡花記念館~4/14

金沢と名古屋をはしごする予定。


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