美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

藤田嗣治 本のしごと

日比谷図書文化館の「藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に」展は、藤田嗣治を身近に感じられる展覧会だった。
先般、松濤美術館が「愛書都市パリ」という企画展を開催したが、そこでフジタの「本のしごと」を見てときめいた人も多かったろう。
わたしはフジタの「海龍」に再会できたことが嬉しくてならなかった。
今回はそんなフジタの仕事ばかりを集めた展示である。

フジタの「本のしごと」は1920年代がメインだった。
その時代のフジタはパリにいたが、日本とフランスの交流が盛んになり、居ながらにして日本の様子を知ることになったり、日本をモティーフにした作品を望まれるようになった。

1.フランス時代 記憶のなかの日本
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「朝日の中の黒鳥」は駐日大使ポール・クローデルの著作で、フジタは朝日を背景に鋭い目をした黒鳥を描いている。黒鳥=クローデルというシャレである。

「七つのハイカイ」個人的にウケるタイトルである。わたしは「七恵のハイカイ」を日々この場で書いている(笑)。

「日本昔噺」 我々のイメージするフジタの線とは違う線で描かれている。解説によると菊池容斎の「前賢故実」を源泉としたもの、とある。
菊池容斎の「前賢故実」は時折、そう奈良県立美術館での企画展などで見かけることがある。日本の正史・稗史関わりなく、日本人の知る歴史上の有名人を描いた版本である。
フジタの描いたものは「玉取り」「羽衣」「浦島」「日本武尊」などなど。
しかし「前賢故実」を源泉にしたと言いながらも、やはりどこかジャポニズム風な趣がある。

「海龍」があった。これはジャン・コクトーが1936年に来日した際の体験記を元にしたものだというが、芸者や女郎、そして車夫や子守などが描かれていて、コクトーが何を見たかを想像させてくれる。
わたしが最初に見たのは「抜けられます」(ます、は□に斜線の入ったもの)の看板の下の女郎たちの顔だった。玉の井の風景。
フジタにこんな絵があるのか、と驚いた随分昔の話。

今回も芸者の絵などがある。
ところでこの1936年は二月に226事件が起こり世相が暗くなったのだが、コクトーが乗った船にチャップリンもいて、二人は言葉は通じずとも身振り手振りで楽しく喋り、日本へ来たということだった。
そして、その日の新聞のトップが、二人の来日記事なのだが、下半分は別な記事で埋められていた。
「愛の完成です」にっこり微笑む阿部定逮捕のニュースだった。


2.日本の文学者たちとの交友 洋行文士たちを中心に
日本に帰国したフジタはこの時代に交友のあった文士たちのための「本のしごと」をしている。

岡本かの子、川口松太郎、林芙美子ら当時大人気の作家たちのために仕事をしている。
いずれも日本的情緒とはかけ離れた、やはりパリの匂いのするかっこよさがあった。

驚いたのは岡田八千代との関係だった。彼女は小山内薫の妹だが、フジタの従姉妹とは全く知らなかった。
それも小山内・八千代兄妹はフジタと仲良しだったという。


3.戦前の雑誌の仕事 婦人雑誌を中心に
フジタはおしゃれな婦人雑誌の表紙絵をたくさん描いていた。
どれを見てもとてもシャープでおしゃれで、小粋である。
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「婦人画報」「ホームライフ」の素敵なフランス女性のバストアップの横顔、明るいポップさの漂う全身像のイラスト、1930年代の都市文化がこれらの表紙絵が象徴しているようだった。

「婦人之友」は1935年の一年間連載している。フランスのあちこちの風景を切り取った表紙絵がかっこいい。

またその時代の最先端を行く、作家でありデザイナーであった宇野千代が出していた「スタイル」誌の表紙も描いている。1936年、かっこよすぎる!!!
ときめきましたな~


4.詩人たちとの交友
戦前から戦中にかけての詩集には、繊細な水彩画で人物や風景を描いている。

中でも森三千代「インドシナ詩集」が魅力的だった。熱国のインドシナを水彩によってすっきり描いている。森は詩をフランス語で書いている。戦前の仏印の状況を想う。
それたけでもときめく。


5.麹町区六番町のアトリエ
ここでは1941~42年のアトリエでのフジタを写した土門拳の写真がある。
フジタは土門を信頼し、いろんな姿を見せている。
なんと言っても猫とくつろぐフジタがいい。


6.戦中・戦後の仕事
戦争画を描いていた時代、フジタは戦争あるいは軍隊を描いた小説や詩集の表紙絵も描いている。
そして戦後すぐに刊行されだした「女性」や「婦人公論」の表紙絵をも手がけている。
やはりフジタはフランスの味わいのする作品がいい。


7.自著本と作品集
1929年の一時帰国の際に刊行したエッセイ「巴里の横顔」がとてもシャレている。
簡単な線描による女の横顔だが、なるほど確かに「巴里の」「横顔」にもみえるのだ。
わたしはこれらの作品を見るうちに古い映画「望郷」を思い出した。
ペペル・モコがパリから遠く離れたアルジェのカスバに身を潜めながら望郷の念に駆られている。そこへパリの香りを纏いつかせた、パリそのもののような女ギャビーが現れる。
二人の他愛ない会話はパリの事象・文物で固められている。
パリへの強い執着。それがペペル・モコを破滅させてしまうのだが、フジタにもそのパリへの強い執着が感じられた。

「腕一本」ブラいっぽんと読む。1936年のエッセイ。そして1942年の「池を泳ぐ」。とてもシャープでおしゃれな本だった。

8.ふたたびフランスへ 戦後の豪華装幀本
口を堅く噤んだ子供たちを描いた絵が思い浮かぶ。そう、これは一連の作品だったのだ。
美麗な挿絵がどんどん生まれてゆく。
1950年代の女を描いた挿絵などは、その30年後の日本のレディスコミックの女たちの先駆のように、綺麗で魅力的だった。

フジタの「本のしごと」、それを深く楽しめるいい展示だった。6/3まで。
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佐脇健一 未来の記憶

目黒区美術館の佐脇健一展は「未来の記憶」という副題がついていた。

かつて東京都現代美術館で「未来都市の考古学」という展覧会があった。
それは未構築の建築をCGなどで作成したものを見せていた。
仮想の建造物を実空間で見せる。
しかもそれは全て過去に構想されたものばかりなのだ。
だから「未来都市考古学」というタイトルが付与されたのだった。

この佐脇健一の展覧会のタイトルは「未来の記憶」である。
未来にまで引きずり続ける記憶を言うのか、さらに先の未来から、その「未来」のありさまを見た記憶を言うのか。
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会場には人の姿がほぼ失われていた。
観客の数だけの問題ではなく、佐脇健一の世界観は人間を追い出しているようにも見えた。
人間の作った施設・機械、それらが捨て置かれて廃墟になり、朽ちてゆく。
多くは砂漠のようなところに設置されているから、腐食の仕方も緑の中での緩やかな傷み方を見せるのではなく、錆を見せながら赤く或いは黒く崩れてゆく。


現代美術はわたしにとって、非常にわかりにくいものだ。
<それが何を意味するのかを知りたい>と思うわたしのような観客は、多くの場合現代芸術からはじき出される。
文芸を基にした古典美術から近代美術はたいへんわかりやすいが、現代芸術は作者からの言葉あるいはその意味を知る人の導きがない限り、全くわからない。
今回の佐脇健一の作品も正直なところ、わたしには何を意図してのものなのかわからなかった。
ただ、目の前にある作品はほぼ全てが、廃墟のイメージを一目見ただけで伝えてくれる構成をしているので、わたしはここにあるものを廃墟だと看做して見て歩くことが出来た。
とはいえ、リストにある作品のタイトルと現物が一致せず、メモを取ることがあまり出来ないままだったのは惜しいような気がする。

作品が秩序だった位置に配置されている。
わたしはその作品の視点が交わる地点に立っている。
右から左、左から右へ目を動かすが、どこにも生の欠片はなく、死に果てた空虚な風景が広がっている。
しかし確かにそこには人間のいた痕跡がある。
佐脇健一の作った、という意味だけでなくに。

砂山がある。その上に赤茶けた飛行機が置かれている。丘に舟が登った以上にわびしい風景である。
わたしは怪獣になりたくなった。
怪獣になって目の前の廃墟を踏み潰したい欲望に駆られた。
だが、わたしの足裏は廃墟を踏む感触を知らないままになった。
これは既にもう<何か>に踏み潰された後の廃墟なのだ。
その<何か>が何なのかはわからないのだが。

少し近づいて廃墟を見る。
生命反応などあるわけもない。
しかしいくつめかに犬らしきものが三匹ばかり物見台だった塔の周囲をうろつく姿があった。
小さい小さい犬である。'85年の作。

フォトドローイングという手法を佐脇健一は採る。
モノクロ写真に油またはアクリル絵の具で青空を描きこむ。
作られた青空。色の塗の強弱により空にリズムも生まれる。
四阪島、端島といった実在の島を写す。
わたしは四阪島には行ったことがある。
端島は写真や映像でしか知らない。
たしかに廃墟だと思った。撤去されることなく朽ち続けてゆく建物がそこにある限りは。

このフォトドローイングに併せ技としてウッドワークが使われる。
ウッドワークとは幼稚園などに設置された子供の靴箱、それを思わせる小さな空間に風景を再現させている。
フォトドローイングの青空を背景に、鉄や石で造られた廃墟の欠片を置く。
狭い空間だが、そこに風景が生まれる。絵ハガキ大の青空と小さな欠片と。
96の連続した箱を見る。
96空間続く空と廃墟。
中にはチベットのポタラ宮殿を思わせるものや、スリランカのシギリヤ・ロックのようなものもある。
廃墟のドールハウス、そんな風情さえそこに生まれている。

どの仕事よりも、このウッドワークがいいと思った。
閉じられた空間でありながらも決して鎖されてはいない。
箱に宇宙を閉じ込めたのはコーネルだが、佐脇健一の箱は風景の一部を切り取ってそこに表現しているので、外にも世界が続くのを感じる。
ただし、外に出てもやはり繁栄はなく廃墟しか続かないのだが。

これは現状の世界から逃れようと足掻くヒトの営みを思い出させる。
アジールまたはユートピアを目指して、今いる地から逃れようとする。
様々な障害を乗り越え、多くの犠牲を出して、ようやく外へ出る。
しかしそこには望んだ地はなく、斉しく廃墟または虚しい空間が続くばかりだという話がある。
望月三起也、諸星大二郎、かれらの作品の中にそうした傾向のものがある。
わたしは再読するたび、深い絶望を感じつつ、今の世に執着を覚えるのだった。

開きのボックスがあった。なるほどこれだと閉じていれば廃墟は見えず、ほこりも入らない。
しかしどうしても仏壇を思い出す。中から奇妙な仏像が飛び出してくるような妄想が生まれる。
開かれたボックスはいいが、やはりこれは怖い。
内部には豆電球がついている。照明というより灯明である。
誰のためのか・何のためのか、ということを考える。
無論観客のための灯りなのだが、既に死滅した人類のためへの灯明のようにも思えてならない。

階段を降りるとき、普段何も見なかった天井を見上げた。
天窓から明るい陽が入っていた。グリッドで切り取られ囲まれた空。窓の汚れで白濁した個所もある。
まるで佐脇健一の描く青空のようだった。
わたしは佐脇健一のこしらえたフォトドローイングの空の下で、ウッドワークの空間にいる。
そんな自覚が生まれた。
妄想なのか現実なのかはわからない。

6/9まで。

藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵

基本的に浮世絵は、幕末の歌川玄冶店系の絵師のものがいちばん好きだ。
いわゆる「六大浮世絵師」の作品も悪くはないが、やっぱりドキドキするのは国芳、国貞、広重、そして国芳の弟子たちの作品などである。
それはやっぱり幕末の芝居絵やドラマティックなシーンが描かれているのを見たい、という欲求が強いからだと思う。
また広重の風景画は風景そのものの良さに加えて、人の営みの面白さがにじむものが多く、そこにしびれる。

評価が高いとか低いとかはあまり興味がない。
好きなものは好きなので、それでいい。

茅ヶ崎市美術館の「藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵」は面白い展覧会だった。
藤間さんという名主さんが、幕末ごろに集めたリアルタイムの錦絵とやきものが展示されているのだ。
藤間さんについてはサイトに詳しい。

またこのタイトルがうまい。
「ぶんじんなぬし、ゆかりのにしきえ」である。
ちやんと奇数で外題になつてゐる。

展示室に入った途端、嬉しさで跳ねそうになった。
なにしろ自分の好きな世界が広がっている。
どれを見ても・どこを見ても楽しくてならない。

院本もの、上方の世話物は別として、江戸の芝居では化政期の南北から幕末明治の黙阿弥の芝居が面白くてならない。
黙阿弥には大南北のような奇想天外さはないが、いかにも日本でないと生まれないような因果応報とじめついた人間関係と、そして役者の美しさを際立たせる動きと台詞とがある。
それらは舞台で表現され、その舞台が良いことから絵にもなり、また逆に見立て絵が生まれることから芝居が書かれることにもなった。
そのあたりの状況がここに展開しているのだ。

幕末の芝居絵。
役者は主に三世澤村田之助のものが多かった。
わたしは三世田之助に熱狂していた時代があり、それだけにひどく嬉しい。

女形の田之助は性質は多少嗜虐的なところがありヒステリックな気配もあったようだが、役柄は被虐的なものが多かった。苛め殺されたり、責め抜かれたりするときの、その表情などが素晴らしいとも聞いている。
ゾクゾクするはなしではないか。
健全な芝居なんぞ面白くはない。嗜虐と被虐のあわい、それを観る歓びは棄てられない。

塩冶判官が若くて繊細で綺麗だからこそ、憎々しげな高師直に苛められて、ついに刃をふるう姿に観客はときめくのだ。
白い膚に藍と紅とを刻み込んだ団七九郎兵衛が黒い髪をざんばらにし、額に赤い傷の痕を見せながら、きたならしい悪者の舅を殺す姿にこそ、観客は陶酔する。
『天下茶屋聚』でも敵に傷つけられ、若く果敢無げな早瀬伊織は足萎えとなり、落ちぶれてかまぼこ小屋に住まう。そこへいかにも憎々しげな敵・東間が黒の着流し姿で現れ、元は下僕だった元右衛門と共に、伊織を嬲り殺しにする。
伊織が一太刀だけ切りつけてもそれは敵に届かず、無惨な死を遂げる姿にこそ、観客は熱狂するのだ。
『時鳥殺し』もまた、若くたおやかな女形が酷い殺され方をするのを楽しみにし、『鏡山』でも見るからに意地の悪そうな岩藤によって、慎ましく静かな中老尾上が草履打ちの辱めに耐える姿に秘かな悦楽を見出す。
それは全て観客の嗜好なのだ。

この愉しみは幕末の観客の心に活きるものだった。
だからこそ、作者たちはそうした芝居を書きまくり、元からある芝居に手を加えて上演し、その嗜好にふさわしい役者である三世田之助を大いに使ったのだ。

文明開化の世になり、そんな嗜好を嫌った九代目団十郎らによって歌舞伎は高められはしたが、その分歌舞伎の面白さの半分は失われてしまった。
ここにあるのは、それ以前の因果物的な見世物感覚も生きていた時代の芝居絵である。

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助六。

以下、長文の感想が続きます。

池袋モンパルナス 歯ぎしりのユートピア

随分前から「池袋モンパルナス」に関心があった。
最初に気付いた展覧会は行き損ねて、それでいよいよ執着が募った。
そうこうするうち、やっと板橋で展覧会を見た。その感想はこちら。
「池袋モンパルナス展 ようこそアトリエ村へ!」 板橋区美術館
自分の好みからは本当は随分隔たっているのだが、最初に躓いたことが却って執着となり好意となって、「池袋モンパルナス」に対する愛情が湧き続けている。

東京芸術劇場は池袋の西口にある。
「池袋モンパルナス」の現場ではないか。
だから、そこのギャラリーで「池袋モンパルナス」の展覧会が定期的に開催されていたとしても、ちっとも不思議ではないのだった。

「池袋モンパルナス 歯ぎしりのユートピア」
…なかなかそそられるタイトルが付けられている。

大きなエスカレーターを二つ乗り継ぐとすぐギャラリーである。
無料展示である。
絵の大半は豊島区が所蔵している。
5章に分かれての展示で、真ん中に第3章「1945年4月13日の空襲」というコーナーが設けられている。
その日に受けた空襲の傷跡とその後の痛みがそこに集まっている。
絵画による歴史考証という面もあるかもしれない。


1.池袋の原風景 
思えば『原風景』の言葉を生み出したのは文芸評論家の奥野健男だった。かれは渋谷で生涯を全うしたのだった。
東京人ではないわたしは、渋谷と池袋の感性の違いを本当には理解しきれていない。
ましてや戦前のその地のことはわからない。だからこそ、絵を見て資料を読んで掴もうとしている。

小熊秀雄 夕陽の立教大学 1935年 ああ、実景とは違うだろうが確かに「夕陽」の中の「立教大」がそこにある。そして自分が歩いて行った日のことを思い出す。
この絵は前述の板橋でも見ているが、今回も同じ感慨を持って絵の前に立っていた。

長谷川利行 少女 1939年 遠目からでも長谷川だとわかる少女。

吉井忠 長谷川利行 1968年 死後随分たってからの彼の肖像。くろーい顔で瞑目している。白浴衣を着た長谷川。黒い顔ではあるが、暗い顔ではない。20余年経ってなお印象に残る、僚友の表情・姿。

鶴田吾郎 池袋への道 1946年 さすがその時代だけにリュックをしょった人が多い。活気はないがしかし生きようとする意志はある。

高山良策 池袋東口 1947年 終戦直後の現地の様子。闇市がある。女たちが闊歩する。
男たちより女たちが元気で勇ましいのは戦後の証拠とでも言うべきか。
この絵が豊島区立郷土資料館蔵なのは描かれた内容からなのかもしれない。


2.1940年代の表現 
戦争の時代としか言いようがない。前半は戦前・戦中で途中から敗戦国。いやそもそも真ん中から既にダメか。
その時代でもこうして何かしら芸術表現を通して自分の爪痕を残そうとする。

寺田政明 発芽A どう見ても怪獣ですがな。「発芽B」もあるが、やっぱり怪獣画のための何かに見える。1940年という時代がそうさせるのか、前衛とは怪獣を描くことなのか。
…尤もわたしは怪獣は大好きなんですけどね。

榑松正利 夢 1940年 くれまつ・まさとし。チラシにもなった絵はどこかルソーを思わせる。そしてルソーの夢想する夢の中に榑松が入り込み、そこでショパンになりつつ、怪獣から逃れようとする…そんな構図に見えた。
それにしてもこの森はキャベツか小松菜の葉で出来ているのか。
二人の怪物はなんなのか。何もわからないまま妙に惹かれる。
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榑松正利 話 1942年 三人の少年が教室かどこかで小さなストーブを囲んで話をする。
先の「夢」と違い、確かな実感のある現場が描かれる。
しかし少年たちは何を語らっているのだろうか。


3.1945年4月13日の空襲
くらくらした。

杉浦茂 池袋空襲 この名前を見て大方の人は絶対「…あのシュールなギャグ漫画家の?彼はもともと洋画家を目指してたしな」と思ったはずだ。
だからわたしもそれかなと思って出かけると、なんだ別人らしい。
思えばよくありそうな名前である。
杉下茂だとピッチャー、杉山茂も野球人、杉山茂丸は国士で夢野久作の父。
…どうでもいいか。

吉井忠の描く「ひとびと」の姿が集まる。
そして高山良策の子供たちの絵がたくさんある。空襲半年後、終戦直後、半年後などなど。
悲惨な時期なのに、なんとなく日本の子供らの可愛らしさが際立っている。
いずれも水彩が少しばかり入っていたりするスケッチ。

そしてその翌日の池袋近辺の写真が出ていた。巣鴨2丁目付近。


4.風刺の態度
この風刺が実はあんまりわからない。同時代の空気を吸わないとわかりにくいものが多いからだ。

大塚睦 凶鳥 これは以前にも見たが、意図するものは不明でも、少しばかり怖い絵である。

大塚睦 闇市(香具師) 1946年 裸の少女が座している。男は「カンカン」と呼ばれるハカリで桃らしきものを売る。暗い時代の風景がシュールな空間に浮かぶ。

桂川寛 1954~1955年の絵が集まっているが、いずれも砂川闘争をモティーフにしたものらしい。北川民次のメキシコ絵画をイメージさせるような作品群。
正直なところメキシコ絵画風なものが苦手である
以前に世田谷美術館でメキシコ絵画展を見た時も鬱屈した。
しかもわたしのニガテな1950~70年代が舞台の日本の風景なんて、オトロシヤ。
逃げ出すしかなかった。


5.それぞれの場所へ
1950年代以降から'80年代くらいまでの作品が集まっている。

吉井忠 津軽の海 1982年 ホネらしきもの?が描かれている。

吉井忠 黙劇 1984年 四つの面が矩形に並ぶ。
ベシミ風なのもある。オカメもある。同じく能面を描いた坂本繁二郎の作とは全く違う重い沈黙がある。

丸木俊 ロシア人形 1958年 可愛らしい、赤スカーフにスカートをはいた人形。ロシアの民族衣装を着ている。しかしこの時代、この人形はソヴェートの外貨稼ぎとして生まれているのだ。

丸木位里 グランドキャニオン 水彩。アメリカに行ってたんだなあ…

井上長三郎 ドストエフスキーの庭 1956年 時代を感じる。

50点弱という見やすい数でもあり、気負わずに見て回れた。
タイトルの「歯ぎしりのユートピア」というのはやはり「池袋モンパルナス」を構成した人々の時代感覚を知らなければ、本当には伝わらない。

6/5まで。「池袋モンパルナス」に関心のある方は是非に。

加藤まさをの乙女デザイン

京都駅の美術館えきで「加藤まさをの乙女デザイン」展に溺れた。
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まさをの作品と言えば弥生美術館で見ることばかりだが、千葉の御宿には月の沙漠記念館があり、そこでまさをの詩画集なども販売されているそうだ。
また彼の出身地藤枝町の文学館にもまさを作品の閲覧など可能なよう。

なにしろ可愛らしい。
わたしが知るまさをの絵と言えば、少しメランコリックな目をした少女が多く、ここに現れる幼女たちの姿は殆ど知らなかった。

大正期は童話・童謡の興隆期で、本当にいい作品がたくさん生まれた。
いい読者・いい作家が多く世に出た時代なのである。

新しい童謡を拵えもしたようで、今日にも知られている以外の歌がここにも出ていた。
浦島太郎、桃太郎、さるかに、舌切り雀などなど。いずれもオペレッタ風な装いで描かれている。軽やかでとても愛らしい。

絵葉書シリーズがいい。譜面つきの童謡・童画の世界。
「こどものうた」。
桃太郎は普通は桃から元気よく現れる赤ちゃんの立ち姿だが、まさをはそうは描かない。
桃の果肉のクッションの中で黙って微笑む幼児として桃太郎がそこにいる。
男児にも女児にも見える艶めかしさがある。

雀のお宿では幼女が雀のお面をかぶり、おじいさんのお面をかぶり、学芸会的なスタイルで物語が進む。
ちょっとばかり色っぽい雀踊り、スパローダンスの踊り子たち。
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大正の浅草オペラ、オペレッタを思わせる様子がいい。
思えば宝塚少女歌劇も最初の演目は「ドンブラコ」桃太郎の物語だった。

さるかにでも言ってみればコスプレ少女たちの活躍が絵になっているようで、とても可愛らしい。帽子を飛ばしているのがさる君。しっぽつき。たまごさんが驚かす。そして臼さんにごめんなさいするさる君なのでした。
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浦島ばかりは多少おとなっぽい。エドマンド・デュラックのファンだというのも頷けるまさをの浦島物語。
「哀別」というタイトルがせつなさをまねく。img_04.jpg
玉手箱を開けて老爺になるのも和風なスタイルではなかった。

花をモティーフにした愛らしいシリーズも多い。
そう、大正時代には多くの花が愛されたのです。
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風蘭 うまごやし タンポポの綿毛、桜草。

そして谷間の白百合と名付けられた幼女のあどけなさと妖艶さの同居するまなざし。
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こんな親指姫がいれば、幼女好みのモグラでなくても誰かのわるい手が伸びてきそうだ。

まさをの描く幼女たちはそのまぶたに特徴があった。
幼いくせに妖艶なまぶたをしている。
しかしまさをの少女たちは、その数年前の妖艶さを捨ててしまったように清純である。
憂いがちなまぶたを見せる少女たちはあの幼女たちとは全く無縁な別個の存在としてそこにいるのだった。

ここには出ていないが、まさをの描いた家のない幼女の絵を私は見ている。
幸薄そうな幼女は伏し目がちではあるが、あれがそっと瞼をあげれば…と時々思うことがある。

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まさをは「月の沙漠」の作詞者としても著名だが、絵だけでなく音楽性も豊かだったように思う。かれのえがく少女たちはギターや、大正に流行ったマンドリンを演奏することも多い。
自分の手元にある絵を思い出してもいくつものシーンがある。

まさをには「遠い薔薇」「消えゆく虹」といった少女小説がある。どちらも国書刊行会から出ている。わたしも20年ほど前に手に入れた。
まさをらしい抒情性の濃い物語だった。
特に「消えゆく虹」のせつなさは胸が痛くなるほどで、読み返すのも哀しくなるほどだ。

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うちの母は抒情画にあまり関心がないのだが、それでも少女の頃はまさをの絵が好きだったという。
まさをの主な活動期は大正から戦前だが、昭和30年くらいまでは戦前の本もまだ再版されたり流通していたのだった。

会場にうちの母よりずっとご年配のご婦人がいた。男のお孫さんに支えられながらヨチヨチ歩いて絵を見ている。
懐かしい、という。懐かしさが胸からほとばしり、歌声になる。

月の沙漠をはるばると旅のラクダがゆきました
金の鞍には銀の瓶 銀の鞍には金の瓶

もう声も出なくなっていて音程は外れているし擦れてもいるのだが、まさしくそれは童謡「月の沙漠」だった。

わたしは御宿か藤枝に行きたいと思った。nec372-1.jpg


近年ようやく秘密のヴェールがはがれてきた小林かいちの絵が出てきた。
絵葉書のシリーズもの。
物語性の薄い、しかし魅力的な連作。img_11.jpg


華宵、夢二らの作品もある。華宵の作品は愛媛の方から来ていた。

6/17まで。もう一度見に行く時間はある…

畠中光享コレクション 華麗なるインド インドの細密画と染織

三鷹市美術ギャラリーの「畠中光享コレクション 華麗なるインド インドの細密画と染織」は見事な内容だと思う。
インド細密画と言えば'94年に京都文化博物館で大きな展覧会があり、それで初めてムガール帝国時代の優品を見たのだった。
その直後読んだ坂田靖子の作品に、インドの王族が所有する細密画を巡るてんやわんやの話があり、そこにシンプルな線描で「細密画」が描かれていた。
わたしがインド細密画に夢中になったのは、その時からだった。
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この後なかなかインド細密画をまとめて見る機会がなかったのだが、畠中先生のコレクションを集めた展覧会を大谷大学などで見るうちに、いつか見たいものだと思うようになった。
もともと畠中先生の優美な日本画は好ましく思っていたが、先生の絵の奥にインド細密画やチベットの仏教絵画などが潜んでいることを知って、いよいよ好きになった。
今回こうして先生の集められた細密画と染織品とをいちどきに見ることができ、とても嬉しい。

サイトによると「インドミニアチュール絵画は仏教経典の挿絵を起源とし、おもに16世紀末から19世紀半ばまで制作されました。小さな画面に美しい線と鮮やかな色彩を用いて描かれた作品は宝石にも喩えられるほど美しく、ムガールの王やラージプト諸藩主たちの美意識が注ぎ込まれた貴重な絵画でした。海外では既に高い評価を得ているインドミニアチュールですが、日本国内では紹介される機会が少なくその魅力も未だ充分には知られていません。今回はそれらを体系的に紹介し、地域によって異なる特徴をもつ作品の数々をご紹介します。
同時に展示する染織は古くからインドを代表する産業であり、高度な技術は世界中の染織に影響を与えてきました。例えばインドを発祥の地とする色鮮やかな文様染(更紗)をはじめ、緻密な刺繍や金銀糸をふんだんに用いた錦織、王族に愛された複雑な絞など多彩な技術を見ることができます。」
とのことだった。


前述の京都で見た展覧会はヴィクトリア&アルバート美術館の所蔵品だった。
そのときに細密画の興隆と滅亡について学んだが、やはり国運隆々たるときこそ文化が盛んになる、と言うのを実感した。イギリスの支配下に落ちてからは完全に細密画は滅亡するのだ。
つまりインド細密画は中世の芸術なのである。

同時代の他国の絵画と見比べると、これらインド細密画の繊細さ・画力の高さに驚かされる。
絵はがきサイズの狭い空間に、線描の確かな・配色の美麗な・豊かな情緒の漂う世界を展開しているのだ。
ムガール帝国の絶大な庇護の下、画工たちは彩管をふるい、完璧な美の世界を構築し続けた。
やがてムガール帝国の後、画工は全インドに散らばり、各地の藩の宮廷でそれぞれの地に影響されつつ、最後の光芒を放つ役割を担った。

ここでは初期の細密画から全盛期のムガール系絵画、ラージプト絵画と、時代による作品の流れをみせる。
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青黒いクリシュナの物語、特定の人物を指すわけではないが、気にかかる恋物語、王の事績などなど。

背景もとても繊細で凝っている。
宮廷の夜の光景を見ると、眠ってしまった睡蓮とまだ開いている睡蓮が矩形池に咲き、丁寧に植え分けられた花々は風に揺らぐ。
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楽器を持って佇む女の背後には緑の丘がひろがり、丘の頂にはカモシカなどがはねるのが見える。
柵の向こうの花壇は色も形も綺麗。

戦いを描く細密画を見ると、傷ついて倒れた人々は静かに目を閉じているが、その周囲には既に色が変わり始めた首や腕や足が落ちていたり、スパッと切られた肉の表面が見えもする。
殺人者は涼しい顔でいよいよ好きに刃をふるう。

横向きの人物表現が多い一方、微妙に体をくねらせて見返る女もいる。その動きの中に女の情感が漂う。

綺麗なサリーをまとった女の物思う姿。小さな細密画なのに女の首に真珠の飾り、爪に赤い彩り、手首・額に金細工。サリーの質感までわかるような熱心な描き込みである。
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また青色の肌をしたクリシュナがガルーダに乗って夜空を行く図を見ると、ずっと下の地上では多くの水鳥たちが彼らを見上げていた。シギにサギなどである。どこかシュールな光景でもある。

絵の次に染織品が現れた。
こちらもとても綺麗である。
染め、織り、絞り、刺繍・・・
それぞれの美しさが目に染みる。
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三鷹ではまたその美麗な染織品を幡のように上から吊っている。
一枚二枚ではなく多くの数が並ぶので、それだけでも壮観だった。

とてもいいものを見た。
畠中光享コレクションは本当に奥が深い・・・

6/23まで。

松下幸之助と伝統工芸 前期

パナソニック汐留ミュージアムも開館10周年になるそうだ。
これまで見た展覧会の内、今もよい気持ちで思い出すものも少なくはない。
いつかこれまでの展覧会のベスト展でもしてほしい。

さて、今回は特別展ということで「幸之助と伝統工芸」を三期に分けて四ヶ月ばかり続ける。
第一期は28日までで、次は30日から。わたしもなんとか第一期に駆け込んで、展示を楽しませてもらった。

松下幸之助といえば近代の偉人の一人だが、茶道にのめり込んでいたとかあまり聞かなかった。
PHP研究所や政経塾に力を注いでいたから、ほかの大実業家のように茶道具に凝ったりしなかったのかと思っていた。しかし今回の展覧会で、幸之助が茶道をはじめ伝統工芸に対して深く鋭い目を目を向け、なおかつ温かい思いを抱いていたことを知った。
古いもので価値の定まっていたものはともかく、同時代に生きる一流の芸術家・職人らは、だからといって常に売れ続けるとは限らない。それをバックアップもしたのはさすが幸之助だと思った。


古いところでは、黒樂のいいのが出ていた。一入だった。
いかにも一入らしい赤黒さがある。解説によると、幸之助はこの茶碗を愛して、普段遣いにしていたそうだ。
なんと贅沢な。・・・しかし遣われることで大事にされ、こうして生きるのだ。

そして幸之助とリアルタイムの作家たちの交流から得られた作品が現れる。

大樋数印黒茶碗「菱雲」1970年代 バラのように刻花があちこちにある。これも面白い。

茶杓「翠紅」裏千家14代無限斎宗室 1945~54年 櫂のところがいい感じ。

瀬戸黒茶碗 荒川豊蔵 1963年 堂々とした黒。かっこいい。

織部鉄絵鳥文四方皿 北大路魯山人 1951年 見返りの鳥がきりっとしている。

備前焼餅平鉢 北大路魯山人 1950年代 三つばかり牡丹餅のような焼きが浮かんでいる。

薫爐「松籟」楠部彌弌  素直な拵えがいい。可愛いなあ。

梅染付壷 近藤悠三 1973年 遠目からでもわかる近藤の一品。染付の線の太さは雄渾。

藍青磁鉢 清水卯一 縁はねじり。バラ!素晴らしい貫入!薄青のバラもしくは薄青の宇宙が広がっているように見える。50cm弱の大きさ。

ここでまた少し古いもの。
古九谷丸紋花鳥絵台鉢 見込みに鳥が一羽。可愛い。愛玩したい逸品。

染織関係をみる。

結城紬地型絵染着物 竹林 稲垣稔次郎 1958年 カラフルな竹林。東近美のか。京近美で稲垣兄弟の作品は見るが、東にもあるのだ。

型絵染芽蝶文上布長着 鎌倉芳太郎 1976年 クレパスで描いたような軽やかさがいい。

藍地透文羅裂地 北村武資 1992年 ああ、さわやか。こうして今も現役作家のよいものが活き続けるのだ。

金属工芸がある。

芦鷺地文真形釜 角谷一圭 1961年頃 飛んでくる鷺が刻まれている。いい釜。

柳水文朧銀扁壷 鹿島一谷 1979年 朧銀というのは銅75%銀25%で構成されたものをさし、別名「四分一」シブイチというそうな。蓋のつまみなどを見ていると浄瓶にあるような風情で、全体が非常にシャープ。
パナソニックでシャープというのもなにかしら・・・

木工芸では黒田辰秋の欅拭漆飾棚がいい。1969年。取っ手がとてもいい。

人形もあった。
私の大好きな鹿児島寿蔵の紙塑人形。
蓮華輪宝文金砂子装紙塑佛 1980年 青緑の薄い衣の裾には蓮の花。

林駒夫 江口 1984年 江口の君。長い羽織で一人で立つ姿。

クイズラリーもあり、中期・後期もとても楽しみ。前期は5/28まで。

夏目漱石の美術世界 2

先日の続き。「夏目漱石の美術世界」の感想2.
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20世紀初頭のベニスを描いた絵を見る。
ベニス、ヴェニス、ヴェネツィア…どの表記も魅力的。
絵のどこにもエッシェンバッハもタジオもいないが。

浅井忠 ベニス 時折見かけているからか、親しい気がする。
吉田博 ヴェニスの運河 自分が見た景色に似ている。
吉田ふじを ヴェニス 小説の一節にこの絵のことがあるが、私はこの絵も好ましい。
『三四郎』の中で、この吉田兄妹のことを想うシーンがある。

長い間外国を旅行して歩いた兄妹の絵がたくさんある。

博はやがて旅を終えて、義妹のふじおと婚姻する。彼らの息子も版画家となり、その命脈は現代にまで続いている。
少し前に吉田家三代の展覧会が三鷹で開催されていた。
わたしは吉田博の風景版画と東博所蔵の「精華」が途轍もなく好きだが、同時代の漱石の批評を読むと、彼らがやはりその当時のひとだという実感がわき起こってくる。

ベラスケス原作・和田英作模写 マリアナ公女 …ひどいなと思った。和田ともあろう画家がこうなるのか。しかしここで解説を読んで色々と納得する。

「どうも、原画が技巧の極点に達した人のものだから、うまくいかないね」

ここでもまた新しくこの企画展のために作られた絵が展示されていた。
佐藤央育 原口画伯作《森の女》(推定試作) これは美禰子さんがモデルという話だが、女優の富司純子に似た佇まいの美人画である。

百年の時を超えて、三四郎や美禰子さんのいた空間へ近づけた気がする。
企画された方々のこの展覧会への熱い想いが、こうしたところに感じられる。

ところで『三四郎』のなかで菊人形の見世物を見るくだりがある。(5章)
…実はそういうのもここに出てきたら楽しいだろうとわたしなぞは思っていた…

それにしてもやっぱり漱石は妙に面白いところがある。
例文が面白いというか喩えが楽しいというか…

次は『それから』。
橋口五葉の装幀した『それから』がある。
フランク・ウィリアム・ブラングィン…何年か前どこかで展覧会があったはずだが、とうとうわたしは行かなかったことを思い出した。

ここでいいのはやはり青木繁の下絵。「わだつみのいろこの宮」の下絵が三点もある。
現行のものとは違う世界が広がっている。
既に以前見ているから、いよいよ嬉しい。
昨日かいたが宮崎駿氏の「挿絵が僕らにくれたもの」展のパネル展示で、青木繁の「わだつみのいろこの宮」が出ていたことを思う。
あの展覧会を見ていて本当に良かったと改めて思う。
この「漱石の美術世界」の前哨戦だとも思うのだ。

先般から仇英の原作による大きな絵を見ている。
わたしは彼の絵巻の精巧なところが好きなので、一枚ものの大きな絵にちょっと驚いていた。ここにあるのは模写だが、現物も大きかったのだろうか。
巨勢小石模写 笛持美人図 大柄な美人の絵。

円山応挙 花卉鳥獣人物図1773 年 薄い色の牡丹が描かれたものが出ていた。また入れ替わるらしい。

岸駒 虎図(《龍虎図》双幅のうち左幅 ギッとした虎。本当は岸駒の虎を見たわけではないらしい。


第4章 漱石と同時代美術
非常にいい時代である。日本の美術界において。

漱石の1912年の『文展と芸術』原稿が出ている。
とにかく言うこと書くことがなかなかキツイが、それでも面白い。
ただ、漱石の審美眼というものはなかなかのものらしいので、黙ってわたしも後を追う。
絵はほぼ1912年のものと、その前後の年のもの。
百年前の日本の最先端の絵画。
漱石はそれらに彼の言葉を添えているが、申し訳ないがわたしはわたしで勝手なことを書く。漱石の言葉は「」です。

平田松堂 木々の秋 琳派風で華やかだが、ちょっとうるさい。

佐野一星 ゆきぞら 「べた一面枝だらけ」…まぁねえ…「枝はまたべた一面鳥だらけであった。それが面白かった」…その通りですわ。なんか文鳥風なのがいるいる。

今尾景年 躍鯉図 この絵は京都市美術館で時折見る「元気な鯉の絵」で、わたしなんぞは好きだが、漱石先生に言わせると「好かん」らしい。なんでかは知らん。
それで思い出した。漱石の随筆の中で京都についたとき、大きい提灯に「ぜんざい」と肉太な字で書かれたのを見て嫌がる逸話があり、漱石先生のイメージの中じゃ京都は「下品な肉厚の」ぜんざいらしい…
ひどいな~ww聞いたことないわ。

今村紫紅 近江八景 わたしがみたときは「堅田」「三井寺」「瀬田」が出ていた。これも好きな連作なのだが、漱石に言わせるとやっぱり好かんらしい。
ナンギやなあ。

瀟湘八景図が二種。
寺崎広業と横山大観。
わたしはそれぞれええものだと思ったが、漱石の舌鋒は鋭い。

安田靫彦 夢殿 この絵もまた名作だと思うが、漱石は気に入らないらしい。東博でこれが出ているときに当たると、嬉しくて仕方ないのだが、漱石先生はフフンと笑うかもしれない。
わたしは山岸凉子「日出処の天子」にのめりこんでいた世代だから、他の人の描いた彼の姿は大抵気に入らないが、この靫彦の聖徳太子にはドキドキするのだった。

それにしても漱石先生は大概の絵が気に入らないらしい。
別にそれはそれでもええのだが、審美眼以前の問題かもしれない。
趣味の問題というやつか。
そして江戸っ子らしいウィットも含まれてはいるが、まぁはっきり言うと悪口雑言のタグイですな。

和田英作 H夫人肖像 たしかに暗い絵だがイカレコレやがな。
坂本繁二郎 うすれ日 もぉー(牛の絵だからではないが)漱石っっ!

いや~~しかしこうしてわたしもイランコトイイの感想文をちびちび書いてるけど、漱石先生の感想読んでると、ここまで書いてもよろしいんか、と心配になりますがな。

小杉未醒 水郷 東近美に行くとよく見るが、思えばこの画家の画風変遷はすごい。

南薫造 六月の日 漱石先生曰く「法螺貝吹き」…!!ヤカンからごくごく少年。
わたしはこの絵を見る度に大関松三郎の詩を思い出すのだが、これからは法螺貝吹きと思ってしまうかも。

黒田清輝 赤き衣を着たる女 横顔の美しい女。舞うような線がいい。

中村不折 巨人の蹟 不思議な絵。不折は中国の故事や日本神話から題材を得た絵が多いが、これはなんですかな。ダイダラボッチなのか、原始の人の姿ということなのか。
そして仲良しなだけに漱石先生はやっぱりすごい悪口雑言をとばしてる。
おっさんの後に続く女は真珠らしきものを首飾りにしている。腰布。森を焼く二人。
物語はさすがにこちらにも伝わらず、当時の漱石にも伝わらない。

彫刻もある。
朝倉文夫「若き日の影」と荻原守衛「坑夫」と。

岸田劉生 画家の妻 いい色。臙脂色と深緑色のコラボ。

時々斎藤与里をみてモーリス・ドニを思い出す。色合いや描く対象などなど。
「木陰」「春」などなど。

漱石先生は青木繁は好きなので悪くは書かないみたい。
三点出ている。1904年の自画像、海景、運命。
わたしは特に「運命」の走る娘たちにぞわぞわ惹かれる。

石井柏亭 チョチャラ その地方の花売り少女を描いている。このタイトルを見ると必ず武二の絵を思い出す。そうか、そうだったのかと今さらながらの納得がゆく。

中川八郎 松原 静かでいいなあ。実は松原の静かなのを見ると、近所の風致地区を思う。昔そこは京マチコの映画のロケにも使われたとかで、今も静かな松並木が続くのだった。

結城素明 蝦蟆仙人 蝦蟇がフシューと気を吐いている。マンガみたいな感じの線。ぼーっとしたおっちゃんとキリリとした蝦蟇のコンビ。

第5 章 親交の画家たち
こちらはとりあえず漱石の雑言コメントもなしというコーナーである。

浅井忠・中沢弘光『畿内見物』(大和之巻、京都之巻) こういう本も楽しそうでいい。

橋口五葉 孔雀と印度女 この絵は千葉市美術館の展覧会で初めて見たものだった。
五葉はアールヌーヴォー風の絵もよく描いたが、この絵はむしろホイットニーらの仲間のようにも見える。
とても好きな一枚でもある。

橋口五葉 温泉宿 手ぬぐいを絞る女は浴衣を着ている。どこか玉三郎丈に似ている。面長のいい女。

橋口五葉 入浴図 入浴する女がいる。そこへ束髪の女が来る。
五葉の入浴する女、その後の手入れをする女、どちらもとてもいい。
関係ないが、五葉の春画素描を見たことがあるが、あれも湯上がりのいい匂いが漂うような女だった。


五葉と不折の「ホトトギス」表紙絵などをみる。

散々1912年の文展ではくさしていたが、漱石と不折は仲良しさんで、どうも色々考えると、彼の油彩画より「ホトトギス」表紙絵に見られるような日本画の方を買っているのかもしれない。

わたしも根岸の書道博物館を訪れると、時折展示されている不折ののんびりしたスケッチや俳画や戯画を見るのが、けっこう楽しみだった。
漱石も案外そうかも・・・なら嬉しいな。

津田青楓 少女(夏目愛子像) 1931年 少女とはいえ、これは26歳になったときの像らしい。
変に赤いワンピースに大きなレースの襟。笑っている。
笛吹市にあるそうだが、笛吹市には笛吹川があったはずだ。
たしか深澤七郎の小説にそんなタイトルがあったように思う。

津田青楓 漱石先生読書閑居之図 この人はタブローより、装飾画などの方がずっといいと思う。


第6 章 漱石自筆の作品
見るものは主にラファエル前派が好きだった漱石も、自分で描くのは南画が好ましかったようだ。
こういうのを考えると、「即天去私」という言葉も南画に含まれるような気がしてくる。
絵はすべて岩波書店蔵。

小説とはまた違う漱石の世界。ほのぼのしている。


第7 章 装幀と挿画
外国語版の本なども展示されている。
むろん原書も。綺麗な装丁の本はやはり五葉の独壇場だと思う。
彼の拵えた選集ものの胡蝶本、鏡花の本のいくつか。それらはいつの世にも胸を衝かせる名品。
その五葉の仕事の中でも大きな場をシメるのが漱石の作品だった。
『吾輩ハ猫デアル』『漾虚集』『鶉籠』『虞美人草』『草合』『門』『彼岸過迄』『行人』
なにもかもが魅力的。

橋口五葉はポスター芸術家でもある。
『道草』『こゝろ』『硝子戸の中』そのポスターも見事。

最後の最後にこうした展示があることで、画竜点睛ということを思った。
本当にいい展覧会だった。
とてもいいものをたくさん見たので、今度は漱石の小説を読み返して、絵を思い出そうと思っている。

北斎と暁斎 奇想の漫画 前期

今月と来月、浮世絵太田記念美術館は「北斎と暁斎」の対決の場になっている。
「奇想の漫画」という副題がついていて、刊行された本がたくさん出ているのだが、それがまたどちらも巧いし面白い。
実際にこうして二人の版画乃至錦絵を見ていると、「漫画」と題した作品群が非常に濃いつながりを見せているように思える。
錦絵はそうは思わないのだが、色んな発想を集めて拵えた絵本類、これがやっぱり凄い。
北斎、国芳、暁斎と、よくもこんな面白い発想のできる作家が三世代に亙って世に現れたものだと感心する。
国芳はどちらともつながりがあるが、暁斎は北斎とは完全に世代が違う。
しかし北斎の命脈を受け継いだのは、どうしても暁斎だと思わずにはいられない。
浮世絵だけでなく狩野派の絵師でもあった暁斎。
あらゆる派を吸収し、吐き出し、そして巨大な<我>を打ち立てた北斎。
先達も偉いが、明治に活きて世の移り変わりまでも絵に仕立て上げた暁斎。
こんな二人を対決させたのは、さすが「浮世絵」太田記念美術館。改めて舌を巻く。
(巻いた舌が北斎に見つかれば、くるくると丸められ、暁斎にはべろべろと伸ばされるだろう)
とりあえず二人の絵本を思い切り楽しもう。

それにしてもこのチラシ。nec367.jpg
いいなあー。最近の太田のチラシは面白すぎるものが多くて嬉しい。

太田はいつも最初に畳の間で肉筆画を観賞と言うことから始まるのだが、ここでは北斎の「雨中の虎」、「風俗三美人図」、暁斎の「美人観蛙戯図」「風神雷神図」がある。
北斎の「雨中の虎」はシマシマが妙で、いつ「宇宙のトラ」になるかもしれず、暁斎の蛙たちは美人の前で懸命に相撲を取っている。尤もこちらの蛙たちは美人の観客を気にすることもなく、待つものはキセルをすっぱすっぱしてたり、子供をおんぶするおっかさん蛙もいたりと、のどかな蛙世界の出来事なのだった。

「北斎漫画」の人間百面相はやっぱり面白い。べっぴんが一人もいないのがまた笑える。ああ、一人いたと思ったらロクロ首だったりする。
器械体操もどきをするものもいれば、心学もどき顔のキャラが一人で色んなポーズを取り続けて、見開きいっぱいに自分をアピールしている。
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一方の暁斎はヒトのすることをカエルがやって、なかなかエラソォなツラツキでふんぞりかえっている。
基本的に物語性のある動きを見せている。

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どちらかといえば暁斎の方がわたしは面白い。
それは多分に暁斎の方がギャグが多いからだ。
北斎は時折非常なマジメさが絵に出ていることがある。
それは主に風景画などだが、絵で表現できる限界を超えようとするマジメさが、わたしにはちょっとめんどくさいのだった。

とはいえ、この北斎の累なんて最高だが。
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暁斎といえば、カエルか骸骨。(国芳といえばネコ、応挙といえばわんこと美人幽霊くらいの決まりである)
そのガイコツたちが首っ引きしたり、茶の湯を楽しんでいる。茶の湯の道具もちゃんとガイコツ仕様で使い勝手が良さそうである。

nec369-2.jpg 体操対決 nec369.jpg

北斎のアクロバティックな人間たちを見ていると、よくここまで思いつくものだといつも感心する。
そして暁斎の漫画をみると「また悪ふざけしてる~~」と笑うのだ。

それにしても体操対決はどっちが勝利したのだろう・・・

明治になってからの暁斎の絵本はいよいよ冗談がきつくなる。
韜晦しているのかそうでないのかはわからない。
わたしは暁斎の絵本を見て笑っている。

まぁ前期は正直なところ暁斎の勝ちな気がする。
しかしあのチラシのカッパ君の言うとおり、彼の出番がなかったから来月からの後期はどうなることかわからない。
どんどん楽しませてもらいたい。
来月また楽しみに出かけよう。

「もののあはれ」と日本の美

「もののあはれ」と日本の美
いいタイトルだ。思えば「もののあはれ」を全面に打ち出した展覧会はこれまで少なくはなかったが、「もののあはれ」この言葉をタイトルにした展覧会はなかったように思う。

サントリー美術館の「もののあはれ」と日本の美、9期に分かれての展覧会で、全部を見て回るのは無理なので、あえて何も考えず・特に狙いを定めることもせず、訪れた。

第一章 「もののあはれ」の源流 貴族の生活と雅の心
わたしがみたとき、二つの絵が出ていた。

病草紙断簡「不眠の女」 葛城片岡の女。女部屋でみんなが寝ているのに一人だけ起きあがっている。「わびしい」と原文にある。
実際わびしかろう。みんなスヤスヤぐっすり丸々と元気に寝ているのに、ひとりぼっちで起きあがっている。
今ならネットで遊ぶとか色々あろうが、こんな時代ではどうにもならない。見ていてこちらまで侘びしくなってくる。

住吉物語絵巻 継子いじめから幸せな結婚へ向かう話なのだが、絵の前で大学生くらいの女の子がアジア系の友人に継子いじめの意味を説明していた。
姫たちが小松引きをしている。それを垣間見る男が和歌を送る。撫子の屏風がある。


第二章 「もののあはれ」という言葉 本居宣長を中心に
「もののあはれ」の概念の説明をパネルで読む。小林秀雄の色紙もある。
全然関係ないが、それどころか故意の誤用なのだが、面白いことを思い出した。
はるき悦巳「じゃりン子チエ」で猫の小鉄とアントニオJrが生駒まで紅葉狩に出かけ遭難し、命辛々地元へ戻ってくる。そのときの台詞。
「だいたい、もののあはれなんか生駒まで行かんでもおまえんとこのオヤジでも見てたらええんや」
誤用は誤用だが、いつ見ても笑ってしまうシーンなのだってた。


第三章 古典に見る「もののあはれ」 「源氏物語」をめぐって
ちょうどこの直前に出光美術館「源氏絵と伊勢絵」展を再訪し、日本人の感じる「もののあはれ」の代表たる「源氏絵と伊勢絵」とをしみじみと眺めた。
その足でここへ来ているから、ますます深く「もののあはれ」が身にしみる。

又兵衛工房の(と言われる)「浮舟」の図には黒い月がかかり、狩野派のらしき屏風には金型雲が時間と空間の隔てを作る。明石の君が舟から光君をじぃっと見つめているのを感じる。
土佐派のらしき「須磨・橋姫」もいい絵だった。秋草がすんなり伸びて風情がある。

遠目からでも一目でわかる「青色」がある。
西洋ではジョット、版画では巴水、日本洋画では海老原、そして大和絵では冷泉為恭。
群青色を効果的に用いた「枕草子」図がある。為恭の雲。

松岡映丘の模写した「枕草子絵詞」では、中宮定子とそのファミリーが集う様子を、清少納言がのぞくという構図だった。


第四章 和歌の伝統と「もののあはれ」 歌仙たちの世界
この章を見て思ったのだが、戦後しばらくの頃に「短歌滅亡論」というものがあった。
敗戦後の価値観の混乱からの暴論ではあるが、確かにその時代において「もののあはれ」は存在しなかったように思う。戦後70年近く経った現在、却って「もののあはれ」を体感できる状況にあるのかもしれない。こうした展覧会で、という条件の中で。

戊辰切「鶯」和漢朗詠集巻上断簡 これは昭和3年戊辰の年に切断されたことからそのような通称が出来たらしい。藤原伊行の筆による、流麗な和歌切。

尾形乾山の短冊皿もある。「もののあはれ」の概念は中世に生まれたが、近世にもこうして光琳・乾山兄弟の作品から「もののあはれ」がしみじみと感じられもする。

第五章 「もののあはれ」と月光の表現 新月から有明の月へ
ここでわたしたち観客は、サントリー美術館の打ち出した仕掛けにやられてしまう。
現代日本で「もののあはれ」を実感させられたのだ。

鈴木其一 月夜秋草図 ススキ、オミナエシ、アサガオ・・・ 「黒塚」の舞台装置を思い出した。

佐竹本の藤原仲文、光悦と宗達の月に秋草下絵新古今集和歌色紙もある。さすがにいいものが集まっている。
丁度今だと芦雪「月夜山水図」が出ている。これは「漱石の美術世界」の「山姥図」にも月と木が描かれているが、その本歌のようである。
どちらも都内で見られるのは6/16まで。

新月から有明の月へ、と副題があるように壁面にそれぞれの月の様子を示していた。
銀色に輝くリアルな月で、名称と月齢の話が書かれている。
そしてその真向かいには、田中訥言の金屏風の「日月図屏風」がある。
金地にパステルカラーの波が描かれ、そして波に沈む金月が描かれている。
右隻・左隻ともに静かな絵であるが、ふと目を挙げて息を呑んだ。
向かいの月齢が金屏風に映りこんでいるのだった。
月の満ち欠けが、何も描かれていない金屏の無の空間に映りこみ、その肥痩の様子を見せていた。
なんという美しさだろう。普通、よその絵が映り込めば不快に感じるのに、これはその効果にときめいている。まるでコラボしているかのようだった。
どう考えても意図的にサントリーがその設えを成したに違いない。
サントリー美術館ともあろうところが何も考えずにこんなことをするはずがない。
わたしはそのはざまに立ち、長く月の満ち欠けと黄金の屏風とを眺め続けた。

第六章 「もののあはれ」と花鳥風月 移り変わる日本の四季
野鳥の声の再現があった。鳥の名前を覚えることの出来ないわたしはその名を記すことも、その鳴き声を形容することも出来ないが、心地よい空間だったことは言葉に出来る。
人工的な再現であっても、とても爽やかな美しさに満ち満ちた声で、そのためにそこが森林もしくは里山に変じていた。

道八、色鍋島、乾山、有田、古伊万里の美麗なやきものが並んでいた。
やきものに焼き付けられた花鳥風月の美しさ。
わたしの好きなものばかりが多く集まっていた。

浄瑠璃物語絵巻 矢矧の長者の庭園が描かれていた。四季の花が一挙に咲き乱れ、まさに繚乱の態を成している。浄瑠璃姫という佳人が住まうにふさわしい場所である。

秋冬花鳥図屏風 これも好きな屏風。ミミズクがいる屏風。小鳥ランドの真ん中に鎮座するミミズク。ホオジロ、スズメ、みな可愛らしい。

さつき 菱田春草 薄灰色の鈍い夜空、ホトトギスが森の上を奔り飛ぶ。とても鮮烈なイメージがある絵。

能装束があった。
間道縞に桜蜘蛛巣模様縫箔 縞は刺繍か、そしてその白い部分に螺鈿のような輝きを見せる刺繍が入っている。散る桜も美麗。


第七章 秋草に見る「もののあはれ」 抒情のリズムと調和の美
日本人は梅に桜を愛する一方、秋草を大事にする。
わたしも近年はより秋を好むようになってきた。

宇治川蛍蒔絵文台・硯箱 赤い蛍の光が可愛い。ああ、もうすぐ蛍の季節やなあ。

秋草図屏風 光琳 胡粉で盛られて浮かび上がる白菊。そして円い黄色い菊も可愛い。


第八章 暮らしの中の「もののあはれ」 近世から近現代へ
この章の展示にまた撃たれた。初代広重、鏑木清方の絵が出ている。
非常に深く納得し、「もののあはれ」への理解が生まれる。

月次風俗図屏風 17世紀の人々の暮らしが前半を上段・後半の月を下段に描く。
畳叩き、涅槃会、藤見、暮らしの中の楽しみと行事と。

広重は二枚。名所江戸百景亀戸梅屋舗、東都名所のうち高輪二十六夜の図がある。
ゴッホの愛した絵と、月を楽しむ二十六夜の図。
後者を見ると平岩弓枝「御宿かわせみ」の「二十六夜待ちの殺人」事件を思い出す。
あれは殺人事件ではあっても江戸情緒の深い、よい話だった。

びっくりしたのが、北野恒富の「星」がきていたこと。
昭和戦前の七夕の頃、大阪の娘さんが物干し台から星を眺める図。大阪市立美術館ほまれの美人の一人。
サントリーでばったり会うなんて思いもしなかった。とても嬉しい。

そして最後に清方の絵がある。
「はれゆく村雨」の小下絵と「朝夕安居」と。
下絵でもとても小粋で情緒があるよい絵。
また明治の東京を深く深く愛した清方らしい「朝夕安居」。心太売りのいる図。
「もののあはれ」は戦前までは生きていたのだ。
江戸情緒あるいは浪花情緒の中で。

最後に今夜の月の形や時間を教えてくれる表示があった。
最後の最後までいい心持になる展覧会だった。
ありがとう、サントリー美術館。

モダンな休日 1920年代の写真

松濤美術館がリニューアルのために休館中ということで、そのスキマを埋めようと、渋谷区文化総合センターのギャラリー大和田で所蔵品展を行なっている。
第一弾めとして「モダンな休日 1920年代の写真」展が6/2まで開催中。
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わたしは1920年代の文化を偏愛している。
文芸(児童文学もむろんそこに入る)、美術、ファッション・・・
その時代から少しずつ写真と言う新しい楽しみが人々に浸透し始めている。
その中で生まれた芸術写真を殊に愛しているが、その歓びを教えてくれたのは、松濤美術館だった。
1998年暮れ、「大正期の都市散策者 寫眞芸術の時代」展が開催され、わたしは本当に深くその世界にのめりこんだのだった。

なにしろそのときのチラシを見て、それまで未踏だった松濤美術館へ初めて足を向けたのである。歩いていった先ですっかり心を奪われ、熱中した。
そのとき太田黒元雄、福原信三、掛札功、福原路草、石田喜一郎の5人の芸術写真が展示されていた。
今回の展示は、太田黒、掛札、石田の三人と石田がシドニーで仲良くなったシドニーカメラサークルのメンバーの写真が展示されている。

太田黒はわたしは彼の存在は知らなかったのだが、20年ほど年長の友人たちによると、音楽家でありラジオ番組やTVによく出ていた人だそうである。
しかし友人たちは太田黒の写真のことは、誰一人として知らなかった。
わたしは太田黒はこの「寫眞芸術社」主催の人として知り、それ以外を知らぬまま、今日に至っている。

太田黒の作品から始まる。(98年の展覧会もそうだった)
窓 洋風の大きなグリッド窓にカーテンがかすかに揺れている。外の木々がのぞく。窓辺にはクッションがある。室内の一部とそこから見える一部とを切り取った風景が、ひどく美しい。この一枚を見ているとき、かならずわたしの頭の中ではピアノのメロディが流れる。日によってそれは「亡き王女のためのパヴァーヌ」であったり、「子供の情景」のどこかだったりするが。

母子像 束髪の若い母親とその膝に座る坊やと。母親はこちらをみつめてるが、坊やは違うところを見ている。部屋にはマントルピースがある。洋間での和装の美しい母と賢そうな坊やと。幸せな光景である。

ベンチの雪 どこの公園であってもいいのだが、わたしはこの公園がロシアのどこかならいいと思うのだった。
細い木々、板と隙間の間隔が同じベンチ、外灯の一部。雪は既に大半は消えていて、誰も座っていないベンチの腰にうっすらと積もっている。
ユーリ・ノルシュテイン「話の話」に現れる公園のベンチは大雪の中のベンチだが、どこか似てもいる。ベンチに座らず坊やがリンゴを齧っている。時折幻想の中で坊やはカラスたちにもリンゴを与え、自分もまた齧る。幸せな幻想には誰もいないベンチが必要だった。

室内 誰もいない洋間。応接とまではいかないまでも客のための椅子も四つある。窓とテラスへ向うガラス扉がある。親密な室内。

花瓶の花 写真はなにもハッキリと写すだけが目的ではない。背景に溶け込みつつそれでもまだ輪郭線を残す、そんな撮り方での花瓶の花がそこにある。花瓶と花に光があたり白く見える。現実にそれが白かそうでないかはどうでもいい。背後のセピア色の闇に馴染む花瓶の花、それがひどく綺麗だった。

呉服町の路次 大正時代は路地を路次と書く人が多かった。小村雪岱もそうだった。
路地と路次の違い、というものもあるのかもしれないが、調べるのはやめる。
どこかの二階から「路次」を写している。先ほどまでの洋風な風景から一転して、東京の町なかの路次である。どぶ板も木で出来ている。槙の木が軒先に出ている。下駄や桶がある。静かな午後の光がそんな路次にも入り込んでいる。
ここにはやはりピアノではなく三味線の音色が欲しい。どこかからのんきな常磐津の声も聞こえてきそうな光景。

大ろじ 貸席の文字の入った灯りがある。夜ともなればその文字も輝くのだ。向こうには義太夫の文字も見える。奥では人々が寄り集まって何かしている。碁か将棋か。桶やゴミ箱の見える路地。1921年でもあり、1900年でもあり、1840年でもあったろう風景。


石田の写真は一枚を除き、全て初見だった。
シドニー赴任中の写真が出ている。
街角、プロムナード、それらを見ると1920年代のシドニーもまた発展途上だったことを感じる。繁栄には少しばかり時間がかかる。

ばら 花瓶のバラに光が滴りそうである。

ファンタジー 夜。うねる木々。これはセガンティーニの象徴主義的な木のうねりに似ている。いや、同時代の日本映画「狂つた一頁」に現れそうな木かもしれない。

橋の連作4 光が斜めに差している。橋は優美な形をしている。光の差す側は色が濃く、向こうは薄い。水面はかすかに波立っている。舟が静かに行く。

支那風景 二枚ほどがある。いずれも土をこねて作ったせいでか妙にぐにゃりとしている。
地方により建物が全く違う大陸。ここはどこだろう。
ただ、そのぐにゃりと柔らかな建物が並ぶ様を見ていると、牛島憲之の描く町の風景に見えてくる・・・

錦町河岸 この写真だけが1925年である。向こうに洋館と煙突が見える。かつてはこんな風景が見えていたのだ。・・・行ってみたい。


掛札の写真を見て、色々と思い出すことがあった。
そして三人それぞれ全く違う個性が出ていることにも気づく。

舞台写真 舞台左手に立つ男が右手に向けて矢を放とうとするシーン。何の芝居かはわからないが、1920年代は新劇も面白かった時代だという。見に行きたい。

夜 机の上に明かりが灯されている。小さな熊の自転車乗り人形、本、ペンたて・・・
静かな情景。

諏訪湖 この写真は98年のときのチラシにも使われていて、とてもときめいたのだった。凍りついた諏訪湖でスケートをする二人の男性を捉えたもの。光の諧調などが見事だと思う。また、先般、フィギュアスケートの小塚崇彦選手のおじいさんが日本スケート界の、特に中部日本スケート界の父だと知り、そのことを踏まえてこの写真を改めて眺めると、なかなか感慨深いものがある。

三越 現在も日本橋に堂々たる美麗な姿を見せる三越。この華麗な彫刻群が今もあるかどうかは、わたしにはわからない。柱装飾の華麗さはフランスやイタリーのそれに遜色がない。イオニア柱とアカンサス柱が並ぶのにはびっくりもする。
今もあるなら・・・ちょっとわたしもモノクロで撮影させてもらいたい。


石田が参加したシドニーカメラサークルの人々の写真を見る。
ハロルド・カズノー ラッズル・ダッズル 遠心力ブランコ。楽しそうな人々。子供のための遊具ではない。わたしはこれをみて、二つの映画を思い出した。
一つはリリアナ・カヴァーニ「愛の嵐」。ナチスが収容所ではこんな娯楽も与えてますよとブランコで遊ぶ娘を写すシーン。そこには可愛らしく装ったシャーロット・ランプリングがいた。
一つはフランソワ・トリュフォー「大人は判ってくれない」。学校をサボって街に出たアントワーヌ・ドワネル少年が遠心力の遊具で遊んでいた。
二つとも本当はこの遊具とは少しばかり違うのだが、それでも思い出した。

モンテ・リューク シェイラ 1922年の美人。少し前に世田谷美術館で見た「エドワード・スタイケン」の写真を髣髴とさせる。あちらは1923~1937年だった。どちらもモダンな時代。

わざわざ出向く価値のある、いい企画展だった。しかも申し訳ないことに無料である。
また美術館が再開したときには、久しぶりにこのモダンな時代の写真展を見てみたいと思う。

夏目漱石の美術世界 1

「夏目漱石の美術世界」展へ行くのをずっと楽しみにしていた。
広島、東京の芸大、静岡と巡回する展覧会である。
芸大で見ることになった。
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漱石の小説にはしばしば英国絵画と日本の絵画が現れる。
漱石はヴィクトリア朝末期の頃にロンドン留学をして、いいものを見ている。
その成果がいくつもの作品に投影されもしている。
これまで漱石の展覧会は文学館や博物館などでしばしば行われてきたが、この側面からの企画展は初めてではなかろうか。
漱石没後百年近く経ち、漱石が見たもの・愛したもの・批判したもの…それらを百年後のわれわれも眺めることになる。
百年で思い出した。
漱石の『夢十夜』の第一夜は百年後の再会を約する話である。最後の一文は以下の通り。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

『夢十夜』からはもう百年が過ぎていた。百合の香りを求めて会場へ向かおう。

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序章 「吾輩」が見た漱石と美術
『吾輩ハ猫デアル』といえば橋口五葉の装幀がまず思い浮かぶ。
そして中村不折の挿絵。1905年から1907年まで刊行された上中下の装幀を見る。
何度見てもいい。エジプトの聖猫もしっぽを巻く、お猫さまの色んな様相。

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わたしは特に下編 表紙画稿を見ると、家にいたタビノスケを思い出してしまう。
可愛いなあnec361.jpg


また上編のチェスの駒を持つ吾輩も好き。
縮刷本もある。小さくて可愛い作り。

ふと見れば、朝倉文夫の「つるされた猫」がいた。可愛い。こちらも同時代。
朝倉文夫彫塑館の再開はまだかな…

ミロのヴィナス像の石膏模型が立っていた。「野分」での対話が抜き書きされている。

第1 章 漱石文学と西洋美術
先日、ジブリ美術館で「挿絵が僕らにくれたもの 通俗文化の源流」を見たが、その時に漱石が好んだ世紀末絵画というコーナーがあり、パネル展示されていた。
その企画展は宮崎駿氏のキャプションがついているのだが、今回の企画展とマッチする内容だった。その感想はこちら

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 金枝 アエネアスの冥界下りのために金枝を掲げる巫女シビルが、左端に立つ。古代遺跡は自然に埋もれつつある。高く伸びた木は枝を広げず、頂点ばかりを横に膨らませる。
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ターナー チャイルド・ハロルドの巡礼 こちらも先のと似た木が見える。右側に大木。遠くに水道橋。
美術ブロガー「はろるど」さんはバイロンの「チャイルド・ハロルドの巡礼」からその名を採られたことを思い出す。
バイロンの詩はターナー、クールベに絵を描かせ、美術を愛する者たちに夢を懐かせる。

ターナー パッランツァ、マッジョーレ湖  静岡県立美術館蔵。モアモアしている。これは2週間限りの展示なので見れて嬉しい。

ターナーについては『坊っちゃん』の中に出てくるが、嫌味な連中がどーのこーのと話すのを読んだ小学生のわたしは、そのせいでか、なんとなくターナーが好きではないまま育ち、大きくなって実物を見てからやっと「…いいな」と思ったのだった。

世紀末芸術が現れる。わたしの偏愛する世界でもある。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス シャロットの女 この絵を最初に見たのはもう随分前の展覧会で、非常にときめいた。もともと中学の頃からアーサー王伝説を好んでいたから、それに関わる物語絵を見るだけでも心躍っていた。
そしてウォーターハウスの美麗であり宿命的な悲劇を予感させる女を目の当たりにしたとき、わたしは震えた。
<宿命の女>の放つ魅力の糸に絡め捕られてしまったのである。
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ウィリアム・ホルマン・ハント シャロットの女(モクソン版『テニスン詩集』第二版) こちらのシャロットの女は本当に糸に絡み取られている。魅せられたのは観客だけではなく、描いた側もかもしれず、そしてこんな風に絡め取っているのかもしれない。

漱石の『薤露行(かいろこう)』の二章はこの鏡の中の女の物語である。

そしてそこにシャロットの女が糸に絡め取られる描写が以下のように描かれる。

紅の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切ちぎれ、解け、もつれて土つち蜘蛛ぐもの張る網の如くにシャロットの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつわる

女は最早決して元には戻れない。そしてその女の呪詛は後にひびく。
漱石のその小説自体は『アーサー王の死』を題材にしている。

オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー『アーサー王の死』  見開き二ページに長い裳裾を引きずる女の姿と、トリストラム卿が愛の盃を干してしまうところが描かれている。
高校の頃、ビアズリーに熱中したわたしは、学校にあったビアズリーの画集から好きな絵ばかりを先生に頼んでコピーしてもらった。それはファイルに綴じているので、いまも活きている。

ダンテ・ガブリエル・ロセッティ レディ・リリス 邪悪な存在と言われはするが、このレディ・リリスはやはり魅力的な女である。その魅力に抗せられぬからこそ、男たちは彼女を<邪悪な存在>と見なそうとしたようにしか思えない。
同性として彼女の放つエネルギーに魅せられる。

ジョン・エヴァレット・ミレイ ロンドン塔幽閉の王子 これも20年ほど前、近鉄奈良の「絵画に描かれたシェイクスピア」展で見たもの。
倫敦塔幽閉の二人の金髪王子は画家によっては幼児であったり、この絵のように少年であったり、また不安に佇む姿あるいは何も知らずに眠る姿が描かれる。
暗い運命が二人を待ち受けている。nec359-2.jpg


ブリトン・リヴィエアー ガダラの豚の奇跡 『夢十夜』より「第十夜」の豚に襲われる庄太郎の話が出ている。
絵を見るとパニック状態である。豚に襲われトン死ならぬ頓死しそうな勢いである。
何しろ二千豚である。
今村昌平の映画「豚と軍艦」のラストシーンもこんなだった。横須賀のドブ板を豚が爆走し、欲に駆られた男たちは全滅する。
中島らもの小説に「ガダラの豚」がある。タイトルはここから来ていた。

漱石が集めたのか、あちこちのカタログや雑誌もある。江戸博での展覧会の時に見たものもあるように思う。
ナショナル・ギャラリー、テイト・ギャラリー、王立芸術院展覧会カタログ、「昔日の巨匠展」カタログ、『ステューディオ』などなど。


第2 章 漱石文学と古美術
ここでは古き日本の絵と日本に伝わっている中国の絵などがある。

狩野探幽 詩仙図巻 杜甫、孟浩然、王昌齢、白居易らの絵姿があるが、李白は掲載されていなかった。何故かは知らない。

伊年 四季花卉図屛風 白アジサイがヘンだと思ったらやはり漱石もそう思っていた。
誰が見てもやっぱりヘンなものはヘンなのだった。

森一鳳 藻刈舟図 解説に「もぉかるイッポウ」の洒落のことが書かれていたが、その解説通り、実際大阪では一鳳の藻刈舟の絵は人気が高く、今もちょこちょこ展覧会に現れる。
近代の縁起物とでもいうべきか。そして笑ったのは「梅村=ばいそん=倍損」「大村=おおそん=大損」は人気がないという話。そりゃそーですがなwww

渡辺崋山 黄粱一炊図 「心」に現れる。この逸話はどうも侘しくて、嫌いな話ではないが、鬱屈する。そしてわたしは「心」を読むとやはり鬱屈するのだった。

瀧精一 『東洋美術図譜』 この図譜について漱石は「余は喜んで読者に紹介する」。うむ、ありがとう。

最後に『虞美人草』のラストシーンのために、藤尾の枕屏風のために今年新たに制作された屏風が展示されていた。
荒井経 酒井抱一作《虞美人草図屛風》(推定試作) 衝撃的だった。これは凄いことだとも思った。
そしてこの展覧会はこうした作品を送ることで、見る者と漱石の世界を、より近づけるのではないかと思った。


第3 章 文学作品と美術 『草枕』『三四郎』『それから』『門』

与謝蕪村 竹溪訪隠図 竹林に山に小さい庵と。壁は網代。蕪村の和やかな世界は子供の頃好まず、今になっていいなと思うようになった。

小林萬吾[口絵] 草まくら(雑誌『新小説』) 1906 年9月 派手な色遣い。しかし明治30年代らしい挿絵ではある。

古元休(越前出目家四代出目満永)姥 宝生流の面。17世紀半ばの面を見て、田舎のばあさんを思う漱石。なるほど百年以前の日本人の顔の原型かもしれない。

長沢蘆雪 山姥図 乱杭歯のばあさん。左上の月に松は頴川美術館の所蔵品と同じパターン。……実はその絵はサントリー美術館「もののあはれ」展に5/22本日から登場。この月夜松を同時に都内で楽しめるのは6/16まで。
ところで彼の「山姥」は厳島神社にもあるが、その絵は広島だけに出る模様。
ご参考までに月夜山水図」nec365.jpg


出た、若冲。『草枕』に現れるのはどの絵だったか忘れた。というより、現実にある絵なのかどうかも知らない。丸々した鶴の絵。

松岡映丘ほか草枕絵巻(巻一) 1926 年 この絵が奈良国立博物館で発見された時のニュースを覚えている。そして1994年2月に「草枕」絵巻展が開催され、見に行った。
その後、熊本で展覧会があった時に図録を手に入れ、嬉しかったことを今も覚えている。

松岡映丘 湯煙 『草枕』絵巻の後に描かれたものでも映丘唯一の裸婦図ではないか。
すらりとしてはいるが、昔の日本人の女の体である。線がとても優しい。

次に『三四郎』。いかにも明治の女学生を思わせる絵が並ぶ。
藤島武二 池畔納涼、鏑木清方 秋宵。
そして蕩けそうな目つきの少女の絵が現れる。
ジャン=バティスト・グルーズ 少女の頭部像 「ヴォラプチュアス」か…

再び嬉しい絵を見る。
ウォーターハウス 人魚 今となってはこの絵を実際に見たのか本で見たのか区別がつかなくなっている。
ウォーターハウスがとても好きで、いつ見てもときめく。
この人魚と清方の「妖魚」はとても好きだ…
そして三四郎は美禰子さんにいよいよ惑わされる。
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ちょっと長くなりすぎるので、一旦ここで置く。

神仏の展覧会「瀬戸神社」「長谷観音」「墨蹟」「仏像半島」

今回、神仏に関わる展覧会に多く出かけた。
関西在住のわたしが関東の神仏を見る、あるいはそこに集められた全国津々浦々の神仏像を拝みにゆく。
どことなく不思議な感覚がある。

最初に東博「大神社展」を見たことからこの縁は始まったのかもしれない。
ついで金沢文庫「瀬戸神社 海の守護神」、鎌倉国宝館「墨蹟」そして常設の鎌倉の仏像、また鎌倉・長谷寺「地獄極楽」、最後に千葉市美術館「仏像半島」を見終えたとき、<結縁>という言葉を思った。
明治の神仏分離の以前、日本は神仏習合を旨とする在り方でいた。
わたしは今回これらの展覧会を巡り歩くことで、なにかしらかつての日本人の心の奥にあるものに触れた気がした。

瀬戸神社とは何か。
これは金沢文庫の町の中心に鎮座する神社だという。
扁額がある。この「瀬戸神社」の文字は松平定信によるものだという。
ただこの神社は江戸時代「三島明神」という名で呼ばれていたそうだ。
そして神号は藤原経尹。

舞楽面がある。陵王、抜頭、鯉口という三面で、中でも鯉口は厚めの唇を突き出しつつすぼめる面白い顔つきをしている。

女神像がある。チラシで見ていたが実物は更に可愛らしい。この女神像はこの瀬戸神社の主神・大山祗に配されていたので、母イザナミか妻カヤノヒメかまたは娘コノハナサクヤヒメかと言われているそうだ。
背後に回ると、丁寧に着物の後ろ姿が作られている。

その隣には童子型の像がある。可愛らしくみづらを結いふっくらしている。しかし表情は怒っている。
こちらも後ろ姿を見ると、童子の帯には鎌のようなものが見えた。あれは何だろうか。

ほかの男神も怒っている。随分怖い顔が多い。
一方、掛け仏は皆柔和な面立ちである。笑う仏に怒る神。

正月には「修正会」が行われるそうで、その表白がある。
牛玉宝印が配られたそうである。
こういうものをもらったら自分はどうするだろう。なんとなく怖いのである。

海の守護神という副題をまだよく実感できていないのだが、「瀬戸神社」前の海中に、琵琶島弁天があるそうだ。
この弁天さんは宇賀神を載く弁天さんである。そして琵琶を持たず、立ち姿であることから「立身出世」の神様として尊崇されている。

合祀されているのは熊野に東照宮、そして吉田神道の資料もある。「五十鈴の図」というのがある。本当に50個の鈴のついた衣紋掛けのようなものである。
また吉田神道の卜部家からの神道裁許状もある。延宝六年。

ここで千葉氏の名を見た。わたしはぼんやりと八犬伝の犬士の一人・犬阪毛野を思い出していた。彼は千葉氏の後裔という設定だった。
なぜ金沢文庫で千葉氏の名前を見たのか、いまひとつ理解していないまま、ここを出た。
そして10時間後にわたしは再び、千葉氏の名を千葉市美術館で見ることになるのだった。


次に鎌倉国宝館へ向かった。
行った日は国際博物館の日だからなのか、はがきを一枚もらった。ありがとう。
ここでは菅原通済の常盤山文庫のうちから「墨蹟」の名品が集められている。

「巡堂」とある。「堂々巡り」という意味らしい。どうもよくない印象を持つ「堂々巡り」だが、元の意味は違うようで、禅宗を知らなければなかなか考えも及ばない。

高僧らの手蹟が多い。
中でも南宋時代の剣門妙深の手紙と、断ケイ妙用が白雲慧暁に宛てた偈がいい。
白雲悠々無定度舒・・・

ほかに例の方広寺の梵鐘の銘文を書いた文英清韓の賛に曾田友柏の絵の「百丈野鴨子図」があった。鴨が飛ぶのを見上げる僧二人の図。

渡唐天神図が何点かある。菅公は一瞬で唐へ飛び、先にあげた「巡堂」を書いた無準師範のもとへ参禅した、という伝説から生まれた絵。
「巡堂」を見てから絵を見ると、荒唐無稽な伝説だと思いつつも「・・・そうなんや」と妙な納得が生まれる。

束帯天神像 鈴木春信 びっくりした。春信が天神さまを描いている。二人の衛士共々なんと面長なのである。びっくりするのも当然だと思ってほしい。

龍泉窯の砧青磁の名品がある。もしかするとこのあたりは以前、正木美術館に常盤山文庫の名品が来たときに見たものかもしれない。

たまには黙ってこういう展示を見て心を鎮めたい。
6/30まで。
また、平常展示の鎌倉の仏像もよかった。
何というてもここは十二神将が素晴らしい。毎回楽しみにしている。

今回道教の伽藍神座像が特によかった。目がピカピカするのはガラスのためだが、表情も衣服もいい。
こちらはいつまでの展示かはわからない。


江ノ電に乗って長谷寺へ向かった。
「長谷観音と地獄・極楽」展を見に行った。
とはいえ花の寺として有名なところだけに、可愛らしい・綺麗な花を楽しませてもらった。
ひととおり楽しんでから宝物館へ向かう。
以前にここで長谷寺縁起絵巻をみているが、それ以来の訪問。

地蔵菩薩を描いた一枚がけっこう色っぽく、モガ風にも見えた。
地獄極楽図はそんなにえぐいものでもない。

今回の展覧会、かなりショックなことがあった。
仏教都市鎌倉の周辺は「地獄」だというのである。
鎌倉の中心地を離れると供養と葬送の地となり即ち地獄だというわけである。
考えたこともなかった。

都市部に隣接する周縁地には葬地が展開し、建長寺の寺域などは地獄谷とも呼ばれていたそうだ。
中心地を離れるとケガレの地だというのにもびっくりした。

展示品よりなにより、この解説やコラムに非常に興味がわいたのだった。
そして長谷寺は元禄年間まで大仏を管理していたのだが、地震の罹災からの復興に手間取り、祐天上人からの申し出により増上寺に譲られることになったそうだ。

それにしても本当に驚いた。この一枚の解説文を読むだけでも来た価値があったように思う。5/27まで。
ところでここには「三十三応現身観音」があり、以前もその三十三体の仏様の色んなお姿にドキドキしたものだった。コスプレ仏だなどと言うてはならない。妙な勢いがあり、ガラスケースを割り破ってこちらへ出てきそうな感じがあるのだった。


最後に横浜駅から千葉市美術館へ向った。
房総半島の仏を集めた「仏像半島」を見に行くのだ。
実はわたしは神仏の展覧会にゆくのに、かなり気合いがいるのだった。
どうしても拝む対象だと見なしてしまうから、芸術品としてみるのは、と思うのだ。と言いつつ、前述のように「目がピカピカして」とか「かわいい」とか言うてるのではこの言葉もどうだか。
しかし苦手だというのは確かにある。
畏怖心を麻痺させてからでないと、楽しめないのだった。

土曜の夜間開館。たいへんお客が少なかった。ヒトの数より仏の数の方が多い。
その時点でわたしは逃げ出したくなっていた。
また、物凄くうまい展示方法なのである。

展示された仏像や十二神将一体一体を眺めながらさまざまな感想が胸に浮かび、それをメモに記しているのだが、ここで再現するのはやめる。
果てしがなくなりそうだからだ。

わたしは十二神将が好きなのだが、これも時代により仏師により風情がかなり異なる。
すっとぼけた丑の大将もいれば、困り顔の大将が半数を占める一隊(!)もある。
生きた人に見える巳の大将、小ぶりな造りのため、如来が保母さんで彼らが幼稚園児に見えるようなものもあった。

首が肩に埋もれた筋肉質な仏もあれば、首はしっかり見えるが力強い力士像もある。
踏まれた邪鬼が可愛いのも多い。

「道鏡の美術」展で見た妙見菩薩立像がきちんと剣を携えているのを見て、ほっとした。
図録では剣を持っていたのに実際の展示では剣は外されていたので、今回きちんとした姿を見れて嬉しい。ベーグルパンのようなみづらも可愛い。

絵では不動を描いた一枚が妙に竹中英太郎の挿絵に似ているように思えてならなかった。
愛染明王の図でも、憤怒というより笑顔に見えるものもある。これはあれか、暴悪大笑面かもしれない。

近年増上寺の五百羅漢図を見てギョッッッとなったが、その狩野一信の描いた羅漢図もあった。トラの耳掃除をするもの、球遊びに夢中の唐獅子に綱をつけようとする子供と。
色々と見ていて面白い羅漢とその周辺だった。

日蓮上人に関わる絵巻も色々あり、やはり房総半島から生まれたのだと改めて思う。
「埴谷一族」という人々がいるのにも驚いた。
埴谷ハニヤという姓はてっきり埴谷雄高(はにや・ゆたか)の創作かと思っていたのだ。
彼の本名は般若豊なのだった。

最後に欄間彫刻の素晴らしいものがいくつも展示されていた。
これがすごい出来だった。わたしは特に波ウサギが気に入った。

この展覧会でもまた千葉氏の名前が出ていた。
三浦半島と房総半島との距離感は、かつては小さいものだったのではないか。
朝に金沢文庫「瀬戸神社」展、夜に千葉市美術館「仏像半島」を見て、何かに導かれていたような気がした。

駆け足でめぐった神仏の旅だった。
まだ色々と思うこともあるが、それは心の底に沈めたいと思う。

「大神社展」後期

東博「大神社展」後期に出かけた。
前期もよかったが後期もいい。
前期感想はこちら
まず始まりは熱田神宮、嚴島神社、鶴岡八幡宮の古神宝だった。

追記:2014.10.18 九州国立博物館の「大神社展」チラシをここで使用する。以下全てそこから。
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その熱田神宮所蔵の豊かな装束を見る。いずれも室町時代のもの。
表着 萌黄地小葵桐竹鳳凰模様二陪織物 (伊号) 桐の花が紫。金の竹が綺麗。
重袿 白地桐竹鳳凰唐草模様固地綾 (呂号)
単 萌黄地繁菱模様固地綾  ヒトエは薄くていいね。
裳 白地三重襷模様羅 (呂号) 古様らしい。頒幅(あがちの)というエプロンの帯状のものがついている。これについては次に詳しい

表袴 白地窠霰模様二陪織物 (波号)  窠は「かに」と読むらしいが、字が出るかどうかわからない。

次に嚴島神社の宝を見る。
数年前、急遽奈良国立博物館で嚴島神社展が開催された。
そのときのことや、実際に自分が行った神社とその界隈の風景、そして去年の大河ドラマ「平清盛」を想いながら見て歩く。
わたしはもともと平清盛が好きなので、色々と感慨深いものがある。

平安時代の太刀が「古刀」としていちばん珍重されていたようだが、実際のところどの時代まで斬ることができたのだろう。手入れ怠りなく脂身も切らず骨も断たずで…

宝相華平塵地螺鈿飾太刀 平安時代  キラキラ小さく細い刀。綺麗でした。

安徳天皇の産着だったというものが出てきた。むろん嚴島神社蔵。
紅麻内衣 小さくてとても可愛い。
紅色だった理由はなんなんだろう。帝王の色は赤だった。それとも赤ちゃんということでか。
なお、それを入れていた箱もある。
松喰鶴蒔絵小唐櫃 寿永2年(1183) 「この世の栄光は儚し」と思うねえ…

彩絵檜扇 こういうのを見ると、平安の世の華麗さを感じる。

武具がたくさんある。どの神社にも綺羅に飾られた武具がある。
時代が変わっても儀礼用のものは綺麗。
沃懸地杏葉螺鈿太刀 鎌倉時代 鶴岡八幡宮  小さい杏葉が続くのが可愛い。
朱漆弓、沃懸地杏葉螺鈿平胡簶、黒漆矢。いずれも「武士の誉」。

熱田神宮といえばヤマトタケルを思い出すのだが、その時代のものはなく、ここにあるのはいずれも室町時代のもの。
嚴島神社=平安、鶴岡=鎌倉、熱田=室町と巧い時代分けをしている。

黒漆根古志形鏡台  そう、これも「根古志」形。
朱漆唐櫃 「二ノ御前」の付箋つき。これは前期で見た南北朝時の熊野速玉大社とはまた違う趣があった。
台盤 2基それぞれ朱と黒。角型テーブルで真ん中にも長方形の枠があり少し棚落ちしている。ここに鉄板プレートでも置けそうな形だが、漆塗りだから使えまい。

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第2章 祀りのはじまり
こちらはほぼ変わらず、やっぱり子持ち勾玉が怪獣のように可愛い、と思った。
そして斎場御嶽の出土品はキラキラしていて、綺麗だった。
古文書は入れ替わっていて、以下のものが出ている。

古事記 上巻 春瑜書写 1冊 室町時代・応永33年(1426)写 三重・神宮文庫
日本書紀 巻第一上 神代上 1巻 南北朝時代・永和元年(1375) 愛知・熱田神宮
国宝 延喜式 巻第九 神名帳 1巻 平安時代・11世紀 東京国立博物館
多度神宮寺伽藍縁起并資財帳 1巻 平安時代・延暦7年(788) 三重・多度大社

そのうち日本書紀は卜部家系の写本だということだった。

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第3章 神社の風景
絵画もかなり入れ替わっている。

春日権現験記絵巻 巻第二 絵:高階隆兼筆・詞書:鷹司基忠筆 延慶2年(1309) 三の丸尚蔵館 白河上皇の御幸。拝殿の神楽を見る。藤も咲いている。僧兵や稚児らも頭を覆うかぶりもの。稚児は花色の衣を着ている。可愛い。

そしてその第二巻は宮内庁の所蔵品だが、もともとは春日大社のものだっただけに、その絵巻を広げて眺めるための台もあった。
春日権現験記絵巻披見台 6曲1隻とはなかなかである。

松崎天神縁起絵巻 巻第六 応長元年(1311)防府天満宮 鳥居と蓮池とがある。今の天神社とほぼ変わらない構図らしい。

山王宮曼荼羅 南北朝時代 奈良国立博物館 上部に牛尾山があるがその頂上辺りに面長な形の平地があり、左に三宮・右に八王子(牛尾神社)が描かれているが、どうもサル顔に見えてくる。こちらの表装は本地佛などが描かれてもいる。

秘密山王曼荼羅 安土桃山~江戸時代 滋賀・日吉大社 行幸できない帝のために作られたもの。比叡山の隣とか。
「秘密」「山王」「曼荼羅」という字面を見るだけで妙にときめく。

那智山宮曼荼羅 室町時代 熊野那智大社 久しぶりの再会。
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滝には文覚上人の滝行を支えるセイタカ・コンガラ。
海には船出したばかりの補陀落渡海舟。空には金銀の日月。
狛犬の前には八咫烏。

真清田神社参詣曼荼羅 安土桃山~江戸時代 日月の下の雲に龍が巻き付く。人より巨大な鳥、山車も出ているが、妙な絵だと思う。

琴弾宮縁起絵 鎌倉時代 香川・観音寺 当たり前だが、山・海・山・観音寺。

第4章 祭りのにぎわい
楽しそうなものを見るのが好きなので嬉しい。

豊国祭礼図屛風 狩野内膳 江戸時代 豊国神社 これが見たかったので嬉しい。賑やかでいいなあ。とにかくこういうわいわいと浮き立つのが好きだ。しんどい毎日を祭りで一度リセットする。だからめちゃめちゃ派手なのがいい。
右1、駕籠から降りる女、大きな子を抱っこしている。翁面をつけて舞う人もいる。舞台見物には僧と稚児の連れがいる。右5と6、銀杏の前髪の子が5~6人いた。左1では風流踊り。そしてそこが豊国神社である証拠のように、左5にやっと清水・八坂の塔が現れるのだった。
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黒川能は一度見てみたいと思いはするが、その機会はなかなか訪れない。
随分前「アサヒグラフ」で黒川能の特集があり、それで初めて知ったのだが、いまでも記事に出ていた黒川能の様子が目に浮かぶ。
解説を読むと「黒川能に先行する芸能『延年』云々」とある。
『延年』といえば毛越寺のことを思い出す。
神への奉納ということと、芸能が人間のための娯楽になってゆく過程を想う。
小袖はどうやら『延年』用のものらしい。
狩衣 紅地蜀江模様黄緞 室町時代 山形・黒川能上座
小袖 白地草花海賦模様 室町時代 山形・黒川能上座

狩衣 藍紅顕紋紗地太極図印金 室町時代 山形・黒川能下座  こちらは特別な装束らしい。下座では能太夫世襲の際に一世一代で翁を演じるが、その折に着用する装束だそうだ。

岐阜県では農村歌舞伎が盛んだと聞くが、これは神社で奉納される能のための装束。
狩衣 紺地白鷺葦模様 安土桃山時代 岐阜(本巣市)・春日神社  会場の真ん中に設置されていて、パッッと人目を引く。鷺鷺鷺鷺鷺!鮮やかな紺地に白い鷺がいるいるいるいるいる!すごい密度である。この白鷺は刺繍で出来ているが毛並みが綺麗だった。色んなポーズの鷺たちである。思い思いの様子を見せる。
刺繍のある狩衣は珍しいらしい。

今度は嚴島神社の能装束である。
唐織 紅地鳳凰桜雪持笹模様 安土桃山時代 
唐人装束 白地鳳凰鴛鴦菊模様 安土桃山時代  カラフルな刺繍の縫箔裂のパッチワーク。唐人の衣装だというのでこんなにも華やかなのか。
唐人装束 茶地柳樹鷺模様 安土桃山時代 こちらの鷺は派手な感じがする。「渡し縫い」という技法での刺繍だという。刺繍も古代からあるだけに手の込んだ複雑な技巧を持つものがある。キュートな鷺たちである。

所蔵先の明かされていない能面を見る。室町時代の四面。翁、三番叟、父尉、延命冠者。
何かしら向かい合うと、寒気がした。笑顔こそ怖いものなのだ。

第5章 伝世の名品
こちらも通期のものが多い。新しく出てきたもので好ましいものを挙げる。

梅蒔絵手箱および内容品 鎌倉時代 静岡・三嶋大社 芦手。梅に雁。北条政子奉納だと伝わる。愛らしく豪奢な文様。

籬菊螺鈿蒔絵硯箱 鎌倉時代 鶴岡八幡宮 これはしばしば見かける名品なので、なんだか親しい気持ちになる。

北野天神縁起絵巻 巻第八 鎌倉時代 北野天満宮 以前この絵巻を色々と見たが、それでも全容を見るというのはなかなか叶わないので、こうした機会が嬉しい。
六道めぐりの話のところ。炎上の様子が見えるが、あとは天界である。
楽しげな天人遊舞。琵琶や琴を奏でる天人たち。だがやがて「天人五衰」の期を迎える。
琵琶も琴も割れて朽ちている。天人も人と変わることなく骸を野に晒し、膨れ上がり、黒ずみ、やがて消える。九相図とまではいかぬが、ここにも終焉の姿があるのだ。
さすがに天界だけに犬に喰われることも鴉に啄まれることもないのだが。

後鳥羽天皇宸翰御手印置文 暦仁2年(1239)水無瀬神宮 後鳥羽院は剛力の人で、手も大きいのは四天王寺宝物館にある、やはり御手印置文で見ている。
親指の付け根の肉のふっくら加減はさすがに貴人である。

建武五年五月三日足利尊氏寄進状(石清水八幡宮文書のうち) 建武5年(1338)石清水八幡宮 つい先日、この石清水八幡宮に初めて足を運び、その佇まいに感銘を受けたばかりだった。今、それに関わる資料を見ると、あの時の喜びが蘇ってくる。
なお足利尊氏は石清水八幡宮を崇敬していたそうだ。

前期に見た絵馬もあって嬉しい。とても立派な馬たち。


第6章 神々の姿
入れ替わりは少ないが、絵の方はまたいくつかある。
神像はいずれも見事な様相を呈している。

やはり松尾大社のファミリーがいい。これまで表に出るのは男神・女神ばかりだったが、こうして二人の間の息子さんがデビュー(!)したのもめでたい。

東寺の伝・武内宿禰像は後から装束を着せる像なので裸体である。彼はなかなか端正なハンサムなので、目の前に立つのが楽しい。

僧形八幡神影向図 鎌倉時代 京都・仁和寺 室内で僧が後ろ向きに立ち、男臣二人が座すのだが、壁に全く別な影が映っている。僧形八幡神の影である。
神の威光に慄くよりも、シュールさを感じ、またホラー表現に近いものも感じた。
とはいえ、心に残る一枚である。

白山三社神像 鎌倉時代 石川・白山比咩神社 きりっとした第三姫宮と第一王子の間に母上たる女神・白山妙理が真正面を向いて鎮座ましましている。たいへん厳しい眉をみせている。
先般、金沢の泉鏡花記念館に「雪岱えがく『山海評判記』挿絵」を見てきたばかりなので、いよいよ白山の女神にときめく。あの物語は現世での白山の姫神の霊威により、さまざまな怪異や救済があり、不可思議な魅力にあふれているのだった。

綱敷天神像 祖参賛 延文5年(1360) 神奈川・常盤山文庫  ムッとした天神様である。当然なのだが。しかし憤りをぐっとこらえておいでにも見える。
常盤山文庫は現在、鎌倉国宝館で「墨蹟」の名品を見せている。

束帯天神像 南北朝~室町時代 九州国立博物館 こちらもムッとしている。そばの侍童もムッとしている。

開館少し過ぎに入ったが、もう繁盛していた。本当に結構なことだ。
前期も後期も非常に見どころが多く、こうして長々と感想を挙げることになった。
6/2まで。

教文館で見た「藤城清治」展

銀座の教文館書店にはギャラリーもあれば、カフェや本屋さん以外のお店も入っている。
今までこの書店に入ったことがなかった。表通りに面した場所に時折大正時代の「子供之友」復刻版の宣伝などがあると、それだけは手にしたりしていた。
今回、藤城清治さんの展覧会があるということで、初めてギャラリーに入った。

子供の頃から藤城作品はごくごく身近にあった。
わたしの場合だと「ケロヨン」である。カエルのケロヨン、マフラーを巻いたケロヨン。
そして影絵の小人さんたち。
子供の頃はこの愛らしい世界を好まなかった。
わたしは子供の頃は愛らしいものより、かっこいいものや時代の先端を行くものに惹かれていたのだ。というより、真面目で正しいことを言うのを聞くと、ちょっと苛立っていた。
それにファンタジーの世界から遠く離れて生きていたので、どうしてもこの愛らしい世界が受け入れられなかった。

おとなになったある日、なんとなく藤城さんの世界に惹かれた。
今まで避けていたものがどんどん身近になる。
やがて巨大なパラダイムシフトが起こる。
今ではもうすっかりファンになっている。
それにいちばん最初に好きになったケロヨンが藤城さんの作品だと知ってからは、いよいよ好きになったのだった。
藤城さんの世界の広さに驚かされて、それでファンになったのかもしれない。
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ギャラリーに入ると、フラッシュ撮影はだめだが撮ってもOKだとある。びっくりした。
ありがたいことです。

こちらは雑誌「The Gay」表紙絵シリーズ。130517_1618~010001
ちょっと可愛いものを選んだが、中には「おおーーっ」なのもある。藤城さんの言葉を読んでまた彼を尊敬する。
なんでも従兄さんの属する世界のために、藤城さんはこの表紙絵を楽しんで拵えていたそうだ。ドキドキしますな…

創作世界において、清く正しいものはわたしはあんまり好きではなく、そこから一歩踏み出したものでないと惹かれない。
だから藤城さんが邱永漢の書いた、欲と色に光る「西遊記」の挿絵をしていたことを知った時には、それだけでかなり好感度が高まっていた。

数年前、ノエビア化粧品のギャラリーで、藤城清治の「暮らしの手帳」表紙絵の「現代美人画」を眺めた
そちらにもびっくりした。すごく魅力的だったからだ。09122304.jpg

あの時は少しだけだったが、今回はかなりの数が並ぶ。
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特に好ましいのは右の娘。130517_1620~020001
'80年代半ば、わたしもこんな風に前をみつめていたかもしれない。

藤城さんは猫が好きだ。
特にトラ猫が描かれることが多い。
ご自分と猫のかかわりを、猫の視点で描いた絵物語が展示されていた。
ぶーちゃんという猫の半生記である。藤城さんの家の猫になってよかったなあと思う話だった。
猫好きな人も多い一方、猫はどうでもいいという人もいれば、猫嫌いの人もいる。

猫たちで大相撲。今の角界なんぞよりよっぽど面白そうだ。
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そして藤城さんは精力的に作品を作り続ける。
被災地にも出かける。そこで見たナマナマしい光景を綺麗に飾ることはせずに作る。
鎮魂と共に憤りがある。

今後もなお活躍し続けていただきたいと心の底から願った。
教文館での展覧会は6/9まで。

今月の東博でみつけた好きなもの

東博の常設で見たものを集めてみる。
好きなものだけ集めることができるのは嬉しい。


小林清親がたくさん出ていた。
今戸橋130517_0949~010001

今戸有明楼130517_0950~010001

石川淳「至福千年」は幕末の騒乱を背景にした小説だが、江戸情緒がよくにじんでいて、狂言回しの元侍の俳諧師・一字庵冬峨は今戸に住んでいる。清親の描いた今戸風景は、冬峨のいた頃と様変わりしていない気がして、ファンとして嬉しい。
下の有明楼は当時有名な料亭か、雲の隙間の月明かりが鳥のようにも見える。

九段坂五月夜130517_0950~020001
今もこの灯台はあったはず。当時は偕行社があった。

月夜のきつね130517_0950~030001
狸と狐の区別がイマイチつかないが、可愛い。

荒木十畝 玄明 働く鵜たちもよかったが、なぜか撮ってなかった。
実物はぜひにトーハクへ。

小林古径 住吉詣130517_0954~010001
白い鳥が小さく飛ぶ。

安田靭彦 御夢130517_0955~010001

後醍醐天皇の夢、楠正成登場の発端。
そばに控える侍童。美少年。130517_0956~010001

猿の特集があった。そういえば光雲の老猿像もあった。
モンキールーム。巨大化すると猿の惑星か。
十二神将の申。ファンキーなお顔。130517_0959~010001
浄瑠璃寺の十二神将だったそうだ。
寺に行ったとき、住職さんのお話が面白かったのを思い出す。

森狙仙原画の十二支どうぶつ。130517_1001~010001

よくよく眺めよう。130517_1002~010001
みんなカメラ目線wwwちょっとドヤ顔

意外な絵師の猿蟹。130517_1003~010001
磯田湖龍斎。ちょっとびっくりした。

中国から影響を受けた日本絵師たちの絵とかもある。
これは松田(マツダではない。中国人だから発音は別)
リス図130517_1117~010001
アップにすると…130517_1117~020001


工芸品ではニャーッな獅子がいた。130517_1112~010001

こちらは天神縁起絵巻から。
犬ファミリー130517_1121~010001

悪口を言うたので因果応報な狂気に駆られる女。130517_1121~020002
錫杖もってハダカで立ってるが、ちょっとかっこいいと思ったりもした。


羽黒鏡。130517_1123~010002
特に好みなのはこれ。130517_1123~020002


最後に業平の見立涅槃図130517_1130~010002
女たちの嘆き。どうぶつも雌ばかり。トラのメスはヒョウだと信じられていたから、ここにいるのはトラのメスたるヒョウなのでした。

また次もお楽しみ~

五月のハイカイ録 3

さて五月の東京ハイカイ録もここまで。

ひどいもんで2時に寝て7時前に目覚めます。肌にもアタマにも悪い。
ちょっと夕方過ぎまでカフェイン取るとこれですがな。寝る気さえ起こらん。
ほんで元気なんか言われたら元気ですと答えるしかないわけよ。
これはあれやな、日常から解脱してアドレナリン大量放出中やから、動いているのかもしれんわい。←バカモノ~ しかし身体は正直で、荷物まとめに手間取る手間取る。
待て、いつものことでしたか、それは。
予定より25分遅れて状況開始。

まず渋谷のギャラリー大和田でを探す。土地勘ないからセルリアンタワー見ながら徘徊し、幼稚園の前にいた奥さんに聞いたら、そこやと言う話でした。
松濤美術館の所蔵品を展示。今回は大正時代の写真芸術から。

例によって詳細は後日に書きます。

わたしが最初に松濤美術館に行ったのはこの写真芸術の展覧会見るためでしたわ。
もう20年くらい前らしい。懐かしい!図録は今も手元にあるからそんな昔や思ってなかったわ。
少しノスタルジーに耽る。

しかしそう思うと嗜好は変わらないね、人間なかなか。
こちらに設置されてたカールツァイスプラネタリウム。1957年製。
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なお今や現役引退したが、かつて大阪の四ツ橋の電気科学館にあったプラネタリウムは1937年製で、戦前は世界に六つしかなかった内の一台だった。
89年に肥後橋に新しい科学館がオープンするまで、よくがんばってくれたなあ。

実はさよなら電気科学館のショックが大きすぎてか、新しい科学館には未だに足を踏み入れず。
隣接の国際美術館にはしばしば行くけどね。
わたしは子供の頃に好きだったものがなくなり、違うものになると拒絶してしまうのだった。
だから宝塚ファミリーランドの跡地のガーデンにも、阪神パークの跡地の施設にも行かないの。


目黒区美術館に。佐脇健一と言う人の現代アートを見る。
正直よくわからない。
廃墟のミニチュア再現されたものがやたらと青と白とに彩られた空を背景に位置を占める。
生きていた痕跡も失われそうな情景。
しかし箱にそれら廃墟を収めた連作は魅力的だった。
コーネルの箱は内に閉ざされてその中にこそ豊かな世界が広がっていたが、こちらは不毛な世界を切り取っているからこそ、枠の外を想像させてくれる。

通路の端に今日から東京芸術劇場のギャラリーで「池袋モンパルナス」展というポスター見る。
困るなあ、いきなり。ネットでも情報ないしチラシもなかったのにこれや。
仕方ない、機会は逃すな。

東京芸術劇場に入るのも初めて。
ギャラリーで彼らの作品を見て、やっぱり高山良策はいいなあと機嫌よく呟きながら去る。

太田は今月来月は北斎対暁斎という図式で展示。面白いよ、なかなか。
戯画と彼らそれぞれの技能の高さを示す仕事が多く、タブローより版本の方がより「描けぬものなどない」のを証明するようだった。
戯画ではネズミがよく働くのが共に良かった。特に北斎のネズミは小柄でも筋肉リュウリュウの働き者が多かったわ。暁斎はやっぱりカエルに骨やな。


乃木坂からサントリー美術館へ。もののあはれ。この美意識は日本独特のもの。
展示品はいつかどこかで見たものや、なじみのものが多かったが、こうしたコンセプトで作品が集まると、また別個の喜びがあふれだす。それに何より設えがいい。
月齢を示すコーナーの対面には田中訥言の日月図屏風を配し、月の変わりゆく姿を投影させている。
他の絵が映り込むのはいやなものだが、これは非常に効果を挙げていた。
意図してのことだと思う。さもなくばサントリー美術館ともあろうところが、偶発的な設えなどするものか。

また階段下では鳥の声をその種ごとに再生していた。鳥の声を喜ぶ感性は東洋のものだ。素晴らしい演出だった。いつか秋の虫の音も聞かせてほしい。

最後には近代の「もののあはれ」として清方と北野恒富の美人画が現れた。
非常に巧みな展覧会だと思った。来月また訪ねたい。


六本木から汐留に。松下幸之助の伝統文化への眼差しを垣間見せてもらったように思う。
三期に分かれての展示だがとても楽しみだ。松下幸之助は塾や研究所から考えて、人育てが彼の道楽かと思ったが、茶道にも愛情があったのだ。


今月も本当にいいものばかり見た。残念なのは埼玉だけ。また埼玉の企画展を楽しみにしよう。
ああ。後日が思いやられる。なんとか感想をバッチリ決めたいもんですわー!

五月の東京ハイカイ録 2

二日目。
金沢文庫に行った。
よく知らないが瀬戸神社という海の神様を祭る神社の展覧会。
例によって詳細は後日に延ばすけど、千葉氏の名があり、私なんぞは八犬士の犬阪毛野が千葉氏の後裔て設定やなと思うくらい。
女神像はふっくら可愛く衣装も丹念に作られていた。男神はみんな大体怒ってましたなあ。
こちらの「ともしび」閉店、あかりは消えた。


鎌倉はまためちゃめちゃ大繁昌な小町通を避けて段葛を歩いた。スイスイと歩けストレスなし。

国宝館に行く。
鎌倉山開発をした藤原通斎の常盤山文庫から高僧の書や水墨画が来てるが、リーフレットがよく出来てて、大変役に立つのでした。そして今日は博物館の日だからか、常盤山文庫の絵葉書一枚貰ったわ♪ありがとうございました。


久しぶりに江ノ電乗って長谷に行く。130518_1135~010001
こちらも大繁昌やがな。130518_1251~010001



観音前の角でランチ。これはいい感じなので長谷に行く時はここをランチの場にしよう。
さてそれで長谷寺の宝物館に向かうが、ここは花の寺としても名高いので目に楽しい花が多い多い。
ほんと、素敵。130518_1216~010001


オモダカ130518_1213~010001河骨130518_1213~020001

睡蓮。130518_1214~010001
もう未草は咲いていた。そして正午でも開いている。130518_1214~020001

カラーの群生。130518_1242~010001
初めて。130518_1241~010001

この小さい粒粒は下野(しもつけ)とかいうものかな。130518_1220~010001

ほかにもタツナミソウやショウジョウバカマもある。

更紗空木(サラサ・ウツギ)…かっこいい字面。130518_1222~010001

源平空木。紅白だからか。130518_1223~020001
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宝物館では鎌倉圏内での地獄極楽について、ちょっと考えてもみなかったことが書かれてて、非常に興味深く思った。
あとは33観音現応身が非常にいい。でもご本尊の巨大観音はこわい…

長谷寺から見る海。130518_1239~010001


再び鎌倉に戻り、今度は茅ヶ崎へ。
茅ヶ崎、初めて下車した。当然ながらわたしの頭の中ではサザンの歌の一部がリフレインしている。
♪サラバ~背を向け茅ヶ崎~ ここばっかりぐるぐる。

茅ヶ崎市美術館は元はどこかの邸宅の跡地に建っているようで、すばらしい雑木林と庭園の遺構と茶室などがあって、時間があれば散策したかった。
道もよい。130518_1333~010001

こらちは「松籟荘」の塀などの遺構。本当に素敵。130518_1451~010001


茅ヶ崎市美は地元の名主さんの江戸時代のコレクションを展示しているのだが、これが物凄い。
物凄いとしか言いようがない。
また詳しく書くが、びっくりした。初見だらけ!芝居絵が圧倒的に多くて、非常にわたし好み!
残念なのは図録には全編出てなくて、展示以外のも含めた全コレクションのちょっと豪華本が別にあること。
しかし満足する、それでも。三世田之助が大量に描かれていたのが嬉しい。
それにしても茅ヶ崎、もっと宣伝しなはれ。


横浜へ。よく寝てた。
みなとみらい線の往復で神奈川歴博。「江戸時代の神奈川の旅」展、面白かった。
これは貨幣資料館「お金道中記」、静嘉堂文庫「旅の文学」とリンクするところが大いにあり、三つとも見た私として、気分は旧幕時代の旅人ですわー。
広重の明るい人物のよく出る方の東海道絵もあるし、地図も面白いし、よかったわ。
一つ一つが独立しつつ、リンクするところが多い。そういうのが楽しい。

神奈川歴博の人気のお猫様の背面ポスター。130518_1625~010001


そごうで山口晃展。これは記事にできるかどうかはわからない。
すごくよかった…圧倒的な画力があればこその虚構。そして尽きぬアイデア。参った。

最後に横浜から千葉へ向かう。
まさかのもしかで、ここで朝の金沢文庫とつながる。
千葉市美術館「仏像半島」ご覧なる方は金沢文庫「瀬戸神社」も併せて見学することを強く勧めたい。三浦半島と房総半島、向かい合うということの意味を考えた。どちらにも千葉氏の歴史が絡む。
千葉氏といえばわたしなどは「ああ八犬伝の毛野が確か千葉氏の後裔だっけ」とか思う程度だったのが、市美に入るとまたまた千葉氏。
三浦半島と房総半島の距離感って中世のほうが狭かったのかもしれない。

それにして仏像たち、わたしなどはサブイボ(鳥肌)立ちっぱなし。
十二神将像は好きで喜んで眺めるけれど…怖いものが多かった。

こうして二日目も終わり。

五月の東京ハイカイ録 1

五月の東京ハイカイ録その一でございます。
今回も例によって個々の感想は後日へ持ち越し、時々手遅れ状態になるという、甘い甘い見通しでやっております。

最近は木曜の夜に新幹線で都内入りというのが増えましてね。
昨夜は雨の中を送迎バスでホテル入り。助かるなあ。
今朝はそういうわけで朝イチから動けるわけです。

清洲橋通りのアジサイが多少開きつつある。130517_0903~010001

ガクアジサイも。130517_0902~010001


北浦和へ行こうとしてたら、いきなり事故でにっちもさっちもいかん。
上野で9時半前なのでもう急遽予定変更。そのまま東博へ。

大神社展後期、大いにありがたき心持となる。
常設も見るべきものが多い。サル展とか色々あり。
東博だけは「見るべきほどは見つ」には決してならないだろうなあ。

次に芸大へ。ここでちょっと早めに学食で本日ランチ。おいしいのかどうかは正直よくわからないのだが、早く済ませたいキモチにはぴったり。でも、芸大だからもっとおしゃれかと思ったけど、学食はごく普通な感じ。

漱石の美術世界展。これはヴィクトリア朝時代の絵画が金色に輝くなら、江戸時代の絵画は銀色に煌く、という感じで大変よかった。
また漱石のそれぞれの美術作品への言葉や作中の台詞などが出ているのもいい。

科学博物館へ。130517_1354~010001

ああ、いい天気の下にいい建物。130517_1356~010001

ステンドグラス。130517_1429~010001

天井130517_1428~010001天井装飾130517_1429~020001


階段の様子。130517_1438~010001

「グレートジャーニー」はちょっとよくわからなかったけど、ナイナイの岡村さんがアファール猿人復元モデルになった映像や現物を見る。
すごくよかった。130517_1418~010001

つまり岡村の明るいところや優しいところやまじめなところがよく出てて、よかったのだ。
猿人ファミリー仲良しさんの像。。130517_1417~010001


日本館では噂の江戸人の骨をみる。で、その前にちょっと怖いものもみる。ウギャーッでした。何かはここでは書けない。見学の中学生が熱心にメモってるのがすごい。
それでわたしは江戸人の骨にもやられた。
こ~わ~す~ぎ~る~
ただの物質としてのホネやないんよ。あーーー怖かった・・・
顎の発達してない貴族形質の復元顔、橋之助丈に似てた。大名顔ね。柔らかいものを食べてるとそうなりやすい。そして大名の正室より側室らの方が顎柔らかいのは、万一を慮っての処理かも、なんて妄想が湧いてきたな~
それが昂じると、また別な用途もあると・・・・・・自粛。

建物は素晴らしいんだけど、科学はこわいなあ。
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なぞの彫像。130517_1349~010001
大神社展で見た「子持ち勾玉」の巨大版かと思いましたわ♪


上野から今度は有楽町へ。予定が狂ってるのは電車のせいよ~~
出光美術館へ「源氏絵と伊勢絵」再訪。鑑賞することに徹すると、たいへんいい心持になる。ああ、ええものを見ました。
優雅ですわ。今回はまめまめな光君にもむかしおとこ君にもイケズな目は向けず、絵を見るということで楽しんだ。
そして今回も働く柴舟たちを見た~

諸星大二郎原画展へ。
これはあれだわ、見浅草橋で見たのとあまり変わりはないな。
でも佐藤さんの小説「陋巷に・・・」表紙絵がたくさんあるのは嬉しい。

外に出たら焦げそう。暑い。
それでもビルの谷間を進み、教文館へ。
藤城清治さんの展覧会。予想もしていなかった作品にであったり、撮影可能だったりでびっくりした。またじっくり書こう。
いつまでもお元気でがんばってください。
藤城さん、水木しげる御大、やなせたかし氏。
皆さん、本当にすごい。

銀座から霞ヶ関へ。日比谷文化館。
藤田嗣治 本の仕事。
先だって松濤美術館で見た挿絵の仕事プラス雑誌表紙絵。これがまた宇野千代主催の「スタイル」、「婦人之友」などなどいい仕事が多い。
それにしてもわたしもうかつだわ、藤田と小山内薫・岡田八千代兄妹がいとこ同士とは知らなかった。

日比谷公園はいいところやというのは大正新版画などで見知ってたけど、実景をみるとやっぱりいい。
黄色い杜若というよりアイリスが可愛い。130517_1709~010001

鶴の噴水池。130517_1708~010001


千代田線で国立新美術館。「貴婦人と一角獣」再訪。
これも本当に徹底的に鑑賞した。何も考えず、図像学も意義も無視してただただタピスリーを楽しんだ。純粋鑑賞。とても気持ちいい時間をすごしたなあ。

その後に渋谷に出たが、例の魔の迷路・渋谷に惑わされ、全然意図せずヒカリエに。そこからてくてく歩いて、先にカツ専門に入り元気つけてからブンカムラへ。
アントニオ・ロペス。遠目にはどう見てもモノクロ写真なのが近くで見るとしっかり描き込んである。目抜き通りを描いた一枚は古写真の手彩色のような面白みがある。マドリードの風景画は静謐であり廃墟にも見える。そして近年の、老境に入ってからの人体木彫、これがなんだか凄かった。スペインはリアリズム絵画を20世紀半ばあたりからとても愛するようになったみたいね。日本人でスペインにいた彼を思い出す。

締めくくりにやっぱり電車アウトなのに遭遇する。私は大丈夫だったが、田園都市線がアウト。今日は電車が一日こんな感じだったらしい。

とりあえず初日はここまで。

源氏絵と伊勢絵

出光美術館「源氏絵と伊勢絵」展の評判の良さはツイッターでも目にし、自分も書きこんできた。
もう展覧会も終盤を迎えている。
わたしは最終日頃に再訪する。
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むかし、心斎橋の長堀通りに面したビルに出光美術館があった。
'91年6月末に初めて訪ねたのは、「源氏絵」を見るためだった。
三期に分かれた展示で、そこで初めて系統立てて源氏絵を見たように思う。

王朝時代以降の源氏絵・伊勢絵を所蔵する美術館と言えば、この出光美術館と和泉市久保惣美術館がある。
そして源氏絵・伊勢絵といえば、土佐派・狩野派・住吉派・宗達工房と思い浮かぶ。
そんな風に思い浮かぶのも、’91年に出光美術館で見せてもらえたおかげなのだった。

作品の優美さについて改めて書き起こしても、言葉足らずになる。もしくは過剰になる。
わたしはこのとき「観賞」した。
そして楽しんだ。
そういうことなのだ。

少し前にも「貴婦人と一角獣」のタピスリーを「観賞」したことを書いたが、この展覧会も斉しく「観賞」した。
そしてそれは「源氏絵」「伊勢絵」という作品だから叶うことだとも思った。

源氏は長編小説だが伊勢は連作短編とみなしていいと思う。
源氏物語五十四帖それぞれに見るべきシーンがあり、絵師たちは怠ることなく絵画化する。

源氏の場合、それぞれの帖ごとになんらかの事件が起こり人物も現れるが、それお連綿と物語は続く。伊勢は連作短編なので時折「これは同じ<むかしおとこ>なのか?」と思うほど、同時多発的に出現しているような気がする。
共に「桃は桃、桜は桜、梅は梅」で愛して可愛がってはいるものの、業平のほうが刹那的で、そのくせ執意深くあるようにも思われる。だから「一人=同一人物」に思えないのかもしれない。

筒井筒、河内越え、という流れの「むかしおとこ」くんは、しゃがんで女の様子を伺う。彼女が別に自分以外の男に心を移しているわけでもないのを確認すると、今度は通ってた女の元へ行き、そちらの様子を伺う。そしてその振る舞いが貴族的でない、ということで見切りをつける。
このあたりの絵を見ていると、しゃがんでいる「むかしおとこ」くんを指先で弾いたろか、という気になる。
むろん光君も無傷では置かない。親指と中指人差し指とで捻りあげてやりたい。
しかし、光君は自分の経済力に物を言わせて、今はちょっと疎遠になったけれど関わりのあった女たちを大邸宅に住まわせて、安穏な生活をさせた。
それはえらい。
とはいえ、彼の死後に彼女らがどうなったかは不明なので、先が見えた時点でそれぞれに合う相手を惟光あたりに見つけ出させて送り出すか、老後の安寧を仕組んでやればいいのだが。

一方のまめ男たる業平は九十九髪の老婆を喜ばせたのだから、その点は光君より凄い。
いや、光君も好みでない女にも親切にしたのだから、それはそれでえらいのか。

綺麗な絵を見ながらそんなことばかり考えている。

土佐派の源氏絵はやはり一番きれいだと思う。
今回の展覧会も「土佐光吉没後400年記念」と銘打たれている。
『描かれた恋物語』そのものにときめかずとも、絵の優美さには打たれる。
昔から光君にも業平にもときめかないのは、優先順位が違うからかもしれない。
わたしは軍記物が好きで、また遊楽図が好きなのだが、そこに見え隠れする恋物語あるいは遊びには優しい目を向ける。
恋愛を優先順位第一位にした話にこうも冷たいのは昔から関心がないからかもしれない。
コミックでもそうなのだ。
ここでコミックが出てくるのはヘンだと思われるかもしれないが、わたしにとってはマンガも純文学も大衆文学も児童文学も全て斉しい価値を持っているのだ。映画も演劇もそう。何が尊く何が低いということは一切ない。

嵯峨本を見る。
角倉素庵により慶長13年刊行というこの本が後の世に大きな影響を与えたそうだ。
簡素でありながらわかりやすく可愛らしい挿絵。

土佐派の伊勢物語色紙貼交屏風を見る。室町から桃山時代の作ということで、地には朝顔の繁茂する様子が描かれていて、その上に伊勢の絵が貼られる。こういう仕立てもいい。

宗達の伊勢絵は久保惣で随分たくさん見た。その時にはここにある出光「若草図色紙」もあったと思う。
そういえば禁忌を犯すということでは、むかしおとこくんは妹を口説き、斎宮を口説き、光君は父の妃やよそに行く予定の人を口説き、と熱心に動いていた。
そして光君は自分の行動に反省を一切しない。
むかしおとこくんはまだ「みそぎ」をするときもあるのに。
とはいえ、ちょっともそれが身につかないのが、いかにも彼ららしい。

こんな風にちょっとばかりいじわるな目で彼らを見るのも、出ている絵が綺麗だからこその話。絵を眺めるわたしを横から見れば、みんな避けるかもしれない。

屏風がある。留守文様の屏風。それも大好きなのが二つ。
宇治橋柴舟図屏風 '11年秋の「長谷川等伯と狩野派」、'10年夏の「屏風の世界」に出た。
これはとても好きで、特に丸まった柴たちが可愛くてならない。緑と茶色の毬型の柴たち。
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自分らでうんせうんせと漕ぎ出しているかのようで可愛い。しかも船は勝手に動くのだ。
働く柴舟。zen019.jpg


抱一の八つ橋図屏風もある。シンプルで豪華絢爛。シンプルというのは正しくない。計算されつくした、余剰のない美というべきか。

そういえば出光美術館での伊勢絵展は’08年「『王朝の恋』 伊勢物語を楽しむ」展以来か。


最後になったが、そこここにある源氏・伊勢それぞれにゆかりのあるやきものや工芸品。それらがこの雅な展覧会を一層上品なものにしていた。
鍋島の色絵冊子文皿、色絵柴垣桜花文向付、古伊万里の色絵花卉文虫籠型香炉、古清水の色絵御座舟香炉…可愛らしいものがある。
また乾山の能絵角皿もあるが、八つ橋などが出ていた。

むかしおとこくん、光君(ヒカルキミではなくピカリンと呼んでいた)などと勝手に呼び、しかも二人の行動を批判しつつ、大いに楽しませてもらった。
まぁ彼らと関わることがなかったことを、残念ともサイワイとも思うしかない私の独り言ということで。
5/19まで。

鴻池新田会所に行く

久しぶりに鴻池新田に出かけた。
随分賑やかな駅前で、しかも物価が安い。ええ感じである。
駅から線路沿いに森みたいなものが見える。それが鴻池新田会所である。
会所正面130503_1147~010001

落語「鴻池の犬」などでも描かれているが、鴻池財閥と言えばその昔は「日本一の金持ち」と謳われていた。
清酒を拵えたり新田開発したり、鴻池家は立派な仕事をしてきた。
敗戦後にアララなことになってしまったが、しかし古美術品を見に行くと大抵あちこちで「鴻池家伝来」という由来の名品を見かけたりする。
つい近年、15代目鴻池善右衛門さんが亡くなった。
この方の弟にあたる鴻池幸武氏は文楽研究家で、盟友・武智鐵二と共に古典芸術の技能向上・保護に尽力されたのだった。
今回は彼らのお父上に当たる鴻池幸方氏の趣味で集められた写真のガラス乾板やその他いろいろを見学に行った。

鴻池幸方氏の若い頃の肖像130503_1200~010001
壮年期の写真は大阪歴博にある。

会所は居宅ではなく、この界隈の年貢の取りまとめたものなどを集めたりなんだかんだと寄合する場である。
しかし人間が寄り集まるとごはんくらいは一緒に食べるので、ちゃんと竃もある。
へっつい。130503_1156~010001
京都ではおくどさんと言うが、大坂ではへっつい。西鶴の小説だけでなく、当時の上方以外の江戸文学にも「へっつい」とルビがある。
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立派な竃。130503_1151~010001

展示品を見る。
幸方氏は趣味人で、明治の頃にカメラや幻燈にもこり、さらに盆にミニチュアの庭園などを拵えるのにも精を出した。
なかなか可愛い。130503_1154~010001

こちらは幻燈のタネ板。130503_1152~010001

博物学的な、というより不思議な鳥獣。
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魚類もいた。130503_1157~010001


鴻池家の女性たち。室町三井家から嫁入りしてもいる。
皆さんきれい130503_1150~020001

幸方氏は25日生まれで、天神様を信仰し、玩具を集めた。
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けっこうそういう人が多いので、郷土玩具にも天神様のおもちゃは多い。

母屋の立派な梁。
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屋根の具合が好き。130503_1209~010001

こうして残っているのは立派。130503_1202~010001

地面に生きる草花。130503_1208~010001

今や展示室になった米蔵の内壁。130503_1204~010001
強度の問題だけでなく見栄えも綺麗。

随分前に来たきりだったが、久しぶりに来て、なかなかええところだと思った。
座敷の方は呈茶してたので、おカネを払わないと欄間も見れなかったで、それだけが残念。
受付では河内木綿の綿花のタネをもらった。
種の時点で既にふわふわ。可愛い。
今度は茶席をしていない時にじっくりと座敷を眺めたい。

京都画壇の巨星たち1 文化勲章受章者による日本画

京都画壇の名品を味わう機会に恵まれた。
一は高島屋の「京都画壇と神坂雪佳」は堂本印象美術館「京都画壇の巨星たち1 文化勲章受章者による日本画」である。
先のはまず難波の高島屋で見て感銘を受け、日を置いて今度は京都の高島屋でも見た。
その間に横浜でも開催され、さらに今月末には日本橋へも巡回する。
東京の方々もまた、京都画壇の昭和半ば頃までの近代日本画を、大いに楽しまれることを願っている。

先に印象美術館の展覧会の感想を挙げる。
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今回、92年ぶりに世に出る絵があった。堂本印象の「西遊記」絵巻である。
チラシで一目見て、これは必ず見に行かねばならないと強く思った。
基本的に物語絵を偏愛するわたしとしては何を措いてもまずこの展示を見るべきだった。
とはいえオソオソに出かけるしかなかった。

印象美術館はご存じのように堂本印象自身の設計により作られた建物である。
使い勝手・外観・居心地、それは長年の間に「ここはこれだ」という強い個性に押され、何にも違和感なくそこに佇むようになる空間だった。

第一室へ向かうにはゆるいスロープを昇らねばならない。そしてその回廊の壁には絵が飾られている。それを見ながら人々はこの坂を上るのだ。

最初に現れたのは秋野不矩さんだった。
舞妓 ‘38年。初見の一枚。不矩さんの絵はいそいそと見に行くわたしだが、この絵に記憶がない。都ホテル蔵というから、そちらにかかっているのか。可愛らしい舞妓が横向き姿で化粧をする図。笹柄の着物に大胆な配色の卍くずしの帯。昭和13年という時代を感じさせる、モダンさがある。

青年 '56年。抽象的な表現の青年群像。これは「少年」以来、息子さんたちの若い男性裸体群像を描くときの手法。しなやかな帯状の体が何体も並ぶ。

上げ松(鶴ヶ岡) '86年。愛宕の火祭りに使われる松明を描く。墨絵の滲み・暈しの見事な一枚。空を覆う木々の頂点の先に小さく白い空間がある。それを突くように伸びるのが松明の灯り。とてもかっこいい。

深山の春 '92年。濃いピンクのツツジとキョトンとしたイタチと。金潜紙かな、そこに鮮やかに描かれる。この絵はしばしば展示されるもので、わたしも好きな一枚。


次に上村松篁さん。5点ともなじみの絵。
ハイビスカスとカーディナル '64年。ハワイに出かけて以降、松篁さんは南国のカラフルな花鳥を描くことが増え、見るこちらも熱帯の心地よさを感じもする。
とんがりアタマのカーディナルとピンクのハイビスカスがいい。

ウサギ1 '87年。3羽のウサギの上には金柑の実が。青目のウサギもいる。なんとなくほのぼのするのは、ウサギファミリーの居心地の良さを表現しているから。

水温む '88年。この絵は去年の松伯美術館の年間案内表を飾っていた。散椿にキセキレイのいる図。水に沈むのは枯れ椿。セピア色に枯れた椿をこのように幻想的に描くのはほかに見ない。傷みの薄さがその美を構築するのか。

花の中 '92年。ポピーが咲き乱れる。白黒鳩が仲良くいる。花と緑の博覧会が大阪で開かれたのは同年だった。そして京都府は積極的に京都にゆかりのある画家たちに、それぞれテーマを与えて作品を依頼することを続けていた。

春愁 '99年。銀潜紙に描く。麦の穂がそよぐ上をひばりが浮上する。松篁さんは晩年になると金潜紙・銀潜紙という、元から金なり銀なりに出来た紙に花鳥画を描くようになったそうだ。若い頃のような根気はなくなっても「絵を描く」楽しみはいよいよ増してゆく。そこへこうした紙があれば、喜んで使われたろう。
絵の良さだけでなく、松篁さんが絵を描く、そのこと自体にファンは嬉しい気持ちになった時代だった。


池田遙邨の絵は倉敷市立美術館から来ていた。いずれもとても好きな絵ばかり。
灯台 '80年。少し向こうの丘の上に灯台が見える。手前には乗り上げた小舟。ポピーらしき花が咲く。これもまた「春の海ひねもすのたりのたり」のクチかもしれない。
遙邨は11/1生まれでその日は「灯台の日」らしく、彼はそれで灯台が好きだとか。それで京都タワーも可愛がって絵にしたのかもしれない、と思ったり。

麦秋 ‘75年。灯台が向こうに立ち、麦がまっすぐ咲いて…カラス1羽。詩情あふれる1枚、遙邨の絵には日本語としての「ペーソス」が活きている。哀愁とかそんな訳でなく、本来の英語の意味からも少し離れての「ペーソス」。静かに明るい諦念に近い感覚。

行きくれてなんとここらの水のうまさは 山頭火 '88年。晩年の遙邨は山頭火の自由律俳句を絵画化するのに勤しんだ。ほぼみんな'88年の仕事。
自身も旅を多くした人で、没後すぐの回顧展のタイトルは「美の旅人 池田遙邨」だった。懐かしい。わたしはその京都国立近代美術館の回顧展から遙邨にのめりこんだのだった。
この絵はなんと言うてもやはり色彩が素晴らしいのだった。

青空したしくしんかんとして 山頭火 青空の下、稲束をかけた稲架(ハサ)。日本の詩情を味わう。

あたらしい法衣いっぱいにの陽があたたかい 山頭火 土壁に向かいの木の影とそこにより集う小鳥たちのさざめく姿の影が映る。それだけでなく、壁の下の方には下ぶくれの猫がにゃっと顔を出している。ああ、いい風景だなあ。


小野竹喬も詩情ある風景を描いた。
湖 '66年。琵琶湖のエリ(えり。魚偏に入。漁法の一つ)の浮かぶ風景。紫の島影がいい。

夕茜 '68年。 木の枝と空の色の対比がいい。茜色の美しさ…

春の湖面 '74年。 萌黄色と桃色とだけで湖面を表現。さすが竹喬。

京の灯り '74年。比叡山の中腹の和風旅館の窓から見た夜景らしい。街の灯りぽつぽつ、民家の灯りシャバシャバ。可愛い。真ん丸いものから少し放射線状の光を放つものまで。黒地にカラフルなラムネをぶちまけたよう。その黒地は山。空は青い。青い夜。かすかに薄桃の色も残る空。


展示室へ入る。
不矩さんのインドを描いた二枚がある。
ヴィシュヌプール寺院 '92年。
中庭の祈り '84年。
どちらもインドで不矩さんが見た風景・感じた風が画面に閉じ込められている。

竹喬の二枚はともに京都市美術館から。
夕雲 '65年。
沼 '70年。
インドから日本の風土へ。和やかな心持になる。

遙邨のいいのが二枚。
芒原 '83年 風にそよぐ芒の原っぱ。その芒の原の中に少しばかりツタが咲き、ツタの中に狐が顔を見せている。この狐の目つきがとても気になる。身をひそめて風がやむのを待つのか、もう今夜はここで休むのか。

鉄鉢の中へも霰 山頭火 '85年。 これはまた好きな1枚で、やはり都ホテル蔵。都ホテルの所蔵品展を開催してほしい。とてもいいものが多そう。
坂の上にある宿場。そこへ上ってくる山頭火。地元の人々は霰が降るのに足を速める。いちばん右端の店の暖簾は遙邨と仲良しのお店の屋号をつけられている。ちょっとしたサービスが楽しい。


竹内栖鳳の2点はもしかすると、以前は「栖鳳記念館」に収められていたものではなかろうか。そんな気がするので、京都のI先生にお尋ねしよう。
河畔群鷺 1904年。金箔の背景に鷺たち。適度な距離感がいい。金ぴかではあるが静寂さと静かな喜びがあり、12世紀の高麗青磁の柳下で遊ぶ水鳥を思い出させる。

象図 1904年。可愛くて仕方ない。右の象はこちら向き。金地に墨で太い線で描かれた象は耳の形から考えてもアジアゾウ。おとなしい、優しい目をしている。
鼻を撫でたくなる。そしてゾウさんのこの頭があまりに可愛いからか、図録の表紙に選ばれているが、その図録はゾウさんの形に切り込みが入っている。
やっぱりゾウさんは可愛いなあ。nec355.jpg

左の象は横向きでランラン♪という感じ。猿を背に乗せているが、その猿は猿で雀に気を取られている。
いいものを見せてもらった。

松篁さんの絵で丁度くるっとまわることになった。
芥子 '87年。よく知らないが芥子はアヘンが作れるから厳重な管理と規制が入っていて、今も一般の栽培が禁止されているとか。松篁さんはどこかの大学の研究室でこの芥子を見たそうだ。なかなかたいへんな手順を踏まねば、見たいものが見れないのだ。

夕千鳥 '76年。ほのぼのする絵。やはりこんなしみじみした風景がなければ、世は淋しい。


最後に真ん中のガラスケースに堂本印象の絵巻物があった。
これが90年ぶりに世に出るという「西遊記」である。1920年。
7場面描かれていて、それぞれ物語のいいところを絵にしている。
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孫悟空になる以前の白毛猿が筏に乗る、三蔵法師の弟子として天竺へ旅立つ中、沙悟浄との出会い(既に猪八戒はいる)、どうやら火焔公主らしき姿もみえる。牛魔王を思わせる牛首もちらほら。
そしてどういう話のつながりかウサギもいる。ウサギで仏教関係というと、「僕を焼いて食べて」のジャータカウサギを思い出すが、これはそうではないし。
物語絵には、こうして「これはなんだろう」と考えたりする余地があるのが嬉しい。


最後に新館へ。ここには印象の仏画が並んでいるが、'30年の富貴寺本堂壁画の現状模写がとても目を惹いた。薬師浄土、釈迦浄土、迦陵頻伽、大威徳明王、菩薩などなど。
現状模写だから板目も写している。剥落も直さない。しかしそれでいて優美でもある。

色即是空 '22年。真正面向きの仏または天人は舞妓さんのような微笑を見せている。


見慣れた絵も多いが、それが「またか」ではなく「こんにちは」になる。
いい並べ方をしているから、このように楽しめもする。
なんとかがんばって出かけた甲斐がある展覧会。5/26まで。

美の競演 京都画壇と神坂雪佳 / ジャパン・ビューティー

次に高島屋で巡回中の「美の競演 京都画壇と神坂雪佳」について少しばかり。
この展覧会は京都市美術館と細見美術館の名品を集めたものだった。
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神坂雪佳の展覧会はこの十年ばかりの間にしばしば開かれ、近代の琳派継承者と目されるようになった。
雪佳人気の立役者はやはり細見美術館だと思う。
懸命に集め、熱心に紹介し、やがて今日の人気を得ることになった。
いくら素晴らしい作品を残していても、世に出ず埋もれたままでは知る人もいなくなり、やがて消えてしまうこともある。
こうして今のように人々から愛されるようになって、ファンの一人として嬉しい。

・四季の移ろい
はじめに雪佳の四季草花図がある。屏風、それから筐体。手が込んではいても技巧的すぎるようにも見えない。手元にあれば、と思わせる名品。アジサイの青がいい。
十二か月草花図もむろんいい。
先人・抱一の十二か月花鳥図ともども琳派の美の粋ということを思わせる。

百々世草が何冊か開いている。可愛らしい。雪佳の作品は「綺麗」であり「可愛らしい」のである。丸まっちい人物や描線がのほほんとした空気を醸す。

植中直斎 メジロを獲ろうとして既に囚われの身であるメジロを入れた鳥籠を林に仕掛ける。どこか不思議な空間。木々の並びそのものが檻にも見えた。

・いにしえの京美人、今様の京美人
やはり「いにしえの京美人」を描いて頂点に立つのは、上村松園である。

松園さんの「待月」「人生の花」「晴日」がある。
「人生の花」は名古屋で開催中の「上村松園展」にも別バージョンが出ているが、確かに人気の高い作品である。
「晴日」は日常生活の婦人のしっかりしたところ・優しいところがよく出ている。
数か月前、京都市美術館で京都の私塾とはなんだったかという企画展があり、そこに「待月」が出ていて、彼女が本当は何を待っているかを、小中学生が考えたメモ書きがあった。
絵画鑑賞教室とでもいうべき場で、この絵がその対象になったのは少し面白くもあった。
今回わたしは「待月」にこれまでとは違った目を向けた。
人待ちなのか月待ちなのかは考えず、そこがどこかを考えていた。目の前の林の暗さ、立った位置は二階なのか、そんなことを考え、そこから彼女が見るべき先を想像した。

西山翠嶂 槿花 これはカメラに紗をかけたように見える絵で、娘の豊かな頬が愛しい。

・和歌の美 吉祥の美
雪佳 扇面「河内越」「軽舟図」「菊慈童」これらはいずれも以前から親しむ良品で、特に「菊慈童」のふっくらした愛らしさは好ましい。

・装いの美
雪佳 楽屋図 昔、初めて見たときてっきり元禄頃の絵かと思ったものだった。そんな風俗が生きた一枚。

堂本印象 婦女 かっこいい女たちが寄り集まっている。和洋いろいろ。

菊池契月 散策 次男のヨメだったが、愛らしい少女をモデルに得たことで、契月の世界が広がった。爽やかな日本画。

・愛しき所 愛おしきもの
玉村方久斗 猫 南画風な画面で、細い銀月が見える。黒猫が枝に座りじっとしている。玉村の回顧展で彼のにじみはまるで血の滲む様子だとおもったものだが、いまもそれは変わらない。

竹内栖鳳 清閑 ぐっすり眠る可愛いわんこ。

雪佳 金魚玉図 描き表装は簾。こんなセンスが好きだ。

丹羽阿樹子 矢 これを少し前に京都市美術館で見て、珍しいものがあるものだと思った。今こうして堂々と世に出るのも嬉しい気がする。

勝田哲 かれの近代的な和風美人がたいへんいい・・・

他にも実に多くの作品が出ていて、それを一つ一つ挙げてゆくことが出来ないほどだ。
心に残る絵が多かった。
上記以外にもこんなにも多くの画家の絵がある。
伊藤小坡、上村松篁、宇田荻邨、大日躬世子、 梶原緋佐子、 川端玉章、、菊池芳文、 北沢映月、北野恒富、小松華影、 榊原紫峰、佐藤光華、、 谷口香嶠、、寺島紫明、中村大三郎、西村五雲、、広田多津、福田平八郎、三谷十糸子、三宅呉暁、山元春挙、由里本景子

巡回展でぜひ見ていただきたいと思う。
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最後に「ジャパン・ビューティー」の感想を挙げる。

「知られざるプライベート・コレクション ジャパン・ビューティー 描かれた日本美人」展に出かけた。
ちょっとミスって前期に出かけ損ねた。
そこで後期だけしか見なかったのだが、やっぱり前期も見たいので、秋に川越市美術館巡回と言うことなので、そちらへ行こうと思っている。

とりあえずニューオータニ美術館で見た後期展の感想を軽く挙げたい。
追記:2014.10.18 川越市立美術館のチラシを使用する。
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第一章 雪月花
池田蕉園 ほたる 描き表装もいい。月はそちらにでている。夢見るようなまなざしの女と幼女とが「月下」を歩く。幼女の手には四角い虫かご。そこにかすかな光が見える。
二人の着物はそれぞれ趣向が凝らされていた。こういうところに蕉園の目が活きている。

山川秀峰 月朧 まるで銘菓のような月が空にある。それを見上げるふくよかな娘。着物の取り合わせがいい。

木島桜谷 長閑 室町頃の美人か、瓜実顔。桜が散る中、この婦は座しながら春の長閑な時を楽しんでいる。
桜谷は桜そのものや動物の絵が多いが、美人画はあまり見ない。

第二章 四季の風情
三木翠山 うぐいす いかにも明治の絵。二人の若い女も明治風俗の最先端のファッション。もう少し後になると翠山の美人もいよいよあか抜けてくる。

池田輝方 娘と若衆 桜の木の下の二人。遊楽図から抜け出たような二人にどんな物語があるのだろう。偶然か意図的か、この二人の着物は同じ色だった。そして若衆の足袋がかっこいい。黒地に三つ巴マークが水玉のように散りばめられている。タビックスとして欲しい柄。

蕉園 奉納 天明くらいの女が神社の手水場で手を洗う。
蕉園にしては大人の女の絵である。そしてこの構図には見覚えがある。蕉園と仲良しの鏑木清方の「八幡鐘」がよく似ていた。逸翁美術館のあの絵も少し清方らしくない絵だった。もしかすると、輝方も含め、三人は勉強会でも開いて、浮世絵風美人を描こうとしてたのかもしれない。

伊東深水 ほたる 団扇をくわえる若い女が手を結んでいる。その手の中には蛍が隠されている。背後の笹に蛍が飛んでいる。着物の柄も夏らしい涼やかさが素敵だ。
水面に白百合、白撫子が浮かぶ。深水の着物の意匠はいいものが多い。

清方 初夏の雨 花売りの車が行き過ぎる。傘を差す女の足下からちらりと赤い蹴出がのぞく。柳の上には小さくツバメが飛んで行く。

広田百豊 柳 様式的な美人が柳の下に佇む。この着物の色合いといい柄といい、とても綺麗だと思う。

橘小夢 すずみ 昔から小夢の絵といえば妖艶なものばかり見てきたので、こうした「普通の」美人を見ると、ちょっと目をみはる。青々した簾、吊り朝顔の色は紫。髷の大きな頭。紗か絽を着た青眉の女がくつろいでいる。体の線もくっきりしているが、ほかの絵に見るような怖いような凄艶さはない。

大林千萬樹 鈴虫 いかにも大正らしい艶めかしさが漂う。縁側に座す女の顔つき。黒い着物に潜む薄青の花。かごの中には鈴虫が二匹。

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第三章 心の内と外
栗原玉葉 朝妻桜 チラシ・チケットにも選ばれた一枚。隠れキリシタンの朝妻が処刑は桜の時期まで待ってと頼んだという話がある。この題材は別な画家の絵も見ている。
どちらも魅力的な絵。nec351_20130514002109.jpg


小田富彌 秋宵 白塗りの艶かしい女。わたしは小田と言えば丹下左膳の挿絵を第一に思い出す。'95年に吉祥寺で開催された小田富彌展の図録を出すと、いずれも妖艶な人物が現れる。この一枚などはまだ抑えられているくらいだ。

木谷千種 化粧 桃山時代の婦人らしきのが肩脱ぎで化粧中。下唇を少しかんで瞬きも止めて鏡に見入っている。背後の絢爛な壁面装飾、蒔絵の棚、手箱、香道具などなど、身分の高い上臈だということはその調度品やその様相から知れるが、こちらが引いてしまうくらいの妖艶さにぞわぞわする。

第四章 技芸と遊び
甲斐庄楠音 娘道成寺 キッと鐘を見返る一瞬を捉えている。その目は白くはあるが、卵白色の眼球の下に情念の血管が脈打っているようである。少し開いた唇といい、怖い。

山田喜作 月琴女 群青色が段々薄れていって裾には雪の結晶が鏤められた着物を着た女が月琴を手にして立っている。月琴は幕末頃から日清戦争頃まで流行ったそうだ。
坂本竜馬と一緒になったお龍さんは月琴を弾いていたとかそんな話もある。また横溝正史「女王蜂」では月琴が重要な役を果たしている。

このコレクションは朝比奈文庫というものだそうだが、わたしが見なかった中には、かつて見たことのある絵も少なくないようで、そう思えばいよいよ親しみが湧き、また実物をじっくりと眺めたいとも思う。

5/26まで。
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挿絵が僕らにくれたもの 通俗文化の源流

三鷹の森ジブリ美術館の企画展を見に行った。
「挿絵が僕らにくれたもの 通俗文化の源流」
これが目的とはいえ、施設そのものにも大いに楽しませてもらった。

いつ頃からかジブリ作品に距離を置いていたのだが、この企画展「挿絵が僕らにくれたもの 通俗文化の源流」が見たくて出向いた。
来れば予想以上に楽しめ、感心し、その建物の見事さにときめいた。
そのあたりの心持ちは既に記しているが、やはり来てよかったとつくづく思った。
さて、その企画展のことを少しばかり書きたい。

わたしは挿絵を偏愛している。
ある種のタブローより好きなのだが、それは主に近代日本の作品である。そして挿絵専門の弥生美術館の会員になって20年以上を過ごしている。
一方、19世紀末英国の挿絵や絵本の美麗さにも深く惹かれている。
今回の展示はそのヴィクトリア朝時代の挿絵を主に集めての展示なのである。
原画はない。
すべてパネル展示で、一つ一つの作品には、宮崎駿氏の言葉が添えられていた。
一文ばかりの物語あるいは状況説明と、氏の解説や感慨が記されている。
一つ一つの作品には、宮崎駿氏のウィットや軽い揶揄、そして愛情と憧憬が込められている。
これがたいへんよかった。
近年氏に感じていたもどかしさやいらだちも消え、子供の頃のように氏の言葉を素直に喜んで読んだ。

宮崎駿氏の作品は随分昔から装飾性に富んでいて、「カリオストロの城」「風の谷のナウシカ」などでも非常に美麗だと映像の端々にときめいていた。
それは物語やキャラだけでなく、背景の装飾性に惹かれてのことだった。
今日のジブリ作品でもその装飾性に大いに惹かれる。
そしてその装飾は現代のものではなく、中世を思わせるものにより多く惹かれる。
たとえば「カリオストロの城」も「風の谷のナウシカ」も、じかの宮崎駿作品ではないが、「借り暮らしのアリエッティ」なども、その傾向が強く出ている。
「千と千尋の神かくし」は和の装飾性が強く打ち出されているので、ここではまた話を措く。

宮崎駿氏の根源にあるもの、それが集められて展示されている。
19世紀末から20世紀初頭に出版されたイギリスのラングの童話集の挿絵、それが氏の美意識の根にあるものの一つ。
そのことをこのような形で示されて、感銘が深い。

挿絵は全て複写パネルの展示であり、そこに宮崎駿氏の解説やコラムが入る。
ヴィクトリア朝の美麗な挿絵、それらはラファエル前派の影響を濃く受けたものが多く、わたしなどは見るだけでときめくばかりだった。

氏はこれらの作品を「芸術的評価」は高くないと断じ、あくまでも「通俗文化」の流れにあるものにすぎないと見なしてはいるが、しかしそれでも自分の中に住み着いていることを正直に告白している。

わたしは世間の評価などは別にどうでもいいので「芸術的評価」云々といわれても意味が分からない。
本人が好きなら好きでいいではないか。
だが、それでもこうして卑下に近い紹介をする。
この展覧会のタイトル「通俗文化の源流」というのはその世界だけでなく、宮崎駿氏自身の属する世界・仕事を謙遜しての命名なのだろう。

理屈は置いておいて、ここにあるもののほぼ全てが優美であり、美麗であるのは確かだった。
わたしはこの空間に佇むことを喜んだ。

美貌の王女、苦み走った(いかにも英国的な)王子、リアルなどうぶつたち、描きこまれた怪獣・悪竜、実感のある建物・森・・・
三人の画家がラング童話集の挿絵を担当し、それぞれの特性を露わにしながら丁寧な作品が展開して行く。

挿絵というものは、まず一目見ただけで読者の心を掴まねばならない。
絵を見てそのインパクトに打たれた読者が本文を読む。
だから優れた挿絵はその枠の中に全ての要素を封じ込め、読者を魅了する。
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囚われの王子、彼を獄につないだのは裏切られた魔女。
皮袋に詰め込まれた人体らしきものが川へ投げ落とされる。
巨大な蜂に抱えられて空を飛ぶ女たち。
・・・これらの絵から物語への期待が膨らんでくる。
魔女の誠実な恋心を利用し裏切った王子の未来、袋の中の人体は蘇生するのかしないのか、悪人たちは鉄槌を受けるのか受けぬのか、蜂たちは女たちの味方なのか拉致なのか。
そんなことを延々と考えさせられ、ときめきがとまらなくなる。

ラングはこの童話集に日本の昔話も加えている。
その物語の挿絵。130513_1901~010001
大カメに乗った青年・・・

そしてイギリスの挿絵だけでなく、20世紀初頭のロシアを彩ったイワン・ビリービンの美麗な作品も紹介されていた。
わたしの愛する「うるわしのワシリーサ」がここにある。
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更に進むと、宮崎駿氏が愛したほかの絵と、夏目漱石が見たであろう絵がパネル展示されていた。
そのラインナップを見て胸を衝かれた。
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ウォーターハウス「シャロットの女」、山本芳翠「浦島図」、鰭崎英朋「続風流線」の「河童の多見次」、青木繁「わたつみのいろこの宮」・・・
わたしが深く偏愛する絵がこんなにもある。

そしてそこに宮崎駿氏の言葉があった。
「なんという崇高な通俗さだ」「ぼくはこういうのをつくりたかったんだ・・・・・」
氏は決して貶めてなどいなかったのだ。

世の多くの人の美術への視線が移り行こうとも、好きなもの・自分がうつくしいと思ったもの、それらは決して自分の中では死なない。
わたしは本当に久しぶりに宮崎駿氏に喝采を送りたいと思った。

最後に宮崎駿氏がこれも影響を受けたという「沙漠の魔王」の紹介があった。
活劇系絵物語といえば山川惣治「少年ケニア」を思い出すが、これもまたアメコミの影響を受けたか、ポップな色遣いでイキイキしている。
とても面白そうだった。

わたしはやはり「通俗文化」が好きだ。
三鷹の森ジブリ美術館へ行って、本当によかったと思う。

生誕120年 木村荘八

東京ステーションギャラリーで木村荘八展を見た。
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本来ならもっと早く見に行き、詳しく書くべきだったが、どうしてか行けず・書けずで今日になった。まずい、非常にまずい。
もう会期も終焉に来ている。
宣伝する気はもともと薄いからよいといえばよいのだが、折角こんないい展覧会を見せてもらったのにそれはないでしょう。反省。

木村荘八は挿絵で高名だが、もともとは岸田劉生に心酔して当初そんな風な油彩画を描いていた。
今回の展示でも「ああ草土会」という風情が濃い作品が、初期によく出ている。
挿絵のすっきりした線を知るわたしなどは、この濃い「油絵」にちょっと引くのだが、彼が劉生の影響下から抜けて春陽会に参加したころの作品を見ると、大変いい。
世間の評価は知らないが、春陽会の頃の荘八の絵は一目見ると「自分も描きたい」という気持ちを起こしてくれる。
緑の濃い・林の中・湿った土・胸に入る風・また緑。
ちっとも巧いとも感じないところに何かしら魅力がある。

荘八の油絵は洋画というものとは違う、とわたしは思っている。技法は油彩画のそれに間違いないのだが、深い情趣が活きている。
油絵の具で描いた日本画のような趣がある。
そしてその情趣こそが、ペン画による挿絵にも強く深く作用し、見た人々の心に深い味わいを残す。

有名な二枚の絵がある。
「パンの会」「牛肉店帳場」。
この二点はわりと過去の展覧会にもよく出てくる。
特に「パンの会」は絵画としてだけでなく、文学的な資料としても大切な絵だとして愛されている。
わたしが最初に見たのも、谷崎潤一郎記念館の展覧会のチラシだった。

「牛肉店帳場」は彼の実家・いろは牛肉店の様子。北野美術館で随分前に見ている。
いかにも活気のある明治の店。甘辛のいい匂いがしてきそう。東京だから無論割下だろう。それはそれでいいかもしれない。

今回のチラシは浅草神社の様子を描いたもの。いかにも明治の東京に生まれ、その地を愛した人らしい一枚。賑わいが本当に感じられる。

荘八は日本の風景、主にその頃の東京のあちこちをベタに描くことで、親愛感を見る者に抱かせる。今日ではノスタルジーに近い感情か。いやむしろ初めて見るのに懐かしい、と感じさせる風情がある、というのが正しいか。

芝居絵がある。いずれも文楽人形。
「いがみの権太」「車引」「櫓のお七」。
洋画家による芝居絵は現実の芝居以上に濃い味わいを見せることがある。泥絵具で彩られたような舞台。
本画でも素描でもそれは変わらない。異様に魅力的。
金山平三、牛島憲之らの芝居絵の面白さとも相通ずる。見ていて熱気や歓声までこっちに届くようだ。

ほかにも「幽霊せりだし」「夜の底」などがある。その時代がよくわかる。
東京の真ん中で、商売人の子供として生まれただけに、荘八も気さくで芝居好きだったのだ。
そういえば荘八の弟に木村荘十二という映画監督がいた。満州映画の人。ソトジと読む。
この木村兄弟は作家・画家・映画人などがいる。
同時代でいえば有島芸術兄弟、松岡家の兄弟らがやはりツブ揃いだった。

ここでわたしの知る荘八の話。
主なソースは里見弴や泉鏡花の随筆などから。
荘八は大変な手紙魔で、一緒に遊んだあと帰宅したら、もう手紙が届いている。それを読んでるところへまた速達が来る。それもいずれも分厚い手紙だそうで、親しく話しかけてくる書きぶりなので、さっきの会話が続いているかのような心持がしたそうだ。
人柄がよいという話も色々と聞いている。

いよいよペン画の挿絵の世界へ入る。
荷風の「墨東綺譚」である。本当は墨にサンズイがつくのだが、妙な変換になっても困るので書かない。
荷風の小説は読まないことにしているが、挿絵は別である。
絵を見てゆくだけで物語が展開してゆく。
これが挿絵の力なのだと改めて思う。
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身近な生活・身近な人々を愛した荘八は「東京繁昌記」「師走風俗帖」などの名作を残す。
同時代に、「大阪繁昌記」を描いた鍋井克之もまた人好きのする洋画家だった。
やはりこうした作品はこんな性質の画家でないと、本当にいいものは生まれないのだと思う。
多少シニカルな視線がのぞいたとしても、それでもやはり厭世的ではなく、世に暮らす楽しみを知る。そうでなければ人間生活=風俗は描けない。

荘八は本当はタブローを描いていたかったようだが、しかしそれでもこんなにも挿絵や風俗画に名品があり、人々に喜ばれ続けたのだ。
本人もちょっぴり残念だったかもしれないが、何十年後かの今でも彼のファンはいる。今回の展覧会で新しいファンも増えたろう。
そう思うと、これまでなんとなく木村荘八に好感を抱いていた身としては、ほのぼのした心持になる。

最後に荘八を映した写真を見た。
1949年、林忠彦の作品である。自宅での荘八は猫を抱っこしている。机の上にも猫、本がぐちゃぐちゃになった上にも猫二匹。この状況はちょっと困るのだが、でも幸せ。写真からはそんな荘八の気持ちが伝わってくるようだ。

東京ステーションギャラリー再開記念「生誕120年 木村荘八 展」。
いい展覧会だった。5/19まで。

国宝みうらじゅん いやげ物展

梅田ロフトで「国宝 みうらじゅん いやげ物」展を見た。
入り口でいきなり妙な仏像とみうらじゅん等身大フィギュアがお出迎え。
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仏像ブームの親御さんだからエエといえばエエが、仏像もみうらじゅんフィギュアもやっぱりちょっとヘンw

写真パチパチつぶやきどーぞというわけで、わたしもぱちぱち。つぶやくには見るものが多すぎて笑いすぎて、追いつかないのでこうしてブログに仕立てた。
「いやげ物」の定義は貰っても嬉しくない・誰が買うねんこれ、な「いやな・みやげもの」ということらしい。

それぞれ分類されてるので見てみると、コレが本当に「あ゛~~いらんがなー!」なものばかりで、論より証拠、速攻で「いやげ物」の意味を理解したなあ。
それにしたかて、さすがみうらじゅん御大、もぉ最初から最後まで笑いっぱなしよ!
凄い目の付け所~~!

カスハガ 苦し紛れの郷土愛
なんやねんソレはーっ と思ったのも束の間、一瞬後には大納得!!ケッタイな絵葉書写真がずらーーーっ!!即ちカスのハガキ!
もぉなにこれーーー!安来節するオッチャン、千人風呂に浸かるおばあさんたちの群、道端での物売り、わけわからん雑貨屋、動物園の案内ならもっとエエ写真にしーな!と言いたくなるのもあるあるあるある!
これをまた見つける才能!さすがやわ~~(笑)!
カンガルーのタマです、ごめんなさい、写す箇所もろくでもねーーーww
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ネロとパトラッシュの像と大聖堂のカスハガ!こんなんフランダースでみつけはったんかな。
ああ苦しい。

次に来たのが椰子の実に色塗ったり絵描いたりした「ヤシやんの世界」・・・これ、少し後に現れる「ひょうたん君」と友達かもしれんわ~~誰が買うねん、これはー!

へんじく。変な掛け軸のへんじく。・・・ごめん、スカジャンみたいやんと思ってもたがなw
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金プラ。金色で出来たケッタイな置物・オブジェ。・・・あるがな、家に~~
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湯のみん。これは「こんな湯飲みじゃ飲めんわい」のココロ。ぱっと見たらなんでかしらんが、清張のコワい顔の染付とか養生訓みたいなん書いてるのとか。
いややがな~~

へんぬき。変な栓抜き。これはわたしも前々から「どないすんねん、これーーーっ!」と困ってたものたち!
でもね、中には使える奴もあるねん。もぉごくごく一部だけやけどwww
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なんか妙にワイセツ感あふれるな~~

5円ファミリーってなんやねんと思ったら五円玉をくくりつけられた置物やった。もぉほんまにこんなんよく企画するよな~
でも考えたら、少なくともみうらじゅんさんは買うてはるねんなあ。

へんざら。ペン皿ではない、変な皿。・・・あかん、とんでもないのが写ってもた。反省。
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せやけど、これを拵えた奴がまず悪いわい。買う人も悪い、写真撮った奴も悪い。あ、ウチもか。

カスカメ、ゴムヘビ・・・もう苦しいわー、笑いすぎて。しかもこんなゴムヘビ「絶滅危惧種」やてか!ははは、滅んでまえ~
イナキャラ。田舎の悲しみを感じますわww130511_1739~010001


プリ貝の世界。130511_1740~010001
これ見て思い出したのが「テルマエ・ロマエ」で温泉街の土産物屋でルシウスがみつけたみやげ物の貝人形。おりますがな、ここにも。あれはヤマザキマリさんによれば、購入したのは温泉地での「解放されきった素晴らしい精神状態の証し」らしい。
そうなると「いやげ物」にはやっぱり「ゆるキャラ」に通じるなにかホホエマシイものがあるんやな~~
発見者・命名者が斉しくみうらじゅん氏やしねw
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二穴オヤジ。サンタさんか小人さんみたいなおっさん人形のついた、二穴開いた鉛筆立て。産地はそれぞれ軽井沢とか札幌とか別府とか京都とか、日本全国の観光地!
これな~~オヤジはついてないけど、ピングーのがわが机上にあるんよね~しかもわたし、使うてますわ。ふふふ。
でも、こんなけ二穴オヤジの大群見たら、もぉ壮観も壮観!
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弁天さん、天狗のグッズも多いなあ。ここにはないけど、天神様の郷土玩具も、今では「いやげ物」の仲間入りやろな~と考えた。

便乗3Dのコーナーでクラクラしつつ、次へ移ると「ゆるキャラ」ぬいぐるみの大群が!
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端っこにいたのはひこにゃん。周囲は知らん子ばかりでした。

そして彼らご当地ゆるキャラが席巻するまで長くその地位を保っていたのは、「フィギュ和」の皆さん方!
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これはもお昭和に生まれ昭和に生きたヒトビトの家に必ずあるという、和風ご当地人形たち。
参りましたな~~こうして並ぶと皆さん、同じ顔やん。
おっ「刈萱道心・石堂丸・千里御前」!涙がにじむぜ。
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でもなに、この忍者さん。130511_1750~010001
深いな~~外人に喜ばれそう。

我が家にもいてます、パールさんふたり。130511_1748~010001

そしてくるくる回る「甘えた坊主」。何故か知らんが長い睫毛にピンクの唇というセクシー路線。やーん。
右から左から。130511_1750~020001 130511_1749~010001


会場を出た途端、「勝手に観光協会」PVが流れていた!やってくれますな~~長く見てしまったわ!
そしたら、わたしの前にいた50くらいのおじさん、「ええ歌やな~・・・」とヨメはんに言うてました。ヨメはんは知らん顔してたけど、そばにいたやっぱり同年代くらいのおじさんが頷くのをわたしは見たぞ。

あーほんまに面白かった。
これは5/14まで。チケットにはカスハガがついてます~~

とら虎トラ

「とら虎トラ」展、前後期ともども大いに楽しんだ。
初日は桜の頃で、夙川の桜並木を東京の「とら」さんご夫妻が歩かれ、西宮大谷記念美術館へ行かれたことは、こちらに詳しい。
わたしはその一週後に出かけ、夙川オアシスロードの残りの桜と椿とを楽しんだ。

最初に「甲子園の歴史と阪神タイガース」の展示があるが、それも当然である。
この展覧会の副題は「甲子園の歴史と日本画における虎の表現」なのだ。
虎党である以上、こちらの鼻息が荒くなるのも当然かもしれない。

甲子園は大正13年(1924)甲子の年に誕生した。
当初は野球場としてではなく「甲子園大運動場」としてオープンしている。
現在も野球のほかに「甲子園ボウル」としてアメフトの試合が開催されているが、かつてはスポーツ以外にも使われていたらしい。
今回、そんな資料を見てびっくりした。

まぁ盆踊りと仕掛け花火、陸上競技会、ラグビー、アマチュア拳闘大会は納得する。
え゛ーっと思ったのが次。
昭和13年にスキージャンプ大会が開催されていて、その告知ポスターがあるのだ。
まあしかしこれも「大運動場」だからまぁいい。翌年には大相撲まで開催されている。かなり不思議だがいい。
しかしなぜこの甲子園でわざわざ歌舞伎を興行したのか、それが不思議でならない。しかも天下の菊五郎一座である。資料写真を見てびっくりした。
うーむ、なんでやねん。
(帰宅して母に話すと、昭和の真ん中まで国体の陸上競技は甲子園でも開催され、母は出場したそうだ。「何を驚くか」と言われたが、国体が甲子園で開催されたことに驚いたのか・母が国体選手だったことに驚いたのかは、内緒である)

ほかにも「軍用犬博覧会」「阪神大博覧会」などが開催されたらしい。
そして映像コーナーでは甲子園が完成する間での工事風景などが流れていた。
当初は鉄傘だったのが二次大戦で供出され、戦後に銀傘になった。びっしりの観客がその下にいる。
また今の夏の高校野球、春のセンバツの映像が続き、最後に大阪タイガースが出た。
とらさんもおっしゃっていたが、やっぱりここで85年の巨人相手のバース・掛布・岡田のバックスクリーン三連発映像が欲しいところだ。
(まぁそれは出来ないだろうが)

ほかにも近年のタイガースの選手たちが実際に着用していたユニフォームや、早川源一という人のデザインしたタイガースのマーク原画、昭和初期の職業野球団の試合告知ポスターなどなど、わくわくする展示が多い。

また、甲子園を所有する阪神電鉄は沿線開発にも力を入れていたが、娯楽施設をオープンすることにも抜け目なく、つい40年前まで使われていた香櫨園海水浴場などのポスターがある。
そして私としては涙が出そうになる「阪神パーク」の資料もあった。閉園前のイベントで、レオポンの剥製が家族そろって展示されていたのを、見に行った記憶が蘇る。

さていよいよ三室に分かれて虎の絵の展示である。
「近世の虎」「長崎派の虎」「岸派と近代の虎」と分類されている。
そして前後期あわせて60点弱の絵があるが、その虎たちの人気選挙が行われている。
前期、わたしは芦雪の無量寺襖絵の虎を推したが、今日行ってみたら彼は二位につけていた。けっこうなことである。なお一位は今回再発見された応挙の水のみ虎。納得。

禁制のトラならぬ近世のトラを見る。
なにしろ鎖国してる間は誰も本物の生きた虎を見ていないのだ。
初期の洛中洛外図にあるような河原町の見世物小屋の虎なども、いつの間にか消えてしまったろうし。
中国を通じて入った資料や、へにょへにょの毛皮を見ることが出来ただけでも大ラッキーだった時代なのだ。
描かれた虎がネコの親分であっても、画家の腕が悪いわけではない。

虎之図 狩野探幽 かわいい。かわいいとしか言いようがない。一本の竹に擦り寄って、目ばかり大きく見開く。なんかもう、撫でてやりたい。

豊干・寒山拾得・虎の四人(!)組の「四睡図」は人気で、ここにも多くの絵師の絵がある。
英一蝶のそれは、丁度虎が目覚めたところでファーッと伸びをする。豊干はあわててそれを押さえるが、トラは知らんがなとばかりに大きく伸びる。それを見ていた寒山・拾得はケッケッケッと笑う。
白隠禅師は留守文様で四者を描き、久住守景は仏画の雰囲気が濃い絵にまとめる。
こちらは狩野興甫。気持ちよさげな様子がいい。
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応挙はわんこと虎だけで、立派な展覧会が開催できると思う。
明和四年の虎は背景も虎の体もほぼ同じ色の金虎で、岩の上で踏ん張っているのが可愛い。
目はギンッとしているが、ネコの親分が威張ってるようにも甘える寸前のようにも見え、可愛くてならない。

天命二年の水呑み虎図こそが、今回の目玉であり、虎選挙の第一位候補なのである。
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この虎は図録表紙にもなったが、元は「くいだおれ」前社長が所蔵していたもので、その死後30年にわたって倉庫保管されていたそうだ。
この虎なども報恩寺の虎の絵を参考にしたようにも思われる。立派だがやっぱり可愛い虎。

若冲の虎は薄墨で描かれていて、眉と目玉が同じサイズなのが面白い。近年の寅年の初め、高麗美術館で朝鮮のトラ展が開催されたとき、若冲のフルカラーの虎と、どうやらその絵の元ネタになったらしい虎の絵が並んでいるのが、面白かった。今回はそれとは違い、もっと自在感がある。虎の牙がにょきっとしているのもいい。

「サルの狙仙」の描く虎の猛々しさもいい。屏風仕立てで毛並みが凄く、染織再現してほしいような虎たちである。

芦雪の虎は前期が前述の世界最大の虎(襖絵)、後期がのどをかく虎で、この仕草はどう見てもネコ。足裏の肉球が可愛くて仕方ない。

我が家はネコ好きだからか、TVなどでねこ科の生き物たちを見た際、行動がネコっぽいと喜ぶことが多い。「ああ、やっぱりネコの親戚やな、同じことしやる」と言うのだ。
だからか、近世の虎(=ネコの親分)たちはいずれも可愛くて仕方ないのだった。

最後に谷文晁の弟で、絵の手ほどきを兄から受けてから南蘋派に走った島田元旦の虎が現れる。緑の目に赤い舌がとても怖い・・・・・


長崎派の虎
中国人直輸入・その影響下にある中国風の虎たちが寄り集まっている。
近世の虎に比べて濃いし熱い。面妖なのも少なくはない。

熊代熊斐 虎人物図 虎人間ではなく、虎に乗る爺さんの絵である。その爺さん、拳を振り上げているところを見ると、トラをどつく気らしい。トラはのどを見せて「なんじゃい」と爺さんを見上げる。

変なのはわかっているが、これはなんだといいたくなるのが宋紫石のトラ。なんかうるうるしていて、寂しそうである。乙女ちゃんなトラ。彼のトラはプライス・コレクションで見たのか、こんな大きな目をうるうるさせているのが少なくない。あちらのトラは野田英夫の描く少女の目に似ている。

鏑木梅渓のトラは竹虎で、妙に腕白小僧なツラツキなのが可愛い。シマシマシャツを着て構えているようなところがいい。

妙な白黒虎と黄色黒虎のコンビの絵もあり、これはどういう意図で描いたんだろう、とちょっと不思議に思ったりもした。
そういえば、阪神ではないが阪急の昔の宝塚ファミリーランドにはホワイトタイガー一家が暮らしていた。今は千葉や各地に別れ別れになった虎家族である・・・


岸派と近代の虎
岸駒が虎の絵の名人ということで(虎を描く駒・・・とらうまやな~)、いきなりリアルな虎が誕生した。そうなると前代の虎はみんなうそもん・ぱちもんということになるが、やっぱり虎は途中からゆるキャラとまでは行かずとも、可愛くなってしまいもする。

あの竹内栖鳳の虎がその代表かもしれない。
動物園やサーカスでどうぶつたちを熱心に写生して、日本初の「ライオン図」を描いたけれど(それ以前はライオンではなく「獅子」だった。みんな「唐獅子」)、虎だけはいくらタイトルを勇ましいものにしても、妙に可愛くなっている。
「雄風」と題していても、昭和15年と言う世相を思っても、どーしてもこれは「のんびりとら」の図なのである。
こちらも可愛くてついつい話しかけそうになったのだった。

岸駒の猛虎図はかっこよかったが、しかし天明年間に既に「猛虎」という言葉は定着していたのだろうか。そんなことを考えた。チケットになってます。
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岸礼の虎図はファミリー肖像で、右は父虎に子虎、左はカップル。ちょっと妙な取り合わせで楽しい。

岸竹堂の猛虎図は雪中でちょっと滑ってる虎。でも踏ん張る。「偉大なる王(わん)」のようでもある。ニコライ・A・バイコフの傑作。アムール虎。

大橋翠石は初めて知るが、その妙なリアルな絵を見て、わたしは椛島勝一「吼える密林」を思い出した。あれはライオンだけど、そんなリアルさがあった。これもけっこう人気が高いらしい。

ああ、いいものを見た。本当に面白い。
5/19まで。

松園を魅了した麗しの女性美/人物画名品展

松伯美術館の「松園を魅了した麗しき女性美」展では、こちらも松園さんの描く「麗しき女性美」に魅了された。
今、名古屋でも大きな回顧展が開催されているが、やっぱり松園さんは多くの人の心をひきつける画家なのだった。

絵を見て歩く。

化粧 明治33年 湯上がり美人が瓶から化粧水を取ってつけているところ。裸のままで気持ちよさそう。
和装婦人によくある形の胸。下腹も少し豊か。瓶の化粧水ということから、これは江戸の婦人ではなく明治の婦人。
どこの化粧水だろうか。へちま化粧水かもしれない。そしてこの三年後に中山太陽堂が誕生し、クラブ化粧水が世に出るのだった。

京美人之図 明治35年 可愛らしい少女が蝶々を見る。桃割れに鹿子絞りの手絡(てがら)を飾る。もう数年たてば本当に「京美人」になるだろう。
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美人観本図 三姉妹の肖像。少しずつ年の差があるのはそれぞれの風俗を見せるための設定。既婚・未婚・少女それぞれの美しさを描く。
昔は厳しく仕分けられていたのだ。昔に生まれなくてよかった・・・

ここまでが明治の作品で、まだ若い松園さんも世間の風俗を楽しむ時代だった。

羅浮仙女図 月下に清楚で美しい羅浮仙が佇む。白梅の匂いが漂うようである。桃色の衣に、わげに萌黄色の薄布。配色もいい。

下絵をみる。
今、名古屋で松園さんの特別展が開催されているが、「人生の花」が人気を集めているようだ。松園さんはこのタイトルで同じ構図の色違い・装飾違いの絵を描いている。
その下絵の一枚。

姉妹三人 この三人は前述の「美人観本図」の三人。
唐美人 カラフルな作品。きれいな女人。
宝船 その形のついた簪を持つ娘。
櫛 鼈甲の櫛をじーっとみつめる女。

ほかには「待月」「草紙洗小町」「蛍」「伊勢大輔」などの有名な作品の下絵が出ていた。

松園さんはあくまでも和の美にこだわった。
彼女の「青眉抄」から抜き出された言葉を追うと、その想いがかなり強いものだということに気づかされる。
わたしの愛する清方、松園さん、お二方ともに江戸から明治の風俗をこよなく愛し、大正はまだしも昭和になると、いよいよ現代風俗を殆ど憎むようなところが感じられる。
わたしが好きな風俗は1920~1930年代の、完璧な和装から軽快な和装に移り、洋装も明るく好まれだした時期である。
その意味では、松園さんのおっしゃるお言葉に、決して従うことも頷くことも出来ない。
髪型・服装で身分その他が知れるようなのは好まない。年齢不詳・国籍不明くらいの美魔女にならなければ、平成の世は生きてゆけないのだから。
・・・とはいえ、こんな風にマジメに反論してしまうのは、やはり松園さんと言う画家を敬愛しているからだと思う。そうでなければ時代があまりに外れすぎているのに、こんなまともな対応などする必要がないからだ。

今回は女性の髷についていくつか学ぶことがあった。
遊楽図などによく見かける、くくった髪を頭頂近くに立てる髪型(ミムラ姉さんやミーの髪型ではない)、あれは唐輪髷というそうだ。桃山から江戸初期の遊女や役者に流行ったという。わたしの好きな髪型の一つである。

展示はほかに松園さんが櫛笄簪、着物の文様をスケッチした縮図帖や振袖や化粧道具などがあった。本当に勉強熱心だった松園さん。
いいものを色々と見せてもらい、本当によかった。

息子の松篁さん、お孫さんの淳之館長の作品では、わたしの大好きなウサギ一家「月夜」、桃花と青い鳥のいる「春輝」があり、淳之さんの昨年の新作「集う」を見ることができたのも嬉しかった。
「集う」は五羽のおしどりが集う風景を描いており、雄二羽・雌三羽の構成で、真ん中の雄と雌が目を見交わしあうのが印象的だった。
5/12まで。

大和文華館では「人物画名品展」を開催している。こちらも5/12まで。
毎年四月から五月上旬はこうして美人画や人物画の展示が企画される。
私は丁度会員証が切れたので更新し、のしのしと展示室を歩いて、おなじみの人物たちを眺め、あいさつをする。

佐竹本三十六歌仙の一人・小大君を意外なほど間近に眺める。今まで気づかなかったことに気づく。小大君、疲れて呆けたような目をしている。妖しい目の色である。誰かを誘う目ではなく、誰をも拒んで自分の内側だけに意識が向いている、そんな人の目をしていた。

桃山時代の婦人方の肖像画が五点並ぶ。よそから参られたご婦人方である。
中川秀成夫人、稲葉忠次郎夫人、二条昭実夫人、伝・淀殿、そしてこちらの名の知られぬご夫人の像である。いずれも身分の高さを示すように繧繝縁、または何かの文様の入った縁をつけた畳に座している。
衣装もそれぞれ凝っていて、豪勢な並びだと感じる。

松浦屏風、阿国歌舞伎草紙、輪舞図屏風・・・これらはおなじみの名品たち。何度見ても何かしら新しい発見があり、それが楽しい。

珍しいところでは宮崎友禅斎の林和靖図、極端な富士額の婦人像などか。
いやそれよりもびっくりしたのが、東博に本画がある大観の「游刃有余地図下絵」があったこと。これがここに所蔵されてるなんて知らなかったし、考えたこともなかった。
他にも土田麦僊「カキツバタ図」の下絵もある。

ここで近代に本画に出会えるとは思いもしなかった。
麦僊 洗髪図 墨絵に近い絵。ごく薄い淡彩をほどこしてある。盥に髪をつける女。背後からの姿。乳暈、足裏、指先などに薄く朱が転じられている。

安田靫彦 飛天図 箜篌もった飛天。空に浮かぶ美しい様子。萌黄色が綺麗。
こちらは大和文華館の刊行していた「大和文華」の表紙を飾っていた絵らしい。

後ほかに笠置曼荼羅図、多武峰曼荼羅図、豊干寒山拾得に虎のいる対幅もあった。
工芸品では光琳の扇面貼交手筥が、珍しくも白楽天図の面を表にして展示されていた。

やはりいい展示の多い美術館だと思った。

近代日本の歴史画 野間記念館

野間記念館が好きだ。
開館当初から出来る限り見学に行き、隙間なく見て行きたいと思っている。
実際にはいくつかの展覧会を見逃すこともあったが、それでも9割方は見ていると思う。
だから企画展によっては「おお、また会うたね」という作品も少なくはない。しかしそれでも楽しいのだから、やっぱりこれは「野間記念館が好きだ」としか言いようがないのである。
そしてこればかりは未だ全容を見ていないので、いつか全てを見ることを祈願しているのが「色紙コレクション」である。
1万点を超える作品群。中にはよく出てくるものもあるが、今回の展覧会に出てきたものなど、完全に初見である。
こういうのを全て見て、味わい、楽しまなくては、「野間に飽きた」など、決して口には出来ないし、また、したくない。
堪能し、さらにそこから新たな関係がその作品との間に築かれてから初めて、なんらかの感慨を持てばいいのだ。

「近代日本の歴史画」
雑誌「キング」誌を彩った名作が夥しく並んでいた。
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チラシ右手は木村武山「光明皇后」。合掌する女人が光明皇后安宿媛である。二人の女官を従え、敬虔な面持ちで合掌する。三人は同じ髪形をし、髪飾りもよく似たものをつけている。衣装も綺麗な染め柄を見せていて、背後の寺院の装飾柱や仏具なども非常に絢爛である。足元をぼかしていることで、ある種の幻想味が生まれ、皇后にまつわる神秘の伝承を思い起こさせる。
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前田青邨 羅馬へのおとづれ 「キング」誌・昭和3年3月号の口絵原画。
青邨はしばしば天正の羅馬少年使節を描いている。颯爽とした少年と馬の姿。

武山「神武天皇」「鴻門の樊カイ」、映丘「歌僧西行」「池田の宿」、古径「重盛」、このあたりはしばしば展示されることの多い作品なので、わたしも知人に会ったようなココロモチで眺める。

蔦谷龍岬「嵯峨野の里」 平家物語の小督の逸話を描く。この場面は秋景の夕刻の美しさ・侘び住まいする女人の美しさなどなど、古来より好まれた題材である。
数多いその作品群のうちでも、蔦谷のこの絵は特に好ましい。

島田墨仙 白狐 林の中で官人に出会う白狐。松の木の上の方には2羽の鳥、他にも赤い顔の鳥もいる。寝そべりながら顔を上げる白狐。物語の始まりを予感させる。

結城素明 伊勢物語 秋の野の静かな中に二つの動きがある。マメな昔男は女を負って逃げようとするが、やがて捉まる。しかし今は丈高い秋草に隠れてやりすごそうとしている。

吉村忠夫 柳塘行 「行」は詩歌のこと。柳の下で一頭引きの馬車から降りて手綱を持つ、中国の婦人。洛陽あたりか長安か。なにか心楽しい。

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前述の<初見>の色紙群が現れた。
荒井寛方の十二組の色紙は月次ものではなく、中国の名のある人々を淡彩で描いたものだった。琴らしきものを持つ陶淵明、強そうな虎に乗る豊干禅師、長い竹棒を持つ蘇東坡、峨々たる山脈を背景に、牛に乗って去り行く老子、眠る荘子の上にひらひら舞う蝶、股潜りの韓信などなど。

堅山南風、磯田長秋、吉村忠夫は日本の歴史・稗史の人々を描いていた。
南風は、保元の乱の為朝、那須与一、鵺を射る頼政など。
磯田は、今しも一の谷を下ろうとする義経、楠公が未来記を開くところなど。
吉村は、古径の「重盛」と同じ構図の燈篭を眺める重盛を、輿に乗せられてゆく聖徳太子を描いている。

雑誌の口絵にも見事な歴史画は多い。
山口蓬春の神皇正統記を編む北畠親房、中澤弘光のケーザル(カエサル)はルビコン川を渡り、野田九甫のスパルタ武士は母親にどやされる息子を描く。

洋画家も歴史画を描く。
藤島武二のワシントンは小舟の上でアメリカの旗を立て、南薫造のエリザベス女王は入城するところだった。

歴史画の大家として名高い小堀鞆音も雑誌口絵を描く。決して手を抜くことはない。
「天岩戸」。外の騒ぎに天照が出てきたところ。タヂカラオが活動している。

中村岳陵の「釈迦」は昭和五年の作だが、彼は四天王寺に釈迦の一代記を描いている。
四天王寺の金堂の壁画である。そちらは昭和35年。
30年後の作にこの「釈迦」も影響していはしないか。
とはいえこの作は連作もので、ほかに孔子とイエスの復活が描かれている。

最後に「明治・大正・昭和大絵巻」の原画が出た。これは本当にもの凄い付録である。
付録と書いたが、昭和初期の講談社の付録と言うものはちょっとやそこらのものではない。
既に大家として名を挙げ、なお働き盛りの青邨、松岡映丘、小林古径らを擁していたのだ。
また読者もたいへんありがたく思い、大事にその付録を保存する人が少なくはなかったのである。

またこの連作の凄いのは、何十人の画家が携わっているにも関わらず、ある種の統一感が活きていることだと思う。
はじまりは江戸城内での西郷と勝との会見の場からである。
そして戊辰戦争の白虎隊の悲劇を尾竹国観がえがき、小村雪岱が京浜間の鉄道開通をえがく。他にももう写しきれない凄い画家の名が続く。
歴史上の事件・風俗を描いた絵が並び続ける。
西南戦争、明治の書生風俗、鹿鳴館、チャリネ、天覧歌舞伎、ニコライ皇太子の事件、日本海大海戦、早慶戦中止、ハレー彗星、明治天皇の平癒祈願、千里眼、関東大震災、スペイン風邪、昭和三年の即位の大礼、地下鉄開通・・・などなど。
聖徳記念館の明治大帝の一代を描いた名品と比べても決して遜色のない、素晴らしい作品である。

やっぱり野間記念館はすごい。非常に見ごたえのある展覧会だった。
見終えた後、しばらく虚脱するくらい力が入っていた。
5/19まで。

2013GWに見た花々

わざわざ何かしら植物を見に行く、といえば二月は梅、三月四月は桜、椿、五月に藤、六月に紫陽花、それから秋は紅葉狩り。まぁその名所に行かずともみつけた花々を挙げてゆきます。

家の蘭。二年に一度ずつ咲く。130501_1752~010001

松伯美術館の玄関の藤と紅葉。130504_1238~010001
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繁茂する藤。130504_1144~010001

大和文華館の石楠花130504_1257~010001
久しぶりに見れて嬉しい。好きな花です。

山吹。130504_1257~020001

興福寺へ向う道すがらに見た。130504_1712~010001
何の花か今となってはわからない。

巨大な藤は興福寺。興福寺は藤原氏の氏寺。130504_1714~020001

まだまだ他にもいっぱい見ているが、今日はここまで。
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