美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

大江戸と洛中 アジアの中の都市景観

大江戸と洛中 アジアの中の都市景観
江戸博でこの展覧会を観た。
基本的に都市部にしか関心がないので、興味深く眺めた。数年前の佐倉の歴博での展覧会のようなものかと期待しながら。

プロローグ
東海道五十三次図屏風 広重ではなく、寛文年間のもの。
なかなか面白い表現である。左右それぞれ二段ずつに分かれているので、四枠の宿場街道ものになっている。右上は沼津まで・下は浜松から桑名。左上は袋井まで・下は大津である。なぜか三条は出ていない。
品川に白い着物の女がいてそれが妙に気になったり、矢作あたりの草まみれの家に驚いたり、熱田神宮の大きさにも感心したり。琵琶湖周辺には犬もいた。
どこか'70年代後半のディスカバリージャパンな手書きガイドブックのようにも見える。

道中図巻 高砂から小田原辺りの川がある。ゾウの道中にびっくりするうちに御油で終わり。

1.世界の都市
12都市図世界図屏風 南蛮文化館 読みづらい字を追うと、アデン、アントワープ、ストックホルムなどと読める。(解説には全部の地名がある)地図には人魚もいたから、やっぱりまだ中世の名残がある。「いたりや」の「ぜぬハ」はジェノバ、つまりマルコ・ロッシがいた町で、マルコはここから「母を訪ねて三千里」の旅に出たのだ。
上のほうには小さいサイロに三角屋根を乗せたような城があるが、その窓の具合が諸星大二郎の描く不思議な都市のそれに似ていた。

日本図 1595年 明大図書館 これは奈良の行基菩薩の地図を基にしたものらしい。伊能忠敬もびっくりである。
やっぱり人間歩かねばならん。

2.洛中への系譜 都市の中心と周縁
東アジアの都市
明代の都市図、清朝の北京城内図、福建省、四川省などの市街図がある。
ピョンヤンやソウルもある。ピョンヤンには川と小島が多い。

御所と洛中
日本では大工による内裏の大工見取り図などがある。
そして賢聖障子などを持ってきている。獅子と狛犬もついた絵。彼らの上には亀。

洛中洛外図屏風 南蛮文化館 稲荷山から豊国神社、大仏殿とその前の耳塚の大きさにびっくり。東寺に六波羅、霊山もある。三条では相撲までしている。なかなか人々は大きく描かれていた。粟田口から吉田までが右。
左は鞍馬から大徳寺。相国寺もある。そしてどの寺かわからないが、イチョウ型前髪の稚児が尼僧か若僧かわからぬものと共に門を開いて誰かを迎え入れようとしている。ちょっと危ない。物乞いが特定の家から物をもらうシーンもある。
松尾に妙心寺まで描いてあるのはあまり知らない。元和年間のもの。

3.将軍の都市 霊廟と東照宮 
この辺りの展示を見ていて、随分前のここでの「日光東照宮」展を思い出した。あんな感じの展示。というか、そういうコーナーもある。

江戸と江戸城 
ケンペルの「日本誌」の変なニッポンもある。
1657年3月4日の大江戸の火事の市街図に至っては、人間がポキンポキンの記号型で、面白かった。

江戸城本丸惣地絵図 万延元年 非常に非常に大きなマップである。時代劇ギャグ漫画家ほりのぶゆき風に言うなら「いや~~幕末だねえ」こんな地図をどうするのだ。

明治四年の旧江戸城写真ガラス原版が色々。こういう古写真は好きなので面白く見た。展示換えが多いので全部を見るのは難しい。

徳川秀忠
故・隆慶一郎は家康は好きでも秀忠は大っっっ嫌いだったようで、自作小説では全部が全部秀忠を悪く描いていた。
小説をコミック化したのは主に原哲夫と横山光輝だが、二人も原作に忠実に秀忠を悪く描いていたなあ。
さて、その秀忠が描いた猿引き図がある。なかなかいい感じなのだが、これとても隆慶一郎ならば何かの暗喩だといいそうで、それをネタに秀忠の野望とか描いたろう。
そんなことを思いながら他の展示を見ていた。

廟所
御霊屋の絵図やそこに使われている燈籠などの仏具がある。
上野献備鐘楼堂御修復絵方仕本 これはスケッチであり、指図書でもある。飛び出す唐獅子や長い鼻のゾウも描かれていて、そのように作れということ。

徳川家斉葬列絵巻 誰が描いたか知らんがめちゃくちゃヘタである。絵心はないが描きたい・もしくは描けと言われたものが描いたとしか思えない。巨大な箱を御輿に積む侍たち。

東照宮
紅葉山東照宮御簾 これについてる麒麟などの金具が可愛い。うまいものです、さすがは江戸の職人の仕事。楽しそうな麒麟たち。金具が可愛くて飾りも映える。

武家の都市
えーと、鎧甲冑一式とその中の下着まで展示。サラかもしれないが、下帯まで展示してある。ちょっとやめてよ~~ww無論白ですが。
采配とか鉢巻とか色々。太平の世でもまぁグッズはいるわね。
しかし、暗~~~い空間に甲冑武者五体も並べないで~~~怖いですがな。

エピローグ 都市図屏風
各地方都市の城下町図屏風。

小田原城下図屏風 にぎやかで、鐘の勧進をする奴らもいる。大きな輪を使う漁もみえる。

高松城下図屏風 めちゃくちゃキッチリした城下町。くっきくっきに町が形成されている。
身分の低いものはその外でばらばらと家を拵えているが、あの区画キッチリ過ぎるのよりかは、こっちのほうがマシに思えてならない。

延岡城下図屏風 にぎやかである。自慢もしたかろう。寛文頃ので、船の賑わいが目立つ。一の岬・二の岬という辺りはずーーーっと松原が続いている。景観。能舞台もありにぎやか。そして左5、6扇の下では馬たちが放牧されている。

天保年間鹿児島城下絵図屏風 けっこうアバウトである。大きな港は外国船接岸用か。薩摩飛脚など色々思い出す。

さささっと書いたが、なかなか面白い展覧会だった。都市と言うものの本質についてまた考えたいと思う。
5/11まで。
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・安治の江戸東京 ・歌麿とその時代 ・竹の美

明日までの展覧会の感想を簡素に挙げたいと思う。

・がすミュージアム「安治の描く江戸東京」
元治元年に生まれ、明治22年に25歳で亡くなった井上安治の作品と、平成25~26年現在のその地の写真とが共に並んでいる。
17歳から25歳まで「東京真画名所図解」という連作を拵えている。今回はその全134点から40点を集めている。

二重橋、日枝神社、九段坂、神田明神、柳橋、と見てゆく。神社の境内は案外現代と変わらないが、全くにていない地も少なくはない。

柳橋夜雨 人力車が多く行き交う。傘を差しながら提灯を手にして動く。客待ちの車夫を犬が見上げる。
人力車は明治の「新しい」乗り物である。これは安治の見たリアルな情景かもしれない。

現代の柳橋の写真を見る。半世紀前まで続いていた柳橋の花柳界も今はなく、特性を見せない景色になっている。

神田ヨリ出火、久松町焼失の図 えらい大火である。この界隈はあまり戦災もうけなかったと思っていたが、それ以前にこんな火災があったのだ。

久松署のあたりの写真。わたしの定宿が近いので、人形町へ行くときはよくここを通る。

愛宕山 茶店から眼下に広がる東京府を眺める。

99年を最後に愛宕山に行っていないことを思い出した。山の上のNHK博物館が結構好きだったのだが。
あそこからはもう東京タワー、森ビルくらいしか見えないように思うが、猫がたくさんいたのを忘れない。

安治はシンプルな描線で繊細に風景を表現する。
人々の個性は薄いが、全体として善良な様子を感じさせられる。

芝増上寺、根津神社、湯島天神、と江戸時代から続く名所を見る。現代よりもずっとその地は人々に愛され、またなじみのある地だったろう。

湯島台白聖堂ノ月 満月が出ている。聖堂の長い石塀は今も変わらない。電柱が立ち並ぶ。明治の世は電波を運んできたのだ。

現代も湯島の聖堂の長い塀を見ると、昔の世を思う。車が通ろうが通るまいが。

向島桜 薄ピンクの桜はソメイヨシノか。ぞろぞろとそぞろ歩きの人々が楽しく眺める。一瞬BLかと喜んでしまう二人組もいる。

今も隅田川沿いの桜はきれいだが、向島辺りまで来ると花より「言問団子」がほしくなる。

軽く見て回ったが興味深い展覧会だった。

・八王子市夢美術館「黄金期の浮世絵 歌麿とその時代」
中右瑛さんの監修の企画展で、知らない絵がとても多かった。

歌麿 高名美人見立忠臣蔵 序段から十二段まであるようだが、序と11段がでている。これらは見立てものなのでリアルな状況ではなく、たとえば11段目の吉良捕まえの様子も、なじみ客を吉良に見立てて女たちが押さえつけ、そこへ大石内蔵助にあたる花魁がずん、と来る。
妓楼での駆け引きもすべて忠臣蔵に結びつける「見立て」は楽しい。

歌麿 三国志雪中訪問 孔明に会いたくて三回も訪ねる劉備。手前に彼ら三人と奥にその様子を眺める孔明の姿がある。歌麿の中国歴史画は殆ど見たことがない。

歌麿を手鎖にした「太閤五妻洛東遊」があった。
筆禍事件は知っていたが、その原因となったこの絵は本当に初めて見た。

見慣れた大首絵もあるが、それらより群像図の方が目に残る。

秀麿、月麿、藤麿、式麿らの作品が並ぶ。
師匠譲りの美人がいろいろ。というより、歌麿風カップルを多く描いている。

全く知らない絵師の作品も少なくない。
絵も絵師も初見ばかり。
白峨、文滝、千万。知らないなあ。

勝川春暁 若松屋内緑木 洗い髪に簪を挿す立美人。彼女をお世話する女もまた変わった髪型で、なぜかV字型に髪をはねさせている。

歌麿と同時代の絵師と言えば豊國と北斎がいる。
豊國の役者絵、北斎の肉筆画などが少しばかりある。
しかしそれらより滅多にみない絵師たちの作品の方が面白かった。

同時代と言うても少し時代が下がった絵師たちの作品もある。

英山 品川料亭の図 鉢や皿が茶色い鉄絵で、染付はまだこの次の世代の絵師たちを待たねばならない。

英泉 美艶仙女香 潮くさき美人やふねの朝霞 目つきが凄い。遠目ではわからぬえろさがある。

国貞 団扇絵白井権八 岩井半四郎の目千両さがくっきりと描かれている。可愛いなあ。口元もきゅっと結んでいる。

面白い展覧会だったがリストがないのとこちらに時間がないのとで、残念ながら詳しくかけない。
もう巡回も北九州だけ。
関西には来ていないのでぜひ来てほしいと思う。


・大和文華館「竹の美」
黒川古文化研究所「松の美」、泉屋博古館「梅の美」と三館連携の展覧会で、タイトルに沿う作品を交互に貸し出ししあい、楽しく展示していた。

最初に見えたのが青磁筍花入。これは泉屋分館から。(以後、所蔵先は最初の二文字などで示す)
中庭の竹と共に遠近感を無視しながら眺めると、ますます魅力が深くなる。ガラスの向こうで竹が風に揺れている。こちらの竹は動こうとしない。

楊柳観音図 高麗 泉屋 黄色い肌の観音が左下にいる小さな善財童子の様子を見守る。

伯牙弾琴鏡 唐 黒川 銀が白いまま、緑も一部だけ侵略して止まっている。ふくらみがある。琴を弾く高士。

竹燕図 馬遠・款 南宋~元 黒川 小さく可愛らしい燕たちが竹林で楽しくチーチー。

探幽縮図 大和 たいへんカラフル。彼の縮図帖は見飽きない。いつかそればかりの展覧会があれば面白いかもしれない。

檀鴨・竹狸図 森徹山 泉屋 マユミの花か実かが海棠のような色を見せて生っている。狸は可愛らしい。地べたのオケラをクンクンクンクン。毛並みがよくて撫でてみたくなる。

紫地三彩草花文花文碗 明 大和 紫で塗りつぶされてても蝶はひらひらと飛んでいた。
これを観ていて「法花」への道が見えたような気がした。

竹虎硯屏 朝鮮 泉屋 ばーんっと四角いスクリーンの枠から飛び出してきそうな虎と目いっぱいの竹林。迫力があった。
しかしこの硯屏、虎の勢いが強すぎて、知らぬ間に出かけてそう。

群雀に竹透鐔 黒川 小さな枠の中に、切り絵のようにたくさんの雀たち。可愛いなあ。蔦のように絡み合う雀たちは18羽いた。

竹岸蘆浦図巻 漸江 1652 泉屋 非常に繊細な絵。蘆が群生する川岸、川の流れ、遠くの白帆、白い岩。筆と言うより鉛筆くらいの細さに見えた。

蘭竹図巻 銭載 1792 黒川 金箋に薄墨で描く。筆のかすれが金に染みてゆく。

四君子図 山本梅逸 1839 大和 可愛らしい色彩を使いこなす梅逸のモノクロ画。上方に白梅、地に蘭など。色をいまだ塗っていない、という風にも見えてしまう。

竹製蒔絵椿柳文茶入 抱一図案・羊遊斎作 大和 これは特に好きな名品。相変わらず愛らしい。蓋の黒椿に今日はどきっ。

白磁洞簫 明 泉屋 これは尺八の祖先らしい。それを白磁で拵えた。本物は竹。

他にも版本でペコロス頭の仙人、竹に這うカタツムリ、などなど見所の多い展覧会だった。
三館でスタンプラリーをしているので、それに参加するつもり。

「岡田謙三&目黒界隈のモダンな住人達」「秋岡芳夫全集2 童画とこどもの世界」

目黒区美術館で「岡田謙三&目黒界隈のモダンな住人達」「秋岡芳夫全集2 童画とこどもの世界」を見た。
本当の目的は後者だったのだが、前者がまたとても面白くて、かなり前のめりに見入った。

近年「池袋モンパルナス」「渋谷ユートピア」「1930年代の」世田谷などをモチーフにした展覧会が開催されている。
以下、感想はこちら。
池袋モンパルナス 歯ぎしりのユートピア 
都市から郊外へ1930年代の東京(主に世田谷)
渋谷ユートピア
同時代においてはたとえば「馬込文士村」や「田端文士村」なども存在したが、目黒もまた様々な分野のアーチストが在住した。
今回の展覧会では、目黒区内各地の美術家たちの仕事を紹介している。

1.岡田謙三と目黒界隈
・自由が丘
ここはもともとは「碑衾村」=ヒブスマ・村という地名だったそうだが、その名を嫌った舞踏家の石井漠と教育家の手塚岸衛とが自由が丘と呼び出し、それが定着したそうだ。
まぁいかにも1920~1930年代らしい話である。
中世的な匂いのする「碑衾」では彼らの新しい思想・新しい生活はそぐわないのだ。

岡田謙三 セーヌ河 1936 舟が停留する。青色が海老原ブルーに似ている。

岡田 花売り 1936 都会的な娘がちらりと見返る。パリの娘か。

岡田 幕間 1938 芝居の幕間で五人の女たちがくつろぐ様子が描かれている。宮本三郎的な女たちである。

正直なところ、この時代までのモダンな都市の女たちの絵には惹かれるが、70年代の作品はさっぱりわからないし、どういいのか考えることもできない。
紙くずを貼り付けているものを作品と言われても、と勝手なことを言うが、わたしにはやっぱりそう見えてしまうものがある。わからないものは書けないから書かない。

海老原喜之助 蹄 1936 明るい黄土色とベージュで構成された画面。馬の目が優しい。

海老原と岡田は隣人同士で仲良しだったようだ。スナップショットがある。
海老原・荻須・宮本・石川達三らが仲良しサロンを開いていたようで、岡田はそこに出入りしている。また彼は帰国中の藤田嗣治とも仲良しだったのだ。

・柿ノ木坂
宮田武彦 声楽 光が細かく描かれている。

そういえば柿ノ木坂といえば、銀座の女帝と言われる「順子」ママさんの半生記によると、心の隙間を埋めるようにここに邸宅を建てた件があり、それが頭に残る。

・平町
赤穴宏 雪の日の目黒太鼓橋 1985 30年近い前とはいえ「現代」の風景。素敵。
98年の暮れ、写真美術館の「仮想庭園」を見てから歩いて目黒へ出たとき、熱が高くて風景が潤んで見えた。不思議に綺麗な風景で、今も意識から消えない。
この絵にもその風景に近いものがあった。

・南
香取正彦 朧銀蝶文花器 中がメタリックだが、どことなく錆びたような感じがある。
スライドにこの花器が写り、アトリエ内に飾られているのをみると、何かゾクゾクしてきた。欲しい、と思った。
朧銀(ロウギン)は先般の汐留ミュージアムでの「松下幸之助と伝統工芸」展で知った技法。

・上目黒 
成井弘 上海裏街夜景 1950 街娼が佇む。ヤバそうなムード。1950年の作だが、1920~30年代の雰囲気がある。
わたしのときめく時代とその空間。裏暗さがたまらない。

・中町
荻須高徳 目黒、大塚山からの風景 1926 これもいいのだが、荻須の「エイ」を描いた絵が見たい。あのエイが忘れられない。

・不動前
駒井哲郎 魚又は毒 1962 ええと、「伝説巨神イデオン」終盤のバッフ・クランの最終兵器ガンドロワにそっくり。タワシからなんか伸びてるわけですね。

・下目黒
安原喜明 セキ器花挿・種の旅 1967 ファンタジックな装飾。シャガールの絵を思わせるような鳥や魚やハウスなどが後からの貼り付け。可愛い。

・上目黒
槻尾宗一 鉄の花器が数点あり、それだけを見ていたら奇妙なオブジェにしか見えないのだが、パーティ会場などにあるとすれば、と背景を想像すると、とても似合うように思った。場を選ぶ花器。

・中目黒
飯田善國 1953~1955年の間に描いた連作「目黒川夜景」が四点並ぶ。豆電の灯りだけで描いた実景。
うねうねと黒い夜の川道。

特別出演で、世田谷区等々力から黒田嘉治の猫のブロンズ像が来ていた。かっこいい黒猫だった。

2.目黒 モダンダンス
石井漠のダンス関連資料が充実していた。
石井漠は自由が丘の人だが、ノイエ・タンツの江口隆哉、宮操子が平町にいた。そして土方巽もまた。
目黒はモダンダンスの聖地だったのだ。

1920~30年代の石井漠の研究所から出た「漠のパンフレット」や同時代の「舞踊日本」誌、石井漠の随筆や回想録もある。
スナップショットも多く、丸メガネの石井の顔もある。
レッスン中のショットも。

そしてなによりも良かったのは、1926年の映像。
パテーベビーフィルム 撮影会 1926.10.5 三越屋上にて。
「グロテスク」エドワード・グリーク曲 :石井榮子・石井欣子・崔承喜
三人の女が柏の葉っぱをチュニックにしたような短めのものをまとい(神農のようだ)、最初は静に端座している。足は裸足。記号的な動きを見せながら立つ。どこか「三猿」を思わせもする。
そのうち民話「聴耳頭巾」のような動きを示したかと思えば、ゴロゴローと転がる。ガバッと起き上がる。急な回転もする。非常に謎な踊りではあるが、非連続性の動きに、精神の持続性を見出しているようにも思われた。
もしくは、ある種の畸形人間の動きだといってもいいだろうか。

随分前、新神戸オリエンタル劇場で「伝説の舞姫 崔承喜 金梅子が追う民族の心」というドキュメント映画を見たが(2000年)、動く彼女を見たのはこれが初めてだった。
また、今手元にあるパンフで確認したが、彼女がこの「グロテスク」を踊った年1926年こそ、15歳で石井漠に入門した年で、その意味では舞踊家・崔承喜最初の舞踊映像なのかもしれない。
以後は独立したり戻ったり、賛助出演をしたり、してもらったり、という状況が続いたようだ。
やがて戦後は北へ渡り、モスクワで1957年に石井漠らと再会したものの、ついに1967年には政府により監禁され消息不明となる。

映像はまだ続く。
石井漠による「マスク」スクリャーピン作曲。半裸で腰にサロンのような腰巻の長いものを巻いているのが立つ。ターバンも巻いているので、戦前のインドシナのどこかの人のようにも見える様子である。腰巻が長すぎて足を止めるのか、腕をぐるぐる回すだけだった。

次に「屋上雑観」として、撮影の会員たちの様子が捉えられ、そこからの視点でダンサーたちの動きを見るシーンもあった。
この貴重な映像は島田市図書館蔵で、デジタル加工したのは目黒区美術館だという。
なお、この映像は速度を変えたものが、先日まで宮本三郎美術館でも流れていたそうだ。

こうしたモダンダンスの映像を見ると、同時代の映画「狂つた一頁」での舞踏狂少女、小説「ドグラマグラ」のやはり舞踏狂少女(通称アンナ・パブロワ)のダンスを思い出す。映画「ドグラマグラ」での舞踊はモダンバレエではなく、むしろクラシックに近かった。
しかしこれらをみていると、夢野久作が描いたのはモダンダンスだったように思われるのだ。
また、村山知義がおかっぱ頭で踊っていたのもやはり新時代のノイエ・タンツである。
1920年代のモダンさには今更ながらに強く衝撃を受ける。

江口・宮の資料をみる。
1949年のパンフレットには、翻訳家の光吉夏弥からの文章が寄せられていた。光吉は「おさるのジョージ」「ちび黒サンボ」「ねこ猫ネコ」などで高名な人。
1930~40年代の集合写真には大野一雄もいた。若き日の大野一雄。好青年で立派な体格をしている。

土方巽関連資料。復刻版だがパンフなどが並んでいて、ゾクゾクする。かっこいい。


3.デザインの街 目黒
・中町
トランジスターラジオのデザイナーとして秋岡芳夫の作品が並ぶ。♪君の知らないメロディ 聞いたことのないヒット曲 (RCサクセション「トランジスターラジオ」)
・駒場
柳宗理 バタフライ・スツール やはり出てくるね。
・下目黒
山田正吾 東芝電気釜 ああ、サザエさんの世界だ・・・

かなり面白く、いい作品が出ていた。解説が少ないが、それはそれでいいかもしれない。

さて、本来の目的だった「秋岡芳夫 童画とこどもの世界」展を見るが、こちらはあまりに解説不足で、何がなんだかわからないものばかりで、まことに残念。
いい童画が多いのだが、背景にどのような世界(設定)があるのかもわからないものが多い。
ある種の一こまものとしてみなせばよいのそうでないのか。
それでも「人魚姫」「飛行かばん」などのアンデルセンもの、白秋の「ウサギの電報」、「アリババ」「ハイジ」などはわかる。
いい絵も多いが、だらだらと並べているだけのようにも見え、ちょっと残念すぎる。

3/30まで。

海辺のミュージアムでみる日本画/大観と大正・昭和の画家たち

近代日本画のいい展覧会をいくつも見ているが、一向に書けていないので、なんとか挙げれる分は挙げたいと思う。

☆海辺のミュージアムでみる日本画 横須賀美術館のコレクションから(横須賀美術館)

たどり着くのに苦労する美術館の一つである。観音崎の果ての手前まで公共交通機関を使ってゆくのだが、行くとやはり「見に来てよかった」と思わせてくれる。

1.墨の表現
青邨 をぼこ 鮎の若いのを言うている。1944年、岐阜生まれの青邨は疎開したのか、ささやかで優しい作品を生み出している。この鮎は彼の郷里の中津川の鮎らしい。右斜め・左斜めに行き交う鮎の群れ。癒しを感じる。鮎の群れたちはいずれもみんな誇らしそうに胸を張って泳いでいた。

閑右衛門 豊干入国清寺 虎に乗ってやってきました。みんな逃げ出す~虎がいい感じ。
閑右衛門 寒山拾得 少年二人。汚れているが、賢そうで可愛い。
閑右衛門の日本画はさらりとしていて南画風な趣がいい。

昭和27年には閑右衛門も大相撲に熱狂していたのか、絵巻を残している。仕事だとしても楽しそうな監察眼が活きている。この頃だと大鵬柏戸の前くらいか?よく知らない。
色んなシーンを描く。取り的もいたり、女客が阿修羅になったり、ソップvsアンコなどなど。彼の前の時代だと鰭崎英朋が相撲絵の上手で、彼の絵を見て大相撲の様子を想像して興奮する人も多かったそうだ。

月岡榮貴 素描いろいろ。岩手県の祭りを想起させるものが多い。鹿踊りなどは宮沢賢治の童話を思い出す。素朴な良さがいい。

2.日本画の色彩
竹喬 梅の家 まだ1917年の作品だから後年の良さは出ていない。白く咲く梅。描き込まれた一枚。

寧 翠陰 昭和初期の田舎のこどもたちの楽しそうな様子を描く。水車を中心にして遊ぶ子供たち。昔の描き込みの多い、抒情性のある作品。
寧は娘婿が自決してからが、後の「杉山寧」らしい作品を世に送り出すようになったと思う。

雅邦 雷神図 鬼だわー。ほんと、筋肉質な鬼さま。

大観 陶靖節 左手に高士と右に侍童。琴も持っている。陶淵明。「拙ヲ守ツテ田園ニ帰ル」というあの詩を思い出す。

紫紅 黄石公・張良 この伝説は好きなのだが、それだけにわたしの持つ張良のイメージがよく合うので嬉しい。やや頼りなげな風情に見える(しかしその精神の強さは素晴らしい)。ロバの睫毛が長いのがこの場をやさしくする。

深水 寒鮒釣 珍しく南画風な作品。びっくり。風に吹かれてわびしそうなおっちゃんがおる図。やっぱり深水は華やかな美人画の方がいいな。

清方 江の島 箱根 旧幕時代の遊山の婦人を捉える。目元がたゆとうようで、いいなあ。
いかにも大正5年頃の清方の絵。好きだ。

3.風景
鈴木竹柏 丘の家 夜か、と思うくらい緑が深く濃い。向こうに家がある。肺に緑が入り込みそうな空気。
ふと、高嶺剛監督「ウンタマギルー」のウンタマの森を思い出した。

山本丘人 草上の秋 静かな庭。綺麗なしつらえ。風が優しい。

4.人物 歴史画と群像
守屋多々志 ペリー浦賀来航 珍しい構図。ペリーたちの後ろ姿。富士山を見る一行。船上からの構図。

森田曠平 阿弥陀堂(大原女三題のうち) 黙って立つ。手には桶と花。髪には手ぬぐいというスタイル。目の鋭さは薄い。

5.動物と写実表現 
岳陵 白狗 銀屏風に緑の杉と白い巨大犬と。犬はベロを出している。くつろいでいるが、ちょっと怖い。

栖鳳 狐 銀月の下、積み藁が照らされる。踊る狐。地にはタンポポ。狐はなにもダンスをしいるのではなく、獲物を見つけたときの様子なのだ。

南風 日午 猫がニュウというかニャアと現れる。アオイと猫と。気持ちよさそうな日当たりを感じる。

青樹 虫魚画巻 東近美にあるのは9Mもの、ここのは5Mもの。カエルの国や蜘蛛の巣の朝と夜を描いている。カエルたちが可愛らしくて撫でてやりたくなる。
鮎に椿の取り合わせもある。いい作品だった。
前述の東近美のは「世紀の日本画」展にも出ていた。

4/13まで。

☆「横山大観と大正・昭和の画家たち」野間記念館
こういうラインナップをみると、それだけで安心して気持ちよくなる。 
ここも見慣れた作品が多いが、それがささくれだった気持ちをなだめてくれる。
だからこそ、親しい作品に囲まれることが大切なのだ。

大作三本が出ている。
秀峰 蛍 三美人。大観 千与四郎 賢い坊や。麦僊 春 白花の中の母子。
いずれも夏・秋・春の絵で、野間記念館の四季を代表する絵。

色紙の十二ヶ月図もいいのが出ている。
玉堂のは1926年、松園さんは1927年。
玉堂は自然の中にいる人々を描き、松園さんは月次風俗を時代ごとの女性の装いで描く。
近代日本画の二つの方向性、それを楽しむ。

映丘 池田の宿 この絵を見ると必ず太平記のその一節を口ずさむ。「落花ノ雪ニ踏ミ迷フ・・・」

青樹 四季花鳥 出ました、カエルちゃん。夏は芭蕉に登るカエルちゃんなのだ。
こうして考えると、暁斎以来のカエルちゃん好きではないか、青樹。

御舟も二枚いいのが並ぶ。
梅花馥郁 鎗梅もいとしく、紅梅・白梅もまさしく佳い香りを漂わせている。 
朱華琉瑠鳥 黒い葉が存外みずみずしい。

青邨 羅馬へのおとずれ 早稲田の會津八一記念館に大物があるが、こちらはこちらで颯爽として素敵。
雑誌「キング」の口絵だったから、逆に絵に動きを込めやすかったのかもしれない。

耕花 江南七趣 これはまあ本当に好きな連作で、1921年の江南に行きたくなって仕方なくなる。
わたしは特に夜の社交場ともなっている小舟や料亭の様子を描いた「秦淮の夕」、深緑の芭蕉や奇岩や水を楽しむ「留園雨後」が好きだ。
グロテスクなところも多少あるが、それが却って素晴らしく魅力的なのだよな。ああ、素敵。

秀峰 母の愛 お下げの少女が美人のお母さんに着付けしてもらっているところ。この絵も好き。「少女倶楽部」口絵。
わたしがこの当時の少女倶楽部の読者なら、大切に切り抜いていたろうと思う。

少女倶楽部は表紙も贅沢だった。
1924年は毎月清方の表紙絵だったのだ。関東大震災の翌年、清方は自分の娘たちくらいの少女らを励ますためにも麗筆をふるった。
わたしは中でも九月号の「友のたより」が好きだ。ハンモックでくつろぐ少女の絵。

栖鳳 鮮魚 グジが描かれている。アマダイ。こういうのを見ると、栖鳳先生が子供時代に家の仕事も手伝わず、お魚や野菜を熱心にスケッチしてろうなと創造するのだった。

霊華 箜篌 これもホント、好きな絵。天平時代の楽器ね。この楽器を持つのは他に武二の「天平の面影」さんくらいかな。
青木にもあったかな。わたしは白鳳~奈良時代と1920年代とに行きたい、と常々思っている。

清方 五月雨 ああ、緑がやさしい。雨のよさを感じる。白百合も可愛い。

疲れたときにはやっぱり近代日本画だと思う。
5/18まで

三月の東京ハイカイ録その5

さて23日の話。
予定を一日減らしたので、色々入れ替えた朝です。心臓はましになってたが。怖いのと熱も下がってたので薬もグレープフルーツもやめて、それから世田谷文学館へ。
各展覧会の感想は例によって後日長々しく書き散らします。

クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会。
うーん…正直、本来は好きな傾向の展覧会のはずなのだが、ピンと来ない。
わたしの側に問題があると思う。楽しめないし、なじめない。
紹介ペーパーを読んだことでますます離れてゆくなあ。
稲垣足穂センセの「星を賣る店」か。
わたしはむしろRRR武井武雄の世界に走り込みたくなってきたよ。
たぶん、その違い。

常設では旅に関する企画展があって、こちらの方がわたし好みだった。
世田谷区に関係する文学者たちの「旅」。
飯沢耕太郎さんや北杜生。いいなあ。そしてムットーニの「夢十夜」の船から海へ落ちてゆく男の話もまた「旅」だわな。

芦花公園から東府中まで行く。本当はここから18分、晴れた日だから機嫌よく歩いて府中市美術館に行けばよいのだが、病中の身としては(以下略)。
要するに久しぶりに「ちゅうばす」に乗ったのだよ。100円の現金払い。
思ったより早くについたが、先にお昼にする。
芦花公園の駅前スーパーで購入したイワシのとろける脂のお寿司、だったかな。
実際、モノスゴーーーーくイワシの脂ギラギラでおいしかったな。
わたしは青魚のギラギラ好きなの。
♪ギラギラ光るお魚たちよ~瞬きしてはヨダレが垂れる~
キラキラ光るお空の星にも負けない青魚のギラギラでした。

府中市美術館の春の江戸絵画祭りも恒例の好行事で、いつも人気もの。
まだ始まったばかりなのにもぉ来年の「かわいい江戸絵画2」の宣伝をしておるよ。
去年のは本当に可愛かった。可愛すぎて本が早々に売り切れて、予約とか取ってたっけ。
それであの図録は一般売りにもなったのでした。
つい先日もジュンク堂で見かけたわ。
今回の展覧会は目玉になる絵はなかったけど、それでも「面白い」絵が多かった。
板橋区美術館からも出張してきていたし。
時間があればスライド解説聴きに行きたかったけど、時間不足で断念。
常設も似た流れの中で楽しんだ。
それにしても牛島さん、見るほどに好きの深度が深まるぜ。

武蔵小金井までバスで出るが、途中でオバの家の停留所を越える。今回元気ならオバを呼んで、肉なり寿司なり食べに出かけたのだけど、病中の(以下略)。
バスを乗り継いで出かけるのだが、時間に問題が発生。
わたしが行きたいのは2ヵ所あって、江戸東京たてもの園の土浦亀城展(四時半まで。~5/18)と、がすミュージアムの安治の描く幕末から明治の東京(五時まで。~3/30)
小金井街道の渋滞が重態なのを忘れてたわい。
まぁやっぱりがすミュージアムに行った。たてもの園はね、朝から半日はかかるところなりよ。一日かかっても足りんときもあるしね。

遠い道のりでした。何しろ遠い。遠いのは物理的な距離+渋滞やな、やはり。
井上安治の明治の版画と、平成の現在の同じ箇所との対比が、とても面白かった。
やっぱりここはいいコレクションを持っている。建物も素敵だし。

武蔵小金井に戻ってくる。思ったより早く帰れたので八王子へ向かう。
バスもうまく乗れて、とりあえず八王子夢美術館に「歌麿とその時代」展を見る。
これがまた面白い内容で、初見が多いのなんの。
「美人見立忠臣蔵」なんて連作も初めて。それに同時代のか前後時代のか、今の今まで知らんかった絵師の作品がごっそり現れている。びっくりしたなあ。
リストないのと観ながら書く時間がないのとでメモはあきらめたが、これはすごいわ。
誰のコレクションのやろ。中右さんの監修やから中右さんのコレクションのか?いや、たぶん個人個人のを集めなはったのかもしれんわ。
・・・と、そんなことを思いながら大いに楽しむ。

この日は京王八王子から帰る。疲れているけど、まぁ薬の影響もグレープフルーツのタタリもないが、ぐったり。

最終日。月曜日である。平日。
こんな日に開いてる美術館は横浜美術館くらいですがな。
東京駅のロッカーに荷物放り込んでから、東海道線で横浜へ。みなとみらい線に乗り継いでハマ美につきました。
「日本の木版画」これがまた明治から戦前のがめちゃくちゃ面白いのだよな。
戦後から現代でええのは、棟方志功や斉藤清に吉田家の人々か。あとはちょっとよくわからない。
ばけものカルタが素晴らしい。欲しいわ~~

昼前に一旦外へ出て、向かいの商業施設のフードコートで軽くランチして、舞い戻る。
はやく出かけて正解。
常設見てから撤退し、上野へ。

「栄西と建仁寺」展の内覧会へ。
これが実に面白かった。個人的なツボとしては、六道珍皇寺の六尺越えの小野篁、中肉中背の冥官、小柄な鬼の獄卒の三人像。これにライトがあたって、なかなかの景色が見えるわけです。特に鬼の目玉が金色と赤に見えるのは面白すぎ。
あとは明代に描かれた涅槃図。悲しみの図+吉祥図で、桃に蝙蝠まで。さらに猟犬に追われて全力で逃げるウサギとかもいる。こういう「ない交ぜ」は四世鶴屋南北大得意でしたな。イヤホンガイドは中谷美紀さん。ええ感じですわ~~
それで機嫌よく観て回り、来月にまた再訪する予定で出て行きました。

体調不良と言うトラブルに見舞われたが、まぁ楽しめたし、限界を知って行動しようと言う殊勝な心がけも生まれたし(いつまで持続することか)、ええハイカイになりました。
いつものペースならハイカイどころか彷徨になるとこやったな。

ということで四月に出かけます。よろしく。三月の東京ハイカイはここまで。

三月の東京ハイカイ録その4

一週間ぶりでございます、という出だしで始まる番組があったそうだが、リアルタイムにはわたしは知らない。
しかし実際一週間ぶりにここへ帰ってきている。
今回、ツイッターでもチマチマ書いたが、過労でバッタリ倒れ、二日ほど寝込み(二日ほど煮込み、ならすっかり美味しいシチューだ)、無理を押して東京へ出た。
人間、あんまりムチャクチャな暮らしをしてはいかん、ということですな。
ところで先週の水曜に医者に行って、高熱なので熱さましをもらった。
漢方の竹ジョウンタントウと黄連解毒湯とを併せ飲みして、かなり熱も下がった。
東京についたのが21日の夜で、あらら、腫れてなかった喉のリンパ腺まで腫れててさすがにヤバイ気もしました。
琳派ならぬリンパ。

東京に行かず、むしろ天王寺の一心寺さんに行って歴代の骨仏さん拝んで、四天王寺さんの西門前で日想観を凝らした方がエエかも知れなかったが、病気になってる時に神社仏閣に行ったら、却って此岸から彼岸の彼方へ去らなアカンことになるかもしれない。
人間、弱気はアカンのだ。

とりあえず今月2度目の東京ハイカイ。土曜から始めた。
恵比寿駅前からバスで(!)山種美術館へ。
病中の身ではあの坂はきつい。
富士山と桜をメインにした展覧会で、こういうのはほっとする。
わたしはツツマシイ富士山が好きで、大観の「見よ!」なのはニガテ。いつもはニガテな球子のめでたい・明るい富士山は案外好きだが、体力もなく気が滅入ってるのでは、古径らの静かな富士山がよろしい。
どちらにしろ、例によって各展覧会の感想の細かいのは、後日ヒタヒタヒタと書き続けてゆきます。

あんずの花がよく咲いてましたな。1395820424212.jpg

それに機嫌よく後押しされた感じで見て回ったが、やはり最初にここに来てよかった。
坂を下りて、海鮮丼でも食べたいところだがナマはやめようと某天ぷら屋に入ったが、ちょっとトラブルがあり、お金は払わないで出た。出だしでこういうことが起こると、ハイカイ中はまず間違いなく食のトラブルが続くものだ。

ノタノタ歩いて写真美術館へ。ああ、あったかいな。薬を飲んでからまずは「黒部と槍」、山岳写真を見る。
見て叫びそうになったのは久しぶり。山だから「やっほー」というわけではなく、「うぎゃーーーっこんな溪谷に行くなや~っやーめーてー!こわいがなーーーっ」という情景ばかり。山男はえらい。わたしは昔「八甲田山」の映画と原作に脅かされ、さらに高校の耐寒登山で大雪の六甲山縦断で苦しめられ、以来山登りが本気でイヤなのだわ。
見てて畏怖心と恐怖心とにぞわぞわしたなあ。

次には「101年目のキャパ」展。去年か、なかなかいい展覧会を見たが、今年も20世紀を代表するいい男、の一人たるロバート・キャパにドキドキ。
(ほかにはエルネスト・チェ・ゲバラがいてます~~)
やっぱり今回もキャパの撮った写真そのものより、実はキャパ本人にドキドキしたんだよな。そしてキャパの友人たち…ヘミングウェイ、ピカソ、マチス、ボギーとジョン・ヒューストンの2ショットなどなどを見て、大いに満足する。
わたしは特にジョン・ヒューストンの映画が好きなので、彼の作品を思い出したり。
そういえば初めてキャパの展覧会を見たのは、2002年に大丸心斎橋で「文豪になったキャパ ちょっとピンぼけ」からだったか。

熱も取れてきて、機嫌よく晴々した空の下を歩く。
恵比寿駅に戻らず目黒区美術館に行こうと思う。橋を渡らず、そのまま目黒区三田の町へ入ってゆく。
この界隈に来たら必ず思いだすのが丸谷才一。彼の随筆の中で三田は田町だけではないということを書いていて、目黒のサンマと絡んだり色々してゐたはづ。(この辺りに丸谷才一へのオマージュを感じてほしい)
ちなみに関東ではミタだが、関西には兵庫県三田市(サンダ)がある。有名なハムやステーキの三田屋はサンダ・ヤである。

2つの道がある。左はやや上り坂、右は下り坂。目黒区美術館は下るので右の道を往く。
焼却炉の巨大な煙突を目指しながら歩く。前は血豆ビルを目標にしていたが、今回は違う道を歩いているらしい。血豆ビルの血豆とはサンライズを3D化してみせた、某自動車学校ね。お台場にはその友達の銀魂、じゃなくて、銀玉ビルがあって、あれはフジテレビだったかな。センスの問題以前に、建物がランドマークとしての役割を担う、という意味では凄くインパクトあるので、ええのかではないか。

ここで話が飛ぶけど、その意味ではランドマークはケッタイな物の方が目立ってええかもしれないという点で、浅草のアサヒビール会社のヒトダマとか、成田のあたりにある岡本ゴムとか、ここら辺はやはり代表格ではないかしら。
看板で目立つチチヤス(まだあるのか、伊丹豊中空港線に)、アサヒペン、合羽橋のコックさん、井之頭公園の楳図かずお邸のまこちとゃん…

アタマがすっきりしないので色々妄想に駆られながら歩く。(クリヤーな状態でも妄想が常に活きているが)
知らん道を延々と歩くと不安に駆られるものだが、こういうときに必ず思い浮かぶのが、西脇順三郎の「なぜ私はダンテを読みながら 深沢に住む人々の生垣を 徘徊しなければならないのか」から始まる詩と、ブルース・チャトウィン「どうして僕はこんなところに」。
………
やがて橋が見えた。目黒川に架かる橋。ほっとする。ここからさらに延々と歩いて、ようやく美術館。ああ疲れた。
童画目的で来たけど、全体にいい展示で、特に石井漠たちモダンダンス関連の資料の充実ぶりに大喜び。石井榮子・石井欣子・崔承喜(チェ・スンヒ)の3人が三越の屋上で踊る「グロテスク」の映像にはゾクゾクした。1926年の話。

崔承喜の伝記映画というか彼女の足跡を追うドキュメントを見たのももう随分前のことだった。
この時代のモダンダンスは非常に好きで、先年の村山知義の展覧会で見た写真や当時のドイツのノイエ・タンツ、そして同時代の「ドグラマグラ」の舞踏狂の少女、映画「狂つた一頁」のやはり舞踏狂の少女らのダンス、これらが好きで仕方ない。
今はそこまでゆかないが、80年代後半から90年代初頭頃、暗黒舞踏にとても惹かれていた。
あの動きと思想とに熱狂していたのだ。自分が生まれる前後の頃の作品群に。
今もわたしはクラシックバレエよりモダンバレエやモダンダンスが好きなので、とても楽しかった。

喜んでさて公園の外に出たら、うまいことバスが来た。一台目はやり過ごし、二台目に乗ってあの恐怖の権之助坂を座って上がれた。病中の身としては(またか)ヘネモネ…
目黒駅前で一休みしてから東京駅へ。ブリヂストン美術館にギリギリ入り、常設作品を集めた「彫刻家の手・画家の目」を楽しむ。
見慣れた作品であろうと、配置を替え、言葉を替え、違うものとのセッションを提示されると、これまで知らなかった魅力に気づかされる。
面白かったなあ。やっぱりブリヂストンはいい。
マチスの「画室の中の裸婦」から放たれる光のシャワーを浴び、浴室にいる青木繁「天平時代」の享楽を楽しみ、いいココロモチでサラバ。

江戸博へ。土曜は19時半までやからね。
大江戸と洛中だったかな。
南蛮文化館所蔵の洛中洛外図なんて初見なんで大いに凝視する。色々細かいことに気付く。
それにしても藩の中心部を描いた住宅地図というかなんというか、あれらのうち高松藩のがびっくりするほどキチキチキチキチした区画整備された住宅街で、負けたなあ。
それに兜甲冑フル装備のがなんだか5体もた並んでで怖い~~
タタリじゃーとか言いそうですわ、わたし。
ちょいと昔の展覧会「日光の至宝」展をちらりと思いだしたな。あれは2,000年の展覧会だった。

さて皆さん、以下やや怖いというか、思えばかなり怖い話が続きます。
わたくし、前述通り熱さましのために二種の漢方薬を処方に従って、服用しておるわけです。熱が下がれば飲まなくていいよとも言われておりました。
ほんで何かを避けることも特に聞いてはいませなんだ。
定宿の近くにいつも安い八百屋があり、そこがトマトとグレープフルーツをかなりおまけしてくれましてな、4つで270円と言うのをホクホクしながら買うてかえり、トマトとグレープフルーツとを丸一個ずつ食べたと思ってください。
どちらも大変おいしうございましたわ。
それがやね、グレープフルーツ食べてからさて寝ましょうとしましても目が閉じない。
心臓がバクバクしている。しかも何か振動が聴こえてうるさい。
起き上がると振動は止まる。しかし目は閉じないし、心臓のバクバクも終わらない。
また寝そべると振動を感じる。
もしかして、と仮想を立てる。グレープフルーツは血圧降下剤服用には絶対禁忌があるけど、わたしの飲んでる漢方にも何か似た成分が入ってないか?
この振動、もしかして自分の内部からのものではないか?
こ・わ・い~~~~~!!

その後、かなり水を飲んだけど、ホンマに怖かったなあ。
しかもその翌朝からもずっとビミョーにバクバクしたまま。
(昨日医者に行ってグダグダ訴え済み。医者は「え゛~~?」と言うてたな)

こうして恐怖の初日は終わりました。

柳瀬正夢 1900-1945 時代の光と影を描く

柳瀬正夢 1900-1945 時代の光と影を描く
神奈川県立近代美術館葉山館まで見に行った。

プロレタリア関連の展覧会を昨年からよく見かける。
せめて高校の頃くらいのアタマならこの辺りにも熱心に取り組めるのだが、今はもうダメだ。

好みの絵についてだけ書く。(いつものことか)
わたしがわからないものはスル―というのもいつもの通り。

1915年頃の、随分若い頃の柳瀬の絵。
ビワ・ナス・モモ 水彩画 いかにもな配色。何がいかにもかと言うと、九州的な色合いと言うものを感じたのだ。赤みが多く、水彩とはいえ元気そうで、元気を飛び越えてややグロテスクさがあるのは時代のせいかもしれない。
多少の滲みをおとなしくせず、水がにじんだのではなく血がにじんだかのようにも思わせるほどの。

シャイム・スーチンほどではないが、1915年頃の柳瀬の絵はどうにも激しい色と混濁と線のよじれがある。

工場帰りの女工さんたち 1915 グレーの濃淡のみで表現。やまとその裾に並ぶ民家遠景、ため池のほとりを歩く三人の女。社会性が強いというより、その時代の空気を吸い込んでえがいたような感じ。

角笛吹く女 裸婦。横向きで角笛を吹く。これはアールヌーボーヴォー的な感覚がある。

風景2 1914 洋画。未来派風な感じがするが、本人は表現派風なところを目指していたらしい。森の道。点描とセザンヌ風な画面構成も含んで。
油彩でも色々していた時代。
果樹島園、畠、椿に梅も咲く春。犬も寝ている風景。

漁村の風景 1919 これは河上肇旧蔵品。1938年に河上が知人から贈られたとか。それも柳瀬の意志だったそうだ。
赤茶けた屋根の並びや道。濃い光が差し込む。人々が少しいる。黒猫を追いかける少女も。

父母 版痕のような点描で農作業の父母を描く。

柳瀬は門司の繁栄時代を知っていたそうだ。今や近代日本のレトロな夢を見せる観光地である。
ポスト印象派と表現主義も入り込んだ時代。
やがて柳瀬は上京し、小杉未醒の居候の居候に成り果てる。そこには村山槐多もいて、刺激を受けたろう。配色が似ているようにも思う。時代の空気がそれを呼んだのか。

槐多は夭折したが、実生活がむちゃくちゃだった。仮住まいを一軒壊しているくらいだ。
破滅型の夭折者だったのだ。わたしが最初に知った「村山槐多」は小説家としての面だった。「悪魔の舌」を読み、それから彼の「二少年図」が乱歩愛蔵だったことを知り、本格的に見たのはその後だった。
そんな時代にいた柳瀬。

柳瀬のパトロンは門司や小倉にいた。
曽田共助医師は劉寒吉、火野葦平、岩下俊作、松本清張らを支援し、柳瀬もその支援とそして薫陶を受けたそうだ。
劉寒吉は知らないが、火野葦平の「花と龍」などはいかにも北九州あたりの人でないと描けない熱さがあり、今も時折映像化される。
岩下俊作は映画で有名になった「無法松の一生」の作者で、わたしなどはあの古い映画を見る度に泣けて泣けてどうにもならなくなる。昔の日本人にあった無償の愛情が描かれているからだ。
なんにせよその血の熱さがちょっと怖い。

やがて柳瀬の色彩のスタイルが確立する。
門司港 1919 くっきりハキハキしつつ、現実味の薄い絵。メキシコに渡った画家たちの絵を思いだす。
舟屋のような民家が並ぶ。家は並びあっていても人影はない。

九州もメキシコも熱く、そして中央への深い対抗心がある。
ちょっと柳瀬の絵を見ていてしんどいのは、そのあたりなのだ。
現在に至るまでのその暑苦しさに近い熱さが非常にニガテ。

温泉場 1917 山と渓谷にかけて作られた、なにやら情緒の欠片もない建造物。鉄臭そうな温泉。
鉄分含有率が高いというのではなく、湯に赤茶けたものが混じってそうな感じ。
荒々しい。

絵葉書があった。昔の門司港界隈。今世紀初頭、わたしも出かけた。その百年前の風景、
日銀が映っている。親分の辰野の仕事と言うより、忠太ぽい佇まい。インド・サラセン風に見える。

本の装幀がある。「邯鄲夢枕」である。物語性のある抽象絵画とでもいうような雰囲気で満たされている。
わたしが最初に見た柳瀬の仕事と言うのは、この本の装幀と「パン太の冒険」マンガだったのだ。
この装幀に近いものと言えば、谷崎の「過酸化マンガン水の夢」の装幀か。あれは誰だったか。

柳瀬は讀賣新聞社に入社した。長谷川如是閑に可愛がられ、また社主の正力松太郎は絵を購入してくれた。
讀賣では世評を鋭く見据えた一コマ風刺漫画を描いている。
今も昔も新聞の政治面などで活躍する、あの一コマものである。
こちらは洒脱な筆致でユーモアたっぷりのちょっとクールな作風だった。

左翼系マンガも多く描いた。
笑うに笑えないのは時代の違いか。

資料をいろいろ見る。
如是閑からもらった本には「正夢ポンチへ」と献呈サインがある。
アンリ・バルビュスの名前があった。
あの「地獄」の作家だなと思ったら、ゴンクール賞受賞「砲火」作者で社会運動家と言う方が表看板だった。
あらら・・・

お茶の水風景 1921 川とニコライ堂とをフォーカスを甘くしながら捉える、そんな絵だった。かっこいい。
本人はやはり表現主義と言う。

同時代の夢野久作が何の作中でか、面白い表現をしていたが、それを思い起こすと、この柳瀬の作風にも当たるような気がする。

やがてMAVO参加という流れがあるが、柳瀬は主催の村山知義と思想があわず、創立メンバーだが早いうちに離れて行く。とはいえ仲違いしたわけではない。
柳瀬によるオカッパ頭の村山を描いたマンガもあった。

舞台にも柳瀬は関わって行く。新宿中村屋の相馬黒光らが支援した先駆座がその場である。
カリガリ博士風な装置。

カリガリ博士は長らくわたしの憧れだった。
ようやく映像をみたのは大学卒業すぐくらいで、中学の時から待っていたのだった。
当時の流行の最先端を行っていた人々がこの映画にハマッたのもわかる気がした。
竹久夢二、折口信夫らである。

関東大震災で拘留された経験が柳瀬を本格的にプロレタリアへ走らせる。
このあたりの資料をみると息苦しくなる。
無産者新聞(後の赤旗)の広告が凄い。「読め!!」である。
いや、そぉ言われても。

一方「よみうり子供新聞」には犬養首相暗殺の記事とリンドバーグの愛児誘拐の記事があった。
そんな時代なのである。昭和7年5月29日。

1932年には「ヂャカヂャカ パン太」という連載マンガがある。ハーモニカを吹くネズミの話。

よみうりサンデーマンガでいろんなマンガを描く柳瀬。
ほかにも東郷青児も一こまマンガを出している。
素肌に毛皮着て佇む女を「1940年型モダンガール」とタイトルつけていた。
これを見てわたしは青柳祐介のサディズムとマゾヒズムを扱った作品を思い出した。

ほかにも「会社教育」シリーズが面白い。
秘密の集会を温泉の浴場で開催しているところへ部外者が来る。途端に全員が風呂に逆立ち状態。とんだ佐清である。

やがて治安維持法で捕まったが、そのあたりのことはパス。
釈放後はマンガを描きませんと約束していたので洋画へ向かう。鬼頭鍋三郎の隣家に住まう。

1934~1935年にかけて連載された「パン太の冒険」が出た。少年パン太と犬の冒険もの。ちょっとSFも入っていて楽しい。わたしが最初に柳瀬を知ったのはこの作品からだったのだ。
宇宙船に乗り、少年アストロノーツになる。楽しい。

1935年には「城西消費購買組合創立十周年 演芸の夕べ」ポスターをこしらえている。
舞踊や独唱や漫談などで、場所は神宮外苑。出演はソプラノの四家文子、漫談の徳川夢声、映画は「商船テナシチー」、凄いラインナップである。びっくりした。

やがて羽仁もと子の勧めと誘いで「子供之友」の仕事を始める。
「ミケルアンジェロ」「大洞の石仏」「北極南極」、科学系では「ラフレシア」の紹介など、「月物語」なども。
コドモノクニ」にも描いている。
その中でもアムンゼンを描いた話が良かった。
ノルゲ号の冒険と遭難。気象博士マルムグレンもいる。このあたりの話は星野之宣の作品でみたのが最初。1979年。もう随分昔のことなのだが、忘れることはない。
絵本の文章を書いていたのは羽仁説子で、実際に自由学園でアムンゼンに花束を渡したそうだ。

童画は元気な子供らを描いていて、感じよかった。
わたしは柳瀬の仕事ではこれら童画と「パン太の冒険」が一番好きだ。

1939年、北京に出かけている。
雲崗に石仏を見に行ったようで、それが絵本「大洞の石仏」に結実している。当時の北京の風俗をスケッチもしている。

そして1945年、空襲のためになくなる柳瀬正夢。
残念としか言いようがない。

近年、村山知義の回顧展を皮切りに社会主義やプロレタリア運動と美術の関連を捉えた展覧会の良いのがいくつも開催された。
この展覧会もその系譜に連なる。
興味深い内容だった。3/23まで。

「花・はな・HANA」展 再訪 / 安野光雅の描く「御所の花」展

逸翁美術館の「花 はな HANA」展を再訪した。
前回と違うのは蕪村の白梅図のかわりに抱一の水仙図が現れたこと。
とはいえ二週間ぶりに見に行くと、また新しい発見もあって、とても豊かな気持ちになった。
既に一度感想を挙げているのだが、昨日再訪してまた新たな感興を懐いたので、そのことについて少し書きたい。
逸翁美術館「花・はな・HANA」展。
前期と違うのは呉春の「白梅図」屏風がしまわれ、代わりに抱一「水仙図屏風」が現れていることだった。

早春とはなんと黄緑色が似合う季節だろう。
展覧会のリストも黄緑で、本当に春めいてきたのを実感する。

椿、梅、水仙、藤、紫陽花、百合、桔梗、菊などなど。
ああ、花の空間にいることの歓び。
途轍もなく心地よい。

抱一の水仙図屏風は銀屏風に水仙が乱れ咲く情景を描いたものだった。
風景ではなく情景。
現実の景色をどこかで見たとしても、それをそのまま絵にはせず、心の中で一つステップしてから描いたような絵。
出光美術館が近年、琳派展を開催した際、宗達、光琳、乾山の金、抱一、其一らの銀をわたしたちに見せてくれた。
銀の魅力をそこで知って、わたしたちは銀を愛した。

この水仙はその銀屏風を背景に咲いている。金屏風では得られない魅力がそこにある。
金屏風は水仙と言う可憐な花にはあまりに豪奢すぎはしまいか。
日本人の感性にはどちらをも愛するところがある。
そう、金を尊ぶ気持ちと共に、銀を愛しく思う気持ちと。
この水仙は静かに愛されるべき花だった。
花の香りまでが活きている。それはやはり銀屏風ゆえの良さからくるものではないか。
金屏風だと花の香りは奪い取られてしまう。

左隻の水仙たちは風に弄られたか、何本かの群が打ち倒れている。
豪奢な金屏風では許されぬような構図である。銀では倒壊する花もまた綺麗に見えた。
豪奢な頽廃を金に感じるからかもしれないが。

この水仙について学芸員の方がワーズワースの「水仙」の詩との深い心のつながりを感じ取られたようで、パネル説明があった。
この花は白く、ワーズワースの見た水仙は黄色い。
長い詩なのでここには写さず、詩のあるところへご案内したいと思う。

なお、呉春の白梅図はパネル展示されていたが、黒灰色の壁面に静かに咲くように見えた。

この後は再訪して感じたことを書く。同じことを書いているかもしれず、また違うことを書いているかもしれないが、確認していない。

櫻鳩図 大谷尊由 枝垂れ桜の下につつましく鳩のカップルがいる。雨が降るともこのままでいたいのかもしれない。

万古焼 蘭絵鉢 深い深い緑の中に静かに飛ぶ蘭の花少々。うつわの釉薬でこんなにも深い緑は日本のやきものでは殆ど見なかった。
わたしはこの緑は海外のもので見るか、もしくは染織でしか見てはいない。

絵替蓋向付 乾山 のんびりした鼠色の釉薬の上に白い不透明な釉薬が乗る。豊かなうつわ。その白の豊かさに惹かれる。白は時により、松枝を覆う雪にも、佳い香りを辺りに放つ白梅にも、仲間を待つ鷺にもなる。
化る、と書くべきかもしれない。乾山はそのように白を使うていた。
わたしは不透明な白の豊かさに惹かれた。

北宋の伝・趙昌の「蓮池鴛鴦図」を見ると、どこからか水音が聴こえるようだった。
ちゃぷん という水音。人の耳に聞こえぬはずの水音が、絵になったことで露わになった。その瞬間。

法花は唐三彩を始祖に持つという話を聞いたことがある。濃い色彩で彩られたやきもの。
今ここにある蓮華文の水指は本当に可愛い。イッチン。やきものだとはわかっているが、指の腹・掌が味わう感触は、ベルベットのそれに違いなかった。

立葵双蝶図 清朝の終盤の頃の絵。絵師の名前は伝わらない。薄紅色の花一つ。そこから少し距離を置いた空間で、青黒い蝶が二匹、ゆっくりと舞うていた。

唐物青貝香合 前回もこの椿の魅力に侵されて、随分と時間を奪われた。
まともに見据えると、ひっそりと青白く咲いているくせに、こちらが少し身を引いて斜めぐらいから眺めると、紅色に耀く。近寄ると鎮まる。
なんという官能的な椿だろう。わたしはまたしても翻弄されてしまった。

藍地花文壺及び皿 パキスタン 紺青と浅葱色の鬩ぎあう空間に白い花が咲いていた。

白釉多彩草花文水注 トルコ 青いチューリップが咲いていた。チューリップの原種はモスリムの人々の住まう地だった。スリムにくねるチューリップ。
板谷波山のチューリップも原初の形をとることが少なくなかったことを思い出す。

ジョルナイ工房への憧れについては延々と語りそうになるのでやめる。
ここにあるのは菊花文鉢として、満遍なくキャラメル色の菊花が咲いた肌である。
オレンジ色の地にキャラメル色の菊花。隙間を許さず、菊で埋もれる肌。

ドイツのフッチェンロイター社の色絵金彩花文紅茶碗。これが本当に千花文様で、花で窒息してしまいそうになる。あふれる千花。わたしは少しばかりの隙間が欲しい。そして黒地にこそ、千花を咲かせたいと思った。

展示室では四枚の幡のようなものが釣られていた。
紅梅・青花の梅・金泥の梅鉢・千花である。
それを見ただけでも心に花がひろがる。

いい展覧会だった。
なお、前回の感想はこちら



安野光雅さんの画業は深く広く豊かだ。
わたしは幼稚園のときに毎月もらう本で「あんのみつまさ」さんを知った。
「おおきなものがすきなおうさま」である。
その後も小学校の音楽の教科書の挿絵に安野光雅さんのお名前がしばしば見え、小学生のわたしにとっての好きな画家は、安野光雅さんと、佐藤さとるさんの童話の挿絵を担当していた村上勉さんに極まった。

安野光雅さんの作品は子供から大人まで、日本から世界へと愛好家を広げている。
だまし絵もあれば言葉遊びの本もあり、旅した先を描いた「旅の本」、平家物語を物語化した絵本も忘れがたい魅力がある。

安野光雅さんのファンはその絵を見るだけで心豊かになる。
年中無休でイライラ忙しくするわたしなどでも、安野光雅さんの絵を見るとたいへんに和む。時には笑う。時には深く想う。

今回の展覧会は「御所の花」である。
関西人のわたしは京都御所(正しくは京都御苑のというべき)の植物を思い、近衛桜ももうすぐやなとあの枝垂櫻の麗容を思い出したり、梅や萩を見に行った時のことを楽しく追想したりした。
が、今回の展覧会は京都御所ではなかった。
天皇皇后陛下のお住まいの御所の庭園、その地に咲く草花を描いていたのだった。

こんな説明がある。
「天皇・皇后両陛下の御所や宮中三殿のある皇居内の吹上御苑は、 武蔵野の自然がそのまま残り自然愛好家には魅力つきない地区。
文化功労者の安野光雅画伯は、なかなか参観しにくいこの森に1年4か月かけて通い、 四季おりおりの植物画130枚を完成した。
春のカタクリやツクシ、夏のアザミやオミナエシ、 秋のキキョウやヒガンバナ、冬のサンシュユやロウバイなど、 都会では見られなくなった四季おりおりの草木の姿がやさしい色彩であざやかに描かれている。」

東京で開催された折には見ることが出来ず、今こうして三月末までなんばの高島屋で安野光雅さんの描かれた「御所の花」を楽しませてもらった。
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130枚。
御所の四季の草花を描いた絵の内、芒、白梅など少しの種を除いて、ほぼ単独の絵ばかりである。芒は秋と冬に顔を見せていた。梅は春と冬と。
安野光雅さんの描きたい心をくすぐる草花たちはそんなにもたくさんあったのだ。

展示は春から始まる。
わたしは植物に詳しくないので絵を見てタイトルを見て「ああ、ああ」とうなずくばかりだった。絵はいずれも優しい筆致の水彩画である。
以前にNHKの絵画教室番組で、安野光雅さんは森を描くときは緑だけではなく薄い黒を使うように、とTVを通じて指導されていた。
絵を描くことのないわたしだが、そのことだけは覚えている。
緑に緑を重ねるだけでなく、黒を使うことでいよいよ緑は増すのだ。
しかし今回はそうしたテクニックは見受けられなかった。
黒を使うのは遠景だった。今回の草花は近景作品ばかりである。
間近で写生したものに淡彩を施す。
そんな風な安野光雅さんの後姿を想像する。

繊細な花の絵。輪郭線はなく、付け立のような感じで描いているものが多い。

豪奢な花ではなく、つつましく咲いた優しい草花。
それが御所にあることを知ったのも喜びだった。
植物学者として名高い昭和天皇は、あるとき皇室番組で「シダ」と「コケ」が取り違えられて放映されたのを、侍従長を通じて訂正を求められたそうだ。
わたしはシダに個人名をつけて可愛がるので、とてもその逸話に喜んだ。
(シダオ・シダキチ・シダスケ・シダル・シダエ・シダミ…)

それにしても春の花のなんという種類の多さよ。
わたしが知る数があまりに少ないというのもあるが、本当に日本の里山と言うものは豊かなのだった。
もう失われつつある里山の草花。それを御所で見るのだ。

絵を依頼したのは天皇・皇后陛下お二人らしい。
武蔵野の里山を大事に守ってこられたのを知る。
そのお心根の優しさを、安野光雅さんの絵を通じて感じる。

わたしは自分の好きな花に遭うと喜ぶ。
知らない花を見ると興味深く眺める。
ニガテな花というものもある。
しかし安野光雅さんの手によるそれらは、決していやなものではなかった。

豪奢な花や洋花はなく、可憐な、そして古くから日本に自生する草花が描かれている。
唯一華やかな装いを見せるのは、薔薇の「プリンセス・ミチコ」だったか。
しかしこれも艶麗豪華というのではなく、抑制のきいた慎ましさを見せる、可愛らしい花だった。

五月頃の水辺に咲く花といえば、花菖蒲・カキツバタ・あやめである。
英語ではみんな一括してアイリスだったか。
わたしはどうも英語の感性と同じで、花菖蒲もカキツバタもあやめも区別がついていない。
不勉強なのがこのあたりに出てくる。
安野光雅さんはその三種を描き分ける。
近いところに並ぶから、ようやくわたしにも「これとそれとあれは違うのか」と気づく。
可愛いなあ。
それにしても何故、光琳の昔から描かれるのは花菖蒲なのだろう。
「菖蒲」に「尚武」と「勝負」とを掛けているから、それだけなのだろうか。
そういえばあやめは「黒白」とも書いたはず。
「いずれあやめかカキツバタ」という言葉もある。
そうそう、カキツバタも「杜若」「燕子花」と書くことがある。

そんなことを考えるのも、ゆったりした気分で絵を見ているからだった。

多くの花の内、わたしはことに「椿」が好きだ。それから紫陽花も。
基本的に木花が好きなのだ。
草花にも目を向けたいが、わたしは背が高く、なかなかしゃがんで花を見る、ということをしない。木の花だと見上げたり、同じ視線で見ることが出来るので好きなのかもしれない。
草花を愛でるにはある種の忍耐が必要ではないだろうか。
その忍耐はつらいものではなく、心のゆとり・心の広さがあってこその忍耐で、その動きが忍耐を生み出すのだ。

安野光雅さんはじぃっ とあの目で描く対象になる草花をみつめ、視神経から送られた電波が脳に到着した後に末端神経に情報が送られ、指が花を描くのをも、じぃっ と見守られているのではないか。
眼と指の鋭さは優しさに包まれている。そんな気がする。

四季は緩やかに移り、いつしか多くの植物には眠りの季節となる冬が来る。
しかし冬の最中であっても、小さな草花たちは小さく身をかがめながらも活きている。
安野光雅さんの目はそれを見出す。

花の名前と、その外観とが合致しないわたしだが、この作品群を見ていて、いくつかは覚えることが出来たように思う。
3/30まで、なんば高島屋。
 

世紀の日本画 後期

日本美術院再興100年「世紀の日本画」後期展示をみた。
前期もよかったが、後期もまたいいものがたくさん出ていた。やっぱり近代日本画というものは素晴らしい。
早速後期の感想もあげてゆく。
あくまでもわたしの私見なので好きなことしか書かない。

第一章 名作で辿る日本美術院の歩み

芳崖 悲母観音 これもよく見ているが、こうした場で見ると新しい発見があり、それが嬉しい。
たとえば何かというと、観音の持つ浄瓶から垂れる水が珠となり、まるでヒマラヤ上空から幼子にかけているように見えるのだ。
これまでそんなこと考えたこともなかった。
嬉しい発見だった。

雅邦 龍虎図屏風 ふふふ。左の虎たちの目が青色で手が可愛い。右の龍はおとなしい。数年前、この絵の所蔵先の静嘉堂で絵を使ったテレホンカードをいただき、今も手元にある。

春草 四季山水 巻き換えで秋から冬が出ていた。柴を負う牛と人が橋をゆく。山中の紅葉があちらこちらに散っている。
日本の里山の静かな優しさ。

大観 無我 これは東博の「無我」。大学の頃この絵を初めて画集か切手かでみたとき、思わず笑ってしまった。
なんというか、やっぱりあの当時はこういう絵はおかしくて仕方なかったのだと思う。今は笑うこともないが。
そんなことを懐かしく思いながら絵を見た。
大観はほかにも何点か描いていたはず。

大観 屈原 厳島神社展でも見ているが、今回初めて気づいたことがある。
屈原の手にあるのは蘭の仲間のケイだと思う。草冠に恵のケイ。
一瞬水仙かと思ったが、それは「たけくらべ」の美登里さんだと思い直し、やはりケイだと確信した。
淵に沈む屈原が水辺の花を手にする、そのことを想う。(ケイがそこにあるのかどうかは知らないが)
そしてこの屈原はメガネを外した森繁久弥に似ていた。
そんな二つのことを気づいたのだった。
それに目つきの悪い小さな鳥が二羽飛ぶのもいい。

青邨 都八題 展示換え。四条大橋をゆく人々、人力車があるのが制作年1916年のリアルタイムなのを感じさせる。
霧にけぶる愛宕山神社遠景、おごそかな良さがある。
三十三間堂へ集まり来る人々、大原女や舞妓さんらもいる。そして先斗町の床。ああ、楽しそう。
こんな絵を見ると、百年前の風景にも関わらず、京都へ行きたくなる。絵の力というものはえらいものです。

土牛 門 姫路城の「ろ」の門を描く。シンプルな景色の一部を切り取る。絵の枠の外に姫路城が広がるのを感じる。

遊亀 コーちゃんの休日 1960年の越路吹雪。赤地に大胆な配色。絵が大胆なたけでなく、越路吹雪という人の大胆な魅力がそんな色彩を画家に要求させたのかもしれない。
白地に緑線の入る浴衣でのんびりと長いイスに寝そべる。

第二章 院展再興の時代 大正期の名作

武山 小春 ひまわり、柿、ケイトウ。薄オレンジ地に色が乗る。細い竹が雨のよう。ルリカケスもいた。

靫彦 御産の祷 明王に祈祷しながら御産に臨む人々。白衣の女たち。中宮彰子の御産。カラフルな画面。白とオレンジの炎が人々を彩る。

青邨 湯治場 三幅。伊香保の昼、屋根瓦が並ぶ湯町。
修善寺の朝、囲いのある露天風呂に入る女たち。
草津の夕、江戸時代をフルカラーで描く。
見ているとご年輩の夫婦が来られて「天然色だね」と言われた。そうか、天然色。いい言葉だった。

未醒 山幸彦 洋画。木のそばに佇む山幸彦と退治する豊玉姫と侍女たち。山幸彦は古代の刀を杖につき、彼を見つめる三人の女は悉くきれいだった。牡丹も咲く海底。
全体に靄がかかったようなのは絵の劣化ではなく、海底なので一枚空気の層が出来ているからかもしれない。

倉田白羊 六月 洋画。古い家と犬のような牛がいる風景。1919年のある日どこかで。

平櫛田中 禾山笑 1914年リアルタイムにいた人をモデルに彫る。

藤井浩佑 背を拭く女 彫刻 立ちながら腰を拭く。リアルな造形。

第三章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ

靫彦 項羽 もう最後の「覇王別姫」のところ。縦長の絵。覇王たる項羽は赤の飾りもののある金ぴかの鎧に身を包んだ偉丈夫だが、迫りくる破滅を思い目元に憂いをにじませる。その逞しい体にすがりついて泣く虞美人。髪飾りは美麗な金透かし。とても細い体からは儚さしか感じない。ただただせつない二人の最後の別れ。

青邨 知盛幻生 青邨の絵に強く挽かれた最初は、この絵を見たからだった。平家の怨霊としての新中納言と家来たちが、大物の浦から船出しようとする義経一行の前に現れる。いずれも波の上に現れ、一方向をじっ と見据える。完全に亡者の目つき。86歳の青邨の力業。

渓仙 許栖岩(列仙のうち) 仙境にいる龍の馬と仲良くする様子。だいたい渓仙と言えば淀の水車ばかり見ているから、たまに仙人の絵を見ると、とても印象が深くなる。
横浜美術館での「大観と仲間たち」でも渓仙の仙女の図は魅力的だった。

寛方 涅槃 元々インド風な絵をよく描く寛方だが、この絵はアジャンター遺跡やシギリアの壁画などを学んだ成果が出ている。1923年。インドブームがまだ続いていた頃。青衣の人々。白衣のブッダ。花が落ちる。ふと見れば籠に花を盛ったのを持つ人もいる。散華である。

太田聴雨 二河白道を描く 1948年、戦後すぐに日本画滅亡論があり、従来の「近代日本画」が批判の矢面に立たされていたその頃、聴雨はあえてこの絵を描き、自身の位置と意図と意志とを鮮明にしたのだ。
細い道を行くのは幼子。その絵を描く画家がこちらを向いている。

鎌倉秀雄 追想王妃の谷 1981年 妃を刻んだ棺の前に佇む、その棺の似顔によく似た女と、屈んで控える侍女と。
女は顔を上げ、屈む女は手にロータスを持つ。
その横顔は「王家の紋章」の下エジプトの女王アイシスによく似ていた。
1981年、「王家の紋章」は連載をとうに開始しており、2014年現在、今も連載は終了することはない。

月岡榮貴 やまたのおろち 1981年 埴輪色のスサノオ。怖い顔である。鵜のような鳥が日輪の周りを飛ぶ。やまたのおろちは既におぼろな影に紛れている。

伊藤髟耳 空点 1982年 平等院の雲中供養仏たちが舞うような情景。古様さがにじむ。

第四章 花。鳥。そして命をみつめて

古径 孔雀 爽やかグリーンの孔雀。永青文庫蔵。どのように当時は飾られたのだろう。

青邨 芥子図屏風 琳派のような構成。上下二つにきちんと分かれる。上は金屏風、下に芥子が咲き乱れる風景。
赤い芥子、少し崩れる。白い芥子には静かな狂気が潜んでいるような気がした。
とても印象的な作品。

青樹 虫魚画巻 巻き換え。金魚池と窓に張り付くカエルちゃん。ガもいたし、ウナギらしきのもいる。蜘蛛の巣がある。
この絵は9Mらしいが、横須賀美術館には5Mの親戚のような絵があり、そちらの方が蜘蛛の巣は面白い。
近日中にその感想も挙げたいと思う。

田渕俊夫 流転 四季のススキが描かれている。四季により表情を変える。非常に面白い。

第五章 風景の中で

紫紅 熱国之巻(熱国之夕) あああ、素晴らしいオレンジ。何故この絵を発表した当時、パトロンの原三溪は厳しい評価を与えたのだろう。1914年、百年後の今ではとても愛される名画になっている。インドのどこかの海村。
のこのこと現れる山羊たち、飛んで行くオウムたち、椰子の木も揺れ、金砂子の風に舞う。市の立つ場にはゾウに乗った人々もいる。働くゾウさん。丸々して大きくて、耳がやや小振りなアジアゾウ。可愛いなあ。細い山羊たちはゾウさんに比べるとオモチャのようで面白い。よくみたら馬もいる。
時間が経つにつれオレンジ色の夕日は薄れ、井戸の周りの山羊たちも向こうには行かず、やがて左端から一頭のゾウがのしのしと歩いてくるところで夕方も終わりになる。
大きな叙情を感じる絵巻なのだった。

御舟 比叡山 本人曰く「群青中毒」の頃の一枚。確かに凄まじい。

近藤浩一路 十三夜 星が出ている。八坂の塔、そのあたり。舞妓も歩く。薄墨の時刻。電柱がまたなんとも風情がある。いい時代の京都。

岩橋永遠 道産子追憶之巻 これはもう日本一長い現代日本画だと思う。とにかくいろんなシーンが続く。
雪の中、熊の親子、森のフクロウ、やがて夕焼けの中を群れて飛ぶ赤トンボ・・・
その赤トンボで、わたしはこの絵を見ていたことを思い出した。
所蔵先の北海道立近代美術館か、もしくは奈良そごうでか。懐かしい大作。

塩出英雄 五浦 近年の天心と大観らの展覧会でも見た絵。鳥瞰図を近景にしたようで面白い。みんなの家があちこちに点在する。絵としていいとかどうとかより、なによりも楽しいのだ。

川瀬麿士 草原 下北半島の馬たちを描く。グレーの世界。1991年。わたしは下北半島の馬を1992年に見ている。そのときのことを思い出した。あれは真昼だったのだが。

小田野尚之 くつおと 1996年 廃止された博物館動物園前駅のその駅中を上りくる人々。これはもぉホラーですがな~こわい。

第六章 幻想の世界

守屋多々志 無明 1984年 大胆な構成。分割された空間。色彩で分かれる。無明と言えど月が昇っている。
その月と同じ位置に、階段を行く尼僧一人。白椿の林。紫色と薄墨と。悟りきれない尼僧の心を「無明」というのか。
非常に深いものを感じる絵。闇の中の心。

あまりにこの絵の印象が強すぎて、ほかの絵が飛んでしまった。

第七章 人のすがた

恒富 茶々殿 絞りと辻が花とを取り合わせた小袖をまとう。ぼんじゃりした風情というものがある。
少し若い頃の玉三郎を思い出した。

中村貞以 シャム猫と青衣の女 シックな青色の着物を北女がシャム猫をだっこしてくつろぐ姿。
この絵は奈良そごうの貞以展でみたのが最初。日本芸術院所蔵。いい絵。色がなによりいい。

映月 女人卍 出雲阿国・細川ガラシャ・淀殿・加賀千代女・樋口一葉の五人の女。
映月の好きな女たちで構成された絵。

平山郁夫 日本美術院血脈図 天心はじめとしたマン・マウンテン図。

森田曠平 京へ 大原女たち。好きな絵。頭上に掲げた柴には桜や山吹も刺されている。先頭を行く幼い娘は椿を。
時空間をこえてやってくる女たちの図。

手塚雄二 市民 1991年 西洋美術館の「カレーの市民」群像を雨の中でみた、という画家の恐ろしいような絵だった。

非常にいいものをたくさんみた。
過去から現在へつながるもの。
未来も確かに生きているだろう。
日本画はやはり素晴らしい。

4/1まで。

江戸の食文化

だいたいが生まれついての「イヤシ」である。
「イヤシ」とは「癒し」=ヒーリングのソレとは違う。
標準語では「食いしん坊」くらいの意味になるが、そこにまた少々ヤヤコシイようなニュアンスが加わる。
要するに、おいしいものに執着するだけでなく、食べること自体に積極的で、深入りしやすく、何より食い意地が張っている、そんな意味合いの言葉だといっていい。

大阪は「なにわ」の昔からそんな「イヤシ」の人間が多い。
ただし、この「イヤシ」と言う言葉をほめ言葉のつもりで使うと、それこそ「えらいこと」=なんぎなこと・とんでもないこと、になる。
仲良しの同輩同士で「ジブン(あんた~おまえの中間くらいの呼び方で、<親しい>同輩もしくは下位のものへの呼びかけ方の一つ)、イヤシやな」と言うのはよろしいが、親しくない人や目上の人などに向かって「アナタサマはイヤシなのですね」などと言おうものなら、もぉ明日からアナタの席はなくなる。
明るい軽侮・揶揄がそこに含まれ、しかもそれはニュアンスの通じるもの同士でないと決して使うてはならぬ言葉でもある。

だから自分で(この場合の自分とはまさに本人=わたし自身の意味である)、「ちょっとイヤシで」と言うのは謙遜+ある種の自慢+愛嬌の交じり合った宣言なのである。

延々と何を言うかと言えば、このたび石神井公園ふるさと文化館での「江戸の食文化」展を見に行って、本や絵や作り物の(要するに実物ではない)食べ物を見て、ヨダレたーらたらになった自分を「ああ、ウチはホンマにイヤシやな~~!!」と改めて強く実感したからである。
この展覧会は「江戸の」「食文化」と銘打たれているが、「江戸時代の」ではなく、「お江戸の町の」「食文化」展だから、<ぜーろく>=贅六たるわたしが見に行って、ヨダレたらしておるのは、本当のところどうなのだろう、とちょっと反省もしている。
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江戸時代の、まさにお江戸の食生活についてのなんだかんだを集めた展覧会で、以前に味の素の資料室でも2010年に「錦絵に見るパロディーと食」といったこんな展示を見たり、深川江戸資料館の常設展示で稲荷の屋台やてんぷらの屋台を見てきたとはいえ、やっぱりこの展覧会は面白いものだった。
行った日には随分多くのお客さんも来ていて、皆さんやっぱりヨダレをたらしそうなお顔で見て歩いていた。

江戸時代の料理・食生活については、細かいこと・詳しいことはそれこそ江戸料理研究家の永山さんの著作辺りに詳しいし、小説家の池波正太郎の「仕掛人梅安」「剣客商売」「鬼平犯科帳」などで学ぶのもよろしかろう。
今はまた「みおつくし」という江戸料理小説もあるか。
上方は歴史が古いのとイヤシの人間が多かったのとで、大昔から料理法に血道をあげて、おいしいものを発見・発明し、それを惜しみなく輸出していった。
輸出先の一つにお江戸がある。
「上方くだり」の酒や調味料がお江戸にも行き渡り、そこから新たな工夫も生まれ、土地に合う味付けや調理法が開発されていった。
この展覧会は、そうした時代から明治初期までのおいしいものばかりをチョイスした内容で構成されている。

最初に寿司の屋台が出ている。これは半田市にルーツをもつ酢メーカー「ミツカン」の所蔵品。お寿司の模型もあるが、それがまたとびきりおいしそうに出来てやがる。
このお寿司は今で言う「握り寿司」で、アナゴ、コハダ、白魚、海老、赤貝、タイ、イカなどで、ちょっと一回りほど大きい。模型だから誇張と言うのではなく、この頃のお寿司は今より一回りご飯が多かったそうだ。
ああ~~おいしそう。ナマザカナではなく酢で締めたのが当時の拵え方だったとか。
化政期の話。それまでは押し寿司、その以前は熟れ寿司。
見てるだけでヨダレが湧いてくる~~

実はこの展示を見る前に、館内のうどん屋さん「エン座」で武蔵野に根付くうどん文化を体験したのだった。
わたしは蕎麦はダメだが、うどんは本当は毎日でも食べていたいと思っている。
それも今流行の讃岐系ではなく、昔ながらの大阪のうどんがいい。それやつるつるの稲庭うどんもいい。ただしダシはあくまでも昆布だしでないといやや。
まぁそれはともかく、ここでいただいたうどんは硬いコシのある麺でズルズル食べることになったが、おいしかったなあ。地元の人気なのも納得した。
こういうので大満足・大満腹になったから、展示見ててもヨダレたらたらくらいですんだのである。
もし空腹のまま展示を見てたら、噛み付いてた可能性もナキニシモアラズ。ああ、おいしそう。

模型といえば、深川からは八百屋に並ぶ野菜模型が来ていた。
練馬大根などは今でも知られているが、砂村大根、砂村南瓜、砂村茄子、滝野川人参、滝野川牛蒡などは初めて知った。
砂村は現在の砂町で、「砂町銀座」の商店街は都下有数の繁盛する商店街。
砂村といえばこんなにたくさん野菜が出来るくらいの農地を抱えるくらいだから、まぁ当時は人の姿も少なかったろう。
芝居の「四谷怪談」にも「砂村隠坊堀」が出てくる。本当にそんな地名があったかどうか前は覚えていたが、今は忘れている。深川三角屋敷はあったから、隠坊堀もあったろう。

そういえば「御宿かわせみ」では江戸川や荒川の向こう、どうかすると行徳の辺りから野菜の行商の船が来ていて、丸々肥った野菜が安くて、「かわせみ」の女中頭お吉が喜んで購入していた。その船ではついでに農家のおかみさんが拵えたあんころ餅や紫蘇餅も販売していたが、幕末だとそんなものもあったろうね。

江戸の八百屋といえばすぐに「八百屋お七」を思い出すが、わたしはもう一つ横山光輝のマンガを思い出す。忍者の中でも特に極秘任務の「草」たる夫婦が八百屋を営んでいたという設定の作品があった。ちょっと今はタイトルが思い出せないが、江戸の八百屋か~と子供心に興味を持ったのだった。

その八百屋から出発して料亭として名を成したのが「八百善」である。
ここには八百善の立版古(江戸では組み立て絵と言うた)が展示されていた。
いや~素晴らしい。料亭文化については浮世絵の美人画とタイアップしたものも見てきたが、こういうおもちゃ絵にもなるところが見事。
現在、八百善は鎌倉に移転している。鎌倉は歌舞伎では江戸に見立てられた土地なので、決してその場に移転したことをおかしいとはおもわない。
それに明治初期の東京下町に生まれ育った鏑木清方も東京を捨てて、鎌倉住まいを愉しんだ。そのことから考えても、やっぱり鎌倉へ転居したのはむしろ正しい気がする。

柴田錬三郎の「御家人斬九郎」はTVドラマにもなり、主人公の松平斬九郎を渡辺謙が、母の麻佐女を岸田今日子が演じていたが、この母上が大グルメで、原作では八百善の料理にもいちいち口を出していた。実においしそうだったなあ。

四世鶴屋南北いわゆる大南北の人気作「櫻姫東文章」終盤に、櫻姫と同棲する、もとは忍ぶの惣太といった武士で、途中「折助」にもなった悪者の権助が、いまや借家を持つ大家さんとして近所の講のつきあいに呼ばれる。
八百善の仕出しだと聞いた権助は将にヨダレを垂らさんばかりにホイホイと出かけてゆく。
やがて権助はご馳走を食べ、酒も楽しく飲んでへべれけで帰宅して、実名の忍ぶの惣太のときに犯した犯罪を口走り、櫻姫に討たれてしまう。
悪い男だが、櫻姫とは案外仲良く暮らしていたので可哀想に思うのだが、まぁ八百善のおごっつぉをたらふく食べて、散々飲んでええ気持ちのところでコロされるのだから、それはそれでまぁちょっとばかり可哀想さが薄れるのであった。

南北は作中に実際のお店や商品名を入れたりするのが得意な作家だった。
権助が喜んでコロコンデ出かけるのも「八百善」だからだというのは、リアルな実感があったろう。
わたしだって△△や○○の仕出しだと聞けば、ホクホクしながら出かけるのは間違いない。

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江戸は長屋が多く、食生活も現代の中華系の人々のように、外食が多かった。
屋台がたくさん出ていたので、みんな喜んでいたのだ。
シンガポール、マカオ、台湾、香港、上海、そのあたりに出かけた人なら、わたしの意見に納得してくれるだろう。屋台で安価においしいものがすぐに食べられるのだ。
タイは行ってないが、こっちもそうだと聞くし、ベトナムもよかったなあ。
屋台はアジアの食文化の特徴だといっていいと思う。どこのもたいていおいしい。

幕末の「守貞謾稿」にも当然ながら屋台の紹介がある。
そば、すし、いなり、てんぷら・・・
当初はお江戸もうどん文化圏だったことを知る。武蔵野にうどん文化が残る理由もこの展示から教わった。そうやったんか~~~
やがて江戸市中では蕎麦が大人気になり、うどんは輪の外で残る。

芝居で蕎麦屋といえば浦里にひそかに会いに行く時次郎が蕎麦をかっこよくすするシーンがある。かっこよさを際立たせるために、その直前に岡っ引きたちがずるずると食べるシーンを出す。
皆さんそれにソソラレて蕎麦を食べるわけだが、わたしなんぞは岡っ引きたちの食べっぷりにゾワゾワして「ああ、早よ大阪帰ってうどん食べたろ」と思うばかりだった。

落語ではもちろん「時蕎麦」がある。小説では「御宿かわせみ」の深川・長寿庵のそばが高名。わたしは蕎麦は食べないのでこれ以上は知らない。
あ、井上ひさしの戯曲「薮原検校」のラストに蕎麦が痛切な使われ方をしていた。
こればかりは説明するのが痛々しい。

てんぷらの屋台やそれらを描いた本もある。
お江戸のてんぷらはごま油を使う。わたしは完全にそれがダメで、サラダ油でないといや。
だいぶ前に浅草橋から屋形船に乗って隅田川を遊んだが、揚げたてのてんぷらを食べたものの、全部ごま油で、しかもてんつゆに生姜を大量に摩り下ろしたものが入っていて、わたしはアウト。生姜も好きだが、この取り合わせは絶対に受け入れられない。
それはやはりわたしが関西人だからだ。
今思い出しても胸焼けする。しかし船のお兄さんたちは皆さん親切で、苦しむわたしを介抱してくれた。あのときはありがとうございました。
最近は東京でもサラダ油や綿実油を使うてんぷら屋が出てきたのでたいへん助かる。

蒲焼。嘉永五年の江戸前蒲焼番付が出ていた。
関西風と関東風のうなぎの調理法の違いは大きい。
関西住まいだから普段は関西風だが、関東や信州に行くと、関東風の蒲焼を「むまいむまい」と食べてしまう。名古屋に行ったら「ひつまぶし」を食べてやっぱり「むまいむまい」
・・・要するにうなぎは美味いのだ。がんばって月一回くらいは食べれる身分になりたいものよの~~

蒲焼の調理法の変遷については、池波正太郎「剣客商売」に詳しい。それにしても番付を見ると、現在も続く店がいくつかあって、思い出すだけでヨダレが湧いてくる。

近年、母がとうとう「うなぎもてんぷらもおでんも食べたくないし作りたくないから、あんた、食べたいなら外で食べて」ということになり、キッチン権を持たないわたしは東京ハイカイ中に、喜んでうなぎにてんぷらにおでんを食べているのだった。
料理自慢で手作りにこだわる母と暮らすと、普段はなかなか外食が出来ないので、東京でしかこれらを食べることが出来ない。
人と会食するのも昼に決めているので、わたしの食生活と言うのはある意味幅がせまいのであった。

いろんな看板があった。看板は蕎麦に味噌に酢に海苔に餅など。国文学研究資料館から出てきたものたち。わたしは2006年に旧東海道の道沿いにある、昔の看板ばかり集めた看板ミュージアムに行ったが、ここにある展示品のお仲間がたくさんあった。平日だけの開館だが、今も元気な展示をされているのだろうか。
その看板を錦絵にしたものが明治18年に出ている。小林永濯の絵。江戸時代から同じ看板もあれば、明治らしいものもある。牛乳、西洋料理、パン、めりやすなどがそう。
とても面白かった。

グルメガイドブックもある。いいねえ。それで思い出したが、白石次郎「十時半睡」事件簿シリーズの中で「包丁ざむらい」という一篇があった。
グルメで腕も確かな侍が新しい上司と衝突し、長崎奉行として飛ばされるのを、黒田藩の総目付けである半睡老人が慰労しようとすると、その侍は卓袱料理の楽しみについて熱意を持って語り、帰藩の折には必ずやご老体をうならせる美味な料理を、と言うのだった。
あのシリーズは原作もよし・TVドラマになったときの島田正吾がまた特によしで、忘れられない名作となった。
「包丁侍」とはうまいタイトルだと思っている。
(関係ないが「猫侍」もおもしろかったな)

江戸の人は相撲番付と同じ様式で他のものにもランキング付けをするのが大好きだった。
わたしもそうした資料を見るのがとても楽しくて、熱心に眺めた。
扇屋のたまご焼き、笹の雪のとうふ、山本山の海苔・・・
いいなあ~字面を見ているだけでわくわくしてくる。

ああ、実においしそうな展覧会だった。
なお、無料スペースではモースのグルメ日記のようなものがパネル展示されていた。
モースも日本が好きになって、食生活もスライドしたらしい。

明日までの会期。

三井家のおひなさま /宴のうつわ

毎年恒例の三井家のおひなさまの展示を見に行った。
おひなさまだけでなく、「宴のうつわ」も共に並んでいる。

三井家の夫人たちの大切なおひなさまとお道具。
見ているだけで往事の華やかさがしのばれる。

ひな道具の数々が楽しい。
三味線のバチもちゃんと象牙だ。
吉野山蒔絵三棚は象彦の製品。
丸平こと大木平蔵四代目、五代目の仕事もある。
特に衣裳人形が優美に見える。
豊国祭り、花籠人形などなど。

象彦、丸平は京の職人だが、お江戸の次郎左衛門雛もある。こんもり小さく丸いお顔も可愛い。
二代永徳斎の雛人形とその眷属もいる。
なんと五人囃子と五人楽人がいるので、能楽と雅楽とが共に楽しめるのだった。

御所人形も可愛いのが揃う。
宝車牛引き、タイ曳き、汐汲み、恵比寿、宝袋曳きなどなど。きちんと着物を着たものもあれば、白い丸い肌に小さなちゃんちゃんこのようなものをまとっただけのようなものもいる。恵比寿は大黒のお面を持ってもいる。

昭和初期の五月人形もある。
いずれも昭和二年の五代目丸平の仕事。
三井高實のためのお人形。
飾り馬、海軍将官、金太郎と子犬、金太郎とウサギ。
白馬をきらびやかに装ったもの、碇と桜のマークの軍帽をかむる人形(どこか石原莞爾に似ている)、楽しそうに斑犬と遊ぶ、ウサギに桃をやらんぞな様子などなど。

昭和七年の市松人形「つぼみ」さんは五代目大木平蔵と人形作家で人間国宝の平田郷陽のコラボだった。
平田の人形が丸平に納められ、五代目が着物を着付けたそうだ。

昭和八年の五月人形は三井高宣のためのもの。
御所人形が並ぶ。いずれも五代目平蔵。やや小振りな人形たちである。
宇治川先陣、木馬曳き、御輿、大名行列。
佐々木と梶原、若様と馬丁、わいわい21人もの御神輿。
しかしなにより目を引くのは大名行列である。なんと小さい人形が58人もいてる。紋はもちろん三井家の物。
士農工商の大商人・三井家を大名に見立ててのこと。
いずれも2.5等身で貯金箱の人形くらい。
ホラ貝やゲーベル銃のミニチュアまであった。

最後に「宴のうつわ」がある。
宋、明、江戸時代、デルフト窯などなど様々な時代のものが並んでいた。

白磁花鳥文皿 宋 定窯 とても綺麗な白。「鳥の子」と呼ばれる。先般東洋陶磁美術館で定窯の白を見てから縁がつながったか、わりとあちこちで定窯の名品をみる。

呉須赤絵写花鳥文鉢 永楽保全 慎ましく愛らしい。

銹絵絵替長方皿 尾形乾山 シブすぎる。わたしはもっと華やかなのが好きだ。

色絵布目団扇形食籠 永楽和全 更紗を思わせるような味わいがある。花鳥柄。
こういうものが好きだnec804.jpg


紀州御庭焼袋形蓋物 淡緑色、なんと綺麗な淡緑色。びっくりした。こんな淡くて綺麗な緑色は初めて見た。ペパーミントに近い色。

朱塗鶴亀鹿蒔絵大三重盃 下絵:円山応挙 鶴は鶴、亀は亀、鹿は鹿の親子の絵。楽しいなあ。ファミリー皿とでもいうべきかな。

こういうのを楽しく見て、機嫌よく美術館を後にした。
4/6まで。

明石・中崎公会堂と人丸花壇

大嵐の中、明石の中崎公会堂と、その近所の料理旅館・人丸花壇に出かけた。

何しろ春の大嵐なので観光と言うものがほとんどできない。
本当なら人丸花壇の後に魚の棚(ウォンタナ)商店街をぶらぶらして、たまごやきを食べたり、穴子の押しずし、蛸のなんか、それから銘菓「子午線」を購入して帰るところなのだが、傘がへし折れるような風の中、むりむりむり。
とりあえず本日の目的たる二つに出かけれたことだけでもえらいものよの。

外観の写真はそういうわけで少ないです。
まず中崎公会堂。IMGP2235_20140314124810248.jpg
堂々たる和風建築。加護谷さんの設計。近代和風の匠。時代の要求に沿うている。

玄関。IMGP2234_20140314124808337.jpg

額が掲げられている。IMGP2236_20140314124811020.jpg


大広間に入る。純然たる和風に見せつつ、発想は和洋折衷。
折り上げ格天井IMGP2237_20140314124813515.jpg

しかも二重の折り上げ。IMGP2244_201403141258093fa.jpg


シャンデリアをつけていたはず。IMGP2238_20140314124922ceb.jpg

花頭窓のある床の間IMGP2240_20140314124924c56.jpg

立派也。IMGP2248_201403141258151fb.jpg

中には障子。IMGP2249_20140314125834f28.jpg

廊下への引き戸。IMGP2245_20140314125810442.jpg

見事です。IMGP2247_201403141258134ab.jpg

天井はそう高くはないが。IMGP2246_201403141258121eb.jpg

ここにはオープン記念で夏目漱石が講演会に来ている。「道楽と職業」
この下に千人の聴衆。IMGP2250_2014031412583559d.jpg

釘隠しIMGP2251_20140314125837f55.jpg

棚が素敵。IMGP2252_201403141258388c9.jpg

獅子像が妙に可愛い。IMGP2253_20140314125840498.jpg

それにしてもこの空間、内側は丸柱、外側は角柱ときちんと領域が分けられている。
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欄間が可愛い。IMGP2260.jpg


廊下の様子。IMGP2241_2014031412492555e.jpg

すごい。IMGP2243_20140314124928546.jpg

鋳造された照明。IMGP2242_20140314124926a04.jpg

勾欄がある。IMGP2254.jpg

和室への道IMGP2255.jpg

天井が素敵だ。IMGP2258.jpg

純粋に扉だけみる。IMGP2257.jpg
モダンなデザイン。

廊下から見た蛙股IMGP2259.jpg

和室の欄間。明石をデザインしたのだろうか。
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逆から見る。
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天井には桜材か。IMGP2263.jpg

それにしてもよく降る。IMGP2266.jpg

太湖石がある庭。IMGP2267.jpg

明石の儒学を想う。IMGP2268.jpg

玄関回りIMGP2269.jpg

淀川邸にも似ている。IMGP2270.jpg

人丸花壇から見た中崎公会堂。IMGP2276.jpg

嵐の中、さすがに近いから車も頼めないぞ、と皆さんを押しながら人丸花壇へ向かう。


中崎公会堂前から人丸花壇をみる。IMGP2233_20140314124807793.jpg

玄関回り。IMGP2271.jpg

水琴窟もある。IMGP2272.jpg

通された室内の襖。IMGP2273.jpg

前菜にはヨモギ麩など。鯛のお造りも。IMGP2275.jpg

本当、おいしくて。IMGP2274.jpg

明石らしい食材がいろいろBik0q5ICYAAly7k.jpg

通し揚げてんぷらBik2-xZCcAEgWPo.jpg

デザートはグレープフルーツゼリーBilCoHUCIAAA4Zq.jpg

温泉にもつかりました。
ええお湯で、湯があふれる口が龍などではなく、さずは明石で蛸壺。笑えたなあ。
ここでは露天もあり気持ちいいことこの上ない。

別室へ行く道にはこんなふうなタイなどの魚の一旦休憩するプールも。
えーと…掬い上げてまうのです。BilR_V9CIAAMmii.jpg

お昼もおいしくいただき、温泉も気持ちよく、そうして大阪へ帰ったのでした。
嵐も大阪に近づくほどやんできて、本当に良かった。

五島美術館所蔵「中国陶磁器」展

五島美術館で所蔵の中国陶磁器展が開催されている。
基本的なやきものと聴けば見に行かずにいられないので、いそいそと出かけた。
出かけた前の週には大阪の東洋陶磁美術館で「定窯」の白磁を愛でてきたが、ここでは戦国時代から清朝中期までのカラフルな名品を主に眺めた。

瓦胎黒漆量/勺 戦国時代 どちらもモダン!先のは大カップで長沙出土。次のは丸くコボッとしたしゃもじスプーン。カレーなどをよそうのに良さそう。
正直な話、今はやりの北欧デザインぽい。かっこいい。2300~2400年ほど前のデザイン。

灰陶加彩雲気文鍾 前漢時代 地獄の炎のよう。これは好きなデザインなのだが、雲気が炎に見えるのが面白い。

灰釉獣耳壺 前漢末~後漢初 胴の釉垂れがゾウさんたちの群れのように見える。

灰釉刻文獣耳壺 後漢時代 へら彫りで怪獣を拵える。神獣への畏怖というより、ファンが喜んで怪獣マーク入れました的な絵。

青磁洗 西晋 これはもう完全にボウル。英語で翻訳してもボウル。納得。

白磁弁口水注 唐時代初 取っ手の上に人首。たぶん小僧。これは可愛げがないというか怖いな。米色に近い。

三彩貼花文鍑 唐時代 三足が獅子足で茶色い。全体は首なしの獅子に見える。
この三彩がペルシャ、渤海、遼に広まったのだが、やがて変容し、法花や交趾にも化していったそうだ。

三彩万年壺 唐時代 上部が丸く張って下へすぼまる形を「万年壺」という。
出光美術館に兄弟がいる。白地に青と緑の細めの線が連なる。なかなか素敵。

緑釉牡丹文鳳首瓶 乾瓦窯 遼時代 濃い濃い緑で首の部分に縊れ線がたくさん。多条痕とでもいうのか、そんな感じ。

白磁蓮弁文水注 定窯 北宋時代 白い。先日見たばかりだから嬉しい。やや青みがかっているから還元焼成かな、と勝手に想像する。それも楽しい。
なお東洋陶磁美術館で見た展覧会の感想はこちら

月白釉水盤 鈞窯 北宋~金時代 確かに色は薄く「月白釉」だと呼ばれるのもわかる。
徽宗末期「花石鋼」で集めた奇岩などを鈞窯の花盆に置いたりしたそうだ。
鈞窯の「天青釉」は濃い色のものを「天藍」淡いものを「月白」というのだ。
「花石鋼」は全土に及び、人民は使役されて、困ったらしい。
なにしろこの後から乱が勃発したりするのだし。
諸星大二郎「諸怪志異」 4巻「燕見鬼」はこの辺りの話を描いている。

黒釉金彩文字天目 南宋時代 金が黒に変わっている。黒に薄い黒で文字がある。「寿山福海」の四文字がある。

白釉鉄絵草花文四耳壷 元時代 グレーでピャッピャッピャッと花の絵が入る。花というより花びらで構成された抽象的な花。レトロモダンな文様だった。

青磁有蓋梅瓶 龍泉窯 綺麗なオリーブグリーン。こういうのを「天竜寺青磁」。

鉄絵牡丹文壷(絵高麗) 明時代 絵高麗と呼んでいるが本当は中国のもの。磁州のもの。ゴシックな絵柄。

青花樹鳥図大壷 景徳鎮窯 明代 柳に止まる鳥たち。

五彩牡丹文瓶(古赤絵) 景徳鎮窯 明時代 四種の花が描かれている。万暦以前の民窯の赤絵。牡丹はどこにあるかわからないが、椿が可愛い。
こうした絵を見ていると晩年の岸田劉生の日本画を思い出す。劉生の絵に古赤絵の趣が活きているというべきか。
形は愛らしい玉壷春。

青花蜜柑形水指(祥瑞) 景徳鎮窯 明時代 形は蜜柑、絵柄は木に登る猿たち。

青花花鳥捻文鉢(祥瑞) 景徳鎮窯 明時代 藤田家伝来。色がとても綺麗。

五彩龍文四方水指(南京赤絵) 景徳鎮窯 ファンキーな龍が五頭。カメラ目線の奴もいる。まつげが可愛い。見込みは獅子?!鴻池家伝来。

安政二年「形物香合相撲」番付に出てきた香合が五つ出てきた。
三彩石榴合子(交趾石榴香合) 東前頭11枚目。馬の絵。
青磁桃型合子(青磁桃香合) 西前頭筆頭。不昧公から姫路の酒井家へ。
青花蔦文合子(古染付辻堂香合) 大関。
五彩カキ文合子(呉州赤絵四方入角香合) 西前頭10枚目。
白磁牛文合子(白呉州台牛香合) 勧進元。

茶葉末瓶 大清乾隆年製銘 景徳鎮窯 ハンス・コパー風な瓶。

付属で中国の古鏡も展示されている。年月日の記された鏡を中心にしている。
そのなかで「丙午日」がやたらと多いのでびっくりする。
説明によるとその当日の暦を言うのではなく、鋳造したときの吉辰を閉めすためとある。
そうか、中国では「丙午」はめでたい方角なのか。

ほかにも鏡の図柄についても「重列式」「対置式」の違いなども説明があり、そのように並べられていた。
珍しいのは神ではなく仏をモチーフにした鏡のあること。

面白いもの・可愛いもの、とりどり見所の多い展覧会だった。

千少庵没後400年記念 利休とその系譜

今年は千少庵没後400年の節目の年と言うことで、各地で企画展が立てられている。
畠山記念館の「利休とその系譜」後期を見たので少しばかりの感想を挙げる。
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梅図自画賛 宗旦 墨絵で咲いていない梅を描いている。華やかな時期を選ぶのではなく、咲く寸前の硬い時期のものを描く。

黒棗 記三 利休に見出された塗師。ピカリと光る黒棗。お仕覆は日野間道と梅鉢緞子。どちらも似合う。

象牙茶杓 利休 スィーッと滑らか。堺貿易で手に入れたのか。

茶杓 利休 中節茶杓のスタイルは利休から。元祖中節茶杓。当時は銘は付けなかったそうだ。ここにし宗易作とある。

変なことを言うようだが、わたしは利休や芭蕉の直筆を見て初めて、彼らの実在を納得するのだった。

共筒茶杓 津田宗及 重厚でやや持ちにくそうにも思えた。

共筒茶杓 銘「鶴古意」 織田有楽 櫂先がぐいっと。それにしても筒の大きいこと。

黒小棗 本当に小さい。笹鶴緞子が可愛らしい。

茶杓 少庵 これはまたまっすぐな造形。

竹一重切花入 道安 不昧公も所持していたとか。

瓢花入 道安 銘「木兎」 道安 形が面白い。なるほどミミズクか。

黒樂茶碗 銘「曙」 樂一入 黒にひっそりと朱が差しかかっている。それを曙と見立てた。

大樋筒茶碗 銘「ほりかねの井」 大樋長左衛門 ああ、なるほど筒型か。
こういうのも使い勝手がいいかもしれない。

明治から大正期の中村宗哲が拵えた、利休好真塗折敷に、桃山時代の盛阿弥が拵えた真塗懐石碗を組んでいた。いいセンスだなあ。モダンデザインという感じがある。

利休好春慶塗曲中次 色が沈んでいる。人形手緞子がついているが、どう見ても埴輪ダンス。可愛いもんです。ちょっとホームズの人形の暗号にも似てるかも。

真塗茶桶形水指、真塗手桶形水指 どちらも歪みのない完璧な美を見せていた。瑕瑾のない職人の仕事。素晴らしい。
ただ、これは木を加工したもので完全な形・歪みのない美でよいのだが、利休好みのやきものとは違うことは確かだ。
利休は歪みを愛しているところもあるように思う。それがやきものにおいてよく出ていると思う。ヒズミ、と一括りにしてはいけないかもしれないが。

毎年恒例の次郎左衛門雛が飾られていた。背後の屏風は原在明の春秋雛屏風。
丸顔ののほほんとしたお雛様のお顔にこちらもほっとした。

3/16まで。

描かれた風景 絵の中を旅する

静嘉堂文庫美術館は今回の展覧会終了後、改修のため一年半ほどお休みになるそうだ。
ご近所の五島美術館や表参道の根津美術館も長いことお休みした後、現在のような素敵な状況になった。
お休み中ここの素敵なコレクションを見ることは出来ないが、リニューアルオープン後を楽しみに待つしかない。

「描かれた風景 絵の中を旅する」
自分の今いるところから、どこかへ向かう気にさせてくれる展覧会だった。

四条河原遊楽図屏風 久しぶりに見た。
前回2012年の感想はこちら

前々回2008年のはこちら
このとき、修理完成記念として世に出て来たのだ。

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今回も楽しく眺めた。
また色々と新発見もあり楽しい。右1扇の小屋の太夫二人はそれぞれ虎皮・豹皮を椅子の背に敷いている。駕籠かきもたくさんいるが、そのうちの一人、なかなか可愛らしいお兄さん、赤い下帯がほどけていて、おしりがはっきり。これも楽しいw
駕籠の中には母子もいて、子供は人形と猫人形とで遊んでいる。
風流笠もいるが、みんなそれぞれ違う花を飾っている。竹笛を吹く舞人もいる。
見世物ではハリネズミに大女に犬の芸などもあるが、今回目がいったのは左6扇の能舞台だった。なかなかの美少年が舞台に立っているが、客の中にも若くて可愛い美青年がいた。
こういうのをみつける楽しみがあるから、本当に遊楽図は好きだ。

小柄や鐔にも名所図が施されている。
野々宮、宇治の茶摘み、橋合戦などなど。橋合戦の裏には、どうみても投降しながら渡河かるようにしか見えない平家の姿がある。
江戸の人々は今の人よりずっと教養があるから、これらを見て「ああ、あれ」となる。わたしたちも見習わなければならない。

国貞が美人画、広重が風景を担当して五十三次を描いた連作がある。双筆五十三次。
ここではないところでも見ている優品である。
そういえば見にきそびれてしまったのだが、随分前に静嘉堂文庫所蔵浮世絵で国貞展が開催されていた。
所蔵のそもそもは岩崎弥之助からだが、兄の弥太郎は国貞のいた時代に生きていたのだ。
江戸と三菱がつながった気がしたコレクション。56図のうちから後期は14図が出ている。
日本橋、はら、吉原、岡部…石薬師まで。
はら…白酒売り。吉原…富士見西行。岡部…雪が降る。二川…腰元二人のシバキあい。赤坂…三河万歳の二人。
色々見どころがある。

広重 六十余州名所図会 これもいい。解説によると「名所江戸百」の寸前の作らしく、ここでよかったのが江戸百でさらに発展したようだった。
厳島、錦帯橋、和歌之浦、薩摩坊ノ浦双剣石・・・こんな絵を見たらやっぱり旅に出たくなる。

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本でみる名所図会と言えば「都名所図会」。これが出て来るのは当然と言う感じなので、「キタ~♪」。
開いたページには近江八景が出ていた。

広重の八景図が二つ並ぶ。
安政三年の近江八景と翌年の金沢八景。
朝の近江八景。色も濃く、白帆もたくさん見える。
夜の金沢八景。薄い青の夜景。山の位置の面白さがある。

池大雅 富嶽図 富士の何合目か、岩や木がなんやかんかある位置から頂上をみる。「六根精浄」とか言いながら上るか、「慎み敬うて祈願奉る」と言うか。

山口素絢 富士山図 薩多峠あたりからの眺め。「切られお富」だったかな・・・

白鶴園景勝図巻 文政四年 実際にどこの庭園かはわからないそうだが、素敵な大名庭園。梅林に小川などがある。そして無人のその空間にウサギがいた。丸くうずくまるウサギ。なんだか嬉しくなった。

滝和亭 六義園図巻 維新後廃れていたのを岩崎弥太郎が買うて、復興させた。たくさんの松にそれぞれ銘をつけたか、画中に短冊がついている。
わたしは秋のライトアップに行ったが桜のそれはみていない。今度行ってみたい。

酒井抱一 富士山図 シンプルな色、かっこいい。こういうセンスがやっぱりいい。

蜂須賀家に仕えていた蒔絵師・飯塚桃葉の硯箱などもある。この人は重喜公に召抱えられたが、公が若くして失意のうちに隠居してからは、そのお心を慰めようと、さまざまな意匠を凝らした蒔絵作品を拵えたそうだ。

堅田図旧襖絵 今では土佐光茂だと言われているが、二曲一隻・六曲一双に仕立てかえられた一連の堅田図。
農村風景から始まる。牛もいて、すぐそこには琵琶湖が見える。とはいえ浮御堂も見えない。落雁も別にいない。
また堅田といえば居初家が有名だが、その屋敷も見えない。堅田といえば堅田、どこか湖岸の村といえば湖岸の村の風景。

伝・雪舟 西湖図 ロングで小さく特徴ある橋や人を描く。

鈴木芙蓉 那智山大瀑雨景図 寛政十年 これはまた面白い構図で、那智滝に大雨が吹きつけてきて、それがために滝が右側に大きく流れている。こんなの見たこともないし、現実かどうかは知らないが、とても面白い。

田能村竹田 風露真趣図巻 文政六年 京都に居て楽しかった事共を絵日記風に描いている。雀などもそこに描かれ、心の赴くままに楽しいことを書き連ねる。すばらしいなあ。

景徳鎮の青花湯呑がいくつか。中に張継の「楓橋夜泊」(「夜半鐘声」のあれ)の詩をしたためたものがある。
わたしも好きな漢詩。月落烏鳴霜天満 姑蘇城外寒山寺 ・・・

龍泉窯の青磁香炉もある。これはまた貫入が綺麗に入っている。七官手。ああ、薄くて綺麗。

貫名海屋 月ヶ瀬探梅図 天保六年 「笠置隔つること数里」で始まる紀行もの。頼山陽が月ヶ瀬の良さを喧伝してから大人気になった。そこで海屋も行ってみれば「ああ、いい感じ」というのを絵と文で記していったのだ。
こういうのが絵描きで文も堪能なひとの、旅の醍醐味なのだろうと思う。

今尾景年 耶馬溪図屏風 明治28年 実際には行ってないのだが、聞いたり本を読んだりで描いたそうな。
しかし画家の想像力は怖いもので、ものすごく力強い風景として描かれている。 
ここも旅の名人・頼山陽が書いたのだっけ。彼の後、明治に大町桂月が現れたが、本当に幕末の旅名人だと思う。

わたしは耶馬溪は行ったことも見たこともないので、ちょっと出かけてみたいと思っている。

旅へ行きたくなる、浮かれ心をくすぐる展覧会だった。3/16まで。

生誕110年 黒田辰秋の世界 目利きと匠の邂逅

今日までの会期だが、よかったので少しばかり書いておきたい。
横浜そごう「黒田辰秋」展。

黒田の作品は改めてこうして集められて見ると、とても個性的で魅力的だった。
あまりに普通に使われているのを見知っている身としては、却ってその仕事の立派さに瞠目するばかりだった。なにしろ京都のあちこちで今も現役として、その作品が使われていたり、飾られていたりする作家なのだ。
東京国立近代美術館工芸館でも黒田の机などが普通に設置されて、使われている。
特殊な、自己満足的なオブジェを拵える人ではなく、人間の生活に即した道具を拵えた作家なのだ。
それはやはり大正期の「民藝」運動に深く関わったことが大きな要因だと思う。

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黒田の作品はいわゆる「目利き」として世に名を知られた人々に深く愛された。
目利きとして名を知られた人々はまた文筆で黒田の仕事を深く紹介し、強く世に推した。
彼の作品を愛した人々の名を少しばかり挙げてみる。
柳宗悦、河井寛次郎、白洲正子、小林秀雄、川端康成、黒澤明、…
没後何十年経っても、世紀が変わっても、決して忘れられることのない人々が、黒田作品のファンなのだ。
彼らが愛し、手元で鍾愛、または日常に使うた作品が並んでいる。
それから京都の老舗・人気の店で大事に使われている作品も出ている。
ここに展示されていなくとも彼のファンだった目利きの言葉や事績が紹介され、いよいよ後世のわれわれは黒田の作品の愛され方の深さを知る。

実際、そこにある黒田作品はいずれも魅力的だった。
誰それが愛した、という冠がなくとも「ええものはええ」という目で見ると、本当に何十年後も変わらず使い続けることの叶いそうなものばかりである。
趣味・嗜好をこえて、ええものはええ。

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民藝の概念が世に立った後、同人たちは世に隠れる作品を探すようになったが、不思議なことに(あるいは時代の必然か)、彼らの美意識にそぐう様々な作家たちが現れるようになった。
黒田の作品とその人柄は、その同人たちに愛されるようになった。
目利きの人から発注を受けることで技能と心は向上する。
黒田の作品は彼らの厳しい目にさらされることでいよいよ美しく、そして強靭なものになる。

黒田の漆芸に「耀貝」細工のものがある。
これはメキシコ産の煌びやかな貝の螺鈿作品で、ほんの子供の頃から黒田はその美に執着した。
憑りつかれた、と言ってもいい。
探し求めつづけ、苦心して19の頃にその貝を商う店と契約を結び、とうとう生涯その貝を愛し続けた。
この貝は本当の名は別にあるのだが、その美に驚き、感動した棟方志功がよい名を与えた。
それが「耀貝」である。
黒田はその名にも惹かれた。
こうしたエピソード一つとっても、黒田と言う人の「面白さ」が伝わってくる。

黒田は陶芸家の楠部弥弌と少年の頃から仲良しで、二人で出かけたという話もある。
わたしは楠部のファンなのでこんなエピソードにときめく。

黒田の人柄の良さを示すエピソードはいくつもあり、結局それが彼の人間関係の広がりになり、コレクターの拡大にもなる。

若い頃の黒田は河井に可愛がられ、今も河井寛次郎記念館にある棚や状差しや手箱を拵えては買ってもらった。
河井記念館は五条坂から少し行ったところにあるが、本当に素敵な空間で、そこにいることの愉楽は行ったものでないとわからない。
駒場の日本民藝館も同じである。
建物とそこにある家具や飾りもの。
その家具や飾りもの、食器、さまざまな民具を黒田は拵えたのだ。

作品はいい感じの配置で展示されている。
ああ、ええものが多い。

昭和初期の京都・上賀茂あたりで「上加茂民藝協団」が結成され、共同生活を送り、作品を生み出したりなんだかんだということがあったそうだ。
この時代まではそうした自給自足と工芸に携わる人々が集まったある種のコミュニティが結成されると、ユートピアに見なされた。
ほんの数年で解散したようだが、そこに一人の青年がいた。
鈴木実というその人は同志社在学中で(しかも飛び級だ!!)そこに入り、家事全般と畑仕事を一手に引き受けた。
やがて解散した後、鈴木さんは民藝と縁の深いアサヒビールに入社し、関西に勤務中は清水の黒田の工房に寄ってから帰るのを楽しみにしていたそうだ。

その鈴木さんが所蔵していた黒田作品が今は子孫の方に受け継がれ、展示されている。
中で一つ「拭漆欅彫文タバコセット」の蓋部分には星の結晶がデザインされている。
それは北海道出身の鈴木さんへの心の贈り物なのだ。

日本民藝館に所蔵されている円卓などはもとは三国荘のためのものだったそうだ。三国荘。これは素敵な遺産である。三国荘はもう残されていないが大山崎山荘やいくつかの展覧会でその片鱗をみている。
数年前のアーツアンドクラフツの展覧会の時などは居間と続きの和室が再現されていた。
そこにあるのが黒田の拵えた蓋ものなどだった。

鍵善良房、進々堂、これら老舗には黒田の仕事が見える形で残されている。
鍵善の飾り棚の写真があったが、これが本当にすごい。
家一軒分の請求書に依頼者の両親は飛び上がったそうだが、出入りの大工に「これなら安い」と請け負われたので納得したとか。
会場ではパネル展示されているが、本当に素晴らしい。
80年以上前、黒田が受注した仕事の現物がここにある。
キラキラした螺鈿で装飾されたくずきりの容器などは実際に使われていたそうだ。
店の名一つずつと古い形の鍵とをデザインした器。

前述の棟方が命名した燿貝を全面に使った小棚がある。
昭和16年の作品である。よくこの時代にと思った。
わるい時代によくもこんなに美麗なものが作れたものだ。
いや、わるい時代だからこそ作ったのか。

白洲正子が京都の定宿で雑煮を食べたとき、供された器が余りに味わい深く、これは素敵な骨董品だと思ったら、今出来のものだと知ってびっくりしたそうだ。
それで椀がほしくて黒田を訪ねると、在庫がないので新しく作ることになるが。そうなると欅一本から作るので百個単位になってしまう、といわれた。
白洲正子は行動力のひとだから、目利き仲間に声をかけて頒布会を発足させた。
彼女は黒田に惚れ込んで、立派な本を出した。それが今も名著として名高い「黒田辰秋 人と作品」。
彼女からの発注で拵えた作品が並んでいる。
いずれもシックでシンプルで、かっこいい。

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小林秀雄が愛した作品もある。いずれも「拭漆」の技法で作られたものばかり。
中に昭和3年のものと45年のものとがあるが、欅と栃との違いはあれど、兄弟作品のようだった。小林の好みなのか、黒田の個性なのかは知らない。

川端康成は昭和40年からの顧客で、普段使いするように黒田の作品を購入し、日常に愛した。
かれは昭和45年に自死するまでの短い間、黒田の作品をその張りつめた時間の中で偏愛していたのだ。

眺めてゆくうちに、わたしは拭漆の作品に惹かれているなと気づいた。
以前は違うものを好きだったように思うが、今はそればかりを目で追っている。
短い時間でこうした心の変化が起こる。それもまた面白い。

黒澤明が喜んで座っていた「王様のイス」がある。
その大きさにはびっくりした。座ってその場で胡座もかけるというイスである。
わたしは朝倉彫塑館にある、双葉山の座っていた巨大なイスを思い出した。まったくあれくらいのサイズだと言っていいと思う。

武者小路実篤にも黒田は愛されたが、このあたりはもう本当に時代の流れを考えると当然なのだとも思う。
武者小路のためには大変巨大な文箱を拵えている。武者小路はそこに紙や色紙などを入れて「仲良きことは美しき哉」などと書いていたのだ。
実際に展示されているのは「拭漆欅額」で、そこにはかれの「君は君 我は我なり されど仲良き」だった。わたしの大好きな言葉である。
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それにしても黒田作品の拭漆の良さにはすっかりわたしもほれ込んでしまった。いいなあ、実にいい。
これで拵えたスプーンがほしい。
近年金物のスプーンがきもちわるくてイヤで、陶器のスプーンを使っているが、移動のときは割れそうで怖い。木製なら大丈夫な気がする。
欲しい・・・

朱漆作品のモダンさは、現在もてはやされている北欧デザインの、そのシンプルさを軽々と乗り越える面白さがある。
よくこんなスタイルを打ち立てていたものだと感心するばかりで、本当にかっこいい。

それにしても所蔵先の一つに豊田市美術館の名が見受けられるが、この美術館は他でもいいものを持っているようだから、いつか必ず出かけたいと思った。

状差しの件。
上下に並ぶポケットではなく、横から差し入れできるタイプで、朝鮮風らしいが、これがとても機能的でその上可愛らしい。

一心に仕事に打ち込んだ黒田は人間国宝になり、また昭和の新宮殿のための仕事も受注している。
熱心な仕事ぶりが伝わる作品が並んでいた。

きらきらした耀貝螺鈿飾箱の隣に拭漆小筥が並んでいた。どちらも光っていた。拭漆も内からにじみ出る輝きを隠すことなく光を放っていた。
二つながらとても綺麗だった。

最後にわたしの欲しいものがもう一つあるのを紹介する。
螺鈿耀貝箸入。これは素敵過ぎる。ああ、お弁当の箸箱にしたい。

いいものを見せてもらい、とても嬉しかった。

三月の東京ハイカイ録 その3


ハイカイ三日目。

東京駅に荷物置いてから後楽園駅に。びーぐるバスに乗りたいのだが、一周グルッと回り、バスの運転士さんにバス停聞いたら、その人の担当バスやったり。
今度から春日から野間記念館向かお。びーぐるバスに乗って。

野間記念館で近代日本画を眺める。これはもう本当に安心する。いちばん好きな世界だからかも。慣れ親しんだ世界での快さ。かえがたいなあ。

珍しく護国寺に向かう。途中東大総合研究施設の廃墟を発見。塀はスクラッチタイル張りでした。隣に大塚警察署があり、そこの塀もスクラッチタイル張り。

石神井公園に。
ああ、薪を使う風呂屋を発見。いいなあ。なかなかええ町や。
石神井公園ふるさと文化館。先にうどんのエン座に入る。人気店や。
なかなか美味しかった。練馬産のふきのとうの天ぷらも。

江戸の食文化展。
メッチャええがな。これ、空腹やとアカンわ。うどんで満腹・足したからまだしも、イヤシのわたしはそれでもヨダレた~らたら。。。

機嫌よく石神井公園から鶯谷の書道博物館に。すごいバカバカな団体に負けて、そそくさ。まあ、見たいものは見たからええが、あのガイドもアカンなあ。わたしが館員ならガイドを叱りつけるけどね。

神田下車。三井記念美術館でお雛様。
去年と基本は変わらないが、軍人人形や金太郎とウサギやわんこの人形が出ていて、男児向けなのを見る。あと三井家を大名に見立てた御所人形の大名行列とか、色々興味深いのがあった。
衣装人形、御所人形、いちまさん。
みんな、仲良しでしたんよ。

日本橋三越本店で「日本の伝統文化 次代を担う継承者たち」を見たが、これが予想外に良かった。
島津家の方は権禰宜さんで、2/22の猫の日に猫神社愛猫健康長寿祈願祭をされ、今度の6/8には猫神社で愛猫慰霊祭もされるとか。素晴らしい!
そして小笠原流の方は流鏑馬の神事執行しつ、家訓により家業を生業にしない!それを守られ、阪大から筑波大の院を出て、製薬会社勤務。カッコいい~♪

大変重い覚悟をもって生涯を過ごされ、次代に繋げる使命を守られる方々。本当にお見事でした。特に小笠原流の方はさすが礼法の家のご嫡男だけに、写真からでもこちらの背筋が伸びる!ドキドキしましたわ~

大コーフン後にメトロリンクに乗って東京駅にgo !
サラバ東京よ。

とりあえず一旦ここで終わる。

三月の東京ハイカイ録 その2



葉山の海、観音崎の海。

ハイカイ二日目。
案外ぬくい。温い日に黒ずくめなんはちょっとあれだな。仕方ないか。
例によって個々の詳しい感想は後日に。

朝から金沢文庫に向かう。玉体安穏展。古文書が難しい。読めるのは牛王(ここでは玉やない)関連のが少々。
アタマに入るようで入らない内容。もっと本気で学ばんかい!

新逗子に行ったはいいが、北口に出たのでバスが遠い。人に聞いたら、逗子まで歩くのを勧められて従う。その方が合理的やとわたしも思う。

時間がややあり大船軒で買い物。鯵の押し寿司にするつもりが、つい穴子の押し寿司にしたが、やはり穴子は関西やないとアカンわ。反省。

ほんでバスが来たから乗り込み、30分ほどで神奈川近美の葉山館につく。
去年の2月には行幸・行啓に遭遇し、宮さまからも優しくご挨拶をいただいたなあ。
庭の椿、可愛い。
わたしは椿が特に好き。

海を見渡せるあずまやで穴子の押し寿司いただく。鯵よ、ごめんね。また次回。
しかし丸太を使た椅子に座り、足をプラプラさせながら食べたら、遠足気分で楽しい。

柳瀬正夢展。リストなし。手書きは指と手首のケンに負担かかるから、タイトルくらいほしいわい。
油彩は表現主義と未来派とスーチンとを混ぜたところに、さらにセザンヌや時にはゴッホが入り込んだような感じ。同時代の空気を肺一杯に吸い込んで吐き出したら、こうなったのかも。
配色が九州カラー。この時代の北九州には火野葦平、岩下俊作がいたが、つきあいがあったとか。
夢野久作とはどうだったろう。
作品は、むしろ諷刺マンガや児童マンガや童画に良さを感じる。

バス、電車に乗り換え、堀ノ内に。バス停までちょっと歩く。分かりやすいが、寂しい。馬堀海岸の方が、まし。

横須賀美術館で所蔵近現代日本画を見る。清方、青樹、青邨。
好きな作家のを見ると楽しいが、この後がいかん。
一息つく間も無く常設で、気に入らないアート作品を否応なしに見せられる。
近代日本画のときめきが消える~ッ

現代アートを全否定したいのやなく、自分の実生活を想起させる作品が多いのがイヤなんだよな。

バスで馬堀海岸に。横浜までぎゅうぎゅう。ぐるじい~

そごうの黒田辰秋展、大変良かった。良すぎて時間大分遣う。後悔はないが、ついにシャヴァンヌ展に行けなくなったのは惜しい。
島根にはなかなか行けないしね。

崎陽軒食堂でごはん食べてから帰る。二日目はここまで。

三月の東京ハイカイ録 その1


三月は二度東京に行くのでハイカイも増すのです。 

初日。静嘉堂文庫美術館に。平日でも来る人は来る。名所図を集めているので、わたしも旅に出たくなる。白鶴園を描いた絵の中にウサギがいた。全く無人なのでなにやらほっとする。頼山陽は儒者だけど旅好きで、彼の本から紹介先が人気になったりしたのだった。

展覧会の感想はそれぞれ細かいところは後日に挙げます。

梅が綺麗な静嘉堂。
庭園にはちょっと行きにくくなっていた。工事中。

五島美術館で中国陶磁を楽しむ。
これはもう完全に好みの世界。
古赤絵の玉壺春の可愛いのや掻き落としのモダンなのを愛でる。
他に銅鏡もあり、配置の分類を知る。案外考えてなかったなあ。

庭園には椿が咲き、可愛さににこにこ。

ここから高輪台に向かうのに旗の台経由で、とネットに出たが、乗換がうまくゆかず、中延で乗換ると、スイスイ。
この町は商店街が活気があるそうな。
ねぶた祭りまでしてるとか。

畠山記念館に無事つきまして、利休好みの茶道具見たが、その重厚さにやや苦しむ。わたしはもう少し後世のがいいわけです。しかしこの辺りをスルーするわけにはいかない。真面目に学ぶ。

さてここまでは古代から近世、次からは近現代へ向かう。

出光美術館三訪。板谷波山展。お客さんも多い。
滑らかに艶かしく、そして優しく。先日苦しみながら感想を書いたが、また書きたくなる。しかしそれはやはり頌にしかならないだろうと思う。ほめすぎかもしれないが、批判する箇所がないのをあえて批判するのは、ただの根性悪にすぎない。そんな輩にはなれない。

松屋銀座に。「ぐりとぐら」原画。わたしは「いやいやえん」派。しげるちゃんの後ろ姿の首辺りに幼児のリアリズムを見る。可愛い。ぐりとぐらは大人になってからの付き合い。だけど淡々と長くつきあいたい。

最後は都美。院展ですな。後期もかなり良かった。わくわく。

とりあえず初日はここまで!

円山応挙展 後期



承天閣美術館で円山応挙展の後期を見てきた。 前期は若衆の美しい肢体にときめいたが、後期はわんころたちの可愛さにキュンとなった。 ・応挙が学んだ中国絵画 ここでは先人たちの絵画が集められていた。 禅僧の絵があるがどう考えてもやっぱり変。禅僧は奇人でないといけないのか。 焼き芋を焼いたり、人を水に落としたり、猫を斬ったり色々するのがいて、そこに高邁な何かがあるにしても、ときどき「シバイたろか」と思うような行動をとる。 だから彼らの様子を描いた絵を見ても、愚昧なわたしなんぞは「またなんか変なことして」くらいにしか思えない。いい絵とかそんなこと考えられない。 応挙も絵の技法や構図などは学んだろうが、描かれた情景をどう思っていたことか。 尤も江戸時代のほうがわれわれよりずっと禅僧に対して理解或いはシンパシーは深いか。

花鳥画は好きなので、熱心に見る。
応挙は描くために学ぶために見るが、ただの観客たるわたしは好きなものしか見ない。

鶉虫図 銭舜 口開けたままの鶉が草に隠れながらも空を見上げる。鶉は用心深く降り立つのだが、飛び立つ時はその用心を忘れがちで、居た場所から飛び立ってしまう。この鶉も今から飛び立つのだろうか。

明代の花鳥画を二つ。
愈増 派手な彩色。地を歩く雉、飛ぶ雀。春が近づく感じ。

呂紀 鮮麗な色柄の雀と雉、濃いなあ~

百鳥図 辺文進 この絵は前から気になる絵で、なかなかきちんと把握しきれない。とてもたくさんの鳥が描かれていて、賑やか。今回はバードウォッチャー気分で眺める。

・応挙と四条派関係
近い人、遠い人。

応挙の描いたお釈迦様と16善神図とそれを写した原在中の絵が並ぶ。
応挙の一門は狩野派と違い粉本主義やないが、師匠の絵を弟子が写すことはままあったわけです。
大石良雄と芸妓さんの絵なども源キあたりが写してたと思うが、それぞれの得意分野を確認するようで、楽しい。

応挙 山水図扇面 描き表装で、リアルな画面。大津から比良山系。しかも見に行った日の空の色とよく似ていたから、いよいよリアルだった。

ここで幕末から明治に活躍した柴田是真の絵が来た。
滝桜小禽図 巧い!落下した辺りにも滝の湧き出しがある。

人間の命は財宝より軽し 天秤にかけられてますわ。皮肉屋是真先生面目躍如。
 
浅草観音図 浅草寺ではなく、一番最初の、兄弟が仏像発見の様子を描く。
とは言え、ここにはちびっこ3人がなんだか嬉しそうに仏像を岩に置いて眺めてる様子が描かれている。
純朴な気持ちがイキイキ。

相国寺方丈障壁画 原在中 鳳凰・菊に小禽・虎を描くが、虎はやはりニャンコ。可愛いのう。

象と狗子図 長沢芦雪 黒い象はけっこうコワイな。白犬がなんかおっちゃんぽい。あんま可愛くないが、そこがまた面白い。

さて応挙の絵を色々見る。
雪中山水図屏風 ロングで捉える構図。橋の中程に佇み下を見る人がいる。岳半ばに建物があり、そこにも人がいる。
寒さがソクソクと伝わってくる。

山渓樵蘇図 柴刈りの人々。にこにこ。子どもらも川でにこにこ。

大瀑布図 これは昔、萬野美術館にある頃、篠山紀信が「萬野美術」写真で、萬野の山荘の庭の流のそばに掛けて、いい風情を醸し出してたなあ。
そしてそのもっと昔、円満院の裕常門主はこの絵を長押に掛けて裾を畳に流し、水の流れを感じさせたそうな。

写生図 今回は女。背面図、寸胴なのは昔の典型的体型。

写生帳、図案集、ここらがかなり面白い。リアリズムを求め過ぎて人のベロの出し方まで描き分けてますがな。
ベロ言うたら、ローリング・ストーンズのマークやんw

芭蕉狗子図 可愛いのう。白犬五匹がやんちゃして。葉っぱ噛んだり。

弟子たち。
朝顔狗子図 応瑞 ワンワンしてる。五匹のわんこらのカメラ目線!こいつらは今後はこの美術館で暮らすのだ。

豆狗子図 応瑞 3匹のわんこ。枝豆の前で遊んでる。

兎図 岡本豊彦 杵つき中。働く兎さん。シッポがポヨンとしている。

ああ、可愛いものをたくさん見たなあ。楽しかった。
3/23まで。







激動期の茶の湯 少庵・織部・三斎の茶道具

湯木美術館で「激動期の茶の湯 少庵・織部・三斎の茶道具」を見た。
裏千家の茶道資料館、表千家北山会館などでもちょうどこの時期の茶の湯の企画展が昨秋から続いている。
映画「利休にたずねよ」の影響もあるだろうし、没後四百年などの節目と言うこともあるか。
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実際のところ、この時代の茶道具はあまり好みではない。
質実剛健でわびさびの極致が活きている、それよりは綺麗さびや華麗な方が好みなのだ。
こんなことを書けば利休先生にギロリとにらまれ(それ以前にハナもひっかけられないが)、少庵や宗旦に向こうへ行け、と追っ払われるだろうが、一期一会に袖擦り合うも多生の縁、とかなんとか(本当には)意味の分かってないことを言いながら、見に行ったりする。

以下、ごく簡素に進める。

竹茶杓 銘「五条橋」 宗旦 「五条橋」といえばやっぱりあの童謡どおり弁慶と牛若丸の話を思うのだが、これはどこがどう五条橋なのかがよくわからなかった。
ただ櫂先はなかなかわたしの好み。

御所丸茶碗 銘「由貴」 藤井家伝来 白釉かけている。高台が九角形で露胎。ヘラ目入るところに………が入り込んで、全くこれはスターフルーツかドラゴンフルーツの果肉に見えて仕方ない。
松永耳庵が愛した茶碗にスターフルーツを見出してしまったが、やっぱりどうみてもおいしそうなのである。

羽箒 青鸞 十種羽箒のうち これは水鳥か鵞鳥の羽だと思うのだが、ガラスケースの前にいる先客の奥さん方が揃いも揃ってケータイなりスマホなりで「鸞」を探している。
要するにこの名の鳥を実在だと思い込んでおるのだ。
親切と言うかイケズというか、わたしは自分がじっくり見たいのもあって、奥さん方にその鳥は非実在の鳥であり、現実には水鳥か鵞鳥かなんかそれでしょうと説明した。
本当のところはわからないのだが、とりあえず重々しくそう答えた。

志野茄子香合 南三井家伝来 ヘタがついている。可愛らしいが「どうナスなの?」と悩む見学者がいるのも確かで、別にナスに見えなんだらナスやのうてもええやないですか、と黙って眺めた。うむ、わたしにもナスには見えんよ。

織部串団子文香合 鴻池家伝来 串団子文はいつみても五目並べに見えるんだよな。
これも小さくて可愛い。やっぱり香合はええのう。

絵唐津あやめ文香合 室町~江戸時代 上の二つより時代が古い。宝珠型で青というより群青に近い色であやめが可愛く描かれている。

瓢花入 千利休 益田鈍翁伝来 まるでラグビーボールのようだった。これは本物の瓢箪に漆を塗りたおしたもの。

野牛之図 俵屋宗達 顔を上げる黒牛。楽しそうな顔つき。周囲には葵らしき植物が咲く。墨の濃淡で表現されている。牛はほんまは顔を上げさせると興奮するからアカンということだが、この牛は楽しそう。鎌倉時代の北野天神縁起絵巻の牛の絵をモデルにしたそうな。
純然たる国産黒毛和牛なわけです。

黄瀬戸向付 銘「みほつくし」 鴻池家伝来 室町~江戸 油揚肌の優しい色合い。可愛い。

鼠志野飛鳥文向付 縁にはシダ、見込みに飛ぶ鳥たち。

志野四方筒向付 浮御堂風な建物が描かれていた。サイドには波らしき線がある。

禾目天目(建サン) キラキラ綺麗。見込みは線状ではなく点状で、まるでそこから光が四方八方へ広がってゆくようだった。

明るく楽しませてもらった。いい展覧会。3/23まで。

戦前の絵双六をみる

本日2本目の小さい感想。
弥生美術館併設の竹久夢二美術館の企画展のこと。

絵双六の特集だった。
今でこそ双六は廃れているが、江戸時代から昭和末頃まで双六は正月のメジャーな娯楽だった。
奈良時代平安時代の双六はまたこれとは別。
ここで展示されているのは図面にいくつものコマがあり、さいころで進んだり戻らされたりするあれ。
うまいこといくと「上がり」で幸せな結末を迎えることになる。だめならだめというなかなか厳しいものもある。
やっぱりバブル直前までの娯楽だった気がする。

姫路文学館と江戸東京博物館の二つが過去に、大がかりな双六の展覧会を開催している。
弥生美術館ではこれをメインにしたのはなかった気がする。

ただ弥生美術館には夢二の描いた「パラダイス双六」という無比の素晴らしいのがある。
わたしなぞはこの絵が展示される度に嬉しくて嬉しくて。
本当をいえばわたしはこのパラダイス双六の中に一人で暮らしたいと思っているくらいだ。
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明治38年 婦人双六 水野年方 この画家は清方の師匠で芳年の弟子。美人画がよかった。

明治41年 当世二筋道 清方 男女それぞれの出世双六。この頃の清方は雑誌の口絵・挿絵などに名作を次々に発表していた。

出世双六は上がりもあれば下りもあるのでなかなか大変である。

明治45年 家庭双六 川端龍子 龍子は少年少女のためにもいい作品を多く残したが、家庭向けにもこうして描いている。

明治39年 芸妓双六 これは福井県の実際の芸妓さんの写真を並べたもので、なんだか駒を進める=渡り歩く、みたいでイヤやなw

昭和二年(大正16年表記) 火星探検 樺島勝一 なんで大正16年なのかというと、当時双六は正月の付録の目玉だったのだ。樺島はリアリズムなペン画と「正チャンの冒険」のマンガと二種の絵を描き分けていた。
この絵はその中間というより、併用。

少年未来双六 林唯一 SF。55年後の日本の様子が描かれている。富士山ケーブル、移動道路(イスに座ったままで動く)むろん歩行も可能。

大正8年 友子の空想旅行 龍子 これが可愛い。和装の友子ちゃんがあちこち旅する。上がりはスイーツの島で、イチゴやすいかなどフルーツや、コーヒー、煎餅、どんぶりもの、なぜかスルメイカも自生する。サザエや魚のきもある。おいしそうだった。

少年騎士遠征双六 これは誰の絵かわからないが、ファンタジックで素敵。今ならゲームの感覚と同じかもしれない。色っぽいマリアもいる。

ほかに花子夢双六、蕗谷虹児のタブロー(どう双六なのかと思いつつ)、動物サーカス、初日の出、おとぎの国などなど。

最後に山口将吉郎の日本歴史ごっこ双六(幼年倶楽部) 神武、神功、義経らの事績をごっこ遊びで表現。船遊びに八艘飛び、飛行機などなど。

とても楽しかった。まだまだあるがこれくらいにする。
やっぱりこの美術館はいつもいつもとても楽しい。

定窯・優雅なる白の世界 ―窯址発掘成果展/人間国宝 塚本快示―定窯白磁の美を追い求めて

東洋陶磁美術館で「定窯・優雅なる白の世界 ―窯址発掘成果展」と、そこからの展開で「人間国宝 塚本快示―定窯白磁の美を追い求めて」が開催されている。
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定窯展についてはこんな説明がある。
「定窯(ていよう)は河北省保定市曲陽県に位置する中国の著名な白磁窯であり、宋代五大名窯の一つにも挙げられています。なかでも宋代から金代にかけては宮廷用器も数多く生産され、「牙白」と呼ばれる象牙のような白色(アイボリーホワイト)を特色とする優雅な定窯白磁は、皇帝はじめ士大夫などにも広く愛好されました。
2009年9月から2010年1月にかけて、河北省文物研究所は北京大学考古文博学院などと共同で定窯窯址の本格的な考古発掘を実施し、定窯の分期・編年研究や焼造技術の変遷など定窯に関する多くの問題を解明する上での重要な発見と成果を得ました。この発掘は2009年の中国十大考古新発見の一つにも選ばれており、中国陶磁史上の重大発見として国内外から注目を集めました。
本展ではこの定窯窯址の出土品66点を日本で初めて紹介します。窯址出土の破片を通して、優雅なる定窯白磁の発展の歴史とその美の秘密に迫ります。」


歴史的快挙な発掘・発見により世に出た白磁。
その背景を踏まえたうえで見て回る人もあれば、わたしのように単に綺麗な白磁やなあ、で喜ぶ客もいる。
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綺麗な白磁碗があった。これは、晩唐期の典型的な様式を見せるところがあるそうな。
何かと言うと「玉璧底」(日本では「蛇の目高台」という)を持つという。
字面で大体のところは想像できるように、◎という形の高台である。
玉璧といえば「完璧」の故事成語を思い出す。
「璧ヲ完シテ趙ニ帰ル」あの和氏の璧はこのような形のものだったのだ。
真っ白とはいうものの、やや薄青がかったように見える。
それについては説明があった。
「還元焼成」のために青みがかるらしい。

ここでまた「還元焼成」についてわたしが説明を入れるとややこしくなるので、次のサイトをご参照ください。
瀬戸市による丁寧な説明と写真があります。
このサイトを見ると、確かに還元焼成したものは青みがかり、「酸化焼成」したものは黄色みが強くなる。
定窯は当初還元焼成品が多く、時代が下がるにつれて酸化焼成の方向へ行き、「牙白色」を手に入れるのだった。

隋、唐、五代には「南青北白」という言葉があり、やきものの傾向を示していた。
そういえばと思いだす名品がいくつもある。
言葉からこうした感興も生まれる。それが楽しい。

鳥持ち童子を文様にしたうつわがある。童子と鳥の図は近代版画家の谷中安規を思い出させる。線太なところがいい。
これなどは黄色みかかっている。「酸化焼成」なのだった。
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仏像の半顔が残っていた。本当にこの通り半面の一部のみ。わたしは観音かと思ったが仏弟子かもしれないそうだ。優しい微笑を浮かべてはいるが、どこかうすら寒い風もある。
見る位置により表情が変わるからかもしれない。
残された表面は美しい白で覆われ、滑らかに光るが、内部の陶土は触るとぼろぼろ崩れそうでもある。
表面の美と内部の白土の塊との隔たりは大きいが、美を損ないはしない。むしろそのぼろぼろ毀れそうな内部を見たことで、いよいよ綺麗なものだと感じるのだった。
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陶枕がいくつかある。形がきちんと残るものもあれば、枕部分がなくなり、支柱だけのものもある。
そのうちの一つ、枕が失われたものに可愛いものがあった。
枕座の部分に唐草文様があり、そこに三人の童子が絡む。まるで「ジャックと豆の木」である。三人いるから、ジャック・ジュック・ジョックとでも呼ぶか。
あるいは日本の「なら梨とり」の太郎・次郎・三郎。
顔を見せないまま、楽しそうに太い唐草の茎や葉にからみついている。
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「尚薬局」と文字の入ったやきものがある。東洋陶磁美術館の高麗青磁でその文字を見つけた。宮廷関連のものだとは思ったが、詳しくは知らなかった。
今回、白磁のそれに「尚薬局」をみつけた。
「宮廷内の医薬系官署」のことだという。高麗青磁のそれは忠実な写しだったのだ。
そして「尚食局」は皇帝の食事を司るところ。膳。古代日本のそれを想う。東アジアの文化のあり方を。

黒釉銹斑文碗 茶色い宇宙。光が拡散する。白ばかりの中にふとこんなものが。

黒釉碗 遠めには白と黒のモダンなボウルにもみえる。北欧風の。そんなはずもないので間近で見ると、白の欠落部分を黒で補う?ようにも見えてきた。
が、白には白のはずなのでおかしいなと思っていたら、欠け埋めではなく、最初からこのデザインだったことを知る。白と黒の鬩ぎあい。モダンな感覚が素敵。白は露胎だったのだ。

白磁刻花蓮花文碟 碟はセツ、小ぶりの平皿のことを言う。可憐なお皿。見込みに一輪の蓮が咲く。

ここで知ることがあった。五代以前は薪で焼いていたのだが、北宋からは石炭を使うようになったそうだ。そうだったのか。初めて知った。

環形支圏 重ね焼をするための緩衝グッズ。最下に置くことで安定を図る。支圏座というものもある。これはそんな名をしていたのか。
そしてそれらが三つの円環をまきつけた塔にも見えた。
諸星大二郎「孔子暗黒伝」に現れる、三本の梵天の塔に移動し続ける円盤、あれを思い出した。すべてが移動され尽くせばこの宇宙が終わるという梵天の塔の円盤。

白いやきものを見た後、安宅コレクションに向かう。
ここでも白磁があった。
白磁刻花牡丹文瓶 綺麗。素晴らしい花が刻まれている。

白磁を堪能したあと、高麗青磁を眺めると、また心持が変わる。
見慣れた・懐かしい・親しい高麗青磁たちであっても、違う(または新しい)魅力を見出す。
陶板の可愛らしい鷺たちは変わらず愛らしく、浄瓶の首に走る彡に入った貫入にもときめく。象嵌雲鶴文梅瓶も見事だ。青磁象嵌辰砂彩は高山辰雄の牡丹の絵を思い出させてくれる。

李コレクションに行く。
青磁陰刻蓮花文盤 見込みの蓮が全体を大きく貫入に飾られて、パウル・クレーの絵のようになっていた。

また粉青掻落、これは大きなモコモコした花が描かれていた。
コクトー風の筆致。

青花では虎鵲文の壷で、いつもは立つトラを観ていたのが、今回はうずくまるのをみた。もう完全に猫だった。それがとてもいとしい。

次に特集展示を見た。塚本快示である。
まだ大阪に出光美術館があったころこのひとの青白磁をみて、一瞬にして恋心が湧き出してからずっと好きだが、丸ごと白磁の器がこんなに集まるの初めて。

酸化焼成した皿、これは牙白色で調えられているがバニラアイスのようで滑らかに光っている。それを目で舐めるように・撫でるように見ているうちに、指の腹で、舌でその感触を味わいたくなってきた。
深い魅力のある塚本の白磁。

刻まれた花鳥も古態から離れてモダンな様子を見せていた。

1980年、白磁碗の組み物を作っている。それが釉垂れしたのが高台近くでガラスのような釉溜りを見せていた。氷河のような青さを見せる、とても綺麗な景だった。

一点の曇りもない綺麗なものばかりを見て心地いい。
3/23まで。

川瀬巴水展あれこれ

川瀬巴水の展覧会が各地で開催されていた。
わたしは大田区郷土資料館と千葉市美術館で見たが、感想を挙げられずにここまで来た。
そうこうするうち大阪の高島屋に千葉市の分が巡回してきた。
版画と言うものはありがたいことに、多少の差異はあるにしても、ほぼ同一の作品価値を持つものが複数存在する。
大田・千葉(後の高島屋分)で重複する作品も少なくないから、それを一切考えることなしに感想を挙げたい。
なお、これまでにこのブログ上で挙げてきた川瀬巴水関連の主な展覧会感想を以下に記す。

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馬込時代の川瀬巴水

美しき日本の風景

京阪百貨店で見た川瀬巴水

川瀬巴水展

川瀬巴水展

また千葉市美術館では同時併催として同時代の渡邊の版画を展示していた。
それは2010年のリニューアル時以来の新版画の名品ぞろいだった。
当時の感想はこちら

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巴水は旅を愛した。風景を写生し、それを基に絵を描き、版元に委ねてからも色彩や摺りを厳しく見据えた。
デビューから震災前、震災後からスランプの頃、復活と戦後
そんなふうに分けてもいいかと思う。

イメージ (46)

巴水の描いた風景は、今ではどれを見てもノスタルジーに満ちた「美しい風景」になっている。
彼のいた・描いたリアルタイムの風景はもう見ることもできない昔なのだ。
古い写真でその風景を見ても、形は同じであっても色がわからない。
木版画が褪色もせず、往時の澄んだ色合いを今も保っているのは、本当に素晴らしいことだと思う。

以前から書いているが、巴水は「巴水ブルー」を持っている。
ジョット、海老原喜之助、巴水。
それぞれ全く違う、自分だけの青色。
巴水の青は主に夜景に使われる。冷たい青ではなく、温度を感じる青である。
その青に深く惹かれて、いくらでも観ていたい心持になるのだ。

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巴水の描いた風景は大正から戦前が中心であり、どこを見ても争いの影もなければ、世相でさえも映し出さないようになっている。
「これはある意味、ファンタジーではないか」
そう思うようなところがあった。
架空の世界の肖像を描いているとすれば、その巴水ワールドはなんと居心地の良さそうな空間なのだろう。
わたしはただただ感心しながら見て歩くしかない。

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名品と断言できる作品がいくつもあるが、その一つに雪に埋もれた寺島村へ向かう姿を描いた一枚がある。絵の中心に電信柱が立ち、その脇を男性らしき傘の人が行き過ぎようとする。ところどころの家には灯りがともされている。まだ寝てしまうには早い時間なのだ。
しかし、あまりに大雪なので誰も表に出てこない。
ただ一人が轍をゆく。地味な配色なのに、非常に心に残る。
今、こうした風景を見ようとしてもどこで見ることが叶うのか。
どこにもこんなところはないのである。
たとえ本当の寺島村へいったとしても、こんな建物に囲まれた道を見ることもないだろうし、雪もこのような降り方をするかどうか。すべては巴水の妄想なのかもしれないのだ。
そして、そこのところにこそ、巴水の真髄があるように思えてならない。
イメージ (47)

箱根宮ノ下の富士屋ホテルの全景を描いたものがある。
これは四季をそれぞれ配色だけで表現する、面白い作品。
春にはツツジ、夏には夜の帳の中、秋の紅葉、冬の静かな夜のたたずまい。
車のライトの方向を変えるだけでもトリックは成功し、木々の色を変えると四季がはっきりと現れる。
とても魅力的な風景である。

最後に巴水自身が風景の中に入り込んだ絵を紹介する。

絶筆の「平泉金色堂」へ向かう雲水の姿に巴水を見る人は多い。
雪の中のお堂へ向かう一人の僧侶に、巴水本人をみることで、彼が遠い世界へ向かったことを暗示する、そのようにみなすのは、確かに正しいのかもしれない。
もう彼の愛した風景は失われているために、そこから背を向けてどこか遠くへ向かう。
そんなことを思わせるほどに、巴水の描いた風景はもはや遠いものになっていたように思う。

もう一枚、法師温泉の湯にのんびりつかる作品がいい。
巴水先生、ご機嫌の態。木造の立派な(しかしやや古びた)湯殿で巴水らしき人はのびのびと足を伸ばし、くつろいでいる。
わたしもこの温泉に行きたい。
そんなことを本気で思わせてくれる作品。
これは巴水がそこにいることで、湯の心地よさが伝わってくる作品なのだった。

たくさんの作品を見たが、一つ一つは書けない。
あまりに作品が多いからと言うこともある。
もう失われた風景、あるいは別な何かに変容した風景。
それらが大正から戦前と言う、まるでうそのようにきらめく時代に、川瀬巴水の手によってこの世にあらわにされていった。
わたしたちはそれらの喜びを味わうだけなのだ。

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本当に魅力的な版画家だった。
また展覧会があるたびに出かけてしまうと思う。

花・はな・HANA

この展覧会が始まったのは1/18からだった。

この時期は花が少ない。梅は咲き始めてはいても完全に辺りを覆わない。
水仙も少しばかり顔を見せるくらいで、サザンカはもう終わり始めている。
そんな今だからこそか、逸翁美術館に花が集まっていた。
「花・はな・HANA」展である。

1/18~3/16の展示期間の内、2/16まで呉春の「白梅図屏風」が出ていたので、その最後の日に出向いた。

逸翁美術館へはわたしの場合、池田の栄町商店街を抜けきってから、右へ向いて歩く。途中で池田文庫の敷地内に入りこみ、ささやかな小道を進むのも楽しい。
そこには昔懐かしい宝塚ファミリーランドに点在していた、古い時代の石灯籠が置かれ、梅やサザンカやその他の花の木たちが並ぶ中を歩けるのがいい。
しかし惜しいことに行ったその日は文庫が休みで、小道を往くことは出来なかった。
花はどこまでも遠い場所にあるのだった。

先に元の逸翁美術館である雅俗山荘、今は小林一三記念館であり、庭園レストランも兼ねている雅な建物を訪ねて、「文学青年小林一三」の残した小説や、実業家小林の随筆、茶人逸翁の茶会記などを見る。
そのことについては既につぶやいているが、ここでは触れない。

美術館へ入る。展示室の入り口は常に暗い。それは展示室の華やかさをより効果的に味わわせるための仕掛けでもある。
入るとまず小磯良平による小林一三の肖像画がある。
やさしい筆致のいい風貌である。そういえば雅俗山荘には関西学院から贈られた小林の肖像画がかかっていたが、あちらはカナダ人の画家のもので、やはり温厚な風貌を伝えていた。
その肖像画から離れて一歩踏み出した途端、そこには匂いのない花園が広がっていた。
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黄緑色のパネルがぱっ と目を惹き、気持ちをいきなり春に変えてくれた。
黄緑、ピンク、黄色、この三色はまごうことなく春の色である。
中でも黄緑は若々しく明るく、目も心も見開かしてくれる。
その黄緑が案内色として現れ、匂いのない花を紹介していた。

最初に現れたのは椿だった。ガラスケースに5つの椿が咲いている。
乾山窯 色絵椿文手鉢 ぱっと明るい緑地の鉢。椿は白。
松椿螺鈿蒔絵四方香合 白椿に松。可愛らしい。鎌倉時代のプリティグッズ。
椿黒樂茶碗図扇子 抱一 開いた扇子の真ん中に黒樂と椿がいい配置に描かれている。
草花絵香合 絵は山岡山泉・河井寛次郎の拵え。
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三つの香合がある。紅白梅、水仙、白椿。いずれも可愛らしい。いつもの寛次郎とは違うムードがいい。うまいコラボだと思う。
御本椿絵鉢 八世白井半七 薄い!内外に椿の大きな花が咲く。

椿好きなので、オープニングから本当に嬉しかった。
次は梅である。
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白梅図と紅梅図がまるでお内裏様とお雛様のように並んでいた。
白梅図は81歳の乾山の絵。紅梅図は六世尾上梅幸。昔の役者は絵の絵の巧い人が多かった。
この梅幸さんは15世市村羽右衛門と夫婦役者の人。素敵。

四季花卉図扇子 鈴木其一 ぱっ と華やかな扇子。大きくて・・・

紅梅図扇子 須磨対水画・即中斎書 きらきら~~須磨対水の絵などはもっと評価されればいいのだが、もうほとんど観ることは出来ないのが惜しい。

梅鉢文蒔絵大丸香合 金銀蒔絵で梅鉢満開。銀は酸化して黒くなっているが、それがまたシックで素敵。
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赤地金襴手松竹梅文茶碗 永楽保全 これはTOKK表紙にも登場していた。
内側に見える染付、あれは「金」の字なのだった。めでたい四文字が書かれている。
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乾山写し色絵鎗梅文茶碗 永楽即全 1959年の作。可愛いなあ。原品が可愛いから写しも可愛い。欲しいなあ。

唐津写し鎗梅文向付 服部梅素 天に向かってまっすぐ伸びる梅の若芽を言う。

ここで期間限定の呉春の「白梅図屏風」が現れた。二年に一度くらいの割合で表に出る屏風。薄暗い中に香る白梅。しーんと静か。やはりいい絵。華やかさはないが、しっとりしている。夜の梅のよさを味わう。
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2/18からの抱一「水仙図屏風」はパネル展示。わたしはまたいずれ見に行きます。

ここからは桜や藤の花などが現れ、やがて芙蓉やユリ、アジサイなどが咲き、ついには桔梗などが出てくる。

花鳥図 松村景文 薄紫のマグノリア(泰山木)にやや大き目の鳥がいる。花は他に長春(バラ)がある。おだやかな情景。

可愛らしいものが集まる。
黒地青貝入櫻蒔絵硯箱 可愛いなあ!夜に光る梅のようだ。
清閑寺焼桜花春草文鉢 卵地に蕨や桜草などがちらほら。いい感じ。
讃窯紫陽花文鉢 道八 大きめの花が地を覆う。
百合螺鈿蒔絵中次 三砂良哉 1951年 キラキラ~~百合がきらめく。
赤樂百合向付 樂宗入 鬼百合のようにみえる景色。

雨中海棠図 鈴木華邨 1908~1912年 ピンク、薄紅の花。ホトトギスらしき鳥が行く。
華邨は他に鏡花の初期の小説の挿絵なども描いていたが、それもこの逸翁で観ている。
ここでは他にも扇子がいくつかあるが、いずれもしっとりした風情がある。
藤の花図扇子、桔梗図扇子・・・華邨の丁寧な絵。

芙蓉図 木村武山 白花と薄褐色の葉とが見事なコントラストを見せる。

菊花は日本の秋を代表する花。絵も実物も愛されている。
クリサンテームとして海外でも愛される。

乾山写し色絵菊花文茶碗 永楽即全 1956年 薄灰青地に黄色・青・紅の菊花絵。いとしい。
吹上菊香合 永楽保全 盛り上げて拵える菊花の大花。白花で黄色の花芯。胡粉盛り。

菊花図 長澤芦雪 これはまたしっかりした色合いの絵で、南蘋風な趣きも見えるくらいの濃さ。

菊花図三幅対 松村景文 左は白の丸い花・中は野菊・右は紫のマーガレット風。

牡丹をモティーフにしたものたち。

色絵牡丹文向付 乾山 シンプルで大胆な配色。こんなセンスは乾山かディック・ブルーナしかいない。

牡丹絵蓮弁形鉢 賀集珉平 豆彩風な色絵だった。リアルさもある。

鍋島色絵牡丹大皿 尺皿か。絵柄は現代風な感じがした。

バラは海外に品種が多いが、長春花として東アジアでも咲いていた。
しかしここでは純然たる洋画としてのバラの絵しかない。
やきものにもバラの絵は使われない。洋食器は別として。
関係ないが昔のアメリカ映画に「バラの刺青」という作品があり、内容より主題歌がよく流行った。

萬古焼蘭絵鉢 深い緑の地に緑の花という、なかなか出来ない絵柄。ぴかっと光っていた。

色鍋島芥子文銘々皿 13世今泉今右衛門 あっさりと可愛らしい。

絵替わりの連作ものもある。乾山ブランドはやはりその大家で、ほしくなるものばかり。

次に中国の花。
青地貼花四君子文大筆筒 清朝 法花風な感じがする。わたしは法花が好きなのだが、あれは好き嫌いの分かれるやきものだと思う。これは貼り付けもの。
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染付氷梅文小皿 清朝 これもまた可愛い。絵としての花より工芸品の花のほうが往々にして愛らしいものが多い。

青貝籬菊図六角茶器 明代 あああ、繊細!

唐物青貝椿香合 今回の展示品でいちばん惹かれた。白椿が一輪、青く光っている。黒地に煌く花。観る方向を変えればまた違う色を映す。異様に魅力的だった。

パキスタンの藍地花文壷と皿は白抜きで花を表現。
トルコのチューリップ柄の水注。
逸翁のセンスが光る取り合わせ。

西洋からも花々が集められていた。盛んに海外に出張した逸翁は実業家として成果を挙げるだけでなく、見事なやきものを持ち帰った。

藍釉白梅文皿 セーブル焼 小さくて可愛らしい文様。これは中国の影響を受けたものか。
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菊花文鉢 ジョルナイ まさか逸翁美術館にジョルナイ工房の作品があるとは。今の今まで本当に観たことがない。
わたしはジョルナイ工房のやきものがとてもとても好きなのだ。あの釉薬の耀き!
ああ、ハンガリーの美貌。びっくりした。

ほかにもマヨルカ、デルフト、ロイヤルコペンハーゲン、マイセンから花を描いたやきものが集まっていた。
小さいのに充実した絵柄のデミタスカップも各地から集まっている。
それらが一堂に会した様子を見ると、もう全体が花畑になって、きらきらきらきらしていた。
ああ、本当にいいものを観た。

ふと気づくと、もう三月だった。
花が少なかった時期もいよいよ終わりに近くなっている。
そろそろ椿も桃も咲き始めるだろう。「花の兄」たる梅も七割くらい咲き零れている。
ああ、春がちかいなあ。たとえ寒さが戻ろうとも。

3/16まで。

お水取り


三月一日。東大寺二月堂の修二会が始まった。お水取りである。
練行衆の足元を照らし出すお松明が見たくて、この十年ばかり毎年通っている。
今年は最初の年に次いでかなり前に立った。最前列ではないが、火の粉も浴び、心持ちも随分清くなった。
わたしは多幸感に包まれ、ぼーっとなりながら東大寺を後にした。

関西に春を呼ぶお水取り。
見ずにはいられない。

さて東大寺近くの奈良博ではこの時期はお水取りの資料を展示する。
毎年のことなので特に目新しいものはないようでいて、あったりする。
新しい資料を出すだけでなく、こちらのムチを衝く展示をサラッと出しもする。

今年は香水杓がそれだった。
柄杓部分が可愛い急須型をしている。
山田常山もビックリの急須ちゃんである。

いつもの二月堂曼荼羅も初見の逸話があり、怖く思ったり、例の鷺に会ったり。縁起絵巻には大体ゾワゾワさせられる。

牛玉(ウシタマやなく、ゴオウ)の宝印もある。二月堂焼経も並ぶ。銀色文字が酸化もせず、当初のまま銀色に光る。焼けたことでもう変化を止めたのだろうか。
 
室町時代の二月堂神名帳をみる。やはり源頼朝の名が大きい。そして一番気になるのは「青衣女人」。必ずこの名を見ないではいられない。

歌舞伎の舞踊劇「達陀」は練行衆の一人と青衣の女人との物語で、非常に感動的な舞踊劇である。
わたしはそれを思いつつ、杉本健吉の修二会画帳を見る。墨絵で綴られる物語にときめき、半世紀前の奈良を彩った人々を思う。杉本、須田剋太、入江泰吉たち。

その入江泰吉先生のお水取り写真展が奈良市写真美術館で開催されている。
駆け込みで見たが、すばらしい作品が集まっていた。
入江先生は「十二人目の練行衆」と呼ばれていた。戦後、大阪から奈良に戻られて以来、ずーっとお水取りに寄り添い続けられたのだ。
練行衆の様々な様子を捉えられ、その厳しい情景を写されている。

わたしのように柵の外でワイワイ興奮するだけの者と違い、先生は深く内側におられ、わたしたちが見ることのない状況を次々に露にする。
真摯な目を伏せて椿の造花を拵えている姿、紙衣作り、食事の作法、法螺貝の稽古。
厳しい中にもふとした瞬間の思いがけないユーモラスな様子を捉える先生。

夜の別火坊 ぼんやり灯りが障子の向こうの二人の姿を映し出す。

貝の吹き合わせ 六人が大小さまざまな法螺貝を吹き合わせる稽古の様子。中にはカメラ目線もいるが、皆がそれぞれ熱心。その熱心さが妙なおかしみを醸し出している。

良弁堂そばのこぼれ椿。地にぼたぼた落ちた椿のなんという美しさか。絵ハガキがないのが無念。異様に美麗の情景だった。

また雪に覆われた二月堂。真っ白な姿に、あの炎が走り抜ける様子が合致しないくらい。

面白いものをみた。昭和四十年の牛玉の宝印には四本川に横一の線が書かれ、それが四十年を示していた。
三十三間堂棟木由来だと「卅」の字を使いもするが、四十は初めて見た。

自分の撮ったお松明の写真はツイッターに挙げてある。素人の感銘を精一杯露にした写真である。
しかし稀代の写真家たる入江泰吉先生のお松明の荘厳さは、実物の荘厳さに深く迫る。
わたしはただただそれに耽溺するばかりだった。

また来年も訪ねたい。
いずれも3. 15まで。
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