美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

チベットの仏教世界 もう一つの大谷探検隊

龍谷ミュージアム「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」はたいへん興味深い展覧会だった。
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大谷探検隊は20世紀初頭に西本願寺第22代宗主・大谷光瑞が仏教の源流を求めて、中央アジアに派遣した探検隊のことではあるが、この「もう一つの大谷探検隊」はチベットに派遣された二人のことを指している。

青木文教と多田等観の二人はチベットの「生きた仏教の実態を探るため」派遣された。
当時はダライ・ラマ13世の時代で、大谷光瑞とダライ・ラマとの間に交換留学生についての話し合いなどが文書でもたれていた。

秘境と言うべきチベットに活きる仏教。
日本に生きる仏教との違いを知ることで、より「仏教」の真髄に迫ろうという考えがあったのだろうか。
素晴らしいことである。

当時のチベットとはどういった国であるかも日本では殆ど知られず、それだけに二人がもたらした資料はたいへん貴重なものであったろう。

数年前にチベット仏教の展覧会が開催されたが、その時に初めて多くの仏像などをみた。
「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展 あまりに多様すぎてちょっと混乱していた。

わたしが知っていることといえばその展覧会でみたものと、川口慧海のチベット入国などくらい。
またチベットから生まれたボン教(ポン教)のタンカは数年前にみんぱくで見たが、非常に魅力的なものだった。
その感想はこちら。
「チベット ポン教の神がみ」展 感想

ほかに、たかもちげん「祝福王」ではブータンが重要な地として描かれていた。(ブータンはチベット仏教を国教とする)
わたしがチベット仏教の仏像の外観を初めて見知ったのは、実にこの「祝福王」からだったように思う。
あの作品を最初に読んだときの衝撃と感動は今も心に残っている。

今回こうして「チベットの仏教世界 もうひとつの大谷探検隊」展を龍谷ミュージアムで見ることが出来たのは、本当に意義深いことだった。
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序章 目指せチベット

亜細亜大観(青木文教撮影写真集) 1927年刊行のアルバム。表紙は西域風なイラストがついている。

ダライ・ラマ親翰稿 朱色で書かれたチベット文字。清書は展示なし。

西本願寺入蔵命令書 1913 この文書は大変読みやすいものなのでここに写す。ただし原文と違い、現代日本語での写しとする。
「西蔵仏教の研究は世界の輿論なり。殊に我々教えを同じうする一門においてはその研究たる忽にすべからず。
印度仏教意テ遺法。今や西蔵に伝わるをや。
この故に汝は入蔵以て深くその教えの理趣の研鑽に務むべし。思いを遠く本部に断子永々駐蔵の計を立つべし。
研究に関しては法王猊下のご指令に依らざるべからず。
斯く兼案たる留学生も漸次進行しみるに到り、西蔵留学生の来朝の日、早からん。余の満足これにすぐるものなし。
本願寺 中書 (印) 大正二年一月十六日 多田等観(あて)」
これは秋田県立博物館に所蔵。

第一章 チベット仏教の歴史

吐藩(トルファン)があった頃までを前伝期、10世紀後半以降を後伝期という。
北村コレクションの真鍮や銅板打ち出し鍍金で作られた仏像がある。
中国・朝鮮・日本など東アジアの仏教圏とは異なる仏が少なくはない。

持金剛菩薩座像 ネパールもしくはチベット 16世紀 うつむき伏せ目である。手を交差させている。トルコ石やラピスラズリで装飾されていた。

釈迦五尊像 東チベット 18世紀 弟子の舎利弗と目ケンレンが並ぶ。前者はハンサム、後者は目を閉じているようにも見える。
ゾウ、シカがいて、白獅子がブサカワなのだった。

パドマサンバヴァと八変化 中央チベット 19世紀 解説を読んでもよくわからないし、自分で調べてもきちんと把握できていないのだが、トルファンの王に招かれたチベット密教の大成者でチベット仏教の基礎を築いた人だとか。「法身菩薩」で阿弥陀の化身とされ、八変化の姿を見せたようで、ここにはそれが描かれている。
ペマジュンネ 歓喜天のように妃を抱く姿、ペマサンバ 僧形、ニマウーセル インドの成就者の姿 妻二人、ドンジュドル 虎に乗る…
結構忙しそうやな。

チベットはインド仏教と中国仏教のどちらを取り入れるかで話し合いがもたれ、インド仏教を取り入れたそうだ。


ツォンカパ像 チベット 17世紀 銅造鍍金 これはチベット仏教にとっては重要な高僧で、顕教と密教とを極め、体系を統合したという僧。

ラムリム・ツォクシン 18~19世紀 ヒエラルキーを示す画像。ラムリムは17の教えで、ツォクシンは集合樹のこととある。仏画の様式の一つだとか。


第二章 チベットの様々な尊像
インドからじかに来たので、日本には伝わらぬ仏名が多い。

仏弟子立像 伝舎利弗と伝目犍連とがあり、それぞれ銅版打出し鍍金と銅造鍍金。後者は朱衣。二人の弟子は特にチベット仏教では好まれているのだろうか。

菩薩立像 元代 木造金泥塗り アタマが大きく作られてはいるが優美。

弥勒菩薩倚坐像 東チベットまたはモンゴル 17世紀初頭 銅版打出し鍍金 椅子に座るポーズをとる。足の親指が跳ね上がる。光背には竜の顔に魚体の幻獣がいたり、鹿を噛む獅子もいる。

十一面大悲観音菩薩立像 元代 乾漆造 チベットや日本では十一面観音が人気だと言うが、この十一面は並列ではなく縦列。上へ積み上がる顔。まるで顔の木のようでもある。

十一面千手観音立像 東チベット 17世紀 銅造鍍金 無数の細い手が伸びる。トルコ石がたくさん装飾されていた。

白色如意宝珠マハーカーラ像 東チベット 18世紀 銅版打出し鍍金 憤怒する尊たち。
大きな頭、逆上しているよう。鍍金が光る。

ガネーシャ像 東チベット 18世紀 銅版打出し鍍金 皿に乗る・皿に載せられる、というような「寝ているガネ―シャ」だが、目は開いていて、しかも何やら恨みがましい目をしている。ちょっと面白すぎる。
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ペルデンラモ像 東チベット 17~18世紀 銅造鍍金 チベット仏教独自の「恐ろしい女神」だけに目が怖い。

ヤマ像 東チベット 17世紀 銅造鍍金 どうも何やら色っぽい形態に見える。死体らしき女といい、獅子と言い、ヤマ本体と言い…

ヴァジュラヨーギニー像(ナーローパ流のカチョマ) 東チベット 17世紀 銅造鍍金 日本では金剛喩伽女とか。(調べたのだ)しかし後の説明がよくわからない。
誰が何を感得したのか。カチョマ=虚空を行く女の意味。
像そのものは妖艶で宝石まみれの裸婦。トルコ石と赤瑪瑙。素敵なスタイル。左膝を少し曲げて右足を伸ばすポーズ。

二つの色っぽい仏画を見る。
ヘーヴァジュラ像 東チベット 19世紀 
チャクラサンヴァラ像 中央チベット 15世紀
ヒンズーぽい感じもある。

第三章 ダライ・ラマ13世からの贈り物 釈尊絵伝
これが素晴らしい。すべて花巻市博物館蔵。25図あり左11図以外は全て17世紀の同時期作成。左11図のみ他の図より後年なのは、もしかして失われたのか?なお左4図は出ていない。これこそ失われたのか。よくわからないのだが、右1図から右12図へ至り、左1図から左12図へ向かう。本尊と本尊エクストラ図もある。
サイズは78.1x54.1で統一。中央に釈尊が描かれ、その周辺に生涯の事象が彩筆豊かに描かれている。
最盛期のインド細密画を思わせる丁寧な絵伝。
これは1933年に贈られたという。

正直言うとこの絵伝を見るだけで1時間かかった。
それでもまだ完全に「見た」と言えない気がする。

この連作ではとにかく白や灰色のゾウさんが可愛い。当初は凶悪だったり釈尊に逆らったり人殺しとかもみんな反省して、しょぼんとなったり。
小さい目だが表情が豊か。
獅子をも説き伏せる釈尊。マカツ魚もたくさんいる。
猿なぞはハチミツくれたり。池や地に潜る猿もいたな。

悲劇のアジャセ王子の物語がある。ダイバダッタにお布施するアジャセ王子。
そしてそのダイバダッタの悲劇性が釈尊の行動以上にはっきりと描かれている。
喜劇的なまでに必死であり、悲惨なほどの憧れを抱く。
ダイバダッタのその行動を見ていると可哀想になる。

全身に金を塗りたくったり、足裏に吉祥印を焼き印してもらったり(苦痛のため逃げ出さないように石造りの狭い空間で動けないようにしてまで)、もう本当に無惨な生。

一方荒くれゾウたちは釈尊に怪我をさせたことでシュンとなり、獅子に追われて、ついにニコニコゾウになる。
改心したのですね。

回復したアジャセは釈尊に大変なつくようになったりしたが、ついにダイバダッタは地獄へ堕ちる。

鬼子母神、舎利弗らの地獄巡り、涅槃、舎利争奪と解決、実に多くの事象が描きこまれた連作作品だった。
素晴らしい作品群に夢中になった。

降魔成道の部分。妙に骸骨などが可愛い。クリックしてください。
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第四章 若き二人の学僧が見たチベット
1912年の多田のチベット日記が面白い。
ダライ・ラマ13世から杏の干したものをもらい、おいしかったということを書いている。
わたしも杏の干したもの大好き。
これはあれだったかな、仏教徒だけでなくユダヤ教徒も過ぎ越しの祭りのときに関わりがあるのだっけ。

白ターラー菩薩像 中央チベットまたは東チベット 19世紀 これは胸の丸くて大きな色っぽい像だった。

チベット仏教の様々な用具が並ぶ。
マニ車、数珠、太鼓、僧靴、鉄鉢、錫杖、供養塔、護符などなど。

チベットのさまざまな写真がある。
風景だけでなく人々のちょっとしたスナップや肖像写真まで。
素直な人々の顔。

青木も多田も深くチベットに関わったことがとてもよく伝わってくる。
静かな感動がさざ波のように胸に来るのを知る。
本当に見てよかった展覧会だった。
日本の仏教とチベット仏教の違いを知ることで、チベット仏教のもつ世界観、その一端を少しだけのぞかせてもらったように思う。

後期は5/13から。
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ウルトラマン創世紀展 ウルトラQ誕生からウルトラマン80へ /円谷英二 特撮の軌跡展

二つのウルトラマン関連展覧会を大いに楽しんだ。
一つは「ウルトラマン創世紀展 ウルトラQ誕生からウルトラマン80へ」佐川美術館
一つは「円谷英二 特撮の軌跡展」高島屋各店舗
どちらも大変に面白く魅力的な内容だった。
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わたしは同日の朝と夕方にこれらの展覧会を楽しんだ。滋賀と京都で。
京都の高島屋の分は終わったが、難波の高島屋に巡回する。
そちらにも行く予定(5/1~5/12)

二つの展覧会の違いは、一言でいえばアプローチの違いということになるか。
だから二つの展覧会に出かけたのは、本当にけっこうなことだと言える。
差異について云々する必要はないので、わたしが見た“特撮の神様とその仲間たちによる「ウルトラマン」を中心にした素晴らしい内容”について書きたい。


わたしはまことに無念なことに「ウルトラQ」を知らない世代で、リアルタイムに見ていたのは「帰ってきたウルトラマン」「A」「レオ」「タロウ」だった。
ただしそれらの本放送の間にも「ウルトラマン」「ウルトラセブン」は繰り返し再放送され、わたしは「ウルトラ」シリーズのとりこになった。
同時代のライバルには「仮面ライダー」もあり、「変身忍者嵐」「快傑ライオン丸」などもあり、まこと1970年代の特撮世界はパラダイス状態だった。
とにかく特撮が好きなのはこれらのおかげである。

佐川ではヒトの身体サイズのウルトラ兄弟がずらりと並んでいた。
かっこいい。
ここは撮影ポイントなのでぱちぱち撮った。
個人的にはゾフィがけっこう胸回りがかっこいいと思う。
わたしはソフビ人形を持っているが、今から思えばあれもよく出来ている。

初期の特撮の苦労話をいろいろ読む。現代だとササッとCGで拵えるものであっても、そこに工夫を凝らし、情熱を注ぐ。
飛ぶ姿を作るのにも苦労していたようで、逆向けに撮影する装置の再現が高島屋にあった。

ウルトラマン、ウルトラセブンの頭部もABCと三種類あったり、手袋やブーツも展示されている。いずれもよごれているのが、往時の活躍ぶりを思わせる。

脚本の展示と簡単な各エピソード紹介などがある。
次から次に現れる怪獣たちは決して場当たり的な出現の仕方をしているわけではないのだ。
タイトルも素敵なのが多いし、企画物のシリーズもあるのを知ったり。
やはりこうしたきちんと体系的な展示をしてくれると、色々知ることも多い。

アイスラッガーの現物があった。セブンはこれを投げていたが、わたしはあの坊主頭になったセブンをちょっとばかり複雑な目で見ていたなあ。大体あのアイスラッガーは辮髪のポニーテールを思い出させてくれるので、ヴィジュアル的にあまり好きではなかった。
それにセブンのアイも寄り目やなあと思っていた。
…どう読んでもワルクチなのだが、実はわたしが一番好きなのはセブンなのだから、これはもうヒイキの引き倒しかもしれない。

ウルトラマンの造形に、アルカイックスマイルを採り入れたことは素晴らしいと思う。
一見表情がないように見えるが、それは能面と同じで、動く様子を見るとやっぱりウルトラ兄弟の感情が現れている。
そういえば今回の展覧会には出なかったが、どの主人公の時か、前代のウルトラ兄弟が敵に拘束されて口をきけなくされて、仲間に誤解を受けて逃げ回る話があった。
わたしは何がニガテと言うても、誤解されて憎まれるのがいちばん嫌だ。弁解する機会がないのは口惜しい。
だからもう本当にハラハラした。
変身できないウルトラマンとはつらいものだなあ、としみじみ思ったものだった。

前に世田谷文学館で見たが、バルタン星人来襲のシーンも工夫を凝らしたものだった。
これはもう本当に日本の技術力の高さ・発想力の高さを示しているものだと称賛するばかりだ。

そのバルタン星人、高島屋では「あなたもバルタン星人になれる」コーナーがあり、細かいことは隠すが、わたしも「フォォッフォッフォッフォッフォッー」と笑ってみた。
なんだか楽しい。

思えば笑い声一つにしても工夫がされている。
とはいえ、昔から日本では「笑う」ことを神との交流の一つに捉えている地域もあるので(山口県の笑講など)笑うことに対して様々な工夫を凝らすことに慣れていたのかもしれない。
バルタン星人は「フォッフォッフォッ」、東野英次郎の水戸黄門は「カッカッカッカッカッ」、黄金バットは「ハッハッハッハッハッ」と笑いながら走る。



怪獣の造形はそれだけでもうドキドキする。
小さい頃から怪獣に親しんできたからか、今もついつい指人形などをみかけると購入してしまう。
あるとき岡本太郎の展覧会を見たが、造形物がみんな怪獣に見えて、その途端に大好きになったという経験もある。
だから「太陽の塔」を見る度に「これがノシノシ動き出したら…」という妙なワクワクがある。

さて、怪獣もいろんな個性があり、個性がある分だけ物語も増殖する。
基本的に一話完結というスタイルをとっているが、たまに前後編などがあると、次までの時間の長さにイライラした。
それだけ夢中だった証拠である。


帰ってきたウルトラマン、ウルトラマンA 、ウルトラマンレオ、ウルトラマンタロウと続く。

この辺りまでは完全にアカペラで歌えます♪

タロウの頃からウルトラ一家がハバをきかせるようになった。
たとえば変身前のタロウ(篠田三郎)が現場に向かって運転していると、ウルトラの母や父がやたらとタロウを心配して話しかけてくる。
タロウはニコニコしながら「大丈夫ですよ」と応えていたが、子供心に「いややろなあ、こんな心配しぃの親がワヤワヤ言うの」と思っていた。

産みの親にワヤワヤ言われるウルトラマン。

後ろでバルタン星人もアララな様子。

ウルトラセブンが「ミクロの決死圈」する話がある。松坂慶子が少女女優として活躍していた頃の話で、セブンは彼女の内部に寄生する怪獣を退治するために小さくなり、はなの穴から浸入。その様子が再現されていた。
赤い洞窟でしたなあ。

他にも怪獣との様々なシーンがある高島屋。
次回の難波ではぜひともイヤホンガイドを借りて、かつてのヒーローたちのこぼれ話や解説を聞きながら歩きたい。

なお以前に見たウルトラマン関連展の感想を以下に並べる。
「不滅のヒーロー ウルトラマン」感想
「怪獣と美術 成田亨の造形芸術とその後の怪獣美術」感想
(これは同時期に見た他の展覧会ともども書き起こしている)
「奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解」
「ウルトラマン・アート」 感想
(同時期にみた内、大伴の仕事は多岐にわたりすぎていて、ウルトラマンの方に集約した)
「実相寺昭雄展 ウルトラマンからオペラ「魔笛」まで」感想

ときめきの力だけで空を飛べるなら、わたしはもうM 78星雲まで行ってるかもしれない。
いい展示をありがとう♪

石清水八幡宮で見たもの

昨日は石清水八幡宮に行き、左甚五郎一門の木彫彩色の装飾をみた。
こちらは撮影禁止なので、見た人だけのおたのしみになる。
宣伝より。
猿が枇杷を食べてますなw

竜虎もカッコイイ♪

さて今回は吉岡幸雄さんの染め上げたもので拵えた作り花をご紹介。
以前もここで紹介したかもしれないが、綺麗なものは何度見てもいい、ということで。

花にはそれぞれ小禽などがいる。
御祭神は神功皇后、応神天皇、比メ大神。


月次の花たち。


 

 


 













丁寧なお仕事。
素敵でした。

今回の本当の目的は童形神を拝むことだったが、それはこちら。

可愛らしかったです♪

またお参りします。

都内で見た魅力的な挿絵の展覧会

東京でとても魅力的な挿絵の展覧会をいくつも見た。
まず第一に弥生美術館、岩田専太郎専門の金土日館、それから文京区立森鴎外記念館での「鴎外親子が訳したグリム童話」、新しくスカイツリーに移転オープンした、ていぱーくでの「蕗谷虹児」、これら四つの展覧会で大いに挿絵・叙情画の魅力を堪能した。
元々好きな分野だからわくわくして出かけたのだが、予想以上によかった。

道なりに森鴎外記念館、金土日館、弥生美術館と歩き、ていぱーくへは別な日に出向いた。
どうしても重なり合うところが多いので、まとめてみることにした。

弥生美術館は開館30周年記念ということで、これまでの展覧会のポスターを小さくしたのを集めて展示している。
(サムネイル画像とはいえない、いい感じのサイズである)
数年前までは現在は閉鎖してる三階から屋上へ向かう階段室に展示されていたが、今はもう撤去され、往事の展覧会の様子を忍ぶことも出来なくなっている。
だから今回のパネル展示は有意義だと思う。
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わたしが最初に見た展覧会は89年の4~6月の「竹中英太郎」展だった。偶然ではなく、それ以前から戦前の挿絵にたいへん関心があったので、たまたま新聞で弥生美術館のことを知り、折りよく友人等と東京ツアーへ行くことになっていたので、その日程に入れたのだ。
GWの最中だったが、現地で新発見の挿絵の展覧会が池袋で開催されていると教わり、急遽わたしだけそちらへ行った。
後にその作品群は弥生美術館の企画展にもなり、行けなかったが、ポスターを見て作品を思い出していた。

やがて91年10~12月の「美少年の系譜」展から会員になり、今に至っている。
一年で四つの企画展が開催され、全て見ているが忘れた展覧会は一つもない。
過去の流れをこうして見ていると幸せな気持ちだけがわきだしてくる。

作品も弥生美術館創立者の鹿野さんと特別に縁の深い華宵の口絵などから展示が始まっている。
「人形」「愛し薔薇」「願い」などの叙情画、「馬族の唄」「雨中の銃声」「刺青」などの美少年絵、美人風俗屏風「うつりゆく姿」などの人気作品のほかに、初めて出たという話の「豊田の正月」「落花剣先」があった。
前者は明治42年作で、玄関先で下帯一つで働く少年と主人らしきトンビを着た主人という構図、後者は昭和五年作で、幔幕がずれ、背後の敵からの刃を振り向きもせず受け止める少年武士。かっこいい。

後年の絵本「雪の女王」「幸福の王子」「白鳥の王子」「小公女」も出ている。
そしていつもは三階の華宵展示室に飾られている「さらば故郷」と「新さらば故郷」とがこちらに並ぶ。
実にこの「さらば故郷」こそが弥生美術館の魂だと言っていい作品なのだった。

美輪明宏セレクトコーナーもあった。
夢二、虹児、まさを、初山滋の名品をピックアップされている。思い入れたっぷりなコメントもあり、同意するばかりだった。
戦前のこの美麗な夢を捨てることなど生涯出来るものではない。改めてそう思う。

もし現在も久世光彦が生きていたら、この記念展で魅力的なエッセイを書いていたろう、と思った。
とても無念だった。

絵は無限にあるような気がする。
しかしそれはファンの人々が大事に守ってきた作品なのだ。タブローより一段低く見られてきた挿絵。
しかし多くの人が大事に愛したのはその挿絵・口絵なのだ。
この世界を好きでいて本当に幸せだ。

続きを見て行く。
彦造の「渡辺綱」「天草四郎」「丸橋忠弥」、美少年が牢内にいる「阿修羅天狗」などがある。
専太郎の口絵「油地獄」「三千歳と直侍」「痴人の愛」そして「竜馬がゆく」の挿絵もある。

一方童画の武井武雄、本田庄太郎、清水義雄、川上四郎、村上知義らの作品も並び、明治中期の半古「胡蝶」、永洗「人外境」もある。
通勢の虞美人、荘八「霧笛」、小夢「玉藻の前」もあれば、晴雨の責め絵も少し。
戦後の濱野、御生、豪人をみた後に、かつぢやきいちの可愛らしい絵を見ても嬉しさは増すばかり。

少年倶楽部の絵も多い。
幾久造「国境の嵐」、五百枝「暮れ行く丘」、樺島と梁川の「敵中横断三百里」などなど。
SF小説の表紙絵などで活躍した武部本一郎、小松崎滋のSFもの、絵は描かないが異能の編集者・大伴昌司の図解もの、どれを見てもドキドキする。

明治の挿絵・表紙絵の魅力も忘れてはならない。
五葉と不折の「わが輩は猫である」、英朋と非水の「生さぬ仲」、「かたおもい」、清方と英朋の「風流線」。

ああ、ときめきがとまらない。6月末まで。

次は岩田専太郎の作品を集めた金土日館で見たもののこと。
なにしろ生涯に何万枚もの絵を描き倒している。
半世紀以上にわたっての稼業である。その仕事の中で生まれてきた言葉と共に展示されていた。
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専太郎は国芳ー芳年ー年方ー清方ー深水ーという血脈に生きた。専太郎という「美人画家」「挿絵画家」はその時代時代に活きる作品を生み出し続けた。

専太郎の描く江戸時代の女たちにはどこか哀れさがあるが、現代の女たちはみんな強さがある。悲哀はあっても生きてゆこうという意志が見られる。
まつげの長さ・口元のふくらみ。
男性向けの美人画なのかもしれないが、しかし彼女たちは誰にも依存していない。かっこいい。
これまでそんな風に思ったこともなかったが、ここで多くのタブローをみるうちにそのことに気づいたのだった。

戦後すぐのカストリ雑誌での物語絵(口絵など)ではやはり「痴人の愛」がいい。よほどあの作品は人気があったとみえて、弥生美術館でもここでもほかのところでも見ている。譲二をウマにしてナオミが室内を歩かせるシーン。
わたしもけっこう好き。

挿絵の仕事では特に戦前の「鳴門秘帖」が素晴らしい。これはアールヌーヴォー調の作品で、波瀾万丈な伝奇小説にふさわしい艶のある絵。
わたしはこの挿絵がほしくて、挿絵が収められている単行本を兵庫県庁前の古本屋でみつけたときは小躍りしたものだ。
ここでは虚無僧姿の主人公が立つシーンがある。
ほかに昭和13年に出た「挿絵の描き方」というノウハウ本に使われたカットとして「夜光虫」の時計台のシーンも出ていた。
後者は弥生美術館の会員になる以前、高校の頃に画像を手に入れて喜んだものだ。

「竜馬がゆく」は専太郎の仕事だとは知っていたが、「峠」もそうだったのか。司馬サンの幕末ものは特に好きなのでいよいよ嬉しい。
「皇女和宮」「我ら九人の戦鬼」も手がけていたか。
現代ものも三島の「音楽」が有名だが、当時人気の舟橋や小島の小説にもたくさん描いている。

館には画集もたくさんあった。今ではもう手に入らない名作集などだから、今度は是非たくさんの時間をとって、ここに再訪したい。
現在の展示は9/21まで。


森鴎外記念館で見たグリム童話の翻訳作品はとてもよかった。これは父の鴎外が長男於菟のドイツ語修行のためにとさせていた仕事で、於菟は12歳から16歳まで多くの作品を翻訳し(父の添削を経て)、雑誌に発表していた。
そのうちに学業が忙しくなってやめてしまったが、44年後の昭和23年に脇田和の挿絵で刊行された。
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シンプルな線描にあっさりした彩色で父と子のコラボ翻訳にヴィジュアルイメージを与え、よい本に仕立てあげた。
再刊されれば手に入れたいと思いもする。

イクメンの森鴎外は子供らの教育にも熱心で、自分から本を与えたり本がないときは雑誌からとって手製本にしたりしたそうだ。
特に漱石の「幻影の盾」を自家製本にして長男に与えているのがここにある。
わたしも「幻影の盾」はとても好きなので嬉しい。
ラファエル前派風の味わいのある口絵。
怖そうな女と若い騎士とが池の畔にいる。15歳の於菟のためにこしらえた手製本。

於菟の「グリム童話」が展示されている。
文章自体は口語体ではあるが古めかしさが先立つ。
20世紀初頭の「萬年艸」に掲載されているのを見たが、そこに井上通泰の投稿もあって、個人的には嬉しい。

「ヘンゼルとグレエテル」は全文掲載。これはまた特に兄弟の母親と魔女のばあさんへの嫌悪に満ちた文章で、深読みがいくらでも出来そうだった。

「がま」「茨姫」「星の銀貨」「鉄のハインリッヒ」「雪姫(白雪姫)」「しあはせなハンス」・・・
レトロな文体であることがかえっていい感じしてきた。
再読したくなってきた

常設でも森鴎外という明治に生きた一人の人間の生涯にある種の感銘を受けた。
作品とは別なところでファンになったと言ってもいい。

企画展は4/20で終了した。次の森鴎外と演劇の展覧会もとても楽しみ。


最後に東京スカイツリーに移転した「ていぱーく」での蕗谷虹児展について。

これは後期にしか行けなかった。
とても好きな作品がたくさん出ていて嬉しい。
叙情画はやはりいつみてもときめく。
可愛い絵、綺麗な絵がとりどり。
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パリに行った後からのアールデコ風味が加わった作品は大人びていてかっこいい。
「令女界」の表紙などが特に好きだ・
配色にも20年代のパリの香りがする。

猫をだっこする少女の優しい笑顔、とろけそうな目をする少女、理知的な目をした若い女。
みんなとても魅力的だ。

そして一方で関東大震災の悲惨な傷跡と励ましと復興とを描いた絵はがき集を出している。
暗い絵だがリアルなものではなく、幻想味の強い絵になっている。

戦後になっても変わらず綺麗な絵を描いている。
人魚姫の絵本原画にはせつなさがまといつく。
姫が王子を刺すか刺すまいか悩む姿がいい。

三島由紀夫「岬にての物語」の装丁という仕事が戦後にあるが、やはり戦前に比べて活躍の場は減った。
残念なことだが、しかし戦前の活躍はそれで傷が付くわけでもない。
それに晩年には東映動画で「夢見童子」を拵えている。

虹児が戦前に作った「花嫁人形」は今も人々に愛されている。絵と唄とがあり、唄は今もどこかで誰かがくちずさんでいる。

そして今もこうして虹児の作品は展示され、人気を集めている。オールドファンだけでなく、新しいファンも生まれているのだ。

5/11まで。

やきもの動物園

東京でよいやきものをいくつも見たが、いずれも「動物」と密接な関わりを持つものばかりで、楽しく眺めた。

戸栗美術館などはコレクションから動物が描かれたものばかりをピックアップして「古伊万里動物図鑑」展を開催している。
十年ほど前にたばこと塩の博物館が「たばこと塩の動物園」を開催し、大好評を得ているが、あれを思い出しながら見て歩いた。

そして汐留ミュージアムでは「フランス印象派の陶磁器1866-1886 ジャポニスムの成熟」展が開催中だが、こちらは北斎の絵などからモチーフを得て、動物を作中に招き込んでいる。

最後に菊池寛実記念智美術館では現代の陶工・藤本能道の色絵を特集しているが、こちらは小鳥のオンパレードだった。

ということで今夜は「やきもの動物園」をお送りしたい。

江戸時代は博物学の時代でもあった。
動物園の概念はなかったが、盛り場には必ず見世物興行が打たれたが、その中に見慣れぬ・変わった動物たちがいた。猫も犬も愛され、物語なども少なくはない。

戸栗美術館のやきものに動物たちが多い理由をいくつか考えているうちに思いついたのがそんなことだった。
要するに好きなのだ、動物が。
だから理由を拵えても仕方ないのだった。
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戸栗美術館のシンボルマークは虎である。この虎は現在の展覧会に現れて大きなしっぽを立てている。

虎一つにしても個体によりシマ柄が違うと言うくらいだから、決して同じ虎はいない。
チラシ右上の虎ちゃんをみる。釉薬がきれいに虎のシマ柄と青い目をみせる。

猫をモデルにしたらしき虎たちは竹と共に描かれることも多く、柿右衛門の様式の一つに常駐しているのもいる。
虎たちはみんな楽しそうだった。

実際のゾウを見た人々と言えば、ベトナムからのアジアゾウを、吉宗の時代に見たことがある、といえた人々くらいか。
だからキクラゲみたいな姿をしていてもゾウはゾウなのである。
仏画に見る象は尊いが、かれらはやきもののモチーフにはならない。
偉すぎるものは敬して遠ざけられたらしい。
とはいえ天からの助け手の象もいて、そちらは出演OKらしい。
中には大舜のために野良仕事を手伝うゾウもいて、そのモチーフごとやきものになることもある。

ウサギも多い。吉祥動物というくくりの中に入っているから、だけではなくやっぱり可愛いと思う人の心にあわせての出現率である。
波ウサギは謡曲「竹生島」の「月海上ニ」から採られていたが、本当に可愛い。

とはいえ圧倒的に多いのは鳥たちだと思う。
めでたい鳥の代表たる鳳凰、鶴、それから親しい鷺、雉、雀、セキレイ、千鳥などなど。鶴に至っては翼を広げたのを丸く囲んだ大きな形のものがあったりもする。
秋の風物に「葦に雁」というのもあり、これまたきれいな皿だった。
ほかにも粟に鶉、「竹に雀」がてんこもりで、日本人がいかに「花鳥風月」を愛してきたかがよくわかる。

獅子と言えば中国の皇帝は獅子を自分の紋章にして、明代の官窯らも獅子を多くやきものの文様に取り込んでいる。
かれらは大抵が竜とにらみ合う位置に置かれる。
竜も「竜虎あいうつ」の言葉がでなければ、のほほんとしていたかもしれない。
(尤も中国の竜は結構のほほん系ではある)

ほかにカニ、蝶の外形そのものをモチーフにしたものもあり、とても可愛かった。

お客さんもかなり多く、みなさんはやはりこうしたテーマが好きなのだと思い知らされた。←まずわたしだな。
6/19まで。

汐留ミュージアムでは「アビランド家の秘蔵コレクション公開」ということだった。
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ツバメにホトトギスに雀。
絵のモチーフとしてとても愛されている。
フランスではわざわざ彼らを芸術の中に採り込もうとはしなかった。
ところが北斎漫画などがフランスに渡ったことで状況は一変。20年ばかりの間に大量の「花鳥画」が世にあふれ、それらがやきものの世界にものさばりだした。

ツバメと桜の椿。いい取り合わせ。それを楽しむ。
ほかにも、彩色が綺麗だからと選ばれたらしき、インコとハナミズキのとりあわせもある。これなどは特に見事な色合いだった。
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西洋には花鳥風月の観念はなかった。ジャポニスムで初めてそれを知ったのである。ただ、それは彼らの骨にまでは染み透らなかった。
だが、印象派の画家たちが自然を「愛した」のはやっぱりそこのあたりと関係があるのだ。

白泥で小鳥を表現した皿がある。見事な貫入まで入っていて、本当にきれい。
魚も多く焼き付けられている。みんな目がギロギロしているのが面白い。

これら不思議な動物たちの皿や鉢をテーブルセットにして撮影可能なポイントもあり、そこには本当のルノワールらの絵が飾られている。
今日は絵画は賛助出演あるいは友情出演で、静かににこにことやきものの近くで展示されている。

絵といえばデザイン帳なのだが、コーヒーカップのデザインに「白梅に蝙蝠、白木蓮に猫が箱を開けようとする」構図があり、これはもうフランス人なにするものぞ、なアイデアだった。

こちらもいい心もちで見て回れる。6/22まで。

最後に藤本能道。
加藤土師萌と富本憲吉とに師事し、色絵の粋を追求した陶工である。
この人の作品の大半は鳥がモチーフになり、たまに蝶々が現れもするが、やはり本質的には鳥好きな様子がみえる。
ここはだからバードドームのようなところだった。
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とにかく釉薬の開発にも心血を注いだ方なので、非常になめらかな色合いを見せている。
そして植物にも詳しいようで、様々な植物と鳥との取り合わせを見せる。
美男蔓に尉鶲、驟雨に小鷺、月下に五位鷺、椿にヒヨドリ、枯葉と百舌鳥…
無限にそんな組み合わせが生まれている。

古伊万里の無邪気な動物たちと違い、現代作家の動物たちは物思いにふけるような、賢い目をしている。
どちらが良いとかよくないというのではなく、その違いがある。

色調が美麗だからか、翡翠が多いのも特徴だった。
そういえばどうして宮沢賢治は「よだかの星」でよだかとかわせみを兄弟だとする設定にしたのだろう。

6/29まで。

書きながらわたしも見て回った時の楽しさが思い出されてきていた。

オランダ・ハーグ派

損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「オランダ・ハーグ派」展に行った。
「近代自然主義絵画の成立」という副題がついている。
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都市風景や物語絵が好きなわたしとしてはニガテな分野だが、それでも楽しめたし、なによりとても勉強になった。

第一章 バルビゾン派
ジョルジュ・ミシェル パリ近郊の風景  市中ならともかくパリ近郊というのはたいへん牧歌的である。
ロマン派風な趣があるのは、吹き渡る風の強さか。親子が連れ歩くが、道の他には何もない。
わたしがここの住民なら、やっぱりパリに出るよ。

シャルル・エミール・ジャック 森はずれの羊飼いの女  前記の画家に影響を受けたそうだ。
犬もいてのんびりした光景が広がる。羊は茶系統の毛並みで、なんとかいう種類か。モコモコノタノタした静かな様子。

ジュール・デュプレ 森の中 夏の朝  青空がとても濃くて、まるで海のような色にも見える。ブナ?の木の下には走る牛たちがいる。川で跳ねたり。
こんな森の中で走る牛を見たらびっくりする。

ミレー バター造りの女 吉野石膏コレクション。以前から親しみがある。
よく働く女の裾には猫がまといついている。茶色くて耳の丸い猫である。その場にトリもやってくる。奥の方でも働く女がいる。

ミレー 母の心遣い  男児がお母さんに服を上から着せられているようで、ぱんつなしなのではっきりあらわになる。それを既に支度を終えているおねえちゃんが見ている。
なんだか微笑ましい。

ドービニー にわか雨  羊たちを丘から慌てて連れ帰す様子。三匹の犬たちが大活躍。シープドッグというのだったか、声まで聞こえてきそう。

ルイ・アドルフ・エルヴィエ モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット  なにやら廃墟ぽい感じがする。シケている。下に広がる住まいは例の貧民向けのものだが、それにしてもあばら家過ぎるではないか。

ヨハン・バルトルト・ヨンキント シャトー・ミーウング  外光を感じる。白い光が行き渡る。人々がゆく。牛もいるのだが、木がどうもタラの芽の天ぷらに見えて仕方がない。
つまんで食べてみたくなるような。

クールベ ルー川源流に架かる橋の水車小屋  ハッとなる絵だった。それまでのどちらかというとぬるま湯的なのんびりぽかぽかムードがいきなりこの一枚でバッッと変わった。
ロマンチックというか、物語がいきなり生き始めたような。凄くどきっとした。
この違和感は大切なものだと思う。

第二章 ハーグ派
ヴィレム・ルーロフス ノールデンの五月  明るい!浅瀬や草が明るい五月。牛もイキイキ。水面に空が映る。塗り方が新しいような感じがし、それが明るさを生かしているのか。

ヴィレム・ルーロフス 虹  まだ雨後の暗さの中に大きな虹が。右奥から昇って行って…半円を見せている。牛たちはしかし虹にも無関心。泥濘の残る道をゆく。

ヤン・ヘンドリック・ヴァイセンブルフ ハールレムの風景  ここにも牛。のんびりするのをロングで捉える。中には走る牛もいる。民家も遠くに見える。
視力がよくなるような景色。

牛ばっかりモウモウと湧いているなと思ったが、オランダにとって牛と海とは非常に重要なものだということを知らされた。

ヘラルト・ビルデルス 山のある風景(フランス・サヴォワ)  夕日がさす。優しい目の牛たち。山羊もいる。角がなかなか立派。
関係ないが、サヴォワと言えば「ブリキの太鼓」のロスヴィータかもしくはその親方がサヴォア公の子孫とか名乗っていたのを思い出す。

パウル・ハブリエル ヒースの荒野にある小屋  ヒースとは何かと言えば、と解説にある。「英国やアイルランドの荒れ地の低い植物、またはそれがある荒れ地」とのこと。おお~嵐が丘はそのままヒースの咲く丘で、ヒースクリフはやっぱり嵐が丘そのものなんだ~!
と、喜びながら絵を見る。
ぼろぼろの民家。洗濯物がやたらと多い。十枚ほどが干されている。女が座って何かをしている。荒涼たるものは風景だけではなかった。

ヴィレム・マリス 水飲み場の仔牛たち  なついてるね。パイプの男と少年とがいる。仔牛たちは喜んでやってくる。

ヴィレム・マリス ロバの番をする少年  仲間が多い。右手にいる少年がとても可愛い。薪を持つ。左にいる少年とのちょっとした緊迫感。ときめくなあ。
向こうにも少年たちはいる。映画のワンシーンのようだった。

アントン・マウフェ ラーレンの女と仔羊  ごはんを食べる仔羊なのだが、どうも猫に見えて仕方ない。女は仁王立ちしている。どうも飼い主としてなにやら文句を言うているようにも見える。

ヴィレム・デ・ズヴァルト 版画集をみる  ちびっこ姉妹が大きな本を開いている。その足下には五匹の猫がいる。籠に三匹、外に二匹。幸せそうな家庭を思わせる。

マタイス・マリス 出会い(仔山羊)  母親が赤ん坊と仔羊を会わせる。「仲良くね」そんな言葉が聞こえてきそう。

ベルナルデュス・ヨハネス・ブロンメルス 室内  これはいい雰囲気の絵。夫婦と子供たち。パパはイクメンで、子をだっこしてミルクを飲ませている。ママはお湯呑みに(コップとも言いにくい形)何か注いでいる。いいねえ。

ヤコブ・マリス 漁船 グレーの空の下、停留中の船がある。働く人々もみえる。旗はたなびき、カモメは泣き叫ぶ。

フィリップ・サデー 貧しい人たちの運命  漁の成果を馬車に詰め込む人々を後目に、おこぼれを拾おうとする女たちがいる。落ちている魚を拾う女たちもいる。せつない。魚のおこぼれを狙うカモメたちがいる。
漁のない日はこの人たちはなにを食べるのだろう。

第三章 ゴッホとモンドリアン

まずはゴッホから。
ジャガイモを掘る二人の農婦  うんせうんせ、と働く。

白い帽子をかぶった農婦の顔  見る方向のせいでか、ちょっとばかりクラウス・キンスキーに似ているように思う。

雪原で薪を集める人々  吉野石膏コレクション。なんとなくなじみがある。一家で働く人々の絵。真っ赤な太陽が彼らを照らし出す。

モンドリアンの風景画。
アムステルダムの東、オーストザイゼの風車  池がモネモネしてますな。

ダイフェンドレヒトの農場  こういうの大好き。水面にくっきり映る林と家と。色彩感覚がとてもいい。魅力的な作品。

夕暮れの風車  写実ではないが写真風な絵。黒々とした存在感がいい。
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最後に資料を見ると、「パノラマ・メスダッハ」というものがあり、スヘフェニンゲンの当時の環境を守れと運動したが果たされず、1880年に風景を再現したらしい。
結局その立体パノラマ以外はなにもなくなり、リゾート地になったそうだ。

かなりまじめに見て歩き、オランダ人にとって牛と海の重要性というものを絵を通じて教えられたと思う。

6/29まで。

「菅原伝授手習鑑」を観る

国立文楽劇場開場30周年記念、さらには竹本住大夫引退興行というのが、今月の文楽公演の冠である。
通し狂言「菅原伝授手習鑑」。
わたしは夜の部を拝見した。

「菅原伝授手習鑑」は三大狂言の一つで、1746年に初演されている。
明治から今に至るまでミドリでは「寺子屋」「車引」(「車曳」)が人気で、文楽でも歌舞伎でもこの二つがよく上演される。
「せまじきものは宮仕え」という言葉が今でも人口に膾炙されているが、それは「寺子屋」のセリフである。
300年近い昔の芝居でも、その時々のリアルな時代に「ああ、わかるなあ」という感覚があったろう。
この言葉が排除されたのは昭和の戦時中くらいで、現代にも通じる感性がこの芝居にはある。

しばしば時代物の芝居の外題に特定個人の名前が出る。
この菅原はむろん菅原道真公であり、「義経千本桜」は源義経である。
その菅原道真公なり九郎判官なりがタイトルロールであっても、実際に活躍するのは彼らよりも周辺の人々である。
わたしは高校の頃に郡司正勝あたりが執筆した芝居の脚本とシノプシスをまとめた本を手に入れ、今に至るまで時折読んでいるが、この芝居では菅公がどう活躍するのかよくわからなかった。「道明寺」あたりを見ると「ああ、そうなのだ」と思うものの、こうなると象徴的な存在になり、後はもう関係ないのだなとずっと思っていた。
が、それはわたしの思い違いというものだった。

今回通し狂言としての「菅原伝授手習鑑」を見たことで、御霊信仰、天神信仰といったことどもがすっきりと胸に収まった。
菅公がヒトから神への領域に移って行ったのは「道明寺」の段からだが、今回の通し公演で「天拝山」の段が加わったことで、本当の意味で菅公が神になったことを強く思い知らされた。
わたしは菅公が訪れた由来を持つ、さる天神の氏子である。
藤原魚名を祀った社へ、九州に出立前の菅公が拝みに来たという神社である。
古来から「足の神様」として高名な天神さん。
それだけにある種の親しみが菅公にはあるのだが、いよいよ芝居を見てその念が強まった。
無自覚なファンから意識的なファンになったというべきか。
それは今月の文楽公演の素晴らしさが原因だった。

芝居の中で「筆法伝授」の段がある。
ヒトの業とも思えぬ能書。菅公はそれを武部源蔵に伝授させた。
心技体がまさに合致したからこそ可能だった伝授である。
素晴らしい技芸はヒトの領域を超える。
ヒトはそこにこそ感銘を受けるのだ。
今公演にも同様のことが言えるのではないだろうか。
浄瑠璃も三味線も人形も、皆あまりにも素晴らしい。
観客はこの通し狂言によって、深い感動を受けた。
特上の技芸がストレートに心に入る。その効果が観客に生きている。


長々と前置きを書いてしまった。
以下、見たことへの感想を、例によって完全に自分勝手に書いてゆく。

三段目 車曳の段
茶筅酒の段
喧嘩の段
訴訟の段
桜丸切腹の段(竹本住大夫引退狂言) 
四段目 天拝山の段
寺入りの段
寺子屋の段

まずは「車曳の段」から。
当たり前のことだが、まず太棹がビエンビエンと鳴り響くことで、心が芝居の中に入り始める。この始まりはやはりこのような擬音でなくてはならない。軽やかにビェンビェンであってはいかんのだ。
鶴澤清治のビエンビエンと響く音色にわたしは薄く目を閉じる。
複数の太夫がおられる。それからしても華やかさがある。

ここの三つ子は二卵性ならぬ三卵生で、誰も似ていない。
兄弟は順に梅王丸・松王丸・桜丸である。
元気に梅王と桜丸が現れる。兄弟は無人であるのを確かめてから編笠を外すが、少しの時間差がある。梅王のぱっ とした元気さ、桜丸の優美さが特にここではっきりする。
三つ子とはいえ厳然と長男次男三男の隔てがある。
四郎九郎(後に白太夫)の子として生まれた彼らの内、長男の梅王丸は親の後をついで、特に尊敬される菅公の舎人となっていたが、この前の状況で斎世親王の舎人たる桜丸ともども今や素浪人になってしまっている。
菅公も親王も藤原時平のために流謫されてしまい、単純な兄弟は憤っている。
稚気あふれる憤りは無邪気さがなくてはならない。
兄弟の人形は溌剌として、その素朴さをあらわにしている。

吉田神社は節分の追儺の行事で高名な神社でもある。その時期も過ぎ、梅がよく咲いている。紅梅白梅が交互に咲いて、華やかな景色を見せる。
派手な装いの兄弟は今風に言えば時平に対し「激おこプンプン丸」なので、いっちょ「イテモタレ」ということになる。
この辺りの兄弟の行動は、歌舞伎だと見事な隈取を入れるのも納得、という心根である。
尻からげした兄弟は、横綱のまわしのような、房つきの金モールも入ってそうなのを見せる。派手でいいなあ。
梅王の方が桜丸より一回りばかり大柄である。

アリャコリャともめてるところへ松王丸が現れる。現れたとき、ハッとなった。ここにいる誰よりも大きい、と思ったのだ。存在感がある。桐竹勘十郎である。
彼は次男であるが為に親の仕事を継げずに、ほかに就職先を求め、たまたま敵になる相手のところに雇われるのだ。
彼の責任ではないが、彼はそのことを言葉にしない。
時平の出現。青塗などせずとも悪人であることがわかるのは、その態度である。
いかにも憎々しい。憎々しいのは豊竹松香大夫がいいからなのだが、本当にニクソイ。
そしてここではっきりと悟らされることがある。
所詮はこの三つ子は時平からすればただの「下人」にすぎないのである。
それはナマナマシイ古い上方の言葉からも知れる。
罵り一つにも実感がある。これはやはり江戸の役者からは味わえない・感じ取れない感覚だと思う。
身分差別が当然の時代であるので、そこらはスルーすべきで、むしろ「浪人」だという言葉の方に梅王・桜丸が激昂したことを知らなくてはならない。
歌舞伎での人間離れした時平と違い、むしろ人間らしさを感じさせる時平の人形だった。

茶筅酒の段
場面変わってのどかな佐田村の景色である。
鶯笛が聴こえる。
四郎九郎爺さんは古稀になり、三つ子もおるというのでアラ珍しやで「白太夫」という名をこの度ちょうだいした。それで今が誕生日だと喜んでいる。
わたしは「手習鑑」の通しを見るのは初めてなのでこの段を知らない。だからここで「誕生日」という言葉が出てきてちょっとばかり感心した。
家の庭には子供らの名のもとになった梅・松・桜が咲いている。同じ大きさの木である。
爺さんは近所の心やすい人となんだかんだと喋っているが、実はこの会話は全て安気なように見えて、のちのちに「…ああ」と思うところがあるのだ。

やがて舅の祝いにと一番に桜丸の嫁の八重がくる。八重は春らしい黄緑色の着物にオレンジの帯を締め、頭も可愛くしている。水色の日傘も差している。
前々から思っていたが、三つ子の年はいくつなのか。
子供が七つということから考えても三十前後なのか、もっと若いのか。なにしろ父親が七十である。
古希というても現代の古希ではなく、これは本来の意味での「古希」古来マレなり、なのである。
じいさんはもしかすると何度か結婚をしているのかもしれない。・・・などと想像するのも楽しい。

三人いる嫁のうち、じいさんはどうもこの八重がお気に入りなのか、他愛のない話をして打ち笑っている。
(後の展開を思えばこの笑いが実は悲痛なものになるのだが、物語の時間に添う分では我々もハハハと明るく笑えるのだ)
やがて松王女房千代と梅王女房お春とが連れだってやってくる。みんな黄緑色の着物である。
三人の嫁たちは存外仲もよさげで、三人がそれぞれ合理的に仕事を割り振って祝いの膳をこしらえにかかる。
じいさんの白太夫は機嫌よくお宝の根来碗、折敷を出す。
ああ、実感としてわかるなあ。
とはいえ、わたしは根来塗といえば仏事しか思い出さない。持ってて嬉しいのは春慶塗やなあ。

女たちはそれぞれ味噌擦ったり大根切ったり米炊いたりと甲斐甲斐しいが、その役割分担するのは長男の嫁のお春である。
ところで細かいことをいうが、「おひたし」ではないのか、大坂では。「シタシ」になるのは東ではないのか。それともただの聴き間違いか昔は「シタシ」というていたのか。そんなことが気にかかる。

古い大阪弁が白太夫の口からあふれてくる。
三つ子が似ていないことについての台詞が面白い。
「生ぬるこい桜丸が顔つき、理屈めいた梅王が人相、みるからどうやら根性の悪そうな松王が面構え」
生ぬるこい=なまぬるいの意味であるが、土着の言葉である。北河内の人らしい言葉だと感じる。
そして今はもう殆ど使われていないのかもしれないが。

三人の嫁たちは不在の夫をそれぞれの木に見立て、木にお膳を持ってゆき、自分らの亭主の自慢を木にかけて口にする。
そのときの三人の嫁たちの誇らしい声がいい。

三人の嫁たちはそれぞれが持ち込んだ祝いの品を出すが、三方土器、三本の扇、頭巾である。
わたしはピンとこなかったが、この取り合わせにはきちんと意味があるのだった。

やがて近所の氏神さんにお参りにゆこうと、それまで行ったことのない八重をつれてじいさんは出てゆく。
わたしは単純に「じいさん、やっぱり八重がお気に入りなのか」と思ったのだが、これにもちゃんと意味があった。
わかるのはもっと後のことである。

喧嘩の段
やっと現れた松王は渋い着物である。いろいろといらんことを言うているところに梅王もきて、とうとう喧嘩になる。
ここでまたも面白く思ったのは「ゲイゲイと虫酸が出る」という表現である。今でも吐くときの擬音はゲェゲェであるから、この時代すでにその言葉は生きていたことを知る。

人形の動きもののしりあいも面白く見た。
しかしここで桜が折れてしまう。
はっとなる人々の緊迫感が伝わってくる。

訴訟の段
気の毒なのは嫁たち。そんな様子が見て取れる。
しかし松王の今日の遠因は就職難だということを、この父も兄弟も忘れているのではなかろうか。

桜丸切腹の段
住大夫さんと錦糸さんが現れた。
人形もここでの八重は文雀さん、桜丸を簑助さんが操る。

沈痛な声で語る住大夫。ここの話はすべて沈痛なものだが、場面に合う重い声を聴くと、人々の悲しみがまっすぐに伝わってくる。
声の遠近法とでもいうものを感じる。
白太夫、八重、桜丸それぞれの立ち位置が実感できる。

住大夫の独特の声がもう聴けなくなるのか。
あらためて惜しいという気持ちが沸き起こる。
何とか止めたいと思う。
が、それは叶わない。
そしてそれは桜丸が切腹してしまうのを止めたく思う白太夫の心情と合致する。

桜丸はもう心を決めていて、静かな心境にいるのだ。
生き延びたいとは彼は思わないのだ。
引き留める術を誰も持たない。

住大夫の引退ということを改めて考える。
何とも言えん「情の深さ」を感じる芸。それがもう失われるのだ。
無念である。
が、それは詮方ないことなのである。
しかし残されるものには未練がある。この未練は消えない。

桜丸は住大夫であり、われわれ観客は白太夫であり、八重である。
そのことを知る段となった。

白太夫の訛る「ナマイダ」が二度目となるとき白装束になる桜丸。
梅王夫婦がその場に現れるが、やはり彼らも何にもできない。
外でただ彼の成仏を祈るばかりなのだ。
そして嘆きはいよいよ深まる。

ふと、白太夫の悲痛と合邦の悲痛とはどちらが、ということを考えた。
比べることなどは無駄に過ぎない。どちらも子をなくすという巨大な痛手がある以上、どちらがどうということはないのだ。

それにしても、と改めて思うことがある。
後のことだが梅王は妻お春を、松王は一子を、桜丸は自身を失うのだ。
三つ子はいずれも大きな犠牲を払っている。

いい語りを聞かせてもらい、ほんとうにありがたかった。
住大夫さん、ほんまにほんまにありがとうございました。


なお、簑助さんの八重はやはり可愛らしいと思った。
そして白太夫の家の垣根はここでは「枳殻の垣根」、茶筅酒の段では「枸杞の垣根」という表現になっているが、前者はその前に「蒲公英嫁菜」というのが先につくから、あまり関係ないのだろうか。
改めてそんなことを考える。

天拝山の段

豊竹英大夫と鶴澤清友である。出だしに軽やかな三味線の音色がある。
ジャンジャンというような軽快なリズムを刻む。
一年後のある春の日、筑紫での菅公と白太夫のお散歩がある。
いい黒牛に乗り、他愛ないおしゃべりをして心を慰められる菅公。
牛の良さを示す言葉と菅公の勘違いとが面白い。これは言葉遊びである。
大坂の古い言葉の面白さがよく出ている。それがまたリアルに伝わる。

飛び梅の知らせが来る。びっくりの人々。お寺に行く。あららほんまに白梅があります。
やがて誰ぞと切り結ぶ梅王丸が現れる。
この梅王の力強さにわくわくする。

やがて暗殺者の口から時平の大野望を聞かされた菅公は、憤激のあまりに人間であることをやめてしまう。その憤りの激しさには梅王もたじたじとなる。
かれは「車曳」での時平、そしてこの菅公の威に押され何もできなくなるのだ。

わたしはようやくここでこの狂言のタイトルに菅公の名がついている理由を見たような気がした。
荒れ狂う雷鳴のなか、電流炎まで吐き出し、人から神へ移行した菅公。
恐怖であり、奇跡の目撃者たちは何もできずにうずくまるばかりなのだ。

その変容のありさまを目の当たりに挿せてくれるこの段は、わたしには非常に興味深く面白いものだった。


寺入りの段

明るい元気さがある。歌舞伎の入れごともないので案外短く感じた。

寺子屋の段

ああ、申し訳ないことを最初に記すと、わたしは昔からどうしても嶋大夫さんがニガテなのである。
声質が体調に合わないというか、ニガテな声なのである。
今は亡き伊達大夫さんのファンであるわたし。ああいう独特の声は好きなのに嶋大夫さんの声は体質に合わない。

しかし、好悪を超えて芸の素晴らしさというものはある。
特に松王が現れてからの良さは胸に来る。
勘十郎の松王の良さがさらに拍車をかける。
わたしは何度も見ているこの愁嘆場でやはり涙ぐんでしまった。

松王が病を言い立てて現れるシーン。たいへんにいい。
何故そんな派手な格好でくるねんと改めてツッコミを入れたくなるが、それは通し狂言だからこその意識だということも初めて気づいた。

そういえば今回遠しだからこそ気づいたのは、小太郎がいい子柄だという件である。百姓の孫で舎人の子なのに都育ちだからか品の良いええ氏の子に思われるのはどういうことか。
それも通しを見たことで気づいたことだった。

やがてとうとう奥で小さい子供の首を討つ情景になる。
「ばったり」のなんという大きな響きだろう。源蔵の寺子屋にいる人々も観客もみんなびっくりした。

そして最後の時が来る。
松王丸は「松のつれなかるらん」でくやしさに首を震わせている。
ここで初めて彼は己の心情を打ち明ける。
身内には言えない心情を、「敵方け」だが、ある意味ただ一人だけ理解してくれる源蔵に。
そこにこそ実は松王の悲痛さ無念さがあるのだと初めてそんなことを思った。

夫婦は白無垢になる。まるで婚礼のようであるが、これは今より息子の菩提を弔うための装束なのである。
そしてその足遣いのよさにも打たれた。

ああ、本当によい芝居を観た。
通し狂言の本気の良さを堪能した。
住大夫さんの引退興行というだけでなく、やはりこれは名品だと思った。
忘れられない芝居になった。ありがとうございます。
4/27まで。

バルテュス展

東京都美術館の「バルテュス」展内覧会に出かけた。
凄まじい混雑の中、わたしはイヤホンガイドで外の音声を遮断し、時折こちらに語りかけてこられる節子夫人のお話を聞きながら、作品をみつめた。
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バルテュスの展覧会は93年の東京ステーションギャラリー以来だそうだが、わたしはその展覧会を知らない。
それ以前は84年の京都での回顧展があったそうで、そちらは見てはいないが、90年に金子國義の画集の中のエッセイでそのことを知った。
当時わたしは金子國義に熱狂していた。
主に彼の青年たちを熱愛していたのだが、金子の世界には燦然と輝く「少女」という存在がある。
少女を美の極限だとみなすのは金子だけでなかった。
バルテュスが金子の先人としてその道にいた。
金子とバルテュスとの共通点を思う。
スタイリッシュな美を生み出す画家。
そのことをまず思った。

少女を描く、そのことを思う。
少女を無垢なものとして描くか(たとえば水彩の名手いわさきちひろ、カラーインクの魔術師たる永田萌の少女は永遠に無垢である)、少女の持つ美から放たれる冷酷さをとどめ、官能性を隠すことなく描くか。
そして描かれる対象たる少女は両極端なものを同時に存在させている。
しかし画家はどちらを選ぶかを強いられる。

わたしはバルテュスの描く少女を見るのが怖かった。
かつて自分もまた「少女」だったが、バルテュスや金子の描いたような美を持つとも思えず、ちひろや萌さんの少女のような健気さも思い悩むさまも持っていたかどうか忘れている。
なんという遠さだろう。今や完全なる他者として、わたしは「少女」を見なくてはならず、バルテュスに描かれた蠱惑的な少女たちを憎む可能性もそこにはあるのだった。


初期の作品を見る。
まだ幼かったバルテュスと彼が愛した猫のミツとの物語を描いた作品。
猫との別れを描いた少年のせつない物語が展開する。
この作品は誰もいないときに一人でじっ と見ていたいと思う。
やさしく、せつない物語を。

1920年代のバルテュスは戸棚や木材に中国風な人物を描いている。
清朝崩壊後の中国は混迷時代を迎え、列強の思惑に翻弄されている時代だったが、若きバルテュスは政治も歴史も離れ、自身の好むものとして描いている。

この絵が描かれた頃、バルテュスは家族と共に暮らしていたのだろう、とそんなことを想像する。
わたしはバルテュスより先に彼の兄で、神学者でありサドの研究家であるピエール・クロソフスキーに熱中していた。
それは89年の3月につかしんホールで開催されたクロソフスキー展から始まった。
老境に入ったピエール・クロソフスキーはどういうわけか少年愛に惹かれ、そうした作品を色鉛筆で描いた。
中村真一郎もそうだが、老境に入った作家が少年の美しさに惹かれるようになる、というのはとても興味深い。

兄はそんな風だがバルテュスは生涯にわたって少女の美と猫の魅力とを追求した。
この展覧会での展示品の内、最も後年のものは風景画だったが、そうそう簡単に愛したものは変わるわけもない。

初期から中期、そして晩年に至るまでの、ひどく気になるものばかりを挙げてゆきたい。

「嵐が丘」のための14枚の挿絵 1933-1935  この初期作品に後年の構図などが活きている、という解説を聞いた。
そうなのか、と思いながら見てゆくと、確かに腕ののばし方・人と人の距離感などにわたしたちのイメージするバルテュスの構図、というものが存在する。
ヒースクリフは若き日のバルテュス自身の肖像でもあるらしく、彼の眼は非常に鋭い。
キャシーの不機嫌さというものが画面に横溢していて、ある種の緊迫感が常に満ちている。
物語の非情な展開、激情と執念とがバルテュスの絵により、明らかな形となって表れている。
物語絵が好きなわたしとしては「ミツ」とこの「嵐が丘」を手元に置きたいと思った。


第2章 バルテュスの神秘
少女たちが、いる。

鏡の中のアリス 1933 知人なのである。その奥さんをこのように描く。モデルもそれを面白く思っていたのか、それとも完成作を見て機嫌が悪くなったのか、そのあたりのことを知りたい気がする。
何故白目をむくのか。白目をむいて片足を椅子に上げ、片胸をはだけている。そして短いスカートからははっきりと性器がみえる。それも他の作品に描かれたそれらとは違い、暗褐色で表現される。
いやなものを見た、と思うわたしは芸術に不寛容なのかもしれない。

キャシーの化粧 1933 先の「嵐が丘」のキャシーなのである。彼女は素肌にそのままガウンをひっかけただけで、しかも前を完全に開いている。老女中はお嬢さんのそんな様子に慣れているのか、特に気にすることもない。
白大理石の彫像のようなキャシー。そしてそのそばで男が足を組んで椅子に座るが、三者は全く視線を交わさないままである。
このキャシーはまだ少女のようにも大人のようにも見える。
キャシーの性器は幼い少女のような様相を呈している。
しかしこの絵は「嵐が丘」そのものではないという。
若い男はヒースクリフではなく、バルテュスでもあり、そしてこの情景そのものも男の見た過去の情景だという。
二重構造の面白さがあった。


わたしはこの時代のヒースクリフはじめバルテュス自身の肖像画、自身をモデルにした若い男の絵全てにどこかアラン・ドロンに似たものを感じる。
それはバルテュス自身の自己愛から来ているのかもしれず、それをそんな風に感じ取っただけかもしれないが。

猫たちの王 1935 やたらと長い足を延ばした若い男がいる。その長い脚にすりすりする大きなキジネコ。そう、彼こそが「猫たちの王」なのである。
そしてその宣言は傍らのボードにも書かれている。ボードを立て掛けた椅子には鞭が置かれている。その鞭はいつ振るわれるのか。
自分の下僕である猫たちに振るうようなことは、しないでほしい。

実はこの絵、むかしむかし何かの雑誌で紹介されたとき、わたしはついつい猫を中心にトリミング・カットしてしまい、今も手元に残しているのだった。

<山(夏)>のための習作 1935 これは習作ということだが、完成品というのか、そちらを随分前に見ていると思う。今もその時と同じ感想が胸に浮かんでくる。
「なぜここで倒れているのか」
気にしても仕方ないことを延々と考えている。

夢みるテレーズ 1938 少女が美しい横顔を見せている。無防備な足は立膝によって下着がはっきりと見えている。白いシャツ・白い下着・オレンジ系のスカート・オレンジ系の靴。そばで一心にミルクを飲む大きな白ネコ。壁はオレンジに泥を混ぜたような色。
あらわな下着を見ると、影としてか煉瓦色が三角形の形に塗られている。そんなところにそんな色を使うのか。
洗いたい、と思ってしまった。

ピエール・マティスの肖像 1938 画家のマティスの息子でニューヨークの画商。彼の画廊でバルテュスの絵が「アメリカ」に紹介され続けたのだ。
そのマティスさんのダンディな姿。この人は服をきちんと着こなして、「椅子に片足をおいて」いる。
このポーズは少女や女にだけ許されたものではないらしい。この人のこのポーズからのぞくものは赤い靴下だけである。

おやつの時間 1940 第二次大戦に動員されたがすぐに帰還したバルテュスが、妻と共に各地を転々としていた時代、一時期住んでいた農家の娘がモデルだと言う。
こうした背景を知らずとも、絵からはたいへん不安なものが感じられる。塊のパンに突き刺さったままのナイフ、皿から飛び出してきそうなリンゴ、眉宇になにかしら重さをみせる少女の顔。
不安さに動悸がする。

美しい日々 1946-1948 赤々と燃え盛る暖炉のある部屋で立て膝をしながら片胸をはだけつつ、手鏡に見入る少女。少女の持つ手鏡、履くスリッパ、傍らの洗面器のみが白である。汚れることはあっても白は白であり続ける、そんな白色である。
そしてこの少女はまるで聖母のような顔をしている。大きく足を開きながら。
暖炉に木をくべ続ける男はバルテュス自身だと解説はいう。燃え続ける炎は彼を赤く照らしだしている。

決してこない時 1949
猫と裸婦 1948-1950
どちらの絵もイスにもたれた女が頭の上あたりにいる猫に手をさしのべている構図をとっている。
そしてもう一人の女が背を向けて窓のところに立つ。
習作も併せて数点が並ぶが、猫たちがそれぞれ違う様子を見せるのが面白い。
猫との関係性がひどく好ましい。

地中海の猫 1949 ファンタジックな絵。これはパリのシーフードレストランのために制作されたものだという。
地中海から虹が立ち、その虹の色それぞれが魚になって、猫頭の男の皿へ飛び込んでゆく。ナイフとフォークを持って赤い口を開ける猫男。テーブルの横には大皿からはみでる伊勢エビも乗る。ボートには少女がいて、こちらに手を振っている。魚は一旦は猫の皿に載るのだが、どうやら再び海へ向かいそうな気配がある。
果たして猫は魚を食べることができるのか?

第3章 シャシー 田舎の日々

横顔のコレット 1954 ぼんやりしつつ、とてもきれい。
薄青色のセーター、赤い背もたれ、黄土色のテーブルやスカート。静かな横顔。深く惹かれた。

この章ではバルテュスの義理の姪をモデルにしたものが現れるのだが、義理の姪というのでわたしはピエール・クロソフスキーの妻「ロベルトは今夜」のロベルトを思い、更にトマス・ハリスの生み出したモンスター「ハンニバル・レクター」を思い出した。
レクター博士はトマス・ハリスの世界では「ピエール・クロソフスキーとバルテュス兄弟の従兄弟」に当たるそうだ。

第4章 ローマとロシニエール

トランプ遊びをする人々 1966-73 目つきの悪い二人の男がいる。これは歌舞伎の見得を取り入れたとか。
暗闘(だんまり)を思わせもする。

ここで節子さんの若い頃を描いた素描が何点か現れる。
いずれも二十歳の節子さんである。60年代初頭の和風な面立ちの美人。深い知性を感じさせるが、やはりどこか機嫌の悪さが漂うようである。しかしそれでこの若い娘の魅力が半減するかといえば逆である。
そこにこそ味わいがある。
魅力的な素描だった。

やがて節子さんがモデルになった作品が現れる。

朱色の机と日本の女 1967-76 白い肢体、東洋的な体つき、静かな顔、柔らかな腹、朱唇。
鉢巻と腰紐。屏風の縁と殆ど脱げた着物の縁。朱塗りの机。それまでの西洋人の少女に見いだせた官能性は全く形容を変えてしまっている。

わたしは節子夫人がモデルになって以後の作品の魅力に、深く突き刺された。

習作の中では日本の女の性器は柔らかなフクラミを見せていた。そんなところにも魅力を感じる。


たくさんの素描があった。
<ギターのレッスン>のための習作 1934 これは意図的にエロティックに描いた作品のための習作。わたしがこの絵を知ったのはたぶん澁澤龍彦の著作からだったと思う。

<トルコ風の部屋>のための習作 これも不思議な魅力を感じる作品。春信、クラナッハの女たちの系譜に乗ってもいいのではないか。

最後に資料と写真と愛用品などがある。
そして展示の中程、都美のあの空間にはバルテュスのアトリエ再現があった。そこに佇んだときに聞いた音声ガイドでの節子夫人のお話、バルテュスの愛した音楽、とても心地よかった。

居城の庭でか、家族写真がある。みんな和装。バルテュスもとてもよく似合っていた。
バルテュスはお嬢さんのためにアニメの「ハイジ」やおそらくは「クマゴロー(ヨギ・ベア)」を一緒に眺め、話し合ったそうだ。
若い頃から大人な雰囲気のある節子夫人はそれらに興味がなかったとはなす。
バルテュスは孫のような我が子のために熱心にその世界にも入ったのだ。
とてもほほえましい。

里見浩太朗、勝新太郎らから贈られた着物も展示されていた。これらもいいエピソードだと思う。
バルテュスのご機嫌な様子、楽しい生活、そんなものがこのあたりからはっきりと浮かび上がる。

バルテュス展は6/22まで。
わたしもまた再度訪ねる予定である。 

近藤ようこさんの「五色の舟」を読む

近藤ようこさんの新刊「五色の舟」を読んだ。
津原泰水という方の小説をベースにした作品だと聞いた。
わたしは近年、現代の小説を殆ど読まなくなっているので、この小説家のことを知らなかった。
小説がどのような形でヴィジュアル化されるのか、といった興味がないのはそのためである。
一方で、近藤ようこさんの作品のファンとして、原作のあるものをどのような形で作品化するのか、といった関心はあった。
近年同郷の坂口安吾の作品を次々に自身の世界に置き換え、息を飲む傑作に仕立てあげている。
「夜長姫と耳男」「桜の森の満開の下」「戦争と一人の女」。
これらは小説を原作に持ちながらも、見事に近藤ようこ作品として活きている。

思えばその昔、説経節「をぐり」を原本に忠実に拵え、「しんとく丸」を独自の美意識で様々に描いた。
それらはいずれも脳髄の芯を震わせる喜びを読者に与えてくれた。
今回もまた、30年を超える作家稼業の中で培われたチカラワザ、それを目の当たりにすることになるだろう、という予感がある。

五色の舟 (ビームコミックス)五色の舟 (ビームコミックス)
(2014/04/23)
近藤 ようこ



以下はその感想である。

四月の東京ハイカイ録 その3

最終日です。
やっぱり朝ごはんにヒジキと湯どうふ、それからココナツミルク羮を美味しくいただく。

反射して見にくいが壁には絹谷幸二さんの絵が二枚飾られている。


ミイラやな。

それから東京駅の空きロッカー探しに苦心したが、無事に「コアラちゃんロッカー」に放り込んで、出掛ける。多少手順が狂い、直に半蔵門線の大手町に行き、押上に。降りたらすぐスカイツリーのタウンやん。

エレベーター乗り継ぎはグランフロントのliXil 同様に面倒やな。
ていぱーくに来ました。

例により、展覧会の感想は後日詳しくシタタメます。

前の大手町時代のと案外変わらんけど、さすがに明るい。
撮影可能な資料もある。

企画展の蕗谷虹児展がなかなかよろしい。やはり戦前の抒情画は綺麗。
今回のハイカイ先にはええ挿絵が多々あったなあ!

三井記念美術館へ。
清水三年坂美術館の所蔵品を展示しているが、「改めて」やなく、「初めて」明治の工芸品の、まさに超絶技巧を思い知らされた。その技術力の高さは尋常ではない。
極北とでも言うべきか。
凄かったとしか言えない。
驚いた。
ため息どころか口を開けっ放しで会場を歩くしかなかった。


新橋に出て汐留ミュージアムに入る。
ジャポニスムのやきもの。これは北斎の絵を写したものが使われていたりする。
面白い。面白いが、それがテーブルにセッティングされているのを見ると、ちょっとちょっととも思う。
やたら目のでかい魚の絵の皿に魚料理はやめよう、トリの絵皿に玉子料理はやめてーーーっなどなど。

近くの新橋停車場で企画展「富士山と鉄道」を見る。富士講の資料まであるがな。
なかなか面白いし、昭和初期までの鳥瞰図、戦後すぐのマンガマップなども時代相がよく出ていて興味深い。


閉館時間を間違えて泉屋分館に入る。あちゃー。
しかしその分とくに好ましい絵だけをじっくり見ることになった。
京都の本館にも展覧会はあるし、京都だけの展示もあるので、京都で再訪する。
やはり児島善三郎が大好きだ。

菊池寛実記念智美術館へ。
藤本能道のやきものを見る。鳥たちと花や植物の絵が焼き付けられているが、いずれも賢そうな顔つきである。
師匠は加藤土師萌と富本憲吉。納得する。

ここで終わり。
今月の東京ハイカイも済ませて東京駅へ。
ごま半月が終わり、ピーナツ半月を購入。

次はGWに来ます。サラバ東京。

四月の東京ハイカイ録 その2

これは昨日の記録。例により、展覧会の感想は後日詳しくシタタメます。

定宿以外に泊まると、やはり寝にくいな。しかしここの朝食はわたし好みな味付けですがな。
またまたヒジキを大量にいただき、湯どうふを美味しくいただいておると、世話をしてくれる従業員さんが「嬉しいです」と話しかけてきはるので、わたしも嬉しいわ。
実はわたしは朝は卵料理も肉の加工品もダメ。夜は平気なんだが、ますますひどくなってきたのだ。サラダもムリになりつつある。

さてメトロ1日チケットを使い倒そう。
まず新宿。最近ようやく丸ノ内線からなら損保ジャパン美術館に迷わず行けるようになった。
朝から成功すると気分も高揚しますがな!

オランダ・ハーグ派展初日の10時15分到着!
で、エレベーター係りのオジサンにニッコリ挨拶し、46階やったかな、耳がツーンとなりながら上って行って、堂々とチケを渡したら、
「あっ!お客様、これは他館の展覧会です!」
ギャッ!Bunkamuraやないかい~!
ロッカーにしもたのを取りに戻りましたがな~

え~と、まあなんとかハーグ派展見ました。本来のわたしの嗜好からやや離れてるけど、人間、間違いの後は謙虚にならなきゃ!(はぁ?どう関係あるねん、常に謙虚になれ!)
熱心に見ました。後日マジメに書きましょう!
オランダ人には牛と海が重要なアイテムやと知りました。←大事なポイント。

霞ヶ関乗り換えで日比谷に。
喉がやや痛いので讃岐うどんの釜上げをたのみ、大量に生姜を放り込む。ジンジャラーの面目躍如やな。

出光美術館で江戸絵画を堪能する。
久しぶりに江戸名所図があった。
この屏風の人々は睫毛が長い。可愛いのよ。
色子も湯女も美人さん。
前期に行くと、後期の割引券貰えるから、大事にしよう。

渋谷に来ました。
まずは戸栗美術館。動物柄を集めて、期間限定・戸栗動物園になっておる。戸栗美術館のマークの虎が態度デカイ。ウサギに象に竜に猿に色々いましたなw

そこから松濤公園経由して、松濤美術館の「猫ねこネコ」前期に入る。

自分がネコの下僕だと思い知らせてくれる展覧会でしたわ!周囲もみんなそう。ツリ目の奴らを見て、タレ目になったがな♪

Bunkamuraに参りました。
ここが朝のチケね。
あべのハルカス美術館より先に見ましたが、豪勢でしたわ。またハルカスでも見に行きたいよ。

さてコレド室町で約束したから慌て電車に飛び乗ったが、うっかり表参道駅で乗り換えず、三越前で苦労する。
時間遅れてしもたわい。すまぬ。
今夜は去年空に上っていった仲良しさんののえる姐さんの追想会なのです。
美味しく飲んだり食べたりしながら、この先もがんばって遊ぶわ!とみんなで宣言しましたわ。
また来年もやりましょう。

駅から地上に上がると雨やがな。
ああ、これは会に参加出来なかったのえる姐さんのヨダレやな。
美味しかったよ、フフフ。

二日目はここまで。



四月の東京ハイカイ録 その1

今回は都合で定宿やなく、皇居近くにいます。
たいへんに朝食が美味しくて、言うたらそこに惹かれて来た感じ。
たまにはそんなハイカイもいい。

朝からウソのように寒い。
とりあえず千駄木の森鴎外記念館に向かう。雨はパラパラ。少し早めに着いたから辺りをウロウロ。白のハナミズキがたくさん植わり、綺麗。そして野花もいい。
源平小菊というそうな。

鴎外記念館では息子の於菟が少年の頃にドイツ語習得&習熟のためにグリム童話を翻訳し、父鴎外が添削したものを展示している。
かなり面白い。
子煩悩なパッパとマジメな長男のコラボ作品は当時の文芸誌に掲載され、更に40年後の戦後すぐに脇田和の挿絵で刊行されている。

例により、展覧会の感想は後日詳しくシタタメます。

常設は明治大正の文芸、文化を愛するわたしにとってはたいへん興味深いもので、こちらも熱心に眺める。
中村不折、橋口五葉らの仕事も展示されているのが嬉しい。
胡蝶本も並んでいる。
鴎外の名言がピックアップされてパネル展示で読むのだが、これも同意できるものが少なくない。

機嫌よくサラバ。団子坂上の元は観潮楼。周辺は汐見という名を持つ。

次に岩田専太郎作品を集めた金土日館に行く。
挿絵文化に根っから狂っているわたしは、嬉しくてたまらない。
挿絵や雑誌口絵が特にいいのだが、ずらりと並ぶ美人画にも圧倒された。ヴァイタリティ溢れる彼女達のタブローは、女性である喜びと自信に満ち、官能性よりもそのイキイキしたところに惹かれた。
とは言え様々な技法を持つ専太郎、浮世絵風美人画には昭和のえろさが滲んでいて、それも面白い。

ほかに彼の師匠筋の深水、清方、仲間の立美らの作品があり、昔の図録も多く、時間が足りなかった。
また行きます。

そこからてくてく歩いて根津神社に。久しぶりすぎるわ。いつ以来かな。かつては町歩きに重きをおいてたから、この界隈もよく歩き倒したなあ。勿論その師匠は森まゆみさんの著書。お化け階段にもまた行きたいがあるかなあ。

ツツジ祭り。
楽しかったわ。色とりどりのツツジに会うて、感心するばかり。
ツツジは可愛らしいよ。

根津駅そばのランチ屋に。2回目。特に美味しいわけではないが、奥さんが明るい世話焼きなのがいいよ。
商売人はそうやないとあかんわ。

弥生美術館、開館30周年記念。
わたしは91年の4期目からの会員で、一度も見逃しはない。会員前には一度来たが、あの頃はまさかこんなに長い付き合いになろうとは思わなかった。
卒業しないつもり。いつまでも訪ねたい。

先の岩田専太郎の絵をまた見たり、ほかの多くの作家たちの親しんだ名作、まず見ない作品などをたくさん眺め、無限に弥生美術館の繁栄を願う。

徒歩で根津を越えて都美に。
バルテュス展の内覧会。
凄いものを見たと思った。
若い頃の作品より、晩年の節子夫人登場からの作品が、わたしの嗜好にあう。やっぱり深いエロティシズムを感じる。しかし節子夫人の音声ガイドの中のトークや家族写真などを見ると、家族思いの優しい父親の姿が見える。
節子夫人はクールだった。

2階レストランのレセプションには少しだけ参加し、寒いからスパークリングワインを飲んで、再びみたび、根津駅。乃木坂に向かう。

サントリー美術館で江戸の楽しさ、不思議さを堪能する。
ああ、すごく多くの作品にまみえた。

初日はここまで。

なお、無関係なコメントは消去いたします。

名品に逢う 日本・中国美術の傑作

白鶴美術館の今年の春季展示は『名品に逢う 日本・中国美術の傑作』ということで、例によって静かで魅力的な空間に名品がいい感じに配置されていた。

長いことここに通っているのでおなじみの作品も多い。
しかしそれでもやっぱり展示期間が始まるとイソイソと出かけては、ちょっと前に見たのと同じものを見たり、懐かしいものを見たり、忘れていたものを見る。
基本的に変わることはない。
それでいてあきない。

十年以前のここと今のこことは違う風が吹いている。
今は撮影禁止で、そして一つ一つの作品に丁寧かつユーモアあふれる解説がつくようになっている。
解説を読むだけでも楽しめる展覧会。
それがいいことかどうかは別としても、とても力の入った内容であることは間違いない。
例によって好きなもののことを書いていきたい。

唐三彩鳳首瓶 唐時代 やや白地が多いところへ垂下する釉薬。それらが混ざり合っている。

白掻落花文水注 北宋時代 くっきりした模様が素敵。これらは早い時期のものだとある。

白地黒掻落龍文梅瓶 北宋時代 例の「その龍には肉球はあるか」の龍。
龍に肉球が(コヤツの場合は3つ)あることが世に知られるきっかけとなったブツ。
学芸員さんのチカラワザを感じるのはこんなとき。
その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術
(2010/07)
山中 理



五彩魚藻文壺 明時代 国芳風に言えば「うおのせかい」。水中にオレンジ色の鯉が八匹スイスイ。MOAに兄弟がいる。出光にもいた気がする。オレンジは黄色で最初に焼成してから赤を塗って再度焼成して色を出す。やっぱりこれくらいの手間暇をかけないといかん。
14041601.jpg

金襴手獅子牡丹唐草文八角大壺 明時代 こちらは例の睫毛の獅子さん。獅子の睫毛を世界最初に発見したのはやっぱりこちら。ファンキーライオン。

鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗 唐時代 蓮弁14枚各自に細密に動物が刻まれている。中身については解説に詳しい。「なんだろう」と思う前に答えがあるので、ここには書かない。

鍍金狩猟文六花形銀杯 唐時代 やはり艶麗豊満な中唐の製品は何を見てもどれを見ても素晴らしいなあ。
プスッと矢が刺さり、ギャッな動物。狐はとりあえずピューッと逃げる。

白銅海獣葡萄鏡 唐時代 これまた葡萄がくっきりしている。

銀貼海獣唐草文八稜鏡 唐時代 これは解説のおかげで笑えた文様。
細かすぎて肉眼では判別できにくいのだが、アップ写真を見ると、狻猊が蔓草を噛みながら目を怒らせていた。がおーっと吠えそうな顔つき(噛んでるから声はなし)
こういうところを紹介してくれる楽しさ。

さて日本の工芸へ。
金銅小幡 白鳳時代 飛天たち、奏楽する姿もある。この頃は隋までだったな。
しかし隋から唐初期までは文化的に巨大な転換は見受けられなかった。
やはり国力が安定したことで文化力が高まって行ったのだ。

蓮華文螺鈿蝶型卓 平安時代 細かい螺鈿。これは蝶の翅の半分の形を言うようで、上から見ないとわからない。三脚テーブル。天板は朱色。実に細かい螺鈿細工がいい。

絵を見る。
阿弥陀三尊画像 高麗時代 阿弥陀さんの胸のやや上に卍文があるが斜めに向いているのでハーケンクロイツにも見えます。観音・勢至のお二人も髯。華やかな衣裳で、二人の意匠が違うのもいい。布質まで違うような表現。リアルな面白さがある。素足の爪は長くはない。

祥啓 瀟湘八景図画帖 室町時代 どの風景にも小さく人物が描かれている。人のいる風景図でもある。うち6枚が出ている。遠景の中の人々。

一階の床の間を見る。
田能村竹田 金箋春秋山水図屏風 春景が出ている。釣り人もいれば馬で行く人もいる。のんびりした空気。この頃は花粉症もなさそうで、みなさん春の気持ちよさを堪能中。
もっこを駕籠にしたようなものに乗る人もある。

狩野探幽 養老瀧図 さわやかーーーっ松も気持ちいい。

円山応挙 楚蓮香 1794年 楊貴妃以前の唐美人。清楚でほっそりした彼女には良い香りが常に漂い、蝶々がふわふわと寄ってきたらしい。

応挙 四季の月図のうち 春と夏 描き表装で月の周辺を巧みにサポート。
朧月は満ち満ちて、表装には桜。少し欠けはじめた月には叢雲がかかり、青々した草の表装には虻もとび、柳も青々、そよそよ。

二階へ。
行った日は曇っていたが港湾の様子もちらと見えるようだった。

さてここにはわたしの愛する殷代の饕餮くんたちがぞろぞろ。
饕餮夔龍文方卣をはじめ4饕餮。可愛い犠首くんもいてます。
寄り目で可愛いなあ。

関西には饕餮君たちがたくさんいるので、ファンの方は会いに来てください。
今だとここもそうですし、常設だと泉屋博古館、奈良博などなど。

象マークのついた尊もある。群青の錆が出ていてそれがアクセントになる。
可愛いゾウさんで、四頭もいた。こちらは西周。

古代中国でゾウさんをモチーフにしたものが案外少なくないのは、やっぱりゾウが住む国と行き来があったのだということを思わせてくれる。
中国大陸の南方の方にゾウさんがいたのかどうか知らんが。
(なんしかベトナムもフィリピンも我が領土、辺境の地、くらい言いかねんからなあ)
ゾウさんはハンニバル将軍が戦争に徴用したが、あれは紀元前218年だというから、中国の文様はもっと前から。
37頭の部隊の内、ハンニバルの乗っていたのだけアジアゾウで、あとはアフリカゾウだという説もあるしね。

賢愚経 乙巻 一巻 奈良時代 わたしは唐様の書が好きなのですよ…

二月堂焼経 巻題58 奈良時代 銀字が生き残った稀有な経。これは焼かれたことで生き延びたのかも、と勝手な妄想がわく。何かを失くすことで何かを得たのかとか。善財童子の話。
「不惜身命」と「善知識」の文字が躍る。

法華経(色紙経) 巻第八 平安時代 この巻と第一巻とは特に能書だとか。紙も綺麗。青が特に綺麗に染められている。

キャノンによる複製の「四季花鳥図」屏風が出ていた。
前の秋季展では一階玄関すぐの間に展示されていたなあ。
本物は今現在展示中。わたしはぎりぎり見なかった。


続いて新館へ。ペルシャ絨毯の特集展示。
子供用のワークシートをもらい、それを見ながら歩く。
わたしの好きな動物闘争文のが出ていた。これはけっこう血みどろ系で、ライオンが牛を噛んでます。
可哀想なのだが、やっぱり妙に好きな絨毯。

ペーズリーや花柄などのものを見る。無限に文様は広がるのだが、それを制限している。トリミングされた世界。

イスファンのアーマッド工房のが良かった。周囲に犬狼と水鳥が一緒にごはん食べる姿が続く。仲良しに見えたが、イソップ的な情景かもしれない。他にはカモメが飛ぶ。

ケルマンラヴァのは孔雀がペーズリーの前に立つ。優美な柄。

一つの花から様々な種類の花が咲き乱れる文様もある。
こうしたありえないものも可愛い。

ドラゴンとフェニックスの対の文様も面白い。

ドロクシのは、ライオン、孔雀、馬、鹿、インコ、ウサギなどが対のもの。

獅子狩文錦を思い出すものもあり、やはり文化の伝播というのは、面白い。

楽しい鑑賞である。
いずれも6/8まで。

高島屋のばらの団扇

なんばの高島屋の9階にエキウエミュージアムがある。
高島屋史料館から随時名品を出して展示している。
今回は「♪ばらのマークの高島屋」にふさわしい、ばらの絵の団扇とその原画とを集めたものである。
一旦ツイッターでそれらをご紹介したが、こちらのブログでまとめることにした。

鍋井克之と和田三造
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中澤弘光と熊谷守一
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小絲源太郎と中川一政
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川島理一郎と宮本三郎
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長谷川昇と大久保作次郎
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さいごに小磯良平
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まとめるのも手間だけど、やっぱり楽しい。
5/31まで。

東大寺展 あべのハルカス美術館開館記念

あべのハルカスがオープンし、16階に美術館も開館した。
アクセスには多少手間取る。二種の行き方があり、それが機能していないからだ。
この美術館は大和文華館の館長浅野さんが館長を勤めておられる。
ここは他のデパートミュージアムと異なり、法令に定められた美術館機能を有するとかで、国宝・重文も展示可能なのである。

近鉄がまず最初に人々に贈る展覧会は「東大寺」展である。
東大寺は近鉄奈良から行くのが近い。
わたしはこれまで東大寺関連の展覧会を多く楽しませてきてもらった。
秋の楽しみの一つ正倉院展を筆頭に、近年で言えば以下の展覧会を見てきた。


「頼朝と重源 東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆」展 奈良国立博物館 感想
「東大寺の近現代の名品」展 日本橋高島屋 感想
「東大寺大仏展」 東博 感想

今回は国立博物館たる東京、奈良それぞれの展覧会にも出ていた名品を見る機会でもあった。
展示替えが色々あるが、わたしは2期目にみている。
以下、感想を少しずつ挙げる。

誕生釈迦仏立像・灌仏盤 これが今回の主役である。チケットもチラシもこちら。
「天上天下唯我独尊」ポーズで本来は幼児のはずが、すっかり福徳円満な仏陀としての姿で立っておられる。尤も、親しみやすさというものがここにはあり、両腕のポーズも見ようによっては「やぁ」と挨拶をしてくれているような趣がある。
一応赤ん坊ということなので腕の辺りに赤ん坊らしいムニムニした線が刻まれてはいる。
イメージ (8)

東大寺大仏縁起絵巻 副本 3巻の内下巻 室町時代 僧兵も外に立ち並ぶ。いよいよ開眼供養である。大仏殿には貴い身分の方々が詰めかけている。巨大な大仏の膝だけが見える。
わたしが見たのはここの図だった。まことにめでたい。

八幡縁起絵巻 宗軒:絵 公順:詞 天文四年 香椎宮で住吉明神が舞う。控える楽人・舞楽の人々。顔に布をした磯童(これは磯良のことでしょうね)が鞨鼓を打ちながら舞うと、亀も元気よく。場面替り、潮満珠・潮干珠とを使って敵国を倒す人々。敵は鬼面の楯を持っているが、その鬼面楯が妙に可愛い。こちらの船には指南車のような「常に北を指す」人形つきのアンテナのようなものが船の帆の先に取り付けられている。
こういうのを船の装備で描かれているのを見るのは初めて。
鬼面楯の敵、全滅。この珠は昔々は山幸彦がトヨタマヒメからもろて、兄の海幸彦を攻めたててたなあ。

執金剛神縁起絵巻 室町時代 聖武天皇が良弁僧正に東大寺創建や法華堂を建立させたりしてた頃の話とか。
画面は聖武天皇の四十の賀の法要で瑞雲がたなびくところ。
そして道場では立派な僧たちが次々と現れたとかなんとか。

大仏蓮弁拓本 まぁやはり巨大ですわね。

奈良時代の鏡が二枚。いずれも元は法華堂の天蓋につけられていたものらしい。
海獣葡萄鏡と飛天十二支円鏡。小さいものだが可愛い造形がくっきり。葡萄も動物たちも。

弥勒仏座像 平安時代 やや猫背なのがぬっと現れる。
目も据わっていて、なんだか「奥さん、あきまへんで、そんなん買うたら」とか言い出しそうである。

実忠和尚座像 働き者。合掌している。

行基菩薩座像 手に蓮型の如意を持つ。険しい面立ちである。行基菩薩は各地に奇跡の痕を残している。民衆を助けた方ということで、古代日本仏教界の三大スーパースターの一人。

二月堂縁起絵巻 亮順:絵 天文14年 桜咲く中でお水取りの行法中。例の白黒の鵜が飛び出すシーン。
それからカラス天狗たちが行法を盗もうとやってきたシーン。門の前でうろうろするカラス天狗たち。
このシーンは今回の奈良博での「お水取り」展のときにもでていた。

十一面観音像 ピカーッと光りながら一人でキターーー

二月堂修中過去帳 わたしが見たときには朱雀天皇、永観、鳥羽天皇、近衛天皇、美福門院らの名前がでていた。
(崇徳院の名はない)

鑑真和上座像 唐招堤寺のでない像はあまり見ていないので、なんだか不思議な感じ。目を閉じて朱衣姿。

釈迦如来・多宝如来座像 仲良しさん。奈良時代からずっと仲良しさん。

金亀舎利塔 応永18年 普通の亀ではなくスッポンな亀。塔の中には水晶。

東大寺は華厳宗である。
華厳経には善財童子の旅が描かれている。
その関連の作品が出ている。

華厳海会善知識曼陀羅図(永仁本) 頼円 永仁二年 54人の善知識を訪ねる善財童子の旅がコマ割で描かれている。
毘留遮那をおおきく描く。
この形式は北宋に成立し、それを明恵上人が広めたとか。
イメージ (7)
明代のものもあり、前者のと区別がつかないくらい。

そして善知識たちの肖像画もある。
善財坊やの像もある。
かなり可愛い。青い髪に赤いヒレやリボンに裳裾。顔立ちがまたなかなか艶めかしくもある。
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弘法大師像もあるが、それはこの展覧会を見る直前にみた「山の神仏」展でもたくさん見たものによく似ている。
そしてわたしにとって、若い頃の佐伯真魚のイメージは飯田耕一郎「沙の悪霊」の彼なのでした。

黒漆塗舎利厨子 公慶所有。きれいな石がいくつか入る。

五獅子如意 平安時代 カバーのところに五頭の獅子。ゴライオンてのが昔あったなあ、タツノコアニメ。

不動明王像 鎌倉時代 これがまた大きな目をカッッッと見開いていて、さらに大きく口を開けて歯を噛みしめていて、というお顔で、思わずサラサラとメモってしまったよ。いいねえ、なんだか。台座はウンゲンベリを何重にも積み重ねたもの。

十二神将立像 三体がおいでになっておる。平安時代
丑神立像 ヘルメットに牛がのんびり乗っている。
卯神立像 ヘルメットのウサギ、耳を後ろにしている。
辰神立像 逆立つ髪に竜がアクセサリーになり、がおー
ほかの二つはメットの上でまったりしているのに、こちらはやっぱりまったり出来かねますのさ。でもそれのせいでか、却って本体の神様はちょっと困り顔だったりする。

仏涅槃図 鎌倉~南北朝時代 摩耶夫人も泣きながらくる。白象なんか泣きすぎてか転げ回りすぎでか、赤くなっている。猿は悲しく花を持ってきている。フクロウとミミズクが並ぶ。
…で、お釈迦様の枕元に何のか誰のか、赤い風呂敷包みが置かれている。あれはなに???

重源上人座像 久しぶり。やっぱり来られましたか。

五劫思惟阿弥陀如来座像 でたー。私は勝手に「ブツコちゃん」と呼んでます。螺髪が延びすぎてアタマが巨大化しているブツコちゃん。

隣にはこれまたすっきりしすぎのスキンヘッドのお地蔵さんの像も並ぶ。

大仏螺髪 一見したところそんなものとは思わず、有元利夫の絵に出てくる、謎の小山みたいだと思った。

最後に江戸中期すぎに刊行された版本の「ならめい志よゑづ」数点がとても楽しい。
奈良名所図。大仏殿を中心に周辺を鹿つきで描く。
黒いシルエットの小さい鹿たちがアクセントになり、とても可愛い。

5/18まで。

山の神仏 吉野・大峰篇

大阪市立美術館で「山の神仏 吉野・熊野・高野」展の前期を見に行った。
「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念らしい。
実際に自分が行ったところと言えば、ごく小さい頃に吉野に一度、おとどし夏に高野山、熊野に至っては出向いたことさえ、ない。
98年秋にこの大阪市立美術館で「役行者と修験道」展を見て、そのときに金峯山寺からか、巨大な蔵王権現がおいでなさったのには、強い感銘を受けた。
また、07年の京博「藤原道長 金峯山埋経一千年記念」の記憶もみずみずしい。
(その時の感想はこちら


なぜ「山」に神仏の霊場があるのか。
そのことについてはここでは措くとして、今はときめきだけを大事に、まずは吉野・大峰から参ろうと思う。

最初に現れたのは、蔵王権現立像 奈良 金峯山寺 の力強い像だった。
背後の輪には炎が燃え立ち、その炎だけに赤い色がはっきりと残る。台座には綺麗な唐草と車輪のようにも見える法輪がある。
括目せよ、と言われた気がする。その言葉を思いながら中に入る。

蔵王権現立像厨子 奈良 如意輪寺  厨子には四季が描かれている。しかし経年劣化のためにか、わたしにはなにやら恐ろしくも見える。

蔵王権現立像 大峯山寺  一体は口を閉じる。ただしポーズはどこかユニークな…懐かしき「フィーバー!」のポーズに近いように思う。
もう一体は口を開けて立つ。しかしこちらは肩から先が欠落している。

蔵王権現立像 大阪市立美術館  市民からの寄贈品で成り立った美術館。素晴らしい神仏像が数多くあるのも特徴なのである。
金銅製で鋳造のあり方というものを実感させられる。爪もきちんと処理された像。

蔵王権現鏡像 大阪市立美術館 線描が「踊る仏像」にみせてくれる。

役行者が様々な神様をお招きしたとき、岩を割り顕れた憤怒姿の蔵王権現にこそ、となったのだった。

役行者倚坐像 奈良 櫻本坊 立派な脛を出している。これが櫻本坊の御本尊。髯はなく老人ではなく壮年。とはいえ、その足の逞しさと裏腹にあばら骨がくっきりしすぎているではないか。

役行者坐像 櫻本坊 こちらは座って顎髭を伸ばした老人姿。目がやや上向きである。袈裟も着込む。リアルサイズの姿。
わたしは子供の頃「新八犬伝」で役行者を知ったのだった。
辻村ジュサブロー師の人形がわたしの役行者ヴィジュアルの基本です。
これはそれに近いかもしれない。

役行者坐像 金峯山寺 合唱するというよりアーメンの手である。胡坐しての印。

前鬼・後鬼坐像 金峯山寺 この二人組は前からファン。ブサカワなところがいい。
前鬼は眉も山山してて、ヨキ持って髪逆立てて、下帯一つで正座。相棒はちょっとくりくり髪で口閉じて、やや寄り目。いいコンビやなあ。

大峯八大童子立像 櫻本坊 少年フィギュア。それぞれ可愛いなあ~~ここに属するオリジナルの少年たち。オーミネ・ボーイズ。檢増童子、護世童子、虚空童子、剣光童子、悪除童子、香精童子、慈悲童子、除魔童子とそれぞれ名前がついていて、コスチュームも色々、髪型も別々。特にピックアップしてみると…
護世童子 伏し目に見えたが実はアップで見たらかなり怖い目をしている。
剣光童子 丸いおでこで一見温和そう。
香精童子 みずらが可愛い。合掌している。
悪除童子 肩にかかるカールした髪。
虚空童子 杓持つみずら少年。やや長い輪になった髪。にっこり。
慈悲童子 おっちゃんぽい。そうそう、昔は「とっちゃん小僧」とか言うたな。
檢増童子 ムンッと静か。紐を手にして、後ろはサザエさん
除魔童子 すごーく逆立つ髪。

役行者母公倚坐像 櫻本坊 口を開けている。犬歯はない。マントのように蓑をかぶる。
この母上を人質にされ、朝廷により伊豆に流された。
伝承では一言主の讒訴によるとあるが、長岡良子の「古代幻想シリーズ」の作中では、高弟の韓国広足による、という設定だった。

吉野に関わる神仏相関図の様相を呈する曼荼羅を見る。
吉野曼荼羅図 奈良 西大寺 南北朝時代 子守明神がたいへん美人である。
吉野曼荼羅図 金峯山寺 南北朝時代 前鬼は完全に鬼だが、なにやらかっこいい。
吉野曼荼羅図 兵庫 太山寺 室町時代

大抵は上部に大峰八大童子がいて、子守明神を母神とする若宮、向かいに毘沙門天を本地とする勝手明神と若宮とが配置されている。
わたしもこの辺りをもっと勉強しないといけないが、今はとりあえず解説を読むばかり。

吉野曼荼羅図 滋賀 市神神社 1607年 役行者らの前に出現する蔵王権現。周囲には白い顔の様々な神仏がいる。

厨子入天川諸尊像 これがすごいボックスアートで、中に神仏フィギュア20体が入っていた。三次元曼荼羅なのである。

藤原道長経筒 (大峯山山頂出土) 金峯神社 この国宝は前述の展覧会の後からよく世に出てくるようになった。日本仏教史上とても重要なアイテムらしい。金は千年の後にもピカリと光る。

如来・菩薩坐像 (大峯山山頂出土) 大峯山寺 ミニチュア仏二体。金ぴか。

大峯山全図 大和文華館 これはまたなかなか大きい。ここにこうしたものが所蔵されていたのか。双六に見えてしまった。険しい双六である。

吉野子守明神像 おお、真正面向きの女神さま。こちらは丁度去年の今頃東博で開催されていた「大神社展」のチラシのメインの方ではないか。
(感想はこちら
なんだか慕わしい感じがある。

左右に分かれ、少し離れた位置にあるのが、
獅子・狛犬 奈良 吉野水分神社 ニャーッ ムフーッ ファーッ フンッなコンビ。

子守明神像 櫻本坊 1655年 若宮と獅子と狛犬と一緒。息子もいるし、犬もいれば猫もいる、な状況である。ママは黒目部分が赤目である。ちょっと妖しい。鼻の下の人中がくっきり。若宮は払子を持っている。

鏡に線描したものがいくつもある。
子守明神鏡像、子守三所明神鏡像、若宮鏡像、勝手明神鏡像 子守明神はいずれも唐服女神。

勝手明神像 櫻本坊 毘沙門天の本地で武装。弓を持つ。息子と一緒。緑の多い絵。

聖徳太子・二王子立像 金峯山寺 16歳の太子孝養像なのだが恰幅が大変良く、福留孝介選手によく似ている。左右にいる小さい王子二人はそれぞれ息子の山城王子と弟の殖栗王子。抜きんでた太子。

童形神坐像 (伝聖徳太子坐像) 奈良 竹林院 手がグーとパーである。ふと日月を示しているのかも、と思った。何の脈略もないわたしの妄想である。温厚そうな様子。

釈迦如来立像 金峯山寺 鎌倉時代の像で、螺髪の間にも赤い石が光り、額には白い石が光る。これは小動物の骨灰を塗布しているそうだ。

阿弥陀如来立像 奈良 如意輪寺 9世紀。指の細さに惹かれる。

不動明王立像 櫻本坊 アイテムとしての縄も剣も完備。ウィンクしていて、ちょっと優しい感じもある。

薬師十二神将像 金峯山寺 これはまた面白い。武装しているのはいつものことだが、顔つきが楽しい。それぞれ今にもしゃべだしそうなツラツキなのがいい。

天狗立像 奈良 喜蔵院 立派な立像の天狗。そんなに大きくはないが、鼻の立派さに感心する。まだ中堅どころのような感じの天狗。
そういえば神奈川歴博で高尾の天狗を中心とした展覧会を見ているが、あのときもけっこう色々像が出ていたな。
「天狗推参!」の感想はこちら


十一面観音立像 奈良 世尊寺 かなり大きな像。足指くっきり。首から上は鎌倉時代だが、下は8世紀のもの。

大日如来坐像 奈良 来迎院 室町時代 細い眼で睨まれた!宝冠が見事。なにやらつめたそうである。

如意輪観音坐像 奈良 鳳閣寺 夏目雅子か壇蜜のような美人である。しっとりしている。12世紀。一面六臂で金が剥落しているが綺麗。

不動明王立像 京都市 あら珍しや京都からか。1276年。ムーーーーッとしている。

天部形立像 奈良 龍泉寺 平安中期 虫食いがかなりひどい。すごいな。

阿弥陀如来坐像 奈良 大日堂 ああ、端正だな。とても綺麗なお顔。すっすっとした美貌。

吉野・大峰はここまで。

山の神仏 熊野・高野山篇

熊野三山

三熊野詣というものとは本当に無縁なままだ。

熊野速玉大神坐像 熊野速玉大社 顎髭の長い大沢たかおみたいな感じ。

伊邪那美神坐像 熊野速玉大社 
伊邪那岐神坐像
皇太神坐像
この三神は繧繝縁に座している。
イザナミがいちばん大柄。櫛を挿している。
イザナギはやや小柄で、姫神もやや大柄。

男神坐像 山熊野那智大社 巾子冠(こじ冠)をかむる。木彫りの面白さがある。

狛犬 熊野本宮大社 可哀想にアタマ陥没してますがな。

平安末期。きりっっとした仏様方を見る。和歌山 藤白神社
阿弥陀如来坐像 
薬師如来坐像
千手観音坐像

そして三体並ぶ仏様。
阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像・千手観音坐像 合掌の手が二本しか残らぬ千手観音ではあるが、とても優美。

懸け仏をいくつも。いずれも「立派なものよのう」とうなる。
熊野十二所権現懸仏

十一面観音坐像 熊野那智大社 女性風ではなくおっちゃん風。

重文熊野曼荼羅図 京都 聖護院 上の山に大峰八大童子があちこちタムロしている。

ほかのはわりとパターンが同じような感じ。
神仏たちの立つ図。

熊野権現影向図 京都 檀王法林寺 鎌倉時代 もあ~とした出現。ここのお寺にこんなのがあるのですか。

那智参詣曼荼羅図 熊野速玉大社 室町時代 滝行する修験者を助けるセイタカ童子とコンガラ童子。赤い方のおっとりした大きさがいい。白は少し小さい。この二人組もいい。
日月が上る。日輪の下の鳥居前にネズミのようなものが走る。野干とか狐なのだとすればこれは稲荷になるが、ネズミだと大黒様か。参詣人も大勢いて、頑固爺の世話をやくものもいれば、盲人もいる。補陀落都海船には「南無阿弥陀佛」の六文字が書かれている。

那智参詣曼荼羅図 和歌山 補陀洛山寺 16世紀 滝の白少年(コンガラ童子)がなかなか美少年で、見ていて楽しい。みそぎする人、猿曳きもいる。


那智参詣曼荼羅図・熊野観心十界図 津市神戸第一自治会/津市神戸第二自治会 補陀落都海船の後には見送り舟もついている。
木を曳く人々もいて、面をかぶったり。カラスもいる。
老いの坂の入り口では生まれたての赤ん坊がいる。そして人生を送り、坂を下りきると死が待っている。犬にかまれカラスにつつかれ、茶碗がぽつんとある。

二年前の「絵解きってなぁに?」展を思い出す。びくにちゃん、こびくにちゃん、こおにちゃんたちが懐かしい。

三昧耶形像 (那智山経塚出土) 東京国立博物館 印を結ぼうとしているのか、そんな手が二つ。なにやらコワイような。

菩薩半跏像 (那智山経塚出土) 東京国立博物館 白鳳時代 にっ と笑う。

十一面観音立像 (那智山経塚出土) 東京国立博物館 白鳳時代 フフフと笑う。
 
釈迦如来立像 和歌山 阿弥陀寺 変わったお顔ですなあ。「亡者の熊野詣で」の山頂、奥の院の浄土堂の。
 
五大明王像 和歌山 阿弥陀寺 ヘタウマ風な。

寒川神社伝来諸尊像 和歌山 安楽寺 10体、シンプルな造形。南北朝時代 

菩薩形坐像 和歌山 海蔵寺 ややうつむき加減、物思う顔。美貌。熊野の湛増ゆかりの仏像なので、昔から「弁慶観音」と呼ばれているそうだ。
とてもきれいな菩薩。

わたしも一度くらい熊野に出向こうか・・・

高野山
二年前の夏、初めて高野山に行ったが、時間の関係で奥の院に行けず、坊さんに笑われてしまった。
遠いのでなかなか行けないが、ここの宝物館はすばらしいので、近ければ展示換えごとに行きたいくらいなのだった。

弘法大師・丹生高野両明神像 (問答講本尊) 和歌山 金剛峯寺 丹生明神がたいへん美人なのだが、不思議な髪型というか、派手な髪型をしている。
持ち上げて輪にした髪を金飾りで装う。唐風というより朝鮮風な感じ。
しっかりした美人。

弘法大師・四社明神像 金剛峯寺 四明神が弘法大師の下にいる。高野(狩場)、丹生、気比、厳島(琵琶を持つ少女)。南北朝時代。

四社明神像 和歌山 櫻池院 室町時代 犬も座る。狩場明神の猟犬。

四社明神像 和歌山 西禅院 これは蒙古襲来の際に折伏するために使われたもの。キキメがあった・・・のでしょうなあ。

般若十六善神像 (山王院大般若本尊) 金剛峯寺 室町時代 笑う獅子。いろんな人がいる。おなかに人面が浮かぶ鬼もいれば出目なのもいる。わいわいがやがや。台座の獅子も仲間入り。

狩場明神像 白犬をつれて弓を持つ。空海を道案内する明神。

狩場明神像 和歌山 丹生狩場神社 天文24年。木に描かれている。。白狐犬みたいなのと一緒。狩人のおっちゃん。よくみれば後ろには黒犬も。

大日如来坐像 和歌山 金剛寺 もう顔もぼろぼろ。

大日如来鏡像 大阪市立美術館 1290年。口が朱い。手は印を結ばず、膝に置く。広隆寺伝来。

三体の神像。和歌山 三谷薬師堂
女神坐像 手は服の内にある。
童形神坐像 手がない。

童形神坐像 アタマの上になんだか可愛い。手はグーとパー。

獅子・狛犬 和歌山 丹生都比売神社 でかっっ!!木彫なのだがやきもののような光り方をする。角のあるほう、先日なくなった俳優の蟹江敬三さんに似ている。奥目なところが。

大日如来坐像 (天野社伝来)金剛峯寺 印を結んでいるが、にんにん。シーンとした知らん顔の仏。

両頭愛染明王坐像 (天野社伝来)金剛峯寺 これはコワイよ~

十一面観音立像 和歌山 延命寺 平安時代 鼻が横広で、クメール仏に似ている。しかし目元は能見投手に似ている。

伝龍猛菩薩立像 和歌山 泰雲院 中国の立派な僧侶。デコが大きく顔も大きい。

不動明王立像 (合体不動)金剛峯寺 歯が怖いな。2Mもある。春日から半身をもらったそうな。

高野山参詣曼荼羅図 東京藝術大学大学美術館 やたら参道にお墓が多い。奥の院のところなのかな。うまいようで稚拙なような。

高野山参詣曼荼羅図 兵庫 花岳寺 橋本の友人が高野山に代々の墓があるというていたのを思い出した。

天野社絵図 金剛峯寺 桜が咲く。寛政五年の作品。

慈尊院絵図 金剛峯寺 カラフルマップというべきか。

弥勒菩薩像 和歌山 慈尊院 九度山にある、女人高野とも呼ばれるお寺。大きい、優しいお顔。

駆け足だったが、このような感じ。
後期も楽しみにしている。

きらめく日本画コレクション

難波の高島屋で大阪新美術館準備室が所蔵する日本画コレクションを展示している。
とうとう本当に作られるらしく、こんな前哨戦をする。
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長堀橋の出光ビルディングの13階にてしばしばコレクションを展示していたが、近代日本画だけの展覧会はなかったかもしれない。
あそこは元々は出光美術館(大阪)の跡地でいろいろよいところだった。
そんなことを思いながら高島屋に出かける。

なじみのある、しかし様々な事情で表に出て来れなかった絵たちに再会する。
嬉しさと共に薄い哀れさが胸に広がる。

51点ほどが展示されているが、大方は新美術館準備室の所蔵だが、中には見慣れるものもあり、これはどこからかと思えば「大阪市立美術館」「個人蔵」だとある。
個人蔵の作品はともかくとして、大阪市立美術館の作品については思うことがある。

天王寺の大阪市立美術館は市民からの寄贈品で七割がた成り立っている。大大阪時代の市民からの尊い心意気である。
しかしそれだけになかなか表に出てこないものが多く、今回新たに(本当に)新美術館が開館すれば、これら埋もれていた絵画も日の目を見ることになるのかもしれない。

第一章 四季折々の風雅

華岳 早春山ノ図 春の霞がもやもやと辺り一面を覆う。とはいえ桃色の霞はなく、黄砂におおわれでもしたように薄黄色い。六甲あたりはたしかに桃色の空気を持たない。
虎の尾が自生し、六甲おろしも吹き荒れる山にはやはり、桃色でなく黄色でなくてはいけない。

芳文 春雨吉野山之図 桜を愛する芳文らしく「桜の山」の代名詞たる吉野を描く。雨のために鳥が低く飛ぶ。上千本・中千本・下千本といわれる吉野のどこか、そこに柔らかい春雨が降る。雨はまだ花を散らしはしない。
花は二種あるようでピンクと白とが美しく咲いていた。

玉堂 山里の春 白梅の咲く丘に民家がある。紅梅も少し咲く。林の先の道を牛たちが歩く。山の暮らしと里の暮らしをつなぐ道。玉堂の「春」は桜花爛漫より、花の兄たる梅の美をより多く表現しているように思う。

平八郎 桜(山桜) 四本の幹のように見えるが、枝岐れしたのである。花はまだ咲かず、山桜の茶色い葉が見える。
桜の樹皮の美しさに惹かれる。住友家からの寄贈品。

波光 梨花水禽 白い梨の花が木を彩る。根本には白タンポポも咲く。白と緑の美。
アヒルが二羽ばかりいる。優しい靄がかかったような画面。夢みるようなある日の午後だった。

栖鳳 惜春 薪をたくさん集めて積んだその上に一羽のウグイスがとまる。折から春の風に散らされた花びらが、そこかしこにはらはらと散る。
ああ、春は往くのだと実感する。
切られた薪のその木の匂いまでがこちらに届くような情景。

麦僊 伊豆之海 くっきりハキハキ。手前にタンポポも咲く。奥には段々畑。ゴーギャンの影響を受けた時代の作品だが、多少「それがどうした」と言いたくなるところがある。

光䁘 白孔雀 この絵は本当にとても好きで、かつて大阪近代美術館(仮)で展覧会があったときも、喜んで見に行った。後には奈良の松伯美術館で回顧展があったとき、存分に堪能したが、やはりこうして目の当たりにすると、喜びが満ち満ちてくる。
四羽の白孔雀。そして一羽の熱帯の鳥も小さく隠れていた。熱国の歓びを感じる。
石崎光䁘が山岳登山に熱中していたことを知ったのは、つい最近だった。
東京都写真美術館で開催中の「黒部と槍」展での冠松次郎の著書の中に光ヨウの名を見つけたのだ。
光䁘はヒマラヤに登山に行くとき、経由地のインドで熱国の美を知り、それを作品にしたようだった。

希望 群貝 波打ち際に無数の貝殻がある情景。緑の岩と白くしぶく波と。砂浜にはどこから打ち寄せられたか、見たことのない様々な形の貝殻が無数に集まっていた。
竜宮からか、遠い異国からか。
岩の緑は日本画の絵の具でしか生み出せないような色だった。

平八郎 漣 美術館の目玉の一つ。実はわたしはこの絵を文様とみていて、浴衣にほしいような気がするのだった。

華楊 角とぐ鹿 ほかの画家にもこの題材を描いたものが多い。華楊の鹿は目をむきながらゾーリゾーリと角をといでいた。

竹喬 秋陽(新冬) 日光へ戻る坂の途中で見た風景を描く。グラデーションが薄ぼんやりしながら活きる。葉を持たない細い枝のふるえるような線。
後の作風がこの辺りから現れ始めているのか。

遙邨 雪の大阪 この作品もまた目玉の一つで、随分人気がある。大大阪時代の中之島界隈を描いていることから、当時の風俗もしれる。
今回初めて気づいたことがある。
川を行く小さな舟には当然乗り手がいる。彼らはほっかむりをしているのだが、そこに小さい可愛い目鼻が描かれていた。今まで気づかなかった。
この絵にはまだまだ新しい発見が蓄えられているように思う。

紫峰 冬朝 薄いグレーの地に、枯れた芦の葉と泳ぐ鴨たち。そして枯れ木に止まるサギ。左ではギャーッと口を開けながらサギたちが飛び去っていった。

御舟 春雪 雪を乗せた緑の大きな葉がある。その下でセキレイがチチチ・・・と遊ぶ。

第二章 歴史と物語の絵画

花朝女 竜宮玉の井 豊かな頬の古代異国美人。異国というか異界というべきか。赤い壷を持ち丸い井戸をちらりとのぞく。彼女はトヨタマ姫らしい。「わだつみのいろこの宮」で山幸彦と出会う竜宮の姫。竜宮には椿も咲いている。

大三郎 鸚鵡小町 老齢の小町が返歌にかつてもらった歌の一字のみ変えて返したことによるタイトル。(鸚鵡の意味)能を思わせる構成になっていて、小町の顔も老女の能面を思わせる。細竹の杖を突き、野に立つ。月とススキとが小町の今のともだちかもしれない。残る下歯にはお歯黒が見える。サンダルのようなものを履くが、全身からは上品なものが見える。せつない。

松園 汐くみ この絵も目玉の一つ。松園さんはこの題材が好きなようで、野間コレクションを始めほかにも同類がある。「松風村雨」姉妹の一人を描く。豊かな黒髪が美しい。

契月 少壮義家 シンプルな線と少ない色数の人物画は契月の巧さを教えてくれる。騎馬の若武者義家が颯爽と走る。かっこいい。

植中直斎 建礼門院得度図 平家の生き残り・平徳子が小さな草庵で得度する。杉戸には仏画が描かれ、徳子の前には蒔絵の耳盥や猫足の卓などがあるが、この庵自体はうらぶれている。蔦も垂れ下がり、雑草も伸びている。外にある小さな祠に百合が供えられているが、それも侘びしい。そんな中での静かな得度。徳子の手には長い髪の房がある。大和絵の豊かな彩色で描かれた、せつない情景。

恒富 淀君 この絵もよく知られている。間近で眺めると、剃った青眉の艶にはっ となる。
細い指先の薄紅色。それだけでもときめく。

九甫 天草四郎 むにっとした唇が印象的。美少年かどうかは個人の判断に任せて、目が据わっているのは覚悟を決めたからか。足下には地球儀もある。
九甫は異国情緒を取り込んだ肖像がうまいと思う。

第三章 聖なる世界と俗なる暮らし

麦僊 散華 この大きな屏風も目玉の一つ。踊る天女二人より、若い僧侶の方が可愛い。

華岳の作品が三枚続く。仏画である。
樹下釈迦仏之図、雲上散華之図 これらは豊かな頬の美しい仏の姿である。
わたしは華岳の「裸婦図」を初めて見たときの衝撃が今も奥底に残るので、どうしても華岳のやや丸顔の美麗な顔立ちの仏や女たちにばかり惹かれてしまうのだった。

羅漢 これなどはシブすぎるくらいにシブい。
ちょっとライオン丸に似ている気がする。

波光 不動 これがまた怖い。華岳も波光もオヤジ系を描かせるとコワモテが多いな。

今更だが、わたしの判断で、作者の名はフルネームでなく名前だけ記してきて、どうも知られていない人だけフルネームにしてきた。
わたしはこのブログ上でかなり多く近代日本画の感想や紹介をしてきたから、もういいかなと思っている。
しかしやはり、いるときはいるようなので、以下、フルネームの人が続く。

三露千鈴 殉教者の娘 目を伏せて佇む美しい娘がいる。
胸からは筥迫がのぞき、ビラビラ簪は蝶々と鈴がつく。手にはクルス、背後には聖母子像。豪奢な着物を着た娘の明日はしれない。彼女は信仰心を捨てようとしないだろう。

千鈴は母と共に木谷千種の画塾で修行した。いい絵も描いたが病身のため夭折してしまった。
今こうしてここに彼女の作品が収められているのは、本当によいことだと思う。

浅見松江 細川伽羅奢 ガラシャ夫人である。玉造の自邸で祈る姿。洋風花鳥画のステンドグラスがきれい。
百合の花は聖母マリアの花。ガラシャはなんとスイカ柄の打ち掛けを着ていた。びっくりしたなあ。
玉造にはカトリック教会があり、そこには堂本印象の美麗な宗教画が飾られている。

井口華秋 踊り子 肉感的なダンサー二人が妖しい化粧顔を見せて踊る。それぞれ蝶やカゲロウの翅を背につけて。大正末期、こうした絵がよく現れた。
華宵やまさをといった叙情画家が魅力的な作品を生みだしている。ダンサーは足の筋肉がとても発達している。
この時代だからこその作品かもしれない。

島成園 祭りのよそおい 成園の作品がここに収納されていることも喜ばしい。
この絵はせつないもので、左へ行くほどに金持ちの娘になる。せっかくの夏祭り、精一杯のおめかしをするちびっ娘たち。小さくても格差の大きさは胸にこたえる。
左に一人佇む貧しい娘のまなざしがつらい。
しかし、とわたしは思う。左の金持ち姉妹、次のエエ氏の子、それらよりも右端のいじけた目をした幼女の浴衣、私はその方が好きよ。

花朝 春昼 この絵も好きなもの。高津か生玉神社あたりでか、子供らが機嫌よく遊んでいる。桜が満開の頃。六歌仙や幼い菅公が梅を愛でる姿の額もある。
大昔の大阪の情景。

千種 浄瑠璃船 木谷千種は大阪で女流画家が隆盛になるのを押し上げた人。彼女の回顧展を池田で見たが、もっと知られていい人だと思う。
旧幕時代、ええ氏の娘が舟遊びに出る。そこへきた浄瑠璃船にリクエストして「梅川忠兵衛」を語らせる。
舟はほかにも渡っていて、スイカや瓜を乗せたものもある。
かつてはこんな道楽もあった大坂。

小林柯白 道頓堀の夜 幻想的な絵。ぼわ~と暗い中に浮かび上がるような建物。すべての部屋に灯りがつくが、誰もいない。建物そのものがぼんやりと闇の中に浮かび上がる。そしてその建物よりさらに高い位置に芝居小屋の櫓がはっきりと見える。

第四章 <美人>のいる情景

恒富 摘草 朝の早い時間に野に立つ女。にっこり笑う。大正初期のリアルな女。

橋本成花 夕涼み やや面長な女が相合橋にもたれている。女だけがカラフルで、背後の町はうすぼんやり。
ある一軒の家には「中村福助」の幟が洗濯物のように干されている。実際家の一階には洗濯物がある。
この時代の中村福助は上方の役者で初代雁治郎の相手役で人気の高い女形だった。
わたしはこの人の玉手御前のブロマイドをみて、「まるで水の底にいるようだ」とゾクゾクして、それ以来ずっと好きでいる。

大三郎 うらない 妖艶な女が真正面をむいてカード占いをしている。和風なカードである。あの清楚なピアノの令嬢を描いたと同じ画家とは思えぬ風情である。

松田富喬 月下美人 植物ではなく、本当の女。何というえろさか。じっ としたままの女の艶めかしさにぞわぞわした。こんな顔の女は今もいる。そして何かをしてしまいそうな女も。

恒富 五月雨 可愛い舞妓ちゃんが中庭の池にすむ鯉に餌をあげる。可愛い姿をとらえた一枚。モダンガールに関心を持たない恒富はリアルタイム風俗を描くときは和装のおとなしい娘や舞妓ちゃんを多く描いたが、いずれもとても魅力的。このころはもう「浪花の悪魔派」とも言えないのではないか。

高橋成薇 秋立つ 断髪の令嬢がムクゲ咲く野に立つ。
この絵は以前の展覧会でメインになったこともある。
そしてこの画家は中村貞以と婚姻し、彼のモデルにもなる。

貞以 夏趣二題 二人の女が一緒にいて、それぞれ好きなことをしている。三味線を弾く女の前で、くつろいで映画雑誌をめくる女。黒地に朝顔の浴衣がすてき。

谷角日沙春 送春 緋毛氈に立つ遊女。この顔、今ならジャンプで連載していた「磯子磯兵衛 浮世はつらいでござる」ですかね。

いいものがたくさん出ていて、楽しく眺めた。ああ、面白かった。4/14まで。

京都ゆかりの美術家 前期

高島屋史料館で「京都ゆかりの美術家たち」展の前期を見た。
主に日本画の良いものを見て、随分機嫌がよくなった。

1. 京都に育まれた美
川島睦郎 緑日 きれいな青緑の空間に、青リンゴと鶺鴒がいる図。清々しい、きれいな青で、こちらの肺まで青が染み込むようだった。

小野竹喬 春 季節が移って、ぼんやり青い空に白い雲がぷかりぷかりと浮く。桃も咲き出していて、空に向かって梢を伸ばす。

堂本印象 陶額皿原画 皿そのものに洋ナシやアジやポットを置いている、だまし絵のような皿、その原画。だいぶ抽象的なタッチなので晩年のものだろうが、明るい。

山口華楊 玄花 黒に近い深紅色の大きな花弁の牡丹が三つ。妖艶な花たち。
蕾はまだ固いが、これも開けば姉たちのように艶やかに笑うだろう。

池田遙邨 月光富岳 薄い三日月が山頂に雪を頂く富士山を明るく照らす。もう春も深まったか、近くには高山植物も萌えているらしい。そんなところに素知らぬ顔で月。

大野藤三郎 牡丹の園 全体がうすぼんやりした靄で覆われたような画面。そこに白牡丹が優しく咲く。白い花と薄緑の葉と。茎の薄緑も優雅。モンシロチョウと黄蝶とがふわふわと飛ぶ。清楚な絵。

田島周吾 文月駅とローズ堂 去年の高島屋外商のチラシ原画らしいが、骨董品屋風な趣の店と猫と駅とが描かれている。昭和レトロな風情がある一方で、現代と過去とを綯交ぜにする手法がここにも来ているのを感じる。現代のムーヴメントのありようか。

上原卓 蒜山早春 遠景に白い蒜山の連山、手前に辛夷らしき白い木花の群れ。白と緑の静かな美。中景は特に強く描かず、遠景と近景とを際立たせている。

松村景文 鹿 元は襖絵なのを屏風に仕立て直したもの。大きな引手が絵の中の月のようにも見える。三匹の鹿それぞれの様子。

山本春挙 富岳之図 これは右1扇目からからゆっくりと上がり始める線が…ついに5扇目で隆起し、6扇目でババーンッッッと富士山が聳える~~~という形になっている。わたしはこの絵を見るたびに「ツァラトゥストラはかく語りき」を思い出すのだった。脳内再生は止まらない。

樋口富麻呂 挿花 ふんわりパーマを当てた若い女が、紅鮭色の着物で秋草を生けている姿。

上村松篁 孔雀鳩 ぽよんとした白鳩が2羽。背景は薄いリンゴ色。

沢弘靭 柿 熟したおいしそうな柿と、葉にシミが浮き出すほどの赤い葉たち。

勝田哲 夜長 元禄時代の武家の婦人らしき女が、ふと読んでいた本から目を挙げて、なにか物思いにふける様子。打掛は白地にさまざまな紅葉柄。

富岡鉄斎 贈君百扇 本当に百あるかどうかは知らないが、とりあえず、歌仙図、琵琶湖、一休の烏、群盲模索(象をなでる)などなど。

神坂雪佳 四季草花図文庫 素の上に色塗りして花を描く。桔梗が可愛らしい。

如月会・重陽会 記念図譜 如月会のほうには池田遙邨が描いた雪にまみれた大文字山が描かれている。重陽会には今回は、左から不矩の梅花一輪、中に河井健二の林、右に梶原緋佐子の茶の湯の舞妓。

魯山人の花入れもあった。信楽だがよく焼けていそう。肩に∞が四つ。∞ ∞ ∞まるでリボンのようだった。

ほかにも永楽善五郎や樂覚入のいいのが出ていた。

2. 京都と洋画:関西美術院
足立嘉一郎 初夏の乗鞍岳 ああ、気持ちよさそう。

梅原龍三郎 薔薇図 森永マリービスケットを枕にしたように、たくさんの薔薇が寝かされていた。風呂敷の原画だったとか。

宮本三郎 薔薇 1953年のカレンダー原画。白と黄色の薔薇がメインで赤は一輪だけ。

山下摩起 ばら ピンクや薄黄色が大量。枠からはみ出しそうな勢い。パラがわんさと押しかけている。

3. 京を描く
竹喬 洛西の山 墨絵でのんびりと。雲のわくのんびり山。

遙邨 保津薫風 筏師たちが次次に働く姿。ああ、気持ちいい。

中野嘉之 神護寺 長い石段の先の本堂と、両脇からの紅葉。

室井東志生 富貴 鼻筋の通った目元の涼しい舞妓。このひとは「都おどり」のパンフレット表紙絵を描いていたとか。そして玉三郎を30年にわたって描いたそうだ。

神坂松濤 秋の大原女 雪佳の弟。レトロ美人。明治から大正にかけて描かれたビールのポスターのような美人。

緋佐子 春の装い きりりとした芸妓さんがきちんと端座する。

鬼頭鍋三郎 舞妓舞扇 金塗地に横向きの舞妓。手には舞扇。

心が落ち着くような優しいラインナップだった。前期は4/15まで。後期は4/17~5/27まで。

旧鶴巻邸 1

数年ぶりに山科区の旧鶴巻邸を訪ねた。
本野精吾の設計によるもので、中村鎮式ブロックを使っての建造である。
現在の栗原さん、京都工芸繊維大学の笠原先生らの御尽力で、このモダニズムを代表する邸宅は今も活きている。

施主の鶴巻鶴一はロウケツ染めなどの大家で、京都工芸繊維大学の前身の一つ京都工芸高等学校で教えていた。
彼の回顧展が2月末まで開催されていたが、惜しくも私は見逃した。
(展覧会の詳細はこちら

鶴巻の仕事はこの家にも残されている。食堂と応接とを隔てる引き戸である。その襖絵がロウケツ染めで出来ていて、応接側には唐獅子の二人組、食堂側には桜花爛漫という景色が展開する。

家具などは本野のデザインである。以前も面白く感じていたものが多いが、今回は花瓶なども出ていて、楽しい。
4年ほど前に工芸繊維大資料館で本野の展覧会を見たが、その時の感想はこちら

来た日は桜もまだ残の美を見せていた。
琵琶湖疏水沿いにはほかに見るべき木花も多い。
この後には天智天皇陵越しのお隣さん?の毘沙門堂にも行ったので、それはまた別仕立てで記事を一本挙げる。

外観などから。
入り口。ゆるやかな坂IMGP2450.jpg
植物があふれかえる道。

IMGP2441_201404111159495c9.jpg いちばん印象の強いのは玄関上のこの窓。

綺麗な幾何学的様相を見せる。IMGP2443_20140411115952c0c.jpg

玄関には2本の柱IMGP2442_20140411115951fde.jpg

IMGP2444.jpg コンクリにも薄い緑が忍び寄る。

照明もモダンである。IMGP2440.jpg

緑の中で。IMGP2446.jpg

裏へ回る。IMGP2448_20140411115955417.jpg

こちらからもIMGP2449.jpg

中に入りまずは応接室へ。
インテリアは進駐軍接収解除後のもの。IMGP2377.jpg

テーブルなどだけでなく花瓶なども本野のデザイン。
カメレオンやエビなど。IMGP2379.jpg

鋳鉄でもいいかも。IMGP2371.jpg

モダンムーヴメントか。

シンプルな暖炉IMGP2378.jpg

お待たせしました、お獅子です。
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じっくり見ましょう。
IMGP2381.jpg左の獅子

右の獅子IMGP2380.jpg

獅子の置物もあり。IMGP2382.jpg

素敵な照明IMGP2364.jpg
どういうわけか停電してしまい、やっとついた。

建物と同時代の絵画IMGP2365_201404111238462b9.jpg

隣室の食堂へ。
アラバスタ―かな、照明。IMGP2366.jpg

優しい光。IMGP2427.jpg

こちらは桜。IMGP2373.jpg

近くで見る。
IMGP2374.jpg

IMGP2375_2014041112475072c.jpg

全体IMGP2425.jpg


テーブルは楕円形だが円形にも変形する。
IMGP2424.jpg

そこにある皿も本野のデザイン。IMGP2367.jpg

サイズ色々IMGP2426.jpg


「楓橋夜泊」の詩の屏風。IMGP2368.jpg
これは鶴巻か。

絵画はあちこちに。IMGP2369.jpg

暖炉の上にあるもの
中村式ブロック実物IMGP2429.jpg
組み方のタダモノでない工夫で、この邸宅は構成されている。

モダンなインテリアIMGP2430_20140411154515227.jpg


廊下へ。IMGP2376.jpg

納戸かな。IMGP2431_2014041115451746a.jpg


台所。素敵な空間。IMGP2387_201404111247539af.jpg

こんな窓に憧れる。IMGP2388_20140411124754dc5.jpg

浴室はかなり手が加えられていた。
これは今のものだが、可愛いのでIMGP2433.jpg

電話室IMGP2389.jpg

内から外へIMGP2390_20140411125509b1a.jpg

玄関照明IMGP2391_20140411125510444.jpg

長くなるので一旦ここまで。

旧鶴巻邸 2

階段も魅力的で、ちょっと集めてみる。
光の差し込む空間IMGP2392_20140411125511435.jpg

棒が軽快な様子を見せるIMGP2397.jpg

このおり方がいい。IMGP2405.jpg

窓の魅力はここにも。IMGP2406_20140411135850203.jpg

見下ろすとこんなにも面白いIMGP2420_20140411140540425.jpg

3階まであるからそれぞれ違う面白さがある。

ドアの取っ手も。IMGP2436.jpg


2階のあの円形の部屋。
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インテリアIMGP2399.jpg

花瓶置きテーブルも本野IMGP2400_2014041113582255e.jpg

暖炉IMGP2394_20140411125528634.jpg

あの窓の様子IMGP2401.jpg

魅力的な構成。IMGP2423.jpg



寝室天井IMGP2393.jpg
よくここまで修復したなあと思う。

ベッドも素敵。IMGP2403.jpg

作り付け家具の取っ手などIMGP2402_20140411135824fe1.jpg


別な一室には洋風ドアと網戸も。IMGP2396_2014041112553100a.jpg


戦前の旅行トランクがある。栗原さんのかな。IMGP2404.jpg

3階へ。ベランダは半円形。IMGP2408.jpg

山科区の風景IMGP2407_20140411135852e5c.jpg

屋上にある風景を見る。
塔屋IMGP2413.jpg

煙突。中村式ブロックIMGP2415_20140411140516f9f.jpg

眺めよろし。IMGP2412.jpg

こちらはブロック製の最古の橋。琵琶湖疏水にかかる。
春の歓び。IMGP2414.jpg

庭を見おろす。IMGP2416.jpg

玄関先IMGP2417.jpg

実際のところ何なのか。IMGP2418.jpg

再び室内へ。
窓の向こうの緑。IMGP2421_20140411140542806.jpg

可愛い家具IMGP2422.jpg

古い写真を見る。
食堂か。IMGP2428.jpg

お風呂IMGP2432.jpg

洗面台IMGP2434.jpg

外景IMGP2437.jpg

建物全景IMGP2438.jpg

遠景IMGP2439.jpg

庭は雑木林の趣をみせる。
椿IMGP2445.jpg

シダとワラビかな。IMGP2447.jpg

スミレも。IMGP2451_20140411155441e6d.jpg

モダンムーヴメントの建造物。民家の面白さを堪能させていただいた。

毘沙門堂の花々

山科駅から徒歩20分の毘沙門堂へ。
とはいえ、実際には時間も惜しいし坂も厳しいし、御年配の方々のお供なのでタクシー1メーター。
毘沙門堂への道のりに見かけた閑静な住宅街にも大いに惹かれましたなあ。

NHKで取り上げられた枝垂桜を見に行ったわけだが、朝昼はすごい人出だったらしい。
わたしたちは夕方4時過ぎについたので、本堂などはあきらめてお庭のお花だけを楽しませていただいた。

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繚乱IMGP2452.jpg

少しずつ忍び寄る薄闇を背景にIMGP2454.jpg

豊麗な桜の世界IMGP2455.jpg

ミツバツツジも満開IMGP2456.jpg

地にも椿、そして桜の花弁IMGP2457.jpg

木の根に愛らしい小さな花。
垣通(かきどおし)というそうな。IMGP2458.jpg

わたしは木花と小さな草花が好きだ。
ご一緒した奥さんのお一人もそうで、二人で意見が合うて喜ぶ。

門跡だけに立派な塀IMGP2459.jpg

桜の魅力に溺れる…IMGP2460.jpg


ここには椿も多くある。とても丹精されているのがわかる。
わたしたちが椿を眺めているとき、丁寧に椿を掃き集めている若い僧侶の方がいた。

満開の椿IMGP2461.jpg

散椿がいとしい…!IMGP2462.jpg

一つの木に様々な文様の花が咲く。IMGP2463.jpg

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愛は深まるばかりだ。

濃い色の椿IMGP2466_20140411165919ba5.jpg
パラのようにもみえる。

紅白の椿と桜の競演IMGP2467_2014041116594114d.jpg

白椿は清楚であり妖艶でもある。IMGP2468.jpg

薄紅をほのぼのと見せるIMGP2469.jpg

いい眺めIMGP2470.jpg

良く伸びたIMGP2471.jpg

一切経蔵まえの紅枝垂IMGP2472_201404111705446b3.jpg

薄紅の誘惑IMGP2473.jpg

花の裏もまたあでやか。IMGP2474_20140411170547bd0.jpg


帰りはタクシーがなかったので坂を下りる。なんとか皆さん大丈夫そうでほっとする。
琵琶湖疏水に架かる橋からの景。
桜と菜の花IMGP2475.jpg

素敵な洋館を見かける。IMGP2477.jpg

料亭らしい。IMGP2476.jpg

スクラッチタイルIMGP2478.jpg

お庭に筍も。IMGP2479_2014041117061828b.jpg


木屋町まで戻る。
黄桜の御衣黄が。IMGP2480_20140411170620952.jpg

黄色と言うより黄緑IMGP2481_20140411170621af4.jpg
春の特権の色。

元・学校の横にIMGP2482_20140411171450763.jpg

いくらでも見るべき桜や春の花が京都には多い。
枝垂桜と柳が並び、八重の山吹も咲く。

いい半日だった。

森田りえ子 花らんまん

御影の香雪美術館で森田りえ子の展覧会が開催されている。
近年いよいよ彼女の世界は広まり、美は一層の深みを増している。

チラシの舞妓さんのたおやかな姿。枝垂桜の花の中に佇み、白い手で細枝を掴む。髪にも花簪、着物にも春の花、襦袢にも花。
可愛いこっぽりの踏む地には花びらが散らばり、すぐそばには白椿が豊かに咲く。桜の根元には菫。
絵のタイトルは「花の下」だが、彼女のいるこの枠の内こそが展覧会タイトル「花らんまん」そのものなのだった。


森田りえ子の描く題材のうち、最も魅力的なものは椿だと思う。
2007年製作の金閣寺本堂の杉戸絵や客殿の天井絵などを見る機会があったが、やはり惹かれたのは椿だった。

柊野五色椿
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ここの画像では鬱屈するほど小さくしか挙げられないが、ガラス越しとはいえ間近で見たときの喜びは、これは同じ体験を共有した人でないとわかってもらえないかもしれない。
素晴らしく立派な、大きな椿花だった。
一つの花自体がわたしの拳くらいあった。
こんなに大きな椿の花の絵はほかに見たことがない。
なんて立派なのだろう、そしてなんと美麗なのか。
金屏風に豊麗に咲きこぼれる椿。
同じ木から生まれた花は、さまざまな装いを見せる。
紅、白、斑、薄紅、遺伝子の不思議を感じさせる花びらの色彩。DNAの螺旋の曲線から生まれる花の文様。
間近に見ることのできる喜びに満ちながら、絵を「鑑賞」した。

森田りえ子の椿や桜の良さばかりを綴っているが、彼女自身は糸菊を描くことを喜びとしているようだった。
「白日」と題された絵は彼女を世に出した。
まるで白い花火のような菊たち。
この綿密で繊細な仕事を完遂したことでどんな絵も描けるようになったのかもしれない。

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雨後 花菖蒲を描く。ひっそりと咲く花菖蒲。目を見開かされるような鮮やかさ・艶やかさはないものの、しっとりした風情がある。枠に収められた空間の外はどのような状況なのか。もしかすると大きな蛙がいるかもしれないし、夜の闇が忍び込み始めた空間が広がるのかもしれない。

ゆく夏 朝顔とススキと芙蓉とが同居する。夏の終わり、高い温度を保ちつつも少しずつ秋が近づいている。
ゆっくりと倒れかかりゆく花。そこにこそ「ゆく」夏がある。

秋華 丸い菊、糸菊。華やかな秋の喜び。わたしはこの絵を見て、相楽園に展示される菊の品評会を思い出した。

建仁寺茶碑「春うらら」 栄西禅師が茶を日本に紹介したということで、顕彰碑が建てられている。
ちょうど今、東京国立博物館で「栄西と建仁寺」展が開催されているので、嬉しい気がする。
碑に枝垂桜が優しく落ちかかる。

熱国彩夢・日 ハイビスカスと蝶々
熱国彩夢・月 ブーゲンビリヤとダチュラとカマキリ。
心地よい熱がじわじわと肌に広がるような空間で、花と虫とに逢う。

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月次行事を扇面に描いた連作がある。2009年の作品。
お正月 モチ花の下に駒玩具と紅梅
上巳 桃の花を眺めるような犬筥二つ。菱餅が供えられている。
端午 卵色地に菖蒲。
七夕 笹の葉飾りに蛍たち。宵すぎの頃。
重陽 糸菊の優美な姿。

小襖のための絵
日 金銀砂子を刷いた上に様々な蝶たち。色とりどりの美。
月 満月になりきれぬ月にかかるように、クモの糸とブドウ。
これらは森田の好きな題材なのかしばしば変奏曲をみかける。

山茶花 白地にほのぼのと薄い紅色がさしている。近年になりわたしもようやく山茶花の良さがわかるようになった来たように思う。

風薫る 藤にモンシロチョウとアブとがくる。五月のある日の午後。

生きる こういう状態の咲き方を「百合咲の椿」というそうな。うつむきつつも却って話し声はやかましく喧々囂々、そんなイメージがある。
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バリの踊り子 絢爛豪華な女がいる。とてもかっこいい。

東大寺の絵馬を長く続けているとか。
2007年の子年から2014年、今年の午年まで半周まで来たところ。
可愛く向き合うネズミ、賢そうな牛、奴凧でトラ、蛇のカラオケ…

薬師寺の散華も森田だった。
限られた枠の中でも表現力は高い。
いとしい花たち。

素描も出ていた。鉛筆で肥痩と濃淡とを描き分け、花の影を捉える。
素敵な素描だった。

毎年新作がとても楽しみな、数少ない画家の仕事を楽しんだ。
5/11まで。

松伯美術館開館20周年記念「上村松園」展

松伯美術館も開館20周年の節目を迎えた。
今回は原点に忠実に、上村松園展が開催されている。
副題は「画道ひとすじ」である。
イメージ (3)

確かにその通り、松園さんは画道一筋に生き、生涯をそれで通した。
そこにはお母さんの慈愛に満ちたバックアップがあり、本人の絶えざる努力があったのはよく知られていることだ。
女性として初の文化勲章を受け、明治から昭和の戦後しばらくまでずっと意志を貫き通した。意志。石の上にも三年とはすなわち、一心の上にも三年、それ以上に続けて立派な画家となり、没後60年以上の今日に至っても、燦然と輝き続けている。

少し前に名古屋で開催された展覧会のチラシ。
内容はほぼ同じか。イメージ

松園さんの若い頃の作品が出ている。
花ざかり これは明治32年、つまり1899年である。今は2014年。115年経った今も絵は美しく、力強い精神の高さを見せている。

松園さんは単なる美人(表面的な美人)というものをきらい、精神の尊さを体現する<美人>を描いた。
美人画と言う範疇に入りはしても外面上の美を専らにするのではなく、その精神のこの上ない清浄さと芯の強さとを愛し、描いた。
そしてそれは晩年に近づくほどに強くなってゆくようだった。
わたしなどはそのあたりの松園さんの立派さにちょっとついてゆけず、どうしても引いてしまう。ファンではあるが、その境地には決してたどり着かぬことが知れているのだ。

今回は松伯だけでなく名古屋の名都美術館、広島のウッドワン美術館などからも名品が集められている。

花嫁とその母とを描いた「人生の花」も何種かあるが、今回は名都のが来ている。
松園さんがとてもこのテーマに愛着があるのがよくわかる。

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今回は好きな絵・なじみの絵が多い上に、初めて見る下絵や素描が大量に出ていて、それが実によかった。

虫の音 彦根屏風を参考にしたもの。ああした近世風俗画を自身の絵に置き換えるには、十分な支度もしていたろう。下絵、素描、模写、そうしたものから線を選び、自分の世界に召還し、そして己の個性を打ち出す。

よし野太夫 代々「吉野太夫」の名を継いだ名妓たち。ふっくらと優しそうな頬をして佇む姿。教養豊かな女性。彼女もまた職業婦人なのである。

芸妓之図 明るく可愛い芸妓さん。ハナオがトルコブルー。大正のモダンさがこんなところに見える。

紅葉可里図 これは「娘深雪」の顔立ち。可憐な娘。

舞支度 お稽古の出待ちの娘たち。鼓の調子を見るのは少し年ゆきの綺麗な女性。鼈甲の櫛をさしている。はしゃぐ娘たちと違い、静かな趣がある。

お萬之図 男色家に恋したお萬が美少年に変装して思いを遂げる、という物語から。相手の薩摩源五兵衛にそこまで思いを寄せるというのもえらいもんだが、何故この娘を松園さんが描いたのか興味がある。

わたしが初めて松園さんの絵を知ったのは高校の頃で、「花がたみ」にのめりこんだ。そのことについてはしばしばここで書いているからここではもう書かないが、今回は本画と下絵、スケッチがたくさん出ていてとても嬉しかった。
松園さんはこの絵を描くために祇園の芸妓の顔を写したり、岩倉の精神病院に出かけたりしたが、やはり能面が最も参考になったという。
今回、そのエスキースを味わう。
現在の完成作は真正面向きのものだが、ここに至るまでの流れを見る。
照日の前がゆっくり動いているのをみる。舞のようでもあり、ただただ歩いているようにも見える。
素描だけで動きがあるようだ。

近年は下絵や模写、縮図、素描を見るのが楽しくて仕方ない。画家それぞれの特質が見えたり、考えの流れ、完成への軌跡、そんなものを大いに味わわせてもらう。
だから今回はその意味で本当にみごたえがあった。

楊貴妃 こちらも下絵、素描などがいろいろ。本当に細かい。完成に至るまでの道のりの遠さを知る。
彼女の座すイスや足おきの螺鈿の綺麗さにもうっとりする。唐代の装飾美を再現する松園さん。

美人納涼 松園さんは浮世絵研究にも熱心で、春信と長春が好きだという。実際この絵の美人は長春風なポーズを見せている。キセルを持つ手も優美。

それにしてもどの絵にも多くの下絵があり、構図もたくさん考えられている。一枚の完成の前には無限の積み重ねがあるものだ。
そしてそれらは決して無駄にはならない。
なにごとも稽古が大切だということを知る。
それは自分の細胞になるからだ。

多くの下絵が出ているので本当にそれだけでも楽しい。
そして今回は模写もたくさん出ている。

合戦図 栖鳳の絵の模写で、源平合戦の富士川の図から。平家方は水鳥の羽ばたきを敵襲と思いこみ慌てて逃げ出す。琵琶も放りだして逃げる人々。
松園さんは人物本位の絵を描くが、群衆というものを描かなかったように思う。
しかしこうして稽古はいくらでもしている。
若い頃のたゆまぬ稽古熱心さが後の高みを約束してくれたのだ。

赤ちゃんのスケッチがたくさんある。そこには「松篁幼時」とあるが、それはまぁ後年の追記だろう。描いたリアルタイム時、まだこの赤ちゃんは「信太郎」チャンにすぎないのである。
信太郎チャンは母ではなく祖母に育てられ、画狂人ともいえる母を「二階のお母さん」と呼んでいたそうな。

縮図帳には骸骨と如意、雀、説法を聞く人々、長春や安度風な人々が描かれている。
自画像はいずれもややきつい風に描いている。
ライオンも梅の絵もある。
スケッチはいずれもイキイキしている。
そのイキイキぶりは本画では決して見られないものなのだ。

松園さんはいう。素描を描くときには「鉛筆ではなく筆を使え」と。そうすることで本番での筆のすすみ具合が変わるという。
絵を描かないわたしでも納得できる話だった。

やはり奥の深い、豊かな展覧会だった。

5/11まで。

江戸絵画の19世紀 前期

今年も始まりました。府中市美術館「春の江戸絵画祭」。
今年のタイトルは「江戸絵画の19世紀」。
とりあえず4/13まで前期なのでいそいそと出かけました。

守住貫魚 袋田滝図 真正面から。モリモリした滝。ゴォゴォ音もしそうである。

森狙仙 猿図 出ました「猿のソセン」。松に登る二匹の猿、それぞれの表情と行動。ちょっと遠くを見る猿と松の上で掌をなめる猿と。

原在中 天橋立図 ーーーーーーと松並木が続く。凄い。松林と言うべきかもしれない。昔の方が松が多い。

織田瑟々 江戸法来寺桜図 きれいな桜。この女流画家は言えば「桜狂い」の人で、以前どこかで展覧会があったが、あのチラシはどこに行ったろう。

大久保一丘 伝大久保一岳 洋風の肖像画。丘の下に山がついている人は父上かな。

亜欧堂田善 河豚図 リアル!!!こんなんサバいてテッサにして、唐揚げにして、皮湯引きにして、てっちりにして・・・

田善 ミツマタノケイ(三俣の景) なにやら不思議な洗濯干し場ですな。

田善 大日本金龍山之図 浅草やね。大仏もある。天狗面を背負う人もいる。全国どこでも歩くのね。

田善 陸奥国石川郡大隈滝芭蕉翁碑之図(「青かげ」挿絵) 大パネルがある。どっどっどっと流れがある。

豊原国周 流行三組三人勝負 幕末の人気役者三人のオフの姿を描く。(もちろんそれは絵師の妄想・客の望みである)左は月夜の菊五郎、中は花菖蒲の田之助、右は橘乃市。刺青を入れてきれいな肌だった。

岸恭 四季花キ図屏風 福寿草、スミレ、たんぽぽ、菜の花などがイキイキと咲き、まるで合唱するように見えた。川を挟んで花々が元気。菜の花に牡丹も和するように見えた。夏の花たちは川を挟んでその様子を見おろしている。ちびの豆花もそう。百合たちは「ねぇ」と言い合うようだった。

魚屋北渓 雲竜図 墨絵で龍の骨を描いているが、ウナギの骨を思い出した。

島琴陵 強面の龍に比べ、シナ作る虎だが、目はさすがに怖い。板橋区立美術館所蔵というのも納得。

国芳の通俗水滸伝シリーズが三枚。
呉用、石勇、張横。この連作はとても好きで本当にかっこよくていい。何度も見ているが、見る度に新発見がある。
たとえば呉用は天球儀をそばに置くが、○に放射線状のついた星が描かれていたのを知った。
張横の刺青は鷹に狙われて顔を覆う猿だった。
すごいセンスだなあ。

古市金峨 雲龍図 ↑まーっすぐ顔を上げる龍がなにやら可愛い。

安田雷洲 丁未地震 1847年の地震。これは八年後にも使い回されたそうだ。幕末は大きな地震が続いたのだ。

狩野一信 七福神図 大画面にバラバラ。探すと、いたいた。宴会に三人、水辺に二人、鹿に乗るのが一人、あとはどこだ・・・

狩野一信 布袋唐子図 頭に袋を乗っけて子供らと川で遊ぶ。亀もいた。わいわいがやがや。

祇園井特 芸妓図 二人の芸妓がいる。左は座りながら髪に手をやり、そばには三味線がある。右は立ちながら文を読む。どちらも笹紅をさしている。

小田海僊 雪中松鳩・雪中竹雀図 右幅の青鳩は何かをくわえている。左の雀がいる雪中は紙の破れを雪に見せているようだった。

古市金峨 瀑布図 ゴーーーーーーーーーーーッッッ・・・

鈴木其一 琵琶湖風景図 摺針峠辺りからの風景。

田中訥言 若竹鶺鴒図屏風 鳥が鶺鴒かどうかはわからないが、なんだかカッコイイ。

鈴木守一 秋草図 描表装。印章ぺたぺた。ウズラが飛ぶ。

原在明 桜鞠・紅葉鞠図 右幅は桜に鞠が吊られている。
左は紅葉の木に挟まれている。
単に見栄えで描いたのではなく、意味のある構図らしいが、蹴鞠にも色々作法があるものだ。

葛飾北斎の諸国滝廻りが出ている。
前期は大山ろうべんの滝と、木曽路のが二本。奥阿弥陀ケ滝はチラシになっている。滝見の遊山客が重箱をもってきて、酒の燗も滞りない様子。流れ出した滝は白い奔流だが、上部の水の集まりはマーブル文様がみえる。そこだけ異界のようだった。

岡田米山人 松下牧童図 笛を吹く坊や。

忍頂寺静村 坂田金時立身図 こういうのはヘタウマとでもいうのか、なにやら変な絵である。
金太郎から金時になり、功成り名を遂げたときに久しぶりに実家の足柄山に帰ると、遊び仲間の熊もウサギも猿も鹿もみんな丁寧に平伏、イノシシとソマもまた。駕籠かきたちも控えているが、なんだか妙な絵。

忍頂寺静村 蓬莱山図 めでたい景色だが、なんか堅いな~

上田公長 狐の嫁入り図屏風 まじめな顔の狐たち。もっともこういう狐でもネズミでも擬人化されているものたちがニヤニヤしていては話にならない。
公長は逸翁美術館にある猫の絵が特にいいのだが、こちらもいい。

高橋景保編・田善版刻 新訂万国全図 文化13年の世界地図。この前日に江戸博「大江戸と洛中」展で田善の地図を見ている。

山口素絢 洋美人図 母子、侍女、乳母と四人美人。和美人を得意とした素絢の洋美人。

田善 海浜アイヌ図 これはここでしばしばみかける図だが、こうした展覧会で見ると、また趣が違う。立つ男と座る女。その女のクールさがいい。

松井保居 天竺錫蘭島霊鷲山 スリランカである。セイロン島。そこに霊鷲山があるという説もあったとか。
シギリヤ・レディースの壁画を想う。

雷洲 水辺村童図 洋風な表現で、籠を背負う男と子供をおんぶする子とを描く。

小森桃ウ ヒポクラテス像 蘭方医だったそうだ。そうなるとこの画題はまことに理にかなう。
絵の元はブーシェのそれ。三人の天使がいる。
正直なことを言うと、ルノワールのオバサンぽい風貌だと思った。

春木南溟 虫合戦図 蛙をウマにして乗る蝉、朝顔の大砲がどーーーんっっっ1854年の作。黒船の来た後の絵。
「昆虫王者ムシキング」というのを思い出した。

国芳 山海名産尽がきている。
近江の国源五郎鮒 強風で紙が飛んでゆく。
大和奈良さらし 春日山、二月堂、などがある。臑を見せる二人の女のもとへ奴凧が落下。久米仙のようなものですか。
信濃蕎麦 「くまのい」熊の胃もあるらしい。碓氷峠で客を連れ込もうとする女。

小泉斐 富岳写真 文字通り取ると「富士山の写真」だが江戸時代はそんな意味ではこの単語を使わないし、意味は通らない。
リアル風景を写してみました、というのが近いか。
岩のごつごつしたとこなどが描かれている。銚子口、宝永山などなど。
名前は「アヤル」と読むらしい。

広重の五十三次もある。なに版かちょっと忘れた。
赤坂旅舎招婦ノ図 宿の中には蘇鉄が生えている。あんまも呼んだし、ご飯も来たお宿。

冷泉為恭 高台・日・月図 左に三日月。実はこれは仁徳天皇の故事を描いている。平安朝な衣服ではあるが。だからこの高台は高津らしい。

為恭 春日神宝兜図 細かい表現!!義経奉納という伝承がある。

為恭 在原業平像 不退寺伝来。筆で冠ついて「う~ん」な姿。

原在中 二見浦富士図 さーーーっと富士山から差してくる初日の出。こんなに来るかどうかは別として。

国貞 月の陰忍逢ふ夜連作四枚が並ぶ。何かの弾みで光が射し込む様子を描いている。
障子、網行灯、行灯、提灯。いろんなシチュエーションでの様子。艶めかしいものとそうでないものと。

田善 ヨシハラトテノケイ(吉原土堤の景) 駕籠屋が走る図。吉原へ往来できる駕籠屋は二軒だけだったらしい。
こう言うのを見ると石森章太郎(当時)「さんだらぼっち」を思い出す。
英泉 美人図 涼む。シルエットで宴会の楽しさを表現。踊る人もいる。

国芳 三拍子娘拳酒 呉須手の器が見える。国芳は染付が多くて楽しい。外からの梅影が素敵。こういうところを見ると、彼の血脈を継いだ清方、深水らの表現が思い出されるのだ。

塩川文麟 柳汀飛蛍図 墨絵。そぉっと飛ぶ姿。情緒がある。

清親 天王寺下衣川 並ぶ家のうち一軒だけに灯りがともる。おもては蛍だらけ。昔はこんな情景がこの地にもあったのか。

清親、安治の作品で一番感じるのは「開化」ではなく「ノスタルジー」なのだ。

清親 川口鍋釜製造図 この時代から鋳鉄の場として川口は活きていたのか。キューポラのある街。赤々と燃える、鋳造中。

田善 シハアタコ(芝愛宕) これは面白い構図。洋風になると構図も違うから、そこらが面白い。また茶屋女が何故かおフランス風ザンス。

田善 墨堤観桜図 常設でおなじみの一枚だが、ここにあるとまた不穏な空気を漂わせる絵やなあと思う。

保居 四条河原夕涼之図 その中にいるのではなく、室内から芸妓が二人で勾欄越しに外を眺める図。虹も出ていた。これは溝口健二の映画みたいな感じがする。

高橋由一 墨水桜花輝耀の景 これまた先の田善の桜同様なんだか不穏な桜。この二枚だけ見ていると墨堤の桜は嵐に対抗しようと待ち構えているような気がする。

田善 花下遊楽図 茣蓙を敷いて花見する人々。立花家史料館蔵か。以前にここの「御花」で遊んだが、素敵なところだったな。立花家のひな祭りも見たし。柳川の河も楽しんだし。

小倉柳村 向島八百松楼之景 廊下の女中がふっと外を見る。宴会もまだ続くらしい。
この絵師もいいのを少しばかり残してさっさと消えてしまったなあ。

谷文晁 不動尊像 う~ん、どーんっっっ て感じの絵。墨絵で→こっちむきに座し、ほんと、怖い顔でむぅっとしている。背後の炎もええ形。
正直なところ、墨絵でシンプルだけど、刺青の柄にすごく良さげやと思う。

谷文晁 水火仙客図 海上でにこにこ飲む男、火の中で書を見る男。仙人もパフォーマンスが忙しい。
全然関係ないが「八犬伝」の犬山道節は火遁の術を体得していて、寂寞道人肩柳とかいう名で火の中で往生するとかなんとか言うて、御賽銭と言うか寺銭集めてたな。

中林竹洞 春郊放馬図 おとなしそうな馬二頭がのんびり。

岡田半江 雪景山水図 中国。静かなどこか。ありえない地。

池田孤邨 大黒天図 怖い顔である。笑うてても怖いのは「暴悪大笑面」か大黒天くらいか。これはやはりあれよ、武闘派としての大黒さんです。こないだ熱田神宮宝物殿で見た戦う大黒さんを思い出した。打出の小槌で敵のアタマ一撃粉砕してはりましたわw

狩野芳崖 鏻姫像 赤っぽい着物で狆を抱っこする姫君。赤姫ですね。大きな笄を挿している。実在の方で長府毛利家のレイ姫と読むそうだ。難しい字。狆は当時「犬」とは別種と見なされ、犬よりずっと高等生物だと扱われておったらしい。

其一 毘沙門天像 真正面向き。どーんっと。手には何やら仏具が乗るのだが、その物腰がどうもわたしには、お客に迫りくる商売人のように見えて仕方ない。硬い顔つきだが案外うさんくさくそうにも見える。
とはいうものの、もしかすると手に乗るのは養毛剤かもしれない。


雷洲 鷹図 海の中の岩にいるが妙なナマナマしさを感じる。

其一 草花図屏風 白梅に罌粟に桔梗。蝶々が軽やかに舞う。ほっとする屏風。

其一 神功皇后・武内宿禰 赤ん坊は爺さんに抱っこされている。この取り合わせは明治以降戦前まで五月人形の仲間入りをしていた。
二人とも明治のお札にもなっていた。以後は昔のものでしか姿を見ない。あとは祇園祭の人形くらいか。

国芳の「今様七小町」が並ぶ。見立てなのでどう見立てになっているのかをも楽しむ。
かよひ 籠に手を掛ける男。
きよ水 滝を見ながら煙管持つ。白の狩衣さん。
雨乞い 川端に立つ男。
そとは 外に狆と座る夕涼みの娘。
関てら 蛍が飛び交うのをみる。
あらひ 風呂上がりの涼み。紙洗いと髪洗いを掛けているのね。
あふむ 扇に書こうとしているところ。


長々と(しかし一つ一つは短い)感想になったが、書きやすい、楽しい気持ちで書き上げました。
やっぱりええなあ、府中市美術館「春の江戸絵画祭」は。
後期もむろんお訪ねします。ああ面白かった。

前期は4/13まで。後期は4/15~5/6。
ワークショップも楽しい。

クラブ化粧品のよそおい

クラブコスメチックスの春季展覧会が始まった。
「クラブ化粧品のよそおい」展である。
わたしは内覧会にご招待されて阿波座駅すぐ近くの文化資料室へ出かけた。
昨年から土曜日もオープンとなり、より行きやすくなった。

  今回のポストカードnec811.jpg

今回の展示は文化資料チームの中谷さんが企画され、お話を詳しく聴く機会にも恵まれた。
展覧会の趣旨は以下のとおりである。
「明治末より昭和初期のクラブ式お化粧法を、豊富な商品群や「鉄道式広告」、商品カタログなどを通してご紹介いたします」
企業の所蔵する宝物をこうして無料で見せてくださる。
とてもありがたいことだと思う。

展覧会の様子をご紹介する。
なお、以下の写真はすべて許可をいただいて撮影し、掲載するものである。

室内の様子。IMGP2282.jpg

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数多くの展示品。IMGP2281.jpg

凝った意匠IMGP2295_20140406160742150.jpg

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中山太陽堂の化粧と美と健康についての考えを記した言葉を読む。
はっきりした考えを知ってもらいたいという意識の高さが伝わってくる。
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新聞にも大きな広告がある。IMGP2293_20140406160746a7d.jpg

わたしが改めて考えたこともなかったことが展示されていた。
化粧の方法である。
「クラブ式お化粧法」といわれても、要するにクラブ製品の化粧品の手順についての説明だろうと思っていた。
近代的化粧の仕方と言うものは大体のところ、洗顔-化粧水-乳液など-下地-ファンデー、アイメイク、ルージュなどの手順を追うものだと思う。
化粧落しもそれ用の洗顔剤などの次に洗顔-化粧水-ナイトクリーム・・・
ここに時々パックが入ったりマッサージも入ったり色々手順が加わることもあるが、基本的にはこんな形である。
これが中世だと、紅をといたものを頬につけ同じものを唇にもということになり、もっと前の古代になるとまた違う方式がある。
中国の唐代では「花鈿」という化粧もあるし、それに影響を受けたりもする。
化粧方法一つにしても民族によりさまざまなやり方があるので、一概にどうこう言えるものではない。
しかし、ひとつだけ言えるのは「寝るときには化粧を落とすこと」これは絶対にしないといけないことなのだ。
が、そうではないということを今回の展覧会で知って、「あ゛っっっ!」となった。

寝るときにおしろいをはたいて、起床後にそれを落とす、というやり方をきいて、かなりびっくりしたが、しかしよくよく考えたら寝化粧とか、後朝にもお化粧が<残る>話も知らぬでもなかった。
ただ、それは一般的な話ではなく、従事する仕事により必要なものかと思っていたのだ。
このあたりのことをもっと深く知れば、子供のころから疑問に思っていたこともいろいろ解けてくるかもしれない。(なにが疑問かはナイショ)

さて話を展示室に戻して、冒頭に挙げた「鉄道式広告」を紹介する。
正式には「鉄道式図解広告」である。
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日本では江戸時代中期以降からか、それまでとは様式の違う「双六」が盛んになった。
つまり絵地図形式の双六である。これは特に明治から本格的な流行を見せ、雑誌の正月号の付録の第一位となり、昭和半ば過ぎまでその地位を保っていた。
挿絵画家が主に素敵な双六を描いたが、日本画家の鏑木清方も川端龍子も、高名になった後も家庭双六などを描いた。
日本人は双六を愛する民族だったのだ。

鉄道式図解のついた容器とパフIMGP2286.jpg

鉄道式図解とは、その意味ではとても双六に似ている。
双六は一回休みや元に戻る・いくつかのコマを飛ばして先に進む、というシステムがあるが、この鉄道式は特急ではなく、ローカル線の普通電車だと思えばいい。
手順に従い、一つ一つの仕事を重ねてゆく。
ローカル線がすっとばすことなく、一つ一つの駅に止まるように、止まった駅では「これをする」「あれをする」と指図があり、その通りにすることで、終着駅に着いたときには「美人完成」ということである。

文字だけでは正直なところ、完全に伝わらない惧れもある。
絵と言うものは重宝なもので、これで何をすればいいのかわかりやすくなる。
現代でもユニヴァーサル・デザインの重要性が認識され、浸透し始めているが、それを何十年も前に中山太陽堂(クラブ化粧品)は行っているのだ。

新聞の一面広告などで化粧方法を鉄道式図解でわかりやすく伝える。
啓蒙である。
大衆を啓蒙するには文章だけではうまくゆかないのは知れている。
昔のことで言えば、絵解きもそうだし、芝居の絵看板もそうだ。現代ではノウハウマンガという分野もある。
ノウハウマンガから色々学ぶことも多い。
たとえば、今春から漫画家竹宮惠子氏が京都精華大学の学長になられたが、あの大学ではマンガ専攻があり、履修した学生たちに道があることを示された。
それは取説やさまざまなノウハウをコミックで理解してもらうということである。
竹宮氏は飽和したコミック界の中でもまだまだ生きる分野があることを明言されたのだ。

話を戻し、クラブコスメチックス。
そうした先端的な啓蒙をする一方、肝心のお化粧品もどんどん進化していった。
基本的に美白ということを昔から人々は大事にした。
(近世に成立した説経節「をぐり」にも色白の美を称える文がある)
小麦肌が人気だったのは、長い歴史の中でごく一時的なものだったと言っていい。
役者の白塗りは美を示すものであり、その白を追求するあまり白粉に鉛が使われ、毒になったが、近代はそんなものは入れない。
美と健康とを同時に目指す。
「クラブ白粉」と共に「クラブ歯磨き」があるのもそこなのだ。

さて、展示室では化粧品を入れた容器などが展示されている。
そのデザイン性の高さは時代の要請もあったろうが、本当に素晴らしい。

花の意匠をもつものIMGP2290.jpg

華やかな容器たちIMGP2289_20140406155510d4a.jpg

江戸時代の茶道具のうち、香合として使われてきたものの何割かは、もとは化粧容器だったという出自を持つ。
高麗青磁象嵌、染付、堆黒、螺鈿、さまざまな技法で作られたものたち。
大名茶人たちが愛した品々に女の化粧容器が転用されているのは、偏にその容器が美しかったから、なのだ。
ここにある化粧容器たちの美しさは、その意味でも当然なことだった。

レトロモダンの美IMGP2287.jpg

モダンな時代のモダンな容器IMGP2291_20140406160744299.jpg

容器だけでなくその容器の外装箱もまた見落とせない。

外装箱IMGP2292_2014040616074581b.jpg

現在でも可愛い箱への偏愛に揺れる人も少なくない。
捨てるのが惜しい、と何十年も大事にそれを守る。
その結果、こうして生き延びる。
この箱が会社にずっと残っていたものか、それとも往年のユーザーの方が大事に守ってきたものかは知らない。
しかし愛されたからこそ、今の世に残っているということは確かだ。

こちらは上流階級の方向けに作られた陶磁器の化粧容器である。
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これはスミレだが他にスズラン、ナデシコがあり、身分に応じた納入があったそうだ。
まことに見事な、欠けのない完全品である。大事に保存され平成の世にまで活きている。

箱と共に。IMGP2296_20140406160823191.jpg

当時の化粧品ポスターのうち、これなども興味深い。
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この「特定」については実際にこの展覧会に出かけて、そのエピソードなどを聞かれるのも面白いと思う。
品質に誇りを持つからこその、エピソードである。

室内には読む資料も充実している。IMGP2285.jpg

鉄道式図解の広告IMGP2300_20140406160826fb8.jpg

最後にかつてのパッケージデザインを再現した、現代のクラブコスメチックス製品が特別販売されている。
手に入れやすい価格と言うのも嬉しい。
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双美人の微笑みIMGP2305_2014040616222671d.jpg

こんな風に綺麗な並べ方をされているのを見ると、すべて欲しくなってくる。
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わたしは赤地に牡丹繚乱の意匠のものを手に入れた。
中身はホルモンクリームである。今で言えば保湿クリーム。
使い終わってもこの容器は大事に取って置く。
何年か後には、小さな宝物入れに変わっているに違いない・・・。

地下鉄阿波座駅1番出口からすぐ。5/31まで。4/27~4/30と日祝は閉室。
9:30~17:00。

さよなら交通科学博物館

とうとう大阪の弁天町の交通科学博物館が閉館する。
京都の梅小路に集約されるそうだ。

数年前、神田の交通博物館が閉館したときも、大宮の交通博物館に収められたのだから、資料がなくなるわけではないのだが、それでもやっぱり淋しい。
そのときの記事はこちら

幼稚園の時、遠足で来たのが最初だった。
それから小学校、そして間があいて、92年4/4(!)丁度22年前に「駅弁の歴史展」を見に出かけた。
その頃は食堂車で駅弁販売していたのだったか、ちょっと忘れた。
食べた記憶がないから、その日はあかんかったのかもしれない。
大体梅田(というより大阪駅構内か)に「日本食堂」があっても普通のレストランだったことからしても、国鉄は融通が利かなかったのだ。←私鉄で生きる京阪神の人間のセリフ。

しかし大阪からこうした博物館が消えるのは本当に淋しい。
先の92年といえば大阪電気科学館が消えた頃だったか。あのときも撮影に行ったが、今回も出かけた。
月曜だったが、春休み中で最後だから無休なのである。

最初に0系新幹線。可愛いなあ。BkCbVp-CEAAmV1A.jpg
物言いだけなガラスの目がキュート。

特急こだま号。色が懐かしい。IMGP2309_20140405003508ffe.jpg

車掌さんの制服と行き先のプレート。なんとなくドキドキする地名。
ざわ…ざわ…BkCegFgCQAA8byB.jpg

行く先のプレート色々。
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こういうものばかり集めるテツの人もいたな。

初代・二代目大阪駅、新橋ステンショ、京都駅の昔の模型など。
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昔の駅舎も再現されている。
遠くへ行きたい。IMGP2320.jpg

金沢へ行きたくなった。IMGP2329.jpg

昭和30年代の車内の再現らしいが、赤松麟作の「夜汽車」を思わせるものがある。
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運転席の計器類もある。IMGP2312.jpg

大阪~東京間の必要時間の短縮化の歴史。IMGP2325.jpg

これは新幹線のための工事車。BkCgHrxCUAA3iov.jpg
色が可愛いので好き。模型ですが。

こちらはリニアモーターカーの模型。IMGP2313.jpg


新橋停車場の鉄道資料館辺りで見れそうなものもある。
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物見遊山が好きな私なんかはこういう企画展に飛んでゆくのだよ。

楽しくなりそうな予感。IMGP2334_2014040500445628e.jpg

こちらは駅弁の包み紙。
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南紀白浜だとしたら、鍋井克之の原画の絵巻だろうか。
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かつて天王寺駅に飾られていたそうだ。高島屋史料館調製。

わたしが小さい頃は電車だけだったが、いつからか他の交通機関の乗り物も仲間入り。
宇高連絡船の乗り場界隈の模型。BkCiDCWCQAAxSNM.jpg

こちらは青函連絡船。わたしは85年に学校の北海道旅行で、青森から羊締丸で函館入りしたなあ。
洞爺丸は、ない。BkCiz_WCQAA3Tc5.jpg

舳先で「♪は~~るばる来たぜハコダテー」などと歌い、声を枯らしたアホなわたくし。
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こちらはリリエンタールIMGP2348.jpg

サンフランシスコのケーブルカーもある。あこがれている。
現地で乗りたい。IMGP2352_20140405005348717.jpg

昭和初期の車たち。BkCjwvsCcAA8WAb.jpg
かっこいいよな~~正直、わたしは免許不要車不要わたしハ芙蓉、というヤカラだが、昭和初期のクラシックカーなら乗りたいと常々思っている。

大量のミニカー、チョロQも自分で集めたりしてるから、こんなの大好き♪
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おお、走る走る。BkCkGHrCMAAS4zY.jpg

浪花百景もある。BkCksrwCcAAu76C.jpg

蒸気機関車のプレートBkCpaapCcAAwZCj.jpg

現物。BkClp61CAAESZEX.jpg

きやうと駅かあ。BkCmcoLCMAALKz3.jpg

特急くろしお 和歌山ですなBkCmPK7CMAAvOaK.jpg
友人と行ったとき、和歌山県民の彼女は大喜び。

さよなら交通科学博物館。BkCqB7ECIAAd_CO.jpg

最後に弁天町駅のスタンプBkCqcR8CcAA1jaM.jpg

大阪からまた魅力的な博物館が消えてゆくのだなあ。

栄西と建仁寺

東博で「栄西と建仁寺」展を見る。
これまで普段は栄西(エイサイ)と読んでいたが、この展覧会では(ヨウサイ)と読む。
展覧会の狙いはサイトによるとこの通り。
「2014年は、日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師(ようさいぜんじ、1141~1215)の800年遠忌にあたります。これを機に、俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」(国宝)をはじめとする建仁寺所蔵の名宝、建仁寺派・栄西ゆかりの諸寺の宝物を紹介し、建仁寺の果たした文化的功績に光を当てます。」内覧会におじゃましてイヤホンガイドに佐けられながら、禅師の残したものやゆかりの宝物を見て歩いた。
なおイヤホンガイドは女優中谷美紀さんで、東博を愛する方だけに、いい心持にさせてくれるガイドだった。


・プロローグ 禅院の茶
通路を曲がると、そこに再現された一室が広がる…
四頭茶会所用具 明時代のものと江戸時代半ばのものとが集まる。
これが建仁寺の景色なのだ。
喫茶と言うことを広めてくれた恩人、その原風景と言えるのかもしれない。

南宋時代の素敵な茶道具が集まる。
油滴天目 建窯 九州国立博物館  これはまたなかなか綺麗で、東洋陶磁美にあるものと同じく油滴仲間なのだが、こちらも星の欠片を集めたようでキラキラしている。
こういういいものを見ると、それだけで嬉しい。

鸞天目 吉州窯 三井記念美術館   多くの鸞文様の入ったお茶碗を見ているが、これは色が綺麗だった。持ち主の三井さんのところでも見たかなあ?

他にもその時代を感じさせる茶道具がある。
唐物肩衝茶入 銘「残月」 文化庁
青磁貼花牡丹唐草文三足香炉 龍泉窯 元時代 京都・霊洞院
青磁陰刻牡丹唐草文瓶 龍泉窯 1対 明時代 建仁寺

それぞれの美の特性を味わう。

第一章 栄西の足跡
展示品の所蔵先を見ていくと、建仁寺ネットワークというか禅寺の広がりがとてもよくわかる。

明庵栄西像 絶海中津賛 室町時代 両足院  アタマがやたら四角い。法然アタマというのもあるが、これは何と言うのだろう。
禅宗では前師の肖像画と袈裟の引継ぎがとても大事だと聞くが、この先もやたらと像や画が多く現れる。
わたしは美人画は好きだけど、お寺のおっちゃんのはなぁ。←罰当たりな発言。

明庵栄西坐像 鎌倉時代 神奈川・寿福寺  こちらは木造。

長命富貴堆黒箱 南宋時代 鶴岡八幡宮  花と吉祥文様と漢字とで装飾している。

銭弘俶八万四千塔 1基 中国・五代 福岡・誓願寺  どことなく王冠のようにもみえる。細かい装飾が入っていた。

「安」銘天目 南宋時代 福岡・聖福寺   このお寺のサイトによると「日本最初の禅寺で、山号を安国山(通称安山)、寺号は聖福至仁禅寺ともいいます。源頼朝公を開基とし、開山は千光祖師明庵栄西禅師です」とある。
「安」は山号のマークですね。案にたがわず暗にそのことをしめす。
山門の扁額『扶桑最初禅窟』は後鳥羽上皇の宸筆で、ここには仙厓和尚もいたという名寺。

漢柿蔕茶入 南宋時代 高山寺 茶色くてどっしりしている。

送海東上人帰国図 鍾唐傑・竇従周賛 南宋時代・紹煕5年(1194)頃 常盤山文庫  船が戻ってくる様子。岸辺の人々は待ちかねている様子。さすが常盤山文庫、今度確かどこかで展覧会があるはず。

仏手 鎌倉時代 聖福寺  正直、びっくりした。いきなり掌ですからなあ。
指が少しかけてはいるがとても優美。
むかし「幽霊城のドボチョン一家」というアメコミアニメがあり、大好きだったのだが、ドラキュラ、フランケン、狼男、ミイラ、魔女ら定番のモンスターの他に「おてて」と呼ばれる手だけのモンスターもいた。
それから古谷光敏の30年以前のコミック「てっちゃん」も手だけだったが、どちらも手首から指先まで。こちらは完全に掌から指先まで。

勅額「扶桑最初禅窟」 後鳥羽天皇筆 1面 安土桃山~江戸時代・16~17世紀 福岡・聖福寺  後鳥羽上皇は承久の乱で流され王になった人で剛毅な院だったが、字は鎌倉時代のはず。それを基にして安土から江戸初期にかけて拵えたのだろうか。
展示はかなり上の方に掲げられている。
後鳥羽院の掌の朱印を四天王寺で見ているが、たいへん大きい手痕だった。字も勇壮である。

ここからは書状や和綴じ本が続く。
栄西申状 建久6年(1195)聖福寺  「博多百堂地者宋人令建立・・・」案外読みやすい字だが、意味を理解しきれるほどには読めないわたくし。

豊臣秀吉朱印状 安土桃山時代 聖福寺 三月十日というのはわかる。丁度今くらいか。
何でここにあるのかと言うのは歴史を紐解けばわかることだが、今はその気力がない。
それで図録の解説を読んで納得する。九州攻めで来ていた時のもの。

このあともたくさんの書が続く。
元亨釈書 巻第二 虎関師錬著 1冊(15冊のうち)慶長元年(1596)  国立公文書館
沙石集 巻第十 無住著 1冊(10冊のうち) 室町時代 国立公文書館
どちらもタイトルだけは知っているが、きちんと中身を勉強していないので、反省。
こういう展示を見ると、自分のだらしなさにうなだれる。

興禅護国論 栄西著 利峰東鋭筆 1冊(3冊のうち) 江戸時代 両足院
興禅護国論和解 高峰東晙著 1冊(3冊のうち) 江戸時代 両足院
ところどころ読み取れるので多少の納得もある。
そしてここで「栄西」に「イヤウサイ」のルビがある。また榮西とあるのが本当。

正法眼蔵随聞記 巻第一 懐奘著 1冊(3冊のうち)慶安4年(1651)版 駒澤大学図書館
丁度怖いことが書いてあるページが開かれている。
そういえば井上ひさしの「道元の冒険」は未読だった。

喫茶についての色々。しかし喫茶店が主にコーヒーを出す店という認識になったのは、いつからだろう。むろん明治以降の話なのだが、昭和初期まではカフェーという呼び方だったはずだ。
ここでの茶は無論宋伝来のお茶の飲み方とかその効用とか。
喫茶養生記 栄西著 1冊 南北朝時代 神奈川・寿福寺
喫茶養生記 断簡  栄西著 1幅 南北朝時代
喫茶養生記 栄西著 1冊 元禄7年(1694)刊 両足院

お経もあれば縁起もある。
誓願寺盂蘭盆一品経縁起 栄西筆 1巻 治承2年(1178)誓願寺
法華経 巻第一 1巻(8巻のうち)建久3年(1192)誓願寺
法華経入真言門決 断簡 栄西著 治承2年(1178)建仁寺

大須観音宝生院からも続々。虫食いがかなり激しい。
改偏教主決 栄西著 2紙(44紙のうち)建久9年(1198)大須観音宝生院
重修教主決 栄西著 2紙(36紙のうち) 平安~鎌倉時代 大須観音宝生院
無名集 1帖 治承4年(1180) 大須観音宝生院
隠語集 栄西著 1帖 平安時代 大須観音宝生院
まぁ正直なところ、最後の「隠語集」だけは関心が湧いたのだけど。

栄西は東大寺の勧進にも努力した人なのでその資料がある。
造東大寺大勧進栄西唐墨筆献上状 栄西筆 1幅 建永2年(1207)東大寺
東大寺大勧進文書集 1冊 江戸時代 東大寺
「東」銘平瓦 東大寺鐘楼所用 1点 鎌倉時代 東大寺
前に重源の展覧会を見たときの事を思い出す。

第二章 建仁寺ゆかりの僧たち

退耕行勇坐像 鎌倉時代 神奈川・浄妙寺
蘭渓道隆坐像 康乗作 延宝4年(1676) 京都・西来院
ニガテなのはリアルだからだろうな・・・
しかも怖いことに道隆の像の中から、取り出せないけれど、もう一つ頭部の像が見つかったのだ。
しかもそれがたいへん恐怖を感じさせるくらいの様子を見せている。
わたしが禅宗から逃げ出したくなるのはこういう辺りなのだった。

師匠から弟子への大切な伝来品としての袈裟。
そういえば西遊記に袈裟フェチの坊さんが出てきたような気がする。
九条袈裟 円爾弁円所用 宋時代 東福寺
どうやってつけるのかいまだに知りませんけどね。


第三章 近世の建仁寺

織田有楽斎坐像 江戸時代 京都・正伝永源院  
織田有楽斎像 古澗慈稽賛 狩野山楽 元和8年(1622) 京都・正伝永源院
初めて見た、有楽斎の像と肖像画と。信長の弟さん。ほんまにこんなお顔かどうかは別として、ビジュアルがやっと確定した。

狩猟図 狩野山楽 元和4年(1618)頃 京都国立博物館  何人なのかよくわからない人々の狩猟。イキイキしているが、わたしはニガテ。

蓮鷺図襖 狩野山楽4面(16面のうち)元和4年(1618)頃 正伝永源院 山楽・山雪の展覧会を見ていなかったら、この襖絵も「ちょっとなんか…やな」で逃げてた可能性があるわたし。

高台寺から高台寺蒔絵に彩られた様々なものが来ている。
蒔絵の表現としてはわたしの好みではないのだが、やはり綺麗は綺麗。
芦辺桐紋蒔絵椀、芦辺桐紋蒔絵飯器および杓子、芦辺桐紋蒔絵懸盤、菊枝桐紋蒔絵提子などなど。
安土桃山の絢爛さは案外わたしの好みとは趣が違うのだった。

打敷 萌黄地立涌桐模様唐織 1具 安土桃山時代 高台寺 上等な着物を供養のためにこうして打敷に作りかえる。信仰心の深い時代。

海北友松の絵が並ぶ。いずれも慶長4年(1599)の作。建仁寺のお宝。
竹林七賢図、琴棋書画図、山水図、花鳥図、雲龍図
龍の目がぎろりとむいているのがいい。

第四章 建仁寺ゆかりの名宝

仏具が色々ある。
梵鐘 高麗時代 正伝永源院 どこか優美な感じがある。
七宝麒麟唐花文洗 明時代 両足院 細かい拵え。

仏像など。
毘沙門天立像 鎌倉時代 霊源院 威風堂々。
伝観音菩薩坐像 南北朝時代 京都・興雲庵 にっこりと。
十一面観音菩薩坐像 南北朝時代 京都・清住院  これはとても綺麗なお顔で何度も眺め返した。裏に回り11面の他の小さなお顔を見ると、真正面裏のお顔がまたとても好ましかった。
地蔵菩薩坐像 室町時代 六道珍皇寺 やや目が鋭いようにも。

十六羅漢図が各種ある。
面白いと言えば面白いけど、本来のわたしの好みではないので、するすると歩きながら見てゆく。
他の絵を見る。
架鷹図 明時代または朝鮮時代 正伝永源院 展示替え有。繋がれてる鷹たちそれぞれの様子が描かれている。立派な鷹たちなのだが、やっぱり繋がれているのは気持ち悪いようで、足の鎖や紐を噛んだりしているのが可哀想。

松に童子図襖 長谷川等伯 安土桃山~江戸時代 両足院  これは童子が可愛らしくて、ついつい喜んでしまった。
いいなあ等伯。この展覧会では可愛いものが少ないので、わたしには嬉しい。
横顔を見せる子が特に好み。

山水図 曽我蕭白 江戸時代 京都・久昌院 しぃん としている。声はなくともやかましい絵の多い蕭白だが、山水画にはこうした境地が描かれたような絵が多い。
「無頼である愉楽」の果てにこうした心境に入ったのか。
とはいうものの、やっぱりよく見ればどこかがざわざわしている。

牧童吹笛図 長沢芦雪 江戸時代 久昌院  同じ院にこの絵があるのか。即興で描いたらしいもので、牛に乗って少年がピーと吹く。筆勢の良い、いい絵。手より足が大きな少年。

涅槃図 清時代 長崎・春徳寺  これがまた変わった涅槃図で、吉祥図の趣も混ざっている。桃にコウモリがあるのだからそれだけ見たら、春のお釈迦様お昼寝ツアーみたいな感じである。それに周囲の人々も泣くより困惑気味で、これはもう勝手に昼寝してもて困る人やなあ、な感じにしか見えない。
まぁ花見の時期ですしなあ。そうそう、動物たちのうち、うさぎ、全力疾走してる。猟犬らしき黒犬がいるからかしら。

暤虎図 李義養 朝鮮時代 両足院  ガオーーーッ白虎ですかね。可愛い。口元はウワバミみたいなんですが。

やきものなど。
交趾釉兕觥形香炉  伝奥田頴川 江戸時代 建仁寺  色鮮やかなロードレース用ヘッドギアみたいで可愛い。

赤絵十二支四神鏡文皿  奥田頴川 江戸時代 京都・大統院  これは嬉しい!毎年開催される京都の非公開寺院見学のとき、このお皿が見たくていつも大統院に出かけるのだ。
干支の動物と四神と。嬉しい。
イメージ (45)


白釉山羊形手焙  仁阿弥道八 江戸時代 正伝永源院  ああ、なんか優しい目をしている山羊。白山羊さん。お手紙を読まずに食べるのは黒山羊さん。まど・みちおさん…

道八は旧いものを再現するのが巧い。高麗の青磁象嵌雲鶴菊花文のいいのを思わせるものを拵えている。乾山のを再現するのも巧かったけど、道八はいいなあ。
今度彼の作品の展覧会が見てみたい。

法観寺参詣曼荼羅 室町時代 京都・法観寺  八坂の塔ですがな。その界隈での状況。
昨夏その塔の真裏にある元は竹内栖鳳の邸宅だった建物をリノベしたレストランへ行ったなあ。むろんこの絵には、ない。

珍皇寺参詣曼荼羅 安土桃山時代  六道珍皇寺  多くの人が参詣している。老若男女いろいろ。閻魔像もある。門前では茶の湯の簡易なショップも並ぶ。

熊野観心十界曼荼羅 江戸時代 六道珍皇寺  これもよく出来ている地獄図。上部では誕生から死に至るまでの道のりが見える。三年ほど前か、夏に見たと思う。
働く鬼たちはみんな色白。しかし血盆池はやっぱりフェミニズムの観点から言うても問題が多いと思う。いけませんな。

スポットライトを浴びる三人組がいた。
小野篁・冥官・獄卒立像 院達 江戸時代 六道珍皇寺 三分ごとに光が変わるとか。
六尺豊かな篁さんと中肉中背の冥官と小柄な鬼と。
ライトのおかげで鬼の目が金目と赤目とに分かれて見える。
なにやら面白い迫力があった。

焰口餓鬼図 明時代・崇禎16年(1643)六道珍皇寺  「道教」展で初めて知ったこの図。
青い餓鬼は演出家の和田勉を思い起こさせる。

最後の最後に真打登場。
風神雷神図屏風 俵屋宗達 江戸時代 建仁寺 出ました、本家本元。
金歯と丸い目玉と元気さをムキダシに、がんばる風神雷神たち。
さわやかな心持になるわい。

ああ、また出かけようと思っている。  
5/18まで。

「富士と桜と春の花」によせて

山種美術館の展覧会「富士と桜と春の花」展の感想を挙げたのに併せ、わたしが最近撮った春の花の写真を挙げる。
ただ、富士山だけはいつも東海道を往来するのが夕方から夜間なので見えない。

以下、「桜と春の花」こちらはわたしの未熟な写真。

大和文華館の三春の滝桜の子孫。
今年も立派に繚乱。Bj4ADKeCQAA9nzh.jpg

こちらはわたしの近所の桜。川辺に咲く。
どこか古写真の手彩色を思わせる。BkH-cDQCUAAUBmq.jpg

つぎは春の花。
松伯美術館のマグノリアBj4NOukCIAAdvfH.jpg
泰山木、辛夷、白木蓮のどれなのかがわからないわたし。

椿。可憐で好きだ。Bj3fIBECUAA1Jhs.jpg

木瓜も愛らしい。Bj4OG9mCQAE0l2R.jpg

富士と桜と春の花

山種美術館へ行った。
毎回すてきな展覧会が開催されるが、今回は「富士山世界文化遺産登録記念」と銘打って「富士と桜と春の花」展である。
今が桜の盛りなので、本来なら咲く前に話題にしたかったが、出遅れてしまった。
そういえば数年前、京都の美術館「えき」で山種所蔵品での「富士と桜」展があったことを思い出した。あれもいい展覧会だった。
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・日本画にみる富士
富士山の絵だけで展覧会が開催できる。すごいことだ。まだ寒い頃に日本橋の三越か高島屋で富士山の展覧会があったが、それを思うとやはり富士山は偉大なのである。

大観の富士はやはり明治初期に生まれた「明治の人」らしさが出ていると思う。
どの富士にも日本第一という力強さ・立派さがあるからだ。
絵の嗜好を越えて、そこには「日本一」という観念がある。

古径 不尽 雄気堂々たる富士ではなく、これは木花咲耶姫の富士である。楚々とした美しさのある富士。青く、ほっそりと美しい。姫の後姿を拝むような心持がする。

深水 富士 美人画の深水が南画風な富士山を描いている。こういうのも面白い。手前の松との遠近感の取り方に浮世絵の味わいもある。吉原からの眺めらしい。

遊亀 霽れゆく 旅行に出てふと見た景色を素晴らしい絵に出来る。画家だけの特権ですなあ。精進湖からの眺め。雨後の富士山。

・名所絵のなかの富士
静岡やサントリーから名品が来ている。

式部輝忠 富士八景図 1530 500年ほど前の富士山。富士には本当に物語も多く、思い入れも多い。場所の特定はわたしには出来ないが、絵の中の富士が少しずつ場所を変えているのが、その形から推察できる。雄大な富士ではなく、ほっそり富士。ちょっとニョロニョロに似ていて、なんとなくのほほんとしている。
どっちをむいても富士、どこまでいっても富士。
建仁寺の常庵龍崇の賛がある。「昔孝霊帝一四海…琵琶湖」という字が読めた。一天四海かと思うが天が脱字になっているのか。

厳島三保松原図屛風 のうち 「三保松原図」 緋毛氈に座って船の行き来を見たり、鼓を打ったり、なかなか楽しそうである。長煙管でたばこを吸い、のんびり。汐汲みの人もいる。左手には清見寺。近くには蘇鉄の生える村もある。

司馬江漢 駿河湾富士遠望図  虎造の浪曲がアタマの中に流れ出す。

わたしはどうしても武田泰淳「富士」を思い出す。
様々な富士を「見る」人々のことを。
富士の絵を描かせたのに「そこに富士はなかった」といった状況を。

歌川芳藤 開化旧弊富士山参詣之図 1878 明治になり西洋化が押し寄せてきて、古き良き日本の美や文化を否定されてしまう。開化を象徴するグッズは山を上り、旧幕時代のものは山を下りてゆく。和の中には金神、矢、などと言ったものも含まれていた。しくしく。

・富士と桜と春の花
広重 不二三十六景 東都隅田堤 桜満開。しばしばその時期にわたしも墨堤を歩くことがある。いいキモチ。桜橋まで歩き、そこからちょっと町中に入り、言問団子を食べるのだ。

春挙 裾野の春 民家がある。釜やなんだかんだと生活用品が見える。アルムの小屋のようではないか。ハイジが現れそうな家。

球子 めでたき富士 球子の絵はこの「富士山」の連作以外はみんな非常にニガテだが、その反動でか、富士山が花まみれになってピカピカになった絵はとてもいいと思う。
元気が出てくる。富士のデコレート。えらいもんです。きらきら。わいわい。


☆桜 さくら
・名所の桜
土牛 吉野 のびやかな風景。吉野の桜の美は遠目にはよいが、近づくと怖い。

石田 武 吉野 桜の色の濃淡に溺れる。

京洛四季(合作)のうち
国井 応文 御室境内之花 「わたしゃおたふく」という古い戯れ唄を思い出す。
中島 有章 嶋原郭道菜花 ぽつりぽつりと行き交う人々。

土牛 醍醐 この醍醐の桜を切手にしたものがあるが、わたしの従妹はそれを見て実際に醍醐に花見に行ったのだった。そんな気持ちを芽生えさせ、背中を押す力がこの絵にはある。

元宋 湖畔春耀 淡い色彩が乱舞しているようである。

・桜に魅せられて
特に好きな絵が並ぶ。
春草 月四題 のうち 「春」 空気まで気持ちいい。
御舟 夜桜 艶めかしい。
稗田 一穂 朧春 月が溺れるのは桜のせいに違いない。
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夜桜の狂気とでもいうものが二点。しかも同じ2000年の製作。
石田 武 春宵 月下繚乱とでもいうしかない。
千住 博 夜桜  安井金毘羅宮のおみくじの木を思い出した。あの凄まじいあふれ方を。

渡辺 省亭 桜に雀 可愛いなあ、雀たち。ういやつよのう、という感じ。

菊池 芳文 花鳥十二ヶ月 のうち 「桜」 桜に雉というのも古い世の取り合わせ。しみじみ眺める。

龍子 さくら でんとした太幹。立派だなあ。

・桜とともに
玉堂 春風春水 この絵は以前から好きなもので、川にかかるワイヤーを手繰り寄せながら急流を行く小舟の姿がいい。働く人たちの真上に桜が咲く。

春草 桜下美人図 幔幕から出てくる四人の美人。一番最後は少しおちびさんで、彼女の後を慕うてか、顔の幅広なイタチにも見える小動物が顔をのぞかせる。
何度も見ていたはずなのに、この動物に気付かなかったなあ。

映丘 春光春衣 王朝美人たちに桜花が舞い散る…

☆春の花
・花の王
桜ではなく牡丹だというのは「石橋」からだったか。
其一 牡丹図 さまざま咲くうち、右下の青い牡丹が特にいい。

平八郎 牡丹 まだ若い頃のこの牡丹は裏彩色で表現され、幻想的な様子をみせる。
2007年の回顧展で初めて見た牡丹。あれ以来の再会。
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・春よ春よ
御舟 桃花 柔らかく咲かず、厳しい寒さの中で咲いたような桃。いい絵。

土牛 ガーベラ 現代の花の絵だということを思う。その一方で、古い陶磁器が長く地中に在って、それがガラス化したような瓶、その美を見たことも嬉しい。それを描く土牛。

龍子 花の袖 白いアイリスの群れ。大きく前進するような。

石本 正 罌粟 近年、京都において毎年の新作を見る機会に恵まれているが、この罌粟の花は1989年のものだと思いつつも、新作のようにも見える。
石本の年々の進化を見ているからそう思うのかもしれない。
幻想的な美しさ。どきどきした。
石本画伯、いつまでもお元気でいて新作を送り続けてください。

小茂田 青樹 四季草花画巻 白椿の絵がたくさん出ていた。他には白ツツジと赤ツツジ。
可愛いなあ。

花に囲まれ、富士山に守られたような気がする。
5/11まで。
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