美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

宇宙兄弟展in京都

京都文化博物館で「宇宙兄弟」展が始まった。
わたしは熱烈なファンではないが、それでもワクワクは止まらない。
アニメも実写も見ず、原作マンガしか知らないが、いい心持ちで見て回った。
なんとこの展覧会は撮影可能。フラッシュは禁止。
ビックリしたわ♪


展覧会はマンガの原画とJAXAの宇宙関連資料、アニメ関連資料の3本柱で構成されている。


第1話から子供時代の数話分の原画とあとは飛び飛び。


資料もたくさん。


ミニロケット。

壁面に宇宙関連資料の絵も。

いいなあ。

作者の小山宙哉さんは京都出身だとか。
このシーン、大好きです♪

胸に明るいものが広がる。

六太の顔2つ。

最新版と最初の顔。

右端は「あなたもアストロノーツ」になれるコーナー。


いい展示やなあ。

宇宙が近くなったような気がするよ。

小山さんのメモもたくさんあった。


こちらはアニメ関連。


集められた様々な資料。


カラー原画。






やっぱりドキドキするね。
宇宙に行くって素晴らしい、と心の底から思うわ。
そして行こうと努力する人々の姿に感銘を受ける。

わんこのAPO。特集もあった。

こんなのも。

原作も映画も、とても楽しみな未来がある。

グッズ売り場や実験コーナーなど、展示の他にも楽しい場所がいっぱい。
行くと必ず宇宙にゆきたくなる。

9/ 23まで。
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生誕百年 関野準一郎 展

町田市国際版画美術館は行くのに往生するが、それでも行きたくなる展覧会が少なくない。
ないがやはり遠い。
「関野準一郎」展を見に行った。
版画家としての関野の仕事はちらちら見ているが、このような大がかりな回顧展は初めてである。
この作品がチラシとなり、冊子を飾り、わたしを誘惑した。
イメージ (18)

関野は百年前の青森市安方町で生まれ、小さい頃は棟方志功の後をついて歩いていたそうだ。
青森には後に消しゴム版画家のナンシー関も生まれたが、その地でそのような偉才が三人も出たのはすごいことだと思う。(ナンシー関はその件については否定的な見解を示していたが)

ところで「安方」という地名を見てすぐに「善知鳥」を思い出した。棟方志功の重要作の「善知鳥」である。
関野には棟方のような仏教観・物語性は薄いが、その分リアリズムな風景が存在する。

1.青森
関野は1930年頃から木版画を始めている。
木版画はモノクロのものと彩色のものと2系統あり、若い頃からどちらもよいものだった。

青森市柳町(朝市) 1975 雪の後の朝市である。人々が集まりつつある。何を売っているかと見れば、鮫もある。鮫を売る朝市なのか。鮫は何になるのか。蒲鉾だろうか。
小さな木橇に唐草模様の風呂敷に包んだダルマさんを載せた人もいる。これも売り物なのか、買った後なのか、店に飾るものなのか。
色んな想像をさせてくれる。

自宅肥料工場 1931 肥料問屋の長男だったが、22の時火災に遭い、商売が成り立たなくなったそうだ。
黙々と働く人々がモノクロで表現されている。
森下裕美「大阪ハムレット」に出てくる焼麩工場の情景を思い出した。

木版画集も出している。限定20部の仲間内での楽しみ。
「蟲」というタイトルで、鉦叩きやハナアブを描く。素朴な表現だが丁寧に枠線も入れていて、この画集に打ち込んだ気持ちが伝わる。

仲間が出した画集は「魚圖集」。こちらはニシンやサケといった北の国らしい魚類が見える。
いずれも素朴な味わいがある。

今純三に弟子入りし、銅版と石版の技術を習得した。
その時期には郷土玩具にも魅了されたようで、それらを描いた作品も少なくない。
旅役者の子 モノクロ。女児と孔雀がいる。
八戸八幡駒 おもちゃのベコ。色付けも綺麗。
無題 ランプに寄り集まる虫たち。
蘇民将来 信州の玩具。カラー。六角の棒状の大小のもの
こけし 青森のこけし。
鯛乗りとトリ抱き 土俗的な可愛さが愛された時代なのが伝わる。
ほかにも、花魁、人力車に乗る人形などがカラー木版画で作られている。

今純三の作品がある。
水戸弘道館 古い和の美。紀元2603年の作。庭の林も立派である。

関野は武井武雄「地上の祭」の刷りを引き受け、4年かけて完成。その代金で上京した。
武井武雄の「地上の祭り」は名品だが、そうか、関野の仕事でもあったわけか。
その版元アオイ書房は実は酒屋さんが本業で、店主一人が営む豪華限定本出版の仕事を続けていたそうな。

ここに出ているのは「饗宴」。「タニシは顔色一つ変えず云々」の文字が見える。
版画と詩との組み合わせは、何故こんなにも魅力的なのだろう。

武井の仕事ではほかに「武井武雄抄伝 蛍の塔」があり、こちらは緑がとても綺麗。木版とエッチング。百合やヤシの木が描かれていた。

関野の銅版画は木版画とは違う面白味がある。
どこかしら鬱屈したような重さも感じ取れる構図と絵柄が広がっている。

河畔 青森の働く船のある河畔。水面に映るトタン屋根。働く人々の姿は見えない。

埠頭裏 こちらもまた暗い。暗いというより、わびしい。「TBC」の幟が小さくパタパタ。
煙草屋があるのだが、侘しさはぬぐえない。

「破氷塔」「船」といったこの時代1935年以降のエッチング時代の作品は、どれもこれもどこかうらぶれている。わざとそのような画題を選んでいるのかもしれないが、ネオ・リアリスモやこの後の労働闘争などを思い出し鬱屈する。いや、そもそも既に戦中なのであった。

「東京版画帖」の「東京の窓」という連作がある。
セピア色の作品。不思議な感覚の町がある。窓辺の物語が続く。


2.東京
1939年に荻窪に住み、恩地孝四郎の弟子となったそうだ。一方で銅版の仕事も続け、やがて1941年に結婚して高円寺に引っ越し。
関野は家族を大事にし、彼らをモデルにした意欲作が多い。

師匠の恩地孝四郎の肖像画もあるが、その恩地の作品もある。
「飛行官能」と「海の童話」である。どちらも魅力的な作品集。後者はややソ連風な感じがある。

さすがに戦中になるとそんな作品も拵える。
ややリアリズムな作風のものが出る。

黒布貝 様々な貝殻とアゲハチョウにカブトムシがいる。

戦後の作品もある。
「一木集」よりいろいろ出ている。子供らの姿も刻まれる。

赤坂見附弁慶橋 カラー木版。緑が多い。日傘の二人の女。ああ、今も変わらぬ景色かもしれない。

珍しく物語性の高いものが二つ。
雨月物語 1944 エッチングと木版の画集 出ていたのは「蛇性の婬」。正太郎と女の別れの場が描かれていた。

古事記絵巻 1949 合羽版 読み物。炎に巻かれる女が飛ぶ姿が描かれているが、これはいくつか思い当たりつつもどれか自信がない。


3.戦後
リアルな肖像画が多い。

高浜虚子、中村吉右衛門、堀口大學、(文楽の)楽屋の文五郎などなど。特に吉田文五郎の肖像画がいい。刷りを重ねた複雑な色合いがとてもよかった。

猫と少年 てっきりショートカットの女かと思ったほど、小粋な感じのある少年。

ウサギと少女 このウサギの目元が可愛らしい。

家族の肖像はシュールなものや抽象的なものが多いのも特徴だった。

鳥と遊ぶ兄妹 フクロウでした。ははは。面白い。

銅版画頒布会のための作品がいい。
郊外の景 メゾチント この技法を使うと誰でも長谷川潔に見える。

ニコライ堂 エングレーヴィング 庭から見上げる構図が面白い。

椿 アクアチント 散り椿である。きれい。

朝の浴泉 アクアチント 可愛い形のお風呂。こんなのをみると温泉にゆきたくなる。
タイルが素敵だ。

書籍もいくつかあり、面白いのが「幽霊の書」だった。


4.外遊
ニューヨーク、ワシントン、ヨーロッパ、そしてフォード財団からも呼ばれてオレゴンでも版画の指導をする。

私の黒猫 チラシの作品。これにそそられて来たのだが、とてもよかった。

様々な名所を描く関野。
ただ風景を描くのではなく、そこに人間の営みを描きこむ。

王女の棺(ベルギー) 赤布をかけられて横たわるきれいなもの。

肖像画もよいのが出ていた。
笑う男(折口信夫) リトグラフ 1972 和服姿でくつろぐ折口がとてもご機嫌なのだった。たまにはこんなに機嫌よく笑うこともあったのだろうか。

棟方志功像 うわーっリアルでありすぎるーーーーー


5.日本再発見
東海道五十三次、奥の細道、連作の中から名品がピックアップされていた。

日本橋 津田信夫の鋳造した像から見上げた空には高速道路。

平塚 七夕。以前に平塚へ行ったとき、大きな道路に感心した。そして仙台の七夕も元はここからだったことを知った。

岡部 トンネルを走るトラック!!かっこいい。

庄野や蒲原などは広重へのオマージュが込められていて主題が同じなのだった。

福島(美術館) 柳の向こうに素敵な建物。1984年。

飯坂(穴原) いい建物がある。雪の中、その建物は和の空間の下に煉瓦アーチを持っていた。

衣川(夏草) シダがいい。

京都の清水参道の同じ場所を時間を変えて描いたものがある。これなどは木版ゆえの名作だと言える。
吉田博もこうした手法をよくとった。
非常に魅力的な作品。行きたくて仕方なくなった。
イメージ (19)

島原角屋 玄関先。いいなあ。

「甍12題」
青天白鷺 姫路城。
黄金のファラオ カイロ。スフィンクスとピラミッドの配置がいい。
雲崗石窟の鬼 左には仏顔。

慶州仏国寺 緑青をふいたような甍の波の綺麗さ!
福田平八郎の作品を思い出す。このシンプルな連続性がいい。

ほかにも舞妓、力士、紅型、孫、花など自在な作品が多くあった。
また助手を務めた息子の作品もある。
花の表現がいい。

遠くとも出かけた甲斐のある素晴らしい回顧展だった。
8/3まで。

あしたのジョー、の時代 展

練馬区美術館での「あしたのジョー、の時代」展は恐るべき展覧会だと思う。
わたしは内側のことは全然知らないただの観客だから、喜んで機嫌よく出かけるばかりだが、行ってその熱気に圧倒された。
ただの熱気ではない。
40年ほど前の日本の現状が「あしたのジョー」という作品を背骨にしつつ、ここに曝け出されているのだ。
そしてその空気は決して明るく清く美しいものではなく、笑うことも出来ないものばかりだった。
なんだ、この不機嫌さは。一体昭和40年代とはなんなのか。
さらに脂汚れと体温の熱さとナマナマしさとが混ざり合った、異様な空気が資料からも立ち込めている。

わたしが行った日は内覧会だった。3時からだと言うのできっちり3時に入れるように向かうと、もうロビーは人であふれかえっていた。
むしろたいへん年齢層の高い人々に占拠されている、というべきか。
1960年代後半から1970年代初頭を生きた人々が、どこからともなく大量に集まってきている。そんな様子に見えた。

「われわれはわれわれのわれわれによる」とかなんとかわめき散らしていた人々が、死んだふりしていた数十年を蹴散らして、この会場であの頃と同じ様子で蘇っている。
その時代に生まれていても、こんな熱気とは無縁だったわたしには恐怖に近い何かがあった。

主催者の挨拶のあと、作画をされたちばてつや先生がご挨拶をされた。
ちば先生は近年はゴルフ雑誌の表紙絵とコラムを描かれ、あとは大学で授業とテニスサークルの顧問をされるという日々だが、お元気そうで何よりだった。
昨夏、阪神百貨店で「ちばてつや原画展」が開催され、「あしたのジョー」を中心に「ハリスの旋風」「おれは鉄兵」「のたり松太郎」などの原画が展示されていた。
わたしは「鉄兵」と「松太郎」はリアルタイムのファンだが、「ジョー」はアニメから入っていたので、この時代の人々の熱狂ぶりを知らないままだ。
資料を見て「そんな時代だったのか」と思うくらいだったのだ。
ご参考までに→ちばてつや原画展の感想

一階の第一展示室は「あしたのジョー」の原画と最初のアニメの映像が流れていた。
わたしはむしろこの第一作目のアニメの方に深い感情を寄せている。
後に展示品にアニメ関連グッズが出てくるのだが、わたしも実は所蔵している。ハンカチである。伊藤ハムのスポンサー名が入っている。
展示品とは違う絵柄のものだが、わたしのお宝の一つだと言える。

70年頃に懸賞でもらったのがこちら。
あしたのジョーのハンカチ。121225_2234~01

原画を観る人々の視線が熱い。ぎらぎらしている。そして口々に当時の感想を誰に聞かせるともなく喋り倒している。
わたしは胃が痛くなってきた。この熱気に負けかかっているのを感じた。
しかし、わたしだってファンなのだ。負けてばかりはいられない。
異様な熱気を放つ人々の中でこそ、わたしもじっくりと作品に対さなければならない。

原画を順ごとに見て行くことは、ジョーの成長を見ることでもある。最初は丸顔だったジョーが面長になってゆく。
瞳は物語が進むにつれ、透明度が増してゆくように感じられた。
特にこの図録表紙にも選ばれた1971年9月のある号のジョー。
40年以上前に発表されてはいるが、今も清冽さを失うことのない横顔。
この絵は特に人気が高いそうだ。
薄い無精ひげが顎にみえる。それがまたたまらなくいとしい。


この図録は一般書籍として求龍堂から販売されてもいる。

連載当時の「週刊少年マガジン」でジョーが表紙を飾るものが並ぶ。
68年の35号では同時期連載の「巨人の星」の川崎のぼるがジョーを描き、ちばてつやが星飛雄馬を描いた。
ちば版星飛雄馬は妙に可愛い。

それにしても豪華連載の時代だったのだ。
前述の「巨人の星」「天才バカボン」といった現代でもよく知られる作品もある。
「あしたのジョー」は長期連載なので同期作品も少しずつ入れ替わる。
「無用ノ介」「キッカイくん」「リュウの道」「キバの紋章」「ワル」「アシュラ」「ホモホモ7」「男おいどん」「釘師サブやん」「空手バカ一代」「タイガーマスク」「オモライくん」「変身忍者嵐」がある。
連載終盤には「群竜伝」「デビルマン」「愛と誠」「闇の土鬼」があった。
そして最終回、ちばてつやと原作者高森朝雄(梶原一騎)をリングに、これまで出てきたキャラたちを客席においた表紙絵が現れる。
読者へのメッセージがそこに書かれている。
(この号には日本SF展で取り上げられている真鍋博のグラビアページもあるようだ)

表紙絵の中にはジョーを油彩で描いたものもあった。
静かなジョーである。
そう、少しずつ少しずつジョーは静かな男になってゆく。

アニメの仕事を見る。
演出は出崎統、作画は杉野昭夫・荒木伸吾・金山明博である。いずれもすばらしいプロフェッショナルの面々である。
小さかったわたしはそんなことも知らず、ただただ熱心に見ていたそうだ。
いや、わたし以上に両親や叔父たちが熱烈に見ていたのだ。

2のアニメはもういかにも出崎・杉野コンビで、お二人のファンであるわたしは出ている止め絵にゾクゾクしている。
話は先走りするが、2のラストはこれは出崎さんの感性による演出なので、原作とはまた違うと考えている。
わたしは出崎さんの仕事のすばらしさを知るため、このラストを否定することは、ない。


ジオラマがあった。泪橋の下の丹下拳闘クラブである。
とてもよく出来ていて、大勢のお客さんが懸命にのぞき込んでは、ああとかううとかおおとかうめいていたりする。
嬉しい作品である。

二階へ上がる。
いよいよ第二章「あしたのジョー、の時代」である。

同時代に流行った歌やコマーシャルが紹介されている。
正直、この時代の流行りものの悉くがニガテである。
十代後半の頃はそうでもなかったのだが、どうしたわけか年をとるにつれ、自分が生まれた時代の流行りものが非常にニガテになっていった。
一つにはそれはわたしにとって「怖い時代」に思えるからだった。
以前に埼玉近代美術館で「50~70年代」をメインにした展覧会があったとき、強く感じたことだった。
なぜこんなにもこの「あしたのジョー、の時代」は恐ろしいのだろう。
この時代の演劇もまた今のわたしには恐怖の対象に近い。この時代の官能性に対し、わたしはグロテスクさを感じてしまう。
(わたしはあくまでも80年代の享楽を愛している)


ところでこの時代、少年雑誌では大伴昌司という異才が人気を集めていた。
かれは少年マガジンにも面白い記事を掲載していた。
その紹介もあった。
大伴昌司の展覧会は2012年の夏に弥生美術館で開催された。
その時の感想はこちら。
奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解 (日本の秘境など)

怪獣博士・大伴昌司

再び「あしたのジョー」の原画がある。
力石徹との最後の戦いである。
原画には様々な書き込み(要返却とかノドあわせとか数字など)がある。ナマナマしさがある。

原作でジョーが力石の死を知るのは控え室でのことだと、今「改めて」気づいた。
わたしはアニメの方のそのシーンを脳裏に刻んでいたのだ。
握手を求めるジョーに穏やかに力石が応じようとしてゆっくり倒れてゆく。原作ではそのあたりはほんの数コマで表現され、ジョーを始めみんな誰もそこまで大変な状況だとは気づいていないようである。
アニメではここがたいへん重要なシーンとして印象深く描かれていて、わたしはそこばかりを覚え込んでいた。

今、ジョーが「うわあああああああああああああああああ」と叫び続ける姿を見て、わたしもまた力石の死の衝撃を新たに受けている。

力石の死は史上初めての現実での告別式を挙行させた。
わたしも小さい頃から「力石のお葬式が行われて」ということを誰からか聞かされていた。
それはもう殆ど神話の領域に入り込むような話だと思った。
団塊の世代の叔母がいまだに「浅間山荘」の事件の実況についてナマナマしく語るのと同じような感覚がある。

今回、祭壇がしつらえられていて、この展覧会のために新たに金山が描きおこした力石の遺影が飾られていた。
力石は爽やかに笑っていた。

思えばマンガやアニメのキャラが死んだことで実際に葬儀なり法事なりが執行されたのは、この力石が最初だった。
あとは82年頃か、「ゴッドマーズ」のマーグのために少女たちが東京ムービー新社のこしらえた祭壇へむかい、近年では「天」「アカギ」の赤木しげるの法事が六本木一丁目で開催された。

展示で面白かったのはパロディマンガ「力石は生きていた」だった。話の展開自体はちょっと陳舜臣を思い出させてくれる。
「力石だからハカ石だろう」なんてせりふもある。
それで思い出した。
83年頃か、「OUT」誌上で「焼け石に水、力石に水」というパロディがあった。


第三章 「あしたのジョー、肉体の叛乱」

ここで土方巽の写真や映像を見ることがあるとは、想像していなかった。
いや。「あしたのジョー、の時代」なのだから当然予期すべきだったのだ。
これはわたしがこの時代を知らないことによる。

この一隅だけでも凄まじい空間だと言えた。
この展示はそれだけでも見る価値がある。
厭だ、気持ち悪い時代だ、と厭いながらも、やはりわたしは土方巽の醸し出すわけのわからない熱気に侵されて、その異常な魅力にくるみこまれてしまうのだった。


第四章「あしたのジョー、あしたはどっちだ」

多くの人々によるジョーがある。
島本和彦のジョーがやはり熱い。
笑ってしまうのはSTAP細胞とジョーのパロディ。

そしてラストのホセ・メンドーサとの戦いの原画。

ここでは無念なことにジョーの目のアップを描いた原画は出ていなかった。
昨夏の原画展で異常に印象深かったあのシーンがない。
惜しい、という言葉だけではくくれない何かがある。

図録に非常に興味深いことが書かれていた。
解説の中で、ジョーの最後の戦いの場には紀子、サチ、西たちいつものメンバーをわざとはずしたという話がある。
彼らあたたかな人々がいては、この最後の戦いがぬるくなってしまう、という判断である。

ほかにもあのラストで、高森の案が別にあったことを初めて知った。
このラストシーンはちばてつやオリジナルなのだ。
そしてこのラストシーンがあるからこそ、40年以上にわたってジョーが愛され続けてきたのだ。
あらためて、ちばてつやという作家の素晴らしさが胸に堪えた。

見終えたとき、獰猛な満足とでもいうべきものが沸々と胸におこっていた。
わたしもまた「あしたのジョー、の時代」の熱気にやられてしまったのだ。
凄い展覧会だった・・・

行くことができる人は行くべきだと思う。

追記:あえて書かなかったことだが、この展覧会は寺山修司の活動を振り返ることも出来る。
やはり「あしたのジョー、の時代」は凄まじい時代・恐るべき時代だったのだということを思い知らされた。

鉄斎 没後90年

富岡鉄斎は今年没後90年を迎えたそうだ。
出光美術館はその記念に、所蔵する70点の作品を展示している。
今回の展覧会は鉄斎のそれぞれの「世界」の代表作を集めたものだった。
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鉄斎は当時の人としては長命で、晩年まで作品を送り出し続けた。
儒者であることが表芸で、絵描きは余技というような意識が当人にはあったようだ。
しかし、百年近く前に亡くなったというのに、毎年どこかで複数の作品が展示されていて、新たにファンが生まれているというのは、尋常ではない。
その「余技」の力の大きさに驚くばかりである。

恋愛マンガの巨匠たる柴門ふみは「はんなり!」で京都の古美術商の蠢きを描いていたが、その中で「鉄斎さんはええなあ」と主人公に言わせている。そして店にある鉄斎の軸物をめぐって一騒動も起こる。
鉄斎を知らぬ読者もそこで鉄斎の絵に関心が湧く。
中には展覧会に行く者もいるだろうし、調べようとする者もいる。
そうして鉄斎への関心が生まれ、もしかすると持続して行くのかもしれない。

わたしは阪急宝塚線の住民で、小さい頃から清荒神にお参りにつれられていった。
いつから清荒神に鉄斎美術館があったのかは知らないが、そこへ向かう人の姿も見かけることが多かった。
わたし自身は鉄斎に対しニガテ意識が長くあったが、最近はそうでもなくなった。
これはやはり多くの展覧会で鉄斎を沢山見てきたからだと思う。

高士の理想的な姿を描いたものにそもそも関心がないと、鉄斎はやはり遠いものではなかろうか。
鉄斎の放つ魅力にたどり着くまでには、やはりこちらも修業しなくてはならない。
出光美術館で2009年に「日本の美・発見I 水墨画の輝き ―雪舟・等伯から鉄斎まで―」を見たとき、鉄斎が一人だけ抜きんでているのではなく、その前に多くの先人がいた、そのことをはっきりと教わった。

それからは存外気楽になって、高島屋史料館などで鉄斎の扇を観たり、京都で鉄斎が知人にあてたちょっと面白い手紙を読んだりして、少しずつ鉄斎になじんでいった。
鉄斎はわたしのような観客を峻拒しているわけではなかったのである。
それは室町時代の禅僧の水墨画や江戸時代の大坂を中心とした文人画などでも変わらず、こちらから歩み寄ることで、その世界の面白味がわかってきたのである。
精神的な理想郷(それは中国が背景となった場所)、それを描き、そこに心遊ばせる人々。

ただ、鉄斎の後にその道を往く人はなく、この系譜は鉄斎で終わったようにも思う。
だからこそ、鉄斎は今の世にも屹立するのかもしれない。

1.若き日、鉄斎の眼差し 学ぶに如かず
鉄斎は幕末の歌人・蓮月尼のもとで薫陶を受けた。

富士山図 雲が懸かる富士。これはやはりどこから見ても「鉄斎の富士」だと思った。

萬竹草堂図 玄関前を掃き清める侍童がいる情景。
思えば高士の理想的生活には「掃除」と「煎茶」と「書画琴棋」と「飲酒」は欠かせない。
なるほど、男だけでやっていける生活ではないか。

鉄斎は二十歳と言う若い年頃から蓮月尼の膝下にあり、その薫陶を受けた。
歌人としても書家としても名高い蓮月尼とのコラボ作品がある。
「十二か月図」である。
蓮月尼が月次の歌を書き、そこへ鉄斎はさらさらとそれにそぐう絵を描く。
六月に禊図が選ばれているのが、わたしにはちょっと面白い。
陰暦だから夏の盛りであり、禊もする人によれば、ただの水遊びにもなるだろう。

北山溪図巻 崖に沿った細い径。静かな流れ。清流と心。現実には怖い空間ではある。


2.清風への想い 心源をあらう
「洗心」ということを考える。

陽羨名壺図巻 明治に入ってすぐの作品。中国の先人たちのうち、茶陶、中でも急須の名品を作った陶工たちの名前をその急須の絵の中に記す。
そういえばわたしは長年急須には冷たい目を向けていたが、2年前にこの出光美術館での「山田常山」展で完全に意識が変わり、今や「急須愛」に満ち満ちている。
その山田常山展の感想はこちら

墨竹図 大正になってからの竹図は扇面に描かれ、そのサインの位置が絶妙だった。

高士煎茶図 むふふふ、すごい満足そうな顔つき。
どこか煎茶には「融通無碍」という感覚があり、しかしながら天地との和が保たれるような雰囲気がある。
「茶の湯」とは全く違う感性が活きている。

秋山深趣図 このサインは「鐡崖」と見える。柿が妙にいい。

陶淵明帰園田居図 陶淵明の「拙を守って園田へ帰る」の「歸園田居五首」の一は帰去来の辞の続編のようなもので、わたしは高校の頃にこの詩を知って随分心惹かれた。
とはいうものの、あれから数十年経つと、やっぱりこれは(この「希望」は)、男の、老人の望みであり、都落ちの言い訳だというキモチもわくのだった。
現実世界で生きている限り、望みはそこであっても、やはりそれはあくまでも理想であり、それを現実にしてはならぬ、と勝手ながら考えている。
詩だからこそ・絵だからこそ、明るい気持ちで眺められる。

日曜美術館で鉄斎の紹介があった時、「女子供のわからぬ世界」と言うたコメンテーターがいたが、確かにわからなくてもいいかもしれない。
これが疲れ切ったおじさんたちの憧れであるならば。


3.好古趣味 先人への憧れと結縁
温故知新ということを改めて考える。

先人の絵も共に展示されている。
蘭亭曲水図 明治半ばで57歳の作。彩色豊かな図。どんどん盃が来る。このスピードはかなり速い。
鵞鳥もたくさんいて、王羲之が涎を垂らさんばかりである。

蘭亭曲水図 高橋草坪 江戸時代 淡彩。淡々とした風景である。

米法山水図 鬱蒼とした森。米芾の画法に依ったわけである。

松花堂遺愛燈籠図 戯れ唄入り。松花堂の肖像画もあり、さらりと描かれている。

太秦牛祭り図 鉄斎はこの摩多羅神の祭りを復興させるのに東奔西走したそうだ。
廃仏毀釈のあおりを食ったところは本当に気の毒である。
京都三大奇祭の一つとして名を挙げた太秦の牛祭り。
変なカブリものが愉快。牛の顔つきも面白い。鉄斎デザインのお面らしい。
なお、現在では「牛の調達が困難」という理由でお祭りは休止中。
そこらにいる(!)牛ではあかんのですよ。ちゃんと元からの和牛やないと…。
この絵は鉄斎の死の前年のもの。何度も鉄斎はこのファンキーな祭を絵にしている。
出光にはもう一つ明治の頃に描かれた「牛祭図」があり、こちらも牛が面白い顔つきを見せていた。

瓢鯰図 禅の「瓢箪鯰」を絵にしたもので、ここではエテ公が巨大瓢箪を沈めようとしていた。扇子描かれた図。

風月無邊図 こちらも扇面。相撲が描かれている。

模古器観図帖 20世紀最初の年に描かれている。出ていたページにはオランダのやきものの絵があった。これは青木木米の図帖の模写。原本も出ていた。

口出蓬莱図 「口から出す蓬莱の図」と読むべきですかね。ええと、大阪人のわたしはついつい「蓬莱=551の蓬莱(のブタマン)」というのを先に思い出すので、タイトルだけ見たら「おっちゃんがブタマン食べ過ぎてリバースしたのか」と…←ばっちいことを言うてしもたわい。
むろんそんなことやなく、蜃気楼です。仙人らしきおっちゃんが口から蓬莱の蜃気楼を吐いているのです。
蜃気楼もそもそもが「蜃(ハマグリ)が気を吐いて楼を見せた」というようなことですからなあ。
見世物芸人で剣呑みや金魚呑みの人間ポンプさんがいるが、まぁあれの元々の御先祖筋でしょうか。

肖像画がいくつもある。
広い意味で言えば菩薩を描いたものも肖像画である。
決して美男美女図ではないが、確かに福徳円満な様相ではある。

萬古掃邪図 扇面に鬼たちがいる図。閻魔大王を担いでの行進。だからこの鬼たちは地獄の獄卒。
この体の動きは村上豊か金田伊功が描いたようでもある。
そうか、と不意に妙な一人合点がゆく。案外昭和とつながっていたのだ。
平成の世にはつながらずとも。


4.いざ、理想郷へ
「風景画」である。想像上の風景。中国的教養があってこそのユートピア。

月ヶ瀬梅溪図 鉄斎は月ヶ瀬の梅林が好きだったそうで、わたしは月ヶ瀬梅林の絵から鉄斎に惹かれたのだった。この絵はそのうちの一つ。

放牛桃林図・大平有象図 牛牛してる。モウモウフィールド。いいなー。
イメージ (12)

寿老人・観世音・魁星図 鉄斎の魁星図は京都市学校歴史博物館でも見ている。勢いのあるいい姿である。この絵もそう。走りまくりそうな姿。


特集:扇面を愛す
鉄斎は扇面図が多い。高島屋史料館などでもどれくらい所蔵していることか。

石榴果図 ザクロである。アンコウの口の中にあるような感じ。

寿老人図 2種あり1は鹿と。1は北斗七星と紅蝙蝠と。

張り子虎図 百年前の1914年の干支。オモロイ顔つき。

お多福の豆まき、猿の読書、お相撲、わんこ図。案外楽しい。
飄逸な味わいが面白く思う。


5.奇跡の画業 自在なる境地へ
善い言葉が集まる。

「萬歳」書の扇面図があり、萬歳の萬の字が蟹に見えたなあ。

七言書 力の入ったエエ書でした。


鉄斎の作品から目を移すと、明清のやきものがある。

龍虎硯、五彩宝尽文筆筒などが特に面白い。

やはり出光美術館ではこのように書画がメインの時は、やきものが気持ちを和ませてくれる。

8/ 3まで。

江戸妖怪大図鑑 化け物篇

太田記念美術館は今月から9月末まで三期に亙る「江戸妖怪大図鑑」展を開催中。
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今月は「化け物」特集。
近年の太田はチラシもファンキーでポップなのが多くて可愛いが、これまた楽しくオバケが勢ぞろいしてますな。

昨夏大阪では「幽霊・妖怪画大全集」が大ヒットして、全国あちこちの巡回先でも大繁盛してたけど、やっぱり日本人はオバケ好きが多いんよね~~~
子供らに大人気の「妖怪ウォッチ」てのもあるし。
わたしなんか夏は当然、他の季節でもオバケオバケ…と唱えてるくらい(なんやそれは)。

太田のオバケ関連の企画展と言えば2007年の夏に「江戸のあやかし」展が開催されて以来だと思う。あの時は早々に図録が売り切れたそうな。シンプルな図録でよかったからか。
その時の感想はこちら
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ちなみに前述の「幽霊・妖怪画大全集」感想のうち妖怪画はこちら


昨夏は三井でも横須賀でもオバケ展があって本当に楽しかったなあ。
今夏は首都圏と京阪神では太田だけかな。
でも金沢市では鏡花の「草迷宮」をモチーフにしたオバケ屋敷も出来てるとか。石川文学館ではおばけの絵本原画展もあるしね。

さて中に入りますと、早くもバケモノ出現。妖怪「ヒトゴミ」。ものすごい大繁盛で、みづらいみづらい。
その妖怪ヒトゴミの隙間に入り込みますと、こちらもたちまちにして妖怪ヒトゴミのなかまいりになるのでございます。
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日本の代表的なバケモノが集められている。
化け物の定義も思えば難しいね。
化け物とバケモノの違いもある。化物になると炭水化物という仲間も増える。←チガウ。
平安のバケモノと江戸のバケモノと明治のそれとは明らかに違う。
大正以降になると作者によるオリジナルバケモノも出現するし。
宮沢賢治「ペンネンネンネネムの伝記」その前ものの「ペンネンナームの伝記」になると、人界が舞台ではなくバケモノ世界が舞台になるわけだしね。

とりあえず「化け物」のラインナップ。
源頼光に関わる化け物たち。

頼光さんとその配下又は助演の四天王らが大江山に鬼退治に向かうのは有名だけど、その前哨戦と言うか一連の流れとは別に土蜘蛛退治などの話もあったりする。
これらはたしかに化け物だけど、一方で市原野の鬼童丸みたいな殆ど人間やめかかっているバケモノみたいな盗賊との関わりもある。
なかなか頼光さんは生涯にわたって化け物と関わりの深いひとなのだった。
そもそも配下の坂田公時も出自からして怪しい。渡辺綱は酒呑童子の家来の茨木童子との関わりがあるし、碓井貞光も大蛇退治の逸話があり、卜部季武にはウブメの説話もあり、藤原保昌は異類のものではなく人の方でいろいろと関わりがある。
…と、そんなことを踏まえつつ作品を観る。

国芳、師宣、北尾政美、西村重長、芳艶、貞秀、芳年や勝川派の絵がある。
いちばん迫力があるのはやはり国芳だが、みんなそれぞれの頼光と四天王の活躍する化け物退治図を描いている。
動きの少ない作画をする師宣でも酒呑童子の首が飛んで頼光の兜をガブッというのを描いている。

土蜘蛛退治は国芳が幕府をあてこすった絵があるが、芳年の土蜘蛛はまた不気味さがあっていい。これなどは白いシーツのようなものを巻きつけた姿で土蜘蛛が立っていて、その白シーツで頼光を包もうとする、その様子が怖い。

土蜘蛛関連で国芳の描いた公時、碓井が碁を打ち、それをみる綱の三人の図が面白い。二人はかなり碁に熱中していて、邪魔しにきた化け物たちを「むん、邪魔すな」とばかりにぐい、と押し退けている。岡目八目の綱も一向に化け物に目を向けず、難しい顔で目を読んでいるばかり。
三人の男たちの生真面目な顔つきと、拉がれた化け物たちの滑稽な顔つき。さすが国芳と言いたい。

土蜘蛛も一味を率いて襲ってきたのだが、貞秀の絵では蝦蟇・大蛇・なめくじの三すくみ相撲を公時が熱心に観戦し、どうみても船遊びに熱中しているような化け物もいるし、碁を見守る大入道もいる。
まあ公時は金太郎の昔、足柄山で熊や猿やウサギらとお相撲をとっていた昔を思い出していたのかもしれない。
襲撃図というより、娯楽施設にいるみんな之図という感じ。

芳艶は丹波山中の土蜘蛛退治に出かける図を描くが、四天王が山を渡るモッコに乗ってたり、手乗り蝦蟇が可愛かったり、土蜘蛛の目が初期のミッキーマウスみたいでキュートだったりと、別な楽しみを見いだしてしまう。

派手でにぎやかな化け物図は面白いが、しーんと静かなそれは怖い。
それで思い出したが、幽霊とオバケの違いについて面白い文章を読んだことがある。
八世三津五郎だったか、「幽霊は陰気に・オバケは陽気に演ずる」とかなんとか。
なるほどよくわかる。

30点近く頼光関連の作品が続く。今は自分から大江山の鬼退治の話を知ろうにもなかなかいい読み物がないのが残念。ちなみにこの大江山の話は正史にも載っていて、完全な稗史ではないところがミソ。

なお大江山の絵巻で最古と言われるのは逸翁美術館の所蔵で、これは3年前に大きな展覧会があった。
その時の感想はこちら


次はやはり平安時代の、今度は鬼女伝説の絵。
「紅葉狩」の平維茂、鬼女をおんぶする大森彦七の絵が並ぶ。
どちらも今でも歌舞伎の舞台によく乗る。なにしろ美女が鬼に変わるというのは見ていて華やかでかつ面白いから。
ちなみに「紅葉狩」は明治32年に記録映画として撮影されている。
現存最古の日本映画である。
20年くらい前から京都文化博物館あたりで一部ではあるがちらちら見ているが、九代目團十郎、五代目菊五郎、後の六代目菊五郎らが出ている。
今は東京のフィルムセンターで見ることが出来るらしい。

芳年の「紅葉狩」は明治20年。ギザザザとした線描がいい。
美女が鬼だとわかるのはどの絵でも水鏡に映るのを見たから。
(歌舞伎舞踊では山神が注意するが、届かない)

平安時代の化け物関連はまだまだ続く。

鵺退治はやはりトバせない。
鵺。日本製キメラ。

国芳の文政初期の鵺と嘉永五年のそれ。
前者は黒雲の中にぬぅ~とでてきた鵺。猿がメインの鵺。後者は虎メインの鵺。
造形の変化が面白い。

それにしても実に多種多様な化け物たち。
蟒蛇、雷、河童に天狗まで。
それもただ怖いのではなく、ヒトサマにポカポカされたり相撲を取ったり、いろいろ動く情景が描かれている。
そしてやはり国芳とその弟子たちがいちばん面白く化け物たちを描いている。

化け猫も大活躍。
四年前にはukiyoeTOKYOで「化け猫」展も開催された。
その時の感想はこちら
国芳の描いた二匹組。10083001.jpg
府中市美術館で大活躍したなあ。
こっちはukiyoeTOKYOでクッションになってた。tou380.jpg

数年前、国芳の展覧会が府中市美術館で開催されたが、そのとき巨大鰐鮫の上に向こう鉢巻の猫を乗せたポスターを作った。そして「猫もがんばってます」のコピー。これにはシビレたが、今回その鰐鮫の絵の横に、この化け猫ちゃんの絵を展示している。
学芸員さんのお茶目な遊び心というやつか。


三世国輝 本所七不思議之内 足洗邸・無燈蕎麦・狸囃子 三枚が出ていた。
明治19年だからだいぶ江戸から離れたが、それでもこうして本所七不思議を描いたものが出ている。
このシリーズ、わたしは初見だがほかに「置いてけ堀」「片葉の芦」などもあるのだろうか。

いちばん後の時代の作品は芳年の明治22年「新形三十六怪撰 貞信公」の図だった。
芳年は慶応元年にも描いているが、24年後もこうして同じ題材の化け物絵を世に送ってくれたのだった。


次の8月は「幽霊」の巻。こちらもとても楽しみ。
ありがとう、化け物たち。7/27まで。


藤井達吉の全貌  野に咲く工芸 宙をみる絵画

松濤美術館で「藤井達吉の全貌」展が開催されている。
「全貌」とはまた思い切った言葉ではあるが、実際藤井には多面性があるので、それぞれの顔を追うと、どうしても「全貌」ということになるのだ。
副題は「野に咲く工芸 宙をみる絵画」である。
工芸家としての藤井達吉の才能の高さはこれまでにも他で見ることが出来たが、彼の絵画はあまり見る機会がない。
今回、工芸品と絵画とがいい具合に出ていて、共に堪能できた。
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2008年に碧南市に彼の名を冠した現代美術館が開館した。
「藤井達吉のいた大正」というのがオープニング展のタイトルである。
その時の感想はこちら
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そこで藤井の作品を初めてみたのはいつだったかなどを書いているので、ここではもう書かない。
そして去年の芝川コレクション展の感想はこちら

大阪市美には芝川コレクションの絵画が収められているが、工芸品は京近美に入っている。
散逸せず本当に良かった。

展覧会は前後期に分かれていた。あいにくなことに後期の終盤にしか行けなかった。
しかしそれでもその素晴らしさにうなるのだから、「半貌」しか見なくてもその凄さに、それこそ感服仕る、という状況なのである。
とりあえず、何のかの言う前に見に行こう。

特に偏愛したい工芸品を先に挙げる。
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蜻蛉文箱 大きな箱である。三色のトンボたちがそれぞれ飛んでいる。
蜻蛉と言うよりこの大きさはもうドラゴンフライと言う方がふさわしい。
それでいて情緒がある。
フタバアオイ、トンボ、それらが交差し合う図柄は、「彫刻・七宝・螺鈿・鉛象嵌」という技法で木の表面を彩る。刻み・嵌め込み・綺羅を装う。素晴らしい仕事である。

梅花文文箱 表面には梅花文だが、蓋を開けて分けてみると中はそれぞれ荒磯文様になっている。梅花と波とは珍しい組み合わせではなかろうか。
三段とも荒磯である。七宝と鉛象嵌で彩られているが、中の図柄は鉛象嵌だという。そして白梅は不透明な釉薬を使っている。それが白梅にもっちりした柔らかさを与えていた。

蜻蛉鬼百合文乱れ箱 これが去年京近美に入った芝川コレクションの一つ。

大胆で楽しい図柄。

工芸品は後世に残そうとすれば、未使用で、しかも丹念な管理の下に置かねばならない。
が、そうなれば死んだ工芸品となり、容の美はあっても用の美は失われる。
ある種のやきものなどは人の手から手へ渡ることで美貌が弥増しもする。
工芸品の美と言うものはどう保つか。それが難しい。

パトロン芝川照吉のために拵えた工芸品がいくつかある。
郵便箱などは人の手あかがはっきりと残る。しかしそれで藤井作品の価値が落ちたかと言えばそうでもない。
工芸家である藤井は使ってもらった嬉しさを隠さない。折角<使ってもらおうと>拵えたのに、使ってもらえなければ作り甲斐がない。
手あかが付くことで汚れたり破損することもあるが、それでも工芸品は使われるべく生まれてきている。
そのジレンマについても考える。

鷹狩図手筥、電気スタンド、椿文時計箱、秋の山書棚…藤井の意匠を楽しめる工芸品たち。
古風な鷹狩、奈良時代の寺院の杉戸にみるような絵柄のある棚、大正時代に流行したシンプルな椿の造形…様々な様相を藤井の工芸は見せる。
中でも秋の棚には飾り釦として小さな花柄の七宝飾りがテンポよく連続している。
むしりたくなるような可愛らしさである。

姪の藤井房子の作品も出ていた。
草花図/紅白梅図 七宝、銅が使われている。
手作業の細かさ、濃密な愛情、そういったものを感じる。

切透七宝白鳳瑞雲文御手箱とその下図 実物もとても手が込んでいるが、この下図がまた凄い。下図には螺鈿が使われているのだった。びっくりした。それも戦時中の昭和17年の作なのである。

草花文漆手筥 漆に着色している。密陀絵のような趣がある。

小間物をみる。
草花文銘々皿 これも草花を表現するのに七宝、螺鈿、鉛象嵌と様々な技法を使う。
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素晴らしいというより、その技法の凄さに唖然。こうしたものが作り出される手と頭にただただ感心するばかり。
そのくせ絵柄は素朴な表現の草花図なのである。
また、いかにも大正時代らしい草花が選択されている。
おきなぐさなどである。
こうした草花は宮沢賢治の作品で知った。
大正時代の草花への愛・萌えとでもいうべきもの。
板谷波山の作品にも共通するものを感じる。

札入れ・半襟などにも濃密な手が入っている。きらきら石も埋め込まれていた。

藤井はなんでも出来る・なんでも作れる工芸家なのだ。

野点茶箱 一閑張りの可愛いもの。こんなのをみると、一人で千家十職の仕事も出来るのではないか、とちょっと妄想してみる。
ちなみに陶磁器は河合卯之助の力を借りている。

以前碧南市でみた中で感銘を受けたのは壁掛けだった。
今回も臈纈染の花鳥図や海草文の壁掛けを楽しく眺めた。

繊維ではほかに別珍の胴服、袋帯、名古屋帯、着物などが出ている。

藤井は別な技法を一つの素材に同時に盛り込む。
素材の表層でそれらがきらびやかな輝きをみせて、人を魅了する。

草花図屏風 彫刻に螺鈿、七宝、鉛象嵌などで表現する。ほかにだれもこんな手の込んだことはしていない。

大島風物図屏風 代表作の一つ。これには刺繍などが使われている。
大島ブームが来ていた時代の作品。

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岡崎でのチラシ。

芍薬文鳥毛屏風 虎毛な鳥の羽が使われている。間近で眺めるほどに面白くて仕方なくなってくる。

やはり藤井達吉の真価は工芸にあるように思う。
これは方向性は全く違うが、同時代に生きた神坂雪佳も同じで、絵はやはり工芸に比べると多少「余技」的な様相を呈しているように思われる。
とはいえ、藤井も神坂もその「余技」たる絵画にも目を見張る作品が多くあるのだが。

絵画を観る。

藤井は日本画を描いている。
草花の絵が多く、どこか大正ロマンを感じさせるところもある。

椿 ぼたぼた落ちてゐる、と言うしかない。それが落ちているのはどうやら神社の一隅らしい。菰で覆った中に舟を描いた絵馬もある。ご神木の椿に捧げられた絵馬なのか。そして椿はぼたぼた落ちてゐる。

日光の朝・昼・夜を描いた連作がいい。
朝は白く、昼は赤く、夜は青く。

紫サンゴ 今回のチケットにも選ばれている。プチプチが可愛い。
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斑鳩の里 夜空に突き刺さるようにまっすぐ伸びる水煙。そして下弦の細い二日月。こうした構図は後世の平山郁夫、杉山寧くらいしか描かないと思っていた。昭和20年代に既にこのような構図を描いていたのだ。

山芍薬 切り株と蔦の絡み合う、うっそうとした林の奥底。見ていると湿気までが肺に入ってきそうである。

山草図 コゴミから草ソテツへと変貌を遂げる。たくましいシダ。

どちらも草花への深い愛情が感じられる。

土星 正直、こうした絵が出てくるとは思いもしなかった。本気でびっくりした。すごい。なんなんだろう、この感性は。


藤井の絵を「余技」と言い切ったことを変えなくてはならないかもしれない。
しかしそうはいっても藤井の絵を見る限り、かれの日本画は誰とも共通するものがない絵なのだ。
凄い感性が活きていた。
そしてそれがために却って藤井の絵は工芸品ほどには知られていないのかもしれない。
そんなことを勝手に考えている。

7/27まで。

日本SF SFの国

世田谷文学館で7/19から始まった「日本SF SFの国」展は本気で面白い展覧会だった。
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もともと世田谷と言う場所柄、東宝との関係が深く、そのために特撮物の展覧会もこれまでしばしば開催し、文学館としての立場によっての面白い展示を見せてきてくれた。
またSF作家星新一の企画展も好評で、もう四年前になるか、たいへんよかったことを忘れない。
その時の感想はこちら
こうした文学館がやってくれた企画なのだ。面白くないはずがない。

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SFという言葉が定着する以前の「空想科学小説」時代、少年雑誌に海野十三が多くの名作を挙げている。
「銭形平次」の野村胡堂も「太郎の旅 月世界たんけん」という横綴じ本でSFを書いている。
胡堂はほかにも少女雑誌でスパイ物も書いているので、色んな作品を手掛けていることがわかる。
この時の挿絵は1コマずつのマンガスタイル。
黒岩涙香も「80万年後の社会」という作品を出しているが、表紙絵は「?」形に体を曲げた妖艶な女だった。

旧き良き時代の宇宙人。イメージ (17)-1
タコ系宇宙人で妙に可愛い。

本人が意図せずとも、今日ではSFに分類してもよいのが鏡花の「夜叉が池」か。
そんなことを思いながら古き良き時代の空想科学小説の単行本を見て回る。
本当にタイトルを観るだけでわくわくする。
ちなみに今回の図録は海野十三の著書からのもの。
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ここまでが序章である。
次からが現在に通じる「日本SF」の祖であり、「SFの国」を建国した偉人達の紹介になる。
人物紹介は全て豊田有恒による。
星新一、筒井康隆、小松左京、手塚治虫、真鍋博。
彼らを中心にした展示が始まるのだった。
そして筒井康隆のあいさつがそこにある。
筒井は昨年「聖痕」という傑作を世に送ったが、古雅玲瓏な日本語を駆使しつつ、ある種の伝奇SF的な要素も含んだ魅力的な作品だった。
上記五人の最後の地球生存者として、まだまだ活躍してもらわねばならない。
既にほかの四人は宇宙の彼方に移住しているのだから。

当初「SF作家」という名称は多くの人に受け入れてもらえず、団体旅行した時も「歓迎 SFサッカークラブ様ご一行」と旅館に書かれていた。
1964年の雄琴温泉ツアーである。(あの当時の雄琴なら、SM作家は歓迎されたかもしれない)

1966年、仲間内で発行していた「SF新聞」に星新一は「レイ・ブラッドベリ私論」を挙げている。
わたしは星はショートショートをはじめとした短編や「人民は弱し官吏は強し」「城の中の人」などは読んでいたが、彼の評論は未読だった。
ブラッドベリの近視であることが彼の作品に幻想味を付与する力なのだという意味のことを書いていた。
それはマリー・ローランサンとも共通するものだという。
ブラッドベリが老眼になった時、作風の転換を迫られるだろう、ということをも書いて終わっている。
マジメに書かれているのだろうが、妙な諧謔があふれている。
「(眼鏡が必須の実業社会に生きる人)でない人は、ぼんやり甘くぼやけた幻想的で美しい作品を」拵えるという。
幻想が現実から離れたところに暮らす人にこそ宿る、そんな内容。

SF作家たちはみんな仲良しなようで、早世した異才・大伴昌司のお墓参りにうち揃って出かけたり、つくばの原子力研究所に向かったりしている。
「原子力」をハラコ・ツトムさんと思い込み「所長のハラコツトムさんにお会いしたい」と申し出た星新一のエピソードには、爆笑である。いい時代だったのだなあ。

大伴についてはここでも彼が得意とした図解ものが展示されていたが、今回の図録に彼が執筆したサンダーバードの図解図が付録としてついていた。
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なお大伴の活躍については2年前に弥生美術館で見た感想を参考に挙げておく。
ウルトラマン・アート関係はこちら
図解についてはこちら

さて、ここでは日本のSF雑誌のバックナンバーが壁一面に大量に展示されていた。
SFマガジンの創刊号~びっくりするくらいたくさんある。
ああ、わたしは80年代のSFマガジンが懐かしい…
79年のある号には安彦良和さんのイラスト、2008年のある号では小畑健のイラスト。
そしてどんどん号が増すにつれ時代を経るにつれ、追悼号が現れてゆく…

「奇想天外」も並ぶ。こちらは1974年創刊だったか。井上洋介の表紙絵。東京三世社から出てたのだったかな。いや、あれはまた別か。

SF小説のイラストを見てゆく。
武部本一郎の豊麗なイラストはバローズの作品を飾った。
2007年に弥生美術館で武部の回顧展が開催され、そこで初めて見たものも出ていた。
その時の感想はこちら
武部の絵からヒロイック・ファンタジーに目が向いた人も少なくはないだろう。

豊田有恒「ヤマトタケル」シリーズが並ぶ。懐かしくて涙が出てくる。
表紙は生頼範義。ああ、中一で読んだ「ウルフガイ」以来ファンなのに、宮崎の原画展に行かなかったのはホント、反省もの。
生頼さんのポスターほしさに見に行った映画もあるなあ。

「ヤマトタケル」81年だったか。このあと「神々の黄昏 オリンポス・ウォーズ」まではよかったが、後に豊田さんはどうも違う方向へ行ったように思う。
しかし今こうして前述の五人のことを紹介した文などを読むと、やっぱり慕わしい気持ちになるなあ。
また面白い伝奇SFを発表していただきたい。

「猿の惑星」の文庫版表紙がいい。
武装した猿たちが左へ歩く。かっこいい。
わたしは映画しか知らないので初めて見た。

斉藤和明の幻想的な絵、広い宇宙に展開するどこか恐ろしい光景。
絵が想像力を刺激する。

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あの五人の仕事が次々と紹介される。
星新一の1001のショートショート、ほしづるもいる。
筒井の学生時代の写真とそのコメント「美青年ぶりを発揮」。
手塚の雑誌「COM」の創刊号から数冊、これはよく見るものだが、所蔵人がいい。北杜夫だった。
小松は映画「日本沈没」「復活の日」が出ていた。
80年の映画「復活の日」についてはわたしは別に一本感想文を書けるくらい、深い愛情がある。
「さよならジュピター」についてもまた。
そして画家真鍋の仕事。星新一のための仕事だけではない。多様な仕事があり、中でもアガサ・クリスティの文庫本の装丁が素晴らしい。

67年、万博全景図があった。岡本太郎の「太陽の塔」がなんと顔ナシである。
68年の写真には掲載されているが。

わたしは万博を知らないので本当に残念な気がする。
80年代の面白い時代を知っててそれを味わったことをジマンに思っているが、70年の万博を知らないのはある意味で致命的な気がするのだ。

アトムの映像が流れている。
現在連載中のコージィ城倉「チェイサー」を思い出す。
(モノスゴイ衝撃的な古くさい絵柄で怒濤のような作品である。一旦読み出すと止まらない)
アトムのTV放映時の日本国民のドキドキが伝わるエピソードが延々と描かれている。

ほかに手塚の「火の鳥」のいくつかの物語が紹介されていた。能の「黒塚」をSFに置き換えたことで成功した作品に、若き浦沢直樹が影響を受けたそうで、その頃の彼のノートが出ていた。

大伴の万博記事もある。これは弥生美術館の資料である。
彼はやはり夭折の天才だった。
もっと長く生きていれば今のSF界も特撮界ももっと凄い発展を遂げていたように思う。

ああ、「復活の日」ポスターがある。草刈正雄とオリビア・ハッセーの再会する感動的なシーンのポスター。
草刈さんの素晴らしい美貌に改めてときめく。

特撮美術監督井上泰幸の大道具帳がある。歌舞伎のそれと同じ構造の「ノート」である。面白い。
セットデザイン。「怪獣総進撃」「ゴジラVSキングギドラ」などがある。歌舞伎ぽい構造の帳面なので、歌舞伎ファンの私としてはとても楽しい。

最後に、場内各地にスタンプがあり、ラリーを終えるとシールがもらえる。
嬉しいものだらけの図録や用紙など。

8/31まで。

戦後日本住宅伝説 挑発する家・内省する家

埼玉県立近代美術館で「戦後日本住宅伝説 挑発する家・内省する家」展を見た。
このチラシは人を呼ぶチラシであると同時に、見事なラインナップ表でもある。
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展示はきちんとした16区画に分かれていて、このチラシの通り丹下健三の「住居」に始まり、安藤の「住吉の長屋」で終わる。
ただしそれは室内空間でのことで、屋外に黒川記章の「中銀カプセル」の現物がある。
展示は写真と模型と設計図と、設計者の意図や施主の意思などが書かれた文章で構成されている。
そして一つの現物の再現品と。
ミュージアムで開催された数ある建築展の中でも、特筆すべき展覧会だと思う。

時代背景についても考えたい。
1953年から1976年の作品ばかりである。
チラシの中にも「16の70年代までの作品を建築家のコンセプトとともに探ろうとするものです」とある。
1953年は進駐軍が撤退し、本当に「日本」に「なった」年である。
そして1976年は狂乱のオイル・ショックを乗り越えてほっとしたところへ前年に「ロッキード事件」が起き、さらに「安宅産業の破綻」がおこり、一種の社会不安が広がっていた時代であった。
その間の時代に作られた個人の私的な建造物―住宅、それを見ることの意味をも考えながら、展示物に接したい。

こちらは使用されている写真であり、これらは会場内での撮影可能な資料でもある。
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以下、それぞれの住宅に対して、まことに勝手な他者の感想を挙げてゆく。

1953年 丹下健三「住居」 全景写真を見ると「正倉院」または「校倉造」ということを思った。私的な空間であると同時に公人としての丹下の迎賓館でもある空間なのである。
広々とした空間を望む回廊、その写真を見たとき、くつろげる空間はこの「住居」にはどこにもないのではないか、と思った。
やはりこの構造の建物は「迎賓館」としての役割のほうが大きいように思えた。

1953年 増沢洵「コアのあるH氏の住まい」 施主の望みに従うと、こうなるのか、と思った。チラシ掲載の写真で見る限りは落ち着いた和風な空間のある住居だが、中庭の藤棚はともかく、結局は構造のシンプルさを家具が覆ってしまうことで完成された住空間ではないか、と思った。

1954年 清家清「私の家」 前に汐留ミュージアムでか、清家清展を見た際、清家は最初の自邸を失敗したことを知った。小さいころから「家相の先生」という認識があった清家清。彼の実験精神が横溢した住空間である。
本人と家族が納得していればよいのだが、わたしはここの家族には到底なれない、と思っている。

1957年 磯崎新「新宿ホワイトハウス」 階段と窓の位置はむしろ前代の「近代洋風建築」を踏襲していると思う。だからこそ、その階段周りは悪くはない。
しかしどこかアーチストのアトリエ風な風情が強い。住居としてではなくやはりアトリエ的な要素が勝っているようにも思えた。

1958年 菊竹清訓「スカイハウス」 展覧会の副題を思い出していただきたい。
この家はそのどちらも兼ね備えているように思えた。模型もよくできていたと思う。わたしはここには住めないし住まないが、思想としては面白かった。

1966年 東孝光「塔の家」 堪忍してくれ、と思ったのが正直な感想である。
コンクリ打ちっ放し。周囲とは全く孤絶している外観。しかし住人は慣れてきたころには笑顔でいたようだ。よかった。他人事ながら安心した。
わたしはただただ息苦しかったのだ。

1966年 篠原一男「白の家」 和風な空間である。近代洋風建築を愛していても住まうのはやや和風の個性の強い空間がいい、というわたしにはこの「白の家」はこれまで出てきた中ではいちばんよさそうだった。
しかし、物を置きたい、と言う渇仰にも似た欲望に駆られる空間でもある。

1970年 坂本一成「水無瀬の町家」 ブロックである。固められた空間。出窓はまだこの時代、窓枠ごとの出窓はなく、壁面そのものが突出する形で作られていた。なにか要塞を思わせる。訪問することを許されない気がした。

1970年 白井晟一「虚白庵」 陰翳礼讃、という概念がここで形になったように思う。たいへんかっこいいのだが、実際に住むのはやはり白井のような哲学者的な人間でないと難しいのではないか。わたしには不可能である。
これこそが「内省する家」である。

1971/1978 宮脇檀「松川ボックス」 明るい光の入る住空間である。階段から二階へのアプローチがいい。模型でも可愛く作られている。京都三条下ルの喫茶店イノダ本店の二階へのアプローチもこの形状である。
床掃除がしにくそうな感じもあった。

1972年 反住器 毛綱毅曠 旭川に住まう母上のための家。雪と言うことを考えての構造なのだろうか。わたしのような素人にはわからないことばかり。掃除が非常にしにくい空間なのは間違いないと思う。物をおけない空間でもある。

1972年 黒川記章「中銀カプセルタワー」 世界最初のカプセルホテルである。
密閉空間、その中に詰められた快適なものたち。しかし、わたしは耐えきれない。そう「わたしは」苦しい。
だが、この発想が世界を変えたのはやはり凄いことだと思っている。

1974年 原広司「原邸」 外観もさることながら内部の構造に仰天した。これこそ「挑発する家」なのだ。こればかりはじっさいにその空間にたたずみ、使い具合をきかないとわからない。ポーラードームのようなライト、みんぱくのビデオテークのような居室…不思議だ。

1975年 石山修武「幻庵」 森の中には何が潜んでいるか知れたものではない。
丸いカニのようなものがそこにあった。
人間、別荘建築にはタガが外れるというが、これはそういうことなのか。
赤塚不二夫の大工マンガに出てきた免震住宅を思い出した。
…よく考えるとあのマンガとこの建物は同時代なのだった。

1976年 伊東豊雄「中野本町の家」 寡婦になったばかりのお姉さんとその幼い娘さんたち三人だけの家。馬蹄型で他からのコンタクトを拒絶する空間。
しかし光は充ちていて、写真を見ると高松次郎の作品のような影が活きていた。
ここで心の痛手をいやし、お姉さんは立ち直られ、娘さんらは大人になり、ついに家は役目を終えて、取り壊されてしまったそうだ。1997年の話。

1976年 安藤忠雄「住吉の長屋」 何度も見ているがやはり違う。この発想の根源はどこから来たのか。両隣の和の空間が懐かしい。そこに挟まるこの建物。一つだけで見たら非常に面白い空間を持った構造物なのだが、あの住吉のあの長屋の一部にこれがあるというのがもう…
東京での安藤の作品の評価は絶大だと聞いている。
大阪ではその人間性に圧倒的な人気がある。
しかし関西では若い者は別として、大概の人はついつい言ってしまうのだ。
「安藤サン、ええ人やけど、建物がなぁ…。もぉちょっとええの拵えたらよいのに」
やっぱりわたしも古い人々と同じ意見を持っている。
面白いものは住みにくそうなのである。

近年になくわたしも「批評」してしまった。批評できる立場でもないのでしてこなかったが、今回だけは別である。
わたしは「挑発する家」に疲れ、「内省する家」に飽きるのだ。
住宅と言うものは本当に難しいのだった。

展覧会としては非常に興味深いものだった。
8/31まで。

7月の東京ハイカイ録

七月の東京ハイカイ録でございます。
例により夜から都内入り。
偶然にもまたわたしの後の新幹線で在華坊さん西から東へ。こういう状況を月猫さん曰く「西からミサイル2発来た!」,,,巧いがなw

世田谷文学館「日本SF ・SF の国」展、初日。
特撮育ちのわたしを大満足&コーフンさせてくれました!
星新一、小松左京、筒井康隆、手塚治虫、真鍋博、彼らを核にして展覧会は拡がる。
詳しくは後日また延々と書くが、ホンマに良かった!
自分がSF 少女で幸せやとつくづく実感。
あーっ面白かった!

スタンプラリーに参加するとシールもらえるし、図録には付録もあり。

常設もなかなか工夫凝らされてて、これまた良かった。お馴染みの資料も見せ方、アプローチの仕方により、全く違う楽しめ方があるのさ。

次に損保ジャパン美術館でキネティック・アートを楽しむ。
イタリアの1930年代半ば生まれのアーティストらが50~60年代に目の錯覚を利用したアート作品を世に送ったのを、体験する。
ちょいとクラクラしたが全般的に楽しい。尤もアーティストらはこれらを「人に楽しんでもらうために」作ったかどうかは知らない。

都庁前まで行く。懐かしい。京王プラザホテルの通路を行くのは何年ぶりかな。都庁で近代建築の展覧会見にきて以来。

練馬美術館につきました。
「あしたのジョー、の時代」展、内覧会。
凄まじい熱気があった。
1階では「あしたのジョー」原画やアニメ資料の展示。2階は同時代の世相に絡むもの。
土方巽の映像が流れている。たいへん貴重だと思う。特権的肉体論。ぞわぞわした。
リアルタイムに生きていた年輩連が資料について私的な解説をする。生き過ぎたことを初めて告白するかのように。
やはりそれは「あしたのジョー」という対象があればこそか。
圧倒された。

その後に打ち合わせがあり、つい長広舌を披露。無口ならぬ六クチなわたしに反省。

7時過ぎに梅島で友人と落ち合い、大雨の中を荒川の土手まで延々と歩く。
こういう雨中行軍は思考力を奪うなあ…
やっと土手の上に。足立区花火大会。
凄い巨大な星粒炸裂☆☆
 
あ~🌌凄かった!
というところで初日終わり。


2日目。松濤美術館に藤井達吉展見に行く。
芝川コレクションで初めてその作品を知り、2008年の碧南市立藤井達吉現代美術館のオープニングに行って以来のまとまった作品を見る。やはり工芸品の美と奇想にうなる。素晴らしい。しかし大正の日本画には同時代の精神性か個人的嗜好か、不思議な妖しさがあった。土星を描いた日本画には初めてあったわ。

Bunkamuraデュフィ再訪。やはりテキスタイルと版画に特に惹かれ、ポアレのドレスに使われた意匠にときめく。

太田記念美術館でオバケの展覧会。妖怪。来月は幽霊、再来月は妖術師。
妖怪ヒトゴミが出没して、まともに見れんわい。参ったなあ~

オバケのタタリか、北浦和に行くのに手間取る。

戦後日本住宅のありようを日本を代表する建築家が拵えた民家から見る。
なんかもう、すごいわ。
好みというか思想を押し通せばどないなるか、というのが顕になってたなあ。参ったなあという建物と、気持ちはわかる、というのが交ざりあい、かなりな展覧会でしたわ。
詳しく書けるかどうか。

小村雪岱の特集があった。
これがまた見逃したら後悔するような内容で、所蔵の一枚絵や「おせん」「お傳」の挿絵に、着物や名古屋帯に肉筆したもの、鏡花本の装丁、と続いて、金沢の鏡花記念館の協力で、「山海評判記」の挿絵に原文と簡易な概要とを併載した大きな幡をずらりと並べている。
これはもうホンマに良かった!
昨春わたし、金沢の鏡花記念館に見に行ったが、あれより数多く出てましたな。
はあ、堪能。
なのに何の画像もないんやから、殺生やわ。
まあ、美術館に行かないと見れない、というシロモノでした。
中公文庫版もってるけど、ある章に欠落あるんやないか、と心配になっている。

さて最後はうらわ美術館でフランスのガスパール文庫の絵本原画展。
これもいくつかサプライズがあった。四年前にここで見た大人向け絵本があったり、象のババールもガスパール文庫から刊行されてたとか色々。

ロシア革命から逃れた作家たちの作品も多い。
見ごたえのある展覧会だった。

階下に来たら大雨!みんな雨宿りしている。参ったなあ~
さっきまでお祭りのお神輿も出てたのに。
ひーっ
雨の中を行く。ごはん食べてから考えよう。

まあ、満腹したら雨も怖ないわ。宇都宮線に座れたのも良かった。そして駅からホテルのバスに乗った。
ついたら雨も止んでたので、近くのスーパーで桃を買う。美味しうございました。
2日目終わり。


3日目。すなわち今日。
ロッカーに荷物放り込んで町田に向かう。

版画美術館への道。
楽な行き方を教わって気軽に向かえるようになったが、それまではホンマに困った。先月もその指示書を忘れたがために森の中で遭難しかけたしなあ。
やはり手にして歩こう。

関野の仕事のうち、わたしはやはり木版画が最愛やな。銅版画もよいが、木版の良さが上回る。
面白かった。

次に町田市文学館で後藤竜二x長谷川知子の「1ねん1くみ」シリーズの原画展見る。わたしは第一作からのファンだがラストだけ読み損ねてた。
そうなのか、と静かな感銘が拡がる。
せつないね。
再会を待ちたかったが、後藤さんは続編を空の彼方に持っていってしまったからなあ。
長谷川さんの他の絵本も展示があり、クイズラリーもあり、シールもらったよ。

ところで何故か昔から町田に来たらわたしは必ず何かしら小さいトラブルに巻き込まれてしまう。最初に来た日からずっと。
今回は化粧ポーチを忘れてきた。そんなこと、まず、ないのに。
ナニカアル町田。
確保はしてもろたから、来月取りに行く。横浜~八王子ツアーの間に入れよう。

ほんで小田急と地下鉄乗り継いで曰比谷。出光美術館で鉄斎みる。
鉄斎にも遊び心はある。そこらの絵が好きだ。

最後はBRIDGESTONEの「チャイナドレス」。二ヶ月ぶり再訪。前回は映画「夕日と拳銃」と絡んだ鑑賞をしていよいよドキドキしたな。
今回は兵庫県美術館のアジアの官展が尾を引くなか。
やはりよろしい。
無限ループになりそうなくらいに見て回る。

さて東京。
駅弁の炙り金目鯛と小鯵押し寿司がたいへん美味しいのです♪来月もあれば買う。

いい気持ちで旅も終わり。
また来月までサラバ。
明日からボチボチ感想を書いていきます。

富士屋ホテルに行った 1

先月のことだが、箱根の富士屋ホテルに行った。
関西から箱根に行くのはなかなか骨が折れる。
しかし東京経由で行くには、と思っていたところへ友人が見つけてきた「富士屋ホテルのランチと岡田美術館日帰りツアー」に乗った。
JR主催のツアーで、ひかりとこだまを併用し、三島からはバスで連れて行ってもらえる、というものだった。
やたら空いているのでたいへん楽だったが、なんとこの日はワールドカップの日本の初戦だったのだ。
わたしたちは二月に申し込んでいたのでそんなことを考えられなかった。
残念だったがツイッターで状況を知ることが出来たのでまぁヨシとした。

先に行った箱根神社。曽我兄弟の御縁もある。
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いいお社だったな。

境内の茶店で人気のお餅を。IMGP2552.jpg

いよいよ富士屋ホテル。

駐車場のブルーカラーコーン富士山型。IMGP2554.jpg

眼に入ったもの。


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案内したくださった方がちらりとうつってしまった。

先ずは資料室へ向かうが、その廊下の照明などもとても素敵だった。
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客室の昔の鍵。全てお花だったそうだ。KIMG0942.jpg IMGP2599.jpg

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ガラスの文様も雲のよう。KIMG0943.jpg

ポスター絵もいい。IMGP2564_20140716124655f56.jpg

なんかもう可愛いものが多くて♪
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可愛いお花 IMGP2567.jpg


資料室にて。
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昔の写真や色々な資料。
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箱根の自動車の歴史もここから。IMGP2583_2014071613142492d.jpg

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色々と楽しませてくれるなあ。お話も面白かった。
髯倶楽部の人々。IMGP2594.jpg

式場のドアのステンドグラス。富士屋ホテルと聖母。
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ホテルが可愛い。IMGP2571_20140716130540eca.jpg

手前のコーナー
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地下への階段手すり。ウサギとカメ。
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どどどどどっIMGP2568.jpg

くつろげるなあ。IMGP2569_20140716130521bcf.jpg

プールもあります。IMGP2572.jpg

花絵が素敵。
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さるお部屋少しばかり。KIMG0945.jpg

その前の窓から外を見る。IMGP2596_20140716132459efe.jpg

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関内装飾がなにもかも素晴らしい。
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資料室にあった絵も飾られていた。昔はカレンダーでした。
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お庭を眺める。IMGP2607_2014071613315621d.jpg

ちょっとした建物一つもがいとしい。IMGP2608_20140716133157be3.jpg

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廊下天井の照明
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至る所に美麗な装飾。
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双六やん♪IMGP2609_2014071613320021e.jpg

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いい感じの絵IMGP2612.jpg

富士屋ホテルに行った 2

さていよいよ食堂棟へ向かう。
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メインダイニングの天井。KIMG0933_20140714164947c7e.jpg

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テーブルIMGP2616.jpg

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和の美も取り入れられている。

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これはゴルフ。他にも色々。IMGP2619_2014071613462295f.jpg

全部撮って歩きたいけどそれはむりですわw

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天井を見ているだけでも楽しくて仕方ない。
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ライオンも。IMGP2625_20140716134647974.jpg

魔除けみたいなもの?IMGP2626_20140716135223e87.jpg

床もいい。IMGP2627_20140716135225193.jpg

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何が刻まれているか楽しくて楽しくて。

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えびが閉じ込められている。パンやお肉。焼いたプディング。舌触りがよかった・・・
正直なところ「最高!」とは言えないが、この雰囲気でいただくお料理はもう本当に楽しくて。
すごく幸せ。おいしさがほどほどであることが、サービスの良さが、雰囲気が、本当にみごと。

この心地よさは忘れがたい。やはり超一流の良さと言うものは知ってしまうと、手放したくなくなるね。
またここへ来たいと思った<瞬間>はやはりこの食事時間が一番強かった。
そしてその想いは薄れない。

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廊下の彫刻 IMGP2638_20140716154324067.jpg IMGP2640.jpg

曲り角の中庭をみると、悪魔が羽釜を担いでいた。IMGP2639.jpg

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ショップのあるあたりにはこんな彫刻が柱を彩る。
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本当に楽しい。やはり一流のクラシックホテルや旅館には楽しい非日常がある。

富士屋ホテルに行った 3

いよいよ最後。

ホテルのお庭もふらふら歩き回り、どこがどこやらわからなくなった。
なんてエエ加減(エエ加減なのはいつものことだが)、しかし楽しすぎて「ここはどこ、わたしは誰」になったと思っていただきたい。
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瀧。KIMG0937_72e.jpg

水車小屋が可愛い。IMGP2651_201407161551177a6.jpg

外から見たステンドグラス。IMGP2650.jpg

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再び中へ。
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照明
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漆喰装飾KIMG0939_103.jpg

階段
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サンルームKIMG0960.jpg

なごやか。
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龍の彫像KIMG0957-1.jpg


正面玄関入ってすぐの階段には。KIMG0956-9.jpg

猿の彫刻も。KIMG0958-1.jpg

すてきな談話室のタイル。
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あちこちの照明
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外観 花御殿
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そぞろあるきで見かけたが、どこがどこかわからなくなった。
それがまた楽しいのだが。KIMG0977-9.jpg

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近所で見かけた建物KIMG0976-9.jpg

函嶺洞門KIMG0984-9.jpg

関西からは凄く遠いし、なかなか行けそうにないけれど、また行きたいと思っている。
本当に心地よい空間だった。

とりあえずお正月の箱根駅伝を待っている…

アンパンマン原画展をみて / きかんしゃトーマス原画展を見て

身近なところに子どもがいないということは、いくつもの楽しみを失うということでもある

タイミングが合わず、いまだにアンパンマンを見たことがない。
しかし現代日本に生きる限り、アンパンマンのキャラたちや、その大まかな思想や行動はなんとなく知っている。
作者がやなせたかしさんだということや、アンパンマンはおなかのへった、本当に困っている人に自分の頭部であるアンパンを食べさせて元気を分け与えたりする、ということや、ライバルに困ったちゃんなバイキンマンというのがいて、さらにたくさんの仲間がいる、ということくらいはわきまえている。

きかんしゃトーマスも見たことがないが、それでもあちこちでイベントがあるのでしばしばその紹介分を読み、きかんしゃを中心にした乗り物が個々に人格をもち、協働したり反目したりする、というのは知った。
ストまでした、というのを聴いたときにびっくりして、それから関心が湧き出したのだが。

小さい頃、特撮ばかり見ていた。
アニメは殆ど見ず、その意味では小さい頃に放映されていた人気アニメの知識は欠落だらけだ。
見ていたアニメは実はアメコミ系が多く、日本のものは案外少ない。
だから幼児期向けのアニメは、いまだにニガテだ。

勝手なことを言う。
幼児期向けのアニメ、というものは心の正しくなるようなものを望みたい。
綺麗なものばかりでもダメだし、完全なリアリズムもよくないと思っている。
その意味ではやはり現代では「アンパンマン」そして英国の「きかんしゃトーマス」は素晴らしいと思う。
子どもだけでなく、大人もまた感化されればよいと思うのだ。

さて、過日わたしは大丸心斎橋北館でアンパンマンの原画展を、横浜そごうできかんしゃトーマスの原画展をみた。
チケットをいただいたので見に行たのだが、どちらもたいへん心に残る内容だった。
自分のこれまでの認識が一変するような、いい展覧会だった。
しかしその感想を挙げることが出来ないまま日が過ぎてしまった。


まずアンパンマンの原画展のことを挙げたい。

アンパンマンの原画展は6/4から7/14までだった。
わたしは6/12と7/12の二度行ったが、行って初めてアンパンマンの世界の深さ・広さを思い知ったのだった。
キャラ一人一人に物語があり、個性があり、そしてやるべきことがある。

メロンパンナちゃんは知っていたが、彼女に姉がいて、しかもその姉のロールパンナちゃんには生まれながらに正義と悪との心が鬩ぎあうという宿命があることを、今回初めて知った。
教えてくれたのは@虚白さんだった。ネットにデビューしてから、このように知らぬことを親切に教えて下さる方に恵まれるようになった。

会場では写真撮影可能で、たくさん撮らせてもらった。
 

やなせたかしさんは「詩とメルヘン」の主宰であり叙情的な作品の多い方だけにアンパンマンの世界にも詩とメルヘンが活きている。


わたしはロールパンナちゃんの足跡を追った。

新体操みたいなことをしているが、闘っているのだ。
顔色が青いとき、ロールパンナちゃんの心は悪に染まっている。
しかしどんなときでも妹のメロンパンナちゃんを攻撃することはなく、メロンパンナちゃんの危機が迫れば助けに行くそうだ。


ロールパンナちゃんの揺れる心を見る。
 

 

ロールパンナちゃんの心にそのような激しい揺らぎ・葛藤をもたらしたのは、ばいきんまんだという。
明るく悪い、憎めないばいきんまんだが、困ったことをしでかすのはやはり彼なのだ。

正義と悪との青と赤、とアンパンマン以前に生まれたキカイダーも苦しんできた。


アンパンマンの船?


空を飛ぶパンたち。


面白いというか、モノスゴイまんがもあった。Bp5unQ4CQAAIuZb.jpg

びっくりしたわ。


やなせさんは「手のひらを太陽に」の作詞者でもある。
名曲だと思う。
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さまざまな作品がある。

手塚アニメのこれもやなせさんとは知らなかったなあ。Bp5wfykCcAANYGv.jpg
ジャン・ポール・ベルモンドがモデル。

やなせさんの絵本では「チリンの鈴」がやはりいちばん心に活きる。
残る、のではなく今も<活きる>のだ。
子羊チリンの復讐譚であるが、敵である狼のウォーと暮らした長い日々がチリンを変質させ、ウォーを討った直後に彼への深い愛を思い知る。ウォーは死に、チリンもまた元のヒツジに戻ることはできない。
ウォーはチリンがいつか自分を倒すことを知りながらも彼と共に暮らすことで自身の孤独を忘れた。
そのウォーが死んだことでチリンには最早、誰一人として寄り添うものはいなくなる。
敵こそが最愛の相手であったという皮肉。
ウォーは納得して死に、チリンは深い孤独を抱えたまま、死ぬこともできなくなる。
生きるしかないが、チリンを受け入れる先はないのだ。
チリンの生はどこへ向かうのか。
やなせさんはその答えを出さない。

やなせさんの描く物語は悲惨なものが少なくない。
「バラの花とジョー」も悲惨だった。
やなせさんは明るく楽しいものばかりを読者には贈らない。
そこにこそ、やなせたかしというひとの誠実さを感じる。

亡くなられてもやなせさんの作品は生きる。
やなせさんは自作を通じて世界と対話していた。
わたしたちはこれからもやなせさんの作品を通じてやなせさんと対することが叶うのだった。


次にきかんしゃトーマスについて書きたい。
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わたしはきかんしゃで擬人化されてるといえば「きかんしゃ やえもん」しか知らないし、乗り物が擬人化されているのも他に数作は知っているが、どうもトーマスとは無縁なままだった。
わたしが特に好きだったのは「しょうぼうじどうしゃじぷた」なのだ・・・

あるとき、トーマスに仲間がいて、仲間たちと共にきかんしゃたちがストを決行する、という話を知って、仰天した。
それで興味がわいたので、いそいそと横浜そごうへ向かった。

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絵の担当も次々変わりながらも物語は続き、いろんな乗り物たちも仲間入りする。
架空の島で騒動が起こるのだが、妙なリアリティもあるし、実在の人まで出てくる。
社会情勢とのリンクもちらちら。
そうしたことを踏まえながら物語に入り込むと、これはとても面白い物語だと思った。
寓話ではなく、そのときどきの事件がどうなるかを描く同時進行型物語。
いろんなところで笑ったり、感心したりした。

極端なことを言えば、このきかんしゃたちの人間関係が面白くて仕方ないのだ。
会社勤めで人間関係に嫌なものを感じる人がいれば、ぜひともこのきかんしゃトーマスの世界へ来ることを勧めたい。
癒しではなく、現実にもこんなのいるいる、さてどうしよう・どう対応してやろう、と思うときになんだか指標になるような気がする。
いや、物語にはそんなシーンはないのだが、しかしそれでもそんなことを考えさせてくれた。

本当に面白かった。さすかイギリスの物語である。ビターさがたまらなくいい。
そしてウィットが。

機会があればアンパンマン、きかんしゃトーマスの本をまじめに読み、そこからいろんなことを学びたいと思っている。
アンパンマンの原画展は終わったが、きかんしゃトーマスの原画展は今度は8/6~8/18まで阪急梅田で開催。

待合掛けと茶会の道具たち 酒井抱一の短冊で一年を楽しむ

うっかりと湯木美術館のチェックをしそこねていたら、東洋陶磁美術館で綺麗なチラシを見てしまった。
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徒歩7分ほどのご近所さん。やっぱり参りましょう。

抱一は十二か月物をたくさん拵えたが、ここに所蔵されているものは淡彩の絵に洒脱な俳句と言う、いかにもすっきりしたもので、暑いさなかに見るのにはぴったりの涼やかさがあった。

抱一だけでなく近松などの画賛もある。
土岐二三 自画賛 これは以前にも見ているがアタマと丸い背中の配置が可愛い。

近松 鷺の画賛 鷺はさらっと描かれているが、賛がなかなか。
「鷺に尾がない 足切って尾にしよ 足しればあしがない 尾も足もよいころにとハ 身乃ほとしらぬ さぎどのの所望やな
いて古き狂歌一首吟して御いけむ申そ 
思ふこと一つかなえばまた 二つ三つ四つ五つむつかしの世やな
平安堂栄村頑翁七二歳」

なんだかんだとお道具があるが、ピシっと決めたというのではなく、「まぁまぁ、ゆっくりして」みたいな感じの取り合わせである。
古作鍍金瓶掛、天猫写手取鉄瓶、唐物独楽振出、呉須水鳥火入…
中でもこの瓶掛けはとても綺麗で、すすけたような金が綺麗だった。
ほかにも捻りの祥瑞鉢、時代絵煮物碗、羽箒に千鳥蒔絵香合などなど。

イメージ (9)

さて抱一の短冊を見る。
鷺白し 青田はあおし つくば山  小さく鷺が描かれている。
アノ声は 女房の森かホトトギス  
なまめかし 軒の燈籠や 星の竹  七夕に赤い糸が垂れている。
夕立や 晴れ間晴れ間の夏の月  青松が並ぶ。
もれ出る 籠の蛍や夜這星   草を雲母と金泥で表現。夜這星=流星。
雁も田に 居なじむ頃や 十三夜  稲束をかけている。
口切や 南天あかし んめ白し  南天の実は赤く「んめ=梅」は白い。
狩衣に 雪を担うや せせのわたり  膳所で雪に遭う古人を歌う、雪松図。
此のとしも きつね舞して こへにけり  きつね舞とは初めて聞いた。
初夢や まつ一富士 とふて始め  筆始めに「一富士」。
梅一里 それから先は 波の音  白梅が描かれている。
入相の かねもくれゆく 花の中  松と梅が描かれている。道成寺を思い出す。


赤樂茶碗 銘・是色 道入 これはノンコウなのだけど、いろいろと景色は見えるが、どうも面白みが少ない。宗旦好みだからか。

ほのぼのといい展覧会だった。

蓮-清らかな東アジアのやきもの×写真家・六田知弘の眼

東洋陶磁美術館で蓮に関する展覧会が開催されている。
東アジアの蓮の絵柄の入ったやきものと、写真家・六田知弘の作品とを並べてのもので、見ていると自分も一緒に蓮池に立っているかのような心持になった。


白い蓮の写真はカラーにもモノクロにも見える。
その下に北宋の白磁がある。蓮の形を刻んだ鉢である。蓮の白と鉢の白とが呼応する

蓮の葉に水滴が残る。そこには高麗青磁の陰刻・陽刻それぞれ違った蓮が配置される。
遠近感をふと感じる。

敗荷はモノクロで捉えられたものがいい。
もしくはカラーなら色調を沈ませたものか、セピアがいい。
旧い日本映画界では怪談ものが夏になると生まれる。
夏の暑さで殺人が起こり、殺されたものの怨念あるいは執念が浮かび上がって、生者と死者との鬩ぎ合いが始まる。それが怪談だ。
そのとき敗荷が物語の背景に静かに姿を見せる。

夏の盛りに早くも萎れて終わってしまった蓮たちの末路。
ひょろりと伸びた茎と虚しく広い葉には破れがみえる。
花びらはとおに散り、後には不気味なハチスが残るばかり。

その写真の下にあるのは鉄釉の扁壺と青磁象嵌辰砂の瓶。どちらも高麗のもの。
高麗の衰退期の頃のものか、青磁象嵌辰砂のそれは隙間なくペーズリー調の文様が刻まれ、あちらこちらに辰砂が見える。どこかしらモスリムを思わせもする。

知っている、と思っているものも不意に知らぬ顔を見せることがある。
染付の大きな壺には魚たちが機嫌よく泳いでいるのだが、よくよくみれば蓮池の水中だったのだ。蓮池を泳ぐ魚は男女の愛の象徴だという。
わたしはちっとも知らなんだ。

普段関心のない粉青沙器の良いものを見た。形は俵壺で、蓮池鳥魚図が描かれている。
翡翠が自分より大きな魚を狙う図。そして蓮は静かに咲いている。

六田の写真で花の陰で咲く花を捉えたものがあった。
それにはナデシコ、笹とを配した角皿が合わされている。
モノクロの美と染付の、<青花>の美。

鉄砂虎鷺文壺。今日はぐるりと眺めることが出来る。
いつもは牙長の虎ばかりだが、今日は蓮の下で背を向けあう二羽の鷺をも見ることが出来た。

写真では大きな葉の上に小さなアマガエルをみつけたものがあった。それに添うものは朝鮮時代のカエルの水滴だった。大小2つあった。可愛らしい。ほのぼのした光景。

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特集展示室を出て通常展示室へ向かうその通路の壁面に、アジア世界での遺跡に見える蓮のモチーフがある場所が紹介されていた。写真自体は六田のものかどうかは知らない。
インドのサーンチー、アジャンター、エローラ、スリランカのシーギリヤ、ダンブッラ、ジャワのボロブドゥール、カンボジアのアンコール、バイヨン、シャムのアユタヤ、シーサッチャナライ、韓国の慶州南山、中国の雲崗、龍門遺跡………
多くの遺跡に蓮のモチーフが活きていた。

そういえば、ベトナムの国の花は蓮で、あの魅力的な水上人形芝居にも蓮の踊りなどがしばしば見受けられる。
シンガポール、台北、いずれも蓮の印象が強い。

青磁象嵌蓮唐草文茶碗。内側一帯に隙間なく蓮と唐草のアラベスクが広がる。
まるで深い森の中から天を仰ぐようだった。

2階から1階への階段の照明にも蓮があった。ガラスに刻まれた蓮の花。

李コレクションを観る。
粉青沙器に蓮池文扁壺がある。これは可愛らしさが先立つ文様で、花と茎とが綺麗に伸びて、アカペラで合唱していそうな趣があった。

蓮の造形の佳さ、六田に捉えられた蓮の花・葉・影。いずれも静かな魅力に満ち満ちていた。決して騒いではならぬ面白味。
いいものを見た。心に残る美しさだった。


今回、高田早苗コレクションというものがあった。
ペルシャの陶器などが主なところである。
先般富岡コレクションのペルシャの良品を見て、すっかり魅せられたところへ、このコレクション。どきどきした。特によかったものがある。
白地多彩鳥文深鉢 太い輪郭線でぐいぐいと線を引き、薄緑を差す。
円の内に鳥の構成部品を押し込んで単純化した、そんな感じ。

やはりいつ来てもいいものがある東洋陶磁美術館。これからも深く楽しませてほしい。
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漫画家 上村一夫の世界 昭和の絵師と呼ばれた男

京都嵯峨芸術大学附属博物館で「漫画家 上村一夫の世界 昭和の絵師と呼ばれた男」展の前期展示を見た。
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上村一夫は昭和61年1月11日に亡くなった。享年45歳。
わたしがリアルタイムに読んだのは「凍鶴」いてづる この連作の途中くらいからだった。
世評高い「同棲時代」「関東平野」などは実は未だに読んでいない。
「狂人関係」「修羅雪姫」「菊坂ホテル」このあたりがやはりよく読む本なのだ。
特に晩年の(なんと短い晩年であることか!!)「菊坂ホテル」はしばしば読み返す本で、現に展覧会にゆく数日前にも読み返していた。

わたしは上村一夫と<仲間>だった久世光彦のファンで彼の随筆に現れる上村の様子に「・・・そうか」と思い、久世の想いを勝手に共有し、死後何年何十年たった今でも「やっぱり上村一夫はいいよなあ」と思うのだった。
しかしその久世光彦も亡くなってしまった。

残されているのは本しかない。わたしの手元で特に偏愛しているのは「菊坂ホテル」「修羅雪姫」「凍鶴」で、本当にしばしば読み返している。
大正、明治、戦前を舞台にしていることも読み返しやすい理由でもあった。


上村一夫は風俗を描くことにも巧みだった。
それは今回の展示を見るとよくわかる。
そもそも上村はイラストレーターから出発していたのだった。

1962年から1967年のイラストはアメリカ的な作風で、後の作風とは全く違うポップな面白味があった。
とはいえ「ケネディ」などは構図がもう既に上村一夫している。ケネディの写真を貼った木枠鏡に向かってメイクする女の図。

「女の子三人」のデザイン画もこのようにかっこいい。三人ともドット柄(当時は水玉と言うたはず)。

60年代の仕事はカレンダーやポスターやレコジャケなどが主で、やっぱりかっこいい。とはいえわたしはこの時代は総じてニガテなので引いて眺めているのだが。

ヤングコミックの表紙絵の原画がずらずらと並ぶ。
いずれも色っぽくてかっこいい。
フラメンコでもスカートの裾から男の指が現れていたり、喪服美人が開いた箱から谷岡ヤスジの鼻血ブーがあったり、小悪魔風な娘もいれば、和服美人も描かれる。

今回の展覧会のチラシの茶席の絵も「ヤングコミック」の表紙絵の一つ。だんだんと和の美が表立ってくるようになる。

雑誌になった方のを見ると、その時代が見えてくるようだった。
佐藤まさあき、宮谷一彦、木村仁、秋竜山、ケン月影らの名がある。
70年代になると永島慎二、青柳裕介、神江里見、かわぐちかいじらが作品を発表している。
神田たけ志「御用牙」もここだったのか。
政岡としや、長谷川法世、川本コオ、望月三起也も連載している。藤子不二雄も登場している。
どおくまん、村野守美、バロン吉元、真崎守もいる。

表紙もこの時代から和の美が、と前述したが以下のものがある。
Tシャツの娘。その絵柄は去りゆく股旅の男、これは「木枯らし紋次郎」が当時人気だったからか。そういえば市川崑にも「股旅」という作品があった。

布団に背を向けて沈鬱な面をみせる長襦袢の女、玉ノ井あたりにいそうな女である。

黄八丈の女。やはり目と唇にたまらない魅力がある。
なまめかしいし、またどこかに凛としたものがある。
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上村は表紙絵とその言葉、それにマンガの連載もある。
「しなの川」「夢師アリス」などである。

セーラー服の娘がギターを弾く絵もあれば、アフロヘアの娘とバナナの絵もあり、ミニバイクに乗って小粋に笑う女もいる。
エアブラシを使った絵もある。薄紫のバラを頭に飾り、蜘蛛の巣のようなレースをまとう女・・・

表紙絵の最後は1980年5月14日号だった。汽車がぐるぐる回るのを首から下げる女が描かれていた。
その号にはいしいひさいち「名もなく貧しく美しくもなく」が掲載されている。

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「同棲時代」の第一回原稿が並ぶ。1972年3月10日号掲載分。色がとてもきれい。
しかしわたしは息苦しくなる。

ああ、たまらない。女の月のものの血の流れ。
他の人は描かず・描けず、描いたところでむしろ生臭さが鼻につくが、上村の描く血の流れには異様な魅力がある。
上村は「修羅雪姫」でもそれを描き、「凍鶴」では偽の破瓜の血のための血袋まで描いている。
幼い仕込みっ子つるは、その血袋を自分の股間にぶちまけてそっと満足そうに笑っていた。

「同棲時代」がめちゃくちゃ流行したのは知っている。リアルタイムには知らないが、日本の現代史の一つのエピソードとして、知っている。
この時代に同棲を描いたものは歌の「神田川」もあるが、いずれも寒気がするくらい貧乏なので、幼心にも恐怖を感じるくらいで、その状況には怖気をふるっていた。

「ざんげの値打ちもない」のレコジャケがあるが、それだけでなく歌を作品化したものも出ていた。
歌の内容どおりの展開である。しかし前期では半分までで、後期(現在)にその続きがある。
北原ミレイの歌声が脳裏に流れてくるのを感じる。

ああ、わたしは80年代の少女でよかった。

多くのレコジャケがある。
当時もしかすると「ジャケ買い」した人も少なくなかったのではないか。そう思われる絵が多い。
増井山の「そんな夕子にほれました」も上村だった。
歌は当時ラジオやTVで聞いていた。

「マリア」という作品がある。
美少女でもあり大人の女でもある、そんな娘の顔が気高いように描かれる。一方、ある号では挑発的なめつきわしている。聖なる娼婦といった風情があった。

漫画アクションでの連載だったのか。
「同棲時代」もそこから出ている。
同時期には「子連れ狼」「高校生無頼控」「現代柔侠伝」などが連載中。「ルパン」や「花の応援団」もこの雑誌。

「サチコの幸」がある。歌詞からとったタイトル。戦後すぐの新宿2丁目の赤線で働くサチコの話。ゲイ・タウンになる前はここは赤線の町だったのか。


上村の一枚絵を見る。
幼女の絵があるがロリではなく「後世おそるべし」的な愛らしい幼女である。
花の花芯から現れる女もいる。
いずれにしろとても官能的である。

スポニチで「浮世絵シリーズ」というのも連載していた。
イラストとエッセイである。
江戸の女ではなく現代浮き世をゆく女、そんな絵が多い。

和風のしっとり、明るい若さ。どちらもとてもいい。
こうした二つの道を行った先人は岩田専太郎がいるが、上村一夫の後に続くものは、今のところいない。後にも現れるかどうか。

「修羅雪姫」第一回原稿がある。イカサマのラストのところである。殺し屋の雪のクールさがかっこいい。
動かぬ動き。停止したその瞬間。
そこにこそ美が宿る。

「修羅雪姫」の続編の上下巻も、上村亡き後に乞われて描いた池上遼一の新・新編も持っているが、やはり一番面白いし絵も魅力的なのは、最初の「修羅雪姫」だった。

「狂人関係」がある。上村は北斎をたいへん好んだそうだ。この物語だけでなく短編「蛇の辻」にも北斎は現れる。
紹介されていたのは北斎が広重の風景画を見て衝撃を受け、思わず自殺未遂をした後の話。

わたしが子供の頃、永谷園はお茶漬けに広重の「五十三次」カードをつけていた。そして家にも広重の画集があったので、幼かったわたしは風景は北斎より広重の方が絶対にいい、と思いこみ、今もふと、そんな思いが兆すことが少なくない。


「昭和一代女」は珍しく梶原一騎の原作で、これでわたしは戦後の「マッチ売りの少女」を知ったのだった。
あいにく雑誌の廃刊で物語は途中で終わっている。
わたしは講談社版の新書を一度だけ読んだが、さすがに主人公の名前を思い出せない。

「凍鶴」の第一回目もある。不定期連載で何年にもわたって話は続き、最後は大人になっていた「つる」の話。
20年ほど前に単行本が出たとき喜んで買うたが、知ってる話が掲載されていなかった。内容が内容だけに比較的に倫理感が強いとされる小学館が規制したのだろうか。
ただのファンにはわからない。

わたしは小学生の時に「つる」に出会い、たまたま同じクラスでほかに読んでいた子がいたので「仕込みっ子」ごっこをよくしたのだった。とはいえなにをしたのかは、もう思い出せない。

最後に高信太郎の羽織について。
迷路のように奥まったところに羽織と一対一で対面できるコーナーがある。高信太郎が上村に依頼して羽織裏に描いてもらった春画である。
女子高生の奔放な姿態と肢体にドキドキした。
藤と桜と福寿草とがまさに「花を添える」。

上村は北斎、雪岱、夢二、古径、啄木に影響を受けたそうだ。なんとなく納得できる。
アシスタントには谷口ジロー、新田たつおがいたという。

以前に川崎市民ミュージアムで上村一夫展があったが、あれから十年ほどたったと思う。それ以来の原画、作品紹介である。
7/27まで。




機動戦士ガンダム展

今日が初日の天保山のガンダム展にでかけた。
今日から大阪市営地下鉄がスタンプラリー始めたので、6か所のうち3か所以上押印で入場料も割引になるし、バッチももらえる、いいことずくめ。
ついでにいうと、ラリーに参加するのは無料だけど電車賃が当然かかる。平日なら大阪市営地下鉄のエンジョイエコカード800円を、土日なら土日エコカード600円を使い倒すのをお勧めする。

ハンコは別にどの順番でもいいですよ。
わたしはほかにも3つ4つ展覧会に行ったので計画立てて回ったけど。
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スタンプラリーの場所にはハンコだけでなくキャラの看板があったりする。
誰がどこにいるかは行った時のお楽しみにしてください。
とりあえず挙げてみます。
 

 

 

これは四ツ橋線と千日前線の通路のリアルサイズなガンダム。




サイズ比較あり。
実際に見に行きましょう~~記念撮影可能です。

さて天保山にてガンダム展。
びっくりしたのは御手洗いにも原画の転用がアチコチ。わたしは女子しか入れないけど、男子はどうなってるのか。
 

 

ミライさんは和式でした。
因みにトイレドアにはキッカとハロの影。

最初に映像観るために外待ち。
中に入るや、いきなりホワイトベースのブリッジに!
薄暗い中を座ったり立ったりに別れる人々。
リアルなブリッジ。ミライさん、セイラさんの動きが見える。
ブリッヂの外の宇宙空間には赤ザクまで現れる。
危うし!それから大気圏突入のエピソード。
すごくリアルでドキドキするね。

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まずは宇宙の状況。
スペースコロニーのリアルフィギュアがあった。バンダイ所蔵。
かっこいい。人類は本当にいつかこんな暮らしをするかもしれない、とそれを見て思ったね。
しかしコロニー落としで膨大な死者が出る、と言うのは改めて怖い話。

ここでは見上げればコロニーや地球がつられていて、ア・バオア・クーまでひらひら。
今から思えばア・バオア・クーはキノコぽいな。
しかしスペースコロニー、ドイツのバウハウスが設計したというてもおかしくない感じ。

中村さん、大河原さんのメカニック系原画。
わたしとしては最高なのはこれ。イメージ (2)-1
映画のCMでもこのシーンに歌がかぶさって最高だったな!!

安彦さんの原画もいろいろある。懐かしい。fc2_2014-07-12_23-20-11-426.jpg

アニメ用の原画、セル原画などが実に大量にある。これは何がどうなんて言えない。
凄い膨大な数。35年前の大仕事。
朝に行った「エヴァ」の展覧会でも思ったけど、やっぱり原画がよくなければどうにもならないね。
本当に素晴らしかった。

また初期設定とか、徳間が昔だしてた設定資料集を思い出すお宝ザクザクザクザク赤ザク。
ええなあ、すごい。全然名前が違うのが面白すぎる。

映像もところどころ配置よくあって、面白く眺めた。
名セリフもあちこち。

モビルスーツのジオラマボックスがあるが、これは表面を凹凸レンズにしてるのか。
本当に自分も一緒に宇宙空間にいるような感覚になる。
凄い眺め。人間の目の錯覚を利用されたのかな、かっこよかった・・・

最後にはこの1stガンダムから歴代の作品、そして富野監督の新作ガンダムの宣伝までが映像で流れてきた。
会場を出ると安彦さんのコミック「origin」の映画化の「青い瞳のキャスバル」のスチールまであった。猫のルシファが可愛い。

物販はなんでも整理券がないと買えないらしいので、そのあたりはわからない。
夏休み、みんなここへ行こう!

ああ、ドキドキの一日でした。

東京・ソウル・台北・長春 ―官展にみる― それぞれの近代美術

東京・ソウル・台北・長春 ―官展にみる― それぞれの近代美術
既に福岡アジア美術館、府中市美術館と開催を終え、今は兵庫県美術館でこの展覧会が開かれている。

三者のチラシを挙げる。
イメージ (3) イメージ (7) イメージタイトルも微妙に違う。

イメージ (2)

梅原龍三郎 長安街 1940 油彩・岩絵具、紙 東京国立近代美術館  北京を愛した梅原らしい豊かな風景。眼下に広がる大きなメインストリート。萬暦年間既に成立していたそうだ。ああ、いいものをみた。

小杉未醒 黄初平 1915 油彩、画布 小杉放菴記念日光美術館  中国の仙人の内この「黄初平」と「菊慈童」の二人が最も好きだ。まだ洋画家の時代の作品、羊と石を互換させる技を持った黄初平。明るい表情でその場にいる。

黒田清輝 赤小豆の簸分 1918 油彩、画布 ポーラ美術館  所蔵先のポーラの解説をみると、鎌倉・佐助ケ谷の別宅で描いたとか。奥には鎌倉独特の矢倉がある。少女が小豆の鞘と実とを振り分けてるところ。黒田のこうした実景に基づく絵には、優しさがあるように思う。冷徹な眼でなく温かなまなざし。

辻永 無花果畑 1912 油彩、画布 水戸市立博物館  近年になってから知った画家だが、やたらめったら山羊まみれで、それが面白くて仕方ない。
二年前の「渋谷ユートピア 1900-1945」展でもヤギヤギしていたし、イチジクもたくさん生っていたいたなあ。

竹内栖鳳 揚州城外 1922 着色、絹 静岡県立美術館  墨のぼかしが湿気を感じさせる。みずみずしさ。大気を描いているのだ。

川崎小虎 荒涼 1931 着色、絹 東京藝術大学  黄色い大地、水気のないところ、黒馬にもたれる女。索漠たるなにかが広がる。

土田麦僊 平牀 1933 着色、絹 京都市美術館  短い晩年には妓生にのめりこんだ麦僊。その前には舞妓だったな。白い麻や綿の感触が指先に感じられるようなところがある。

勝田蕉琴 仔牛 1939 着色、紙 福島県立美術館  ナマイキそうで可愛いね。 

松林桂月 春宵花影 1944 水墨・淡彩、紙 下関市立美術館  先般、練馬区立美術館で大きな回顧展があり、新たな喜びを観た人々に与えた画家。薄い彩色で春の宵の空気が表現されていて、とても心地よい。

児島善三郎 蓮花 1939 油彩、画布 福岡県立美術館  力強い!いい絵。

安井曾太郎 京城府 1936-38 油彩、画布 宇都宮美術館  この時代だからこその風景。妙に心がざわめく。
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安井曾太郎 承徳喇嘛廟 1938 油彩、画布 愛知県美術館  いくつかある連作の一つ。
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わたしは真正面を描いた永青文庫の絵に大きな衝撃を受けたものだ。
この方角からのラマ廟もとてもいい。安井が惹かれたのもわかる気がする、と言いたい。
つまり見るものに「ああ、ええなあ」という感興を起こさせる絵なのだった。

藤島武二 麻姑献壽 1937 油彩、画布 東京国立近代美術館  なかなかこの絵を観ないので嬉しい。
京劇の女形のような風情がある麻姑。
両把頭という髪型にしてから、その上に飾り物を載せて固定する。「大拉翅」というらしい。
清朝後期の宮廷などで流行ったもので、映画などでみる西太后のあれ。

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藤島武二 花籠 1913 油彩、画布 京都国立近代美術館  やはり武二は風景より「美人画」の方が魅力的だと思う。
「チャイナドレス」展の主役はやはり武二だと思うし、ここでも忘れがたい美人が多い。花籠を頭に載せた美女は何故その頬にまるで傷のような桃色の影が入るのか、そんなことを思いながら京都でいつも眺めている。

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ソウルから。
イメージ (33)キム・ギチャン「ある日」

チャン・ウソン(張遇聖) 帰牧 1935 着色、絹 韓国国立現代美術館  朴訥な少年と温順そうなオレンジ色の牛とがぽこぽこ歩く。丁寧な筆致で描き込まれている。
これを見て御舟「朝鮮の牛」を思い出した。あちらは黒牛だが。

ところで福岡アジア美ではチラシにこんな提案があった。
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いいね、こういうのも楽しい。

高木背水 朝鮮風景 不詳 油彩、画布 佐賀県立美術館  温泉地を思い出した。なぜだろう。

コ・フィドン(高羲東) 程子冠をかぶる自画像 1915 油彩、画布 東京藝術大学大学美術館  伝統のスタイルで自画像。

キム・グァンホ(金觀鎬) 夕暮れ 1916 油彩、画布 東京藝術大学大学美術館  湖畔に立つ裸婦二人。泳いだ後の気持ちよさ。

イ・ジョンウ(李鐘禹) 人形がある静物 1927 油彩、画布 韓国国立現代美術館  何もかもが白の情景。白い花、白い人形、白のなにか。

イ・インソン(李仁星) カラー 1932 水彩、紙 韓国国立現代美術館  白い瓶に白いカラー、白いばら、白いミモザ。

イ・インソン(李仁星) 窓辺 1934 水彩、画布 リウム三星美術館  観葉植物、レースのテーブルかけ、クッション、日差しが差し込むその窓辺。朝鮮らしさとしてのゴムくつがあるが、最先端の様子を描いている。

チェ・グンベ(崔根培) 農楽 1942 着色、綿・韓国紙 金泰樹氏蔵  朝鮮の人は打楽器が大好きだとよくきくが、ここでもドガドガ演奏中。
サムルノリを思い出す。中上健次が愛した四物出遊。そういえば男寺党の支部が奈良にあるとか。

キム・ジュンヒョン(金重鉉) 巫女図 1941 油彩、合板・絹 韓国国立現代美術館  朝鮮の巫女さんというのはムーダンとよばれてたかな、神がかりするときジャンプして踵から着地することで神がおりやすくなるのだったかな。
皆が集まっている。鈴と扇をもった巫女が舞うところ。

イ・ウンノ(李應魯) 藤の木 1940年代初頭 着色、紙 高麗大学博物館  色調がたいへん静かでありながらも落ち着かず、ざらりとした感覚がある。奥の奥にある藤。

キム・ウンホ(金殷鎬)  看星 1927 着色、絹 リウム三星美術館  妓生が一人で花札遊び。たばこの灰皿、鳥籠、そんなものがこの女の暮らしぶりを見せているように思われる。
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チャン・ウソン(張遇聖) 画室 1943 着色、紙 リウム三星美術館  奥さんはチマチョゴリを着ながらファッション雑誌を眺め、画家の亭主はぼんやりとどこかを見ている。視線の交わらない二人。政治的状況を考えなければただの倦怠期の二人に見えるが、ここには時代という背景がある。一言ではくくれないのだ。

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台北。
イメージ (30)チェン・チェンボー「初秋」

石川欽一郎 裏町 1945以前 水彩、紙 台北市立美術館  レンガがいい。わびしさよりむしろしっとりしたものを感じさせる。

呂鐵州(リュ・ティエジョー) 鳥語 1935 着色、絹 国立台湾美術館  完全に日本画だな。同時代の日本の花鳥画そのまま。

吳梅嶺(ウー・メイリン) 庭園一隅 1935 着色、絹 嘉義県パフォーミングアーツセンター  チャイナドレスの女と幼い少女と。傍らの花の木がいい。
こうした作品にこそ、ある種のノスタルジーを感じてしまう。

陳進(チェン・ジン) アコーデオン 1935 着色、絹 台北市立美術館  兵庫県美のチラシ。このお姉さんは軽やかにアコーデオンを弾く。1960年代半ばまでアコーデオンは手近な楽器だったのだ。おしゃれをした美人のお姉さんが機嫌よく弾くのは何の曲だろうか。兵庫のチラシ。

陳進(チェン・ジン) サンティモン社の女 1936 着色、絹 福岡アジア美術館 
福岡のチラシ。浅黒い女たちの毅然とした美しさがいい。

蔡雲巖(ツァイ・ユンイエン) 僕の日 1943 着色、紙 国立台湾美術館   こどもの日。坊やが主役になって、色々お楽しみがある。タイ車ひいて可愛いなあ。

倪蔣懐(ニー・ジャンホワイ) 台北郊外 1930 水彩、紙 台北市立美術館  道はまだ舗装されていない。土の道の儘だった。

顔水龍(イエン・シュエイロン) モンスーリ公園 1931 油彩、画布 台北市立美術館  パリの風景である。濃い緑に惹かれる。

呂基正(リュ・ジージェン) 商品陳列窓 1934 油彩、画布 呂玟氏蔵  神戸元町の様子。佐伯風。この時代は元ブラという言葉もあり、とてもおしゃれだったのだ。手塚治虫「アドルフに告ぐ」にも神戸元町のおしゃれさが描かれている。

廖繼春(リャオ・ジーチュン) ヤシの木のある風景 1931 油彩、画布 台北市立美術館 全然違うのだが、西郷孤月の描いた台湾もヤシの木が描かれていた。彼の絵は淋しすぎる風景だったが、このヤシは違った。

イメージ (29)リン・ユイシャン「故園追憶」

李石樵(リー・シーチャオ) 編物 1935 油彩、画布 李石樵美術館  キスリング風な女が二人いる。

劉啓祥(リュウ・ジーシャン) 魚屋 1940 油彩、画布 台北市立美術館  6人の女たち。幻想的な情景。

郷原古統 台北名所図絵十二景 1920-25 着色、紙 台北市立美術館  山口晃の作風に似ている。面白かった。

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長春

岡田三郎助 五族協和 1936 木炭、画布 佐賀県立美術館  スケッチ。偽の王国か…。安彦良和「虹色のトロッキー」は建国大学を描いていた。

矢崎千代二 ハルピン中央寺院 1938 水彩・鉛筆・色鉛筆、紙 横須賀美術館  ハルピンは非常にセンスの良い街だという。村上もとか「フイチン再見」でもハルピンの美しさが明瞭に描かれている。
ロシア正教会の寺院の美が目を引く。群を抜く高さの塔。
イメージ (30)-1

劉榮楓(リョウ・ロンフォン) 望郷 不詳 油彩、画布 一般社団法人国際善隣協会  ものすごーーーーーーーい夕日。黄金色。
結局この夕日に魅せられて大陸浪人になった人々もいるのだ。
檀一雄「夕日と拳銃」を改めて思い出す。

赤羽末吉 満洲の冬の街頭物売り 1950年代 着色、紙 ちひろ美術館  赤羽は帰国後、独学の日本画による絵本製作を始めた。モンゴルの伝説を基にした「スーホの白い馬」は世界的に知られた名品だが「大工と鬼六」「にげろやにげろ」「春の別れ」などは丹念な日本画の美を見せてくれる。
その赤羽の満州時代の絵、真っ青なのは温度の低さを示しているのだろうか。

甲斐巳八郎 少年 1950 着色、紙 中村菊人氏蔵  モンゴルの少年たち。

なお最後に官展の当時の図録が展示されていた。
非常に魅力的な作品が集まっていた。もう二度とこうした企画展はないかもしれない。素晴らしかった。
そして2014年の現在に、この展覧会が開催されたことの意義と意味とを深く考えている。

イメージ (10) いずれもが美しく、そして真摯な絵である。

7/21まで。

以前に見た熊本市内の近代建築 

2004年の6月に熊本市内に行った際、みつけた近代建築の写真を挙げてゆく。
10年前だから今とは違うことが多々あるだろうが。

小泉八雲の旧宅。「停車場にて」の時代。
イメージ (11) イメージ (12)

左上は小泉邸隣家のお寺のトマソン「非情ドア」。下左は熊本城関係。右上そこから見た市役所分館など。右下は細川刑部邸。
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新町の長崎次郎書店と、洗馬の文林堂
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旧熊本信金
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イメージ (16)

左:旧熊本信金、右上:市電・洗馬駅、右下:祇園町三井住友銀行
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三井住友銀行と、右下:祇園町タイガービル
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タイガービル、右:練兵町・早野ビル
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早野ビルあちこちイメージ (20)

その階段イメージ (23)

熊本駅と新町で見つけたなんとなくミョーな看板イメージ (24)

呉服町・鈴木邸
イメージ (25) イメージ (26)

上: 市電の中、下:肥後銀行
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また行きたい。

旧黒須銀行を見学する。

同じく入間市の和風な銀行へ出向きました。

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銀行でこういう和風なのはホンマに初めて見た。

どっから見ても和風IMGP2692.jpg

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瓦には「信」の字。

名前に合わせてけっこう道徳的なことを書いたものもあった。
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その言葉たち。IMGP2688.jpg
クリックすると拡大化します。

展示品いろいろ。
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昔の写真などなど。
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近くの教会。今は改修されている。IMGP2685.jpg

昔のお金。中には見知ったものも・・・
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百圓札IMGP2677.jpg
小銭IMGP2678.jpg

ノベルティの財布。IMGP2679.jpg

窓の構造が面白い。IMGP2680.jpg

急すぎる階段の上へ。
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蚕の建物みたいな感じでしたなあ。

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やっぱり蚕とも縁が深かったね。IMGP2683.jpg

素朴な味わいのある銀行でした。

旧石川組本館を見学する 3

階段関連。
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暖炉IMGP2766.jpg

天井装飾IMGP2767.jpg

この先の天井がすごい。
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家具あれこれ
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お皿はこの館かな。IMGP2774.jpg

それにしてもすごい天井。IMGP2775.jpg IMGP2783.jpg

その一部IMGP2782.jpg

家具の彫刻。ブドウなど。
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さて再び外へ。

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最後にアジサイ。IMGP2794.jpg
いい建物でした・・・いつまでも残っていてほしいね。

旧石川組本館を見学する 2

和の空間が広がっていた。
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棚や欄間の彫刻がいい。
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床の間
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なんでドアが?と思ったら、やっぱり接収の際にアメさんがドアに変えよったそうな。

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異様な空間ですな。IMGP2731.jpg

建具と障子の紙の繊細さ。IMGP2733_2014070923321790d.jpg

麻の葉かな。IMGP2734.jpg

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色を変えたほうがいいかもしれない。

次は一階へ。階段の美。
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小部屋へ。IMGP2741.jpg

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資料ありました。
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棟札もある。IMGP2747.jpg

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折上格天井IMGP2746.jpg

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棚にもいろいろ。
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床面装飾。
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天井の様子。
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一階の家具にも木彫。
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続きは3です。

旧石川組本館を見学する 1

過日、入間市の旧石川組本館を訪ねた。
ありがたいことに近藤ようこさんがわたしを入間市に導いてくださり、建物を二つ観た。
まずは石川組の洋館をご紹介したい。
なお、詳しいことはあえて書かない。
公開された際にぜひご覧になっていただきたいからである。
そうすればその建物は永らえることができるのだ。

駅から案内されたほうへ向かうと、背面に出る。
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庭に立つ表示石IMGP2662_20140709230321f33.jpg

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こういう窓とタイルの関係は素敵だな。
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雷紋が続く。
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道路に面した表玄関へ向かう。
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玄関あたりの装飾。
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さて、いよいよ中へ入る。こんにちは~
天井などの装飾。IMGP2704.jpg

階段関連
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照明はいずれも凝っている。IMGP2707.jpg

二階へ。大広間IMGP2712.jpg

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床面も注目。IMGP2710.jpg

ステンドグラスの美。
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これまで見てきた中でも特に優れたステンドグラスの一。

カーテンの装飾を集める。こちらも色々と面白い。
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ドアを開けた先は次の記事へ。

黒田清輝 没後90年 近代日本洋画の巨匠

京都文化博物館に東博・東京文化財研究所所蔵の黒田清輝の作品が来ている。
東博に隣接する黒田記念館が耐震工事で休館中のために、こうして出開帳してくれているのだ。
岡田信一郎の名品たる黒田記念館。以前建物の撮影が可能か尋ねると許可を出すと言われたが、作品を写さぬようにしつつ撮るのはなかなか難しいものだと、当時思った。
しかしあの建物は本当に素晴らしいので、今後も使われ続けなくては、と思う。
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黒田清輝といえば誰しもがまず「湖畔」を想うだろう。
わたしなんぞも夏が来て団扇を見た瞬間、ちょっと斜め向きに座り「必殺技!『湖畔』だ!」とポーズをまねてしまうほどだ。
教科書にも載り、明治の日本洋画の代表の一作としても知られたこの作品が、今回は来ている。

極端なことを言えば黒田=「湖畔」しか知らない人もいるわけだし、その意味ではこの「湖畔」が来たことで「見に行こうか」と思った人も少なくないはずだ。

1.パリ留学、そして転進

構図(羊飼ニ天女)1887 二人の羊飼いのいる場へ少女のような天使が現れる情景。一人は蹲り、一人はへたり込むところへ。いや、もしかすると彼女の出現に恐れ、伏してしまったのか。

田舎家 1888 この頃はミレー風なものを描いていたという。わかる気もする。ここは毎日ごはん食べに行ってた食堂の裏手。日本だったらお花ちゃん、おせつちゃんなどがいそうな場所なのである。

ヌードデッサンが並ぶ。いずも1887年から1889年。
裸体・女(後半身) 夜会巻の女の背中。
裸体習作 メールヌード。長髪青年でなかなか素敵。
裸体習作 足を組んで椅子に座る細身の男。
少年 まだまだほっそりと幼い体つきをしている。可愛らしい。この少年のカタチをみながら、この子もやがてあの青年のようになるのか、と微笑が口元に上がる。

祈祷 1889 純然たる「絵画」だという感じ。祈る娘を洋画修行中の青年が熱心に描いた、そんな雰囲気。

画室の一隅 1889 質素な一室。仲良しの久米桂一郎とルームシェアしていたが、久米君がスペインに行った後借りたお部屋。

自画像(トルコ帽) 1889 ペタンとした帽子をかぶる。のっぺりした感じもある。九州の彫の深い青年、という感じはない。

久米氏肖像 1889頃 横顔。白い背広の久米君。若いね。目黒駅前の久米美術館で二人の交友についての展覧会を見た。その時の感想はこちら
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2.パリからグレー=シュル=ロワンへ

原 1889 薄い草色の地にぽつぽつと赤ぽっちりがいくつも。ほのかな幸せの予感。見たものをそのまま描いたようでもあるが、そんな感じがある。

羊を抱く少女 1889 これも実景からの絵だと思う。宗教的な意味はなく。田舎の女の子が飼うてる子羊を抱っこして、林の中に立っている。

編物 1890 閉じた窓のそばで婦人が編み物をする。脇卓には花瓶がある。暗い青の服を着た婦人。明るいうちはこうしてせっせっと手仕事に勤しむ。

少女の顔 1890 きれいな金髪をひっつめた厳しい面差しの少女。やや耳の先も尖っている。気難しいのか、それとも何か思うことがあるのか。

台所 1891 光の入る台所。水気は案外ない。同時代の日本の家屋では台所はじめじめしたのが多く、光も入らなかった。光の入り具合が面白い。

ブレハ島にて 1891 左手に湾が見える。外光をどのように描くか、それをここで見せているような。

赤髪の少女 1892 後姿。まとめた髪。林を見つめているのか。光がその髪を包む。
林忠正の旧蔵品。

残雪 1892頃 雪の下からのぞく草の色が濃い。緑の幹、白い雪、明るい陽射しがいよいよ差し込んでくるのを感じる。

夏図画稿(坐る女) 1892 本画に至るまでの道のりが見える。三人の女たち。これは写生ノートの「舟」図の上ページにも出ていた。長く温めていた構図らしい。

グレーの原 近年になり発見されたとか。左に積藁があり、空はピンク、草は薄緑。
全然関係ないが、源頼光を狙う鬼童丸が市原野で待ち伏せた話を思い出した。

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3.白馬会の時代

日本に帰り、「朝妝」を発表したときの大騒ぎの様子についてもパネル展示されていた。ビゴーの戯画もある。そして実物大のその絵も。
惜しくも焼亡した絵。今残っていれば、と思わせる一枚。

横浜本牧の景 1894 びっくりするくらい120年前は何にもないところだったらしい。外国人も住んでいたはずなのになあ。誰もいないところをわざわざ描いたのだろうか。

やがて1895年の「昔語り」の大量の下絵が現れる。
この絵は平家物語の「小督」伝承を語る清閑寺の坊さんと、それを聞く人々という群衆図である。
住友家の須磨別邸に飾られたが、その絵は戦災で焼亡した。
実物大パネルが展示されていて、これはとてもいいことだと思った。
それにしても実に大量の下絵である。
以前に上野の黒田記念館に行った時もその丹念な下絵を見て驚いたものだが、今回も改めて驚き、そして感心している。

男にもたれながら手を握り合う舞妓、しゃがんで話を聞く仲居、足を止めて話を聞く草刈り娘…
これらは黒田の実景からのもので、黒田は僧の語りの不思議な味わいにぼぉっとなってしまったそうな。
えてしてこうした語り僧や絵解きの僧と言うものは、そうした技量が高いほど不思議な味わいを相手に感じさせるもので、そうでなければ語ることもできないのだ。

黒田はとうとう本画とは別の、坊さんの日常の様子まで描いている。
まるで今コミック界で使われている後日譚・前日譚・スピンオフ、そんな感じがする。

実はわたしなども語りの上手い僧の話を聞くのが好きで、絵解きなども本当に好きだ。それどころかわたしは時々自分でいろんな話を甥っ子らに聞かせたりもする。読み聞かせではなく、語り聞かせである。階段も昔話も映画も物語も何でもアリである。それが興に乗ると、聞く側も熱心に聞いてくれる。
たまに相手からは「見てきたのか」というツッコミがくるが、「そうだ」と言わんばかりに話を推し進める。
黒田も多分、あの坊さんに同じ感覚を抱いたに違いない。

犬 1897 「湖畔」直前の絵。寝そべるわんこである。

大磯 1897 ここは明治になり開けた海水浴場で、みんなちょっと一休みなぞしているところ。九代目団十郎も大磯に別荘を持っていたという。

湖畔 1897 夫人をモデルにしたもの。明治洋画三大作の一つだとわたしは思っている。
高橋由一「鮭」、青木繁「海の幸」と共に近代日本洋画の黎明期の傑作。

1899年に「智・感・情」という三枚の裸婦図が発表された。
黄色身を帯びた肌は日本婦人のもので、しかし体型がすらりとしているのは理想をはめたからだった。
わたしは最初にこの絵を見たとき、非常に不思議な感銘を受けた。
見立てもの、というにはもう少し違ったもので、どう捉えればよいのか考えた。
婦人の姿でそれらを表現している、としか説明できないにしても、それだけでは足りない気がする。尤もわたしだけでなく、専門家がまず答えを出しあぐねたままだというから、わたしもこのまま考え続けていてよいらしい。
なお、日本画のまつ本一洋「鵺」は三人の平安婦人が舟にうずくまる図で、これにもそれぞれの婦人に意味を付与している。
洋画と日本画の違いがあるにしても、そうした「仮託する」ということを絵画化するのは日本の伝統なのである。

「智・感・情」のそれぞれに蛍光・赤外線などの違った光を照射した様子を映し出した画像が幡のように吊られていた。
これはたいへん興味深いことだった。

それで思い出した。黒田は現在の絵の下に別な絵を描いていることも多く、静嘉堂文庫にある婦人図の下には花が描かれていた、それがX線で見つかったことがある。

4.文展・帝展の時代

花野図の画稿がいくつか。師匠のコラン的な世界である。とても綺麗。

肖像画もある。
寺尾壽博士像 1909、桂公肖像(画稿)1910、などなど
あんまりおじさんを描くのは楽しくなかったのかもしれない。

森の中 1910 裸婦の背中がいい。

六枚組の「雲」がある。1914/1921 時間も様相も異なる雲を描く。
それらがこうして集まっているのがなにかしら心地よい。

1919年には三点そろいの「夕の原」「夕の景」「夕の梨畑」がある。
こちらもしっとりと綺麗。

黒田はつつじが好きだったようで、野間でも住友でもつつじの絵がある。
ここにもつつじが二点ばかり。
つつじ 1921 朱と白とをべた塗。
山つつじ 1921 黄色と朱の花。

多忙を極める黒田は手近な風景や静物画がこの時代には多くなっていた。

最後に記すが、黒田の日記が大変面白かった。
1891年にドイツ・フランス国境地帯を旅したとき、「ドイツ人か!!」と言われたりしたとか。
それについてけっこう「べらぼう」なことを書いていて面白い。

また黒田や家族の写真などもあり、大礼服に身を包んだものもあった。
その頃には黒田も若い日の面影をなくして、たいそう立派な貴族に見えた。

なかなか繁盛している展覧会。この先もまだまだ繁盛するだろう。
7/21まで。

魅惑のコスチューム バレエ・リュス

国立新美術館の「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」は観る者を蠱惑する展覧会だった。
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これまでバレエ・リュス関連の展覧会では次のものを見てきた。
・ディアギレフのバレエ・リュス 舞台芸術の革命とパリの前衛芸術家たち 1909-1929 セゾン美術館 1998.7.25
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・写真に見るバレエ・リュスの時代 京都国立近代美術館 2007.5.26
・舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン 東京都庭園美術館 2007.8.18
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タイトルによってそれぞれの展覧会の特性が少しずつ異なることがわかる。
今回のようにコスチュームに主眼点を置いた展覧会は初めてである。
これらのコスチュームはオーストラリア国立美術館に所蔵されているという。

98年の展覧会の際には芸術新潮で鹿島茂による「ディアギレフのバレエ・リュス」に関する読み物が掲載され、たいへん興味深く読んだ。コピーだがそれは今も手元に残してある。

また京都近美の写真展は特集展示されたもので、バレエ・リュスに関わった芸術家たちの写真や作品を集めたもので構成されていた。
なお、その写真展と「舞台芸術の世界」の感想はこちらである。

ある月曜の朝、わたしは開館前から展示室の入り口前にいた。
少しの時間であろうと、誰ともあの空間を共有したくなかったので、その日の朝に出向いたのだ。

最初にイントロダクションとして映像が流されている。
その紹介される映像作品がまた素晴らしい。
レオン・バクストのオリエンタリズム、ゴンチャローワのフォークロア。
そうしたあたりを踏まえて実際の衣裳の前に立てば、いよいよ歓びと理解は深まるだろう。

席を立ち、第一室へ入ろうとしたとき、ニジンスキーの「薔薇の精」の大きなパネルが展示されていた。
あの衣裳の薔薇は実際にニジンスキーが着用しながらの縫い取りだったそうだ。
(山岸凉子によるニジンスキー評伝作品「牧神の午後」による)
わたしにとってはやはりバレエ・リュスとはニジンスキーの居た頃に尽きるので、それだけで全身に粟立ちが走る。
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以下、章ごとにささやかな感想を挙げるが、章のタイトル下につく年代ごとの画像は98年の展覧会の際のものである。
今回のくくりとは微妙なずれがあり、それがまた興味深くもある。

・1909-1913 ロシア・シーズン、歴史的エキゾティシズム
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入ると視界いっぱいに「魅惑のコスチューム」が林立していた。
横たわるなら絹の海だろうが、マネキンに着せかけられたバレエのコスチュームは人の体と同じ形に着付けられて、そこに林立していた。
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呆然と立ち尽くすわたしの耳にボロディンのあの名曲「ダッタン人の歌と踊り」が聴こえてきた。
目の前にある「アルミードの館」の隣にその音楽を使う「イーゴリ公」のコスチュームが立ち並んでいた。
踊りの場の名前は「ホロヴェツ人の踊り」となっていた。
アジアの、草原に住む西アジアの民族の、様子がここに披かれているようだった。

やがて「クレオパトラ」からレオン・バクストの仕事が始まる。
ギリシャ人の衣裳にはどういう意図でか赤で鍵卍をアップリケしてあった。
1909年、まだナチスは誕生してはいない。

エジプトの「奴隷」または「踊り子」の衣裳には胸を出し、下を締め付ける作りが採用されていた。
デザイン画のほうがより過剰な風もある。

やがて「シェエラザード」のコスチュームが現れる。
わたしたち観客はまっすぐにその場へ向かうような道のりを歩くことを許されず、不思議な行軍を見せるような動線の上を進んでいた。
だから一望したとき見えていたものも、全ては紆余曲折してゆかないと辿り着けないことになっていた。

初演の際、奴隷の衣裳をつけて歓喜に満ちたニジンスキーを捉えた写真を見ている。
その表情はわたしの脳髄に残り、どうかした拍子にしばしば表に現れる。
わたしは動かぬ衣裳を見ながらニジンスキーのあの姿を<視て>いた。
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一方古典的な演目もこのバレエ団は持っていて、「ジゼル」の衣裳もあった。
ニジンスキーはこうした古典ものがとても苦手だったらしい。

そして「火の鳥」がある。
ストラヴィンスキーの組曲の中でもいちばん好きな作品である。
随分前にこの衣裳を資料でだが見ていたので、存命中のベジャールが振付けた「火の鳥」の労働者風コスチュームがいやでならなかった。

「ペトルーシュカ」「青神」がある。
憐れなペトルーシュカ人形。ピエロの衣裳である。
ニジンスキーは首を長時間かしげたまま不思議な動きを見せていたという。

「青神」にはニジンスキーの名残がこびりついている。青く塗ったその染料が汗とともにしみついている。
百年前のニジンスキーの名残…!

「牧神の午後」からはニンフの衣裳しか、残っていなかった。
そしてドビュッシーのあの音楽がコスチュームを展示する大きな台の下から流れてきた。
全身の細胞が細かく痙攣し始めるのを感じた。
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壁面には舞台写真の展示があった。
わたしの愛した写真も少なくはない。

・1914-1921 モダニズムの受容
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照明は計算されつくされ、衣裳をいよいよ際立たせていた。
大方は青い彩が衣裳に降り注ぐが、「ナイチンゲール」「サトコ」には黄色い彩が衣裳を照らし出す。

「蝶々」レオンバクスト、「金鶏」ナタリア・ゴンチャローワ。同じ1914年の4月と5月の演目である。
ゴンチャーロワのデザインはたいへん刺激的な様相を呈していた。
「金鶏」のコスチュームこそ、実はロシア的なありさまであるべきではないか、という思考を大いに裏切られ、このありようだからこそ、世界のどこかにいる黄金のトリとそれに<躍らされる>どこかの人々、という普遍性がここに付与されている。
そしてこの「金鶏」は先ほどの映像の中でも非常に魅力的な姿を見せていた。

「サドコ」あるいは「サトコ」はロシアの叙事詩からえられた話で、主人公は海底王国に行くと言う。浦島太郎は竜宮に行ったが、サトコは海底に行く。森鴎外により浦島も芝居になり、「サトコ」のコスチュームにはタツノオトシゴ、イカたち海洋生物を模したものが現れる。
タコやイカを大人向けの演目でデザインしたと言えば、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の毛利臣男のそれがある。クマソ兄弟のコスチュームにはタコ、そしてエビが大きくデザインされていた。
表現の方法はバレエ・歌舞伎と違うが、観客を非日常空間へ連れてゆくという目的が同じである限りここにある衣裳はかれらの先達と言ってよいと思う。

この時代にはピカソによる公式プログラム表紙絵が使われてもいる。

・1921-1929 新たな本拠地モンテカルロ
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古典的な演目が少なからずあり、コスチュームもリユースされたりもしている。
そしてこの1920年代のコスチュームには目のくらむような模造石などが使われている。

「眠り姫」「オーロラの結婚」こうした作品のコスチュームはまず優美さが目立った。
登場人物の「狼」「青い鳥」「騎士」「イワン」「侍女」…

そしてローランサンの「牝鹿たち」のための絵画がうるわしい。

一方、この時代には当時の世相が反映されたような衣裳も多い。
「鋼鉄の踊り」などは悲しいくらい働き者のスタイルである。
この辺りに来ると自分のアタマの中で勝手に共産主義関連の歌などが再生されてくる。
もうあの稀代のディレッタントたるディアギレフはいないのだ・・・

・1929~ バレエ・リュス・ド・モンテカルロ
遺志を継ぎ、新しいバレエを創造する人々の世界へ。
ここではピンク色の照明が使われていた。

衣裳の中にはロマンはないが親しいものもあり、20年の歳月の゜間゜に凄まじい変化があったことを感じる。

ただ、帝政ロシア末期、美麗の極致をいった画家イワン・ビリービンが1934年の公演パンフレット表紙を手掛けていることが、途轍もなく嬉しく思えた。
ロシア構成主義、シンプルで「可愛い」絵本の世界の中では、最早イワン・ビリービンの生きる道はなかったのだ。
なお「金鶏」の舞台デザインも彼だが、その頃はまだ「帝政ロシア」が存在していた時代なのだった。

長い時間をここにいた。曲がりくねる動線こそが魔術の道だと思い、その道を行きつ戻りつした。
深い歓びが自分の神経や細胞を刺し続けてくれた。
わたしはその痛苦に近い歓びにふるえ、再びこの空間に佇みたい、と願うている。

そしてやはり自分はニジンスキーのいた時代にいちばん魅了されていることを思い知る。
決して味わうことの出来ない世界。
動くことはないものの、かつて生きていた彼らが身に着けた衣裳がある、それが言葉にならないほど嬉しい。

また、この世界を味わうのにいちばんよいのは山岸凉子「牧神の午後」である。

牧神の午後 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)牧神の午後 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
(2008/03/27)
山岸 凉子



100年後のわたしたちはこの作品とこの展覧会とで、あの歓喜を味わうほかに道は、ない。
9/1まで。

野口哲哉の武者分類図鑑

アサヒビール大山崎山荘美術館へ「野口哲哉の武者分類図鑑」を見に行った。
既に練馬区立美術館で開催された内容の巡回で、大山崎の空間で見てみたいと思い、待っていたのだ。
イメージ (8) イメージ (9)

リアルなものほど虚構に近い。
第一の感想である。
これは先に挙げた「明治工芸の粋」にも言えることで、フィクションを成立させるにはある程度のノンフィクションを交えなければならない、と言うことをつくづく思い知らされたように思う。
尤もそのことは山口晃画伯の仕事を見ていてもそう思うのだが。
極度に技術が高いからこそ、嘘がつけるものだ。
そうでなければ成り立たない。

野口の武者たちは一見「昔の日本人」かと思ってしまうばかりの造形を見せていた。このフィギュアの怖いところは、関節が各自生きていて、しかも細かいところに生存臭さがあふれているあたり。

フィギュアだとわかってはいるものの、このチラシだけ見ていれば実際の人が妙なコスプレをしているのかと思い込んでしまうのだ。

変な甲冑にしても、実際にうさぎのついたのや、「愛」の文字を付けたのや、なんだかんだ見ているので、ついついだまされる。

犬かカンガルーかわからないのをつけた武者もいるが、これも実際にあったような気になっている。

絵もまたレトロな拵えで。
図鑑用のメモ書きも適度な古びがついているのがもう面白くて仕方なかった。

極めつけがこの猫用鎧。イメージ (10)
しかもきちんと伝来品の説明がつくのがご愛嬌で、感心するしかない。

ただ、案外笑わなかったかもしれない。
面白くなかったのではなく、ついつい<本物>を見ている気になったからだろうか。
そしてその観客の錯覚こそが実はいちばん作者の願いなのかもしれない。

今後の活躍もとても期待している。
7/27まで。

超絶技巧!明治工芸の粋

三井記念美術館に「超絶技巧!明治工芸の粋」を2回ばかり見に行った。
これは京都の清水三年坂美術館所蔵の<超絶技巧>の工芸品のうちから選りすぐりのものの出開帳(!)展覧会である。
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驚いてる山口晃画伯が可愛い…

前期後期共に楽しんだが、ホントに絶句するばかり。
細かいことは書いても無駄な気がする。
「見てみなはれ」というしかないのだ。

清水三年坂美術館は比較的小さい規模のミュージアムで、一階は特に薄暗いのでいつも目を凝らしてじーっと作品を見ているが、常に脳には目で見た以上の衝撃が湧きおこっている。
東京で見てもそんなに変わらないだろう、と甘いことを考えていたが、とんでもない。
なんだこれは。
「すごい凄いスゴイ」と言うしかないではないか。

見せ方がまた良かったと思う。
これまで見えていなかった何かがみえて、それでいよいよ驚いている。
なにしろ見知っているはずの並河靖之の七宝の小さな壺、これがまるで初見の別物のようにこちらを誘惑する。
加納夏雄、正阿弥勝義の金工の技芸の高さに改めてびっくりする。
根付の親玉みたいなものだと思っていた牙彫のそっくりフィギュア、甲冑師の明珍家の自在置物、何もかもが「見ていたはずなのに見えていなかった」のだ!
イャ、ホンマにびっくりした。

ついでにびっくりしたのは持ち主の村田さんてあの村田製作所の方だったのか。
なんとなく納得。そしてだいぶ前にやっぱり同じ村田製作所の・・・ご親族の方かち思うけど、随分前に阪神で、製作所の裏手にある山にいる蝶々の写真を撮られたのを集めた個展に行ったことがある。
どこか共通するものを勝手に感じている。

さて、ちょっとだけでも感想を挙げよう。

西の並河・東の濤川と言われたように、明治初期の七宝界に二人の天才がいた。
有線七宝、無線七宝と技法は違うものの、どちらも凄い技術で美麗な世界を開いた。
ここにあるものを見ていてもただただクラクラするばかり。
わたしは二人の作風の違いを見ていて、勝手ながら並河をガレ、濤川をドームに準えていた。
そう考えるしかないのである。

薩摩焼の雀蝶尽くし茶碗がまた凄まじい。
無限の雀、無限の蝶。どちらも際限なく増え続けていて、もうどこにも立つ余地はない。そして丁々発止とばかりに囀り続けているかのようだ。

ところで名古屋には安藤七宝店という店があり、こちらの技術がまたもう凄いのだ。
それで思い出したが、東京の人々も一度並河や安藤の残した宝物を見る機会を持った人がいるはずだ。
INAXギャラリー時代にその展覧会があったから観れた方はラッキーだった。

刺繍絵画もたくさん並んでいた。
実はこれらにはある種の親しみが、私にはある。
わたしの祖母は刺繍絵画がうまく、家に森と湖のある情景を刺繍絵画で表現していたのだった。
元気だったころの祖母からなんだかんだとその話を聞いていたので、これら刺繍絵画に対しては、技術の素晴らしさよりひたすら懐かしさが押し寄せてくるのだった。

それにしても、画伯もチラシで「どひぇー」と騒いでいるが、あの牙彫って彩色したもの、凄すぎるわ。
タケノコにも仏手柑もたまらなくリアル。
現在でこんなにリアルなものを拵えられるのは木彫りだが須田悦弘だけではなかろうか。

明治になってから家業を解散するひともあらば、家業で培われた技術を生かして転職する人もある。
(転職というよりその技術を違う形に示したの意)

なんだかもう、本当にわけのわからない喜びが満ち満ちてきたなあ。
それでいて書けないが。
7/13まで。

台北 國立故宮博物院 神品至宝 その4

第二会場を出て、次は第一会場へ向かう。

1 中国皇帝コレクションの淵源―礼のはじまり
古代の名品とそれを後世の人が再現したものがあって、どきどきした。
なにしろわたしは中国青銅器を偏愛しているからなあ。気持ちはわかる、と勝手なシンパシーを懐いた。

散氏盤 西周 ああ、立派だなあ。象形文字からもう少し進化したのだが、読めませんわ。

犠尊の可愛いのがある。一つは戦国時代、一つは元~明時代で凄い時間の隔たりがある。
丑犬さん、という風情。

2 徽宗コレクション―東洋のルネサンス
徽宗皇帝の描いた絵やそれを手本にした絵、作り出した書体など、良いものはみんな展覧会を巡るようになって教わった。
それ以前は「水滸伝」など、書物でしか徽宗皇帝のことは知らなかったのだ。

北宋のその時代には汝窯の名品がある。
青磁楕円盤
青磁輪花碗
青磁円洗
青磁槌形瓶
いずれも非常に端正で静謐な様子を見せていた。
2010年に東洋陶磁美術館で「北宋汝窯青磁 - 考古発掘成果展」を見ているが、
あの時に懐いた想いが蘇ってくる。薄い色(天青色)の慎ましい美貌に引き寄せられる。

鳥形尊 北宋 懐古趣味もいいものです。可愛いからね。

草書遠宦帖巻 王羲之  (原本)東晋  いつの時代も憧れのヒト、か。

楷書牡丹詩帖頁 徽宗 北宋 この書体が後の資生堂書体の手本になるのだからなあ。

そこから引き続き、こちら。↓

3 北宋士大夫の書―形を超えた魅力
書のことはよくわからないが、それでも案外好きな書もある。
欧陽脩、黄庭堅、米芾らの作品を観れたのは嬉しい。
これはもう多分、その書が好きとかどうとかより、現物を観る前に本で彼らのことを知り、そこからなじみのような気持ちが湧いているからだろう、どうもそんな気がする。
ヒイキのキモチ。

4 南宋宮廷文化のかがやき―永遠の古典

行書千字文冊 高宗 南宋・紹興23年(1153) 当たり前だが「天地玄黄」から始まってますわな。皇帝の文字でもあり、父親の字でもある、という感じ。

文姫帰漢図軸 陳居中 南宋 これは大和文華館で巻物があり、全巻を見たこともある。
大変せつない物語である。なにしろ彼女はもう匈奴の地で二児の母となり、わりと幸せに暮らしていたのだから。とはいえやはり故国忘れがたし、で結局仲良くしていた夫や可愛がっていた子供らと離別して、故国へ帰る。
ここにあるのは最後の宴?のシーン。夫である王子はもう観念しているが、子供らは泣いている。

折檻図軸 南宋 故事成語「折檻」の元ネタの絵。本当にしがみついておる。激しい性格の家臣さんです。しかしこれで皇帝も目が覚めるのだからなあ。
そういえばテレビ版「デビルマン」ではポチ校長がことあるごとにアルフォンヌ先生を「折檻、折檻、折檻!!!」と折檻してはりましたなあw
あのシーンも今ならただの虐待、パワハラか。

桃花図頁 南宋 
杏花図頁 馬遠 南宋
桃とアンズの花の美にときめく。桃と言えば日本では上村松篁さんの絵が至高だと思う。そして松篁さんも息子の淳之さんも東洋絵画の精神を引き継いでいる。
ここにある桃やアンズの花は松篁さんたちの心のご先祖の花なのだ。
 
暗香疏影図頁 馬麟 南宋  夜の梅を「暗香」と表現する美意識。この言葉は日本語にも活きていた。

明皇幸蜀図軸 唐  失意の玄宗皇帝。もう彼の幸せはここで終わる。
連理比翼の歓びも断ち切られたのだ。

屈輪文玉円盒 南宋~元  玉でもぐりぐり。愛が深いのを感じる。

5 元代文人の書画―理想の文人
この辺りはじっくり見られなかったので、また再訪したいと思っている。

実にいい展覧会だった。
最初に心苦しいことがあったとはいえ、やはりこうして美しい文物を眺め歩くと、煩わしい世事は消え、静かな喜びが満ち満ちてくる。

翠玉白菜は七夕までだが、平成館の展示は9/15まで。
ところどころ展示替えもあるので楽しみも多い。
暑い中、大変だが見ることが出来る方はぜひとも。

台北 國立故宮博物院 神品至宝 その3

引き続き第2会場から。
イメージ (4)

8 清朝皇帝の素顔―知られざる日常
数年前に北京のほうの故宮展で乾隆帝の居間の様子を描いた「乾隆帝是一是二図軸」とその再現を見ているが、その場にふさわしいような文具などが集まっていた。

乾隆帝の頃に清朝の文化の頂点が来たようにも思う。
その長い治政の間、様々な工芸品が生まれたが、ここにあるものたちを見ていると、技術というものは進化に際限がないのかもしれない、と思いもした。

玉で作られた様々な文具。
動物文玉鏡台、鰲魚玉花挿、松鶴翠玉挿屏、透彫花卉文玉香薫…
産出先があるからこそ技術が向上するのだが、それにしても凄まじい。

倣古趣味の産物も並ぶ。
文王方鼎(明)、文王玉方鼎(清・乾隆年間)などなど。

実用性があるのかどうかわからない文具も少なくない。
彩漆雲龍管筆 明・嘉靖 村上もとか「龍 RON」にもこれに似た筆が出てくるシーンがあったが、ホンマに使ったのだろうか。

彫竹窺簡図筆筒(三松款) 明 竹に彫刻している。美人のお姉さんなどを。

硯もいろいろ。
端石従星硯(蘇軾詩刻) 北宋~南宋 これは摺った跡がみえる。
松花石甘瓜硯 清 康煕年間 遊び心満載な感じだが使ったとは思えない。
松花石蟠螭硯 清 乾隆年間 丁寧な拵えに感心するだけ。

9 乾隆帝コレクション―中国伝統文化の再編

澄泥虎符硯 清 こいつがまた可愛い。虎ちゃん。中国では虎に喰い殺された人間は「倀鬼」になり、虎の使用人にされるそうだが、こんな可愛いのを使っていたら、ある意味こちらが虎のトリコになりますわなw

紅釉僧帽形水注 景徳鎮窯 明 宣徳年間 いかにもその形だが、実に色がいい。艶やかな紅色。しっとりとした風情もあり、それがこの形というのも面白い。

紫檀多宝格 清 乾隆年間 これはもう本当に技巧に遊ぶ、という状況で拵えたものではなかろうか。素晴らしい。「めくるめく」という感じ。ああ、凄い。奥の奥にも何かがある。ゾウさんらしきものもいる。合子らしきものもある。
少しずつ表情を変えたかと思うと、一挙に変身したり。
そういえば「チャイニーズボックス」とよばれるものはこうしたものではなかろうか。不思議なからくりにときめいた。
また、これが展示されている空間も面白い。
なんとなく入れ子細工の中に自分がいるような気がした。

シャム金葉表文 清 乾隆年間 そういえばシャム(タイ)という国は一度として他国の侵略・統治を受けたことがないのだった。これを見ながらそんなことを思い出した。

鍍金宝石象嵌如意 清 あまりに綺麗な如意で、驚く。中華的というより、帝政ロシアの時代に作られた皇族のための十字架にも似ている。
素晴らしい装飾。鍍金、宝石象嵌、文字を見てもくらくらする。
ピンクの宝石が花になる。薄い緑がまた綺麗。

橄欖八仙手串 清 オリーブの種を使った…これは数珠、またはブレスレット、ですよね。「手串」というのが面白い。 

ところで乾隆帝を最初に知ったのは、神坂智子のシルクロード・シリーズから。香妃のエピソードを描いた話の中で。あのイメージがとても強い。

10 清朝宮廷工房の名品―多文化の交流

故宮に行ったときに絵葉書を購入したものの実物がいくつか来ていた。
いずれも清朝のもの。
釉裏紅龍濤文瓶 景徳鎮窯 雍正年間 色合いがいいなあ。
青花雲龍唐草文五孔壺 景徳鎮窯 乾隆年間 形が面白くて忘れられなかった。
臙脂紅碗 景徳鎮窯 雍正年間 綺麗な色。とても好き。

琺瑯の良さを教えてくれたのも故宮の文物たちだった。
琺瑯彩花卉文水注・碗 康煕年間
紅地琺瑯彩梅竹文碗 雍正年間
琺瑯彩墨彩寒江独釣図瓶 乾隆年間
琺瑯彩孔雀文碗 雍正年間
画琺瑯蟠龍瓶 雍正年間

藍地描金粉彩游魚文回転瓶 景徳鎮窯 清 乾隆年間 多層的な構造になっていて、中では魚が泳ぐ。覗き穴から違う景色が見える。とても楽しい。童心に帰って眺めたら、その中に入り込めるかもしれない。

ところどころにレトロなガラスケースがある。その中に飾られた宝物はより輝いて見えた。
人混みの多さにおされながらもそんなものをみつける楽しみもある。

人と熊 清  最後の玉はこちら。相撲を取っている(格闘している)という解釈もあるが、わたしには坊やとクマちゃんが楽しそうに踊っているようにしか見えない。
白と黒の玉。いいものだ。可愛い。クマの歯並びがまた可愛らしい。
猫や犬に「クマ」と名付けて可愛がるあの気持ち。それがここにも投影されるように思う。
イメージ (4)-2 イメージ (5)

和やかな気持ちになったところで第二会場の展示は終わる。

台北 國立故宮博物院 神品至宝 その2

平成館での「國立故宮博物院 特別展」を見たときの喜びについて書く。

内覧会では多数のヒトをさばくのに第一会場、第二会場に分かれての入場を求められていて、わたしは第二会場から入った。
だからそれにあわせての変格的な感想をあげてゆく。

6 中国工芸の精華

青花龍文大瓶 景徳鎮窯 明 形の綺麗な瓶に色鮮やかな
龍の文様。三本爪の龍の掌にはちゃんと肉球がある。
白鶴美術館の方が龍に肉球をあることを<発見>されてからわたしも龍の肉球に注目するようになったが、この龍の肉球も丸々とふくらんでいた。

青花人物図碗 景徳鎮窯 明 宣徳年間 色の濃淡があり、描かれた情景に物語性が加わったように思えた。

豆彩波濤天馬文有蓋壷 景徳鎮窯 明 成化年間 波の上を飛ぶように走る天馬がなかなかかっこいい。精悍な馬。瑞雲もたなびく。波の下と雲の上にはそれぞれ黄色い葉っぱが並んでいる。・・・ちょっとばかり枯れた白菜を思い出させてくれる。

刺繍九羊啓泰図軸 元 めでたい吉祥図。羊たち、梅、蔦、三人の坊や。イキイキと楽しそうな様子で表現されているのがいい。
ところで「啓泰」というのはここでは何を意味するのだろう。わたしはついつい人名ばかりを思い出すのだが。
イメージ (3)

刺繍仙人図軸 明 メジャーな仙人たちの姿を一人一枚ずつ刺繍で描く。鶴に乗り、陰陽を描いた巻物を開く南極仙翁、蓮の茎のような如意を担ぐ何仙姑、どこで見てもわりとばっちい系オヤジな鉄拐などなど。

刺繍絵はかなりたくさん見てきているが、これは色も褪色せずとても綺麗なままだった。

「天地人」三連玉環 明 てっきり地球儀かと思ったが、そうではなくサイズの違う三つの玉の環なのだった。
これを見ているとき、背後でワケシリゴエなおじさんがおつれさんに「くり貫いて作るんだ」と言っていたが、それは違いましたなあ。振り向けなかったわい。

玉帯飾 明 これは遠目には□と○のシンプルな連なりに見えたのだが、近づくと非常に重層的な彫刻の施された飾りで構成されたものだった。前から見たものと裏から見たものとは表面の構図が違うようで、凄い技巧なのである。
日本でも欄間などでならこうした構造のものは見かけるが、さすがに玉ではこんなものは見ない。

八宝文堆朱方勝形箱 清 この形のものは大阪市立美術館にもあったように思う。それも清のものではなく琉球の遺宝としてのものだったはずだ。琉球の漆芸は中国の影響下にある。
本家のものをこのように間近で見れてよかった。

ほかにも存星、彫漆などの技巧の限りを尽くした漆芸品を見る。

細かく梅花を刻んだ合子もとても愛らしかった。

7 帝王と祭祀 古代の玉器と青銅器 
新石器時代から殷、周、春秋戦国あたりの遺宝が並ぶ。

実は2000年に4時間ばかり滞在したのに、古代の宝物を見ることが出来なかったので、こうしてここで見ることが出来て本当によかった。

殷の鉞などを見ると、諸星大二郎「太公望伝」を思い出す。主人公はぎりぎり首を切られずにすんだものの、長くあの鉞の恐怖におびえる夢を見ていた。

このコーナーはやはり自分の好きなものが多いので、様々な妄想にふけりながら眺めた。

亜醜方尊 殷~西周 菱形の大きな口を開く尊。犠首がいくつも並ぶが中にはゾウさんらしきものもいる。可愛いなあ。
そして饕餮くん。刻まれた文様は案外モダン。

曾姫無ジュツ壷 戦国 耳の部分には虎らしきものがついているが、振り向いて下方にむけて吠えているように見えた。猫科のやりそうなことだと思う一方、カンダタを思い出したりもした。

玉壁 新石器(客省荘文化) これはまたとても綺麗で「完璧」だと思った。例の故事成語の元になった話を思い出す。ところであの「完璧」の話を知ったのは中2のとき読んだ亜月裕「伊賀野カバ丸」からだった。

玉琮 新石器(良渚文化) ずーっとまっすぐに立つ。刻みもリズミカルで、算木を思ったり、いやいやマンションのようだと思ったり。こんなビルディングありますわね。

一番新しいところで唐の玄宗皇帝の玉冊があった。
金が少し残っている。ゆったりした良い文字。よく見えなかったが「隆基」とあるので「ああ、」と頷いたり。

長くなるので一旦ここまで。 

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